#南極昭和基地設営記念日
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月29日(日) #友引(丁亥) 旧暦 1/8 月齢 7.3 上弦 年始から29日目に当たり、年末まであと336日(閏年では337日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 昨日は熊本KSに行きメンバーさんに 挨拶と最後のBCをやって来た💦 「出会いは別れの瞬間」と常々 は心してるのですが、やっぱり 心苦しですよね。。。_| ̄|○... 今日明日で宿舎片付けです✋ ってか二度寝してこんな時間⤵️ . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #やまぐも竣工. 1966(昭和41)年1月29日(土)友引.海上自衛隊のやまぐも型対潜護衛艦「やまぐも」(DD-113)が竣工しました。 「やまぐも」は、第2次防衛力整備計画に基づく昭和37度計画2,000トン型警備艦2201号艦として、三井造船玉野造船所で 1964年3月23日に起工され、1965年2月27日に進水、1966年1月29日に就役し、第2護衛隊群に直轄艦として編入され佐世保に配備された。 . . #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。 つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。 ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。 「友人を引き込む」とされている日とされている。 友引の日には、結婚式、入籍、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。 験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。 六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・���辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #十方暮(ジッポウグレ). 十方暮は干(カン)と支(シ)が「相剋(ソウコク)」の関係で組み合わさる日。 甲申(キノエサル)から癸巳(ミズノトミ)の間の10日間で、天地の気が相剋するため何事もうまくいかないとされる日です。 . #土用(ドヨウ). 土用は夏の土用が一般的ですが、各季節の終りの約18日間で年に4回。 土の気が盛んになり、動土や穴掘りなど土を犯す作業が凶とされています。 . . #西成線列車脱線火災事故. . #STAP細胞生成成功. . #南極昭和基地設営記念日. . #タウン情報の日. . #人口調査記念日. . #Piknikの日(毎月29日). . #ふくの日(毎月29日). . #肉の日(毎月29日). . #クレープの日(毎月9が付く日). . . ■本日の成句■. #聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(キクハイチジノハジ、キカヌハイッショウノハジ). 【解説】 自分が知らない事を聞くのは、ばつが悪く恥ずかしいと思ってしまいます。 しかし、聞かなければ知らないので居る方のが、恥ずかしいという事です。 知らない事を恥ずかしがったり知ったかぶったりせず素直に聞く方が得策。 . . 1962(昭和37)年1月29日(月)大安. #岡村孝子 (#おかむらたかこ) 【シンガーソングライター/あみん】 〔愛知県岡崎市〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Cn-qF95Szp_I-m-fJO-GVOuR_DSlHZzq4FPo940/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#友引#やまぐも竣工#大明日#十方暮#土用#西成線列車脱線火災事故#stap細胞生成成功#南極昭和基地設営記念日#タウン���報の日#人口調査記念日#piknikの日#ふくの日#肉の日#クレープの日#聞くは一時の恥#岡村孝子#おかむらたかこ
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「���京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車で���ければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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我が国の未来を見通す(90)
『強靭な国家』を造る(27)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)
宗像久男(元陸将)
─────────────────────
□はじめに
パレスチナ情勢については、10月22日、日本
を除くG7の6カ国からイスラエルの自衛権を支持
する一方でガザの民間人の人道支援を求める共同声
明が出されるなど、人道支援要求の世論、それにイ
スラエル国内の人質解放優先世論の力、それに欧米
首脳などの説得工作などが功を奏して、イスラエル
の本格的な地上攻撃開始は、当初計画よりかなり遅
れているようです。
イスラエルの歴史からすると珍しい決断だったと考
えますが、それだけ、今回のガザ地区への地上攻撃
の持つ意味がこれまでとは違ってきている証拠でも
あるのでしょう。極めつけが、24日、国連安保理
の場で、米国ブリンケン国務長官の「人道目的の一
時停戦が検討されなくてはならない」との発言でし
た。
一方、グテーレス国連事務総長がイスラエルのパレ
スチナ占領を批判する発言をしたり、いつもながら、
国連安保理が決議案を否決しあう形で“機能不全”
に陥っているなど、イスラエルの国連不信が限界に
達しているように見えます。イランを含むアラブ諸
国自体も反イスラエルという立場で必ずしも一枚板
ではないようなので、今後も、状況は刻々変わって
くることから、安易な予測は禁物でしょう。
その上で想像するに、イスラエルは、いかに人質解
放をするか、そして500キロに及ぼうとする地下
トンネルをいかに(できれば民間人に被害を与えな
い方法で)攻略するか、その作戦を練って、その上
で一部限定的な作戦を遂行しているのでしょう。
また、地上攻撃の代わりなのか、連日激しい空爆が
繰り返されていますが、それによる民間人犠牲者の
6割は、避難先であるガザ地区南部だったとの報道
もあります。国連事務総長のような発言もイスラエ
ルを追い込むだけで逆効果だと思いますが、無差別
に近い空爆もイスラエルが自らの首を絞める結果と
なって、やがて自制心のタガが外れ、“後に引けな
くなる”ことが懸念されます。
数年前、ベトナムを旅行した際、ベトナム戦争時に
使用されたサイゴン(現ホーチミン)市西側に広が
る巨大な地下施設「クチトンネル」を見学し、その
巧妙な造りに驚いたことがあります。アメリカは、
空から枯葉剤を含む絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り
返しても攻略できず、ついには南ベトナムから撤退
する結果になったのでした。
「クチトンネル」は総延長約250キロといわれて
いましたが、その倍ほどの長さに及び、映像を見る
限り、長い時間をかけて極めて堅固に建造されてい
る地下トンネルを実際に攻略しようとすれば、多大
な時間を要し、犠牲者も半端でないことでしょう。
イスラエルが保有する最新の軍事技術をどのように
駆使するのかを含め、(不謹慎ではありますが)注
目しています。
ところで、今回のG6声明から外された我が国は、
文字通り“孤立国”になってしまいました。23日
の岸田首相の所信表明演説において、「経済」を連
呼する中での「人間の尊厳」とか「核兵器のない世
界」などの発言は、もちろん、理想であり、間違っ
てはいないとは思いますが、いかにも“空虚”に聞
こえるのは私だけでしょうか。
▼「国家戦略」をだれが作るか
いよいよ「国家戦略」指針の私案を提示したいと考
えますが、その前に、「国家戦略」を誰がつくるの
か、について一案を提言したいと考えます。
戦前の歴史を勉強しない人、あるいは軍国主義など
といって昭和の軍人たちにその責任を負わせること
のみを追求している歴史家たちには到底信じられな
いことだろうと思いますが、歴史をつぶさに学べば、
戦前の我が国の方が、現在よりはるかにダイナミッ
クで柔軟な国家運��をしていたことがわかります。
その典型的な組織が「陸軍省戦争経済研究班」(通
称「秋丸機関」と呼称)でした。少し補足しますと、
第1次世界大戦の頃から、戦争は単に軍事力だけで
はなく、経済、産業、教育、宣伝など「国力」のす
べてをもって遂行される「国家総力戦」の様相を呈
し、当時、欧州において身をもってその体験をした
永田鉄山あたりはその必要性を声高に唱えていまし
た(永田は陸軍の抗争の犠牲となって殺害されまし
た)。
この流れをうけて、我が国の経済力がないことを知
っていた陸軍は、日本における総力戦の実態と戦争
遂行の可能性などを研究するため、昭和14年春、
当時の我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタ
ン「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせたので
す。
設立を提唱したのは、当時の政府や陸軍の首脳では
なく、「陸軍中野学校」の設立者、戦後は京都産業
大学の設立者として名を馳せた岩畔豪雄(いわくろ・
ひでお)大佐でした。このあたりにも目を見張る
ものがありますが、岩畔は、そのトップに、(軍政
とか作戦畑ではなく)経理畑の俊才、当時まだ41
歳の秋丸次朗中佐を指名し、組織造りを含めて全権
を委任しました。
秋丸は、実質的な研究リーダーとして、治安維持法
違反で検挙され保釈中の身であった東大経済学部助
教授のマルクス経済学者・有沢広巳を招きました。
それ以外に大学教授、企画院・外務省・農林省・文
部省などの少壮官僚、さらには民間企業・業界団体・
金融機関・民間調査機関・研究所などの精鋭たち
を集めて総勢200名程度の組織を作り上げて、昭
和16年まで約2年間、多士多才のメンバーをもっ
て様々な角度から研究に没頭したのです。
研究成果の細部は省略しますが、本研究班が導いた
開戦に至るシミュレーションについては、当時、東
條英機首相や杉山元参謀総長などとも共有しており、
その研究成果は、昭和16年11月15日に開催さ
れた大本営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促
進に関する腹案」(「腹案」と呼称)として決定さ
れたのでした。
私自身は、この「腹案」のような戦いを遂行してお
れば大東亜戦争はまた違った結果になったと考えて
いますが、「腹案」と実際の戦いはかなり違ってし
��いました。その原因も分かっていますが、ここで
は省略しましょう。
ここで問いかけたいのは、今の日本に、「国家戦略」
のような重要案件を策定するために、「秋丸機関」
のようなシンクタンクを作り、少壮の官僚、学者、
自衛官、民間企業人などの精鋭を一堂に会して時間
をかけて研究させるようなダイナミズムがあるだろ
うかということです。
私は、ここにあえて政治家を加えませんでしたが、
国の重要なテーマについて、いつも“専門家や官僚
に丸投げして足れり”として自ら問題意識も持たず、
必要性も感じず、学ぼうとしないような人たちは
“最初から戦力にならない”と思って外しただけで、
適任者がおられたら、当然、シンクタンクのリーダ
ー格になっていただくことを拒むものではありませ
ん。
一つだけ注文を付けるとすれば、「秋丸機関」の設
立に尽力した岩畔大佐のごとく、力のある政治家な
どでこのようなシンクタンクを作る必要性を唱える
人(たち)は、シンクタンク設立のために奔走し、
必要な基盤や経費は提供しても、当初から口を出す
のは厳に慎み、「若い世代に託す」ことが重要と考
えます。官民を含む各界には、若くても優秀でかつ
柔軟性があり、物事の本質を的確に見極めることが
できる優秀な人たちがたくさんおられると確信しま
す。
なお、前回紹介した『日本戦略論』(鎌田徹著)で
は、「戦略国家になるための人づくり」を提唱して
いますが、だいぶ時が経ったこともあり、残念なが
ら、今はそのような“時間的余裕”はないと考えま
す。仮に多少の問題はあっても、“今ある人材”を
最大限に活用するしかないと思うのです。
次いでながらもう少し補足しておきましょう。前に
も引用したように、『国民安全保障国家論』(船橋
洋一著)の冒頭には、コロナ禍やウクライナ戦争を
経験した結果として、「自分たちでみんなを守るこ
とができない社会は生き残れない」「自分の国を自
分たちで守れない国は生き残れない」「天(世界)
は自ら助くる者を助く」ということがわかったと紹
介されています。
著者は、それでも「国家」ではなく「国民」という
言葉にこだわっていますが、“利益の受容者である
「国民」目線を重視すべき”ことを強く意識してい
ると考えられ、本書に書かれているのは「“国家”
のあり様(形)」であることが理解できます。
私などの立場からすると、(元朝日新聞記者の)著
者のような立場の人が「ようやくここに気がついて
くれたか」と安堵する一方で、内外情勢の急激な変
化や「国力」が下降期にある��現時点”こそ、将来
のため、国家としての「打ち手」を真剣に議論する
時が来たことを国のリーダーたちに早く気づいてほ
しいと願うばかりです。だれかが問題意識と勇気を
もって、重い腰を上げて、“旗振り役”を演ずるこ
とを切に願っております。
繰り返しますが、「手遅れになる前に」です。様々
な思惑から場当たり的な所信表明演説とそれに対す
る質疑応答などで論戦を交わしている余裕はないと
思うのですが・・・。
▼「国家戦略」の指針の一案
さて、私も高齢世代です。「若い世代に託すべし」
と言った手前、過度な物言いは邪魔になると自覚し
つつも、本メルマガをここまで書き続けてきた以上、
「国家戦略」の指針のようなものの一案ぐらいは提
示しなければならないとの責任感にもかられます。
しかし、“指針のようなもの”といえども、そこに
含むべき内容の広さと深さを考えると、正直、いか
にまとめ上げるか、途方にくれます。
またしても、『日本の大戦略』のお力を借りて、ほ
ぼ一致している点を紹介しつつ、10年の歳月の変
化やアプローチの相違点などからの修正を加えて一
案としたいと考えます。なお紹介する順番などは私
の一存で本書を修正してあります。
まず本書が、平成23年の時点でこのような大胆な
「国家戦略」の指針なるものを考察し、提供してい
ることに対して改めて敬意を表したいと思います。
その第1には、「歴史的大変動に立ち向か覚悟を決
める」としていますが、当時より今の方が“歴史的
大変動”が顕著になっている国際社会そして我が国
ですから、ここに「立ち向か覚悟」が、国家として
も国民としても求められていると考えます。
本書は、具体的な「国家目標」などを考える前に、
このような「覚悟」をもって、「内向き志向、現状
維持志向を克服し、「『頼りがいのある日本』を目
指して国家アイデンティティを再構築する」ことを
提唱していますが、全く同意するものです。
「我が国がどのような未来を構築するか」、あるい
は「どこに向かっていくか」を明らかにするという
点でも全く同意です。なお本書では、目指す方向と
して「先進国安定化勢力日本」と呼称していますが、
そのような呼称を含めて議論が必要でしょう。
私は、この「歴史的大変動」の中には、「国力」が
下降期に入っている“我が国の国内事情”も含むと
考えていますので、具体的な指針の中には、「『国
力』の維持・増進のために国を挙げて立ち向かう」
旨の文言も挿入されるべきと考えます。
第2には、「安全」の国家目標として、「複層的な
課題に対応できる、実効性の高い安全保障政策を展
開する」ことです。
まさに、��動する国際社会の中で、我が国が「安定
化勢力」としての役割を果せるかどうか正念場でし
ょう。そのような視点をもって、現状から一歩踏み
込んで「安全保障政策を再構築する」ことが求めら
れており、具体的には、本書の「自国防衛/危機管
理の能力を強化する」「日米同盟の相互防衛的性格
を強め、同盟協力を総合化する」「グローバル・コ
モンズの安定化を図る」「同盟外の安全保障協力を
推進する」などの提唱は的を射ており、さらに強化
する必要があるでしょう。
実際に昨年末、「国家安全保障戦略」が策定されま
した。「安全保障」に絞れば、また表現こそ若干違
いますが、本書が提唱したような内容とおおむね一
致していると考えます。
しかし、すでに指摘したように、東アジア地域の
「核状況」が様変わりしつつあることから、日米両
国間の「核の傘」の信頼性の向上に加え、我が国独
自の核保有の議論を推進すべきと考えます。
また、「自国防衛/危機管理の能力を強化する」に
ついては、将来にわたって我が国迫って来る可能性
がある“脅威”については、短絡的に「南西正面」
などと決めつけないことも重要でしょう。将来戦は
「ハイブリッド戦」であることは間違いないとして
も、対象国が取り得る手段は多様であり、それらを
漏れなくすべて読み切った(見積もった)上で“一
寸の隙を見せない態勢”の構築が求められていると
考えます。
第3には、「富」を国家目標として、「先進的な経
済社会システムを構築する」ことを本書は紹介して
います。ここに「国力」の「ハード・パワー」の要
素のかなりの部分が含まれていますが、第2の「安
全」とも関連し、それぞれの分野の専門家の最適解
をもって国家施策にするようなことは厳に戒めるべ
きで、そのような弊害を排除するためにこそ、「国
家戦略」を策定していることを理解する必要がある
のです。
何度も例示したように、「太陽光発電所の建設のた
めの外国資本の導入に特段のチェックがなく、国防
上重要な施設の近傍を含め、広島県ほどの面積の国
土がすでに外国資本に渡っている」ような“現状”
を即刻是正する必要があります。そのための法律改
正などは急務でしょう。
その上で、必要な要素を総合的に考察して、我が国
として新しい「繁栄の形」をどのように具体化する
かが焦点となると考えます。その中には、国家を次
世代に託すためにも、若者世代が「将来の夢と希望」
を抱くことができるような施策を含むべきことは申
すまでもありません。
とはいえ、少子高齢化の進展から社会保障給付費な
どが大幅に膨れ上がることを予測し、過度な“バラ
マキ”は厳に戒め、「国民一人一人の夢や希望の実
現」と「国家��社会)として『富』の蓄積」の両目
標の同時達成に向けて、“個人の努力の必要性を促
し、努力の中に生きがいを見い出せる”ようなバラ
ンスのとれた「配分」を主眼とする「福祉の再定義」
も必要となることでしょう。
第4には、「変動する国際社会のもとでの日本の対
外構想を確立する」ことです。「安全」はもちろん、
食料やエネルギーなどのほぼ海外に依存している
「富」の分野においても、我が国は、将来にわたっ
て「国家として存立するための対外構想」には高い
優先順位を掲げて計画・実行する必要があります。
「頼りがいのある日本」をめざし(“孤立国・日
本”の存在感を発揮し)、本書でいう「大国間の協
調形成に尽力すること」「グローバルな課題に結果
を出す貢献をすること」「アジア諸国と深く交わり、
その不安定要因を抑制すること」などの提唱に異存
はありません。
前回述べたように、“自ら原則を立て、それに基づ
いて行動し、他国や他のアクターとも協力してい
く”という「自律」の重要性を理解した上で、「日
米同盟」をはじめ、」「クアッド」「自由で開かれ
たインド太平洋」などようやく“産声”を上げた枠
組みを一層深化する覚悟と「自律」の細部をしっか
り議論する必要があるでしょう。
第5に、「新しい『統治のかたち』をつくる」ため
の議論を推進することです。本書では、そのために
「安定した政権基盤を確立する」「官邸における外
交・安全保障戦略の司令塔を創出する」「戦略形成
