#四分円階段が繋ぐ家
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2017年に脳性麻痺で生まれてきて、ずっと寝たきりで人工呼吸器を付けていた息子が、2022年11月に亡くなりました。 遺族としてのいろいろな整理はある程度付いてきたので、良くも悪くも忘れる前に記録を残しておきたい。主に自分の中での整理のために。 就学義務の免除申請 2017年2月生まれの息子は、来る2023年4月に小学校に入学するはずだった。 もちろん生まれてこの方意識と呼べるものが宿らなかったので、市役所と相談して就学義務の延長という申請を行う予定だった。 寝たきりの子の場合であっても、訪問学級のような形で対応してもらうのが基本とのことだったので多少揉めたが、最終的には 主治医に診断書を書いてもらい、就学を延期するような方針としていた。訪問学級を拒否したのは、親としてその姿を見るのが辛かったという理由による。 最期の入院 2022年は2月から始まり、毎月のように入院したり救急外来を受診したりしていた。そのたびに「本人の、予備力とでも言うようなものを消耗している」ような話を主治医としていた。 11月の頭にも体調が悪化し、小児ICU(PICU)へ入院となった。容態は思っていた以上に悪く、病床に余裕がないながらも親族みんなが面会できるような個室を調整してもらった。急いで実家の両親に来てもらい、生前最後の記念写真を撮った。ついでにiPhone 12 ProのLiDAR機能を使ってベッドと本人を3Dスキャンをさせてもらった。 最期の連絡 入院後はいったん体調を立て直すも、やはり限界が来ていたようだった。深夜3時すぎに病院から連絡があった。取り急ぎPICUへ向かったが、心拍はゼロを示していて全てを悟った。両親揃ってからの死亡診断とするかを主治医に聞かれたので、現時点で診断してもらって構わない旨を伝えた。呼吸器のホースを自分で外し、死亡の診断を下してもらっていったん帰宅。 最期の帰宅 自宅に戻り、通院用のバギーなどを準備して妻とともに病院へ。その間にエンゼルケアを済ませてもらっていたので、再会したときには顔��身体もさっぱりしていた。 考えてみれば、鼻や口、首になにもついていない姿というのは緊急帝王切開の直後以来ということになる。それ以降は気管挿管されていたり、気管切開して首にカニューレが付いていたりしていた。 呼吸器もパルスオキシメータも繋がっていない息子を抱っこしてからバギーに乗せ、いつも通りの静かな帰宅となった。 直葬の準備 入院した段階から葬儀屋の目処は付けていたので連絡し、とりあえずドライアイスを持ってきてもらった。 詳しい相談や追加のドライアイスはあとでもう一度、とのことだった。死亡届を預けて市役所に出してもらい、火葬の手配を依頼した。 お世話になっていた訪問看護ステーションに連絡を入れたところ、挨拶に来たいとのことだったのでいつでも構わない旨を伝えたりした。 結果的にはほぼ全ての訪問看護さん・訪問リハさんが顔を見に来てくれた。 川の字の生活 火葬は2日後となったので、二晩を共に過ごすこととなった。良心がヘルプに来てくれている関係もあり寝床の調整が大変だったが、家族みんなで川のような字の形で寝ることができた。機材の関係で生前には難しかったことが、亡くなると容易に実現可能となるのが嬉しくて悲しかった。 火葬と葬儀 2日後、直葬と言うことで葬儀をスキップして荼毘に付した。骨壷とともに帰宅し、ひとまず一段落となった。 遺骨についてはどうするか検討を重ね、最終的には「遺骨からダイヤモンドを作るサービスを使うが、ごく一部を自分の実家に納骨」という形を取った。四十九日前に実家に戻り、菩提寺で四十九日法要とともに納骨してもらった。(ついでに葬儀相当の内容も含めた法要としてくれたらしい) とはいえ大半の遺骨は再び持ち帰り、後日ダイヤモンドを作るサービスに引き渡している。我ながら弔いの建て付けが曖昧だと思った。 事務手続き: 役所系・障害児関係 人が死ぬと手続きに忙殺されるのは覚悟していたが、こと障害児となるとなおのことだった。覚えている限りで列挙しておくが、自治体によって異なると思うので素直に「どうしたらいいですか」と聞いて回るのが早いと思う。 障害児福祉手当(本人への給付) 特別児童扶養手当(両親への給付) 障害者手帳の返納 形見として持っておけないか相談したが返納が必要とのことだった。写真部分だけ切り取って返すことはできるとのことだったので返してもらった。 児童手当の変更 保育要件の変更 父親が勤務、母親が障害児の看護という理由で保育申請していたが、保育の必要性が��更となったため ひとまず求職活動に変更することを提案されたのでそのように申請した 実際に求職活動もしたが、メンタル的な問題からドクターストップとなり、勤務/療養での保育申請となっている 水道料金減免申請の変更 減免申請したことすら忘れていた 障害者用おむつの補助の停止 納品待ちの状態だったので相談したところ、市役所の方から業者に話しが行くとのことだった なお、マイナンバーカードは返却の必要はないし、マイナンバーが確認できないと確定申告で困るので注意。 申請のついでに、相続に備えて住民票の写しと除票を入手しておくとよい。 前者はコンビニで取れるが後者はおそらく窓口での申請となる。 事務手続き: ジュニアNISA 我が家では息子の名義でジュニアNISAを運用していた。楽天証券に問い合わせたところ、 息子から親への相続という手続きになるとのこと。 www.rakuten-sec.co.jp そのため、法定相続情報証明制度に従った準備をしておく。 https://houmukyoku.moj.go.jp/homu/content/001331399.pdf 戸籍謄本が必要となるが、死亡届の提出から反映まで2週間ほどかかるので要注意。 自治体によってはコンビニで取得できるので、その間に準備しておくとよい。 今回の場合、戸籍謄本1通で「結婚して戸籍作成→子供が生まれる→子供が亡くなる」の一連の内容が確認できるので、 除籍謄本は必要ないとのことだった。被相続人(亡くなった息子)と相続人(両親)が記載されているので、 戸籍に関しては謄本だけでOKとのこと。 登記所に相談し(「お子さんに相続が必要な財産が…?」と驚かれた)てから郵送。しばらくすると法定相続情報一覧図と書類が返送されてくる。 これを使って楽天証券の相続手続きを進める。 なお、自分の場合はジュニアNISAで運用していた商品が含み損状態だったのだが、相続実施日の価格で売却され、自分の楽天証券の特定口座に入金される形となった。悲しみが加速した。当然ながら損益通算の対象にもならない。 手続きが割と遅かったこともあり、2022年内の売却も間に合わず、買い直しは2023年の自分のNISA枠を消費することとなった。とにかく悲しい。 事務手続き: 産科医療補償制度 産科医療補償制度のコールセンターに電話し、事情を伝えると書類一式が送られてくる。 補償金の受給を息子から両親へ相続する、という手続きとなるらしい。 産科医療補償制度の場合は相続人の関係がほぼ自明ということもあり、戸籍謄本で申請できた(はず)。 手続きを行うと、次回からの補償金振込依頼のフォーマットが変更となるぐらいで、実際の���ころ大した変化はない。 本人が死亡したところで、補償金は誕生年の20年後��で振り込まれる。仮に親が死んだ場合には、同様に相続されるようだ。 在宅医療用品の返却・片付け 人工呼吸器やパルスオキシメータなどについては、レンタルという形で提供されている。 死亡診断後に主治医の方から業者に連絡があり、しばらくすると引き取り日程の調整連絡がきた。 自分の場合は死亡から約2週間後ぐらいだったので、少しずつ片付けと整理を進めたが、精神的にはこれがかなりしんどかった。 「これを使う人がいなくなるんだ」「これをどかすとこんなに広かったんだ」のようなダメージが積み重なっていく。 さらに言えば、基本的に何かあっても1ヶ月ぐらいは過ごせるように予備を多めに貰っているので、その分整理しなければいけないものも多いため、肉体的にも割としんどいところだった。 医薬品については基本的には手元で処分することとなるが、量が多かったり処分の方法に困る場合には薬局に相談するとよい。 自分の場合は、取扱に注意した方が良さそうなものがいくつかあったのと、息子のためだけに確保してくれていそうな薬剤がいくつかあったので、 処分の依頼と一緒に「亡くなったので今後の仕入れは不要となります、いままでお世話になりました」の挨拶をした。 バギーや吸引器など、買ったものについては自分でなんとかすることになる。 バギーは畳んでしまっておき、吸引器は鼻風邪のたびに活躍することとなった。 税金方面の話 障害者手帳を交付されている場合、特別同居障害者控除という枠がある。76万円の控除であり非常にありがたい制度である。 これについては死亡した年については適用されると考えてよいはず。年末調整や確定申告の際に相談するとよい。 www.nta.go.jp 当然ながら、次の年からはこの76万の控除がなくなるので覚悟が必要となる。財布にも悲しい。 生活方面の話 24時間365日つきっきりで在宅医療に取り組んできた生活から、「そうでない」生活に切り替えるのは肉体的にも精神的にも変化が大きくて大変だった。 こればっかりは時間の力に頼るほかなかったのでいかんともしがたいが、「ああ、もうケアしなくていいんだ」のような「楽だな」といった感情とそれに対する自己嫌悪のようなものとの戦いは特に悩ましいところだった。グリーフケア含め、相談できるところには相談した方が良かったと思う。 あとは、ホームセンターや子供用品の店で「そういえばそろそろアレを補充しなky……もう要らないんだった……」みたいなダメージの受け方をするのがつらかった。 さいごに この記事が、どこの誰にも役に立たない世界を願っています。
脳性麻痺の息子が亡くなった - しょんぼり技術メモ
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1 「これ捨てなかったんだ?」 『玄関』と書かれた段ボールから靴や折り畳み傘などを取り出していた時、早音はそれを見つけた。彼女はそれを、今までに何度も見たことがあったが、手に取ったのは初めてだった。四角形のアルミの枠に、潜水艦のような形をした白い陶器がぶら下がっている。上部に一円玉ほどの大きさの穴を開けており、中は空洞のようだった。風貌どおり、持ってみると重みがあった。 「ねえ、これ」 早音は持ち主のところにそれを持って行った。用途も名称も見当がつかないので、直接見せるしかなかった。 「ああ、それ」持ち主は汗をぬぐいながら、ほほ笑んで言った。「それ、なんだと思う」 「え、なんだろう」 まず思い浮かんだのは、ビートルズのイエローサブマリンであった。さっきまでレコードの荷解きをしていたからかもしれない。しかしそれにしては、どうにも風格があった。ポップスバンドのファングッズには到底見えなかったし、もちろんイエローでもない。つまりそれくらい潜水艦のような形をしていた。 「それはね、人生だよ」 「なにそれ」 持ち主は来月、私の旦那になる予定の男だ。彼は得意げに「人の一生」と言ってまた笑った。こういう極端なことを言ってのけるユーモアが、彼にはあった。理屈っぽいところがたまにキズだが、それでもそんな彼が早音は好きだった。 「それは、捨てられないね」 早音もあえて、意地の悪い返答をした。 「実を言うと、俺もよく分からないんだ」 「何かの、記念品?」 「二十歳の誕生日に父親にもらったんだよ」 「これを?」 しかし納得はできた。なるほど、この引っ越しの前に彼が住んでいたワンルームにも、ずっと飾ってあったのはそういうわけか。 「親父そのとき、酔っぱらってそれを人生だって言ったのよ」 意味分からないよなと、彼は呆れた様子で荷解きを再開した。 「ふうん」 早音は先月、彼からプロポーズを受けた。そして二人はおよそ三年の交際期間を経て、結婚することになった。ところで早音の両親はというと、少し古風なところがあった。結婚するまでは同棲など認めてなるものかと、父親の方はいつも背中で二人を睨みつけた。しかし早音の婚約者は、そのような思想をまったく純粋に尊重した。とはいえ実際には、早音は彼のワンルームに入り浸っていたのだから、結局は同じことだったのだが。とにかく婚約を機に、早音たちは���居に引っ越してきたのである。 早音はその『人生』とやらを丁寧に持ち直して玄関に戻ると、まだ綺麗な靴棚の上に、そっと置いた。 2 「いいのよ早ちゃん、ゆっくりして」 早音が夕食の後片付けを手伝おうとすると、彼の母親に柔らかく遮られた。 「じゃあこれだけ」早音はテーブルの中央に置かれた丸い大皿を持って台所に運んだ。その大皿は立派な作りをしていた。描かれた花木は、先ほどまで盛られてあったご馳走に引けを取らないほど、鮮やかに彩っていた。「これ、すごいですね」 「重いでしょう。このお皿も昔は、スタメンだったのだけれど」 彼女はありがとうと言って受け取ると、手際よくシンクの中に重ねていく。 「今は違うんですか」 「だって私たち二人で、どうするのよ」 居間でくつろぐ自分の旦那を振り返りながら、彼女は笑った。 「確かに」 しかし、二人でどうすると言ってしまえば、この家にある全てがそうである気もした。二人で住むには広すぎるこの家での暮らしを、早音は想像する。昨日まで、そして明日からの彼女たちの暮らしは、どのようなものなのだろうか。 「でもその絵柄、すごくきれいです」 「いる?あげようか」 「やめとけやめとけ」割って入ってきたのは彼の父親だ。呑んでいた瓶ビールが空になったらしい。「古臭いよ」 「そんなこと、ないわよねえ」 早音はこの二人を見ていると、気持ちが穏やかになるのだった。こんな夫婦になれたらいいなと、いつも憧れた。そして同時に、この家で育った婚約者のことを羨ましく思った。花柄の大皿を古臭いと一蹴する心の余裕が、自分の父親にも備わっていてほしかった。 その時ガタンと物音がして、三人がそれぞれ、合わない目を見合わせた。それは二階から聞こえてきた。 「ほらお父さん、手伝ってあげなさいよ」 洗い物で手がふさがっていた彼の母親は、顎で音の鳴った方向を示した。 二階では、彼が雨戸の修繕をしていた。先の台風の影響で、その立て付けが悪くなったという。被害はそれくらいで済んだと彼の母親は言ったが、近隣の土砂崩れが夕方のニュースで取り上げられるほど、雨風は強力なものだった。それの過ぎた朝方に、両親を心配した彼が電話をかけたところ、雨戸の一部が歪んでしまい開かなくなったと報告を受けたのだ。結婚の挨拶からいくつも経っていなかったが、二人はまた足を運ぶことにした。早音たちは彼の実家に来ていたのだった。 「そしたら、りんごを剥いてくれる?」 手伝いを制され逡巡する早音を見かねてか、彼の母親は提案した。かえって気を遣わせたかとも思ったが、その優しさを早音は素直に受け入れた。 「剥きます」 「でも良かった。新しい住まいの写真も見られたし」 「お義母さんたちも、無事で良かったです」 「来てくれて、ありがとうね」 早音はこの台所で初めて手伝いをしたときの、その情けなさを思い出していた。今ではりんごの皮はなめらかな一本の帯となって、静かにたたまれていく。早音はそれがこの家族との繋がりのように思えて、なんだか嬉しかった。 「古臭いなんて言ってたけどね、あの人。これ大事にしてたのよ」彼女は洗いものを一通り終えると、例の大皿についた水滴を丁寧に拭きながら言った。「子供たちが小さかったときまでは、和室に飾ってあったの」 「そうだったんですか」 「男って意味が分からないわよねえ」 早音は手元の作業をいったん中断して、彼女を見つめた。 「どうして?」 「だってそうでしょ、食べ物を乗せなきゃ。お皿なんだから」 それはどうにも拍子の抜けた台詞だったが、早音は妙に納得してしまった。ここは大げさに彼女の味方をすることにした。 「言われてみれば、意味が分からないですね」 二人は女学生のように、顔を寄せ合って、そして笑った。 彼の母親は大皿を食器棚の奥の方にしまい込みながら、こうも続けた。 「何のためにあるか分からなくても、なんとなく置いておくのもいいじゃないかって、変なことを言ってたわ」 「なんか深いですね」 「しまいには『これは人生だ』なんて、大げさよ」 早音は驚いた。つい最近、全く同じ言葉の並びを聞いたばかりだった。 ここまで順調に一本の帯を成していたりんごの皮は、あっけなく途切れてしまった。 3 玄関のベルが来客を知らせたのは、よく晴れた土曜日の昼下がりのことだ。新居に越して来てからというもの、訪ねてくるのは業者ばかりであったため、次はなんだろうと、早音たちは顔を見合わせた。そして今回の来客も予想通り、一箱の段ボールであった。ところがその送り主は意外にも、早音の母親であった。 「なんだろう」 大きさの割に軽いその段ボールをテーブルの上に置くと、二人は並んで座った。そしてかしこまったように、姿勢を正した。ゆっくりと中を開くと、そこに入っていたのはなんとも豪勢な花の束であった。 「すごいね」 「すごい」 早音はその美しい造形を崩さぬよう、丁寧に持ち上げた。優しい香りが、部屋の空気に溶けていく。花々は凛とし、それぞれが自分の役目を知っているかのように、朗らかに咲いていた。 「挨拶に行ったときに話した今日のこと、お義母さんたち覚えてたんだね」 「そうみたい」 その今日が、まさしく今日であった。とうとうこの日が来てしまった。『しまった』という言葉が、相応しくないことは分かっていたが、早音はやはり、この日について『来てしまった』と表現する自分を認めるしかなかった。 「この真ん中の赤い花、きれいだね」 そう言われて早音は、その中央にひと際目立つ花があることに気付いた。彼女はこの花のことをよく知っていた。そしてそれは父親の思い出と共に、早音の心の中にあった。まだ小さい頃、実家の庭にそれは咲いた。早音はなぜかその赤い色に惹かれて、来る日もただ眺めていた。その姿を不憫に思ったのか、父親がそれを��に植え替えてくれた。無言で土を掘り起こす父の背中が、やけに小さく見えたことを早音はよく覚えていた。 「帰りに花瓶を買おうね」 「うん」 「それじゃあ、行こうか」 今日は役所に婚姻届けを出しに行く日だ。しかし早音は、自分がなぜこんな気持ちになるのか分からなかった。彼の両親たちのような、あるいは自分の親でも、あんなふうに、二人で生きていけるのだろうか。不安の原因が彼にあるわけではないことも、それ以外の全てもまた無関係であることも、分かっていた。早音のこのような気持ちは、決して彼に悟られてはいけなかった。きっと彼の優しさは、何か気の利いた冗談で早音を慰めるに違いない。でもそれでは駄目だった。玄関を開けると、澄んだ風が部屋の中へ流れ込んだ。その眩しさに目が慣れると、空は澄んで輝いていた。 「そうだ」 彼がそう言ったのはその時だった。そして靴棚の上に飾られた白い陶器を手に取ると、ちょっと待って、と言いながら部屋の方へ戻っていく。 「忘れ物?」 早音は、差し込んだ光に照らされたその床や壁を見つめた。ここが帰る場所なのだ。外の方に向き直ると、秋の空を深く吸い込んだ。 「ほら見て」彼が戻ってきた。その手には、白い陶器に挿された一輪の赤い花があった。彼は笑って言った。「なんのためにあるか分からなかったけど、やっと意味が生まれたよ」 早音に先ほどまでの不安はもう無かった。涙が出ただろうか。しかしこれもまた、決して彼に悟られるわけにはいかなかった。 ...
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1 「これ捨てなかったんだ?」 『玄関』と書かれた段ボールから靴や折り畳み傘などを取り出していた時、早音はそれを見つけた。彼女はそれを、今までに何度も見たことがあったが、手に取ったのは初めてだった。四角形のアルミの枠に、潜水艦のような形をした白い陶器がぶら下がっている。上部に一円玉ほどの大きさの穴を開けており、中は空洞のようだった。風貌どおり、持ってみると重みがあった。 「ねえ、これ」 早音は持ち主のところにそれを持って行った。用途も名称も見当がつかないので、直接見せるしかなかった。 「ああ、それ」持ち主は汗をぬぐいながら、ほほ笑んで言った。「それ、なんだと思う」 「え、なんだろう」 まず思い浮かんだのは、ビートルズのイエローサブマリンであった。さっきまでレコードの荷解きをしていたからかもしれない。しかしそれにしては、どうにも風格があった。ポップスバンドのファングッズには到底見えなかったし、もちろんイエローでもない。つまりそれくらい潜水艦のような形をしていた。 「それはね、人生だよ」 「なにそれ」 持ち主は来月、私の旦那になる予定の男だ。彼は得意げに「人の一生」と言ってまた笑った。こういう極端なことを言ってのけるユーモアが、彼にはあった。理屈っぽいところがたまにキズだが、それでもそんな彼が早音は好きだった。 「それは、捨てられないね」 早音もあえて、意地の悪い返答をした。 「実を言うと、俺もよく分からないんだ」 「何かの、記念品?」 「二十歳の誕生日に父親にもらったんだよ」 「これを?」 しかし納得はできた。なるほど、この引っ越しの前に彼が住んでいたワンルームにも、ずっと飾ってあったのはそういうわけか。 「親父そのとき、酔っぱらってそれを人生だって言ったのよ」 意味分からないよなと、彼は呆れた様子で荷解きを再開した。 「ふうん」 早音は先月、彼からプロポーズを受けた。そして二人はおよそ三年の交際期間を経て、結婚することになった。ところで早音の両親はというと、少し古風なところがあった。結婚するまでは同棲など認めてなるものかと、父親の方はいつも背中で二人を睨みつけた。しかし早音の婚約者は、そのような思想をまったく純粋に尊重した。とはいえ実際には、早音は彼のワンルームに入り浸っていたのだから、結局は同じことだったのだが。とにかく婚約を機に、早音たちは新居に引っ越してきたのである。 早音はその『人生』とやらを丁寧に持ち直して玄関に戻ると、まだ綺麗な靴棚の上に、そっと置いた。 2 「いいのよ早ちゃん、ゆっくりして」 早音が夕食の後片付けを手伝おうとすると、彼の母親に柔らかく遮られた。 「じゃあこれだけ」早音はテーブルの中央に置かれた丸い大皿を持って台所に運んだ。その大皿は立派な作りをしていた。描かれた花木は、先ほどまで盛られてあったご馳走に引けを取らないほど、鮮やかに彩っていた。「これ、すごいですね」 「重いでしょう。このお皿も昔は、スタメンだったのだけれど」 彼女はありがとうと言って受け取ると、手際よくシンクの中に重ねていく。 「今は違うんですか」 「だって私たち二人で、どうするのよ」 居間でくつろぐ自分の旦那を振り返りながら、彼女は笑った。 「確かに」 しかし、二人でどうすると言ってしまえば、この家にある全てがそうである気もした。二人で住むには広すぎるこの家での暮らしを、早音は想像する。昨日まで、そして明日からの彼女たちの暮らしは、どのようなものなのだろうか。 「でもその絵柄、すごくきれいです」 「いる?あげようか」 「やめとけやめとけ」割って入ってきたのは彼の父親だ。呑んでいた瓶ビールが空になったらしい。「古臭いよ」 「そんなこと、ないわよねえ」 早音はこの二人を見ていると、気持ちが穏やかになるのだった。こんな夫婦になれたらいいなと、いつも憧れた。そして同時に、この家で育った婚約者のことを羨ましく思った。花柄の大皿を古臭いと一蹴する心の余裕が、自分の父親にも備わっていてほしかった。 その時ガタンと物音がして、三人がそれぞれ、合わない目を見合わせた。それは二階から聞こえてきた。 「ほらお父さん、手伝ってあげなさいよ」 洗い物で手がふさがっていた彼の母親は、顎で音の鳴った方向を示した。 二階では、彼が雨戸の修繕をしていた。先の台風の影響で、その立て付けが悪くなったという。被害はそれくらいで済んだと彼の母親は言ったが、近隣の土砂崩れが夕方のニュースで取り上げられるほど、雨風は強力なものだった。それの過ぎた朝方に、両親を心配した彼が電話をかけたところ、雨戸の一部が歪んでしまい開かなくなったと報告を受けたのだ。結婚の挨拶からいくつも経っていなかったが、二人はまた足を運ぶことにした。早音たちは彼の実家に来ていたのだった。 「そしたら、りんごを剥いてくれる?」 手伝いを制され逡巡する早音を見かねてか、彼の母親は提案した。かえって気を遣わせたかとも思ったが、その優しさを早音は素直に受け入れた。 「剥きます」 「でも良かった。新しい住まいの写真も見られたし」 「お義母さんたちも、無事で良かったです」 「来てくれて、ありがとうね」 早音はこの台所で初めて手伝いをしたときの、その情けなさを思い出していた。今ではりんごの皮はなめらかな一本の帯となって、静かにたたまれていく。早音はそれがこの家族との繋がりのように思えて、なんだか嬉しかった。 「古臭いなんて言ってたけどね、あの人。これ大事にしてたのよ」彼女は洗いものを一通り終えると、例の大皿についた水滴を丁寧に拭きながら言った。「子供たちが小さかったときまでは、和室に飾ってあったの」 「そうだったんですか」 「男って意味が分からないわよねえ」 早音は手元の作業をいったん中断して、彼女を見つめた。 「どうして?」 「だってそうでしょ、食べ物を乗せなきゃ。お皿なんだから」 それはどうにも拍子の抜けた台詞だったが、早音は妙に納得してしまった。ここは大げさに彼女の味方をすることにした。 「言われてみれば、意味が分からないですね」 二人は女学生のように、顔を寄せ合って、そして笑った。 彼の母親は大皿を食器棚の奥の方にしまい込みながら、こうも続けた。 「何のためにあるか分からなくても、なんとなく置いておくのもいいじゃないかって、変なことを言ってたわ」 「なんか深いですね」 「しまいには『これは人生だ』なんて、大げさよ」 早音は驚いた。つい最近、全く同じ言葉の並びを聞いたばかりだった。 ここまで順調に一本の帯を成していたりんごの皮は、あっけなく途切れてしまった。 3 玄関のベルが来客を知らせたのは、よく晴れた土曜日の昼下がりのことだ。新居に越して来てからというもの、訪ねてくるのは業者ばかりであったため、次はなんだろうと、早音たちは顔を見合わせた。そして今回の来客も予想通り、一箱の段ボールであった。ところがその送り主は意外にも、早音の母親であった。 「なんだろう」 大きさの割に軽いその段ボールをテーブルの上に置くと、二人は並んで座った。そしてかしこまったように、姿勢を正した。ゆっくりと中を開くと、そこに入っていたのはなんとも豪勢な花の束であった。 「すごいね」 「すごい」 早音はその美しい造形を崩さぬよう、丁寧に持ち上げた。優しい香りが、部屋の空気に溶けていく。花々は凛とし、それぞれが自分の役目を知っているかのように、朗らかに咲いていた。 「挨拶に行ったときに話した今日のこと、お義母さんたち覚えてたんだね」 「そうみたい」 その今日が、まさしく今日であった。とうとうこの日が来てしまった。『しまった』という言葉が、相応しくないことは分かっていたが、早音はやはり、この日について『来てしまった』と表現する自分を認めるしかなかった。 「この真ん中の赤い花、きれいだね」 そう言われて早音は、その中央にひと際目立つ花があることに気付いた。彼女はこの花のことをよく知っていた。そしてそれは父親の思い出と共に、早音の心の中にあった。まだ小さい頃、実家の庭にそれは咲いた。早音はなぜかその赤い色に惹かれて、来る日もただ眺めていた。その姿を不憫に思ったのか、父親がそれを鉢に植え替えてくれた。無言で土を掘り起こす父の背中が、やけに小さく見えたことを早音はよく覚えていた。 「帰りに花瓶を買おうね」 「うん」 「それじゃあ、行こうか」 今日は役所に婚姻届けを出しに行く日だ。しかし早音は、自分がなぜこんな気持ちになるのか分からなかった。彼の両親たちのような、あるいは自分の親でも、あんなふうに、二人で生きていけるのだろうか。不安の原因が彼にあるわけではないことも、それ以外の全てもまた無関係であることも、分かっていた。早音のこのような気持ちは、決して彼に悟られてはいけなかった。きっと彼の優しさは、何か気の利いた冗談で早音を慰めるに違いない。でもそれでは駄目だった。玄関を開けると、澄んだ風が部屋の中へ流れ込んだ。その眩しさに目が慣れると、空は澄んで輝いていた。 「そうだ」 彼がそう言ったのはその時だった。そして靴棚の上に飾られた白い陶器を手に取ると、ちょっと待って、と言いながら部屋の方へ戻っていく。 「忘れ物?」 早音は、差し込んだ光に照らされたその床や壁を見つめた。ここが帰る場所なのだ。外の方に向き直ると、秋の空を深く吸い込んだ。 「ほら見て」彼が戻ってきた。その手には、白い陶器に挿された一輪の赤い花があった。彼は笑って言った。「なんのためにあるか分からなかったけど、やっと意味が生まれたよ」 早音に先ほどまでの不安はもう無かった。涙が出ただろうか。しかしこれもまた、決して彼に悟られるわけにはいかなかった。 ...
