#千葉美容室
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以前、平将門ツアーを案内してくれた ミーシャさんの新たなお寺巡り 【五色不動尊巡り】に参加してきました さすがに1日で五色は回れないので 第一弾の今回は黄 赤 白へ スタートは 目黄〜目赤〜目白〜穴八幡宮と 地下鉄や荒川都電を 都内の北側をぐるっと周りました どこのお寺さんも穴八幡さんも 平日昼間だとしても 見事なくらい人払いされてて ミーシャさんから教わった ご真言を咬みつつ唱えながら ゆっくりと御参りすることが できました お茶タイムのカードリーディングでは タロットも出てきて 将来の展望をガッツリと 見てもらえました! (エネルギー高いってw) お腹いっぱいアメリカンピザも食べて 14,000歩運動もして 金運祈願も出来たので 第二弾も楽しみです😊 たくさんのエネルギー充電できたので あやかりに来てね🤗 #五色不動尊 #お寺巡り #個室 #女性専用サロン #エステ #完全予約制 #千葉 #船橋 #マッサージ #女性専用 #𝖻𝖾𝖺𝗎𝗍𝗒 #大人女子 #女子力アップ #美意識 #脱毛サロン #自分磨き #セクシャルウェルネス #キッズ脱毛 #膣美容 #デリケートゾーンケア #スキンケア #脱毛 #𝗏𝗂o脱毛 #skincandy #ブラジリアンワックス #シュガーリング #アロマ https://www.instagram.com/p/ClCnkQwySfq/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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閹割教會
在俄羅斯有個特殊的教會組織叫skoptsy,創始成員們都提倡只有切除身上的罪惡根源,才能夠真正得到上帝的恩典,隨著時間不斷的轉變,這個組織早已分佈於世界各地,從原本的幾十人規模,現早已破好千萬人,宗教的教義中,女人的胸部是罪、男人的生殖器官是罪,所以為了根治這些罪,加入教會後,當完成了受洗,就必須洗淨自己的罪,從18世紀開始到現在的22世紀,切除這些器官早已是司空見慣,5個人裡面就有一位來自skoptsy,只要人們真心懺悔自己的罪惡,拋開過去的一切,不論是誰都可以加入教會,大部分的人都是在結婚生完孩子後,才會正式加入教會,這漸漸的成為了一種世襲,上至達官顯貴,下至貧民百姓,都是這樣一代傳一代,在21世紀末,多國政府甚至將某一天設立為skoptsy Day,這天可以說是教會的大日子,因為這天全球的教會都會同時舉辦受洗活動,所有前來參加活動的人,都將在這天重生,將更加接近神的世界,今天是2050年12月1日,距離大日子不到一週,我從小就已經開始計劃,年滿30歲的時候,不論我有沒有結婚生子,我都會在30歲生日那年接受洗禮,雖然爸媽希望我可以生完孩子後再去受洗,但是如今這社會,沒孩子過一輩子的人多的是,有沒有生孩子根本沒有差別,所以我在教會的網站上填寫了受洗報名,報名表除了填寫基本資料之外,還必須將自己的生殖器官拍照上傳,並附註確切數值,這樣才算完成報名,因為切下來的器官會有人願意收購,只要你的生殖器有符合買家的需求,只要收購成功,自己還能額外獲得一筆錢,所以每個報名的人都願意上傳照片,如今剩不到一週,我打算好好把握自己的時間,約了好幾個朋友一起出去旅遊幾天,我們來到了俄羅斯首都莫斯科,又去了博物館、貝加爾湖等著名景點,就為了好好的體驗生活,一群快30歲的男人,有些人早已結婚生子,有些人跟我一樣都還沒對象,有幾位跟我一樣報名了今年度的受洗,想當年我們都是一起讀書長大的同學,如今也要準備受洗了,我們十幾位朋友,在湖泊脫光衣服,一起跳入了河川戲水,有一兩個朋友在幾年前就接受受洗,其中一位還是我的好朋友謝爾蓋,他跟我當年可是玩遍了全校的女同學,謝爾蓋在當年被稱為巨屌王,因為當年我們才剛滿18歲,但是謝爾蓋還沒勃起就已經有17公分長,勃起的時候甚至跟女同學的手臂一樣粗,再加上他有一副優質的帥臉,更是全校排名第一的優菜,但是如今的他,已經接受了受洗,他受洗當天,聽說有人用了一筆不小的金額購買了謝爾蓋的生殖器官,他老婆之後甚至還哭了好多天,但是卻也因為這筆錢,讓他們在首都買了一間豪宅,謝爾蓋如今只能用其他方式來滿足自己跟他老婆的慾望了,現在的謝爾蓋依然是非常帥氣,不過現在全身赤裸的他,下體已經剩��一個尿口,或許是不習慣沒了陰莖的他,我內心突然覺得有點心酸,但是看到謝爾蓋依然開心的跟我們一起玩水的樣子,或許是我自己想太多了,我們一群人玩累了坐在旁邊的石頭上休息,幾個跟我一樣要接受洗禮的朋友靠了過來,紛紛向謝爾蓋提出疑問,不外乎就是問割的時候痛嗎,會不會漏尿之類的問題,謝爾蓋只是很乾脆的說,不會啊,你們看我有漏尿之類的嗎,他只是耳提面命的提醒割完之後,千萬不要吃重口味的東西,保持傷口的乾淨等傷口照護,謝爾蓋看著我的陰莖,笑著說,終於輪到你啦,老友,我只是不耐煩的說,拜託,當年你的陰莖是很大,不過我的也不差啊,也有15公分長,如今你的17公分都已經被切除了,我現在至少還贏你15公分,謝爾蓋只是笑著說,是是是,你終於贏我了,不過如果你的生殖器有人收購的話,到時候記得要請我吃飯喔,我翻了翻白眼,可是我跟他瞬間氣氛又化為寧靜,他溫柔的眼神看著我,兄弟,等你重生的那天,結束後我們再出來聚聚,我跟我的朋友們約好了,等身體恢復健康後,再出來聚聚,幾天的旅遊行程終於結束了,我們回到了波戈托爾,通常為了流程的順利,我們參加者前一日就會到區域教會報到,隔日凌晨四點左右開始起床準備活動的事情,教會發給每一個參加者一份受洗流程圖,內容寫到所有參加者,受洗前必須先將陰毛剃光,然後受洗當下全身不穿任何衣服,然後隨者神父的唱名一一往前接受受洗,這次來參加的人,多半是社區的居民,多半是30歲以上的結婚者,也有很多是剛滿20歲就來參加的人,這間教會主要是負責男性的受洗,女性的受洗則是在相隔兩公里的教會負責,畢竟男女有別,還是必須尊重別人的隱私,這次包含我在內,一共有20位,有幾位還是前幾天一起出遊的同學,我們在浴室裡一邊剃著陰毛,一邊抓著彼此的陰莖嬉鬧,畢竟這罪惡的根要被切除了,教會的旁邊有一個小型的焚化爐,這個焚化爐,每年都要燒掉一堆生殖器官,沒有被收購的生殖器官,就會被直接送去火化,所以大家都希望至少可以被收購,還能額外獲得一筆錢,但是一切都要等完成淨化之後才能知道自己的是否被收購。
活動於早上九點正式開始了,神父開始一一叫名,第一位是隔壁的鄰居貝爾德,29歲,有個兩歲大的兒子跟一個不到一歲的女兒,因為生了��個小孩了,貝爾德就順勢在女兒出生滿8個月的時候,報名了這次的受洗,神父嘴裡念念有辭,我是有聽沒有懂啦,接著貝爾德單膝跪地雙手交叉抱著胸,頭低下看著地上,神父將聖水淋在貝爾德的身上,連續三次,受洗的流程就完成了,接著就是轉過身看向眾人,大聲的坦承自己的罪,並願意消除自己的罪,身旁的工作人員拿著一件純白的披風蓋著貝爾德,另一位工作人員推出了一張座椅,示意要貝爾德坐在椅子上,貝爾德坐在椅子上後,工作人員將一件綠色的被子蓋在貝爾德身上,只有露出了貝爾德的生殖器,為了避免有人害怕血液,所以貝爾德的眼睛被矇住,看不到割掉的過程,醫生拿出了一把弧形的刀,這把刀是教會歷代傳承下來的,年代雖然久遠但因為經常使用的關係,刀子依然非常明亮鋒利,麻醉師先進行了局部麻醉,待藥效發作後,醫生先是握著貝爾德的兩顆睪丸,醫生非常迅速的一刀割下貝爾德的睪丸,並丟到旁邊的盤子裡,接著又抓著他的陰莖,往外拉直,刀子一劃就割斷了陰莖,鮮血開始一直流出來,醫生將貝爾德的陰莖丟到盤子裡後,開始將傷口止血並縫合傷口,受洗就算是完成了,雖然科技的進步,只要在傷口上噴上藥劑,一天就可以完全復原了,但是教會為了提醒前人的努力付出,所以每個受洗完的人都必須讓傷口自己慢慢癒合,才能徹底體會古人的辛苦,一名助手隨即將放在盤子上的生殖器官做整理,先是將陰莖用清水洗乾淨,然後放到禮盒裡,然後將陰囊裡的兩顆睪丸取出,並將白膜移除,此時貝爾德的兩顆睪丸就完整的出現了,助手小心的區分左右睪丸,並放入禮盒內,包裝好後由快遞送往收購者的住家,而貝爾德也因此獲得了25萬盧布的現金,第二位被神父唱名的是我的國小同學伊萬,他也是從小一起長大的好朋友,長相非常俊俏,身高有190公分,他在去年就已經結婚,小孩在今年出生後不久,他就跟我說他報名了受洗儀式,成熟男子的生殖器官總是特別粗大,伊萬不僅身高高,連生殖器都好大一副,在經過聖水沐浴之後,伊萬來到了座椅上,工作人員將綠色毯子蓋上,醫生將伊萬的生殖器從毯子的洞用出來,當助理準備蓋上伊萬的眼睛時,伊萬表示他不想矇著眼睛,想親眼見到