#吹き抜けのある家福岡市
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2023年 加茂野やや大きいのすべて。
みなさんい、サウナ、こんばんはー。
この1年、俺は頑張りました。本気で。そんな想いを込めて、この一年の活動を網羅的に振り返っていこうと思います。
1/14(土)@高円寺HIGH
In Case vol.9
WRENCH、MOZU、computer fight
痛郎さんからお誘いいただいた。吉祥寺NEPOでの、たしかAKUTAGAWA FUNCLUBとのライブの際に声をかけていただいてからの縁で(違ったらすいません)、それからずっと目をかけてもらっている。本当にありがたい。WRENCH、MOZUという90年代オルタナの大先輩たちの共演を前に何かできることはないかと、チャレンジな取り組みとしてライブ用イヤホンをつけて練習や本番に挑んだりしたが、全然意味がない上に変なミスを招きかねないので辞めた。間近で見る菅野さんのドラムがとにかく強烈で、シンプルなフレーズでも音量やキレが自分とは比べ物にならないほど良かった。
2/19(日) @西荻窪FLAT
「毎日何にもすることなくて啓蒙している」
computer fight、the bercedes menz、din remoter、タオル
同時に、suburban bluesのフィジカルリリースも行った。ベルセデス、ディンリモは既知だったが、タオルのライブには度肝を抜かれた。最小限で、なのに必然性に溢れた音の群れ。俺は甚く胸を打たれ、後日の浜松TEHOM参加の際の動機にもなった。
4/22(土) @吉祥寺NEPO
MYFUNERAL INC. presents【TOKYO SWING special】
PANICSMILE、トリプルファイヤー、[O.A] computer fight
今思うと、ありえんくない?というイベントにOAで出演。いまだに後悔しているのは、次の日、職場のしょーもないイベントに参加するためにPANICSMILEの演奏をほとんど拝見できなかったこと。眼前で凄まじい演奏が行われている中、機材を背負ってライブハウスを出た時、自分は何になりたいんだと混乱した。そしてそんな混乱も、船の出航時間が近づくにつれて睡眠への不安に置き換��ってしまうのが嫌だった。
この頃は、島での団体活動の長になり(そうしないと団体が無くなる危機だった)、さまざまな人間の要望を聞いては日夜ペンを走らせてイベントの企画などをしていた。もちろん業務外である。本当に辛かった。
そして、ずっと一緒に暮らしていたデグーのたわしが亡くなった。今でも思い出すだけで涙が出てくる。かわいいかわいい、世界一の相棒だった。最後は家族で看取ることができたが、本当はもっと長く一緒にいられたのに、俺のせいで早くいなくなってしまったのではないかと繰り返し自問して、火葬したお骨を持って家に帰る道中は、自分の不甲斐なさに怒りと切なさでいっぱいだった。島で楽しく暮らしているすべての人間が憎かった。
この件がきっかけで、俺は島での団体活動とは一線を引くことにした。たわしが最期にどう思っていたかは定かではないが、幸せに逝けたことを願う。
5/13(土)@静岡県浜松市TEHOM
「ROOMPARTY」
computer fight、やっほー、SUPERMOURNING、タオル
初の遠征ライブ。TEHOMはすごくソリッドな音のする箱で、我々の演奏と相性が良かったと思う。諦念くんはこのライブを「至っていた」と評していて、俺も今でも聴き直しては、当時の体制での内向性や情動、演奏力を再確認している。やっほーさんのライブがめちゃめちゃ面白くて、シンバルキックを3回やって3回失敗していた。楽曲のクオリティーが高くてしっかり聞けるライブだったことも最高だった。鈍行列車で岡山から浜松まで来たらしい。世の中は広いと思った。
5/14(日)@西荻窪FLAT
ハイパーパンチ自主企画ライブ「鋼の拳」@西荻窪FLAT
ハイパーパンチ、ヘクトーよるをまもる
ハイパーパンチでも、自主企画を打った。このライブではとにかく対バン探しに苦労した。準備って大事。その中でも出演を快諾してもらったヘクトーには感謝している。我々の演奏としてはかなり荒削りではあったものの、楽曲の持つアイデアやユーモア、ポップセンスは披露できたんじゃないかと思う。
5/18(木)@恵比寿BATICA
RINGOOO A GO-GO
Haze / サトビ / Y's CAMP / ハイパーパンチ / HALLEY / PHOEBE
オーディションに出ましょう!ということで参加、特に思い入れはないけど、とにかくPHOEBEがめちゃくちゃ良かった。なんというか信念が見えるライブというか、背景が滲むライブというか。めっちゃいいねー!とダダンダンと話していたら、りんご音楽祭本戦にも出場してい��、自分のように嬉しかった。
5/20(土) @調布Cross
mwmw、SleepInside、Uztama、computer fight、カルト3
5/21(日)@落合 soup
EXECUTE
Pot-pourri 、computer fight
島で所用があり、代役で田辺さんにお願いして出演してもらった。
俺はこの頃、バンド活動と、ペットの治療費にお金を注ぎ込んだ結果、貯金を使い果たして、家族に借金をするほどやばい状態だった。この日は島で用事があったというのもあるが。今現在は、借金も返済してなんとかなったが、当時はなかなかに苦しかった。
この頃、本名くんと実験くんの脱退が決まった。訳あって俺は少し遅れて報告を受けたのだが(これは、本当にちゃんとした理由があって遅れて報告を受けた)、すごく動揺した。受験に落ちたときのような、取り返しのつかない取りこぼしがあったような気持ちになった。2人が辞めて、島で働いていて活動を制限している俺が残っていいのか?と一瞬考えたが、本当に一瞬だった。やめるとか考えられないなぁとぼんやり思うほど、ドラムは、バンドはとても楽しい。みんなおすすめだよ。
そして、畠山くんと喉笛くんが加入した。畠山くんはボーカルの公募に応募してくれて、その他応募してくれた皆様と同様に、諦念くんとスタジオに入って面接(?)がてらセッションを行い、その動画を共有してもらったのだが、佇まいというか、フロントマンとしての素質をあらあらと感じたのを覚えている。おまけにトランペットも吹けるときた。楽器こそ違うが、james chanceの文字が頭によぎった。ほぼ満場一致で畠山くんをお迎えすることになったこの数週間後、彼には住む家がなくなってしまうのだが、それはまた別のお話…。
喉笛くんは、実は俺が島に行ってしまう前にも一度諦念くん喉笛くん俺の3人で歌モノをやるバンドをしましょう!ということでスタジオに入ったことがある。その計画自体は頓挫してしまったのだが。その時にもボーカルを公募して、候補者6名に対して1曲ずつ渡せるようにと、喉笛くんが諦念くんのリフをもとに1日で6曲作ってきたのが印象的だった。喉笛くんのベースは、弾くと殴ると削るのちょうど中間を、ぎゅっと束ねて一本にしたような、途切れることなく押し寄せる現象のような音がする。そして諦念くんと同じくらいピッキングが早い。実験くんの時にストロークで弾いていた楽曲の一部は、喉笛くんのダウンストロークでまた違うテイストになったと思っている。
6/23(金) @秋葉原CLUB GOODMAN
【Fantastic Attack Types. 3】
bossston cruizing mania、LOOLOWNINGEN&THE FAR EAST IDIOTS、computer fight、THE WAMEKI、デーメーテール
新生computer fightの初ライブ。ボスクルのカシマさんとMYFUNERAL.INCのハヤセさんはcomputer fightをとてもよく評価してくれていてありがたい。このライブもメンバー交代前にお声がけ頂いたのだが、ライブまでの間にメンバーが変わってしまったものの、快く参加を受け入れてくれた。結成初期なので当然ではあるのだが、かなり演奏が粗かったのを覚えている。ただ、パフォーマンスという意味では今までのcomputer fightとは打って変わって、引き寄せるものからこちらから引き摺り込むようなテイストに変わった、転換を感じさせるライブだった。
7/23(日)@下北沢SHELTER
突然少年TOUR 秘宝2023
突然少年、computer fight、DJ: theodora katz
畠山くんの前身バンド(?)、pine shop時代からの縁で実現したライブ。未来.EPの発売ツアーの初日という、記念すべき場に呼んでもらった。決まった時は奮えたなぁ、俺は突然少年の火ヲ灯スという曲が大好きで、特に離島で暮らすことになって、船や飛行機で内地に戻り、これからライブだ!という時によく聴いていた。そんなバンドと対バンできるなんて、得難い幸福だ。
話は変わって、この夏は俺の住んでいる離島にはたくさんの友達や家族が来てくれた。しかし、なぜか悉く来訪の日程と俺のライブの日程が被ること被ること!突然少年のライブも、前日から親友の夫婦が島に遊びに来てくれていて、リハギリギリに会場に着く飛行機で内地に帰ったりした。これははっきりと原因があって、俺が友人や家族の皆皆様に「おいでよ!東京の離島!」と宣伝をかけたからである。来年は程々にしようと誓った。
8/27(日)@下北沢THREE
New LP "schedars" Release Party
schedars、SPOILMAN、computer fight
DJ:daizo、ueda、chun chun
こちらはschedarsのボーカル、sioさんからお誘いいただいた。schedarsとcomputer fightは音楽のルーツやフィーリングが重なる部分もあり、諦念くんからも「このライブは絶対出よう!」とグッと来られていた。先日のライブ同様、この日は大学の頃の親友たちを島に招いていたのだが、ライブに間に合わせるために彼らを島においての帰省となってしまい、流石に申し訳なかった。
schedars、対バンしてみて改めて思ったけどすごいバンドだ。自由度をもってインダストリアルに奏でるギターベースドラムと枠内で狂うサックス、そしてフロントマンとして責任を全うするsioさんのボーカル(この表現で失礼はないか心��である)は、操り人形のように、バレリーナのように、歪んだ引力を���っていた、と思う。
9/9(日)@法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎地下1階多目的室1
FREE FOR ALL
THE GUAYS、computer fight、5kai
法政大学の企画団体、YADORANGのお誘いで実現したライブ。久しぶりの大学(というか法政大学は入るのすら初めて)はやや緊張した。そして同時に、大学でのライブは歓迎され招かれた上でアウェーで演奏するものであるということを知った。
9/15 EP「gushagushavinyl」リリース
新体制での初音源リリースをした。録音は隙を見て行った。振り返ってみると、よく録音まで行けたよな〜と思う。6月にレコーディングした当時は「新体制を世に知らしめるために絶対必要!!」と意気込んでいた。ちなみにこのEPのうち2曲は実験くんが作曲し、ベースで参加している(NGUYHC、思わない)。このほかにも実験くんの作曲曲はいくつかあるが、どれかは秘密。
10/26(木)@下北沢CLUB QUE
“In Case vol.13”
MOZU、computer fight+山崎春美、SPOILMAN
痛郎さんからのお誘いで実現したライブ。諦念くんから「山崎春美さんのバックで演奏しないかと言われている」と聞いた時、びっくりしたなぁ。バンド加入時に諦念くんから手渡されたガセネタの荒野は彼のバイブルであり、付き合いは浅いながらも彼の信念の一端に触れられたと思った。そんなわけで活動初期は「まあまあ、ビールでも飲んでエンジョイしなよ」の件にあやかって共演者がバコバコ飲酒してるのを指を咥えて眺めてみたり、バンド結成の同期を聞かれた時に「なりゆきで…」などと答えたりしていた。
俺の頭の中の山崎春美は、過激で過剰、時には全てを時にはインタビュアーを問い詰めてしまうような人だった。スタジオでリハをした時に、扉を開けて山崎春美がスッと入ってきた時は、なんと言うか、抜き身の刃物を構えられたようなピリッとした気持ちになって、勝手に身構えてしまった。実際にお会いした春美さんは、想像より何倍も柔らかい物腰の方だった。…冷静に考えたら、俺の引用する山崎春美は30-40年も前の情報なわけで、今現在も全く同じなはずがない、先述の通り冷静に考えればわかることなのだが、それほどに当時の自分は浮かれていた。もちろん浮かれていたのは俺だけではない。リハーサルでも本番でも、諦念玲奈が今まで見たことのない笑顔でギターを弾いていて、こちらまで嬉しくなってしまった。
ライブでは、父ちゃんのポーがきこえる、社会復帰(リハビリテーション)の2曲を披露した。コピー自体はガセネタの4曲全て行っていたが、ライブの尺の関係もあり全部はやらなかった。いつか披露できたらいいなーと思う。楽屋や終演後の打ち上げでは、ガセネタの荒野やTACOの話、書物でのみ見聞きした場所の話を本人の口から聞けると言う貴重な体験をした。そしてこの日、現メンバーに交代してから初めて、ライブでガッチリ演奏がハマった。よくパズルのピースがハマったなどと形容されるそれは、まだ途上の我々の中で何かが完成される感覚があったことを意味する。その完成がこの日であったことは、決して偶然ではないと思う。
10/28(土)@吉祥寺NEPO
ハイパーパンチ自主企画「PRO ACTION REPLAY」
ハイパーパンチ、カタカナ、プールと銃口、Mimi cries
ハイパーパンチ2度目の自主企画。音楽のルーツを同じくする先輩バンドであるカタカナ、ダダンダンの盟友であるジンくんのプールと銃口、大学の先輩後輩で結成されたMimi criesをお呼びして行った。今後活動するにあたって、これまでサポートメンバーに入ってもらっていた農協(chatoe)とセキユウシくん(highty-tighty)から、新たにザッキーとけーさん(ex.the super charm)を招いての活動となった。
ザッキーは大学の後輩で、ベーシストでありメタラーである。俺はメタルに疎いが彼のベースと演奏に対するメンタリティが大好きで、大学の時は快速東京やガガガSPのコピーバンドをした。今年行われた大学軽音サークルでのOBライブでLAST ALLIANCEを披露していたのだが、そこで見せたパフォーマンスが良かったと言うのも、今回お誘いする動機となった。
けーさんは、先述した諦念喉笛やーさんポップスバンド計画に応募してくれた6人のうちの1人である。俺はその歌声に甚く感銘を受けて、何かバンドでお誘いできる場面があったら絶対呼ぼう!と決めていたので、すぐに声をかけた。けーさんがギター以外にどんな楽器をできるかなどは分かっていなかったのだが、歌が500000000点なのでそれ以外は練習すればいけるっしょ!という無責任なお誘いを、快く受けてくれてありがたい。
メンバー交代や新曲の披露と、練習期間も短い中ではあったが、個人的にはめちゃめちゃいいライブができたと思っているが、それは楽曲が素晴らしいと言うことに尽きる。あとは我々のパフォーマンスが良くなればなるほど、もっといいバンドになっちゃうよなぁ!?!?