の前提となるインテリジェンス機能を強化する」
「対外的な情報発信を刷新する」、そして最後に
「政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める」として、国民の参加意識を高めるために、
NPOやシンクタンクなど政治と国民をつなぐ中間
組織の役割も重要であると結んでいます。
「戦略は統治を超えられない」という言葉も紹介し
ましたが、「国家戦略」を議論し、策定し、実行し
ようとすれば、現在の我が国の「統治のかたち」が
そこに“立ちはだかる障害”となる可能性は否定で
きないでしょう。
紹介しました『国民安全保障国家論』も、その終章
で「日本には『国家安全保障』という『国の形』が
ない。そして、その『国の形』をつくるのを阻んで
きた『戦後の形』がある」として、「『戦後の形』
のままでは日本は新しい時代の挑戦対応できない」
と訴え、新たに「国の形」を作る必要性を強調して
います。
私は、5つの指針の中で第5の「統治のかたち」の
議論が最も難しいと考えます。一方で、戦前戦後を
通じて一内閣の寿命が平均1.4年に満たないよう
な“現状”では、一貫した中長期的な「国家戦略」
の策定はおろか、導き出された国家目標に向かって
(たとえ、苦しくても)���種政策を推進し続けるこ
とは困難であることは明白でしょう。
「では、どうすべきか」については大議論を呼ぶこと
でしょう。しかし、ぜひともこのテーマまで踏み込
んで議論してほしいと願っています。
「国の形」についてはのちほど再び触れることにし
て、次回、「国家戦略」を総括し、その後に「ソフ
ト・パワー」のもう一つの要素である「国家意思」
を取り上げます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自���たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたの���薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠���諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を��塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけ��忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の��隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんです��。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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12922 今朝の佐賀は曇り 先日いただいた大寒(1:20)に汲んだ水でコーヒーを淹れる 今回はフレンチプレス 美味い世界救らいの日 南極昭和基地設営記念日 1957(昭和52)年 佐賀県コロナ陽性者468名 https://www.instagram.com/p/CZSs3C3BtTo/?utm_medium=tumblr
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【善光寺白馬電鉄線】 長野県は古来より「信濃」とも呼ばれています。樹皮が強くロープの素材として使われてきた「シナノキ=科の木」が多く産出されるところから「科野=信濃」と呼ばれる事となった。というのが語源とされています。長野県は日本書紀の時代より、「よほどの山の中」と認識されていたという事でしょう。 その「科野の国」ですが、山中とはいえ日本海と中京、関東方面を繋ぐ物流ルートでもありました。特に「東山道」と呼ばれる北信地方、東信地方を縦断する街道は日本書紀や延喜式にも記載されているほど古くに開鑿された道でした。 日本海と日本の内陸部を接続することで発展した信濃の国ですが(木曾義仲の出陣、武田信玄・上杉謙信の川中島の戦いはここを制圧するために起きたという側面があります)、山中であるがゆえの悩みを抱えています。一丁事が起きるとすべてが止まってしまいます。 災害で山あいの村が孤立してしまった。というニュースを聞くことがありますが、長野県などはその最たる存在といえましょう。木曽街道 梯宿の土砂崩れは数年前までは風物詩といってもよいくらい頻発していましたし、3年前の台風被害で信州新町で起きた道路崩落は現在でも補修工事が終わっていません。現代ですらそんな状態ですから、先人たちの労苦は並大抵のものではなかったでしょう。したがって、信濃の民にとって新しい街道あるいは物流ルート��確保は「渇望」といってよいほどの事業でした。 私の住んでいる北信 長野市と、スキーの聖地と呼ばれる白馬村とは直線距離にして(基準点にもよりますが)30〜40kmと、かなり近い場所にありますが間には日本アルプス 戸隠山塊が立ちはだかり、古来より街道はあるものの、交通ははなはだ困難を伴うものがありました。現在では自動車が通行できるように整備はされていますが、酷道とまでは言わないものの、��路運転ファンの方には楽しんでいただける道路であると思います。 長野市、白馬村を鉄道で繋ごうという計画は明治期よりあったようです。長野県の中心地区ではあるものの、四方を高山で囲まれた北信地区と北に向かえば日本海(かなり山道ですが)、南に向かえば大町、安曇野 穂高、松本を抜けて中京地区までほぼ無障害で行き来できる白馬とを結びつける事のメリットは計り知れないものがあったでしょう。 具体的な鉄道敷設計画は大正期に入ってから、長野商工会議所を中心として進められましたが、第一次世界大戦後の不況により一旦頓挫します。その後昭和に入ってから再度機運が高まり、1926年 鉄道省へ敷設免許申請がなされ、いくつか障害はあったものの1927年に許可され、運営会社が設立されました。 その名も「善光寺白馬電鉄株式会社」、名の通り全線電化される予定でしたが、長引く不況のため資金不足に陥り、動力をガソリン車として1936年南長野駅ー善光寺温泉駅間が、1942年裾花口駅まで開業され、白馬駅(信濃四ツ谷駅)まで工事が進められましたが、資金不足と山中の工事が難攻するうちに太平洋戦争に突入。国によって勧められた企業整理のため、1944年に休止されました。 戦後となり、幾度か復活運動が起こり1964年には信越西線として再構想されましたが、当時の国鉄の財政悪化を理由に否決され計画も消滅、並行して計画されていた裾花ダム建設が決定され、残されていた軌道や路盤、トンネルの一部が水没する事となり、1969年に鉄道許可そのものが撤回され完全に断念されました。 総延長7.4km、期間にして8年、善光寺温泉駅から裾花口駅間に至ってはわずか1年という極めて短期間に終わった鉄道は、その儚さゆえに人々の記憶に残っていたようです。数年前に亡くなった家内の父が、幼少期に乗ったガソリン車を懐かしそうに語っていたのを覚えています。 ただすごいのは「善光寺白馬電鉄株式会社」は現在もなお存続していることです。鉄道事業は頓挫しましたが、長野物流企業の中核として続けられている事からは、信州人の粘り強さが感じられてなりません。私も見習わなくてはなりません。 写真は旧山王駅遺構です。プラットフォームとそこに登る階段、路盤を形成する石積が遺されています。もう少し中を覗いてみたかったのですが、小学校の一画なので遠慮しました。この他にもまだ遺構があるようなので、一度巡ってみたいものと思っております。 #長野 #長野県 #長野市 #善光寺 #白馬 #善光寺白馬電鉄 #鉄道 (善光寺白馬電鉄) https://www.instagram.com/p/CMTbYdkhOrj/?igshid=1pih4znabdhp3
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, (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月29日(土) #友引(壬午) 旧暦 12/27 月齢 26.4 年始から29日目に当たり、年末まであと336日(閏年では337日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 実は水曜日から体長優れず寝込ん でるので今朝は失礼します🙏 ただの風邪だろうと思ってます😅💦 . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #西成線列車脱線火災事故. 1940(昭和15)年1月29日(月)に大阪府大阪市此花区の鉄道省西成線(現在の西日本旅客鉄道桜島線)安治川口駅構内において発生した列車脱線転覆火災事故である。 当時の列車はガソリンを使用して居た為、転覆時に起こる火花棟でガソリンに引火するのも早かったのでしょう車両火災が起こりみるみる火は燃え上がり乗客は横転 した車両からの脱出が困難な為に被害が大きくなり、死者189名、重軽傷者69名を出す大惨事になった。 #友引(トモビキ). 六曜の名称の1つで、相打ち勝負なしの日のこと。 つまり良いことはないが悪いこともない日のことである。 ちなみに六曜は仏教とは関係なく葬式を避けるという話は迷信である。 「友人を引き込む」とされている日とされている。 友引の日には、結婚式、入籍、七五三、お宮参り、引越し、建築、契約、納車、宝くじ購入、は問題ない日です。 験担ぎで拘るなら、凶となる11時~13時の間を避けると良いでしょう。 六曜は、先勝(センショウ)、友引、先負(センプ)、仏滅(ブツメツ)、大安(タイアン)、赤口(シャッコウ)の6つである。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。 通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。 この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #天恩日(テンオンビ). 天の恩恵をすべての人が受ける日。 民間暦でいう吉日の一つ。 この日は天から恩沢が下り、任官・婚礼などの慶事を行なうのに大吉とされる。甲子(きのえね)、己卯(つちのとう)、己酉(つちのととり)から数えて各五日間、合わせて一五日間がこれにあたる。 一説に、正月は丑の日、二月は寅の日、三月は卯の日というようにして一二月は子の日がこれであるともいう。 . #母倉日(ボソウニチ). 暦で、母が子を育てるように、天が人間をいつくしむという日。 春は、亥・子の日。夏は、寅・卯の日。 秋は、辰・戌・丑・未の日。 冬は申・酉の日。 他に四季の土用には巳・午の日がこれにあたり大吉の日とされる。 . #STAP細胞生成成功. . #南極昭和基地設営記念日. . #タウン情報の日. . #人口調査記念日. . #Piknikの日(毎月29日). . #ふくの日(毎月29日). . #肉の日(毎月29日). . #クレープの日(毎月9が付く日). . . ■今日のつぶやき■. #武士に二言は無い(ブシニニゴンハナイ) 【解説】 「二言」とは、前に言った事と違うことを言うこと。 また、その言葉。 武士は信義と面目を重んじるものだから、一度口にした言葉を取り消したり、約束を破るような事はしないと云う事。 . . 1943(昭和18)年1月29日(金) #コシノミチコ (#小篠美智子〈コシノミチコ〉) 【ファッションデザイナー】 〔大阪府/ロンドン在住〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CZSndP1BIRE6ljk7jQMRiev7gXV38bDDYU-MWY0/?utm_medium=tumblr
#友引#西成線列車脱線火災事故#大明日#神吉日#天恩日#母倉日#stap細胞生成成功#南極昭和基地設営記念日#タウン情報の日#人口調査記念日#piknikの日#ふくの日#肉の日#クレープの日#武士に二言は無い#コシノミチコ#小篠美智子
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こんにちは メガネの光和堂 大島です。 博多祇園山笠を国の自粛要請がない限り開催するいう強い決意の発表がありました。 山笠に30年参加させて頂いてきた私にとっても開催は強い望みです。 疫病退散のために始まった神事。 参加者全員が一丸となって感染対策して開催にたどり着きたいものです。 さて今日は「昭和基地開設記念日」 1957年に南極のオングル島への上陸に成功。 そこに出来た日本の観測基地です。 そこでは天体・気象・地球科学・生物学の観測が行われています。 トリビアとしては 基地内に郵便局があり、日本国内同様に同金額で郵便のやり取りが出来たそうです。 年に一回のやりとりだけだったようですがね。(頻繁には出来ませんよね~) これは郵政民営化とともに終わったようです それから基地内では通貨は不要。 食料や飲み物はアルコールも含めすべて無料。 基地内のマンネリ化を防ぐため、手作りの桜をかざりお花見をやったり、フルコースディナー会 各種イベントも行われるようです。 お医者さんも2名おられるようで、凍傷や外科治療が中心ですが、虫垂切除手術も行われたこともあるようです。 すごい重要な任務ですが、とてもとても好きでないと出来ない仕事ですね。 ほんと頭が下がります。人類のための研究に感謝です エキテン https://www.ekiten.jp/shop_1298990/catalog/catalog_1384202/ (福岡 六本松 メガネの光和堂) https://www.instagram.com/p/CKnkIi0JHm7/?igshid=13acb0ef10f4l
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我が国の未来を見通す(90)
『強靭な国家』を造る(27)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
パレスチナ情勢については、10月22日、日本
を除くG7の6カ国からイスラエルの自衛権を支持
する一方でガザの民間人の人道支援を求める共同声
明が出されるなど、人道支援要求の世論、それにイ
スラエル国内の人質解放優先世論の力、それに欧米
首脳などの説得工作などが功を奏して、イスラエル
の本格的な地上攻撃開始は、当初計画よりかなり遅
れているようです。
イスラエルの歴史からすると珍しい決断だったと考
えますが、それだけ、今回のガザ地区への地上攻撃
の持つ意味がこれまでとは違ってきている証拠でも
あるのでしょう。極めつけが、24日、国連安保理
の場で、米国ブリンケン国務長官の「人道目的の一
時停戦が検討されなくてはならない」との発言でし
た。
一方、グテーレス国連事務総長がイスラエルのパレ
スチナ占領を批判する発言をしたり、いつもながら、
国連安保理が決議案を否決しあう形で“機能不全”
に陥っているなど、イスラエルの国連不信が限界に
達しているように見えます。イランを含むアラブ諸
国自体も反イスラエルという立場で必ずしも一枚板
ではないようなので、今後も、状況は刻々変わって
くることから、安易な予測は禁物でしょう。
その上で想像するに、イスラエルは、いかに人質解
放をするか、そして500キロに及ぼうとする地下
トンネルをいかに(できれば民間人に被害を与えな
い方法で)攻略するか、その作戦を練って、その上
で一部限定的な作戦を遂行しているのでしょう。
また、地上攻撃の代わりなのか、連日激しい空爆が
繰り返されていますが、それによる民間人犠牲者の
6割は、避難先であるガザ地区南部だったとの報道
もあります。国連事務総長のような発言もイスラエ
ルを追い込むだけで逆効果だと思いますが、無差別
に近い空爆もイスラエルが自らの首を絞める結果と
なって、やがて自制心のタガが外れ、“後に引けな
くなる”ことが懸念されます。
数年前、ベトナムを旅行した際、ベトナム戦争時に
使用されたサイゴン(現ホーチミン)市西側に広が
る巨大な地下施設「クチトンネル」を見学し、その
巧妙な造りに驚いたことがあります。アメリカは、
空から枯葉剤を含む絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り
返しても攻略できず、ついには南ベトナムから撤退
する結果になったのでした。
「クチトンネル」は総延長約250キロといわれて
いましたが、その倍ほどの長さに及び、映像を見る
限り、長い時間をかけて極めて堅固に建造されてい
る地下トンネルを実際に攻略しようとすれば、多大
な時間を要し、犠牲者も半端でないことでしょう。
イスラエルが保有する最新の軍事技術をどのように
駆使するのかを含め、(不謹慎ではありますが)注
目しています。
ところで、今回のG6声明から外された我が国は、
文字通��“孤立国”になってしまいました。23日
の岸田首相の所信表明演説において、「経済」を連
呼する中での「人間の尊厳」とか「核兵器のない世
界」などの発言は、もちろん、理想であり、間違っ
てはいないとは思いますが、いかにも“空虚”に聞
こえるのは私だけでしょうか。
▼「国家戦略」をだれが作るか
いよいよ「国家戦略」指針の私案を提示したいと考
えますが、その前に、「国家戦略」を誰がつくるの
か、について一案を提言したいと考えます。
戦前の歴史を勉強しない人、あるいは軍国主義など
といって昭和の軍人たちにその責任を負わせること
のみを追求している歴史家たちには到底信じられな
いことだろうと思いますが、歴史をつぶさに学べば、
戦前の我が国の方が、現在よりはるかにダイナミッ
クで柔軟な国家運営をしていたことがわかります。
その典型的な組織が「陸軍省戦争経済研究班」(通
称「秋丸機関」と呼称)でした。少し補足しますと、
第1次世界大戦の頃から、戦争は単に軍事力だけで
はなく、経済、産業、教育、宣伝など「国力」のす
べてをもって遂行される「国家総力戦」の様相を呈
し、当時、欧州において身をもってその体験をした
永田鉄山あたりはその必要性を声高に唱えていまし
た(永田は陸軍の抗争の犠牲となって殺害されまし
た)。
この流れをうけて、我が国の経済力がないことを知
っていた陸軍は、日本における総力戦の実態と戦争
遂行の可能性などを研究するため、昭和14年春、
当時の我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタ
ン「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせたので
す。
設立を提唱したのは、当時の政府や陸軍の首脳では
なく、「陸軍中野学校」の設立者、戦後は京都産業
大学の設立者として名を馳せた岩畔豪雄(いわくろ・
ひでお)大佐でした。このあたりにも目を見張る
ものがありますが、岩畔は、そのトップに、(軍政
とか作戦畑ではなく)経理畑の俊才、当時まだ41
歳の秋丸次朗中佐を指名し、組織造りを含めて全権
を委任しました。
秋丸は、実質的な研究リーダーとして、治安維持法
違反で検挙され保釈中の身であった東大経済学部助
教授のマルクス経済学者・有沢広巳を招きました。
それ以外に大学教授、企画院・外務省・農林省・文
部省などの少壮官僚、さらには民間企業・業界団体・
金融機関・民間調査機関・研究所などの精鋭たち
を集めて総勢200名程度の組織を作り上げて、昭
和16年まで約2年間、多士多才のメンバーをもっ
て様々な角度から研究に没頭したのです。
研究成果の細部は省略しますが、本研究班が導いた
開戦に至るシミュレーションについては、当時、東
條英機首相や杉山元参謀総長などとも共有しており、
その研究成果は、昭和16年11月15日に開催さ
れた大本営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促
進に関する腹案」(「腹案」と呼称)として決定さ
れたのでした。
私自身は、この「腹案」のような戦いを遂行してお
れば大東亜戦争はまた違った結果になったと考えて
いますが、「腹案」と実際の戦いはかなり違ってし
まいました。その原因も分かっていますが、ここで
は省略しましょう。
ここで問いかけたいのは、今の日本に、「国家戦略」
のような重要案件を策定するために、「秋丸機関」
のようなシンクタンクを作り、少壮の官僚、学者、
