#呉礼拝
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2024年1月21日
今年度語られた神様の御言葉は、創世記17章2節「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう」です。
今日の礼拝は、会場いっぱいで、みんなで神様をほめたたえました。
まだまだ増えます!!
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織田邦男先生の論稿です
現代が見習うべき大正人の精神 麗澤大学特別教授元空将・織田邦男
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ドラマのような優勝劇に日本国中が沸いた。顔に日の丸を描く人、球場内外で日の丸が振られ、国と選手と国民が一体化したような光景に、思い出したことがある。
国家と個人が一体となり
102歳で天寿を全うした父が90歳の時である。筆者に「もうそろそろ、ええじゃろう」と語り出し「実は、わしは戦艦大和を造ってたんじゃ」と。どうやら父は広島の呉工廠(こうしょう)で戦艦大和の建造に携わっていたらしい。「大和については、家��にも一切話してはならぬと命ぜられていたんじゃよ」と述べ、最後に「わしももう長くないからな」と終わった。大変驚いた。国家(海軍)の命令を、帝国海軍が消滅した戦後60年間も律義に守る。しかも戦後生まれの筆者に対して箝口(かんこう)令を守り通すとは。
父が亡くなる2年前、同じ大正生まれの小野田寛郎氏が亡くなっている。小野田氏は旧陸軍の軍人で、情報将校としてフィリピンのルバング島に赴任した。師団長の横山静雄中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」と訓示を受けたという。戦後も29年間、孤立無援でゲリラ戦を戦った。
手に入れたラジオで戦争が終結したことは気づいていたらしい。冒険家の鈴木紀夫氏によって発見され、帰還を促された。だが任務解除命令がない以上、任務は放棄できない。結局、元上官である谷口義美氏(元陸軍少佐)による任務解除命令を受けて帰国した。
両者に共通しているのは、国家と個人が一体となった「大正人」ということだ。父は大正3年生まれ、小野田氏は大正11年生まれである。先の大戦では大正人の7人に1人が戦没している。戦後復興の原動力も大正人が主力だった。
父には9歳年下の弟がいた。海軍パイロットとして昭和18年、太平洋のギルバート諸島上空で散華した。父は弟を思い、靖国神社にしばしば参拝した。最後の参拝は90代後半だったと思う。杖(つえ)を突きながら気丈に昇殿参拝を果たした。その時、父はポツリと呟(つぶや)いた。「何で靖国参拝に反対するんじゃろうのお」。現役時代、ある懇親会で小野田氏と同席させていただいたことがあるが、その時、小野田氏から同じ言葉を聞いたのを思い出した。
国家意識溶解の懸念
大正人にとって国家と個人は一体で、国家に尽くすことは、自分に尽くすことである。国家に命を捧(ささ)げた場合、国は永遠に死後の面倒をみる。なのになんだと、憤懣(ふんまん)やるかたない思いが感じ取れた。
国に殉じた先人に対し、国民が尊崇と感謝の念を表すのは世界の常識である。米国ではアーリントン国立墓地に、韓国では国立顕忠院に、フランスでは凱旋(がいせん)門の無名戦士の墓に国家のリーダーは参拝する。外国の要人来訪時も、必ず参拝する。これが国際共通の儀礼である。岸田文雄首相は1月の訪米の際、アーリントン墓地に参拝した。だが岸田首相は就任後、靖国神社には参拝したことがない。
いかなる事情があるにせよ、一国のリーダーが自国の為に命を捧げた先人に追悼の誠を捧げないのは異常である。異常を異常と感じなくなる時、国家と個人の一体感は失われ、国家意識は溶解していく。国家は国民一人一人の「義務と責任」から成り立っている。国家意識が希薄化すれば当然「犠牲」「勇気」「名誉」という普遍的価値は喪失し、我欲は限りなく肥大化する。国家あっての人権、人道、社会福祉であり、祖国あっての個人であるという当たり前のことが理解できなくなる。
公に尽くす生き様を忘れず
令和5年度予算が成立したが、国会での議論は見る影もなかった。昨年12月、安全保障関連3文書と共に、防衛費のGDP比2%、反撃能力の保有が閣議決定された。この時、「満足な議論もせず、民主主義の破壊だ」と野党は批判した。だが国会では十分な時間がありながら、「満足な議論」もせず、表層的で枝葉末節な質疑に終始した。参院ではウクライナ戦争や台湾有事もそっちのけで、行政文書をめぐっての「コップの嵐」に終始する体たらくである。
これを見る時、選良たちも国家意識が溶解し、安全保障や天下国家を「議論しない」のではなく、もはや「議論できなくなった」のではと思ってしまう。2021年の国際世論調査では「国のために戦うか」に対し、「はい」と答えた日本人は13・2%で最下位だった。この現実と通底するように思えてならない。
国家という「人」はどこにもいない。国家とは同胞、友人、知人、そして自分自身のことである。自分自身が国家そのものだという事実に戦後日本社会は目を伏せてきた。その結果「国家」の希薄化は深刻なまでに進んでいるようだ。
WBCで日の丸が乱舞する光景と国会の惨状が同じ日本だとはどうも思えない。数年もすれば大正人はいなくなる。国家と自分自身を同一視し、我欲を捨て、公に尽くす大正人の生き様を今こそ見直すことが求められているのではないか。(おりた くにお)
#産経新聞 #正論
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101ページからやっていきます。
foremost いちばん先の、真っ先の、主流を占める、主要な
inanimate 生命のない、無生の、無生物の、活気のない
marble 大理石、(個人・博物館所蔵の) 大理石彫刻物、ビー玉遊び、(ビー玉遊びの)ビー玉、分別、理性
scion (接ぎ木の)接ぎ穂、若枝、(貴族・名門の)御曹子(おんぞうし)、子孫
Lorenzo the Magnificent ミケランジェロおよびレオナルドおよびボッティチェリを含む多くの芸術家および人道主義者を支援したイタリアの政治家および学者(1449年−1492年)ロレンツォ・デ・メディチのこと。→Wikipedia
commission (職権・任務の)委任、委託、委任状、(委任された)仕事、任務���依頼、注文、頼みごと、(官庁などの調査・管理などを委託された)委員会、委員会の人たち
lamenting (…を)嘆き悲しむ、 哀悼する
Sistine Chapel システィナ礼拝堂
reluctant 不承不承の、いやいやながらの、しぶしぶの、しぶって、いやがって、気が進まなくて
flay 皮をはぐ、激しくむちで打つ、(…を)酷評する、こきおろす
martyr (特にキリスト教の)殉教者、(信仰・主義などに)殉ずる人、殉難者、犠牲者、絶えずひどく悩む人、受難者
Bartholomew バーソロミュー、(聖)バルトロマイ
drapery 優美なひだを寄せて使う織物、ひだのある掛け布、(厚手の)カーテン布地、服地、生地、反物類、呉服、反物業
intact 手をつけてなくて、そこなわれていなくて、(そっくり)そのままで、完全で
atop 頂上に
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月16日(金) #先負(癸卯) 旧暦 11/23 月齢 22.2 #下弦 年始から350日目(閏年では351日目)にあたり、年末まであと15日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . ラストスパート金曜日✋今年は50回目の 金曜日です✋残りは後、2回です💦 ですが、最後は大晦日前日ですし ラストスパートって感じじゃありません よね✋ですので、残り1回の来週を 迎えれば後は惰性で遣り過ごして しまいそうですが、既に年末年始 モードが、ちょいやる気が失せてる 気がしないでもないが本当に来週 の週末にはイヴにクリスマスを過ぎれば 一気に来ますよね🤣😆🤣こんな風 に気が早いから「光陰矢の如し」 なんですね😅💦デハ、12月後半戦🚀 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #フリーランスの日. 日本初のフリーランスの支援を行うプラットフォーム 、クラウドソーシングサービス「ランサーズ」を運営するランサーズ株式会社が制定。 フリーランスの仕事のマッチングだけでなく���フリーランスのスキルアップのためのプログラムの提供などを行い、次世代のワークスタイル であるフリーランスの人に個々の力を高めてもらうのが目的。 日付は同社がスタートした2008()年12月16日から。 . . #先負(センマケ=又は、センプ・センブ・サキマケ、とも言う). 「先負日」の略。 陰陽(おんよう)道で、急用や公事(クジ)に悪いとされる日。 「先ずれば即ち負ける」の意味で、「何事も先に急いではいけない」とされる日です。 午前中はとくに悪く、午後はしだいによくなるという俗信がある。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #受死日(ジュシニチ、ジュシビ). 最悪の日とされており、お葬式は行っても良いのですが、それ以外は何をやっても悪い日。 で、この日に病気になると死に至るともいわれています。 「黒日(クロビ)」 暦注では「●」と記されることが多し。 . #地火日(ジカニチ). 暦注の一。 地に火の気があるので、土を掘ることや植樹などを忌む日。 . . #紙の記念日. 1875(明治8)年のこの日、東京・王子の抄紙会社の工場で営業運転を開始。 抄紙会社は実業家・澁澤榮一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、王子製紙の前身。 . #電話創業の日. 東京市内と横浜市内、および両市間で電話交換業務が開始されたのが1890(明治23)年のこの日で、東京滝ノ口と横浜居留地に電話局が設置されました。 . #念仏の口止め. 正月の神様(年神様)は念仏が嫌いであるとして、この日の翌日から1月16日の「念仏の口明け」までは念仏を唱えないというしきたりがあり、この日にその年最後の念仏を行います。 . #宝永山出現. 1707年(宝永4年11月23日)富士山が噴火し、宝永山が出現する。 . #戦艦大和竣工(センカンヤマトシュンコウ). 世界最大にして最強の戦艦とされる大和は、1934(昭和9)年10月に建造プロジェクトがスタートした。 広島県呉市の呉海軍工廠で1937(昭和12)年11月に起工され、太平洋戦争開戦直後の 1941(昭和16)年12月16日(火)に竣工した。 , . #十六茶の日(毎月16日). いくつもの人気ブランド飲料を製造・販売するアサヒ飲料株式会社が制定。 . #トロの日(毎月16日). 神奈川県横浜市に本社を置き、全国で「かっぱ��司」を運営するカッパ・クリエイト株式会社が制定。 . #春日若宮おん祭(#春日大社). 2022年12月15日(木) ~ 2022年12月18日(日). . . #南アフリカ共和国和解の日(#Day of Reconciliation). . #カザフスタン独立記念日. . #バーレーン・ナショナルデー. . #バングラデシュ・インド戦勝記念日. . . ■本日の成句■. #今日の一針明日の十針(キョウノヒトハリアスノトハリ). 【解説】 処置が遅れるほど負担が重くなる事の例え。 今日であれば一針縫うことで繕える綻びも、明日になれば十針も縫わなければならないと云う意から。 . . 2000(平成12)年12月16日(土)先勝. #伊藤桃々 (#いとうもも) 【ファッションモデル/Cheri miデザイナー】 〔静岡県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CmNAD2vh1Hnfwr0-Gbp6AfrDbvxw0ELhTEi_5Q0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#先負#下弦#フリーランスの日#神吉日#受死日#地火日#紙の記念日#電話創業の日#念仏の口止め#宝永山出現#戦艦大和竣工#十六茶の日#トロの日#春日若宮おん祭#春日大社#南アフリカ共和国和解の日#day#カザフスタン独立記念日#バーレーン・ナショナルデー#バングラデシュ・インド戦勝記念日#今日の一針明日の十針#伊藤桃々#いとうもも
