#ワーニャおじさん���読みたくなった
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初日舞台挨拶レポート
昨年9月に行われた第80回ベネチア国際映画祭で初上映されて以来、世界各国の映画祭、劇場での上映が行われてきた本作。この日は待望の日本公開初日ということで、初日舞台あいさつの会場となったBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下は超満員。そして映画上映後、スクリーンで繰り広げられる圧倒��な物語の余波に浸っていた様子の観客の間からは自然と拍手がわき起こった。
そんな熱気あふれる会場内にやってきた大美賀は緊張の面持ちで、「今日までものすごく緊張していたんですけど、(映画上映直後に)皆さまが手をたたいてくださっていたのを聞いて。良かったなと思っております」と安どの表情。濱口監督も「完成してから9カ月くらいですが、ようやく日本で公開できまして。本当にうれしく思っております。今日はよろしくお願いします」と感激した様子を見せた。
本作主演の大美賀は、もともと濱口監督の『偶然と想像』にスタッフとして参加しており、イベントではその時のメイキング写真が紹介されるひと幕も。だがその後、自分が映画の出演者となり、ベネチア国際映画祭のレッドカーペットを歩き、そして日本での映画初日を迎える。その当時からすると予想もつかなかった人生に「これを超えるハイライトが今後、自分に訪れるのかどうか」と笑顔を見せた大美賀。
濱口監督も「フランスでは2週間早く公開されることになったので、わたしもパリに行ってお客さまと一緒に映画を観たんですけど、結局この人(大美賀)はずぶといなと思ったんですよね。今日も戦隊もので言ったらレッドの位置、どセンターに立っているわけですが(笑)」と冗談めかして会場を笑わせつつも、「究極そういうのができちゃう人だというのは、頼む前は知りませんでした。でもこの映画をつくる前、脚本を書く前にロケ場所などのリサーチをしていたんですが、その時はドライバーとして入ってもらっていました。しかしカメラの前に彼に立ってもらったりしているうちに『あれ、いいかも』という気持ちになって、ここまで来たので。見る目があったなと思っております」と自負してみせた。さらに、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、香港で公開中の本作(今後もアフリカを除くほぼ全ての地域で公開予定)が、フランスでは1週間で7万人の観客が訪れたことも明かされ、会場からは驚きの声が上がった。
グランピング場建設計画の説明会のシーンの話になると、「あのシーンは本当に緊張しました。2日間かけて撮ったわけですが、最初の方は本当に頭が真っ白になりましたね」と振り返った大美賀。『偶然と想像』にはエキストラ的な感じで少しだけ出演したことはあったものの、本格的な芝居をしたのは初ということで「これ以上ない景色を見ています」と語る大美賀に対して、会場からは大きな拍手が鳴��響くなど、俳優・大美賀均が観客に受け入れられている様子がうかがえた。
そしてこの日はもうひとり。小坂も、もともとは濱口監督の『ドライブ・マイ・カー』に車両部として参加していたスタッフ出身の俳優であった。濱口監督が「彼はもともと俳優なんですが、その時は車両部として入っていて。その時に『僕もチェーホフが好きなんです』と言われて。トラックを運転している人からチェーホフが好きと言われたんで、ギャップ萌えをしてしまいました」と笑いながら語ると、その言葉に補足するように小坂が「あの映画では、車両部と監督だったので、なかなか話せる機会がなかったんですけど、最後に話す機会があって。僕も(同作に重要なモチーフとして登場する)『ワーニャ伯父さん』が大好きで、(『ドライブ・マイ・カー』の)台本に感動したので。そのことを伝えたのがはじめて会話をした時でした」と振り返った。
それゆえ本作で濱口監督の演出を受けることとなり「しあわせでしたね」と笑顔を見せた小坂。「それこそ『ドライブ・マイ・カー』の時に、こういうところでお芝居をしたいなと感じていたので。濱口監督は、お芝居をする、という環境づくりにこだわってる方なので、そういう場所でやってみたいなと思っていたんですが、僕もそれが急に実現したので。それが幸せでしたね」としみじみ付け加えた。
主人公・巧の娘、花を演じた西川も本作で忘れられない印象を残すが、彼女はオーディションで選ばれたという。「短い台本にちょっとアドリブを入れてやったりとか。そんなに難しいことは言われなかった」と振り返った西川。濱口監督も「実のところ大美賀さんと一緒にしゃべってもらうというところがメインだったんですけど、西川さんはいい感じで距離があったというか。他の子でも、大美賀さんと本当に親子のように話せる子もいたんですが、西川さんは大人として喋っているような感じがあって。それが良かった」と大美賀との相性が決め手だったことを明かす。大美賀との芝居も「��で自分のお父さんと話すみたいに緊張せずに、普段通りに話しました」という西川に対して、「すばらしいと思います。普段、お父さんと話すようにできないと思うんですが。助けられました。ありがとうございます」と頭を下げる大美賀。そんなほのぼのとしたやりとりに会場も笑いに包まれた。
一方、2015年の映画『ハッピーアワー』に出演していた渋谷。本作は久々の濱口組となったが、「わたしも濱口さんも大きくは変わっていない気がしましたが、ふたりともちょっとずつは大人になっているかなと思いました」と笑うと、「実際に撮影が始まって本読みに入っていくと、『ハッピーアワー』の時にみんなとやっていたことが、さらにどんどんブラッシュアップされていて。また一緒にできてうれしかったです」と感慨深い様子。濱口監督も「『ハッピーアワー』の時がはじめてだったと思うんですが、その後も彼女の舞台を観に行ったりもしていて。渋谷さんは『ハッピーアワー』の頃もいいと思っていたんですけど、その良さを失わないまま、俳優として成長しているものがあった。だから今回、この役は渋谷さんでいけるかも、というインスピレーションがあった時にお願いしたら受けてくれたので。一緒に仕事ができて良かったです」と晴れやかな顔をみせた。
本作が生まれたきっかけとなったのは音楽家・石橋英子から濱口監督への映像制作のオファーだった。そこからふたりは試行錯誤のやり取りを重ね、「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことから生まれたのが石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と、本作『悪は存在しない』である。残念ながらこの日は石橋は不在だったが、石橋からは手紙が寄せられ、その手紙を渋谷が代読することになった。
「ちょうど昨年の今ごろ、この映画のために音楽をつくりはじめました。それが昨日のことのような、まるで遠い過去のことのような。時間の感覚が分からなくなるくらい、この作品はわたしの人生にとって大切に作品になりました。わたしがライブのための映像を濱口さんに依頼したのが発端ではありますが、心の大きな濱口さんやプロデューサー、参加してくださったスタッフの皆さま、キャストの皆さま、お一人お一人のこれまでの人生、すばらしいお仕事によって、このようなすばらしい作品になったと思いますし、そのことを心からうれしく思います。感謝の気持ちでいっぱいです」と感謝の思いがしたためられたその手紙は、さらに「そのような大事な映画の、大事な初日に伺えないことは本当に残念で、悲しくて、悔しいです。本当はこの映画の舞台あいさつの後に、夜中の便でイタリアの映画祭に『GIFT』の上映のために向かうつもりでしたが、25日と26日では、飛行機代がありえないくらいの差があり、ゴールデンウィークを本当に恨む次第でございます。いいことばかりでもつまらないと自分を言い聞かせながら、今はイタリアに到着したばかりのボンヤリとした頭で、迎えの車を待っているのでしょう。ただただゆったりと映像と一緒に身を委ねて、楽しんでいただけたらと思っております。自分が関わっていても、本当に何回観ても飽きない作品だと思います。末永くよろしくお願いします」とつづられていた。
そんな大盛り上がりの舞台あいさつもいよいよフィナーレ。最後に濱口監督が「初日に来ていただいてありがとうございます。皆さまがどう思われたか分かりませんが、皆さまの感想をどこかで目にすることができたら、それがどのようなものでも本当にうれしく思います」と呼びかけると、「フランスでこの映画を観ていた時に、この映画を支えているのは映ってる人たちだなと。本当にすごいなと思いながら観ていました。それは撮影現場でもそう思っていたんですが、ひとりひとりが存在として輝いている。わたし自身そういう印象を持ち、感動したので、��ひ多くの観客に観ていただきたいなと思い��す。ひとりひとりのありようとか、仕事を観ていだけいたらと思います。この映画、末永く、よろしくお願いします」と会場に呼びかけると、観客からは万雷の拍手が鳴り響いた。
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ドライブ・マイ・カー
を観てきた。
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岡田将生が演じる高槻の言葉
他人の心を覗き込むことは出来ない。
言葉や感情が丁寧に扱われていて、心地が良かった。
みさきの、運転を褒められて犬とじゃれ合う姿や、ぎりぎりまで本を読んでて、運転の時に帽子を被る所作が可愛かったな。
濱口監督が三浦透子さんを表していた、聡明さを世の中を斜めに見たり、低く見積もるのではなくて、自分や周囲を良くしていこうとすることに使える知性を持つ、というのは、とても大切。
なかなか出来る事じゃないけど。
目を背けるな
自分自身と向き合え
生きろ
村上春樹の原作も読んだ。
久々に活字を読むのはまた心地良かったけど、あの短編が複数とはいえ、あの脚本になるのは想像もつかない。
広島のロケーション。
舞台のオーディションから公演までの映画の家福のストーリーと、ワーニャおじさんをシンクロさせるなんて信じられないし、多言語・多国籍に手話まで加えて言葉と身体の有機性を魅せられた気がする。
北海道で、一時的に、無音になる瞬間。
雪景色の中で、花を買いに戻る映像。
コミュニケーション能力とは。
間をつなげることではなくて、じっと黙って、耳を傾けてくれること。
考えを咀嚼して、時に自分の考えを、もしくは感想を述べてくれること。
嘘からでた言葉がどうかを見極めることができる人。
自分は気の利いた言葉が出なくてもいいから、本音を語れればいいな。
みんなではないし、みんなである必要もないけど、
傷を抱えている人はきっと沢山いる。
正しく傷付くべきだった。という言葉。
大切な人とはちゃんと向き合わないと。
傷付くほど大切な人がいる人生ってのはとても幸福だ。
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今日は横川シネマへ、 村上春樹さん原作の映画 「ドライブ・マイ・カー」を 観に行ってきました🎥 原作の短編も好きな作品だったので 170分と言う長尺のストーリーに どういう風に作られたのかしら、 途中でうっかり眠らないかしら💦と 心配でしたが😅 結果、スクリーンの中に すうっと吸い込まれ、 登場人物の暮らす世界の 空気の一部になったような 不思議な感覚の2時間半でした。 もちろん、お目目は覚めまくり!👀 舞台の大半が広島ということもあり、 序盤は、「あ、プリンスホテルに岡田くんが!」とか、「あ、今日通った道を西島さんが!」とか、違う意味で興奮しましたが😅 だんだんそういうノイズは消え、 特に後半の 岡田将生さんの長回しのシーンは 狂気をはらんだ凄みと美しさで 目が離せなかったです。 岡田くん、すごい役者さんだなあ。 西島さんの奥さん役 霧島れいかさんも印象的で 男性にとってのミューズと ファム・ファタールが同時に 内在する女性って いるんだなあ…とうっとり…。 ノルウェイの森で レイコさんを演じられていましたが、 音さんもすごく良かったです。 あまり書くとアレなんですが😅 ワーニャおじさんの舞台のセリフのように 人生、生ききって、 最後はゆっくり休みたいですね。 #実はハルキストなうみねこ社😅 #ワーニャおじさんも読みたくなった #もちろん西島さんと三浦さんも素敵でした✨ https://www.instagram.com/p/CT9rRSaBXHO/?utm_medium=tumblr
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濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』
原題:ドライブ・マイ・カー 制作:日本, 2021年.