自衛官、民間企業人などの精鋭を一堂に会して時間
をかけて研究させるようなダイナミズムがあるだろ
うかということです。
私は、ここにあえて政治家を加えませんでしたが、
国の重要なテーマについて、いつも“専門家や官僚
に丸投げして足れり”として自ら問題意識も持たず、
必要性も感じず、学ぼうとしないような人たちは
“最初から戦力にならない”と思って外しただけで、
適任者がおられたら、当然、シンクタンクのリーダ
ー格になっていただくことを拒むものではありませ
ん。
一つだけ注文を付けるとすれば、「秋丸機関」の設
立に尽力した岩畔大佐のごとく、力のある政治家な
どでこのようなシンクタンクを作る必要性を唱える
人(たち)は、シンクタンク設立のために奔走し、
必要な基盤や経費は提供しても、当初から口を出す
のは厳に慎み、「若い世代に託す」ことが重要と考
えます。官民を含む各界には、若くても優秀でかつ
柔軟性があり、物事の本質を的確に見極めることが
できる優秀な人たちがたくさんおられると確信しま
す。
なお、前回紹介した『日本戦略論』(鎌田徹著)で
は、「戦略国家になるための人づくり」を提唱して
いますが、だいぶ時が経ったこともあり、残念なが
ら、今はそのような“時間的余裕”はないと考えま
す。仮に多少の問題はあっても、“今ある人材”を
最大限に活用するしかないと思うのです。
次いでながらもう少し補足しておきましょう。前に
も引用したように、『国民安全保障国家論』(船橋
洋一著)の冒頭には、コロナ禍やウクライナ戦争を
経験した結果として、「自分たちでみんなを守るこ
とができない社会は生き残れない」「自分の国を自
分たちで守れない国は生き残れない」「天(世界)
は自ら助くる者を助く」ということがわかったと紹
介されています。
著者は、それでも「国家」ではなく「国民」という
言葉にこだわっていますが、“利益の受容者である
「国民」目線を重視すべき”ことを強く意識してい
ると考えられ、本書に書かれているのは「“国家”
のあり様(形)」であることが理解できます。
私などの立場からすると、(元朝日新聞記者の)著
者のような立場の人が「ようやくここに気がついて
くれたか」と安堵する一方で、内外情勢の急激な変
化や「国力」が下降期にある“現時点”こそ、将来
のため、国家としての「打ち手」を真剣に議論する
時が来たことを国のリーダーたちに早く気づいてほ
しいと願うばかりです。だれかが問題意識と勇気を
もって、重い腰を上げて、“旗振り役”を演ずるこ
とを切に願っております。
繰り返しますが、「手遅れになる前に」です。様々
な思惑から場当たり的な所信表明演説とそれに対す
る質疑応答などで論戦を交わしている余裕はないと
思うのですが・・・。
▼「国家戦略」の指針の一案
さて、私も高齢世代です。「若い世代に託すべし」
と言った手前、過度な物言いは邪魔になると自覚し
つつも、本メルマガをここまで書き続けてきた以上、
「国家戦略」の指針のようなものの一案ぐらいは提
示しなければならないとの責任感にもかられます。
しかし、“指針のようなもの”といえども、そこに
含むべき内容の広さと深さを考えると、正直、いか
にまとめ上げるか、途方にくれます。
またしても、『日本の大戦略』のお力を借りて、ほ
ぼ一致している点を紹介しつつ、10年の歳月の変
化やアプローチの相違点などからの修正を加えて一
案としたいと考えます。なお紹介する順番などは私
の一存で本書を修正してあります。
まず本書が、平成23年の時点でこのような大胆な
「国家戦略」の指針なるものを考察し、提供してい
ることに対して改めて敬意を表したいと思います。
その第1には、「歴史的大変動に立ち向か覚悟を決
める」としていますが、当時より今の方が“歴史的
大変動”が顕著になっている国際社会そして我が国
ですから、ここに「立ち向か覚悟」が、国家として
も国民としても求められていると考えます。
本書は、具体的な「国家目標」などを考える前に、
このような「覚悟」をもって、「内向き志向、現状
維持志向を克服し、「『頼りがいのある日本』を目
指して国家アイデンティティを再構築する」ことを
提唱していますが、全く同意するものです。
「我が国がどのような未来を構築するか」、あるい
は「どこに向かっていくか」を明らかにするという
点でも全く同意です。なお本書では、目指す方向と
して「先進国安定化勢力日本」と呼称していますが、
そのような呼称を含めて議論が必要でしょう。
私は、この「歴史的大変動」の中には、「国力」が
下降期に入っている“我が国の国内事情”も含むと
考えていますので、具体的な指針の中には、「『国
力』の維持・増進のために国を挙げて立ち向かう」
旨の文言も挿入されるべきと考えます。
第2には、「安全」の国家目標として、「複層的な
課題に対応できる、実効性の高い安全保障政策を展
開する」ことです。
まさに、変動する国際社会の中で、我が国が「安定
化勢力」としての役割を果せるかどうか正念場でし
ょう。そのような視点をもって、現状から一歩踏み
込んで「安全保障政策を再構築する」ことが求めら
れており、具体的には、本書の「自国防衛/危機管
理の能力を強化する」「日米同盟の相互防衛的性格
を強め、同盟協力を総合化する」「グローバル・コ
モンズの安定化を図る」「同盟外の安全保障協力を
推進する」などの提唱は的を射ており、さらに強化
する必要があるでしょう。
実際に昨年末、「国家安全保障戦略」が策定されま
した。「安全保障」に絞れば、また表現こそ若干違
いますが、本書が提唱したような内容とおおむね一
致していると考えます。
しかし、すでに指摘したように、東アジア地域の
「核状況」が様変わりしつつあることから、日米両
国間の「核の傘」の信頼性の向上に加え、我が国独
自の��保有の議論を推進すべきと考えます。
また、「自国防衛/危機管理の能力を強化する」に
ついては、将来にわたって我が国迫って来る可能性
がある“脅威”については、短絡的に「南西正面」
などと決めつけないことも重要でしょう。将来戦は
「ハイブリッド戦」であることは間違いないとして
も、対象国が取り得る手段は多様であり、それらを
漏れなくすべて読み切った(見積もった)上で“一
寸の隙を見せない態勢”の構築が求められていると
考えます。
第3には、「富」を国家目標として、「先進的な経
済社会システムを構築する」ことを本書は紹介して
います。ここに「国力」の「ハード・パワー」の要
素のかなりの部分が含まれていますが、第2の「安
全」とも関連し、それぞれの分野の専門家の最適解
をもって国家施策にするようなことは厳に戒めるべ
きで、そのような弊害を排除するためにこそ、「国
家戦略」を策定していることを理解する必要がある
のです。
何度も例示したように、「太陽光発電所の建設のた
めの外国資本の導入に特段のチェックがなく、国防
上重要な施設の近傍を含め、広島県ほどの面積の国
土がすでに外国資本に渡っている」ような“現状”
を即刻是正する必要があります。そのための法律改
正などは急務でしょう。
その上で、必要な要素を総合的に考察して、我が国
として新しい「繁栄の形」をどのように具体化する
かが焦点となると考えます。その中には、国家を次
世代に託すためにも、若者世代が「将来の夢と希望」
を抱くことができるような施策を含むべきことは申
すまでもありません。
とはいえ、少子高齢化の進展から社会保障給付費な
どが大幅に膨れ上がることを予測し、過度な“バラ
マキ”は厳に戒め、「国民一人一人の夢や希望の実
現」と「国家(社会)として『富』の蓄積」の両目
標の同時達成に向けて、“個人の努力の必要性を促
し、努力の中に生きがいを見い出せる”ようなバラ
ンスのとれた「配分」を主眼とする「福祉の再定義」
も必要となることでしょう。
第4には、「変動する国際社会のもとでの日本の対
外構想を確立する」ことです。「安全」はもちろん、
食料やエネルギーなどのほぼ海外に依存している
「富」の分野においても、我が国は、将来にわたっ
て「国家として存立するための対外構想」には高い
優先順位を掲げて計画・実行する必要があります。
「頼りがいのある日本」をめざし(“孤立国・日
本”の存在感を発揮し)、本書でいう「大国間の協
調形成に尽力すること」「グローバルな課題に結果
を出す貢献をすること」「アジア諸国と深く交わり、
その不安定要因を抑制すること」などの提唱に異存
はありません。
前回述べたように、“自ら原則を立て、それに基づ
いて行動し、他国や他のアクターとも協力してい
く”という「自律」の重要性を理解した上で、「日
米同盟」をはじめ、」「クアッド」「自由で開かれ
たインド太平洋」などようやく“産声”を上げた枠
組みを一層深化する覚悟と「自律」の細部をしっか
り議論する必要があるでしょう。
第5に、「新しい『統治のかたち』をつくる」ため
の議論を推進することです。本書では、そのために
「安定した政権基盤を確立する」「官邸における外
交・安全保障戦略の司令塔を創出する」「戦略形成
の前提となるインテリジェンス機能を強化する」
「対外的な情報発信を刷新する」、そして最後に
「政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める」として、国民の参加意識を高めるために、
NPOやシンクタンクなど政治と国民をつなぐ中間
組織の役割も重要であると結んでいます。
「戦略は統治を超えられない」という言葉も紹介し
ましたが、「国家戦略」を議論し、策定し、実行し
ようとすれば、現在の我が国の「統治のかたち」が
そこに“立ちはだかる障害”となる可能性は否定で
きないでしょう。
紹介しました『国民安全保障国家論』も、その終章
で「日本には『国家安全保障』という『国の形』が
ない。そして、その『国の形』をつくるのを阻んで
きた『戦後の形』がある」として、「『戦後の形』
のままでは日本は新しい時代の挑戦対応できない」
と訴え、新たに「国の形」を作る必要性を強調して
います。
私は、5つの指針の中で第5の「統治のかたち」の
議論が最も難しいと考えます。一方で、戦前戦後を
通じて一内閣の寿命が平均1.4年に満たないよう
な“現状”では、一貫した中長期的な「国家戦略」
の策定はおろか、導き出された国家目標に向かって
(たとえ、苦しくても)各種政策を推進し続けるこ
とは困難であることは明白でしょう。
「では、どうすべきか」については大議論を呼ぶこと
でしょう。しかし、ぜひともこのテーマまで踏み込
んで議論してほしいと願っています。
「国の形」についてはのちほど再び触れることにし
て、次回、「国家戦略」を総括し、その後に「ソフ
ト・パワー」のもう一つの要素である「国家意思」
を取り上げます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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次年度 政策提言!
令和3年度 市の施策並びに予算に関する提言・要望書
知立市議会 立志会
第6次知立市総合計画の目標に従い、以下の事項を提言・要望する。
【基本目標1】人と環境にやさしく、健康で安心して暮らせるまちづくり 第1 安心して暮らせるまちづくり 1 自主防災組織に対し、組織力強化のための教育や研修の充実を図り、防災士資格取得の推進を行い、市の防災力向上に努めること。 2 消防団員の処遇及び消防団の装備の更なる改善を図るとともに、機能別分団の役割を明確にし、実践的な研修及び訓練を実施すること。 3 災害時の情報提供や避難所運営に関して、多国籍化、散在化する外国人居住者に対する支援体制の強化を図ること。 4 防災倉庫の備蓄品の拡充・管理徹底と、市内事業所・団体との防災連携を強化すること。 5 犯罪多発地区(西小学校区)に交番の早期設置を強く要請し、併せて知立警察署の設置を目指すこと。 6 犯罪抑止力向上と犯罪発生時の早期解決に寄与する防犯カメラ設置の推進のため、防犯カメラ設置費補助金交付事業の普及を図ること。 7 近隣住民の迷惑になる長期放置された空家や空地について、環境面や防災面に配慮し、迅速かつ適切で積極的な対応を図ること。また、空家等の発生の抑制と利活用について、関係機関との連携強化を図り、市民に対し具体的解決策の提案に努めること。 8 大規模災害時の的確な対策改善と対応能力向上のため、災害救助経験のある自衛官等の配置の推進を図ること。 9 災害時に的確に市民への情報提供ができるよう、ホームページにアクセスが集中しても、サーバーダウンしないよう対策を講じること。 10 新型コロナウイルス等の感染症を踏まえ、「避難所における対応」、「災害対策本部の対応」、「ボランティ��関係」などの災害対応全体の見直しを図ること。 11 地域の防犯パトロール等の防犯活動や人材育成を推進するとともに、犯罪多発地区(西小学校区)を重点に更なる啓発活動と防犯活動の強化に努めること。 第2 人にやさしいまちづくり 1 障がい者の自立を支えるため、障がいに取り組む関係機関の課題を共有し、自立支援のための体制作りを図ること。 2 労働可能な生活困窮者が自立し、安定した生活が送れるための計画づくりの支援を図ること。 3 公共施設内のトイレ洋式化とバリアフリーを早期に実施し、誰もが利用しやすい施設の改善に努めること。 4 早期の適切な対応が必要となる発達障がい児や、発達障がいの可能性のある子どもに対し、きめ細やかな支援をさらに充実させるため、小学校に対する子どもサポート教員や発達障害児支援補助員の人員加配を継続すること。 5 新型コロナウイルスの発生により、障がい者(重度・聴覚障害等)が学校、保健所への相談や病院への受診、コミュニケーション対応等に困難な状況を踏まえ、遠隔サービス等を利用した意思疎通支援体制の強化を図ること。
第3 健康で暮らせるまちづくり 1 高齢者福祉の地域支援体制の拡充のため、地域包括支援センターの北部地区への設置と、在宅介護支援センターとの連携強化を継続すること。 2 地域包括ケアシステムの推進には、かかりつけ医の役割が取り分けて重要となっており、地域の資源であるかかりつけ医の重要性を広く市民へ周知するとともに、三師会との連携を強化すること。 3 特定健康診査・各種がん検診などの受診率の向上のため、ICT化を推��し、インターネットによる広報やオンライン予約等の施策を講じること。 4 コロナ禍での感染予防対策や健康管理、介護予防について、迅速かつ的確な情報提供に努めること。
第4 環境にやさしいまちづくり 不法投棄やフン害等の削減のため、環境美化推進条例の周知徹底及び適切な条例運用を実施することにより、不法投棄等の抑止と市民意識の向上に努めること。 【基本目標2】 人々が集う交流のまちづくり 第1 住みたくなるまちづくり 1 UR都市機構知立団地の再生に向けた協議を進め、昭和地区の持続可能なまちづくりに尽力すること。 2 歩道の拡幅や波打ちの改善、また交差点の段差解消など歩行空間おけるユニバーサルデザインを推進すること。特に、高齢化が進む昭和地区の団地外周の歩道については、引き続き整備に努めること。 3 衣浦豊田線(牛田新田北地区等)の側道の改良を図ること。 4 都市公園の健全な発展のため、総合公園整備事業基金の柔軟な運用を行うこと。 5 公共下水事業について、未整備地区の早急な整備を図ること。 6 知立北部地区の健全な都市発展を持続可能なものとするために、都市計画道路駒場牛田線整備事業を事業化させること。 7 本市唯一無二の地域資源である東海道松並木を活用し、本市の定住人口、交流人口増加を図る拠点として、知立松並木パーキングなどの施設を整備すること。 8 長年、地域の懸案事項である機織池について、地元町内会と協議を継続し、整備計画について検討を進め、機織池整備事業を事業化させること。
第2 訪れたくなるまちづくり 1 知立駅付近連続立体交差事業について、令和5年度完成に向け事業推進を加速させるとともに、知立駅周辺整備事業に関する国並びに県への財政支援を求める要望活動を継続的に実施すること。 2 知立駅周辺整備事業の事業効果早期発現を促すために、地域住民や関係団体等との連携及び情報共有を徹底するとともに、中心市街地の賑わいづくりと良好な住生活環境の両立を図ること。 3 今後、本市の地方創生の足掛かりとして三河知立移設駅を活用するため、駅南側のアクセス道路については、将来性を見据え自動車も通行出来るよう整備すること。 4 都市計画の中で企業誘致を積極的に推進するとともに、企業誘致を促す税制優遇措置や助成制度の創設を図ること。 5 知立市観光協会の事務局の早期独立と、観光情報発信拠点としての「知立市観光交流センター」の施策の充実を図ること。 6 市民の愛郷心を育むため、ちりゅっぴの継続的な活用を図ること。 7 中小企業振興基本条例の改正の趣旨に則り、中小企業対策の強化や地元企業の育成、特に小規模事業者育成に関する具体的な施策の推進を図ること。 8 市内事業者の育成の観点から、入札における適正な運用を図ること。
【基本目標3】 次代を担う子どもを豊かに育むまちづくり 1 いじめ及び不登校の防止を、家族や地域一体となって取り組む環境づくりに引き続き努めること。 2 共働き世帯の出生率の増加に伴い、0~2歳児保育の待機児童対策を図ること。 3 GIGAスクール構想の本旨でもある教育のICT化を推進するために、2020年度から小学校で実施される学習指導要領にも明記されている「情報活用能力の育成」や「ICTを活用した学習活動の充実」を図ること。 4 外国籍児童生徒の増加が顕著である知立東小学校を始め、八ツ田小学校や知立南中学校の児童生徒への学習面、及び児童生徒指導等での保護者対応のため、当該小中学校への通訳者の増員や新規配置、若しくは、市教委への通訳者の配置を行うこと。 5 GIGAスクール構想により支給されるデジタル端末を活用し、不登校児童生徒等への学習支援に、ICTを用いたリモート教育を推進すること。
【基本目標4】 互いの人権を尊重し、思いやりの心を育むまちづくり 1 多文化共生を更に推進させるため、具体的かつ効果的な事業充実を図ること。特に、就学前、就園前の外国人児童とその保護者に対する子育て環境の整備を図ること。 2 あらゆる分野における、男女共同参画の推進を図るため、目標値の実現に向けて女性の占める割合の増加に努めること。
【基本目標5】 芸術や文化を大切にするまちづくり 1 知立市文化芸術基本条例の実効性をより高め、本市の文化芸術をより一層推進させるため、有機的な連携を速やかに実施すること。 2 知立市文化会館駐車場の、新たな駐車場用地等を確保することにより、周辺道路の違法駐車をなくし、地域住民や事業運営者への負担軽減を図ること。 3 スポーツ活動の活性化や、普及、推進のため、施設の充実を図ること。 4 ユネスコ無形文化遺産に登録された「知立の山車文楽とからくり」の保存、継承への支援を図り、知立の観光資源として積極的に活用すること。 5 知立のかきつばたを、日本遺産並びにユネスコ無形文化遺産登録に向けた取り組みを図ること。 6 知立市歴史文化基本構想を広く市民に普及させるため、また本市の今後30年のグランドデザインを明確にするため、「知立市歴史文化都市宣言」を行うこと。
【基本目標6】 知立が輝くための仕組みづくり 第1 市民が取り組む仕組みづくり 1 知立市まちづくり基本条例の理念に鑑み、コロナ禍における、市民協働体制及び情報共有体制の構築を早急に図ること。 2 コロナ禍において、町内会や各種団体活動の中止や縮小が余儀なくされる中、新たな活動スタイル構築のため、迷いや不安を抱えながら活動方法を模索している状況にある。ついては、それら団体に対し、積極的に団体間情報交換の機会提供及び支援策を講じると共に、オンライン等を利用し新生活様式の中で、安定的な運営が出来るような支援策を講じること。 3 コロナ禍において、オンラインでの情報共有や団体活動は、時代の要請として捉えられている。ついては、行政と町内会との関係強化策の一貫として、町内会公民館のオンライン環境導入整備促進に対する補助金メニューを速やかに創設すること。
