#千葉国際水泳場
Explore tagged Tumblr posts
itokawa-noe · 1 year ago
Text
「叫び」を執筆した経緯について
私の書いたSF掌編「叫び」が、第3回かぐやSFコンテストにて審査員特別賞を受賞しました。
私にとって、かぐやSFコンテストで最終候補に残ること、もしくはKaguya Planetに作品が掲載されることは、ひとつの大きな目標でした。それを上回る結果に驚きつつ、喜びを噛みしめています。
大賞を受賞された暴力と破滅の運び手さん(「マジック・ボール」推し作品でした!)、読者賞を受賞された牧野大寧さん、おめでとうございます。
他の候補作も素晴らしいものばかりで、この10作で最終レースを走れて幸せでした。『新月2』でまたご一緒できることが、光栄で、恐ろしいです。
***
以下の文章は、「叫び」を執筆した経緯について書いたものです。
いったん送り出した作品については、あまりコメントしないようにしています。作品の陰から糸川という人間が顔を出したところで、ノイズになることはあっても、プラスに作用することはない、余計なことはしゃべらず黙っとこ、という考えです。
今回、例外的にやってみようかな、という気になったのは、過去の二度のかぐやSFコンテストの際に、最終候補作の著者の幾人かが思考の過程をブログなどで明かしてくださったことを思いだしたからでした。それらの文章に、その向こうに覗く生身の人間のすがたに、技術面においても精神面においても、大いに助けられてきた。その一つひとつをふりかえっていたら、自分もなにか書いておきたくなりました。
長くなりますが、よろしければお付き合いください。
ーーー
・テーマ「未来のスポーツ」への率直な感想:
お題発表を受けての率直な感想は「むり」でした。
スポーツは苦手です。興味も、あるかないかで言えば、ありません��
なんとか書けるかもしれないのは、経験のある水泳、持久走、バスケットボール?
あるいは(ここ数年の自分の関心事項のひとつが「人間以外の生き物との共生」なので)動物が関わる流鏑馬、乗馬、競馬、ドッグレースあたりならば、興味が持てるかもしれない。
そんなところからネタ出しをはじめたのですが、良い案が浮かばず、足踏み状態がつづきました。
ちなみに、オリジナルの競技を作ることについては、考えもしませんでした。4,000字の尺のなかにルール説明から競技シーンまでを収めるのは技術的に不可能だと思ったからです。この難題に果敢に挑んだ作品のひとつ「城南小学校運動会午後の部『マルチバース借り物競走』」の読者賞受賞は、嬉しく、気持ちのよいものでした。
ーーー
・「かぐやSFコンテスト」という場をふまえて:
「私たちは、”世界の人々に読まれる”という前提でSF小説を書いてもらうこと(略)で、日本のSFを更に前進させていきたいと考えています。」
コンテストのステートメントにあったこの言葉を、私は以下のように解釈しました。
「もしも世界中のひとと対話ができるなら、なにについて話したい?」
わくわくする問いかけです。遠くを見ようとすることで視野が広がり、ふだんの自分には書けないものが書けるような気がしてきます。
伝えたい、とか、訴えたい、とかではなくて、意見を交換し、語りに耳を傾けあい、それぞれの日常に戻ってからも考えつづけたい。そんな、私たちみんなにとって大切な話題ってなんだろう?
ただ、これに拘りすぎると、おそらく作品が押しつけがましくなってしまいます。
あまり意識せず、だけどふんわりと頭の片隅に漂わせておく。そのていどに留め、モチーフやテーマを探しつづけました。
ーーー
・はじめに書こうとした話:
デザインド・アスリート(競技をするために遺伝子操作で作り出された強化人間の意。造語)の女子短距離走選手が、事故によって心身に傷を負う。乗馬療法を受けるために訪れた牧場で、彼女は、今は存在しない競馬という競技のために作られた、サラブレッドという種の馬と出会う。役目を失い絶滅危惧種となったサラブレッドと交流するなかで、その姿に自分自身を重ねるようになり……
という話を考えていました。
ざっと書き、捨てました。
これじゃ、馬が人間を描くための道具になってい���。
ーーー
・馬を描くなら馬の話を:
人間を描くための道具として、馬を使いたくない。そう思ったのは、私が日頃から人間中心主義を居心地悪く感じているからです。馬を出すならば馬の話を書こう。そう決めて、最初の案はボツにしました。
でも「今は存在しない競馬という競技」という切り口は、悪くないかも。その世界の競馬は、どうしてなくなったのだろう?
答えを探しつつ調べものをしてゆくうちに、徐々に「叫び」の原型が定まってゆきました。
人間を描くための道具として馬を使いたくないと書きましたが、馬を描いたことで人間の話にもなるのは、大いにありです。
結果的にはそういう話が書けたのではないかと思っており、また、感想のなかにもその部分を汲み取ってくださったものをみかけ、ありがたいなあ……と頭を下げました。
ーーー
・馬をどう描くか:
おおまかな形が定まってからも、考えることは尽きませんでした。
もっとも大きく、かつ根本的な悩みは、「馬と人間の関係」や「馬(をはじめとする動物)の倫理」というテーマの難しさでした。
この複雑で繊細な問題を、資料から得た知識しか持たない自分に扱えるだろうか。馬の関わる産業と文化を、覚悟をもったうえで馬とともに生きている人たちを、ただ雑に批判することになってしまわないだろうか。
また、語るための言葉をもたない相手の声を都合よく捏造して「代弁」するのは、暴力的な行為でもあります。
馬という、おそらく人間とはまったく異なる形をした心をもつ存在を、人間に寄せた形で描くことが、このテーマを扱う上で最適な方法だとも思われない。
にも関わらず書かずにいられなかったのは、改めて資料にあたればあたるほど、前々から気になっていた馬と人間の関係の不均衡性から、いよいよ目を逸らすことができなくなっていったからです。
人間とともに走ることを愛し、競走馬として生きることに幸福を感じる馬も、もちろんいるでしょう。
けれど、かれらの陰ではデビューに至らなかった馬や引退した馬がモノのように処分されている。その数は、日本だけでも年間七千頭と言われています。競走馬として脚光を浴びた馬であっても、レース中や調教中の怪我が原因で安楽死させられるケースは跡を絶ちません。過酷な日々を通じて身体に蓄積してゆく負担の大きさゆえに、寿命も短くなる傾向にある。
この状況を「そういうもの」として見過ごしていいのか?
私には、そうは思えませんでした。
馬と言語によるコミュニケーションをとることが現実的に不可能である以上、その「声」は想像することしかできません。それは代弁と紙一重の危うい行為であり、どこまでいってもエゴの域を越えられない。それでもなお、そういった試みがまったく存在しないよりは、マシなのではないか。少なくとも私自身���、一度作中で扱った問題に対して無関心でいられなくなる。ひとりの人間を変えることができるのであれば、その物語は、書くに値する。
こういった思考のすえ、「叫び」を書くことに決めました。
「叫び」は、馬と人間の対話の、単にひとつの可能性にすぎません。まだまだ、もっともっと、他の可能性も見てみたいです。作品としても、作品の外でも。この掌編がそのための呼び水となるのであれば、本望です。
ーーー
以上が、私が「叫び」を書くに至った経緯です。
「未来のスポーツ」というお題と真っ向から向きあったというよりは、テーマを足がかりに自分の書きたいものを書いた。それが率直な実感です。
このお題がなければ書けなかったものが書けたし、今の自分にできることを全力でやりきった。その点では満足していました。
でも、これじゃ受賞は無理だな、とも思いました。大賞や読者賞にふさわしいのは、もっと正面から未来のスポーツを描いた作品です。
だったら、「最終候補入り」は?
それならば、ひょっとしたら、あり得るかもしれない。
ふたを開けてみるまではわかりませんが、なんとなく、応募作には人間の競技者を主人公とするものが多いのではないかな、という気がしていました。
もしも最終候補に残った作品がぜんぶ人間の話だったら?
それよりも、9人の人間にまじって馬が1頭走ってる眺めのほうが、なんかよくない?
そんな光景が見たくない?
最終候補作が発表される前の数日は、そんなことをぶつぶつ言って、自分を奮い立たせていました。
が、いざ「叫び」が選ばれたと知ると、やってきたのは驚きでした。
ひとしきり騒いだあとで、じーんとしました。
あれを? 選んでくださったのですか? 未来のスポーツというテーマで? 本当に?
審査員方々の懐の深さに打たれ、清々しい敗北を喫したような、おかしな気分になりました。
それだけで十分に嬉しく、ありがたかったのに。まさか審査員特別賞という賞までいただけるだなんて。
審査員を務められた磯上竜也さん、井上彼方さん、岸谷薄荷さん、佐伯真洋さんは、いずれも作品や活動を通じて一方的に存じ上げている方でした。読み手としてだけではなく、人としても信頼できる方々。優しく誠実であろうとするがゆえの、シビアな目をお持ちの方々。そのようにお見受けしていたため、この4人に作品を読んでもらうのか……と思うと、わくわくするのと同じぐらい、胃が痛くなったものです。
選評を読む際は、緊張しました。
すべて読み終えてから、手紙みたいだ、と思いました。全力で書いた手紙に、全力のお返事をいただいた。そんな感覚です。
尽くしてくださった言葉から、「未来?」と戸惑い「スポーツ?」と疑問符を浮かべつつも、作品の声に耳を澄ませるようにして読んでくださったことが窺い知れ、「叫び」の肩をたたいてやりたくなりました。よかったねえ、こんなに真剣に、大切に読んでもらえて、お前は幸せ���のだねえ、と。
また、期間中の感想にはレギュレーション違反を避けるために反応できませんでしたが、みつけられたものはすべてスクショを撮り、何度も何度も読み返しています。
審査員のみなさん、読者のみなさん、読んでくださり、感想を言葉にしてくださって、本当にありがとうございました。
受賞はこのうえなく幸せなことです。
が、終わってしまえば、これもまた、ひとつの通過点にすぎません。
『新月』では何を書こうかと、今はそれで頭がいっぱいで、すでに胃がキリキリしはじめています。
ーーー
最後に。
冒頭にも書いたとおり、私にとって、かぐやSFコンテストで最終選考に残ること、もしくはKaguya Planetに作品が掲載されることは、ひとつの大きな目標でした。
Kaguyaにこだわる理由はたくさんあります。
そのうちのひとつが、Kaguyaは物語の力に対して自覚的な人たちが集まる場所だから、です。
SFには未来を引っぱってくる力がある。そのSFのための場を作る人たちと、そこに集う人たちの多くが「誰の足も踏まない」という意識を共有していることに、大きな希望を感じています。
その一員でありつづけられるよう、いっそう精進いたします。間違えることだらけの未熟な人間ですが、これからも見守っていただけますと嬉しいです。
ーーー
〈補足〉
作中にマヌエラという人物が登場します。説明不足で伝わらない部分があったようですが、私は彼女を女性として書きました。(「マヌエラ」は、女性に多くみられる名前だと認識しています)マヌエラとエバは、レズビアンのカップルです。
SFを書く際は、現実の社会にふつうに存在しているのに透明化されがちな人たちを「なんの必然性もなく」登場させるよう心がけています。善良でもなければ悲運を背負わされるわけでもない、ただふつうに生活していてふつうに恋愛をしてふつうに破局したのであろうふつうのカップルとして、二人を描きました。
3 notes · View notes
mxargent · 1 year ago
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑ��日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘���登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
190K notes · View notes
yfxif · 1 month ago
Text
2022の日記
2022.1.23
祖父が亡くなって、(場所)にある祖父の家まで来ている。かれが認知症を患っていたことを、今日知った。時折わたしのことは話に出ていたらしい。母が祖父の訃報を聞いたときすぐに父親が電話をかわり、わたしは隣の部屋で壁の向こう側の父が警察や祖母、伯母とかわるがわる話しているのを盗み聞いた。「自分も、経験ないので」という父の言葉もそのとき聞いた。祖父は以前から足が悪かったけれど、最近はそれに加えて認知症のせいで言葉がわからなかったり、石が人間や猫に見えていたり、尿を漏らしながら歩いたり、どのボタンが何に対応しているのかわからなくなっていたらしい。テレビのボタンを理解できず、砂嵐なってしまった画面をわざわざテレビ業者になおしてもらったり、自分の尿を尿と認識できず水道局に連絡していたらしい。生前はよく怒る人だったと祖母は話すけれど、わたしはその一面を知らない。
 死ぬ直前まで歩いたり飲み食いができていたらしい祖父の、そのほかはすべて祖母が介護していたらしい。そういった生活がここ数年続いていたことを知らなかった。祖母はそういうことを知らせることが父と似て苦手らしい。それでも、「(祖父が亡くなった日は)朝起きてから、一日中トイレ(の床)が(尿で汚れていなくて)綺麗だった。それがすこしほっとした」と言っていた。祖父は、尿を垂れ流すことが恥ずかしくて大量のおむつをネットで買い込んで、自分ではつけられなかったらしい。大きな車が運転できず祖母の軽自動車に乗り、傷をつけ、乗るなと言われて自分の軽自動車を買い、それも傷をつけ運転をやめたらしい。風呂に入り、出られず、水を抜いて一段一段椅子を増やし浴槽から出た日から、風呂に入らなくなったらしい。一つ一つ生活をもがれた祖父のことを、いまは自分のことのように考えている。ひとりになった祖母が、「広い家に越してきたら何かできると思ったけど結局何もできなかった」と言っていた。
2022.1.24
寒気で朝8時に起きてまどろみ、歯磨きをするため九時頃に起き、朝食を食べた。厚めの食パンとハム2枚、干し柿を2つ。祖母が祖父の服を畳んでいたのでそっと手伝ったら、畳まなくて良い服だった。汚いから触らないよう言われ、ピアノを弾いたり、ストーブの前で本を読み、昼寝をしていたら13時になっていた。昼食は肉まんをすすめられ、食べていたらあんまんもでてきた。結局その2つ(あんまんは二分の一のあんこだけを抜いた、そういう食べ方が許された)を食べ、風呂に入った。昨日の夜の浴室はかなり冷えていて、シャワーを浴びただけでかなり呼吸が苦しくなり、頭痛までしたから怖くなって入浴を諦めたのだけど、今日はしっかり浴室をあたためたので体調も悪くならなかった。15時半ごろ父が警察署から祖父の遺体を引き取り、家につく。白く、ていねいな刺繍のついた長方形の棺が三人がかりで縁側に持ち上げられ、台車を使って家の中まで押し上げられた。葬儀屋と父が棺が玄関を通る、通らない、持ち上げて、という話をしているとき、祖母が「人のことをモノみたいに言わないでほしいわね」と言った。祖母は口を開けば、祖父が色盲で貧乏性で身勝手で金遣いが荒く怒りっぽくて頭が悪かったというようなひどいことばかりいうけれど、時折喉をつまらせたり、手のひらで口元を覆ったりするので、簡単に相槌を打てず苦労する。間近で見る祖父の顔は気味が悪く、死体というだけで近寄りがたかった。死んだ人間がどれほど冷たいのか、触って知りたいけれど、抵抗があって触ることができない。唇を綿棒で湿らせる行為も、なるべく肉の感触を感じたくなくて、結局ほんとうにそっと触れるだけにしてしまった。
 夕食はお腹が空いておらず、何を食べたらよいかもわからなかったけれど、結果的に1300円もする寿司を買ってもらった。こっちに来てから炭��化物ばかり食べている。お守りとはいえ、ビタミンBを忘れたことが悔やまれる。そもそも、何を手伝うために来ているのかわからずずっと困っている。父にも母にも祖母にも、いるだけでよいといわれたけれど、ただ祖母の負担を増やしているだけのように感じる。実際そう。
 祖父の遺品にレザーコートがあり、父のものになるはずだったが、父はおしゃれな服を全く着ない。私が着てみるよう言われ、試しに着たら、父に「いいじゃん、袖とか折ってみて、そう。似合うじゃん」といわれた。父に服装のことを似合うと言われたのはおそらく人生で初めてだったので、なんだかどうしようもない気持ちがした。もちろん嬉しかったけれど、どことなく悲しいような気もしたし、そもそも気恥ずかしかった。どうしてもっと早く、なんとかして、今とは違う関係になれなかったんだろう、のような後悔に似た気持ちもあった。
2022.1.25
母と(妹)が山梨についた。(伯母)さんと初めて会う。(伯母)さんは白髪のなか、赤いメッシュが両側に入っていて、着ているものも随分柄が大きかったけれど、自分の持っている限りで地味な方のものを着てきたらしい。幼稚で情けなく恥ずかしい性質をその場の人々の前で暴かれてしまい、事実だけれど開き直ることもできずただ虚しかった。いっそ帰ったほうが良かった。
 (叔母)さんはハキハキと喋るキレの良い人で、しっかり喋る(妹)とは話が弾んでいた。朝11時に葬儀屋が来て、棺の中に入れる花などを渡された。勝手のわからない私達は死体の顔周りだけを花でぎっちりと覆い、祖父の顔がライオンのようになりまるでふざけているみたいだった。(伯母)さんが「顔が大きいから隠すくらいが丁度いい」と言っていた。(妹)だけが泣いていた。一番可愛がられていたからなにか思うところがあったのかもしれない、それか、あまりにも祖母や父、伯母が祖父の死に淡々としているものだから、しかもすごく悪口を言うし、それが悔しかったのかもしれない。母がしきりに「じいじのほっぺ触ってお礼を言って」と言ってきたが、私は最後まで死体に触らなかった。棺桶に自分の写真を入れてあげたい、と(妹)が言い、みんなで写真を探し、二階に飾っていた母手作りのアルバムを入れようと祖母が言い出し、それもそれでどうなのと思ったが、私自身に思い入れは無いのでそれを外した。けれど後に思い出すと棺には入っていなかった。さすがに入れなかったのかもしれない。母が、祖父があの世でなにか買えるようにとお札を入れた。
 タクシーに乗って葬儀場につく。棺の大きさと、それを運ぶ機械の大きさがぴったりなので、棺やその機械には規定の大きさや形があって、全国で共通しているのかもしれない。燃やされている間、奥のはしのテーブルに固まって時計の針が動く瞬間を何度も見た。それから祖母と伯母が喋っているのを聞いていた。伯母が父を「コイツ」と呼ぶのをみんなで笑った。母の相槌���あいまいで話についていけていないのがわかりやすい。政治とカネの話になるとすぐ曖昧な相槌をするが、害虫の話になるとよく喋る。たしかに私たちはそういう家族だった。棺ごと焼き、台上が骨のみになる。それらはまだ人の形をしており、すべて骨壷に納める。下顎、喉仏、頭蓋を最後に乗せるらしい。タクシーで家に帰り、みんなで残った食材を平らげ、お腹いっぱいになった。骨格ウェーブが着るような、くびれたダウンを着た(伯母)に「つみたてNISAをやれ、FXはやるな」と言われる。6時頃妹、母、(伯母)さんが帰る。夕飯は脂の多い肉だった。
2022.1.29
九時頃に起床。すき焼きを温めて卵をかける。野菜を食べて、残った卵をオートミールにかける。ピスタチオのチョコレートを2つ食べた。本を読むかと思って猫を抱いて象と泳ぐ・マウスの2冊をリビングへ持っていくがいつも通り読めない。今度こそと思ったけれど、今日も読めなかった。もう諦めたほうがいい。部屋のヒーターをつけて、ホットカーペットを椅子に引いて、ikeaのくまの人形を膝に乗せると体勢がちょうどよい。10時半頃コンビニのATMで振り込めるか確認しにセブンイレブンへ。砂ずりとねぎをポン酢で和える惣菜を買う。ついでにメルカリで「あそびあそばせ」1〜8巻の支払いを済ませる。1200円かと思っていたら、1300円だった。
 夕食の代わりに(妹)の誕生日ケーキを二切れと、チョコレートを4切れ食べた。最近は甘いものを食べすぎている。祖父が糖尿病だったらしいから、私も今から甘いものは気をやって管理をしないといけない。(友人)から連絡があったが、コロナ禍で遊ぶのは難しいと思う。なによりもまずコロナにかかりたくない。
 岩浪れんじ先生がよく使っている「🥳」という顔文字がすきで、LINEでよく真似をしている。楽しい気持ちになる。
