#世界の殿方達とすべて���性達に贈る!
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お気に入りのリラックスタイム
Genden-TukuRich®️の世界へようこそ!! VOL.272 寒くなってきた! 朝ベッドから出るのが辛い季節になってきた! 年々夏の暑さが長く秋が短くなっている様に思うこの頃… 皆様方はどうお過ごしですか? ���生は最近 寝る時、起きた時必ずと言って良いくらい愛用させてもらっていYouTube動画⁈がある 動画というより絵画で一部動いているシロモノでバックミュージックと良い関係が保たれている。 実に心地よい ホッとする なんか日常こんな事がある様な絵画が描かれている 朝はこれを見ながら朝食をとっている。 夜は寝る前にバックミュージックを聴いて夢の世界へ向かっていく そんな素敵なリラックスタイムな絵はこれ! お試しあれ! Song by Genden-TukuRich®︎ Apple music、Spotify…
#Genden-TukuRich®︎の世界へようこそ!#YOUYUBE#ありがとう#お気に入り#バックミュージック#ホッとする#リラックス#リラックスタイム#世界の殿方達とすべて女性達に贈る!#動画#寝る時#心地よい#愛用#感謝#日常#朝起きた時#秋が短く#絵画#自然#自由
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ムー旅 平将門巡り「胴と首をつなぐ」崇敬の旅 ・その2
さて、再び🚍に乗り込み、次の目的地は東京に戻って神田明神……ですが、高速に乗ってしばらくした所で渋滞にハマりました😰
運転手さんが頑張ってくれて、何度も車線変更しつつ行ってくれるのでそれ程はノロノロ運転というわけではなく、完全に止まることもほぼありません。ところが、ここで地獄に陥った方がお1人。🚍内で缶🍺を持ち込みほろ酔い気分になってたのが、いきなりの尿意に襲われたそうで。いつものクールなイメージがすっかり崩れ落ちるほど悶絶しまくられた挙げ句、松原タニシ氏からは、
「尿意(如意)輪観音のご加護」
という凄ぇパワーワードを送られーーあまりにも素晴らしい弄りに🚍内大爆笑でした。さすが関西出身だけあって���弄り方がプロですな😅他にも「平将門の呪い」って仰ってたけ��、そこは濡れ衣だと思います😂
そうこうして東京はまだかーーなどとなっているうち、三郷を過ぎいよいよ限界が……😖となったところで。
八潮PAの看板が!!
救いの神です。迷わず🚻休憩が入りました。戻られたあとは、再び「今度からオムツした方がいいんと違います?」と弄られておられましたけど😅
そのままスカイツリーを横目に、堀切~鐘ヶ淵~両国で高速を降りて、浅草橋からお茶の水へ。ここら辺になると、ほぼ庭ですね😊神田明神に到着した頃はとうに6時をまわってましたが、このようになお明るい。
⛩️の前で一礼して山門を潜ると、おお、さすが6月。夏越の祓の茅の輪がデデーンと目に飛び込んできましたo(^-^o)(o^-^)o
穢れを祓う為の人形(ひとがた)が貼り付けられています。取りあえずここで神職の方の説明(多分待ちかねておられたんじゃないかと💦💦)があるので、一旦茅の輪くぐりは脇に置いといて。
神田明神(神田神社)についての説明を受けました。何度かお詣りに来てるので概要は知ってましたけど、やはり奉職なさっておられる方からの説明はそれ以上に知識が深い。
前編では、延命院や國王神社には常駐の神主さんも住職さんも居られないと書きましたが、例祭の折は神田明神(正式名称は神田神社だけど、生まれも育ちも東京在住者にはこちらの方が馴染みが深いので、そのまま神田明神と呼ばせてもらいます)からも神職者が派遣されるそうです。なるほどー😲
そもそも、将門塚保存会から石碑を贈ったりするくらい、坂東市と東京の繋がりって深いんですよね。将門ネットワーク。
神田明神は関東大震災で本殿が焼失しており、現在のもの���「二度と燃えるところを見たくない」という氏子さん達の意見を取り入れて、鉄筋コンクリート造りで再建したそうです。当然構造上は木造より強度が増しているので、柱はそれほど必要とはしていない。なのに本殿の支柱が多いのは、日本の神社建築に沿った建物にする為。確かにこの方が威容がありますもんね。
説明のあとは茅の輪を慌てて8の字にくぐり、ツアー参加の皆さんがずらっと並んでいるのを尻目に境内にある波除神社を参拝。ここだけは将門さんとは関係がありませんが、父方の祖父が戦前築地に勤めていた関係で(波除神社は築地からの分霊なんです)どうしても頭を下げておきたかったの!!
時間に余裕があったら他にも(神社裏の階段とかw)寄りたいところですが、それはまた個��で💪😁
ようやく待っている人が少なくなったところで、本殿に二礼二拍手一礼。本当は神拝詞も唱えたいところですが、あれをやると隣にいる人がぎょっとして、変な人認定される可能性があるのと、時間がないからカット💦💦
すぐに🚍に戻り、最後のそして最大の目的地である将門塚(首塚)へ。流石にここでは日没しており、
薄暗い逢魔が時の中での参拝になりました。
しかーし、
2020年からの改修工事により、以前あった筈の植え込みがほとんど失くなっちゃってる😳
もうね、まっ更な綺麗な塚以外は何んにもない空間なんですよ。
子供の頃とか、よく「首塚の写真を撮ろうとファインダーを覗くと生首が飛んでくる」という噂がまことしやかに囁かれて、都市伝説となっていましたが、そんなおどろおどろしさは全くなく。単なる史跡になっちゃってました。確かに参拝はしやすくなったろうけど、これはちょっとクリーンになり過ぎ💦💦
恐らく、パワースポットとしての役割はほとんど消えちゃったんじゃないでしょうか?お詣りする人の念が溜まっての意味もあるもんな、アレは😥
ちなみに将門塚の改修工事に伴い、将門塚と延命院とで互いの土を交換しているとのこと。
ともかく、私にとっては付近はさんざん歩くものの、生まれて初めての将門塚訪問。
い・ろ・は・すで簡単にお清めをして、手を合わせました🙏お賽銭入れにはやはり九曜紋。こちらの石碑が先程の神田山延命院と対をなすものか……どうぞ安らかに東京の街を護って下さいーーそう願って、ここを後にしました。
さて。時間は7時を過ぎ、トークショーとディナーを頂く為に浅草ビューホテルへ到着。こちらが最終地点となる為に、🚍とはお別れです。お疲れさまでした。そして、ツアー初めから色々とお世話になりました🙇♀️
運転手さんが親切に教えてくれたお陰で、座席難民にならずに済みましたもん💺
ホテルでのイベントはムー旅のみだったので、至る所で案内板が💦💦
そして通された宴会場広ーーーい!!
いちテーブル大体5名ほどで、まずは乾杯用のソフトドリンク(オレンジジュースとウーロン茶の2択)が配られました。
司会はムー編集部のM氏。三上編集長との阿吽の呼吸の掛け合いが楽しいです。ここでパワーポイントを使っての旅の振り返り。松原タニシ氏と同行��れたカメラマンの方が撮影されてたのかな?
トークショーは撮影禁止でしたが、ディナーのフルコースのみ撮らせてもらいました。
凄い豪華だったんですよ。こんな本格的なご馳走にありつけると思ってなかった😍💕
蓴菜の餡といくらの乗った胡麻豆腐、お刺身はマリネされてサラダ仕立て、白身魚(スズキっぽかった)の香草焼き ラタトゥイユソース添え、ほたて入りのパエリア?(サフランライスかな?バターが効いててコクがあり、とても美味しかったです💕最初ちょい少なめに��いじゃったので、後から余っていたのをおかわりさせてもらいました💦)、コンソメスープ。デザートはいちごのムース フルーツ添え、コーヒーはデミタスカップでしたが、エスプレッソではなかったです。香りが良かった💕
ツアー参加者が食べている間もずっとトークショーは続き、ちょっと申し訳なく思ってしまいました💦💦
トークの内容は、事前に🚍の中で記入してホテル到着時に回収された、参加者からの将門さんに関する質問が中心……の筈だったのに、いつの間にか三上編集長個人への質問が😳
それアリなんですかーー🤣
Q:いつも黒い服を着ていらっしゃいますが、私服なのですか?
A:私服です。そろそろクリーニング代を計上しようかな(え!?)
Q:正月カレーは何日続きましたか?
A:100日続けました(元旦から🍛を食べ続けておられたそうで……それを知ってるムー民の方からの質問が濃いい😂)
Q:お化けを見る方法を教えて下さい
A:出るところに行けば見れます。
ここで、聞きたくなかった情報が……霊能者の方はほぼ体温が低いそうなんですね。私、平均体温が35.6℃なの😰更にコロナが5類になるまでは、外出先で体温測ると大概エラーマークが出ました。34.6℃とかが普通だったから💦💦
ほぼ零感だけど、たま~に怪音を聞いちゃった経験があるのに加えて視える人間が周りにごろごろいるの。てことは、今は視えてなくてもいつか条件が合致しちゃうと、視えちゃうようになる可能性もあるのかも😱
嫌だー、面倒臭いぃーー‼️
トークショーの締めくくりで、三上編集長が「無事かえる」の話をしておられました。これは、将門さんの首が晒されていた京都から戻ってきたことを表しているという説が主流ですが、更に蛙(かわず)⇒河衆⇒河童の意味もあるそうで。行きの🚍の中でたたらの話も出てたもんなー。ともかく、旅から無事に家に着きますように、と。
楽しいツアーでした。ムー的にも歴史的にも、多方面で濃いい話が満載でした。
余談ですが、家にある将門さん関連で読みたいなと思っていた何冊かの📚
もしかしたら、今なら簡単に見つけられるんじゃないかな🤔と考えて、探してみました。どこに置いたかすっかり忘れてて、見つ��るまで何時間かかかっても仕方がないかな😥って思ってたんですが……何とわずか15分くらいで全部出てきちゃったんです😌
ご縁が出来るって、こういうことか!!
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「No More Heroes III」を頑張る日記 〜その1〜てかいきなりトロコンしそう、その価値を抽出して🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞を1コマ、入手しました(`_´)ゞ
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🏴☠️ジェス・パディスト・6世☠️「−999999???」 実際の所最後はショックと虚無感が大きく地獄行きなのも当然だとも思ってもいた ラストで全てをかき消される。最恐の敵は家族だった……「トゥルー数値、−2000」
☠️真の裏ストボス「−999999OVER」🏴☠️
緑化運動で詰みかけています😅 サカキ様に契約付きでプレゼントしたポケモン……悪用したら片っ端から没収する設定だから(半年後にまた再贈与)まだなんとかなるが それと違ってブラックハート様に溶かして二度と返って来ないとしてもプラチナトロフィーは取りたい(^◇^;)
頭おかしいだろおい‼️‼️海外のサイト必須だぞこれストーリーに力入れろよ諦め無いけどとんでもねえ作業だな💢😡💢
現在の所持品➡︎ 🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞(守護女神ブラックハート様達の魅力にも好影響を与えるアイテムだが、エルンスト・フォン・アドラー様をはじめとする絶対悪のカリスマを強化[特大]する効果も秘めている熱源✖️4コマ) ←実績有りのゲームをオー���クリア、ノベルゲー以外(別Ver2)
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った���空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言���が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を��揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。こ���慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活��った。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の��下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いもの��つくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田���太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦���中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を��したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血��涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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ベルリン・ヴェネツィア行ってきました~~~!超長いレポだよ!旅行中に毎日うpしようとしてたけど気力が続かなくて寝ちゃったのでまとめたよ!w
関空で朝8:55発で、滋賀から始発でも間に合うかどうか微妙という怖い時間なので フォロワーの大阪さんちにお泊りさせてもらいました!ありがとうううう で、便利なシャトルバスとか教えてもらってまぁ出発はスムーズ! ルフトハンザでソフトミール食にしてみたよ!でもドイツ人のCAさんが「Special meal?」って隣の席の人まだ配膳されてないのに 先に配膳してくれたから、なんか気まずい笑
この野菜とかはぶちゃっとしたゆですぎ野菜だからこれはマジで助かった^^ 白いのはおさかなで、解いて小さくなってるし!!次の写真のトマト付いてる赤いのはチキンで、 このワンプレートに限っては頑張ってくれている~~ でもあとは確かに普通食よりはソフトミールかもしれないけどもっと柔らかくしてほしかった、みたいなレベルかな笑 しょうがないね笑 食べにくかったので途中しんどくて残したけど、ありがとう!!!ソフトミール無かったら食べれなかった!笑
で、ミュンヘンの乗り換えを経て!ベルリン着いた!!!空港からホテル最寄りのアレクサンダープラッツ駅の近くについて、 テンション上がってとりあえずパシャ!!みたいなやつだ!笑 一人でもバスの切符買えた~!乗れた~!着いた~!と嬉しくなるね! ホテルも駅チカな上にチェーン(?)でレストランも併設してあって平均より良いところだから、 お値段まぁ可愛くないけど���の分いい部屋だ~~! ドイツのホテルは3年前のミュンヘンもそうだけど、平均よりちょい上だと日本のホテルに近い快適なホテルだから すごく過ごしやすい!
ご飯調達と近場の散歩を兼ねてアレクサンダー広場に行ったらなんか祭りしてる! これはまるでクリスマスマーケットのよう!楽しそう!!食べれるものは少なそうだけど、とりあえず形式美でカリーヴルストとパン、ヌテラのクレープ買った^^ これ伝わりづらいかもだけど、カリーヴルストクソデカでめちゃくちゃ量多いの笑 で、これを同時に買ったら私の両手が塞がるのは言わずもがな、残念なことに水を買っていなくて… 水ないと何も食べれないので、ドイツってか日本以外でしちゃいけないと分かってたけど 空きテーブルに食べ物だけ置いて水買に行って戻ったら(5分もたってない) 掃除のおっちゃん(移民さんなのか黒人さん)にめっちゃ早口で「こら!!置きっぱなしにしちゃだめだろ! 5分経ってたら捨ててるからな!絶対食べ物置いてどっかいっちゃだめ!だめ!」って怒られて笑 ごめんごめんって謝っといたけど、まぁ分かってますよ!わかってたけど…ごめん笑 水を先に買うべきだったミスなんだよ~~笑 で、今は口の中の粘膜が薄くて刺激のあるもの食べれないから、カリーヴルストも3つだけ食べてパンだけじゃ食べれないし残した笑 クレープも3分の2くらいは食べたか?笑 腹は満たされてないけど辛いし固いし笑
で、しょーがなく駅の中まで行ってちょっとした売店でフルーツ盛り合わせみたいなのとカフェラテ! これがまた多いんだよww分かりにくいけど結構量ある笑 ホテルに戻って食べたので残りは冷蔵庫入れといた!
2日目!
朝ごはーん!!やっぱり楽しみだったよドイツの朝ごはん! この!シリアル!食べれなくて!1口で残しました!!ごめんね! パンは固いけど噛めば食べれるので超時間かけて食べた笑 ヨーグルトもチーズもハムもパンも美味しい~(と思う)ヨーグルトすごい濃厚! ドイツ式でパンを半分にカットしてバターを塗ってサンドイッチにして食べたよ!
んでアレクサンダー広場の教会やら噴水やらテレビ塔やら見て…私の計画性の下手さが出たんだけど、
ここで「あ~なんかある~」って思って写真に撮ったこれ、大聖堂です笑 しかしなぜかスルー笑
その先の目的地だったDDR博物館へ笑 そしてここは外装の写真無い笑 人がすごく多くて写真撮りづれぇってなってトラバントちゃんも居たんだけど撮れなかった…残念~ 日本語無いのでよくわからんけどDDR時代のお部屋とかかわいくて、素朴でよかった!
で、ちょっと離れたとこの文房具やさんまで行った!楽しいけど日本製品���ちゃ多くてにっこりしつつ、イギリスのものも多くて笑 買ったやつでドイツ製あったのかな笑
帰りにスープバーがあってジャガイモのスープ!おいしい!量も結構あるけど!w てか何故かみんな飲み物頼まないんだよwなんで?水飲んでたの私だけだったよ笑 ここのはパンかご飯か選べて、以外とご飯選ぶ人居てにっこり^^ 私は普通のご飯は食べにくいからパンにしたけど、スープストックを思い出す… でもこんなん、スープストックで食べたらちっさいスープ×2とパンorご飯のセットでも税込み1000円するから笑 ここのスープこの量で5ユーロくらいじゃなかったかな? こういうスープ屋さんがあるのは嬉しい~通いたかったんだけど結局この日しかこの店には行けなかった笑
午後は地下鉄!Uバーンに乗ったよ!!乗れた!!3年前は1回乗っただけでその時は通り過がりの人に聞いたりしたけど、 今回は!!1人で!!できました!!うれしい!てかドイツの駅は階段降りたらすぐホームだから迷いは少ないんだけど笑 でシュタージミュージアム!写真撮ったけどやっぱり英語とドイツ語しかないから…笑 なんか深い話が沢山あるとこだったと思うんだ、でもさっぱりなんだ笑 流石にこういうときは語学力欲しくなるね…笑 入館料安くないからもったいないし、ここまで来て推しの歴史を楽しめないのももったいないよね笑 結構見応えあってお疲れです笑 ここ、元々シュタージの使ってた建物なんだよね、雰囲気もそのままでよかったよ~
でここは東ベルリンの中心地より少し離れ��とこなんだけど、桜??か分からないけどお花咲いてたから撮った^^ 綺麗!この辺はシュタージの建物あるのもそうだけど、同じ建物がズラ―――っと並んでて社会主義臭すごい! 街並みだけで楽しい!ぷーちゃんはこういうとこ歩いてたのかな~~ なんか綴鈴さんの小説の表紙に描いたようなカラスが居た!!! あと、オスト-ヴェストカフェ^^芋兄弟が経営してるのかな~~ツイッターで誰か上げてたの見たことある笑 帰った時間はもう夕方超えてたから、ホテルのレストランで食べようとして、英語で説明聞いてたら、 「レストランとビュッフェがあって、ビュッフェは80ユーロ」って説明を「レストランもビュッフェも80ユーロ」と 勘違い解釈して、断っちゃって、でも後で「あれ!?違うわ、ビュッフェだけ80ユーロだ!」って気付いたんだけど 今更戻りづらくて笑 近場でバーガーキング笑 いつもだけどご飯は1時間以上かけて食べてるよ笑
3日目!
あさごはーーん!このチーズまじうまい…と思う笑 朝ごはんウキウキするね! んで今日は親父の墓参り!ポツダム行くのにグーグルマップに弄ばれて少し時間かけたけど、着いた!w
ポツダムのブランデンブルク門!なんや曇ってる~! カラフルな親父!!アウトレットストア見てなかったけど見たらよかった笑 お昼兼おやつ!代表的なケーキのシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(だと思う) そして倒されたケーキにぶっささるフォーク!w バタークリームで優しい感じだけどデカイし甘い笑 残しちゃったごめんね!
食べ終わって門に戻ったらめっちゃいい天気!!!綺麗!! 宮殿までのお庭もとっても緑が綺麗で楽しい~!きらきら!
で!サンスーシ宮殿!!!すごい!!でかい!厳か!!このときはなぜか内部入らなかった私は何なんだろうね??混乱してるの??笑 で、親父のお墓~~~!みんなジャガイモお供えしてる!!って私もポツダムプラッツ駅で買おうとしてたのに 忘れてた~~~!!w悔しいやつだ!!!あーー笑 野菜売ってるとこまで調べてたのに笑 あとは行くつもりの無かったオランジェリー宮殿に迷った結果着いたり笑 気を取り直してバスで新宮殿に笑 ここがプロイセン最後に建てた宮殿だって!
そしてサンスーシ宮殿の中は全部回ったあとの最後に入った!多分最後の時間のチケットだった笑 そして!!ここは!!日本語ガイドあったよ!!(涙) 写真は撮ろうと思ってチケットも買ったのに、なんか…雰囲気と説明で撮りにくくて撮ってない笑 あ、アホなのか…?!いや、なんか最後のガイド時間だった上に、日本語のガイドは時間がかかるのか、 全員の最後を歩いてたから、管内の見回りの人の視線もあってのんびりしづらくて笑 やだなこんなとこで日本人発揮しなくてもいいんだけど、金払ってるんだし笑 でもなんか全体の雰囲気で、撮りづらさとなんか親父の亡くなったとこをバシャバシャ撮ることにも なんだかなぁと謎の遠慮をしてしまって撮ってない笑 あほ~~~!!資料!!! まぁ撮影可のとこだしどうしても描きたければggれば出て来るでしょう…笑 芋も忘れたし、ここはまたリベンジをして次こそは宮殿内も撮る!!! それにしても親父のことめちゃくちゃ説明してくれるから嬉しい~~~ あ~~日本語ガイドありがてぇえ~~まじで今までの美術館やら博物館意味不明で疲れてくると わけわからんのに時間かけてドイツで何してんだろうなって自分で酷く我に帰るときあるからww 親父がフランス兄ちゃんやイタちゃんちの人と仲良くてフランス語の方が話してたとか、 そんな…そんな…ぷーちゃん…フランス語堪能だったりして…ヒェッ 人名なら親父や仏兄ちゃんにジルベールって呼ばれちゃったりするんです?!?!どひゃーー^^ あと親父が亡くなったときの椅子もあって…うっ…親父とぷーちゃんが見え…うっ涙 ここは親父のブドウ畑だったみたいで、中もブドウをモチーフにした装飾品や壁が沢山あってとてもかわいかった! 親父なかなかかわいい趣味してんじゃん!ってなったし、ここでは戦いを忘れる休暇の場所だったみたいだから ぷーちゃん調子狂うだろうな~とか思ってた笑 ロココ式だって!ロココ式!!(説明あったけど忘れたんやで)
で、帰ってきてアレクサンダープラッツ駅の世界時計~ 夕飯はホテルのレストランでスープ!野菜スープ優しい味~~(だと思う) ウェイターのお兄さんが最後「ありがとう!」って日本語で言ってくれて優しい世界だった…
4日目!
朝ごはん~~絵が同じやんけと言われたら少し違うんですがほぼ同じです!って感じやな笑
天気があんまりよくないけどベルリンのブランデンブルク門!東西統一のシンボル~!芋~~!
ハウス・アム・チェックポイント・チャーリーと壁博物館! とってもここもディープなとこでめちゃくちゃ見応えあった!!けど相変わらず何書いてんのかわかんね~笑 当時を知るお爺ちゃんがガイドしてたり、広島に通づる何かを感じるよね…OH… 壁とか、連合軍とソ連に支配されてたことを皮肉ってるグッズ屋さんは楽しかった!笑
アンペルマンショップ!本店じゃないらしいんだけど大きいしカフェもあった!
近くのカフェでスープ!これまた量がwwあとこれちょっと辛くてがんばったけど半分でギブ/(^o^)\ トマトベースで豆もたくさんあって食べ応えすごいww
そんでドイツ歴史博物館!ここも大きいし見応えすごいよ!でもやっぱり何書いてるのかわからないよ! ここまでくるとマジで私は何しに来てるのかなって思ってくるよ!!
で、ベルナウアー通り!壁の中の骨組み(?)がそのまま残ってるとこ!これ200メートル続いてるんだって、全部歩けなかったけど。 壁って、1枚ドーンってあったわけじゃなくて、「西(壁)数メートルの無人地帯(壁)東」って構造だったから それも残ってるみたい。夕方で壁記念センターも閉まってたからその層になってるとこは写真に収めれなかったんだけど、 なんかこの高さと威圧感と廃れた感じとか、木が並んでたり公園になってて小さい子やイッヌが遊んでるのを見ると、 ぷーちゃんと隊長は今はもうここに笑って来れるのかな…って…うっ…
夜はアレクサンダープラッツ駅のパン屋さんで気になってたプファンクーヘン!(粉砂糖ついてるほう) ジャムはいっててふわふわでおいしい!(と思う)こっちパン固いの多いからふわふわに出会うと嬉しいね! これ、ベルリン発祥だから、ベルリン以外の人はベルリーナーって呼ぶんだって~ ハム?が乗ってるのもおいしかったよ!
5日目!
朝は少なめ!遅かったんだ~笑 このパン、自分で好きなだけカットするタイプだから、中がふわふわなの~ のんびり出発! お昼はフォロワーさんがお見舞いに贈ってくれた「東ベルリンをたどる旅」って本に載ってた東ベルリンの家庭料理が出て来る レストランに行こうと思ってggったら閉店してて笑 えー!w なんてこったい!wってなったけどしょうがないので東ドイツ料理でggったら 評判いい感じのとこがありそうだったので調べて行った!
赤い!レトロ!DDRみのある内装で、食べてみたかったソリャンカスープもあった!! ガチ東ドイツ発の食べ物ならケーニヒベルガークロプセも食べてみたかったけど、肉団子だからしんどいの分かってたので笑 このスープ元はウク姉さんかロっさまのとこのらしいけど、東ドイツの家庭にもよく出たんだって!ソ連スープか… あかーい!けどこれは辛くないよ!むしろレモン入ってて酸味あってびっくりした笑 でもこっくりしてて、懐かしくて、やさしーい味だった(n*´ω`*n)サラミも沢山はいってる! これはぷーちゃん作ってくれたらすごく…いい…俺様特製ソリャンカスープだぜ!! でも隊長はソ連のときの兄さんを見ちゃうから 俺はあまり(名前が)好きじゃないとかなんとか言ってくれてもええんやで でもこの懐かしくてこっくりした味を食べた隊長は兄さんのやさしさを感じて泣きたくなる味だから食べたくないのが本音 っていうのが大歓迎やで ベルリン居ると芋芋してくる…笑 ここはとても良い経験できたな~嬉しい…ドイツ人のおばちゃん4人グループが先に待ってたけど、 料理がデカイ皿に肉と芋ドーンって乗ってきてて、ペロっと食べててびびる笑 途中、厨房から「アァァーーオオオオーーーウオオオオーウ」って雄たけびが聞こえて笑 お客さん全員びびってたけど、なんかコックさん怪我したみたい…だ、大丈夫か…笑 んで計画性のgdgdな私は2日目に写真だけ撮った大聖堂をこれから内部見に行くよ笑
とっても綺麗でドーンっとしてた…ここはホーエンツォレルン家の墓所でなんだって!棺いっぱいあったよ~ そして頂上から東ベルリン見渡せたんだけどくもってる笑
んでポツダムプラッツ駅!壁の跡地をまた見て、ツイッターで見かけた「Super Dry 極度乾燥(しなさい)」を発見w 笑えるwこれは本物みるとまじでジワジワ笑えるw この商品、日本持ち込み禁止なんだって笑 アサヒの著作権の関係で関税でひっかかるらしい笑 ここも壁たくさんあったよ~
次はベルリンに住んでる普(芋)領フォロワーさんと老舗バウムクーヘンのお店でお茶した! 美味しかったと思う!わからんけど!そんなに日本のとギャップは感じなかったよ! そのあとベルリンを案内してくれて、私のgdgdの計画性が浮き彫りになるくらい色々見落とししてて笑
ホーエンツォレルン家の名前を見つけたここはジャンダルメンマルクトっていう今は音楽堂?らしい笑 ドイツの教会とフランスの教会が隣接してるとこだって~~ プラプラしながらここはアレですよ~って言いながら案内してくれたんだけどほぼ忘れたから今調べてる笑 自分で調べて行くと覚えるんだけど思考停止で付いていくと何してたのか忘れちゃうw
ここはコンツェルトハウス・ベルリンっていうクラシックの劇場らしい!