カンヌ映画祭で4冠を果したことでこの作品を知った。村上春樹原作とある。それで短編小説集「女のいない男たち」を読んだあと、映画を観ることになった。読んでみて、同名の短編より「木野」の方が印象に残った。小説よりも映画に強い響きを思ったのは、そのせいかもしれない。
映画を観た日の夕方、つぎのようなツイートをした。
Hironao KUBO(@CookinGarden) 濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』を観ました。「言葉を聞く」をテーマに、家福が妻おとの言葉を掴み取るま��の苦悩が描かれていた。出口のない言葉を抱えてさ迷うおと、クルマの言葉を聞くみさき、別人格に言葉を憑依させたみさきの母。顕れも隠れもする言葉の象徴的な描き方が見事だった。
映画を観ながら、ウクライナ侵略の深い闇を思わずにいられなかった。西欧人とプーチンも、どこかで互いの言葉の深みを聞く耳を捨てたのではないか。家福が西洋にも、プーチンにも思えてならない。カンヌが『ドライブ・マイ・カー』を聞き止めたのが、せめてもの救いだと思った。
以下の文章は、ツイートに記した二つのメッセージの間にある思いを綴ったものである。
二人を包む都会の温度
映画の冒頭で、40分もの時間をかけて家福と妻音(おと)との生活が描かれる。これは音楽でいうところのヴァース、導入部だろう。それにしても長いヴァースだが、少し青みがかった白っぽいトーンで描かれる二人の暮らしがよく現われていた。誰もいない部屋に置かれた、グラスのなかの白ワインのような温度感が漂っている。
いつも黒っぽい服を着た穏やかな家福の姿が、この温度は彼の性格によるものだと思わせる。小説「木野」の主人公木野と同じものだ。もしかしたらこれは、村上春樹が描く人物に共通のものかもしれない。
だが、彼らはいわゆる冷たい人間というわけではないようだ。温度を求めない人たちなのだろう。生活に熱のようなものはいらない、熱はなくても愛しあえるし幸福だと思っている人たち。家福はこんなセリフと口にする。
「ぼくたちは愛し合っていた。二人は幸せだった」
なんと現代的で都会的なのだろう。都会に生き、都市に体温を奪われた人たち。これが村上小説が描く主人公の姿なのだろうか。
崩れていく温度の平衡
妻の音は家福の温度を受け入れ馴染でいるように見える。しかしその姿とは裏腹に、音は熱を抱えている。どうやらこの熱は、音が最初から持っていたものではないらしい。
家福と音の間には娘がいた。しかし、4歳のとき病気で亡くしている。若くして幼子を失った二人は悲しみの火を燃やすはずだった。多くのカップルがそうするように二人も、悲しみを交換することで熱を冷まし、娘の死をともに乗り越えていくはずだった。
しかしそうはならなかった。家福の熱は彼のなかで静かに消え、音は体内に熱を押し込んだ。家福は音の事情を知ろうとはせず、その後の20年あまりを過ごしたことになる。一方、音のなかでは、熱がいまも出口を求めて渦巻いている。音は熱を自分の手で取り出すことができない。本来なら家福が手を添え、音の身体を抱き包むことで熱を吸収する��ずだった。だが、家福はそれをしなかった。セックスをしながら音は、家福に熱を伝えることができないでいる。もどかしさが残る。
二人に必要とされた、ある大切な交換の仕組み。その仕掛けの壊れが、家福と音が抱える不幸の原点なのである。なぜ壊れているのか、なぜ家福は熱を失ったのか、なぜ拒否するのか? 映画はその理由を明示することなく保留し、懊悩をさ迷い深い壊れから解放される家福の姿を描くことにすべてを費やしているように見える。
熱を言葉に託す音
熱の高まりに耐えかねた音は、セックスを通じて熱を放出しようとする。俳優であり演出家でもある家福のために音が選んだのは言葉だった。セックスが解放する体内からの叫びを家福に聞かせたかった。性の叫びは深奥にある熱につながっているはずだ。音はセックスを通じて引き出した炎を物語に込め、家福に届けようとしたのである。その行為ははじめ、家福の肉体との間だけで行われるはずだった。しかし、壁のようにたちはだかる温度差を、音はどうしても突き破ることができない。
物語を聞かせることが唯一の手段の音にとって、言葉を引き出すためのセックスは多い方がいい。こうして音と交わる男たちは、性行為の最中に音が語る奇妙な物語を聞かされることになった。俳優の高槻もその一人だった。しかし、熱を伝える相手はあくまで愛する夫、家福ひとりである。けれども、演出家の家福はすでに彼の一部だったチェーホフの戯曲のように、音の発する物語を聞き流すばかりだ。それは音が望むものではなかった。
ワーニャのセリフを抜いて音が吹き込んだ本読みテープも、音にしてみれば家福に自らの熱を届ける手段だったろう。しかし家福は、音が語る奇妙な物語にも、ワーニャとなって音の声と言葉を交わす仕事からも、そして音との肉体の交わりからも、音が発する生の言葉を聞くことはなかった。家福は言葉のプロでありながら、もっとも近くから届く言葉を聞き分けることができない。
虚空に消えた音の言葉
フライトのキャンセルで予定を変更して自宅に戻った家福は、高槻とセックスにふける音の姿を目にする。男に突かれ背中に指を突き立てながら叫ぶ音。呆然としながらも家福は静かにドアを閉め、その場から立ち去る。彼は音の不実を追求しようとしない。ドアを閉めるのと同じように家福は、音が放つ熱気を断つのだった。
その一方で音は、突き上げる快楽に喉を鳴らす裸身に、追求の鞭を受けたかった。罵倒され、激しく打たれ、全身に罵声を浴びたかった。家福の熱火で焼かれたかった。しかし家福は、存在が見えないかのように、空中に放たれ埋め尽くされる音の言葉を見ようとはしない。彼がいつも着ている黒い服は、何ごとのアクセスも寄せ付けない、冷温さの象徴なのだろう。
そうして音は、熱源のスイッチを切るように、玄関でひとり息を引き取る。��然訪れた脳梗塞のせいだった。この日家福は、音から求められた話し合いを避け、深夜になるまで帰宅を遅らせていた。何という悲しい末路だろう。
クルマの言葉が聞こえる無口な女
だた一人だけの冷え切った世界に、運転手のみさきが現われる。亡くなった娘と、ちょうど同い年だという。みさきは無口だが、クルマの声を正しく聞き分けることができる。クルマはこれから家福がたどる道行きの象徴なのだろう。車体が赤色に変更(原作では黄色)されているのは、みさきが熱を持ち音の熱を仲介する役割であることを思わせる。
冒頭のツイートにも書いたように、『ドライブ・マイ・カー』のテーマは「言葉を聞く」にある。ここでいう「言葉」は、存在の本質を指すものだ。表象は肉体でもいい、色でもいい、無口でもいい、意味不明の外国語でもいい。伝えるべき本質は表象にはない。この映画はその表象を、聾唖者と多言語によりさらに解体してみせる。聾唖で音声を絶ち、異国語で言葉の意味を絶ち、赤いクルマは口を持たない。表象は本質ではないのだ。しかし、表象は本質が姿するための媒体になる。
言い換えれば、無口でも、肉体でも、物体でも、聾唖者でも、異国語でも、そこには本質が内在する。表象にはその本質を言葉として引き出す役割が与えられている。しかし言葉が引き出せても、本質は言葉を受け入れる者にしか入り込めない。言葉は熱を受け止めて交換されなくてはならないからだ。映画は家福に問いを投げかける。
「お前は音に対して、壊れていないか?」
言葉のプロであるはずの家福にとって、何と厳しい問いだろうか。もし、家福が都会と現代の象徴であるなら、これは濱口監督が現代人に向けた問いでもあるはずだ。あなたたちもまた、「壊れていないのか?」と。
みさきに託された救い
二人は北海道のみさきの生まれ故郷にたどり着く。世界を覆い尽くす雪は、家福の象徴でもあるのだろう。冷え固まった家福に、みさきが一筋の光明をもたらす。
みさきと家福は、ともに肉親を殺した過去を持っている。家福はその理由を知らないままに、音が死んだのは自分のせいだと考えている。みさきは、生きたまま土砂に埋もれた母親を見捨てたとき、母が別人格に憑依させた娘を殺したことを悔いている。みさきは、その娘は母の胎内から出て姿し、みさきと交わろうとする母の化身だったことを理解している。みさきは母が育てた化身に気付き愛したが故に、娘を葬った自分を悔いているのである。みさきにとって母は表象であり、母の本質が憑依した娘は母からの言葉だった。
みさきの実家は朽ち果てて瓦解し、屑となって雪に埋れている。瓦礫を前に立ち尽くす二人。用意した花を投げながら、母を見捨てたみさきの告白が続く。投げた花が白一色の雪に、ひとつ、またひとつと、小さな色を落としていく。みさきの声を聞くうちに、家福は嗚咽し泣き崩れる。
「自分が悪かった。自分は音を知らなかった」 「知ろうとしなかった」
その叫びは、かつて家福が口にした「愛し合っている」を否定するものだ。自分は音を愛してなどいなかった。音の事情を知ろうとしなかった。
なぜ家福はいまになって、みさきの言葉を聞き分けることができたのだろうか? それはみさきが、家福に届けられた修復の最後の手引きだったからだ。あるべき家福の化身を見たからだ。家福だけに観ることを許されたその姿を。
見殺しにされたみさきの母親に、家福は音の姿を見たことだろう。みさきを壊した母親から憑依した愛くるしい娘に、音の声を聞いただろう。土砂のなかから手を差し伸べる母の化身に、消えゆく音の言葉を聞いたことだろう。それは広島から北海道へと、みさきの運転する赤いクルマで旅してきた家福にこそ入り込める言葉だったのである。
そしてついに家福は、その化身の視線の先に気付く。そこにいるはずの自分に。そこにいるべき自分の姿を・・・だが、そこには誰もない。白い空白がただ口を開けている。音の視線の先に空白を見た家福は、あまりにも虚しく恐ろしい光景に激しく慟哭するばかりだった。自分はなんと酷いことをしたのか。なんと酷いことを。
「赦してほしい。音、どうか赦してくれ。赦してくれ」
それは、音と過ごしたすべての経験が消え去る、恐ろしくも辛い気付きだったはずである。
そのとき家福は、雪に埋もれた廃屋を見遣るみさきに、空白を埋め��立つべき自分の姿を見る。そしてみさきを抱き寄せる。それは音がみさきに仮託した最後の言葉、赦しそのものだった。音の心を載せたサーブは、やっと家福のもとに届けられたのだ。家福はその回答へと導いてくれたみさきに、道行きを無言で支え役割を終えた赤いサーブを託すことにする。クルマはすぐれた運転手とともにいるのがいい。自分はあらたな人生を歩むことにする。音から受けた温もりを携えながら。
考えつくされた本作の要素
以上が、自分にとっての『ドライブ・マイ・カー』の印象と解釈である。それにしても、考えるほどに、この映画に埋め込まれた要素は意味深い。
道行きの「ドライブ」、熱の「赤」、言葉が発する「音」、表層的な言葉を解体し遮断する聾唖者と多言語による戯曲。これらの仕掛を通じて本作には、家福という一人の都会人を主人公に、愛する者が発した言葉を聞き届けるまでの旅が、実に巧みに構成されていた。そして、表象に惑わされることなく、内奥にある言葉に耳を傾けることの掛け替えのなさが、切々と心に沁みた。本当によくできた映画作品だと思う。
「言葉を聞く」ことの普遍的な意味
この映画が提示した「言葉を聞く」というテーマは、実に深く重いものだ。このことはとりわけ、今日的で普遍的な意味を持っている。韓国人の俳優、撮影地が日本と韓国であることから、その思いは日本と韓国の歴史を引き寄せる。韓国に対するすべての賠償が、国際法のもとで適正に行われていることは事実だ。しかし、「日本の政治家の言葉は本心をともなわない」という韓国人からの声は後を絶たない。これもまた事実だろう。まさに、映画に示された家福と音の不幸の原点がここにもある。
