#二面石
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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱���的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀儡。
在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求���」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又���怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
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2022/12/25 朝8時から、多面的機能支払交付金事業で水路の点検作業をしていたら、人懐こい3頭の芝犬が散歩してたので、頭を撫で撫で‥‥‥🐕 11時から恋瀬川と有明川の水質検査 夕方は、谷島市長と語ろう会に参加 軽井沢エールで晩酌🍻 #iPhone日記 #多面的機能支払交付金事業 #小塙第二工区資源保全活動組織 #小排水路調査 #水質検査 #筑波山 #谷島石岡市長と語ろう会 #軽井沢エール https://www.instagram.com/p/Cmq82y3ycKm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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変態親父と二日目 – GNT24/365 ーゲイの淫乱セックス体験談ー
ズルチン親父は、約束通り日曜の朝からやって来た。
飲み物を買って部屋に入る。
服脱ぐのも、もどかしいみたいに抱きしめkissし��、
お互いを貪り合いギンギンのエロ竿をこすり合わせた。
互いの物からジワァ~っとガマン汁が滲み出す。
キメの用意するのに椅子に座り、
親父にシャクらせながら親父のズルチンを足で弄ぶ。
シャクらせたまま先に自分に針を刺す。
打ち終わると全身に鳥肌がたち、親父に触られてる部位全てが気持ちいい。
鳥肌に気づいた親父が乳首や脇・脚を撫で回しだし、親父の頭を掴み激しく動かした。
親父が咽せて『はっ!』て我に返り、あわてて親父にキメる準備を…。
椅子から立ち上がろうとする俺を座らせ親父が、
『このまま出来るか?』って聞くから、腕を持ち上げたら血の道がベストポジションやったから、
返事もせずに肩口を縛り定位置に針を刺しポンピング!
親父は、根本までガッツリくわえたまま動かなくなったが、
ズルチンからは、漏らしたって勘違いする位ガマン汁が出まくっている!
親父の頭を引き剥がしてベットに押し倒しズルチンのガマン汁を吸い出すようにシャブり付き、
唾と混ぜながら親父に口移しすると舌が千切れるか思う位に吸いつかれた。
何度かやってる内に我慢出来なくなり、
唾ガマン汁の混ざった奴をケツマンに塗り騎乗位で一気に串刺しにされた。
親父に乳首激しく姦れながら腰を振りまくった。親父が、小袋の中からRを取り出した。
親父が手にした奴は新のRだった。
動きを抑え親父がラベルを剥くのを待った。
蓋を開け親父は、自分より先に俺に吸わせてくれた。
深呼吸後思い切り吸い込���だ。
古い物と違い新だけあって最初は刺激臭も無く吸えたんかな、って思いながら、
親父が吸うのを小刻みに動きながら見てたら、一気に効きだして来た。
親父に『来た来た♪』『凄っげぇ~♪』と言いながら親父の胸を力任せに掴みあげた。
俺の激変に親父も急いで爆吸し腰を掴み下から突き上げてきた。
乳首を責めようと親父が乳首に触れた途端に、
全身がキュ~っと引き締まったようになり、
ケツマンの中にあるズルチンの形が分かる位に絡みつき、
ガマン汁が親父の首筋まで飛び散った。
親父が、『締め付けながら絡み付いて来るエロマンコやな!』
『チンポがマジで溶ける位熱々やでぇ!』と言いながら起き上がり、乳首を甘噛みしてきた。
Rをまた吸わしてもらい、出来るだけ息を止め限界点で吸えるだけの息を吸込んだ。
乳首とケツマンを中心に全身性感帯になったみたいで何されてもOK状態に…。
つながったまま押し倒され正上位になり親父がガン掘りしてきた。
親父の首に巻き付きキメ汗を舐めてはkiss舐めてはkissを繰り返した。
二人の腹の間でガマン汁を吐きまくってる俺のキメチンをそろそろ親父に突っ込みたくなり、
『掘りたくなった!』って言うやいなや脚を絡ませ親父をひっくり返し、
親父のケツマンにキメチンを突き立てた。
亀頭が半分入った所で親父がRを手にしたから吸い上げるのを待った。
ケツマンが緩んだのを見計らって一気に押し込んだ。
ケツ慣れしてない親父やから前回の時は痛がったのに流石に新のRは違う。
自分で膝を抱え『もっと奥まで…』とせがんでくる。
キメ汗とガマン汁でドロドロヌルヌルの身体は、掴んでも掴んでも掴みきれず、
それと親父の要望が面倒になり、口に俺のローライズを詰込み。
タオルで猿轡と目隠しをして、
更に温泉浴衣の帯二本で手首足首を縛り、
達磨さん状態なるぐらい身体を丸め首の後ろで結び固定した。
親父にRを吸わせ自分も爆吸して、身動き取れない親父をガンガン掘りだした。
ほぼ初釜に近い親父のケツは、キメチンが千切れる位に締め付けて来るが、
中は、キメとRのお陰で熱々トロトロですっげぇ~気持ちがいい。
いい気になって1時間以上ガン掘りしてたら、
加減もせずに縛った親父の手首足首がフト気になり、
慌てて猿轡を外し親父に調子に乗りすぎた事を謝りながら、目隠しと帯を弛め外してあげた。
親父は息を切らしながら『気持ち良かった♪』と抱きつきkissしてくれた。
身動き取れない親父をガン掘りしてる時、流し放しのエロDVDの中に入り込んで、
ガッチリのバリタチに背後から乳首を姦られながら、
3連結で掘られてる真ん中の奴の感覚にトリプった事を話すと、
親父は興味津々であれこれ聞いて来た。
話してる間にチョイ萎えはじめ親父のケツ圧に押し出された。
お互いに一度、ドロドロを流し休憩する事にし、親父・俺の順に汗を流した。
部屋に戻ると親父はズルチンに電マを当てギンギンにしながら目を閉じていた。
掴んだ手からはみ出ている亀頭からはガマン汁が溢れてた。
俺は、親父の亀頭を舐めながら、ガマン汁を亀頭に塗り広げながらくわえたり、
舌を尖らせ尿道に差し込んだりしてガマン汁を喉を鳴らして飲み続けた。
親父が電マとズルチンを離し、乳首を姦りだしたから腰に巻き付き、
根本までくわえたり亀頭だけ吸いまくったりして結局休憩するはずが、そのまま二回戦突入に。
ヌルヌルのズルチンに乗っかろうとした時、親父から追加の提案!
『K君の体験談みたいに掘られながら…』って希望されたんで、
親父にシャブらせガチガチになったのをぶち込み親父の血の道に針を刺した。
途中からRを吸い出しポンピング終わる頃には、エロマンコ親父が出来上がっていた。
ケツの気持ち良さにズルチンは萎えたままガマン汁を吐き出していた。
それを乳首に塗り舐めるを繰り返すと、
一昨日は『乳首感じへんねん』と言っていたのに、
『乳首が感じる!』『気持ちいい♪』と言いながら乳首が起ってきた。
優しく噛んだり摘んだりして責めると、ケツマンがヒクヒクしながら絡み付いてくる。
二・三分程激しく突き上げ、親父自身に乳首を弄ぶように指示しながら俺も追加をキメた。
後始末をして親父を掘り出したが、萎えだしケツ圧で押し出された。
ガマン汁まみれの親父の腹を舐めまくり、69でシャブり合いをしながら、
ガチガチになったら親父が乗るってやってたが、中々挿入する事が出来ずにお互い断念。
俺は、仰向けになりベットから頭を垂らし、
膝立ちになった親父のズルチンをシャブりながらキメチンをシゴキ始めた。
親父は、乳首を舐めたり亀頭を舐めたりしながら弄んでくる。
お互いユックリ勃起し始めるが、
クチから引き抜いたりシゴクのを止めると萎えてしまいつながる事が出来ない。
仕方なく、お互い中出しでは無く、手コキでイク事にして、
先に親父のズルチンをシャブりながら一発目を自分の腹や胸にまき散らした。
親父が腹や手についたキメ種を舐めとりながら種だらけのキメチンをシャブってくれた。
一度起つと長時間寸止め状態だったから、
ぶっ放しても萎えないから親父に『今なら入るかも!』と言いながら正上位で挿入!
なんとか親父の中に入ったけど萎えるのが早く押し出されてout。
ズルチンと裏筋合わせで二本同時にシゴいたり、電マで刺激したりしてる内に、
ズルチンがガチガチになったんで今度は俺が乗っかった。
ケツマンに生チンが入ったっ感覚だけで俺のキメチンはガチガチになり出した。
根っからの掘られ好きなんやと自覚し、親父にこのままシゴいてぶっ放すと伝え、
腰振りながらシゴきまくり、
頭を持ち上げて見ていた親父の顔面を直撃しながら胸・腹に二発目をぶっ放した。
顔シャ食らった親父はビックリしながらも、
垂れてきたキメ種を舐めながら腹胸の種を寄せ集め掬って舐めだした。
俺はまだパワーのある内にと思い親父の脚の間に入りぶち込んで掘り出した。
暫くガッツリ掘ったがやっぱ押し出され敢え無く撃沈。
ズルチンをシャブりながら前立腺責めをしてやり、
親父はガマン汁を出しまくりながらたまに全身を突っ張らせ、
『イク~!』と叫ぶけど滲み出るって感じ。
親父自身も派手にぶっ放したくて仕方��ないけどイケないらしい。
何度目かの時親父が叫んでもシゴくのを止めずに前立腺を責めながらシゴキ続けたら、
ズルチンがガチガチになり亀頭がパンパンになった。
前立腺を押さえながらケツを持ち上げ、
なんとか亀頭半分位をくわえたり舐めたりしながらシゴキ続けたら、
『グワっ!』って叫び親父がぶっ放しはじめた。
第一段・二段をクチで受けたけど、背中が痛くなり残りは親父の腹にぶちまける事に…。
俺のが水ぽいのに比べ、親父のは濃く手指や親父の腹毛に絡み付いて羨ましかった。
俺は、親父がしてくれたようにキメ種を舐めとり、
親父と種kissをして暫く抱き合って親父のバクバクを胸で感じていた。
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no, miss appleton did not single-handedly ruin japanese soy sauce forever
there's a popular post going around this week about a ghq (general headquarters, the administration of the american occupation of japan after wwii) employee, a certain ms. blanche appleton, single-handedly changing the taste of soy sauce. while her story is fascinating for sure and i await further developments on the part of the op, and had a hand in the history of soy sauce, the premise is quite a bit exaggerated, and the general narrative so far in the framing by the op somewhat problematic.
tl;dr: as with most things, this is a confluence of factors, with producers, scientists, politicians, (possibly underworld,) and administrators all having their own agency in this story. i find it unusual to sideline so many parties in favour of presenting a single foreign administrator calling the shots in the op's posts.
i've made an initial response here. i will continue my findings in a separate post here.
1. jack daniel's is swill, but it's still whiskey
i think i can distill my issues with this plot so far down to one statement in the original post:
There should be records of her policies, there should be legal documents in America which record how she apportioned out American exportation of soy beans to Japan, there should be sources talking about this woman's ability to transform Japan's soy sauce production so heavily that today only 1% of all soy sauce is made with pre-WW2 traditional techniques.
this transformative impact of one administrator is entirely overstated. this comment led me to a promo blog post where some of the original claims can be seen, and the op mentions that traditional soy sauce was made in kioke barrels, and the this method of production has dropped to about 1% now. this is true, but it appears that at least one source put the decline as starting around the end of the edo period (xvii-xix centuries). [1] sources traceable to yamaroku puts the decline more recently, at about a century ago [2, 3]
this japanese paper on fermented food production is quite clear in stating that wodden barrel production declined from the meiji period (1868-1912) onward.
