#俳優あるいは演出のための方法についてのメモ
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雑誌「演劇人」第13号(季刊、編集発行(財)舞台芸術財団演劇人会議)2003年8月の号。初めて、「演劇人」に寄稿させて頂いた号でもある。(その後数回、対談を含めて寄稿させて頂いた。)
この号テーマは、「演出家宣言」というものだった。ペーター・ゲスナーさんや関美能留さん、中島諒人さん、倉迫康史さん、キタモト・マサヤさんら15名が名を連ねている。
矢野は、「語られる」その内容でなく、というタイトルで寄稿している。いろいろ、今まで書いたものを劇評含め読み直しても、いちばん最初に出版物に書いた21���前! のこの文章が、けっきょくいちばん僕の創作活動の初期衝動をうまくつかまえている気がする。
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Recently enjoyed (2023/01~03)
Been a while since my last update: life has been shifted to somehow an interesting direction😎 Just crossing all of my fingers (including toes) for lucks of myself and my favs🤞
驚くほど放置してしまいました。この期間は中村倫也さん作品に浸りつつ地上波ドラマを追っていました。このクール最高すぎて毎週テレビの前で爆泣きしていたのはきっと私だけではないはず。。。4〜7月と7月以降も手書きのノートにはまとめてるのでまたちまちまメモしにきます。
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞)
湯道(イオンシネマ)
ケンジトシ(舞台配信)
Lie To Me (Amazon Videoレンタル)
リバース(Hulu)
ビリギャル(Hulu)
春なれや(Hulu)
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX)
貞子vs伽耶子(実家のJCOMでやってたの見てました)
シン・仮面ライダー(TJOY横浜)
シンゴジラ(Amazon Prime)
シンウルトラマン(Amazon Prime)
僕等がいた(Amazon Prime)
2023年1月期に追ってたドラマは下記。
Get Ready!(TBS)
ブラッシュアップライフ(日テレ)
女神の教室(フジテレビ)
星降る夜に(テレ朝)
夕暮れに、手をつなぐ(TBS)
大奥(NHK)
リバーサルオーケストラ(日テレ)
警視庁アウトサイダー(テレ朝)
100万回言えばよかった(TBS)
今夜すき焼きだよ(テレ東)
三千円の使い方(フジテレビ)
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞) 年明け初日、向井理さんハリー回見てきました。顔ちっっっさ……足なっっっが……舞台作品って主役級のキャラクターは5分くらい焦らしてから登場する感じのイメージが謎にあったため、本作で体感開始30秒くらいで向井ハリーが普通にど真ん中出てきた際にはヒエ〜〜言うてました。劇伴CDと配信版聞いた感じ曲と曲の繋ぎ目がほとんど分からない感じだったので結構厳密に時間が決まってたのかな?第一幕みなさんかなり早口だな〜と思っていましたがすぐに慣れました。マチネだったのですが見終わって時計見たらぴったりの時刻をさしてたので驚きました… とにかく魔法がすごい、ディメンターが怖い、という噂だけ聞いていたためとりあえず本筋だけ把握していこ〜と思ってシナリオブック(?)を事前に読んでいって正解だったかもしれません。「この場面のセリフじっくり聞きたい!」と狙いを定めて臨まなかったら脳の処理が追いつかなかったかも…と思うほど魔法が魔法でした。魔法だ…(?) マルフォイ父子の好きなシーン(闇の世界のあのシーン)が今回の上演ではカットされていたのですが、宮尾ドラコと門田スコがセリフのない場面で互いにとても大切にしあっているお芝居をされていて大号泣しました… ホラン千秋さんの「ミルベキ」で見て以来エハラマサヒロさんのロンを見たくて見たくてそわそわしていたので本当に最高でした…🤣他のキャストさんでも見たいなあ…
湯道(イオンシネマ) コメディとジーンとするシーンとの切り替えや塩梅が絶妙で、「良い映画見た」というより「良い時間だったな〜」と思いながら映画館を出ました��♨️ 円盤で手元に置きたい……初日に見に行ったのに夕方だったからかグッズがほとんど売り切れていてまるきんのアクリルキーホルダーだけお迎えして帰りました。手拭いほしいなあ。 スーパー銭湯はよく行くものの純粋なピュア銭湯そういえば行ったことないな〜と思って近所の銭湯を検索したところ素敵な場所がまだまだたくさんあることもわかったので地道に開拓してみたいです。お風呂大好き…日本に生まれて良かった…
ケンジトシ(舞台配信) 中村倫也さんと黒木華さんという凪のお暇コンビが宮沢賢治とトシの物語をされるなんて‼️と張り切ってチケット先行やら抽選やらに星の数ほど(正確には両手の指の数ほど)参加して全て落選し血涙を流していた昨年末の私へ……シスカンパニーさんが配信してくださいましたよ!!!やったーー!!!きっと同じく落選続きで悲しんでいた仲間の中に前世で世界を救った方がいらしたんでしょう。その”徳”に便乗させていただいてしまいました。 小説悲劇喜劇 (2020年7月号) に掲載されていた脚本だけ読んだら脳内にハテナしか浮かなかったのですが配信でも舞台を実際に見たら………ハテナが三倍になりました。笑 舞台演劇については昨年10月に鑑賞した「夏の砂の上」のティーチインで脚本家の松田正隆さんがお話ししていた、「劇場というのは不思議な場所」というくだりのことを思い出しつつ、理性で理解するストーリーではないんだなあということだけ考えていました。(こっちの感想の方でちょっとメモしてました) 宮沢賢治に限らず詩作に思いを馳せて言葉に浸る・ということを、とんと行っていないここ数年だったのでとても良い時間を過ごしました。この作品こそ劇場で見たかったな〜
Lie To Me (Amazon Videoレンタル) 1話だけ見ました。The Mentalist やら Suits やらが好き、という話をしていたらお薦めしていただきました。英語の勉強も兼ねようと思ったんですがお仕事ドラマの英語まじではええ〜🤣 息をするように下ネタが出てくるのは、日本のオフィスラブ系ドラマで未婚や年齢・見た目いじりがスルッと出てくるのと似たようなノリなのかな〜と悶々としていたら終わっていました。同僚がセックスライフに口出ししてくるのと見た目のコンプレックスを笑ってくるのと、どっちの方が嫌と優劣をつけるものでもないんですが、これは慣れというか文化というか、「見慣れている」か否かの感覚の違いなのかなとも思いました。(有名な比較で言うと、アメリカのコメディアンがエスニック関連のジョークを言うのと日本のお笑い芸人が相方を叩くのとで反応が違うような) 閑話休題、サスペンス面とマイクロジェスチャー関連の出し方のバランスがきっとシーズン重ねるごとに面白さを増すんだろうなと期待したところで見終わりました。うーん、The Mentalist はメインキャラの中で積極的に性の話をする人がいなかったので見やすかったのかなと思いました。リグズビーが初っ端からグレースを狙ってたくらいしかしばらく言及がないので… 議員さんが若気の至りでできた子とはいえ、身を挺して娘を守ろうとする未来への解決(過去を無為に責めない)展開すごい好きでした。
リバース(Hulu) 藤原竜也主演、湊かなえ原作ドラマ。おすすめされていた作品をようやく見ました。面白かった〜〜!原作小説は二億年ほど前に読んで結末も忘れていたのでああこんな終わり方だったっけと思ったらちょっとハピエンになっていたようです。藤原竜也の将棋ドラマとハリポタ舞台をこのあと 2023 年 6 月に見たのでお芝居の振り幅すごすぎて頭抱えてました。俳優さんてすごい…… あと市原隼人の顔が良すぎてどこかのシーンでビール飲んでるところで一時停止して飲み物を取りに行き、戻ってきてテレビに目を戻したらCMのような良い飲みっぷりの静止画だったので笑いました。顎から鎖骨にかけての首筋が綺麗!
ビリギャル(Hulu) 有村架純さんが主演と知らず、石子さーん!と思いながら見ました。可愛かった……聡明さと天真爛漫さのマリアージュが絶品でした。 私自身個別指導の塾講師として勤務していたことがあり(というか今でも副業で続けており)、伊藤淳史さん演じる先生が褒めて伸ばすスタンスなことに共感しながら見ていました。宿題をやってこなかったり、できて当然の(むしろ年齢に対しできていないとまずい)問題を間違えたり、呆れたり怒ったりすることはいくらでもできるのですが、塾に来る生徒さんは何かしら課題や目標を抱えている状態が多く、もう既に散々呆れられたり怒られたりしてきている方もいま��。そんな嫌な思い出しかない勉強をしに、本当ならのんびりしたい夜の時間に塾にきてくれた生徒さんに少しでもポジティブな気持ちになってもらいたくて私もとにかく褒める指導をしている派です。 もちろん、そういう講師に対してはハナから知らん顔をする生徒さんもおり、そうなると私の力量ではどうもできないので別の指導アプローチをする先生に相談したり、最終的にはチェンジになったりしています。 個別指導の良いところというか面白みは、生徒さんのスタンスと講師側のアプローチのスタイルが合致した場合に天井知らずの爆発的な伸びを見せることがある、という点にあると思っています。違う世代の若い考え方に触れる機会もありがたく、これからも続けられたらなあ…などなど、めちゃめちゃ自分語りなことを考えながら見ていました。父と弟の変化についてはフィクションだからこその綺麗なまとまり方で良かったです。ここまでくれば名大を受けていた同級生男子も合格してハピエン全振りでも…と思ったりもしていました。
春なれや(Hulu) 何みようかな〜と適当に Hulu のトップページをスクロールダウンしていた時に春を感じるドラマ特集の一覧に村上虹郎さんの顔を見つけて再生しました。17分くらいしかないのですが、じんわり心があたたかくなる作品で素敵でした。 全体的にセリフも少なくぽつぽつ会話するのが印象的で、宿命も春には及ばず。来年もまた咲くわね、という穏やかなセリフが記憶に残っています。
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX) 漫画でリョーちんに憧れて PG 志願した小学生が私でした。アニメは見ていなかったので声優さんについても特に何も感じず、ただ3Dってどんなんだろうな〜と思いながら見に行き、良い試合を見た後のような高揚感で帰ってきました。めちゃめちゃ集中している試合の時ってコートで中腰になってる間の記憶が飛ぶんですが、変なタイミングでふと昔のこと思い出したりしてたのでリョーちんの回想が入ってくるのも「ああ〜」と思いながら見ていました。てか沖縄!?兄!?!知らなかった……
Get Ready!(TBS) 今でもあのマスク型キーホルダーとかスイーツの食玩グッズ販売待ってます(2023年8月現在) このドラマ見てお医者さん憧れるお子さんも多いんじゃないかなと思いました。ゲーミング手術室はともかく AI アシストと最低限の人数での施術ってもう導入されてたりするんでしょうか……現代世界線に SF 要素とヒューマンドラマが混ざり合って面白かったです。
ブラッシュアップライフ(日テレ) バカリズムさん原作のウェディング・ハイ!を見て以来楽しみにしており、この3ヶ月本当に楽しく過ごさせていただきました。面白かった…! 当初、悪口や噂話ベースでナレーションが入るので主人公のことが苦手だったのですがそこについても二周目の人生で早々に回収されていて笑いました。友人を大切に思う気持ちがものすごく共感できて泣いたり笑ったり心地よく情緒を揺さぶっていただきました。また長い休みにまとめて見るか、毎日1話ずつ見るような感じでもっかい見たいな…
女神の教室(フジテレビ) 北川景子様の圧倒的”美”とオレンジ色の優しい画面に毎週癒されていました。法律にいろんな解釈があるのは相棒やら99.9やらでなんとなく知っていたものの完全に法曹界側(しかも学生側)から垣間見ることができたので面白かった…!フィクションであることは念頭に置きつつ、全然知らない職業についてちょっぴり知ることができるのもドラマの良いところ…
星降る夜に(テレ朝) びびるほど毎週泣いてました。ディーンフジオカをこんな癒し要素の配役にしてくださってありがとうございました……可愛かった……と思ったら後半胸が苦しすぎて一周回って大盛り上がりでした。 間の取り方と BGM が天才すぎて主題歌聞いただけで胸が熱くなります。JIN だ……
夕暮れに、手をつなぐ(TBS) ヨルシカと n-buna さん大好きの民、ティザーの時から楽しみにしていたので何もかもに大喜びでした。春泥棒のアレンジ音源ほしい… 主題歌のアルジャーノンが良すぎて、小学生の時に読もうとして冒頭のプラトン「国家」引用部分でくじけたままだった「アルジャーノンに花束を」をようやく読み、放心していました。もっと早くに読みたかった…10代の頃に読めていれば、もっと優しい人間になれたかもしれなかった…
大奥(NHK) 冨永愛様目当てで見て毎週口開けっ放しでした。全員、かっこいい…… 原作漫画を確か有功が亡くなるか僧になったんだかするところまで読んだような気がするのですが全然覚えてない…くらいの状態で見たので毎週の展開にハラハラしながら大盛り上がりでした。面白かった……10月から第二期ということで楽しみすぎます。三浦透子さんが一瞬わからないほどだったので今後もさらに楽しみです。半分怖いくらい…
リバーサルオーケストラ(日テレ) 門脇麦さんの魅力に完全にやられました。可愛かった…!!! 箱推しドラマとはまさにこのこと…と思いつつ、実は1話が録画できていなかったので最終回間近になってからやっと Hulu で全話追い、最後数話をリアタイした形でした。のだめ大好き勢なのでオーケストラものが嫌いなはずがなかったのですが、そもそも学生オケと社会人オケなので当たり前に全然違う、全く違う方向性で最高に面白いドラマでした。楽しかった… のだめは千秋やのだめといった天才が音楽��当たり前に生き��中での葛藤や戦いの物語だったのに対し、リバーサルオーケストラの方は主人公の二人以外にもしっかり焦点が当たっていて、天才というより秀才寄りのキャラクターたちが大好きな音楽にしがみついてもがいて生きる様子も描かれていて泣きました。芸術にしがみついて生きるのって辛いけど、幸せ… あと門脇麦さん演じる主人公が周囲の期待や圧と戦う描写も繊細で好きでした。面白かった〜〜😭円盤買いたい…
警視庁アウトサイダー(テレ朝) 特撮大好きな友人が大盛り上がりで見ていたので元ネタを教えてもらったり出演者さんのネタを教えてもらったりでキャッキャしながら視聴しました。楽しかった!私は唯一 BLACK SUN ネタだけわかったので大喜びでした。歌川親子が切なかった……🥲
100万回言えばよかった(TBS) ビターエンド最高すぎました。井上真央さんには個人的に、あの笑顔や花男のイメージでどうしてもめちゃめちゃ太陽のようなポジティブパワーがある方だと思っていたので、この方をしてバッドエンド(というか死別しっぱなし)になるはずがないと思い込んでいました。そのため中盤で佐藤健の死亡が確定した時点でだいぶ動揺し、そのままラストまで見てしましました。泣いた……最後海辺を一人歩く井上真央さんのシルエットの美しさよ……
今夜すき焼きだよ(テレ東) エンディング曲が最近友人が推しているリルリーグさんだと最後の方にやっと気づきました。ダンス可愛かった…
三千円の使い方(フジテレビ) 浪費家なので倹約のコツとかあるかな…と思って見始め、録画設定のミスで途中から撮れなくなってしまっていました。無念…
貞子vs伽耶子(JCOMの何かの局での放送) 実家に帰って深夜にチャンネル回してた時に流れてて見ました。お手本のような邦ホラーで、これは高校生の時に友人と見て盛り上がりたかったな…と思いました。最終絶叫計画の系譜を感じつつも本格的なホラーっぽく、ドンと驚かすところはびっくり効果が最大だったのですごかったなあと思って後で調べたら真剣なホラー映画だったっぽいことが分かり文字通り瞠目しました。
シン・仮面ライダー(TJOY横浜 / Dolby) エヴァンゲリヲン含めシンシリーズというか庵野監督作品をちゃんと見るのが初めてで色々度肝を抜かれました。森山未來がマ〜〜美しい……そしてハチオーグのるりるりへのもはや暴力的な執着にも似た友愛は多分女子なら誰でも小中学校くらいの頃に経験があるんじゃないだろうか……
シンゴジラ(Amazon Prime) 無駄に足を引っ張ったりごねたりする人間がおらず、各々がそれぞれの仕事をバキッとこなしていてかっこよすぎました。最高のお仕事映画…! 未曾有の事態に決して諦めず仕事し続ける官公庁側の人間たちが最高すぎました。怪物の生き物感というか造形が全体的にめちゃめちゃエヴァでウフフ言うてました。
シンウルトラマン(Amazon Prime) シンシリーズすごいのは元の作品を全然知らない状態で見ても血湧き肉踊り大盛り上がりで見終われる点でした。米津玄師のエンディングがつええ〜
僕等がいた(Amazon Prime) アマプラ配信終了間近だったので前後編一気に見ました。生田斗真と吉高由里子の平成恋愛映画最高すぎました。BGM良かった〜映像が美しかった〜あと生田斗真に辛いエピ背負わせてくれてありがとう……
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邪神ちゃんのゆりねにプロトタイプのキャラがいたことを初めて知る。「花園ゆりあ」と言うそうな。世紀末編でケン○ロウがゆりねをユリア!と呼んだのは単なる駄洒落ではなくコアなファン層向けのネタでもあったのか。(*゚Д゚)
このように、同一の作者が短編や読み切りに登場させたキャラクターをまるで配役を変えて演じさせてるような描き方が好物であります。変化の差異が楽しいのだ。
初期のトランスフォーマーの玩具はミクロマンやダイアクロンの玩具を仕様変更したものであった、というようなネタがなぜだかとてもツボるのです。( ゚∀゚)
有名作品には、その作品の前身にあたるような忘れられた短編、知られざる短編がいくつか存在しているケースがあります。
例えば、ドラゴンボールの連載前に「騎竜少年―ドラゴンボーイ」という作品があったりします。リンク先のを読んでの通り、ほぼDBの第一巻のストーリー内容。
すべてはここから始まった!
荒木飛呂彦さんのジョジョ第一部の主人公のジョナサンのプロトタイプ的キャラがジョ���ョ連載前の読み切り作品、『ゴージャス☆アイリン』に登場してたり、『魔少年ビーティー』なんかまんまお子ちゃまのディオ・ブランドー。なんだか有名俳優さんの下積み時代を遡って見てるような感覚で楽しい。
こうした熟して膨らみきる前のアイディアの幼少期を追いかけるのが趣味でもあります。
高橋留美子さんの『炎トリッパー』と『笑う標的』が後の犬夜叉へと結実したり、小松左京さんだと『怨霊の国』という短編が『ゴルディアスの結び目』へ昇華し、『物体0』という短編が『首都消失』に生まれ変わったりとか。(小松さん自身からすれば、この種の作品群はまとめきれなかった構想のメモのようなものらしい。なんともすごい備忘録だ。)
アイディアの再利用、アレンジ、あるいはリブートの手法が大作家さんたちは本当に巧み。ただの使い回しではなく、テーマや素材の魅力を上手に引き出しさらに飛躍させていく。
大作の設計図のような短編、盛り込めなかったアイディアの転職先みたいな短編が世の中には沢山ありますが、どの作品もとことん味わい尽くしたい。
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20231221
1221 きままなTV・メディア情報です(不定期刊)
「メディア大手ワーナーとパラマウント、合併検討 米報道」(日経)
「山下智久、5年ぶり民放ドラマ主演CX4月期『ブルーモーメント』気象学の天才役」(CINEMAtoday)
「NHK稲葉延雄会長 旧ジャニーズの性加害問題に印象『少しずつ前進』」(報知)
「NHKメモ流出問題 派遣スタッフ『盛り上がり見たかった』」(産経)
「2023年ブレイク俳優ランキング(男性編)」(ORICON)
「和田アキ子が引退に言及『シワになっても声さえ出てれば…』膝や目など満身創痍」(ニッカン)
「生成AIを使った著作物の機械学習、文化庁が著作権侵害の『考え方』素案提示」(読売)
「1月期から10月期までの『連続ドラマ』各シーズンで際立っていたのは」(碓井広義/Yahoo!)