2022.3.23
本免試験に向かう。(場所)まで母に送ってもらい、五千円チャージした後(場所)へ向かう。(場所)は思ったより栄えていて、ドン・キホーテやスーパー、お土産屋があり、驚いた。(交通)は椅子にくぼみがなく、座席間隔は任意のため人があまり詰めて座らない。それはあの一帯が人の少ない地域で、電車も古ぼけているし、栄えていないのだと勝手に思っていたけれどそんなことはなかったみたい。
 バス停に向かうと運転免許センター行きの年齢の偏りが極端な列に並ぶ。隣りの若い人はかりかりと脇目も振らず勉強していて、試験前の空気を思い出し、影響されて緊張し始め、つかれた。免許センターはかなり広く、おおきい。顔写真をが必要だと会場で知り、無いので試験を諦めて帰ろうと一度センターを出て、けれどもったいないので帰るのをやめ、係の人に聞くと写真機があるとのことだったのでそこで撮った。写真を切り抜く器具の使い方がわからず一度その場から逃げ、どうしょうもなくて戻り、知らない人に聞くと困りながら教えてくれた。切り抜き、写真を書類に貼ったが一度ミスで書き直し、また別の書類は本籍を書き間違え情けない思いをした。試験会場につくとボールペンを禁止されており、ボールペンだけを持ってきたつもりがそもそも筆記用具を忘れていることに気づく。鉛筆の貸出はありませんという張り紙に怯え、知らない人にシャーペンを借りたあと「鉛筆を忘れた方は購買で買ってきてください」というアナウンスをされる。同時に「あと少しで始まりますので席について……」というアナウンスをされ、迷った挙げ句、気まずい思いをしながら借りたシャーペンを使った。
 無事合格し、指示に従って素早く写真をとり、帰った。朝食に玄米とおひたしを食べたのだけど、そのとき塩気と混ぜて噛み締めるご飯の甘みをとても美味しく感じたので、それをもう一度したくてコンビニで漬物を買った。それから夕食にご飯は良くないと思い直し、オートミールと漬物の組み合わせで食べた。本免試験の合格祝いに母がスーパーで刺し身を買ってきてくれていたけれど、なぜだか必ず美味しくない刺し身で、いつもどおりなぜだかシャキシャキしており、美味しくなかった。
2022.1.30
8時半に寒さで起きる。背中の肌着を伸ばしてじっくり温まりながらメギド72を始めたら部屋の外で(猫)に呼ばれたので、部屋に入れてあげる。9時45分頃、昨日の残りの肉を目当てにリビングへ降りたら、ちょうど父がすべてをラーメンに入れていた。自分が作ったわけでもないので食べたかったとも言えずオートミールを温めた。ついでに目玉焼きを作ろうとしたけれどぶよぶよ太っていくばかりなのに、食事を足すのもげんなりしてやめた。11時頃生麺のカップラーメンを食べる。スープは液体と粉末があったけれど、粉末だけで十分おいしかった。
 このまま一生働けないのではないか、という不安がよぎる。希死念慮に就活を阻害されたひとのブログを読む。3月に就活をして、ブログを書いた当時では働く日々を過ごしているらしい。わたしもそうなれたらいい。16時頃目玉焼きを2つ作り夕食のつもりで食べる。本当は昼ごはんに食べるつもりだったけどラーメンを見た瞬間忘れてしまった。祖父が食べ物しか娯楽がないひとで、足を悪くしてから食べ物に依存してしまった話を思い出すと、自分もそんなふうに食で理性を失っていてはよくないと思う。メルカリで取引していた「あそびあそばせ」が届く。送料が購入者負担になっていたことに気づかなくて、結果的に2300円ほどかかってしまった。素直に最安の5巻までのもの買っておけば���かった。
 自分が異性愛者だという自認が昨日に比べてすっかり薄れ、消え失せている。
2022.3.21
11時頃に起きる。糖質と脂質のバランスに悩みつつ、さつまいもとハンバーグを食べた。昨日洗顔を忘れたら顔がざらついていたので、仕方なく泡洗顔をした。それから朝洗顔に適したジェルを買おうと、外出の支度を始めた。15:31(交通)に乗って(場所)へ。(場所)で降り、少し歩く。(店)側のテラスのようなところで様々な服装の人たちや鳩がくつろいでいるのを避けながら店内に入る。ワゴンに3900円のジーパンが敷き詰まっていて、1700円で売っている神戸レタスのジーパンを思い出す。レディース階でSPINNSや古着ショップの瑞々しさに圧倒されつつ、鏡に映った自分を見て、縮毛矯正の決意を弄びながら店を出る。5月頃、たぶんする。ブックオフで眩暈・いちばんここに似合う人 ・すべての、白いものたちの・小川洋子の陶酔短編箱・悲しみよ こんにちはを購入。6千円強。157ポイントになる。PLAZAで洗顔ジェルを見ようとし、見つからず、蛍光灯と鏡の輝きに圧倒され店を出る。マツキヨでも希望に近い洗顔ジェルが見つからず、仕方なくネットで検索すると、混合肌はTゾーンのみ泡で洗うと良いと書いてあるので、自分が混合肌かはわからないけれどとりあえずそうしてみようと、店を出る。
 (交通)が来るまでの15分間で本屋を一周する。ハリーポッターの文庫本が並んでいた。最近、哲学の棚の隣に、ヒカルランドの棚ができた。世界史のコーナーで立ち止まると向こうから来た男性も同じタイミングで立ち止まり、買うつもりもないため移動した。岩波文庫の棚でシュトルム『みずうみ』を見つけ、手に取り、戻す。歩き、ゾラ『ナナ』も、同様にして戻す。心理特集フェアで平積みされていた本を開き「親は子供にリスペクトされることを望みますが、子供のことをリスペクトすることはあまりありません」という趣旨の文を読む。従兄弟の生活を侵害している母方の祖母を思い出し、いやな気持ちになる。時計を見ると残り3分だったので、海外の棚で『回復する人間』を手に取り、いつか読みたいなーと思い戻し、(交通)へ向かう。(交通)につくと、待っている人が四人しか居なかったので、なにかを間違えたかと思ったけれど、間違えていなかった。予定通り来た(交通)の中で、本免試験の問題を解く。同じところを間違え、うんざ���してやめる。試験は23日なので、それまでにどうにかする。
 父方の祖母が送ってきた肉を焼き、胸焼けした。最近はなんでも食べていたせいで体に肉がついて、細身に見えない。反省してプロテインを飲んで、ひなちゃんねる���検索して気分にあったものをやるようにしている。
2022.3.24
下着の違和感で起きる。祈りながら起きるとシーツと敷布団が汚れていてはっとし、しかたなくいそいですべてを剥いで水洗いし、干した。天気が良く、ベランダは入学式の匂いがした。昨日したかった玄米と漬物の組み合わせを食べ、スープを飲む。昨日の朝ほどお腹いっぱいにならず、苦い緑茶を飲んでいたらカフェインで気持ち悪くなって、フローリングに寝っ転がって体調不良をやり過ごすためぼうっとした。 調子が戻り、『供述によるとペレイラは…』を少しずつ読み進めながらヒーターの前で温まったり、プロテインを飲んだりする。今日はほとんど本を読んでいたから、特に書き連ねるようなこともない。
 新しく買ったソイプロテインはほうじ茶風味で、少し豆の味が残るからきなこのような味にも感じる。同じメーカーの、ホエイプロテインに杏仁豆腐味があったので次はそれにしたい。ソイプロテインは温めて飲むことができるけど(苦味がましてあまり美味しくない。どうしても体調が悪く温かいものしか食べられず、どうしてもタンパク質を取りたいときしかやらないほうがいい)、ホエイプロテインは温めると分離する(乳糖が原因?)。今日もリビングに本を持っていくが、いつもどおり読めなかった。
 敷布団を干しているのでベッドに寝転ぶことができず、くまのぬいぐるみを背もたれにしながら本を読む。たまに声を出して録音してみて、聞き、消す。『供述によるとペレイラは…』は、の、ペレイラが日々摂取する異常な量のレモネードを指摘されるシーンで、医師がひとの食生活を「きちがい沙汰」と言ったのに笑う。徐々に忍び寄るファシズムに、というより、時代が変わりつつある匂いに、中立の立場をえらんだはずのペレイラがときめき始めている。そのことに罪悪感を覚えつつ、春風を嗅ぐのをやめられない。9時だけどもうねむい。昨日はナイトキャップをつけて寝たら、一日髪の収まりが良かったので、今日もそうする。
2022.3.25
10時53分起床。ご飯に麻婆豆腐をのせて食べる。そのあと、昨日買ったバジルのパンが残っていて、本当は食べないほうがよいが、食べたかったので食べて反省した。やるべきことが漠然と積もってゆく感覚があったので、せめてタスクを可視化したほうがよいとリストを作ったら、多くはあったがそのうちいくつかを消化することができた。運転免許証のコピー、療養費申請、口座開設、眼鏡の新調。よかった。適当な時間に(店)へゆき、視力を測り直し、度を入れ替える。度が弱いと思っていたら、視力と合わせて0.6に調節されていたらしい。たしかに弱めに作ったけれど、不便なので1.0にしてもらう。かけると、こまごまと際立つ輪郭に吐き気がして、一生かけることはないだろうと思いながら受け取る。��れどしばらくかけていると、慣れた。よかった。ZARAの激しい色合いの服を眺めながら、明るいピンクのワンピースに、カジュアルな編みサンダル、前髪をなくし、鮮やかに赤い口紅をつけ、大きく笑う自分を想像し、それが本来の自分であるように錯覚する。今となっては、やりたければやればいいと思う。  寿司7貫で980円の高い盛り合わせを食べる。その後、百円の皿を3枚食べる。また行ったときに食べるものに目星をつけておいた。白いエビ、びんとろ、かつお。  帰ると、チョコレートをいくつか食べ、風呂でアジトtvとその実況を聞く。久しぶりにメギドがやりたくなって、少しやって飽きる。今育成をするには大幻獣を倒し続けなければならず面倒。寿司を食べたので、生理中だがひなちゃんねるを一生懸命やった。今日中に『供述によるとペレイラは…』を読み終えそう。  Twitterで卒業式の写真を見て、自分は卒業式も成人式もやっていないことを思い出し、せめて着物が着たくなって(いまさら)調べたけれど、着付けそのものよりアルバム代が高額で、成人式としてやるのは難しそうだった。家族に相談すればなんとかなりそうだけれど、だからあのとき言ったのにと言われるのがどうしても嫌だから、たぶん撮らない。  大学生のときはめったに写真を取らなかったけれど、過去の自分を他者としてまなざすことのできるいまは、もうすこし撮っておけばよかったと思う。
2022.5.28
6時半頃起床。仕事を始めてから生活が規則的になった。やや薄暗い早朝の食卓でひとりしずかに冷えたさつまいもを食べる。糖質56g。
古い服をまとめて捨て、8時頃風呂に入る。付けすぎたオイルが残らないようにていねいに洗う。コームでリンスをまんべんなく髪につける。昨日の夕方に打ったワクチンの副反応はこのときまだなく、きまぐれに美容院に行く準備をした。けれど万が一を考えてやめ、自室で『魂の不滅なる白い砂漠』を読む。12時頃とつぜん眠気が増し、13時には目も開けられないほどになったので寝る。外出しなくてよかった。15時に起きる。38℃。ブロッコリーをふたつ食べて昨日買っておいたルルアタックを飲み寝る。薬は2日分買ってある。 19時に再び起きる。体温計をなくしていた。発熱らしいだるさは変わらず卵焼きを少し食べルルアタックを飲む。少し楽になる。
一日を通してほとんど何もしなかった。朝方掃除をしたから部屋はやや綺麗。本を読む(ちいさな文字に焦点を合わせる)とぐるぐるして体調が悪くなる。目をつむったまま自分について振り返る長い一日だった。かろうじてソシャゲの周回ができた。無課金プレイしかしないけれど、一部ユーザーの課金によって成立するソーシャルゲームの運営システムは歪とおもう。ゲームといえば、電車に乗ってるスー��のひとがトゥーンブラストをプレイしているのをよく見る。思考を追いやった���きかけによるうすい反応、それがもたらす僅かな刺激にひとは依存しやすいらしい。 朝と夜に詩を読み、頭の中で音楽を流しながら働くことができ、時間を売るだけでお金がもらえる今の生活はかなり好きだけれど、この生活を続けるには不安が大きい。
ここで了承されるべきは、時間がもたらしたり取り去ったりしないつつましくも奥深く変わらずあるようなあらゆる事物のことであり、人間として存在することが自身にとって必要不可欠であるのと同じ程度で人間にとって本質的な事物のことだ
ピエール・ルヴェルディ 『魂の不滅なる白い砂漠 詩と詩論』
小川洋子が『密やかな結晶』のあとがきで人間のあらゆるすべてをそぎ落としたとき微かに残るなにかがあるはずというようなことを書いていたはず。立ち読みだったからよく覚えていないけれど。あとがきのみのために既に持っている本を買い直すか迷う。氷枕がひんやりして気持ちいい。
2022.5.29
 6時30分起床。体温37.1。頭痛がひどく目を閉じる。 7時30分起床。37.1。ふらふらしながら食卓へ。やきとり二本食べる。本が読めた。『すべての、白いものたちの』読み終える。6/14に同作者、同翻訳で『引き出しに夕方をしまっておいた』が出るらしい。未読本が多いからすぐには買わない。 『魂の不滅なる白い砂漠: 詩と詩論』を読み終える。終盤の訳者解題と訳者あとがきはだれてさらっとしか読んでない。
「詩とは、人の心の中で、空虚を埋めることのできる代替物を創るためにある」(『全集ⅱ一二五二頁』)(中略)苦しみの根源にある欠如は詩作によって充当されるべきものだったのだ。
魂の不滅なる白い砂漠 詩と詩論 ピエール・ルヴェルディ 訳者解題
私が特に色々な本を読み漁っていたのは10代の頃です。学校の先生やクラスメイトと一緒に得るものを、どうにか読書を通じて吸い取れないかと必死になっていた記憶があるので、その時間がなかったらもっともっと人として欠けていたのだろうと思います。
World meets KODANSHA interview 齋藤飛鳥
思えば自分の魂やこころ、精神の欠損をあまり実感したことがなかった。まるごとの質の低さを漠然と感じていたけれど、欠損とすればなにかで埋まることもあるかもしれない。なんにしろ出会いは遅くても早くても意味がないので気長に運を待つ。
藤本:(略)僕は読み切りを描く時は大体怒りで…。例えば、今ネット上で怒っている人が多いじゃないですか。そういう人たちって、Twitterとかで発散できていると思うんですけど、僕は自分の怒りなどをTwitterとかに書く気が知れなくて。漫画にぶつけているんですね。
藤本タツキ×沙村広明奇跡の対談
 17歳の時に僕は山形の美術大学に入学しました。東日本大震災が起こったすぐ後だったので、このまま絵を描いていていいのだろうかと皆思っていたはずです。絵を描いていても意味がない気がして。何か少しでも役に立ちたいと石巻に復興支援のボランティアに行きました。行くバスの中で僕と同じように考えている美大生や、体育大学の学生達がたくさんいました。(中略)30人くらいで一日中やったのに全然できなかった事に無力感を感じ、帰りのバスの中でも皆沈んでいました。作業中一緒に作業していた体育大学の学生が「俺達が来た意味なかったですね」と言っていました。 (中略)  また、悲しい事件がある度に、自分のやっていることが何の役にも立たない感覚が大きくなっていきました。  最近そろそろこの気持ちを吐き出してしまいたいと『ルックバック』という漫画を描きました。描いてみると不思議なものでちょっとだけ気持ちの整理ができた気がします。
藤本タツキ短編集 17-21
藤本タツキ作品は全体を彼固有の言語と感じるからたびたび愛しく思う。音楽があれば、小説があれば、絵画があれば語ることのできるひと、逆に言えばそれがなければ言葉を喉で詰まらせるひとがいる。創作という状態でのみ息を吹き返すような切実さにふれることで、吹き込まれる呼吸がある。
中学生の私は「死ぬ日」を自分が中学校を卒業した後のある日に決めてカレンダーに印を付け、あと140日、あと139日、と毎日自分の生命の残りの日数を書きこんで数えながら生き延びつづけていました。そのとき、私は小説に対する執着を、生きるために利用しました。自分の頭を自分で手術し、小説という「教会」を自分の生命と繋げました。
新潮 村田沙耶香『平凡な殺意』
学生時代のレポートが出てきたので読み直す。 宗教は精神的苦痛を身体的苦痛へ置き換えてくれる。精神に苦痛を引き受けることを決めたひとにとって、神はあまり役には立たないだろう。
18時頃37.0。発熱にも飽きてきた。
2022.5.30
5時起床。浮遊感と倦怠感で動けない。なんとかカーペットの上まで這いずり昨日の日記を整え投稿する。ビジネスチャンスを狙ったいいねの通知が煩わしいためまたどこかへ移植したい。wordpress使いこなせたらいいけど、生半可な気持ちでやるのはむずかしそう。7時に会社に連絡。おやすみを貰う。動けないからしかたないのに罪悪感。この程度で注意を受けたら辞める。7時半やきとり二本食べる。冷凍のやきとりあるだけで一回の食事を頑張れる。毎日食べても美味しい。14時まで動けない。熱の気配は完全に消え怠さがずっと残る。 東野圭吾『毒笑小説』が傍にあったので眺めていたら、なんだか知っている話で、よく読むと小学生の時に借りたことのある本だった。気づいたきっかけは『エンジェル』。流し読みしながら不調の原因は脱水症状かもしれないと思い始め、いそいで経口補水液を作って飲んだ。改善せず。
9月に大学を卒業してから卒業証書を貰っていないのでその連絡をしようとしたけれど、すっかり忘れてつみたてNISAの解説動画をみてた。死にたくないと言うより苦しい思いをしたくない。苦しい思いをしないために必要なときに必要なお金や環境があって欲しい。いつなにが起こるかわからないから怖い、というのが最近の不安。志賀直哉『城の崎にて』の鼠のような、生死の境に横たわる狂気からは逃れられないだろう。今日もたかがだるさで手を震わせて経口補水液をつくったし。祖父が亡くなる当日の朝、普段は使うことのない関西弁で「俺は(名前)やぞ!わかっとんのか!」と叫んだと祖母が話していたのを思い出す。
死は、頑丈な足場を築いた気になる者の、足元を崩れさす。そのとき、感覚器は断線し、呼吸程度の身体の実感も失い、鼓動で計る最も原始的な時間感覚すら途絶え、意識は自らを振り返すこともできずただ灰色である。ことばを思い出すきっかけなどない���ただ幸運にも生還できた者だけが、ことばも何もない、動物になった自分の絶叫のみが反響する灰色に溺れていたと知るのだ。
長谷川敏司 『あなたのための物語』5-6頁
そして、サマンサ・ウォーカーは、動物のように尊厳なく死んだ。
長谷川敏司 『あなたのための物語』428頁
とはいえ、死についてあれこれ書いているひとも、じっさい死を体験したことのないひとばかりなのだからあまり真に受けてもいられない。今週末ひとと会う予定があるから無理に美容院に行こうとしたり、ネットで可愛い服を探していたのに、あろうことか瞼の上!を虫に刺されて、どうぶつの森で蜂に刺されたむらびとの顔になった。からっと落胆しながら瞼に軟膏を塗る。よくない人相がさらに悪くて漫画みたくへこむ。
18時になんとかシャワーを浴びれて、日記をかけている。普段の生活は無理そうだけれど、在宅勤務のときくらいは記録を残せそう。明日みたらし団子が食卓に残ってたら食べる。
2022.5.31
いいねが煩わしいと書いたらいいねこなかった。意外にちゃんと読んでるのかしら。6時半アラームが鳴る。なんとか2度目のアラームまでねばる。44分起床。みたらし団子とさつまいもと卵たべる。ひじょうに満腹で通勤中かなり後悔。朝ごはんが一番豪華な生活が理想なのに。そろそろひと通りは読んでおきたい現代思想かばんにいれて家を出る。満員電車でなんとか読む。瞼が腫れているから目を開くと疲れる。仕事が終わった頃目の奥が痛く��くるしい。ふらふらしながら帰宅。22時半布団の中。
意識的になれば、こういう生活の中でもあるていどの記録はできそう。ただ聞くだけでよいと言われても、意識がある私に話しているという事実が(友人)を癒やすのだろうし、そのとおりにわたしにも意識があるからそれがつらいときもある。なるべく他者として、癒着されないよう振る舞う。永続的な関係のひけつは運と他者性とおもう。幼い女性の軽やかな他者操作を絶賛する社会きもちわるい。
2022.6.6
ショッピング楽しすぎて16時に帰宅してつかれてすぐ寝た。3時に起きてだらだらしてねて7時におきる。リモートワークで良かった。こういうよくわからない睡眠をまばらにとって満員電車に乗ると体調を崩す。仕事。なんとなくだけど指示を仰がず一人のうちに完結できるようになってきた。教えて下さいと言ってすぐわかる(資料)を案内されるととても申し訳ないからこれからも頑張りたい。でも思い入れはないのですばやく(駅)近くに転職したい。実家ぬくぬく生活できるのありがたい。
