Tumgik
#南ベトナム解放民族戦線
metal-cn · 9 months
Text
本ブログが大胆にも考察した、日本の、某党を巡る話→CCP便乗?→習近平総書記が基盤強化に悪用?内部闘争も発動済か?CCP紀律検査委員会を動かす?粛清者は?→それに留まる"理由"はないのでは?証拠は?消えた習近平氏!CCP特有の、権力抗争劇の、お決まりでは?
本ブログが独自に考察してきた。日本の某党にまつわる地検特捜部の動き。それは、もはや世界情勢的、地政学的な変動を伴う恐れがある。本ブログは、CCP紀律検査委員会を通じた権力基盤の強化を、習近平総書記が図る可能性を指摘した。つまり粛清者。そして、その確信を強めざるを得ない事態が。一連の鉄道事故、青海省地震を通じても習氏の動静がはっきりしない。指示は出している模様。要は"だけ"。表舞台を避ける。なぜか?粛清相手から反撃されないため。典型的な、CCPの権力闘争入りしたのか?但し、地検特捜部においては、来年1月を意識しているとの日本の、報道もあるだろう。だが1月には、台湾総統選も控えている。忘れてならない。だから、両者は線でつながるわけやもね。地検特捜部が一定aの結論を出すとする。これを超す形(くa+1)の内容を、CCP紀律検査委員会はひねり出すか。そして時系列的に、ほぼ同時進行する台湾総統選。とどのつまり習氏がこの機を得て、台湾"収回"へ一気呵成をかけないという確証が本ブログにないいのである。困ったことにね。実にね。★だが往年の、故エリツィン氏vsゴルバチョフ氏をめぐる、実に平平凡凡ないきさつb。これを対照すると、なんだ、そうやろね的な。。。★★CCP習近平総書記も、bを相当程度、熟知。だからその粛清相手も、bを意識して行動するもんやろね。★★★訪越以降、表舞台から、消えてみた習近平氏。そしてASEAN会合。ベトナム。旧正月(春節)も視野に。オマケやろね。春節来了、台湾也来了、或永没了、のように、まあ、狙うのか、なるのか?否か?さてさて、、、
0 notes
kuribayashisachi · 1 year
Text
勉強メモ 野口良平『幕末的思考』 第2部「内戦」 第四章「未成の第二極」1~3 細かいメモ
野口良平『幕末的思考』みすず書房 第2部「内戦」第4章「未成の第二極」1~3 
きのう大まかに書いたことの、さらに書き留めておきたい細かいことどもをメモします。
【目次】
■中江兆民とルソー
■西郷に希望を託した若者たち
■会津藩士たち
■増田栄太郎と福沢諭吉
Tumblr media
■中江兆民とルソー
 中江兆民は、大久保に直談判して(司馬遼太郎『翔ぶが如く』で、中江青年が大久保の馬車を追いかけて、乗せてもらいながら売り込みをするシーン、印象的ですね。なんか、長い小説の中に、二回くらい、この同じシーンが出てきたような)岩倉使節団に随行する留学生としてフランスに学ぶ。
 ルソーの『社会契約論』に目を拓かれ、これを訳して日本に紹介するが……
まず、ルソーの思想とは。
ルソーの最初の著書『人間不平等起源論』では、「すべての人間が本来平等である」という。
我々をつないでいる身分制度の鎖を解き放て! と。
(高校生の時、これを聞いてときめいた。平等だったのか! しらんかった! 生まれつき高級な人と、わたしのようなどうしようもないのがいて、そういうことは運命的に決められているのだと思っていた! 民主主義の時代に生きてる私でさえそう思うのに、身分制度の時代に生まれてそんなことを考えたルソーって天才だ! と。うれしかった。平等なんだ!! わーいと思った)
だけど、どうだろう。どこまでも自由だとしたら、力が強かったり悪知恵が働いて良心のかけらもない人が、気の弱い人や体の弱い人を押しのけて、奴隷にしたり餌食にしたりするのも自由、ってことになる。そしたら弱い者には勝ち目のない地獄になる(今の日本のようですね)。
 この状態を、ホッブスは「自然状態」といって指摘した。
『人間不平等起源論』の七年後、ルソーはこれに答えるべく?『社会契約論』を書く。
強くて悪い者が好き放題する自由は、やっぱ困る。
で、こうまとめたそうだ。p176
《人間は、ルール(鎖)なしには自分を自由にする力を持たない。ルールには、正当化しうるもの(鎖)と、そうでないものとがある。》
その正当化しうる鎖とは、力ではなく約束。(じーん)
《正当化しうるルールの源泉とは、各人が自己保存と自己への顧慮を手放すことなしに、すべての人と利益を共有しうる結社の創設への合意(convention)すなわち「社会契約」である。》
しかし、難問が!
「えー。おれ強くて頭いいいから、好き放題してても困らない。ルールなんか従いたくないんだけど。自由がいい」という横暴な人たち(往々にして世の中の主流になる)を、どうやって約束の席につかせうるか。
ルソーは「立法者」というスーパーマンの存在を考え出して、この人になんとかさせようとしている。
中江も自分で考えた。
やっぱり答えは出ないけど、
徳が高くて強い立法者と、その補佐役がいたらいい!
とこのとき考えたそうだ。
そして、この立法者が西郷さんで、補佐役がオレ!
でも、中江の「フランスすばらしい!」は、航海中のベトナムでかげる。人権に目覚めたはずのフランス人が、ベトナム人に酷いあしらいをしている!
「人権を考え出したのはヨーロッパ人だが、実行するのはアジア人だ!」
しかしさあ、どうやって実現する? (むずい)
■西郷に希望を托した若者たち。
大久保たちの裏技を使ったやり方に敗れ、野に降った西郷。 (私としては、やめんでほしかった)
大久保たちのごり押し近代化(武士の禄を奪い、藩をなくし、誇りだった刀を強制的にやめさせ……)に異議申し立てせんという旧士族たちが、方々で叛乱を起こす。
(江藤新平のことももう少し知りたいなあ)
西郷は、慕ってきた子分たちと共に鹿児島で私学校を開いていた。
西郷自身は、ことを起こすことに対して慎重だったようだけど、 結局、大軍を率いて、東京へ押しかけ政府のやり方をあらためさせようと「挙兵」。
鹿児島を出発。
でも熊本で負けてしまい……。 明治10年9月、よくドラマに出てくる最期をとげる。
この節で、私が胸を衝かれたのは、
中江兆民世代の、ほんとに有望な人(小倉処平、宮崎八郎)、 迷える青年(増田栄太郎)らの戦死だ。
小倉処平は、 日向飫肥藩の仲間たちをひきいて西郷軍に参じた人望ある人。 かつては藩主に留学制度を進言し、選抜した青年たちを率いて長崎に学ぶ。のちロンドンにも留学。《英国仕込みの自由主義者であり、中央政府による急進的な近代化とは異なる、もう一つの近代化の可能性を探っていた人物だった。》p183 (滂沱)
宮崎八郎は、熊本荒尾村の庄屋の次男(実質長男)。 《人民の擁護者を任じる家風の中で育てられた》p179 (中岡慎太郎みたいね)
八郎は、はじめは、列強の理不尽への怒りや、政府の強引さへの不満から、征韓論に熱中し、征台義勇軍を組織するなど、物騒な感じ��ったが、中江訳『社会契約論』に目を拓かれる。
それがどうして、西郷の武装蜂起に参加?
→「キミの考えは西郷とは違うじゃないか、どうして西郷軍へ?」と聞かれて、 「西郷を助けて政府を倒してから、西郷を倒すんじゃ」 (西郷軍に身を投じた若者には、こういう人が多かったようだ)
けれどもどちらもならぬまま、戦死。
その克明な日記は、預かった人が川の徒渉に失敗して永遠に喪失してしまったと。 ……このシーン、小説のよう。 川の畔に立ち尽くしたような気持ちに。
■会津藩士たち
また、西郷軍を熊本で果敢に防いだ政府軍には、多くの有能な旧会津藩士が加わっていたことも記される。
極寒不毛の斗南藩へ送られたのち、一族を率いて新政府の警視庁に出仕した、元会津藩家老の佐川官兵衛は、阿蘇山麓で戦死。(呆然)
同じく元家老の山川浩は、西郷軍に囲まれた熊本城を後巻きして救出する。
いっぽうで、同じく会津藩士だった長岡久茂は、政府打倒を試みて、獄死していた。
両極に別れたように見える彼らの行動を 著者は、「同じ動機」によるものと記す。
《彼らが目指していたのは(略)──戊辰戦争が勝者のためだけに戦われたものではなかったことを自力で証明してみせることだった。》p179
■増田栄太郎と福沢諭吉
増田栄太郎は、福沢の又従兄弟にあたるという。
増田は遅れてきた攘夷青年。それだけに、「攘夷に落とし前をつけなくていいのか」という答えを求めていた。 殺してやろうと思っていた福沢から「敵である列強の良いところを学べ」といわれて、一時は慶応大学にはいるが、すぐに退学。郷里で結社を作ったり、新聞を発行したりする。 これらの手当たり次第のような闇雲なガッツは、《内心の葛藤の受け皿を手探りで構想する作業だった。》p186
(個人的には激しく共感;; むしろ出来ブツの小倉処平さんより。ああ、この人、もっと長く生きていればなあ、生き方は見つかったに違いないのに)
そんな「迷走」のさなか、増田栄太郎は、西郷軍が田原坂で敗退してから、わざわざ敗軍の鹿児島勢に加わる。
何を思って?
その死には諸説あるが、曙新聞は「不敵な笑いを浮かべて処刑された」と報じた。 最期に披瀝したといわれる増田の言葉は、「西郷先生バンザーイ」というかんじのもの。 探していた思想はどこへ……。(余計に悲しい)
西郷の死と、救えなかった増田の刑死報道に衝撃を受けた福沢諭吉は、『丁丑公論』を窃かに書く。 西郷の敗北ののち、世論がいっきに「西郷=賊」視したことへの激しい疑問から。
福沢は言う。
政府が専横になることは仕方ないことだが、あまり野放しにするととんでもないことに。これを防ぐためにも抵抗は必要だ。と。
かつて『文明論之概略』で、“難題を抱えていながらそれで乱れない(戦争したりしない)のが文明というものだ”と喝破した福沢だが、この文明論は、何の役にも立たなかった。
西郷の死は、福沢の思想に深みを与えたと、著者は言う。
これまでの『学問のすすめ』『文明論之概略』では、 眠りから覚めている自分が、眠りこけているみんな(愚民)へ呼びかけていた。
『丁丑公論』では、 眠りから覚めるのが「速かった人」と「遅い人」の差があるだけだと、福沢は気付く。
このことに福沢は
《おそらくサイゴンの中江篤介よりも、城山の増田栄太郎よりも、遅れて気づいたのである。》p189
心がどよめいた。
どうしてだろう。
すっきりしたような、著者の福沢評にようやく合点がいった、ような。
いやちがう。 利口者の福沢の真摯な“愕然"が胸を打ってくる。
利口で視野が広いがために、低い苦しみの地平からものがみえなかった。 凡百の利口者なら死ぬまでそれに気づかないだろう。
だがやっぱり福沢は本物だったのだ。
私はまことに直感的に、福沢は信用できなかった。 なんだってこう上から目線なのか。何を持って自分は上から見てるつもりになっているのか。と。
でも、福沢も、その不思議な「特権階級」にあぐらをかくような人ではなかったのだ。
西郷の死と、フラフラしているかに見えた若い増田の問い掛けを、心と頭脳を駆動して受けとめたのだ。
そこを(これまで福沢をすごくひいき?にしてるように見えた)著者にとかれて、
こういう利口者が、真摯にがっくり「膝を折った」音に、心を叩かれたのかもしれない。
6 notes · View notes
kennak · 2 years
Quote
押し寄せる近代・怒濤の国際化  大正最後の年となる大正15(1926)年の年末、大正天皇が崩御され昭和と改元、「昭和」という時代が始まります。大正時代から続く資本主義経済の急速な発展や近代化の象徴ともえいえる学校制度の拡充発展期ではあったものの、翌昭和2(1927)年の未曾有の農村不況や金融大恐慌に見舞われ、さらに昭和4(1929)年にアメリカで勃発し全世界が巻き込まれた世界大恐慌にも襲われた重苦しい始まりとなりました。  国内外を巻き込む暗い影響は、1930(昭和5)年のロンドン軍縮会���、右翼社会主義の台頭、統帥権干犯問題、昭和6(1931)年の満州事変、昭和7(1932)年の満州国建国、五・一五事件、オタワ会議、昭和8(1933)年の国際連盟脱退等、日本帝国主義の矛盾を拡大させていきます。さらに昭和11(1936)年の二・二六事件、昭和12(1937)年の盧溝橋事件、日中戦争等を経て、昭和14(1939)年の第二次世界大戦の開戦となります。  そして昭和15(1940)年に日独伊三国同盟と翌年には日ソ中立条約が締結された一方、ABCD包囲網が始まります。さらに昭和16(1941)年にハル・ノートの提示と日米交渉決裂、真珠湾攻撃をもって日米開戦となり、日本も第二次世界大戦禍に飛び込んでいくことになります。翌年以降はミッドウェー海戦と東南アジア侵攻が開始され戦禍は拡大を続けますが、昭和20(1945)年の東京大空襲、アメリカ軍の沖縄上陸、原爆投下、日ソ中立条約破棄を経て、ポツダム宣言を受諾。第二次世界大戦は終結し、日本は敗戦国となります。  敗戦後の日本はGHQの占領政策下に置かれます。婦人の解放、労働組合の結成奨励、学校教育の自由主義化、専制政治の廃止、経済制度等の民主化が進められるなか、昭和21(1946)年には東京裁判が行われ、日本国憲法が制定されます。  また、戦争と敗戦による食糧難とインフレの昂進に苦しむ一方で、昭和25(1950)年に始まった朝鮮戦争の影響も受けて、特需による好景気が始まります。そして世界的には、東南アジア諸国の独立運動が活発化を始めます。 加速する大衆・列島の平準化  昭和26(1951)年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が締結し、さらには翌年のサンフランシスコ講和条約の発効と同時にGHQは廃止され、日本は主権回復となりました。しかし安保闘争や自衛隊問題など、その後に続く日米安保体制下の新たな課題を生むことになっていきます。  一方、神武景気とも称される好景気を迎え、昭和30(1955)年代には、「国民所得倍増計画」が掲げられ、関門トンネル開通、東京タワー完成、東海道新幹線開業、東京オリンピック開催など、戦後復興が開始されたカラーテレビ放送によって、全国に届けられます。他方、イタイイタイ病、水俣病、四日市ぜんそくなどの公害問題が大きくなるなど、高度経済成長の功罪が浮き彫りになっていきます。  また世界に目を向けると、昭和28(1953)年に朝鮮戦争休戦協定成立後に平和共存の潮流が活発化し、アジアだけでなくアフリカ諸国民の植民地主義への反対や、民族独立を求める力が強まっていきます。そして、昭和35(1960)年のベトナム戦争、昭和37(1962)年のキューバ危機、昭和40(1965)年の日韓基本条約締結など、国際的な戦争と平和への動きに各国がより深刻な影響を及ぼしあうようになっていきます。  昭和43(1968)年には東名高速道路開業し小笠原諸島が返還されます。昭和44(1969)年に東大安田講堂事件が発生した同年、アメリカはアポロ11号による人類初月面着陸に成功します。翌年の昭和45(1970)年に日本初となる人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功し、日本万国博覧会(大阪万博)は大盛況をおさめます。しかし同年のよど号ハイジャック事件、翌年のあさま山荘事件など、過激な事件も目立ちました。  昭和47(1972)年からは「日本列島改造論」による政策が実施され、いよいよ列島が平準化されていきます。札幌オリンピック開催、沖縄返還、オイルショック、ロッキード事件、成田空港開港、日中平和友好条約締結など、社会的に関心が高い出来事が起こる一方、昭和58(1983)年には東京ディズニーランドが開園し、ファミリーコンピューターが発売されるなど、大衆化された娯楽も変化していきます。  昭和60(1985)年頃からは、資産価額の高騰によるバブル経済に突入します。筑波万博の開催、青函トンネル開通、瀬戸大橋開通など科学の進歩を体感する一方で、日本航空123便墜落事故やチェルノブイリ原発事故が発生します。  そして、昭和最後の年となる昭和64(1989)年の年明け早々に宝算87歳をもって昭和天皇が崩御。平成に改元され、「昭和」という時代が終わることとなりました。
「昭和」とはどういう時代だったのか? | テンミニッツTV
