#二重螺旋の恋人
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kachoushi · 5 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年7月1日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
浜木綿を染めし落暉の日本海 かづを ナースとて香水ほのと香りたり 同 風に波打つまで育ちゐる青田 同 網戸越し松に鴉が羽繕ひ 清女 這ひ出でし苔を褥に夏の蝶 笑子 青梅雨の沖へ沖へと藍深む 同 産土の茅の輪くぐりに星が降り 希子 女達噂話や梅雨しとど 和子 虚子愛子柏翠句碑に大夕立 匠 蛍や自害に果てし一城主 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月4日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夏の雲飛行機雲に結ばれて 喜代子 狭庭にも大株四葩二本咲き 由季子 天筆に今年も祈る星祭 都 パナマ帽モボモガの世に生きた親 同 青すだれ隣家の灯り遠くなり 同 単衣着て白き衿足なまめける 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
梅雨の蝶なれば鼓動のやうな翅 順子 阿羅漢に逢ふには黒き麻を選り 同 蚊遣香きれいどころを紫に 光子 剥落の喜怒哀楽の貌涼し 風頭 金ピカの阿弥陀炎暑を���ね返す 佑天 遅れ從く行人坂の上に夏 昌文 唇うすき五百羅漢の薄衣 同
岡田順子選 特選句
茄子植うる角を曲りて羅漢寺 和子 阿羅漢の肋へ夜々の早星 光子 女人描くやうに蚊遣の煙かな 和子 朝涼に羅漢千ほど詣でけり 軽象 羅漢へは夏の讃美歌届かざる 俊樹 水鉄砲水に沈めてゆく遊び 和子 汗の我汗無き五百羅漢像 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
いそいそと出かける母の洗ひ髪 成子 原罪を忘れしごとく髪洗ふ 朝子 髪洗ひ沛然の夜を深眠り 美穂 身体の壺深くせむ泉湧く 同 蝙蝠となりイザベラの墓を守る かおり 無限とはあの夏雲のあふれやう 朝子 遠ざかる汽笛を胸に髪洗ふ かおり 待つ事に慣らされたかなソーダ水 修二 昼寝覚また見失ふ青い鳥 かおり いいかげんな返事はできぬ滝の前 睦子 地の底に坑道のあり夏薊 朝子 水海月ニュートリノとは身の不才 久美子 青く浮く水の惑星飛ぶ蛍 光子 群るること嫌ふ子の飼ふ目高かな たかし 手の中に捨つるつもりの落し文 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
炎帝や新幹線の響動もせり 時江 汗の顔拭いても直ぐに汗の顔 みす枝 蛍の夜君と辿つた田舎道 和子 網戸より青き大空真清けし 時江 雲の峰向けて大きなホームラン みす枝 羅に齢見せたり隠したり 世詩明 万緑の中に抱かる風化仏 時江 弁解はすまじと白扇閉ぢらるる 昭子 老いたれば野盗の如く西瓜喰ぶ 世詩明 魂の抜けて極楽大昼寝 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月8日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
すこやかと母の昼寝のたのもしき 和魚 入道雲更に一段気負ひ立つ 秋尚 昼寝して疲れひと先づ剥がれゆく 貴薫 妣の忌や水やうかんの三姉妹 美貴 入道雲夢語り合ふ部活の子 同 保母泣かせ昼寝の時に元気な児 エイ子 海風に昼寝誘はれ母の膝 史空 束の間の午睡ゆらゆら旅の途中 のりこ 離れ島入道雲に呑み込まれ 史空 よく冷えて角立ちてをる水羊羹 三無 入道雲掴みきつたるクレーン車 同 今少し続きに未練昼寝覚 秋尚 定期船入道雲に溶けてゆく 史空 昼寝さめ穂高の風は空の色 ます江 幼子の昼寝絵本を抱きしまま 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
断面のやうなビル窓夕焼けて 都 アイスコーヒー別れるために会ふ人の 同 火取虫灯りともせばあらあらし 和子 狛犬の口を漱ぐや男梅雨 美智子 さらばへて汗もかかずに老いてゆく 悦子 目の前の影と思へば蚊喰鳥 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
非常なる毛虫退治も日常に あけみ きようだいが内緒の話ハンモック 裕子 今日を無事に終へて夜風と衣紋竿 同 山寺や山あぢさゐの道になり 令子 蛍飛ぶ幼き頃を誘ひ出し 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
滴りに苔むす岩の息づかひ 多美女 凌霄花掴まり処なき揺れて 亜栄子 早苗饗やのんびり浸る露天風呂 幸風 解体の決まる旧家や釣忍 百合子 葛餅を分厚く切りて客迎へ 美枝子 葛餅のギヤマン盛の重さかな 文英 涼しげに楓日傘の年尾句碑 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月16日 萩花鳥会
七月場所若手の力士続続と 祐子 雷神へ千の手拝む千年の樹 健雄 水田に波紋広げて梅雨に入る 俊文 今咲いた深夜の電話月下美人 恒雄 仙人掌の生きぬく力強きこと ゆかり 夕立の真つ只中の下枝かな 吉之 雷鳴に負けじ響くや母の声 明子 母逝きて幾年たちぬ仙人掌花 美恵子
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令和6年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
無雑作に立て掛てあり古葭著 雪 青葉木菟夜は淋しと鳴くならん 同 此の􄼫に金色飼はれし師の月日 同 足羽山はみだして来る蟬時雨 かづを 万緑を鎧ふ最古の天守閣 同 風鈴や此の先老をどう生きる 真喜栄 一と日毎老鶯の声啼細る 英美子 半百生鯖より蛸の足を買ふ 賢一 草を引く予定は未定なる気まま やす香 蛍の夜君と語りし田圃径 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
加賀鳶の夕顔の種翔しけり 世詩明 朝顔の晒したてなる朝の雨 同 梅雨の灯に手相見る癖ケセラセラ 清女 牽牛花の螺旋昇るや夢連れて 千加江 朝顔や父母ゐなく実家もなく 令子 夏のシャツざぶざぶ洗ふ達者に洗ふ 同 いとさびし師の忌が一つ増えた夏 淳子 雲の峰背ナに担ぎて手を振れり 和子 朝顔の咲いて嬉しきことも無く 同 荒梅雨や工事現場にヨイトマケ 数幸 光陰を渦に背負ひし蝸牛 雪 サングラス顔を隠してゐるつもり 同 光りたき所に光りゐる蛍 同 又の世も火蛾と生まれて灯を恋ふか 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月19日 さきたま花鳥句会
山百合や日に三本の村のバス 月惑 しなやかに見沼の青田穂を孕む 八草 翡翠を待つ三脚の影伸びて 裕章 はたと止む平家の里の夜の蟬 ふゆ子 梅雨明けて肌に塗るもの一つ増え としゑ 葉は枯るも生きてゐるよとミニトマト 恵美子 けだるげな猫の往診暑気中り みのり 酔芙蓉午後の日差しに色の濃く 彩香 愛想なき冷たさが好き竹婦人 良江
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令和6年7月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
隠沼の何処に存すか牛蛙 文英 炎帝を弾きとばして母の塔 三無 雨上り烈日をあぶ蟬と吾 久子 夏の沼水切りの輪閃閃と 三無 みんみんの遠く近くに読経めく 慶月 琅玕の風をたわわにアッパッパ 幸風 隠沼を揺さぶる響き牛蛙 亜栄子 漢行く灼けし空缶蹴りとばし 三無
栗林圭魚選 特選句
ご褒美はお花畑の大饗宴 白陶 水無月の乾き切つたる空となる 秋尚 炎天の隠れやうなき径白き 同 父母と黴の匂ひや里の閨 経彦 沼いつも古色を湛へ蜻蛉生る 千種 石仏の錆びし錫杖金絲草 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
金漿つけしお羽黒とんぼ登場す 雪 蝙蝠や国府の名残り路地路地に 同 真白なる羽根たたみたる火蛾の果て 同 夕方に雲の集まる男梅雨 たけし 宮涼し巫女の舞ふ袖ふくらめり 同 柿葺閂錆し竹落葉 同 蟬時雨一山丸ごと震へをり みす枝 夫逝きし庭より聞こゆ青葉木菟 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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monthly-ambigram · 11 months ago
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2024-3月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しい��ラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「うた」です◆
今月は参加者の皆様に「うた」のお題でアンビグラムを制作していただいております。歌い詠う詩の数々、ぜひじっくりご覧ください。
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「昭和歌謡」 回転型:きいろいビタ氏
昭和時代に発表された日本のポピュラー楽曲群は昭和歌謡とも呼ばれます。クロス配置により回転型に収まるのですね。レコード盤のレイアウトが素晴らしい逸品です。
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「紅白歌合戦」 図地反転回転型: いとうさとし氏
ひっくり返しても 紅白歌合戦 と読めるタイプのネガポ字(図地反転アンビグラム)です。 字組みを観察すると図と地の領域がとても面白いです。回転関係で「紅/戦」「白/合」「哥/欠」をそれぞれ切り分けています。
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「歌唱」 回転型:lszk氏
ひっくり返しても「歌唱」と読めます。文字に切れ目を入れ「口/欠」が絶妙に表現されています。シンプルかつ的確な対応解釈です。
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「界隈曲」 重畳型:超階乗氏
xxxx氏(伏字にするのが界隈の流儀だそうです)をリスペクトした曲の総称を界隈曲と呼びます。本作は文字組みが横書きに敷き詰められるタイプになります。
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「主題歌/歌謡曲」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
左右鏡像のネガポ字です。「主/曲」「題/謡」「哥/欠」がそれぞれ図地反転の鏡像関係になっています。特に「頁/言」の切り分けが巧みで全体的に読めます。
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「First Love/初恋」  回転共存型:douse氏
宇多田ヒカルの楽曲二つで共存型に。英語を180°回転させると日本語になるバイリンガルなタイプで その文字組みは文句の付け所がない完璧なものです。
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「天城越え」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
石川さゆりの代表曲の一つ。左右鏡像ネガポ字。「天城」の背景領域を鏡に映した像が「越え」になっています。「天/え」のギミックに驚きます。
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「肺貫通低音狂」  鏡像式重畳型:螺旋氏
Adoの楽曲「唱」の歌詞より。漢字一文字一文字のデザインがとにかくかっこいいですね。どの字も納得の可読性です。
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「箱庭のコラル」 回転型:ちくわああ氏
「プロジェクトセカイ」内のユニット「ワンダーランズ×ショウタイム」の楽曲。姫森ルーナ型の面白い構造になっています。
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「Samm Henshaw」 回転型:.38氏
サム・ヘンショウ。イギリスのR&Bシンガー・ソングライターの人名アンビグラムです。CMで楽曲を聞いたことがあるかも。軽妙なグラフィティ調の字形がマッチしています。
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「ウルトラソウル」 旋回型:kawahar氏
B'zの代表曲ですね。kawahar氏が得意とする1文字で7面相の多面相アンビグラムです。「ウ」を回転させて他の文字を組んでいて「ル/ト」部分は鏡像にもなっています。 「ハイ」まで入っているのが粋ですね。
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「Greensleeves」 回転型:海氏
180°回転させても同じように Greensleeves と読めます。Greensleeves(グリーンスリーブス)とはイングランドの有名な民謡です。ステンシル調の「E」の字形処理が技ありで全体的に温かみのあるレタリングが魅力的なアンビグラムです。
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「短歌」 交換式複合型:つーさま!氏
和歌の一形式で五七五七七の五句体の歌体のことですが、近代・現代短歌では五七五七七に限りません。 威風堂々とした対応解釈で このような字体が実際に存在するかのような風格があります。
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「辞世の句」 回転型:ヨウヘイ氏
死を見据えてこの世に書き残す生涯最後の句。和歌の形式が最もよく用いられていたと言います。 アンビグラマビリティ的に難度の高い文字列をとても上手く対応付けていて凄いです。
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「吟遊詩人」  回転型:lszk氏
逆立ち��て見ても 吟遊詩人 と読める回転型アンビグラムです。   余談ですが1980年代 英語のアンビグラムを日本にはじめて紹介した絵本作家の安野光雅氏は「手品師の帽子」という吟遊詩人の冒険小説を書いています。アンビグラム好きな安野氏がもし本作をみたら喜んだでしょう。 本作の対応解釈は「吟/遊言/寺人」で組まれていてモダンな字形が語意にぴったりです。
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「ポエトリーリーディング」 回転型:無限氏
主に詩人が自作の詩を読み上げることを指しますが、広義には詩を朗読するアート形態そのものを指すそうです。本作は 濁点 半濁点 長音符 の処理がとても美しくて 汚れや字余りが無いギミックになっています。
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「優美/屍骸」 交換型:繋氏
「優美な屍骸」は、シュルレアリスムにおける作品の共同制作の手法で、文章・詩・絵画などでおこなわれます。まず語句チョイスが素敵で面白いですね。予想外な即興感が字形からも感じられ趣のあるクールなレタリングになっています。
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「白鳥の歌」  旋回型:Σ氏
白鳥は死の目前でもっとも美しく鳴くというヨーロッパの伝承からの語句チョイスです。「白/の」と「鳥/歌」は90°回転関係にあります。全体的に調和のとれたデザインで 鳥と歌の字形の兼ね合いもすばらしいですね。
最後に私の作品を。
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「恋詩」 旋回型:igatoxin
いきものがかりの楽曲名より。
お題「うた」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。ひらがなの「うた」としたことでイメージも広がって作品の幅も広がっていたと思います。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回の���題は「アニメーション」です。ジブリ、セル画、css、ポップダンス、アイカツ!など 参加者が自由にアニメーションというワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は3/31、発行は4/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
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2024年 1月{フリー}  2月{レトロ} 
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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thedevilsteardrop · 2 years ago
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夜明け
願いを叶えてあげましょう。代わりにあなたはひと月のうちに、私の名前をあててごらん。
寝室から一歩出る。空気が流れたのを肌に感じて玄関に向かった。そうでなければあと三日は自堕落にゴロゴロと寝そべったまま過ごしたところだ。 特にマットも敷いていない木目を晒した玄関先の床。 「よう」 振り向いた表情は上機嫌をわかりやすく描いたような笑み。ドアが閉まるより大きな風圧を立てて上着を脱ぎ捨てる。そっけなかった冷たい床に随分上等な玄関マットが敷かれた。 この部屋に勝手に鍵を開けて入ってくるなんざこの人しかいない。 「何か食べます?」 「くれ。お前が食おうとしてたやつでいい」 「そう?」 まぁ何を食す予定だったわけでもないが。自堕落の気���変わったことにして一度買い物に出掛けることにした。 先に風呂桶を洗って湯を張っておく。玄関マットを踏まないよう床の端を歩いてリビングへ戻るとさっさと服を脱ぎ始めていたその人を抱きかかえて風呂場に放り込んだ。 「いってらっしゃい」 「…。いってくるね」 硝煙のような匂いがする。 それでもこの人はなかなか死なない。
黎。夜。世界の外側へすり抜けてくる。 渡り鳥か蝶に例えやすかろうと思う、やたらと大きな羽織の上着、あれは翅だ。けれど実際どういう人なのか全く知らない。今回初めてというわけでもなく、どういう法則性かもわからん連絡無しの突撃を僕のかましてきてはまた知らん間に去っている。知らん間じゃない時もある。僕の居ない部屋にも実は入り込んでいるのか、そこまでは調べていない。 仮の宿のようなもの、道路の凹凸のようなもの あの人はそこに不意にさし込む夜の闇みたいなもんで けど僕にとってはむしろあちらが、…。 買い物を済ませて帰ると玄関マット上着は玄関先から無くなっていた。出て行ったのかと思ったがリビングにそいつが移動していて、裸に僕の服を羽織っただけの黎さんもそこに居た。 「おかえり」 頷いて抱き上げて膝にのせる 風呂上がりのまま歩き回られちゃ水滴で跡がつく。 手を伸ばしてドライヤーを取ると温風を髪にあてた。 「ひっひ」「大人しくして」 笑って跳ねる身体を片足で囲って支えると余計に笑われた。胸元に頭が当たって服に髪が刺さってくる 乾いても濡れたように光る、くせのつきようも無さそうなほど真っ直ぐな黒髪。 ずっと艶艶していてやめ時がわからん。 ある程度あててから手でわしゃわしゃとかき混ぜたら全体温かかった。まぁいいだろう。 食事を作り始めようと廊下に置いたままにした食材を取りに立ち上がろうとした。 「なぁ」 それを止められた。 「先に」 膝の間に座った黎さんが振り向いて目を合わせてくる すぐさま唇も合わさった。 「……、」僕の前髪を両手で避けられる じっと目を合わせてくる、キスの間も目を閉じたりはしないらしい 艶艶と 煌煌と 髪よりも一層輝く両の目 眩しいな。 誘いに応えるようにして舌を絡めて 身体を隙間無く沿わせるように 両腕と手の平を使って撫でる 胸と胸が重なる、呼吸するたびにほどよく息苦しくて息が上がる 細い脚が僕の腰にがっちり纏わり付いてきた 「……    」 体温も匂いも どちらのものかわからなくなる。
