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#千束稲荷神社
kachoushi · 9 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年1月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年10月2日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
日本海見ゆる風車や小鳥来る 泰俊 駅近の闇市跡に後の月 同 山門を標とするや小鳥来る 同 師の墓の燭新涼のほむらかな 匠 渡り鳥バス停一人椅子一つ 啓子 紫に沈む山河を鳥渡る 希 ひらひらと行方知らずや秋の蝶 笑 なりはひの大方終了九月尽 数幸
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
朱の色に蝋涙たれし日蓮忌 ただし コスモスのたなびく道を稚児の列 洋子 抱かれて稚児は仏よ日蓮忌 同 めらめらと朱蝋のうねり日蓮忌 同 ピストルの音轟ける運動会 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
友の墓秋空の下悠然と 喜代子 棟上げの終はりし実家や竹の春 由季子 菊人形幼き記憶そのまゝに さとみ 長き夜や楽し思ひ出たぐり寄せ 都 強持てに進められたる温め酒 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月6日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蜜と恋どちらも欲しく秋の蝶 都 八幡の荘園かけて飛ぶばつた 美智子 彼岸花軍馬の像を昂らせ 都 露の手に一度限りの炙り文 宇太郎 杖の歩や振返るたび秋暮るる 悦子 露けしや既視感覚の病棟に 宇太郎 コスモスの乱れ見てゐて老いにけり 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
天高く誇り高きは講談社 きみよ 華やかに滅びゆく香や秋の薔薇 和子 秋冷を暗くともして華燭の火 千種 白帝は白い梟従へて きみよ 薔薇は秋その夜会より咲き続け 順子 肘掛に秋思の腕を置いたまま 光子 爽やかや罅ひとつなきデスマスク 緋路 一族の椅子の手擦れや秋の声 昌文 邸宅の秋に遺りし旅鞄 いづみ 洋館に和簞笥置いて秋灯 荘吉
岡田順子選 特選句
栗の毬むけば貧しき実の二つ 瑠璃 流星を見ること永きデスマスク いづみ 正五位のまあるき墓を赤蜻蛉 小鳥 秋天の青は濃度を増すばかり 緋路 月光の鏡の中で逢ふ二人 きみよ 聖堂は銀に吹かるる鬼芒 いづみ 実石榴をロイヤルホストで渡されて 小鳥 石榴熟る女人の拳より重く 光子 秋の灯を落して永久のシャンデリア 俊樹 毬栗を踏み宰相の家を辞す 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
コスモスの島にひとつの小学校 修二 檸檬の香そは忘れざる恋なりき 美穂 嫁がせる朝檸檬をしぼりきる 朝子 母乳垂る月の雫のさながらに 睦子 タンゴ果て女は月へ反りかへる 同 護送車の窓には見えぬ草の花 成子 やはらかく眉をうごかし秋日傘 かおり 天と地を一瞬つなぐ桐一葉 朝子 流れ星太郎の家を通り過ぎ 修二 正面に馬の顔ある吾亦紅 朝子 傘たゝみ入る雨月のレイトショー かおり 幾千の白馬かけぬく芒原 成子 古備前に束ねてさびし白桔梗 睦子 糸芒戻れぬ日々を追ふやうに 愛 黒葡萄いつもの場所の占ひ師 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
新生姜甘酢に浸り透き通り のりこ 風を掃き風に戻されむら芒 秋尚 足音にはたと止まりし虫の声 怜 朝露に草ひやひやと眩しかり 三無 出来たての色の重たき今日の月 秋尚 徒競走つい大声で叫びたり ことこ 秋落暉炎のごときビルの窓 あき子 秋祭り見知らぬ顔の担ぎ手に エイ子 秋霜や広がる花を沈ませて のりこ 面取ればあどけなき子や新松子 あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
万葉の歌碑一面に曼珠沙華 信子 金木犀優しき人の香りかな みす枝 昇る陽も沈む陽も秋深めゆく 三四郎 廃線の跡をうづめて草紅葉 信子 駅に待つ猫と帰りぬ夜寒かな 昭子 天の川下界に恋も諍ひも 同 ひらひらとバイクで走る盆の僧 同 蟋蟀の鳴く古里や母と歩す 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月10日 萩花鳥会
夜鴨なく門川暗くひろごれり 祐子 サムライ衆ナントで決戦秋の陣 健雄 これ新酒五臓六腑のうめき声 俊文 露の身や感謝の祈り十字切る ゆかり 虫食ひのあとも絵になる柿落葉 恒雄 すり傷も勲章かけつこ天高し 美惠子
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令和5年10月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
魁の櫨紅葉の朱句碑の径 三無 花よりも人恋しくて秋の蝶 幸子 咲き初めし萩の風呼ぶ年尾句碑 秋尚 女人寺ひそと式部の実を寄せて 幸子 豊年の恵みを先づは仏壇へ 和代 篁を透かし二三個烏瓜 三無 日の色の波にうねりて豊の秋 秋尚 曼珠沙華に導かれゆく道狭し 白陶 二人居の暮しに適ふ豊の秋 亜栄子 林檎好き父と齧つたあの日から 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
ガシャガシャと胡桃を洗ふ音なりし 紀子 秋日和小児科跡は交番に 光子 歩かねば年寄鵙に叱咤される 令子 稲の秋チンチン電車の風抜けて 実加 不作年新米届き合掌す みえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 大寺の風を擽る榠櫨の実 幸風 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種
栗林圭魚選 特選句
観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 絵手紙の文字の窮屈葉鶏頭 要 駐在も綱引き離島の運動会 経彦 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 句碑の辺に秋のささやき交はす声 白陶 秋黴雨だあれもゐない母の塔 亜栄子 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
考へる事に始まる端居かな 雪 おは黒を拝み蜻蛉と僧の云ふ 同 道草の一人は淋しゑのこ草 同 朝霧の緞帳上がる音も無く みす枝 秋灯火優しき母の形見分け 同 役目終へ畦に横たふ案山子かな 英美子 孫悟空のつてゐるやも秋の雲 清女 穴感ひ浮世うらうら楽しくて やす香 栗食めば妹のこと母のこと 同 天高し飛行機雲の先は西 嘉和 屋根人を照らし名月たる威厳 和子 秋深し生命線の嘘まこと 清女 蜩に傾きゆける落暉かな かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
枯れて行く匂ひの中の秋ざくら 世詩明 一声は雲の中より渡り鳥 同 見えしもの見えて来しもの渡り鳥 同 菊まとひ紫式部像凜と 清女 越の空ゆつくり渡れ渡り鳥 和子 秋扇に残る暑さをもて余す 雪 山川に秋立つ声を聞かんとす 同 鳥渡る古墳の主は謎のまま 同 鳥渡る古墳は謎を秘めしまま 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月20日 さきたま花鳥句会
SLの汽笛を乗せて刈田風 月惑 寝ころびて稜線を追ふ草紅葉 八草 残る海猫立待岬の岩となる 裕章 大夕焼分け行く飛機の雲一本 紀花 曼珠沙華二体同座の石仏 孝江 白萩の花一色を散り重ね ふゆ子 秋の野や課外授業の声高に ふじ穂 秋寒し俄か仕立てのカーペット 恵美子 秋空や山肌動く雲の影 彩香 爽籟や赤子よく寝る昼下り 良江