この辺はフンボルト大学前のベーベル広場なんだけど、このデカイのがフンボルト大学だって…笑
そんで老舗のチョコレート屋さんに連れてってくれた!
あとは建設中(?)のベルリン王宮!プロイセン王やドイツ皇帝の居城だったみたい。 ここは建設費の寄付ができるみたいで、高額の寄付をした人は名前が宮殿内に刻まれるんだって! で、この普領のフォロワーさんは芋領集まって数人で結構な高額を寄付して名前が刻まれているらしいww 推しが消失してるからなんとか寄付しようとする普領と名前刻んじゃうのがwwヘタクラ流石や… 普領と日領ってどっちも宗教みというか、崇拝み感じるよねww まぁそれは?日本さんが?プちゃんに似てるからかもですけど???(突然のぷにち世界感)
そして帰りに赤の市庁舎~~ で、初日にやってた祭りは毎日ずーーとやってて笑 フォロワーさんに聞いたらここでは何かと理由付けて祭りを結構な頻度でしてるんだってw そしてクリスマスマーケットもまんま、このまんま出店出てるらしいw 夕飯はホットドッグ!だけど時間かかるので私はホテル持って帰って食べたよw フォロワーさんありがとう~!!短時間で沢山ベルリン回れた!やっぱ助かるわ~~
6日目!
今日は移動日!最後のドイツ朝飯!やっぱりハムとチーズが最高なんやで 電車もバスも地下鉄もすごく便利で乗りこなしたから、空港まで楽だった! ベルギーちゃんちの飛行機移動にしたけど、鉄道移動でもできたかもしれんなぁ、と 経験したら思えたね!w 鉄道怖くて飛行機にしたんだ笑 高いけど… で!ベルちゃんちの空港!1時間しかない乗り換え、しかもこの動きにくい口でワッフルチャレンジ成功しました! すごい!w美味しかったと思う~~! で、ヴェネツィアついた…けど!!!!問題発生!笑 荷物が一緒に来てない… ロストバゲージのとこで話せない英語駆使してなんとか手続きできた…けど…w イタちゃんちとか信用ならないからさ!!!!w「明日ホテルに送るわね」絶対来ないやん…w で、シャトルバスの切符買ってバス待ってたら、それっぽいバスが来たんだけど 私しか並んでないから目的地のメストレに行くバスか不安で、降りて来た運転手さんに「メストレ…?」って聞いたら 「メストレだ!ヴェネツィア本島行きじゃねぇぞ!」っていうのと、 プラス何かよくわからんことを英語でばーーーって早口で言われて笑 「イ、イエス!メストレ…!」しか言えなくて「あ?!だめだこりゃ通じてねぇな(的なことを言ってたと思う)」って笑われてw イタちゃんちのオッサンの圧力に引いてる私を傍で見てた若いイタちゃんちのお兄さんが スッと私の手から切符取って傍に合った打刻機まで行って打刻して返してくれて笑 運転手のオッサンがその切符を受け取ったら「ほら!行くぜ!乗りな!」って言われて急いで出発笑 途中、「ちょっと寄り道するから!大丈夫!ちゃんとメストレには行くけどちょっと寄り道させろ!」って バス会社のとこに寄り道して、「1分だ!1分で戻るから!待ってろ!」って持ってた傘を職場に返すために走って降りてって 私は「い、いえす、おっけー」くらいしか言ってないんだけど笑 まじですぐ帰ってきて「ほらな?すぐ帰ってきただろ?グラッツェ(投げちゅ)」ってして笑 まぁ、この出来事は無事脳内でロマーノちゃんに変換されたし、 バス乗る前のスマートに優しいお兄さんはイタちゃんに変換されたよね… 荷物届いてないことももうこの2人で許しはしなくても癒されてた笑 ただ、旅行保険も、安くするために病気やケガとか、高額になりそうなのはプラン入ってたんだけど、 ロストバゲージとか品物が壊れたときのプランは起こってもヤバイ金額にはならないと思って抜いちゃったんだよね… アアアア…w
ホテルついたんだけど、前日に「チェックインは10:00~14:00までだから、チェックイン希望時間を事前に教えてね、受付を開けるから」って来てたから 「18:00~19:00」で回答してたのに開いてない…wもう!!!www 同じ建物内のレストランのおじさんがたまたま近くにいたから、「ここのホテルチェックインしたいんですが知ってますか?」って 聞いたら、「電話するんだよ、ここの看板に番号乗ってるでしょ?」って…w えーーーww私には電話なんてハードル高いよぉ!wてか国際電話代ってご存知ですかぁ!?って言いたくなったww じゃあなんで何回もチェックイン時間聞いたんだよw開けとけよww 電話でチェックインしたいんですって言ったらまぁ来てくれたんだけど…w ホテルはイタちゃんちらしくちょっと古い建物でアナログな感じ笑 かわいいんだよ!センスはすっごく良くてオシャレ!トイレットペーパーにはハートの模様が入ってたり、 こういう小さいかわいさやセンスはドイツには無いしワクワクするんだけど、 若干不便笑 なにより階段しか無いから荷物届いたら不安…w私今筋肉落ちてるんだけど…w 開ける荷物も無いし、すぐに近くのスーパーで食料と生活用品を買ってきた笑 無駄な出費もだけど、イタリア語じゃ何が何か分からないから時間かかる~~! 結局ニベアとか、分かりやすいもの買ったけどイタちゃんちで何買ってんだよって話笑 しかしイタちゃんちは…スーパーのサンドイッチも美味しいね… うん、ドイツも決してマズイものには当たってないけど、イタちゃんち…美味しいね…w なんていうか、イタちゃんちで起こる色々なハプニングやアナログで不便なとこも、全部美味しいご飯と人柄と 恵まれた土地に許されてる感じすごいする…w憎めない…!!!w
7日目!
ヴェネツィア本島~!いい天気!やっぱり素敵だ~~ヴェネツィア以上に癒しと綺麗があるところあるのかな?! もうほんと…ヴェネツィアすき…気分もルンルンになるし、海が癒しなのかな… 今日の目的はブラーノ島!3年前、ラグーナの島々のうちムラーノ島しか行けてなかった上に雨で笑 せっかくのイタリアほぼ雨だったから、今度こそブラーノ島をリベンジ! ヴァポレットっていう水上バスを利用するんだけど乗り換えでムラーノ島にも寄ったからガラスの買い物だけしてブラーノ島へ!
超綺麗!!このカラフルなお家が見たかったんだ~~!すごい~~!かわいい! 何が悲しいって、荷物が無いから化粧できないわ昨日と同じ服だわ涙
街歩いて、ご飯はシーフードリゾット!これなら!私でも食べれるのでは?!と思って笑 食べたら米かてぇwwwくwwパエリアじゃないけど、芯残ってる系なんだね…w がんばったけど半分くらいでギブ/(^o^)\w でもめちゃくちゃ海鮮の匂いとダシが効いてる!!(と思う) きっと味覚があったらすっごい美味しいんだろうなぁと思った!!すげー! 多分この店はアタリだ!!!イタちゃんちも、「このレベルなら日本でも食べれそう」みたいなとこはあるから そういうとこに入ることもあるんだけど、ここは!!いいと思う!!これは!! 見た目が地味だけど、イカもエビも沢山はいってたよ! で、あとはブラーノレースを買ってホテルに帰ろう!としたんだ。 でもヴァポレットがかなり混んでて、人がすごい並んでる笑 16:00くらいに並んだのに1時間以上待ってた気がする…w 私が行きたかったのは「ホテルのあるメストレ行きのバス停があるサンタルチア駅行き」だったんだけど 急に「サンマルコ広場行きに変更!」って言われてwえー!?w サンマルコ広場とサンタルチア駅は快速のヴァポレットに乗っても30分くらいのとこなんだ笑 でもこのラグーナの島の中でもブラーノ島は特に本島から���れてて、サンタルチア駅からは1時間30分くらいの距離にあって 結構遠いから、とにかくサンマルコ広場でもいいからヴェネツィア本島に行かないと怖い笑 これ以上この離島には居たくなくて行先変更でも乗ったんだ笑 で、この行先変更のヴァポレットに不安を持ちつつ乗ってたら日本人の1人のオッサンが声かけてきて 「あの、日本人ですよね?一人ですか?」って笑 「はい」って言ったら「この船サンマルコ広場に変わるって言ってましたよね笑」 「そうなんですよ、私はサンタルチア駅に行きたいんですが不安で笑」 「僕もなんですよ…名刺今は無いんですが、僕○○会社(大手企業)でベローナに出向してるんですが、明日もベローナで仕事だから 今日中にはベローナに帰らないといけなくて…サンタルチア駅発の新幹線(レ・フレッチェ)が20:10なんで間に合うか怖くて笑」 「それは怖い笑」って感じで話てくれて笑 そんなこと言ってたら「リド島~~!」ってヴァポレットの案内のおっちゃんが言うからwww みんなリド島で降りるしwwサンマルコ広場行かんのかい/(^o^)\w リド島もラグーナの島々の1つでまだ本島とは離れてる笑 リド島も行ってみたいとは思ってたけどこんな形で行きたくなかったよw 次のヴァポレットまで激混みだから観光なんかできないし時間的にも余裕無いし笑 一応乗り換えでサンマルコ広場には行くみたいなんだけど、既にこの時19:00前笑 おかしくない?!16:00には帰ろうと行動してたのにまだ離島/(^o^)\ まぁそんな中色々オッサンと話してお互い1人だし一緒に並んでたんだけど、 オッサンが「ベローナいいところだよ~~普段は観光客もヴェネツィアほど多くないし、 落ち着いてて綺麗で過ごしやすいからおいでよ~案内するしご飯おごるよ!」 って言ってくれてたので「じゃあ明日行けたら行きますわ!」みたいなノリで約束して笑
なんとか乗り換えたら19:30くらいにサンマルコ広場について20:00くらいにサンタルチア駅についた! オッサンは予約してたレ・フレッチェには乗れなかったみたいだけど別の列車には乗れて無事ベローナについたよう笑 さすがにサマータイムでも20:00超えてくると暗くなってくるし、メストレは移民さん?かな? 黒人さんが多いのでちょっと怖いからウロウロしたくなくて笑 夕飯と明日の朝食のためにスーパー行ったよ!
もう結構疲れててイタちゃんちに振り回されている…ってなってたんだけど、 お惣菜コーナーでグラム注文はハードルが高いので個数で注文できそうなものを頼んでみようと思って! 自分で言うのもなんだけどここにきてお惣菜チャレンジするの中々アホだよね笑 お惣菜のお兄さんに話かけた「英語いいですか?」「んーちょっとなら」「私もちょっとなら笑 これを2個ください」って言ったら 2個包んでくれてグラムによる値段のバーコードが印刷されたシールをお惣菜に貼ったあとに、 1個また出してきて「手出して、これあげる」ってオマケしてくれて!! おにいさーーん!!これはイタちゃん変換余裕ですわ… その後は何言ってるか分からなかったけど、多分「いいんだこんなくらい」って感じだったと思う笑 いつもしてるのかな笑 これだからイタリアはやめられないぜ…くっ…このポテトうめぇ… すごくうれしい気分になるよね!!イタちゃんちが憎めない…憎めない…!w 内心「やべーお水無いのにこんなもん食えんのか」って思ったけどなんとか食べれた笑 あっちの人ってお金払う前でも堂々と食べて後払いとかするけど、スーパーでそれするのは私にはできないし、 「お前何食べてる!」って捕まったらどうしようかとドキドキしたよ笑 で、届いてるわけないだろうと分かってても「明日にはスーツケース送るから!」って言ったのを 一応期待してホテルに戻ったけど、まぁ、届いてないよね笑 また明日もノーメイクで同じもの着るのか~~~イタリアでこそ着飾りたかった笑 下着は洗ったよ、さすがに笑
8日目!
ご飯がスーパーのだから写真撮ってても雑になってきててここにうpするほどの写真がないので前日の夕飯から飛ばしています笑
すでにイタちゃんちでの出来事が濃すぎてドイツ行った記憶がはるか向こうになってた笑 今日はベローナに行こうと思う!けど、荷物が流石に永遠に来ないんじゃないかと不安にもなってたので がんばって空港に電話することに!した!でも英語なんかできねーぞ! しかもつながらない笑 おいいい笑 てかロストバゲージ案内の紙には「このURLにアクセスしてPINコードを入力すれば自分の荷物状況がわかるよ」って 書いてたんだけど、そのURLにまずアクセスできなかったんですけど!!!ww もう!!イタちゃん!!wだからしたくない電話することにしたよ…w なんとか繋がって「荷物が昨日届く予定だったけど、まだ来ないよ」って言ったら「明日には届くから待ってて、 何か変更あればまたこちらから電話するよ」って切ったんだけど、ほんまかいな…笑 で、観光しようと外出ようとしたら部屋の鍵があかない笑 私ね、普段から鍵回すのド下手くそで日本でも鍵が開きません!!鍵の回し方わかりません!! ってよくなってるんだけど、ここでもそれが出て笑 内心、多分鍵が悪いんじゃなくて開け方が悪いから、冷静になれ…冷静になれ…って してるんだけど、開かない笑 面倒だからオーナーに電話して開けてもらおうかと思って電話したら「鍵が…開かない」「え?鍵?がなに?」 「鍵が…部屋側から開かないんです」「ん?アンロック?(英語下手くそすぎて伝わってない)」 「…?アンロック…アンロック!(アンロックの意味を真逆に解釈した私はここでなぜかアンロックを肯定)」 「??OK,バイバイ」「??ばいばい?」「(電話きれる)」「???え??通じたの?来てくれる?w」 っていうクソ会話をしてしまって30分待ちぼうけ、ここでもう1時間くらい鍵が開いてない笑 で、開かない~~ってまた格闘してたらなんかどこかでガチャっとアッサリ開いてwwww オーナーがアンロックのくだりで来ないことは分かったからよかったものの、もう!なんやねん!と自分に情けなくなるww で、ホテル出ようとしたら、ちょうど!!空港から荷物届いて!!清掃のお姉さんが部屋まで荷物を階段上がってくれた! チップ渡したけど、お姉さんかわいいし優しいんだ!イタリア語しかできないけど、グーグル翻訳で何回か助けてくれてて笑 気を取り直して荷物を部屋で開けたら…
ワインが割れて…ました… ドイツで…ポツダムのサンスーシ宮殿で買った「プロイセンプレミアムワイン」割れてました… アアアアアアアン涙 これは!!悔しい!!!一応荷物でカバーしてたつもりだったんだけど足りなかったんかな… それかかなり雑な扱いを受けたのか笑 悲しい…これは絶対買うって決めてたし…ううう( ;∀;)プロイセンワイン飾りたかった~~~~ そして被害がwwwwくっそお!wお土産ベッタベタだよ!ワイン臭すごいし!w 破片で怖いし!ww ドイツで買ったお土産結構な確立でワインまみれになってて、チョコも未開封そのまま捨てたし、 お土産の外箱とか包装までベタベタだからこんなん持って帰るのも帰れない笑 すごくかわいい包装や箱もあったの…なんなら、箱とセットだから素敵ってのもあるやん?w ほぼ捨てたよね笑 ただ、不幸中の幸いは、ワイン守る用に周辺にポケットティッシュを8個くらい敷き詰めてて、 ワインもこいつらが使用済みのオムツみたいなレベルで吸ってくれてたから被害が抑えられたと思う笑 破片もすごいけど、ワインは位置変わってないというか、割れても形?を保ってたんだよ! だから服を収納してた片側には行ってなくて、雑貨側の片面だけで済んでた!(写真は周辺の荷物を除いた状態) だからね、ちょっとは守ってたことを証明してるんだけど、一体どんな衝撃きたんだよ/(^o^)\ww このスーツケースいい値段してたから、多分外側の防御力はいいのかも笑 でも中身は耐えられなかったんかな笑 使いたくないし、持って帰りたくもないからさっきの清掃のお姉さんに「このホテルで不要なスーツケース捨ててくれる?」 って聞いたらOKもらえたので、今日はスーツケース新しいの買おうと思う…wくw 今日こそはお洋服��着替えられるし、化粧もできる!テンション上がる~!!
準備してベローナ行きのレ・フレッチェに乗った!! んだけど、私としたことが乗った瞬間に「あ。やべぇ打刻してねぇ。罰金不可避(悟り)」ってなって笑 この時点で荷物の開封とショックで疲れてたのか、 「もうええわ罰金くらい払うわくそが」みたいな感じですげー堂々と切符点検のお姉さんに 「ボンジョルノ!グラッツェ!」っていい笑顔で切符渡したら何故か見逃してもらえたwww え?!なんで?!観光客にも容赦ないんじゃないのか?w挨拶が大事ってことの証明?w 何にせよ内心「罰金いくらやねん(涙)」ってなってたから嬉しい!w これだからイタリアはやめられねぇぜ… これでまだ午前中、ちょうどお昼くらいの話なんだから濃いよね~~ で、昨日のおじさんと合流!お仕事はフルタイムみたいな感じではないらしく、遅めのお昼から一緒できそうとのことだったので、 案内してもらうことに!
「本当に来るとは思わなかった」「あ、なんかすみません社交辞令を真に受けて来ちゃって」 でもまじでベローナ行ってみたかったし、ヴェネツィアは2回目だったし、気分転換がすごい! ベローナいいね!綺麗で!落ち着いてる!ヴェネツィアの癒しとはまた違うけど、 イタリアの大陸側の観光って初めてだったから新鮮な気分だった! あ、海のないイタリア観光ってこんな感じなんだ~って笑 しかし改めてヴェネツィアの戦闘力の高さも認識はしてしまったんだけどね笑
観光中心地の広場のレストランでまた懲りずにシーフードリゾット! なんだけど、これ、スパイスが効いてて普通の人には何ともないレベルの量なんだけど、 私には辛すぎて口の中痛くて食べれなくて笑 このオッサンはチーズと鶏ミンチのリゾットだったから交換してもらった笑 やさしい味~~チーズいい香り!イタちゃんちのチーズ美味しい~~(と思う) ピッツァも挑戦したいけど無理そうで諦めてたからチーズ嬉しい! シーフードリゾットは1口しか食べてないけど、昨日のブラーノ島のやつのが美味しいと思う笑 見た目は豪華だけどね! で、まぁやっぱり米は固いので半分くらいでギブしたんだけど笑 このオッサンも名刺くれて一応怪しいものではない認定をして(遅い) 話を聞いてたら「手術や治療で普通にご飯が食べれない人用に鼻や胃腸に直接入れる栄養食(粉を水で溶かして使うやつ)」を 開発した人らしくて。 この商品は病院でかなりのシェアがあるみたいで、私は粉末を溶かすタイプは使ってなかったけど、 同じ病室でこれを使ってる人がいたから、何言ってるのかはわかったんだけど、 お世話になってたかもしれないし、私も栄養剤鼻から1か月は入れてたから他人事じゃなくてな! すげー巡り合わせだ!っておお!ってなったね!笑
んでまぁアレーナっていうローマのコロッセオの次の規模らしいものみて、
街並み見つつロミジュリの舞台見て笑 あと大きい教会が3つあるみたいなんだけど、1つは近くだから見に行った!
すごい綺麗~~~!やっぱイタちゃんちの教会は感動する…ぶわーーってなる… ドイツにも教会あるしそれなりに豪華なとこもあるし見てるし、宮殿も親父の拘りなんかすごくて 細かい装飾品や、すごいーって思うんだけど、 正直、イタちゃんちの感動ってドイツには無いんだよね… もちろん兄さん~~~!!みたいなのはあるよ!wそれは特別!w でも、なんていうか、イタちゃんのパワーを感じる笑 こういうとこに笑 イタちゃんにはむちゃくちゃ振り回されてるから、そういう点ではドイツのがかなり落ち着いて行動できたし 便利で過ごしやすかったから、ドイツのがいいとこも沢山あるんだけどね! これは3年前も思ったことだな~~
そして買わないといけないスーツケース!買った!! ヴェネツィアにもあるんだろうけど絶対高いだろうし、安いと騙されてそうで怖いな~って思ってたから ベローナのショッピング街ウロウロしてたらリーズナブルでかわいいお店あったので!! 写真はホテルで撮ってるよ。本物のほうがもっと赤っぽいオレンジだけど、いい色~~~ このお店のお姉さん、とてもかわいくて色々説明してくれたんだけど、 最初スーツケースが高くて奥の棚にあったから取り出してくれるときに 長いネイルした爪が折れちゃって!「あーっこれは痛いし…あーっまだつながってるしどうしよう」 ってなってたから「先に治療してきて、スーツケースあとでいいから」って言ったら 「ちょっと待ってね!」って行ってしばらくしたら戻ってきてくれたんだけど、 そのあともスーツケースを棚に戻したりわちゃわちゃしてるときに腕ぶつけたりしてて、 「今日はバッドデイだわ…」って言ってて笑 でもなんか、女子特有のすぐ仲良くなる感じになって嬉しかった笑
そのあとは今回初ジェラート!分かりにくいけどレモンとホワイトチョコ!驚きの白さ! 美味しい~~!(と思う)けど量多いから残した笑 日本だと「この量でこの値段は高いですわ」みたいなことたまにあるけど、 ヨーロッパは「この量でこの値段なら高くないけどこの量はいらない」みたいになる笑
最後はベローナの街並みを綺麗に写真撮れるとこで終わり!ここなんだっけ、よくわからんとこ笑 イタリアの信号は黄色あるよ!青はかなり時間短いけど黄色が以外と長くて焦り損する笑 この日もパンとお惣菜買って夕飯!ヘタにレストラン行くよりこのくらいで済むほうが楽だよ笑 ご飯に1時間とかかかるから長居もしずらいんだよね笑
9日目!
これシュリンプのサンドイッチなんだけど美味しかった…と思う笑 あっちって牛乳常温で売ってるんだよね~確かにお菓子のレシピでも常温に戻してから、って書いてるし冷やす習慣ないのか??開封したら別かな?
今日は天気悪い~! リアルト橋だよ!3年前は改装中でこの姿見れなかったから嬉しい!
ヴェネツィア来たら行かないと、みたいなサンマルコ広場に行った! やっぱすげーけど曇ってるゥ!この広場の鐘楼も聖堂も美術館も3年前にコンプリートしてるので、中は行かない! 別ジャンルのフォロワーさんが別ジャンルに移ったときにヴェネツィアが舞台のお話みたいで 推しのためにお土産を買ってきてくれ、ってミッションも無事こなした!
そして3年前しなかったクソ高いカフェでお茶する! この網は鳩が近くに居てサンドイッチとかも食べに来ちゃうから、それの防止笑 いえーい優雅~!生演奏聞きながらクソ高いカフェラテとサンドイッチをいただきますわよオホホ キャビア乗ってるじゃないでございますの、初めて食べましたわ… しょっぱい…魚卵…って感じだね?(魚卵ですからね)
このあとはまた行けてなかった教会に行こうとおもって、サンジョルジョマッジョーレ教会に行った! けど雨ェ!w
中にはいきなりシャレオツなオブジェあったよ…!なんで!? 教会の中に突然オブジェ置くものなの??よくわかんねーな…日本じゃ神社の中に突然現代美術品置くっての無さそう…
てっぺんからの景色はよかったよ~~けど晴れてたらもっとよかっただろうなぁ笑 雨にクソ打たれてオギャーだよ!
でも雨あがったら少し晴れてきてサンマルコ広場戻ったらいい感じ!
買い物しつつ、また同じ高いカフェ入ってティラミス食べた!けどあまいよ~~~ 胃にもくるので夕飯イラネェ…ってなりつつなんとか食した笑 明日は帰るので今日は早めに寝るぞ!
