#別所毅彦
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「lightmellowbu presents 90年代シティポップ名曲ランキング」anouta若山セレクトの20曲
http://lightmellowbu.blog.fc2.com/blog-entry-158.html
タツロー/まりやという権威を頂に仰ぐ形(ヤマタツ・ピラミッド)にすっかり見慣れてしまったこの数年の「シティポップ・ランキング」.....これではイカンザキ、とそこに鮮やかな軛を打つべく(?)、今夏に堂々公開された「 lightmellowbu presents 90年代シティポップ名曲ランキング 」。bu員&moreで好き勝手選びそれを集計した形をとったため、その結果は選んだ本人たちが驚くくらいカオスなものとなり(現在も1位の「村井博」は入手困難という...私は何故か持���ていました)、また来年に集計すれば来年に知った盤が幾つか入るような状況であることも間違いなく、これらから導き出せるのは「このランキングは中間報告、あるいはプロセスなので引き続き各々digや理解を進める以外に道はない」という、ある種「修羅の道」のような事実なのでした。来年も再来年も生きなければならない。
というわけで、自分がチョイスした20曲も年内に公開しておくべきであるはずなのでそうします。「90年代」というワードにかなり敏感になりつつ選びました、というのも91年はトレンディですが97年はトレンディではないのだから...94年以降の盤はかなり「おずおずと」ピックアップしているのが透けて見えるはずです。
「90年代シティポップ」という定義は真剣に考えると意外と難しい。例えば80年代に(タイアップのヒット曲である)「RIDE ON TIME」をチョイスするかの如く、「hello,my friend」「ラブストーリーは突然に」を選ぶのはアリなのか?ASKAやミスチルの「シティ感のある楽曲」の扱いは?等々。それらを選ばない理由があるとすれば「J-POPだから」という感覚的な種別がありそうですが、「J」と「CITY」のその感覚的な差がどこにあるのか、自分は経年と共にだんだん忘れていってます。「CITY」と「渋谷」もそう。2020年なりの根拠不明な「踏みとどまり」を、以下のランキングから感じていただけたらまあ面白いのではないでしょうか。
1.君と僕と彼女のこと / 坂本龍一 Feat.高野寛 作詞 大貫妙子 作曲・編曲 坂本龍一 (From Album「Sweet Revenge」1994)
歌詞中の「10年後」というキーワードが象徴するように、 70年代の「都会」80年代の「色彩都市」由来の都市感覚を引き継ぐ楽曲であるという強い思いから1位チョイス。クィアネスがニューヨークの所謂「カッコイイ」イメージを触媒としつつ、新鮮さ(と奥ゆかしさ)をもって綴られているのも90年代ならでは。
2.心から好き / 宮沢りえ 作詞 KIKUJI 作曲 山田直毅 編曲 難波正司 (From Single「心から好き」1992)
奇跡のような出来栄えにアイドル歌謡枠に入れることす��憚られるミッドナイト・アーバン・ジャム。音数少なめの打ち込みに「エロティックな関係」を充分に孕む歌声が乗り、スムース感触を持続させる。伊東たけしのサックスが切り込んでくる瞬間を固唾を呑んで待つ。
3.チャイナ・カフェ / 高橋徹也 作詞・作曲 高橋徹也 編曲 高橋徹也、上田禎 (From Album「夜に生きるもの」1998)
「10年代シティポップ」の20年先取りに聴こえる強曲。タイトなビートにサチモス的深夜不良感を含ませつつも、歌声には東野純直的な「90年代の実直さ」もどこか垣間見え、のっぴきならない。スガ槇原らのようなタレント的な個性が全編さほど現れず、故にどの時代に聴いても瑞々しい。
4.21世紀の恋人 / 谷村有美 作詞 神沢礼江 作曲 柴矢俊彦 編曲 西脇辰弥 (From Single「21世紀の恋人」1991)
ceroのラジオで5年くらい前にかかっていた。子供のころに耳なじんでいた「ふつうの曲」が、時間を超えて「取り戻せない輝き」として聴こえることに驚く。あの頃のブラウン管越しにはまだあった「未来としてのシティ感覚」。
5.湘南ドリーミング / 村田和人 作詞 安藤芳彦 作曲 村田和人 編曲 中村哲 (From Album「空を泳ぐ日」1990)
当時賛否両論あったという「村田×打ち込みアレンジ」だが個人的にはど真ん中、大成功、トレンディ。ジャケのような、デジタル・グラフィックのひとつ前くらいの「絵の中の青空」を感じる。
6.せつなかった日 / 上田まり 作詞・作曲 上田まり 編曲 浅野祥之 (From Album「room」1998)
レココレのシティポップ別冊でその存在を知ったレイト90sレアグルーヴ。ミーシャ宇多田前夜の中間期グルーヴィー楽曲はまだまだ未発見盤が多い。この路線でアルバム1枚統一させていれば…
7.はじまりのkissをして / 長沢有起 作詞 鮎川めぐみ 作曲 熊谷幸子 編曲 松本晃彦 (From Album「kiss and make up」1993)
90年代日本が誇るべき天才作曲家、熊谷幸子。大大傑作のファーストセカンドから1曲というのがどうしても選べず、同時期の提供曲からピックアップ。按摩のようにほぐれてゆくメロディに聴き手はただ身を任せるだけ。
8.What do you want me to do -どうして欲しいの- / 中原めいこ 作詞・作曲 中原めいこ 編曲 中村哲 (From Album「303 EAST 60TH STREET」1990)
まあ80年代の延長ですが...90年代に中原は沈黙してしまうので「すべり込み」とチョイス。チャキチャキしたニューヨーク感覚、ブギーとラテンの狭間をトレンディに縫合していく打ち込みアレンジ。元気。
9.Candy / 具島直子 作詞・作曲 具島直子 編曲 桐ケ谷"bobby"俊博 (From Album「miss G.」1996)
この曲を「シティポップ」と呼んでいいのかかなり長い間ためらいがあったし今でも迷いがあるけど、いい曲だしみんな好きだしと日和ってチョイス。多分真の再評価はあと10年後くらいにやってくる。
10.雨がやまない / SMAP 作詞 久和カノン 作曲 寺田一郎 編曲 長岡成貢 (From Album 「SMAP 007 ~Gold Singer」1995)
BTSの「関係性発露」がSMAPを源流にした意識下にあることは間違いなく、殊に「6人組時代」の上下感の希薄さは彼らにより近い。「ダイナマイト」の次に「Life Goes On」と言うか「セロリ」とくるか、これは好みの問題。
11.キミとボク / 鈴木蘭々 作詞・作曲 EPO 編曲 清水信之 (From Single「キミとボク」1998)
2021年はボサノヴァが来るのでしょうか。誰よりも「痛み」を分かるシンガー、EPOが90年代の内外状態と向き合って静かに放った(提供した)赦しのラブソング。ゲイを救う歌詞とも思う。
12.Everlasting Love / 麗美 作詞・作曲 堀川麗美 編曲 堀川麗美、萩田光雄 (From Album「夢はおいてませんか?」1991)
あまりにも出来がいい、どこを切ってもザッツ91年なブラコン・ミディアム。これをやりたいという確かな意思を感じる。もし麗美に「ユーミン時代」が無かったら、却って現在の評価は高かったのではないだろうか…
13.抱きしめたい / 米米CLUB 作詞・作曲 米米CLUB 編曲 中崎英也 (From Album「Phi」1993)
米米やドリをシティポップと言っていいのか...しかしこの曲は良い。カップスープのCM曲だったこともあって「トレンディ生活」モードが幼年の記憶と共に刻まれていて、なしくずし的にチョイス。
14.私達を信じていて / Cindy 作詞 康珍化 作曲 Cindy、鳴海寛 編曲 鳴海寛 (From Album「ANGEL TOUCH」1990)
この曲も「トレンディ生活」な温度極まりない(温度極まりない?)マイフェバリット。アゲすぎない上品さは同時期の中山美穂(Cindy、鳴海共にクレジット)��もすごく相性が良く、こちら���サブスクで必ず聴くこと。
15.RAIN DOLPHIN / 有賀啓雄 作詞・作曲・編曲 有賀啓雄 (From Album「umbrella」1992)
「雨が降る、テンテケンテケン」の出だしがすべてとも言えそうなレイニー・モワレ・おセンチミディアム。この感じをより色気方向に結びつけた藤井フミヤ「わらの犬」(有賀編曲)も入れたかった。
16.ヴィーナス / Original Love 作詞 木原龍太郎 作曲 田島貴男 編曲 オリジナル・ラヴ (From Album「結晶 SOUL LIBERATION」1992)
昔彼らを「ジナラヴ」と略すとTVでやっていて中学くらいまではそう呼んでいた。「クイズ!年の差なんて」で「ミスチルとは何の略でしょう」という問題が出たとき、加藤茶は「日本のスープ※」と答えていた。
17.COOL WATER / 浜本沙良 作詞 夏野芹子 作曲 山口美央子 編曲 有賀啓雄 (From Album「Truth of Lies」1995)
フォーライフから何か1枚入れなければ、とbuのthaithefishさんフェバリットを。アルバムの1曲目が中原めいこ調ラテン・ポップスでこれが2曲目というのが面白いのですが、いつもこっちから聴いてしまう。
18.Love Popsy Love / いしだ壱成 作詞・作曲 いしだ壱成 編曲 中村哲、いしだ壱成、迫田到 (From Album「Simple Thing」1994)
何気に中村哲アレンジ3曲目。全然意識はしてませんでしたが…このアルバムはカトーマサカーで〆にかけるくらいに好きです。詳しくはトレ歌ブ第23回をご覧下さい。
19.新しい風 / 岩下清香 作詞 福士久美子 作曲 片寄明人、堀江博久 編曲 井上富雄 (From Album「眠らせないで」1996)
90年代シティポップ、と言った時にまず頭に浮かんだのは実はこの曲だった。buのinudogmaskさんミックス「Soul, Female, Mellow, Yellow」や片寄明人のシティポ始祖鳥的オムニバス「Mellow Best of J-AOR」に収録。
20.夏のおわり、近づいた空 / GWINKO 作詞 大山潤子 作曲・編曲 柿崎洋一郎 (From Album「I'M IN」1990)
この曲をサンプリングしたフューチャーファンクありましたよね(何だっけ…?)NJSとシティポップの結節点的な重要曲なので、今後もっと「名曲」扱いしてオムニバス等に収録してほしい。
※「ミスチル」と「みそ汁」をかけた
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2020年5月8日午後4時50分ごろ、中国海警局所属の巡視船4隻がわが国の領海に侵入したと、海上保安庁第11管区海上保安本部(那覇)が翌9日に発表しました。
そしてそのうち2隻が、沖縄県八重山郡、尖閣列島所在の魚釣島の西南西約6・5海里において操業中の与那国町漁協所属の漁船(9・7トン)に接近した後、移動する漁船を追尾したと説明しました。中国の巡視船は約2時間後にいったん退去したものの、翌9日午後6時ごろに再びわが国領海に侵入し、10日午後8時20分ごろまでの約26時間にわたり、居座り続けました。
このような行為は、単に領海を侵犯して、わが国の漁船に危害を加えることだけが目的ではありません。わが国の領域内で警察権を行使しようと試みる、かなり悪質な主権侵害行為で、言うまでもなく重大な国際法違反です。
日本政府は11日、外交ルートを通じて厳重に抗議を行ったと発表した上で、菅義偉(よしひで)官房長官は「新型コロナウイルス感染症の拡大防止に向け(中略)中国側の前向きな対応を強く求めていきたい」と述べるにとどまりました。
それに対して中国の報道官は、わが国の巡視船が違法な妨害を行ったと非難し「日本は尖閣諸島の問題において新たな騒ぎを起こさないよう希望する」と述べ、責任を日本側に転嫁しました。その上で「中日両国は力を集中して感染症と戦うべきだ」と発言しています。
この両者の言い分を第三国の人が聞けば、どう思うでしょうか。単に「厳重な抗議を行った」と間接的に発表するわが国に対して、中国は具体的にわが国が違法な妨害行為をしたと直接的に非難し、さらに新たな騒ぎを起こすなと盗っ人たけだけしいセリフを吐いています。しかし、世界の人々の大半は、尖閣諸島の存在やその経緯など知りません。
それらの人々が今回行われた日中両政府の発表を見れば、よくて五分五分、客観的には中国の方が正しいと思うのではないでしょうか。なぜ、わが国は記者会見において、堂々と中国を非難できないのでしょうか。これは今に始まったことではなく、中国が突然尖閣諸島の領有権を主張してから今に至るまで続いています。
わが国の政府は、尖閣諸島に関して中国が何をしてきても「わが国固有の領土」という呪文を唱えるだけで、国外だけでなく国内に対しても、自国の立場を広報することを怠ってきました。
この問題に限らず、わが国の対外発信���力が低いことは今回のウイルス対策を見ても分かるように、現政権でも変わりません。このままでは中国のプロパガンダによって、日本がかつてのように悪者にされかねません。まずは内閣府に国内外向けた広報を専門とする部署を設け、諸外国並みに発信力のある報道官がわが国の立場を伝え、官房長官は実務に専念すべきです。
ここで、日本政府のPR不足を補うために、次の年表で尖閣諸島の歴史をおさらいしておきましょう。
私も年表を作成していて嫌になったほどですから、読まれた方も不快な思いをされたかと思いますが、こちらに記されている出来事は紛れもない事実です。こうして時系列に並べてみると、中国の明確な侵略の意図が読み取れるかと思います。
今回の事件に関し、与那国町議会では県や国に警戒監視体制強化と安全操業を求める意見書を5月11日に全会一致で可決しています。さらに15日には石垣市議会も抗議決議を全会一致で可決しています。ですが、地元紙の八重山日報など少数のメディアしか、このことを報じていません。
わが国の主権が侵害され、地元の議会が怒りの声を上げているにもかかわらず、大手メディアが報じないのは大問題です。マスコミの報道以外に情報源を持たない多くの人たちにとっては、報じられないことはなかったことと同じで、事件そのものも、マスコミが報じないことも知らないままです。
中国の侵略行為に直面し、一番被害を受けている漁師の声を、国や県、マスコミ、日頃は弱者に寄り添うふりをしている人たちは誰も取り上げません。こんな理不尽なことが許されてよいのかと憤りを感じます。
私は、中国が尖閣周辺に巡視船を配備するのは大きく分けて二つの理由があると思います。一つは国際社会への実効支配アピールで、巡視船が撮影した映像を利用するなどしてプロパガンダを繰り広げること。もう一つは、わが国の反応をうかがう威力偵察のようなものです。
改めて年表を見ると、中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めて以来、国内法の整備や実力行使を徐々にレベルアップさせているのに対し、わが国は防戦一方の感があります。なお、中国で最初に国有化を主張した周恩来元首相は、尖閣諸島の領有権を主張し始めた理由として「国連の調査により、周辺海域に油田があることを知ったから」と述べています。
具体的な行動を起こし、報道を通じて自分たちの意思を表明する中国は、日本国内の世論を注視しています。そして、世論が弱いと見るや強い手段に出て、強いと見るや対応を緩和することで、じわじわと侵略のペースを進めてきています。
2012年にわが国が尖閣諸島の三つの島を��有化すると、中国は大騒ぎして哨戒艦による領海侵犯を常態化させました。ですが、本当は彼らこそ、その20年も前の1992年に国内法で尖閣諸島の領有を明記、つまり国有化を表明しているのです。
92年当時の日本政府はこのような重大な主権侵害を問題にしなかったばかりか、マスコミも大きく報じなかったため、多くの国民がこれを知らないまま約30年が経過してしまいました。
そして日本が尖閣諸島を国有化した12年当時、92年の国有化表明について知っている人間が少なくなっていたせいもあってか、一部の人を除いて、誰もこのことを指摘しませんでした。さらに当時の野田佳彦政権は反論するどころか、国有化直前に北京に特使を派遣してお伺いを立てるありさまでした。
日本の国有化発表後、わが国のマスコミは連日のように、中国での官製反日デモの映像を背景に北京の代弁者のようなコメンテーターたちを使いました。そして「当時の石原慎太郎東京都知事が買い取り宣言したのが原因だ」と事実に反したコメントをさせ、まるで日本が悪いことをしたかのように報じ続けたのです。こうして日本の反中世論を封じた結果、日本国民による中国バッシングが起こらず、今日の事態を招いています。
これと同様のことが、現在のウイルス禍においても行われています。わが国のマスコミの大半は本来の原因者である中国を非難せず、自国の政府を一方的に叩き、マスコミの情報だけを見聞きしていると、いつの間にか中国ではなく日本が悪者になってしまったような印象を受けます。このままでは、日本国内において中国に対する非難の声を上げることは難しくなるでしょう。
いまさら言っても仕方のないことですが、92年当時の日中の国力の差に鑑みれば、彼らが国有化したことを理由に本格的な灯台の建設を行い、ヘリポートを復活させて公務員を常駐させるなどしていれば、今日のような事態になることはありませんでした。日本政府は公式発言として否定していますが、実際は鄧小平氏の棚上げ論にだまされ、彼らが国力をつけるまでの時間稼ぎをさせられただけでなく、政府開発援助(ODA)などにより官民挙げて技術や資金援助も行ったのです。
結果、今や空母を保有するほどの海軍を育て上げてしまった揚げ句、その見返りとして自国の領土領海を脅かされているのです。棚上げ論と言えば聞こえはよいですが、要は結論の先延ばし、嫌なことから逃げるだけのことです。嫌なことは借金と同じで、先送りにするにつれて利息が膨らみ続けるように、問題はより大きく、解決は一層困難になるのです。
中国が場当たり的ではなく、計画性を持ちながら一貫してわが国の領土を侵略しようとしていることは、共同通信の記事(2019年12月30日付)からも読み取れます。記事によると、東シナ海を管轄する海監東海総隊の副総隊長が、中国公船が初めてわが国の領海を侵犯した08年12月8日の出来事を「日本の実効支配打破を目的に、06年から準備していた」と証言しています。
この証言の意味は、1978年4月に中国の武装漁船百数十隻が尖閣諸島海域に領海侵犯したときから今日に至るまで、中国指導部による計画された侵略行為が行われ続けているということです。