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令和5年10月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
生身魂梃子でも動かざる構へ 雪 古団扇此処に置かねばならぬ訳 同 飾られて菊人形の顔となる 同 亭主運なき一枚の秋簾 一涓 菊の香に埋り眠る子守唄 同 叱りてもすり寄る猫や賢治の忌 同 友の家訪へば更地やそぞろ寒 みす枝 叱られて一人で帰るゑのこ草 同 朝霧が山から里に降りて来し やすえ 隣家より爺の一喝大くさめ 洋子 菊師にも判官贔屓あるらしき 昭子 人の秋煙となりて灰となる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年10月27日 月例会 坊城俊樹選 特選句
靖国の秋蝶は黄を失ひて 愛 柿に黄をあづけ夕日の沈み行く 緋路 神池の何処かとぼけた鯉小春 雅春 細りゆく軍犬像や暮の秋 愛 うらがへり敗荷の海のなほ明し 千種 英霊の空はまだ薄紅葉かな 愛
岡田順子選 特選句
秋蝶に呼ばれ慰霊の泉かな 愛 鉢物はしづかに萎れ秋の路地 俊樹 年尾忌も近し小樽の坂の上 佑天 道幅は両手くらゐの秋の路地 俊樹 秋天へ引つ張られたる背骨かな 緋路 老幹の凸凹としてそぞろ寒 政江 板羽目の松鎮まれる秋の宮 軽象 御神樹の一枝揺らさず鳥渡る かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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774 · 1 year
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吉原の遊女を姉に持つ勝気でおきゃんな少女美登利は、豊富な小遣いで子供たちの女王様のような存在だった。対して龍華寺僧侶の息子信如は、俗物的な父を恥じる内向的な少年である。二人は同じ学校に通っているが、運動会の日、美登利が信如にハンカチを差し出したことで皆から囃し立てられる。信如は美登利に邪険な態度をとるようになり、美登利も信如を嫌うようになった。 吉原の子供たちは、鳶の頭の子長吉を中心とした横町組と、金貸しの子正太郎を中心とした表町組に分かれ対立していた。千束神社(千束稲荷神社)の夏祭りの日、美登利ら表町組は幻灯会のため「筆や」に集まる。だが正太郎が帰宅した隙に、横町組は横町に住みながら表町組に入っている三五郎を暴行する。美登利はこれに怒るが、長吉に「姉の跡つぎの乞食め」と屈辱的な言葉で罵倒され、泥草履を額に投げつけられる。 ある雨の日、用事に出た信如は美登利の家の前で突然下駄の鼻緒が切れて困っていた。美登利は鼻緒をすげる端切れを差し出そうと外に出るが、相手が信如とわかるととっさに身を隠す。信如も美登利に気づくが恥ずかしさから無視する。美登利は恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げるが、信如は通りかかった長吉の下駄を借りて去ってしまう。 大鳥神社の三の酉の市の日、正太郎は髪を島田に結い美しく着飾った美登利に声をかける。しかし美登利は悲しげな様子で正太郎を拒絶、以後、他の子供とも遊ばなくなってしまう。ある朝、誰かが家の門に差し入れた水仙の造花を美登利はなぜか懐かしく思い、一輪ざしに飾る。その花が置かれたのは信如が僧侶の学校に入るため町を去る前の日だった。
たけくらべ - Wikipedia
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4年ぶりに復活 稲荷山祇園祭り  五穀豊穣と繁栄を祈願
4年ぶりに復活 稲荷山祇園祭り 気温が35度近くまで上がった炎天下の「猛暑」の7月16日の昼過ぎ。まばゆく輝いて新たに作られた神輿は約30人の担ぎ手衆によってひかれて稲荷山の町を練り歩いた。練りは町の世話役をはじめ担ぎ手をいれて総勢70人が連った。稲荷山祇園祭りは、三日目にして最高潮を迎えた。  千曲市の稲荷山祇園祭は、江戸時代の享保18年(1733)から約290年の歴史を誇る伝統ある夏祭り。今年は新型コロナウイルスの感染拡大も一応収束したことで、この7月に本格的に「復活」した。疫病退散を祈願して京都の祇園社を勧請したことが始まり。五穀豊穣と繁栄を祈願する。  現在の稲荷山祇園祭は5町(上八日町、本八日町、中町、荒町、治田町)の順序で当番町として祭りを仕切る。今年は荒町が当番だった。  今年も6月に愛知県・津島本社へ感謝と祇園祭執行の報告に代参参拝を行なうことから始まり、7月1日…
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ichinob · 1 year
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千束稲荷神社 20230527-28
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大祭
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sumio354 · 2 years
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地元祭礼だが渡御なし
さびしい
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gakutumblr · 8 years
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#千束稲荷神社 5千円札の顔にもなっている #樋口一葉 が、この神社のある龍泉寺町に住んでいて、その体験が名作『 #たけくらべ 』生まれたとされるため一葉文学碑があるこちらへ来ました😊 大きな木々はあまりないのですが、とても手入れが行き届いていて、境内が輝いているのを初めて見ました。 御朱印も親切に対応いただいて、ニコニコで帰りました。あ、ここの狐さんはカッコ良かったです😆. ________ 創建時期は不明。江戸の初��(寛永年間)、浅草一円は千束郷と称され、南北二社の稲荷があったとされる。(南の稲荷は現存していないが…) 明暦の大火あと、人形町にあった吉原遊廓が浅草に移動してきたことで、この一帯も多くの人で賑わうようになり、延享2年(1745年)に下谷龍泉寺町として町奉行支配となり、以後、龍泉寺町の氏神となったそうです。 #東京都 #台東区 #竜泉 #三ノ輪 #稲荷 #神社 #御朱印 #ご朱印 #ゴシュコレ (千束稲荷神社)
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liliyaolenyeva666 · 3 years
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🎼 01105 「恋の呪い」。
おとなりさんな若い女性のことが 少し気になっています、とあるハイツで暮らしている女性の日々を ほんのりと描いた 「勝手にふるえてろ」 を勝手な角度で観ています。大九明子監督・脚本作品。絶滅した動物をアンモナイトで有線式の白いヘッドホンがどうのこうのしたり東京タワーをチラリと映したりながら千束稲荷神社の前を通り過ぎたりする とある女性の物語はさておき、そんな女性のおとなりで ひとり暮らしながらオカリナを奏でる わたしのラブリー 片桐はいりさんが (岡里奈役) 衣装も含めて ベリーキュートで素敵です。
つづいて
きっと北海道。清流が長るる川の近くで暮らす人々の日々を描いた パラマウント映画 「雨鱒の川 ファースト・ラブ」 を観ています。磯村一路監督作品。眼鏡男子な阿部寛さん似のタカクラの酒造会社 (高倉酒造) ではたらく 社長の勧めで東京の画廊へ向かう 玉木宏さん似の青年シンペイは 過去を長めに回想します。回想を終えたシンペイは、港区南青山の殺風景な部屋で暮らしているのですけれど、ササっと仕事を済ませて故郷に帰ります。阿部寛さん似のタカクラのお母さん (おばあちゃん) を 星由里子さんが演じています この映画、雨鱒役の魚の演技が残念なところが ちょっと惜しいです。