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今日の装い・・。 塩蔵上代菱文、一つ紋の色無地に 中島洋一さんの袋帯を取り合わせました。 今日は志ら玉さんでお茶事のお勉強の日でした。 東京から素敵な茶人の方がいらして正客をして下さり とても良いお席になりました。 ありがとうございます。 10月は名残の月・・。侘びたお道具、設え、 またこの月ならではの懐石の器も拝見できて勉強になりました。 集われた皆様の素敵なこと・・。 ご一緒できましたこと、感謝です。 色無地の色を誉めて頂き嬉しかったです。 次回も楽しみです。 さて、今日で睦月を始めて丸14年を迎えました。 伊勢木綿と好みのリバティやアジアの布を帯に仕立て 取り合わせてご提案・・から始めました。 今では問屋様や作家様、ご縁を頂き たくさんのお品を扱わせて頂けるようになりました。 お取引下さっている皆様ありがとうございます。 睦月で着付けを習って下さる生徒様 また、たくさんの呉服屋さんの中から睦月を選んで 着物や帯をご購入下さる皆さま、 心より御礼申し上げます。 紆余曲折・・、お休みをしていた時期もありますが 細々〜と今まで続けて来られました。 これからも睦月が選んだ素敵なお品をご紹介して行きます。 そして素敵な着物姿へのお手伝いをさせて頂きます。 どうぞお気軽にご相談下さいませ。 着物で装うことは楽しいです。 きもののお話致しましょう。 来年は15年周年!イベント考えよ〜!!(^^♪ 11月の開店日 11月11日(金)〜17日(木) 11時から15時(15日のみ13時半まで) ——————————————————- 【きものと和ろうそくのお店】 きもの睦月 @kimonomutsuki ・・きものをもっと身近なものに・・ #きもの #きもの教室 #手仕事 #草木染め #紡ぎ #着物のご提案 #着物のお話し致しましょう #塩蔵無地きもの #上代菱紋 #中島洋一 #布好き #糸好き #岐阜 #きものって素敵シリーズ 森のしずく @mori_no_.shizuku ・・植物の恵みを通して、人々を癒し、祈り、 そして未来へ繋げていく・・ #和ろうそく #森のアロマ #yuica #ワークショップ #癒し #japanesecandle #aroma #瞑想 #meditation #子育てママ https://www.instagram.com/p/CkIlpgVLaaM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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12月LIVEスケジュール
スケジュール
12/1(日)
登戸エクレシアキリスト教会(神奈川/川崎)
9:00~/ 10:30 各礼拝にて
http://www.ekklesia.cc/
………………………………………………………………
12/5(木)
チャペルコンサート
会場:創愛キリスト教会(三重/四日市)
10:30~
参加費/1,000円
http://soai-christ-church.com/
………………………………………………………………
12/6(金)
福原タカヨシ&ゴスペルクワイヤRejoice
クリスマスゴスペルコンサート
会場:米子ルーテル福音教会(鳥取/米子)
19:00~
入場無料
http://yonagoelc.com/
………………………………………………………………
12/7(土)
福原タカヨシ
たちばな邸コンサート(広島/呉)
15:00~
⭐︎一昨年、西日本豪雨により被災した古民家。
主催/キリスト教会広島災害対策室呉ボランティアセンター
………………………………………………………………
12/8(日)
インマヌエル呉キリスト教会(広島/呉)
10:30~ 礼拝にて
https://www.facebook.com/igmkure/
………………………………………………………………
12/8(日)
呉市民クリスマス(広島/呉)
音楽ゲストとして出演
会場:呉阪急ホテル
14:00~
………………………………………………………………
12/11(水)
ウォーミークリスマスコンサート
箕面福音教会(大阪/箕面)
10:30 〜
参加無料
https://apricotdreamer.web.fc2.com/mec.html
………………………………………………………………
12/12(木)
福原タカヨシ クリスマスミニコンサート
<プレートランチ&フリードリンク>
おとな1,000円、こども(小学生)500円/300円
主催/Grandir (グランディール) 子育て支援カフェ
会場:ニューホープチャペル(滋賀/彦根)
http://newhopechapel.link/index.html
………………………………………………………………
12/14(土)
第13回 忠岡クリスマスコンサート(大阪/泉北)
音楽ゲスト:福原タカヨシ
開場14:30/開演15:00
会場:忠岡町シビックセンター ふ��あいホール
入場無料
https://www.facebook.com/events/2742556759097465/
………………………………………………………………
12/15(日)
LHF Christmas Gospel Live
出演/LOVEHIM , 福原タカヨシ , Warren Alston
会場:名古屋グレイスキリスト教会 (愛知/名古屋)
Ticket 2,500円/当日3,000円
https://www.facebook.com/events/501157653999341/
………………………………………………………………
12/20(金)
福原タカヨシpresents 『Graceful Notes』
出演:福原タカヨシ (Vo/G)
Open 18:30 / 1st Start 19:30~ 2nd 21:00~
Charge/ 3,000yen (税別)
会場:Real Divas(東京/六本木)
https://www.realdivas.net/
………………………………………………………………
12/21(土)
福原タカヨシ&たんぽぽクワイヤー
ゴスペルコンサート (千葉/柏)
時間:13:30~15:00
会場:たんぽぽセンター (ホール)
千葉県柏市柏下93-2 電話:04-7160-1239
http://www.wanahome.or.jp/guide/?id=1456385082-923588&p=1&ca=2
………………………………………………………………
12/22(日)
油山シャロームチャペル(福岡)
クリスマス礼拝コンサート
音楽ゲスト:福原タカヨシ
9:00〜/11:00 各礼拝にて
http://aburayama.org/
………………………………………………………………
12/22(日)
福原タカヨシ
クリスマスコンサート(福岡/飯塚)
開場 18:00 開演18:30
会場:日本ナザレン教団飯塚キリスト教会
入場無料
http://www.i-nazarene.com/
………………………………………………………………
12/24(火)
A Hundred Birds Orchestra
Dance Music Meets Orchestral Unit On Christmas
“Play Salsoul”
詳細はこちらにて↓
http://ahbproduction.com/2019/09/24/2019-12-24-tue-a-hundred-birds-orchestra-play-salsoul-namba-hatch/
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江戸時代のおわりごろには、猿若《さるわか》町に、中村座、市村座、河原崎座のいわゆる三座というものがありまして、折りからの顔見世興行で、どこもいっぱいの入りでございます。 「いらっしゃいまし。ええ、せんだってはありがとうございました。へえー、きょうはご見物でございますか?」 「見物してえんだが……」 「まことにどうもお気の毒さまでございます。じつは、どこももういっぱいでございまして……まことにお気の毒さまで……二、三日前になんとかおっしゃってくだされば、よろしいところをとっておきましたのに……どうもきょうのところは……」 「そんなこといわねえで、いつもこうやってきてるなじみじゃねえか。どうにかしてくんねえな。近《ちけ》えうちにはじめからみにくるが、きょうは近所へきたから、そのついでに、ちょっと一幕、あんまり景気がいいから、たった一幕でいい。どんなところ��も、立っていてもいいのだから、なんとかしてくんねえ」 「こまりましたな。ちょっとお待ちください。じゃあ、こうあそばせ、こっちへいらっしゃい」 鶉《うずら》のうしろというところへ案内しまして、 「そのうちにどっかよいところがあきましたらおよびしますから、しばらくここにいらしってください」 「ここで結構だよ。用があったらよぶから……」 「どうか、そこでご辛抱《しんぼう》を……いずれあきましたら……」 「ああ、ありがとう……いやあ、たいそうへえったな。いい景気だ。音羽屋! 音羽屋!」 と大きな声で、音羽屋、音羽屋と夢中でほめておりますと、その男の立っておりますすぐ前の客は、十八、九のきれいなお嬢さんと二十四、五のおつきの女中らしいふたりづれでマスをとってすわっておりましたが、うしろであまり大きな声がするのでふりむいて、 「まあ、お嬢さま、うしろにいらっしゃるかたが、音羽屋をほめてくださいますよ……あなた、まあ、おつかれでございましょう」 「え? いえ、どうもおそれいりました。あたまの上で、があがあどなりまして、どうもお気の毒さまで」 「いいえ、お嬢さまも、あたくしも音羽屋がひいきでございますから、音羽屋をほめていただきますと、まことにうれしゅうございます」 「えっ、あなたがたも音羽屋がごひいきで? へえ、よござんすね、これだけの役者てえものはなかなかありませんからね。音羽屋!」 「あなた、こちらへおはいりあそばしては……」 「え? そのマスへでござんすか? だって、おつれさまがいらっしゃるんでござんしょ?」 「いいえ、ふたりっきりで、あいておりますから、どうぞご遠慮なさらないで……」 「えっ、さようですか。じゃあ、すみのほうをちょいと拝借いたしまして、えへへへ」 「どうぞ、どうぞおはいりあそばして……そのかわりと申してはなんでございますけれど、よいところへまいりましたら、音羽屋をほめていただきとう存じます」 「へえ、おやすいご用で……まあ、ほかにお礼のいたしようもございませんから、ほめるほうで十分につとめさせていただきやしょう。では、さっそく……音羽屋!」 「ありがとう存じます」 「いえ、どういたしまして……音羽屋!」 「ありがとうございます」 「いえ、いちいち礼なんぞおっしゃらなくてもようござんす。あっしも好きでほめてるんですから……音羽屋! 音羽屋! ねえ、まったくよござんすね。音羽屋! 音羽屋!」 「あなた、もう幕がしまっております」 「ああ、なるほど、しまっておりますな。えへへへ、ついでに幕のほうもほめておきましょう。幕!」 「まあ、おもしろいことをおっしゃいまして……あのう、お弁当《べんとう》がきておりますから、ちょうどいい時分でございますから、もしおよろしければいかがでございますか?」 「へえ? なんでござんす? お弁当を、てまえに? ……いえ、もう腹はいいんで……もうたくさんで……」 「いいじゃございませんか。お若いかたが、お弁当のひとつやそこら……」 「へえ、さいですか……そうおっしゃってくださると……へえ、じゃあ、おことばに甘えましてちょうだいいたします。どうもすみませんでござんす。こりゃあどうも結構なお弁当で……こりゃ、うめえ……あっ、幕があきました。あっ、でてきました。音羽屋! うめえぞ!」 役者がうまいんだか、弁当がうまいんだかわかりません。めしを頬ばったままでほめるから、前の人のあたまは、めしつぶ��らけになってしまうというたいへんなさわぎ…… 「あのう、あなた、お茶をめしあがって……」 「へえ、どうも、こりゃあ、ごちそうさまで……」 「ときに、つかぬことをうかがいますが、あのう、あなたはおいくつでございますの?」 「へえ、なんでござんす?」 「いえ、あの、あなたのお年齢《とし》は、おいくつでいらっしゃいますの?」 「え? あっしの年齢でござんすか? へへへ、べつにいくつってえほどのもんじゃあねえんで……」 「まあ、いくつというほどのもんじゃないなんて……お年齢がないってことはありますまい」 「いえ、そりゃあ、年齢はあるにはありますが、つまり、その、これがしょうのねえもんで、二十二なんで……そりゃあもううそもかくしもござんせん。ほんとうに二十二……へえ、去年が二十一で、ことしが二十二で、首尾よくいきゃあ、来年は二十三になる見当なんで……」 「まあ、あたりまえじゃございませんか。ほほほほほ……でも、二十二とはいい年まわりでございますわ。ねえ、お嬢さま……ちょうどぴったりの年まわりで……」 「へえ、さいですか。いいか、わりいか、二十二は掛け値のねえところなんで……」 「まあ、��ほほほほ……」 「ときに、お嬢さまのお宅はどちらでいらっしゃいますか?」 「あのう、すこし遠いんでございますが、いま、ちょっとおかげんがわるくて、業平《なりひら》の寮へいらしっておりますので……」 「へえ業平でござんすか、それじゃあ目と鼻のさきでござんすね」 「そうでございますよ。ちょうどご運動のためにお歩きになるには、まことに手ごろな道のりでございますの」 「へえ、もしお歩きになってお帰りならば、あっしがお送り申しましょうか?」 「もしそうねがえれば、ほんとうにたすかりますわ。いま、女ふたりでは、気味がわるいので、お駕籠《かご》をそういおうとしておりましたところで……」 「いいえ、そんなことすることはござんせんや。