最終日
私はここで焦っていた… このホテル、実は旅行前に日本で自動的に支払いがされてて笑 メールで突然「支払いが完了しました!」ってなってたから、「え!?てめー聞いてねぇぞコノヤロー何勝手に決算してんだ」 ってちょっとムっと思ってたんだけど、すっかりそれを忘れてて笑 3年前も今回も現地払いを前提に予約してたし、今回もそのつもりでいたから忘れてて、 受付に普段いないオーナーに前日に「明日、朝の5:50にはチェックアウトしたいよ、私はどうすればいい?返信ちょうだい」 ってメールしてたんだよ。何なら清掃のお姉さんにチップと共にオーナーへって同じこと書いたメモも渡したの。 支払い済みを忘れてた私が一番アホで悪いんだけど、返信くれって言ってるんだから、一言、 「特にすることないよ、そのまま帰って」ってくらいくれればいいやん?? けど返信もないし、朝その時間に鬼電話しても出ないし笑 もう焦る焦る笑 支払ってないって思っちゃってるから、タダでここ出たらまずいよね?!って思って金額の現金置いて、 「手続きが必要ならあとでメールください。飛行機間に合わないので出ます」ってメール送って笑 走ってたんだけどいかんせん貧弱だからしんどいし、荷物重すぎて途中道に階段があって登れなくて笑 フラフラして運んでたら通りすがりのお兄さんが階段まで荷物運んでくれてな!!!ありがとう!! 急いでバス停行ったらもうバス出るとこだし、でも切符まだ買ってないから券売機探すも近くに無いし、 下調べができてない私が悪いんだけど、現金がほぼ無いっていうのは突然の予定外の出来事だから 運転手さんから直接買うこともできなくて笑 クレジットカードしかないって言ったら現金しか無理!空港で買えば?言われて笑 ありがたや…とりあえず乗せてくれた…笑 で、空港ついたら私はバスの券売機が近くのどこにあるか探さないとわからないし、 重い荷物あって素早く行動できないからキョロキョロしてるうちに運転手さんもう次の目的地行っちゃうし!w もはや買っても買わなくても誰にも分からない状態になっちゃって笑 一旦座って落ち着いて、さっきのホテルへのメール返信来てないかな~って自分の送ったメールを見直してたら急に気付いた… あれ…??私支払いを日本で済ませてたのでは…??ってwww/(^o^)\ ウワーww結構いい値段を現金で置いてきてしまったwww/(^o^)\ やらかした~~!もっかいメールで「さっきは勘違いしたメールをしてごめん、もう現金は返金しなくていいよ」て送った…笑 めんどくさいから返金はもういいんだけど、今現在帰国して一週間たっても返信してこないオーナー何なの?!ww握手してくれたり私の下手な英語にも付き合ってくれたり、説明してくれたり、人当たりはよかったんだよ?w あと悲しいのが急いだけど飛行機の時間が1時間くらい遅くなるって出て、もう私疲弊すごい…笑 自分が一番アホなんだよな~~~ホテル代支払い済みなのすっかり忘れてたよ~~~ まぁユーロ持って帰ってもしょうがないけど、多分もっかい旅行しても残るくらいはあったよ… 未払いよりはいいんだけどさ笑 高い勉強代だ~~! 手続き全部終って、空港でちょっと化粧品見たり買ったりして、そのときのレジのお兄さんが多分ドイツ人だったみたいで、ボーディングパス見せて、って言われて見せたら「ミュンヘン乗り換え」を見たからか、「ダンケ!」ってスゲー何回も言ってきてかわいかった笑 私はついグラッツェって言っちゃったんだけど、その後も「ダンケ!」って何回も言ってきた笑 そしてミュンヘンで乗り換え!
ソフトミールが行きより固めな気がしてあんま食べれなかった笑 日本の日の入りも見て、なんとか帰れましたよ…ヨボヨボ 最終日に一番やらかしちゃったよ~w最後まで気を抜いちゃだめだ!って変に気張ってたから、逆に悪かったな笑
というわけで!!2019年のドイツイタリア旅でした!!! 長文お疲れさまでした!!!やっぱり楽しかったよ! ほぼ1人だったけど、なんか今はひとりでも大丈夫ですわ、ってなってる! 来年はイギリスか、スペインか、スイスか…行きたいね~~~今度こそ脱ドイツとイタリアする笑 ありがとうございました~~!
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光の庭
!Fire Emblem Heros fan fiction!
・カミュとプリシラの話。名も無き森の夢語りの続き。
・独自解釈・ネタバレ・異世界交流を含みます。カップリング要素一切皆無。
Image song:光の庭(D)
00.
ある時、美しい真白の城に美しい姫君が居た。美しい姫君は、一人の王子様に恋をしていた。幼い頃に、出会った異国の王子様。だが、王子様は黄金郷を探しに長い長い旅に出てしまった。姫君は戻って来ない王子を慈しみ、会いたいと願った。だが、彼女の前に現れたのは、美しい悪魔だった。悪魔は言った。 「お前の願いを叶えてやろう」と。
01.
たまに愚痴りたい時もある。とかつて、この世界には居ない部下のロベルトが言っていた。王だって、王子だって――たまに不満を漏らしたい時もある。 アスク城にある酒場で、レンスターの王子はミルクを飲んでいた。 「不思議な感覚だな」 目の前に居るレンスターの王子はそう言い、椅子に座りながら此方を見ていた。 「この世界に来てから、驚きの連続だと思った。セリスの父上と母上が一緒に居て、アレスの父上と…伯母上もこの世界に居る。最初は夢だと思っていたけど、頬をつねっても、夢じゃない――本当の世界なんだなって」 「リーフ王子は、どう思いますか?」 「でも…この世界に来ていない父上と母上が来たら――僕は、どんな気持ちでいけばいいんだろうって。それが不安なんだ。フィンやナンナも、僕に気を遣ってくれているけど、僕は王の器に立つのが相応しいのかどうか、悩んでいるんだ」 リーフは王の立場であるが、王の立場に相応しいかどうかは――自分自身でも分からないのだ。幼い頃に国を追われ、若き騎士と、異国の王女と共に各地を帝国軍から逃げるように転々として来た日々。とある村でエーヴェルと言う女性に救われ、村の人達と、家族のように過ごしてきた日々。その平穏な日常が、ずっと続けばいい。その平穏が――帝国軍の襲来と共に終わった時。 自分にも見覚えがある筈だ。幼い双子の王子と王女も、立場が災いし、暗い、孤独のような日々を送ってきた。王族の頂点に立つのも、王族に生まれるのも、碌な事が起きない。それがリーフ自身が理解している事であり――黒騎士カミュの悲しみでもあった。 「貴方は貴方の道を進めばいい」 だから、自分なりの言葉を贈る事が、精一杯の類でもあった。 「王族であっても、貴方は貴方の道を進めばいいのです。誰の言葉に惑わされなくたっていい、自分の、信じる道を突き進めばいい」 それが――自分自身の答えでもあり、嘗て――自分自身が下したつらい決断でもあった。だが、目の前の王子は、 「…何だか、あなたの言葉に、救われた気がするよ…有難う、カミュ将軍」 ――救われた、か。 自分は、誰かの助けになれたのだろうか。酒場からの帰路についている最中、自分自身はその言葉に悩んでいた。 『…それでも、人は何処へ行くのでしょうか』 トルバドールの女性のプリシラから言われたその言葉は――確かに、彼の胸に響いた。人は、死んだら何処へ行く。 「…カミュ将軍、聞こえていますか?」 リーフの護衛騎士であるフィンから、ハッと我に返った自分は彼の方を見た。 「先程、リーフ様と何かお話しされていましたが…どうしましたか?」 「あ、ああ…少し、彼の悩みについて相談したりしていた」 「…そうですか、有難う御座います」 フィンからいきなり感謝され、こちらも理解がイマイチ分からなかった。何故、感謝されてしまうのだろうか。 「…私でも時、リーフ様のお力に、なれない時があるのですよ。自分自身では耐えきれない、立場故や、ナンナ様の事――そして、キュアン様とエスリン様の悩みを抱えている���ですから…ですが、こちらに来てから打ち明けられる人が居て、嬉しかったと思うのですよ。だからこそ――」 「いえ、いい…此方こそ、感謝する」 自分自身でもどうすることも出来ない悩みは――リーフやフィンだけが抱えているのではない、エレブ大陸の杖使いのプリシラも心配していたと言うのなら、自分は結局。一人で悩みを抱えているのだな。と苦笑しながら。
02.
「光と闇、どちらが正��いかなんて私には分からないんですが、どちらも間違っている、どちらも正しいって言うのは、人其々なんだと思います」 モノクルをクイッと片手で正し、闇魔導の使い手である彼――カナスはそう述べた。カナスの自室の書斎は彼にとって、宝庫であろう。ナーガ神についての伝承、ギムレーに関してのレポート、ラーマン経典、正の女神アスタルテの本…探究者である彼は、異国の騎士である自分にそう述べた。 「貴方が出会ったあの闇に堕ちた暗黒皇帝ハーディン…でしたっけ、彼は元々、善良な騎士だったと聞きます。オルレアンの方々から慕われていて、草原の民達からは希望だったと聞きました…例えるなら、闇に堕ちてしまえば、後は奈落の底――私は、堕ちてしまった人達を知っています」 黒い牙の者達の事を、述べたいであろう。剣を振るう『白狼』のロイド、獰猛な凶器を振るい、戦場を大暴れする『狂犬』ライナス――彼らの事を言いたげであった。自分は「何も言わなくていい」と告げ、カナスは「有難う御座います」と申し訳無さそうに言った。 「…闇は、必ずしも負の一面、悪とは限らないと、私は思うのです。歴史に葬り去られた、真実。語られざる、英雄の物語――それは、貴方が経験していると自分自身が物語っているからこそ、歴史が証明している。そう、例えばマルス王子が」 光の英雄なら、貴方は闇の英雄でしょうか。 「…妙な例え方だな、しっくり来る」 「でしょう?」とカナスは人差し指を振った。彼が椅子に座っており、机には色々書物が積み重なっていた。「バレンシア大陸の歴史」「ギムレー経典」「アステルテ経典」「魔石と魔王」「神竜ナーガとメディウスについて」知識を欲する彼が、異界の書物を欲するのも無理はない。と我ながら思う。するとカナスは、ある一冊の本を本棚から出した。 「英雄王マルスの物語」 知識を欲する彼が、この英雄譚に興味を持つのは珍しい事だ。自分の悩み故の決断力であろうか。 「マルス王子が、皆から慕われている光の英雄ならば、貴方とハーディンは闇の英雄です。ですが、彼と貴方の闇は、断然に差があり――違うのです。暗黒皇帝と化したハーディンは、心の闇に、呑まれた英雄。そして貴方は――例えるのは少し難しいのですが、歴史の闇に葬り去られた、英雄でしょう」 ああ、納得した。あの時の自分は黒騎士ではなく、ただの旅の者であった。カミュではなく、シリウスと名乗っていた。 「史実なき戦い、影に隠れた者――闇に葬り去られた者は、私の世界でも居ます。ですが…光と闇は、バランスが成り立たなければ存在意義を見出す事が出来ない。そして、貴方は――何を見出したのでしょうか。何を――」「カミュしょーぐん!マークス様とミシェイル様が呼んでるの!」 自分とカナスが振り返ると、ピエリとラズワルドが自室のドアを開けて、自分を呼び出しに来たのだろう。ラズワルドが「だ、大事な話をされていたのですね…!」と申し訳無さそうな表情をしたが、自分は「いや、良い」と手を振った。 「では、この話はまた、後程で」 まるで自分らしくない。と言い聞かせながら――自室のドアを、閉めた。 「…行ってしまいましたか」 カナスは、飛び出して行ったカミュを見つめ、ふぅ…と疲れた息を吐き出す。やはり、自分はこの世界でも探求を求めすぎている悪い癖が出てしまったようだ。 「…後で、ピエリさんとラズワルドさんに、お菓子でも贈っておきましょうか」 申し訳ない事をしてしまった表情をしたラズワルドに、お詫びの礼の品を考えておきながら、カナスは一つ、気になる事を呟いた。 「…それに、まるで彼女について話したくない素振りを、していた気がしますね…」
03.
「彼の王は泥から生まれた」 アカネイアの大陸一の弓騎士は、そう答えたという。泥から生まれた――その例えは、何処から来たのだろうか。レベッカはそう思った。 それは前、あの自分でさえも畏怖する力を持つ暗黒皇帝と相対していた時の事だ。ジョルジュやカミュが、苦虫を噛んだ表情をしていたのを忘れられない。それに、プリシラも、カミュやマークスについて余所余所しい態度をつい最近していたのも切っ掛��である。あまり他人の過去に突っ込みたくない(エリウッドや彼の御子息の有り難い御忠告である)のだが、ジョルジュと話をするタイミングが偶然にも弓を射る練習の休憩時に出来てしまったのだから。 「…ハーディンは、元々はオレルアン王の王弟だ。しかし、兄より劣る弟と言うのが災いなのか、少し心に歪があった」 ゼフィールもそうだった。彼は優秀過ぎるが故に、父親から忌み嫌われていた。とエリウッド様の御子息であるロイ様もそう仰っていたわね。とレベッカは納得の表情を浮かべた。それと同時に、遣る瀬無い感情が浮かび上がった。 「だが、アカネイアも元々は、高貴な血で建てられた国じゃない、それと同時に――神に守られし王国でもなかった。三種の神器を竜の神殿から盗み、其れを統治して出来上がった王国だった」 「こっちも、竜と人に歪な亀裂が入っていたのね」 「…人間、そう簡単に上手くいくもんじゃないがな。俺だってアカネイアの傲慢な貴族が嫌いだった。ラング将軍やエイベル将軍も、俺は死ぬほど嫌いだったが、アカネイアの為に、と何処かで逃げていた。現実逃避をしていたのかもしれない」 「こっちも大変なのね。ロイ様から、可愛らしいギネヴィア姫様が美しく成長したって言うから…もし会える機会があったら、見てみたかったなぁ」 「そうか…此方もニーナ様と出会える機会があったら、宜しく頼む」 分かった、約束するわ。とにこやかに微笑んだのだが――ジョルジュは口を開き、重たく、ある事を語る。 「――俺も、何時かはああなるだろう。と何処かで諦めていた」 「いつかは、ああなる…?」 「アカネイアの血を引く民が、他国の者達を蔑み、愚かだと嘲笑い、奴隷階級の者同士を戦わせ、動物の様な目でしか見ない剣闘士達の闘技場を見世物の様に観戦し…俺はそれが嫌いだった。だが、俺では何とかならなかった。ニーナ様は、その現状を変えようと必死に頑張っていた。だから俺は彼女の手伝いをしようと考えていた。だが、俺では役不足だったと…グルニア軍と戦う時に、気付いてしまった」 「あ…ああー…黒騎士の、カミュ将軍の事かしら?」 「だが、彼でしかニーナ様の心を開く事しか出来なかったんだろうな。敵国の騎士と、我々の国の王女、相容れない関係なのに、出会ってしまった。出会わなければ良かったのか、出会ってしまったのは必然だったのだろうか。それは今の俺にとっては分からない事だった」 ジョルジュの疑問に、レベッカはある事を口にしようとしたが――開けなかった。 ――ねえ、それはもう、必然だった方が良かったのじゃないかしら。辛い事や、悲しい事、楽しい事があるけれども、出会わなければ、何かが産まれなかったんじゃないかしら。 ニニアンの事を思いながら、レベッカの拳は固く握りしめた。
04.
ニノは歌を歌っている。古い、エレブに伝わる歌である。まだ幼さが残っている魔導士の少女は、アスク城のバルコニーの冷たい夜風に吹かれながらも、用意されている椅子に座って歌を歌っていた。 それを遠回しに見ていたカミュとミシェイルは、暗夜第一王女カミラの臣下である竜騎士の少女から貰った(彼女曰く、日頃レオンやマークスと接していたからそのお礼らしい)暗夜王国産のワインをグラスに注ぐ。 「何処か、遠い国の歌のように見えた」 とカミュはそう述べた。歌は、竜と人の物語を準えた叙事詩のようであった。竜と契約した者と、美しい少女の物語。エレブ大陸に伝わる、悲しい物語でもあった。 「あの少女は、雪を義理の兄と一緒に見た事があるらしい…俺も、ろくに妹であるマリアに、其れらしい事が出来なかったな」 王の激務に追われ、妹のマリアと一緒に、遊んだり一緒にお出かけする事が出来なかったらしい。その王位が、自らの父を手をかけた代償だったとしても、マリアはミシェイルが大好きだった。大好きな兄を、慕っていたのだ。 「…私も、同じ気持ちだ」 敬愛する王の子であるユミナ様とユベロ様と、一緒に遊んだり笑ったり、泣いたりする事はごく僅かで、彼等に何か残す事が出来たのか――後悔した事もあった。 カミュはそう、述べていたがミシェイルに至っては 「貴様はバレンシアであのリゲルの王子と楽しく接していたのではないか」と答えたが、カミュは首を横に振った。 (貴様は本当に優しすぎるな。それが仇となる時があるのだがな――) ミシェイルはそう思う。マリアから見たら自分は「優しい兄」だと思うのであろう。だが、自分はそう優しい兄ではない。妹のミネルバから見たら「父親殺しの自分勝手な兄」と認識された事もあった。 ニノが歌を歌い終わり、立ち上がる。バルコニーの玄関に優しい兄であるロイドとライナス、大事な人であるジャファルが居て、ニノは駆け寄ってロイドに抱きしめる。 (兄である俺が、何をしてやれたんだろうな) ミシェイルは思い悩む――すると、カミュは笑って誤魔化した。 「だとすれば、貴方も私も同じ悩みを抱えていたのではないか。優しい兄と、王子と王女に仕える騎士が、何をやれたのだろうか」 「お前��悩んでいるのか?」 「ええ、自分は――優しすぎるのではないのか。と思い悩む事があるのです。少し、コンウォル家の令嬢と出かけた時に」 あのトルバドールの少女の事か。とミシェイルはすぐに分かった。彼女は厳格な兄と、彼に使える優しげな、柔らかな声音をした修道士の従者が居る。 「…カミュ」 「…何だ」 「――ドルーアに従った者同士、同じ悩みを抱えているが…貴様も俺も、『どうしようもない大人同士』また、飲む事があったら悩みを打ち明けようか?」 「…それは遠慮しておきます」 やはりこいつは騎士であるが故に優しすぎるな。とミシェイルはそう思いながらも、最後の一杯であるワインを飲み干した。
05.
戦場を駆ける漆黒の駿馬、まるで父上の様だと最初は、そんな感想を自分の心に抱いていた。 「…おい、貴様」 プリシラはゲストルームで暗夜王国のあのドジなメイドのフェリシアが淹れた紅茶を飲んでいる最中に、ある人物と出会った。プリシラは唇をハンカチで上手に拭き取り、後ろの方を振り返る。やはり、最近召喚されたばかりの――師子王エルトシャンの息子であり、セリスやリーフと共にユグドラルの解放戦争を戦った仲でもある…。 ――黒騎士アレス。父親譲りの剣裁きをし、戦場にその名を轟かせている聖騎士だった。 「はい、何でしょうか」 自分がそう答えると、アレスは「丁度良かった、貴様に話がある」とソファに腰掛けた。ベルクトといい、ミシェイルといい、兄と同じ融通が利かない人達と何気に縁があるのだろうか。とそう思っていると、アレスは意外なことを口にする。 「…最近、カミュについて気にしているのだな」 「えっ」プリシラはティーカップを落としそうになったのだが、アレスは「いや、忘れてくれ」とそっけなく答えた。これでは話になっていないのでは。思い切って、プリシラが思い当たる部分を考え、アレスに対してある事実を口にする。 「…貴方のお父様を、思い出しちゃったの?」 無言。どうやら図星のようだ。だが、アレスは「ああ、そうだ」と答えを口にする。プリシラは「やっぱり、そうなんですね」とふふっと笑う。早速だから、彼もお茶に誘ってしまおう。と、隣に居たジョーカーに、紅茶を頼んだ。 「エルトシャン殿下と、カミュ将軍は無茶をし過ぎなんだと思います」 毎回、シグルドとミシェイルが彼等を抱えて私やセーラさんの所に駆けつけて杖の治療を受けてしまうんです。と口にする。 「父上が、シグルド…様と本当に親友だったのか」やはり彼は敵討ちのシグルドに対して敬語をつけるかどうか、まだ迷っているみたいだった。 「で、カミュがミシェイルに抱えられているのは…どんな関係なんだ?歴史書だと、ドルーア側に就いたマケドニアとグルニアの総帥だったと聞いているが」 「…どんな関係、ですか」 確か、その時カミュの事を話していたミシェイルは、友人と言うか、親友とは言い難い…所謂、共犯者?の様な態度をしていた。 「ええっと…一緒に戦った、戦友?」 上手く誤魔化しておく事にした。彼等に首を突っ込むと、余計事態が悪化してしまう。 「そうか」とアレスは納得した表情をした。 「正直、思う。俺はずっと復讐の事を考えていたが…実は、父上の背中を追っていただけだろうな。と今は思ってる」 プリシラは、何も口にしない。アレスの話を、ただ聞いているだけだ。 「…父上は、立派な騎士だったと、母上から聞かされていた。高潔で、誇り高く、優しい騎士だったと聞いていた。俺はそんな父上に憧れていた」 だが、父上が死んだ時は――全てが変わった。とアレスは何処か暗い表情で語る。 「…そうですか、誇り高い黒騎士さんでも、弱音を吐く事はあるんですね」とプリシラは、ちょっと皮肉を込めた言葉を吐き出した。 「騎士である彼等は、誰かを守る為に戦っているんです。貴方のお父様やシグルド殿下、セリス様に、エリウッド公…それに、カミュ将軍や、ミネルバ王女も、前線で戦っている。人はいつか死にます…ですが、その何かを、また次の誰かが受け継いでいるのでしょう」 アレスは「そうか」と口にすると、ソファを棚代わりにして置いているミストルティンを構える。 「…この剣は、父上が俺を見守っている証だったんだな」 プリシラは、そんな彼を見て――ゆっくりと微笑んだ。 「私も貴方も、似たような悩みを抱えているんですね。だったら、一緒にお話ししましょうか」
「んで、俺が弓兵に狙われている若を守る為に、颯爽と弓兵を背後から攻撃して、若を助けたんですよ!」 「成程…今度、ミカヤが狙われた時にはその戦法を組み込む事も考えてみるか」 「じゃあ弓兵はあたしに任せるね!マシューは魔導士をお願い!」 「いやいやいや、俺は若様命だからな!じゃあ魔導士はガイア、お前に任せるぜ!レベッカー、期待してるぜー」 「何で俺!?おい、アズ…ラズワルド、笑いを堪えるな!」 ハハハ…と、食堂で弾んでいるマシュー達の姿を見て、ルーテは考える。プリシラがカミュについて気にしている。つまり、プリシラはカミュを見て何かを思い出した可能性は高い。だとしたら、カミュと関わりのある人物を探ってみる事にした。ジョルジュ、リンダ、ミシェイル、ミネルバ、マリア、パオラ、カチュア、エスト、ベルクト、アルム…思い当たる節が見当たらない。だとすれば、まだ可能性がある筈だ。此処はプリシラに尋ねるしか方法は無いだろう。ルーテが心の中でえいえいおー!と誓った途端に、カミュがミシェイルと一緒に、食堂に入って行った。 「いっつも行動しているのは、お友達なのかしら?」とラーチェルが困惑している表情をしていた。何時だったか、覚えていない。ふと、彼等の会話が聞き取れた。 「…で、最近その御令嬢が貴様を気にしていると?」 「ああ、そうだが……恐らくは、あの一件で」「そうか」 (つまり) 「一緒に出掛けた時に、彼女の言葉が…うん…」 (プリシラさんと出掛けた――つまり、彼女の方程式に考えると、ピクニックか何処かに行ってきたのでしょう。そして、彼女の言葉を考えると――やはり、カミュ将軍の過去に何か関係が?) ルーテがその光景を見ていると――後ろからカナスが「何をやっているんですか?」と話しかけてきた。 「いえ、人間観察です」 「人間観察って…ああ、カミュ将軍の事ですか」とカナスは、何か納得した表情で見据えた。 「多分、彼等については、放っておいたほうがいいと思います」 「どうしてですか?私は非常に気になるのです」 するとカナスは――微笑み、こう答えた。 「あれが、彼等なりの答えなのですから」 (彼等なり、ですか) 恐らくは、自分が介入しなくても、無自覚に彼の善人さが――悩みを解決してくれるのだろう。ルーテはそう思い、魔導書を持ち、立ち上がる。 「カナスさん、有難う御座いました」 ルーテが立ち去った後、一人取り残されたカナスは――ちょうど部屋に帰ろうとしていたマシューを呼び出す。 「…マシュー、少し良いですか?」 「えぇ、何だぁ?」 「私の悩みも聞いてくれませんか」「は、はあ…」 恐らく、カミュについては…勝手に誰かが、悩みを解決してくれるのだろうから。
07.
「わぁー!雪だ!」 黒い天馬に乗っている軍師ルフレの娘と名乗る少女は、降り積もる雪を見て感想を述べた。護衛にはパオラが居るが、どうやら雪と聞いて駆け付けたターナと、追っかけてやって来たであろうフロリーナも参加した。ミシェイルは不満げに竜で空を飛んでいるが――そう言えば、雪なんて久々だろう。とこの時思った。 『貴様は、雪を見たと言っていたが――何時頃だ、アンリの道か?』 『アンリの道…確か、氷竜神殿に行く最中に、だ。ミシェイルは雪の中を行くと言うのか?』 『少しあの軍師の娘とやらが雪を見たいと言っていてな…全く、あの黒い牙の少女もそうだが、少しは危機感を…』 『いえ、それは構わないと思った方がいい――こんなに降り積もる雪の中で戦った時は、氷竜神殿で竜達と戦った時以来だったな。だが、こっちの方が、まだ暖かい』 『…まだ、暖かい?』 『あの時、猛吹雪で――凍えるような息吹を感じたが、ニフルで降り積もる雪は…暖かさを感じる。死を感じられない雪だ』 出発前のカミュとのやり取りを思い出す。自分が彼女らの護衛に立候補に参加したのは、マークが自分の末っ子の妹を思い出す故か、将又他の立候補役が彼女等を任せられない故なのか(ナーシェンやヴァルター)…。だが、ミシェイルはこの雪に、確かな暖かさを感じられたのは事実だった。 「…あの、ミシェイル様?どうなされましたか?」 「いや、少し昔の事を思い出してな」 「…昔の事、ですか?」 「もし、俺と貴様、どっちがマルス王子率いるアカネイア軍を討ち取れるかとしたら――貴様はどっちを選ぶ?」 カミュは自分の忽然とした問いかけに戸惑いを隠せずに居るが、『もし仮にマルス王子を討ち果たし、そしてガーネフを倒せるか』についてを答えるとしたら。まあ、小難しい問いかけに彼は答える事が出来ないだろう――と確信した矢先。 「…ミシェイル、陛下だろう」 驚きを隠せない答えだった。何故自分がマルス王子を倒せるか?とカミュに問いかけた。しかし彼は 「騎士として死ねるのなら、それでいい」と答えるだけだった。丁度その頃は、雪がしんしんと降り続いていた。 結局は、この戦いに何���意味がないと分かっていただろうか、それとも――あの双子の未来が掛かった戦い故の、結論だろうか。 この雪には何もいい思い出がない。が、カミュは気楽に答えた。勝者と敗者の答えなのか、それとも…まあ、いい。これが終わったらカミュにさっさと暖かい酒を寄越せと訴えかけてやろう――降り積もる雪に、舌打ちをしながら。
08.