ツイートの後半に記した、プーチンによるウクライナ侵略もそうだ。2022年2月24日にはじまったプーチンのウクライナ侵略が正当化されることは一粒たりともない。それでも、これだけの悪意、怒り、激高が起こる理由が何なのかが問われなくてはならない。西欧とロシアの歴史に刻まれた、深く重い歴史を見過ごしてはならない。国家の主権と民族の自決は境界が異なる。民主国家と専制国家の線引だけでは、世界の秩序は保てないからだ。家福が陥った過ちを国家の紛争に拡げてはならない。
西欧とロシアは互いの言葉を聞いてきたのか、聞こうとしてきたのか。相手の言葉を聞き尽くしてもなお、これほどに悲惨な犠牲が出るというのなら、人類は存在に値しない。しかし、言葉を聞くことで少しでも不幸を遠ざけることができるなら、わたしたちは互いの言葉を聞き、不幸を避けながら共に生きる道に立つことができる。『ドライブ・マイ・カー』はその希望を与えてくれる。
「言葉を聞く」ことの壊れは、日本の都会に生きる家福と音がそうであったように、愛する二人を深い悲しみと不幸へと誘う。少しその風景を広げれば、それは都市と地方、日本と韓国へと広がり、ついには西欧とロシアをも飲み込むことになる。「言葉を聞く」ことは、家福を通じて示されたように、人類普遍の導きなのである。
人間がどれほど時を重ね、どれほどテクノロジーを極め生活が豊かになったとしても、わたしたちは言葉を聞くことを止めてはならない。映画『ドライブ・マイ・カー』を観て、いつになくその思いを強くした。ウクライナとロシアが互いの言葉を聞き届け、一刻もはやく互いの不幸から逃れることを願って止まない。
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痛みについて
こんにちは。昨日寝る前に液晶画面をみすぎたせいで、今日はものすごく目覚めが悪かった、というか起きてからしばらくの間ずっと眠かったです。
最近「ドライブ・マイ・カー」を見て、それから原作の「女のいない男たち」と「ワーニャ叔父さん」を読みました。ワーニャ叔父さんは原作ではなく劇中に出てくる戯曲ですが、とにかくその二冊を読みました。「女のいない男たち」の方は短編集で、まだ途中です。六つの短編が入っていて、五編読みました。「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」の五編です。どれも良かったです。いや、良かったというか、なんか読んでてしんどかったです。正直、読む前はタイトルにイライラしていました。「女のいない男たち」てなんやねんと。女のいない男っていう言葉きしょすぎやろと思ってました。多分、女性側ら見ても、男性側から見ても、どちらにしてもきもいような気がしていました。だから本屋で見かけても買いませんでしたし、映画がすごい話題だから気にはなっていたのですが、前書きだけ立ち読みしてやっぱりきもいと思いましまったので、買いはしませんでした。映画を見るまではです。映画を見た後、その足で本屋にいって買ってしまいました。映画がめちゃくちゃ良かったから買わずにはいられなかったというより、映画が良かったことでようやくこの本を買う口実ができたという感じでした。まんまとやられました。予想以上に刺さりました。
村上春樹の小説は、あんまり好きではありませんでした。主人公がムカつくからです。なんか飄々としてて、でもちょっと悲しげで、周りの人間からはやたらチヤホヤされて、いつも「何こいつ」と思っていました(嫉妬やん)もっとイライラすることとかないんかコラ、悶えそうになることとかないんかコラ、とか読みながら思っていました。多分、村上春樹小説の主人公にイラつくことかないんかおいみたいに喧嘩を売ったら、「僕だって怒りを感じることはある。ただ」みたいに何かちょっと語ってくると思います。そしてその語りには、きっとルビが振られていると思います。その感じがあんまり好きではありませんでした。でも「女のいない男たち」は、そのイラつきを感じつつも、それ以上によかったのです。よかったというか、痛いところをつかれている感じがありました。この小説が刺さる自分は嫌だなとも思うのですが、でもやっぱり刺さっている部分があります。
今「木野」をちょうど読み終えたところでこれを書いています。すごく大雑把にいうとこれは、木野という男が妻に浮気され、最終的に自分がそれによって深く傷ついていたことを自覚する話です。村上春樹の小説の主人公が、自分で自分の傷をはっきりと自覚することは珍しいんじゃないかなと思います。そんなに村上春樹に詳しいわけではないので、そうじゃなかったらごめんなさい。僕の印象としては、春樹小説の主人公は「悲しい」と言っても全然悲しそうというか辛そうに見えなかったので、「木野」には少し驚きました。
この小説の最後、木野は「そう、おれは傷ついている。それもとても深く」と自らに向かって言います。映画にもこういうセリフはありました。前にも書きましたが、終盤に、主人公の家福が「僕は正しく傷つくべきだった」と言います。傷ついていることを認識することは、とても大事なことなんじゃないかなと思うのです。それは「しんどい」とか「だるい」とか、なんとなく傷つくことではなく、ちゃんと「傷ついている」と真剣に認識するということです。真剣にっていうのもなんか違うかな。
最近、性のことをよく考えます。前にも書きました。今まで僕があんまり性について考えてこなかったのは、大きく分けて三つの理由からです。一つ目が、そもそもちゃんと人と関わろうとしてこなかったからで、二つ目が、男というより男の子だったからで、三つ目が女ではなく男だったからだと思います。周囲と関わらなければ、自分が何かということはそれほど真剣に考えなくて済むと思いますし、男の子と男では、加害性という意味でけっこうな違いがるような気がします(加害性というか、危害を加えそうな度合いかも)女ではなく男だったから、ということに関しては、僕は女性として人生を生きてこなかったので、正確なことは分かりません。でも、今の社会で男性が優遇されていることは事実だと思いますし、身体的な部分や周囲からの扱われ方も含めて、女性の方が自分の性を意識せざるを得ない場面が多いのではないかと思います。昨日も書きましたが、自認というのは、自分から望んでするものというより、そうせざるを得なくなることだと思います。
ドライブ・マイ・カーと女のいない男たちが刺さったのは、多分最近、性について考えることが多かったからです。ここからちょっときもいことを書きます。僕自身、それがきもいことなのか分かりません。まだ自分の中で分解しきれていないからです。分解しきれていないから、表面的にはそんなにきもいと思っていなくても、考えていくうちにきもいことに気づく��とがあると思います。そんなこと関係なしに読む方にとっては気分を害される可能性があると思いますので、もしそうなったらごめんなさい。性的な話題が嫌いな方はブラウザバックされるのがいいかもしれません。
「木野」の話に戻ります。木野は序盤、妻に浮気されたことに対して「これもまあ仕方ないことだろう」という言葉を使います。衝撃は受けたし、うまくものが考えられない状態が続いたらしいのですが、恨みや怒りは湧いてこなかったと言っています(三人称の小説なので厳密には言っていませんが、便宜上「言う」という言い方をします)また木野は「幸福がどういうものか見定められなくなってきた」とも言います。ものすごく個人的な話ですが、この感じ、かなり少し前の僕です。ここ最近ではないですが、高校三年から大学三年の春くらいまで、かなりこの感じに近かったです。最近は「幸せってなんだろう」みたいなことをよく考えています。幸せが何かよく分からないという意味では、木野の心境に近いのかもしれませんが、でも僕としては、今こうして幸せってなんだろうと考えていることは、少なくとも、幸せといえる状態が存在すると思えているからだし、まだはっきりこれだと捉えられなくても、なんとなくこの辺りだという見当はついてきているというからです。
序盤、木野は「別に傷ついてはいない」という感じなのですが、さっき書いたように、最後には「自分は深く傷ついていた」というようになります。そこには色々と不思議な出来事があった���ですが、説明が大変なのでここでは割愛します。その出来事はいずれも、直接、木野に何か危害を与えたり、喜びを運んでくれるようなものではありません。どれもちょっと不思議な出来事で、それらを経てから、木野は「神田」という男に(神田はバーの常連で、どこか浮世離れしたところがあります)「旅に出て、私がいいと言うまでしばらく戻ってくるな」と言われ、旅に出た先で「自分は傷ついていた」ということに気づくのです。この旅行中の叙述は「ノルウェイの森」で、主人公が最愛の人を失ってから旅に出る時の雰囲気と近いです。ノルウェイの森の主人公は、はっきりと傷ついていたと思います。
ここでちょっと飛躍したことを言いますが、死ぬ前に後悔することは、ちゃんと傷つかなかったことなのではないかなと思います。傷つかずに人生をやり切ることは不可能だと思うからです。傷つかないことができないなら、残された選択肢は、ちゃんと傷つくか、傷ついても傷ついていないふりをするかのどちらかだと思います。傷を認めないことにはどこにもいけないような気がします。
傷つかないふりをするというのは、傷ついていることは分かっているけれどそこから目を背けるということではなく、最初から見ることができないように目隠しをすることだと思います。目を背けたいと思えるならまだマシで、一番怖いのは、目を背けようとも思えないくらい、本当に意識の上にのぼってこない状態だと思います。これは気づくのがかなり難しいです。そして木野は、そういう状態だったのではないかなと思います。
だから僕は、傷ついている人、言い方が正しいかは分かりませんが、精神を病む人は、ある意味では、ちゃんと生きている人なのではないかと思います。そして、そういう人たちの方が、傷ついていない、傷ついていることを認識していない人よりも、強いのではないかなと思います。これはかなり僕の感覚です。僕は、自分はあまり傷つか��い人間だと思っていました。漠然と不安になったりそういうことはあるけれど、何か明確な原因を持って傷つくことはないと思っていました。でもそれは多分、ちゃんと傷をまなざそうとしていなかっただけで、また傷つくことがないように、出来事とか、人のことをちゃんと見ようとしていなかっただけで、それは、傷つくのことを何よりも恐れているからではないかなと思いました。
多分、そういうことが「女のいない男たち」には書かれているような気がしたのです。お前らは自分のことが「タフ」だとか思っているのかもしれないけど、それはタフなわけじゃなくて、自分が傷ついていることをちゃんと見ようとしていないだけだと、そう言われた気がしたのです。そしてここで性の話になりますが、これは男性的な感覚なのかもしれない、と思ったのです。
そもそも、男性的な感覚とか女性的な感覚とか、とてもあやふやなものだと思います。誰も答え合わせできないからです。それにこの先、ジェンダーレスが進んでいけば、男性的とか女性的という言葉自体、死語になっていくのかもしれません。でも、男性性と女性性というのは、あんまり認めたくはないけれどあるような気がしていて、それは男性が男性性を持っているとか女性が女性性を持っているとかではなく、身体的な性別に関わらず、男性的な感覚、女性的な感覚というのが、あるような気がしています。
以前、尊敬する方が「男は概念を転がして遊べる」ということをおっしゃっていました。僕は確かにそうかもしれないと思いました。男は実感を持って物事に向き合うのが怖いから、概念化してそれで遊ぼうとするのかもしれません。全然分からんけど。というかやっぱり「男性」「女性」みたいな話し方をするのは気持ち悪いです。でも同時に、身体的な違いは間違いなく存在するとも思います。