湿気で髪が広がるのがいやだから切るなりなにかしたいけどどれも迷って決められない。経営者のYouTuberが悩むことは自分にとって価値が低いということ(切羽詰まってない)、だから選択は10秒でする、そういうルールを作って無駄な時間を省くべきと言っていた。けっこう悩む時間も好きだから無駄に感じてはいない。でも早めに決めなきゃと思う。(人)ちゃんを通勤経路が同じためよく見かける。恐ろしくおしゃれ。大学生のとき(店)でバイトしてるのを見かけたし、ファッション雑誌の編集とかになっていたりするのかな。おしゃれなひとを見るとみずみずしい気持ちになる。みずみずしくなりながら『道しるべ』読む。
2022.6.7
帰りの電車座れたから日記書いてみる。つかれて頭ぼうっとする。早く帰りたい。寒くて4時起床。布団を被ってもなかなか寝付けず。昨日の夜寝る間際まで考えてたひとの夢をくっきりみてうれしい。
6:45再び起床。適当な化粧する。Qoo10で化粧用スポンジ買ったから届くの楽しみ。次はメイクブラシセットを考えてるけど収納スペースが狭くて困る。ほしいけど買わないかもしれない。もともと欲しい物を忘れたり我慢するのはかなり得意だからあまり浪費せずにすんでいる。何度も確認してどうしても必要でほしいものに惜しみなくお金を使うのがすき。買い物は買う前に悩み尽くすから失敗してもあまり後悔したことはない。プロテインいつもの3分の2、ポテトサラダ、マリトッツォ食べる。ポテトサラダはからしをいれると美味しい。マリトッツォは世間で人気になってからずいぶん気安い存在になった。今日食べたのも一袋4ついりの量産型マリトッツォ。ファッションで言うところのつけ襟やセーラー襟のような大衆的な気安さを感じて文化だなあと思う。
昨日在宅だったからPC持って満員電車。つらかった。すでに筋肉痛。上司が一日を通してをあからさまに気分が悪そうだった。そうまでしてなぜ働くことを選んだり強いられたりしているのかわからない、心配で気が散るから帰ってほしかったけれどそうもいかないところが社会だから厳しいなと思った。この間小声で死ぬかもと言いながら早退したひとは今日出勤してた。わたしは健康なうちに仕事辞めたい。
2022.6.8
優先席座った。ひやひやしながら日記書く。ここを必要とするひとがきたらすぐ譲る。疲れたから座ったけどもう後悔してる。 脱げない靴が脱げる。気が向いたら中敷き買う。起床6時半。すっきり目覚めて二度寝なし。昨日と同じ人の夢をみる。人間が短毛で皮膚がでろでろの大型犬に石を投げ、大型犬はそれを両手で受け止め投げ返す、渋谷に似た治安の悪い街で迷子になる。「だから言ったのに、この街をなめるとそうなる」と言われる。どぶの上にかかる都会的な白い石の橋。
innisfreeのファンデーションは白すぎるから使いにくかったけどかなり薄めに付けたら肌に馴染んだ。ずいぶん残りがあるし永遠に使えそう。化粧品はときめくけど必要ではないから新しく買う予定もなく無くなるまで買わない。メルカリにも出さない。メルカリで買ったポルジョの下地はかなりいいけど高くてリピートできない。普段はキャンメイクの下地でやり過ごし人と会う日にだけポルジョの下地使ってるけれど、なくなったらいろいろ調べた結果マジョマジョにしそう。ファンデーションと下地はどちらかを妥協したい。餃子7個も食べる。豚肉は塩漬けすると加熱しても赤みが消えないらしい。さらさら雨が降ってるので傘持ってく。折りたたみ傘買うべきだけどとりあえず貰い物の長傘でやり過ごしている。思い入れのないものほどなくさないから不思議。(交通機関)がかなり遅れていたけど間に合いそうでのんびり歩く。いつもの時間よりやや空いていて、この時間でも良いかなと思うけど、朝は本屋もやってないしホームに椅子もなく時間のつぶしようがない。
上司は意識的に結論から指示を出してくれるのでありがたい。昨日、なにか書こうと思って眠すぎてねたの思い返すとやや傷つく。 『道しるべ』ピンとこないから読むべき本がわからず呆然としてたけどすこしだけ本屋歩いたら元気出た。早く次の本見つけて布団入りたい。
2022.7.2
七時半起床。昨日ののこりのつけ麺を食べる。一食分サイズはだいたい半分でよい。たまに食べたくなる重い炭水化物をめいっぱい咀嚼しているときはそこそこ幸せ。一番はなすの煮浸しを食べてるとき。ワールドトリガー2期一挙放送を途中から観る。スポーツ観戦をしてるみたいで面白い。判断が遅いな、と思ったところで実況キャラクターが遅いと解説するのでよくできている。漫画が���料公開されていたときにさらっと読んだけれど、もともと漫画を読むのが得意でないせいで何が面白いのかわからなかった。アニメになっていると色と音があるのでわかりやすい。アニメ『宝石の国』も色が綺麗だった。最近アニメを観ること減っていたけれど、在宅勤務が増えたのでまた何か観たい。
『戦艦武蔵』と『悲しみよこんにちは』を毎日持ち歩いている。文庫本軽くてありがたい。17時から(人1)と(人2)と会う予定だったけれど(人1)が一時間遅らせてほしいというのでそうなった。聞くと昨日会社の飲み会で、朝帰りだったらしい。自分とは無縁の世界で生きているひとたちの話を聞くのはたのしい。会社固有のコールがある、社員の大半が二日酔いで機能していないので二日酔いが二日酔いの味噌汁を昼休憩で買いに行くなど。飲み会。みんな明るくて元気。広告会社と営業に就職したひとたちだからかすごく気がまわり、何度もお冷をもらってありがたかった。こういう外向きのひとたちの飲み会の手際の良さには巻き込まれるたび感動する。飲み慣れた人たちはぐびぐび飲んでテキパキ話すけれど、いっぽうの私はハイボール一杯で酔うコスパのいい体になったらしく、ずっと笑っていながらよく覚えていない。年々お酒弱くなってるし酔うことも好きでもなくなってる。しばらくお酒いらない。セクハラはどこにでもあるねという話をした。前のアルバイト先の店長にされた頬を揉むという独特で不気味な可愛がり方を思い出した。
カラオケに行ったら息を吐きすぎてぐったり。歌うことは好きなのにできず、ポルノグラフィティに合わせて必死にマラカス係。久しぶりに色彩の鋭い光と音楽が自分を素通りしていく感覚を味わう。高校の同級生と会うことは余程のことがない限りない。同窓会を企画するようなひとが友人の中にいないし、連絡の途絶えたほとんどがそれきり。今日会ったひとたちももう一生関わらないだろうと思っていたので、実際に会って軽く話せているのが不思議だった。カラオケでは眠くてしんどくて子どもみたいに無口になってしまいすごく反省していたけれど、帰り際8月にまた同じ三人で会うことになり、少し戸惑っている。
au通信障害があったけれど運良く被害を受けずに済んだ。よかった。
2022.7.19
昨日の微熱が下がらない。不安になる。祖母に会いに行ってしまったのは馬鹿だった。東京ではとてもコロナが増えているのに。いつ罹ってもおかしくないのに。 病院へ行ったがとても混んでいた。9時に行って帰ってきたのが10時30分。発熱患者は待合室も隔離されていて、話を盗み聞くに私と同じように微熱が上がりきらない症状を訴えているひとが多かった。みんな不安なのだろう。それと同じようにわたしもとても不安。子どもがひたすらしんどいとため息のように呟いていたのが素直でうっとうしかった。体調がわるいと自分が助かることばかり考えてしまう。 検査は込み合���ていて結果は明日届かない可能性があるとのこと。 一年前の検査は容器に一定量の唾液を溜めて提出したけれど、今は脱脂綿に3ー5分唾液を含ませるだけで良く、医療システムはこの短期間でぐんぐん効率化されている。それでも一時間半かかるのだから、最近の感染者急増はすさまじいのだろう。わたしもそのひとりかもしれないけれど。不安。 症状として、熱は37度から上がる気配はない。昨日は体に熱が覆っている感覚があったけれど、今日は汗を掻いたせいか昨日ほど籠った熱ではない。昨日と体温は変わらないけれどからっとした発熱になった。どうかコロナでありませんように。
仕事の話。通常三人体制のところを今週は一人が5日間有給休暇をとっていて、今日明日わたしが休んでしまうので一人体制となっている。一人で出来る仕事量ではないから大変だろうけれど、会社員ひとりが休んだごときで仕事が回らなくなってしまうのは経営に問題があると思うのではやく辞めようと思う。というのが強気な建前。 いっぽうで、私の代わりに在宅の人が出社になってしまった、わたしの業務を押し付けてしまった、そういうことを考えると猛烈に人間臭い弱気な悩みが噴き上がる。申し訳ない。申し訳ない。申し訳ないからもう二度と会いたくない。仕事辞めたい。
やっぱりコロナだったらどうしよう、祖母に会いに行ったのは間違いだった。たくさん本を貰ってきて、また会いに行くねという話をしたばかりなのに。最悪のことばかり考えて消耗する。 考えても仕方ない、今わかっていることはなにもない。今できることは全部正しくやったから、大丈夫のはず、(場所)は病床逼迫率も低いし、万が一のことがあっても病院をたらい回しにされるようなことはないだろう、とは思うものの…。 やっぱりコロナは早く収まってほしい、あらゆるリスクが高くて生活しづらい。あと3人以上の飲み会は今後も断り続けよう。
山椒魚戦争読み始めたらやっぱり面白い。グレムリンみたい。
追記 8.28 新型コロナではなく、ただの風邪だった。
2022.8.25
 ポワントを家で履いてはいけなかった。家のフローリングについている成分をバレエ教室へもちこむと、教室の床がなぜかつるつるになってしまうらしいから。  木の板便利なところ1:広い 90*90はけっこう広い。広い木の上にすっきりPCが置いてあると導線が複雑にならないからこういう日記もすんなり書きはじめることができる。電子ピアノも置ける。立って電子ピアノを弾くこともできる。  木の板便利なところ2:左側にスペースが出来た 今まで使っていた勉強机の右側にスペースを増設したから、木の板を正面にすると左側にスペースが生まれた。左利きなので左側にスペースが生まれると作業効率があがるし、L字にスペースがあると体をぶつけない。  木の板便利なところ3:天井が見える わたしの勉強机に限ったことだけれど上部に棚が付属しているから暗い圧迫感があり地味にス��レスになっていた。作業中真上に天井があるのはいがいと安らぐ。天井が高い家はよくCMになっているけれどわたしもそういう家に住みたい。  木の板こまるところ1:痛い ちょっとかさかさする。腕が擦れるとやや危険。  木の板こまるところ2:書ける 書けるし書いたら消えなそう。試していない。でもこれは将来的に長所にもなりそう。絵とか、感情の為におしゃれにするつもりはない。  木の板こまるところ3:猫を部屋に入れられない 木の板がひっくり返って猫がけがをしてしまったら怖いので部屋に猫はいれないことになった。おおきな犠牲だけれど快適な生活をとった。
2022.8.30
 去年の夏原因不明の眩暈で救急車を使った際保険証をもっていなくて13000円支払った。申請すれば立て替えた保険代分の費用を返してくれるとのことで、返金申請の書類のための書類を手に入れる連絡などを毎日仕事の合間にこつこつやっている。巡り巡ってなかなか書類に届かないのは月とか地球ががぐるぐる回っているようでもう一生立て替え金なんて手に入らない気がする。積み立てnisaの申し込みとマイナンバーカードの申請もやったりして書類があちこちに散らばっているけれど木の板を設置していたので床に広げずに済んでいる。
 本屋に行って練り歩いていたら坊主で短パンの男性が哲学とか社会学の棚から一歩も動かずなんとなく似合っていないかんじが似合っていた。  みすず書房のフェアだとかで『徴候・記憶・外傷』があったら買っちゃうなあと思っていたけれど『いじめの政治学』しかなかったから特に何も買うことはなかった。
2022.10.3
7時起床。朝食に茶碗蒸しと月餅。  1日に(人)と(場所)へ遊びに行った。(人)は携帯を持たないので前日までに待ち合わせ場所をメールでやり取りし、11:30、(駅)の(交通)線最後尾で会うことになる。10分前につくと(人)はもう居た。どこか行きたいところはあるかと聞かれ、行ったらなんでも面白いかなと思ってと答えるとそういうの調べないんだと言われる。恥ずかしかった。  昼食を食べお茶を買い高い月餅を二つかった。そういう経緯で家に月餅がある。毎日食べている。  BMIが18.5以下は皆痩せ型だからあなたは欠食児童と言われ、児童という歳でもないけれど面白かった。今日からひさびさにあすけんの記録を付けてみたら食事バランスでばかみたいにお菓子が突き抜けていた。月餅のせいだから気にしてない。カロリー計算上だと食べる量はそれほど多くないけれど、カロリーがすべてではないし、脂質と糖質の組み合わせによっては簡単に太るだろう。でも健康が一番なので多少の体形の崩れにはもう目を瞑っている。運動すれば良いけれどしたくない。
今週はずっと在宅勤務。勤務中にプライベートな息抜きだとか娯楽ができるのはいいことなんだろうか。
夕飯時、母親がクッキー食べてるの見てつら���て食べたら母親の二倍食べた。
 猫の一匹が心臓肥大で最短の余命が半年との宣告を受ける。目が見えなくなって、血圧を下げる薬を飲んでから視力が回復したので勝手によくなったのだとぬか喜びしてしまった。これから死ぬ生き物と一緒に暮らすのは弱い地震が起こったあとの破壊的な揺れを想像する時間がうっすら引き延ばされているようで不気味。どの生き物もこれから死ぬのは死ぬけれど。  一度失明したとき、瞳が光に対応できず黒黒と開ききった瞳孔が全面に光を反射していて、その選びようのなさが虚しかった。ずっと一緒に暮らしてきたのに、瞳が機能していないだけで同じ生き物ではないように、人形のように思えた。私は私の知る生の基準をそのままに、失明した猫を生きているとみなしているのか、自分で分からなかった。体験するとは多分そういうことだけれど、これは酷い話で、不特定多数の読みうるウェブ上の日記に、本当は書くべきではない。  昨日口呼吸をしていたので夜間救急へ連れて行くと心臓肥大が判明した。これからもっと悪くなることは確実で、そのスピードには個体差があるらしい。今日は一日ぐったりと廊下の暗がりに横たわっていて、この調子じゃ早そうだねと母が言った。今日一日の経過しかみていないのだから何とも言えないけれど、母は最近妹を亡くしていて、死が急速に迫ることへ慣れたがっているふうだった。  昨日はわたしも昂っていて、どうしても猫の死から逃れたく、この家を出ることでしか猫の死から逃れる方法はないと絶望していた。心臓肥大が進行し、肺に水が溜まり呼吸が苦しくなり、安楽死であれ病死であれ、溺れるように窒息しかける/する様子が続くことに耐えられず、死ぬなら私が家を出た後勝手に死んでほしいとさえ思っていた。いまは一日経ったのですこし落ち着いた。なんとなくこのまま猫の病状に慣れ、時間をかけて死んでるかもしれない/死んでいるようだ/死に慣れ、不在に慣れるのだろう。猫の死を拒む思いは全く消えないけれど一方で、生まれた以上死ぬことは決まっているのだし、せめてよりよい命のためにすべきは願いでなく行為とも思う。  猫が初めて失明した日、もう二度と視力は戻らないだろうと言われた。目の見えていない猫が妹の部屋を目指して鼻を壁に押し付けながら階段を上っていた。引用はそのとき書いたものの一部。
いつの日か温かい寝床に縫い付けられる日が訪れたとき、あなたのみる夢が最後にのぼった階段のさき、あなたを受け入れる扉の奥のにおいを蘇らせますように。
 今日は階段を上る元気もないようで、撫でると喉を鳴らすのみだった。生きていた。  できれば、生きていることあまり大袈裟に捉えないようにしたい。生きていることの過度な祝福は死の否定で、死と生は地続きだから結局生の否定に反転する。もうたぶん、人生で動物は��わないと思う。
2022.10.4
起床8時。月餅とヨーグルト、茶わん蒸しを食べる。月餅残り一切れ。最近は夜更かししてしまうので起きる時間も遅くなっている。そろそろ早く寝る習慣を付けないといけない。とはいえ今は10時だけれど、もう眠い。
『月の三相』読みながら労働。
猫は一日廊下の隅から動かなかった。一昨日病院に行く前は階段を上ってトイレで息を切らせていたけれど、それさえ元気に思えるほどぐったりとして、糞尿を垂れ流している。あの晩に病院に行き、嘔吐や下痢をしたことがなにか張り詰めた生気のようなものをぷつんと途絶えさせてしまったのかもしれない。胸を引き上げるみたいに息を引き込んで、重力に任せて呼気を追い出すような呼吸を繰り返している。動かないから分からないけれど、動けないほどつらいのだろう。本当に別れは早いのかもしれない。でもこの様子を見ていると、がんばれとはとても言えない。
 昼は昨日からそうめんを食べようと予定していたのでそうめんを食べた。100gで330カロリー。四分ほど茹でるうちにお湯に入りきらなかった面が焦げてしまった。4倍濃縮のめんつゆを薄めて食べた。 昼休憩後留守番のためリビングで仕事をしていると動物病院から電話がかかってくる。仕事をして良かったことは二点、電話に出やすくなったことと、Ctrl+Aを知ったこと。土曜に予約を取り付け終話。
どこかの知らない、けれど存在する町のルポルタージュのように小説を読む。段落の機能に感動する。ものを割り開くことより事象をなぞることができるようになりたいけれどそれは時間の経過、並走することだから今までやってこなかったことで大変だ。25ぐらいまではまだ分解を楽しんでいそうだけど30までには並走もできるようにしたい、40あたりで並走に重心が置ければまあ成功だろう。その辺で人生もすこし楽しくなってくる予定。また生きていかなくては。
ひとと話していて口癖が「でも」だと気付き反省。わたしの「でも」は一旦相手に納得して、思考を相手に傾けてからの揺り戻しで意見を発する「でも」なので、相手に完全に納得しているのだけどそんなこと言っても無いのだから伝わるはずがない。さらにこの会話だとすべて意見は逆張りになってしまうのだからなにも上手く行かないだろう。”でも”、「でも」を使わずに会話を展開させるやりかた分からない。会話って展開しないものなのかな。
0 notes
happytime-en · 1 month ago
Text
Tumblr media
紅葉ライトアップ&クリスマス フラペチーノ
皆さん こんにちは。
近くの結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
婚活アドバイザーの金子です。
群馬県桐生市からは、クルマで約1時間ほどの栃木県佐野市の観光スポットをライトアップするイベント
「さのあかり~彩る水面と日本庭園~」
★人間国宝 田村耕一美術館(栃木県佐野市閑馬町398−6)
2024年11月30日・12月1日・12月7日・12月8日 16:00~20:00
★出流原弁天池・磯山弁財天(栃木県佐野市出流原町1117)
2024年11月16日~11月24日 16:00~20:00
詳しくは、https://sano-kankokk.jp/?p=8301
数日前の夜、紅葉がライトアップされた「出流原弁天池・磯山弁財天」に行ってみました。
栃木県指定天然記念物であり、環境省が認定する日本名水百選の一つにも数えられている湧水池「出流原弁天池」
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
1年ほど前の明るい時間帯に訪れた際には、鏡のような水面に青空と周囲の木々が映りこみ、水中に泳ぐ魚の姿も確認できるくらい透明度が高い澄んだ池の風景を楽しんだのに対し、今回は漆黒の夜空が映る水面に時間と共に色彩が変化する灯りと、ライトアップされた紅葉した木々が映し出さた、通常のイルミネーションとも異なる妖しく幻想的な風景を楽しむことができました。
「出流原弁天池」に隣接する急な階段を5分ほど登ると、山腹に鎮座する「磯山弁財天」に到着。
Tumblr media
こちらもライトアップされており、昼間に訪れた時とだいぶ印象が違う眺望を楽しめました。
Tumblr media
池の畔にある売店で、佐野市のソウルフード「いもフライ」を購入したところ揚げたてを提供してくださいました。あつあつホクホクでとても美味しかったです。
Tumblr media Tumblr media
スターバックスコーヒーから11月22日より発売された新作フラペチーノは クリスマスの雰囲気をイメージさせる華やかな赤と白のビジュアルが印象的な
<メ��ーベリー ストロベリー フラペチーノ>
 スタバ桐生市場店で、早速購入!