あいつの顔を見る。高慢な性格のリゲルの王子であるベルクトから見た黒騎士さんについての物語と言うのを誰かはそう言う。俺は彼ではなく、リゲルにいた頃を思い返す。叔父上と話していた時に、今と違う笑い方をしていた。何となくだが、あの時は陰りがない顔をしていた――あのティータという女性と幸せそうに、睦まじく過ごしていた。だが、今の姿は――リゲルの騎士ではなく、グルニアの黒騎士団を率いる騎士の姿だ。何処か、陰りが見えたような気がした。 「貴様からしたら、どうなんだ」「だが、彼が優れた騎士であるのは間違いないだろう」 ノディオンの騎士であるエルトシャンから見たら、自分から見たら優れた騎士である事を直ぐに見抜いた。若くして死んだ者であるが、シグルドの戦友である彼の下す判断は、流石はクロスナイツ騎士団長でありながら、ミストルティンを持つ(どうでもいいが、息子も優れた騎士であるが俺と似た性格をしている)騎士である判断であろう。 「優れた騎士でも、弱点を取られると直ぐに脆くなる」「例えば?」 エルトシャンは口ごもった。きっとあのノディオンの王女や妻の事を言いたいのだろう。自分はそう易々と言及する事は無かった。自分もリネアの事を思い返していたからだ。 「父上は、そう仰っていたのか」 「そうだ」 アレスは自分の問いかけに答え「そうか…」と悩める、思春期の少年らしさをまだ残している表情をしていた。すると会話している自分達の後ろでプリシラが絵本を持って何処かに行こうとしていた。 「おい、いったい何をしに行くつもりだ?」 「あれ、ベルクトさんに…アレスさん?珍しいですね。二人で何をしていたのですか?」 「ちょっとな…貴様こそ、何をするつもりだ?」 「ノノやミルラが絵本を読みたいって言うから、書斎から絵本を取り出してきたんです。この絵本が一番好きそうかなー…と考えてしまったんです。じゃあ、私は先を急いでますから」 それでは、失礼します。と言い、彼女は先に行ってしまった。 (分からない事だらけだ、結局は――自分は皇帝にはなれないと、何処かで感じてしまったのか。だが、あいつは…王になる器になんて持っていなかった。そう言えば、カミュも何時だったか、ある事を自虐していたな) 『私は騎士の器を持っているとは思えないのですが――王には、猶更向いていなかったのかもしれません』 (…似たもの同士、って事か) 急に用事があると言い、ベルクトが立ち去った後一人取り残されたアレスも自室に帰ろうとした瞬間、後ろから肩をポンポンと叩かれた。後ろを振り返ると――不機嫌な表情をした、従妹のナンナが居た。 嗚呼、これはまた説教のパターンか。と理解したのだが…ナンナは、意外な言葉を口にした。 「ちょっと、話があるの」
09. 「最近、プリシラと言うあのトルバドールの少女とよく話してるわね…私だけじゃ、相手にならないと思っているわけ?」 伯母上譲りの気の強さが得りなナンナの言葉に、アレスは言葉を詰まらせた。別にそう言う訳ではない、ただのお茶会仲間だ。と上手く話せば、ナンナは「…そう」と溜息を吐きながらそう言った。彼女と話をするのは久々だろうか?…いや、ナンナはいつもリーフと話をしていた。そりゃあ彼女はリーフの大事な人だから…幼い頃から一緒にいた仲だろう、仕方がないとは言え、彼女に詰め寄られては困る。「気の強いナンナ様」に言い寄られては、流石の黒騎士アレスもお手上げだろう。 「…そうだな、ナンナ。俺は今、悩んでいるんだ」 「…悩んでいる?どうしたの、らしくないわよ」 らしくない、か。そうだな。と確かに今の発言はまずかっただろうか。ふと考えると、ナンナにある事を尋ねた。 「…ナンナ、一ついいか?」 「どうかしたの?」 「…お前は、フィンの事をどう思ってる?」 えっ。まさかアレスから、フィンの事を尋ねられるとは思っていなかった。これは、答えに迷ってしまう。私はフィンのことを理解している母とは違うのだ…だが、ナンナははっきりと答えた。 「大切な人よ。私やリーフを、立派にエーヴェルと一緒に育ててくれて…エーヴェルが石化した時も、支えてくれた人」 そうか。とアレスは無表情で頷き、天井を見上げた。 …アレスと別れた後、ナンナは彼の行動に不可解を感じた。 (…でも、どうしてあんな事を。いつものアレスだったら――あれ?) そう言えばプリシラと言えば、一つ気になる事がある。プリシラは別の異界で黒騎士と言われているカミュについて詳しく調べている様子が見受けられた。アレスも、プリシラとお茶会をしていたと言う訳ではなさそうだ。じゃあ、一体何の為に?とナンナが考えるとしたら――直接カミュ本人に問い質すしか無さそうだ。 「…でも、どうしてアレスは悩んでいたのかしら…あら?そういえば、カミュ将軍と、叔父上は一緒に出撃していたから…もしかして、そのせい…?」 ナンナは、やっぱりアレスの気持ちも考えた方が良いのかしら。とぼやいた。
10. ざく、ざく、ざく。プリシラはニフルの土地を歩いていた。雪が降り積もるこの国は、雪合戦でも出来そうだ。と考える程だった。そう言えばカミュも、カナスに話をしていたらしく、自分も彼も、似た悩みを持っているのだな――と思いながら、雪がじゃりじゃりとなるこの地を足で踏みしめながら、前に――カミュと一緒に森を歩いていた事を思い出した。死んだら、魂はどこへ行くのだろうか。と問いかけていた。彼は、ニーナ王女の事を語っていた。救国の聖女。と何処かの記述ではそう記され、或いは傾国の魔女。と記されていた。他者を犠牲で成り立っている平和と言うのは、あまりにも残酷だったのだろう――ロイが語っていた『女王ギネヴィア』の物語――ゼフィールの豹変、そしてベルン動乱…竜と人が、分かり合える日は何時かは来るのだろうか。もし、そうだったとしたら…この冬景色を、竜達が見られる日が来るのかもしれない。 ふと、プリシラの足元に、誰かが居た――下を見たら、竜の少女であるファが、雪を見てキラキラと目を輝かせていた。 「ファ、雪を初めて見た!」「ふふふ、そうですね。これが雪なんですよ」 あのね、ニニアンお姉ちゃんからお話しをしてもらったの!イリアの雪はね、綺麗なんだって!と健気に話す姿は、とても楽しかった。 カミュとミシェイル、それに兄とルセアも一緒に連れて来て、ファと一緒に遊ぶのも考えたのだが――雪を見て、思った。 「カミュ将軍に――また、問いかけたい事があります」 この世界にきて、どう思ったのでしょうか。私はそれが、聞きたいです。 「…」 外でニフルの雪を見て、カミュは思う。自分は役目を果たしたからそれでいい。と何処かで思っていた。だが、バレンシアのアルムやベルクト、ティータを見て――一度は考え直した。生きると言うのは、とても残酷な事だ、だが、必死に生きていれば、結果が見えてくる事もある。と言うのも、事実だ。だが、一つだけ心残りがあるとすれば――。 「…この雪を、一度だけニーナに見せてもらいたかったな」 彼女がこの世界に来るのは、まだ遠い。
11.
真白のお姫様に王子様に会える対価というのは、人の心臓でした。人の心臓を悪魔に渡せば、お前の願いは叶えてあげる。そう、1000人の人間の心臓を私に渡せ。と。 お姫様は必死に人間の心臓を食らい続け、悪魔に献上をしました。そして残り一つの心臓を悪魔に上げれば、王子様に会える――しかし、現実は残酷でした。何故なら、残りの心臓は、王子様でしたから。 そう、お姫様は、王子様の国の民や、家族の心臓を喰らい、悪魔に献上したのです。 怒り狂った王子様は、国の民や家族を殺したお姫様にこう言ったのです。 「人殺し」と。 そうして真白のお姫様の心臓は剣で貫かれ、ドレスは真っ赤に血に染まったのです。
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Storia dei sogni(132)
一昨日は
彼女(��崔岩光(サイ・イエングアン)様♥)
彼女の愛犬,マエストロ&マネージャー先生
事務局のお姐様方
彼女関連の方々も含む合唱指導&伴奏の先生方
関西&東海&九州・沖縄&東北拠点の
事務局のお姐様方&合唱指導の先生方
伴奏の先生方&合唱仲間の皆様
男性ソリストの方々
合唱仲間の皆様,オーケストラの皆様
ヴァチカン現地の
合唱指導&伴奏の先生方,事務局のお姐様方
通訳者,合唱仲間の皆様,オーケストラの皆様
隠れキリシタンの末裔の方々
日本のお偉いさん方(蓮舫首相,天皇家etc…)
ローマ法王etc…ヴァチカン関係者の方々
世界各国の首相や王室,皇室etc…
世界各国のお偉いさん方
フルスコアの皆様
出て来た( ❁ᵕᴗᵕ )
準備etc…済ませて
レストラン前に集合し,集合写真撮って
レストランで、お喋りや写メ大会しながら
朝ご飯ʕ๑•ɷ•๑ʔ❀
ソプラノのメンバー24
「今日は、サン・パオロだねー(○´ー`○)」
ソプラノのメンバー25
「今日も楽しみねー(●︎´▽︎`●︎)」
ソプラノのメンバー26「今日の観光も^^」
ソプラノのメンバー27「だねー( ¨̮ )」
ソプラノのメンバー28
「えーと...今日は、確か...」
ソプラノのメンバー29
「ナヴォーナ,ポポロ,ヴァチカン美術館
システィーナ礼拝堂,ティヴォリ
ヴェネチア広場だよ(*'ω')」
ソプラノのメンバー30
「昼ご飯や観光の後に、ヴェルレクだよね(´∀`)」
ソプラノのメンバー31「うんっ(´^ω^`)」
ソプラノのメンバー32
「ヴェルレクの後、打ち上げもあるよね(^^)」
ソプラノのメンバー33「うんっ( ・ᴗ・ )」
ソプラノのメンバー34「それも楽しみねー^-^」
ソプラノのメンバー35「だねー(・∀・)」
朝食後、ロビーに集合して
貸し切りバスでホテル出発して
ナヴォーナ,ポポロ,ヴァチカン美術館
システィーナ礼拝堂,ティヴォリ
ヴェネチア広場で観光したり,集合写真撮ったり
レストランで、お喋りや写メ大会しながら
昼ご飯食べたりして
かーらーのー
サン・パオロ大聖堂へ向かい
到着後
マエストロ&マネージャー先生
事務局のお姐様方,男性ソリストの方々
オーケストラの皆様
ヴァチカン現地の
合唱指導&伴奏の先生方,事務局のお姐様方
通訳者,合唱仲間の皆様,オーケストラの皆様と
合流し,集合写真撮って
かーらーのー
休憩(お菓子配り合いetc…)挟みながらリハして
一旦、ホテルに戻って,着替えetc…済ませて
かーらーのー
サン・パオロ大聖堂での
ヴェルレク公演**(ू•ω•ू❁)**
指揮
マエストロ(西本智実先生)
オーケストラ
イルミナート・フィル・ハーモニー
オーケストラ
合唱
イルミナート合唱団
ソプラノ
彼女(♥崔岩光(サイ・イエングアン)様♥)
アルト
野上貴子先生
テノール
ホセ・カレーラスさん
バリトン
David Ravignaniさん
ヴェルレク公演も、無事に大成功:*❀.(๑′᎑‵๑).❀*:
※①
国内の時と同様
イギリスのボリス首相や
カナダのジャスティン首相etc…
一般の観客の方々に混じって
ブラボーと叫んでいたり,指笛鳴らしてた(-ω-)笑
※②
国内の時と同様
全員総立ち&大拍手凄かった(〃艸〃)
※③
花束贈呈もあって
デンマークのマルグレーテ女王→マエストロ
秋篠宮:紀子様→コンマス
オランダのマクシマ王妃→彼女
ベルギーのマティルド王妃→野上先生
コンテ首相→カレーラスさん
オランダのアレクサンダー国王→Davidさん
ちなみに、沖縄公演の時は
常陸宮:華子殿下→マエストロ
三笠宮:信子殿下→コンマス
三笠宮:彬子女王陛下→彼女
三笠宮:瑤子女王陛下→野上先生
常陸宮親王殿下→テノールソロ
秋篠宮皇嗣殿下→バリトンソロ
その後
隠れキリシタンの末裔の方々
ローマ法王や天皇皇后両陛下etc…も交えての
集合写真撮って
かーらーのー
一旦、ホテルに戻り,着替えetc…済ませて
かーらーのー
ホテル出発し,別のホテルのレストランへ向かい
到着後、集合写真撮って
かーらーのー
レストランで、お喋りや写メ大会しながら
打ち上げ(❀˘︶˘❀)
※
国内の時と同様、ヴァチカンでも
彼女やマエストロ
アルトソロ(兼)関西拠点の合唱指導の先生
女性陣から写メ攻めにあって
揉みくちゃ状態になってた(ノ∀`笑)
あと、男性ソリストの方々も(-ω-)笑
(「一緒に写真撮りたいんですけど」的なやつ)
ソプラノのメンバー36
「良かった、綺麗に撮れてる^^」
ソプラノのメンバー37「あたしのも(^ ^)」
ソプラノのメンバー38「それにしても...」
ソプラノのメンバー39「凄いね...」
ソプラノのメンバー40「凄い人気だね...」
ソプラノのメンバー41「崔先生達ね...」
ソプラノのメンバー42
「めっちゃ揉みくちゃ状態だわね...」
ソプラノのメンバー43,45「うん...」
ソプラノのメンバー46,47「だね...」
その後、ホテルへ戻り
お風呂やSNSなど、いつも通りの夜を過ごして
かーらーのー
おやすみなさいです~(^^)ノシ
てな感じで、すごく楽しかったです*ˊᵕˋ*❀✿
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洛陽の一日
旅先で印象に残るのは名所旧跡よりも何気ない街角の風景であり、そこに暮らす人々の営み。
8月11日(火) 6日目
「8時にホテルの前で中国人と会う約束をしていたのに、起きたら8時10分。ダッシュで行ったけれど居なかった。ああ、日中友好にヒビが入ってしまった!」 と日記に書いてある。 記憶に無いが、前夜、ホテルの前で日本語学習した中国人と何かの約束でも交わしたのだろう。 そして昨夜の洪さんは今朝も可愛いままだった♪ 彼女に尋ねたのは北京への電話の掛け方。言われるまま先方の電話番号を伝え、イスに座って待っていると、「X番の電話ボックスへ入りなさい」と指示が来る。交換手が繋いでくれるシステムだ。 電話の向こうで楊さんの賑やかな声が聞こえるも、お互い何を言っているのか良く分からん状態で勝手に喋って電話は終わった。まぁ、いい、あの日本の若者が無事に洛陽に着いたことが分かれば目的は達成。 電話が終わって箱から出てくると、日本人から声をかけられた。洛陽の大学に留学中の岡山出身の男性で、僕の大学での映研サークルの友達、対木によく似ていた。 親切なその人は、洛陽の旅行情報を教えてくれた。面白かったのは、大学での専攻は「人口抑制学」だと言っていた。一人っ子政策の中国ならではの学問なので専攻しているとのこと。ふ~~む。
街へ出た。 でも観光ではない。明後日の鉄道切符の手配だ。当時の中国個人旅行者にとっての難敵は、この切符手配。これが済まないと、次の旅程が組めず、のんびり観光もできなかった。 ということで、洛陽駅の切符売り場に向かった。 切符売り場は長蛇の列。排隊(パイトゥイ)=行列という意味の中国語を学習したのは、この中国旅行だった。人民は立場によってはモーレツに親切でもあり、またモーレツに不親切でもあった。当然、駅で切符を売っている服務員はその優位性にモノ言わせて不親切極まりなかった。 おまけにほとんどの人民購入客が小さな切符売り場の小窓を隔てて大声で叫んでいるのだから、服務員も激高する。ほぼ鉄道切符は「買うもの」ではなく「買わせていただくもの」であった。そんな修羅場に言葉も良く分からないヒヨっこの僕が太刀打ちできるわけもなく、筆談用メモに、「乗車列車番号」、「乗車日」、「行き先」、「枚数」を中国語で書き、「買いたい!」「いくら!」と書き、ようやく回ってきた自分の順番��、僕は服務員のオバサンに尋ねた。オバサンは既に発狂モードで取り付く島もない。何を言ってるのかほぼ意味不明だが、大変残念なことに、今、ここで買えないことだけは理解できた。でも1時間以上並んでこの結果は悔しいので、後ろに並ぶ人民に助けを求めた。そして分かったのは「当日買え!」ということだった。 予想通りの敗戦、という残念な気分で僕は一度、駅舎の外に出て、昼前だが駅前の食堂で瓶ビール(大)を買い求めた。当然、ぬるいビールしかないが構わなかった。そのビールをラッパ飲みしながら駅に戻り、薄汚く暗い駅舎のベンチで絵葉書を書いた。 相手は少し前までお世話になり、想いを寄せていた年上の女性。彼女は僕の良き相談相手だった。その人と知り合った頃、無口で陰鬱な青年であった僕は異性と口をきくことなどできなかった。でも、彼女はどこか違った。強いて言えば、会話を引き出すのがうまかった。数年の時を経て、気づいたのだが、彼女は自分の失敗談を楽しく話すのが上手だったのだ。当時の僕は、自信も経験も無く、語るべき言葉を持たない暗闇のようなものだと自分を卑下していた。でも彼女の失敗談を聞いていると、自分の悩みが小さなものに思えたり、そんなこともあるんだと共感を覚えたりで、自分のことも素直に言える時があった。そんな彼女と僕は、誕生日が同じだったこともあり、世間知らずの僕を勝手に「運命」とも感じさせていた。 彼女は「思慕」という言葉を時々使った。好き、とか、恋しいという意味のこの言葉は、当時の僕にとって詩的で、大人の言葉に聞こえた。そして、いつの間にか彼女に思慕の想いを抱く自分がいた。 でも、いろいろあって、その後、うまくはいかなかった。その状態が1年以上続いていた。そして、絵葉書にしたためたのは別れの言葉だった。 今となっては、何故、洛陽の駅でぬるいビールなどラッパ飲みしながら、その人に最後の手紙を書いたのか全く不明である。ただ、日記には「XXさんにお別れの手紙を書いた」とだけあるのみ。
青春の傷あと、とでも言うべきだろう・笑 その後、傷心の痩せた青年は自分が空腹であることに気づき、さっきビールを買った店に入り昼飯を注文した。 この店のお兄ちゃんは表に出て、歌うように「ララララ~~来々!!、ララララ~~来々!!」と叫んで客引きをしていた。 日記には「白飯、野菜炒めみたいなもの」を食べたと書いてある。笑えたのが白飯を食べていると、後から来た人民客で同じく白飯を食べていた男が、店主に文句を言い始めた。そして、同じものを食べている僕のところにもツカツカとやってきて、失礼にも白飯を取り上げ、どうも白飯の味がおかしい!傷んでる!食うな!という意味のことを訴えたのである。 今まで食べてきた中国の白飯は、日本のそれとはだいぶ違う。まず、艶やかではない、白くはなく、くすんでいて、ポソポソしている。だからあまり美味くはない。なので、こんなもんだろうと思って僕は食べていたが、改めてニオイを嗅いでみると、何か違う。。。 中国に来てまだ6日目ではあったが、僕はもうそういうことも段々、没有関係(メイヨ―クワンシー・どうでもいい、という意味)になっていた。 その後、洛陽観光をした。 バスで 中国三大石窟 の一つ、龍門石窟へ。 ここは唐代に造られた石窟寺院で、もっとも目を引くのが高さ17.14mの廬舎那仏。この石仏は中国唯一の女帝で、寺院建造に関わった則天武后をモデルにしたという説もある。ただ、こちらの日記には「やっぱり少し悪人面」とある。
↑ 廬舎那仏をバックに。この写真は日本人ツアーのお姉さんに撮ってもらったが、 廬舎那仏の全体が映っていなかった、残念。 今やユネスコの世界遺産に登録された龍門石窟でも、歴史や文化の香りを楽しむは、万里の長城同様、人民のパワーにかき消された。 龍門石窟は黄河の支流、伊河に面した河岸段丘にある。その伊河では夏の水遊びを楽しみ人民、洗濯をする人民がいる。それは想像に難くない風景だが、大型のトラックを川に突っ込ませ、洗車する人民たちもいるのには驚く(写真下)。
こんな扱い方��れたらどんなに質の高い車であっても、すぐ壊れるだろうに。。。こちらの理解の外にあることが多い、こういうことを学ぶのも旅の面白さだ。 目の前にいた小姐も、スカートなのに大股さっぴろげ、パンツ丸見えで川で涼んでいて、こちらが恥ずかしい。 オレンジの缶ジュースも観光地価格で1元(約45円)と高い。そしてプルトップを開けて飲もうとするも、錆びていて千切れた。そんなことは日常茶飯の人民オバサン、動揺することも無く手持ちのドライバーで一撃必殺、缶に二か所、穴を開け、ニコリとこちらに差し出す♪ 僕はそのジュースをチビチビ飲みながら、真夏の川辺、柳の下の石垣でまどろみながら石窟よりも人民たちの喧騒や動きに目を奪われていた。 市内にある関林も同様である。 三国志でも有名な関羽を祀る関林、こちらも世界三大関廟として名高く、三国志ファン必見の名跡。何でもここは関羽の首塚とか、本人の首がここに眠っているということか?
祀られた赤面で長い口髭の関羽は迫力があり、左右に控えるのは張飛に劉備か? しかし、三国志ファンでもない僕にとって、更に迫力があったのは、この関林ではなく、ここにたどり着くまでの街並みや風景だった。 毛沢東主義のスローガンが街角のアチコチに掲げられているのは北京と同様。そして下の写真は、交通事故の悲惨さをプロパガンダする街角の風景だ。事故被害者の痛々しく、グロい写真や事故の経緯など。「あなたも気を付けないと加害者、被害者になるから注意せよ」という共産党からの啓蒙活動だ。
下の写真は、道端にミシンを置き、服の修理などを請け負ってると思われる、若いお母さんとその赤ん坊。踏み込み式の手動ミシンだから「どこでもミシン」だ。 がんばれ、働くお母さん。
次は街角のレストラン。 ミシュランの星が付くまではいかないが、自家用の窯を路上に出し、雨露をしのぎながら、今日もしたたかに商売商売。 若さゆえの好奇心で、こういう店で食事して何度、腹を壊したか♪学習能力無し~
関林からのバスで洛陽友誼賓館までの帰り道、乗り換えの広州広場でバケツをひっくり返したような土砂降り。足止めを喰らうも、雨が熱気を沈め、どこからか土や川のニオイを運んでくる。 仕事から帰宅途中の多数の人民とともに、土砂降りを眺めながらの雨宿り。気楽な旅人に贈られた非日常的な場面は、今でも映画のワンシーンのように心の奥の隅のほうに沈殿している。33年も経ったあの広州広場は、今、どんな風景となり、どんな時間が流れているんだろうか?