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蜃気楼の境界 編(一二三四)
「渦とチェリー新聞」寄稿小説
連載中のシリーズ、第一話からの公開、第七話まで。第八話以降、朗読版に繋がり、最新話に辿り着けます。
蜃気楼の境界 編(一)
序件
赤に黄を混ぜると橙になるとか、分子だとか原子だとか、決まりごとで世界を理解した気になれるとしている人達の視た光景が世界の基準になっていることがそもそも気に食わないと、二〇一六年春、高校一年生になったばかりの渡邉咲は思っている。彼女はやがてクラスに、背が高く視力の悪い市川忍という一見平凡な男子生徒がいることに気づくだろう。麗らかな新大久保、韓国料理店をはじめとした多国籍渦巻く通り、彼女よりも背の高い通行人達の隙間を縫いながら気分よく和楽器専門店へ向かう道すがら、迷いのない機敏さですれ違った、いつだったか見たような気のする少女に勘が働き、あとを追うと、二人の男が対立していたのだ。さっぱりとした面立ちの男が軽やかに束感ショートの若い警部補に、これは高橋さんお久しぶりです、と話しかけるが、その警部補は、探偵に用はないよ、と軽くあしらう。少女は、この探偵と警部補の間を通り過ぎ、可憐に立ち止まり、一、三、三十、千五百と口にしたのだ。新規上場企業連続殺人事件の際はな仲本慧きみのお世話になったが、警部補がいう、本当に高くついたよ闇のポケットマネーだった、今回の捜査はもう済んでいる高知県岡内村の淵に発見された男の水死体はここのホステスとの恋の縺れで半グレが実行したと調べがついている。ところが、探偵仲本慧は、隠れて話を聞いていた渡邉咲が耳を疑うようなことを坦々と喋りだしたのだ。少女崔凪が口にした数から推理するに、彼女の身長百五十センチが百五十万μm(マイクロメートル)だね、目視可能な基準五十μmより小さい花粉が三十μmで飛沫や通常マスクの捕獲サイズが三μmで細菌は一μm、零点三μmはN95マスク捕集サイズ、零点一μmはインフルエンザやコロナのウイルスサイズつまり著名なウイルスは人間の千五百万分の一の小ささでその一回り大きい細菌が百五十万倍の少女を視れば頭は火星にあり地球からの距離十三光分だね月までなら一点三光分、符号、十三、仲本慧が楕円を描くようにぐるぐる歩く、火星は周期七百八十日で地球に近づき月との接近を天上で愉しめるわけだが今年はそれに当たる、七百八十と十三に関係する郵便番号が高知市青柳町で、そこに住む犯人は七百八十日周期で男を殺しに東京を訪れる。
雑居ビルの階段下で警部補は少女崔凪を見、腰を低くし、初めまして警部補の高橋定蔵だ、二年前はお世話になったがきみは知ってるのかな、という���崔凪は強い瞳のまま無言。警部補は探偵に、依頼はしてないから助言と受け取るがどうして事件を追ってる。陰で話を聞きながら、渡邉咲は胸を熱くしている。着信音がする。それを無視した仲本慧、曰く、単なる不倫調査で慧探偵事務所の探偵チームはターゲットの男がある女とホテルへ入るところを写真に収めたが依頼の追加でその女のプロファイルを求められたという。追加依頼を探偵チームに投げようとしたとき事務所に遊びにきた崔凪が、一、三、三十、千五百と自ら口にしたのだ。推理から、と仲本慧はいう、写真に収めた女は、蜃気楼だと気づいた、真の不倫相手の女、つまり犯人が、虚の像を追わせたのさ、ここのホステスは事件の蜃気楼、無関係だね。渡邉咲は、どういうこと、と驚くが、何度か鳴っていた事務所からの着信を仲本慧が受けて、崔凪に、さぁ行こう、と告げ、去り際、ふと足元を見、ツバキの花は境界に咲くというが、現世と魔界の境界にも咲くんだね、と笑みを浮かべる。警部補は二人を追わず高知警察署へ連絡しているらしい。数日後、高知の青柳町に住む女、宮地散花が連続殺人容疑で逮捕されたことを渡邉咲はニュースで知り、午前の授業中はずっと雑居ビルの階段下でのやりとりの記憶に捕らわれ、探偵仲本慧の絡んだ事件の真相って境界の狭間に咲く花のよう、と夢見心地になるが、少女崔凪による真相は、甲乙ムの三文字の一体である鬼を抱く宮地散花が千五百年つまり明応九年に践祚した後柏原天皇の詠んだ歌、心だに西に向はば身の罪を写すかがみはさもあらばあれ、に心打たれるも意味を取り違え、三十人の男の供養を願ったことに始まる。その鬼の念、情景を歪ます程に強く、探偵や警察を巻き込み、一高校生渡邉咲さえ巻き込んだが、彼女は探偵仲本慧による更なる次元さえ加わった渦の中でときめいている。その様は、クラスメイトの市川忍の何かを揺るがしたのだ。窓の下、体育館でのバスケの授業をずっと眺めていた市川忍は、突然渡邉咲の存在に気づき、それは彼のもう一つの人格、仟燕色馨の方が先だったかもしれない。胸騒ぎだ。
蜃気楼の境界 編(二)
書乱
春の夕、上海汽車メーカーの黒い車が高田馬場駅は西、高校の校門を通過し、停車する。奇妙な車がよぎった、脳裏より声。授業も聞かず窓の下、体育館でのバスケの授業をぼんやりと眺めていたが、脳裏に響く声に高校一年生の市川忍、カジョウシキカ唐突に何だよ、と聞く。一昨年にきみを冗談交じりに犯人と疑ってみせた探偵がいたのを覚えてないか。そう問われたものの市川忍は思いだせず、それがどうかしたのと内側へ声を。すると、微かなタイヤの摩擦音と停車音の比較から���的地はすぐ側の一軒家だろうちらと見えた、運転手がその探偵だ、という。この七年前は二〇〇九年五月、関西の高校生から広く流行した新型インフルエンザ以降雨の日以外つねに窓が少し開けられている。空気は生ぬるい。チョークの音。市川忍、幾つか机の離れた席に座る渡邉咲に視線を送る。チャイムの音が鳴り、放課後、別のクラスの生徒、石川原郎がやってきて無造作に横の机に座り、市川おまえ高校はバスケ部入らないの。まあね。受け応えしながら机の中の教科書類を鞄にしまっていく。渡邉咲立ち上がり、教室の外へ。一書に曰く(あるふみにいわく)と仟燕色馨の声が響く、混沌のなか天が生まれ地が固まり神世七代最初の神、国常立尊が生まれたが日本書紀に現れない五柱の別天津神がそれより前にいて独神として身を隠したというのが古事記の始まりということは教科書にも書かれていたが先程の古文の教師はイザナギとイザナミの二神から説明した、これもまた一書に曰く、数多の異神生まれし中世ではアマテラスは男神ですらあり中世日本とは鎌倉時代からつまり末法の世まさに混乱した世の後で超自然思想は流行り無限の一書織り成す神話に鎮座し人々は何を視ているのか、きみが気にしている渡邉咲、退屈そうに探偵読本を机の中に置いていった、大方、探偵に夢を見、探偵業に失望したのだろう、数分の場所に探偵がいる。市川忍は脳裏に響くその声をきっかけにし会話一つ交わしたことがない渡邉咲のあとを必死で追う。走りながら、どう呼びかけるのかさえ決めていない。仟燕色馨のいう一軒家は平成に建てられた軽量鉄骨造で、渡邉咲が通り過ぎた頃合いで咄嗟にスマホを耳に当て、探偵が入っていった、と強く言う。驚き、振り返る渡邉咲。
目黒にて桜まじ、遊歩す影二つ。吹く風に逸れ、冷たし。怪異から死者が幾人、立入禁止とされた日本家屋をちら見し、一つの影、あァお兄様さらなる怪奇物件作りどういたしましょうと口元を手で隠し囁く明智珠子に兄、佐野豊房が陽炎のごとき声で私達はね共同幻想の虚空を幽霊のように漂っているんです、井戸の中で蛙は鬼神となりたむろする魍魎密集す地獄絵図の如き三千大千の井戸が各々の有限世界を四象限マトリクス等で語る似非仏陀の掌の架空認識から垂れ下がる糸に飛び��き課金ならぬ課魂する者達が世を牛耳りリードする妄想基盤の上で生活せざるを得ないならば、宇宙に地球あり水と大地と振動する生命しかない他のことは全て虚仮であるにもかかわらず。明智珠子がその美貌にして鼻息荒く、あの探偵とだけは決着を付けなければいけませんわ、家鳴の狂った解釈で恐怖させる等では物足りません残酷な形で五臓六腑ぶちまけさせなければ気が済みません。佐野豊房は、だがただ凍風を浴びるがままである。翌週は春暑し、件の探偵仲本慧はそれでも長袖で、奇妙な失踪調査依頼で外出している。我が探偵チームが二日で炙りだしたターゲットの潜伏ポイントは男人結界つまり男子禁制の聖域だからねと探偵事務所二番窓口女性職員橋本冷夏にいう、琉球神道ルーツの新興宗教だそうだ。いつも思うんですが年中長袖で暑くないんですか。東京中華街構想があった年と探偵仲本慧プロファイルを口にする、同士と約束したんだねハッタリ理由に青龍を肌に翔ばす気がなかったから年中長袖を着る決着にしたわけだ。えっ、一体何が。その会話を引き裂かんとついてきていた少女崔凪、突飛な言葉を口にする、卑弥呼は、自由じゃない。ハッとし振り返った仲本慧問いかける、今回の件、どう思う。崔凪、気分良さげにいう、男子禁制だから教えられない。生暖かい風が東京湾から。晴海アイランドトリトンスクエアをぐるっと回ってみたわけだが、と元の駐車場に踏み入った仲本慧、あれはかつて晴海団地があった土地だね、我が探偵チームが弾き出した潜入ポイントにも寄った方がいいかもしれないね。そうして訪ねた一軒家の門の外、仟燕色馨を秘める二重人格者は市川忍と、探偵仲本慧を気にする渡邉咲、二人の高校生が現れたのだ。
蜃気楼の境界 編(三)
朔密
白雨あったか地が陽を返す。探偵との声に驚き振り返る渡邉咲の前に市川忍。彼をクラスメイトと理解する迄に数秒。バスケ部上がりの忍は別世��の男子生徒に見えたし圧も弱く視野外にあったのだ。水溜りを踏んで市川忍は彼のもう一つの人格仟燕色馨と心の内側で会話をしている。探偵が入っていったとスマホを片手に口にしたが通話はしていない。咲に向け、ここで事件が起こっているから静かに、俺には知り合いに探偵カジョウシキカがいて今彼と話していると囁くように言い、表札にある「朔密教」と火と雫の紋章、白い香炉を模った像をちらと見、呼び鈴を鳴らす。片や探偵仲本慧はその軽量鉄骨造の一軒家の門の斜め向かい、車中にいる。突然現れた高校生の男女がターゲットの家の呼び鈴を鳴らしたことで注目する。ガチャと鳴り玄関から高齢の女、倉町桃江が姿を見せ咲を見ると、何か用ですか、と聞く。戸惑う咲の前に出、��、朔密教の見学に来たのですが、というと、男子禁制ですから、そちらのお嬢さんだけでしたら。運転席の仲本慧とともに慧探偵事務所窓口職員橋本冷夏が後部座席から降りるが助手席に座る少女崔凪は出てこない。通り雨は天気予報になかったねと口にしながら歩み寄る仲本慧を間近に見た咲が紅潮する。仲本慧が高校生二人を一瞥し、倉町桃江をじっと見つめ、貴女がここの教主ですか、こちらの橋本冷夏が見学に来たのですが。ぬるい風に織り混ざる卦体。そうですか。倉町桃江は表情一つ変えず、弥古様はおられませんが、さ、どうぞ、屋内へ消える。門前に探偵と忍と咲が残る。脳裏の声に促されて忍、何か事件でもあったんですか、と慧に。素性を見抜かれた質問を受けた慧はほんの僅か忍を見、ああきみは以前事件のときに少し話かけた学生だね、とにっこり笑いながら名刺を差し出し、慧探偵事務所の仲本慧だ、困ったことがあればいつでも訪ねてくるといい金額は安くはないけどね、そう話を逸らす。スマホを耳にあてた忍は仲本慧の目をじっと見て、知り合いの探偵と連絡を取りあってるところでもしかしたら同じ事件を追ってるのかも、弥古様を、と挑発する。ここに、咲の目前で、二人の探偵の戦いの火蓋が切られたのだ。咲の気をひく為に市川忍によって仟燕色馨が探偵とされた顛末である。
門と玄関の境界の片隅、雨露に濡れるツバキの花に気づくのは、仲本慧のスマートフォンに朔密教内部に潜入した橋本冷夏から失踪調査対象は石文弥古の姿見当たらずとのメッセージが届き、車内の崔凪に視線を送った直後、片や、市川忍の視界には、はらはら雪が舞い、脳裏に津軽三味線の旋律流れ、声響く、曰く、表札に火と雫の紋章があったがイザナミが命を落とすきっかけ火の神カグツチを当てれば雫はその死悲しむイザナギの涙から生まれしナキサワメであり白と香炉を模った像から琉球の民族信仰にある火の神ヒヌカンを合わせれば朔密教の朔は月齢のゼロを意味し死と生と二極の火の神を炙り出せるだろう男子禁制からヒヌカンによる竈でのゼロの月の交信を弥古様は隠れて行い目的はイザナミの復活か、次元異なる宗教織り成す辺りの新宗教らしさから朔密の密を埋没神と見るなら竈は台所更には死した大いなる食物の神オホゲツヒメの復活とも関連し故に弥古様は台所を秘めたる住処、家としている。この象徴的絵解きのごとき推理の意味が市川忍は何も分からなかったが解が台所であることのみ理解しスマホへ向け成程仟燕色馨、君の言う通りだ敢行するしかないねと言い渡邉咲を見、ねぇ仟燕色馨から君にお願いがある、この中は男子禁制、だから、と耳元に。咲はこのとき、心を奪われたのだ、市川忍ではなく、仟燕色馨の方に。現場が男子禁制ゆえに崔凪の手助けが得られず動揺して仲本慧は自力で推理する。ここへ来る前に出向いたかつての晴海団地はダイニングキッチンが初導入されそれを一般家庭に普及させた歴史的土地で朔密教が琉球神道ルーツの新興宗教であることは調査班の報告で分かっているから潜入した橋本冷夏は台所へ案内されている筈、儀式は日々そこで行われるが石文弥古の姿はないという、ならどこに。その事務的に戸惑った様子が渡邉咲には探偵読本にもあった只の組織である商売人の探偵にしか見えなかったのだ。咲は仲本慧を背にして走り、玄関をくぐり、朔密教内部に潜入する。だが、濡れた車、助手席から出てきた少女崔凪が数字の羅列を呟き、仲本慧は、そうか分かったぞ、と声をあげて橋本冷夏に通話する。崔凪が、涼しい顔でのびのびと呟く、負けるくらいなら今だけ男子禁制じゃなくてもいいかな。
蜃気楼の境界 編(四)
你蜃
燻銀の月が空に二人の高校生公園で座る。笙の天音が鳴り、お母さんだ、とラインの返信をしながら渡邉咲、探偵カジョウシキカは推理で勝っていた、と市川忍を見、探偵仲本慧に出会ったきっかけはそもそもあの少女崔凪だったと思いだす。一昨年にこの公園で鼻歌交じりハーブの栽培をしてた子だ、だから見覚えがあったんだ、と。軽量鉄骨造一軒家、朔密教本部から出てきた探偵職員橋本冷夏に、今宵は重慶三巴湯と青島ビールで宴会だね、と上海汽車メーカーの黒い車へ去る仲本慧の側にいた少女崔凪が高校生の二人をちらと見ふっと笑う。市川忍は悔しがるだけで、だがその内側に潜むもう一つの人格仟燕色馨は市川忍の瞳を通し崔凪をじっと見つめる、夜の公園で仟燕色馨、只の勝負なら勝敗などは所詮遊戯それに君も渡邉咲と親しくなり目的は果たしているだろうしかし慧探偵事務所は現世と魔界裏返りし境界ありこれは魔族の矜持に触れるゆえ既に仕掛けをしている君も再戦を覚悟してほしい、と。その脳裏からの声の本意を掴めない市川忍に、咲、貴方のお知り合いの探偵さんはどう言って���の。その輝く瞳妖しく、市川忍はときめく反面恐怖を覚え、無意識にポケットから作業用の黒ゴム手袋をとりだす。刹那、何故か海峡で波を荒らげる雪景色に鳴り響く津軽三味線の調べが聞こえ、再戦を望んでると伝えると、只ならぬ興奮を見せて咲は喜ぶのだ。先刻、朔密教内部へ駆けていった咲は、仟燕色馨の伝言、台所の真下に女の住居有り、を忍から受け儀式行われし白い炊事場を目指したとき、倉町桃江の脇で動揺する橋本冷夏の姿を見たが、その元に着信が入り中国語で会話を始め、瞳に青龍の華が光れば、香炉、水、塩、生花を払い除け床下収納庫の先に階段を見つけると、独房のような地下室で失踪調査対象である石文弥古を発見、最早咲は事の成り行きを見届けるのみ、異変の只中で、少女崔凪の存在が頭によぎったのだ、確かに探偵仲本慧は推理が届かず動揺していた、何か得体の知れない事が起きたのだ。それにしても、咲は思う、探偵仟燕色馨どのような人なのかな、市川忍という同級生がどうして魅力的な探偵さんとお知り合いなの、ふふ、取りだしたその黒ゴム手袋は何、月がきれい、まるで、私の住む世界のよう。
朔密教、明治に明日香良安が琉球神道系から分離し設立した新宗教である。分離したわけはスサノオに斬り殺されたとされるオホゲツヒメの復活を教義の核に据えた故で、同時期に大本で聖師とされる出口王仁三郎が日本書紀のみ一書から一度だけ名が述べられるイヅノメ神の復活を、同様に一書から一度だけ名が述べられるククリヒメの復活を八十八次元の塾から平成に得た明正昭平という内科医が朔密教に持ち込み妻の倉町桃江を二代教主に推薦し本部への男子禁制を導入、女埋没神の全復活によりイザナミ復活へ至る妻のお導きを深核とし今の形となる。女埋没神はイヅノメ神、オホゲツヒメ、ククリヒメの他に助かったクシナダヒメを除くヤマタノオロチの生贄とされた八稚女らがあり、更には、皆既日食により魔力が衰え殺されたとされる卑弥呼を天照大神と見定めての復活とも融合している。それらを依頼主に説明しながら仲本慧は殺風景な部屋で分厚い捜査費用を懐に入れ、他の探偵にも依頼してないかな、と冷えた目を向ける。依頼主である小さな芸プロのマネージャーは、業界に知られたくない件だから貴方を紹介して貰ったんだ、深入りはしない彼女どういう様子でしたと聞く。調査ではと仲本慧、社会にある数多の既存の道筋を歩めないという認識から石文弥古は芸能に道がないか訪ね、今は朔密教を訪ねているのだろうね、弟以外の人の来訪を絶ち鬼道を続けたとされる卑弥呼の形式で、倉町桃江の最低限の関わり以外を完全に断って地下で儀式を八十八���間続ける任務を受け入れた石文弥古は、我が優秀な女子社員いわく、自らの意志とのことだ。屋外へ出、仲本慧、通話し、高校生市川忍を調査して、という。崔凪の口にした数は、四四八、二四七、一三七。仲本慧はタワマン供給実績数を推理し晴海団地へ出向いたわけだがその推測は二〇二一年の上位三都府県に予知のごとく一致し、崔凪はのちに数列に隠していた八十八を付け足し、慧の推理は台所の地下へと変化したが、二四七が卑弥呼の日食の年を指すように、海とされるワタツミ三神がたとえ人智の蜃気楼であってもなくても推理と崔凪の真意とが違っても。仲本慧は思う、人々は、この街は大地は、紀元前、胡蝶の夢は一介の虚無主義ではない知が、華が、騒いでいる。
by _underline
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昨日の分
大学の図書室に座っている。入ってすぐ右にある椅子と机だ。今日は合評会の日だ。自分の作品は出ない、というか同学年の作品は誰も出ないし、自分達の学年は別に参加しなくてもいいけれど、参加したい気持ちもあって、それでどうするか悩んでいる。
心なしかお腹が痛い。腸の辺りが痛い。さっきヨーグルトを食べたからかもしれない。賞味期限が一ヶ月ほど前のヨーグルトをさっき家で消費してきた。今この文章を書くまで腸がぐるぐるするのは緊張感のせいだと思っていたけれどそうではなくて、もしかしたら古くなったヨーグルトを食べたからかもしれない。
合評会には、別に出なくていい。四年生の参加は義務じゃない。合評会はゼミなど、作品制作系の授業の第15回目という扱いだから、もうゼミがない自分達は、出なくても良い。というか多分、大半は出ない。コロナになって合評がオンラインと対面の併用になってから、学生の多くはオンラインで参加するようになった。今日参加している同学年がいたとしても、きっとその人はパソコン越しに参加する。教室で参加しようとしている同学年は、自分以外ほとんどいないかもしれない。
ちなみに今も合評会は進行している。午前中は一年生の部だ。一年生の部とか書くと、なんだか運動会みたいだ。運動会楽しいですね、パン食い競争がしたいものです。とか言いながらパン食い競争は幼稚園のとき以来したことがないのだけれど、なんなら幼稚園で食ったのもパンではない別の何かだった気がしないでもないのだけれどそんなことはどうでもよくて、問題は合評会に参加するかどうかだ。
多分、後期にちゃんと授業に出ていたら、自分は迷ったりせず、特に何のストレスも感じず、自然と参加したような気がする。でもそうではない。自分は授業に出なかった。後期の授業の大半を欠席した。履修登録していない授業には何度か出たけれど、それ以外の授業にはほぼ出ていない。でもそこに後悔はない。それは仕方ない。仕方ないというか、悔やんだところでどうにもならないし、今冷静に振り返れば出ることもできたと思うけれど、当時の自分にそれは選べなかった。出る気はあったけれどしんどくて出られなかったというより、ちょっとしんどいけど頑張ろうと思えるほどの授業に対するモチベーション��なかった。モチベーションは、自分の目的と繋がるか分からないけれど繋がる可能性のある行動をするとき、必要とされるものだと思う。授業に出ていたら、多分、得られるものはあった。でも、その得られるものが、他の場面で得られるものと比べてより自分が欲しているかと考えると、微妙だった。というか純粋に、授業が自分の中心付近になかった。授業とか大学の存在が、自分が手を伸ばせば届く範囲にはなかった、中央からかなりフェードアウトした位置にあったような気がする。
ちょっとずつ時間が過ぎている。もうすぐ午前の部が終わる。お昼休みが始まる。お昼休みが終わったら午後の部、各ゼミから選ばれた作品についてわちゃわちゃする時間になる。自分は午後に扱われる作品はすべて読んだ。読んだから出ればそれなりに面白いと思う。その場に座るストレスは置いといたら、十分に充実した時間を過ごせると思う。充実とか言ってんじゃねえよ。充実はそれらしい。言葉の意味自体はそんなにキモくないのだけれど、それが使用されてきた場面を思い返すと、なんかキモいなと思う。何かに参加した感想が「充実した時間が過ごせました」なのは、なんか微妙だと思う。じゃあ終わったときに何を思っていたら、その時間は良いものだったと言えるだろうか。「自分ももっと頑張ろう」とかだろうか。それも違う。「もっと頑張ろう」は安心できる言葉だけれど、というのは自分を戒めることができる、調子に乗ることを回避できる言葉だからだけれど、終わったときの感想が「もっと頑張ろう」だと、堂々巡りになる気がする。「もっと頑張ろう」は良い。それ自体は良い。間違ってはない。でも具体性がない。多分、大事なのは言葉じゃない。自分が座っている位置から動いてるかどうかということだ。自分にとって、何かが終わった後に「もっと頑張ろうと思いました」と言うことは、座りながら果実をもぎ取ることに似ている。木の下に胡座を掻いて座っていて、そこからちょっと手を伸ばして一番自分に近い位置にある果実をもぐ、みたいな。立ち上がっていないし、木の反対側に回り込んだりもしていない。要するに景色が変わっていない。大事なのは自分から遠い位置にある実を手に入れることそれ自体ではなくて、ちょっと離れた位置まで動くことによって、その間に何かを思い浮かべるかもしれないことが、座ったままだったら考えつかなかったことを考えつくかもしれないことが、重要なんじゃないかと思う。
という結論もちょぅと微妙だな。でも、終わったときに自分が座っている場所が変わっていたらいいなとは思う。「もっと頑張らないと」と開始前に思っていたなら、たとえばだけれど「もうちょっと落ち着いてゆったり動いてもいいのかもしれない」に変わるとか、「そもそも頑張り方が間違っていたのかもしれない」と気づくとか、「自分は自分のことしか考えていなかった」と恥ずかしくなるとか、そういう変化があるといいなと思う。でも「良いな」と思える変化は所詮その程度だから、もっと抉り取られるような変化を経験しないといけないのかもしれない。
チャイムが鳴った。午前の部が終わった。正確にはチャイムと連動したスケジュールじゃないから、鳴る前に終わっていた。そういえば今日の合評会の最後には、卒業制作の「結果発表〜」がある。なぜカギカッコをつけた���か。「〜」が入れたかったからである。「結果発表〜」的な発声をダウンタウンの浜田がよくしている気がする。いくつかの番組でやっていると思う。浜田は順位がつく番組のMCをやっていることが多いイメージがある。「プレバト」とか「芸能人格付けチェック」とか。番組名が間違っていたらごめんなさい。
今偶然後輩と遭遇した。「こんちはっす」みたいな会話を交わした。自分は「あ、〇〇くん」みたいな反応をした。突然知り合いに会ったとき第一声で「こんにちは」と言える人は、情報の処理が早いなと思う。相手の顔を見てからそれに符合する名前を持ってくるのが早い。そもそも名前に起こしてないのか。顔を見るだけで「誰」っていうことは分かって、それですぐ「こんにちは」って言えるのか。名前主体で把握するか、顔主体で把握するかの違いかもしれない。あー言ってる間に昼休みが終わっていく。午後から出るなら何か食べといた方がいい。あんまりお腹は空いてない。でも今食べないと夕方から夜にかけて変な食べ方しちゃいそうだから学食に行こう。学食は安い。最近、学食のメニューに野菜ちゃんぽんが増えた。商品名は野菜ちゃんぽんじゃなかったけど、ものとしてはそういうやつ。今から食堂でそれを食べようと思う。あー、ほんと何とも言えない気分だ。
と言った結果、結局合評に出ました。ちなみに野菜ちゃんぽんも食べました。大盛りです。うちの大学はラーメンをプラス50円で大盛りにできるところが良いと思います。でも他の大学の食堂でもそのくらいのことはできると思うので、やっぱり取り立てて良いところはないです。
そもそも、自分が通っている大学に他の大学と比較して取り立てて良いところがある必要はないと思います。全然、ゴミみたいな大学で大丈夫です(うちの大学がゴミみたいと言っているわけではありません)ゴミみたいな大学でも、そこで良い時間が過ごせるならそれで問題ないわけです。でも良い時間を過ごせる大学のことを「良い大学」と呼ぶと思うので、結論、ゴミみたいな大学ではいけないのかもしれません。
大学には人がいっぱいいます。端的に言って、それはしんどいです。自分以外の人間が全員、何かしらと関わりを持っているような気がしてきます。いや別に、僕も関わりは持ってるんです。自分がたった一人かと言うと、決してそんなことはありませんし、何より能動的に一人になろうとしている部分が今は多分あるから、だから問題は自分以外の人には友達なり恋人なりとにかく打ち解けている相手がいるように思えることではありません。
大学がしんどいのは本当です。そのしんどさは多分、手に負えなさです。他の人と比較して自分が孤独だとか何かしらの性質で劣っているだとか、そういうことではなく、純粋に多いのです。人数が。そこには自分が含まれていない社会が存在しています。明確に存在しています。そうこれです。大学にはたくさん、自分が存在していない社会がある。自分の存在なしで構成されている社会です。そんなもの隣の家にも存在しとるわと言われればそうだし、隣の家に存在するそれと大学に存在するそれの違いが何かは分からないけれど、いや分かるか、少なくとも当たりはつけられるはずだ。
大学のなかに存在する自分が含まれていない社会、これは隣の家より近���感じられる分、疎外感も感じやすいのではないでしょうか。本当に自分がかすりもしない社会の存在は、そもそもほとんど認識できないはずです。うちの大学に通っている生徒という括りで見れば、僕と今日階段ですれ違った画板を持った女の子は同じ社会に存在しています。でもそんな社会はあってないようなものです。あってないようなものですが、でもあるのです。少なくともそこには、全く知らない赤の他人より関係性が深まる可能性があります。私たちは意外と、街中で突然知らない人から声をかけられる可能性を想定して生きているのではないでしょうか? そしてその可能性を、大学内ではいつもより強く感じているのではないでしょうか? というか多分、大学内では声をかけられても大丈夫な体勢を、街中にいるときより保っているような気がします。だからその分、誰とも話せなかったときに肩透かし感があるのです。そんな気がします。
知らない人から声をかけられる可能性があると思っているのか、知り合いに出会う可能性があると思っているのか、それは分かりません。でも大学にいるときは常に「話す可能性」を頭に入れている気がします。周りに話している人がいるからでしょうか。明確に羨ましさは感じていなかったとしても、目の前に少なくとも自分とは違うことをしている人がいるという事実は、自分をじんわりと苦しめます。苦しめるまで行かずとも、なんとなくしこりを残します。そしてそのしこりが時間経過と共に大きくなっていって、最終的には胸が詰まるようになります。
たとえば、帰りにたまたま階段で一緒になった人がいたとします。ただ単に一緒になった人です。自分はその人のことを何も知りません。最初はほとんど意識すらしていません。でも同じバスに乗って、同じ二人掛けの席に座ったらどうでしょうか?こうなったら意識するようになる気がします。街中で前を歩いている人が自分と同じバス停を目指していて、その流れでたまたま同じバスの同じ二人掛けの席に座ったとしても、意識はしても親近感(?)は感じないような気がします。自分は何が言いたいんでしょうか。でもなんかこの、大学から帰るときたまたま正門前の階段で一緒になって同じバス、同じ席に座る、という一連の流れには、何か喚起されるものがあるような気がするのです。
同じ大学に通っているというのは、同じバスの席に座る可能性が高いということなのでしょうか? 同じ席に座っていても喋る場合と喋らない場合があるという事実が、我々を寂しくさせるのでしょうか? 掴めそうで掴めない。掴めそうで掴めないとき、必ずしもそこに掴めるものがあるとは限らない。全部自分の思い違いかもしれない。
共通点の量が差異を際立たせるということでしょうか。何も共通する部分がない人、たとえば見知らぬ町で80代のお婆さんがバスで隣の席に座ったとしても何も思わなくても、同じ学科の同じ学年の友達が横に座って何も喋らなかったら寂しいということでしょうか。ちなみに書いておくとバスの二人掛けの席に座っているとき隣に誰かが来たらそれが誰であっても何かは思います。お婆さんでもお爺さんでもおばさんでもおじさんでもお姉さんでもお兄さんでも女の子でも男の子でも赤ちゃんを抱いた母親でも父親でも、その人に対して何かしら思います。疲れてそうとか元気そうとか恒常的に幸せそうとか不幸そうとか充実してそうとかしてなさそうとか自信ありそうとか自信なさそうとか、何か思います。だから僕がさっきから言っている何か思うとか思わないみたいな話は全部、寂しいか、寂しくないかの話だと思います。
喋れるはずなのに喋れないと、人は寂しくな���のでしょうか。じゃあ喋れるはずなのに喋れない状態とはいったいどんな状態なのでしょうか。今一番に浮かんだのは、大勢が集まっている部屋があって、その大勢の中に一人だけ話したことがある人がいて、自分はその人に好意を持っているから話しかけに行きたいけれど、その人が自分より明らかに仲の良い友達と話しているから話しかけに行けなくて、ずっと部屋の後ろで突っ立って待っている状態です。これは「喋れるはず」の状態ではないかもしれませんね。純粋な疎外感かもしれません。
周りのみんなは喋ってる。なのに自分だけ喋れない。これはいったいどういう状態なんでしょうか。これは多分、考えていることの違いではありません。趣味が合わないから話せないとか、周りはバカばっかりだから話せないとか、間違ってもそういうことでは絶対にありません、言うまでもなく。多分それは、性質の問題だと思います。そんなことは分かってんだよボケという声が聞こえてきました、自分の内部から。性質の問題によって喋れないことは分かる、でもその性質の違いは、考えていることの違いから来ているわけではない。考えていることが近い人が近くにいたからと言って、話せるとは限らない。近くにいる人、友達のことを考えてみても、考えていることが違う人の方が多い。どうして自分は共通点があることが話せる理由とか一緒にいられる理由になると思ってしまうのだろう。
全然違う話をすると、今日、合評会の後、友達同士の二人のうち一人が、バイバイを言わずにもう一人を置いて先に帰っていました。説明が下手ですね多分これ。伝わりましたでしょうか。仲の良い二人がいる。その二人が、それぞれ別の相手と話をしていた。別の相手と話しているだけで、二人は同じ部屋にいる。そのことをお互いに知っている。でもその二人のうち一人は、話がひと段落したところでもう一人に帰ることを告げずに帰ってしまった。高校生だったら、絶対に「バイバイ」を言っていたと思います。「先帰っとくよ」とか「校門の前で待っとく」とか、相手が話し終わるまで部屋の中でブラブラして待っとくとか、何も言わずにここでこの日の二人の関係をぶちっと切るようなことはしなかったような気がします。全体にではなく、何人もいる中でたった一人に対して「バイバイ」を言うことは、特別な関係の表れだと思います。なんか打ってて泣きそうになりました。メンヘラかよ。
でもマジでそうですね。でも高校の時は言ってませんでしたか? 僕は言ってませんでしたが(言ってなかったんかい)、何人も大勢いる中で、たった一人に呼びかけて「バイバイ」って言ってませんでしたか? その大勢が有象無象じゃなくてそれなりに話したことのある人の集まりでも、一人だけその人に向けて「バイバイ」って言ってませんでしたか? 言ってなかったっけ? 周りにそういう言い方をしていた人がけっこういた気がするのですが気のせいでしょうか?