お送りいたします。へえ、はねましたらさっそく……」 芝居がはねたあとで、男は、業平まで送ってまいりましたが、芝居小屋にいたときからずっときれいなお嬢さんのそばへつきっきりなので、男はいささかぼーっと上気しておりますから、十一月の夜風もかえってこころよいくらいで…… 「まあ、ありがとうございました。あなたにおはなしをうかがいながらまいりましたので、道のはやかったこと、もう帰ってまいりましたわ」 「へえ、こちらさまで……きれいなお宅でござんすね。さだめし多勢さまでお住まいでござんしょうね」 「いえ、それが、お下《しも》のほうの女中は五人ほどおりますが、奥は、わたくしとお嬢さまとふたりっきりでございますので、それはもうさびしいんでございますよ」 「へえ、たったおふたりで……ええ、では、あっしはこれくらいで失礼させていただきます」 「あら、よろしいではございませんの。せめてお茶の一ぱいなりとめしあがって、もし、おそいようでございましたら、てまえどもにお泊まりになってもよろしいのでございましょう? ねえ、お嬢さま。さあ、あなた、そうあそばせよ。もし、ご都合で、どうぞてまえどもにお泊まりあそばして、ねえ、もし……」 「へえ、そりゃあ、もう、えへん……」 「あら、あなた、なにをしていらっしゃいますの? まあ、いやですよ。そっちをむいて、眉《まゆ》へつばきなんぞおつけになって……このへんに狐なんぞおりませんよ。まあ、そんなごじょうだんをなさらずに、さあ、どうぞおはいりくださいましな」 「へえ、さいですか、では、ごめんをこうむって……」 夢に夢みる心地の男は、すすめられるままにあが���まして、奥の結構な十二畳の座敷へ通されました。 「さあどうぞ、あなた、こちらへおすわりあそばして……まあ、いろいろとお世話をおかけいたしまして、どうもありがとう存じました。もうお嬢さまがたいそうおよろこびでございまして、ただいまおめしかえをなすって、ごあいさつにでていらっしゃいますから、いましばらくお待ちくださいまし」 「いえ、もう……そのお礼は、こっちで申さねばならねえんで……もうおかまいなく……」 「では、ちょっとお待ちあそばして……」 案内の女中といれちがいにはいってきたお嬢さんの姿をみて、男はその美しさにいまさらながら息をのみました。と申しますのは、芝居見物のときの友禅模様《ゆうぜんもよう》とちがいまして、黄八丈《きはちじよう》のお召しに繻珍《しゆちん》の帯を胸高にしめ、髪は文金の高島田で、すこし病みつかれたその細おもては、青白くすき通るようで、ぞっとするような美しさでございます。折りからの寒さも手つだいまして、男はぞうっとしてしまいました。 「へえ、どうも、きょうはたいへんごちそうになりまして……どうも、まことにはや……」 「いいえ、あたくしのほうこそたいへんご厄介になりまして……きみや、きみや」 「はい、ただいま……お嬢さま、なにかと存じましたが、なにもございませんので……ねえ、あなた、なにもございませんが、お茶屋から持ってまいりましたお煮しめで、どうかひとつめしあがってくださいまし。さあ、お嬢さま、お酌をあそばして……」 「へっ、お酒を? そんな、あなた、ごちそうになりましては……へえ、さいですか、へへへ、どうも……いいお酒で……いいえ、さかななんぞ……へ、さいですか。では、これをこういただいて……」 「さあ、もうひとつ……まあ、よろしいではございませんか」 「いいえ、もう結構で……いいえ、もう……さいですか。しかし、こうやってご酒《しゆ》をいただいておりますと、なんだか夢のようで……」 男は夢中でさかずきをうけておりますうちに、いつのまにか女中もいなくなりまして、あとはお嬢さんとさしむかいということになりました。 「あのう、あなたさまにおねがいがございます」 「おねがい? なんでござんす? もう、お嬢さんのためなら、命でもなんでもさしあげます」 「ほんとうでございますか?」 「ええ、うそなんぞ申すもんですか。なんなら手つけに目をまわしましょうか?」 「まあ、ごじょうだんを……でも、申しあげて、おいやとおっしゃると……」 「いやだなんぞと申すもんですか。命までさしあげるというくらいなんですから……はやくおっしゃってください。そのねがいというのを……」 「では、きっとわたしのねがいをかなえてくださいますね」 「そりゃもうかならず……」 「それでは申しあげますが……あの……」 「へえ……」 「じつは、あたくしの……あのう……お乳をなめていただきたいのでございます」 「え? お嬢さまのお乳を? ……へえ……あのオッパイをでござんすか? このあっしが……うふふふ」 「まあ、そんなふうにお笑いになって……あたくし、恥ずかしい」 「お嬢さまのお乳をなめるなんて、もう、あっしゃあ死んでも本望で……」 「では、ほんとうにおひきうけくださるようですから申しあげますが、じつは、あたくし、お乳の下におできができております。それを、あなた、なめてはくださいませんか?」 「ああ、そうですか……おできをね……どうもはなしがうますぎるとおもった」 「命までもくださるとおっしゃったのですもの、よもやいやとはおっしゃいますまいねえ」 「なめます。なめますよ。しかし、それだけなんで?」 「いいえ、そんなことをしていただきました上は、あたくしのような者でもかわいがってくださいますなら、一生あなたのお��ばで……」 「えっ、ほんとうですか? さあさあ、そうときまれば、おだしなさい。おできをどんどんおだしなさい。いくらでもなめちまいますから……」 お嬢さんもこうなるといっしょうけんめいでございます。まっ赤になって、おもいきって着物をひらきます。下は燃えたつような長襦袢《ながじゆばん》で、その下に、蒼味《あおみ》がかった白い肌があやしくかがやいているのをみて、男はおもわず息をのみました。いままでは、できものをつつんで、麝香《じやこう》かなんかでにおいもかくしておりましたが、着物の前をひらきましたので、そのにおいももれて、乳房の下が紫色に大きくはれあがって、うみがでて……そのものすごいこと……さすがの男もひるむとみましたから、お嬢さんもけんめいになって…… 「あなた!」 「とほほほほ」 と、目をつぶって、こわごわ前へでる男を力まかせにひいたからたまりません。もろにおできをなめてしまいました。 「むう、むう……」 「なんでございます?」 「むう、むう」 「ああ、お顔をお洗いになるので? ……では、どうぞこちらへおいでになって……」 口をゆすぎおわって、また酒になりました。 「どうも、この、今夜はすっかりおそくなっちまいましたんで、こちらさまへ泊めていただいて……へへへへ……」 「さあ、おあついところをおひとつ……」 「へへへへ……お嬢さまが、お酌してくださるんで……こりゃ、またきれいなお手《てて》で……やわらかくて、すべすべしていて……うふふふ」 「まあ、ちょっとおはなしになって……お酌ができませんから……」 「お酌なんざあ、いつでもできまさあ……今夜はこちらへ泊めていただいて、あなたと、その……へへへへ……」 「まあ、手をおはなしくださいまし」 「手ぐれえ、どうってこたあござんすまい。夫婦になれば、どこもかしこも、みんなあっしのもんになるんでござんすから……」 「あれ、おやめくださいまし。おゆるしを……」 「およしもおゆるしもねえ、お嬢さま、へへへへ……このやわらかい玉の肌を……」 とたんに、ドンドンドンドン……玄関の戸がわれるばかりにたたかれまして、女中がまっ青になってとんでまいりました。 「たいへんでございます。叔父さんがいらっしゃいました」 「叔父さん? なんでござんす、その叔父さんてえのは?」 「いいえ、たいへんな酒乱で、すぐに刃物をふりまわしてあばれます。女ばかりのところへなぜ男がいるんだと、このあいだも、出入りの呉服屋の番頭さんが、あやうく怪我するところでした。あなたもこんなところをみられたら、どうなるかわかりません。すぐに裏口からお逃げになって、また、明日おいでくださいまし」 「そりゃあ、たいへんだ」 「裏のほうへ履物《はきもの》をまわしておきましたから、そちらへどうぞ……ああ、そこにどぶがございますから、お気をつけて……あら、まあ、どぶにおちて、あなた、たいへんなことを……」 「いいえ、もう命にはかえられません」 泡をくった男は、命からがらはだしで逃げ帰りました。
夜があけますと、きょうは、天下晴れて花婿になれるってんで、男は、風呂屋と床屋をかけもちして、すっかりみがきあげると、すっかり上きげんで、 「こう、どうでえ。こうやってめかしこんでいくと、女がなんていうだろうな。『ゆうべは、とんだじゃまがはいりまして申しわけございません』かなんかいうのを、おれがおわりまでい���せないよ。肩をぐっと抱くてえと、このくちびるで、くちびるにふたをするってやつだ……うふふ、たまらねえ」 「どうしたんだろう? あの野郎、ひとりでにやにやしながら歩いてやがら……おう、どうしたい、兄弟!」 「よう……うふふふ……」 「なんでえ、気持ちがわりいな。こんちくしょう」 「だって、おめえ、うふふふ���…さる大家《たいけ》のお嬢さまが……うふふ……まあ、いっしょにこいよ」 「なに? お嬢さまがどうしたんだ? はっきりいえやい」 「お嬢さまが、おれをみそめたんだ」 「おや、はっきりいやあがったな。しかし、おめえをみそめるなんざあ、とんだ茶人《ちやじん》じゃねえか。どうせおたふくなんだろう……ええ、おかちめんこだろうな」 「いいや、それがいい女だって……あのくれえいい女はみたことがねえや」 「ふうん、それがどうしておめえと?」 「きのう、おれが芝居にいって、ちょいと口をきいたのがきっかけというやつさ。それから寮まで送って、一ぱいごちそうになって、いざってときになってじゃまがはいったんで、きょうはあらためてお床いりってわけだ」 「ほんとかい? そりゃあ……」 「ほんとだとも……おめえとしゃべりながらきたんで、もう着いちまった。ここだよ、この家だよ」 「だって、おめえ、ぴったりしまって、なんだか空家《あきや》みてえじゃねえか」 「そんなことがあるもんか。きっと戸じめで買い物かなんかにいったんだよ。ちょいと待ちねえ。となりのたばこ屋で聞いてみるから……ええ、こんちわ」 「なんでございますか?」 「おとなりは、どこかへおでかけでござんしょうか?」 「ああ、おとなりは……あなた、お出入りのかたでいらっしゃいますか?」 「へ? まあ、お出入りみてえなもんで……いまきてみましたら、ぴったりとしまっておりますんで、どうしたのかとおもいまして……」 「まあ、お出入りのかたならおはなししますが、まあ、こちらへどうぞ……ふっふっふっ」 「へえ、どういたしましたんで?」 「いいえね、世のなかにはね、ばかな野郎もあるもんだと、ゆうべから笑いつづけなんですがね。というのも、あのお嬢さまのおでき、どんな医者にみせてもなおらない。で、ある易者のいうには、お嬢さんよりも四つ年上の、二十二の男になめてもらえばなおるってんで、そんな男をさがしていた。ところが、きのう、芝居小屋で、二十二の手ごろなばか野郎を生け捕った」 「へええ? へえ」 「ところが、そいつが、色深い上にずうずうしいときているから、のこのこと、ここまでついてきたそうだ。そこで、座敷へ通して、一ぱい飲まして、お嬢さまとさしむかいになったところで、あなたに折りいっておねがいがあるっていったら、その野郎、のりだしゃがって、あなたのためなら命でもなんでもさしあげるっていったそうだ」 「へえ、へえ……」 「そこで、できものをなめる一件を持ちだして、夫婦になろうかなんか持ちかけると、野郎、真《ま》にうけてなめやがった」 「へえ、へえ……」 「すると、野郎、ずうずうしく泊まってゆくかなんかいいだした。泊まっていかれちゃあたいへんだてんで、女中さんがうちへとんできたから、あたしが酒乱の叔父さんの役になって、玄関をドンドンたたくと、野郎、横っとびに逃げだして、おまけにどぶにまでおっこちゃあがった。そのあと、そのばか野郎が、あしたにでもやってきて、かかりあいになっちゃあめんどうだってんで、ゆうべのうちにすっかり荷物をまとめてひっこしたというわけさ」 「へえ……」 「これで、お嬢さまの��病気は、まもなくご全快ってんで、たいそうなおよろこびだが、かわいそうなのは、そのなめたばか野郎よ」 「へえ? いったい、どうなるんで?」 「なにしろひどい毒だ。あれをなめちゃあ七日と生きられめえということだ」 「うーん」 「おや、しょうがねえな。こりゃあ、はなしをしたら、ひっくりけえちゃった。はなしでんかんかな? よわったな、どうも……おい、ちょいとおまえさん、そこに立ってる人、おまえさん、この人のおつれじゃないのかい?」 「つれじゃねえんで、ただ、いっしょにきただけなんで……」 「それじゃあ、やっぱりつれじゃねえか。くだらねえことをいってねえで、はやく、おまえさん、介抱してやっておくれ」 「しょうがねえなあ、どうも……おい、だらしがねえぞ。おい、八公! おい、しっかりしなよ、八公! 八公! おう、いいあんべえに、旦那、気がつきました」 「そりゃあ、よかった。うちになんか薬があるといいんだが、あいにくどうも……よわったなあ……」 「いいえ、薬なら、ちょうどよそへとどける宝丹があるんで……」 「そりゃあいいや、いい気つけ薬を持っていて……はやくのませておやんなさい」 「では、さっそく……さあ、八公、おい、薬だよ。宝丹だ。宝丹をはやくなめなよ」 「ううん、なめるのはこりごりだ」
