#レモン哀歌
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made a cute animation loop for Minuano
song: Lemon Elegy 「レモン哀歌」
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいし��る。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立たせるピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇���街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意を��れると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわ��となにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4���分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大��室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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2023.12.03The Cheserasera 秋の空想リクエストワンマンツアー(下北沢Shangri-La)
向かう道すがら、ずっとドキドキしていた。なんでこんなに何回も行ってるのにドキドキするんだろう。他のライブの時もこんな風にドキドキしてたのかな。いろいろ思い返してみて、家出る前からずっとドキドキしてることってあんまりないかもしれない。
夏よりは暑くない。絶対に後ろの方が音いいのに、割と前の方に来ちゃってちょっと後悔。 17時定刻に暗転する。ちょっと驚いたけどこれが普通の世界なんだった(笑) 私は今回リクエストを考えても考えても「これ!」というのを出せなくて、迷ってやめちゃったので、 なにが来るかもなんの予想もできないのでとても新鮮な気持ち。 ケ・セラ・セラのSEめいっぱい、ひしめく期待と緊張をやぶった1曲目はFLOWERで「みんなFLOWER好きすぎだろ」って宍戸さんのコメントを思い出した。 後ろから見れば良かった〜!この距離だとベースがドラムに掻き消されちゃう。私はFLOWERの歌詞にあんまり共感できないけど、「冬」って感じがするのは好き。まだ全然ドキドキしているので、空中を見ていたら終わってて集中力がほぼ皆無だった。 butterfly(in my stomach)、スラップとブーンてやるところ大好きなのにちょっとドラムがうるさくてかき消されているのはご愛敬。 ライブ終わった後に、お姉さんたちが「あんなに細いのにどうやってあんな音出してるの?」「おもいきり叩いてるのかな」と言ってました。美代さんは手の皮が破けたらしいので、もしかしたらそうなのかもしれない。だからグロ��ブとかつける人いるんですかね。 すでにこの曲も懐かしい、初めて見た時にもやってた曲で、「Jさんのライブ見に行こう」と歌ってくれて我々は大いに盛り上がった。 7年経ってる。BLAZEも来年閉めちゃうし。 楽しい思い出が蘇る中、この曲で飛んだり跳ねたりしないのりきらないフロアにちょっとだけフラストレーションを感じたりする。 センターにせり出てきた宍戸さんの『最高にかっこいい』ギターのリフでLOVERS。はじけるドラムに、身体を折り曲げながらベースを弾いてるにしやん。 そんなに身体動かしてもうお腹痛くないですか…頭ももうくっついたんですか…って気持ちはあったはずなのに 「サヨナラ!」で、すべてを忘れてライブアレンジのベースに夢中でした、ベースフェチからしたらずっと目と耳が幸せ。 足し算と引き算のバランスが絶妙でやっぱりとてもかっこいい。リクエストしてくれた人ありがとう。 疾走感たっぷりのLOVELESSに懐かしさを覚える。それくらい久々かもしれない。 過去、ラバーズ/ラブレスの流れがクセになっちゃってた時期ありましたよね? 今もう飲み会で輪になって手を叩くことなんてないんだろうなぁ、哀愁すら感じる。 少なくとも私が見始めた2016年から、客層も変わっていて7年もあれば小学生だって大学生になってる。 友達とふざけながらお前も!お前も!と指差し合ってた頃がすでにかなり前の出来事になっていて、今日はひとりぼっちでさみしかった。 そりゃ循環はするよ、だけどさ、あんなに好きだって言ってた人たちはどこ行っちゃったんだ、と私でさえ思う。
