#下九沢理容室
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fukagawakaidan · 6 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「��になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。��に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの��� 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらな��が、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図��が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝に��の人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があった��いう。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神の���ーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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yab-others-yum · 1 year ago
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草��草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一��より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の��理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなった��ころでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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ichinichi-okure · 1 year ago
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2023.9.18mon_tokyo
牧野容也「City」リリースツアーの真っ最中。東京、名古屋、甲府、神戸と廻って、今日は神戸から最終地点の岡山へと車で向かう1日。
車移動のツアーの醍醐味は、土地土地の隠れた名店に寄り道出来ること。大抵の場合、各バンドに1人は優れた飲食店を見つけるレーダーを備えたヤツがいるもので…我ら牧野バンドは、前日の昼食で〈世界一カッコいいカツ丼セットを出す蕎麦屋〉を引き当てた、あだちレーダーぶ郎ことあだち麗三郎に今日のお店選びを託すことにした。
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メンバーからの「洋食」というリクエストもあり、兵庫県は相生駅そばの洋食店〈ファミリーキッチン スピカ〉にチェック・イン。あだちレーダー、本日はいかに。
店内は広く、ファミリーレストランのような開放的な雰囲気。私はランチAセット(有頭えびフライ&デミグラスハンバーグ)に、迷わずオプションの自家製牛すじカレールーをチョイス。もちろんライスは大盛りだ。
BGMは意外にもBTSやジョン・バティステなどイケイケで、曲のテンポが上がるにつれて空腹感と期待感も高まっていく。さて、お味はいかに。
料理が到着してまず驚かされるのは、その立体感。どっしりとしたハンバーグの横にそびえ立つのは、エビフライ。ふんだんに添えられたタルタルソースが嬉しい。それぞれの料理を下支えする千切りキャベツと、ナポリタンスパゲティの献身も見逃せない。大盛りライスはなんと一合分とのことで、その豪快なフォルムに思わず笑ってしまった。
まずはハンバーグ。近年チェーン店を中心によく見られるお肉ゴロゴロタイプではなく、挽き肉がギッシリ詰まった昔ながらのハンバーグ。赤みの強い(おそらくトマトベースの)デミグラスソースとの相性も抜群で、ライスがみるみる進んでいく。
エビフライは贅沢に頭付き20センチをゆうに超えるしっかりとした身、厚めの衣のおかげもあって食べ応えバッチリ。命を頂いてることを実感出来る味だ。
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メンバー一同が感動していたのは、オプションの自家製牛すじカレー。牛すじのコクと旨みが充分に染み渡ったドロっとしたルー、辛味と酸味のバランスが絶妙で、スプーンが止まらない。ライス大盛りをオーダーした自分を褒めてあげたい。もちろん完食。食後は喫茶店然としたアイスコーヒーで〆。ごちそうさまでした。
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岡山のライブは、手違いでピアノがないことが到着してから判明。急遽小さいシンセと、鍵盤ハーモニカだけで演奏することに。シンセポップと化した「ゆれる」や新曲の「雷」など、ツアー最終日にして新しいアレンジが生まれ、スリリングかつ燃えるライブとなりました。
こういうトラブルが起こっても動じないのが牧野バンドの強み。そういえば昨日、カナミネケイタロウは会場にぶら下がってたベースを本番で使っていたし、演奏も含めて有機的に変化していくところがこのバンドを楽しめるひとつの理由なのだ。
ツアーを通して鍵盤ハーモニカを使うのは自分にとっても初めてのことだったけど、改めて良い楽器だな、と。そもそもピアノやキーボードは、弦楽器や管楽器、打楽器と比べて、手元で音が鳴っている実感を得にくい楽器。ピアノはハンマーを使って弦を叩くから、どうしても弾いてから音が出るまでにわずかなタイムラグがあるし、キーボードはそもそもPA機器やアンプを通さないと音が鳴らない。その点鍵盤ハーモニカは自分の吹く息と音が直結しているから、音量やニュアンスのコントロールが出しやすい。若い頃は「どうして大人がわざわざ鍵盤ハーモニカを使うの?」と思っていたけれど、なるほどどうして。次の牧野容也バンドのライブは「なるべく電気を使わない」ライブとのことで、より一層鍵盤ハーモニカが活躍しそうだ。
終演後は会場近くの居酒屋〈みつの〉で一杯。あだちレーダーぶ郎のオーダーしたがんもどきが逸品で、思わずあだち君とアイコンタクト。あだち君とはもう10年の付き合いになるので、わざわざベラベラ喋らなくても目と目で通じ合う関係になりつつあることを実感してしまった。
岡山の青木さんの勧めもあり、明日の朝食は「給食のソフト麺をレベル99にした」(青木さん談)うどん店〈名玄〉に決定。バンドマンはみんなこのような食の情報を求めています。ファンレターに添えてお送りください。
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1日の締めくくりは、今年2月に六角精児バンドで岡山に来た際に六角さん連れて行ってもらった〈中華そば山冨士〉を再訪。少し甘めのスープと麺の絡み、ごろっとしたチャーシューとしなしなとメンマがたまらない。どのタイミングで食べるかがイマイチ不明なオプションのいなり寿司も含め、大変美味しゅうございました。
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宿に戻ってUNOでもしようと思ったら、みんなそそくさと就寝。次のツアーはトランプにしよう。明日は帰路です。それぞれの住処へ帰ります。あだち君は1週間ほど広島、四国、九州などを周って整体とライブをするらしい。見かけたら応援してあげてくださいね。それでは、おやすみなさい。明日もよく食べよく遊び、最高の帰路にしようぜ!
-プロフィール- 谷口雄 37 東京近郊 鍵盤楽器奏者/プロデュース/執筆 東京生まれ。森は生きているのメンバーとして2013年にCDデビュー。 2015年の解散後は、様々なミュージシャンのライブ/レコーディングに参加。2016年からはレコード&トークイベント「ミッドナイト・ランブル・ショー」を神保町試聴室で毎月開催。
https://instagram.com/yutanigu_ch https://x.com/yutanigu_ch https://note.com/mnrambleshow
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政���自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未��貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍���腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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littlebarrel111 · 1 month ago
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アートプロジェクト「ある日」
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(内閣府 地方版孤独・孤立対策官民連携プラットフォーム推進事業)
主催・企画:座間市・大和市・海老名市・綾瀬市
キュレーション:田中みゆき
展覧会「ある日」
 ◆会期:
(1)2025年2月21日(金)〜3月2日(日)9:00-17:00
(2)2025年2月21日(金)~28日(金)9:00-17:00
 ◆会場:
(1)座間市役所(神奈川県座間市緑ケ丘一丁目1番1号) (2)海老名中央公園・ビナウォーク
 ◆参加作家:飯川雄大、金川晋吾、キュンチョメ、相談支援に関わる人たち
 ◆アクセス:(1)小田急小田原線「相武台前駅」下車徒歩15分
(2)小田急小田原線「海老名駅」下車徒歩5分
展示内容:会場(1)三組のアーティストの作品展示及び金川晋吾とキュンチョメによるワークショップ参加者の作品や記録展示(2)飯川雄大とワークショップ参加者の作品展示
アートプロジェクト「ある日」について
私たちの中には、社会との接点をうまく構築できず孤独・孤立している(と感じている)人がいます。そうした人たちとともにあることをアートの観点から考えるプロジェクトを綾瀬市・海老名市・座間市・大和市が連携して実施します。
 「断らない相談支援」を行ってきた座間市を始めとし、主催の四市は、さまざまな問題を抱え生活に困っている人からの相談を受けとめ、関係機関や団体、地域の人たちの力を借りながら相談者に寄り添う「相談支援」を行ってきました。
 今、福祉的な支援を受けていなくとも、生きていくことに困難さを感じる人たちはたくさんいます。自然環境や他の生き物と同じように、人間の心や体も、本来は日々、あるいはこの瞬間にも移ろいゆくものです。しかし、社会の発展とともに、“ふつう”の生き方や “当たり前”の働き方が定まり、そこから外れる人たちの居場所が、どんどんなくなってきました。
 本プロジェクトでは、アーティストの協力のもと、ワークショップや美術作品の展示を行う他、シンポジウムを開催します。展覧会では、相談支援を利用する人と、支援に携わる人たちが、飯川雄大、金川晋吾、キュンチョメという三組のアーティストとともに過ごした「ある日」の記録と、そのなかから生まれた表現を中心に構成します。支援する人/される人、表現する人/見る人といった境界を越え、そして社会に決められた役割とは関係のない自分を発見する時間を、アートはつくることができます。
 誰かにとって何でもない一日が、他の誰かにとっては、その後に何度も立ち戻りたくなる一日になることがあります。ある日を通してさまざまに現れる参加者の姿��表現を通して、ふだん考えることのない自分や他人、世界とのつながりを見つめてみませんか。
参加アーティストプロフィール
飯川雄大(いいかわ・たけひろ)