間抜けなのは、日本の政官財マスコミがその間、せっせと彼らに技術や資金の支援を行うだけでなく、日中友好とばかりにほほ笑んでくる相手を疑うこともせずにこぞって友好的態度をとり続けてきたことです。一方、彼らは嘘で塗り固めた反日教育を徹底的に行ってきたというおまけ付きで、こんな間抜けな話はめったにあるものではなく、日本政府、特に外務省にお勤めであった方々には猛省していただきたいものです。
かように中国は一貫してわが国の領土を狙っているというのに、いまだに中国を擁護する人々が政官財やマスコミに少なくないのは底知れぬ闇を見るようです。
「中国が意図的に侵略している」というのは周知の事実です。しかし、共同通信の記事を通じ、中国側が当時の高官にあえてインタビューという形で発表させた理由について考えてみると、一つの仮説が浮かびます。あくまで私の臆測ですが、このインタビューは中国指導部が尖閣侵略のレベルをワンステップ上げるための観測気球ではないかということです。
こう言うと、インタビュー記事の4カ月後には、習近平国家主席の国賓訪日が予定されていたので、「中国側がそんなことをするはずがない」という声も聞こえてきそうです。しかし、それに対する反論として、2010年にわが国で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の直前に起こった出来事を挙げたいと思います。
同年9月7日、尖閣諸島沖のわが国領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に故意に体当たりする事件が発生し、海上保安庁は漁船の船長を逮捕しました。
一方、中国は国内にいる日本人を拘束し、レアアース禁輸などの手段でわが国に圧力をかけた結果、日本政府は同船長を処分保留で釈放しました。実質的には無罪放免です。
法と証拠に基づけば、容疑者を釈放する理由など一つも無いのに、なぜそれが行われたのでしょうか。後に政府高官が自民党の丸山和也参院議員(当時)に語ったところによると「起訴すればAPECが吹っ飛ぶ」、つまり当時の胡錦濤国家主席が来なくなるというものでした。この成功体験により、彼らは国家主席の訪問が日本に対して強力な外交カードとなることを学んだのではないでしょうか。
事実、今回の新型コロナの感染拡大の際においても、習主席の国賓訪日中止が発表されるまで中国全土からの入国制限を行わないなど、日本政府は公��に認めてはいませんが、中国に対する過剰な配慮が感じられました。それは国賓訪日を成功させたいという思惑以外には考えられません。
もし今回の新型コロナ騒動がなければ、共同通信の記事に無反応な日本の世論を見て、中国は今回の領海侵犯よりも一層大きな仕掛けをしてきたかもしれません。
仮にそうした状況が発生した際、中国は日本の対応次第で「春節中、訪日旅行を禁止する」「国家主席は日本に行かない」などと言うかもしれません。そのとき、わが国が毅然(きぜん)とした対応が取れたのかというと怪しいものです。
ただ、中国が口だけではなく実際の行動に移した今、彼らが尖閣侵略のレベルを上げたことに疑いの余地はありません。
問題なのは、自覚のあるなしを問わず、彼らのプロパガンダにわが国のマスコミが加担していることです。彼らは中国のプロパガンダを報じる一方で、一部メディアを除き中国の度重なる領海侵犯を報じません。
国民が関心を持たないから報じないのか、マスコミが報じないから国民が関心を持たないのか、因果の順序は分かりません。ですが今や日本国民は、12年12月に杜文竜大佐が言ったように「中国の領海侵犯に慣れてしまった」感があります。
中国はそれを感じ取り、米中経済戦争でにっちもさっちもいかなくなった状況を打破しようと日本に助けを乞う前段として、今回の領海侵犯事件を仕掛けてきたのかもしれません。
いずれにせよ、われわれ日本人は、千年恨む隣国かの隣国と違い忘れやすい民族です。北朝鮮による日本人拉致問題にしても、02年の小泉純一郎首相の訪朝後はあれほど盛り上がったのにもかかわらず、現在はどうでしょうか。今やマスコミで取り上げられるのは、家族が亡くなられたときだけです。
尖閣の問題にしても、東京都が買い取り資金を募ったときにかなりの金額が集まったにもかかわらず、今はその募金の使い道を論ずることすらしません。今回の事件も大して騒がずにスルーしてしまえば、彼らはますます図に乗ることでしょう。
それでも、ほとんどのマスコミは沈黙し続け、国会で取り上げられることもありません。あまり知られていませんが、今年3月30日には鹿児島県屋久島の西約650キロにある東シナ海の公海上で、海上自衛隊の護衛艦と中国漁船が衝突する事件が起きています。
本件もこの事件のように、多くの国民が知らないまま、うやむやな形(自衛隊に対しては形式通りの捜査は行われているでしょうが、中国漁船に対しては恐らく何もしていないと思われます)で終わりかねません。せめて政府は海上保安庁が撮影した動画を公表するなり、あの海域で何が起こっているのかを国民に知らせるべきです。
今回の件で問題なのは「中国の哨戒艦が漁船を追尾したということ」、そして「わが国の領海に中国の巡視船が26時間も居座ったということ」です。漁船の追尾に関しては詳細が分かりませんので省きますが、昔ならいざ知らず、21世紀にもなって他国の領海で26時間も武装巡視船が居座って領有権を主張するなど、私は寡聞にして知りません。
仮にあったとすれば、それは既に武力衝突のレベルです。では、何ゆえに今回そのような事態が起こったのかというと、中国側から見て「わが国が何もし��いから」です。おそらく現場の海保の巡視船は、無線や拡声器、電光掲示板などで領海からの退去を要請したと思います。しかし、ただ「待て」と言われて、素直に待つ泥棒がいないのと同じで、彼らは何の痛痒(つうよう)も感じなかったことでしょう。
他国であれば警告射撃してもおかしくないのですが、わが国は憲法により武力による威嚇すら禁じられています。ですから、厳格に法令を順守すれば、相手が国家機関である今回の場合、それも適いません。外交ルートによる抗議も同様に、何らかの制裁を伴わなければ単に抗議したという記録を残すだけで、何の効力も生じません。
何しろ相手は国際常設仲裁裁判所の判決を「ただの紙切れだ」と言って無視する国です。今回は滞在したのが26時間だったからよいようなものの、もし365日、彼らが領海に居座ればどうなるでしょうか。
その場合、尖閣の領有権をあきらめるか、物理的に排除するかの2択しかありません。一部の人は「話し合えば分かる」などと言いますが、相手は何十年もの先を見据えて計画的に侵略しに来ています。その相手が乗ってくる話となると、わが国が大幅に譲歩するような場合だけです。そもそも元々存在しない「領土問題」をわが国が話し合う理由がありません。
さらに問題は、多くの国民がこの事実を知らない、もしくは薄々感じていても認めたくないので見て見ぬふりをしていることです。マスコミも、一部の専門家以外は警鐘を鳴らす人はおりません。国権の最高機関に至ってはここ数年茶番劇が続き、いたずらに時間を浪費するだけでこの問題に対して議論すらしません。
民主主義国家であるわが国においては、国民世論が盛り上がることが重要です。中国もそれを恐れているからこそ、マスコミに圧力をかけて自分たちに不利な報道をさせないようにしているだけでなく、パンダなどを使うさまざまな方法により、日本国民が中国に好感を持つような工作活動も行っています。そのため、今回のウイルス騒動に関しても、公式声明で中国を非難する政治家はほとんど見受けられず、マスコミの大半も中国責任論を報じません。
それどころかウイルス対策において、欧米と比較して桁違いに被害の少ない結果を出しているわが国の政府を叩いてばかりいます。ですから、他国とは違って、中国に対する訴訟が起こることもありません。さらに会員制交流サイト(SNS)上で中国を非難すれば、差別という話にすり替えられて逆に糾弾されるほどです(一時はユーチューブでも、中国への非難コメントが削除されていると問題になりましたが、後にこれはシステムの不具合とされました)。
このまま私たち日本国民が声を上げなければ、彼らは組み易しと思い、より一層侵略の度合いを上げてくるでしょう。それだけでなく、欧米各国がウイルス問題で対中非難を強める今、自由主義社会の結束を切り崩すために、中国がアメとムチを使ってわが国を取り込みにくることにも警戒が必要です。この期に及んで国家主席の国賓訪日を蒸し返すなど、安易に中国に加担することは現に慎まなければなりません。
1989年の天安門事件後、わが国は世界中から非難を受けていた中国の国際社会復帰を、他国に先駆けて後押ししました。その大失態を再び繰り返してはなりません。
ただ中国に対して、わが国が無為無策であるかというと、そういうわけではありませんので、公平に、ここ最近の日本の動きも紹介しておきましょう。
海上保安庁および警察の動き 16年:石垣島海上保安部に巡視船を増強し、大型巡視船12隻による「尖閣領海警備専従体制」を確立 :宮古島海上保安署を保安部に昇格 19年:宮古海上保安部に小型巡視船9隻からなる「尖閣漁船対応体制」を確立。那覇航空基地に新型ジェット機を3機配備して空からの監視体制を整備 20年:尖閣諸島をはじめとする離島警備にあたるため、沖縄県警に151人の隊員を擁する「国境離島警備隊」を発足
自衛隊における動き
16年:沖縄県与那国島に陸上自衛隊の部隊を新設
19年:海上自衛隊が今後10年規模で12隻の哨戒艦を建造し、哨戒艦部隊を新設していくことを表明
20年:宮古島駐屯地に、地対空および地対艦ミサイル部隊を配備
ただこれらは、いずれも「盾」を増強しているだけで、中国に脅威を与えるまでには至りません。ゆえに彼らは、日本がいくら部隊を増強しようが自分たちのエリアまで攻めてこないことが分かっています。ですから、守りのことは一切考えず、日本が増やした以上に部隊を増強してくると思われます。
実際中国は、今年1月から1万トン級巡視船の建造を始めています。つまり、わが国がこのような対応策をとっている限り、決して中国は侵略の野望を捨て去ることはなく、部隊増強のイタチごっこが続きます。
安倍政権は、現行法上可能な範囲内で懸命にやっているとはいえ、憲法に一言も書かれていない「専守防衛」という言葉に縛られている以上、この現状を打破することは難しいでしょう。
日本には「『矛』がないのか」と問われれば、「ある」と自信をもって答えたいところです。しかし、情けないことに米国頼みが実情です。その米国の動きを見てみると、今年の年初にライアン・マッカーシー陸軍長官が具体的な配備場所には触れなかったものの、中国の脅威に対抗し、次世代の戦争に備えるために太平洋地域で新たな特別部隊を配備する計画を明らかにしました。
4月にはフィリップ・デービッドソンインド太平洋軍司令官が、沖縄から台湾、フィリピンを結ぶ、いわゆる第1列島線への部隊増強を国防総省に訴えていることが明らかになるなど、対中戦略の見直しを実行に移し始めています。
特筆すべきは米太平洋空軍が、4月29日に行われた諸外国とのテレビ会談で台湾を加えたことです。この会議は中国周辺19カ国の空軍参謀総長や指揮官を集め、新型コロナウイルスの感染状況や対応について意見交換を行いました。
台湾軍関係者は会議後のインタビューで、これまでも米国とのテレビ会議や軍事交流を実施してきたことを明らかにしています。これらの動きを見る限り、今のところ米国は中国に一歩も引かない構えであると言ってもよいでしょう。
しかし、ここで強調しておくべきは、当たり前のことですが米国は日本を守るために戦うのではありません。あくまで「自国の国益のために戦う」のであって、自国を守るためであれば「平気で日本を見捨てる」ということです。
仮に、今秋の大統領選で現職のドナルド・トランプ大統領が敗北すれば、方針が大転換されることは容易に予測できます。ゆえに、今後も対中戦略が維持される保障はありません。今回中国が攻勢に出てきたのも、米国の航空母艦が新型コロナによる感染症で航行不能に陥っていることと無縁ではないでしょう。
そのためわが国は、いつ米国に見捨てられても大丈夫なよう、法令的にも物理的にも、迫りくる侵略に備えなければならないのです。
それには憲法改正を含め、国策の大きな転換を図らなければなりませんが、わが国は民主主義国家であるため、それは国民世論の後押しがなければ不可能です。ゆえに、一人でも多くの国民に、わが国の危機的な状況を認識してもらう必要があります。
例えば、海上保安庁の大型巡視船に各マスコミの記者を同乗させた上で、尖閣諸島や竹島、北方領土のほか国境離島の取材をさせて多くの国民に国境を意識させるという方法があります。日本国民に対してわが国の危機的状況を広く周知するだけでなく、日本の正当性と隣国の傍若無人な振る舞いを世界に向けてアピールすることにもつながり、検討してみる価値はあると思います。
今の日本には、国民一人ひとりに領土問題や国防について考えるきっかけを与えていく地道な作業が必要です。しかし、それを日本を敵視する国が手をこまねいて待ってくれるはずもありません。地道な作業は続けていくとして、今すぐにでも実現可能なことも考え、実行するべきです。
中でも一番効果的なのが、かつて自民党が選挙公約で掲げたにもかかわらず、いまだ実現に至っていない次の政策です。
・尖閣諸島への公務員常駐 ・漁業従事者向けの携帯電話基地局の設置 ・付近航行船舶のための、本格的な灯台および気象観測所の設置
これらについて、日本国内で正面切って反対することは難しいでしょう。それに、憲法や法令を改正する必要もありません。さらには外交手段として、台湾に領有権の主張を取り下げてもらうことも検討すべきでしょう。実現はかなり難しいと思いますが、李登輝元総統がおっしゃっていたことを信じれば、漁業面で大幅に譲歩すれば可能性はゼロではありません。
いずれにしても、中国が今回、侵略のレベル��一段上げてきた以上、わが国も悠長なことを言っておくわけにはいきません。それなのに、多くの国民はそのことを理解しておらず、マスコミの扇動に乗って騒ぐ一部の人たちに引きずられ、本来の国難から目をそらすように些末なことで大騒ぎしています。ただ、私たち国民の一人ひとりが声を上げることも大事ですが、最終的に対応するのは政府です。ゆえに、日本政府は中国関係で何かあったときのための体制を整えておくべきです。
もしそれが難しいのであれば、政府は国民をより信頼し、正直に何もできない現状を伝えた上で、具体的な政策を説明して理解を求めるべきです。「国を守るためには、憲法をはじめとする法令を変えなければならない」と政府が持っている資料を使って説明すれば、普通の感覚を持った日本人であれば反対しません。今こそわが国は、政府国民が一体となってウイルス、そして中国の侵略にも立ち向かって行かねばならないのです。
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貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 Ⅳ
マーク・ラムザイヤーの論文は、間違いが異常に多い。読んでいて、いちいちひっかかる。それを逐一指摘していたら、一向に前に進まない。漫才でたとえるなら、次々とボケを連発するため、その都度ツッコミを入れなければならない。これではまるで、すべてを言い間違え、それに訂正を入れるナイツの漫才ではないか(当然、ラムザイヤーが塙、私が土屋である)。
当連載では、昨年に発表された『On the Invention of Identity Polotics : The Buraku Outcast in Japan』の結論を読みながら、本文に分け入り、その内容を検証することにしている。論文は部落の起源から始まり、近代の共同体の特徴、反差別運動の勃興、補助金の略奪、同和対策事業を経た現在の部落の実態へと続く。
これまで部落の起源と近代のムラの特徴を見てきたが、まだ論文の三分の一ほどを消化したに過ぎない。数回で連載を終えるつもりだったのだが、けっこうもたついている。引用文を検証していたら、あまりにも齟齬が多く、看過できなくなったのである。「もうええわ!」とツッコミを入れずに、最後までお付き合い願いたい。
※ ※ ※
1922年(大正11)に全国水平社が結成されるまでに、ラムザイヤーはどうしても触れたい項目があった。米騒動である。ここでも全国の部落民は、目立った行動を見せているという。
<1918年、多くの府県にまたがる部落民は、暴力的な犯罪で耳目を集める。米価は1年で3倍になり、暴力的な群集の先頭には部落民がいた。もしそれ以前に、誰かが部落民と犯罪を結びつけていなかったとしても、1918年に新聞はそれを報じた>
米騒動は、同年7月~9月、米価の暴騰のため、生活難にあえいでいた大衆が、米の廉売を要求して米屋・富豪・警察などを襲撃した事件である。富山県から始まり、全国に波及した。労働者・農民を主力とする未曾有の大民���暴動に発展し、軍隊が鎮圧に出動し、寺内正毅内閣が倒れた(広辞苑)。
ラムザイヤーは、官憲側の資料を使い、解説している。
<検察側は8200人を取調べ、4200人が有罪判決を受けた。不法侵入と放火が猛威を振るい、場合によっては死者が出たにもかかわらず、裁判官は比較的寛大な刑罰を与えた。死刑判決はなく、3件の無期懲役があっただけだった>
確かに、後に検事によってめとめられた『所謂米騒動事件の研究』(司法省刑事局、1939年)には、そう書いてある。だが、後世の研究では、<第一審では死刑二名、無期懲役一二名、一〇年以上の有期刑五九名>を数えている(『日本史大事典』平凡社、1993年)。少なくとも死刑は確定しているので、平仄に合わない。なぜ、わざわざ80年前の当局の資料だけから引用するのだろうか。
体制側の資料を重宝するラムザイヤーの本領は、ここから発揮される。
<暴徒は商店や倉庫、富豪から略奪し、焼き討ちした。暴動を主導したのは部落民だった。当時のジャーナリストや警察は、部落民をそう位置づけ、現代の研究者たちはその役割を追認している(Takayama 2005,p.66-69)。警察は大阪だけで9300人以上の部落民が米騒動に参加していると報告した。京都、大阪、兵庫、そして奈良の部落民は、平均して30~40%の部落民が参加した(Mitani 1985,p.82)。当時のジャーナリストや警察は、暴徒の中で部落民が最も暴力的であると位置づけた>
米騒動で検事処分を受けた8000人余りのうち、部落出身者はその1割を超える900人弱にのぼる。前掲の『日本史大事典』には、<とくに被差別部落民はねらいうちに検挙され、総人口の二㌫を占めるにすぎない部落民が検事処分者の一〇㌫を超えるという差別裁判を受けた。大審院で死刑を宣告された二名も部落民であった>と記載されている。
”ねらいうち”にされたのか、それともそもそも”暴力的”だったのか? 見る者の視点が問われよう。ラムザイヤーの論文には、部落民が暴力的であった背景については、述べられていない。ただ、それが言いたかっただけなのだろう。
※ ※ ※
ラムザイヤーが断罪するように、果たして当時のジャーナリストや警察は、<暴徒の中で部落民が最も暴力的>だと位置づけたのだろうか?