第2 地域経営力のある行政づくり 1 知立市LINE公式アカウント情報配信事業の登録者数増加のための、出前講座等の取り組みを積極的に行うこと。 2 「知立市ICT推進のための基本方針」に則り、行政のDXの推進により最新技術の導入を進め、業務の効率化や市民へのサービス向上を図ること。 3 地方自治の3つの基本原則である①住民福祉の原則②行政効率の原則③法令適合の原則を遵守し、憲法第92条に規定される、地方自治の本旨の実現を目指すこと。 4 国連サミットで採択された2030アジェンダを目標化したSDGsを原動力として、地方創生強靭かつ環境にやさしい魅力的なまちづくりを目指し、SDGs未来都市として選ばれている愛知県や豊田市とも連携し、持続可能な都市・地域づくりを目指すこと。 5 地方自治法の一部改正により導入される、地方公共団体における内部統制制度の趣旨に鑑み、法令等を遵守しつつ、適正な行政サービスを安定的、持続的、効率的かつ効果的に提供していくため、その要請に対応した地方行政体制を確立すること。
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(5月31日まで開催中)【フェア】人から紐解くiPS細胞
代官山 蔦屋書店 営業時間について 5月11日(水)~当面の間 11:00~19:00
■代官山 蔦屋書店ご入店に関して ・1号館2階 映像フロアでのレンタル対象商品は「新作のみ」とさせていただきます。 ・3号館2階 音楽フロアはご利用いただけません。 ※お客様およびスタッフ同士の距離感を十分に取れる空間の確保・維持のため、入場制限を設ける場合がございます。 その場合は整理券を配布いたしますので、ご案内の際は指示に従ってくださいますようお願い申し上げます。 ※大変恐れ入りますが、マスクを着用していないお客様のご入店はお断りしております。 ※休店日や営業時間、当日のご案内方法は予告なく変更となる場合がございます
———-
iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんをはじめとした研究者の方々や、京都大学総合博物館で行われる特別展「iPS細胞、軌跡と未来―こだわりの研究所を大解剖―」の関係者の皆様が、ご自身の人生で現在に至るまでに「刺激を受けた本」の数々を紹介教えて下さいました。 それぞれコメントも頂いておりますので、これが皆様にも刺激となれば嬉しいです。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 所長 山中伸弥
『宇宙英雄ローダン・シリーズ』K・H・シェール他(著)ハヤカワ文庫SF 子どもの頃、夢中になって読んでいました。科学の力で問題を解決していく登場人物にあこがれたのが、今の仕事の原点かもしれません。日本語版が600巻を超えた今でも続きが出ている人気作です。
『星新一のショートショート』 環境問題、人口増など現代にも通じる社会問題に鋭く切り込んだ作品が多く、読んでいて刺激になります。
『仕事は楽しいかね?』デイル・ドーテン(著)きこ書房 アメリカ留学から帰国後、仕事に悩んでいたときに読んだ本です。思うように研究が進められず、研究を続けるかどうか悩んでいた私に、仕事を楽しむことを思い出させてくれました。
『FACTFULNESS』ハンス・ロスリング他(著)日経BP 科学者にとって、自分の偏見を捨て、データと真剣に向き合うことは非常に重要です。これは科学者以外の方にも言えることだと思います。この本は、世界のいろいろな事象を思い込みに惑わされずに見つめる訓練にとても役立つと思います。
『理不尽に勝つ』平尾誠二(著)PHP研究所 仕事をしていると、理不尽な目にあうことはたくさんあります。そんなときに手に取る本です。著者の平尾誠二さん(故人)とは友人として深い付き合いがあり、仕事の進め方やリーダーシップについて、多くを教えてもらいました。この本は、彼から教わったことを思い出させてくれます。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 所長室 中内彩香
『阪急電車』有川浩(著)幻冬舎文庫 片道わずか約15分という阪急今津線の乗客の人間模様が優しいタッチで描かれ、映画化もされた大ヒット小説。人にはみな、それぞれが主役の人生のドラマがあるという当たり前なことにふと気づかされると同時に、(誤解を恐れずに言うと)「人って悪くないな」と思わされます。人間関係に少し疲れたときに読むと、ほっこり温かな気持ちになれる一冊です。
『僕たちの戦争』萩原浩(著)双葉文庫 何の接点もない戦時中の少年と“今どき”の少年が、ひょんなことからタイムスリップして互いの時代を生きる様子を描いたフィクション小説。背伸びしない、少年の目線で当時を想像しながら本の世界に没入し、現実世界に戻った後も、当時の人が急に今の私たちの日常に迷い込んでくるとこの世界はどう見えるのだろうと想像を膨らませました。当時を懸命に生きてきた方たちのおかげで今があるということを改めて考えさせられました。
『チーズはどこへ消えた?』スペンサー・ジョンソン(著)扶桑社 いつから変化を恐れ、前に踏み出すのをためらうようになってしまったのだろう。常に起きる変化にどう適応するかは自分の考え方次第。物事をシンプルに捉え(自分で勝手に複雑化しない!)、柔軟に行動し、冒険を楽しむ。「新しいチーズ」探しの旅を始める勇気をこの本からもらいました。心が弱くなる度に読み返すと背中を押してくれる、私の良き伴走者です。
『Newtonニュートン』ニュートンプレス 親が愛読していたこともあり、物心がついた頃にはページいっぱいに広がる鮮やかなビジュアルに惹かれて、わけもわからずページをめくっていました。今思えば、それが知らず知らずのうちにサイエンスに興味をもつきっかけになったように思います。読者を「追いていかない」工夫が凝らされ、また号のテーマによらない最新の科学情報も得られるので、おすすめです。
『SNOOPY COMIC SELECTION』チャールズ・M・シュルツ(著)角川文庫 1950年から描かれ、スヌーピーをはじめ愛くるしいキャラクターが人気の漫画。ほのぼのとしたやりとりに心を癒されるときもあれば、子どもの他愛のない一言が、大人が目を背けがちな真理をついていてハッと気づかされるときもあります。読後の爽快感がたまらず、休日の午前に読みたくなる作品がたくさんあります。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 臨床応用研究部門 准教授 池谷真
『神様からの宿題』山本育海他(著)ポプラ社 私たちの研究室では、進行性骨化性線維異形成症という筋肉組織中に骨ができる難病の研究に取り組んでいます。この本は、患者である山本育海君と、そのお母さんの手記です。患者さんとご家族が抱える苦悩、葛藤、決意などの思いが込められています。毎日を頑張って生きようという気持ちになります。
『細胞の分子生物学』ブル-ス・アルバ-ツ他(著)ニュートンプレス ミクロ系生物学が網羅されている、大学レベルの教科書です。大学合格が決まった後、すぐに購入しました。当時、第2版で、現在は第6版になっています。時に読本として、教科書として、辞書として、そして枕として大活躍しました。
『最強マフィアの仕事術』 マイケル・フランゼーゼ他(著)ディスカヴァー・トゥエンティワン 実際に裏社会で成功を収めた著者が、仕事のやり方を経験に基づいて書いた本だそうです。『マフィア』の法則ですが、現実社会に通じる内容が数多く含まれています。思わずニヤッとしてしまうような箇所もあり、心が疲れた時に半分娯楽として読むとちょうど良いかと思います。
『ブラック・ジャック』手塚治虫(著)講談社 医学に関心がある漫画好きの方なら、一度は読んだことがあるのではないでしょうか。法外な治療費を請求するなど理不尽に思える内容もありますが、治療不可能と思える患者を一人の天才外科医が治していく姿に憧れました。
『ドラえもん』藤子・F・不二雄(著)小学館 あんなことやこんなことを、夢の道具で実現してくれるドラえもん。何より、その発想の自由さに、子供心をくすぐられました。ただ同時に、サボった分は後から自分でやらないといけないという人生訓も教わりました。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 未来生命科学開拓部門 講師 中川誠人
『ぼくらの七日間戦争』宗田理(著)角川文庫 中学生が大人の言いなりにならないために一致団結して向かい合う青春ストーリー。テンポがよく、ワクワクしながら一気に読んだ覚えがあります。秘密基地などは誰もが幼い頃にあこがれたのではないかと思います。本の終わりも痛快・壮快で良く覚えています。映画にもなりましたね。純粋に楽しめる本だと思います。
『三国志』横山光輝(著)潮出版社 最初に横山光輝さんの漫画から三国志の世界に入りました。様々な登場人物がそれぞれの信念を持って中国統一に向けて戦います。武力だけでなく知力、政治力、一番は人力(魅力)に優れている事が重要だと感じました。そういう人の周りには優れた人が集まり大きな力となるのだと思います。小説は数種類読みましたが、書き手によって内容や登場人物の性格が違っているのが面白かったです。個人的には劉備・関羽・張飛の義兄弟の絆にあこがれます。
『ザ・ゴール』エリヤフ・M・ゴ-ルドラット(著)ダイヤモンド社 ストーリー仕立てで、製造現場の生産管理の手法「制約条件の理論(Theory of Constraints)」を易しく学ぶことができる本。研究には関係無さそうであるが、ラボマネージメントの観点から非常に参考になりました。考え方によって様々な状況に対応できる理論になり得るのではないかと感じました。
『英語は3語で伝わります』中山裕木子(著)ダイヤモンド社 初心者でも、なんとなく英語を勉強してきた人でも参考になるのではないかと思う。いかにシンプルに英語で表現できるかを学べる。英語を難しく考えがちな思考を変えてくれる良本と思います。
『マイケル・ジョーダン物語』ボブ・グリーン(著)集英社 引退した今もなおバスケットボール界の神様と言われているマイケルジョーダン(MJ)の伝記。コート上での神様MJの圧倒的な支配力、そして人間MJの比較をうまくまとめた本。超一流の人には何か共通するものがあるのだろうと感じた。
『細胞の分子生物学』ブル-ス・アルバ-ツ他(著)ニュートンプレス 通称「セル」と呼ばれる、生物学の基礎教本。最初はその重さにやられてしまいますが、制覇した時の達成感は忘れられません。生物学の研究を志すなら、要点をまとめたエッセンシャル本もありますが、是非「セル」を読んでください!筋トレにもなります(笑)
———- 京都大学 iPS細胞研究所 国際広報室 和田濵裕之
『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ(著)ハヤカワepi文庫 幹細胞を使った再生医療に関係する仕事をしている者として、とても刺激になりました。ノーベル文学賞受賞で話題にもなりました。どういう未来が私達にとって良いのか、考える際の参考になると思います。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹(著)新潮文庫 村上春樹さんの作品はどれも好きですが、特に印象に残っているのがこの作品。読むのにとても頭を使いました。こんなに頭を使ってしんどい思いをしながら読んだ作品も珍しいですが、しんどくても次を読みたいと思わせる魅力があります。科学的コミュニケーションにもそうした魅力をうまく持たせたいです。
『パラサイト・イヴ』瀬名秀明(著)新潮文庫 科学コミュニケーションを行う上で、科学に興味のない人にどうやって科学的な内容を伝えたらいいのかと悩む中で参考になった一冊。物語の中に科学を散りばめることで、より多くの人にアプローチできるのではないかと思うきっかけとなりました。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス(著)ハヤカワ文庫NV 刻々と変わっていく文章の書き方が、日々変化している主人公の知能を反映していて、初めて読んだ高校生のときには衝撃を受けました。時が経過して、アルツハイマー病の患者さんの病気が進行していく姿にも共通するように感じ、改めて読み直したいと思った一冊です。
『ルリボシカミキリの青』福岡伸一(著)文春文庫 大学3回生の時に学生実験で数週間だけ指導をしていただいた福岡伸一先生。雑談の中にあふれる知識に魅了され、4回生の研究室配属では福岡先生の研究室に入りたいと思いました。残念ながら他大学へ移られてしまい、念願は叶いませんでしたが、あの時に感じた魅力、科学コミュニケーションにとって大事なことがこの本には現れているように思います。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス(著)ハヤカワ文庫NV 刻々と変わっていく文章の書き方が、日々変化している主人公の知能を反映していて、初めて読んだ高校生のときには衝撃を受けました。時が経過して、アルツハイマー病の患者さんの病気が進行していく姿にも共通するように感じ、改めて読み直したいと思った一冊です。
『銀河英雄伝説シリーズ』田中芳樹/藤崎竜(著)集英社 舞台は宇宙ですが、歴史ものの小説のような作品。世界には様々な価値観があり、いずれも正しく尊重されるべきであることを強く意識するきっかけとなりました。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 国際広報室 志田あやか
『松風の門』山本周五郎(著)新潮文庫 中3の国語のテストで収録作『鼓くらべ』に出会い、すぐに図書館へ走ったのを覚えています。自分の信念ではなく、人にどう見られるかを基準に行動してしまいそうになったときに読む本。
『壬生義士伝』浅田次郎(著)文春文庫 吉村貫一郎という新選組隊士が主人公。「お国のため」が第一だった武家社会を背景に、自分の軸を持って生きるというのはどういうことかを教えてくれる本。
『どうなってるのこうなってるの』鈴木まもる(著)金の星社 父に毎晩読み聞かせをしてもらって育ちましたが、リピート率No.1はこの本でした。「どうなってるの」で十分タメてから「こうなってるの!」と進むのがコツです。
『脳死・臓器移植の本当の話』小松美彦(著)PHP研究所 著者の小松氏は、大学に入って最初の講義の講師でした。「私を含め、他人が言うことを検証し建設的に批判できるようになれ」と言われたのが記憶に残っています。この本は、小松氏自身がそれを実践した著作。脳死のとらえ方に新しい一石を投じてくれるはずです。
『完璧じゃない、あたしたち』王谷晶(著)ポプラ文庫 あたりまえのことなんですが、男との出会いだけが、女にとっての「特別」であるはずがないのです。恋愛、友情、尊敬、女同士のいろいろを描いた短編集。
———- 京都大学 情報環境機構/学術情報メディアセンター 助教 元木環
『観る―生命誌年刊号Vol.45~48』中村桂子(著)新曜社 中3の国語のテストで収録作『鼓くらべ』に出会い、すぐに図書館へ走ったのを覚えています。自分の信念ではなく、人にどう見られるかを基準に行動してしまいそうになったときに読む本。
『壬生義士伝』浅田次郎(著)文春文庫 JT生命誌研究館の季刊冊子が年に一度まとめて発刊されるうちの一冊。研究者である編者が様々な分野の専門家と繰り広げる対話の連載や各種記事が、生命科学関連の研究を非専門家向けに、丁寧なテキストとビジュアル表現で伝達されており、研究を伝える時の態度や工夫が感じられるのが楽しい。この号は、自分が大学で、研究を対象にデザインをし出した頃にとても参考になった。
『図解力アップドリル』『[動く]図解力アップドリル』原田泰(著)ボーンデジタル この2冊のシリーズは、「読めばすぐできるような」デザインマニュアルだと思い手に取ると、期待を裏切られる。タイトルやぱっと見からではわからないが、知識や情報、あるいは経験を「視覚的に表現し、伝達する」ことの本質を、頭と身体を使い、実践的に掴んでいくための道しるべとなる本になっている。デザイナーだけでなく、科学を対象とするデザインに関わる人にもとても参考になるし、続編の「動く」の方は、映像作成の考え方の基礎にもなる内容で秀逸。
『患者はだれでも物語る』リサ・サンダース(著)ゆみる出版 CiRA展とは別で展示の準備中に出会った先生からいただき、とても面白かった本。医師が患者の問診や診察でどのように診断をしていくかが物語として描かれている。デザイナーが、制作依頼を受けて、相談、制作していくデザインプロセスとも通じるところがあることが興味深い。
『デザインに哲学は必要か』古賀徹 (著)武蔵野美術出版局 デザインの実践者かつ教育者である著者らによる論考がまとめられており、デザインの裏側にある考えを想像する手がかりになる本。実践者が自ら「デザインとは何か」と問い、表現している言葉に共感を覚え��箇所が多数ある。CiRA展に関わったデザイナーたちは確かに、(うまく言語化できていなかったとしても)フレキシブルでかつ一貫した考え方を持って、制作に携わっていたのだ、と想像してもらえるかも。
『優しさごっこ』今江祥智(著)理論社 私が紹介するまでもない有名な小説であるが、小学生の頃以来、時々読み返す本。いつも関西(京都?)の言葉で綴られる光景やモノローグや会話の表現、時々出てくる食べ物の描かれ方に引き込まれるが、タイミングによって、娘、親、別の登場人物など、別の視点で読んでいる自分と、行間や背景に想像できる範囲が変わっている自分に気がつかされる。装幀や挿絵(初版は長新太さんによるもの)を含めたブックデザインに興味を持つきっかけとなった一冊でもある。
『アイデア No.355』アイデア編集部(編)誠文堂新光社 もし古本でも手に入るなら、「《特集2》奥村昭夫と日常」のページをみてほしい。CiRAマークの相談を受けブラッシュアップした、グラフィックデザイナー(当時京大メディアセンターの客員教授であった)奥村昭夫氏のデザインに対する態度、大学の中の様々な仕事の中でCiRAマークの制作に関わることになった様子に触れることができる。
『美術館は眠らない』岩渕潤子(著)朝日新聞社 大学生の頃、授業中ある先生から「美術館に興味があるならこれを読んでみたら」と紹介され出会った本。筆者がアメリカの美術館での研修員時代の体験談を軸に、アメリカでの美術館を支える組織、社会のあり方が紹介されている。今とは時代背景は異なるが、美術館や博物館を運営する(もちろん展示を行うにも)仕事は多様な専門性があって成立していること、国によって異なる歴史や社会の仕組みが、美術館や博物館にもとても影響をすることを教えられた一冊。感染症の関係で、美術館や博物館にまつわる社会の仕組みも再編されるのではという目で読むこともできる。
京都大学総合博物館 准教授 塩瀬隆之 『ちいさなちいさな王様』アクセル・ハッケ他(著)講談社 わたしたちの国と人生が真逆で、たくさんの知識や先入観をそぎ落とし、どんどん好奇心あふれ、いたずら心であふれる最期を迎える国の王様の話。「可能性で埋め尽くされた想像の毎日を捨て、なぜ斯くもつまらない一つの正解だけを追う日々を生き急ぐのか」と王様にわたしたちの社会が笑われている。
『エンデの遺言』河邑厚徳(著)講談社+α文庫 ファンタジー童話『モモ』や『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデの晩年の関心は、「お金を根源から問い直すこと」。お金がお金を生む投機的な世界に心を奪われた現代社会を風刺し、思想家シルビオ・ゲゼルの「老化するお金」を研究した。『モモ』の世界に登場する時間貯蓄銀行の灰色男は、あくせく働きすぎの現代社会を40年も昔から見透かしていた。
『木を見る西洋人 森を見る東洋人』リチャ-ド・E・ニスベット(著)ダイヤモンド社 問題を細分化する西洋流の要素還元的なモノの見方に対して、全体の調和を保とうとする東洋流のモノの見方こそが大切で、どちらかに優劣をつけようというのではない。大局観を失った近視眼的なモノの見方を揶揄する言葉であるが、それが心理的な差異にとどまらず、経済、法といった社会制度の好み、宗教観にまで影響を及ぼしていると指摘する。
『不実な美女か貞淑な醜女か』米原万里(著)新潮文庫 ロシア語通訳の米原万里が、要人通訳などにおいて意識した技術と視点を紹介する本。見栄えはよいが中身を伴わない文章と、見栄えが悪くも中身を正確にとらえた文章、使いこなす文章は常にその間を揺れ動いている。翻訳に限らず、あらゆる言葉の表現をするうえで、悩ましくも筋の通った考え方を示す。文章そのものも明解で極めて参考になる。