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1981年兵庫県生まれ。現在、神戸を拠点に活動。2007年より〈デコレータークラブ〉の制作を開始。鑑賞者が作品に関わることで変化していく物や空間が、別の場所で同時に起こる事象と繋がる《0人もしくは1人以上の観客に向けて》(2019年~)や、全貌を捉えきれない大きな猫の立体作品《ピンクの猫の小林さん》(2016年~)などを制作。主な個展に、「同時に起きる、もしくは遅れて気づく」(彫刻の森美術館、2022年)、「つくりかけラボ04|0人もしくは1人以上の観客に向けて」(千葉市美術館、2021年)、主なグループ展に『感覚の領域 今、「経験する」』(国立国際美術館、2022年)、「ヨコハマトリエンナーレ 2020」(横浜美術館・PLOT48、2020年) などがある。
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「つくりかけラボ04 デコレータークラブ|0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館(2021年)撮影:飯川雄大
金川晋吾(かながわ・しんご)
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1981年京都府生まれ。自身の親族や同居人など、身近な人々やその生活を撮影し、自己と他者の関係性を探る作品を手がける。写真には日記やテキストを添え、言葉での表現も精力的におこなう。おもな著作に2016年『father』(青幻舎)、2023年『長い間』(ナナルイ)、『いなくなっていない父』(晶文社)、2024年『祈り/長崎』(書肆九十九)、『明るくていい部屋』(ふげん社)など。主な展覧会に、2018年「長い間」(横浜市民ギャラリーあざみ野)、2022年「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(森美術館)、2024年「祈り/長崎」(MEM)などがある。
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金川晋吾『長い間』より 撮影:金川晋吾
キュンチョメ
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ホンマエリとナブチのアートユニット。2011年の東日本大震災を機に結成。芸術は「新しい祈りの形」であると捉え、世界各地で、詩的でユーモラスな作品を制作している。近年の主な展覧会に「六本木クロッシング2022:往来オーライ!」(森美術館 東京)、「現在地:未来の地図を描くために[1]」(金沢21世紀美術館、2019年)、「あいちトリエンナーレ2019」(愛知)などがある。
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キュンチョメ《金魚と海を渡る》2022年 撮影:柳原良平
キュレータープロフィール
田中みゆき
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キュレーター/プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを企画。表現の見方や捉え方を鑑賞者とともに再考する。2022年ニューヨーク大学障害学センター客員研究員。主な仕事に、「ルール?展」(21_21 DESIGN SIGHT、2021年)、「音からつくり、音で遊ぶ。わたしたちの想像・創造を刺激する『オーディオゲームセンター + CCBT』」 (シビック・クリエイティブ・ベース東京、2024年)など。主な書籍に、『誰のためのアクセシビリティ?』(リトルモア)、『ルール?本 創造的に生きるためのデザイン』(共著、フィルムアート社)がある。
関連イベント
シンポジウム 「孤独・孤立にアートができること」 
 日時:2月21日(金) 第一部:13:00-14:30 、第二部:15:00-17:00 
開場12:30、入場自由(先着順) 、UDトークによる文字支援あり
 ◆会場 大和市保健福祉センター(大和市鶴間1-31-7) 
 ◆第一部 「孤独・孤立とアートの力」  ●登壇者
大西 連(内閣府孤独・孤立対策推進室政策参与、認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長)、鈴木 康広(現代美術作家、令和5年度同プロジェクト参加アーティスト)、西原 珉(秋田市文化創造館長、東京藝術大学美術学部准教授、心理療法士) 
◆第二部 「孤独・孤立支援における広域/多職種連携の必要性」
●登壇者  奥田知志(NPO法人抱樸理事長)、田中みゆき(キュレーター、プロデューサー)、室井舞花(一般社��法人ひきこもりUX会議理事)  
●ファシリテーター  大西 連
ギャラリーツアー
◾日時:2月22日(土) 14:00-15:00 (13:50 受付開始)
↑時間を変更しました。(2/7)
◾集合場所:座間市市役所
◾解説者 :田中みゆき、武藤清哉(座間市)
展覧会についてのお問合せ先
座間市役所 地域福祉課 Tel: 046-252-8247 Fax: 046-255-3550
プレスリリース 2025年1月16日発信
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bearbench-3bun4 · 7 months ago
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「虚無への供物」中井英夫 1191
第一章
19ハムレットの死(藤木田老の推理) 01
さあ、藤木田の推理ですが、 これが一番マトモな気がします。 最後に推理を披露するのは、そのためかもしれません。
方法としては、絶対に白のものだけを除いてゆく消去法だとして、話し始めますが、 久生は、根付(ねつけ)の珊瑚(さんご)をまさぐっているし、 亜利夫は、スラックスの皺を気にしているし、 藍ちゃんにいたっては、酒のせいか眠そうです。 みんなや自分の役目が終わってホッとしたというところなんでしょう。
対象的に、藤木田は、得意満面で葉巻を噛んでいます。
さて、 条件のひとつとして “あの晩あの時刻に紅司が風呂に入ったことを知っている”をあげます。
約束のとおり我々探偵と爺やを除くみたいです。 約束が何なんでしょう? なぜ、爺やも除くんでしょうね? 正しいような気もしますが、 間違っているような気もします。
で、 爺やについて調べたことをいいます。 どうやら、紅司に頼まれて、駅前の化粧品屋にクリームを買いに行っていたみたいです。 しかも、紅司はそこにクリームがないことをしっていながら、 爺やをお使いに出したみたいです。
その迷信深い爺やは、いまも紅司君が死んでないと思っているから、 事実がわかると、松沢行きになるといいます。
この、“松沢行き”は、昔、東京府下松沢村には精神病院があって、それを、暗に現しているようです。 精神病院に入れられることになるということでしょうか。
それで、藤木田は、 あの晩の“密会”につながるのだろうといいます。 それが鴻巣玄次だとして、消去法を試してみます。
容疑者としてあげたのが、次の七人。 蒼司、 紅司、 藍司、 橙二郎、 八田皓吉、 鴻巣玄次、 x
何者か全く知らぬやつが無動機、無目的に紅司君を殺したというのでは話にならんと、 まずxを消します。 まあ、当然ですか。
次に、 殺されたのは紅司君に間違いないから、紅司君を消します。 これも、当然ですか。
で、 蒼司君のばんです。 動機がないので、九分九厘白だといいます。 それを久生が引き取って、 スタインベックの一番新しい小説「エデンの東」を引き合いに出して、 紅司君が、蒼司君の弟だからというのが、動機になるのでは? といいます。
「エデンの東」は、ジェームズ・ディーンといえば、『エデンの東』と言われるほどの映画の原作ですね。 これも面白そうなんですが、 まだ、読んでいません。
藤木田は、調子に乗って喋りだす久生を静止して、 一厘は、黒としておこうといいます。 ただ、 わざと家を空けていたのは、疑わしい点だといいます。 光田君と逢う予定だったのが、思い違いで会えずに、 光田は、新宿劇場で“愛の泉”を 蒼司は、新宿日活でアチラ物のゴジラ映画を見たことになってます。
“愛の泉”は、 在伊中のアメリカ作家ジョン・H・セコンダリの小説より、「真紅の女」のジョン・パトリックが脚色し1954年作ロマンティック・コメディだそうです。
蒼司のみた、アチラ物のゴジラ映画ってなんでしょう? 『ゴジラ』は、1954年に公開されていますからそれをから作られたことはわかりますが、 一番近い時期で作成された“怪獣王ゴジラ(海外版)”の劇場公開日は1957年となっているので、これではないのでしょう。 調べても出てきませんでした。
亜利夫も、思い違いで会えずにそのまま九段の八田皓吉の家から帰らなかったのが変だといいます。 藤木田は、ぬかりなくその点も調べているみたいです。 目白の家を売却する相談をしていたみたいで、 しかも、九段から目白では時間的に無理だろうといいます。
九段の八田皓吉の住所も割と細かく書かれていますが、 それを大雑把に靖国神社、目白の方を仮に学習院とすると、 現在は、20分くらいかかるみたいです。
それが、8分となっています。 本当に可能だったのか、 小説だからそうしたのでしょう。
ただ、 亜利夫が電話で話してから、 死体発見まで正味四十五分あるので、関係ないといってますね。
確認する意味でも、亜利夫が蒼司君と電話で話したのは本当化か確認します。 このときテープレコーダーを使ったのでは?と、 疑問が出ますが、流石に無理でしょう。 この電話、亜利夫が九段にかけたのですから、なおさらです。
で、最初の命題に戻って、 蒼司君はあの時間に紅司君が風呂に入ったことを知っていなかったということを確認して、 結局、白だと結論づけてしまいます。
これで、 リストから蒼司君と八田皓吉を消します。
推理小説としては、 実は、蒼司君と八田皓吉は、九段にいなかった。 だから犯人は、。。。だと面白んですが、 電話の件がありますからね。まあ、流石に無理がありますかね。
次に、藍ちゃんです。 動機もないし、犯行も時間的に不可能だと結論づけます。 これは、妥当なきがします。
で、最後に残った、 橙二郎 鴻巣玄次 をのうち、犯人を特定します。
かなり、論理的です。
で、橙二郎が主犯で、実行犯が鴻巣玄次説です。 密室にした方法は、紅司に閉めさしたというものです。
とわいえ、鴻巣玄次は架空の人物かもしれませんから、 この説もどうなんでしょう?
鴻巣玄次を実在の人部と仮定することが果たして推理として正しいのか? まあ、いずれわかるでしょう。
“ローレル夫人がオルガンを鳴らすとパイプ仕掛けでシ��ン化水素が噴出する” と、例えてますが、 これは、たぶん、小栗虫太郎の完全犯罪からの引用だと思います。 ただ、ここで引用された意味がわかりません。 犯罪の方法とかぜんぜん違いますからね。 この小説は、いわゆる優生学が題材になっています。 ということは、この小説の動機には、このあたりが絡んでいるとか。 ちょっと、勘ぐりすぎですかね。
で、 藤木田による犯行の手順の推理です。
橙二郎の子分で吉村とその女房に“坂の上のアパート”を探り出させて、 鴻巣玄次との間で取引が行われた。 その日、風呂場で鴻巣玄次と密会した紅司君はいつもの強心剤を注射される。 ところが、その注射には油が入れられてたのではと推理します。
ちなみに、 探偵小説で、静脈に空気を入れる実効性は疑問だと藤木田はいいますが、 これって、乱歩とかを非難することにならないですかね。 それとも、そんな安易な凶器はだめだということでしょうか?
ここで、ちょっとした疑問です。 そんなに頻繁に注射してたなら、注射のあとが残るんじゃないでしょうか? ここでは、絆創膏を貼り付けたことになっていますが、 それだけで隠れるものでしょうか?
それから、誰か来るからと紅司に内側から鍵をかけさせたら密室の出来上がり。 その後、打たれた油が心臓動脈に廻って紅司は死んでしまう。
油を打ってから亡くなるまで時間はバッチリでしたね。 って、いうか、そんなにうまく行きますかね?