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ニコラテスラという奇人
Genden-TukuRich®️の世界へようこそ!! VOL.271 科学的に実証していくニコラ・テスラ 多くの発明を世に齎した事は有名である。 回転磁場(交流機器の基礎)の考案により 発電機、変圧器、モーターなどの基礎 電子機器に広く使われている高電圧誘導コイル(ステラコイル)の発明 なんと!エジソンの会社に入社している。 エジソンに関してはいうまでもない。 そこで二人の間に電流の考えの違いで亀裂が生じていく テスラは交流、エジソンは直流である。 その後2人はエジソンの会社の直流電圧に設計された工場システムを交流電圧で稼働させられるかという戦いに発展していく! 電流の直流と交流との戦いでエジソンは敗れた。テスラが見事交流電圧で稼働させたのだ! 5万ドルが払われる予定だったがエジソンは結果を認めたくなかった為支払いはしなかった。惨めな結末である。 ステラは怒り…
#Genden-TukuRich®︎の世界へようこそ!#ありがとう#ウォーデンクリフタワー#エジソン#ニコラ・テスラ#モルガン#モーター#リラックス#世界の殿方達とすべて女性達に贈る!#交流電流#変電器#宇宙エネルギー#富士川#感謝#無線システム#直流#自然#自由#高電圧誘導コイル#50ヘルツ#60ヘルツ
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【【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿】 - 朝日新聞デジタル : https://www.asahi.com/articles/ASN5H4RTHN5HUTIL027.html : https://archive.is/OM5Cm 検察庁法改正案 2020年5月15日 16時14分
{{ 図版 : 検察庁法改正案に反対する意見書を手に、法務省へ向かう松尾邦弘・元検事総長(右)と清水勇男・元最高検検事=2020年5月15日午後3時2分、東京都千代田区、林敏行撮影 }}
検察庁法改正に反対する松尾邦弘・元検事総長(77)ら検察OBが15日、法務省に提出した意見書の全文は次の通り。
◆◆◆◆◆◆
東京高検検事長の定年延長についての元検察官有志による意見書
1 東京高検検事長黒川弘務氏は、本年2月8日に定年の63歳に達し退官の予定であったが、直前の1月31日、その定年を8月7日まで半年間延長する閣議決定が行われ、同氏は定年を過ぎて今なお現職に止(とど)まっている。
{{ 元検察トップら、反対意見書を法務省に提出 検察庁法案 : https://www.asahi.com/articles/ASN5H4ST8N5HUTIL017.html : https://archive.is/Wsyac : https://benediktine.tumblr.com/post/618638441816719360/ }}
検察庁法によれば、定年は検事総長が65歳、その他の検察官は63歳とされており(同法22条)、定年延長を可能とする規定はない。従って検察官の定年を延長するためには検察庁法を改正するしかない。しかるに内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現検事総長稲田伸夫氏の後任として黒川氏を予定しており、そのために稲田氏を遅くとも総長の通例の在職期間である2年が終了する8月初旬までに勇退させてその後任に黒川氏を充てるための措置だというのがもっぱらの観測である。一説によると、本年4月20日に京都で開催される予定であった国連犯罪防止刑事司法会議で開催国を代表して稲田氏が開会の演説を行うことを花道として稲田氏が勇退し黒川氏が引き継ぐという筋書きであったが、新型コロナウイルスの流行を理由に会議が中止されたためにこの筋書きは消えたとも言われている。
いずれにせよ、この閣議決定による黒川氏の定年延長は検察庁法に基づかないものであり、黒川氏の留任には法的根拠はない。この点については、日弁連会長以下全国35を超える弁護士会の会長が反対声明を出したが、内閣はこの閣議決定を撤回せず、黒川氏の定年を超えての留任という異常��状態が現在も続いている。
2 一般の国家公務員については、一定の要件の下に定年延長が認められており(国家公務員法81条の3)、内閣はこれを根拠に黒川氏の定年延長を閣議決定したものであるが、検察庁法は国家公務員に対する通則である国家公務員法に対して特別法の関係にある。従って「特別法は一般法に優先する」との法理に従い、検察庁法に規定がないものについては通則としての国家公務員法が適用されるが、検察庁法に規定があるものについては同法が優先適用される。定年に関しては検察庁法に規定があるので、国家公務員法の定年関係規定は検察官には適用されない。これは従来の政府の見解でもあった。例えば昭和56年(1981年)4月28日、衆議院内閣委員会において所管の人事院事務総局斧任用局長は、「検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されない」旨明言しており、これに反する運用はこれまで1回も行われて来なかった。すなわちこの解釈と運用が定着している。
検察官は起訴不起訴の決定権すなわち公訴権を独占し、併せて捜査権も有する。捜査権の範囲は広く、政財界の不正事犯も当然捜査の対象となる。捜査権をもつ公訴官としてその責任は広く重い。時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。検察官の責務は極めて重大であり、検察官は自ら捜査によって収集した証拠等の資料に基づいて起訴すべき事件か否かを判定する役割を担っている。その意味で検察官は準司法官とも言われ、司法の前衛たる役割を担っていると言える。
こうした検察官の責任の特殊性、重大性から一般の国家公務員を対象とした国家公務員法とは別に検察庁法という特別法を制定し、例えば検察官は検察官適格審査会によらなければその意に反して罷免(ひめん)されない(検察庁法23条)などの身分保障規定を設けている。検察官も一般の国家公務員であるから国家公務員法が適用されるというような皮相的な解釈は成り立たないのである。
3 本年2月13日衆議院本会議で、安倍総理大臣は「検察官にも国家公務員法の適用があると従来の解釈を変更することにした」旨述べた。これは、本来国会の権限である法律改正の手続きを経ずに内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更したという宣言であって、フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
時代背景は異なるが17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著「統治二論」(加藤節訳、岩波文庫)の中で「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告している。心すべき言葉である。
ところで仮に安倍総理の解釈のように国家公務員法による定年延長規定が検察官にも適用されると解釈しても、同法81条の3に規定する「その職員の職務の特殊性またはその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分の理由があるとき」という定年延長の要件に該当しないことは明らかである。
加えて人事院規則11―8第7条には「勤務延長は、職員が定年退職をすべきこととなる場合において、次の各号の1に該当するときに行うことができる」として、①職務が高度の専門的な知識、熟練した技能または豊富な経験を必要とするものであるため後任を容易に得ることができないとき、②勤務環境その他の勤務条件に特殊性があるため、その職員の退職により生ずる欠員を容易に補充することができず、業務の遂行に重大な障害が生ずるとき、③業務の性質上、その職員の退職による担当者の交替が当該業務の継続的遂行に重大な障害を生ずるとき、という場合を定年延長の要件に挙げている。
これは要するに、余人をもって代えがたいということであって、現在であれば新型コロナウイルスの流行を収束させるために必死に調査研究を続けている専門家チームのリーダーで後継者がすぐには見付からないというような場合が想定される。
現在、検察には黒川氏でなければ対応できないというほどの事案が係属しているのかどうか。引き合いに出される(会社法違反などの罪で起訴された日産自動車前会長の)ゴーン被告逃亡事件についても黒川氏でなければ、言い換えれば後任の検事長では解決できないという特別な理由があるのであろうか。法律によって厳然と決められている役職定年を延長してまで検事長に留任させるべき法律上の要件に合致する理由は認め難い。
4 4月16日、国家公務員の定年を60歳から65歳に段階的に引き上げる国家公務員法改正案と抱き合わせる形で検察官の定年も63歳から65歳に引き上げる検察庁法改正案が衆議院本会議で審議入りした。野党側が前記閣議決定の撤回を求めたのに対し菅義偉官房長官は必要なしと突っぱねて既に閣議決定した黒川氏の定年延長を維持する方針を示した。こうして同氏の定年延長問題の決着が着かないまま検察庁法改正案の審議が開始されたのである。
この改正案中重要な問題点は、検事長を含む上級検察官の役職定年延長に関する改正についてである。すなわち同改正案には「内閣は(中略)年齢が63年に達した次長検事または検事長について、当該次長検事または検事長の職務の遂行上の特別の事情を勘案して、当該次長検事または検事長を検事に任命することにより公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるときは、当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日の翌日から起算して1年を超えない範囲内で期限を定め、引き続き当該次長検事または検事長が年齢63年に達した日において占めていた官及び職を占めたまま勤務をさせることができる(後略)」と記載されている。
難解な条文であるが、要するに次長検事および検事長は63歳の職務定年に達しても内閣が必要と認める一定の理由があれば1年以内の範囲で定年延長ができるということである。
注意すべきは、この規定は内閣の裁量で次長検事および検事長の定年延長が可能とする内容であり、前記の閣僚会議によって黒川検事長の定年延長を決定した違法な決議を後追いで容認しようとするものである。これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている(元検事総長伊藤栄樹著「だまされる検事」)。検察庁法は、組織の長に事故があるときまたは欠けたときに備えて臨時職務代行の制度(同法13条)を設けており、定年延長によって対応することは毫(ごう)も想定していなかったし、これからも同様であろうと思われる。
今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺(そ)ぐことを意図していると考えられる。
5 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移��一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。
振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。
当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在住のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないのではないかという懐疑派、苦労して捜査しても(1954年に犬養健法相が指揮権を発動し、与党幹事長だった佐藤栄作氏の逮捕中止を検事総長に指示した)造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。
事件の第一報が掲載されてから13日後の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。
この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田��角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健���、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は塩野宜慶(やすよし)氏(後に最高裁判事)、内閣総理大臣は三木武夫氏であった。
特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯(おび)えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。
国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯(たて)に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。
しかし検察の歴史には、(大阪地検特捜部の)捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。
しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘(せいちゅう)を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。
正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。
黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。
【追記】この意見書は、本来は広く心ある元検察官多数に呼びかけて協議を重ねてまとめ上げるべきところ、既に問題の検察庁法一部改正法案が国会に提出され審議が開始されるという差し迫った状況下にあり、意見のとりまとめに当たる私(清水勇男)は既に85歳の高齢に加えて疾病により身体の自由を大きく失っている事情にあることから思うに任せず、やむなくごく少数の親しい先輩知友のみに呼びかけて起案したものであり、更に広く呼びかければ賛同者も多く参集し連名者も多岐に上るものと確実に予想されるので、残念の極みであるが、上記のような事情を了とせられ、意のあるところをなにとぞお酌み取り頂きたい。
令和2年5月15日
元仙台高検検事長・平田胤明(たねあき)
元法務省官房長・堀田力
元東京高検検事長・村山弘義
元大阪高検検事長・杉原弘泰
元最高検検事・土屋守
同・清水勇男
同・久保裕
同・五十嵐紀男
元検事総長・松尾邦弘
元最高検公判部長・本江威憙(ほんごうたけよし)
元最高検検事・町田幸雄
同・池田茂穂
同・加藤康栄
同・吉田博視
(本意見書とりまとめ担当・文責)清水勇男
法務大臣 森まさこ殿
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ここであえての2016年の観賞記録と
2016年の映画観賞回数135回。
『クリード──チャンプを継ぐ男』(ライアン・クーゲラー) 『ジョン・ウィック』( チャド・スタエルスキー、 デヴィッド・リーチ) 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(オリヴァー・ヒルシュビーゲル) 『黄金のアデーレ──名画の帰還』(サイモン・カーティス) 『エール!』(エリック・ラルティゴ) 『白鯨との闘い』(ロン・ハワード) 『顔のないヒトラーたち』(ジュリオ・リッチャレッリ) 『シャーリー&ヒンダ──ウォール街を出禁になった二人』( ホバルト・ブストネス) 『Re:LIFE』(マーク・ローレンス) 『ムーン・ウォーカーズ』(アントワーヌ・バルドー=ジャケ)
『海賊じいちゃんの贈りもの』(アンディー・ハミルトン、 ガイ・ジェンキン) 『ローマに消えた男』(ロベルト・アンド) 『コードネームU.N.C.L.E.』(ガイ・リッチー) 『ブリキの太鼓』(フォルカー・シュレンドルフ) 『パリ3区の遺産相続人』(イスラエル・ホロヴィッツ) 『ストレイト・アウタ・コンプトン』(F・ゲイリー・グレイ)2回。 『ザ・シャウト──さまよえる幻響』(イエジー・スコリモフスキ) 『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ) 『クリムゾン・ピーク』(ギレルモ・デル・トロ) 『PEACH──どんなことをしてほしいのぼくに』(坂西伊作)
『エージェント・ウルトラ』(ニマ・ヌリザデ) 『恋人たち』(橋口亮輔)2回。 『知らない、ふたり』(今泉力哉) 『バットマンVSスーパーマン』(ザック・スナイダー) 『ニューヨーク──眺めのいい部屋売ります』(リチャード・ロンクレイン) 『オデッセイ』(リドリー・スコット) 『不屈の男──アンブロークン』(アンジェリーナ・ジョリー) 『ひつじ村の兄弟』(グリームル・ハゥコーナルソン) 『最愛の子』(陳可辛) 『クーパー家の晩餐会』(ジェシー・ネルソン)
『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ) 『キャロル』(トッド・ヘインズ) 『ズートピア』(バイロン・ハワード、 リッチ・ムーア) 『ポテチ』(中村義洋) 『奇跡』(是枝裕和) 『テラフォーマーズ』(三池崇史) 『弱虫ペダル Re:RIDE』(鍋島修) 『弱虫ペダル Re:ROAD』(鍋島修) 『劇場版 弱虫ペダル』(長沼範裕) 『殿、利息でござる!』(中村義洋)
『マッドマックス──怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミ��ー)5回。通算10回達成。 『海よりもまだ深く』(是枝裕和) 『ルーム』(レニー・アブラハムソン) 『これが私の人生設計』(リッカルド・ミラーニ) 『三等重役』(春原政久) 『フルートベール駅で』(ライアン・クーグラー) 『社長太平記』(松林宗恵) 『マネー・ショート──華麗なる大逆転』(アダム・マッケイ) 『リリーのすべて』(トム・フーパー) 『レヴェナント』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
『駅前旅館』(豊田四郎) 『スポットライト──世紀のスクープ』(トム・マッカーシー) 『ミラクル・ニール!』(テリー・ジョーンズ) 『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ) 『グランドフィナーレ』(パオロ・ソレンティーノ) 『アイアムアヒーロー』(佐藤信介) 『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』(クリス・マウカーベル) 『最高の花婿』(フィリップ・ドゥ・ショーヴロン) 『マクベス』(ジャスティン・カーゼル)2回。 『ヘイル、シーザー!』(ジョエル・コーエン · イーサン・コーエン)
『アイヒマン・ショー』(ポール・アンドリュー・ウィリアムズ) 『ハロルドが笑うその日まで』(グンナル・ヴィケネ) 『夏の夜の夢』(ジュリー・テイモア) 『コップ・カー』(ジョン・ワッツ) 『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ) 『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(マイケル・ムーア) 『デッドプール』(ティム・ミラー)2回。 『モヒカン故郷に帰る』(沖田修一) 『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也) 『君がくれたグッドライフ』(クリスチアン・チューベルト)
『団地』(阪本順治) 『ヒメアノ~ル』(吉田恵輔) 『アウトバーン』(エラン・クリーヴィー) 『ブルースブラザース』(ジョン・ランディス) 『トリプル9』(ジョン・ヒルコート) 『FAKE』(森達也) 『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』(プリンス、 アルバート・マグノリ) 『ミスター・ダイナマイト──ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』(アレックス・ギブニー) 『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 感度サイコー!!』(鈴木剛) 『クレイマー、クレイマー』(ロバート・ベントン)
『帰ってきたヒトラー』(デビッド・ベンド) 『日本で一番悪い奴ら』(白石和彌) 『トゥーヤングトゥーダイ!──若くして死ぬ』(宮藤官九郎) 『嫌な女』(黒木瞳) 『ふきげんな過去』(前田司郎) 『セトウツミ』(大森立嗣) 『超高速! 参勤交代リターンズ』(本木克英) 『マシュー・ボーン「ザ・カーマン」』(マシュー・ボーン、ロス・マクギボン) 『スーサイド・スクワッド』(デヴィッド・エアー) 『エクス・マキナ』(アレックス・ガーランド)
『フリーウェイ』(マシュー・ブライト) 『二ツ星の料理人』(ジョン・ウェルズ) 『教授のおかしな妄想殺人』(ウディ・アレン) 『ONCE──ダブリンの街角で』(ジョン・カーニー) 『シング・ストリート──未来へのうた』(ジョン・カーニー) 『王立宇宙軍──オネアミスの翼』(山賀博之) 『シン・ゴジラ』(庵野秀明、樋口真嗣)2回。 『裸足の季節』(ドゥニズ・ガムゼ・エルグヴァン) 『ロング・トレイル!』(ケン・クワピス) 『グッバイ、サマー』(ミシェル・ゴンドリー)
『ブルックリン』(ジョン・クローリー) 『後妻業の女』(鶴橋康夫) 『トランボ──ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ) 『ラスト・タンゴ』(ヘルマン・クラル) 『AMY エイミー』(アジフ・カパディア) 『グエムル──漢江の怪物』(ポン・ジュノ) 『フラワーショウ!』(ヴィヴィアン・デ・コルシィ) 『ストリート・オーケストラ』(セルジオ・マシャード) 『ニュースの真相』(ジェームズ・ヴァンダービルト) 『阿弖流為』(いのうえひでのり)
『怒り』(李相日) 『ジャニス──リトル・ガール・ブルー』(エイミー・バーグ) 『高慢と偏見とゾンビ』(バー・スティアーズ) 『オーバー・フェンス』(山下敦弘) 『リトル・ボーイ──小さなボクと戦争』(アレハンドロ・モンテベルデ) 『ハートビート』(マイケル・ダミアン)2回。 『神様の思し召し』(エドアルド・ファルコーネ ) 『THE BEATLES──EIGHT DAYS a week the touring yeas』(ロン・ハワード) 『永い言い訳』(西川美和) 『生きうつしのプリマ』(マルガレーテ・フォン・トロッタ)
『はじまりはヒップホップ』(ブリン・エヴァンス) 『奇跡の教室──受け継ぐ者たちへ』(マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール) 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス) 『この世界の片隅に』(片渕須直)2回。 『バック・トゥ・ザ・フ��ーチャー PART2』(ロバート・ゼメキス)
2016年の本読了冊数80冊。(同人誌は除く)
渡部直己『小説技術論』(河出書房新社) アレイヘム『牛乳屋テヴィエ』(岩波文庫) デーレンバック『鏡の物語』(ありな書房) ウォー『愛されたもの』(岩波文庫) いとうせいこう『鼻に挟み撃ち 他三編』(集英社) 畑山博『いつか汽笛を鳴らして』(文春文庫) ウォー『ご遺体』(光文社古典新訳文庫) 栗林佐知『はるかにてらせ』(未知谷) ドストエフスキー『地下室の手記』(新潮文庫) 川田順造『聲』(ちくま学芸文庫)
ブレヒト『アンティゴネ』(光文社古典新訳文庫) 藤野裕子『都市と暴動の民衆史』(有志舎) アリストパネース『蜂』(岩波文庫) 香山リカ『ヒューマンライツ』(ころから) 小野寺拓也『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」』(山川出版社) ベルンハルト『石灰工場』(早川書房) いとうせいこう=奥泉光+渡部直己『小説の聖典』(河出文庫) 春日太一=サンキュータツオ『俺たちのBL論』(河出書房新社) 大江健三郎=古井由吉『文学の淵を渡る』(新潮社) 岡和田晃『向井豊昭の闘争』(未来社)
岡本かの子『家霊』(ハルキ文庫) 岡和田晃=ウィンチェスター『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社) ドゥルーズ=ガタリ『カフカ』(法政大学出版局) 外岡���俊『北帰行』(河出書房新社) オニール『言説のフィクション』(松柏社) アレン『間テクスト性』(研究社) スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房) スピヴァク『いくつもの声』(人文書院) バトラー『権力の心的な生』(月曜社) 『朝鮮近代文学選集3 短編小説集 小説家仇甫氏の一日 ほか十三編』(平凡社)
パク・ミンギュ『カステラ』(クレイン) バトラー『自分自身を説明すること』(月曜社) カダレ『夢宮殿』(東京創元社) バトラー『アンティゴネーの主張』(青土社) ベルンハルト『ある子供』(松籟社) ハン・ガン『菜食主義者』(クオン) 木村友祐『聖地Cs』(新潮社) 木村友祐『イサの氾濫』(未來社) いとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社) 吉村萬壱『ボラード病』(文藝春秋)
フックス『フェミニズムはみんなのもの』(新水社) ムージル『愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫) 赤司英一郎『思考のトルソー・文学でしか語られないもの』(法政大学出版局) 北島玲子『終りなき省察の行方』(上智大学出版) 時田郁子『ムージルと生命の樹』(松籟社) ムージル『愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫) ムージル『三人の女/黒つぐみ』(岩波文庫) 古井由吉『ロベルト・ムージル』(岩波書店) ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー(上)』(河出文庫) ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー(下)』(河出文庫)
橋本陽介『日本語の謎を解く』(新潮選書) カルペンティエル『時との戦い』(国書刊行会) カルペンティエル『この世の王国』(水声社) カルペンティエル『追跡』(水声社) シェイクスピア『から騒ぎ』(ちくま文庫) シェイクスピア『冬物語』(ちくま文庫) カルペンティエル『エクエ・ヤンバ・オー』(関西大学出版局) カルペンティエル『失われた足跡』(集英社文庫) カルペンティエル『バロック協奏曲』(サンリオSF文庫) シェイクスピア『ヘンリー六世 全三部』(ちくま文庫)
シーラッハ『犯罪』(創元推理文庫) シーラッハ『罪悪』(創元推理文庫) シェイクスピア『じゃじゃ馬馴らし』(ちくま文庫) 松岡和子『深読みシェイクスピア』(新潮文庫) 温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社) ウルフ『灯台へ』(岩波文庫) シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』(ちくま文庫) カルペンティエル『光の世紀』(書肆風の薔薇) ソローキン『青い脂』(河出文庫) 寺尾隆吉『ラテンアメリ��文学入門』(中公新書)
師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書) 温又柔『来福の家』(白水uブックス) 木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社) 木村友祐『イサの氾濫』(未來社) ブコウスキー『パルプ』(ちくま文庫) 町山智浩『最も危険なアメリカ映画』(集英社インターナショナル) 『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』(青月社) カルペンティエル『方法異説』(水声社) 滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋) 崔実『ジニのパズル』(講談社)
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103 Promise
空は青く澄み渡り、アストラは静かで穏やかだった。絹のように地に薄く張った水面はまぎれもなく天を映しながら、その鏡面にはさらにひとりの、現実にはすでに存在しない人影が、大いなる戦いを終えたフェレスの主らを見守りつつたたずんでいた。ストラーラだった。淡い青みがかった銀髪と左右の均整のとれた美しい姿を持ち、だが今ならば、その身裡にはまったくの未知の力、無秩序の根源である混沌の資質を宿している者なのだとバルナバーシュには分かった。虚無と対をなして七つの資質を少しずつ持ち、そのカオスの不合理をはたらかせて変則と放縦のパターンを織りあげながらも、我々とともにロジックを生みだし、同じ結果にも到達しうる者……。予知を拒み、冷笑的でたわやすく心を開くことのないあやうい背理のなかで、彼女はなにを願い、なぜ円環の終わりに抗いながらフェレスのかけらに力と希望を与えようとしたのか。