被閹掉的過程,麻醉師開始在伊萬的生殖器官進行麻醉,醫生確認沒問題後,拿出一把新的弧形彎刀,由於伊萬的睪丸很大顆,醫生花了一番功夫才順利握住,哪怕再大一副睪丸,在鋒利的彎刀上仍然不值得一提,一刀的功夫就讓兩顆睪丸脫離了伊萬的身體,看伊萬那震驚的表情,看來不論是否準備好了,割下來的那一剎那,仍然需要時間來適應,醫生直接將切下來的東西放進盤子裡,接下來就剩下一根陰莖了,醫生抓起那根大熱狗,毫無懷疑的就沿著陰莖根部劃下一刀,陰莖就被切的一點也不剩,醫生手上那根陰莖,不知道是醫生人生中第幾根切下來的東西,不過至少不會是最後一根,經過熟練的縫合後,伊萬被工作人員攙扶到一旁的位置上休息,而伊萬的生殖器也被人用300萬盧布金額收購了,伊萬的禮盒大了一點,而且當助手將伊萬的睪丸從白膜中取出時,伊萬的睪丸真的是非常肥美,真的是值這樣的價格,隨者麻醉藥的退去,最先受洗的貝爾德開始疼痛到發出聲音,工作人員立刻幫貝爾德注射止痛藥,並讓他吃抗生素預防感染問題,疼痛很快就緩解了許多,神父開始呼叫第三位受洗者,他是跟我一起出去旅遊的高中同學,葉菲姆,他在學生時候就是一個很紳士的人,那天一起脫光衣服在河川玩水,大概是我看過他最瘋狂的時候,平時都是正正經經的他,那天也是我第一次看到葉菲姆的裸體,雖然不是說特別天賦異稟,不過他身上的體毛非常茂密,棕色的胸毛一直延伸到他的陰莖,像是一隻小熊很可愛,看他那天開心的一起打鬧嬉戲,如今也跟我一樣來受洗,剛才葉菲姆已經將陰毛剃光,露出他乾乾淨淨的陰莖,看著他接受聖水沐浴的畫面,真心覺得這畫面好莊嚴神聖,在他轉身對著大家坦誠自己的罪時,我才知道原來葉菲姆一直對於他高中時,偷嚐禁果這件事非常懊悔,不過我自己並不覺得什麼,畢竟我也很喜歡做愛,在工作人員帶領下,葉菲姆已經坐好,醫生將生殖器官調整好位置,工作人員將葉菲姆的眼睛蒙上,做好了前置作業,一切都已就緒,看著葉菲姆嘴巴念念有辭,不過大致上就是在說,我要根除自己的罪之類的話,很快醫生就一刀揮下,斬斷了葉菲姆的睪丸,而葉菲姆似乎也知道已經被割下睪丸,開始感恩上帝的恩典,陰莖也在熟練的操作下被醫生切下,一旁的工作人員將葉菲姆的生殖器官拿出教堂,送往焚化爐燒毀,一切都是這麼的快速,沒有太多時間上的浪費,因為葉菲姆的生殖器官並沒有人購買,眼看也不到一個小時的時間,就已經完成了三位受洗,我也想早點接受受洗,希望神父趕快叫到我的名字! 結果第四名受洗者就是我,神父叫了我的名字,我興奮的往神父走去,我走到神父面前後,我單膝跪地雙手交叉抱著胸,眼睛看著即將割掉的生殖器官,興奮到難以言喻,聽完神父的禱告詞後,神父將聖水潑灑在我身上,儀式順利完成,我站在殿上,訴說著自己的罪行,我將披肩脫掉,直直走向座椅,助手將布蓋住我的身體,只露出即將割掉的生殖器官,我要助手不要蓋住我的眼睛,我想親眼看著全部過程,很快麻醉針就完成了注射,隨著生殖器官逐漸麻木,醫生右手拿起彎刀,左手握住我的睪丸,不過就一秒的時間,我跟睪丸立刻分了家,接著我的陰莖被醫生拉的很緊,醫生的彎刀直接在我的根部切了下去,醫生將割下來的陰莖放到盤子裡,緊接著以非常快的速度進行傷口的縫合,我也順利完成了淨身,我一邊被醫生縫合傷口,一邊看著助手處理我的生殖器官,看著我的陰莖跟睪丸整齊的擺在禮盒內,我覺得很開心,因為我完成了淨身,而且我的生殖器官也成功被人收購,沒想到我的還能賣到150萬盧布的金額,這是我萬萬沒有想到的,我的15公分好歹還是有很大用處的,只是不知道是誰買走的。之後,教堂花了半天的時間,就將所有報名參加的人完成了淨身,其中只有五位成員沒有被收購得到現金,而20人中收到最多現金的是住在隔了一條街的亞里斯,本人用了1000萬盧布的價格收購了,他的真的是天賦異稟,不僅長度就超過20公分,蛋蛋也是與伊萬不相上下,真的是人外有人天外有天,畢竟市場上還是會比較想買尺寸大一點的,因為比較划算,我花了一週的時間恢復健康,一週後我踏出教堂的那一天,我覺得自己特別的純潔,特別覺得上帝離我好近好近,這或許就是淨身的魅力所在。
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てて��り、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ���でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「��えいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私��ように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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強い台風の影響で激しい雨に見舞われた8月29日。浜松市のマンション一室は静寂に包まれていた。 時刻は午後2時半過ぎ。窓際のイスには、袴田巌(88)が深く腰掛け、目を閉じてくつろいでいる。半年前から飼い始めた保護猫「ルビー」が、棚の上から巌の目の前のテーブルに飛び移った。 「ひどい雨ですね」。問いかけに、無表情の巌は「ああ」と短く答える。午後3時が近づくと、同居する姉・ひで子(91)にヒゲをそってもらい、いつも通り支援者が運転する車に乗ってドライブに出掛けた。普段と変わらない日課。「雨でも巌には関係ないから」。ひで子がつぶやく。 拘禁症――。1966年に強盗殺人容疑などで逮捕された巌は、無実を訴えながら死刑判決を受けた。2014年に釈放されるまで半世紀近く身体を拘束され、心を病み、今も意思疎通が難しい。 釈放から10年。穏やかな暮らしの中でも「異変」は随所に見られる。「猫もお金が必要だから」と言って飼い猫に千円札を渡したり、新聞を手に取って「死」という文字をじっと見つめたりすることもあった。 巌の心がむしばまれていった様子は、ひで子が自宅で保管する7000枚超の手紙から見てとれる。逮捕直後から巌が母やひで子らに宛てて、獄中から書いたものだ。 <神さま。僕は犯人ではありません>(1967年2月頃) <私も冤罪(えんざい)ながら死刑囚><私がなんの罪を犯したというのだ>(73年11月) 1960~70年代は無実を訴える言葉が丁寧にしたためられていた。 だが、80年に死刑が確定してから変化が見られるようになる。 <悪魔は電波攻撃により(私を)傷つけようとした。しかし、私はそれらを全てブロックして笑い飛ばしたのである>(87年10月) 意味のわからない文章も書かれ、字体も崩れていった。そして95年を最後に、巌からの手紙は途絶えた。 私は無実 叫んだ手紙 袴田巌さんからの手紙を手に取る姉のひで子さん(8月29日、静岡県浜松市で)=高橋美帆撮影 〈今朝方母さんの夢を見ました 元気でした 夢のように元気でおられたら私はうれしいが お母さん 遠からず真実を立証して帰りますからね〉 袴田巌(88)の姉・ひで子(91)が今年5月、本人に代わって再審公判の最終意見陳述で読み上げたのは、弟が拘置所からの手紙にしたためた母・ともへの思いだった。 この手紙が書かれたのは、逮捕から3年が過ぎた1969年10月。ともはその1年ほど前に亡くなっていたが、巌にそれを伝えることはできなかった。ひで子は「母親と一生懸命文通していた。そんな巌に知らせるのは、さすがにかわいそうだった」と振り返る。 6人きょうだいの末っ子だった巌。家族には、方言で末っ子を意味する「おとんぼ」とも呼ばれた。��は巌を特別にかわいがった。 〈お母さんお元気ですか〉〈お母さんも苦がたえ無いですね〉〈あまり無理をしない様に〉 逮捕から数年間、巌の手紙は母宛てのものがほとんどだった。母の証人出廷が決まると、〈事件となんの関係もないのだから、自信を持って来て下さい〉と安心させようとした。 無実を信じたともは病で寝たきりになっても、息子が戻ってくると期待して「巌はダメかいね」と問いかけ続けた。その姿を見るのは、ひで子にとってもつらかったという。ともが息を引き取ったのは68年11月。静岡地裁による死刑判決の約2か月後だった。 巌が母の姿を夢に見たことを手紙で知ったきょうだいは「もう黙ってはいられない」と、返信で死を伝えた。巌はのちの手紙でこう振り返っている。 〈人生で最も悲しい時が迫るのを感じ体中一気に凍るような衝撃〉〈この事実が何かの間違いであることを神に祈った〉 死刑判決は80年に最高裁で確定した。ひで子の手元には、80年代のものを中心に巌が獄中でほぼ毎日書いた7000枚超の便箋がある。拘置所で面会した際に「何でもいいから書いて」と伝えたからだ。