2 notes · View notes
Photo
Tumblr media
2023年1月21日(土) 出張旅行記その56 【1月14日】 ホットシャワーを浴びて体を温めたところで,再びLE MUANG NGOYさんへ。 今度こそは,開いていました。 おおい,あそこに座りなよ。気さくなこの店の店主が席を勧めます。 今朝,何時に開けたの? 6時からだぞ。 あ,やっぱり。店主の時間感覚が狂っていたんですね。もしかすると,日本時間を見ていたのかも。(陽の位置からすると,絶対違う) とりあえず仕事の記事を書き上げます。ちょっとひと息ついたところで,再びホテルに戻ることにします。溜まり始めた洗濯物もあるし,今のホテルの滞在日数をどうするかも決めなくてはなりません。 実は昨晩,ここの店主にこのレストランが経営する水上コテージというか,ボートの部屋を薦められていたんです。今のホテルよりほんの少し高いですが,ステキな部屋なら替えてもいいかな?と思ったんです。ほら,ノンキァゥに興味を持ったお客さまが弊店に来られた時に,情報提供できるじゃないですか。 ある意味ステキな部屋でした。 まず,ボートに降りる道がまだできていませんでした。細い木の板を渡しているのですが,これ,店主の重い荷物を持って移動するの,けっこう苦労しそうです。川に落ちたら,それはもう悲惨です。 部屋は5部屋あったと思います。その内4部屋が,まだ完成していませんでした。一部屋は今まさに作っている最中で,3部屋はベッドの包装を開けてシーツなど細かいものを用意するだけの状態です。ほぼほぼ完成と言っていいでしょう。 最後の部屋を見せてもらいます。なかなかいい感じです。広さも十分だし,作りたての木の香りもいい感じ。川に面した壁全体がガラス張りでカーテンがないのが気になりましたが,どうせここに泊まれるのが店主だけなら,まあ問題ないでしょう。見られて困る物もないし,なんならこの俺の肉体美,魅せてやろうか?(ウソです。そんなステキなものは,学生卒業とともに置いてきました。以来,2度と戻ってきてくれません😭) よし,じゃあ次はトイレとシャワーね。 あれ?トイレの便器はあるけど便座がまだ横に包装されたまま置いてあるよね。シャワーは?あ,一応出るの?でも,トイレは使えないよね。 大丈夫だ。トイレは,店側にあるから。 おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい! 作りかけの部屋に泊まらせようとしてたのかよ?しかも,店主が今泊まっている部屋よりも高く? この部屋,まだ作っている最中だよね? そうなんだよ,また次回来たときに泊ってくれよな。この店の陽気な店主,全く悪びれる様子もありません。昨晩の説明の様子なら,いつでもお客を迎える準備万端の勢いだったじゃないですか。 とりあえず,ホテル変更計画は消失しました。 いったん戻って,洗濯物を出すことにします。 ホテルに戻る途中の写真は,Coco Home Restaurantさんのウェルカムボード。ベトナム戦争時にアメリカ軍が落とした爆弾を利用したもの。中立国であるラオス,カンボジアを通る南ベトナム解放民族戦線への補給路(ホーチミン・ルート)への爆撃ということで,ラオスにも非常にたくさんの爆弾が落とされ,今なお残っています。人間はなぜ,ここまで残酷なことができるのか。突き詰めれば,金,権力,人間の欲の深さのおぞましさをつくづく感じてしまいます。 橋のたもと付近の果物屋さん。南部にはなかった(と思われる),ぶどうやみかんがあってびっくり。せっかくなので,青いマンゴーを購入しました���塩唐辛子がなかったのが残念でしたが,そのままでもあの甘酸っぱいなんとも言えない美味しさを感じることができました。 もしも東南アジアで見かけたら,ぜひトライしてください。初めは慣れないかもしれません。どうせなら,甘く熟したマンゴーの方が美味しいのに,と店主も思ってました。しかし,しばらくすると,なぜ日本人はこれを食べないんだろう?不思議に思えてくるのです。 橋の上からの景色は,今日も平和です。 【お知らせ】 ベトナム,ラオスへの買い付け旅行のため,しばらくの間休業いたします。ご迷惑おかけしまして申し訳ありません。 2023年1月28日(土) 19時からの営業再開を予定しています。 ご来店,お待ちしております。 【身体のセルフケア】 2023年2月4日(土),3月11日(土)の開催を予定しております。 16:30~18:30 上福島コミュニティーセンターにて 詳細、お申込みはメッセージにてご連絡ください。 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ベトナム #チキンライス #ラオスの旅 #カフェ巡り #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/CnqV9ogy10T/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kt-grotesque · 3 years
Text
手紙20211121
お元気ですか? 今日も空は蒼く冴え渡り、赤トンボたちが飛び交っています。このまま暖かさが継続し、雪などは思いっ切り夏に降ればいいなどと話したりしてますが、果たしてどうなるでしょうか。
お手紙と映画のチラシ5枚を受け取りました。ありがとうございます。「途方もない映画体験」と書かれた『MONOS猿と呼ばれし者たち』は、評論家の多くが5つ星をつけていたので気になっていました。観たいですね。面白いでしょうね。その後、どうでしょうか、ゴールデン街で口角泡したい。まあ懐かしくも見果てぬ夢ですが。
南米コロンビア50年の「内戦」を想起する際に過ぎるのは、サンディニスタ解放戦線の闘い__アメリカが支援する独裁政権との闘いを指揮した革命司令官オルテガの末路でしょうか。今や独裁者として権力をほしいままにしているのですから。ニカラグアの現在のお話です。 革命は一国で終わった場合、資源が豊富であればロシアや中国のように、乏しく貧しい国であればキューバやニカラグア等の形態の独裁へ陥ってしまうようです。それからも革命は国境を越えて広がる世界革命でなければならない__これが今のところ、「真理」のようであります。 マルクスやエンゲルスの時代の1845年。ヨーロッパに広がった革命は世界革命であったと言われています。ローマ時代の世界が地中海の沿岸部だったように、当時の世界はヨーロッパを指したからでしょう。 そうした意味では、ロシア革命も同様でしたが、ヨーロッパでの革命に挫折、その結果ロシア「一国主義」を正当化するしかなく、世界革命を主張するトロツキーは袂を分かちます。 それ以降、ソ連型革命に同調しない者はトロツキスト、つまり異端派として批判されることに。日本共産党が60年安保闘争を主導した全学連の学生たちと敗北の総括をめぐって別れると、途端にトロツキスト呼ばわりしたのも同じ理由です。 もっとも日本共産党が「自主独立」なる方針のもと、ソ連共産党から距離を置き始めるといつしかトロツキスト批判は下火になり、消滅してしまいます。 それはともかく、70年初頭にキューバ革命の限界性を感じたゲバラが「第二、第三のベトナムを」とアフリカや南米の地に、新たな革命を創出しようとしたのは、結果はともあれ革命家の理念としては正しかったし、彼が今だに人を惹きつけて止まないところでしょうか。 南米の多くの国で「あの時代」に革命闘争が勃発する事態になったのは、ソ連との冷戦に勝利すべく、政権に批判的な組織、政党、それに人びとを弾圧してきたのが原因でした。もともとアメリカは南米大陸を自国の「裏庭」と位置づけ、現在では考えられないような帝国主義的支配を、CIAや巨大企業を用いて行ってきたのです。 例えばバチスタ政権時代に砂糖の単一生産をキューバに押し付けたように、それぞれの国にユナイテッド・フルーツ社を遣い、バナナやパイナップル、コーヒー等々を作付けさせ、他の農作物は全て輸入させる(それもユナイテッド・フルーツ社が扱う)ことにして、それを可能にする独裁者を支持するため、CIAを暗躍させてきたのでした。それが50年代、60年代のアメリカ。 それからも独裁政権と闘うゲリラ組織や、アメリカの収奪に反対する反米闘争が存在しない国はなかったと言えるでしょう。今の南米の国々には50年代60年代の残滓が政治権力とつながったギャング組織として人びとの生活を苦しめているし、そうした人びとが国を捨てアメリカを目指すのは、ある意味当然だし、そうした時代の「犯罪性」をきちんと払拭することなしに、不法移民呼ばわりして追い散らすのだから、あの国もひと皮むけば、と言われそうですね。
ところで『MONOS』がどうしても連合赤軍と重なってしまのは、その閉塞性にあると、その「一国主義的出口なし」の情況をイメージしてしまうからかもしれません。そこに敵が襲撃し__だが兵士たちはまだ少年少女たち、そして思春期のゆらめきが。どんな映画なのか分からなくなりました。
四方田犬彦の『世界の凋落を見つめて』(集英社新書)のなかに全く知らなかった出来事が書かれているのです。それは、1973年のタイ。首相が任期を勝手に延長したことで、軍と学生の間で大きな衝突が起き、身の危険を感じ多くの者が、タイ・ラオスの国境地帯にあるタイ共産党の軍事基地へ。 その後も軍の虐殺を逃れた者たちがバンコクを捨て森の中へ。彼らは自給自足の農耕を始め、山岳少数民族と共闘して国軍と対峙。その数3000人。だが79年にベトナムがカンボジアへ侵攻すると、中国がベトナムに戦争を仕掛けたことで、友好関係にあった中国共産党がタイ共産党を切り捨て、森の中の学生たちはその結果、見捨てられてしまう。 こうして6年間の理想主義的な共同体が終わると、タイ政府はすべての学生に恩赦を与えたそうです。森からバンコクに戻ると、深い挫折感と虚脱感に襲われたけど、革命への情熱に満ちた栄光の日々を忘れるわけにはいかなかった___ 別のところで四方田犬彦はタイの若者たちと比較して、 森での生活を懐かしそうに語るチラナンは、微笑を絶やさない。わたしは彼女に好意を抱いた。だが同時に、日本人として複雑な気持ちにもさせられた。日本の若者たちも1972年に冬山に入った。だが、彼らを待っていたのは銃撃戦とリンチ殺人だった。タイでは仲間殺しどころか、投降者への懲罰すらなかった。ふたつの立憲君主国はどうしてこうも違っているのか。
南インドのケーララが長らく共産政権だった、とありましたが、インドでは毛沢東主義派が地方で政権を担当したりしているのではないでしょうか。でも、中国��は直接関係はないらしく、ルーツはやはり「あの時代」の学生運動にあるようです。当時を描いた小説を数年前に読んだ記憶があります。
昨日の午前中に『トランスポーター3 アンリリミット』を見てました。フランス映画はエンタメ系でも、妙にマニアックな面があり、そこがハリウッドの大味なところとの基本的な違いのように思い込んでいて、ボクは気に入っています。この頃は見るに堪えるような作品の放映が、以前と比べ本当に少なくなりました。所詮は塀の中のことですが。 それでは又、お元気で!! (2021.11.21) 鎌田俊彦
3 notes · View notes
monqu1y · 3 years
Text
大戦がもたらしたもの  「大戦が 齎 ( もたら ) したもの」と題する講演を聞きに行った。  講演内容の要旨は、次のとおり。  1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争は、近隣諸国を巻き込んで規模を拡大していった。  イギリス・フランスがドイツに宣戦布告する一方、ソ連軍は、火事場泥棒的に、東からポーランドに攻め込んだ。  翌年、ソ連は、フィンランドを攻撃して領土の一部を奪うとともに、バルト三国を併合した。  ドイツは、デンマーク、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを制圧した。ドイツは、イギリスを牽制するためイタリアと、ソ連を牽制するため日本と軍事同盟を結んだ。近衛内閣は、軍事同盟に応じ、且つ、翌年、日ソ中立条約を結んで南部仏印に軍を進めたが、これらはスターリン戦略[砕氷船テーゼ]に沿うものだった。
Tumblr media
 1941年6月、独ソ激突が始まった。  半年後、日本は、アジア植民地解放戦争を開始し、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、オランダ領インドネシア、アメリカ領フィリピンを占領した。  それに触発された植民地独立宣言の動きは次の通り。
Tumblr media
 1942年2月、中国共産党の中央党学校開校式で、毛沢東が、学風(学習態度)・党風(党活動)・文風(文書類の表現)の三風を整頓し、党内の主観主義・セクト主義・空言主義を克服すべき旨、述べた。三風整頓運動が起こり、毛沢東 側近の張宗可(康生)は、関係者を拷問して自白を得たうえで、政敵を、スパイ,裏切り者,内通者等に仕立て上げた。拷問は本人だけでなく親族や縁戚にまで及び、拷問に耐えられず、身に覚えのない罪を自白する者も多かった。ソ連人脈の王明,博古,張聞天,王嘉翔,楊尚昆,陳昌浩,杜作祥,沈澤民,張秦秋,王宝礼,王盛荣,王運城,朱自舜,李元杰,汪盛荻,北海道特甫,殷剣,元嘉永,徐義新らは、失脚した。権威主義と官僚主義を率直に批判した王実味は、逮捕され処刑された。  1942年6月頃から、[砕氷船テーゼ]の予言通り、経済力と科学技術力を誇るアメリカを擁する連合国側が優勢に転じた。  1943年5月、ドイツと戦う連合国側に与する必要から、ソ連はコミンテルンを解散した。  1945年3月、日本軍がフランス軍を降してベトナムを独立させた。  1945年5月、イタリアが降伏し、ドイツも降伏した。8月には日本が降伏し、五千万(ソ連2060万,ドイツ950万,日本646万,ポーランド560万,中国318万,アメリカ113万,イギリス98万,フランス75万)人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦は終了した。  しかし、「尊皇討奸」の志を受け継ぎ、資本家階級を倒して国家社会主義を目指す陸軍将校らは、敗戦受容れの詔を録音したレコード盤を血眼になって探し求めた。
Tumblr media
 彼らの狙いは、ソ連軍に依る日本民族解放を待つための時間稼ぎだった。  近衛文麿人脈が占める政権中枢から「ソ連仲介和平」という口実で情報を得ていたソ連軍は、日本降伏に先立って、軍を極東に集結させていた。  アメリカ軍に依る原爆投下を機に日本への攻撃を始めたソ連軍は、武器を持たない無抵抗の日本人を殺しながら、瞬く間に樺太や千島列島を占領した。
Tumblr media
  占守島 ( しゅむしゅとう ) で樋口中将が抗戦を命じなければ、北海道はソ連軍に 蹂躙 ( じゅうりん ) されていたのだ。
Tumblr media
 ソ連軍は、朝鮮半島も占領したが、アメリカ軍が上陸してくると、米ソ協定に従い38度線以北に退いた。  ソ連軍は、東ヨーロッパの占領地域でも、社会主義人民共和国政権樹立に力を注ぐようになった。  日本の敗戦でベトナムにはフランスの植民地支配者が戻ってきていたが、1945年9月に革命が起こり、ホー・チ・ミンがベトナム社会主義共和国の建国を宣言した。しかし、フランスは、それを認めなかった。  1945年10月、国際連合(本部:ニューヨーク)が発足した。  イギリスでは、大戦終了直前の選挙で勝った労働党政権が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉充実策を実施し、銀行,石炭,通信,航空,電気,鉄道,ガス,鉄鋼などの重要産業を国有化していった。そのため、産業は競争力を失い、[イギリス病]とよばれるほど国力は衰退した。復活には、1980年代のサッチャー登場まで待たなければならなかった。
Tumblr media