11/11(土)@桜台POOL
"TOKYO SWIPE“
computer fight 、HAIZAI AUDIO 、HYPER GAL、PICNIC YOU 、Ruins alone、ZVIZMO 、高倉健、DJ :土屋光、SHOP:光るヒナ子
高倉健の企画に出演した。桜台POOLは工場の一部を打ち抜いたようなソリッドな作りで、客席とステージの境目の少ないフロアは、我々の演奏スタイルと合っていた。そして何よりお客さんの盛り上がりが凄まじくて、1バンド目の高倉健から最後の我々まで絶叫と���動、蕩揺が止まらなかった。ギターを弾きながら持ち上げられる諦念玲奈を観れるのはこれが最後だったかもしれない。他の出演者では、吉田達也さんの意味のわからないドラムと、HAIZAI AUDIOさんのパフォーマンスが素晴らしかった。特にHAIZAI AUDIOさんは、日本中のスクラップ置き場と持ち主不在のゲーム部屋を切り貼りして作ったパッチワークをブラウン管のテレビに繋いで、音声だけを無相応にデカいアンプと接続して出しているような、バリバリと響く音楽だった。
computer fight+山崎春美「社会復帰(リハビリテーション)、父ちゃんのポーが聞こえる」ライブ音源リリース
先日のライブを録音した音源を発売した。これはそれ以上でもそれ以下でもない。自分でも良く聞き直すが、1発撮りとは思えないすごいクオリティである、と自画自賛しておく。
12/10(日)@秋葉原CLUB GOODMAN
【Fantastic Attack Types. 6】
bossston cruizing mania、Anderson、H Mountains、左右、SPOILMAN、schedars、酩酊麻痺、computer fight、ギニョルズ、NA/DA
ボスクルのカシマさん、MYFUNERAL.INCのハヤセさんにお誘いいただいた企画。今回も島での業務都合と、ちょっと体調を崩していたこともあって田辺さんにサポートをお願いした。すごくいい対バンだったのでぜひ出たかったのだが…来年はこういう、いいライブをスカしてしまうことは避けるように、なんとか仕事を頑張っていきたいと。
12/24(日)@西荻窪FLAT
computer fight自主企画 終わりなき日常を生きろ
computer fight、TACO (山崎春美+森田潤)
一年の最後を飾る自主企画。1月のライブで(厳密にはもっと前からだが)痛郎さんと共演して山崎春美さんの話を聞き、その後メンバーの変遷を経て、新旧の縁から経験を重ね、10月には憧れの存在と共演することとなった我々が、最後にはTACOとの対バンが実現した。カルト3の疎過くんは「継続することの力を実感した」と呟いていた。ありがとう。
TACOのライブの直前に、春美さんから自分をガムテープや器具で拘束するようにお願いされ、畠山くんがその役割を担っていた。特にその理由は語られなかった(し、わざわざ聞くのは野暮すぎる)が、パレスチナ問題への提起であることは間違いない。恥ずかしながら、10月の共演以降に改めてパレスチナ問題について本を読んだり、解説動画を見るなどして、改めて勉強し直して、この世の地獄があることを知った。ステージで政治について、世界情勢について、語ることの意味や価値を俺はあまり重く考えてこなかったが、春美さんと共演してからその考えは少しずつ改まっている。というか、今のこの景色は何を意味するのか?何を表したいのか?を、この一年で、手探りではあるが自分から考え調べるようになったと思う。それはバンドメンバー、特に諦念くんのおかげであり、共演者の皆様のおかげでもある。
computer fightはこの日のライブで、今年演奏した16曲、新曲2曲の計18曲を披露した。尊敬する先駆者に対して、文字通り今出せる全てを出したつもりだ。45分近くに及ぶ演奏は体の全てを消耗し、past manの直前では腹筋が殴られたかのように痛んだし、終演後は腕は指先から肩の付け根まで全部筋肉痛になった。足の親指の付け根は擦り切れて、脛は夜中の船の中で攣ってしまいうまく寝付けなかった。本当に、いいライブをしたと思う。息をする間もなく、どこ見ればいいのかわからないほど脈打ち痙攣し全てがそこに存在するような素晴らしいライブだった。
俺にとって、演奏とは誠実さが全てで、誠実は後悔しない。準備してきたものを吐き出して、すっからかんになってまた一からやり直す。初めからずっと最後の1曲のように、終わり、終わり、終わりを繰り返す。粉砕機に太い伐採木を繰り返し押し込むように、分厚くつながりのある塊が、俺の演奏を経由して粉々に砕けていく感覚。この誠実を得るために、毎日はかくも苦しく、かくも卑怯で、かくも思い通りにいかなくても、耐え忍び疲弊して摩耗して圧潰されることを受け入れているのだ。それが俺はとても誇らしい。
そして、この日も業務都合でライブが終わった瞬間に船に飛び乗って島に帰るやーさんなのであった。打ち上げで春美さんの話をもっと聞きたかった。トホホ、あたしゃもうイキそうだよ。
以上が2023年の俺の全てだ。この一年、大切な家族を失ってすごく辛かったし、諦念くんとは少なからずギスギスとなった。島と東京を行き来する生活は心身ともにかなり消耗して、体調を崩したことも1度あった(1度で収まっているのがおかしいという説もある)。俺は苦しくなるたびに、andymoriの「愛してやまない音楽を」の一節を思い出す。
「本気になるなら 喧嘩もするし たまに嫌になることもあるだろう」
今年は1年間、バンドに本気だった。来年も引き続き島から本気でドラムを叩きにきます。computer fight、およびハイパーパンチを引き続きよろしくお願いします。
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いのち、ばんざい。
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いのち、ばんざい。
作家名:和田聡文 会期:2023年7月27日(木)~8月20日(日) 時間:16:00-22:00 休廊日:7月31日(月)、8月7日(月)、12日(土)~16日(水) 料金:入場無料 場所:IAF SHOP* 福岡市中央区薬院3-7-19 2F TEL:090-5475-5326(佐藤) http://iafshop.tumblr.com/
=================== 本展に関する4つの動画がyoutubeにて公開されています。
いのち、ばんざい。 https://www.youtube.com/watch?v=A6Nv8syTENs
プランクトンダンス https://www.youtube.com/watch?v=ZyDdtBkHNnk
よるのかんだた うっすらと排除される「おっさん」という属性について https://www.youtube.com/watch?v=V5GnpN0LLtU
louper digger looper https://www.youtube.com/watch?v=lFFif7LwFtw ===================
色々、五月蠅いね。
だけど、あたしは、
ポリネシアの血族。海に浮かぶ島々の者。
8人産んでも2子しか生きて残せなかった祖霊の末の子。
だけど、あたしは、
一度は魔法使いになり、
高校卒業13年目にして、
やっとこさ同級生の妻と再会し、
今は青年の一人の息子の親になった、
「うっすら嫌われる中高年のおっさん」。
だからこそ、あたしはブリジット・バルドーの側に立つよ。
あたしは、どうせ「色々分かっていないおっさん」だから、
おっさん臭いことしか思い付かないし。
ならば、いっそ、「おっさん臭さ」を引き受けて、
すごくベタに「天」と「人」と「地」のお話しをする。
「いのち、ばんざい。」
■ 天(伴天連さんの話):
「挑戦」って言葉を知ってるかい?
この島国と伴天連(バテレン)の話だよ。
最初の「挑戦」は戦国時代。「第一次挑戦」ってやつさ。
大海原を渡ってやって来たんだ。揉み手、摺り足、赤ら顔で。
でも、銃器の販売やら、人身売買やら、
伴天連同士のもめ事やら、色々あって、
お前ら、帰れって、叩き返しちゃった。
次の「挑戦」は幕末から維新。「第二次挑戦」ってやつさ。
真っ黒い船に乗って、煙モクモク、やって来たんだ。
漢字やめれ、アップデートしろ、神社、仏像打ち壊せとか、
色々やり過ぎて、嫌われて。案外、不人気。
パァとはしなかったね。
「俺らも案外とすげえ」とか逆に調子に乗られちゃうし。
近々の「挑戦」は大戦直後。「第三次挑戦」ってやつさ。
美しい、大きな銀色の飛行機でやって来た彼は、
コーンパイプをぷかぷか。
欧米様にはかなわねぇ。マッカーサー格好良いとか。
伴天連さん達、大チャンス。
天皇さんに聖書の講義したり、農業国に変えちゃうぞ、とか、
亜米利加さん、大盛り上がり。
でも、まあ、隣の半島やら、東の側やら、
ゴタゴタ、ピカピカ、どかんどかんで、
余裕無くなって、締め付け中途半端。
で、この島国のアップデート人口��1%程度。
しょぼいかぎり。
で、今。
「次にファシズムがやってくるとき、
彼らは、「反ファシズム」を掲げてやってくるだろう。」
と、「ディミトロフなんとか」が言ったとか何とか言うけど、
四回目の「挑戦」は、どんな顔をして来るのかな?
もう来てるのかしらん?
「ソドムの街を火と硫黄で焼き払う」の、逆で来るのかな?
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」の、逆で来るのかな?
「天父神」、「長兄たる救世主」の、逆で来るのかな?
虹の橋を渡って来るのかな?「第四次挑戦」ってやつが。
ブロガー納言と、レディコミ式部と、
元祖バ美肉おじさん紀貫之と、古典BL信玄公と、
カルーセルと、明宏と、ピーターと、
おすぎとピーコと、デラックスと、マングローブと、
天宇受賣命と、阿国と、弥次喜多と、
全裸監督、村西とおると、
エロ屋/小説家/ニュースアンカー、紗倉まなと、
オスカルと、ジルベールと、
バンコランとひばりくんのこの島に。
また、来るのかな?
生まれて、まぐわって、子らにつなげる
我らの原罪を問うために。
でも、また来ても言い返すよ。あたしは。
あたしは、人間だし、生きてるし、おっさんだから。
「いのち、ばんざい。」
■ 人(カンダタさんの話):
「カンダタ」のお話って、知ってる?
お馬ぱかぱか、愛馬の「カンタカ」君じゃないよ。
芥川龍之介くん初めての児童文学
「蜘蛛の糸」のあいつだよ。
地獄と極楽の間で宙ぶらりんのお友達。
でもさあ、この話、なんか変。
違和感マシマシ。
この話の「釈迦さん」、なんか上から目線。
切羽詰まって、焦って、失敗しちゃったカンダタさんに対し、
「浅ましい」とか「ヤレヤレ愚民は。。。」感、丸出し。
しょうがないじゃん。カンダタさんは。
生まれからして元々余裕なんかないんだし。
「糸切れちゃう!登ってこないでー!」とか、
そりゃー、言いたくなるよ。安全問題だし。
なのに、何、その、ちょっと一本釣りうまく行かなかったら、
飽きちゃって、テキトーに放り出しちゃう、投げやり感。
お腹空かせた虎さんに、我が身ぽーんと投げ出す、
釈迦牟尼本来のキャラじゃないよね。。。
大体、自分は涼しい顔して、快適な場所に居て、
面白そうな奴だけ、一本釣りとか、
衆生を救おうって気概が無いよね。
福祉事業をなめてんの?
現場に飛び込んで行って、問題解決せんのかーい!
我が身ポーンと行かんかーい!!
大体、カンダタ以外の奴らはみんな、
亡者、すなわち、アウトオブ眼中。
目覚めて、アップデートした奴にだけ、
極楽から「救済」の手を差しのべるとか、
キリスト教終末論の「携挙(けいきょ)」かよ。
救ってやるのは伴天連だけで、
ハルマゲドンで亡者/異教徒は一掃かよ。
「選民思想」臭え。
手に似合わない「水掻き」なんかを付けてでも、
なんとかして、なんとかして、漏らさず衆生を救おうってな、
大乗レスキュー「阿弥陀如来」の気概はどこ行った?
で、さあ。
このへんちくりんな違和感の話を妻にしたら、
理系にして日本文学オタクの我が妻も、
「あたしもヘンだと思ってた」とのこと。
でね。。。調べてみたの。ちょっとググって、wikiにて。
そしたらさぁー。パクリだって。
ドイツ生まれアメリカ籍の作家ポール・ケーラスの著作
『カルマ』収録の「The Spider-Web」が元ネタだって。
タイトルまんまじゃん。。。。しかも、この『カルマ』、
「本場モンの仏教説話を紹介」ってな本なんだけど、
「The Spider-Web」については「創作」だって。
本物に創作混ぜ混ぜ、仏教説話の捏造じゃん。
パクリとか知らんかったわー。龍之介やらかすなー。
バチモンの仏教説話とか知らんかったわー。
ポール、やらかしおったなー。
そりゃー。「ヘン」だわな。釈迦のキャラじゃないわなー。
仏じゃないじゃん。偽仏じゃん。仏罰モンだわー。
「自分ばかり地獄からぬけ出そうとするとか、
無慈悲だわー。浅間しいわー。」とか、
「蓮の華の何とも云えない好い匂い」の
爽やかな極楽の風に吹かれて、のほほんしてる
偽仏のてめぇこそ、文句言える立場??
「どうでも良いわー。平等に地獄に落ちればー。」
とか、なにその「タ��マン文学」。
「瞑想」じゃなくて、「マインドフルネス」、
「ヨガ」じゃなくて、「ピラティス」とか、
言い出すんじゃないの?
あらまー!「カッコイイ消費者」ですことっ!!
「丁寧な暮らし」ねっっ!!!
美しい、大きな銀色の摩天楼から見下ろしてる
虚業の小金持ちみたい。
カンダタ君もさあ、
タワマン野郎に「いいね!」とか声かけられて、
「一歩抜け出すチャンス!!」とか
調子に乗るの止めようよ。。
良いことないって。。
あいつらさあ、ペットか番犬探しているだけだから。
カワイソウな順か、カワイイ順に声掛けてるだけだから。
カワイソウな奴に餌やると「徳」を積めるし。
「徳」=「信用」=「クレジット」=「通貨」だから、
儲かんのよ。「カワイソウなペット」を飼うと。
大体、地獄って、年季を勤め上げると、
生前よりちょっとは良いステージに行けるし、
学校みたいなもんじゃん。
周りにいる奴らもカンダタ君と似たようなもんで、
みんな生前、色々苦労してるし、
タワマン野郎よりずっと共感できるじゃん。
鬼だって学校の先生みたいなもんで、
死なないように注意して、君を鍛えてくれてるだけで、
ちゃんと良く見てくれてんじゃん、君のこと。
ウエメセのタワマン野郎よりずっと。
ヘンな上昇志向に捕らわれて、痛い目見るより、
実直に自分の手で、地に足付いたコトをしようよ。
そうだ。友達を作りなよ。愛する人を作りな。
出来たら家族になって、子供を育てなよ。
老いて子供がもう無理なら、若い者を応援しなよ。
虚業で浮いてるタワマンの偽仏よりずっと良いよ。
地に足を付けて生きるってことだよ。
だから、「ぢごく」で結構。大「地」の「極」み。
だから、おっちゃんは叫ぶよ。
「いのち、ばんざい。」
■ 地(生き物の話):
やあ、こんにちわ。僕らの名前は「オピストコンタ」。
「尻尾が後ろ」って意味だよ。
人間の精子みたいな形なんだ。
キノコとか、ツボカビとかの菌類と、
人間とか、魚やミミズ、トンボなんかの多細胞の動物を
ザックリ含んだフレンズさ。
襟鞭毛虫なんかのちっこい奴らも僕らの仲間さ。
世の中、僕ら「オピストコンタ」だけじゃなくって、
色んなフレンズがいるよ。
土の中にも、蓮のお池の中にも、地べたの上にも。
「真核生物」に限っても色々いるよ。
「オピストコンタ」の兄弟分「アメーバ動物」
草花や樹木とかを含むフレンズの「アーケプラスチダ」
昆布とか珪藻とかのフレンズの「ストラメノパイル」
ゾウリムシとかのお友達「アルベオラータ」
有孔虫、放散虫のフレンズ「リザリア」
ミドリムシとか光合成する奴もいる「エクスカバータ」
「クリプト植物」とか「ハプト植物」とか「太陽虫」
「真核」じゃなくて、「原核」だけど、細菌も色々。
シアノバクテリア(藍藻)とかを含むフレンズ。
美しい、大きな銀色の鏡胴を持つ顕微鏡で、
小さな水滴に閉じ込められた彼らを、上から覗き込むと、
色んなフレンズが、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、してて、
本当に、本当に、面白いよ。例えば、
放置しちゃった植木鉢の雑草の中。
劣化したプランターの壁面。
ジメジメ湿った苔の上。
蓮のお池の水の中。
只の水溜まり。
蟻の行列。
蝸牛。
藻。
蝶や蛾。
ダンゴ虫。
マルトビムシ。
苔の子実体の森の中。
くるくる回るミズヒラタムシ。
慌てて席取りをするクラミドモナス。
巨大なミジンコの屍骸を喰らう原生動物。
ほとんどが単細胞で、小さくて、単純なはずの生き物が、
くるくる踊ったり、パクパク食べたり、
ぶつかってビックリしたり、キョロキョロあちこち覗き込んだり、
居場所を見つけたり、喧嘩したり、慌てて逃げまどったり。
多細胞生物ではなく、ただの「群体」に過ぎないのに、
喧嘩せずにお互いしっかり体をつないで、
くるくるくるくる泳ぐ、ヒゲマワリ(ボルボックス)やシヌラ。
動物じゃないと思っていたら、
意外とクネクネ、クルクル、活発に動く、シアノバクテリア。
小舟みたいに、スイスイ走り回る、小さな小さな珪藻たち。
独立した多細胞生物のはずなのに、
まるで一個の生き物のように合体してしまうイトヒメウズムシ。
それに、なにより面白いのは、
ご先祖の「古細菌」から、ずっと昔に枝分かれして、
お互い全然違う見た目や、違う生き方をしている
遠く離れたフレンズたちのはずなのに、
みんな、みんな、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ぶつかり合ったり、喧嘩したり、身を���せ合ったり、協力したり、
まぐわり、接合して、次世代を作ったりすること。
知ってる?生物の世界において、
「成体(アダルト)」とは、「生殖可能となった個体」という意味。
子供を作るのが「おとな」なのさ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと違う話をするよ。「シン・ウルトラマン」って映画の話。
その映画の中で、ウルトラマンは、頭の先からつま先まで、
均質な物体で出来た、微細構造を持たない完全体とされる。
「一にして全、全にして一」な完全な個体。ほぼ神。
当然、マンガ「はたらく細胞」みたいに
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、協力し合う、
たくさんの細胞を持つ「多細胞生物」ではない。
理念、思想の固まり、孤高で単一の「思念体」。
外宇宙から来た、美しい、大きな銀色の飛行体。
よって、本質的に「個と個の(細胞)間の協力」は、
その身体自身に内在せず、
「バディー(仲間)」の意味がまったく分からない。
(映画では、故郷は「光の星」。国家は無い。)
(彼は人類と同種のものから進化した存在。)
彼は弥勒菩薩の様に完全な美(統一感)の化身だが、
無関係の子供を助けて死んだ男のことが分からない。
進化の最果てに居る彼には、「仲間」の意味が思い出せない。
遠い未来に来迎する弥勒菩薩の様なポーズをとって、
死んだ男の姿を掌に、森の中で悩み続ける。
覚えていたが、今は忘却した何かを思い出そうとして。
強くて、全知で、大きくて、けれど孤高のウルトラマンには、
起動してしまったゼットンを止める術が分からない。
なのに、弱くて、無知で、小さくて、愚かな人間たちは、
ぶつかり合ったり、協力したり、怒ったり、信じあったり、
ドキドキしたり、お尻パンパン気合を入れたり、
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ゼットンを止める解決策を見つけ出す。
上から目線の外星人たちには出来なかったことを、
小さな「はたらく細胞」みたいな人間たちが成し遂げる。
VRゴーグルを付けての独り言、虚空に手をブンブン、
滑稽で、とっても格好悪いけれど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ずっとずっと昔に進化の枝分かれをする前から、その後も、
地べたに這いつくばって生きる「いのち」の本質は、
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ぶつかり合ったり、喧嘩したり、食べ合ったり、
身を寄せ合ったり、協力したり、
まぐわって、子供を作ったり、育てたりしながら、
「なんとか必死に次につなげ続けること」なんだろう。
人間も明確に動物だし、生き物だし、「いのち」。
だから、おっさんは、勇気を出して、ベタなこと言うよ。
わたしは、一人の息子の父親だから。
ショーペンハウアーとか、シオランとか、ベネターとか、
そんな馬鹿どもの言うこと知るか。五月蠅い。
「いのち、ばんざい。」