一通り終わって黎さんに彼の吐いたゲロを片付けてもらいつつ、傍らで食事の準備を始めた。 「お前もなかなか据わってる」だの言いながら上機嫌を崩さない彼は案外きちんと清掃作業を済ませてくれる。 僕ののんびりしたヤり方でどういう理屈でああなるのかわからないが、あの人は絶頂するとなると酷く痙攣に任せたような激しい呼吸と哄笑で狂ったように暴れてはその衝撃で胃液を吐き散らかす。珍しいことではなかった。都度ぶん殴られるか引っかかれるか、すわ食いちぎられそうになるのをどうにかやり過ごしてことを終えている。別パターンもある。そんなバリエーションいらねえんだがな。 「服の替え、選んで着てください」 「はいよ」 これも毎度ながら、片付ける間は全裸だ。まぁ汚れたら面倒って合理的な話。 あの反応でも悦いのは事実らしい。ちょっと楽しくなってくるほどに派手な反応で、やることなすこと。あんなけ見事に返してくれたら、嬉しみもあろうってものだ。 「できましたよ」 簡単に作ったサラダやソテーをテーブルに置いた。寝室から出てこない黎さんを呼びに行く。 こっからまた抱き合うことになるかどうかはその時の気分次第だろう。今回は、どうだかな。
黎さんと知り合ったのは 某所のオープニングセレモニーだったか。 知り合ったと言うほど正攻法でも無かった。 会場から抜け出すあの人の誘いに乗った。口実は随分と堂に入った彼の仮病、もしかしたら本当のことだったのかもしれない。車に乗せてそのままその日使っていた部屋の一つに連れ帰った。 まるきり穏やかな日常を数日間かそこら、共にした気がする 今でこそ会う度にやることヤってはゲロったりグロったりしてくあの人だけどそん時はまだそうでもなかった。至って真っ当に初対面で、それなりに円満だった。一般的には初対面で自宅まで車に同乗しすぐさま口付けて抱きしめあって寝るなんざ実現を疑われる行為らしい、と 僕の方は一応知っている、けれど数えるほどの例外も知っていた。初対面で刺されて拘束されて恋人になってくださいと言われても僕は了承しただろう。色んなことに対して、断るほどの理由を思いつかないから。 黎さんと過ごしたその期間は 随分久しぶりの感じだった、アホみてえに体調がよくなるほど、休息と補給を繰り返したのが その間 自分の呼吸を教えるみたいな巧みなキスを何度もされた いい匂いに、抱きすくめるには丁度いい体格 一人で住んでたら得られない快適な空間があの人のせいで出来上がって心底うんざりした それが嫌なのか、自分でもよくわからないけど 穏やかさってのは不穏を感じる 大抵の他人も物も安定したらぐらつき出すんだから。
最初の夜 ソファで寝そべって背に腕を回してやわくくっついたまま寝物語を聞かせた、Tom Tit Tot 悪魔の名当て
おやおや美しいお妃様。どうして泣いているの��しょう?
……話し始めたのは 名前を聞かれた時だった、「別に本名を言えってわけじゃない、呼ぶ言葉がほしかっただけだ」と彼に言われて 被せて僕が訊いて 彼も聞き返したので、寓話と違いそこには悪魔ばかり二人居た
悪魔は言う なんだそんなことですか、アサで金を紡ぐくらい 私が力になりましょう。 毎朝アサを渡してくれれば、夜には金の糸にして きっかり五かせ、さしあげましょう
「その代わり ひと月のうちに、私の名前をあててごらん」
お妃は、それを聞いてこう思いました 「ひと月もあれば、当てられるだろう」と
妃が頷いて応えると、 悪魔はアサを受け取って うれしそうに微笑みました
「もしも名前がわからなかったら、私がお前の命をもらうぞ」
……
さてひと月後、いやそんなにも経って居なかったあたりでまた現れたその人はあっさり僕の名前を呼んだ。 あろうことか連れて行ったのとは別の家にだ、どうやってだか押しかけて、鍵を勝手に開けて窓から入ってきた。面白すぎて笑いながら抱き上げて汚ったねえ服を剥いで風呂場に放り込んだのを覚えている。 以来名前で呼ばれるかと思いきや、他の呼び方をされることも多い。その中で悪意を感じたことはない。 悪意、か どうだろう、呪いかもしれない 名で縛るというのは。 悪魔も名前を当てられれば人に良いように使われて仕舞い、名当ての寓話は古今東西いくつも散らばっている どれも名付けの持つ一側面を如実に描き出している ならそうして 僕を捉える彼が、ひょっとして拠り所にでもなるだろうか 他にどんなでも縛られること、捕らえて置いて固められるあてが、あったためしもないのに、 いつまた来るかわからない 二度と来ないかもわからない 彼に、縛られるだって? それをしないために いくつも別の名を呼びかけてくれる? よほど拠り所の無さそうなのは彼の方だと、思う、のだろう。きっと誰もが。知り得もしないが
それからも黎さんは僕に会いに来た。
「普段と違った香りを纏わせておられる」 指摘された方を視線を上げて見る ここに居ない人のことで考え込みすぎた ボックス型に置かれたソファの隣席に座る相手へ笑顔で応える 「お嫌ですか?」 「いや。香水かな」 「何の香りだと思います」 相手が何事か答えるのを聞くとも無しに聞いて曖昧に濁す 吹き抜けの天井に螺旋した大階段 透明なエレベータ 大窓から降り注ぐ外光 ホテルの設計を頼まれた時にはよくよく使い倒すモチーフだ。そこかしこに植物を配置する隙を作って彩りを足す、実際にはほとんど色など無い空間なのに陽の光が全ての色を射し込んでくる 香りと称される体臭は黎さんが来た時の残り香かなにかだろう もう一週間ほどは風呂に入っていない、けどここらじゃそのくらいよくある話だ。毎日のようにふんだんな水を使って身を清めるなぞよほど条件を満たした河川のある地域に限られる 流れが速く、澱みを留めおかない 澄んだ河川。水辺に清めの機屋などたてる無臭の国 日本はそこまで水が豊富でもないのに、土建で工夫をしている。建築技術は生命活動から苦痛を遠ざける 次はどの家で住むのだったか、鍵を無くしてしまった スリに盗られたわけでもなく予定の飛行機から変更になって行き先が変わったからだ すぐに使えない物を持ち歩くのが苦手だった。鍵を捨てたくらいでどうなるわけでもない。 「今夜はどちらへ?」 「夜には日本へ。ここからすぐ飛行場に移動します」 「おや、残念 早いお帰りだ」 なにやら親交を深める目的の誘いを夜から昼に変更してあつらえようと提案されている、それを受けて場所を変える 断るほどのものでもない 「では車を手配しましたので、行きましょう」 はいはい。
荷物の中に紛れ込んだ知らない物も 空港まで付いてきた知らない者も マスターキーの管理がなってないホテルも 土地の境目が 全て取り払う口実をくれる、境界というのはありがたい そうでなきゃ余計なものがどこまでもくっついて いつしかこの身から抉らねば切り離せなくなったりして 癒着 痛えのも重てえのも抱えきらんよ あがいてはしんと静まった何も無い空間に逃げ出す、それが牢獄であろうと
だから偶然だった、そこに居たのは。 疲れて帰国して適当に決めた部屋。さすがに誰にも予測され得ない偶然のはずが、あの人は当然のようにふらりと入ってきた シャワーの水音も湿った浴室も カーテンのさざめきも床の軋む音も全て 一段落付いて過ぎ去った後の室内で、また一通りそれが騒いで シャツ一枚羽織った黎さんは寝室まで来ると髪が少し乾ききらずにいる僕の頭を両手で撫でた 「出迎えは無しか。寂しいね」 ちゃんと構って良い子だ、と 全く違う音を拾う 僕が居ない部屋にもあたら闖入しているのかと、けど。起き上がってこちらからも触れようと手を伸ばしたら黎さんはその手を取って身体に巻き付かせた。誘導されるがまま腰を抱く 膝に座り込んだ彼が振り返って性急に深く口付けられる、別個の存在が居るという安堵が刺激に上塗りされて 「……――、」唾液の音が響く 腹の底で灯がともるように芯が熱くなる、ここまで急に急き立てられたのは初めてのことかもしれない 荒くなった呼吸で鼻腔に吸い込んだ息 くらりと酩酊するような錯覚がする 彼の匂いが、洗い流しても確かに残っていた。それにまた安らいで また刺激がくる 股ぐらに居座った彼の腰を抱く手が、上から押さえられたまま動かせずに、服を捲り上げてむき出しになった下半身が卑猥にくねって僕の下肢を撫でてくる 僕が手を離さずに居たら彼は上から押さえるのをやめて、後ろ手に僕のズボンをくつろげてきた 「そのまましてみろ」 「……、そのまま?」 口付けを離してそれだけ言うと黎さんはベッドに両手をついた すり、と尻でそれを撫でられて抱えた腰を見下ろす 先端がもう当たって今にも入りそうな、このまま、後ろから? 慎重に手で抱えて腰を進めてみる 伏せたままの彼の背が一瞬跳ねた。両手がシーツを握り込んで皺を作る 指先で皮膚がうっすら汗ばんだ気がした 「…――は、」息を どうにか吐いて、肉を割入っていく ならしもせずに入れることなんざ無い、この時ばかりしか きついな どれだけしつこく焦らして解かしてきたかを少し思い出した これじゃ口付けることもままならないし 表情も うかがいづらい 「――――、」 このまま、というのが 体勢も全部なら、一方的に揺さぶって出して終われってことだろうか、全部お前の好きにされたいだとか擬似的な支配を好むやり方も要求されたことはある、誰しも知り得ない、愉しいのは大事なことだけど 喘ぐ声も身を捩る動作も、吐き散らかすことも無い 「……黎さん」 名前 を 思わず、呼んだ。 僕はまだ呼びかけたことが無かったかもしれない 無かったかも しれない、 全部入れてから腕を腰に回して背中から抱きしめる じっと まだ、中で馴染むまではさすがに、きつい 顔を伏せた顔に近づけて息を訊いた、 固く丸められた背と両手 食い込みそうな指を解すように片手ずつ、温めて握って
「………… やめろ」
僕が何か言う前に、黎さんがそう言った。すぐに手を離して上体を起こす 「……」 蹴り飛ばされることも考えたけど引き抜いて距離を取るまで黎さんは大人しかった。傷めるような何も覚えはないけれど一通り見て聞いて確かめておく。触れることはしなかった。特にこの後すべき処置も無さそうで、それならまぁ、ここはこの人に預けて外にでも出ようか。さっさと自分で扱いて出して ティッシュで手を拭う 咽のつかえが取れたようにほっとしてしまった 用が済んだような 「真澄」 もう離れていた意識��引き戻される 立ち上がりかけていた脚が折れてもう一度ベッドに沈む 頬を両手で包ん��、口付けられた 甘やかすように 「……悪かった」 暗い寝室にその影も捉えられないまま布団を被せられて、止まる ふと片手でそれをずらした時には黎さんは居なかった 布団だと思ったそれはあの人がいつも羽織っている上着だった。
まだあの人は僕を捨ててはくれないらしい。
#ss
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team-ginga · 5 years ago
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映画『二重螺旋の恋人』
 今日は疲れ切っているので何もしないでおこうと思ったのですが、結局Wowowオンデマンドでフランソワ・オゾン監督の『二重螺旋の恋人』(原題 L'Amant double、2017)を見ました。
 フランソワ・オゾンの映画は結構見ているはずで、えーっと何を見たっけ、『まぼろし』(2000)、『8人の女たち』(2002)、『スイミングプール』(2003)、『ふたりの五つの分かれ道』(2004)、『危険なプロット』(2012)、『17歳』(2013)あたりは見ていると思いますが、いい意味でも悪い意味でも作風が定まらないというのかな、見るたびに違うタイプの映画を撮っている監督です。
 この『二重螺旋の恋人』も「エロチックサスペンス」に分類されているようで、「エロチック」はないだろうと思うのですが、まあそう言われても仕方のない(?)ような映画です。
 ヒロインのクロエを演じるのはマリーヌ・ヴァクトーー『17歳』の主演女優なんですね。『17歳』ではベロベロ脱いでいましたが、この映画でも脱ぎまくっています。ただ、それが性的興奮をそそるかというとちょっと違うような気もします。
 クロエは精神的に不安定で下腹に違和感があり、精神分析にかかっていますが、次第に分析医のポール(ジェレミー・レニエ)と愛し合うようになり、同棲生活を始めます。精神分析の「常識」から言うと、これは絶対にしてはいけないことのはずですが、まあそれは問いますまい。
 ある日、クロエはポールがいるはずのない場所にいるのを見てしまいます。改めてその場所を訪れると、精神分析医の診療所があります。クロエは予約を入れて分析医に会いにいきます。
 分析医のルイはポールと同じ顔をしています。彼は自分はポールの双子の兄だが、ポールは双子の兄弟がいることを否認していると言います。
 クロエはポールには何も言わず、診療所に通いルイと肉体関係を持つようになります。そして、ポールと違って荒々しい強姦まがいのセックスをするルイに惹かれていき、ポールとセックスをしているところにルイがやってきて、3人でセックスをするという幻想(妄想?)にとらわれたりもします。
 双子の兄弟のことをなぜポールに尋ねないのかという疑問がないではないですが、まあこの辺りは悪くはありません。
 ここから予想される展開はいくつかあります。もちろんポールとルイは本当に双子であるというのもアリですし、ポールは二重人格だというのもアリですし、何らかの理由で一人二役を演じているというのもアリです。また、一切はクロエの妄想で、ルイなどという分析医は存在しないというのもアリです。
 なかなかワクワクする展開ですよね。
[以下ネタバレを含みます。ご注意を]
 クロエは妊娠します。それを機にクロエはルイと別れようとしますが、ルイは彼女を離そうとしません。クロエの誕生日にポールがクロエの職場にやってきて、ふたりは昼食に出かけます。ポールはレストランでクロエに熱烈なキスをしますが、その仕方からクロエはキスの相手がポールではなく、ルイだと気づき逃げ出します。
 ルイは自分の存在をなかっったことにしているポールのことを憎んでいるようで、「ポールに高校の同級生のサンドラのことを聞いてみろ」と言います。
 サンドラの住���を調べたクロエは彼女の家を訪れます。サンドラの母親(ジャクリーヌ・ビセット!)はサンドラはポールと付き合っていたが、ある日ルイがポールのふりをしてサンドラを連れ出し強姦した、サンドラは絶望してピストル自殺をはかり、今では廃人になっていると言います。
 クロエはルイを殺すためピストルを持って診療所に行きます。ルイは「お客さんがいるんだ」と言って奥のドアを開けます。そこに立っているのはポールです。
 混乱したクロエはどちらがルイでどちらがポールかわからぬままピストルを撃ちます。その瞬間、クロエのお腹が急に大きくなり、肌が裂け、中から赤ん坊が手を出します(この辺りホラー映画かと思いました。クローネンバーグあたりが撮りそうな感じです。実際クローネンバーグは双子の映画『旋律の絆』を撮っていますし)。
 クロエは病院に運ばれ緊急手術を受けます。クロエの母親がやってきます。なんとジャクリーヌ・ビセットが二役で演じています。
 病院の医師はクロエは妊娠しておらず、ただ体内に双子の残滓があったので取り除いたと言います。
 クロエは母親の体内にいるときには双子だったのですが、双子の姉だか妹だかはクロエの体に吸収されてしまったというわけです。
 えーっとつまり……ポールに双子の兄がいるというのはクロエの妄想で、なぜそういう妄想を持ったかというと、クロエ自身が双子だったからというわけです。
 うーん……
 かなりアクロバティックなことをしていますが、いろいろ無理がありませんか。
 双子の残滓と妊娠を取り違える医者がいるのでしょうか。それに、ルイがクロエの妄想の産物だったというのはともかく、サンドラやサンドラの母親までもが妄想だったというのは、いかがなものでしょう。
 そしてそんな無理をした結果が、全部クロエの妄想でしたというのは、あまりといえばあまりな話です。そんなの想定内もいいところですから。
 全てのことに合理的な説明がある必要はないと、もちろん私も思います。でも、この手の映画はーーこの手の映画だからこそーーあっと驚く合理的な説明が必要だったのではないかという気がします。
 ラストはクロエとポールがセックスをしているところに、もうひとりのクロエーー彼女の双子の姉妹ーーが現れるというものですが、それだって「ありがち」な……というか容易に推測できるラストです。
 途中ワクワクしただけに、ちょっとがっかりさせられた映画でした。もうちょっとこっちの予想を裏切ってくれよというのが、私の率直な思いでした。
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 新作『メフィスト』1年間ロングラン中!
 次回は2月28日(金曜)、次々回は3月27日(金曜)。
 会場は大阪・新町のイサオビルRegalo Gallery & Theater(イサオビル2階ホール)、19時開場、19時半開演です。
https://www.facebook.com/events/403902366903274/
 みなさまのご予約・ご来場をお待ちしております。
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grossprinzessin · 6 years ago
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[ヘンデル『アルチーナ』を観る]
チェチーリア・バルトリが今年、聖霊降誕祭のフェスティヴァルから夏の音楽祭にかけて取り組んだオペラプロジェクトは、ヘンデルの『アルチーナ』である。演奏時間が軽く4時間を超え、ストーリーも複雑なバロックオペラ。それでも、ここ10年余りの間に日本でも時々取り上げられるようになってきた。この『アルチーナ』も、2018年に二期会ニューウェーブオペラが取り上げていて、なかなか聴きごたえのある演奏を聴かせてくれた。『アルチーナ』や『アリオダンテ』のタイトルを聞くと、ここ数年間に、日本、ヨーロッパを含めて複数回、観た記憶が蘇る。バロックオペラは、歌手はもちろん、制作側にとってもなかなかタフなプロジェクトになるということを思えば、こうして積極的に上演されている事実だけで、もうたいへんに素晴らしいことだと思う。
指揮はジャンルーカ・カプアーノ、ピットに入ったのはル・ムジシャン・デュ・プリンス・モナコ(「モナコ公の音楽家たち」)。バルトリのオペラ公演にとって今や欠かせなくなった、ピリオド演奏楽団である。
タイトルロールをバルトリ。ルッジェーロをカウンターテナーのフィリップ・ジャルスキー、モルガーナがサンドリーヌ・ピオー、ブラダマンテがクリスティーナ・ハンマシュトレム、オロンテがクリストフ・シュトレール、メリッソをアラステア・マイルズ、オベルトをウィーン少年合唱団のシーン・パク。
オリジナルでは男性役にカストラートを当てていたために、大抵はソプラノが男役を歌うことになるヘンデルオペラ���今回は、ジャルスキーという天才的カウンターテナーが入るという、何ともラッキーな配役だった。恋人同士がソプラノ×ソプラノだと、一番起こりうる可能性として、少女漫画か宝塚歌劇のような美麗なカップルになるか、あるいは、演出がコスチュームプレイを採用せず、いまどきよくある、登場人物全員ジーンズにTシャツ系に仕上げている場合は、ストーリーを知っていても観ているうちに劇中の人間関係が著しく混乱する。ジャルスキーの歌が素晴らしいのはもう前提だが、ヴィジュアル的にも最高のバランスだったと思う。