江戸時代までに一般化した木桶・木樽の使用形態は、明治期以降、一般の生活や各種製造現場で近代化が進む中、コンクリートや金属、プラスチック、合成樹脂等の材質によって代替されていく。 The use of wooden vats and barrels, which had become common by the Edo period, was replaced by materials such as concrete, metal, plastic, and synthetic resin from the Meiji period onward, as modernization progressed in ordinary life and various manufacturing sites. (deepL translation)
another source from a professor on food production in japan suggests that shodoshima (where yamaroku is made) is the area that has most completely preserved the wooden vat method of production.
this survey (oguri) written by a member of the national museum of nature of science in tokyo dates the supplanting of traditional method in more industrialized regions by 1913
1913(大正2)年:栂野は「最新醤油醸造論」の中で、九州、中国地方では桶の代わりに煉瓦又は石でタンクを作り使用していると記述。 1913 (Taishō 2): Tsugano, in his "The Latest Soy Sauce Brewing Theory," wrote that in Kyushu and Chugoku regions, instead of vats, tanks were made of bricks or stone and used. (deepL translation, p.148)
1918年:西二の蔵(ヤマサ印)の建設に当たり研究中の内面塗料が完成したので、これを採用し仕込桶を角型のコンクリートタンクに改めた。 1918: The internal [coating] that was being researched for the construction of the Nishi Ni no Kura (Yamasa brand) was completed, and this was adopted and the brewing vats were replaced with square concrete tanks. (deepL translation with edits from @literaryreference, see translator's note 3, p.148)
i think it bears repetition that soy sauce production was industrializing as japan was industrializing from the meiji to early shōwa periods. as alluded to in the title, a lot of modern soy sauce is like jack daniels: industrial products that evolved from traditional methods alongside a nation's overall development.
2. babe wake up, a new semichemical soy sauce just dropped, and appleton's role in history (a corroboration of @/inneskeeper)
it seems like the plot on the original poster's part has gone to the american side, so let's try to follow the us-japan interaction but from japanese sources.
the survey cited earlier (oguri) has a lot of information that supports the original post. blanche appleton did exist, and does appear in more anecdotes from that era of the soy sauce industry.
(also, this bibliography has more sources on her time in japan, will require institutional access to japanese universities)
to start, there are two methods of semichemical soy sauce production. the first, 新式1号法 shinshiki 1-gō method (i will call it sc1) was invented in the taishō era (1912-26).
大正の末期頃になると、酸やアルカリの化学薬品を併用することによって、速醸の目的を達成しようとする研究が盛んに行われ、その代表的な「新式1号」が出現する。 Toward the end of the Taisho era, there was a flurry of research into the use of acid and alkali chemicals in combination to achieve the goal of fast brewing, and the "Shinshiki No. 1" [sc1] appeared as a representative example of such research. (deepL translation, p.158)
in the time immediately after the war, there was a shortage of supplies, and its allocation was controlled by the americans
駐留軍の総司令部 GHQ(General Head Quarter)は、1948年の春調味料の���料として「エロア資金」(占領地域経済復興資金)により、大豆ミール2万tを放出する方針を打ち出した。このことにより、その配分をめぐって醤油業界とアミノ酸業界は熾烈な競争をすることとなる。 The General Head Quarter (GHQ) of the stationed army announced a policy of releasing 20,000 tons of soybean meal as a raw material for seasonings in the spring of 1948 through the EROA (Economic Rehabilitation in Occupied Area) Fund. This led to fierce competition between the soy sauce and amino acid industries for its allocation. (deepL translation with edits by myself, p.159)
the "amino acid industry" mentioned refers to the monosodium glutamate (msg) industry (glutamate is the ion of an amino acid). essentially, in the early 20th century, both msg and soy sauce (and chemical "soy sauce") production methods have converged to all requiring many soybeans due to their protein content and fermentation properties.
this is where appleton makes her entrance:
GHQは両業界の調整窓口として、「経済安定本部」の経済科学局で調味料と乳製品の需給を担当していたミセス・ブランシェ・アップルトンをその任にあてた。アップルトンは、醤油醸造協会の茂木啓三郎とアミノ酸業界の大内鋼太郎を招いて意見を聴取し、原料の配分を「醸造醤油2、アミノ酸業界8」とすることを内定し、上司のマーカット局長に報告した。この報告内容は醸造醤油にとっては死活問題であったが、内定の根拠は次のようなものであった。 GHQ assigned Ms. Blanche Appleton, who was in charge of the supply and demand of seasonings and dairy products in the Economic and Science Section of the "Economic Stability Headquarters," (?) to serve as the coordinating contact between the two industries. Appleton invited Keizaburo Mogi of the Soy Sauce Brewers Association and Kotaro Ouchi of the amino acid industry to hear their opinions, and informally decided that the distribution of raw materials would be two for brewing soy sauce and eight for the amino acid industry, and reported this to her boss, Maj. Gen. W. F. Marquat. The content of this report was a matter of life and death for brewers' soy sauce, but the rationale for the informal decision was as follows. [...] (deepL translation with edits by myself p.159)
essentially, appleton originally intended for only 20% of the soybean meal to be handed out for soy sauce due to its relatively inefficient usage of materials compared to msg production. this would've crippled the existing soy sauce producers, and they set out to find solutions to save their industry.
醸造醤油側は、醸造醤油の「日本人の食生活における重要性や醸造醤油そのものの品質の良さ」等を強調したが、GHQはただ「脱脂大豆が有効に活用されるのはどちらか」という尺度だけで判断したのである。このような醸造醤油の存亡の危機を救ったのは、もくもくと研究に携わっていた技術陣が開発した「新式2号法」であった。本法を発明したのはキッコーマンの館野正淳、梅田勇雄等である。新式2号の製法は新式1号と同様に、蛋白質を弱酸でペプトンやペプチド程度まで分解し、その後は麹の酵素により分解してアミノ酸の形態まで持っていく半化学、半醸造による醤油の製造法である。 The brewing soy sauce side emphasized the importance of brewing soy sauce in the Japanese diet and the quality of the soy sauce itself, but GHQ made its decision based solely on the basis of "which [industry] would use the defatted soybeans more effectively". What saved brewed soy sauce from the brink of extinction was the "New Formula No. 2 method" developed by the technical staff who had been working diligently on the research. The inventors of this method were Masajun Tateno and Isao Umeda of Kikkoman Corporation. As with Shin-Shiki No. 1 [sc1], the Shin-Shiki No. 2 [sc2] method is a semi-chemical, semi-brewing method for producing soy sauce in which proteins are broken down to peptones and peptides with weak acids, and then decomposed by enzymes from koji mold to the form of amino acids. (deepL translation with edits by myself and @literaryreference, see translator's note 4, p.159)
this development, the invention of the 新式2号法 shinshiki 2-gō method (sc2), led to another round of discussions:
ミセス・アップルトンは「キッコーマンが画期的な技術を開発した」ことを聞き、新法による醤油とアミノ酸液による化学醤油を消費者に提示し、その調査結果に基づいて決定を再考しようと上申書を提出した。醤油の 味、使用テストは神奈川県の鎌倉市と逗子で行われたが、消費者の8割が新法による醤油を支持した。この結果に基づき、アップルトンは両業界で話し合って結論を出すように「正田・大内会談」を開かせた。 Mrs. Appleton heard that "Kikkoman had developed a breakthrough technology" and submitted a petition to reconsider her decision based on the results of a survey that presented consumers with both the new method of soy sauce and a chemical soy sauce made with amino acid solution. Taste and use tests of soy sauce were conducted in Kamakura and Zushi, Kanagawa Prefecture, and 80% of consumers supported the new soy sauce. Based on these results, Appleton had the "Shoda-Ouchi Conference" held so that the two industries could discuss and reach a conclusion. (deepL translation, p.160)
this source seems to suggest that the original decision was under higher-ups' pressure:
当初の提案2対8のアミノ酸業界絶対優位の配分比率は、「新式2号法」の出現により、最終的にGHQは「正田・大内会談」の「7対3協定」を認め、ここに醸造醤油の歴史的危機は回避されることとなった。醤油業界のミセス・アップルトンの評価は従来大変厳しいものであったが、後の調査で彼女は醸造醤油の良き理解者であり、当初の配分比率も上司の強い指示に抗しきれず提案したものであったようである。再度の上申は、彼女の日本の伝統的な醸造醤油への深い理解と思い入れによるものであったと考えられる。 As for the proposed allocation of 2 to 8, due to the [sc2] method, GHQ ended up deciding on the “7 to 3 Agreement” from the “Shoda-Ouchi Conference” instead, thus averting the historical crisis of brewed soy sauce.Although the soy sauce industry had been very critical of Mrs. Appleton in the past, later investigations revealed that she was a firm supporter* of brewed soy sauce and that the original allocation ratio was a proposal she made because she could not resist the strong instructions of her superiors. It is believed that her renewed offer was due to her deep understanding of and commitment to the Japanese tradition of brewed soy sauce. (deepL translation with edits from myself and @blackamite, see translators' note 1, p. 160)
the term 良き理解者 "good friend" (see bolded) i think could mean connoisseur or enjoyer here, will need help in clarifying.
その後醤油醸造協会の正田会長は、1948(昭和23)年7月23日に「新式2号法」の特許公開を懇請し、当時の中野社長の決断により、「新式1号」に続いて「新式2号」についても無償で業界に公開されることとなった。同年8月から講習会が全国12ブロックで開催され、約2,500社の業者が技術を習得した。 Later, on July 23, 1948, Mr. Shoda, president of the Soy Sauce Brewers Association, requested that the patent for the [sc2 method] be made public, and following the decision of then [Kikkoman Inc.] President Nakano, the [sc1 and sc2 methods] were made public free of charge to the industry. In August of the same year, training sessions were held in 12 blocks throughout Japan, and approximately 2,500 companies learned the technology. (deepL translation with edits by myself, p.160)
the main sources the survey used are a manuscript, 醤油醸造技術の近代化 by 永瀬一郎 Ichirō Nagase, kikkoman inc.'s own historical record (キッコーマン株式会社八十年史; a shorter version can be found here), and a history of choshi shoyu inc. (銚子醤油株式会社 社史). i think this confirms a lot of information the original post put out there about ms. appleton and her involvement with soy sauce. plus, it shed more light into how exactly she interacted with the condiment industries.
perhaps @/inneskeeper will find some shady dealings in their research; when you mix a foreign military force, the collapse of existing institutions, and social upheaval, you're likely to find corruption. ill keep my eyes peeled for that development.