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程���敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻��胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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各地句会報
花鳥誌 令和6年1月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年10月2日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
日本海見ゆる風車や小鳥来る 泰俊 駅近の闇市跡に後の月 同 山門を標とするや小鳥来る 同 師の墓の燭新涼のほむらかな 匠 渡り鳥バス停一人椅子一つ 啓子 紫に沈む山河を鳥渡る 希 ひらひらと行方知らずや秋の蝶 笑 なりはひの大方終了九月尽 数幸
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
朱の色に蝋涙たれし日蓮忌 ただし コスモスのたなびく道を稚児の列 洋子 抱かれて稚児は仏よ日蓮忌 同 めらめらと朱蝋のうねり日蓮忌 同 ピストルの音轟ける運動会 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
友の墓秋空の下悠然と 喜代子 棟上げの終はりし実家や竹の春 由季子 菊人形幼き記憶そのまゝに さとみ 長き夜や楽し思ひ出たぐり寄せ 都 強持てに進められたる温め酒 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月6日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蜜と恋どちらも欲しく秋の蝶 都 八幡の荘園かけて飛ぶばつた 美智子 彼岸花軍馬の像を昂らせ 都 露の手に一度限りの炙り文 宇太郎 杖の歩や振返るたび秋暮るる 悦子 露けしや既視感覚の病棟に 宇太郎 コスモスの乱れ見てゐて老いにけり 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
天高く誇り高きは講談社 きみよ 華やかに滅びゆく香や秋の薔薇 和子 秋冷を暗くともして華燭の火 千種 白帝は白い梟従へて きみよ 薔薇は秋その夜会より咲き続け 順子 肘掛に秋思の腕を置いたまま 光子 爽やかや罅ひとつなきデスマスク 緋路 一族の椅子の手擦れや秋の声 昌文 邸宅の秋に遺りし旅鞄 いづみ 洋館に和簞笥置いて秋灯 荘吉
岡田順子選 特選句
栗の毬むけば貧しき実の二つ 瑠璃 流星を見ること永きデスマスク いづみ 正五位のまあるき墓を赤蜻蛉 小鳥 秋天の青は濃度を増すばかり 緋路 月光の鏡の中で逢ふ二人 きみよ 聖堂は銀に吹かるる鬼芒 いづみ 実石榴をロイヤルホストで渡され�� 小鳥 石榴熟る女人の拳より重く 光子 秋の灯を落して永久のシャンデリア 俊樹 毬栗を踏み宰相の家を辞す 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
コスモスの島にひとつの小学校 修二 檸檬の香そは忘れざる恋なりき 美穂 嫁がせる朝檸檬をしぼりきる 朝子 母乳垂る月の雫のさながらに 睦子 タンゴ果て女は月へ反りかへる 同 護送車の窓には見えぬ草の花 成子 やはらかく眉をうごかし秋日傘 かおり 天と地を一瞬つなぐ桐一葉 朝子 流れ星太郎の家を通り過ぎ 修二 正面に馬の顔ある吾亦紅 朝子 傘たゝみ入る雨月のレイトショー かおり 幾千の白馬かけぬく芒原 成子 古備前に束ねてさびし白桔梗 睦子 糸芒戻れぬ日々を追ふやうに 愛 黒葡萄いつもの場所の占ひ師 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
新生姜甘酢に浸り透き通り のりこ 風を掃き風に戻されむら芒 秋尚 足音にはたと止まりし虫の声 怜 朝露に草ひやひやと眩しかり 三無 出来たての色の重たき今日の月 秋尚 徒競走つい大声で叫びたり ことこ 秋落暉炎のごときビルの窓 あき子 秋祭り見知らぬ顔の担ぎ手に エイ子 秋霜や広がる花を沈ませて のりこ 面取ればあどけなき子や新松子 あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
万葉の歌碑一面に曼珠沙華 信子 金木犀優しき人の香りかな みす枝 昇る陽も沈む陽も秋深めゆく 三四郎 廃線の跡をうづめて草紅葉 信子 駅に待つ猫と帰りぬ夜寒かな 昭子 天の川下界に恋も諍ひも 同 ひらひらとバイクで走る盆の僧 同 蟋蟀の鳴く古里や母と歩す 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月10日 萩花鳥会
夜鴨なく門川暗くひろごれり 祐子 サムライ衆ナントで決戦秋の陣 健雄 これ新酒五臓六腑のうめき声 俊文 露の身や感謝の祈り十字切る ゆかり 虫食ひのあとも絵になる柿落葉 恒雄 すり傷も勲章かけつこ天高し 美惠子
………………………………………………………………
令和5年10月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
魁の櫨紅葉の朱句碑の径 三無 花よりも人恋しくて秋の蝶 幸子 咲き初めし萩の風呼ぶ年尾句碑 秋尚 女人寺ひそと式部の実を寄せて 幸子 豊年の恵みを先づは仏壇へ 和代 篁を透かし二三個烏瓜 三無 日の色の波にうねりて豊の秋 秋尚 曼珠沙華に導かれゆく道狭し 白陶 二人居の暮しに適ふ豊の秋 亜栄子 林檎好き父と齧つたあの日から 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
ガシャガシャと胡桃を洗ふ音なりし 紀子 秋日和小児科跡は交番に 光子 歩かねば年寄鵙に叱咤される 令子 稲の秋チンチン電車の風抜けて 実加 不作年新米届き合掌す みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 大寺の風を擽る榠櫨の実 幸風 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種
栗林圭魚選 特選句
観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 絵手紙の文字の窮屈葉鶏頭 要 駐在も綱引き離島の運動会 経彦 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 句碑の辺に秋のささやき交はす声 白陶 秋黴雨だあれもゐない母の塔 亜栄子 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
考へる事に始まる端居かな 雪 おは黒を拝み蜻蛉と僧の云ふ 同 道草の一人は淋しゑのこ草 同 朝霧の緞帳上がる音も無く みす枝 秋灯火優しき母の形見分け 同 役目終へ畦に横たふ案山子かな 英美子 孫悟空のつてゐるやも秋の雲 清女 穴感ひ浮世うらうら楽しくて やす香 栗食めば妹のこと母のこと 同 天高し飛行機雲の先は西 嘉和 屋根人を照らし名月たる威厳 和子 秋深し生命線の嘘まこと 清女 蜩に傾きゆける落暉かな かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
枯れて行く匂ひの中の秋ざくら 世詩明 一声は雲の中より渡り鳥 同 見えしもの見えて来しもの渡り鳥 同 菊まとひ紫式部像凜と 清女 越の空ゆつくり渡れ渡り鳥 和子 秋扇に残る暑さをもて余す 雪 山川に秋立つ声を聞かんとす 同 鳥渡る古墳の主は謎のまま 同 鳥渡る古墳は謎を秘めしまま 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月20日 さきたま花鳥句会
SLの汽笛を乗せて刈田風 月惑 寝ころびて稜線を追ふ草紅葉 八草 残る海猫立待岬の岩となる 裕章 大夕焼分け行く飛機の雲一本 紀花 曼珠沙華二体同座の石仏 孝江 白萩の花一色を散り重ね ふゆ子 秋の野や課外授業の声高�� ふじ穂 秋寒し俄か仕立てのカーペット 恵美子 秋空や山肌動く雲の影 彩香 爽籟や赤子よく寝る昼下り 良江
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令和5年10月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
生身魂梃子でも動かざる構へ 雪 古団扇此処に置かねばならぬ訳 同 飾られて菊人形の顔となる 同 亭主運なき一枚の秋簾 一涓 菊の香に埋り眠る子守唄 同 叱りてもすり寄る猫や賢治の忌 同 友の家訪へば更地やそぞろ寒 みす枝 叱られて一人で帰るゑのこ草 同 朝霧が山から里に降りて来し やすえ 隣家より爺の一喝大くさめ 洋子 菊師にも判官贔屓あるらしき 昭子 人の秋煙となりて灰となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月27日 月例会 坊城俊樹選 特選句
靖国の秋蝶は黄を失ひて 愛 柿に黄をあづけ夕日の沈み行く 緋路 神池の何処かとぼけた鯉小春 雅春 細りゆく軍犬像や暮の秋 愛 うらがへり敗荷の海のなほ明し 千種 英霊の空はまだ薄紅葉かな 愛
岡田順子選 特選句
秋蝶に呼ばれ慰霊の泉かな 愛 鉢物はしづかに萎れ秋の路地 俊樹 年尾忌も近し小樽の坂の上 佑天 道幅は両手くらゐの秋の路地 俊樹 秋天へ引つ張られたる背骨かな 緋路 老幹の凸凹としてそぞろ寒 政江 板羽目の松鎮まれる秋の宮 軽象 御神樹の一枝揺らさず鳥渡る かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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◎お問い合わせ先
福岡市東区箱崎7-2-14 kiyotakeビル
創業1968年 「性能と健康を追求する家づくり」
株式会社清武建設(清武一級建築士事務所)
電話 0120-01-5040(火・水・定休)
ホームページ https://www.kiyotake.co.jp/
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Anime News Networkにスタッフインタビューが掲載!
北米最大規模のアニメ紹介サイトAnime News Networkにスタッフインタビューが掲載されました!
ぜひチェックしてみてください!
https://www.animenewsnetwork.com/feature/2021-06-04/discussing-the-socio-politics-of-megalobox-2-nomad-with-you-moriyama-katsuhiko-manabe-and-kensaku-kojima/.173444
記事の日本語訳はこちらです↓↓
『Nomadメガロボクス2』は、メガロボクスの物語を驚くべき新しい方向へと進めました。 ジョーと勇利の運命的な試合から数年後、ジョーは地下ボクシングの試合で戦う放浪者となりました。 ANNは、この予想外の続編がどのようにして生まれたのかについて、監督の森山洋氏、脚本家の真辺克彦氏、そして小嶋健作氏にお話を聞きました。
Nomadインタビュー:『Nomadメガロボクス2』ライター陣、及び監督
『メガロボクス』の世界に戻ってきました。勝利以来、ジョーには多くの変化がありました。『あしたのジョー』では、ジョーの結末(最期)を曖昧に描いていましたが、『メガロボクス』のジョーは、死の可能性もありましたが切り抜けたようですね。それでも、苦労しています。ジョーの物語を新たな方向へ出発させることにした経緯についてお話しいただけますか?
【森山】:『メガロボクス』終了後は次回作となる別の企画を考えていたのですがなかなか思うように進まず、同時にプロデューサーから『メガロボクス』の続編を考えてみてはどうかと打診を受けました。前作のラストで物語としては区切りをつけたものの彼らキャラクターの人生があそこで終わったわけではない、勇利に勝利しメガロボクスの頂点に立ったことがジョーの人生の最も輝か��い瞬間であるならその後はどうなるのか。前作では描かなかったものをテーマに据えるのであれば続編をやる意味があるだろうとストーリーを考え始めました。
【真辺】:脚本家チーム含め、監督、プロデューサー全員が続編をつくることは全く考えていませんでした。別のオリジナル企画を進めていたのですが、なかなかうまくいかず、そんな時にメガロボクスが海外で高い評価を受けていることから続編をやらないかという話があり、もう一度向き合うことになりました。 ただ、全てやり切ったという空っぽの状態からのスタートだったので、どういう物語にするか? 様々なアイデアが出ましたが、これだという確信を持つまでには至りませんでした。打ち合わせが終わるといつも居酒屋で飲みながら話すのですが、そんな中で“許されざる者”になったジョーというキーワードが出ました。監督の森山氏がそれを元に今回のNOMADOのベースになるプロットを用意し、そこから自らの過ちで故郷と家族を失ったジョーの再生を核に物語を構築していきました。メガロボクスの頂点へ駆け上った奇跡の三ヶ月は通過点に過ぎない、生きている限り人生は続くのだという普遍的なテーマは私たち作り手にもフィードバックし、直面している現実や社会から目を背けることなく描こう、という共通認識が私たちに生まれました。その困惑と思考がNOMADOという物語にリアリティと熱量を持たせたのだと思います。
【小嶋】:『あしたのジョー』の結末で、ジョーは真っ白な灰のように燃え尽きました。『メガロボクス』のジョーは、リングの上で死ぬことはありませんでしたが、勇利との戦いを終え、ある意味で燃え尽きてしまったのだと思います。そんなジョーがもしもう一度リングに上がるとしたら何のためか? 続編をつくるにあたって、監督、プロデューサー、脚本チームで話し合いを重ねました。その中で森山監督から提示されたのが、チーム番外地にとって太陽のような存在であった南部の死と、罪を背負って地下を放浪するジョーというアイデアでした。あの輝かしい勝利のあとで、ジョーの身に何かが起き、すべてを失ってしまった。そのアイデアに強く魅了された私たちは、どこへどう辿り着くのかわからないまま、とにかくその方向へと物語を出発させることにしたのです。
本作品に登場する移民体験は、多くのファンの共感を呼んでいます。チーフと彼のコミュニティに関して言えば、本物らしく(リアリティをもって)見せるために、どのようにしましたか? 何か参照したものはありますか?
【森山】:『メガロボクス』の近未来世界には様々な国籍のキャラクターが登場することもあり、舞台の裏側のこととはいえ人種問題や移民問題は常に自分の近くにありました。それもあって続編にはその要素を物語に絡められたらと考えました。自分は移民問題についてのエキスパートではありませんが、ニュースやドキュメンタリーなどこれまで見てきたものからヒントを得て物語の構築や絵作りを行いました。個人的には映画の影響が強く、例えばケン・ローチ監督作品やスパイク・リー監督の『Do the right thing』は制作中に観返したりもしました。同じ場所で生きる様々な人間たちの複雑な関係性、表裏のある言葉のやり取りなどはチーフと仲間たち、彼らを排斥しようとする者たちの考えや行動に影響を与えていると思います。
【真辺】:私の住んでいる街では多くの外国人が暮らし、母国を離れざるを得なかった難民の方もいます。恥ずかしい話ですが、彼らに偏見を持ち、差別的な言動をする人間も存在します。 歴史を遡ると、多くの日本人がアメリカだけでなく、中南米に移民として海を渡りました。今の日本には日系ブラジル人や日系ペルー人の方々が各地で暮らし、カーサのようなコミュニティがつくられています。いわれなき差別を受け、満足な公共サービスを受けられない人々に対し、私も含め多くの日本人は労働の担い手としか見ようとせず、無関心を貫いてきました。既に二十年以上、この国で共に生きているにも関わらず、です。無知が恐れを生む悪循環を止めることは困難ですが、わずかでも抗うためのクサビを打ちたい、そんな思いをこの物語に込めました。共感を呼んでいるのだとすれば、その祈りが届いているのだと思います。私は悲観主義者なのですが、掲げた理想を現実に引きずりおろす愚かな真似はしたくないのです。
【小嶋】:私が住んでいる埼玉県の蕨市という小さな町には、外国からの移住者が多く暮らしています。排外主義者のグループがヘイトスピーチをしに来たこともあります。���にクルド人住民の数は日本の中で一番多く、”ワラビスタン”とも呼ばれています。彼らは母国での迫害を逃れて日本にやって来た人たちとその家族ですが、政治的理由で難民申請を受理されないまま、人権を制限された状態で暮らしています。日常的に彼らの姿を目にしていることが、本作品での移民体験の描写に影響しているのかもしれません。 参照した作品を一つ挙げるとすれば、イギリス映画『THIS IS ENGLAND』です。ミオと地元の少年たちの関係を描く際に参照しました。
勝利した後、ジョーは、ある層の人々からヒーローとして受け入れられるわけですが、『メガロボクス』のジョーに、どういう男性像を見出しますか? また、ジョー(の生き様)が心に響くとすれば、どういうことを体現しているからだと思われますか?(ジョーという存在のどういうところが、心を打つのか…皆さんにとってどういう存在でしょうか)
【森山】:人種も何も関係のないひとりの人間の個の獲得、その強さや輝きというものがジョーというキャラクターの魅力なんだと思います。だからこそ助け合え、共に生きていけるという希望の象徴です。そこを描くことが前作のテーマであり課題でした。ジョーは男性ですがそこに性差は関係なく『メガロボクス』のキャラクターにはそういう思いを込めました。
【真辺】:『大きな力に対し、おもねるのではなく抗う』。名もなき存在であったジョーがメガロボクスの頂点に立ち、虐げられる立場の人々にとって希望の灯りとなった。チーフはまさにその象徴です。しかし、南部という父親を失ったジョーは、自らが父親の役目を果たそうとして家族であるサチオたちを傷つけてしまう。そのことは“男らしさ”という呪いの言葉に囚われた幼い自身の姿をさらけ出すことになりました。 家父長制とマチズモが賞賛される社会で生まれ育った人間にとって、この病を克服することは厄介です。かつてチーフもそうだったのかもしれません。ですが、チーフは家族を失いながらも��熟した“良き大人”の姿をこの物語の中で見せてくれました。ジョーもチーフのバトンを受け取ったことで、呪いから解放される姿を見せてくれるでしょう。 ジョーの魅力は、自分の弱さや不安を誰かを貶めることで解消しようとしない愚直な誠実さであり、優しさを失うことのない高潔さだと思います。そして冒頭に書いたように、権力や権威を嫌って、諦めずに抗い続ける強さ。私にとって彼は敬意を払うべき友人であり、「そんな風になりたい」と思う人間のロールモデルです。
【小嶋】:ジョーが体現しているものは“信じる力”だと思います。金でも、権力でも、神様でもなく、人を信じる力です。彼は“ギアレス”ジョーとしてチャンピオンになりましたが、心はずっと“ギアレス”のままです。相手に生身でぶつかっていくその無防備な誠実さと危うさが、見る人の心を打つのだと思います。
アニメやスポーツにとって、『あしたのジョー』の遺産は、どういうものだと思われますか?
【森山】:難しい質問でうまく答えられませんが……創作の場においては未だ影響の大きい作品です。
【真辺】:スポーツの面では、日本でスーパースターになった辰吉丈一郎というプロボクサーがいます。WBCのバンタム級チャンピオンでした。彼の丈一郎という名前は、彼の父親が主人公の矢吹丈から取ったものです。私も大好きなボクサーでした。 アニメの面では、特に『あしたのジョー2』については影響を受けていない作り手はいないと思います。技術面だけでなく、伝説の漫画原作に負けまいとせめぎ合う高い志に感銘を受けました。簡単に消費されないエバーグリーンな名作であり、未だに心を震わされます。
【小嶋】:『あしたのジョー』は、強烈なロマン主義と情念のリアリズムを併せ持つ偉大な物語です。その精神性は、アニメやスポーツに限らず、日本���文化に大きな影響を与えていると思います。しかし一方で、男らしさや、死の危険を顧みず命がけで戦うことを良しとする、いわゆる「男の美学」については、現代の価値観では受け入れ難いものがあることも確かです。それをどう乗り越えていくかが、今のクリエイターたちに与えられた課題だと思います。
視覚的に、メガロボクスは複数の点で特徴的です。その「粒子の粗い」外観にした背景には、どういう狙いがありますか?