「たのし~~~!!!な!!」と宍戸さん。後ろの方から野郎の叫び声が聞こえる。新鮮だ。 「来てくれてありがとう、リクエストワンマンです!」「楽しいな、なんか俺ずっとこんなだわ、浮かれてんなぁ」みたいな はじける笑顔でしゃべってた気がします(見てない)
「こんな夜は、ずっと浮かれてたらいいんです!!」 超速い曲。にしやんずっと頑張って弾いてる。この曲は必死にドコドコしてる美代さんを見なきゃ!と思って背伸びして目撃した。 白いシャツに裸足の美代さんが顔を赤くしながら叩いてました。ベースソロのところ聞こえないくらいドラム炸裂してた。 3人ともがんばれ!まだ序盤だぞ!と思いながら、自分の首も汗で濡れてるのを感じてやっぱり裏起毛着てくるんじゃなかったと激しく後悔。 退屈のイントロに喜び最高潮。そして、あぁ、にしやん忙しいねぇ、地獄だねぇ、と思ったらニヤニヤが止まらなくなった。 ちょっとこの辺で苦しそうに笑って、手プラプラしてた。苦しそうに笑うっていうのは、全速力で走った後にプハ~ッ!てなるみたいな顔です。 耳鳴りのあとのベース��いすき。音源で聴いても良い音なので、ぜひライブと聴き比べて欲しいですね(専門家の意見) そのあとのギブ・ミー・チョコレートで早くも2度目の最高潮。津波のオンパレード。 「私への感謝祭ですかね?」と眩暈よりも脳みそがぐらぐらする展開。リクエストしてくれた方ありがとうございます。 曲をリクエストできるっていうのはイントロが流れた瞬間に「私のリクエストやってくれた!」って思えるのが楽しいんだね、きっと。 オンベース!西田裕作!の曲しかほぼやってないので、宍戸さんはどこかで「オンベース!西田裕作!」って言ってた。多分LOVERS。 ギミチョコも割とやる方の曲だけど久々、と思ったけど活休してたから全部そうでした。 美代さんのこの曲も人気だ。白雪でちょっとだけペースダウンする。 美代さんはギターが好きって聞いたことあるんだけど、それがすごくわかるような気がする曲。 個人的には歌モノに入る曲。ギターなりベースなりでずっと雪が降ってる。 3人のバランスで成り立っていて「3人でやってんだな~」とそれぞれを見てた。 結構やってる曲なの��まったく隠れてはいないんだけど、TheCheseraseraの隠れた名曲と定義しても良いのかもしれない。
「体感5秒だわ」と8曲やって宍戸さん。でも本当に一瞬で、もう半分終わったのかとびっくりしていたら 「今日、俺ストラト!」とギターを見せて「調子よかったから」と。 8曲やって、半分すぎたところで、本人から申告されて気づく私って本当にギターに興味ないんだなとびっくりした。 むしろこれまで違和感がなかったから気づかなかった…の、かもしれない。 「半分すぎたけど、どう?」と誰に投げかけてるのかわからない問いに間が空き、『あ、ふたりに聞いてます』という空気を察した にしやんがマイクに近寄るよりも早く美代さんが「や、楽しいですね」とコメント。喋るのを諦めたにしやん。 残念そうなフロアの空気を察した宍戸さんが「にしやんは?しゃべらなくていい?」と名指しで聞いたけど「いい」と。 「みんなリクエストありがとう。自分の好きなのきたらヤァー(断末魔)とか声出していいからね!」 「じゃあ後半行くか!…あ、チューニングするわ」と。前に、美代さんが「そういうの直してほしい」とぼやいていたのを思い出す。 MCの間はちゃんとしゃべっちゃうからチューニングできなくなっちゃうんだよね。 ちなみに宍戸くんのチューニングに合わせてベース弾いてたよ。
三連の曲が好きなんだとハッキリ自覚したのはラストワルツがきっかけだったな、まさに名曲。 詳しいことはわからないんだけど、ドラムの間をすり抜けていくみたいなベースで 本人もこんなに自由にさせてもらえると思わなかった、と当時言ってたと思う。 にしやんベースめっちゃ弾いてる。なんでこの人はこういう弾き方するんだろ~って考えながら見てると一瞬で フロントとリアの間くらいを弾きましょうみたいな教科書があるとして、リアよりもネック側の弦を弾くのは柔らかい音になるからだそうです。 イントロで、「うわ~カサブランカひさびさだ~」とまだイントロドンできた。 このときだったか、やっぱり休符って良いなと思った記憶がある。ダ、ダダッ、ダ、ダッダ!のとこで音に空白ができる。その瞬間だけ白い光が漏れるような霧が晴れるような感覚。あとはにしやんが足元踏んでるのとか見てた。 