 朝鮮半島では、信託統治(国際連合の信託を受けた国による統治)が検討されたが、まとまらず、アメリカとソ連による分割占領が行われた。  1945年10月10日、中華民国と中国共産党との間で、「内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設」するための協議が行われたが、双方の思惑は、相手を潰す準備を整えるための時間稼ぎだった。  1946年6月、イタリアでは王制が廃止されて共和政となった。翌年2月にパリ講和条約を結んだイタリアは、エチオピア・アルバニア・リビア・ソマリランドなど総ての海外植民地を失った。  1946年6月、ベトナム南部で、フランス領コーチシナ共和国臨時政府の樹立が宣言された。  1946年7月、中華民国と中国共産党との間で、全面的な内戦が始まった。当初はアメリカの支援を受けた国民党軍が優勢なように見えたが、次第に、ソ連に降伏した関東軍の装備等( 就中 ( なかんずく ) 精鋭将兵の軍事指導)を利用できる中国共産党に形勢が傾いていった。  1946年12月、ベトナム軍とフランス軍の戦争が始まった。フランス軍が優勢だったが、ベトナム社会主義共和国軍はゲリラ戦を展開して頑強に抵抗した。  1947年2月、建国を悲願とするユダヤ人とアラブ人の紛争が絶えなかったパレスチナを持て余したイギリスは、委任統治を放棄し、国連にゲタを預けた。11月、国連総会は、パレスチナの土地の6割弱をユダヤ国家に、4割強をアラブ国家に分割する案を、可決した。倍以上の人口を抱え、殆どの土地を所有するアラブ人側に過酷すぎる不自然な決定は、アメリカ大統領トルーマンのゴリ押しによるものと言われている。
Tumblr media
 そこから、中東戦争が始まり、長く続くこととなった。  朝鮮半島では、統一政府樹立のための総選挙がソ連の反対で実施できなかったので、1948年5月にアメリカの占領下にある南部だけで総選挙が行われ、李承晩が大統領に当選した。8月15日、大韓民国第一共和国の樹立が宣言され、アメリカ軍政が廃止された。  1948年9月9日、朝鮮半島北部を実効支配する勢力(満州派、甲山派、南労党派、中国共産党、延安派、ソ連派など)が、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。  1949年1月、中共軍が国民党軍を敗退させて、北京に入城した。10月1日、毛沢東が北京市で中華人民共和国の建国を宣言した。10月25日、中共軍八個連隊は、対岸の 厦門 ( アモイ ) からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで三方向から包囲するようにして金門島に迫った。これに対する国民党軍(三個師団と保衛一個連隊)は、旧日本陸軍中将 根本博氏の指揮を受け、一発も反撃せず、中共軍を上陸させて島内に誘い込んだ。日没後、国民党軍は、ジャンクに火を放って上陸軍への補給と退路を断ち、総反撃に出た。中共軍は、混乱し、包囲網の開いた一方向に雪崩を打つように殺到して海岸に向かったが、追いかける国民党軍と島陰で待機していた海軍の挟み撃ちに合って壊滅した。以後、中共軍は、対岸から砲撃するだけで、金門島に上陸しようとしなくなった。
Tumblr media
 1949年4月、北米と西欧の30箇国は、軍事同盟NATOを結んで共産圏の脅威に備えた。  1949年6月、ベトナム王国ができ、ベトナム帝国皇帝だったバオ・ダイが国王になった。  1949年12月、南京から逃れ出た蒋介石らは、台湾島の台北に中華民国政府を移転させた。  1950年1月、イギリス労働党政権が、中華人民共和国を承認した。  1950年2月、フランス、アメリカ、イギリスがベトナム王国を承認した。  1950年5月、韓国の総選挙で、李承晩政権に対する不信任の結果が示された。2年後任期満了時の再選を危ぶんだ李承晩は、人気挽回策として、対日戦意を煽り「対馬侵攻」を名目に精鋭軍を南下させ釜山に集結させた。手薄となった首都ソウルは、「国土完整」を唱える朝鮮民主主義人民共和国軍にとって、格好の餌食に見えた。  1950年6月25日早朝、北朝鮮軍による総攻撃が、青天の霹靂の如く、何の前触れも無く始まった。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩は更に南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせる為、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋を、多数の避難民もろとも、爆破した。後に、橋爆破の現場責任者だったチェ・チャンシク大佐が責任を問われて処刑され、真相は闇に葬られた。  米軍機動部隊が大田に到着し防衛線を築いたが、北朝鮮軍は韓国軍を攻め、それを崩壊させて横にいる米軍を包囲した。韓国軍は大量の米軍装備を放棄して逃げ、それを北朝鮮軍が使い、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況になった。  しかし、李承晩は、韓国軍が前線に立つことを主張し続け、状況は改善されなかった。  その結果、米軍主体の国連軍は敗北を重ね、8月末には、北朝鮮軍が釜山まで60キロメートル余の昌寧郡に迫った。  9月2日、マッカーサー元帥が国連安全保障理事会に「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出し、国連軍増強の必要を強調した。また「北朝鮮軍がカムフラージュの為に民家や民間輸送機関を利用しており、軍事目標を識別することは著しく困難である」旨説明し、民間人・施設に対する攻撃の正当性を説明した。民家人を装い、或は、民間人に紛れ込んで、民間人が攻撃しているように見せかけるのは、共産主義者の常套手段。民間人の犠牲を材料とするプロパンガは、彼らの強力な武器となる。9月15日、国連軍は、仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪回した。
Tumblr media
 しかし、李承晩の主張に基づき韓国軍を前線に立たせた結果、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況が再現され、翌年1月、中共軍にソウルを占領されてしまった。  その後、戦況は、一進一退を繰り返したが、国連は休戦への道筋を作り、両軍の捕虜送還協定が締結された。  6月18日、李承晩は、国連決議を無視し、アメリカに何の予告も無く、抑留中の朝鮮人民軍捕虜二万五千人を北へ送還せずに韓国内で釈放させ、国際世論の非難を浴びた。この釈放は、不法に抑留した日本人の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として日本の刑務所で収監されている韓国人受刑者に対する放免・日本永住許可付与を要求した手口に相通ずる処がある。  1951年9月、サンフランシスコで吉田茂首相が講和条約に調印し、日本は主権を回復した。朝鮮・台湾・南樺太・千島は放棄し、沖縄と小笠原諸島はがアメリカの占領下に置かれることとなった。調印したのは48カ国だった。同日、日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ反共陣営に日本が組み込まれた。  1952年1月、韓国は、 所謂 ( いわゆる ) 李承晩ラインを一方的に設定した。  1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが病死した。  1953年7月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、軍事境界38度線を挟む休戦に同意した。軍事委員会委員長に就任した金日成は、朴憲永、金枓奉、崔昌益、許貞淑、金昌満、武亭、朴一禹、朴孝三、方虎山、尹公欽、徐輝、李相朝、金雄、鄭律成、金元鳳、許哥誼、朴昌玉、金烈、朴義琓、総政治局長、崔遠、金七星ら他派の政敵を次々に追い落とし粛正して、権力を強化しいった。  1953年12月、韓国は、日本海で漁船数百隻を拿捕し、乗組員数千人を抑留した。
Tumblr media
 そして、抑留者の返還と引き換えに 日本の刑務所 で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として 収監 されている韓国人 受刑者 の 釈放 を要求した。日本政府 はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。  1954年2月、 嘗 ( かつ ) て中国西北部の陝西省で毛沢東らを迎え入れた高崗が「東北部を独立王国にしようとした」という濡れ衣を着せられて失脚し、半年後に毒殺された。  1954年、ベトナム国王バオ・ダイは、首相にゴ・ジン・ジェムを任命した。翌年、ゴ・ジン・ジェムが国民投票を実施し、ベトナムは共和国になった。ゴ・ジン・ジェムは大統領に就任し、アメリカの軍事援助を取り付けた。バオ・ダイはフランスに亡命した。  1955年、ソ連と東欧諸国は、NATOに対抗するため、軍事同盟WPOを結んだ。  1956年、ソ連での個人崇拝批判の影響受けて、北朝鮮でも金日成批判の動きが出てきたが、金日成は、甲山派と組んで政敵を除名し逮捕した。  1956年5月、毛沢東は、最高国務会議で「百花斉放 百家争鳴」を提唱し共産党への批判を歓迎した。翌年2月の最高国務会議でも中国共産党に対する批判を呼びかけるとともに、翌月6日から1週間かけて全国宣伝工作者会議でもさらに中国共産党に対する批判を呼びかけた。知識人の間で中国共産党に対する批判が徐々に出始めるようになり、共産党の中国支配に異を唱えたり毛沢東の指導力を批判する者も出てきた。5月、毛沢東は、新聞に対して党の批判とあわせて「右派」に対する批判も行うよう命じたが、「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはならない」と述べた。6月、人民日報は「右派分子が社会主義を攻撃している」という毛沢東が執筆した社説を掲載した。10日後、人民日報は、毛沢東が 嘗 ( かつ ) て「百花斉放 百家争鳴」を呼びかけた演説内容を掲載したが、演説したという内容は、批判を制約するものだった。党を思い切って批判した知識人たちは社会主義政権破壊を画策した[右派]というレッテルを貼られ、知識人の粛清運動(反右派闘争)が始まった。以後、中国共産党批判は二度と行われなかった。
7 notes · View notes
jaguarmen99 · 4 years
Quote
韓国政府、請求棄却求める ベトナム虐殺の損害賠償で ベトナム戦争に派遣された韓国軍による民間人虐殺の際に生き残ったベトナム人女性、グエン・ティ・タンさん(60)が、韓国政府に損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が17日までに、ソウル中央地裁で開かれた。韓国政府は虐殺の立証が不十分などとして請求棄却を求めた。 タンさんの代理人弁護士は閉廷後、報道陣に「韓国政府は南ベトナム解放民族戦線が韓国軍に変装していた可能性なども主張するようだが、理解できない」と批判した。 韓国政府は8日、ベトナムと結んだ「軍事実務覚書」にベトナム戦争による民間人の被害補償が盛り込まれているため、訴訟を通じた被害救済はできないとの答弁書を提出したが、弁論の直前に撤回した。理由は不明。タンさんは、インターネットを通じて弁護士の報告を受け「死んでしまった数多くの魂を救う機会にしてほしい。裁判長には公正な裁判をお願いしたい」と訴えた。
【速報】 韓国政府 「ベトナムで大量虐殺レイプしたのは、ベトコンが韓国軍に変装して行った」 | 保守速報
17 notes · View notes
xf-2 · 5 years
Link
なぜ私(武小華研究員)が石正麗研究員を実名告発しのか!?
 武小華博士の内部告発文の最終回になります。以下は翻訳です:
石正麗研究員 SciencePortal Chinaより引用 https://spc.jst.go.jp/
翻訳ここから————————————————
 2019-nCoV(新型コロナウィルス)は、人間の呼吸器である肺の上部、アンジオ テンシン変換酵素2(ACE2)のタンパク質が、人間の細胞に取り込む入り口にされました。
 そのため、初期症状は発熱、咳、だるいなどがメインです。しかし、くしゃみ、鼻水は少なく済みます。    ではコロナウイルスは、どのようにして人間をターゲットにするのでしょうか?
 以下は、イギリスの総合学術誌『ネイチャー』に掲載された論文です。
 https://www.nature.com/articles/nm.3985?fbclid=IwAR0iTTfDlT-uxNFPtvQH-xFrF6QaF1hKE1Ey2TPrEi17XfFUElbpUlAosDc
 これは2015年に、武漢P4実験室の研究課題について発表された論文です。 主な作者は中国科学院武漢ウイルス研究所、武漢大学のウイルス研究所の石正麗研究員です。    論文の内容から抜粋します。    「コウモリ体内から抽出されたコロナウイルスのSタンパクの中のACE2というスイッチを調節すると、すぐに人間に感染することが可能になります。そして、ゲノム編集技術でコウモリのSタンパクと、マウスの体から抽出されたSARSウイルスを人工編集すると、できている人工ウイルスが人間のアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)と融合して、人間の呼吸器の細胞を完璧に融合できます。    さらに攻撃力が強くて、この新型の人工ウイルスをマウスに感染させる実験をしました。マススの肺に大きな損害を与えて、すべての免疫力が効かなくなりました。次に猿(霊長類)に感染させました。これは人間に感染させるための模擬実験でもあります。」    この論文が掲載されたあとに、アメリカの生物学、医学業界が激震が走りました。医学者Declan Butler氏はすぐに同雑誌「Nature」で「(この実験は)人類にとって無意味な実験だ。リスクが高い」と猛烈に批判しのです。実は当時、中国のACE2編集技術はまだ力不足だったので、石正麗研究員がACE2編集技術の本場である、アメリカの北カロライナ州の医学チームと提携しました。
 2014年、アメリカCDC(疾病対策センター)が、この新型の人工ウイルスの研究が生物兵器に転用されるリスクを想定し、すぐに石正麗研究員と共同研究するのを中止し、当然ながら研究経費も停止しました。
 なぜ米国CDCは「リスクが高い」と認定したのでしょうか?下記論文が「Nature」誌で2015年11月に掲載されました。   https://www.nature.com/news/engineered-bat-virus-stirs-debate-over-risky-research-1.18787?fbclid=IwAR3DUjcRIlGF5_d6XOS4mm_ZlzWUwgGaHZZPYVp3_UaznsQWsftDU5EVQDY#/ref-link-2
 では、私(武小華研究員)が石正麗研究員と喧嘩する理由はここにあります。石正麗研究員は2019-nCoVの原始コロナウイルスを所有し、2019-nCoVに編集する技術を持っています。私の告発はここまでです。ただ、どういう経路で流出したか、私は把握してませんので、評論を控えさせて頂きます。    もともと実験の段階で人工編集ウイルスを処分しないといけないのに、残念ながら実験室の外に流出してしまいました。大量の感染者、死者が出てしまいました。    この災難の発生源を私達人間はすでに発見、把握しているにも拘らず、残念ながら消滅させることはできません。    石正麗研究員は『自分の生命で保証する』と豪語したのですから、武漢の一線の病院へ救援しに行って欲しいところです。
翻訳ここまで————————————————
●新型コロナウィルスは『日本人大量虐殺』のための生物兵器!?