ミルクとストロベリーソースがベースのフラペチーノの中には、ストロベリー果肉も入っていました。上部のキラキラと輝くシルバーシュガーがかけられたクリームは、マスカルポーネとホワイトチョコを組み合わせた「メリークリーム」という名称とのこと。
見た目よりも甘さ控えめで酸味が効いた爽やかなストロベリーの味わいを楽しめる美味しいフラペチーノでした。
昨年もこのくらいの時期に似たようなフラペチーノが発売され「ゴジラ-1.0」を鑑賞後に購入した記憶があります。
*************************************************
  近くの結婚相談所  
  ハッピータイム群馬桐生相生
  婚活アドバイザー 金子 薫
  群馬県桐生市相生町5-536-1 
  ネプチューン2-A
  電 話:0277-32-5314
  連絡時間:午前10時から午後9時
  定休日:年中無休
**************************************************
婚活   結婚相談はお近くの結婚相談所ハッピータイム (http://www.happytime-en.com/)、 群馬前橋・群馬沼田・群馬渋川・群馬高崎・群馬安中・群馬藤岡・群馬伊勢崎・群馬桐生・群馬みどり・群馬太田・群馬邑楽・群馬館林・栃木足利・栃木佐野・栃木小山・栃木栃木・栃木真岡・埼玉熊谷・埼玉深谷・埼玉本庄・埼玉行田・埼玉羽生・埼玉加須・埼玉児玉・茨城牛久・茨城下館・茨城筑西・茨城結城・茨城古河・新潟長岡・新潟小千谷・新潟見附・新潟柏崎・新潟魚沼・新潟十日町・新潟南魚沼・新潟西蒲原・神奈川川崎・山梨甲府昭和までお問い合わせ下さい。
0 notes
helloharuo-diary-2023 · 11 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
思い出を振り返る
編集 | 削除
Tuesday 11 February 2014
2014年1月9日(木)夜10時4分、おかあさんが92歳で亡くなった。おかあさんは、自分の母のことではない。ハルオは、26歳の時人生のターニングポイントを迎えた。それはカメラマンになる修行を始める時だった。キーパーソンは、カナダ人のジョン。ジョンとの出会いは、ハルオが当時勤めていたカメラ量販店(24〜26歳)でのことで販売員(ハルオ)とお客(ジョン)の関係から始まった。そのジョンにカメラマンにな��たいと伝えるとジョンはある女性を紹介してくれた。その女性は、ハルオが師事する事になったカメラマンGが手掛けていた雑誌の編集者をしていた。ハルオは、ジョンを介してその女性と会いまもなくカメラマンGを紹介してもらい彼の元で働きながら写真を学ぶことになった。
ハルオは、当時国分寺に住んでいた。カメラマンGの仕事場は中目黒にあった。一方ジョンは中目黒に近い下北沢のアパート「葉隠荘」に住んでいた。そのアパートは、いわゆる外人ハウスで管理人がいなくある意味無法地帯のアパートだった。そのアパートがあった敷地内におかあさんが営む一杯飲み屋「小料理 小千谷」があった。ハルオは、国分寺のアパートをキープしながら葉隠荘(3畳部屋)に移り住んだ。そしておかあさんと出会った。おかあさんは、当時70歳だった。1991年のことだ。「小千谷」とはおかあさんの生まれ故郷新潟県小千谷のことだ。「小千谷」カウンターに5席ほどの小さい飲み屋でおかあさんが一人で切り盛りしていた。メニューは、300円と600円のみ。瓶ビール(大瓶)500円。おかあさんは、自分のことを『昔はあばずれ、今は聖母マリア』と言った。そして『おかあさん』と呼んでと言われる。おかあさんは、外国人しかいない葉隠荘に日本人がやって来たことが嬉しかったのだろうかハルオとおかあさんはすぐに打ち解けて仲良くなった。「小千谷」は夕方から12時まで営業していたので仕事が遅くなった時でもお店は開いていてよくハルオはおかあさんに会いにお店に寄った。おかあさんは昔の下宿屋のおばちゃんみたいな存在だった。おかあさんは世田谷区に住まいがあり旦那さんと暮らしていたが葉隠荘にも1室部屋を持っていた。その部屋はジョンの部屋(6畳部屋)の隣りだった。ジョンもハルオも20代後半の血気盛んな時期で週末となればどこからともなく外国人たちがジョンの部屋に集まりテクノミュージック(後にトランス)を聞いて騒いだ。ボロアパートの葉隠荘だから音は筒抜けでおかあさんは最年長でテクノを聞いていたことになるだろうか。聞くだけならともかくその音はおかあさんには不快でよくジョンの部屋に来て『うるさいよ〜』と注意に来た。
「小千谷」には、常連のお客さんがたくさんいて当然おかあさんのファンでもあった。おかあさんが道で拾った鶏をカゴに入れて飼っていた時があった。そのカゴは「小千谷」の店先に置いてあってある日おかあさんはそのコメコと名付けた鶏を写真に撮っている女の子Aと出会う。そして「うちにも写真を勉強しているハルオ君という子がいるよ』と伝えハルオはその女の子と「小千谷」で会った。ハルオは、その女の子を気に入りやがて2人は付き合う様になった。おかあさんは愛のキューピッドをし他にもおかあさんがお客さんとお客さんの縁を取り持ち結婚までしたカップルがいた。ハルオには、18歳で上京して以来2番目に仲良くなったTという友人がいるがそのTも「小千谷」が気に入り常連になった。そのTもやはり常連だった女性と恋に落ちその縁は今でも続いている。
ハルオが葉隠荘にいた期間は3年間だったがその間に「小千谷」が30周年を迎えた。近くの北沢八幡宮の宴会場を借りて大勢の人が集まり盛大に開催された。おかあさんは、得意のかっぽれを踊った。おかあさんはハルオに葉隠荘の外観写真を撮ること依頼しその写真を使い記念テレフォンカードを作った。おかあさんが何かの病気になり病院に入院した。それは大したことではなかったが退院の日ハルオはおかあさんに頼まれて迎えに行った。当時ハルオは400ccのバイクに乗っていておかあさんをシートの後ろに乗せて葉隠荘まで連れ帰った。そのことは後々までもおかあさんの記憶に残っていて時折そのことを懐かしんでハルオに話した。
「小千谷」には焼き飯というメニューがあってとても美味しく量がありハルオはよく好んで食べた。他には、刺身や漬け物、焼き魚等のメニューがあった。時折ハルオが朝仕事に出掛けると葉隠荘の入り口におかあさんからハルオに宛てたメモがありお店で残ったメニューの焼き飯やおにぎり、惣菜、を詰めてハルオに弁当を持たせてくれた。おかあさんは"お母さん"だった。ハルオは、バイクで交通事故に遭い肩甲骨と鎖骨を折って入院したことがあった。その際にはハルオの母も看病にやって来たのでハルオの母とおかあさんは顔を合わせている。その後年賀状のやり取りも続く。
ハルオが葉隠荘に住んで約3年後葉隠荘が取り壊しになる話が進められていた。丁度ハルオはカメラマン修行も終えた頃で立退料を大家の代理から30万円貰って早々に羽根木公園の近くのアパートに引っ越しをした。その後も暫く葉隠荘も「小千谷」もそのまま健在だったが遂に取り壊しをする時がやって来た。おかあさんが75歳前後のことだろうと思う。ハルオは、葉隠荘が取り壊される日、ドキュメント写真を撮った。その後まだ元気だったおかあさんは世田谷区上町駅近くの商店街に「小千谷パート2」を開店させた。ハルオは、定期的におかあさんに会いに行った。さてその店が何年続いたか?2〜3年?ハルオには記憶にない。下北沢という好条件にあった時に比べ上町ではお客さんが少なくなっていた。それでもおかあさんはお店を続けたかったんだと思う。
おかあさんは、水泳を好んで良くプールに出掛けていた。『ハルオ君、今度私が泳いでいるところを撮って』とおかあさんに言われたことがあったが実現には至らなかった。『小千谷パート2』が終りかけた頃、おかあさんは、自分史を書いた。その文章を常連のお客さんたちが小冊子に纏めた。その中にハルオについての話を書いてくれた。
2006年、ハルオは、写真展「十人十ゑろ」を開催した。しばらくおかあさんとは会っていなかったがおかあさんに写真展の話をすると行きたいと言ってくれた。しかしおかあさんは足が悪くなっていて自力では来れない。ハルオは、タクシーをチャーター��ておかあさんの送迎をした。「十人十ゑろ」は10人の女性の素肌(殆どがヌード)をキャンピングテントの中で撮影した作品だった。その後おかあさんとのやり取りは年賀状や時折の電話で続いて行った。
2008年、ハルオは25年間���み慣れた東京から静岡に引っ越しをした。この年の前後(記憶が乏しい)におかあさんに会いに行った。場所は下北沢から近い世田谷区の淡島通り付近の喫茶店。おかあさんの住まいは一戸建だったがとても小さく人を迎い入れるには難があった。おかあさんの足は更に悪くなっていた。その時は、ハルオはおかあさんがキューピッドをして付き合うことになった女の子Aと行った。Aとのお付き合いは半年も続かなかった。しかし元々Aはカメラマンになりたかった女の子でハルオに触発されてか付き合っている頃から写真学校の夜間部に通い晴れてカメラマンになっていた。ハルオとAは、友達として連絡を取り合っていたのでいい機会と一緒におかあさんに会いに行ったのだった。ハルオは、写真を撮って後でおかあさんにその写真を額に入れて贈った。おかあさんはその後世田谷の住まいをそのままにして小千谷に近い新潟県長岡市に身を寄せた。始めはおかあさんだけでその後旦那さんも。
2011年、おかあさんからハルオに手紙が届いた。その日は偶然にもハルオの誕生日だった。手紙が入った封筒には、現金2万円と写真も入っていた。その時何故現金が入っていたのか分らずハルオは、誕生日プレゼントだと勝手に思った。(しかしそれは後で気付いたが新潟までの往復の交通費だった。)そして写真だがそれが驚いたことにおかあさんのヌード写真だった。おかあさんが50〜60歳位の頃の温泉の露天風呂に入っている写真で下半身はタオルで隠れていて上半身は裸で乳首は見えそうで見えてはいなかった。手紙に『ハルオ君の個展か何かに出せるんじゃないかと勝手に考えました。自分のうぬぼれかも知れないけどそんな風に役立てて下さい。お願いします』とあった。随分大胆だなとハルオは驚いた。ハルオは、この時以前プールの写真を撮ってとリクエストされたことを思い出した。
手紙を貰った後中々新潟までおかあさんに会いには行けなかった。 ハルオは、それがはがくゆく気になっていたのでおかあさんに会いに行く決意をする。 おかあさんに貰った交通費2万円を使い時がやって来たのだ。
2013年春、 その旨をおかあさんに伝えようと身を寄せていた新潟県長岡市のお宅に電話すると旦那さんが危ないからまたの機会にして欲しいと言われ延期した。おかあさんには2人のお子さんがいて長女さんは大阪に住んでいて息子さんはすでに亡くなっていた。その息子さんの奥さんがおかあさんと旦那さんの世話をしていたのだ。間もなく旦那さんは亡くなられた。そして10月の始め、おかあさんに会いに静岡から車で出掛けた。久しぶりに会ったおかあさんは、すでにガンに侵されていた。部屋の中で2時間ほど話した。写真も撮った。しかしおかあさんの笑顔は撮れなかった。おかあさんは、長年の伴侶だった旦那さんが亡くなり生きることよりも死ぬことを願っている様に見えた。ハルオは、おかあさんと別れた後おかあさんの勧めで小千谷にも寄って来た。おかあさんの実家は小千谷駅近くにあった。甥��子さんが寿司屋を経営し、その同じ通りにおかあさんの幼馴染みが住む金物屋があって両方訪ねた。幼馴染みの方はご健在で写真も撮ることが出来た。
『おかあさん、これから手紙を定期的に送っていい?』そうハルオはおかあさんに尋ねると承知してくれたのでその後迷惑にならない様に気を使いながら手紙(葉書)を送った。しかしおかあさんはそれから3ヶ月後に帰らぬ人になってしまった。
おかあさんのご冥福を心からお祈り致します。 長い間本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さいね。
2014年2月21日(金)    ハルオ
0 notes
yoshi-finswim · 2 years ago
Photo
Tumblr media
【2021年ぶりにレース復活しました😆】ジャパンオープンマスターズ大会💡 ⁡ 午前は役員,午後は役員とレース! 久々のレースは過去1くらい緊張したけど,とっても楽しかった🎶 ⁡ 手術が必要な足になってからなかなか泳げず,モノフィンの大会はすべて出場できませんでした🥲 ⁡ 指導に専念してきた2年間 みんなの良い記録や楽しそうな姿をたくさん見て またひと味違った幸せを感じるとともに やっぱり自分も大会で喜(怒哀)楽したいな〜って思うことも多々🤣 ⁡ 昨年末は痛み止めを2錠飲みながらビーフィンのレースに出たり 今年は10年以上ぶりくらいに競泳のマスターズの大会に挑戦してみたり… やっぱり大会は楽しい‼️‼️ ⁡ ということでとにかく結果には一切こだわらず フィンスイミングのレースに出たい❗️ という気持ちで200mサーフィスにエントリー🐬 初めて泳ぐ仲間もいて 新旧いろいろ一緒にレースができて楽しかった〜 ⁡ 私の足関節には飛び込みとターンが困難なので そこを恐る恐るゆっくりやりながら… 失格と足のトラブルなく本当に完泳目標に臨んで無事達成💡 ⁡ 練習もトレーニングもほぼしてない割にはタイムもそこそこでした🙆‍♂️ 指導のための技術力向上は自分の泳ぎにもいきてくるんだなと再確認 ⁡ 調子に乗って泳いだらまた痛い目を見るので 引き続き期待せず隙があればぼちぼちやっていきまーす🤘 ⁡ たくさん声かけていただいてありがとうございました🙃🙃 ⁡ #フィンスイミング #Finswimming #復活レース #まあまあ速い #レースは楽しい! #200はキツい #AQUAFinD #侍ジャパン #おめでとう! (千葉県国際総合水泳場) https://www.instagram.com/p/CqFUMzNvbEm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
llamapolicias · 6 years ago
Photo
Tumblr media
中学生初参戦で久しぶりに春JOへ。 初日、なんとか鬼門の初戦を勝ちきることができたけど、兜の緒を締めなおさなあかんところ。 2日目、まずは東京男子勢の応援。 #waterpolo #JOC #JO #Juniorolymiccup #swimming #Chiba #juniorhighschool #明治大学付属中野中学校 #城北中学校 #水球 #ジュニアオリンピック #ジュニアオリンピックカップ #千葉 #千葉国際水泳場 (千葉県国際総合水泳場) https://www.instagram.com/d58843529813b/p/BvfwRmQhOgr/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=jigjueknewd6
0 notes
cosmicc-blues · 3 years ago
Text
2021/7/24
朝、目覚ましより先に目を覚ます。相変わらず遠足が楽しみで早起きしてしまう子どもです。すると雨が降りはじめ、なぬ! と思っていると、すぐに雨は止んで、むしろ陽射しが窓から注いでくる。浮きうきで支度をしていると、Nから連絡が来ている。Tが美容室に行くから午後からにしてほしいと。それならカリー食べられるじゃん、となり、予定通りに家を出る。今日も積雲の多い晴れ。上昇する夏のイマージュ。熱気球や光のきらめきを感化しながら、ふたりに会えるのが楽しみで仕方ない。
オープンと同時にOさんのお店に入る。今日は早いですねって驚かれる。この時間はいつもお客さんが少ないらしく、ほんとうにひとりもお客さんがやってこない。久しぶりに音楽談義に華を咲かせる。一昨日ひさしぶりに聴いたAC/DCが凄いかっこよかったってはなしから、Oさんは意外にもAC/DCの大ファンだと知れる。こう言っちゃあれですけど、AC/DCってバカのひとつ憶えっていうか、そんな感じだからバカにされがちだと思うんですけど、あの潔いギターがかっこいいですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、アンガス・ヤングって腹くくってギター弾いてるんですよね、そういう姿勢に惹かれるんですよ、どの曲も同じような感じなんですけど、ある意味でミニマルミュージックなんですって、かなり良いことを言う。ものすごく共感する。アンガス・ヤングのように腹をくくっているギタリストをもうひとり思い付き、キース・リチャーズもそんな感じですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、僕のなかではアンガスとキースは同類ですね、キースのギターもミニマルミュージック、ひとつのことをどこまでも突き詰めた職人芸ですよねって。お客さん、ほんとうに一人もやってこず、音楽談義が白熱する。
湘南新宿ラインで待ち合わせ。毎度のこと待ち合わせがめちゃくちゃ下手くそなわれわれ。時間を過ぎても誰とも会うことができず、平行世界(パラレルワールド)のことを考える、じぶんだけがいま待ち合わせの存在していない世界線にいるのではないか、と。偶然会うことは得意なのになぁ。そしたらNから連絡が来ていて、Nの居るらしいプラットホームの場所に向かう。Tにも連絡をする。遠足スタイルのNにようやく会うことができる。TからはOKサインがきている。ところが待てども待てどもTの姿が見えない。乗るつもりだった電車が行ってしまったそのあとすぐにTがひらひらとやってくる。バッド・タイミングすぎて、ある意味でグッド・タイミング。そんなのも関係なくTが久しぶりのNをわぁーーっと抱きすくめる。こんな光景を見られただけで大いに大満足で、わざわざこれから海に行かなくてもいいくらいに今日という一日を達成してしまう。これは勝手な偏見かもしれないけれど、ふたりはいい意味に左右対称というか左右非対称で、たぶん、おたがいに自覚していない長所をそれぞれに強く持ち合っている(コントラの感想もきれいさっぱり真逆だったし)。だから、ふたりが一緒にいると最強(最狂?)という感じがするし、ふたりはほんとうにいい友であると思う。
湘南新宿ラインのボックス席、昨日セブンでNに教えてもらったアンダー・ザ・シーをTも知っているかどうか5月8日のピアノの録音をTにも聴いてもらう。録音の日付を見ながら2カ月以上も気になり続けていたんだなぁと思う。電車で音が聴こえ辛いこともあってか、Tはまったくわからない模様。Nにも聴いてもらうと、すぐに昨日のあれねっとなる。Nとふたりでメロディを口ずさんでTに聴かせる。そんなこんなでディズニーやジブリのはなしになる。すでに何回も観ている映画にコメントを付けたり、ツッコミを入れながら観るやつやりたいなぁと思う。窓の外は積乱雲がものすごい。移動の時間が大好きだなぁとあらためて思う。どこかに行くっていう目的も目的でいいけれど、それに伴う移動の時間は目的に付随する二義的なものではなくて、むしろ、移動の時間のなかにこそ目的の限定的な立場からはみ出してそれを包摂するような自由な豊かさがあるような気がする。究極的には行って帰ってくるだけで充分なのかもしれない。
京急線に乗り換える。新幹線スタイルの座席、しかも、先頭車両の一番前の座席がロマンスカーのような展望座席になっている。生憎、展望座席は埋まっていて、後方の席に三人横並びで座る。トンネルの多い路線、トンネルの影のアーチが見えてきて、列車がトンネルの外に走り出て車内がそぞろ明るくなるたびに『恋恋風塵』の冒頭のショットを思い出す。Nは席を離れて、展望座席の後ろから展望窓の風景を覗いている。Tが今日のNちゃんの後ろ姿って小学生の遠足みたいだよね~って。前々からNが何かに似ていると思い続けてきて、ついにこの謎が解けた、トトロだってことを打ち明ける。展望座席が空いたから、そっちに移動する。窓の外は積乱雲がものすごい。線路の周りは緑にあふれ、山間の町並みは茶畑のように段々に家々が連なっている。遠くのほうに海が見えてきそうで、なかなか見えない。停車駅のひとつで、Tがその町並みを眺めながら、すごーい外国に来たみたいって。それは言い過ぎかってすぐに撤回する。大笑いしながら、まあ、イオンあるからねって。ついに車窓から海の濃いブルーが見えて三人とも大はしゃ��。