「準ミス成蹊大のTHKエース美人アナの夫は、CX屈指のイケメンアナ 遠距離愛の果て」(POST7)
「『月9』も苦戦の連続…巻き返しに必死なCXは空回りしているようにしか見えない」(ゲンダイ)
「復活してほしい年末年始特番 3位『無人島…』、2位『かくし芸』を抑えた1位は」(女性自身)https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2272762/?rf=2
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先月、東京 目黒区の自宅で両親とともに倒れているのが見つかった歌舞伎俳優の市川猿之助容疑者が、死亡した両親のうち母親の自殺を手助けしたとして自殺ほう助の疑いで逮捕されました。
調べに対し「両親が自殺する手助けをしたことは間違いない」と容疑を認めているほか、これまでの任意の事情聴取で��週刊誌報道がきっかけだった」という趣旨の説明をしていたことが分かり、警視庁がいきさつを調べています。
逮捕されたのは、歌舞伎俳優の市川猿之助、本名・喜熨斗(きのし)孝彦容疑者(47)です。
先月18日、東京 目黒区の自宅で、父親の市川段四郎さん(76)と75歳の母親とともに倒れているのが見つかり、両親は死亡が確認されました。
前日の17日以降に向精神薬中毒で死亡した疑いがあるということです。
猿之助容疑者は当初「3人で、死んで生まれ変わろうと話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の説明をしていて、警視庁が、都内の病院に入院した本人から事情を聴くなど捜査を進めた結果、母親に睡眠導入剤を服用させ自殺を手助けしたとして、27日、自殺ほう助の疑いで逮捕しました。
調べに対し「両親が自殺する手助けをしたことは間違いありません。私も両親の後を追って自殺するつもりでした」などと供述し、容疑を認めているということです。
また、捜査関係者によりますと、これまでの任意の事情聴取に対し「週刊誌報道をきっかけに家族で話し合い、みんなでさよならすることにした」という趣旨の説明をしていたということです。
両親や本人からは、2種類の睡眠導入剤の成分が検出されていて、いずれも以前、本人が処方されたものとみられるということです。
猿之助容疑者をめぐっては発生当日に一部週刊誌で自身のスキャンダルが報じられていて、警視庁は、事件との関係や詳しいいきさつを調べています。
事件の経緯
猿之助容疑者と両親の3人が倒れているのが見つかったのは先月18日。
午後に舞台の開演を控える中、午前10時すぎに東京 目黒区の自宅を訪ねてきたマネージャーが発見し、消防に通報しました。
3人のうち、父親の市川段四郎さん(76)と75歳の母親は、2階のリビングに倒れていました。
2人は床にあおむけの状態で倒れ、布団がかけられていました。
段四郎さんは搬送先の病院で、母親はその場で、それぞれ死亡が確認されました。
司法解剖の結果、2人は、前日から当日にかけ、向精神薬中毒により死亡した疑いのあることが分かりました。
一方、猿之助容疑者は、2人とは別に、自宅の地下にある部屋の奥で見つかりました。
意識がもうろうとした状態で病院に運ばれましたが、命に別状はありませんでした。
自宅からは本人が書いた遺書とみられるメモが見つかり、捜査関係者によりますと、警視庁に対し「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」という趣旨の説明をしていたということです。
翌日には退院し、その後、都内の別の病院に入院していました。
警視庁は先月24日、都内の警察署で本人から任意で事情を聴きました。
第三者の関与は確認されず、両親がともに死亡していることから、事実関係の解明には本人の証言が欠かせないと判断したからです。
事情聴取は、その後も複数回、行われたということです。
捜査関係者によりますと、飲んだ薬を包んでいた袋など現場に残されているはずの物が一部、処分された可能性があり、不自然な点も見られたということで、警視庁が詳しいいきさつを調べていました。
出演作品への影響相次ぐ
市川猿之助容疑者をめぐっては、先月、両親とともに倒れているのが見つかって以来、歌舞伎の舞台の休演が相次ぎ、出演する映画も公開が延期されるなど大きな影響が出ています。
先月18日、猿之助容疑者が自宅で倒れているのが見つかったことを受け、当時、公演中だった東京 明治座で歌舞伎の舞台は急きょ、代役として歌舞伎俳優の中村隼人さんと澤瀉屋(おもだかや)一門の市川團子さんが主演を務めました。
また、今月、東京 歌舞伎座で公演が行われた「六月大歌舞伎」でも出演予定だった昼の部は中村壱太郎さんが代役を務めました。
松竹によりますと、来月3日に初日を迎える「七月大歌舞伎」をはじめ、これ以降の歌舞伎座や京都 南座などでの公演も配役を変更するということで、ことし10月までの休演が決まっているということです。
また、今月16日に公開予定だった映画にも出演していましたが、この映画の公開も延期されました。
このほかにも、来年にかけて出演や演出を手がける舞台が予定されていて、歌舞伎界をはじめ影響は大きいとみられています。
市川猿之助容疑者とは
市川猿之助容疑者(47)は、2012年、おじの名跡を継いで「四代目市川猿之助」を襲名しました。
立役から女形まで幅広く演じることができる実力派として知られ、襲名してからは先代の猿之助、市川猿翁さんが確立した「スーパー歌舞伎」を受け継ぎ、世界的な人気漫画「ONE PIECE」を歌舞伎にして評判を呼ぶなど、歌舞伎界を担う1人として注目されています。
また、最近は、舞台にとどまらずテレビドラマや映画にも数多く出演するなど幅広い人気を集めていました。
所属事務所「契約に関する見解は差し控える」
市川猿之助容疑者が逮捕されたことを受けて、所属事務所がホームページでコメントを発表しました。
コメントでは「応援してくださる皆様、関係者の皆様に多大なるご迷惑、ご心配をおかけしておりますこと改めて深くおわび申し上げます。現在、本人は警察の取り調べを受けていると認識しております。このような事態に至りましたことを重く受け止め、今後も当局の捜査に協力して参ります。また、司法による最終的な判断がなされるまで所属契約に関する見解について申し上げることは差し控えさせて頂きます」などとしています。
松竹「今後の捜査等を見守る」
また、歌舞伎の公演を行う松竹も、27日午後にコメントを発表しました。
コメントでは「お客様をはじめ、関係者の皆様に多大なるご迷惑、ご心配をおかけいたしておりますことを改めて深くおわび申し上げます。これまで数多くの歌舞伎公演に出演いただいた弊社としましては、このような事態に至りましたことを重く受け止めております。本件が猿之助の家族内の事件であることにも鑑み、司法による最終的な判断がなされるまでは、会社としての見解について申し上げることは差し控えさせていただき、今後の捜査等を見守りたいと存じます」などとしています。
演劇評論家「不在の影響 大きい」
歌舞伎に詳しい演劇評論家の上村以和於さんは、今回の事件が歌舞伎界に与える影響について「往年の名優たちが80代前後と高齢になっている中、猿之助は、40代、50代の同世代の歌舞伎俳優の中でも動員力が一番と言えるほどの中心的な存在だっただけに不在となることの影響は大きい。一時的かもしれないが今回のことが歌舞伎の興行や人気にも関わってく���のではないか。猿之助は古典も新作の歌舞伎もしっかりできる俳優だったので今後の歌舞伎界のためにも今の若手俳優たちには古典をしっかりと演じる機会を増やしてほしい」と話しています。
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01/21 ヤクザと家族 The Family 試写会に参加しました
*ネタバレどころか全編通しての感想なので一定期間が経過したら本記事は非公開に移行いたします🙆♀️
*記事全体でお名前や役名などを敬称略にて記載させていただいている部分が多数あります。ご不快に感じられる方がいらっしゃいましたらブラウザバックしていただけますと幸いです。
2021年1月21日(木)、映画「ヤクザと家族 The Family」試写会に参加させていただきました。年末年始は「1月29日を迎える」ことを目標に繁忙期を生き抜いたため、当選通知のメールを見た瞬間私の2021年は終わったような気持ちでした。(誇張表現)
今回も初見時の気持ちをフレッシュに残しておくべく、鑑賞しつつこんな感じでメモっていました。 黒い文字が上映中のメモ、緑の文字は帰宅後に補足で書き足したメモです。
これまでは人に見せることを前提とせず目と耳に入ったことや感想を自由にメモっていたのですが、今回を機にメモを見返しつつ(時に載せつつ)感想ブログなどもしたため始めてみようと思い、画像と文字を投稿しやすそうなTumblrを開設してみました。普段芸術と程遠い業務にいそしむ会社員の感想を眺めて「わかる〜」「いやわからね〜」みたいな楽しみ方をしていただけたら幸いです。
今回はB6ノートに見開き10ページ分ひたすら悶絶しているメモとなりました。
映画開始から終了までの時系列順で書いています。ちょこちょこ下記のようにスクショで掲載します。
水中から始まる…… フレッシュなダイイングメッセージみたいな文字で書き始めているのですが映画冒頭、あぶくに包まれながら沈んでいく推定・綾野剛さんの映像がとても綺麗でした。今思い出すと「ああ〜Familia……」という感じです…… 一緒に見に行った方が観賞後、「この映画は山本賢治の走馬灯なんじゃないか」という話をされていて打ちのめされました。
そう言われてみると最後の沈むシーンでは刺された血液か返り血かで体の周りにもやのような赤が浮いていますが、冒頭の沈む映像ではそれがなかった気がするので山本さんの自己認識的な映像なのかな〜とも考えていま���た。 確か右手を伸ばすようなカットがあり、写っている手がなんだか小さく見えたので「19歳の前に胎児からスタートなのかな?」と斜め上なことを考えていたのですが、上方に伸ばした手を自分で見上げているので確かに小さい感じに見えるんだな〜とも考えていました。
1999年
小さい原チャリの山本賢治くん(19)が着席するまでの一連、白い上着で葬儀場に入って行く俯き気味の後頭部が愛しかったです……読み間違いかもなのですが喪主が山本賢治に読めて、あ〜頼れる親族いなかったんだ……とすでに泣きそうになっていました。
少し後のシーンで山本宅が映る時、お父さんの名前で賞状も雑多に積まれていたのが何だったのかな〜と思いながら観賞後にサイトを読んだら証券マンだったとのことで、優秀な社員さんだったのかな……と思いつつ母親も離婚などではなく亡くなっているという記載からかつての山本家に思いを馳せて切なくなっていました。
いちはらはやとかわいい 市原隼人さんをドラマ版『ROOKIES』で知り、『猿ロック』『ボックス!』くらいしか見たことがないながらにくしゃっと笑う顔が好き^〜〜〜と思っていた高校生時代を思い出しました。原チャに足乗せて数珠をいじってるの大変かわいかったです。数珠は手作りなのでしょうか🤔2019年で大原の墓前にも赤マルと一緒にお供えされてるのを見ると三人でお揃いで作ったのかしら……と深読みして涙する私でした。
おかねにはしゃぐのかわいい 夜の堤防で強奪してきたクラッチバッグを開けるシーン。大原を演じる二ノ宮隆太郎さん、お顔は存じていたのですがお名前が出てこず、さらに事前にあまり情報を入れないようにして映画に没入しに行ったので「大原」「細野」の名前が最後までわからず迷走したメモになっています(言い訳) バッグの中から20万円くらいが出てきて堤防でめっちゃはしゃぐ大原が大変かわいかった……1999年でも2005年でも大原が笑ったり喜んだりすると見ているこっちもニコ……☺️と笑顔になるのが不思議でした。
このシーンで月におシャブさんをかざして「きれェ」って言う細野もやばいけど投げ捨てちゃう賢治くんの衝動性も心配な感じでした。この衝動性が2005年の川山を瓶でゴン事件に繋がるんだろうな〜と思いつつ……
あかちゃんあやすいちはらはやときゃわ オモニ食堂で赤ちゃんの翼くんをせっせとあやす細野の笑顔がほんと〜〜に好きで…… 山本・細野・大原の三人でいっぱい食べてるのめちゃめちゃかわいい空間でした。
くみちょうかっこいい 帰宅してから追記したメモもだいぶ頓珍漢なのですが「激シブ」と書きたかったんだと思います。
この食堂乱闘事件の最後、大原が出口手前の机に綺麗にぶつかって気持ちよくひっくり返して走って出て行くのも爽快でした。(どんな感想?)
ドアちゃんとしめるけんじくん 寿司パに呼ばれた賢治くんがビルの入り口ドアを後ろ手ながらちゃんと閉めるのが偉いな〜と思って見ていました。(今思うと金文字の「柴咲組」を見せるためかな〜とも思いつつ) この後商店街を走る時も「どけどけ!」だったのが「どいてどいて!」になって、後に続く言葉の方が優しい感じになる辺りに人柄を感じてグッときました……
はねられたあとはしるけんじくん 雑誌の『キネマ旬報』だったかで綾野さんがスタント無しで挑んだというのは読んでおり、事前公開された映像も見たので心の準備はできているつもりだったのですが劇場で見ると迫力が凄まじかったです……は、はねられている……あと確か長回しがはねられた後も続いていてハラハラしていました。
そしてこのあと盃交わす場面までほとんどメモ取って��せんでした。SNSの完成披露会を見られなかったので一緒に行った方に教えていただいたのですが、あのシーン本当に蹴られているということで……よくぞご無事で……😭 香港までの密輸(入国)船のサイズが意外と小さくて、時々ニュースで見る国境近辺の船ってそういえばこんな感じだったな〜と思い出していました。 あと加藤こと豊原功補さん、『のだめカンタービレ』の江藤しか知らなかったので「なんか見たことあるような…」とは思いつつ一瞬気づきませんでした……!江藤塾の指導が「ヤクザのとりたてみたいな指導しやがって!」と千秋に言われるのですが江藤と加藤全然違う人間ですごかったです……
ところでこの臓器くん三人が密輸されかけるくだりの辺り、賢治くんが柴咲組との関係を否定したのに中村の兄貴が迎えに来てくれて三人とも助かってる描写の理由が1回目だとわからなかったので今後わかるまで見に行きます(ムビチケを追加で積んだ顔)
盃交わすシーンで縦書きのクレジット入るのめちゃめちゃテンション上がりました。かっこいい……ここのシーンの背景や人の配置とお顔など、後で出てくる方いらっしゃるのかな〜と思いながら見ていて白文字を読んでいなかったので結局エンドロールまで気づかなかったのですが今回岩代太郎さんが音楽だったそうで、初めて映画のサントラ買ったのが『武士の献立』だったのでエンドロールでもテンション上がる事態になっていました。
2005年
おしりまで入ってるの 銭湯で山本さんが湯船に向かう後ろ姿のシーンで刺青が背中通り越しておしりと太も��にまで入っていた衝撃のメモ。 そういえば私も小学生くらいの頃、近所の銭湯にどうしても行ってみたかったのですが連れて行ってもらえなかったことを思い出しました。(誰彼構わず話しかけては走り回って物を壊す子供だったのでいろいろな意味で人生変わるところでした)
大原と細野の背中にも線彫りでごっついでかい刺青が一面に入っているのですが、山本賢治さん(25)の気合の入り様がエグいかっこよかった……何年かけて彫ったのか…… 米国にいた時スナック感覚で一緒に刺青入れよ〜と誘われた際、断りつつ色々調べて知ったのですが、線ではなく面の刺青は痛さも尋常じゃない上にグラデーションは彫り師さんの技術も問われるところとのことでお尻やふとももとか脇の肋骨のあたりみたいな皮膚の薄そうなところにまで見事に入っているのを見て山本さんの六年間に思いを馳せたりしていました。あと全然関係ないですがお風呂めっちゃ気持ちよさそうで私も帰宅してお風呂沸かしました。
中村「てれるな」かわいい 安易に「かわいい」という形容詞を使いがちなのですが魅力を感じた時にさくっとメモする時やっぱり「かわいい」とか「かわ」って書くのがラクという。 若頭襲名?就任?のお祝いをされてぽつっと一言中村の兄貴が「照れるな」と言うのがかわいかったです。立ってるだけでめちゃめちゃ怖いし1999年の方でも怖かった中村さんが口を開くと思ったよりフランクで端々にポップさが垣間見えて「あっ好き」と引き込まれた瞬間のひとつでもありました。ドラマ『アンナチュラル』の宍戸だ!!と思って警戒しながら見ていたのですがここで警戒を解いて仲間だ〜🌼と思いながら見ていたので2019年の方で落ち込みました……(鑑賞中に落ち込む視聴者とは)
このシーンで細野が「これ山本の兄貴からです」のような文言で中村さんにプレゼント(とは言わないのかしら……)を渡す時、言い方や間の取り方があまりにも自然なモブっぽくて一瞬細野だと思いませんでした。山本さんから中村さんにお祝いの品を渡すだけの舎弟の役割を果たしている細野aka市原隼人にグッときていました……
せんえんくれる オモニ食堂で小学生の翼くんに千円札をくれる山本さんのシーン。一万円とかではなく、でも小学生には大金の千円札をお小遣いにくれる山本さんのバランス感覚がとても好きでした。愛子さんが止めるでもなく受け取っときなと言う様子になぜか嬉しくなってました。そして翼くんがンマ〜〜〜かわいい……その翼くんと会話してる時の山本さんと細野がこれまたンマ〜〜〜かわいい……あの笑顔は無形文化遺産認定の日も近いです。
「子供と会話すると笑顔になるよな〜」と思いつつ見ていたのですが今思うと大原くんと亡くなった翼くんのお父さんが似ていたというところから、自然と人を笑顔にさせる特性みたいなものを翼くんもお父さんから受け継いでたのかなぁとか、いろんな人の居場所になってたオモニ食堂を切り盛りしてるお母さんから学んだりしてたのかなぁとか色々考えていました。
ジッポのチーンかわいい この「かわいい」も魅力的だったな〜の「かわいい」です。2005年の山本さん喫煙シーンで印象的なジッポライターの開閉音、薄い金属音がおしゃれで好きでした……小中学生の時分、ジッポに憧れて百均やらドンキやらで安いのを買ってはガチッとかバチッみたいな音を立てて開閉させていた勢なので「かっこいい……」と痺れていました。あと山本さんの手が綺麗で二倍痺れました……
2019年、山本さんの出所後に「柴咲組一同、盛大に」のシーンで煙草に火をつける時は百円ライター的なジッという音になっていて泣きそうになりました。対比がエグい……
くうきのかわりかた 2秒前まで翼くんと近所のお兄ちゃんみたいな会話をしていた細野が山本��電話の様子を見て一瞬で空気を切り替えるのがビリッと来ました。オモニ食堂の壁際に飾られた七五三か端午の節句かの人形を挟んで会話していたのも何故か記憶に残っています。
この画面大原があまり映ってなくて若干寂しかったりしました。三人でご飯食べにくるの可愛かった……ビールの乾杯の時にグラス合わせる位置が特に山本さんが上という感じもなく三人でかんぱ〜いってなってたのが本当に好きでした。(見間違いだったらどうしよう…)山本さんの貴重な笑顔……
あめちゃんなげるのかわいい この「かわいい」は「かっこいい」と「かわいい」が半々くらいのかわいいです。去り際に細野が翼くんに2つか3つか何か投げるので「小銭?にしては雑…?」と思っていたらキャラメルなのかラムネなのかアメなのかオレンジ色の細長いのを翼くんが両手で受け取ってて可愛くて死にました。 お菓子を持ち歩く細野……
続くクラブ C'est la vie で敵対勢力が煽りに煽るシーン、細野が身を乗り出してゴリゴリに睨んでる中、山本さんが微動だにせず立ってるのがめ〜ちゃ怖かったです……まじで身じろぎひとつせず川山のことをじっと見ている様子が、あまりにも静かなのに絶対静かな訳がない嵐の前の大気そのものでひたすらぞわぞわしました……
川山が立ち去った後でママが気を取り直して女の子たちに声をかけるのがまた好きでした。ママの肝の据わり方よ……
そしてここで登場するみゆきちゃんこと工藤由香。青いドレスが似合ってて素敵でした。今思い出すと冒頭や最後の海を思い出すような深い青なのですが、由香ちゃんの明るい人柄と真逆な色かつ尾野真千子さんの雰囲気にぴったりの綺麗な深さだったな〜と思いました。(小並感)
自己紹介もなく隣に座り山本さんの親指の付け根部分にガラス片が入っているのをそっと取ってくれる由香ちゃんを見つめる山本さんの目元がサングラスと前髪でわかりづらかったのもエモでした。わかりづらいけれど、川山と話していた時とは完全に異質の静けさ……
さっきまで流血沙汰の事件起こしてた男が、自分で気にもしていない(蔑ろにしている)傷に気づいて手当てをする由香ちゃん、彼女の来歴が映画の中ではほとんど見えないのも「山本の走馬灯」と考えると納得でした。
ついでにこの後ホテルに呼び出される由香ちゃんのシーンがめちゃめちゃ可愛くてニコニコしながら見ていました…… 由香ちゃんの到着で、画面には映らないジッポの音が「山本さん緊張してるのかな…」という感じでかわいかったです。そして由香ちゃんの私服(チェックのシャツワンピースとフードつきダウン)が青いドレスとこれまた180°正反対とは言わずとも90°くらいの位置にある感じでとてもかわいかったです。◯まむらかパ◯オスか……
ぺちぺちたたかれてる かわいい 抵抗する由香ちゃんのぺちぺちパンチが大変かわいかったというメモでした。
そういえば山本さんの背中におわしますは修羅でしたね
抵抗している由香ちゃんに動揺しまくる山本さん、さっきまで貫禄凄かったのに急に中学生男子になってニコニコしちゃいました。川山とか加藤にこんな態度を取ったら親族もいない由香ちゃんは臓器ちゃんコースでもおかしくないのに、運転しておうちまで送ってくれる…… ここで携帯渡して「入れろ」だけ言われて、一回でちゃんと正しい情報を打ち込んで渡してくれる由香ちゃんの律儀さもかわいかったです。ラブコメ映画ならここで一回ギャグ挟んでから山本さんが「��いつ…!」って思ってるときに携帯に由香ちゃんから連絡入るパターン……🤔💭と思考が逸れるくらいかわいいシーンでした。
セーターのおじちゃんかわいいね… この「かわいい」も「かっこいい」と「魅力的」の混ざった感情でした。川山の件で加藤との会談に中村の兄貴を連れて行く柴崎さんにスルッと流されてしまって立ち尽くす山本さんに肩ポンしながら「たまには兄貴に花持たせたれや」のようなことを言うおじちゃんがその場面で一人だけスーツではなくセーター着用だったのがかわいいな〜と思った感想。
ビリビリに張り詰めた空気の中で元凶とも言える山本さんに声をかけようにもかけられない(かける勇気が出なさそうな)雰囲気の中、かる〜い感じで声をかけてくれるおじちゃんが大変好きでした。何かあったときに気持ち的にラクにしてくれる方が職場とかに一人いてくださると心理的安全ダンチだなぁなどと今打ちながらしみじみ考えます。みんな頼ってひっそり相談に行く感じ……
あとこの「たまには」という一言、最初はおじちゃんが気を遣ってくれてる感じかと思っていたのですが、2019年の方で中村の兄貴と乱闘になる場面で出所したての山本さんに兄貴が「いつもいいとこどりしやがって」みたいなことを言っていたのを考えると、1999年〜2005年の6年で相当派手に活躍していたんでしょうね山本さん……
出待ちしてるのかわいい これは紛れもなく「かわいい」でした。クラブの前で車で由香ちゃんを待ってる山本さんのシーン。この直前の事務所でソファで仰向けで煙草吸いながら起き上がって天井見上げてまた吸って…���というシーンの山本さんは手首や体の動かし方から漢と色気の混ざり合った匂いを画面越しに感じるほどかっこいいのに、由香ちゃん呼び出して「無理なんで……」とわりと年単位で寝込みそうな断り方をされて無言クラクションパーーーーーで強制的に呼び止めるあたりの流れまじでラブコメでかわいかったです。
みゆきちゃんにオラつけてないのかわいい まさしく。別に山本さんが「オラついている」訳ではなく「ペースを乱されまくっている」と書きたかったのですが勢いでメモっていたのでこんな書き方になってしまいました。語彙力……
このシーンではまだ「ゆか」という名前が出てこなかったので鑑賞中のメモが「みゆきちゃん」記載。
ドライブ(きょうせい)かわいい 由香ちゃん青いドレスのまま上着だけ持ってきてドライブしてたような気がします。白い上着に青が映えるな〜と思いながら見ていた気がするのですが見間違いかな……次見る時確認します。
そして今気づきましたが「(強制)」と言うと常田大希さんが年末にSNSで公開していた綾野剛さんとのメッセージを思い出します。どんなおせちだったんだろう……ちょろぎ入ってたのかな……🤤
顔が良いあやのごう 夜明けの海岸で由香ちゃんに「どうやって儲けてんの」「なんでヤクザやってんの」のような質問攻めにされるシーン。今回のメモぶっちゃけ6割くらい綾野剛の顔が良い(または諸々が「かわいい」)で埋まっていたのですが、この辺りから各俳優さんの様々な「美しさ」に魂が震える映像になっていった気がしてメモ内容が圧倒的に表情のことや空気感についての言及になっていたので我ながら記述が曖昧で頭抱えました。咄嗟の語彙力 増強 方法 検索👆ポチ
夜通しドライブした二人が由香ちゃんの気軽な質問からほんの一瞬だけお互いの深いところに触れる描写が夜明け前の一瞬の空を思わせてエモでした。
まじすか!? かわいい ここからしんどかった…釣りに出かけた柴咲さん・山本さん・運転手の大原くんの三人が車内で会話しているシーン。 電話で呼び出された時山本さんが着てたセーターかわいかったな〜というのも記憶に残っています。そういえば山本さんが住んでるところって柴咲組の寮的なところなのかしら🤔最初に由香ちゃんが呼び出された時、ドア��避難経路が貼ってあったのでホテルかと思ったのですがそういえばこの場面でも同じベッドな気がするのでホテルじゃなくて家なのかな……?
運転手の大原くんが嬉しそうに相槌を打つのが可愛すぎて劇場でニマニマしてました。「こいついっつもお前の話するんだよ」みたいなことを柴咲さんに言われて山本さんが呆れてるのに「すみません!」ってお返事しながらニコニコしてるの本当にかわいかったです。
気を張ったり気が立ったりがデフォルトの中で大原くんみたいな人がそばにいるとホッとして笑顔になったり少し安心したりするんだろうなぁ、愛されてるんだなぁと思って(由香ちゃんとのラブコメからのエモの流れで完全に油断していたこともあり)完全にリラックスしてたところで二人乗りバイク………………………………
ずるい……………………… 大原くんの魅力にフォーカスした直後のこれはずるい……………………
今思い返すとこのシーンも多分長回しでした。どこからどこまでだったんだろう……完全に頭から世界観に浸って「釣りか〜何が釣れる時期かな〜」とか考えてたのでめちゃめちゃ衝撃でした…… そしてここで山本さんが車を振り返って呆然とする流れが辛いのにめちゃめちゃ綺麗でした。昼前の太陽の明るさ……
ないてるいちはらはやと 翼くんを撫でて笑おうとする細野がぼろぼろ泣いてしまうシーン。シンプルにつらすぎて胸にきました。トレーラー映像で主題歌が入る前あたりに映る煙、煙草かなぁと思ったらこの大原の葬儀のシーンだったんですね……ずるい……
この時の翼くん6〜7歳でしょうか。物心ついてから初めて参加したお葬式だったのかな、と思うと普段と様子の違う知ってる人たちの中で細野ならいつもみたいに笑ってくれる!と思ってたりしたのかなぁみたいなことも考えて辛み増してました。ちょっと戸惑うような様子が辛かった…… 細野の翼くんと接する時のあの笑顔が印象的に描かれていたからこそ辛さが倍増(どころの問題じゃない)でした。
そういえばこの後から細野の笑顔がちょっと変わったような。🥲 2005年では���う笑うシーンがなく、2019年の方でも相当苦労したんだろうなぁという感じで笑顔の雰囲気が変わっていて辛かったです……パパしてる時ももう翼くんに笑いかけたみたいな笑顔じゃなくて……無形文化遺産儚い メタい感想だと「笑顔」ってそんなに種類分けられるものなの……?と市原隼人さんの表現ぢからにタコ殴りにされていました。安仁屋……
けいさつとヤクザの髪型 ちがうのすごい 柴咲さんと大迫が会話するシーン。画面右側に柴咲さんと中村の兄貴、左側に大迫と若い警官?が映るのですが、中村の兄貴も警官も「髪が短く襟足は刈り上げに近い感じ」「スーツ」「姿勢良く立ってる」とほぼ同じ条件のはずなのに、どう見ても右側がヤクザで左側が警官だったのがすごかったです。さらに場面的に逆光でほぼシルエットだったにも関わらず明らかな差異があったので痺れました。
ケン坊なのかわいいな…… 入院している山本さんのお見舞い兼報告?で柴咲さんと細野が病室を訪れるシーン。もうすでに嫌な予感はしていたので感想がかわいいポイントだけフォーカスして書いてありました。柴咲さんが「ケン坊」って呼ぶの本当に愛が深くてなんでか泣きそうになります…… 花籠を置きながらずっと泣きそうな顔をしている細野の私が代わりに泣きました。(なんで?)