「巌が元気でいるという証しが欲しかった」と、ひで子は言う。 内容は事件のことにとどまらなかった。拘置所での日常、死刑確定後に入信したキリスト教への信仰、自身が打ち込んだボクシングの選手たちへのメッセージ。便箋いっぱいにつづられていた。 80年代は死刑事件で再審となった4人の死刑囚が相次ぎ無罪となった時期でもあった。面会した弁護士らから話を聞いた巌は〈今度は私の番だ〉と期待を抱いた。だが、その日はなかなか訪れない。 〈豊かな正しさと希望の夜明けは見えています。それなのに何故か脈打ち踊る確かな喜びと豊かな希望の光が迫ってこない〉 焦りが精神を病ませたのか、文面には徐々に意味のわからない言葉が増えていった。電波が攻撃してくる、悪魔がいる……。91年には手紙が途切れがちになる。「へのへのもへじでもいいから書いて」と伝えた姉の願いは届かず、差し入れを求めるはがきも95年に途絶えた。 巌は長い身柄拘束で拘禁症を患い、ひで子や支援者に支えられている。2014年3月、地裁の再審開始決定とともに釈放されたが、心神喪失状態と判断され、昨年10月からの再審公判に出廷することはなかった。26日の判決内容は、浜松市内の自宅でひで子から直接伝えられる予定だ。 巌は1967年の手紙にこう書いた。 〈神さま。僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。此処(ここ)静岡の風に乗って、世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ。お母さん〉 半世紀以上にわたる、心の叫びだ。 静岡県一家4人殺害事件で、強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌被告。26日に静岡地裁で言い渡される再審判決では無罪となる公算が大きい。袴田さんの人生を翻弄してきた事件と裁判を改めて振り返る。(敬称、呼称略。手紙は原文を一部補って掲載しています) ◆静岡県一家4人殺害事件=1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社の専務宅が全焼し、専務(当時41歳)と妻(同39歳)、次女(同17歳)と長男(同14歳)の他殺体が見つかった。袴田さんは80年に死刑が確定したが、2014年に再審開始決定が出て釈放された。再審開始は昨年3月に確定した。
獄中から無実を叫んだ手紙「遠からず帰ります」…願いは母に届かず、拘束半世紀で壊れた心(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井���写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や��夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興���の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつ��女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていた��ある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思う���だが、いかがであろうか。
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『テオ・ヤンセン展』と千葉ポートタワー(1114)
午前中の仕事が急に延期(涙)になったので、先月から千葉県立美術館で開催されている『テオ・ヤンセン展』( http://www2.chiba-muse.or.jp/www/ART/contents/1695106672072/index.html )に行ってきました。展示会は、一般的な展示以外にも、来場者自身が触れて動かせるビーストやガイドの方による���説と「リ・アニメーション(再生)」展示(巨大なビーストが展示室内を歩きます)など、盛りだくさんの内容でした。『テオ・ヤンセン展』を堪能した後に、美術館に隣接した千葉ポートタワー( https://www.chiba-porttower.com )にも行きましたが、展望台にまでは上がりませんでした。ポートタワー下の砂浜からの眺め……中央に小さく微かに富士山の姿が。
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三輪秀次の小説(二次創作)
きみは河を渡る
切れた電���はうねり、パチパチと鳴っている。もうもうと立ちのぼる埃と煙は視界を狭める。降ってくる灰を吸い込んで、喉が痛い。ゴホと咳が出た。
空を雲が厚く覆っていた。
時折、低く戦闘機が飛ぶ。空気を震わせる爆音も、いつの間にか聞こえなくなる。
無駄を知り還ったのだ。替わりにヘリコプターのバタバタという回転音が耳に障る。避難を促すサイレンがとうとう途絶えた。
道路や瓦礫の上にうち捨てられた、おびただしい数の死体ももはや何も言わなかった。
それらの胸には皆、着衣の上から同じ箇所にこぶし大ほどの穴が開いていた。彼らが開けていったのだ。心臓の脇を的確に単調にえぐり取っていく様子は、実りの季節を迎えて収穫にいそしむ農夫のようだった。
鋭い鉄の匂いが鼻の奥を刺す。血だまりに足が取られる。地面のいたるところにできた血液の浅い湖は徐々に固まり、粘度を持ちはじめていた。その上に、ぽつりぽつりと何かが落ちてくる。
……雨。
『姉さん』
三輪は姉を探していた。
「お断りします」
三輪の返事に根付は下がり気味の眉をさらに下げた。
「うーん、やっぱり無理かねえ」
「去年に引き続き、申し訳ありませんが……」
これ以上は目を合わせないように顔を伏せて押し黙る。可愛げのない態度だったが、断る選択肢しか持っていない。
ボーダー本部メディア対策室である。
いかにもオフィス然としたレイアウトだ。メディア対策室の名の通り、棚を並べた一角があり、派手なロゴのついたグッズたちが飾られている。
棚の横にも小ぶりの段ボールがいくつか置かれ、中にはビニールに包装された何かが入っていた。
さらにはミニスタジオのようなものがつくってある。
雑然としているが、外部の人間への窓口だけあって、明るい開放的な空間であった。
三輪がめったに訪れない部署だ。それも入り口で済ませる所用くらいで、もしかしたら、ボーダーに所属して四年近く、初めて足を踏み入れたかもしれない。
A級隊員の嵐山をデフォルメしたぬいぐるみの飾ってあるテーブル��、茶を勧められている。早く作戦室に帰りたい。自然と眉間が寄ったが長い前髪に隠されて、根付が気づいた様子はなかった。おそらく、気にしてもいない。
「原稿はこちらで用意するし、内容はちゃんとチェックしてもらうんだけどね、ダメかね」
根付が頼んでいるのは、来月に行われる三門市主催の追悼式典のスピーチだった。
近界民による大規模侵攻から四年目の式典となる。
公会堂のステージに設置した祭壇を花で埋め尽くし厳粛に行われる。市外からお偉方や著名人がたくさんやって来て、それぞれ追悼の意を表わす。最後に遺族代表数人にお鉢が回ってくる。大人枠が何名かと青少年枠が一名。
三輪に白羽の矢がたったのはその青少年枠だった。理由はボーダー隊員で遺族である人物のうち、比較的年下で一番長く所属しているからである。
日頃から「ボーダーの印象向上」を仕事にしている根付からの依頼は筋の通ったものだった。
しかも、直属ではないが上役である。
「三輪くんには業務外のことを頼んでいるのはわかっているんだけどねえ」
人を丸め込む技量の高さがなんぼの職に就いている根付だが、実はかなり弱気に出ている。
理由はわかる。
三輪に式典のスピーチを依頼するのは初めてではない。
一年目のとき、三輪は流されるままに引き受けたものの、原稿に目を通した段階で押し寄せてきた感情に引きずられて過呼吸を引き起こしてぶっ倒れ、騒ぎになったのだ。当然、本番のスピーチは見送られた。彼が中二のときの話だ。
二年目は話がやってこなかった。当時、所属していた隊の隊長である東が反対したのだと思う。頼まれたとしてもとても務まらなかっただろう。
三年目は根付は本部長を同伴してわざわざ頼みにきた。しかし、断った。三輪にとってこの依頼は荷が重く、片手間にできるものではなかった。高校生になったばかりで何かと忙しかったし、そのころ広報部隊としてメディア展開をはじめた嵐山隊を売り出す根付の派手な手法に若干いやな予感がしたのだ。
そして、四回目の式典である。
