#一乗寺美容室
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2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮に徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマンズの話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『ゆらめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食���ログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、ついこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったから。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしていく人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
youtube
「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく��一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出さなくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。
渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四国八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがてら行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってあるのがとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもので1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は高い方がいい。法事の価値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。
午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニアルバムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明かしっぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変��白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘のない人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子��「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる��州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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堀部安嗣さん講演 (2023.02.22 於・前橋工科大学 演題『私のパッシブデザイン』
…
積極的に受け身であること
理系・文系 ふしぎな分け方
他の言い方は無いのかな、
→時間の流れかた、概念が、理系と文系では違う
横で一定・理系 時間とともに成長していく、という概念
ぐるぐるぐるぐる循環・文系
理系の人が作り上げるもの・コンピュータ、エアコン、車etc.
文系 1000年前以上の、弘法大師の書
200年以上まえのモーツァルトの音楽
ドストエフスキーの文学
いつの時代でも良いものは良い
1日の循環
建築の世界 理系的・文系的のバランスのとれた世界 い��んなタイプの人がいる方がよい
警鐘を鳴らす、ブレーキをかける建築家
堀部さんは、文系的だと自覚
建築は、果たして進歩しているか、進化しているか。
防水技術、免震技術 進歩
それらが人の幸せに役に立っているか
…
映画 ファースト・マン
静謐な映画
ニール・アームストロング船長の自伝的な映画
人類の栄光の光の裏にある闇、影
地球上では、自然ゆたかな所での家族との暮らし 東西冷戦 生存確率の低いロケットに乗り、たどり着いたのは空気もない死の星
地球は緑豊かで美しい土地だったのに、なぜ危険をおかしてまで
瀬戸内海の美しい自然
いまでも200年前の風景の残る
東京のほうが進んでるよね、との劣等意識を持つことが多い。もったいないこと。
讃岐市のプロジェクト
やりたいこと、ただひとつ。
この土地を、国立公園にふさわしい土地に戻してゆく 建築もいらない、けど、建築の役割はあるし、できること、人々に安心を与えることは建築に出来る
東京の風景 東京の方が豊かだと、地方の人は錯覚してしまっている ふしぎなこと
富山 宝物があるのに
兵庫 20年前は森だったところ
中央へ、宇宙へ
侵略 キリがない
宮沢賢治の詩 僕は家族にほめられた、僕は世界に誉められた、その先にどこへ行けば?
コロナ禍 ステイホームの自粛のとき、自分の足元を見つめざるを得ない→自分の地域の良い点に気づいた 足元への評価
roots
根源
根のあるもの
足元にすでに持っているもの
どんなものを土台にして、私たちは思考しているのか
…
原風景
横浜の���見
色んな人が行きかうカオス
鶴見線 鉄ちゃんのあいだでは有名
中学のとき、ヨーロッパ 写真を撮った
国道駅のアーチとのかさなり
自作でも 意識したわけではない、原風景が滲み出る →設計という行為
曹洞宗大本山 近所に
お寺のもつ悠久の時間の流れ、不気味さ、幼少期触れて生きてきたことは幸運だった
大きなお寺は風景が変わらない
50年前の樹 祖父と一緒にみた
再訪するもき、私はここで生まれてきたのだ、と実感 そこでの、子どもと老人のことを祖父と私にかさねる
記憶 確かな記憶のない限り、未来を見出せない お墓 ショッピングセンターが立ったり、バイパスが通ったりすることはない
静岡県浜松市 趣のある素晴らしい日本家屋・庭に住んでいた。今、その場所は道路の下に眠っている 往時の記憶が甦らない、すべて破壊されている 道路による記憶の破壊
…
見たこともない、感じたこともないものは
つくれるのだろうか?
設計 それ以外はできない
見て感じたもの、記憶を頼りに、今へ状況へ再現する
いきなり_
幸せについて
同伴者と吹雪のなか、つらい登山のイメージ
つらい、眠い、衣服はびちょびちょに
そのなかで、暖かな山小屋を発見する
幸せに とても小さな建築で、いろいろなことが出来る。食べる、眠るetc.
人種のちがいも関係ない、歳の差も関係ない
信じている宗教も関係ない inclusiveな
外部環境が室内に入り込んで来たような建築でも、庇の出が陽を遮ったり、風通しがよかったり、床の肌触りがよい、など。自然環境を、変換している。 ホモ・サピエンスの
日本の庭のおもしろさ 私たちにはあたりまえ、だが、フランスの建築学生と京都のこうとういんに行ったとき、おもしろい、おもしろい、と。音がおもしろい。アプローチの石のヴァリエーション 靴を脱ぐ所スノコ、畳、めまぐるしく床の材料が変化してゆく。こんな小さなところで、これほどの変化していくのは面白い。
新緑の美しく見える秘訣 背後の常緑樹
新緑の淡さを引き立てる、背景としての濃い緑
全部が新緑、全部が常緑、というのがふつう
アメリカとか
コンビネーションのあるのは珍しい
…
人間の感情はどうして生まれたのか
生存のために必要となる、咄嗟の行動や判断のために進化の過程で作られた
森でクマに出会う。恐怖の感情を抱く、その後の行動の選択肢を広げていく 恐怖という感情を引き金にして
仲良しの友達、幸せ、喜びの感情
こいつと付き合っていると、自分は生存できるぞ、との。
生存のための引き金、スイッチ
雪の夜の暖かな山小屋
生存の喜び
反対に、もう生きていたくない、とか、生存のことを考えていない人は、感情の起伏がなくなってくる 感情の、生存における大切さ
ヒュッゲ デンマークの概念
これを日常生活でしているからこそ、世界でいちばん幸せな国とされる
日本 先進国のなかでは幸せ指数が低い
ヒュッゲの反対をやってきた
150年前・200年くらい前は、日本もそうしていた。
今の日本の住の風景
居住性の進歩 けれども、それらがある程度達成できたとき、この姿が、幸せな住まいの環境なのか、と。
使い捨てられるもので風景が構成されている。幸せ感の乏しいのは、使い捨ての時代だからでは?
竹富島 色んな不便、不都合、多々
住まいや環境はトータル 幸せ感としてはこちら
…
あるものを活かす
パッシブデザイン
あるものとは?
気候風土、自然エネルギー
歴史、文化
記憶
風景
ハードウェアではなく、ソフトウェア、手に触れられないもの
ブリコラージュ ありあわせのもので作る
→『和』では?
和風とは、有り合わせで作られる、非常にレベルの高い行為から生まれる
家庭料理 素晴らしいブリコラージュ
冷蔵庫の残り物、スーパーで買ってきたものと合わせて
和 足し算 引き算
ほうれん草の胡麻和え
和えている
明太子スパゲッティ
日本の人たちの得意としていた
極東 漂流物を、イノセントにあり合わせて組み合わせて作りあげた
cnt.) ないものをねだる
自分がすごく良いものをもっているのに、何か他を憧れる
→侵略や戦争へ
70数年前、わたしたちも痛い目にあった。資源、植民地
…
モーターボート アクティブ
ヨット パッシブ
これからは燃料も高いし、すべてヨットのような建築に、という訳ではない。
ふたつの要素を足し合わせる、共存させる
どっちか一方では足りない、幸せ感を感じる住まいにはならない
目的
幸せ感 心身が楽になる 健やかに暮らす
手段
アクティブ+パッシブ
ご利益
省エネルギー
光熱費削減
…
温熱デザインへの取り組み
まずはパッシブ 太陽の恵み、土地の持つポテンシャル
アクティブ 性能の良いエアコン それを活かす
建物の性能 断熱性能、気密性能
ねこ は、居心地の良い場所を見つける天才
猫が天才であるわけではない。
ホモ・サピエンスが何故、そう思う��。
ホモ・サピエンスと猫の心地よいと感じる場所が近い 犬の心地よいところとはちょっと違う
猫 生まれたところは、暑いところ。暑さにはつよい
犬 暑いところではハアハア
ホモ・サピエンス 暑さに強い
30℃越えでも走れる
寒さに弱い パフォーマンスができない
吾輩は猫である、で、人を評して、やかんみたい、と。
ホモ・サピエンス アフリカ起源
それからどんどん北上
ほとんどの歴史を暑いところで暮らしてきた
→住まいをあったかくしましょう、というのが、私の建築観
…
私たちは生存できるのか
孫の世代まで、良い環境はあるのか
狩猟採取時代もよりは生存の危機を感じないことが多くなった現代人
コロナ禍でそれを意識
ほんとうに、このさき建築をつくれるのだろうか
生存の危機を感じたこと
→しっかり認識して、どういう建築が出来るのかetc.を自問すべき
あるものを活かす、というのがおおきなヒント
熱容量の大きな家 非常に効果がある
住まわれている人たちの幸せ感がおおきいと感じることが増えた
あるものを活かす 壁からの放射温度が快適
…
安定した家に居ると、外に出たくなる
屋根のかかった屋外に出たくなる
両親の葉山の家
半屋外
→ヒント、韓国の民家
冬の部屋と夏の部屋が分かれている。
冬の部屋 紙、オンドル
夏の部屋 ふきっさらし
潔い構成だなー。
…
鎌倉 扇ケ谷の家
スタディ いろいろ
最後の決め手はパッシブデザイン
南面の窓を大きく
あれもこれもダメ、となると何の一歩も踏み���せない 太陽光発電は、戸建ての屋根に乗せるのは素敵なことと自分は考える
けど、美しい瓦の屋根にそれが乗るのは、というのもあった
情緒的なものと機能的なものを合わせる
デザインによってできうる
シンプルに、自宅の庭で野菜を作る、みたいに太陽光発電を考えている
電気、移動に莫大なコスト 自分の家で発電できることは爽やかなのではないかな
デザインの力です達成できる、との信念
…
南面 ソーラー
北側 庭的な グレアの少ない
アメリカ サンタモニカ
街区 太い道路 細い道路
太い 伝統 雑多なものが出ないように
細い サービス機能
(細い道路の方 日本の街の感じと似ている)
…
土地は親から譲り受けたものではなく、孫から借りているもの。ネイティブ・アメリカンの言葉
貰ったものなら汚してもよい
借りたものなら汚してはいけない
自身の所有の土地としても、その意識で
「土地を所有している」といっても、多くは所有していない、太陽、大地の奥、雨、風
原発
覚醒剤をやって人生を破滅した人が覚醒剤の怖さを語ると説得力がある
原子力の怖さ、ヤバさを、説得力を持って語れる 原発から10年、原���から100年経っていない いま、原発が再稼働しようと。
…
↓私の質問への答え。堀部さんが書いていた、トタン小屋の形の美しさと、著書『建築を気持ちで考える』でのアスプルンドの章について
.