ここから本格的に気持ち悪いかもしれないことを書きます。僕は最近、女性といるときの方が落ち着くなと思っています。なぜかは知りません。ちなみに、女性といるときと言っても、女子会に一人混じっているということではありません。主に一対一での話です。僕はそれについて、自分の中に比較的女性性が多く含まれているからではないのかと思っていました。これにはいくつかの理由があります。一つ目に、学科で色々な人の文章を読んでいく中で、良いと思う文章が、ほとんど女性作者によるものだったからです。良い作品だと思うものを書いた人とは話したくなります。だから、大学に入ってから話をしている人は、男子より女子の方が多いです。男性作者の文章より女性作者の文章の方に惹かれるというのは、最初はそれほど意識していませんでした。
明確に意識するようになったのは、夏休みの特別授業を受けてからです。その授業で僕は「君の書く小説の語り手は、男性とも女性ともどちらとも取れる」と言われました。僕は男の語り手として想定していたのにです。その授業では、自分のこれまでの自信作と、その授業で書いた小説、2本を提出します。そのどちらに対しても「男性とも女性ともどちらともとれる」というふうに言われました。その方がそうおっしゃったというだけで、他の方からも言われたことがあるわけではありません。また、僕の作品を講評してもらう際、最初には「この小説の主人公は男の子供だ。女の子だったらこうはならない」というふうにも言われました。もしかしたら僕がそのときに嫌そうな顔をしたから、そこから「この小説の語り手は男とも女ともどちらとも取れる」というふうに、評価が反転したのかもしれません(男だとしても、男女どちらとも取れたとしても、それで評価が上下するわけではありません)考えて��ると、男女どちらとも取れると、男の子供だ、は両立しないはずの言葉です。なぜ、こういうふうに先生は言われたのでしょうか。やっぱり僕が嫌そうな顔を無意識的にしていたからでしょうか。
無意識的にでも嫌な顔をしていたのかもしれないと思うのは、僕はなんとなく、自分が男性であることが嫌だなと思っているからです。前に「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」について書いたときにも書いていたと思います。でもこれは多分、もほすごく自分本意な理由、というか、じゃあもし自分が女性として生まれていたら、お前は満足できたのかということです。そんな仮定は意味をなさないとも思うのですが、つい考えてしまいます。多分、僕は女性になりたいわけではなく、男性というものに含まれる何かしらのイメージを、嫌悪しているのだと思います。あと性欲ですね。でも、僕が言っていいことか分かりませんが、性欲は男女を問わないものだと思いますし、それが強いか弱いかは性差ではなく個人差だと思います(多分)というか何事も、その人が所属していると自他ともに思っているカテゴリーによる違いではなく、その人という個人と、別の個人の間に生まれる違いしかないのだと思います。
少し話を戻します。気持ち悪がられるかもしれないと書いたのは、僕は最近、女性と一緒にいるときの方が落ち着くことが多いと感じているけれど、それはもしかしたら、自分が気づいていないだけで潜在的に性欲が働いているからではないかと思ったからです。僕は性欲が嫌いです。あると思いますが嫌いです。だから目を背けたくなります。それで、自分には女性的なところがあるのではないかとか、性欲以外の女性に惹かれている理由を探そうとしてるのではないかと、疑っているのです。実際のところは分かりません。でも「ドライブ・マイ・カー」を見てから(その少し前からだったような気もしますが)自分の本心は、意外と自分でも気づけていなくて、自分が一番認めたくないことこそ、自分の本心だったりするのかもしれないなと思うようになったのです。
多分、それは意志と性質を混同してしまってはいけないということです。自分はこういう人間になりたいという願望、意志を、自分はこういう人間である、というところに結びつけると物事が前に進まなくなるということです。何かになりたい、こういうふうにしたいとか思うなら、自分は元からそういう人間だったんじゃないかという可能性を探るより、今、自分がこういう人間であることを認めて、なりたい自分になれるように努力した方がいいんじゃないかということです。なりたい自分になれるように努力するとかきもいことこの上ないですが、大体そういうことが言いたいです。
社会的に何かになりたいとかなら、自分はそもそもそういう人間なんじゃないかとか思うことは不可能だと思います。あ、でも、社会的に何かになりたい、例えば、芸術家になりたいとしたら「自分は孤独な人間で、それは人とは違ったものの見方ができるからだ」と思いこむことはできると思います。「人と違った見方ができる自分は、芸術家に向いているはずだ」ということです。人と違ったものの見方ができるかどうかは、かなり曖昧なところだと思います。もしかしたら本当にできるのかもしれませんが、できないのであれば、そう思いこむよりかは、独自の視点を持っていない自分自身を受け入れて、そこから一歩目を踏み出していった方が、多分良いと思います。でも天才になるには天才のふりをすることだという言葉もありますよね。どこまで自分を騙せるかなのかもしれません。
とにかく見栄とかそういうものは全部捨てて、本当に自分はどうしたいのか、一番深いところまで掘っていくことしかないんじゃないかなと思います。でもなんか、常にその「深い」ところには何かがあると思いこむのも危険ですよね。深いところまで降りていっても、そこには何もないのかもしれません。ドライブ・マイ・カーで、主人公の家福が「浮気していた妻と、自分を愛してくれていた妻、これが両立するのはおかしい。この二つの間にはきっと何かがある」というようなことを言います。それに対してドライバー(名前を忘れました。三浦透子さんが演じられていた役です)は「何もおかしくなんてないのかもしれませんよ。ただ、それだけのことかもしれない」というようなことを言います。この言葉にはゾッとします。ゾッとするというか、足場がなくなる感じがします。家福にとって一番辛いのは、この二つが両立することを、ただそれだけのことだということを認めることだと思います。その二つの間にはきっと何かがあると信じている間は、傷つかずに済むのかもしれません。ロマン主義というか、本当にあるのか分からない真理のようなものを見つけたいと思う気持ちは無茶苦茶よく分かります。川上未映子の「夏物語」にも、母親が娘に向かって「本当のことなんて、ないこともあるんやで」というシーンが出てきます。あれを見たときもすごく怖くなりました。
今日はここまでにします。なんか微妙です。何かが微妙です。多分それは、書いていたらきっとこういうものに出会える!みたいな理想があるからです。そういうのも、あると思ってるだけでないのかな。こえー
また次回!! 最近は毎日書いてるのでそろそろ間が空きそうです。
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ニューヨークスケッチブック/P・ハミル
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド/村上春樹
老人と海/ヘミングウェイ,福田恆存,訳
ワーニャ伯父さん/チェーホフ
ドライブマイカー
ハードボイルドワンダーランドって剥がれかけの壁みたいなパサパサした小説だったなって記憶の中、数年ぶりに読み返した。大好きな小説を何度も繰り返し読むのもいいけど,何年も経って物語のほんの隅だけを覚えている小説を読み返すのは、幼い頃のアルバムを見るときのような安心感と自分が埋めておいた宝物を掘り出すような高揚感があって楽しい
乾いた空気の匂いがする小説が好き。土っぽさと色褪せた風景を想像させる文章、飛行機に乗る人の話が好きなのは其処からきてるのだろうと思う。アリソン、スカイ��クロラ、風の谷のナウシカ、フライトスクール(これは曲名だけど)、世界が乾いているのに、一方で人々はとっても鮮やかで、確かに生きている。戦闘機乗りの人たちはその機体と空へ行くたびに戻らないかもしれないと思うんだろうか、そんなことを考えるのは自分が地上で生きる人だからなんだろうか
もっと身軽なんだろうな
彼女たち彼たちは空を求めていて
そこに生があるんだと知っているから
だから鮮やかなんだろう
か
ところで私はよく夢を見るんですが、夢の中では電車に乗っていることが多いなと思う
車や自転車、バスなんかに乗っていることは滅多になくて、三車両編成の電車か新幹線のような乗り物か(韓国や台湾の電車に少し似た、車両が短い形の電車で夢の中の私はそれを新幹線として認識している)御堂筋線のような長めの電車、それに乗ってガタンゴトン移動している
穏やかな移動で続く夢も心地よい、けど、できれば二人乗りの飛行機に乗って空を自由に駆け回る夢を見たい。揺れる地面と身体、かかる重力と感じる浮遊感、そのまま空を駆け上ってみたい(そんなことを考えていたらこの前飛行機に乗る夢を見た。麦穂の上を大きく旋回する夢)
九月は溜めた本たちを読もう
秋が来るから窓を開けて
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今日は10月20日です(日付変わって21日です)。気温が下がったためか、今日は頭痛による不眠で、睡眠は2時間。一日中頭痛と吐き気は続いたけれど、前からの予定をこなしてとても素敵な一日だった(蝶子さんお誕生日おめでとう。ぱちぱちぱち)。仕事を辞めます。がーん。もうどう頑張っても体を立たせ続けること、歩かせ続けることがコンスタントにできず、決められた通りの出勤が不可能となったため、退職します。かなしい。10/1に出勤できなかった時点でこれは決まっていました。難しい。とても難しいです。それでも生きていくことです。仕事をしなければならない。とにかく生きて仕事をすることです。ドライブ・マイ・カーでワーニャ伯父さんの台詞でも言ってた。きのう観てきました、ドライブ・マイ・カーを。こんなにいい映画があるんなら、世の中のほとんどの小説ってなくても大丈夫じゃないか?と思うほどにいい映画でした。でも違う。たくさん本を読んで来たからこそ、私はこの映画に深く自分を重ね、多くの物事を受け取ることができた。この映画から何も感じとれない人はいないんじゃないかと思うし、多くの人は意図されたことをその通りに受け取れたと思うけど、もしかしたらよくわからなかった人もいたかもしれない。単純に読解力の問題で。でも、おそらくこの日記に目を通してくださっている方は、少なくとも「ドライブ・マイ・カー」を見たほうがいい。わたしが小説でもなんでも洗い物でも電車の待ち時間でもなんでもどんな時でも実践しようと思っていることが、この映画でも書かれていました。帰りに交通会館の三省堂で『女のいない男たち』(原作短編が載っている文春文庫、村上春樹)とチェーホフのワーニャ伯父さんが載っている新潮文庫を買いました。2階がセルフレジになっていてびっくりした。でもPayPayは1階に行ってくださいと言われたので1階で買った。つくづくこのようなでかい店で働くのは無理だったなと思った(一時期働いていた)。帰宅して村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」を読むと、大筋は違うけれど、だいたいのところ同じことを言っていることがわかった。それはいつもの春樹の言い方だったけれど、それをあの監督が言おうとするとああいう美しい映画になるんだな、と思った。春樹の小説はそれはそれでいいし、映画はそれはそれですごく良い。こんなに春樹を分かりやすく噛み砕いてしかも面白く物語にしてくれるなんて、監督(脚本)のサービス精神すごすぎるだろ、と思った。ワーニャ伯父さんは今日斜め読みで目を通した。なるほど。これはきちんと読まなければならない。いい言葉はたくさんあるが、その言葉が発された背景を知らなければ意味が無いし、それには読むべき時間がかかる。ただこれらのテキストを開いていると、映画が如実に蘇ってきて、とてもいいなと思った。広島の演劇祭に家福を招いた女性(プロデューサー?