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xf-2 · 4 years
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中国から“救出”された最初の日本人
「国家安全当局が岩谷氏の滞在するホテルの部屋を捜査したところ、中国の国家機密と関連する資料を発見した」   2019年11月15日午後、北京市中心部の中国外務省で定例記者会見に臨んだ耿爽報道官は、北京訪問中の北海道大学の岩谷將(のぶ)教授が9月8日に国家安全当局に連行された理由について、説明を始めた。 「取り調べを受けた岩谷氏は、以前も中国の秘密資料を大量に収集していたことを供述した。違法をおかした事実関係は明白であり、証拠もしっかりしている。彼の行為は、中国人民共和国の『刑法』と『反スパイ法』に違反している」   こう強調した耿報道官だが、突然声のトーンを下げ、「岩谷氏は罪を認めており、後悔の念も示したことを考慮して、中国は彼を訓戒したうえで保釈を認めた」と述べた。   耿報道官が会見を開く数時間前、岩谷氏は釈放され、日本に戻る飛行機に搭乗した。   中国政府は2015年春から、中国国内で「日本人スパイ狩り」を始めた。これまでに10人以上が拘束され、なかには最高で懲役15年の判決を受けている人もいる。 「後悔の念を示した」ことを理由に釈放され、帰国した岩谷氏は日本政府とメディア、言論人が力を合わせて、中国から“救出”した最初の日本人といえる。
入国して間もなく拘束
中国政治、軍事史の研究者として知られている岩谷氏は、日中戦争史、中華人民共和国建国前の政治史などを専門にしており、かつて防衛省防衛研究所で戦史研究センターの教官、外務省大臣官房国際文化協力室の主任研究官を務めた経歴をもつ。中国政府系シンクタンク・中国社会科学院近代史研究所の招聘で9月3日に北京入りし、同月8日に連行され、釈放されるまで約9週間、拘束された。  帰国した岩谷氏が中国で起きたことの詳細を明らかにしていないため、日中関係者の間で未だにさまざまな憶測が飛び交っている。   ある中国情報機関に詳しい共産党関係者は、「岩谷氏が中国に入国して間もなく拘束されたことから、中国の国家安全当局が、まず拘束する方針を固め、社会科学院と連携して岩谷氏を呼び寄せた可能性がある」と推測する。
これのどこが国家機密なのか
中国当局が主張する「国家機密」の詳細は明らかではないが、「岩谷氏はこれまでも、自らの研究テーマである日中戦争など当時の資料を収集するため、中国に渡航したことがあった」と証言する関係者もいる。主に古本業者から購入していたという。   80~100年前の歴史資料が「国家機密」でないことは、国際社会の常識である。中国でも、その年代の資料は基本的に公開されている。しかし中国の治安当局は、拘束の口実として、岩谷氏が手に入れた歴史文献が「国家機密」と主張した可能性もある。
中国当局の逆鱗に触れた?
南京事件の経緯や慰安婦問題など日中戦争当時の出来事について、中国政府と日本の研究者の間で大きな見解の違いがあり、岩谷氏はこれまでに、中国当局の主張を実質的に否定する論考を展開したこともある。一部の関係者の間で、「岩谷氏の研究が中国当局の逆鱗に触れたのではないか」との見方が示されている。   もし岩谷氏の拘束理由が研究内容と関係しているのであれば、日本の中国研究者の学問の自由が侵される由々しき事態といえる。
日本の対中外交の小さな勝利
岩谷氏が2カ月あまりで釈��されたことについて、日中関係者の間で「日本の対中外交の小さな勝利だ」と指摘する声がある。なぜなら、これまでスパイ容疑で拘束された日本人は、ほとんど起訴されているからだ。   岩谷氏のように「違法をおかした事実関係は明白であり、証拠もしっかりしている」事件なら、「数年~10年以上の懲役刑は避けられない」(中国共産党関係者)はずだった。それを中国当局が突然、譲歩した��は、日本メディアがこの問題を大きく伝え、「中国に対する強い姿勢」を示したことによる力が大きいと筆者は考える。
「記事にするな」と外務省が産経新聞記者を恫喝
筆者は産経新聞の北京駐在記者時代の2015年頃から、中国による日本人拘束問題をたびたび紙面や雑誌などで大きく取り上げ、会合などで国会議員に直接訴えたこともあった。   しかし、肝心の日本外務省はこの問題に消極的で、さまざまな形で筆者に圧力を加えたこともあった。「北京と交渉しているから、書かれたらうまくいかなくなる」というのが彼らの言い分で、当初、筆者もそれを信じ、記事を見送ったこともあったが、3年経っても4年経っても一人も救出できずに、中国に拘束される日本人は増えるばかり。邦人を救出しようとしているのではなく、中国を刺激したくないのが外務省関係者の本音であることに気づいた。   今回の岩谷事件について、北京駐在の同僚記者が「拘束された事実」を確認し、記事化する際にも、外務省高官から「絶対に書くな」 「責任をとれるのか」などと恫喝されている。
「知中派」も一斉に抗議
産経新聞はこうした恫喝を無視して、2019年10月19日の朝刊一面トップに「中国、北大教授を拘束 準公務員、スパイ疑いか」との見出しで報じ、大きな反響を呼んだ。   インターネット上では中国を批判する書き込みが殺到し、2020年春に予定されていた習近平国家主席の国賓来日を再考すべきだ、と主張する日本の識者が急増した。   産経新聞が記事を掲載した3日後、天皇陛下の即位式典に出席するために来日した中国の王岐山国家副主席に対し、安倍晋三首相がこの岩谷事件について言及したことも、中国に対する大きな圧力となった。   その後、中国政治や現代中国論が専門の早稲田大学の天児慧名誉教授や、法政大学の菱田雅晴教授など八人が呼びかけ人となり、事件について強い懸念を示す声明を発表。岩谷氏の拘束について、「言葉にしがたい衝撃を受けている。関係当局は拘束の理由など背景を一切明らかにしておらず、理由が不明なままの拘束は国際社会では到底受け入れられない」とし、拘束理由など関連情報の開示を求めた。    また、今回の事件を受けて、日本の中国研究者が恐怖で中国に渡航できなくなる可能性もあるとして、「日中間の学術交流に好ましからざる影響が立ち現れ、日中関係の健全な発展に大きな影を落としている」と強調した。これらの学者は日本で「知中派」と呼ばれる人たちで、彼らが一斉に抗議することは中国にとって大きなインパクトがあった。
新しい日中関係を考える研究者の会が公表したアピール文(スクリーンショット)
手柄がほしい国家安全当局
この声明に対し、中国外務省の報道官は当初、「日本の学者たちは真相を知らないかもしれないし、考え過ぎだ」と応じたが、日本の反発は収まらなかった。 「岩谷氏の拘束は、手柄がほしい国家安全当局の判断とみられる。しかし、反響は予想よりはるかに大きく、このままでは習氏の訪日に大きな影響が出ると判断した中国指導部が、岩谷氏の釈放を指示した可能性がある」と分析する中国の政治学者もいる。   岩谷氏の釈放は、日本政府、メディア、学者らが中国に対し強い姿勢を示したことの成果とともに、習近平訪日前という特別な時期とも関係しているといえる。
それでも情報を隠し続ける外務省
しかし、岩谷氏が釈放されたわずか12日後、別の50代の日本人男性が中国湖南省長沙市で、国内法違反で拘束されていたことが報道によって明らかになった。   この男性は介護関係の仕事をしていたといい、拘束された時期は岩谷氏よりも2カ月早く、2019年の7月だった。中国の治安当局は日本人を拘束したあと、日本大使館に伝えなければならない取り決めがある。つまり、この男性の拘束を外務省は認識しており、国民に隠していたことになる。   これまで中国当局によってスパイ容疑で拘束された日本人はその全てがメディア取材によって明らかにされたものであり、外務省が公表した例は一度もない。   戦後、周辺国との武力紛争を極力避けてきた日本が、中国の国家安全に危害を加える工作員を中国に派遣するなど常識的に考えにくい。しかも1人や2人ではなく、わずか数年で10人以上も同じような容疑で拘束されている。明らかに異常な状態といえる。   しかし外務省は邦人保護に関し、ほとんど事実関係を明らかにしない。約1年前に、大手商社の伊藤忠商事に勤務する40代の日本人男性社員が中国広東省の国家安全警察に拘束されたことが判明した時も、外務省はメディアの取材に対し冷淡な対応を貫いた。日本政府は拘束情報を約1年前から把握しておきながら、報道されるまでこの事実を公表しなかった。    その後、菅義偉官房長官が定例記者会見でようやく事実関係を認め、「邦人保護の観点からできる限りの支援をしている」と強調したが、男性の氏名や容疑、拘束された当時の状況など詳細は明らかにしなかった。