その「バイバイ」は、とても清々しいものだったと記憶しています。バイバイの相手に選ばれなかったからと言って悲しくなるとか寂しくなるようなことは、多分ありませんでした。いやそれは記憶を改竄しすぎか、それと似たようなシュチュエーションのときは寂しかったし。でもなんていうか、自分が誰かと話しているときに話し終わるのを待って一緒に帰ろうとしてくれている友達がいることは、そしてそれが二人にとって当たり前になっていて感謝も違和感もそこに生まれないことは、本当に奇跡みたいなことではないでしょうか。
帰るときにそれを相手に報告する必要があるか否か。自分が先に帰ることが相手にとってどんな意味を持つのか。ここで「相手」と言ったときに思い浮かべられる具体的な誰かはいるか。そういうことを考えているとどうしようもない気持ちになります。ちなみに、バイバイを言わずに先に帰った一人ともう一人の関係も、僕は良いものだと思います。そこには二人がそれぞれ自分の足で立っている実感があります。それはそれでとても良いです。相手を待とうとし過ぎることは、場合によっては自信のなさの裏返しになると思います。相手との関係に揺るぎない信頼を寄せられているのなら、先に帰ることだってできます。先に帰って話したくなったときに「話そう」と言えばいいのです。相手が話したくなかったらちゃんと断ってくれます。嫌なときにちゃんと「嫌だ」と言える関係が良い関係なのかもしれないですね。定義づけしても仕方ないけど。
まだお風呂に入っていないのでここで終わります。結局、僕は今日合評に出ました。そのことについては明日書けたらいいかな〜。
(書かないかもしれない)
また次回!
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9月18日(日)|生身の音
ついに! 京セラドーム大阪へ! 足を踏み入れ! た! ぞ!
と、いう昨日。野球観戦経験は、小さい頃にナゴヤドームで中日戦を観たきりで、親によるとその際も飽きて背中を向けながら過ごしていたという、そんなたいして興味をもたないまま生きてきたのが、まさかみずから率先して球場に足を運ぼうとする日がくるとは思いもよらず。ただなにか粗相がないようにしなければとか応援のマナーはどうとか暗黙のルールはどうなのかとかそもそもちゃんと球場に辿り着けるのかゲートはわかるのか席はわかるのかと、あらゆる不安が湧くばかりで早い時間に家を出た。しかし最寄り駅まで向かう大阪メトロに乗ってみると既に明らかに野球ファンといったひとびとが大量にいたので、私は後方にぴったりとついていくだけで良かった。改札を出るとそこにはオリックスの選手達の巨大な広告が出ていたりして、高揚感が高まりスキップでもしたいような気分を抑え込んで、始まったばかりの検温会場へと向かった。検温というからには店の入り口で見かけるような一人一人おでこなど近付けて計るセンサーを想像していたのだが、一列で並んでいるところをおそらくはサーモグラフィーでざっくりと検温していくだけだったので、なにも止まることなく川の流れのごとくするりと検温は終わり、紫色の検温証明書をもらった、それが場内へ入る時にチケットと共に必要になるらしい。検温所を抜けると一塁側は左で三塁側は右だと看板が出ていて左へと曲がっていき階段を上がっていけばそれが当然京セラドームだった。
既に外野自由席なのか内野席なのか、随分と人が並んでいて圧倒されつつ、指定席だったので特に慌てる必要もないのでグッズ売り場に行って諸々応援によさげなものを見繕おうショップを探すのだがどこにあるのかいまいちわからず、うろうろとしている間に去年のパ・リーグ優勝記念のシンボルがでかでかと貼り付けられたりもして忙しなくスマホで写真を撮っているうちにすっかり迷子になりそうだったので、スマホで地図を確かめてまっすぐにショップへ向かう。着いてしまえばなにも難しい場所ではなかった。三連休に、天王山の三連戦とだけあってどこもかしこも人は多く、更にこの三連休に乗りかかって夏の商品などは割引されていたりもして大盛況だった。野球のグッズが恐ろしいほど頻繁に新商品が出るのはこの一��横目で眺めているだけでもよくわかったのだけれども、売る方も必死なのだとしみじみ。この売り上げがチームの多大なる運営費やら選手の年棒やらに繋がっていく。慣れぬ人間にはユニフォームも一着一万円、高っ、と驚いてしまう。しかしそれでも買う人は多くいる。事実、どんどん手に取られていった。先日引退表明をした能見投手は、ユニフォームもタオルも軒並み売り切れており、みんな考えることは同じだった。価値があると思えば、手を出すのだ。私も、高っ、と思いつつも、今日の目的でもある山本投手のユニフォームを買って、大好きなスヌーピーとのコラボグッズのハンカチにも手を出し、応援用にとタオルを買って、ひとまずにわかであっても観戦者としての擬態は果たせそうな装備を整え、なんだか完全に掌の上で転がされながらご満悦でもあり、同時にまた一段賃労働への意欲が増した。
模倣ユニフォームに袖を通しながら、そんな時間のすべてが不思議でしょうがなかった。なにもかもが新鮮で、浮ついた空気がそこら中に漂っていて、それぞれ気に入った選手のユニフォームを着て、帽子を被り、あちらこちらで選手の名前や野球の話題が飛び交っていて、その中に飛び込んでうろうろとしていて、なんだかちぐはぐみたいですべてが面白かった。
来たばかりの時はまだ入場が始まっておらず遊園地の人気アトラクションを彷彿させる長蛇の列となっていたけれども、買い物を終えて外に出た頃にはそうした行列も幾分消えており、中で売られている球場グルメも見たかったので受付をすませようとしたら検温証明書の行方がわからなくなっていた。というのももらったそばからひとまずポケットに入れたのがまずく、おそらくは同じポケットでスマホを出し入れしたりしている間に恐らく落ちてしまったのだろう。しょんぼりとしながら検温所へと戻り、いや、今来ましたけど、と、誰もそんなことを気にしているはずがないのに素知らぬ顔でガバガバ検温所を通り抜けてまた同じ証明書をもらった。そのまま再び一塁側へと向かって3番ゲートから受付を終え、通り抜けたら、席へと向かう入り口からグラウンドの緑が視界に入り、そこからずっと視線が通り抜けていって球場の広さに改めて驚愕し、またどんどん楽しくなってくる。急ぐ必要もないけれども席が列の中ほどなので、早めに行った方がなにかと良さそうだったので、グルメを少し見て歩いたら焼きそばと生ビールを買った。持参の水があったので正直なところビールは頼まなくたって良かったのだが、野球とビールはセットという完全なイメージに脳内は支配されており、飲まずにいるという選択は、たとえ一杯750円まあまあ高いな~という気はしてももう少し安い酎ハイにするとかソフトドリンクにしたところで後悔しそうな気がしたので、生ビールにした。
生ビールを片手に席へと向かうといよい���グラウンドが広がっていて、なんだか立ち尽くしそうになりながら、テレビやネットでしか見たことがなかった選手たちの位置をまだからっぽのグラウンドに想像した。広いな、という印象と、思っていたよりも小さいかも、という感想が同時に飛来した。狭くはないけれども、完全に屋根がついているドームならではの閉塞感のせいかもしれない。多くの人間が身を寄せる観客席と、たった一人ずつで位置について守備をする野球選手とでは、この広さに対する印象もまったく違うだろう。たえかねてビールを一口のむと冷たい苦味が喉を通り抜けていき、なんだか随分久しぶりにビールを飲んだと気がついた。美味しくて震えた。
薄く吹く風があっても、熱気のせいなのか、湿度のせいなのか、けっこう暑くて、時間が経つにつれて人が増えていくほどにますます暑くなって、入場者プレゼントでもらった応援ハリセン用の厚紙で、団扇代わりにあおいでいるうちに、選手が出てきた。山本投手がまず出てきて、キャッチャーの若月選手が出てきて、二人で遠投のキャッチボールをする。その、ボールを受けた音が球場内に響いて、ボール自体は小さく、ミット自体も手元のものでしかないのに、音の拡がりが投球の鋭さをものがたっていて、距離が離れていても生身の音に強く引き寄せられて、肌が緊張した。この音を聞きたくて、ここにきたのだった。
その後、次々とベンチ入りメンバーが出てきてウォーミングアップを開始し、いつの間にか覚えてしまった選手たちの名前と背番号と顔とを遠目で確認した。なんだかこれは、ものすごい場所にいる。
ソフトバンクとの試合は、投手戦となった。ソフトバンク表の攻撃から始まり、マウンドに立った山本投手は一人目こそ四球で歩かせてしまったが、ほぼ危なげなく抑えていく。初回裏、ファウルになるかと思った中川選手の打球は微妙に軌道を曲げてぎりぎりファウルのポールの内側に飛び込んでいき、ええっ入った!? というどよめきと拍手が一挙に広がった、ホームランだった。全体にどちらの投手も調子が良く、じりじりとした展開が続いた。しかし、山本投手の投球は圧巻で、途中からは一塁も踏ませず、淡々と投げていった。
緊迫と躍動の表れ、叫ぶ声。バットとボール、ミットとボールが重なる、音。大勢の観客の、手拍子の中で、繰り返されていく。
山本投手は近いうちにメジャーリーグに行くだろう。アメリカに渡ってしまえば、生で投球を見ることは、現実的にとても難しい。だからもしも一度だけ球場に行くのならば、彼の投球を見たかった。けれど、他の選手も、来年にはいるのかわからない。オリックスだけでいっても、シーズン中に後藤選手はトレードで中日に移籍したし、能見投手は引退を決め、来年もコーチをするかどうかはわからない。外国人選手は帰国するかもしれないし、他の選手もどうなるかわからない。怪我をしたり、コロナにかか��たり、思わぬ病気にかかったり、誰もと同様に、いつその身になにが起こるかは予想できない。彼等の仕事は、身体が最大限のパフォーマンスをしていかなければ生き残っていけないシビアな業種なので、体調管理をしっかりとしているだろうけれども、そうはいっても人間なので、わからない。わからない、だらけだ。そんなことも考えていると、健康体でのびのびとプレーをしている姿に感慨があった。そもそも、彼等はほんとうに実在していたんだなと、月並みな点ではあるが、そんなところから感慨深かった。
試合は2-0でオリックスが勝ち、山本投手が最後まで投げきって完封とした。試合終了するとキャッチャーの若月選手と抱き合う姿は、涙がこみあげてきそうになるたまらない瞬間だった。山本投手くらいになってくるともはや完封も不思議ではない贅沢さ、ぽっとでのミーハーが味わうにはあまりにももったいないくらいだったけれども、ミーハーであれ古参であれ、すべては楽しんだもの勝ちだなあと確信した夜。まあせっかく奮発してユニフォームまで買ったのだし、一度と言わず、また行きたい。
しかし席がまんなかの方だとビールのおかわりで売り子さんを呼ぼうにも人が密集していてどうにもならず、ああいうときはみなさんどうしているんだろう。なんだかやたら美味しかったので、もう一杯くらいならいいかと気が大きくなったものの諦めてしまい、それが若干の心残り。
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四分円階段が繋ぐ家、リビング . ____________________________________________ 既存躯体を最大限残し、最低限の操作で最大限の空間を検討したリノベーション。 だだっ広い寒々しい雰囲気の吹き抜けの既存空間に軽快な曲面階段と小さなブリッジをかけることとした。空間のよりどころとなり、落ち着きが出来、楽し気な動線が生まれた。 (写真 Yuta Ooseto PHOTOGRAPHY) ____________________________________________ #富谷洋介建築設計 #一級建築士事務所 #設計事務所 #建築家 #設計士 #北海道 #札幌 #注文住宅 #四分円階段が繋ぐ家 #リフォーム #リノベーション #スケルトン階段 #スチール階段 #ブリッジ #ペレットストーブ #針葉樹合板 #HOPE創Life #マイホーム #いえづくり #architect #architecture #design #casa https://www.instagram.com/p/B7duryfgsAe/?igshid=uuu9ghsltby0
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Harmony of Distant Thunder
小松千倫 「遠雷のハーモニー」 Kazumichi Komatsu “Distant of Thunder”
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映像撮影・編集:播本和宜
写真撮影:細倉真弓 タイトル:「Endless Summer」(2021) メディア:流木、麻紐、ロープ、16chオーディオ 作品設置会場:ホテルニューアカオ内メインダイニング錦 展覧会:「Standing Ovation 四肢の向かう先」 協力:高木遊、高橋銑、Oasis2、堀池ゆめぁ、砂原光、Ψυχή、AK、セーラーかんな子、whatman、三好優夏、細倉真弓、播本和宜、青野路緯 再生音源 Endress Summer Mix
「Endless Summer」制作プロセス: 2021年9月末から11月中旬まで熱海市内大型宿泊施設、旧ホテルニューアカオにレジデンスし、熱海、伊豆エリアのリサーチと滞在制作を行った。 このレジデンスで発見したのは流木という素材である。伊豆半島は200万年前〜60万年前ごろまでに起こった地殻変動により、海中���山の堆積物が陸地化し、フィリピン海プレートの北上によって本州にぶつかることで形成されたという説が現在まで有力である。伊豆では海が山にそのままぶつかる場所が多く、浜辺は珍しく、小さいか人工的に作られている。その浜辺や海中に、山から流木が大量に流れ出て漂着する。伊豆は流木の名産地である。海底は火成岩で覆われており、岩場に流木が引っかかって、海に突き刺さっていたりする。
本作の制作を行ったホテルニューアカオ(1973年建立)も、海に突き刺さっているように建てられている。
海に突き刺さっているホテルの鉄骨の基礎と流木は、伊豆という土地の体験を縮約するものであった。その体験は海と山との境界の不明瞭さと不安定さである。それは伸び縮みし、折れ曲り、人工的に一時的に作り変えられ、壊れる。この海と山の間という大きく遠いものを作るために、流木を使うことにした。
素材としての流木の特徴はその軽さにある。海水を含んだ木が乾くことで内部の水分が短時間で抜かれ、繊維がのこる。しなりは損なうが、加工がしやすく丈夫で軽量である。私は流木で、屋外サイネージディスプレイのフレーム構造を作ることにした。
流木で3.5M径の円形フレームを作成し、蜘蛛の巣のように麻紐を張りめぐらせていわゆる「ドリームキャッチャー」を作った。なぜドリームキャッチャーなのかというと、外部のフレームに対して柔軟に内部構造を作り出せることと、屋外に設置するにあたり、風圧の影響を最低限にとどめることができるからである。
内部にはLEDライトを直列で繋いで作成したサイネージディスプレイを、ドリームキャッチャーの形状に���わせて分解した発光装置を取り付けた。バラバラのドリームキャッチャーディスプレイには、熱海で撮影した海中、遠雷、花火などの映像を出力した。
このようにして制作したディスプレイをホテルニューアカオ内、2階部分に位置する「メインダイニング錦」(78年オープン)の大ガラス窓の外部に吊り下げて設置した。|メインダイニング錦は奥行き約50メートルに及ぶ巨大レストランホールである。2020年の閉館まで、42年間にわたりこの空間では様々なイベントが催されてきた。私はこのホール内の反響そのものを記録するために、現地で声楽家の三好優夏の歌声の収録、複数の音楽家とDJを招聘したレイヴパーティー「Faded Ya h Man 2」企画と録音を行った。 収録された反響する歌と、熱海で採集した雷の音をミックスし「Endless Summer Mix」という楽曲を制作、この音源を「メインダイニング錦」内に設置されている16個のスピーカーで再生することにした。
概要 1.上記に掲載した映像、写真、オーディオ資料は、熱海市内の宿泊施設である旧ホテルニューアカオ(閉館)にて2021年12月12日まで開催中のグループ展覧会「Standing Ovation 四肢の向かう先」内で公開中のインスタレーション作品「Endless SUmmer」および、同会場で2021年11月14日に開催されたレイヴパーティ「Faded Yah Man 2」の模様を記録したアーカイブ資料である。 展覧会概要:https://standingovation.site/artists.html 2.本作は、京都市東九条の廃倉庫「旧村田組倉庫」内部で2021年12月6日に限定的に公開される博士資料展示作品「遠雷のハーモニー Distant of Thunder」を離れた場所でその一部を構成する装置として24時間駆動中であ る。
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「遠雷のハーモニー Distant of Thunder」(旧村田組倉庫)の様子。 廃倉庫中央部分に熱海の海中や浜辺で採集した流木を連結し、吊り下げている。流木全体に野外サイネージで使用されるLEDライトが直列配線で取り付けられており、熱海で収録した雷の光や花火の映像のシークエンスが流れている。それらのLEDライト1球1球にファイバーケーブルを複数取り付け、LEDの光をさらに細かく分解し、流木を貫通して表面に突出させた、風変わりなクリスマスツリーのようなものになっている。空間全体では2chでサウンドをループ再生している。
再生音源:https://soundcloud.com/madegg/3sooko/s-3XtHJCVYOcS?si=8ad96c9194534022b04bb36f33fbd923 3.また、現在京都市南区のHOTEL ANTEROOM KYOTOで2021年1月30日まで開催中のグループ展覧会「デジタル・オーガニック」内ではインスタレーション「Distant of Thunder (Room211)」が公開中である。 展覧会概要:https://www.uds-hotels.com/anteroom/kyoto/news/11538/
「Distant of Thunder (Room211) (HOTEL ANTEROOM KYOTO、客室211号室)の様子。なお、本作ではHOTEL ANTEROOM KYOTOおよびその半径100メートルにサウンドのFM放送を行っており、HOTEL ANTEROOM KYOTO内の客室211号室内に設置されたラジオがその電波を拾って再生している。
同じグループ展覧会「デジタル・オーガニック」内で設置中の「Gesture (good iuck)」(2021)。一般家庭用LEDロープ型イルミネーションライトにファイバーケーブルを取り付け、段ボールの内部から外部にLEDの光を伝達するファイバーケーブルを突出させている。ファイーバーケーブルを突き出すための「穴」は、熱海・伊豆の様々な場所で太陽光を透かしながらその位置を決め、少しずつ開けている。
4. これら3つの異なる空間で再生される音は、ホテルニューアカオにレジデンス中であった11月、伊豆大島上空の雷のフィールドレコーディング音源と、それぞれの空間に合わせて収録、編集を行った複数の歌によって構成されており、空間内に合わせて調音・音響設計されたものである。それぞれ、熱海のニューアカオではシンガーソングライター���堀池ゆめぁ、声楽家の三 優夏の歌声、旧村田組倉庫では研究者、音楽家の土井樹と小松の歌声、HOTEL ANTEROOM KYOTOでは小松の歌声が再生される。
5.3つの離れた場所では、再生される音とLEDライトとそれをさらに分解する発光装置がセットで設置されている。それぞれの空間で再生される音の長さは、熱海:18分 HOTEL ANTEROOM KYOTO:12分45秒 旧村田組倉庫:18分 LED発光シークエンスの長さは、 熱海:60秒 HOTEL ANTEROOM KYOTO:0.5秒 旧村田組倉庫:60秒 となっている。
6.それぞれ離れた場所にある3つの装置が「遠雷のハーモニー」を構成しているが、全てを体験せずとも各々の場所で固有の「遠雷のハーモニー」が体感できることを目的として設置している。ハーモニーとは、いくつかのループシークエンスの異なり(ズレ)合いのことを指している。ズレはいくつかのシークエンスの繰り返しが、折り重なることによって体感可能になる。この折り重なりは、各空間の中に閉じているわけではない。空間に向かう間に通過する電車やバスや車の窓から見える風景、街のネオン、サイネージ、夜景、クリスマスイルミネーション、星々との折り重なりがある。繰り返しが生み出すこのようなハーモニーを貫くものとして、その発光のきっかけとして熱海沖の遠雷を使用している。
小松千倫 2021
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厚着紳士
夜明けと共に吹き始めた強い風が乱暴に街の中を掻き回していた。猛烈な嵐到来の予感に包まれた私の心は落ち着く場所を失い、未だ薄暗い部屋の中を一人右往左往していた。 昼どきになると空の面は不気味な黒雲に覆われ、強面の風が不気味な金切り声を上げながら羊雲の群れを四方八方に追い散らしていた。今にも荒れた空が真っ二つに裂けて豪雨が降り注ぎ蒼白い雷の閃光とともに耳をつんざく雷鳴が辺りに轟きそうな気配だったが、一向に空は割れずに雨も雷も落ちて来はしなかった。半ば待ち草臥れて半ば裏切られたような心持ちとなって家を飛び出した私はあり合わせの目的地を決めると道端を歩き始めた。
家の中に居た時分、壁の隙間から止め処なく吹き込んで来る冷たい風にやや肌寒さを身に感じていた私は念には念を押して冬の格好をして居た。私は不意に遭遇する寒さと雷鳴と人間というものが大嫌いな人間だった。しかし家の玄関を出てしばらく歩いてみると暑さを感じた。季節は四月の半ばだから当然である。だが暑さよりもなおのこと強く肌身に染みているのは季節外れの格好をして外を歩いている事への羞恥心だった。家に戻って着替えて来ようかとも考えたが、引き返すには惜しいくらいに遠くまで歩いて来てしまったし、つまらない羞恥心に左右される事も馬鹿馬鹿しく思えた。しかしやはり恥ずかしさはしつこく消えなかった。ダウンジャケットの前ボタンを外して身体の表面を涼風に晒す事も考えたが、そんな事をするのは自らの過ちを強調する様なものでなおのこと恥ずかしさが増すばかりだと考え直した。 みるみると赤い悪魔の虜にされていった私の視線は自然と自分の同族を探し始めていた。この羞恥心を少しでも和らげようと躍起になっていたのだった。併せて薄着の蛮族達に心中で盛大な罵詈雑言を浴びせ掛けることも忘れなかった。風に短いスカートの裾を靡かせている女を見れば「けしからん破廉恥だ」と心中で眉をしかめ、ポロシャツの胸襟を開いてがに股で歩いている男を見れば「軟派な山羊男め」と心中で毒づき、ランニングシャツと短パンで道をひた向きに走る男を見れば「全く君は野蛮人なのか」と心中で断罪した。蛮族達は吐いて捨てる程居るようであり、片時も絶える事無く非情の裁きを司る私の目の前に現れた。しかし一方肝心の同志眷属とは中々出逢う事が叶わなかった。私は軽薄な薄着蛮族達と擦れ違うばかりの状況に段々と言い知れぬ寂寥の感を覚え始めた。今日の空が浮かべている雲の表情と同じように目まぐるしく移り変わって行く街色の片隅にぽつ念と取り残されている季節外れの男の顔に吹き付けられる風は全く容赦がなかった。 すると暫くして遠く前方に黒っぽい影が現れた。最初はそれが何であるか判然としなかったが、姿が近付いて来るにつれて紺のロングコートを着た中年の紳士だという事が判明した。厚着紳士の顔にはその服装とは対照的に冷ややかで侮蔑的な瞳と余情を許さない厳粛な皺が幾重も刻まれていて、風に靡く薄く毛の細い頭髪がなおのこと厳しく薄ら寒い印象に氷の華を添えていた。瞬く間に私の身内を冷ややかな緊張が走り抜けていった。強張った背筋は一直線に伸びていた。私の立場は裁く側から裁かれる側へと速やかに移行していた。しかし同時にそんな私の顔にも彼と同じ冷たい眼差しと威厳ある皺がおそらくは刻まれて居たのに違いない。私の面持ちと服装に疾風の如く視線を走らせた厚着紳士の瞳に刹那ではあるが同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情が浮かんでいた。 かくして二人の孤独な紳士はようやく相まみえたのだった。しかし紳士たる者その感情を面に出すことをしてはいけない。笑顔を見せたり握手をする等は全くの論外だった。寂しく風音が響くだけの沈黙の内に二人は互いのぶれない矜持を盛大に讃え合い、今後ともその厚着ダンディズムが街中に蔓延る悪しき蛮習に負けずに成就する事を祈りつつ、何事も無かったかの様に颯然と擦れ違うと、そのまま振り返りもせずに各々の目指すべき場所へと歩いて行った。 名乗りもせずに風と共に去って行った厚着紳士を私は密かな心中でプルースト君と呼ぶ事にした。プルースト君と出逢い、列風に掻き消されそうだった私の矜持は不思議なくらい息を吹き返した。羞恥心の赤い炎は青く清浄な冷や水によって打ち消されたのだった。先程まで脱ぎたくて仕方のなかった恥ずかしいダウンジャケットは紳士の礼服の風格を帯び、私は風荒れる街の道を威風堂々と闊歩し始めた。 しかし道を一歩一歩進む毎に紳士の誇りやプルースト君の面影は嘘のように薄らいでいった。再び羞恥心が生い茂る雑草の如く私の清らかな魂の庭園を脅かし始めるのに大して時間は必要無かった。気が付かないうちに恥ずかしい事だが私はこの不自然な恰好が何とか自然に見える方法を思案し始めていた。 例えば私が熱帯や南国から日本に遣って来て間もない異国人だという設定はどうだろうか?温かい国から訪れた彼らにとっては日本の春の気候ですら寒く感じるはずだろう。当然彼らは冬の格好をして外を出歩き、彼らを見る人々も「ああ彼らは暑い国の人々だからまだ寒く感じるのだな」と自然に思うに違いない。しかし私の風貌はどう見ても平たい顔の日本人であり、彼らの顔に深々と刻まれて居る野蛮な太陽の燃える面影は何処にも見出す事が出来無かった。それよりも風邪を引いて高熱を出して震えている病人を装った方が良いだろう。悪寒に襲われながらも近くはない病院へと歩いて行かねばならぬ、重苦を肩に背負った病の人を演じれば、見る人は冬の格好を嘲笑うどころか同情と憐憫の眼差しで私を見つめる事に違いない。こんな事ならばマスクを持ってくれば良かったが、マスク一つを取りに帰るには果てしなく遠い場所まで歩いて来てしまった。マスクに意識が囚われると、マスクをしている街の人間の多さに気付かされた。しかし彼らは半袖のシャツにマスクをしていたりスカートを履きながらマスクをしている。一体彼らは何の為にマスクをしているのか理解に苦しんだ。 暫くすると、私は重篤な病の暗い影が差した紳士見習いの面持ちをして難渋そうに道を歩いていた。それは紳士である事と羞恥心を軽減する事の折衷策、悪く言うならば私は自分を誤魔化し始めたのだった。しかしその効果は大きいらしく、擦れ違う人々は皆同情と憐憫の眼差しで私の顔を伺っているのが何となく察せられた。しかしかの人々は安易な慰めを拒絶する紳士の矜持をも察したらしく私に声を掛けて来る野暮な人間は誰一人として居なかった。ただ、紐に繋がれて散歩をしている小さな犬がやたらと私に向かって吠えて来たが、所詮は犬や猫、獣の類にこの病の暗い影が差した厚着紳士の美学が理解出来るはずも無かった。私は子犬に吠えられ背中や腋に大量の汗を掻きながらも未だ誇りを失わずに道を歩いていた。 しかし度々通行人達の服装を目にするにつれて、段々と私は自分自身が自分で予想していたよりは少数部族では無いという事に気が付き始めていた。歴然とした厚着紳士は皆無だったが、私のようにダウンを着た厚着紳士見習い程度であったら見つける事もそう難しくはなかった。恥ずかしさが少しずつ消えて無くなると抑え込んでいた暑さが急激に肌を熱し始めた。視線が四方に落ち着��なくなった私は頻りと人の視線を遮る物陰を探し始めた。 泳ぐ視線がようやく道の傍らに置かれた自動販売機を捉えると、駆けるように近付いて行ってその狭い陰に身を隠した。恐る恐る背後を振り返り誰か人が歩いて来ないかを確認すると運悪く背後から腰の曲がった老婆が強風の中難渋そうに手押し車を押して歩いて来るのが見えた。私は老婆の間の悪さに苛立ちを隠せなかったが、幸いな事に老婆の背後には人影が見られなかった。あの老婆さえ遣り過ごしてしまえばここは人々の視線から完全な死角となる事が予測出来たのだった。しかしこのまま微動だにせず自動販売機の陰に長い間身を隠しているのは怪し過ぎるという思いに駆られて、渋々と歩み出て自動販売機の目の前に仁王立ちになると私は腕を組んで眉間に深い皺を作った。買うべきジュースを真剣に吟味選抜している紳士の厳粛な態度を装ったのだった。 