#与謝野ブランド戦略
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おはようございます 今日はメッチャ良い天気で、気分もいい😊 以前、偶然お会いして当社に興味を持って頂いた @paranomad さん 丹後産地の魅了され、京都府与謝郡与謝野町に移住された方 @paranomad さんのご縁で、ひらく織実行委員会の皆さまに当社で工場見学して頂きました この度、日本各地の繊維産地へ回られてた活動などをまとめられ、冊子にされたとの事 その冊子が先日届きました! ありがとうございました! 引き続き、宜しくお願い申し上げます http://yosano-branding.jp/opentextile/ ひらく織 https://yosano-weaver.jp/ 織りなす人 https://tanko.or.jp/ 丹後織物工業組合 http://www.town-yosano.jp/ 与謝野町 #ひらく織 #京都府与謝郡与謝野町 #ひらく織実行委員会 #与謝野町 #与謝野町商工振興課 #丹後織物工業組合 #与謝野ブランド戦略 #日本各地の繊維産地 #paranomad #ひときれ #事業承継 #次世代 (株式会社 二口製紐 (フタクチ セイチュウ)) https://www.instagram.com/p/CNJYf2ggdzz/?igshid=k9ax2ecoh302
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一 はじめに
(日本オリンピック) 五輪史上初の衛星生中継。世界が見守る中、聖火を手に、国立競技場に入ってきたのは、最終ランナーの坂井義則(よしのり)さんでした。 八月六日広島生まれ。十九歳となった若者の堂々たる走りは、我が国が、戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、自信と誇りを持って、高度成長の新しい時代へと踏み出していく。そのことを、世界に力強く発信するものでありました。 「日本オリンピック」。坂井さんがこう表現した六十四年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。 半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。 本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから、国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか。
(新しい時代へ踏み出す) 「日本はもう成長できない」。七年前、この「諦めの壁」に対して、私たちはまず、三本の矢を力強く放ちました。その果実を活かし、子育て支援、教育無償化、更には働き方改革。一億総活躍社会を目指し、まっすぐに進んでまいりました。 厳しさを増す安全保障環境を直視しながら、平和安全法制を整備し、防衛力を抜本的に強化しました。地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、世界を駆け回り、ダイナミックな日本外交を展開してきました。 我が国は、もはや、かつての日本ではありません。「諦めの壁」は、完全に打ち破ることができた。その自信と誇りと共に、今、ここから、日本の令和の新しい時代を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
二 復興五輪
二��二〇年の聖火が走り出す、そのスタート地点は、福島のJヴィ���ッジです。かつて原発事故対応の拠点となったその場所は、今、我が国最大のサッカーの聖地に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。 常磐自動車道に続き、本年三月、JR常磐線が全線開通します。これに合わせ、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域における避難指示の一部解除に向け、準備を進めます。 浪江町では、世界最大級の、再生エネルギーによる水素製造施設が、本格稼働します。オリンピックでは、このクリーンな水素を燃料とする自動車が、大会関係者の足となります。そして、大会期間中、聖火を灯し続けます。リチウムイオン電池、AIロボット。未来を拓く産業が、今、福島から次々と生まれようとしています。 津波で大きな被害を受けた、宮城県を訪れる外国人観光客は、震災前の二倍を超えました。岩手県では三倍となっています。昨年九月に陸前高田市で開業したばかりの道の駅では、僅か一か月で十万人の観光客が訪れ、賑(にぎ)わいを見せています。 来年度で復興・創生期間は終了いたしますが、次のステージに向け、復興庁を司令塔に、政治の責任とリーダーシップの下で、福島の本格的な復興・再生、東北復興の総仕上げに、全力で取り組んでまいります。 九年前、ファーディーさんは、ラグビーチームの一員として、釜石で、東日本大震災を経験しました。 「ここで帰ったら後悔する」 オーストラリア大使館から避難勧告を受け、家族から帰国を勧められても、ファーディーさんは、釜石に残り、救援物資の運搬、お年寄りや病人の搬送。困難に直面する被災者への支援を続けました。 その感謝の気持ちと共に、本年、釜石は、オリンピック・パラリンピックに際し、オーストラリアのホストタウンとなります。岩手県野田村は台湾、福島県二本松市はクウェートなど、二十九の被災自治体が、支援を寄せてくれた人々との交流を深めます。 心温まる支援のおかげで力強く復興しつつある被災地の姿を、その目で見て、そして、実感していただきたい。まさに「復興五輪」であります。 東日本大震災では、百六十三の国と地域から支援が寄せられました。我々が困難の時にあって、温かい支援の手を差し伸べてくれた世界の方々に、改めて、今、この場から、皆さんと共に、感謝の気持ちを表したいと��います。
三 地方創生
(観光立国) 全体で五百近い市町村が、今回、ホストタウンとなります。これは、全国津々浦々、地域の魅力を世界に発信する、絶好の機会です。 北は北海道から、南は沖縄まで。アイヌの皆さんが受け継いできた伝統音楽や食文化、琉球舞踊など、我が国が誇る全国各地の地域文化に触れていただく「日本���」を、本年、開催いたします。 国の文化財を積極的に活用できる制度を設け、地域のアイデアによる観光地づくりを後押しします。自家用車による有償の運送サービス制度について規制緩和を行い、外国人観光客の皆さんの地方での足もしっかりと確保いたします。 首里城の一日も早い復元に向け、全力を尽くします。三月には、那覇空港第二滑走路の供用を開始します。発着枠を十万回以上拡大することにより、アジアのゲートウェイとして、沖縄の振興に取り組んでまいります。 オリンピック・パラリンピックに向けて、サイバーセキュリティ対策、テロなど組織犯罪への対策に万全を期すことで、安全・安心をしっかり確保いたします。五年後の大阪・関西万博も視野に、多言語化、Wi‐Fi環境の整備など、観光立国の基盤づくりを一気に進めます。高い独立性を持った管理委員会の下、厳正かつ公平・公正な審査を行いながら、複合観光施設の整備に取り組みます。 更には、外国人観光客の多様なニーズに応える宿泊施設など世界に冠たる観光インフラを整え、二〇三〇年六千万人目標の実現を目指します。
(農産物輸出) 世界に目を向けることで、地方に新しいチャンスが広がります。 昨年、EUへの牛肉やコメの輸出は、約三割増えました。TPP諸国への乳製品の輸出も、二割を大きく上回る伸びとなりました。甘い「紅はるか」は、シンガポールやタイで大人気です。さつまいもの輸出は、昨年、四割以上増加しました。 先月、中国への牛肉輸出について、解禁令が発出されました。今月発効した日米貿易協定も活かし、おいしくて、安全な、日本の農林水産物の世界への挑戦を、力強く後押しいたします。 農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます。販路開拓など海外への売り込みを支援します。 神戸牛、ルビーロマン、ゆめぴりか。農家の皆さんの長年にわたる努力の結晶である、日本ブランドを、海外流出のリスクからしっかりと守ります。 C���F対策を一層強化します。野生���物の感染が発見された場合にも、家畜伝染病予防法に基づき、移動制限などのまん延防止措置を実施できるようにします。ASFについても、海外から持ち込まれる肉や肉製品の検疫を強化し、水際対策を徹底します。
(地方創生) 昨年の台風十九号では八ッ場ダムが利根川の被害防止に役立ちました。水力発電や農業用水などを目的とするダムについても、緊急時には省庁の縦割りを打破し、一元的に活用するための対策を、全ての一級河川を対象に、この夏までに取りまとめます。 相次ぐ自然災害の教訓を活かし、全国で、川底の掘削、堤防の整備、無電柱化を進めます。送電線の計画的な更新、電力会社、自衛隊、自治体の平時からの連携などにより、強靱(じん)な電力供給体制を構築します。防災・減災、国土強靱(じん)化を進め、災害に強い故郷(ふるさと)を創り上げてまいります。 東京から鉄道で七時間。島根県江津市は「東京から一番遠いまち」とも呼ばれています。二十年以上、転出超過が続き、人口の一割に当たる二千八百人が減少した町です。 しかし、若者の起業を積極的に促した結果、ついに、一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました。 原田真宜(まさのり)さんは、パクチー栽培を行うため、東京から移住してきました。農地を借りる交渉を行ったのは、市役所です。地方創生交付金を活用し、起業資金の支援を受けました。農業のやり方は地元の農家、販路開拓は地元の企業が手助けしてくれたそうです。 「地域みんなで、手伝ってくれました」 地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が、原田さんの移住の決め手となりました。 「地方にこそ、チャンスがある」。そう考え、地方に飛び込む若者を、力強く応援してまいります。東京から地方に移住して起業・就業する場合に最大三百万円支給する制度を、更に使いやすくします。「移住支援センター」を全国一千の市町村に設置し、移住へのニーズを実際の人の動きへとつなげてまいります。 都市に住む皆さんの地方での兼業・副業を促すため、人材のマッチングや移動費の支援を行う新たな制度を創設します。関係人口を拡大することで、将来的な移住につなげ、転出入均衡目標の実現を目指します。 企業版ふるさと納税を拡充し、地方における魅力ある仕事づくりを一層強化します。独占禁止法の特例を設け、まちづくりの基盤である地方の金融サービス、交通サービスをしっかりと維持・確保してまいります。地方の創意工夫を、一千億円の地方創生交付金で、引き続き応援します。 若者が将来に夢や希望を持って飛び込んでいくことができる。地方創生の新しい時代を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
四 成長戦略
(中小・小規模事業者) 「東洋の魔女」が活躍したバレーボール。そのボールを生み出したのは、広島の小さな町工場です。その後、半世紀にわたり、その高い技術を代々受け継ぎ、今なお、五輪の公式球に選ばれ続けています。 全国各地の中小・小規模事業者の皆さんが、長年培ったオンリーワンの技術で、地域経済を支えています。しかし、経営者の多くが六十歳を超え、事業承継は待ったなしの課題であります。そして、若い世代の承継を阻む最大の壁が、個人保証の慣行です。 この春から、先代の経営者と後継者から個人保証を取る、いわゆる二重取りを原則禁止いたします。商工中金では、今月から、年間三万件、二兆円の新規融資について、個人保証なしの融資を原則とする運用を開始しました。 信用保証協会では、個人保証なしで後継者の皆さんの融資を保証する新制度を、四月からスタートします。経営の磨き上げ支援も行い、専門家の確認を得た後継者には、保証料をゼロとします。個人保証の慣行は新しい世代には引き継がないとの強い決意で、あらゆる施策を総動員してまいります。 七年前、十年ぶりの大改正を行った下請振興基準を、更に改正し、対象を拡大します。大企業に対しても、新たに金属産業、化学産業で、自主行動計画の策定を求めます。業界ごとの取引慣行に詳しい専門人材を下請Gメンに採用し、下請取引の更なる適正化に取り組んでまいります。 デジタル技術の進歩は、中小・小規模事業者にとって、販路拡大などの大きなチャンスです。デジタル取引透明化法を制定し、オンラインモールでの出店料の一方的引上げなど不透明な取引慣行を是正します。
(規制改革) IoT、ビッグデータ、人工知能。第四次産業革命の大きな変化の中で、デジタル時代の規制改革を大胆に進めます。 本年から、無人自動運転を解禁し、中山間地域の皆さんに、安全で便利な移動手段を提供します。自動制御ブレーキを備えたサポートカーに限定した新たな免許制度を設け、その普及を拡大します。 AIが解析するデータのボリュームが、競争力を左右する時代です。個人情報を匿名化し、その詳細な分析を可能とすることで、ビッグデータの世界をリードしてまいります。 フィンテックによる多様な決済サービスが登場する中、金融分野の業法による縦割り規制を抜本的に見直します。マイナンバーカードの取得を促し、来年度中に健康保険証としての利用を開始します。あらゆる行政手続の電子化を進め、対面での確認が必要なものなどを除き、二〇二四年度までに完了いたします。 技術の進歩による急激な変化に対し、消費者の安全・安心を確保していきます。個人データの利用停止を可能とするなど、個人情報保護を強化します。あおり運転を刑罰の対象とし、道路へのカメラ設置などにより、悪質な運転者の取締りを徹底します。空港施設へのドローン飛行を禁止し、飛行経路の安全を確保してまいります。
(イノベーション) 吉野彰(あきら)先生のノーベル化学賞受賞を、心よりお慶び申し上げます。 吉野先生に続く、未来を担う若手研究者に、大胆に投資します。自由な発想で挑戦的な研究に打ち込めるよう、資金配分を若手に思い切って重点化します。安定的なポストを確保し、海外留学を含めたキャリアパスを確立することで、若者が将来に夢や希望を持って研究の世界に飛び込める環境を整えます。 変化のスピードを先取りし、これまでにない価値を生み出す鍵は、ベンチャー精神です。大企業などからベンチャー企業への投資を税制で支援し、いわゆる自前主義からの発想の転換を図ります。国の研究機関によるベンチャー企業への出資を促すことで、蓄積された研究成果や技術を新しい産業へと成長させてまいります。 第四次産業革命がもたらすインパクトは、経済のみにとどまらず、安全保障をはじめ、社会のあらゆる分野に大きな影響を及ぼします。国家戦略としての取組が必要です。 その基盤インフラは、通信です。5G、ポスト5G、更にその先を見据えながら、大胆な税制措置と予算により、イノベーションを力強く後押しします。安全で安心なインフラが、これからも安定的に供給されるよう、グローバルな連携の下、戦略的に取り組んでいきます。 次世代暗号などの基盤となる量子技術について、国内外からトップクラスの研究者・企業を集める、イノベーション拠点の整備を進めます。 月を周回する宇宙ステーションの整備、月面での有人探査などを目指す新たな国際プロジェクトに、我が国として、その持てる技術を駆使し、貢献いたします。将来的な火星探査なども視野に、人類の新たなフロンティアの拡大に挑戦します。 Society 5.0の時代にあって、教育の在り方も、変わらなければなりません。本年から小学校でプログラミング教育を開始します。四年以内に、全ての小学生、中学生に一人一台のIT端末を揃(そろ)えます。企業エンジニアなど多様な外部人材を登用することで、新しい時代の教育改革を進めます。
(アベノミクス) 今般取りまとめた新しい経済対策は、まさに、安心と成長の未来を切り拓くものであります。事業規模二十六兆円に及ぶ対策を講じることで、自然災害からの復旧・復興に加え、米中貿易摩擦、英国のEUからの離脱など海外発の下方リスクにも万全を期してまいります。 日本経済は、この七年間で十三%成長し、来年度予算の税収は過去最高となりました。公債発行は八年連続での減額であります。経済再生なくして財政���全化なし。この基本方針を堅持し、引き続き、二〇二五年度のプライマリーバランス黒字化を目指します。 この六年間、生産年齢人口が五百万人減少する一方で、雇用は三百八十万人増加しました。人手不足が続く中で、最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅となり、史上初めて全国平均九百円を超えました。足元では、九割近い中小企業で、賃上げが実現しています。 雇用環境が好転している今、就職氷河期世代の皆さんの就業を、三年間集中で一気に拡大します。この世代に対象を絞った求人を解禁するなど、あらゆる施策を講じ、意欲、経験、能力を活かせるチャンスを広げていきます。 兼業や副業をやりやすくするため、労働時間に関するルールを明確化します。労働施策総合推進法を改正し、大企業に中途採用・経験者採用比率の開示を求め、多様で柔軟な働き方が可能となるよう、改革を進めます。 経済社会が大きく変化する中、ライフスタイルの多様化は時代の必然であります。今こそ、日本の雇用慣行を大きく改め、働き方改革を、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
五 一億総活躍社会
(全世代型社会保障) この春から、大企業では、同一労働同一賃金がスタートします。正規と非正規の壁がなくなる中で、パートの皆さんへの厚生年金の適用を更に広げてまいります。三千億円を上回る、ものづくり補助金、IT補助金、持続化補助金により生産性向上への支援、社会保険手続の負担軽減を行いながら、従業員五十人を超える中小企業まで段階的に拡大します。 高齢者のうち、八割の方が、六十五歳を超えても働きたいと願っておられます。人生百年時代の到来は、大きなチャンスです。働く意欲のある皆さんに、七十歳までの就業機会を確保します。 こうした働き方の変化を中心に据えながら、年金、医療、介護全般にわたる改革を進めます。 年金受給開始の選択肢を、七十五歳まで広げます。在職老齢年金についても、働くインセンティブを失わせることのないよう、見直しを行います。 二〇二二年には、いわゆる団塊の世代が七十五歳以上の高齢者となる中で、現役世代の負担上昇に歯止めをかけることは、待ったなしの課題です。 年齢ではなく、能力に応じた負担へと見直しを進めます。七十五歳以上であっても一定以上の所得がある方には、窓口での二割負担を新たにお願いすることを検討します。併せて、かかりつけ医機能の強化を図るため、大病院の受診に定額負担を求めることで、現役世代の負担上昇を抑えます。 医療や介護について、予防への取組を強化することで、いつまでも健康で、活躍できる社会づくりを行います。 子どもたちから、子育て世代、現役世代、そしてお年寄りまで、全ての世代が安心できる「全世代型社会保障制度」を目指し、本年、改革を実行してまいります。
(子育て支援) 子どもたちの未来に、引き続き、大胆に投資してまいります。 昨年の幼児教育・保育の無償化のスタートに続き、この四月から、真に必要な子どもたちの高等教育の無償化が始まります。私立高校の実���無償化も実現し、子どもたちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることができる社会を創り上げてまいります。 保育の受け皿整備を進め、待機児童ゼロを実現します。これまでの取組により、待機児童の数は、昨年、調査開始以来、最少となりました。いまだゼロが実現できていない自治体には、保育ニーズに応じた整備計画の策定を求め、取組を強化していきます。 妊娠、出産、子育てへの切れ目ない支援を行います。来年春までに、子育て世代包括支援センターを全ての市町村に設置します。所得の低いひとり親世帯への支援を拡大し、子育てしやすい社会づくりを更に強化します。「希望出生率一・八」の実現を目指し、深刻さを増す少子化の問題に真正面から立ち向かってまいります。
(一億総活躍社会) 我が国には、意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいます。全ての女性に活躍のチャンスを創り、その持てる可能性を十二分に開花することができれば、日本の経済社会は一変するはずです。 この六年で、女性の就業者数は、新たに二百九十万人増加しました。就業率は、二十五歳以上の全ての世代で米国を上回っています。M字カーブは確実に解消に向かっています。引き続き、女性活躍の旗を高く掲げ、女性の皆さんが働きやすい環境づくり、女性リーダーの拡大に向けた取組を一層進めます。更に、民間シェルター支援によるDV対策などに取り組んでまいります。 女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、更には一度失敗した方も、誰もが多様性を認め合いその個性を活かすことができる社会、思う存分その能力を発揮できる社会を創る。一億総活躍社会の実現こそが、まさに少子高齢化を克服する鍵であります。 バリアフリー社会の実現に向けて、公共交通機関における取組を強化します。耳の聞こえない方に対する、無償で手話通訳を利用できる電話リレーサービスを整備します。重度障害者の皆さんの就労の意欲を後押しするための仕組みを強化します。 「その能力は磨けば無限である。」 中村裕(ゆたか)医師は、長年、障害者雇用に熱心に取り組んでこられました。 「身障者の社会進出のためにもスポーツを奨励しなければならない。」 中村先生の情熱によって、一九六四年、東京パラリンピック大会が実現しました。その後、パラリンピックは四年おきに継続的に実施されるようになりました。中村先生の思いは受け継がれ、半世紀以上の時を経て、再び、日本へと帰ってきます。 本年のパラリンピックを、世界中の人々に夢や感動を与える、素晴らしい大会とする。障害のある皆さんが、世界で最もいきいきと生活できる国・日本を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
六 外交・安全保障
(積極的平和主義) 日本が、初めてオリンピック精神と出会ったのは、明治の時代であります。その時の興奮を、嘉納治五郎はこう記しています。 「世界各国民の思想感情を融和し以て世界の文明と平和とを助くる」 オリンピック・パラリンピックが開催される本年、我が国は、積極的平和主義の旗の下、戦後外交を総決算し、新しい時代の日本外交を確立する。その正念場となる一年であります。 日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との諸問題を解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を目指します。何よりも重要な拉致問題の解決に向けて、条件を付けずに、私自身が金正恩委員長と向き合う決意です。 もとより、我が国の国民の生命と財産を守るため、毅(き)然として行動していく。その方針はしっかりと貫いてまいります。米国、韓国をはじめ国際社会と緊密に連携してまいります。 北東アジアの安全保障環境が厳しさを増す中で、近隣諸国との外交は、極めて重要となっています。韓国は、元来、基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国であります。であればこそ、国と国との約束を守り、未来志向の両国関係を築き上げることを、切に期待いたします。 プーチン大統領と長門で合意した、元島民の方々の航空機によるお墓参り、そして四島での共同経済活動は、着実に前進しています。一九五六年宣言を基礎として交渉を加速させ、領土問題を解決して、平和条約を締結する。この方針に、全く揺らぎはありません。私と大統領の手で、成し遂げる決意です。 日本と中国は、地域と世界の平和と繁栄に、共に大きな責任を有しています。その責任をしっかり果たすとの意志を明確に示していくことが、今現在の、アジアの状況において、国際社会から強く求められています。首脳間の往来に加え、あらゆる分野での交流を深め、広げることで、新時代の成熟した日中関係を構築してまいります。
(安全保障政策) いかなる事態にあっても、我が国の領土、領海、領空は必ずや守り抜く。安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりません。 この春から、航空自衛隊に「宇宙作戦隊」を創設します。更には、サイバー、電磁波といった新領域における優位性を確保するため、その能力と体制を抜本的に強化してまいります。 昨日、日米安全保障条約は、改定の署名から六十年を迎えました。日米同盟は、今、かつてなく強固なものとなっています。その深い信頼関係の下に、二〇二〇年代前半の海兵隊のグアム移転に向け、施設整備などの取組を進めます。抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担軽減に、一つひとつ結果を出してまいります。 日米同盟の強固な基盤の上に、欧州、インド、豪州、ASEANなど、基本的価値を共有する国々と共に、「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指します。