えっ えっ顔が良い あやのごう…… だいぶ動揺しています。ベッドで横になった山本さんの思考をなぞるように俯瞰でゆっくり回る画面のシーン。天井視点というべきか何と言うか…… 1999年に侠葉会から逃げる賢治くんのシーンでも画面がぎゅん!と回って大混乱なところがあってすごく好きでした。
あの静かな表情が怖いのか美しいのか、ぞっとするのか狂おしいほど愛しいのか、全部詰まっていて文字通り息が止まりました。二重幅の目元がずっと脳裏に残っています。
そしてこの後クラブの中で山本さんに紙袋を手渡す細野、サイトのキャスト紹介の写真もしかしてこの場面では……?と気づいて地に倒れ伏しました。苦しい……
な…中村さん…… 1999年でおシャブさんを扱わない柴咲組に「じゃあ何をやってるんだよ」みたいなことを聞いた賢治くん19歳に、凛と張りのある声で答えていた中村さんを思い出しました。山本さんとはまた別の理由で耐えきれなかったのかな中村さん…… 屋上でゴルフしてる柴咲さんと山本さんを見てる時の中村さんの目線がなんとなく不穏だった気がしたのですが、中村さんは任侠の人でした……😭
刺殺する時は刃物を縦ではなく肋骨に沿うように横にして差し込むと致命傷になるみたいな話を思い出して現実逃避しながら見ていたのですが銃を選んだ山本さんと刃物を選んだ中村さんの違いみたいなところにも思いを馳せていました。 (そういえばサイト読むとドス的なものではなく包丁だったんですね)
そぼくなゆかちゃんハウスかわいい 質素倹約大学生の一人暮らしアパートとてもかわいかったです。調べたら2005年といえばファーが流行したりエスニック柄が流行した時期らしいのですがそんなものの影もない本棚やキッチンの生活用品のカゴに生活を感じてグッときました。そこに転がり込んでくる血まみれの山本賢治……
震えてる山本さんに動揺しながらも少しずつ落ち着いて癒してくれる由香ちゃんと、最初触れるだけのキスをするのがすごくグッときました。
みあげるとき 19さいだ… 翌朝、事務所に帰ってきた山本さんがソファに座ったままぼんやり柴咲さんを見上げて立ち上がるシーン。1999年、加藤の元から助け出された後を思い出しました。ESSE のインタビューで綾野剛さんが語られていた内容もふと思い出し、朝陽の入る光景に胸が痛くなりました。 その後で柴咲さんが山本さんが怪我をしている左肩を大切にして首元を引き寄せて、自分の白い上着を気にするそぶりも見せずにガッと抱き寄せるのがまた辛かったです……(あまりにも当たり前のように深く抱き寄せてたのでしばらく柴咲さんの上着が白いことにも気づきませんでした) 大迫が入ってきて手錠をかけているあたりのシーンで柴咲さんの上着に血がついててウグ……となっていました。
よりにもよって連行される時のニュースを翼くんがガッツリ見ているというのも辛かった……来なくなった大原、逮捕された山本さん、細野は一人でオモニ食堂にご飯食べに行ったりしたんでしょうか……2019年の方だと細野と翼くんのコンタクトが一切なかった気がしてまた辛いです……
怪我が治ってないのに歩かされて収監されてる山本さんが辛すぎると同時に、真っ暗な中から明るいところに出る流れの表情に鳥肌バキバキでした。
2019年
2019年の方が青いの…?(色)がめんの 早朝出所する場面から始まることもあってか映像が青くて「あれ…?」と思うなどしていました。初めて見る丸メガネの若い子と中村の兄貴が迎えにきてくれて、「細野くん来ないんだ…」とざわざわしていました。
そして事務所に到着すると剥がされている金の「柴咲組」。剥がされた後のスプレー跡が残ってるのが傷跡みたいでまた辛い…(この後ほぼ「つらい」「しんどい」しか形容詞が出てこない)
19才の鼻のキズのこっちゃうんだなぁ 出所後にすっかり様変わりした街並みを見上げながら事務所に戻り、多分14年ぶりに柴咲さんにも会うシーン。和装の柴咲さんに嬉しそうにしてる山本さんの鼻に傷跡が残ってるのがなんとなく印象的でした。
20年経ってるんだなぁと思いつつ、2005年の加藤との会談での「俺のたまでも取ってみるか」はもちろん何気ない会話の一言でも声の厚みがめちゃめちゃかっこよかった柴咲さんの声が弱くなっててめちゃめちゃ不安になりました。
あとこの事務所が映る時に「がらんどうだ………」と思った覚えがあります。置いてある小物の数が著しく減ったとかではなかったと思うのですが、何が違ったんだろう……2005年の時から人が減ったのに様子が変わらないから寂しく見えたのかしら……次見に行った時確認します……
そういえば美術の部谷京子さんが『容疑者Xの献身』の方と後で調べて知って唸り倒しました。寂寥感とあたたかさが混在する空間大好きです……
SEKISUI HOUSE 山本さんの新居のアパートの壁にSEKISUI HOUSEのロゴがありましたという。なぜこれメモったんだろう。しんどさが限界点突破して何か関係ないものメモりたかったのかな……
このシーンの前でたぶん大原くんのお墓参りをしているんですが、そこで赤マルお供えしてるのと、あと多分ほどけてる数珠がお供えしてあったのも印象的でした。お揃いで作ってたのか、それとも細��が趣味で作ってたのを置いてったのか、ちょっと次見る時に三人が1999年と2005年でおそろっちしてるか確認します……
丸メガネの子がしょんぼり辛そうに条例の話をシンプルにしてくれるのを聞いてから山本さんがまず由香ちゃんに連絡取ろうとしてるのがかわいかったです……しかし繋がらない…… ここのスマホ使い慣れてなさそうなところがまた紛れもないかわいさでかわいかったです。通信機器って差し入れできないんですね……
そしてこの後の出所祝いが😭ひ、ひたすら辛かった……… 「柴咲組一同、盛大に」という文言はきっと昔から使われてきたもので、山本さんも何度も聞いたことのあるような乾杯の掛け声なんだろうなと思いつつ、どうしてもかつての賑やかさを思い出してしまって辛かったです……煙草に火をつける音が百円ライター……ビールは瓶のプレモル……(こ���も現実逃避メモ)
追い討ちをかけるようにシラスの密漁シーンが入り、大変な寒さに違いないだろうに「これで食わせてもらってんだよなぁ」的なことを言いながらはしゃぐようにしてるオジキたちがしんどかったです……
そして現存していたオモニ食堂😭よかった……!あった……!変わらず待っててくれる愛子さん、久しぶりの細野……!でもやっぱり笑い方が変わってるというか、なんかあんまり山本さんの方を見てなかったような……この辺りメモがくちゃくちゃ(文字が重なってて)になってて己の動揺を見ました🥲
配偶者を「ヨメ」って呼ぶ細野かわいいな〜と思いつつ、丸めた千円札をぎゅっと押し付けて出て行くまでの流れが辛すぎました。慰めるでもなく何か言うわけでもなく一緒に時間を共有してくれる愛子さんの存在に私も救われていた沈黙のシーンからの翼くん帰宅。上着こそ赤ですがまんま1999年の山本賢治(19)でかわいい〜!となるやら翼くん〜😭となるやら、感情のジェットコースターでした…… あとで加藤と会話してる時にも思ったのですが、翼くんの敬語の使い方が大変最近の若者感で好きでした。何が違うんだろう…🤔何が最近の若者感なんだろう……
ふうとうにフッてするんだね… 親父の入院費を中村さんが徴収するシーン。細かい仕草なのですが気になりました。確かに新しい封筒を開いて紙の端を指で支えて、こう、中の空間を広げて……みたいなのをモタモタやるより一発でガッと開くので効率的ですね。完全に現実逃避の着眼点的メモです。
ここで出所祝金を封筒ごと出して全額出す山本さんもしんどみでした😭お守りみたいに持ってる…… (この部分、あとで由香ちゃんが14年間300万円に手をつけなかった部分と重なるなぁと思っていました)
な…中村さん… おシャブ………………でもいろんな作品見てても「覚醒剤や大麻って儲かるのか〜」と思うので組を守るために背に腹だったのか……と思いつつ、本当に困窮するまで手を出さなかったであろう中村さんの葛藤を思って泣きそうでした🥲
ひかりのかげんすごいすき 車のライトの前で取っ組み合いする中村さんと山本さんのシーン。足が長い二人がこういう画面で喧嘩すると足しか映らないんだな〜と辛さから逃げる思考をしつつ、画面の中央に車を置かない、全部見えない、どっちがどっちかわからなくなりながら怒鳴って掴んで引っ張って引きずり倒して、という二人の感情の発露を息を呑んで見入っていました。この時どこかのタイミングで月も映ってたと思うのですが、1999年に細野がシャブをすかしてた半月と同じだったりしたのかな……早くもう一回見に行きたい……
中村さんよかった…やってない… 「そこまで落ちてねぇよ」的なことを言いながら自分のハンチング帽?で山本さんをぺしってする中村さんの仕草に「照れるな」の時と同じホッとする気持ちで気が緩んで泣きそうでした。ちょっと嬉しそうな山本さんの表情に私も嬉しくて…😭
(そういえばFitbitの記録見たら多分大原くんの死から2019年中盤あたりにかけてめちゃめちゃ落ちててすごい落ち込みながら見てたんだなぁと思いました)
出待ちしがち山本けんじ 韻を踏んでいる😄煙崎市の市役所職員入り口前で由香ちゃんを出待ちしているシーン。最後自宅前でも出待ちしてましたね。 私個人「来るかわからない」「いるかわからない」「会えたところでめちゃくちゃ嫌な顔をされるかもしれない」状態で待つのが辛すぎて無理の民なので、山本さんの忍耐力や相手を想う気持ちの強さに泣きそうになった場面でした。(よくわからないところで泣く系)
月の出ている夕方の海、かつて隣で見た明け方とは異なりこれから暗くなる空の下で会話して、送ってもらってからあの時の血のついたままのお金を持ってくる由香ちゃんのいろいろな気持ちを思うと辛すぎてダメでした………
キムチチャーハン(うまそう) 現実逃避メモ。お夕飯作ってる娘・あやちゃんが可愛くて可愛くて……😭😭そしてたぶんこれはキムチチャーハンではなくてケチャップライスでした。笑
昨年の『ドクター・デスの遺産 THE BLACK FILE』でも父だった綾野剛さん、今回は「父」としてあやちゃんに接する場面がありませんでしたが、先日公開された主題歌FamiliaのMVでおずおず近づいて抱きしめてくれるあやちゃんに腕を回して抱き返す姿になぜだか救われた気持ちがしました。(歌詞と学生服のあやちゃんが映った瞬間から涙が止まらなくて1日あけてからもう一回見ました)
オヤジからぬけろって言われるの… 入院した柴咲さんを見舞った山本さんに優しく柴咲さんが「お前はまだやり直せる」と言うシーン。辛かった…
ドラマ『アンナチュラル』5話で鈴木さんがミコトに「何が間に合うの」「果歩はもう死んだ」と返して刃物を握りなおすシーンを思い出しました。 山本さんにとっては何も間違えていなかった、やり直すことはなかったんじゃないかな、と思う反面、妻と自分の子供と静かに暮らすためには「やり直す」必要があったのか……と思うといろいろな感情で諸々ぐるぐるしました🌀
な…中村さん…… 除籍後、密漁するオジキたちのカットの後で車中で細い注射器で………………おシャブを打つ中村さんのシーン………………………だったと思います……
ハンドルに寄りかかって乱れた髪を手でさらにくしゃっと握りながらメガネがズレるのも構わない様子にめちゃくちゃ……落ち込みました……中村さん……
謎に上から(笑) 加藤宅でお話ししてるシーンで翼くんがタメ語になる瞬間。この場面でも翼くんはずっと敬語でお話ししていて無用な軋轢を産まないというか禍根を残さないと言うか、処世術的にというか極端に悪い言い方をするなら日和見寄りな部分で現代っ子っぽいな〜という印象でした。あっ最近の若者感ってこれかしら…?
加藤の「時代遅れ」な助言の裏にしっかり見えてる支配欲に笑っちゃいそうな雰囲気が、絶えず続けられる撮影にも現れてるような気がしつつ、意外なところで動揺している様子が意外なようなちょっと安心するような気持ちで見ていました。お父さんのことが気になっていた翼くん……
く…くまさんカップ……! 工藤宅で朝ごはんを一緒に囲む山本さんがくまさんカップでスープなのかココアなのかをいただくシーン。この穏やかな朝ご飯の空気と山本さんの柔らかい表情をトレーラーで死ぬほど見てはいたので、これ多分後で崩れ去るんだろうな〜のような予想をしつつ色々気持ちの準備とか覚悟とかしていたのですが、まさかくまさんカップとは思っておらず「かわいい」という気持ちで脳がパンクするかと思いました。と言うよりもパンクしまして準備していた覚悟的なものも全部粉砕したのでこの後のシーンのしんどさ全部真正面から浴びてしまって「もうやめて…やめて…」と泣いてました……(好き)
山本さんにくまさんカップを使わせるに至るまでのあやちゃんと由香ちゃんと山本さんのやりとりも考え始めると辛すぎました。かわいい。辛い。かわいい…………ゆるして…もうやめて………(好き)
空色の車で市役所と学校に二人を送るシーン、学校までのちょっとの時間をあやちゃんと二人で過ごす山本さんが愛しくて泣いてました。この辺りずっと泣いてる…… 「最近ママ楽しそうだよ」って言うあやちゃんに穏やかに笑ってる山本さんがもう無理でした。愛しい空気のままここで見終わりたい……と大号泣している自分と、ここからの展開に期待全開で姿勢を正してアドレナリン分泌の大号令を出す自分が同時に存在したので多分このシーンで私の副腎は副腎皮質も副腎髄質も絶賛大稼働していました。
ありがとうほそのくん… 社長に無理を言って産廃処理工場に勤めさせてくれる細野くん。本当にありがとう……「初めてこいつに感謝したよ」みたいなことを山本さんが笑いながら言うのですがそんなところまで含めてかわいいシーン……………と思っていたら、二人の正面に座る若いの(かみやくん?)が口を開いた瞬間から不安でたまりませんでした。翼くんともまた違う若者口調……
そして場面が変わって翼くんがけつもち?しているお店に大迫が来るシーン。しかし一枚上手の翼くん💪いやここで頼もしい写真の証拠と、さっきのシーンでの記念写真の対比がエグい……
翼くんに一枚取られたのが悔しかったのか、八つ当たりみたいに産廃工場に来る大迫さん。シーンが繋がってたせいか余計そう見えてしまいました。大迫さんへいい感じに負の感情が向いた鑑賞中でした。
そういえば大迫さんもざっくり20年以上刑事を務めているんですよね。ドラマ『MIU404』のガマさんに一瞬思いを馳せていました。ふと思い出すと米ドラマ『The Mentalist』や『NCIS』だと現場に出てくる定年後の刑事ってあんまり出てこない印象があるなぁとも考えていました。『The Mentalist』に至っては『MIU404』の陣馬さんポジションのレギュラーいなかったような🤔ミネリはマメジかな……
「全部終わりだよ」とくずおれる細野、にやつく大迫と山本さんのやりとり、続く由香ちゃんとのシーンはただ呆然と見ていました。目も合わせてもらえないまま「お願いです、出ていってください」と泣かれて土下座されて、敷居を挟んで立ち尽くす山本さん……
ここで気づいたのですが、どのあたりからか山本さんのセリフがどんどん少なくなってってる気がしました。元々しゃべる立ち回りはしない山本さんでしたがますます口を開かなくなって……いたような……
まばたきもしないでないてるの… 病院にかけつけた山本さんが危篤状態の柴咲さんに「まだ親父って呼んでくれるんだなぁ」と言われてまばたきもせずぽろぽろ涙をこぼすシーン。微笑んで「俺の父親は親父だけです」のように返す声で心臓がぎゅっとしました…
このシーン、不謹慎ですが見入ってしまいました。綺麗だった……
6組「彩」ってしんどさよ… 転校?の挨拶をするあやちゃんの左奥、教室の壁に大きく貼られたクラスの標語が皮肉すぎました。名前の漢字、あやちゃん「彩」じゃなかったっけ……
このシーン山本さんが事務所から由香ちゃんの携帯に留守電を残すモノローグが入っていて嫌な予感しかしなくてずっと心臓ばくばくしていました。 そして帰宅すると家がからっぽの細野………土砂降り……
そして半グレの仲間達と金属バット持参で傘もささず父の仇のもとへ向かう翼くんと、その時にはもう着手している山本さん。返り血を浴びた表情がまさに背中の修羅そのものでした……担架で運び出されていた大迫はまだ息があったのか否か……
血まみれのまま朝方の堤防でぽやっと煙草を吸って2、3回軽く咳き込む山本さん、バイクの音が3人分聞こえてたような…… そして泣いてる細野……
このカットがチラシなの!? 心の底から思いました。「ただ、愛した」という短いコピーと薄い空の色にどんな場面なんだろうと思っていたので、ここかぁと胸が熱くなりました。
刺されながら抱きしめて「ごめんな」と返事をする山本さんの体からどんどん力が抜けて、それでも溢れるほどの愛情がそこにあったような気がして息を呑みました。 細野の右頬にべったりと血が残っているのが脳裏に焼き付いています。
そして冒頭の沈む山本さん。海水の中で目を開けて、海面に手を伸ばそうとするような動作をしていたと思うのですが正直泣いててあんまり見えてませんでした。早く次見に行きたい……
後日、大きな白い花束を持って堤防に来てくれる翼くん。山本が吸っていたセッターを一口吸ってから箱ごと供えて立ち去ろうとするとあやちゃんが入れ違いでやってくるシーンがまた最高に好きでした。
お母さんゆずりのグイグイ…… 翼くんに「あんたヤクザ?」とどストレートな質問を投げかけ、「お父さんってどんな人だったの」と質問を重ねるあやちゃんに、夜明けの海岸で山本さんにグイグイ質問していた由香ちゃんを垣間見て涙腺にきました。その後の翼くんの表情の変遷がまためちゃめちゃ好きでした……
血を分けた家族、血や肉の繋がりを超えた家族、いろいろな家族が描かれる中で、ただ愛した人たちと一緒にいたかった山本さんの人生を時系列で見せてもらえてしばらく放心していました。 幸せは人によって異なり、一緒にいたい人と築く家族の形も世帯の数だけ存在すると改めて思いつつ、山本さんが幸せだった時間も一緒に見せてもらえたことが私にとって幸せでした。
感想何かちょっといい感じの感想で〆たかったのですが全然なにもまとまっていないので月間シナリオ2月号で掲載されているという台本を読みつつ1月29日を待ちます。あと円盤にインタビューやオーコメや未公開映像があったらいいな〜と思いつつ円盤も待ちます。あと今後藤井監督や綾野剛さん・舘ひろしさんをはじめとしたみなさんが今後いろんな媒体でまた『ヤクザと家族 The Family』について言及される機会があるだろうと願いつつ各種媒体おっかけながら生き延びます。生きます。
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190314 CONCLUSION
自分メモ:
ついに電気グルーヴに死刑判決が下った! 他人が密かに感情移入しているものにまつわる悲しみなど、どうでもいい。当然それは発信者としての自分にも適用するべき。
例えばペットが死んだとか、親が死んだとか、他人にとってはマジにどうでもいいこと。だから僕は親が死んだ時もそのエフェクトを外にぶつけたり一切しなかった。後で響きそうな想い出の品は全て破棄した。喪失感に浸っている場合ではない。自分が生きなければならないからだ。それが人として正しい事だとは思わない。ただ、弱者の自己防衛手段、心が弱い者が社会で働いていく上での必然の手続きだと思ったから、ただ、ただ、陳腐化し、どうでもいい事とレッテル貼りし忘れたのだ。
今後、世界がどんどんウォーキング・デッド的ディストピアな状況となればそのような喪失は至る所で起き、生きる事の意義が問われ続ける。全ては終わり、新しく生まれるものは少なく、財産や力はどんどん失われていく。ジリ貧なまま、気合と段取りだけで生きる世界がやってくる。
そんな中で、シーズン序盤でリタイアしないようにディストピア特化の人生哲学を持たねばならない。強くならねば。他人が呆れてしまうような独りよがりで情けない悲しみの浸り方を、金輪際しない。
終わったものは、さようなら。
ヒーローが死んだなら、あとはそれなりの世界で生きてゆくのみ。
人生は登山だ。登頂できるやつはまれ。大抵は途中で下山するか登ってる途中で倒れてミイラ化する、雪崩に巻き込まれる。そう、ヒマラヤ級の登山だ。登山の実態よく知らんけど。喪失しながらただ頂きを目指して急な坂を登っていくのが人生だ。
もうとっくに頂上付近にいる人々を眺めて「どうやって行くんだ?あの場所…」と思いつつ。日々、楽な道を探したり、垂直やそれ以上の角度の壁を登るツールやテクニックを探し、そこに悦びを見出す。その過程で今まで手に入れたものを手放す事になろうとも、登るテクと生き伸びるテクは身についている。喪失はその代償と考えればいい。
現実に憧れがなくとも、心の拠り所を失おうとも、宇宙的なスケールで生きる意義や希望を持ち続けられる哲学を。でなきゃ、人類は火星移住とか、できない。地球と共に滅ぶのみ。
【1:00】
瀧の件で…
「本気で頑張るに値するなにかを見つけたとして、それを誰に見てもらいたいか」「どんな存在に憧れて、自分は今の道を進んでいるのか」を改めて考えざるを得なくなってしまった。
僕が追い詰められた際に元気を出すためのフック、気分がどん底でもその人の事を思い出す事で物事を前向きに捉えたり問題を陳腐化できる存在として、卓球、瀧、伊集院はいたのだ。
電気グルーヴの映画(ドキュメンタリーとインタビュー集)だって当然観に行った。
それまでの25年間で散々語ってきたことの繰り返しで、かつてNHKスペシャルでやった電気グルーヴ特集の焼きまし的な内容ではあったが、伊集院ももちろん出演し、ラジオでも触れた卓球の謎発言について触れ、卓球が初めてそれに公でコメントしてるのが凄く面白かった。
いや、卓球と瀧と伊集院が居さえすれば、僕にとってはどんなコンテンツでも面白いのだ。
そういう輪が、絶対欠けちゃならないやつが、欠けてしまったではないか。
僕はア��ドルグループなど追いか��た事ないから、そういう界隈の不祥事でファンがやたらショック受けてる様子を見ても「ふーん…いうても、あんたと一生無関係な、他人じゃん?」的な感覚だったが、ぶっちゃけ「家族よりも友達よりも、生活にモチベーションを与えてくれる大事な存在」だったわけだな、ファンにとっては。今回の件でそれに初めて気づいた。こんな喪失感てものが、あるのか。
3人ともアイドルなどとは縁遠い、若いころから「むさ苦しい枠」だが(瀧は顔が濃すぎて学生時代のアダ名が「顔」だったくらいだ)、僕にとってはまさに彼らこそがスターだったし、心の拠り所だったのだ。
卓球の発言、態度は昔から彼の活動を観ていると「大人ぶること、真面目ぶる事に対する照れ隠しが病的なまでに極まったもの」として捉えられるので、今件について延々はぐらかし続ける展開になったとしても、まあ、わかる。内心すげー悲しんでいようとも、それについてコメントはしない人間だ。ただ、KAGAMIが逝った時はちゃんとWIREの中で、DJとして真摯な解答をしていた。そん時の事を思い出すと今でも泣けてくる。
全員すげぇいいやつらなのに。本当はすげぇ優しいやつらなのに。めちゃめちゃ愛のある人々なんだぜ。
そういう輪を、そういうあんたらの輪に救われていた人々の気持ちを…(壊さないでくれよ)
・ ・
まぁ、そこには伊集院が既に昼のラジオで答え出しているが、「依存症」になったら自力では抜けられない。
秘密厳守で、薬物依存の治療は受けられる、悩んでいるのならまずは治療に行ってくれ、と。
そう、取り返しのつかない事態になる前に、治しに行ってくれ、と。
・ ・
逆にな、法律でダメと定められてなきゃ、どーって事ないわけだけどな。アメリカでも大麻が合法化されつつあるし。未来での麻薬の扱いはどうなるかわからない。だからまあ、そのうちこれは滑稽な話として扱われる事になってしまうかもだけど。
原因自体は、大げさに捉えるべき事じゃあないのかもしれない。ただ、ここは日本で、彼らは日本人なのだ。ダーティーな事をして「箔がつく」感じの展開には、ならない。
なんでも冷笑的に捉えてダメージを軽減するテクニックを磨き続けてきた僕でも、今回はダメだ。
(それを言い訳にはしたくないが、連日6時間睡眠くらいで作業してた所為で疲れが貯まってた事も重なり、仮眠のつもりが9時間も寝てしまった…とんでもないタイムロス)
今現在、仕事において僕は頼れる仲間はいない。僕自身が裏切って関係を断ったから。ゆえに、自分を身勝手に鼓舞する時には10代~20代前半の頃の憧れを思い出して頑張るのだ。YMO、戸川純、スタンリー・キューブリック、デザイナーズ・リパブリック(DR)、クリス・カニンガム、森本晃司、小島監督、そして電気の二人。
DRは既に倒れたので、候補から外れつつある。小島監督を思い出す際は、少しアレな気持ちになる(なにしろ僕のほうが裏切り者だから)。そして電気もそこから外さざるを得ない。
勝手に独りで楽しくやってるわけじゃねぇんだ。リアルで関わりがなくとも、活動を見ているだけで、まだ「コンテンツとして生きている」事実があるだけで心を支えてくれるものがあるんだ。それがあるから僕はコミュ障でも頑張れるのだ。
現実で嫌われるべくして嫌われたとしても、勝手に頑張れるのは憧れが「生きている」から。そういう意味で瀧は生物的には生きているが「電気グルーヴ」として、そして俳優、タレントとしては「死んだ」だろう。マーシーは戻らないし、飛鳥も戻らない。のりピーは復帰に11年もかかった(そのニュースが瀧のニュースと並んでいるのは皮肉だ)。
実際全員「歳が歳」だしな。
そう、彼らを憧れ追いかけていた僕自身がもう40なのだ。今ようやく、20代後半でポッキリ折れた自信やモチベーションを取り戻しつつある。それこそ、薬物依存から回復するように。この10数年、僕は「虚しさ、寂しさ依存症」的なやつだった。
今、それを脱しつつあるのは「現実なんてどうでもいい。身勝手な夢を追い続けて足掻けばいい」と結論できたからだ。その子どもじみた無責任なテンションの支えになっていた人物の一人が、間違いなくピエール瀧だったのだ。
--- 【アニキは死んだ!もう居ない!】
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映画:バーフバリ見ながら全部メモ 1
見ながら、それぞれのシーンのざっとした情景(あらすじ……よりももう少しこまかい)、ふと思うこととかツッコミとかを書き連ねていくある意味 実況的なネタバレ全開感想&所感(๑•̀ㅂ•́)و✧
【伝説誕生】
《冒頭》