 武小華博士が証明したのは、「コウモリから人間へ感染させるため、2019新型コロナウイルスに人工編集されたウイルス」のことです。しかし、このような恐ろしい、人類のモラル違反の研究はいったい何の目的で行われたのでしょうか!?ほとんどの外国生物学者、生物兵器研究者が「人間を大量虐殺するため開発途上の生物兵器」という定説がありました。  
 僕は武小華博士の告発に基づき、ひとつ重要な情報を調べました。    実はこのACE2タンパク(*注1)細胞に遺伝子配列を微調整すると、受容しやすい人種を指定することが可能です。分かりやすく例えるならば、ミサイルが攻撃しようとするターゲットをロックオンするような調節装置です。    国際組織「1000人ゲノムプロジェクト」(*注2)が発表した調査報告によると、2019コロナウイルスに発見されたACE2タンパク細胞は受容体(人種) によって、受容しやすい人種のランクが以下の通り発表されました:
1位 日本人 (東京) 2位 中国人 {漢族の南方人) 3位 東アジア人 (日中韓) 4位 ベトナム人 (ホーチミン市) 5位 中国人 (漢族の北京人) 6位 中国人 (雲南省シーサンパンナのタイ族)
以降は欧米人、中東人です。
 つまり、もしこれは本当に中国共産党、人民解放軍が開発途中の生物兵器ならば、大量虐殺するターゲットは「1位 日本人」だったのです!!因みに「2位 南方漢族中国人」は、反中共政府の中国人が南方に集中してます。    日本人を大量虐殺して日本の領土を乗っ取り、次は大量の中国移民を送り込みます。陰謀論では、今までチベット、ウイグルで行っている先住民への民族浄化、侵略行為と、戦略的に完全に一致してます。    今回のコロナウイルス対策に、アメリカとロシアはすでに軍事的に対応をしてます、米露が中国発の戦争と扱っている事実です。日本厚生労働省の仕事だけではなく、日本防衛省が実態究明するように研究、精査を進めるべきではないかと思います。 ———————— *注1ACE2細胞とは、Angiotensin-converting enzyme 2アンジオテンシン変換酵素2血管収縮、血圧を制御する役目のタンパク質です。
*注2:1000人ゲノムプロジェクトは2008���1月に始まった国際研究協力の一つで、ヒトの遺伝的多様性に関する、現時点で最も詳細なカタログを確立するためのゲノムプロジェクトである。 (出典:Wikipedia) ————————
【武漢P4研究室、現役研究員実名告発シリーズ】
●「新型コロナウイルスは人工編集のウイルス!?」武漢現役研究員の実名告発!《前編》https://vpoint.jp/world/china/154166.html ●「実験室から卵、豚、ネズミ不法に持ち出す」武漢現役研究員の実名告発!《中編》https://vpoint.jp/world/china/154242.html
●「武漢P4実験室・石正麗研究員の“コウモリ由来”はウソ」武漢現役研究員の実名告発!《続編》https://vpoint.jp/world/china/155641.html
14 notes · View notes
cardamomoespeciado · 4 years
Text
世界の要人が丸裸!中国が集めていた驚愕の個人情報
 (福島 香織:ジャーナリスト)  中国・深圳に拠点を置く国有系企業「振華数拠信息技術有限公司」(以下、振華データ)が世界の政界財界関係者、軍事関係者を含む240万人分の個人データを集めていたことが明らかになり、世界を震撼させている。すでに多くの専門家がそのデータの分析を進めており、データの入手方法や入手目的などについて議論が交わされている。 ■ 世界の要人、軍事関係者の個人情報を収集  オーストラリア放送(ABC)、英国デイリー・テレグラフ、インドのインディアン・エクスプレスなどが9月14日に報じたところによれば、北京大学滙豊商学院(深圳)で教鞭をとった経験がある米国人経済学者、フルブライト大学(ベトナム)のクリス・バルディング教授が、偶然このデータベースを発見し、告発した。  問題の振華データは2017年に設立したばかりで、深圳のハイテク産業が集中する同市南山区に本部を置いている。業務は海外のさまざまなデータを収集・分析し、中国国内機構に提供するというもので、オフィシャルサイトでもそのように説明されていた(この騒動が表沙汰になった後は、同社の公式サイトは封鎖されている)。  振華データのデータベースは通称「海外核心情報データベース」(OKIDB:Oversea Key Information Database)と呼ばれ、大きく人物データベース、機構データベース、コンサルティングデータベース、関連データベースの4つにわかれている。公式サイトでは、240万人分のデータがあると説明されていた。  このうち人物データベースには、全世界の軍部、政界、ハイテク業界、メディアの関係者、民間組織リーダーなどのデータがそろっており、彼らのツイッター、フェイスブック、LinkedIn、インスタグラム、TikTok、ブログなどの資料を合わせて個人カルテが作成されている。
 さらに機構データベースでは、世界各国の核心的機構についての情報があり、それが人物データベースとリンクされている。  報道を総合すると、振華データは中国政府および中国共産党、人民解放軍を主要顧客とし、世界の著名人の個人資料データベースを作ることを請け負っているという。  ネットセキュリティー専門家たちが、バルディング教授が入手したデータを調べたところ、米国のトランプ大統領、英国のボリス・ジョンソン首相、日本の安倍晋三前首相、オーストラリアのモリソン首相、インドのモディ首相など世界の要人および軍人、ロイヤルファミリー、財界人、芸能人らの詳細な個人資料が含まれていることもわかった。また知名度は比較的低いが、経営者、学者、社会運動家、犯罪者などの個人情報もあったという。 ■ 振華データは政府との関わりを否定  振華データの親会社は国有企業の振華電子集団で、本部は貴州省貴陽にある。貴州省といえば、ビッグデータ産業の新聖地として習近平の肝煎りで「貴安新区」が2014年に制定されたことを思い出す人がいるだろう。振華データの王雪峰CEOはもともとIBMに勤務し、かつて中国のSNS微信上で「データを利用した情報戦」を支持する発言をしたことがある。  BBCが振華データのサイトを通じて関係者に連絡をとったところ、「メディアの報道は無から有を作り出している」と述べて報道内容を全面否定した。またインディアン・エクスプレスによると、ニューデリー駐在のある中国外交官が匿名で「中国が、かつて企業や個人が保持している個人情報の提供を要求したことはないし、これからもしない」とコメントしている。ただし中国当局と振華データとの関係についてはノーコメントだったという。  当社は一民間企業であり、中国政府とも人民解放軍とも無関係であり、一般の商業行為に従事しているだけであり、メディアが歪曲して報道している、というのが振華データとしての公式の立場である。
■ ダークウェブサイトからも情報を入手か
 バルディング教授は昨年(2019年)、中国の大手ハイテク企業ファーウェイのリサーチを行う過程で、このデータベースを偶然見つけたという。最初は中国共産党の監視対象である運動家・活動家のデータだと思っていたが、調べていくうちに、対象が全世界の多種多様の要人であることに気付き、中国のネット監視やデータ収集能力、インテリジェンスへの投資とその影響力を過小評価してはならないと考え、告発を決心した。
 バルディング教授は振華データ関係者を通じて、データベースの複製を手に入れ、オーストラリアのネットセキュリティー企業「Internet 2.0」のロバート・ポッターCEOの協力を得てデータの中身を分析した。さらに世界各国、メディア、ジャーナリストに資料を提供し、報道するよう求めた。個人ブログサイトでも9月14日に声明を発表した。
 資料のほとんどは、ツイッターやフェイスブックなどの公開情報をもとに収集したものだったが、住所、電話番号、生年月日、職業履歴や家族構成、銀行口座の番号のみならず、中には銀行の取引記録や、診療カルテなど、非合法に入手したと思われる情報も含まれていたという。
 台湾・国防安全研究ネット作戦コンサルタント安全研究所の曽怡所長が米国の政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア」の取材に答えて、こうしたデータはダークウェブサイトを通じて入手した可能性がある、と指摘していた。ダークウェブサイトとは、閉じられたネットワーク上に構築された匿名性の強いサイトで、ハッカーたちがコンピュータウイルスやハッキングツール、あるいは麻薬や犯罪に絡む取引をしており、一部国家のインテリジェンス機関関係者も出入りしているという。特定の対象者に対するハッキングや情報収集にからむ取引もダークウェブサイトで行われているとされる。
■ 中国の情報収集力に世界が驚愕
 ABCによれば、振華データのデータベースは軍関係者の資料がきわめて興味深いという。例えば米国空母の軍官に関しては、特別に詳しい記述がある。このことから、このデータベースの主要ユーザーは人民解放軍だとみられている。
また個人単体の情報だけでなく、人によっては人間関係も詳細に書き込まれている。たとえばボリス・ジョンソンの資料には、彼の大学時代の友人や密接な関係をもつ人間の名前、来歴などもあったという。
 国別で言うと、米国人が5万人以上、英国人が4万人、オーストラリア人が3.5万人、カナダ人が5000人、台湾人2900人、日本人も500人以上が含まれている。
 またデイリー・テレグラフの調べでは、データベースには英国や米国の軍艦がいつどこに停泊するかといった情報も収集されていたという。さらに英国の国防・情報・航空宇宙関連企業、BAEシステムズのロジャー・カー会長の個人情報や、英国の宇宙産システム関連のサイトからダウンロードされた資料などもまとめられていた。
 ほとんどがネットの公式情報の寄せ集めとはいえ、通常の手段では入手できない情報も多数含まれており、中国の情報収集力とデータベース構築力に世界が驚愕している。
 英国保守党のボブ・シーリィ議員は「振華データのこうしたやり方は、個人の弱点を探し出すためだろう」とデイリー・テレグラフにコメントしていた。
 振華データの情報収集のやり方は、かつて問題視された選挙コンサルティング企業ケンブリッジ・アナリティカの強化版、という指摘もある。ケンブリッジ・アナリティカは、2016年の米大統領選や、英国のEU離脱(ブレグジット)を問う国民投票で勝利側が利用したコンサル企業として一躍注目されたが、フェイスブックを利用した情報収集のやり方にプライバシー侵害の疑いがもたれていた。ロシアンゲートの情報操作に関わったとの疑いがかけられたこともあり、2018年5月に破産申請し、業務停止している。
 フェイスブックのスポークスマンはBBCに対し、振華データの情報収集のやり方は、フェイスブック利用規則に違反しており、たとえ公開資料であってもこのような使い方は許されない、とコメントしている。ツイッターも「振華データとはなんら情報共有協議をしていない」と語っている。
■ 「政府による個人情報収集」を誰も止められない中国
 振華データのデータ収集のやり方は、たとえ営利目的の民間企業であっても当然問題があるのだが、やはり中国共産党政権下での国有系企業であるという点が、最大の懸念だろう。西側民主主義国家であれば、情報収集についても政府とメディアが牽制し合い、監視し合う関係にある。だが中国の場合、党と政府とメディアは一体であり、情報の悪用を世論によって監視する仕組みがない。
 理屈上は、政府がダークウェブから個人情報を収集すれば、メディアがスキャンダルとして暴き、世論によってその行為を正すことができる。逆にメディアが個人情報を違法に収集すれば、プライバシー侵害としてコンプライアンスとモラルを問われることになろう。
 シドニー科技大学の馮祟義教授はABCに対し、「中国には、ネット企業を含めていかなる企業も、すべての持ちうる個人情報を政府に提供することを義務付ける法律がある。中共(中国共産党)政権は統一戦線戦略を継続している。もし、あなたの個人情報が中共政権にわたり、あなたが反共的な思想の持ち主であるとわかれば、あなたを攻撃したり孤立さ���たりできるし、もし親共的な人物であると思えば、取り込む対象となり、党の代理人としてリクルートされるかもしれない」と語り、中国における個人情報データベースの脅威と影響力を指摘した。
 バルディング教授は、こうしたデータベースの存在は、中共中央と人民解放軍が民間ハイテク技術産業を利用して「超限戦」(非軍事的な要素を組み合わせた新しい戦争)の準備を進めていることの証左だと指摘している。こうしたデータベースが何をターゲットにしているかを調べていけば、中国のサイバー戦や国際社会における敵意の方向性がより明確にわかる、という。そう考えると、このデータベースがはらむ脅威はケンブリッジ・アナリティカどころの問題ではない、とも主張する。
 米国は国家安全を理由に、周辺国にも中国のインターネットや中国の科学技術を利用しないよう呼び掛け、ファーウェイはどこからも半導体供給を絶たれてついにスマートフォン事業撤退か、といった崖っぷちに追い詰められている。
 ファーウェイ製品には日本にもファンが多く、民間企業を政治的理由でここまで追い詰めなくとも、という同情論も耳にするが、振華データの問題をみると、中国企業に個人情報を預けることの恐ろしさを再認識させられる。
 やはり私たち西側の自由社会の住人は、中国共産党政権に支配されたハイテク企業とは共生できないのだ。
1 note · View note
cookingarden · 4 years
Photo
Tumblr media
ジェイ・ローチ監督『オールザウェイ JFKを継いだ男』 (その2:民主党全国大会から大統領選挙まで) 原題:All The Way 制作:HBO Films, アメリカ, 2016. 大統領選挙に立ち塞がる二つの難題 公民権法はなんとか成立に漕ぎ着けたものの、大統領選はあと4ヶ月に迫っていた。すでに共和党のゴールドウォーターは、1936年以来の保守派出身の大統領候補として活発な選挙活動を展開していた。対するジョンソンは"ALL THE WAY WITH L.B.J.(どこまでもジョンソンと共に)"の標語を掲げる。本格的に大統領選を開始するにあたりジョンソンは、「これまでとは異なる方法で闘う」と闘志を顕にしている。映画のタイトルはこのときの標語から採られたものだ。
この時点でほぼ同時に二つの問題が起きる。ひとつは、公民権運動「フリーダム・サマー」の活動家3人が失踪する事件である。最終的に3人は死体で発見されるが、殺害には3人をスピード違反で逮捕した白人警官のシーセル・レイ・プライス副保安官が絡んでおり、後にプライスがKKKの陰謀の片棒を担いでいたことが明らかになる。この経緯については映画でも簡明に表現されているが、事件の真相については引用文献13) に詳しい。 もうひとつは北ベトナムの空爆である。8月に入ってすぐ、国防長官ロバート・マクナマラからトンキン湾で駆逐艦マドックスが魚雷による攻撃を受けたとの情報が入る。だが、詳細を問うジョンソンに、マクナマラは明快な攻撃の証拠を示さない。確かに攻撃を受けたが被害はないという。だが、マクナマラは大きな問題があるという。いったい何が問題なのかとジョンソンが詰問する。マクナマラは「攻撃された場合、空爆する決まりになっています。残念ながら、この情報が漏れてしまいました。」という。 すぐにジョンソンは、これは国内問題に発展すると気づく。空爆しなければゴールドウォーターが「弱腰だ!」と突いてくるのは間違いない。それに世論が応じれば選挙には大きな痛手になる。だが、攻撃を受けた確たる証拠はない。ハンフリーは「確信を得てから攻撃すべきです。」と空爆を思い止まらせようとする。しかし、ここでジョンソンは苦渋の表情でマクナマラに空爆を命じる。「やれ。」これが事実上の北ベトナムに対する宣戦布告になったと言われている。14) この決定の直後ジョンソンは、彼に反対したハンフリーに「ゴールドウォーターが勝てばソ連との世界大戦がはじまる。貧困や公民権問題も忘れられる。わたしはこの国を変えたいんだ。君を副大統領にと考えた自分がバカだった。お前は慰めにもならん! 選挙の年なんだ!」と罵声を浴びせている。