(国際社会の課題解決) この七年間、八十の国・地域を訪問し、八百回を超える会談を重ねてまいりました。各国首脳との信頼関係の上に、国際社会が直面する共通課題の解決に向け、世界の中で、主導的な役割を果たしていく覚悟です。 中東地域における緊張の高まりを��く憂慮します。我が国は、全ての関係者に、対話による問題解決と自制的な対応を求めます。これまで培ってきた中東諸国との友好関係の上に、この地域の緊張緩和と情勢の安定化のために、これからも、日本ならではの平和外交を粘り強く展開いたします。エネルギー資源の多くをこの地域に依存する我が国として、こうした外交努力と併せて、自衛隊による情報収集態勢を整え、日本関係船舶の安全を確保します。 自由貿易の旗手として、二十一世紀の経済秩序を世界へと広げてまいります。EUから離脱する英国とも、速やかに通商交渉を開始します。TPPの更なる拡大や、インドを含めたRCEP交渉を主導します。データ流通の新たな国際ルールづくりを、大阪トラックでリードしていきます。 G20で合意したブルー・オーシャン・ビジョンには、既に五十九の国から賛同を得ています。この流れを更に世界へと広げていくことで、二〇五〇年までの海洋プラスチックごみによる新たな汚染ゼロの実現を目指します。 我が国は、五年連続で温室効果ガスの削減を実現いたしました。二〇一三年度比で十一・八%の削減は、G7の中で英国に次ぐ削減量です。長期戦略に掲げた脱炭素社会を早期に達成するため、ゼロエミッション国際共同研究拠点を立ち上げます。米国、EUなどG20の研究機関の叡智(えいち)を結集し、産業革命以来増加を続けてきたCO2を、減少へと転じさせる、「Beyondゼロ」を目指し、人工光合成をはじめ革新的イノベーションを牽(けん)引します。 世界の平和と安定、自由で公正で開かれた国際ルールの構築、気候変動をはじめとした地球環境問題への挑戦。より良き世界の実現に向かって、新しい時代の日本外交の地平を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
七 おわりに
「人類は四年ごとに夢をみる」 一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。 社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。 国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。 世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。 御清聴ありがとうございました。
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【パトリック・バーン】 2021/2/4 23:55 JST
https://www.deepcapture.com/2021/02/how-djt-lost-the-white-house-chapter-4-the-christmas-doldrums-december-23-noon-january-6/
ディープキャプチャー DJTはいかにしてホワイトハウスを失ったか 第4章:クリスマスのドルドラム(12月23日~1月6日正午 私はそれから数日間、DCに滞在した。フリンとシドニーは数日間、それぞれの世界に旅立ったが、マイクが旅立つ前に私たちは会話をした。この機会に、マイク・フリンについて少しお話したいと思います。私は現場で働いていた人たちからフリンが何をしていたかは知っていました。
※以下、4章の和訳。マール・ア・ラーゴ。激励会。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - DJTはいかにしてホワイトハウスを失ったか、第4章:クリスマス・ドルドラム (12月23日~1月6日正午)
2021年2月4日 14分読む
私はそれから数日間、DCに滞在した。フリンとシドニーは数日間でそれぞれの世界へと旅立っていったが、マイクが去る前に我々は会話をした。この機会にマイク・フリンについて少しお話したいと思う。
現場で働いていた人から、フリンが沼の敵になるべく何をしたのかは知っていた。彼がイラクに到着したとき、空襲で得た物資は袋に束ねられ、「搾取」および分析のためバージニア州へ出荷され、また1、2ヶ月後に有益な情報が最前線の部隊へ戻された。フリンは起業家のように世界を見ており、プロセスを再設計することに着手した。搾取と解析をイラク内に基づいて行うことで、ループは18時間に短縮された。次の夜に人々が襲撃に出かけるときは前回の夜の働きから得た洞察を理解した状態だった。
最終的にループはとてもきつくなり、夕方とある場所での襲撃が、夜通しの調査によって、資料が作られ、夜明け時にまだ進行中の襲撃について報告するようになったのだ。私が知っていて信頼を置く、現場の人々が言うにはフリンという男には賞賛者もいれば、反感を持つ者もいた。反感を持つのは主に昔の少年のようなアプローチに慣れている人たちが中心で、彼が物事を揺さぶり、諜報機関の快適なやり方に現代的なアイデアを持ち込んでいることに不満を持っていたのだ。キャリアが進むにつれ、フリンのエスタブリッシュメントに対する分裂は伝説的なものとなったが、私の経験では、私が知っている明るくて元気で使命感のある連邦職員と思われる男女はフリンのことをよく褒めていたし、中道派はフリンを嫌っているように見えた。
しかし、マイク・フリンと���緒にいることで、彼のことを初めて知った。例えば、61歳のマイクは生涯民主党員として登録されていたが、アイリッシュ・カトリック系の、ボストン南部の北プロビデンスのジャック・ケネディ的な(現代の左翼的な「憲法をズタズタにしてしまおう!」というタイプではない)人物だった。彼は憲法に造詣が深く、私が知っている中では(私以外にも)数少ない、会話の中でフェデラリスト・ペーパーズを番号で引用する人物の一人である。アメリカの現代戦争について議論するとき、彼はチョムスキアンのような口調で、アフガニスタンとイラクでの戦争は15年前に終わるべきだったが、戦争を支援する企業に何千億、何兆ドルもの資金が流れ込み、その資金の流れから利益を得ている企業はとても太っていて、多くのロビイストを雇っていて、戦争を継続させるためにDCで戦っている、と話した。我々は冗談を言い合った、戦争はただの、「もう一つのワシントンがDCを、アイスクリームコーンが自分を舐めるようなのもの」だねと。
言い換えれば、『捕獲』。時々、私と同じように、全く異なる背景を持ちながらも、国家としての問題の根底にある争点を認識するようになった人に会う。その問題とは、強力なエリートたちが、政府の意思決定のサイクルを捉え、自分たちの私的な目的の方に変えてきたということだ。異なる経歴、異なる人生経験を持ちつつも、この国の何が間違っているのかという同じ根本的な分析に辿り着いた事実が、私の新しい相棒が正しい男であることを示してくれた。
「将軍、一体ここで何をしているんですか?」というような会話を何度も何度もした。
クリスマスは一人でDCにいたが、トランプの軌道の誰かから電話がかかってきた。電話の相手が言うには、フロリダに降りて、マール・ア・ラーゴの近くのどこかに行くべきで、それからトランプ氏ともう一度、10分程度の短い会談ができるように手配されているという。私はその時点までに、トランプ氏は健全な人々の話を聞いておらず、ある意味では大局を見落としていると完全に確信していたので、その招待状を受けて、DCからフロリダのマール・ア・ラーゴから数マイル離れたホテルへと向かった。私はチェックインし、連絡を待った。
ほどなく、実際にどれほど緊密な関係にあるのかは知らないが、トランプ氏と公に関係している有名な人物から電話がかかってきた。その電話に出ていたのは彼の同僚で、彼らは私に「マール・ア・ラーゴに行って、『アイリーン』(罪のない人を守るために別名にする)を呼んでくれ」と言っていた。アイリーンの苗字を聞いたら 「アイリーンを呼んで来い」と言われ、アイリーンの役職を聞いたら「アイリーンと言ってくれ」と言われた。「出来るだけ早くマール・ア・ラーゴに行って、アイリーンを呼んでくれ」���私は、そのようなやり方で仕事をするのは本当に嫌だ、行く前にもっと知りたいと答えた。するとまたしても断固として「マール・ア・ラーゴに行ってゲートに行ってアイリーンを呼んでくれ」との返事が返ってきた。「準備はできている」とのこと。不安を抱きながらも、自分の最高のヨガウェア(他のものはクリーニングに出していた)に身を包み、マール・ア・ラーゴに向けて出発した。Uberに電話してみると、乗っていたのは数年前の古ぼけてボロボロのトヨタカローラだった。
マール・ア・ラーゴの門に到着した私は、カローラを道へ送り出した。シークレットサービスの警備員に近づき、アイリーンに会いに来たと言うと、連邦捜査官はみな信じられないような顔をした。「アイリーンって誰?」彼らは尋ねた。「知らない」続けて「アイリーンに会いに行くように言われただけだ」「私は大統領と短い会議をする事になって」「呼ばれてここに来て」「アイリーンを呼んでくれと言われた」と答えた。「アイリーンって誰だ?」 と言われた。またしても私は知らないと答えるしか無かった。シークレットサービスの捜査官のせいではなく、彼らの混乱と義務感のせいで、会話はそこから急降下した。私はこの状況を助けられなかったのかもしないが、捜査官の一人が軽い中国訛りの女性であることに気付き、状況を落ち着かせてラポールを確立しようと、彼女と北京語でラップを始めた。かなりの時間話したが、他の捜査官の緊張感は増すばかりだった。その頃から、私は、この状況を打開して逃げ出し、電話で解決するのが最善の方法ではないかと考え始めもしたが、エージェントたちは許してくれなかった。
やがて、監督するエージェントがやってきた。彼は、一度会っただけで、相手にする人間ではないとすぐにわかるような人物だった。彼はまだきちんとしていたが、かなりの攻撃性を持っていた。「もう一度始めよう。我々はあなたの話を知りたい。あなたは誰で、ここで何をしているのですか?」
何から話せばいいのか分からず、私はこのように始めた。「20年前、オーバーストック・ドットコムという会社を始めました。私の名前は…」彼は「そうだ、君はパトリック・バーンだね」と笑いながら中断した。突然、私は、トヨタのカローラ、私のヨガの服、中国の....、を手に入れた。免許証を見せて、今度は全てが一致した。そして、フリンとシドニーと私の活動が注目されていることにも気がついた。それまでは自分たちがやっていることがどれだけ注目されているのかよくわかっていなかったが、ちゃんと意味をなしていたのだ。
いずれにしても、シークレットサービスのエージェントは親切になったので、私に頷き、何人かは私が敷地外に出て橋を渡り、別のUberに乗ることを許可してくれ、「あなたのしていることに感謝します」と言ってくれた。
私はさらに数日間、状況が改善されるのを待っていた。一度もなかった。しかし、その間、私はマール・ア・ラーゴの群衆の周辺にいたし、何百もの共和党のプー・バーの家族が休日のために集まって、周辺のホテルのほとんどを占拠���ていた。共和党の大物とその権力者たちの周辺で泳いでいるうちに、すべてのことの本質を感じることができた。そこには、イベントだけでなく、アイデアについても深い会話を交わすことができる、素晴らしい若者や知識人が何人かいた。私と同年代か少し上の女性で、フォーチュン50社の元役員で、定年退職した人がいたが、その人はとても強くて、有能で、知的だった。そして、私が見た限りでは、他の人たちは無法者だった。ピカピカの車に乗っている人、うるさくて不愉快な人、自己中心的な人、好事家、気取り屋、詐欺師、詐欺師、プラスチック・ファンタスティックの妻や夫やドイリーの子供たちは、自分たちが奪われたと感じるどんな話題においても公然とワインを飲んでいた。炎上していても小便したくなるような人間はほとんどいない。私が見なかったのは、信者、ビジョンを持っている人たち.... あるいは計画を持っている人もいなかった。
大晦日の前日、ジョージアの男から電話があった。フルトン郡(アトランタのある郡)では、郡の選挙活動が「イングリッシュ・ストリートの倉庫」と呼ばれる場所で行われていることはすでに知っていた。アンティファの女が500ドルで倉庫に潜入して写真を撮り、白紙の投票用紙を押収した。これらの投票用紙は、法医学的に検査された。私は、元旦に働いてくれる連邦政府認定の法医学文書検査官(この分野の古株)を2人手配して、大晦日にジョージア州に行った。
ジョージア州では、この取り組みに関わった何人かの人の家に泊まった。私が初めてジョバン・ピューリッツァー氏に会ったのはその時だ(私のサイバー仲間とジョバン氏の間には数週間前から連絡があったようだが)。また、マイクロソフトの上級セキュリティ専門家も同席していた。ジョージア州サバナでの集計作業で状況を把握していた人物だ。この人物によって、集計機には無線カードが入っていること、壁にはスマートサーモスタットがあり、そのサーモスタットは投票機に無線で接続されていたことが判明した。さらに調査すると、チャイナテレコムの誰かがインターネットを経由してスマートサーモスタットに接続し、投票機に接続していることが確認された。サイバーセキュリティの専門家は、選挙マシンの衝撃的な脆弱性、10年から15年前のOSソフトウェアで動作する傾向、そして一般的には技術がいかにスイス・チーズであるかについて、残りの時間を費やし語ってくれた。我々は真夜中まで脆弱性のカタログを作成していた。
元旦の午前3時にフリン将軍からメールが来た。彼はまだ仕事をしていた。彼はソーシャルメディアに公開された写真を送ってきた。マール・ア・ラーゴでは、ルディと側近たちが新年に沸き立っていた。ルディ、ドン・ジュニア、キンバリー・ギルフォイルがシャ��パンを飲んだり、踊ったり、1999年のようにパーティーをしている写真がソーシャル・メディアを駆け巡っていた。またしてもフリンと私は呆れたような沈黙の瞬間を共有した。
元日は、連邦政府公認の法医学文書検査官の研究室にいた。彼の同僚が夜通し車を走らせそこまで運んでくれたのだ。検査官らは静かでプロフェッショナルだったので、私は彼らに仕事を任せた。1時間後、報告によると、投票用紙のうち2枚はある印刷所で印刷され、もう1枚は別の印刷所で別の用紙、別のインク、別の印刷方法で印刷されていた。郡が2つの異なる印刷所に投票用紙を注文した可能性は非常に低く、これは少なくとも1つの投票用紙が偽造であることを示していた。
ジョージアの男はアトランタの倉庫を監視していた。望遠レンズを持った奴らが撮影していた。許可を得て、発見したものに短い説明をつけてツイッターにあげた。数時間後、レンタルされたエンタープライズ社の引越しバンが倉庫に到着し、投票用紙のパレットがバンに移された。
次の日、隣の郡のシュレッダー会社は、裁断するので取りに来てほしいとの依頼の電話を受けた。呼んだトラックは、約3,000ポンドの投票用紙でいっぱいになった。支払いは「ドミニオン投票」からの人物によるカード払いだったと確認��れている。裁断用トラックは走り去った。どういうメカニズムかは説明しないが、その裁断用トラックは妨害されて、作業が中断され、最終的に1万ポンドの裁断物が地元警察署の床に捨てられた、そうだから、証拠の連鎖があるのだろう。裁断物の約3,000ポンドは投票用紙だった(残り7,000ポンドは先客からのもの)。ドミニオン投票の従業員が注文した裁断方法は、通常の裁断(物を長い短冊状にする)ではなく、特別な方法(物を紙吹雪にする)でもなかった。それは、超超軍事級で採られている、投票用紙を裁断した後に砕いてドロドロにする方法だった。
アトランタのDHS(※国土安全保障省)の捜査官が到着し、指揮を執った。裁断された投票用紙の中には、完全に裁断されていないものもあった。実際、数枚はゴミ箱の壁にくっついていて丸ごと残っていた。さらに、私が聞いた話では、投票用紙箱の外面に残った領収書と出荷ラベルも発見された。これらの領収書と出荷ラベルは、中国南部にある中国の印刷屋から送られてきたものだった。DHSの捜査官がこれらをすべて入手したという(そして、その特定の仲介人は、中国の問題に精通していると聞く)。
その瞬間を「T=0」と呼ぶ。アトランタからの継続的な報告をもとに、次の2日間の展開をご紹介する。
・T + 6時間。ルディ・ジュリアーニが、何が起きているのか知らされる。 ・T + 9時間。マーク・メドウズが、何が起きているのか知らされる。 ・T + 18時間。FBIが引き継ぎのために現場に到着する。DHSは抵抗。 ・T + 24時間。問題のDHS捜査官から政治的な圧力を受けていることに非常に不快感を抱いている、というメッセージを受け取る。私の理解が正しければ、マーク・メドウズ本人(���ワイトハウス参謀長)から電話があり、調査を手を引くように言われたという。私がただの傍観者としてそのメッセージを受け取っていたのか、それともDHSの仲介者が、私がそれについて何かできるかもしれないという誤った希望(例えば、大統領に知らせる)を抱き、意図的にそのメッセージを寄越したのかどうかは、はっきりとはわからない。 ・T + 36時間。FBIが作戦の主導権を握る。FBIはシュレッダー会社を呼び戻し、1万ポンドを引き渡し、裁断を完了させ、その後、通常業務を続けるよう指示をした。すなわち、裁断された素材は、水と酸を混ぜて、溶け、再編成されてしまった。リサイクルペーパーとして。
上で話したような物語の様々な側面は写真やフィルムに記録されている。
その間、私はDCに戻っていた。私はまだトランプ氏ともう10分でも話をしようとしていた。もし、1月6日に負けるのを待ってから我々のプランを試しても、それは負け惜しみにしかならない、と繰り返し言っておきたかった。しかし、まだ数日の猶予が残っていて、もし彼が引き金を引くなら、問題のある6つの郡についての回答を得られるだろう。我々が1月6日前にそれを完了すれば、上院は情報に基づいた選択をしてくれるかもしれないし、1週間猶予を与えてくれるかもしれない等々……
ここで重要なサブストーリーを一つ挿入しておく。当時、ちょうど大統領に近しい様々な人たちと一緒に泳ぎ回っていた頃、トランプ氏の側近に非常に近しい人物からあることを聞かされた。それは、メラニアは政府高官から、もしトランプがもう一期務めるならJFKのようになるだろう、と通告されているのだと。シークレットサービスの誰かが「我々は守りきれないだろう」という意味で警告したのかもしれない。脅迫の中には、もう一人の家族も含まれていたそうだ。シークレットサービス自体がそんなことを言うとは信じがたいが、私にとってその情報源は、他の点は汚れのないものだったし、メラニアにこのようなことを言ったのが誰であれ(おそらくシークレットサービスか、おそらく他の誰か)、そのような主張を真面目に受け止めてもらえる人物だったのだ。メラニアはドナルドに対し、戦わないように、そしてシンプルに負けを認め家族と一緒にワシントンから出て行くようにと懇願していた。
フリンと私は再びDCで一緒になり、1月6日が近づいてくるのを、イライラした鷹のように見守っていた。私は何度かインタビューを受けたことがあるし、少数の演説でも次のように主張してきた「私たちは暴力を振るわないし、その点他の奴らよりも優れている。もし暴力をふるえば負けだ。」と。あまりにわかりきったことだと思っていた。
私は集会を企画する「ウーマン・フォー・トランプ」から、1月6日の朝、南芝生での講演に招待されていると知った。私は要点を2つに絞って話に備えた。第一に、被治者の同意する我々のシステムがいかに、自由で、公正で、透明性のある選挙に依存しているのか、ということ(11月の選挙はそうではなかった)。第二に、我々は暴力をふるわない、ということだ。(※追加注:『被治者の同意(consent of the governed)』とは、公権力・国家権力を行使する政府の正統性や道義性は、その権力が行使される対象である人民ないし社会によって同意される場合にのみ、正当化かつ合法化される、とういう政治的概念。)
非暴力についての要点を考えるにあたり、私はどちらの方法をとるか迷っていた。
・ジェリー・ガルシアとグレイトフル・デッドから非暴力に関する話をする(ディープ・キャプチャーにも書いたことがある:『ジェリー・ガルシアの対峙と「主立ったクソ野郎」について』)
・モルドバについての話をする。数年前に行ったことがあるのだが、バーテンが2009年の選挙の話をしてくれた。選挙の不正が原因で親プーチンの男が当選したが、人々はそれを知っていて抗議の声を上げていた。プーチンは、首都キシナウに何百人もの男たちを派遣していたが、彼らにはある任務があった。プーチンの男たちは、抗議が起こるたびに、抗議を暴力的なものにすることを目的として抗議に潜入し、政府の建物の前で抗議をするだけでなく、抗議をしたり、窓を割ったり、占拠したりしていたのだ。モルドバの人々はとても賢いのでプーチンの策略を知っていた。プーチンは、双方が、モルドバの中産階級という観客のために演じており、抗議者を挑発して実際に政府の建物を襲撃させることができれば、中産階級をうんざりさせ、大衆の支持を失うことになることを理解していた。モルドバの人々は、自分たちを律し、自分たちがそのような道に導かれることを拒み続けてきた...そして最終的には、政府は屈し、新たに公正な選挙が行われ、プーチンの取り巻きが大敗した。その話も書いた:『全米の民兵へのメッセージ、チンピラ左翼と工作員について[ランジェリーではない]』
ホワイトハウスの芝生の上で、どちらの話を使うか迷った。5日になって、私は群衆はジェリー・ガルシアが誰だか知らないかもしれないと判断したので、その話をオンラインで書き上げ、DCに到着した群衆に数回ツイートし、1月6日の朝、演説に使うと決めたモルドバの話について簡潔に説明するリハーサルをした。
マイク・フリンも講演すると知らされていたので、マイクと私は、お互いに何を言おうとしているのか、群衆は何を聞く必要があるのか話し合った。この機会がユニークで歴史的なものだと認識していたのだ。おそらく30分で、選挙を混乱させ、結果を変えてしまった可能性の高い不正行為を世界に向けて説明しなければならないだろう。我々はその挑戦に応えるために準備をした。サイバー忍者や科学者など、一緒に仕事をしていた彼らもまた、簡潔に説明できるよう備えていることは理解していたが、その中から誰がスピーチをするかは主催者側が決めることになっていた。
マイク・フリンと私は、1月6日の朝はこのような流れになると考えていた。演説は、ホワイトハウスの南芝生で行われる。マイク・フリンは「人々の将軍」として、この瞬間を歴史的な文脈に置いて話をする。私は、自由、公正、透明性のある選挙の基本的な意義について、それからモルドバの話をする。その後、2-3 人のサイバー忍者や科学者に交代し、それぞれが 5-10 分間ずつ話し、市民の良心を悩ませるべき不正の最も明らかな点を説明する。私は経験から、彼らのうちの一人が5分から10分も話せば、良識ある人は2020年11月の選挙について重大な疑念を持ち始めだすと知っていたが、3人が話し終えた後、世界中の視聴者の80%は2020年の選挙結果がなぜ無視されるべきなのかを理解するだろうと思った。
その日の夕方、私が話すと予想していた科学者の一人から電話がかかってきた。彼は、自分の講演枠がキャンセルされたと知ったので、DCには行かないということを知らせたかったのだそうだ。その科学者は非常に物腰が柔らかく、教授のような人で、心を開いて話を聞いてくれる人には説得力があると思っていたため、私は戸惑った。11月3日の週に起こったことに深く懐疑的であるべきだと、何百万人もの視聴者を説得するために、彼よりも良い仕事ができる誰かを見つけたのだろうかと考えた。
1月6日の朝、フリンと私と他十数人でホワイトハウスの南側に歩いて行った。 特別な手配がないことに驚かされつつ、人ごみの中を必死で駆け抜けた。我々二人はスピーカーバッジを渡され、前方の特別席に着席して....その後、自分たちの講演がキャンセルされたことを知った。我々は控えめに言って途方に暮れ、我々と同じように状況をなんとか説明できる誰かがいるのだろうかと驚いていた…
ショーが始まり、すぐにフリンと私は絶望のあまり席に沈んでしまった。トランプの子供の一人が立ち上がり、ガールフレンド、あるいはボーイフレンドに「ハッピーバースデー」を歌った。ルディが立ち上がって、ジョー・フレージャーが投票したことについて、また話をした。別の弁護士が立ち上がって話した。ドン・ジュニアが立ち上がり、胸を膨らませてステージを闊歩し、共和党のブランドがトランプのブランドになったとか、トランプのブランドが共和党のブランドになったとか、ブランディングの話をしていた。その頃、フリンと私は目が合うと、互いに恐怖の表情を見て取った。後で判明するに、どちらも、この場を離れたいのかどうか尋ねており、互いに誤解したようだ。(※フリンの様子が?ステージが?)あまりにもひどかったので、主催者の中で分別のある人が心変わりし、フリン将軍にステージに立つかどうかを聞きに来たのだが、辞退した。悪ふざけが1時間以上続いた後、トランプ氏が登場し、選挙イベントや激励会と同じように話した。実際、全体は多かれ少なかれ、「私は権利を奪われた」を推す会だった。群衆に向けて、1時間後に投票を始める上院議員たちに向けて、自宅で視聴するアメリカ人に向けて、自由で公正で透明性のある選挙の先導者としてのアメリカに期待を寄せる世界に向けて。2020年11月の選挙で何が間違っているのか、そしてなぜ我々は徹底した調査を要する深刻な不正があったと信じているのか理由について、説明しようとする努力は全くなされなかった。大した努力は一切ない。
代わりに、激励会を行った。それだけ。「私は奪われた」トランプ激励会。
前列から離れることができた瞬間、私とフリン、そして私と一緒にいた全員が、出口に向かってダッシュした。感想を話し合ったとき、フリンは怒りを抑えるのがやっとの様子だった。これが全世界に状況を説明する最後のチャンスだったのに、トランプは激励会に利用したのだ。「彼はそれを理解していないだけだ」と、我々はホテルに向かって群衆の中を嵐のように駆け抜けながら、お互いに繰り返した。「彼は自分事ではないのだとわかっていない。彼はクソ激励会をした。彼は自分のことではないと理解していないんだ」と怒りと絶望の中で何度も何度も繰り返した。15分後、ホテルに戻ると、二人とも荷物をまとめ、二人とも胃が痛くなり、議事堂に向かい移動する群衆に合流しようと出発することはなかった。
※やたー訳したー。げそー。他の章はまだ途中。 ※1/6あのトランプの演説を見て、私もなんでこんなダラダラ同じような話ばかりするのか?あきれて割と絶望していたので、このバーン氏の記事を読んで、ほんと胸のすく思いがした。似た思いをした人がいたのか…ウルウル。いやバーン氏らの方がショック深刻だったろうし、いずれにせよ現在進行形でいい結末ではないけれど。あー面白かった。ノンフィクションは続きます。いつか選挙不正の証拠の数々がきちんと白日の下にさらされますように。そして本になりますように。
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【至上最大の秘密】
この秘密を日本人に知られてはなりません。
なんとしても隠し通さなければなりません!