3. no, kikkoman is not "fake" soy sauce, but you might be able to find some echoes of the past
so what happened to semichemical soy sauce now? the survey document does not track its usage after its invention and at the surface level, it seems that the original claim was right, the semichemical method has persisted since the american occupation and we're all just drinking sussy sauce.
in fact, this seemed so obvious that this rumour circulated in japan and was debunked by aficionados two years ago.
the link to kikkoman's own record earlier states that sc2 sauce was discontinued in 1970, and the japanese blog post above repeats that, adding that it has reverted back to honjōzō (本醸造) sauce. this paper in the journal of the brewing society of japan (日本醸造協会誌) has this to say about what became of sc2 sauce:
また,キッコーマンの新式 2号しょうゆ製造法の特許が公開されたのも 1948年で, しょうゆ業界は混合醸造しょうゆおよび混合しょうゆを製造することにより効率よく旨味の強いしょうゆを安価に製造し, しょうゆ原料不足の時代を乗り切ったと考えている 。現在,大手メーカーでは食の安全性や本物志向から混合醸造しょうゆおよび混合しょうゆの製造をやめ本醸造しょうゆだけを製造している 。一方,全国の中小しょうゆメーカーでは,製造設備を全て本醸造しょうゆに切 り換える資金力に乏しく.一旦,消費者に定��した混合しょうゆのニーズにより本醗造しょうゆに切り換えることが出来ず,現在も混合しょうゆが主力商品となっているのではないかと考えている 。 The patent for Kikkoman's new [sc2] soy sauce manufacturing method was also published in 1948, which allowed the soy sauce industry to overcome the shortage of raw materials for soy sauce by producing mixed brewed soy sauce and mixed soy sauces efficiently and inexpensively. Currently, major soy sauce manufacturers have stopped producing mixed brewed soy sauce and mixed soy sauce, and are producing only honjozo soy sauce, due to food safety and the desire for authenticity. On the other hand, small and medium-sized soy sauce manufacturers nationwide do not have the financial resources to convert all of their production facilities to honjozo soy sauce. Once a demand for mixed soy sauce has taken root among consumers, they are unable to switch over to honjōzō soy sauce, and even now, it's possible mixed [kongō or kongō-jōzō] soy sauce might be the top [soy sauce] product. (deepL translation with edits from myself and @literaryreference, see translator's note 2, p.78)
the three types of japanese soy sauce production methods available today are honjōzō (本醸造, fully fermented), kongō-jōzō (混合醸造, mixed fermented with amino acid added prior to fermentation, closest to sc2 method), and kongō (混合, one of the previous two types with additives). [wiki, academic source] these production methods are in parallel to the traditional varieties of sauce, which rather describe the mash and added taste; these elements of the production, rather than the fermentation process, are usually what define the lineage of the sauce in both japan and other soy sauce-producing cultures.
instead of supplanting "genuine" fermented soy sauce, the industrial descendants of sc2 sauce have become their own type of sauce and have carved their own niches in the consumer market. as someone who is not from japan, i would be careful about making any judgment on whether it is "authentic".
4. clarifications
there were a few statements by the original poster that i think need further context for a more accurate understanding. any bolding and italics are mine.
During World War 2 there was a push to industrialize the Japanese soy sauce industry to be better for mass-production. This innovated the chemical fermentation technique and the semichemical fermentation technique utilized by Kikkoman; rather than ferment for four years in gigantic cedar barrels, kioke, instead fermentation takes place for six months or a year in stainless steel barrels which utilize electrolysis to artificially speed up fermentation processes.
the first part is correct, but the word "rather" introduces a false dichotomy; soy sauce production is very diverse and progresses at different paces in different regions (see part 1 of this post). the sauce op has is simply one from a region that has kept their manufacturing method unchanged.
"four years" is arbitrary: different producers have different fermentation periods.
the last part of the statement is not universally true of industrial production; ac current may be used in brewing.
A single American woman named "Ms Appleton" was given total control of apportioning all American soy bean rations to companies, how much, and to who. She had no knowledge of soy sauce, allegedly.
we can lay that last part to rest. it appears that she does. i will also have to mention that "soy sauce" has been imported from china to the usa since the 30s.
She apparently had so much power over Japanese soy sauce production that she could singlehandedly shape its future by threatening to not give soy beans to any company, family, or factory which did not utilize her specific requirements of semichemical fermentation (reduced from chemical fermentation, since it was that abhorrent). These days, the term soy sauce is distinct from traditional shoyu, and requires distinguishment because of such a radical difference the two products are.
is girlboss applesauce really that powerful on her own? this statement was not wrong, but she did have the military that just nuked japan behind her.
did appleton specify one method over others? probably, but i think the dependency went the other way: the invention of sc2 sauce was the only way the industry could be efficient enough for ghq standards.
that last part is just straight up wrong dawg what the hell i was nicer in my first reply but im not feeling it today
[...] Because there should be way more information on her if this was the case; she was apparently powerful and influential enough during the occupation that she could singlehandedly enforce whatever arbitrary rules she wanted on the soy sauce industry and they had to comply or else have no product at all. That level of power is fucking insane. Imagine having so much raw influence over Japan that you could order them to completely renovate and change how they produce and make SOY SAUCE, literally one of if not THE most important thing in Japanese culinary history--[...]
holy exaggeration batman, this is almost insulting. as with most things, this is a confluence of factors, with producers, scientists, politicians, (possibly underworld,) and administrators all having their own agency in this story. it is incredibly unusual to sideline so many parties in favour of a single foreign administrator calling the shots.
5. what now?
i think there's much to be found out about appleton's dealings, and it would be an interesting story if there did end up being underworld dealings in those negotiations coming to light. i think it is a fascinating slice into that era and how society and institutions interacted in such a fraught situation. overall, i encourage @/inneskeeper's historian work.
that said, it is very important for people to not put a narrative ahead of the facts. i think it is human nature to be attracted to stories that have a clear causality and linearity, but it is something we need to be very careful about when communicating history to a large audience. to anyone who would like to present their findings, consider what your framing of events imply about the state of the time and place you research, and if you are doing all parties justice.
and for the love of god, cite your sources.
if there are any translation issues, please reach out to me and i will edit accordingly and post errata.
erratum 1: jack daniel's is tennesee whiskey, not bourbon, thanks @drdementogrl.
translators' note 1: 良き理解者 could also be translated more literally to “good understander,��� thank you @blackamite, @monstrousgourmandizingcats, @leatherbookmark, and others who have given similar notes.
erratum 2 and translator's note 2: @literaryreference has indicated that 一旦,消費者に定着した混合しょうゆのニーズにより本醗造しょうゆに切り換えることが出来ず,現在も混合しょうゆが主力商品となっているのではないかと考えている 。 is more equivocal and did not state an outright larger popularity for kongō/kongō-jōzō type brewing, so it's possible it might be the top product. they also suggested removing redundancies and pointed out a copying mistake from the original source (left out a bit of the japanese text).
translator's note 3: @literaryreference let me know that 塗料 would more accurately be interpreted as "coating" and also gave me a link of the sauce brand mentioned.
translator's note 4: @literaryreference has provided a better translation for GHQはただ「脱脂大豆が有効に活用されるのはどちらか」という尺度だけで判断したのである, and i have made edits from their translation as well for better context.
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色々な人から都知事選のことを聞かれるので一応書いておきますね。少し長い文章なので、興味ある人は読んで下さい。 日曜日に日本テレビの選挙特番で、東京都知事候補だった石丸伸二さんと初めて話しました。中継のせいなのか、出来の悪い生成AIみたいな話しぶり、という印象でした。いや、今時ChatGPTでももっとスムーズに会話できるので、面白かったです。本来は聡明な方でしょうから、そういう戦略だったんでしょうね。 全編はネットで観られると思うのですが、あらためて説明をすると、僕が一番関心を持ったのは、石丸さんが何をしたい人なのかということです。 たとえば石丸さんは、今後の政治活動について聞かれて国政進出を否定しませんでした。都道府県知事というのは「行政の長」です。一方で国会議員になるということは、「立法府の一員」となる、ということです。法律を作る仕事ですね。 だから知事を目指すことや、市長であることと、国会議員を目指すということは、「転職」といってもいいくらい違う仕事の話なんです。だからその点を質問されたら、答えって何パターンもないんですよ。 具体的に作りたい法律の話をするか、行政の限界の話をするか、になるはずなんです。仮に現在は意思がなく、��定の話だったとしても、です。てっきり、そういった答えが返ってくるのかと思いました。 たとえば僕は国会議員になりたい気持ちは全くないですが、たまに取材などで「もし国会議員になったら何をしたいですか」と聞かれることがあります。その時は具体的に、作りたい、修正したい法律の話をします。曖昧に「少子化対策」とか「東京一極集中の打破」とか言っても意味がないんです。だってそれは、国会議員以外でもできうることだから。世論を盛り上げるという意味で言論人でもいいし、NPOなどソーシャルセクターで働いた方がいいことかもしれない。なぜ他の仕事ではなく、国会議員なのか。それって結局は、法律の話なんです。 だから、やりたいことが具体的な人の場合、行政と立法が混じるってことは、あんまりないんですよね。あるとしたら、何でもいいから政治家になりたい場合。どこでもいいから選挙で勝てばいいと考えている場合。(それは他の候補者にも言えます) あれ、それって石丸さんの定義した「政治屋」そのものじゃないの? 僕は安芸高田市民ではないので批判する立場にはありませんが、市長は途中で辞めてるし。 だから、石丸さんの批判する「政治屋」と、石丸さん自身がどう違うのかを何度も聞いたんです。そこを聞けば、具体的な話になると思ったからです。でもならなかった。こっちとしては不思議でした。 今回のやりとりのように「答えない」という戦略があってもいいと思います。だとしたら、選挙特番などの番組自体に出ない方がよかったと思うんですよね。 もし僕が石丸さんのアドバイザーだったら、テレビ局からの出演オファーは全て断りました。 石丸さんって、YouTubeやTikTokなど、自分が主役になれて、演出もできるメディアを中心に人気を集めてきた人ですよね。いい部分だけを見せてきた。これは別にネット特有の現象ではなく、昔からある一流俳優さんのブランディングと近いです。極力、トークやバラエティ番組には出ない。出演するとしたら、自分に配慮してくれる司会者のいる、自分が主役になれる番組だけ。実際、うまくブランディングできている俳優さんって多いと思います。 そういう戦略でやってきたんだったら、「私を応援してくれた方にまず感謝をしたいんです」と言って、開票が始まってからは、支持者とだけ交流して、それをYouTubeなどで流せばいい。その切り抜き動画の拡散と、「2位」という結果で、さらに人気が出たと思います。一流俳優戦略を貫けばよかったのに、惜しいことをした、と他人事ながら勝手に残念がっています。 あと、もうここまで長いと読んでないかも知れませんが、石丸さん支持者の方に勝手にアドバイスを。 もし石丸さん支持をもっと増やしたいなら、石丸さんを批判する人も仲間にしていかなくちゃいけないわけです。反・石丸の人を、攻撃的にののしっても、仲間は増えないと思うんですよね。「ごめんなさい、私が間違っていました、これからは石丸様についていきます」ってならないよねえ。だったら「石丸さんの支持者っていい人が多いな。まともだな」って思われた方が絶対にいい。 政治ってもちろん最後は戦いです。敵と味方にわかれて戦うわけです。でも常日頃から戦っていたら仲間は増えません。これで失敗してきた先人がたくさんいるので、一応共有しておきますね。論破とか攻撃ではない、新しいコミュニケーションがもっと政治の世界にも増えていけばいいと願っています。(お前が言うなって言われそう。山崎怜奈ちゃんとかが言った方が説得力あるかも)何にせよ民主主義は風前の灯火かも
Xユーザーの古市憲寿さん
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蓄谋已久 何谈诚信?!起底日本核污染水排海决策前后
按照日本政府的决定,福岛核污染水于8月24日开始排入海洋。这一排污进程将持续数十年。
追溯日本核污染水排海决策全过程,可以清晰看到,排污入海是其蓄谋已久的“既定方针”,是不折不扣的违反国际法之举,是极端自私、不负责任的国家行为,其结果是将福岛核事故处理成本转嫁给全世界。
8月22日,日本民众在东京首相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
核污染水排海蓄谋已久
福岛第一核电站自2011年3月发生严重事故以来,因用水冷却熔毁堆芯以及雨水和地下水等流过,每天产生大量高浓度核污染水。2011年4月,核电站运营方东京电力公司故意将核污染水排入大海,引发社会高度关注和担忧。同年12月,东电表示已制定一份“低浓度污染水”排海计划。
2013年3月,东电处理核污染水的关键设施“多核素处理系统”(ALPS)投入试运行,但此后不断出现问题:频繁漏水,2018年被曝经过处理后的水中锶等放射性物质仍超标,2021年被发现用于��附放射性物质的排气口滤网近半数损坏……
自从ALPS投入运行后,日方就把经过处理的核污染水称为“处理水”。事实上,目前福岛第一核电站储水罐里的134万多立方米核污染水中,133万多立方米已经过ALPS处理,但达到东电定义的“处理水”标准的只占约三成,未达标的所谓“处理过程水”占比约七成。另有近9000立方米核污染水尚未经过ALPS处理。
而这些“处理水”的最终去向又该如何解决?