遺族でボーダー所属、さらに今年は初めて自分の部隊を結成している。
千六百人超の死者行方不明者を出した異世界からの侵略戦争によって、最愛の家族を失いながらも生き延びた子どもが立派に成長し、隊長となって隊員を率い街を守っている。
『これからもボーダーの一員として、三門市を守っていくことを誓います』
おそらく、そんな言葉で締めくくられるであろう、未来への宣誓。
三輪もボーダーの印象がよくなることに否やはない。
いまのと��ろ命令はされていないが、任務ならば遂行しなければならないというのもわかっている。
ただ、ことこれに関してはそつなくこなせる自信はなかった。
「ちょっとしたインタビューもあるけど、一局に絞るから」
「……」
元々、要領のいいほうではない。愛想はかけらも持ち合わせていない。人前でしゃべることも苦手だ。ましてや全国に映像が配信されるなどと聞くと気が遠くなる。
それだけではない。
……雨はあっという間に激しくなった。
血のにおいに、ドブのようなそれが加わるなか、ようやく彼は探し人に出会えた。
折り重なるように積み上がった死体の山が崩れたのか、その脇に彼女は転がっていた。
他のそれらと全く変わることなく、彼女の胸にはぽっかりと穴が開いていた。死に神は何もこぼさずに等しく命を刈り取っていったのだ。
「姉さん」
誰か。
誰か姉さんを。
当日は各メディアも入り、騒がしくなるであろう時期を避けて、そこを訪れることにしている。
追悼の意を込めた公園は市街地に近い高台に造られていた。
本当の追悼の場所は、いまだボーダー管理下の警戒区域だ。
まだ真新しい石碑が幾本か建っている。
円柱の形をした石碑には名前がただ刻んである。犠牲者の名前だ。
三輪は一つの石碑の前でたたずんでいた。腕を上げ、石碑にそっと触れる。指を滑らせる。知っている名前もある、知らない名前もある。ゆっくりと滑らせていく。
一点で指が止まる。
彼女の名前だった。
『誰か』
『誰か姉さんを助けて』
目の前に広がる風景はいまも鮮やかだ。音も匂いも。足にまとわりつく重さも。降ってくる雨の粒まで。
足下の彼らはみな目を開けているが、そのまぶたは動かない。その指は動かない。
今の彼は知っている。死体は苦しまない。
大丈夫だ。
向こう岸で、穏やかに微笑んでいる。そこまでの距離はいつでも一歩だ。ひとあし、踏み出すだけで届くほどに近い。
時間は流れる。仮にマイクの前に立ち、メディア対策室のしたためた美しい文章を読み上げても、もう息がくるしくなることはないだろう。それでも、引き受ける気にはならなかった。
三輪は立ち上がると頭を下げた。
「お役にたてず、申し訳ありません」
強引に話を終わらせる態度を根付は咎めず、一緒に席を立った。
「残念だけどねえ。来年もまたお願いすることになると思うけど」
来年は五年という節目の年のために大々的になるという。おおっぴらに全国規模でボーダーの存在をアピール出来る数少ない機会だ。遠征には金がかかる。そのスポンサー��めも兼ねているという。民間組織であるボーダーにとって、金の話はいつでも切実だ。
「まあ、気にしないでいい、他に方法はあるからね」
頼りになるだろう、と彼はにやりと笑った。
これからの物語を紡ぐことは彼にとっては今までの物語をひとまず終わらせることになる。彼にはそれはどうしてもできない。
向こう岸はまだそこにある、いつでも行ける。死者たちは微笑んで待っている。一歩、踏み出せばすぐに会える。
黒い河の冷たい流れに脚を膝まで浸し、目の前の彼岸を見つめて彼は立っている。
この場所から立ち去りたくはないのだ。
いまは、まだなお。
了
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P3 Club Book Mitsuru Kirijo short story scan and transcription.
桐条美鶴の暴走
桐条美鶴は悩んでいた。
どうやら、自分は普通の同年代の女子とは、少し違っているらしいのだ。
思えば、いままではシャドウとの戦いと、勉学に明け暮れる毎日だった。愛する父親のため役立つことなら、どんな苦労も厭わなかった。そしてそれは、ごく普通のことだと思っていた。ごく最近までは。
きっかけは、やはり修学旅行だろう。日ごろの学校での勉強と違い、たとえ数日のことであっても、学友たちと朝から晩まで寝食をともにすることで、ほんのちょっと、自覚せざるを得なかった。何というか、一般常識的に、自分は少しズレているのではないか、と。そういえば特別課外活動部の仲間も、生徒会のメンバーも、自分��ら距離を置いているのではと思えることが、しばしばあるような気がする。
つい先日も、真田明彦に「なあ、私は······普通とは違うのだろうか?」と率直��相談してみた。美鶴の質問を聞いた明彦は、いつもの爽やかな笑顔のままピクリとも動かなくなり、たっぷり1分ほど時間を置いた後に、個性というものがいかに大切か、ひとりひとり違う人間とはなんと素晴らしいことかといった内容で熱弁をふるい、���を歌いながら立ち去った。曲目は『世界にひとつだけの花』。最後まで、美鶴と目を合わせようとしなかったのが、印象的だった。
これはやはり、遠回しに「問題あり」と言っているのだと、さすがに理解できた。
生徒たちの上に立つ生徒会長として、そして特別課外活動部を率いる責任者として、これではいけない!いまさら、一朝一夕で一般常識とやらを身につけることは不可能だろうが、せめて、せめて周囲の人々に慕われるような、そんな人間になろう!そう美鶴が発奮したのも、無理のないことだろう。そして、彼女の性格上、行動は迅速だった。---はた迷惑にも。
「か······会長っ?いま、何と言······」
「ど、どうかしたのか?い、いや······違うな······どうかしたの?ち、千尋ちゃん?」
「か、かいちょおぉぉぉつ!?」
生徒会室に、生徒会会計である伏見千尋の絶叫が響き渡った。美鶴の“慕われる人柄になろう作戦”が発動した翌日の放課後。彼女はさっそく、それを実行し、戦果を上げていた。
やっていることは大したことではない。まずは形からだけでもと、美鶴が知る限りでもっとも人当たりがいい少女---山岸風花の喋りと動きを真似しようと思った。それだけだ。
それが、予想以上の破壊力だったことは、誰にとっても不幸なことだった。美鶴はただ、千尋の「会長、この件はどう処理しましょう?」との質問に、こう返答しただけだったのだ。
「ち、千尋ちゃんは、どうしたらいいと思う?」
そして、にっこり。
柔らかい笑顔、のつもりだが、日ごろ使っていない表情筋を酷使したため、頬の端がピクピクしていることに本人は気づいていない。おかげで、それは笑顔というよりも、どう見ても何かを企んでいる顔にしか見えない。
それでも、悲鳴を上げて真っ白になった千尋を心から心配して、美鶴が優しく声をかける。
「大丈夫?千尋ちゃんっ?」
これがトドメとなった。
ぴきっ。千尋の中で何かが壊れる音がした。
「いやあああぁぁぁあ!ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!私が悪かったなら謝ります!お願い!許して!言いたいことがあったら死ぬほど責めてくださって構いませんからぁ!丸呑みにして生きたままじわじ���胃の中で溶かしていくみたいな生殺しはしないでぇ!ごーめーんーなーさーいー!!」
ありうべからざる異常な現象を目撃し、千尋の脆弱な精神は、簡単に灼き切れていた。恐怖に翻弄され、被害妄想で心は満たされ、ついには胎児のような丸い姿勢でうずくまって、ごめんなさい会長を差し置いて彼には手を出しません、とか訳のわからぬことを呟いている。
「え······お、おい、伏見?みんな?ど、どうしたんだ?何が起こった?」
千尋の狂態に、ようやく状況に気づいた美鶴が周囲を見回したときには、すでに生徒会室の中には、まともに口がきけるものはいなかった。
「そ、それは······申し訳ありませんでした······って言うのも変ですね。うふふ」
「いや。私が半端に山岸の真似などしたのが悪かったのだ。やはり、本物には敵わない」
生徒会室の惨事が、数台の救急車のサイレンをもって幕を引かれたあと、美鶴は廊下でたまたま出会った風花を連れ高等部校舎の屋上へとやってきていた。作戦失敗に少々へこみつつ、美鶴は無断で手本としたことへの侘びを風花に告げ、自分のミスの原因を率直に訊いてみる。
「やっぱり······口調や立ち居振る舞いって、その人だけのものですから······。無理をしてもどこかでボロが出るのは仕方ないです」