しかし風はなお強く老婆の手押し車は遅々として進まなかった。自動販売機と私の間の空間はそこだけ時間が止まっているかのようだった。私は緊張に強いられる沈黙の重さに耐えきれず、渋々ポケットから財布を取り出し、小銭を掴んで自動販売機の硬貨投入口に滑り込ませた。買いたくもない飲み物を選ばさられている不条理や屈辱感に最初は腹立たしかった私もケース内に陳列された色取り取りのジュース缶を目の前にしているうちに段々と本当にジュースを飲みたくなって来てその行き場の無い怒りは早くボタンを押してジュースを手に入れたいというもどかしさへと移り変わっていった。しかし強風に負けじとか細い腕二つで精一杯手押し車を押して何とか歩いている老婆を責める事は器量甚大懐深き紳士が為す所業では無い。そもそも恨むべきはこの強烈な風を吹かせている天だと考えた私は空を見上げると恨めしい視線を天に投げ掛けた。 ようやく老婆の足音とともに手押し車が地面を擦る音が背中に迫った時、私は満を持して自動販売機のボタンを押した。ジュースの落下する音と共に私はペットボトルに入ったメロンソーダを手に入れた。ダウンの中で汗を掻き火照った身体にメロンソーダの冷たさが手の平を通して心地よく伝わった。暫くの間余韻に浸っていると老婆の手押し車が私の横に現れ、みるみると通り過ぎて行った。遂に機は熟したのだった。私は再び自動販売機の物陰に身を隠すと念のため背後を振り返り人の姿が見えない事を確認した。誰も居ないことが解ると急ぐ指先でダウンジャケットのボタンを一つまた一つと外していった。最後に上から下へとファスナーが降ろされると、うっとりとする様な涼しい風が開けた中のシャツを通して素肌へと心地良く伝わって来た。涼しさと開放感に浸りながら手にしたメロンソーダを飲んで喉の渇きを潤した私は何事も無かったかのように再び道を歩き始めた。 坂口安吾はかの著名な堕落論の中で昨日の英雄も今日では闇屋になり貞淑な未亡人も娼婦になるというような意味の事を言っていたが、先程まで厚着紳士見習いだった私は破廉恥な軟派山羊男に成り下がってしまった。こんな格好をプルースト君が見たらさぞかし軽蔑の眼差しで私を見詰める事に違いない。たどり着いた駅のホームの長椅子に腰をかけて、何だか自身がどうしようもなく汚れてしまったような心持ちになった私は暗く深く沈み込んでいた。膝の上に置かれた飲みかけのメロンソーダも言い知れぬ哀愁を帯びているようだった。胸を内を駆け巡り始めた耐えられぬ想いの脱出口を求めるように視線を駅の窓硝子越しに垣間見える空に送ると遠方に高く聳え立つ白い煙突塔が見えた。煙突の先端から濛々と吐き出される排煙が恐ろしい程の速さで荒れた空の彼岸へと流されている。 耐えられぬ思いが胸の内を駆け駅の窓硝子越しに見える空に視線を遣ると遠方に聳える白い煙突塔から濛々と吐き出されている排煙が恐ろしい速度で空の彼岸へと流されている様子が見えた。目には見えない風に流されて行く灰色に汚れた煙に対して、黒い雲に覆われた空の中に浮かぶ白い煙突塔は普段青い空の中で見ている雄姿よりもなおのこと白く純潔に光り輝いて見えた。何とも言えぬ気持の昂ぶりを覚えた私は思わずメロンソーダを傍らに除けた。ダウンジャケットの前ボタンに右手を掛けた。しかしすぐにまた思い直すと右手の位置を元の場所に戻した。そうして幾度となく決意と逡巡の間を行き来している間に段々と駅のホーム内には人間が溢れ始めた。強風の影響なのか電車は暫く駅に来ないようだった。 すると駅の階段を昇って来る黒い影があった。その物々しく重厚な風貌は軽薄に薄着を纏った人間の群れの中でひと際異彩を放っている。プルースト君だった。依然として彼は分厚いロングコートに厳しく身を包み込み、冷ややかな面持ちで堂々と駅のホームを歩いていたが、薄い頭髪と額には薄っすらと汗が浮かび、幅広い額を包むその辛苦の結晶は天井の蛍光灯に照らされて燦燦と四方八方に輝きを放っていた。私にはそれが不撓不屈の王者だけが戴く栄光の冠に見えた。未だ変わらずプルースト君は厚着紳士で在り続けていた。 私は彼の胸中に宿る鋼鉄の信念に感激を覚えると共に、それとは対照的に驚く程簡単に退転してしまった自分自身の脆弱な信念を恥じた。俯いて視線をホームの床に敷き詰められた正方形タイルの繋ぎ目の暗い溝へと落とした。この惨めな敗残の姿が彼の冷たい視線に晒される事を恐れ心臓から足の指の先までが慄き震えていた。しかしそんな事は露とも知らぬプルースト君はゆっくりとこちらへ歩いて来る。迫り来る脅威に戦慄した私は慌ててダウンのファスナーを下から上へと引き上げた。紳士の体裁を整えようと手先を闇雲に動かした。途中ダウンの布地が間に挟まって中々ファスナーが上がらない問題が浮上したものの、結局は何とかファスナーを上まで閉め切った。続けてボタンを嵌め終えると辛うじて私は張りぼてだがあの厚着紳士見習いの姿へと復活する事に成功した。 膝の上に置いてあった哀愁のメロンソーダも何となく恥ずかしく邪魔に思えて、隠してしまおうとダウンのポケットの中へとペットボトルを仕舞い込んでいた時、華麗颯爽とロングコートの紺色の裾端が視界の真横に映り込んだ。思わず私は顔を見上げた。顔を上方に上げ過ぎた私は天井の蛍光灯の光を直接見てしまった。眩んだ目を閉じて直ぐにまた開くとプルースト君が真横に厳然と仁王立ちしていた。汗ばんだ蒼白い顔は白い光に包まれてなおのこと白く、紺のコートに包まれた首から上は先程窓から垣間見えた純潔の白い塔そのものだった。神々しくさえあるその立ち姿に畏敬の念を覚え始めた私の横で微塵も表情を崩さないプルースト君は優雅な動作で座席に腰を降ろすとロダンの考える人の様に拳を作った左手に顎を乗せて対岸のホームに、いやおそらくはその先の彼方にある白い塔にじっと厳しい視線を注ぎ始めた。私は期待を裏切らない彼の態度及び所作に感服感激していたが、一方でいつ自分の棄教退転が彼に見破られるかと気が気ではなくダウンジャケットの中は冷や汗で夥しく濡れ湿っていた。 プルースト君が真実の威厳に輝けば輝く程に、その冷たい眼差しの一撃が私を跡形もなく打ち砕くであろう事は否応無しに予想出来る事だった。一刻も早く電車が来て欲しかったが、依然として電車は暫くこの駅にはやって来そうになかった。緊張と沈黙を強いられる時間が二人の座る長椅子周辺を包み込み、その異様な空気を察してか今ではホーム中に人が溢れ返っているのにも関わらず私とプルースト君の周りには誰一人近寄っては来なかった。群衆の騒めきでホーム内は煩いはずなのに不思議と彼らの出す雑音は聞こえなかった。蟻のように蠢く彼らの姿も全く目に入らず、沈黙の静寂の中で私はただプルースト君の一挙手に全神経を注いでいた。 すると不意にプルースト君が私の座る右斜め前に視線を落とした。突然の動きに驚いて気が動転しつつも私も追ってその視線の先に目を遣った。プルースト君は私のダウンジャケットのポケットからはみ出しているメロンソーダの頭部を見ていた。私は愕然たる思いに駆られた。しかし今やどうする事も出来ない。怜悧な思考力と電光石火の直観力を併せ持つ彼ならばすぐにそれが棄教退転の証拠だという事に気が付くだろう。私は半ば観念して恐る恐るプルースト君の横顔を伺った。悪い予感は良く当たると云う。案の定プルースト君の蒼白い顔の口元には哀れみにも似た冷笑が至極鮮明に浮かんでいた。 私はというとそれからもう身を固く縮めて頑なに瞼を閉じる事しか出来なかった。遂に私が厚着紳士道から転がり落ちて軟派な薄着蛮族の一員と成り下がった事を見破られてしまった。卑怯千万な棄教退転者という消す事の出来ない烙印を隣に座る厳然たる厚着紳士に押されてしまった。 白い煙突塔から吐き出された排煙は永久に恥辱の空を漂い続けるのだ。あの笑みはかつて一心同体であった純白の塔から汚れてしまった灰色の煙へと送られた悲しみを押し隠した訣別の笑みだったのだろう。私は彼の隣でこのまま電車が来るのを待ち続ける事が耐えられなくなって来た。私にはプルースト君と同じ電車に乗る資格はもう既に失われているのだった。今すぐにでも立ち上がってそのまま逃げるように駅を出て、家に帰ってポップコーンでも焼け食いしよう、そうして全てを忘却の風に流してしまおう。そう思っていた矢先、隣のプルースト君が何やら慌ただしく動いている気配が伝わってきた。私は薄目を開いた。プルースト君はロングコートのポケットの中から何かを取り出そうとしていた。メロンソーダだった。驚きを隠せない私を尻目にプルースト君は渇き飢えた飼い豚のようにその薄緑色の炭酸ジュースを勢い良く飲み始めた。みるみるとペットボトルの中のメロンソーダが半分以上が無くなった。するとプルースト君は下品極まりないげっぷを数回したかと思うと「暑い、いや暑いなあ」と一人小さく呟いてコートのボタンをそそくさと外し始めた。瞬く間にコートの前門は解放された。中から汚い染みの沢山付着した白いシャツとその白布に包まれただらしのない太鼓腹が堂々と姿を現した。 私は暫くの間呆気に取られていた。しかしすぐに憤然と立ち上がった。長椅子に座ってメロンソーダを飲むかつてプルースト君と言われた汚物を背にしてホームの反対方向へ歩き始めた。出来る限りあの醜悪な棄教退転者から遠く離れたかった。暫く歩いていると、擦れ違う人々の怪訝そうな視線を感じた。自分の顔に哀れな裏切り者に対する軽侮の冷笑が浮かんでいる事に私は気が付いた。 ホームの端に辿り着くと私は視線をホームの対岸にその先の彼方にある白い塔へと注いた。黒雲に覆われた白い塔の陰には在りし日のプルースト君の面影がぼんやりとちらついた。しかしすぐにまた消えて無くなった。暫くすると白い塔さえも風に流れて来た黒雲に掻き消されてしまった。四角い窓枠からは何も見え無くなり、軽薄な人間達の姿と騒めきが壁に包まれたホーム中に充満していった。 言い知れぬ虚無と寂寥が肌身に沁みて私は静かに両の瞳を閉じた。周囲の雑音と共に色々な想念が目まぐるしく心中を通り過ぎて行った。プルースト君の事、厚着紳士で在り続けるという事、メロンソーダ、白い塔…、プルースト君の事。凡そ全てが雲や煙となって無辺の彼方へと押し流されて行った。真夜中と見紛う暗黒に私の全視界は覆われた。 間もなくすると闇の天頂に薄っすらと白い点が浮かんだ。最初は小さく朧げに白く映るだけだった点は徐々に膨張し始めた。同時に目も眩む程に光り輝き始めた。終いには白銀の光を溢れんばかりに湛えた満月並みの大円となった。実際に光は丸い稜線から溢れ始めて、激しい滝のように闇の下へと流れ落ち始めた。天頂から底辺へと一直線に落下する直瀑の白銀滝は段々と野太くなった。反対に大円は徐々に縮小していって再び小さな点へと戻っていった。更にはその点すらも闇に消えて、視界から見え無くなった直後、不意に全ての動きが止まった。 流れ落ちていた白銀滝の軌跡はそのままの光と形に凝固して、寂滅の真空に荘厳な光の巨塔が顕現した。その美々しく神々しい立ち姿に私は息をする事さえも忘れて見入った。最初は塔全体が一つの光源体の様に見えたが、よく目を凝らすと恐ろしく小さい光の結晶が高速で点滅していて、そうした極小微細の光片が寄り集まって一本の巨塔を形成しているのだという事が解った。その光の源が何なのかは判別出来なかったが、それよりも光に隙間無く埋められている塔の外壁の内で唯一不自然に切り取られている黒い正方形の個所がある事が気になった。塔の頂付近にその不可解な切り取り口はあった。怪しみながら私はその内側にじっと視線を集中させた。 徐々に瞳が慣れて来ると暗闇の中に茫漠とした人影の様なものが見え始めた。どうやら黒い正方形は窓枠である事が解った。しかしそれ以上は如何程目を凝らしても人影の相貌は明確にならなかった。ただ私の方を見ているらしい彼が恐ろしい程までに厚着している事だけは解った。あれは幻の厚着紳士なのか。思わず私は手を振ろうとした。しかし紳士という言葉の響きが振りかけた手を虚しく元の位置へと返した。 すると間も無く塔の根本周辺が波を打って揺らぎ始めた。下方からから少しずつ光の塔は崩れて霧散しだした。朦朧と四方へ流れ出した光群は丸く可愛い尻を光らせて夜の河を渡っていく銀蛍のように闇の彼方此方へと思い思いに飛んで行った。瞬く間に百千幾万の光片が暗闇一面を覆い尽くした。 冬の夜空に散りばめられた銀星のように暗闇の満天に煌く光の屑は各々少しずつその輝きと大きさを拡大させていった。間もなく見つめて居られ無い程に白く眩しくなった。耐えられ無くなった私は思わず目を見開いた。するとまた今度は天井の白い蛍光灯の眩しさが瞳を焼いた。いつの間にか自分の顔が斜め上を向いていた事に気が付いた。顔を元の位置に戻すと、焼き付いた白光が徐々に色褪せていった。依然として変わらぬホームの光景と。周囲の雑多なざわめきが目と耳に戻ると、依然として黒雲に覆い隠されている窓枠が目に付いた。すぐにまた私は目を閉じた。暗闇の中をを凝視してつい先程まで輝いていた光の面影を探してみたが、瞼の裏にはただ沈黙が広がるばかりだった。 しかし光り輝く巨塔の幻影は孤高の紳士たる決意を新たに芽生えさせた。私の心中は言い知れない高揚に包まれ始めた。是が非でも守らなければならない厚着矜持信念の実像をこの両の瞳で見た気がした。すると周囲の雑音も不思議と耳に心地よく聞こえ始めた。 『この者達があの神聖な光を見る事は決して無い事だろう。あの光は選ばれた孤高の厚着紳士だけが垣間見る事の出来る祝福の光なのだ。光の巨塔の窓に微かに垣間見えたあの人影はおそらく未来の自分だったのだろう。完全に厚着紳士と化した私が現在の中途半端な私に道を反れることの無いように暗示訓戒していたに違いない。しかしもはや誰に言われなくても私が道を踏み外す事は無い。私の上着のボタンが開かれる事はもう決して無い。あの白い光は私の脳裏に深く焼き付いた』 高揚感は体中の血を上気させて段々と私は喉の渇きを感じ始めた。するとポケットから頭を出したメロンソーダが目に付いた。再び私の心は激しく揺れ動き始めた。 一度は目を逸らし二度目も逸らした。三度目になると私はメロンソーダを凝視していた。しかし迷いを振り払うかの様に視線を逸らすとまたすぐに前を向いた。四度目、私はメロンソーダを手に持っていた。三分の二以上減っていて非常に軽い。しかしまだ三分の一弱は残っている。ペットボトルの底の方で妖しく光る液体の薄緑色は喉の渇き切った私の瞳に避け難く魅惑的に映った。 まあ、喉を潤すぐらいは良いだろう、ダウンの前を開かない限りは。私はそう自分に言い聞かせるとペットボトルの口を開けた。間を置かないで一息にメロンソーダを飲み干した。 飲みかけのメロンソーダは炭酸が抜けきってしつこい程に甘く、更には生ぬるかった。それは紛れも無く堕落の味だった。腐った果実の味だった。私は何とも言えない苦い気持ちと後悔、更には自己嫌悪の念を覚えて早くこの嫌な味を忘れようと盛んに努めた。しかし舌の粘膜に絡み付いた甘さはなかなか消える事が無かった。私はどうしようも無く苛立った。すると突然隣に黒く長い影が映った。プルースト君だった。不意の再再会に思考が停止した私は手に持った空のメロンソーダを隠す事も出来ず、ただ茫然と突っ立っていたが、すぐに自分が手に握るそれがとても恥ずかしい物のように思えて来てメロンソーダを慌ててポケットの中に隠した。しかしプルースト君は私の隠蔽工作を見逃しては居ないようだった。すぐに自分のポケットから飲みかけのメロンソーダを取り出すとプルースト君は旨そうに大きな音を立ててソーダを飲み干した。乾いたゲップの音の響きが消える間もなく、透明になったペットボトルの蓋を華麗優雅な手捌きで閉めるとプルースト君はゆっくりとこちらに視線を向けた。その瞳に浮かんでいたのは紛れもなく同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情だった。 間もなくしてようやく電車が駅にやって来た。プルースト君と私は仲良く同じ車両に乗った。駅に溢れていた乗客達が逃げ場無く鮨詰めにされて居る狭い車内は冷房もまだ付いておらず蒸し暑かった。夥しい汗で額や脇を濡らしたプルースト君の隣で私はゆっくりとダウンのボタンに手を掛けた。視界の端に白い塔の残映が素早く流れ去っていった。
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一��停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができな��、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留ま��返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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ホワイト国から除外を決定する前日において、とんでもない情報が飛び込んできた。 なんと慰安婦像を、税を投じて日本国内で展示したという。舞台となったのは、あいちトリエンナーレ2019。公式ホームページによると、『2019年は、国内外から90組以上のアーティストを迎えます。国際現代美術展のほか、映像プログラム、パフォーミングアーツ、音楽プログラムなど、様々な表現を横断する、最先端の芸術作品を紹介します。』とのことだが、その中身がとんでもない。
”国際現代美術展”の中身だろうか、なんと”慰安婦像”が展示されている。 また、”映像プログラム”のようだが、昭和天皇の御真影を焼く映像まで公開されている模様。この点については、和田参議院が確認をとるとtweetしている。
当該イベントは、芸術祭であるが、芸術監督としては津田大介氏の名前がある。事実上の総責任者のようだ。愛知県の大村知事も、よくわからないポーズを共に行って写真を投稿している。
県が主導する以上、愛知県および名古屋市の税金が投じられている。 さらには、文化庁の助成事業とのこと。なんと国費まで投じられるという状況だ。
これは、大村知事に辞表を書いて頂くような流れになるように思う。 むしろ知事が自発的に辞職することが最も軽傷であるとすら思えるのだ。大村知事自身が一番わかっているだろう。国会議員5期の経験および政務官、副大臣を歴任、また県連会長も経験。のち自民と離反、旧・日本維新の会の顧問も務めた。意味はわかると思う。
慰安婦像の展示を、税を投じて公式に行うということは、我が国の外交に想像以上のダメージを与える。海外のアーティストを招いての舞台となれば、どれほど韓国に悪用される想像するまでもない。税を投じて行うということは、我が国の公共団体が公式に認めたという意味になる。 事実として、ハンギョレが報じ、Yahoo!ニュースに転載されている。また、本事業で”慰安婦像”が展示されていることは朝日などが好意的に報じた後だ。取り返しがつかない。
すでに像の撤去うんぬんではなく、この芸術祭は中止せざるを得ないレベルになるように思う。津田氏らの論調や行動に思うことはあるが、私の矛先は今はそこにはない。ああだこうだという、いわゆるイデオロギー的な言論を行える状況にはなく、ダメージコントロールに奔走すべき状況だ。
最終的には、文化庁を経由して支出された国費(もしくはこれから交付されるのか?)は国庫に返納して頂きたい。文化庁は文科省の所掌であるが、最終的なジャッジは柴山文科大臣が行うこととなる。慰安婦像を展示する事業に、国費を投じることを是とする判断を行うとは考えにくい。 明日には確認がとられると思うが、昭和天皇の御真影を焼く映像まで公開されていたのであれば、「国費投入は、文科大臣の責任問題」まで行く。
また、中止となった場合には、県税(愛知県)や市税(名古屋市)においても、返還訴訟なども可能であろうと思う。 愛知県議会、および名古屋市議会は、知事および市長を議会の場で追及すべきだ。そして、そうなるだろう。実際、愛知県内の市議(あま市の森議員)がBlogで発信している。
最終的なダメージコントロールで考えると、(本事業の即時停止のち)「知事の自発的な辞任」が最も軽傷であると考える。恐らく盟友関係になる維新の松井市長が”知事も知らなかった”旨の、火消しなのかな?と思われるtweetをしていたが、巻き込まれて炎上しただけだった。 すでに取り返しがつかない事態である。
私は、芸術祭そのものを全否定する立場ではない。この日のために一生懸命、作品を作ってきた者もいるだろう。けれども、これはダメだ。
本イベントの事務局の連絡先を公開する。 かつ、有効と思われる電凸先を掲示したい。 イベントの事務局は、県職員も配置されているかも知れないが、基本的には企業に外注だろう。 となれば、愛知県に直接、および名古屋市に直接、抗議したほうが効果は高い。また指導を求めるならば、文化庁に直接抗議し国費の支出を止めること。
(愛知県) 代表電話:052-961-2111 知事室 :052-954-6000 県議会事務局:052-954-6730
(名古屋市) 代表電話:052-961-1111 市議会総務課(庶務係)052-972-2083
協賛企業の一覧も公開する。
タブー破り、日本最大の芸術祭で展示される“少女像”
数十万人が訪れる「あいちトリエンナーレ」で 日本大使館前の平和の少女像と同じ作品が���1日から初めて展示される 「無事に展示終わったら日本社会にとっても希望」 市民らが交代で右翼の妨害に対応する予定 韓服(ハンボク・朝鮮半島の民族衣装)を着た少女が両手を合わせて正面を見つめている。後ろには影がさしている。影は少女ではなく、ハルモニ(おばあさん)の姿だ。少女の時に「慰安婦」として動員され、今はハルモニになった被害者の姿を象徴する。影には蝶も刻まれている。慰安婦被害の告発に続き、人権と平和の運動家になったハルモニたちの姿を連想させる。隣には「水曜集会千回目を迎え、その崇高な精神と歴史を受け継ぐために、この平和の碑を建てる」と書かれた平和の碑も置かれている。
日本に対する輸出規制で韓日の対立が深まる中、日本社会の代表的なタブーである「平和の少女像」が、日本最大規模の国際芸術祭で、初めて完全な姿で展示される。愛知県は8月1日から10月14日まで、「情の時代」をテーマに、愛知県名古屋市美術館などで「あいちトリエンナーレ(triennale)2019」を開催するが、展示作品に平和の少女像が含まれている。あいちトリエンナーレは、愛知県一帯で2010年から3年毎に開かれる日本最大規模の国際芸術祭で、2016年の展示会には60万人の観客が訪れた。
(中略)
今回展示される少女像は、在韓日本大使館前の「平和の少女像」を作った彫刻家のキム・ウンソン(54)氏とキム・ソギョン氏(53)夫妻が、少女像と全く同じ形で制作したものだ。キム夫妻が2015年、日本の市民らに預けたもので、これまでは私立展示館や小劇場での公演の際に披露されただけだった。名古屋で会ったキム・ソギョン氏は、2015年に日本に持ってくるとき、目立たないように細心の注意を払ったと語った。キム氏は「日本で(平和の碑もある)完全な形の少女像を公の場で展示するのは初めてだ。日本の公共美術館の展示されること自体が大変意味のあることだ」と評価した。
(中略)
2015年の「表現の不自由展」に続き、今回の展示企画に参加した日本の出版編集者・岡本有佳氏は「今回の『表現の不自由展・その後』に展示される17点の作品のなかで、慰安婦被害関連展示が3点も含まれていることについて、多すぎるのではないかという指摘もあった。しかし、多いわけではなく、安倍晋三政権が(慰安婦被害を)目につかないようにしたからこそ、そうなっただけ」だと話した。彼女は「日本社会には、最近閉鎖的な空気があるが、10月14日まで展示が無事に終わることを望んでいる。(日本国内で朝鮮半島に対する)植民地支配に向き合おうとする人たちに希望をつないでほしい」と述べた。
今回の展示には、日本社会のタブーに真っ向から挑戦する他の作品も展示される。2017年、日本群馬県近代美術館で展示される予定だったが、展示を拒否された「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」が代表的な事例だ。
(後略)
Yahoo!ニュース 1 tweet 9 usersタブー破り、日本最大の芸術祭で展示される“少女像”(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニ...https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190731-00034000-hankyoreh-kr韓服(ハンボク・朝鮮半島の民族衣装)を着た少女が両手を合わせて正面を見つめている - Yahoo!ニュース(ハンギョレ新聞)
下記は、KBSの報道。 KBSとは、韓国における公共放送であり、韓国放送公社。 日本におけるNHKに相当する。
実際に慰安婦像が展示されている状態が確認できる。
ハンギョレのyahooニュースは、参議院議員の和田先生がTwitterにて紹介している。
あいちトリエンナーレ。 慰安婦像の展示が行われ、昭和天皇の御真影を焼く映像展示があるとの情報が寄せられた。御真影を焼く映像展示は明日確認を取る。事実だとしたらとんでもないこと。あいちトリエンナーレは文化庁助成事業。 しっかりと情報確認を行い、適切な対応を取るhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190731-00034000-hankyoreh-kr …
タブー破り、日本最大の芸術祭で展示される“少女像”(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース
韓服(ハンボク・朝鮮半島の民族衣装)を着た少女が両手を合わせて正面を見つめている - Yahoo!ニュース(ハンギョレ新聞)
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想像以上にとんでもない展示作品
私は芸術作品は、ぶっちゃけ、よくわからないタイプである。 よくわからないからこそ、人並み以上の敬意を払ってきた。
当市においても文科系の事業はあるが、芸術に関する事業においては「正直、球が一番美しいと思っている。」と述べた上で、「けれども、その道を目指す方々おられる以上、その世界を否定すること��、むしろ門外漢の私にはできない。」(要旨)という理由で賛成に回っている。
市議や市職員との雑談においては、”美しさや造詣で私が言及できるのは、車のエアロパーツやホールのデザインぐらいだ。”と正直に述べている。
だが、敢えて言いたい。 芸術だと言えば、なんでも許されるわけではない。
例えば極めて特殊な性癖のエロ画像とか、犯罪を助長する作品展示が許されていいのか?という話になる。男性・女性を問わず、もしくはそれ以外の性も含め、三大欲求として通常に有するものかと思うが、どういう趣味嗜好であるかはそれぞれの内面に秘めておいてはどうか、と。
異なる性癖の者に、それぞれの趣味を無理やり見せつけることは、それこそハラスメントというものだろう。ちなみに、私は、おっぱいがでっかい系のやつは好きくない。あと身長が低い系のやつも無理。そういうのが好きな人もいるだろうから、否定はしないけれども、無闇に開陳され、わざわざ視界に入れて欲しくはない。
それも含め「芸術として許容せよ」と言われれば、私は「それは芸術とは判断できない」と、議員として判断する。
芸術に造詣がないゆえ、私にはこういう説明しかできない。
言いたいのは「芸術と言えば何でも許されるわけではない」という一点だ。 (慣れぬ分野で気を使って書くと、ちょっと文字数が必要なのはご愛敬。)
今回の”作品?”だが、ちょっと芸術とは言えないと感じた。
政治的なメッセージのオンパレードであり、これでは公費を投じたデモだ。しかも他国の主張を代弁するかのような。
芸術監督が津田氏では当然かも知れないが、ちょっと酷い。 酷いというか、想像を絶するレベルで凄い。ぶっ飛んでいる。
何なんでしょうこれは。。。https://censorship.social/artists/
出展作家 | 表現の不自由展・その後
出展作家 安世鴻 重重―中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち 大浦信行 遠近を抱えて(4点組) 大橋藍 アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子 岡本光博 落米のおそれあり キム・ソギョン/キム・ウンソン 平和の少女像 作者非公開 9条俳句 小泉明郎 空気 #1 嶋田美子 焼かれるべき絵 白
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勇気のある方は、リンク先を見てみるといい。 今回のあいちトリエンナーレで展示されている、”©表現の不自由展・その後実行委員会”の作品群だ。
表現の不自由展・その後 2 users出展作家 | 表現の不自由展・その後https://censorship.social/artists/出展作家 安世鴻 重重―中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち 大浦信行 遠近を抱えて(4点組) 大橋藍 アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子 岡...