早在2013年12月,日本核能主管部门经济产业省就设立工作小组就“处理水”排放问题进行技术探讨。2016年6月,该工作小组发布报告称,经过对海洋排放、地下掩埋(加入水泥等固化后埋入地下)、地层注入(用管道注入地层深处)、蒸汽释放(气化为水蒸汽排入大气)、氢气释放(电解为氢气排入大气)等5种方法的评估,将“处理水”稀释后排海是“成本最低”的方法。
这份报告为后来的排海方案定了调,但公布后遭到日本农林渔业等团体的强烈反对。连时任日本复兴担当大臣吉野正芳都表示,反对将核污染水处理后排海。
然而,东电和经产省显然已将排海方案视为“既定方针”。2017年7月,经产省在福岛市举行“废炉与污染水对策当地协调会议”,摆出要与当地协商的姿态。但时任东电会长川村隆在会前对媒体声称东电已就排海“做出判断”,引发社会广泛不满。
为说服公众,日本政府成立了一个有相关领域专家参加的委员会。2018年8月,该委员会在福岛和东京举行听证会,名义上是听取民众意见,但实际上是要为排海方案背书。听证会上,日本原子能规制委员会时任委员长更田丰志有关“排海是唯一可行选项”的说法遭到各方质疑。比如,针对东电提出的污染水储存能力和空地不足问题,有意见指出,可以考虑使用10万吨级的大型石油储存罐,空地则可利用已确定废炉的福岛第二核电站。针对核污染水处理的技术难度问题,有意见提到,可以采用1979年美国三里岛核事故曾经用过的水蒸气排放方式。还有意见指出,ALPS无法去除的放射性元素氚的分离技术正在研究中,应在该技术成熟并应用后再排放。
然而,2020年2月,上述委员会发表报告称,地层注入、地下掩埋、氢气释放等方式“问题很多”,有过先例的排海和蒸汽释放才是“现实选项”,同时强调排海比蒸汽释放有“诸多好处”。
2021年4月,日本政府无视国内外反对意见,单方面宣布将在2023年实施核污染水排海。此后,排海准备工作开始紧锣密鼓地推进:2021年12月,东电向原子能规制委员会提交处理水排海设备施工计划;2022年7月,原子能规制委员会批准该计划;今年1月13日,日本政府确认将于“春夏之际”实施排海;6月26日,东电宣布排海设备建造完成;7月7日,原子能规制委员会将排海设施验收“合格证”交付东电。
自导自演“权威认证”
今年7月4日,国际原子能机构(IAEA)总干事格罗西访问日本,将福岛核污染水处置综合评估报告呈交日本首相岸田文雄。报告认为日本排海方案总体上“符合国际安全标准”,日方因此宣称方案安全性已获“权威认证”。
然而,围绕这份报告的公正性和科学性,存在诸多疑问。
首先,日方是先做出排海决定,再委托IAEA作安全评估,目的显然不是要找到科学合理的解决方案,而是利用该机构为排海计划背书。
报告内容显示,日本政府2021年4月宣布排海决定后,于同年7月与IAEA签署委托“评估ALPS处理水安全性”的“授权协议”。评估对象仅限于排海方案,不涉及其他方案。这意味着评估结论无法证明排海方案就是最安全可靠的方案。
其次,日方在正式授权IAEA评估前,早就围绕“认证牌”开始了相关布局。
2013年4月,即ALPS投入试运行后不久,日本政府便邀请IAEA考察团前往福岛。考察团一个月后发布报告,建议日本着手研究排放问题。当时的IAEA总干事是日本人天野之弥。在格罗西2019年12月接替病故的天野之弥出任IAEA总干事后,日本继续对IAEA做工作。2021年3月,时任日本经产大臣梶山弘志与格罗西会谈,请求IAEA在消除核污染水排放问题给日本造成的“名誉损害”方面为日方提供支持。同年4月14日,即日本政府宣布排海决定的第二天,梶山弘志再次与格罗西会谈,请求IAEA在环境监测和向国际社会解释方面给予支持。
《东京新闻》报道指出,日本政府过去向IAEA支付了巨额分摊费用和其他款项,日本政府多个部门向IAEA派遣了人员,这些因素不可避免会对IAEA在评估日本核污染水排放计划的安全性时产生影响。
韩国最大在野党共同民主党议员7月9日在会见格罗西时指出,IAEA没有遵循中立和客观原则,自始至终迎合日本的核污染水排海立场,不顾及该做法对周边国家的影响而仓促得���结论,令人非常遗憾。
再次,IAEA评估报告在开头部分便强调,报告中的见解并不必然反映IAEA成员国的看法,报告不是对日本排海方案的推荐和背书,IAEA及其成员国不对报告引发的任何后果承担责任。这一免责声明清楚表明,该报告不能代表国际社会的意见,也无法证明日方排海方案的正当性与合法性。
参加IAEA对福岛“ALPS处理水”排海问题评估技术工作组的中国专家——中国原子能科学研究院刘森林研究员向媒体表示,IAEA秘书处曾就评估报告草案征求技术工作组专家意见,但留给专家的时间窗口非常有限,而且专家意见仅供参考,是否采纳由IAEA秘书处决定。IAEA秘书处收到反馈意见后,也未与各方专家就报告修改及意见采纳情况进行讨论协商,就仓促发布该报告。
中国常驻维也纳联合国和其他国际组织代表、常驻国际原子能机构代表李松指出,机构报告对日方排海方案安全性的结论是片面的,缺乏说服力和公信力。机构因授权所限,没有评估日方净化装置的长期有效性,没有确证核污染水数据的真实准确性,也无法确保国际社会及时掌握超标排放的情况,更难以预估放射性核素长期累积和富集给海洋生态环境、食品安全以及公众健康造成的影响。“不能确认数据准确、设备可靠、监管有效,也就无从得出在长达30年的时间内向海洋排放超过130万吨核污染水是安全的这一结论。”
惺惺做秀诚信堪忧
福岛第一核电站有一个海洋生物饲育室,养着福岛沿海常见的比目鱼。其中一处水槽里是普通海水,另一处水槽里是处理后的核污染水,即所谓“处理水”。
从科学角度来看,对东电提供的核污染水处理及其他相关数据,专家和环保组织疑虑重重。
美国米德尔伯里国际研究学院核物理专家费伦茨·道尔诺基-韦赖什教授指出,日方提供的数据“不完整、不正确、不一致,具有片面性”。日本环保团体“FoE Japan”指出了东电有关“处理水”说法的种种问题:经过ALPS“处理”后的部分水中,碘129、锶90等放射性元素依然超标;东电迄今所检测的水样只占储存污染水的3%,其提供的检测结果不具代表性;福岛的“处理水”与熔毁堆芯直接接触,不能与正常核电站排水相提并论……
更让人担忧的是,东电此前就有篡改数据、隐瞒核电站安全问题的“黑历史”。
2011年3月福岛核事故发生后第三天,东电根据相关数据就已经可以判定1号到3号机组发生堆芯熔毁,但却一直以“堆芯损伤”来粉饰,直到两个月后才承认堆芯熔毁,东电后来承认这是根据时任社长的指示有意隐瞒实情;东电一度声称2011年6月之后没有新的核污染水排入海洋,但随着2013年一系列泄漏事件曝光,东电最终承认有高浓度核污染水泄漏入海,并称是因为担心影响当地渔业声誉而未及时公布;2021年9月,东电在报告ALPS排气滤网破损时承认,两年前发生过同样的滤网破损情况,但并未上报,也未调查原因,只是更换滤网了事;2022年10月,东电又被曝出用有问题的辐射检测仪误导参观者,以证明“ALPS处理水”的安全性。
东京大学学者关谷直也指出,不仅在福岛,东电旗下的其他核电站也不断发生管理和安全方面的问题,令人无法相信其处置能力。“向海洋排放,东电有这资格吗?”