コーディネーター?)の存在の仕方が、ひじょうに戯曲的で面白かった。あの人の演技が一番面白かった。演技というよりそういう人なんだと思う方が自然だった。そのくらいに現実に存在する人間としては不自然だった。岡田将生の役もよかった。そんなことを言えば主役3人はみな良かったのだが。はらはらする場面はなく、次に言うセリフも分かるし、解決というか解答もきちんと分かっていたけど、それでもどうしようもなくて泣いた。どうしようもないことがこの世には多すぎる。そのなかで最もどうしようもないことは、私たちは生きていかなければいけないということだった。庵野秀明の展示を見に国立新美術館に行った。この人もまた生きていくことの途方もないつらさに打ちひしがれた人だと思う。パートナーとなった安野モヨコも。庵野はかなり絵がうまかった。予想の8倍仕事ができる人だった。天才なんだろうなと思っていたけどふつうに秀才だったし駄目な人でもあったし、とにかく才能と情熱に溢れていた。安野モヨコも同じく。安野モヨコも絵コンテを切っていた(シュガシュガルーンで)。庵野はかなり女の子の絵も上手かった。多くの一流の人たちと仕事をしてきていて、多くの一流の人達が、庵野をかわいがっていて、きっと子供のように思っていたのだと思う。そういう魅力が人間の芯としてあるから、ここまでの事が成せた、つまりいい人なんだと思った。中学時代も高校時代も楽しそうに笑っていた(もちろんその後の若い時代も)。ところでシン・エヴァンゲリオンは最高の映画だった。あの映画を作ってくれた庵野には本当に感謝しかない。ありがとうございます。本当はずっとここに帰りたかったのかな、と第三村の模型を見て思った。あの、ジブリみたいな緑の中に。あるいは宇部に。そういうものを自分が求めていると気づいて、他人に施せるようになったら中年だと思うし、子から親の側に立つ場所が変わったのではないかと感じる。帰りたい場所がある。その場所はもうない。だから自分で作る。でも自分��そこに帰らない。その場所は、そこで生まれた新しい人たちの「帰りたい場所」になる。その繰り返し。深夜、出生地の話になった。それぞれ生まれの場所が近かった。私は今日、少し自分の家族のことなどを思い出し、あ、難しいな、やっぱりまだ、と感じていた。お兄ちゃんがいるんだね、と言われて、そうだな、いるな、と思った。いる以上どうしようも���いことだ。私に甥や姪がいないことも、私に家庭や子供がないこともどうしようもないこと。数日前、祖父の十三回忌で生家に行った。祖母は私のことが誰か分かっていなかったが、以前と同じように話していて安心した。脳がわかっていなくても、体がわかってくれていて、何も変わっていなかった。住職は相変わらずすばらしくいい声で経を上げていた。絶交されていた従姉妹とも少しは表面上の会話などし、ともかく何事も無かったことにした。従姉妹も、気の毒だったなと思う。好きでこんな家の血縁に生まれてきたわけではないのに、大学に入ってやっとその異常性に気づいて距離を取ろうとしたのだと思う。それは正しい。これからもそうやって正しく生きていってほしい。正しく生きることは、自分が狂わないためには重要だし、鈍感でいるためにはある程度周囲を傷つけなければならない。出生地にはつらい思い出もあるが、もちろん幸福な記憶もそこここに置いてきてある。私の血縁は相変わらず狂気の暮らしをしていると思うが、こんなに離れてさえ私もまだ狂っているので、否が応でも「家族だな」と思ってしまう。どんなに正しさから遠くても、生きていかなければならない。仕事をして生きていくことです。でも、天の国で「つらかったです」という申告はしない。私は楽しかったですと言う。つらいことより幸せなことの方が断然多かったです。なぜならそうなるように毎日を仕向けて生きているから。狂気とはほどほどに距離を取り、まるで常識があるかのように振る舞う。一皮むけばみな狂気なのだから、この振る舞いがつまり私たちの暗黙の了解であり幻想である。その幻想を大切にして、次の場所を作って、そここそは真実だと信じて育つ子供を見守ることが結局仕事と呼ばれるものだと思う。シナリオ・センターの本科で使うはずだった教材が片付けていたらごろごろと出てきたので独学でやっていこうかと思う。意味は無いかもしれないけど。部屋を片付けて木の本棚を入れた。ほかの床置きしていたものもすべてラックに入れた。気温がすごく下がったが、ホットカーペットの電源を入れたら作業環境としてこの上なく快適になった。家の外に出ていかなくてもここで作業(小説を書くなど)ができ、仕事もできたら理想的だなと思った。歌も練習したい。銀座の店は25日から出ることになると思うが、細かいところはまだ詰めていない。小さな会員制のクラブで、酒も飲まなくていいとのこと。昼の仕事は今、ゲームシナリオの案件が取れないか課題制作中です。在宅で仕事してえ〜〜。やはりシナリオの下請けというかライティングの基��がプロットの指示通りにできるようになってから、ディレクションの道に進むなら進むで考えたいので、まずは目の前の素朴で地道な作業に集中する。ディレクションに進まなくても、ずっと下請けでもいいから、文章を書くというのはやはりいいなと思う。専門学校の相談会も行ってみようと思う。お金が作れたら集中して学んでから働くのでもいいと思っている。その場合は大学進学は諦める。どうせ死ぬなら好きなことをしてから死にたい、ではなくて、生き延びるために可能性の高いものを考える。もうこれ以上立って歩いて働くことはできないのだから。
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ずいぶん前、人間になりたかった。 やっぱりというか、残念ながらというか、その当時は人間にはなれなかったし、そのときに憧れた人間には、今もなれていない。それでも、何が人間なのかという定義自体を修正したり、方向転換したり、いろいろ諦めたり、開き直ったりして、今は人間になれていると思う。たぶん。 「どうしてそんな耳なの?」 「お前の声をよく聞くためさ」 「どうしてそんな目なの?」 「お前のことをよく見るためさ」 これは「赤ずきん」のお話の中で、おばあちゃんに変装した狼と女の子とのやりとり。きっと多くのひとが、なんとなく記憶しているはず。第七劇場の「赤ずきん」でも、この台詞は使われている。 初演時にリハをしている中で、この狼の言葉は女の子(赤ずきん)にとっては、誰かに言ってほしい言葉だと思い至り、横っ腹にそこそこ大きな穴が開いてひゅうひゅう空気が抜けるように悲しくなった。この女の子(赤ずきん)の場合、この誰かというのは、概ねお母さんになるのだろう。 「赤ずきん」を製作するとき、たくさんの類話を集めた。その中の多くで彼女の父については触れられていない。ほとんどが「赤ずきん」はシングルマザー家庭で育っている。忙しい母親に子どもがこういう言葉を求めるのもむべなるかな、である。私もシングルマザー家庭だけど(とはいえ祖母が同居していたので事情は異なる)、記憶を探ってもこういう欲求は感じたことはないので、すべてのシングル家庭がそうだとは思わないし(そういう欲求を抱かせなかった母親と祖母と親戚と母親の友人たちに感謝)、シングル家庭じゃなくたって、こういう欲求はどんな子どもも、いや大人だって多かれ少なかれ持っているものだろう。大人になってからこの欲求が大きくなって持て余しているひとだって多いはず。 多くの「赤ずきん」のお話、そして第七劇場の「赤ずきん」でも、このやりとりは、単なる男と女のよくあるすれ違いの一部として読むこともできる(現にそう解釈する評論だって多い)。その結果、お互いを傷つけてしまう。悲しいけれど、そういうことは世に溢れに溢れているので、ある意味凡庸なものなのかもしれない。とはいえ、悲しいことには���庸も何もなく、ただ悲しいことに変わりはない。 そして、第七劇場の「赤ずきん」は次の台詞で終わる。 「あの狼はというと、お��を縫われて、森に帰されました。その後、おばあちゃんや女の子に近づくことは決してありませんでした。」 狼に不備はあるとしても、やはり同情してしまう。確かに現実的にはもう近づかない方がいいとも思う。ただ、これが巷間に数多ある男と女の顛末ではなく、狼が狼だから、つまり狼が人間じゃないから、という理由があるのだとすれば、もう片方の横っ腹にもうひとつ穴が開いて、やっぱり悲しくなる。 第七劇場の「赤ずきん」では、狼は悪としては描かれていないし、生きる生理は人間とはやや異なるとはいえ、ボタンのかけ違いで悲しい結果にたどり着いてしまうだけである。そもそも、狼自身、何が悪かったのか、あまりわかっていない気もする。そういう彼が思い当たる原因は、もしかしたら「自分が人間じゃないから」かもしれない。外から見れば、本当は彼にも多くの誤りはあるけど、それは自分では気づけないようにも思う。 彼は、女の子と仲良くもなれず、腹を割かれ、死ぬこともできず腹を縫われ、またひとり森に帰され、お腹を空かせながら、人間になりたいなぁ、とか思うんだろうか。(そう思ったひとが書いたのか、狼と女の子が仲良くなる異類婚姻譚的な類話も、もちろんある) ちょっとずるをして人間になったような気になっている私としては、この狼と酒でも飲みながら、愚痴を聞いてあげたい気持ちになる。 ちなみに、冒頭に書いた人間になりたかったころ、人間として幸せにもなりたかったけど、やっぱりというか、残念ながら、幸せにもなれなかった。私は不備だらけなのでしかたない。人間の方と違って、幸せの方は定義の修正もうまくいかず、しょうがないから諦めたり開き直ったりしてやり過ごしたりもするけれど、たまに目の前に現われたりすると、ほー、などと言ってごまかしたりするしか為す術がない。そういうときは、あの狼と酒でも飲みながら、愚痴を聞いてほしい気持ちになる。 ----------------------------- 先週は、福岡県筑後市にある サザンクス筑後 の方々とともに、小学校にアウトリーチに行ったり、劇場でワークショップしたり「赤ずきん」を上演したりしてきました。 この大変な情勢の中で呼んでくださった館長や久保田さん、担当してくれた松岡さん、とっても協力的ですばらしい舞台スタッフ、こまやかに助けてくださった劇場スタッフ、みなさんが本当にすてきで、好きな劇場がまたひとつ増えました。そしてご来場くださった幅広い年齢のたくさんの方々にも、心からの感謝を。 またサザンクス筑後に行きたいです。 そして、第七劇場の「赤ずきん」を上演させていただける劇場さん、ご連絡をお待ちしています。 第七劇場は2020年の上演を終えました。疫禍に見舞われていますが、不幸中の幸いか、カンパニーとして予定していたほとんどの舞台公演は実施することができました。運が良かっただけだとも思いますし、協力してくださった各劇場のおかげでもあります。本当にありがとうございます。 年が明けて2月には「ワーニャ伯父さん」で宮崎に伺う予定です。無事上演できることを願います。 「ワーニャ伯父さん」特設サイト https://dainana-onclevania.tumblr.com 「ワーニャ伯父さん」宮崎県立芸術劇場・公演情報ページ http://www.miyazaki-ac.jp/?page_id=1080 第七劇場「赤ずきん」作品ページ https://dainanagekijo.tumblr.com/post/174180914913/chaperonrouge
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作品情報 info
ワーニャ伯父さん
ツアー2020
原作:A. チェーホフ 構成・演出・美術・訳:鳴海康平
出演: 木母 千尋、小菅 紘史 / 獅子見 琵琶、諏訪 七海 / 森下 庸之(TRASHMASTERS) / 牧山 祐大(SPAC-静岡県舞台芸術センター)
かわいそうに、伯父さん しあわせがどんなものか、わからなかったんだよね