少なくない部落大衆が、米騒動に参加したのは事実である。当時の内政・治安担当者には、部落民先導説を唱える者がいた。『中央新聞』は「某内務当局談」として、以下の談話を伝えている。『米騒動と被差別部落』(雄山閣、1988年)所収の藤野豊による「米騒動における被差別部落主導論の成立」から引用する。
<最初に起つた富山県の暴動は特種部落民には関係なきも京都、大阪、神戸及び岡山、三重県等に於ける暴動は何れも特殊部落民にて其他の群集は単に是等特殊部落民に雷同したるに過ぎざるが如くである・・・彼等は常に一般の人民より穢多として軽蔑さるヽを憤慨して居れば偶今回の米価暴騰を機として平常の鬱憤勃発して斯かる暴動をやつたのであらうと思はれる>
部落民が中心であったとし、その背景についても述べている。
部落民主導説を唱える者もいれば、それに否定的な官僚や治安担当者もいた。たとえば内務省の天野藤男は、和歌山・熊本・京都・埼玉などで、部落の青年が米騒動の防止に活躍したことを挙げ、部落民が参加したケースでも「普通都会にある良民が不穏な行動をしたのと何の異なる事はない」と喝破している(前掲の藤野論文)。
暴動が起こる際、それなりの社会的背景があるのは、洋の東西、過去現在を問わない。現在よりはるかに差別が厳しかった時代に、仮に部落民が暴動を主導したとして、それに部落外の人々が従っただろうか。
要は京都市内のように、地域によっては部落民が大きな役割を果たしたところもあるが、全国的に見て、一概にそうは言えないということであろう。
ところがこれまでの研究をまったく無視するかのように、ラムザイヤーは<暴動を主導したのは部落民>と断じ、<現代の研究者たちはその役割を追認している>と書いている。
引用した論文中の” Takayama 2005,p.66-69”は、ラムザイヤーが参照すべき資料として挙げた、高山文彦著の『水平記 松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年』(新潮社、2005年)である。ページ数は、米騒動と部落民について叙述されている箇所だ。
ノンフィクション作家の高山は、同書で<米騒動に多数参加したのは、もっとも貧しい生活を強いられた部落民であった>と述べたうえで、ふたりの部落民の死刑判決に関し、次のように書いている。
<これは見せしめのためにおこなわれた判決としか考えようがない。というのも、米騒動に加わった部落民は、これまで露骨な差別を自分たちにおこなってきた豪農や米屋を、焼き討ちや打ち込みといったはげしいやり方で襲撃した。同じ部落内のボス層を襲った者もいる。しかし、なにも部落民だけがそのようなことをしたのではなく、一般農村の小作人が積年の恨みを晴らそうと地主を襲ったり、高利貸しを兼ねる遊郭を焼き討ちしたりしている。部落出身の侠客も、それに加わった。
そうした人びとのエネルギーが、社会主義者と結びついて反体制運動へと盛り上がらぬよう、民衆を分断し騒動の鎮静化をはかろうとの目的で部落民を騒動の首謀者に仕立て、見せしめにたたいておけという判断が政府内にあったものと思われる>
明確に、部落民主導説を否定している。原文の文意を無視し、自論の援軍とするのは、ラムザイヤーの常套手段である。
※ ※ ※
高山は、権力側の部落民主導論に追随したマスコミも批判している。
<たまりにたまった鬱憤を部落民が晴らそうとして暴動にい��ったという政府筋の観測は、ほとんど確信といってよい角度でジャーナリズムにも伝搬した。たとえば『やまと新聞』(八月二十五日)は「京都、神戸、大阪、名古屋等に於ける特種部落人の暴行は、最も凶悪残忍にして、掠奪強姦に及べるもあり、蓋し三百年来彼等が社会的に圧迫されし深刻なる復讐心の手伝えるなるべきも、凶険の度の甚だしきは、彼等特性の然らしむ所に外ならざるべし」と書き、『中外商業日報』(八月二十六日)は「(部落の)住民の中には、生活上の余裕無く、称して細民と云うべきもの亦甚だ多し。殊に牛馬等の屠殺を業とする者少からず。其生活状態の細民にして、屠殺を業とする者は、自然其性質は粗暴に動(やや)もすれば残忍に陥るの弊あり」として、部落民の職業や生活ぶりが彼らに凶暴な性質をあたえ、それによって暴動が引き起こされたのだと断定的にしるした。
こうした論説はジャーナリズムのあるべき姿から程遠く、冷静な分析や取材の労を欠いた差別意識まるだしの悪質な宣伝にすぎなかった。雑誌ジャーナリズムも同じ論調をとり、いかにも米騒動の首謀者は部落民であるかのような記事を連発した>
ここでも部落民主導説を否定し、差別意識に沿ったマスコミを批難している。<現代の研究者たちはその役割を追認している >などとよく書けたものだ。ラムザイヤーこそ、暴徒と呼ぶべきであろう。
※ ※ ※
<京都、大阪、兵庫そして奈良の部落民は、平均して30~40%の部落民が参加した>というラムザイヤーの記述(引用)についても、疑義を呈しておく。
高山の『水平記』と同様に、引用資料として挙げているのは『火の鎖』(三谷秀治、草土文化、1885年)である。同書は、大阪の水平運動の活動家・和島為太郎を描いた小説だ。
該当するページには、<米騒動による検挙者は・・・そのほぼ一割が部落の住民だった。部落の多い京都、大阪、兵庫、奈良などは、三割から四割にのぼった>とある。著者の三谷は”三割から四割”という数字の典拠を記していない。それに三、四割は、検挙された部落民であって、参加者ではない。
ラムザイヤーは、こういった手口をよく使う。賀川豊彦が自著『貧民心理の研究』(警醒社、1920年)��中で、和歌山県の部落民の犯罪は部落外の3倍にのぼると書いている、と引用したが、賀川が引いた原典は書かれていない。賀川がそう書いている、というだけである。これでは、〇〇がそう言っていた、という噂話に等しい。まともな研究者の論文とは、とうてい言えない(そもそも賀川がまともだったのか、という疑問はぬぐえないのだが)。
ちなみに『火の鎖』の著者の三谷は、共産党公認の大阪府議、衆議院議員を長らく務めた。同書では、米騒動において社会改革を求めて闘った部落民を<組織的で機動性に富>み��痛苦の深さと連帯意識の強さを示していた>と褒め称えている。そのエールが、”三割から四割”という根拠なき数字へと押し上げたのだろう。
この数字は、ウィキペディアの「米騒動」の項目にも引用されている(ただし参加者ではなく、刑事処分者)。ハーバード大学教授はそれを見て、誤って引き写したのかもしれない。
※ ※ ※
ラムザイヤーは、米騒動における部落民の横暴を前掲の資料『所謂米騒動事件の研究』(司法省刑事局)を読み込んだうえで、次のようにまとめている。
<基本的に米騒動は抗議ではなく、略奪と強奪が目的だった。暴徒は米の仲買人や商家、富豪をしばしば標的にした。彼らは現金の引き出しや米価の値引きを求め、それに応じない場合は放火をほのめかして脅した。もし攻撃目標が、躊躇もしくは固辞した場合、家中から強奪し、家屋に油をかけて火を放った。観察者がいうところの ” 窃盗団 ” の一味である女子供たちは、暴徒に付き従い、貴重品を持ち去り、暴徒が夜に焼き討ちした翌早朝には、焼け残った貴重品を持ち帰った>
この文章で、ラムザイヤーが引用・参照したのは、前掲資料で計5点(5カ所)。うち騒動の主体が部落民ではないのが3カ所もある。部落に該当するふたつのうちひとつは、<特殊部落民多数を混じたる暴徒>で、部落外も含まれる。
該当する、もうひとつ<神戸市騒擾に対し特殊部落民の参加したる状況>には、以下の記述がある。読みやすいよう句読点を付した。
<元来彼等の特性は、事変に乗じ、窃盗又は恐喝を為すに長ずるも、騒擾の主動者たるか如きは敢て為さゞるが如し。特殊民中或は仲仕と為り、又は鍛冶職工と為りて普通民と相伍する者は、騒擾に当りても亦夫等の者と行動を共にせる者無きに非ず。然れども是極めて少数にして騒擾の為、警察の力及ばざるに乗じ、不正を働きたる者最も多数とす>
部落民は騒擾の主導者とは言えない、部落民で参加した者はきわめて少数と明記している。ラムザイヤーの自論である部落民主導説と、参照した文献の内容が、まったく逆ではないか。
ラムザイヤーは、論文の米騒動の項目を次の文章でしめくくっている。
<暴徒の放火や略奪などの暴力は、全国にまたがった。時には火災現場に到着した消防士が襲われた。福井県では市長と警察署長の家宅が破壊され、警察署は焼き討ちされた。神戸では27ヶ所の鈴木商店の建物が放火された。福岡では暴徒はダイナマイトを投げ、銃で出動した軍隊を蹴散らした。最も大規模な暴動は大阪府で起こった。暴徒はときどき金庫を強奪して2���円を奪取し、建物に火をつけた>
もうおわかりであろう。インパクトがある事件を並べ立ててはいるものの、記述のほとんどが部落とは関係がない。そもそもダイナマイト云々は軍部のデマだし、2万円強奪は私が調べた限りでは、1200円だった。
そうしたいい加減な情報もさることながら、米騒動と部落民をテーマにした項目で、部落民以外の事件を取り上げるのは、倫理的にも学術的にも問題である。
ラムザイヤーは、なにか部落に恨みでもあるのだろうか。いちど本人に、直接といただしてみたい。<2020・6・29>
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[川崎市]12月2日のヘイト集会に関する公的施設利用の不許可について[要請]
『ヘイトスピーチを許さない かわさき市民ネットワーク』では11月19日、川崎市に人種差別撤廃条例制定を求める署名4万493筆を届けるとともに、12月2日に教育文化会館を利用して告知されているヘイト集会を不許可とすることを、川崎市長あてに申し入れました。要請の内容は以下のとおりです。
-------------------------- 2018年11月19日 川崎市長・福田紀彦様
12月2日の日本第一党らのヘイト集会に関する公的施設利用の不許可について〔要請〕
川崎市民の尊厳と安全を守るために日々ご尽力いただいていることに心から敬意を表します。 さて、ヘイトスピーチを繰り返している日本第一党は、またしても12月2日に川崎市教育文化会館で川崎市の人権条例制定に反対するための集会を告知しました。主催は「川崎市ヘイトスピーチを考える会」(代表・佐久間吾一、副代表は日本第一党最高顧問の瀬戸弘幸)による勉強会と称しても、参加者と、そこでヘイトスピーチが繰り返され、在日コリアン等への民族差別の助長と扇動が行われることは、この間の活動を振り返ってみれば容易に予想できます。
2018年6月3日、日本第一党の瀬戸弘幸らは、川崎市の公的施設である教育文化会館で集会を開催しようとしましたが、市民の抗議で集会は中止になりました。しかし、会場周辺に駆け付けた抗議する市民に対して、会場〔会館内〕から「ウジ虫、ゴキブリ」、「日本から出て行け!」というヘイトスピーチを行いました。6月19日川崎市長も定例記者会見で「不当な差別的言動に当る可能性のある発言が起きていたのを確認した。極めて不適切な発言」があったと見解を示され、6月26日、市民文化局長も同様に、議会答弁で「不適切な発言と認識している。今後申請があった場合、ガイドラインに則り、施設使用可否の判断材料の一つとして総合的に判断する」と発言されました。また、当日は、川崎青年会議所が子ども向けのイベントを開催する予定でしたが、子どもたちに脅迫や侮辱する発言を聞かせたくないと、主催者は会場変更を余儀なくさせられました。
そして、この直後の6月6日から、市内29か所50件の「朝鮮人こそレイシスト」、「朝鮮人こそ反日ヘイト」などという差別落書きが確認されました(6月22日市の報道発表資料)。川崎市が多文化・多民族共生を推進する川崎市ふれあい館にも「朝鮮人は朝鮮に帰れ!」という脅迫電話がありました。これらは、6月3日の集会が中止に追い込まれた彼らの「報復」であることが推測できます。
8月14日には、日本第一党��よる川崎駅前ヘイト街宣が行われ、「暴れるな!朝鮮人」の横断幕が掲示され、「反日朝鮮人」、「殺すぞ」などのヘイトスピーチがありました。8月21日川崎市長は定例記者会見で「不適切な文言で傷つけられた市民もいると思う」、「日本第一党の公的施設の使用申請があった場合、可否を検討する判断材料になる」と発言されました。
10月7日にも日本第一党は川崎駅前でヘイト街宣を行い、「外追」(外国人を追放せよ)の幟(のぼり)掲げ、最高顧問の瀬戸弘幸も参加しておりました。この1年間の彼らの活動を見ても ◆日本第一党はヘイトスピーチを繰り返してきたこと ◆ヘイト解消法や、それに基づく川崎市の条例化の阻止を当面の活動目標としている ◆6月3日の集会は迷惑要件にも差別的言動要件にも抵触した、ことが明らかです。
特に、瀬戸弘幸は、本年3月の相模原の日本第一党の講演会で、ヘイトスピーチを禁止する条例をつくる人たちを「木からつるす」と発言した党首の桜井誠とともに全国で行動してきた人物です。上記の彼らの活動を振り返ると、ヘイトスピーチが行われる蓋然性は極めて高いといえます。 また、多くの市民が会場周辺に抗議行動に駆け付けることを考えると、他の会館利用者に不利益を及ぼすことが予想されます。
警視庁の統計では「右派系市民グループのデモ件数は、ヘイトスピーチ解消法施行後の2017年11月から2018年10月までの1年間で、約40件のデモ実施回数を数えています(移住者と連帯する全国ネットワーク省庁交渉提供資料)。法を制定してもヘイトスピーチは根絶できていません。 今、求められるのは、「差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する」〔人種差別撤廃条約第4条〕ことです。川崎市は、自ら策定したガイドラインを適正に運用し、人権施策推進協議会の「ヘイトスピーチ部会」に施設利用許可の適否を諮問してください。そして、利用許可を取消すことによって、ヘイトスピーチから市民の尊厳と安全を守るという毅然とした態度を示してください。
ヘイトスピーチを許さない かわさき市民ネットワーク 代表・関田寛雄
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《メディアが向かうべきは、開催ありきの政府やIOCの特殊な利害、権益ではなく、市民の命や健康、真実や知る権利のための本来の五輪報道であり、中止をはじめ五輪の抱える問題点を毅然(きぜん)と伝えることが市民の信頼につながる。》…👍👍👍👍
テレビ時評 早稲田大学非常勤講師 元上智大学教授 田島泰彦 五輪報道 政権の情報操作 2021年7月13日【政治総合】
五輪開催が迫るなか、先週8日、政府は東京都に4度目の緊急事態宣言を12日から発令すると決定し、政府と大会組織委員会、東京都、国際オリンピック委員会(IOC)などによる5者協議は4都県での無観客での五輪とする旨決めた。第5波の感染拡大が広がるなかでの五輪開催の強行は感染抑止を掲げる緊急事態宣言と真逆の方向に他ならず、「人間の尊厳」や「平和な社会」を目指すオリンピックの根本原則(オリンピック憲章)にも反する。メディアの関わりという観点からいくつかの論点を検討してみる。
□ ■
焦点をずらす 東京五輪をめぐる本質的な論点は、今開催すべきなのか、それとも中止ないし延期すべきなのかという問題であり、その象徴は「今の状況で(五輪を)やるというのは、普通はない」との政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長の国会での発言であり(6月2日)、各種世論調査でも7割、6割の国民が中止、延期を支持してきた。こうした世論もにらみながら、5月から6月はじめくらいまでの時期、メディアでも例えば、信濃毎日や朝日などの新聞が正面から中止を社説で提示したことをはじめ、中止を求める意見や主張が広がっていった。
にもかかわらず、あくまでも開催にこだわる菅政権はさまざまな策力を弄(ろう)して中止の阻止に動いた。一つは、G7(主要7カ国)首脳会議(6月13日)の利用で、共同宣言に東京五輪開催への支持表明を書き込むことに成功し、菅首相は全首脳から支持を得た旨述べた。もう一つは、政府の分科会の尾身会長ら専門家有志提言について、当初含んでいた「中止」の文言を避けるべく公表時期を引き延ばさせ(週刊ポスト7月9日号)、結局、有志の側も同月18日公表された提言から、サミットで開催が国際公約になったとの理由で中止の文言を削除することにした。6月21日、5者協議で上限1万人の有観客開催が決定した。こうして、問題の焦点が中止如何(いかん)から観客の有無にずらされる大きな流れが人為的に介入、操作され、形成されたと考えるべきだろう。
□ ■
客観的観点で 報道機関やメディアはこうした人為的、意識的な情報操作にこそ立ち向かい、真実を伝え、権力を監視する必要がある。ところが、例えば、G7での東京五輪に関する共同宣言や全首脳からの支持をメディアは無批判に、大きく伝え、東京五輪が国際公約となったかの印象を広めることによって開催の正当化に手を貸してしまった。実際上、宣言では、五輪関連箇所は結語の末尾の数行足らず付け加えられているにすぎず、英文のサマリー文には記載もなく、個別会談では独英の首脳からの言質すら取れなかった代物で(日刊ゲンダイDIGITAL6月15日)、誇大で不正確な報道そのものだ。
こうして、メディアの中からも五輪中止を求める活発な議論が急速に失われつつあるのがこの国の現実である。東京五輪をなぜ市民の立場から批判的に伝えられないのかの重大な理由・背景のいくつかは、5月9日の本欄でも記したように、すべての全国紙が東京五輪のスポンサーに加わっており、またNHKも含む放送局がオリンピックのための放送権料をIOCと契約していることに加えて、大会組織委員会設置のメディア委員会には主要な新聞社、放送局、通信社、メディア業界が総ぞろいしているなど、五輪開催に深く、構造的に組み込まれているからである。メディアはこれを痛切に自覚、反省、克服し、オリンピックから距離を置き、独立客観的で批判的な観点から報道すべきである。
メディアが向かうべきは、開催ありきの政府やIOCの特殊な利害、権益ではなく、市民の命や健康、真実や知る権利のための本来の五輪報道であり、中止をはじめ五輪の抱える問題点を毅然(きぜん)と伝えることが市民の信頼につながる。
(たじま・やすひこ)
(しんぶん赤旗、2021年7月13日)