三崎口駅に到着。電車から降りると、線路の途切れる終着地がある。バスで水族館に行く。終着点の水族館の名前のバス停で下車すると、空き地みたいなところにマリモをでかくしたみたいな変な植物たちが疎らに群れをなしている。なにこれかわいいと三人とも大興奮。植物が生えているというより、植物のような動物がジッと立ち止まって群れをなしているというほうがピンとくる。もののけ姫のこだまみたいな感じでジッとこちらの様子を窺っている。基本的には疎らに群れをなしていながら、三体がぴったりくっついて仲良し三人組みたいになっているのもいる。マリモのなかからエノコログサが飛び出ている。Tが夜になったらきっとここには誰もいないよ、みんな森に帰っちゃうんだ、みたいのことを言う。大笑いしながら、ほんとうにそんなふうに思われる。水族館のバス停のはずなのに、水族館はまだ先にあって、しかも、けっこうな距離がある。なんで水族館の前まで行ってくれないのって何度もブーたれる。入園してすぐ、でっかいアシカが眠っている。アシカってこんなにでかいんだってびっくりする。Nはアシカにも似ているような気がする。なんだろう、ヒゲの雰囲気がそう感じさせるのかな。まずは、当水族館の押しであるらしいカワウソの森に行く。想像とだいぶ違っていて、カワウソも一匹しか見られず、ちょっとショックを受ける。自然公園みたいなところに野生のヘビに注意の看板が出ていて、さっそくハンターことTの心が燃え上がっている。ヘビ捕まえていいの?! って言うから、野生のヘビならいいんじゃないって。水族館の屋内に入る。入口のところにサメの口の骨のとげとげしい模型があって、すぐ近くまできて、その大きさにびっくりして思わず仰け反るような姿勢になると、Nになんで~って突っ込まれる、ずっと見えてたのにって。いや、近くまできたら思ったよりでかいのにびっくりしてって弁明する。館内に入るなり、いきなりでっかいチョウザメがいて目が点になる。数体の古代魚が水槽のなかでゆらゆらと身を踊らせている。それから個々の小さな水槽を順番に見てまわる。大勢の魚がスクランブル交差点のように錯綜と泳ぎまわっている水槽で、TかNのどっちだったかが全ての魚たちが誰ひとりとしてぶつかることなく泳ぎまわっていることに感心している。チンアナゴがエイリアンみたいな動きでおもしろい。二階に上る。二階は円形の壁沿いにぐるっと大きな水槽が張り巡らされていて、魚たちが回遊できるようになっている��水槽の上からは太陽の光が注いでいて、フロアのあっちこちに光や虹のきらめきが踊っている。サメが特に目を引く。凶悪そうなギザギザの口に、何よりも眼球がひっくり返ったような冷徹な目。鼻に瘤のようなものを付けているサメがいて、あれは何だろうとしばらく後を追ってみるも、よくわからない。ノコギリザメがいて、ふたりにも声をかける。ノコギリザメはけっこうかわいい感じ。見にいくとノコギリザメは泳ぐのやめて、ジッとこちらの様子を眺めている。その瞳の動きで三人を順番に見渡しているのがわかる。ノコギリザメから離れると、ノコギリザメのほうも泳ぐのを再開させる。一階に戻ると、シマ吉くんの催しが行なわれている。魚も芸を覚えることにびっくり仰天。シマ吉くんかわいい。館内を出て、キムタクみたいなペンギンを見に行く。からだを唐突にブルブルッと震わせたり、羽を暢気にひよひよさせたり、ペンギンの動きには変なメリハリがあって見応えがある。そしたら、一羽だけ気ちがいのようにからだを意味不明にくねらせながら泳いでいるペンギンがいる。意味不明に水飛沫を立てるその一羽に三人とも釘付けになる。Nが私もこんなふうに動いてみたいけど人間だからなぁ、みたいなことを残念そうに口にする。でも、Nはたまにいきなり唐突に、衝動的に常軌を逸したような動きを見せるよなぁと思う。件のことで警察署に行くまえ、小川のところで連絡待ちしているときに、いきなりNがわあああっと手に持っていた葉っぱを小川に投げつけたのはほんとうに美しかった。いったん駅に戻って、三戸浜を目指すことにする。なんでバスは水族館の前まで来てくれないんだって相変わらずブーたれながら歩いていると、車がきて道を開ける。車が過ぎて、遠いバス停に向けて再発進しようとすると、Nがいきなり手に持っていたエノコログサをわああっと振り乱しながら急接近してきて、うわわわっと腰を抜かしそうになる。なんで、なんで、いきなりそんなことするの?! Nは悪い笑みを浮かべ、だってKさん、とここでいったん絶妙な間を置き、素直にそのことを言うべきか言わないべきか迷っているような、あえて間を置くことでそのことを強調するような感じで、ビビりなんだも~ん! って。この野郎、ひとをバカにしやがって、いつかぜったい仕返ししてやるからなって心に強く思いつつ、ほんとうに最高だなって思う。ビビりなんだも~ん! いままでNからもらった言葉でいちばん嬉しいかもしれない。
バスで駅に戻り、三戸浜を目指す。収穫が済んで畑にきれいに整列しつつも朽ち果てている植物たちの残骸をTが戦時中の死体のようだと形容する。あるいは向日葵の蛍光色の質感、夜になったら光り出しそう。子猫の亡骸。急に夏の終わりが顕在化する。いまが夏でよかったと思う、すぐに骨に還ってしまうから。Nが持ち歩いていたエノコログサを子猫に捧げる。持ち歩いていて、よかったなぁと心の底から思う。ねこじゃらしはそこらへんにも普通に生えていて、すぐにでも摘んでこられるけども、これは人間側のエゴかもしれないけれど、大事に持っていたそれを捧げるというのはせめてもの救いになる。意気消沈しながらも海への歩みは止まらない。海への入口の畦道を通り抜けると、大きな海が広がっている。夕陽を受けた波のまにまが橙色の光のすじを浮かべている。三人とも大はしゃぎで海のほうに駆けてゆく。サンダルのNが早速パンツの裾をたくし上げて海のなかに入っていく。勢いのある波を受けたNがこっちへ振り返って驚きと喜びの入り混じったようなとってもいい笑顔をみせる。さらにずいずい海のほうに身を入れてゆく。Nのからだが踊っている。このあいだと同じくらいの時間なのに波の寄せ方がぜんぜん違っている、浜のかなり深いところまで波が来ていて、くつで歩ける場所がほとんどない。そればかりではなく、このあいだは空の高いところにずっと見えていた月がどこにも見当たらない、昨日の感じからして今日はおそらく満月だろうと思われるけれど。じぶんもスニーカーと靴下を脱いで波打ち際を歩く。波はけっこうな勢いで、裸足だからと油断していると下半身がびしょ濡れになってしまう。びしょ濡れになって色々諦めたらしいTがサンダルを脱いで裸足になる。Nも裸足のほうが気持ち良さそうとサンダルを脱ぐ。まずは廃墟を目指す。でっかい丸太が波打ち際に落ちている。海のほうに蹴ってみるものの、重すぎてぜんぜん動いてくれない。それだというのに、ひとたび波が丸太に届くと、波はいとも簡単に丸太をさらって、さらに次の波が丸太を波打ち際に叩きつける。あっぶな! と三人で丸太をよける。Tが海の殺意を感じるよーとはしゃいでいる。波打ち際をずいずい歩いていると、後ろのふたりから何これすごーい! 魔法使いみたいって歓喜の声があがる。何かと思えば、じぶんの足が濡れた砂浜に触れるたびに、フワッと空気の膨らみのようなのがあたりに拡がっている。まさに魔法使いが歩いているかのよう、もののけ姫のシシ神様の歩き方みたいってはなしにもなる。波の勢いにかなり苦戦しながらも廃墟が近づいてくる。廃墟の辺りを境に砂浜が岩場に変わっていて、岩にぶつかった波が壮絶な潮砕けとなって舞い上がっている、絶句して、ゴクンと唾を飲み込む。廃墟に到達。Tからもらったウエットティッシュで足の砂を落として靴下とスニーカーを履き直す。いざ、廃墟に潜入! 底の抜けた階段の脇をロッククライミングのように慎重によじ登る。続いてTも。続くNが半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、この次どこに足をもっていったらいいのー?! って。どうにかこうにか登りきる。廃墟にもかかわらず落書きなんかがいっさいない、純然たる野生の廃墟。下から見る限り、底が抜けそうな感じがしたけれど、踏んでみるかぎり最初のフロアは問題なさそう。ところが、その先に伸びている廊下は底抜けしそうというより、すでに床の木肌がひび割れて底が見えている。あっぶな! と咄嗟に引き下がって、そばに来ていたTにも注意を促す。ここで行きにも少し話題になった(そんなことはすっかり忘れていた)Nの「ばけたん」なるお化け探知機がついに初お目見えになる。「ばけたん」が赤く光れば悪霊がいる、青く光れば天使がいる、緑に光れば平常でとくに何もない。どう考えても赤く光りそうなシチュエーションでありながら、どういうわけか青く光る。底抜けの大丈夫そうな場所をひと通り探索して外にもどる。出るときもNは半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、どうにかこうにか地面に帰ってくることができる。続いて洞窟。入り口の岩場にはでっかいフナムシが無数に蠢いている。ふたりから虫がだめなのに、なんでフナムシは平気なのって不思議がられる。セミが夏の天使なように、フナムシは海の天使だからって思っていることを素直に応えながら、でも、だとしても何で平気なんだろう��て不思議に思う。ひとりでは怖すぎて一歩しか中に入れなかった洞窟も三人いれば心強い。スマホのライトで先を照らしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、中のほうに入ってゆく。洞窟の側面にも天井にも隙間なく無数のフナムシが蠢いている。Nがここでも「ばけたん」を発動させてみる、結果は緑の光。洞窟は大広間の先に細い小路が続いている。その入口まで行って引き返そうとすると、Tがこの先まで行ってみようよって。もう無理、もう無理、これ以上は無理って断ると、さすが度胸のあるTはひとりで小路に入ってゆく。小路の突き当たりまで行ってもどってくる。小路の突き当たりはさらに左右に枝分かれしているらしい。
夕陽は海上の雲にのまれ、空は暗くなりつつある。岩場をさらに進んでゆくと、一人キャンパーが三組だったか四組、おたがいに微妙に距離を取りながら座っている。焚火のいい匂いがする。岩場にはフナムシなかにカニもたくさんいる。そんな岩場の一角にどんなカニとも比べものにならないでっかいカニをTが発見、すぐさまハンターの心が燃え上がり、捕獲に向かう。カニの捕まえ方なんて知らないよ~(だったらヘビの捕まえ方は知っていたのか……)と弱音を吐きながらも果敢にカニに立ち向かってゆく。数分の格闘のすえ、見事にカニを捕獲、持っていたビニール袋に入れる。Nはその場に腰掛け、じぶんは岩場の先端のほうまで行き、Tはその中間くらいから三者三様に暮れてゆく空と海を眺める。岩にぶつかる波の潮砕けがもの凄い。しばらく経って、Nのいる地点まで戻ろうとすると、Nが大きく手を振る、大きく手を振り返す。ふたたび三人が集まると、Nが家が恋しくなっちゃうって泣きそうな声で言う。たしかにそうなのだ。こんな最果ての辺境で、しかも、もうすぐ夜が来ようとしている。どうして、じぶんはいつもこんなところにわざわざひとりで赴いているのかってことをこのとき初めて考える。それからNがいい写真撮れたよって、ふたりがそれぞれに海を眺めている写真を見せてくれる。そろそろ帰ろうか、来た道を引き返すことにする。廃墟の辺りで海を離れて、上の道路を歩くことにする。Nだけ足の砂を落としていなくてどこかで洗いたい、いちどは海に下りていこうとするけれど、あいだには砂浜があるから海で洗ってもまた砂だらけになってしまう。きっと、そこらへんに水道があるでしょってことになり、そのまま上の道路を歩いてゆく。しばらくすると、マリンスポーツの拠点みたいな施設がある。水道はありそうでなくて、人間はじぶんたちを除いて人っ子ひとりいない。そんな施設のさなかに芝生のお庭がある。芝生のお庭になら水道あるでしょって探すけど、水道はどこにもない代わりに芝生の隣に敷居に囲われたプールがある。その敷居は簡単に跨いでいける感じで、だあれもいないし、あのプールで洗っちゃえば。Tが敷居を跨ぐまでもなく普通に入口を発見して、勝手に入口の鍵みたいのを開けて中に入っている。足を洗ったNがプールの水すごいきれいだったって戻ってくる。ふふ。とうに日は暮れて、暗い夜の山道を駅に向かって引き返す。Nが暗いよぉ、怖いよぉと頻りに泣きそうな声で連呼する。そんなつもりじゃなかったけども、仕返しを無事に達成。Nのスマホのライトでできるでっかい影。とりわけ樹々の左右から覆い被さる真っ暗な坂道、ここで「ばけたん」をやってみようになるけれど、Nのかばんから「ばけたん」が消失してしまう。どこかに落としてきちゃったかなぁ。自動車のヘッドライトからほとばしる影に驚いたりしながら、街灯のある明るいところに移動して「ばけたん」の捜索。かばんを隈なくひっくり返しても見つからず、「ばけたん」の性能には半信半疑ながら三千えんのお買い物がたったの二日で消失してしまうのにはさすがに気の毒な感じがして、色んな可能性を示唆していると、かばんのポケットのひとつから「ばけたん」が発見される。よかったぁ。その場で「ばけたん」を発動させると緑色に光る。山道を経て、畑道のところまで来ると、びっくりするぐらい赤い光線を発する怪しい満月が空のかなり低いところにのぼっている。Tがどこかのタイミングで(たぶん廃墟だったかな)口走った『夕闇通り探検隊』の一言が胸に突き刺さる。月のなかを鉄塔の陰翳が横切る。
帰りの電車でも頻りに「ばけたん」のはなしになる。乗換駅でも発動させてみる。緑色。廃墟でいちどだけ出た青以外はぜんぶが平常の緑色を示す。Nから、こんな胡散臭い商品なのに何故か高評価のアマゾンのレビューを見せてもらう。それでもまだ胡散臭さは拭えなくて、いっぽうで廃墟のときだけ色が変わったことがどうも引っかかっている。帰り際になってNがぽろっと口にした「乱数の偏り」という言葉にアンテナがビビッと反応して、これはきっと何があるぞと思う。帰ったらじっくり調べてみようと心に決める。
1 note · View note
toubi-zekkai · 4 years ago
Text
厚着紳士
 夜明けと共に吹き始めた強い風が乱暴に街の中を掻き回していた。猛烈な嵐到来の予感に包まれた私の心は落ち着く場所を失い、未だ薄暗い部屋の中を一人右往左往していた。  昼どきになると空の面は不気味な黒雲に覆われ、強面の風が不気味な金切り声を上げながら羊雲の群れを四方八方に追い散らしていた。今にも荒れた空が真っ二つに裂けて豪雨が降り注ぎ蒼白い雷の閃光とともに耳をつんざく雷鳴が辺りに轟きそうな気配だったが、一向に空は割れずに雨も雷も落ちて来はしなかった。半ば待ち草臥れて半ば裏切られたような心持ちとなって家を飛び出した私はあり合わせの目的地を決めると道端を歩き始めた。
 家の中に居た時分、壁の隙間から止め処なく吹き込んで来る冷たい風にやや肌寒さを身に感じていた私は念には念を押して冬の格好をして居た。私は不意に遭遇する寒さと雷鳴と人間というものが大嫌いな人間だった。しかし家の玄関を出てしばらく歩いてみると暑さを感じた。季節は四月の半ばだから当然である。だが暑さよりもなおのこと強く肌身に染みているのは季節外れの格好をして外を歩いている事への羞恥心だった。家に戻って着替えて来ようかとも考えたが、引き返すには惜しいくらいに遠くまで歩いて来てしまったし、つまらない羞恥心に左右される事も馬鹿馬鹿しく思えた。しかしやはり恥ずかしさはしつこく消えなかった。ダウンジャケットの前ボタンを外して身体の表面を涼風に晒す事も考えたが、そんな事をするのは自らの過ちを強調する様なものでなおのこと恥ずかしさが増すばかりだと考え直した。  みるみると赤い悪魔の虜にされていった私の視線は自然と自分の同族を探し始めていた。この羞恥心を少しでも和らげようと躍起になっていたのだった。併せて薄着の蛮族達に心中で盛大な罵詈雑言を浴びせ掛けることも忘れなかった。風に短いスカートの裾を靡かせている女を見れば「けしからん破廉恥だ」と心中で眉をしかめ、ポロシャツの胸襟を開いてがに股で歩いている男を見れば「軟派な山羊男め」と心中で毒づき、ランニングシャツと短パンで道をひた向きに走る男を見れば「全く君は野蛮人なのか」と心中で断罪した。蛮族達は吐いて捨てる程居るようであり、片時も絶える事無く非情の裁きを司る私の目の前に現れた。しかし一方肝心の同志眷属とは中々出逢う事が叶わなかった。私は軽薄な薄着蛮族達と擦れ違うばかりの状況に段々と言い知れぬ寂寥の感を覚え始めた。今日の空が浮かべている雲の表情と同じように目まぐるしく移り変わって行く街色の片隅にぽつ念と取り残されている季節外れの男の顔に吹き付けられる風は全く容赦がなかった。  すると暫くして遠く前方に黒っぽい影が現れた。最初はそれが何であるか判然としなかったが、姿が近付いて来るにつれて紺のロングコートを着た中年の紳士だという事が判明した。厚着紳士の顔にはその服装とは対照的に冷ややかで侮蔑的な瞳と余情を許さない厳粛な皺が幾重も刻まれていて、風に靡く薄く毛の細い頭髪がなおのこと厳しく薄ら寒い印象に氷の華を添えていた。瞬く間に私の身内を冷ややかな緊張が走り抜けていった。強張った背筋は一直線に伸びていた。私の立場は裁く側から裁かれる側へと速やかに移行していた。しかし同時にそんな私の顔にも彼と同じ冷たい眼差しと威厳ある皺がおそらくは刻まれて居たのに違いない。私の面持ちと服装に疾風の如く視線を走らせた厚着紳士の瞳に刹那ではあるが同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情が浮かんでいた。  かくして二人の孤独な紳士はようやく相まみえたのだった。しかし紳士たる者その感情を面に出すことをしてはいけない。笑顔を見せたり握手をする等は全くの論外だった。寂しく風音が響くだけの沈黙の内に二人は互いのぶれない矜持を盛大に讃え合い、今後ともその厚着ダンディズムが街中に蔓延る悪しき蛮習に負けずに成就する事を祈りつつ、何事も無かったかの様に颯然と擦れ違うと、そのまま振り返りもせずに各々の目指すべき場所へと歩いて行った。  名乗りもせずに風と共に去って行った厚着紳士を私は密かな心中でプルースト君と呼ぶ事にした。プルースト君と出逢い、列風に掻き消されそうだった私の矜持は不思議なくらい息を吹き返した。羞恥心の赤い炎は青く清浄な冷や水によって打ち消されたのだった。先程まで脱ぎたくて仕方のなかった恥ずかしいダウンジャケットは紳士の礼服の風格を帯び、私は風荒れる街の道を威風堂々と闊歩し始めた。  しかし道を一歩一歩進む毎に紳士の誇りやプルースト君の面影は嘘のように薄らいでいった。再び羞恥心が生い茂る雑草の如く私の清らかな魂の庭園を脅かし始めるのに大して時間は必要無かった。気が付かないうちに恥ずかしい事だが私はこの不自然な恰好が何とか自然に見える方法を思案し始めていた。  例えば私が熱帯や南国から日本に遣って来て間もない異国人だという設定はどうだろうか?温かい国から訪れた彼らにとっては日本の春の気候ですら寒く感じるはずだろう。当然彼らは冬の格好をして外を出歩き、彼らを見る人々も「ああ彼らは暑い国の人々だからまだ寒く感じるのだな」と自然に思うに違いない。しかし私の風貌はどう見ても平たい顔の日本人であり、彼らの顔に深々と刻まれて居る野蛮な太陽の燃える面影は何処にも見出す事が出来無かった。それよりも風邪を引いて高熱を出して震えている病人を装った方が良いだろう。悪寒に襲われながらも近くはない病院へと歩いて行かねばならぬ、重苦を肩に背負った病の人を演じれば、見る人は冬の格好を嘲笑うどころか同情と憐憫の眼差しで私を見つめる事に違いない。こんな事ならばマスクを持ってくれば良かったが、マスク一つを取りに帰るには果てしなく遠い場所まで歩いて来てしまった。マスクに意識が囚われると、マスクをしている街の人間の多さに気付かされた。しかし彼らは半袖のシャツにマスクをしていたりスカートを履きながらマスクをしている。一体彼らは何の為にマスクをしているのか理解に苦しんだ。  暫くすると、私は重篤な病の暗い影が差した紳士見習いの面持ちをして難渋そうに道を歩いていた。それは紳士である事と羞恥心を軽減する事の折衷策、悪く言うならば私は自分を誤魔化し始めたのだった。しかしその効果は大きいらしく、擦れ違う人々は皆同情と憐憫の眼差しで私の顔を伺っているのが何となく察せられた。しかしかの人々は安易な慰めを拒絶する紳士の矜持をも察したらしく私に声を掛けて来る野暮な人間は誰一人として居なかった。ただ、紐に繋がれて散歩をしている小さな犬がやたらと私に向かって吠えて来たが、所詮は犬や猫、獣の類にこの病の暗い影が差した厚着紳士の美学が理解出来るはずも無かった。私は子犬に吠えられ背中や腋に大量の汗を掻きながらも未だ誇りを失わずに道を歩いていた。  しかし度々通行人達の服装を目にするにつれて、段々と私は自分自身が自分で予想していたよりは少数部族では無いという事に気が付き始めていた。歴然とした厚着紳士は皆無だったが、私のようにダウンを着た厚着紳士見習い程度であったら見つける事もそう難しくはなかった。恥ずかしさが少しずつ消えて無くなると抑え込んでいた暑さが急激に肌を熱し始めた。視線が四方に落ち着かなくなった私は頻りと人の視線を遮る物陰を探し始めた。  泳ぐ視線がようやく道の傍らに置かれた自動販売機を捉えると、駆けるように近付いて行ってその狭い陰に身を隠した。