『バーバパパのがっこう』A・チゾン/T・テイラー(著)講談社 学校を舞台にしたバーバパパシリーズ。監視を強める学校に反発する個性豊かな子どもたちに手をやく大人。見かねたバーバファミリーが、ダンス好きな子、絵が好きな子、メカが好きな子それぞれの個性にあった学びをとどける。興味をもったところに、学校の数学の先生がかえってきて一緒に教え、結果として質の高い学びを得る物語。監視を強める学校教育への警鐘と言える。
———- 特別展「iPS細胞、軌跡と未来 こだわりの研究所を大解剖」デザイナー 東南西北デザイン研究所 石川新一
『生き物の建築学』長谷川尭(著)平凡社 泥臭い、生きるためのデザインをしたいと思った時に読むといい本
『さあ、横になって食べよう』バーナード・ルドフスキー(著)鹿島出版会 既成概念にとらわれていないか?と自分に問う時に読むといい本
『鯨尺の法則』長町美和子(著)ラトルズ 日本文化で癒されたい時に読むといい本
『Usefulness in Small Things』Kim Colin and Sam Hecht(著)Rizzoli アノニマス(無名性)デザインで参考になるいい本
『メイカーとスタートアップのための量産入門』小美濃芳喜(著)オライリー・ジャパン 私などデザインをする人が将来の野望ために読むといい本
———- 特別展「iPS細胞、軌跡と未来 こだわりの研究所を大解剖」デザイナー 奥村昭夫
『伊丹十三選集』伊丹十三(著)岩波書店 若い頃、伊丹さんの本は読む楽しみとともに、元気づけてくれました。 今、伊丹十三選集を楽しく読んでいます。
『瑞穂の国うた』大岡信(著)新潮文庫 文中の、夏目漱石の”レトリック など弄している暇はないはずだ、ア イディアがすべてだと思うよ、ということです。”の言葉に、製作の確 信を得てたびたび思いおこしています。
『常用字解』白川静(著)平凡社 常に手の届くところにあって、漢字と言葉の散策をしています。
『黒田泰蔵 白磁』黒田泰蔵(著)求龍堂 圧倒的に美しい白磁、緊張とすみきった空気を感じ、頭と心を研ぎす ましてくれます。
『大衆の強奪』セルゲイ・チャコティン(著)創元社 “戦争に対する戦争”のスローガンに代表されるように、伝える事の 本質と、言葉とシンボルの力を教えてくれました。
【プロフィール】 京都大学iPS細胞研究所 iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんをはじめとした研究者の方々や、京都大学総合博物館で行われる特別展「iPS細胞、軌跡と未来―こだわりの研究所を大解剖―」の関係者の皆様が、ご自身の人生で現在に至るまでに「刺激を受けた本」の数々を紹介教えて下さいました。 それぞれコメントも頂いておりますので、これが皆様にも刺激となれば嬉しいです。 2006年に誕生し、2012年に「成熟した細胞を、多能性を持つ細胞に初期化出来る事を発見」した事により、山中伸弥/J・B・ガードン両氏が2012年のノーベル生理学・医学賞を共同受賞した事で、一躍再生医療の救世主と目されることになった「iPS細胞」。 そんな新たな存在を医療の現場に応用させる為の研究を行う「京都大学iPS細胞研究所(CiRA)」は2020年で設立から10周年を迎え、同研究所の軌跡と未来を記した『iPS細胞の歩みと挑戦』(東京書籍)も刊行されます。
会期 2020年5月11日(月)~2020年5月31日(日) 時間 営業時間通り 場所 蔦屋書店1号館 1階 ブックフロア 主催 代官山 蔦屋書店 共催・協力 京都大学iPS細胞研究所 東京書籍
問い合わせ先 03-3770-2525
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1927年に権力者になった蒋介石は宣教師たちを蔑んでいた。
しかし、ある時から自身が洗礼を受け、宣教師たちを擁護するようになる。それは自身の保身のための策略であった。
ドイツの将軍を軍事顧問に迎えて万全の防御態勢を固めた上海戦で敗北すると、「宣伝戦」に切り替える戦略を採用する。孫子の兵法で称揚されているもので、自国の立場を有利にするプロパガンダ作戦である。
蒋介石はそのための組織を1937年11月に整えるため、国民党中央党部と国民政府軍事委員会を改組して中央宣伝部を組織する。
これは、上海戦で敗北し、南京への追撃戦が展開されている時であり、軍事力に代えて、「タイプライターで闘う」戦術への転換である。
宣伝部副部長には米国の大学を卒業し、新聞編集にも長じた董顕光を当てる。留学以前にはわずかな期間ながら、蒋介石の英語教師をしたこともあり、戦後は台湾の駐日大使となる。
また、宣伝部の下に対外宣伝を専らにする国際宣伝処を設け、その処長には大学教授で文学者の曾虚白をあてる。
国際宣伝処の本部は重慶(南京後の国民政府の首都)に置くが、上海と香港に支部を開設、昆明や米英加豪墨印星(シンガポール)の首都か大都市に事務所を設ける。
特に米国ではワシントンのほかにニューヨークとシカゴにも事務所を構えた(北村稔著『「南京事件」の探求』、以下同)。
国際宣伝処は蒋介石に直属して各地の党機関と政府機関を管轄して活動する。本部、支部、事務所がそれぞれに刊行物を出し、通信社も設立する。
宣伝に信憑性をもたせるために処長が採用した方策は、「中国人は顔を出さずに手当てを支払うなどの方法で、『我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人となってもらう』という曲線的手法」である。
この国際友人として働く中心的な人物が、オーストラリア人の元ロイター通信記者で、当時は英国のマンチェスター・ガーディアン紙中国特派員のティンパーリー(中国名・田伯烈)である。
蒋介石の国民党・国民政府の顧問になり、「百人斬り競争」の武勇伝や「怒濤のごとく南京城内に殺到した」などと日本の新聞が報じると、これらを取り込み「日本軍の悪行」に歪めて『WHAT WAR MEANS』(戦争とは何か)をロンドンで上梓する。
中国語版の『日軍暴行紀実』が同時並行して出る手際の良さは宣伝網が有効に機能していたことを示している。
また、ティンパーリーからの話を受けて、金陵大学教授で安全地帯国際委員会委員でもあったスマイス(中国名・史邁士)が南京戦で日本軍が与えたとする被害状況『南京戦禍写実』(通称「スマイス報告」)を著述する。
いずれも1940年のことで、「両書は一躍有名になった」というが、蒋介石政権の威信をかけた宣伝戦であり、当然であろう。
蒋介石の米国世論操縦策
日中戦争時の1939年4月から12月まで重慶の国民党国際宣伝処で働き、のちにピュリッツアー賞も受賞するセオドア・ホワイト(中国名・白修徳)は回想録『歴史の探求』で、蒋介石の米世論操縦について明かしている。
米国への接近は米国で教育を受けた蒋介石夫人の宋美齢が、夫を説き伏せてメソジストに改宗させたことから始まるという。
そして主要な部長(閣僚)、たとえば財務部長(オバーリン大・エール大卒)、外交部長(エール大卒)、教育部長(ピッツバーグ大卒)、情報部長(ミズーリ新聞学校卒)は米国の大学卒で、政府内の米大学出身者を数え上げたらきりがなかったという。
そうした中でも、各国に派遣された大使の面々は、圧倒的に米国の名門大学卒業生で、ワシントンにはコーネル大・コロンビア大卒、ロンドンにはペンシルバニア大卒、そしてパリにはコロンビア大で3つの学位を取得した顧維鈞を任命していた。
顧維鈞は国際聯盟で日本非難の演説を行った人物で、息子もハーバード大に在籍しているのを自慢にしていたという。
また、中国銀行頭取(ハーバード大卒)、司法院長(コロンビア大・カリフォルニア大卒)、国家保健監督官、海外貿易委員会、塩務署など中央機関のトップも多くが米国の大学出身者が占めていた。
ハーバード大学を1938年秋に最高学位で卒業したホワイトは、世界旅行の給費を受け、ロンドンを皮切りに、パリからスーダンやパレスチナ、インド、シンガポールなどを旅して、39年初めの数カ月間を上海で過ごす。
上海を根城に北京にも出かけ、また日本軍のスポークスマンに取り入り、満州も旅行する。
英米人などに牛耳られた上海では工場労働者の少女たちが日に何人もごみの山に捨てられている状況も見てショックを受ける。
いままでに見たこともない不条理が記者になる決意をさせ、4月から重慶の蒋介石政権の宣伝員に繋がる。
自身のハーバード大の学位はボストンよりも中国でずっと意味があり、「中国ハーバード・クラブを結成したが、会員にはジョン・F・ケネディ(大統領)がワシントンでハーバード・クラブを作ってもこうはなるまいと思えるほど、蒋介石政府高官の割合は大きかった」と述懐している。
米国の学歴を持つ中国高官が多かったのは、ホワイトには「好都合な人脈であったが、中国国民にとっては大いなる悲劇であった」と冷静である。
立派な英語を話す政府高官たちではあったが、「自国の民衆とは異質の存在で、民衆に対する理解を―重慶という古都についての理解さえも―欠いている」ので、「中国で何が起きているのか」さえ知らないと手厳しい。
ホワイトは蒋介石に最初は尊敬と称賛の念をもっていたが、「次第に憐れみを感じ始め、最後は軽蔑するようになった」という。
それでも「私はアメリカの世論を操るために雇われたのだ。日本に敵対するアメリカの支援は、政府が生存を賭ける唯一の希望だった。アメリカの言論を動かすことは決定的(に)必要なのだ」と述べる。
当時のホワイトは、軍国主義日本に対する中国政府は正義という認識に立っており、「アメリカの言論界に対して嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだということをアメリカに納得させるためなら、どんなことを���てもいい、それは必要なことだと考えられていた」と明言している。
報道の真実性
ホワイトは国際宣伝処で「自身が脚色した」戦時報道の実例を2つ挙げている。
一つは、日本軍に占領されていた浙江省のある所の劇場で、日本軍兵士が観劇中に蔡黄華(ツアイ・フアン・フー)という中国人女性が手榴弾を投げ込んで数人を殺し、無事に逃げおおせたという中国語の記事を目にしたことである。
ホワイトは文字から忠実に「ミス・ゴールデン・フラワー・ツアイ」とし、「ゲリラの首領、中国抵抗戦士団の巴御前」と英語に翻訳し、少しだけ脚色したというのだ。
すると、ニューヨーク・タイムズ特派員のダ―ディン記者を除き、通信員たちは飛びつき、各通信員の本社からは写真を要求してきたという。
そこで情報部の同僚が、腰に二挺拳銃を下げた若い中国人女性の写真を提供すると、彼女は「二挺拳銃のゴールデン・フラワー嬢」となる。
通信員たちはますます情報を欲しがり、情報部は気前よく彼らの要求に応じ、数カ月のうちに「ゴールデン・フラワー」ツアイは、蒋介石夫人に次ぐ抵抗運動のヒロインになったというのである。
リライトマンの手にかかった彼女の偉業は、米国で伝説となり、ホワイトがタイム誌の極東部長になっていた3年後には、タイム誌で取り上げたらどうかとの提案が持ち上がり、作り話の張本人であったことを白状しなければならなくなったというのである。
もう一つは難民と彼らの苦難についての記事で、1937年から38年の漢口陥落までの14か月間に、国民救済委員会は難民キャンプに2500万食配ったというものである。
ところが「どうしてか間違って」、記事では「統計によると中国が抵抗を始めた最初の数年間に日本軍侵略者の手を逃れてきた人々の数は、2500万人にのぼる」となってしまったという。
数字は海外に伝送され、新聞社の資料に残り、雑誌の記事に使われ、日中戦争の学術的数値となって何度も現われ、「すでに歴史の一部となってしまった」と述べる。
実際は「二百万あるいは五百万だったかもしれない」が、「二千五百万という数字がほとんど全ての歴史書にしっかり残っている」ので、「日本軍による混乱を(正しくは)誰一人知ることはないだろうと悟った」と自省している。
誰も否定できない「嘘」の独り歩きは、「南京大虐殺」の構図を想起させる。
中国における米国人宣教師たち
1931年に上海副領事として赴任し、第1次上海事変を体験した米外交官のラルフ・タウンゼントは、その後福建省副領事となるが33年に帰国すると外交官を辞する。
そして、中国の真実が外部世界に伝わっていないとして著述したのが『暗黒大陸 中国の真実』である。
中国に住んでいる外国人で中国の国情を把握しているのは宣教師、民間事業家、そして領事館員や外交官等の政府役人であるが、宣教師は事実が知られると援助が打ち切られる危惧を持ち、事業家は不買運動を恐れ、政府役人は外交辞令的なことしか言えないわけで、一種の「箝口令ともいうべきものが敷かれる」結果だという。
3年の外交官生活でしかなかったが、新聞記者と大学教授をそれぞれ3年づつ経ての外交官であり、他方で書籍を通しての中国しか知らないで赴任したことや好奇心が旺盛であったことなどから、「中国の真実」が全く伝わっていないことを痛感し、その現実を宣教師と事業家と政府役人の在り様に見つけたのだ。
全10章のうち大部は中国人と中国の実情、そして阿片に費やし、日本(人)と中国の関係などもあるが、中でも宣教師と布教については2つの章を割いて実例を挙げて「糾弾」ともいえる記述をしている。
事業家や政府役人は概ね都市部に所在するが、宣教師は啓蒙などの使命から、辺鄙なところに所在し、危険なところなどにも出かけたりして、中国の実体を事業家や政府役人より詳しく知っているからである。
他方で、米国では富める人も貧乏な人も分に応じた寄付をすすんで行うのは、それが有効に使われているという認識に立っているからであるが、中国での布教は不毛の歴史であったし、いま(当時)の布教活動の実態は国民の期待に沿うようなものではないとバッサリ切り捨てる。
カトリックやプロテスタントを問わず、ミッション・スクールには米国から多大の金が投入されているが、聖職者になるのはほんのわずかでしかない。宣教師が中国人の孤児を育てても、成人して泥棒の親玉になって育てた宣教師を狙う話なども書かれている。
宣教師の敷地を貸したら、ついには住みついて、返却を要求しても逆に損害賠償を請求される状況であるという。
こうした事例をいくつも挙げ、他にも理解できないようなこと、理不尽なことが数え切れないほどあるが、ともかくこうした実態は何一つ本国、なかでも支援者たちに全然伝わっていないし、事実は全く逆のことになっているという。
タウンゼントは上海や福建省で見た宣教師を主体に論述しているが、南京の宣教師たちも日本軍を悪者にする嘘を捏造してでも報告するのが中国(蒋介石政権)を助ける道という意識が通底していたと思われる。
だからこそ、南京の宣教師たちは、日本軍兵士が行ったとする掠奪、強姦、放火(これらも中国敗残兵によるものが多いとみられるが)などを大虐殺に仕立てる蒋介石のプロパガンダ作戦に進んで協力したのだ。
宣教師による米国内の宣伝行脚
国民党・政府の意を受けて大活躍するのはティンパーリーである。
日本の罪行を告発する『WHAT WAR MEANS』を著述する前から、国民党外交の主目的である米国への工作を推進する。
南京安全区国際委員会委員で国際赤十字委員会委員長でもあったアメリカ人のジョン・マギー牧師が撮影した金陵大学病院で治療中の民間人負傷者を示す16ミリ・フィルムが宣伝に活躍されることになる。
ティンパーリーは米国人のジョージ・フィッチが持参したこのフィルムを見て、一計を案じる。フィッチはYMCA理事で、教会の関係者として、またロータリー・クラブの会員など交友範囲が絶大なことから、全米の宣伝マンにする発想である。
「ハル(国務長官)からはきっと会見を申し込まれるだろうし、もしかすると、大統領(ルーズヴェルト)とも会うようなことになるかもしれません。彼のワシントン行きは、将来アメリカの中国政策にとって重大な意義をもつようになるでしょう」(北村著)とまで述べている。
実際にマギーのフィルムをもって渡米したフィッチがたどった道を眺めてみよう。
1938年1月19日、日本軍の許可を得て、軍用列車で日本兵とともに南京から上海へ行く。
このとき、虐殺場面を撮ったとされるネガ・フィルム、8リール(ほとんどは大学病院で撮影したもの)をオーバーの裏地に縫い込んでいたため、「少し気を遣った」という。
上海では直ちに複写するためにコダックの営業所に行き、4セットを作成する。
フィッチは約5週間滞留しており、ティンパーリーに会い、米国での面会者などの根回しをしたに違いないが、ティンパーリーのことも、滞在間に何をしたかについても一切言及していないとされる。
2月25日に上海を立ち、香港を経て広州からハワイに飛ぶ。ホノルルでは「ある中国人グループと食事をし」、次のサンフランシスコでは中国総領事に会い、「中国人の友人」も交えてチャイナタウンで会食する。
さらに「ロサンジェルスなどで持参のフィルムを交えた2、3の講演会を行った」という。
4月18日、ワシントン着。国務長官や大統領には会えなかったが、国民政府の米国大使・王正廷に会い、また旧知のホーンベック国務省次官(彼は反日親中の中心人物)の斡旋で中国に関係の深い米国人の要人たちに面会し、下院の外交委員会、戦時情報局、新聞記者団に件のフィルムを見せている。
その後、ニューヨークに赴き、6月に中西部を経由して7月に再び西海岸に戻り、サンフランシスコで講演する。
このとき、会場にいた唯一の日本人から「脅迫に近い抗議��受けた」とされる。北村氏は、この頃に日本側もフィッチの反日的言動をマークし始めていたとみる。
フィッチはこのあと再びニューヨークに戻るが、やがて体調を崩して入院。11月10日に西海岸のロングビーチから中国への帰途に就く。
「フィッチのアメリカでの活動は文字通りの大旅行であり、多額の資金と周到な計画を必要としていた。これら全てが、国民党国際宣伝処によりアレンジされたことは容易に想像がつく」と北村教授は述べる。
当時の日本側の見方
『スマイス報告』は、昭和15年、興亜院(1938年に設置され、42年に大東亜省に吸収)に勤務していた吉田三郎氏が上海に調査に行き、同所でアメリカ長老教会のミリカン夫人を知り、同夫人から紹介された金陵大学のベイツ教授から説明を受けた時に入手する。北村教授の前掲書中の「『スマイス報告』の徹底的検証」から、当時の日本が��のように見ていたかが分かる。
吉田氏は「こういうものを世界中に配って基金を集めているのです。その中には南京地方に於ける農産物の調査、南京地方の人口調査等、いわゆる科学的調査を標榜しつつ、そのことによって日本が飛んでもないひどいことをやっているような印象を世界中に統計を通して与えている。しかしよく見ると科学的な研究という面を被った排日宣伝文書であります」と報告を見抜く。
その理由として、「南京地方における損害の統計を作る場合に、(中略)火災の場合についていえば、支那軍が逃げる時に放火したために焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。・・・これで見ると皆日本軍がやったことのように見えるのです。斯様に巧妙なる科学戦争というものが世界中に、この機関を通してまかれている事実を見た」というように、的確に指摘している。
また、ベイツ教授は「今度の戦争による被害が支那全体でどの位あるかという���とを書いたものですが、それを是非読んで貰う必要ある」として「WHAT WAR MEANS」を紹介する。吉田氏は上海の書店で入手する。
殺人競争の章を見て、「材料は日本の新聞から取ってありました。何々少尉武勇伝という記事がそのまま載せてあったのであります。そういうように新聞記者が日本の文献その他日本側に不利な情報を編集してできているのがこの本でありまして、かような排日的な宣伝文書は外国人の間に多く読まれている」として危惧する。
ミリカン夫人にこのことを話すと、「ぎょっとして『あれはあまりよい本ではない。あの書物は熱を以て書かれているのだから、歴史家があれをそのまま談じては困る。あなた方は歴史家であるから、もっと客観的にものをみなければならない。・・・ああいうものが全部であると思われては困る』と言って居りました」と、外国人でも疑問視していたことを指摘している。
「その書物を見ますと、日本の官憲の或る部分はこの書物を出すことを支持していると書いてある。・・・恐らくそれは嘘だろうと思います。この書物による利益は皆赤十字社に寄贈すると書いてある。なかなか上手に出来ています。かような種類の本がどんどん売れているのですから全く困ったことです。日本の左翼の人がそれを訳すことを許可してくれといって盛んにミリカンのところへ来る」と聞いたと述べる。
おわりに
当時の日本人の方が賢明ではなかっただろうか。世間の信用をバックに、戦争に伴う「通常の犯罪」(もちろんないに越したことはない)を「大虐殺」に衣替えさせるのに米国人宣教師たちが大いに関係していたのだ。