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『婚外恋愛に似たもの』連続ドラマ化
※このブログの文章はドラマの公式見解ではなく原作者の私見なので ネットのまとめやニュースの記事などに一部および全部を使用しないでください。 また、スノーホワイツ五人のキャスティングは後日発表となりますが、 混乱を避けるためにこれ↓だけはここに書いて良いと宣伝さんに許可を取りました。 スノーホワイツ役は、○ャニーズ事務所のタレントさんではありません。
*** 特設サイト↓ キラキラで可愛い!! 嬉しい!! https://pc.video.dmkt-sp.jp/ft/s0007035 インターネット動画配信サービス「dTV」のオリジナルドラマになります。 監督は新城毅彦さん他、脚本は西荻弓絵さん他、女優陣は以下のとおりです。 桜井:栗山千明(主演) 隅谷:平井理央 山田:安達祐実 益子:江口のりこ 片岡:富山えり子 敬称略 原作に対して布陣が豪華すぎて私いよいよ死ぬかもしれないってマジで思った。 栗山さんありがとうございます。想像するだけで最高です。もう期待しかないです。 平井さんありがとうございます。最高の雅さんになること間違いないです。 ドラマ「海月姫」をご覧になってた方。 ノムさんとニーシャと千絵子さんが「同じジャンルのヲタ友」役です。うわおー 安達さんは「花宵道中」の朝霧(吉原の遊女)→男性アイドルのファン 江口さんは「校閲ガール」の藤岩(東大卒の校閲社員)→男性アイドルのファン おふたりは私原作の映像作品に出ていただくのが二度目です。ありがとうございます。 そして私の中で富山さんは永遠に遠藤(ごめんね青春!の)なんですが、 原作を読むたび自分とオーバーラップさせて泣いちゃう溺愛キャラが片岡なので、 観てくれた誰かの中で富山さんが永遠に片岡になってくれるといいな。
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* このドラマ化で初めて宮木あや子を知ったはじめましてのマスコミの方へ
はじめましてこんにちは。 ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」の原作の小説を書いた人です。 著者の名前も憶えてもらいたいので、この機会に憶えて帰ってください。 原作を書いた小説家の名前は「宮木(みやぎ)あや子」です。 今回のドラマ原作は『婚外恋愛に似たもの』という同名小説です。 35歳の五人の女性が五人組のアイドル「スノーホワイツ」を応援するう���に 仲良くなったりする過程や、彼女たちを取り巻く仕事や家族などを描く群像劇です。
原作者について ペンネーム:宮木(みやぎ)あや子 1976年生まれ、神奈川出身、大卒、既婚、子供なし 2006年に第五回「女による女のためのR-18文学賞」を「花宵道中」で受賞 特別な依頼がない限りはいつも「女性向けの小説」を書いているつもりです。 著作一覧↓ https://amiya3.tumblr.com/post/122383803412/ 現在新潮社の電子書籍雑誌yom yomにて爽やか青春小説「手のひらの楽園」を連載中。 ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、いずれも登録していません。 何か情報が必要な場合は出版社にお問い合わせください。今回は光文社です。
原作→https://www.amazon.co.jp/dp/4334768709
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[友の会メール]『ゲンロン8 ゲームの時代』絶賛予約受付中! 渾身の大型特集が話題沸騰!
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[友の会メールvol.297] 『ゲンロン8 ゲームの時代』絶賛予約受付中! 渾身の大型特集が話題沸騰!
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募集締切は5/31(木)ですが、既に正規受講生のお申し込みは定員の3分の2を超えています! お申し込みはどうかお早めに! http://school.genron.co.jp/critics/
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先週末の5/18(金)は<ゲンロン 大森望 SF創作講座 第2期>の最終講評会として、 「第2回ゲンロンSF新人賞」選考会を行いました! 主任講師の大森望氏が「どれも受賞に値する」と推す高水準の7作品が揃い、 新人賞に加え、次点にあたる「優秀賞」、個人賞として「東浩紀賞」「大森望賞」「山田正紀賞」が発表されました。 結果は以下、
【第2回ゲンロンSF新人賞】トキオ・アマサワ「ラゴス生体都市」 【優秀賞】麦原遼「逆数宇宙 / the Reciprocal Universe」 【東浩紀賞】朱谷十七「七織抄」 【大森望賞】ひらぎの「不在のパゼッション」 【山田正紀賞】高丘哲次「人の世の終わり」 http://school.genron.co.jp/works/sf/2017/subjects/11/
新人賞を受賞した「ラゴス生体都市」は改稿を経て、弊社発行の『ゲンロン』に掲載予定です。 また優秀賞の「逆数宇宙 / the Reciprocal Universe」も、電子書籍として刊行します。
また第1回ゲンロンSF新人賞受賞作、高木刑「ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地」を電子書籍で販売開始しました。 第3期開講記念キャンペーンとして、特別価格108円で販売中です! https://amzn.to/2rOKcUF
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それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/23(水)18:00- 【再放送】法月綸太郎×東浩紀 「ふたたび���解きの世界 ーー名探偵と愛のゆくえ」 (2014/3/14収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312843559
◆5/24(木)13:00- 【再放送】円堂都司昭×山本昭宏 「『終末』と『核』から考える日本文化 ーー『戦後サブカル年代記』と『核と日本人』をめぐって」 (2016/1/26収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312843790
◆5/24(木)18:00- 【5周年リクエスト再放送】石川初×大山顕×三井祐介×東浩紀 「幻冬舎新書版刊行記念トークショー」 【ショッピングモールから考える #6】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv312843966
◆5/25(金)13:00- 【リクエスト再放送】さやわか×速水健朗 「すべてのポップスは賞味期限切れなのか?」 【さやわか式☆現代文化論 #14】 (2015/1/30収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312844106
◆5/25(金)19:00- 【生放送】福冨渉×松下隆志×上田洋子 「タイとロシアの新しい文学 ――ポストモダン以後の言葉とアイデンティティ」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv312844259
◆5/29(火)19:00- 【生放送】坂上秋成×三浦俊彦×村上裕一 「『エンドレスエイトの驚愕』の驚愕」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv313204484
◆5/30(水)19:00- 【生放送】宇野維正×速水健朗×東浩紀 「1998年から2038年へ ーー消費と都市と交通から日本の20年前と20年後を考える」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #7】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv313204758
◆5/31(木)13:00- 【再放送】石戸諭×西田亮介 「18歳からの政治参加入門 ーーインターネットと政治を考える」 (2015/5/14収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv313205569
◆5/31(木)18:00- 【5周年リクエスト再放送】吉田大八×斎藤環×佐々木敦 「三島由紀夫と宇宙人? ――映画『美しい星』公開記念トークイベント」 (2017/6/12収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv313205844
◆6/1(金)13:00- 【再放送】千葉雅也 聞き手=入江哲朗 「勉強、モテ、権威 ーーコミュニケーション論としての『勉強の哲学』」 (2017/7/14収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv313206153
◆6/1(金)18:00- 【再放送】佐藤大×さやわか×東浩紀 「サイバーパンク放談 #2 ーー『ブレードランナー2049』は傑作なのか、あともろもろ」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv313206396
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/23(水)23:59まで 【再放送】井出明×小松理虔×渡邉英徳 「息づく体験、蘇る記憶 ーーダークツーリズムとアーカイブがつなぐ歴史」 (2017/3/28収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312726492
◆5/24(木)23:59まで 【再放送】田根剛×黒瀬陽平×東浩紀 「フランク・ゲーリー・テクノロジーズの衝撃:想像力と3Dモデリング」 (2016/1/29収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312726725
◆5/24(木)23:59まで 【5周年リクエスト再放送】平倉圭×細馬宏通×畠山宗明 「ゴダール、3D、そして運動 ーー映画にとって『深さ』とはなにか?」 (2015/3/29収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312842763
◆5/25(金)23:59まで 【リクエスト再放送】大森望×柳下毅一郎 「2017年海外SFが復活した! ――新訳『すばらしい新世界』『銀河の壺直し』&『J・G・バラード短編全集』刊行記念対談」 (2017/12/23収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312842910
◆5/25(金)23:59まで 【無料生放送】山田正紀×大森望×東浩紀 「第2回 ゲンロンSF新人賞選考会」 【ゲンロン 大森望 SF創作講座 第2期 最終講評会】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv312690446
◆5/26(土)23:59まで 【チャンネル会員限定・生放送】武富健治×さやわか 「読ませるーー着想1」 【ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第2期 #3】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv312688841
◆5/28(月)23:59まで 【リクエスト再放送】茂木健一郎×東浩紀 「2016年晩秋の巻」 【ニッポンの脳 #6】 (2016/11/21収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv312843224
◆5/29(火)23:59まで 【生放送】宮崎哲弥×村山正司 「宮崎哲弥著 『仏教論争──「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)刊行記念イベント」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv312843373
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入できるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】宮台真司×東浩紀 「2016・春の陣」 【ニッポンの展望 #4】 https://vimeo.com/ondemand/genron20160323 (2016/3/23収録)
◆【vimeo】佐藤健太郎×大山顕 「国道は謎だらけ ーー道路を行けば日本が見える?!」 https://vimeo.com/ondemand/genron20170711 (2017/7/11収録)
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://goo.gl/ycdtJe
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆5/25(金)19:00- 福冨渉×松下隆志×上田洋子 「タイとロシアの新しい文学 ──ポストモダン以後の言葉のアイデンティティ」 https://peatix.com/event/378612
◆5/26(土)14:00- 黒瀬陽平×藤城嘘×井戸博章 「おばけやしきをつくろう! ーー第4回 おばけの家をつくる」 【ゲンロンこどもアート教室 #24】 https://peatix.com/event/378535
◆5/29(火)19:00- 坂上秋成×三浦俊彦×村上裕一 「『エンドレスエイトの驚愕』の驚愕」 https://genroncafe20180529.peatix.com/
◆5/30(水)19:00- 宇野維正×速水健朗×東浩紀 「1998年から2038年へ ーー消費と都市と交通から日本の20年前と20年後を考える」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #7】 https://peatix.com/event/378747
★New!★ ◆6/7(木)19:00- 三浦哲哉×北村匡平×渡邉大輔 「映画批評の新たなことばを探る ――『ポスト・シネフィリー』と映画批評の再起動」 https://peatix.com/event/384153
★New!★ ◆6/20(水)19:00- 松下哲也×さやわか×黒瀬陽平 「ゲームから考える美術、そのキャラクター表現 ーー『ゲンロン8 ゲームの時代』関連イベント」 【四天王シリーズ #2】 https://peatix.com/event/384734
◆6/22(金)19:30- 塩崎悠輝×松山洋平 「現代イスラーム思想入門 ーーいま、イスラーム思想はなにを論じているのか?」 https://peatix.com/event/376174
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
開催中の展示
◆5月19日(土)-6月3日(日)15:00〜20:00 山縣良和個展「人・山・人」
5月19日から、ファッションブランド「writtenafterwards」のデザイナー山縣良和さんの展示が開催中です。 今回は昨年庭園美術館のショーでお披露目された、服としての「山」を展示中。 また、五反田アトリエ��らではということで、カオス*ラウンジメンバーの過去発表作からセレクトした作品を展示するインスタレーションも同時に展開しております。
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★『ゲンロン8 ゲームの時代』絶賛予約受付中! 日本ゲーム盛衰史を語りつくす共同討議、充実のゲーム史年表など盛りだくさん! ゲンロンショップで5/28(月)までにご注文いただくと、 東浩紀のサイン入り&書店発売より1週間早くお届けします! https://genron.co.jp/shop/products/detail/160
★『ゲンロン7 ロシア現代思想II』販売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/144 →こちらから試し読みもできます https://issuu.com/genroninfo/docs/genron7issuu/34
★毎日出版文化賞受賞『ゲンロン0 観光客の哲学』販売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/103 →こちらから試し読みもできます https://issuu.com/genroninfo/docs/genron0issuu/36
★友の会第8期入会はこちら! https://genron-tomonokai.com/8th/
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、 友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
◆◇ ゲンロンスクールからのお知らせ ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
★ ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第4期 受講生募集中!