益子さん
住まいは掘立小屋くらいでいい
そこを整えいく
しかし、人の家を設計するとなると、、
自宅と人の家で設計が変わる
アスプルンドの章、気持ちが入っている
大好きな建築家
自分の設計は、形式性 構造の綺麗さ、コスト、施工性などから考えている。
正面性とか歴史性とかからではない
アスプルンドの建築、死者の声がする。彼の死生観が感じられる建築
…
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪���起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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ハイヒールとメイク
美容室に行った。中学のときからずっと同じ担当のお姉さん。高卒でその美容室に来てからずっと働いている。
日本人がなかなかしない政治とか思想とかの話をした。特に、「育休、っていうから勘違いするんすよ、��児って戦いです��らね!」「そうよほんと、男の育休とか言って、旦那が���暇取ったが故に、ミルクともう一食作らなきゃとかになったり、休暇じゃないよね!」「とか、ジェンダーレスとか言うけど、ジェンダーフリーじゃないですか、でもジェンダーって以前に身体の機能は生物学的にある。心が女の人が恐怖感で女性専用車両に乗るのはまだいいとして、心が女だから女装した男性が女性トイレに入るのは変じゃないですか」「そう、人間ってのは生き物だもん」「もちろんLGBTQとか言って認めるのはいいことだと思いますけど、あれって棚増やしてそこに入れてハイハイ、みたいな感じですよね。カテゴライズするんじゃなくて、『蓼食う虫も好き好き』でいいじゃないですか」「めちゃくちゃ上手いこと言うやん」「で、仲良くしたかったら話を聞いて何が好きで何が嫌いかとかがその人じゃん、と」
「あれブルベとかイエベとかあったじゃないすか」「うん」「でもメイクとかって、男で言えば甲冑着る、みたいなもんで、似合う似合わないじゃなくて、そうしたいか、したくないか、じゃないですか?」「そう!で、その似合う似合わないも自分のためじゃなくて誰かのため!」
おおかたこのようなお話。
昔友達に、「私がハイヒールにこだわるのは、これが戦闘服だから」と言われたこともある。
自分も、メイクされたときに、確かにスイッチが入る感じがあった。メイクの瞬間からずっと笑っていた気がする。
午後からは暇そうな友人と雑談。東京の両国でお相撲さんみたら幸福な気分になって、その後に漂うベビーパウダーの香りでほんとに妖精さん見た!と思うよね、とか、お茶の水で楽器屋巡って神田で蕎麦食って神保町で古本見て……とかから渋谷のキャットストリートの話、府中の雰囲気、三鷹のジブリ見て国分寺でピーターキャットのあったっぽいところ探して、みたいな話。あとは宮沢賢治が好きらしかったので稲垣足穂の『一千一秒物語』をおすすめしたり、穂村弘が好きだからという話題では『シンジケート』とか『手紙魔まみ』とか、角田光代や原田マハ、恩田陸好きだね、っていう話をしたり、「図書館の本を読破しようと思ってた」という話から、「バベルの図書館」の話をして、そうすると「実現できないね」「だから小説にしたんだよ」とか。
次は昨日連絡できなかった友人とせっかく新月なのでタロットしてみましょう、ということになり、タロットの意味よりもあれは解釈学なので、ということで互いに占うと、どう解釈してもいいようにしか考えられないと。占いは正直この人との対話ツールなので、せっかく新月なんだから、魚座でも探しましょうよ、でも東京��星が見えないからなあ、からの怒涛の音楽鑑賞と感想戦。めちゃくちゃ楽しかった。
日曜日にこんなに気分がいいのは久しぶりだ。
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例えるなら
Wednesday 5 February 2014
御殿場は昨夜から雪が降っていた様だ。茶畑庵から東名御殿場までの道中をハルオは、慎重に車の運転をした。いつもより1本遅いバスに乗る。以前は6:20発のバスが始発だったが昨年30分繰り上がり最近はその始発を選んでいた。目的の時間より余裕を持って動くことは東名を利用する必須条件だからだ。しかし東名が混んでいなければ早すぎる時間に新宿に着いてしまう。試しに今日は元に戻したという訳だ。時間つぶしに結局どこかの店でお茶をすることになるのが嫌だった。ハルオは、ケチ!いやいや倹約を心がけているのだ。今週末に控えた都知事選。ニュースやFacebook上で各候補者の活発な支援情報をよく見る。ハルオは、もう東京都民ではないので選挙権がないが誰に当選してもらいたいか?の希望は持っている。 学校に着いた。今日は、2回目の合同プレゼンの日。隣に座った講師の方が○○○候補者のチラシを持っていた。やはり今朝方街頭配布で受け取ったらしい。「○○○さんには、副知事になってもらいたいな」と言っていたのが印象的だった。○○○さんには選挙前で申し��ない気がするがその案はいいかもしれないとハルオ��同感した。
合同プレゼンの授業が始まった。生徒たちは一人ずつ卒業制作をプレゼンして行く。ハルオは、前回同様教室前面のスクリーンに打ちし出される作品を三脚に取り付けたデジカメで撮っていた。生徒たちは作品制作が完成したからプレゼンをしているのだけれど未完成作品が多い。しかしアイディアは千差万別で目を見張るものがある。ある生徒の作品がプレゼンされた。その作品そのものはサブカルチャーを切り取った素晴らしいドキュメントだったがその生徒のプレゼンの有り様が腑に落ちなかった。ハルオは、少し憤りも感じていた。それは例えるなら、、、レストランで美味しい、素晴らしい料理を提供してもらった。その店の料理人がテーブルにやって来て料理の説明した。すると料理人は表情も変えず料理の説明も早々に終える。お客は表し抜けをする。何故この食材を使い、何故この料理作る気になったのか?何故料理したか?と問う。でも全く真剣に説明してくれない。する気もない、考えてもいない様に見えた。そして「この料理が美味しいから食べて〜!」という喜びなり自慢なり主張も表さない。その料理人の笑顔のない有り様はお客であるハルオを幻滅させ後味が悪いものになった。料理人は、食材への感謝の気持ちも見せなかった。
ハルオは、その生徒にこの例えと同様の内容を生徒に質問したが真摯な答を得ることは出来なかった。他にもプレゼンは何人も続いた。ある女生徒は終始ヘラヘラと意味不明なプレゼンした。それにも落胆した。先ほどの生徒は男子生徒たちとおしゃべりを始めて、仕舞いには寝こけてしまった。ハルオの気持ちは伝わらなかった様だ。プレゼンの最後さすがに他の講師、職員の先生方もその生徒に失礼だと注意した。自分のクラスの生徒でこんな不真面目な態度は見たことがないが合同授業となると同じ学校内でも学生の質に大きな差が出る。少林寺拳法の開祖、宗道臣の言葉を思い出す。「人、人、人、すべては人の質にある」と。写真に対する価値観は個々違えどもモノを創るということは"嬉しいことも悲しいことも引っ括めて創ることだ"とハルオは思っているから落胆は大きかった。
授業が終わりハルオは、その場を逃げる様に学校を立ち去った。正直辛かった。 そしてオフィスに向かった。オフィスに着くとUさんとOさんがいたのでこの学校での出来事を聞いてもらった。オフィスに来る前、話そうか否か躊躇はあったが聞いてもらう方が精神衛生的に良かった。Uさんはハルオの気持ちを理解してくれた様だった。それは友人としての優しさもあった。Oさんは別な見解を言った。��ちらにしても胸に詰まったやるせない気持ちを聞いてもらうことがハルオには必要だった。
3時半、歯医者に行く為にハルオはUさんとオフィスを出て水道橋駅から総武線に乗った。Uさんは別な用件があり途中の駅で降りてハルオはその後吉祥寺駅まで移動し井の頭線に乗り換えて三鷹台駅まで。先週治療した歯の具合をチェックする診察で、特に問題がなかったので短時間で終った。ハルオは、その後新宿駅へと移動した。早く静岡に帰りたかったがタイミング悪く新宿駅に着いてから次のバスまで約30分待たなければならなかった。駅前では都知事選の候補者が演説していた。ハルオは、演説を聞くことにした。その演説者の演説は誠実で丁寧で好感が持てた。ハルオは思った。「これが僕の求める演説(プレゼン)だ。下手でもいいんだ、気持ちを、心を見せて欲しいんだ」
5時半のバスに乗ったハルオは、iPadで古い映画をYouTubeで観た。山中貞雄監督作品「人情紙風船」1937年(昭和12年)この映画は、時代劇(恐らく江戸時代)で山中貞雄監督が27歳の時の遺作で彼は28歳で戦病死したとネットで判った。とてつもなく良く出来た脚本でラストシーンは悲劇だが痛快で面白かった。人情とは=『人間らしい感情、人に対する思いやりや慈しむ感情』だ。映画の舞台である江戸時代にせよ映画が制作された昭和初期の時代にせよどの時代でも人情の薄い人間はいる。どうしてだろう?昨今でもコミュニケーションの希薄やら人間同志の感情の触れ合いが無くなったと言われるが今に始まったことではないのだと改めて思った。ハルオは、更にあの歌も思い出した。鶴田浩二の♬『傷だらけの人生』。この歌にはセリフがある。「今の世の中右も左も真っ暗闇じゃあござんせんか」以前この歌をYouTubeで観た時「この曲が流行ってた頃(1970年昭和45年)の日本だって真っ暗闇だったじゃないか?」とかいうコメントがあったのを覚えている。皮肉も込められていて確かにごもっともな話だった。誰もが今と昔を比較し昔は良かったと懐かしむ傾向がいつの時代でも普遍的にあるんだ。
東名御殿場のバス停を降りて駐車場に行く。辺りは雪景色。ハルオの車のフロントガラスは寒さで凍り付いていた。ハルオは、車内に用意してある解氷剤のスプレー缶を持っているので難は逃れた。そして出口を出る前に暖機運転として広い駐車場を一回りしてみた。すると外国人が自分の車の凍結したフロントガラスをスクレーパーで削っていた。ハルオは、その外国人に英語で声��かけて解氷剤のスプレー缶を渡した。「その解氷剤のスプレー缶は、後1回分くらいしかないあなたにあげると」外国人は、日本語と英語でお礼をハルオに言った。
「人、人、人、すべては人の質にある」
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【レビュー】硬くなる椅子 ―y/n『Q&Q』における居心地の悪さについて 寺田健人
撮影:菅原康太
1. 橋本清と山﨑健太2人のユニットy/nの『Q&Q』は、2023年4月城崎国際アートセンター(KIAC)のアーティスト・イン・レジデンスプログラムでの試演会を経て、同年5月末にアトリエ春風舎で上演された。y/nによる教育をテーマにした作品には東京芸術祭ファーム2022 Farm-Lab Exhibitionでのパフォーマンス『Education (in your language)』があり、本作はこれを引き継ぐものである。日本の学校における規範的なもの、校則、法律などが舞台上の黒板を模したスクリーンに投影され、それらについて橋本が説明をしていくという流れでパフォーマンスが進行していく。しかし、その内容の善悪について橋本が意見を口にすることは積極的に避けられ何か明確な答えが作中で提示されるわけではない。いわゆる「Q&A」が質問と答えなのだとすると、『Q&Q』はスクリーンに投影された規範(Q)に対して鑑賞者の中に生まれる(Q)を観測するためのレクチャーなのかもしれない。私は、城崎国際アートセンターでのレジデンスプログラムにy/nの二人と俳優の和田華子と共に参加していた為、本稿はアトリエ春風舎で上演された内容だけではなく、試演会との違いなども含めた内容にしたいと思う。
2. 「えー、席の座り心地はどうでしょうか?」 これは『Q&Q』の冒頭、橋本が観客に向けて初めて話かける言葉である。「教育」というテーマからも連想されることだが、その後の台詞からもどうやら橋本が先生役をやっているようだと自然に受け取ることができる。「まわりに座っているのはどんな人たちでしょうか?」「よく見回してみましょう。笑顔がかわせたでしょうか。」と橋本が���くと、観客はキョロキョロとして周りを見渡す。お互いに笑って見せたりもする。橋本曰く冒頭の台詞は「中三になって最初の日、新しい担任が教室に入ってきて、一番はじめに口にした挨拶の言葉」なのであるが、この一連の芝居から舞台を教卓、客席を座席とした教室が出来上がったように感じられた。しかもそれが、橋本の芝居や黒板を模した舞台美術によって作り出されたのではなく、観客側が自ら生徒役になったことで完成されたようだった。 そこから観客席の照明が落とされ、日本(ニッポン)の教育の基本中の基本を確認するレクチャーがスタートする。