公民権活動家殺害事件が生んだ新党 最初に起きた公民権活動家3人の殺害事件は、大統領選に大きな影響をもたらす。少し詳しく経緯を辿っておきたい。 被害にあった3人は、KKKによって放火された教会の調査に向かうところだった。その彼らが殺されたことで、白人への抗議はかつてない高まりを見せる。黒人の意見を議会に反映させる必要性が叫ばれ、南北戦争以来はじめてといわれる非差別・非排他的な新党MFDP(Mississippi Freedom Democratic Party:統一ミシシッピ州自由民主党 )への議席獲得運動がはじまる。キング牧師はMFDPの代理人に就任する。 これはジョンソンにとって頭痛の種だった。地元テキサスの知事ジョン・コナリーが、もし黒人に議席を与えれば、南部の多くの州が民主党党大会から退席すると通告してきたのだ。民主党全国大会は民主党が正副大統領の指名候補を選出するための大会である。ここで南部の党員が退席すれば、ジョンソンは大統領候補者の指名を得られなくなる。 ちょうどそのとき、MFDP副代表の黒人女性ファニー・ルー・ヘイマーが、1963年に彼女が有権者登録をしようとして受けたひどい仕打ちについて、会場のテレビカメラの前で証言しようとしていた。テレビ中継がはじまり、人間の尊厳を顧みない、人道にもとる暴行が語られる。ヘイマーは、「いったい、ここはアメリカなのでしょうか」と、悲痛な訴えを行う。 この訴えがリベラル派の支持を集め、南部の党員に不快感を与えれば彼らは退席してしまう。テレビの前で危機感を募らせたジョンソンは、自ら会見を開き党大会のヘイマーの会見から人々の目をそらすことを思いつく。内容などどうでもよかった。すぐに準備を整え、ヘイマ一の会見に大統領の会見が割り込む。へイマ一にしてみれば酷い話だ。 ジョンソンは記者団を前に、「副大統領候補は誰になるのか? この件は間もなく決定します。」と発表する。たったそれだけの会見だった。呆気にとられる記者たちの表情が捕らえられている。黒人の権利を尊重しながらも、ジョンソンがいかに選挙戦を重視していたかがわかる。 だが、黒人の議席を求めるMFDPの要求は収まらない。考えた挙句ジョンソンは、黒人と白人にそれぞれ1議席を与えるアイデアを思い付く。その上でジョンソンは、これまでハンフリーを利用してきた全米自動車労働組合のウォルター・ルーサーに「このまま党大会が荒れればハンフリーの将来はない、そうなればお前らの利権は断たれるぞ。MFDPをなんとかしろ。」と脅しをかける。 ルーサーはハンフリーとの政治的な繋がりを利用し、組合を通じてMDFPに資金を提供してきた。利権を失いたくないルーサーはキング牧師と面会し、譲歩しなければ援助を打ち切ると伝える。組合からの援助がなくなれば、MFDPは街頭募金に頼るしかない。それでは組織が維持できない。キング牧師は2議席の妥協案を受け入れようと仲間を誘う。これにたいし、SNCC(学生非暴力調整委員会)の指導者ボブ・モーゼスは「大農場の白人経営者みたいな決め方だ」と批判する。キング牧師は「わたしは100年に一度のチャンスをムダにしたくない」と反論するが、話し合いは物別れに終わっている。 投票権のときもそうであったように、ここでもキング牧師はジョンソンの考えを支持している。キング牧師の活動に理解を示した大統領といえばケネディの名前があがることが多いが、この映画からは、実際に考えと行動をともにしてきたのはジョンソンだったと思えてくる。 寝室で行われた民主党全国大会の舞台裏 結果的に党大会では、MFDPに2議席を与えるという決定に反対したミシシッピとアラバマの代表が退席する。ジョージア州知事カール・サンダースからも、自分たちも退席すると電話がかかってくる。いまにも南部の全州が党大会を抜ける勢いだ。このときジョンソンは、会場から電話で「黒人に議席を与えれば党大会は乗っ取られます。これは信条の問題です。」と訴えるサンダース知事に、次のような説得を行う。(ジ)はジョンソン、(サ)はサンダースである。
ジ「黒人たちも民主党員なのに州大会を締め出された。」 サ「登録していないからです。」 ジ「登録させないんだ! 殴ったり銃で撃ったりして。」 サ「一部の白人の話です。」 ジ「カール、いまどき古いやり方をしていたら政治の世界では生き残れない。黒人を食い物にするのはやめるべきた。」 サ「��統領こそ、あの黒人たちを追い出さないと・・・」 ジ「分からないか!! 君こそ決断すべきだ。キリスト教徒だろう。聖書の言葉を心に刻んでいないのか。君の政治信条は? ジョージア全州民の生活を改善したくないのか?  サ「それは・・・」 ジ「君も男だろう。正しいと思うことを貫くのが男だ。それとも逃げ出すか。わたしを脅しても無意味だ。退席したいなら、早く出て行け! 違うなら──わたしの標語が書かれた帽子をかぶって、そこにいてくれ。会場で会おう!」
ここでもジョンソンは、自分が考えることを相手が自分の身で考えるように相手を誘導している。受話器を置いたサンダースはその場に止まる決断をする。これらのやりとりはすべて、ジョンソンの寝室から、パジャマ姿で電話を通して行われている。だが、会場で興奮状態にある相手を電話で説得するのは大変なことだ。 電話のあと疲れ果てて横になり、「オレはもうダメだ。バード、君はいつも逆らう、ヤツらと同じだ。放っておいてくれ。」と子どものように拗ねるジョンソンに、バードが「お断りよ。わたしを見て。あなたは世界一勇敢な大統領よ、党大会でもこの国でも。わたしの夫はダメ男じゃない。」と声を掛ける場面がある。映画とはいえこの二人の姿には、この男は国民からも愛されていたのだろうと思わせる妙な生々しさがある。 こうして、ジョンソンは民主党の大統領指名候補として選出される。副代表候補は、もちろんハンフリーだった。 大統領選を有利にしたジョンソンのメディア戦略 民主党の大統領候補者指名は獲得したものの、選挙戦に出遅れたジョンソンは苛立ち、巻き返しを図る。大統領選挙の当日11月3日まであと27日に迫った日、ジョンソンは広報ビデオの最終確認を行う。これまで観たこともない映像だ。ビデオを観終わったジョンソンは直ちに「すぐ放映しろ」と指示し、もう一度見せるように言っている。それは彼にとっても印象の強い映像だった。 原爆実験の映像を使ったこのテレビCMは、日本人のわたしには受け入れがたいものだ。しかし、映像は批判的な意図で使われたようだ。Wikipediaには、ゴールドウォーターがベトナムで核兵器を戦術利用すると発言したのを批判したものだとある。15) そしてこのビデオは、何よりも当時のアメリカ人に絶大なインパクトを与た。 「雛菊の少女」と呼ばれるこのテレビCMについて、国際政治学者の松本佐保氏は、『熱狂する「神の国」アメリカ』のなかで次のように書いている。16)
(「雛菊の少女」は)平和な雛菊の花畑が、核爆発の画面に切り替わるもので、タカ派の共和党が政権を取れば核戦争が勃発すると仄めかしたこのキャンペーン用CMは、キューバ・ミサイル危機の恐怖冷めやらぬ国民に、絶大なインパクトを与えた。大統領選での一般投票では、ジョンソンが六一・一%もの票を獲得し、ゴールドウォーターの三八・五%に大きく差をつけて圧勝したのである。(Kindle の位置No.1214-1217)
松本氏によれば、テレビCMによる民主党のネガティブ・キャンペーンで大きな敗北を期した共和党は、その後メディア戦略を見直しメディアの効果的な活用に目覚めたという。現在では主流となっているSNSの政治利用も、源流は1964年に登場したこの「雛菊の少女」にあるのかもしれない。 圧倒的勝利となった大統領選挙 いよいよ選挙戦の終盤となり、ジョンソンはルイジアナ州ニューオルリンズの党大会で演説にのぞむ。共和党候補ゴールドウォーターの支援者で埋め尽くされた会場は、「頑張れゴールドウォーター!」の叫びで包まれている。ジョンソンは「なんで民主党の集会でゴールドウォーターなんだ。」と渋面を浮かべながら壇上に上がり、「南部の皆さん聞いてください」と切り出す。 ちょうどこのときキング牧師は、10月14日に発表があったノーベル平和賞の祝賀会で演壇に立っていた。17) キング牧師は静かな口調で、いまも続く黒人への厳しい差別の現状を訴える。
わたしは公民権運動を代表して、この賞をいただきます。公民権運動は、自由と正義の国をつくるための運動です。暴行され、殺された仲間が後を絶たない。だが、わたしには確信がある。すべての人が、尊厳と平等と自由を享受できるはずだ。
一方の党大会ではジョンソンがこう訴える。
よそ者が人種差別だと騒ぎ立て、南部の人間を分断しようとしているという。だが、皆さんが手をとれば南部はもっと良くなる。それなのに、選挙になれば『ニガー、ニガー、ニガー』の憎しみにあふれている。だがわたしは、偏見を訴え騙すものを許さない。わたしたちは公民権法を手に入れた。わたしはこの法律を執行します。なぜなら、それが正しいことだからです。
このカットバック場面は、ジョンソンとキング牧師の二人がともに思いを重ね手を取り合えたことが、互いの念願だった人種差別の克服に貢献したことを伝えている。二人が共に口にしている公民権法の成立、そしてノーベル平和賞がその具体的な成果である。ジョンソンの演説する姿が選挙戦に勝利する前なのは、大義の成就を約束する未来への予言的な意味あいなのだろう。 そしてついに1964年11月3日、大統領選挙の日が訪れる。テレビが開票速報を伝える。これまで民主党の牙城だったジョージア州では共和党が勝利したことが伝えられる。しかし、南部ではジョンソンが追い上げている。そして夕刻、ニューヨーク州での投票が終わる。 そのころすでに夜になり、地元ジョンソン農場では勝利を確信した人々が集まり、祝賀ムードに包まれていた。その喧騒のなかテレビがジョンソンの勝利を伝える。
リンドン・ジョンソンが次期大統領に選出されました!
人波のなかでジョンソンが叫ぶ、「当選したぞ、バードを呼んでくれ! バードはどこだ?」その背後からバードの声がする。「いつだって、後ろにいるわ」と。当選と同時に妻の名前を叫び、背後から声を掛けるバードの姿に、共に戦ってきた二人の姿が滲み出ている。 開票結果は記録的なものだった。ジョンソンは50州のうち44州とコロンビア特別区を制する大勝利を収めた。ラッセルの地元ジョージアは共和党が勝利したが、共和党保守派は拒絶されたことになる。さらに、ジョンソンは一般選挙で61.1%の得票率を獲得した。これは1820年以降の大統領候補者が得た最高の得票率と言われている。18) こうして1964年は、7月の公民権法の制定、10月のキング牧師のノーベル平和総受賞、そして11月の大統領選での民主党ジョンソンの圧勝という歴史的な変化が、アメリカの政治と国民の意識に刻まれる年となったのである。 悲劇を招いた北ベトナム空爆 しかし、ジョンソンがケネディから引き継いだのは公民権法だけではなかった。公民権法が山場を越えたあと、大きな問題として残されたのがベトナム戦争だった。 ジョンソンは人種差別の克服に大きな功績を残したが、同時にベトナム戦争の拡大をもたらした大統領でもあった。ジョンソンは選挙戦のさなか北爆を命令する。前述のように、このときマクナマラから伝えられた情報は不確かなものだったが、ジョンソンは選挙戦で不利になることを恐れ攻撃の道を選んだ。その判断は正しかったのだろうか。映画にはその後日譚が微妙なタッチで描かれている。 当選が伝えられ祝賀気分に包まれるジョンソン農場には政府の高官たちもいた。祝賀会が中盤に差し掛かったころ、ラッセルとの電話が終わるジョンソンを待つマクナマラの姿があった。マクナマラは「こんなときですが、お詫びがあります。」と、サイゴン(現在のホーチミン)大使館から届いた報告書を手渡す。 映画に描かれているのはこれだけだが、マクナマラが口にした「お詫び」は、8月にマクナマラが報告した魚雷の攻撃が間違いだったことを暗示しているように見える。映画からはその具体的な内容を窺い知ることはできないが、北爆がその後も激化していくことを考えれば、当選祝賀会の夜にこのような形で何か決定的な「反省」が伝えられたとは考えにくい。はたしてこの場面は史実なのだろうか。 映画の範囲を超えるが、この話は4年後のいわゆる「トンキン湾捏造事件」へと発展する。ペンタゴン秘密文書の公開により、攻撃がホワイトハウスで仕組まれていた事実が明らかにされるのだ。ジョンソンが議会に提出し採択された「トンキン湾決議」自体も取り消された。 公民権法で人種差別の解消に務める一方、それを実現するための政治判断が事実の捏造にもとづくベトナム戦争の拡大だったことは大きな矛盾だった。もちろんジョンソンには、もし攻撃を思い止まったことで選挙に負ければ、ゴールドウォーターが世界大戦の口火を切るとの思いがあった。しかし、歴史の事実に「もし」はない。ジョンソンは大きな汚点を残すことになった。 このことは、ジョンソンの政治生命に大きな影響をもたらす。ジョンソンは1968年3月31日夜、次の大統領選挙についてテレビ演説を行い、次の考えを述べたという。6)
アメリカ軍の兵士たちが遥か彼方の戦場にいて、アメリカの未来が国内で危機に瀕し、全世界が平和を願おうと、毎日が不安定な状態にある時、私は自分の時間の1時間、1日たりとも、1個人・1党派の目的追求のために捧げるべきではないと考えます。大統領という大きな義務以外の如何なるものも、自分の時間を捧げるべきでないと信じます。
したがって私は次期大統領候補として、民主党の指名を求めることも、受諾することもありません。
この大統領選挙不出馬の表明は、ベトナム戦争の失敗により、国民との信頼関係が持てなくなったことを表している。その前年の1967年11月には、マクナマラ国防長官が辞意を表明している。さらに、追い討ちを描けるようにテレビ演説の4日後の1968年4月4日、キング牧師が凶弾に倒れる。不出馬を表明したころのジョンソンは想像を絶する悲劇のなかにいたことだろう。映画に描かれた4年前とは状況は様変わりしたのである。このころのジョンソンが映画に描かれることはないだろう。 こうしてジョンソンは、1963年11月22日にケネディ暗殺により大統領に昇格したあと、1969年1月20日を最後に第36代アメリカ大統領の政治人生を閉じた。在任期間は5年と59日だった。それから4年後の1973年1月22日、ジョンソンは永眠した。64年の生涯だった。死因は映画のなかでも持病として描かれた心疾患によるものだった。 プライバシーに見るジョンソンの現実主義と映画のスタンス 本稿を終える前に、この映画のもう一人の重要な登場人物、首席補佐官のウォルターについて触れておきたい。ウォルターは補佐官として常にジョンソンに仕える人物として描かれている。ほとんど使い走りやなだめ役のような描き方であり、政策決定に影響するような会話もない。しかし、ジョンソンからの信頼は厚く、ウォルターは25年間をともにする家族のような存在だった。補佐官として、実際にはジョンソンに影響を与えたと思われるが、映画にはそうした描写はない。 そのウォルターが大統領選挙を目前に、突然、風俗犯罪取締官によって逮捕される。YMCA(キリスト教青年会)の男子トイレで陸軍の軍人と共に捕まったというのだ。当時としてはこれは「事件」だった。ジョンソンは、すっぱ抜かれたら選挙に不利になると考える。報告に来たFBI長官のフーバーはもみ消しを口にするが、ジョンソンはそんなことは当てにならないとして、健康上の問題を理由にウォルターを辞任させる。 なぜ25年も一緒にいて気づかなかったのかと落胆したジョンソンは、フーバーに「どうやって見分けるんだ、その性癖を」と尋ねる。フーバーは「独特の気配り、物腰、服の着こなし、髪の整え方、歩き方も違う」と答える。そのフーバーに「君がいうなら・・・本当だろう」とつぶ��くジョンソンの視線に釘付けになり、息を飲んでジョンソンを凝視するフーバーの表情がリアルだ。 この場面は、フーバーの性癖を知る者にユーモアを誘うが、実話であるウォルターの描き方も含め、この映画は登場人物のプライバシーを笑いものにはしていない。妻のバードは、ウォルターはいまや敵だというジョンソンに、「あなたは間違っている。わたしは友達が大切なの。これから声明を出すわ。」とキッパリと反論してみせる。こうした描き方は2016年に制作された伝記映画がプライバシーを扱う際の、ひとつのスタンスなのだろう。 映画の描写はここまでだが、ウォルターに関するWikipediaによれば、逮捕の翌日には大統領補佐官の逮捕は一面トップのニュース記事となり、ウォルターは一躍全米で知られる人となった。19) しかし、ジョンソンの心配をよそに、選挙への悪影響はほとんどなかったようだ。20) ジョンソンは選挙を気にしすぎるあまり、ウォルターに大きな犠牲を背負わせたことになる。ここには、情報が不確かなまま北爆を選んだときと同じ構図がある。 キング牧師の性癖も描かれている。キング牧師は女好きで複数の愛人がいたことが知られているが、21) 映画ではその内実がFBIによって盗聴され、テープに記録された情交の様子が脅しに使われる場面が描かれている。フーバーは自らの性癖を隠しながら、他人のそれを攻撃していたことになる。フーバーはその録音テープをジョンソン聴かせながら、「不貞を働くなど、とんだ偽善者です」と逮捕をそそのかす。しかしジョンソンは、「南部の牧師が聖歌隊と懇ろになるとはな」と笑って茶化しながらも、「妻一筋でない政治家や聖職者を逮捕していたら、誰もいなくなる」とフーバーの考えをいなしている。 これは、ジョンソンの大らかさや寛容さによるものではなく、キング牧師を逮捕すれば公民権法の制定には不利になるという判断からだ。ジョンソンは自分の信念の前にはどこまでも現実主義を貫く人物だったことを伺わせる。そのジョンソンの姿勢は公民権法制定の原動力となったが、同時にベトナムに戦禍をもたらし、近親者に不幸をもたらすものでもあった。 映画『オールザウェイ』を振り返って 以上、史実を補足しながら、本作がどのように当時の状況を描いているかを見てきた。振り返って思うのは、1964年にリンドン・ジョンソンが経験した一年間の驚くべき濃さである。その濃密さは、ジョンソンという人物の情熱と、公民権法の重い希望から生み出された。 リンドン・ジョンソンという名前を聞いて、アメリカの大統領の一人だと思い出す人は少なくないだろう。しかし、リンカンやケネディ、最近ではオバマやトランプなどの大統領に比べ、その印象は薄いのではないだろうか。わたし自身そうだった。しかし、この映画はその必ずしも目立たない一人の昇格大統領が、公民権法制定の真の立役者だったことを教えてくれる。 映画『オールザウェイ』に描かれた公民権法制定の舞台裏は、アメリカの政治が人種差別問題にどのように取り組んできたかを知る貴重な記録だと思う。それが貴重であるのは、完成した法律の条文だけではわからない、社会の事情や人が心に抱く動機が描かれているからだ。私たちはそうした人生の経験なしには何事も生み出せない。 ジョンソンを人種差別の克服に駆り立てた原点は、青年時代の教師体験にあった。その動機を妻のバードや補佐官のウォルターは側で支えた。そして、キング牧師との共闘は動機に社会的な広がりをもたらした。こうした事情は映画を通じてこそ知ることができるものだ。 その一方で、公民権の法制化は人種差別克服の動機に具体性を与え、劇的な効果をもたらした。本文で示したように、法制化によりアフリカ系アメリカ人に白人と同等の権利がもたらされ、彼らの社会進出が拡大した。これは事情や動機だけでは実現できないことだ。 しかし、法制化がそれほどの効果をもたらしたにもかかわらず、半世紀以上が経過したいまも人種差別は一向に解消される様子がない。そのことについて本田創造氏は前掲書のなかで次のように書いている。8)
「黒人問題」は、すでに詳しく述べた公民権運動の数々の輝かしい差別撤廃の成果にもかかわらず、依然として解決されていないということである。(…)黒人大衆の経済状態は、最近では、むしろ悪化さえしている。それは、かれらの存在そのものが、最高度に発達したアメリカ資本主義の重要な存立基盤のひとつとして、この国の社会経済機構の中に差別されたかたちで構造的に組み込まれているからである。 (Kindle の位置No.2903-2908).