鴻巣玄次の仕業を確認する橙二郎は、ことがうまく運んだことを確認しますが、 もし死に損ねていたら、すぐに注射でとどめを刺す予定だったに違いないといいます。
って、すぐに注射でとどめを刺すなんてできるんでしょうか? 推理としては面白いですが、不確定な要素がありますね。
それに、ゴム毬に関してあまりにも簡単に片付けられていて、がっかりです。
これで、一応、藤木田の推理は終わりです。 4人の中では、一番まともですが、共犯が居たというのが、しっくり来ませんね。
つづく
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tinytable-blog · 1 year ago
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金沢ツーリング
久しぶりのロングツーリングで金沢に行ってきた。と言ってもツーリングしたかったというよりは、金沢に行きたかったからといったほうがいいかもしれない。
金沢にある金沢建築館で開催中の「アニメ背景美術に描かれた都市」という企画展をみてきたのである。
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そもそも谷口吉生設計の金沢建築館にはいつか行ってみたかったんだが、面白そうな企画展もやってるし、いい機会ということで。ほかに寄り道もしたいし、一泊二日のツーリング旅行となった。
初日の月曜日、あさ6時半に出発。これまでうろうろした結果、自宅近くのセルフGSがいちばん安いという結論に至ったので、給油してすぐに高速に乗る。とにかく早い時間帯に京都あたりの交通量が多いところを通過することにして、大津SAまでいったところで休憩。ポイントはどこで給油するか問題だったので、南条SAで二回目の休憩をとったあとは警告灯と走行距離をにらめっこしながら走行、けっきょく加賀ICで下りるまで無給油で行けた。 いま調べたら高速を下りて給油したインターすぐのGSまで290km、10リットル給油してるから、リッター29kmの計算になる。やはり高速巡航は燃費いいな。
金沢の手前で高速を下りたのは山代温泉に寄り道して内藤廣建築をみるため。
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まず立ち寄ったのは中心部にある共同浴場、山代温泉 総湯。これは待合部分をすこしみただけ。つぎに九谷焼窯跡展示館。ここの窯跡覆屋が内藤廣設計。まあただの屋根だけど。雰囲気のいい施設だった。ここの展示で染付の藍色が窯の熱で発色することをはじめて知った。
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つぎに小松市まで北上、隈研吾設計のセラボクタニ/久谷セラミックラボラトリー。九谷焼の体験工房と、作家作品の展示・販売施設。これは好きなタイプの隈建築。いぜん山口ツーリングで訪れた、下関市川棚温泉交流センター/川棚の杜に印象が似ていると思った。
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このへんでほぼ夕方だったので、そのまま金沢入り、ホテルにチェックイン。ホテル向かいが古書店だったで夕食ついでに覗いて、話のタネにマイケル・ブース「英国一家、日本を食べる」を購入。夕食はさんざんうろついた挙句ちかくの居酒屋でおでんと枝豆。こっちのおでんは丸麩が定番らしい。
二日目はバイクと荷物をホテルに預けて、さっそく金沢建築館へ。9時かと思ってたら9時30分の開館だったので、近くをうろついて時間をつぶした。京都の吉田山あたりの雰囲気を感じる。
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で、さっそく企画展である。すごいよかった。企画展じたいは小規模だけど内容が濃い。「メトロポリス」の、未来都市とアールデコとの相性の話とか興味深かった。「アキラ」のネオ東京のモデルとして丹下健三の東京計画がよく引き合いに出されるが、同じような提言がほかにもあったのは知らなかった。
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常設展は谷口吉郎の資料と、赤坂離宮の広間・茶室の再現。広間の座布団がものすごい分厚さでほとんど枕だった。ミュージアムショップでは過去の企画展の図録も買いあさって散財。そのために来たんだし、いいんだよ。なんやかんやで昼まで建築館にいた。
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バイクと荷物を預けていたホテルに戻って、ロビーのトイレで着替えて出発。前夜に調べていた瀧光夫の建築をみに行った。白山市の石川県ふれあい昆虫館と、石川県農林総合研究センター 林業試験場展示館。出発前には予定してなかったんだが、往路に福井を通過したときに、そういえば福井大学で建築を教えてらしたし、金沢近辺にもあるんじゃないかとひらめいた。
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ところが、ふれあい昆虫館はあいにくの休館日。館内の温室に蝶がとびかっているらしく、外からしかみられないのは残念だった。
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一方の林業試験場展示館のほうは開館だったが、うーんこんなもんかという印象。森の中に飛び出したスロープが見どころなのだが、天気のせいか季節のせいか、あまりわくわくするものではなかった。
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このへんですでに4時前ということで、帰路につくことにした。美川ICから高速にのって、ひたすら帰る。インターにはいる前に給油したんだが、往きの加賀ICよりは北なので、無給油で帰宅はたぶん無理。どこで給油するかを考えつつの帰路となった。けっきょく名神西宮ICからは阪神高速を使わずに43号線におりてすぐ、芦屋で安いGSを見つけて給油。これもいま調べたら298km、10.3リットルの給油なので、やはりリッター29km。そのままだらだら下道を通って、10時前に帰宅。
往復ルートはこんなかんじ。
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走行距離は一日目336km、二日目344km、合計680km。
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idealhowl · 2 years ago
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するから、しあわせに
 人にはとびきり愚かな年頃があって、それは十三歳の頃だと私は信じつづけていた。そして、その中でも最も愚かだった瞬間として記憶されつづけているある水曜日の午後があった。具体的な日付は覚えていない。夏ではなかったと思うけれども。  その頃、同じく最も愚かな年頃を過ごしていた幼馴染の浅倉透は、幼い時分に遊んだぜんまい仕掛けで動く船のおもちゃに執心していて(彼女には散発的な流行があった)、記憶によるとそれは両手で持てるくらいの大きさで、真っ赤な船底をしていて、喫水線には透の名前が書いてあるのだという。きっと円香も知っているはずだと透は言い張ったが、あいにくそんな記憶は無かった。現在にしろ当時にしろ、一般に私の方が利発な子供だという評判だったために、そうでなくとも透はあまりにもぼんやりとした子供だったために、このことについてまともに議論が交わされたことはなかった。  しかし、船はあった。愚かな水曜日の朝に、私は学習机の傍らにある引き出しの奥にそれを見つけた。昼にはさらに愚かさを重ねて、私はそのことを透に打ち明けてしまった。透はわずかに身震いして訊いた。「ある? 今」  私が頷くと、透はすぐに私(と私の鞄)を引っ張って、中庭へと連れ出した。 「動かそ、船」と透は隅の方にある池を指して言った。「パス」と私はすかさず返す。 「えー。パスパス」 「いや、本気でパスなんだけど……」  中学校の池は小学校のものとは違っていくらかこぢんまりとしていた。中学生にもなって池に鯉やオタマジャクシがいるかどうかなどといったことに興味を抱く生徒は稀なせいだろう。それどころかむしろそうした生き物たちは忌避の対象になっていくのが普通だった。私もそうだ。透はそうじゃなかった。 「こっちこっち」と透は私の手を引く。言い出したら透は聞かない、と愚かな私は(たぶん)考えてついていって、池のそばに腰を下ろした。予想に反して池の水はひっそりとしていて、生き物の気配はあまりしなかった。もしかすると、教員も全然この池には興味が無いのかもしれない。  私は観念して鞄から船を取り出した。透はそれをじっくり観察して「え、おんなじやつ? これ」と言い放った。 「これのことでしょ」 「こんなんだっけ」  透が船を持ち上げる。船は両手のひらに収まるくらい小さく、底は褪せた赤色をしていて、喫水線にはもはや何が書かれていたのかは判然としないが、霞んだインクの痕跡が認められた。「昔の感じで思ってるからじゃないの」と私は言い聞かせるように透の顔を覗き込んだ。  そっか、と透は少し考えて「ありがと、円香」と笑った。そしてぜんまいを抓んだ。しかし、それはうまく回らなかった。 「逆なんじゃない」と私は投げかける。「それか、もう錆びてるのかも。古いし」  透は聞いているのか聞いていないのかわからない様子でひたすらぜんまいと格闘していた。しつづけていた。私はしびれを切らして言った。 「貸して」 「もうちょい、だから」 「見つけたの私だから」  強引に私は船に手を掛ける。透は逃れようと身をよじって、そして池に転げ落ちた。 「透!」  私は反射的に叫んだが、透はあっさり上がってくると隣にあぐらをかいて座りなおした。濡れた袖を絞ってみたり靴を脱いで逆さにしてみたりしながら「うわー、びしゃびしゃじゃん」「ねー、どうしよ、円香」などとまったく深刻さの感じられない口調で透はつぶやいている。しかし私はいっさい答えられなかった。  ただ私はじっと見ていた。透の、ちょうど開かれた両膝のあいだで持ち上げられたスカートの布に、池の水がちょっとしたうみを作っているのを。少し姿勢を崩せば、たちまち無に帰してしまうだろうちっぽけなうみを。ふと「止まって」という言葉が口をついた。辺りには中途半端に日が差していて、なにか奇妙にぬるい匂いが立ちこめていた。それで、魔が差した。 「透、動かないで」と私は重ねる。 「え、なんで」と透は首を傾げようとする。 「動くな」  私は身を乗り出して、船を捕まえた。乱暴にぜんまいを掴んでみると、それはさっきまでの格闘が嘘のようにたやすく回転した。だからそのまま手を伸ばして、うみに船をそっと近づけた。  船の底がうみに触れる。  静まりかえった中庭の一角に、ぜんまいの音のみがわずかに波を立てた。途端に振動がすばやく指先を伝った。私は驚いて、いきおい船を離してしまった。船はあっさりと転んだ。  透は膝を下ろした。うみは流れ出た。私は黙って立ち上がって、その場を去った。  中庭と校舎を結ぶドアを開けると、どこかの教室から昼の放送が漏れ聞こえてきていた。それがきっと穏やかな合唱曲だとわかって、私はその場でほんの少しの間うずくまった。  ひどくまちがった気分になったのだ。
   *
 真夏の港なんて来るものじゃない、と私は思う。それから、呼び出したやつが遅れてくるなよ、とも。  スマートフォンを取り出して、「十二時」「ここ」とだけ記された、透からのメッセージを再びにらむ。透は二十歳になった。しかし、なったからといってなんだということはなかった。十九のときに成人年齢が引き下げられたせいで、その数字がかつて私たちに与えてくれたはずの意味の多くは、以来ずっと宙づりになってしまっていた。だから透がこれから何をしようとしているのか、私には完璧に予想がついていた。  私は七年前にそれをやめた。透は今からそれをする。正確には、透はそれに失敗したから代わりに私を相手にしようとしているのだ。そういうわけなので、するべき返事も自ずと浮かんでいた。  要するに、あいつはフラれた。私もあいつをフる。もちろん、シンプル��比喩だが、比喩が真実と一致することは必ず無いと証明できる者など、果たしてこの世に存在するだろうか?  帽子を深めに被りなおして顔を上げる。酷暑のせいか、辺りに人はほとんどいなかった。おそらくろくに釣れないのだろう。海からはやはり厭な匂いがしていた。いくらかくたびれてきたシャツブラウスを着てきたのは正解だったなと思いながら、自分が贅沢な人間になったことを自嘲する。ここのところ衣装を買い取ったり頂いたりすることが増えていたから、そろそろクローゼットの全容を把握できなくなりつつあった。 「整理する必要がある」  整理する必要がある、と私は心のうちで繰り返す。多すぎるのだ、何もかも、積み重なってきたものが。  振り返ると、遠くに自転車の群れが見えた。おそらく中学生かそこらの集団だろう。大声で歌でも歌っているのか、離れた港にまで彼らの声が残響のように聞こえてくる。自分にもそういう時期があったっけ、と考えてみたが、うまく思い出せなかった。どちらにせよ、どうでもいいことだが。あったとしても、再びああいう風に歌いたいとはとても思えなかったし、なかったとしても、ああいう歌をあえて聞きたいとは思えないだろうから。  だから私はそれを聞くともなしに聞いていた。自転車はゆっくりと走っていた。早々に海へ向きなおってしまったので実際のところは知らないけれども、音を聞く限りはそうだ。曖昧な音程に合わせて、私は頭のなかで適当なポップ・ソングをあてはめようとしてみる。これも違う。それも違う。あれも違う。そうしているうちに、曖昧だった音の輪郭が、次第にはっきりしてくるのがわかる。彼らがきっと声を張り上げたのだ。歌詞は一向に聞き取れないが、私はこの歌を知っているという予感がした。まもなく、それは確信に変わった。  私はこの歌を知っている。  ああ、これは、あの合唱曲だ――