すこし、ゆったりとした歌い出しで始まったLullaby。これは純粋に歌が好き。ショートムービーみたいでストーリーが好き。愛さえあればいいなんて、の「愛」って声大きくなる。力入りやすいらしい(笑)すごくTheCheseraseraっぽい気がする。 そのあとのgoodbye daysもやるんだ~!という衝撃で首折れそうなほど仰け反った。 いつかのアルバム丸ごとやりますライブのときに宍戸さんがすっ飛ばした曲だ~! にしやんすごい楽しそうだった。たぶん、このときに宍戸さん歌詞間違えてにしやんとアレ?ってなってたんだよね。 だいたいベースしか見てない私が、ちらって宍戸さんをみたら絞ったレモンみたいなギュってした顔して必死に歌ってた。 レモン絞ったみたいな顔じゃなくて、絞ったレモンみたいな顔。
最後のMCで何を話してたかもう忘れてしまったけど、 「もっとでかいところでやりたい」「クアトロ考えてたけど…」「Zeppとか?武道館とか?ドームとか?あげたらキリないよ」 「もっと現場を盛り上げたい!」「対バンツアーするつもり」「6月くらいかな。何か所か回るつもりで計画してます」 宍戸くんがとても良い顔だったのを覚えている。
そして「愛しておくれという曲です!」バイト面接きたー!!コーラスまでの間ベースを弾くことしかしないにしやんとコーラスが近づいてきたらマイクに歩み寄るにしやんを見てました。それ以外の記憶はありません。すき。 思い出してがとても好き。唯一リクエストするかどうか最後まで悩んだ。感情を揺さぶられる歌詞だけど、リズム隊は熱を帯びていて、表面は冷たいけど中は灼熱。 削いでいくと、きっと感傷が残る。おそらく、やってる方がめちゃくちゃ気持ちいいんじゃないかな。にしやんがステージの前に迫り出して弾いてたんだけど、フロアとステージに最もギャップがある気がする。見てないけど。 好きだな~。 最後のMCで「もっと現場を盛り上げたい!」といった宍戸さんの言葉を後押しするようなDrapeだった。いい曲だ。 どの曲かは忘れてしまったけど美代さん立ち上がってドラムを叩いてたな。 「最後の曲です」 After Party Lululu、年末感ある。去年の12月はワールドカップ見てたのにもう1年経っちゃったんか~…と感傷的にならざるを得ない。 昔メンバーが監督で撮影したMVを特典で配ってたけど、それを思い出す。汗がキラキラしてる。 体感5秒!と言ってたけど、本当にあっという間に終わってしまった。
すかさずのアンコールで戻ってきた3人。にしやんグッズのスウェット着てた。 「ここまでで16曲やった」「あと何曲ききたい?」と聞くと、���ロアから『30!』と声が上がり爆笑する3人。 「声でか(笑)」あと30曲は約3時間かかるね。 「よくさ、『ライブもう一回やってー!』て言われるけど、それやりたくて。やります!」と宍戸さん。 そして月と太陽の日々。今日はやらないのかな、と思ってたけど、あ、ここから始まるわけね? 手拍子したり、しなかったり。お客さんの入れ替わりを感じる瞬間。 新曲やります、とGUS TOKYOと踊れるMUSICという強いほうの2曲。踊れるMUSICを初めて聴いたのは名古屋だったかな。 そのときにわ~にしやんだな~!っておもったけど音源もそうだしやっぱりライブでもにしやんだった。 そしてラストシーン。いい意味で情緒不安定になりそう。ビックリしすぎて頭がついていかなかった。ここで聴けるとは、なんというサプライズ。 この2時間で、何度絶頂は訪れるのか。絶頂ってなんかいけない意味かな、まあいいか(笑) 人生で数えるほどしかのったことのないジェットコースターの、一番最初の頂点みたいな感覚。 君がギターを弾かないなんて。ルート弾きのベースラインで個人的には最も好き。その上でギターが踊るじゃん。 前に出てこずとも存在感を出せるっていうのが一番好き。かっこよくない? 全部の曲が何かしらのオマージュだっていう声も聞くし、実際そうなのかもしれないけどTheCheseraseraがやれば彼らの曲で たどっていけば、影響されていないものなんてどこにもないんだろうな。 「君がギターを弾かないならば 世界が端っこから崩れ落ちてそれで終わりさ」てところが結構お気に入り。 終わったと、やっぱりお姉さんたちが「ガストーキョーはニルヴァーナよね!」と言ってた。まあ、たぶんそう(笑) 名古屋でKAKASHIと対バンしたときに、私の目の前にマサがいて、マサの背中越しにみた景色はきっと一生忘れない。 宍戸さん「この曲に出てくるのはマサのアンプです」って言ってたはず。