そして、もうひとつ配役の点でいうと、長いアリアが3つもある子役のオベルトもまた、実際には女性ソプラノが歌うことも多いが、劇中では父を探しあぐねる健気な少年という役回りである。ここにボーイソプラノが入るのも、ウィーン少年合唱団を駆り出すことのできるオーストリアの音楽祭の贅沢さだと思う。今回の『アルチーナ』公演では、二人の団員が交代で歌っているようだ。
『アルチーナ』は、ヘンデルの真骨頂ともいえる超絶技巧の長大なアリアがこれでもかというくらいたくさん詰まった作品である。女声パートだけでなく、バスとテノールにも、喉を回して歌うアリアがあって、バロックを歌いなれていない歌手が配されると何とも居心地の悪いことになる。登場人物も多いので、全員の歌唱レベルがぴたりと揃わないことも多いが、今回の配役は、この点のばらつきがほとんどないのが素晴らしかった。実際には、主役の魔女アルチーナよりも、魔女に誘惑されたルッジェーロ、それを連れ戻しにきた婚約者ブラダマンテ、そして、男性を装って魔女の宮殿に忍んできたブラマンテに恋してしまうアルチーナの妹、モルガーナ、この三人の歌の出番が圧倒的に多い。高音パートの歌合戦のようになるなか、ジャルスキーはもちろん、ピオーとハンマシュトレムも優劣つけがたいくらい上手で、音程を螺旋階段のように昇降しながら延々と続くアリアを、苦労の跡すらも見せずやすやすと歌いきって、本当に見事だった。
そして、アンサンブルも本当に素晴らしい。カプアーノはチェンバロでレシタティーヴォをとりながら丁寧に音楽を作り上げていく。とりわけ、通奏低音、チェロやバイオリンなど指揮者から近い楽器だけのパートの時は指揮棒を持たず手だけで、他方、舞台側の楽器も含めて総奏に近くなる時は短い指揮棒をシャープに振っていたのが印象的だった。これはピット内での指示の見え方を考えてのことだと思う。
演出はダミアーノ・ミキエレット。とにかく演出のやりすぎが多いザルツブルク、ミキエレットの舞台もコテコテのバロックとはほど遠い。まず、二面に仕立てた回転舞台の中央に半透明の壁を設置し、背後を透かしたりマッピングプロジェクションを写し込んだり自在に使っていた。この仕掛けと、そして、舞台左手に置かれた魔法感たっぷりの不思議なミラー(ステージと舞台裏を行き来する入り口でもある)。これが装置のメインで、そのほかはあまりいろんなモチーフや小道具を詰め込んでいないのが好感が持てた。
とにかくバルトリが自身で企画を立てて作り上げるオペラプロジェクト。昨年は得意のロッシーニで聴かせたが、ヘンデルもモーツァルトと並んで完全に彼女のレパートリーのうちである。さすが、と思ったのは、テンポの速い超絶技巧系のアリアと、しっとりと情感に満ちた切ないアリアの歌いわけ。特に、魔法が効かなくなったことに激ギレしたあとの2幕終わりのアリアなど、抑制をかけつつ本当に美しい発声で、ただただ聴き入った。
バロックオペラなので、とにかく歌手の技巧も聴きたいところだが、バルトリのアプローチは少し違っていて、喉を回してみごとな歌唱テクニックを誇示するというよりは、アルチーナという魔女をひとりの女性として、キャラクターをつけて感情を込めて歌っていく方に重点を置いているようだ。どちらが好きかは好みの問題だと思うが、しかし、毎年オペラを企画からじっくり作り上げているバルトリ、ひとつの世界観のようなものが歌に投影されていて、もはや好き嫌いだけで単純に判断できるレベルではないと感じた。
ラスト、アルチーナの魔法がひとつひとつ解けていき、彼女の存在そのものがもはや意味を持たなくなっていく。最後に魔法を打ち消す決定打はルッジェーロ。ミキエレットはラスト、ルッジェーロに斧を持たせてあの魔法ミラーを叩き割らせる。鏡が割れると同時に、上方からキラキラと輝くガラスの大きなかけらがたくさん、ゆっくりと降りてきて、それが光を反射して、カーテンコールまでとても美しかった。
そして、魔法が解けるとき、最後のアリアを歌いながら、アルチーナが老婆に変身する演出は、何とも凄みがあった。今回の舞台では、男を誘惑する魔女アルチーナに、冒頭からずっと、影のように白髪の老女がつきまとっていたが、終幕では結局、アルチーナ自身がこの老婆になっていくのだ。歌いながら、客席側に背中を向けるたびにメイクで顔を汚すバルトリ、最後は黒髪まで両手で引き抜いていく。即座に四谷怪談の「髪梳き」の場面の既視感が浮かぶほどグロテスクだったが、魔女アルチーナとは結局、200歳くらいの古い生霊のようなものだったのかと、何となく怪談じみたオチがつくのは、それはそれで悪くないと思った。
 ザルツブルクでネトレプコと人気を二分する歌姫バルトリ。息絶えたアルチーナが舞台から下がってから終幕まで、大団円のシーンを挟んで少し時間があるので、カーテンコールでは絶対この汚しメイクと引き抜いた禿頭をなおして、美しい姿で登場するのかと思いきや、この、死んだというよりは抜け殻になった老魔女の姿で、上から一枚真紅のガウンを羽織っただけでそのまま現れた。もう見た目すごい変なんだけど、嵐のようなブラヴォーが飛ぶなか、すべてのアーチストを労いつつ、満面の笑顔のバルトリが、ひたすら眩しく見えた。
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taizooo · 6 years ago
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ミクロとマクロ、主観と客観が二重螺旋をなしている
『私の恋人』(新潮社) - 著者:上田 岳弘 - 島田 雅彦による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
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okayuneco · 6 years ago
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同じ顔の男と猫
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 たまたまですが、「同じ顔の二人の男」の間で揺れる女性と猫が出てくる映画が続いたので一緒に感想を。
 まずはフランソワ・オゾン監督「二重螺旋の恋人」から���冒頭からまさかの〇〇のアップで度肝を抜かれ、これはラブストーリーなのか?ミステリーなのか?螺旋階段のように頭の中がぐるぐると・・・。
 最近わりと上品にまとまっているように見えたオゾン監督ですが、初期の不穏さとグロさを彷彿とさせるオゾン版「ローズマリーの赤ちゃん」という感じ。性描写も多めで、はじめは少年のようだったマリーヌ・ヴァクト演じるクロエにも次第に変化が。クロエの仕事場でもある美術館の作品と、彼女の内面がどんどんリンクしていく構造が面白かったです。
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 次は「寝ても覚めても」です。こちらは双子ではないけれど、同じ顔をした男性に恋をする女性・朝子が主人公。はじめは少女漫画みたいだな〜と思って観ていたら、ぼんやり流されているように見えた朝子が覚醒、そして暴走!
 ネコ好きにとってはハラハラさせられる展開を経て、ラストの淀川のシーンは「清濁合わせのみつつ流れていくのが人生だ」と言っているかのようでとてもよかったです。そういえば、出番は少ないけれど仲本工事がいい味出してました。
 朝子が飼っている猫の「ジンタン」がとっても可愛いので、そこにも注目!エンドロールをチェックしたら「八の字」ちゃんという名前らしい。(額に八の字の模様があるからかな?)
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 ちょっとうちのおかゆ嬢にも似てるんですよ。(おかゆは八の字じゃなくておかっぱだけど)猫のマットは最近買ったお気に入りです。不機嫌なときの顔にそっくり。
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565062604540 · 3 years ago
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☆ヨンナ視点  少し焦っていた。  それゆえ、道太を置いて先に帰ってきた。  錆びの浮いた鉄製の階段を上って、右側の部屋。塗装の剥げた古い木製の扉を開いて中に入る。  部屋のモードをチェンジ。  広々として居間に入って、スマホと似たデザインの通信機を取り出して、画面をタップする。  すぐに相手が出た。 『はーい、おーヨンナ、元気かー』  脳天気な声の十代後半の少女。褐色の皮膚に黒い髪。大きくつぶらな瞳は、どこか東南アジアあたりのエキゾチックな雰囲気が漂っている。 「おひさしぶりです、ダオさん」 『どしたのー、なんか緊急事態?』  ノリこそは軽いが、これでも私の上司だ。 「緊急といえば緊急です」 『穏やかじゃないね』 「まず報告です。今日、こちらにて治癒の力を使いました。データ上がってますか?」 『んー、どれどれ。お、来てるね。……矢部光祐? だれこれ』 「三森道太の同級生です。妹をバカにされて、道太は暴力を振るいました。かなりの程度で。そのままでは、道太の運命がねじ曲がるのは確定的だと思いましたので、私の独断で治療しました」 『……いまざっと調べたけど、矢部光祐って子はどの世界線でも、��ぼふつうに結婚して、子供を4人作ってそこそこ長生きしてる。中学のころに、そういう事件があったっていう世界線はないね』 「そうですか……」 『ま、治療の件は、それくらいなら大したことないっしょ。ほかには?』 「そちらで、なにか干渉してませんか?」 『干渉? 運命に介入するアレ?』 「ええ」  天界に連絡できることは、道太には話していない。話したところで気にするタイプではないとは思うが、いちおう、ルール上そうなっている。  いまのところ、胸騒ぎ、というレベルでしかない。道太にはああ言ったが、妹の衣紬が、兄である道太に恋をしていることは確実だ。過去データを参照すると、確かに道太は小さなころから妹をたいせつにしてきたし、衣紬も道太を頼りとしていた。  あの事故で衣紬が死ななかった世界線は存在していない。どういう経過をたどっても、あの日、衣紬は卓球用品の専門店に行き、そこで事故にあう。いま衣紬が生きているのは、道太がイレギュラーな存在だからだ。この世界は、今後、どうなっていくかわからない。  そして道太の今日の事件。道太については、私は詳細なデータを持っている。どの可能性を探っても、道太はああいうことをする人間ではない。  不自然なことがひとつだけなら、たぶん偶然。しかし二つ重なったら、偶然でかたづけるのは楽天的すぎる。 『いんや、してないねえ。気になることでも?』 「……この世界で起きていることのすべてが、道太と衣紬を結びつけようとしているように思えます」 『兄妹だよね?』 「ええ、兄妹です」 『ふんみゅー……』  緊張感のカケラもないまぬけなセリフだが、顔は真剣である。 「あの、まさかとは思いますけど」 『なんにゃ?』 「クラックされてませんか」 『クラックって、悪魔からの?』 「ええ。この世界は、道太という異物を抱え込んでしまったために、ただでさ���歪みが発生しやすくなっています。悪魔としては、願ってもない条件だと思うんですが……」 『ちょっと待ってて』  画面からダオさんが消える。  気分を落ち着けるために、コーヒーでもいれよう。  道太が好きなエスプレッソを作り、低温殺菌の牛乳で割る。私には少し高いキッチンカウンターにもたれて飲みつつ考える。  道太と衣紬が恋人どうしとして結ばれた場合、二人が幸せになるのは難しい。その場合、世界のほうが道連れになる可能性が出てくる。それこそバタフライ効果だ。ただ一緒にいたい、結ばれたいというその願いが、螺旋を描くように社会に影響を与えていく。そのはてになにがあるかは、この世界が枝分かれしたばかりである以上、だれにもわからない。  しかし、あまりいい想像はできない。  どうしたものか。ぬるいカフェラテをちびちび飲んでいると、スマホから声がした。 『おーい、ヨナすけー』  スマホを手に取って、画面を睨みつけた。 「その���びかた、やめてくださいって言いましたよね」 『だっけかー。えーとね、クラックの件だけど、明確ではないけど、痕跡っぽいのあった』 「本当ですか……?」 『いや、ただね、その世界、枝分かれしてまだそんなに経ってないでしょ? 悪魔がちょっかい出したはいいけど、復元力につぶされて修正されかかってる状態かな』  復元力というのは、あるべき世界に進もうとする世界のベクトルのことだ。1983年5月28日をもって、この世界は枝分かれしたが、かといって、それですべてが変化するわけでもない。あくまで世界は、もとの世界の歴史に沿おうとする。それが復元力だ。 「……不安です。天界のほうで介入できませんか?」 『優秀なヨナすけがバカなこと言わないの。枝分かれしたばっかの世界に介入なんてしたら、どんな反動があるかわかったもんじゃないでしょ。復元力が暴走したあとに、ヨナすけ、責任とれるの?』 「それは、そうですが……」 『つーかさ、別に天界がどかーんって介入しなくても、そんなん簡単じゃない』  気楽そうにダオさんが言う。  もともと道太と衣紬は仲がいいのだ。それを悪魔が助長させている状況のどこが簡単だというのか。 『だからさー、要は、三森道太か、三森衣紬、どっちか、あるいは両方がほかの恋をすればいい。それだけじゃない?』 「理屈では……そうですが……」 『そんで、そこにはヨナすけがいる。監視員としてね。ヨナすけ、なんのためにその姿してるのさ』 「それは……三森道太に受け入れられやすくするため……ですが」 『はい答え出たねー。じょーしめーれー! ヨナすけは、三森道太を籠絡して、ヨナすけのことだーいすきにさせちゃうこと!』 「……はあ!? ちょ、ちょっと待ってください!」 『えー。監視対象になるくらいだから、もともとそんな相性は悪くないでしょ? それに、どんなに長くたって100年程度じゃん』 「それは、まあ……」  天使にとっての100年は、そんなに長い期間というわけでもない。人間でいうなら、1ヶ月程度の感覚だ。 『ま、どうしてもヨナすけがいやなら、ほかの天使を送るからさ。いちおー考えてみてよ』 「諒解しました」  ぷつんと、画面が暗くなって、通話が終わる。  広い部屋に、私だけが残される。  カフェラテを取りに行って、ソファに座る。  なんとなくスマホを取って、インカメで自分を映す。  地球でいうところの北欧系の顔立ち。12歳という年齢もあって、あどけなさと可憐さが同居している。外見は、武器だ。そして私の武器はなかなか優秀だ。  天使としての私の姿は、確かにこれと同じだ。けれど、道太と面談するにあたって、12歳程度の姿に変化させていた。道太は、その年齢に執着があることがわかっていたからだ。監視員としていつも身近にいられる同年代であることも大きい。 「道太を、籠絡……」  どうやるんだろう。  さりげなく露出を増やす?  身体接触を増やす?  方法は、いくつも思いつく。中1の肉体になって性欲が亢進しているとも言っていた。この姿なら、道太の理性を溶かすことはあまり難しくないことのように思える。  ただ、それをしたときに、道太は私のことをどう思うだろう。  道太は、自分の前世を『クズみたいな人生だった』と卑下するが、そうではないことを私は知っている。縁の下の力持ちとして働きつづけた30年、道太に助けられた人はたくさんいる。感謝している人だって少なくない。ただ、道太はそれを受け取る方法を知らなかっただけだ。  妹が死んだ事実は、道太にとってあまりに大きかった。自分という存在を無価値だと思い込むほどに。  そんな道太は、きっと、どんな演技をして隠しても感づく。だれの好意も受け入れなかった道太だからこそ、ニセモノには鋭敏だ。そしてきっと、さびしそうに笑ってこう言うのだ。 『信用してたんだけどな』  想像すると、ぎゅっと、胸が痛む。 「ダオさん……100年は、短くないですよ……」  黒いスマホの画面に語りかける。  人の体は、こんなにも不自由だ。さまざまなホルモンが体内を駆け巡って、私の気持ちを乱す。 「どうしよ……」  カップをテーブルに置いて、私はソファにごろんと横になって目を閉じた。眠りが訪れてしまえばいい。そう願いながら。 ☆主人公視点  現在、自宅のドアの前にいます。  もう深呼吸を30回くらいした。なんかよくわかんない虫が俺のまわりを飛んでて鬱陶しい。 「すー、はー」  もう一度深呼吸だ。  ヨンナの仮説が正しいのだとしたら、衣紬の態度の急変は、俺を意識してしまって、どう接していいかわからなくなってしまったから、ということになるだろう。いたずらな恋の天使が放った矢は、ちっちゃな衣紬のハートを射抜いて、衣紬をきゅんきゅんさせてしまった。どうしよう。お兄ちゃんが好き。こんなのいけないのに。でも、好き。結婚したい。  自分の気持ち悪さに砂吐きそう。結婚ってなんだよ。どこから出てきたんだよ。つーかナマ天使、どうにかしろよ。どうせ自分の部屋で優雅にカフェラテでも飲んでんだろ俺にもエスプレッソ飲ませろこんちくしょう。ちなみにもう芹ヶ谷のことなんて完全に忘れてる。  そもそも俺が衣紬のことを妹以外のものと認識できなければ、もっと話は簡単なのだ。  想像してみてほしい。あなたの、衣紬ほどではないがそこそこかわいい妹が、ある日とつぜんあなたに恋をする。デートもしちゃう。お兄ちゃんの服装の好みとかリサーチして、ふだん着慣れないちょっと背伸びした服とか着て『ど、どうかな……♡』などと言い出す。どうだ。とまどうだろう。人によっては、こんなにかわいい妹が女の子のはずはない、きっとこれは弟だとか言い出すかもしれない。  なんの話だかわからなくなった。  40年の歳月というものが、衣紬との距離感をわからなくさせてしまっている。一緒に過ごしている時間が長い相手ほど、年齢差の感覚も摩耗していく。母さんも衣紬も、俺のことを中学に入ったばかりの人間として扱う。俺はそれに適応すべく振る舞う。もちろん��族として。  けれど俺には、衣紬が、運命的に出会ったかわいい女の子に見えてしまうのだ。それが、妹であるという認識と合致しない。  考えてみれば、ニチイの前で衣紬が言った『衣紬が恋人の代わりになる』というセリフ、衣紬は無自覚だったかもしれないが、けっこう本気だったということになる。  もし次、衣紬に本気で告白されたら、俺は拒絶できるだろうか。 「……よし。もう一度だ」  すー、はー。深呼吸をする。  ドアが開いて、俺の顔面をぶっ叩いた。 「ブッボァ」 「お、お兄ちゃん!?」 「今世紀……最大の痛み……」 「ご、ごめんなさいお兄ちゃぁぁん!!」  なんだかよくわからないが、衣紬が話しかけてくれた。  よかった。  まだなんも解決してねえ。
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eiganokiroku · 4 years ago
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二重螺旋の恋人
フランソワオゾンの映画でこれまで好きじゃなかった作品があったでしょうか。ないです。
ところで今年の(2021)夏、オゾン氏の最新作が公開される予定じゃないですか!楽しみ〜もぱっら最近の生きる希望。 でも生きる希望と言ったらオゾンだけじゃなくて、ツシマも映画化、ランティモスの最新作も絶賛製作中、イコライザー3(希望です)とかとかめちゃあるね、映画偉大。
後半パートの感情の起伏加減とラストの描写はまじで気持ち悪くて(辻褄的につまるところオゾン的にということなんだけど)最高に面白くて最高に解釈割れる映画だったな。 どんな解釈した?
マリーヌヴァクトの裸体が綺麗すぎて痩せようと心に決めた
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shakuhachi-kataha · 5 years ago
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ミニ講座 第14回 「ぼろぼろの草子」
暮露と文学 其の三! 
 