一部の作品を紹介するが、「中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち」。
「アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子」という作品?これは、単にお土産?をテーブルに乗せた写真。
他、「落米のおそれあり」という米国の国旗を揶揄した標識。 「時代の肖像ー絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳ー」という作品には、神社などをモチーフとしたものが白黒で作られている。
また「福島サウンドスケープ」というものも。これは福島県、および福島県民は怒りを示すべきもの。
そして”慰安婦像”だ。
私が「芸術を全否定はしないが」と徹底して前置きをして紹介したのは、もう流石に罵詈雑言を述べそうになってしまったからだ。
これを税を投じて展示している事実には、卒倒しそうになる。 どの会場に何が展示されているかは、今後の続報を待つよりないが、「愛知芸術文化センター」、「名古屋市美術館」「四間道・円頓寺」「豊田市美術館・豊田市駅周辺」が会場となっている。
抗議先一覧以下、抗議先を示す。
トリエンナーレ実行委員会事務局は、愛知県の部門ではある。 だが、ここへの抗議はすでに殺到していると思われ、かつ外注先企業が受けている可能性が否定できないため、その他の抗議先も併せて示す。
あいちトリエンナーレ実行委員会事務局
(愛知県県民文化局部文化部文化芸術課トリエンナーレ推進室内)
住所:〒461-8525 愛知県名古屋市東区東桜1-13-2 愛知芸術文化センター内
TEL:052-971-6111(代表)
FAX:052-971-6115
E-mail:[email protected]
(愛知県) 代表電話:052-961-2111 知事室 :052-954-6000 県議会事務局:052-954-6730
知事室(執行部)には、「何を考えているんだ!」という抗議を行って頂きたい。被害者は日本国民であるという観点で言えば、愛知県民以外であっても良いと思う。 また、議会には「是非、議会で知事部局を質して頂きたい」という依頼の形でお願いします。 ※ 議会は予算を審査する立場のため、双方へのアプローチは微妙に異なる。
(名古屋市) 代表電話:052-961-1111 市議会総務課(庶務係)052-972-2083
(文化庁) 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表) 03-5253-4111 御意見・お問合わせ
文化庁には、助成事業として不適切という声を届けて欲しい。 すべての事業を文化庁が自ら審査しているわけではないと思われるため、その部分については批判しすぎると的外れになる可能性もある。 あくまで助成金事業として適切であるか否かに絞ったほうがいい。
助成 ・文化庁 ・一般財団法人 地域創造 ・損保ジャパン日本興亜 ・野村財団 ・一般財団法人 東海テレビ国際基金 ・cooperacion espanola(スペイン国際開発協力機関) 政府機関 ・公益社団法人朝日新聞文化財団 ・芸術・文化による社会創造ファンド ・beyondo2020
協賛の一部を紹介、イオン、シチズン、愛知県医師会、麻生グループ、名古屋競馬、VOLVOに愛知県宅建協会、三菱UFJ銀行、TOYOTAまである。
株式会社豊田自動織機、株式会社百五銀行、愛知県農業土木研究会、NDS株式会社、株式会社LIXIL 中部支社、愛知県私学協会、一般社団法人愛知ビルメンテナンス協会、株式会社コングレ、トヨタ紡織株式会社、公益社団法人愛知建築士会、豊田通商株式会社、日本製鉄株式会社 名古屋製鉄所、東海東京証券株式会社、名港海運株式会社、愛知県農業土木測量設計技術研究会、名古屋商工会議所、株式会社クレディセゾン 東海支社、東和不動産株式会社、ホーユー株式会社、株式会社NHKプラネット中部、名古屋ファッション専門学校、阪和興業株式会社、カフェ コンセッション、興和株式會社、トーテックアメニティ株式会社、株式会社メニコン、アイシン精機株式会社、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社、愛知県行政書士会、愛知県舗装技術研究会、伊勢湾海運株式会社、第一生命保険株式会社、株式会社デンソー、豊島株式会社、豊田合成株式会社、日本たばこ産業株式会社 東海支社、三井住友海上火災保険株式会社、学校法人愛知医科大学、愛知県美術館友の会、朝日電気工業株式会社、天野エンザイム株式会社、一般財団法人荒井財団、OKB大垣共立銀行(多すぎるの後略、詳細リンク先)
協賛意外にも、協力という項目があり多数の企業が名を連ねる。 また、会場提供にも多数の企業が掲載されている。
あいちトリエンナーレ2019協賛・協力https://aichitriennale.jp/sponsor/index.htmlあいちトリエンナーレ2019開催にあたり、ご協力をいただいた皆様を紹介します。
裏技になるが、柴山大臣のTwitterに直接、凸ることは効果的だと思う。 実際に大臣自らが操作しているアカウントであり、河野大臣と併せ、直接見てもらえる可能性が高い。
文化庁の上位組織は文部科学省であるため、文化庁の助成金については大臣に声を届けることは近道だ。 「あいちトリエンナーレ」への助成をとりやめるよう、お願いをして欲しい。
https://twitter.com/shiba_masa
外交に関連するという意味では、河野太郎外務大臣のTwitterも紹介しておきたい。
https://twitter.com/konotarogomame
今回の流れと、今後の予測
少し同情的にも書いておくが、知事は事業内容を存じてはいなかっただろうとは思う。ここは全く裏をとっていない話だが、知事が自発的にやったこととはどうしても思えない。大村知事はもともと国会議員であり、5期を務めている。 副大臣、政務官の経験もあり、閣内の動きや予算執行についても理解しているだろう。
のち自民と離反することになるが、県連会長���経験もある。 結果的には、旧・日本維新の会の顧問も歴任した。
松井・大阪市長の投稿。 これを火消しと見るか、事実ととらえるかは個々人の判断だろう。
河村市長と連絡した所、ご自身も一昨日まで知らなかったようです。問題意識を持っているので早急にチェックするとの事です。 https://twitter.com/gogoichiro/status/1156828796848226306 …
にわかに信じがたい!河村市長に確かめてみよう。 https://twitter.com/minajyounouchi/status/1156810939104022528 …
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私は、大村知事は、知らなかったという説を信じたい。
これだけのキャリアがある以上、どうなるかはわかっていたはず。
しかもタイミングがタイミングだ。
#あいちトリエンナーレ に電話繋がりました。 質問内容 1.慰安婦像が展示してあるのは本当か。 2.昭和天皇の御真影を燃やした作品を展示しているのは本当か。 事務局回答 1.2共に本当。2に関しては映像作品でその中の一部。 1.2共に芸術作品である事。 表現の自由だと主張。 続く。
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内閣にまであがるだろう。
まだ、菅官房長官の直轄でもある和田政宗議員が動画で触れ、Twitterで投稿しているということは、すでに官房長官までは行っているとみたほうがいい。 そもそも愛知のテレビ局とは「謎の対応」があったばかりで、良い印象はもっていないように思う。ざくっとやるのではないかな。
これは、慰安婦像の撤去では済まないと思う。 特に昭和天皇の御真影を焼いた映像の確認がとれた場合には、確実に文化庁は助成を打ち切る。 打ち切らなかった場合には、柴山文科大臣のクビが飛ぶレベルに発展する。
「事業まるごと」の、中止はあり得ると考える。 むしろそうすべきだ。
すでに一日とは言え、展示されてしまった事実は残るわけで、韓国の公共放送(KBS)が絵を抑えてしまっている。 被害は、すでに生じている。
明日より、ネットを経由した抗議は激化するだろう。 いまは週刊金曜日が触れているぐらいだが、明日2日は名古屋市長が現場を確認するとのこと。
一面を飾るかはわからないが、産経なども報道していくだろう。 炎上というレベルではなく、もうネットがどうこういうレベルではなく、開催が困難な事態になるだろう。
早い段階で、芸術祭ごと中止したほうがダメージが低いと思う。
大村知事には、やや同情すると述べた理由は、日程だ。 この芸術祭は、2019年8月1日から、10月14日まで開催されるもので、実は長期間にわたって開催されるもの。オープニングが1日~4日まで。
初日で大炎上をかまし、しかもホワイト国の除外の前日というシビアなタイミングで直撃。 もうオープニング期間すら乗り越えることが難しいのではないか、と。
津田大介芸術監督と。名古屋東急ホテルにて。
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大村知事も楽しみにしていたのでしょう。
芸術祭にあわせ、コスプレの披露もされています。
これは、すでに炎上が開始してから投稿されたものです。 大炎上しました。
週刊少年ジャンプに連載中の人気漫画『ONE PIECE』に登場する剣士、「ロロノア・ゾロ」に扮しています。
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(この時点で予告しています。)
愛知県の大村知事、煽りますねぇ。 天皇陛下の写真をあんな風に扱い、慰安婦像を展示させている件には触れず、新しい投稿で流すつもりなのかな。 明日には官邸まであがると思いますよ。 https://twitter.com/ohmura_hideaki/status/1156856783920517121 …
週刊少年ジャンプに連載中の人気漫画『ONE PIECE』に登場する剣士、「ロロノア・ゾロ」に扮しています。
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長期にわたる芸術祭、 このまま沈静化してくれんかなぁというのが本心でしょうが、もうこれは無理です。
淡々と違う投稿を繰り返し、流していく手法のようですが、文化庁や愛知県議会、名古屋市議会が動いた場合には「リアルで身動きがとれない」です。
愛知県ITS推進協議会総会で会長として挨拶しています。アイリス愛知にて。
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芸術祭が中止になった場合ですが、 というか中止も視野に検討すべき事態でありますが、 その場合は、愛知県知事・名古屋市長の責任は問われます。
議会は、そう振る舞うべきでしょう。
では大村知事がどうすべきだったかと言えば、本日中に「こんな展示があることは知らなかった。すぐに調査させ、撤去させる」と発信することでした。 明日には、河村たかし・名古屋市長が現地を確認するとのこと。
名古屋市は、まだ活路があって「なんてことだ!これは大変なことだ、すぐに対応する。」と発信すれば、退路は残されています。ですが、市議会への対応を考えると、名古屋市は税の投入を中止する方向で進めたほうが軽傷で済むでしょう。
その場合は、今日を放置しまった大村知事が全てを被ることになります。
中止のち、自ら知事職を辞任することが、芸術祭への参加者および愛知県民を守ることになるように思います。ご自身にとっても、もっとも軽傷で。
これは、それなりのインパクトのある騒ぎに発展すると思われ、話の転び方によっては、どちらにせよそうなる可能性がある。
問題になってくるのは、金の行き先。
津田氏は、ハフポストの取材に下記のように答えいてる。
(前略)
「東京ではなく愛知から、公金が投入される国際イベントでジェンダー平等のメッセージを世界に向けて発信する。新しい時代に向けて、大きな転機になると期待しています」と語る津田さん。
取り組みやコンセプトへの賛同と寄付も呼びかけている。
実はまだまだ作家の制作予算が足りていません。
「あいちトリエンナーレ」は比較的作家の制作に対して予算を割いていますが、それでも業界の体質なのかアーティストに作品を作ってもらうための費用が根本的に低く見積もられているのです。そうした体質も変えていかなければならないと思っています。
こうした取り組みに共感された方はぜひ、愛知県が実施している『2021芸術・文化による社会創造ファンド』にクラウドファンディング感覚でご寄付いただけるとありがたいです。ふるさと納税と同じで一定の金額まで寄付控除が受けられます!
ハフポスト「あいちトリエンナーレ2019」でジェンダー平等が実現 芸術監督の津田大介さんの...https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c9ab498e4b08c450ccd7da6?fbclid=IwAR0SkytBS1yk3swDiewIP9MwyInXhMWyKuigkYQk5bxZmN6poY7P_5sJXK8「アートの門外漢である自分だからこそできること、業界にしがらみのない人間でなければできないことがあるはずです」
ここは議会で質していかねば明確にならないが、慰安婦像の作者らやホワイト国除外に反対している活動家らに資金が提供された可能性が否定できない。 原資が税金であれば、議会を通過するとは思えない。
海外の政治勢力に対しても、日本の税金がそっくり流れていた場合、ちょっとスキャンダルがどうこうとかいう規模では済まない。
例えば、昭和天皇の御真影を焼く映像作品があったとして、その作品に対する対価として、税から支出して大丈夫か?という話になる。
ここまでのレベルになると、本心で言えば可哀想にもなってくる。 知事の政治力では、すでに対応が不可能な次元ではなかろうか。
そもそも自民を離反した身、いまの状況で閣僚が擁護してくれるとは思えない。 自民県連も追撃するだろう。そういう意味では、先ほどの松井市長のtweetを火消しと感じる人もいたのではないか、と。
芸術祭の参加者も、正直、不憫だ。
正常な開催は不可能と思われ、終盤まで行くことは無理だろう。 普通に準備してきた方は、本当に可哀想だと思う。
私はこのイベントを知らなかったが、想像以上に規模がでかい。 海外からの多数の参加があるため(だから問題なのだが)、即決で中止とか撤去の指示を出しきらなかったのだろう。
企業協賛も凄まじい数だが、協賛した企業らが展示物を把握していたとは思えない。宅建協会とかTOYOTAまであるのだ、中には麻生グループまで。
中止となった場合、愛知県知事が受ける、また愛知県が受ける政治的なダメージは想像以上だろう。それでも、早い段階で中止したほうが、まだ軽傷だとは思うが、被害規模が想像を絶する規模で「決断できなかった」のではなかろうか、と。まぁ、性善説に基づけば。
今後の動きと章タイトルにつけたので、最終的な部分も触れておきたい。 想定にはなるが、3点だろう。
誰がどういう理由で、どのような選考過程で津田氏を指名したのか。ここを明らかにすることが一点目。
二点目は、金の流れ。 特に慰安婦像などの作品群に対しての出資状況。津田氏が金額を決定できる立場にあったのか否かも併せて調査されるべきだろう。 (というか、議会の正常な反応だと思う。)
三点目は、全ての参加者の洗い出し。 これは可哀想だと思うが、前述の作品だけなのか?という意味では、��ての展示物については調査が求められる流れになるのではないか。特に津田氏が声をかけた者がどれぐらいいたのか等は調査されるように思う。
三点目の部分については、公安関係者(公安および公調ら)も投入されるべきだと考える。
私が記した抗議先とは、こういう流れになりうるリストです。
もう、どちらにせよもたない。 これを書くかどうかは迷ったのだが、やらざるを得ない状況だろう。 私も、イベントの規模や協賛数を見て、たじろいでしまうところだった。
内容が内容だ。 やるしかない。
気分は、青い服の少女が出てくるアニメの、最初のシーンかな。 丸ごとやるしかないだろう。
国家と地方自治体
自治体が、一切の海外との交流をもつなとは言わない。
日韓友好で使節を送りあうこともあるだろう。 私は賛成する立場ではないが、これは同じく日台関係にも言えることだ。
交流事業であれば、地方公共団体でも許容されるべきだと考えるし、 北朝鮮のように国家承認を受けていないとか国交がない場合を除き、 地方からの交流はあっていい。
けれども、それは厳密に言えば外交とは異なるものなのです。 それは国会議員の専決事項であり、地方が入っていい領域ではない。
これは自らの職権を縛る発言ではなく、そのために衆院選・参院選があると考えているからです。地方行政も一部の交流事業は許されているものの(特に経済交流などは、むしろ推進されるべき。)、やっちゃいけないレベルがある。
いま、国家行政そのものである内閣は、
韓国に対して、対応をとろうとしている矢先だ。
まさに前日だ。
ここに、市税・県税を投じ、
あまつさえ国庫から助成を受けようなどとは、
断じて許されない。
芸術祭の参加者および協賛企業、
そして日本国への影響を最小限にすべく、
慰安婦像の撤去のみならず、
催事の中止および、本件に伴う引責として
大村知事には、自ら辞職をして頂きたい。
愛知県の全ての議員は、自らの名誉と職責を賭け、辞職を迫るべきだと思う。
御真影を焼く映像を流していた場合は、辞職でもすまない。
共に抗議の声をあげる方は、FBでのイイネ・シェア、Twitterでの拡散をお願いします。
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ミコとマチ
リビングで目が醒めた瞬間あわてて手元のスマホで時間を見た。5時31分、やばい、40分には家を出ないとバイトに遅刻する。渾身のスピードで歯を磨いて顔を洗い自室に駆け込みばたばたとスウェットを脱ぎ床に脱ぎっぱなしの縒れたデニムを穿きYシャツを全力で着て一張羅の苔色のカーディガンを羽織ってほとんど空っぽのリュックを背負う。化粧は諦めて大きめの風邪マスクでごまかすことにした。幸い原稿を作成してるうちに座椅子に座ったまま寝落ちしていたので髪は乱れていなかった。平日ならマチが起こしてくれるのに、今日は土曜日だから私の部屋の向かいの彼女の部屋で、マチは一週間分の疲れを取るべく昼までおねんねだ。私は「いってきます」とぼそっと呟いて全力でドアから飛び出しオレンジのチャリに跨がり立ち漕ぎで駆けた。早朝の澄んだ空気を抜ける冷たい風が私の全開のおでこに当たる。三月の霞がかった曖昧な風景を私は右、左、右、とぐっとペダルを踏んで追い越して行く。それにつれ眼がだんだんと冴えて来た。息を切らしぐんぐんと駅までの道を走りながら私は書きかけの原稿の続きのことを考え出していた。どきどきと小さな心臓が高鳴り血が巡り、私の身体に熱が漲ってくるのを感じる。まだ人がまばらな駅前のロータリーを抜け、高架を潜り、なんとか出勤時間ぎりぎりに店に着いた。ドアを開くとコーヒーの温かくて甘い香りがふわっと鼻を突く。これを嗅ぐと私の頭はたちまちだらしがなくてうだつの上がらないワナビー女から「「鯤」のウエイトレスモード」にかちっと切り替わる。「おはようございますっ」私は店に入るなり弾丸のように一直線にバックヤードに突っ込みエプロンを着る。「おー、毎度のことながら作家さんは朝に弱いねえ」店長の蓮さんが茶化す。「朝まだなんだろ?これ食っちまえ」蓮さんは厨房からカウンター越しに私にロールパンを投げ渡した。「いただきます」私は風邪マスクをぐいとずらし、拳大のそれを口に詰め込んだ。それから蓮さんに渡された水をぐっと飲み干す。「鯤」は駅前の喫茶店なので、平日は開店するなりモーニングをしにくるサラリーマンなんかがぞくぞくと来て大童なのだが、今日みたいな休日は最初の30分なんかはかなり暇だ。コーヒーにつけて出すゆで卵もいつもならあらかじめいくつか小皿に分けて置くのだけど、今日はカウンターのバスケットにまだこんもりと盛ってある。その光景はまるで平和の象徴のような安心感を私に与える。しばらく待っても客が1人も来ないので、私はトイレで簡単な化粧を済ませ、カウンターにかけて蓮さんが淹れてくれたアメリカンをゆっくりと飲んだ。「原稿はどんな感じ?」「うん、方向性はだいぶ定まってきたからあとはそれを形にしていくだけかな」「なるほど、ついに俺の息子がミコが手がけたゲームをやる日がくるんだなあ、あっ今のうちサイン貰っとこうかな、店に飾るわ」「蓮さんってば気が早すぎ」蓮さんはことあるごとに茶化すけど、芯のところでは私のことをそのつど気にかけてくれているのが私にはありありとわかった。嬉しいことだ。
そうしていると、程なくして客がちらほらと入り出した。休日の朝は老人ばっかりだ。常連のみんなはお話し好きで、四方山話や身の上話を滔々と聞かせてくださる。いつものように私は給仕や食器洗いをこなしながらそれにふんふんと頷いた。でも頭の中は原稿の続きのことでいっぱいだった。先週、駆け出しライターの私に初めてクライアントからSNSのダイレクトメッセージで、ソシャゲのシナリオの執筆依頼が来たのだ。それは聞いたことないような小さな会社で、その依頼されたゲームも予算的にみてメインストリームに敵うポテンシャルがあるとはとうてい思えなかったが、なにせ執筆の依頼が来ることなんて初めてだったので、私は半端ない緊張ととめどなく沸いてくる意気込みでここ一週間ギンギンだった。原稿のことを考えると下腹のあたりがヒュンとする。これは誰もが知っているRPGのシナリオを手がけるという私の夢への第一歩だし、なにより、就職せずに創作活動に専心することにした私の決意が報われた心持ちだった。それはどう考えてもぜんぜん早計なのだけれど。とにかく、私は今とても浮かれていた。
正午前あたりから客足が徐々に増しなかなか忙しなり、あっという間に15時になった。退勤まであと1時間だ。
「いらっしゃい。おっ荘くん」だしぬけに蓮さんの朗らかな声が厨房から客席に向け広がる。荘くんが来ると、蓮さんは私を茶化す意味でわざと私に呼びかけるような声音で叫ぶのだった。これもいつものことだ。
私はお気に入りの窓際の2人がけのテーブルにギターケースをすとん立てかけて座る荘くんのところへ注文をとりにいった。心臓の音が高鳴るのが荘くんにばれている気がした。
「いらっしゃい、今日はスタジオ?いよいよ来週だね。」
「そうだな、あっ、チケット忘れんうちに今渡しとく」
荘くんにひょいと渡された黄色いチケットにでかでかと、
「jurar 初ワンマン!」と書いてあった。その楠んだチケットのデザインは全体的に少し古くさい気がした。
「ついにだね」
「うん、絶対に成功させるよ、やっとここまでこれたんだ。そろそろ俺たちもプロへの切符を勝ち取りたいな」
「うん、私応援してるから」荘くんの襟足から煙草とシャンプーの混じったえも言われぬ匂いがかすかに漂う。それは、ほんとうのほんとうに良い匂いだ。
「サンキュな、ミコちゃんも頑張ってるもんな、俺も負けてらんないよ。あっ、そうそう、そういえば…明後日柴さんにアクアマターのライブ来ないかって誘われたんだけど、ミコちゃんあのバンド好きだったよね、もし暇だったら一緒に来る?蕗川ビンテージだよ。柴さんももう一人くらいだったらチケット用意できるから連れて来ていいって」
「いいの?行きたい!」
「よっしゃ、じゃあまたラインするわ」
「まじか…」私は心中でひとりごちた。まさかのまさか、こんな地味な女が荘くんにデートに誘われたのだ。注文伝票をレジに持って行き蓮さんのほうをちらと見てみた。すると蓮さんははにかみながらしゅっと素早く腰のところでガッツポーズを出した。私は心中でもう一度、「ま、じ、か…」と丁寧にひとりごちてみた。
荘くんはブレンドを急いで飲み干して会計をし、「じゃあ」と去って行った。そうこうしているうちにやがて退勤時間となり、出勤してきた蓮さんの奥さんに引き継ぎをして、私はタイムカードを切った。「お疲れさまです」挨拶をして表口から店を出ると、スプリングコートのポケットに両手を突っ込んで含み笑いしているマチが立っていた。目が合った私たちはそのまま見つめ合った。一瞬、時間が止まったようだった。ピィ、ピィ、とけたたましい鳥の声が、狭い路地裏にこだました。
「オハヨ」マチは宣誓のように右手をしゅっと突き出してそう言った。
マチの手は真っ白で、春のひかりをぼんやりと帯びていた。ぼんやりとその手を見ていると、なんだか眠くなった。
「マチ、何してたの?」
「さんぽ」
「起きたばっかり?」
「寝すぎちった」
私は自転車を押してマチととぼとぼと散歩した。外は朝は肌寒かったけれど、今は歩いていると少し汗ばむほどの気温まで上がっていた。電線と雑居ビルたちに乱雑に切り取られた街の高い空を、鳴き交わしつつひっきりなしに飛び交う春の鳥たち、私たちはゆっくりと歩きながらそんな風景を見るともなく見ていた。
私たちはそれぞれあたたかい缶コーヒーを自販機で買い、駅から少し離れたところにあるたこ(多幸)公園へたどり着いた。私とマチは予定のない天気のいい日にはよくここで何となく過ごす。
「そういえばさ」
「ん?」
「さっき店に荘くんが来てね」
「なになに?」ブランコに座っているマチは両足をばたばたとせわしなく蹴っている。
「「明後日アクアマターのライブに誘われたんだけど一緒にこないか」って」
「デートか!」
「そういうこと」
「やったー!」マチはブランコからたんっと飛び降りて両腕を上にぐんと伸ばして叫んだ。
「いや、誘われたの私だし」
「わがことのようにうれしいっ」
「よーし今日はなべだー」マチは私に背を向けて起き上がった猫のように盛大なのびをした。
「なべ、若干季節外れじゃない?」
「めでたい日は鍋パって相場がきまってるのよっ。ミコの恋愛成就を祝って今日は私のおごりで鍋だー」
「マチってば気が早すぎ」
私たちはスーパーでたくさん鍋の具材と酒とつまみを買って、大きなレジ袋を2人で片側ずつ持って帰った。2人でわいわい作った鍋は多すぎて全然食べきれなかった。飲みまくって酔いつぶれた私たちはリビングでそのまま気を失い、翌朝私は風邪を引いていた。私がなにも纏わず床で寝ていたのに対して、マチが抜け目無く毛布を被ってソファーを独占していたのが恨めしかった。
荘くんは待ち合わせの駅前のマクドナルドへ15分遅刻してきた。10分でも20分でもなく15分遅れるというのがなんだか荘くんらしいなと私は妙に感心した。「蕗川ビンテージ」は私の家の隣町の、駅のロータリーから伸びる商店街の丁度真ん中のあたりにある。私はこの街に来たことがなかったのでライブハウスまで荘くんが先導してくれた。風は強く、空は重く曇っている。商店街や幾本かの路線でごちゃごちゃしたこの街は、私とマチが住んでいるところに比べてなんだか窮屈な感じだった。前を歩くやや猫背の荘くんに付いて駅からしばらく歩くとやがて「蕗川ビンテージ」に辿り着いた。荘くんが「あそこ」と指を指してくれなかったら私はそれがそうだと気付かなかっただろう。「蕗川ビンテージ」はどう見てもただの寂れた雑居ビルだった。よく見ると、ぽっかりと空いたビルの地下へと続く入り口の前に「アクアマター」のワンマンの掲示があった。その入り口の前に、いかにもバンドマンといった出で立ちの5人の男女が談笑していた。若いのか、それとも私たちよりずっと歳上なのか、いまいち判然としない風貌の人たちだった。その5人はやって来た荘くんを認めると手を振り、荘くんはそれに応えて私をほったらかしてポケットに手を突っ込んだまま5人に駆け寄った。荘くんが1人の男の横腹を肘で小突く、するとその男は笑いながら荘くんにヘッドロックを決め、ほかの人たちもげらげらと盛り上がった。どうやら荘くんととても親しい人たちらしい。少し話すと荘くんは突っ立っている私のほうに戻って来た。それから私の手を引いて、地下への階段を降りて行く。荘くんが近い、かつてないほどに近い荘くんのうなじから、シャンプーと煙草が良い塩梅に混じった私の好きな匂いが漂ってくる。匂いはたしかに近いけれど、暗すぎて当の荘くんの姿がよく見えない。なにかがずれている気がした。私たちは、どこか歪な気がした。私たちが、というか私だけが明らかに場違いだった。「マチは今どうしているだろう、そろそろ帰ってる頃かな、晩ご飯は私がいないから今日は外食なんだろうな」好きな男に手を引かれているというのに私の頭に浮かんで来るのはマチのことだった。やれやれ。
2人分のチケットを荘くんが受付の初老の男に手渡す、そして荘くんはまたその男としばらく談笑し始めた。「ちょっとお手洗い行ってくるね」と私はその間に用を足した。戻ってくると受付の前に荘くんを中心に人だかりが出来ていた。荘くんの周りにおそらく10人以上はいたが、その中の誰1人として私の知っている顔はなかったし、荘くんを含め、そこに誰1人として私のことを気にする人はいなかった。私はまるで透明人間にでもなったかのような心持ちだった。あそこで人の輪に囲まれ楽しそうに話しているあの人はいったい誰なんだろう。いつも「鯤」に来て親しく話してくれるあの人。私がいつか「アクアマター」が好きだとこぼしたことを覚えてくれていて、デートに誘ってくれたあの人。でも冷静に考えると当たり前のことだったのだ。界隈で突出した人気を誇る若手バンドのフロントマンの荘くんと、街の隅でこそこそと暮らしている私みたいな誰も知らない地味な女なんて、そもそもステージが違うのだ。私は知らないライブハウスの柔らかくて厚い防音材の壁にもたれながら、誰にも知られず夜空でひっそりと翳りゆく月のように、緩やかに卑屈になっていった。誰かここから連れ出してくれないかな、これがまさしく「壁の花」ってやつね。卑屈の次にやってくる自嘲。思えば幾度も覚えたことのある感覚だ。いままでに縁のあった男はみんな、折々こんな風に私のことをないがしろにした。
ほどなくしてライブが始まった。ライブは、よかった。横にいた荘くんは頻繁に何処かへ消えた。たぶん、知り合いの誰かと話しに行っているのだろう。そう、ここでは私以外のみんなが知り合いなのだ。ライブの終盤、ストロボが瞬くクライマックスの轟音の中荘くんは強く私の手を握ってきた。私はそれを知らんぷりした。スモークの甘ったるい匂いがやけに鼻についた。ライブ自体は、本当によかった。
外に出ると小雨が降っていた。荘くんはライブの終わりからずっと私の手を握ったままで、駅の方へ私を引いて歩いていく。私はなにも考えずにそれに従う。疲れて、頭がぼーっとしていた。商店街の出入り口のアーチの辺りで、荘くんは「じゃあいまからウチで飲もっか」と切り出した。私はまっぴらごめんだと思い「えーと今日はもう帰ろうかな、明日も朝早いし…」と丁重にお断りした。
「別にいいじゃん、ご近所さんなんだしバイトは朝、俺��部屋から出勤すれば」荘くんはしつこかった。