どこか哀調を帯びた歌声と共に始まる物語。 メインの舞台であるマヒシュマティ王国から、川を下るほどに、クンタラ王国や盗賊の砦、そしてクンタラの潜伏地なる地名が映し出される。初見ではなんのこっちゃ分からないが見ていると、やがて地図の南端は滝に変わり、流れ落ちるその滝の一隅、滝の飛沫に濡れ樹木の茂った暗がりの岩壁に、炎の明かりが映る。 そして現れるのは、背に矢傷を受け、赤子を抱いた一人の壮年~初老くらいの女性だ。彼女は傷もあって疲弊しきっているが、それでも懸命に赤子を抱いて進む。手傷を追った彼女は何者かに追われ、必死に逃げているところだ。 賢い女性らしく、血のついた自分の足跡に気づくと、そっとそれを踏みながら後戻りする。 そこへ同じ洞窟から現れるのは、二人の兵士である。彼等は洞窟の出口に落ちている血から、この血を辿ればいいと察する。そうして川の畔にやってくるのだが、足跡は途中で途切れていた。どこへ行ったのか��と見回す兵士の後ろに、先ほどの女性が現れて不意を突き、見事な手際で二人を倒す。 そして再び赤子を抱いたまま逃げようとするのだが、兵士たちを倒したことで精も根も尽き果てたかのように、体はふらついている。歩いて渡るには激しい流れの中で足を滑らせ、彼女は川に流されてしまう。赤ん坊を水につけないようにと気遣いつつも、なんとか掴まれるものを探して足掻くが、ついに観念して空へと叫んだ。 「シヴァ神よ、命がほしいなら私のものを捧げる。けれどこの子は生かせ。帰りを待つ母のもとへ帰るため、そして、マヒシュマティ王国の王となるために!」 そして彼女は、右手にたかだかと赤子を掲げたまま、川面に飲まれ沈んでいく……。
最初からクライマックスだぜぇ! という今となっては懐かしい台詞が、なんの誇張でもなく冒頭5分ばかりでこうして訪れるから凄い。 普通なら、もう少し物語が進んで話に入り込み、キャラに感情移入した頃に来て「ぐおぉぉぉぉっ」となるだろう場面を、開幕3分で見せてくる。 そのくせ、「は? わけ分からん(ㅍ_ㅍ)」とは感じない。それは、高貴な装いのこの女性の力強さ、真剣さ、必死さが伝わってくるからだろう。理由は分からないが、自分の命を投げうってでも「王となるべき赤子」を助ける。自己犠牲の尊さに、素直に打たれることができる。 ここまでのシーンで「上手いな」と思ったのは、地形だ。見せられる地図で、マヒシュマティ王国はこの地方の北、少し小高い場所に位置していると分かる。であればこそ、(滝の大きさ・高さを考えると無茶はあるが)、追われているこの女性が振り返ったとき、はるか彼方に燃えて見える町(王宮) は、「あの高いところにあった国かな」と分かるのだ。
「王の凱旋」まで見ていると、この女性―――国母シヴァガミ(シヴァ神の妃という意味がある名だそうな。名前でなく”国母”みたいな代名詞みたいなもの??)が、いったいどんな思いで赤ん坊マヘンドラ=バーフバリを抱えて逃げているのか、自分の命を捨てようとも救おうとするのか、その必死さも想像できるようになる。 この赤ん坊は自分の孫、というよりも、”最愛の息子の子供”である。奸計にかかったとはいえ、自らの命令で殺めてしまった愛する息子の忘れ形見だ。そして、実母を陥れてでも国を奪おうとする悪逆な王、もう一人の息子に対抗できる唯一の光明、正当な王であり、また、シヴァガミの愚かさゆえに夫を失ってしまった嫁デーヴァセーナにとっての希望でもある。 なにがなんでも救わねばならない、こんな顛末になったのも自分の過ちのせいなのだから、この命などなくなっても構わない。彼女に命を惜しむ様子がまったくないのも道理だ。 その一念で、彼女は川面の上に赤子をさし上げたままで、しばし流れるか、あるいは水中に没したままとどまることになる。(流れているのかどうかまでは見ただけではちょっと分からない)
《滝下の村人たち》
場面が切り替わると、そこに素朴な装いの男たちと、やや小綺麗な衣類を身につけた貫禄のある女性が現れる。 赤ん坊の泣き声を耳にした彼等が見つけたのは、水面に差し上げられた手に支えられ、泣いている赤子だった。 驚いた人々は急いで赤ん坊を助けることにする。一人の男が腰に縄をまいて川に飛び込み、赤ん坊のところに泳ぎ着いて受け取った。すると、もう命はないはずの女性の手がゆっくりと、川上、滝を指差した。ついそれを見やって視線を戻すともうそこに手はなく、ただ水面下に、鮮やかな衣装をまとった死者が流れていくのが見えるだけだった。 男は赤ん坊を抱えて岸に泳ぎ戻り、女性に渡す。高価な装飾品を身につけた女性の手は、最後に滝の上を指差したことを伝えていると、他の人々が近くに兵士の死体と洞窟を見つけた。この赤ん坊はきっと滝の上から、この洞窟の抜け道を通って連れられてきたのだろうと察し、届けようと言い出す男がいるが、赤ん坊を抱いた女性は、「乳飲み子を殺そうと追って来るような場所に戻せるものか。この子は、子供のいない私に川の神が授けてくれたものだ」と言い、洞窟を岩で閉じてしまうよう命じた。
川に沈んでもなお、赤ん坊を支えた手は微動だにしない……ん な 馬 鹿 な wwwwwという光景ではあるけれど、そんなリアリティとは決別しよう。これはそういうリアリティを重んじる物語ではなく、どっちかと言えば神話なのだから。なんとしてでも救わねばならないという国母の一念が、奇跡を起こしたのだ。それとも、王になるべくして生まれた子であるという、運命ゆえか。 川辺に現れる村人たちは、私の目にはどことなくわざとらしく見える。演技として自然ではないというか、個人的には、舞台劇を見ているような大げささ、”型”のようなものを感じる。ごく自然に、本当にそうであるようにとリアリティ重視で現実的に演じるのではなく、むかしむかしあるところに、と語られるような物語として演じる。そんな感じだ。 それにしても、洞窟を閉じろ、この子は私の子にする! と言う女・サンガは、「逆らったら殺す!」である。初見では「どんだけ強いんだこの人wwww」となった。それともインド(の昔話)ではそれくらい女性の権力が強いのが普通なのかな、と。男たち誰も逆らわないし。 ここでサンガがマヘンドラを届けなかったことは、子のない女の身勝手で、誘拐も同然ではあるんだけれど、結果的にこれが赤ん坊の命を救うことになったのは間違いない。届けていたら100%殺されてるだろうから。 川にはまって溺れ死んだ女が支えていた子供と、川べりで死んでる兵士から、「この兵士はこの子を殺そうとしてたんだ」と決めつけるのは短絡的ではあるけれど、事実を言い当ててもいる。サンガがそう決めつけてマヘンドラを我が子にすると決めたことも、ある意味、神話的な運命というものなのかもしれない。
この冒頭を見るだけでも、これが「貴種流離譚」と呼ばれる典型であることは分かる。いわゆる「本当は尊い血筋の王子様とかなのに、赤ん坊の頃にわけあって故国や親元、城を離れ、市井の一般人として育つが、やがて自分の出生を知り、本来つくべき王座を目指していく」とか「世界を救う」とか。 日本人がよく知ってそうな例でいくと、ドラクエ5のメインの主人公もそうだ。パパスは本当は王だった。けれど彼は息子を連れて王座を離れ、息子はそのことを知らず、父もそれを知らせず育てる。そして冒険の末、実はパパスは王だった、自分は王子だったと知り、王の座へと戻る。 キシュリューリタン、なんていう呼び方は知らなくても、多くの人がいつかどこかで味わっている物語パターンである。
《育っていくマヘンドラ=シヴドゥ》
サンガの子となった赤ん坊はすくすくと育ち、少年になっている。彼は滝の傍に座り、滝を見上げ、あの上にはなにがあるのと、迎えに来た母に言う。 本来は滝の上にいた子、そこから来た子なので、サンガはせっかく授かった可愛い息子が、滝の上へ戻って行くことを恐れ、「子供を食べる悪魔がいるのよ」と言う。 しかしそれでも少年シヴドゥの、滝の上への強い関心は少しも薄れることなく、もう少し大きくなると滝を登ろうとしはじめてしまった。それを見つかって母親に叱られるも、それでも彼は諦めず挑戦しつづけ、少しずつ少しずつ、幼い頃よりは登れるようになっていき―――。 ついに"現在"になる。25歳の青年になったシヴドゥは、それでもまだ滝の上を目指していた。 同年代の友達たちは、呆れつつも面白がり、それを眺めている。昔よりはかなり高く登れるようになり、素晴らしい身体能力も見せつけてくれるシヴドゥだが、滝は険しくまた失敗してしまう。どうしても「対岸」に飛び渡らないといけないのだが、幅は広く、届かず落ちてしまう。 そして母サンガは、滝の上を目指し、自分のもとからいなくなってしまいそうな息子シヴドゥに滝登りを諦めさせるため、1016回、川から汲んだ水をご神体に注ぐという、「潅頂(かんじょう)」なる荒行を始めていた。 仲間がそれをシヴドゥに告げに来る。母親がそんな無茶なことをしていると知って、シヴドゥはやめるよう頼むのだが、「私の言うことは聞いてくれないのに?」と母親は取り合わない。母は大切だが、滝の上へ行きたいという切実な思いもどうしても譲れないのだ。 そんなシヴドゥがとった方法とは?
運命なので。 シヴドゥが滝の上に行きたがることに理屈なんかないのである。彼は王国に帰らねばならない。そうしないと映画にもならないし(マテ)。 それにしても、25歳シヴドゥの、顔を出して満面の笑みでバッサアァァァと水をふるい落とすのにはつい笑ってしまったw 少なくともこの瞬間には、演じるプラバースさんもちょっとふくよかなのか、小太りにも見える顔をしている。決して、日本人が一般的に「美男」という顔ではない。その顔でバッサアァァァである。いやまあ顔に関係なく、こんなバッサアァァァやられたら、その俳優が誰でも笑うわ。 で、5分に一回クライマックスがある、なんて言われるこの映画、またしてもむやみに盛り上がるシーンに突入する。 母に無茶な願掛けをやめてほしいが、滝登りをやめると約束もできない以上、さてどうするか。 シヴドゥは、「だったらご神体を水のあるとこへ持っていけばいーじゃん!」と閃いてしまうのだ。 で、シヴドゥはなんとご神体の根本をかち割り、石でできたクッソ重たいそれを担ぎ上げ、運びだすのである。 ここで、リズミカルな歌が入る。ドラムンベース系の、軽くはないが軽快な曲だ。その音楽とともに、シヴドゥは笑顔でご神体を担ぎ、滝の下まで運んでいく。そして常に水が降り注ぐそこにご神体を下ろすと、「これで神にはいつでも水が降り注ぐぞ」、だから母さんが体を酷使して無理な願掛けなんかしなくても、お願いは叶うようになるよ、というわけだ。
個人的に面白いのが、ここの導師である。なんか胡散臭い嘘つき導師みたいな雰囲気も漂っているのだが、サンガから「これをやれば、息子は私の言うことに従いますか?」と問われ、「子は必ず正しき道に導かれる」と言う。サンガの言うとおりになるとは言っていない。そしてこの胡散臭い導師の台詞は、リアルタイム5時間後に真実となるのだ。 また、この胡散臭い導師だけれど、シヴドゥがご神体の根本を壊し、なにかしようとしたとき、男(サンガの夫である村長)が止めようとすると、導師は彼を制止する。突拍子もないが、なにか偉大なことをやろうとしている、と感じればではないだろうか。そのあたりに、胡散臭くはあるけれど、本物の導師っぽさも漂うのである。
またこのシーンでは、実際には血の繋がらない母子が、互いを思い合っていることもちゃんと描かれている。可愛い息子に、「滝の上」という元の居所に戻ってほしくない、ずっと私のシヴドゥでいてほしいと願い、そのために苦行も厭わないサンガ。 シヴドゥは、(サンガを養母と知っているのかどうかはさておき)「それなら母さんの代わりに俺が運ぶよ」、それでは願いが叶わないと言われ、「じゃあ母さんを運ぶから、母さんは水を注いで」てサンガを抱え上げてしまう。母の体を労り、そのためなら自分が苦労するのはちっとも構わない。シヴドゥの人柄が描かれる。
自分が滝の上に行こうとするがゆえの母の願掛けではあるけれど、それでも、願いの成就と引き換えに荒行を強いるシヴァ神、そのご神体を、シヴドゥは強く睨みつける。その後でガツンガツンとつつき始めるのだから、「腹が立って壊そうとしているのか」と一瞬思うが、そうではない。 根本にぐるりとヒビが入ると、シヴドゥはバッサアァァァと威勢よく上着を脱ぎ捨ててセクシーな上半身裸となるw そして曲がかかっていよいよご神体を持ち上げようというとき、シヴドゥはどことなく不敵にも見える、けれど愛嬌のある笑顔でご神体を見る。「神様、じゃあこんなのはどうだ?」とでも言うように、私には見えた。 で、膨張した筋肉で上腕にまいていた木の実を連ねたような飾りはぱっつーんとはじけ飛び、シヴドゥはついに肩の上にご神体を担ぎあげる。 ここで私は、うええぇぇぇぇなんかかっこいいんですけどおぉぉぉ!? となったw ちなみにここで入る歌の歌詞はシヴァ神を描写して讃えるもので、つまりはシヴドゥがあたかもシヴァ神のごとき、あるいは神に選ばれた存在だということを表しているのだろう、たぶん。 で、村人たちはシヴドゥの怪力に驚きつつ、なにやら尊く感じてしまうのか、ほぼ拝んどきモードにw 彼等に見送られ……というよりも、自然と彼等を従えて滝の下まで辿り着いたシヴドゥは、流れ落ちる滝の真下にご神体を据えて、「母さん、これでもう未来永劫ずっと水は降り注ぐよ」、だから無茶な願掛けなんかもうしなくていいのだと、と笑顔で呼びかけるのである。
ところでパパフバリも今フバリも、母・妻にかなり忠実だ。ここで描かれるのは今フバリと養母で、母の願いを叶えるため、シヴドゥは自分が苦労を買って出ている。 そんな親孝行で優しい息子たちだが、それでも譲れないものがあり、そのために今フバリは滝を登って養母のもとを離れ、パパフバリは妻を選ぶのである。
《仮面》
ご神体を滝の下まで運んできて、母も(なし崩しにというか勢いで)納得したそのとき、滝の上からシヴドゥの足元へと流れ落ちてきたものがあった。それは、木製の素朴な仮面だった。 それから数日くらい経過したのか、翌日くらいなのか、ともかくサンガは導師を我が家に招き、食事でもてなしていた。「導師の予言どおり、あれからシヴドゥはもう滝を見上げなくなりました」と。導師はそれも神の御力じゃて、みたいなこと言いつつぱくぱく食べてて、やはり胡散臭いw しかしその代わりシヴドゥは、拾った仮面に夢中になっていた。滝の代わりにその仮面―――美しい女性のようにも見える仮面ばかり眺めているのである。 導師は、「神のご意志は神のみぞ知る」と答える。そして村長が、「ご神体を運んだのは息子だが、では妻と息子、どちらの願いが叶うのか」と尋ねると、「神はご意志を貫かれる」とだけ言って導師は出ていってしまう。 さて、シヴドゥがどれだけ眺めていても仮面は仮面だし、持ち主のことはなにも分からない。やがて彼は砂地の上に仮面を置き、なにげなくその上に手をついて立ち上がった。そして仮面を取り上げると、砂の上には仮面の内側、そのオウトツにそった顔が刻まれていた―――。
サンガは「シヴドゥは私のところにいるのが正しいの」と思い願をかけた。「正しき道」と導師に言われ、きっと、「そうよ、息子は母親のもとにいるべきなのよ、これが正しい道よ」と思えばこそ、導師の予言は当たったのだと感じている。 おそらくシヴドゥは、「滝の上に行きたいなぁ」んて思いながらご神体を運んではいない。じゃあなにを考えていたのかといえば、「今から水の降り注ぐところにつれていくから、それで母さんや皆の願いを叶えてくれよ」とか、あるいは、願掛けとしてはほぼ無心に近い、「これ運んじゃえばいいんだよ、そーさそーさ」くらいだったかもしれない。 どちらにせよ、彼等の思惑は導師の言うとおり、まさに「神のご意志」の前では大して意味はない。シヴドゥはまさしく、「神のご意志」により「正しき道」へと導かれることになる。ともすると、サンガの願いは違った形で叶えられたのかもしれない。「息子は母のもとに戻る」。養母ではなく、実母のもとになるのだが。 どちらにせよ、「神のご意志」である。王たるべき者は王に。そういう単純な、そして絶対の運命のことかもしれない。 シヴドゥが「正しき道」、「母のもと」へと踏み出すそのきっかけが、美女を思わせる仮面、である。
木彫の仮面に美女の面影って無理ないか!? と思ったりしてはいけない。というか、そもそも仮面がその持ち主の顔形に似ているなんて保証はどこにもない、なんて言ってもいけない。 仮面はあくまでもきっかけだ。「なんか綺麗な女の人っぽい仮面だなぁ。つけてた人も美人なのかなぁ。なんかすっごい好みだなぁ。もしこんな人が滝の上にいるなら会いたいなぁ」くらいだと思う。だからシヴドゥは、仮面を手に入れても何日もただ仮面を眺めるだけでいたのではないだろうか。この時点ではいくらシヴドゥでも、「こいつの持ち主は俺好みの美女だぜぇ」なんて思ってはいなかったと思う。持ち主が女の人とは限らないよなぁ、といった常識的な思考もあったんじゃないだろうか。 けれど砂地に転写された顔が��木彫の仮面で見ているよりも美人に見えて、髪とかも砂地に描いてみたら、ますます好みだった。それで、「よし、実際どうなのかは知らないし、いるかどうかも分からないけど、もしいるかもしれないなら、この人に絶対会いたい!!」になったんじゃないだろうか。 そのへんにもきっと、神のご意志と運命は絡んでいると見てもいい。 あるいは、運命ゆえに、理屈なんか一切無視して「これが俺の運命の人だガビーン!!」となった、それでもいいじゃない? なんにせよ、それまでは「わけもなく」とか「なんとなく、だけどどうしても」だった、滝の上の世界に行きたいという”理由のない望み”は、「この人に会いたい!」という一つのはっきりとした理由、目的を見出した。 そしてシヴドゥは、再び滝の上を目指すのである。
《滝登り》
仮面の主に会うために、再び滝に登り始めたシヴドゥ。 冒頭で失敗した「対岸へのジャンプ」のところまで来ると、鮮やかな青い蝶がいた。何匹もの青い蝶をまとって現れたのは、白い衣の美女。 もちろん彼女は実在しない。インド映画独自の、歌と踊りと異世界トリップである。もう少し身と蓋のある言い方をすれば、ここに現れる美女はシヴドゥの心象風景だ。身も蓋もなく言えば、空想、妄想、幻想である。 仮面の主がこんな美女だと決まったわけではなくても、「こんな素敵な人だったりして(´ω`*) で、もしかしたらこれって運命で、彼女も俺を待っててくれてるかもしんないしぃ。だったらがんばらなきゃ!!」みたいな感じ? これで仮面の主がごっついおっさんだったりしたら笑えるのだが、それはさておき。 いくら超人的な身体能力のシヴドゥでも、落ちたら命はないほどの高さにまで登ってきたし、危ない目にも遭う。じりじりと狭い足場を進んでいくようなリアルな場面があったかと思えば、「あくまでもイメージです」みたいなシーンも挟んだりしつつ、「彼は前進と達成のみを知る男だ」という歌に合わせて、ひたすらシヴドゥは登っていく。時折現れ、誘うように、逃げるように先へ先へと、進むべき道を行く美女を追う。 そうして最後。もうどうしても掴まって登れそうもない崖っぷちで、彼はそこに��った竹や蔓から手製の弓を作り、それでてっぺんの木にロープを引っ掛けることに成功し、ついに滝の上の世界に辿り着くのであった。
私の場合インド映画は、多分に漏れず「ムトゥ 踊るマハラジャ」で初めて見て、それ以来特にチェックもしていなかった。それはたぶん、ムトゥが合わなかったから、というのもある。「唐突に始まる歌と踊り」が面白いとか素敵だとかでなくて、退屈だったのだ。映画自体はなかなか面白く見たけれど、もう一度見ようとは思わなかった。 だからバーフバリも、どんなに絶賛されていてもその懸念はあった。 しかし幸いにもバーフバリの歌・ダンスのシーンは、物語の進行を邪魔しない。 最初の「歌」であるシヴドゥがご神体を運ぶシーンは短めだし、彼が運んでいく姿を並行して映し出しているから、「ちょっと大げさな感じの移動に、歌がついている」という感じである。 そして滝登りのシーンでは、シヴドゥ自身は飛んだりはねたり走ったりじわじわしたり、基本的に「滝を登る」という行為を続けるだけだ。歌(と美女の踊り)はやはり、「危険な滝登り」というアクションシーンのBGMである。 ただまあ、いきなりいかにもCGな青い蝶が出てきて、美女が出てきてで、それがあくまでもシヴドゥの妄想でしかないのであるから、途端にアブナい奴になってしまうがw
ところで、インド南部のテルグ語映画というのつは、男がたいていストーカーらしいw もちろんそこには、「思いを寄せる男は、ストーカー的ではあるけど、一途で誠実で、本当に相手を愛している」という前提があるし、「女のほうも満更ではない」という前提もある。これがどっちが崩れてたら、ただの犯罪者である。 ともあれ観客は、シヴドゥのヘヘヘヘ(´ω`*)な妄想を垣間見つつ、一緒に滝の上の世界へと進むのだ。んな馬鹿なwwwwなところもあるが、コミック的だと言えばそれで済む。漫画でなら当たり前にやってるような程度でしかない。 落下したら足にツタが絡まって、とか、普通なら股関節抜けるだろそれ!? みたいなのもあったりするが、漫画とかならありうるシーンだし、実際に描かれて来てもいる。ドラゴンボールとか、そーゆーあれ。普通死ぬ。だが普通じゃないから平気なのである。よし。
どうでもいい話だけれど、私はこのシーンでの美女さんは、特にどうとも思わなかった。もちろん美人だが、女優さんなんだから美人なのは珍しくもなんともない。「うおぉぉすげぇ美人じゃーん!」とは思わなかった。 むしろ、この後にシヴドゥが出会う「仮面の主」、アヴァンティカの女戦士としての凛々しさと美しさのほうが「おっ」と思ったし、ストーカー男に巧みに着替えさせられたときのほうが、「うひょ~びっじーん!!」と思ったのであったw
《アヴァンティカ》
ついに滝の上に来たシヴドゥは、林の中を逃げる女性を見かける。兵士たちに追われている彼女はどうやら、あの仮面の面影によく似た女性である。もちろんシヴドゥは助けなければと思うのだが、逃げて行く先、追い詰められたかに見えた彼女の号令で、一斉に矢が放たれた。 樹上に隠れていた男たちと合流し、彼女は果敢に戦う。男のような身なりで女らしい装いもないが、それでも彼女は美しく、しかも強かった。 助けはいらないらしいと見て取ったシヴドゥがこっそり見守っていると、娘は最後の一人の兵士の身にアミュレットらしきものを見つけ、「これはどうした」と奪いとった。「殺した相手が持っていた」と言われ、兵士を殺し、彼女たちは引き上げていく。 その先には、薄汚れた身なりの者が隠れるように集まっていた。娘は兵士から奪い返したものを長らしき男に差し出し、元の持ち主の死を告げる。つい泣き出す少年を、長は厳しく叱りつけた。「デーヴァセーナ様を助け出すまでは、目には涙ではなく、怒りの炎を灯すのだ」と。 シヴドゥに詳しいことは分からないが、彼女たちはレジスタンスのようである。であればこそ皆、実用性第一の戦闘服であるし、宝飾品も、贅沢なものもなにもない。そして、デーヴフセーナ妃と呼ばれる人物を救い出すことに命を賭けているようだ。 そしてシヴドゥが見つけた仮面は、彼らが顔を隠すために使っているものだったと知る。(つまり全然、美女の顔をかたどってるわけではないw) ともあれ、ここまでついてきて見届けたついでに(?)シヴドゥはそのままストーカーを続行するのであった。
アヴァンティカという、仮面によく似た面差しのその女戦士は、あるとき、湖のほとりで片手を水につけたままうたた寝してしまう。手をついばむ小魚たちのいたずらが心地よかったのかもしれない。 シヴドゥは水中をこっそり近づいて、小魚たちのついばみにまぎれて、彼女の手にあざやかな孔雀の羽のタトゥーを描いた。アヴァンティカはそのことにまったく気付かないまま、やがてアジトである洞窟に帰っていった。 そして長から、デーヴァセーナ救出の大役を任される。その証としてアミュレットを授けてもらうのだが、彼女が出した手には鮮やかなタトゥーがあり、見つけた長は「化粧にうつつをぬかすような奴には任せられん」と怒ってしまう。アヴァンティカ自身には身に覚えのないことである。驚いた彼女は、任せてもらえない悔しさで泣きながら、「この涙は怒りの涙です。見ていただければお分かりになるはず」と長を説得する。 そしてそれから、友人である女性を囮にし、このにっくき悪戯者をこらしめることにした。こんな不覚をとったとしたら あのときだけだと、アヴァンティカは友人に自分の身代わりをさせ、同じように泉のほとりに寝そべらせる。そして自分は、その姿が見える樹上に隠れて、近づいてくる者を弓を狙うことにした。 ところがシヴドゥは一枚上手だった。弓を構える彼女の後ろの枝にねそべって、捕まえてきた小さな蛇を彼女の肩へと這わせる。そして今度は、その蛇の感触でごまかしながら、ちょいちょいとまたタトゥーを描きあげてしまった。
タトゥーと言っても、描いているだけのものでしょう。針でさしてたらさすがに気付かないはずもありません。だとしても、相手の体に勝手にお絵かきとはヤバい奴w このへんはもう、自分がフラれること、相手がそれをマジで嫌がることなんて考えてもいないし、そしてそれが正しいというテルグ的ご都合主義、と言ってもいいかと思います。 気づかないアヴァンティカもアヴァンティカです。二度目の肩に描かれるものは自分では見えにくいので、友人に「それなに?」と言われないと見つられないのも仕方ないでしょう。 しかし一度目のは手ですよ? 手の甲というか、そのへん。なんで気付かんのだ。 それに、うたた寝してたときはともかく、弓を引いて狙ってたときなら、小蛇の感触とそれ以外と、分からないものでしょうか? と、冷静な頭はツッコミますが、いいんです。気づかないんです。そういうオヤクソクなんです。んな馬鹿なwwwwと思っても、白けない。おいおいと思いながら楽しんでしまう魅力があります。
あと、こまかいところはこまかい、それが映画としての面白さを支えてる、というところもあるように思います。 バトルシップとかもそうですけど、大味で大雑把に見えて、設定が地味に活きてるとか、こまかいところがあったり、オイシイ伏線をきっちり拾うとかみたいに、なにもかもが大味なわけではない。 初めて滝の上に来たシヴドゥは、感動の面持ちで雪をかぶった枝を見ていたりします。たぶん雪なんてもの初めて見たのかもしれない。「ついに、ずっと行きたかった滝の上に来た!!」という感動がちらっと描かれる。 そして、追わせれてたか弱い女性のふりのアヴァンティカが、本来の強い女戦士に戻る直前に、一つ深い呼吸の音が入る。力を込めるひとときです。こういうのがちゃんとあったりする。 しかもその間もテンポもいい。嬉しそうに滝の上の世界を見るシヴドゥ、女性の悲鳴、走るシヴドゥがただそれだけなのに何故かスローモーwwwでちゃんと草も生やせる、逃げる女性、それが深呼吸一つを境に、「剣を!」という一言とともに一変する。 だから飽きずに、笑いながら、そしてつい惹きこまれながら、見てしまうのではないかなと思います。
なお、一回目に見たときには、まだ固有名詞も覚えていないのがピンと来ませんが、このシーンの後、冒頭で出てきた地図が現れ、そこが「クンタラの潜伏地」だと分かります。 ほんと、初見では記憶に残らないのですけどw クンタラ王国とかデーヴァセーナ妃とか、固有名詞はこのへんあたりでは完全にスルーです、わたくし。 しかし「王の凱旋」まで見終わって戻ってくると、冒頭の地図で「そうか、ここが彼らのいたところで、だからクンタラの潜伏地なんだな」と分かるし、このシーンの切り替えの場面でも「クンタラノ潜伏地から、さて一方その頃、マヒシュマティ王国の武器工場では」としっかり分かります。
この続きは、いつになるか分かりませんが、また次回! いよいよカッタッパ登場ですよ!!