史上最大の秘密
それは、、、、、、、
、日本はいい国
この秘密をどうやって日本人に気づかせないようにするか。
どうやって??大丈夫!いい方法があります
・日本が好きだ → 軍国主義!
・日本はいい国 → 島国根性!
・日本は向学心があり、進学率が高い → 大学にいっても勉強しないくせに!
・日本人は働き者である → 働き蟻、ワーカーホリックと言い換えてみよう。
・日本人はこんな狭い国によくもまあ平和的に暮らしている → ウサギ小屋と気の毒がってあげよう
・日本はお金持ちである → エコノミックアニマルと呼び、謙虚な日本人に裕福であることを恥させよう
・日本人は品格がある → いいえ、他の国の人すべてが日本人より品格があります。
・日本人は頭がいい → いいえ、英語が話せないので、頭が悪いです!
・日本軍は強かった → 侵略国家ですからね~
・日本が戦争を始めたのは実は自分の国が危険だったせいと、西洋のアジアに対する植民地政策に腹を立てていたから → 侵略国!侵略国!といい続け本当の歴史から目をそむけさせましょう
・韓国を統合したのは、あまりに弱い国だったから、そのままにしていると侵略されるし、自分たちに危機が及ぶから → 謝罪!謝罪!もし謝罪したら従軍慰安婦!そして謝罪!
・日本人は健康だ → ジャンクフードを食べさせよう。ついでに牛肉も!いつか日本人をぶくぶくの不健康にしましょう
・日本人は自国に誇りを持つ民族だ → 学校の授業で日本がいかに悪い国か教えよう。
・大人になっ��この秘密に気が付きそう → 日本がいかに世界から嫌われているかテレビで放送��る。
・日本の労働力のレベルは高い → レベルの低い移民を受け入れさせ、生産性のレベルを一気に下げる。
・日本製の製品のレベルは高い → 移民による生産が始まったので、レベルが下がるのは時間の問題。日本製ブランドの信用は落ちる。
・日本は世界にまれに見るほど安全だ → 平和ボケ!お花畑!と揶揄する
・大局観があり、地球全体のことを考えている → 島国なんですよ、世界的視野があるわけがないでしょ!と高圧的に言う。
・由緒正しき天皇制があり、世界からうらやまれている → それがなにか?
・日本は最先端である → ふ~ん
・日本のあらゆる製品は高品質、高性能で世界的信用がある → 高いからね~
・日本のアニメは人気だ → アニメ=変態と思い込ませましょう。 日本!ヘンタイ!アニメ!ヘンタイ!
・日本人は質が高い → 英語を話させない。中学生になるまで待って文法だけを教えれば、後はひとりでに日本人は英語が苦手だと思い込んでいる。これで日本人は外に出ないから、ばれない^^
・FACEBOOK上では日本が人気 → FAEBOOKは絶対!実名ですよといって、日本人が使うのを阻止する
・日本は特別な国だ → いいえ、自意識過剰です
・日本の食べ物は人気がある → 日本人気がついていないから放置。海外の日本食レストランの多くが、中国人、韓国人経営であることに世界も気がついていない。
・日本のテレビは人気がある → これ以上流出させない。海外には、「風雲たけし城」と「料理の鉄人」が今一番人気の最新番組だと思わせておく。
・日本のファッションは人気 → 個性がないとでも言っとけ
・日本軍は強かった → 隠せ!日本人に知られないようにしよう!教科書には最小限、矮小化して書いておけ。
・それもロシアに勝つくらい強かった → 戦争をしたのは恥だ!侵略国だ!といい続ければ、人のいい日本人は気がつかない。
・日本軍は今も強い → それも極秘だ!アメリカがいないと何もできないとと思わせよう!
・日本が実はアメリカに一時は勝ちそうなくらい強かったことはどうやって隠す? → 教えない
・日本が自立して軍隊を持ちたいといったら → まだ懲りずに戦争をする気かぁ!と怒る
・海外支援に自衛隊を出せないので、お金を出した → 金さえ出せばいいのか!と責める
・高度成長した → アメリカのおかげだ。戦後GHQがずいぶん助けたからね~。
・成長し続けている → 軍事力にお金を使ってないから楽だよね~と嫌味を言う
・やばい、オーストラリアが最近日本の本当のよさに気がつき始めている → 鯨!鯨!く~じ~ら!南京!南京!鯨!これで彼らの縁もすぐに切れる
・今度は韓国人の若者が日本の文化に興味を持ってきた → NO NO 日本が韓国に興味があるのです。韓流ブームです。
・日本はいい国 → うそだ!虚偽だ!事実無根だ!そんな真っ赤なうそを言う自衛隊幹部はクビだ!首だ!
・日本はいつも世界にいい影響を与える国で毎年上位 → お世辞です。傲慢になってはいけません。謙虚に受け止めましょう。お世辞なんです。
・第二次世界大戦のことで日本を恨んでいる国はほとんどない → うそだ!靖国神社参拝絶対反対!未来永劫、罪悪感にさいなまれてもらう。傷口に塩を塗る。
・またいつものように日本は災害から立ち直りそう → 今度は自然災害+人災だから大丈夫、立ち直らせない
・震災後の落ち着いた様子が世界に広められて、日本人の冷静さ、品格の高さがばれ始めた。 → もうこれ以上日本の良いところは世界に広めないようにする。日本の記者に日本の駄目なところだけを報道させる。
・デモなんかするから世界が気づき始めた → 日本は隣国を嫌う人種差別国家ですよ、駄目な国ですね。最近は右翼化してきますよ~ と広めよう。
・日本人がマジで怒り始めた → やばい、日本人はめったに怒らないが、怒ったらものすご~く怖いのを忘れてた。
・日本人が団結し始めた → わ~もう駄目だ、日本人は一人では怖くないけど、団結したら恐ろしい力を発揮する国民性だった。うわ~66年間の日本破壊工作活動が水の泡!?
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” - 日本の秘密をばらしたら、FBから警告|日本は世界を平和にします (via himmelkei)
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第七章 天職を見つける
しかし、馬でのキャラバンの旅はその後も苦労が続いた。旅が深まるにつれて、道状況、天候、通信など、予測しないこともたくさん起きていた。ある時は、出発してから天気が急変し、いきなり土砂降りになった。草原では身を隠す場所がなくて、一日中嵐の中の騎乗を強いられた。気象局の天気予報は近くの大都市の予報しかなく、草原の天気は赤ちゃんの顔だ。
草原には建造物がないだけに、道に迷うとなかなか元の途に戻れない。どこまでも見えるけれど、裏返してどこでも同じように見える。時には、キャラバン隊と運輸部隊と合流できなくなることも最初の頃はよくあった。
ある時、農耕地域の村の近く��宿泊する時のこと。馬は夜の間に自由に草原の草を食べさせるために、完全に縛ってはいけない、周辺で放牧するのだ。その日は偶々祭の日なので、子供たちは夜になると花火と爆竹をしていた。馬はもともと臆病な動物で、爆竹で驚き逃げた。夜の草原は真っ黒なので、とても集められない。朝になると、馬はかなり遠くまで逃げていて、全部の馬を見つけて連れ帰るには三日間もかかった。(具体的なエピソード二つくらいお書きください)
またある時、洪水で河が深くなり、草原の道は拒まれ、街を通らざるを得なくなった。そこで街を通らせていただく許可を得て、キャラバン隊は何日も寄り道して街に到着した。しかし、入る時に止められてしまう。止められる理由として、政府がここは観光都市でない、まして日本人が馬でやってくると、侵略戦争など思い出され、政府に反発する機運が高まると困る、ということだった。事前に許可を得たのに、人間も馬も相当疲れていて限界に近い状態になっている。もう切り返せない状況であった。その時私も意地になった。“侵略戦争を言うなら、大都市も日本人を受け入れなければよい。確かに馬は特別だ。しかし、それこそモンゴル人の民族的誇りではないだろうか。モンゴルに対する愛着があるからこそ、馬で困難と苦痛を耐えて、ここまで来たのだから”と、涙を汲みながら訴えた。その後、許可してくれたが、それが私の訴えに意味があったか今も分からない。現地の友人が融通してくれたためかもしれない。日本ならすべてのことを前もって計画を練り確約を得れば問題がないだろうが、草原ではそうはいかない。たとえ確約を得たとしても、その時にならないと分からない。そもそも前の段階ではきちんと検討してくれていないかもしれない。責任を背負えない人は適当に快諾する。しかし、いざ実施となると、いろいろな人のメンツや責任問題が出てくる。中国やモンゴルでは、事前の確約より、現場での解決能力が大事なのだ。
夏でも予想外に雪が降る時もあった。雪の中で安全に乗馬するには何を注意すべきか、馬の食糧をどう確保するか、車との連絡をどう取るかなど様々な問題を直面する際に、手本があるわけではない。臨機応変に対応しなくてはいけない。でもそういった問題は実はなればなっただけでたいしたことではないと今になって思った。真剣な気持ちがあればこの程度のことはいとも簡単に解決できる。勿論、その時その時、リーダーの人が正確に状況を分析・判断できるかの素質が問われるが。
本当の困難はただ一つ。馬上で、人の安全を100%守れるかどうか、それに尽きるのだ。馬で旅するという発想は少しでも古代文明に対して憧れを持つ人ならだれでも思いつくはずだ。しかし、どう実現するかという段階になると、馬集め、調教、スタッフの育成など様々な困難に直面する。それが実現されない限り、馬での旅は続かない。今世界中、私の「奔流」以外、本格的な馬上の旅は存在しないことが何よりの裏付けかもしれない。発想ではなく、責任感と愛情を持って仕事を取り組めたことは私の本当の誇りであった。
今になって言えることだが、最初の頃、自分でも馬との旅にはたくさんの危険が存在することを知らなかった。私は子供の頃から馬に触れる機会があったわけではない。20歳の時シルクロードに行って初めて馬に乗った。そのことは逆に、自分にとって大きな意味があった。子供から乗っている人は馬に乗る気持ちも当たり前になってしまうかもしれないが、大人になって初めて乗馬したからこそ感じられる心の喜びがあった。人は初めて馬に乗る時の恐怖も理解できた理由もそこにあるかもしれない。その後の何年間私は少しずつ乗馬の危険を知らされていた。ヒヤっとすることはたくさんあった。自分自身も危険な目にいっぱい遭った。今思えば、最初の何年間、未熟だった自分がやって来られたのは、一生懸命やったことによるところもあるだろうが、運もよかったとしか言えない気がした。自分自身が怪我していなかったのは、親に感謝するばかりだ。生まれつきの運動神経の良さで危険に合った時なんとか回避できて逃れたとしか言えようがない。それらすべてがそのまま自分の統率のやり方と教え方につながった。乗馬指導に携わる最初の何年間、毎年自分が大きな進歩を感じた。危険を認識すればするほど、責任を重く感じる。「一年前の自分にはとても任せられない」という思いがその時すごく強かったのを覚えている。後継者を育てないかとよく聞かれるけど、モンゴルでの乗馬指導はマニュアルを作ればいいという問題ではなく、自分自身が様々な危険を経験しないと分からないものだ。後継者を育てるということは、参加者をもう一度危険に放り出すことになる。
* * *
乗馬の危険は様々な場面に存在する。参加者の下手、うまいという前に、馬は動物なので、車やバイクと違い、自分の意志を持っている。日によって気分というのもある。また、一頭一頭調教する人、調教の仕方によって操り方は違ってくる上、体つきの違いにより乗り方も違うので、車の教習のように一概には教えられない。
また、馬は一頭一頭性格が異なる。素直な馬、荒い馬、乗り手の技量を読む馬、まったく関係なくひたすら走る馬、人間と同じくらい大きく違うのだ。初心者の場合、最初に人間の性格に合った馬を与えなくてはいけない。たとえば自信や運動素質を持っていない人にひたすら走りたがる馬を与えると、怖く感じて恐怖症になったりしてその後の乗馬にずっと影響してしまうかもしれない。逆に自信のある人に、大人しい馬を与えてしまったら、物足りない感から、燃えないだけでなく、油断したりして同様に落馬の危険に晒される。
また、人間が裸の馬に乗るのではなく、鞍と鐙、手綱という道具を使う。車なら一度点検すれば何百キロくらいは問題ないだろうが、馬食事の時間、走った道の状況によって30分くらいの間隔で点検が必要になってくる。乗馬のプロなら自分で点検できる上、たとえば、鞍が多少緩くなっても特に問題ないが、初心者の多いこのキャラバンの旅では、常にサポート側が神経を使ってチェックしなくてはいけない。特に初心者の場合、リズムがあっていないので、鞍のベルトも緩くなりやすい。その上、バランスをうまくつかめないため、ちょっと緩いだけでも落馬につながる。このように乗る前、乗っている最中の点検を手ぬいたらすぐにも事故につながるのだ。
人間が手綱を通して馬に意思を伝える。人間と馬を結ぶ唯一なものは手綱なのだ。前の章では意思疎通など内面のことを書いていたが、その前に技術的なことだけでもなかなか難しい。たとえば、止める、スピードを遅くするには、手綱を引くと動作するのだが、馬が荒くなり本気で走る時に、手綱を引くことは「走れ」という合図にもなりかねない。全く同じというわけではない。「引く」リズムが違うのだ。それも結局馬によって違うもので、説明できるものではない。最初の内、全部教えてしまうと、参加者が混乱するだけで、最低限のことさえできなくなる恐れがある。どの段階に何を教えるかを考えなくてはいけない。また、参加者の進歩を見極めて教えなくてはいけない。どんな馬に乗っているかによって特別に教えなくてはいけないこともある。そういうところがだれでもできるものではない。また、初心者に教える時に、どこまで教えていいのか、どこまで呑み込んでくれるか、を考えるだけでなく、こちらのサポート体制としてどこまでのスリルを許せるか、そしてどれだけ乗り手に合った馬を与えているか、そういったことをすべてひっくるめて総合的に考えなくてはいけない。
モンゴルの馬は馬の世界の中でもとりわけ難しい。モンゴルの馬は生まれて厩舎で育てるのではなく、草原を自由に駆けているため、人間めかしくなっていなく、野生本能が残っている。小柄ではあるが、走りは力強く、なにより、方向転換が素早く、リズムが非常に早い。かつて、マルコ・ポーロは旅行記『東方見聞録』の中に、「モンゴルの馬は兔のように走る」、と表現するほどだ。それゆえ、何十年も乗馬をやっている人もモンゴルの馬に乗れる人は稀にしかいない。モンゴル馬が力強く、性格も荒く、手に負えない時は、悪魔の翼のように、恐怖そのものになる。余所の国の競馬場で走っている馬に乗るより難しい。難しいけれど、モンゴルの馬だからこそ存在する世界があった。モンゴルの馬を乗りこなせるようになったら、馬が疾走する際に上下の振動がほとんどなくなり、途轍もない気持ちよさを味わえる。それが騎乗を越えた、人馬一体を越えた、もう一つスピリッツの世界なのかもしれない。鳥の翼に乗っているような大きな自由を手に入れたようなものかもしれない。そんな世界の存在を知れるのはモンゴルの馬だけなのだ。
それが参加者たちにも触れてほしい。本来初心者で、ただ何日間乗るだけでそんな世界を触れられるはずはない。日本で10年間乗馬をやっている人でも届かない世界だから。しかし、私が長く乗馬指導する中で、一つやり方を見つけた。モンゴルの馬は乗り手が操れない時に、群れで走る傾向がある。群れ全体をうまくコントロールすれば、安全確保されている中で、乗り手に早くも馬の様々なリズムを体で覚えさせることができる。そうすることで、乗馬初めてという人でも二日くらいで駆け足(疾走の状態)を体験できる。それができれば、それより遅いリズムは自ら分かってくる。少なくても落ちることはない。大体三日か四日間くらいして、馬がたとえトップスピードの習歩(駆け足の上のリズム)になっても、参加者が慌てることはない。短期間でモンゴル馬の素晴らしい走り方を体感できるということだ。
それを言うのは簡単だけれど、馬も実際のところ、一日中の気分の違いだけでなく、一瞬一瞬全体的な隊列の中の位置や置かれている状態で変わるのだ。例えば、同じ疾走させるとしても、並足、速足、少しずつスピードアップさせて疾走(駆け足)させれば、馬は荒い気持ちにならなく、おいて行かれるのを恐れる程度で走るので、乗り手は恐ろしく感じることはない。しかし、そういう段階をきちんと踏んでいない、または馬の状態を落ち着かない時に、疾走(駆け足)させてしまうと、我先行こうとして一気に競馬状態になる。同じスピードでも参加者が感じる恐怖は半端ではない。こういった馬全体の状態を読み取る上で指示を出さなくてはいけない。また、馬が一旦駆け足したりすると、興奮してくる。そうすると抑えるのは段々難しくなってくる時ある。そんな中で一頭走り出してしまうと、全体的に引っ張られて突進する可能性がある。経験のない人はその瞬間に無理に群れを止めようとすると、馬たちが左に行ったり右に行ったり、隊列が混乱する上、馬が衝突したり、参加者が馬に振り落される恐れがある。そんな時に、自分の焦る気持ちをおさえて、たとえ5秒間でも馬たちを恣意に走らせる時間を与えれば、5秒後にスタッフたち、参加者全員に止める合図を全体に出せば、馬は落ち着いた状態でまっすぐに止められる。
馬だけでなく、乗り手の参加者たちも、そして現地の遊牧民スタッフたちも、その気持ちはどれも一枚の鉄板ではないのだ。例えば、初心者の場合少し進歩したところ、馬の危険をまだ知らないので、一番油断しやすい。また、例えばだれか落馬したら、それはそれで仕方ないが、一気に参加者たちの注意力は落馬する人に行ってしまう。しかし、落馬者が出ると、馬たちも一番動揺してしまう時なので、参加者が立ち止まって待っていると言っても、決して安全な状態ではない。落馬者の面倒を見るというより、連続の落馬者を出さないようにむしろ神経使わなくてはいけない。人間の性格にもよる。普段から集中力のない人や、ちょっと進歩したらすぐ満足する人は、常に注意喚起させる必要がある。人間を見抜く洞察力はここで問われてくる。その逆で、乗り手が余計に不安を感じる時もある。馬の状態が落ち着かなくなったら、それがまた乗り手に伝わる。そういう時に無闇に疾走したりすると、落馬者が続出する恐れがある。
一方遊牧民スタッフたちも、もともと組織で働く人たちではないので、責任感は薄い。その上、自分たちにとって乗馬は当たり前にで���た分だけ、参加者の怖さや能力を正確に判断できない。少し慣れて来たところ、彼らはまた慢心しやすい。サポート体制があるからと言って、結局体制というのは生き物だから、安心し切ってはいけない。それを仕切る人の姿勢、経験、責任感��問われる。最初の頃、落馬者が出る時に、参加者自身の油断や馬の不注意などいろいろ考えたけど、もちろんそれはそれで立派な理由なのだ���、指導者としてはそれらがすべて自分の責任として考えなくてはいけないと思う。
経験が積んできても、優秀なスタッフと体制があったとしても、私の中では昔よりもずっと真剣な気持ちで取り込んでいる。今では、馬を降りてからでは私は殆ど何もしない。すべてガイドやスタッフに任せてしまうが、一旦馬に乗ってしまえば、そこは私の戦場となる。騎兵隊のような人間の大群、馬が駆け上がる煙、高揚する人間の気持ち、瞬時に変化する状況。私は馬上ではいつも戦場の気持ちで臨む。
キャラバン隊を集団として扱う時は、馬の集団、乗り手(参加者)の集団、スタッフの集団、それぞれに存在する集団心理的なものすべて理解する必要がある。一方、集団としてだけではなく、一個人一個人のレベルに合った指導とサポートも必要で、その切り替えも極めて重要だ。だから、軍隊のような厳しい統率だけでなく、自分自身の能力を高める必要もある。まず乗馬の技量が遥かに参加者より凌駕できなければ、彼らに適格な指導と注意を与えることができない。彼らの馬上の動きや姿勢を見るだけで彼らの技量を正確に読み取るためにも自分自身は常に上にいなくてはいけない。また、とっさのことが起きた時に、最適な対応を秒単位ですばやく打てなければ、参加者は危険に晒される。指導者自身の馬上の技量、経験、瞬時の判断力が問われる。
日本では、柵の中の乗馬でさえ、ただ2,3人の安全を守るのは難しい。奔流のキャラバンは1997年以来、各隊では40人から60人、通算8千人を越える参加者がキャラバンの旅に加わった。その殆どが初心者。一人当たり平均150キロ以上荒野を駆け抜けてきた。これまで述べ事故人はゼロ。乗馬業界では信じられない実績である。
ツアーとして考える人もいるが、私はこのキャラバンの旅をあくまでアドベンチャーとして考えている。そこに、旅行業的な考えや概念では所詮無理なのだ。飛行機や船の航海と似ているかもしれない。飛行機も船も今では車の運転よりも遥かに安全な時代だ。しかし、わずかな油断で大事故につながる。安全の裏にはどれだけの人がちっとも油断せずに取り込んでいるかは、考えてみればだれでも分かることだ。
私は中国に帰る時に海を渡る際によく船を利用する。船長(キャプテンの方)とも仲良くしている。私は普通乗客と接している乗組員より、船の操縦するキャプテンや船員たちの気質が好きだ。
航海では今の時代でも、「NEVEL SMILE TO SEA」という言葉が生きている。大海の中で、どんな穏やかな状況でも、一瞬たりとも油断してはいけないということだ。
「Never Smile」は、この馬の旅のリーダーとしても欠かせないものだと強く感じている。馬上の技量、統率力、洞察力、人間の内面を知る力、そして燃え続ける情熱。この仕事ではこういった素質がすべて問われてくる。そういう意味で、日本留学の経験や会社経営、そして技術者としてのキャリアはここですべて生かされた気がする。15年も一日の如く、常に平常心と真剣さ、技術者的な気質で臨んでいるからこそ、一度も事故人を出さな��ったと思う。(Good!)