「しかし、それでは······皆に一歩引かれてしまうのだ。私の態度は、どうも硬すぎるらしい」
「だったら、話す内容かなあ······」
「内容?」
「少ししか······一緒にはいられませんでしたけど、荒垣先輩って話してみると面白い人だったんですよ。最初はちょっと怖くて近づきにくかったですけど、けっこう冗談とか言うし」
「冗談か。なるほど······」
美鶴の脳裏に、高等部に上がったばかりの頃の荒垣の面影が浮かぶ。確かにあの事件が起きるまでの荒垣は、どちらかというと陽気なタイプで、いまで言えば順平のようなパーソナリティの持ち主だった。
「そうか······納得いった!山岸、恩にきる!」
「え?あ······桐条先輩?どちらへ?」
「さっそく寮に帰って、草稿を練ってみる!明日は幸い、全校集会がある日だからな!」
そう言って、風花を取り残したまま、猛スピードで美鶴は立ち去った。それは、入浴中に「わかった!」と叫んで裸のまま往来へ飛び出したアルキメデスのような勢い。もちろん、美鶴は何にもわかっちゃいなかった。
翌日の朝、講堂には集会のため全校生徒が集まっていた。恒例の眠気を誘う校長訓示、学年主任教師からの諸注意のあと、「続いて、生徒会からのお知らせがあります。会長、どうぞ」とのアナウンスが、エコーを伴い講堂に響く。そして、いつものように堂々と背筋を伸ばした。桐条美鶴が壇上��姿を現わした。
カツカツと靴音を響かせ舞台中央に立った美鶴は、演台上のマイクの角度を軽く直し、視線を前に向けて講堂を隅々まで脾説する。それは正しく、王者の貫禄。昨日のようなイカレた様子は微塵も感じさせない、常と同じく凛々しい姿に、舞台袖に控える生徒会役員たちが胸をなでおろした、その瞬間。
「······おっはー☆」
······ざわつ。
軽く短いざわめきが広がる。一瞬、その場にいた全員が、自分が幻聴を聞いたと思ったに違いない。ただひとり、山岸風花だけが、昨日の不用意なアドバイスのことを思い出し、顔面蒼白にして固まっている。
ざわざわざわざわ。
徐々に増えるざわめきに、美鶴は焦っていた。おかしい。こんなはずではなかった。最初に軽いツカミで聴衆の緊張をほぐし、その後、小粋なジョークの連打で笑いの渦を我が物とするはずが······。そのために、わざわざ古書店で『アメリカンジョー 100選』やら『大人のフランス小話』やらを買い漁って研究したのに。やはり、美鶴が幼いころに 一世を風靡した朝の子供向け番組の名セリフとはいえ、ネタが古すぎたのだろうか?しかし、最近では滅多にテレビも見ない自分に思いつくネタは······あった!確か伊織が言っていた最近流行りの······。
「······お手上げ侍」
しーん。
今度こそ静寂が周囲を包み込む。生徒ひとりあたり、平均して5本ずつ白髪が増えていた。もはや働く者はいない。そして、しばしの言葉の真空状態を経て、「いやあぁぁぁぁぁ!!」と響き渡る千尋の絶叫。昨日のトラウマが、このタイミングで蘇ったようだ。ここが学校でなく職場だったら、PTSDで労災がおりるに違いない。
その日、月光館学園に緊急出動した救急車は、10台を越えたという······。
放課後、今度こそ真剣に、美鶴は落ち込みまくっていた。ほぼ徹夜で考えたスピーチが目も当てられない失敗に終わったことも原因だが、何より、アドバイスを活かせなかったことを風花に告げに行った際。
「別に構いませんけど、今度からは一般人の目の前でマハブフダイン (氷結ハイブースタにより威力1.5倍) は止めてくださいね、うふふ」
とか、ぐっさり言われたことが、相当に堪えていた。あれで、風花は意外と毒がある。ちなみに風花の目は、微塵も笑っていなかった。
そんなわけで、美鶴は意気消沈して寮への帰路をとぼとぼと歩いていた。と、そこに。
「あれ?やっほー、美鶴センパイ」
と、声がかけられる。それは、美鶴も良く知った、岳羽ゆかりの声であった。いつもならここで、「ああ、ゆかりも今帰りか?」などと、自然と会話が始まるのだが、連日の失敗で美鶴はすっかり調子を狂わせていた。思わず、美鶴の口を突いて出たのは。
「や、やっほぉー、ゆかり······」
言葉が美鶴らしくないなら、態度も美鶴らしくなく、ゆかりの反応を下から窺うような、おどおどした表情になっている。
「······」
「······」
「······きもっ」
ぐっさり。
容赦のないゆかりの言葉が、美鶴の胸に深く突き刺さる。そして---。
「う······ううっ」
「あ、あれ?美鶴センパイ?」
「······うえっ」
「え?ウソ?ちょ、ちょっと泣かないでくださいよ!ご、ごめんなさい、ごめんなさい。ちょっとした冗談ですから。あー、よしよし」
子供のように、美鶴は泣きじゃくっていた。
---夕刻。なかなか涙が止まらない美鶴を、ゆかりは長嶋神社の境内へと連れてきていた。小さジャングルジムや、その向こうの境内が、照り映える夕陽で橙色に染まってゆく。
「すまない······ゆかりにまで、愛想をつかされたかと思って、つい······」
「だーかーら!違いますって!だいたい、仲良くなかったら上級生相手に『きもっ』なんて言えるわけないじゃないですか?」
やや目の端は赤いものの、美鶴は何とか泣き止んで、今は少し落ち着いた様子だった。
「で、いったいどうしたんですか?今日のセンパイ、はっきり言ってヘンでしたよ?」
親しさゆえとはいえ遠慮のないゆかりの物言いに、美鶴はうぐっと言葉を詰まらせるが、それでも淡々と先日からのことを説明した。すべてを聞き終えたゆかりは、大きく溜め息をつくと、ばっさりと切り捨てるように言う。
「バッカじゃないですか?」
「ば、馬鹿とは何だ! これでも真剣に······」
「バカですよっ!」
そう言って美鶴の目を見つめるゆかりの表情は、なぜだか少し怒っているようだった。
「ゆ、ゆかり?」
「センパイ、ぜんぜんわかってない!」
怒っているようで、それでいて、少しだけ寂しさを含んだ顔。
「いいですか、一度しか言いませんよ?少なくとも寮の連中や生徒会の人たちは、誰も美鶴先輩を敬遠なんて、まして嫌ったりなんてしてません!見ててわからないんですか?」
「ゆかり······」
「風花が美鶴先輩に親身にアドバイスしたのはどうしてです?いつもと違う先輩にみんなが驚いたのは、いつもの先輩がいいと思ってるからでしょ?まったく、いつも自分ひとりで納得して突っ走るの、悪い癖ですよ?」
「私は······このままでいいのかな?」
「そのままの先輩で、いいんです!」
「······一般常識がなくても?」
「はなから期待してません!」
「······嫌われて、ないか?」
「みんな、先輩が好きなんです!」
どくん。
ゆかりの言葉に含まれた、ひとつのキーワードが、美鶴の胸を打つ。それは、自分でも気づいていなかった、もっとも欲しかった言葉。
「も、もう一度!」
「へ?」
しょんぼりと気力を失っていたはずの美鶴が、一転してすごい剣幕でゆかりに詰め寄る。
「いまのセリフ······」
「え?みんな······先輩が······好き?」
じ~ん。
そんな描き文字がバックに見えるように、美鶴は全身を震わせ��感動していた。そして、 さらに顔を紅潮させつつ、ゆかりを問い詰める。
「ゆ、ゆかり······は······どうなんだ!?」
「わ、私っ!?私は······きですよ」
「聞こえない!」
「あー、もう!そんなことわざわざ口に出して言わなくても······。あ······」
言わなくてもわかるだろう、と言いかけて、ゆかりは美鶴の目を見てしまい、そして悟る。美鶴はもちろん言わずとも理解していた。だが、いま必要なのは、はっきりとしたゆかりの言葉なのだ。それを訴えかける、美鶴の必死な視線を受けて、ゆかりは苦笑しつつ言った。
「私も、美鶴先輩が好きですよ。······ほ、ほかの��と同じようにですけどね」
心からの言葉を美鶴に贈り、それでも妙な感じに誤解されないよう釘を刺すことも忘れない。
「さ、さて!そろそろ暗くなりますから、さっさと寮に帰りましょう!」
ゆかりが、軽く染まった頬の色を隠すように、ベンチから腰を上げて美鶴に背を向けた。そしてそれを追うように、美鶴も慌てて立ち上がる。
「お、おいゆかり!ちょっと待て、できればもう一度······その······」
ゆかり以上に頬を染めて、美鶴が先ほどの言葉を重ねてねだる。しかし、ゆかりは構わず先をずんずんと歩いてゆく。
「知りません。もう十分でしょ?」
「······ゆかりは、意外とケチなのだな······」
「ケチって何ですか!ケチって!」
「ケチじゃないか。先日だって······」
「あ、それ蒸し返します?先輩こそ······」