 少し離れたところに、なにかが光って見えた。  船だろうか、と私は目を凝らす。  ざざざざざざざざ。  そいつはものすごい速さで近づいているみたいに見える。  ざざざざざざざざざざざざ。  そいつはぎらぎらと太陽を身体にまとわせてしぶきを上げる。  ざざざざざざざざざざざざざざざざ。  そいつが光る。ぱあっと光る。そいつの投げた光が一直線に網膜を焼く。私は眩んだ目を閉じて、そのまま耳を澄ませた。獰猛な獣の唸り声が徐々に収まって、それから軽やかに連なる朝の雨を私は聞いた。雨は私の鼻先で止んだ。「あれ。失敗? サプライズ」 「ばれてないと思ったの」 「何も言わなかったし、樋口も」 「ばれてるってばらさなかっただけ」  そっか、と雨は答える。そうして、わかるんだ、とも小さく漏らした。「じゃあ、行こ」  風が止んだ。太陽はまだ辛抱強く照り付けていた。私はいっそう強く眉根を寄せてくらやみを作りながら問うた。 「なんで。ていうかどこに」 「えー。わかってるんでしょー」 「知らない」 「ショーシン、してるの」ショーシン、とそいつは確かめるように発音する。「だから、行かなきゃ、旅行」  くらやみのなかで、目の前の空気が微妙に熱を持つのがわかった。私は顔を上げたまま口を開いた。 「私はべつに、傷心してないし」  えー、とそいつは不満そうに笑って、「じゃあ傷ついてよ」と短く投げつけた。 「は?」と聞き返す間もなく、そいつは重ねる。 「なろ、ふしあわせに」  ふ、と私は笑ってしまう。笑ってしまったから、計画はそこで台無しになった。私は手を伸ばした。そこにはちゃんと透の手のひらがあった。 「ていうか、なんで閉じてるの、目」 「……ライト、つけっぱなし」 「あれ。ほんとだ。まぶし」
   *
 それからはエンジンの轟音がすべての声をかき消した。  円香は目を開けた。たちまち潮の匂いをはらんだ風が乾いた瞳に飛び込んできたが、彼女はもう瞬きひとつしなかった。ただ透きとおる風を吸い込んで、自らの瞳の奥に海と同質の水脈が眠っていることを彼女は知ったのだった。
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illaalli444 · 2 years ago
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
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腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと���
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
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草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
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厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
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花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
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壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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tsuneminnn26 · 3 years ago
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Kanazawa-Kuruwa
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郭の中の金沢、辺京の小宇宙
郭_この辺京の遊郭には、金沢の美しさと醜さがくるわれている。
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郭��...
北陸の美学の結晶であった。 卯辰山へまっすぐ伸びる石畳、黒光るボッテリとした能登瓦、弁柄色の木虫籠(きむすこ、細い桟の出格子)。九谷の襖の手掛けや輪島塗りの調度品、べっ甲のかんざしや色とりどりの菓子や酒、夜遅くまで鳴り響く唄、笛、鼓の音色。
同時に人身売買の巣窟でもあった。 極めて幼い頃に身売りされた少女は、楼主と養子縁組を結び、自らにかけられた身代金を返すまで拘束を受け、芸妓・娼妓として働いた。町を彩った女のいくらかは楼主となった。
今回は、金沢の光であり影である茶屋街について、制度・人びと・建物・遊び・性の観点から明治・大正の茶屋を前提にご紹介する。
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(参照:『金府大絵図』金沢市立玉川図書館所蔵)
明治に生まれた主計町を除けば、ひがし・にし・きた・愛宕の郭は2つの大きな川、犀川と浅野川の金沢城から見て外側に位置している。(これは、江戸の吉原が常に皇居から見て川向いに建てられて、都市の外周部に位置していたこと同様の理由で、穢の場所を都市の外側に配置するためであろう。)
その中でも、金沢人が憧れと嫉妬を込めて名付けた東の廓(言うまでもなく京都の祇園・東山にかけている)であるひがし茶屋街は、北陸の最も代表的な茶屋街であった。
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(参照:『金府町絵図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)
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A:郭の制度
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金沢の花街の仕組みは京都と同様にお茶屋が客の要望に応じて、芸妓を置屋か ら呼ぶ方式である。芸妓は置屋に所属し、お茶屋から依頼があれば、料亭やホテルなど地域外へも出張することが可能なのも、京都と同様の取引制度である。 さらに金沢の三茶屋街の特色として、お茶屋と置屋の兼業が挙げられる。つまり、お茶屋は場所を提供するのだが、同時に芸妓を抱え、他のお茶屋に派遣することもでき、食事は飲食店から取り寄せることとなる。
お茶屋には上茶屋、中茶屋、下茶屋の3つがあり、上茶屋は5等級に格付けされていた芸者の中でも、一等級のものしか置かなかった。上茶屋は農家の出や他国の婦女は抱えたがらない気風があり、それを誇りにしていた。加賀血筋を大事にし、みっちり芸と作法を仕込むとのこと。明治時代には能登半島をはじめ、日本全国から身売りされた少女が芸妓として所属しており、朝鮮出身の芸妓の記録もある。
郭では「旦那」は芸妓の経済的な保護者であり、後援者であった。旦那は月々お手当を置屋の女将に渡すかわりに、贔屓の芸者を自分一人のものにすることができた。女将は抱え芸者の旦那から一ヶ月の手当をもらうこと大きな収入源であった。ある置屋の抱え芸者が、別の置屋の客を旦那としている場合、旦那はその置屋の女将に毎月の斡旋料を支払うこととなっていた。
お茶屋では客は一見の客は挙げない。理由は、遊興費が後でもらえるか不安なことと、もう一つは酒癖が悪い客を案じてであった。たちの悪い客の中には、火鉢の中に小便をしたり、掛け軸に盆をぶつけたり、美人画を盗む客もいたという。二度目から置屋は電話で芸者の予約を受付け、時間の打ち合わせをする。客は遊興費を何ヶ月に一度、現金で女将に直接手渡しでまとめて払っていた。
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B:郭のひとびと
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お茶屋に以下の人々が住み込んでいた。どこの家もかなりの大所帯で、大抵は十数人で寝ていた。
①女将:
多くは元芸者で、お茶屋の経営をするとともに芸妓と養子縁組を組み芸妓を育てるとともに労働者として管理する。
②芸妓、娼妓:
女将と養子縁組を結び、芸者として客に奉仕する。住み込みと通い��あったが、殆どが住み込みで、通いは芸者でも年季明けの終わった歳高の人たちだけだった。年季明けや旦那がお金を支払った場合は妾として茶屋街の周辺に暮らしていた。
③たあぼ:
行儀見習いと諸芸習得の傍ら、日中は走り使いの雑用、夕方からは芸者衆の座敷勤めな三味線をもって供をなし、供先きの置き屋とか料亭では家族用玄関の片隅で芸者衆の座敷終わりを待つ。12歳になると振り袖芸者と呼ばれ見習いの芸者とみなされ、さらに15,6歳になると留め袖芸者と呼ばれ水揚げが行われた。このころには体だけではなく、三味線・踊り包などの芸も一人前の扱いを受けた。
④ばんば:
年寄りが多く、飯炊賄いが主な仕事。
⑤べえべ:
10-40代、女中、下働きの女で賄い全般、掃除洗濯、女将の身の回りの世話をした。やりてばばあと呼ばれるべえべは客から以下にして金を使わせるか、寝床での振る舞いを芸妓に教え込んだとのこと。
男衆:
登楼のの客引き、芸者の世話役として付き添い、用心棒兼見張り役をする。
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C:郭の建物
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
茶屋は2つの大門を持ち、文字通り塀によってくるわれていた。門の外には妾宅が並んでいた。2本の大通りは卯辰山に向かい、卯辰山がアイストップの役割を果たしている。かつては壱番町へは小川を越えてアクセスするようになっていた。
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(参照:『浅野川茶屋町創立之図』文政3年(1820年) 石川県立図書館蔵 「旧東のくるわ」伝統的建造物保存地区保存対策事業報告書 1975年 金沢市教育委員会)
建物の外観は、1階は出格子となっており、木虫籠と呼ばれる細い縦格子がはめてある。縦桟は断面が台形になっており、外から中が見えにくい仕掛けとなっている。2階は今では小窓付きの雨戸になっており、全て開け放てる仕組みになっている。祭りの際には大通りにステージが設けられ、開け放した2階の座敷から芸者の踊りを見下ろしていたのだという。現在では失われているが、かつては木部分に紅殻色の塗装が施されており、赤い色彩と卯辰山の緑が生えたことだろう。また、屋根はかつて石置き板葺きであったが、今では釉薬を全面に施した北陸特有の黒く厚い瓦が葺かれている。
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平面は時代を経て大幅に変更されており、機能上の要求から下記図面の小さい方の平面図(明治以降)へと変更されていったようだ。
明治以降の平面図を前提に話すと、まず玄関を入ると黒漆塗りの大きな階段があり、ハイサイドライトから薄光が差し込んでいる。階段の横は長火鉢が置かれた茶の間であり、女将が座って一切を指示していた。奥座敷と茶の間は主に女将が使用する部屋で、奥座敷は仏間、寝室として使用していた。
みせの間は支度部屋で、芸妓が詰めていたから、街路には芸妓の声がよく聞こえていたことだろう
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2階は大きく表(前2階)・中・奥(広間)の3室に分けられ、表と奥を座敷とし、中はロビーのように使用されていた。間口が大きい場合は表と奥は2室に分けられ、4畳の部屋を芸妓が踊り演奏するステージのように使用していた。2階の更に奥には廊下や小階段を隔てて「離れ」があり、数寄屋風のしつらえとなっている。水揚げや日中の娼妓の使用にはこの部屋は人目につかないので都合が良かった。
3階はどの家にもあるとは限らないが、座敷を1間もつ場合がある。
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