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2024年10月24日
出雲で礼拝を捧げました。
呉名物 いがもちをいただきました。
帰りは夕焼けがきれいでした。
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父の家族
前にも書いたが、父方の祖父は福岡でバプテスト派の牧師をしていて、祖父母の一家はクリスチャンだった。1930年頃に九州・中国地方のパプテスト教会を統括する組合で内部分裂があり、祖父は分派して出て行った側の若手幹部だったらしい。この分派は信者の霊的体験とか、トランス状態になって叫ぶとか踊り出すとか、そんな体験を重要視するという、バプテストの教義とは相容れない要素を持つ団体で、まあ今でいうカルトである。リーダーだった人物に祖父母も付き従い、福岡から広島の呉に移って伝道活動をした。
戦時中、祖父は家族を連れて朝鮮へ渡り、教���をしていたと聞いている。まあ小規模な教団の伝道活動では食えなかったのだろう。終戦の直前に父が生まれ、終戦とともに呉に引き揚げた。
父は6人きょうだいの末っ子で、一番上の兄は終戦当時12歳だった。祖父はこの長男を教団のリーダー(T先生と呼ばれていた)の家に住まわせ、T先生の家の雑事をさせた。貧しかったので、教団への献金の代わりに自分の息子を労働力として差し出したということかもしれない。ひどい話だ。
この長男(俺にとっての伯父)はそこそこ聡明な子供だったと聞いているが、T先生宅での奉公によって、T先生一家からあからさまに虐待を受けたり、教祖としての表の顔とは全く異なるT先生の俗物ぶりを見たりと、相当に苛酷な体験をして、精神を病んだ。一生のほとんどを精神病院に入院して過ごし、昨年亡くなった。
6人きょうだいのうち、父の姉2人(俺の伯母)にも、入院まではいかないものの、軽い発達障害か精神障害のようなものがあり、就職はできずに障害年金で暮らしていた。片方の伯母は俺が5歳の頃に、よく分からない男と結婚したが、ろくに働かずに伯母の障害年金を食い物にするヒモのような男だったらしい。この伯母は50代で病死した。
もう片方の伯母は一人暮らしをしていて、父がたまに様子を見に行ったりしていたが、数年前に孤独死した。
祖父母や父のきょうだいからは、親族としての親しみや温かみをほとんど感じなかった。母方の親戚とは違い、付き合いもほとんどなかった。どういうわけか、喜怒哀楽の情動が薄い人達ばかりだった。信仰が影響したのかどうかは分からないが、歪さを感じる家族だった。父はそういう生い立ちだったので宗教は大嫌いで、きょうだいの中では唯一、情愛や思いやりという面でごく普通の感覚を持つ人だった(が、競馬の必勝法の研究にのめり込むという別の欠陥を持っていた)。
T先生は1950年代に亡くなり、その後の教団がどうなったのかは父からも聞いていない(T先生の系譜を引く教団は現在も呉ではない場所で存続しているようだ)。
父は関東の大学に進学し、母と出会って結婚した後、祖父母を呉から埼玉に呼び寄せて同居を始めた。埼玉でも、祖父母はT先生の教団と縁がある(?)別の教団の信者となって活動を続けていた。父母にも入信を勧めたり礼拝に来いと言ったり、ろくに金もないのに教団の教祖のために車を買って寄付したりして、父母とことあるごとに喧嘩していたのを覚えている。
まあそういうわけで、自分は言ってみれば���ルト3世ということになる。オウムや統一教会ほど先鋭的ではなかったが、カルトが家族関係をどのように蝕むかについては幼少期からそれなりに見聞してきた。父と母が、祖父母の面倒を見ながらも、祖父母の宗教からは俺達子供達を防衛するという難しい舵取りを続けていたことが、今はよく分かる。父や親族の死去に伴って、今では祖父母一家の残骸の後始末が俺のところにも時折回ってくる。
父は生い立ちについてあまり話さなかったので、祖父母の家族の歴史については今となっては分からないことも多い。ライフワークとして、この教団の文献や資料を集めてみるのも面白いと思っている。
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【礼拝所不敬】岡本浩孝容疑者(44)逮捕!広島・平和記念公園の原爆慰霊碑に貼り紙
呉市内の路上で小学生に「インセキ」などと声をかけていた岡本容疑者を礼拝所不敬の疑いで逮捕 Source: まとめダネ
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王様の自滅 自国を滅ぼす方法など
⦅操縦七術[韓非]から続く⦆
〖国を滅ぼす王様の特徴〗 01_王様が宮殿や庭園の建築にうつつをぬかし、車や衣服珍品集めなどの道楽に凝って、国民から絞りあげては浪費する。 殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王が象牙の箸をつくらせた。 箕子 ( きし ) (紂王の叔父。狂ったふりをして身を守った)は恐怖を覚えた。 彼はこう思ったのだ。 象牙の箸となれば、汁のうつわも素焼きの土器ではすまなくなる。 きっと 犀 ( さい ) の 角 ( つの ) か玉でできた豪華なうつわを使うだろう。 玉のうつわに象牙の箸ということになれば、豆や豆の葉という質素な料理ではすまなくなる。 きっと 旄牛 ( からうし ) ・象・ 豹 ( ひょう ) の胎児などの美味珍味とならざるをえない。 こうした美味珍味を食べるとなれば、着るもの住む家も普段着や 茅 ( かや ) 葺きではすまなくなる。 きっと 錦 ( にしき ) を重ね、広大な屋敷をつくるだろう。 こうして釣り合いを求めていけば、いつし���天下の富を根こそぎつぎ込んでも、まだ不足する。 ほんの小さな兆候候をも見逃さず、始まりを見て結末を察知するのが聖人だ。 箕子が象牙の箸を見て恐怖を覚えたのは、その段階で、天下全体ものを使っても不足する結果を見抜いたからだ。 殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王は、部屋の窓を閉ざして明かりを灯し、百二十日を一夜として「酒池肉林」の宴を続けたために、日がわからなくなってしまった。 「さて今日は何日だったかな」と、お側の者にたずねたが、誰一人としてわからない。 そこで、 箕子 ( きし ) のもとに使いを出して、たずねさせた。 箕子は家臣にこう言った。 「天下の 主 ( あるじ ) となりながら、国中誰も日がわからないという。 これでは天下は保てまい。国中誰もが知らないことを、わたし一人が知っていたとなれば、わが身があぶない」。 そして、自分も酔ってわからない、と使者に答えたという。 桓公が管仲に尋ねた。「富には限界があるのだろうか」。 「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は人がそれに満足したところです。ところが、人間は満足することができず、富をむさぼって、ついには身を滅ぼしてしまいます。これが富の限界でしょうか」。 紹績昧 ( しょうせきまい ) は酒に酔って寝てしまい、皮の上着をなくした。 宋 ( そう ) 王が不思議に思って、彼に聞いた。 「酒に酔ったくらいで皮の上着までなくすものか」。 「 夏 ( か ) の 桀 ( けつ ) 王は酒で天下をなくしました。それゆえ 康誥 ( こうこう ) (書経の一篇)には『酒を 彛 ( い ) するなかれ』とあるのです。酒を彛するとは、酒を常にするという意味です。酒を常飲すれば、天子は天下を失い、庶民も自分の命を失うのです」。 昔、 弥子瑕 ( びしか ) という美少年が、 衛 ( えい ) の 霊 ( れい ) 公の寵愛を受けていた。 衛の法律では、許しなく王様の車に乗った者は、足切りの刑に処せられる。 ところが、弥子瑕は夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって王様の車を使った。 それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめるのだった。 「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」。 また、ある日、霊公のお供をして果樹園に散歩に行ったとき、弥子瑕が桃を食べたところ、あまりにおいしいので、半分残して霊公に薦めた。 霊公は、「王様思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」。 だが、やがて弥子瑕の容色が衰えて、霊公の寵愛がうすれてきた。 すると、霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てて、「こいつは、嘘までついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」。 02_吉だ凶だと日柄を気にし、 鬼神 ( きしん ) をありがたがり、占いの結果を真に受けて、何かといえば、 祭祀 ( さいし ) をやりたがる。亀の甲に穴を開けて火であぶったり、 筮竹 ( ぜいちく ) を数えて占った結果に従って戦をした 燕 ( えん ) や 趙 ( ちょう ) は、負けることが多かった。 03_限りない欲張りで、利益とみれば見さかいなく飛びつく。 宋 ( そう ) の国に 監止子 ( かんしし ) という金持ちの商人がいた。 あるとき、他の商人と時価百金の 粗玉 ( あらたま ) を 競 ( せ ) りあったことがある。 監止子はまちがったふりをして粗玉を落とし、傷をつけた。 百金の弁償をして引き取り、きれいに傷を磨き落として売ったところ、千金あまりの大金を得た。 一般に、何かを行って失敗しても、何もやらなかったよりもましな場合がある。 監止子のように、タイミングよく責任を引き受けた場合がそれだ。 04_法に基づかず、無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に役立つかどうかを考えない。外見を飾り立てて、実用を無視する。 05_独善的で協調性がなく、 諫言 ( かんげん ) されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々だ。 食客のなかに、不老長寿法を教えるという者がいたので、 燕 ( えん ) 王は家来のひとりに習わせたが、その家来がまだ習い終えないうちに、食客は死んでしまった。燕王は怒って家来を殺した。食客が自分を騙したのに気づかず、習い方が遅いといって死刑にしたのだ。道理に合わないことを信じて罪のない家来を殺すとは、また浅はかなことであった。 誰でも一番大切なのは自分の体のはずだ。その自分が死を免れないでいて、他人の燕王を不老長寿にすることなどできるはずがない。 06_王様がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みしやすしとする。 07_国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとしない。 昔、晋の公子 重耳 ( ちょうじ ) が亡命し、曹に立ち寄った。 曹の王様は服をはだけさせて重耳を見せ物にした。 そのとき 釐負羈 ( きふき ) と 叔瞻 ( しゅくせん ) が曹の王様に付き添っていた。 叔瞻は曹の王様に申した。私、晋の公子を観ましたところ、ただ者ではございません。王様はこれに無礼をなさいました。彼がもし時を得て国に帰り、挙兵すれば、恐らく曹の害となりましょう。王様はこれを殺してしまうのがよいでしょう、と。 しかし曹の王様は聴き入れなかった。 釐負羈は帰って浮かぬ顔をしている。 妻が問うた。あなた��外から帰ってきて浮かぬ顔をしておられるのは何故ですか、と。 釐負羈は言った。私はこう聞いている。良いことには 与 ( あずか ) らず、悪いことには連なる、と。今日我が君は晋の公子を招き、無礼をはたらいた。私はそのとき付き添っていたので浮かぬ顔をしているのだ、と。 妻は言った。私が晋の公子を観るに、大国の主のようです。その左右の従者は大国の宰相のようです。それが今、窮乏して曹に立ち寄り、曹はこれに無礼をはたらきました。これがもし国に帰ることになりますと、必ずや無礼を 誅 ( ちゅう ) しましょう。曹はその手始めとなりましょう。あなたはどうぞ今のうちに 誼 ( よしみ ) を通じておきなさいませ、と。 釐負羈は言った。よろしい、と。 黄金を壺に盛り、食べ物で蓋し、玉壁をその上にのせ、夜、使者を公子に遣いさせた。 公子重耳は使者に会い、再拝の礼で食べ物を受け取り、玉壁は辞退した。 公子は曹から楚に入り、楚から秦に入った。 秦に入って三年、秦の 穆公 ( ぼくこう ) は群臣を集め 謀 ( はかりごと ) をして言った。昔、晋の献公と私が仲良く交流していたことは諸侯のうちで知らぬ者はいない。献公は不幸にも群臣から離れて亡くなり、十年が経つ。その 世嗣 ( よつ ) ぎは出来が良くない。私は心配だ。このままでは晋の 宗廟 ( そうびょう ) は清く保たれず、 社稷 ( しゃしょく ) の供物が絶えはせぬかと。このような状態にもかかわらず晋の足元を固めてやらないのは、献公との交流してきた道に反する。私は重耳を助けて晋に入れようと思うが、どうであろうか、と。 