拘束、起訴された日本人
この他、2015年から2018年にかけて、中国でスパイ容疑などをかけられ拘束、起訴された日本人は、以下の9人であることがメディア報道によって判明している(年齢はいずれも当時)。 1、愛知県出身の会社員の男性、54歳。2015年、旅先の浙江省で拘束され、軍事施設や公船を撮影したとされる。2018年に懲役12年の実刑判決。 2、神奈川県在住のパチンコ店店員の男性、58歳。元脱北者で、北朝鮮にいる妹を救出しようとして日中間を往復していた2015年に遼寧省の中朝国境近くで拘束され、2018年に懲役5年の実刑判決。 3、東京都の日本語学校幹部の女性、58歳。元中国人で、中国の機密情報を日本の政府機関に提供した容疑で拘束され、2018年に懲役6年の実刑判決。 4、札幌市の団体職員の男性、73歳。元日本の大手航空会社社員で、定年退職後、中国と経済交流を促進する団体を立ち上げた。2018年にスパイ容疑で懲役12年の実刑判決。 5、東京都の日中友好団体幹部、男性、61歳。元日本社会党職員、中国との交流などを担当し、中国の砂漠に植樹するプロジェクトなどに参加。2017年にスパイ罪で起訴。2019年に懲役六年の実刑判決。 6、千葉県の地質調査会社社員、男性、70代。中国の業者の依頼を受けて温泉を探すために訪中したが、国家機密探知罪で逮捕。2018年5月に起訴。2019年に懲役5年6カ月の実刑判決。 7、千葉県の地質調査会社社員、男性、 50代。中国の業者の依頼を受けて温泉を探すために訪中したが、国家機密探知罪で逮捕、2018年6月に起訴。 2019年に懲役15年の実刑判決。 8、出身地不明の会社代表の男性、60代。遼寧省で拘束され、2018年3月にスパイ罪で起訴。2019年に懲役5年6カ月の実刑判決。 9、大手商社、伊藤忠の男性社員、40代。 2018年2月に広東省で国家安全当局に拘束され、同6月に起訴。2019年に懲役3年の実刑判決。   この他、メディアに報じられていない拘束された日本人も数人いると噂されている。
起訴された日本人全員が冤罪の可能性大
拘束、起訴された日本人の職業を見ると、中小企業の会社員、日本語教師、パチンコ店のアルバイト、中国の砂漠で植林プロジェクトを推進する「日中友好人士」などが含まれている。いずれも専門的なトレーニングを受けた情報分野のプロではない。同時に、中国の国家機密を探れる社会的立場にもない。    そもそも日本の情報機関は、国内の過激派の動きを監視することを仕事の中心にしており、海外に工作員を送る法的根拠もなければ予算もない。先述した伊藤忠商事の社員を含めて、起訴された9人全員が冤罪である可能性は極めて高い。
それでも犯罪者扱いする日本政府
冷戦時代、米国とソ連の間で拘束した相手側の諜報要員を同時に釈放する「スパイ交換」が行われていた。日本人が中国でスパイ容疑をかけられて拘束されたなら、日本政府はすぐに国内で活動する同じ数の中国工作員を拘束し、交換交渉を始めるべきだが、日本政府にそういうことを実施する気配は全くみられない。   筆者が北京に駐在していたとき、中国にスパイとして拘束された日本人の家族や周辺者の取材をしたことがあるが、複数の関係者から「冤罪なのに、外務省と大使館はなにもしてくれない」と言われたことがあった。   日本人の拘束が判明するたびに、菅官房長官は「(日本政府は)できるだけの支援をしている」と記者会見で述べているが、北京の大使館関係者によると、菅氏が言う支援は釈放に向ける外交努力ではなく、あくまでも本人の要望にしたがって弁護士を斡旋したり、漫画やカップラーメンを差し入れしたりするなど、いわば詐欺や傷害容疑などの一般刑事犯と同じ人道的な支援だ。日本政府も、彼らを“犯罪者扱い”しているという。
抗議も釈放要求も一切しない
北朝鮮による日本人拉致問題に長年、取り組んできた松原仁衆議院議員は2019年2月27日の衆議院予算委員会の分科会で、中国による邦人拘束問題を取り上げ、政府の見解を問いただした。    衆議院同分科会の議事録によれば、松原氏の「政府はなぜ邦人拘束という事実を公表しなかったのか」との質問に対し、外務省の垂秀夫領事局長(当時)は「政府としては、ご家族への配慮、人定事項を含めたなんらかの確認や公表を行うことにより、当該邦人および同様に拘束されている他の邦人に対する中国当局の今後の中国側司法プロセスにおける取り扱いなどにおいて、不利益な影響を生じさせる可能性が排除できなかったことから、対外公表をすることは差し控えたものでございます」と答弁した。   松原氏はさらに、「日本政府は中国に対し抗議、または釈放要求をした事実はあるか」と質問したのに対し、垂氏は「日中首脳会談、日中外相会談を含めてあらゆるレベルを通じ、厳正に申し入れ、前向きな対応を求めているところでございます」と回答した。    垂氏の答弁から、日本政府はこれまでに中国と外交交渉で、邦人拘束の件について「前向きの対応」を求めただけで、抗議したことも、釈放要求もしたことがないことが明らかになった。
邦人拘束をなぜ公表しないのか
また、邦人拘束を外務省が公表しなかったことについて、垂氏は「被害者への不利益な影響を避けるために」としているが、残念ながら、事なかれ主義の外務省の言い訳にしか聞こえない。    伊藤忠の社員は1年以上、温泉業者らほかの拘束者は、長ければ約4年も拘束されている。すでに十分な不利益を蒙っている。人権侵害が激しいといわれる中国の刑務所、留置場に未だ日本人が捕われている責任は外務省、そして日本政府にある。   対中交渉がうまくいかなければその事実を公開し、中国当局による人権侵害の事案として国際社会に訴えるべきだ。それが中国への圧力になり、邦人の救出につながる可能性もあるが、自らの仕事を増やしたくないのか、外務省と日本政府には、こうした発想がないようだ。
ファーウェイ創業者の長女を拘束したカナダ
足首にはGPS付きの追跡装置がつけられている
外務省や日本政府の邦人を守る姿勢は、国際社会の基準からみれば明らかに不十分だ。日本と同じく、中国に複数の自国民を拘束されたカナダ政府は中国に対して毅然とした態度を取り、国際社会の協力を積極的に求めている。    2018年12月、カナダは中国の大手IT企業、華為技術(ファーウェイ)創業者の長女で同社副会長の孟晩舟氏を拘束した。孟氏は米国の対イラン制裁回避に関連する不正行為の疑いがあったとして、米政府の要請を受けたカナダが孟氏の拘束に踏み切った。    これに対して、中国の外務省はすぐさま反応し、米国とカナダに猛抗議、釈放要求を繰り返した。中国外務省の王毅外相は全国人民代表大会中の3月8日、記者会見して華為事件に言及し、孟氏の拘束事件とその後に起きた一連の華為排除の動きについて、「意図的な政治的抑圧であり、われわれは中国企業と市民の合法的権益を断固守る」と強調した。
中国の激しい報復、カナダ人を次々に拘束
この事件の背景には米中のハイテク分野の���権権争いも絡んでいるが、ある意味で、中国にとっては「外国に拘束された自国民を保護する事案」でもある。その後、中国当局の激しい報復行為は国際社会を驚かせた。   孟氏拘束後、中国はすぐに中国国内にいる2人のカナダ人を「国家安全に危険を与えた」などの容疑で拘束。その後も次々とカナダ人を拘束し、中国の地方都市の英語学校で教える若い女性を含めて、わずか2カ月で計13人のカナダ人を拘束した。その後、5人を釈放したが、残り8人はスパイ容疑で取り調べを続けた。   中国当局による一連のカナダ人拘束は、カナダ政府に対し、孟晩舟氏の身柄を米国側に渡さないように牽制するためと言われている。
屈しなかったカナダ