本田氏が指摘する構造的差別は、本ブログで紹介した映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』の「その2」で詳しく取り上げたように、例えば警察の収監システムなどを通じて1980年ごろから顕在化してきた。ここで注目したいのは、ジョンソンが行った取り組みのあとまた別の政治的な動機が芽生え、それが公民権法では防げない制度となり、新たな差別が生まれたことである。 重要なことは、差別とその解消はともに人の動機から生まれ、制度となって社会経済的な影響を発揮することにある。動機がある限り、それに実効性を与える仕組みが生まれてくる。そうであれば差別の解消には、差別する動機をなくする取り組みが必要になる。 しかし、現実の経済システムは差異を前提に成り立っている。マルクス・ガブリエル氏が指摘するように、わたしちは「エコノミークラスの席にたどり着くために、ビジネスクラスを通過しなくてはならない」世界に住んでいる。22) それによって消費を動機づける憧れが作り出せるからだ。わたしたちがこうした差異を当たり前のように消費している限り、人を差別する動機の解消はむずかしい。 だが、ジョンソンは大統領に昇格すると同時に、人どおしの差別を無くすことを心に誓った。ジョンソンが差別意識から自由になれたのは、小学校の教師だったころの体験の純粋さによるものだろう。しかし、そのジョンソンさえもが選挙にのめり込み矛盾を抱え込むことになった。残念だが、ひとりの人間が完璧であることはできないということだろう。 映画『オールザウェイ』からわたしは、差異の多くにはバイアスが掛かっていることを学んだ。そして、差異からバイアスを取り除いたとき、私たちの体験は純粋な体験に近くことができることも。人間には多様性がある。しかし、ベルトラン・ジョルダン氏が指摘するように、生物学的に「人種は存在しない」。23) ジョンソンがそうであったように、人としての純粋な動機を見失わないように、差異のバイアスから自由でありたいと思う。映画『オールザウェイ』は、その努力が新たな「正しいこと」につながることを教えてくれた。映画に感謝したい。 (その1:ケネディ暗殺から1994年公民権法成立まで) (その2:民主党全国大会から大統領選挙まで)
参考資料
Tumblr media
引用文献 13) アメリカンセンター Japan, 前掲資料, p.48. https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2015/11/wwwf-pub-freeatlast.pdf 14) 世界史の窓「トンキンワン事件」 https://www.y-history.net/appendix/wh1603-065.html
15) Wikipedia 「1964年アメリカ合衆国大統領選挙」 https://bit.ly/2EMrCr0 16) 松本佐保『熱狂する「神の国」アメリカ』文春新書, 文藝春秋, 2016. 17) 正式にノーベル賞が授与されるのは12月10日の授賞式のとき。 18) Wikipedia「1964年アメリカ合衆国大統領選挙」 https://bit.ly/2EMrCr0 19) Wikipedia "Walter Jenkins" https://bit.ly/3i4rX6y 20) Al Weisel "LBJ's Gay Sex Scandal". Out Magazine, 1999. https://bit.ly/32ZFHJD 21) 辻内鏡人, 中條献『キング牧師』岩波ジュニア新書221,  p.205. 22) マルクス・ガブリエル, 中島隆博『全体主義の克服』集英社新書, 2020, pp.186-187. 23) ベルトラン・ジョルダン『人種は存在しない』中央公論新社, 2013.
1 note · View note
alog4 · 2 years
Quote
韓国政府はこのような事件があったという事実そのものを認めない立場だ。これに先立ち��府側弁護人は「韓国兵士に偽装した南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)が行ったこと」「たとえ韓国兵士が犯したものであっても、戦争中なので容認されうる状況」と主張した。
【中央日報】「住民を銃殺した韓国兵士を見た」 ベトナム戦争虐殺被害者、初めて法廷で証言 =ネットの反応「これベトナム人だけやなくてアメリカ軍からの証言もあるからねぇ」「被害者の証言は何よりも尊いらしいから、さあ手本を見せてもらおうかw」 - アノニマス ポスト
0 notes
metal-cn · 9 months
Text
だがね。CCP、やりたい放題も許容したり、忘れてはなるまい!ベトナムで、CCP習近平総書記、次々に行事欠席?西側メディア!まあ、どう都合悪いんか?どうかやね。
CCPと露方は世界を振りまわしたいだけ、そうしとるけんね。それも決して許容してはならへんし、忘れてもあかんやろね。CCP、手下的?ベトナムで、やりたい放題なのか?まあ、それは外交的非礼にさえ、通例は当たりうるがね。但しベトナムが煮え湯を飲まされている格好でも。ベトナムとしても、その国際的立場をはっきりさせる時やろね。いつになったらCCPとのヘンテコな関わりを断てるか。まさに国民国家として、真に自律的なものと成りうるのか。半永久的に、従属的であるべきなんかね。CCPに。
0 notes
ktakeuchi · 3 years
Text
中台戦争の中期シナリオを考えてみる。
このシナリオは数ヶ月から1年ぐらいの戦争期間のものだが、これは意図してこうなったのではなく、中国がへまをしてこうなるものだ。
中国が意図しているのはあくまで短期シナリオだろう。1日から数時間、もしかすると数十分というシナリオだ。サイバー攻撃、ピンポイント爆撃、空挺やドローン、多方面同時侵攻で、瞬間的に台湾を制圧してしまい、気がついたときには人民解放軍が台湾全土に進駐しているというものだ。台湾に米軍基地はないので、こうなってしまえばアメリカは台湾に強襲上陸を仕掛けなければならなくなる。いくらアメリカの海兵隊と空母機動部隊が強いとはいえ、それは無理だ。しかも台湾は中国本土ではないとはいえ、アメリカよりは中国に文化的にも歴史的にも民族的にも近い。そうなってしまえば、その先はどうにでもなる。
だから中国はこれを目指すだろうけど、問題はこれは難易度がとても高いということだ。難易度が高いというよりゴールが果てしなく高い。ほぼ勝つことはできるだろうが、完全に勝たなくてはいけないからだ。100点満点以外は落第という試験を受けるようなものだ。これは、無理だ。100点を取る実力があっても無理だ。
なので、80点は確実に取る。95点ぐらいは取れるかもしれない。しかし100点は取れなくて短期決戦には失敗するというのが、短期シナリオの結果であろう。
このとき戦争は中期シナリオに移行することになる。その中期シナリオはどういうものになるかを考えてみたい。
中期シナリオというのは、台湾の瞬時完全占領ができずに、米軍に「ブーツを濡らさずに」台湾に上陸させてしまうことである。こうなると戦闘は陸軍の戦いとなる。台湾をどう分割するかは問題ではない。戦うのは陸軍だが、本当の戦闘は海軍だからだ。
地理的なことや島の何割をどちらが支配しているかは大した問題ではないが、イメージしやすくするために、花連など東海岸の一部を台湾政府と米軍が支配しているとしよう。
状況としては国連軍が釜山だけ確保していた頃の朝鮮戦争に似ている。半分は当たっている。半分は違う。違うのは、台湾は地続きではないことだ。
花連正面で大量の陸軍が対峙する形になる。海を超えてここに補給しなければならないと言う意味では中国と米国は同じである。
(策源地からの距離が違うが、それは日本がどう出るかに大きく左右される。これは後述する。)
こうなると、中国の相対的な海軍力の弱さが問題となる。確かに中国海軍は弱くない。しかし元々の物量が違う。
中国軍は台湾海峡を渡るのに随分と苦労することになるだろう。多くの船舶は沈められてしまう。空輸は分からない。中国もさすがに台湾海峡上空の制空権までは簡単にはなくさないだろう。しかしならば、アメリカは空輸ではまかないきれない前線負担に積み増すだけである。
これを避けるには中国海軍は台湾の裏側、すなわち太平洋に艦隊や潜水艦を出して、米軍の細長い補給路を断つしかない。しかしこれはさらに難易度が高い。
日本人はこれをよく知っている。これは日中戦争のやり直しだ。陸軍が中国奥地に引きずり込まれ、その後ろに臍の緒のような補給路が繋がっているので下せない。だから回り込もうとしてさらに戦線を拡大し、さらに各個撃破される。
そして太平洋戦争のやり直しでもある。補給路を絶たれ、前線に兵を送れず、本土に物資が入ってこない。
当然ながら南シナ海は米軍に遮断され、中国本土への物資は止まる。南シナ海だけでなくてもインド洋でも北太平洋でもあらゆる場所で。中国はそれを全部守るための軍隊を持っていない。しかし無視もできないので中国はなけなしの海軍を割かねばならず、台湾海峡、西太平洋、南シナ海及びインド洋に、絶望的な兵力分散を強いられるだろう。アメリカは、そしてその同盟国はこの海上封鎖作戦に嬉々として自国海軍を投入するだろう。
中国はこのとき、非常にまずい。
1
国内の急速な弱体化。オーストラリアからの石炭が止まっただけでも、冬場の暖房がないレベルの恐慌を引き起こした。世界経済から遮断された状態での中国の継戦能力はかなり低いと見ていいだろう。これを乗り越えるために中国は国内の弾圧とロシアへの依存を強めなければいけない。しかしそれは、悪手そのものである。
2
政府の求心力の低下。勝つつもりでやらなくてもいい外征を仕掛けて、にっちもさっちもいかない状況に陥ってしまった。挙げ句にインドやオーストラリアどころかインドネシア海軍あたりにも狩られる。そして自分たちは冬の暖房もない。株価や不動産などはとうの昔に崩壊した。強さと豊かさを正統性としてきた政府は見限られるだろう。
3
国内政治の混乱。外敵と戦っているのだから、その意味の正統性はある。そもそもこの状況を外敵と戦っていると言うのは大日本帝国が侵略されたから自存自衛のために戦っているというぐらいに無理があるが、もうそういう体でおしすすめるかない。
これって、夷狄が本土侵略でもしてくれればまだ話は楽だ。防衛戦争だと言い切れるから。しかし米帝とその傀儡はそんな馬鹿なことは���ない。本土には指一本触れないし、ミサイル一つうちこまないだろう。
このときなまじ決戦兵器があるのが良くない。まだ中国にはICBMがあるし、空母機動部隊を一撃で倒せる地対艦弾頭ミサイルがあるはずだ。これを使うべきだという派と、これを交渉道具として限定的に使うべきだという派と、これを使うべきではない派が、三つ巴で血みどろの抗争をすることになる。どれも正しい上に、どれでも当初の戦争目的を達成できないのだから、この闘争には答えが出ない。
こうなるともう中国には勝ち目がない。開戦後数ヶ月でこの状況に陥り、そこから1年ぐらいこのゴタゴタが続くだろう。願わくば花連正面の対峙が兵力の積み上げ合いのにらみ合いで終わり、第一次世界大戦のような悲惨な消耗戦にならなければ良いのにな。
短期シナリオが完全勝利で終わらなかった段階で、中国の指導者たちはこうなる未来を読むだろう。だからそもそも短期決戦にも挑まない、というのが、一番ありそうなシナリオだと思う。中華人民共和国の指導者たちは大日本帝国のそれほどアホではなかろうから。
しかし大日本帝国がそうであったように、誰もじつは望んでいなかったのにそうなってしまうことというのはある。
その時にこの悲惨な中期シナリオを回避する方法が一つだけある。それは中華人民共和国の歴史にある。中越戦争だ。
1979年、中華人民共和国はベトナムを侵略した。結果は惨敗である。中国自身は勝ったと言っているようだし、ベトナムも大人の事情を考慮して戦勝を声高には言っていないが、公平に言って中華史上稀に見る大惨敗であり、それ以上にみじめな負け方である。
この戦争については文革後の国内混乱とか指揮命令系統の混乱とか実戦経験の差とか国内政争の影響とかいろいろ言われるが、本質的には戦争目的の曖昧さが敗戦の原因である。負けたあとに懲罰戦争などという大日本帝国だって言わないような詭弁を繰り出したが、こんなものは話にもならない。
かろうじて推測できる戦争目的は同盟国民主カンプチア(ポル・ポト政府)を救うために、北で攻勢をかけて南から引き上げさせるということだか、杜撰もいいところであり、だいいちその目的も達成できなかった。民兵が頑強に抵抗している間にカンボジアに侵攻していた主力軍のサイゴン〜ハノイ1700km大返しを成功させるという、豊臣秀吉もドイツ参謀本部もびっくりな作戦を成功させてベトナムの赫々たる戦歴に新たな1ページを飾っただけだった。
しかし、戦争を戦闘レベルではなく政治レベルでみると、負けて勝つはいいすぎだが、寝技に持ち込んだと言える。ぬけぬけと懲罰戦争などと言って、さっさと撤退してしまったからだ。