群臣は皆言った。よろしゅうございます、と。 穆公はそこで挙兵した。 革鎧の戦車五百乗、騎兵二千、歩兵五万、重耳を助けて晋へ入れ、立てて晋君にした。 重耳は即位して三年後、挙兵して曹を 伐 ( う ) ちに向かった。 そこで重耳は使者を送って曹の君主に告げさせた。叔瞻を城壁から懸け下ろして出せ、私が殺して処刑してやる、と。 また使者を送って釐負羈に告げさせた。我が軍勢が城に迫っている。私はあなたが礼に 背 ( そむ ) かなかったことを知っている。あなたの住まいに目印をたてておかれよ。私は命令して軍勢がそこを攻めぬようにさせよう、と。 曹の人々はこれを聞き、親戚をかき集めて釐負羈の住まいへ逃げ込む者が七百余家にも及んだ。 08_王様が臆病で信念が貫けない。すなわち予測するだけで決断ができず、やらなければと思うだけで手が下せない。 呉 ( ご ) 王の 闔廬 ( こうりょ ) が、 楚 ( そ ) の都の 郢 ( えい ) を攻め、三戦三勝した。 呉王は 伍子胥 ( ごししょ ) に意見を求めた。 「このぐらいで引き揚げてよいだろう」。 「いけません。人を 溺死 ( できし ) させようとするとき、一飲みさせたところで、止めたのでは、溺死するわけがありません。手をゆるめず押さえつけ、このさい、徹底的に沈めてしまうべきです」。 09_都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけ公事に私情をはさむ。その結果は 朝令暮改 ( ちょうれいぼかい ) 、次から次へと新しい法令が発せられる。 斉 ( せい ) が 魯 ( ろ ) を破ったとき、魯の宝である 讒 ( ざん ) という 鼎 ( かなえ ) を要求した。 魯はニセ物を持って行かせたが、見破られてしまった。 「ニセ物ではないか」。 「いや本物です」。 「それでは貴国の 楽正子春 ( がくせいししゅん ) ( 曾子 ( そうし ) の弟子)を連れて来てもらいたい。彼なら信用できる」。 魯王は楽正子春にうまくごまかしてくれるように頼んだ。 楽正子春は魯王に尋ねた。 「なぜ本物を持って行かせなかったのです」。 「本物は惜しいからさ」。 「わたしも自分の信用を惜しみます」。 10_もともと地の利に恵まれないうえに、城郭も欠陥だらけ、物資の蓄えはなく、生産力も低い。すなわち長期戦に耐える力がないのに、軽挙妄動して戦いをしかける。 11_視野が狭くてせっかちで、 些細 ( ささい ) なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境がつかなくなる。 12_怒りっぽいうえに戦好きで、本務たる農政に力をいれず、何かといえば武力を発動する。 大臣を侮辱してプライドを傷つける。庶民に厳しい刑罰を加えて、過酷な使役に駆り立てる。これを当然のこととして繰り返せば、謀反を 企 ( たくら ) むものが、必ず現れる。 13_王様が大利を目前にして傍観するばかり、また禍いを予測していながら対策を立てようとしない。そして防衛ということにまったく無知でありながら、「仁義」によって自己の行為を飾り立てようとする。 14_雄弁だが「法」という筋が通っていない。聡明ではあるが、肝腎の「術」を心得ていない。能力そのものはあるのだが、「法」によって事を運ぼうとしない。 〖本心を隠す〗 王様が心の 裡 ( うち ) を見透かされると、 家来 《 けらい 》 たちに付け込まれる。 楚 ( そ ) の霊王が細い腰の美人を好むと、 楚 ( そ ) の都には絶食して痩せようとする者があとをたたなかった。 臥薪嘗胆 ( がしんしょうたん ) の故事で有名な越王 勾践 ( こうせん ) は、勇者を好んだ。越の決死隊は、呉の陣の前で一斉に自分の首を 刎 ( は ) ねた。呉軍の兵卒は、あっけにとられ、その隙に奇襲攻撃をかけられて総崩れとなった。 斉 ( せい ) の桓公は好色で嫉妬深かった。 豎刁 ( じゅちょう ) は、自ら去勢手術を受けて、後宮の 宦官 ( かんがん ) になり、信頼を得て大臣に任命された後、謀反を起こして桓公を部屋に閉じ込め飢え死にさせた。 桓公は食い道楽でもあった。料理人の 易牙 ( えきが ) は、自分の長男を蒸し焼きにして差し出した。易牙も、豎刁の謀反に参加した。 燕 ( えん ) の 子噲 ( しかい ) は人格者を好むと思われていた。大臣の 子之 ( しし ) は、国を譲られても受けないと公言して信頼を得、政治を任されて実権を奪った。伝説時代に、 堯 ( ぎょう ) という天子がいて、 許由 ( きょゆう ) という隠者に天下をゆずろうとしたが、許由は受けず、耳が穢れたといって耳を洗ったという。子噲は子之が辞退するのを確かめておいて、堯のまねをしたのに、子之の方が上手だった。 王様が好悪を見せなければ、家来は素を表わし、王様はだまされない。 堂谿 ( どうけい ) 公が、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 侯に尋ねた。 「 価 ( あたい ) 千金の 玉杯 ( ぎょくはい ) があったとする。もし底がなかったとしたら、これに水を入れることができるでしょうか」。 「だめだ」。 「では素焼きの器があるとする。これには底があって漏らないとしたら、酒をつぐことができるでしょうか」。 「できる」。 そこで堂谿公は言うのだった。 「素焼きの器はとるにたらぬ粗末なものですが、漏りさえしなければ酒をつぐこともできます。価千金の玉杯はまことに貴重なものですが、底がなくて漏るとしたら、水さえ入れることができません。まして、これに飲み物を入れる者があるでしょうか。家来の言葉を他人に漏らす王様は、ちょうど底の抜けた玉杯のようなものです。いくら王様に知恵があっても術をつくすことができないのは、人に漏らしてしまうためです」。 それからというもの昭侯は、大きな計画を考えているときには、必ずひとりで寝た。 寝言を聞かれて、他人に計画が漏れることをおそれたのだ。 斉国の正室が亡くなったとき、大臣の 薛 ( せつ ) は、 威 ( い ) 王の意中の人を新しい正室に 推薦 ( すいせん ) しようと考えた。薛は、玉の耳飾り九組に特に美しい耳飾りを一つ加え十組にして王に献上した。翌日、薛は、特に美しい耳飾りをしている側室を確認して王に推薦した。 〖信ずる者は 騙 ( だま ) される〗 王様が妻を信じたら、腹黒い家来は王様の妻を利用して私欲をとげようとする。 優施 ( ゆうし ) という役者は、 晋 ( しん ) の 献 ( けん ) 公の愛妾 麗姫 ( りき ) に取り入り、世継ぎの 申生 ( しんせい ) を殺して、麗姫の子 奚斉 ( けいせい ) を擁立した。 王様が我が子を盲信すると、腹黒い家来は王様の子を利用して私欲をとげようとする。 趙の武霊王(在位 前325年~299年)は 胡服騎射 ( こふくきしゃ ) (騎馬民族の戦法)をいち早くとりいれ、趙を軍事的に発展させたが、寵愛した恵后のために後継問題の処理を誤った。太子に決まっていた長子 章 ( しょう ) を廃嫡して、恵后の子 何 ( か ) (恵文王)に王位を譲り、自分は 主父 ( しゅほ ) と称して院政をしいたが、恵后の死後、廃嫡した長子 章 ( しょう ) の処遇に迷い内乱を起こさせてしまった。主父も、 沙丘 ( さきゅう ) の別宮で三箇月包囲されて餓死した。そのときの包囲軍の指揮官は 李兌 ( りたい ) だった。 妻子でさえ裏切ることがあるのに、他人である家来を信じたら、 悲惨 ( ひさん ) な結果が待っているかもしれないことを知らなければならない。 王様の世継ぎが立てられたら、妻は、我が子の即位を待ち望むもの。 男は五十になっても色好みはやまないのに、女性は三十になれば容色は衰える。 衰えた容色で色好みの夫に仕えれば、疎まれ 貶 ( さげす ) まれるようになり、「これでは我が子は、あとを継げないのではないか」と、妻は疑う。我が子が王様の座につけば、何でも命令できるし、嫌なことも禁止できる。男女の楽しみは、夫の死後も以前にも増して楽しめる。大国を思いのままに動かしても、誰からも文句は出ない。 毒を盛ったり、闇打ちをしたりのお家騒動が尽きないのも、こういうところに原因がある。 桃佐春秋 ( とうさしゅんじゅう ) には、「まともな死に方をする王様は半数に満たない」と書かれている。 魏 ( ぎ ) 王が 楚 ( そ ) 王にひとりの美女を贈った。 楚 ( そ ) 王はこの美女がすっかり気に入った。 楚 ( そ ) 王の側室 鄭袖 ( ていしゅう ) は王がこの美女を可愛がるのを見て、王が可愛がる以上に自分も可愛がり、衣裳でも何でも彼女の欲しがるままに与えていた。 王はそれを見て言った。 「 鄭袖 《 ていしゅう 》 はわたしがあの女を可愛がるのを知って、わたし以上に可愛がってやっている。まるで親孝行な子が親をおもい、忠臣が王に仕えるようではないか」。 …「王様は自分が嫉妬していないと信じている。これでよし」と思った 鄭袖 《 ていしゅう 》 は美女に「王様は女性が手で口を覆う仕草が好きだから、王様に近づくときは手で口を覆うようにしなさい」と教えた。美女はその話を信じ、始めて王様とのお目見えする際にさっそくその仕草を実行する。事情を知らない王様がその理由を周囲に尋ねると、鄭袖が「あの女は王様の匂いを嫌って手で鼻を覆っているのです。」とウソを付いた。王様は、激怒し、美女の鼻を削ぐよう命じた。 〖人材活用〗 楚 ( そ ) が 陳 ( ちん ) を攻めたとき、 呉 ( ご ) は陳を助けた。 楚 ( そ ) ・ 呉 ( ご ) 両軍は三十里をおいて 対峙 ( たいじ ) した。 ある夜、十日も降り続いた雨がやみ、星が見えた。 楚 ( そ ) の 左史 ( さし ) の 倚相 ( いしょう ) は将軍の 子期 ( しき ) に言った。 「十日の雨のあいだに、呉軍は準備をととのえたはずです。きっと攻めてくるにちがいありません。備えた方がよろしいでしょう」。 そこで、 楚 ( そ ) 軍は、陣形をととのえたが、はたして、準備が終わるか終わらないうちに、呉軍がやって来た。 しかし、 楚 ( そ ) 軍に備えがあるのを見ると、戦わずして引き返した。 左史は言った。 「呉軍は往復で六十里歩かなければなりません。帰れば疲れて将軍は休む、兵士は食事をするはずです。一方わが方は三十里ですみます。すぐ攻めれば勝てましょう」。 楚 ( そ ) 軍は呉軍を追いかけ、これを破った。 孟嘗君率いる斉・魏・韓の連合軍が函谷関に攻めてきたとき、秦の昭襄王は大臣に「三国の兵が秦に深く攻め込んでいる。河東郡の数県を与えて和睦しようと思うが、どうか」と尋ねた。 大臣は、「河東郡の数県を与えるのは、大きな損失です。王子様とご相談なさってはいかがでしょうか?」と答えた。 王様から相談された王子は、「和睦してもしなくても、後悔は避けられません。…和睦したら、『三国はもともと引き上げようとしていたのに、むざむざ三城もただでやってしまった』と、後悔するでしょう。…和睦しなかったら、 韓 《 かん 》 に集結した三国軍に大損害を与えられ、『しまった、三城をやらなかったばかりに、こんなことになってしまった』と、後悔するでしょう。」と答えた。 昭襄王は、「後悔するのなら、三つの城を失って後悔する方が、国が危険な状態になって後悔するより余程マシだ。」と考え、和睦を決めた。 管仲 ( かんちゅう ) と 鮑叔 ( ほうしゅく ) が相談をした。 「このご乱行では 斉 ( せい ) の 御代 ( みよ ) も変わるにちがいない。斉の公子のなかで、将来性のあるのは 糾 ( きゅう ) さまか、 小白 ( しょうはく ) さまだ。この二人にわれわれは一人ずつ仕え、先に出世した者が他を引き立てることにしよう」。 こうして管仲は糾に、鮑叔は小白に仕えた。 はたして斉は混乱状態におちいり、王様が殺された。 そしてまず小白が亡命先から帰国して王様の座についた。 管仲は糾とともに 魯 ( ろ ) に逃れていたが、魯の人につかまって小白に引き渡されたが、鮑叔の口添えによって宰相になることができた。 〖王様への意見の出しかた〗 [説得]は、相手の心を正確に見ぬき、自分の意見をそこに合わせることが必要。知識や弁舌だけでは不十分。 名声の高さを求める相手に、利を得る術を説けば、下劣で卑しい奴と思われ、遠ざけられる。利を求める相手に、名声の高まる術を説けば、気配りできず現���に疎い者と思われる。 名声を大切にしているように見せかけながら、内心では利を求めている相手に、名声の高まる術を説けば、得心した様子を見せられながら、実際には疎んじられるだろう。逆に利を得る術を説けば、得心させても、用いられることはない。 01_王様が自分の利益を満たそうとしているときには、国法を述べてそれを強制する。それでも欲望を捨て切れないときは、欲望に理屈をつけてやる。実行に移せない道義には、とやかく言わないでおく。 02_理想が高すぎて非現実的なときは、理想の欠点をあげ、実行しない。それは難しいでしょうなどと、ケチをつけてはならない。 03_知識・見識に自信もってる相手には、同類の別の事例を挙げて下地を準備しておき、相手が自ら選ぶように仕向けて、そしらぬ顔をする。 04_他国と友好関係を保つように説得するには、立派な名目を上げてやり、それとなく自分の利益にもなることを示す。 