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『トリプティクー舞台上の三つの絵画』演出ノート 20240725
死のうと思った。何度も、何度も思った。
うつ病との付き合いはもう15年以上になる。ひどい倦怠感、睡眠障害、根拠のない不安、そして度々訪れる希死念慮。それはこの2年間がいちばんひどかった。
自死は、追い詰められ疲弊しきった人間にとってとても甘美な選択肢だ。僕がその甘い誘いに乗らなかったのは、けっきょくのところ僕が死に浪漫主義的な意味も、抵抗や復讐も、救済も感じられなかったからだ。死は、おそらく、少なくとも当人にとっては何の意味もない。そのことを知っていたからだ。
ロジャー「二人でいなくても平気だ、それを知るために、僕たちはきっと別れたんだ。確かに平気だった、君が生きている間は。」
(『トリプティクー舞台上の三枚の絵画』作/マックス・フリッシュ 訳/松鵜公記)
人は己れの死を決して体験できない。死は観察の対象であり、想起される他者であり、記憶であり、そしていつか自分が迎えるべき何かだ。その何かの正体は、人には絶対に分からない。人はその長く短い人生においてただ他者の、しかし多くの死に立ち合い、それを見届け、見送り、ときに思い出す。死は徹底的に生者にとっての現象だ。
僕は来年50歳になる。人生ももうとうに折返しだ。見送る人も、若いころと比べるとずいぶんと増えてきた。家族。世話になった先輩。偉大な先達。友人。愛する人。
多くの死を見送り続けるということは、多くの死に置き去りにされ、その場に取り残されるということでもある。人は常に、己れの終生を経て、何かに取り残され続ける存在だ。他者に。時代に。あるいは自分の記憶に。そして最後にはきっと、自分自身にさえ取り残されるのだろう。
何と悲しい存在だろうか。すべてに取り残された先には、きっと絶望すらないだろう。そこはどんな世界か。どんな境地か。
マックス・フリッシュの描いたこの戯曲には「トリプティク(三連祭壇画)」というタイトルが付けられている。だがフリッシュは無神論者だ。そこに宗教的な救いは求めていないだろう。祭壇画はただのモチーフなのだろう、ただ、副題が示すように、これが舞台上の(三枚の)絵画なのだとすれば、無時間的な、時間の流れの止まった世界=人生の行き着いた果ての場所をイメージしているのかも知れない。特に第二幕は、死者たち(だけ)が現れ、何の意味もないお喋りを楽しそうに繰り返す。
平和なイメージだ。ただそこに、期待だけがない。明日はどうなるか。その希望だけがない世界。そんな世界を眺めていると、僕はとてもそれが愛おしく、悲しく、切なくなる。涙が流れて来る。それがなぜなのか、まだ分からない。おそらくこの先稽古を続けて行く中で、そして最終的には劇場で、観客を迎え入れて初めて分かることなのだと思う。
ただひとつ、今言えることがあるとすれば、死を思い続けるということは、それはずっと生について考え続けているということだ。自死を思い続けていたとき、僕は同時に家族や大切な仲間たちのことを考え続けていた。逃げ出したいと思いながら、愛おしく大切なものたちのことばかりを考えていた。
この作品が、絶望を描きながら、何の救いも、何かの終わりさえも提示しないのに、観た人が舞台を見ながら同時に、そんなふうに自分の生を、世界を愛しめるような作品になればいい。今は、そう思っている。
演出、矢野靖人
Triptychon. Drei szenische Bilder" Director's notes - 20240725
I thought of dying. Over and over again.
It has been more than 15 years of living with depression: severe fatigue, sleep disorders, baseless anxiety, and recurring suicidal thoughts. The past two years have been the worst.
When you are concerned and exhausted, suicide becomes a seductive option. I resisted that sweet temptation because, in the end, I didn’t find any romance, resistance, revenge, or salvation in death. Death holds no meaning, at least for the person experiencing it. I knew that very well.
A person can never truly experience their death. Death is something to observe, something to remember, something that happens to others, and something we all must face in the end. No one knows the true nature of that "something." Throughout our long and yet short lives, we witness the deaths of others, see them off, and sometimes remember them. Death is always a phenomenon for the living.
I will turn 50 next year. My life is already well past its halfway point. I’ve seen many more people compared to when I was younger. Family. Elders. Great predecessors. Friends. Loved ones.
Witnessing so many deaths means that many of them have left me behind, abandoned in the moment. Humans are constantly left behind—by others, by time, and perhaps even by their memories. In the end, we may even be left behind by ourselves.
How pitiful we are. Beyond being left behind by everything, there might not even be despair. What kind of world do you see? What kind of state of mind do you have?
Max Frisch titled this play "Triptych,” although Frisch was an atheist. He perhaps didn’t seek religious salvation in it. The triptych could have been just a motif. However, as the subtitle suggests, if this is a (three-panel) painting on stage, it might represent a timeless world—a place at the end of life where the flow of time has stopped. Particularly in the second act, where only the dead appear, happily engaging in meaningless chatter.
It’s a peaceful image, but it lacks one thing: hope. A world with no hope for tomorrow. When I look at such a world, I find it so dear, sorrowful, and heartrending. Tears well up in my eyes. I still don't know why. Perhaps, as I continue rehearsing and eventually welcome the audience into the theater, I’ll find out.
Still, one thing I can say now is that minding about death is equal to thinking about life. When I was thinking about suicide, I was also constantly thinking about my family and my friends. I wanted to run away but couldn’t stop thinking about the people I cared about.
This work, while depicting despair, offers no salvation or even an end. Yet, if the audience watches this play and simultaneously comes to cherish their own lives and the world, that is my wish now.
Yasuhito Yano - Director of Theatre Company shelf
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happyとsatisfaction
こんにちは😃
先日タルン先生にサントーシャ(知足)について習いました。
そこで前に習ったことやら色々思い出したので今日はそのお話を…
(タルン先生は今月号のヨギーニのP87にてサントーシャのコラムを執筆されています。こちらも是非☝️)
Yogini(ヨギーニ) 2021年11月号 Vol.84[雑誌]
皆様クワイエットルームへようこそ、という映画ご覧になられましたか?
宮藤官九郎さんが俳優としては初出演ということで話題になっていた映画。原作は松尾スズキさんです。
その中で印象に残っているシーンがあります。ネタバレしますので、見る予定の方は退散でお願いします🙏
以下私の解説↓ 俳優さんは実名です…色々忘れてたので調べて書きましたが、間違ってたらごめんなさい!
内田有紀さん(ライター)が締め切りに追われ追い詰められてお酒を飲み、ついでに同居の彼、宮藤官九郎さんの薬(合法やら違法やら)も飲んで、ハイになって倒れて病院に運ばれるところからスタートです。
ノリで飲みすぎただけなのが自殺のためのオーバードーズだと思われて、閉鎖病棟でベッドに縛り付けられてしまいます。そして、そこに入院してる人たちはそれなりの方々。強迫性障害や依存症、拒食症などの重症者たちです。
その中で自分と同じように事故でODしてしまったと話す穏やかな女性、中村優子さんに出会います。
変わり者が多い中、普通の存在に有紀さんは安心して打ち解けていきます。
連絡先の交換は禁止だったのですが、優子さんは退院しても連絡を取ろうね、とメールアドレスを渡して先に退院していきます。
有紀さんも患者さんやスタッフとの人間らしい心の交流を意外と楽しんで、2週間の入院を経て退院するのですが、退院のバイバイの後、病院の入り口で余韻に浸っているときに救急車で女性が運び込まれてきます。
その女性こそが中村優子さんだったのです。
有紀さんはもらったアドレスのメモを取り出し”[email protected]” と書いてあるのを見てその紙を捨ててしまいます。
おしまい
内容だけ読み直すと重い映画のようですが、キャストも蒼井優さん、りょうさん、大竹しのぶさんなど個性派揃いで、どっちかというとコメディ?です💡
さて、松尾スズキさんは飄々とした方なのでそんなメッセージを込めたのかはわかりませんが、私はこれをハッピーと言ってる人はハッピーじゃないってことなのだと解釈しています。
皆様はどう思われますか?
そして、これがなぜなのかヨガを習ったり練習する内に少し理解できてきた気がします。
それについて、長くなったので続きは次回書きますね。お楽しみに♪
(書きました!happyとsatisfaction2)
ではではお読みいただきありがとうございました🙇♂️
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打ち上げ花火、解釈(暫定)
今回レビューを書いたのは、あまりにも誤解というか、変な観方をされていたからです。 君の名は。とかと比べられたり…声が批判されたり...
追記
なんか勢いで書いてしまったので、訂正させて欲しいです...
君の名は。はめちゃくちゃ好きだし、作品的にもエンタメ的にもとてつもない完成度だと思います。好き。別に比べるのも悪くないんです。今の日本に受け入れられるアニメーションであることは確実に証明されているし、同じ夏アニメで、男女の話だし。比較対象として出てくるのは当然と思います。何が問題なんだ?!浅いとか深いとか言うつもりもないです。浅い深いどちらがいいということも思っていない。ただ、この作品に適した見方をされてないと思うんです。それはネットの感想を見る限り君の名は。の影響が大きくて。もちろん、見せ方がまずかったのはあると思います。でも、企画はこの映画の方が先だし、君の名は。がここまでヒットすると考えて作られていない。そういった点を考えると、積極的に庇いたくなったんですね...なんか表現が難しいな
君の名は。に負けないくらい素敵な作品であることを広めていきたい。
僕は全く声に問題があるとは思わなかったし、内容は苦しくて切ないけれどまっすぐで前向きで、すっきりして、幻想的な映画だったと感動しました。
広告もよくなかったし、典道の見た目が高校生っぽくなっていた構造的な問題もあったと思いますが、 一番の理由は、暗喩が理解されなかったことにあるんじゃないかと思います。
たくさんはないですが、構造や比喩に関して述べているレビューだったり、ツイートがあるので、僕も便乗して、他の的外れな批判たちに埋もれないよう、私はこう観たぞという文を残そうと思いました。表面の絵だけ追う観方では魅力が半減する映画だと思うので、その助けになれば幸いです。
かといって未鑑賞の人にはオススメしないけど...
比喩について
「桐島部活やめるってよ」は、ゾンビ映画の比喩が理解できないとイマイチ楽しめないし、作中に出てくる塚本晋也監督の「鉄男」はドリルの比喩がわからないとよく理解できないでしょう。
例えば、物凄く難解なパズルがあって、なんかすんごい些細なアラに見えるバグみたいな要素に憤慨して、もっと完璧なパズルよこせと言う人より、いや、これはなにか解くのに必要な要素なんじゃないかと疑問を持てる人でないとその作品は楽しめないし、凄さもわからないのです。
なんか疑問に思っても、いや、この製作者はそんなミスをしない人達なはずだから、なにかあるに違いないと思ってみないと、とけないパズルだった感じがあります。
制作物全てがパズルではないし、無論パズルとして見なくても面白がれるのですが、ただのアラのある立体としてしか見ることができないとそりゃあ面白くないだろうなと思います。
なんだよ、去年の立体は素人が見たってめっちゃ綺麗な形で、こんな出っ張りなんて一つもなかったぞ!!!となる。 せめて、解くことはできなくても、その物体がパズルであり、解くことができる、かっちり美しく組まれているということを知らないと出っ張りの意味がわからず楽しめないのです。
そういうものもあるそういうたのしみかたもあるということです。
なお、映画を見たのは一回きりで、文章を書いている間に原作を観ました。 感動の余韻で急いでメモしたことをとりあえずまとめたものですので、文体とか、読みやすさとか、時系列を考えていません。
なお、本人ですらうまく表せていないなと感じています。アニメに対しての「実写」という表現だったり、「大人の世界」だったり。
思いついた言葉で書いてますので、あ〜だいたいこういう方向性の意味ね、という感じでお読みください。
言葉足らずだったり、記憶違いだったりするかもしれませんが、大目に見ていただければ嬉しいです。
以下、アニメ実写ともにネタバレあります。 鑑賞後にお読みください
1 ぼりのしん個人の読みとき
あくまで一例にすぎません 映画も一度しか見ていないので、勘違いしているところがある可能性が高いです。 でも、楽しんだもの勝ちだと思っているので、あくまで例にすぎませんが、解釈の一助になれば、という思いで書きます。
まず、話の大筋を書きます。
男子に比べ、ちょっと成長の早い女子(なずな)が大人側の世界にまきこまれてしまう。まだ子供の世界にいたがるのだけれど、どうやら強制的に大人にならなければならないらしい。 それを見た典道は彼女が可哀想になって、覚悟を決めるまで付き合ってあげられたらなと妄想します。(妄想に入った段階はまだ判断できていませんが最初からか、海でなずなを見た時からか、プールでなずなをみたときらへんではないかと思います)
『まだ大人になりきれていない女子は怖さから逃げることを考え、切なさから、道連れを探すんじゃないか。 プールで成長をはかり、少しでも成長しているほうを巻き込もうと賭けるんじゃないか。 そうなったらその道連れに進んで選ばれてあげよう。 でもやっぱり怖くなって大人の世界にいくの無理かもしんないぞ。 下ネタや冒険のあるホモソーシャルな世界が心地よいし、仲間より先に大人になったらバカにされたり、疎まれたりするだろうし。』的な。
今は物語全体が典道の妄想説が有力なんじゃないかと思ってます。 おそらく実世界の典道は朝なずなを見かけてから、その日1日、自分の行動に重ねて妄想を繰り広げていたのではないだろうか…
男子はおそらく花火が球であることを知ってるんじゃないかと思います。 いずれ、それを認めなくてはならない、そんなことを気にすることすらできなくなることを知っていて、認めたくないのではないか。
子供のままであろうと試みているなずなには大人の世界から催促がきて、決断できずにうじうじしている典道は彼女が覚悟を決めるまでの時間を稼げずゲームオーバーです。その度に、いや、そこはこうすればいいのか、と妄想しなおしたりしますが、女の子の気持ちがうまく想像できないことや、都会を知らないので想像できなかったり(うる星やつ���2、アベノ橋☆魔法商店街、まどマギ劇場版)、御都合主義の結末に典道自身でも納得がいきません。
それでも諦めずに考え続けた典道は妄想の中で成長し、花火が平面じゃないこと、いずれ自分も大人にならざるをえないことを受け入れ、ついになずなともお別れすることに成功します。 無事妄想を終えることができた典道(なずな)は友達を残し一足早く妄想の世界から消えてエンドです。
基本的に以降の考察は以上の考えで進めていきます。
鑑賞二回目追記
最初の3回は確実に、もしも球を使う前、キーンという耳鳴りがしてますね。
おそらくこれが妄想の始まりなのではないでしょうか。耳鳴りの後にもしも球が画面に出てきます。
「なずな」は春の植物で、8月には咲きません。最初の「もしも」の少し前、草原に咲いているのはなずなだと思いますが、これは妄想説を裏づけます。
どうやら、アイドルシーンの回といい、なずなの「もしも」妄想も入っているみたいですね。もしも球の存在を知っているのはなずなと典道だけだし。
なずな回の女の子花火、典道はもしも球を投げようとしているのにわざわざ祐介が突き落としに来る。普通勝手に女の子とつきあっただけで灯台からその子ごと突き落としたりしません。思うに(なずなの妄想なので)心中でしょう。そのあとの典道回でアイドルシーン二回目の時、典道が引いている、怯えているような表情はそのためでしょう。
一回目は『家出』、二回目は『駆け落ち』、三回目は『心中』と、すべての選択肢を試してみているのでは。
なずなは典道が「どこに行けばいいかわからない!」というと楽しそうです。(人生において)なずなも同じなので、嬉しいんじゃないだろうか。
2 比喩の解釈
この話はいわゆるループものでも、並行世界ものでもないと思います。 ちょっとやそっとでは変わってくれない世界を主人公が努力して変えていくという話ではないし、 何よりおっぱいの大きさや球の大きさ、花火の形が現実ではありえない変化をしているからです。 めちゃめちゃご親切に提示してくれている「もしも」「if」という言葉からも、単に典道の頭の中なのだと思いますね。 友達が、灯台へ行く前に典道と祐介が一緒にいたことを知っているような口調なのもそもそもが典道の頭の中だからだし(原作では「あとは典道か〜」)、女子が憧れている世界(アイドル)の妄想がチャチくなってしまう(松田聖子のシーンのCG)のも典道が女の子の理想をよく知らないからです。
2-1 知っているであろうわけ
男子(典道)が花火の形を知っているだろうというのは、祐介の言動の二転三転がまず怪しいです。平べったいに決まっていると言った時も、出したうちわの例えが矛盾しています。
縦にうすい花火であるならば、下からみてもうすい花火であるはずです。 このうちわ問題は細かい指摘に見えますが、原作のラストで言及されている問題なので、タイトルが「正面から」ではなく「下から」のままである以上、意識的な矛盾でしょう。 作中でも階段の下に平行に落ちたうちわを祐介が見ているカットがなぜかあります。 祐介は花火が平面ではないことを受け入れたくない、確かめに灯台に行きたくないのです。 受け入れたくないよ〜と言うのが男子共通の暗黙のノリなので、 泳ぐのが早かったうえにマセてる典道が勝手に仲間の輪を抜けたことに祐介がもやもやするのは当たり前なのですね。せつねえ。
鑑賞二回目追記
うちわトリック、祐介が花火は平べったいと言ってうちわを投げた直後、典道はうちわを下から見ています。そこだけスロー。あとの祐介のシーンと合わせて、二人とも気づいた、もしくは違和感を持ったといえそう。
祐介は父から私立に行けと言われていたようです。
おそらく男子で遊びたくて、いつまでもつるんでいたくて、父親を突っぱねて公立に来ているのでしょう...せつねえ...