批評再生塾では、毎回、各分野に通じた批評家や、実際に作品を手がけているクリエイターを、ゲスト講師としてお招きします。 各回は講義とワークショップの2部構成になっています。 前半の講義はゲスト講師からのレクチャー。後半のワークショップでは、受講生が事前に提出した課題批評文の優秀作を取り上げ、文章の強度を上げるため実践的な方法論やプレゼンテーションを指導します。
今期からあたらしく「チューター制度」も導入されました。 提出されたすべての課題には、批評再生塾歴代受賞者からなるチューター陣によるコメント指導が行われます。 吉田雅史(第1期総代)、山下研(第2期総代)、渋革まろん(第3期総代)をはじめとする豪華メンバーから、かならずアドバイスを受けることができます。 またこのコメントは全てウェブ上に公開されるため、自分以外へのコメントから学びをえることも可能です。 http://school.genron.co.jp/critics/
5/30(水)に<ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第4期>最終無料説明会を開催します! 主任講師の佐々木敦氏に加え、さやわか氏、津田大介氏が登壇! 説明会の参加費は無料です! 参加希望の方は、下記のPeatixサイトよりご予約ください (あらかじめご予約のない方は、ご入場ができない場合がございます)。 https://peatix.com/event/388022
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報 ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆『日本経済新聞』夕刊「プロムナード」欄に、東浩紀が毎週金曜日にエッセイを連載中です! 最新の第19回は「ソクラテスとポピュリズム」です。 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30458200U8A510C1FBB000/
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が隔週で連載中です! 最新の第33回は「公文書改竄問題の決着は? 忘れてはならない三つのこと」です。 https://dot.asahi.com/aera/2018050900061.html
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜は休業日となっております。 営業時間は、11時-20時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
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株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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三越伊勢丹が組織改編と人事異動を発表 2018/3/29 (THU) 17:00 廣田 悠子 三越伊勢丹ホールディングスは4月1日付の組織改編と人事異動を発表した。 これまでバイヤーなど商品の仕入れを担当する各商品統括部と、セールスマネジャーなど店頭を運営する営業部が組織として別々に存在していたものを、今後は各商品グループ統括部に各基幹店営業部を設置するなど、商販一致体制に変更する。 三越伊勢丹百貨店事業本部特選・宝飾時計MD統括部の統括部長は神林謙一氏が務め、同新宿特選・宝飾時計営業部長に岩月吉則氏、同日本橋・銀座特選・宝飾時計営業部長に城所知亨氏が就任する。百貨店事業本部婦人雑貨MD統括部の統括部長は、榎本亮氏が務め、同新宿婦人雑貨営業部長に大山毅氏、同日本橋婦人雑貨営業部長に伊香敬司氏、同銀座婦人雑貨営業部長に千々波吉太郎氏が就任した。百貨店事業本部婦人・子供・学校法人MD統括部の統括部長は椎野聡氏が務め、同新宿婦人営業部長に熊谷貴利氏、同新宿子供営業部長に猪原智治氏、同日本橋婦人・子供営業部長に長岡良介氏、同銀座婦人・子供営業部長に越智伸之氏、百貨店事業本部紳士・スポーツ・特選MD統括部の新宿紳士・スポーツ営業部長に五十嵐賢氏、同日本橋紳士・スポーツ営業部長に鈴木健彦氏、同銀座紳士営業部長に神山大氏が就任した。 橋爪紀之・三越伊勢丹百貨店事業本部商品統括部特選・宝飾時計統括部特選商品部長が名古屋三越取締役常務執行役員営業本部長兼営業本部営業政策部長に就任する。
三越伊勢丹が組織改編と人事異動を発表│WWD JAPAN
これほど読む気がしない記事も珍しいな。
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10/1コーヒーの日 誕生日/滝川クリステル 神田沙也加 鹿島かんな ジミーカーター 原田伸郎 柏原芳恵 音羽信子 うつみ宮土里 ジュリーアンドリュース 誕生日 1847年 中江兆民(民権運動) 1899年 川口松太郎(小説家・劇作家) 1904年 ウラジミール・ホロビッツ(ピアニスト) 1907年 服部良一(作曲家) 1921年 江戸家猫八(俳優・ものまね) 1922年 別所毅彦(プロ野球) 1924年 乙羽信子(女優) 1924年 ジミー・カーター(第39代アメリカ大統領) 1934年 海老一染之助(芸人) 1935年 ジュリー・アンドリュース(ミュージカル女優) 1943年 うつみ宮土理(タレント) 1943年 浜田光夫(俳優) 1947年 神和住純(テニス) 1951年 原田伸郎(あのねのね・タレント) 1958年 一色彩子(女優) 1958年 中村正人 (ミュージシャン(DREAMS COME TRUE/ベース)) 何度でもーDREAMS COME TRUE https://www.youtube.com/embed/_PRzpqbcc-s?list=PLe5z08M2mgbj3FLoBktYl8x0xJsGIRt51 1963年 マーク・マグワイア(野球選手) 1965年 柏原芳恵(女優) 1972年 山本栄治(アンバランス・タレント) 1972年 小田木隆明(歌手) 1977年 滝川クリステル (アナウンサー(共同テレビ)) 1982年 鹿島かんな(タレント) 1984年 麻尋えりか(麻尋しゅん) (女優(宝塚歌劇[元](88期))) 1985年 RYO (ミュージシャン(ORANGE RANGE/ヴォーカル)) 1986年 神田沙也加(SAYAKA) (歌手,女優,松田聖子・神田正輝の子) アナと雪の女王 (日本語吹替版) https://www.youtube.com/embed/m2DD53t_Ho4 誕生花は 紅い菊、花言葉は“深い愛” 誕生石は オパール、宝石言葉は“幸福を得る” コーヒーの日 全日本コーヒー協会が1983(昭和58)年に制定。 国際コーヒー協会が定めた「コーヒー年度」の始りの日。 コーヒー豆の収穫が終り、新たにコーヒー作りが始る時期である。 法の日 最高裁判所、検察庁、日本弁護士連合会(日��連)の進言により法務省が1960(昭和35)年に制定。 1928(昭和3)年のこの日、陪審法が施行された。 印章の日 全日本印章業組合連合会が制定。 1873(明治6)年のこの日、太政官布告によって公式の書類には実印を押すように定められた。 土地の日 国土庁(現在の国土交通省)が1997(平成9)年に制定。 「十」と「一」を組み合わせると「土」の字になることから。 日本酒の日 全国酒造組合中央会が1978(昭和53)年に、若者の日本酒離れを食い止める為に制定。 新米で酒造りを始めるのが10月で、酒壺を表す「酉」の字は十二支の10番目、さらにかつては「酒造年度」が10月1日から始っていたことから(現在は7月1日から)、何かと酒に関係の深いこの日を、清酒をPRする「日本酒の日」とした。 ネクタイの日(日本ネクタイ組合連合会) 日本ネクタイ組合連合会が1971(昭和46)年に制定。 1884(明治18)年のこの日、小山梅吉が日本で初めてネクタイの製造を始めた。 醤油の日 日本醤油協会など醤油関連団体が2003(平成15)年に制定。 「醤」の文字に、十二支で10月を表す「酉」の字が含まれることから。 都民の日(都庁文化事業課1952) 中国国慶節、 共同募金 衣替え 10月 OCTOBER:ローマ暦のはじめ3月から8番目(octoはラテン語で8)の月。 【異称】神無月 すべての神々が出雲大社に集まるので諸国の神社では「神無し月」。 またこの月は雷がないので「雷無月」が転じて「かんなづき」などの説も。 【誕生石】オパール 【誕生花】ガーベラ、コスモス 【開花】残菊、かえで、カンナ、アネモネ、紅葉 【青果】松茸、さつま芋、柿 【旬魚】さわら、きんめだい、さば 【時候の挨拶】秋冷、紅葉、黄葉、夜長、秋雨、冷気、初霜、渡り鳥、松茸、豊年、新栗、稲刈り 歴史・出来事 1587年 秀吉の北野大茶会。1千人を越す人々が茶道具持参で参加 1600 石田三成、没 1614 大坂冬の陣 1878 初の往復切符、発売 1903 浅草電気館開場(初の映画常設館 1914 初の二科展 1918 森永ミルクチョコレート発売 1920 第一回国勢調査実施 1947 赤い羽根の共同募金開始。第1回の募金額は6億円 1948 警視庁に110番設置 1949 中華人民共和国誕生 1964 時速200kmと当時の世界最高速を持続する東海道新幹線(東京~新大阪) 営業開始 1965 完成乗用車の輸入自由化実施 1967 阪急ブレーブスの初優勝を記念して大阪・梅田の阪急デパートがバーゲンセール。 優勝記念セールの先駆け 1970 国勢調査でわが国の人口が1億人突破 1971 第一銀行と日本勧業銀行が合併。戦後初の銀行大型合併 1972 自動車の若葉マーク、義務化 #パーソナルカラー (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CFxv86EgpzC/?igshid=vgvgufl21bjm
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5年前、兵庫県淡路島の洲本市で近所の住民5人をナイフで刺して殺害した罪に問われた45歳の男について、2審の大阪高等裁判所は「責任能力が著しく低下した心神耗弱の状態だった」と判断して1審の死刑判決を取り消し、無期懲役を言い渡しました。裁判員裁判で言い渡された死刑判決が取り消されたのは7件目で、いずれも無期懲役が言い渡されています。
兵庫県洲本市の平野達彦被告(45)は平成27年3月、自宅近くに住んでいた二家族の男女5人をナイフで刺して殺害したとして殺人などの罪に問われました。
1審の裁判員裁判は「被告は長期間の向精神薬の服用による精神障害があったものの犯行には大きな影響がなかった」とした精神鑑定の結果を踏まえ、完全な責任能力があったと判断し、死刑を言い渡していました。
被告側が控訴して行われた27日の2審の判決で、大阪高等裁判所の村山浩昭裁判長は「1審段階までの精神鑑定は薬物の使用をやめたあとも妄想などの症状が続いていることを説明できず信用できない」と指摘しました。
そして2審で新たに行われた精神鑑定が被告には「妄想性障害」があり、犯行に大きな影響を与えたとしたことを踏まえ「犯行当時、責任能力が著しく低下した心神耗弱の状態だった」と判断して1審の死刑を取り消し、無期懲役を言い渡しました。
検察「判決内容を精査し適切に対応」
また、大阪高等検察庁の畝本毅次席検事は「判決内容を精査し、適切に対応する」とコメントしています。
裁判員裁判の死刑判決取り消し 7件目
裁判員裁判による死刑判決が取り消されたのは今回で7件目で、いずれも2審で無期懲役が言い渡されています。
この中には、今回の裁判と同様、犯行当時の責任能力の程度について1審と2審で判断が分かれたケースもあります。
平成27年に埼玉県熊谷市でペルー人の被告が6人を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた裁判は1審の裁判員裁判が完全責任能力を認めて死刑を言い渡したのに対し、2審の東京高等裁判所は去年12月の判決で、「心神耗弱」の状態だったと判断し無期懲役を言い渡しました。
刑法と責任能力の判断
刑法39条は犯行当時、「心神喪失」の状態だった場合、刑事罰を科すことができないと定めています。
精神的な病気などの影響で、本人に善悪を判断し、行動を制御する能力、つまり責任能力がなかったとされるからです。
また責任能力が著しく低い「心神耗弱」の状態だった場合は刑を軽くすることを定めています。
このため責任能力が争いになることが予想される裁判では、あらかじめ専門の医師などによる精神鑑定が行われることが少なくありません。
鑑定では通常、事件当時の精神障害の有無や犯行に与えた影響について医師の意見がまとめられます。事件によっては別の医師による鑑定が複数回行われ、異なる診断結果や見解が示されることもあります。
裁判所は、医学的な見地で示された鑑定の結果を参考にしつつも「心神喪失」や「心神耗弱」に該当するかどうかは法的な判断だとして責任能力の有無や程度はみずから認���しています。
今回も異なる精神鑑定
平野被告には事件当時の精神障害の有無や犯行に与えた影響を調べる精神鑑定がこれまで3回行われました。
まず起訴される前後に2人の医師によって2回行われ、いずれも被告は向精神薬の「リタリン」を長期間、大量に服用したことで犯行当時は「薬剤性精神病」という病気だったとされました。鑑定した2人の医師は1審の裁判員裁判で被告の犯行前の生活の様子や逮捕時の落ち着いた言動から病状はそれほど悪化しておらず、犯行に大きな影響を与えていないと証言しました。こうした証言を踏まえ1審は被告が犯行当時、心神喪失や心神耗弱の状態だった疑いはなく、完全な責任能力があったと判断しました。
これに対し2審の大阪高等裁判所の村山浩昭裁判長は、裁判所が選んだ別の医師による精神鑑定を改めて行う必要があると判断しました。
3回目となった鑑定でこの医師は被告について「妄想性障害」という別の病気だったと診断しました。そして病気が犯行に与えた影響について「犯行当時、被害妄想の圧倒的な影響下にあった」として前の2回の鑑定とは異なる見解を示していました。
平野浩之さん遺族「判決に驚き絶望」
事件で殺害された5人のうち、平野浩之さん(当時62)の一家3人の遺族が代理人を通じてコメントを出しました。
この中で遺族は「判決には、ただただ驚き絶望しました。責任能力に関する法律の定め自体、私たちには理解しがたいものがありますが、裁判所も認定しているとおり被告は人を殺すと逮捕されて裁判にかけられることは分かっていました。錯乱していたとか身を守る必要があると思い込んだとか、そんな事情はありませんでした。被告は、妄想で勝手に人を恨んで復しゅうとして犯行に及んだのです。恨んだ前提が正しかろうが妄想だろうが、罪になると分かって人を殺したのであれば刑を軽くする必要などないはずです。1審では裁判官と裁判員が、私ども遺族の意見も踏まえ懸命に検討し、刑を軽くする必要はないと判断されたのです。そのような判断を高裁が新しく証拠を集めてまで否定して被告を守ることは、裁判員制度の趣旨を台なしにするものと思います。検察官には、ぜひとも上告していただき覆してもらいたいです」と話しています。
平野毅さん遺族「到底納得がいかない」
この事件で殺害された5人のうち、平野毅さん(当時82)夫婦の長女と孫が代理人を通じてコメントを出しました。