しかし、カナダは中国に屈しなかった。当初、カナダ人2人の拘束が判明すると、フリーランド外相はすぐに「中国によるカナダ人の恣意的拘束を深く懸念している」との声明を出し、即刻釈放を求めた。    その後、ほかにも複数のカナダ人が中国に拘束されていることが次々とわかり、同外相はさらに「中国側がカナダ国民に対して取った行動は、すべての国にとっての脅威だ」との声明を発表し、厳しい言葉で中国を非難した。    北京の駐中国カナダ大使も拘束者と面会するなど、国民を守る決意を表明した。中国に拘束された自国民の救出はいま、カナダ政府の最も重要な外交課題の一つになっている。   こうした中国に対するカナダ政府の強い態度は、複数の国、国際組織、人権団体の支持を受けており、拘束カナダ人を支援する輪は、すでに国際社会で広がっている。
これぞ中国の「人質外交」
米国国務省は2019年1月、一連のカナダ人拘束事件を踏まえて、米国人が中国に渡航する場合、中国当局による「恣意的な法執行」に対する警戒を呼びかけ、渡航危険度について、4段階のうち下から2番目の「一層の注意」に据え置かれて、中国へ圧力をかけた。    中国当局は「拘束した8人のカナダ人」について、スパイなど国家安全を脅かす疑いがあると説明しているが、中国から遠く離れ、人口も少ないカナダが地政学的に中国を仮想敵として見ているとは思えない。常識的に考えれば、カナダが大量の工作員を中国に送り込むはずがない。    中国は一連のカナダ人拘束を通じて、外交カードとしてカナダを牽制し、孟晩舟氏の身柄を米国に引き渡すことを阻止する狙いがある。いわば、人質をとって相手に圧力を加える「人質外交」である。 2010年、尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長を日本側が逮捕すると、中国は即座に「河北省の軍事施設を撮影した」という容疑で日本の建設会社フジタの社員を拘束。日本に対し、「スパイ罪で起訴すれば死刑もあり得る」と脅して、船長の釈放を強く求めた。当時の民主党政権は中国の要求に屈し、結果としてフジタの社員たちも釈放された。    一方、今回、カナダ当局は孟晩舟氏の釈放になかなか応じないため、中国とカナダの対立の構図は今後も長期化する可能性もある。
習近平が恐れていること
また、中国当局による外国人拘束は、国内の締め付けを図る思惑もあるとみられる。中華民族の偉大なる復興などナショナリズムを煽るスローガンを掲げる習近平政権は、外国の価値観などが中国国内に入るのを阻止することに力を入れている。中国人と外国人が接触することを嫌い、外国の民間人に“スパイ”のレッテルを貼って摘発することが、ここ数年、急増している。
日本が世界の笑いものに
筆者の北京駐在時代も、複数の北京在住の外国人知人が“スパイ”として拘束された。中国人からもらった重要でない会議の資料をいきなり「国家秘密」だと言われ、海辺で撮った写真にたまたま軍艦が写っていたことなどを理由に起訴された人もいる。 筆者は当時、取材で中国国内出張が多かったが、スーツケースを持たず、小さな手荷物で飛行機に乗ることを徹していた。荷物を空港に預ければ、自分の知らないうちに麻薬や政府の機密文書を入れられ、罪をでっち上げられることを警戒したためだ。    今後、トランプ政権下で米中関係が深刻化する可能性があり、米国と関係が深く、外交の脅しに屈しやすい日本は、中国にとって国内の引き締めを図るうえでも、人質外交を展開するうえでも餌食になりやすい。   今回の岩谷氏の釈放が、日本の対中外交の小さな勝利といえるなら、この経験を活かして情報を公開し、強い姿勢を継続すべきだと考える。主権国家として自国民を保護する姿勢を見せてほしい。それをしなければ、日本は世界中の笑いものになるだけでなく、ますます中国から軽視され、在中日本人はこれからも拘束され続けるだろう。(初出:月刊『Hanada』2020年3月号)
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hirogujp · 5 years
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台東区竜泉の樋口一葉ゆかり 「たけくらべ」 に登場する「千束稲荷神社」。彼女が本郷へ移転するまでの短期間住んだ場所の近くに「樋口一葉記念館」がある。奥まった場所にあるので、訪れるのは彼女のファンだけなのだろうネ。
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kachoushi · 2 years
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招待席
撰集5月号巻頭
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巻頭の言葉
岩佐 季凜
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巻頭の言葉
色滲む地口行灯午祭 一の午幟ぎつしり立ち揺れて 神官の行きつ戻りつ午祭
 掲句は近所にあります樋口一葉縁の千束稲荷神社の午祭を詠んだものです。  先輩諸氏には先刻承知の事と存じますが、午祭について少し。  午祭は十一月の酉の市のように、二月の午の日に稲荷神社で行われる祭礼です。地口とは諺や成句を洒落てもじったもので、行灯として絵と文字で仕立てて祭礼時に飾られます。  武士が風呂に飛び込む絵が描かれた行灯に「飛んで湯に入る夏の武士」とか、笑う人のそばに河豚の絵が描かれて「笑う顔にはフグ来る」、大きな蕪と小さな蕪の絵に「大かぶ小かぶ山から小僧が抜いてきた」などです。  今の住宅に住んで二十年近くなるのですが、今年の二月、千束稲荷神社の広くない境内にぎっしりと、赤い幟と地口行灯が飾られ、午祭の祭礼が執り行われている事に気がつきました。その時の、午祭を初めて認識した驚きと、近所に居ながら何年も気がつかなかった自分に呆れつつ詠んだ句なのです。  季題の覚えも悪い愚弟です。今回賜りました巻頭は、主宰の叱咤激励だと思っております。ありがとうございました。
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shokobekki · 3 years
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【 日記 】
先日、野暮用で近くまで行ったついで、久々に、豊川稲荷を訪れてみた。ここは近いわりに、1,2度しか来たことがない。 妙厳寺 という曹洞宗の大きな寺の中にある。 この寺を開いた僧の、六代前の禅師が、中国(宋)での修行を終えての帰途、海上で、白い狐に乗り、片手に稲束、片手に宝珠を持った女神、荼枳尼天(ダキニテン)を見たそうな。その姿を自ら像に刻んで祀ったことが、この寺に伝わる稲荷神社の由来らしい。時は1267年のこと。妙厳寺自体の創建は1441年。
本殿に参拝して霊狐塚へ向かう途中、きれいなウコン色の法衣を着た僧が一人、渡り廊下を姿勢よく歩いていくのが見えた。敷地の所々に残された薄暗い林と、可愛い小鳥(ジョウビタキか)。今回印象に残ったのはそれくらいかな。巨大建造物や、観光地の神社仏閣は、ついインパクト負けしてしまいがちだ。けど、長い歴史がある場所なら、地道に掘り下げれば、何か発掘できるのかも?しれない。
正月ほどではないにせよ、休日だったので、ほどよく賑わっていた。お昼時、参道から少し離れた通り沿いにも出店が並ぶ。寿司屋(千石寿し)のお稲荷さんと厚焼き卵に、ここらでは馴染みの豆腐屋(寺部食品)のおから稲荷といなり揚げ、豆乳ドーナツを買って帰る。気持ちの良い接客だった。もう少し暖かければ、散歩がてら外で食べたいくらいだったけど、日差しはあるのに雪が降りしきっていた。なので、家に帰って熱い緑茶を入れて。どれも出来立てで、とってもお味が良かった。
今回ついでに、門前のヤマサで、おでんだねも買ってきた。今日は二日目のおでんに、焼いたいなり揚げ、熟れ始めたアボカドとビンチョウマグロをわさび醤油で和え、節分の日に、太巻きと、お刺身切り出しを食べる際に開けた純米吟醸の残りとともに、じんわり温もった。なかなかの贅沢だ。お刺身がある時はいつも、人間ふたり、猫二匹の、四者でわけわけする。
ちなみに、2/10は「初午(はつうま)」と言って、全国各地の稲荷神社のお祭りらしい。今年は近年珍しいほど、雪の舞う日が多い。明日もきっと。
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ichinob · 2 years