ぎゃあぎゃあと喚きつつ、薄明のなかを歩くふたり。その姿は、10年来の親友同士のもののよう。美鶴の小さい悩みは、いつの間にか春の雪のように融け去っていた。
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠��の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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26/12/22
日記、人に見せるものという意識があるために、あまり重たくならない様に調整してしまうが、それでは嘘になってしまう。わたしの人生における出会いも気づきも抑うつもまた、全て等しくこの身に起こっていることであり、どれも誇張されたり退けられたりするべきではない。しかし、やはりこれは他者が読むものであるため、生々しい言葉を使うべきでもない。色んなべきではないを抑えて折り合いが付くように言葉を選んでいくのは、自分に正直であり続けるためだな。
スペイン旅行の3日目にバルセロナで高熱を出し、5日間は調子が戻らずほぼ寝たきりだった。バルセロナではピカソ美術館とカタルーニャ美術館へ行ったきりで、海辺のホテルで療養していたにすぎない。熱を出した翌々日に宿の関係でマドリードへ移動せねばならず、熱で二倍になった重力の元、特急の始発駅へ向かっていた。運が悪いことに地下鉄で貧血を起こし、降りた駅のベンチで横になっていたら、心優しく声を掛けてくれたスペイン人が水を買ってバナナを分け与えてくれ、本当に助かった。マドリードの宿へ到着してからも、一日に二度、外食のために身体を起こすのが精一杯で、ただずっと具合が悪かった。せっかくのスペインだったのだが、ベッドでM-1決勝戦ネタを観たりしていた。イギリスに帰って、餅、つこうぜ。
どうしてもうどんが食べたくなる。Googleマップでうどんと検索し、ちゃんと日本人が作っていそうなおうどんの写真が出てきたので、今夜はここへ行こうと星マークをつけようとしたら、店名が「donzoko」だった。どん底スペイン旅行。お店へ行くと、おそらく同年代の日本人の男の子が接客をしてくれ、スペインでワーホリをしているとのことだった。スペインワーホリは4年前くらいにできたらしい。英語圏の次は別の言語の国へ行ってもいいね。海外にはトリリンガルの人とか結構いるし、フランス語なんか喋れたら素敵だな。肝心のおうどんは、おつゆが甘じょっぱすぎた。かなりまともな日本料理屋だったけど、味はなんだか惜しい。お出汁にこだわる家で育ったから、もしわたしが日本料理屋で働いたらお出汁にめちゃくちゃ口出ししちゃうかもしれない。オーダーではなく出汁をとらせろ。ちなみにどん底の由来を彼は知らないとのことだった。
具合が悪いとしか言いようがない。これがコロナなんだとしたら、全く脈絡のない刺激で悲しくなってしまうのも症状のひとつなのかもしれない。着ているフリースの毛流れがあまりにふわふわと立体的で、悲しくてたまらない。ひとしきり悲しんで眠りに落ちると、フリースを着て眠っていたはずなのに脱いでいて、足元のベッド枠に掛けられている。睡眠時遊行症もコロナの一症状なのかもしれない。
マドリード3日目。ずいぶん長く歩けるようになるまで回復する。病み上がりにはいつも辛いものが食べたくなるが、今回も例に漏れず、口コミのよい韓国料理屋を探して向かう。店内はいっぱいだからテイクアウトなら、とのことでスンドゥブチゲを注文。女将さんがスペイン語と韓国語と英語をない混ぜにして喋るので全然わからなかった。英語圏ではない国へ旅行する場合、必ずしも英語が通じるとは限らず、メニューが現地言語表記のみだったりすると本当に詰んでしまう。ヨーロッパ言語は英語に似ているみたいな話をしたけど、音が似ているわけではなく、全くスペイン語がわからない英語学習者にとってのスペイン語はもちろんどうぶつ語である。20分後にできるからとのことで、外へ出てベンチに腰掛けスンドゥブを待つ。マドリードは至るところにベンチがあってよい。バルセロナは暖かくて春の匂いがする午後さえあったが、マドリードは少し肩が縮こまる。それでも、ふくらはぎが出るワンピースを中に着て20分間ベンチに腰掛けることはできるような温度感だ。店へ戻ってスンドゥブを受け取る時、女将さんがにっこりしながらポンポンと肩を叩いてくれたが、韓国語を喋っていたのでどういう意味だったのかわからない。ゆっくり食��られそうなベンチを探しながらしばらく歩いていると、○○町第一児童公園 みたいな名前が付いていそうな、寂れつつ小綺麗な公園があったので、そこでスンドゥブを広げることにする。付け合わせで、火を通した茄子を塩辛い餡のようなもので絡めたおかず、じゃがいもとにんじんを千切りにして塩で味づけした炒めもの、がびっくりするほど美味しかった。塩気の効き具合と火の通し加減が絶妙で、こういうのを家庭料理のおいしさというのかな。スンドゥブは辛さが足りずもどかしかったので、辛さを求めて、夜にまた別の韓国料理屋へ行く。両側をスペイン風のアパートで挟まれた、狭くて歪んだ石造りの坂道を少し登ったところにある、地下に店を構える韓国料理屋で、地上から階段で半分下がったところに入り口があり、お辞儀をするような格好でドアを押す。ここではビールを解禁してサムギョプサルをしたのだが、にんにくが付いていなくてふざけているのかと思ってしまった。シメにいただいたユッケジャンは微妙な見た目して味は一品だった。熱くて舌が焼けそうなほど辛い。そういえばどちらの韓国料理屋でも、日本人だと告げると(韓国人ではないため)ちょっと残念そうな顔をされつつもなんだかんだ良くしてくれて、アジア人というアイデンティティが芽生えつつある。満足して帰路につき、ゆっくりシャワーを浴びて早く寝ようと思っていたのだが、なぜか宿のバー巡りイベントに参加することになり、お酒を解禁してグラスビールを許した段階なのにショットを5杯飲む夜になってしまった。塩とライムで飲むテキーラっておいしいんだね。同じ宿に泊まっている人たちと英語で喋るよい機会だったけど、ナイトクラブの雰囲気がめちゃくちゃ苦手だったのでそそくさと抜け出して帰った。
丸一日自由に使える日を二日間残して体調が戻る。マドリード4日目。普段の調子も戻ってきて、スペインでようやく息ができた朝だった。宿の近くに、スペシャリティコーヒーと看板を掲げるカフェが連なるスペシャリティコーヒー通りがあり、どれもわたしが知っているそれとは雰囲気がかなり違ったので、広義のスペシャリティコーヒー、と思った。スペシャリティコーヒー通りのカフェのひとつがBrunchをやっていて惹かれたのでふらりと入る。(おそらくスペシャリティ)コーヒー、足のついたグラスに注がれた生のオレンジジュース、アボカドと生ハム(たっぷり!)とトマトソースのバケットトースト、クロワッサン、グラノーラと果物のヨーグルトで完璧なブランチ。ヨーロッパでは基本的にどんな食事にもナイフとフォークが添えられているが、バケットトーストをナイフで切ってフォークで口に運ぶのも優雅でよかった。オーダーを取ってくれた店員が、日本好きだよ、In the Mood for Loveが好きなんだ、と話すのに対し、背中合わせの客が、それは韓国映画だね、と割り込む。どうやらウォンカーウァイの花様年華のことを話しているらしかった。お会計の時、あなたは主人公によく似ているから観てみてと、伝票の裏にIn the Mood for Loveと書き込んでくれ、なんだか映画のワンシーンみたいだった。カフェを出てプラド美術館へ向かう。スペインといえばプラド美術館と思っていて、それはそれは様々な西洋画が見られるのだろうと期待していたのだが、展示内容にはかなり偏りがあった。Wikipediaによると、プラド美術館は歴代スペイン王家のコレクションが大半で、歴代王の趣味やスペイン史を反映しているためにルネサンス、バロック絵画に偏っているとのことだった。確かに、モネとかゴッホとかは全くなく、宗教画ばかりだった。じっくり館内を見て回っていると、ぐっと引き込まれてしまう絵がいくつかあった。なぜだろう。おっきくて本物だから?光って見える絵とかもあった。宗教画はものすごく精巧な絵画で、一言でいうと、絵がめちゃくちゃうまい。そしてどの絵にもドラマ、ストーリーがあって、人が血を流して死んでたり泣いてたり呆然としてたりなど、どうしたんだろうとシリアスになって絵に近づいていってしまう。Antonio Munoz Degrain の The Lovers of Teruel と、Juan Luna の Cleopatraが特に美しかった。ところで翌日も酔い続けているタイプの二日酔いで訪れる美術館てなんて心地いいんだろう。身体に一定の負荷がかかっているために、余計な言葉や思いだしたくない悩みが引っ込み、視覚から絵を楽しめる。あとこの日はコンタクトレンズをしていて、眼鏡とは見え方が異なる気がした。コンタクトレンズの方が、より鮮明に立体的に見える、ために絵が飛び込んでくる。一通り見終えて、ソフィア王妃芸術センターへ本物のゲルニカを見に行くため、マックで腹ごしらえをする。小腹が空いていて時間も微妙な時にちゃくっと行くマックは楽しくて美味しくて好き。閉館まで時間がなくて、駆け足で回っても全ての展示室へは行けず、近代的なおもしろい展示もやっていたから勿体なかった。この夜も韓国料理を食べる。