チェーホフ戯曲の中でもっとも美しいとされる台詞を持つ「ワーニャ伯父さん」。 立ち止まってしまったとき、残された時間は長くはないと気づく。 遠くにかすむ過ぎ去った時間を振り返りながら、 使い古した靴で、その男はまた歩きはじめる。 乾いた足下をながめながら。
舞台監督:北方 こだち 照明:島田 雄峰(LST) 音響:平岡 希樹(現場サイド) 衣装:川口 知美(COSTUME80+) フライヤーレイアウト:橋本デザイ��室
2020 再演ツアー ▋金沢公演 2020. 9.5-6 @金沢21世紀美術館 シアター21 ▋宮崎公演 2021. 2.27-28 @宮崎県立芸術劇場 演劇ホール舞台上舞台
主催:合同会社 第七劇場 共催:【金沢公演】(公財)金沢芸術創造財団 【宮崎公演】(公財)宮崎県立芸術劇場 助成:芸術文化振興基金
後援(金沢公演):北國新聞社 北陸放送 テレビ金沢 エフエム石川
協力:SPAC - 静岡県舞台芸術センター 製作:合同会社 第七劇場
[初演時のプレスリリースより]
これまで第七劇場では、チェーホフの四大戯曲のうち、「かもめ」と「三人姉妹」を製作しました。「かもめ」は2007年に初演し、その後、2010年のリクリエイション版はこれまでに国内7都市、海外3都市(フランス、韓国、台湾)で上演されました。「三人姉妹」は私がポーラ美術振興財団の在外研修員として1年間フランスで活動した直後、2013年に日仏俳優の協働作品として新国立劇場小劇場で上演されました。
このチェーホフ原作の2つの作品の上演は、期せずして、第七劇場にとって、大きな節目となりました。
2019年、今年は私が劇団を設立して20年という節目となります。その節目に、何を製作しようか考えたとき、やはりチェーホフ戯曲が浮かびました。
いわゆるチェーホフ四大戯曲で、まだ第七劇場で製作していないのは「ワーニャ伯父さん」と「桜の園」です。この二つを読み返したとき、「ワーニャ伯父さん」の4幕の終わりで流されるワーニャの涙の意味が、以前読んだ記憶とずいぶん変わったことに驚きました。それは私自身も歳を重ねからだとは思いますが、そのワーニャを巡る風景は、今の私、そして平成が終わる日本、さまざまな課題を解決できぬままの世界と多くの点で共通するものだと感じ、今回「ワーニャ伯父さん」を製作することに決めました。
私たち生きているものは、誰一人としてワーニャの涙と無関係ではいられません。人ひとりの時間は有限であるという当然の事実は、不安定ながら未来あるソーニャに対照されて、よりはっきりと浮かび上がります。しかし、そのソーニャでさえ、ワーニャと同様に有限であり、ワーニャよりも豊かな人生を送れるとは限りません。それどころか「ワーニャ伯父さん」に登場する人物は皆、ほしいものが得られず、求めているひとから認められていません。その背後で時間だけは刻々と過ぎていきます。これはまさに私たち一人ひとりの物語であり、私たちの社会/世界の物語だと、私は感じています。
今回もオーディションを実施し、岐阜県出身で京都在住の諏訪七海さんが出演することとなり、加えて三重県四日市市出身で東京在住の藤村昇太郎さん、三重県伊勢市���住の獅子見琵琶さん、そして今回も静岡県舞台芸術センター(SPAC)の協力を得てSPAC所属俳優である牧山祐大さんというゲスト出演者たちと、第七劇場俳優2名の計6名で上演します。
今回は三重県文化会館での三重公演と、ソウルから南に約30kmぐらいにある安山市の公立劇場「安山文化芸術の殿堂」での韓国公演とのツアー公演です。舞台芸術で知り合った友人たちの協力で実現した韓国公演ですが、近年、外交上の課題が大きくなっている日韓だからこそ、文化人の交流は重要だと考えています。
第七劇場の「ワーニャ伯父さん」をきっかけに、有限である自分のこと、自分が消えた後も続くであろう社会と世界とのはかない関係について、思いを巡らせてもらえたらと切に願っています。
鳴海康平(第七劇場 代表 演出家、Théâtre de Belleville 芸術監督)
[初演時プログラム掲載のノートより]
ソーニャの死。 原作にはないこの設定から、私たちの「ワーニャ伯父さん」は、��じまります。
私たち一人ひとりの人生にも、この社会にも、この世界にも、それが起こる前と後とでは、人生や社会や世界が決定的に変化してしまうような出来事があります。たとえば22年前に神戸で起きた出来事、18年前の9月にアメリカで起きた出来事、8年前の3月に東日本で起きた出来事、3年前の7月に相模原で起きた出来事などのように大きな事件や災害だけではなく、個人的な出来事だって、そのひとの人生を大きく変質させてしまうものは、生きていればひとつやふたつあるものです。
ただ、私たちは、それだけ大きな出来事を経験しても、忘れてしまいます。完全に忘れることはなくても、それを記憶の奥へと遠ざけてしまいます。その大きな出来事を意識的に遠ざけるときもあれば、日々の時間とともにいつのまにか距離が生まれるときもあるでしょう。楽しかったことだって、忘れたり遠くなるのですから、大変な出来事だって例外ではありません。その一方で、意識的に遠ざけたくてもうまくいかないときもあるでしょうし、日々の時間とともに、遠ざかることなく、少しずつ形を変えて、近くにいすわるときもあるでしょう。苦しくても、あえて近くに置いておかねばならないこともあるかもしれません。
その大きな経験が遠ざかるか否かにかかわらず、何かが大きく変わってしまったあとで、私たちは考えます。「これからどうすればいいのだろう」「どうすればよかったのだろう」。そしてその考えに基づいて行動を起こします。さて、その結果は、その経過はどうでしょうか。それは個人の中で、そしてこれまでの歴史で検証されることでしょう。
大きな出来事。それが、この「ワーニャ伯父さん」の世界にとっては、ソーニャの死として設定されています。その大きな出来事の後と前の時間を行き来しながら、物語は進んでいきます。
報われないことが多い世界の中で、せめてこのひとだけでも報われてほしいと思えるひとの喪失を鏡にすることで、人間の小ささを深く洞察し、愛したチェーホフの言葉に新たな光をあてられるはずです。そして、その光が、現代を生きる私たちの過去と現在、それに未来を、束の間であっても、照らしてくれればと願っています。
鳴海康平(第七劇場 代表 演出家、Théâtre de Belleville 芸術監督)
ワーニャ伯父さん
1899年にモスクワ芸術座で初演されたチェーホフ四大戯曲のひとつ。大学教授夫妻が前妻が残した領地を訪れ、立ち去るまでの物語。人生の半分以上を姪ソーニャとともに領地を管理し、教授に奉仕してきたワーニャは、教授への失望とともに自分の人生の浪費に絶望する。そのワーニャを慰めるソーニャの言葉は、チェーホフ戯曲の中でもっとも美しい台詞として知られる。
第七劇場
1999年、演出家・鳴海康平を中心に設立。主に既成戯曲を上演し、言葉の物語のみに頼らず舞台美術や俳優の身体とともに多層的に作用する空間的なドラマが評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内20都市、海外4ヶ国8都市(フランス・ドイツ・韓国・台湾)で作品を上演。代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間滞仏後、2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年、東京から三重県津市美里町に拠点を移設し、倉庫を改装した新劇場 Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 http://dainanagekijo.org
写真:「ワーニャ伯父さん」(三重県文化会館・2019)
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鳴海 康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。1979年北海道紋別市生まれ。三重県津市在住。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。「風景」によるドラマを舞台作品として構成。国境を越えることができるプロダクションをポリシーに製作し、ストーリーや言語だけに頼らないドラマ性が海外で高く評価される。ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス・2012年)として1年間渡仏し活動。帰国後2013年に日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。AAF戯曲賞審査員(愛知県芸術劇場主催 2015〜)。名古屋芸術大学芸術学部非常勤講師(2020〜)。
写真 ©松原豊
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舞台『プラトーノフ』
2019.2.2(ソワレ) 東京芸術劇場プレイホール
キャストに惹かれて🎫購入。久留米で観劇予定が、舞台『悪魔と天使』KAATにて観劇に伴い、急遽東芸で観る事にした。
<あらすじ> 19世紀末。ロシア将軍の未亡人アンナ(高岡早紀)の屋敷には、大佐のイワン(西岡德馬)や、アンナに想いを寄せるポルフィリ(神保悟志)など、さまざまな人が集まってくる。その中でアンナが秘かに想いを寄せるのは、妻子ある教師プラトーノフ(藤原竜也)であった。
プラトーノフの妻サーシャ(前田亜季)の弟ニコライ(浅利陽介)は、大学生のマリヤ(中別府葵)に恋焦がれているが、マリヤもプラトーノフに惹かれている。そんな中、アンナの義理の息子セルゲイ(近藤公園)が、結婚したばかりの妻を屋敷に連れてきた。その相手を見て、プラトーノフの心は激しく揺れ動く。なぜなら、セルゲイの結婚相手は、かつての自分の恋人ソフィヤ(比嘉愛未)だったのだ。
アンナ、ソフィヤ、サーシャ、マリヤ、4人の女性の愛が交錯する中、プラトーノフは破滅へと突き進んでいく…。 (公式より引用)
は~い🙋♀️、咀嚼の難しいチェーホフの戯曲。『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『24番地の桜の園』等チェーホフの戯曲を題材にしたものも録画しているが、まだ観ていなかったり、途中で断念したり。果たして今回は…。
ストーリーは分かり易かった。この頭でも十分理解できる😆 女性陣がとても美しく、そして笑いが起きる箇所も多々あり、思ってた以上に楽しめた。ただ、ラストに多少の消化不良感⁉️を感じたかな。
藤原さん演ずるプラトーノフ、1幕はモテモテプレイボーイで、口が立つ。蜷川チルドレン筆頭、長台詞も難なくこなします。 2幕は女に振り回され堕落した、まさかのビジュ😳⁉️こんな藤原竜也はそうそうお目に掛かれません😝1幕と真逆のキャラです。ツッコミどころ満載のプラトーノフ。 立ち振る舞いもただのろくでなし…でも、女にはモテる…何故⁉️🤔
高岡早紀さんは、プラトーノフが思いを寄せる未亡人役。舞台『娼年』でも思いましたが、羨ましいほど艶っぽいです💖 妖艶で気高くアブナイ役どころは高岡さんのハマり役と言っても過言ではないと思います😝 容姿だけではなく、声も透るし、凄みもあるんですよね😅
元カノ役の比嘉愛未さん、目鼻立ちがハッキリしていて表情もわかり易く、しかも活舌も良く、台詞が聴き取り易い👏 おまけに上背もあるってロングドレス👗を着ても様になっている。舞台向きですよね。
前田亜季さんって歌舞伎役者中村勘九郎さんの奥様の妹さん。個人的には暫くお見掛けする事がなかった。学生の頃はジャニーズが出演するドラマ等に出ていたイメージ���こんなお芝居をする方なのね…って感じ。
(画像はシアターテイメントNEWS,読売新聞オンラインより引用)