【森山】:前作『メガロボクス』を制作中は原案である『あしたのジョー』とは距離を取りながら近づける、ということを意識していました。例えば、舞台だては大きく変えるが物語のテーマは引き継ぐというようなことです。「粒子の粗い外観」もその一つで、最新作を再放送のような画面で見るということがひとつ魅力になるんじゃないかと考えました。シンプルな構造の物語にはインパクトある画面が必要だったこともありますし、VHSのような劣化した画面が自分にとっては魅力的に映ることも大きいです。
森山監督は、コンセプトデザインの経験が豊富ですが、「ノマド」の世界を視覚化しようと思った出発点/インスピレーションは何でしたか? 監督ご自身が以前に関わった作品で得たスキルやアイデアで、メガロボクスの土台を築くのに役立ったものはありますか?
【森山】:インスピレーションはほとんどの場合これまで観てきた作品が深く影響していて、映画や音楽から得たものが特に大きいです。『NOMAD』制作中は特にアメリカやスペインの西部劇を観返すことが多かったです。他にもカメラワークなど昔ながらの方法で撮影された映像の雰囲気を取り入れたかったので60~70年代のニューシネマも良く観返しました。自分は実写の映像からアイデアを得ることが多いです。コンセプトデザインに取り組む方法は作品によって異なりますが、『メガロボクス』の場合は脚本チームとのミーティングも自分にとっては特に重要な要素です。会話の内容にかかわらずコミュニケーションのすべてが作品に影響していると思います。
真辺さんと小嶋さんは以前、実写のNetflixシリーズ『深夜食堂』でも一緒にお仕事されていますね。一緒に仕事をするようになったのはいつからですか。お二人の仕事上の関係はどのようなもので、どのように一緒に作業されるのでしょうか?
【真辺】:小嶋氏と共作するようになったのは、Netflixシリーズ『深夜食堂』からです。私が所属するシナリオ作家協会のシナリオ講座で講師をしていた時に、彼が講座生として来たのが出会いです。カリキュラムで2時間の映画脚本を書くのですが、彼は福島の原発事故をテーマにした話を書きたいと言ってきました。「センシティブな題材なので簡単じゃない」と私はアドバイスしましたが、「これを書かないと前に進めない」と彼は言い、取材をして書き上げました。そのことで「信頼できる書き手になるだろう」と思い、深夜食堂の監督である���岡氏に紹介しました。そして松岡氏の信頼も勝ち取り、脚本家チームに加わることになったのです。 出会いこそ講師と講座生ですが、シネフィルで映画の知識が豊富にある彼のアイデアは刺激があり、上下関係なく優秀な一人の脚本家として敬意を持って仕事をしています。 互いの家でアイデア二割、無駄話八割をしながらプロットを考え、脚本まで仕上げていくスタイルです。多少どちらかが先行するケースもありますが、プロットの段階で互いの意見を遠慮せずに言い合うことで、船を間違った方角に進ませる悲劇は起こりません。もちろん納得出来ないこともありますが、言葉を惜しまず耳を傾ければ、相手の意図が「この作品にとってプラスになるか、そうでないか」を判断出来ます。 脚本家にとって最も重要なことは、設計図であり楽譜でもある脚本をどれだけ強靭なものに仕立てられるかが作品作りのトップランナーとしての役目だと考えています。たまに私が先輩風を吹かすこともありますが、小嶋氏は寛容な心で受け入れてくれます。恐ろしくて本人には確かめられませんが。
【小嶋】:出会ったのは2012年です。真辺さんは私が通っていたシナリオ学校の講師でした。卒業後、真辺さんに誘われて、『深夜食堂』のプロジェクトに参加することになりました。以降、一緒に仕事をしています。 真辺さんとの作業はいつも、たくさん話しをすることから始まります。見た映画やドラマ、読んだ本、身の回りの出来事や世の中で起きているニュースなど、その時々の関心事についての会話の中から、アイデアが生まれ、少しずつ物語の形が見えてきます。仕事を忘れて、お喋りだけで一日が終わることも珍しくありません。そんな日は二人とも罪悪感に苛まれます。とにかく、そうやって書いたものを互いに読みあい、率直な意見を交わしながら、ブラッシュアップしていきます。 私は理屈っぽく観念的に考えてしまう癖があるので、真辺さんの直感的で具体的なアドバイスに、いつも助けられています。
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2016 演出介紹 Introduction of Performance
莎妹劇團X王嘉明X《地下室手記》
時代是十九世紀,一名年約四十歲的小公務員,在收到遠親留給他的一筆不算豐厚的遺產後毅然辭職,蟄居於聖彼得堡城市邊緣一處地下室裡,孤獨地談論自己。
他以獨白方式敘述自己,說自己有病,卻不願意求醫;他滿懷憤恨,卻又渴望羞辱,甚至從中感到絕望的歡愉──面對假想出的讀者大眾,他叨叨絮絮種種關於人的意識、自然規律、利益、慾望與痛苦的必要,並試圖藉由寫作從這些惱人的念頭中獲得解放。然而惱人的念頭彷彿聖彼得堡潮溼的雪,又黃又濁,這樣的雪讓他回想起過往不堪回首的羞恥記憶。
他曾在涅瓦大道上向一名對他視若無睹的軍官展開一場極其卑微又可笑的復仇計畫;他也曾不顧他人意願硬闖一名同窗茲維爾的餞別餐宴最終受盡屈辱;而為了從種種侮辱中解脫,他竟試圖透過虛偽的道德勸說一名妓女麗莎從良來拉抬自己的地位,卻又在麗莎表達善意的理解時以最卑劣的手段羞辱於她。
究竟什麼是真實?什麼值得尊重?要愛什麼?又要恨什麼呢?只要絕望與矛盾仍無止盡地襲來,《手記》也將無止盡地寫下去。
第七劇場X鳴海康平X《罪與罰》
原為大學生的貧窮男子拉斯柯尼科夫認為,「人類有凡人與非凡人的區別,非凡人具有犯法的權利。」因此,他想著,「若為了因貧窮而被剝奪機會的多數人,殺死人渣般的高利貸老太婆,把搶來的錢拿去拯救更多的人不也是種正義嗎?」然而,他卻錯殺了這位老太婆的妹妹,並奪取她的財物。於是在犯案後,他的精神開始變得錯亂。
沈迷在酒精中深信神的救贖的男人、人格異常男子與自己所深愛妹妹的婚約、想利用妹妹的結婚來擺脫貧窮的母親、懷疑他是殺人犯的審查官、向妹妹求愛的可疑好色鬼,在與這些人的往來中,讓他的信念開始動搖,殺人這���事情的意義也開始產生劇烈的變化。尤其當他遇見了作為娼妓持續賺錢養家的女子後,他感到彼此都是「跨越些什麼的人」,於是坦承了自己的罪行,然後自首。
而就在兩人於西伯利亞監獄確認彼此的愛意時,故事落下了幕。
台灣演出 2016新舞臺藝術節 臺南文化中心原生劇場 2016年11月18 -19日(五、六)19:30、20日(日) 14:30
日本演出 平成28年度 文化庁劇場・音楽堂等活性化事業 会場:三重県文化会館 小ホール 開演日時:2016年11月26日(土)18:00 / 27日(日)14:00
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Shakespeare’s Wild Sisters Group X 王嘉明 X『地下室の手記』
時代は19世紀、年の頃四十の小役人、彼は遠縁の親戚が残した決して多いとは言えない遺産を受け取った後、毅然として辞職、サンクトペテルブルグの片隅の地下室の中で閉じこもり、孤独の中で自分を見つめ直す。
彼は独白を通し自分を述べ、自分が病気であると言うが、別に医者に診てもらいたいわけではない。彼は憤りに満ちているが、一方で屈辱を渇望しており、それに絶望的な喜びさえ感じている。──彼は想像上の読者である大衆に対して、彼は人間の意識、自然の法則、利益、欲望、そして痛みの必要性についてくどくどと話し、書くことによってこれらの苛立たしさを解放しようとした。 しかし、苛立たしさは、サンクトペテルブルクの湿った雪のように、黄色く濁っていて、その雪は彼��過去の恥ずべき思い出を想起させた。
彼は、ネフスキー大通りで自分のことを見て見ぬふりをした将校に対して、極めて卑しくてまた馬鹿馬鹿しい復讐計画をし始める。そして他人の意志に関係なく同級生ズヴェルコフの送別会に突入し、最後はあらゆる屈辱を受ける。様々な侮辱から解放されるために、彼は偽りの道徳心で売春婦リーザに売春業を廃業するよう説得し、自分の立場を優位にする。しかしリーザが彼の善意へ理解を示した途端に最も卑劣な手段で彼女を辱めるのだった。
一体何が真実だ?何が尊重に値する?何を愛し?また何を恨む?絶望と矛盾が際限なく襲いかかる限り、「手記」を書き続ける。
第七劇場 X 鳴海康平 X『罪と罰』
元は大学生の貧しい男ラスコーリニコフは、「人類には凡人と非凡人の区別があり、非凡人は法を犯す権利がある。」と認識していた。そのため、「貧しさゆえに機会を奪われてきた大勢の人のためなら、悪名高い高利貸しの老婆を殺し、奪い取ったお金を持って、さらに多くの人を救えば、それも正義なのではないか」と彼は考えていた。しかし、彼は誤って老婆の妹を殺し、彼女の財物を奪い取ってしまう。犯罪が発覚した後、彼の精神は錯乱し始める。
酒に溺れる中、神の救いを信じる男、人格異常な男と最愛の妹の婚約、妹の結婚を利用し貧困から抜け出したい母、彼を殺人犯だと疑う判事、妹に求愛する怪しい色情狂、この人たちとの付き合いの中で、彼の信念が揺らぎ始め、人を殺す事の意味にも劇的な変化が生じ始める。特に彼が娼婦として金を稼ぎ、家族を養っている女に出会った後、彼は互いが「何かを背負っている人」だと感じ、自分の罪を認め、自首する。
二人がシベリア刑務所で互いの愛を確認する時、物語の幕が下りる。
台湾公演 2016新舞台芸術祭 臺南文化中心原生劇場 2016年11月18日-19日(金、土)19:30、20日(日)14:00
日本公演 平成28年度 文化庁劇場・音楽堂等活性化事業 会場:三重県文化会館 小ホール 開演日時:2016年11月26日(土)18:00/27日(日)14:00
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演出製作團隊 Prodution
莎士比亞的妹妹們的劇團 X 地下室手記
製作人:陳汗青 編導:王嘉明 演員:Fa、王世緯、王安琪、張耀仁、佐直由佳子(第七劇場) 舞台監督:鄧湘庭 燈光設計:王天宏 服裝設計:靳萍萍 導演助理:盧琳
プロデューサー:陳汗青 演出:王嘉明 出演:Fa、王世緯、王安琪、張耀仁、佐直由佳子(第七劇場) 舞台監督:鄧湘庭 照明:王天宏 衣裳:靳萍萍 演出助手:盧琳
第七劇場 X 罪與罰
編導:鳴海康平 演員:小菅紘史、伊吹卓光、八木光太郎、堀井和也、蔡亘晏(莎妹劇團) 舞台監督:平岡希樹 燈光設計:島田雄峰 導演助理:三浦貴司
演出:鳴海康平 出演:小菅紘史、伊吹卓光、八木光太郎、堀井和也、蔡亘晏(Shakespeare’s Wild Sisters Group) 舞台監督:平岡希樹 照明:島田雄峰 演出助手:三浦貴司
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演出概念與構想 Performance Concept
王嘉明・導演的話
這是一個以沒禮貌、自以為是、不斷碎嘴、超尷尬的人物為主角的不知能否稱為小說的小說(連文體的定義都超尷尬),不只主角個性、做的事情粉尷尬,連要不要發表這篇小說都超尷尬,甚至連結束的方式都很尷尬,怎麼可以這麼尷尬呢? 這本出版於1864年的《地下室手記》,在它這152年的路上,有相當多不同的理論切入解讀,地下室裡已經塞滿了各種意義,到了現在,重新閱讀,突然覺得,這世界甚麼時候開始變得這麼正面?倒也不是正面對或不對的問題,或許換另一個問法是:甚麼時候開始這麼害怕去碰觸所謂的負面?或是,再換另一個問法:所謂正面與負面構成如迷宮般糾結的認同關係,何時開始變得如此簡化? 回到劇場,在排練過程中試了相當多處理台詞和表演的方式(真的相當多,之後的作品應該會看到),但在他的凝視下,似乎都成了自我欺瞞的手法,最後,留在作品裡的幾乎所剩無幾,怎麼會這樣呢?對呀,怎麼會這樣?排練過程也不斷繞著一些沒有答案的問題,問題簡化如下:甚麼是劇場的意義?甚麼是觀眾?甚麼是順暢?甚麼是適當?甚麼是禮貌?甚麼是表演?甚麼是生活?甚麼是討好?這些問題,將不會在作品中有解答。 至於,為何選《地下室手記》?不覺得它正是這次台日交流活動的核心的精神狀態嗎?
鳴海康平・導演的話
經常會提到一件事,對於拉斯柯尼科夫而言「罪與罰」是什麼呢?即使在原著最後,他對於自己殺人的行為,並未改過自新或後悔。但這本小說的題目卻叫做「罪與罰」,又是為什麼呢?原標題所說的「罪」與「罰」兩字其實有著宗教上的意涵,事實上這也是將這道謎題解開的其中一把鑰匙。然而,在世界上頻繁發生恐怖攻擊、充斥著難民、近代與資本主義等種種高牆被破壞的現在,對於在此時此處活著的我們而言,我認為更能看見暗藏其他意義的濃厚色彩。他不僅是不了解人所感到的苦痛,對於自己的痛苦與幸福也一無所知,甚至「自我理解」到自己的心對什麼事都無法觸動,也一直為此受折磨,我是如此詮釋的。在現今的時代,或許這並不絕對是一件特別的事也不一定。不改過也不後悔的他,在原著最後卻從一名女子身上感受到了愛。如同杜斯妥也夫斯基最後所寫的,故事還將會自此繼續下去吧!然後同時,就算到這裡結束,也會成為一個壯闊而意義深遠的故事呀!
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王嘉明・演出家のコメント
これは無礼で、独りよがりな、ペラペラとよく喋る、とても不器用な人物を主人公にした小説と言っていいのかわからない小説(文体の定義さえとても不器用)だ。主人公の性格だけでなく、する事なす事不器用で、この小説を発表する事さえ不器用、物語の結末さえもと��も不器用、どうしてこんなにも不器用なのか。 1864年に出版の『地下室の手記』は、ここ152年の中で、たくさんの理論の切り口で解読された。地下室の中には様々な意義が詰め込まれ、今改めて読み直してみると、この世界はいつからこんなにもポジティブになったのか。ポジティブになったのが正しいのか正しくないのかの問題ではないが、言い換えると、いつからこのようなネガティブな部分に触れることを恐れるようになったのか。もしくは迷宮のような正と負がもたらした納得のいく関係は、いつからこんなにも簡素になったのかと急に思うようになった。 劇場に戻り、稽古の過程でかなり多くの台詞や演技方法を試みた(とても多くを試したので、作品を見ていただけたらわかるでしょう)、しかし彼の影響下では、自己欺瞞の手法になってしまい、最後は、作品の中に何も残らない。どうしてこのようなことが?そう、どうして?稽古の過程でも絶えずいくつかの答えのない問題が纏わりついた。問題を簡潔に述べるとこのようなことだ:演劇の意義とは?観衆とは?順調とは?適当とは?礼儀とは?演技とは?生活とは?ご機嫌取りとは?作品の中にこれらの問題の答えはないだろう。 それならば、なぜ『地下室の手記』を選んだのか。それはまさに今回の日台交流活動の主旨ではないだろうか?