2-2 プール
ここでいう、泳ぐのが早かったというのは、成長のことを暗に示しています。 なずなと祐介と典道がプールで競争をする、これは成長の早さを競うレースな訳です。 早く大人になった方がなずなに告白できるし、一緒に駆け落ちできるわけです。 察するに、典道がターンでミスをしたのは、なずなの大人の体を見てこわくなったか、わざとか、または別のなにか大人になりたくない事件があってつまづいていたのではないでしょうか。
この場合プールというのはミニ人生、ミニ社会です。対比されるのは海ですね。
序盤、海の向こうを臨むなずな 大人にならなければならないということを表すシーンですが、男子は海なんて見ずに、じゃれてるのが印象的です。 海と違って安全で、泳ぎを訓練できる、まんま義務教育の終わり、中学校のような意味です。 プールでは掃除をサボって泳ぎたがり、夏休みは遊びたがる男子たちの口から、海で泳ぎたいという言葉が出てきていなかったように思いますが、海は大人の世界だからです。 海で泳ぐのは怖いから、安全なプールで仕事を放棄して遊ぶ… なずなが寝ているシーン、片足を突っ込んでいますが、まさにモラトリアムに片足突っ込んでるわけです。(たぶん海で泳がないといけない、ちゃんと泳げるから、ちゃんと成長しているから)
打ち上げ花火は海の向こうで打ち上がりますが、おそらく未来の輝き的なことなのではないでしょうか。
自分が大人になることを認めたくない祐介にとって、灯台で花火をみるということは恐怖であったはずです。 現実を、未来の眩しさを直視しなければならない。だからこそ「平面に決まっている」なんてことを言って、行きたがらなかった。 でもみんな行ってしまう…みんな大人になろうとしているのに自分だけ子供でいるのは恥ずかしいし、怖いので、典道も残れよ〜と誘いますが振られるわけです。
レールは人生のメタファーとしてよく用いられますが、ここでもそうで、海に行きたくない二人は船ではなく電車で都会を目指すわけです。 海もレールも「大海原に漕ぎだす」「敷かれたレールの上を走る」みたいな感じでよく比喩に用いられます。 ですが、おそらく作中ではずるい手段なんじゃないでしょうか。お金を払ってる感じもしないし、16歳だと偽ってから乗ってるわけなので。大人の乗り物? 多分、この世界で大人になるには海の向こうへと、泳いで行かないといけないんでしょう。その訓練のためのプールです。
2-3 灯台と校舎
灯台も大事なシンボルで、海の向こうを見渡し、進むべき道を照らす役割です。 打ち上げ花火、正面から見るか?横から見るか?にならなかったのは、うちわトリックもありますが、この海を見渡す高さが必要だからでしょう。 灯台は、工事中の足場の描写もあり、まだ考察すべきところです。
灯台と同じく重要な建物が校舎です。 シャフトに有り勝ちな独特なデザインですが、すごく連想しやすい。 大事なのは円柱であることと、二つあることです。 平面(子供)が(年、勉強が)積み重なって立体(大人)になった形であると同時に、母性の象徴、おっぱいでもある。 おそらく学年が上がると上の階に進むはずです。おっぱいもそうですが、平面から立体へ進む場所なので。
鑑賞二回目追記
灯台が工事中であるのは、男根の比喩であるからと予想。
工事中の足場は皮を表している。
2-4 おっぱい
この作品の大事なモチーフであろうおっぱい。 冒頭でなずなのおっぱいが強調されたり、先生のおっぱいがバカでかかったりとめっちゃ出てきます。 花火同様、平面か球体かが重要です。 なずなはじめ、中学生女子のおっぱいは平面から膨らみを持ち、球状になる、なっている時期であると思います。
先生のおっぱいは、子供を保護する大人の、母性の象徴であると同時に相対的に典道の成長を示すアイテムになっているんだと思います。 もしもを繰り返し、花火大会に来ていた先生カップルと会った時、先生の胸が小さく、平べったくなっていましたね? わざわざ彼氏にセクハラさせてまで強調しています。 原作では胸の大きさは変わらない代わりに、最後に先生に、花火の形は平べったいはず、と言わせています。 どちらも成長していない特徴です。 これは少し複雑で、物語全体の救いというか、なずなの母親が大人の代表になることの否定なのではないだろうかと考えています。 ただ受け入れることが大人になるということじゃないよ、もしくは、大人になっても中身は子供で、受け入れられていない人もいるよ、ということでしょう。 デート中の先生は花火大会という場で、童心に帰っているということかもしれません。
もう一度観る時、なずな(となずなの母)のおっぱいが最初と最後で大きさが変わっていないか見ようと思っています。
あと、序盤で先生のおっぱいの大きさを男子が想像する?シーンがありますが、あまりにしつこいので、もしかしたら(後のシーンで先生のおっぱいが小さくなっていたことをふまえると)典道のループ、もしもの回数、階層とリンクしているんじゃないかと思ってます。 読み上げられていたのはD〜J?の7回。 もしも球の発動が7回であれば最初からもしもの世界、6回であれば最初は現実と捉えられたりするかなと… 典道が大人になればなるほど先生のおっぱいは(役割とともに)小さくなっていくのでは?
ラストシーン、教室での点呼でギリギリ先生のおっぱいのサイズが確認できないのは、あの世界がもしもの世界(妄想)か現実かをわからなくさせるためなのではないでしょうかね。
鑑賞二回目追記
回数、そんなに多くなかったですね...
カップ数、何かあるんだと思うんですが...
点呼のシーン、祐介は典道がいないことをあまり不思議に思っていないようです。むしろなにかむすっとしているように見えました。
3 声優と俳優
大人になろうとする主役二人の声が話題ですが、俳優や女優を使わずに声優を使って欲しいとの意見が多いようです。 個人的には全く違和感のない声で、演技もうまいし成功していると思いましたが、逆に考えて、なぜ脇役も実写の人にしなかったのかという疑問が生まれました。 しかもめっちゃ豪華。 実写の声の人は主役二人の他にもいてなずなの母親もそうです。 単に広告の意味合いなのであれば、なずなの母親よりかは祐介に実写キャストを当てるのが自然に思えます。
まだ考える余地はありますが、仮説として一つ考えていることは、 アニメと実写作品で、平面か立体かを対比しているのではないかということです。 大人になることを受け入れられている人物は平面ではない俳優や女優を起用しているのではないでしょうか。 違う世界の人物だよということをキャスティングから示唆しているのではないでしょうか…? かんがえすぎだろうか。
そう考えると、原作の実写作品の分岐、「もしも」作品だということも考えられてこないですか?? 「『打ち上げ花火』実写で見るか?アニメで見るか?」 平面で見るか、立体で見るかということです。 映像が花火だとすれば、立体の映像を見るか、平面のアニメを見るかということですね。 無論、しつこいようですが、解釈は自由だし、アニメと実写どっちが優れているということでもなければ、 子供と大人どっちがいいという話でもないです。
鑑賞二回目追記
ラストの台詞、「観月ありさ〜」の直後に「それ前も聞いたよ」の台詞。
原作の分岐だと考えると、小ネタとして自然。
この解釈でラストを見ると、世界から消えたのはなずなと母親と典道という実写キャストです。 アニメーションで語られた妄想世界から厳しい現実世界に旅立ったと考えられないでしょうか…? (再婚相手…)
4 もしも球
おっぱいと花火、という球体を平面と見るか球体と見るかが重要であることは書きましたが、もう一つ、もしも球(他のレビューサイトでこう呼ばれ���いるようなので)についても書こうと思います。
もしも球は妄想の産物です。 原作には出てこないし、登場も唐突で、仕組みも描写されない。時かけのようにルールや枷があるわけでもない。 妄想が進んで、大きく改変されればされるほどもしも球も大きくなります。 妄想の産物で、典道が考え出した、その名の通り「もしも(こんな)球(があったら)」ということなのではないでしょうか。 最終的に酔っ払い花火師に打ち上げられますが、もしかしたら、花火であっているのかもしれません。 今のところ、平べったい花火の(世界をつくる)尺球という解釈をしています。正直まだ考察が足りてないです。 典道が毎回花火を打ち上げていた、最初に投げた時、もしも球の爆発を横から見ていた、というのはなかなか好きですが。
以上の考察を以って、原題を引用すると、 「少年たちは打ち上げ花火が平面であって欲しかったけど、認めたくなくて、横からみたかったのにみることができずにいた」 という話だったのではないかと解釈しています。
鑑賞二回目追記
もしも球も平面が積み重なったような見た目をしている。
5 残された謎
まだまだ完成度の低い解釈で申し訳ないです。 残っている謎としては、風力発電機の羽の描写の意味、花火師がなぜ嘘をついたか、なずなを見てなぜうんこしたくなったか、でしょうか。 うんこは典道に告白のチャンスを与えるためとか思ってるんですがちょっとまだよくわからない。
しつこいようですが、僕の解釈はあくまで一例です。 解釈、楽しみ方は本当に人それぞれです。
ここ違うんじゃないか、などありましたらコメント?などお願いします。 後から編集する可能性があります。 よろしくお願いします。
鑑賞二回目追記
風車は時間のモチーフで良さそうです。
今までのシャフト作品から見ても、劇中の描写から見てもそうですね。
時計回り→正しい時間の進み方
反時計回り→回想へ
あと、これは初回から思っていたのですが、冒険のための荷物が否定されて笑われるのが切ないです。スタンドバイミーをやるにはおとなすぎるし、あんな冒険できっこないこともわかっているんじゃないかというようなことを思いました。
めちゃくちゃ重要なことを忘れていました。なずなの父親が亡くなった時にもしも球を持っているようですがなぜなのかわかりません。本当にこれはだれか教えて欲しい。幼いなずな?をおぶっている人物も母親には見えないが...
あと、サイレンの音も何かあると思います。
鑑賞二回目追記
父親のシーンは心中か...?
追記 なずなが絶対的美少女であるべきだというようなレビューを見かけるんだけど、僕は思いません。原作版に比べて、なずなのミステリアスな感じを意図的に抜いていると思う。なずなに翻弄された男子の話ではなく、ともに何かを受け入れた典道となずなの話でいいと思う。特別なファムファタールではなくて、まるで別のアニメにも出てきそうな女の子(物語シリーズ戦場ヶ原)でいいのだと思ったんだけど、どうなんだろうか。やはり原作を見てからだと違うんだろうか。
追記2
(球体だと)わかっているけど認めたくない、の構図はラストもそうで、なずなの「また会えたら」みたいな台詞は、中1でよそに引っ越した相手と偶然また会って、付き合って、結婚する!といった、ことはまあおそらく、そんなことってないのわかってて、でもきっとあるって信じたい、ということなんですよ。あえないことはわかってるけど、でも信じてみてもいいじゃんという。
花火で言えば、球体だってわかってるけど、平面かもしれないってわくわくしてたいじゃん。
鑑賞二回目追記
ラストシーンはどうやらめちゃくちゃなハッピーエンドなのではないだろうか...
典道が告白しようとする前のなずなの台詞「また会えたら」的なやつは、おそらく原作と同じで、あえないことを知ってての、知らせるための、それでもそうだといいよね、そう思いたいよねという台詞だと思うのですが(だからこそ告白しておこうとする)(その少し前、俺はこの世界でなずなと一緒にいたい!の場面でなずなを見つめる典道と違い、なずなはドームの向こうを見つめている、受け入れている)、花火師がもしも球を打ち上げて世界の枷が壊れた時、典道がなずなとの未来を掴み取っていることを考えると、おそらく「君の名は。」を超える(主観)ハッピーエンドなのではないだろうか...結末のわかっている時かけと言ってもいいけど、おそらく再会するんじゃないでしょうか...
そうなると二度目のなずなの台詞「今度会えるのはどんな世界だろうね」は「未来で待ってて」的なことになる?なんかもっとうまく言える気がするのですが...
というか『妄想の世界』ではなく『現実の世界』で会おうよってことかな
あと、最初にもしも球を投げる前はなずなが「家出」と言っているのが気にかかる...以降は「駆け落ち」だと言い張るのに...
この映画、オタク以外にはわからない、みたいな分け方をして欲しくないな...
勢いで書いているので、不快に思うところもあると思いますが、お許しください...
誤字を除いて、極力編集せずに追記と言う形で書いていきたいと思います。
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Japanese Elevator Ad
これは私のエレベーター広告です
30年以上にわたる私の百万語の笑い声のために。
ps私は読者がいる: - カナダ、米国、英国、 アイルランド、オーストラリア、ロシア、ポーランド、チェコ、ドイツ、フランス、ポルトガル、シンガポール、ナイジェリア、中国 、フィリピン 名前になく、いくつかの場所。
こんにちは、ラジオと他のすべてのメディアのための言葉の漫画についてはいかがですか
私はラジオを聞いて育った、私たちはすべて毛布の下に隠れて、私たちが眠っていなければならない時に聞いていました。 ラジオは私の人生を変えました。恋人は、彼が病気のお母さんを見守るためにアイルランドに戻らなければならなかったときに私たちにラジオをくれました。 実際に彼は彼のすべてのものを残し、最初のボートの家を捕まえた。 数ヶ月後、彼は私たちに会いに戻って来て、私と私の兄弟は彼の古いブッシュラジオを持つことができると言いました。 私はラジオを聞いて20年を過ごしました。 それが私の人生を変え、私の知性を向上させたとき、ギャラガー氏を恐れている。
私は老人の家で私の上海の妻に会った、彼女は私のお父さんの部屋をきれいにしていた。 私は中国のバレリーナがバーミンガム・ロイヤル・バレエ団から積極的に審査を受けました。今は2人のバイリンガルの娘と結婚しています。 私たちの猫トトロは、女性でバイリンガルです。 私は家族のトークン男性と英語のスピーカーです。
ここではいくつかのサンプルがありますが、私はあなたのラジオで私のショートパンツ/ブログを読むことになります。 各作品は約90秒、マイケルは90秒、アイデアはシンプルなアイデアです。 私は おかしいの 19208の 見解を 得た かのサンプルのために死ぬ しています
私の第八の本になりますブッチャーのための涙の 第 1 章 。 唯一の他の日に出版社はショートパンツ300とNot OUTの私の本は非常に 面白い と言いました 。 実際、私は 一年以上のための十分な 1000 のショートパンツを、 持っている必要があります 。 私はこれまでのうち207曲を録音しており、オーディオの11時間分を記録しています。 私は、ほぼ 30万 もGoogle+の意見 が、私のディ d を 持っています それを電子 believない ので、私はGoogleの+を残して、私は どちらかFacebookを利用していないです。 ちょうど私のサイトとAmazon Kindleで、ある日人々は私の本を買うかもしれない。
私はすべての私のショーツを記録し始めているとのそれらの50+を入れている 私も今、新しいマイクを持っているので、逆の順序で聞くwww.michaelgcasey.typepad.com。
私の12冊の本はAmazonのKindleにあります
http://www.amazon.com/Michael-Casey/e/B00571G0YC/ref=ntt_athr_dp_pel_pop_1
そして https://butcherbakerundertaker.blogspot.co.uk
ここにラジオやプリントのサンプルがあります。
LinkedInのプロフィールとCV©
〜によって
マイケル・ケイシー
私たちはFacebookとLinkedInに参加してきました。人を知り、 "友達"を作ることができます。 LinkedInでは、���続や多分ビジネス接続についてもっと詳しく説明しています。 私たちはプロフィールに頼らなければならないので、LinkedInのプロフィールは私が作家であるように私の話を伝えます。 しかし、これらのプロファイルはどれぐらい正確ですか?
私は生まれたリーダーです。
彼は11人の女の子の家族の中で最初に生まれた少年だったという意味です。
私はサプライチェーンの構造を作りました。
彼はちょうど彼の記憶の代わりにクリップボードとメモ帳を使うことに決めたという意味だ。
私はターゲットオーディエンスの間で売上を最適化しました。
彼はすべての女の子のことを話し、彼は高齢者に親切で教会に行きました。
私は独創的で独創的で新しい売り上げを得ることができました。
彼はチラシをデザインし、通りを渡ってそれらを届けたという意味です。
私はビジネスのために余分に行くことを恐れることは決してありませんでした。
彼が銀行にいた後、彼を追いかけているストリートギャングがあったことを意味する
私はビジネスメッセージを伝えるのに大変です。
彼はちょうど黙っていなかったので、上司は彼がママとパの店の外の果物をきれいにするようにした。
私はいつも自分自身を改善しようとします。
彼は友人がいないことを意味しています。
私はビジネス・キャッシュ・フローを最適化するための新しいスキームを作成しました。
彼は店の現金を取って、馬に金を入れたという意味だ。
私は現在、優れた新しい機会を探しています
彼が解雇されたことを意味し、警察は姉妹と結婚した所有者と呼ばれていない
私は購買デリバリーを集中化するための素晴らしい新しいアイデアを作りました。
彼はお金の配達会社、クラッシュヘルメットとバイザーの警備員であることを意味する。
私は自分の創業者を創った
彼は現金配達会社からお金を盗んで、自分の会社を設立したことを意味する。
私は今、私のキャリアを再開する前に、学んでいます。
彼は図書館で働いていることを意味する。
だからあなたがそれらのLinkedInのプロフィールを読んだり、履歴書を読んだり再開したりすると、彼らは本当に何を意味するのだろうと思います。 写真もチェックしてください。現実ははるかに違うかもしれません。 俳優のように、写真は10歳から20歳になることがあります。 もっと深く掘り下げる
私は、私はグーグルでできる限り、googleと人々をチェックアウトします。 Googleの私(michaelgcasey)と私のサイトと自分のために考える。 私は自分自身を安息日にしています。私は図書館にいません。私たちは家にたくさんの本を持っていると思っています。それは、関節炎とも呼ばれていません。 しかし、少なくとも私はここに座って、皆さんの一部を笑うようにすることができます。
悲しいことに私が広告を書いて以来、私は予期せぬ4倍の心臓バイパスを私の広告に追加する必要がありますが、私は過去数年間で4本以上の本を書いていて、合計で12本になりました。
光がありますように©
マイケル・ケイシー
私の涙が私の言葉になるようにする
キャンドルライトを私の目にしよう
咲いている花を私の唇にしましょう
彼らの香りを私の血にしましょう
風を私の息吹にしましょう
雲を私の気分にさせて
子供の笑いを私の希望にしましょう
寡婦のため息が私の良心になるようにする
見知らぬ人の祈りを私の喜びにさせてください
ミツバチを私の知恵にさせて
木を私の強さにしよう
私の忍耐が星に届くようにしましょう
あなたの祈りの中でいつも思い出してください
死者と生き方(c)
〜によって
マイケル・ケイシー
私は9歳のときに初めて死者を見た、私の父は言った
死者が生きている人と同じであることを心配する、笑いだけ
彼らを去った、輝きは彼らの目から消えた、心配している
彼らの肩から持ち上げられ、彼らの声は
永遠。
パラダイスでは、輝きはそれのために戻るでしょう。
星は、笑いもそれのために戻ってくるでしょう、朝の風と
潮は、笑いを浮かべて揺れている。
私は生きている人に与えたのと同じ礼儀で死者を扱います。
私は故人がいつもより礼儀正しく思っています。 私の父も
生き方についていくつかの言葉を述べました。
彼は、生き物は魂の世話人だと言った
彼らは彼らの存在がすべてであり、すべてが分かっていると思う
彼らは自分の感覚で多くのことを経験するからです。
生きていない人は、自分の時間が短いこと、
体を寝かせると、彼らの魂は、
彼らは強くなくても、弱いところになくても、彼らのせずに
美しい、あるいは醜い一時的な形、私が言うことができないところ、ただ
それはよりよい場所だということです。
棺の上に蓋を置いたパーシー、魂は無料だった
始める
眠る©
〜によって
マイケル・ケイシー
あなたの眠りは終わり、あなたはあなたの家に侵入した笑っている子供たちを持っていて、あなたの心からあなたを追い出します。 まあまあではないが、それは非常に気を散らす。 あなたは何をやっていたのか、そのファイルがコンピュータ上でどこにあるのかを覚えていません。 これは私がこの物語を伝えている2回目です。なぜなら、私の言葉、言い換えれば、物語が死んでしまったか、Wordが正しく閉じなかったからです。
あなたに逃げ出した人や見知らぬ人が家に到着し、一晩中侵入します。 あなたは階段を叫んで、私の部屋から守ってください。 あなたが盗む価値のあるものがあるからではありませんが、あなたのプライバシーを盗んでいます。あなたの家に娘があれば、それはあなたが残したものです。
ネイルワニスの臭いが階段を漂ってどこにでも浸透します。それは大戦後のマスタードガスよりも悪いことです。 あなたは階段を上って叫び、すべての窓を完全に開きます。お部屋はどうですか? 特に私の。
その時、彼らの友人たちが窓を開けるのを助けるために、あなたの内側の聖域が破られてしまったのです。 彼らはあなたが6歳の時から持っていたテディベアを見て、侵略者は笑います。 彼女はまた、あなたのベッドで深い熱を見て、そして彼はマニキュアについて不平を言う。
夕食の時間が来て、あなたは鳩を食べなければなりません。彼女はこれを食べない、または食べないのは原則です。 だからあなたは、あなたが詰めなければならないと言います。 あなたの娘、ホストは、恐ろしいので、チップを作るために使われたコレステロールを含まないオイルをポンドコインを払い落として軽くたたきます。 だから妥協が達成される。
あなたはスカイスポーツに試合を見せて、カタールは地下スタジアム、斬新なアイデアを作るつもりだと言う。 ルーニーがチップを積み重ねて到着したら、あなたは沈んでルーニーを見に行きます。 彼女の友人はバレエを愛し、スカイアーツはボリショイを持っているので、それを見てください。 あなたは彼らのためにそれを記録すると言います。 しかし、あなたはそれを提案しても、子犬の殺人師ほど悪いです。
あなたがラップトップで上の階で試合を見に引退しながら、素敵なお父さんになると、彼らはあなたの46インチテレビでバレエを見てみましょう。 彼らは、子育てのクラスでこれについてあなたに言うことはありません、ちょうどおむつを変更する方法。 ウィリアムとケイトが言われることを祈りましょう。
バレエの後、彼らはガールジー音楽のために二階に戻り、ラップトップの部屋で何をしていましたか? あなたは内なる聖域に許されていないただの父親であることは分かりませんでした。 ヒット数は、ボリューム13のDABラジオで切り替えられ、大画面でアフターマッチトークを見るために後退します。
後でそのバスタイム、あなたはあなたの家のすべての女の子のために鳩を含む2時間を待たなければならない、あなたが単なるお父さんの前にバスルームを汚染するために、そして請求書支払い人は、剃ることができます。 あなたの最後の剃刀だけが誰かの足を救うために使われました。
だから誰もが寝る、すべてがうまく、あなたのテディベアを保持し、あなたは穏やかに眠る。 午前3時まで、バンシーが叫んであなたとあなたの妻とすべての隣人を起こします。 それは鳩で、彼女は悪夢を抱いている、それはチップでなければならないし、彼らからのコレステロールのないオイルだ。 または、半分目を覚まし、彼女がどこにいるかを忘れていた。
だからあなたのドレッシングガウンを置くことを覚えて、近所の時計からの隣人がそれらを鳴らしているように、あなたは皆を落ち着かせ、警察にドアに答える必要があります。 だから警察が来て、見ている。 鼓腸は警察ノートブックに書かれています。 あなたの小さな娘があなたのテディベア、おかあさんのお父さんを手渡して、もう一度警察を家の外に出すようにすると、それは眠りに過ぎません。
メンショップはどうやって? ©
マイケル・ケイシー
男性と女性の間に違いがあり、神に感謝します。 しかし、男性はどのように買い物をするのですか? 男性のためのショッピングはあなたが必要とするものを手に入れようとしているので、私の靴には穴が開いているので、私は店に行き、別のペアを購入します。 男性は古い靴と全く同じ新しい靴を購入するか、彼が冒険している場合はまったく同じだが灰色の靴ひもと黒ではない靴を持っていく。 今、これはファッションを意識している男です。 男が新しいズボンを欲しがるならば、彼は店に行って、脚/腰のサイズがあるかどうかを見て、それを試して、曲がったときに分裂しないこと、パッケージが握られていないことを確認する。 男がジャケットを着る前にズボンをチェックするスーツが必要な場合、ジャケットはボタンを爆発させることなく腹を締めることができなければなりません。 男はスーツジャケットを決して上げることはありませんが、もし彼がそうであれば、ボタンが飛んで目の誰かに当たらないことを知る必要があります。
男性がシャツを必要とする場合、彼は首のサイズを調べる、私の場合は18.5である。そして、彼は完全にフィットするかどうかを見る。 それから彼は5つのシャツを全く同じプラスチックで購入する。 怠惰な買い物客のために、彼はスレイターに直接行き、彼が望むものを手に入れます。 すべてを30分で出入りします。 それから彼はパブに行くと彼の仲間を満たし、1つのパイントがあまりにも多く、彼のすべてのショッピングをクイーンズ・タバーンに残すでしょう。 幸いにも、彼らは正直であり、彼の買い物は救われています。そうでなければ、パブに戻る前にスラターに30分を費やさなければなりません。
これは基本的に男性と女性の違いです。 女性の店、男性は服を拾うか、注文ピッカーのようなものであれ、何の情熱もない。 男は家に帰って買い物をしてしまい、それを忘れる。 映画のように、男のワードローブにはすべて同じ色のスーツが入っています。衣服は単なるものなので、すべてユニフォームです。
女性が買い物に何か違っている場合は、服を試着しなければならず、女性は完璧に見えるようにしなければなりません。彼女のお尻やおっぱいは大きくても小さくてもいけません。 女性が彼女の服を選ぶのを助けるために、彼女は2,3人の仲間または彼女の子供を彼女と連れてきます。 彼女の男は余儀なくされるが、彼はラジオ5ライブを耳に差し込み、彼女が選んでいる間にサッカーに耳を傾ける。 男性は5色、赤、青、赤、緑、黄色、または多分1つまたは2つを知っています。 女性の場合、少なくとも50色あり、エスキモーが雪のために30語を持っているのと同様に、女性は各色とその髪のために10語を持っています。
この勇敢な男、または私は愚かです、私はちょうど私の妻にデビットカードを与え、平和のままにしておいて、彼女は彼女と一緒に女の子と微笑みながら、若いファッショニスタ達です。 私は何年も前に、妻が必要とするものは買い物をする空間であり、私の時計を常に見ていないと決めました。 それが彼女のしていることであり、彼女の膨らんだワードローブは私の決定の知恵を証するでしょう。 女性が家に帰って2時間混じり合って、新しい服が古い服と合っていることを確かめるために、夫はテレビで大きな試合を見ようとするが、彼の妻はリビングルームの周りをプランスして "さまざまな質問があります。 それは罰則であり、あなたは席の端に座り、妻が現れ、あなたの意見を遮るので、あなたの側が降格された理由を見逃すことになります。 国の上下の家庭での通常の生活。
翌日あなたはもう一度安心して試合を観戦し、スカイ+に記録することを思い出しました。妻と同じように買ったものの半分を店に戻しました。 あなたのデビットカードをもう一度与えないので安い£100の靴を買うことができます。
すべてのもの明るく美しい©
マイケル・ケイシー
私はしばらくの間、非痛みの部分を書いていないので、私は痛みを忘れて、新しいことを書きます。 私たちはちょうど半分の休日を過ごしました、そして、私の女の子は彼らがそれを呼んでいるように "店の女の子"を演奏していました。 彼らは戸口のドアに "開いた"または "閉じた"というサインを持っています。 彼らは上の階で私の妻の服を盗んでしまいます。 私たちの長女は今、私の妻よりも大きな足を持っています。私は妻の靴を盗むことができないので安心ですが、妹が靴を履くことを妨げるものではありません。 ベレットにシルバー・スパンコールの問題もあります。それは絶対的なファッション・マストです。
私はファッショナブルではありません、家の中の3人の女の子が十分です。私が彼らに与えた場合、私の目の眉をビーディングするだろう、私は機会にピンクを着るので、それは私が行く限りです。 もし私が多分3石のライターだったら、私は他のものを試してみると、コットントレーダーズ48Rで素敵なコードジャケットを見ました。それは明るい青、Kingfisher Blue、私の女の子は "Clown Jacket"と呼ばれていました。 それを奨励して、私は何をやろうとしているのですか? 私がジャケットを購入する何百万ユーロにも勝ったら、私は言った。 私の妻は素晴らしい明るい茶色のものを持っていますが、女性の方がより正確な色の名前になりますが、男性は色をしません。 あなたがそれを黒と白、青、緑、オレンジまで男性と同じだと思うならば、女性は色のために少なくとももう40の名前をつけます。 私の髪の毛が行く限り、銀色ですが、友人は私が白い髪の老人であると言っていましたが。 私たちの髪の色が変わると、それは人の7歳です。