3. レクチャーでは、いくつかのレベルの規範が提示されていた。一つは教育基本法や学習指導要領、明治期に定められた「学校建築図説明及設計大要」などの法律や要領である。それらの文言は、舞台奥に設置されたスクリーンに投影され、それを橋本が読み上げていく。しかし映し出された文字をそのままを読み上げるわけではない。教育基本法の一文「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。」では、「我々」とは読まず「日本国民」と読み、「我が国」を「日本」と読む。諸々の規範における「我々」と距離をとる表現であり、その読み方の変更は橋本の小さな反抗、あるいは同類に送るサインにも思える。その後もこれらの規範において誰が想定されているのかを確認していく作業が続く。例えば「学校建築図説明及設計大要」では「教室の窓は南側につくって、生徒の左側から太陽の光が入るようにし、利き手と逆の側から光が入るつくりにすること」を求めておりその基準は日本人の9割を占める右利きの人たちになっていることが明かされる。上演前、開場中には、日本国憲法第二六条が映し出されていたが、そこには「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とあった。「すべて」に含まれない、法律によって記されていない「我々」の居場所はどこにあるのだろうか。 別の規範としては、学校独自のルールが挙げられていた。机の並び方がアイウエオ順であることや、教室の黒板の両サイドに扉があることなど、橋本の個人の経験らしき内容が語られる。「教育とか学校の話って、誰でも、何かしら言いたいことがあるというか、しゃべれる話があって。けっこう盛り上がれるって意味では使える話題だと思う」とパフォーマンス中に橋本は言うがまさにそうだと思う(そう思えてしまうのはなぜだろう。「我々」が問うべきQのひとつかもしれない)。教室の作られ方の違いや座席の順番などについては城崎での滞在制作中、参加���同士で話し合ってそれも大変盛り上がったことを覚えている。実際、試演会でも橋本の個人的な経験を回想するような場面が作られており、鑑賞している身としては学生時代を思い出しながら話を聞く場面が多かったように思える。しかし、アトリエ春風舎で上演されたものでは回想や個人の経験などに関しての描写が大幅にカットされている。個人的と思われる描写、例えば「生活日記」は橋本と当時の担任とのやりとりが記されており橋本がそれを朗読する場面では、日記に描かれなかった内容、つまり「記されること」と「記されないこと」について意識を向けさせる機能を持っているし、席順で当時好きだった人の話をする際も、橋本の性的指向を読み取るためのフックとなっており学校話にありがちな懐かしさやエモさに回収されないようにしていることがわかる。
撮影:菅原康太
4. さらにもう一つの規範、校則としては「不純異性交遊」の話を挙げている。「不純異性交遊」という用語が端的に言えばセックスを禁止している点を確認した上で、最新版の学習指導要領の中に記される「生きる力」にセックスが含まれていないことを指摘する。学習指導要領のなかに「妊娠の経過は取り扱わないものとする」という文言があり義務教育の中ではセックスは教えない。また、「不純異性交遊」は異性であることを前提としており妊娠を伴わない「性的逸脱行為」はそこに含まれていない。禁止される規範にすらも記されない「誰か」の存在が見えてくるようだ。この「不純異性交遊」を語る場面では、橋本は突然タバコを吸い出したり、バナナを食べ始めたりする。その橋本は、先生でもなく、y/nの橋本を演じているわけでもない。誰なのかは明かされないまま、その橋本は口から白い煙を吐き、バナナを咥えて指を舐める。ここで重要なのは奇妙な存在であるその橋本が、他の橋本と同じように舞台上に立ちそれらの行動をして、台詞に戻ってくることだ。役がシームレスに繋がり、橋本の存在が宙に浮く。
5. 最後の場面では、冒頭に登場した���生が再び登場する。先ほどの先生が新学期、あるいは入学式の先生だとしたら、この先生は学年末、卒業式の先生かもしれない。 「ここにいる人たちと一緒に過ごす時間も、もうすぐおしまいです。でも、私たち、は、これからも同じ時間を共有しています。まわりに座っているのは、どんな人たちでしょうか? まわりに座っていないのは、どんな人たちでしょうか?」 橋本の台詞の中で「私たち」が強調されていた。「私たち」とは誰なのだろうか。また、「私たち」に含まれない人たちとは誰なのだろうか。『Q&Q』を観ながら、「LGBT理解促進法案」の内容を思い出していた。LGBT理解促進法案の第十二条に「措置の実施等に当たっての留意」を新設し、「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意するものとする。この場合において、政府は、その運用に必要な指針を策定するものとする。」と報道されていた。「全ての国民」は文字通りの全てではない。『Q&Q』の中で扱われていた諸々の規範の中で「我々」とされているものがいるように、誰かによって規定された「全ての国民」なのだ。 「よく見回してみましょう。笑顔が交わせるでしょうか。」 冒頭には笑顔を交わしていた隣の人がこちらを観ない。というより誰も周りを見ていなかった。『Q&Q』で、何か規範に対して特定の答えが明示されていないのはその答えが新しい規範を産む可能性があるからかもしれない。また、学校の話を誰もが盛り上がれる話題として扱わなかったのは、学校教育を懐かしめる「我々」にならない為だったのだろう。試演会の時に、どこか懐かしさを感じて喜んだ自分はある規範に乗ることができた「我々」だったのだろう。繰り返し問われる規範についてのレクチャーの中で、かつて学生時代にそれらに抗えなかった過去の自分も、規範に知らないうちに取り込まれ、受け入れてしまっている今の自分も同時に感じることになり、パフォーマンスが終わるとすぐに席を離れたい衝動に駆られた。「えー、席の座り心地はどうでしょうか?」という最初の先生のセリフを思い出す。『Q&Q』で作られた仮の教室に配置された座り心地が程よいあの椅子は、みんなにとって座り心地がいいものではないのかもしれない。「私たち、は、これからも同じ時間を共有しています。」学校は小さな社会というが、『Q&Q』を観て以来、「私たち」は今もあの教室の中にいる。
撮影:菅原康太
寺田健人 1991年沖縄県生まれ。社会が作り出した「性」や「生まれ」に関する諸規範によって人々の行動・思考が決定されていく生政治に関心を持ち、ラディカル・フェミニズムが生み出した「個人的なことは政治的なこと」の実践として、主にパフォーマンスと写真を軸にして制作を行なっている。主な展示に、「想像上の妻と娘にケーキを買って帰る」BankART Under35 2022(BankART KAIKO、横浜、2022年)、『琉球の横顔 ー描かれた「私」からの出発ー』(沖縄県立博物館・美術館、那覇、2021年)。
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2023年3月18日
小美玉たかしさん「小美玉たかしの事務所の人達と† レバニラ定食† ご馳走様でした♪ https://t.co/SslpBGRSUE」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1636697067820310528
Ivy darknessさん「東高円寺お疲れ様でした」https://twitter.com/IVY_DOPE_SHOW/status/1636698553094635522
Ryuichi Kawamura officialさん「今夜もありがとう🫶🏻 ブログ更新しました! https://t.co/zHueynejJr」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1636700677346033665
小美玉たかしさん「夜の鹿島港で船に乗って撮影して来ました† 夜景が凄くキレイ♪感動♪ タンカーが真横に!想像を絶する迫力! https://t.co/4wm8wInGA0」https://twitter.com/TAKASHI_OMITAMA/status/1636702491483189248
朋さん「むれ本、大変お待たせいたしました。 家用、外用、会社用…3/21以降の会場物販、もしくはゾイサイト通販にて思う存分ご購入ください! https://t.co/qjPiS0wxrh ネオい音源もお楽しみにどうぞ!」https://twitter.com/manicure_ojisan/status/1636703247372288001
横山企画室さん「M15 https://t.co/SwXelWhJoC #HUG #創作日誌」https://twitter.com/yokodile01/status/1636703452951900160
nao 首振りDollsさん「首振遺産をぜひ手に入れたってください。 そういやなんかたくさん他にもあるぞ事務所には。」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1636705976727519234
Ziro -Daisuki-さん「MV เพลงใหม่ของวง "MIMIZUQ" ได้ปล่อยมาให้แฟน ๆ ได้ฟังกันแล้วครับใครเป็นแฟนวงนี้อย่าพลาดกันเลยครับ พร้อมกับตอนนี้ทางนักร้อง Mori Tsubasa เหมือนจะอยู่ไทยด้วยครับ . MV : https://t.co/7zSFMlXX4l #MIMIZUQ #Vkei #ผมชอบครับ https://t.co/ctgRZjcKto」https://twitter.com/ziro_daisuki/status/1636692332253790209
seekさん「MIMIZUQ NEW ART WORK解禁 四人の未来をみつめるまなざしです。 MIMIZUQ PHOTO & Digital Single「アイラブユーの世界」jacket https://t.co/0Nj3eyQAKs」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1636710018845388800
nao 首振りDollsさん「当日券ももちろん無料なんで。 自分の酒代だけ握りしめていらっしゃい。 ロックンロ��ルで普通の酒もいい酒になっちゃう不思議マジック経験しにおいで。」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1636710241533591552
seekさん「アルバムから 急遽先行配信することにしました。 いっぱい聴いてね。 いっぱい観てね。 MIMIZUQ Digital Single「アイラブユーの世界」 2023.03.18 0:00配信スタート🦉 配信サイトリンク一覧 https://t.co/SeAV4BDOBD MUSIC VIDEO FULL ver https://t.co/9GQkcCNEHY https://t.co/zncENWsVAN」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1636710422589079552
seekさん「MIMIZUQ NEW ART WORK member: Vo,森 翼 道化,AYA Ba,seek Dr,poco 四人の揃ってMIMIZUQです。 https://t.co/238RN8i6K8」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1636710684150108163
森 翼mori tsubasa/MIMIZUQさん「モイ!iPhoneからキャス配信中 - https://t.co/5R95soA2gB」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1636710823002509312
seekさん「MIMIZUQを是非、地上波でご覧ください。 MIMIZUQ「アイラブユーの世界」 フジテレビ系音楽情報番組「Tune」にてMVとコメントがオンエア! ※3月23日(木) 27:05~ 放送 ※編成の都合上、放送内容・時間が変更になる場合があります。 https://t.co/sLrY7k1kmk」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1636711055668953088
nao 首振りDollsさん「大分のみんな、というか全国のみんな。 大分で遊ぼう。 私が大好きな寿司屋、亀正のチャンスですよ。 大分最高。まじで大好き。 大分ワンマンはどきどき見切り発車なんで、集まったあなたにはとんでもないラブをお見舞いする。約束する。 ライブの書き間違いじゃないぞ。ラブお見舞いするからな。」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1636711286565380098
🎙N9S MUSIC PROJECT🎸さん「福嶋伊玖磨(エレクトリックファミリー)、SHIMA、首振りdolls、月追う彼方、NAKAYAMA(KLAXION)、けんたま&りょーた(VII DAYS REASON)、HERO COMPLEX、meow、ミズニ ウキクサ、ニイナ、ノンフィクション、Little Pink Summer、マシュマロヘルメット、rococo、猫jealousy つづく↓↓↓」https://twitter.com/N9SMUSICPROJECT/status/1636631052713345024