 
 
「ぼろぼろの草子」で暮露の実体を探る! 
 
今回もお二方の論文を参考にさせていただきました。ですのでほとんど論文の解説です。恋田知子氏の本には貴重な奈良絵本の写真まで載ってます。論文を公開してくださっている恋田氏、保坂氏の論文を残して下さった山田氏にまずは感謝です。
 
「17世紀における虚無僧の生成」 保坂裕興 
「ぼろぼろの草子」考 宗論文芸としての意義 恋田知子
 
 
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因に近年、主に中世史研究の立場から暮露の実態解明の一助として色々な研究者から言及なされている。
 細川涼一著「ぼろぼろ(暮露)」『中世の身分制と非人』1994年
原田正樹著「放下僧・暮露に見る中世禅宗と民衆」『日本中世の禅宗と社会』1998年
黒田日出男著「ぼろぼろ(暮露)の画像と『一遍聖絵』絵画史料の可能性を求めて」1991年
 
 
 
 
さて本題!
 
 
 
 
 
【ぼろぼろの草子】(1232年���)とは、
 
明恵高弁(みょうえこうべん)(鎌倉時代前期の華厳宗の僧。京都栂尾 とがのおの高山寺開山)が書いたとされる。1232年没した遺言によって披見(ひけん)が禁止されていて1338年にたまたま発見されたといわれている。
 
 
 
 
ネズミが袋を齧ったためとも言われています。ちょうど「ぼろぼろの草子」が書かれてから100年後に発見されたんですね。今からで言うと、明治時代のものが発見されたような感じですね。
「読むな」と書いたものを死後残すのは一体何の為なのでしょうか??? それとも生きてるうちに誰かに読まれたら困るから、書いておいて忘れて死んじゃったとか???
恋田氏によると、現在のところ古写本はなく、すべて近世以降のものだそうですが、写本、版本は大学の図書館、国会図書館、個人蔵含め、何冊かあり、題名も「暮露暮露艸紙」「古今残葉」「柿袋」「空花論」「観音化現物語」「明恵上人革袋」などまちまちです。
 
尚、蓮華坊は保坂氏、蓮花坊は恋田氏と、漢字が違います。
 
 
 
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(明恵上人)wikipediaより
 
 
物語は、都の油売女が、「見めあしき事たとゆべきなき」虚空坊と、「たまのごときなる」蓮華坊という対照的な二男児を生んだが、母没後に破産し、兄虚空坊は暮露に、弟蓮華坊は念仏者になり諸国を遊行行脚した後、浄土宗と天台・禅系統の教義に関する問答を交わし消え去るという物語で、兄弟は大日、阿弥陀の化身であったと結ぼれるものである。内容の大半は問答形式で暮露が念仏者を論破していく様が描かれ、最後の部分でそれは「玄妙殊勝(優れている)の法門」であり、暮露の本地は「大日如来」であると結ばれている。
 
 
 
 
虚空坊が有様たとふべき事なし。かみはそらに生あがり、色くろく、たけたかく、誠に夜叉鬼王のごとく、悪人をころすこと数をしらず。(中略)彼の虚空坊の長さは七尺八寸。力は六十五人が力、絵かき紙衣に黒袴きて、一尺八寸の打刀をさし、ひるまきの (1) 八角棒を横たへ、一尺五寸のたかあしだはきけり。同様なる暮露々々三十人引具(ひきぐす)して諸国を行脚するに、見聞く人惶(おそ)れて、かりそめにもゆきあはんといふものなし。しかれどもひがごと (2) せず、夜はふすまを引かつぎ座禅するなり。東西南北をのこさず一見し、五逆十悪三宝誹謗のものをみては我敵よと心得て打殺しに捨てにけり。善をなすものをば是非をいはず又けんどん (3)のものには布施の心を示し、瞋恚(しんい・怒り)のものには慈悲の心をふくめ、愚癡(ぐち)のものには智慧をさづけ、驕慢者(きょうまん)には恭敬の心を教へ、放逸(なまけること。 仏道に励まないこと)の者には摂心(散乱する心を一つに摂むる)をしらしめ、懈怠(ケタイ)の者には精進戒を授け、破戒の者には持戒を授く。
 
 
 
(七尺八寸は236センチ!デカい!そして高下駄一尺五寸 45センチの高足駄はいくらなんでも高すぎるだろう!とつっこみたくなります。)
  【ひるまき】柄や鞘の補強・装飾目的で表面に螺旋状の模様が蛭が幹ついたようにみえることから。平安時代から幕末まで。
【ひがごと】道理に合わないこと
【けんどん】ケチ、思いやりが無い
 
五逆十悪三宝誹誘→とにかくものすごい悪いヤツで仏教心のない人のこと。
【五逆】五つの最も重い罪  
【十悪五逆】ありとあらゆる悪行
【三宝】とは、仏教における「仏・法・僧」と呼ばれる3つの宝物を指し、仏陀と法と僧のこと。この三宝に帰依し、その上で授戒することで正式に仏教徒とされる。
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 恋田知子著「仏と女の室町・物語草子論」より
「観音化現物語」1678年刊 柳沢昌紀氏蔵
(こんな貴重な絵が存在したとはこれを見つけた時は驚きました。暮露、そのままの通りの絵じゃん!ひるまきの八角棒振り回して念仏坊主を追いかけてる!) 
 
 
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(一遍上人聖絵)国立国会図書館より
こちらも暮露。
 
 
虚空坊の風体は、黒田日出男氏が指摘された『一遍聖絵』等に見える暮露の姿と一致し、「五逆十悪三宝誹誘の者をみてはわれ敵よと心得て打殺し捨にけり」とする様は、「徒然草」(1330)第百十五段等にみえる放逸無慚の暮露の様相とも重なる。 
 
 
 
 
<虚空坊と蓮花坊の宗論>
  兄弟は諸国を遊行した後、三条東洞院で再会する。
 鉦を首にかけ、念仏を唱える蓮花坊に対し、虚空坊は「愚療の念仏申がにくさに打殺んと思なり」と述べ、「大小乗は行ずるものの心によれり」、「実の浄土といふは首をふり足を踊り、顛倒するをばいわず。心念無所を浄土といふなり」と蓮花坊の念仏を批判する。これに対して蓮花坊は、虚空坊の主張を認めるものの、「髪は空へ生あがり、紙衣に画かき黒袴に打刀高履ひる巻の棒、是何仏弟子の形かや。殊女つれて簾中(れんちゅう・貴婦人)と名付寵様更に心得ず」と、仏法者としてふさわしからぬ風体や妻を伴うことについてただすのである。
    このような二人の争論には、顕密側からなされる融通念仏者・禅宗系下級宗教者に対する批判との、方法上の類似が認められる。本作品における宗論は、中世前期に旧仏教側から新仏教に対して盛んに行われた批判を前提とした上で、その批判の論点・内容を巧みに取り込み、虚空坊ら新仏教の下級宗教者たちの問答にすりかえるという構造になっているのである。実際的な記録としてではなく、いわば擬似的に仮構された宗論とすることができよう。
このように「ぼろぼろの草子」は、虚空坊と蓮花坊との宗論という形をかりで、中世前期に盛んになされた旧仏教側の批判とそれに対する反論を擬似的になしてみせたものと見なすことができるだろう。(恋田)
 
 
 
 
 
虚空坊・暮露の実体 → <三学>を実践修行する仏教者
 
 
 
三学とは、仏道の修行者が必ず修めなくてはならない最も基本的な修行で、戒学・定学・慧学の三をいう。戒学は、悪を止め、善を修し、戒律を守って規律ある生活を保つこと。定学は、禅定を修して心の散乱を鎮め、心を落ち着かせること。慧学は、その戒学と定学とに基づいて真理を知見し、智慧を獲得することを意味する。
 
 
 
 
<仏教思想>
 
 
 
御邊は何衆の人ぞ。答云、是大圓覺宗のものなり。
 
→『円覚経』の宗門=「圓覺宗」の者、つまり唯心論の華厳宗系仏教者であることを表明。この点はこのテクストが華厳宗の明恵に寄託されたこと、本地(本来の姿)が大日如来(毘盧遮那仏)とされたことにも合致している。
 
 
 
 
因に、
”ぼろ””ぼろぼろ”の語源は彼らが一字金輪呪(いちじきんりんじゅ)「ボロン」を連続して誦(しょう)したことによるという。(「七十一番職人歌合・新日本古典文学大系」より)
【一字金輪】…仏様のトップグループを仏頂尊ぶっちょうそんといいます。そのトップグループの頂点に立つのが一字金輪=大日如来です。
深い瞑想の境地に至った如来が説いた一字の真言ボロン(भ्रूं [bhrūṃ])を神格化したものである。
ご真言 一字金輪呪 (ナマサマンダボダナン ボロン)
 
 
   
 
 
問云、圓覺宗とは何を行するや。答云、行する事あらば何の圓覺宗とかいはん。圓覺といふは邊際もなし、只我心即如此(かくのごとく)といへり
 
→またここでは「行」を否定しているが、明恵らは、戒・定・慧の<三学>を堅持したトータルな<行>を行い、定学だけが念仏や坐禅として自立した「行」を採らなかった。(保坂)
 
 
 
 
「師もなく不思量にして不進不退」と述べている点からも
異類異形の巷間の禅僧として、放下や自然居士らに共通するものと把握できる。(恋田)
 
【不思量】一切の思量分別を停止すること。考えることの徹底した否定。
 
 
 
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(因に私が描いた兄・虚空坊と、弟・蓮華坊のイラスト) 
 
   『ぼろぼろの草子』は虚空坊と蓮花坊との宗論という形をかりて、中世前期に盛んになされた旧仏教側の批判と、それに対する反論を擬似的になしてみせたもの、すなわち宗論文芸とみなすことが出来る。(恋田)
   「一遍聖絵」の、徳江氏、黒田氏の指摘によると、異類異形の巷間の禅僧として放下や自然居士に共通するものとされていますが、明恵上人による「ぼろぼろの草子」ではまた禅宗ではなく華厳宗であり、少々混乱しますが、これは宗論文芸ということで落ち着きたいと思います。
 
 
ともかく、大日如来派と阿弥陀如来派に別れたわけですね。
元は同じなのにね〜。
 
 
 
 
そして暮露は江戸時代にはいると自然に消滅していきます。
ああ、失われた職業というやつです。
 
 
 
今巷で虚無僧なんかやってますと、一体自分はどっちなんだろうと思います。
完全に過去の形態なんだけれど、一度無くなったものだから、新しいと言えば新しい。そして既存の仏教団体に属していない。どうしても虚無僧というより、暮露のような気分になるんです。
 
 
 
 
 
それが私の強い暮露愛につながるのでしょうか。
 
 
 
  
そして、
この現代にも、禅宗を否定する宗派が、尺八を吹いている虚無僧を攻撃して来るわけです。
 
 
 
  
噓みたいですがホントの話。
元をたどれば同じなのにね〜。
 
 
 
 
 
これから虚無僧する皆さん、彼らは暮露みたく、いきなり打刀で切りつけては来ませんが、論争でやってきますから気を付けて!
逃げるが勝ちですよ🎵
 
 
 
 
 