すべては全世界に巧妙に張り巡らせていた国際宣伝処の仕業であったことが今や明確になってきたのではないだろうか。
日本軍も犯罪は犯した。しかし、それは中国が主張するような人道に悖る何十万人の市民を虐殺するなどではなかった。
中国は依然として「南京大虐殺」を主張し、拡大流布さえしようとしているが、論点のすり替えや証拠資料としていたものの撤去など、綻びも見えてきた。
日本は決然と否定することが大切ではないだろうか。
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「共謀罪に反対する声明」発表記者会見・会見内容
2017年3月15日(水)に行いました 「共謀罪に反対する声明」発表記者会見でのやりとりを掲載します。少々長くなりますが、質疑応答によって何が問題なのかがわかりやすくなっておりますので、是非ご一読ください。
日時:2017年3月15日午後2時~3時 場所:衆議院第1議員会館第3会議室
【参加・発言者】 山口二郎(政治学・共同代表) 長谷部恭男(憲法学) 千葉 眞(政治学) 五野井郁夫(政治学) 高山佳奈子(刑事法学)
山口:では、2時になりましたので、これから立憲デモクラシーの会によるいわゆる共謀罪法案に反対する声明の記者発表を行います。私は、立憲デモクラシーの会共同代表の一人であります法政大学の山口と申します。
まず、この声明を出すに至った経緯について簡単にご説明いたします。立憲デモクラシーの会は3年前に出来まして、集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定やその後の安保法制に反対する活動をして参りました。今回いわゆる共謀罪法案が国会に提出されるという情勢を見まして、この法案が憲法の定める基本的人権の尊重や政府権力の暴走を防ぐという立憲主義の観点から大いに問題があるということで、何等かの反対の意思表示をすべきではないかと内部で議論をいたしました。今日もおいでいただいております、刑法の専門家であります高山先生にもいろいろとご教示いただきまして、今日お配りしたような声明をまとめるに至りました。まず、声明を私が読み上げた上で、今日参加しているメンバーの学者の皆さんから、一人大体5分ずつくらいコメント、意見をいただきまして、その後質疑応答という運びで進めたいと思います。では、共謀罪法案に反対する声明を読み上げます。
2017年3月15日発表「共謀罪に反対する声明」はこちら
山口:以上であります。それでは順次、今日参加している立憲デモクラシーの会のメンバーの皆さんから、意見を述べていただきます。
長谷部:長谷部と申します。刑事罰は、これは権力行使が最も先鋭な形で表れるところであることは皆さんご承知の通りでして、その刑罰権の行使を抑制する刑事法の基本原則、異本原理。これを揺るがせにすることは、立憲主義の観点からしても、座視をすることはできないことだろうと思います。少なくともこうした刑事法の基本原則、基本原理。これを動かすには、それを支える十分な理由が必要であるはずですが、本日の声明は、その十分な理由が立証されていないのではないか。そういう疑念を示すものであります。今の声明のなかにもあります通り、そもそもこの法案が成立しなければ締結できないと言われている国際的な組織犯罪防止条約。この条約の趣旨と今回の法案の内容の間には、見過ごしがたい乖離、ズレがあるように見受けられる。そのことからしても、この刑事法の基本原則を動かすに足る十分な理由、必要性、合理性というものが示されているとは言い難いのではないかと私は考えております。以上です。
千葉:千葉と申します。簡潔に1,2点、コメントをさせていただきたいと思います。共謀罪法案は、稀代の悪法と言われました、戦前戦中の1925年制定の治安維持法を思い起こさせる面があります。もし制定されれば「平成の治安維持法」になる大きなリスクを持っている。そういう法案ではないかと思って、大変憂慮しております。とりわけ2013年には特定秘密保護法が制定され、さらに自民党の改憲草案には97条において緊急事態条項が記されておりますし、こういうもの���三点セットになると戦前戦中に猛威をふるった治安維持法の再来となる危険性があるように思います。今後どんな勢力が政権を担当するかわかりません。そういうなかでこの法律を利用し誤用しようとする政権が現れないとは限らない。私はそのあたりを大変憂慮しております。 治安維持法は思想犯の取り締まり、集会結社の取り締まりという二つの標的、ターゲットを持っておりました。最初は無政府主義者、共産主義者、日本共産党員に限定されておりましたけれども、数次の大きな改定を通じまして数多くの団体や人びとを逮捕し、また投獄するという歴史的背景をもった法律でした。その結果、例えば、非戦・反戦のキリスト者たち、ホーリネス系、プレズレン系、燈台社の人たち。数多くの人たちが逮捕されておりますし、さらに大本教への弾圧は過酷なものでありました。当時、不敬罪であるとか、疑似宗教であるとか、そういう新しい概念を使って、このような戦争政策に反対する団体や諸個人に対する非常に厳しい施策が採られたわけであります。そこでやはり顕著なのは、拡大解釈が権力担当者によって自由になされたということ、そして当時「草木もなびく」と言われた絶対的権力の行使の手段に、治安維持法が使用されたという事実です。 もちろん戦後になって民主主義や人権の純然たる規定を持っている憲法を70年も私たちは維持してきたわけで、簡単には戦前には戻らないという意見があるかもしれません。しかし、このような法案が制定された場合に、民主主義や人権の根幹が破壊される危険性はないのか。この辺が非常に怖いところです。思想・信条の自由、信教・良心の自由、表現・出版・集会の自由ですね。こうした自由あるいは人権の根幹に対する大きな脅威になるのではないかという点が大変問題であります。暗に日本社会が監視社会化のリスクを将来に向けて持つという点で、政治学から言うとこのあたりが大変心配であります。さらに現政権は、昨日、教育勅語の一部を教育現場に使用してもいいといったような発言が文科省から出ておりますけれども、このような戦前回帰と言うのでしょうか、そういう傾向を示している現政権、これに対しては警鐘を鳴らしておきたいと思います。現国会でいま大詰めに来ております共謀罪法案でありますけれども、ぜひ国会議員一人ひとりには党議拘束を離れて、一人ひとり熟慮をしていただいて、これについていろいろな角度から比較検討していただきたい。そういうふうに思います。
五野井:五野井と申します。今回の共謀罪法案というものは、私は明確に民主主義にとっての敵であろうと思っています。先ほど来、先生方のお話にございますように、政府の側は法案の内容を5分類277の罪に絞っているため、一般市民には影響がないと主張しています。しかし、政府案における組織的犯罪集団を限定して一般市民は対象にならないという文言は、ほぼ意味がないわけです。たしかに岸田外務大臣は、TOC条約にあるオプションを引きつつ、一般の人は対象にならず、そして明確に組織的な犯罪集団に限定する検討を現在していると述べています。しかしながら、金田法務大臣の答弁では皆さんご存知のように、一般の団体でも活動が一変すれば、それは労働組合、左右を問わず市民団体、会社等々一般の団体であったとしても、これらが容易に犯罪集団に「一変する」という認識を示した発言があったばかりであります。 では、どういうものを組織的犯罪集団かと言えば、「実行の準備行為を伴う合意のみである」と金田法相が発言したわけですけれども、何をもってこれが合意と準備行為であるのかということはまったくもって恣意的でありまして、「判断するのは捜査機関である」ということを金田法相も答弁で認めているわけです。 ここで問題になっているのは、たとえば、われわれはEメールやラインのようなツールを使っているわけですけれども、どこかからメールが来て、たまたま開いたけどよくわからないから放っておくといった既読スルーをすることがありますね。この既読スルーをしたことが「何もアクションをしなかったけれども、開いたから合意だ」と受け取られる可能性がある。さらにわれわれはたとえば花見や散歩に行くわけですけれども、たまたま歩いてどこかに行っただけの行為が「それは犯罪行為の下見なのではないか」とされることがある。でも花見や散歩と、犯罪行為の下見の区別を金田法相はあまり明確に示していない。もちろん金田法相は「目的の違いだ」というわけです。この、目的が違うかどうかというのはわれわれの内心に踏み込むことでございまして、われわれ諸個人の内面や内心でしか判断できないようなことを警察が行為の目的として疑っていくということは、今までのわれわれが戦後に築いてきた法律のなかではなかった事態であります。 これらが何を想起させるのかということですが、先ほど千葉先生からもお話があった通り、やはり治安維持法におけるさまざまな状況をわれわれは想起せざるを得ない。特に1941年、昭和16年の治安維持法改正時に「国体を変革することを目的として結社を組織したる者」、「結社を支援することを目的として結社を組織したる者」そして「結社の組織を準備することを目的として結社を組織したる者」という条文を創設しています。この条文を根拠に、準備行為を行ったと官権によって判断されれば検挙してもよいということが実際にあったわけです。警察の側、捜査機関の側が判断した場合には、外形的にどうであるかではなくて「内面がこうに違いない」と判断すれば、事実行為なしでも誰でも犯罪者として捕まえられることになります。今回、閣議決定されるということになっている共謀罪とほぼ変わらないことが、昭和16年の治安維持法改正のときにも掲げられているわけです。 では、この結果どうなったのかということですけれども、こういうことがまかり通ったことで、戦中には悲惨な事件が起きました。とりわけ本件に関連して想起したいのは横浜事件です。共謀罪が通ってしまうと、現在でも争われている横浜事件の二の舞になるのではないかと思うわけです。横浜事件は、改造社の雑誌、中央公論社、岩波書店、朝日新聞社など、さまざまな言論・出版関係者が逮捕されて拷問を受け、4名の方が獄死し、戦時中最大の言論弾圧であり冤罪事件であります。これによって『改造』と『中央公論』が廃刊させられています。同様の要件として「準備行為」というものが、今回の共謀罪には見え隠れしております。過去の悲劇をもう二度と繰り返さないためにも、共謀罪は絶対に容認できないものと考えます。そしてこの共謀罪を定めたテロ等準備罪は、人々が自己の内面で自由に物事を考えるという民主主義の営みを根幹から揺るがすような、大変危険な法案です。従いまして、このような法案は、廃案が妥当であろうと考える次第です。
高山:京都大学の高山佳奈子と申します。私は2月1日に公表いたしました「共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明」の取りまとめ役をさせていただいている者でございますが、刑事法の観点からの問題点は今、五野井先生がかなり詳しく言ってくださったので、まず私からは、今般の法案が提出されようとしている経緯そのものに非常に問題があるということを3点申し上げたいと思います。 まず、先ほど長谷部教授からお話がありました通り、国連条約を締結するための法案であるという説明がなされているわけですけれども、この条約はマフィア対策の条約でありまして、テロ対策は国際法上もうまったく別体系になっているということでございます。テロというのは、政治目的や宗教的目的で行われる。そして、一人でも行うことができる攻撃でございます。しかしこの国連条約のほうは、マフィアのような利益を得ることを目的とし継続的に存続する集団をターゲットとしているものですので、この目的の点からも、またその継続する集団が要件になっているかどうかという点からも、マフィア対策とテロ対策というのは違ったものであるわけです。テロ対策ということを持ち出して、国連条約とそれを結び付けようというのは、内容的にやはり無理がある。これは国民を欺く情報提供がなされてきたと言わざるを得ません。実は、日本の現行法でもテロリズムの定義は幾つかの法律のなかにすでにございまして、例えば特定秘密保護法12条2項1号の定義をみますと、テロリズムというのは、「政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要し、または社会に不安もしくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、または重要な施設その他のものを破壊するための活動」。こうなっているわけでございまして、マフィア対策は全然別のものと現行法上もなっているわけですね。 第二番目に、オリンピック開催のために共謀罪法案が必要であるという説明もなされたことがありますが、これもまやかしであるということができます。なぜかというと、今まで提出されて廃案になっておりました共謀罪法案が最後に国会にかかっていたのは、2009年の夏でございます。この段階ですでにオリンピックの準備は始まっていたのです。もしそのオリンピック招致のために、このような共謀罪処罰が必要であるということであれば、その時点ですでに議論を始める時間的な余裕が十分にありました。それにもかかわらず、そのときにはまったく議論をせずに、最近になってオリンピックを持ち出すというのは、 後付けの理由であって、これもやはり国民の目をごまかすものに他ならないと言えます。 それから三番目に今般の法案の新しい点は、対象犯罪の数が多く絞り込まれているということでございます。これは、新しい点なんですけど。確かに過失犯ですとか、もともと予備罪が重く処罰されているような類型について、それと別に共謀罪を考えるということは難しいですから、それらの犯罪類型が除かれているのはわかるんですけれども、ではそれ以外の犯罪類型200数十が絞り込まれているんですが、どういう観点から絞り込まれているのか。これはちょっとわからないんですね。それでどういう犯罪が含まれていてどういう犯罪が除かれているのかを見ていきますと、いくつか目につくところがあります。例えば、特別公務員職権乱用罪とか暴行陵虐罪、それから公職選挙法違反の罪、政治資金規正法違反の罪、政党助成法違反の罪、地方自治法上の署名運動者等に対する妨害罪、最高裁判所裁判官国民審査法の各種の妨害罪などのような、公の権利を私物化する犯罪類型がかなり多く除かれております。また民間の領域で考えてみましても、会社法上の収賄罪、あるいは金融商品取引法上の収賄罪など10ぐらい民間賄賂罪が、共謀罪の対象犯罪から除かれているわけです。しかしこのような汚職や公権力の私物化というのは、マフィア対策条約である国連条約がターゲットにしているはずの内容の犯罪でございますので、これらをわざわざ除いているというのは一体どういう観点なのか、これがまったく理解できないところでございます。 最後に、先ほど五野井先生がもうおっしゃっていたんですけれども、刑事法的な観点からの法案自体の問題点をまとめて申し上げます。政府は3点から、処罰範囲が限定されていると言っておりますけれども、これは全然限定になっていないのであります。まず、その適用対象となる集団・グループについては、継続して存在していたこととか、過去に違法行為を行ったというようなことは必要ありませんし、いわんや指定や認定はもちろん不要。何の限定もないわけでして、組織的犯罪処罰法に関する最高裁の判例でも、もともと普通の目的で、何の違法な目的もなく組織されているグループであっても、客観的に犯罪行為を行っているのであれば、それはその対象となる団体として認められる。ですから、ある時点から一般的集団だったものが組織的犯罪集団として認められるようになるというのが最高裁の判例、組織的詐欺罪に関する判例として出ております。文言上も制限がなされていないということですね。 それから準備行為。これも法案には例が挙がっているわけですけれども、「その他」というように書いてあるので全部含まれるということです。しかも、今まで日本法で処罰してきたような予備罪、準備罪とか、あるいは各種の危険物の取り扱いなどの持っているような危険性が実質的に要件となっていませんので、客観的な行為であれば何でも当たりうるということになってしまって、これも無限定です。そして、犯罪の合意がなされたかどうかということですけれども、これも文言上限定がありませんので、従来の最高裁判所判例による共犯の処罰に係る考え方がそのまま妥当すると考えられ、目配せでも該当しますし、確定的な認識がなくても当たる。暗黙の共謀で足りるということにそのままならざるを得ないように思うわけでして、結局その3点のどの点でも限定になっておりません。とりわけその主体の適用対象のところに「テロリズム集団その他」というのが付け加えられたというのが最新の法案の内容になっているかと思いますが、「その他」が入っているので何の限定にもなっていないばかりでなく、そこにその「テロリズム集団その他」をつけただけなので、あとの部分はまったく変更されていません。すなわち、テロ対策を内容とする条文はただの1か条もこの法案のなかには含まれていないということでございます。全体として「テロ対策、オリンピックのためならば法案が必要なんじゃないか」という世論を巻き起こすために嘘の情報を流して国民を騙したことになっているという観点からも、非常に問題があると考えております。
山口:では、私からも一言意見を申し上げたいと思います。私は現代政治が専門なので、日本の政治状況との関連でこの共謀罪法案の問題点について一言考えを申し上げます。 ご承知の通り、今の日本の国会は議会の体をなしていない。およそ為政者、権力者が野党の質問さらにはメディアの批判に対して説明責任を果たしていないという現状であります。このような国会において、このような憲法上極めて疑義の多い法案を審議し、通過させるというようなことはありえないと私は思います。今の高山先生のお話でございますけれども、まさにこの安倍政権の政治は「かこつけの政治」でありまして、オリンピックにかこつけて共謀罪を出す。働き方改革にかこつけて残業代ゼロを可能にする。あるいは南スーダンの平和にかこつけて自衛隊を出して武器使用を可能にする。いろんなかこつけがあるわけです。それはまさに国民が一見もっともらしい理屈で「そうかなあ」と思えるような状況をつくっておいて、まったく違う中身の危険極まりない政策、法律を提出し、これを実現するという手法です。国民を欺いて権力にとって都合のいいような法律をどんどんつくっていく。そういうかこつけの手法が今の政治の特徴でして、この共謀罪法案はその典型例だと思うわけであります。 それからもう一つ、その濫用の件については各先生から指摘があった通りなんですけれども、日本の政府が基本的人権をどのように考えているかというのは、やはり今、目の前にある具体的事例から大体想像がつくわけですよね。沖縄における山城博治氏に対する誠に不当とも思えるような長期勾留。警察・検察はもとより裁判所さえ基本的人権を守るという砦にはなっていないという感じがするわけです。そのような状況で共謀罪法案ができれば、警察・検察に対してますます人権を抑圧する大きな武器を与えることになってしまうということも憂慮しているところであります。 以上の観点から、やはりこの共謀罪法案を本国会に提出する。まして通過させるということはあってはならないと思っているところであります。
質疑応答
質問1:今回の共謀罪法案が出てくることで、ある意味で刑事法の体系が、例外と原則がガラッと逆転するような印象があるんですけれども、その辺のことについて教えていただけますでしょうか。
高山:日本の刑事法の体系は既遂の処罰が原則でございまして、未遂犯とか予備罪の処罰は限定的にしか認められていないということなんですね。しかし、この共謀罪というのは共謀そのものが犯罪の本体でありますので、予備よりもさらに前の段階まで広く処罰の対象にするということになりますので、明治時代以来、日本が実務を学説のなかで培ってきた組織犯罪対策というものがガラガラと崩れてしまうという恐れがあります。これは理論的にも非常に問題があるだけでなく、実効性という観点からも問題があります。今までやってきたやり方をまったく改めてしまうことになりかねない。それが実際、実務として動くのかどうか。そしてそれが本当の犯罪対策として有効なのかどうかということは極めて疑問であると思っております。