これは簡単に言うが大変なことである。ソ連は出てこなかったし、アメリカもその他の西側諸国も動かなかった。その後の中国から見たときのベトナムは、たいへんやりにくい国ではあったにせよ、お互いにその胆力を認めあったと言って良い。よくあの惨めな敗戦からここまで持っていったものだ。やはり鄧小平はすごいと思う。
だから、短期決戦で勝てると思って台湾に軍事侵攻して実際には勝てなかったときに、鄧小平と同じような寝技を使える政治家が中国にいれば良い。台湾はほぼ占領したが完全占領はできなかったという場合に、アメリカが出てくる前に、これは懲罰だった(名目は何でもいいけど)と言って撤退して、親中政権の樹立と民主主義の廃止と中国の衛星国化ぐらいで手を打って、アメリカその他の顔も適当に立てて、彼らに「中国が本気を出せばこれどころじゃないぜ。でもそこまでやらなかったけどな!」と考えたと思わせる、あたりで手を打つ。
これなら中期シナリオは何とか勝利で収められるだろう。中越戦争における中華人民共和国の勝利のような胡散臭い勝利だけど、胡散臭くて何が悪い、と鄧小平なら言うだろうな。黒猫でも白猫でも。
だけれども問題は今の中国に鄧小平がいなかった場合だ。というかあんな政治家がそんなにそこらへんにごろごろしているものてはない。もしそうなら大日本帝国は連戦連勝だった。いつまでもあると思うな伊藤と鄧。
花連正面で陸戦は膠着し、シミュレーションゲームじみた戦力が対峙している。
中国は辛うじて台湾戦線を維持する程度の兵力物資を台湾海峡を横断して届けているが、それはどんどんと消耗している。その消耗を国内には隠しているが、もうバレてる。その状況を打破すべく決戦艦隊を編成しては西太平洋に送り出しているが、毎度負けて戦力の逐次投入に陥っている。南シナ海経由の補給は途絶し国内経済は大混乱。強権で民需を絞り込み台湾海峡と西太平洋で消耗する軍需に対応しようとするが、それがさらに民衆の反発を買い、流言飛語が飛び交う。
これって、典型的な中華王朝の末期だ。秦や隋と似ている。無理な遠征。民生の疲弊。流言飛語と弾圧。
前にネットで、中華蛮族番付というのを見たことがある。中華に多大な被害を与えた蛮族はどいつらかと。匈奴とかモンゴルと色々あるのだが、真打ちはロシアと日本というのが面白かった。たしかにそうだ。
今回も真打ちの中華の敵は日本とロシアになるだろう。
まず日本から言おう。
中台戦争の戦争当事者は中国と、台湾とアメリカである。日本は当然参戦する。準主役として大いに戦うだろう。当然その被害も出る。だけれどもそれはこのあとの番外編(韓日戦争編)て語ろうと思う。今ここで言うのは、精神的な面だ。
中期シナリオで中国が袋小路に陥った場合、中国の真の敵として浮上してくるのはアメリカではなくて日本だと思う。それはなぜかと言うと、中原、すなわち中華の正統性を巡る戦いに変化するからだ。
中期シナリオと言っても中国はなかなか負けない。本土は無傷だし、決戦兵器はある。経済はボロボロになるだろうが政治的強権と差し引きゼロだろう。
しかし、勝てない。負けないが勝てない。
このとき、最も毀損しているのが中国人としての正統王朝としての権威である。中国人の愛国心から始まった戦争で、中国人の愛国心を燃料として戦い、その愛国心ゆえにまともな落とし所が見つけられずに大変なことになっている。
このとき、中国人の愛国心が分裂する。この愛国心の対象はいったいなんなのか?王朝か? 文化か? 社会制度や豊かさか? 徳や正義か?
他国や他民族から侵略されたわけでもない戦争で、いったい自分たちはなんのために戦っているのだ?
たった一人しかいない子供を死なせて、せっかく築いた資産をゼロに戻して、でも自分はなんとなく安穏としている。この安穏さにもちろん後ろめたさは感じるが、いったい何に?これをメッセンジャーでぼやいてもすぐに公安がすっとんてくるこの政府は始皇帝と、いや煬帝と何が違うんだ?
ここまでは中国政府も読める。問題はここから。まず台湾。問題は台湾が頑強に抵抗していることであり、その台湾人が同族としか思えないことだ。政治的な言説を別にすれば、台湾人は普通に中国人だ。同じ中国語を話し、同じような文化的背景があり、ついこないだまで隣人付き合いしていた。なのに今は殺し合いだ。何かがおかしい。
このとき中国政府はベトナム戦争のときのアメリカ政府と同じ問題を抱えることになる。
簡単に勝てると思っていた。
単純な正義があると思っていた。
多少不合理があったところで、こんなものはすぐに終わるし、自分の家族が死ぬような話ではないはずだ。
1960年代のアメリカ人はそう考えた。そして、2020年代の中国人が50年前のアメリカ人と異なるとでも?
台湾は中国のベトナムになる。こうなったときに真打ちとして登場するのが日本だ。
中国人にとっての正義とは何か。正しさとは何か。それを提供するのは日本だ。
誤解してはいけない。中国人が日本人を崇めるといったような下らないレイシズムを言ってはいない。
そうではなくて、このとき中国人は原典にあたろうとするからだ。政府や歴史や他人に毒されていない、本当の中国は何なのか。古典はなんと言っているのか。
もし中国が日本を見くびっているのなら、それはGDPではなく科学技術やロケットや空母やドローンではなく、ソフトパワーだ。たぶん日本人は中国人が思っているよりも中国のことが好きであり、中国人の歴史や考え方に通暁しており、中華が失われることを危惧している。中華人民共和国にはどういうわけか全く味方がいないが、中華文明の一番のファンは日本人だ。
でも日本は甘くない。最悪の蛮族だからな。中華が自信を失ったとき、営々と蓄積してきた「辺境に避難していた本当の中華」を耳に流し混むのに躊躇しないだろう。台北の白菜なぞ比較にもならない。
次にロシアの話をしよう。もともとはといえば、中国は戦争を仕掛けたはいいが勝ち目が見えず、短期決戦で片付けるつもりだったのに中長期戦に引きずり込まれており、その状態から寝技を打てる国内情勢でもなく、このまま行けば時間が経過するごとにジリ貧になる。そして日本がかつての共産主義のように精神攻撃をかけてくる。
この状況で中国が頼れるのはロシアである。
南シナ海の代わりに物資を供給してくれて、兵器の補給にも貢献してくれて、アメリカが共通の敵であり、自分たちが殺られてこれ以上アメリカが強大化すれば困るという意味で利害を共有している。
だからこの戦争の講和をロシアに頼るだろう。
その考え方は、本質的には悪くない。その通りだからだ。戦後世界を考えると自分たちを生かしておいたほうが得策であるはずだ。我々が力を持っているうちに助けろ!
と、大日本帝国は考えた。それが全てだ。
たしかに、ロシアは軍事力はあるが経済力がない。中国はその両方を持っているはずだったが、このシナリオでは軍事力は失ってしまった。ならばロシアと組み、ロシアの軍事力と中国の経済力で世界制覇だ。
でもそれがうまくいくのなら、最初からこうなってない。それがうまく行かなかったからこうなったのだ。そしていざそうなったときに、ロシアが助けてくれるわけではない。それは大日本帝国が体験したことそのものだ。
中国は戦況が悪化するにつれロシアの参戦もしくは仲介を期待するだろう。でもそれはない。追い詰められるほどにロシアに掛け金を釣り上げられるだけだ。完全な属国として、富をすべて吸い上げられるだろう。
そして日本からは、本当の中華政権がなすべき徳について精神攻撃をうける。
アメリカとしても戦争に勝った結果ロシアと中国のキメラ国家が誕生してもらっても困る。それよりは多少はマシだろうが日本に中国をくれてやるほどお人好しでもない。中国としてはそれを最後の交渉材料とするだろう。「このあたりでこちらのメンツをたてた終わらせ方を用意してくれないと、うちはロシアか日本に降伏してしまうぞ。そんな未来はアメリカさんあなたも望まないだろう」と。
その交渉が成功するかどうかは分からないが、1945年の大日本帝国なみに難しい、としか言いようがない。
1 note · View note
izumitomoki · 3 years
Quote
商品化に際し、当時続いていたベトナム戦争のベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の勇敢なイメージにちなみ、ベトコンラーメンと名付けられた。しかし、戦争が激化したことなどから食品の名称にふさわしくないと考えられるようになり、この由来を否定するようになった[新聞 1]。当時、客が「食べると体調が良くなる」と言っていたことから、以降はベスト・コンディションの略であると説明されている
ベトコンラーメン - Wikipedia
0 notes
trumpq · 4 years
Text
【リンウッド弁護士】 2021/1/24 12:06 JST
via telegram
Tumblr media
私は今夜、自由のために、正直な選挙のために、そしてペドフィリア/子供の性の人身売買に反対する私の戦いのために、最近私にあまり満足していないいくつかの愛する人にこの記事を送った(私はまた、強くトランプ大統領と次の4年間の彼のアジェンダをサポートしています - 上記の問題についての人々の見解を曇らせることがあまりにも頻繁にサポートしています)。慎重にこの記事を読むことを検討してください。完了したら、自分自身に尋ねてください。これはあなたが生きたいアメリカですか?これはあなたがあなたの子供やあなたの孫を育てたいと思っているアメリカですか? 選ぶのはあなたです。賢明な選択ができるように祈っています。 https://www.thegatewaypundit.com/2021/01/purge-reeducation/
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
粛清と再教育-急進派はいかにしてアメリカの共産党クーデターを迅速に実行しているか By ジョー・ホフト 2021年1月23日午後1時15分に公開
(ゲスト投稿:ジョン・L・カチェルマン・ジュニア)
(写真。1975年から1979年までのカンボジアのポル・ポトのクメール・ルージュの「キリング・フィールド」。その間、何��万人ものカンボジア人が、カンボジアを「理想的な」社会に再教育し、「変身」させていく中で、飢餓、処刑、病気、過労で死んでいった。ポル・ポトは思想的にはマルクス・レーニン主義者であり、クメール民族主義者であった。彼は共産主義者の脚本が指示した通りにマルクス主義哲学の恐ろしさを適用した。改革」と「再教育」ができない者は殺害された。)
"反対派が武装解除するなら、それは良いことだ。もしそれが武装解除を拒否するならば、我々自身が武装解除しなければならない。(ヨーゼフ・スターリン) 政治的粛清の最も卑劣な加害者の一人は、ヨーゼフ・スターリンであった。スターリンの印象的な名言は、反対派に対する彼の態度についてです "反対派が武装解除するならば、それは良いことだ。もし反対派が武装解除を拒否するならば、我々自身が武装解除しなければならない」というものでした。これは、パージのエネルギーを象徴しています-支配するエリートは、あなたが間違っていると判断し、あなたは罰せられるべきであり、あなたは服従する以外の選択肢はありません。
だから、私は悲劇的な発表をしました。私たちは21世紀の「殺戮の場」に向かっているのです。あなたにやってくるパージの準備をしてください。あなたの子供や孫たちが強制的に参加させられる「再教育」センターを予測してください。
これはどのように起こっているのでしょうか?
政治的粛清はどのようにして容認されるのでしょうか?望ましくない者」の「リスト」が様々なエリート当局によってまとめられている間、国民はどのようにして満足に座っていることができるのでしょうか?答えは非常に単純です。"人類のための選択は、自由と幸福の間にあり、人類の大部分のために、幸福は良いです"(ジョージ・オーウェル)。歴史は、人々が幸せを感じるとき、彼らは何かを容認することを証明しています;彼らは何でもします;彼らはそれが破壊をもたらしていると言われても、彼らは幸せな道にしがみつくでしょう。これは麻薬中毒者の選択にはっきりと表れていますが、パージの準備のために使用されている方法に中毒になっている人たちの生活にも表れています。幸せな人は、警戒心が薄れ、幸せな感情を与えてくれる人生のあらゆる面についてオープンになり、個人的なことやプライベートなことを誰とでも共有したがるようになります。このように操作された幸福は、想像を絶するほどの個人データの収穫をエリートたちにもたらします。
望ましくない者」のリストをまとめたエリートたちは、どうして個人/プライベートデータをこんなに簡単に手に入れることができるのでしょうか?あなたは、家族の食事が健康的であることを確認することで家族を安全に守り、すべてのドアをダブルチェックして施錠されていることを確認し、「見知らぬ人の危険」について警告し、シートベルトの着用を主張しています。あなたは、"あなたのページ "に非公開である数え切れないほどの "友人 "と接続されています。プラットフォームの管理者は、あなたについてのすべての詳細を知っています。あなたの投稿は、あなたを驚かせるような詳細が採掘されています。警告されているにも関わらず、子供や孫、そして愛する人たちを この "社会病 "にさらし続けているのです。
利用可能な証拠は?