恐る恐る背後を振り返り誰か人が歩いて来ないかを確認すると運悪く背後から腰の曲がった老婆が強風の中難渋そうに手押し車を押して歩いて来るのが見えた。私は老婆の間の悪さに苛立ちを隠せなかったが、幸いな事に老婆の背後には人影が見られなかった。あの老婆さえ遣り過ごしてしまえばここは人々の視線から完全な死角となる事が予測出来たのだった。しかしこのまま微動だにせず自動販売機の陰に長い間身を隠しているのは怪し過ぎるという思いに駆られて、渋々と歩み出て自動販売機の目の前に仁王立ちになると私は腕を組んで眉間に深い皺を作った。買うべきジュースを真剣に吟味選抜している紳士の厳粛な態度を装ったのだった。  しかし風はなお強く老婆の手押し車は遅々として進まなかった。自動販売機と私の間の空間はそこだけ時間が止まっているかのようだった。私は緊張に強いられる沈黙の重さに耐えきれず、渋々ポケットから財布を取り出し、小銭を掴んで自動販売機の硬貨投入口に滑り込ませた。買いたくもない飲み物を選ばさられている不条理や屈辱感に最初は腹立たしかった私もケース内に陳列された色取り取りのジュース缶を目の前にしているうちに段々と本当にジュースを飲みたくなって来てその行き場の無い怒りは早くボタンを押してジュースを手に入れたいというもどかしさへと移り変わっていった。しかし強風に負けじとか細い腕二つで精一杯手押し車を押して何とか歩いている老婆を責める事は器量甚大懐深き紳士が為す所業では無い。そもそも恨むべきはこの強烈な風を吹かせている天だと考えた私は空を見上げると恨めしい視線を天に投げ掛けた。  ようやく老婆の足音とともに手押し車が地面を擦る音が背中に迫った時、私は満を持して自動販売機のボタンを押した。ジュースの落下する音と共に私はペットボトルに入ったメロンソーダを手に入れた。ダウンの中で汗を掻き火照った身体にメロンソーダの冷たさが手の平を通して心地よく伝わった。暫くの間余韻に浸っていると老婆の手押し車が私の横に現れ、みるみると通り過ぎて行った。遂に機は熟したのだった。私は再び自動販売機の物陰に身を隠すと念のため背後を振り返り人の姿が見えない事を確認した。誰も居ないことが解ると急ぐ指先でダウンジャケットのボタンを一つまた一つと外していった。最後に上から下へとファスナーが降ろされると、うっとりとする様な涼しい風が開けた中のシャツを通して素肌へと心地良く伝わって来た。涼しさと開放感に浸りながら手にしたメロンソーダを飲んで喉の渇きを潤した私は何事も無かったかのように再び道を歩き始めた。  坂口安吾はかの著名な堕落論の中で昨日の英雄も今日では闇屋になり貞淑な未亡人も娼婦になるというような意味の事を言っていたが、先程まで厚着紳士見習いだった私は破廉恥な軟派山羊男に成り下がってしまった。こんな格好をプルースト君が見たらさぞかし軽蔑の眼差しで私を見詰める事に違いない。たどり着いた駅のホームの長椅子に腰をかけて、何だか自身がどうしようもなく汚れてしまったような心持ちになった私は暗く深く沈み込んでいた。膝��上に置かれた飲みかけのメロンソーダも言い知れぬ哀愁を帯びているようだった。胸を内を駆け巡り始めた耐えられぬ想いの脱出口を求めるように視線を駅の窓硝子越しに垣間見える空に送ると遠方に高く聳え立つ白い煙突塔が見えた。煙突の先端から濛々と吐き出される排煙が恐ろしい程の速さで荒れた空の彼岸へと流されている。  耐えられぬ思いが胸の内を駆け駅の窓硝子越しに見える空に視線を遣ると遠方に聳える白い煙突塔から濛々と吐き出されている排煙が恐ろしい速度で空の彼岸へと流されている様子が見えた。目には見えない風に流されて行く灰色に汚れた煙に対して、黒い雲に覆われた空の中に浮かぶ白い煙突塔は普段青い空の中で見ている雄姿よりもなおのこと白く純潔に光り輝いて見えた。何とも言えぬ気持の昂ぶりを覚えた私は思わずメロンソーダを傍らに除けた。ダウンジャケットの前ボタンに右手を掛けた。しかしすぐにまた思い直すと右手の位置を元の場所に戻した。そうして幾度となく決意と逡巡の間を行き来している間に段々と駅のホーム内には人間が溢れ始めた。強風の影響なのか電車は暫く駅に来ないようだった。  すると駅の階段を昇って来る黒い影があった。その物々しく重厚な風貌は軽薄に薄着を纏った人間の群れの中でひと際異彩を放っている。プルースト君だった。依然として彼は分厚いロングコートに厳しく身を包み込み、冷ややかな面持ちで堂々と駅のホームを歩いていたが、薄い頭髪と額には薄っすらと汗が浮かび、幅広い額を包むその辛苦の結晶は天井の蛍光灯に照らされて燦燦と四方八方に輝きを放っていた。私にはそれが不撓不屈の王者だけが戴く栄光の冠に見えた。未だ変わらずプルースト君は厚着紳士で在り続けていた。  私は彼の胸中に宿る鋼鉄の信念に感激を覚えると共に、それとは対照的に驚く程簡単に退転してしまった自分自身の脆弱な信念を恥じた。俯いて視線をホームの床に敷き詰められた正方形タイルの繋ぎ目の暗い溝へと落とした。この惨めな敗残の姿が彼の冷たい視線に晒される事を恐れ心臓から足の指の先までが慄き震えていた。しかしそんな事は露とも知らぬプルースト君はゆっ���りとこちらへ歩いて来る。迫り来る脅威に戦慄した私は慌ててダウンのファスナーを下から上へと引き上げた。紳士の体裁を整えようと手先を闇雲に動かした。途中ダウンの布地が間に挟まって中々ファスナーが上がらない問題が浮上したものの、結局は何とかファスナーを上まで閉め切った。続けてボタンを嵌め終えると辛うじて私は張りぼてだがあの厚着紳士見習いの姿へと復活する事に成功した。  膝の上に置いてあった哀愁のメロンソーダも何となく恥ずかしく邪魔に思えて、隠してしまおうとダウンのポケットの中へとペットボトルを仕舞い込んでいた時、華麗颯爽とロングコートの紺色の裾端が視界の真横に映り込んだ。思わず私は顔を見上げた。顔を上方に上げ過ぎた私は天井の蛍光灯の光を直接見てしまった。眩んだ目を閉じて直ぐにまた開くとプルースト君が真横に厳然と仁王立ちしていた。汗ばんだ蒼白い顔は白い光に包まれてなおのこと白く、紺のコートに包まれた首から上は先程窓から垣間見えた純潔の白い塔そのものだった。神々しくさえあるその立ち姿に畏敬の念を覚え始めた私の横で微塵も表情を崩さないプルースト君は優雅な動作で座席に腰を降ろすとロダンの考える人の様に拳を作った左手に顎を乗せて対岸のホームに、いやおそらくはその先の彼方にある白い塔にじっと厳しい視線を注ぎ始めた。私は期待を裏切らない彼の態度及び所作に感服感激していたが、一方でいつ自分の棄教退転が彼に見破られるかと気が気ではなくダウンジャケットの中は冷や汗で夥しく濡れ湿っていた。  プルースト君が真実の威厳に輝けば輝く程に、その冷たい眼差しの一撃が私を跡形もなく打ち砕くであろう事は否応無しに予想出来る事だった。一刻も早く電車が来て欲しかったが、依然として電車は暫くこの駅にはやって来そうになかった。緊張と沈黙を強いられる時間が二人の座る長椅子周辺を包み込み、その異様な空気を察してか今ではホーム中に人が溢れ返っているのにも関わらず私とプルースト君の周りには誰一人近寄っては来なかった。群衆の騒めきでホーム内は煩いはずなのに不思議と彼らの出す雑音は聞こえなかった。蟻のように蠢く彼らの姿も全く目に入らず、沈黙の静寂の中で私はただプルースト君の一挙手に全神経を注いでいた。  すると不意にプルースト君が私の座る右斜め前に視線を落とした。突然の動きに驚いて気が動転しつつも私も追ってその視線の先に目を遣った。プルースト君は私のダウンジャケットのポケットからはみ出しているメロンソーダの頭部を見ていた。私は愕然たる思いに駆られた。しかし今やどうする事も出来ない。怜悧な思考力と電光石火の直観力を併せ持つ彼ならばすぐにそれが棄教退転の証拠だという事に気が付くだろう。私は半ば観念して恐る恐るプルースト君の横顔を伺った。悪い予感は良く当たると云う。案の定プルースト君の蒼白い顔の口元には哀れみにも似た冷笑が至極鮮明に浮かんでいた。  私はというとそれからもう身を固く縮めて頑なに瞼を閉じる事しか出来なかった。遂に私が厚着紳士道から転がり落ちて軟派な薄着蛮族の一員と成り下がった事を見破られてしまった。卑怯千万な棄教退転者という消す事の出来ない烙印を隣に座る厳然たる厚着紳士に押されてしまった。  白い煙突塔から吐き出された排煙は永久に恥辱の空を漂い続けるのだ。あの笑みはかつて一心同体であった純白の塔から汚れてしまった灰色の煙へと送られた悲しみを押し隠した訣別の笑みだったのだろう。私は彼の隣でこのまま電車が来るのを待ち続ける事が耐えられなくなって来た。私にはプルースト君と同じ電車に乗る資格はもう既に失われているのだった。今すぐにでも立ち上がってそのまま逃げるように駅を出て、家に帰ってポップコーンでも焼け食いしよう、そうして全てを忘却の風に流してしまおう。そう思っていた矢先、隣のプルースト君が何やら慌ただしく動いている気配が伝わってきた。私は薄目を開いた。プルースト君はロングコートのポケットの中から何かを取り出そうとしていた。メロンソーダだった。驚きを隠せない私を尻目にプルースト君は渇き飢えた飼い豚のようにその薄緑色の炭酸ジュースを勢い良く飲み始めた。みるみるとペットボトルの中のメロンソーダが半分以上が無くなった。するとプルースト君は下品極まりないげっぷを数回したかと思うと「暑い、いや暑いなあ」と一人小さく呟いてコートのボタンをそそくさと外し始めた。瞬く間にコートの前門は解放された。中から汚い染みの沢山付着した白いシャツとその白布に包まれただらしのない太鼓腹が堂々と姿を現した。  私は暫くの間呆気に取られていた。しかしすぐに憤然と立ち上がった。長椅子に座ってメロンソーダを飲むかつてプルースト君と言われた汚物を背にしてホームの反対方向へ歩き始めた。出来る限りあの醜悪な棄教退転者から遠く離れたかった。暫く歩いていると、擦れ違う人々の怪訝そうな視線を感じた。自分の顔に哀れな裏切り者に対する軽侮の冷笑が浮かんでいる事に私は気が付いた。  ホームの端に辿り着くと私は視線をホームの対岸にその先の彼方にある白い塔へと注いた。黒雲に覆われた白い塔の陰には在りし日のプルースト君の面影がぼんやりとちらついた。しかしすぐにまた消えて無くなった。暫くすると白い塔さえも風に流れて来た黒雲に掻き消されてしまった。四角い窓枠からは何も見え無くなり、軽薄な人間達の姿と騒めきが壁に包まれたホーム中に充満していった。  言い知れぬ虚無と寂寥が肌身に沁みて私は静かに両の瞳を閉じた。周囲の雑音と共に色々な想念が目まぐるしく心中を通り過ぎて行った。プルースト君の事、厚着紳士で在り続けるという事、メロンソーダ、白い塔…、プルースト君の事。凡そ全てが雲や煙となって無辺の彼方へと押し流されて行った。真夜中と見紛う暗黒に私の全視界は覆われた。  間もなくすると闇の天頂に薄っすらと白い点が浮かんだ。最初は小さく朧げに白く映るだけだった点は徐々に膨張し始めた。同時に目も眩む程に光り輝き始めた。終いには白銀の光を溢れんばかりに湛えた満月並みの大円となった。実際に光は丸い稜線から溢れ始めて、激しい滝のように闇の下へと流れ落ち始めた。天頂から底辺へと一直線に落下する直瀑の白銀滝は段々と野太くなった。反対に大円は徐々に縮小していって再び小さな点へと戻っていった。更にはその点すらも闇に消えて、視界から見え無くなった直後、不意に全ての動きが止まった。  流れ落ちていた白銀滝の軌跡はそのままの光と形に凝固して、寂滅の真空に荘厳な光の巨塔が顕現した。その美々しく神々しい立ち姿に私は息をする事さえも忘れて見入った。最初は塔全体が一つの光源体の様に見えたが、よく目を凝らすと恐ろしく小さい光の結晶が高速で点滅していて、そうした極小微細の光片が寄り集まって一本の巨塔を形成しているのだという事が解った。その光の源が何なのかは判別出来なかったが、それよりも光に隙間無く埋められている塔の外壁の内で唯一不自然に切り取られている黒い正方形の個所がある事が気になった。塔の頂付近にその不可解な切り取り口はあった。怪しみながら私はその内側にじっと視線を集中させた。  徐々に瞳が慣れて来ると暗闇の中に茫漠とした人影の様なものが見え始めた。どうやら黒い正方形は窓枠である事が解った。しかしそれ以上は如何程目を凝らしても人影の相貌は明確にならなかった。ただ私の方を見ているらしい彼が恐ろしい程までに厚着している事だけは解った。あれは幻の厚着紳士なのか。思わず私は手を振ろうとした。しかし紳士という言葉の響きが振りかけた手を虚しく元の位置へと返した。  すると間も無く塔の根本周辺が波を打って揺らぎ始めた。下方からから少しずつ光の塔は崩れて霧散しだした。朦朧と四方へ流れ出した光群は丸く可愛い尻を光らせて夜の河を渡っていく銀蛍のように闇の彼方此方へと思い思いに飛んで行った。瞬く間に百千幾万の光片が暗闇一面を覆い尽くした。  冬の夜空に散りばめられた銀星のように暗闇の満天に煌く光の屑は各々少しずつその輝きと大きさを拡大させていった。間もなく見つめて居られ無い程に白く眩しくなった。耐えられ無くなった私は思わず目を見開いた。するとまた今度は天井の白い蛍光灯の眩しさが瞳を焼いた。いつの間にか自分の顔が斜め上を向いていた事に気が付いた。顔を元の位置に戻すと、焼き付いた白光が徐々に色褪せていった。依然として変わらぬホームの光景と。周囲の雑多なざわめきが目と耳に戻ると、依然として黒雲に覆い隠されている窓枠が目に付いた。すぐにまた私は目を閉じた。暗闇の中をを凝視してつい先程まで輝いていた光の面影を探してみたが、瞼の裏にはただ沈黙が広がるばかりだった。  しかし光り輝く巨塔の幻影は孤高の紳士たる決意を新たに芽生えさせた。私の心中は言い知れない高揚に包まれ始めた。是が非でも守らなければならない厚着矜持信念の実像をこの両の瞳で見た気がした。すると周囲の雑音も不思議と耳に心地よく聞こえ始めた。  『この者達があの神聖な光を見る事は決して無い事だろう。あの光は選ばれた孤高の厚着紳士だけが垣間見る事の出来る祝福の光なのだ。光の巨塔の窓に微かに垣間見えたあの人影はおそらく未来の自分だったのだろう。完全に厚着紳士と化した私が現在の中途半端な私に道を反れることの無いように暗示訓戒していたに違いない。しかしもはや誰に言われなくても私が道を踏み外す事は無い。私の上着のボタンが開かれる事はもう決して無い。あの白い光は私の脳裏に深く焼き付いた』  高揚感は体中の血を上気させて段々と私は喉の渇きを感じ始めた。するとポケットから頭を出したメロンソーダが目に付いた。再び私の心は激しく揺れ動き始めた。  一度は目を逸らし二度目も逸らした。三度目になると私はメロンソーダを凝視していた。しかし迷いを振り払うかの様に視線を逸らすとまたすぐに前を向いた。四度目、私はメロンソーダを手に持っていた。三分の二以上減っていて非常に軽い。しかしまだ三分の一弱は残っている。ペットボトルの底の方で妖しく光る液体の薄緑色は喉の渇き切った私の瞳に避け難く魅惑的に映った。  まあ、喉を潤すぐらいは良いだろう、ダウンの前を開かない限りは。私はそう自分に言い聞かせるとペットボトルの口を開けた。間を置かないで一息にメロンソーダを飲み干した。  飲みかけのメロンソーダは炭酸が抜けきってしつこい程に甘く、更には生ぬるかった。それは紛れも無く堕落の味だった。腐った果実の味だった。私は何とも言えない苦い気持ちと後悔、更には自己嫌悪の念を覚えて早くこの嫌な味を忘れようと盛んに努めた。しかし舌の粘膜に絡み付いた甘さはなかなか消える事が無かった。私はどうしようも無く苛立った。すると突然隣に黒く長い影が映った。プルースト君だった。不意の再再会に思考が停止した私は手に持った空のメロンソーダを隠す事も出来ず、ただ茫然と突っ立っていたが、すぐに自分が手に握るそれがとても恥ずかしい物のように思えて来てメロンソーダを慌ててポケットの中に隠した。しかしプルースト君は私の隠蔽工作を見逃しては居ないようだった。すぐに自分のポケットから飲みかけのメロンソーダを取り出すとプルースト君は旨そうに大きな音を立ててソーダを飲み干した。乾いたゲップの音の響きが消える間もなく、透明になったペットボトルの蓋を華麗優雅な手捌きで閉めるとプルースト君はゆっくりとこちらに視線を向けた。その瞳に浮かんでいたのは紛れもなく同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情だった。  間もなくしてようやく電車が駅にやって来た。プルースト君と私は仲良く同じ車両に乗った。駅に溢れていた乗客達が逃げ場無く鮨詰めにされて居る狭い車内は冷房もまだ付いておらず蒸し暑かった。夥しい汗で額や脇を濡らしたプルースト君の隣で私はゆっくりとダウンのボタンに手を掛けた。視界の端に白い塔の残映が素早く流れ去っていった。
4 notes · View notes
guragura000 · 4 years ago
Text
自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。��が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパ��トの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
4 notes · View notes
xf-2 · 5 years ago
Link
第二次世界大戦で奇跡の生還を遂げ「戦艦大和の語り部」として講演活動などをしてきた八杉康夫氏が1月11日広島県福山市内で死去した。92歳。誤嚥性肺炎だった。
 著書『戦艦大和最後の乗組員の遺言』(2005年 ワック)は筆者の手になる聞き書きである。その生涯と言葉を振り返りたい。
八杉氏は福山市の豆腐店に生まれた。1943年、「街を颯爽と歩く水兵さんにあこがれて」15歳で海軍に志願。秀才の集まる横須賀砲術学校を2番で卒業。17歳で憧れの大和乗務員に抜擢された。
 担当は艦橋最上部での敵機の偵察。「司令官ら偉い人たちの居る場で狭い階段で最敬礼の連続でした」。
 敗色濃厚となった1945年4月7日、「天一号作戦」と呼ばれる沖縄海上特攻に呉港から出撃する。「温存されていた大和を使わないまま敗戦になれば国民の批判を受けることを軍部は恐れたのです。燃料は片道分と言われましたがそれは嘘で、十分に積んでいたはずです」
 乗り込む前夜、母まきゑさんと呉市の旅館で食事をし、当日は港近くまで送られた。「『長い間ありがとうございました』と敬礼し踵を返すと『あんた、元気でな』と言われましたが振り返りませんでした。これで会えないと覚悟していました」。
壮絶な少尉の割腹自殺と救助を拒否した高射長
 隠密行動のはずだったが米偵察機マーチンがさっと上空をかすめた。「すぐに察知されていたんですね」。いよいよ、敵機は近い。
「艦橋最上部で5メートルもあるニコン自慢の測距儀のレンズを覗くと米機の編隊で真っ黒だった。自慢の45センチ(内径)の主砲を撃つタイミングを今か今かと測っていると編隊はさっと雲上に消えたのです。真上から攻撃された大和は高射砲で応じましたが300機以上の米機はまるで雲霞(ウンカ)の大群。魚雷、250キロ爆弾などが次々と命中し為すすべもありません。大和は結局、主砲は一発も撃てませんでした」。当時、日本のレーダーはお粗末で基本は目視だが、運悪くこの日は空一面に雲が広がっていた。
 ちぎれた手足や首が転がり甲板は血の海。地獄絵図の中、八杉少年は衝撃的な光景を目の当たりにする。可愛がってくれた保本政一少尉が傾く甲板で軍服をはだけ、持っていた短刀で割腹自殺したのだ。「血がホースの水のように吹き出し、少尉は倒れました。私は震えて立ち尽くしました。前夜、褌をアイロンして届けると『ありがとう、明日は頑張れよ』と言われました。彼が秘密の上陸を母に密かに知らせてくれたから母に会えたのです」
 八杉少年は横転した大和の艦橋が海面に接する直前に海に飛び込むが大和が沈没し大渦に巻き込まれる。「洗濯機に放り込まれたように水中をぐるぐる回り、人にバンバン当たりました。息ができず苦しくてもう駄目だと思った時、水中がバアーッと黄色く光ったのです」。弾薬庫に引火した大和が水中で大爆発した。その勢いで運よくぽっかりと水面に浮かんだ。
 空を見上げるとアルミ箔のようにきらきらと光っていた。「きれいだなと思っていたらそれが落ちてきました。砕け散った大和の鉄片だったのです。近くで漂っていた人は頭を真っ二つに裂かれました」。重油の海で力尽きた仲間が次々と沈んでいった。
 沈みかけて思わず「助けてー」と叫ぶと偶然近くを漂っていた川崎(勝己)高射長が「そうれ」と丸太を渡してくれた。「自慢の髭は油まみれでオットセイのようでした。『お前は若いのだから頑張って生きろ』と大和が沈んだ方向へ泳いで消えました。私は高射長、高射長と叫び続けました、川崎さんは救助を拒み、大和が沈められた責任をお取りになったのです」。