バルナバーシュは、おそらく彼女のようなものの力こそが虚無と同様に、私たちヒトにとって最大の宿敵となり、またなくてはならぬ存在にもなるのだろうと漠然と感じとった。
ディオレが混沌の少女の幻影に歩み寄って、数歩離れたところにひざまずき、唇にあてた指を口づけを介した儀式のように水面に触れさせる。すると規則的な波紋が音もなく広がって、うっすらと輝き、水面に映っていたストラーラは反転しながら彼らのいる次元へ実体をともなって顕現した。その場にいる全ての者の視線が向けられたが、彼女は意に介さず、人も無げに口を開いた。
「……私はあなたたちの誰よりも、世界は夜に満ち、いつかはかならず終わるものと思っていた。私はひどく退嬰的な世界に生まれた、血も薄い不具の子だった。まるで滅びゆく時代を模した申し子のように。ゆるやかな絶望が落とす影を感じながら、ただひとりであることや、自然の営みだけに心を安らかにして、ヒトの可能性というものは露ほども信じていなかったし、願いや欲望などは冷笑すべきものだった。ときに不全のからだに苦しみ、ときに御しがたい衝動に振りまわされながら、それでも自分がなぜ世界に生きようとするのかさえ判然とはしない……。そんな私のもとにも、フェレスが目覚め、けれど自分の願いなどなにも分からなかった。〈可能性〉ではなく、〈運命〉のまにまにただ任せてイススィールへと来た。何よりフェレスの力が、私の短かった命を永らえさせてくれたから」
思いに沈んだ目で、長い溜息のように少女は淡々と、己れの来歴を語った。憂鬱に満ち、病的な気風のただようこの振る舞いが、心を取りもどした本来の彼女のありようなのだろうか。差し出した両手のなかがにわかに青白い光であふれると、小さなゼンマイ式のオルゴールがそこに現れる。ストラーラのフェレス――可愛らしい草花の彫りが入った木箱からは、悪夢めいて迷えるものがなしい歌が奏でられ、同じ旋律が切れ目なく続くさまは、彼女にとっての永遠を象徴しているようでもあった。
「私はあるひとりの魔族の男と、島の波止場で出会い、なかば連れられるようにしてリギノの神殿を訪ね、そうして七つのパワースポットをも巡っていった。あなたたちのように、さまざまな人々、さまざまな思い、さまざまな記憶に触れて、一歩一歩、少しずつ、世界の中心へと進みながら……。どうしてかは分からないけど、そんな旅や冒険は楽しかったし、景色は美しく、パートナーは得がたい友だちで、こんな私に命をかけて良くしてくれて、私もやがて、彼を守るためなら危険を冒してもよい思いを強めていった。彼は私と違って楽観的だったけれど、魔族らしく混沌的なところは似ていて、お互いがお互い以外の者には飽いていたから、長く続いたのかもしれない。そしてミュウにもグッドマンにも味方せず、まるで親に楯つく子供みたいに、無邪気に私たちははざまの道を進んでいった。………」
どこか悔いるように、ストラーラはかたく目を閉じる。
「あんなことになるなんて思わなかったの。人間になったアンドロイド、ユキルタスの導きでアストラで戦ったはてに、ミュウとグッドマンはさしちがえ、クレスオールは無念のなかで消滅し、要石であるユテァリーテは砕かれた。ユキルタスは物語は終わると言っていたけれど……それでもヒトに希望がある限り、いつか新しいイススィールは生まれるはずだった。そう、イススィールとエターナルデザイアーの伝説は多くの次元と結びつきながら、女神の意思さえも超越した永遠の円環〝だった〟から。でも私たちは、より大きな、もっとも上位にある絶対的な運命をその時に感じたわ……。『もう二度と、伝説はよみがえらない』のだと。島を形成するイメージはただ薄れて消えるのではなく、みずから燃えあがり、過去から未来へ、時そのものがはてるまで……すべての次元、あらゆる世界と存在のなかへ駆け抜けるようにして、全てが灰と化していった。喪さえ拒む仮借なき滅びによって、この神秘の島を知るわずかな人々に、鮮烈な記憶の痕を、秘密として残しながら。本当の、本当の終わりだったの。火をまえにして、私は――ひどく悲しかった。流したことのない涙さえ流した。でも、何も言えなかった……あまりに突然のことで、信じられなかったから。自分のその嘆きの正体は、今でも分からない。世界はいつか終わるのだと、あんなにも強く思っていたのに……。パートナーも、私とまったく同じ気持ちだった。そして私と彼は、イススィールでの思い出をレリックとしてフェレスに刻みながら、燃えさかる世界のなかであることを願い、また約束を誓った」
バルナバーシュのとなりで、かすかにディオレが息を呑む気配があった。幸星の民を束ねるこの戦士すらも知りえぬ事実が言い連ねられているのだろうか。
「もう一度だけ、かりそめでもかまわない……私のフェレスを要石にしてイススィールのイメージをつなぎとめて、この地を残し、エターナルデザイアーをまだ必要とする者たちを受け入れつづけること。それが、この島で生まれてはじめて生きる希望を抱いた、私の願いだった」 「私たち幸星の民の父祖が約束したというのは、ストラーラ、あなたとだという。パートナーとする魔族の男が、私たちの父祖なのか」 「そうよ、ディオレ。彼はもともと、黒魔次元からのはぐれ者で、次元から次元を海のように間切ってわたる旅人でもあった。名はエイデオン。いつか心を失うはずの私――偽りながらも、繰り返されるストーリーや志半ばで果てたフェレスのかけらを受け入れつづける私に、終わりをもたらす約束を交わした。そうして永い時が流れ、彼と私の物語も忘れられて、あなたたちのなかで掟に変わって残るだけになったけれど」 「父祖はあらゆる次元で落伍者や居場所のないものたちを集めながら、最後にオルトフの次元を見いだし、そこを彼らのためのささやかな住処と定めた。そしてフェレスを持つものが人々のなかから現れはじめると、彼らを鍛え、オルトフの次元からデスァ闇沙漠へつながる隧道を開き、あの場所のイメージをとらえながら進む案内人になることを掟にしたという。だが、父祖も長寿だったが定命の者であり……最期に自身の古い約束を、後世の者たちの手で果たしてほしいと言い残して現世を去っていった。約束ははざまの道の先にあるのだと」
ディオレが継いだその話に、ストラーラはいくらか満足したらしい顔をみせ、「昔話はもうおしまい」と首を小さく振る。
「それにしても彼、私と冒険した思い出や、約束にこめた想いなんかは、きっと誰にも話さなかったのね。おかげでディオレや後世の人達は、私をただの倒すべき敵かなにかのように思っていたようだけれど」
ディオレは言葉を詰まらせたが、ストラーラはそこではじめて、ヒトとしての笑みを浮かべ、すこし嬉しそうに含み笑いをもらした。そうして視線を、今度はルドへ、さらにバルナバーシュとフェリクスにも向ける。その瞳はいま、あらゆる人々の面影が去り、本来の赤みがかった黒玉の色に艶めいていた。
「最後のパワースポットを開放するわ。私のフェレスの力を、あなたたちに託します」
ストラーラがオルゴールをかざすと、その場に青白い光の泉水が生じ、イススィールの最後の力が滔々とあふれだして輝いた。オルゴールは見る間に朽ち、木箱がほろほろと崩れると、中にあったシリンダーは茶色く錆びてしまっていた。
「きみのフェレスが……!」
ルドは嘆いたが、ストラーラはそれに首を振った。
「私にはもう必要のないものよ。目的はすべて果たされたから。かつて、ユキルタスのフェレス――かなめのビスも同じようになったけれど、そのわけがやっと分かった気がする。彼もきっと、かなめからの決別を最後には望んでいたのかもしれない」
パワースポットの前に、ルド、バルナバーシュ、ディオレ、フェリクスが集い、目と目をかわしあったが、たがいに何も言わなかった。彼らの後ろでは、獣人の娘ナナヤと猟犬のマックスが固唾を呑んで背を見つめている。
ルド以外の者がフェレスをかざすと、光は柱のように広がって立ちのぼり、彼らの意識と五感を包みこみながら新たな力を伝えてきた。それはいにしえより脈々たる、〈運命〉を帯びながら世界の定常を守ってきた数多くの英雄たりし者の極めた力と生涯の技、そして記憶――決戦の地アストラに到達しうる戦士だけに継承を許された、偉大なる頂きの光だった。そして四人もまた、継承を経てその伝説にいつか連なっていくのだろう。光の向こうに、かつてまことのイススィールで神秘の旅を経験した冒険者の何千という影が往還している。ある者は夢の化身を晴らし、ある者は魔王の破壊を乗り越え、ある者は女神の支配を砕いた……。鋭く冴えたリズムが鳴りわたり、続いてもうひとつ、またひとつと加わってゆき、イススィールの天と地に複雑で精妙なこだまを響かせた。意志に鍛えられた心身と霊的に研ぎ澄まされたセンス、内外を問わぬあらゆる攻撃をはねかえし、世界を切り分ける言説といかなる脅威にもひるまず目的を完遂しうるモラルの集中、そして調和への約束の歌が過去から未来へ、無限のかなたへと広がっていく。冒険者たち、いにしえの英雄たちの影をも越えて、世界の中心に立つある一人の、甲冑を鎧った者が力強いまなざしを四人に送っていた。その鎧はサークによく似ていたが――空櫃ではない。
「リギナロ!」
ルドが何かをさとって、その名を呼ばわった。リギナロは神殿で決意を示された時と変わらぬ気高さで、ヒトの心の深奥より、この世のすべての冒険者たちを祝福しているように思えた……。光が薄れていく。宇宙と個人がひとつとしてたがいを映し、ふくみあう深遠より浮かび上がり、秘密の回廊を抜け、四人の意識は現次元へ、アストラの地へと戻ってきた。
彼らの帰還を見届けて、ストラーラはもろく微笑んだ。
「約束を果たしてくれてありがとう……そして、さようなら。開眼人、極致にいたり、真理を悟ったひとたち。あなたたちが世界に流れる一筋の希望となることを祈っているわ」
ストラーラが大気に溶け入るように消えると、途端に天はふるえ、大地は荒ぶる巨人の肉体のごとく震撼した。要石の少女がつなぎとめていたイメージが崩れ去り、偽りのイススィールもまた消え行こうとしているのだ。不穏な喧騒に揺らぐ世界で、太陽は脈打ちながら色あせ、空は混沌と暗く濁り、地平は赤と黒の狂おしくうずまく煙と化して、大波をなしながらこちらに押しよせてくるかに思える。一行は地響きにひざをついておののいたが、恐怖を踏みしめどうにか立ち上がった。
「偽りの所産ゆえか、伝説に聞くよりも崩壊の速度が早い。ありあわせのイメージで持ちこたえているだけの脆さだったか……みなで旅の終わりを讃えあう時間も与えてはくれないようだ」
焦った様子のディオレが、目配りしながらみなに脱出をうながす。悲鳴と破壊がふりそそごうとするなか、バルナバーシュははっと思い出して、急いではいたが用心深い足取りで、咆哮する地平に向けてその場から駆け去った。ルドが追おうとしたが、魔術師は目的のものを見つけると立ち止まり、掴みあげる。それはフェリクスとの戦いで斬り飛ばされた、ルドの機械の右腕だった。
「バルナバーシュさん、それは……」
戻ってきたバルナバーシュの持つ己れの腕に、ルドは不安げな声をもらした。
「約束する。この島を出たら、私がかならず君の腕を治してみせる。たとえ長い時がかかったとしても――」
バルナバーシュは使命感から言い切ったが、それはかつてリギノの神殿で交わした「ルドに希望のありかを示す」という約束と同じく、ひどく不確かな未来で、なんの保証も持てぬ思いでもあった。ただ何も考えず、自分自身のするべきことへの直感を、もう知っているものとして今は信じるしかなかった。実現への困難を表したけわしい表情がバルナバーシュをかすめすぎたのをルドは見たが、何も言わなかった。
「フェリクス! あなたも私と一緒にくるんだ」
ディオレの警告が聞こえ、ルドたちもフェリクスのほうを見た。古代人は、いまはもう鉄塊に過ぎぬイブの亡がらに膝をつき、安息の膜のかかった瞳で彼女を見つめながらその場を離れようとしない。その背は頑なであり、見かねて腕を無理やりつかんで立たせようとしたディオレの手は乱暴に、にべもなく振り払われた。バルナバーシュとルドもまた、生存を望んで説得を試みたが、ときに彼の身勝手なまでの意志の強さは二人も知るところであり、そのほとんどが聞き流されているようだった。
「フェリクス。イブはお前がここで終わるのを望むはずがない。お前にはまだ島の外でなすべきことがあるんじゃないのか」 「バルナバーシュ殿、頼むから放っておいてくれないか。私は貴殿らとは逆しまに、これですべてを失ったのだ。夢も現実も、過去も未来も、生きる希望さえも……。鉱山でともに過ごしたあの日、イブは私のすべてだと語ったろう。それは今も変わらぬ。一心同体の者として私がこの時に願うのは、彼女と同じ墓の穴へ葬られることだ」
埃に汚れた眼鏡の奥からバルナバーシュに向けられたルベライトの瞳は、光を失ってはいない。絶望も自棄もなく、心の底から強く望んでいるのだと、宿敵だった相手に打ち明けていた。もはや打つ手なしと嘆息するルドたちのもとに、ひとり近づく者があった。赤毛と尾と肩を剣幕とともにすさまじく怒らせ、憤懣やるかたなく目を吊り上げたナナヤが、ずかずかと、消滅に瀕した大地を大股で横切り――とめだてさせる隙もなくフェリクスの胸倉をつかむや、精魂を握りしめた拳で思いっきりその頬に一発食らわした。唖然と��るルドたちの前でフェリクスは口を切って突っ伏し、眼鏡は数歩離れたところに吹っ飛んで片側のレンズに罅が入った。
「この頓馬が、いい加減に目を覚ましやがれ。この機械はあんたの命を守って死んで、そしてあんたはこの機械を愛していたんだろう。だったら、生きるんだよ。それがあんたにふりかかっちまった、どうしようもない運命なんだ――どうしてそれが分からない?」 「ぐうっ……この小娘……ッ」
最後になって運命と戦うのではなく尾を巻いて逃げだそうとした己れの図星をこうもはっきりと指され、怒りをあらわに食いしばった歯の間からフェリクスは罵倒を押し出そうとしたが、荒い呼気とうなりにしかならず、結局なにも言えずによろよろと眼鏡を拾ってかけなおし、ふたたびイブの前にひざまずいた。彼女の頬に手をやり、側頭部から親指ほどの銀色のチップを抜き、それから銀空剣に突き通された胸の中へ、心臓を掴みとらん勢いで腕をねじ込んだ。絡みつく電線や器官から引きちぎるようにして拳大の青い正八面体のコア――永久にエネルギーを生みだすという遺失文明の結晶を取り出すと、チップとともにベルトに下げた鞄に仕舞いこむ。フェリクスと機械種族のルドだけが、そのチップが、イブのこれまでの経験や記憶を、稼働する頭脳とは別にバックアップとして写しておく記録媒体であるのを知っていた。ルドは、自分が銀空剣で致命傷を与えたあとの記憶――〈イムド・エガト〉で戦うフェリクスを地上から見届け、彼の言葉によってイブの願いが叶った瞬間のこと――は、破損し、完全にはその中に残されていないかもしれないと考えた。
「ふたたびお前に会いにいく。かならず」
フェリクスはイブの亡がらにそう言い残し、立ち上がった。ディオレの先導のもと、ルド、バルナバーシュ、ナナヤ、フェリクス、猟犬のマックスは、次元の瓦礫と無をたたえた黒い穴ばかりの――それさえも塵に帰して消えていこうとするアストラの地を急ぎ駆け去っていく。一度だけ振りかえったフェリクスの視線の先では、イブの機体はまだ眠れるように捨ておかれていたが、それも巨大な結晶となって降りそそぐ空の破片の向こうに埋もれ、見えなくなった。
アストラから幅広い階段を下りていくうちに、あたりは発光する色のない濃霧につつまれ、肌や喉に刺すようにまつわり、彼らの向かうべき方角や意志力をも狂わせようとした。たがいの顔を探すのもままならぬなか、「立ち止まれ」とディオレが言い、続くものらはぞっとしながらも従った。霧にまったく覆われた世界では、空を渡る火も大気も、地を流れる水も土も、形をうしない、すべての元素が曖昧になってひとつに溶け合っていくようで、それに巻き込まれかねない危機感、そして異様な悪寒が身裡に走るのを一行は感じていた。ディオレは幻妖として霊的に発達した感覚をめぐらしたが、尋常ならぬ霧はあらゆる観測をしりぞけて、イススィールとこの地にまだ残る者たちを〝どこにも実在せぬもの〟として呑みこみつつあった。このままでは肉体と精神は切れ切れの紐のようにほどかれて分解し、宇宙に遍満するエネルギーのなかに取り込まれて、諸共に自我も跡形もなくなるだろう。いずれ死の果てにそうなるのだとしても、今ここで己れを手放すわけにはいかない。
「ディオレ、進むべき場所のイメージをとらえられないか」
バルナバーシュがディオレの肩と思われるところをつかんで言った。蒼惶と声を張ったが、霧の絶縁力にはばまれて、ディオレにはほとんどささやくようにしか届かなかった。
「やってみてはいる。だがこの霧はあまりに強力だ」
そのとき、近くからナナヤの短い悲鳴――はっきりと聞こえる――があがり、青白い光があたりに差して、見れば彼女の手にはハインから贈られた〈沙漠の星〉が握りこめられているのが分かった。ただただ驚く彼女のまえで、宝石はやわらかな光を輝かせながら球状に、周囲の濃霧を晴らし、またひとすじの細い光線が、ある方向を真っ直ぐにさしながらのびていく。霧のなかに溶け入っていた足元はいつのまにか階段ではなく、新緑色の草地からなる野原に変わっていた。
「その石が足場のイメージをとらえているのか」
精巧な羅針盤の針のようにぴたりと途切れぬ光の先をみとめながら、フェリクスが言った。彼らは思いを同じくしながら、光のさすほうへ進んでいった。ルドとバルナバーシュは、暖かな草土の感触を踏みしめ、灌木の梢が風でこすれあう音を聞き、獣のにおいがかすかに混じる大気をかぎながら、ハインが多く時を過ごしたであろうエイミリーフ広原を思い起こし、またナナヤの持つ〈沙漠の星〉が、新たに生まれし希望――フェレスとしての産声を上げたのかもしれないと考えた。
(お願いだ、ハイン。あたしたちを導いて)
ナナヤがそう祈った直後、光のさきから獣の吠え声がした。
「アセナ?」
聞き覚えのある鳴き声にナナヤが呼びかけると、思ったとおり、応えるように白い雌狼が霧のなかから現れ出た。家族のしるしにマックスと顔を近づけあい、その後を追って、大柄な人物も飛び出てくる。正体にディオレが驚きで声を上げた。
「ああ、グレイスカル!」 「ディオレか!」
節々を覆う灰色の鱗と側頭部からねじ曲がる二本の角、二メートル近い体格を持つ竜族の男だった。瞳は白目の少ない血紅色で、まさに竜のごとく筋骨隆々とし、見るからに屈強な戦士であったが、まとう装甲は血と土埃に汚れ、外套は焦げ落ち、武器であるナックルは籠手ともどもぼこぼこにへこんでしまっている。むき出しになった頬や黒髪の頭部、鱗がはがれた隙間からは流血のあとが見てとれた。ディオレは彼の腕をひしとつかみ、引き寄せて抱きしめ、幸星の民だけにしか分からぬあらんかぎりの言葉で喜びをあらわした。察するに、はざまの道を進んでいた時には彼に会えなかったようだ。
「エソルテル砦を守る騎士――クァダスたちにやられそうになったところを、間一髪、ア��ナが助けてくれたんだ。ハインが仕向けてくれたに違いないが、して、あいつはどこに?」
グレイスカルは同行者だったナナヤをみとめ、顔ぶれのなかにハインを探したが、彼の顛末を伝えると快活な面立ちははや深い悲しみに沈んだ。誇り高い友を襲った死への罵倒、そして生前の彼をほめそやす呟きがこぼれる。
「あのような好漢が先に逝ってしまったのはまこと残念でならん。そして我らの友、イラーシャも。だがこの周囲の有りさま、ついに偽りのイススィールに終わりをもたらしたのだな。俺は砦で負った怪我がひどく、階段を登るのはあきらめていた。ディオレ、それにフェレスの戦士たちよ……よくぞ果たしてくれた。死んでいった者たちの無念も、お前たちの戦いで弔われたならばそれに如くはない……」
グレイスカルとアセナを連れて、彼らはさらに道なき道を進んでいった。〈沙漠の星〉はあらゆる辺境でヒトを導く不動の星であり、現次元と星幽が交錯するただなかにある冒険者たちのため、行くべき道を絶え間なく照らしつづけている。いまこの時の、唯一の希望と変わって。やがて重々しいとどろきが遠くから聞こえ、より耳を澄ますと、それは大海にどよもす海鳴りだと分かった。一行は島の涯、神秘の冒険のはじまりの場所だった海岸に近づきつつあるようだった。
靴底が細かな砂を踏むと、そこで〈沙漠の星〉の光は役目を終えて消えていった。霧は完全に晴れ、砂浜に立つ一行の前には、暗く怒号して荒れる海が果てしなく広がっており、暗灰色の重く垂れこめる雲から打ちつけるのはささやかな糠雨だったが、騒擾としてやみがたい大波と風の群れがこれから臨む航海を厳しいものにするだろう。
「蟷螂の斧だな」
バルナバーシュが浜辺に残されていた一艘の頑丈そうな木製の小舟を見つけると、うねりやまぬ海を横目に船底や櫂をあらため、まだ使えそうなことを確かめた。これに乗るのは四人が限度といったところか。
「諸君、我らはここで別れとしよう」
灰色の竜族、グレイスカルが高らかに告げ、ディオレも肩を並べると感慨深く仲間の顔を見渡した。「君たちはどうするんだ」バルナバーシュが幸星の民らを案じて問い、ディオレがそれに答えた。
「私たちはもどって闇沙漠のイメージを探し、そこからオルトフの次元へ帰ろう。大丈夫だ、あとは自分たちのフェレスが道を拓いてくれる。闇沙漠でも伝えたが、君たちをなかばだますような結果となってしまったこと、まことにすまなく思っている……だが君たちが辿り、乗り越えてきた冒険――思索、探求、そして神秘の数々――は、偽りとはならない。決して。なぜならイススィールは、つねにあらゆる時代、あらゆる人々の心のなかに存在しつづけ、世界が滅びに迷えるとき、天末にあらわれ、はるかなる果てへといたる門を開くのだから。その永遠の営みのなかで、私たちは君たちとの冒険譚とともに、後世に役目を継いでいくとしよう。いつかまた、終わらせるものが必要とされる時のために」 「君たちは何ものなんだ。���ルトフ、あの地は現次元ではあるまい」 「時空の流れつく浜、魂の森、あるいは闇沙漠に集う夢のひとつ――そこに住まう者たちとでも言っておこうか。では、さらば! 縁があれば別の次元で会おう」
幻妖と竜族のふたりの戦士は、故郷をさして早足に駆け去っていった。その背を見届け、彼らが砂浜に繁る森のなかへ消えると、ルド、バルナバーシュ、フェリクス、ナナヤの四人は協力して小舟を波打ち際まで運び、そのあとを猟犬のマックスと白狼のアセナが忠実な足取りで付き従った。嵐の海は調和の象徴たる海流が正体を失ってないまざり、遠洋では硫黄めいた未知のガスが蒸気のようにあちこちで噴き出して、寄る辺となる次元や生命のしるしさえも見いだせぬ。いくつもの黒い波の壁がうめきつつ落ちてはまたそそりたち、水飛沫を散らして強く吹きつける潮風にルド以外の目や肌はひりついて痛んだ。水はわずかにねばっこく、塩ではない、いまわしいものの枯れた死骸を思わせるような、悪心をもよおすにおいがした。ルドは身をふるわせ、ナナヤの顔には恐怖が張りついている。
「この海を渡りきれるだろうか」
バルナバーシュがおぼつかなげに海をみやった。フェリクスだけが頓着せず、つねよりも鹿爪らしい面差しで出帆への備えを進めており、バルナバーシュもその片言のほかは何も言わなかった。この砂浜も近く虚無のなかへ消滅し、それまでにイススィール周辺の乱れた自然律や概念の撹拌された海が都合よく鎮まってくれるとは到底思えなかったからだ。小舟を波間に浮かべると、四人は悲壮感をもって乗り込み、二匹の獣もまた船べりを踊りこえて飛び乗った。
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第3章ヤオハンからの教訓①
〈メモ〉ヤオハンは1930(昭和5)年に熱海市で創業した青果商「八百半」をルーツにする。高度経済成長期に県内を中心としたチヱーン展開に乗り出し、71(昭和46)年に海外第1号のブラジルに進出。以降、欧米や東南アジアで事業を拡大した。97(平成9)年のヤオハンジャパンの会社更生手続き開始とともに海外事業から一旦撤退。2002(平成14)年に更生手続きが終結し、マックスバリュ東海に社名を変更した。現在はスーパー約150店を運営する。
世界戦略の足跡今なお
バブルが崩壊し、後に「失われた20年」と呼ばれる長期不況のまっただ中だった1997(平成9)年9月18日。流通業で当時、戦後最大級の経営破綻が起きた。熱海市を発祥とする総合スーパーの「ヤオハン」。国際流通グループへの成長と転落、そしてどん底から成し遂げられた再建劇は、平成の経済の激しい浮き沈みとも重なり、企業経営の在り方を今に問い掛ける。
◇
近代的な高層ビルが立ち並び、多くの人々が行き交う中国・上海の浦東地区。中心部にそびえる10階建ての巨大な百貨店に、緑色の地球儀と「YAOHAN」の白抜き文字を組み合わせたロゴマークが掲げられていた。
95(平成7)年12月20日に開業した「上海第一ヤオハン」。ヤオハンの世界戦略を象徴する店舗だった。破綻後、合弁相手に引き継がれ、屋号はそのまま残った。現在も高級ブランドや家電、食品売り場などが入り、買い物客でにぎわう。
ヤオハンの転換点は昭和の後期。国内は流通戦国時代を迎えていた。大手がしのぎを削る中、県内を地盤とする中堅スーパーが他地域へ入り込む余地はなかった。活路を見いだしたのが海外だった。
「ヤオハンは流通業界のソニーになる」。当時のトップ和田一夫(89)は同時期に海外で成功したソニーをよく引き合いに出し、社員に将来ビジョンを語った。
戦略は当たった。日本が平成に入った頃には、各地で地球儀マークの大型量販店が存在感を放った。マレーシアでの事業を担当した畔上啓(65)は「皆が必死で働いた」と社内の熱気も懐かしむ。
世界最大級の売り場面積10万8千平万㍍を誇った上海第一ヤオハンは集大成ともされた。オープン初日は107万人が訪れ、「売り場に立つ場所がないほどだった」。開店時から定年退職まで約20年間勤めた宋淡生(63)は盛況ぶりを鮮明に記憶する。「流通王」「時代の寵児(ちょうじ)」。ヤオハンは国内外から賛辞を浴び、絶頂を極めた。
ところが、足元では崩壊が始まっていた。96(平成8)年11月、国内事業を担うグループ中核のヤオハンジャパンの資金繰りの悪化が表面化した。会社更生法の��用申請はわずか10カ月後。坂道を転げ落ちるようだった。
バブルの終焉(しゅうえん)で売り上げは低迷し、資金調達のために大量発行した転換社債などの償還難に陥ったことが、破綻の一因になった。上海第一ヤオハンも、成功の象徴から過剰投資の象徴へと評価が一転した。
一方で、上海の近代化をけん引し、地元住民は今なおその名に親しみを込める。商品の管理方法や顧客サービスは手本となり、「中国の店作りを変えた」=開業に携わった林樹森(56)=。売り上げは毎年のように上海トップを維持し続ける。経済がグローバル化する時代の先駆者として確かな足跡を残したのも、また事実だった。
(敬称略)
【静新平成31年1月17日(木)朝刊】
ヤオハンからの教訓②
〈メモ〉ヤオハンジャパンの資金繰り悪化が表面化したのは1996(平成8)年11月29日。12月以降、取引業者800社に仕入れ代金の支払期日の延長を要請したり、リストラなどの経営改善策を相次いで打ち出したりした。97(平成9)年5月には県内外の主力16店舗をダイエー系列��セイフーに売却。しかし、経営状況は回復せず、9月18日に静岡地裁に会社更生法の適用を申請した。地裁は12月18日、更生手続きの開始を決定した。
更生法水面下の模累
冷え込む雇用に危機感
絶対的存在として君臨していた経営トップに、部下が意見をぶつけるのは異例だった。1997(平成9)年夏、ヤオハンジャパンの取締役会。一部の役員が会長の和田一夫(89)に会社更生法の適用申請の決断を促した。
「このまま時間だけが過ぎたら、大混乱になります」「死ぬにしても、死に際はきれいにしましょうよ」
「一応準備だけしてくれ」と応じた和田。言葉の端々に自力での再建を諦めない気持ちをにじませたというが、流れは決まった。
和田にとっては唐突に映る進言だったが、一部の役員たちは5月から水面下でひそかに申請書類の作成を進めていた。日増しに悪化する経営状況に、危機感が高まっていた。
平成初期まで小売業者が更生法を使った例はほとんどなかった。なぜそこに目を付けたのか。元役員の男性は「要は社員をどう守るかだった」と明かす。
当時、県内の有効求人倍率は1・0倍を割る年が続いていた。企業が人手不足に悩む現在とは正反対の冷え切った雇用環境。清算となれば「多くの社員が路頭に迷う恐れがあった」。
だからこそ、会社を消滅させずに済む更生手続きに懸けた。ただ、裁判所が再建困難と判断し、受理しなければ破産は免れない。準備作業は「祈るような気持ち」で続いた。
労働組合も更生手続きを視野にスポンサーを探した。ヤオハンユニオン中央執行委員長だった鷹野佐喜雄(73)はダイエーや後に支援を受けるジャスコ川現イオン"に直接、間接的に接触した。
既に夏の賞与支給が再三引き延ばされ、社内に動揺が広がっていた。一部の役員が適用申請の準備をしているのは耳に入っていた。協力を打診されたわけではなかったが、「あうんの呼吸みたいなものがあった」。共通していたのは雇用維持への責任感だった。
御殿場市内などの店舗に勤めた男性(48)は、破綻前後の混乱や人員削減といった局面で二人一人の社員が難しい人生の選択を迫られたはず」と想像を巡らせる。会社は存続したものの、将来への不安が拭えずに去っていった社員も多かった。
元役員の男性は、こうした社員や迷惑をかけた取引先への「申し訳なさ」を今なお抱える。一方で、残る決断をした社員たちが再建を果たしてくれたことへの「うれしさ」もある。結果的に自分たちが更生法を模索しなければ、その後の歴史は大きく変わっていた。鷹野も近所の店舗で破綻前からの顔なじみの社員らが頑張る姿を見るたび、「あの(更生法の)選択で良かつたのだろう」と思う。(敬称略)
【静新平成31年1月18日(金)】
ヤオハンからの教訓③
どん底での事業継続
「信用」こそが再建の鍵