05_国の害になることを分からせるには、道義に反しているとは���きり言い、自分の損にもなると分からせる。 06_直接相手を誉めるよりは、相手と同じ事をしているものをほめ、他の事で王様の計画と同じものがあれば、そのことを議論で取り上げた方が効果がある。 07_王様と同じ失敗をした者は、たいした過失ではないと言って弁護しておく。相手がよい計画だと思っているのに、悪いところをあげつらって追いつめてはいけない。 08_長い月日を経て、王様の信任も厚くなり、立ち入った策を奏上しても疑われず、王様と言い争っても罰せられなくなったならば、堂々と利害を判断して述べ、自分の意見を実現化して事の是非をずばりと述べることを身上とする。こうして王様と対等の関係を保てるようになれば、これこそが献策の最上��ものとなる。 〖 和氏 《 かし 》 の 璧 ( へき ) 〗 昔、 楚 ( そ ) の国に 和氏 ( かし ) という男がいた。 あるとき、彼は 楚 ( そ ) 山の山中で 粗玉 ( あらたま ) を見つけ、これを 厲 ( れい ) 王に献上した。 厲王は宝石師に鑑定させた。 「これは、ただの石でございます」。と宝石師は言った。 厲王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、左足を切らせた。 厲王が死に、 武 ( ぶ ) 王が即位した。 すると、和氏はまた同じ粗玉を献上した。 武王は宝石師に鑑定させた。 「石でございます」。と宝石師が言った。 武王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、右足を切らせた。 武王が死に、 文 ( ぶん ) 王が即位した。 今度は和氏は粗玉を抱き、 楚 ( そ ) 山のふもとで泣き続けるのだった。 三日三晩がたった。 涙は枯れはてて、眼に流れるものは血であった。 文王はそのことを聞くと、和氏のもとに人をやってわけを尋ねさせた。 「世の中に足切りの刑にあった者も多いが、どうしておまえは、そんなに悲しげに泣くのか」。 「わたくしは足を切られたことが悲しいのではありません。宝石が石ころだと言われ、正直者がペテン師だと言われた。それがわたくしは悲しいのです」。 文王は、宝石師にその粗玉を磨かせてみた。 はたしてそれは宝石であった。 その宝石は、彼の名をとって、「 和氏 ( かし ) の 璧 ( へき ) 」と呼ばれた。 宝石というものは、王様が喉から手が出るほど欲しがるものだ。 そして 和氏 ( かし ) が献上した 粗玉 ( あらたま ) が、もし宝石でなかったとしても、王様が何の損をするわけでもない。 それにもかかわらず、和氏は両足を切られてから、はじめてその粗玉が宝石であると認められたのだ。 王様が欲しがる宝石でさえ認められるのは、これほど困難なのだ。 ところが[法・術]となると、王様は「和氏の 璧 ( へき ) 」のようにこれを欲しがってはいない。 王様たちは、それほど熱心に家来や国民のかげの悪事を抑えようとはしていないのだ。 [法・術]を主張する者が、王様に殺されずにいるのは、彼がまだ[法・術]という粗玉を献上していないからにすぎない。 王様が「術」を使ったとしたら、大臣が政治を専断することも、側近が王様の威を借りることもなくなるだろう。 「法」が国に行きわたれば、流民の 類 ( たぐい ) は姿を消し、すべての国民は農耕に追いやられ、事あるときには戦場で生命の危険をおかすことになるだろう。 つまり[法・術]は、家来と国民にとっては、 禍 ( わざわい ) となるものだ。 したがって、王様が、大臣の反対と国民の非難を押しきって、[法・術]に耳を傾けようとするのでなければ、たとえ命を進言したとしても、[法・術]が王様に取り上げられる見込みはない。 〖使いこなせない者とは〗 もし人が衣服を着ることもなく、食事をとることもないのに、餓え凍えることがなく、また死もこわくないとすれば全て満ち足りており、お上に仕える気はとんとならないであろう。すると、王様によって支配されることを嫌う気持ちになる。そのような人物は、臣下として使いこなすことはできない。 〖小さな信用を重ねる〗 呉起 ( ごき ) は外出先で知人に出会い、食事に招いた。 知人は承知して、「のちほど伺うから、それまでお待ちいただきたい」。 「では、あなたがおいでになるまで、お待ちいたしましょう」、呉起はそう答えた。 その知人は日暮れになっても来なかった。呉起は食べずに待った。 そして、翌朝、知人を呼びにやり、彼が来てから食事した。 越王 勾践 ( こうせん ) が呉王 夫差 ( ふさ ) を攻め、 降伏 ( こうふく ) させた。 呉王夫差が謝罪して 赦 ( ゆる ) しを願った。 越の大臣たちは、越王勾践に、「天命が[越]を与えようとしたとき[呉]が受け取らなかったから、今、天命は[呉]を[越]に与えようとしているのです。天意に 背 ( そむ ) いてはなりません。」と言った。 呉の大臣は、越の大臣に手紙を送った。「すばしっこい兎が狩りつくされてしまうと、猟犬は煮て食べられる。敵国が滅びると、軍師は殺される。呉を赦して残せば、貴方はまだまだ仕事ができる。」 越の大臣は、これを読んで大きくため息をつきながら、「呉が滅べば私は用無しになるのか…」とつぶやいた。
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37. leftovers
(英題)Leftovers
2020/02/18
作曲: thus(2019) 編曲: thus(2020) 作詞: thus(2019-2020) 絵: thus(2020) 動画: thus(2020) (フォント: ピグモ 00) © 2020 thus. Composed by thus
ニコニコ動画 https://nico.ms/sm36718344
YouTube https://youtu.be/oyxuAQVasy4
哔哩哔哩 https://www.bilibili.com/video/BV1PT4y1V7gL
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臍帯(さいたい)祝(いわ)う通過(つうか)儀礼(ぎれい) 発語(はつご)包(くる)めて 一世(いっせい)風靡(ふうび) バイバイを謡(うた)う詠(うた) 集団(しゅうだん)への歓迎(かんげい)ムード 一重(いちじゅう)百千億(ひゃくせんおく) 裏(うら)表裏(おもてうら)引(ひ)っ繰(く)���返(かえ)し 散々(さんざん)食(く)らって食(く)らって 年(とし)を取(と)り草臥(くたび)れば
再会(さいかい)祝(いわ)う通過(つうか)儀礼(ぎれい) 端(はた)から見(み)れば 花一匁(はないちもんめ) 童謡(どうよう)じみた歌(うた) それ見(み)た事(こと)か一斉(いっせい)合唱(がっしょう) 唯(ただ)笑(わら)って居(い)たいだけ この旨(むね)をどうか聴(き)いてくれって 縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆(か)け巡(めぐ)る
何(なん)なんだ もう 何(なん)なんだ 僕(ぼく)は自分(じぶん)に問(と)いかけてみた 振(ふ)り上(あ)げたそれは 今(いま)も腹(はら)の中(なか)をぐるぐると眩暈(めま)うが 「何(なん)だったんだ 何(なん)なんだ」 僕(ぼく)は 自問自答(じもんじとう)繰(く)り返(かえ)していた 振(ふ)りかけたそれが 僕(ぼく)の頭蓋骨(ずがいこつ)を摩(す)り下(お)ろすような
嫌(いや)なんだよ僕(ぼく)は それは 豚骨(とんこつ)みたいだ 素敵(すてき)にも 位相(いそう)脱出(だっしゅつ)活動劇(かつどうげき) 其処(そこ)を通(とお)して呉(く)れと嘆願(たんがん)し続(つづ)けど 嫌(いや)なんだよ僕(ぼく)が そうさ 忽滑((そうこつ))しては歩(あゆ)みを止(と)めずに 月夜(つきよ)の中(なか)走(はし)る そして 風切(かぜき)り 身(み)を切(き)る 朋(とも)の面影(おもかげ)は
臍帯(さいたい)祝(いわ)う通過(つうか)儀礼(ぎれい) 発語(はつご)包(くる)めて 一世(いっせい)風靡(ふうび) (情動(じょうどう)乖離(かいり) 極(きょく)残酷化(ざんこくか) 幽体(ゆうたい)憑依(ひょうい) 脱文脈者(だつぶんみゃくしゃ)) 童謡(どうよう)じみた歌(うた) 集団(しゅうだん)への歓迎(かんげい)ムード (情動(じょうどう)乖離(かいり) 極(きょく)残酷化(ざんこくか) 幽体(ゆうたい)憑依(ひょうい) 脱文脈者(だつぶんみゃくしゃ)) 三々(さんさん)と七拍子(ななびょうし) 拍手(はくしゅ)奏(かな)でて隠蔽(いんぺい)錯誤(さくご) (情(じょう)動(どう)乖離(かいり) 極(きょく)残酷化(ざんこくか) 幽体(ゆ���たい)憑依(ひょうい) 脱文脈者(だつぶんみゃくしゃ))
φ indicates it's a miracle LEFTOVER
災害(さいがい)呪(のろ)う通過(つうか)儀礼(ぎれい) それを見(み)ていた人体(じんたい)媒体(ばいたい) 087929 & 幽体(ゆうたい)憑依(ひょうい) 「唯(ただ)笑(わら)って欲(ほ)しいだけ」「この旨(むね)をどうか信(しん)じてくれ」って 千載(せんざい)一遇(いちぐう)のチャンスを掴(つか)み取(と)れなかった
崇拝(すうはい)祓(はら)う通過(つうか)儀礼(ぎれい) それ見(み)たことか 復讐(ふくしゅう)状態(じょうたい) 087929 & 零体(れいたい)媒体(ばいたい) ただ笑(わら)っていたいだけ この旨(むね)をどうか聴(き)いてくれって 縦横無尽(じゅうおうむじん)に駆(か)け廻(めぐ)る
何(なん)なんだ もう 何(なん)なんだ 君(きみ)は 自分(じぶん)に酔(よ)い上(あ)がって今(いま)や 振(ふ)り掛(か)けた失敗談(しっぱいだん) よもや装模作様(そうもさくよう)様様(さんさん)な口止(くちど)め 嫌(いや)なんだよ君(きみ)が まるでポンコツみたいに僕(ぼく)を背(せ)に 月夜(つきよ)の中(なか)光(ひか)る焔(ほむら) 風(かぜ)舞(ま)い 身(み)を切(き)る 鎌鼬(かまいたち)の影(かげ)が
Oh, what a nice guy you are in the leftovers Final salvation........ Oh, what a nice guy you are in the leftovers Final destination........
何(なん)なんだ もう 何(なん)なんだ 僕(ぼく)は自分(じぶん)に問(と)いかけてみた (かごめ かごめ) 嫌(いや)なんだよ僕(ぼく)は それは 豚骨(とんこつ)みたいだ 素敵(すてき)にも (かごのなかのとりは) 何(なん)なんだ もう 何(なん)なんだ 君(きみ)は 自分(じぶん)に酔(よ)い上(あ)がって今(いま)や (いついつでやる) 嫌(いや)なんだよ君(きみ)が まるで ポンコツみたいに僕(ぼく)を背(せ)に (よあけのばんに)
もう 何(なん)だった 何(なん)だった あれは (つるとかめがすべった) 何(なん)だったんだ 何(なん)だった あれは (うしろのしょうめんだあれ) 何(なん)だった 何(なん)だった あれは (うしろのしょうめんだあれ) 何(なん)だったんだ 何(なん)だった あれは (うしろのしょうめんだあれ)
何(なん)なんだ もう 何(なん)なんだ 貴方(あなた) 何々(なんなん)なんだ 何(なん)なんだ 君(きみ)は 嫌(いや)なんだよ 僕(ぼく)は 君(きみ)が 嫌(いや)なんだよ 僕(ぼく)は 僕等(ぼくら)が
Oh, what a nice guy you are in the leftovers Final salvation........ Oh, what a nice guy you are in the leftovers Final destination........
何(なん)なんだ もう 何(なん)なんだ 僕(ぼく)は 自分(じぶん)に問(と)いかけてみた 振(ふ)り上(あ)げた彼方(かなた) 其処(そこ)の天(てん)糟(かす)過剰(かじょう)油(あぶら)塗(まみ)れて 何(なん)だったんだ 何(なん)なんだ 僕(ぼく)の自問自答(じもんじとう)意味(いみ)が不明(ふめい) 振(ふ)りかけたそれが 僕(ぼく)の頭蓋骨(ずがいこつ)を摩(す)り下(お)ろしては
嫌(いや)なんだよ 僕(ぼく)が それは 豚骨(とんこつ)みたいだ 素敵(すてき)にも (Oh, what a nice guy you are in the leftovers) 振(ふ)り翳(かざ)せ 勲章椀(くんしょうわん) 今(いま)も頭(あたま)の中(なか)をぐるぐると眩暈(めま)いが (Final salvation........) 嫌(いや)なんだよ僕(ぼく)が 終(つい)は 忽滑((そうこつ))しては歩(あゆ)みを止(と)めずに (Oh, what a nice guy you are in the leftovers) 月夜(つきよ)の中(なか)走(はし)ることも儘(まま)なる向(む)こうの机上(きじょう)憑落(つきおと)せ (Final destination........)