座敷の土壁は紅殻色が用いられる場合が多く、柱は紅殻と灰をあわせて塗装されている。金沢では紅殻色や群青色が来客の場所に使用されることが多いようである。
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(参照:https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10094.html)
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(参照:https://www.pinterest.de/pin/523332419194794021/)
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D:廓遊び 
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
宴会は夜だけではなく、遊びなれた客は深更にきて朝帰りということも珍しくなかったし、庄屋の番頭などが小僧の手前もあって夜抜け出せないために早朝に密かに遊びに来ることもあったし、昼遊びの客もあった。これらの時間の揚げ代は夜よりもむしろ高かったとのことである。
客としては、加賀友禅などの伝統工芸の職人の親方や商人、旅の客などがいた。
廓の花代の1単位は45分だった。1時間を1番木と言って、拍子木が隣の控えの間で打たれた。合図の1番木で、芸者は時間切れを伝えて帰り支度をはじめ、そこから客を送り出すまでを15分と見ていたようだ。これは線香1本が燃えるまでに40分かかったことからきていると聞いた。
婚礼の祝宴が夜通し続いたりすると、芸者たちは三日三晩睡眠を取ることもできないこともあった。
芸妓は昼に芸を磨いた。自由を厳しく制限された分、芸に自らの存在価値をかけたからなのであるが、当時の売れっ子は芸を磨くだけの時間的な余裕がなかった。遊客は気に入った芸妓がいると追い回し、昼夜となく名指しをしたため、彼女らは歌や踊りの稽古などしている暇がない。流行りっ子ほど無芸という結果になったのであった。しかし、芸に精進することは文字通り体をいじめ抜くことになり、体の形を崩してしまったようで、例えば、笛の達人と言われた美津は増えをあてがう下唇がミミズ腫れのように腫れ上がっていたとのことである。
お茶屋遊びは数多くあるが、ここで流行ったものに「かんざしえらび」がある。座敷で客と芸妓は輪になって歌った。
お姫さんと寝るがに かんざし引こう お姫さんを抱くがに かんざし引こう 人のかか抱きゃ せわしない ほれ せっせっせ せっせっせ
黒く塗った丸い盆の縁にかんざしが10〜20本、妓の数だけ放射状に置かれ、客たちはじゃんけんをして勝ったものからかんざしをとり、そのかんざしの持ち主と一晩寝ることとなった。
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E:郭の性
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中店以下にいる芸者は、多くは二枚鑑札を持っていた。芸者と娼妓を使い分けなくては前借りを支払うことができなかったからである。上店では芸者と娼妓の区別が一応はひかれていたが、明治から大正にかけてはほとんど建前になっており、体を張ることによって何十円と貰いが増え、前借金を返すことができたから、体を張る者も多かった。
朝から夜まで客が来た。一人は娼妓を置かなくては営業許可が降りなかったため、芸妓は自分の代わりに一日中客の相手をしてくれる娼妓には感謝していたとのことである。
日露戦争の折には、松山、習志野、大阪に加えて金沢もロシア人俘虜の収容地となり、4000人近くの俘虜が寺院などに収容された。彼らは「大切に」扱われたというが、国から通達を受けた市当局が置き屋の女将に協力を要請し、廓の芸者らがロシア人の相手をしたそうだ。廓には梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置され、性的搾取の対象となった。
第二次世界大戦の際には、芸者は三味線を弾くことや太鼓を禁じられ、専ら復員や動員に押しかける兵隊を相手に慰安婦、接待婦として働いた。
15歳ほどになると水揚げがある。水揚げの相手の旦那は、女将同士であらかじめ相談し、決められ多くは老人だったとのことである。若者では手荒く、過ちがあると良くないと考えられたためと、水揚げをするには大金が必要だったからである。相手が年寄りであることは女たちは皆嫌がった。水揚げというものは一回きりで一人前の女になるというわけではなく、二度も三度もしなければならない。水揚げは特別に料金が高いからお茶屋が儲かったとのことである。場所は自分の住むお茶屋とはとは限らず、離れの間が使用される事が多かった。
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(旦那衆が人目を避けて利用した梅ノ橋とかつての妾邸)
金沢の芸妓の生涯を描いたノンフィクション小説である『郭の女』(井上雪著)には花街の美しさと醜さがよく描かれている。
読者は気がつく。 あの美しく見えた芸妓は木虫籠という籠に囚われているのだと。
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harmannaoto · 5 years ago
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『行動記録 2020/January/Day11~13』
溜まりまくった洗濯物、アイロンをかけながら頭のなかで色んな整理をしているときが一番落ち着く。
カワイタとkinderwallsの共同企画
『High-Fidelity vol.2』お陰さまで無事に終えることができた。
年始でインフルエンザが流行ったり
直前の水曜日に強風で橋が閉鎖したりと
ちゃんと出来るのか??
という、不安要素はあったものの当初の予定のままで進行できたのは御の字。
初詣でいつもより多く投げこんでて良かった。111円
イベント後記やバンドについて
文字で書き起こすというのは果たして?という議論もある。
結局、体感する「生」に詰まってるというは至極真理。
ただ、今回は書くのが筋かなと思い、白ける前に真空保存。
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11/January/2020 19:00
前日土曜からカワイタと福岡一行が部分的に前のりしてて商店街で飲んでいた。
もっと高松ぽいとこ案内したかったけどアテンド力が低さから、下の上みたいな居酒屋へ
未遂のギターちゅーげさんが消えて解散
ほどほどにして福岡組は三友荘へ
名物おやじに挨拶しようかと思ったけど
それは当日の楽しみにしようと持ち越し
ておく。
12/January /2020
10:00入りの早起き
ほんとは写真とか動画をいっぱい撮っておくべきだったんだけど、あまりそういう習慣がなくて、結局手元にあるのはカワイタの謎の横顔だけ。
この日の個人的目標はマッチングアプリに使える写真を撮るだったけど、それも叶わず。
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12/January/2020 14:00
1.未遂
トップバッターをカワイタがしたいということでスターターを託した。
この1年ぐらいで未遂はとっても良くしてくれてて福岡の��ちゃんみたいになってる。
「短すぎる季節」の出だしのイントロはほんとに毎回鳥肌が立つ。この日もそう。夏の日焼け跡を残しまま、玄関を開けたら一気に季節が変わってて秋のつま先に蹴りあげられるあの不可逆な感じ、あの一瞬みたいなのが詰まってる気がする。
また、今年は新曲聞きたいね。
2.Gremlin
ことある時に毎回力を借りてるマイメン。めちゃ好きだけど、あいつらつるみすぎだろ!って周りに思われたくないから登下校一緒に帰ってるのに、クラスの机は離すみたいな謎の距離感を今年は勝手に作ってた。それもやっぱりお互いの向かうべき方向を見極めたいっていうのがあるのかないのか。
すごい、律儀な奴らなので毎回、気合いを持って報いようとしてくれるのがすごいわかる。この日もそうだった。
近々、おれがめちゃ好きな「The old vinly」を琴電の電車貸しきってPV撮影するようだ。
お暇な方は足を運んでみては?
~2/16(土) 12:15 仏生山駅集合~
3.WHITE SURF!
かわいたの紹介で高松に来てくれたバンド。入りの時にめちゃ「パーティーピーポーや、、、!」と思ったけど、ライブめちゃ硬派で何より声がどちゃくそにカッコいい。
CDゲット。
曲もスタイルも色んな音楽が好きっていう気配がプンプンしてるし、この長丁場にも関わらずVo.ケイタ君がほぼほぼフロアの前の方にいたのを見逃してないぜ。
4.SEAPOOL
直前のWHITE SURF!がステージから
「次は同じ大阪のSEAPOOL」って言って音出しが始まった。
今回、とても出順にはとてもこだわった。
イベントの効率性・ジャンルの棲み分け色んな観点があって然るべきと思うけど、流れが2乗3乗になるようなだれしもが起点になるような膨らみある出順を心がけたので、すごく報われた気持ちになった。
SEAPOOLは徳島に居たときから知ってたけど、今回はかわいたサイドから声をかけてくれた。
明らかにここからイベントの輪郭が出てきたとも感じた。
暗も明もポップもジャンクも混在するのに聴き手を置いていかない。どのフィールドでも爪痕が刻まれる異物感みたいなのに一気にファン。
これSEAPOOL以外に出来なくないか?
翌日の彼女らのイベントBGMもすごく惹かれて次あったらちゃんと話したいななんて
5.zoo
僕が青春を過ごした、岡山にはすごいシーンが無数にあって、一番かっこいいと思えるバンドが沢山にいる(矛盾)
今回、先輩の胸に飛び込むか、よしみに肩を借りるか悩んだ末、zoo���至った。
メンツの中でも一際、雰囲気は違ったかもしれない。でも、誘ったこちらにはすごい辻褄の合う直感があった。
終わった後、仲良い人が沢山CD買っててすごく嬉しくなっちゃった。
道信ちゃんの声はとてもとてもギフトなものでいつか大きなステージで見たいと思う。
6.yound
実は、Vo.あおたさんにはこの2か月ぐらいある一件でご迷惑をおかけして申し訳なかった。先日、福岡に行った時にDJをしてたあおたさんに初めてお会いして以来、youndのライブ見れるの楽しみにしてた。
高松で事前に「youndめちゃ楽しみ」というか声を聞いてて「もしかして有名人、、、?」となってた。スパルタローカルズとか福岡のひねくれポップなあの気配を勝手に感じてて、もっと音楽の話したかったけどイベント終わりに仕事の関係ですぐに帰ってしまって無念。
次回会ったら、あのHB-101 のキャップどこで売ってるか聞きたい。
7.Make The Pancake
色んな人からのこの2年ぐらい会わせたい奴らがいると、話は聞いてた。今回、カワイタが間を取り持ってくれてやっと一緒にやれた。しかもTOONICEで。
音だしのNUMBER GIRL「透明少女」から最後のドラムのキックをぶち破るまで御馳走様でした。ただ、聞きたい曲がまだまだある。
たぶん、長い付き合いになるな。
引き続きよろしく。
終了後、206 TSUMAMUのうまうまキッシュでパワーチャージ
8.sunday document
2年前に出会ってからずーっとファン。
この人たちがいたから今回、このイベントを決行するに至ってる。この日も破竹のステージング。終わってから刺激を受けたからギターを買ったとの報告が。
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9.Off-end
恐れ多くも、今回の企画にOff-endが出てくれたことでイベントの意味が彫り深くなった気がしてる。MCでの井川さんの話、メッセージとして受け止めてグッときた。それをカワイタも同じように受け止めててほんと一緒にして良かったと思った。
荒木さんから譲り受けたアンプをいい音で鳴らせなくなったら俺は終わりだなと思っていつも鳴らしてる。
結局、音は覚悟の有り様で鳴る。
直前の金曜日に開催された荒木会、参加できなかったので来期は参加必至。
10.No edge
個人的には4年前?the new coastを知った時から鹿児島をチェックしてて、彼らともいつかしっかり出会いたいな思ってた。カワイタが繋いでくれてから文面でやり取りしてる最中からこの人はほんとに信頼できる人っていうのは伝わったし、ライブも圧巻。こんなん好きに決まってる。
打ち上げで聞いた、鹿児島で起きてること、携わる人々、すごく胸高鳴る話だった。
今年の個人的目標は共鳴する地方を肌で感じること。
11.TURNCOAT
憧れが詰まりまくった大先輩。しっかり絡めだしたのはkinderwallsを始めてからだけど、すごく影響受けてます。
今回も九州勢に「どのバンドとやりたいですか?」
と投げ掛けたら満場一致で
「TURNCOAT!!!」
偉大さを再度知りました。
そして返答
「すみません、もう誘ってます。」
恒例の打ち上げ後の三友荘にベースの恭平さんを無茶にも連れ込んでしまい、あろうことか僕が先に寝てしまいすみません。
(7時まで飲んでた後日談)
今年も宜しくお願い致します!