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遠山にて
成田市の演劇人宮崎さんが主催する戯曲を読む会合へ混ぜてもらった。
読んだのは、岸田國士『紙風船』を柏市の劇作家とくろうさんが翻案した『Paper&Balloon』と、別の劇作家がチェーホフ『ワーニャ伯父さん』を翻案した戯曲という……たまたまなのか、示し合わせたのか翻案戯曲の二本立て。
で、どちらの作品も現代の劇作家が100年以上前の言葉と戯れている姿が感じ取れて(どちらも筆力の高さがあってこそで成立してるんだけど)とても面白い。
『Paper&Balloon』については、最後に書き変えられた場面が岸田國士の『紙風船』には無い空間的な拡がりを生み出していて、そこが何処で、今が何時で、私が誰なのかというようなことを考えさせるというか、感じさせてくれる……近代戯曲(要するにちょっと古臭い(でも、それは悪いことではないのよ))が現代戯曲として生まれ変わった姿を見せてもらった、というか読んだ。いやー、しかし、コレはかなり鮮烈な情景だよ……と思う。
成田で戯曲を読む為に、銚子や柏、佐倉などから演劇人の方々が集まっていたのも、また興味深くあった。おそらくSNSなどでは私も存じ上げている人たちなんだけど……やはりSNSではどういう演劇をやっているのかというのは分からなくて……でも同じ空間で台詞を読む息遣いや身体の変化を観ていると、あぁ、こういう演劇をする人なんだなぁ……というようなことが、すーっと分かる。うん、よくわかった。
そんな7月の最後の日だった。
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チェーホフの『かもめ』を読んだ。新潮文庫の『かもめ・ワーニャ伯父さん』の裏表紙には、
〈恋と名声にあこがれる女優志望の娘ニーナに、芸術の革新を夢見る若手劇作家と、中年の流行作家を配し、純粋なものが世の凡俗なものの前に滅んでゆく姿を描いた『かもめ』〉
と紹介されているけれど、ほんとうに「分かる」戯曲だった。
話の中心となっているのは芸術の革新を夢見る若手劇作家のトレープレフと、女優志望の娘ニーナであり、トレープレフはニーナのことを愛しているものの、ニーナはむしろ(トレープレフからすると凡俗で世俗的な)流行作家のトリゴーレンに惹かれていく。トレープレフはニーナに戯曲を「あなたの戯曲、なんだか演じにくいわ。生きた人間がいないんだもの」と言われてしまうし、自分の母親であり女優でもあるアルカージナにも「なんだかデカダンじみてるわね」とか「退屈な暇つぶしをしている」とか言われてしまう、そのときのトレープレフの自意識。
ここで、サブカルの方へと寄せてしまうと、トレープレフの自意識や、ニーナとの関係性からは、大槻ケンヂの小説(たとえば『グミ・チョコレート・パイン)や筋肉少女帯の楽曲のことを思い出す。トレープレフは自分が「つまらない人間」だという自意識があるからこそ、才能を持っていることを認めてもらおうと、そして自分の存在を証明しようとするわけだけど、それは大槻ケンヂがかつて歌っていた「くだらない人たち」への反発という意識にも近い。
〈背中ごしに笑うあの娘 あなただけはとても好きだよ くだらない人達の中で 君はどうして明るく笑うの(筋肉少女帯/蜘蛛の糸)』
そして、トレープレフに感情移入をして読んでいると流行作家のトリゴーレンは有名なだけの、凡俗で世俗的な「くだらない人たち」の一員に見えるわけだけど、作中ではトリゴーレンが抱えている作家としての苦悩も描かれていて、「わたしは作家としての自分が好きじゃない。何よりも悪いことに、わたしは頭がもやもやしていて、自分で何を書いているのかわからないんです(中略)ほかのことにかけては一切じぶんはニセ物だ、骨の髄までニセ物だ、と思っちまうんですよ」という風に、彼もある意味でそのことに自覚的であり、決して幸せな訳ではない(その意味で言うと、トリゴーレンの姿は成熟したトレープレフのありえた姿なのかもしれない)」。
それは『かもめ』の面白かったところでもあって、登場人物みんながどこかですれ違い合っていて救われることはないし、(トレープレフやニーナのように純粋なものも、トリゴーレンやアルカジーナのように凡俗なものへと堕ちてしまった者も)それぞれの苦悩を抱えながら生きていることが分かる。
作中、数年が経ってトレープレフは作家として成功するものの結局は自殺してしまうし、ニーナはトリゴーレンと結婚して子どもを作ったあと結局は捨てられてしまう(ただ、ニーナは作中で「自分の使命を思うと、人生もこわくないわ」と言い切っていて、その耐え忍ぶことへの信仰は『ワーニャ伯父さん』のソーニャにも通じている)
「未来 祈り 破滅について 孤独 微笑 狂気について
君はとても可愛い人�� 何故か俺は泣きそうになる」
(ART-SCHOOL/ニーナの為に)
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映画『ドライブ・マイ・カー』
「今頃?」と言われそうですが、妻と一緒に塚口のサンサン劇場で映画『ドライブ・マイ・カー』を見てきました。
3時間の大作です。昔は2時間半とか3時間とか、場合によっては4時間の映画もあったような気がしますが、最近では珍しい気がします。
村上春樹の短編集『女のいない男たち』の「ドライブ・マイ・カー」を題材にした映画ですが、原作からはかなり違うストーリーになっています。
主人公は西島秀俊演じる演出家兼役者で、彼の妻はドラマのシナリオライター。ある日、西島は海外の演劇祭に参加するため空港へ行ったところ、悪天候で飛行機が飛ばないと言われて自宅に戻ります。ところが、妻は自宅でドラマに出演する役者(演じるは岡田将生)とベッドを共にしています。
さあどうする、どうなる……と思っていたら、西島はそのままドアを閉めて何も見なかったことにします。情けないと言えばそうなのかもしれませんが、まあわからないではありません。
それからしばらく経ったある日、仕事に行こうとしている西島は妻に「今夜帰ってきたら話がある」と言われます。西島が帰ると妻が床に倒れています。妻はくも膜下出血でそのまま帰らぬ人となります。
ーーと、ここまでがプロローグで、映画が始まって小一時間経ったところでタイトルロールが出ます。ちょっとびっくりですが、まあそういうやり方もありますよね。
それから2年後、西島は広島の演劇祭でチェーホフの『ワーニャ伯父さん』を上演することになります。
彼は妻が死ぬ前にワーニャを演じており、妻にワーニャ以外の登場人物のセリフを吹き込んでもらい、車の中で始終それを聞いて、セリフの稽古をしています。
これももちろんアリですね。妻が棒読みをしているのは当然ですし、西島がセリフを棒読みしているのも、稽古の仕方としてアリ……というか、妙に感情を入れてしまうと芝居がおかしくなるので、そういう覚え方がいいのだというのを私は聞いたことがあります(私はしないしできませんけど)。
『ワーニャ伯父さん』を様々な国の役者によって複数の言語で上演するというのもアリでしょう。そういう形で上演された『シラノ・ド・ベルジュラック』と『トロイアの女たち』を私は見たことがあります。
それぞれの役者が各国の言葉でセリフを言うのだから、その中に手話を使う韓国人女優を入れるというのもアリだし、むしろ面白い試みだと思います。ただ、大劇場だと後ろの席から手話は見えないんじゃないかなあ……それはどうなんでしょう。
ありえないと思ったのは、広島で開かれる演劇祭の主催者が韓国人であることです。もちろん主催者の中に韓国人がいてもおかしくはありません。ただ映画には主催者が二人しか登場せず、その二人がどちらも韓国人だというのはどうなんでしょう。ちょっとおかしくありませんか。
また、演出家にお付きの運転手をつけるというのも合点がいきません。「以前、死亡事故を起こしたアーティストがいたので、そうしている」と主催者は言いますが、それなら役者はどうなるのですか。演出家には運転手をつけるが、役者にはつけないというのはおかしくありませんか。原作の設定を組み込むために随分無理をしているような気がします。
役者は全員オーディションで選ぶというのはもちろんアリですし、西島の妻の愛人であった岡田将生がオーディションを受けに来るというのもアリでしょう。また、西島が役者たちに台本をわざと棒読みさせるというのも稽古としてアリだと思います。
[この辺りからネタバレになります。まだ映画を見ていない方はご注意ください。]
ただ、この流れで西島と運転手の間にある種の心の絆のようなものが生まれるというのは少し無理があるような気がしますし、ワーニャ役を与えられた岡田将生が本番前に喧嘩で相手を死なせて逮捕されるというのは無茶苦茶だと思いました。
役者だってもちろん犯罪を犯すことはあります。でも、傷害ならともかく殺人って……まあ、厳密に言えば傷害致死ですが、それにしてもと思ってしまいます。
さらにそれを受けて上演中止にするか、ワーニャ役を西島自身が演じるか(西島は車の中で妻の声が入ったカセットを聴きながらセリフの稽古をしているので、ワーニャのセリフが全部入っているのです)の選択を迫られた西島が、いきなり運転手に「君の故郷の北海道の村へ行こう」と言���出すのは噴飯ものです。
広島から北海道まで車とフェリーで一体何日かかるんでしょう。この非常時に演出家が座組みを放ったらかしにしてどうしてそんなところに行くんですか? キャストやスタッフがかわいそうじゃないですか。
運転手(書き忘れていましたが、原作でも映画でも運転手は若い女性です)は、土砂崩れの事故で家が倒壊し、母親を置いて自分だけ逃げ出して助かったという過去があります。彼女は「母親を殺した」という気持ちがあり、「妻を殺した」という気持ちのある西島と響き合う……ということなのでしょうが、うーん、それはどうなんでしょう。
運転手はかつて自分の家があった場所を眺めながら、「母にはサチという別人格がありました」と言います。
え? 別人格?
私はここで本当に吹き出してしまいました。いくらなんでも盛り込みすぎで、話が急すぎませんか。
彼女はその後、西島に「奥さんはあなたを心から愛していた」、「同時にどうしようもなく他の男を求めていた」、「その間に矛盾はないとは思えませんか?」、「そういうものとして奥さんを受け止めることはできませんか?」と言います。西島の妻もまた別人格を持���ていて、一つの人格は夫を愛していたが、もう一つの人格は別の男を求めていたってことですか? よくわかりません。
西島はそれに答えて言いますーー「僕は嫉妬して苦しんでいた。それに上手に向き合えなかった」、「妻に「話がある」と言われた時、話を聞いてしまえば元の二人には戻れないと思って怖かった」、「だからわざと夜遅く帰った」、「もっと早く帰っていれば、妻は死なずに済んだ」、「僕はもっと妻に怒ればよかった」、「そしてもっと妻の話を聞くべきだった」。
えーっと……言いたいことはわかりますよ。でも、これって会話になっていないし、セリフが噛み合ってないんじゃないですか。
でも西島はそれで納得したようで、次のシーンでは舞台の上でワーニャを演じています。ソーニャの名セリフを韓国人の役者が手話で演じるところがラストシーン
……と思いきや、まだエピローグがあって、運転手がスーパーで買い物をしている場面が映って、レジではなぜか韓国語でのやり取りがあって、どうやら運転手は韓国にいる様子。
え? なぜ韓国? 一体どういうこと?
妻曰くーー「あの運転手は演劇祭を主催していた韓国人の専属ドライバーになったってことだと思うけど」。
えー? それはないでしょ!
運転手の「その後」を描きたかったのでしょうが、どうして彼女が主催者の韓国人の専属ドライバーになるんですか。いつの間に韓国語ができるようになったんですか。そもそもあの韓国人は広島に住んでるんじゃなかったですか。それがどうして韓国に帰ることになるんですか。あの韓国人は専属の運転手を雇えるほど金持ちなんですか?