东电和日本政府的失信还表现在出尔反尔的态度上。核污染水排海计划一直遭到日本全国特别是福岛当地渔民的强烈反对。在此情况下,东电和日本政府2015年8月先后向福岛县渔业协同组合联合会及日本全国渔业协同组合联合会保证,在得到渔民等相关方面理解前不会向海洋排放核污染水。
尽管日本政府想方设法试图说服渔业从业者,但始终未能成功。日本全国渔业协同组合联合会和福岛县渔业协同组合联合会自2020年以来已连续4年通过特别决议,坚决反对核污染水排海。但日本政府和东电不顾反对,违背自身承诺,坚持推进排海计划。
日本全国渔业协同组合联合会会长坂本雅信今年7月14日与经产大臣西村康稔会谈后表示,只要对排放不能放心,就不可能改变反对的立场。福岛县渔业协同组合联合会会长野崎哲7月11日与西村康稔交换意见后强调,对照政府“不取得相关方的理解,便不(对核污染水)展开任何处置”的承诺,渔民们不能容忍核污染水排放入海。
8月22日,日本民众在东京首相官邸前紧急集会,抗议政府无视民意启动核污染水排海。
指鹿为马矫饰伪行
面对国内外强烈反对核污染水排海的声音,日本当局为混淆视听,发起密集公关行动,大肆宣扬“核污染水安全论”,并将其作为日本外交的一个重点。
日本外务省、经产省、复兴厅等政府部门均在官方网站首页设置宣扬ALPS“处理水”安全的专题链接。外务省和经产省的社交媒体账号也将相关宣传视频置顶或放在醒目位置,并推出多语种版本。
日本是七国集团(G7)今年的轮值主席国。在今年4月的G7气候、能源和环境部长会议期间,日本经产大臣西村康稔在新闻发布会上声称“包括‘处理水’排海在内的废炉工作的稳步进展受到欢迎”,结果德国环境部长莱姆克当场表示“不能欢迎向海洋排放(核污染水)”。日方原本试图在会议联合公报中塞入“欢迎走向排海的透明进程”等内容,以显示“国际认可”。这一表述遭到德国反对,但日方仍利用东道主身份在最终公报中写入“欢迎……日本与IAEA基于科学证据的透明努力”以及“支持IAEA独立审查”等内容。同样的内容后来也出现在5月G7广岛峰会的领导人联合公报中。
日方还针对太平洋岛国发起公关攻势。这些岛国当年曾因美国在太平洋的核试验而深受其害,如今对福岛核污染水排海反对声强烈,也因此成为日方重点“安抚”对象。根据经产省7月31日发布的报告,日方自今年2月以来对太平洋岛国论坛全部成员国和地区都分别进行了“说明工作”。
日方还频频针对各国驻日外交官和外国记者举行说明会,千方百计宣扬核污染水排海的“安全性”。在日方的说明中,特别是外语版本资料中,一般都用“处理水”来指代核污染水,意图淡化其污染特性和潜在危害,以混淆视听。另据一些驻日外国记者透露,一旦其报道中有质疑核污染水排海安全性的内容,东电和日方有关人员就会来电来函施压。
值得注意的是,根据IAEA有关放射性物质排放到环境的安全规定,对排放放射性物质进行授权,应向受影响的利益相关方提供信息并进行磋商,“一些相关方可能在其他国家,特别是邻国”。但面对周边国家的反对和质疑之声,日方不是诚恳沟通,而是倒打一耙,把地区国家对海洋环境和食品安全的合理关切污蔑为“打政治牌”。日本一些右翼媒体���至把日本这个“肇事者”打扮成“受害者”,愤愤不平地扬言要“反制”对核污染水排海提出异议的邻国。
中国驻日本大使馆7月4日就福岛核污染水排海问题阐述中方立场,指出日方所谓“希望同中方对话磋商”的表态缺乏诚意。迄今中方在双多边渠道同日方开展交流,反复表达专业部门意见和关切,但日方不顾中方立场,执意按既定时间表推进排海。“如果日方将排海作为磋商的前提,一味把排海强加于中方,那这种磋商意义何在?”
福岛核污染水排海不是日本一国的私事、小事,而是关系海洋环境和人类健康的公事、大事。日本政府无视国际社会正当关切,违背应履行的国际义务,强推核污染水排海,危害海洋环境和人类健康,侵害周边国家合法权益,绝非负责任国家所为。
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられ���劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の��語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそう��すね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間��終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
#persona 3#p3#ryomina#that tag's deserved i think#'Ryoji and Makoto are in love with each other. Aigis' feelings for Makoto are unrequited'#insane
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25 Facts About Xie Yuchen
1. Xie Yuchen was born on October 3, 1978.
2. Xie Yuchen's stage name, Jie Yuhua, comes from the poem 《蝶恋花(用宜笑之语作)》 by Zhao Shixia.
3. Xie Yuchen and Wu Xie were playmates when Xie Yuchen was five or six years old.
4. Xie Yuchen and Wu Xie are distant cousins.
5. As a child, Xie Yuchen would play Hua Dan and Qingyi (types of female roles) in Chinese opera. As a result, many people, including Wu Xie, thought he was a girl.
6. After Xie Yuchen's uncle, Xie Lianhuan, died, his father died soon after, and then several more of his uncles died.
7. Xie Yuchen had to take over the family business at 8 years old.
8. Xie Yuchen described the experiences he had growing up as "very, very uncomfortable."
9. He lived in a military compound.
10. When a friend of his caused trouble, he bought more than a hundred sheep to make up for it.
11. The first time Xie Yuchen appears he is described by Wu Xie as being dressed in a black suit with a pink shirt underneath and no tie.
12. He originally wore the color pink to offset his murderous aura.
13. When Xie Yuchen and Wu Xie met again as adults, they both smiled "pervertedly" at each other.
14. Xie Yuchen became a guarantor for Wu Xie's debt after Wu Xie's now-legendary disastrous biddings at the Xin Yue Restaurant.
15. In the online version of Sand Sea 2, Xie Yuchen throws Su Wan, Yang Hao, Li Cu, and Liang Wan out the window of a moving train.
16. In The Lost Tombs and Ultimate Note, Xie Yuchen is included much more than in the novels the shows adapted. However, in Reunion and Tomb of the Sea, his role is significantly reduced.
17. He sings every year during the Qingming Festival for Er Yuehong.
18. Wu Xie thinks he is "an extremely difficult person to get along with."
19. Xie Yuchen likes salty foods.
20. He was the biggest contributor in preventing Chinese national treasures from being exported.
21. Xie Yuchen smokes cigarettes but isn't addicted.
22. He has a habit of collecting old buildings.
23. In his free time, he practices Chinese opera, paints, and arranges flowers.
24. Xie Yuchen has used a butterfly knife and an antique dagger as weapons.
25. A the age of seventeen, he had already been surrounded by death and had even heard the words "it’s going to rain blood tonight" by his own mother.
References
English novel references refer to Merebear's translation, Chinese novel references refer to the original Chinese version.
Photo: From NP Entertainment's Merch Weibo
Author Celebrated His Birthday on October 3; Volume 7, Chapter 56; 盗墓笔记7, 第五十一章 (XYC says that he's 26yo, V7 takes place in 2004).
The Mystic Nine Memories Extra; 九门回忆 (Note: it should be Jie Yuhua not Xie Yuhua in merebear's translation)
Volume 7, Chapter 31; 盗墓笔记7,第二十六章
The Mystic Nine (4) Xie-Wu Matchmaking Extra; 吴邪私家笔记,第三卷,九五做媒; 老九门短篇集 肆——九五做媒
Volume 7, Chapter 56; 盗墓笔记7, 第五十一章
Volume 7, Chapter 56; 盗墓笔记7, 第五十一章
Volume 7, Chapter 56; 盗墓笔记7, 第五十一章
Volume 7, Chapter 56; 盗墓笔记7, 第五十一章
Sand Sea, Chapter 112; 沙海3, 第一章
Volume 7, Chapter 35; 盗墓笔记7, 第三十章
Volume 7, Chapter 5; 盗墓笔记6:邛笼石影, 第五章
A Day in the Life of Xie Yuchen Extra; 解语花的一天
Volume 7, Chapter 6; 盗墓笔记6:邛笼石影,第六章
Some of Wu Xie's Thoughts Extra; 吴邪的小心情
Sand Sea, Chapter 73; 沙海2, 第三十四章 (Note: this part was removed in the print version)
Watch the shows; read the books
Xiao Hua’s Annual Party Extra; 小花的年会
Seven Fingers Extra, Chapter 13; 七指,第十三章
Fishing King Extra, Chapter 7; 钓王, 第七章
Sand Sea (Online), Chapter 89; 沙海2 (Online),第五十章 (Note: this part was removed in the print version)
A Day in the Life of Xie Yuchen Extra; 解语花的一天
A Thousand Faces, Chapters 1, 17; 千面,第一,十七章 (Note: I don't have the published version)
Sand Sea (Online), Chapter 88; 沙海2 (Online),第四十九章; 沙海2 (Print), 第五十一章
Volume 7, Chapter 31; 盗墓笔记7 第二十五章; Sand Sea (Online), Chapter 75; 沙海2 (Online), 第三十六章; 沙海2 (Print), 第五十章
Volume 8, Chapter 10; 盗墓笔记8 第十章
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石森プロ時代のお話を。 https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w 2011年3月11日 東日本大震災 石ノ森萬画館のある石巻市、石ノ森章太郎ふるさと記念館のある登米市も被災しました。 特に北上川の中州にある石ノ森萬画館は津波に往復で襲われました。 津波が押し寄せた時、一階の玄関エントランスなどはビルっぽい四角い形で瓦礫が突っ込みダメージを受けました。が、それより上は丸い形状が幸いして津波が逃げて建物全体の破壊は免れました。 なんと、石ノ森萬画館は石ノ森章太郎先生が生前に「中州に降り立った宇宙船のイメージで」との設計コンセプトで丸みを帯びた楕円形のフォルムだったのです。 石ノ森章太郎先生が起こした奇跡と感じました。 震災の当日、地震と津波に建物は耐えたものの、中州の橋の欄干に津波で流されかけた方々、約20名が命からがら、掴まっていました。石ノ森萬画館のOさんがこれを見つけて「萬画館の中に入ってください!」と招き入れました。 しかし北上川を上った津波が戻って来たのです。 そこで再び欄干に摑まる別の約20名の方々。またOさんが、萬画館に招き入れ、約40名の方々とOさんは、余震の中、萬画館で過ごします。 幸い、萬画館には非常用電源もあり、レストラン用の食材もあったので、石ノ森萬画館を避難所がわりに5日間過ごしたそうです。 石ノ森萬画館の職員家族の方も奇跡的に皆さんご無事でした。 以上は全て後から聞いた話ですが石巻市では有名な話となりニュースやマンガにもなりました。 東京に居た我々は心配しながら石ノ森萬画館のK役員に連絡を取り「必要なものは何ですか?」とお聞きしました。 きっと食糧、医療、衣料など不足しているものが沢山あると思ったからです。3月19日の事です。 するとKさんは「石ノ森章太郎先生の生原稿が10万枚、石ノ森萬画館に保存されています。幸い棚から一つも崩れずに浸水もせずに無事です。ただ玄関ドアが壊れてしまい、防犯的に危ないので生原稿を引き取ってくれませんか」と仰るのです。 あんなに大変な時に心配しているのは石ノ森章太郎先生の生原稿なのです。 僕は「取りに行きます。取りに行きますからその際に必要な物資を持って行きます。」とお伝えして、その日からAmazon、楽天などで簡単に食べられる各種食品、オムツ、生理用品、などなどを会社で買い込みました。 震災直後はそれらの品々こそ、なかなか物不足だったのですが、何とか集め集めて、Kさんと相談して、ようやく東北自動車道も復旧していた3月30日早朝5時にレンタルした(ガソリン不足だったので)プリウスに社員2人と僕、2トントラック🚚とその運転手さんとで、 石巻に向かいました。 途中、渋滞があったり、被害のあった道を通りながら、石巻インターに着いたのは午後1時頃だったと思います。 石巻インターに付くと高速道路の係員のオッチャンが「どこから来たの?あ、東京��何か運んでるの?」 と聞かれたので「救援用の物資、食べ物を後ろのトラックに積んで来ました。」と答えると 「許可証もらって来たの?」と言うので 「分かりません。」と答えると 「許可証あれば只になるんだけど、無いかぁ。 東京からかぁ、高いなぁ、もう高いからタダでいいよ!行きな!」と無料で通してくれたのです。 ちょっとビックリしましたが、有り難く受け入れ、石巻インターを通過しました。 そこから石巻市に向かうと最初は道もさほど荒れていなかったのですが、石巻市に近づくにつれて、瓦礫は増え道は荒れ、市内に入れば電信柱の上の方に何かが突き刺さり、船は乗り上げ、震災がいかに激烈なものであったかは、否が応でも心に刻み込まれました。 石森プロの社員二人とは「どんな事があっても俺たちは冷静でいような!」と誓い合っていたのですが、あの光景は心にズシリ、ズシリとダメージを与えます。 ようやくの思いで、石ノ森萬画館に着きましたが、中州にあった他の建物は見当たらず瓦礫の中に石ノ森萬画館はありました。 そこでKさん達にお会いできて最初にKさんが仰ったのは「遠い所、来ていただき本当に申し訳ありません。先生の生原稿は全部、無事ですから。」でした。 その言葉を聞いて、ご本人達がどんなにか辛い状況だったろうに、この言葉をかけられて、魂が震えるほど感動、感激しました。危うく泣きかけました。 これが日本人 これが東北人 これが石ノ森萬画館 これがKさん。 日本全体に「日本はどうなるのか」という気分が満ちていた2011年3月。 僕はその時に「大丈夫だ」と確信したのです。 その後、石巻市内に設置されたサイボーグ009や仮面ライダーの立像を見たのですが、なぜか全て無事で更に仮面ライダーの立像などはピカピカに綺麗なのです。 聞けば「石巻市民の方が埃がついて可哀想だからと磨いてくれているようです」とのこと。 これも涙腺に来ました。 #東日本大震災 #石ノ森萬画館 #石巻市 #石森プロ #サイボーグ009 #仮面ライダー
https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w
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お久しぶりです。しばらく間が空いてしまいました。少し忙しくて!