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初詣 20230101
千束稲荷神社 
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氏神様
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valiantlydarktiger · 6 years
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インドの神様めぐり 妻沼聖天山歓喜院
地図更新しました。
妻沼聖天山歓喜院  訪問日 2018/08/15 高野山真言宗
久し振りにお寺行ってきました。 今年めでたく暑い町日本一になった埼玉県の熊谷駅からバスで460円分。 国宝指定された本堂は、埼玉の日光と呼ばれて地元の皆さんに愛されています。 小西美術工藝社さんのページなんですが、修繕の過程とパノラマ写真が見られます。…修繕の熱い思いが短い文章でつづられ、無事修繕された美しい本堂が見られるので、こっち見てるよりぜひ。
地理的には、バスで終点まで行ったら群馬県太田市。 バス乗る前の熊谷は秩父鉄道の始点。 率直に言うと何にもない所に、急に町並みが現れて、由緒ある極彩色のお寺に到着、というのは、なかなか来るものがあります。
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ご本尊は御正躰錫杖頭。錫杖の頭部分です。秘仏なので拝観はできませんが、お守りとしてレプリカが販売されていました。 で、ご本尊が聖天様。十一面観音様も昔から祀られているのですが、天部がご本尊のところはちょっと珍しいのでは。
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正面が本殿、左に十一面観音様の本坊本堂、それから、寺の敷地だけど塀の外の滝に、軍荼利明王様。
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…ほー
聖天様はガネーシャ、象頭のシヴァ神の息子神が元なので、聖天様のお寺に行くたびに象さんモチーフ探すのですが、まあはっきりとはないですよね。 代わりに好物とされる大根(二股)がフィーチャーされてることが多いのですが、これもあんまり見つからず。でも、妻沼のゆるキャラえんむちゃんは、二股大根が絡み合った形が頭という思い切ったデザインでした。
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境内には縁結びの木があり、縁結びのお寺で有名な様子。
そういえば周りのお店で「縁結びメニューあります」とアピールされてました。
だがさりげなくこのお寺は象さん大好きなのです。
象の像とかね。象さん噴水とかね。あと、サイトのアイコンが象さん。
参道の両脇に��くつかお店があり、そこの聖天寿しさんで購入した聖天寿司。 大変甘くきゅっと酸っぱくそしてでかかった…一人分一合くらいあったんですが、クーラーボックスも保冷材もなしに持ち歩くのは嫌だったので頑張っておなかに納めました。 ええ、ガネーシャ様のおなかを満たすくらいの量がありましたぜ。
帰りは高崎近くの新町まで行き、於菊稲荷神社に立ち寄りました。 於菊稲荷神社  瑞龍寺で戴いた御朱印帳がいっぱいになったので、御朱印帳欲しいなー高崎あたりにないかなーとググったら行き当たったくらいの御縁です。参拝理由ゆるい。 新町駅から15分ほど歩いたところ。 建て替えたばかりの立派な神殿でした。
そして御朱印帳。可愛い。御朱印も大変可愛らしいのです。 絵心のある方が手書きで書いてくださるようで。
わんわんベンチ。そしてわんわん絵馬。
熊谷から新町まで、よい夏の旅でありました。(意訳:ウルトラ暑い)
「自分の居心地のために、お膝元をインド気温にするとは許せぬ!人々の切なる願いを受け、この韋駄天、悪事を働く兄を倒す!」  入ってくるなり大音声で呼ばわったのは韋駄天スカンダ。  はいはい、と、歓喜天ガネーシャは熊谷名産渋団扇であおいでやる。 「僕気温いじるような力ないから」 「嵐神の倅が情けない」  俺もだけどねー、と、スカンダは畳の上に寝転んで存分にあおがれる。 「あちい。インドよりあちい」 「気温的には大したことないんだよ、ほんの41℃くらい」  ふふんと嬉しげなガネーシャを、スカンダは寝返りを打ってひっぱたく。 「お膝元日本一暑くて嬉しいんじゃないかー」 「やっぱりね、自分ちが日本一連呼されるとね」  世界一は目指さないよ、目指したくても僕そんな力ないしね、と、ガネーシャは不穏なことを言い、スカンダは団扇を取り上げて自分であおぐ。 「かき氷食べにいこ」 「僕お勤め中だから雪くま抹茶白玉あずきお供えして」  雪くまは熊谷の名物かき氷。  熊谷市民が一斉にかき氷をかいて食すことにより、かろうじて生活できる気温になると言われている。  妻沼聖天の参道にも味自慢の店がいくつもあるのだ。  だが天界一の瞬足、お使い神韋駄天スカンダは起き上がる気配も見せない。 「溶かさないで持って帰る自信ない」 「ちょっとくらい溶けてもいいよ」 「溶けたかき氷持ち帰るとか、お兄さんが許しても俺が許さない。いこ」 「だから、僕留守にできないし、留守にできる時間にはかき氷屋さん営業終了なんだよ」  がば、と、スカンダは腹筋だけで起き上がる。  正面から十一面観音と軍荼利明王が覗き込んで手を振っていた。 「お先。ゆっくりしておいでよ」  ガネーシャが、軍荼利とスカンダを何度も見比べる。 「あれ?」 「説明してもいいけどその前に売り切れるよ」  行ってきますー、と、スカンダはガネーシャを引きずるように参道に出て行った。
 スペシャル雪くま抹茶白玉あずき練乳かけと、雪くま苺を目の前にしたシヴァ家の兄弟は、無言で氷をかきこみ、お稲荷さんを貪り食いもう一度それぞれに氷を頼み、やっと一息。 「町行ってもう一杯食べる?」 「いや留守お願いしてるんだから戻るよ。僕シフトの関係であんまり一人歩きできなくて、かき氷もお店で食べたことなかったなあ」  ふふんとスカンダが薄めシロップになった氷を飲み干す。 「パラヴァニがオーバーヒートだったから、軍荼利姐さんの滝で冷やしてもらって、その間姐さんと十一面観音さんで氷食べてもらって、交代要員出来てから、俺がお兄さんのお供する約束で連れ出したの」 「…別に供廻りとかいらないし」  ガネーシャは盛大に拗ねて見せるが、強大な力を持つとされる歓喜天は、常に他の神仏に抑え込まれているのが常で、勝手に動けないのだ。  水まで全部飲み干してから、ガネーシャは立ち上がる。 「さて、帰りますか。君は泊まるの?」 「パラヴァニの様子見てから」  軍荼利明王の滝で冷やされてるパラヴァニは、孔雀でスカンダの乗騎。  普段はご無体な主を運ぶため、青いバイクに姿を変えて、交通法と航空法の隙間を縫うように走り回っている。 「インドから無給油で日本まで飛ばされても平気孔雀がばてるほど暑かったかなあ」 「んー、滝につっこんで冷ましてやったら、羽根濡れたのが気に入らなくて怒ってどっか行っただけだから、多分平気」 「…仲良くしなよ」 「すげー仲いいよ?」  三千年くらい兄弟やってるガネーシャとスカンダは、とりとめのない話をしながら、まだ全然気温の下がらない参道をぷらぷら歩いていた。
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otokorocom · 3 years