私は歴史が大好きだった。小さい頃に一つ夢があった。騎兵隊を率いて戦場を駆け抜ける夢。現代社会ではどう考えても現実でない夢だが、それに近いものをここで見つけた。馬上の旅人たちに存在する危険を自分ならすべて克服できるという自負ができた時に、この仕事は私にとってまさに天職だと感じた。
* * *
後に、日本屈指の旅行会社東武観光の社長(当時、日本旅行業業界会長を務めていた)に目にかかる機会があって、こんなうれしいお言葉を頂いた。「我々は様々な商品を扱っている。そなたは馬の旅一つだけ。我々はアンデルセンだとすれば、そなたは御木本(MIKIMOTO)なのだ。」丁度お会いに行く日は、日経新聞に世界で初めて真珠の養殖を成功させ、そのブランド化で富を成したMIKIMOTOの創業者、御木本幸吉の記事があった。
東工大出身で、馬を仕事する人は、これまでもこの先もいないはずだとよく大学の友人に言われる。その都度、私は、「私の専攻は「制御システム」だから、今は機械や宇宙衛星の制御ではなく、馬の制御に変わっただけだと冗談めかして答えた。
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第3章ヤオハンからの教訓①
〈メモ〉ヤオハンは1930(昭和5)年に熱海市で創業した青果商「八百半」をルーツにする。高度経済成長期に県内を中心としたチヱーン展開に乗り出し、71(昭和46)年に海外第1号のブラジルに進出。以降、欧米や東南アジアで事業を拡大した。97(平成9)年のヤオハンジャパンの会社更生手続き開始とともに海外事業から一旦撤退。2002(平成14)年に更生手続きが終結し、マックスバリュ東海に社名を変更した。現在はスーパー約150店を運営する。
世界戦略の足跡今なお
バブルが崩壊し、後に「失われた20年」と呼ばれる長期不況のまっただ中だった1997(平成9)年9月18日。流通業で当時、戦後最大級の経営破綻が起きた。熱海市を発祥とする総合スーパーの「ヤオハン」。国際流通グループへの成長と転落、そしてどん底から成し遂げられた再建劇は、平成の経済の激しい浮き沈みとも��なり、企業経営の在り方を今に問い掛ける。
◇
近代的な高層ビルが立ち並び、多くの人々が行き交う中国・上海の浦東地区。中心部にそびえる10階建ての巨大な百貨店に、緑色の地球儀と「YAOHAN」の白抜き文字を組み合わせたロゴマークが掲げられていた。
95(平成7)年12月20日に開業した「上海第一ヤオハン」。ヤオハンの世界戦略を象徴する店舗だった。破綻後、合弁相手に引き継がれ、屋号はそのまま残った。現在も高級ブランドや家電、食品売り場などが入り、買い物客でにぎわう。
ヤオハンの転換点は昭和の後期。国内は流通戦国時代を迎えていた。大手がしのぎを削る中、県内を地盤とする中堅スーパーが他地域へ入り込む余地はなかった。活路を見いだしたのが海外だった。
「ヤオハンは流通業界のソニーになる」。当時のトップ和田一夫(89)は同時期に海外で成功したソニーをよく引き合いに出し、社員に将来ビジョンを語った。
戦略は当たった。日本が平成に入った頃には、各地で地球儀マークの大型量販店が存在感を放った。マレーシアでの事業を担当した畔上啓(65)は「皆が必死で働いた」と社内の熱気も懐かしむ。
世界最大級の売り場面積10万8千平万㍍を誇った上海第一ヤオハンは集大成ともされた。オープン初日は107万人が訪れ、「売り場に立つ場所がないほどだった」。開店時から定年退職まで約20年間勤めた宋淡生(63)は盛況ぶりを鮮明に記憶する。「流通王」「時代の寵児(ちょうじ)」。ヤオハンは国内外から賛辞を浴び、絶頂を極めた。
ところが、足元では崩壊が始まっていた。96(平成8)年11月、国内事業を担うグループ中核のヤオハンジャパンの資金繰りの悪化が表面化した。会社更生法の適用申請はわずか10カ月後。坂道を転げ落ちるようだった。
バブルの終焉(しゅうえん)で売り上げは低迷し、資金調達のために大量発行した転換社債などの償還難に陥ったことが、破綻の一因になった。上海第一ヤオハンも、���功の象徴から過剰投資の象徴へと評価が一転した。
一方で、上海の近代化をけん引し、地元住民は今なおその名に親しみを込める。商品の管理方法や顧客サービスは手本となり、「中国の店作りを変えた」=開業に携わった林樹森(56)=。売り上げは毎年のように上海トップを維持し続ける。経済がグローバル化する時代の先駆者として確かな足跡を残したのも、また事実だった。
(敬称略)
【静新平成31年1月17日(木)朝刊】
ヤオハンからの教訓②
〈メモ〉ヤオハンジャパンの資金繰り悪化が表面化したのは1996(平成8)年11月29日。12月以降、取引業者800社に仕入れ代金の支払期日の延長を要請したり、リストラなどの経営改善策を相次いで打ち出したりした。97(平成9)年5月には県内外の主力16店舗をダイエー系列のセイフーに売却。しかし、経営状況は回復せず、9月18日に静岡地裁に会社更生法の適用を申請した。地裁は12月18日、更生手続きの開始を決定した。
更生法水面下の模累
冷え込む雇用に危機感
絶対的存在として君臨していた経営トップに、部下が意見をぶつけるのは異例だった。1997(平成9)年夏、ヤオハンジャパンの取締役会。一部の役員が会長の和田一夫(89)に会社更生法の適用申請の決断を促した。
「このまま時間だけが過ぎたら、大混乱になります」「死ぬにしても、死に際はきれいにしましょうよ」
「一応準備だけしてくれ」と応じた和田。言葉の端々に自力での再建を諦めない気持ちをにじませたというが、流れは決まった。
和田にとっては唐突に映る進言だったが、一部の役員たちは5月から水面下でひそかに申請書類の作成を進めていた。日増しに悪化する経営状況に、危機感が高まっていた。
平成初期まで小売業者が更生法を使った例はほとんどなかった。なぜそこに目を付けたのか。元役員の男性は「要は社員をどう守るかだった」と明かす。
当時、県内の有効求人倍率は1・0倍を割る年が続いていた。企業が人手不足に悩む現在とは正反対の冷え切った雇用環境。清算となれば「多くの社員が路頭に迷う恐れがあった」。
だからこそ、会社を消滅させずに済む更生手続きに懸けた。ただ、裁判所が再建困難と判断し、受理しなければ破産は免れない。準備作業は「祈るような気持ち」で続いた。
労働組合も更生手続きを視野にスポンサーを探した。ヤオハンユニオン中央執行委員長だった鷹野佐喜雄(73)はダイエーや後に支援を受けるジャスコ川現イオン"に直接、間接的に接触した。
既に夏の賞与支給が再三引き延ばされ、社内に動揺が広がっていた。一部の役員が適用申請の準備をしているのは耳に入っていた。協力を打診されたわけではなかったが、「あうんの呼吸みたいなものがあった」。共通していたのは雇用維持への責任感だった。
御殿場市内などの店舗に勤めた男性(48)は、破綻前後の混乱や人員削減といった局面で二人一人の社員が難しい人生の選択を迫られたはず」と想像を巡らせる。会社は存続したものの、将来への不安が拭えずに去っていった社員も多かった。
元役員の男性は、こうした社員や迷惑をかけた取引先への「申し訳なさ」を今なお抱える。一方で、残る決断をした社員たちが再建を果たしてくれたことへの「うれしさ」もある。結果的に自分たちが更生法を模索しなければ、その後の歴史は大きく変わっていた。鷹野も近所の店舗で破綻前からの顔なじみの社員らが頑張る姿を見るたび、「あの(更生法の)選択で良かつたのだろう」と思う。(敬称略)
【静新平成31年1月18日(金)】
ヤオハンからの教訓③
どん底での事業継続
「信用」こそが再建の鍵
〈メモ〉ヤオハンジャパンの発行した転換社債は、社債が債務不履行(デフォルト)を起こした国内初の例とされる。未償還残高は370億円で、「無記名の公募債だから、誰が権利者なのかがこちらにも分からなかった。この社債処理が最も大変だった」と瀬戸英雄弁護士。管財人団は窮余の策として額面の10%で買い取る方針を示し、発行額の90%以上の約1万人が申し込んだ。社債権者が先に確定したことで、その後の更生手続きのスピードが上がった。
ヤオハンジャパンが静岡地裁に会社更生法の適用を申請してからおよそ半月後の1997(平成9)年9月末。保全管理人代理だった弁護士の瀬戸英雄(71)=後に法律管財人代理=は、千葉市幕張のジャスコ=現イオン=本社で当時会長の岡田卓也と向き合った。
「協刀を得られればありがたい」。切り出したのはヤオハンへの支援要請。1週間後にジャスコが受け入れ、再建が動きだした。
経営破綻後、多くの取引業者が商品を引き揚げた。店舗には「ほぼ何もなく、本当にひどい状態だった」と瀬戸。事業継続の最初の課題はその販売商品の確保で、手元にほとんど残っていなかった仕入れの代金を「当然ジャスコが出してくれる」とばかり思っていた。
ところが、岡田が始めたのは資金の提供ではなく、自らが前面に立っての取引業者への電話攻勢だった。
「うちがヤオハンを応援するので、ぜひ商品を入れてほしい」「決済は保証する」効果は絶大だった。安心感を抱いた業者から商品が次々届き、客足も回復。店に活気が戻り、資金繰りは瞬く間に改善した。瀬戸は「信用」こそが再建の鍵だと気付かされた。
バブル崩壊やリーマン・ショックで大企業の不倒神話が崩れた平成。先駆けだったヤオハンでのこうした経験は、瀬戸にとってその後携わることになる第一ホテルやマイカルといった大型の破綻処理でも「大いに役立った」。
例えば、企業再生支援機構の企業再生支援委員長として陣頭に立った日本航空の再建。政府に公的支援���表明させたり、機構が巨額の融資枠を用意したりしたのは、安全・快適・確実な運航の継続に対する利用客の信用不安を解消するため。本質は「岡田さんがやったのと同じことだった」と明かす。
もう一つ、ジャスコが「うまかった」のはヤオハン社員の士気を高める気遣いだった。ジャスコが支援を決めた理由を瀬戸は、「手薄だった静岡や神奈川を埋めるために、ヤオハンの商圏を欲しかったこと」だと考えている。傘下に組み込む事実上の吸収。ただ、その「飲み込み方には節度があった」。社員が主体となって努力したことが「再建を進める上でやはり、一番大きかった」と振り返る。
債権者の理解も重なり、更生計画案は2000(平成12)年3月2日、静岡地裁に認可された。数日後に沼津市で開かれた慰労会。社員たちが「皆で出し合ったお金で買いました」と贈ってくれた感謝のボールペンを、瀬戸は今も大切にする。
(敬称略)
【静新平成31年1月19日(土)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓④
粉飾決算事件
〈メモ〉ヤオハンジャパンの粉飾決算事件で商法、証券取引法違反の罪に問われた元社長に対し、静岡地裁は1999(平成11)年3月31日、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。損失をペーパー会社に飛ばしたり、架空の利益を計上するなどの経理操作を繰り返したりして、96(平成8)年3月期決算と同年9月中間決算を粉飾して計13億8500万円余りを違法に配当したと認定した。元社長は控訴せず、判決が確定した。
社会が求めた責任追及
1998(平成10)年の年明け、県東部が大雪に見舞われた日だった。会社更生手続き中のヤオハンジャパン本部(沼津市岡宮)で県警の捜査員約10人と法律管財人の弁護士山崎源三が落ち合った。この日から捜査員らは空き部屋に詰め、任意提出された資料の分析などを進めた。そして10カ月後の11月9口]、商法違反(違法配当)容疑で元社長らを逮捕した。県警が初めて手掛けた粉飾決算事件だった。
端緒は"現場"にあった。94(平成6)年に県警の財務捜査官第1号として、公認会計士から転身した杉本茂(59)。97(平成9)年夏、それまで担当した事件が一段落し、ゆっくりと休んでいたさなかだった。
自宅に近いヤオハンへ久しぶりに買い物に行くと、ナショナルブランドの旦用品が棚から消えていた。「変だな」と思った。その後も足を運ぶたびに商品は減る一方。最後は生鮮品だけになり、ヤオハンは経営破綻した。
店舗で覚えた違和感が拭えず、清算貸借対照表や財務諸表を入手して見比べた。整合性がとれない短期貸付金など「おかしな数字」がすぐ目に付いた。資料収集を続けて書類を作り、11月には上司に捜査を進言。山崎に会う許可も得て、協力の依頼に向かった。
再建に取り組む側からすれば、事件化は足かせとなる可能性がある。「ある種の賭け」だったが、山崎は「ぜひやってほしい」と応じた。旧経営陣にけじめを付けてもらわなければ、再出発はできないー。杉本は山崎のそうした覚悟を感じた。地道な捜査の末、県警は破綻前のヤオハンが大量に発行していた転換社債などの財務制限条項が動機の一つとなり、抵触しないように黒字を装う粉飾が行われた実態を解明。金融機関からではなく、市場から直接資金を調達するという当時は異質だったヤオハンの手法への注目も重なり、全国的な成果を残した。
一方、苦労も多かつた。「違法配当を立件した先例がなく、完全に演えき法での捜査だった」と杉本。捜査員たちにとっても身近な存在の企業だっただけに士気は高かったが、大きな決断を求められる局面では組織が慎重になり、足踏みした。
何より、バブル崩壊後の景気の低迷や閉塞(へいそく)感で、企業の犯罪や不祥事に対する責任追及を世の中が強く求める時代になっていた。
ヤオハン事件もそうした「平成の風潮」にあり、重圧を感じながら、「経営者の負う責任とは一体何だろうか」と常に考えさせられた。終結した時に抱いたのは「解放感」。達成感を得たのはしばらく先だったという。
(敬称略)
【静新平成31年1月20日(日)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓⑤
倒産の経験次代へ
<メモ>2002(平成14)年の会社更生手続きの終結とともに、現社名に変更して再出発
したマックスバリュ(MV)東海。地域密着型スーパーの運営に特化し、破綻から4年半
という当時は異例の速さで再建を完了させた。04(平成16)年7月には東証2部への再上場も果たした。18(平成30)年2月期の連結営業収益は2256億円。19年9月にはMV中部との経営統合を予定する。
顧客第一流通業の原点
平成最後の年の瀬となった2018(平成30)年12月末、富士市のマックスバリュ(MV)富士八幡町店。同店で40年間働いている岡根谷勝代(73)は、笑顔で商晶を手に取る買い物客の姿を見ながらヤオハン時代の約20年前に思いをはせた。
1997(平成9)年秋の会社更生法の適用申請後、「一気に商品が減った。切なく、泣きながら働いた」。それでも、身近な"台所"を住民や取引先は見捨てなかった。納品物の中に「頑張ってください」とのメッセージを見つけた。「こんなにありがたいことはない」。涙をぬぐい気持ちを奮い立たせた。
営業本部長の内山一美(70)=後のMV東海初代社長=に沼津市の原町店から電話が入ったのは同じころ。「『商品納入を求める署名運動をしたい』とお客さんが言ってくれている」との内容だった。
顧客を巻き込んで業者に圧力をかけるような形は「本末転倒」だと考え、最初は止めたが、再三の申し入れに折れた。運動は他店にも広がり、瞬く間に9万人分が集まった。
海外展開や大型店への傾注の裏で、��修投資が後回しにされるなど破綻前はないがしろになっていた足元の店舗。そこに「流通業の原点」はあった。今に続く企業理念「何よりもお客さまの利益を優先しよう」はこの時の経験から生まれた。
意欲的な社員の存在も大きかった。「自分たちの力で再建したから足腰が強くなった」と振り返るのは、内山と同じくヤオハン生え抜きの神尾啓治MV東海現社長(61)。地域に合った店づくりのため、実情に詳しいパートの意見も生かした。
ジャスコ=現イオン=傘下で再建してからは、「松菱マート」や「ジョイフル東海」「キミサワ」といった地場スーパーを吸収。小売業の再編が激しかった平成の時代に、される側と仕掛ける側の両方の立場になった。
経営悪化で商品が入らない、かつての自分たちの姿と重なる買収先もあった。苦しさが分かるからこそ「上から目線」にならず、短期間の融合を実現できた。
MV東海の各店舗に「源」という冊子がある。倒産後に顧客から寄せられた励ましや叱責(しつせき)がまとめられている。内山は社長時代、入社式や新店舗開設時に冊子も使いながら倒産の出来事を伝え続けた。ただ、当時からの社員は15%にまで減った。「忘れた時に同じ過ちを繰り返しかねない」と風化に危機感を抱く。
その思いを引き継ぐ神尾。「お客さまに助けられて再スタートを切れた。恩返しするのがわれわれの使命」と常に肝に銘じている。(敬称略)
【静新平成31年1月21日(月)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓⑥完
創業家消えぬ自責
〈メモ〉民間調査会社の帝国データバンク静岡支店によると、1989(平成元)年から2018(平成30)年までの県内企業の倒産(任意1法的整理)件数は約8700件だった。発生時の負債額が300億円を超えたのは11件11000億円以上はヤオハンジャパン(約1600億円)を含めて2件。バブル崩壊後の1990年代前半~2000年代初め、リーマン・ショックと東日本大震災の影響を受けた08~14年が年間300件前後の高い水準で推移した。
経営者の資質問い続け
2018(平成30)年11月下旬、中国・上海の上海第一ヤオハンを数年ぶりに訪れた河合和子(59)は、繁栄の象徴だった緑色の地球儀マークを間近にしてさまざまな思いを交錯させた。ヤオハングループを率いた和田一夫(89)の長女。店が地元住民たちに今も親しまれていることに感謝しながらも、破綻を招いた創業家の一員として社員、顧客、取引先への自責の念は消えない。「経宮者に求められる資質とは何か」を自問自答し続ける。
ヤオハンを国際流通グループへと成長させながら、破綻を回避できなかった和田。その経営手法は功罪を残した。社員教育を担当した土屋高徳(93)は「決断力があった」と言い切る。台湾などで勤務経験のある北京在住の元社員の男性(52)は積極的な海外進出など「方向性は間違っていなかった」と話す。
対照的に「付度(そんたく)の連続で誰もノーと言えなかった」と振り返るのは、上海在住の元社員安田太郎(48)。強すぎるリーダーシップゆえに物一言えぬ雰囲気が社内に広がっていたと明かす。
ヤオハンが倒産した同じ年、国内では山一証券や北海道拓殖銀行といった名門企業が次々倒れた。県内でも後に松菱や中部銀行といった老舗が消えた。
企業の不祥事も相次ぎ、トップが深々と頭を下げる光景が繰り返された平成。その度に経営者の資質や責任が問われ、コーポレートガバナンス(企業統治)やCSR(企業の社会的責任)といった言葉も注目された。社会の一員としての役割を見失った企業は市場から厳しく評価され、時に容赦なく退場を迫られる時代になった。
ヤオハン破綻の理由も「バブルの崩壊による急激な環境変化」という見方の一方、「冒険主義」「放漫経営」などと指摘された。
破綻後、しばらくして経営コンサルタント業や講演活動を始めた和田。その様子をそばで見てきた河合は、海外戦略などの先見性を認めつつも、「成功が目を曇らせた」と冷静に分析する。熱海の小さな商店のころからヤオハンが大事にしてきた「顧客・社員の幸せあっての会社の発展」という理念。父はいつしかそれを置き去りにし、会社を大きくすることだけにまい進したー。そこに、根本原因があったのだと思う。
ヤオハンの社名が消えて約20年。元社員や取引先から時折、あの出来事を人生のバネにしているという前向きな声を聞くと救われたような気持ちになる。一方で「人生を狂わされ、今でも許せないという人がいるのも当たり前」と受け止める。
会社を経営する貴任はそれだけ重い。だからこそ、「周りの意見に耳を傾け、存続させるための努力を惜しまないことが重要」。父の失敗が残した教訓を、ヤオハンの経験とともに次世代の経営者に伝えることこそ、これからの役割だと胸に秘めている。(敬称略)(経済部・関本豪、東部総局・中川琳が担当しました)
【静新平成31年1月22日(火)朝刊】
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シルク美容液作りを学生らが実践 11日、京都・与謝野のブランド戦略シンポで - 毎日新聞
毎日新聞
シルク美容液作りを学生らが実践 11日、京都・与謝野のブランド戦略シンポで 毎日新聞 京都府与謝野町は丹後ちりめんの里。40年ほど前は町中に機音が響いた。養蚕も盛んだったが、いまや繭から着物ができるのを知らない子どもが多い。農家も高齢化する一方だ。町を支える産業を次の世代につなごうと、町が2月11日に野田川わーくぱるで「与謝野ブランド ... and more »