納得できないことばかりです。
韓国を出し、手話を出し、国際性を出し、広島を出したのは、いかにもあざといというか、賞狙いに見えてしまうーーというのは、私の心が汚れているからでしょうか。
決してつまらない映画ではありません。3時間映画館の椅子に座っていても全く苦痛ではありませんでした。チェーホフ好きなら、そしてまた演劇人なら(ちなみに私はその両方です)、嫌いにはなれない映画だと思います。
でもなあ……これでいいのかという疑問も残ります。
私にとって『ドライブ・マイ・カー』はそういう映画でした。
追記: なお、私は「ドライブ・マイ・カー」を含む村上春樹の短編集『女のいない男たち』を読んでいます。読んでいるけれど、全く覚えていない(!?)のでもう一度読んでみようと思います。
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『夏物語』/人間の成熟
以下暗い日記。
おもしろくて哀しかったので涙がでたので買いたて洗いたての枕カバーで拭いた。すごく久しぶりに一冊本を読み通せた気がするので、それもよかった。
川上未映子『夏物語』(2019,文藝春秋)が今年文庫で出たのでまあ読むかと思って買っておいたのを読んだ。当時勧められたけど読んでいなかった。読みさしてたのを今日昼間日向ぼっこしながら芝生の上で読んで、風呂で読んで、ベッドで読んで、読んだ。
物語の舞台の京橋の駅前の空間はめちゃくちゃに、海遊館のあたりも、キャロットタワーも頭に浮かぶ、なんかずっとお話の中におったみたいで疲れた。てか、女の人の人生の話で、家族の話で、読んだらそれは、切実さがあるからおもしろかったわけで、女の人の人生の話で家族の話で切実でおもろかってんから、疲れますよ。
よく思う、お話とか小説とかがなかったらほんまに困ったなあとよく思う(これは『夏物語』の話から逸れています)。小説をいっこも読んでなかったら、それは弱ったことだ。たくさんのお話が頭の中にあることは安心だ。安心?よくわからないが、そういう気持ちがいつもある。
いま日記を見返したら7月にシェイクスピアを読んで以来小説を読んでいなかったみたい。その後に『 ドライブ・マイ・カー』 を映画館で観てチェーホフ「ワーニャ伯父さん」 を読んだのと、つかこうへい『飛龍伝』半分くらい読んだのと、オースター『ブルックリン・フォリーズ』も読み直しかけで半分か。7、8、9、10、4ヶ月かあ。物語に集中できないこと4ヶ月。4ヶ月とか、すぐ経つね。いやなこといっぱいあったなあ。楽しいこともいっぱいあったね。ここ2週間くらいあんま仕事してないねんけど(?)そろそろなにか来るでしょう。それを受け止めるか、うまいこと、こう、やれるのか。てか、『飛龍伝』続き読みたいのだが、部屋がカオスっててもうどこにあるかわからん。そうや『侍女の物語』がめちゃくちゃおもろいやんになったのに途中でシェイクスピアかチェーホフに行ったのも思い出した。あれもどこにあるのかわからん。今から読んだら読んでしまうやろうな。でも今日は寝ると思っていたので寝る。
最近人間の成熟というものについて考える。成熟しようがしまいがそのうち死ぬねんから成熟しようがしまいがどうでもいいかもしれんが、成熟した人間というのはもうなかなかいなくて、その中でも尊敬できる人というのは、自分の望んでいる、希求する部分の成熟している人であろうと思う。そんで、成熟と青くて硬い部分がまだらだと生きづらいなと思う。グラデーションならまだいいが、リンゴをかじって一口の中に甘い甘いところと硬くて酸っぱいところがあるとなんともし難い。全体的に未成熟(だと私が感じるひと)でも、どこを見ても成熟したところが感じられないひとでも、歳をとって給料をもらうかなにかして金を稼いで暮らしている人はいる。家族を養っている人さえいる。けっこう意味がわからない。社会とか組織って意味がわからない。また別の話として、そういう人たちは成熟する機会を与えられなかったのか、まったく成熟しなくても生きてこられたのか。前者は不幸で後者は幸福、のように思えるのだが、どっちもおんなじかもしれない。
たまに人間の未成熟な部分を魅力と感じることもある。でもやっぱり、そのひとと関わり続けたいという強度のあるきもちは、そのひとの成熟した部分への尊敬から生まれる気がする。
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「若い」「男」が書いた小説
という言い方もできるっちゃできるが、夜になって遠野遥『改良』を読了して朝井リョウ『どうしても生きてる』のはじめの一篇を読んだ。お察しの通り「若い」も「男」も、作家の要素は小説に何一つ関係ないのだが、ただ若者で見たところの性別が男だな、という二人の小説を続けて読んだのでなにか新鮮だった。改めて「若い」も「男」も作家の要素は関係なく、小説は面白かった。遠野遥の『改良』はかなり論理的な、かちっとした構成の小説だった(平野啓一郎の解説がとても詳しかった)。朝井リョウの短編は、構成はゆるめで、文体もやわらかめで、全体的にわかりやすいというか、キャッチーな書き方だった。いつも読まないタイプの小説(ここでいう「いつも読むタイプの小説」とは、円城塔とか多和田葉子とか川上弘美などをさす)で、何が起こっているのかがわかりやすくておもしろかった。映像化がすごく楽にできるのでどんどん読める。ありがたい。でもまあ、私が「一番好き」なタイプの小説はこういうのじゃないんだよな、という感想ではある。それはそれとして面白いので読む。酒に酔うことはできないが、文体にたゆたって幸福感に浸ることはできる。完璧な文体を摂取している時、もしかしたら酒飲みが酒を飲んでいる時くらい幸福なのかもしれないとふと思った。私にとっていちばんうまい酒は志賀直哉と宮沢賢治。次点で川端康成くらいです。そのあたりの人の文体はだいたい好きだけれどね。漱石の『草枕』は度数が強すぎて未だに年に数ページずつしか読み進められていない。美しいです。体力があればもっと読めるのか?文体に溺れながら読むとあとでぐったりしてしまう事もあるので、注意。フィジカルが弱いことが何もかものマイナスに繋がっていますね。毎日走れとは言わないけれど、せめて毎日歩きたい。歩いたほうが小説も書けるんじゃないでしょうか。文の見た目と音とを味わいながら同時に脳内で映像やシーンを展開するという作業がもう今のよわよわな私にとってはきついため、読書が捗らないわけだが、この方法でしか読書できないので仕方ない。とくにSFは映像化が難しいので頁が止まりがち。円城塔くらいまで行くと映像化しなくていいので楽だが、『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』のようなまだ映像化の余地のある文章だと、脳内が「どこまで映像化しようかな?」というのも迷ってさらに時間がかかるので負荷が大きい。映像化できないくらいの展開にどんどんなっていきますように。登場人物が多い物語は各々を覚えていられない(その外見をいちいち構築しなくてはならない)ので苦手。最近だと「ワーニャ伯父さん」は頑張っ��読んだと思う。中年の男を3人、いや4人?も出さないでくれ。助けてくれ。とはいえ戯曲なので、そもそも活字で読むのが間違っているというか、芝居で見れば一目瞭然なのだから、そうすればいいのだが。
Twitterで、「恋せぬふたり」というドラマの感想が流れてきたり、通話先のじゅんえん先生も「(ドラマを見て)苦しんでいる人がいる」と言っていたので、たいへんな反響のようだ。その感想をあいまに読んだ遠野遥の小説も、朝井リョウの小説も、とにかくセックスをめぐる物語、という感じで、たまたまの取り合わせだったのだが、なんだか面白かった。私はさまざたなコンテンツにおいて男女の性愛ものはまあまあ好きだが、快楽に主眼をおいた男女のエロスはあまり好きではない。でもそれが好きな人もいて、本当に人それぞれだなあと思う(ここで私の頭にあるのは、受けのみの先天性女体化による男女カプのセックスである)。なんでこんなに男女のエロを気持ち悪く感じるのかというと、それには明確な理由があり、自分で重々承知している。もしその苦手の理由がなければ(いまさら排除しようのないことだが)私も男女のエロを消費していたかもしれない。男男のエロも女女のエロも消費するのに、男女には吐き気が込み上げてくる。残念。こういうのも、性別なんか別に関係ないだろと、頭でわかってはいるのだけど、物理(見た目)って強いな…。後天性女体化ならまあエロがあってもギリ行ける、という感じなのは、やはり性自認を性格の一部として考えているふしが自分にあるからなのだろう。そういうのはダサいよな、と思うけど、この思考の型はなかなかしぶとい。生まれた時から男のファウストと生まれた時から女のファウストでは、そもそも別人格になると思ってしまっている。でも、もちろんそうとは限らない。性別が違っても、性格が異ならない場合もあると思う。性別(男、女、その他)が性格に与える影響というのが、ある人もいればない人もいるだろう(とくに私が生きてきた現代日本では)、という考えもまた自分にあるので、これは時代や地域によってかなり変動のある問題だと思う。性別が性格におよぼす影響が、少なくとも私においてはかなり強いということかもしれない。
「ニニ&ニー」たぶん「nini & nee」というWeb漫画(著:備長炭)をじゅんえん先生に教わって読む。勢いがあり、めちゃくちゃ面白かった。とはいえまだ5話?くらいまでしか読んでいない。最初はよくわからないので流し読みしていたが、突然わかりやすいストーリー漫画になったのでありがたかった。そういえば病院の帰りに「ネオ・キャット」(著:青化)をやっと買って読めた。これは想像以上に「良い」漫画だった。コメディではなかった。善性のはなしだった。村上春樹とか川上未映子が好きな人は読んだらいいのではないかと思った、特に最初の一編。わたしは「おいも君」の話が好きだった。やはり「ちいさきもの」の目を通して見る世界の話は好きだなあと思う。成長の話であった。世界に順応するのがいいのか悪いのかはわからないけれど、彼なりに世界の、周りの存在と自分を擦り合わせて生きる方法を見つけられ、楽しくやれる方策を得られたのだからこれは素直によかったと思った。美術館や絵画というものが存在する空間の空気を、この作者はとにかく愛しているのだということが伝わってきた。
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愛しいという語は、いとしい、とも、かなしい、とも読む。そもそも、古くは「かなし」という語が、今で言うところの「かなしい」や「いとしい」という意味合いを持っていた。
詳しいことは専門家に任せるとして、いとしい、と、かなしい、は表と裏みたいにきれいに整理できるような代物ではなく、右目と左目くらいの違いしかないようにも思える。ひとたび目が合えば、どちらもまっすぐこちらを見つめている。どちらかだけを見ないようにその間を見ているうちはよいけれど、どちらかに引き込まれてしまっても、「見ないようにしている」もう一方の視線もしっかりこちらを見ている。そこに、いとしい、と、かなしい、の両方が湛えている切なさがあるように思えてくる。
マクベスの魔女じゃないけれど、いとしいはかなしいし、かなしいはいとしいんだろうと、今は思う。
この疫禍に飲み込まれて1年が経ち、私たちはいろいろなことに「目」があったことに気がついた。いや、目を見つけてしまったのかもしれない。避けられ、制限され、禁止されたことごとと、私たちは目が合ってしまった。それもぼんやり眉間を見るのではなく、どちらかの目に見入ってしまった。そして見つめていないもう一方の視線を常に感じている。
会うこと。会って話すこと。一緒にご飯を食べたり、お茶やお酒を飲むこと。握手をしたり、抱き合ったり、体に触れたり寄せ合い体温を感じること。誰かの存在や痕跡を感じること。自分の存在を伝えたり痕跡を残すこと。時間を場所をモノを分かち合うこと。移動すること。誰かや自分を許すこと。
そういうことごとと私たちは目が合っている。
「元気が出ました」
「ワーニャ伯父さん」宮崎公演の初日。終演後のトークセッションで観客の男性のひとりは、そう感想を伝えてくれた。
この作品は、私にとってはつらいばかりで、何度見ても元気が出るようなものじゃないのだけど、この作品のもう一方の目をはっきりと感じられて、とてもうれしかったし、どこかほっとして、胸の中でぎゅうという音がしたような気がした。
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これから2週間、観察期間があるけれど、「ワーニャ伯父さん」ツアー2020、金沢・宮崎公演はキャンセルなく終えることができました。両地域ともに客席数に制限はありましたが、全ステージをほぼ満席で迎えられたことはうれしいかぎりです。
親身に助けてくださった金沢芸術創造財団、宮崎県立芸術劇場、各地で協力してくださったみなさんに、支援声援をくださったみなさんに、再演とはいえ負担が大きい中で各々の仕事を誠実に果たしてくれた上演メンバーのみんなに、そして各地で劇場に来てくださったみなさんに、心からの感謝を。
今年も第七劇場はチェーホフです。「桜の園」を製作し、国内ツアーを予定しています。また各地でみなさんにお会いできることを楽しみにしています。
写真は宮崎公演楽日のカーテンコール。
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