12.Look at moment
もう切っても切り離せないよね。
お互いなにかするときは絶対そこに居合わせてる。ライブとてもスマッシュヒットでこんなバンドが高松にいるって知ってもらえて嬉しかったな。
絶対宇津さん以外に踏めないバスドラの新曲もとてもとてもカッコよくて、刺激受けました。
フロアぶち上がりすぎて前へ前へになって
演者/聞き手がゼロ距離になってたの笑った。
今年の動きもしっかり見届けていく所存。
13.NOT GREAT MEN
前作、impulse recordsから出た
s-explode とのスプリットもチェックしてて、今回sunday documentとのスプリットを聞いてから楽しみにしてた。
空港の手荷物検査に引っ掛かって到着が危ぶまれたけど、無事に出番1時間前に到着。(さすが、もってる)
ライブの遅れてきたヒーロー感すごかった。
今回は、ドラムがErase the periodからサポートでコデさんとのことで久しぶりの再会。
イレースもまた見たいな。
12/January/26:00
打ち上げ後に、おれたちの三友荘へ
全然電話に出ないこの料金体系がわけわからん、宿中に��久夢二が飾られまくってる宿があるからこそイベントが成り立っているといっても過言ではない。
イベント出発前にカワイタがおやじから
「天気悪いから気を付けろよ」とグッドラックを送られた時点で成功の加護があった気がする。あと、室内ちょっとだけ綺麗になってた。
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13/January 11:00
総勢23名で松下製麺へ
おばちゃんにバンドしていることを把握される。
最近、ご無沙汰やったけど
やっぱりあんたが一番
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13/January 13:00
無事、NOT GREAT MEN一行を高松空港まで送り届ける
~完~
去年に初めてしたこのイベント
「新年会でみんなに会えるようなイベントにしたいね!」ってカワイタとおれで思い付きで始めたのだけれども
去年がとてつもなく面白くてこれがあったからみんなの一年に締まりがでたという印象だった。
今年も色んなタイミングが重なって
「やるっきゃないでしょ!!」
ということで夏ぐらいからコツコツコツコツと準備をしてきた。
右往左往ありつつも
蓋を空けてみると完璧なフライヤー(LITL作)を看板に真っ昼間から総勢14バンドを高松TOONICEで2ステージで敢行。
206 TSUMAMUもHOLIDAY!RECORDSの出店もあるという、昨年よりちょっと背伸びをした���容となっていた。
声をかけたけど、諸事情で来れなかったバンド。
体調不良で遊びに来れなかった人
気にかけてくれた人
ありがとう。
残りの企画者がどう思っているか答え合わせをしたことはないけれど、
「デカイことをしよう!」とか多分、微塵も思ってなくてて、バンドを鎹にしてみんなと会いたいと思ってるんだよね。
友達の友達は友達じゃないけど、もしかしたら何か起きるかも
バンドがしようがしまいがどうだったいい
地元から出ていった人、地元に帰ってきた人、忙しくしてるならそれでオッケーでもずっと会えないのは悲しいな
そんな気持ちで臨んだイベント
『High-Fidelity』
至るところで点と点が線になって、破線が実線になっていく空気が変わってひしひしと伝わる1日だった。
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2ttf · 13 years ago
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bearbench-3bun4 · 7 months ago
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「虚無への供物」中井英夫 1151
第一章
15五つの棺(亜利夫の推理) 01
この節は、タイトル通りに亜利夫の推理が披露されます。 かなりがっかりする内容ですが、 多少の興味はあります。
さて、話は、明けてからの世相からです。 昭和三十年、1955年の話です。 国会解散ですから衆議院議員の話です。 第27回衆議院議員総選挙をみてみると、 ここに書かれているとおり、 日本民主党、自由党、日本社会党(左派)、日本社会党(右派)などが争ったみたいです。 社会党に左派と右派があったというか、同じ政党名では大変だったでしょうね。
火事は一日で四十件、交通事故が八十件と書かれていますが、 調べた資料が違うのか、そこまで多くはないようです。 新記録のはしりもでたくらいという表現なので、多い日でということでしょうか?
この頃から東京には熱病が流行の兆候を表し始めたとありますが、 昭和三十二年、1957年にアジアインフルエンザ(H2N2亜型)が流行していますから、 このことでしょう。
六日の集まりのために亜利夫は、聞き込みのようなことをします。 正月明け二日に氷沼家を訪ねると、 九段から麻布谷町(あざぶたにまち)に越した八田皓吉がいます。 しかし、詳しい内容はここでは書かれません。 意味のないことだからでしょうか?
それよりも、蒼司の様子が書かれますが、憔悴しているようです。
たとえとして、 木々高太郎(きぎたかたろう)「青色鞏膜(せいしょくきょうまく)」の主人公さながらといいますが、 残念ながらこの「青色鞏膜」を読むことはできませんでした。 紹介文を読むと、主人公は遺伝による悲劇に見舞われるみたいです。 とすると、蒼司もなにかの遺伝による悲劇に見舞われると言うことなのでしょうか?
そんな蒼司に四人が集まって推理比べをすることはいえないと、 亜利夫は考えています。
さて、話は、約束の一月六日です。
寒の入りのこの日、晴れで、新春恒例の防火・防災行事として東京消防出初式が行われましたが、 夕方からは雪がちらついたとなっっていますです。 記録には雪の記録は残っていませんが、積もるほどではないということなのでしょう。
“アラビク”に集まった四人。
亜利夫のファッションは、 一つ釦(ぼたん)で胴を緊めたフラノの変わりジャケットにスラックスはぐっと濃い目の灰色のギャバというまるで、 一九五四年十一月に帝国ホテルで開かれたじゃがいも会新作ショウのようなスタイルとあります。
1954年に帝国ホテルでクリスチャン・ディオールのショーが開催されているみたいですから、 それの関連なんでしょうが“じゃがいも会���ってなんなんでしょうね。
ちなみに フラノは、フランネルの一種で紡毛地を代表する織物のことです。 起毛仕上げを施しているため、生地表にケバをもつ、やわらかく、暖かいタッチが特徴となっていて秋冬のカジュアル定番素材です。
ギャバの正式名称はギャバジンと呼ばれるものです。 ただのコットン生地ではなく、防水処理が加工された生地で、光沢や、しなやかな風合いが特徴的で、防水のため密度が高いものです。 現在でも人気のあるトレンチコートの前身とされており、撥水や耐久性に優れた素材です。
次に、 久生の様子です。 今日が初釜だったようで、和装のようです。
雪の精みたいに純白なシールのコートを脱ぐとどっしりした鶸(ひわ)色の一越(ひとこし)に洗い朱(あらいしゅ)と銀で遠山霞を織り出した綴(つづれ)の帯という格好です。
純白なシールは、ショールのことでしょう。着物のアウターとして使うこともできますしね。 純白ならなおのこと似合いそうです。
鶸色は、鶸の羽の色を連想して名づけられた黄緑色に近い色で、その色の緯糸の強撚糸を左右1本ずつ交互に一越ごとに打ち込んだ、一越ちりめんの着物に、黄みを帯びた、丹色にいろに近い朱と銀で遠くの山がぼんやり霞んでいる様子を織り出した帯という出で立ちというところでしょうか?
四人は、“アラビク”の二階に陣取ると、ここから各々の推理比べになります。
ところで、夜に集まったはずなのに、蘭鋳ことママは買い物、おキミちゃんは多分、映画に行ってるみたいです。 で、対応にでたお花婆あと名乗っている三味線弾きの爺いが案内してくれます。
当時のゲイバーには三味線弾きがいたということでしょうか? その当時でも、レコードはあったろうし、流しの弾き語りもあったでしょうから、 その三味線弾きの爺いがいたのは、この店の常連だということもあるのでしょうが、 新年ですから、何かの催しがあって、その帰りなんでしょうね。
さて、二階のその部屋には、初春らしい花やかな羽音ぶとんのかかったこたつがあり、 藤木田老人が腰を据えています。 藍ちゃんのことが書かれていませんが、もうすでにこたつに入ってるのでしょう。 そこへ亜利夫と久生がやってきて、こたつに当たりながら、話し始めます。
このところで、藤木田老人が、黒々と染め分けた髪と付け髭ですっかり若返っている幼稚な変装をしていることが書かれていますが、 これ、何の意味があるんでしょう?
で、 やっと亜利夫の推理披露です。
風呂場は白で統一されていて氷沼家には見当たらなかった“白の部屋”だといいます。 ポウの小説「赤き死の仮面」(『赤死病の仮面』"The Masque of the Red Death")にはある白の部屋はあそこだったのだといいます。
そして紅い十字架の鞭痕を背中につけた紅司君が自分自身“赤き死”としてあの部屋に出現した。 そう考えていいんじゃないでしょうか。
どうして、ポウの小説「赤き死の仮面」が引き合いに出されたのかこれでわかりましたね。 というか、ポウに傾倒し過ぎなんではないでしょうか?