〈メモ〉ヤオハンジャパンの発行した転換社債は、社債が債務不履行(デフォルト)を起こした国内初の例とされる。未償還残高は370億円で、「無記名の公募債だから、誰が権利者なのかがこちらにも分からなかった。この社債処理が最も大変だった」と瀬戸英雄弁護士。管財人団は窮余の策として額面の10%で買い取る方針を示し、発行額の90%以上の約1万人が申し込んだ。社債権者が先に確定したことで、その後の更生手続きのスピードが上がった。
ヤオハンジャパンが静岡地裁に会社更生法の適用を申請してからおよそ半月後の1997(平成9)年9月末。保全管理人代理だった弁護士の瀬戸英雄(71)=後に法律管財人代理=は、千葉市幕張のジャスコ=現イオン=本社で当時会長の岡田卓也と向き合った。
「協刀を得られればありがたい」。切り出したのはヤオハンへの支援要請。1週間後にジャスコが受け入れ、再建が動きだした。
経営破綻後、多くの取引業者が商品を引き揚げた。店舗には「ほぼ何もなく、本当にひどい状態だった」と瀬戸。事業継続の最初の課題はその販売商品の確保で、手元にほとんど残っていなかった仕入れの代金を「当然ジャスコが出してくれる」とばかり思っていた。
ところが、岡田が始めたのは資金の提供ではなく、自らが前面に立っての取引業者への電話攻勢だった。
「うちがヤオハンを応援するので、ぜひ商品を入れてほしい」「決済は保証する」効果は絶大だった。安心感を抱いた業者から商品が次々届き、客足も回復。店に活気が戻り、資金繰りは瞬く間に改善した。瀬戸は「信用」こそが再建の鍵だと気付かされた。
バブル崩壊やリーマン・ショックで大企業の不倒神話が崩れた平成。先駆けだったヤオハンでのこうした経験は、瀬戸にとってその後携わることになる第一ホテルやマイカルといった大型の破綻処理でも「大いに役立った」。
例えば、企業再生支援機構の企業再生支援委員長として陣頭に立った日本航空の再建。政府に公的支援を表明させたり、機構が巨額の融資枠を用意したりしたのは、安全・快適・確実な運航の継続に対する利用客の信用不安を解消するため。本質は「岡田さんがやったのと同じことだった」と明かす。
もう一つ、ジャスコが「うまかった」のはヤオハン社員の士気を高める気遣いだった。ジャスコが支援を決めた理由を瀬戸は、「手薄だった静岡や神奈川を埋めるために、ヤオハンの商圏を欲しかったこと」だと考えている。傘下に組み込む事実上の吸収。ただ、その「飲み込み方には節度があった」。社員が主体となって努力したことが「再建を進める上でやはり、一番大きかった」と振り返る。
債権者の理解も重なり、更生計画案は2000(平成12)年3月2日、静岡地裁に認可された。数日後に沼津市で開かれた慰労会。社員たちが「皆で出し合ったお金で買いました」と贈ってくれた感謝のボールペンを、瀬戸は今も大切にする。
(敬称略)
【静新平成31年1月19日(土)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓④
粉飾決算事件
〈メモ〉ヤオハンジャパンの粉飾決算事件で商法、証券取引法違反の罪に問われた元社長に対し、静岡地裁は1999(平成11)年3月31日、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。損失をペーパー会社に飛ばしたり、架空の利益を計上するなどの経理操作を繰り返したりして、96(平成8)年3月期決算と同年9月中間決算を粉飾して計13億8500万円余りを違法に配当したと認定した。元社長は控訴せず、判決が確定した。
社会が求めた責任追及
1998(平成10)年の年明け、県東部が大雪に見舞われた日だった。会社更生手続き中のヤオハンジャパン本部(沼津市岡宮)で県警の捜査員約10人と法律管財人の弁護士山崎源三が落ち合った。この日から捜査員らは空き部屋に詰め、任意提出された資料の分析などを進めた。そして10カ月後の11月9口]、商法違反(違法配当)容疑で元社長らを逮捕した。県警が初めて手掛けた粉飾決算事件だった。
端緒は"現場"にあった。94(平成6)年に県警の財務捜査官第1号として、公認会計士から転身した杉本茂(59)。97(平成9)年夏、それまで担当した事件が一段落し、ゆっくりと休んでいたさなかだった。
自宅に近いヤオハンへ久しぶりに買い物に行くと、ナショナルブランドの旦用品が棚から消えていた。「変だな」と思った。その後も足を運ぶたびに商品は減る一方。最後は生鮮品だけになり、ヤオハンは経営破綻した。
店舗で覚えた違和感が拭えず、清算貸借対照表や財務諸表を入手して見比べた。整合性がとれない短期貸付金など「おかしな数字」がすぐ目に付いた。資料収集を続けて書類を作り、11月には上司に捜査を進言。山崎に会う許可も得て、協力の依頼に向かった。
再建に取り組む側からすれば、事件化は足かせとなる可能性がある。「ある種の賭け」だったが、山崎は「ぜひやってほしい」と応じた。旧経営陣にけじめを付けてもらわなければ、再出発はできないー。杉本は山崎のそうした覚悟を感じた。地道な捜査の末、県警は破綻前のヤオハンが大量に発行していた転換社債などの財務制限条項が動機の一つとなり、抵触しないように黒字を装う粉飾が行われた実態を解明。金融機関からではなく、市場から直接資金を調達するという当時は異質だったヤオハンの手法への注目も重なり、全国的な成果を残した。
一方、苦労も多かつた。「違法配当を立件した先例がなく、完全に演えき法での捜査だった」と杉本。捜査員たちにとっても身近な存在の企業だっただけに士気は高かったが、大きな決断を求められる局面では組織が慎重になり、足踏みした。
何より、バブル崩壊後の景気の低迷や閉塞(へいそく)感で、企業の犯罪や不祥事に対する責任追及を世の中が強く求める時代になっていた。
ヤオハン事件もそうした「平成の風潮」にあり、重圧を感じながら、「経営者の負う責任とは一体何だろうか」と常に考えさせられた。終結した時に抱いたのは「解放感」。達成感を得たのはしばらく先だったという。
(敬称略)
【静新平成31年1月20日(日)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓⑤
倒産の経験次代へ
<メモ>2002(平成14)年の会社更生手続きの終結とともに、現社名に変更して再出発
したマックスバリュ(MV)東海。地域密着型スーパーの運営に特化し、破綻から4年半
という当時は異例の速さで再建を完了させた。04(平成16)年7月には東証2部への再上場も果たした。18(平成30)年2月期の連結営業収益は2256億円。19年9月にはMV中部との経営統合を予定する。
顧客第一流通業の原点
平成最後の年の瀬となった2018(平成30)年12月末、富士市のマックスバリュ(MV)富士八幡町店。同店で40年間働いている岡根谷勝代(73)は、笑顔で商晶を手に取る買い物客の姿を見ながらヤオハン時代の約20年前に思いをはせた。
1997(平成9)年秋の会社更生法の適用申請後、「一気に商品が減った。切なく、泣きながら働いた」。それでも、身近な"台所"を住民や取引先は見捨てなかった。納品物の中に「頑張ってください」とのメッセージを見つけた。「こんなにありがたいことはない」。涙をぬぐい気持ちを奮い立たせた。
営業本部長の内山一美(70)=後のMV東海初代社長=に沼津市の原町店から電話が入ったのは同じころ。「『商品納入を求める署名運動をしたい』とお客さんが言ってくれている」との内容だった。
顧客を巻き込んで業者に圧力をかけるような形は「本末転倒」だと考え、最初は止めたが、再三の申し入れに折れた。運動は他店にも広がり、瞬く間に9万人分が集まった。
海外展開や大型店への傾注の裏で、改修投資が後回しにされるなど破綻前はないがしろになっていた足元の店舗。そこに「流通業の原点」はあった。今に続く企業理念「何よりもお客さまの利益を優先しよう」はこの時の経験から生まれた。
意欲的な社員の存在も大きかった。「自分たちの力で再建したから足腰が強くなった」と振り返るのは、内山と同じくヤオハン生え抜きの神尾啓治MV東海現社長(61)。地域に合った店づくりのため、実情に詳しいパートの意見も生かした。
ジャスコ=現イオン=傘下で再建してからは、「松菱マート」や「ジョイフル東海」「キミサワ」といった地場スーパーを吸収。小売業の再編が激しかった平成の時代に、される側と仕掛ける側の両方の立場になった。
経営悪化で商品が入らない、かつての自分たち���姿と重なる買収先もあった。苦しさが分かるからこそ「上から目線」にならず、短期間の融合を実現できた。
MV東海の各店舗に「源」という冊子がある。倒産後に顧客から寄せられた励ましや叱責(しつせき)がまとめられている。内山は社長時代、入社式や新店舗開設時に冊子も使いながら倒産の出来事を伝え続けた。ただ、当時からの社員は15%にまで減った。「忘れた時に同じ過ちを繰り返しかねない」と風化に危機感を抱く。
その思いを引き継ぐ神尾。「お客さまに助けられて再スタートを切れた。恩返しするのがわれわれの使命」と常に肝に銘じている。(敬称略)
【静新平成31年1月21日(月)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓⑥完
創業家消えぬ自責
〈メモ〉民間調査会社の帝国データバンク静岡支店によると、1989(平成元)年から2018(平成30)年までの県内企業の倒産(任意1法的整理)件数は約8700件だった。発生時の負債額が300億円を超えたのは11件11000億円以上はヤオハンジャパン(約1600億円)を含めて2件。バブル崩壊後の1990年代前半~2000年代初め、リーマン・ショックと東日本大震災の影響を受けた08~14年が年間300件前後の高い水準で推移した。
経営者の資質問い続け
2018(平成30)年11月下旬、中国・上海の上海第一ヤオハンを数年ぶりに訪れた河合和子(59)は、繁栄の象徴だった緑色の地球儀マークを間近にしてさまざまな思いを交錯させた。ヤオハングループを率いた和田一夫(89)の長女。店が地元住民たちに今も親しまれていることに感謝しながらも、破綻を招いた創業家の一員として社員、顧客、取引先への自責の念は消えない。「経宮者に求められる資質とは何か」を自問自答し続ける。
ヤオハンを国際流通グループへと成長させながら、破綻を回避できなかった和田。その経営手法は功罪を残した。社員教育を担当した土屋高徳(93)は「決断力があった」と言い切る。台湾などで勤務経験のある北京在住の元社員の男性(52)は積極的な���外進出など「方向性は間違っていなかった」と話す。
対照的に「付度(そんたく)の連続で誰もノーと言えなかった」と振り返るのは、上海在住の元社員安田太郎(48)。強すぎるリーダーシップゆえに物一言えぬ雰囲気が社内に広がっていたと明かす。
ヤオハンが倒産した同じ年、国内では山一証券や北海道拓殖銀行といった名門企業が次々倒れた。県内でも後に松菱や中部銀行といった老舗が消えた。
企業の不祥事も相次ぎ、トップが深々と頭を下げる光景が繰り返された平成。その度に経営者の資質や責任が問われ、コーポレートガバナンス(企業統治)やCSR(企業の社会的責任)といった言葉も注目された。社会の一員としての役割を見失った企業は市場から厳しく評価され、時に容赦なく退場を迫られる時代になった。
ヤオハン破綻の理由も「バブルの崩壊による急激な環境変化」という見方の一方、「冒険主義」「放漫経営」などと指摘された。
破綻後、しばらくして経営コンサルタント業や講演活動を始めた和田。その様子をそばで見てきた河合は、海外戦略などの先見性を認めつつも、「成功が目を曇らせた」と冷静に分析する。熱海の小さな商店のころからヤオハンが大事にしてきた「顧客・社員の幸せあっての会社の発展」という理念。父はいつしかそれを置き去りにし、会社を大きくすることだけにまい進したー。そこに、根本原因があったのだと思う。
ヤオハンの社名が消えて約20年。元社員や取引先から時折、あの出来事を人生のバネにしているという前向きな声を聞くと救われたような気持ちになる。一方で「人生を狂わされ、今でも許せないという人がいるのも当たり前」と受け止める。
会社を経営する貴任はそれだけ重い。だからこそ、「周りの意見に耳を傾け、存続させるための努力を惜しまないことが重要」。父の失敗が残した教訓を、ヤオハンの経験とともに次世代の経営者に伝えることこそ、これからの役割だと胸に秘めている。(敬称略)(経済部・関本豪、東部総局・中川琳が担当しました)
【静新平成31年1月22日(火)朝刊】
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メールの全文が公開されました。民進党は内容の一部に虚偽があるとし公開に反対し、マスコミは辻元清美議員に関する部分を削除したりして公開しています。しかし、このメールは籠池氏側の証言にどれほどの信憑性があるのかを検証するための重要な物証であり、全文を見ることにより、どこに真実があるのかを検証することができます。
削除して加工してしまったら真実は見えてこないのです。
メール全文を読みやすいようにポイントを整理して転載しました。(日刊スポーツに引用されたメール文を中心に、他のマスコミ記事とあわせて編集しました。)
安倍昭恵首相夫人と森友学園の籠池泰典理事長の妻とのメールのやりとり
大阪・豊中市の国有地が学校法人「森友学園」に鑑定価格より低く売却されたことを巡り、自民党の西田昌司参院議員は24日、安倍昭恵首相夫人と森友学園の籠池泰典理事長の妻とのメールのやりとりを公表した。以下が全文(原文のまま)。
森友学園騒動が起こる前
◆2016年6月4日 (籠池夫人)ご無沙汰しております 本日「殿利息でござる」の映画を観てきました ある方が籠池さんとだぶるからと勧められての事清まりました (昭恵夫人)携帯水没でデータが一部飛んでしまいました。失礼ですが、お名前を教えて下さい。 (籠池夫人)今晩は 塚本幼稚園 籠池泰典の家内です (昭恵夫人)大変失礼致しました。 ◆同6月5日 (籠池夫人)殿利息でござるの映画を是非ともご覧ください 籠池 ◆同10月4日 (籠池夫人)拝啓 大阪の保育所激増により日本の質を落としお金で保育をされている事に子育ての美風がなくなりました 大変です!!保育連盟は護憲左方の思想で総理大臣様宛に毎年四兆円の予算要求の署名を強制し募金を集めて累計莫大な費用を貯めて飲食に使っています今月22日23日娘を代理に防衛大臣表彰に翌日観閲式に参ります主人は国学院のschoolingとテストで行けなくて残念です声をかけてやっていただければと祈ります幼稚園が保育園にのっとられてしまった感がいたします上棟式も終わりました頑張ります ◆同10月23日 (籠池夫人)防衛大臣表彰 観閲式 娘が代理で参加いたし先程帰宅して首相の挨拶に感動しておりましたが心のない新幹線のテロップに憤慨していました ◆同12月7日 (籠池夫人)拝啓9日明後日フライデーに掲載されます 衛生に悪い本かもしれませんがお読みください (昭恵夫人)そうですか。どんな内容でしょうか。 (籠池夫人)園長はパールハーバーにいかれますことで歴史が仕切り直され見直され憲法改正ができると喜んでおります 小学校の取材です ありがとうございました (昭恵夫人)読ませて頂きます! (籠池夫人)前略 園長敗血症で一命とりとめ入院中フライデーの取材が来ましたので園長に聞きましたら皆が反対するなら受けるといいました (昭恵夫人)園長、大丈夫ですか?今も入院中なのでしょうか? (籠池夫人)百田さんにも心配をおかけし講演会の前日からおかしくてそして当日の夜中に住友病院に2週間いました 前立腺から血液尿に毒素が回り入院中もこの日本はどうなるのだろうとうわ言で申してました 大きな使命をいただきました命が危ないと医者にいわれながらも神様仏様に助けていただきました 一人で頑張ってきはりましたのでお休みいただけて ありがたいと思っています (昭恵夫人)どちらの病院ですか? (籠池夫人)主治医は住友病院の院長先生です 退院して体調が戻りました 日本の歴史的な転換期に 学校わたてさせていただき幸せです 感謝 ◆同12月13日 (籠池夫人)おはようございます 海賊とよばれた男の映画は世界の勢力の中に押さえ込まれていた日本が出光さんによって活眼した物語でした 安倍首相はもちろん園長とダブることが多かったです 一人の偉大な思いが国を助けるのだと思いました 命あればこそ感動の映画でした (昭恵夫人)そうですか。機会があれば見たいと思います。 ◆2017年1月20日 (籠池夫人)拝啓早稲田大学は年間9億の補助金 この小学校は0 園長は補助してもらえないから頑張れるんだといいます 強い人です
ポイント
昭恵夫人の携帯が水没してしまったので、水没以前のメールは欠損している。(水没時期は不明)
2月9日、朝日新聞が、実質2000万円で売却された隣接地なのに、森友学園は14億円の10分の一の1億3400万円で購入したとの火付け記事を掲載
◆2017年2月18日 (昭恵夫人)この度のことはどうなっているのか、ご説明もなく、マスコミから追いかけられて戸惑っております。 (籠池夫人)拝啓 メールの言葉がうまく書けず お電話をおかけしてはご迷惑になりますでしょうか 朝日新聞の仕業嫌がらせです、、、 ◆同2月19日 (籠池夫人)いたらないことばかりで 大変申し訳ございません 以後気をつけて対応させていただきます すみませんでした 何とか自分達で対応しようとしたのですが ニュースのスピードが早すぎてご連絡を怠った事いたらない自分が恥ずかしいです (籠池夫人)おはようございます 自分の報告を昭恵さんの留守電二回分にいれさせて下さい 出ないで下さい喉を壊し聞き苦しい事をお詫びして、、、 ◆同2月21日 (籠池夫人)同社大学の新島襄の学校弾圧の気持ちがよくわかると園長しみじみ思うといいます (籠池夫人)おはようございます 大阪の教育はいろんな文化がまざり日本という太柱がどこにあるのか僕しかできないと申します あきえさんへ (昭恵夫人)留守番電話聞かせて頂きました。籠池園長の教育に対する熱意は理解しているつもりです。 (籠池夫人)昨夜TBSラジオに生電話で園長の本心を話し弁護士の言われた通り夜中に家をでました今奈良の三輪明神でご祈祷していただきました 民進党議員団が私達を追いかけ集団タクシーで家や幼稚園に来ました子達はいつも臨機応変に助けてくれました あきえさんの大変さは本当に感心します明日の大阪府の臨時審議委員会 神様の御心ならば認可をおろしてくださいと祈りました三輪明神様に導かれました 今は辻本清美学校にいったようです すみません (昭恵夫人)なぜ売却価格を非公開にしてしまったのですか。やはり怪しまれるようなことはしない方がよかったのかなあとは思��ます。 祈ります。 (籠池夫人)弁護士さんが秘書の方に十五分ほどしたら電車におりられますので話していただきます 主人は何度もこたえていますが伝わりません 公開しなかったのは、土壌汚染や廃棄物のある土地で開校しようとしていると、悪評をたてられたら困るのでしませんでした。 とメールしてください ◆同2月22日 (籠池夫人)今日は奈良の石上神宮に参りました 神武天皇様がピンチの時に助けられた神様です 地元の警察にも協力いただき押し掛けてくる報道陣陣にパトカーがかけつけて下さってます 寄せてくる波のように電話がなりっぱなし 教育妨害がエスカレートしました大丈夫です報告 ◆同2月25日 (昭恵夫人)このようなことになり残念です。どうぞお身体壊されませんように。お祈りしております。 (籠池夫人)中途半端な着飾りをとり悩むのもあほらしく政治家は一人でやってないので自分ならと まず同じようにかんがえるんです 主人のような正義の旗をかかげたらあらゆる権力マスコミでたたきにきます この際はっきり首相に申し上げます 私の主人は一人でここまでしてまいりました誰も助けていただいたことなどありません 政治家は保身ばかりで助けてはくれませんこっちが力をつければすりよるのでしょうから この学校は必ず認可をとりたいです神様仏様が経営者といっても信じてくれませんお金がないのにとばかりに昭恵さん主人に今の心境はとききました 一旦緩急あれば義勇公に奉じと一言でした 私学審議会の座長は民進党の議員とマスコミが非公開ときかず 保身で会見し 役人もなぜか出した書類がもれてました 主人は役人にどなっていました昨日は在日韓国人が団体で幼稚園をとりまきましたが警察官より先生方のほうが毅然と的確に排除してました きつい状態に皆がおかしいと気付き初め国が体をなさないなら主人は何もしてません 買ったのだから今は学園の土地です国会で質問されるなんて憤りよりもっとお役にたち困った人に勇気と希望をあたえていこうと思いました あきえさん 主人は安倍総理と平沼先生を尊敬してました利用はしてません あきえさん ありがとうございました 小学校落ち着けば見に来てください この学校は凄い意味があるから騒がれるのですね (昭恵夫人)全て必然であると思います。どんな意味があるのか私も考えています。 (籠池夫人)物事の裏を探ろうとしているひとがいて日本人的ではないのですが勘繰りを働かせています 全うな人間が全うな事をしようとしているのを阻止させるサタンの仕業と思います 余りにもマスコミ報道嘘だらけ まあ次男はあほですがふりまわされ振り回そうとしています 安倍総理まけないで下さい ハッキリ申します 園長は天から使命をいただき学校を造ります 国家の為に信念でやってます やましいことしてません関学は国有地を租税特別措置法で買ってます関大もです あきえさんはどのように思われているのでしょうか やましいことしてません関学は国有地を租税特別措置法で買ってます関大もです あきえさんはどのように思われているのでしょうか (昭恵夫人)信じたいと思っています。しかし園長の説明を聞いても私は人に納得してもらえるように話すことはできません。 (籠池夫人)安倍総理が森友学園に抗議したといわれたのはショックで 初村秘書の安倍昭恵さんからの文面 そして娘や園長にかなり醜い対応をされたのは政治の世界は怖いなあと正直思いました 初村さんに一方的に文章を送り だから抗議したというシナリオ策は でも心配してくれる人には心の垢を排除してくれていると思えばこの一件超えたら悟りに入るねと今昨日の国会で総理の発言をききショックをうけ初めて大泣きしましたが 切り替えました 幼稚園に国会議員が来て自民党を守るため昭恵さんの写真を外してほしいといわれました 要は私達わからないものが政治に首を突っ込むといけないんだと勉強いたしました (昭恵夫人)私もよくわかりませんが、色々と気を付けなくてはいけないことがあります。 私が関わったということは、裏で何かがあるのではと疑われないように、細心の注意を払わなくてはならないということだったのでしょう。 まず非公開だっただったことが疑われることになりました。 そしてあまりにも熱い思いで突き進まれたために、色々なところに歪みもあったのではないかと考えます。 主人が総裁選挙で講演をお断りしたとき、ひどく怒っておられたとのことでうちの事務所は不信感になっていました。 私は同じように夫のやっていることを信じて応援しています。 総裁選挙はこちらとしたら何事にも代えられない一大事でした。 また、幼稚園をご紹介した際も、あまりにも悲しい留守番電話が残っていて、私は愕然と致しました。 人はなかなか思いをその通りには伝え合えないものです。 そんな中で、誤解が生じていったことがあり、園長のご説明を理解することができなくなったのかもしれません。 子どもたちを教育する上で、大切なことは色々あると思いますが、相手のことを思いやる気持ちはとても大切だと私は思います。 ご夫妻が今、大変なことは想像がつきますが、主人にとっても大変なことに巻き込まれたということもご理解頂きたいと思います。 しかし、園長の熱い思いは本物であると思いたいと思っています。 全ては必然です。 今回のことは私たちにとっても学びの場ですが、ご夫妻にとっても意味のあることと私は思います。 どうぞご自愛くださいませ。 (籠池夫人)今国会のテープをきかせていただきました 吉田松陰なんていわれましたかひつこいとは 安倍総理には失望しました 主人は悪者ですね (昭恵夫人)人の受け取り方はそれぞれですね。 琵琶湖の竹生島に行き、祈りました。 籠池先生のお役割もわかったような気がします。 お辛いでしょうが、頑張って下さい。 ありがとうございます。 ◆同2月26日 (籠池夫人)あきえさん 辛くなんかありません 安倍総理を信頼していた主人は国会でしつこい方なんかいわれても動じない本来政治家がすべき事をしてますからね
ポイント
土地売却価格が非公開とされていたことから、朝日新聞が疑惑として報道した。
非公開としたのは、土壌汚染や廃棄物のある土地で開校しようとしていると、悪評をたてられたら困るから。(風評被害)
籠池夫妻は雲隠れした10日間に神武天皇由来の奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)を訪れた。
幼稚園に国会議員が来て、昭恵夫人の写真をHPから外してほしいと言われた。
奈良の三輪明神=大神神社(おおみわじんじゃ)は、本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、ご神体である三輪山を拝む我が国最古の神社のひとつ。
日本三大弁才天。宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島)。江島神社 (神奈川県 江の島)。厳島神社 (広島県 厳島)。
講演会の謝礼10万円について
◆2017年2月28日 (昭恵夫人)私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか。 申し訳ありません。 (籠池夫人)»私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか。 申し訳ありません。
あまりにひどい なぜその情報はどなたからですか 全国の方々から励ましのメールがどっさり届き励まされます 絶対おかしい! (昭恵夫人)報道をされたようなので、確認です。 (籠池夫人)えーひどい ひどすぎます 応援メールをみていただきたいぐらいです (昭恵夫人)私も籠池園長の熱意は信じています。 本当に記憶から飛んでしまって、他の講演等は全て振込みか、銀行に入れて税理士事務所に管理してもらっているのですみません。 (籠池夫人)今まであきえさんとはなしていました 私学審議会が通らなかったら幼稚園も自宅も破産ですちゃんと正しく見ている方はいます 辻本清美共産党今はぐっと辛抱です(笑) 民進党の議員はおもしろがって 先生方に近より 怒らせようとして ニタニタ笑いながら 幼稚園に侵入するので びっくりする子達をみて 笑うのだそうです 先生方は 入らせないように阻止させるのです 家の前にも報道陣が今もいて 警察に 今通報しました
ポイント
昭恵夫人は講演等でお金(謝礼か交通費かは不明)を受け取ることがある。
その入金はすべて税理士事務所で管理している。
森友学園の講演では謝礼を受け取った記録がない。
籠池夫人も昭恵夫人が謝礼を受け取ったとの報道に「ひどい」と、昭恵夫人の否定メールに同意している。
民進党 辻元清美議員の工作と嘘の証言疑惑について
◆2017年3月1日 (籠池夫人)拝啓村上幕僚庁の会見に涙がでました稲田さんに表彰状を貰ったんじゃないと主人は吐き捨てました平成五年より自衛隊の要請をマスコミにも返上しないときっぱりと園長は申してました 昨夜マスコミから逃れるために豊中南警察に被害届を出したあとアパホテルに身を隠しています昨夜長年幼稚園で将棋の講師をしている川崎先生が谷川名人にマスコミが幼稚園のきて報酬をいくらもらったのか あきえさんを調べているといわれたそうです将棋連盟から指導棋士の将号を返上しないと幼稚園にいくならやめよといわないがやめてほしい朝日と毎日がスポンサーなのだそうです失業の危機に一日中奥さんからせめられ政治家は何をしてるんですか 発身ばかりわずかな給料で税金ばかりがふえ一日中テレビでゴシップ問題で他に話題はないんですか 国会議員が国を悪くしているんじゃないですか あきえさんを調べているといわれたそうです 将棋連盟から指導棋士の将号を返上しないと幼稚園にいくならやめよと言わないがやめて辻元清美が幼稚園に侵入しかけ 私達を怒らせようとしました嘘の証言した男は辻本と仲良しの関西生コンの人間でしたさしむけたようです (昭恵夫人)今はじっと我慢の時です。私もまだまだ追い詰められるのかもしれませんが、お互い頑張りましょう。 (籠池夫人)誘導尋問にのらぬようにしてください絶対に国の不利になるようなことはいってません孫請業者の作業員がその委託社長がしてないといったのにもかかわらずその三日だけきた作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしいです作業員はわからないくせにマスコミにいわしていたそうです あきえさん 分断がねらいです ひっかからぬよう 国の再生の為にまけないようにしてほしい 下請け業者の社長は現場もマスコミに写し全くうめてないことをしっていて三日だけきた作業員を辻元清美は送り込みました 辻元清美生コンをみればある関西こうえき連合の人間をマスコミに出し社長の言い分はのせなかったそうです 国会議員の犯罪じゃないですか (昭恵夫人)心の垢を落とす、本当にそうだなあと思います。 この国のために命を懸ける夫を思う気持ちは一緒です。
ポイント
村川豊 海上幕僚長は2月28日の記者会見で、海自が籠池泰典理事長に過去3回、感謝状を贈っていたことを明らかにした。取り消しを検討とも述べた。
塚本幼稚園PTAの決算書で、40万円の支出のある「社会教育費」科目の摘要欄に「6/21姫路城(親子遠足)、11/26京都御所(社会見学)、社会講座 7/11谷川浩司先生、9/5首相夫人安倍昭恵先生」との記述。
籠池夫人は、テレビで嘘の証言をした男性は、民進党の辻元清美議員が送り込んだスパイだと思っている。
3月1日参院予算委員会で共産党の小池晃議員は、籠池泰典理事長が「ある自民党国会議員(鴻池元防災相)」の事務所に、国有地の価格を値引きしてもらえるよう働きかけていたとする記録を入手したと発言
◆2017年3月2日
(昭恵夫人)頑張りましょう!