誕生祝(たんじょういわ)い手懐(てなず)けられては 暴飲暴食(ぼういんぼうしょく)飲(の)み食(く)い交(か)わして 散々(さんざん)散々(ばらばら)籠目籠目(かごめかごめ)から 覚醒(かくせい)せよその真(しん)なる悲哀(ひあい)迄(まで)
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2020年2月23日
【公式】ハイライト:サンフレッチェ広島vs鹿島アントラーズ 明治安田生命J1リーグ 第1節 2020/2/2
SIGMACLUB編集部
新型コロナ怖いけど、カープが見たい! 公式戦チケット抽選券配布に4.6万人(毎日新聞)
プロ野球・広島東洋カープの公式戦チケット購入に必要な抽選券が23日、広島市南区のマツ��スタジアムで配布された。新型コロナウイルスの感染予防のため、球団側が来場者に「周りの人と距離を大きく(できれば2メートル以上)空けて」などと要請するなど厳戒態勢だったが、配布時間を約1時間半、前倒しするなどした結果、ファンの列が滞留することはなく、大きな混乱はなかった。
北海道で新たに9人感染 20代の女性は重体(共同通信)
北海道などは23日、新たに20代~80代の男女9人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。いずれも日本国籍。うち20代の女性は学生で人工呼吸器を装着し、重体という。
13日神奈川県80代女性(国内初の感染での死亡)、23日までにダイヤモンド・プリンセス号乗客3人(男性2人、女性1人いずれも80代日本人)。重篤に陥るのは年配の方ばかりだったため、「20代女性重体」の一報は衝撃をもって迎えられた。3月女性は危機を脱したことが報じられた。よかった!「重症女子学生は快方へ 入院患者9人が退院 北海道の新型コロナ感染者」(北海道新聞)
韓国の死者4人に、新型コロナで - 感染者556人、宗教団体で拡大(共同通信)
【ソウル共同】韓国保健福祉省は23日、新型コロナウイルスの集団感染が起きている南東部・慶尚北道清道郡の病院の関係者1人が新たに死亡し、国内の死者が計4人になったと明らかにした。感染者数は123人増え、計556人になった。
発表によると、新たな感染者のうち、新興宗教団体「新天地イエス教会」の関係者が75人だった。韓国では、清道郡に隣接する大邱市の同教団の教会で礼拝した信徒らを中心に感染拡大が続いている。
『シン・ゴジラ』はお仕事映画で、仕事ですからという言葉が頻出し、各々が自らの職務のプロフェッショナリズムに誇りを持って国難を乗り切るファンタジー。実際に国難に直面すると、意思決定の上流にいくほど「私事」が優先されている感じ。現実を突きつけられてる感がすごい。(真実一郎さん)
被爆後の広島 カラー空撮 45年10月~46年2月ごろか 資料館公開 英から入手(ヒロシマ平和メディアセンター)
原爆資料館(広島市中区)は22日、原爆壊滅後の広島市街の様子をカラーで捉えた空撮映像の公開を始めた。昨年9月、英国帝国戦争博物館からデータを入手した。1945年10月~46年2月ごろの撮影とみられ、資料館は「さらに検証が必要だが、被爆後の広島のカラー空撮映像としては最も早い可能性がある」としている。
英国の記者ウィリアム・コートネイ氏(1896~1960年)が、従軍記者として空襲後の大阪や呉などを上空から撮影。
永住外国人巡る政府世論調査はなぜ批判されるのか 排除思想前面、「多いと思いますか」「取り消す制度設けるとしたら…」 | 2020/2/23 - 47NEWS
「永住者数を多いと思いますか」「永住許可を取り消す制度を設けるとしたら、どのような場合に取り消すべきだと思いますか」―。内閣府が1月に発表した永住外国人を巡るこんな設問の世論調査が波紋を広げている。
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最後の京都
学生の街、日本の古都、京都にて学生最後の日を過ごしてきた。京都は本当にちょうどいい。アクセスは然り、街中こと四条に行けば大体のもの、店は揃っている。そんな京都で学生時代を過ごした僕は中でも大好きな2軒にお礼を言うべく実家から新天地東京への経由地として再び京都に舞い降りた。
さて、みなさんも気になっているとは思うが、お分かりの通り僕はひねくれているため、オススメの2軒はお教えしない。僕にとっての隠れ家、いわばテリトリーだからである。本音はテメーらみたいなパンピーに来てほしくないからである。探せ���分で。
一軒目、洋服が好きな僕は4年間通いつめた古着屋兼セレクトショップにお邪魔した。今日の全身はここで購入したもののせいか、少し緊張する。六角形の鏡が何枚も貼られた重い扉を開けると、古着屋独特の匂いが飛び込んでくる。最高。大学生活僕のコーデネートをしてくれたYDさんは電話対応中のようだ。しかしそれが終わるといつもの陽気な感じで、「今日はどしたの」。新社会人になる報告を済ませYDさんに悪態をつかれつつ、店内を物色する。一緒に通った仲間、ご存知あっくんが「新社会人にこれイイスネ」と、ネクタイを勧めてくれた。すかさず手に取り拝見。こりゃいいぞ。購入。また、YDさんが「大人の買い物として私はこれがオススメだけどな。」と白シャツを。値札をチラッとな。¥25000!?!?!?!?買えませんて。適当に誤魔化しつつ、流石の僕も手が出ない。だがせっかくだ、試着はしてみよう。ん?サイズがピッタリ。シルエットも抜群に格好いい。此れの上にスーツを来て仕事をするとアガるなぁ。そんな事を思いつつ、そっと脱いで棚に戻す。すんません金欠で。しかし、とても良い感じに中二病なパーカーを発見。あっくんは店員と化しており、「イイスネ」botに成り下がっているため無視。が、これは良い。ちょうど今日は寒いのでアウターとして購入。ありがとうYDさん。やはりいい古着をセレクトしている。ここは関西で一番アツい呉服屋であることは間違いない。
続く。
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代脈《だいみやく》
ただいまでは、お医者さまになるにも、学校をでて、国家試験に合格しなくてはなりませんから、そんなことはございませんが、むかしは、まだ見習いのお弟子さんが、先生のかわりに診察をする代脈というものがよくございました。 そのころ、中橋に、尾台良玄という古法家の名医がございまして、そういう先生には、いい弟子がたくさんできそうなものでございますが、さて、なかなかそうはまいらないもので……先生は名人でありながら、弟子の銀南というのが、いたっておろかでございます。おろかにも種類がございまして、この銀南、ちいさい時分には、目から鼻へぬけるような子どもで、先生もたのしみに修業をさせておりましたが、さて、男女ともに、十五、六歳というところが、ちょうど人間のかわりどきで、色情のために、世間にもよくあるやつで、あのりこうなせがれが、どうしてこういうばかなことをしたろうとか、あのりこうな娘が、どうしてこういうあほうなことをしたろうなどということが、ずいぶん世間にはございます。 目から鼻へぬけるようだった銀南が、十六、七になると、人間がすこしかわってきました。いたって色情の強い男で、女中がくると、すぐにこれになにかいう。女中はいたたまらないからでていってしまいます。そのくせ、まっ昼間、玄関で薬をきざみながら居眠りをしております。 先生が銀南をよぶと、「どーれ」といって玄関へでてまいります。また、玄関で、「おたのみ申します」というと、先生の前へかけてゆくというぐあいで、すべてがまことにとんちんかんでございます。 それで、暇さえあれば居眠りをしているというしまつで、どうにも手におえません。 そんなですから、親でも師匠でも、あいそもつきてしまいそうなものでございますが、ばかな子ほどかわいいと申しまして、なにかと目をかけてやるからふしぎなもので…… ある日のこと…… 「銀南や……また居眠りをしているのか。呼んでも、まんぞくに返事をしたことのないやつだな。おい、おい、銀南、銀南!」 「へえー」 「なんというまぬけな返事のしようだ。大きな声をだして……まあ、そこへ坐れ」 「へー、いつも先生は、返事はしっかりしろとおっしゃいますから……」 「なに���そんなに大きな声をだすにはおよばない。坐らないか」 「へー、ご用があっておよびになりましたので……ご用をいいつかれば、すぐにかけだします。ただいまは、なにごともむだをはぶく世のなかで、ここへ坐ってしまいますと、また立って、つかいにゆかなければなりません。そこで、簡便に立ったままで……」 「なにが簡便にだ。ばか者、そこへ坐れ」 「坐れとおっしゃれば坐ります。あたしのひざは、なにしろ折りたたみになっておりますから……へえ、坐りました。どうともなさいまし」 「どうともしようとはいわん。ばか者め」 「へえ、おかげさまで……」 「なにがおかげさまだ。おかげさまということばは、そんなところへつかうもんじゃあない。おまえの親は、わしのところへよこしてあるから、りっぱな医者になるとおもっている。その親に対して、わしがまことに申しわけがない。医者というものは、もちろんその道は修業しなければならんが、たとえば、いくらじょうずな医者になっても、ひとつは、なり風俗にもあるが、ひとつは、顔かたちにある。これは、生まれつきで、いまさら愛嬌のある顔にはなれんが、まあ、せめて行儀作法《ぎようぎさほう》でもおぼえるように、きょうから、おまえを代脈につかわすからそのつもりでな……」 「へえ、かついでまいりますか? それともしょってまいりますか?」 「なにをしょっていくのだ?」 「いえ、材木をつかわすって……」 「材木ではない。文字を知らんか。代わる脈と書いて代脈と読む。代脈を知らないか」 「ああ、あれですか。いつも先生が手をとって脈をごらんになりますが……」 「そうだ。おれにかわって、おまえが病家へいくのだ」 「へえ、そうですか。では、いってまいります」 「おいおい、いってまいりますといって、どこへいくか知っているのか?」 「ははあ、なるほど……」 「なるほどじゃない。行く先も聞かずにかけだすやつがあるか。それがあほうだ。蔵前の伊勢屋さんを知っているか?」 「二、三回おつかいにまいりました」 「あそこへいくのだが、行儀作法をすべて教えてやるからな」 「へえ」 「まず玄関へついて、『たのもう』という声もろともに、いつも手代《てだい》がでてくる」 「へえ」 「その手代にむかって、おまえがやすっぽいことばをつかうと、口をきいたばかりで、おまえがへたにみえる」 「さようでございますか」 「まず、手代をよぶには、『お手代』といいなさい」 「へえ、お手代……」 「手代へ『お』の字をつけて、『お手代』とよぶと、なんとなく行儀よさそうで、むこうに対して失礼でないよびかただ。そこで、橋場にご寮がある。ご病人があると、この橋場へいっていらっしゃる」 「へえ、あの蔵前の伊勢屋へいくと、ちょっとおつなお嬢さん��いますな」 「ばか者! なんという口のききようだ。おつなどと、あのお嬢さまは、蔵前きってのごきりょうよしで、蔵前小町といわれるくらいのかただ」 「いいごきりょうですな。まいりましたら、お目にかかることができましょうか?」 「お目にかかるどころじゃあない。お嬢さまがご病人だ」 「そんなことはございません」 「なんで、そんなことがないんだ?」 「きりょうのわるい女ならば、わずらうこと���ありますが、あんないい女がわずらうはずがありません」 「ばかっ、きりょうのいい、わるいでわずらう、わずらわんということはない。人間は、病いのうつわという。よしんば、どんなにいい女だからといって、かならずわずらわぬとはいえない。もっとも、俗にいうぶらぶら病いで、たいせつといえば、たいせつにはちがいないが、なにもそう案じるほどのことはない。あんまり変のないご病気だ。一日おきに、行儀見習いのために、おまえを代脈にやる。番頭が、かりにも、おまえのことを『若先生』くらいのことは、お世辞にいう。そのときは、いつものように『へえへえ』なんて返事してはいかん」 「なるほど……」 「『へえへえ』では、まことに医者のかんろくがない。りっぱに返事をしなければいかん」 「それは心得ております」 「なんでも知らぬということをいわんやつだ。どう返事をする」 「番頭が、わたしのことを『若先生』といいます」 「さよう」 「そうすると、わたしが、りっぱに『なんだ』とこたえます」 「『なんだ』というやつがあるか。むこうで『若先生』といえば、『はあい、はあい』……『へえ』などという返事は、まことにいやしい。『はいはい』とな」 「へえ、むこうで、『若先生』といいましたら、『はあい、はあい』と……」 「なんだ。寄席の木戸へいったような声をだすな。ただかるく、『はあい』といえば、それでいいのだ。『こちらへ』という案内につれて、いつも八畳のりっぱなお座敷へ通ると、結構なざぶとんがそれへでる。このときも医者の格式をみせるのだ。遠慮なくそのざぶとんの上へ坐ってよろしい。『いいえ、わたくしは、これでよろしい』などと遠慮すると、やすっぽくなっていかん。それへいばって坐れ。そのうちに、お茶からたばこ盆、お菓子がでる」 「お茶菓子がでますか?」 「これこれ、茶菓子と聞いて乗りだすやつがあるか」 「なにがでます? 焼きいもかなにか?」 「そんな下等なものはでない」 「それでは、もなかかなにか?」 「いつも結構なようかんを厚切りにして、七切れか八切れ……これを、りっぱなお菓子器に山のようにつんでだすな」 「たいそうなもので……厚切りが、七切れか、八切れというと、もうたいがいたくさんでございます」 「それを食うのじゃない」 「おやおや、食えないようかんなんで?」 「食えるにはちがいないが、そこが医者の格式というやつだ。もうようかんなぞは、食いあきているというような顔をしているのだ」 「そりゃあ無理なはなしで……食べもしないのに食いあきるなんて……」 「それでも食いあきているようにみせるのだ」 「食べなくっても、食いあきている顔をしますので?」 「けれども、むこうで、『おひとつ』といって箸《はし》ででもとってだしたら、それでも食わないと、腹でも立てているようだから、ふところへ半紙を四つ切りにして持っていって、その半紙へうけて、茶でもかえて、とってもらったようかんを一切れだけ食う」 「へえ」 「ただし、すすめなければ、けっして食うことはならんから、しかと申しつけておくぞ」 「すすめられれば一切れだけ食べます。