nao 首振りDollsさん「いよいよあなたの手元にも。 北九州のロックはこれ読んどかな語られんばい。 楽しみです!」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1636711753827647488
🎙N9S MUSIC PROJECT🎸さん「【本日18時より予約受付開始!】 N9S MUSIC PROJECT presents 別冊おいらの街 「北九州音楽全史 〜KITAKYUSHU ROCK CHRONICLE 1960-2023〜」 2023年3月31日発売 著作・監修:N9S MUSIC PROJECT 定価:3,000円(税込) ご予約は本日18時から🔥 つづく↓↓↓↓」https://twitter.com/N9SMUSICPROJECT/status/1636629019964866561
🎙N9S MUSIC PROJECT🎸さん「ご予約は本日18時からchuya-online(オフィシャルホームページ、楽天市場店、Yahoo!ショッピング店etc...)にて開始致します🔥 28日までにご注文すれば発売日にお届け致します(北海道、沖縄、離島を除く)。 *チューヤオンライン https://t.co/b07H6Uhmxj つづく↓↓↓↓」https://twitter.com/N9SMUSICPROJECT/status/1636629332838993920
タイザーさん「自分の音に惚れ惚れする と思えるまで夜な夜な録りまくりまくり魔です https://t.co/YYUTUugrcM」https://twitter.com/taizodiac/status/1636711890062807040
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MIMIZUQさん「MIMIZUQ NEW ART WORK member: Vo,森 翼 道化,AYA Ba,seek Dr,poco https://t.co/AJLkK55fMy」https://twitter.com/mimizuq_staff/status/1636708517066440705
アプレゲール編集部さん「【記事の公開&WEBリニューアル】noteからWEBをリニューアル中です(まだまだお見苦しい点、すみません)。記念すべき最初の記事は、本日、新曲「アイラブユーの世界」のMVを公開し、明日デジタルシングルとしてリリースするMIMIZUQです。ぜひご覧ください。 https://t.co/NQ5aEc7tUh」https://twitter.com/info_a_g/status/1636714794198929409
MIMIZUQさん「MIMIZUQ「アイラブユーの世界」 フジテレビ系音楽情報番組「Tune」にてMVとコメントがオンエア! ※3月23日(木) 27:05~ 放送 ※編成の都合上、放送内容・時間が変更になる場合があります。 https://t.co/aG6XKUrPTo」https://twitter.com/mimizuq_staff/status/1636708680237449219
千歳@アマミツゝキ/ヘルブロス/マクラカ壊死さん「マクラカ電圧お疲れ様でした! 後半のセトリが怒涛だったけどついてきてくれたみんなのパワー最高でした💪 このイベントも残すところ後2回しかないの寂しいなー! この3人でしか作れない最強の空間是非見に来てください。 https://t.co/HlUuhU5iq9」https://twitter.com/chitose_chitoru/status/1636706715650654208
THE NOSTRADAMNZ 8ppyさん「0317さんくす🤡マクラカ壊死とぶつかっちゃった🤡次は4/4だもんでしばらく空くけど4/27とかもあけておきやがれください🤡 https://t.co/7uAto77mtJ」https://twitter.com/muramura_hayato/status/1636712308805357568
森 翼mori tsubasa/MIMIZUQさん「アイラブユーの世界 戯れ合っていたい ガリレオも最終日には 側にあった瞬きを 海のように深い夜を越え 骨のように白い朝を食む 口約束でも「誓い」と呼ぶ 二人の瞳はとても美しい アイラブユーの世界 図に乗ってしま�� 誰にも言えないことは 誰にも言わなくていい #MIMIZUQ https://t.co/0IGNcZqpsA https://t.co/TqNdxrEMGW」https://twitter.com/mori_tsubasa/status/1636720056104255488
seekさん「MIMIZUQ TALK&ACOUSTIC LIVE 秘密の森 THE PREMIUM Rabbit Hutch 3月17日阿佐ヶ谷ロフトA終わり。 AYAくんお誕生日おめっとさん。 MUSIC VIDEO「アイラブユーの世界」公開になりました! 翼くんとのタイの中継もなんとか無事にできた! みんなに特別に天使の寝顔みせたるわ👼 https://t.co/tJreCuddft」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1636721885991034881
PassCodeオフィシャルさん「【お知らせ】 昨年2/12に行われた日本武道館公演「PassCode NIPPON BUDOKAN 2022」のライブ映像をフルで期間限定公開中⚡️ 本日23:59まで‼️ https://t.co/5m9GmHmxVd #PassCode #日本武道館 https://t.co/wEU0U9JkMD」https://twitter.com/passcodeO/status/1636703988572901376
悠歌-youka-【IOLITE -アイオライト-】さん「■来週 開催!!■ (ご予約 受付中) 2023/03/24(金) 目黒LIVE STATION 【-DEATHMARCHGIG2023-】 ■open 18:00 / start 18:30 ■adv. ¥4,000 / door ¥4,500 (D別) ■配信 ¥3,000 (アーカイブ14日) 《CAST》 dieS 夷狄 Cosmo-Shiki IOLITE -アイオライト- https://t.co/kFcLiGNzPM」https://twitter.com/lament_youka/status/1636701238820761604
キリ(luin)🥁さん「luin🐈 5/30(火)お久しぶりの東高円寺二万電圧決まりました◎ 3MANですのでお時間長めです✨ 対バンも楽しみ〜!٩( ´ᆺ`)۶」https://twitter.com/kiri_drums/status/1636723981452705796
キリ(luin)🥁さん「luin。 て書きたくなりますね笑」https://twitter.com/kiri_drums/status/1636724165297438720
首振りDollsさん「昨夜発表されました、こちらの新宿LOFT新企画は明日3/18 12:00〜プレオーダー開始です📢」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1636724579577262080
akiさん「明日は雨なんだって ま、花粉が減っていいじゃん(・Д・)ノ スーパーポジティブ(T ^ T)」https://twitter.com/aki_official/status/1636725342059765760
清春さん「3.31 水戸『洗礼』 KIYOHARU OFFICIAL #TikTok https://t.co/1x5ZKTCbBE」https://twitter.com/ki_spring/status/1636730202633162754
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「@kiri_drums 本当だ 我が社だけ「。」がない・・・!笑」https://twitter.com/lucy_peter/status/1636730366026465280
Ivy darknessさん「現在マクラカ壊死は経験値を沢山手に入れ魔王ムドーを倒しに行ってます。 数年前はぶちスライムとしか戦えないぐらいのレベルですがハッサンが正拳突きを覚えてくれてとても頼もしいパーティになり、突き進んでます。 ハルシオンに乗ってレイドックに来てみてください。 毎週金曜マダンテしようぜ。 https://t.co/l24L7W5Fks」https://twitter.com/IVY_DOPE_SHOW/status/1636733368812601344
nao 首振りDollsさん「プレオーダーですって。」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1636733573846962176
眞田 一航@アマミツゝキさん「終わっちゃった https://t.co/6KbHUAYVZJ」https://twitter.com/snd151202/status/1636411535726870528
キリ(luin)🥁さん「@lucy_peter そうなんだよ…! 3つくらい付けた方が良いかな🤔」https://twitter.com/kiri_drums/status/1636735023100596226
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「明日ね 大阪でライブなんですよ 知ってました? 今ね 愛知にいるんですよ 明日ね とりあえず一回朝イチで東京行くんすよ 大事な大事な予定があるんす みんなもそーゆーことあるやろ? (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1636736122335408129
舜3/25 NEiN京都さん「@kaiehasegawa うおおおおおお!!」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1636671597712134145
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「@shun_thefuzzbox @kaiehasegawa うおおおおおお!!!!」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1636740188666990592
Ivy darknessさん「ハルシオンは薬だ ファルシオンだ🐴 洒落た名前つけるよな ハッピーホワイトデーだった過去おめでと」https://twitter.com/IVY_DOPE_SHOW/status/1636741599861542912
DETRUIREさん「「THE ONENESS」3rdCollection 予約受付中 Easy Saruel Pants リサイクルコットンとオーガニックコットンを使用したカジュアルな裏毛スウェット。 デザインウエストギャザーのサルエルシルエットパンツ。 膝より下はスッキリタイト @SUGIZOofficial @THE_ONENESS_JP #THEONENESS #SUGIZO #DETRUIRE https://t.co/Jvgdw0f1an」https://twitter.com/DETRUIRE5923/status/1636727380256645120
DETRUIREさん「「THE ONENESS」3rdCollection 予約受付中 Loose Hoodie リサイクルコットンとオーガニックコットンを使用したカジュアルな裏毛スウェット。着丈長めのルーズシルエットブーティ。 前身頃にはTHEONENESSの筆記体ロゴ刺繍。 @SUGIZOofficial @THE_ONENESS_JP #THEONENESS #SUGIZO #DETRUIRE https://t.co/cqz0GbVTbo」https://twitter.com/DETRUIRE5923/status/1636729148193517568
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紅葉の天城縦走路
山サークル向けに、初めて宿泊企画を出してみました。時期的に標高の高い山は積雪の可能性もあるため、少し遠出して伊豆半島の100名山、天城縦走路と達磨山をそれ���れ日帰りでハイキングという内容です。
今回は参加者が全員健脚メンバーだったので、当初の予定を変更して天城峠バス停へと下る「上り御幸歩道」経由(天城縦走路)にルートを変更。 ロングコースで予定のバスの時間ギリギリにはなりましたが、歩けて達成感もあり大満足!