(籠池夫人)何をですか 誰も信じません
◆同3月3日
(籠池夫人)でっかい目的にむかい太平洋にいくのか はたまた港にむかうのか 荒波こえて逞しくうまれかわります
◆同3月5日
(籠池夫人)前略 今日も説明会に木村真議員が赤いジャンパーをきていらんことをペラペラ話し沢山の報道に悲しくなります
◆同3月7日
(籠池夫人)前略業者はNHKの取材をうけておらず関西エアポートの補助金はまだ一円もいただいておらず業者が決まる前から申請がはじまりました
最終きまった工事金額の割合に応じて補助金がきまります 国により工事も何もかもずれまし���最後に調整を申請する条件です詐欺と報道されまたマスコミにはめられました在園生の保護者がNHKで弁護士立ち会いで素晴らしい会見をされたそうですが市民団体がきて中立を保つということで放送が中止になりました 以上 ピンチはチャンスと最後まであきらめず 逆転勝利にむけ祈ります
◆同3月8日
(籠池夫人)園バスに朝日の記者がタクシーでパパラッチします今年中にお父さんをぶったぎりに殺すといわれましたデビィ夫人が塚本幼稚園を助けてくださいとご自分のブログにのせてくださったそうです 助けてくださいNHKの嘘の報道はやめさせてください 認可を下さい
(昭恵夫人)私もマスコミに追いかけられて、ビックリしてます。神様は全てご覧になっています。
(籠池夫人)私も今日は塚本幼稚園のホームページに朝一番私がなぜ逮捕されたか 18日間留置書に入ったか私に取材もなく週刊誌やテレビに
(昭恵夫人)デビ夫人はすごいですね!
(籠池夫人)のせたので載せます真相を又ご覧下さいやっと残土をはこんであげようと自らご連絡いただきました九時に現場であいます 天の神様は 必ず誰かを私に使わせて下さいます私は鴻池議員の意地悪を攻めるより受けようと頑張ってます(笑)土を運ぶ費用等認可をいただくには3奥5000万足りません 一週間以内に用意しないといけないため一昨日も東京を2往復しました そんなときデヴィ夫人が寄付をしようとメールをいただき直ぐに連絡くださいと ピンチはチャンス!天の神様が現れました あきえさんも協力して下さい 神様に感謝します
(昭恵夫人)祈ります
(籠池夫人)国の為に役割を担う学校なんですだから妨害します困難は砥石
全国十万通応援メール電話をいただき ここ1ケ月徹底的に叩かれやりがえのある修行中 明日午後からネットで園長が真相をかたります
(昭恵夫人)私も修行。
来月私の親しい人が教育勅語の本を出します。
今はそういう時なのでしょう。
(籠池夫人)主人は教育勅語を復興したことで 皆本をだせるんですね この学校も次に繋げる起爆剤 ネットで田中造園自殺とか 八木造園です
◆同3月9日
(籠池夫人)色々と長い間お世話になりました 小学校は 支払いができず 鴻池さんの妨害で閉めます 主人も私も失業します感謝します
(籠池夫人)しつこいといったのは安倍首相のことではなく 捏造してました すみません
(昭恵夫人)何でこんなことになってしまったのか、神様は何を望んでいるのでしょう。
◆同3月10日
(籠池夫人)国会改革の起爆剤になります国民が気がつかないと自分達が皆政治家になって飛躍すればいいのです 政治家の怖さをみたきがしました
(昭恵夫人)少し落ち着いたら、高校生や大学生たちとこの問題を考えたいと思っています。
(籠池夫人)考えてこたえがでるのですか おやすみなさい
(昭恵夫人)小川榮太郎さんがFBで反論しています。少しずつこの状況が異常だということになってくるはずです。
(籠池夫人)紹介してください 失業するので本をかいて借金かえします
(昭恵夫人)小川榮太郎さんがお電話されたようですが、繋がらず留守電にもならなかったと言われていたので携帯番号お教えします。※※※-※※※※-※※※※
(籠池夫人)落ち着きましたらお電話いたします 必ず致します 五時半から記者会見です理事長辞任です よく頑張られたのに
(昭恵夫人)そうですか。残念です。
(籠池夫人)テレビで詐欺師ではと 五時半から記者会見を幼稚園でいたし しっかりマスコミにまるめこまれないようにいたします
◆同3月11日
(籠池夫人)前略弁護士と娘が府庁にいきました時担当に私が指差してお前らといいましたか?と聞きましたら皆首をふっていたそうです
ポイント
森友学園の幼稚園など複数の所有不動産に対して大阪地裁が3月15日付で仮差し押さえ命令。小学校の施工業者である藤原工業(大阪府吹田市)が、工事費支払いの滞納を理由に申し立て。
籠池夫人は、失業だと落胆する。
「私がなぜ逮捕されたか 18日間留置書(所)に入ったか」は、籠池夫人が幼稚園前で小学校3年の子に朝の挨拶を返さないことを注意したら「何で、お前に挨拶せなあかんのや」と足を蹴られ、逆に暴行として訴えられ否認し続け罰金30万円になった事件(2009年11月)。
野党4党の議員が16日に籠池氏の自宅を訪問。翌17日に民進党の福島伸享議員は昭恵さんから籠池氏の妻に「幸運を祈ります」とのメールが届いたと虚偽質問
◆2017年3月16日
(昭恵夫人)祈ります。
(籠池夫人)安倍首相はどうして園長を地検にいわれたんですか 国は自分等に大事な民衆をきりすてるのは許せない国会にでます 安倍首相を
(昭恵夫人)それは嘘です。
私には祈ることしかできません。
(籠池夫人)尊敬していたのに小学校をやめ 幼稚園は 破産 建築や社長は破産 お父さんは詐欺罪 あんまりにも 権力を使うなら死にます
(昭恵夫人)私もどうしていいかわかりません。
権力など使っていません。
神様はどこに導こうとしているのか。
とにかく祈っています。
自分達の保身ではありません。
日本の将来のためです。
(籠池夫人)嘘の情報
(昭恵夫人)100万円の記憶がないのですが。
ポイント
籠池夫人は、安倍首相が園長の捜査を地検に指示したと思っている。
福島伸享議員は、17日に国会で、昭恵夫人から籠池夫人に「幸運を祈ります」とのメールが届いた、とドヤ顔で発言。
これは昭恵夫人が籠池氏に便宜を図っていると印象づけるためと思われる。
実際には「祈ります」だけ、皆がうまくいくようにただ祈っている、というようなニュアンス。行動はなにもしていない。
昭恵夫人は、100万円の寄付については「記憶がない」と抗議。
福島みずほ議員は24日の国会で、「本当に100万円を寄付していないのなら、もっと激しく抗議するはず」と安倍首相に詰め寄った。しかし、メール全体を読んでみると、昭恵夫人はお嬢様育ちなので、これでも精一杯の抗議なのではないかというように読める。
感想
森友学園の土地は交渉が偶然うまくいって若干安く購入はできたようですが、隣接地と比較しても実質的には激安ということもなく、あげくに土壌汚染や廃棄物のある土地での風評被害を考え価格を非公開にしたことから疑惑を持たれ、結局は、曰く付きの土地であることが災いして森友学園の大損失になろうとしています。
私感ですが、校舎の建設を認めてしまっているのは大阪府であり、それを更地にして返せというのでは森友学園の破綻は免れず、このままでは校舎などの建設業者まで連鎖倒産しかねません。
そう考えると「安倍首相から100万円の寄付」という話がとつぜん出てきたのも、「無関係の安倍首相を巻き込んで政治家の忖度を引き出したい」、建物付きで第三者に土地を売却したいという追い詰められたあげくの思惑からとも考えられます。
本来のテーマであった土地の価格決定に際して議員の口利きはなかったということがわかってきました。曰く付きの土地をタダ同然でも手放して文教地区にして周辺の価値を上げたかったのではないかという推測も浮かんでいます。ところが現実は問題の土地の周辺も曰く付きの土地であることが知れ渡ってしまいました。今後、周辺の地価にも悪影響があるでしょう。
一方、国会での野党の追及のテーマは、どんどん本来の主旨から外れていっています。野党とマスコミの倒閣目的のために無関係の建設業者まで巻き込んでしまったこの騒動はいったい国民にどんな利益があるのかと思ってしまいます。
【関連記事】
木村真市議暴露「森友学園の土地は豊中市がタダで借りる約束だった。極右の学校だったので潰したかった」
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2018.4-5ドイツ(3/5)
2/5より
【フランクフルト滞在4日間~帰国】
4日目はミュンヘンからICE(日本で言う新幹線)を使って340km離れたフランクフルトへ移動する。運賃は初日に買った乗り放題400€チケットで払っているので特に切符を購入することもない。ただ、座席を予約しないと座れない可能性があるので、予約だけは別料金で予めとっておいた。始発駅から終点まで乗っていたのかな、3時間半かかったけど、ずーっと延々と大富豪をやって中央駅に着いてしまった。トランプは現地で購入したもので、ドイツではジョーカーが3枚入ってる。ちなみに自分めちゃくちゃ強かった。とりあえず荷物が大きくて邪魔だったので、 ミュンヘンのときと同じように まずは宿泊予定のホテルへ向かい、預かってもらう。ホテルへは中央駅から2つ隣の駅だったので、そんなに時間はかからない。
フランクフルト1日目は午前中を移動で使い果たしてしまったので、午後は適当に市内観光を行う。一応3日目も市内観光を予定していたので、あまり1日目に回り過ぎると後々暇になってしまうのだが...。フランクフルト1日目は5/1でメーデーの日。ドイツでは飲食店やスーパー以外はすべての仕事がお休みなんだって、すごくない!?ただし、路上にはゴミがすごい散らかっているし、地元の人がほとんど外出していないみたいで街中でも閑散としている。変わって3日目に観光したときはちゃんと清掃されていたので安心(マッド・シティ感があったので)。
ミュンヘンは誰もが思うヨーロッパの美しい街並みであったが、比べてフランクフルトはかなり都会的で池袋や新宿に近い。ミュンヘンにはほぼゼロだった高層ビルが、フランクフルトは密集している。ゴミが散らかっているし、道もごちゃごちゃしてる。スプレーの落書きが多くちょっと治安が悪そう。あとフランクフルト上空はヨーロッパの主要空路なのか、飛行機雲の数がすごく多い、常に8本くらいある。
ゲーテハウス
まず向かったのはゲーテハウス 。
「ドイツを代表する文豪ゲーテの生家を復元した建物。ゲーテの生家があった建物は第二次世界大戦で破壊されてしまったが、戦後、もとの18世紀の典型的な中産階級の住宅が忠実に復元され、3階のゲーテの書斎には、ゲーテの青年期当時の後期バロック時代の家具や調度がしつらえられて、ゲーテに関わりの深い当時の絵画などを展示している。」
ゲーテ読んだことないんだけどな...。入場は7€で、もう3€払えばオーディオガイドがついてくる(日本語対応)。博物館といったら今まで金銀財宝の家具や部屋しか見てこなかったので、 中~上流階級というガラッと変わった雰囲気。やっぱ王様の感覚っておかしいよなぁ。王宮とのギャップがありすぎて特に語ることは無いんだが...。どうやら自分の感覚までおかしくなってしまったようだ。ゲーテハウスの隣にゲーテ博物館もあったのだが、閉館時間が来てしまい観れなかった。
その後は引き続き市内観光だが、これといって目的地は無くブラブラ(1日目に廻りすぎても3日目も市内観光だから)。ゲーテハウスを南に歩くとすぐ近くにマイン川が流れているので、川沿いを散策。「鉄の橋」というのが架かっているので行ってみたら、メーデーでほとんど人気がなかったのにこの橋は観光客が密集してけっこう混んでる。混雑具合からもそこそこ有名な橋らしく、欄干には大量の南京錠がかけられていた。対岸に見えるのは福音協会らしく、都会から少し歩いただけでガラッと観光地に変わる、面白い街である。フランクフルト1日目の夕食で今が旬であるホワイトアスパラガスのスープを食すのだが、これがとんでもなく絶品!スープの湯気と一緒に漂ってくるアスパラの香りが非常に濃厚である。
ケルン大聖堂 Kölner Dom
フランクフルト2日目は、ミュンヘンのノイシュヴァンシュタイン城やヴィースの巡礼教会と並び、ドイツ旅行のハイライトである世界文化遺産ケルン大聖堂。フランクフルトからはICEで1時間くらいだったかな(約200km)?駅舎から出ると目の前に巨大な大聖堂が鎮座しており、あまりの迫力に思わず声が出てしまった。てか、こんなに駅前にあるものなのか(笑)
「正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂(Dom St. Peter und Maria。聖ペトロとマリア大聖堂の意)。現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀のことであった。3代目は2代目が焼失した年である1248年に建設がはじまった。全てが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年のことであり、高さが157mの大聖堂はアメリカのワシントン記念塔(高さ169m)が完成する1884年まで建築物としては世界一の高さを誇った。大聖堂は第二次世界大戦時のケルン市に対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けた。修復の一環として破損したステンドグラスの一部はゲルハルト・リヒターによって近代的なモザイク風の市松模様の物に置き換わったのだが、これについては未だに賛否両論がある。」
本当にでかすぎて、広場の端まで移動しても全体が写真に収まらないレベルである...。はやる気持ちを抑え、まずは外観を観察。これほど大きな建造物であるのに、紋様や人物の彫刻がびっしりと掘られていて壮観である。当時の有名な彫刻家が掘ったらしいんだが、仮に何百人いたとしてもこれほどのものとなると一体どれだけの時間がかかったのだろうか。この彫刻群だけ見ても大変な芸術作品である。
実はケルン大聖堂は登ることができ(有料)、せっかくなのでてっぺんまで行ってきた。かなり狭い石の螺旋階段を500段くらい延々と上がるのだが、途中に休憩するスペースが無いのでかなり疲れる。地上100mの尖塔付け根にたどり着き、ここからはケルン市街やライン川の流れを一望することができる。 またこのときのチケットで宝物室も入ることができるが、ここも宮殿みたいに金銀財宝でなかなかすごかった。司祭が持つ杖とか冠とか(写真撮影禁止)。
礼拝堂の見学は無料。教会内は、もはや自分の書く文字では表現することができない。「美しい」とか「立派な」とかのもう2, 3次元上の世界である。「人類の創造的才能を表現する傑作」という文化遺産の登録基準の言葉だけではとても表しきれない...。 時代は違えど、世界が変わろうとも、人々が何を求めるかは変わらないんでしょうね。昔の人達がなにを考えてこの教会を建てたのか感じとることができる。いろんなことを考えて、気がついたら長椅子に座って1時間くらい経っていた。それだけ、この教会には引き込まれる。
この教会はステンドグラスでも有名である。教会内を歩いていると常にきらびやかなステンドグラスが目に入ってくる。中でも、ルードヴィッヒ1世が1842年に奉納した「バイエルンの窓」という5枚のステンドグラスが最も有名らしく、戦火を免れてちゃんと残っていた(写真右上)。1枚1枚に「ルードヴィッヒ1世寄贈」と紋章が描かれており、それぞれどこにあるのか探してみるのも面白かった。キリストの受胎の告知、アダムとイブ、4人の預言者、東方三博士の礼拝、ピエタ、聖霊降臨、聖ステファノの殉教などが描かれているんだと。 奥には半円形の回廊があり、その通路には「シュヴェ」と呼ばれる7つの礼拝堂が放射状に突き出している。それぞれにどんな意味があるかまでは追うことはできなかった。中央祭壇には世界最大の黄金で飾られた豪華な聖棺が置かれており、東方三博士の頭蓋骨が奉納されているんだとか(写真左下)、かなり厳重に囲まれていた。
総じて、ケルン大聖堂は今回の旅の中で間違いなく一番印象に残った場所となった。ミュンヘンのツアーみたいに1日に何箇所も巡るのであれば、ここを訪れるのはもったいないかな。1日丸々使ってここだけを観光した方がいい。あと余談だが、ここでGaffelという銘柄のビールを飲んだんだが、人生で飲んだビールの中で最も美味しかった。
哲学者の道 Philosophenweg
フランクフルト4日目(ドイツ観光最終日)は、ICEで80kmくらい南下してハイデルベルグへ向かう。目的はハイデルベルク城だが、途中に哲学者の道があるのでそちらを通っていくことに。
ハイデルベルク駅を下車し、そこから徒歩だと城も哲学者の道も遠いので路面電車に乗る。市バスも同じ道を並走しているのでどっちでもいいかも。下車駅から歩いて10分くらいすると哲学者の道だが、意外と路地裏みたいなところに入り口があるので、地図持っていなかったり標識を見落とすときっと見つからないと思う。
「牧歌的なハイデルベルクのアルトシュタットを望む最適な場所の一つが哲学者の道である。この道は、ハイデルベルク城の対岸にあたる河畔からハイリゲンベルクをやや上った位置を通っている。ゲーテを始めとした詩人や哲学者がこの道を歩き、その思索を深めた。 」
最初の10分くらいは住宅街で車もたくさん路駐してあるので、あまり思索を深めることはできなさそう(笑)。あと、急な上り坂なので運動不足の人は途中でバテてしまうかもしれない。哲学者の道の大部分は丘の中腹を通っているので、まずは高度を上げるこというわけだ。住宅街や上り坂を過ぎるとあとはずっと平坦な道となり、ハイデルベルグ城やその旧市街を一望できるとても眺めが良い道となる。ところどころベンチが設けられているので、休憩してしばらく景色を眺めるのもよし。地元の幼稚園児たちが先生に引率されて歩いて、微笑ましいのと同時に、下から登ってきたのならみんな元気だなーと思った。ま、子供が一番体力あるものだよね。
自分たちがイメージする哲学者の道は下りの道にあった。登りは閑散とした住宅街、丘の中腹の平坦な道は景色は良いが転落防止の柵が立つ遊歩道。下りの道は石畳や石壁で囲まれており、景色は見えないものの周りは茂った樹々で囲まれた古道である。けど、やっぱりスプレーの落書きはある...。 登り10分、平坦な道20分、下り10分くらいだったと思うが、観光地の割には意外と人がほとんどおらず、道の途中で見かけた人たちは足しても30人程度だと思う。その分ゆっくり、静かに散策することができた。ドイツ最終日というのをひしひしと感じて、なんか寂しくなる。
ちなみに登り道下り道と表現したけど駅側が登り、城側が下りという意味ね(読んでればわかると思うけど)。
ハイデルベルク城 Heidelberger Schloss
哲学者の道を抜けると賑やかな城下���に出る。聖霊教会や14世紀からのハイデルベルグ大学、カフェが並び、丘の上にはハイデルベルグ大学がそびえ立っている。観光客は多いのだが、おそらくそれ以上に学生さんと思われる若者たちで賑わっていた。
「ドイツで最も有名な城趾の一つであり、ハイデルベルクの象徴的建造物となっている。プファルツ継承戦争で破壊されるまで、この城はプファルツ選帝侯の居城であった。ケーニヒスシュトゥール(「王の椅子」)という山の北斜面、マイン渓谷の底から約80mの高さに位置し、旧市街の風景を決定づけている。」
城へ向かうにはまた丘を登らなければならない(さっき下ってきたばっかりなのに)。ケーブルカーもあるのでそれを使ってもよいが、別に徒歩でも大した時間かからなかったのでもう一度足で登ることに。2・300段くらいの階段を登りきると目の前は城門。城の庭園を散策する分にはお金がかからず、城内を見学する場合は入場チケットを買う。日本語の音声ガイドもあるみたい。
まずは城内の見学。修復されているとはいえ(一番最近の修復は100年前)城からは樹が生え、レンガの隙間からは根っこが垂れ、ところどころ破壊されている。でも逆にそれが、悠久の時の流れを感じさせる。庭園の方は常に手入れされているようなので、綺麗に整っていた(ここまでは無料でも見れるところ)。この城で有名なのが城内大樽棟にある大樽だろう。ワインを貯蔵していたとのことだが、その容量なんと219m^3、1mx1mx1mの立方体が219個分というとんでもないもの。直径5m、長さ10mくらいの樽が横に寝かされているが、あまりにもでかいのでこれまた写真にすべて収めるのは難しい!樽の上には登ることができるのだが、その大きさおわかりいただけるだろうか?(写真右下)。実はこれの手前に、この大樽よりも小さい樽があり(といっても十分にでかいのだが)、最初はそれが有名な大樽だと思って「すげー」となり、すぐ隣にアホみたいな大樽があり、これ完全にフェイ���トだよね。また樽以外にも、何百年前もの化学の実験器具が展示されていて、長い時間が経っても器具の形があまり変わっていないのに関心。
最後に城外の庭園を散策、結構広い。綺麗に整った芝生にはレジャーシートを敷いて寝転ぶ人だけではなく水鳥も屯していて、どちらも気持ちよさそう、てかドイツって芝生があればとにかく水鳥おるのな。庭園のテラスからはハイデルベルグ城と旧市街、ネッカー川がすべて一つの絵に収まる。美しい。自然と人工と、さらに時間という次元がちょうどいい具合に、見事に融合している。地元の人は好きなときにここへ訪れることができるなんて、なんて羨ましいんだろう。いっそのことドイツへ住みたいくらい、マジで。
帰国
とても名残惜しいが、ミュンヘン3日間・フランクフルト4日間の全日程を終え、翌日は帰国の途につく。フランクフルト空港は市の中心部から非常に近い、なんとフランクフルト中央駅から3つお隣、泊まっていたホテルからは5駅隣。お土産としてビールを何本か買って帰ろうと思い、空港ならお店にたくさん置いてあるだろうと期待していたが、予想に反して全く置いていない...。かろうじて空港内唯一の小さなスーパーを見つけたのでそこで購入(種類は多くなかった)。レストランでは普通に飲めるんだけどね。
出国エリアにはドイツ製(Bechstein)のピアノが展示されていた。ベヒシュタインは世界的にも有名なピアノメーカーらしく、「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれるほどの名器で、最高のピアノの代名詞である。とのこと。もしかしてかなり高価なピアノだった?自由に弾いてよいらしく、旅行者がピアノを弾いていて周りには人が集まっていた。あぁ、こういうのって素敵だよね。知らない曲だけど旋律が空港中に響き渡り、つい聞き惚れてしまった。ドイツの最後の素敵な思い出をありがとう。とても素晴らしい旅だったよ...。
帰りもエアチャイナで、1355フランクフルト発~0515北京着の便。帰国時は特に何事も起こらず穏やかだった。もう知っていたので驚くことはなかったが、敢えて書き残すとするれば北京空港のトランジットがやっぱりクソだった。しかも今回は到着便のタイミングがいくつか重なったため、自分たちはまだマシだったけど、その後ろにすごい人が並んでいて列が何回も折り返されていて...。なかなか悲惨である。ちなみにこの並ぶスペースは中国への入国ゲートもあるので、そっちの列も合わせて人がやばい、余裕で1000人超えてるでしょ。相変わらず乗り換えゲートの先の保安検査もひどく待たされた。自分が保安検査を抜けて出発ロビーに出れたのは、何故か目の前に並んでいた友人たちが抜けた時間よりも20分くらい遅かった。何が起きたのか自分でもよくわからん(おそらく、ほんの一瞬のスキに別の早い列へ移されていたらしい)。搭乗ゲート近くの椅子に座っていたとき、目の前の(ドイツ人?)女性が、今まで見てきた中で最強に格好良くて見惚れてしまった。
日本へはエアチャイナ0820北京発~1230羽田着の便。飛行機からは富士山が見え、やっと帰ってきたのかと、懐かしくホッとする。茂原直通��高速バスに乗り、時差ボケで眠たい体をなんとか動かして夕方無事に帰宅、このとき日本は日曜日、翌日は会社である(特に問題ないと思い有給は取らなかった)。
これで今回の旅は全て終了。ドイツは本当に良い国だった。最初はヨーロッパに行こうと聞いて驚いたが、やはり体力や自分で使える金があるエネルギッシュな若いときにいろんな経験をするべきだと思う。楽しいのはもちろんだが、とにかく視野が広がる。人生の糧になる。とりあえず行程については以上で、あとはドイツの公共交通機関などについて、気がついたことなどをメモしていく予定。
4/5へ続く
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