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ソースとコードで考える日本の課題
どこかチープになりはじめた日本。いったい、それは何故なのだろう? この問題を考えるには、日本の深層と表層を分けて捉え、両者の相互作用を通じて世界を理解する必要があると思います。 日本の深層とは、日本固有の条件から生まれた特質(ここではコードと呼ぶ)の総称です。表層とは、その性質が何らかの仕組みや働きかけ(ここではコードと呼ぶ)を通じて起こす現象や事象(例えば、チープな日本)の総称です。 以下の文章は、その二つのレイヤーの相互作用を通じて日本固有の深層と表層を探ることにより、日本はこの先、自らの深層と表層とどのように付き合えば良いかを考える足掛かりとするものです。
課題解決の基礎となる日本のソース ソース(Source)は、物事がはじまる土台となる性質を指します。この言葉を用いて「日本のソース」というときソースとは、日本を特徴づける社会的表層のもととなる日本固有の特徴を意味します。その特徴には、人的作用がおよばない地理的あるいは時間的な条件から、それらの先天的条件のもとでそこに住む人々が進化し、後天的に獲得してきた文化人類学的な性質が含まれます。
このなかで文化人類学的な性質のどこまでをソースとするかは、様々な考え方がありそうです。しかし、「日本のソース」がそもそも、日本の表層が形作られる基礎である以上、日本が諸外国とさかんに交わるようになる近代以降(1800年代初頭以降)を含めることには無理があります。
一方で、日本には近代以前にも中国や朝鮮と度重なる交��がありました。仏教や漢字はそうして生まれてきたものです。しかし、そのことを理由に、日本のソースを古代以前とすれば、日本のソースに文化的な特徴を含めることはできなくなります。日本語、神道、仏教は、日本のソースとして欠かせないものだからです。
このことから、日本のソースとは、先天的には東洋の島国、後天的には縄文以降近世までに日本が獲得した文化的な特徴と考えることができそうです。
ソース活用規約としての日本のコード
コード(Code)は、体系や作法、行動規約を指します。コンピュータの世界では「コーディングする」などの表現に使われます。「コーディングする」とはプログラミングと同じです。プログラミングとは、コンピュータの内部で行われる処理内容の記述、つまり処理に関する規約と言うことができます。
同様に日本のコードとは、具体的な物事を日本が生み出す際の規約のようなものです。規約というのは、日本が世界に向けて何かを発信するとき、日本独自の方法や取り決めが関係するからです。
また、プログラムを実行すると、何らかの目に見える表示や作用が起こるように、日本のコードは社会の表層に直接的に働きかける性質があります。
例えば、かつてのi-modeや新幹線は日本発のコードとして世界に働きかけてきました。そして、i-modeはそのコードのグローバルな展開に失敗し、新幹線はいま世界市場で苦戦しています。
一方通行でしかないソースとコードの関係
ソースとコードは不可分の関係にあります。しかし、相互に補完的なわけではありません。ソースはソースのみでも成立しますが、コード化されるまで具体的な働きをしません。コードもまたコードのみでも成立しますが、ソースを内蔵しないコードは文化的、地理的性質を持つことができません。これは、効果や作用が期待されなかったり、意味や意義を伴わないプログラムのようなものです。もし、このようなコードが文化的な仕組みとしてどこかの地域に作用すれば、それはエイリアン(異邦人)に位置づけられることでしょう。
結果的に、ソースとコードが意味のあるつながりを持つのは、コードがソースを内蔵するときに限られることになります。行動規約や体系が何かしらの考え方や方針を必要とするように、コードにはそのもととなるソースが必要だからです。同じことが日本のコードにも当てはまります。
例えば、新幹線は日本の社会構造(都市の分布、人の流れ、移動時間など)抜きには生まれなかったはずですし、お掃除おばさんは日本の精神文化が色濃く関係しています。ここでは新幹線が日本のコードに、社会構造や精神文化が日本のソースにあたります。
このように考えると現在の日本は、近世までの日本のソースをもとに、その後に獲得した様々な要素の影響を受けて生まれたコード体系の作用を受けながら成立している、という理解が成り立ちます。
とはいえ、付加価値の観点からソースとコードを見ると、それらが付加価値の向上に貢献するとは限らないことに気づきます。例えば、日本の辺境性は均質な文化を育む母体である一方、多様性や流動性を下げる要因としても作用します。しかし、だからといって多様で流動性の高い辺境を求めればソースの独自性は希薄になり、ソース自体の成立が困難になります。
重要なことは、ソースはそれ自体が本質的な個性だということです。従って、ソース自体の欠点を取り除こうとするのではなく、欠点が徒らに作用したり拡大しないように、適切にコード設計を行うこと、すなわち適正な規約づくりこそが必要なのだと思います。そもそも、近世のソースにアクセスして、ソース自体を変更することはできません。
日本と西洋で逆転するソースとコードの関係
日本のソースとコードは、大まかにいえば文化と技術に対応します。近世までの日本は外国との交易が少なく、生産と消費が国内で完結していたことから、習慣や行動が蓄積しやすい環境にありました。その長年の繰り返しが慣習となり、様式を作り文化の成立を育んだと考えられます。またその文化は、東洋の島国という地理的な条件や鎖国政策により、日本固有に蓄積することになりました。
一方の西洋では、15世紀の半ばに大航海時代を迎えています。特に、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸の発見以降は、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを結ぶ国際交易へと発展しました。その結果、西洋は文化的な多様性が高まり、固有の文化を蓄積することよりも、経済の拡張とその重要な手段である技術の蓄積が進んだと考えられます。こうして、技術が産業革命を促し、機械の力をベースとした産業経済文化がもたらされることになったのです。結果的に、技術は西洋(とりわけアメリカ)にとってソースとなり、文化はコードに位置付けられることになりました。こうして西洋のソースとコードの関係は、日本のそれとは逆転したのです。
このことは同時に、西洋における価値の飽和を促すことになりました。地理的な連続性や活発な交易、さらには機械による移動のしやすさにより、文化の流動性が高められたからです。このためやがて西洋は、表層コードの新陳代謝を求めて、自分たちが生産できないソースを発掘して利用するようになりました。そのような西洋にとって、希少なソースが世界の中心にではなく辺境にあることは明らかです。その辺境こそが日本です。コロンブスの大陸発見は、現代において異文化の発見に引き継がれていると言えます。こうして、日本のソースは、西洋のコードを新陳代謝するためのエネルギーとして消費されるようになったのです。
開国からはじまった日本のソースの流出
日本のソースは様々な分野で、西洋のコード表現に革新をもたらしてきました。その大きなきっかけになったのが1854年の日本の開国です。開国とともに日本は西欧との間で活発な交流をするようになり、翌年からはじまった三回のパリ万国博覧会で展示された浮世絵、琳派の書画、工芸品はとりわけ大きな関心を集めました。その目新しく斬新な表現は、西欧の芸術家の目に留まり創作に多大な影響を与えました。 例えば、日本でも人気の高いグスタフ・クリムトの「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像 I 」は、尾形光琳が描いた「紅白梅図屏風」から多くの着想を得たものと言われています。両者の類似点は、形態、色彩、文様、遠近法など、作品全体に及び、結果的に「日本美術のもつ造形感覚そのものを取り入れた」と言われるほどです。2) ゴッホが浮世絵を大量に模写していたことや、ロートレックの作品が浮世絵を思わせることはよく知られています。19世紀の末期に活躍した西洋の画家にとって、日本のソースは彼らの表現に大きな刺激、すなわち革新をもたらしたことがうかがえます。その影響は芸術分野の経営にも影響しました。例えば、日本でも人気の高いエミール・ガレは、ガラス工芸に浮世絵の図案を借用し、経営的な成功を収めました。2) しかし、北斎の遺族に使用料が支払われたことはなかったでしょう。 日本のソースを活用するアップル 似たことは、現在のわたしたちの身の回りでも目にすることができます。「漆」もそのひとつです。漆は世界が認める日本のソースと言えるでしょう。なぜなら、漆が英語で「Japan」と呼ばれるように、日本の代表的な工芸品である漆器には、典型的な日本の性質が込められているからです。 ところで、日本の性質はどのようにして、工芸品などの器物や絵画などの表現に定着するのでしょうか?
現代の西洋人、例えばスティーブ・ジョブズは、若い頃から東洋文化に強い関心を抱き禅センターに通っていたことが知られています。多くの人がそうであるように、若い頃の強い関心や経験は、その後の人生に大きな影響をもたらします。結果的に、彼とウォズニアックが創設したアップルとその製品群には、東洋文化の視点やセンスが色濃く反映されることになりました。ジョブズにとって禅との出会いは、19世期のパリ万博で西欧人が日本と出会ったようなものだったのでしょう。 東洋では空や無、あるいは気配や陰影など、物体としては明確に捉えにくい性質が大きな意味を持ちます。しかし、これらの性質は無規定であるために、そこへの接続を可能にするための媒体が必要になります。例えば、空や無には白色、存在には陰影、移ろいには大気や水などが当てはまります。こうした媒体の多くは、わたしたちの環境を構成する自然や性質に関わるものです。これらの媒体が機能することで、つまり、本質領域にある無規定な空や無と生活領域にある事物とを、白色や陰影といった媒体が接続することで姿を現したのが、祭りや能、神社や器、作法やおもてなしなどの、いわゆる日本文化の形だと考えられます。漆器はそうして生まれた文化のひとつの形です。 ジョブズは若い頃に東洋文化に親しんだことで、日本文化の源流を覗き見、その性質をアップルのブランドや製品に反映させようとしたのではないかと思います。白を基調とするロゴやマーク、製品群はもちろんのこと、アップルウオッチのクラウンに表現された美しい光沢の動きや、MacBook Airの上蓋に見られる滑らかな大曲面は漆器の性質を思わせます。また、加速度を取り入れたアプリケーションやポインターの動きは、クリックやボタンのスイッチ操作では得られない、滑らかなユーザー・インターフェイスを実現しました。 流れるような光沢の美しさ、柔らかな手触り、滑らかなインターフェイスのそ��かしこに、空や無、気配や陰影といった日本の本質に近づこうとする視点が感じられます。これは、わたしたち消費者にとって、生活用品を通じて本質に接続する身近なルートに他なりません。これはまた、テクノロジーが人々を本質から遠避ける方向に働きがちな現代において、本質に気を止めるための重要で有効なアプローチだと思います。 しかし、現代の製品に対するこうした取り組みは、アップルだけに特徴的なことかと言えばそうではありません。例えば、製品の魅力を水面の波紋で表現した中国のXiaomiのスマホにも類似のアプローチが見えます。そこには、漆の滑らかさの源泉である、水の性質が見事に表現されています。こうしたアプローチが、現在の日本でどのように行われているかがいま問われています。
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国外で安価に利用される日本のソース こうして日本のソースは、西洋が見過ごしてきた価値でありながらも、それをコードに展開することによって、芸術表現に留まらず産業分野においても西洋に高い品質や圧倒的な利用価値をもたらすことになったのです。漆器の例で言えば、滑らかさという日本のソースを日本製の漆製品に適用するよりも、近代的なハイテク製品にコード展開してきたアップルやXiaomiの方が、はるかに大きな経済価値をもたらしたと言えます。経済活動に限れば、日本のソースは「極めて安価な利用料金のもとで使われている」というしかありません。
このような動きは、産業分野全般にも当てはまります。比較的最近の日本の発明である3Dプリンターのアイデアや、「お客様は神様だ」という日本的な考え方、あるいは最先端のコンピュータの発想も例外ではありません。 日本で発明された積層造形の原理は、日本自身が知的財産の権利を顧みなかったことにより事実上日本から離れ、現在ではアメリカとヨーロッパを中心にアディティブ・マニュファクチャリングへと進化し、欧米社会に多大な付加価値をもたらしています。お客様を神様と見做す考え方は、インターネットを通じた顧客関係の改善をベースに、西洋のコードである利用料課金の契約体系を上部構造に、継続的な支払いを可能にする新たなビジネスの仕組み「サブスクリプショ��・モデル」を生み出しました。日本のソースであるおもてなしの精神は、西洋のソースである科学と出会うことで、サービスと科学が融合した「お客様はお宝だ」とでもいうべき、新たなモデルへと進化したと言えるでしょう。西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」もまた、量子論の発展に手がかりを与え、量子コンピュータの進化へとつながっています。 ものづくり、サービス、そしてコンピュータ。現代社会を支える中心的な仕組みや要素が驚くほど大きな進化を遂げつつあります。その深い背景に日本文化が生み出してきたソースがあることを、わたしたちは再認識する必要があると思います。
第一の課題:世界に向けた日本のコードの設計
こうした経緯や背景から考えるといま日本は、自分たちが作り上げたソースを、自分たちの手でいかにして世界に通用するコードに仕上げるかという、重く大きな課題を突きつけられていると言えます。
この課題を解くひとつのキーワードは、おそらく「アート」なのだろうと思います。アートはすでに、美術品の世界観から知的戦略へと様変わりしています。1) 日本のソースである美意識と自然観は、その生産量の少なさと辺境性から、まだこれからも世界のソースとして価値を持つはずです。そのソースがダダ漏れのように、世界でコード化される現状を超えていくには、知的戦略としてのアートに力を入れる必要があると思います。
ここでいうアートは、単に美的表現物を指す言葉ではありません。アート本来の意味である技術を、戦略的に扱うイノベーティブな方法のことです。この戦略には、歴史的な前例があります。千利休が発明した井戸茶碗はまさにそうでした。昨日まで不良品として割られ、井戸の脇にうち廃てられていた無名の雑器に千利休は、瞬く間に、一国が買えるだけの金銭価値を与えたのですから。そして、敵対する戦国武将の資金の流れを変え、武器倉庫から武器を一掃するほどの価値革命を起こしたのです。3)混迷する世界にいま求められているのは、まさにアートの千利休的な用法による社会の再構築なのだと思います。
経済の分野から生活の環境へと知略化するアート
日本は一日も早く、貴重なソースの無断利用と決別し、日本のソースを輸出販売する新たな段階に入る必要があります。ボールドウィンがいうような、テクノロジーを活用した知や感性の直接輸出が必要です。4) 日本の美意識と自然観を懐に、西洋のソースであるデジタルテクノロジーを活用し、日本のソースを内蔵した世界に通用するプラットフォームを駆動するコードを作り上げる必要があります。これは西洋のソースを日本のコードに利用する意味で、西洋の裏をかく戦略と言えるでしょう。
落合陽一さんが志向する魔法の世紀、デジタルネイチャーにも、それが自然である以上、日本のソースが生きてきます。最近teamLabが発表している数々の作品や、今月お台場にオープンするミュージアムもそのひとつと言えそうです。近い将来、teamLabのミュージアムが「館」の境界を超えた時、落合さんが志向するデジタルネイチャーは社会の隅々で日常風景となるはずです。そこでは、いま多くの外国人が辺境の日本を味わうように、デジタルジャポネスクを消費することになるでしょう。これらのメディアアートは、日本のソースにデジタルテクノロジーをフルに活用する点で、まさに、戦略性のあるアートであり日本のコードの先駆けと言えるものです。
日本の衣料マーケットにおけるサブスクリプション・モデルの先駆けとなったストライプ・インターナショナルの石川康晴さんは、「岡山未来づくりプロジェクト」など多くのアートイベントを手掛けています。おもてなしをソースにアメリカでコード化された経営モデルを日本に逆輸入し、アートと隣り合わせに置く試みは、日本のソースの近代化を思わせるものです。 より身近な生活領域では、「無印良品」の生活用品ほど日本のソースを体現したものは他にないと思います。前述のアップルが日本のソースの動の要素を光とともにコード化したとすれば、白と半透明を基調とした無印良品は、日本のソースの静とともに空をコード化したものと言えそうです。アップルも無印良品も製品のコード化を超え、ブランドへと拡張しているのが両者の共通点ですが、その原点に日本があり、シンプルの極みである白がブランドを規定しているところに日本のソースの確かさを思います。 落合さんや石川さんあるいは猪子さん、そして無印良品。これらの先駆者やブランドにとってアートや文化から生み出された日本のソースは、すでに経済の分野ではなくこれからの生活の環境、すなわち未来そのものなのだと思わずにいられません。
第二の課題:現在の記録と日本のソースの再生産
生活の環境をアートで武装し、戦略的に辺境コードを操る時、私たち日本人は新しく大きな価値のサイクルの運用を開始することになります。それは同時に、サイクルの運用である以上それを持続するには、日本のソースの継続的な創造が必要なことを意味します。 紀元前からはじまる世界の美術史を概観すると、作品の量と多様性、さらには作品が生まれた背景や意味の深さに感嘆します。美術品の現物に接すると、その驚きは現物の物体が放つ熱量として、圧倒的な力感で迫ってきます。それが現物の持つ熱量であることは、紀元前1350年に作られたと言われる大妃ネフェルティティの胸像でも、その3300年後に作られたピカソのゲルニカでも、そして2026年に完成すると言われるサグラダ・ファミリアでも同じです。 この、現物が持つ圧倒的な力の源泉は、その作品が生まれた時代の前衛性にあるずです。前衛は必ずしも表現としての最新性を意味しません。創作者のなかで生まれた、いま発しなくてはならない最先端の言葉だったのだと思います。その時その言葉は作品に向かって放たれ、石やキャンバスに記録されたのです。 数百年、数千年を経て現物に刻まれた言葉を読み取るとき、わたしたちはその意味を知ります。言葉は時空を超えてわたしたちに伝えられます。歴史に残る美術品は、まさに現物に記録されたメディアそのものなのです。 しかし、デジタル化が進む2020年の現在、わたしたちは美術品が伝えてきたような現在の言葉を、はたしてどのように記録しているのでしょうか。現代の熱量は、いったい何処で、どのように、誰の手で記録されているのでしょうか。先人たちが残してきた美術品に接するとき、いまわたしたちが手にし始めたデジタルは、アルタミラの洞窟に残された壁画��匹敵できるものだろうかと思えてきます。デジタルははたして記録媒体になり得るのか、そうするには何ができるのか。現代のモノは記録媒体なのか。深い疑問が湧いてきます。
わたしにとって、こうした疑問は未解決のままです。しかし、そうであるにせよ、日本のソースに解決の糸口があると思えてなりません。その原点は、辺境性と近世までの文化の蓄積に求めることができます。しかし、現代のわたしたちがただソースを消費するだけでは、いずれ資源は枯渇するでしょう。かといって、近世に舞い戻ってソースを生産することもできません。現代のわたしたち自身もまた日本のソースから学び、活用し、新たなソースの創造を引き継いで行かなくてはなりません。平安や戦国の時代に芽生えた文化誕生の歴史をソースに、わたしたち自身の手で新たなソースを生み出す。日本のソースの再生産こそが、現代を生きる私たちの重要な課題なのだと思います。
1)小崎哲哉『現代アートとは何か』河出書房新社, 2018. 2)池上英洋他『いちばん親切な 西洋美術史』新星出版社, 2018, p.169, p.195.