鳴海康平・演出家のコメント
ラスコーリニコフにとって「罪と罰」とは何なのか?これはよく言われていることですが、原作の結末でも、彼は自分の殺人の行為について、改心も後悔もしていない。しかしこの小説のタイトルは「罪と罰」である。何故なのか。原題の「罪」と「罰」の二文字には宗教的な意味合いが含まれていて、事実これもこの謎を解く鍵になる。しかし、世界で頻繁にテロが発生し、難民が溢れ、近代や資本主義などがある種の壁にぶつかった今、この時そこで生きている私達にとって、また別の意味合いが色濃く映るように私は感じる。彼は人の痛みがわからないだけではなく、自分の痛みや幸福すらもわからない、それどころか「自己理解」さえ、どのようなことに対しても心が動かされる事はないとわかっていて、そのためずっと苦しめられてきたと、私はそう考えた。今の時代において、これは決して特別なことではないのかもしれない。改心も後悔もしなかった彼は、原作の最後に一人の女性との間に愛を感じる。ドストエフスキーが最後に書いているように、物語はまたそこから始まるのだろう!そして同時に、結末に至るまでにも、雄大で深遠な物語となりえるのだろう。
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網站連結 Website
第七劇場 罪與罰 https://dainanagekijo.tumblr.com/post/174179721918/crimeandpunishment
回顧短片 https://vimeo.com/644181196
關鍵評論 | 眾聲喧嘩中的共同迴音:專訪莎士比亞的妹妹們劇團新作《交換手札》導演王嘉明 https://www.thenewslens.com/article/50528
表演藝術評論台|在交換中尋找聯結《交換手札・杜斯妥也夫斯基計畫》 https://pareviews.ncafroc.org.tw/?p=22128
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10日くらいの日記、もう年末ですね
20201220
朝の9時過ぎ、バスを待ちながら今日はなんだか暖かいなと思って気温計を見たら-4℃だった。暖かいのは気のせいだったのかもしれない。
20201221
仕事が忙しくって残業をして帰る。いろいろと思うところがあり、ぐぬぬぬぬぬ!!!となりながら巷で評判の良い「命の母 ホワイト」を飲んだ。ていうか単に疲れてるのか。
前の職場の上司から、来年のカレンダーのお歳暮が届く。飲みに行こうぜーと再三誘われていたのだが、不精をしていたのに、気を使っていただいてとても恐縮である。職場に電話したが不在だったので、メールを送る。手紙も書こう。
カレンダーは、私が大好きな米津祐介のものだった。好きなことを覚えててくださったこと、それがいちばん嬉しい。心があったかくなる。
冬至。柚子湯に入って、早めに眠った。
20201222
父の四十九日法要を行う。本当は来年の1月8日が四十九日なのだが、微妙に松が取れたり取れなかったりする頃なので早い目に行うことにしていた。
隣の市にあるお寺にお世話になる。懸念していた雪も、とりあえず大きな道路にはない感じで助かる。朝から兄夫婦といっしょにお寺に行って、ご住職に位牌に魂を入れていただく。実は位牌を見���のはこの日が初めてで(カタログ見て注文してそのままだった)、いい感じの仕上がりにみんなで盛り上がった。父の葬儀の相談から長いことお世話になってた生協の方とも、とりあえずはこれでおしまい。丁重に挨拶をした。本当にお世話になった。
兄夫婦と別れて、その足で農協へ向かい、車の自賠責保険の名義を変更してくる。そして家へ一度帰ってお昼を食べ、午後は別の金融機関へ行って講座の解約。ちょっと場所的にも遠くて手がかかるところだったので、済ませてしまってよかったよかった。帰り道、ドラッグストアに寄って買い物をする。よく行くチェーンの普段行かない店舗に行くのは、ちょっとパラレル感があって楽しい。
夜は四十九日が終わり一区切り、ということで、魚屋さんからお寿司を買って母と食べた。
20201223
今日祝日なのにバス混むなあ?と思いながら出勤したら、なんと平日だった。そうか、もう令和か……。
お借りしていた「鬼滅の刃」最終巻を読み終わる。余韻が凄すぎて、最終巻だけでもむしろ欲しい。鬼滅ではぼんやり冨岡さん推しだったのだけど、最終巻を読んでその気持ちを確固足るものにした。鬼滅の推しは冨岡さんです!!!!(突然の宣言) キーホルダーとか超欲しい。カバンに着けたい。そのうちアニメイトに行くか……。
20201224
クリスマス・イブ。
クリスマスは大好きな行事のひとつだけど、今年は年末年始の休暇を目標にいろいろと頑張っているせいか、どうも影が薄くなっちゃっている。ツリーも飾ったんだけどな。
仏壇の下に置くチェストがニトリから届く日。我が家にはそもそも仏壇がなかったので(ついでに言うと墓もない)、父のことは仏壇を買うところから始まったのだが、チェストの上に仏壇を重ねるという「立って拝む」スタイルにしようということで、ニトリに仏壇とチェストを注文していたのだった。納期の関係で仏壇は以前に届いていて、チェストがあとからようやっと届いた次第。私が仕事だったために兄が駆けつけてくれて、設置をしてくれたのでとてもありがたい。「お父さんに立派なクリスマスプレゼントになったね!」とみんなでひとしきりはしゃいだが、よくよく考えると、キリストの誕生日に仏壇(の設置)がプレゼントっていうのはどうなんだろうな……。しかし立派なチェストで、仏壇にもいい感じに雰囲気が合い、いい感じだ。お値段以上、ニトリ。
20201225
クリスマス。メリークリスマス!兼ねてより準備していたプレゼントを、知人に渡すなどする。ついでにすごく面白かった「さよたんてい」の本も貸す。
前から予約していた福祉バンクが来てくれて、父の使っていたものをいくつか持ってくれていったようだ。応対してくれた母と「誰かの役に立って欲しいね」という話をした。これはどうなんだろうな……?と思っていたものも引き取っていただき、とてもありがたい。
仕事は混迷を極めていたが、こないだ残業したので今回はサラッと帰宅した。巷はクリスマスに溢れかえっているけれど、私は26日がお休みなので、その日にクリスマスするつもり。しかしとりあえず、メリークリスマス。
20201226
ということでクリスマス(実質)。父が入院して以来、かなり久しぶりの何も予定のない休日だ。
ということで、27日に閉幕してしまう、岩手県立美術館の「東山魁夷展」に行く。混んでるだろーなーーと思って危惧していたのだけど、とりあえずまだなんとかなるレベルの混み具合だった。フライヤーなどに使われている海の絵が最初の目当てだったのだけれど、後半に展示されていた水墨画がとても印象に残った。柳の木が縦横無尽に動くような空気が良い。
美術館を出て、近くのイオンに寄ってケンタッキーを買い、これまた近くのケーキ屋さんに寄ってケーキを買って帰った。メリークリスマス!ツリーはまだ出したままにしてある。
夕方には県外の高校に進学している姪っ子が遊びに来てくれた。元気そうでよかった。お土産をいただいてしまい、叔母ちゃんは恐縮です。
20201227
はちゃめちゃに眠い1日。もう少しで年始年末休み!!ということだけを考えて仕事をする。
20201228
今日で無事に仕事納め。というか朝から午後までずーーーっと会議会議で仕事はまだまだこれから、むしろ来年が本番なんだけれども、とりあえず納めてきた。押し込めてきた。帰ってから食べるあっつい鍋焼きうどんが染みる……。明日から休みだ!しかしなんというか、いろいろと忙しかったためなのか、なんだか年末感が薄いなあ。おもちに備えて、くるみを割った。
クリスマスツリーは明日片付けよう。
20201229
……という流れで駆け抜けて、今日。いや、むしろ昨日。
待ちに待っていた年末年始の休みにようやっと入り、とりあえずは一息ついた感じ。朝から今年最後の燃えるゴミを出して、とりあえず買い物へ向かう。お雑煮やお煮しめ、夜更かし用のお菓子などを買い込んで、お昼までは昨日割って中身を取り出したくるみのゴミ取りをする(殻の細かい破片などが入っちゃっているので)。
午後は大掃除だね~と前から予定を決めてはいたものの、母と二人ともなんだかぐったり疲れてしまい、予定を返上してのんびりうたた寝などをする。疲れていたのだな……。年末年始の様子を伝えるニュースを見ながら、夕飯に煮込みハンバーグとポタトサラダを作った。
夜はお風呂に入りつつ扇風機(サーキュレーターぽく暖房と併用している)の部品を洗った。かなりスッキリして、何となく吹く風が心地よくなった気さえする。さて、明日こそ大掃除だ。雪はどれくらい積もるのかなあ……。
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mercoledì miércoles 22 luglio julio
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中国江蘇省の「南京大虐殺記念館」が2017年12月14日、リニューアルを終えて一般公開を始めた。 しかし、産経新聞の河崎真澄記者の報道(2017.12.15)によると、「南京大虐殺の史実を世界に周知させた」として顕彰された朝日新聞の本多勝一元記者らの写真と資料が撤去されていたことが分かったという。 河崎記者は日本軍が朝鮮半島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言報道が「虚偽だった」と朝日新聞が認めたことなどから、同紙の過去の報道の信頼性に疑念をもたれる恐れがあると判断した可能性があるとしている。 一方、習近平主席が2015年の公式訪英時、エリザベス女王主催の晩餐会で「日本侵略者の暴行を暴く記事を発表した」などと英国人記者を称賛して中英の友情物語として紹介したことがある。 ところが、岡部伸(産経新聞ロンドン支局長)氏の調査で件の記者は南京に行っていなかったことが判明した。筆者はこの失態の影響もあるのではないかと思料している。 嘘は大きければ大きいほど愛国心が強い証とされた「愛国虚言」ゆえか、本多氏のルポルタージュ「中国の旅」(1971年)以来、「南京大虐殺」は拡大の一途をたどり独り歩きしてきたが、展示品の撤去や事実を確認しない虚偽の紹介は、矛盾の露呈ではないだろうか。 ■ そもそも「南京事件」とは何か 支那事変(日中戦争、日華事変とも呼称)は、北京近傍の盧溝橋事件(1937年7月7日)で始まり、3週間後の29日には日本人居住地を守っていた中国の守備隊が反乱を起こし、250人余の猟奇的殺害、処刑を行う通州事件が起きる。8月9日には上海に拡大した。 「中国に深入りするのは泥沼に踏み込むようなものだ」と不拡大を主張していた参謀本部の第1部長石原莞爾少将や慎重論の米内光政海相も堪忍袋の緒を切らし、作戦を限定する方針のもとに上海への出兵に同意する。 9月にかけて2個師団強(第3・第9師団、1個支隊)が松井石根大将を総司令官とする上海派遣軍として派遣された。 他方、蒋介石の中国側はドイツから招いた将軍の指導下にチェコ製機関銃を配備するトーチカを構築して、75個師団(約75万人)の大兵力を布陣していた。 日本側は苦戦を強いられ、11月には予備役まで招集した第10軍(第6・第101師団、1個支隊)を増派、北支から第16師団も転用して上海派遣軍に編入し、中支那方面軍(司令官松井大将)を編成した。
5個師団基幹でも総兵力は約7万人で、国民党軍の10分の1以下でしかなかった。 蒋介石は住民を盾にする戦術を採り、住民を巻き添えにしたくない日本軍は至る所で思わぬ抵抗を受け、20キロを進むのに1か月余を要した。 その後の南京までの三百数十キロの追撃が30日であったことからも、上海戦の激烈さが分かる。 日本軍が南京攻略戦を開始したのは12月8日である。蒋介石は前日に南京を脱出する。 松井方面軍司令官は9日1600に翌日正午までの停戦命令を出し降伏を勧告するが返答なく、10日1300に攻撃を再開した。 日本軍の攻城に耐え切れず南京防衛軍司令長官の唐生智が12日夜脱出すると、13日早朝に南京は落城する。その後城内の掃討戦を行い、17日に松井司令官を先頭に入城式を行う。 日本軍の意向もあって、12月23日には早くも南京市自治委員会が成立し、翌1938年1月1日を期して発会式を挙行している。 城壁上に上がった陶錫三会長は城下に集う民衆に対して「ここに敵の主都は甦生へのスタートを切った」と宣言する(「アサヒグラフ」昭和13年1月26日)。 「南京事件」と言われたものは、米人宣教師たちが後々の布教のために、「城内における日本軍の暴行」をでっち上げ、国際世論や南京市民の支持を得るプロパガンダであったとされる。 従って、城内の暴行報告は日本軍の南京入城(12月13日)から翌38年2月上旬までの約6週間であった。 しかし、この間の暴行報告を見ても強姦、掠奪、放火などで数も多くなく、虐殺と思われるような事象は見られない。
事実、南京戦以前は100万人いた市民の多くは戦火の拡大と共に脱出した。 残った20万人もドイツ人ジョン・ラーベを長とする国際委員会が設定した安全地帯(安全区や難民区などの呼称もあり、皇居前広場の約4倍)に収容され、安全区外の城内にいる市民はほとんどいない状況であった。 しかも、城内の人口は日本軍の入城後も減ることはなく、2月頃は25万人と推定されるまでになっていた。 この時点で南京市民虐殺30万人説は成り立たず、「南京大虐殺」の虚構は崩れ去る。 しかし、大虐殺は「あった」派は満足せず、何時しか上海戦から南京攻略に至るまでとしたり、南京攻略戦以降の数か月にわたる期間などとするように変化させていく。 また、歴史家で「日本『南京』学会」理事でもある冨澤繁信氏は、大虐殺の出発点となった6週間内の「南京安全地帯の記録」を丁寧に翻訳・研究し、安全地帯の記録で「兵士」と書かれているのを一方的に「日本軍兵士」とする恣意的誤訳などを指摘している。 ■ 本多氏『中国の旅』での記述 日本軍が南京に近づく状況を本多氏の『中国の旅』は、「ここに至るまでに、すでに膨大な数の住民が殺されています」と書いている。 日本軍が入城すると、10万人以上いた蒋介石軍の高級将校は家族を連れ、また主な将校らも北側の2つの門から逃げ出し、門を閉め外から錠をおろして遮断する。 そこに大衆が押し寄せると、「日本軍は機関銃・小銃・手榴弾などを乱射した。飢えた軍用犬も放たれ、餌として食うために中国人を襲った。二つの門に通ずる・・・大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」。 日本軍は「二つの門を突破して、南京城外へくりだした。長江ぞいに下流(北東)へ、・・・と虐殺をすすめ、さらに南京城北7キロの燕子磯では10万人に及ぶ住民を川辺の砂原に追い出しておいて、機関銃で皆殺しにした。・・・このときまでに、南京城内も合せて約20万人が殺されたとみられている」と記している。 本多氏に語る姜根福氏は「アヒルがたくさん浮いているかのように、長江の水面をたくさんの死体が流れていた光景が、今でもはっきりとまぶたに浮かびます」と語る。 続けて、「虐殺は大規模なものから一人、二人の単位まで、南京周辺のあらゆる場所で行なわれ、日本兵に見つかった婦女子は片端から強姦を受けた。紫金山でも2000人が生き埋めにされている。こうして歴史上まれに見る惨劇が翌年二月上旬まで2カ月ほどつづけられ、約30万人が殺された」と語るのである。