...
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kachoushi · 1 year ago
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各地句会報
花鳥誌 令和5年9月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年6月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
草取れば天と地しばし離される さとみ 沙羅咲きて山辺の寺の祈りかな 都 神官の白から白へ更衣 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月2日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
読み辛き崩し字祖父の夏見舞 宇太郎 滝飛沫祈りて石を積む人へ 栄子 担当医替る緊張なめくぢり 悦子 青葉木菟声を聞きしは一ト夜のみ 史子 黒を着て山法師てふ花の下 すみ子 砂丘拍動遅滞なく卯浪立つ 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
病院の跡へ南風の吹き抜ける 季凜 梅雨の石積むもののふの墓暗く はるか 十薬とは屍を小さく包む花 和子 もののふの山が鳴るなり青葉風 はるか いとけなき蜘蛛も浄土を知りつくし 順子 菩提寺は城を見上ぐや男梅雨 慶月 ナースらの谺を追うて枇杷熟るる 順子 階段をのぼるつま先街出水 小鳥 青梅雨のしづくすべてが弥陀のもの 光子 罠であり結界であり蜘蛛の糸 同
岡田順子選 特選句
墓守のアパート三棟蕗の雨 風頭 眼をうすく瞑る菩薩の単衣とも 俊樹 アトリエへ傾るる大樹枇杷たわわ 眞理子 真夜中の泰山木の花は鳥 いづみ 青梅雨のしづくすべてが弥陀のもの 光子 昼顔は雨の列車にゆらされて きみよ 行き先を告げよ泰山木咲けば 和子 夏菊や南無遍照と一家臣 慶月 梅雨出水過ぎて正気を歩きをり いづみ 青梅雨の真黒き句碑が街映す 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
点ほどの人の生涯芝青し 朝子 青芝にまろぶフレンチブルドッグ たかし 海亀の孵化高精細の大画面 勝利 水郷の蛍のなかに嫁ぎゆく 孝子 子供の日クレーンは空へ置き去りに 久美子 特攻の話し聞く夜の蛍かな たかし 日輪は地球の裏に蛍の夜 睦子 青芝を犯す少年のスパイク 同 黴の中遺されしもの錆てゆく 美穂 舞ふものゝ影をも流し梅雨の川 かおり 袋ごと枇杷をもげよと檀太郎 睦子 亡き父のジャズ沁み込みし籐寝椅子 たかし  ハーレムの少年 青芝にいのちの次のスニーカー 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月5日 花鳥さざれ会
少年の少女の昔あめんぼう 雪 ふる里の水の匂ひにあめんぼう 同 風みどり故山の空を吹きわたる かづを あめんぼう映れる雲に乗りゐたり 同 水馬水のゑくぼに乗り遊ぶ 泰 俊 名刹に雨を誘ふや水馬 同 売家札とれて漏るる灯蚊喰鳥 清 女 強かに生きて卒寿の髪洗ふ 同 緑陰に栄華の茶室古りしまま 希 落武者の子孫が育て花菖蒲 千代子
………………………………………………………………
令和5年6月7日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
紅薔薇や三國廓址の思案橋 世詩明 更衣恋に破れて捨てがたし 同 水芭蕉分水嶺の聖なる地 同 夏帽子振つて道草してゐる子 清女 鳴く顔が見たくて覗く蛙の田 同 読み終へし一書皐月の朝まだき 同 鋏手に赤き手袋バラ真赤 ただし 浦人の少年継げる仏舞 同 欲捨てて今日も元気蜆汁 輝一 紫の色をしまずや花蘇枋 同 一番星遠ち近ち蛙鳴きはじむ 洋子 手折りたる酸葉噛みつつ歌ひつつ 同 自転車を押してつつじの坂上る 誠 飛魚の羽ばたき飛べる船の旅 同 風薫る慶讃法要京の厨子 幸只
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月10日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
富士見えて多摩横山に風薫る 白陶 朽ちし色残し泰山木咲ける 秋尚 風薫るポニーテールの娘の声に 幸子 日々育つ杏とエール送り合ふ 恭子 夜も更けてたれが来たかと梅実落つ 幸子 余白には梅雨空映す年尾句碑 三無 記念樹の落ちし実梅も大切に 百合子 観音の指の先より風薫る 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浴衣着て父似母似の姉妹 清女 香水のひそかな滴人悼む 昭子 髪洗ふ心のしこり解くやうに みす枝 白鷺の孤高に凛と夏の川 清女 梅雨じめりしたる座敷に香を焚き 英美子 知らぬ間に仲直りして冷奴 昭子 夏場所や砂つかぶりに令婦人 清女 明易や只管打坐してより朝餉 同 蟇が啼く月夜の山に谺して 三四郎 白足袋の静かな運び仏舞 ただし 梅雨しとど鐘の音色も湿りたる みす枝 答へたくなきこともあり紫蘇をもむ 昭子 本題に触れず香水帰りゆく 同 水面にゑくぼ次次梅雨に入る みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
ためらはずどくだみ束ねバルコニー 和魚 釣堀の揺るる空見てゐるひと日 秋尚 何も手に付かぬひと日や五月雨るる 秋尚 どくだみの清潔な白映す句碑 三無 十薬の匂ひの勝る生家門 聰 どくだみの苞白々と闇に浮く 和魚 五月雨にふくらんでゐる山の湖 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
目を染めて麦の秋へとなりにけり 光子 短夜の夢も短き目覚めかな 文子 子の植うる早苗の列の右曲がり 登美子 バースデーソングと夏至の雨響く 実加 羅の受付嬢はちよと年増 みえこ 色街の女を��らす梅雨の月 登美子 五月雨真青な傘を買ひにけり あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月13日 萩花鳥会
車椅子頼りの暮し梅雨籠り 祐子 革ジャンに沁みた青春黴生ふる 健雄 玉ねぎの丸々太る五月晴 俊文 亡き夫の捨てられきれぬ黴ごろも ゆかり 雨蛙降り出す庭で鳴き交はす 恒雄 星々に瞬きかへし舞ふ螢 美惠子
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令和5年6月16日 さきたま花鳥句会
大胆に愚痴を透かして青暖簾 月惑 紫陽花や小走りに行く深帽子 八草 まな板も這ふらし夜のなめくじら 裕章 夕まぐれ菖蒲田の白消し忘れ 紀花 屋敷林青葉闇なる母屋かな 孝江 鐘供養梵鐘の文字踊りけり ふゆ子 漣の葉裏に返る新樹光 とし江 花手水薄暑の息をととのへり 康子 風薫るいまだ目覚めぬ眠り猫 みのり 花菖蒲雨に花びら少し垂れ 彩香 短夜や二日続けて妣の夢 静子 耳かきの小さな鈴の音初夏の夜 良江
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令和5年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
登山者が供華に挿し行く地蔵尊 やす香 蟬一つ鳴かぬ光秀忌を修す ただし 桃色の若き日の夢籐寝椅子 みす枝 村百戸梅雨のしとどに濡れそぼつ 同 空き箱に色褪せし文梅雨湿り やす香 西瓜買ふ水の重さの確かなり 同 薫風や見上ぐるだけの勅使門 真喜栄 そよぐには重たき鞠や濃紫陽花 同 花菖蒲咲かせ半農半漁村 千代子 日の暮れて障子明りに女影 世詩明 香水の女に勝てぬ男かな 同 早苗饗や上座に座る村の長 同 春深し遊び心の雲一つ 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 むじな池梅雨闇の棲むところかな 要 朝まだき甘き匂ひの蛍川 千種 田の隅の捨苗萎れゆく日差し 芙佐子 大方は夏草となる畑かな 秋尚 過疎村に農大生の田植笠 経彦 行き止る道に誘ふ夏の蝶 久 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 捩花の螺旋階段傾ぎをり 斉 道をしへ夜は蛍の思ひのまま 炳子 故郷の水田へ草矢打つやうに 要
栗林圭魚選 特選句
蜻蛉生る山影ふかきむじな池 芙佐子 六月の谷戸のすみずみ水の音 三無 蚯蚓死すむじな池への岐れ道 千種 虎尾草より風生まれをり流れをり 久 どんよりと新樹映して濁り池 要 源五郎さ走る田水光らせて 久子 桑の実や落ちては甘く土を染め 三無 万緑の中の水音澄みてをり ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
故里の百年の家花石榴 啓子 巣作りの青鷺歌ふ高らかに 千加江 母に詫び言はねばならぬ梅雨の入り 昭子 幹太くなりたる樹々の夏の午後 雪子 衣替へして胸に白すがすがし 同 梅雨の灯に猫の遺影と娘の遺影 清女 寝返りを打ちても一人梅雨の月 同 枇杷啜るこつんころりと種二つ 希子 女子高生混じる一人に黒日傘 数幸 観世音御ンみそなはす蛇の衣 雪 観音に六百年の山清水 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
あめんぼうてふ名に滑る他は無し 雪 九十二の更衣とはこんなもの 同 白鷺のいよいよ白き青田かな 同 蛇の衣こんな綺麗に脱がずとも 同 落椿描ける女人曼荼羅図 同 殉国の遺影と父の日を終へり 一涓 青春に戻りて妻と茱萸を捥ぐ 同 門川の闇を動かす蛍舞ふ みす枝 母の日の花は枯れても捨てきれず やすえ 一番星あちこち蛙鳴きはじむ 洋子 草矢打つ程の親しき仲でなし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年6月25日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 打水はインド料理の香をのせて はるか 炎帝の満を持したる神の池 要 炎天へ柏手打てば蹌踉ひし 順子 靖国は蒼くなりけりサングラス 緋路 雨蛙虫呑みて��ぐ元の顔 裕章 サングラス胸にひつかけ登場す 光子 魂となる裸電球祭待つ はるか
岡田順子選 特選句
押し寄せる蓮のひとつに蓮の花 俊樹 紫陽花や伐らねば夜の重くなる 要 凡人てふ自由たふとし半夏生草 昌文 蓮原の沖に宮城あるといふ 光子 内堀の夏草刈られ街宣車 要 混ざり合ふ手水と汗の掌 緋路 祭の準備指揮をとる大鳥居 みもざ 水馬ふたつの天のあはひゆく 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蛍狩り娘の掌のがれて星となる 世詩明 更衣恋の火種を残しけり 同 少年を仰いでをりぬ青蛙 昭子 うまいとも言つてくれぬが菜飯炊く 同 子よりまづ泳ぎ出したり鯉幟 一涓 夏暖簾廊下に作る風の道 紀代美 喉鳴らし母乳呑む児や若葉風 みす枝 目に見えぬものを脱ぎたり更衣 洋子 青鷺が抜き足差し足田を進む やすえ 一院のかつて尼寺白牡丹 雪 蝸牛角を突いてゐる女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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lemonsoda03 · 5 years ago
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Blanco (Swings)
by Omoinotake
MUSIC /藤井怜央 Fujii Reo
WORDS /福島智朗 Fukushima Tomoaki
Fantranslation ヨアケ @yoake55
廻る螺旋状に彷徨い続ける
Continuously wandering around in a spiral
平行線じゃないことだけがまだ救いだ
My only solace is that it's not a parallel line
真夜中の3時 沈黙の声がする
A silent voice in the dead of the night, at 3 a.m.
このまま二人はどこに行くんだろう
At this rate, I wonder where we are heading
顔色を伺って 二人タイトロープの上
Reading each other's facial expressions, dancing on a tight rope
踏み外す勇気さえ持たずに踊ってる
Not even having the courage to lose one's footing
駆け引きはもうやめて、こっちにおいでよ
"Let's stop playing games and come over here"
素直に口にできればそれでいいのに
If only I could honestly say those words
僕ら二人ブランコみたいに揺れる
We are swaying like swings
交わっては離れていく 宙に浮いた想いよ
Feelings floating in the air that intersect then drift apart
すれ違いざま 伸ばす手を握り返して
I wish when we cross paths, I could squeeze back your extended hand
地上に降りて君のこと抱きしめられたらいいのに
And descend down the ground to hug you
見え透いた嘘に気づかないふりをしてる
Pretending not to notice your obvious lies
境界線のない関係でただいたいのに
I just want us to love without boundaries
真夜中の3時 プライドが邪魔をする
In the dead of the night, at 3 a.m., my pride gets in the way
あの日のようにわかり合いたいのに
I wish we could understand each other, like we did that day
言葉を疑って二人長い迷路の中
Two people in a long labyrinth, doubting each other's words
行き止まりがまた僕らを隔てる
A dead end separates us again
一人じゃ抜け出せないやこっちにおいでよ
"You can't get out of this by yourself, come over here"
直に口にできればそれでいいのに
If only I could honestly say those words
僕ら二人ブランコみたいに揺れる
We are swaying like swings
交わっては離れていく宙に浮いた想いよ
Feelings floating in the air that intersect then drift apart
すれ違いざま伸ばす手を握り返して
I wish when we cross paths, I could squeeze back your extended hand
地上に降りて君のこと抱きしめられたらいいのに
And descend down the ground to hug you
さよならだけは言わない理由を教えて
Tell me why you won't ever say goodbye
君を想えば想うほど離れ離れ
The more I think of you, the further we're apart
どうかしてる
I must be out of my mind
僕ら二人ブランコみたいに揺れる
We are swaying like swings
交わっては離れていく宙に浮いた想いよ
Feelings floating in the air that intersect then drift apart
すれ違いざま伸ばす手を握り返して
If our paths cross, and I squeeze back your extended hand
地上に降りて君のこと抱きしめられたら
And descend down the ground to hug you
ゆらり揺れる どこにだって僕ら飛べる
Swaying slowly, we can fly anywhere
あの日恋に落ちたように重なり合っていたいよ
I wish we could overlap each other, like the day we fell in love
手繰り寄せる僕の指を繋ぎ返して
I wish I could pull you in and link our fingers back together
地上に降りて君のこと抱きしめられたらいいのに
And descend down the ground to hug you
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yuatari · 5 years ago
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水の底から私を引き上げて
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こんな意識がずっとあった。
『私はどこかで生まれ変わらないといけない』
 今のままではいけない。
このままでいいはずがない。
どこかで私は変化を手にしなくてはならない―そんな曖昧で輪郭のない欲求。どこかとは何処だろうか。いつのことだろうか。私のもとへやって来るものなのか、それとも私からそこへと向かうのか。
わからないまま、わかろうともしないまま。
 弱く価値のない自分の殻を脱ぎ捨て、もっと素晴らしい自分を想像しながら今日も眠りにつく。次に目を開けたとき、まるで違う自分へと羽化することを願って。
 そんな希望のような自死。
 でも翌朝になってもそこにいるのは紛れもない私。
 朝日に苛まれない日はなかった。
 だから私は決意した。
私の半身から自立することを。
私の人生の半分を占めるものから離れてしまえば、 きっと生まれ変わる他ない。
そうすることが一番良いのだ。
私にとっても、私の半身にとっても。
 だけど。
  今日も誰も来ない塔の中で二人きり。
 じっとりとした感触。
 手に汗をかいていたのはいつからだろう。
 今日ここの扉に手をかけた瞬間だろうか。
 いつものように向かい合わせで座った瞬間だろうか。
 それとも、あの日の決断からずっとかもしれない。
「ヒカリ」
 声をかけ、勉強していた彼女の手を奪う。
 その手の中から零れ落ちていったもの。塗装が剥げ、白色が見え隠れした紺のシャーペンがノートの上を転がるのを見て、浮かされた熱が少しだけ冷めていった。
中学一年生の誕生日に私があげたもの。今でも使っているのかという呆れと、そんなことを覚えている自分に嫌気が差す。
 ヒカリが私を見る。
 どうしたのと、声は出さず私の瞳を覗いてくる。
 昔からの癖。
困ったことがあると何も言わずに私を見つめる。
 魚みたい。
顔がとかではなくて。
 呼吸をしていないんじゃないかと思うくらい喋らない。
 昔はそれが心地良かった。
 言葉を使わなくていいことに安心した。
 言葉を用いなくても通じ合えることが嬉しかった。
 傷つかないで済むから。
 でも今はただ息苦しい。
 そこはまるで水の底のよう。
 息が詰まって、なにかにつかまりたくなる。
「……少しだけ、手握っていてもいい?」
 幼い頃から胸に巣食う重いかたまり。
それが彼女の手に触れるとさらさらと少し軽くなる。
 ……ああ、私は弱い。
 昔と寸分変わらぬ弱さでここにいる。
 そして目の前の彼女もまた、昔と変わらず決してノーとは言わない。
  2
  ◆
   人混みのない都心の駅を歩きたい。
 広い横断歩道を一人で渡りたい。
 車のない高速道路を一人で散歩したい。
 真夏の学校のプールを一人で泳ぎたい。
 これは仮に私が将来とてつもない金持ちになり、広い家を持ったり、ヒカリ駅を建てたり、ヒカリ専用の高速道路を作ったり、自宅に広いプールを設置したとしても得られるものではない。
 見慣れた風景の中に私しかいないこと。
私という存在が埋もれないこと。
 その快感に酔いしれたいのだ。
 冷たい石の床が夏の陽射しで沸騰した身体によく効く。
まだ時間があるからと寝ころんで何分経つだろう。既に遅れてしまっている可能性は高い。でも少し遅れるぶんにはいい。そこまできっちりした約束ではないから。
 それよりもこの場を見られる方が問題だ。
 スイはこういったことを嫌うから。
『汚いよ』
 無数の生徒の上履きで踏みつぶされた廊下で寝ころぶなんて行為は。
 でも今は夏休み。生徒はほとんどいない。
清掃業者が定期的に入っているのだからスイの想像よりは綺麗だろう。たぶん、私の想像よりは汚いだろうけれど。
 爽快だった。
 こういう時に使う言葉だったっけとも思うけれど直感的に浮かんだ言葉はこれで。なにかを達成するでもなく、何もないことで爽快になるとは。
 本当になにもない。
誰もいない。
床に耳を当てると建物の鼓動が聞こえる。
本当は私の心臓の反響だとしても。
音が床に沈んでいく。
広い廊下で寝ても文句を言う人間がいない。
一度は想像したことがある非日常の憧憬。
人の溢れる商店街、交差点、駅、電車、学校から自分以外の人が消えること。
あまりにクリアな自己完結した世界。
 誰に左右されるでもなく、始まりも終わりも私が決めていい。
音を作り出すのは私で、それを消すのも私だけ。
静かで、本当に静かで。
  ―物静かだね
 私は口で呼吸をしない。
 私は特別に言葉を持たない。
 うまく表現ができないから。
 それに喋らないことが息苦しくない。
 三人で集まって、私以外の二人が楽しく喋っているのを見ているだけで十分楽しい。
 他人が嫌いなんじゃない。
 むしろ好き。
 だから誰かに誘われれば賑やかな場所にも行く。
 だけど喋らないから「つまんない子」だって最後にはグループから外されてしまう。
 悲しいとは思わない。
 ほんとうにね。
 そういうものだし、群れに馴染めなくて一人になるのは自然の摂理のようで納得感がある。
 やっぱりそうだよねで大体済んできた。
 でも悲しくないのは、唯一の例外を知っていたからかもしれない。
 小さい頃はずっと不思議だった。なんで他の子とはうまくいかないんだろうって。反対に、
『なんでスイちゃんとは仲良くできてるんだろう』
 ……ああ、そうだったね。
スイのところへ行かなくてはいけないんだった。
立ち上がるも足元がフラついた。立ちくらみだ。
身体を冷やし過ぎたか、急に立ち上がったせいか、どちらでもいいけど視界に白い靄がかかり―小さな手がこちらに伸びてくる幻想を見た。
幼い誰かの手。小さい頃はその手に引かれ、助けられてきた。
昨日のことを思い出して、手のひらを見つめる。
『……少しだけ、手握っていてもいい?』
 そこはいつも通りの自分の手があった。
 痕なんて付いていないのに。
 しんとしたスイの指の感触が骨の芯まで残っている。
  ◆
   ヒカリという名前はどうなのだろう。
漢字にすると『え、そこ?』みたいな当て字だし、その意味するところもマイペースでぼんやりした私からはかけ離れている。
 対照的にスイという名前があまりに似合ってしまっている子もいる。
夏でも陽に焼けず、白い腕から覗く薄青い静脈はぞくりとさせるくらい綺麗に透き通っている。
抑えたような低い声は耳に馴染む。容姿だって綺麗で温度が低い。少し近づき難いほどに。
三階の化学準備室の扉を開けると、おおよそ涼しいとは言い切れず、しかし無いよりはマシといった程度の風が流れ込んでくる。
スイが先に着いているようだ。もっとも私がスイより先に着いていた試しはない。
 時間に律儀。
準備だって万端で。
化学室の黄ばんだ長机にチェック柄のテーブルクロスがかけられ、その上にはノートに参考書、筆記用具と小さい花柄のポットが置かれている。ポットの中身はいつもの、スイが持参したアールグレイだろう。
準備室という粗雑な場所のはずがスイの趣味と美意識により随分と優雅だ。
ここまで快適な空間にしてくれたのであれば、もう少し空調を効かせてくれてもいいのだけど。
かつては二十八度。スイがいない間に温度を下げるという無言の抗議を何度か繰り返した結果、今は二十七度に落ち着いている。
スイの言い分は。
『だって冷えるじゃない』
嫌いな食べ物はアイス。
徹底ぶりは昔から変わってない。
 本当に小さい頃から。同じ日に同じ病院で生まれたらしい。母親同士が入院中に仲良くなり、家も近かったから退院後も家族ぐるみで親しくなった。
 しっかり者のスイにいつも世話を焼かれてきた。
私は昔からずっとマイペースで大きな決断など一度もしたことがない。いつだって��ぼんやりと気ままだ。
「おはよう、ヒカリ」
 準備室の入り口でボーっと立っている私にスイが声をかけてくる。
 うんと頷く。
既に席についているスイに倣って私も席につくと鞄から勉強道具を取り出す。外は良い天気で、室内にいる私たちをさんさんとした太陽が嘲笑うようだ。
 机を挟んで向き合うものの私たちの空間に言葉はない。
 ノートの上を走るペンの音だけが響く。
 かりかりと。
 さらさらと。
 それもフル回転させた脳の前では無に等しい。
 それよりも時折、意識を乱すのは視界に入ってくる彼女の姿。
 いつだって氷のように憂鬱そうで。
 それなのに触れてしまえば簡単に砕けてしまいそうな線の細さ。
 ペンを弄ぶ細長く白い指先の温度を私は知っている。
 八月の夏休み。
 プールにも旅行にも花火大会にも目もくれず、学校へと通う。
登校の義務はもちろんない。
にも関わらず電車を乗り継ぎ、ローカル線の駅を降り、バスで畑をいくつか通り過ぎたところにある学校にまで来ている。
普通であればそれなりの理由を必要とする。
『夏休みは学校で受験勉強をするわ』
 それだけ。
 スイのその一言だけで夏休みも毎日登校している。
 朝早くに起きて炎天下を歩いていく。
 進学校の中でも特に部活に力を入れていない高校だ。定期を更新してまで学校に来ているのは私たちくらいだろう。
 スイの家も遠くない。ただ勉強をするのであれば互いの家に行く方が効率は良い。
 それでも。
 そういう非効率な選択肢を私たちは選んだ。
 二人の方が集中できるとか、勉強が捗るとか、お互いに見張り合ってサボらなくなるとか、そういう理由付けは一切なかった。
ただ選んだんだ。
 他に生徒はいない。
 周囲も山と畑ばかりで音はない。
 音を作り出すのは私とスイだけ。
 水のように澄んでいる、私とスイの世界。
 延々と時間が消費され、時間が積もり重なっていく。
 幼い頃からのスイとの時間は途方もなく、当たり前になっている。これ以上の積み重ねがなにを生むのかは私にもわからない。
 だけど。
 帰りのバスを待っていると心地の良い感触につい目を向けてしまう。
スイが私の右手を握っていた。
 日が暮れても夕陽が私たちを熱くし、それだけに右手の冷たい肌触りが目立って仕方なく、彼女が昔から今の今まで確かに隣にいることを実感する。
 音なんかなくても。
 声なんかなくても。
 呼吸なんかなくても。
 言葉なんかなくても。
  私はここにいる。
           3
  ◆
   朝日が昇る頃。
 またダメでしたと呟いた。
  朝八時を迎える前。
 足元が幽霊のようにおぼつかない。
 自分がどこに立っているのかわからなくなる。
 不安と迷いから生まれる私の揺らぎ。
それは価値観や思考の揺らぎに等しく、個人の存在が不安定なことに等しい。
 だから階段を登っている瞬間だけは足取りが確かで私という存在がどこにも埋もれない。
 三本の円形の塔があった。
それが三角形の点となり建ち並ぶ姿は三年間通い続けても慣れはしなかった。
白色の石造りの塔。
煩わしい装飾がない私たちの高校。
まわりが畑と山だらけなので非常に浮いている。どこかファンタジーで学び舎としての趣味が良いとは言えず、石造りの床もデザインだけ見れば素敵でも冬には馬鹿らしいほどに冷え込むから好きになれない。
 唯一好きになれたのは螺旋階段。全ての塔は中央が吹き抜けで巨大な螺旋状の階段になっている。
 一階から五階の特殊教室に向かう際は生徒たちも不満をこぼす。景色が変わらず、延々と登っているような錯覚に陥るからだ。
 でもそれは余計な情報が少ないということで考え事にはうってつけ。
見上げれば透き通る青空が私を見ている。高さというのは平面に比べて一歩一歩の実感が大きいもの。
だから一段登るごとに私の中の揺らぎが薄れていく。
 この螺旋階段が空まで続いていればどんなに良かっただろうか―そんな永遠を願うほどに。
 朝八時ちょうど。
 三階の化学準備室に到着すると荷物を置き、窓を開けて掃除に取りかかる。
 最初こそ埃と雑然さしかなかったこの場所も不要な段ボールの処分や備品の整理をして随分とマシになった。
 夏休み半ばにしてほぼ理想形となった。
 それも夏休みが終わってしまえば水泡となる。この準備室の使用だって許可もなにもあったものではない。
 登校にしたってそうだ。義務がないということは  「やる必要がない」ことで余計なことになる。
 良いか悪いかで言うと灰色。
 私物のお茶まで持ち込んで、勝手に火器も使用して、灰色どころか黒と言っても差し支えない。
 そんなリスクと期限のある空間でも私は理想を求めた。
 昔からの癖。
 私の理想の場所を作り上げる。
 凝り性だとかそういう可愛いものではない。
 私の思い描く理想を作り上げられる実行力は、しかし私の思い描く理想が他人の理想ではないという点で明確な悪癖となる。
 それでも私は我を通してきた。
 そうやって理想を作り続けてきた。
 昔から、ずっと。
 