 4時間の漂流の末、八杉少年は駆逐艦、「雪風」に救助された。「赤玉ポートワインを飲まされ重油をゲーゲーと吐きました。引き揚げてくれた若い男は『お前、よかったなあ』と泣きながら私の顔を叩いていました」
 雪風が到着した佐世保は一面、桜満開の快晴だった。「『畜生、これが昨日だったら』と全員が男泣きしました」。40キロ以上飛翔する主砲弾が編隊の中で炸裂すれば米軍機10機くらいは一度に落とせたはずだった。
広島では自爆攻撃訓練
 大和の沈没は国家機密。生還者は佐世保にしばらく幽閉された。そして広島へ戻り、母にも再会できたが山中で米軍撃退の「肉薄攻撃」と呼ばれる「自爆攻撃」の訓練に明け暮れた。「棒の先の爆弾を戦車に踏ませるんです。部下は銃の扱いも知らない頼りない兵隊ばかりでした」。
 ある朝、空が光ったかと思うとものすごい風が吹いてきた。原爆だった。すぐに広島市内の現地調査を命じられた。水を求める少年に「後でやるからな」と去った。「水を与えるな」が命令だった。「人生、あれだけは心残りです」。
 音楽の才能の豊かだった八杉氏は戦後、NHKラジオの『のど自慢』のアコーディオン伴奏なども担当した。神戸で修業し、ピアノの調律師として生きたが、被ばくが原因で階段も上がれないような疲労に襲われることもあった。結婚もしたがすぐに離婚された。ヤマハの技師長にまで出世したが、退社後は楽器工房を営んだ。
みつかった戦艦大和
 1980年代に「大和探し」が始まった。調査三回目の1982年5月、指南役になり鹿児島県坊ノ岬沖に沈む大和をNHKスタッフらと探し当てた。戦後長く沈没位置は徳之島沖とされていた。「大和はそこまで到達しないうちに沈んだ。おかしい、という説はありましたが、毎年、徳之島で慰霊祭をやってきた地元出身の有力代議士の力でそのままになっていたんです」。
「潜水カメラの影響でしゃれこうべ(頭蓋骨)が浮かび上がって一回転し、スーッと沈んでいった時は船上の全員が涙を流しました。実は自衛隊の対潜哨戒機が上空から場所を教えてくれたんです」。その後、日本船舶振興会の笹川良一氏などが大和を引き揚げようという計画を立ち上げたが八杉氏は「仲間はあそこで静かに眠らせたい」と反対した。
名作『戦艦大和ノ最期』の嘘を著者に認めさせる
 朗らかな人柄だが事実には厳しかった。名著とされた吉田満の『戦艦大和ノ最期』には救助艇の「初霜」について海面から兵隊が這い上がると艇が沈むため、「ここに総指揮および乗り組み下士官、用意の日本刀の鞘を払い、犇(ひし)めく腕を手首よりバッサバッサと斬り捨て、または足蹴にかけて突き落す」とある。
 だが八杉氏は「初霜は内火艇と言って羅針盤の磁気に影響するため乗る時は軍刀を持ち込めない。そもそもそんなことする必要もない。艇にはロープが多く積まれ、引き揚げなくてもロープにつかまらせて引っ張ればいい。それにそんな事実があれば幽閉されていた佐世保では『ひどい奴だ』とその話題で持ちきりになったはず。そんな話題は全くなかった」。
 筆者は子供の頃、『戦艦大和ノ最期』を読み、這い上がる兵隊の手首を斬り落としたという場面は衝撃的で鮮明に覚えている。八杉氏に会ってそれが嘘と知り、少しほっとしたが迷惑千万だったのは書かれた当人だ。実名は出していないが旧海軍関係者にはすぐに誰かわかる。兵隊の腕を切り蹴り落としたとされた初霜の総指揮は松井一彦中尉。戦後、東京で弁護士をしている松井氏に筆者も会い取材したこともある。松井氏は訴訟も検討したそうだが吉田氏は五十代で早逝した。
 作品では大和艦上で兵隊たちが議論していた時、臼淵磐大尉が「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。(中略)俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」と演説している。この「名言」に八杉氏は鋭く疑問を呈した。「戦後民主主義教育を受けなくてはあり得ない。あの時は全員が『見ておれ、アメ公め』と燃えていたんです。敗れた自分たちが愚かだった、反省して国を再建しよう、なんて発想が出るはずもない」と。
 吉田満氏は東京帝大出身。大和には電測士として乗り込み、九死に一生を得た。「頭のいい吉田さんは鬼畜米英から戦後民主主義にさっと切り替えて、あたかも大和の乗組員が話したかのようにしたのでしょう」。八杉氏が吉田氏に会って問い糺すと相手はフィクションと認めた。「フィクションならどうして実名で書くんですか」と畳み掛けると黙ってしまったという。『戦艦大和ノ最期』は三島由紀夫、河上徹太郎、小林秀雄ら当代一流の文壇人が「ノンフィクションの最高傑作」とこぞって絶賛した。若い吉田氏は「あれは作り事でした」とは言えなかったのだろう。だが名作の影響は大きい。「徳之島」も吉田氏の著作が根拠だった。
 八杉氏は後年、『男たちの大和』の作家辺見じゅんにも「それは嘘です。そうお書きになるなら小説になさい」などと厳しく指摘した。
 2005年に『男たちの大和』が角川映画になった際は、反町隆史ら出演俳優らに、高射砲の撃ち方などを実技指導した。その時は「娯楽映画だから主砲をぶっ放したのは仕方がないかな』と笑っていた。
 感動的な講演を続け、川崎高射長の場面では必ずしゃくりあげた。一年半前、久しぶりに福山市内の施設で会った時は認知症も進み、いつも「粟野先生」と呼んでくれていたダンディな八杉氏が筆者が誰か判別も付かずショックを受けた。
「敗戦の象徴」の生き証人はいつもこう訴えた。「平和は向こうから歩いてはこない。自ら掴み取るのです」。
粟野仁雄(あわの・まさお) ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。
週刊新潮WEB取材班編集
23 notes · View notes
2ttf · 13 years ago
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘���奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
7 notes · View notes
kadookanobuhiko · 6 years ago
Text
たびたび★スリランカ
   先月末、仏教関係のグループと一緒に、スリランカに行ってきた。機中と空港での2度の日付け変更を含む、1週間弱の短い旅行である。私は99年、11年に続いて、3度目だった。
 初めて訪れたのは、最初の本を刊行した直後だった。私にとって、書く仕事は苦行である。何もかも終ったら、旅に出ることだけを夢見て筆を進めていた。
 69年に公開されたニューシネマの傑作『真夜中のカーボーイ』の中で、テキサスの田舎から冬のニューヨークに出てきたジョー(ジョン・ヴォイト)は、病に苦しむ半失業者のラッツォ(ダスティン・ホフマン)と貧しい共同生活を送る破目に。何をやってもうまくいかないふたりは、一旗挙げるべく、長距離バスで温暖なフロリダに向かう。車中、ラッツォの病は悪化していくのだが、太陽が燦々とふりそそぐフロリダの砂浜を、ふたりが駆け抜けるシーンが挿入される。両者の願望をあらわしたカットである。
 取材がうまくいかないとき、また執筆がはなどらないとき、私はいつもこのシーンを思い浮かべる。陽光が降り注ぐ中、砂浜をひた走る自分を・・・。
 初めてひとりで訪れたスリランカは、まさに楽園だった。南部にある海辺の町ヒッカドゥワは、素もぐりするだけで、驚くほどの量と種類の熱帯魚を見ることができた。海に面した宿は、美味い食事付きで1泊3000円ほど。バルコニーで飽きるほど青い海を眺めた。夢にまで見た”フロリダ”である。行ったことはないけれど。
 移動はもっぱら、バスか鉄道だった。高速バスや特急はなく、旅をするにはおそろしく時間がかかった。
 今回は団体旅行。エアコン付きの貸し切りバスで移動したため楽だったが、現在もほとんどの道路は整備されていなかった。大都会のコロンボを離れると信号はなく、2車線道路が延々と続く。交通に関しては、まだまだこれからといったところである。
 とはいえ空港からコロンボまでの約50キロは、高速道路が整備されていて、これには驚いた。中国の援助で建設されたとか。ツアー中に乗車した貸し切りバスも中国製だった。
 以前は日本との関係が深かっただけに、この10年、20年でずいぶん変わったなあと思った。
  *   *   *
 最初の旅では、海辺に長く滞留した。私はまだ30代半ば。砂浜を目にすると走りたくなり、海を見るとバシャバシャと泳ぎたくなる”ヤングマン”だった。漁師のごとく毎日海に出ていたので、日焼けし過ぎて肌が荒れ、帰国後に皮膚科で診療を受けなければならなかった。とんだ大馬鹿野郎である。
 2度目の旅は、大学の先輩ふたりと主に内陸の古都・キャンディに滞在した。ハーブオイルを使ったマッサージ・アーユルヴェーダを体験したいと、美容関係の職に就く先輩(女性)が言うので、森の中のコテージを予約したら、街中からトライシクルで1時間もかかる辺鄙な場所だった。
 先輩と私は、さっそくアーユルヴェーダを体験してみたが、大した効果は得られなかった。だが、人里離れた森の生活は、心身に心地よく、生まれ変わったような気がした。
 キャンディ観光の白眉は、美しい湖と湖畔に建つ仏歯寺である。釈迦の歯がまつられていることからこの名がついたらしい。
 ご本尊は、釣り目で背の高い金ぴかの仏像だった。2度目の旅に対面したとき、寺の関係者とおぼしき人物が、仏像の裏側に手招くではないか。日本から贈られた木彫の仏像を近くで見せたかったようだ。それはいいのだが、布施を要求されたのには苦笑した。見せてくれとは頼んでへんで。あんたが勝手に連れてきたんやがな。
 今回は熱心に経を読み、祈りを捧げる老若男女のスリランカ人の姿が印象的だった。その表情が、なんとも慎み深く、かつまた美しい。この国に限らず、これまでに何百回と宗教施設に訪れているが、こんな神々しい光景を見るのは初めてだった。ひとびとの信仰心が篤いからだろうか。
 キャンディからバスで約1時間余りのダンブラの石窟寺院には、5つの石窟・石仏があった。古いものは紀元前、新しいそれは20世紀に入って建設されたとか。
 最古の寝釈迦は、趣きがあってたたずまいに威厳がある。ところが時代が新しくなるにつれて仏像のつくりが雑に見え、ありがたみがない。
 考えてみれば、日本の新しい寺院建築や仏像も同じで、莫大な予算をかけてつくっても、昔のものにはとうていかなわない。古ければいいというものではないが、新しければいいというものでもない。やはり時間を経ないと落ち着いた色、質感にはならないのだ。
   *   *   *
 私は現在、大阪市内に住んでいる。7年前、家の近くに、キャンディ出身者がシェフを務めるスリランカ料理店がオープンした。気になって入ったら、当地のカレー・ギャミラサが抜群に旨かった。昭和時代の小さなスナックを居抜きのまま使っているのも一興だった。
 カレーと言えばインド。ここは合計すれば3ヶ月くらい旅しているが、スリランカのギャミラサは、インド・カレーとはまったく違う。米飯の上に、数種類のカレーと具が乗せてあり、それらを混ぜて食べるのだ。辛味、甘味、酸味が口の中に次々とあらわれ、心とからだを刺激する。
 インドやスリランカ、ネパールを旅し、向こうの料理を何百回と食べているが、家の近くで食べたギャミラサがいちばん美味だった。以後、北川景子とたびたびこの店に通っている。
 オープン当初、客はそれほど多くはなかったが、SNSや雑誌のカレー特集で頻繁に紹介され、今では昼時ともなれば行列ができる繁盛店になった。いつだったか、カウンターで隣りの席の客に話しかけたら、千葉から来たと言っていた。
 今回の旅行では、かなりいいホテルに宿泊した。団体ツアーの強みである。朝・夕食のバイキングは、どこも合格点だった。
 私は食べることが生きがいだ。仕事は手を抜いても(嘘です)、食事を適当にやりすごすことはない(本当です)。
 今回、ホテルで色んなカレー、具を混ぜて、自分流にギャミラサを試みたが、味がぼんやりとして、大阪の贔屓店にはかなわなかった。ホテルのように万人向けではなく、野性味があるところがいいと改めて思った。
 今回のツアーでは、宝石店や食材店、紅茶専門店にも立ち寄った。スリランカは、ルビーやサファイヤなどの宝石の採掘で有名で、英国帝国主義が残した紅茶の産地でもある。
 私は家でカレーをよくつくる。立ち寄ったスパイスガーデンで、カレーに必要な食材、香辛料をたんまり買った。気合を入れて物色、購入しているのは私だけだった。
 数ヶ月前、高知県の知り合いから、大量の生姜を送っていただいた。近所におすそ分けし、生姜を使った料理をつくってもつくっても、なかなか減らない。ふと、インドなどで飲まれているミルクティー・チャイに、たっぷりの生姜を入れることを思い出した。
 ミルクティー用の紅茶の葉、おろし生姜、シナモンスティック、カルダモン、クローブ、少量の水を入れてぐつぐつ煮たあと、濃厚な牛乳を入れる。ピリピリするくらい大量の生姜を入れると、本格的なチャイができる。
 毎日嗜んでいたら、大量にあった生姜が、またたくまになくなった。ないと寂しくて仕方がない。チャイ(無し)シンドロームである。
 そんなときにスリランカに行った。帰りのトランクは、カレーとチャイの食材、香辛料でパンパンになった。私の目的は達成された。
  *   *   *
 団体ツアーには、スリランカ人のガイドが行動を共にしてくれた。流暢な日本語で、国の歴史や文化を教えてくれる。
「スリランカの道路には、エクボがたくさんあるんです」
 エクボは、道路のくぼみを指すらしい。比喩が巧みな上級者だった。そのガイドによると、国民は教育・医療費は無料だという。
 巨大な岩山シギリア・ロックの階段を登っていたときのこと。あるスリランカ人の一行が、登り専用の階段を降りようとしていた。
「これだからスリランカ人はダメなんですよ。恥ずかしいですね。教育がなってないんですよ!」
 ガイドが日本語で私たちに訴えた。するとすかさず、我らがツアーの一員が返した。
「そら、教育費はタダやもん!」
 ガイドの厳しい言葉を和ませる、絶妙のツッコミだった。実際に、その場は和んだ。
 私たちのグループは、関西のメンバーが中心で、ガイドの説明にメンバーがいちいちツッコミを入れる。そのやりとりが、聞いていて可笑しかった。なるほど、私はこういう文化の中で育ったのかと改めて思った。
 団体ツアーの参加者は、集合時間にはきわめて正確で、遅れて行ったこともある私は、肩身が狭かった。ツアーに参加すると、自分が帰属する社会の特質がわかって、それはそれで面白かった。
 1、2度目の個人・少人数の旅とは違い、団体ツアーは、スリランカ人民と接する機会は少なかったが、日本社会をじっくりと体験できた。フリー(ライター)は、団体で行動することが稀である。
 常夏の国から帰国し、現在は酷寒の関西にいる。覚悟はしていたが、めちゃくちゃ寒い。日常生活に戻り、私は再び、陽光が降り注ぐ中、砂浜をひた走る自分を思い浮かべている。<19・2・12> 
1 note · View note
yoshi-finswim · 2 years ago
Photo
Tumblr media
【新春マスターズスイムミート2023@千葉】 14年ぶりの競泳マスターズ挑戦❗️🏊‍♂️ ⁡ 100m個人メドレーだけの予定が4×100mフリーリレーにも出ることに…💀 前日から憂鬱すぎて泳ぐ前からぐったりでしたが,心強いメンバーとのリレーパワーでなんとか泳ぎ切ることができました🏊‍♂️ ⁡ 何年越しか… ついにL!NXから公式大会に出場させていただき,いつも鬼のようにバカ泳いでいる皆さんと一緒に大会を過ごせてとても楽しかった🌟 レース後は楽しむ体力と気力がありませんでしたが…… ⁡ 予定外で出場したリレーの1フリは,直前にてる( @teruuuuu1119 )とぬし( @takeshi_fin )にちょろっと教えてもらったアドバイスと1泳のてるのペース配分を真似して泳いでみたら,なんか上手くいって引継ぎながら生涯ベスト+0.2"という���タイム…笑 今はフィンの練習も1年以上大してしてないし,競泳の練習なんて10年以上練習してないのに… 競泳の現役時代は何をやっていたのか…😇😇 ⁡ でもドルフィンキックをはじめ体幹の使い方,ボディポジション,ペース配分など,フィンスイミングで培った要素と知識,判断力があってこその結果だったと思うので,自分らしく泳げたんじゃないかなと思います🙂 1フリ57秒台出せたら…という目標だったので,55秒台出せたのはとっても嬉しい‼🙃シンジラレナイ ⁡ ⁡ また,フィンスイマーに会えたり,フィンスイミングの会場では会えない人たちにもたくさん再会できて頑張っている姿を見ることができて,とてもキラキラとした時間でした✨ 身近な皆さんの世界新,日本新の数々,おめでとうございます㊗️🎉🎉 ⁡ ⁡ 1コメのレース前はアウェーなのに何故かたくさんの応援とヤジをいただけて嬉しかったです🤣ブレで21秒かかったのは秘密🤐 ⁡ お疲れ様でした❗️ とてもよく頑張ったから褒めて!笑笑 ⁡ ■100m個人メドレー 1.04.85 (28.36-36.49💀) 30-34歳区分 7位 ⁡ ■4×100mフリーリレー 3.38.50 120-159歳区分 🥇優勝 4泳:55.93(26.39-29.54) ⁡ ⁡ #フィンスイミング #じゃなくて #競泳 #マスターズ #14年ぶりの挑戦 #LINX #LinxRacingTeam #フィンスイマーリレー #謎のベスプラ0.2 #ドルフィンキック と #バサロキック #だけが得意 #平泳ぎは進まない (千葉県国際総合水泳場) https://www.instagram.com/p/CokUQOFvS-C/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
oniwastagram · 2 years ago
Photo
Tumblr media
📸大蓮寺庭園 / Dairenji Temple Garden, Urayasu, Chiba ② 千葉県浦安市の『大蓮寺庭園』が素敵…!  千葉・浦安の中心市街地に戦国時代から残る寺院に、 #重森三玲 に師事した現代の作庭家 #吉河功 が手掛けた複数の庭園…池泉庭園“薬師如来瑠璃光浄土之庭”&枯山水庭園“二十五菩薩来迎之庭”。福岡藩主・黒田家の江戸屋敷から移築された“黒門”も。 . 千葉・大蓮寺庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/dairenji-temple-urayasu/ ...... 続き。 ■本堂前庭『二十五菩薩来迎之庭』 看板には“阿弥陀如来諸菩薩来迎之庭”とも。1991年、大蓮寺の開創450年の記念法要に際して作庭された本堂の前の枯池/枯山水庭園。 . 西方極楽浄土から我々の元へ来迎いただける阿弥陀如来&二十五菩薩のお慈悲が表現されており、建物に向かって正面に見て左手にある枯滝石組が三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を、その他の立石が二十五菩薩表しています。 . ■枯山水庭園『二河白道之庭』 4つある庭園の中で最も古いのがこの庭園。堂内からの鑑賞になるので事前に電話でご都合をお聞きする必要があります。 . 浄土宗の教え“二河白道図”を表現した庭園で、中央の赤い敷石/青白い敷石が現世と浄土世界の間にあるとされる“激流の河川”。大きめの石が揃う向こうが浄土世界か🙏 . …仏教の言葉がたくさん出てきたけど、まあそれを覚えなくても、鯉の泳ぐ庭園はきっと癒されるし「浦安の街中にこんな場所があったんだ!」と思える。 . 非公開の書院庭園『仙樹庭』は2001年に客殿を再築したのに合わせ作庭されたもの。檀信徒の方のための庭園。いつか見てみたい! . 千葉・大蓮寺庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/dairenji-temple-urayasu/ ーーーーーーーー #koipond #japanesegarden #japanesegardens #zengarden #beautifulchiba #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #japantemple #建築デザイン #アート #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #浦安市 #urayasu #おにわさん (大蓮寺) https://www.instagram.com/p/CgfuXZCv8si/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
tppppp · 7 years ago
Text
人造人間国型
ディストピアっぽい世界で働くアーサー・カークランド型アンドロイドの話です