私はAliがなぜ脅迫ではなく "Whitemail"ではないのかを覚えている。 私たちが健康であれば私たちはピンクになっています。私は自分自身でピンクに戻っていたいと思っています。 私たちは会社の口座をするときに赤ではなく黒に戻ることを願って、銀の裏地を探します。 私たちは、歌が行くと虹を見て見ます、私たちは金の鍬を見つけるかもしれない、私たちのトラブルはすべて終わったかもしれませんし、古いキットバッグにそれらを詰めることができます。 ホープは私たちの中で湧いてきます。それは結局のところ春です。そして、チャンス庭師が「春には成長するでしょう」と言ったように。
チーズとチョリソ©
マイケル・ケイシー
女の子のことは、彼らがあなたのものを盗むということです。彼らは素敵で甘いにおいがすると思いますが、そうではありません。 もし彼らがあなたの前に立ち上がるなら、彼らは冷蔵庫のあなたの側を襲撃し、チーズとチョリソを食べるでしょう。 チーズとチョコレートをトーストに、ホット��ョコレートをつけて、これはあなたの娘があなたをどう扱うかです。 これは私の女の子が私をどう扱うかです。
昨日のお母さんはビスケットを買いました。 NO。 女の子はいくつか持っているが、私は誰も得ていない。 彼らは私が本当に好きなもの、あなたが本当に好きなものでした。 私はアハの歌のように、高くて低く見えましたが、何もありませんでした。 JJ私は柱からビスケット、Tunnockのものを探してポストに行って妻はちょうど私に笑った。 これは私の人生で3人の女の子が私を扱う方法です、私はビスケットです。 最後に、私の小さな娘は、ビスケットがどこにあったかを私に教えてくれました。新しい隠れ場所なので、見つけられませんでした。 私は勝利していました。私はビスケットをポケットに入れて、平和のうちに食べるために逃げました。
靴は大きなものなので、私たちの小さな娘は母親の靴の中で家の周りを歩いています。私の靴は大きすぎますので、ありがたいことに彼らは一人で放置されています。 しかし、縫製や物作りのための学校からの素晴らしい言葉であるTextilesが好きな2人の娘を持つ。 彼らが織物を好むならあなたの服は安全ではない、彼らは何かにそれを回したいと言うと、ワードローブからシャツか2をドラッグします。 ジャンパーは安全ではありません、彼らはドレスやハンドバッグを作るためにそれらをカットすることができます。 そして、ニードルは、家族の中にポーキュパインを持つようなものです、危険です。 あなたは、あなたが針または2つに座った後、妻はちょうどその自由な鍼灸を言う、胡博士に私達に訪問を支払うように頼む必要はない、そして彼は本当に博士フー博士、博士フールではなく、博士博士です。
私たちの11歳は5フィートの高さで、お母さんと同じくらい大きいので、彼女は服を着たいと思っていますが、上海の女の子が着る服の種類は���像できます。 だから中国語で議論がある、私は言葉を理解することはできませんが、SANINGONGAはかなり頻繁に聞かれています。 それはまた私の女の子を意味します、私たちの女の子は再び私のワードローブから盗むために戻ります。 ある意味、それは蛾を持つようなものですが、服の穴の代わりに、アイテム全体が消えるだけです。 しかし、女の子だけでなく、お母さんも、彼女はファッション警察がこのアイテムやそのアイテムを気に入らないと決めるので、消えます。 私はいつ見つけるのですか? 私がチャリティーショップを過ぎて窓の中のテントの大きさのアイテムを見るまで、それは私の服です。
だから、服を背中に置いておきたい場合は、娘を持たないでください。 あなたが冷蔵庫のあなたの側にあなたの好きな食べ物を安全にしたい場合は、冷蔵庫の中国側のいずれも、娘を持っていない。 あなたのペニーを保存したい場合は、上海の妻を持っていない。 しかし、人生は退屈なので、座る前に見てみてください。
土NavからブロックされたシンクへのAからBへ©
マイケル・ケイシー
まあ、今朝は皆さんがおいしいと願っています。 私たちのために土橋議論が続く。 昔は、黒タクシーはAtoZを使用して見られなかった、それは彼の尊厳の下にあった。 彼はナレッジをやったが、それは彼の頭の中にあった。 Jack Rozenthalは30年前のことだった? Maureen Lipmanは彼の本当の妻でした。
配達ドライバーと卵とベーコンのバチは片手でAtoZに片手で滴を垂らしながら引き出しをしながら5日間のひげをよくしています。
バスの運転手は彼らのルートを知っているので、彼らが自動でしばらくしたら、彼らは彼らが何をしているのか知っています。 彼らがしなければならないことは、3日前の切符を使用しようとしている子供たちと一緒になり、バス上のすべての大麻からあまりにも高くなることはありません。 または、奇妙な方向につながる可能性があるため、ルートを切り替えたときを覚えておいてください。
数年前にドアセールスマンに会ったのは、バックドアのタトゥーでのラップで、サンプルを入れたスーツケースを持っていたルートがあったからです。私の後ろのドアで覚えています。 しかし、それは45年前でなければならない。
だから、基本的に私たちはすべて、私たちが望むものと、どこに行くのかを知っています。 さらに後ろに行くと、人々は自分の家の周りに6ブロックの半径しか知りませんでした。 戦争に行くことは、ラジオと同様にテレビをもっと重要なものに変えました。 Tvが世界を見ているのは、Seaman商人だけが世界を知っていたことです。 私の祖父は商人の海人でしたが、時には彼が上海に行ったのは不思議でした
それとも、私が最初にそこにいる孫です。 彼は100年以上前の19世紀/ 20世紀のターンに訪れたのでしょうか?
それは私たちを土Navに戻します。 私はバスの上であなたの隣に座っているポットの頭を離れてうまくいくバスを使います。私がしたいのは、ポケだけです。 私の妻は車の運転手なので、彼女と私たちの女の子は車を愛しています。 しかし、私の妻は土ナプスを借りて、それが楽になるようになっています。 その結果、私は1つを提供するのが難しいです。 あなたは支払う、私が支払う、はいあなたは支払う、なぜ私は支払うのですか?あなたは夫ですから、あなたが支払うので、私が支払う方法はありません。 そして、鼎洞では歌を歌います。 それは楽しい部分です。 私は支払うことはない、私が言うコンピュータを使用する。 あなたはコンピュータから完全な道順を得ることができます。あなたがしなければならないことは、それらを印刷することだけです。私たちのプリンタがまだ動作していれば、それをやっています。 だから、本当に妻がしなければならないことは、英語でそれらをコピーすることです。
彼女は私があなたに話すときに鍋で忙しいです、彼女は今妥協しています、彼女は私が半分を支払うことを望んでいます。 だから、私は二重に寛大で、私が支払わない分を二倍にすると、私はゼロを支払うでしょう、彼女は100%を支払うことができます。 これは本当の交渉の精神です。解決すべきもう一つの問題があるようになりました。彼女はシンクをブロックしていますので、今私が急落したり、シンクにプランジャーを持って行ったり、次の部屋の私の肩の上で、ちょうどテレビで左に曲がり、泡の音にまっすぐ進む。 愛はどこにでもあります。あなたはそれを知っているのではなく、見つけてください。
私の他のアイデアは、短編の本、40の翻訳40翻訳
私の話をUSBスティックで読んでいる私の40オーディオに直面しています。
ユーモアで第二言語として英語を教えるのに最適です。
私はエソル英語教師であり、得られた
2卓越した評価と私の外部評価
私が890+のストーリーを書いたので、これは一連の20のプラスの本
だから、マンダリン/日本語/ウルドゥー語/スペイン語/ヒンディー語/ロシア語などができる
これは、世界的なヒット、天使の投資家が必要になる
これを読んでくれてありがとう、ジャンクがそれを手に入れなかったならば。 私は近くに来て、私の人生で何度も葉巻を持っていないので、私はあなたに試してみることにしました。 ラジオは私の言葉のための媒体です、マイケルと90秒、全国に行くことができます、私は誇りにすることができれば、素晴らしい言葉で、私は簡単なアイデアです。 私はすでに私の890+ショーツ200本を録音しており、これまでに録音されたオーディオのうち11時間プラスです。
一部はで聞くことができる www.michaelgcasey.typepad.com
チェリオ、マイケル・ケーシー
https://butcherbakerundertaker.blogspot.co.uk
www.michaelgcasey.typepad.com
50以上の話を聞く
http://www.amazon.co.uk/Michael-Casey/e/B00571G0YC/ref=ntt_athr_dp_pel_1
12の電子ブックと3つの紙書籍に印刷
http://www.amazon.com/Michael-Casey/e/B00571G0YC/ref=ntt_athr_dp_pel_1
psカナダ、アメリカ、英国、アイルランド、オーストラリア、ロシア、ポーランド、チェコ、ドイツ、フランス、ポルトガル、シンガポール、ナイジェリア、中国の読者がいます。
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グッチの新しい有罪の絶対的な注ぐファム香りは、あなたをブラックベリーの夢にします
昨年グッチは私たちにブルームを提供しました。そして、ダコタジョンソン、カメラマンPetra Collinsとトランスジェンダーモデルhari Nefを主演させました。不透明な2000年のピンクのビンで包まれて、多くのブランドが人気投票を捕えるために押し出される試みられてテストされたフルーティーなフローラル公式に頼ることなく、香りはブランドのためによく行いました。 グッチスーパーコピー そして、その大きく装飾されたセーター、バッグとスニーカーは、派手でインスピレーションの間に細かい行を歩くように、グッチはすべての味にアピールするためのものではないので、それは良いことは、家は、その香りと独特のルートを行っている。ブルームは頭が、まだ激しく着用可能な花だったが、新しい香りはミシェルの創造的な入力とマスター香水アルベルトMorillasの輝きに続いて少しグルメ方向に行く。 グッチは、絶対的な注ぐオム、新しい罪の絶対的な絶対的な注ぐfemmeにパートナーパートナーの香り、カップルを完了し、そのグッチが表現することを望んでいることを愛するために自由のアイデアを構築します。香りは、神秘的でおいしいブラックベリーを中心に基づいています。ミシェルは、“私はあ���たがそれを臭いに夢中になるBlackBerryのノートが欲しかった”と説明した。それは魔法であり、それは自然にだけでなく、感情に接続されています。この香水にはロマンスがあり、純粋で自由な雰囲気のオーラがあります。ジューシーなブラックベリーのほかに、香りには2つの『英雄』メモがあります:ブルガリアのバラは、スパイシーなねじれのために上がります、そして、Goldenwood(ウッディと皮革的な面の両方を誇りにするNootkaヒノキからの天然抽出物)。また、男性と女性の香りの両方に共通しているこの線形の香りの唯一のノートです。 Morillasはベルガモット、PatchouliとAmbergrisのような他のノートを使用して、彼は喚起したいと思った深い、麝香と中毒性の資質を作成します。彼が達成したかったことを説明して、Morillasは言いました。アレッサンドロは、香りのこれらのタイプを望んで、彼は理解するのは簡単です何かを望んでいる、あなたはそれを嗅ぐとノートを理解しています。「香りの匂いを嗅ぐとき、あなたは自由に感じる必要があります」と、キャンペーンで紹介されます-それはバロックPalazzoでセットされます-アカデミー賞を受賞した俳優Jared LitoとモデルJulia HofstromとVera van ERPです。その男性対応者のなめらかなシルエットを反響して、FLAの上の女性のバージョンは、香りでキーノートを思い出す染められた、深いベリーガラスで来ます。グッチスーパーコピー気まぐれな家からoohラ素晴らしいスライスのために、これのspritzはトリックを行います。 私は、このおいしい夏の果物の上にキャンディ、砂糖効果を広げて、ビンテージ中毒の感覚を生産するために、Cloudberriesを『結晶化する』ことを選びました。 現代の香りの真の贅沢は、完璧なバランスを作成する両方の自然と合成原料の細心の選択を使用して組成の精度とフィネスにあります。そしてもちろん、香水のトレイルとトレイル。高品質は、それが想像された方法の両方の結果であり、その創造に捧げられた時間です。
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( なお、空気の抵抗や、球とレールの摩擦は、あるものとする )
- - -
24日、大妻女子大学の一室で『GEORAMAアニメーションスクール ―アニメ、その様々なモード』を聴いた。その中の、土居伸彰レクチャー『ただ”そこにいる”こと 立体的なアニメーションの時代に向かって』で語られた、映画『犬ヶ島』における〈 物語全編を通して犬たちにふわふわとあたっている、毛並みのなびきとして目に見える風 〉について -この文章は宣言でも、完全な理解への確信でも、意見の表明でもないけれど- なぜ自分がそもそも、アニメファンと呼ぶには少し遠いところからアニメーションに魅力を感じているのか、ということなどを含むさまざまな感想を、メモとして残しておく。
youtube
レクチャーの中で土居伸彰は、( 画面に対して正対したまま、ふわふわと風になびく犬ヶ島の犬たち )の動画を見せながら、このように静止したものにたいして当てられている風は、どこか別の時間感覚を持っているような、違和感が埋め込まれているような状態なのではないか、ということを口にした。『犬ヶ島』は観たが ( やや邪道なことに、わたしが犬ヶ島を観たのは飛行機の中だったのだが ) 風についてはとくべつに意識をしてはいなく、たしかに画面の中で常になびいている毛並み、に新鮮な思いがした。動画だと、0:32からがわかりやすい。
ここで同時に思い出されたのが『マンガと映画 / 三輪健太朗』の冒頭で語られていた、漫画家は 線一本で風を表象することができる、という話だ。マンガやアニメーションなどの物語世界において、風を吹かせるための手法には既に共有されたコードがあるため、観客は画面上に引かれた数本の線や、幾枚か描かれた木の葉、ざわざわとぶれる木々の表現や、振り返ったあの子のはねあがる毛先、などに、直接的に風を感じることができる。それだから犬ヶ島においても、そもそもなぜこの犬たちの毛並みはモワモワと動いているんだろうか?とは思わない。風が吹いているなあと思う。あるいは、荒廃した吹きさらしの島の空気感をなんとなく感じる。そういったことが、素直に行われる。
これはまた、実写の映像や実空間の芸術とは違い、0からスタートする物語世界においては、描かれないものは存在しない、という話とも近い距離にある。存在させたければ、描くほかにない、ということなのかもしれない。しかし、キャラクターの髪や服の裾が常に動き回っているわけではない、ごく一般的な表現のテレビアニメなどを観るとき、私たちが ( 風ひとつ吹かず、静止している状態 ) を感じているか-つまり、真空状態のような静けさを感じているのか-というと、そういうわけではない。
アニメーションにより描かれた物理空間に、私たちは、自動的に現実の摂理を投影する。それは単なる絵であり、3DCGのオブジェクトであり、人形であり、粘土だ。けれどもそういった様々なマテリアルで造形された”キャラクター”が床に立ち、その床にはその身体の影が落ち、なにかにぶつかれば痛がる..というようなことを観るとき、私たちはそれを、自分の身が普段体験しているものと同じ( 理解できる感覚で構成された物語 )として受け取る。そのとき、現実の世界では起きているはずなのに描かれていないこと ( たとえば、キャラクターの周辺で静かに動いているはずの大気 ) などに関しては、脳内で”あるものとしている”。
この、脳内で”あるものとしている”ことに対する信頼は、直接的に人間の能力への信頼であるかのようで、気持ちがいいのだ。以前にも引用したが、Michèle Cournoyerのアニメーション『Le Chapeau』、この0:40 -ここで描かれている男の手先、足先にわずかに見える短いたった2本ずつの線-が、明白に手摺と階段に見え、こちらに上がってくる男の動きが見えるとき、どこか、人間である自分の身体や知覚の能力を、もっと信用してもいいような気持ちになる..と言ったら、少しおおげさだろうか。
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そのような連想を抱えていたために、述べられたことで眼前に現れた〈 物語全編を通して犬たちにふわふわとあたっている、毛並みのなびきとして目に見える風 〉は、むしろ、脳の中で補完されている部分を減らしてしまうような、少しもったいないような、不思議な気持ちになったのだ( ものすごく平たく言えば、それはあまりにも親切すぎる、という感覚なのかもしれない )。建築家・中山英之は、レクチャーでときどき、電車の駅のホームの話をする。これは、たとえば新宿駅のような日々300万人以上もが乗り降りする駅のホーム、柵もなく・人があふれていて・時速70kmもの金属の塊がつぎからつぎへと侵入してくる、という状況において、人間はただただ秩序を保つことで対応することができており、電車の駅にホームドアが作られていくことは、もちろん安全になることだけれど、どうだろうか、それで失われてしまうこともあるのではないか、という小さな危惧の話である。この話にも、少し通じる気持ちである。
また、〈 物語全編を通して犬たちにふわふわとあたっている、毛並みのなびきとして目に見える風 〉を肯定的に観るとすれば、これは鑑賞者ではなくアニメーションを描く側の能力の拡張の話になるが ( そしてもちろん、実際に、毛並みすら動かして見せられるようになった、という技術の拡張の話でもある )、人の顔・身体・表情・影・動きなど、誰しもがたしかに見えているものを越えて、見過ごされがちな風すらも描く対象とした、という観察眼の細やかさの話でもある。その作り手側の観察眼の細やかさは、私のような杜撰な観客- 飛行機の中で、機内食をつつきながら、映画を眺めている目 -によって、いとも簡単に見過ごされる。具体的に何が決め手となっているのかは見過ごされながらも、その島の寒々しい吹きさらしの空気感は、確実に伝わるのだ。そのように、アニメーションにまつわる様々な工夫は、鈍い観客に気づく隙を与えぬまま、無言で作用しているとも言える。
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私を戸惑わせたのは、昨日のレクチャーの意味するところが、今までに述べたうっすらとした危惧のような気持ちとも、アニメーターの観察眼や技術の話とも、まったく違う場所にありそうだったこと、そしてまた、それを理解仕切れていなかったことである。私が覗き見れるけれど、別に感情移入の対象として開かれているというわけでもなく、”そこにいる”犬たち、成立した物語世界の中に”あたかも存在するかのような犬たち”を観ること 。それは ( 私は、美しく尊いふたりの恋愛を、関係のない立場から観ていたい ) という腐女子的願望、プリンセスへの憧れと対をなす、ただ鑑賞する側に留まりたい願望..に近い感覚なのではないか?とすら思っていた。
ここからは、レクチャー後に伺った質問と打ち上げの際の会話などから、私の理解が及んだ範疇についての記述である。
実際に意味されていたところを、なるべく簡潔に述べてみようとするならば、〈キャラクターや、キャラクターにより成立させられている物語世界を、よりオブジェクトとして観ること / その物質としての存在に目をやること〉ということにどうやら近いようである。なびく毛並みやクレイアニメのキャラクターの身体に残る指紋など、人間が手を加えたという証拠( だって、手を加えなければ、毛並みは動かないのだ )が、過剰な違和感としてそっと残されたときに、キャラクターの物質性が思い出される。
ここで関連してくるのが、美術家・大岩雄典の文章『役者の物質性 和牛「オネエと合コン」、チェルフィッチュ「三月の5日間」、シベリア少女鉄道「今、僕たちに出来る事。あと、出来ない事」についての覚え書き』である。
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詳しい内容をこの文中で再度説明することは避けるが、とくに最初に取り上げられている漫才、和牛『オネエと合コン』についての記述は、ボケの水田が勝手に始めてしまったオネエ同士の小芝居に、( もう1人のオネエ役のヒヤシンス、という名前を与えられ、呼びかけられ続けてしまうが故に ) 乗るしかないツッコミの川西の身体、躊躇い故にその物質性が露わになってしまう瞬間、及び、そこで生じる笑いについての話である。最終章の ” 演じるということとは、物質性に制限された妥協の産物である。” という記述に、まさにと頷く。器のない演技が存在することはなく、演技は常になにかしらの身体を要求する。けれど、身体は現前する物質として、姿を変えることはない。
ここで〈役者の物質性〉と述べられているものの中に���、役者が実在する人間であるが故に、お笑い芸人「和牛 川西」あるいは「川西賢志郎」の人格までが含まれていることに注意しておきたい。ここで川西が演じているヒヤシンス、は、演技が終わったあとも川西である。
ただ、ここで〈役者の本人性〉〈役者の人間性〉…?とでも呼ぶしかないような事例を引き合いに出してみると、『オネエと合コン』での川西において露呈しているのはやはり〈物質性〉と呼ばれるべきであることが明白になる。それはたとえば、ハリウッドアクション映画『エクスペンダブルズ ワールドミッション3』でウェズリー・スナイプス演じるドクの脱獄シーン、及びそのあとに続くシーンである。飛行機の中で「どうして収監されてたんだ?」と尋ねられたドクは、その質問に対し、眉間にしわを寄せ「脱税だよ」と一言返す。この、役としてはただ収監理由を述べているだけに過ぎない場面は、( 俳優ウェズリー・スナイプスは、本来エクスペンダブルズ1に出演予定だったが、脱税により収監されていて叶わなかった ) という情報と噛み合ったとき、観客に意地の悪い笑いをもたらす。
では川西は? 川西演じるオネエ・ヒヤシンスは、演じる身体が川西賢志郎であることを要求していない。勿論、演技力が必要なことや、その演技がハマる身体的特徴は重要であるため、だれにでも代替可能な開かれた役ではないのだが、ここで必要とされている川西賢志郎性というのは、どちらかと言えば ( 身長170cm、体重59kgの男性の身体 ) という側面であり、それはやはり〈物質性〉なのだ。
ただ、いずれにしても、役を演じ終わっても俳優の身体には生命がある、という事実には代わりがない。( 石原さとみってなにに出てても石原さとみにしか見えないよね )なんて他愛無い感想がありふれたものであるように、演じる人間自身が不透明にちらつくこと-大岩の文章の語彙に倣うならば、キャラクターからアクターに戻ってしまうこと- は、アクター自身に人格がある場合、簡単に成り立つ話だ。アニメーションのキャラクターを物質として観ること。それは簡単なことのようで、ほとんど不可能なことだ。キャラクターは役を吹き込まれるまでは、動かぬ物であり、物でしかない存在に人格が宿って見えた瞬間に、人はその対象を物語を運用している記号として観てしまう。この瞬間、人間の身体も、絵も、3DCGのオブジェクトも、人形も、粘土も同じなのだ。だからこそ私たちは、ハッチポッチステーションのグッチ裕三の身体とパペット人形たちが繰り広げる会話を、そういうキャラクターたちが演じている物語だとして受け入れることができてしまう。けれども役から降りたあと、グッチ裕三は人間・高田裕として家に帰ることができるが、パペットたちは撮影スタジオに横たわり、片付けられるのを待つしかない。
単なる絵、3DCGオブジェクト、人形、粘土。そのような対象に対して現実の摂理を勝手に投影して観る人間の能力が、アニメーションの面白さに大きく寄与していること自体は覆らないが、それは逆に言えば、どうしても現実の摂理を投影して”観てしまう”という、人間の能力の限界でもあった。あるいは、演技の容れ物として観られない限り、そこに命も動きも存在しない、という、キャラクター側の限界でもあった。
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では、『犬ヶ島』は。
〈物語全編を通して犬たちにふわふわとあたっている、毛並みのなびきとして目に見える風 〉が示しているものは、閉じた物語世界の背景であるはずの大気が、キャラクターの身体をなぞり続けているという事実だ。ここで起きていることは、動くキャラクターを見ているわれわれが、その身体の周辺で動いているはずの大気を素朴に”あるものとしている”という、通常のアニメーションで起きていることの真逆、( 背景が動き続けているからこそ、キャラクターが動き続けていることも素朴に信じられる ) という転倒である。風を受け続けているから、台詞を与えられず静止している犬のキャラクターは、動かぬ犬の形の素材ではなく、静止している状態の犬であり続けることができるのだ。
目に見えて動くものが変わるということは、”あるものとしている”対象をも道ずれに、ずれこませることに繋がるのかもしれない。台詞や動きのための、つまり演技のための容れ物であったキャラクターの身体は、動いている風を受け続けることで、動きが止まってもその存在は停止しないことを感じさせる。動いている風が、見えていない心臓や脈の気配の方を”あるものとしている”というわけか。
( なお、キャラクターの命は、あるものとする )
『犬ヶ島』に吹く風は、この条件をそっと付加することで、キャラクターの身体の〈物質性〉、その呼吸も含めた〈物質性〉を、裏づけようとする表現なのかもしれないと、思い始めている。
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小宮孝泰さん × 春風亭昇太さんトーク&サイン会 『猫女房 妻が愛したネコと……ボク。』(秀和システム)刊行記念
乳がんで先立った妻への思い、妻が遺した “がんと過ごした日々”のメモ、夫を気遣うアドバイスの数々——そして、キュートな猫写真たち。 切なくもあたたかく、そしてやさしいエッセイの刊行を記念してのイベントです! 小宮さんと「芸と人生……結婚を語る!」をテーマに対談してくださった、落語家・春風亭昇太さんをゲストに迎え、書ききれなかったさまざまな想い出から“おひとりさま”暮らしの知恵まで、時に笑い時にホロリとしつつ、たっぷり語っていただきます。
【プロフィール】 小宮孝泰(こみやたかやす) 1956年小田原市生まれ。明治大学卒業。1980年に渡辺正行、ラサール石井とともに「コント赤信号」としてTVデビュー。30代からは俳優として舞台、ドラマ・映画などで活躍中。1991年「M.C.小宮」の名前で音楽デビューで話題になる。 2004年に文化庁文化交流使としてロンドンに演劇留学、英語の一人芝居にも挑む。高校・大学と落語研究会に所属。現在は、役者による落語会「ごらく亭」を主催して高座にも上がる。
春風亭昇太(しゅんぷうていしょうた) 1959年静岡市清水区(旧清水市)生まれ。東海大学在学中は落語研究会に所属。1982年に春風亭柳昇に入門。 1992年真打昇進。2000年、花形演芸大賞大賞受賞。第55回文化庁芸術祭演芸部門大賞受賞。 新作落語の創作活動に加え、独自の現代的な解釈で落語に取り組んでいる。演劇への出演も多く、役者としも活躍。さらに音楽系のライブも意欲を行うなど、ジャンルを越えた交流も幅広い。2016年より、日本テレビ『笑点』の6代目司会となる。
日時 / 2018年10月24日 (水) 19:00~(開場時間18:30) 会場 / 本店 8F ギャラリー 募集人員 / 80名 ※定員になり次第、締め切らせていただきます。 主催 / 主催:八重洲ブックセンター 協賛:秀和システム 申込方法 / 1階カウンターにて、参加対象書籍をお買い求めの方に参加券をお渡しいたします。(参加券1枚につき、お1人のご入場とさせていただきます。)
また、お電話によるお申込みも承ります。 (電話番号:03-3281-8201)
電話予約の方もご購入+参加券お渡し後のご入場となります。当日開演時間までにお求めください。 開演1時間前からは8階カウンターで受付いたします。
▼参加対象書籍:『猫女房』(秀和システム刊) 定価:1,512円(税込)
※八重洲ブックカードゴールド会員の方は、ご予約のみでご入場いただけます。ご入場の際にゴールドカードをご提示ください。
イベント情報の詳細はこちら
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■「カメラを止めるな」のメモ
▼「低予算にもかかわらず傑作!」と話題の「ゾンビ映画」、上田慎一郎監督「カメラを止めるな」を観た。
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▼俺が観るような映画はたいがいが当日、ふらっと映画館に足を運んでも席がゆうゆう空いているようなものばかりだが、今回は「どの時間も満席です!」状態で、ふらっと行って撃沈してしまった…。
▼それくらい人気のある映画だが後日、観てみたところ、やはりバズる作品というのは時代の空気をうまくとらえているんだなあ、と痛感させられた。
▼その意味するところはこれから書いていくが、まず言っておけば、他の多くの人たちがいうとおり、脚本や演出などは文句なくよくできた作品だと思う。だから映画自体には特に反感はない。
▼だが、映画とは別にそれを受け止める人たちの反応をみて複雑な気持ちになっている。
▼何が言いたいのか?その前にストーリーを追ってみる。 ▼俺は「ネタバレ配慮」みたいなことを全くしないが、この映画ばっかりは、しておかないと怒られるかもしれない。というわけで…
▼以下、ネタバレ500%で行く!