 朝十時前。
一向に現れないヒカリを探しに行ったわけではないけれど、気晴らしに螺旋階段を登っていたら落し物を発見した。
 五階まで上がった時だった。
廊下で倒れる人の姿があったので近づいてみるとヒカリが仰向けで目を閉じていた。
 屈みこんでヒカリを観察する。
 外傷なし。
 衣服の乱れなし。
 呼吸よし。
 結果、事件性なし。
『ヒカリちゃん、なにしてるの?』
 駐車場のアスファルトの上。
 幼い頃、少し目を離したらヒカリが地面に横になっていることが何度かあった。
 私の問いに答えることはなく、ヒカリは注意されても止めなかった。ただ、こちらを見て微笑むだけで。
 その時に見せる笑みはいつも可愛かった。
 五階でやっていた理由はなんだろう。
今日はたまたま五階だったのか、あるいは私に見つからないためか。
 馬鹿ね。好きにすればいいのに。
  ―そうさせているのは誰?
  久しぶりに、戯れたくなった。
 乱れた前髪に触れると懐かしい匂いがした。
 温かくて甘い、ソープの香り。
 触発され、頬に指が触れる。
 一本から二本へと触れる指が増える。
 添える手はやがて片手から両手へ。
 長いまつ毛を見つめる。五秒、十秒と時を止めて、深呼吸をすると額に口づけをした。柔らかい肌の感触が唇をビリビリと伝わり、身体と脳が震える。
 今この一時だけは全てを忘れられる。
 それでもヒカリは起きない。
 いつからここにいるのだろう。
 私は時間に対して余裕を持つ。
 ヒカリは余裕を持って時間を使う。
とてもヒカリらしい。
 私はいち早く準備室に行ってしまうから。
 少しでも多くの時間を理想の場所でヒカリと一緒に過ごしたいから。
 そんな気持ちに応えないヒカリのマイペースさに沈んだりはしない。
 ……わかっている。
ヒカリにはヒカリの時間がもっと必要なことを。
 それでも側にいたくて。
 意味のない問いかけだと知りながら。
「……ヒカリ、いいよね?」
 貴女は決してノーとは言わない。
 寝ていても、覚めていても。
 今も、昔も、これからも。
 ヒカリの隣に寝そべった。
 逆さまの視界。
重力が反転し、私とヒカリが天井を歩くところを想像する。二人して地上を目指して螺旋階段を登っていくところを。
なかなかに愉快な光景で、想像していくうちに意識は遠い彼方へと運ばれていった。
 それは床の冷たさと相まって水面に浮かぶようで。
 夢に落ちる間際、溺れてしまわぬよう私はその手をつかんだ。
  ◆
   夢を見た。
 急に世界の重力が反転して私とスイは逆さまになる。二人で天井に座りこんで窓の外を見ると空へと吸い込まれていく無数の人の姿を見る。それは残酷なようで、でも流星のような瞬きで美しかった。
 それから二人で螺旋階段を登る。しかし地上に出るも逆さまなので家に帰るのが困難だった。
 私は家に帰りたかった。それは怖いからとか、家が心配だからとかではなく、見たいテレビがあったのだ。夢だし、まぁそんなものだと思う。
 やがてスイが言う。
「この塔で暮らしましょう」
 いつもの化学準備室も逆さまで中はぐちゃぐちゃで、それもすぐにスイが綺麗にしてくれる。気がつけば景色だけ逆さまにいつもの机が、筆記用具と参考書が、スイが淹れてくれた紅茶が。
「時間はいくらでもあるし勉強しましょう」
 なんだか悪くないなと思った。
 本当にここで暮らしていくことも。
 スイと一緒にいることは。
 夢のようで―しかし本当に夢で。
  目を開けると橙の光が眩しかった。
 時刻は体感、十六時くらいだろう。
 まだ夢の中だとも思った。
 隣でスイが寝ていたから。
 でも夢ではなかった。
 確かに繋がれた手の感触は現実のものだった。
 それがまた夢のようでもあった。
 身体を起こして、廊下で寝てしまったことも思い出す。ただその時はスイがいなかったはずだ。今日はまだ会話もしていない。つまりスイがこの状況にしたわけで―
 ぼりぼりと、わざとらしく頭をかく。
あたりを見回す、誰も来ないのを知っているのに。
 ……さて、どうしよう。
 めずらしく私に主導権がある。
 普段、主導権を握っているスイが寝ているのだから当然なのだけど、それだけスイが無防備になることがない証拠でもある。
 本当に無防備。
 つい寝顔を覗き込んでしまう。
 スイ、起きて。
 そう声が出かかったけれど―人差し指の第二関節でスイの頬に触れる。
  目にクマできてるね。
 意識して見ないから気づかなかったよ。
 スイと一緒に居るのが当たり前で。
 こんな間近で顔見ることもないからさ。
 顔も青白いし、手も冷たいよ。
 息してる?
 スイ、疲れてる?
 最近のスイ、少し変だよね。
 よく手繋いできたりさ。
 小さい頃みたいで嬉しくなるけど、不安にもなる。
 こんな廊下で寝っころがるのもそう。
 前なら……ううん。
 小さい���からずっと、こんなことしなかったよ。
 スイはいつだって凛々しくて、綺麗で、私とは正反対。
 …………ええと。
 お腹すかない?
 私はすいちゃったよ。
 お昼食べてないからね。
 起きて欲しいけど、このまま寝てても欲しい。
 うん、寝てて欲しい。
ゆっくり、そのままで。
 ……なんか、ずっと一緒にいるね。
 でも、ずっと一緒にいるからこそ。
 気づかないこともあるんだね。
 スイは昔のままじゃない。
 私は昔のままの気しかしないよ。
 だから。
 ……だからなのかな。
 スイはさ―
 
 それらを何一つ、声に乗せて言葉にはしなかった。
 急に自分がとてつもなく酷い奴のように感じた。
 こんなにも言葉を抱えておきながら口にしない、相手に伝えようともしない。
 実際、私は「つまんない子」とかそういうレベルではなく、普通に酷い奴なんだろう。
 対話を致命的に放棄し、決定権は相手に委ねる。
 だから、スイにも言われたんじゃないか。
 小さい頃からスイのお世話になって十六年が経つ。
 並みの恋人どころか夫婦よりもずっと付き合いが長い。
 ずっと親にも言われてきた。
『スイちゃんに頼ってばかりで、将来どうするの?』
 小さい頃はそれにいつも同じ返答をしたものだけど。
 もう長くは一緒にいられない。
 私は大きな決断など一度もしたことがない。
 ……全てスイに決めてもらっていたから。
 遊びに行く場所、趣味に、高校の進路。
 そして大学も。
 夏の始めにスイに言われたこと。
『大学は別々のところに行こう』
 それに対して私は、声を出して「うん、わかった」と頷くだけだった。
  ……でも。
 だけどね。
          4
  ◆
  『ヒカリのこと、よろしく頼むわね』
 みんなが褒めてくれる。
 ヒカリの面倒を見るだけで「頼りになる」「しっかりしている」と褒めたたえた。それを見てお母さんが誇らしげに笑みをこぼしたのを覚えている。
 ヒカリのことだって好きだった。
 ちょっとボンヤリしてて手はかかる。
 それでも私の後ろを健気について来る姿は愛おしく―ある日、気づいてしまった。
 私の意見を聞くこと。
 私と対立する人が現れたら私に付くこと。
いつだって貴女は私の言いなりだった。
彼女の性格や本質なんて二の次で私がヒカリを好きな理由は私に従順なところだった。
 小さい頃から面倒を見るという名目で彼女をコントロールしてきたことに自覚がないとは言えない。
 私の承認欲求のために、理想のために、ずっと騙されていること。
 そして貴女がいないともうダメになってしまう自分を見つけてしまったこと。
 私は一人で生きていくのが不安だ。
 私を必要としてくれる人がヒカリ以外にいるのか。
 いつまでも必要として欲しい。
 でも、それではいけない。いいわけがない。
 だから。
  この一ヵ月は、なんのための一ヵ月だったのだろう。
  夏休みも残り一週間を切った。
 相変わらずの受験勉強の日々の中でも変化があった。
 ヒカリの視線を感じることが増えた。
 気のせいではない頻度で目が合う。
 どうしたのと聞いても、ううんなんでもと言うように首を振るだけ。
 朝も九時前にヒカリがここに着くようになった。
 朝の支度まで一緒に手伝ってくれる。
 ヒカリが掃除をし、その間に私がお茶の準備をする。
嬉しかった。
幸せだった。
 二人で過ごす最後の夏だから。
 高校卒業を期に離れ離れになる。
 私は遠い大学へ、一人暮らしを決めていた。
 ……ヒカリ。
 人生の半分を占めていると言っても過言ではない私の愛おしい半身。
 貴女の人生をことごとく私に合わせてもらってきた。
 遊びに行く場所、趣味に、高校の進路だって。
 貴女に決断させないでここまで来てしまった。
 それももう終わり。
 離れ離れになるのは寂しい。
 でも、これは必要なことだから。
「スイちゃん」
久しぶりに聞いた声。
 ヒカリの甘くか細い声が耳を触る。
 愛らしくて、他の子には聞かせたくなかった。
 夕陽を背に帰りのバスを待っているとヒカリが私の手を握っていた。恥ずかしそうに、不安そうに、私を見る姿に予感が走る。私の手にも力が入って。
 そしてヒカリが言う。
 
「やっぱりスイちゃんと同じ大学に、行きたいな」
  ずっと冷えていた胸の中が熱くなる。
 それはずっと求めていた言葉だった。
 私だって本当は離れ離れになる決断なんてしたくない。
 ヒカリのことが好きだから、ずっと一緒にいたいと 思っている。
 だからヒカリさえ心の底から望んでくれればよかった。
 あの決断できないヒカリが、ここ一番の決断で私の側にいることを選ぶというのは。
 この夏の集大成に相応しく、感動的で。
   ―吐き気がするほどに私の思い通りだった。
 こんな意識がずっとあった。
『私はどこかで生まれ変わらないといけない』
 今のままではいけない。
このままでいいはずがない。
どこかで私は変化を手にしなくてはならない―そんな曖昧で輪郭のない欲求。どこかとは何処だろうか。いつのことだろうか。私のもとへやって来るものなのか、それとも私からそこへと向かうのか。
わからないまま、わかろうともしないまま。
 ……ついにここまで来てしまった。
 期待していなかったと、予感していなかったとは言わせない。
 離れ離れになることを告げながらも、邪魔の入らない場所で夏休み毎日一緒に会うようにし、手を繋いで私の存在を否応なしに意識させる。
そうやって情を植え付けて、私から離れがたくする。
離れたくないと私からは言わず、ヒカリに言わせる。
そうすることでヒカリはより私へ傾倒する。
私はヒカリと一緒に居ることを正当化できる。
『ヒカリが望むのだから仕方ない』
 これをコントロールしていないと誰に言えるのか。
 卑劣で、あまりに弱い。
 私はこんなことを望んでいなかったと思う心と裏腹に、『本当に起こってしまった』と恐怖した。
 これが私の本当は望んでいた光景。
 都合の良い、理想の光景。
 それを証明する一ヵ月だった。
             5
  ◆
   大した問題ではないのだ。
 人ひとりが心の中で抱えたものなんて。
  エアコンの二十八度とか二十七度とかって意味あったんだなって。無いよりマシなんてものじゃない、失ってから気づく涼しさ。真夏の室内のこもった空気がこんなにも最悪だったとは。
 うだるような暑さに萎える前に窓を開けて換気をし、準備室の掃除もほどほどに、我慢していた空調に手を伸ばす。遠慮なく二十五度に。
 涼しくなるまでは休憩だ。
 ギィと椅子を引いて座る。
 天井を見ると蛍光灯がぱちぱちと点滅していた。
 こういうのも取り替えていたんだろうか。取り替えていたんだろう、スイなら。
 雑然とした化学準備室。
 テーブルクロスがかけられた机はなくて、紅茶の香りもなくて、なにより彼女の姿がない。
全てが嘘だったように。
 なにもない。
 静かで、本当に静かで。
 本当に寂しい場所だった。
 それでも私はここにいた。
 別段、思い出らしい思い出もない。
 スイと過ごしたという場所でしかない。
 ただ宿題が終わっていなかっただけ。
 もう夏休み最終日だというのに。
 文章を書くだけなんだし、数日どころか数時間もあれば終わるだろうと思っていたそれは、いざ手をつけると想像以上に手強い代物だった。
 自分の気持ちを正確に文にする。
  頭の中にあるうちはあんなにも明白な形をしているのに現実に落とし込むと途端にズレが生じ、稚拙さが浮き彫りになる。
 それに嫌気が差してなにもしない時間も多くあった。
もう紙ヒコーキにして窓から飛ばしてしまおうかと思ったのも一度ではない。
 苦しくて、楽しくなくて、しんどくて、自分が嫌に  なって、それでも書く理由は―それでもなお、私にしかない伝えたいことがあるから。
  ……散々時間をかけた挙句、これかという気持ちはある。それでもこれが最善だと思うから、あとは自分を信じるだけ。
 終わった。
 これで本当に終わり。
 本当はもっと早く終わらせるはずだったけど、今と なってはどうでもいい。
 同時に夏の終わりだった。
 休みが明け、明日からは他の生徒もやって来ると思えば寂しくもなってくる。
 やれるだけのことはやろうと最後に廊下に寝っころがってみると相変わらず冷えた石の床は心地よく、両腕を広げて力を抜けば水面に浮かぶようだ。
でもかつてほどの爽快さはなかった。
見慣れた風景の中に私しかいないこと。
私という存在が埋もれないこと。
ただ、それだけ。
それもそうだ。誰かが見つけてくれる可能性がないそれは虚しいものでしかない。本当の孤独だ。
 だから幼い頃はどこだって良かった。
 どんな場所でも、どんな時間でも、貴女は。
『ヒカリちゃん、汚いよ、そんなところで』
 ……私はそれが嬉しかったんだ。
 そうやって私を見つけてくれて、手を差し伸べてくれる。私がどうしても起きない時は額に口づけをして優しく微笑んでくれる。
それだけで私は幸せだった。寂しくなくて、嬉しくて、他の子とうまく混ざり合えなくても平気だった。
 ほんとうに。
 ほんとうにね。
 貴女さえ、居てくれれば私はそれで―
  ◆
   帰り道。
 スイの家のポストに手紙を入れた。
 やってやった。
                                  6
  ◆
   ヒカリのことがどうしても嫌な時期がなかったわけではない。そんな時は他の子と遊ぶこともあった。
 それでもヒカリが校門で私を待っている姿を見ると。
『ごめん、先約があるから』
 ヒカリは私を見つけると子犬のように小さく駆け寄ってくる。
高校生にもなって校門で待つなんてやめてよ。
そう思わないでもない。 
足の遅いヒカリ。
走って置いていったらどうなるんだろう。
 その場で立ち尽くすのか、必死で追いかけるのか。
 ……でも私はそれを言いもしないし、やりもしない。
 きっと結果が見えてしまうから。
 内心では鬱陶しいと思いながらも本当に校門で待つことをやめたら、走って追いかけてくれなかったところを想像するだけで怖い。
 見たいけど見たくないもの。
 知りたいけど知りたくないもの。
 ヒカリはどこまで本気だろうって。
どこまで私に付いてきてくれるのだろうって。
どれほど私のことが好きなんだろうって。
貴女の本気を試してきた。
 『大学は別々のところに行こう』
 うんと頷かれたとき。
私は安堵しただろうか、それとも傷ついただろうか。
 『やっぱりスイちゃんと同じ大学に、行きたいな』
 そう言われたとき。
私は安堵しただろうか、それとも傷ついただろうか。
 