この中で長女と孫は「本日の判決には、到底納得がいきません。われわれ遺族としては親族を殺され、およそ5年もかけて審理を重ねたあげく、死刑ではなく無期懲役であると判断されても全く受け入れることはできません。地方裁判所で長期間かけて裁判員を交えて評議した結論を高等裁判所において別の鑑定人の鑑定結果のほうが信用できるなどという理由で覆し、5人もの尊い生命を奪った被告を死刑にしないという結論は、余りに非常識だと思います。検察庁には上告していただき、最高裁の判断を仰いでいただきたいと考えております」と話しています。
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한 장군(韓將軍)놀이 Exorcism 한국민속대관
한 장군(韓將軍)놀이 Exorcism 신라시대인지 임진왜란 대인지 그 시기는 분명하지 않으나 경상북도 경산 지방에 쳐들어 온 왜구를 한(韓)장군이 연희(演戱)를 가장해서 물리친 데에 그 연유를 두고 있다. 여장(女裝)한 남자 화랭이〔화랑(花郞)〕의 유풍에다 여원무(女圓舞) 등을 곁들인 오랜 역사를 가진 민속놀이이다. 한 장군(韓將軍)놀이 - 2 Exorcism 언제부터인지는 분명치 않으나 경상북도(慶尙北道) 경산군(慶山郡) 자인(慈仁)에는 음력 5월 5일 단오절(端午節)이 되면 토지(土地)의 수호신으로서 한종유(韓宗愈)라는 장군을 숭사(崇祀)하여 성대히 제전(祭典)을 올리는 풍속이 있었다. 이 제전을 「한장군제(韓將軍祭)」라 불러 왔다. 이 제전이 단오절에 거행되므로 일명 「단오제(端午祭)」라고 부르기도 했고, 또 이 제전에는 여러 가지 민속놀이를 하므로 「한장군(韓將軍)놀이」라고도 한다. 이 한장군(韓將軍)의 이름은 자세하지 않으나 일설에 의하면 한종유(韓宗愈)라고 하는 이로서 어느 때 어디 사람인지는 분명치 않다. 다만 왜구(倭寇)가 내습하여 도천산(到天山)에 진을 치고 있을 때 한장군(韓將軍)이 그의 부하들을 버들못[柳池] 부근 골짜기에 매복시켜 놓고 계략을 꾸몄다. 그는 투구 위에 꽃으로 만든 꽃관(冠)을 쓰고 갑옷 위에는 여인(女人)의 복장으로 가장하고 그의 누이동생과 그 못가에서 춤을 덩실덩실 추어 산에 있는 적을 버들못 부근까지 유인하였다. 그리하여 적병이 접근하였을 때 복병(伏兵)으로 하여금 일시에 기습케 하여 적을 무찔러 군민(郡民)을 구했다고 한다. 그 때 한장군(韓將軍)은 수많은 적을 베어 버들못에 던졌으므로 그 때 못물은 핏빛으로 붉었다고 전한다. 그 후 군민(郡民)이 그의 충성과 덕을 우러러 계림(桂林)이라는 동산에 사당(祀堂)을 세우고 해마다 큰 제사를 올려 왔다. 그런데 왜적(倭敵)을 물리친 날이 바로 단오일이어서 이 날에 제사를 거행하여 왔다고 한다. 이 왜구(倭寇)는 고려 중엽 이후부터 조선조 초엽에 이르기까지 우리나라와 중국 연안지대에까지 출몰하면서 인명과 재산을 약탈하던 일본(日本)[倭]의 해적이다. 이 왜구는 신라 때에도 있었지만 그때는 수와 피해가 많지는 않았으나 고려 중엽 이후 갑자기 강성하여 심지어는 내륙에도 침범하여 조정에서까지 이 왜구문제로 부심(腐心)하게 되었다. 왜구는 왜국의 국내 사정의 변동에 따라 무사(武士)에서 전략한 자들이 주동이 되는 일이 많았다. 고려 말에 와서는 왜구의 침입이 극심하여 최영(崔瑩) 장군과 이성계(李成桂) 등이 내륙에까지 들어온 적을 쳐 물리치기도 하였다. 당시의 왜구소탕(倭寇掃蕩)에는 병략가(兵略家) 최무선(崔茂宣)이 발명한 화약(火藥)과 화포(火砲)가 큰 효력을 발하였다. 왜구는 조선조에 들어와서도 그치지 않아 세종(世宗) 때에는 소굴인 대마도(對馬島)를 정벌하기도 하고, 혹은 삼포(三浦)[薺浦ㆍ 釜山浦ㆍ 監浦]를 개항(開港)하여 무역을 ��해 회유도 해 보았다. 그러나 이들의 노략질은 여전하여 조선(漕船)을 탈취해 가는 등 행패가 여전하였고, 나중에는 임진왜란(壬辰倭亂)의 큰 난리를 겪게까지 되었다. 한종유(韓宗愈)라는 사람은 고려 때에 있었으니 충렬왕(忠烈王) 13년(A.D. 1287)에 나서 공민왕(恭愍王) 3년(A.D. 1354)에 죽었다. 그는 시문도 능했고 좌정승(左政丞)에까지 올랐던 인물이다. 그러나 이 한장군(韓將軍)이 바로 그 사람이라고 보기는 어렵다. 동명이인(同名異人)이 많기 때문이다. 『자인현읍시(慈仁縣邑詩)』 풍속편(風俗篇) 여원무조(女圓舞條)에는 만력시(萬曆時)(編者曰萬曆時云者誤甚 今傳羅麗之間) 유한장군실기명(有韓將軍失其名)(或云宗愈) 왜구거도천산(倭寇據到天山) 장군설녀원무(將軍設女圓舞) 전채지위화(剪彩紙爲花) 식이원관(飾二圓冠) 관변수오색지조(冠邊垂五色紙條) 여기매(與其妹) 개장녀복(皆粧女服) 명대일관(名戴一冠) 무어산하류제지내(舞於山下柳堤之內) 우설배우잡희(又設俳優雜戱) 왜구하산취관(倭寇下山聚觀) 장군습후자지소살심중(將軍襲後刺之所殺甚衆) 제방유석상유검흔(堤防有石尙有劍痕) 속전참왜석(俗傳斬倭石) 매당시일제수색적운(每當是日堤水色赤云) 읍인모기의(邑人慕其義) 건신사우현서록(建神祠于縣西麓) 단오일(端午日) 상녀원지제(象女圓之制) 사동남이인장여복대면무지(使童男二人粧女服戴面舞之) 우설배우잡희격고명금(又設俳優雜戱擊鼓鳴金) 호장착모대이제(戶長着帽帶以祭) 연년불폐(年年不廢) 폐즉필유재이(廢則必有災異) 유속상전(遺俗相傳) 지금숭봉(至今崇奉) 표기기왈(標其旗曰) 장산제군사명(獐山諸軍司命) 우하동면육동송림동(又下東面六洞松林洞) 하북면마라동(下北面麻羅洞) 역립사례지(亦立祠禮之) 만력년간(萬曆年間)에 [編者는 말하기를 萬曆年間이라 한 것은 심히 잘못된 것이니 이제 전하기를 신라와 고려 사이라고 함] 이름은 전하지 않으나 성이 한씨(韓氏)인 장군이 있었다[혹은 宗愈라고 함]. 왜구가 도천산(到天山)에 웅거하였다. 이 때 장군은 여원무(女圓舞)를 만들어 채색종이꽃을 갓 두개에 장식하고 갓 가장자리에 오색 종이조각을 드린[늘어뜨려] 후 누이동생과 함께 쓰고 여장(女裝)으로 변장하고 산 아래 버들제방 안에서 춤추었다. 또한 그는 배우(俳優)들로 하여금 여러 가지 놀이를 하게 하니 왜구가 모두 산에서 내려와 구경했다. 이 때 장군은 틈을 타서 뒤로 엄습하여 칼로 찔러 죽인 자가 심히 많았다. 그 제방에는 돌이 있었는데, 아직도 그 돌에는 칼 흔적이 남아 있어 세상에서 전하기를 참왜석(斬倭石)이라 한다. 해마다 이 날이 돌아오면 방죽물이 붉게 변한다고 한다. 그 고을사람이 그 충의(忠義)를 사모하여 신사(神祠)를 고을 서쪽 산기슭에 세우고 단오일이면 여원무(女圓舞)의 제도를 본받아 사내아이 둘로 하여금 여복(女服)을 입히고 가면(假面)을 쓰고 춤추게 했다. 또 배우의 여러 가지 놀이를 베풀고 북을 치고 쇠를 올리면서 호장(戶長)이 사모관대를 하고 제사를 지내 해마다 폐하지 아니하였다. 만일 폐하면 반드시 재앙이 있을 것이므로 이에 생긴 풍속을 전하여 지금까지 숭봉(崇奉)하고 있다. 그 기(旗)에 표시하기를 「장산제군사명(獐山諸軍司命)」이라 하였고 또 하동면(下東面) 송림동(松林洞)과 하북면(下北面) 마라동(麻羅洞)에도 또한 사당을 세워서 제사를 지낸다고 하였다.
이상의 기록에 의하면 왜적(倭敵)이 쳐들어 온 연대를 막연히 나려지간(羅麗之間)이라 했는가 하면 또 만력(萬曆) 때 라고도 하였다. 만력(萬曆)은 중국 명(明)나라 신종(神宗)의 연호(年號)로서 1573년에서 1617년 동안이다. 우리나라 조선조 선조(宣祖) 6년에서 광해군(光海君) 6년까지에 해당한다. 여원무(女圓舞)는 해방 후에 간행된 『경산군지(慶山郡誌)』 상편(上篇)에도 거의 같은 기사가 실려 있고 참왜석(斬倭石)은 검흔석(劍痕石)이라 하였다. 검흔석(劍痕石) 좌현북일리(左縣北一里) 도천산류제방(到天山柳堤傍) 한장군참왜처검흔상재운이(韓將軍斬倭處劍痕尙在云爾) 검흔석(劍痕石)은 고을 북쪽 일리(一里)되는 도천산(到天山) 버들제방 가에 있는데 한장군(韓將軍)이 왜구를 벤 칼자욱이 아직도 남아 있다. 고 하였다. 또 당시 왜구가 웅거하였던 도천산성(到天山城)에 대하여서는 동서(同書)에 도천산상(到天山上) 유토성지(有土城址) 왜병소축운이(倭兵所築云爾) 도천산(到天山) 위에는 토성 자리가 있으니 이는 왜병이 쌓은 것이다. 라고 하였다. 이러한 사적(史蹟)은 지금도 남아 있다. 또 동서(同書)에는 북면마라동(北面麻羅洞) 우립일신당(又立一神堂) 일면지민(一面之民) 별제장군지매(別祭將軍之妹) 연년불폐(年年不廢) 폐즉필유재이(廢則必有災異) 유속상전(遺俗相傳) 지금숭봉(至今崇奉) 표기기왈장산사명(標其旗曰獐山司命) 사시본현속장산시(似是本縣屬獐山時) 유창의자(有倡義者) 이무문가미(而無文可微) 작일신총(作一神叢) 심가개기(甚可慨己) 건륭을유(乾隆乙酉) 현감정충언(縣監鄭忠彦) 중수신당(重修神堂) 관급제물(官給祭物) 작축문(作祝文) 사호장(使戶長) 비례축지(備禮祝之) 축문왈(祝文曰) 모기섬적(謀奇殲賊) 의병위국(義炳衛國) 기문영미(杞文英微) 사민기적(史泯其跡) 무전여원(舞傳女圓) 토유여속(土有餘俗) 검흔불마(劍痕不磨) 완피제석(宛彼堤石) 일간고묘(壹間古廟) 영안의백(永安毅魄) 단양조두(端陽俎豆) 세이위식(歲以爲式) 조여유황(旐旟有煌) 금고질작(金鼓迭作) 자수상전(玆修常奠) 재구공축(載具工祝) 어이장사(御以長詞) 선이늠속(饍以廩粟) 신기보우(神其保佑) 영전읍택(永奠邑宅) 북면(北面) 마라동(麻羅洞)에는 또 신당(神堂) 하나를 세우고 일면(一面)에 백성이 따로 장군의 누이동생을 제사지내어 해마다 폐(廢)하지 아니하였다. 만일 폐하면 반드시 재앙이 있으므로 없애지 아니하고 계속 지내온 풍속이다. 이 제사는 아직까지 숭봉(崇奉)하며 거기에 표시하기를 「장산사명(獐山司命)」이라 하였다. 아마도 본 고을이 장산(獐山)에 속하였을 때에 의병(義兵)을 일으킨 자가 있었던 듯하다. 그러나 이것을 증명할 만한 문적(文籍)은 없고 신당(神堂)만 하나 남아 있으니 심히 애석한 일이다. 건륭(乾隆) 을유년(乙酉年)에 현감(縣監) 정충언(鄭忠彦)이 신당(神堂)만 중수(重修)하고 관가(官家)에서 제물(祭物)을 주고 축문(祝文)을 지어 주어 호장(戶長)으로 하여금 예(禮)를 다하여 빌게 하였다. 축문(祝文)에 하였으되, 기특한 꾀로 도적을 멸하고 빛난 충의(忠義)로 나라를 호위하였으되 상고할 만한 문적이 없고 상고할 만한 자취가 없도다. 여원무(女圓舞)가 전하여지니 그 지방에 남은 풍속이 있으며 칼 흔적이 없어지지 아니하여 저 제방 돌에 완연히 남았도다. 한 칸 옛 사당(祠堂)에 길이 굳센 넋을 봉안(奉安)하고 단오(端午)에 제사드려 해마다 폐하지 않는도다. 깃발이 황황(煌煌)히 빛나고 징과 북이 번갈아 울리면서
연례의 전작(奠酌)을 드리고 또 약공(藥工)과 축문(祝文)을 갖추어 애오라지 긴 말로 빌고 관가(官家) 곡식으로 흠향케 하노니 신명(神明)을 보우(保佑)하여 길이 이 고을을 평안케 하소서. 하였다. 이 기록을 하면 북면(北面) 마라동(麻羅洞)에는 한장군(韓將軍)의 누이동생의 사당이 있었고 그 고을사람들은 그를 장산사명(獐山司命)이라 하여 수호신으로서 숭배하여 왔다. 그 후 조선조 영조(英祖) 41년(중국 淸의 高宗 30년 乾隆 乙酉年 A.D. 1765년)에 그 고을 현감(縣監) 정충언(鄭忠彦)이 중수(重修)하고 제물 및 축문으로써 예를 다하였다. 그리고 장산(獐山)이란 지명으로서 그 고을이 장산군(獐山郡)에 속하였을 때에 의병을 일으킨 자가 있었던 것 같다고 하였다. 자인(慈仁)이 경산군(慶山郡) 즉 장산군(獐山郡)에 속했던 것은 신라시대��고 조선조시대가 아니니 이로 미루어 보아 왜구(倭寇)가 쳐들어 온 것은 신라 때로 보이며 임진왜란(壬辰倭亂) 때의 일은 아닌 것이 분명하다. 장산(獐山)이 신라 때 경산군명(慶山郡名)이었다는 것은 『신증동국여지승람(新增東國輿地勝覽)』 경산현(慶山縣) 건치연혁조(建置沿革條)에도 보인다. 본압량국(本押梁國)(一云押督) 신라기미왕취지치군(新羅祇味王取之置郡) 경덕왕개칭장산(景德王改稱獐山) 고려초개장산(高麗初改章山) 현종속경주(顯宗屬慶州) 명종치감무(明宗置監務) 충선왕초피왕혐명개금명(忠宣王初避王嫌名改今名) 충숙왕이국사일연지향승위현령(忠肅王以國師一然之鄕陞爲縣令) 공양왕이(恭讓王以) 왕비노씨지향륭위군본조(王妣盧氏之鄕隆爲郡本朝) 원래는 압량국(押梁國)었던 바 신라 기미왕(祇味王)이 이 고을에 군(郡)을 두었고, 경덕왕(景德王) 때 장산(獐山)이라고 고을 이름을 고쳤으며, 고려초에는 다시 장산(章山)이라고 고쳤다. 현종(顯宗) 때는 경주(慶州)에 속했고, 명종(明宗) 때에는 그 곳에 감무(監務)를 두었는데 충선왕(忠宣王) 초에 왕이 파천(播遷)하매 지금의 이름으로 고쳤다. 고 하였다. 필자는 앞에서 왜구(倭寇)의 자인(慈仁) 침입은 신라시대라 했거니와 그 지방 고로간(古老間)에 전승되어 오는 말에 의하면 지금으로부터 천수백 년 전 임나(任那)[高靈]에 있던 대가야(大伽倻)에 왜구가 침입하였을 때 한장군(韓將軍)이라는 이가 단북동(丹北洞) 도천산성(到天山城)에서 적을 격파하고 군민(郡民)을 구한 데서 사당을 지어 제전을 거행하여 온다고 한다. 필자는 이 전승에 신빙성을 두면서 왜구의 침입을 신라 경덕왕(景德王) 이후로 보며 이를 입증하기 위하여 임나(任那)와 왜인(倭人) 관계를 살펴보기로 한다. 우리나라 사학자들의 구명에 의하면 ���나(任那)라는 명칭은 5세기 호태왕비(好太王碑)(A.D. 414)에 「임나가라(任那加羅)」라고 나온 것이 가장 오래고 『삼국사기(三國史記)』 강수전(强首傳)에는 「신본임나가량인(臣本任那加良人)」이라 기록되어 있다. 서기 924년에 건립된 신라의 진경대사탑비(眞鏡大師塔碑)에는 「기선임나왕족(其先任那王族)」이라고 한 것이 보이므로 임나(任那)의 용례(用例)는 분명하고 따라서 임나(任那)의 존재도 확실하다. 일본(日本) 학자들은 이 임나(任那)를 「미마나」라고 부르거니와 변진지방(弁辰地方)에 근거를 잡았던 왜(倭)의 세력을 이르는 명칭이다. 당시 왜(倭)는 낙랑(樂浪)ㆍ 대방군(帶方郡)[지금의 南原地方]에 통교(通交)하면서 남해안에 자주 왕래하게 되었다. 그들은 김해(金海)를 중심으로 무역을 활발히 하였고, 점차 경제적 세력이 커지자 정치적으로도 어느 정도 구체적으로 간섭하게 되었다. 