まず、民主党/RINOs/反トランプ派(NT)は、自由な報道機関の排除を提唱している。保守的な出版物は、反逆的なニュースの温床として分類されている。このように特定されたので、解決策は簡単で、進歩派/民主党/リノス/NTsに同意しないすべての出版物を破壊することだ! "私たちは、メディア環境をどのように抑制するかを把握しなければならないだろう、そうすればあなただけの誤報や誤報を噴出させることはできない "と、アレクサンドリア・オカシオ・コルテス代表(D-NY)は言った。"議会は、偽情報の拡散を防ぐために、私たちのメディア環境を抑制することを検討しています。" 彼女は報道の自由を標的にしているだけでなく、トランプ支持者のリストを集計し、将来的には大統領支持者の責任を問うために利用すべきだと示唆している。
2021年1月13日の驚くべきツイッターのやりとりの中で、AOCは "我が国が癒されようとしている唯一の方法は、南部の州の実際の解放を通してである...経済的、社会的、人種的抑圧から働く人々の解放である "と述べている。進歩的民主党によると、アメリカが「癒される」ためには、南部の州の再教育が重要である。
粛清は口頭で行われる-「ここに座っている議員が、自分の党が反対するメディアをシャットダウンするつもりだと言っていますが、リベラルメディアの誰もそれに全く問題を持っていません。それはおそらく、民主党が彼らの後を追っていないことを知っているからであり、検閲や言論弾圧は、保守的なメディアに起こったときにはカウントされません。
第二に、 民主党/RINOs/NTsがパージを���めている。これが起こっているという報告は十分にあります。私は、クメール・ルージュの粛清に耐え、再教育収容所に住んでいた人たちと個人的に話をする機会がありました。また、政治的な理由でソ連の強制収容所に追放された親しい人を持つ家族にも個人的に話を聞いたことがあります。過去の歴史の恐ろしさは、今日のアメリカで明らかになりつつある想像を絶する恐ろしさを説明しています。議会のホールから、数百万人に放送されるMSMのニュースアンカーの暴言まで、パージは奨励されています。
トランプと彼の支持者をターゲットにしたヒットリストがあります。プログレッシブ/民主党/RINOs /NTsが、罰せられ、再教育される必要がある人々のリストを持っていることが確認されています。2021年1月10日の週の間に、アメリカの大企業は、トランプ支持者を絶対に雇ってはならない!とフォーブスによって発表されました。ここに脅迫文がある。 "ドナルド・トランプは司令官から嘘つき大統領へと堕落した" この雑誌は、トランプ氏の仲間を "捏造者 "と揶揄しています。ビジネス界に知らしめよう:トランプ氏の仲間のファブリストを雇えば、フォーブスはあなたの会社や会社が話すことはすべて嘘だと考えるだろう。フォーブスはあなたの会社や会社が話すことはすべて嘘だと思い込むだろう。"我々は精査し、ダブルチェックし、トランプのツイートと同じ懐疑心を持って調査するつもりだ。" フォーブスはその後、トランプ支持者をあえて雇う企業には否定的な報告をすると明言しています。"世界最大のビジネス・メディア・ブランドが、偽情報の漏斗となる可能性があるとして、あなたにアプローチすることを確実にしたいのですか?ならば雇ってはいけません」
これは想像ではなく、これが現在の現実なのだ!
アメリカの政治的粛清のもう一つの恐ろしい点は、すべてのトランプ支持者を "国内テロリスト "として特定するよう呼びかけたヒラリー・クリントンの行動によって文書化されています。そのように識別され、これらのテロリストは追跡され、監視される必要があります(2021年1月12日)。クリントンはワシントン・ポスト紙の論説で、トランプ支持者を "白人至上主義者 "と "国内テロリスト "とレッテルを貼った。"トランプ大統領と数千人の保守派のビッグテックパージによって強化されたヒラリー・クリントンは今、トランプ支持者を監視し、追跡するよう呼びかけています。" HRCは、どのようにして政治的敵対者の彼女のレッテル貼りを正当化しているのでしょうか?彼女自身の言葉を聞いてください。「トランプは、白人が他のすべてのものを犠牲にして評価されるアメリカのビジョンに基づいて大統領に立候補しました。ホワイトハウスでは、彼は白人至上主義者、極右のメンバー、陰謀論者にまだ彼らの最も強力なプラットフォームを与えた...彼は狂乱に私たちの国の危険な要素を鞭打っていた。彼の支持者は反乱を計画し始めました。国会議事堂に行進する計画を立て、「盗みを止める」ことを計画しました。トランプ氏を罷免することは不可欠であり、私は彼が弾劾されるべきだと信じています。彼に加担した議員は 辞任すべきです そして国内のテロリストと共謀した者は 直ちに追放されるべきです しかし、それだけではアメリカから白人至上主義と過激主義を取り除くことはできません。選挙で選ばれた指導者が直ちに追求すべき変化があり、白人至上主義者に責任を問う州や連邦レベルでの新しい刑法を提唱したり、過激派の活動を追跡したりすることを含めて...Twitterや他の企業は、トランプ氏が自分たちのプラットフォームを使うのを阻止するために正しい決断をしたが、暴力的な言論や陰謀論の拡散を阻止するためには、より多くのことをしなければならないだろう。"
彼女が提唱していることが聞こえてきますか?パージは "白人 "をターゲットにしています。歴史上、明らかに人種差別的な粛清です。彼女は、トランプ支持者に責任を持たせるための新しい法律を要求しています。そして、彼らの日常の行動を追跡するために。彼女は、「もっと」しなければならないだろうと言っています。
政治的パージの始まりは、"黒の国歌 "を公式の米国国歌にしようとする民主党のウィップ、ジェームズ・クライバーンによって提案された議会法案によって強調されている。これは、進歩派/民主党/RINO/NTsが「直線的な推論」を拒否するので、受け入れられる。すべての判断は、その時々の「気持ち」に基づいて行われる(これは、人生におけるあらゆる絶対性を拒否した結果である)。
最も明確なパージ行動の一つは、DELTAによるノーフライ命令で発表された。この悪質な行動によって、一般市民が狙われました。この行動については、Delta Puts Trump Supporters Who Harassed Mitt Romney, Lindsey Graham On No-Fly Listという記事で紹介されています。 "デルタ航空は、ドナルド・トランプ大統領の最も攻撃的な支持者の一部を、共和党議員に嫌がらせをした後、飛行禁止リストに載せました。リンジー・グラハム(米カリフォルニア州)とミット・ロムニー(ユタ州)が先週空港で嫌がらせをしたためです。木曜日のロイターとのインタビューでは、デルタ航空のCEOエド・バスティアンは、上院議員を標的にした乗客は、もはや航空会社で飛ぶことができなくなるだろうと述べた。航空会社はこの動きを確認した。"
パージの実態は、野球界の巨人、カート・シリング氏が説明している。彼は、AIGが彼の保険を解約するという通知を受けました。なぜか?シリングは、AIGが彼の保険を解約したのは、彼の "ソーシャルメディア上のプロフィール "が原因だとツイートした。さて、このパージの後、フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアは、本当に「いいね!」がつくビジネスだと教えてください。パージは、あなたの「ソーシャルメディアのプロフィール」が保険を解約する正当な理由だと言っています!
パージが制定されている-ここでは、タイトル "The Left Launches Massive Purge of Conservatives All Across Society "とよく書かれた要約です... 私たちはもはやアメリカには住んでいません...リベラル派が政治的にだけでなく、個人的にも、そして全体的にも、相手を完全に破壊しようとするバナナ共和国に住むことになります。民主党員と、ハイテクや社会の中の彼らの喜んでいる仲間達は、今、彼らに反対する人たちをこの国から一掃しようとしています。私たちは、カストロの革命が起こって数万人が殺害され、彼らの政治的理想が一掃されたような時代に生きています。私たちはまだ死刑執行の段階には至っていませんが、左翼が知的大虐殺を実行しようとしている段階にいます。インターネット上、学校、政府、娯楽、社会での保守的な思想の終焉となるでしょう...大粛清はすでに始まっています。先週末、ビッグテックの神々と企業のトップたちは、すでに民主党版の毛沢東の『文化革命』を始めていたのだ。
第三に、民主党/RINOS/NTsは、アメリカの「根本的な変革」という約束を果たす。オバマは、"アメリカを根本的に変革する "という彼の意図を発表しました。ほとんどの人は、彼の悪魔のような邪悪な目的を肩をすくめて、"それはアメリカでは決して起こらないだろう!"と言った。彼らは、彼が辿っていた歴史的パターンを盲目で無知だった。進歩的/民主党/リノベ党/NTsが計画の完全な行使を許されたとき、アメリカの生活は根本的に変容するだろう。私たちはパージの初期段階にいますが、もっと悪魔的な計画が待ち受けています。この悪の完全な影響は、PBSの主席弁護士マイケル・ベラーが急進的な左翼の暴言でトランプ支持者に対する暴力を扇動している様子を記録したProject Veritasの報告書で紹介されています。この驚くべき声明を読んでください。"たとえバイデンが勝ったとしても、共和党の有権者全員を取りに行き、国土安全保障省は彼らの子供たちを取り上げ、トランプ支持者の子供たちを再教育キャンプに入れる」と、日付のないビデオの中でベラーと特定されたこの男は言っています。トランプ支持者は、「恐ろしい人間」になるであろう「恐ろしい子供」を育てている、と彼は続ける。"トランプ以外のことを何も知らずに育っている子供たちは、[トランプ支持者は]不寛容で恐ろしい人間、恐ろしい子供たちの世代を育てることになるだろう"
パージが約束されている-何が起こっているのかは以前から公にされていたが、多くの人が "アメリカでは不可能 "と却下していた。これらの人々は、私たちの国の存在を脅かしている純粋な悪の現実を受け入れることを拒否しています。約束されていたことが、今、進歩的/民主党/リノベ党/NTsによって届けられており、多くの市民がそれを許しているのです。
第四に、パージは政治的エリートによって指示されています。政治的粛清の物語には歴史的な不変性があります。行動は「エリート」グループによって命令され、コントロールされています。このエリートは、国民に命じられたことを実行するように要求されることはない。ポル・ポトとその側近たちは、都市の退去と無政府状態の「殺戮の野原」を強行した農耕革命で手を汚すことはなかった。今日、アメリカの政治的エリートは、民主党/RINOS/NTsで構成されており、彼らは要求を発行し、トランプ大統領と彼の支持者を非難し、"キャットバードシート "に無敵に座っていると思っている。しかし、歴史的現実は、これらが「無敵」ではないことを教えており、エリートが互いに噛みつき、むさぼり食うことに転じたときに入れ替わるだろう。
エリートの方向性には強制再教育も含まれる。北ベトナムが南を占領した時、南の何百万人もの人々が逮捕され、拷問され、投獄され、殺害され、生き残った人々は再教育キャンプに送られました。別の潜入ビデオでは、サンダース陣営のアイオワ州のフィールドオーガナイザーであるカイル・ジュレックは、この国は再教育に「何十億もの費用をかけなければならない」と述べています。ジュレックは、トランプ支持者の「再教育」のために強制収容所の使用を示唆し、政治的労働収容所を賞賛した。彼は、収容所は誤解されており、実際には説明されているよりも「はるかに良い」ものだったと述べた。
もしあなたがエリートの言葉に不快感を覚え、彼らの忌まわしい言葉を読むことも聞くこともしないのであれば、パージがあなたの友人や家族を襲った時には、さらに大きなショックを受けることになるだろう。
パージはエリートによって指示されている。"アメリカ国民の意志はペロシの意志に従属しなければならない」 - ニュート・ギングリッチ (@newtgingrich) January 12, 2021.
ここからが本題です...
アメリカの市民は、我が国が直面してきた最も不安定な立場にあります。内側からの悪魔のような力は、私たちの国を根本的に変えようとしています。私たちの政治プロセスは、数年前から破綻した状態にあります。もはや、私たちの憲法に基づいた市民的な議論と合理的な法律はありません。外国政府は国内の議員を妥協させ、下院と上院の完全性を堕落させてきましたが、このような事態は、失敗した政治家を肩をすくめて再選させるだけです。
ビッグテック企業(フェイスブック、アップル、グーグル、ツイッターなど)は、言論の自由のプラットフォーム化を解除し、無実の市民を国家的な「テロリスト」としてマークし、追跡することに成功しています。トランプ支持者の "リスト "が編集され、"テロリスト "を特定し、処罰するために使用されることが保証されています。"一度でいいから現実を見よう。マスコミや法律のメンバーが、子どもの没収や再教育収容所、気に入らない側への処罰を公然と求めているとき。"我々はバナナ共和国に住んでいる"
ビッグテック企業(フェイスブック、アップル、グーグル、ツイッター)が、保守的な意見を持つ人々を粛清しようと悪魔のように計画していることを説明しているのは、ツイッターのジャック・ドーシー最高経営責任者(CEO)からの最近の流出したビデオの公開です。彼はトランプ大統領や他の多くの保守的な声のアカウントを永久に禁止するという彼の決定で、アメリカの言論の自由を攻撃した。現在公開されている動画では、ツイッターのインサイダーによるもので、ドーシー氏が検閲はもっと広範囲に及ぶだろうと誓っていることが明らかになっています。"我々は今、1つのアカウント[@realDonaldTrump]に焦点を当てているが、これは1つのアカウントよりもずっと大きなものになりそうだし、今日、今週、そして次の数週間よりもずっと長く続くだろうし、就任式を超えても続くだろう。私は、これがすぐになくなるとは思っていません。
アメリカ!?政治的粛清が始まりました。沈黙の中で座っていて、政治的な陰謀から安全だと無関心に思っていたあなた方の多くは、アメリカでの生活の現実に目を覚まさなければなりません。フェイスブックやツイッター、その他のハイテクサイトをいじり続けることができます。しかし、あなたは、アメリカを破壊しようとする彼らの努力を煽っているのです。ビッグ・テック・サイトにはイノセンスはありません。これらのサイトの関係者は、パージを支持しているのです。
パージを止めるために、今すぐ行動してください
Cheryl K. Chumley (The Washington Times - Friday, January 15, 2021)は、"Big Tech will only be halted by mass boycott "という記事を掲載しています。いつものように、彼女は、ビッグ・テックが大金を与えているからこそ、政治的パージが可能なのだということを詳しく説明している。パージを止める方法は、お金を止めることです。"ビッグテックを止めて、ソーシャルメディアのCEOの憎悪と保守的なものへの敵意に終止符を打つ唯一の方法は、消費者が一つの巨大な集団に結集して、これらすべてのプラットフォームの即時ボイコットを行うことである。しかし、それが起こる可能性は、真面目な話、ごくわずかです。実際のところ、ほとんどないのだ。ビッグテックが言論の自由の乗っ取りを阻止するには、市民の懐を痛めつける方法で闘うしかありません。しかし現実には、ほとんどの市民はビッグテックの力に気付いておらず、他の市民は気にしていません。そして、これは24時間だけではなく、永久的なボイコットであるべきです。
あなたの国、あなたの家族、あなたの子供、あなたの孫のために、ビッグ・テックを永久にボイコットするのに十分な関心がありますか?オーウェルが観察したように、多くの人は「自由」ではなく「幸福」を選ぶだろうから、決断は難しいだろう。ビッグ・テックは、あなたが「幸せ」に囚われていることを知っているので、あなたは自由を犠牲にすることになるでしょう。"人類の選択は自由と幸福の間にあり、人類の大部分にとっては幸福の方が良い」(ジョージ・オーウェル)。
0 notes
jaguarmen99 · 3 years
Quote
米国はそれ以前、ベトナムでソ連と同じような失敗をしていた。  第2次大戦中日本軍が占領し、1945年3月にバオダイ帝に独立宣言をさせていたベトナムでは、終戦直後の同年9月、「ベトナム独立連盟」が独立を宣言したが、フランス軍が戻って再植民地化を始めたため、ベトミンは一斉蜂起しフランス軍を圧倒した。  1950年には、仏軍は北ベトナムの大部分を捨てハノイ、ハイフォン周辺だけを守り、南ベトナムのメコンデルタ地帯も大半がベトミンに握られた。  仏軍は挽回を狙って1953年11月からハノイの西約300キロのディエンビエンフーの盆地に要塞地帯を造り1万6000人の兵を配置、そこにベトミン軍主力を誘いこんで撃滅する策を考えた だが54年3月からベトミン軍は5万1000人の兵士、砲100門以上、高射砲80門で包囲攻撃し、5月7日に仏陣地を制圧、仏軍の生存者約1万人が捕虜となった。  フランスは同年7月ジュネーブで休戦協定に署名、北緯17度線を暫定境界線として双方の兵力を引き離すこと、全外国軍の撤退、2年後の全土統一選挙を行うなどに合意した。  だがフランスが49年7月にバオダイ帝を迎えて南部のサイゴンに作った「ベトナム国」は統一のための選挙を拒否した。  米国はバオダイ帝を支持して武器援助をし、軍事顧問を派遣し、統一を阻止した。  これに対し南ベトナム解放民族戦線は反政府闘争を行いベトナム戦争となった。
1 note · View note