マドリード5日目。マドリードはよい街。まずスーパーがいい。並んでいる野菜や果物はぱつっと新鮮だし、鮮魚コーナーはでっかい魚が氷に埋まっていて、精肉コーナーには生ハムの原木がぶらさがっている。何より床が綺麗で店が明るい。(ロンドンのスーパーはなんか散らかってる。)ティッセン=ボルネミッサ美術館へ行く。ここはプラド美術館とは異なり、かなり満遍なくコレクションされていて、おすすめルートで回ると西洋美術史の流れに沿って作品を鑑賞できるようになっていてかなりよかった。Edward HopperのHotel Roomを長い間眺めていた。とても好きだったので、絵がプリントされたクリーニングクロスをお土産に購入した。さすがに二日酔いは治っていたと思うけど、心地よさは継続していて、夏を想起させる様な色彩鮮やかな厚塗りの抽象画を見ていると、幸福な気持ちでいっぱいになった。美術館行って幸福な気持ちになって出てくるって体験として最高だなあ。
美術館へ行ってばかりの旅だったけど、美術館��わたしは何をしているんだろうとふと。多分、作品を見てるだけじゃないんだよな。建築設計の妙でもたらされる幸福感とか、絵を眺める人を眺める時、すれ違う人の放った言葉が耳に入ってくる瞬間、あんま面白くない作品が続くゾーン、はっとして吸い寄せられてしまう絵、の合間合間でメモアプリに書き留められる断片的な自己理解や新しい思いつき、の全て。チケットの列に並んでから夕暮れ時に出口をくぐるまでに起こる全ての体験。そういう娯楽。
旅をしていると、こうすればこうなるだろう、からこうする、みたいに、今の不安を未来の自分に解消させるべく、筋道立てて人生設計して未来を計算しながら生きるのをどんどんやめていくことが今を幸せに生きる方法のような気がしてくる。そのような設計はどうしても垂直な要素を含むが、わたしは人生をどこまでも広い平面として生きていきたい。設計が必要になったとしても、資本主義的垂直ではなく平面的な心持ちで努力をする。垂直に生きないと何かがダメになるというのは資本主義社会の幻想であって、平面的に生きても、何かが減ったりツケが増えたりするわけではおそらくない。やりたいこと、知りたいこと、行きたいところを正しく把握するために、自分の心の機微に敏感になっておくこと。今嬉しいのかつまんないのかをわかるようにしておくこと。その上でやる力、やり通す体力と精神力を備えておくこと。この辺りが大切なんだろうなと思う。
クリスマス当日は快晴。ロンドンへ戻る。滞在中に何度か行った宿の近くのカフェへ朝ご飯を食べに行った。おおきな(本当におおきな)チョコレートケーキを食べながら、これクリスマスケーキだ、と思う。大型犬を連れた客が入店してきて、ヨーロッパの犬寛容社会、と思う。フライトの時間が迫っていたので、バタバタとチェックアウトして駅へ向かうと、広場で露店マーケットが開かれていた。15分だけ、と急足で露天を見て回り、変な蟹のピアスを3€で購入した。うれしい買い物。ピアスだけはいくつ所持してもよいことになっている。空港で手荷物、予約時の規定では8キロ制限だったのに、チェックイン時に計って9キロで、超過してるか聞いたら問題ないとのことで首を傾げていたら、搭乗時に10キロまでと書かれた表示を見つけ、何がどうなってんねん。手荷物検査すぐ終わって余裕だと思っていたら出国審査に並んだ。出国審査はある空港とない空港があるけど、どうなってんねん。昼下がりのエアヨーロッパ。搭乗した機内には柔らかく日が差し込み、滑走路の離陸ポイントへ移動する間、角度を変えて入り込んでくる日が窓際、手元、手荷物棚とあちこちにひだまりを作る。空調が機能していないのかよく暖まり、うとうと眠りに落ちてしまう機内は、まるで水泳の後の授業か、あるいは放課後のようだった。到着先のガドウィック空港のストライキを心配していたが問題なく入国でき、ロンドン市内まで帰ってきたが、鉄道とバスのストライキは全く予想しておらず、家に帰る手段がタクシー以外に何一つなかった。距離を調べたら徒歩3時間だったので余裕じゃん!と心が軽くなり、旅行前は氷点下だったがこの夜は10度近くあったため、歩いて帰ることを決めた。
一人旅、向いていないかもしれないけど、好きでいたい。旅行中に、そういえば母親にスペイン旅行のこと連絡していなかったなと思ってラインしたら、ひとり旅!? あなたは勇気あるねえと返事がきた。誰かがいないとできないとか、ひとりだと寂しいとかいう次元とは別のところにいたくて、旅に限らず、お酒を飲みに行ったり映画を観に行ったり、なんでも一人でやっているのかもしれない。そして一人旅では、すぐには言葉にならない水面下で何かが、大きな攪拌が起こっているような気がする。旅行前半は、ちゃんと仕事も決まっていない無職なのに貯金を切り崩して10日間もスペイン旅行だなんて、という思考に囚われていたけど、ロンドンに帰ってきたら、そういう悩みが削ぎ落ちていて、空いた分をどうでもよさ、寛大さが占めていた。まだ無職でいいや、というニュアンスのどうでもよさではなくて、もっと前向きな力の抜け方。旅行をすればするほど、人生に対して前向きにおおらかになっていくのかもしれない。
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交際相手の女性を殴ってけがをさせたとして、警視庁は職業不詳の増田遼太郎容疑者(25)=東京都渋谷区広尾1丁目=を傷害の疑いで逮捕し、31日に発表した。「顔をたたいたことに間違いありません」と容疑を認めているという。女性は死亡し、警視庁は経緯を調べる。 捜査1課によると、逮捕容疑は8月29日深夜から30日にかけて、自宅で、交際相手で会社員の村田結さん(25)=千葉県印西市=の顔を殴るなどの暴行を加え、けがをさせたというもの。 増田容疑者が30日午前10時半ごろ、「彼女が倒れて意識がない」と119番通報し、事件が発覚した。村田さんはその場で死亡が確認され���顔や体にはあざがあったという。 増田容疑者は2021年ごろに村田さんと知り合い、同居していたという。「部屋の温度をめぐって口論になって顔をたたいた。朝起きたら倒れていた」などと供述しているという。(遠藤美波)
「室温で口論に」交際相手の顔殴った疑いで男逮捕、女性は死亡 渋谷:朝日新聞デジタル
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「レタスの健康効果と食べ方」
家庭でもお馴染みのレタス。
個人的な話ですが、レタスが大好きで子供の頃は、マヨネーズ片手にレタスまるまる一個平気で食べていました。
レタスがあれば、おかずすらいらないと言えるほど好きな野菜でした。
そんな、食卓に欠かせない野菜、レタスについてです。目次
レタスの歴史
レタスの健康効果
レタスに含まれている栄養素
レタスの産地
レタスの美味しい食べ方
最後に
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レタスの歴史
レタスはエジプトの古代文明から栽培が始まっていて、古代ローマでは健康に良い歯磨き用にも使われていたみたいです。
日本には奈良時代に入って栽培が始められ、江戸時代には庶民の味わい深い食材として人気を呼んだそうです。
そんなレタスが今では、サンドイッチやサラダの定番食材として大活躍しています。
レタスの健康効果
レタスは、サラダなどで使われることが多い野菜の一つ。
栄養素は水分が多く、カロリーも低いことから、ダイエット中の人にも人気があると言われています。
しかし残念な事に栄養素の少ない野菜と言われがちです。
だけと本当は、結構意外な栄養素が含まれているって知ってました?