「いやーやっぱ何だか悪いしルームメイトもいるんで今日は家に帰ります。今日はほんとにありがとう」
私は返答に窮して言い訳にならない言い訳を口走っていた。そのとき私ははっと息をのんだ。荘くんは怒っていた。彼の表情こそ変わらないが、私なんかにプライドを傷つけられたこの男が激怒しているのがわかった。
それから突如荘くんは声を荒げ
「んだよ、俺とヤりたいんじゃなかったのか?」
と今まで私が聞いたことのない荒荒しい声音で言い放った。そのとき私は頭が真っ白になった。私はこの人が何を言ってるのかわからなかった。信じられなかった。この人も自分が何を言っているのかきっとわからないに違いない。そうであってほしい、と私は願った。
私はいつの間にか私の肘を強く掴んでいた彼の手をばっと振り切り、夢中で駅まで走った。後ろであの人がこっちに向かってなにか喚いている気がした。私はそれから逃げるために全力で走る。とつぜん視界がぐにゃあと歪んだ。音のない雨は、いつのまにか本降りになっていた。頬を伝って落ちる生温いものが春の雨なのかそれとも涙なのか、わからなかった。
マチは私に何も訊ねなかった。あの夜ずぶ濡れで帰ったきた私の
様子を見て何となく察したのだろう。お風呂から上がってきた私に何も言わずに中華粥を作ってくれた。荘くんはあの日以来鯤に来ることはなくなった。蓮さんは
「まあ今回は縁がなかったってだけさ。月並みな言葉だが男なんて星の数ほどいるんだぜ」と慰めてくれた。
でもそれを言うならば女だってそうだ。それこそ私は荘くんにとって星の数ほどいる「都合のいい女候補A」にすぎなかったんだ。私はまた卑屈になっていた。このことをマチに話すと「処置無しね」の表情をされた。マチの「処置なしね」の表情。白いつるつるの眉間に少し皺が走りいたましげに私の顎辺りに視線を落とすこの仕草が私は密かに好きだ。ソシャゲの依頼はなんとか納期に間に合ったが、私は次の賞に挑む気力が沸かなかった。スランプに陥ってしまったのだ。なんだかどうしても力が入らなくて、私は湯葉のようにふやけてしまっていた。このままなんの意思も目的も持たず、たゆたうクラゲのように何処かへ攫われてしまいたかった。あの失恋で、まるで私とこの世界とを繋いで私を立たせているピンと張った一本の糸が、ぷつりと切れてしまったようだ。私は休みの日のほとんどを寝て過ごすようになった。
私が一ヶ月以上もそんな状態だったので、放任主義のマチもさすがに見かねたらしく、「ミコ、餃子をやろう」と私に切り出した。パジャマの私はソファでクッションを抱いて寝転びながら「うぇえい」と曖昧に返事した、ミコが「マチはかわいいなあ」と言って後ろから抱きつこうとしてきたが私はそれをひょいと躱し、勢い余ったマチはフローリングでおでこを打ち「ぎゃっ」と叫んだ。そのとき私に被さったミコの身体はとてもひんやりとしていた。
餃子の買い出しから仕度まで殆どミコがやってくれた。私はソファに寝転んで夕方のニュースを見ながらミコが手際よく餃子を包んで行くのを背中で感じていた。辛い時は甘えられるだけ相手に甘えるのが私たちの生活の掟なのだ。私とマチは、いまままでずっとそうやってきた。
「いざ!」待ちくたびれて私がうつらうつらし出した時にマチは意気込んで餃子を焼き出した。しゅわあと蒸気が立つ音とともに、むわっとした空気がリビングに立ち込めた。私は薄目でせかせかと餃子を焼くマチの背中を見ていた。「このまま帰りたくないな」そんな素朴な気持ちが不意に、去来する。私たちには他にいるべき場所があって、いつまでもこの生活が続くわけないのはお互い、何処かで理解していた。けれど私たちはそれに気付かないフリをしている。
マチの背中って小さいんだなあ。そんなことを考えると何だか目頭が熱くなってきたので、私は寝返りをうち、狸寝入りを決め込んだ。クッションに顔を埋めてきゅっと眼を瞑っていると、まるで幽霊になって、空中を漂いながらミコのことを見守っているような、ふわふわと暖かくて寂しい気持ちになった。
「ほらほら引きこもりさん、餃子が仕上がって来たわよ。テーブルにお皿とビール出しといて」
「あいさー」
テーブルの皿に綺麗に連なって円になっているマチの餃子はつやつやでぱつぱつだった。マチは餃子の達人だ。マチよりおいしい餃子を作る女を私は知らない。
「じゃあ、餃子にかんぱーい」
「かんぱーい」
最初の一皿を私たちはあっという間に平らげた。
「じゃあ第2波いきまーす」
「いえーい」
マチは餃子をじゃんじゃん焼いた。私がもう食べられないよと喘いでも取り合わず焼きまくった。マチは何かに取り憑かれたようにワインを呷りつつ、一心不乱に餃子を焼き続けた。「餃子の鬼や…」私がそう呟くとマチはこっちを振り向いてにいっ、と歯を出して笑った。
餃子パーティも無事に終わり、私たちはソファで映画を見ながらワインをちびちびと飲んでいた。
「ミコ、この映画つまらないね」
マチがずっと見たいと言っていたから私がバイト終わりに借りてきてあげた映画だった。
「たしかに、脚本は悪くないけど演出が単調だね」
マチは冷蔵庫から新しい缶チューハイを持って来てぐびと勢い良く飲んだ。それから酒の勢いを借りたようにこう言った。
「ミコ、屋上に行こうか」
私は缶ビール、マチは缶チューハイを片手に最上階の廊下のフェンスを跨いだ。マチは私の手を引いて真っ暗で何も見えない中、屋上へと続く鉄骨階段を上がっていく。あれだけ餃子を焼いたにも関わらずマチの手は冷たかった。たん、たん、と微妙にずれたふたつのゆっくり階段を踏む冷たい音が闇の中密やかに響く。酒気を帯びたマチのにおいがする。なんだか懐かしいにおいだ。毎日のように嗅いでいるはずなのに。私はマチをぎゅっと抱きしめたかった。
屋上は無風だった。しんとしていて、まるで世界が止まったみたいだった。私たちの住むマンションは台地のてっぺんに建っているので、屋上からは街が良く見渡せる。酒の缶を持った私たちは並んで囲いの柵に凭れて、街の灯をぼんやりと眺めていた。不意にささやかな音で聞き覚えのあるイントロが流れ出した。最初はか細い月明かりのような調子のその曲は、やがて雲の隙間から抜け出して鮮烈な満月となる。
「Tomorrow never knows」
私はこの曲を聴いた時にいつもこんな印象を受ける。いつかマチはこの曲のことを夜の森の奥で誰にも知られずに燃える焚き火みたいと言っていた。思えば、性格がまるで違う私たちを繋ぐきっかけとなったのはこの曲だった。
あれは私がまだ大学一年生のときの冬だった。私はサークルの先輩に合コンに来てくれと頼まれて不承不承承知した。相手は同じ大学の違うサークルの連中だった。明らかに人数合わせで参加した合コンだ、面白いはずもなく、私はうんざりした。いつ「じゃあ私はこの辺で…」と切り出そうかずっと迷っていたが、二次会のカラオケにも流れで行くことになってしまった。そしてそのカラオケに遅れてやって来たのがマチだった。先輩の説明によると、マチは男側の知り合いだそうだ、それで先輩とも面識があったので呼ぶ運びとなったのらしい。部屋に入って来たマチを見て私は「きれいな女の子だなー」とうっとりとした。マチは空いていた私の横にすとんと座った。思わず頬が緩むようないいにおいがした。スキニーを穿いた華奢な脚のラインが綺麗で、横に座っていると、私の若干むくんだそれと比べずにはいられなかった。マチは終止にこにこしていた。男たちは明らかにみんなこの場で一番綺麗なマチを狙っていた。私は半ばいやいや参加したとはいえ、やはりみじめな気持ちだった。下を向いて鬱々としていると私にマイクが回って来た。あまり歌は得意ではないのだが…と思いつつ私は渡されたマイクを掴み、ええいままよとミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。歌っている時にマチがじっとこっちを見ていたのを不審に感じたが私は気付かないふりをして歌いきった。合コンはつつがなく終わった。解散してターミナル駅のコンコースを歩く私たちの集団は1人ずつ空中分解していき、やがて私とこの初対面で良く知らないマチという女の子だけが残った。私たちは無言で微妙な距離を保ちながら並んでしばらく歩いた。
「私って合コンとか苦手なんだ~」やにはにマチが間延びした調子で呟いた。それからふわあと大きなあくびをした。私はその様子を見てなんて美しいひとなんだろうとうっとりした。合コンのさなか、表面上は取繕っていたが、明らかに退屈そうにしていたのも見て取れたので、私はマチに好感を抱き始めていた。
「なんか私同世代の男の子って苦手だな、何話したら良いかよくわからないし」
「私もああいう場は少し、苦手」
「ねえ、お腹空かない?」
「ちょっぴり」
「ラーメンでも食べにいこっか」
「うん、いいよ。この辺?」
「うん、北口からちょっと歩いたところにおいしいラーメン屋があるんだ。塩ラーメンなんだけど、大丈夫?」
「大丈夫、塩ラーメン好きだから」
「それではお嬢さま、エスコートいたします。」
とマチは腰を落として片足を後ろに引く紳士の挨拶のポーズをした。
「で、では、よろしく」
私もコートの腰のところを両手でつまん��膝を曲げ淑女の挨拶でぎこちなく応じる。
私たちは改札の前で踵を返し、ラーメン屋へと向かった。
「ミスチル、好きなんだね」
「うん、親の影響なんだけど」
「私も好きなんだ。だから、君がさっき歌ってたとき嬉しかった。周りに音楽の趣味が合う人がいなくってさ、ミスチルとか今の若い人もうあんまり聴かないもんね」
「うん、カラオケとか行くとみんな今時の曲ばっかり歌うもんね。特に合コンなんかだと顕著」
「男も女もなんだかんだ言っても最終的に画一性を自分に強いたほうが楽なのだということなのかも知れんね。ところで君、名前は?」
「私はフジサワミコ。あなたは?」
「私も名前二文字なんだ。湊マチ」
「みなとまち」
「マチでいいよ」
「わかった、私のこともミコって呼んでよ」
「そうだ、ハタチになったら一緒に飲みにいこうよ。ライン交換しよ」
それがきっかけで私たちはことあるごとに2人でつるむようになった。私がこっぴどく振られた時も、マチの就活が難航を極めていたときも、いつも酒なんかを飲みながら互いに慰め合った。ルームシェアをしようと言い出したのはマチのほうからだった。それは私が就職を諦め夢を追うことにするとマチに打ち明けた次の日だった。
「私はミコがどんなでもそばにいてあげるよ」
マチはことあるごとにこんなことを言うのだった。
「どんなのでもって、もし私がアメーバみたいな真核生物でも?」
「アメーバでも好きだよ」
「私も、マチがアメーバでも好き」
赤ら顔の私たちは屋上で「Tomorrow never knows」を歌った。
「はーてしなーいやみのむーこうへーおっおー てをのばそー」
呂律の回らない舌で私たちは叫びながら柵の向こうへ両手をぴんと伸ばした。伸ばした指の先に、滲んでぼやけた街の灯りたちが、きらきらと輝いていた。
私はそのプロポーズを受けることにした。相手は麗さんという人で、マチの紹介で知り合った10歳上の高校の生物の教師だった。マチはあの失恋以来落胆している私を励ますために、荘くんとは真逆のタイプの男を紹介してくれたのだった。交際は、以前の私ではとても考えられないくらいにうまくいった。私は素敵な男をあてがってくれたマチに心の底から感謝した。彼はとても良く尽くしてくれたし、私も彼のことがとても好きだった。彼と付き合い出してから、彼の家に泊まって部屋に帰らないこともしばしばあった。そして私と対照的にマチはその頃からだんだんと不安定になっていった。なにかといらいらしてたまに私にあたるようになったのだ。私は何故そうなったかマチに聞くこともなかった、何となく察しがつくだけに余計聞く気がしなかった。喧嘩も私が帰らなくなった日のぶんだけ増えていった。
ある日3日間麗さんの家に泊まってから帰ると、私の部屋のものが全部廊下に放り出されていた。
「なにこれ」私はこっちを振り向きもしないリビングでソファにかけてテレビを見ているマチに問いかけた。
「もう出て行くのかと思って部屋を片付けといてあげたよ」
「ばかじゃないの?ほんとガキだね」
なんてみっともないんだ。私にいつまでもこだわって、ばかばかしい。
ずかずかと歩いてリビングに入ると不意にマチが振り向いてこっちをきっと睨みつけたので私は立ち竦んでしまった。
「ミコ、ミコの夢は、努力は何だったの?なんで…そんなに簡単に諦めるの?」
マチの声は掠れていた
「前にも言ったけど私には才能がないんだしもう筆を折ったんだよ」
「なんでも手に入れることのできるマチには私のことはわからないよ。知ったような口を聞かないで」
私はいつしか心の何処かで自分の夢と、マチから解放されたいと思い始めていた。
「そういえば言ってなかったんだけど私あの人にプロポーズされたんだ」
マチはまたテレビの方を向いて石像のように固まって何も言わなかった。
「おめでとうとか、ないの?」
マチは依然としてだんまりだった。
そのとき、私の頭のなかでぐわん、という音がした。誰かに後頭部を殴られたような衝撃だった。それから涙が、とめどなく溢れてきた。私は泣きながら廊下に放り出された荷物を出来る限りまとめた。それから麗さんに電話をしてワゴンを出してもらい部屋の私の家具や持ち物を全て、3往復して麗さんの家に運んだ。それっきり、あの部屋には二度と戻らなかった。それはあまりにもあっけない幕切れだった。麗さんは「人のつながりなんて、そんなもんさ」とやけに達観した口ぶりで私を慰めてくれた。3ヶ月後に披露宴の招待をマチにラインしてみたが既読すら付かなかった。
「もう、終わりにしよう」
別れを切り出したのは英治のほうからだった。英治はセックスが終わってしばらくして呟くようにそう言った���実のところ私は、英治のほうからそう言ってくれるのをずっと待っていた。いかにも安ラブホテルの調度品といった感じのチープなガラスのテーブルの上の、パフェ皿の底に残って溶けたソフトクリームがピンクの照明を反射しててらてら光るのを、私は裸でシーツも被らずに茫然と眺めている。英治がシャワーを浴びる音が聞こえる。英治が上がったら私もシャワーしなくちゃ。…どうしてこうなっちゃったんだろう…どうして。やにわにテーブルに起きっぱなしのスマホが震え出した。ガラスの上でがちゃがちゃ騒ぎ立てるそれに私はいらっとして。ぱっと手に取った。その画面には「麗さん」と表示があった。
「来月の裕太の体育祭どうする」
メッセージの内容はこれだけだった。私はスマホの画面を暗転させて枕元にぽんと投げ捨てベッドに潜り込んだ。麗さんと英太にはもう一年以上会っていなかった。毎日仕事漬けで夫と子供を捨てて出て行き、愛人と日中に安ラブホにしけこんでいる私のような女が今更どの面下げて元伴侶と息子に会いに行けばいいんだ。いやだ、このままなにもしていたくない。この地の底のような穴ぐらで、誰にも干渉されずにずっと踞っていたい。
「ミコ、ミコ、ミーティングに遅れちゃうよ。起きて」
そうだ、私は次の作品の企画ミーティングに行かなければならない。何せビッグタイトルのナンバリングだ。集中しなければ。
ミーティングはかなり難航したもののなんとかまとまった。私も英治も、いつものようにメンバーに振る舞った。私たちの関係に気付いている人は、どうやら1人もいないようだった。帰りがけに私と英治は小さな居酒屋に寄った。ここは私たちが関係を持ちだしたころ英治が教えてくれた店だ。
「今度のプロジェクト、うまく行くといいな」英治は燗を呷って少し上機嫌になっていた。昼間のラブホテルでの言葉を取繕うためなのかもしれない。
「なんたってミコには実績があるもんな。大丈夫、ミコならこの先一人でもうまくやっていけるさ」
「聞きたくない…」
「え?」
「「聞きたくない、そんな言葉」」
私は思わずそんなことを口走りそうになったが、かろうじてそれを飲み込んだ。
「英治はどうなの」
「どうって?」
「この前も辞めたがってたじゃん。この仕事、自分に向いてると思う?」
そうだ、私が英治の仕事や家庭の愚痴を聞いてあげるようになったのがこの関係の始まりだった。
「うーん…向いていようが向いてまいが、俺にはやるしかないな。やっぱり何度も言ってるけど、自分の夢のために邁進してきたミコと俺はスタンスが違うよね、それに俺…」
「俺?」促しても英治は先を言うのを躊躇うので私はいらいらした。握りしめた水割りを私はぐいっと飲んだ。
「俺…2人目ができたんだ…」
「ふうん、おめでとう、ね」
「そうなんだ、だから、この関係もそろそろ潮時なのかなって。」
私はカウンターに万札を叩き付けて店をあとにした。なにも英治に腹が立った訳ではない。私は全てがいやになってしまったのだ。夢も、仕事も、家族も。
「違う…私は…私は…」
私は無意識にそう呟きながら明後日の方向へ駆け出していた。後ろで英治が私を呼びかけながら付いてきていたが私はその声がしなくなるまで走り続けた。走って走って、私は知らないバーに駆け込んだ。それからジャックダニエルのロックを注文した。なにも考えたくなかった。ぼうとそれをちびちびなめていると、やにはにスマホがポケットのなかで震えた。英治がなにか取繕うためのメッセージを送ってきたのかと思い私はうんざりしながら画面を見た。しかしそこに表示されていた名前は「英治」ではなく「マチ」だった。
私は反射的にスマホをカウンターに伏せて置いた。そしてウイスキーを飲み干しておそるおそる画面をタップして内容を確認すると。
「久しぶり、突然ですみません。今度会えませんか。」とあった。
私は胸がざわざわした、けれどもう何も考えないことにした。すぐにマチに「いいですよ」と返信した。
待ち合わせは2人が分かりやすい場所が良いとのことで「鯤」にした。私は待ち合わせの時間より少し早くに鯤に来た。
「いらっしゃい。おお、ミコ」
蓮さんは最近白髪が増えたものの相変わらず元気だった。私は鯤には昔のなじみで今でもたまに来るのだ。
「ごぶさたじゃないか。仕事忙しいのか。なんか、顔が疲れてるぞ」
「うん、ちょっと最近いろいろあって、でも大丈夫だよ、ありがとう」
蓮さんはいつでもぶれずに蓮さんなので話していると私は安心する。蓮さんって私にとってオアシスのような人だ。
「今日ね、マチと会うんだ。ここで待ち合わせしてるの」
「マジで!すごいな、何年振りだ?」
「10年振り…」
「そうか、あれから10年も経つのか…なんかあっというまだな」
「うん、いろいろあったね」
本当にいろいろあった。でも、私とマチの時間はあの時のまま止まっている。私が部屋を飛び出したあの日のまま…マチはいったいどうしていたのだろう。
私は緊張してテーブルにかけて俯いていた���しばらくしてドアに取り付けたベルがからん、と鳴った。顔を上げると、入り口にスプリングコートを着たマチが立っていた。そのシルエットは背後から射す春の陽射しに象られていた。
「おおお、マチちゃん!久しぶりー!」
「マスター、お久しぶりです。」
「相変わらずべっぴんさんだね。ここに2人がいるとなんだかあの頃に戻ったようだな。ゆっくりしていってな」
「マスターも相変わらずみたいで。ありがとうございます」
マチははにかんだように微笑みながら、私の向かいに掛けた。私は気恥ずかしかった。何を話したらいいのか全くわからない。マチもそうなのだろう。ずっとそわそわして後ろを振り向いたりしていた。私はマチが少しだけふくよかになっていることに気が付いた。
しばらくしてマチが話し始めた。
「最近いろいろあって考えたの…私どうしてもあのときのこと謝っておきたくて…寂しくてミコを傷つけることしかできなかった。ミコがいないとだめなのは自分のほうなのに、そして、そう思えば思うほど心細かった。こんな風にミコを呼び出して謝るのも独りよがりだけど。どうしてもそれだけは伝えたくて、ほんとにごめんね、ミコ」
そう言ったマチの眼から涙がひとすじ流れ落ちた。
そうか、みんな寂しかったんだ。私とマチだけじゃない。麗も、英治も、それから荘くんだって。ミコの涙を見て私のなかで何かがはらりと落ちていった。それはたぶん、いつの間にか私の心に巣食っていた「あきらめ」のようなものだった。
「いいんだよ、マチ、もういい」
「あ、あり、ありがとう、ミコ、うわーん」
マチはぐしょぐしょに泣いてバッグから出したハンカチで顔を抑えていた。ほかの客もびっくりして、カウンターに掛けているおばあちゃんも「あれあれ」と茶化してきた。私もつられて泣きそうになったがこらえてマチの手をとって店の外へ出た。
私は泣き止んできたマチの手を引いてしばらく歩いた。
「見てマチ、ここのスーパーでよく買い物したよね」
「あっこの公園覚えてる?よくブランコ漕ぎながら酒飲んだよね」
マチは鼻をすすりながら「うん、うん」と相槌をうつ。
春の気持ちのいい暖かい風が、懐かしい気持ちを呼び起こす。マチの手は、あの頃と同じで冷たい。
私はマチの手を引きながらマチとの部屋を後にしてからのことを吶吶と話した。結婚して間もなく、昔穫ったグランプリの作品を目にしたディレクターに大手ゲーム会社のシナリオライターとして抜擢されたこと…麗さんとの子供が産まれたこと…仕事が多忙なのが原因で離婚したこと…仕事が忙しすぎて疲れていること…同僚の不倫相手との関係が終わったこと…
マチは私のところどころくすりと笑いながらただ聞いてくれていた。
「ぜんぶミコだね」
「え?」
「恋愛でポカするのも、仕事や夢に疲れて参っちゃうのもぜんぶあの頃と同じミコだ。ミコは私が知らない間もミコをやってたんだね」
「たしかに、全部わたしだ。わたしらしい…わたし」
そしてマチもずっとマチだ。あの頃と同じ、強い肯定も否定もせずただ私に寄り添ってくれる。そんなマチを見ていると今日の朝までずっと私を苛んでいた罪の意識や漠然とした憎悪が緩やかに解れていった。
「ねえマチ」
「ん?」
「屋上に行かない?」
私たちの住んでいたマンションはまるでタイムスリップしたかのようにあの頃と同じで、どこも全く変わっていなかった。
いけないことと知りつつ、私はマチの手を引きそうっと忍び足で、屋上への階段を昇る。
私たちは昔のように並んで囲い柵によりかかり街を見渡した。
「どこもかしこもなーんにも変わっていないね」
「そだね、あ、でも私は少し変わったかも」
「どんなところが?」
「私、結婚するんだ。式は挙げないことにしたんだけど。それでね、今お腹に赤ちゃんがいるの」
「え?」
私は不意をつかれて唖然とした。
「何ヶ月?」
「3ヶ月」
「えーっと…夫さんはどんな人?」
「優しい人だよ、今の職場で知り合ったの」
「おめでとう、マチ」
「ありがとう、ミコ」
私たちは手を繋いだまま顔を見合ってくしゃっと笑った。
「これ、覚えてる?」
私はスマホのプレーヤーを開いて再生をタップした。
「うわ、懐かしい、私今でも聴いてるよ」
「私も聴いてる」
あの夜この屋上でマチと一緒に歌った…そしてマチと私を繋ぐきっかけになったこの曲。
「Tomorrow never knows」
私たちはあの頃を思い出しながら小さな声で一緒に歌った。これまでと、これからの全てが、発酵するパン生地みたいに私のなかでふわり広がって行った。
心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ
そうだ、私とマチは私とマチのままで、あの頃のような万能感はなくともしっかりと歩いて行くんだ。癒えない傷を抱えながら。あらゆる柵に絶えながら。
私たちの目の前には、霞がかってぼやけたなんでもない街が広がっていた。
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Tカップ幼馴染
完全に自家発電用。
「128.3センチ、………どうして、どうしてなの。………」
するすると、その豊かすぎるほどに膨らんだおっぱいから巻き尺の帯が落ちて、はらりと床に散らばる。
「どうして、昨日から変わっていないの。……何が私に足りないの。………」
と言いつつ、顔よりも大きくなってしまったおっぱいを揉んだが、触り心地は昨日と、一昨日と、一昨々日と何も変わらない。柔らかく、ハリがあって物凄く気持ちが良い、――気分としてはバスケットボール大の水風船を揉んでいるような感じか。
「だったらまだ、……まだTカップ、………」
床に散乱した巻き尺を跨ぎ越して、ベッドの傍まで行って、二つ並んだ白いブラジャーのうち左手にある方を取り、顔の前で広げて、バサバサと振る。片方のカップですら顔をすっぽりと包むブラジャーには、U65という英数字が太文字で刻まれているけれども、アンダーバストが悲しいかな、70センチ弱ある紀咲(きさき)にとっては、かなり無理をしないとサイドベルトが通らない。恨めしくタグを見つめても、カップ数もアンダーバストも負けた事実は変わらず、ため息をついてベッドの上へ投げ捨てると、右手にあったブラジャーを手に取る。そのブラジャーのタグにはV65という字が印刷されているのであるが、全く擦り切れておらず、広げて全体を見てみても、どこもほつれていないし、どこも傷んでなどいない。ただ四段あるホックのみが軽く歪んで、以前の持ち主が居たことを示している。
「あいつ、もしかして寝ている時に着ていたのか」
――もしくはこのブラジャーを着けて激しく運動したか。けれども、Vカップにもなるおっぱいを引っ提げて運動など、どれだけ頼まれてもしたくないことは、Tカップの今ですら階段を駆け下りたくない自分を見ていたらすぐに分かる、況してやあの鈍くさい女がそう簡単に走るものか。昔から急げと言ってもゆっくりと歩いて、なのにすぐ息を切らすのである。羨ましいことに、初(はじめ)が着替えるのを手伝っているらしいのだけれども、彼がこんな高価な物をぞんざいに扱う訳も無いから、この歪んだホックはきっと、寝ている間ににすーっと膨らんでいくおっぱいに耐えきれなかった事実を物語っているのであろうが、未だに信じられぬ。およそこの世のどこに、一晩でVカップのブラジャーをひしゃげさせるほどおっぱいが大きくなる女性が居るのであろうか。しかもそれが、まだあどけない顔をしていた中学二年生の女の子だと、どう言え���信じてくれるのか。可愛い顔をしているのに、その胸元を見てみると、大人の女性を遥かに超えるビーチボールみたいなおっぱいで制服にはブラの跡が浮かび上がっているし、目障りなほどにたぷんたぷんと揺れ動いているし、しかもあいつはその揺れを抑えようと腕で抱え込むものだから、いつだってぐにゃりと艶かしく形が変わっているのである。それだけでもムカッとくるというのに、あいつはあの頃そんな速度でおっぱいを成長させていたのか。紀咲は、どこかバカにされたような気がして、〝あいつ〟が中学生の頃に着けていたVカップの大きな大きなブラジャーをベッドに叩きつけると、クシャクシャになって広がっているUカップのブラジャーを再び手に取って、そのカップを自分のTカップのおっぱいに軽く合わせながら、勉強机の横に置いてある姿見の前に向かう。
鏡に映し出されたのは上半身裸の、付くべきところにほどよく肉のついた、――もちろんおっぱいはTカップなのだから極端ではあるけれども、腰はくびれているし、お尻はふっくらと大きいし、日頃の食生活のおかげで自分でも中々のスタイルなのではないかと思っている、高校3年生の女の子。紀咲はストラップに腕を片方ずつ通し通しして、後髪をかき上げると、今一度カップにきちんとおっぱいを宛てがい少し前傾姿勢へ。Tカップのおっぱいはそれほど垂れてないとは言え、やはりその重さからすとんと、雫のような形で垂れ下がり、ブラジャーを少しだけずり落としたが、あまり気にせずにストラップを、ぐいっと引き上げ肩に乗せる。本来ならばこの時点で、ブラジャーのワイヤーとバージスラインを合わせなければいけないのだけれども、Tカップともなるとどうしても、おっぱいに引っ張られてカップが沈んでしまうので、その工程を飛ばしてサイドベルトを手の平に受ける。するりと背中へ持っていき、キュッと力を入れて左右のホックの部分を合わせ、腕の攣るのに気をつけながら何とかして金具を繋ぎ止める。――このときが一番恨めしい。………女子中学生におっぱいのサイズで負け、アンダーバストで負けたことは先にも言ったとおりだが、その事をはっきりと自覚させられるのはこの時なのである。
ホックが全部繋がるまでには結構な時間がかかるから、彼女がこのUカップのブラジャーを手に入れた経緯を説明することにしよう。元々の持ち主は紀咲の幼馴染である初の、その妹であり、彼女が〝あいつ〟と呼んでいる、今年高校生になったばかりの、いつもおずおずと兄の後ろを一歩下がってついていく、――莉々香(りりか)と言う名��少女。両者についてはこの先登場するから説明はしないが、ある日莉々香とたまたま帰り道が一緒になった紀咲は、隣で揺れ動いている股下まで大きく膨らんだ塊を目の隅に留めつつ、特に話すこともなく歩いていたところ、突然、姉さん、と呼び止められる。なに? と素っ気なく返事をすると、あの、……ブラジャー間に合ってますか、たしか姉さんくらいの大きさから全然売ってなかったような気がして、……昔私が使っていたので良ければ差し上げます。あっ、でも、どれも一回くらいしか着けてないから綺麗ですよ、それに買ったけど結局使わなかったのもありますし、――と莉々香が言う。確かにその頃紀咲のおっぱいは、努力の甲斐もあってPカップに上がろうかというくらいの大きさになっていたのであるが、よく行くランジェリーショップで、PはまだありますがQカップになりますと、アンダーを大きくするか、オーダーメイドになるか、……今私共の方で新たなブランドを探しておりますが、もし運良く見つかっても海外製ですからかなり高く付きます、――などと言われて弱っていたところだったので、二つ返事で承諾すると早速家に招かれ、珍しく初の部屋を素通りして莉々香の部屋へ入る。彼女のことは生まれた時から知っているけれども、そういえばここ5年間くらいは部屋に入ったことがない。昔と同じように綺麗なのかなと思って見渡すと、案の定整理整頓が行き届いている。けれども机の上の鉛筆すら綺麗に並び揃えられている有様には、莉々香の異常さを感じずにはいられず、鞄を置くのさえ躊躇われてしまい、ドアの前で突っ立っていると、どうぞどうぞと、猫やら熊やら犬やらクジラやら、……そういう動物のぬいぐるみが、これまたきっかり背の順に並び揃えられたベッドの上に座るよう促される。莉々香はあの巨大なおっぱいを壁にめり込ませながらクローゼットの中を漁っていたのだが、しばらくかかりそうだったので、すぐ側にあった猫のぬいぐるみを撫でつつ待っていると、やがて両手いっぱいにブラジャーを抱えてやって来る。プラプラと垂れているストラップは、幅が2センチくらいのもあれば5センチくらいあるものもあって、一体どれだけ持って帰らせようとしているのかと思ったものの、気になったのはその色。とにかく白い。初からオーダーメイドのブラジャーを買っているとは聞いていたから、こっそり色んな色のブラジャーがあるのだと決めつけていた紀咲は、がっかりとした目で自分の真横にドサッ、と置かれた白い布を見る。どうでしょう、姉さんのおっぱいがどれだけ大きくなるか分からないから、とりあえず私が1、2年生の頃にしていたブラジャーを持ってきましたが、ちょっと多すぎ、……かな? 下にあるのは結構大きめのなので、ちょっと片付けてきますね。たぶんこの一番上の小さいのが、……あ、ほら、Qカップだからきっとこの塊の中に、姉さんのおっぱいに合うブラジャーがきっとありますよ。と嬉しそうに言って、下の方にあるブランケットのような布地を再びクローゼットに持って行ったのであるが、その何気ない言葉と行動がどれほど心をえぐったか。紀咲は今すぐにでも部屋を飛び出したい気持ちをグッと抑えて、上半分にあった〝小さめ〟のブラジャーを一つ手にとって広げてみたが、それでも明らかに自分のおっぱいには大きい、……大きすぎる。タグを見ると、Y65とある。おかしくなって思わず笑みが溢れる。……一体この世に何人、Yカップのブラジャーをサイズが合うからと言う理由で持ち帰れる女性が居るといういうのか。まだ莉々香がクローゼットに顔を突っ込んでいるのを確認してYカップのブラジャーを放り投げ、もう一つ下のブラジャーを手に取って広げてみる。さっきよりは小さいがそれでも自分のおっぱいには絶対に合わぬから、タグを見てみるとV65とある。今度は笑みさえ浮かべられない。……どんな食生活を送れば中学生でVカップが小さいと言えるのであろう、あゝ、もう嫌だ。これ以上このブラの山を漁りたくない。でも一枚くらいは持って帰らないと彼女に悪い気がする。―――と、そんな感じで心が折りつつ自分の胸に合うブラジャーを探していたのであるが、結局その日持って帰れそうだったのは一番最初に莉々香が手にしたQカップのブラジャーのみ。もうさっさと帰って今日は好きなだけ泣こうと思い、そのQカップのブラジャーを鞄にしまいこんで立ち上がったところ、ひどく申し訳無さそうな顔をした莉々香がトドメと言わんばかりに、あ、あの、……今は奥の方にあるから取れないんですけど、小学生の頃に着けてたもう少し小さめのブラジャーを今度持っていきましょうか? と言ってくるのでその瞬間、――華奢な肩に手をかけてしまっていたが、胸の内に沸き起こる感情をなんとか抑えようと一つ息をつき、ちょっと意地になって、けれども今気がついたように、よく考えればこれから大きくなるかもしれないんだし、もうちょっと大きめのブラジャーももらっていい? と、やっぱり耐えきれずに涙声で言ってもらってきたのが、今彼女がホックを全てつけ終わったこのUカップのブラジャーなのである。