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ふらり散歩浅草編 土曜日は、 まったり過ごしてみませんか。 今日はゆっくりできそうなスポットをご紹介します。 動物カフェ Piccolo Zoo 住所⇒東京都台東区西浅草1-1-16 升宏ビル3階 他のペットでは味わえない、爬虫類の魅力を知ってほしいと女性オーナーが運営するお店です。 ・入場料1500円で、平日は時間制限無しなので、ゆっくりと過ごせます。土日は90分制となります。 ・爬虫類だけでなく猫やハリネズミ、珍しいエキゾチックアニマルも居ます! ・動物によってはオヤツをあげることもできます! 占い店 浅草憩洛 占い処 『天楼閣』 住所: 東京都台東区雷門2丁目17−10 上村ビル6F 占ってもらえる内容 総合鑑定(仕事運、対人運、恋愛運、結婚運、親子運、先祖運、事業運、金運、相性、家相、地相、手相、etc) 守護霊/守護神霊視 前世霊視 総合霊視 除 霊 運気上昇気入れ 持ち物霊視 マッサージ店 浅草オレンジマッサージ治療院 馬道店 住所: 東京都台東区浅草3-1-1-3F オイルマッサージなどのコースも充実 【マッサージ】(税抜) ・30分コース2,700円 ・60分コース5,400円 初回4,400円 ・90分コース8,100円 初回7,100円 ・120分コース10,800円 初回9,800円 御朱印がもらえる 吉原神社(よしわらじんじゃ) 住所:東京都台東区千束3-20-2 かつての吉原の地は、幕府公認の遊女街でした。1665年(明歴3年)江戸の大火により旧千束村に移転しこれが俗に言う新吉原です。新吉原の地では、玄徳神社、榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社の五社が1872年(明治5年)に合祀され吉原神社として創建されました。 御祭神は、倉稲魂命と市杵嶋姫命。 ※緊急事態宣言発出のため、お出かけの際は施設にご確認の上おでかけください。 #浅草 #東京ぶらり旅 #商売繁盛 #行こうと思った時がタイミング #占い #占い師 #ハリネズミ #モフモフ #フワモコ部 #はりねずみ #爬虫類 #爬虫類カフェ #はちゅカフェ #神社 #パワースポット巡り #お散歩 https://www.instagram.com/p/COmRZwjjSep/?igshid=1l7n0izqg3if6
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wiggies-inward-post · 4 years
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summer purification rites 夏越の祓
  早起きして稲荷神社に御参り行ってきました。今日は、お稲荷さんの夏祭だったんです。    
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 夏越の祓は、記紀神話に見られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻った時に行った禊祓いを起源とする宮中行事であり、現在では多くの神社の恒例となっているそうです。 年に二度おこなわれ、6月の大祓は夏越の祓(なごしのはらえ)と呼ばれています。
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 茅を束ねて作った茅の輪(ちのわ)が神前に立てられ、 これを三回くぐりながら、「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。 また、人形ひとがた(人の形に切った白紙)に自分の氏名と生年月日を書き、それで自分の身体を撫でてから息を吹きかけます。そうやって、自らについた穢れを祓うのです。人は知らず知らずうちに罪を犯し、穢れを身に付けてしまうため、清らかな気持ちで日々の生活にいそしむことができるように、穢れを祓い、 無病息災を祈るのです。 
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 信仰の有無にかかわらず、「祈る」という行為が好きです。目を瞑り、手を合わせて、神様や誰ともない何かに対して思いを伝えたり縋ったりするわけですが、過去、ある人が苦しんでいる私に、あなたのために祈るよと言ってくれたことがありました。それまで考えてみたことすらありませんでしたので、その時、祈るという行為について一考する機会が与えられたのです。   
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 その人は敬虔な信者であり、祈りを捧げることが生活の一部となっていましたので、私のために祈りを捧げてくれたのでした。さらに、私は、その人の他者への関わり方や、他者に向ける愛情の注ぎ方を学びとりました。すなわち、愛するとは、対象そのものに向けるべきであるとは限らないのだということを、その人の祈りから教えられたのです。
 誰かのことが救われるようにと祈ることは、祈りを捧げている人と神との対話です。その二者に私は含まれません。しかし、その人の祈りの対象は、たしかに私なのです。したがって、愛することは、必ずしも愛情の対象と融合する必要はないということになります。  
                                                             (↓メジロが水を飲みに来ていました。)
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 苦しみから這い上がる過程で学びとることができることは多いです。苦しんでいる時はとても辛いものですが、その苦しみはいつか終わりがきて、苦しみが過去のものになるときがくるはずです。  
 苦しみから解放された今、私にも、ある人のために祈りたいと思う機会が訪れました。彼女の病が治りますように。はやく苦しみから解放されますように。かつて、私の苦しみを和らげようとしてくれた人がいたように、私も彼女のために祈りたい。そう思い、石段を登って、手を合わせてみたのです。
 私の祈りが通じるかどうかは、まさに、お稲荷様のみぞ知るということになりますが、祈るという行為に見返りがあるとは限りません。心を込めて祈ったとしても、その祈りが通じるかどうかは神の手に委ねられている、不確かなものです。それでも人は祈り、念じたり、心の漣を鎮めようとしたりするものなのだと思います。  
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 今日は夏越の祓で茅の輪くぐりもできたので、穢れを祓い、無病息災を祈願することができました。
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  I woke up early and went to the nearby Inari-Shrine. Today was Inari's summer festival.
  Regardless of the faith, I like praying. It's a way of meditating, clasping my hands, and putting my thoughts and trust in God or something else, in the past, someone once told me that she would pray for me when I was suffering . I had never thought about it before, and that's when I thought about the act of pray. The opportunity was given to me.
  She was a devout believer and to pray was a part of her daily life, so she prayed for me. I also learned how to relate to others and how to direct your love toward other people. In other words, to love is not always directed at the object itself, I was taught by her act of praying.
  Praying for someone's salvation is a dialogue between the person praying and God. I am not included in those two parties. But the object of that person to pray is indeed me. Therefore, it follows that loving does not necessarily have to be merged with the object of affection.  