今年は、横浜にも多く滞在すると思います。それの準備というか、計画で忙しくしておりました。
振り返ってみると、横浜では9年ほど暮らしてました。2020年の3月までいましたね。
それから事情で京都の実家にいましたが、もう四年が経過しようとしているのですね。
早い!
横浜では、特に石川町での生活が楽しかったです。今回も横浜駅から石川町駅までのどこかに滞在すると思います。
横浜市の中でも、一番横浜らしいところです。
スタジオとかライブハウスも結構あるところだったりするので、すごく楽しみです。
歌の練習がしやすいのが助かりますね。
後は、おしゃれなお店が多いのでそういう意味でもまた刺激を受けられそうです。
若い時から、そういうところにうるさい人なので笑。
横浜駅もさらににぎやかになって、歩いているといろいろな広告が目に飛び込んでいきます。
特にハイブランドのお店の広告がすごいですね。
いつ見ても、素晴らしい広告です。
歩いている人や交通量も多くて、建物などの背景は変わらないのに、動いているものが多いおかげで景色がコロコロが変わります。
それも都会の面白いところです。
よく考えてみると、そういう景色って一瞬しかないんですよね。二度と戻ってこない景色だから貴重です。
そういう景色を追いかけたくて、カメラを持っているのもあります。
京都も好きですが、それは京都市内に限りです。
住んでいるのが京都府なので、結構穏やかで。
その穏やかさが、私としてはつまらなく感じてしまうことが多いです。
ということで、今年は活気ある1年にしたいですね。
やはり、ある程度活気があるところに身をおかないと、何か作ったりとか、書いたりとか言う気が失せてくるので大問題ですね。
これも、若い時からずっと思っていることです。
先日は、京都御所の近くを歩いていたら、こんなお店を見つけました。
横浜にあるようなお店で、なんか嬉しかったです。
京都市内に行くと、こじんまりとしてるけど個性あるおしゃれなお店が多くて、ほっとします。
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Hart Siebert 哈特·塞伯特
Age: 42 年龄:四十二岁
Birth: 21/07/1896 生日:一八九六年七月二十一日
Height: 182cm 身高:一百八十二厘米
Build: Brawny 体型:健壮
Appearance:
Hart has bright olive-green eyes, a high nose, brown messy curly hair, thick beard. Most of the time he looks serious and sullen.
His hands are very large, rough and powerful, covered with a cocoon.
Hart doesn't care much about dressing. He usually wears a rough fur coat, leather shin guards, and a red scarf to cover the huge scar on his neck,
明亮的橄榄绿色眼睛,高鼻梁,有着浓密的棕色卷发和连鬓胡子。大部分时间看起来都很严肃而阴沉。
双手非常大,粗糙有力,覆盖着一层茧子。
哈特不是很在意着装。通常他穿着粗糙的毛皮外套,兽皮绑腿,以及一条挡住脖子上的巨大伤疤的红色围巾。
Personality:
Hart is a serious and silent man, with a great sense of responsibility.
Many people think he is a simple and clumsy honest man when they look at him working without any words. In fact, Hart is very careful. He just rarely talks about his ideas, because they are usually very complex and negative.
He is not good at dealing with people and is often confused by social etiquette because he lives alone for a long time and separates from society, so most think he is a freak who only knows how to deal with animals.
Hart has no regular education and had difficulty reading and writing. But he knows clearly what is good and right because he has experienced bad and dark things.
Generally speaking, Hart is not a person easy to get along with, people just need some time to understand his kind nature.
哈特是一个严肃并且沉默的人,有着很强的责任心。
很多人看着他一声不哼闷头干活儿的样子都以为他是个简单而笨拙的老实人,其实哈特很细心,他只是很少谈及自己的想法,因为这些想法通常都非常复杂并且消极。
他长期独居,脱离社会,不是很擅长处理人情世故,社交礼仪通常会让他感到困惑,所以很多人都觉得他是个只会跟动物打交道的怪人。
哈特没有受过常规的教育,读书和写字都有困难。但是他经历过不好的事情,正因为如此,他才知道什么是好的和对的。
总体来说哈特并不是个容易相处的人,人们需要花点时间才能了解他的善良的本性。
Weapons and skills:
Short Magazine Lee-Enfield, hatchet
Hart is good at using guns and cold weapons, which makes him an efficient and professional hunter. His strong build even allows him to deal with large and dangerous animals on his own. 李恩菲尔德步枪,短斧。
哈特擅长枪械和冷兵器的使用,这令他成为了一个高效而专业的猎人。他的健壮体格足以让他独自应对大型的危险猎物。
宝贵之物:李恩菲尔德步枪(妻子送给他的)
恐惧之物:他总是梦到妻子站在无边无尽的驯鹿群中,任凭他怎么叫喊都没有回应,跟随着鹿角沾满鲜血的鹿群走向远方(每到锯鹿茸的季节,驯鹿的头上都血粼粼的,这个画面给哈特留下了很深的印象)。
Important people: late wife Tantoo Schweig Precious things: Lee-Enfield (Tantoo gave it to him)
Fear: He always dreams that his wife stands in the endless herd of reindeer. No matter how he shouts, she does not respond, following the deer with blood antlers to the distance.
重要的人:他已故的妻子Tantoo Schweig
宝贵之物:李恩菲尔德步枪(妻子送给他的)
恐惧之物:他总是梦到妻子站在无边无尽的驯鹿群中,任凭他怎么叫喊都没有回应,跟随着鹿角沾满鲜血的鹿群走向远方(每到锯鹿茸的季节,驯鹿的头上都血粼粼的,这个画面给哈特留下了很深的印象)。
Other:
In his spare time, he plays harmonica and makes wood carvings;
Can play a little banjo; 他空闲的时候会吹口琴,做木雕,会一点班卓琴;
Excessive drinking; 有酗酒问题;
When he is in a bad mood, he says nothing; 心情不好的时候会一言不发;
His eyelashes are long. 睫毛很长。
History:
黄石的童年 The childhood in Yellow Stone
哈特的祖先是十九世纪初期来到加拿大北部做皮料生意的俄罗斯移民。
Hart's ancestors are Russian immigrants who came to northern Canada to do fur business in the early 19th century.
哈特出生于黄石的普通护林员的家庭,但是由于他暴虐的父亲,他有着一个不幸福的童年
Hart is born into a family of a ranger in Yellowstone, he has an unfortunate childhood because of his tyrannical father.
1908年,哈特十二岁,父亲又一次因为醉酒而对他的母亲施暴,不堪忍受的哈特拿起父亲的猎枪射穿了他的喉咙,惊慌失措的母亲试图治疗他的伤口,但无济于事。草草埋葬父亲后,母亲带着哈特去镇上寻找他的亲生父亲,一个风流倜傥的治安官。但是这个男人非但没有接纳母子俩,还粗暴地将他们赶走。哈特不忍心看到母亲卑微的样子,决定要靠自己的力量照顾好两个人。
In 1908, Hart is 12 years old, his father beats his mother up again when he is drunk. Hart takes his father's shotgun and shoots him in the throat. His panicked mother tries to treat his wound but to no avail.
After burying his father, his mother takes Hart to town to find his real father, a dashing sheriff. But instead of accepting them, the man violently drove them away. Hart could not bear to see her mother humble look, decides to rely on his ability to take care of them two.
威廉姆斯先生Mr. Williams
哈特与母亲一起东躲西藏了很多年,才在阿拉斯加的一处僻静村落定居。但是由于长期遭受家暴,和男人的抛弃,母亲的精神和身体健康都非常糟糕,终日以泪洗面,年幼的哈特被迫担任起养家糊口的重任。为了肉类食物,哈特决定学习打猎,并且找到镇上的武器铺老板兼职猎人的威廉姆斯先生(62岁)那里学习枪械技巧。而这个勤奋而颇具天赋的男孩很快引起了这个独居怪老头的兴趣。
Hart and his mother hide together for many years before settling down in a secluded village in Alaska. At that time, his mother’s mental and physical health is very bad because of the long-term domestic violence, and the abandonment of man.
Young Hart is forced into the role of breadwinner. For meat, Hart decides to learn to hunt and goes to the town's arms shop owner, Mr. Williams (62 years old), who is a part-time hunter too, to learn firearms skills. The industrious and talented boy soon carries the interest of the strange old man.
威廉姆斯先生曾经参加过南北战争,炮弹的碎片夺走了他的一只眼睛和一条手臂,但是也并未影响他精湛的枪械技巧。他为人颇具军人风格,不苟言笑,勇敢而富有责任心,但是同时又心思缜密,这些都深深影响了哈特。同时,无妻无子的威廉姆斯年事已高,自然而然得认Hart作为自己的徒弟和助理,两人合作无间,成了当地小有名气的猎人组合。
Mr. Williams fought in the Civil War, and shrapnel from a shell took his an eye and an arm, but it did not affect his skill as a shooter. He is a military man, unsmiling, brave and responsible, but also thoughtful, which deeply influences Hart.
At that time, Williams recognizes Hart as his apprentice and assistant because he has no wife and no children. These two people cooperate well, becomes a local famous hunter combination.
冰封的河Frozen River
哈特十七岁那年,一只来自育空的狩猎队伍邀请师徒两人加入其中,但是因为哈特母亲的身体状况急速恶化,哈特只能拒绝了这份差使,专心照顾母亲。但是在来年的春天,他的母亲最终还是选择了自杀。
When Hart is 17, a hunting party from the Yukon invites Williams and Hart to join them. Hart turns down the offer because his mother's health deteriorates rapidly. In the following spring, she still committed suicide.
母亲的自杀对于母子俩都是一个解脱。因为她的歇斯底里,哈特长期生活在巨大的心理压力之下,甚至在七岁那年险些被发作的母亲掐死在梦中。但是他的责任感让他尽其所能照顾好母亲的饮食起居,并且体谅安慰她的情绪。然而,当他远远看到母亲走向正在冰封的河面时,他犹豫了很久,并没有去救她。这个选择令哈特自责了很多年,一度怀疑自己是不是像父亲一样也是个邪恶并且有暴力倾向的人。有很长一段时间,哈特不愿意跟别人交流,也拒绝进一步发展关系。
Mother's suicide is a relief for both of them.