「くっ、ふっ、……」
前傾姿勢から背筋を伸ばした体勢に戻った紀咲は、胸下を締め付けてくるワイヤーに苦しそうな息を漏らしてしまう。ホックを延長するアジャスターがあることは知っているけれども、もうそんな屈辱はこのブラジャーを着けるだけで十分である。ストラップを浮かせて、おっぱいを脇から中央へ寄せている間も、ブラジャーの締め付けで息は苦しいし、肌はツンと痒くなってくるし、けれどもあんまりお金の無い紀咲の家庭では、オーダーメイドのブラジャーなんてそう何回も作れるようなものではないから、屈辱的でもあの女が中学生の頃に着けていたブラジャーで我慢しなくてはならぬ。
紀咲はブラジャーを着け終わると、姿見にもう一歩近づいて、自分の胸元を鏡に写し込む。見たところTカップのおっぱいは、溢れること無くすっぽりとU65のブラジャーに収まって、恐らく男子たちにとってはたまらない谷間が、クレバスのように深い闇を作っている。ちょっと心配になって、ふるふると揺らしてみると、ブラジャーからは悲鳴が上がったが、溢れること無くちゃんとおっぱいの動きに付いてきたので、これなら今日一日どんなに初に振り回されようとも、大丈夫であろう。紀咲はブラジャーの模様である花の刺繍を感じつつ深い息をつくと、下着姿のまま今度は机の前へ向かい、怪しげな英文の書かれたプラスチックの容器を手にとって見つめる。毎日欠かさず一回2錠を朝と夜に飲む習慣は、初と二人きりで遊ぶときも決して欠かさない。パカっと蓋を開いて真っ赤な錠剤を、指でつまみ上げる。別に匂いや味なんてないけれども、その毒々しい色が嫌で何となく息を止めて、口の奥へ放り込み、すぐ水で喉に流し込む。――膨乳薬と自称しているその薬を小学生の頃から愛飲しているために、ほんとうにおっぱいを大きくする効果があるのかどうか分からないが、世の中にTカップにまで育った女性は全く居ないから、たぶん本物の膨乳薬であろう。親に見つからないように買わないといけないし、薬自体結構な値段のするのに加えて、海外からわざわざ空輸してくるから送料もバカにならず、校則で禁止されているバイトをしないといけないから、毎日朝夕合計4錠飲むのも大変ではあるけれども、膨乳の効果が本物である以上頼らざるは得ない���依存と言えば依存である。だがやめられない。彼女には莉々香という全く勝ち目の無い恋敵が居るのだから。……
元々大きな胸というものに憧れていたのに加えて、初恋の相手が大の巨乳好きとあらば、怪しい薬を買うほど必死で育乳をし始めたのも納得して頂けるであろう。胸をマッサージし始めたのは小学4年生くらいからだし、食生活を心がけて運動もきっちりとこなすのもずっと昔からだし、意味がないと知っていても牛乳をたくさん飲むし、キャベツもたくさん食べるし、時には母親や叔母の壁のような胸元を見て絶望することもあったけれど、いつも自分を奮い立たせて前を見てきたのである。そんな努力があったからこそ彼女はTカップなどという、普通の女性ではそうそう辿り着けないおっぱいを持っているのだが、それをあざ笑うかのようにあっさりと追い越していったのは、妹の莉々香で。昔は紀咲のおっぱいを見て、やたら羨ましがって、自分のぺったんこなおっぱいを虚しい目で見ていたというのに、小学6年生の秋ごろから急に胸元がふっくらしてきたかと思いきや、二ヶ月やそこらで当時Iカップだった紀咲を追い抜き、小学生を卒業する頃にはQカップだかRカップだかにまで成長をしていたらしい。その後も爆発的な成長を遂げていることは、先のブラジャー談義の際に、Yカップのブラが小さいと言ったことから何となく想像して頂けよう。紀咲はそんな莉々香のおっぱいを見て、さすがに大きすぎて気持ち悪い、私はそこまでは要らないや、……と思ったけれども、初の妹を見つめる目を見ていると、そうも言ってられなかった、――あの男はあろうことか、実の妹のバカでかいおっぱいを見て興奮していたのである。しかも年々ひどくなっていくのである。今では紀咲と莉々香が並んで立っていると、初の目はずっと莉々香のおっぱいに釘付けである。おっぱいで気持ちよくさせてあげている間もギュッと目を瞑って、魅惑的なはずの紀咲の谷間を見てくれないのである。以前は手を広げて「おいで」と言うとがっついてきたのに、今では片手で仕方なしに揉むだけなのである。……
胸の成長期もそろそろ終わろうかと言う今日このごろ、膨乳薬のケースにAttention!! と黄色背景に黒文字で書かれている事を実行するかどうか、いまだ決心の付かない紀咲は薬を机の引き出しの奥の奥にしまい込んでから、コップに残っていた水を雑にコクコクと飲み干して、衣装ケースからいくつか服を取り出し始める。今週末は暇だからどこか行こう、ちょっと距離があるけど大久野島とかどうよ、昔家族で行った時には俺も莉々香もすごい数のうさぎに囲まれてな、ビニール袋いっぱいに人参スティックを詰めてたんだけど、一瞬で無くなって、………と、先日そんな風に初から誘われたので、今日はいわゆるデートというやつなのであるが、何を着ていこうかしらん? Tカップともなれば似合う服などかなり限られてしまうから、そんなに選択肢は無い。それに似合っていても、胸があまり目立つとまた知らないおじさんにねっとりとした目で見られてしまうから、結局は地味な装いになってしまう。彼女の顔立ちはどちらかと言えば各々のパーツがはっきりとしていて、ほんとうは派手に着飾る方が魅力的に映るのであるが、こればかりは仕方のないことである。以前彼に可愛いと言われたベージュ色のブラウスを取って、姿見の前で合わせてみる。丈があまり気味だが問題は無い、一年くらい前であれば体にぴったりな服でもおっぱいが入ったのであるが、Tカップの今ではひょんなことで破れそうで仕方がないし、それに丈がある程度無いと胸に布地を取られてお腹が見えてしまうから、今では一段か二段くらい大きめのサイズを買わなくてはならない。ただ、そういう大きなそういう大きなサイズの服を身につけると必ず、ただでさえ大きなおっぱいで太って見えるシルエットが、着ぶくれしたようにさらにふっくらしてしまう。半袖ならばキュッと引き締まった二の腕を見せつけることで、ある程度は線の細さを主張することはできるけれども、元来下半身に肉が付きやすいらしい彼女の体質では、長袖だと足首くらいしか自信のある箇所が無い。はぁ、……とため息をついて、一応の組み合わせに袖を通して、鏡に映る自分の姿を見ると、……やっぱり着ぶくれしてしまっている。どんなに胸が大きくなろうとも、決してそのほっそりとした体のラインを崩すことのないあいつに比べて、なんてみっともない姿なのだろう、これが薬に頼って胸を大きくした者の末路なのだろうか。
「私の努力って何だったんだろうな。……」
と床に落ちていてそのままだった巻き尺を片付ける紀咲の目元は、涙で濡れていた。
それから15分くらいして初の家の門をくぐった紀咲は、どういう運命だったのか、莉々香の部屋の前で渋い顔をしながら、またもやため息をつく。
「勉強って言っても、私よりあいつの方が頭良いんだから、教える必要なんてないでしょ。……」
ともう一度ため息をついてドアノブに手をかける。約束の時間に部屋に赴いたというのに、初はまだ着替えてすらおらず、ごめんごめん、今から着替えるから、暇だったら莉々香にあれこれ教えてやってくれ。今たぶん勉強しているから、と言われて部屋から追い出されたのであるが、昔から英才教育を受けてきた莉々香に教えられることは何も無い。むしろ今度の定期試験を乗り越えるためにこちらが教えてもらいたいくらいである。紀咲はいまいち初の意図が分からない時が多々あるけれども、さっきの一言はようよう考えても結論が出ないから、ただ単に莉々香と話をしていてくれと、そういう思いで言ったのだろうと解釈して、ガチャリと扉を開ける。相変わらずきっちりと無駄なく家具の置かれた、整理整頓されすぎて虚しささえ感じる部屋である、昔と変わっているのはベッドの上にあるぬいぐるみが増えたことくらいか。莉々香はその部屋の中央部分にちゃぶ台を置いて、自身の体よりも大きくなってしまったおっぱいが邪魔にならないよう体を横向きにして、紀咲が部屋に入ってきたことにも気づかないくらい熱心に、鉛筆を動かしている。覗いてみると、英語で何やら書いているようだが、何なのかは分からない。――とそこで、ノートに影が落ちたのに気がついたのか、ハッとなって、
「姉さん! 入ってきたなら言ってくださいよ」
と鉛筆を机の上にそっと置くと、立ち上がろうとする。
「あっ、いいっていいって。そのままで」
それを制しながら紀咲はちゃぶ台の対面に座って、ニコニコと嬉しそうな表情を浮かべる憎き恋敵と相対する。だがどんなに憎くとも、その巨大なおっぱいを一目見ると同情心が湧いてくるもので、片方だけでも100キロは超えているらしいその塊を持ちながら立たせるなんて、どんな鬼でも出来ないであろう。莉々香のおっぱいには簡単に毛布がかけられているのであるが、それがまた何とも言えない哀愁を誘っていて、紀咲もこの時ばかりは目の前の可愛らしい笑みが、少しばかり儚く見えてしまうのである。
「やっぱり、もう椅子には座れない?」
「そう、……ですね。椅子に座ると床に着くから、楽といえば楽なんですけど、それでも重くて。………」
「今バストは何センチになったの?」
「えっと、……ここ一週間くらい測ってないから正確じゃないけど、先週の木曜日で374センチでした」
「さ、さんびゃく、……」
果たしてその数字が女性のバストサイズだと分かる人は居るのであろうか。
「姉さんは?」
「128センチのTカップ。やっと中学生のころのあんたに追いついたわ」
どこか馬鹿にされた心地がしたので、ちょっとだけぶっきらぼうに言う。
「いいなぁ。……私のおっぱいも、そのくらいで止まってくれると嬉しかったんですけどね。……」
あれ? と思うと先程感じていた同情心がどんどん消えていく。莉々香は恐らく、本音として紀咲のおっぱいを羨ましがっているけれども、やはり馬鹿にされている気がしてならない。
「あ、もしかして今私のブラジャーを着けてますか? 前、アンダーが合わないって言ってましたけど、延長ホック? っていうのがあるらしくて、それ使うといいかもしれません」
と、知っていることをどこか上から目線で言われて、カチンと来る。そういえば、いつからだったか、おっぱいのことに関してはすっかり先輩の立場で、莉々香は紀咲に色々とアドバイスをするのである。
「……知ってる。………」
――だから、余計にイラつかせられるのである。
「姉さん?」
「知ってるって言ってるの。なに? いつの間に私に物を言う立場になったの?」
「ね、姉さ、――」
「そんな化物みたいなおっぱいが、そんなに偉いって言うの? ねえ、答えてよ」
「化物だなんて、……姉さん落ち着いて」
「落ち着いてなんていられるかっての。今もあんたのブラジャーが私を締め付けてるの、分かる? この気持。中学生の女子におっぱいで負けるこの気持。世界で一番大きいおっぱいを持つあんたには分からないでしょうね。………」
この女の前では絶対に泣かないつもりであったが、今まで誰にも打つけられなかった思いを吐き出していると、一度溢れた涙は止めどもなく頬を伝って行く。
「何よ何よ。私がどれだけ努力しているのか知らずに、いつも見せつけるようにおっぱいを強調して、そうやって毎日あの変態を誑かしてるんでしょう? ――どうして、どうしてあんただけそんなに恵まれてるのよ。どうして。………」
とそこで、ぐす……、という鼻をすする音がしたので、そっと涙を拭って前を向くと、莉々香は机の上で握りこぶしを震えさせながら俯いている。ゆっくりと顔が上がって、すーっとした涙の跡が陽の光に照らされる。
「私だって、………私だって紀咲姉さんの事が羨ましい。ほんとうに羨ましい」
「………」
「Tカップって、まだ常識的な大きさだし、着る服はあるし、姉さんは私のお下がりのブラジャーを使ってますけど、ちゃんと売ってますから、ちゃんと市販されてますから。……私のブラジャーが一着いくらするか知ってますか? 8万円ですよ、8万円。ブラジャー一個作るのに10万円近く取られるんですよ。……ほんとうに姉さんくらいの小さなおっぱいが良かった。ほんとうに、ほんとうに、………」
「りり、……」
「いえ、姉さんが羨ましいのはそれだけじゃないです。どれだけ胸が大きくなっても兄さんは振り向いてくれないんですもの。……」
「えっ?」
「もう何回もチャレンジしましたよ。兄さんを押し倒して、姉さんみたいにおっぱいで気持ちよくさせようと。……けど駄目でした。どうしてなんでしょうね。私だったら体ごとおちんちんを挟んであげられるのに、体全体をおっぱいで包んであげられるのに、兄さんは手すらおっぱいに触れずに『紀咲、紀咲』って言って逃げちゃうの。……」
初のことだから、もうすでに欲望に負けてそういう行為をしていると思っていた紀咲は、驚いて彼の部屋の方を向く。
「だから、意味がなかった。意味が無かったんです、――」
と莉々香は体を捻って手を伸ばして、本棚の一番下の段から手にしたのは紀咲もよく知っている、怪しげな英文の書かれたプラスチックの容器。
「小学生の頃からこれを飲み続けてきた意味が無かったんです。……」
「りりもそれ飲んでたの」
そういえば昔、どうしてそんなに大きくなるんですか、と聞かれた時に一回だけ見せびらかしたことがある。
「ええ、……でもね姉さん、私の場合違うの。兄さんが、……えっと、そういう女性を好きなのは分かっていましたから、こう、……手の平にがさっと適当に出して、お水で無理やり飲んでました」
「それ一体一回何錠くらい、……」
「15錠くらいだったような気がします。駄目ですよね、注意書きにも駄目って書いてますし」
容器のAttention と書かれた下には、〝必ず一日4錠を超えてはならない〟と一番上に太文字であるから、莉々香は4日分をたった一回で飲んでいたということになる。そういうことだったのか。………
「でもどんどん大きくなっていくおっぱいが嬉しくって、最終的に一週間も経たずに一瓶開けるようになって、……最後は兄さんが救ってくれたんですけど、飲んでないのに、おっぱい大きくなるの止まらなくて、………もう着る服なんて無いのに、おっぱいは重くて動けないのに、でも全然止まる気配がなくて、………紀咲姉さん、私どうしたらい���んだろう」
と、さめざめと泣き出したのであるが、どうしたらいいのかなんて紀咲には全然分からず、���だ気休めな言葉を投げかけていると、しばらくして初がやって来たので、せめてこの哀れな少女の気を少しでも晴らそうと、その日は3人で日が暮れるまで淫らな行為をし続けたのである。
(おわり)
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[C.R.A.C.NORTH]会議室利用制限要望書
2019年5月16日
北海道知事 鈴木直道殿 北海道立道民活動センター かでる2.7指定管理者殿 一般財団法人道民活動センター理事長 高田忠尚殿
C.R.A.C.NORTH
要望
一、2019年5月25日(土)に告知されている「アイヌ新法を学ぶ講演会」は、アイヌ民族に対するヘイトスピーチが目的であり、当日はヘイトスピーチが出る蓋然性が高い。それを秘して会議室の利用承認を得ているので、承認を取り消し、あるいは制限すること
二、一の措置のうえで、当日はアイヌ民族に対する差別的な嫌がらせが起こらないように充分な人員を配置し、また講演内容を記録すること
理由
[目次] 1. アイヌ民族に対するヘイトスピーチや差別的な嫌がらせが起きる蓋然性が高い (1) アイヌ民族に対するヘイトスピーチの定義 (2) 小野寺まさる氏のアイヌ民族に対するヘイトスピーチ (3) アイヌ民族に対する差別的嫌がらせの可能性 2. 行政的措置の法的根拠
1. アイヌ民族に対するヘイトスピーチや差別的な嫌がらせが起きる蓋然性が高い
(1)アイヌ民族に対するヘイトスピーチの定義
日本も賛成票を投じた先住民族権利宣言では、アイヌは先住民族として、「いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティに基づく差別からも自由である権利を有する」と規定されており、ヘイトスピーチが禁止されている。
<先住民族の権利に関する国際連合宣言>
第2条 【平等の原則、差別からの自由】
先住民族および個人は、自由であり、かつ他のすべての民族および個人と平等であり、さらに、自らの権利の行使において、いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティ(帰属意識)に基づく差別からも自由である権利を有する。
第8条【同化を強制されない権利】
1. 先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する。 2. 国家は以下の行為について防止し、是正するための効果的な措置をとる:
(a) 独自の民族としての自らの一体性、その文化的価値観あるいは民族的アイデンティティ(帰属意識)を剥奪する目的または効果をもつあらゆる行為。
(b) 彼/女らからその土地、領域または資源を収奪する目的または効果をもつあらゆる行為。
(c) 彼/女らの権利を侵害したり損なう目的または効果をもつあらゆる形態の強制的な住民移転。
(d) あらゆる形態の強制的な同化または統合。
(e) 彼/女らに対する人種的または民族的差別を助長または扇動する意図をもつあらゆる形態のプロパガンダ(デマ、うそ、偽りのニュースを含む広報宣伝)。
5月24日に施行予定のアイヌ新法の第4条は、先住民族宣言の差別を受けないという権利が施策として具体的に反映しているものである(4月10日 衆議院 国土交通委員会)。また「アイヌの方々を明確に差別することを目的としたヘイトスピーチはこの条文に反する」(4月10日 衆議院 国土交通委員会)。さらに「民族としてのアイヌなんてもういない」がアイヌ民族に対するヘイトスピーチとして例示された(4月10日 衆議院 国土交通委員会)。くわえて特定個人に対してだけでなく不特定多数に対するヘイトスピーチでも第4条に違反していることが確認された(4月16日 参議院 国土交通委員会)。
<アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律>
第4条「何人も、アイヌの人々に対して、アイヌであることを理由として、差別することその他の権利利益を侵害することをしてはならない」
周知の通り、附帯決議には法的な拘束力はないが、国会審議の中で立法者(本法は内閣提出であるから当然に政府)の本法の立法意思と立法趣旨が明確にされている。附帯決議は、かかる意思を立法府としても明記したものである。アイヌ新法の附帯決議では、先住民族宣言を踏まえること、また国連人権条約監視機関による勧告に留意すること、不当な差別的言動の解消��向けた実効性のある具体的措置を講ずることを求めている。
<アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律案に対する附帯決議>
二 「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の趣旨を踏まえるとともに、我が国のアイヌ政策に係る国連人権条約監視機関による勧告や、諸外国における先住民族政策の状況にも留意し、アイヌの人々に関する施策の更なる検討に努めること
四 アイヌの人々に対する差別を根絶し、アイヌの人々の民族としての誇りの尊重と共生社会の実現を図るため、アイヌに関する教育並びにアイヌへの理解を深めるための啓発及び広報活動の充実に向けた取組を推進すること。あわせて、本法第四条の規定を踏まえ、不当な差別的言動の解消に向けた実効性のある具体的措置を講ずること。
(2) 小野寺まさる氏のアイヌ民族に対するヘイトスピーチ ※以下、ヘイトスピーチ注意
今年、3月18日に開催された小野寺まさる氏の講演会「北海道が日本で無くなる日~中国の土地爆買いとアイヌ新法の罠」は、講演内容全体がデマと歴史否定に満ちているが、とくにあきらかに問題である部分を抜き書きする。論のフレームがアイヌの自治区に中国共産党が入って治外法権になるという主張で、そこに同和がアイヌになりすましているという「なりすましネタ」や「アイヌのさじ加減ひとつでアイヌになれる」などの民族的アイデンティティを否定したヘイトスピーチが入る。25日に「かでる2.7」で行われる講演会の演題も「アイヌ新法を考える」というもので、同内容である可能性が高い。しかも論旨自体がヘイトスピーチであるので、個別の発言に気をつけるだけでは、ヘイトスピーチを回避するのが困難だといえる。また小野寺氏は、3月の講演会以前から、アイヌ民族や在日コリアンに対する差別的な発言をしている中心人物のひとりである。したがって、25日の講演会でも、アイヌ民族に対するヘイトスピーチが出る蓋然性が高い。
「北海道が日本で無くなる日~中国の土地爆買いとアイヌ新法の罠」抜き書き
北海道の土地が中国に狙われている。
多くの土地が買われてるんですけれども、そこは間違いなく水源で、そして何も使われていないってことは、もしかしたらそこに、ドンと、人が来るかもしれない。
アイヌというものと日本の分断活動っていうものはですね。ずっと昔から行われていました。
この法律(筆者註:旧土人保護法)はアイヌの人たちっていうのは、このままでいると間違いなく滅びてしまう民族だと。文字も持たずしっかりとした文化も持っていないと。計算もできないと。なのでちゃんとした教育を与えて生活の保護もしてあげないと滅びてしまうので、ちゃんと日本政府として保護してあげようということで、 この法律ができた。
(ウタリ対策事業で)思いもかけないお金がボンとアイヌ協会に落ちたもんですから。これはアイヌ協会としてやったら、結構お金儲かるのかってことで再建されたと。だから最初は私が大地主だけど、どうにかしてくださいって言っている人が、今度目を覚ました時にはですよ。差別されていたということはお金になるんだということで、団体の性格が大きく変わって、1960年からアイヌ政策というものが、ねじ曲がった形でスタートした。
あまりアイヌの人たちは差別されていただとか搾取されていたという歴史がないというふうに思われていたので、それ実際に大地主だったんですから、なかったんです。
中国共産党関係者はアイヌと接触をして、ここでかなりの洗脳工作をしてます。
平沼敏郎先生がですね。経産大臣の時に単一民族国家だと言って。ここら辺からですね。もうマスコミが大きく変わってくるわけです。まずですね。毎日毎日、アイヌ協会のひとたちがアイヌの半被を着て、大臣室に押し寄せて、大抗議行動をするんですよ。平沼敏夫先生とも話したが、アイヌっていうひとたちが大臣室に来るんだと。ずっとわーっと騒いで、マスコミも連れて大騒ぎをしているんだと。ただぱっと見、日本人じゃんと(会場:笑い)。というひともいっぱいいるのに、半被着てるだけでアイヌなのかという話ですよ。
アイヌ協会を取り巻くなぜかですよ朝鮮総連系の団体もいました。
ずっと日本は今まで単一民族国家できたと。で、その中には隼人だとか熊襲だとかそういう民族も現れて戦ったけれども、最終的には同じ民族として同化をして一つの民族であった。1986年までは、アイヌの人たちもいたけれども、その人たちは全員日本人になって何の問題もなかったんだから、全員が単一民族国家だと思っていたのに、一つの外務省の見解で多民族国家になってしまったんだというようなことはですね。大問題だと思うんです。お前にどんな権利があって多民族国家にしちゃったんだと。単一民族国家を。
アイヌの人たちは墓参りに行っても1万円もらえますから。それはお墓の前で踊る。これはアイヌ文化の伝承法だと。踊り手に一万円あげましょうということで、これから東京に住んでいる方たちはですね、お墓の前で変な踊りをしているひとたちがいたらですね(会場:笑い)、アイヌじゃないのかと(会場:笑い)、一万円もらうために踊っているんじゃないのかと、ホントですからね。
アイヌ協会が認定したものはすべてアイヌになると(会場:ざわめき)。アイヌの定義はないんですよって。私によくですね。DNA検査をした方がいいだろうという方もいるんですけれども。DNA検査なんてできないですから。というのはアイヌは太古の昔から混血につぐ混血でですね。どれがアイヌだってサンプルがないので。日本人と同じ血なんで結局。なのでDNA検査も出来なくて、DNA検査をやったからってこの人アイヌだとかアイヌじゃないとかいうのもわかんなくて。
アイヌのさじ加減ひとつでアイヌになれる。
1969年の同和事業特別措置法ですね。なくなりましたよね、時限立法で。使えるじゃないですか。アイヌにしてもらえれば。で、いまアイヌじゃない人も相当増えてます。だから東京に75000人もいるって事平気で言えるんです。ってこれ誰も否定できません。だってアイヌ協会が認めたらアイヌなんですから。そういう状況になってですね。これから全国的にそういうのが始まるというのを皆さん本当に理解してください。(会場:「とんでもない」の声)とんでもないですよね! ほんとに(笑)。ほんとにとんでもないんです。こういうような事業なんだと。そこに中国べったりくっついているんだということを理解してもらいたいと思います。
この先住権というのはなにかというと、さっき言った国旗・国家・警察・裁判所、これですから。こういう状況があってですよ。わたし何を言いたいかというと、日本を侵略したい国があるとしたら、こんな好都合なことはないんです。(会場:ざわめき)だってもしかすると自治区をもらえるグループがあって、我々はそこをずっと目指していって、日中国交正常化前から、ずっと仲良くしていて、お金もバンバン使ってたんだぞという話になりますよね。で実際になっているんです。
相当莫大なこれからお金がですね、アイヌ利権として動いていくと。さらにこのカジノをやるのは、ハードロックインターナショナルが外注する中国の会社ですから。そう考えると中国の方にもお金が相当流れるというような政策です。
先住権だとか自治権をよこせといったところで、そんなもんどこにその自治権をよこすのという話になりますが、自治権取られそうなとこあるんですよ、北海道に。それは白老という場所です。
何もない建設予定地に唐家璇が視察に入っているというのは間違いないです。唐家璇はその白老に入る前ですけどもどこに入ってんのかというと、佐渡。佐渡で今何が起こってんのか分かりますか。佐渡はですね。中国人がわーっと増えて、とんでもない状況になる可能性があるんですよ。それは中国の専門学校を作っちゃったからですよ。
実は中国人、は特にそうなんですけれども、とんでもない動きを日本の中でしていて。先ほどは、土地も買われていると。で水も輸出されてると。でその農作物も輸出しようとしてると。色々な画策をしていてアイヌと繋がっているという、色々な複合的なことをやってる。
アイヌっていうものを利用して中国がどんどん入り込んでいったりだとか、本当に土地を買って将来そこに住めるような状況になっているというような、そういう複合的な動きをしてるということ。
アイヌ政策というのがいかに胡散臭いのかと。そこに中国というのがどういうふうに入り込んだのかと。でさらに色々な話の流れで、単一民族国家であった日本が知らないうちに多民族国家にされて、更にそれを飯のタネにしようとして、とんでもない動きがあるんだと。
<小野寺まさる氏のツイート>
はい。強いて言ってもアイヌ系日本人です。彼らは今“我々は民族だった”と主張し権利を要求し始めています。裏には人権を飯の種にしている方々が… また日本が分断される危惧もあります。 RT @tosuzuki21: いまなぜこんなはつげんを?和人もアイヌ皆日本人でしょう。[2013年9月12日]
近年「アイヌ料理」なる物を慌てて創作している方が多々居る。これは「公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」の事業報告書を見れば直ぐ分かるが、税金を渡し創作させている事実に呆れる。アイヌ文化の調査の史料を見ても「料理」と呼べる代物では無く、これは言っても「アイヌ風創作料理」だ [2017年2月14日]
アイヌ利権は凄いですよ。同和特措法が無くなりましたが、アイヌ政策だけは肥大し続けています。アイヌと無関係な所謂「差別された方々」も結構入り込んでいますが、以後アイヌ政策は全国展開される為に、爆発的に似非アイヌが増えます。関東だけで7万5千人居るらしく(アイヌ協会幹部談)...(笑) [2017年2月15日]
「アイヌ料理擁護派」は、醤油や味噌を使って何が悪い?との主張を平気でしてきますから、キムチが入る可能性はありますな…マジで。[2017年2月15日]
(3) アイヌ民族に対する差別的嫌がらせの可能性