よくわからない藍ちゃんは、“赤き死”について尋ねますが、 歌舞伎仕立てにした方の「花亦妖輪廻凶鳥(はなもようりんねのまがどり)」での第一幕一番目狂言にあたる殺人だという意味を表していることでしょう。 と、説明しますが、さっぱりわかりません。 調べても、深みにハマるだけみたいです。
もう一つの“黒い部屋”がどこにあるのかを考えていて真相が判ったと言います。
それは、目黒なんだと言います。 氷沼家は目白にあって、 目黒という地名は目黒不動があるからだけど、 目白にも目白不動が千歳橋の向こうだかにあることが、爺やに聞いてわかります。
しかも、目青、目赤、目黄という全部で五つの五色不動が、 千年以上も前から武蔵の国には配置されていてそれこそ氷沼家の守り本尊なんだと爺やがこたえます。
黒目で蒼司が、目青、目赤、目黄、で、藍ちゃん、橙二郎、緑司の三人が、 一つ一つ銘々のお墓に昔から予定されているんじゃないか。 だから、はやく五色不動と氷沼家との間の因縁を探らなければと言います。
かなり無理がありますね。
というか、これで行くと五人殺されますけど、 凶鳥の黒影の四人殺さるるのと辻褄が合わないことになりますね。
急に話に出てきた藍ちゃんが「お不動様なんかと心中するなんていやだ」と言いますけど、 それが、自分の運命を言い当てたと書かれています。
藍ちゃん、どうなるんでしょう?
藤木田に促されて亜利夫は、自分調べてきた目黒なんかの由来をすらべていたといますが、 結局、五色不動縁起はわからなかったみたいです。
これが、伏線になるなら、もう少し説明があってもいいいでしょうから、 あんまり関係ないのでしょうか?
そこで、亜利夫は今度は爺やに聞いた話を披露します。
アイヌの蛇神が紅司君を殺そうとした。 それを氷沼家の守り本尊である不動明王がとっさにコンガラとセイタカという二童子を遣わして助けられた。
藤木田がそれに対して、 「橙二郎は鬱病、爺やが分裂症初期症状を見せ始めたとなると・・・」 といいますが、 爺やの分裂症初期症状はなんとなくわかりますが、 橙二郎の鬱病は何を指すのでしょう?
また、文覚上人(もんがくしょうにん)の荒行(あらぎょう)以来の珍事だとも言いますね。
これは、平家物語6、文覚上人の荒行のことだと思います。 かなり興味がありますが、珍事だというくらいで深く触れていないのは、 ただの例えなんでしょう。
で、亜利夫は乱歩の「続・幻影城」を取り出します。
『(2)犯行時、犯人が室内にいたもの』の、 犯罪発見者たちがドアを押し開いて闖入(ちんにゅう)した際犯人はドアの後ろに身を隠して、 人々が被害者のほうに駆け寄るすきに逃げ出した。
これの変形しかないといいます。
隠れるところなんてあったかな?
と思ったら、とんでもない場所を示します。 これは、びっくりでした。
みんな呆れてますが、私も呆れました。 これはないでしょう。
当時の噴流式洗濯機を検索してみてみましたが、 流石にここに隠れるのは難しいでしょう。
藤木田は、呆れたように宗教性譫妄症(せんもうしょう)の気味があるといいますね。
人間が持っている宗教に関係する感情や性質により、時間や場所をうまく認識できなくなってしまう見当識障害や、注意力、思考力の低下などということでしょうか? どうして、宗教の関係があるのかもよくわかりませんね。
それから、紅い毬の意味もわからないし、誰もいなくなって風呂場から逃げ出す。 このタイミングをどう計ったのでしょう? それに、どうやって紅司君を殺したのでしょう? 五色不動は面白かったですけど、これは全くいただけませんね。
まあ、もともと、久生にワトスン役を指名されていたのですから、 こういう役回りなのかもしれません。
で、久生はそれを引き取って、自分の推理の一端を披露します。 亜利夫と同じで、やはり誰かが風呂場に隠れていたと考えているみたいで、 この次の項で披露するみたいですね。
つづく
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xf-2 · 6 years ago
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与党・民進党の歴史的惨敗に終わった台湾の統一地方選。にっくき蔡英文総統と民進党がたった2年半で自ら転んでくれた。その光景に、ほくそ笑んでいた人間が北京の中南海にいたはずだ。習近平・中国国家主席である。
 中国にとって台湾統一は理屈を超えた情念の世界であり、台湾を統一できなければ「領土完整」は達成されないという理論を組み上げているので、中国においては、指導者も民衆も、台湾の統一の実現という目標については一切の妥協を許さない、認めないという「台湾問題の神聖化」が存在している。
 だからこそ、台湾問題について、歴代の指導者はそれぞれ自らの台湾政策の指導方針を示してきた。鄧小平の「和平統一」、江沢民の「江八点」、胡錦濤の「胡六点」がそれだ。しかし、習近平は就任から6年以上がすぎているのに、なお、独自の台湾政策の公表を控えている。そこには、2014年のひまわり運動と、その影響をうけた台湾政治の大変化が響いていると見るべきだろう。台湾独立を綱領に掲げる民進党の勝利が続くなかで、台湾政策を定めることを控えてきたと思われる。
「統一地方選後」の中台関係の行方
 そのなかで展開されてきた習近平の台湾政策は、原則主義とソフトな圧力を組み合わせるものだった。蔡英文政権は発足当初から中国との対話継続を実現するために、就任演説で、中華民国体制の維持や「(一つの中国を含んだ)92年コンセンサスを歴史的事実」と述べるなど、多くの譲歩を行っている。しかし、中国はそれらを評価せず、「92年コンセンサス」を明確に受け入れない限り、台湾との対話を行わないと表明。馬英九時代は停止していた台湾の友好国の寝返りを認め、観光客の人数も絞り込み、台湾農産物の購入なども控える一方、中国に留学する台湾の若者には大きな優遇を与えるなど、硬軟織り交ぜた慎重な台湾政策を進めてきた。
 これは習近平政権にとっては、あくまでも台湾政治の展開の様子見を兼ねた暫定的な政策であった。2020年の総統選でも民進党が勝利してさらに民進党の天下が続くときは、中国は「台湾独立の阻止」を理由に武力行使を含めた強硬手段というハードなオプションも検討してきたと言われている。
 しかし、「友党」とみなす国民党の復調が目に見えるようになったことで、中国は当面、真綿で台湾の首を絞めていくような現状の路線を続ける可能性が高い。
米中関係にも影響を与える「民進党の敗北」
 現在、中国は米国との関係が緊張ぶくみで展開していくことが予想され、米国が中国に対抗する意味でより大胆に台湾を庇護しようと動いた場合、台湾問題の解決が遠のいてしまう。「新冷戦」とよばれる米中対立のなかで、台湾を米国の対中カードにしないためにも、民進党の弱体化は中国にとって必要とされることだった。
 このように、二重の意味で、今回の民進党の敗北は、中国にとって極めて望ましいシナリオだったということができるだろう。早速、中国の台湾政策を担当する国務院台湾事務弁公室の馬暁光スポークスマンは「両岸(中台)関係の平和的発展の『紅利(配当)』を受け続けることで、経済や民生を改善したいという幅広い台湾民衆の希望を反映した結果だ」とこの選挙結果を歓迎する考えを表明した。
 今回の選挙では、台湾のフェイスブックや台湾で人気がある掲示板(PTT)に対して、中国のネット部隊「網軍」から台湾世論を誘導する書き込みが多数行われたとの指摘がある。トランプ当選に果たしたロシアからの対米世論工作を思わせるが、本当にあったことだとしても、決定的に選挙情勢を左右したとは思えない。基本はこの2年半の蔡英文総統の政治に対して、民衆の不満が積もり積もった結果、高雄市長に当選した国民党・韓國瑜氏が巻き起こした「韓流ブーム」によって、民進党が脆くも崩れてしまったというのが今回の選挙の大きな構図である。
習近平を慎重にさせる「悪夢の記憶」
 中国が長期的に最も恐れているのは、台湾がこのまま台湾本土意識をずっと強めていき、「台湾は台湾」であることをすべての人々が当たり前の事実として受け止めてしまうことだ。そうなると、中国にとっては統一をいくら叫んでも、台湾の民意が一致していれば、武力行使による「台湾解放」以外に何も打つ手はなくなってしまう。だがそれは米国と国際世論が容易に許すところではない。
 今回の台湾の統一地方選で民進党から国民党にトップが交替した高雄市や台中市には、その農・水産物を優遇したり、観光客を送り込んだりするなど目に見える「配当」を与えて、台湾社会に「親中・反中」の間で分断を作り出し、台湾人に選択を迫るような方向にもっていこうとするに違いない。
 ただ、台湾の人々にとって中国はあくまで遠い存在であり、台湾が独自の存在であることを脅かそうという行動が見えたときは、中国への警戒心が一気に高まるだろう。馬英九政権の時代も、台湾に「善意」の名のもとに多くのメリットを与えたが、結果として台湾本土意識はかえって強まり、中国への反発をもとに「ひまわり運動」を招いて民進党の勝利という悪循環を招いた。そうした「悪夢」の記憶があるだけに、中国は目下のところ好ましい方向に推移している台湾問題に対し、当面はなおさら慎重な姿勢を崩さないと見られる。
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linkshair2014 · 4 years ago
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thyele · 2 years ago
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2023年2月2日
カズのポルトガル移籍に世界が仰天「メッシが生まれる前からプロ選手」英BBCも報道 | 東スポWEB https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/252783 くはー!すげえ。
嘘の悪口言いふらす人って暫くすると皆にバレてるよね | ママの交流掲示板 | ママスタコミュニティ https://mamastar.jp/bbs/comment.do?topicId=4198362
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あの「マジックミラー号」実体験も!電車内から映画館に役員室まで…コンセプト部屋だらけのマル秘ホテルとは | ニコニコニュース https://news.nicovideo.jp/watch/nw11993800
フリオ・フランコ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B3
高野 寛 🍥さん「達郎さんが幸宏さんと共演した曲だけを集めた追悼特集。素晴らしい選曲でした。 山下達郎の楽天カード サンデー・ソングブック | TOKYO FM | 2023/01/29/日 14:00-14:55 #radiko」 https://twitter.com/takano_hiroshi/status/1620405706364178432 高野 寛 🍥さん「シナロケと細野さんを繋いだのは、 幸宏さんだった、と。」 https://twitter.com/takano_hiroshi/status/1620257492340199425
OBLIVION DUST STAFFさん「/ Zepp Haneda(TOKYO)公演 アーカイブ配信期間延長🎉 \ 大好評につき、本日までの配信期間を延長する事が決定いたしました✨ 沢山のご視聴・ご感想をありがとうございます🙏 特別延長期間は未定の為、配信期間終了前に改めてご案内いたします。 ⬇️LIVE🎸映像はこちらから⬇️ https://t.co/Rqi64Y1czk」 https://twitter.com/Oblivion_Dust/status/1620406077862084609
宮台さん事件、容疑者とみられる男がパソコン処分 事件後ナイフ購入:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR22425KR22UTIL00K.html
『資さんうどん』迷惑行為への対策発表 天かす&とろろ昆布は個包装で提供 1日午後に被害届提出・受理 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2266292/full/
図工の時間におなじみ「黄色の筆洗バケツ」…突然の廃業宣言に悲しみの声 その理由を聞いた|まいどなニュース https://maidonanews.jp/article/14829299
全国書店員が選んだおすすめコミック https://zenkokushotenin-manga.jp/
【マクドナルド新作メニュー】「アジアンごはん 油淋鶏」「アジアンごはん スイ ートチリ海老」夕方5時からの夜マック限定で登場 - モデルプレス https://mdpr.jp/gourmet/3584471
あやまん監督、12歳年下の一般男性と結婚 43歳で第1子も出産「不妊治療、子宮筋腫核出術を経て」 | ORICON NEWS https://www.oricon.co.jp/news/2266254/full/ おめでとうございます(笑)。
共感できる?「雪合戦にハッピーエンドはない」雪国小学生あるある | おたくま経済新聞 https://otakei.otakuma.net/archives/2023020205.html