―その答えは全てヒカリの手紙に書いてあった。
 
正直、手紙を発見したときは嬉しさよりも恐ろしさが勝っていた。
 ヒカリは何を書いたのだろう。
 罵倒の言葉だろうか。
 決別の言葉だろうか。
 蔑みの言葉だろうか。
 おそるおそる開いた先に書いてあったものは。
 たったの一言だった。
 『私に本気になってください』
  明日、ヒカリに言う言葉が決まった。
                           7
  ◆
   溜まった水が溢れ出る。
 それぞれが思い思いの場所へと流れていく。
 水かさは減っていき、私が最後の一人になった。
 水の底が渇いた大地へと変わり、私自身の姿が世界から浮彫りなる。
 ……ちっぽけだ、広い世界から見た私なんて。
 だからこそ私は私のままでいいんだと思う。
 校門で人を待つ気分はこういうものなのか。手持ちぶさたで、かといって携帯を弄ったり、本を読んでいたりするのも「なんでわざわざそんなところで?」と自分で思ってしまう。
 人目が気になるのでヒカリはよくやっていたなと思う。
 いつも通る場所なのに放課後の校門からぞろぞろと溢れ出て行く生徒の姿は新鮮で、学校が一つの閉鎖空間だということを改めて認識する。
 ヒカリは職員室にいるらしい。
 進路のことで先生に相談だとか。
 夏休みが明けての進路変更。
 先生からすれば怪訝なことだろう。
 でもヒカリは気にしない。本気だからそんな小さいことには気にならないのだろう。
 私の言うことを聞くとか、聞かないとか。
 人をコントロールするだの、しないだの。
 そういう小さい話には。
「ヒカリ」
 つい見逃すところだった。校門を通り過ぎようとしたヒカリが私の声に気づいて戻ってくる。
 いつものぼんやりとした態度にも見える。
 全てを悟った超然とした姿にも見える。
 そういう子だった、昔から。
 言いたいことは私からも一言だけ。
 私としてはさらりと告げたつもりだったけど。
「……この先もずっと私の側にいて」
 ヒカリはふっと笑って言った。
「年貢の納め時だね」
「……生意気いうな」
 そうして彼女の背中をはたくと笑い声が漏れた。
 いっぱい話したいことがある。
 他愛のない話から大事な話まで。
 ヒカリの名前が好きなこと。
 貴女に合っていること。
 そのことを今日は話そう。
 