朝は伊東駅に集合し、そこからバスで天城高原ゴルフ場へ。 駐車場でトイレを済ませ、いざ天城縦走路へ!
四辻まではあっという間。
杉苔が綺麗です。
この辺りは苔むす森という感じ。
階段には紅葉がハラハラと…
この辺りは鮮やかな紅葉の絨毯のようでした。
景色に見惚れているうちに万二郎岳に到着!
お次はあの奥に見える万三郎。 ここからの紅葉もまた良し!
下に見えるゴルフ場手前の紅葉が色とりどり♬
段々とガレ場が増えて来ました。
シロヨメナが花盛り。今日見た花は殆どがシロヨメナ。 メンバーに名前を覚えて欲しくて途中何度かクイズを出すも、なかなか覚えてくれないのは何故?(苦笑
木々の向こうに万三郎岳が見えて来ました!
紅葉のグラデーション!
万三郎岳にとうちゃこ! 百名山だけあって、山頂は賑わっていました。 我々もここでサクッとランチ。
苔と紅葉のコントラストが美しかったので、思わず撮影。
小岳までやって来ました。我々は八丁池を目指します。
ブナの群生地。 この辺はブナの落ち葉が敷き詰められて、歩く度にシャクシャクと音が鳴るのが楽しかったなー♬
紅葉も真っ赤!
撮っても撮っても素敵な紅葉が登場します。
この道はトンネルのようで楽しかった♬
ようやく八丁池に着きました!ここで10分ほどの小休止。
ヘリの音が煩いな〜と思っていたのですが、この頃遭難された方いたようで…。 後で知ったんですけどね。その方は自力で無事に下山されたそうで何より! 天城山、実は遭難事故が多い山なのだそうです…。
リフレクションも美しい…
青空に紅葉が生えますねー
せっかくなので、トイレ前の道から少し奥にある見晴台にも登ってみました。
おぉ、八丁池の全貌が見える! 狭いので休憩などには向きませんが、登ってみる価値ありです。
これから歩く縦走路でしょうか? こちらも山肌が色付いてますね。 この景色はここからでないと見えないかも。
上り御幸歩道をグングン下って、ワサビ田まで来ました。 「天城越え」の歌詞にも出てくる山葵沢とはここのことかしら?
ワサビ田から登り返し、かなり荒れた道を進むと旧天城トンネルへの分岐に出ました。 乗りたいバスは16:09発。微妙だ〜
駆け足気味で、旧天城トンネルまで下ってきました。 本当はトイレにも寄りたくてこちらのコースに変更したのですが、バスに間に合うかどうかの瀬戸際だったため寄らずに先を急ぐことに。 慌てて撮ったので写真もピンボケ。
バスの到着2分前に天城峠バス停に到着! 良かった、何とか間に合った〜
天城山、紅葉が見頃で選んで大正解でした♬ また石楠花の季節にも行ってみたい…。
修善寺温泉入口のコンビニで買い物後、修善寺温泉街に着くと、すっかり夜。 17:30前だけど、やっぱり秋は日が短いですね。
ここが本日のお宿、Hostel knot修善寺(ホステルノット修善寺)。 古民家をリノベーションしたそうで、キッチン、シャワールーム完備です。 1Fのリビング(板の間)では静かな飲み会も出来ました。
お風呂は近くの民宿福井の温泉へ。 宿にもシャワーがありますが、徒歩2分の距離で300円なのでそちらを利用。
夕飯は韓国料理のオモニ食堂で焼肉を堪能し、食後はライトアップされた日枝神社にも寄ってみました。ここは子宝の神様のようです。
竹の小径も散策してみました。
こちらが今夜の寝床。 6人貸切のお部屋を予約したので、ドミトリー部分の手前に広めの板の間とドレッサーが付いています。
そして各個室に貴重品入れとヘアアイロン、ミラー(カーテンで隠されています)、コンセントとハンガーまでありました。 お布団はフカフカで清潔感があり、また利用したいお宿の一つとなりました。
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クトゥルフ小説、更新しました。
神楽保存会の会長、池垣が館長を務める「黄幡郷土資料館」に出向いた探索者たち。
妙に陽気な池垣から告げられた新たな事実とは?
ちょっとメタなネタもあり。
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桜林美佐の「美佐日記」(189)
際立った「軍」の存在ーエリザベス女王の国葬
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、令和4年9月の今回
は189回目となります。
前回、日本人とマスクの関係について書きました
が、同様の内容記事があるぞということで教えて頂
いたのが、こちら「デイリー新潮」です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c1454b1ac72fba0961d8d8746ca7fc7e2339ca8
私はとても共感しますが、どうやらコメントには
批判的なものが多い様子(不快になるので全部は見
ませんが)。この気づきが自衛隊へのエールだと気
づかないのかな・・と。
提灯記事みたいなものだけを称賛するのが「自衛隊
応援団」であるならばとても残念です。
コロナ時代になってからのことなのか分かりませ
んが、自衛官と道ですれ違ってこちらから挨拶して
も、おはようもこんにちはも言わない自衛官もいて、
マスクをしているのだからそれくらいはすべきだ
ろう!と、私は本当にこれは非常識な行為だと思っ
ています。
何度もここで書いているように、自衛隊内での感
染拡大を防ぐため、家族とも会わないなど一般人か
らすれば想像以上の対策をし、国防に影響を及ぼさ
ない措置をしていたことに私は敬意を表します。
しかし、そのために人としての常識を失ったら元
も子もないというものでしょう。そのあたりのバラ
ンシングがなんとも不器用な日本人です。
先日はイギリスのエリザベス女王の国葬が執り行
われました。あ、そういえば、私がかつてニュース
デスクを務めていたラジオ局ニッポン放送では「エ
リザベス2世女王陛下崩御」としています。これま
でも「皇后さま」ではなく「皇后陛下」、「皇太子
さま」ではなく「皇太子殿下」などの呼称を重んじ
る数少ない(唯一?)の地上波メディアでしたので
誇らしく思います。
産経新聞によりますと、天皇陛下を除く皇族の方
々の敬称に「さま」が広く用いられるようになった
のは平成以降のことで、各報道機関が「開かれた皇
室」や「親しみやすさ」のためにこのようにしよう
と自主的に判断したのだそうです。
何と申しますか、昨今「人として大事なこと」「
日本人として大事なこと」の、いずれも軽んじられ
ていると思わざるを得ません。とはいえ、英国王室
につきましてはここでも「エリザベス女王」の呼称
を使わせて頂くことをお許し下さい。
先日の国葬に関する報道で驚いたのは、ここでも「
マスク問題」が取り上げられていたことです。
参列された天皇皇后両陛下がマスクを外されてい
たことが各メディアでのトピックスになっていまし
た。
テレビ中継されたウエストミンスター寺院でのs
ervisをご覧になった方はお気づきだと思いますが、
誰もマスクをしていません。
それどころか、広大な寺院とはいえ聖歌の合唱、
主の祈りの奉唱、国歌斉唱、全てが声高らかに行な
われました。これらの多くが、日本国内の教会では
今なお実施されていないと仄聞しています。
参列者には高齢の方もお見受けし、不安もあった
とは思いますが頓着していません。やはり、世界で
は今「最も大事なこと」を尊重する流れになってい
るのでしょう。
もう一つ、イギリスが国家として大切にしている
ことと感じたのは、やはり「軍」の存在です。
ロイヤルファミリーの軍服での正装が見られました
が、皇室を離脱したヘンリー王子は軍服での参列を
認められなかったといいます。
ヘンリー王子は陸軍に10年間在籍していました。
しかし、王室離脱後も軍の名誉職にとどまること
を望んでいたものの却下されたということです。
ヘンリー王子は2005年に20才でサンドハー
スト王立陸軍士官学校に入り、装甲偵察の訓練後、
2007年アフガニスタンに派遣されました。
その後、陸軍航空隊でパイロットとしての訓練を受
け2012年の2度目の時はAH-64Dアパッチ
攻撃ヘリ乗組員としてタリバン掃討作戦に従事しま
した。
帰還後は、負傷兵の心身回復プログラム策定など
に携わり、2015年に名誉除隊しています。
それほどの経験をしていても、離脱すれば制服着
用は許されない。それがイギリス王室の制服に対す
る価値観なのです。
兄のウィリアム王子も2006年に同じくサンドハ
ースト王立陸軍士官学校を経た後、に入り、続いて
空軍でパイロットとしての訓練を受けています。
ウィリアム王子は主にイギリス周辺海域での捜索救
難業務を7年半務めました。156回の捜索救難飛
行に参加し、149人の救出に貢献したといいます。
両王子の父チャールズ国王も、空軍でパイロットと
しての訓練を受けた後、海空軍で約5年の軍務に就
いています。
そして、弟のアンドリュー王子、エドワード王子も
軍歴がありますので、エリザベス女王の息子たち全
てが軍務についていたわけです。
軍の最高指揮官であるエリザベス女王ご自身も、第
二次大戦末期に女子国防軍に入隊し、軍用車両の整
備や運転に加え弾薬管理などの任務に当たっていた
のだそうです。
身分の高い人が社会的責任を果たさなくてはならな
いという「ノブレスオブリージュ」の考え方が根付
いているのだと感じます。
日本では「軍事色」を消し「宗教色」を嫌い、そし
て何もなくなった。・・・みたいな、本当に空虚な
ものを感じるばかりです。そう思うと、改めて皇室
の存在がありがたいと同時に、そろそろ、敗戦国症
候群みたいなものを克服したいものだと、つくづく
思います。
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戦後の事件簿 「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた 図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった 1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した 1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない 1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した 1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した 1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した 1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている 1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した 1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された 1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した 1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた 1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した 1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題��在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった 1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された 1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された 1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった 1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された 1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた 1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた 1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された 1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した 1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した 1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された 1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した 1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った 1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した 1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた 1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した 1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された 1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している 1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった 1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した 1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島��警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった 1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った 1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した 1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した 1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した 1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した 1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、��数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった 1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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予想外と予想的中 懇親会
Sunday 26 January 2014
ハルオは、5時半に起床し東名御殿場バス停6時50分発のバスに乗った。早起きは、昨年からの禅寺通いで苦ではなくなっていた。順調にバスは東京に向かい8時半頃バスは新宿に着いた。今日は、学校で卒業制作の選抜講評会が開かれる日。ハルオは、学校に10時少し前に出講し講評会の開かれる教室へ入る。そして一番前の中央の席に座った。どうせ、どうせという言葉は好きではないがどうせならしっかりとこの講評会に参加したい。それとハルオにはもうひとつその理由があった。それは自分の教え子3人がこの講評会で自身の作品をプレゼンするのだがその時の模様を動画にして残したかった。ハルオは、躊躇なく三脚を自分の席の前に立てて準備をした。講評会では35作品がプレゼンされた。ハルオの前には、審査員の方々が4人座って各作品について批評をした。ハルオは、講評会の進行(生徒の名前、作品タイトル、プレゼンでの本人&審査員が述べた気になる言葉)を画家の叔母からもらったスケッチブックにメモをした。そのメモは、10ページに及んだ。手書きのメモは、最近手に入れた時が消せるボールペンの御陰で捗った。手書きを癖にすることはハルオの必須科目になっている。ハルオは、メモの内容を後で整理して次回の授業に役立てたいと思ってそうしていた。自分の教え子のプレゼンは、講評会の後半にやって来た。この時は、メモを取らずに動画のみを撮影し記録した。自分の教え子ではないが2人の生徒がこの講評会に参加出来なくて作品だけ紹介されたのだがハルオは咄嗟に閃きこの2人の生徒の作品についての審査員の批評も動画に残した。後でその動画を本人たちに渡そうと思ったからだ。ハルオは思う、自分がされて嬉しいことで自分が出来ることなら実行する。これは、時にはただのおせっかいになる時もあるが閃いた以上自分に対し知らんぷりをすることが出来ない。この講評会での予想外の展開があった。自分の教え子がグランプリを取れなかったことだった。僕の落胆はさておき本人はどうその結果を受け止めて行くか?その方が気になった。誰が取ろうと自分の学校の生徒なのだから素直に喜びたいとハルオは思った。予想的中は、ここでは避けておこう。講評会が終了し、グランプリを取れなかったその教え子の元へ行きハルオは前々から用意して静岡から持参したフレーム入りの写真を彼に渡した。その写真は昨年彼と仲間の生徒たちが学校のギャラリーで写真展を開催した時、ローライフレックスで撮った彼のポートレイトだった。グランプリを取ったらその場でメッセージも添えようよポストカードを2枚一緒に用意したが何も書かずに写真を入れた封筒に忍ばせておくことにした。すでにメッセージはポストカードを見れば伝わるかもしれないと。
学校を出てすぐに市ヶ谷駅に向かう。駅でUさんに今回の講評会の結果を電話で伝える。Uさんには、昨年末今回の講評会でプレゼンした3人の内2人の生徒とUさんに引き合わせ作品のアドバイスをしてもらいお世話になっていたからだ。今後一段落してこの2人の生徒は直接Uさんに結果報告お礼をするかは本人たちに任せようと思う。自発的にそれが出来たなら素晴らしいことだと思う。ハルオは、急いで新宿から4時発のバスに乗った。ハルオにはまだ摂心会が残っているからだ。バスは、満席で補助席に座るしかなかった。しかし補助席についてあまり不満はない。乗車して少しでも早く静岡に帰れるだけで十分だからだ。夕焼けで赤く染まった富士山をフロントガラスの先に見た。
バスは渋滞もなく順調に静岡に向かった。東名御殿場のバス停でバスを降り車に乗り換えて裾野に戻る。すぐにも禅寺に戻りたかったがその前にもう一つしなければならないことがあった。それは、市長、市議会議員選挙の投票だった。摂心会の間禅寺の外で選挙カーが大声を張り上げて指示を訴えていた。坐禅には不必要だがこれも仕方ないと言える。誰に入れるかはすでに決めてあった。投票後、いつもの「Today's Fashion」を投票所の入り口近くで撮影。 今日は、帽子も冠っていたがその帽子は車の中に置いて来た。撮影のために取りに行くのも問答だったので帽子なしで撮影。そしてすぐに茶畑庵に戻りシャワーをして禅寺へと車で向かった。
摂心会4日の夜は、懇親会が開かれた。摂心会は、明日の昼で終えるからだ。7時半少し前に禅寺に着くと懇親会は始まっていた。懇親会の料理も典座(てんぞ)さんが拵えた様でハルオにもその料理を残しておいてくれた。どの料理にどんな名前があるのか特に聞いた訳でもなかったので説明が難しいが湯葉が絶品だった。今回の摂心会には禅寺と縁のある別のお寺から来られた3人の方丈さんと典座さんがいた。ある方丈さんは本格的にクラシックを勉強された方で声楽を得意としていた。そして参禅者のリクエストにすんなり応じてくれその素晴らしい歌声を披露してくれた。この方丈さんの読経も素晴らしいと今回の摂心会中参禅者の1人が言っていたことは頷ける気がした。人柄も奔放でどこか作家でお坊さんだった今東光を思い出させた。続けて余興というかもう一人参禅者の方で尺八の演奏を披露してくれた。その尺八は、3尺ある少し長い尺八で煤竹製だと聞く。お2人のキャラクターは正に洋と和の対照的で自己表現の違いを見せてくれた。ハルオは、両方の名演を動画に録った。カメラは、常に手元に、やはりそうだといハルオは納得した。そしてもう一つ。今回の参禅者の内2人女性が参加していたがその女性の一人が「結婚相手は尊敬出来る人」とハルオの座っていた席の前で言ったのでハルオはその言葉に食いついてしまった。その女性の横に例の奔放な方丈さんが座っておられ軽く話題が下ネタになったので食いつきは下ネタを例にしてしまった。寺で話すのは不謹慎かとも思ったが話す前に皆に断わって意見を言った。「尊敬出来る人と言われても大抵の男は実に困る。例えば出会った当初は尊敬出来る下半身を持ち合わせるとする。だが歳と共にその元気さ/強さは残念ながら衰えて行く。男という生きものはプライドの生きものでその弱くなった下半身が尊敬から外れることを恐れる」こんな内容を言った。実にくだらないが大抵の男はそうだと思う。ハルオの意見をある人は達観しているといい、ある人はそれは違うと言った。当の言われた女性はちんぷんかんぷんなことを言ってるなこの人は、と思っていただろう。ハルオは、その場では言わなかったが逆に「あなたはダメダメな人だけど好き」と言われた方が男性としては楽で嬉しいと思う。「結婚相手は尊敬出来る人」=男性の立場から言えば「結婚相手は美しさを維持出来る人」と似ている。その場はそれで終ってしまい特に意見のぶつかり合いはなかった。ハルオは、後になって失敗したと反省した。一言多いぞ、と。「あ〜そうですか、いい人が見付かればいいですね〜」と言えば良かった。でももう取り返しが出来ない。その女性を傷つけたとは思わないが余計な一言だった。懇親会の後も休憩所でその女性と話す機会があったがその時は他の話題だったがやっぱり会話がスムースに行かなかった。ハルオは、懇親会でビールと日本酒を2合強飲んでいた。この冬になってから熱燗を好んで飲む様になった。最終日の今夜、残った参禅者は、ハルオを入れて7人に減っていた。