3)本ブログ内:山本豊津『アートは資本主義の行方を予言する』 http://cookingarden.tumblr.com/post/146876052144
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29歳になりました。〜Venture to Nature to Future〜
2017/12/22をもって29歳になり、20代最後の歳が始まりました。ブログをツラツラと書く前に、まずは親への感謝の気持ちを記しておこうと思います。僕を生んでくれて、そして今の自分につながる未来を慎重に意思決定してくれてありがとう。
子は親を選べないとよく言いますが、親も子を選べません。つまり親と子の関係性とは自然偶発的に「成るべくして成る」もので、生まれてきた瞬間から「幸せな未来」が約束されているわけではありません。最適化されてから生まれてくるのではなく、成長の過程の中で幸せな未来に最適化”していく”ものなのです。
なので、今僕が幸せだと感じているのは、今の僕に幸せな未来がやってくるようにその未来に繋がる意思決定をし、愛情と言う名の投資を惜しみなくしてくれた親がいるからに他ならない…と、最近はそう感じるのです。
身内の話が続きますが、僕には2歳離れた兄がいます。そして兄には守るべき大事な家族がいます。兄は家族のために身を粉にして働くのはもちろんの事、何が家族にとって最も最適かつ幸せかと言う事をとても慎重に精査していて、それらの思考そして行動にとても多くの時間を使っています。
そんな兄の姿を見ていると、自分の親もまた「自分のやりたい事をやる時間」「自分が自分らしくいられる時間」を僕達子への時間に使っていたんだなと思うようになってきて、自分の人生、定量的に言えばただの時間が、自分のものだけではないように感じるようになってきました。
そして将来僕も大事な人に投資すべきであろう時間を「何に最も使うべきか?」「誰に最も使うべきか?」と、過去のどの一年よりも必死に考え抜いた一年���した。
今日はそんな思考と行動の中で出会った新しい考え方と僕の生き方についてお話したいと思います。親、家族、友人、ビジネスパートナー、クライアントの皆様、全ての人に読んでほしいです。
Venture to Nature to Future 〜生きるために生きる、本当の自分らしさを取り戻す野生へのアプローチ〜
はじめに
Venture to Nature to Future
そして、命の選択
1. はじめに
あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。 Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma – which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
(by Steve Jobs)
世界の偉人達の言葉は、世の中のこれまでの教訓とこれからの在り方を教えてくれる。大事なのはその言葉と自分のベクトルがうまく噛み合った時に、その言葉を腹落ちさせれるかと言うこと。自分の経験則の延長に「偉人たちの経験則」を借りて正しい未来を切り開けるかと言う事。
冒頭で紹介したSteve Jobsの「Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.(あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。)」と言う言葉は昔からとても好きな言葉だが、この一年ほどこの言葉を強く意識した一年は無かったと思う。それは、言葉で理解していたこの言葉を、心が理解し始めたからなのだろう。
10年と言う長い起業家人生の中で、目まぐるしく変化するテクノロジーとビジネスに翻弄され、他人と競争し、情報に錯乱され、自分の中でのイデオロギーの変化に対応し、経営者としての自分を優先するようになり……
やがて僕は、水中で藻が絡まって前に進めない亀のように、霧の中一歩も動けなくなってしまった小さな小型自動車のように、”何かにとらわれて”自分の人生を生きる事を放棄するようになっていた。自分自身を犠牲にする事で得られる妙な自己満足はとても快感だったし、そうする事で全てがうまくいくとさえ思っていた。
しかし結果はそうではなかった。自己犠牲の先には他人に対する見返りを求める浅ましい不純があり、多くの人と繋がっていても本音で語れるような相手はほんの一握りしかいない事がわかり、SNSを使って自己顕示欲を満たそうとしても、自分自身が満たされていないと人の心は動かせない事もわかったし、人の言葉を���りて自分の人生を形容してもそれはただ虚しいだけだと言う事にも気づいてしまった。(と言いつつJobsの言葉を盲信してしまっているわけだけど。)
そして誤解を恐れずに言うと、僕は僕以外の事にほとんど興味がないことに気づいてしまった。今興味がある事を3つ挙げるとするならば、ICOひいてはトークンエコノミーの勃興によって世界がどうデザインされていくのか?と言うことと、TECHFUNDと言うブランドが世の中にどう受け入れられているのか?と言うことと、次はどんな山を走ろうかと言うことくらいだ。
まさにトレイルランニングの時に背負っている10Lのザックに入るくらいの興味しか本来はなく、また人間関係において言えば、家族、会社のメンバー(第二の家族)、共に瞑想をし山を走ってる鎌倉の皆さん、GOOD MUSICとコロナを両の手に持って、このグルーヴは最高だねと肩を組み合える友達、くらいにしか興味がないのだ。
それに気づき、自分に興味がないものと意識を削ぎ落として本来のシンプルな自分を取り戻し、本当の自分を取り戻す野生へのアプローチがはじまった。
その選択と集中の先に出会った"GO WILD”と言うテーマは、シンプルで、構造的で、壮大で、僕にたくさんの事を教えてくれた。
2. Venture to Nature to Future
(from)Venture to Nature to Future、ベンチャーから自然へ未来へ、このテーマを掲げてからちょうど一年が経過した。きっかけは去年2016年4月に鎌倉”蕾の家”で開催されたNHK出版編集長・松島倫明さんによるセッションだった。このセッションにはZEN2.0立ち上げメンバーの三木さん、宍戸さん、一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート(MiLI)代表理事の荻野さん、KYODO HOUSE主宰のヒデノリさん、鎌倉ギャザリング発起人の悠一さん、ソーシャルヒッピーのヨシくんなど、日本のマインドフルネス、禅、パーマカルチャーを牽引する最前線の方々が集まっていた。
テクノロジー至上主義の僕がこのセッションで多くの事を学んだのは言うまでも無く、起業10年目にあたる当時、大量の事業インプットとデューディリジェンスに疲れ、スタートアップレースのその先には何があるのか?その先に本当の幸せはあるのか?と言うことについて、真剣に考え悩んでいた僕にとっては、このセッションは人生の分岐点とも呼べるほど多くの意味を持つ事になる。
あえて言葉を選ばずに言うとすれば、このセッションまでの僕は自分の人生をファッションのように、つまり誰かに見せびらかすために生きてきて、このセッションの後からの僕の人生は、ただただシンプルで、禅語の放下著と言う言葉にもあるように”何もかもを捨てる”ように生きている。
このセッションの後も彼らとの交流は続いていて、そして僕は自分なりの解釈でVenture to Nature to Futureと言うテーマを掲げることになる。
─── Venture to Nature
ベンチャーと言う言葉は、ベンチャー企業が最も体を表しているように、冒険、投機、野心的と言った意味を表す言葉だ。そして僕の人生とは18歳の時に起業してからと言うもの、まさにベンチャー一色だ。業種問わずたくさんの会社を興し、いろんな事業を展開し、時に大きな失敗をしその度に信用を失い、また誰かと結託して事業を作って、顧客を獲得し喜びを得て、その先に小さな成功も収めた。
それはまさに闘う起業、闘う人生そのもので、常に世の中のニーズやまわりのライバルに打ち勝つ事のみを考えてきた。ベンチャーは僕に前進する活力を与えてくれ、切磋琢磨する中で大きく成長させてくれた。
その過程の中でやがて僕の人生は誰かのものになり、身体的な健康と精神的な健康は蝕まれ、自己犠牲の上に全てが成立するようになっていたし、そもそも幸せの定義なんて言うものを持ち合わせてなかった。
これは後にも触れるが、結局幸せとは、何かひとつの事に多くの時間を使い、育み、それを未来へ繋げていく事でしか得られないんだと、ベンチャーをやっているとその事になかなか気付けない。
社会のため、長期的な会社成長のために、俯瞰的に自分の会社の事を見て長期的な戦略を描こうとするが、燃えていくバーンレートの中で、目まぐるしく変化する社会やテクノロジーに合わせて会社や事業をピポッド(方向転換)させたり、価値観を変容させたりしていると、心理的安全性が確保されづらくどうしても目の前の事に意識が向いてしまうからだ。長期的な戦略を描いてるように見えてもそれはビジネス上の戦略であり、従業員のQOL(Quality Of Life)を中心に考えられたものでは無いことが多く、”QOLなんて金にならないから”と優先度を下げてしまいがちだ。
ただ、ハーバードビジネススクール教授のエイミー・C・エドモンドソン(Amy C. Edmondson)教授もこの心理的安全性とチーム生産性の相関について語っているように、またシリコンバレーではマインドフルネスがスタンダードになっているように、QOLに対する意識は今後の日本のスタートアップひいては日本社会全体にとって重要な課題になる事は間違い無さそうだ。
そこでやはり幸せの定義とは、しっかり向き合う必要がある。
僕の中での幸せの定義は、”自分らしくいる”こと。29年間と言う短い経験則で語るには些か滑稽ではあるが、僕の過去の人生において自分が幸せだと感じる瞬間は主に「自分のやりたい事と人生哲学と今取り組んでいる事が合致している状態(内的要因)」「自然体(Nature)な自分が仲間、社会から承認されている状態(外的要因)」の2つだ。
Natureとはまさに僕が僕であるために必要不可欠な要素で、Nature活動の一環として今取り組んでいるマインドフルネスや禅やトレイルランニングは、常に僕を本来の自分の状態に戻してくれる。そしてこれまでは気づかなかったが、テクノロジーは進化しているが、動物としての自分自身はどんどん退化していることにも気づいた。
20km以上山を走り、全力で山を下り、静かな森の中で鳥たちの声に耳を傾けながら自分の鼓動の音をメトロノームのようにして、リズムよく前進する。壮大な自然の奥から差し込むサンセットが目の前の風景全てをオレンジ色に染める。その光景を見ていると何が”豊か”なのかなんて考える事すら意味を成さないし、生きる事がどれだけシンプルなのかと言う事を再確認させられる。
A post shared by Peaske.Kawahara(VENAFU)Lang:🇺🇸 (@peaske) on Dec 9, 2017 at 8:31pm PST
─── Nature to Future
世界的なトレイルランニングの大会「UTMB」のドキュメンタリーで、そのレースに出た選手が「人生の一喜一憂を48時間で体験しているようだ。」と比喩しているように、自然の中で得られる経験は人生そのものを表しているようにさえ思うし、現代人は生きるために生きる以外のことをやりすぎているようにも思う。過剰なエンターテインメント、広告、食に対する飽くなき追求心、ファッション、SNSなどのつながり、自己啓発、そしてテクノロジー…
それらの進化を��定する訳ではない。何に向かうかが大事だと言う事。そしてそれらの向かうべきが「幸せ」なのだとしたら、本当に今の進化は正しい方向に向かっているのだろうか?かつての僕がそうだったように、何かの犠牲の上に成り立ってはいないだろうか?
9月に開催されたAlternative Xでも語った内容だが、未来について少し視野を広げてみると、世界は今シンギュラリティに向かっていて人の能力は徐々に無効化されつつある。テクノロジーやシステムに依存していたり、定量的なKPIだけにとらわれている現代の「闘う起業」は全て人工知能に代替されてしまうだろう。
ある日「そんな仕事は君がしなくていいから、全部人工知能がやるから。」と言われたらあなたはなんと言うのだろう、きっと「人工知能にできないこと」の粗探しをするだろう。ただそのパターンも全て人工知能には組み込まれているから厄介だ。
そこで人間性や精神性など、人工知能にはない性質を磨くことがこれからの生き方には必要不可欠だ。ようは機械ではなくあなたに提供してもらうからこそ価値のあること、あなたの経験を元にあなたの口で語るから意味のある事ともっと真剣に向き合うべきだ。現に「おもてなし」は、人工知能に最も代替されにくい仕事だと言われている。
Venture to Nature to Futureについて語る上でシンギュラリティの存在は欠かせない。人が人であるために、自分が自分であるために最適なアプローチがNatureなのか?と言われれば、まだはっきりと答えることはできないが、少なくとも僕自身この一年Natureでいることに努めてみて、マインドフルになった。
このVenture to Nature to Futureと言うテーマは、V2N2F PROJECTとして同じ見解を持った様々な人との対話の中で突き詰めていきたいので、これを読んでみて興味を持った方はぜひお話しましょう。
3. そして、命の選択
今���、誕生日と言うきっかけで”Venture to Nature to Future”と言うひとつのテーマを紐解きながら僕の今の価値観と未来についての提示をしてみたが、そのベクトルはとてもシンプルな考え方に向いている。それが命の選択と言う考え方。
僕が今こうやって健康でいられるのも、そして誕生日を迎える事ができたのも、全ては自分の時間を何かに投資し、その選択の連続で未来を切り開いてきたからに他ならない。
時間とは命そのもので、人の人生はデジタルに見ると、生まれた瞬間に与えられた70万800時間*と言う資本を何に投資して、何を得るかと言うゲームでしかない。※80歳計算(24時間✕365日✕80年)
冒頭に
そして将来僕も大事な人に投資すべきであろう時間を「何に最も使うべきか?」「誰に最も使うべきか?」と、過去のどの一年よりも必死に考え抜いた一年でした。
と書いたように、この一年はVenture to Nature to Futureと言うテーマを突き詰める中で、自分の命と言う名の時間を何に使っていたかを精査し、そしてこれから何に使っていくべきかを真剣に考えた。
その結果僕は非常に拡散思考でいろんな無駄な事に時間をかけていたことを認識したし、それが人生においてどれだけのリスクなのかと言う事も合わせて腹落ちさせる事ができた。
具体的に言えば、いろんなプロジェクトに関わっていた影響で増え続けていたSlackのワークスペースは12個から2個に減ったし、自分の自己顕示欲を満たすためだけに利用していたTwitterは辞めた。無駄な飲み会には極力参加しないようになり、0時前に寝て朝は早く起きるようになった。三大欲求にも匹敵するほど中毒性のあったタバコも辞め、仕事中の集中力も格段に上がった。(それが生産性に繋がっているかはひとまず置いといて)
そして兄の影響か、自分の時間の多くを投資す��家族を持ちたいとも思うようになった。これはこれまでにはなかった感情で、これまでは拡散した誰か及び自分のために時間を費やしてきたけど、長期的な時間と愛情を比例させながらひとつの家族を大事にしていくプロセスに興味が湧いてきた。
そして自分の親が僕にしてくれたように、自分の家族が「幸せ」になれるような最適な意思決定に時間を使ってみたい。(この文脈で書くと、ものすごくひねくれた言い方になってしまうけど。)
こうしてまた新しい一年が始まりました。次はいよいよ30歳。
30歳までに、Venture to Nature to Futureをテーマにして、自分の中の不要なもの、不純なものを全てデトックスさせ、30歳から新しい価値観や出会いと向き合えるように動いていくつもりです。
そして「起業家をメジャーな職業にする!」と言うビジョンを掲げるTECHFUNDのCo-Founderとして、起業の在り方、起業家としての幸せ引いては「闘う起業から自分らしい起業へ」と言うテーマを追求していきます。
長くなりましたが最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。僕はそんなあなたと今後も付き合っていきたいです。
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数年分のコピペ008
10月 10, 2016 私の「コラ!中国いい加減にしろ」を読んだ週刊女性の編集長さんは「電話での取材が難しいようでしたら、メールでの回答でもかまいません、ご検討ください」ということで質問内容が列記されていました。
その質問内容を見たとき、その質問にひとつひとつ答えるのでなく中国人の本質を知ってもらいたくて、私が実体験で知った中国人論を送りました。週刊女性の送られてきた質問内容をここに列記してみます。
質問内容
①中国の国民性って、一言でいうとどんなもの? (なぜ?) ②今の中国って、どんな国なの? ③言論の自由はないの? ④日本に来る観光客のトイレの使い方が汚いけど、常にそうなの? ⑤必ず「値切る」のは国民性? ⑥絶対に謝らないのはなぜ? ⑦反日教育って、具体的にどんなもの? ⑧行列に並ばない、並べないのはどうして? ⑨パジャマで外出するのはホント? ⑩偽物が多いのはなぜ?(ブランド品・キャラクター・食品・その他) (プライドはない?) ⑪公道でツバやガムを吐くのは普通のこと? ⑫今後の日中関係はどうなるの?
大変勉強不足で申し訳ありませんが、私は中国に行ったこともなければ中国人の知り合いもいないため、中国に関して無知です。ですから「ほかにもこんなものがあるよ」というものがあれば、是非 お教えいただけませんでしょうか?例えば、女性の化粧について、ムダ毛の処理、ファッション、金銭感覚、美容院、結婚式…外食、住宅事情、一人っ子政策だけど介護の問題、貧富の差、店員の接客態度、私たち日本での習慣とはまるで違い「ホントに!?」と、ちょっと笑ってしまうような面白ネタ(中国では普通のことなんでしょうが…)を中心にお願いできればと思っております。お忙しいとは思いますが、何卒よろしくお願いいたします。お電話での取材が難しいようでしたら、メールでのご回答でもかまいません。ご検討ください。
締切:10月22日(金) 媒体:「週刊女性」11月9日号 発売:10月26日(火) ページ:2ページ予定
この週刊女性の質問を見たとき無視するわけにはいかなくて、次のような文章を送りました。
週刊女性編集部様 編集部のお考えになっている、中国の習慣や人柄を中心にした構成や、書かれている質問に一つ一つ答えていけばテレビのバラエティー番組のようになってしまいます。読者の方は読みやすいでしょうが、これでは危険な中国の実態が見えません。中国問題は今後の日本運命を左右するくらいの重要事項です。女性の読者といえども目覚めていただきたく御社の主旨に外れたこと書かしていただきました。
本文 「中国人とは?」 テレビに出てくるコメンテーターたちの中国論を見ていますと永久に中国人を知ることは無いと痛切に感じました。何故なら東京の人が関西人や沖縄の人達を見て単に性格や風習の違いだけを論じているのと変わらないからです。 そこにはたとへ風習が違えども中国人も日本人も同じ人間であるという常識の上にたって単に違いだけを見ようとするからです。 中国人は我々日本人や欧米人と全く違う異質の人間であることを知らねばいけません。それでは何故異質な人間が出来上がったのか?中国民衆のほとんどは2千年間食うや食わずの飢餓の線上でもがき、阿鼻叫喚の世界で生きてきました。結果命を保つために悪徳非道なことが当たり前になり、罪の意識や羞恥心が全くなくなってしまったのです。だから中国人社会では,汚職,不正,詐欺的行為,裏切り、おとしいれる、などの行為が良心の呵責なしに堂々とまかり通るのです。 中国人作家��柏楊氏は「中国人は,伝統教育で子供に他人に対して誠実にしてはならぬ、嘘をつくべきだ,猜疑心を持たねばならぬ、いかなる人も信用してはならぬ、と教育している」と言っています。 また朱鎔基元首相は、「中国では嘘でないものはない。唯一本物なのは,ペテン師だけだ」と嘆いていました。 中国大陸の野蛮な人間ジャングルの中で生きていくための浅はかな動物的知恵なのかもしれません。しかしたとえ生きていくため,命を保つためとはいえ,このような教育でマトモな人間が育つとはとても思えない。 中国社会に蔓延している偽物商品、深刻な環境破壊,事実捏造,猛毒を使った野菜、役人の横領,賄賂,手抜き工事、などの悪事の数々は2千年間における歴史の必然なのです。 中国の歴史は古来より戦乱続き、大地は濫伐、乱獲で荒廃、そのうえ絶え間なく襲ってくる自然災害、数度に及ぶ北方民族による支配と殺戮、とどめは残虐な毛沢東の恐怖支配で飢餓も含めて3千万人が殺されたことです。このように何千年間にもわたる悲劇の歴史が中国人の人格を形成していったのです。 先般,尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件における中国側の国際社会ルール無視、品格なきやり方(民間交流の中止、フジタ社員人質、各地の官製デモ、日本料理店の破壊、)を見て、多くの新聞記事や、テレビ評論家の意見はほとんど日本政府の弱腰を批判しています。もちろん正しい批判ですが、しかしマスコミは中国人が我々と同じ人間ではない、異質な人間であるということがまだ理解していません。 中国人は獰猛な野獣なのです。猛獣に隙を見せれば襲いかかってくるのは当たり前のことです。日本は戦後60年間日米安保条約のお陰で隙を見せることはなかった。しかし日本人は稚拙な民主党を選択、日米安保がゆらぎはじめました。その隙間を突いてきたのです。この隙をクリントン国務長官は「尖閣は日米安保条約の適用対象範囲内」と述べてくれたおかげで素早く隙を埋めることが出来たのです。 我々日本人はもういい加減に中国人の野蛮で凶暴な実態を知らなければいけません。その最もわかり易い例は、警視庁の統計に示されています。外国人刑法犯の検挙総数1万8213件のうち中国人犯罪は8302件(2006年)毎年外国人犯罪の約半数が中国人によるものという凄まじさです。 日本への中国人留学生は毎年3万人以上、そのうちの多くが,失踪し,行方不明となって各地で犯罪に手を染めています。とくに中国人による凶悪事件というと一家皆殺しの事件が多い。子供から赤ちゃんまで殺していきます。 このような容赦のない人命と人間性欠如の実態を知れば「日中友好」など絶対にありえないことが理解できるはずです。日本人には想像もできない人間がこの世の中にいるという事実を政治家もマスコミも知らなければいけません。
以上のことを書いて週刊女性に送りました。22日の発売された週刊女性が後日送られてきました。私の文章が所々に使われてうまい編集をしていました。 週刊女性の多くの女性読者の方に少しでも中国の危険性がわかっていただければ、ありがたい事です。 ソロリと復活しました。11月2日(火):中韓を知りすぎた男: 2010/11/02(火) 13:40:56 (via nandato) (元記事: nandato-blog (tra249から))
9月 20, 2016 映画「七人の侍」に、こンなセリフがある。「子供は大人より働くぞお…もっとも、これは大人扱いをしてやればの話だが…」。このセリフは全ての人間関係の真理を突いていると思う。相手を認める事なくして、本物の人間関係は結べない。子供だろうが大人だろうが、人間関係の基本は尊敬だ。(小池一夫) Twitter / koikekazuo (via hutaba)