質問続き:今の点に関してですが、明治以来のこれまでの実務が変わってしまうということで、それと同時に「内心を裁く」ために証拠を集めなくてはいけないので、今までは供述に依存してはいけない、客観的な証拠で立証しなくてはいけないということでしたが、そこが変わる。また、証拠を集めるために、盗聴など捜査手段が拡大されるという両方の危険があるように思うのですが、その点についてはいかがでしょうか。
高山:まったく2点ともご指摘の通りだと思います。内心、計画、相談といったものが処罰の対象になってくるということは、やはり自白に大きく依存することになる恐れがあります。現在は自白への依存をやめようという方向でいろいろな改正の動きが出てきて、取り調べの可視化なども進められているところですのに、まったくそれに逆行するような提案になっているということです。 それから捜査手段という点からも、これも法務大臣が通信傍受を将来対象にすることを排除していないという考え方を示しましたので、一旦法案が通ってしまうとその方向に進むことは必至であると思います。なぜならば、危険な物が出てくればすでに現行法上処罰できるわけでして、そういうものが何もない段階で実際にこの共謀罪を適用しようと思いますと、常に監視しているか、ずっと通信傍受をしているかして証拠を集めるか、何もなくても摘発するか、どちらかの道しかないわけですね。いずれにしても日本の社会にとっては大きな影響がありますし、その抑止効果、萎縮効果ということまで考えますと、国民の権利、自由が大きく制約される問題があると思います。
質問2:日本の政治状況から考えて、10年間棚上げにされてきた法案がここに来ていきなり出てきているということに非常に違和感があるのですが、それが刑事法学的にどうなのかということと、日本の近代政治の大きな流れのなかで、それがどういうふうに位置づけられるのかということについて、おうかがいしたいのですが。
山口:それではまず、私から。治安関係、法務官僚、警察官僚には持続する志がやっぱりあるんだなあということを、今回感じています。これは「いつかやりたい」と思っていたわけですね。今、安倍政権のもとで次々と強行採決によって憲法上疑義のある法案が通るという状況ですから、そういう官僚にとってはいわば大きな機会が広がったということでしょう。今まで共謀罪を邪魔していた障害が取り払われて道が広がったということで、こういうタイミングで出してきているのではないかなというふうに思うわけですよね。だから、この2,3年間の国会の空洞化というか国会の劣化が、官僚をして「今がチャンス」と思わしめたんじゃないかと私は考えます。
高山:今般の声明の最初の段落にもあるんですけれども、刑事罰は人権を制約するものですので、必要最小限の程度に留めなければならないという謙抑性の原則というのがあります。けれども、今般の法案の提案というのはまったくこの原則に違反していると考えます。「日本は世界一治安のいい国の一つです」ということを謳ってオリンピックを招致した2013年に比べても現在は犯罪情勢が非常に好転しておりまして、犯罪の認知件数は毎年激減。現在、第2次世界大戦後の最低新記録を毎年更新しているというように治安はよくなっているんですね。従いましてこの立法事実という点で「日本の治安が悪くなっている」、あるいは「具体的に悪くなる恐れがあるのでこういう対策が必要である」といったような、前提となる事実がまったくないわけです。この犯罪がなくなって警察の仕事がなくなっているというところに捜査権限を大幅に拡大するこの共謀罪法案が出てきたというのは、やっぱり規制権限を保持したいという動機があるというふうに勘ぐらざるを得ないですね。極めて理論的、実際的に疑問であるということもありますし、そういう思惑や考えもやはり疑問であると思います。いきなり共謀罪法案が復活してきたというのはそういうもの、犯罪がすごく減ってしまって、それはいいことなんですけれども、しかしその犯罪がないところに犯罪を作り出そうとする動機がどこかで働いていることがうかがえます。
質問3���今回の法案の刑法上の問題点というのは、いろいろ先生方が指摘されていますが、憲法上はどんな問題があるのでしょうか。内心の自由以外にも、例えばどんなものがあるのでしょうか。
長谷部:今、高山先生もおっしゃいました、例えば刑事罰の謙抑性というのは、むしろ憲法の個々の条文の前提になっているものの考え方で、もちろんそれが揺るがせにされたときに、例えば憲法31条に反しているのではないか等々と議論することはできるんですけれども、むしろそういう憲法解釈学者がやるようなちまちました議論よりも、もっと根幹にある刑事法に関する基本原則が今、壊されようとしてるんじゃないのか、そちらのほうがむしろ私は重大な問題なのではないかなという、そういう意識を持っております。
質問4:安倍総理が、「犯罪者のうち1人でも準備行為に着手すれば、一網打尽にできる」ということを国会で答弁していますが、冤罪などが増える可能性についてはどのように捉えていますか。
高山:現に冤罪事件はたくさん発生していますので、現行法のもとでこれですから、いわんや非常に処罰範囲を広げる共謀罪法案が通れば、その危険はますます拡大することが目に見えていると思います。とりわけ、先ほどちょっと紹介しました最高裁の判例によりますと、組織の一部で何か犯罪が行われていれば――具体的には詐欺だったんですけれども――、他のメンバーが詐欺のことを知らなくても適用されるということになっていますので、そうすると実際に共謀に参加している人以外も一網打尽にされてしまうという恐れがあります。これはもちろんがんばって最高裁まで争えば無罪になるのかもしれませんけれども、一旦強制捜査などの対象になってしまいますとそこで人権の剥奪に至るわけですから、非常に大変な思いをしなければ無罪を勝ち取ることも難しい。時間も非常にかかるということになって、「じゃあ、もういろんな活動をやめて」という萎縮効果のほうに結局なってしまうのではないかという恐れもあります。萎縮しない人が何も関係していないのに捕まってしまうということも当然のことながら懸念されるところですね。
質問5:共謀罪は国連の条約を批准する上で必要である、条約を締結できなければオリンピックを開けないということを総理が平気で言う。しかしこういう主張が立法の合理性や必要性を説明できていないということは、これまでもたびたび指摘されてきたと思います。ただ、今日に至ってもこの声明文のなかで同じ問題を指摘しなければいけないという現実があって、それは国会で中身のある審議がまったくできていないということの裏返しだと思うのですが。先ほどから山口さんが問題視されていますけれども、今の国会でこの共謀罪を廃案もしくは中身のある議論をするために持っていく方法というのはどこに見出されていますか。
山口:これは誠に頭が痛い問題で、もちろん主として追及の主体となるのは野党ですから、野党の議員がある意味で党派を超えて協力をして、効果的に問題点を追及していくという質疑の仕方を工夫してもらいたいと思うんですよね。同じ論点を繰り返し各党がやるというのではだめなんで、そこは野党全体としての取り組みが必要になっていくと思います。それからもちろん、新聞、テレビ各社が自分たちの問題としてこの法案について批判の論陣を張るということが必要だと思うんですね。両論併記で「でもやっぱりテロも怖いし」みたいなことではなくて、これはやはりテロ対策にかこつけた治安立法なんだと。憲法上の基本的人権を侵害するものだという判断をした上での報道が必要だと、私は思いますね。
それから、最後もう一つ。これはちょっとないものねだりかもしれませんが、結局国会議員の頭数を考えれば、どんなに野党ががんばって主務大臣、所管大臣の答弁がめちゃくちゃで右往左往しても、「一定時間審議しました。じゃあ質疑打ち切り。採決」みたいな、それを衆参でやれば法案は通ってしまうわけですよね。それを止める方法は何かというと、実はあまりないんですよ。私はやはり与党のなかで常識的な議員が「やっぱりこれはいくら何でもおかしい」みたいなことを、言って初めて国会として、あるいは立法府として役割が果たせると思うんですね。もう、昨日のニュースで自公両党は党内手続きを大体終えたみたいな話でしたから、なかなか与党からの問題提起というのは期待できないのかもしれませんけれども、与党の議員が中身を考えずに、ただ政府提出だから賛成みたいな対応をするのではなくて、立法府の一員として仕事をしてほしいと思いますね。
質問6:準備行為の点ですが、条文上、準備行為が処罰条件であって構成要件ではないという議論があったと思います。政府の答弁では、それでも逮捕や強制捜査に関しては準備行為がなければできないようにするという答弁があったと思うのですが、今現在上がっている法案の条文を見る限り、そのあたりのことをどういうふうに考えればよいでしょうか。
高山:構成要件のなかに準備行為を入れるという案が出ているときいていますが、そういたしますと準備行為がないと実際には処罰ができませんので、強制捜査なども準備行為があってから行うのが原則ということになろうかと思います。ただ、先ほども申しました通り、準備行為自体が客観的な行為であれば何でも当たるような文言になっていますので限定がない。何でも、どういう行為であっても対象になりうるということですので、処罰を限定する論点にはなってないと思います。
他にご質問がなければ、記者発表はこれで終わりといたします。どうも今日はありがとうございました。
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【日本新玩法】搭荒川線電車穿越時空體驗東京復古風情!(省荷包交通小撇步"都營一日乘車券"、8個不擁擠遊日熱點、銅板美食 )
在東京轉個彎換個心情! 這天坐上百年歷史充滿復古懷舊的都電荒川線路面電車,就像把時鐘撥慢我們不趕行程更沒有緊湊的步代,走走停停來來回回全靠當下的一念之間!對日本居民是最樸實的日常,對觀光客而言它也沒有那麼搶眼,更能感受最道地的日本。
安排自由行程計劃時不妨將荒川線排進其中的一天,體驗另一種東京的老味道新風情,一路上會發現親子景點、轉角的城堡、巷弄的在地美食、像日劇的下町散策、還有"日本之最"的樂園喔~
"荒川線"就像一本歷史故事,也像一鐵道電車百科全書,喜歡老時代氛圍的會愛上它的內涵,是鐵道迷的更會來此捕足它深度的風采;在東京公營的路面電車僅存珍貴的"都營交通-荒川線",全線共30個站,"早稻田"及"三ノ輪"分別為起迄站。
雖然我們全家都不是鐵道迷,但二年前的京阪旅行中搭過嵐電之後,孩子對路面電車留下深刻印象;同樣的坐在荒川線電車上輕輕晃動、發車時的悅耳"叮叮聲"、窗外一幕幕的街景及風光、軌道旁的玫瑰花,都覺得新鮮有趣。
搭乘的方式很簡單,在月台上侯車,每3~5分鐘就會來一輛電車,上車由前門,下車由後門(記得先按下車鈴);上車時就要付車費,單趟大人170円/小孩90円,可投幣也可使用suica、ic卡支付!
電車內的拉環超貼心,長短錯置,方便每個不同身高的客人抓取!
[ 1日乘車券-磁卡 (當日券) ↑ ]
[1日乘車券-需用硬幣刮除乘車日期的紙卡(可先預售) ↑ ]
要好好的玩上一天,除了"荒川線",也許還會坐到"都營巴士"或"都營地鐵"的情況下,那麼省荷包的付費方式就是購買【都營一日乘車券】 。 【都營一日乘車券】→ 大人700円/ 小孩350円 優點: 一日之內不限次數搭乘都營地下鐵、都營巴士、日暮里-舍人線、都電荒川線。 樣式:磁卡 及 刮除日期的紙卡票券 如何買:在都營地鐵各站服務窗口、都營巴士營業所和分所、荒川電車營業所、都營地鐵、都營巴士、都電及日暮里-舍人線各站的月票銷售處出售;當日票可以在都營地鐵及日暮里-舍人線各站的自動售票機和都營巴士、都電的車廂內購買。 使用方式:只要把有日期的地方給電車車長或巴士司機看一下;若是搭都營地鐵時磁卡則需過票匣,而紙卡一樣給站員看一下即可。 好康:荒川線沿線中像是"荒川遊樂園"就能出示一日券則能免費入園。 重要:一日券在搭乘的當天越早使用越超值,可以使用的時間較長。
(路線圖截取自都營官網 ) 如何到荒川線呢? 荒川線全線共30個站,以東西向串聯東京都的北部地區;如上圖所標示有8個站與地鐵相鄰,最便利的方式就是找接近的地鐵站即可。
例如: 搭地鐵 日比谷線在三ノ輪駅下車,即接”荒川線-三ノ輪橋” 搭地鐵 南北線、JR在王子駅下車,即接”荒川線-王子駅前” 搭地鐵 三田線在新西巢鴨駅下車,即接”荒川線-新庚申塚”
(路線圖截取自都營官網 ) 謝謝東京都交通局的邀請! 有機會可以對日本的交通又多了一個新選擇,更棒的是還發現東京的不擁擠的新玩法; "荒川線"超適合像我這樣搞不懂東西南北,又怕搭錯車的;很單純的上下車,若是坐錯方向,就通過軌道到對向去搭車即可;這30個站加註粉紅色框框是我們造訪的站,意外的發現在地人的銅板美食、鮮少觀光客但又好玩的"日本之最",依序記錄在接下來的內容中! 同時我們也善用一日券來乘坐都營巴士及都營地鐵來漫遊東京,當然點到點有其它更快的方式,但從巴士上看到不一樣的風景也是一種旅行的新體驗!
東京都交通局 日文官網-http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/index.html 中文官網-http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/ch_h/ 中文粉絲團 都營交通-東京旅遊電子書
■ 荒川線-三ノ輪橋 ✪三ノ輪商店街-銅板美食可樂餅、餃子、炸物、紅薑天婦羅、炒麵麵包 ✪影片連結
很開心!能看見這麼美麗的路面電車~ 雖然我們永遠不清楚型式的故事及來歷,但還是好奇的欣賞接近身邊的他! [三ノ輪橋]是荒川線的起站也是終點,一家人的東京漫遊小旅行就從這裡開始~
很容易就在這個車站留戀,除了猜猜看待會回來車路的列車是什麼顏色,看著軌道旁一整排的玫瑰花,也成為另一個賞心悅目的畫面。
孩子說:「這裡的玫瑰花好大朵,顏色又多」;可以想像,當春天花季百花爭豔肯定美極了,後來發現不是只有這一站,而是綿延了幾個站都種了花,生活很平常卻也浪漫的不得了~
木頭柵欄、木頭候車亭、木頭長椅,孩子就像在挖寶一樣圈著與平時看到的不同之處~ 這裡處處充滿日式舊時代古樸的氛圍,第一眼就會印象深刻,[三ノ輪橋]默默的當選在我心中荒川線的代表車站,就從這穿越時空回到最真的時光裡。
復古風情、百年歷史與玫瑰花的美,讓此成為"關東地區100個有特色的鐵路車站之一",鐵道迷必訪!
日本舊時代的廣告看板釘在柵欄完全無違和,就像走進小時候的柑仔店的感覺,連洗手間也有懷舊風!
車站旁有條乾淨亮晴天雨天都適合逛的商店街(上有遮雨棚),基本需求都有,也可以說是傳統市場! 這裡很少觀光客、很少年輕人、也沒有喧鬧的叫賣聲,來這裡更貼近日本媽媽們的日常,體驗老東京情調~
三ノ輪橋商店街 荒川線-三ノ輪橋下車,步行1分鐘
有些小店仍保有東京傳統樣貌,像是賣味噌的小店就好復古! 第一次看到這麼多口味的味噌及日式醃漬物,主婦魂會不由自主上身,出來招呼老闆娘就像日劇電視中的婆婆一樣,好親切啊~
我們來日本必朝淪陷的超市、藥粧店、100円店、餅干糖果店這條街上當然也有喔!
肚子餓了嗎? 老實說,即使不餓也要大吃一番! 親民價又美味,來市場跟著阿公阿嬤一起買準沒錯^^ 這家とりふじ 有賣"炸物"、"燒烤"種類真的很多,而且都是銅板價;接近收攤時,部份商品還會有優惠價喔~ 話說,日文我看不懂,就亂比了一串燒烤,結果咬下一口才發現是"烤豬肝",天兒~這是我吃過最沒豬肝味的豬肝,好吃!(這是什麼形容詞) 斜對面也有一家超便宜,有肉有菜的便當是300円上下!
可樂餅在攤位上有三、四種,我們不到百円的來試試看! 很飽滿的馬鈴薯內餡,外皮炸的酥酥脆脆又不會油膩,冷冷的天暖呼呼的咬它,真的好滿足~
隔天,我們竟然又去了一次(好瘋狂的一家人)
喜田家和果子店裡的"六人眾"完全擄獲全家人的心,連不愛吃甜食的惱公有歐露! 黑糖麵皮加上自製紅豆餡,甜而不膩且可以吃到紅豆泥及紅豆顆粒的口感;高質感的甜點也是銅板價 (驚) ps.隔天去的時候本想打包回台灣,但已售完,殘念@@
"紅薑天婦羅"是 お惣菜の店 きく的招牌,"紅薑"是日式料理中常看到的配菜,個人覺得單單當配菜非常OK,當天婦羅就不是很愛;果然,這一個只有我默默的吃光,好處是"薑"吃到肚子裡,熱熱的又暖和全身的功能XP 全家一致讚揚"餃子",8入 300円的餃子非常啾西,蔬菜的鮮甜、煎的酥脆帶焦的外皮,咬下一口還會爆漿;這是第二天發現的好物,據說吃遍日本的大胃女王節目有來採訪過喔~
點心的種類不少,除了傳統造型還有可愛造型的;另外還有一間具有60年歷史老店的可樂餅麵包及炒麵麵包,都是自家自製的點心;小時候的願望一直想要吃的食物近在眼前,都現在竟然吃不下.....><
另外,在這條街上還有看到澡堂及適合背包客住宿的青年旅館! 我們還碰到很友善的咖啡店老闆,一聽我們是台灣來的,他更是開心,雖然我們語言不太通,但他很熱情的表示,這裡有寄賣都營的一日乘車券,用這個搭車很省錢,很適合觀光客;所以如果突然想買一日券時,可以來找找老闆!
■ 荒川線-荒川遊園地前 ✪荒川遊樂園-持都營一日乘車券免門票、日本最慢的雲霄飛車、迷你動物園 ✪影片連結
親子景點必停留的一站[荒川遊園地前],下車之後步行約6分鐘就可以到達荒川遊樂園! 樂園就在學區附近,所以一路上可以看到圖書館、運動場、書局,我們用散步的慢慢走,雖然當天冷吱吱,但延路又是不同的感覺,不是觀光勝地但也別有一番溫馨的風味~ 入園費非常親民,入園費大人200円/小朋友100円,遊樂設施則是另計; 持"都營一日乘車券"則是免費入園,給工作人員看一下就可以進場~
荒川遊樂園 / 連結 地址:東京都荒川区西尾久六丁目35番11号 電話:03-3893-6003 營業時間:9:00~17:00 荒川線-荒川遊園地前下車,步行6分鐘
可以先入場之後,再來看看想體驗哪種遊樂設施,然後再去投販賣機買票券即可(單券100円/回數券 6枚500円),消費方式不陌生與圓山兒童樂園一樣!
大人乍看會擔心孩子也許會覺得無聊,但小孩可不這麼認為,樂園三寶"摩天輪"、"旋轉木馬"、"雲霄飛車"一個也沒少,再加上"咖啡杯"、"空中腳踏車"、"迷你小火車"共6項設施;還有小小孩的遊樂設施,是個迷你但很精彩的複合式樂園!
這雲霄車大有來頭,猜猜看! 有看直播朋友就知道,其實看它的外型"毛毛蟲"就已經呼之欲出,它是以日本最"慢"的雲霄飛車而聞名,3Y以上就可以玩囉~
再看一下,女兒的帽子並沒有被吹走就知道,真的不快! 女兒還說,媽~這一台妳絕對不會再亂叫了,快來搭吧! (口責) 但,約會就不能約女朋友來搭了,因為完全沒有機會展現男子氣概趁機來個愛的抱抱了...哈
除了遊樂園,園區還有"可愛動物區"也是免費參觀,還有定時的與動物近距離接觸;羊爸爸的叫聲超有力!
如果不想玩樂園,直接進來逛園區及可愛動物園也是一種不錯的玩法,孩子光看動物也是心滿意足,還可以餵食及摸摸牠們,興奮之情溢於言表~
好想知道安安在對小猴子們說什麼? 表情超誠懇的!
園內有一座都電資料館,展示關於電車及模型;另外還有小型電車遊玩的體驗! (鐵道模型的運轉場只有在假日,開放時間只到16:00,可惜當天也沒機會見到;照片截取自官網)
這個園區夏天來肯定也很棒,天然的戲水池可以玩玩水消消暑氣,小孩最愛玩水了!
離園時,可以再來與退役的6000型電車拍拍照,前方的一顆車頭燈就是特色之一,因此有個可愛的外號叫做「一球さん」!!
■ 荒川線-荒川車庫前 ✪荒川回憶廣場-展示5500形及旧7500形兩輛電車免費參觀
好喜歡這輛電車的顏色,很有氣勢的藍色! 正巧遇見車長換班,車長鮮氣十足神采奕奕...(咦,看哪兒去了)
平日是不開放的,只有假日才有;主要是展示50~60年代的都電歷史! TOARAN(とあらん)都電荒川線吉祥物也會在這裡喔~
都電回憶廣場 / 連結 地址:東京都荒川区西尾久8丁目33−7 營業時間:周六、周日、例假日10:00~16:00 荒川線-荒川車庫前下車,步行1分鐘
1954年生產的5500形電車,白色車體具有低噪聲的特色! TOARAN好可愛,原本以為他也走復古風,梳著古代男子丁髷的髮型;但後來發現,TOARAN頭上的角其實是電車的"集電弓"!
1962年生產的旧7500形,會發出強烈光線的車燈是特點;它有另一個名字叫"学園号",源自於學生上下課的交通尖峰時刻,作為學生專用列車使用,是學生們依賴的好伙伴~
難道土黃色是50年代的潮流色系,安安今天穿了一身橘,有點搭!!
載上車長帽,體驗一下坐在駕駛座的感覺! 當天忘了留意,那時是如何收費? 是剪票還是已經有投幣機了呢?
看著窗上的黑白照片說著珍貴的故事
除了拍照留念,還可以蓋紀念章喔~ 桌上也有準備紙張提供使用!