 ◆
   全ての人が幸せになる解答は���しい。
 表を選べば裏を選べなくなるように、誰かが幸せになれば誰かが不幸になる。そういったシステムの上に成り立っている。
 そうした時に譲り合うのか、我を通すのか。
私は『気にしない』でいいんじゃないかと思う。
 どちらを選ぶにせよ、本気で選んだ以上は人の気持ちを介入させないでいい。本気が揺らいでしまうから。
私は十六年前から本気だった。
だから貴女が離れて欲しいと思えば離れるし、離れて欲しくないのを感じ取れば私は貴女から離れない。
それでも時折、振り回されるのは感じる。
だからこそ私がスイちゃんに望むことは一つ。
 結局はスイちゃんと同じ大学を目指してよくなったし、こうして仲直りもできた。
 でも一番大事なのは、あの一言。
『……この先もずっと私の側にいて』
 恥ずかしいからスイちゃんに完全な確認を取ったわけではないけれど、たぶん、いいんだよね。
 ……責任を、取ってくれるってことで。
 私の人生とスイちゃんの人生が今後も交わっていく。
 私が一番欲しかったもの。
幼い頃、そして昨日もお母さんに聞かれたこと。
『スイちゃんに頼ってばかりで、将来どうするの?』
 私はいつものようにこう答えた。
『そしたらスイちゃんと結婚する』
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ot9000 · 5 years ago
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FILM 2018
キングスマン:ゴールデン・サークル 映画 中二病でも恋がしたい! Take On Me 目撃者 闇の中の瞳 監獄の首領 パディントン2 嘘を愛する女 デトロイト 殺人者の記憶法 スリー・ビルボード 羊の木 コンフィデンシャル/共助 悪女/AKUJO ゆれる人魚 今夜、ロマンス劇場で ぼくの名前はズッキーニ グレイテスト・ショーマン リバーズ・エッジ エターナル ザ・メイヤー 特別市民 絵文字の国のジーン さよならの朝に約束の花をかざろう 15時17分、パリ行き ブラックパンサー シェイプ・オブ・ウォーター ダウンサイズ 聖なる鹿殺し ハッピーエンド ザ・キング リメンバー・ミー ちはやふる −結び− ボス・ベイビー ミッドナイト・ランナー レッド・スパロー ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル 心と体と いぬやしき レディ・プレイヤー1 リズと青い鳥 タクシー運転手 ~約束は海を越えて~ 君の名前で僕を呼んで ザ・スクエア 思いやりの聖域 犯罪都市 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル モリーズ・ゲーム 孤狼の血 フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 ランペイジ 巨獣大乱闘 モリのいる場所 ゲティ家の身代金 恋は雨上がりのように 犬ヶ島 レディ・バード ビューティフル・デイ 修羅の華 万引き家族 家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 あさがおと加瀬さん。 ニンジャバットマン ワンダー 君は太陽 夜の浜辺でひとり ブリグズビー・ベア カメラを止めるな! ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー 黄泉がえる復讐 一級機密 バトル・オブ・ザ・セクシーズ グッバイ・ゴダール! 未来のミライ ウインド・リバー 沈黙、愛 インクレディブル・ファミリー ミッション:インポッシブル/フォールアウト 2重螺旋の恋人 7号室 オーシャンズ8 タナー・ホール 胸騒ぎの誘惑 ペンギン・ハイウェイ タリーと私の秘密の時間 検察側の罪人 SUNNY 強い気持ち・強い愛 ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男 マガディーラ 勇者転生 君の膵臓をたべたい SPL 狼たちの処刑台 寝ても覚めても MEG ザ・モンスター 1987、ある闘いの真実 プーと大人になった僕 響-HIBIKI- 愛しのアイリーン 若おかみは小学生! コーヒーが冷めないうちに バッド・ジーニアス 危険な天才たち クレイジー・リッチ! クワイエット・プレイス 止められるか、俺たちを アンダー・ザ・シルバーレイク モンスター・ホテル クルーズ船の恋は危険がいっぱい?! デス・ウィッシュ エンドレス・ウォー search/サーチ ヴェノム スマホを落としただけなのに The Witch/魔女 ボヘミアン・ラプソディ ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ ハード・コア へレディタリー/継承 バスキア、10代最後のとき 死体が消えた夜
(全111作品)
2018 FILM Top5+5
リズと青い鳥 The Witch/魔女 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 1987、ある闘いの真実 心と体と
君の名前で僕を呼んで スリー・ビルボード モリーズ・ゲーム 寝ても覚めても 孤狼の血
主演男優賞:ベニチオ・デル・トロ『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』 主演女優賞:キム・ダミ『The Witch/魔女』 助演男優賞:ウィル・ポールター『デトロイト』 助演女優賞:優香『羊の木』
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cofgsonic · 8 years ago
Text
17.04.01 ハッピーナイトメア・ドライブ
※ルージュの過去捏造が暗いです
 人里離れた静かな大屋敷。外観に飾られた不釣合いなネオン。安っぽいクリスマスセールみたい。  中に入れば、赤い顔をした奴らがワイングラス片手に、荒唐無稽なダンスでお祭り騒ぎ。楽しいパーティがアタシたちを歓迎する。ハッピーな気分でずうっと踊ってなさい、って心の中で毒づいた。 「都会からはるばる、よくぞお越しくださいました、ミス・ジェニー。おや、そちらの男性は」 「パートナーよ。今夜はアタシ、彼から離れないから」 「ええ勿論、ボーイフレンド様も歓迎いたします。さあお二方、中にお入りください。ご主人様があなたたちを待っております」 「けっ、暢気にダンスパーティしてる場合じゃないぜ。この女は、今からな……」  ヒールで思いっきり男の革靴を踏みつけた。赤いハリモグラは目ん玉充血させてもっと真っ赤になる。ふん、いい気味よ。背を向けた屋敷の執事には見えないように睨み合う。 「邪魔すんじゃないわよバカモグラ」 「お前こそ足引っ張ったら承知しないぜ、コウモリ女」 「合図したら、わかってるわね?」 「遅れんなよ」  史上最悪の悪巧みの打ち合わせは浮かれたパーティ会場の騒がしさに溶け込む。アタシは颯爽とヒールを鳴らし、悪い顔をリセットする。アタシはここではジェニー。本物のジェニーは、さあ、どこへ行っちゃったのかしら? 今頃街はずれの倉庫で、素敵な夢でも見ている頃じゃない?  ナックルズはまだアタシの顔をじろじろ。なーんか期待してた視線と違うから胸糞悪いわ。今夜のためにドレスも化粧も気合入れたっていうのにウブな男、いえ無神経な男はこれだからね。まだ許してないわよ、ここへ来る前に言われた「化粧の上に化粧ってできるもんなのか?」っていう台詞をね。悪気がないから余計に神経を疑う。  広間の奥には参加者たちにただ見せたいだけの赤いシャンパンタワーが、きらびやかなルビーの壁を作っている。その下でダンスに不釣合いな羽つき帽子をかぶったマダムと握手する、銀色のお髭のミスターがいて、アタシは彼を顎で示す。ナックルズが周囲に聞こえないくらいの溜息をつく。そして苦虫を噛み潰すような顔で、 「今のオレらじゃエッグマンの悪事も咎められねえな」と言った。 「今なら、逃げ出すのも間に合うわよ。コソドロになりたくないなら帰っちゃえば?」 「盗みが目的なのはお前だけだろ。オレには別の目的がある。ちゃんと奴のところに案内してくれるんだろうな?」 「もちろん。アタシの盗みを黙視するっていう条件でね」 「癪だぜ」 「お互い様でしょ」  恰幅のいいミスターが歩み寄ってくる。口端だけはナックルズに向けて吊り上げる。「あんたは乗ったのよ。個人的な恨みを晴らしたいっていう、アタシが宝石盗むのと同じくらい綺麗じゃない目的のためにね。やるんでしょ?」  あんたは瞳をぶどうみたいにしっとりさせて、何も言わないのね。
「許せねえよ」  えずくみたいだった。  恐ろしい計画を口にするとき、人もケモノもまるで血を吐くように吐露するものなんだと知った。何を言われているのか最初はわからなかった。つまりはこいつがそんな風に、喉をわななかせながら恨み辛みを込めた声を出すなんて思わなくて――寒気が走った。エンジェルアイランドに吹く風がいやにべたべたと、まとわりついた。ビル風はおろか、どこかのハリネズミの坊やの風も滅多に吹かないまっさらな島なのに。こんなに不快な風が吹くの。ここにずっと居付いている、一族の最後の生き残りは、自分が目尻に不必要なシワをいっぱい作っていることに気づいているのかしら。それは印象のよくない表情だと教えてやるのを、ついに忘れた。  辺境の地に住むからこそ、冒険心に唆されて危険な場所へ赴くトレジャーハンターだからこそ、街の新聞には絶対に載らない事件を彼はいくつか知っていた。その中の一つ、少女誘拐事件のことをアタシに話してくれた。そしてその犯人は人間ではなくロボットだということも。  有能なロボットが主人の手を離れて一人歩きし、意思を持つなんてことは、オメガの存在をはじめ、アタシたちの身には痛いほど染みている事実。けれどロボットが無力な女の子を襲うなんて、そんな嫌な時代が到来していたなんてね。子狐ちゃんには口が裂けても教えられない。だからナックルズは、アタシに話すしかなかったんだわ。  奴の主人も沈黙を決め込んでいる。巨大な電力会社の重役だっていうから、これまた厄介。ロボット産業にも手を出しているが、躾がなっていないのか、過去に会社の職員に怪我を負わせたという話もあるから手に負えない。可愛がっているロボットの一人が犯罪を犯したことに彼が関係があるのか、はっきりしたところは定かじゃない。  問答無用で破壊すべきだ。主人が処分しないならオレが壊す。ロボットは普段、自宅にいる。「主人の前では忠実なのに、どうして?」少女を襲った夜、一時的なシステム障害を起こしたんじゃないか。ナックルズは長いようで短く、分析した。 「随分と事件についてお詳しいのね」  ナックルズの横顔には険があった。顎の内側、歯を食いしばっているのか、ギリリと音がした。 「神様って何でこう、タイミングを巡り合わせるのが上手いのかしら。彼の自宅の金庫には、前から狙っていた宝石があったのよ。でも彼は大手会社の重役。今の時代、ロボットを従えているくらいのお屋敷で、セキュリティのぬるいところはないわね。事を荒立てると、遠方でも気づかれるわよ。自宅と連携したセキュリティアプリをロボットに搭載するくらいやってるはずだわ」 「侵入だけでも気づかれないようにできる方法はないのか」 「鍵を開けて堂々と入るしかないんじゃない? 警備ロボットのお出迎えからは逃げられないでしょうけど。どうする?」
 補足しておくとここは、イケてるミスターであり誘拐ロボットのマスターであるおじ様の別荘なのよね。遊ぶための場所だから自宅から然程離れていない。屋敷を出れば海に囲まれた山沿いの道路を臨める。つまり道路沿いにあるお屋敷で、無駄に広い駐車場には車がいっぱいだった。もちろん、コンビニの駐車場に停まっているような普通のじゃない。売ればウン千万の高級車ばかり。  ジェニーは今日のパーティに呼ばれた、取引先の会社の重役の、女性部下だった。最低ね、取引先の社員に手を出そうなんて。ジェニーの上司はワイングラス片手にダンスホールで踊っていたわ、千鳥足で。彼女は男運がないみたい。ほんと、ロクでもない男に囲まれて可哀相。  でも、ミスターはジェニーの顔を知らない。だから彼の前でも、アタシはジェニーに成り代わることができた。  挨拶もそこそこに、ミスターに連れられて二階に上がる。  この屋敷は一階に大広間があって、いつもはファンタジー小説に出てくる魔法学校の食堂のような、ながーいテーブルに椅子を並べた食卓風景が広がっているらしい。でもこういう賑やかな夜は、それらを撤去して巨大なダンスホールにしてしまうんですって。ダイヤモンドの欠片のようなものがじゃらじゃら下がったシャンデリアが揺れてしまいそうなほど���ダンスホールでは人々が踊り狂う。異様な光景と言っても差し支えない、やばい夜には、やばい奴の周りにやばい連中が集まる、その法則を反映したようだった。見下ろしながら舌打ちを堪えた。嫌なフェロモンを漂わせる男の背中を追った。  螺旋階段を上ると、ある部屋に通された。  そこにはムードのあるソファーや、本棚、思わずドキッとするアロマが焚かれていて何とも居心地がよかったけれど、アタシはもう壁の電気スイッチしか見えていない。目端に飛び込んで来たのは男の指先だった。胸元に手を伸ばしてくるミスターを、軽くウィンクして一度落ち着かせて――パチン! 素早く部屋の電気を消した。  さて、ドレスの胸元に隠した小型通信機にこの模様が聞こえているはず。驚いて声を失うミスターの股間をスペシャルなキックを打ち込んだのはその直後だ。踏みつけたカエルのような声を上げさせ、ズボンのポケットから鍵束を引き抜いた。  ドアを蹴破ると屋敷全体が闇に落ちている。一階は騒然とした様子で、暗闇で慌てふためく人々の頭上を急いで飛んだ。そっと玄関を開けて、外へ身体を滑り込ませる。僅かな脇汗が瞬時に冷えた。 「奪えたわよ。ラッキーね、愛車の鍵まで一緒みたい。大事な鍵を全部持ち歩いているって噂、本当だったのね」 「うっとりしてる場合か。早くしないと誰か追ってくるぜ」 「わかってるわよ」  屋敷の電気を消したのはもちろんナックルズだった。ミスターの周りの執事までみーんなアタシが惹きつけちゃったから、彼が行方を眩ますのは他愛もないことだったわ。 「あーあ、おじ様たちに気を遣うの本当疲���た」  屋敷の脇に停めてあった真っ赤なオープンカーに飛び乗った。アクセルを踏み、勢い込んで車道に出る。  海沿いの道は死の王国のように真っ暗で静かだった。助手席のナックルズが遠のいていく屋敷に振り返って、「あばよ」と呟く。 「本当はあのオヤジもぶん殴るつもりだったんだぜ」 「彼が警察に連行されるときまで我慢しなさいよ。ねえ、本当に壊しちゃうの? ロボットの身柄を拘束して警察に突き出せば、指紋とか調べてくれるんじゃないの」  言ったあとで、拘束などしなくても破壊されたボディの方が隅々まで調べるには効率的だと気づく。今までドクターのロボットは飽きるほど壊してきたのに、何で今回ばかりは、まるでこの男の殺人を手伝うような気分になるのかしら。多分、隣で風に吹かれるナックルズを突き動かすのが、確かな殺気だからだ。  アタシはハンドルに力を篭める。篭められずにいられない。  メイクはケーキをデコレーションするのに似ている。スポンジにクリームを塗って、飾りつけして。年の数だけ立てるロウソクは決して実年齢と一致させない。  まずクレンジングオイルで乳化した素顔にファンデーションを塗る。パウダーを含んだタイプのファンデーションの方が早いけれど、きめが粗いから、ファンデーションとパウダーは別でつけた方がいい。  リキッドライナーで瞳のフレームを自然に強調して、シャドーはお気に入りのマリンブルー。前に一度ピンクで攻めたことがあるけれど、アイシャドーは瞳と同系色が基本っていうし、アタシらしさがばっちり出るのはこれ。彩ったら、マスカラに持ち替えて、睫毛を掬い上げる。  口紅はいつも丸みのある描き方だけど、今夜は鋭角的に。唇の輪郭を描いたあとに中を塗っていくのは爪と同じ、これで形がくっきり出る。ルージュ、この名に恥じぬ色気は唇から作り上げたものなのよ。メイクの仕方さえ知らなかった頃、鏡の前で大人っぽいグロスをなめては拭いて、を繰り返していた。  鏡よ鏡、この世で一番美しいのは? いつか鏡が「それはあなたです」と答えながら、素敵な女になったアタシを映してくれる。そう夢見てた。  本当に応えてくれるものね。本気でメイクした自分と見つめ合いながらそう思った。  そこには大人になったアタシがいる。子どもの頃、着せ替えゲームが好きな時期があった。インターネットのフリーゲームなんかでよく見る本当に単純なやつ。当時は自分の好みさえよくわからなかったのに、限られた服やアクセサリー、メイクの選択肢から可愛いと思うものを一生懸命選んで、遊んでいた。当時の自分には何一つ手に入らないものだったわ。だから束の間でも、自分がオシャレしているみたいで楽しかったの。今じゃすっかりオシャレや、自分の美を磨くことが、生活の一部になった。  ネイルサロンでジェルネイルしてもらった指先は華やいでいた。白いラインストーンのついたネイルチップをつけてもらっちゃったせいで、香水を吹き付けるたびにきらきら光る。エステにだって行った。あったかいオイルにまみれて、頭から胸元までのマッサージを堪能したわ。  紫のドレスはボディラインが余すところなく出るミディアムタイトスカート、目的はパーティじゃないからパンプスのヒールは低め。胸元には宝石のついたネックレスでアクセント。  宝石は、幼い頃からお守りだった。吸い込まれそうな輝きに魅了されたあの日から、アタシは宝石を愛してやまない。磨けば磨くほど光を増す、自分もそうなれるんだって信じてた。やがて恋をした今でも、そう信じてる。  オシャレは魔法の鎧。メイクは魔法の仮面。 「彼氏でもできたか?」  待ち合わせのとき、ついに言わせたの。何で? と、すましたアタシから目を逸らして「べ、別に」ととぼけるあいつの立派なタキシードの裾にわざと、口紅たっぷりのキスマークを刻み付けたくてたまらなかったわ。素敵なガラになったわよ、きっと。  でもねそのままでも、「あんた」みたいな男がいいの。  趣味悪いわよね? 「もしかしてジェラシー?」つん、と裾をつついてあげた。そしたらぷんぷん怒り出しちゃって。 「んなわけねえだろ! いや、だからさ」目を泳がせて。「いつもと違うなって……」 「あら、意外と察しがいいじゃない」 「化粧の上に化粧ってできるもんなのか」 「何ですって? 呆れた」  たまには乙女心ってものを考えて気の効いた褒め言葉でも返しなさいよ! 「ふーん彼氏じゃないのか」 「い・ま・せん。次に言わせたらスクリューキック」 「じゃあ、何でそんな気合入れてんだ」  このハリモグラは鈍いってレベルじゃないから泣けてくる。  でも当然よ。だってこいつにはあの誘拐ロボットしか見えていないんだもの。  屋敷に侵入すると案の定警備ロボットたちが一斉にアタシたちをライトで囲んだ。パトカーよりも攻撃的な光線が身体を貫いてきた。当然、すぐさま武力で反撃した。ドレスじゃ動きづらくてスピードは衰えるけど、タキシードのナックルズは何故だか衰えなかった。  砕いていった。次々と。吹き飛ばすんじゃない、砕くのよ、文字通り。中のコードがはみ出て、派手に機体が倒れる。足を引っかけそうになる。  ロボットたちのライトは少しずつ消えていって、やがてナックルズの横顔は――。熱を、咲かせて。もう一度いつもの暑苦しさを見せて、と思わず叫びそうになる。あんたの冷たくなった顔を、どこかで見学しなきゃいけない場面が来るんじゃないかと不安だった、その不安は今、的中した。でも今のあんたは、あんたじゃない。 「どうしたの?」  肩をすくめて、とぼけた。 「興奮しやすいクセして今日は随分無口じゃない」  まるで噴火前の火山が、そこにいる。  コウモリの耳は不愉快な超音波をキャッチする。怒りが、空気を通して、天井を床を電撃のように駆け抜ける。  アタシたちは闇の中で視線を合わせた。アメジストの双眸が、煌いた。 「何か言いなさいよ!」  アタシの潤んだ唇とナックルズの腕からそれが響いた。  彼はずっと腕輪をつけている。細くて目立たないけど、その正体はパーティ会場で役立った通信機。アタシは胸元から自分の通信機を出して、「応答しなさいハリモグラ。レディに無視決め込むなんてサイテー」と命令する。ナックルズはさすがに狼狽したようだ。 「驚いたじゃねえか、いきなり何だよ!」 「こっちの台詞よ。あんた何考えてんの、さっきから顔がマジすぎるってば」通信機をドレスの胸元にしまうと彼は仰け反った。「あら、胸ポケットに大事なものを入れるのは女スパイの基本よ」 「胸ポケットじゃねえだろもはや」 「ふふん、ならブラポケットね」 「ふざけんなっ!」 「ほーら、ちょっと肩の力抜けた?」  固かった表情筋を僅かに和らげたのには成功したけど……ナックルズは機嫌悪そうに鼻を鳴らして、ずかずか進んでいく。 「あんたこそガールフレンドでもできたのかしら? もしかしてその誘拐事件、好きな子が巻き込まれたとか」 「そんなんじゃねえ!」  警備ロボットの残骸に溢れた床に吐きつけるようにして彼は否定してみせる。――あからさまだった。 「そんなんじゃねえよ」  誰のためなの? あんたの頭をいっぱいにするのは誰なのよ。嫌よ。  ナックルズは勝手に奥へ奥へ進んでいく。追っているうちにアタシは自分の顔をどこかで落としてきたような錯覚に陥りかけた。 ��ある部屋に入って、彼が止まる。さっきまで彼を茶化していたはずのアタシはもう冷静じゃなくなりかけている。  ここだ、ここだ、ここだ。  電気の一つも探さずにここまで来た。拳でぶち破られたドアの向こうに広がるのは寝室か。キングサイズのベッドがある。家主は独身のはず。ずっと、配置もサイズも変わっていない、十年前から。人間の男の臭いを微かに探り当て、咽びそうになりかけて、アタシは――涙目で、顔を上げた。  時という概念が消え失せたのはそのときからだ。  およそ何分この部屋に滞在しただろう。まったく覚えていない。  そこに白いゴツいロボットがいるのは不気味以外の何物でもなかった。オメガよりは小さく、カラーリングももっとシンプル。だからこそ得体が知れず、後ずさるアタシと入れ替わりでナックルズが動いた。 「ちょっと待ちなさいよ……」  輪郭ごと、闇と一つになって今にもロボットを頭から食らわんとする何かの化物になるような気配をナックルズは背負っている。彼が一歩ロボットに近づくたび、心音がドンッと鳴る。  このロボットが犯人だって、どうしてあんたは気づいたの? 普通の家庭用ロボットじゃない。お掃除とか、身の回りを世話してくれるそういうタイプの奴よ、これ。 「こいつじゃないわ」  口を出していた。ロボットは四角い足を揃えて、何も言わない。ただアタシたちを見ている。突然喚き出したアタシにナックルズは怪訝な素振りを一切見せない。  まるで最初から……本当のことが、わかっていたかのよう。  誘拐事件。数多くの被害者の女の子たち。そのうち一人の名前は。 「命令に従っただけよ、こいつは」 「黙ってろルージュ」 「だって知ってるんだから!」  そのうち一人の名前はルージュ・ザ・バット。当時八歳。 「ねえ見たでしょ? あのオヤジ! ド変態はあっちよ! そのロボットはね、誘拐された女の子を世話するためだけに十年間ここに閉じ込められてるの! 被害者の子たちよりずっとずっと長く! アタシは――」  何言ってんの。 「アタシは幽閉されている間そいつと遊んでた! 家の宝石、たくさん見せてもらった……! 本当は監視役だってわかってたけど、それでも、こんな風に真っ暗で不安な夜、こいつの液晶でゲームして、くっついて一緒に寝てたの。だから、壊すのはちょっと待って……」  ああ。変よね。子どものアタシが乗り移っていたのを確かに感じた。壊さないで、じゃなくて、ちょっと待って、とか慎重ぶるところなんか特に。  ませた子どもだったの。そのくせ世間知らずだったから、このハリモグラみたいにホイホイ騙されて、ついていった。まさか十年もこんなこと続けてるとは思わなかった、ナックルズの話を聞くまで。  ナックルズのぶどう色の瞳は、怒りと悲しみを行き来していた。わざわざ深く息を吸ってから、白い八重歯で、下顎をすり潰していた。大袈裟に俯いて。やり場のない感情で両腕を厳らせて。  クソが、と咆えて。  その隣でアタシは「知られていた」と声に出さず泣く。  今すぐ逃げ出したい。知られていた。知られていた。もしかして、と怖くはなっていた。どうしてかわかんないけど知られていた! アタシが十年積み上げたプライドがゆっくりと倒壊していく。 「……アタシのためだったなんて粋なサプライズね。ハリモグラのくせに」 「だめなのかよ」  ガスの抜けた声だった。 「お前の苦しさをぶっ壊したら、お前ごと壊れんのかよ」  瞬間、崩壊が止んだ。とびきり大きな力に腕を引き上げられたような気持ちが、迸る。暗く沈んでいた世界を一閃する。 「噂好きなトレジャーハンターが、お前のことを話してた。真相を確かめるためにわざと連れてきたんだ、悪かった。そして真実なら、お前の目の前でぶっ壊してやろうと思った。オレには……それしかできないからよ」 「ハリモグラのくせに……アタシにカマかけたの……!?」 「悪かったよ」 「いいわよ、もう! あんたに謝られると気持ち悪い!」 「きもっ……おいふざけんな!」 「そんなんじゃねえ、とか強情なままでいりゃよかったのよ! 何よ、アタシのためって!」  唇を噛んだ。 「優しくしないで……!」  口紅の味が広がっていく。そういえばアタシは、オシャレを覚える前は口紅の味が大嫌いだった。  突然、腕の関節が外れたようだった。強引に引っ張り上げられたみたいで、犯人は当然、ハリモグラだ。目尻をくしゃりとさせたハリモグラだった。 「聞けよ、ルージュ。お前は綺麗だぜ。顔はな」  泣きそうにも見えた。パウダーをたっぷり乗せた頬にグローブを添えられる。 「けど目がキツい。おまけに口が悪い」 「あんたに言われたくないわ」 「あと、素直じゃない」  そればっかりは、ぐうの音も出ない。食い入るように真剣に、ナックルズはアタシの瞳を眼差し一つで縫いつける。いやだ。逸らせない。身体が、シビれそう。 「強情なままでいたってな、可愛くねえぞ。ちったあ、か弱い乙女の部分とやらを見せやがれ」  悔しくて、息も飲めなかった。  子供の頃か、いつか夢見てた王子様に――こんなガサツな奴が、一瞬でも重なったのが悔しい。ドレスで隠した胸が張り裂けそうなほど。その桃色に破れてしまったおっぱいをこいつに見せたいほど。 「決着つけるなら、ここでつけろ」 「わかった、から、ちょっと待ってて」  やがてハリモグラの肩を、そっと押し退けた。白い塊の前に立つ。 「覚えてる? アタシを。十年前にここにいたの。可愛い真っ白な白雪姫よ。今夜は泥臭い赤ニンジンをつれてきたわ」 「赤ニンジンってオレか?」 「元気にしてた……?」  ロボットは人間みたく小首をかしげる。とうに記憶はデリートされちゃったかしらね。  こっちはよく覚えているわ。主人の私物からこっそり持ち出してくれた宝石や、アクセサリーまで全部。絶対に手に入らないけれど、眺めているだけで幸せだった。いつか��んな綺麗なものが似合うコウモリになりたいって思った。アタシがもっと見たいと言ったら、もっとたくさん持ってきてくれた。もちろんマスターには内緒で。 『あたし、これ欲しい。眺めているとドキドキするの。ねえ内緒にしててくれない?』 「皮肉よね。誘拐がきっかけで、自分も宝石専門の泥棒になっちゃったんだから」  ロボットの胸部には小さなモニターがあって、ドット文字が表示された。懐かしい。タッチ式でゲームができるの。飾り気のないパーツのロボットにしてはこれだけは優秀だった。画面はカラーだし、アクションゲームとかパズルとか、着せ替えゲームとか色々――。  オヤジは嫌いだったけど、あなたは結構好きだった。怖がるアタシと遊んでくれた。 「他の誰が噂したって、関係ない。何とでも呼ぶがいいわ。アタシは這い上がったの。死ぬ気で脱出して死ぬ気で生きてきた」  ロボットは何も言わない。瞳が時々、チカリと光る。この子は今でも喋れない。感情も示してくれない。ただ目の前の少女を喜ばそうと、  宝石を、両手で差し出してくる。 「ナックルズ」  彼のグローブがすでにロボットの首筋に当たっていた。 「――壊して」
 それから少しだけ。  彼の胸の中で、泣いた。素敵にか触れられた翼が、いやに彼のグローブの厚みと微かな体温を伝えた。  赤い宝石は素敵に輝く。  今夜は星降るいい夜だと思っていたのに、よく見上げると、汚らしい曇天がはびこって一雨来そう。アタシは何を見ていたんだろう。 「エンジェルアイランドまで飛ばせよ」 「……命令しないで」 「じゃあお願いだ」 「断るわ。あんたわかってる? 今回の件、バレたらシャレにならないんだからね! エンジェルアイランドなんて一発で嗅ぎつけられる場所に潜伏するは論外!」  高級車は海沿いを走る。この男はアタシを帰さないつもりだ。上等、そのつもりでこっちも派手に決めたのよ、今夜。でもタキシードの男にドレスの女の逃走劇って、どこの映画の世界ってカンジ。  世間じゃアタシたちが悪人になる。今頃パーティは滅茶苦茶でしょうね。とにかくジェニーが無事に発見されることを祈るわ。アタシたちは地の果てまで逃げるから。  スリル満点の人生は誰もが望んで手に入るものじゃない。アタシは幸せ者なのか、それとも悪夢からずっと目覚められないでいるのか、わかんないけど、この際考えたってしょうがない。考えたってわからない。人生はゲームみたいに、リセットボタンがないんだから。でも、いくらでもコンティニューはできる。  反して助手席のナックルズは暢気なもの。ふんぞり返って、曇天の隙間で僅かに光る星を数え始めてる。さっきまで怒り心頭に発してロボットを破壊した姿と同じとは思えない。  星に飽きると、最後にロボットがくれた赤い宝石を夜空に透かして眺めていた。不思議な宝石に見えるのはアタシの錯覚かしら。カオスエメラルドより一回り小さいけれど、角度によって吸い込まれそうな透明感が現れたり、まるで水分が閉じ込められたかのような深みが出現したり、何だか万華鏡みたいにくるくる印象の変わるの。光に当ててみたらまた違った輝きを放つのでしょう。  また一つコレクションが増えた。感謝するわ。  加速する夜の海がぼやける。拭って、風を切るくらいの大声で話しかけた。 「ところでマスターエメラルドどうするのよ」 「カオティクスに預けた」夜に塗られて、赤いドレッドヘアが褐色に沈んでいた。三日月形に連なるそれらは風を受けて、独立した旗のようにぱたぱたなびく。たくましく盛り上がった胸板。アタシがさっき全部を預けた場所。  アタシだけの場所。そう信じていいのよね? 「最初からこの予定だったわけ? 用意周到すぎてムカつく。涙���そう」 「いちいち馬鹿にしやがってお前は!」 「馬鹿にするわ! アタシみたいな女に惚れた時点でね!」  それに、本当は馬鹿にしたんじゃない。幸せすぎて涙が出たのよ! 「ああ寒い」怒鳴りながら会話する。「早く逃げたい!」 「どこへだ?」 「どこまでも、よ!」 「これじゃ、オレが攫われちまう」  悪びれた様子もなくナックルズはあくびをする。手の中で宝石が、星よりも明るく輝いている。二人の未来を示すように。
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konoshigeko · 6 years ago
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映画
○「二重螺旋の恋人」   フランソワ・オゾン監督
○「テルマ」       ヨアキム・トリアー監督
○「マイナス21℃」    スコット・ウオー監督
3/13 「バットマンビギンズ」・「ダークナイト」・「ダークナイトライジング」面白いわ。ええ俳優が出てるわ。もう一回ちゃんと観よ。 
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