ぬえ @yosinotennin いじめについての呟きが回ってくるので、うちの過去の対処法置いときますね。 息子をいわれなく殴ったり蹴ったりする生徒がいましてね。学校に解決の申し入れをしても 「精神的に幼い子なのです。成長を見守ってやってください」と言われまして。 次に息子が殴られたとき、即病院に連れて行きました 「他の生徒に殴られた」と話しましたら色々検査してくださった上で「全治2週間」の 診断書をくださいましてね。実費で治療費を払い、その領収書のコピーと 診断書コピーを学校に持って行って「次に何かありましたら学校は通しません。 同じように病院から診断書をもらい警察に行きますと、先方の親御さんにお伝えください。 弁護士の先生とも話をしております。学校からも親御さんからも謝罪は受けません。 これ以降はないとお考えください」と話しましたら、ピタッと息子への暴力はなくなりました 学校の中だけで解決しようとしても到底無理な場合は、早急に外部の手を借りたほうがよいです。 病院はいいぞ、証拠を残してくれます。傷がなかろうがとにかく「痛い」と言いなさい、 卑怯でもなんでもない。いじめられた側の心身は傷つけられたのだから。(終)2016年8月31日 21:41
学校側がなかなか対処してくれないならば外部の手を借りる。時には使えるものならなんだって… それが子どもに対する親の愛情なのではないでしょうか。また、ぬえさんが謝罪を受けつけなかった理由とは…
ぬえ @yosinotennin 学校と先方の保護者・生徒からの謝罪を受けなかったのはですね、学校には「ごめんなさいと言いなさい」 「いいよと言いなさい」という慣習があるからです。ヘタをするとこのプロセスによって「いじめ」が 「喧嘩」とみなされてしまう場合もある。謝罪は正直どうでもいい。二度とさせないのが大切なので。
9月 8, 2016 【緊急拡散】日本には二重国籍のスパイが数十万人存在する!?とんでもない深刻な実態が露わに!!「公務員と政治家を全員検査しろ」「見逃してきたのは法務省」 http://www.news-us.jp/article/20160908-000011z.html http://www.news-us.jp/article/20160908-000011z.html
9月 6, 2016 後半は外国関係で、こっちはモロにスパイの世界。「在日ロシア大使館員は、三分の二がSVRやGRUのスパイとされ」ってんだからお盛んだ。表向きの肩書きと実際の指揮系統は別で… 冷戦時代、東京・晴海にあった国際貿易センターで行われたソ連見本市の会場で、ソビエト本国から来ていた係員が公使や参事官、一等書記官など在日ソ連大使館の幹部が会場を訪れても全く挨拶をしなかったにもかかわらず、大使の運転手が現れると、直立不動で挨拶したことから、この運転手が諜報機関の幹部であることがわかった とか、抜け目なく見えるロシア人も意外とアレだなあ。でも最大の難関は「日本ではどうしても白人は目立ってしま」う事だとか。 大島真生「公安は誰をマークしているか」新潮新書433: ちくわぶ (via petapeta) (shrineroofから)
2016年 09月 05日 一方、プーチンは北方領土問題解決と言い始めています。 【プーチン氏、北方領土問題解決に意欲…米報道】 【ウラジオストク=花田吉雄】ロシアのプーチン大統領は極東ウラジオストクで2日に行われる安倍首相との首脳会談を前に、米ブルームバーグ通信とのインタビューに応じ、北方領土問題について「日本の友人と解決策を見いだしたいと強く思っている」と述べ、領土問題解決に意欲を示した。 プーチン氏は「ロシアは領土を取引するつもりはない」としながらも、「日本との強い信頼関係を構築できれば、何らかの妥協点を見いだすことができる」と語った。 (2016/9/2 読売新聞)
ロシアは米国に経済制裁を受けてる真っ最中なのでかなり苦しい状態が続いています。 サハリンで発電して日韓に送電するプロジェクトなんて言い出したのも 日本からお金を集めようという腹積もりでしょう。 かつて日本が参加して開発したサハリン2では、開発が進んで本格稼動目前になって ロシアが言いがかりをつけてきて開発に参加していた石油メジャーや日本企業を 追い出して独占しようとしたことがあります。 結局、開発に参加していた企業は皆大幅にシェアを削られ ロシアのガスプロムにごっそりと権益をもっていかれました。
スターリンが日本降伏後に条約を無視して攻め込んできて北方領土を奪いましたが、 これはスターリンが卑怯なのではなく ロシアというのが歴史的、伝統的に火事場泥棒だからです。 相手が弱いと見れば襲い掛かり、相手が強いと見たら引きこもる。それがロシアです。 そしてロシアが苦しい状況に追いやられているからこそ 北方領土問題や巨大プロジェクトを言い出してきたと言っていいでしょう。 北方領土については二島返還だろうとなんだろうと まずは少しでも取り返す(のこりは引き続き返せと言うだけの話) という考え方で望むべきでしょう。
巨大プロジェクトについてはそもそもインフラを 火事場泥棒のロシアに任せるなど安全保障上絶対にありえない話ですから のらりくらりと煮え切らない返事をして時間稼ぎだけしておけばいいでしょう。 パチンコ屋の倒産を応援するブログ ttensan.exblog.jp
9月 1, 2016 最終的にみんな孤独になってしまったのは、「ひとりでも生きていける」くらいに社会が豊かで安全になったからです。 評価と贈与の経済学 / 内田樹 (via ebook-q)(chihira-masamichiから)
9月 1, 2016 難波(なにわ) - 尼崎市 (隣接する大阪市の難波はなんばと読む) (隣接する大阪市のなにわは浪速と書く) 近畿地方の難読地名一覧 - Wikipedia (via eternityscape)(dotnukeから)
9月 1, 2016 「戦争反対」に限らず、今まで言論人とされてきた人達がこぞって「物言えぬ雰囲気」などと言うのは、単に彼らが”言いっぱなしの一方通行”で大手を振れていたからであり、きょうび双方向のコミュニケーションによって”反論されることが当たり前”になったことに適応できてないだけなのだ。 Twitter / Tech_JP (via gkojax)(inquisitive-bookから)
8月 26, 2016 何が影響しているか不明だが多くの日本人は、兵站という概念を理解出来ていない場合が多い。 そういう人物が上の立場に立った時、本来なら治療を受けさせなければ死ぬ人間に対して『気合が足らない』と精神論を持ちだして見殺しにしたり、補給線を危険なレベルまで伸ばしたり、必要な食料を与えず餓死させたり等の愚行を繰り返す。 事実、戦国時代において兵站の概念をある程度理解していたのは信長と秀吉だけとも言われている。 第二次世界大戦中の大日本帝国軍が無謀な行軍を繰り返したのも、兵站という言葉が軍の教科書に出るだけでまともに機能させた事がない為だ。 つまり『兵站の能力を充実させている側が勝つ』という当たり前の事を、近代の日本軍がまるで理解していなかった証拠だ。 戦国小町苦労譚 - 千五百六十八年 六月中旬 (via tamejirou)
8月 25, 2016 本当に悲惨なのはネイティブアメリカンだ。 奴隷解放宣言して今でも黒人に受けがいいリンカーンは南北戦争中にミネソタのスー族の殲滅命令出して酋長38人を集団処刑させた。 生き残りのスー族はパイク島の収用所に入れられ、大半は餓死になった。 リンカーンの悪辣さはこれだけではない。 今もあるアメリカの感謝祭、これも大嘘だ。 メイフラワー号でアメリカに着いた102人の清教徒に先住民のワンパノアグ族は食事を与えた。 しばらくすると酋長は清教徒に斬首され、酋長の妻子、一族はカリブの奴隷商人に売り飛ばされた。 ワンパノアグ族の子孫は残ってない。 その清教徒が皆殺しにしたワンパノアグ族との邂逅をリンカーンは心暖まる出来事とし、感謝祭とした。 黒人はとりあえず奴隷としても売り買い対象の資産とされ、白人も混血児を作った。 ネイティブアメリカンはほとんど問答無用で虐殺の対象になった。
イエズス会自体が、ヨーロッパによる植民地の先鋒隊だったというのは、事実だからなあ。 中南米を略奪しつくし、文化をすべてつぶし、先住民をほぼレイプしつくし混血させた。 アジアでも多くの地域がヨーロッパの植民地になったがスペインの植民地になったフィリピンは南米同様 レイプされつくし、民族が全員混血となった イエズス会ってのはそういう野蛮な行為の片棒を担いできた団体。 これらを理由に、イエズス会の人間を全員根絶やしにしても、おそらく罪にはならない。
今は亡き小室直樹先生の本に 「アメリカには奴隷牧場があった」 「黒人女性に種付けをして、生まれてきた子供を売り飛ばしていた」 みたいなことが書いてあったけど、本当なのかな? でも確かに、アメリカの黒人って、白人と混血してるから、アフリカの黒人とは顔つきが違うんだよね。
http://nihon9999.blog77.fc2.com/blog-entry-13122.html
8月 25, 2016 どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。 お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。 贅沢と幸福は別物だ。 慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。 人生はそういう風にできている。 北野武さんが「夢を叶える事」について言及。その内容があまりにも深過ぎると話題に…-Cadot(カド) | (via irregular-expression)(sadjohから)
8月 25, 2016 麻生太郎氏(以下、麻生) マスコミが世の中へ流し、多くの人が信じている間違った話が一つあると思います。それは、日本という国が破産する、って話。これは��記っていうものの基本がわかってない人がしゃべって、わかってない人が書いて、わかってない人が読んでいるから、いよいよ話がわからなくなっているんだと思います。今からわかりやすく例を説明するから、よーく聞いといてくださいね。 帳簿っていうのを見れば、まず借り方と貸し方と、二つがあるでしょ、簡単なこと言えば。今お金を借りているのは、みなさんじゃありませんからね。お金を借りているのは、政府です。お金を100借りていれば、必ず、100貸している人がいないとおかしい。帳簿って言うのは左と右が必ず揃うことになってますから。 100借りてる政府がいれば、100貸している誰かがいる。誰が貸しているんです? そうです、国民が貸しているんだね。ところが新聞を見てごらん、「子どもや孫に至るまで一人700万円の借金」……違うでしょう。700万円の貸付金が起きているんですよ、あれは。貸しているのはみなさん。 「いや俺、国債なんか買ってないよ」と言われるかもしれませんが、みなさんはお金を銀行に預けておられる。銀行にとって預金は借金ですから、帳簿の上では借金ですからね。だからその借金を誰かに貸して、その”さや”を稼がないと金貸しという商売は成り立ちません。銀行って聞こえはいいですけど、金貸しをやっているんですから。金を借りる人がいてくれない限りはあの職業は成り立たないんだから。 ところが今、みんな借りない。誰もお金を借りようとしない。少なくとも、預金する人は多いけれども、借りる人がいなければ銀行は潰れてしまう。その借りてくれる人を探している金が年間約30兆円くらいある。約30兆。年によって違うけど。誰かがそれを借りてくれない限りは30兆でデフレになりますから、それを借りてくれているのが政府。政府が借りて、みなさんが貸してるの。 みなさんが貸してるってことは円で貸しているんだからね。円で貸しているのよ。日本の国債の94%は日本人が買ってます。残り6%は外国人が買っているけれども、その人も円だけで買っているから100%円で賄われていると思ってください。 「ギリシャと同じになっては大変だ」ってまだ叫んでいる元財務大臣経験者の方がいらっしゃいますが、ギリシャは、ギリシャ発行の国債のうち、ギリシャ人が買っているのは3割です。残り7割は、ギリシャ人が買ってくれなくてしょうがないから国債相場に出す。国債市場はお金持ちがみんな、「ギリシャ人や政府は信用できない」って眉に唾付けてみてるもんだから、誰も買わない。 だからギリシャはその金利を上げにゃいかん。ちなみに現在は13%。日本は0.9%から1.0%です。13倍から15倍違うんですよ。したがって、日本という国は間違っても、日本の政府が借金しているのであって、みなさんが借金しているのではない。 それと、当然円で賄われているから、いざ満期になったときどうすればいいかって、日本政府がやっているんですから、日本政府が印刷して返すだけでしょうが。だって日本円なんだから。簡単なことだろうが。外国に返すんだったら、そりゃドルに替えにゃいかんよ、ユーロに替えにゃいかん。ギリシャはみんなそうです。(日本は)全然違います。だから返さなくていい。 麻生太郎氏による「日本の借金」の解説が超わかりやすい 「経済をわかってない奴が煽っているだけ」 - ログミー (via gkojax) (tomoya-jinguujiから)
8月 25, 2016 麻生 いやしかし、そんなこと言ったって「財政が破綻する」と大蔵省が言ってます、っていうけれども、15年前、武村正義という人がいて、いや、まだ生きておりますが、時の大蔵大臣、細川内閣で働いておられたんだが、「財政破綻宣言」っていうのを言ったんですよ。 その時日本のGDPは500兆です。今とほとんど変わりません、500兆。いいですか。その時の国債発行高は450兆だった。今は900兆ですからね。あの頃は今の半分よ。稼ぎは500兆、変わらず。でも破綻してないじゃない。 しかも金利はどうだ。あの頃は3.2%ですよ、確か。今は1%、おかしいじゃない。会社の内容が悪くなったら金利が上がるのが当たり前だろ。なんで日本だけ下がるの。世界中で内容がいいんだって評価されてるからだよ。 大蔵省がえらく危機感を煽ってみたり、新聞はわけのわからない政治部が経済をわかったつもりで書いてみたり、それをまたわかったつもりで読んでみたりする人がいて、話がどんどんどんどんエスカレートしているけれども、現実問題、金利は下がっとる。上がる上がるって言い続けて20年間ずっと下がったよ。ほとんどずーっと下がったね。 それが日本という国の持っている力ですよ。みなさんの力だよ、これ。政治家の力でも何でもない。国債マーケットが決めているんだよ。こんな景気が悪いのに円が上がるって、他の国の通貨が悪いから、他の国の経済がもっと悪いからこうなってる訳で、ぜひその辺をもっと考えて。決して悪くない。これだけは頭に入れ���、少なくとも。 麻生太郎氏による「日本の借金」の解説が超わかりやすい 「経済をわかってない奴が煽っているだけ」 - ログミー (via gkojax) (tomoya-jinguujiから)
やり方はとっても簡単。 洗濯バサミで、猫の首の後ろを挟むだけ!
林先生 嫌ならやめなさい 勉強は贅沢なんだから 両親が面倒見てくれて学校に行かせてくれるだけではなく 高い授業料を払ってくれる恵まれた環境にいる それなのにやる気にならない 勉強したって意味が無い
8月 23, 2016 日本人と限らないが、清貧で純真であれば自分は正義であって、そういう自分を受け入れない社会を罰してもいいのだという思想に陥りがちになる。現実は、少しの正義をなすのにも汚れていくしかない。 finalvent on Twitter (via ginzuna) (nin3bake7から)
8月 22, 2016 口が悪い人は『口の悪さの裏にある本音をくみ取ってほしい』という潜在的な甘えを持っている その欲求が大きいほどに口の悪さに拍車が掛かる Twitter / DJ_aoi (via toronei)(rurinacciから)
8月 21, 2016 女性が活躍してないように見えてる時点で間違いなんだよ。めっちゃくちゃ活躍してんじゃん。家でも職場でも。活躍してないんじゃなくて評価してないんじゃん。 セリザワケイコ on Twitter (via do-nothing) ほんとこれ。パートのおばちゃんの能力見てみろよ。(via y-u)
8月 13, 2016 みんなと仲良く、という教育も大事だが、「嫌いでも良い」という教育を小中学校でしてくれたらどんなに良かったか。そして「嫌いな人間が居ることを当たり前と認めた上で」相手を傷つけない、尊重するやり方を教えたらいじめとかも減るだろうよ。 Twitter / taiwata (via do-nothing)(zephyr7501から)
8月 14, 2016 オリンピック選手が特別なわけじゃ無いのが支那 わざと子供の出生届を1-2年遅らせて届けるとかも 当たり前のように横行してるからな それによって自分の子供が「学力も体力も学年で1番に成れる」とか 平気でヤル奴ら 支那ではこの程度の事など上から下まで悪い事だとすら思って無い 【中国崩壊】リオ五輪で中国の新たな不正発覚クル━━━━(°∀°)━━━━!!! どう考えても詐称してると話題にwww【画像あり】 - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via tamejirou)
8月 14, 2016 なんか機嫌が良くないときにチェックすべき項目がある。 睡眠時間と食事と運動だ。 この3つの質が保たれていれば、つまり、しっかり寝て、しっかり食べて、軽くでも運動をしていれば、70%ぐらいの問題は解決する。機嫌の良さで解決する問題は思っている以上に多い。(via nanashino)
8月 14, 2016 銭湯のコーヒー牛乳を80円から100円に値上げしたら売れ行きが跳ね上がったっていう話好き。
その銭湯はロッカーから荷物を出すときに100円が返却されるタイプのもので、それをそのまま使い切れるからってオチ。
これはデザインの話だ。Twitter / kickbase (via y-kasa)(nagamine7から)
8月 14, 2016 子持ちではないですが、「行楽地に到着した時点で記念撮影する。万一はぐれたとき、その日子どもが着てるものを説明するときに役に立つし、その方が疲れの少ない子どものいい表情を撮れる」と聞きました。ぜひ実践したい #夏休みの迷子対策 りうんさんはTwitterを使っています (via quotation22)(gasarakから)
8月 14, 2016 SMAP解散の報で悲しんでる者の気持ちというのは、散々課金して育てたアイドルゲームに突然サービス終了を宣言されるようなもので、課金してた者にしかその本意は分からないし、俺が課金者なら体に爆弾を巻いてバンナム本社に乗り込み「神は偉大なり」などと叫ぶところである。 Twitter / kelog21 (via re-nise3kawan)(tra249から)
8月 15, 2016 楽しそうに生きている人は人を信じ る。 話を素直に聞きます。自分が何をできるかを考えます。周りと協力し、継続性を持っていくことを考えます。どうしようもないことは諦めます。評 価やレッテルはすぐに張りませんし、決め付けません。なにか問題がおきても自分の非を認めます。 楽しそうに生きている人の考え方と苦しそうに生きている人の考え方 - keitaro-news - 書評で学ぶ整理術
レッテル張り大好きなひとの近くにいたときは、みるみる自分が腐るのが分かった。ネガティブなことばっかり考えた。どうしようもないときには、関係を清算することも必要。(via yunh)(via lu4y)(via nuqnohp)(via layer13)
8月 15, 2016 会社の部下に 『君は細かい所に気が利くね』 と言い続けていると その人は本当に細かい所に気を配るようになる。 レッテルは 人の意識にゆっくりと浸透し その人を創造する。
『暗示』 『気づき』 『想い』 『言霊』 には驚く程、力がある。 占いは真の意味で、他人の運命を変える。
言葉には力がある。 言葉には魂が宿る。 言葉を扱う人は その影響力を その責任を 認知しなくてはいけない。 スパイダーマンだってそう言ってる。
でも、本当は 言葉は単なるキャリア(伝達媒体)に過ぎない。 言葉よりも概念的な もっとプリミティブな何かを 僕らはちゃんと知覚できていないだけ。 心の筋トレ - はじめに閲覧されるべきもの (via handa)(元記事: slowsteps (daiji88から))
8月 15, 2016 女性は一ヶ月に4回 性格が変わる。女性ホルモンは大きく分けて一ヶ月に4種類。どんよりとネガティブな一週間、きらきらしてスケベな一週間、冷静をとりもどす一週間、いかりに満ちた一週間。 責めないで、女だってツライんだもの。 Twitter / seerged0 (via gkojax)(p2501から)
8月 15, 2016 人生のゴールは「夢を叶える」ことではない。「なんとなくイイ気分」で生きることなのだ。 balance-meter:(t2voicecoachから)
8月 16, 2016 「魚は泳ぐ、くじらは泳ぐ」という材料から「くじらは魚」という結論を出すのは誤りです。 また、「魚は泳ぐ、サバは泳ぐ」という材料から「サバは魚」という結論を出すように、推論が誤っているのに結論があってるということも多くて、これは実は結構タチが悪いです。同じ考え方でダメな結論を出しやすくなるので。 でも「魚は泳ぐ、サバは魚」という材料から「サバは泳ぐ」という結論を出すのは、よい推論です。 このような、よい推論と悪い推論のどこが違うか、といったことを勉強するのが論理学です。 プログラマが勉強すること - きしだのはてな (via otsune)(dojiahol735から)
8月 16, 2016 「気は長く、心は丸く、腹立てず、口慎めば、命長かれ」 誰から教えられたか忘れたが、良い言葉だと思い、心に留めている。よく見てみると、結局「怒るな」と言っている。 自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れを取る技術 / 下園 壮太 (via k-quote)(dojiahol735から)
8月 16, 2016 某所で「本当に人をダメにしたいなら悪いちょっかいを出したり噂を流すのではなく、間違った行いをしても”あなたは悪くない。悪いのは貴方を理解しない周りの方”と常に対象の人を肯定し続けること」みたいな文を読んで震えてる Twitter / prn0112 (via hutaba)(dojiahol735から)
8月 16, 2016 「アウトローとして生きる覚悟を決めた美学」が日本における刺青のカッコ良さだと思うので、一般人と同じ扱いを求めるような生半可な覚悟の奴を心底軽蔑する はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`) : 東京サマーランド「刺青タトゥーは入園禁止」「刺青入れる自由があるようにお断りする自由もある」 → 炎上し謝罪削除 - ライブドアブログ (via winscp)(hektor3aから)
8月 16, 2016 「社交辞令にはすべてマジレスせよ」 原稿を見てあげよう、と言われたら見せに行き、遊びに来なさい、と言われたら遊びに行き、また飲みでも、と言われたら飲みに誘う、という考え方です。本当にありがたいアドバイスでした。 kodachiukyouのインタビュー(143件) - 「TRPGデザイナーを目指す手段として、新人賞への応募以外で(実用的なレベルとして …」 - ザ・インタビューズ (via kanose)(dojiahol735から)
8月 16, 2016 今回の『WiLL』に記事があるんだけど、パラオっていう国があるでしょ? パラオってちっちゃい国なんですよ。そこに中国の漁船が島に来たんだよ。 領海内だから、パラオの警察が射撃したんだよ、 一人撃ち殺しちゃったんだよ、25人の船員を逮捕したんだよ。
中国に���人1000ドルの罰金を払わせてから釈放、返したんですよ。 パラオは軍隊がないんですよ、ちっちゃい国なので警察だけ。 そういう国でさえ、きちんと対応すれば、 中国もさすがにそう無茶な事はできないわけですよ。
小国でもきちんと主張をすれば、 一人1000ドルの罰金を払って取り戻してるわけでしょ。 日本は尖閣にきた船長を返さないで、きちんと取引をすべきなんですよ。 パラオを見習えって記事を書いてもらったわけですけど。 もっとけしからんのは、この事を日本の新聞が報じないんですよ。 知らないでしょ?