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2021.2.1mon_ishikawa
じつは日記がどうしても苦手。この『一日遅れの日記』の企画は、オファーされて決められた日付の日に実際に書き上げて次の日には提出するかたちになっているので、あらかじめ書く内容を用意することはできないし、ほんとうに何もないただの日常を書く文字どおりのその日の記録でしかなくなってしまう。もちろんそれで全然OKなんだろうけど、なぜ苦手なのかというと、その何もない日常を文章にするのが苦手、とかではなく、たんに自分の生活サイクルが一般的な日付とは関係ないかたちでまわっているから。たまに夜中に起きてメールを送ったりsnsでライブ情報などを更新していると、夜型の生活のように思われてしまうけど、実際は一般的な三日間で自分は二日間分の寝たり起きたりのサイクルになっていることが多い。一旦寝てしまうとかなりの長時間眠ってしまい、そのあとは起きている時間も長くなってしまう。そのためか、日付の感覚があまりないせいで「日記」を書くにも、指定されたその日付をほとんど寝てしまって過ごすことになったらどうしよう、ってなる。「今日は一日中寝てた」で終わってしまうおそれもあり、逆に起きてるサイクルでいろんなことがありすぎて書ききれない、っていうこともあるかもしれないし。とにかくバランスが悪い。と、こんな生活のことを書いてしまうと、普通に仕事してたらそんな学生気分みたいなことできるはずないし、ただのダメ人間じゃん、とか、良いご身分ですなぁー、とか、甘えてんじゃねぇよ、とか思われるかもしれないけど、たんに睡眠障害がどうしても治らずそれを変えられない体質になってしまったというだけで、むしろまともに仕事もできずに生活はみんなと同じく借金生活だ。だから別にこれが良いとも悪いとも思ってない(もちろん体に良くはない)。だからことさら日記ってなんか苦手なんだよね、って言いたいわけでもなくて、「日記」という形式に自分の生活サイクルが合ってないかも、っていうだけ。太陽暦から取り残された世界から抜け出せない。 で、今日は何があったかというと、じつはちゃんと起きてた。というのもたまたま東京に来てたから。杉本佳一さんと安永哲郎さんによるデュオの音楽ユニット「minamo」と一緒にレコーディングする予定があったので、東新宿のホテルに滞在していた。レコーディング予定のスタジオへは、たくさんの機材を持って電車で新宿から行くにはちょっとだけ遠い場所にあり、機材を運ぶのを手伝うためにshibataさん(nan!ka?、ボルゾイ)が車で迎えに来てくれた。スタジオに向かう道すがら西新宿のレコード街を通った。ていうか今でも「レコード街」って言われたりするほどレコード屋は残っているのだろうか?東京を離れて10年以上経つのでそれは分からないけど、学生の頃ずっと通っていたレコード店のLos Apson?(現在は高円寺に移転)が入っていたビルが車の窓から一瞬見えた。当時、西新宿のレコード街にあったレコ屋のほとんどはマンションの一室に入っていて、ロスアプソンに行く時はいつも緊張とワクワクが混ざったような気持ちで、エレベーターに乗っていた短い時間さえすごく貴重に思えた。minamoを最初に知ったのもロスアプソンだったかもしくはJNR(現NEdS RECORDS)だったか。記憶が曖昧になるくらい、気がついたらもう20年以上前のことだった。minamoと彼らのレーベルcubic musicは、当時『frame』や『no frame』というイベントをやっていて、会場の選び方やラインナップの構成、音楽性も含めてそれまでのインディーやノイズ、アンダーグラウンドの世界にはない新鮮なやり方だった。その頃の雰囲気を具体的に書くには長くなりすぎて無理だけど、小規模な音楽イベントで今では当たり前になっているようなやり方のほとんどがそこにはあった。自分はその活動と音楽に多いに刺激を受けてきたし、その後に安永さんとはHELLLというバンドを一緒に始めたり、自分が運営するaotoao labelの「Casiotone Compilation」のシリーズにもminamoはもちろん、HELLLや安永さんがmoskitooさんとやってるユニットのCat Sand、そしてソロでも参加してもらっていて、ここに書ききれないほどお世話になってきた。そんな20年来の知り合いで、ライブで何度も対バンしてきたはずなのに、なぜかminamoとは一緒に演奏したことがない(多人数でのセッションを共にしたことはあったけど)。今回はじめてレコーディングに誘ってもらったものの、ずっと知っているからこそ逆に緊張してしまい、しかも自分はこの数年はほとんど海外でのソロ演奏ばかりで、人とのセッションを録音するのは久しぶりだったせいもあり、前日入りしたホテルの部屋でベッドの上に機材を広げながらああでもないこうでもないと考えたりしてるうちに気がついたら床で寝たまま朝になってた。せっかくホテルをとってもらったのに床で寝るなんてバカすぎるけど、ともかく起きたのはshibataさんが迎えに来た直前でバタバタとホテルをあとにしてきていた。そう、つまり(つまり?)、言い訳でしかないんだけど、使う予定のシンセをひとつホテルの部屋に忘れたまま出発してしまったのだった…。スタジオに到着して機材のスーツケースを全て広げてからようやく気がつき、でも忘れてしまったそのシンセがなくても録音はできるかなと思いつつも、minamoの2人に相談。すると近くに住んでるイトケンさんなら持ってるかもしれないと電話して聞いてくれたのだけど、数多あるシンセの中の一つをピンポイントで持っているはずもなく。じゃあトクマルシューゴくんにも連絡してみようかと話合いつつも、長い間連絡とってないし、そんな自分が忘れた機材のことでみんなに迷惑かけるのも申し訳ないし、とモゴモゴしてるうちにshibataさんがホテルまで取りに戻ってくれることに。部屋番号を伝えカードキーを渡し、とりあえず自分たちはそのままレコーディングを始めることに。しばらくしてshibataさんから、部屋の鍵あかないよ?と電話があり、いま立っている部屋の場所を聞いているうちに、自分が言ったはずの部屋番号が完全に間違っていたことに気がつき、それどころかほんとの部屋番号がどうしても思いだせない…。えっと、あのね、7階のエレベーターを降りてから出た通路の左側で、そこから二部屋目くらいだったはず…。とあやふやな記憶でようやくキーが合致した部屋に入ってもらったものの今度はそのシンセが見当たらない…。いろいろ探してもらったあげく、なぜかベッドの下の奥の方に転がっていたという…。寝ながらシンセ蹴ってたのか???まぁそんなこんながありつつも、レコーディング自体は順調に終了。これからミックスなどでどう仕上がるのか楽しみ。 その翌日はshibataさんが家に泊めさせてくれる予定だったのだけど、コロナでのいろんな事情もあり、もう1日ホテルを延長して宿泊しそのまま新宿から帰ることにした。いつもどおり?11時のチェックアウトぎりぎりに起きてしまって急いで支度をしてカウンターに。そこから夕方の新幹線までどこで過ごすか問題に直面。ツアーミュージシャンあるあるの日曜のライブやレコーディングの翌日の帰る前に美術館にでも行きたいけど月曜日はどこも休み、っていう問題。どうしようかなと思っているうちに歩ける距離にある新宿のディスクユニオンへ。インディーズ館から周辺の何店舗かハシゴしつつCDとレコードを買いまくり、そこから西新宿のレコード街?にも行こうと思ったけど、気がついたら新幹線の時間が迫っていたので諦め、帰りの車内でこの日記を書きあげるつもりがまた途中で寝てしまって気がついたら金沢に着いてた。
-プロフィール-
ASUNA 石川 https://sites.google.com/site/aaaaasunaaaaa/ @asuna_aotoao
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V3キャラ評と感想
ニューダンガンロンパV3のキャラクター評と本編の感想追加
以���ネタバレあり
印象はほぼ本編で感じたことのみ 正直記憶が曖昧なので覚えている部分だけ そのうち追記するかも
‣赤松楓
最原終一の想い人、赤松ちゃん
1章で退場って聞くと短いけど確実に最原の記憶にもプレイヤーの記憶にも深く刻まれたであろうヒロイン 探偵の相棒として首謀者を暴くための罠を仕掛けたのが最初で最後の共同作業だった 教室のシーンはたまげたなぁ…
首謀者を殺せばゲームも終わるという思考は中々常識離れしていると思うが、その考えにいち早くたどり着いたという点では、あの常識が通じない世界に適応する能力はかなり高かったのではないかと思う いや、高すぎたのである
実際、あの瞬間まで殺人は起きておらず、首謀者も彼女の運任せの犯行を利用したということは、彼女以外には殺害の計画を企てた人すらいなかったということだ
ただあの場面で首謀者を殺して無事外に出られたとして、赤松ちゃんはその先人殺しの罪悪を背負って生きねばならないのはそれはそれで苦しいのでは?
最原終一を形成した人物
‣天海蘭太郎
私服登校も生存者特典なんすか?
‣東条斬美
東条斬美は私の母になってくれるかもしれなかった女性だ
キャラとしても好きだったし犯人としても動機とトリックがちゃんとしてて好感度が高い トロッコ問題のような動機は彼女の責任感の強さと実行力を考えると防ぎようがなかった 手袋さえ使わなければクロと確証づけるものは無かったと思う
2章と言う早い段階での計画的犯行だが それだけ彼女の動機が重く、生への執着が強く、そして周りとの信頼を築くには時間が短すぎたのである
‣星竜馬
動機もなければ生きる希望もない、殺されるためだけに用意されたかのような悲しい人生 だからこそ斬美の動機と噛みあってしまい命を捨てることになった
最原たちと触れ合って少しでも生きることに意味を見出していたようだが、その矢先に犠牲者に 秘密子や春川のように、才囚学園の中で生きることに希望を持てるくらいの友人ができていればあるいは被害者とはならなかったかもしれないが、それにもやはり時間と行動力が足りなかった
‣夢野秘密子
可愛い 初期のダウナーな感じも良いが終盤の健気でひたむきなのも好き
最初は周りと馴染めなかったり、変な宗教にハマったり、何度も容疑者として挙げられたり、友達を失ったりとたくさん苦い思いをしてきたが最後は立派に成長を遂げた
転子とずっと仲良く…とはいかなかったが、死を乗り越えた先でしか得られなかったものもあるだろう 最後まで前向きに生きた姿を見れば、転子や最原たちと過ごした時間が秘密子の人生の糧になっていることは確かだ
6章では自ら春川に身を寄せ、場を和ませようとする場面も見られる ”超高校級のマジシャン”だけあって、他者を楽しませることに一生懸命なのである
かわいいね
‣春川魔姫
第一印象は悪かった 話しかけてみればちゃんと会話してくれるが明らかに他者との壁を作っていた 強い口調とは裏腹に人を信じることができない弱さもある 口では子供が好きではないと言いつつ、プレゼントで喜ぶものが絵本やつみきなど子供向けのおもちゃだったりする 虚勢を張っているのである
百田は持ち前の勘で彼女のことも悪い奴じゃないと思い気にかけていたが、それ以外の人物からは近寄りがたく思われ、終盤まで信頼を築けなかった 結果、王馬と敵対し5章の事件に繋がる 結局愛の力はすべてに勝るのだ