このわずかな引用でも異常な殺し方が見られるが、姜が伍長徳さんから聞いた話として次のような記述がある。 「(日本兵は)逮捕した青年たちの両手足首を針金で一つにしばり、高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた」 「・・・下で火をたき、火あぶりにして殺した。集めておいて工業用硝酸をぶっかけることもある。苦しさに七転八倒した死体の群れは、他人の皮膚と自分の皮膚が入れかわったり、骨と皮が離れたりしていた」 「(化学工場では)強制連行に反対した労働者が、その場で腹を��ち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食った」 残酷な殺し方が出てくるが、日本人にはなじめない方法ばかりである。 中国の古典『資治通鑑』にはこうした殺し方が記述されていると言われ、正しくこれらは中国4000年の歴史でしかないようだ。 なお、南京は幾度も事変に見舞われ、その度にこうした殺戮が繰り返された都市でもある。 ■ ごまかしに終わった藤岡氏との誌上討論 「週刊文春」(2014.9.4号)が「朝日新聞 売国のDNA」で、「本多氏は事実とかけ離れた『南京大虐殺30万人説』を流布させた人物だ」として、上述の「歴史上まれに見る惨劇・・・」を引用したうえで、藤岡信勝拓殖大学客員教授の「この記事は本多氏が中国共産党の案内で取材し、裏付けもなく執筆したもので、犠牲者30万人などは、まったくのデタラメです」とのコメントをつけていた。 このコメントに対し、「週刊金曜日」編集部から「週刊文春」編集部に「公開質問状」が届く。 両者の意を受けた両編集部が相談した結果、誌上での公開討論を5回行うことになるが、藤岡氏の第1信に対する本多氏側の「週刊金曜日」からは本多氏とA記者が対談する変則的な形の第1信が届く。 これでは2対1の討論で、しかも討論相手の本多氏の発言は10%位(全5信の文字数6000字中の比率)でしかないという。
藤岡氏が「本多氏との誌上討論には同意したが、正体不明の『A記者』なるものと討論することを承諾した事実はない」から「心底驚き、呆れた」「卑怯であり卑劣である」「責任逃れ」だと詰るのも頷ける。 平行線というか不毛に終わったように、日中間の最大の歴史戦は南京事件である。 当時、南京に派遣された特派員は朝日新聞約80人、東京日日(現・毎日)新聞約70人、同盟通信社約50人など、総計200人超とみられ、また「アサヒグラフ」などの写真報道も盛んに行われた。 こうした資料が「南京事件」を全くと言っていいほど扱っていないのは、そもそも事件は「なかった」という最大の傍証ではないだろうか。 筆者がJBpress『欺瞞にみちた創作か、本多勝一氏の「中国の旅」―「柳条湖」をルポルタージュで「柳条溝」とした顛末から読み解く』に見たと同じく、当時の史料や関係者の発言などよりも中国側が長年にわたってシナリオを練り脚色した言説を信じるという「本多ルポルタージュの破産」(殿岡昭郎氏)ではないだろうか。 ■ 記者たちは真実の報道を怠ったのか 南京城を陥落させるまでの数日間は城外で激戦が続くが、入城後に市民を虐殺したという報道はほとんどない。 20万人と言われた市民のほぼ全員が安全区に避難し、安全区以外の城内外にいたのは中国の兵士だけであったとみられているからである。 石川達三など一部の作家が日本兵士の悪逆非道ぶりを見たように東京裁判前に新聞に書いたが、後に「大殺戮の痕跡は一片も見ておりません。・・・(自分が以前書いた)あの話は私は今も信じてはおりません」と否定している。 当時の各新聞やアサヒグラフ、支那事変画報(朝日版、毎日版)などが報道している内容は、平和な日常が返ってきたという印象の記事や写真がほとんどである。 しかし、8年後の南京裁判と東京裁判で、突如として20万とも30万とも言われる虐殺を日本軍がやったとして被告席に立たされる。 戦闘に関わった万を数える将兵や当時現地で取材したほとんどの記者たちも、初めて聞く話に驚き、狐につまされた感じであったと述べている。
前述の通州事件はたった1日の出来事で、記者らしい記者もいなかったが、翌日からは各紙が報道した。 一方、6週間にもわたった南京戦では200人を超す内外記者・カメラマン、作家・画家、内外の外交官などが居合わせながら、誰一人として「虐殺」など語らなかったのだ。 松井石根・中支那方面軍司令官は入城に先立ち9日、唐生智・南京防衛司令官あてに降伏の勧告を行っている。 主旨は南京には歴史遺産が多くあり破壊するに忍びないし、また罪のない民衆が傷つくおそれがあるので南京を開放せよというものであった。 しかし、指定時刻になっても南京城からは何の反応もなく、勧告を無視したので攻撃命令が発せられた。日本軍は激しい攻城戦を繰り広げながら包囲網を確実に狭めていった。 南京を逃れて重慶に政府を移転した蒋介石さえ、内外への宣伝と支援要請のため開いた300回もの記者会見で「虐殺」には言及していない。 のちに政権を取る毛沢東も「自分が政権を取れたのは皇軍のお蔭」とは述べるが、虐殺非難など一切しなかった。 「虐殺」ほど世界を驚かし、同情を誘い支援要請に好都合な宣伝であろうに、「一切しなかった」、いや「できなかった」のはなぜか。答えは言うまでもないであろう。 ■ 暴虐を働いたのは支那兵だった 1937~38年の日中戦争当時、蒋介石や国民党軍の行動を実見した米国人ジャーナリストのフレデリック V. ウイリアムズは、『中国の戦争宣伝の内幕 日中戦争の真実』(田中秀雄訳)で、蒋介石の国民党が米国を巻き込んで、残虐極まる中国軍を糊塗して、悪逆非道の日本軍とするプロパガンダ大戦略を練り展開する状況を記している。 本多氏の「中国の旅」は、中国にとっては「飛んで火にいる夏の虫」を捕えた場外延長戦ではなかったのだろうか。 宣伝に長けた中国共産党のプロパガンダで、仕組まれた成果は「南京大虐殺記念館」の建設(1985年)にも繋がっていったのであろう。 大阪朝日新聞(12年12月10日付)は、「負傷兵締め出し」「非人道極まる支那軍」の見出しで、ニューヨーク・タイムス南京特派員の9日の報道を転載している。
日本軍に圧迫されつつある支那兵が化学戦研究所や金陵公園内の政府要路の大人たちの広大美麗な邸宅に放火しているというのである。 同時に、中国人負傷兵が城内に入って中国軍から手当てを受けるのを締め出すために門を閉ざしたと伝える。 それどころか、城内で治療を受けていた負傷者までが城外に追い出され、自力で城壁を迂回して揚子江へ出るか、野垂れ死にする以外にない状況に置かれたとの報道である。 日本軍との城外での熾烈な戦闘の一方で、支那軍自身が自国民や負傷兵士を手当てするどころか、死に至らしめている状況を作り出していたのである。 同紙はまた、「狂ふ支那軍の大破壊」「外人の軍事専門家呆れる」の見出しも掲げ、中立国の軍事専門家がニューヨーク・タイムス南京特派員に語ったことを報道している。 それによると、「日本軍の空襲砲撃の与えた損害は殆んど軍事施設に限られてをり、これを全部合わせてもなほ支那軍自身の手によってなされた破壊の十分の一にもたらぬであろう」というのである。 「支那軍は退却に当たり、不毛の原野や残煙立ち昇る廃墟を後に残して、これを日本軍に占領させた方が、ただ空しく退却するよりは、彼らの威信を高めるものだと信じてゐる」からだという。 そして「今や日本軍の進撃を前に奥地に殺到する避難民は数百万に達してゐるが、支那政府が彼らを救済しようとしても何事もなしえぬ今日、彼らは如何にこの冬の衣食住を得んとするか、これは想像に余りあるものがあらう」とも述べる。 日本軍の手の届かないところで、南京市民や負傷兵たちがほかならぬ中国軍によって死に追いやられている状況を遺憾なく示していたのである。 このように、中国政府や中国軍は、市民たちをあっさり棄民として見捨て、われ先にと安全なところに逃げて行った。 日本軍が入城した時に見た死体などの光景は、中国軍が自国の市民を死に追いやった姿であったのだ。 姜根福が語った「南京城内も合せて約20万人が殺されたとみられている」というのは、中国軍の仕業であったことが図らずも証明されるのである。
■ 全体的に平穏な南京城内 同盟通信社の前田雄二記者は開城と共に入城するが、「まだ戦闘は終わってはいない。城内の中国軍は統制を失ってはいたが、各要所に立てこもって一歩もひこうとしない部隊であった」と相手のタフネスについてもしっかり記録している。 そして「浅井、祓川、高崎などのカメラは、この市街戦をとり続けた」(『戦争の流れの中に』)と書いている。このように、城内の戦闘状況を撮りつづけていた同盟通信社のカメラマンだけでも3人がいたのである。 当時の新聞などは戦闘状況を報道しているだけで、「南京事件」を報じていなかった。先ほど述べたように、むしろ退却する中国軍の悍ましい状況を報道している。 当時のアサヒグラフなどの写真を見ても、大人も子供もにこやかな顔の写真が多く、日本軍の入城を歓迎したという話はあながち嘘でもなかったことが分かる。 そうした中で、蒋介石の宣伝戦に協力する外国人(特に米国人宣教師など)や外国メディアが外電で針小棒大に事件を仕立てて報じたわけで、実際に戦争に関わっていた将兵や数百人もいた報道記者たちにとっては、初めて耳にすることで吃驚仰天以外の何物でもなかったというのである。 戦後の中国共産党は、戦前・戦中の報道や東京裁判での判決などをベースに、日本に対し三戦でゆさぶりをかけているわけで、吟味なしに被災者たちの声を直接伝えることは、共産党の広報員になったも同然ではなかろうか。 今日においても日常的に、自己正当化や数値の操作などは共産党が得意とするところである。 南京の事象を日本軍の暴行として報道する外国人教授や米国人宣教師たちはどこにいたか、主として安全区に避難していた。 危険地帯を歩き回っている記者やカメラマンらの目と、安全区に保護されている欧米人の目と、いずれが信ずるに足るというのだろうか。 午後は残敵掃討戦になる。 「敵は陣地を放棄する時は建物に火を放つので、黒煙がもうもうとあがる。砲火と銃声がひびきわたり、市内には凄愴の気がみなぎった。住民の巻きぞえをくうものもあり、中国軍の遺棄死体は多数にのぼった」と前田記者は記す。 また「多くは兵服を脱いで住民に成りすました」とも述べている。 前田記者は13日から15日にかけ、何回となく南京城内を車で見て回っている。旧支局が安全区内にあったということで、15日には安全区に入っている。
「店はまだ閉じていたが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、子供たちが戯れていた。生活が生き残り、平和が息を吹き返していたのだ。私は戦争で荒れた心が和むのを覚えた」という。 報道写真からもそうした情景をみることができる。 14日の状況について、東京朝日新聞(12月16日付)はどういう報道をしていたであろうか。 「中山路の本社臨時支局にいても、もう銃声も砲声も聞こえない。14日午前表道路を走る自動車の警笛、車の音を聞くと、もう全く戦争を忘れて平常な南京に居るような錯覚を起こす。住民は一人も居ないと聞いた南京市内には尚十数万の避難民が残留する。ここにも又南京が息を吹き返して居る。兵隊さんが賑やかに話し合って往き過ぎる」 しかし、当然のことながらこの前後にも小競り合いの戦闘は継続しており、16日には日本兵が捕虜を銃剣で処刑している場面に遭遇する。 その後、下関の挹江門に回ると「まるで門をふさぐように中国兵の死体がぎっしり詰まっている」場面に出くわす。 また他の場所では銃で処刑しているところも見ており、別の記者が日本の兵士に勧められて中国兵を射殺もしている。 翌17日が入城式で、約100人の報道陣が集まり、その中には西条八十、大宅壮一氏などもいたという。 翌日、再度城内を車で走ると挹江門の死体はすべて取り除かれていたが、護送中に反乱を起こした「夥しい中国兵の死体の山が(揚子江岸に)連なっている」のを目撃している。 市民は安全区に保護されており、決して市民の死体などではない。 戦いの相手であった国民党が発刊した当時の国民党軍の行動記録にも不法殺害や虐殺などの字は見出せない。 前田記者たちは、同社の記者とは言うまでもないが、他の新聞社の記者らとも情報交換しており、自分一人の目で見たことではなく、南京戦場のあらゆるところから何百人もの記者らが見たり聞いたりした言行をベースに書いている。 前田記者が城内を実見した状況や当時の朝日新聞が報道した内容、また国際連盟での中国代表であった顧維均等の発言・討議と、宣伝戦を得意とする中国共産党の息のかかった人物から本多氏が30余年後に聞き書きした内容と、どちらの信憑性が高いかは一目瞭然ではなかろうか。
森 清勇
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190305 山梨2日目
帰りのスーパーあずさでパソコンを使って書くつもりだったけど、車内Wi-Fiが無かったので、スマホから。誤字脱字が多くなるかもしれない。
9時ごろ起床。本当はバイキング形式の朝食が着いていたけど、昨日、午前3時ごろまでノリノリでtumblrを書いてしまった影響で、朝飯よりも睡眠を優先してしまった……。
カーテンを開けると晴れていて、雲の切れ間から、上部の粉砂糖が多目な富士山が見えた。昨日一昨日の雨は、富士山の標高だと雪になっていたんだなと納得する。
身支度を済ませて10時にチェックアウトすると、ほったらかし温泉へ向かう。開幕から温泉。初手温泉。完全に湯治の旅となった。
ほったらかし温泉に向かうまでは「フルーツライン」という、うねった峠をぶいぶい登って行くことになるのだけど、この道めっちゃ覚えがある~~と妙に感動していた。父の運転でよく来ていたのだ。当時は車内でゲームをやりまくってたので、めちゃくちゃ酔った。
仮に父から貰った軽自動車で来てたら、エンジンパワーが足りずにやばかっただろうな……と想いを馳せながら、スイスイと登って行く。
ほったらかし温泉は、平日にも関わらず、結構な人入りがあった。最後に来たのは15年近く前だと思うので、記憶よりかなり整備されていて、賑わっており、施設が充実していた。もっとほったらかしてなかったっけ……。
客層は私より若い大学生くらいの人たちも多かった。春休みですね。ゆるキャン△の話題もチラホラと聞かれて、やはり効果はあるのだなと感じる。
温泉は最高だった。ゆるキャン△でも言及されている通り、特に冬期は高地の冷えた外気と、湯加減とのバランスが絶妙で、無限に浸かっていられる心地よさであった。
昨日「温泉はアトラクションではない」というようなことを言ったけど、浴槽が3つあって、それぞれが絶妙な温度設定をなされており、何より温泉に浸かりながら富士山や山梨の市街地を見渡せる景観が非常に素晴らしい。温泉が気持ち良いだけでなく、そういうエンタメ的な欲求も満たしてくれる施設だった。
背中や腕におえかきをしてる方々もチラホラ見られ、ほったらかしの精神を強く感じた。洗い場で元気だった大学生の集団が、モンモンおじさんが隣に座った瞬間に大人しくなったのにはちょっと笑ってしまった。
無限に近い悠久の時を過ごしていたので、色んな人たちの会話が聞こえてきたりもしたのだけど、温泉での会話というのは、非常に人間性が現れる。公衆の場で、裸の状態で語るトピックスというのは、ある種、その人の本質でもあるのだろうなと思う。
以前、秩父の温泉に行った時、自分が優秀で意識が高いサラリーマンであり、周りはクソだという言説を大声で語っていた人が、その場に居合わせたおじいちゃんに、岡田麿里作品のような劇掛かった言葉回しで説教されてるのに居合わせたことがある。
優秀マンは、その注意に異を唱えて一触即発のムードが流れたが、話に相槌を打っていた友人が良識的な人だったので、まあまあ、すみませんでした。と優秀マンの背中を押して内湯に向かって行った。そのやり取りまで含めてアニメみたいで面白かったのだけど、本当に"優秀"なのは、友人の彼なのだろうなと思った。
本日も、自分の家がいかに裕福なのか、自分の親がいかにお金持ちなのかを滔々と語る、肥えたスネ夫のような男がいた。
彼らが「何故そんなことを温泉で話すのか」というのを考えた時、男が裸一貫で集まる場で「自分がいかに強いのか」を、どうにかして周囲にアピールしたいんだろうなという答えに行き着いた。
別にバカにしているわけではなく、実はこれは極めて動物的な本能なんじゃないかと感じる。究極的に言えば、どっちのチンコが大きいのかと次元は変わらないのだと思う。
ただ、自分自身のことを語らず(語れず)親の資産の話ばかりをしている太った男と、その横で気持ちよさそうにお湯に浸かっている、背中に般若が描かれている男、どちらの人生に厚みがあるのかというのは、一目瞭然であったように感じた。その点に関しては、ちょっと虚しさみたいなものは感じた。
その後に入ってきた大学生グループは、昨日打ったスロットの勝ち負けの話と、夜飲んだ酒の話ばかりをしていて最高だった。温泉では、上下関係とか恥とか外聞とか気にせずに、話す内容はハッピーであればあるほどよいというのが持論だ。お前の好みの話では?