수많은 왜인(倭人)이 이 지역에 드나들게 되자 그 중에는 그 곳에 정주(定住)한 자들도 생겼을 것이다. 그 간섭의 정도는 왜(倭) 세력의 강약에 비례되었을 것이다. 백제ㆍ 신라의 진출에 따라서 축출되었고 신라(新羅) 진흥왕(眞興王) 23년에 대가야(大伽倻)[高靈]의 침공으로 임나(任那)는 막을 내렸다. 그러므로 우리나라에서 말하는 대가야(大伽倻)로 대표된 지방이 대체로 일본서 주장하는 임나(任那)의 제부락국(諸部落國)으로 볼 수 있다. 고구려 호태왕(好太王) 때 백제도 왜세(倭勢)의 발호로 인하여 백제도 흥기하자마자 그들과 긴밀한 관계를 맺었다. 왜(倭)와 백제의 중간 매개역할은 임나(任那)가 맡아 했을 것으로 보인다. 임나(任那)가 소멸할 무렵 왜(倭)는 회고적으로 말하기를, 백제(百濟)ㆍ 임나(任那)ㆍ 왜(倭)가 「삼문(三紋)의 강(綱)」[세 줄을 꼬은 동아줄]이라 비유도 하고 있거니와, 그 때 정세는 신라와 백제를 사이에 두고 고구려와 왜(倭) 사이에 눈부신 항쟁(抗爭)이 있었다. 여기에 단편적으로 엿보이는 「임나가라(任那加羅)」는 왜(倭)의 퇴수지(退守地)로 전쟁에 가담한 것 같다. 다만 그 실정을 파악할 자료가 결여되었을 뿐이다. 그리고, 『송서(宋書)』에는 서기 438년에 유사공헌(遺使貢獻)한 왜왕(倭王) 진(珍)이 「사특절도독왜백제신라임나진한모한지국제군사안동대장군왜국왕(使特節都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓之國諸軍事安東大將軍倭國王)」이라 하였음을 보아 여기에 임나(任那)가 끼어 있는 것은 역시 왜(倭)와 관계가 있었던 흔적으로 볼 수 있다. 신라 진흥왕(眞興王) 이후 일본(日本) 왕정(王廷)에서는 임나(任那) 부흥을 표방하면서 수대(數代)를 지낸 것도 임나(任那)가 일찌기 왜(倭)의 경제적 정치적 근거가 된 시기가 있었다는 것을 말해 준다. 그러므로 임나(任那)는 당시 그 지역에 정주 내지 왕래한 왜인(倭人)들로써 한때 세력을 떨쳤던 무리들이 장산(獐山), 즉 자인(慈仁)까지 침입해 들어왔을 것이다. 이 때 군민(郡民) 중에 한(韓)씨성(性)을 가진 힘센 장사가 용맹과 지혜로 왜구를 물리쳤을 것이고 군민들은 그를 추앙하여 장군이라 하고, 죽은 뒤에는 사당을 지어 해마다 그를 위해 제사를 지내왔을 것이라 생각된다. 그러나 그가 왜구를 물리친 날이 바로 단오일인지는 알 수 없는 일이다. 그 때가 야외(野外)놀이가 한창인 봄철이었던 것만은 분명하므로 신라의 명일(名日)인 수릿날 즉 단오일에 제사를 거행해 왔다. 따라서 뒷날 왜적을 물리친 날도 단오날로 믿게 된 것이 아닐까 한다.
필자는 1969년 봄에 경북지방 민속 재조사 때에 자인(慈仁)지방에서 특히 필자의 주목을 끈 한 출토품(出土品)을 보았다. 한(韓)장군 사당 부근에 있는 자인중학교(慈仁中學校) 교정 확장공사 때에 땅속 암석 위 석총(石塚)에서 장군의 유골 및 유품으로 보이는 두개골과 투구와 갑옷 등 금속물(金屬物)이 출토되었다. 또 거기에는 천 300년 전 것으로 추정되는 가야(伽倻)시대의 토기(土器) 몇 점이 나와 주목을 끌기도 했다. 그 곳 사람들 사이에 전해 오는 말에 의하면 한(韓)장군의 유해도 한(韓)장군 사당 부근에 묻혀 있다는 이야기이며 따라서 이 무덤과 유골 등은 한(韓)장군의 것이 틀림없으리라는 주장이었다. 이런 주장 속에서 우리는 한(韓)장군의 년대(年代)에 대하여 한 가닥의 암시를 발견하게도 된다. 한(韓)장군을 모시는 사당을 그 지방 사람들은 한묘(韓廟) 또는 한장군묘(韓將軍廟)라고 한다. 현재의 한(韓)장군 사당은 계림(桂林)에 있는 진충묘(盡忠廟) 하나뿐이다. 2차대전 전인 1936년 7월에 필자가 처음 보았을 때는 한묘(韓廟)라 하고 북서동(北西洞) 면사무소 뒤쪽에 세워진 것을 이한묘(二韓廟)라고 하였다. 일한묘(一韓廟)에는 그 위패가 「한장군지신위(韓將軍之神位)」라고 씌어 있었고 이한묘(二韓廟)의 위패에는 「증판서한장군지신위(贈判書韓將軍之神位)」라고 씌어 있었다. 이것으로 미루어 보아 이한묘(二韓廟)는 일한묘(一韓廟)보다는 뒤에 세워진 것으로서 조선조 때 국왕이 장군의 공을 상찬하여 판서(判書)라는 벼슬을 추중한 것을 기념하여 세운 것으로 생각된다. 이 이한묘(二韓廟)는 일제말(日帝末)에 일본인들이 허물어 없앤다. 1969년에 필자의 건의와 지방유지들의 활약 그리고 경산군(慶山郡)의 도움으로 이 한장군제전(韓將軍祭典)이 부활되었다. 1936년 필자의 첫 조사 때에는 이 제전이 단오 전후 3일간 계속되었다. 제전은 자인면(慈仁面)이 주최가 되고 제관(祭官)은 면장 또는 그 지방 유지 중에서 선정되었으며 제물(祭物)은 대체로 돼지ㆍ 닭(암ㆍ 수 두 마리)ㆍ술ㆍ 밤ㆍ 흰떡ㆍ 과일ㆍ 야채ㆍ 마른 생선 등이 사용되었다. 이 제전이 끝나면 일한묘(一韓廟) 앞에서 두 남자가 색종이를 길게 늘어뜨린 꽃관(冠)을 쓰고 수 10개의 꽃가지로 장식한 옷을 입고 굿거리장단에 맞추어 빙글빙글 돌면서 춤을 추었다. 바로 이 춤을 여원무(女圓舞)라고 하며 이 춤은 옛날 한(韓)장군이 그의 누이동생과 함께 여자복장으로 위장하여 버들못가에서 왜적(倭敵)을 유인할 때 추었던 춤이라 한다. 일한묘(一韓廟) 앞에서 이 춤이 끝나면 이어서 이한묘(二韓廟) 앞에서 추고는 마친다. 다음에는 가장행렬이 진행되는데 조선조 때 현감(縣監) 복장을 한 가장(假裝) 현감이 가마에 타고 앞서면 그 뒤에 역시 가장(假裝)의 육방관속(六房官屬) 및 양반들이 수십 명 말을 타고 뒤따른다. 일한묘(一韓廟)ㆍ 이한묘(二韓廟)에 참배한 뒤 이어서 계림(桂林) 뒤쪽 진터[陣場]에서 기마(騎馬)싸움의 놀이를 한다. 계림(桂林) 언덕 위에서는 별도로 시문대회(詩文大會)의 백일장(白日場)과 젊은 부녀자들의 그네뛰기대회가 열리고 장터에서는 남자들의 씨름대회와 기생(妓生)ㆍ 광대(廣大)들의 소리와 춤, 재인(才人)들의 곡예(曲藝) 등이 열리어 거리는 온통 축제 분위기에 휩싸인다. 청금상련(聽琴賞蓮) Banquet around a Lotus Pond with Gisaeng 시대 / 조선시대 후기 크기 / 가로 35.3㎝, 세로 28.3㎝ 그린이 / 신윤복(申潤福) 소장 / 간송미술관(澗松美術館) 조선시대 사람들의 풍류생활에서 빼 놓을 수 없는 것이 기생(妓生)이다. 지체있는 사람들의 술좌석에는 기생들이 불려 와서 권주가를 불렀다. 후원 연못 가에 술자리를 마련하고 기생들과 어울리는 이 그림은 조선시대의 화가 혜원 신윤복이 그린 풍속도 중의 하나이다. 제비(祭費)는 면에서 경비를 부담하였고, 여흥의 민속놀이 비용은 상인(商人)과 요식업자ㆍ유지들의 기부금으로 충당하였다. 이 놀이는 민속예술의 하나로서 무대예술화하여도 좋겠지만 자인(慈仁)고을 특유의 연중행사의 하나인데 자인면민(慈仁面民) 모두가 즐길 수 있는 민속놀음의 하나로서 보존 육성할 만한 것이다. 이 민속놀이는 군민 전체의 생기진작(生氣振作)과 민중 감정을 융화시키는 데 큰 의의가 있다.
https://www.youtube.com/watch?v=gAFMt0iMqic
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【外部情報】柳生二千翔『アンダーカレント』2019.12
*公演特設HP→ https://undercurrent2019.tumblr.com/
室町時代の能“隅田川”を題材に、 現代の「親子愛」「家族」を見つめる
東京郊外の小綺麗な街。主婦の小春は、夫と息子の航と暮らしている。
熱波がまとわりつく夏の日。 小春は航と近所の夏祭りに訪れたが、ごった返す人混みのせいで航とはぐれる。 後に航は、近くを流れる川で水死体として発見される。
警察による事情聴取の中で、小春は「繋いでいた手をわざと離した」と話し始める。
女、妻、母。与えられた役割から「逃げなかった」女の愛を、罪を、夏の熱気は全て包みこんで、川の底を流れる。
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「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画 柳生二千翔『アンダーカレント』
原案 能「隅田川」[観世元雅 作] 劇作・演出 柳生二千翔(女の子には内緒/青年団) 出演 石渡愛(青年団)、埜本幸良(範宙遊泳)、 林ちゑ(青年団)、福田毅(中野成樹+フランケンズ)、 渡邊まな実
2019年12月15日[日] - 17日[火] YKK60ビル AZ1ホール
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タイムテーブル
12月15日[日] 18:00 12月16日[月] 19:30 12月17日[火] 14:00
※受付開始は開演の45分前、開場は開演の30分前 ※上演時間は公演が近づきましたらSNS等でお知らせ致します
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チケット料金
前売券 一般 ¥2,800 U-25 ¥2,000 墨田区民 ¥2,000 高校生以下 ¥1,000 当日券 各料金¥500増し ※日時指定・全席自由席・整理番号付き ※一般以外の券種をご予約の方は、当日受付にて身分証などをご提示ください ※未就学児童はご入場いただけません。
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チケット取り扱い・お問い合わせ
取扱い|Peatix https://undercurrent2019.peatix.com お問い合わせ先|[email protected]
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会場
YKK60ビル AZ1ホール 〒130-0014 東京都墨田区亀沢3丁目22-1
都営地下鉄大江戸線 両国駅A2出口 徒歩9分 JR総武線 両国駅東口 徒歩18分
※会場には駐車場・駐輪場がございませんので、お越しの際は公共交通機関をご利用ください。
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スタッフ
美術|金子恵美 衣装|原田つむぎ 音響|櫻内憧海(お布団/青年団)、中村大地(屋根裏ハイツ) 宣伝美術・記録映像|内田圭 イラスト|萩原慶 制作|半澤裕彦、神戸みなみ 主催|柳生二千翔、「隅田川 森羅万象 墨に夢」実行委員会 共催|墨田区 特別協賛|YKK株式会社
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隅田川 森羅万象 墨に夢
「隅田川 森羅万象 墨に夢」(通称:すみゆめ)は、すみだ北斎美術館の開館を機に、2016年に始まったアートプロジェクトです。森羅万象を追い求めた絵師・葛飾北斎が90 年の生涯を過ごしたすみだの地で、墨で描いた小さな夢をさまざまな人たちの手で色づけしていくように、芸術文化に限らず、あらゆる表現を行っている人たちがつながりながら、この地を賑やかに彩っていくことを目指しています。
http://sumiyume.jp
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室町時代の能“隅田川”を題材に、 現代の「親子愛」「家族」を見つめる
東京郊外の小綺麗な街。主婦の小春は、夫と息子の航と暮らしている。 熱波がまとわりつく夏の日。 小春は航と近所の夏祭りに訪れたが、ごった返す人混みのせいで航とはぐれる。 後に航は、近くを流れる川で水死体として発見される。 警察による事情聴取の中で、小春は「繋いでいた手をわざと離した」と話し始める。 女、妻、母。与えられた役割から「逃げなかった」女の愛を、罪を、夏の熱気は全て包みこんで、川の底を流れる。
「隅田川 森羅万象 墨に夢」プロジェクト企画
柳生二千翔『アンダーカレント』
2019年12月15日[日] - 17日[火] YKK60ビル AZ1ホール
原案 能「隅田川」[観世元雅 作] 劇作・演出 柳生二千翔(女の子には内緒/青年団) 出演 石渡愛(青年団)、上蓑佳代(モメラス)、埜本幸良(範宙遊泳)、福田毅(中野成樹+フランケンズ)、渡邊まな実
*出演者交代のお知らせ* 柳生二千翔『アンダーカレント』に出演予定の林ちゑ(青年団)は、体調の都合により降板することとなりました。代わりまして、上蓑佳代(モメラス)が出演いたします。皆さまにご心配をおかけします事を深くお詫び申し上げます。 なお、林ちゑは今後演出補佐として本作に携わります。 俳優の視点がより演出に作用し、作品が膨らむことを座組としても楽しみにしています。
タイムテーブル
12月15日[日] 18:00 12月16日[月] 19:30 12月17日[火] 14:00
※受付開始は開演の45分前、開場は開演の30分前 上演時間は90分程度を予定しています。公演が近づきましたらSNS等でお知らせ致します。
チケット料金
前売券 一般 ¥2,800 U-25 ¥2,000 墨田区民 ¥2,000 高校生以下 ¥1,000 当日券 各料金¥500増し
※日時指定・全席自由席・整理番号付き ※一般以外の券種をご予約の方は、当日受付にて身分証などをご提示ください ※未就学児童はご入場いただけません。
チケット取り扱い・お問い合わせ
発売日|2019年10月19日[土] 10:00 取扱い|Peatix https://undercurrent2019.peatix.com お問い合わせ先|[email protected]
会場
YKK60ビル AZ1ホール
〒130-0014 東京都墨田区亀沢3丁目22-1
都営地下鉄大江戸線 両国駅A2出口 徒歩9分 JR総武線 両国駅東口/錦糸町駅北口 徒歩18分
※会場には駐車場・駐輪場がございませんので、お越しの際は公共交通機関をご利用ください。
スタッフ
美術|金子恵美 衣装|原田つむぎ(東京デスロック) 音響|櫻内憧海(お布団/青年団)、中村大地(屋根裏ハイツ) 舞台監督|鐘築 隼 演出補佐|林ちゑ(青年団) 文芸協力|山道弥栄(木ノ下歌舞伎) 宣伝美術・記録映像|内田圭 イラスト|萩原慶 制作|半澤裕彦、神戸みなみ 主催|柳生二千翔、「隅田川 森羅万象 墨に夢」実行委員会 共催|墨田区 特別協賛|YKK株式会社
プロフィール
柳生二千翔|Nichika YAGYU[作・演出] 劇作家/演出家/映像作家。1993年生まれ、愛媛県松山市出身。「女の子には内緒」主宰、劇団「青年団」演出部所属。様々な地域で滞在製作・リサーチを行い、土地[街]という単位を通して、自らの一生に留まらない長い時間と、そのなかで暮らす多種多様な人々の生活を描く。