▼あとは各自で判断して読む/読まないを決めてもらえればと思う。
■ストーリー
▼ストーリーは山奥の廃墟から幕を開ける。なお、以後37分にわたり映像はワンカットで流れ続ける。
▼そこでは、ある「ゾンビ映画」の撮影が行われていた。撮影隊を前に演技をしているのは、主人公の女子・松本逢花(秋山ゆずき)と、彼女を襲うゾンビの青年・神谷和明(長屋和彰)。どうやらゾンビ青年は女子の彼氏だったよう
▼恐怖に顔をゆがませながらも愛する彼氏に食われることを受け入れる女子。そして映画は…と思いきや、「ハイ、カットーー!」と怒号が!
▼声の主は、怒り混じりの顔で女優に食ってかかる。監督の日暮隆之(濱津隆之)だった。このシーンだけで42テイクを重ねているがまだ満足できぬ様子。どこにでもあるようなチープなゾンビ映画の1シーンなのに…
▼「恐怖っていうのは出すんじゃないんだよ!出るんだよ!」「お前がウソばっかりの人生だから本物がでないんだ!」「本物をくれよ!恐怖に染まった本物の顔、顔、顔!」
▼女優が泣きそうになるほど追い詰める日暮。だが、しばらくすると「屋上のシーンで使う血のりを撒きに行く」といって消えていく。
▼ここで一旦休憩。「何なの!?あの鬼監督は?」と、グチりはじめる主人公役の女優と、ゾンビ役の俳優。そしてメイクのおばさん(しゅまはるみ)も。
▼とはいえ、しばらくグチっていたが、話がもたなくなったのか、俳優はメイクのおばさんに趣味を聞く。「護身術にハマっててね」などと言うおばさん。そして、「やってみせましょうか?」と護身術を披露。俳優が試しに背後から覆いかぶさったのを「ポン!!」という大きな掛け声とともにはじきとばす。
▼だが、もうそろそろ別の展開に行けばいいものを、3人のグダグダなトークがこの後も続く。また、途中、廃墟のドアが「ドーン!」と不自然に音を立てるなど、違和感のある映像が続く。
▼「やっぱり低予算映画だからいろいろ雑なのかな?」と観ている人は、思うだろう。だが、これは後段に続く重要な伏線になっていく…
▼ともあれ、このグダグダトークが続いた後、メイクのおばさんはロケ場所であるこの廃墟にまつわる「ある噂話」をし始める。
▼なんでもここはかつて旧日本軍が人体実験をしていた場所で、屋上に血を撒くと実験中に死んだ霊が寄ってくるのだという。
▼それを聞き「まさか、あの鬼監督、リアルを追求するあまり本当に霊を呼ぼうとしてるんじゃ…」と、不安になる俳優&女優…。
▼すると時を同じくして、廃墟の外で異変が起きる。タバコを吸っている照明さん(市原洋)の元に、フラフラとゾンビメイクのおじさん(細井学)が。
▼「もう~、なんなんすか?もう演技してんすか?」などと半笑いの照明さん。どうやらおじさんは、この後のシーンで出てくるゾンビ役者のようだ。
▼だが、おじさんは「ゾンビの演技」をしているのかとおもいきや…ブハー…謎の体液を録音マンに吹き付ける。「えええっ!」。パニックになる照明さん。さらにゾンビオヤジは、彼の腕にかぶりつく。
▼「うわああ…」。たまらず、女優&俳優&おばさんのいる場所に逃げてくる照明さん。「どうしたんですか?」と、ポカンとする3人だったが、彼の片腕が食われていることに気付くと騒然。そして、倒れ込む照明さんをみて「死んでる…」
▼「廃墟にまつわる噂話は本当だったのか!?」。
▼焦る3人は「ここから逃げないとゾンビに襲われてしまう」と、脱出の準備をはじめ、廃墟から逃げ出して行く。
▼すると当時に、屋上に行っていた鬼監督もあわただしい感じで戻ってきた。 ▼さらになぜか、録音マン(山﨑俊太郎)も「もうダメだ~」と飛び出してきて、廃墟のドアをバンと開けて去って行く。
▼混乱する撮影現場…
▼そんな中、鬼監督はカメラ目線で「カメラを止めるな!」と、意味深なことを言いつつ、廃墟から逃げ出した女優&俳優&メイクのおばさんを追いかけていく…
▼この不思議なカメラ目線をみた観客は、どうやら「ゾンビ映画を撮っているうちに本当にゾンビが出てきた映画」以上の何かがあると察することになる。
▼だが映画は、その疑問をすぐに解消することなく、次の展開へ。カメラは廃墟を逃げ出した3人と、監督を追いかけていくことになる。
▼ここでも、途中から「ブレアウィッチプロジェクト」のようにカメラがゴロンと地面に置かれた状態で森の中をしばらく映していたり、3人を追うカメラが必要以上にユラユラしたり…と違和感のある映像が続く。
▼その後、廃墟を逃げ出した3人は、別の小屋をみつけ隠れることに。だが、不穏な事態に錯乱したメイクのおばさんが、女子の足に傷をみつけると「途中ゾンビに噛まれたんだろ?」と難癖をつけはじめ内ゲバ状態に。
▼「落ち着いて」という俳優を「ポン!!」とさっきの護身術で弾き飛ばし襲い掛かるおばさん…
▼そして、映画は、内ゲバ→女子の逃走→おばさんの気絶→ホントに男子がゾンビ化→監督もゾンビに捕食…と、急展開をたどる。
▼この間にも、「なんでこんなシーンなの?」と思わせる違和感ありありな映像がいくつも差し込まれる。
▼そして、映画はクライマックスへと向かい、女子とゾンビ化した男子が向かい合う映画冒頭と同じ光景に…。
▼だが、シナリオとは逆に、ここでは、女子が男子の首を斧でぶった切る。
▼そして血まみれの女子を空から俯瞰したようにカメラが抑え…映画は終了。
▼エンドロールとともに画面にはタイトルロゴである「ONE CUT OF THEDEAD」の文字が!ここまでで37分。
▼だが…「ああ、ゾンビ映画を撮っているうちにホントにゾンビに襲われる低予算のフェイクドキュメントだったのか…」と思うと、突如、次の展開が。
▼画面には「1か月前」の文字…
▼そしてカットが変わると、舞台は病院の屋上に。見れば、さっき照明さんに咬みついたオヤジゾンビ役の俳優(細井)が車いすに座っている。
▼どうやら別の作品のロケ風景のようだ。彼にささっと駆け寄り目薬を差す撮影隊。「あれ?俺なんで泣くことになるんだっけ?」と、おじさん俳優は戸惑うが、「大丈夫です。ここナレーションを被せますんで」などと、やっつけ気味にディレクターが言う。
▼だが、そのディレクターは…なんとあの鬼監督・日暮!とはいえ、その表情はなんとも弱弱しい。さっきの鬼ぶりが嘘のようだ。
▼そして「ハイ、スタート!」と撮影が進められていく…
▼「え?これは一体…?」と、突然の展開に混乱する。だが、映画を観ているうちに次第に事情が呑み込めてくる。
▼ストーリーを先取りしておけば、冒頭37分の「ONE CUT OF THE DEAD」は、フリーディレクターの日暮が「ある大人の事情」で撮影&出演することになった作品だった。
▼映画冒頭では鬼気迫る目をしていたが、あれは「演技」。普段の日暮は、「安い、早い、質はそこそこ」がウリのポリシーなき映像ディレクター。
▼依頼される「作品」も、テレビ番組のちゃちな「再現ドラマ」など「やっつけ仕事」ばかり。
▼そのため元女優の妻・晴美(しゅはまはるみ!そうあのメイクのおばさん!)からは、半ばあきれられ、自らも映像作家を目指す娘・真央(真魚)からは軽蔑に近い感情を抱かれていた。
▼家でテレビを観ていると、日暮が病院屋上で撮った「再現ドラマ」が流れるが、娘は即、チャンネルをチェンジ…
▼切り替えた先は、「情熱大陸」のような番組で、そこでは冒頭、ゾンビ男子役を演じていた俳優が滔々と「オレの俳優論」を語っている。「やっぱり映像に携わる人は情熱がないと…」という感じで、画面の俳優を見つめるまお。そんな娘を見る「やっつけパパ」の表情がなんとも切ない…
▼だが、そんな「やっつけディレクター」日暮にある日、仕事が舞い込む。
▼呼び出された場所は、先日できたばかりだという「ゾンビ映画専門チャンネル」のスタジオ。
▼それだけでもうさんくさいが、彼を呼び出したプロデューサーも、ワカメちゃんカットに大阪弁でかなりインパクト大。吉本新喜劇にでも出てきそうなオバハンキャラだ……(竹原芳子という人で本作が映画デビューのようだ)。
▼「これはアツアツの企画やで!」などとドヤ顔をしながら、オバハンは日暮に番組の撮影を依頼する。
▼それは「生放送!ワンカット!のゾンビ映画」…
▼ゾンビなど本当にいるはずがないのだから生放送にして臨場感を出す必要はないはず…しかもカットを割った方が特殊効果などいろいろテクニックも使えるはず…あまりに無謀な注文。編集にかける予算を削りたいためとしか思えない…
▼これには「いやいやいや冗談でしょ」と日暮も笑ってしまう。
▼だが、オバハンは本気だった…。で、結局、彼女らの圧に押され「やります」と言ってしまう日暮…
▼「護身術の番組鑑賞と、夫の書く台本を読むのが趣味」という妻も、シナリオを一読し、「大丈夫なの?」とあきれ顔…
▼それでも、他のディレクターが続々辞退したこともあり、「安い、早い、質はそこそこ」の日暮がやるしかなくなっていた。
▼こうして「ワンカット生放送のゾンビ映画」の撮影準備は進められていく。だが、もともとが予算を削る気マンマンの低予算映画。集まる俳優は、一癖も二癖もあるメンバーばかり。
「俺の俳優論」が好きで,台本の解釈ばかり聞く若手俳優(ゾンビ男子)
「泣けないかもなんで目薬用意しといてくださーい」などと、向上心のまるでないアイドル女優。「よろしくでーす」の口癖が腹立たしい。(女主人公)
セリフ合わせに子連れで来てしまうメイク役の女優と、そんな彼女とつきあいたい感満載の監督役俳優。
「水は常温って言ったじゃないですか?メールもしましたよ!」と水ばかり気にしている気難しい音声マン役の俳優。
そして、さっき屋上シーンにいたおじさんゾンビ役。彼はアル中気味で始終酒を飲んでいる。
▼これら面倒くさい人たちに囲まれ、板挟みとなりながら、必死の作り笑いで準備を進めていく日暮Dがなんとも切ない…。
▼それでもオンエア日は、刻一刻と近づいていく。そして生放送当日…事件が起きる。監督役の俳優とメイク役の女優が、現場に向か���途中交通事故に!
▼放送まで時間がない。脚本を換えるにも間に合わない。「無理です。何かと差し替えましょう!」と慌てる日暮。
▼それでも…「無理です。なんとか成立させてください。作品よりも番組です!日暮さん!」…現場プロデューサーの無常な宣告が。
▼追い詰められる日暮。父の仕事風景を見ようと妻も娘も観覧に来ていたが…
▼だが、時間が迫る中、土壇場で彼は決断する。「俺が監督役出ます!こう見えても高校時代演劇部なんで!」。さらに流れで「メイク役は妻で。元女優なんで!」
▼あまりにも無謀すぎるアイディアだが他に手はない。こうして日暮夫婦はキャストとして「ゾンビ映画を撮っているうちに本当にゾンビに襲われる生放送ワンカットのゾンビ映画」にキャストとして出演することになるのだった…
▼ここにきてようやく「ああ!そういうことか!」と全てがつながる。それだけでも関心するだろうが、その後の展開も、実によくできている。「ゾンビ映画を撮っているうちにゾンビに襲われる映画」ならば「ダイアリー・オブ・ザ・デット」など他にもあるが、「さらにその上を行くのね?」と感心させられる。
▼ネットを見回せば「絶賛」の声だらけなのも理解できる。
▼その後は、冒頭37分の「ONE CUT OF THE DEAD」が繰り替えされるのだが、そこでは先に感じた「違和感」の数々が「伏線回収」されていく。
▼たとえば… ◆「お前がウソばっかりの人生だから本物がでないんだ!」と罵声を浴びせる日暮の言葉は、アイドル女優の向上心なき姿を指していた。
◆3人の「ダラダラトーク」が続いていたのは、撮影の不手際をアドリブで時間稼ぎするためだった。
◆オヤジゾンビが吹きかけた「体液」は、アル中で吐いたゲロだった…。
◆鬼監督が不自然なカメラ目線で「カメラを止めるな!」と言ったのは生放送だったから。
◆途中音声さん俳優が「もうダメだ」と飛び出したのは、常温でない水を飲んで下痢になったから…
◆地面にカメラが転がった映像になっていたのは腰痛持ちのカメラマンがコケてギックリ腰になってしまったから…で、その後、カメラがゆらゆらしてたのは、彼についていた女子ADが代わりになったから・・・
…などなど、「あの違和感の正体はこれだったのか!?」とひざを打ちっぱなし!アルキメデスなら「ユリイカ!」を言いっぱなしの展開になる!
▼そして映画はラストに。だが、ここでもトラブルが。主人公の女の子を俯瞰で映すクレーンが動かなくなってしまうのだ。
▼そこで機転を利かせたのが、日暮の娘・真央。「やっつけディレクター」だと軽蔑していた父が、「カメラを止めまい」と全身全霊をかけ奮闘している。その姿に感化された彼女は、パパを助けるべく…一計を案じる。
▼彼女は突然、「みんなで人間ピラミッドを作るのよ!」と指揮。そして、スタッフ、キャストが全員力をあわせ、ピラミッドを作ると、まおはカメラを持ってその頂点に登って行く。
▼そしてカメラをかざすと…あの「ONE CUT OF THE DEAD」のラストカットが!
▼なんとバカバカしくも、ハートフルな展開…思わず心が満たされてしまう人も多いだろう。実際、俺が観に行った日は、映画が終わった後、館内では拍手が起きていた……。
▼いや、分かる。分かるのだが俺はその反応に複雑な気持ちになってしまう。「どうすればいいんだ、この夏 アンビバレントアバウト…」な気分になる。
▼何かこの流れに、非常に嫌なものを感じる。
▼いや、「カメラを止めるな」というが、その前になぜ「番組を止めろ!」と誰も言えなかったのか?
▼一歩引いて考えるなら、日暮も「いや、冗談でしょ」と笑うようにオバハンPの提示する「ゾンビ映画」は、どうにも無理筋だ。実際に、多くのディレクターが「やります」とは言えず、演出を辞退している。
▼さらに言えば、当日、役者も不在になってしまったのだから、何か別の素材で差し替えるべきだ。「ゾンビ映画専門チャンネル」なのだから、他のゾンビ映画を急きょ流しておけばよかったのではないか?
▼にもかかわらず、オンエアに至るまで誰も「おかしいよ」と言わず、本番でも「これはもう決まったことだから」として番組を止められなかった。
▼そして、次世代を担う若者を始め全てのスタッフが総動員され、いわばこの「茶番」を茶番でないものにすべく全身全霊を尽くさねばならなくなった。
▼そのうえ、それを「ハートフル」なものだとして観る人は100%心が満たされてしまっている。
▼これには、「わかる」と思いつつも「それでいいのか…」という気分になってしまう。 ▼「なぜこれをやる?」とか考えるな「止めない」と決めたら止めないんだ…
▼こうした事態を100%ハートフルに受け止めてしまっていいのか…
▼もちろん、人間生きていれば「こういうタイプの話」に巻き込まれ「止めないこと」に加担してしまうことはある。「僕はyesと言わない!」「首を縦にふらない!」なんて、カッコよく言えないことも多い。
▼それでも「マズかったんじゃなかろうか」と内省くらいはしないといけないのではないか。
▼その意味ではすごく今の空気をとらえていると思う。
▼たとえば、総理がうっかり嘘をついてしまった。嘘とは言わないまでも、国民からは大きな疑問符を突きつけられる「茶番な答弁」をしてしまった。
▼そんな中、側近や官僚たちが総動員され、全身全霊を尽くして「嘘が嘘にならないように」「茶番が茶番にならないように」奮闘する。
▼「安倍政権を止めれば代わりがいない」→「代わりがいなければ日本が止まる!」→「日本を止めるな!」とばかりに奮闘する。
▼こうして、なんとか事態を収拾するために、文書を書き換え、口裏を合わせ、「ご飯論法」で言質をとられないようにしていく…。知恵を出し合って、一見するとバカバカしい人間ピラミッドを完成させていく。
▼だが、そんな姿に国民は共感する。「ああ!あの人たちは日本を止めないために頑張っている!」
▼「なぜこれをやるの?」とか考えるな、「これを止めたらホントに日本が止まるの?」とか考えるな、「止めない」と決めたら止めないんだ…
▼法案の内容や、政策の有効性なんて二の次だ。日本経済を止めないために「働き方改革を全力でやっている」「金融緩和を全力でやっている」「賃上げを全力で企業に求めている」。とにかく「やる」とぶちあげたことを止めるな。止めないことが大事であって、止めずにやり遂げた後どうなるかなど今はどっちだっていい!日本経済を止めるな!
▼「この論文を認めたら日本から多様性がなくなる?」そんなことはどうだっていいんだよ!とにかくこの論文がおかしいとなったら現政権に穴が開く!穴が開いたら代わりがいないのだから日本が止まる。日本を止めるな!止めないためにはこの茶番な論文を茶番でなくするために全ての力を総動員しろ!
▼まずは「全部読まずに批判するのは言葉狩りだ!」とぶちあげて、時間稼ぎせよ。それから辞書で「生産性」を引いてきて、「生産性がない」=「価値がない」ではないことを主張していけ。
▼「日本ではLGBTの差別はないが、男女の性以外を認めると秩序が乱れる。だから、2つの性以外の趣味嗜好を持つ人は、差別がないからといって高校を卒業してもそんな趣味は続けないでほしいし、それでも続けている人には予算も支援も必要ない」という全体の論旨に触れさせないようにしろ。個別の言葉の意味に対する論戦に持ち込め。
▼そうやって泥仕合に持ち込んで、この論文はおかしくないという方向に持って行け。でないと日本が止まる。日本を止めるな!
▼こんな状況下で、シナリオの穴を指摘するようなことをしてもむしろ逆効果になるだろう。「ストーリーのあそこがおかしいだって?そんなことはどうだっていいんだよ!カメラを止めないことが大事なの!」「作品よりも番組なの!」
▼逆にいえば、今は、内容についての議論を骨抜きにしてしまう複雑な感情の動員回路ができてしまっている。
▼ともあれ。こうして政権が止まらなかった時、国民は心が満たされるだろう。「ああ、日本は止まらなかった」と。
▼そんな事態を100%ハートフルに受け止めてしまっていいのか…
▼いや、受け止めているから今こうなっているのだろう、と思う。
▼小林よしのり氏などは、自身のブログの中で、現政権を漫画家にたとえ「普通は読者が読みたくないといえば打ち切りなるのに、今は作者が続けたいからという理由で連載が続いてしまっている。これはおかしい」という。
▼しかし、言いたいことはよく分かるが、そうなのか?むしろ「続けてほしい」と思う読者がかなり多いのではないか?
▼俺は、それがなぜなのか、今までもうひとつ心の底からはピンと来ていなかったが、この映画を観て少し分かった気がする。単に「代わりがいないから」というよりも、彼らの奮闘ぶりが支持者にはどこか「ハートフル」に感じられるのだ。
▼そして、野党が攻めれば攻めるほど支持率が回復する理由も…
▼その意味で、本作は時代の空気をよく捉えた作品であるとともに、俺をなんともアンビバレントな気持ちにさせるのだった。
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