レタスに含まれている栄養素
レタスに含まれる栄養素としては、
ビタミンA
ビタミンK
ビタミンC
カリウム
が豊富に含まれています。
特に、ビタミンKは骨粗しょう症の予防に効果的で、カリウムは高血圧を改善する効果があると言われています。
また、レタスに含まれる食物繊維は、腸内環境を整え、便秘の解消にも役立つと言われているから、積極的に取り入れるのがお勧め。
またレタスには、ビタミンB6も含まれているので、疲労回復にも効果的です。
糖質も少なめなので、低GI食品としても適しています。
レタスの産地
茨城県のひたちなか市や千葉県の野田市、鹿児島県の伊佐市などがレタスの生産量が多い地域だって有名です。
しかも、この地域で生産されるレタスは美味しいと人気があります。
また最近は技術の進歩により、温室栽培や水耕栽培などが行われています。
特に、水��栽培は無土栽培という方法で、土壌による病気のリスクがないだけでなく、省スペースで効率的に栽培が可能。
また、工場では必要な水分や肥料を給水するシステムや、時間調整の自動化も進んでいます。
これによって、常に一定の品質のレタスが生産できるようになったそうです。
レタスの美味しい食べ方
次に、レタスの食べ方です。
レタスを単品で食べるのもいいのですが、どうしても味気ない感じになってしまうことが多いかも知れません。
レタスの風味は、市販のドレッシング、を使うのはもちろん、自作でつくるドレッシングで酢、オリーブオイル、レモン汁やしょうゆなどでアレンジすれば様々な味の変化を楽しむことができます。
また、レタスには抗酸化作用があり、保存性が高いのも魅力のひとつなので、常備菜としても使えるということも。
ただし、レタスは水分が多いため、カットしてから早めに食べることをおすすめ。
最後に
以上、レタスの健康効果や食べ方について紹介しました。
食物繊維に富んだ、健康にも美容にも良い野菜なので、積極的に使ってみてはいかがでしょうか。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
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「室内インテリア素材デザインコンテスト」審査結果発表
一般社団法人ファブデザインアソシエーション(FDA)の主催で開催された「室内素材デザインコンテスト」の最終プレゼンと審査が11月1日に行われ、各賞の入賞者が決定しました。
協賛者である(株)中央建設の代表取締役・雨宮達也氏をはじめ、拓殖大学工学部デザイン学科のアルバレスハイメ教授、審査員5名による厳選な審議を行いました結果、残念ながら今回については、最優秀賞は該当者を選出することができませんでした。審査員の判断により、入選者のプレゼンテーションと作品の完成状況から判断して、商品化にまでいたる可能性のある作品が選出できなかったためです。
一方、優秀賞(賞金1万円)については3名を選出。全作品の中ではユニークな作品でしたが、レーザー加工での商品化を進めるには未だ課題が多いものと判断され、優秀賞に選出されました。
そのほか、佳作2名(記念品)を選出。
また、今回は高校生の方々からの応募もたくさんいただきました。
まだレーザー加工機の体験のない状況にもかかわらず、作品制作に挑戦いただきました2名に特別に奨励賞(図書カード5千円分)を差し上げることが審査員により決定いたしました。
今後、実体験を積み優秀な作品を生んでいただくための激励の気持ちを込めて選出されました。
また、応募いただいた方全員に記念品を贈ることとなっています。
なお、各賞の入賞者および作品写真・アイデアは以下になります。
【最優秀賞】 該当者なし
【優秀賞】
「ゲーミングPC用カバー」 大久保璃空さん(会社員)
(審査員評)コンテストへの果敢な挑戦をいただき、ありがとうございます。テーマ内容が具体的で分かりやすい内容でした。 ただ、今回のテーマであるインテリア素材として、商品化するには市場性や製品化の条件があまりにニッチである点などの懸念もあり、審査員は優秀賞に留めさせていただきました。 オンラインゲーマーのニーズがどこまで高いのか、高い場合にはそれに対する供給体制をどのように対応していくかなど、かなりハードルの高いご提案と判断した次第です。 今後とも、私共の活動に興味をもっていただき、ご協力をいただければ幸いです。
(受賞の感想)この度の受賞、大変嬉しく思います。本デザインは、ゲーミングPCが空間の一部として自然に溶け込みながら、ゲームの楽しさと情熱を表現できることを目指しました。コントローラーをモチーフにした総柄をレーザー加工で仕上げ、ゲームの雰囲気を残しつつ、インテリアとしても調和するよう工夫を重ねました。その取り組みが評価され、この賞をいただけたのだと思います。この受賞を励みに、今後も製品づくりに努めてまいります。
【優秀賞】
「落葉」「開花」「理(Kotowari)」 五條優希さん (大学3年)
(審査員評)3つのテーマを提示されました。せっかくならそれに関連性(ストーリー)をつけてプレゼンテーションされる���のと期待をしていましたが、手法も素材も異なり、ほとんど関連性がないこともわかりました。 ただ、3つ目のパターンで、実際にアクリル面をレーザーのパラメータを変えて試行されたことについては高く評価します。しかし、アクリルの融解の偶然性がうまくいかないケースもある加工方法だけに商品化は難しいのではないかと懸念します。 発展の可能性は期待できますので、これからの学生生活でおおいに試行錯誤を重ねる努力をしていってください。期待しています。
(受賞の感想)このたび、「室内インテリア素材デザインコンテスト」で優秀賞を獲得させていただきました。ありがとうございます。今回が第一回ということで、コンテストの規模や過去作品など、何もわからないところからのスタートでした。色々と課題やインターンの重なる中、3つの作品の実験を行いながら進めました。来年、もし開催されるようでしたら、ぜひ参加したいと思います。この度はありがとうございます。
【優秀賞】
「動きのある壁面」 千脇義己さん(大学4年)
(審査員評)テーマからすると、スタティックな壁面でなく、ゆらゆらと揺れる何かを想像させました。しかし「弓型のユニットをレーザーで加工して積層する壁面」で留まってしまったのが残念です。 具体的に「動き」と「展開」のディテールが説明されない状態でプレゼンテーションが終わってしまっているために審査員に対して伝達不足となってしまったようです。 大学の最終学年ですが、社会人になってもストーリー(シナリオ)組み立てて、自分のコンセプトを的確に人に伝達できる能力を身に着けていかれるよう努力を重ねていってください。期待します。
(受賞の感想)
今回、このような賞を頂けたこと誠に嬉しく思います。本コンテストにおけるデザイン提案は、室内インテリア素材という点で、実現性を模索してのデザインだったため、面白さに欠けるデザインであったことが、今回の反省点だと感じました。実現性を求めるより、非実現的で独創的なデザインをどう実現化するのかが、デザインの面白いところだと気づきました。今回の受賞を糧に、これからも創作活動を続けていきたいと思います。改めて、本コンテストを開催していただき、誠にありがとうございました。
【奨励賞】
「アラベスク模様を応用する」 大西勇太朗さん(高1)
(審査員評)アラベスク模様にヒントを得、基本パターンを複数回繰り返すことにより、様々な形に展開できる視点に着目され、それをシンプルなパターンを基本造形に応用して新しい造形美を試みようとされたところは高く評価します。 ただ、今回の課題のレーザー加工によるデザイン展開にまでの作品提示にいたらず、照明器具のカバーへの応用等、展開提案の入口までで終わってしまったことが残念でした。 これからも実際の作品加工の体験を通して、素晴らしい作品を発想していくよう努力していってください。期待しています。
【奨励賞】
「棘の花」 大塚翔太さん(高1)
(審査員評)PCの道具である、中学時代のフォトショップ体験、高校時代のイラストレーター体験を通じて発想展開を学ばれたプロセスはよくわかりました。 その後の「棘の花」という着目点についても、審査員全員が期待をしました。しかしその結果の「花柄」が「愛の不時着」や「恋愛」などの結論に向かって辻褄が合わなくなってしまったのが残念です。 これからは、掲げたテーマと結果である作品の関係性をしっかりと説明できるストーリー(シナリオ)を描いて説明できるよう勉強を積み重ねていってください。期待しています。
【佳作】
「みなも」 鳥飼千歳さん(会社員)
(審査員評)プレゼンテーションの時間帯に参加できなかったので残念でした。光源と影の関係性とレーザーで加工した作品(2枚の板を90度ズラシ)など、資料だけでは具体的な効果が想像できなかったこともあり、残念ながら佳作とさせていだきました。今後のご活躍に期待します。
【佳作】
「時」 長谷部知也さん(大学3年)
(審査員評)「時」というと時計や刻みを真っ先に思い浮べます。作品については「障子にレーザー加工でパターンを描く」一例を提示されていましたが、実際は白い和紙にレーザー加工で穴が開いた状態となるわけですから「黒いパターン」は穴が開いた「光が差し込む部位」になるはずです。ということは、「障子の白色」より明るいわけですから、黒いパターンではないはずです。 デザインする上で実際に使われるシーンを頭に描いて発想し、それを試作しながら検証していくプロセスをもう少し勉強していってください。まだ3年生ですので間に合います。期待しています。
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