ちなみに、背中におえかき系男性とは、その後フルーツパーク内のカフェで再会した。愛人(偏見)らしき女性を連れていた。もしかしたや、ゆるキャン△ファンだったのかもしれない。
温泉から上がると、待望の温玉揚げをいただく。食べる前からどう考えても美味しい確信があったので、2個注文してしまった。
どう考えても美味しかった。湯上りの汗をかいた身体に染み渡る……。瓶の牛乳も飲んで、ほったらかし温泉最高という気持ちに満たされてしまった。
その後は、ほったらかし温泉から少し下ったところにある『笛吹川フルーツ公園』に赴く。父がこういうところにはあまり興味がなかったので、この公園の記憶は、呼び起こしてみても頭の中に存在していなかった。(後から姉に確認したら、行ったことはあると言っていた)
遠足と思われる園児たちがわちゃわちゃと走り回っている。散歩中の小型犬が威嚇しあっている。上空では気持ちよさそうに鳥が飛んでいる。THE平和だ。
謎の果物博物館に迷い込んだりもしつつ、施設内のオーチャードカフェに聖地巡礼。
新聞の切り抜きやサイン、交流ノートなんかが置いてあり、アニメでなでしこ、アキ、あおいが実際に食べたメニューもちゃんと載せてくれていて、とても親切で熱心な場所だと感じた。
残念ながら、3月で山梨市駅に移転してしまうとのこと。惜別の意と、移転前に来れて良かったという気持ちを込めて、本日の糖要素として、なでしこちゃんが食べたりんごソフトをいただいた。大変美味しかったです。
血糖値の上昇に有効なのは食後の運動である。公園内を走り回りながら『フルーツアドベンチャー』という、クイズと迷路が合わさった施設を走りながら回る。
子供向けに作られたであろう設備にも関わらず、全10問中2問の正解という醜態を晒すこととなった。ゴール後の看板で、フルーツ物知り博士とかいうやつ(フルーツ物知り博士とかいうやつではない)にめっちゃ煽られた。
運動と頭の体操(?)をほどよく済ませたところで、富士急ハイランドへ向かう。
車を運転していると、富士吉田市に近づくごとに、眼前の富士山はその存在感を増していった。
富士山と同じ方向にあるセブンイレブンやエネオスなんかは、景観に配慮して看板が黒くなってる。そんな大げさなとも思ったけど、目の前で見せられると、それも仕方ないかなと思わせるだけの説得力がある。
1時間ほどして、富士急ハイランドに到着。駐車料金1500円というのをゲートの前で知ってめっちゃ引き返してえと思ったけど、後ろに車もつかえており、後戻りは出来なかった。
遊園地という場所が苦手だった。もはや、自分が本当に遊園地が苦手なのか判別できないくらい、遊園地に行った記憶が悠久の彼方に消えていた。
高校3年のどこかで、卒業遠足としてディズニーシーに行ったと思うのだけど、誇張ではなくマジで記憶がない。スフィアの舞浜公演に一緒に行った友人は高校時代からの仲なのだけど、彼とその話をしても、お互い虚無を確かめ合うばかりだった。
私の高校時代が閉ざされた闇の記憶という認識だということは、何度か折に触れて話している気がする。
中学時代がめちゃくちゃ楽しくて、特に受験勉強などせず、模試の判定も全部99%だった地元の高校に進んだ。中学時代の友人たちが、一番多く行く学校だったからだ。
結果的に、私だけが高校に上がってからも中学時代の交友関係を引きずり、周りは新しく友達を作って、新しいコミュニティを築いているような状態になった。今にして思えば、それでも3年間遊んでくれた友人たちには頭が上がらない。
高校を卒業した後に、スフィアライブを通じて、今まで続く交友関係がいくつも出来るのだけど、当時の私にとって、それはまた別の話。
急に周りの目を気にしだして、クラス内の立ち位置とか、誰々と話してたらダサいとか、何々と同じだからカッコいいだとか、そういう価値観が支配し始めたこの年齢を、私はハッキリと退屈に思っていた。
3年のクラスは、そうした中学時代からの仲の友人たちもいなくなってしまい、本当に誰かと話していた記憶がない。いじめられていたわけでもなく、とにかく「無」だった。私が皆さんのことを覚えていないように、皆さんも私のことを覚えていないと思う。
唯一、今スフィアライブに一緒に行ってくれる友人と、F1のレースがあった次の日にリザルトの話をするくらいだった。ただ、女の子なので、当時は自分から話しかけるのすら勇気がいり、それも2戦にいっぺんくらいだった気がする。
で、そんなクラス内で班を作って、ディズニーシーに行くことになったのだ。
一応テニス部に入っており、テニス部の友人たちと班を組んだけど、まあ彼らとは卒業した後に消息を知ってる感じの仲にはならないだろうなという予感があった。実際何してるかは知らない。
そのうちの片方が、特に志望大学とか、誰とつるんでるかで、自分を大きく見せようとするやつで、ディズニーシーでも、とにかくイケてるグループに混ぜてもらおう混ぜてもらおうとしていた。
結果的に、そのイケてるグループからも彼はぞんざいな感じで扱われ、私はハッキリうんざりしていた。
その後、記憶がないと言ったけど、舞浜に一緒に行った現親友のグループと合流して、私はようやく居場所を見つけて「救われた」と思ったのだ。
彼とは当時それほど深い仲では無かったし、彼も彼で高校時代のことを振り返ると「なかったことに」しようとするので、覚えていないというのだけど、無意識下で結構救ってもらっているので、頭が上がらない。恩返しができるから、今まで続く親友になれて良かったと思っている。
前置きが長くなったが、こうした記憶から、漠然と遊園地という空間に苦手意識があり、近づかないようにしていた。
でも、いろんな食べ物を美味しいと思えるようになって、いろんなことを楽しいと思えるようになった今なら、もしかしたら、自分なりに楽しめるようになってるのではないかという期待を込めて、一人で富士急ハイランドに行ってみたのだ。
結果的に、入って2秒で「何故私が遊園地が苦手なのか」という理由を完全に理解した。入園のチケットを貰う時も、怪訝そうな顔をされる。そうか。この空間では、一人でいることが"許されない"んだ。
高校時代のあの時も、彼の虚栄心にウンザリしながら「俺はいいからみんなで楽しんできて」とは言えなかった。遊園地の中に、一切の居場所が無くなってしまうからだ。そして学校の授業の一貫である以上、時間まで勝手に出ることも許されない。ハッキリと分かる地獄である。
周りを見渡しても、カップルや夫婦、大学生のグループ、外国人観光客に親子連れと、私以外、絶対的に誰かと連れ添って来ていた。1人カラオケとか、1人焼肉とか、1人映画とか、何がおかしいのか分からないと言ってきたし、前日も2人前の鍋を食べたけど、ハッキリわかった。次元が違うのだ。
この空間は、全て最初から"1人でいること"を排除してデザインされている。それを拒むことはないけれど、どうしても異質さとして浮き彫りにはなってしまって、この場合は、そういう空間であることを理解していなかった私が悪いのだ。久々に触れてみて、ようやくそれがハッキリ分かった気がする。いや、それは私が悪かった。
100対0で私が悪いのだけど、100対0で私が悪いという事実に無性に腹が立ったので、取材と称して1時間くらいかけて各アトラクションを練り歩いた。
テンションがぶっ壊れた人間しか笑わないであろうギャグが散りばめられた看板やモニュメントをみて、一つも面白くねえんだよバカ野郎と、心の中で悪態をついたりしていた。
若者たちが笑顔で集合写真を撮ったり、パネルから顔を出してはしゃいだりしている。私は自分が被写体になるのが苦手で、中学くらいから今まで、振り返っても全然写真が残っていない。集合写真からはみ出してしまったものに、遊園地は居場所を与えてはくれない。
これとか「死んでください」と言われているようにしか思えなかった。2人並びの席だから、奇数グループで来てる人たちの余った枠に私が収まることになって、前の席と楽しそうに話してる中で知らないおじさんが1人混ざるという辛すぎる状況になる訳じゃないですか。
前述の通り、100対0で私が悪いので、僻みでしかないのだけれど、それはそれとして、どんなに成長しても、どんなに歳を重ねても、やはり私とは本質的に相容れない空間でもあるのだなと分かった。
いや、本当は私も絶叫マシンに乗りたかった。遊園地のことを冷やかしながら、隣で笑ってくれて、何だかんだアトラクション自体はめちゃくちゃ楽しいから、はしゃいでしまったり、年甲斐もなきメリーゴーランドとか乗ってはしゃいだりしたいんだ。
本当はそうだと思った時「お前は本当にどうしようもない人間だな」と、自分自身に言いたくなった。
でも、どうしようもない人間であるなら、どうしようもない人間であることをきちんと受け止めた上で、そのままにするのか、苦しんでも正すのかを見極めなくてはならないというのが昨年の学びだった。
だから、私は遊園地には迎合しないけど、私のどうしようもない世界を壊してくれる嵐山歩鳥みたいな、平沢唯みたいな、荻野目桃果みたいな人が「一緒に遊園地に行こう!」と手を差し伸べてくれる日を待っている。どうしようもなく待ち続けている。
あと、信頼できる友人に誘われたら、泣きながら着いて行って、いかにあなたが私にとっての救いなのかというのを5時間くらい説きつづけるぞというスタンスでいる。めんどくさすぎて絶対誰からも誘われない。
かつて、何故そう感じたのか分からなかったことの理由を、しばらく時間を置いて、改めて考えてみるというのは、良くも悪くも、己の立ち位置を知るために、非常に意義のあることだと分かった。
オタクおじさんの呪いとルサンチマンに満ち溢れてはいたけれど、私が「なぜ遊園地が苦手なのか」をちゃんと言語化できたのは、今回の旅行で一番の収穫だったかもしれない。
その後は富士山を近くで見ようと、道の駅や麓北公園に行ってみたけど、私の富士急でのモヤモヤが反映されたかのように雲がかかってい��、あまり見れなかった。
まだまだ山梨で達成できてないこともたくさんあるので、車を買ったらまた来よう。
その後は返却時間が思ったよりタイトになりそうだったので、届いたばかりのETCカードを使い、高速道路を走った。
軽自動車で速度を出すのはマジで恐ろしいけど、ノートくんはやはり加速が違い、速度を出しても挙動が不安定になることもほぼ無かった。今回の旅を通じて、感動した点はあれど、不満に思った点はほぼ無かった(返却時にガソリン入れたらそこそこ値段が掛かったので、燃費がどうなんだろうというのだけはややあった)(徳島より走行距離が長かっただけかもしれない)ので、普通に購入の有力候補に躍り出た。
緑色も思ったより昆虫感はなく、可愛らしくてよい。操縦感だけでなく、結構デザインも好みだった。
まあ、昨日も言ったように日産の味に慣れすぎてる感じもあるので、次はちゃんと他社の車種で借りて確かめてみたい。
17時半に返却。18時5分のスーパーあずさで甲府を発つ。
たった1時間半で新宿に着いてしまう近場だったけど、いろいろ思い出したり、分かったことが多くて、よき一人旅でした。温泉がサイコーということです。
競馬サークルの先輩とかが、ふとこのtumblrを読んで山梨のことを教えてくれたり、こうして残しておくことにも意味があるのだと思う。
運転が楽しくなってきたし、毎回気づきがあって面白いので、1ヶ月半に1回くらいどこかに行きたい。次は北関東か北陸がいいなと思っている。
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[PRESS] 平成元年・初演の野田秀樹(作・演出)『贋作 桜の森の満開の下』を 平成30年にNODA・MAPで“新演出”再演のエポックにあたり 舞台音楽を30年ぶりに一新。 ポストクラシカル/サウンドスケープ音楽の旗手・原摩利彦を抜擢。
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■ “新演出” 舞台のエポックにあたり、30年ぶりに音楽を一新。舞台音楽に原摩利彦を抜てき 平成元年(1989年)に夢の遊眠社で初演された『贋作 桜の森の満開の下』は、野田秀樹 自らが「自分は安吾の生まれ変わり」と公言してはばからない作家・坂口安吾の小説『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』をリミックスし、新たな息吹を吹き込んだ作品。これまで数々再演をされてきた野田作品の金字塔である。
その作品を、平成が終わる平成30年(2018年)、野田が率いる【NODA・MAP】の第22回公演の演目として、日本3都市に加え、フランス・パリでの公演が決定し、現在、公演を行なっている。 当初は坂口のリメイクとして作られた作品だが、今回は野田が「自身の古典のリメイク」として “新演出” を打ち出した。キャスティングには妻夫木聡、深津絵里、天海祐希、古田新太らを迎えるとともに、30年ぶりに舞台音楽も一新するというチャレンジに、ポストクラシカル / サウンドスケープ音楽の旗手である原摩利彦が抜擢され、完全書き下ろしのトラック30曲(作曲・編曲・ストリングスディレクション・ピアノ演奏)と、舞台の効果を決める選曲を含む舞台音楽全般のクリエイティブ面を担った。
■ 異例的に1ヶ月間、稽古場の制作現場に参画し、作品の進化とともに音楽制作 仕上がった音源を渡すことが通例の舞台音楽としては異例的に、原は1ヶ月以上、稽古場での制作現場に参画。稽古で作品が進化していくプロセスとともに音楽制作を行うアプローチをとり、野田の抜てきに応えた。
■ シンプルで聴きやすいが、その奥に、「和」・「西洋」が融合する知的な仕掛け “新演出” のために書き下ろした新作トラックは、和音階や和楽器を取り入れているが、文脈なく「和風」モチーフ用いたり、安直に「和と西洋」を掛け合わせるアプローチとは異なり、「日本的感性」を自在に駆使して作られている。
たとえば、原自身がもっとも制作時間をかけたという『夜長姫のテーマ』は、シンプルな「和風」メロディーが印象的だが、ヨナ抜き音階(雅楽に見られる日本固有の五音音階。西洋音楽から見たときの和音階)と教会旋法が完全融合している。コラール(キリスト教で歌われる賛美歌形式)調の和音が続くシークエンスは、架空の国・時代の聖歌にも聴こえる。
また、別のトラックでは、舞台の中に登場する壬申の乱前後のモチーフとリンクして、お囃子が出てくる以前の音楽として雅楽の楽器・笙が用いられている。遡れば、雅楽は、上代以前のネイティブ音楽と、アジアから伝わる音楽が融合して生まれた形態である。そこからも、原が生み出した音風景は、単純な「和」と「西洋」という二項対立する文化の融合ではなく、「西洋」も含めて、日本の中に含まれる多様さを知的に融合しながらシンプルに聴かせるという、ユニークな仕掛けがなされているのだ。
「 音楽は、入り口はシンプルで聴きやすいけれども、 ヴェールをめくると、仕掛けがあるという複雑なレイヤーを持つ作品になりました。
野田さんがこの作品を書いたのが33歳の時。30年の時を経て、それを新たに蘇らせるにあたって、 今35歳の自分が音楽を手がけさせてもらうことになって、そのチャレンジに応えたいと思い、 半年はそのプロダクションに没頭して、出張先の海外のホテルでも朝まで作曲をしていた。 野田作品は、知的な操作がされていると同時に直感的にも磨かれていて、複雑な作品だけど、 チケットが入手困難なポピュラリティを獲得している。
今回の音楽を手がけるにあたり、作品から感じるこの複雑なレイヤーを僕なりに咀嚼をして、 野田さんから頂いたボールを返せるかどうかが本質的な意義を決定すると思ったから、 そこを何度も自問自答して、試行錯誤することに、一番時間をかけました。 」 - - 原 摩利彦・談
■『贋作 桜の森の満開の下』
1989年に夢の遊眠社で初演された。作家・坂口安吾の小説『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』を下敷きとした作品。これまで92年、01年に上演され、昨年2017年には「八月納涼歌舞伎」にて『野田版 桜の森の満開の下』として歌舞伎化された。 NODA・MAPのラインナップとして初上演される今作には、耳男役の妻夫木聡、夜長姫役の深津絵里、マナコ役の古田新太のほか、宝塚歌退団後初めて男役に挑戦するオオアマ役の天海祐希や、NODA・MAPに初参加となる門脇麦、加えて秋山菜津子、大倉孝二、藤井隆、村岡希美、池田成志、銀粉蝶、そして作・演出を手がける野田秀樹が出演する。
■ NODA・MAP 第22回公演『贋作 桜の森の満開の下』
坂口安吾作品集より 作・演出 野田秀樹
● 2018年9月1日(土)~12日(水) 東京都 東京芸術劇場 プレイハウス ● 2018年9月28日(金)~10月3日(水) フランス パリ・国立シャイヨー劇場 ● 2018年10月13日(土)~21日(日) 大阪府 新歌舞伎座 ● 2018年10月25日(木)~29日(月) 福岡県 北九州芸術劇場 大ホール ● 2018年11月3日(土・祝)~25日(日) 東京都 東京芸術劇場 プレイハウス
<CAST> 妻夫木聡 深津絵里 天海祐希 古田新太 秋山菜津子 大倉孝二 藤井隆 村岡希美 門脇麦 池田成志 銀粉蝶 野田秀樹
池田遼 石川詩織 織田圭祐 神岡実希 上村聡 川原田樹 近藤彩香 城俊彦 末冨真由 手代木花野 橋爪渓 花島令 藤井咲有里 松本誠 的場祐太 茂手木桜子 吉田朋弘 六川裕史
<STAFF> 美術:堀尾幸男 照明:服部基 衣裳 ひびのこづえ 音楽・効果 原摩利彦 音響:zAk 振付 井手茂太 美粧 柘植伊佐夫 舞台監督 瀬﨑将孝 / 松浦孝行
企画・製作 NODA・MAP
【このリリース & 取材のお問い合わせ先】 株式会社KAFUN 担当:梅澤さやか(うめざわ さやか) ■■■ email: pr[at]kafun.jp ■■■
プレスリリースPDFはこちらよりダウンロードしてください。
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各地句会報
花鳥誌 令和4年11月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和4年8月3日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
宿浴衣姉の選びし緋の絵柄 笑 ふり向けば浴衣に貝の口結び 同 線香花火消えゆくまでの物語 同 耳澄ますふる里あたり遠花火 同 男あり鳥獣戯画の扇子手に 雪 買ひもせぬ西瓜叩きて女去る 同 ながむれば大団円の天の川 数幸 大西日かつて住みけり四畳半 同 堂縁はこの世の浄土三尺寝 匠 山頂に不動明王時鳥 清女 糊かたき浴衣に着替へ胡坐くむ 泰俊 盆の月もの言はざりし夢の母 啓子 一心に線香花火の果てるまで 千加江 水晶の数珠を両手に盆の経 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月4日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
盆の月今宵は何を語らうか 都 端々の糸のほつれや秋すだれ 同 夜明より鎌を光らせ盆用意 同 極暑日や五臓六腑の吐息聞く 同 秋立つや雲の流れも水音も 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
夏草の色に埋れてマリア像 小鳥 十字架の墓石の装飾を蟻 健志 大小の蟻群をりて茂吉墓 季凜 炎天の墓を抱きし大樹かな 悠紀子 僅かなる供花に蟻よせ土饅頭 順子 あなたは此処にゐるのですかと墓洗ふ 美紀 黙祷のしじま落蟬動かざる はるか 鶏頭の墓守として枯るるまで きみよ 赤松の肌の剥がれてゆく晩夏 要 寝墓らは異国の夏草に埋む 慶月
岡田順子選 特選句
異国なる地下に眠りて百合の墓 俊樹 高々と維新の墓の晩夏越ゆ 慶月 父眠るまで蟬時雨澄みわたる 和子 冥界の番地を探す蟬しぐれ 千種 岡持で冷麦墓地を横切りぬ 荘吉 原爆忌蛇口に日差し反射する きみよ 観音の裸足の御足齧る蟻 眞理子 座る人なき八月の椅子を売る 和子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
小次郎の修業の岩や河鹿笛 時江 人を恋ふ夜は殊更に星流れ 信子 ストローに青の動いてソーダ水 同 火に油注ぐが如く蟬時雨 みす枝 塞ぐこともよきこともあり髪洗ふ 上嶋昭子 黒門は大き医師の避暑の宿 ただし 婉然たる笑みに怯みぬ水鉄砲 上嶋昭子 遺されし言葉しみじみ墓洗ふ 信子 燕の子花のごとくに口開き 同 肌シャツを濯ぐ男や夜の秋 上嶋昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月8日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
流灯会家長を兄が引き継ぎて エイ子 声明唱ふ百人の僧流灯会 あき子 ずつしりと固き重さの南瓜かな 秋尚 海鳴りの届く岬や星月夜 和魚 流灯の千のうねりに手を合はす あき子 子どもらの流灯舟に日暮れ待つ 和魚 通夜出て遠き日思ふ星月夜 廸子 天窓の四角の中の星月夜 同 流灯の岸離るるをためらひて 秋尚 今頃は虚子に逢はるる星月夜 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
黄昏にキセルを吹かす生身魂 登美子 献花終へ色なき風に立ち竦む 同 蚊帳の中げにも楽しき秘密基地 みえこ 地蔵盆僧の読経に老いの数珠 令子 おしろいが揺れて小包ひとつ来る 裕子 寂声の中寿の母の踊り唄 登美子 濃く流る昨日の雨か太宰の忌 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
サルビアや杖に適はぬ町歩き 悦子 軽き音する物買うて草の市 栄子 流蛍や宵の名残は夢の中 宇太郎 類縁の女ら遺影原爆忌 都 北向けば村中の墓盆の灯よ すみ子 法師蟬朝の一巻上げて去る 史子 日々草咲いて子沢山の路地 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
裏庭の風の匂ひの来る網�� 雪 大いなる幟淋しき夏祭 同 水中花咲かせしまひし淋しさよ 同 新涼の城朝影に包まれり かづを 一杯の水に生死や原爆忌 みす枝 空を染め海を彩る大花火 英美子 神主も僧侶も踊る盆踊り 千代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月17日 萩花鳥会
過ぎし日や郡上踊の輪で踊り 祐子 この星に被爆で喜寿の原爆忌 健雄 若衆も今は老いたり山車を引く 恒雄 今日も晴れ猛暑何様甲子園 俊文 星祭り願ひはみんな平和の字 ゆかり 微唾も身体蝕む熱帯夜 明子 ひまはりの浴衣親から子へ孫へ 美恵子
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令和4年8月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
天の川流れ海まで幾千里 世詩明 山里を見守るがごと天の川 千加江 銀漢や幼き頃と同じ夢 同 銀河へと雄島の磯の紅い橋 笑子 空蟬の縋りし幹に影残し 同 制服の語り継ぐ子等原爆忌 同 初秋や静かにとまる指揮者の手 泰俊 銀漢を追へば遥かに集魚灯 同 蟬の殻こんな所に脱がずとも 雪 炎天に息を潜めて生きるもの 同 ポッペン吹く暑中見舞の切手貼る 同 かなぶんが一つ昔の音に落つ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月19日 さきたま花鳥句会
星月夜小さき漁港の舟だまり 月惑 緑蔭の茶室に一期一会の書 一馬 水澄めりザリガニのそり川の底 八草 研ぎたての刃の沈み込む熟れトマト 裕章 山寺の秋の蚊を吐く大木魚 紀花 亡き夫の座面の凹み籐寝椅子 とし江 はたた神関東平野を走り抜け ふじ穂 窓越しの明るさに覚め星月夜 ふゆ子 銅鑼の音の坂かけのぼる湖極暑 康子 いかづちの運ぶ大雨や地の悲鳴 恵美子 夜来雨止むやいなやの油蟬 静子 送り盆旧家の嫁を演じきり 良江 夏蝶の漂ふごとく遠ざかり 正子
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令和4年8月21日 風月句会 栗林圭魚選 特選句
踏切の音秋蝶を呼びにけり 和子 烏瓜花の朝を寂しめり 斉 蟷螂と共に息つく上り坂 軽象 耳に棲みついて遠かり秋の蟬 千種 新涼を幌深く行く乳母車 久子 水の秋平らかに音消し去りぬ 千種 向日葵のおとろへ雨の匂ひけり 溺れさうな飛びの行方や秋の蟬 久子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月22日 鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
酔芙蓉とは酔ふ為に開く花 雪 此の水に咲かねばならぬ水中花 同 天の川小さき星を鏤めし 世詩明 草刈りて大きな句碑となりにけり 同 落蟬の魂の抜けたる軽さかな みす枝 流灯会手波を立てて送りやる 同 母と子の疎開の蔵の終戦日 中山昭子 初浴衣見せたき人に遠くゐる 上嶋昭子 一杖をもて厳流の滝に立つ 一涓 空蟬をとどめておかぬ大嵐 紀代美
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年8月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
暁に鳴るは鉄砲百合の花 成子 花楝仏心遠くけぶらせて 久美子 紙飛行機飛んで戻らぬ夏の海 ひとみ 少女らの腿でわけ入る青山河 佐和 海酸漿鳴らす少女の私へと ひとみ 白玉や雨の過ぎたる城下町 喜和 指鳴らす彼は嫌ひで空梅雨で 由紀子 乾坤の弾みさながら雨蛙 朝子 あめんぼの踏むは魔法の水ならん 古賀睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回 銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館 銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根���松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという���を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち���げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~ 総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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いつも共感シアターを応援していただきありがとうございます! 毎週火曜日21時より生放送をしている「共感シアターナビ」では、"俺たち共感族!!“という視聴者の皆さまと戯れるコーナーがあります!視聴者の皆さまに「お題」を投げかけ、ご投稿いただいたお答えの中から抽選で10名の方の投稿をご紹介します。そして、その10名の中からさらに抽選で1名の方にどんな映画でも使える「ムビチケGIFT」をプレゼントします!そんな、1月25日のお題は「元気になりたいときに観る映画」です。以下の投稿は抽選の結果、読み切れなかった方の投稿を掲載しています。他の方の元気になりたいときに観る映画も気になりますよね、ぜひ、ご覧ください!