PS5、ようやく通常販売へ 発売から2年、量販店が相次ぎ抽選販売の終了を告知 - ITmedia NEWS https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2302/02/news114.html
松本人志「兼近に頑張ってほしいなー」の一言エール ファンも感激/芸能/デイリースポーツ online https://www.daily.co.jp/gossip/2023/02/02/0016015737.shtml
ヤフーとLINE、ZHDが合併。サービス連携強化と統廃合を推進 - Impress Watch https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1475434.html
HIROTO ALICE NINE.ヒロト アリス九號.さん「🔥機材も紹介ってなかなか無いか🔥ら熱🔥いね🔥💥💥💥🔥」https://twitter.com/hrt_A9/status/1620402684166832128
HIROTO ALICE NINE.ヒロト アリス九號.さん「武道館のグルーヴそのままに(それ以上に🔥)ちょーアガる仕上がりになってまーす💥💥💥💥💥」https://twitter.com/hrt_A9/status/1620399596794179584
松本大さん「#DMP舞台企画 第3回公演 2023年 8月29日(火)〜9月3日(日) #荻窪小劇場  『シーザー❗️❗️』 シーザーとは? ブルータスとは? 二人のシーザー? 二人のブルータス? シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」ではわからなかった疑問を解き明かす! DMP版『シーザー❗️❗️』 #拡散RT希望 https://t.co/LzOaAhVNTu」https://twitter.com/61k61z61k61z/status/1609386817761214466
LADIESROOMさん「【Hyaku】【Hyaku-G】 2月3月は、ソロでのLIVEスケジュールも盛りだくさんです! こちらもCHECK3❤️ https://t.co/8qjpy16vnK #LADIESROOM #Hyaku #George #我孫子神音會 https://t.co/u09riYrYg9」https://twitter.com/LADIESROOM_Info/status/1620633584636956674
KING OFFICIALさん「【通販】 2023.2.5発売 〝CRY OUT TO HEAVEN〟 30〜31日にかけて発送とお伝えしましたが、 全ての皆様、31日発送いたしました。 到着されましたら、必ず、特典CD-Rの動作確認をお願いします。 不具合の場合は、到着後1週間以内に、不具合内容を記載の上[email protected]にご連絡ください。 https://t.co/soUteHHJzH」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1620624628942274560
杉本善徳さん「山縣と会社スタッフたちとの打ち合わせを終え、帰路のなか卯で食事をしている。店内では、お琴verのI for Youが流れている。 ここ2、3年で自分も含め仲間全員が勝負の時期を迎えるなぁ。」https://twitter.com/ys1126/status/1620441930915258369
杉本善徳さん「ええやん。」https://twitter.com/ys1126/status/1620438249503338496
魚住 英里奈(独唱)さん「プライマルスクリームを聴きながら、一人酒を煽り中島らもを読んでいる。徹底的にワインの底の澱みをしてる。 https://t.co/m7f8yNIajn」https://twitter.com/erina_chas/status/1620441494921547776
ROCK_AND_READさん「【RR104チラ見せその17(桜井青 cali≠gari、aie deadman、seek Psycho le Cému)】 #桜井青 #caligari #aie #deadman #seek #PsycholeCemu)】 Amazon https://t.co/5yQcV81vZp tower https://t.co/RBgcHBXBE7 https://t.co/ruYNIeW9lw」https://twitter.com/rock_and_read/status/1620346956295061504
ライヴ喫茶 亀さん「⚠️片岡フグリ企画⚠️ 2月25日(土)  『大阪モイスト万博』  【出演】 Menow 大河内大祐 魚住英里奈 片岡フグリ 開場18:30/開演19:00 2,000円 https://t.co/Wjs8rsOG9l」https://twitter.com/livekissakame/status/1620431323088457729
魚住 英里奈(独唱)さん「これから家が見つかるまでの話を、わたしは唄にしていない。」https://twitter.com/erina_chas/status/1620445955140251648
Suay@1/21(土)You Tube初投稿/D≒SIRE/追憶さん「@shina1147 TAKASIコールできますか😳」https://twitter.com/Suay_official/status/1620436537635901440
紅いシールドMST✌️さん「ラスト、みんなで歌ったぞ、ももクロちゃんもカバーしたまた会う日までー! https://t.co/eP68gZpVpe」https://twitter.com/KUJhZllwAvnD4uF/status/1620434989782532096
紅いシールドMST✌️さん「TAKASHIー!今日も最高だったぜー! 名前がかわっても俺たちのTAKASHIはかわらないぜー! https://t.co/qOQ48wLpFR」https://twitter.com/KUJhZllwAvnD4uF/status/1620433747610054656
デトロイトD輔さん「@taiga_aisare @shina1147 一票!」https://twitter.com/MADBAL3/status/1620419408136118284
Lisaさん「詩那さんの飛躍はめちゃくちゃ嬉しい! でも慣れ親しんだ芸名変わるのはちょっと寂しいかも🥺」https://twitter.com/misslisaxxx/status/1620355443079155712
きらパパ#演歌花💐さん「@shina1147 ヨナ抜き音階(演歌界)に新しい陽が登るって意味で😆」https://twitter.com/HareruKirapapa/status/1620342776968921089
きらパパ#演歌花💐さん「@shina1147 ハズレだな😅」https://twitter.com/HareruKirapapa/status/1620351231389741056
MIYAVIさん「2023 Jan. 30th At Garden Theatre Tokyo 📸 by @cazrowAoki (More will be on MYV CREW site) https://t.co/nEM1R0Bptp」https://twitter.com/MIYAVI_OFFICIAL/status/1620535294633328640
MIYAVIさん「2023 Jan. 30th At Garden Theatre Tokyo 📸 by @cazrowAoki (More will be on MYV CREW site) https://t.co/nV93LFMAXS」https://twitter.com/MIYAVI_OFFICIAL/status/1620536057686282240
Ryuichi Kawamuraさん「2月1日☀️ https://t.co/jjYDh8RthK」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1620545367933878273
こもだまり|昭和精吾事務所さん「冬生まればかりの昭和精吾事務所、 1/31は梶くんのお誕生日でした🎂 俳優・梶原航を初めて見たのは2015年の今頃です。 氾濫原を経て今は頼もしい仲間。 ありがとう! 📸 2022『#仮面劇犬神』レコ発ライブ 2021『氾濫原3』(曽根崎心中) 2020航跡WS 2016 Manhattan96(初共演) https://t.co/8o4e0jNiCJ」https://twitter.com/mari_air/status/1620576368240234496
Daiさん「ドキドキ!」https://twitter.com/dai_dai0027/status/1620555080411013120
seekさん「翼くんがタイから帰ってきた。 4人で音楽を奏でている。 MIMIZUQ冬の旅がはじまる。 今週土曜日日曜日は大阪。 待っててね。 https://t.co/zZ29xjXHS2」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1620595382505050114
Hydeさん「[STAFF] #TheLastRockstars are coming to ROCK New York City 2023 Debut Tour SOLD OUT! New show JUST ADDED Feb 3 at #HammersteinBallroom Tix:https://t.co/Blc2FAIO7Q #YOSHIKI #HYDE #SUGIZO #MIYAVI #TheLastRockstarsNYC @YoshikiOfficial @SUGIZOofficial @MIYAVI_OFFICIAL https://t.co/y0aDACloWc」https://twitter.com/HydeOfficial_/status/1620599988421287936
UNCLOCK LOVER2020さん「-今後のLiveスケジュール- 5/4が追加されました! 2/5大塚Hearts nextアコ 2/17上野音横丁アコ 2/22吉祥寺SHUFFLE 2/26仙台SPACE ZERO 3/6池袋EDGE 3/21 川崎Serbian Night 4/4池袋EDGE 4/13上野音横丁アコ 4/23 川崎Serbian Night 5/4柏Thumb Up 5/23川崎Serbian Night 6/16吉祥寺SHUFFLE企画」https://twitter.com/UNCLOCK_LOVER20/status/1620602373147353091
暗蔵喫茶Killer饅頭さん「本日2/1(水) 暗蔵喫茶「Killer饅頭」はお休みです。 次回の営業日は 2/4(土)〜6(月) 【カフェ・ド・デザビエ】 開催致します。 御予約は暗蔵喫茶「Killer饅頭」公式twitterのDMへ。 詳細はhttps://t.co/dWv19omyl3 をご覧下さい。 https://t.co/CXQ5Ym6fvU」https://twitter.com/Killer_manju/status/1620608075865686017
deadman_officialさん「【FUZ更新】 FC限定動画を更新しました。 https://t.co/dbU3WT2aGV」https://twitter.com/deadman_fuz/status/1620617941787217920
幻覚さん「幻覚ライブGOODS通販のお知らせ 1月28日『幻覚308・ダークイズムアレルギー』ライブが無事開催でき無事終了致しました。ありがとうございました。  物販に関してお問い合わせをたくさん頂きました商品を再度通販させて頂きます。期間限定ではございますがお見逃しのないようご利用ください。 続き↓ https://t.co/UU6Zd4GWwl」https://twitter.com/genkakuoffical/status/1620617971122196480
幻覚さん「.続き↓ なお、この通販と同時に「幻覚『始動。』DVD」の通販はこちら WeROCK STORES! ストアサイト https://t.co/SL5hJmfUWV のみです。 続き↓」https://twitter.com/genkakuoffical/status/1620618164773220354
幻覚さん「↓ 通販期間:2023年2月4日(土)10:00am~2月11日(土)10:00pm ※期間を過ぎましての御注文はお受けできませんので御理解宜しくお願い致します。 通販方法:メールでの受け付のみと致します。 商品の発送:発送は着払いでの発送となります。 ◆購入方法◆ メールアドレス [email protected] ↓」https://twitter.com/genkakuoffical/status/1620618457703415810
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