お茶をかえて、すすめられなければ食べることはできない……これは、たいへんに大きな相違だ」 「なんだ、大きな相違とは……で、あいさつがすむと、病間へ通る。これから、お嬢さまの寝ているところへおまえがいって、しずかにそれへ坐り……」 「そうしますと、お嬢さまの脈をみますので?」 「あたりまえだ。下女の脈をみて、お嬢さまの病気がわかるか。脈をみたところで、とてもおまえにはわかりはしないが……」 「先生がいつもするようにします。脈をみるときに、あの手をにぎりますが、あの色のまっ白な、すべすべしたおててをわたしがぎゅーっとにぎって……たははは」 「ばか者!! 変な声をだすではない」 「しかし、お嬢さまが、あとでなんといいましょう。『いつもは、はげあたまの先生がくるけれども、きょうは、おっかさん、若い先生がいらしったわ』と、きっとお嬢さんがそういいます。どうせひとりでいられるわけじゃあない。ご養子をなさるのです。『わたしは、日ごろ、からだがわるいから、ああいう先生をご養子にしたら、たいへんに気丈夫だから』なんて……しかし、ご両親は、なんといいますかしら?」 「もちろん、おまえなんぞをもらう気づかいはない。けっしてそんなことはない」 「そんなことはないといっても、もらわなければ、お嬢さまが恋わずらい……『かわいい娘のいのちにはかえられないから……』って……」 「ばかっ!! だれがそんなことをいうやつがあるか。どうもあきれたもんだ……そこで、脈をていねいにみて、『べつだんおかわりはございません。お大事に……のちほどお薬を……』と、こういって、おまえは帰るのだが、医者には、だいいちにとんちというものがなければいかん。ついでだからいって聞かせるが、ついこのあいだ、どういうぐあいか、ひどくお嬢さまの下腹がかたくなっていた。そこで、わしがお嬢さまの下腹をさすって……」 「えっ? お嬢さまの下腹を……さすったんですか? 下腹といえば、おへその下を?」 「そうだよ」 「おへその下をさすったなんて、いひひひひひ……こすいぞ」 「なにをいってるんだ。で、わしがしきりに腹をさすって、下腹をひとつ、ぐうっと押すと、どういうぐあいか、おならをなすった」 「ありゃ」 「からだのせいだな。プイとおならをなすったのが、わしには聞こえたのだが、そこが医者のとんちだ。なにしろ年齢《とし》も十七という色気ざかりだから、お嬢さまが、みるみるうちに顔をまっ赤にして、いかにも恥ずかしそうだった」 「そりゃあ、きまりがわるいでしょう」 「そのときに、ちょうど、おふくろがそばにいたから、『おっかさんや、どうも陽気のかげんか、年齢《とし》のせいか、この四、五日のぼせて、わしは耳が遠くていかんから、おっしゃることは、なるべく大きな声でいってくださいまし』と、こういうと、気のせいか、赤くなったお嬢さまが、安心したとみえて、顔色がなおったが、ここらが医者のとんちだ。わかったか。なにしろはやくゆけ。これこれ、尻をはしょってはいかん。かけだす気になっているな。そんな着物を着ていくのじゃあない」 「これを着ていくのじゃあないんで?」 「もちろんそうだ」 「はだかでまいりますか?」 「はだかでいくやつがあるか。こっちに着物がだしてある。おまえは、なりが大きいから、わしの着物でたいがい間にあう」 「これはありがとうございます。いよいよ養子の相談になるかも知れません。こんなりっぱななりをしては……」 「なにをくだらんことをいってるのだ。おいおい、だれか、このばか野郎に着物を着せてやれ……馬子にも衣装、髪かたちというが、やっぱり、ばか野郎は、なにを着せても、すこしもりっぱにはならないもんだな。じつにどうも情けないはなしだ……まあ、それでも、きたなくはなくなった。これ、尻をはしょるのではないぞ。あきれたやつだ。それでよい、半紙をふところにいれたか? 尻をはしょったり、あるいていくのじゃない」 「へえ、あるいていかないとなると、たいへんでございますね。ずいぶん遠方でございますが、蔵前まではっていくというのはどうも……」 「ばかっ、はっていくやつがあるもんか。いつもわしが乗ってゆく駕籠《かご》がある。富蔵がいるだろう。あれにいいつけて、駕籠のしたくをさせろ。橋場のご寮のほうへまいるのだが、伊勢屋といえば、ご寮ということをむこうで知っているから……」 「わたくしを駕籠にいれてぶらさげていくんで?」 「さげてゆく駕籠というのがあるか、はやくいってこい」 「さようなら、いってまいります」 と、かけだしてまいりました。いつもは、先生のおでかけは昼すぎで、まだ時刻がはやいから、駕籠かきのふたりはおちついて、茶をいれて飲みながら、大あぐらで、よもやまばなしの最中でございます。 「おい、富蔵さん」 「へえ」 「若先生がおでかけだ。蔵前の伊勢屋さんのお嬢さまがご病気だ。代脈というのを、おまえたちは知るまい。文字に書くと、代わる脈と書く」 「代脈を知らねえやつがあるもんか。医者のうちへ奉公しているくせに……いったい、だれが代脈にいくのだ?」 「かくいう銀南」 「おまえさんがいくのかい? なんだって、あんな大事な病家へこんなやつを代脈にやるんだろう……きょうは、めずらしくりっぱななりはしているが、からしょうがねえ。恥をかかなけりゃあいいが……なあ相棒」 「名人になると、また療治のしかたがちがう。うちの先生なんざあうまいものだ。だってそうだろう。お嬢さまは、気のふさぐ病気だ。俗にいうぶらぶら病いなんだから、ああいうばか野郎をやったら、しぜんと胸がひらく。そこへ薬がはいる。そこで、ききめがある。どうだ。療治のしかたがうまいものだ」 「なんだか知らねえが、まだ駕籠の掃除ができていやあしねえ」 「かまうもんか。ごみだらけのなかへほうりこんでかついでいこう」 「それもそうだ。どうせ人間のごみだから……」 「おい、駕籠のふたをとっておくれ」 「駕籠にふたというのはない。駕籠は戸というんだ」 「戸というのか……あけておくれ」 「さあ、お乗んなさい……そうはいっちゃあいけない。あたまからはいっちゃあいけないよ。横に、お尻のほうからはいるのだ」 「おかしなもんだね。生まれてはじめて乗った」 「こんど乗るときは、銀南さん、死ぬときだぞ」 「そんなことをいっちゃあいけないよ。縁起でもないから……お尻のほうから横へはいるったって、矢立ての筆のようだね。さむくっていけない。ふたをしておくれ」 「まだふたといってる。それは戸だよ」 「そうそう戸、戸、とうからわかってた」 「つまらねえしゃれをいいなさんな。さあ、しめるよ」 「やあ、すだれが両方にあらあ。乗ったらみえなくなるかとおもったら、こりゃあいいあんばいだ」 「すだれじゃあない。御簾《みす》だよ」 「御簾か……なにしろ、いいぐあいのものだ。うしろへよりかかると、ビロードをはった板があるね。やあ、かつぎだしたな」 「あたりめえじゃねえか。かつぎださなけりゃあいかれやしねえや」 「さすがは商売、うまいもんだね。ぐらぐらゆすぶられて、目でもまわるかとおもっていたが、畳の上をいくような気持ちがして、ぐあいがいいね。やあ、瀬戸物屋の前を通りこしたよ。おやおや、ここが呉服屋だ。天ぷら屋か。やあ、立って食ってるやつがいる。うまそうだな。やい、おれにも食わせろ!」 「くだらねえことをいっちゃあいけねえ」 「駕籠のなかで、なにかむやみとしゃべるなよ」 「いつも、先生が乗っていくと、ほいほいというじゃあないか」 「あれは、人をよけるためにいうんだ」 「そういっておくれな」 「しょうがねえなあ。そういえったって、なにもいえやあしねえ」 「でも、いわないと、なんだか景気がわるいや。ひとつやっておくれな」 「それでも、じゃまになる人もいないのに、よけろというなあむりだ」 「じゃあ、わたしがいうからいいよ……ほーい、ほーい」 「おいおい、駕籠のなかでいうない。みっともねえ。往来の人が、立ちどまって笑ってるじゃあねえか」 銀南のやつ、乗りつけない駕籠ですが、腰からゆられまして、まことにぐあいがいい。いい心持ちで居眠りをしたかとおもうと、前へうつぶしたまま高いびき。駕籠かきはなれておりますから、横に駕籠をつけまして、 「おたのう申します。おみまいでございます……おや、眠っちまったぜ。しょうがねえな、しずかになったかとおもえば高いびきだ。銀南さん、起きなくっちゃあいけねえ……おたのう申します」 「どーれ」 「なんだい、銀南さん、おまえに『おたのう申します』といったんじゃねえ。ここのうちにいったんだ。寝ぼけちゃこまるな。それみねえ、あたまをぶつけたろう。駕籠のなかでいきなり立つやつがあるものか」 「どーれ」 「おいおい、はいだしちゃあいけねえ。横にでるんだよ。だいいち、おまえが返事をしちゃあいけねえやな」 「これはお手代」 「これはお手代たって、まだだれもでてきゃあしねえじゃねえか」 「そうかい」 「おちついていなければいけねえよ」 そのうちに、当家の手代がでてきました。 「ごらんの通り、きょうは、若先生がおいでで……」 「はあ、さようで……」 「おい、おまえはなんだい?」 「てまえは、当家の手代で……」 「ああ、手代……お手代、お手代……」 「おそれいりました。ご案内をいたします。どうぞ、こちらへ……」 「おれはこっちへあがるよ。おい、富蔵さん、下駄を盗られないように気をつけておくれ。おまえたちはあがらないのか?」 「あたりめえよ」 「どうぞこちらへ……」 「はあい、はあい、これはなかなかりっぱな……八畳のお座敷で、結構なざぶとんがでる。すましてそれへ坐る……」 「おそれいります。どうかおふとんへお坐りあそばして……」 「お茶やたばこ盆はまだかい?」 「気みじかな先生だ……はやくお茶をさしあげるように……まことにあいすみません。いいあんばいなお天気でございます」 「べつにわたしのせいじゃないよ」 「これはおそれいりました……どうぞお茶を……」 「うん、いただくよ……なかなかこれはうまいお茶だ」 そのうちに、お茶菓子がでてまいりましたので、銀南先生、あごでようかんのかずの勘定をしはじめました。 「わたしは、まことにどうも酒がきらいでしょうがない」 「いえ、ご出世前でいらっしゃいますから、ご酒《しゆ》のきらいなのは結構で……」 「酒がきらいで、どうにもしかたがない」 「甘いもののほうでいらっしゃいますか。それはご無事で……しかし、そうと存じておりましたら、なにかお口にあうようなものをとりよせておきましたのに……なにしろ、きょうは、不意のおいででございますから……大先生は、甘いものには、まるで目もふれないようなご酒家でいらっしゃいます。それゆえ、きょうは、とりわけてそまつな物をごらんにいれましたが、これからは、なにかめずらしい物をとりよせておきます。きょうのところは、ほんの前へならべておくだけで、あしからずおぼしめしをねがいます」 「お茶をもう一ぱいください」 「お茶のほうもそんなしだいで、はなはだ粗茶をさしあげまして……」 「いやいや、粗茶は結構、わたしはね、まことに粗茶が好きだ」 「へえ、おそれいりました」 「どうして、どうして、この粗茶は、なかなかやすくない粗茶だ」 「へへ、おそれいります」 「ああ、医者というものは、行儀作法はもちろんのこと、格式があり、とんちがはたらかなくてはいかんという、これで、なかなかむずかしいものでね」 「もちろん、人のいのちにかかわりますものでございますから、ご心配のことでございましょう」 「人のいのちに……そんなことはどうでもかまわないが、まあ、病家へまいり、むこうでは、食わせようというところから、お茶菓子に結構なようかん……いや、ようかんにかぎらず、そこへなんでもでる。こっちでは、どうかひとついただきたいとおもっても、むこうで『ひとつめしあがれ』とすすめてくれなければ、どうも食べることができない。まことにむずかしいものでね」 「これはおそれいりました。いいえ、くどくどおすすめ申しあげたいのでございますが、きょうは、お茶菓子もはなはだそまつな品で、けっしておすすめはいたしませんから、どうぞまあ、ごらんあそばさないようにねがいます」 「ごらんあそばさないようにだって……とほほほ……もう一ぱい粗茶をください」 「はなはだ粗茶で……」 「あーあ、お茶ばかり飲んで、まことに医者というものはむずかしいが、かんがえてみると、じつに情けないものだ」 「へえ、情けないとおっしゃいますと?」 「病家へまいり、むこうでは、食わせようというところから、そこへお茶菓子にようかんが……いや、ようかんにかぎらずなんでもだす。こっちでは、どうかひとついただきたいとおもい、のどから手がでるほど食べたいんだが、目の下にありながら、手をだしてそれを食べることができない。医者は、まことに餓鬼道《がきどう》の責苦《せめく》で……」 「おそれいります。とにかく病間へご案内をいたしますから……」 手代につれられて、銀南先生、泣きっつらをしながら病間へまいり、お嬢さまの診察ということになりました。 「まず、お脈を拝見。さあ、お手をおだしください。さあ、お手を……そう恥ずかしがらんで……やあ、ちいさいお手だ。たいへんに毛がはえてますな……いたいっ! ひっかくとはひどいですな。え? なに? ただいまのは猫の手で……これは……いや、とんだそこつを……うん、なるほど、これはやわらかいお手だ。すべすべで、お色がまっ白で……では、ひとつ、お胸のほうを……いや、そう恥ずかしがってはこまります。さあ、ぐっとひろげますぞ……おう、これはまたおきれいだ。色がぬけるように白いとはこのことですな……お腹のほうを、ちょっとさわります。下腹のほうが、だいぶかたくなっていらっしゃるということですが……下腹と申しますと、このおへその下で……ええと、どこかな? かたくなっているところというのは……」 下腹をあちこちとさすっているうちに、かたいのはこれだなと、よせばいいのに、そこがばか者のことで、ぐっとおすと、「ブイ」と一発……みるみるうちに、お嬢さまがまっ赤になってしまいました。 「ときにお手代や」 「へえ」 「なにかおっしゃるなら、なるたけ大きな声でいってくれないと、どうも年齢のせいか、この四、五日どうも耳が遠くっていかん」 「へえー、さようでございますか。つい二、三日前に、大先生も『陽気のせいか、耳が遠い』とおっしゃいましたが、あなたさまもよほどお耳がいけませんかな」 「ああ、いけないとも、ちっとも聞こえない。いまのおならさえ聞こえなかった」
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