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鶴岡亮さん:『トランスフォーマー・ザ・ムービー』
私は落ち込んだ時、圧倒的に豪勢なものを観てその気持ちを吹き飛ばすという習慣を持っています。その豪勢なものの局地と思っているのが1986年製作のアニメーション映画「トランスフォーマー・ザ・ムービー」。本作は総登場人物80名以上、それに加えて様々な惑星が舞台のスペースオペラという、ある意味「アベンジャーズ」よりも描くのが大変な題材となっています。しかし、その難題を豪華スタッフの圧倒的なマンパワーを駆使した「勢い」のみで押し通し、視聴者に高揚感をもたらす作品として作り上げているのが本作の凄い所です。設定と物語は今をときめくマーベルスタジオが担当し、アニメーション製作は東映動画のトップアニメーター達が���結。声優には主人公ロディマス役に「ブレックファストクラブ」のジャド・ネルソン、悪役ガルバトロン役には「スタートレック」のレナード・ニモイ、そして敵の親玉ユニクロン役にはあの「市民ケーン」の監督として有名なオーソン・ウェルズが採用されています。そして、音楽は「ロッキー4」のヴィンス・ディコーラ、「13日の金曜日PART4」の劇中曲で知られるライオン、ヴァンダムの主演デビュー作「ブラッド・スポーツ」の劇中歌を担当したスタン・ブッシュという、何とも共感族が好きそうな面子が勢揃いしています。これらの豪華スタッフが集結して描かれる本編は、非常にエネルギッシュでまるで明るいミュージカル映画を観ているような感覚になります。落ち込んだ時の気持ちを吹き飛ばすにはそれに足るパワーの溢れる作品が必要です。豪勢な映像、豪勢なキャスト、豪勢な劇伴の三拍子が揃った本作は、それに足る力を持った作品と思ったので今回ご紹介させて頂きました。
teppeiさん:『アダムス·ファミリー』
お疲れ様です。いつも番組楽しみにしてます。『元気になりたいときに観る映画』ですが、どの作品にするか色々悩みました。素敵な村の映画のミッドサマーや家族のあったかさを描いたヘレディタリーなど考えましたが、自分は1991年公開映画の『アダムス·ファミリー』です。愉快で楽しい家族が出てきますので、観ていると元気になります。特に好きな場面は子どもたちが学芸会で片腕を切り落とし、血が噴き出る場面はほっこりしますね。続編の映画も赤ちゃんが家族の一員に加わりますが、生まれた時から、口髭が生えていて、大変可愛いですね。未見の人や瀬田さん、あいあいにもオススメですね。きっと元気になれますね。
ゐーくらさん:『ダイ・ハード4.0』
私の元気になりたいときに観る映画は『ダイ・ハード4.0』です。稲生さんにとっての映画館でのファーストロッキーが『ロッキー4』であるように、私が初めてスクリーンでジョン・マクレーンを観たのは『ダイ・ハード4.0』でした。名作の1,2や、悪名高きラストデイに埋もれがちですが、実は結構な傑作ではないかと思うのです。飛行するヘリをパトカーで撃ち落とす、エレベーターシャフトを落下するSUVの中で戦う、最新鋭の戦闘機に身一つで勝利するなど、観たことがない人には何を言っているのかさっぱり分からないかもしれませんが、とにかく見せ場の多い娯楽大作です。最後の絶体絶命のピンチも実にマクレーンらしい方法で逆転し、当時膝を打ったのを覚えています。顔も知らない年下のサイバーテロリストに「お前はデジタル時代のハト時計だ」とバカにされても、なぜ俺が!とボヤき、ボロボロになりながらも諦めずに戦うブルース・ウィリスに明日を生きる元気を貰っています。
きゃわぐちさん:『WAR /ウォー!!』
元気になりたいときに観たいもの、「落ち込んでる原因にもよるしなぁ」と思って悩んでました。ジム・キャリー主演の「イエスマン」か、幸せいっぱいのラブコメ「ラブ・アクチュアリー」か。でも、この1週間で見つけました。元気を出すために観るべきはインド映画です!中でも、ド派手なアクションに豪華なダンス、何より疲れてる時にはありがたい、微塵もシリアスを感じさせぬテンション……「WAR /ウォー!!」が最高です!オチだけ若干シリアスというか納得いかなかったけど、それ��補って余りある、主演2人のイケメンっぷりが最強!1人はムキムキマッチョでワイルドな色気マックス男、もう1人はムキムキマッチョで二重瞼で無駄に美形。アクションも異常に詰まってて、「いやー、映画2本観たくらいの満足感……!」と思ったらまだ1時間しか経ってない。サイコーすぎます。あと、アクションじゃなくてホントに良い話だったインド映画は「きっと、うまくいく」。大学生3バカトリオが主役の青春コメディ。3時間近くあって初見だと手が出しづらいけど、観たら笑って泣けてハッピーになれる!たしかアマプラにあるので、騙されたと思って再生してほしいです。
涙目さん:『ポリスアカデミー』
皆さんこんばんは。遅くなりましたが今年もどうぞよろしくお願い致します。今回のお題を頂いて、たしかに元気がないときに何回か映画に救われたなぁ、と感慨にふけりました。他の共感族の皆さんと共通していると思いますが、私が映画で心の栄養補給をしたいときに選ぶのは次の4つを押さえた映画です:(1)短い、(2)軽い、(3)それでも最後はスカッとする、そして(4)明るく勇壮なテーマ曲。当てはまる映画はいくつかありますが、今回選んだのはポリスアカデミー・シリーズ。全編通して「バカだねぇw」「くだらねぇw」「意味ねぇw」なシーンの連続ですが、観終わったら思わずテーマ曲を鼻歌で唄いだし、観る前より少しだけ肩の力を抜いて生きれるようになるんですよね。今回久しぶりに1作目を観てみましたが、映画中盤のラサール校長の名演説に、いろんな意味で涙。昔はよくこんなシーン地上波で親と観れたもんだな、と再び感慨にふけりました。
NORI“アレックス”65tさん:『キツツキと雨』
好きな作品。何回も見ていて、それほど集中しなくても良いやつ。ただし、思いついたタイトルを考えるとオールタイムベストとはまた違ってきますね。気持ち良く見れる、もしくは単純に良いヤツが悪いヤツをぶっ飛ばす。例えば、『ダーティ・ハリー』『ワールズ・エンド』『ゴースト・ハンターズ』『サンダーアーム/龍兄虎弟』『幸福な食卓』『虹の女神』『悪夢探偵』etc。んで、今回オススメするのは沖田修一監督・脚本の『キツツキと雨』。山村で木こりをしている役所広司さんのところに、低予算のゾンビ映画の撮影隊がやって来ます。撮影に合いそうな川がないか?と聞かれた主人公が監督とプロデューサーを案内したところから、次第に撮影に引き込まれていってというストーリー。んで、気弱な新人監督役が小栗旬さん。撮影は当然トラブル続きなんですが、その中で徐々にスタッフや役者さん達の間に連帯感が生まれてというベタな展開ではありますが。それが良い。撮影しているというのがゾンビ映画というのも、今作を退屈しないで見れるポイント。まぁ、出来上がった映画が面白いかは疑問ですが。
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先ほど放送された韓国MBC「PD手帳」の内容を見ながら簡単にまとめます。韓国の独島守備隊のチェ・ジェイク氏、挺対協のユン・ミヒャン氏が日本を訪問するたびにスケジュールが筒抜けで右翼や在特に囲まれる。それは韓国の情報機関国家情報院が彼らに情報を渡していたからと、元工作員が証言。 日本第一党(元在特会)の先崎は日本の公安警察との関係を「情報を流す流さないじゃなくてあくまで協力関係ですから」と。証言者は国家情報院→日本の公安→右翼と情報が流されると。逆に日本側は鈴木信行の訪韓時に韓国には教えてくれないと。韓国の情報機関が自国民の韓国人の情報を日本に渡している。 韓国の国家情報院は、日本の右翼が訪韓時、非武装地帯などへの「安保観光」や食事、高級車での送り迎えなど接待をするなど支援を行っていた。国家情報院が支援していた右翼は櫻井よしこを中心に結集していた。 櫻井よしこが中心になって立ち上げた右翼団体の国家基本問題研究所。ここが韓国人に賞を与えるという新聞記事があった。 コロナ禍で訪日できずオンラインで国家基本問題研究所から賞を受け取ったのはナクソンデ経済研究所のイ・ウヨン所長とメディアウォッチのファン・ウィウォン代表。徴用工や慰安婦問題に関する国家基本問題研究所を韓国で翻訳出版した功績を認められてのこと。もちろん内容は歴史歪曲本。 平和の少女像撤去を求め水曜デモを妨害する活動をしている二人は、櫻井よしこから直々に賞を授与され万年筆、賞金1万ドルを受け取った以外に、菅総理と萩生田文科相の祝辞が読み上げられたことに感動。 安倍とも仲が良く放送を首相官邸からするほどの櫻井よしこ。東京の恵泉女子学園大の李泳采教授は彼女が日本の右翼をまとめる中心的な人物、安倍を総理にするために活動してきた安倍の守護神と。 国家基本問題研究所の設立には韓国の国家情報院が支援を行い、キムヒョンヒや脱北者を紹介するなどしている。その事業に関わっているのは企画委員の西岡力。 また国家情報院は日本人拉致被害者に関する情報を渡していた。日本経由で韓国政府(=当時の保守政権)のために、北朝鮮をdisるため。その資金を受け取っていたのは西岡力を中心とした勢力という証言者。 国家情報院は、一般人の立ち入りなど考えられない庁舎内に国家基本問題研究所のメンバーを招き入れ、北朝鮮の詳細な情報についてレクチャーまでするズブズブっぷり。韓国の様々な組織が得た北朝鮮に関する情報を日本の一民間団体にタダで教えていた。それで西岡力らは日本の右翼の中で格上となった。 韓国の国家情報院からカネと情報をもらいまくっている国家基本問題研究所だが、やっているのは歴史歪曲。その攻撃とターゲットになってしまったのは、植村隆さん。 櫻井よしこの番組に頻繁に出演している日本の統一日報の論説主幹で、国家基本問題研究所の客員研究員の洪熒(ホンヒョン) 元駐日韓国大使館公使。「文在寅は共産主義者で中国共産党のスパイ」などと言ったフェイクニュースを流す。実は彼、陸軍士官学校卒で国家情報院の前身のKCIA時代から26年もいた。 洪熒は国家情報院を経て日本の右翼団体に入り、陸軍士官学校同窓生の国家情報院の先輩から工作資金を受け取っていた。それは保守政権の維持のための対在日韓国人工作。野党(現与党の民主党)に政権を渡さず、文在寅政権の後で保守政権を作り出すため。 この辺の繋がりについては以前から疑っていました。保守政権を再び誕生させるために、韓国極右が日本の極右に情報を流し、韓国をdisらせそれを韓国に逆輸入する流れですね。その結果、日韓関係はこじれ、メディアは嫌韓を煽り、日本に住む在日コリアンの人々は日々恐怖に震えることになったのです。 今日のMBCのPD手帳の動画はこちらからご覧いただけます。かなりざっくりまとめたのでより詳しい内容を知りたい方はぜひこちらをご覧ください。ただし、今のところ日本語、英語の字幕はつけられていません。https://t.co/hl3FTcyxIV?amp=1 実は日本のメディアが嫌韓に狂乱していたころ、複数のニューカマーのコリアンと他の外国出身の人にインタビューをしました。もちろん記事にするためですが、「日本に住む自信がなくなった」と涙ぐむ人もいて、自分自身が辛くなり、何も書けなかったことを思い出しました。 昨晩放送のPD手帳。後半部の要約もやりますね。 嫌韓ヘイトデモをする連中は道端極右、自民党のシンクタンクで安倍、菅両政権の政策にも影響している国家基本問題研究所は政策極右。国家情報院は北朝鮮を攻撃するために彼らを利用したが、それが(嫌韓、歴史歪曲等)ブーメランになって返ってきた。 2015年12月、朴槿恵政権下で交わされた慰安婦合意。慰安婦研究の第一人者吉見義明先生は10億円払うだけで何もしない、むしろ韓国側に平和の少女像撤去の努力義務を課す結果となったと。日本にとっては「大きな成果」。被害当事者は怒り、合意を履行しようとする韓国政府と市民との間で対立が起きた。 この問題だらけの日韓合意に国家情報院が絡んでいるというのが元大阪駐在の海外工作員の証言。ところが彼はこの業務からは外され、監査という名のホワイトルーム拷問にかけられた。海外での情報活動を国内政治に利用してはならないなどと当時の院長に指摘したことが問題になった模様。上司からも脅迫。 李丙琪(イビョンギ)国家情報院長から朴槿恵大統領秘書室長に栄転後も慰安婦合意に関する作業は続けられ、李氏が主導し続けたことは後の調査で明らかになっている。専門家は、合意内容が韓国独自のものではなく、日本の描いた構図に相当な影響を受けていることを指摘。 日本系韓国人の保坂祐二教授は国家情報院職員へのレクチャーで「慰安婦合意には間違った部分がある」と述べたところ、3人が反発。うち1人は「われわれは慰安婦合意に深く関わっていた」とし、日本の極右と変わらない主張を展開したと証言。慰安婦合意は日本の主張に合わせて作られたものではないかと。 慰安婦合意に関与したという当時の金玉彩(キムオクチェ)駐福岡総領事は、駐日大使となった李丙琪氏に国家情報院が「管理」していた日本の右翼政治家、右翼団体などを紹介した。金氏に彼らを紹介したのは国家基本問題研究所の洪熒氏。金氏は取材に交渉内容は秘密、櫻井よしこなんか知らない、嫌な女だと 国家情報院の資金を大統領官邸に上納した罪で実刑判決を受けた李丙琪氏の弁護士は、安倍が慰安婦合意で10億円支払うことになり右翼から非難されていると。一方で櫻井よしこは「安倍総理の外交的成功、決断のおかげ」と絶賛。「国際世論は日本の側にある、韓国にちゃんとやれと言っている」と。 結論としては国家情報院は組織防衛、そのための保守政権誕生と継続を、自国民の権益保護より優先させ、海外情報、日本の右翼との繋がりを国内政治に利用、嫌韓や歴史歪曲まで煽る結果となり、国内の被害者をも踏みにじる結果となったというもの。 慰安婦合意も日本のいいようにさせた結果。さらに、一時期日本で吹き荒れた嫌韓の嵐は日本と韓国の極右のコラボに知ってか知らずか乗せられた日本のマスメディア、出版社が煽りまくった結果という側面も。未だに嫌韓で飯を食っている人、以前食っていた人は大勢いますが国家情報院との関係は果たして? より詳細な内容をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。安宿緑さんが翻訳されています。 https://t.co/iBPgjpZJ9p?amp=1
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