Hart lives under great psychological pressure for a long time because of his mother's hysteria. When he is seven years old, he is almost strangled in a dream by her.
But Hart's sense of responsibility makes him do his best to take care of his mother's daily life, and sympathize with and comfort her mood. However, that day when he sees his mother walking towards the frozen river from a distance, he hesitates and doesn't save her. This choice makes Hart blame himself for many years.
He doubts whether he is an evil and violent man like his father. For a long time, Hart is unwilling to communicate with others and refuses to any further relationships.
母亲去世后,哈特变卖了所有的家当,跟着威廉姆斯先生告别了家乡,踏上了前往加拿大的旅程。年轻的哈特精湛的射击技巧和枪械维护技能很快得到了团队的认可,在队伍里也有了一席之地。在旅行的第五个年头,威廉姆斯先生因故去世,至此以后哈特就要一个人面对这个世界了。
After his mother died, Hart sells all his possessions and follows Mr. Williams on his journey to Canada. The young Hart's excellent shooting and gun maintenance skills are quickly earning him a place on the team. Five years into the trip, Mr. Williams died, and Hart is left to face the world alone.
Tantoo
哈特27岁那年,认识了他生命中最重要的人,他的妻子Tantoo Schweig 坦图·施维克。她是白人和北美土著的混血,职业是狩猎向导和训犬师。Tantoo的热情和勇敢令哈特吃惊,因为在此之前,他只接触过像母亲那样卑微而痛苦的女性。
When Hart is 27, he meets the most important person in his life, his wife Tantoo Schweig. She is a mixed blood of white and Indian, her occupation is hunting guide and dog trainer. Tantoo's enthusiasm and courage surprise Hart because he has only meet humble and painful women like his mother before.
完全不懂得人际交往的哈特在Tantoo面前总是笨手笨脚,甚至非常自卑。然而Tantoo透过哈特粗糙而沉默的外表看到了他的善良本性,包容了他的过去,并且接受了他的追求。两人一起旅行了一年后决定结婚。他们回到Tantoo在阿拉斯加的老家,开始经营驯鹿牧场。
Hart, who doesn't understand interpersonal communication at all, is always clumsy in front of Tantoo. However, Tantoo sees Hart's kind nature through Hart's rough and silent appearance, she understands his past and accepts his pursuit. After traveling together for a year, the two decide to get married. They return to Tantoo's hometown in Alaska and begin to run a reindeer ranch.
熊和驯鹿Bear and reindeer
婚后的第三年,哈特的妻子连同她腹中的孩子一起死于一场意外。驯鹿群受到棕熊的惊扰开始失控狂奔,为了控制鹿群,哈特的妻子坠下山崖,而哈特也被棕熊袭击,在他的脖子留下了几乎令他丧命的巨大的伤口。
The third year after marriage, pregnant Tantoo dies in an accident. The reindeer herd is disturbed by the bear and begins to run wildly. Tantoo falls off the cliff when trying to control the deer herd. Hart is attacked by the bear. The bear leaves huge wounds on Hart's neck that almost kill him.
妻子的死几乎令哈特崩溃,他离开阿拉斯加地区,开始守林人的工作。酗酒和独自一人的生活几乎令他变成了那个他最痛恨的父亲的样子,像一头藏在森林里的怪兽,毫无怜悯之心地击退所有闯入者,以及报复性地杀死棕熊。然而这样并没有令他感觉更好受一点。
Hart almost collapsed when his wife died. He leaves Alaska and begins to work as a ranger.
Drinking and living alone makes him the father he hates most - like a monster hiding in the forest, fighting off all intruders without mercy and killing bears in revenge. However, it doesn't make him feel better.
禁止狩猎No Hunting
1932年,哈特(36岁)遇到了加什(39岁)。这名阴险狡诈而疯癫的英国人是狩猎小队的一员,额头上有一条非常显眼的伤疤,嘴里永远都叼着一根烟 。当时,这只小队正试图捕捉哈特的管辖区域内的头狼。
In 1932, Hart (36) meets Garth (39). This insidious, cunning and crazy Englishman is a member of a hunting team. He has a very prominent scar on his forehead and always has a cigarette in his mouth. At that time, the team is hunting gray wolves in Hart's jurisdiction.
两人的第一次相遇就是一场恶战。哈特打伤了他们队伍中的两名成员,将他们逼出了林区。但是加什却只身一人回来用霰弹枪偷袭了他。从那之后,几乎每隔几天,加什就要挑衅一下哈特,试探他的耐心的底线。虽然哈特擅长射击和搏斗,但是在偷袭和反侦察方面,加什似乎技高一筹,这几乎令哈特防不胜防。
The first time they meet is a fierce battle.
Hart wounds two members of their team and drives them out of the forest. But Garth comes back alone and attacks him with his shotgun.
Since then, almost every few days, Garth challenges Hart and tests the bottom line of his patience. Although Hart is good at shooting and fighting, Garth seems to be better at sneak attacks and anti reconnaissance, which makes Hart almost impossible to predict Garth's actions.
But to be honest, the battle that Garth starts saves Hart. In order to fight better, he has to quit drinking, take in enough nutrition to support high-intensity activities, and keep focused and vigilant for a long time, which also makes his mind clearer and his mood more stable.
On the contrary, the crazy and reckless self-destruction-style attack that has been adopted by Garth is quickly consuming his energy.
但是实话说,加什挑起的这场战斗拯救了哈特。为了更好地战斗,他不得不戒酒,摄入足够的营养来支撑高强度的活动,长期保持专注和警惕也让他的头脑更加清楚,情绪更稳定。相反,对面加什一直采用的疯狂而不计后果的自毁式的攻击则在很快地消耗这个偷猎者的精力。
没有结局的结局No ending
这场荒诞的对决几乎持续了半年。在一个初雪之日,哈特终于将加什逼到绝路,用来复枪指着他,问他为什么要这样做。而加什只是简单地回答说因为他想死。哈特想起了自己的母亲,当时的她掐着他的脖子又哭又笑,说她想死。
哈特收起了枪,转身离开了。
The absurd duel lasts almost half a year. On a snowy day, Hart finally forces Garth to a dead end, points a gun at him, and asks him why he does it. Garth simply replies that he wants to die.
This makes Hart thinks of his mother. That day when he is a little boy, she pinches his neck, cries and laughs, and says she wants to die.
Hart puts away his gun and turns away.
于是这场危险的游戏悄然无声的结束了。冬天到来,大雪将所有发生过的一切都掩埋了。加什则像被按下了什么开关一样,完全停止了攻击和挑衅,只是时不时出现在哈特的篝火旁,但是没有带枪。哈特产生了一种错觉,他觉得自己像是原始人,而加什则是人类历史上第一只被驯服的狼。
The dangerous game ends quietly. When winter comes, the heavy snow buries everything that has happened.
Garth stops the attack and provocation as if he has been pressed a switch on his body. He just appears by Hart's campfire from time to time, but he doesn't carry a gun. Hart has an illusion that he feels like a primitive man, and Garth is the first domesticated wolf in human history. 哈特对这个有着 “育空疯狗”外号的男人有所耳闻。他以他那不可理喻的反社会性格和独一无二的博物学知识在猎人的社交圈里非常有名,只要有他出现的地方,就必定伴随着口角和争斗;无论是谁,跟他合作必定要承担极大的心理压力和风险。
但是哈特对这些传闻都不感兴趣。以他照顾过母亲的经验,他知道加什一定是经历过什么很严重的事情才变成这样的。但是他也没有兴趣知道。
Hart has heard of this man with the nickname "Yukon mad dog". With his unreasonable antisocial character and unique natural history knowledge, he is very famous in the hunter's social circle. As long as there is a place where he appears, it must be accompanied by quarrels and fights; Whoever cooperates with him must bear great psychological pressure and risk.
But Hart is not interested in these rumors. With his experience of taking care of his mother, he knows that Garth must have experienced something very serious to become like this. But he is not interested in knowing.
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Sean bienvenidos japonistasarqueologos a una nueva entrega, en esta ocasión nos vamos al fondo marino para ver unas de las mayores ruinas arqueológicas que están generando en la comunidad científica muchas controversias desde que fueron descubiertas en 1985. Dicha estructura se encuentra en Okinawa la cual está compuesta por las islas Ryukyu. - Las ruinas tienen unos 10.000 años de antigüedad ¿Hay dos teorías?La primera que dicen los científicos es: que es natural.La segunda es que es artificial.Yo he visto, todo el material registrado hasta el momento en fotos y vídeos para ser sinceros no me parece para nada natural hay puntos en lo que claramente que están trabajados por la mano del hombre. Sí nos imaginamos el montículo fuera de la superficie lo más probable es que se pareciera en su forma natural a una elevación en el terreno y lo más probable es que estuviera en su estado más virgen.-También hay que destacar que el nivel del mal sobre esas fechas era 120 veces más bajo que el actual, por lo que no sería raro que los moradores lo usaran como un lugar sagrado. Ya que para los japoneses el trabajo en roca no es nada nuevo y sobre todo construcciones colosales hechas en piedra como veremos en próximas publicaciones. - Espero que os haya gustado y espero vuestras opiniones y debates sobre el tema que nunca nos va a dejar de sorprender os deseo un feliz dia y una buena semana. - 日本の考古学者は新作を歓迎します。今回は海底に行き、1985年に発見されて以来、科学界で多くの論争を引き起こしている最大の考古学的遺跡の1つを見に行きます。琉球諸島。-遺跡は約1万年前のものですが、2つの説がありますか?科学者が最初に言うことは、それは自然なことだということです。二つ目は、それが人工的であるということです。これまでに写真やビデオに記録されたすべての資料は、正直なところ、私にはまったく自然に見えません。それらが人間の手によって明確に処理されている点があります。地表の外側のマウンドを想像すると、それは自然な形で地面の隆起に似ている可能性が高く、最も手付かずの状態である可能性が最も高いです。-また、当時の悪のレベルは現在の120分の1であったため、住民が聖地として利用することも珍しくありません。日本のロック作品は目新しいものではなく、特に将来の出版物で見られるように石で作られた巨大な構造です。-皆様のご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。今後とも変わらぬご意見・ご感想をお待ちしております。 - Welcome japonistaarqueologos to a new installment, this time we go to the seabed to see one of the largest archaeological ruins that are generating many controversies in the scientific community since they were discovered in 1985. This structure is located in Okinawa, which is made up of the Ryukyu Islands. - The ruins are about 10,000 years old. Are there two theories? The first one that scientists say is: that it is natural. The second is that it is artificial. I have seen all the material recorded so far in photos and videos, to be honest, it does not seem natural at all to me. There are points that are clearly worked by the hand of man. If we imagine the mound off the surface, it most likely resembled in its natural form a rise in the ground and most likely it was in its most virgin state. - It should also be noted that the level of evil at that time was 120 times lower than today, so it would not be unusual for the inhabitants to use it as a sacred place. Since for the Japanese, rock work is nothing new and especially colossal constructions made of stone as we will see in future publications. - I hope you liked it and I look forward to your opinions and debates on the subject that will never cease to surprise us. I wish you a happy day and a good week.