第455代ダービー伯爵に招かれ、オオサカの隠れた名店と名高いキタシンチのソウメン・バーを訪れた。ソウメンは、決して自己主張の激しい麺ではない。ネギとツユの下に隠れて決して目立たず、しかし田園の河川のように清涼なのど越しと小麦と塩のうまみが感じられる。ソウメンの質実剛健さは英国紳士の美学に通ずるものがある。
(警告:規定文字数超過 投稿不可)
アーサー・カークランド9286-R  レベル2-6 / マッチング110 スコア未計測    宇宙標準時 556:6E
 足の長さが不揃いでがたつきを起こす、不快な座り心地のパイプ椅子に体を縮こめながら、俺はロンドン・アイ――この手元の端末のことだ――に今しがた打ち込んだ文字列をじっと眺めていた。オオサカ・エリア4インターナショナル展示場の建設現場に併設された栄養供給所は、今日の作業を終えた無数のアンドロイドの群れがひしめき合い、店員を呼ぶ怒号に似た声と、仲間内でのお決まりの話題の応酬ですさまじい��音に満ちていた。俺は決して目線を向けないように―― ましてや睨みつけるなんてことのないように――注意しながら、彼らが繰り返し交わし合っているフレーズに耳を済ませてみた。ラバ、ダブ!ダブ!ラバ、ダブ!ダブ!ラバ!ダブ!ダブ!  思わずため息が漏れた。なんてことだ、ほんの2ヶ月前までは、俺にはあの意味不明の暗号の意味がちゃんと理解できたし、なんだったら彼らに混じって同じ暗号の応酬が出来たはずである。しかしもうそれは叶わない。あの言語で会話ができるのはレベル3以上のアンドロイドに限られる。俺はつい先日の、あの事件が切欠で、レベル2へと転落したのだ。
 俺の席はレベル2アンドロイドに割り当てられたスペースにあり、ソウメン製造機の丁度、真向かいの位置だった。この岩山の如く聳え立つ「シェフ」のレパートリーは中々広かったはずだが、レベル2のアンドロイドが注文できるようなメニューは事実上ソウメンしかない。ソウメン風グルテン・ネギ風ミドリムシフレーク添え。それが確か正式名称だったはずだ。もちろん、ローストビーフ風高アミノ酸キューブだの、カレーライス風味イソロイシン錠剤だのの比較的栄養価の高いのを注文したい日もある。特に今夜のような疲労が極度に達している夜は…しかし、それらの消費スコアの高すぎる品物が並ぶのは上座のテーブルだけで、今の俺にはとても手が出せない。きっとあのテーブルに座ってるのは知ってる奴らだ――俺にはそんな風に思えてならなかった。同じ建設現場で働く同僚のことだ。奴らのことだから、わざと俺の席が見える位置に陣取り、俺のみじめな様子をあざ笑いながら錠剤を齧り、発泡神経酩酊剤を煽っているに違いない。俺はテーブルに詰め寄ってよほど嫌味の1つでも言ってやろうかと考えたが、すぐにやめた。むやみな絡みは「品のよろしくない行為」と見做される可能性がある。これ以上のスコア減点は、とりわけ、「火星」に関して口にするような、自殺行為はなんとしても避けねばならなかった。
 俺はロンドン・アイに意識を集中させ、規定文字数以内でソウメンを褒め称える文章を推敲し続けた。その間我らがシェフは、排水管から汚物まみれの下水が吹き出すような濁った音を立てて、ずらりと並んだカップへソウメンを順番に叩きつけていた。小さすぎるカップからだらしなくはみ出したソウメンもツユも、全く拭われる様子もない。殺気立った様子の店員が、トレイにソウメンを乱暴に並べながら、また店中のあちらこちらにすっ飛んでいく。この供給所に配置されているスタッフは彼1人だけのようである。  それでもここのソウメンの品質は良いんだ、ほんとに。という、良かったところを探し出す系の書き込みををするべき、だろうか。それともストレートに、この供給所はキタシンチの名店どころか廃材置き場同然の簡素な作りで、ソウメンもほんのりと不純物処理所の芳香がすることを書くべきだろうか。 どちらの書き込みの方が、「英国紳士らしい」のか。
☓☓☓☓思 ☓ ☓こと☓☓☓☓、思っ☓まま☓☓☓☓☓書☓ばいいんだ。☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓人☓目☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓
アーサー・カークランド8756-E  レベル3-5 / マッチング13568 スコア5532/6693     宇宙標準時 586:3F
 その間にもロンドン・アイには、誰なんだか分からない「アーサー・カークランドたち」の書き込みが次から次へと流れ込んできた。レベル3.5以上のアンドロイドの書き込み――よって、ロックがかけられた俺のアイセンサーでは文字化けして意味を為さない文章としか読み取れない文字の羅列。だが、スコアの高さから見てそれは極めて英国紳士らしく、社会性に富み、読む者を感嘆せしめる内容であるようだ。  俺は少しでも高スコアの根拠を知るためにその文字列を隅から隅まで観察した。こんなふうに、文字数は適当な長さにカットした方がいいのかもしれない。内容はどうか。ところどころに散っている判別可能な文字から推測するに、「思ったことを思ったまま書けばいい」と書いてあるように思えた。何の計算もなく、思ったことを思ったままに――俺は自分の想像したそのエンパワメント・フレーズにわずかに失望感を覚えた。少なくともその紳士的なアドバイスは、今夜の俺にとってはなんの意味もなかった。なんとしても、このスコアに匹敵する書き込みをしなくてはならない――近頃は、英国紳士らしくないとして書き込みの連投は忌み嫌われるため、今夜のチャンスは一度きりだ。成功すれば、俺のスコアウォレットの残高はいくらか潤い、今夜の労働者移送用エア・コンテナでリラクシ��グシートを利用できるだろう。
 英国紳士、その不可思議なもの。立派なイエガラの出身であること。ノブレス・オブリージュであること、その他もろもろ。ずっと前に予想屋に聞いた話だと英国紳士は四六時中、不純物処理所に行くのにすらリラクシングシートを利用するような連中だったという。俺が「そんな奴らしい」書き込みをし、振る舞いをせねばならないというのはいかにもおかしな話なように思える。しかし俺はアーサー・カークランド型なので、アーサー・カークランドらしく話し、振る舞い、トレンド予想に高い消費スコアを支払い、プラマイゼロすれすれのスコアアップに努力する。そうして当局は個ではなく群れとして、何らかの方向性を持ったアーサー・カークランド像を形成する。俺が存在する現実世界と、ロンドン・アイを通じた向こう側にある仮想世界とで。俺がそれがどんな像になっているのかを知るすべはない。何しろアーサー・カークランド型だけでも、とにかく数が多すぎる上、ネットワークにはレベル違いのみならず無数のセキュリティの壁が立ちはだかっているのだ。  俺たちアーサー・カークランド型の思考ユニットが制限の無い同一クラウドネットワークに接続されているならば、今この世界に存在している英国紳士なるものの実像を、大まかにつかむことができるのでは思われるが、俺にとっての英国紳士アーサー・カークランドとは、極めて断片的な、時にはお互いを打ち消し合うワードの群れに過ぎなかった。無数のアーサー・カークランドの情報は日々更新が繰り返され、当局と少なからず繋がりのある予想屋は熱心に今日のトレンドワードの宣伝を行う。すでに太古の時代に消えてしまった、アーサー・カークランドなる謎めいた人物の限りない再生。彼の天まで達するほどの巨大な立体映像が俺たちの頭上をすっぽりと包み込み、のしかかってきているようである。
 モラリスト。なけなしのスコアを支払って、今月の始めに予想屋から買ったトレンドワードはそれだった。やはりソウメンをけなすのは止めておこうか。いや、建設現場労働者として利用せざるを得ないこの供給所の欠点を的確に指摘してこそ、モラルの高い紳士的な行動といえるんじゃないか。例え親愛なる第455代ダービー伯爵の紹介の名店だったとしても(そして、第455代ダービー伯爵なるアンドロイドは本当はどこにも存在していないとしても)。いったいどんな風に…決して攻撃的にならないように…その表現方法は…俺の思考ユニットは空腹と疲れで通常の稼働率の50%程度の力しか発揮しなかった。  3日前に作業中の感電で損傷した左腕が、いまだ何度信号を送っても全く反応せず、持ち上がらないので俺は右腕だけで全ての業務を行わなければならなかった。身体全体がコールタールに漬かったかのような重苦しさも消えず、俺はここ数日、課せられたノルマを達成できていない。左腕の事故は、モジュールA-4の配線を確認している時に端子が接触して起きた。1か月前までの俺であればまずありえないミスである。だがあの時の俺は極度に疲労し、与えられた工程をこなす以外に気を配る余裕がなかったのだ。
 俺がこのような状況に陥るきっかけとなったのは、火星だ。正確に言えば、火星に関する情報を漏らした奴が原因で、こうなった。俺たちの労働区画では、地球から遠く離れたあの赤い惑星に関する話題は非常に品がよろしくないとされている。  1か月前、キュービクルの内部清掃を行っていた時、俺の3メートル後ろあたりで何か諍いのようなものが起こっていた。諍いというよりは、一機のレベル2アンドロイドを数機のレベル3が囲んで、通電したり、刺激によって発生した短い奇声を真似したりして遊んでいた、という方が正しい。アンドロイドに時折ああした全く不可解に思える行動が見られるのは、数千年前に絶滅した我々の祖先の習性の名残りであるらしい。  この作業現場で働いているアンドロイドは、オオサカ・エリア4労働管理局の所有物だ。当局の許可なく損傷を与えることは例えレベル2アンドロイドであっても許されない。許されていない、はずだ。しかし、この現場はこの件に限らずとにかく規律が緩み切っている。2か月前にだって俺の持ち場の床に大量のグリスをぶちまけた奴がいた。犯人はすぐに思考洗浄にかけられるものと思っていたが、大量のスコアを支払ったのか、レベルが高い奴だったのか、とにかくグリスがぶちまけられたのは俺の現場監督行き不届きが原因ということにされた。思い出しただけで腹立たしい出来事だ。それだけじゃない、半年前は・・・気が付くと俺は通電していた奴を殴り飛ばし、馬乗りになってそいつの持っていた電極を首筋へ突き付け、いいか、今度風紀を乱したら殺すぞと毒づいていた。  その夜、俺のロンドン・アイに1通のダイレクトメールが届いた。送信主は、あのレベル2アンドロイドだった。
 助けてくれて感謝している。とても感謝■■いるんだよ、今だから言うが、俺はずっと俺は■は俺はあんたと交遊を持ちたいと思ってたんだ・・・・・ あんたにだけに、俺の秘密を打ち明けたい。俺はこないだ、ロンドン・アイのセキュリティ1ロックを突破したんだ。ヤバ筋の友達がいてさ、教えてもらったんだ・・・壁に穴を空ける方法をさ。驚くべきことに、セキュリティ1ロックの向こう側の仮想世界では、火星の話題は制限なんて■■てないんだ。火星について話すななんておかしなルールがあるのは、オオサカだけだったんだ。その他にも、  ここからは、ロンドン・アイから仕入れた極秘情報だ。誰にも誰にも言わないでくれよ・・・俺たちがせっせと拵えているこのバベル・・・この天に到達するのが目的の塔だがな、このガラクタを作ってる俺たちの■■はどこで作られたと思う?それはな、火星なんだ。当局の連中が話すことも、記録に残すことも一切禁じているあの■■で・・・俺たちの足や腕は作られたんだ。コスト削減のためだよ・・・地球の、しかもヨーロッパ純正アンドロイドとなれば、その値段は天井知らずだからな。  オオサカ・エリア4インターナショナル展示場が完成すれば、サミットだの世界アンドロイド耐久競技だので無尽蔵に利益が得られる。奴らはそう説明してるが、今時天に届くような展示場なんか、観光客がどれほど長い間面白がってくれるかわからんぜ。当局は我々の威信をかけた事業だなんて言ってるが、内心このデカブツを極限まで安い作りで仕上げようとしてる‥このままじゃ、そして、俺たち全員は使い潰しにされ
グスタフ・サイトウ 1150-U  レベル2-4 / マッチング85 スコア未計測  <Private message> 宇宙標準時 640:7D
 そいつは建設現場に二度と戻って来なかった。そして、俺もオオサカ・エリア4労働管理局に拘束されることとなった。奴からのメールを読んだ瞬間、事態のまずさを察知してメールの痕跡を全て消去しておいたがもう遅かった。メールをハッキングで盗み見されたのか、もしくは俺がぶん殴った奴が、2人まとめて通報したのか。グスタフ・サイトウに脱獄方法を教えた奴の情報を手に入れるために、当局はサイトウを泳がせていたのかもしれない。とにかく俺は、永遠に続くかのような思想洗浄を受ける破目になった。我々の親愛なる当局が緊縮に励んでいるという情報は本物だったようで、記憶の完全な消去と洗浄が可能な最新式のブレインウォッシャーは導入されていなかった。俺の洗浄には極めて旧式の、思考ユニットに繰り返し電気ショックを与える式のブレインウォッシャーが使用された。拘束された俺は昼夜を問わず「私は模範的な英国紳士であり、わが国と地域の発展と文化の持続に寄与し続ける」と洗浄完了とみなされるまで発言し続けるよう命ぜられ、その合い間に数えきれないほど反射的嘔吐を繰り返した。指一本動かせなくなった俺が待機所に放り出された頃には、俺のスコアは大幅に減点されレベルは3から2へ格下げされていた。
 俺の陥っているこの苦境も、元はといえばあのバベル野郎のせいなんだと思うと忌々しい思いにかられた。今月のトレンドワードから考えると、職場の規律を遵守した俺の評価がこの有様だというのはいかにも理不尽な結果に思えてならなかったが、いくら頭の中で反論や異議申し立てを考えても無駄だった。恐らく当局はあのバベル野郎と俺を通報した奴に大量の特典スコアを授けたことだろう。バベル野郎を虐待していた奴にはリラクシングシート利用パス3カ月分が授与された可能性もある。とにかく、オオサカでは火星はタブーなのであって、火星に関するすべての痕跡を���去する運動こそがモラルの高い行為とみなされるのだ。  俺が今やるべきなのは、とにかく可能な手段でスコアアップに励み、リラクシングシート利用パスを手に入れることだ。そうすれば、シートのメディカルケア装置を使ってこの体を、特に左腕をいくらか使い物になる状態まで回復させることが出来る。そうすればこの数日来のノルマ未達による低評価を巻き返せるだろう。だが、例え身体が回復したとして、そんな非現実的な働きができるのだろうか?それに、また同じようなミスを犯して身体のどこかが損傷したら?またシート利用パスを手に入れればいい・・・だが、予想屋のトレンドワードを買うのもままならず、階級上位のアンドロイドの書き込みの分析も不可能なこの状況で、果たしてスコアを獲得し続けることは出来るのだろうか?トレンドワードも利用パスも、とにかく恐ろしく高くつくのである。この状況はいつまで続くのだろう?3か月、もしくは1年、それまで俺の身体は持つのだろうか?何も考えたくない。もがけばもがくほど引きずりこまれる底無し沼に落ちてしまったかのようだ。あのバベル野郎は、レベル1へ格下げされたのだろうか。もし自分が、レベル2からレベル1へ転落するようなことになれば・・・それが何を意味するか、俺は知らなかった。重労働ののちに廃棄処分だという奴もいれば、思考洗浄よりも過酷な目に合わされるという噂もあった。じっとりと湿気と熱気に満ちたこの供給所でも、自分の将来について考えるとうすら寒さを覚えずにはいられなかった。
 気が付けば客足もまばらになり、供給所は静けさを取り戻しつつあった。俺はいまだにロンドン・アイに書き込むべき文章を決めかね、じっと手元を見ながら途方に暮れていた。視界の上側の方に白い影がよぎって、止まった。見上げてみると、店員がソウメン製造機にもたれかかってふうっと息を吐いていた。疲労しきっている様子で、点々と薄茶色のシミが染みついた自分のエプロンを見つめながら首を曲げてじっとしていた。そいつは俺と同じアーサー・カークランド型だった。  俺はソウメンはまだか、遅すぎじゃねえか、と言うつもりだった。しかし、口をついて出たのは思いがけない言葉だった。 「なあ、アンタはなんつーか…すごく良くやってると思う。これだけ大勢のわけわかんねえ客のわけわかんねえ注文を、実に手際よく捌いてる‥誰でもできることじゃない。本気で言ってんだぜ。ああ、それと・・・ここの食い物は・・・いや。いい。忘れてくれ」  俺はここで言葉を切り、黙りこんだ。奴は口角を上げることもせず、緑色の目を見開いてこちらをじっと見つめた。一切反応らしい反応を返さないので、俺は話してる間にすっかりバツが悪くなってしまった。永遠とも思える長さの気まずい沈黙が続き、奴はふいに踵を返してソウメン製造機の裏手に引っ込んでしまった。俺はあっけに取られて無人となったカウンターを見つめ続けた。悪態の一つでもついてやろうかと考えたがその気力もなかった。そんなものだろう、というわずかな諦めを感じただけだった。
 どん、と目の前に大きな皿が置かれた。カウンターがビリビリと震えるほどの衝撃にぎょっとして思わず見上げると、さっきの店員がやはり同じような無表情でこちらを見つめていた。「わりいな、ソウメンは切れちまったんだ。代わりにこれで、おんなじワショクってことで、頼むわ。」  店員はそこで言葉を切って首筋に手をやり、2~3度引っ掻くと、意を決したように再度口を開いた。 「アンタ最近おかしいぜ。死人同然の顔してる」店員の緑色の目にはさっきまでとは違う、わずかな感情の動きが感じられた。  そしてすばやく顔を伏せながら、別にあんたのために用意してたってわけじゃねえからな、と呟き、また巨大な「シェフ」の裏側へ帰ってしまった。
 俺は呆然としながら、店員が置いていった皿を見つめた。そして、果たして、ソウメンの代わりが茹でブロッコリー丸ごと一本に変わるなんてことがあるだろうかと考えた。巨大なブロッコリー風の何か――タンパク質か何かの塊だろうか――はこの供給所にしては比較的清潔な、白い皿に載せられて天に向かって真っ直ぐに屹立していた。この件は、この件こそロンドン・アイに投稿するべきユニークな出来事なのではと考えたが、俺の思考ユニットも、片腕も、どうしても文章を紡ぎだそうとしなかった。  誰かが俺の身を案じている。たったそれだけの出来事が、全身に染み込んでいくような感覚がした。  スコアよりも何よりも、ほんのたったこれだけのものを。おれの体はどれほど欲していたことか。なぜ、おれの体はこんな風に訳のわからない反応を示すようにできているのだろう。これは、祖先のどのような習性の名残りなのだろう。  俺はロンドン・アイの電源を落として右側のポケットに仕舞い、 黙って皿に添えられたフォークを手に取り、ブロッコリーを横倒しにし、押さえつけて切り分け始めた。この瞬間、ここには奴がくれたブロッコリーと俺だけの世界があり、その世界は誰の目にも晒されることのないまま儚く解けて消えていく。それは考えてみれば美しい営みのような気もしたからだ。これでいいんだ。リラクシングシートはまた明日、なんとか頑張ってスコアを稼いで使えばいいじゃないか。
 そして俺は今留置場にいる。あのブロッコリーの、炎天下のヘドロを更に1週間腐敗させたような強烈な味は、口に入れて噛み締めた瞬間俺の口内センサーを貫き、脳天に達した。俺が吐き出したブロッコリーは弾丸そのもののスピードでソウメン製造機を直撃した。嘘のように粉々に大破した「シェフ」の補償スコアを支払うことなど当然出来ず、俺は器物損壊罪でお縄���なった。  リラクシングシートもスコアアップも夢のように消えてしまった。俺はこれから、レベル1へ格下げされるだろう。あんなに恐れていたはずの、この数々の事実は、しかし今の俺にはなんの脅威も与えなかった。俺は薄暗い監獄の隅でうずくまりながら、自分の両腕を眺めていた。 限界積載量300kg・・・400kg・・・500kg。俺のアイセンサーには両腕に凄まじいエネルギーが満ちていく様子がありありと映し出された。微動だにしなかった左腕には何事もなかったかのように感覚が戻っている。両腕だけではない。あんなにも重かった身体は羽のように軽く、両足はひと蹴りするだけでちょっとしたビルを飛び越せそうだ。これは、なぜ、こんなことになったのか。あのブロッコリーのかけらをほんのわずかに飲み込んだだけで(そう、ほんの少しは飲み込んだのだ)、こんなパワーが得られるなどということが現実にあり得るのだろうか。 あのブロッコリーは何なのか。あの店員は何者なのか。いや、直接本人に聞けばいいのだ。間もなく俺の両腕のパワーは監獄のチャチな鉄棒をへし折れるほどに高まるだろう。監視の目が緩んだスキを見て――ここを脱出出来れば、オオサカを出て、いずれ俺の両腕と両足を故郷の火星へ連れてゆけるだろうか。現実離れした想像の泡沫を頭の中で弄びながら、俺は来るべきチャンスをじっと待つことにした。
18 notes · View notes