■ 荒川線-梶原 ✪明美-購買伴手禮都電造型最中(都電もなか)
等電車時看見一些宣傳,海報上寫著[梶原]站的和菓子店-「明美」有"都電名物"、"都電伴手禮",立刻換了目標,通過軌道到對面車站候車;突然發現荒川線的好處,就是完全不怕搭錯車,即使坐過站,再到對面候車即可,非常單純!
明美 地址:東京都北区堀船3-30-12 電話:03-3919-2354 営業時間:10:00~19:30 荒川線-梶原下車,步行2分鐘
道地的日式點心"最中",40年前在「明美」的巧思下有了荒川線電車的造型,非常受歡迎! 單輛、7種造型一次擁有或者是10輛包裝的任君挑選。 包裝盒上是電車的樣貌,包裝紙是手繪的電車路線圖,有童趣也很有溫度~
同時也替客人都設想周全,所以還準備了電車的錀匙圈及部份商品,讓客人可以一次購足,不用為了購買紀念品而奔波;明美本身就是一間很有歷史的道地日式和菓子店,可以再嚐嚐不同口味的日式點心。
烘烤香脆的糯米餅殼包著超細的紅豆餡及麻吉,姐妹倆吃的餅干屑屑掉滿身,寒風中品嚐電車最中應該格外刻骨銘心,愈晚真的愈冷,超想配熱茶~~~~
「明美」在這條梶原銀座商店街的入口處,雖然很冷但一家人還是多走幾步,看看前面賣什麼? 發現這家玩具店有賣電車,但老闆以作勢要休息了,便也沒再多停留,其實這條街約莫17時左右就陸續休息了~
■ 荒川線-飛鳥山 ✪飛鳥山公園-日本最早的公園之一、賞櫻聖地、櫻花電車、具有特色的超大遊具、IG打卡熱點 ✪影片連結
江戶時代保留至今,亦是日本最早的公園之一、最佳的賞櫻地點之一! 如果是櫻花季來,園內的600多顆齊綻放肯定粉紅的令人陶醉到暈倒~~ 冬天的樹木呈現最簡單的樣子,走在公園中不免覺得更是冷冽,但好喜歡這樣蕭瑟的色調,眼前的畫面就像時常出現在日劇裡的情節一樣,突然好想跟前方的女孩說:原諒他吧!
飛鳥山公園 地址:東京都北区王子1-1-3 荒川線-飛鳥山下車,步行2分鐘
今天不賞銀杏、不賞櫻! 公園好玩的還有這座特色遊具,搭荒川線收獲好豐盛,又搜集了一座厲害的遊具!
這座冰雪城堡繞一圈之後,發現每一面都可以玩,又高又長的溜滑梯不止一座; 有高度又有長度溜下來會加快速度,大人玩也會感到很剌激;斜坡處有石頭或凹洞,可以讓孩子們爬爬。
範園寬闊的挖沙區! 櫻花季時,孩子們櫻花樹下嬉戲,好幸褔的畫面啊~
孩子們在這肯定玩上1個小時沒問題,每一項遊具輪著玩,也需要一點時間! 如果加上一直重覆爬上溜下的迷戀溜滑梯,那就不止! 帶著孩子去旅行,有時也很喜歡這樣沒有目的的安排,不趕行程不跟風,牽著手用孩子的視線去感受,其實也是另一種收獲!
不是鐵道迷,但也不自覺的捕獲電車及列車身影!
飛鳥山公園有免費搭乘的纜車, 由於我們是下山搭乘,所以行進時是由上往下,有騰空飛翔的FU超酷~
荒川線的拍攝電車最熱門的地點之一在這!!! 要站在飛鳥山旁邊的天橋上,然後找一下左邊是飛鳥山、左前方是警察局的視線就對了;電車等紅綠燈時與其它車輛並行或交錯的畫面,或者,電車大轉彎,又或是兩輛電車並排的畫面...等,都會讓人多佇足一會兒! 如果現在是櫻花季,肯定天橋上會站滿了鐵道攝影同好,想像""櫻花樹、櫻花雪、櫻花(粉紅色)電車同框"",風情萬種美不勝收~
■ 荒川線-庚申塚 ✪巢鴨地藏通商店街-老奶奶的原宿、開運紅內褲、廟會
在這站下車,看見的不是月台而且"餐廳",覺得很新奇! 跟餐廳老闆訂位時,是不是可以跟他說,我再2站就到了 (嘻)!
這裡有三個地方可以參拜,とげぬき地蔵尊/高岩寺、 江戸六地蔵尊/眞性寺、巣鴨庚申塚; 而這天想逛逛有「老奶奶的原宿」之稱的商店街,一聽名字就讓人感興趣,直覺就聯想到這裡的物件應該很講究,或是很有日本味!
巢鴨地藏通商店街 / 連結 地址:東京都豊島区巣鴨4-22-8 荒川線-庚申塚下車,步行3分鐘
果不其然,好多老爺爺和老奶奶啊!
每月4日,14日,24日是拔刺地藏尊的廟會日,街上約有上百個攤子,幾乎是每5步就有一個攤位的緊湊,難怪這天更加熱鬧滾滾~ 有些是二手攤位,衣物都非常便宜,店家賣的物品也超親民,有些雪靴、毛料背心都才1000円。 還有整間紅通通的店,專賣紅色貼身衣物、手帕,還有很多日本影視名人來逛過;不過,貼身衣物有引起我興趣的,反倒是攤位上的純綿累褲,一件200円,難怪生意超好,老奶奶們都好愛!
這天也大開眼界看到許多小吃攤位及小吃店,有些大排長龍就會有些門可羅雀,爺爺奶奶們的味覺還是很敏銳的,來到爺奶的地盤的業者還是要懂得迎合才會受青睞的!
好想跟著爺爺奶奶們排隊,當場查詢了一下,像是塩大褔就是很名的日式菓子!
這條商店街大概不到1000公尺,兩旁都有店家,專屬於長者的店居多,也有一些日常的生活用品店及藥粧店,稱之為「老奶奶的原宿」真的太貼切了! 話說,OS藥粧店應該要來逛一下才是,也許會更便宜也說不定 (眼睛亮)
■ 荒川線-鬼子母神前 ✪鬼子母神堂-祈求保佑生產及育兒、日本最古老菓子屋(230餘年的柑仔店)
隱身在住宅區的鬼子母神堂,從車站延路過來非常的幽靜! 大多是妊娠期女子及新手媽媽前來祈求保佑生產及育兒。
鬼子母神堂 地址:東京都豊島区雜司谷3-15-20 荒川線-鬼子母神前下車,步行6分鐘
紅色鳥居長廊
這是我下車的動力,就是要找尋柑仔店「上川口屋」,因為這是江戶時代就有的,距今約有233年歷史,現在已傳到第13代! 但........這天沒開(大殘念),超想買古早味零食,更想抽糖果!!!
只好來一旁的公園玩一下! 真的是很隨興的旅行,沒有柑仔店,來公園玩也不錯! 這是鐵皮的寬版溜滑梯,現在溜是冰屁股,若是夏天溜就是燙屁股了~
孩子總是怡然自得,隨遇而安! 反倒是媽媽在糾結沒有吃到古早味零食....
覺得這裡很適合散散步,冬天的陽光好閃耀,穿過枯枝灑下的光影,好有異國風情的小巷!!!
都營巴士的吉祥物是「MINKURU(みんくる)」,眼睛大大的超可愛! 上次來東京就搭過都營的巴士,覺得既方便又安心;巴士開車及抵達的時間很準時,不用擔心會延誤到行程,所以這回搭巴士完全不陌生;東京都內有129個系統,想要搭巴士漫遊東京也是個不錯的選擇,當個好旅人很重要,上車下車都要好好排隊,不要插隊喔~ 看好巴士前面、後面、側面所標示的目的地及巴士號碼,這樣就不怕搭錯車!
巴士為單一票價210円上車付費(使用一日券就給司機先生看一下票券上日期的地方),下車前就先按鈴,每一站也都會跑馬燈的站名提示,和在台灣搭公車時差不多! 在都營的巴士竟然能連得到『免費WIFI』,一次可以使用180分鐘,一天使用次數無上限,更棒的是還有中文介面,完全可以一秒就上手使用WIFI,對於我這種重度使用者真是一大褔音啊~
出發前也可以利用這個網站(連結),搜尋方法有分類,而且是中文介面方便使用,就能把想去的地方排一下!
■ 都營巴士-草63 ✪浅草雷門站-浅草寺、浅草花やしき(日本最老的遊樂園) ✪影片連結 (浅草寺) ✪影片連結 (浅草花やしき)
來浅草寺的人很多很多,日本人及觀光客都很多! 這天約莫9:30就到了,算是與雷門合照的好時機,再晚一點就是大合照了!
初次造訪浅草寺,感到興奮不已!!! 這天要當標準的觀光客XDD
浅草寺 地址:東京台東區浅草2-3-1 都營巴士-草63浅草電門下車,步行1分鐘 都營浅草線-浅草駛A4出口,步行5分鐘
通過雷門之後,就跟著人群走應該是不會錯的! 商店街兩旁有許多商家陸續營業,仙貝、人形燒、炸饅頭..等浅草特色點心,都已有排隊的人潮!
這裡有"明文規定"禁止邊走邊吃,大家相當守規矩也不會亂扔垃圾,是非常乾淨舒服的商店街,也充滿濃濃的復古氛圍,熱鬧但不喧囂令人覺得悠然~
紀念品小物店販賣很多周邊商品,可以順便買伴手禮紀念品的地方~
店家的穿著打扮也是挺講究的,有些器具及烹調方式也是傳承古法,彷彿回到江戶時代! 忍不住買了一直看到的"人形燒",裡面包著紅豆餡的有很多造型的雞蛋糕,每一個都有獨立包裝,放在身上,待會找地方吃! 炸饅頭的人潮好多,只好pass它,有機會下次再來~
淺草寺是東京最古老的寺,來這和觀音娘娘說說話,祈求大家身體健康平平安安! 我們也入境隨俗,抽籤及焚線香,孩子們喃喃自語有模有樣!
最古老的寺院旁有最古老的遊樂園,一聽到這裡,原本在追鴿子的安安立刻停下腳步,催促著我們往樂園前進!
東京地標"晴空塔"在淺草相當好拍,都一直覺得晴空塔就在身邊,與它同框的頻率超高的~
距今已163年的「浅草花やしき 」樂園是江戶時代就存在的,大門和一般歡樂活��童趣色彩的既定形象截然不同,是超級復古的建築,瞬間置身昭和時代,這真的是相當有特色;而樂園的位置就在浅草寺旁邊,所以,先跟媽媽去祈褔然後再走到樂園玩是對的,這是一整個很順的路線,樂園10:00營業,看看我們,包場的意圖很明顯~
浅草花やしき /連結/粉絲團 地址:東京浅草2丁目28-1 營業時間:10:00~18:00 備註: 為慶祝163周年紀念直到2017/3/30有"花やしきでイルミネーション"夜間燈秀的饗宴,會延長營業時間至21:00
興奮! 興奮! 搭過日本最慢的雲霄飛車,即將要搭日本最古老的雲霄飛車,完全出乎意料的旅行,太驚喜了!
入園費( 大人1000円/小孩 500円)及乘車回數券(1枚 100円 / 11枚 1000円)都是另計,每個設施所需的票券不同;如果有計畫玩透透,建議可以一票到底的票券比較划算 (票價詳情連結)
163周年真的很厲害,園內的遊樂器具也是發現得到復古的味道! 但別以為是個老coco(不好玩)的樂園,遊樂設施的剌激程度絕對會顛���你的存疑~
雲霄飛車車上有"60"的標誌, 雲霄飛車至今64歲,是爺爺的年齡,但一樣速度且令人心臟狂跳的魅力,不然聽聽園內的尖叫可依舊沒停過;總之我還是沒搭就是了,怕怕~
我們稱它為"迴旋飛碟",不但自己會轉,還會左右擺盪,感覺轉一轉會直接把人遠拋一樣,可能下一秒要到晴空塔找女兒了~
目前玩過的樂園中,沒有印象玩過這種,頗受女兒讚賞 (咦)
人潮愈來愈多,這天是周日,攜家帶眷的日本小家庭及年輕學生們一直陸續湧進! 不敢玩大型自由落體沒關係,旁邊有迷你的,小小孩也是包場在體驗XDD
溫和的遊樂設施也有多種,但完全入不到女兒的眼; 在媽媽好奇心的拜託下,安安���勉為其難坐上麵號超人的機台,因為投幣之後不但可以玩還有一顆日本製的扭蛋喔~
日本的幽靈就是一頭長髮及白衣,想體驗看看日本道地的鬼屋嗎? 進到鬼屋是不能拍照的,但在這裡我是一定要賣關子的,惱補一下昭和時代的樂園加上日本櫻之怨靈....嘿嘿嘿 (尖叫聲)
天冷了,園內的貼心設施在這裡! 靠近它,就會有暖意,超舒服的~
這裡的紀念幣只要100円,還有三種圖案可以選;女兒的樂園到此一遊紀念,就是帶它們回家~
■ 都營巴士-池86 ✪表參道-竹下通(可麗餅)、明治神宮
當年輕人的時候沒來過原宿,沒想到當歐巴桑時竟有機會來這走走,但我只是帶女兒來吃吃可麗餅的~
原宿一帶的可麗餅相當多,是因為年輕旅群聚集的關係嗎? 看看每一間的豐富的口味,光看模型就讓我們流口水了...
草莓加上超士蛋糕的組合是店內的招牌之一
餅皮和在台灣吃的感覺不同,這裡的特軟,香滑的奶油不膩口,用湯匙就能輕鬆的挖起來吃,同時吃到餅皮的綿、奶油的純、草苺的甜及濃郁的起司!
「年輕人的原宿」和昨天「老奶奶的原宿」一樣,短短400公尺的竹下通有滿滿人潮,穿梭在青少年中,我們快速的從頭走到尾;假日的竹下通真的超擠,若是帶孩子去,一定要把手牽好~
年輕人的地盤,進駐的大部份是流行的服飾、偶像小物店、甜點店...等,價格也相對便宜許多,雖然沒有認真逛,但也感受到有台北西門町之稱的竹下通!
竹下通的另一頭可以往「明治神宮」的方向去,距離約5分鐘,但可惜即將要回國,沒能好好的拜訪一下。
雖然只有輕輕一瞥,但確信我很喜歡這裡,下次一定會再來~
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【同場加映】上野住宿-Dormy Inn 上野御徒町
交通樞紐「上野」一向是國人旅日時最喜愛的訂房位置之一;這天來住連鎖飯店中風評很好精緻又大心的「Dormy Inn 上野御徒町」,走到"阿美橫町"只要1分鐘喔~
櫃檯在2樓,check in時,看到櫃檯會說"中文"的工作人員,就像在大海抓到浮木般的令人安心;辦理手續時,貼心的先遞上小毛巾讓客人擦擦手舒服一下,完成手續後會提供房卡、女湯使用密碼及繁體中文版的住房須知! ps.這裡全館都有免費wifi,不需依樓層不同而更改連結。
這天住的房型是雙人房(2大2小共住2間雙人房),正常尺寸的雙人床型,床墊很講究是採用serta床墊,軟硬適中非常助眠;巧妙的設計下讓空間運用得宜,活動式拉門將房間分為兩區,床舖、書桌、沙發一區,洗手臺、乾濕分離浴廁一區,需要的時間就可以把拉門拉上,增加隱密性~ 現代人3C不離身,房間內的多功能插頭正好派上用場,這還是第一次看到有這樣的服務;對了,我算了一下,房間內至少有8個插座,足夠充飽旅行的裝備們。
這裡的浴衣是運動服型式,去12樓泡湯或晚上到餐廳吃拉麵都是可以的穿著它;check in時櫃檯人員看到小隻的安安時就主動提供一套小size的用品讓我們帶上來,真的超貼心~ 日本比較乾燥,飯店內都會有加濕器,冬天的晚上真的要運轉一下,睡的更舒服。
飯店有提供"免費宵夜",我也是第一次遇到! 宵夜超級讚,是日本美食"拉麵",每晚的9:30~23:00提供;我們時間未到就到餐廳等��了(是有多餓 ><),開放式廚房時間一到拉開布幕,就能向廚師領號碼牌,之後等廚師叫號碼即可!
當天在粉絲團有現場直播,所以麵放了10分鐘之後才吃,但麵條不會軟爛,依然有Q彈的口感,醬油湯頭加上筍乾海苔很好吃,完全不馬虎的拉麵,比有些美食街的拉麵好吃太多了;而且還可以省了一餐的費用,覺得很超值。
超值的另一個重點在這,12樓有提供大浴湯可以"免費"泡湯!!! 室內及露天各有一個浴湯,加上水風呂、蒸氣室,媲美星級飯店;看說明寫著浴湯的水屬於"超軟水",可以保濕美容,讓皮膚水水喔~ PS.浴湯的照片有先經過飯店人員許可才進入拍攝!
女湯及男湯都在12樓,女湯需用密碼才能進入,每一天都會更換密碼,所以連住時記得向櫃檯詢問;外面有長椅及漫畫櫃,對面的房間內有販賣機、微波爐、免洗餐具及製冰機,看看漫畫、吃東西、喝冰牛奶,不論是誰等誰都不無聊! 對了,泡湯時還利用時間,把衣服洗一洗,洗衣機烘乾機都在同一個空間 (洗衣機及洗劑免費使用、烘乾機付費使用);眼前另人為之一亮,桌上提供的是神器P牌97,真的會讓人忍不住多待一會,讓頭髮也舒服一下XP
這裡的早餐以"飯糰"及"蛤蜊湯"果然名不虛傳,飯糰的口味眾多,份量剛好不會浪費,滿滿的蛤蜊味噌湯早上來上一碗好暖胃,還有熱呼呼的關東煮可以取用,非常豐盛;除此之外,麵包、生菜沙拉、玉米濃湯、點心、水果、牛奶及冷熱飲也都有,滿足每一個客人的胃口。
Dormy Inn 上野御徒町的位置真的不錯,厲害的餐廳、超市只要下樓就看得到,所以要大買藥粧及日本零食,真的可以選這裡,再加上距離各地鐵出口也都超近,很適合親子旅日時的住宿選擇!
Dormy Inn 上野御徒町
徒士の湯 ドーミーイン上野・御徒町 http://www.hotespa.net/hotels/ueno/ 〒110-0005 東京都台東区上野6丁目7番22号 TEL.03-5807-5489 FAX.03-3834-3393 [email protected] 早餐:06:30~10:45 (600円/人;訂房時也可依照需求選擇) 宵夜:21:30~23:00 (無料) 浴湯:15:00~10:00 (無料) 【交通】 都營大江戶線上野御徒町站A8出口步行1分鐘 東京地下鐵銀座線上野廣小路站A8出口步行1分鐘 東京地下鐵日比谷線仲御徒町站A8出口步行約1分鐘 JR御徒町站北口檢票口步行約5分鐘 JR上野站廣小路口步行約7分鐘
【日本新玩法】搭荒川線電車穿越時空體驗東京復古風情!(省荷包交通小撇步"都營一日乘車券"、8個不擁擠遊日熱點、銅板美食 ) 原文出處: 睡天使醒惡魔成長日誌 :: 痞客邦 PIXNET :: http://naughtyangel.pixnet.net/blog#ixzz4XzXaxum0 Follow us: @Me4child on Twitter | Me4child on Facebook
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