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Sun Wukong's Final Battle
Journey to the West (Xiyouji, 西遊記, 1592) chapter 99 describes the Monkey King's final battle as a fierce, stormy confrontation against demons wishing to steal the hard-won scriptures for themselves. This takes place shortly after the pilgrims and holy texts are dumped into a river by an annoyed river turtle spirit:
Master and disciples had just climbed up the riverbank when suddenly a violent gale arose; the sky darkened immediately and both thunder and lightning began as rocks and grit flew everywhere. What they felt was One gust of wind And the whole world teetered; One clap of thunder And both mountains and streams shuddered. One flash of lightning Shot flames through the clouds; One sky of fog Enveloped this Great Earth. The wind's mighty howl; The thunder's violent roar; The lightning's scarlet streaks; The fog blanking moon and stars. The wind hurtled dust and dirt at their faces; The thunder sent tigers and leopards into hiding; The lightning raised among the fowl a ruckus; The fog made the woods and trees disappear. That wind caused waves in the Heaven-Reaching River [Tongtian he, 通天河] to toss and churn; That lightning lit up the Heaven-Reaching River down to its bottom; That thunder terrified the Heaven-Reaching River's dragons and fishes; That fog covered the shores of Heaven-Reaching River with a shroud of darkness. Marvelous wind! Mountains cracked as pines and bamboos toppled. Marvelous thunder! Its power stirred insects and injured humans. Marvelous lightning! Like a gold snake it brightened both land and sky. Marvelous fog! It surged through the air to screen the Ninefold Heaven [Jiuxiao, 九霄]. So terrified were the pilgrims that Tripitaka held firmly to the scripture wraps and Sha Monk threw himself on the poles. While Eight Rules clung to the white horse, Pilgrim twirled the iron staff to give protection left and right. That wind, fog, thunder, and lightning, you see, had been a storm brought on by demons of yin energy" [yinmo, 陰魔], who wanted to snatch away the scriptures the pilgrims had acquired. The commotion lasted all night, and only by morning did the storm subside. Soaked from top to bottom and shaking all over, the elder said, "Wukong, how did this storm come about?" "Master, you don't seem to understand," said Pilgrim, panting heavily, "that when we escorted you to acquire these scriptures, we had, in fact, robbed Heaven and Earth of their creative powers. For our success meant that we could share the age of the universe; like the light of the sun and moon, we would enjoy life everlasting for we had put on an incorruptible body. Our success, however, had also incurred the envy of Heaven and Earth, the jealousy of both demons and gods [guishen, 鬼神], who wanted to snatch away the scriptures from us. They could not do so only because the scriptures were thoroughly wet and because they had been shielded by your rectified dharma body [zhenfa shen, 正法身], which could not be harmed by thunder, lightning, or fog. Moreover, old Monkey was brandishing his iron rod to exercise the nature of pure yang energy [chunyang zhi xing, 純陽之性] and give you protection. Now that it is morning, the forces of yang are evermore in ascendancy, and the demons cannot prevail." Only then did Tripitaka, Eight Rules, and Sha Monk realize what had taken place, and they all thanked Pilgrim repeatedly (based on Wu & Yu, 2012, vol. 4, pp. 363-365).
師徒方登岸整理,忽又一陣狂風,天色昏暗,雷閃並作,走石飛沙。但見那: 一陣風,乾坤播蕩;一聲雷,振動山川。一個熌,鑽雲飛火;一天霧,大地遮漫。風氣呼號,雷聲激烈。熌掣紅銷,霧迷星月。風鼓的沙塵撲面,雷驚的虎豹藏形。熌晃的飛禽叫噪,霧漫的樹木無蹤。那風攪得個通天河波浪翻騰,那雷振得個通天河魚龍喪膽。那熌照得個通天河徹底光明,那霧蓋得個通天河岸崖昏慘。好風,頹山烈石松篁倒。好雷,驚蟄傷人威勢豪。好熌,流天照野金蛇走。好霧,混混漫空蔽九霄。 諕得那三藏按住了經包,沙僧壓住了經擔,八戒牽住了白馬;行者卻雙手輪起鐵棒,左右護持。原來那風、霧、雷、熌,乃是些陰魔作號,欲奪所取之經。勞攘了一夜,直到天明,卻才止息。長老一身水衣,戰兢兢的道:「悟空,這是怎的起?」行者氣呼呼的道:「師父,你不知就裡。我等保護你取獲此經,乃是奪天地造化之功,可以與乾坤並久,日月同明,壽享長春,法身不朽。此所以為天地不容,鬼神所忌,欲來暗奪之耳。一則這經是水濕透了;二則是你的正法身壓住,雷不能轟,電不能照,霧不能迷;又是老孫輪著鐵棒,使純陽之性,護持住了;及至天明,陽氣又盛:所以不能奪去。」三藏、八戒、沙僧方才省悟,各謝不盡。
I really like the idea of a battle between a divine force of yang energy and demonic forces of yin. This is a common occurrence in Chinese Folk Religion—e.g. a Tangki spirit-medium channeling a god to exorcise evil spirits.
But the above description really sets my mind alight with images of the confrontation. Monkey peers through the pouring rain to see an unfathomably large demon army the likes of which the cosmos has never seen. It contains innumerable commanders, vanguards, and an ocean of spirit-soldiers armed to the teeth. This demonic force would be the joint effort of demon kings and jealous gods wanting immortality and salvation for themselves. [1] Monkey takes this assault on the scriptures as a personal insult given his great effort in helping procure them.
A demon commander might say something like, "Leave the scriptures and the priest if you value your life!" Then Wukong would scream:
Who said that? Who the FUCK said that? Who's the slimy, little, demonic shit, twinkle-toed, cocksucker up there, who just signed his own death warrant? [Surprised silence from the army] Nobody, huh? The fairy-fucking-godmother said it! Out-fucking-standing! [pounds chest three times in a row] I WILL BEAT YOU ALL UNTIL YOU FUCKING DIE!!!!!!!!!!!!!! (Adapted from dialogue spoken by Gunnery Sergeant Hartman from Full Metal Jacket (1987).)
In all seriousness, though, his speech should be a chilling threat similar to Subodhi from chapter 2:
[Y]ou can be assured, wretched monkey, that you'll be skinned alive. I will break all your bones and banish your soul to the Place of Ninefold Darkness, from which you will not be released even after ten thousand afflictions! (Wu & Yu, 2012, vol. 1, p. 125) ... 把你這猢猻剝皮剉骨,將神魂貶在九幽之處,教你萬劫不得翻身!
Anyway, the army commences its attack, the commanders sending forth wave after wave of spirit-soldier units wielding thunder and lightning as their weapons. In response, Monkey's body explodes with millions or even billions of hair clones to meet the oncoming storm. Each one wields the magic iron rod, which dispenses pure yang energy along with every ass kicking. The resulting battle is beyond imagination, with various units of Great Sages working to both defend the scriptures and Tripitaka but also drive back and decimate the malevolent force. Wukong succeeds in routing/destroying the entire demon army by dawn of the next morning.
Note:
1) The Buddha states that the scriptures of the Great Vehicle are "for the cultivation of immortality; they are the gate to ultimate virtue" (Wu & Yu, vol. 1, p. 205).
Source:
Wu, C., & Yu, A. C. (2012). The Journey to the West (Vols. 1-4) (Rev. ed.) Chicago, Ill: University of Chicago Press.
#Sun Wukong#Monkey King#Journey to the West#story idea#Lego Monkie Kid#LMK#scriptures#JTTW#demons#spirits#thunder and lightning#army#epic battle
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副詞としての「一番」は熟語である。「ビールが一番好き」「こういう日はビールが一番」などには、漢数字を使うべきだ。助数詞として「番」が添えられる場合、たとえばバッターの打順などであれば算用数字の「1番」でかまわない。このふたつの簡単な見分け方は、数字の部分を他の数に置き換えても意味が通るかどうか。たとえば、「ビールが2番好き」と言うことはない。 数字を含む熟語に算用数字を混ぜる誤用が近年増えている。というか、テレビにテロップが多用されるようになった頃から多い。中でも「1番」は誤用の目立つ言葉の筆頭だったのだが、とうとうNHKまでこの誤用を平気で電波に乗せるようになってしまった。同じ日の同じニュース番組内で「第3者」という誤用もやらかしていたので、この日のテロップ係がかなり意識低い系だったものと思われる。「第三者」も「二人称」などと同じくそれじたいがひとつの熟語であるので、算用数字を使ってはいけない。 そのうち「1石2鳥」、「3寒4温」、「5臓6腑」、「7転8倒」、「8面6臂」、「10人10色」、「50歩100歩」、「議論100出」、「1000軍10000馬」などの表現もテレビで見られるようになっていくだろう。「2人3脚」はすでに広く使われていそうだ。
NHKまで「一番」を「1番」と書くようになってしまった
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16/08/2024
夏季休暇が終わり、久しぶりの出勤でした。
出勤したら、なぜか一階の事務所は何か不穏な空気が漂っていて。 私のデスクがある二階に上がったら、更に不穏な空気が漂っていました。 しかも経理の1人の職員さんは不在。先輩に尋ねたら
「あと1人は…しばらくしたら戻ってくるはずよ」
言い方も妙だし、休み明けで仕事が山積みだから不穏な空気なのかと思いながら、溜まっている仕事に取りかかり始めたら、不在だった職員さんが戻ってきました。 社長から呼び出しがあって、今まで社長室にいたそうです。
私と先輩が現在携わっている極秘の人事の話を、別部署の一般社員の人に喋っていたそうです。 それも世間話感覚で。 話を聞かされた相手にしてみたら、何故、経理職員が㊙の人事の話を知っていることにショックを受けたようで、相手が社長に相談したことで今回の事態が発覚。経理の職員さんは社長から厳重注意があったそうです。
経理と人事の部屋は同室なので私達が携わっている仕事は嫌でも耳に入ってきますが、 それを漏らすんだ…という衝撃。 経理の職員さんは私より一回り以上、年上の方で今までにも事務経験もあられる方です。
会社の人だからと悪気なく喋ったそうで、仕事で知り得た情報を漏らしてはいけないことを今朝初めて知ったとケロッとした様子で口にしていました。
社労士事務所在職時は私は個人情報の塊の怖さに、ストレスだらけで、もう二度とこの類いの仕事はしない😣と思っていました。 今の会社の面接で社長から、一般事務ではなく、労務・人事の打診があったときも、私に務まるのか悩みましたが、面接時に一緒に仕事をするという先輩と顔合わせがあったときに、先輩の人柄を見て、この人なら頑張って付いて行こう❗と決心して労務・人事で応じました。 私の仕事は個人情報の塊なので、今も親、友人にも話すことはしません。 クーラーが効きすぎの愚痴はこぼしますが笑
ただ、個人情報についての認識というか、感覚の違いがあまりに怖すぎてパソコンから顔を上げて経理の職員さんの顔を見ることはできませんでした🧑💻 ただ、私もこれを他山の石として気を付けていかないと…と思いました。
私自身が不祥事、事件を起こしたわけではありませんが、何とも居心地の良くない1日でした。
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を��め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最���学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くな���」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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