2016年、第4回せんだい短編戯曲賞大賞を受賞。2017年、急な坂スタジオ「坂あがり相談室plus」選出。2018年、第1回田畑実戯曲賞を受賞。 女の子には内緒 http://niha-naisho.tumblr.com
石渡愛|Ai ISHIWATA[出演] 東京都出身。大学在学中に本広克行演出舞台『転校生』に出演し、本格的に芝居活動を始める。以降、映像作品にも多数出演。2017年より「こまばアゴラ演劇学校」で無隣館三期生として演劇を学ぶ。現在は青年団に所属。 舞台では、青年団リンク RoMT『夏の夜の夢』(2017)、マレビトの会「福島を上演する」(2017/2018)、無隣館修了公演『革命日記』(2017|作•演出/平田オリザ)、ぱぷりか『きっぽ』(2018)、犬飼勝哉『ノーマル』(2019)などに出演。
上蓑佳代|Kayo UWAMINO[出演] 1986年生まれ、石川県出身。26歳で演劇をはじめる。フリーの俳優として活動後、2018年より演劇ユニット モメラス所属。近年の出演作は、小田尚俊の演劇『聖地巡礼』(2017) 、オフィスマウンテン『ドッグマンノーライフ』(2018)、モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』(2018)、モメラス『28時01分』(2019) など。
埜本幸良|Sachiro NOMOTO[出演] 1986年生まれ。範宙遊泳所属。国内外の多くの劇団公演に出演。他に文学作品、ダンスなど様々なジャンルに出演。映像制作者としても活動している。
福田毅|Takeshi FUKUDA[出演] 千葉県出身。日本大学芸術学部卒業後、中野成樹+フランケンズ(通称ナカフラ)に結成より参加。現在までほぼ全ての作品に出演している。国内外の演劇作品への客演も多数。また2009年からは作・演出・出演・美術など全てを1人で展開するソロ・パフォーマンスの活動も行なっている。 [近年の主な作品]「マザー・マザー・マザー」(ナカフラ・CIRCULATION KYOTO、2018)「亡国の三人姉妹」(客演・東京デスロック、2016)「ラジオ太平洋」(ソロ・フェスティバル/トーキョー、2018)。
渡邊まな実|Manami WATANABE[出演] 1993 年生まれ、新潟県出身。東京造形大学デザイン学科卒業。17 歳のとき、新潟を拠点とする劇団の公演に出演したのをきっかけに俳優としての活動をはじめる。 近年の出演作にウンゲツィーファ『さなぎ』、安川有果監督 作演出の舞台『ここにはいない彼女』、チェルフィッチュ リクリエーション版 『三月の5日間』国内・海外ツアーなど。
隅田川 森羅万象 墨に夢
「隅田川 森羅万象 墨に夢」(通称:すみゆめ)は、すみだ北斎美術館の開館を機に、2016年に始まったアートプロジェクトです。森羅万象を追い求めた絵師・葛飾北斎が90 年の生涯を過ごしたすみだの地で、墨で描いた小さな夢をさまざまな人たちの手で色づけしていくように、芸術文化に限らず、あらゆる表現を行っている人たちがつながりながら、この地を賑やかに彩っていくことを目指しています。 http://sumiyume.jp
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【緊急街頭PR】2017.7.8(Sat.)13:30~ JR川崎駅東口「予告されたヘイトデモに抗議します! 差別デモ・集会を絶対に許しません!」
川崎に数多く暮らす在日コリアンを標的に「日本から出て行け!」「ぶち殺せ!」と叫びながら街中を練り歩く、恐ろしいヘイトスピーチ・デモを繰り返してきた人物が近く、川崎で新たなデモを行うと予告しています。ヘイトスピーチ解消法に違反する行為であり、重大な人権侵害が引き起こされようとしています。地域社会に差別と恐怖による分断が刻みつけられようとしています。私たち「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」は確信的に差別を行ってきた人物による、デモの開催を絶対に許しません。
日時:2017年7月8日(土) 13:30~15:30 場所:JR川崎駅東口 自由通路「石敢當」周辺
デモを計画しているのは川崎市内で2013年5月から12回ものヘイトデモを実行してきた津崎尚道氏です。計画中のデモについて、昨今高まるヘイトスピーチ反対の機運に対する「総反撃」の一環であることを自身のブログで表明しています(リンク先参照:津崎氏告知ブログ)。在日コリアンに敵意を示し、「『街に平穏 川崎』?笑わせないでください」と、街の平穏を乱すことを宣言しています。
実はこの1年間、津崎氏はなりを潜めてきました。それは市民、行政、議会が一体となった「オール川崎」による、差別を許さない取り組みの成果でした。
津崎氏のデモでとりわけ卑劣さを極めたのが15年11月と16年1月の「日本浄化デモ」でした。民族虐殺を思わせる「浄化」の2文字を掲げ、多くの在日コリアンが暮らす川崎区桜本の住宅街を目掛けて「たたき出せ」「殺せ」と気勢を上げたのでした。 その第3弾が予告されたのは昨年6月5日のことでした。川崎市の福田紀彦市長は英断を下しました。デモ出発前の集会のために公園を使うことを初めて認めなかったのです。そこでは「市民の安全と尊厳を守る」という理由が高らかにうたわれたのでした。 ヘイトデモのたびに沿道から抗議の声を上げるカウンター市民がいました。震える声で被害を訴えた勇気ある当事者がいました。市民の代表として市に毅然とした対応を迫った市議会があり、それに答えた市長と行政機関の存在がありました。その直前には、やはり桜本の人々の訴えを立法事実として、不当な差別的言動は許されないと宣言するヘイトスピーチ解消法が成立しました。そうして明確な意思は示されたのでした。ここ川崎に差別主義者の居場所はない、と。 津崎氏は中原区の武蔵小杉に場所を移してデモを強行しましたが、もはや状況が違いました。市民ネットワークの呼び掛けで集まった市民は1,000人近くに上り、行く手を阻まれた津崎氏は警察の説得を受け、中止の判断をせざるを得なくなりました。そうして人権侵害は未然に防がれたのでした。
それから1年。川崎市では対策づくりが着々と進んでいます。公的施設でヘイトスピーチを行うことを事前に規制するガイドラインが今秋に策定されます。ヘイトスピーチを含むさまざまな人権侵害から市民を守る条例づくりも始まっています。インターネット上の差別書き込みを削除するよう行政が、ネット企業に働き掛ける取り組みも始まります。
今回のデモ予告は、そうして積み重ねられてきた尊い営みをあざ笑うかのようになされました。全国の自治体をリードする川崎市の先進的なヘイトスピーチ対策への挑戦にほかなりません。差別に抗いの声を上げた当事者や共に闘おうと立ち上がった人々への新たな攻撃でもあります。 津崎氏に対しては昨年6月、横浜地裁川崎支部が桜本でのデモを禁止する仮処分決定が出されています。昨年8月には法務省と横浜地方法務局もヘイトデモを2度としないよう勧告しています。しかし、津崎氏は「日本をおとしめるやつらは徹底的に差別する」と公言し、勧告を無視しています。多くの人を傷つけた人物が反省も謝罪も、過去の言動を撤回することもなくデモを行うこと自体が大変な害悪なのです。予告をしただけで、被害者の脳裏に恐怖が呼び起こされ、平穏な日常生活を乱されるという被害が生じています。ツイッターでは在日コリアンへの敵意を示す投稿がなされ、すでに差別はあおられています。
ヘイトスピーチの害悪は攻撃を向けられた人々を傷つけることにとどまりません。差別と暴力を肯定する空気を社会全体に蔓延させ、憎悪に基づき具体的な危害を加える犯罪(ヘイトクライム)を生じさせます。さらには虐殺へとエスカレートしていきます。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺や、関東大震災直後に「朝鮮人が暴動を起こしている」というデマを信じた人々によって多くの朝鮮人が虐殺された歴史に照らしても明らかです。 傷つけられているのは私たちの隣人であり、私たちが暮らす地域社会そのものです。平等で公正、安寧な社会に生きる私たちの問題なのです。差別を許さない社会、差別のない川崎をつくる責任が私たち一人ひとりにあるのです。
私たち「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」は福田市長の英断を引き続き支持し���現在進められているヘイトスピーチ対策に賛同し、応援していきます。そして、確信的差別主義者による新たな企てに反対と非難の声を上げるよう、すべての市民に呼び掛けます。ぜひ、《7月8日(土)13時半から、JR川崎駅東口「石敢當」付近 》 にご参集ください。
2017年7月3日 ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク
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4/23(日)・京都ヘイト街宣について読むべきもの
4/23(日)に京都・三条で、政党を名乗る「日本第一党京都支部」がヘイト街宣を行おうとしている。 https://twitter.com/kars_students/status/848741895752753152 https://twitter.com/kars_students/status/850251607774117889 「日本第一党」は、在特会元会長・桜井こと高田誠を「党首」とした、政治活動の名の下に排外差別扇動を行うべくして結成された極右「政党」だ。 関西においてレイシズムに対抗し続けている友による、「日本第一党」の京都支部長と称する人物がこれまでどのようなことを行なってきたのかがよくわかる文章を目にした。できるだけ広く読まれてほしいとおもわれたため、許可を得てここに転載することとした。 以下転載文: ------------------------------------------------- 4月23日に、元・在特会チーム関西の西村 斉が日本第一党京都支部長としては初のヘイト街宣を行う予定でいる。 この西村 斉は、ロート製薬強要事件・京都朝鮮学校襲撃事件の主犯として有罪判決を受けて刑務所へ収監され、刑期を終えて最近シャバに出て来た。 関西だけではなく、日本中でかつて在特会が全盛期を迎えるにあたる原動力となったのは、この西村斉のヘイトパフォーマンスによるところが大きかった。 この西村斉と共に、かつてのチーム関西でヘイトの限りを尽くしたのが、荒巻靖彦・川東大了・宮井将・成瀬・中谷・ブエノらだった。それに付随する形で、純心同盟・愛国矜持会・おつる・清水などのヘイターが呼応していた。 関東が高田誠ならば、関西はこの西村斉が今なおヘイト界隈での要だと思った方がいい。ヘイター共の活動圏での精神的支柱は、この西村斉だろう。 荒巻靖彦と共にヘイト活動の蛮行を働き、収監と出所をほぼ同時に経たこの西村斉。 自分は西村斉が出所してからの言動と活動内容をずっとチェックしていたが、逮捕前となんら変わらず一切の更正をしていない。 京都朝鮮学校襲撃事件・ロート製薬強要事件を正当化して、なんら悪びれずにいる。 この西村斉や荒巻靖彦らを放置看過するということは、かつてこのレイシストから甚大なヘイト被害を受けた人達への2次加害を野放しにすることに繋がる。 しかも街宣予定地は、京都三条。朝鮮学校襲撃事件が発生した京都での復活街宣という観点からしても、人間を舐めてるとしか言いようがない愚行だ。 かつて、西村斉が収監される直前に行われた京都でのヘイトデモでは、この西村斉は街宣車の中からマイクで朝鮮学校襲撃事件の被害者である子供達や親御さんらを執拗に踏みにじった。 「 悔しいかー?子供をやられて悔しいかーっ!賠償金?ナンボでもはろたるがな!反日朝鮮人が!」と京都の繁華街を街宣車でがなり立てながら。 その頃と、この西村斉はなんら変わってはいない。 4月23日。自分にとってはこのヘイト街宣と西村斉にカウンターを当てる事は、特別な意味を持つ。 出鼻を徹底的に粉砕すべし。レイシストが嫌がる事を全て身体に擦り込むまでカウンターすべし。 「 反日朝鮮人・拉致・覚醒剤・テロ・北朝鮮・勧進橋児童公園不法占拠 」など、西村斉はテンプレをひたすら繰り返しスピーチすることだろうと予想される。 一切関係ない。一顧だにせず、徹底的に粉砕すべし。 まごう事なきレイシストであり社会悪。それが西村斉である。 中村一成・著「ルポ・京都朝鮮学校襲撃事件」を読んでから23日の京都三条カウンターに行ったほうがいい。いかに西村斉らレイシストの犯した事件が絶対悪であるかが、詳しく綴られているから。 もちろん、書けばそれこそキリが無いぐらいには自分も奴等の蛮行と差別の事案は知っているが。 当時、実際に京都朝鮮学校襲撃事件の餌食とされてしまった児童の親御さんが、事件から間も無く京都の街中で西村斉を見かけた。 我が子にヘイト街宣を行い蹂躙した主犯である西村斉を殺してやりたいぐらいに憤っていたその父親だったが、ふと見ると西村斉が自分の子供を連れて歩いているのを見ていて、怒りよりも寧ろ哀しさや苦さ虚しさに捉われて、声すらかけれなかったという。 我が子を連れて歩く西村斉の姿は、何処にでもいる普通の父親だったという。 西村斉。京都朝鮮学校襲撃事件の主犯。 収監される前も、出所した現在も、ヘイト被害の当事者を踏みにじりながら嘲笑い、差別を反省すらせずのさばっている。 現在のカウンターの人達には、毅然と奴等と徹底的に対峙して頂きたい。 臆せず、怯まず、怖れず。堂々と。 その姿と背中を見知って、勇気と希望を持つ子供達や親御さんら、そして学校関係者らがいる。 小手先ではなく、本気の熱量を誇示して頂きたい。 かつて、自分がずっとそうしては来たつもりだったが、もうそろそろ関西の他の熱いカウンターが新陳代謝を見せる時期だ。 殺されても折れない。自分は奴等と対峙するときは、何度もそう固く信じきってカウンターの場に立っていた。 特にこの、京都朝鮮学校襲撃事件に絡むことに関しては。 現在の関西のカウンターとされる人達の中の、何割がこのテーマの「意味」を理解していることだろうか。 これは、人間の尊厳の闘いである。 ヤケドするぐらいの熱い魂を、是非とも具現化して頂きたい。 京都の路上で。 それぐらいの気概を持って欲しいものだ。 繰り返し書くが「 出鼻を徹底的に粉砕すべし 」 出鼻を徹底的に粉砕した成功例が、奈良在特会支部発足街宣への徹底カウンターだろう。 新規のレイシストを増殖させない意味においても、先手必勝が不可欠である。 200人・300人のカウンターで大包囲が出来ればそれがいいし、仮にもしもカウンターが少なければ、一人で三人分の熱量を発揮する気迫を持てばいい。 やればできる。できるよやれば。 西村斉の街宣ならば、警護担当のレイシストはきっと純心同盟だろう。ならば純心同盟ごと包囲して丸ごと飲み込んでしまえばいい。 ペースを強引にカウンターのものにすればいい。 それから、日本という国は2017年になってもまだこの人権意識の低さが現実だという深刻度にしっかり直視して熟考せねばならない。 なぜ、こんな事態の社会を形成させるに至ったのかを。 100年前から蔓延り続ける悪しき慣習が、この日本という国の実態だということを。 有権者の意識がもっと昔から継続性のあるアクションを据えて来たならば、ここまでの事態よりは少しでもマシなものになってたということを。 しっかりと自覚すべき。 いまだ、このレベル。 昔からずっと陰湿なゼノフォビア大国が、露骨なゼノフォビア大国の色合いに濃くなっている。 それがこの国。
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