25日の講演会では、アイヌ民族に対する差別的嫌がらせが起こる可能性が非常に高い。①今年の旭川市での憲法集会に対して、同ホテルでおこなわれていた日本会議上川支部の総会に参加するメンバーであり、また日本第一党である人物が嫌がらせをしたこと、②北海道アイヌ協会が、講演会会場と同じ���かでる2.7」にあることにネトウヨが注目していること、③以前、在特会が「アイヌ問題を考える講演会」を「かでる2.7」で開催した際に、参加者が北海道アイヌ協会事務所を襲撃しようとしたこと。以下は、そのまとめである(C.R.A.C.NORTH作成)。 加えて、憲法集会に嫌がらせをした人物はその後反省しておらず、かえって憲法集会参加者への嫌がらせをエスカレートさせており、それをFacebookで投稿しては、周りがはやし立てている状況で、ここ数日、さらに嫌がらせが飛び火している。その人物を含めて日本第一党のコアメンバーが25日の講演会のお知らせをFacebookでシェアしており、講演会に参加するだろうことが予想される。
5/3、日本会議上川支部の人間から、旭川の総がかりの憲法集会に嫌がらせがありました。その嫌がらせに対して、5/25の「アイヌ新法を学ぶ講演会」の主催である日本会議北海道本部の常任理事が賛意を表明しました。
おなじホテルで憲法集会と日本会議上川の天皇即位記念集会及び総会がかちあったのですが、4/29、旭川の鈴木晶(日本第一党北海道本部幹事長)がFBで妨害予告。個人名をあげつつ、「旭川を憂いておる人間が皆一様にかき回して欲しいと言うのもわかる気がする」「まぁ今年はオレが行くから部屋間違えるかもな~爆」「ハレーションが起きないなんてありえなーい笑」と書き込みました。
それに対して��菅原勝明(日本会議北海道本部常任理事)】が、「いいねー👏👏」と賛意を表明。鈴木晶は「これで問題が起きない事が問題ですわ。。我が街は。。」とコメントをし、【菅原勝明】はそれに😆をつけています。鈴木は、せめて小競り合いくらいは起きないの!?というコメントに、「少なくても今までは起きておらんのでしょうね笑 しかし今年は俺行くからね~」と返信しています。
そして5/3、一階のロビーでたまたま鈴木晶を見かけたカウンターが2階の受付付近で待機していると、鈴木が階段から上がってきて「〇〇はどこだ」と言いながら会場の方に入っていこうとしたため、カウンターが鈴木を止め、その後ホテルのスタッフに対応を任せました。鈴木等はその後、「タバコ吸うだけだからいいだろ」と言いながらタバコ室へ。市民が警備にあたっており、鈴木はしばらくして出ていきました。嫌がらせ行為を自慢している鈴木のFBの投稿に、【小野寺まさる】が👍をしています。
5/25、かでる2・7で、小野寺まさると百瀬響(札幌教育大学)を講師にした「アイヌ新法を学ぶ講演会」(主催:日本会議北海道本部)が予定されていますが、その常任理事である【菅原勝明】が同じ建物内の他会場に対する嫌がらせ行為に賛意を表明したことは、単に一意見の表明ではすみません。
【菅原勝明】は2018年に、「捏造日本軍『慰安婦』問題の解決をめざす北海道の会」副代表の肩書きで、日本第一党の講演会の講師を務めた経歴があり、さらに同年10月14日、札幌市の大通公園で行われた、高田誠(日本第一党党首、元在特会会長)を迎えての排外主義的なヘイトスピーチデモに参加しました。
2009年7月5日、在特会北海道はかでる 2.7で「アイヌ問題を考える」と題した講演会を開催しましたが(講演者:鎌田宮司、的場光昭)、講演会終了後、主催者と来場者数名が同建物7階の北海道アイヌ協会の事務所に侵入を試みましたが、休日のため事務所には入れなかったということがありました(動画は削除)
今回の講演会が予定されているのは、かでる2・7。事務所侵入未遂をした10年前とおなじテーマ。主催はヘイトデモに参加し講師をする人物で、同じ建物内で他会場で嫌がらせをするというFBの投稿に賛意を示した。25日は土曜日です。最悪のことが起きないように、手を尽くす必要があると思っています。
<小野寺氏の講演会のツイートに対して、返信をしているネトウヨのツイート>
hydist666 Arc @sirotaHY999 ザルですよザル アイヌになりたければ 誰でもなれるんですから!だからこそわざわざ中国から視察に来てたんでしょうね。[2019年3月25日]
hydist666 Arc @sirotaHY999 私も自民党の政策全て賛成してません。アイヌ新法ズブズブ法案は北海道人として受け入れられない 協会の不正 中国と朝鮮の繋がり クウォーターしかいないのに補助金 有りえません。[2019年4月6日]
hydist666 Arc @sirotaHY999 ズブズブ法案 アイヌ協会のお偉いさんのオフィス随分ご立派な建物に入ってるようで(嫌味) 相変わらず不正は続いてるんですか?[2019年4月9日]
・講演会のツイートに対しての直接リプライ hydist666 Arc @sirotaHY999 何の因果か又かでるですか?アイヌ協会の入ってる建物じゃないですか?参加しますけど。[2019年5月2日]
儚@kanasimi_nippon かでるにアイネ協会さんも入ってるのではないでしたっけ?両方のご意見を聞いてみたいです。[2019年5月2日]
2.行政的措置の法的根拠
「アイヌ新法を学ぶ講演会」の開催にあたり、アイヌ民族に対するヘイトスピーチや差別的な嫌がらせが起きる蓋然性が高いので、「かでる2.7」の設置目的に反する行為が起きないように、主催者である日本会議北海道の会議室利用の承認を取り消し、あるいは制限するのは「北海道立道民活動センター条例」にかなった措置である。またアイヌ民族に対するヘイトスピーチや差別的な嫌がらせはアイヌ新法第4条で禁じられている違法行為であり、「かでる2.7」は施設内で違法行為が起きないように措置をとるべきである。さらに、当日の講演会の様子を撮した動画があれば後日YouTube等にアップされる可能性があり、そこでもヘイトスピーチ被害が生じる可能性がある。
周知の通り、公の施設は「住民の福祉を増進する目的」で設けられており、住民の利用は「正当な理由」がない限り拒んではならないと定められている(地方自治法第244条)。したがって道立の「かでる2.7」は、憲法、地方自治法等の観点からその利用申請を原則として許可する必要がある。
<地方自治法>
(公の施設)
第244条 普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。
2 普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
3 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。
同時に、「かでる2.7」は「アイヌ⽂化活動等の組織的な活動の促進」を設置⽬的としており(第1条)、指定管理者は、申請者の利⽤の⽬的がこれに反する場合これを承認をしてはならないとされ(第9条(1))、仮にこのような利用目的を偽って申請���行い承認を得た場合は、承認自体が取消、利用制限等の対象となり得る(第11条(2))とされている。
この点、25⽇の講演会のフライヤー等ではヘイトスピーチの目的までは明記されてはいないが、既述のとおり、同講演会はアイヌ⺠族に対する差別を明確に⽬的としたヘイトスピーチである蓋然性が相当程度に⾼いものであるので、⽬的を秘して利⽤承認を得たといえ、承認取り消しまたは利用制限の対象となり得るというべきである。
また、直ちに承認取消まで行うには躊躇がありうるとしても、同規約上、「管理運営上必要があると認める」ときは、「承認に条件を付することができる」(第8条)、さらに「施設等の管理運営上必要があると認めるときは、利⽤者に対しその利⽤に関し指⽰をし、⼜は利⽤中の場所に従業員を⽴ち⼊らせ、利⽤の状況を調査させることができる」(第13条)、とされている。
これらの措置(承認に際しての条件付与、利用に関する指示、利用状況の調査)は、施設の利用自体を禁じるものではなく、あくまで施設の設置目的に沿うような利用となるように条件を付する、あるいは指示、調査をするという限度に留まるものであるから、利用の承認取消等の措置と比較しても利用者の権利制約の程度は至って低く、これらの措置を講じたからといって指定管理者に法的責任が発生するおそれは極めて乏しい。
他方、既に述べたとおり、「アイヌ新法を学ぶ講演会」においてヘイトスピーチが行われる蓋然性が相当程度に高いことに照らすと、むしろこれらの措置を講じることのないまま漫然と現実にヘイトスピーチが行われてしまうことを許してしまった場合の問題の方がより深刻だと理解すべきである。
したがって、指定管理者は、少なくともこれらの措置(承認に際しての条件付与、利用に関する指示、利用状況の調査)については、積極的に講じることを検討すべきである。
<北海道立道民活動センター条例>
第1条 道民自らの創意や活力が生かされる地域づくりに必要な社会福祉活動、生涯学習活動、女性活動、アイヌ文化活動等の組織的な活動の促進及び道民が行う学習、研修、交流等の機会の充実を図るため、北海道立道民活動センター(以下「道民活動センター」という。)を設置する。
第8条 道民活動センターの施設等を利用しようとする者は、指定管理者の承認を受けなければならない。
2 指定管理者は、前項の承認をする場合において、道民活動センターの管理運営上必要があると認めるときは、同項の承認に条件を付することができる。
(承認の基準)
第9条 指定管理者は、道民活動センターの施設等を利用しようとする者が次の各号のいずれかに該当するときは、前条第1項の承認をしてはならない。
⑴ 利用の目的が道民活動センターの設置の目的に反するとき。
⑵ 公共の秩序を乱し、又は善良の風俗を害するおそれがあるとき。
⑶ 施設等を損傷するおそれがあるとき。
⑷ その他道民活動センターの管理運営上支障があると認められるとき。
(変更の承認)
第10条 第8条第1項の承認を受けた者(以下「利用者」という。)は、利用の内容を変更しようとするときは、指定管理者の承認を受けなければならない。
2 第8条第2項及び前条の規定は、前項の承認について準用する。
(承認の取消し等)
第11条 指定管理者は、利用者が次の各号のいずれかに該当するときは、第8条第1項の承認(前条第1項の承認を受けたときは、その変更後のもの。次項において同じ。)を取り消し、又はその利用を制限し、若しくは停止することができる。
⑴ この条例若しくはこの条例に基づく規則又はこれらの規定に基づく処分に違反したとき。
⑵ 虚偽の申請その他不正な手段により第8条第1項又は前条第1項の承認を受けたとき。
⑶ 第8条第1項(前条第2項において準用する場合を含む。)の規定により付された条件に違反したとき。
2 指定管理者は、施設等の維持管理上その他公益上��むを得ない事態が発生したときは、第8条第1項の承認を取り消し、又はその条件を変更することができる。
第13条 指定管理者は、道民活動センターの秩序の維持及び施設等の管理運営上必要があると認めるときは、利用者に対しその利用に関し指示をし、又は利用中の場所に従業員を立ち入らせ、利用の状況を調査させることができる。
以上。 会議室利用制限要望書全文 PDF https://drive.google.com/file/d/1ntuXxc8idn6K5lHCNBJAI-aADtGyVfn1
[資料]
日本会議北海道本部 5月 講演会 行事予定 http://nipponkaigihokkaido.blog.fc2.com/blog-entry-75.html
先住民族の権利に関する国際連合宣言 https://www.un.org/esa/socdev/unpfii/documents/DRIPS_japanese.pdf
衆議院 第198回国会 国土交通委員会 第5号 2019年4月10日 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009919820190410005.htm
参議院 第198回国会 国土交通委員会 第8号 2019年4月18日 http://online.sangiin.go.jp/kaigirok/daily/select0110/main.html
小野寺まさる講演会「北海道が日本で無くなる日~中国の土地爆買いとアイヌ新法の罠」 https://www.youtube.com/watch?v=NC6rdT4WmW0
文字起こし(C.R.A.C.NORTH) https://drive.google.com/file/d/1V5tM_5uH9nF6qHXsqA5RL6t5as0kA-Gv
小野寺まさる氏のツイート http://archive.fo/NUKsI http://archive.is/qmZK0 http://archive.is/5EaNh http://archive.is/Rub22
日本会議北海道関連の嫌がらせ https://twitter.com/crac_north/status/1124350609748926464
hydist666 Arcのツイート http://archive.fo/F1n4G http://archive.fo/Z8Gmd http://archive.fo/3gFoi http://archive.fo/9wDss
儚のツイート http://archive.fo/lq7r4 在特会「アイヌ問題を考える」講演会について 日本国内の人種差別実態に関する調査報告書【2018年版】 https://gjinkenh.files.wordpress.com/2018/04/e4babae7a8aee5b7aee588a5e5ae9fe6858be8aabfe69fbbe7a094e7a9b6e4bc9ae5a0b1e5918ae69bb8e380902018e5b9b4e78988e380911.pdf
地方自治法 https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000067#1362
北海道立道民活動センター条例 http://homepage.kaderu27.or.jp/guide/process/t9q0lm0000000cbe-att/t9q0lm0000001fg9.pdf
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Info_08.13mon 盆休みPlay Back to 90s クラシックセット夜会 at USR LLC
URBAN SOUL RELAX LLC presents 盆休みPlay Back to 90s クラシックセット夜会 3者3様の見渡して来た90年代末期のクラブミュージック、その残り火を再び燻らせる一夜限りのクラシック四つ打ちセット!!。 2018.08.13mon Open24:00 at 代々木上原 URBAN SOUL RELAX LLC Free Entrance [music] Y-park RiTEK Shibadogworks = = = =
*Time table
24:00-24:50 Shibadogworks[Classic techno/Old Hard Minimal ] 24:50-25:40 RiTEK [Dance Pop] 25:40-26:30 Y-park [Classic trance / Progressive] 26:30-27:20 Shibadogworks [UK Hard House] 27:20-28:10 RiTEK [NY Hard House] 28:10-29:00 Y-park [Disco filter / uplifting House]
= = =
Venue: URBAN SOUL RELAX LLC
[ 渋谷区西原3-18-5 1F 代々木上原駅から徒歩2分]
30代、40代には懐かしく、胸がキュッとなる。 20代にはフレッシュでボディソニックな音楽体験を(謎。 URBAN SOUL RELAX LLCのホームパーティー、是非お気軽にお越しくださいませ。(お酒は持ち寄りで)
ときおり開催しております弊社スタジオでのホームパーティー(ホームパーティーです、ホームパーティー(連呼。。 毎回色々なコンセプトで楽しんでおりますが、いつのときか、その時代に尖り過ぎて流行りまくった音楽ジャンルたち、現行のセットにも組み込めないBPMの速さ、消費され尽くしてもうダサいとしか形容のできないトラックたち。いやもう当時のジャンルだけの縛りでパーティーしたいね、ということで今回こんな催しをさせていただきます。 参加DJ入魂のBack to 90sコラムも今回のために書き下ろしたので、是非その時代の背景を感じてください。
=
DJ Shibadoworks
近頃あらゆる場面で自分が''ガラスの40代''に突入した事を感じる事が多くなりました今日この頃いかがお過ごしでしょうか。 そんな余談はさて起き、今回の90'sナイトに参加する事になりましたので自分の90′s感を少々綴りたいと思います。 自分のCLUBバージンは六本木のYELLOWで石野卓球さんがやっていたLOOPAというイベントから始まりました。YELLOWが6周年?とかだったと思います。暗闇に爆音で流れる名前も知らないテクノミュージックに酔いしれました。刺激というのは恐ろしいもので、卓球さんのDJだけでは飽き足らず、何か他に無いかとテクノ雑誌LOUDを読んでいた所、新宿リキッドルームでXtraというイベントがキラキラ系で上がるらしい。初めて行った新宿リキッドルームは1階の路上に人が並んでいたので、まあまあ盛り上がってるんだなーと思っていたらリキッドルームは10?12階?にあり階段全部並んですべて順番待ちという有様。毎回1000人オーバー。フロアに入ったら地震かと思ったら低音で床が揺れてる。当初まだ出始めたVJもスクリーンに写し出されてる(ビデオデッキ)、BPMも140ぐらいのキラキラのハッピー系(酷い言い方ですよね)、がとめどなく押し寄せる。 見ず知らずの奴ら(17~23歳で当時は身分証の提示無かった)、でブレイクになると何十人で輪になって手を繋いでハン��アップ!! しまいにはVJスクリーンの舞台に上がって店員に怒られるまでお立ち台にして踊っていました。普通のSHOP33とかで買ったテクノな服では目立たないので、当時バイトで着ていた「ピザー〇」のトレーナーを着用。友達は三菱石油だったかな。知らねぇ奴がドミノ・〇ザのトレーナー着てきた時はとりあえず何も言わず通ずるものがあり一緒に激しく踊りました。 YO-CさんやSHINKAWAさんの素晴らしいプレイに感極まってVJスクリーン前のお立ち台に、その三菱石油と打ち合わせして、ブレイクのちょうどイイ瞬間に、お立ち台に飛び登って踊りまくり、フロアの皆さんから「ピ〇ーラ!wwww」と歓声を浴びた経験が後に重い障害として残ってしまい後にリハビリに苦しむ事になります。(40になっても治らない) Xtraに行っていた時にちょうどEXTRAというケン・イシイの大ヒット作が発売され付録のビデオCDを当時最新だったソーテックのCeleron700MHzの高スペックPCで視聴し、「俺ってテクノなんだな」と思った次第であります。 *リバプールの店長と犬は元気でしょうか。 *渋谷WAVEにいたロン毛のサンダル履きの店員さん元気でしょうか。 *Gemini?だったかのミキサーを買ってDJして「トルクが無くて合わせられない」と言っていた作曲家志望のユエくん3000円1ヶ月も借りてごめんなさい。
そんな数々の重い障害を克服する為のリハビリが8月13日にあるので来てください。 一緒にリハビリしましょう。
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DJ RiTEK
Back to 90s -------- 数年前に芝浦Goldの跡地の付近に住んでた事はあるのですが、残念ながら90年代は義務教育をこなしていたRiTEKと書いてリテックと申します。 自分の90年代と思い返してみてJ-wave等のラジヲを聞いたりしていましたが、90年代後半になると当時流行ってたMaiami BassのCDが仲間内で流行りはじめてたような。 そんな時に初めて買ったDance Music系なCDがCutting edge(Avex)から出ていたBass PatrolシリーズのBASS PATROL! VOL.5だったかと思います。 このCDの一曲目が”Bass Dominator - 1 2 3 4 5 6 BASS”という曲でして、 有名な曲な気もするのでご存じの方も多いと思いますが、わかりやすい”1 2 3 4 5 6 BASS”ってボイスとその後に繰り出される重低音に虜になったのを覚えています。 ちなみにこのコンピCDは謎の3D効果(パンニングされてるだけだと思う)といって音がグルグル回っているかのような状態を65分聞かされるという、ヘッドフォンで聞くと気持ち悪いように感じになる1枚となっています。 もう一つBass話を、”エロ”という文字に敏感になり始める●学生になると”Bass野郎エロチカ”とかいう良い意味でのふざけたCDが流行りだした事も付け加えておきます。 その後は周りのBassブームが終わると所謂Dance Mania系のDance Popが仲間内で流行ってたので、”Dancemania X3”は買ったような記憶があります。 Almightyから出てる、”The Kinky Boyz - The Only Way Is Up”なんかが入っていました。 House Musicな楽曲が収録されているCDを買ったのを思い出してみると、”Mariah Carey - Butterfly”のアルバムに収録されていた”Def Mix”が初めてだったのかもしれません。 “Def Mix(David Morales)”と”So So Def Mix(Jermaine Dupri)”が収録されていたかと思いまが、当時はSo Soしてない方が良いバージョンだって覚えたりしてました。 今クレジットを見るとDef MixのProgrammingは”Joey Moskowitz”なんですね。 Morales全然関係なくなりますが、Joey MoskowitzとJunior Vasquezコンビ物の音が非常に好きでして、90年代物だと”Billie Ray Martin – Your Loving Arms”、”Whitney Houston – Step By Step”等のJunior Vasquez Remix物とか。 8/13はここに出てきた曲もかけていきたいですね!
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DJ Y-park
-DJ Y-parkです。僕の90s、、まだクラブには行けない年齢でしたw。今回のクラシックセットは、2000年を跨いだあたりの音になるんですが、僕がクラブ業界に入ったのが、2002年代官山Air隔月木曜日のパーティーで、ジャンルはプログレトランスが主体のイベントでした。で、僕はキャリアとしてはVJとして最初に業界に入りまして、実は90年代末期からはクラブVJもかなりムーブメントとして盛り上がっていました。PCVJ第一世代でしょうか、320 x 240、Cinepak、Sorenson3、いろいろ咽び泣きますね。で、ビジュアル的に親和性の高かったのが、トランスでした。そんなこともあり、トランスのイベントチームとのご縁からはじまったクラブ業界なのですが、僕のDJとしての方向性はすでにハウス一辺倒に傾倒していまして、先輩にDJもできますとも言えず、、そもそもコミュニティ的にハウスじゃないという。。。その翌年あたりに、青山LOOPのサンデーアフタヌーンパーティーに出会い、今にも続くハウスDJとしてのキャリアを踏んでいくこととなります。 クラブ業界に入る、という明確な線引きが僕にあるのは、いわゆるプレイヤー側、スタッフ側から入ったのが最初のクラブでして、実はお客さん側で一度もクラブに行ったことがないのです。18歳で、代官山AirでVJしてましたんで、結構早くからクラブ業界に入学してしまいました。 クラブ業界に入る前、つまりハウス一筋と決心する以前、90年代の僕のクラブミュージック体験というのは、レコード屋さん通い、それがはじまりで、それが全てでした。 小さい頃、よく家族で東急ハンズに行ってたんですけど、車で行く道中横目にManhattan Recordsがあって、それはもうご近所迷惑よろしくな低音全開で、子供心になんだあの悪そうなお店は。。行きたい!ってなって。 最初はHIPHOP / R&BのDJをやりたくて、レコード買ってたんです。現場行ってないのにさんぴんCAMP世代というのはおこがましいですけど、その世代。B-BOY PARKでKREVAがフリースタイルバトルを連覇し過ぎて殿堂入りさせられてた頃ですね。それは現場で見てました。とにかく音楽は雑食派で何でも聴いていたというか、レコード屋に足を運ぶようになって知らない音楽ジャンルにたくさん出会うわけです。HIPHOP/R&BとHOUSEを並行して買い漁りながら、2STEPやClub Jazz(Routin jazzとかCafe apres-midiとか)に触手を伸ばして見たり。高校時代は3年間レコ屋通いの日々。おかげで友達は一人もおらず、昼休みの校内放送で毎日DJミックスショーを披露しておりました。その時御在学の皆様には自慰的DJの数々、謝っても謝りきれませんorz。高校が渋谷と恵比寿の中間くらいにあったので、ほぼ毎日のようにレコ屋に行っていました。その当時、クラブ自体に行けない我が身としてはとても歯がゆい時代、仕入れるクラブミュージック情報といえば、日テレの深夜にやっていたCountDownGrooveくらいなもので、とにかく毎日通う、新譜をチェックするの繰り返し。いつかクラブデビューするぞ!という意気込みの元。。 代官山は、ボンジュールレコーズ。下北沢はJET SET Records(移転する前の大きい店舗)、Time to galaxy records(なぜか2STEPとTranceだけ置いてたカフェ兼レコ屋)。渋谷は、Manhattan、CISCOは当たり前ですけど、とくに足繁く通ったのはhotwaxとCoqdo Records。hotwaxは、DnB、AbstractHIPHOP、2Step、CluBJAZZと、変則ビート系、暗い音楽がいっぱいのレコ屋。2Stepはどハマりしたジャンルの一つなので、かなり買い込んだ記憶がありますが、僕がクラブでDJをする頃になるとブームは見事に消し飛んでいたので、現場で披露する機会は未だにありませんw。 Coqdo Recordsは、敦子さんのお店(この6年後くらいに青山LOOPで共演ができた)。オープンしたての頃から通っていて、ここでBody&Soul vol3のCDを手にしたのが、ハウスの文脈に傾倒するきっかけになったかな。当時よく買ってたのが、フィルターハウスのブームから始まり、Uplifting HouseとかDisco filterと細分化されていったジャンル。2000年代半ばの乙女ハウスブームとも被るか被らないかくらいの時期で、乙女ハウス前夜といってもいいかもしれません。乙女感は日本のハウスクリエイターが勃興してからの色合いで、レコード会社がつけたクソネーミング。Disco filterは、Electro crashの波も来ていたので、それらも昇華されていたような気がします。代表格はSPACE COWBOYとか。JET SETもこの手の洒落たDisco fliterが多く、ブートリミックス、マッシュアップの類も親和性高かったですね。今回のイベントでは、この辺りのセットを披露しようと思います。 もうひとつのセットはClassic Tranceです。雑食真っ盛り���中、Tranceというジャンルが勃興してきまして。何がきっかけで好きになったのかはわかりませんが、CISCOのTrance館がオープンする初日に店頭並んでいたのだけは思い出します。新しいジャンルのためだけにレコ屋がオープンするなんてTranceくらいなもんで、それくらいTranceという音楽はものすごい勢いで盛り上がっていました(未だ定点観測はレコ屋のみ)。当時はユーロトランスとダッチトランスという棲み分けがあって、野外RAVEカルチャー全般という文脈から、トライバルハウスや、アンビエントといったものも揃ってました。その時期は楽しくレコード買い漁ってたんだけど、avexがCyber Tranceっていうのをはじめちゃって、一気にDQN臭が加速し、地方民のパリピミュージックに成り下がっていった���で、僕は興味を失ってしまいました。でも今回は初期のすごいはまっていた気持ちのレコードを引っ張り出しますんで。 自分のTranceへの気持ちの下落とともに、ちょうどクラブ業界に入ったので、やはりTranceDJも現場で披露することはありませんでした。とはいえ、Trance最盛期はギリギリ現場を拝めたと思います。Velfareのアフターアワーズいったりとか。僕はドラッグがダメなので、文化的に親和性の高いTranceには近づけなかったですね、どうしても嫌悪感があって。このあたりは闇深事案なのでたくさんおもしろい話あるんですが、言えないw。そういった反社のコミットもあってお金的にすごくまわっていたのがTranceブームでした。 クラブ業界に入る前に、レコ屋通いで見渡して来たクラブミュージック音楽体験が結構ありましたね、、リクエストがない限り現場で披露すことはないこのクラシックセット、この盆休みに送り火供養したいと思います。
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四分円階段が繋ぐ家、吹抜け見上。 一・二階の動線が分断されていた既存空間の大き過ぎた吹き抜けに、針葉樹合板のブリッジと、そこに架かるスケルトン階段を設け、LDKからメゾネットのように二階を繋げました。 軽やかに浮かぶ曲面階段は生活の中に新たに生まれた自然な動線となり、階の関連性を近め、家族の関係をより近くする仕掛けとなりました。 (写真 Yuta Ooseto PHOTOGRAPHY) #富谷洋介建築設計 #四分円階段が繋ぐ家 #一級建築士事務所 #設計事務所 #建築家 #注文住宅 #平岡ベース #HOPE・創Life #北海道 #札幌市 #リフォーム #リノベーション #スケルトン階段 #スチール階段 #針葉樹合板 #メゾネット #architect #architecture #hokkaido #sapporocity https://www.instagram.com/p/BnONk_sHx7w/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1vr8eh0zk3bhw
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