  There is much that can be learned in the process of crawling out of suffering. It is very painful when you are suffering, but the pain will end one day and the suffering will be in the past, there will be a time when it will be a thing.
  I am released from suffering, now I have an opportunity to pray for someone else. May she be cured of her illness. May she be relieved of her suffering soon. I wanted to pray for her, just as someone once tried to relieve my suffering. So I climbed up the stone steps and put my hands together in front of Inari-sama,.
  Whether my pray would be answered or not is truly a matter for Inari-sama to know, but I pray there is no guarantee that there will be anything in return for the act of even if you pray with all your heart, it is in God whether your prayer will be answered, uncertain It is a thing. Even so, people still pray and reminisce and try to calm the ripples in their hearts, I think.  
  Today, I was able to do Chinowa-kuguri (passing through a hoop made of kaya grass (plants of the sedge family) at the summer purification ceremony, so I was able to purge the dirt and pray for good health.
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  Je me suis réveillé tôt et je suis allé au sanctuaire d'Inari tout proche. Aujourd'hui, c'était le festival d'été d'Inari.
  Quelle que soit la foi, j'aime prier. C'est une façon de méditer, de serrer les mains et de mettre mes pensées et ma confiance en Dieu ou autre chose. Dans le passé, une personne m'a dit qu'elle prierait pour moi quand je souffrais. Je n'y avais jamais pensé auparavant, et c'est alors que j'ai pensé à l'acte de prier. L'occasion m'a été donnée.
 Elle était une croyante fervente et prier faisait partie de sa vie quotidienne, alors elle a prié pour moi. J'ai aussi appris à établir des relations avec les autres et à diriger son amour vers les autres. En d'autres termes, l'amour n'est pas toujours dirigé vers l'objet lui-même, j'ai appris par son acte de prière.
 Prier pour le salut de quelqu'un est un dialogue entre la personne qui prie et Dieu. Je ne suis pas inclus dans ces deux parties. Mais l'objet de cette personne qui prie, c'est bien moi. Il s'ensuit donc que l'amour ne doit pas nécessairement se confondre avec l'objet de l'affection.  
 On peut apprendre beaucoup de choses en rampant hors de la souffrance. C'est très douloureux quand on souffre, mais la douleur prendra fin un jour et la souffrance sera du passé, il y aura un moment où elle sera une chose.
 Je suis libéré de la souffrance, j'ai maintenant la possibilité de prier pour quelqu'un d'autre. Qu'elle soit guérie de sa maladie. Qu'elle soit bientôt libérée de sa souffrance. Je voulais prier pour elle, tout comme quelqu'un a essayé un jour de soulager ma souffrance. J'ai donc monté les marches de pierre et j'ai rassemblé mes mains devant Inari-sama,.
  Inari-sama doit vraiment savoir si ma prière sera exaucée ou non, mais je prie pour qu'il n'y ait aucune garantie qu'il y aura quoi que ce soit en retour, car même si vous priez de tout votre cœur, c'est en Dieu que votre prière sera exaucée, incertaine. Même ainsi, les gens continuent de prier et de se souvenir et essaient de calmer les ondes dans leur cœur, je pense.  
 Aujourd'hui, j'ai pu passer par un anneau de chaume lors de la cérémonie de purification de l'été, j'ai donc pu purger la terre et prier pour une bonne santé.
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