▼はい。知りませんでしたね。
俺も知らなかった。 ある人に聞いて、大使館にも聞いてみたら、 そうだと、ありましたと取材してもらったんだけど。 日本の新聞ってそんな事を全然書かないんですよ。 なんなんですかね、これは。 民主党政権と一緒でさ、そういう事にふれないほうがいいっていう 暗黙の何かがあるんでしょうね。 おかしな話ですよ。
▼北欧では、シーシェパードの船ですら沈めるらしいですよ。
そりゃそうだよ。
▼だからシーシェパードこないらしいです。沈められるから。 日本だけが何もしない、なめられてますよね
そうなんですよ。��からね、ちゃんとやらなきゃならない。 『ちょっと右よりですが・・』▼第2号 花田紀凱の「週刊誌欠席裁判」:ちょっと右よりですが - ニコニコチャンネル:社会・言論 (via pyorohiko)(hektor3aから)
8月 16, 2016 シャチは骨格がもうおかしいし明らかに現代を生きる海竜だし漢字で魚編に虎だし学名がオルキヌス=オルカで意味が「冥界からの魔物」とかいう格好良さの塊。サメとか赤子の手をひねる様に倒す 。 Twitter / han_barg (via hutaba)(dojiahol735から)
8月 16, 2016 人生を楽しもうと決めてからというものの 次々と楽しいことが舞い込んできた こんなにも変わるものなのかと驚きの連続である。 楽観的に、とにかく笑って、楽しんで、毎日は素晴らしいのだと思って生きたら、どんどんそうなった。 私(最近の私20150414) (via pan-no-mimi)(元記事: 1031s (newtonblueから))
8月 16, 2016 驚きました。なんとスズメバチの体にはソーラーパネルが内蔵されてるっていうんですから。 ドイツ人の研究者が、スズメバチの体の黄色い部分は単なる模様というわけじゃなく、太陽の光線を捕え、エネルギーに変換する機能のある極微のネットワークになっていることを発見したんです。 つまり、スズメバチたちは小さい小さい太陽発電機を背負いながら生活してるってことですよね。これで、太陽がピークになる時間帯にスズメバチが巣を造る理由が分かりました。太陽がいっぱいで1日中で一番アクティブになれますからね。 太陽の光が多ければ多いほど、掘削パワーが発揮されるということは、今年の夏はスズメバチにとって、かなり力みなぎる夏だったんだろうなぁ。食事しなくてもパワーが湧いてくるなんてスゴイぞスズメバチ! すごっ! スズメバチの体にはソーラーパネルが内蔵されてるんだって。 : ギズモード・ジャパン (via yuria) (元記事: taki1000 (hektor3aから))
8月 17, 2016 過去の事を今になってわかった知識や情報、今の常識、今の社会情勢で、その是非を判断するな。 資源封鎖で追い詰められた日本政府は何度も対米交渉したがハルノートを最後通牒と受け取り開戦を決断した。 当時の朝日新聞は「鬼畜米英撃つべし」と煽った。(gojohから)
7月 24, 2016 団塊が完全リタイアするまでは無理だろう
ノーベル賞受賞者生年月日順
明治32年6月11日川端康成 明治34年3月27日佐藤栄作 明治39年3月31日朝永振一郎 明治40年1月23日湯川秀樹 大正7年10月4日福井謙一 大正10年1月18日南部陽一郎 大正14年3月12日江崎玲於奈 大正15年9月19日小柴昌俊 昭和3年8月27日下村脩 昭和5年9月12日鈴木章 昭和10年1月31日大江健三郎 昭和10年7月14日根岸英一 昭和11年8月20日白川英樹 昭和13年9月3日野依良治 昭和14年9月5日利根川進 昭和15年2月7日小林誠 昭和19年4月7日益川敏英 ←謎の空白時代 昭和34年8月3日田中耕一 昭和37年9月4日山中伸弥 ヒロイモノ中毒 - 団塊世代にノーベル賞受賞者がいないという事実 (via darylfranz) (dormouse0から)
7月 26, 2016 絶対に他人を悪く言わない友達がいて、なんでそんなに優しいのか?と思って観察したら、単に悪い出来事とか嫌な人に時間を割かない子なんだって気付いて感動した。嫌いな人に夢中になって、悪口を考えたり、それを誰かに話す時間を割くのは確かに無駄でしんどい。 balance-meter:
7月 26, 2016 ハンバーグのつなぎにご飯を使うと美味しい、と聞き、やってみたところ、もうそれはそれは信じられない位美味しかったので、即試してみてほしいです…!! ひき肉400gにお茶碗6分目位かな。ご飯が肉汁を吸って、それはそれは素晴らしいことになってました…!私…もう…パン粉には戻れない……! https://twitter.com/naoanzu/status/756905755605774336 (via tora-friday) (deepspeedから)
7月 8, 2016 なぜドバイは外国人犯罪が少ないのか ドバイの人口は8割が外国人。 世界中から億万長者が集まる一方で、建設現場での仕事を求めて大勢の出稼ぎ労働者が入国してくる。 いかにも犯罪が多発しそうな状況だが、ドバイの治安は高いレベルで保たれており、日本より良いという声もある。 大勢の外国人を受け入れながら、いったいドバイはどのようにして治安を維持しているのか。 ① 仕事のない外国人は強制退去 ドバイでは、仕事のない外国人の滞在が認められていない。 会社を退職したり、解雇された場合は一月以内に退去しなければならない。 ② 家族を呼び寄せるには一定以上の所得が必要 貧乏人が増えるのを防ぐため。 金持ちしか住んでいないモナコは財布を落としても中身そのままで帰ってくる。 ③ 帰化させない 外国人が帰化するのは難しく、ドバイ男性と結婚したとしても国籍を得るためには数年待たなければならない。 これでフランスみたいな移民問題とかは起きない。 ヒロイモノ中毒 - なぜドバイは外国人犯罪が少ないのか (via darylfranz)(harugonnotugiから)
7月 8, 2016 最初はノルウェーにも抗議してたんだよなシーシェパード でもノルウェーは軍艦出してきて砲撃してシーシェパードの船沈めた上に その場でグルグル旋回して渦作って海に投げ出された奴らは渦に飲まれて皆殺し 以来ノルウェーにはだんまり シーシェパード「捕鯨国の日本許さん!」→ぶっちぎりでノルウェーが世界一の捕鯨大国にwwwwwwwwwww (via ashzashwash)お気の毒w(via bochinohito)
7月 6, 2016 あなたは未だにアップルのような企業を日本でも云々言ってるんですか。いい加減セイコークォーツが米国の時計会社を全滅させた歴史でもググってください。 Twitter / _Neillo (via drhaniwa)(edieeleeから)
7月 7, 2016 太平洋戦争開戦直後、 フィリピンに住んでいた日本の民間人が大勢、 アメリカ兵に強姦され、殺されました。 フィリピン・ダヴァオの惨劇…男は惨殺、女は強姦死 (via awarenessxx)(keebowから)
7月 7, 2016 2016年、アメリカ陸軍部隊は完全に韓国から撤兵する。アメリカ軍はアジアからすべて引きあげることになるのである。アジアを取り巻く西太平洋、日本海から南シナ海、インド洋からペルシャ湾に至る広大な海域は、アメリカの戦力地域からはずされることになる。その結果、アジアにおいて、これまで予想しなかったような大動乱が起きると予測される。 この大動乱についてはのちほど詳しく述べるが、日本にとって最も懸念されるのは、いくつかの戦争と、インドネシアのイスラム勢力による反米の動きが、中近東から日本への石油の流れを阻害する結果、日本に石油危機が到来することである。 2016年、米軍撤退でアジアの大混乱が始まる―日高義樹のワシントン情報 | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所 (via fialux) (isopanから)
7月 7, 2016 「(1966年に)韓国軍が昼日中に 結婚行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦。結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ 3人の女性を川へ投げ込んだ」(要約)などと、凄惨な描写がある。 ベトナム戦争に参戦した韓国軍兵士「民間人、強姦殺戮がいけないと聞いていたらしなかった」 - 理想国家日本の条件 自立国家日本 (via shinjihi)(jiihから)
英単語を一瞬で覚えるための単純で強力なテクニック uiuru: 昨年アメリカに滞在していたときに思いついて重宝していた英単語の覚え方があるのだけど、知人に話すと案外知られてないようなので書いておく。 その方法は「単語をGoogleで画像検索をする」だけである。単純だけど非常に強力で、単語帳を眺めたり辞書を何度を引いたりするよりも強烈に覚えやすい。 たとえば、’camaraderie’という単語を覚えたいとする。「友情」という意味の単語なのだけど、Googleで画像検索してみるとこうなる。 イメージがすぐにわかるので、単語帳で覚えるときみたいに[ camaraderie |【チーム仕事仲間の】友情, 同志愛; 仲間意識 ] という文字列を睨むよりはるかに頭に入ってきやすい。 この方法は、似ている単語のニュアンスの違いを理解するのにも役立つ。 たとえば、clearとbrightはだいたい明るそうなイメージの言葉だが、画像検索してみると brightのほうがよりギラギラした感じの意味の言葉だというのがわかる。 ただ、この方法には欠点があって、たとえばbrightと似た意味の単語としてshiningがあるが画像検索するとこうなる。 (neroeee3から)
7月 3, 2016 日本の皇室は現在の日本国につながる国家が始まって以来ずっと続いているため、たとえば中国の唐王朝��どの歴代の王朝や、現存する日本国外のウィンザー朝(イギリス)、チャクリー王朝(タイ)のような「国内に存在した他の王朝と区別するための王朝の名前」を持たない。強いて言えば、「日本」という国名そのものが王朝名である。 皇室 - Wikipedia (via wideangle) (kwwwskから)
7月 3, 2016 中国人民解放軍が軍事力を直接行使する戦争以外にも国際的政治工作活動である「三戦」を実施していることは、日本でも認識されている。 三戦とは、国際世論を中国にとって好ましい方向へ導く「輿論(よろん)戦」、敵側軍人の士気や国民の結束を低下させる「心理戦」、それに国際法秩序を活用して中国に有利な国際環境をつくり出す「法律戦」の3つのカテゴリーの政治工作を意味している。 中国はハードパワーの戦争に備えるための急激な軍備拡張と並行して、ソフトパワーの戦争であるこれらの三戦をも着実に実施しており、とりわけ中国にとっては“目の上のたんこぶ”である日本と日米同盟に対する輿論戦や心理戦には着実な成果を上げている。その成果の1つが、昨今日本に氾濫している「戦争をする国」という表現と考えられる。 「戦争をする国」なのは日本か中国か 「三戦」だけでなく装備も日本を圧倒:JBpress(日本ビジネスプレス) (powliticsから)
7月 4, 2016 >1994年、アフリカのルワンダで、歴史に残るほどの大虐殺が行われた。犠牲者の数はおよそ100万人。国民の10人に一人が犠牲になった。
このときに日本の多くのメディアは、虐殺の要因として宗教や民族紛争などの言葉を使ったが、虐殺する側のフツ族とされた側のツチ族とは、民族・宗教・言語においての差異はまったくない。細かな経緯は割愛するけれど、植民統治下に端を発する政治的な区分なのだ。だから、ツチもフツも互いに縁戚は数多い。住居も混在している。ひとつの家族の中にフツ族とツチ族が入り乱れているケースも、決して珍しくはない。 ならば、何が虐殺へと人々を誘導したのだろうか。
テレビがまだ普及していない(しかも識字率も高くない)ルワンダにおいて、ラジオは唯一の国民的な娯楽だった。フツ族向けのラジオ放送局が、ツチ族の危険性をしきりに煽り、その結果、「彼らを殺さないことには自分たちが殺される」との意識が植え付けられ、最終的にあの未曾有の虐殺は始まった。 1998年に放送されたNHKのドキュメンタリー『なぜ隣人を殺したか~ルワンダ虐殺と扇動ラジオ』では、フツ族向けのラジオ番組のDJが、「なぜ虐殺を扇動するような放送をしたのか?」との質問に対し、「殺せなどとは一言も言っていない。俺はただ、危ないぞと言っただけだ。」と弁明している。 虐殺前のラジオ放送の内容を聞けば、確かに彼はツチ族を「汚くて病原菌を撒き散らすゴキブリ」などと形容しながら、「放置すれば危険だ」的なことは言っているが、直接的に殺せとは言っていない。それはまるで、かつてナチスがユダヤ人をシラミに喩えながら、駆除の必要性を国民に訴えたことを想起させる。(シラミはチフスを媒介する。) これがプロパガンダだ。メディアは危機管理意識を刺激する。そして人は、この刺激に最も弱い。なぜなら群れで生きるからだ。 (引用終了) ルワンダ虐殺の背後にあった、扇動ラジオ - るいネット (via tamejirou) (amenokgから)
6月 26, 2016 マーケティングの究極の目標は、「人���嫌な気持ちを知ること」だと思っている。「もっともアタマにきていることは何か」「うんざりしていることは何か」「あきらめてしまっていることは何か」それさえ見つかればそれを言葉にすることさえできれば、金鉱を掘り当てたようなものだ(くらたまなぶ)balance-meter:
6月 22, 2016 誰かのお世話を焼きたくなった時は「心の底で見返りを期待していないか」「見返りがないときにイライラしないか」「自分が相手にとって必要な人であると思ってもらったり、相手にありがたがられるなどの報酬を期待していないか」の条件をクリアしているかを確認した上で行った方がいいんだなぁと思う。 Twitter / chiisanaehon (via maopin)(netodeeから)
6月 22, 2016 ベトナムが、韓国から「最貧国」呼ばわりされて、 その反論がメチャクチャ、カッコイイ。
「我々はフランス・アメリカ・中国と戦い、独立したが 賠償を要求した事はない。 多額の賠償金と援助でぬくぬくと成長した韓国に 言われる筋合いは無い。 ベトナム人と韓国人の民度と国家自尊心の差だ。」 ベトナム - 続・妄想的日常 (via darylfranz)(p2501から)
6月 22, 2016 すなわち「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ことが物事を成就させ、思いを現実に変えるのに必要なのです。 生き方 / 稲盛 和夫 (via ebook-q)(y-kasaから)
6月 22, 2016 ■ネトウヨという言葉を流行らせた輩の目的とは? 悪い人たちが、「ネトウヨ」という言葉を流行らせるに至った背景を説明します。 日本の右翼は、やくざや韓国朝鮮人がそのほとんどを占めています。 (この事実は報道されないので、日本人は知らない。) 右翼の正体 騒音を撒き散らし、気持ちが悪い発言や行動をみて、賛同者が集まるはずがありません。世間から「日本を愛すること」 「事実を知ること」を防止するのが目的だと説明すれば、辻褄が合って納得するのではないでしょうか。 これによって、右翼=悪い、気持ちが悪い、近づきたくないという印象が出来上がりました。 アメリカでは、母国を愛することは当然でありそのために活動することはすばらしいことだと感じます。日本では、 正反対のイメージとなっています。これは偶然でしょうか? さて、ネトウヨですが、これが右翼と同じ扱いとして誕生しました。「ネトウヨ」イコール、悪、気持ちが悪い、 という印象が出来上がれば、後は語るまでもないでしょう。事実を一般人に伝える手段を、阻止するのにうってつけの 方法が「ネトウヨ」というコトバだったわけです。 目で見たい方は、ニコニコ動画が役に立ちます。とても重要な事実が公開されている動画では、ネトウヨという言葉が 連呼され続けています。分かりやすい状態となっています。 ただ、それだけではなくもうひとつ重要なポイントがあります。 次のような巧妙な裏工作も行われていると考えるのが賢い考え方でしょう。 例えば、Aという活動の成功を阻止する方法として⇒表面上ではAという活動を行い、裏ではAという活動の妨げを行う、 という手法です。一般人の方にとっては、しっくりこないかもしれませんが、戦略という面からすれば至極当然であり、 初歩中の初歩なのです。 ■冷静に考えてみるとネトウヨという言葉は、おかしな使われ方をしている。 複数の事象を無理やり一つのくくりでまとめ、全否定する仕組みについても説明しておきます。 あなたはクスリを「よい物」と考えますか? 「わるい物」と考えますか?命を奪う薬もあれば、命を救う薬もあります。北朝鮮拉致被害者の家族たちが運営する活動団体を、 あなたは「ネトウヨ」という言葉でくくりつけて全否定しますか?拉致被害者家族らは、菅直人(元首相)が拉致実行犯解放の著名を していた事実や北朝鮮拉致関係団体へ資金提供していた事実をまとめ、そしてその重要性を訴えています。こういった本当のこと (日本の総理大臣が実は日本人の敵だった証拠など)を広めています。ここでは、拉致被害者家族らの団体を出しましたが、 世の中には様々な団体がインターネットを利用した情報伝達の活動を行っています。テレビや新聞ではなく、市民団体が伝えています。 当然のことながら、全ての団体をひとくくりにして肯定・否定できるものではないことは子供でもわかります。 YouTube動画↓ North Korea connection with Japan PM Kan(拉致被害:家族会による答弁 英訳) 事実が広まることを阻止し、様々な情報や活動を一つのくくりにして全否定する「ネトウヨという言葉」を使う人たちがいかに 幼稚であることか、感じ取れましたか? ■総括 ネトウヨという言葉自体ではなく、「ネトウヨと発言した人」「その発言の意図」を見てみると何か発見があるかも知れません。 ネトウヨ 意味 (via chikuri)(yuki76yから)
6月 22, 2016 超高純度鉄は、純度が99.9996%と市販されている高純度鉄よりも不純物の量がさらに100分の1と少ない。性質は一般の鉄とは全く違い、表面が銀色に輝きさびない。塩酸につけても溶けず、教科書で習う金属のイオン化傾向の常識が成立しない。柔らかいため、たたいて加工しやすいが、極めて割れにくく簡単に切断できない。 日本発の「超高純度鉄」 世界標準へ :日本経済新聞 純度が上がるだけでこんなに変わるのか……(via mcafee-x6)いままでの鉄とはなんだったのか。(via daxanya1)こういう話題は東北大学が多い。(via dorelax)
(元記事: 46187 (massegeから))
6月 22, 2016 Be a Leader: How to Change People Without Giving Offense or Arousing Resentment (人を変える九原則 ) Begin with praise and honest appreciation. (まずほめる。) Call attention to other people’s mistakes indirectly. (遠まわしに注意を与える。) Talk about your own mistakes first. (まず自分の誤りを話した後、相手に注意を与える。) Ask questions instead of giving direct orders. (命令をせず、意見を求める。) Let the other person save face. (顔を立てる。) Praise every improvement. (わずかなことでも、すべて、惜しみなく、心からほめる。) Give them a fine reputation to live up to. (期待をかける。) Encourage them by making their faults seem easy to correct. (激励して、能力に自信を持たせる。) Make the other person happy about doing what you suggest. (喜んで協力させる。) 対訳:人を動かす (via pcatan) (via petapeta, tenkao) (via petapeta) (via ipodstyle) (via atm09td) (via usaginobike) (via massege)
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【至上最大の秘密】
この秘密を日本人に知られてはなりません。
なんとしても隠し通さなければなりません!
史上最大の秘密
それは、、、、、、、
、日本はいい国
この秘密をどうやって日本人に気づかせないようにするか。
どうやって??大丈夫!いい方法があります
・日本が好きだ → 軍国主義!
・日本はいい国 → 島国根性!
・日本は向学心があり、進学率が高い → 大学にいっても勉強しないくせに!
・日本人は働き者である → 働き蟻、ワーカーホリックと言い換えてみよう。
・日本人はこんな狭い国によくもまあ平和的に暮らしている → ウサギ小屋と気の毒がってあげよう
・日本はお金持ちである → エコノミックアニマルと呼び、謙虚な日本人に裕福であることを恥させよう
・日本人は品格がある → いいえ、他の国の人すべてが日本人より品格があります。
・日本人は頭がいい → いいえ、英語が話せないので、頭が悪いです!
・日本軍は強かった → 侵略国家ですからね~
・日本が戦争を始めたのは実は自分の国が危険だったせいと、西洋のアジアに対する植民地政策に腹を立てていたから → 侵略国!侵略国!といい続け本当の歴史から目をそむけさせましょう
・韓国を統合したのは、あまりに弱い国だったから、そのままにしていると侵略されるし、自分たちに危機が及ぶから → 謝罪!謝罪!もし謝罪したら従軍慰安婦!そして謝罪!
・日本人は健康だ → ジャンクフードを食べさせよう。ついでに牛肉も!いつか日本人をぶくぶくの不健康にしましょう
・日本人は自国に誇りを持つ民族だ → 学校の授業で日本がいかに悪い国か教えよう。
・大人になってこの秘密に気が付きそう → 日本がいかに世界から嫌われているかテレビで放送する。
・日本の労働力のレベルは高い → レベルの低い移民を受け入れさせ、生産性のレベルを一気に下げる。
・日本製の製品のレベルは高い → 移民による生産が始まったので、レベルが下がるのは時間の問題。日本製ブランドの信用は落ちる。
・日本は世界にまれに見るほど安全だ → 平和ボケ!お花畑!と揶揄する
・大局観があり、地球全体のことを考えている → 島国なんですよ、世界的視野があるわけがないでしょ!と高圧的に言う。
・由緒正しき天皇制があり、世界からうらやまれている → それがなにか?
・日本は最先端である → ふ~ん
・日本のあらゆる製品は高品質、高性能で世界的信用がある → 高いからね~
・日本のアニメは人気だ → アニメ=変態と思い込ませましょう。 日本!ヘンタイ!アニメ!ヘンタイ!
・日本人は質が高い → 英語を話させない。中学生になるまで待って文法だけを教えれば、後はひとりでに日本人は英語が苦手だと思い込んでいる。これで日本人は外に出ないから、ばれない^^
・FACEBOOK上では日本が人気 → FAEBOOKは絶対!実名ですよといって、日本人が使うのを阻止する
・日本は特別な国だ → いいえ、自意識過剰です
・日本の食べ物は人気がある → 日本人気がついていないから放置。海外の日本食レストランの多くが、中国人、韓国人経営であることに世界も気がついていない。
・日本のテレビは人気がある → これ以上流出させない。海外には、「風雲たけし城」と「料理の鉄人」が今一番人気の最新番組だと思わせておく。
・日本のファッションは人気 → 個性がないとでも言っとけ
・日本軍は強かった → 隠せ!日本人に知られないようにしよう!教科書には最小限、矮小化して書いておけ。
・それもロシアに勝つくらい強かった → 戦争をしたのは恥だ!侵略国だ!といい続ければ、人のいい日本人は気がつかない。
・日本軍は今も強い → それも極秘だ!アメリカがいないと何もできないとと思わせよう!
・日本が実はアメリカに一時は勝ちそうなくらい強かったことはどうやって隠す? → 教えない
・日本が自立して軍隊を持ちたいといったら → まだ懲りずに戦争をする気かぁ!と怒る
・海外支援に自衛隊を出せないので、お金を出した → 金さえ出せばいいのか!と責める
・高度成長した → アメリカのおかげだ。戦後GHQがずいぶん助けたからね~。
・成長し続けている → 軍事力にお金を使ってないから楽だよね~と嫌味を言う
・やばい、オーストラリアが最近日本の本当のよさに気がつき始めている → 鯨!鯨!く~じ~ら!南京!南京!鯨!これで彼らの縁もすぐに切れる
・今度は韓国人の若者が日本の文化に興味を持ってきた → NO NO 日本が韓国に興味があるのです。韓流ブームです。
・日本はいい国 → うそだ!虚偽だ!事実無根だ!そんな真っ赤なうそを言う自衛隊幹部はクビだ!首だ!
・日本はいつも世界にいい影響を与える国で毎年上位 → お世辞です。傲慢になってはいけません。謙虚に受け止めましょう。お世辞なんです。
・第二次世界大戦のことで日本を恨んでいる国はほとんどない → うそだ!靖国神社参拝絶対反対!未来永劫、罪悪感にさいなまれてもらう。傷口に塩を塗る。
・またいつものように日本は災害から立ち直りそう → 今度は自然災害+人災だから大丈夫、立ち直らせない
・震災後の落ち着いた様子が世界に広められて、日本人の冷静さ、品格の高さがばれ始めた。 → もうこれ以上日本の良いところは世界に広めないようにする。日本の記者に日本の駄目なところだけを報道させる。
・デモなんかするから世界が気づき始めた → 日本は隣国を嫌う人種差別国家ですよ、駄目な国ですね。最近は右翼化してきますよ~ と広めよう。
・日本人がマジで怒り始めた → やばい、日本人はめったに怒らないが、怒ったらものすご~く怖いのを忘れてた。
・日本人が団結し始めた → わ~もう駄目だ、日本人は一人では怖くないけど、団結したら恐ろしい力を発揮する国民性だった。うわ~66年間の日本破壊工作活動が水の泡!?
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” - 日本の秘密をばらしたら、FBから警告|日本は世界を平和にします (via himmelkei)
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