王馬だけでなく、秘密子やキーボとも完全な信頼を築けていなかったから、彼女は一人で格納庫に侵入した(彼女の”暗殺者”の才能も後押ししたのだろうが)
5章での彼女の行動理念は「自分を救ってくれた百田を守りたい」の一点にあり、その想いは他の仲間を犠牲にしても良いと思うほど 百田が与える無償の信頼は相手にとっては成長の糧となるが、同時に自分すら顧みずコロシアイの犠牲になる可能性を高めるリスクもある (転子の秘密子に対する強い加護欲も同様)
他人の色恋にも鋭いし自覚もあるのは可愛くて好き 大胆は告白は女の子の特権だけど時と場合は考えてほしい
‣茶柱転子
全体的にクールなキャラが多い中で唯一まっとうに明るいムードメーカーだった まともだったし 死はあまりにも理不尽だった
秘密子を成長させるという重要な役目を全うしてサイコパスに殺された 秘密子を救うために本当は信仰していないアンジーの生徒会に入る等、時に”嘘”を使いこなせる人物であり、”超高校級の合気道家”らしくフィジカルも十分 コロシアイゲームを生き残れるだけのポテンシャルは本来あっただろう
男死と呼ぶほどの男嫌いではあるが、自ら危害を加えるようなことは無く必要ならコミュニケーションも取れるため春川や入間ほど他者との壁は作っていなかった
夢を与えてくれる秘密子の才能に惚れこみ、最後まで”秘密子を守る”という行動理念のもと自分の正義を貫いた 義理堅く、強い信念を持って生きた転子は最期の瞬間まで人との約束を破ることはなかった
‣夜長アンジー
見た目と声が好きすぎて入信しかけた イベント会話も可愛くて好きだった アンジーはアンジーらしいまま神様のところへ行った 王馬よりも素性が分からなかったような気がする
でもアンジーのやろうとしてたことは確かに”皆と一緒に生きるため”にやっていた事だし、皆の信頼を集めるだけのカリスマも持ち合わせていたのだと思う ただ運悪くサイコパスに鉢会っただけだったんだ
‣真宮寺是清
ちゃんとしたサイコパス
‣百田解斗
勘だけで生きている男
‣入間美兎
プリパラ見てそう
ある意味では一番人間臭いというか現実的な思考の持ち主だと思う 彼女の動機としては「オレ様の発明なら世界をより良くできるはず」という台詞があったことから、”超高校級の発明家”としての使命感から犯行に及んだと思われる
彼女が友達と呼べる程の関係に至ったのは王馬とキーボくらいだったと思う キーボに関しては入間からすれば機械に過ぎないと思うが… 頼られるのは嫌いじゃないっぽいし、色々と発明品を渡していた王馬の事は他より信頼していただろう でなければプログラム世界の事も説明しないし「裏切られるかもしれない事に恐怖を感じてる」と独白したりもしない
彼女にとって自分の計画を成功させるにあたり信頼できる人(自分を信じて屋上に来てくれる人)が王馬だったのだ つまり二人は互いに信頼関係があったといえる だからこそ4章の後には引けない殺人が起きたわけだ
彼女が周りとの信頼を築けなかった理由は虚勢にある 入間が発言のたびに下品な冗談を言うのは本人曰く「場を和ませるため」だが、あまりにも品がないため引かれる事になってしまっていた 端的に言うとコミュ障である
そんな彼女の発言に唯一対抗できたのが王馬であった 言うなれば彼女の冗談に乗ってあげていたのである 王馬に罵られた時の反応を見るに嫌な気持ちを抱いてるようには見えないし素直に喜んでいるのだろう
最原と赤松ちゃんは土下座で発明を頼み込んでいたが、王馬がそんなことをするとは思えないし 彼女と正しく向き合うにはもっと”対等”であるべきだったのかもしれない
‣獄原ゴン太
ここが才囚学園じゃなかったら良い紳士になれていたと思う
ずっと「みんなを守りたい」という信念だけで体を張ってきたが、”外の世界の真実”を見て絶望してしまい、そこで王馬とコロシアイバスターズを結成することとなる
4章のゴン太は記憶を失っていたため百田の勘も通用せず、王馬の自白がなければ真相の道へも行けなかっただろう そのため裁判中での百田の勘は間違っておらず、王馬の自白に乗る最原を遠ざけるのは当然のことである
(この辺は以前の感想から考えが改まった部分)
ゴン太が王馬の計画に乗った理由は彼の計画がコロシアイを終わらせる事にあったからである 王馬の目的が首謀者を暴き、自分の信条に背くコロシアイゲームを終わらせることにあるのならば ゴン太も協力するだろう
計画の内容は、まず前提として”首謀者は監視カメラで全ての状況を把握していて、ゲームを続かせるために議論中クロに疑いを向けるよう誘導するような発言があるはず”と想定して、その人物を特定することにある 監視カメラについてはモノクマが状況を把握してる事とゴン太の「学園内に虫さんがいる気がする」と言う発言から、いち早く推測できたとする またコロシアイゲーム自体が「誰かに見られている」こと自体、王馬は早い段階で気づいていた
学級裁判は ゴン太は何も知らない→王馬が偽証により犯人に仕立て上げられる→王馬自白→ゴン太は変わらず何も言わない→王馬が反論を求め捲し立てる→最原が記憶喪失の推理をする
という流れだったと思う ここで王馬の計算外が二つあり、一つは最原の偽証 もう一つがゴン太の記憶喪失である
最原の偽証で王馬がクロとされてしまっては計画が破綻してしまうため王馬は自白をはじめる そしてゴン太があまりにもシロを演じているように見えたため、王馬は”裏切られた”と感じたのではないだろうか そのためゴン太に対して激しく糾弾したが、記憶喪失の可能性が浮上したため計画の破綻に気づく
そしてゴン太アルターエゴが言っていた「みんなを楽にしてあげたい」と言う発言と、自分もおしおきしてくれと頼む王馬に対する「ゴン太は大丈夫だからそんな事言わないで」という趣旨の発言は明らかに矛盾している 死を救済と捉えているなら(おしおきはつらいからと言う理由は抜きにして)王馬に死なないで欲しいという趣旨の言葉は残さないと思う
みんなを楽にするためではなくコロシアイを終わらせるための犯行だとしたら、ゴン太アルターエゴの言葉は王馬の”嘘”に乗っていたのである 後の事を王馬に託して彼は最期までみんなの為に体を張ったのだ
‣王馬小吉
端的に言えば彼もコミュ障である
王馬の嘘は虚勢とは言い切れないが、百田が指摘した「本音を隠すために嘘をついている臆病者」というのも否定はできない 彼の素性を考えるならあくまでエンターテイメントとしての嘘とコロシアイを生ききる中で身を守るための嘘が混在していたとみる
そして彼の嘘は最原たちを”誘導”するために使われることが多かったが、やり方が迂遠すぎたためヘイトを貯めこみ、それが作戦の失敗へと繋がる
王馬が明確に怪しんでいたのは5章の時点で春川のみ(個室のホワイトボード参照) 逆にそれまでに信頼していた(信頼を得たかった)であろう人物はゴン太・入間・最原、他に注目していたのはキーボ
キーボに対しては単純に面白がっていた部分もあるだろうが、ホワイトボードによると”変”だと思っていたらしい 実際、キーボには「視聴者代表」という役割が設けられており、その他のキャラクターとは乖離しているため王馬の予想は当たっていたともとれる
入間については王馬の計画に使うための道具を多数提案し、作って貰っていた事から確実に信用していたとみられる
ゴン太に関しても、早期から”昆虫でなごもう会”を画策したり、ゴン太の見た”中庭の文字”を学園に関係するヒントと受け取ったり、「虫を見た」と���う発言を受けて入間に”吸い取りマシーン”を作らせたりと、かなりの信頼を置いている
また、彼の動機ビデオの内容を踏まえると 王馬がコロシアイゲームを許せないと思っていたことは事実で、春川と敵対した理由は「暗殺者」だから(理由がどうあれ殺しの前科を許容できなかったし、春川の出自を知る術もない)
最原は5章の計画を成功させるための重要なファクターであり、計画を成功させるにあたっての脅威でもある 彼を共犯者にして”推理をさせない”ために友達や相棒と言って引き込もうとするが、4章にて最原から嘘の証言で反論される それを受けて王馬は最原の信用を得るのを諦めることになるが、同時に最原に信頼をおく事にも繋がった
4章での計画が失敗してしまった状況で王馬が次に考えることは、5章での「首謀者を名乗り皆を絶望させ行動不能にする」作戦、そして「死体を偽装して首謀者を欺く」作戦である これらの作戦概要は4章以前から準備していたものである (”外の世界の真実”に伴う推理や 百田に渡していた”裁判中の王馬”の台本、生前入間に頼んで作って貰っていたエレクトハンマー等)
まず前者の作戦に引き継ぐため王馬は”ゴン太を利用した”事を強調し、コロシアイゲームの主催者らしく威勢を張って最原たちを煽るのだった
しかしゴン太がおしおきされる直前の問答は本心だと思う 仲間のために涙を流せないやつは組織の信条も守れないよ
5章 まず最原たちを行動不能にした際、百田を連れ去った理由は 彼を”首謀者”と踏んでいたためであると考える 百田はこれまで勘で皆の議論を扇動したり最原のサポートをする場面があり、これが「ゲームを続けるためにクロへ誘導する」という首謀者の条件に当てはまるため また、2章・3章・4章と百田にはアリバイが無いことが多く、これが「監視カメラで情報を得ている」と取れるため
「人を信じる」百田は、常に「人を疑う」王馬とは真逆の行動理念で対立しており、根拠はないけど正解に辿りつき人を惹きつけるという、まるっきり王馬とは対の位置にいた人物である
更には4章でゴン太をクロに誘導する人物が居なかったのもあり、それ以上首謀者を絞れなかったものとみられる
王馬の嘘によってコロシアイ参加者たちが動けなくなり膠着状態に陥れば、当然”見ている人たち”にとっては退屈になり首謀者もアクションを起こさなければならない そして王馬視点では首謀者(百田)を最原たちから引き離して軟禁しているため、膠着状態が続くものと考えているだろう つまりこの時点では王馬が”死体偽装トリック”を実行する予定はなかったのである
しかし王馬のついた嘘は真の首謀者によって利用されてしまう
首謀者の思惑により”絶望の残党”である王馬に立ち向かう事を決めた最原たち、もとい春川は単身で格納庫へ乗り込み、コロシアイを続ける引き金を引いてしまう これが想定外だった王馬は、用意していた事実上最後の手段を使うことになる 共犯者に百田を選んだのは、百田を軟禁していた際に膠着状態が解かれた以上百田は”首謀者”ではないと確信したことと、春川から自分を庇ったことを見て信用しても良いと踏んだのだろう
結果的に最原に推理をさせてしまったことで王馬の偽装トリックは暴かれてしまうが、自分が今までに得たヒントの情報を個室に残すことで更に”その先”で最原たちに勝たせる事を計画していた 正しくコロシアイゲームを終わらせることに命を懸けたのである
ただ天海の蝋人形吊るした部屋で眠れる精神状態はまずいと思う
‣キーボ
6章のことはまだ考え中
‣白銀つむぎ
生き残った三人は皆コロシアイゲームを経て親密になった人を失っている、言い換えると死を超えて成長を遂げられた人物であることが分かった 百田とか天海についてはもっとちゃんとした感想があるのでそのうち追記したい
以上が個人的なキャラ評と改めてストーリーの感想です
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