見事に5曲もやって去っていった3人をまた呼び戻して、Wアンコール。さすがにちょっと気つかうんだけど(笑) 宍戸くんもスウェット着てきて、タオル忘れたらしく「ちょっと貸してくんない?」と最前列の子からタオルを借りて宣伝。 「最近男子増えたからさ!かっこいいのにしたくて」と、確かに野太い声も上がっていたし山脈ができつつある。 アンコール5曲もしたことについては「新曲も出したばっかりだしやりたくて」セットリスト組むの大変そうなことがよくわかる。 「こんな感じでいいかな?」と聞いてたけど、多くやってもらう分にはみんなウェルカムのはず。
「また会えますように」、讃美歌。きっと、人生の中で一番どの曲をやったか、と聞かれたら讃美歌は結構上位なんじゃないかな。 もう、リハーサルなんかしなくても、彼らがそこにいるだけで讃美歌として成り立つんだろうな。 また会えますように、という言葉が、前までは「次もま���来てね、会えますように」だと捉えてたんだけど、個人的に最近は結構鬼気迫っていて「ちゃんと生きて、また会えますように」になってる。 お腹切ったり、顔面骨折したり、勘弁してほしい。本当に。怪我も病気もしないで、バランスの取れた食事と睡眠で生活してほしい。讃美歌に、祈りしかない。 「最後の曲です!」、ふり絞るように、でくの坊。この3人として最初の曲。愛をこめて、君たちは本当にでくの坊だ。生活が透けて見えるような、だけど許してしまう。 最後、3人で向き合って弾いてた瞬間が、本当に楽しそうに見えて、飛び散る汗がキラキラしてとても満たされた気持ちになった。 そして、去り際に「もう今日はこれでほんと終わりね!勘弁して!(笑)」そんな終わり方ある?(笑)しかし、終わってみると結構疲れていたので、3人とも本当におつかれさまでした。
わたしたちの楽しそうな笑顔が、明日からもあなたたちを生かしていますように。
■セットリスト FLOWER butterfly(in my stomach) LOVERS LOVELESS
ずっと浮かれてる 退屈 ギブ・ミー・チョコレート 白雪
ラストワルツ カサブランカの花束 Lullaby goodbye days
愛しておくれ 思い出して Drape After Party Lululu
en.1 月と太陽の日々 GUS TOKYO 踊れるMUSIC ラストシーン 君がギターを弾かないなんて
en.2 讃美歌 でくの坊
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2019年の #トパーズ。
#11月 の #誕生石。
出回っている #ブルートパーズ は無色のトパーズに放射線を照射したものがほとんどだそう。
青い石って心惹かれるよね。
でも、黄色系の石もすてき。
#レモン哀歌 を思い出します。
#art #coloredpencil #fabercastell #polychromos #色鉛筆 #ファーバーカステル #ポリクロモス #1日1絵 #イラストグラム #今日何描こう #今日何描いた #絵を描く暮らし #宝石 #gemstone #topaz
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#340
わたしの手からとった一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズ色の香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱっとあなたの意識を正常にした /高村光太郎「レモン哀歌」
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mag 2023.6.5
今回は『売り言葉 』 にはじめて挑まれる女優さんにもコラムいただきました
新まおりさん [A]に出演
皆様はじめまして。新まおりと申します。 はじめましての方に優しくないこの苗字、読み方はアタラシです。ぜひお見知りおきを。
さて、先日外輪さんから「WEBマガジン用になにか書いてくれないか」と頼まれました。もー!そういうことは早めに言ってほしいですね。
私は書くことが得意ではありません。ただでさえ莫大なエネルギーと時間を消耗するのに、テーマ探しからとなると、それはもう気が遠くなるような大仕事なのです。
今回がevkk初参加ですので、自己紹介でも書こうかと思ってやめにしました。なぜなら、私は自己紹介も得意ではないから!(じゃあ何が得意なの?なんて聞かないでくださいね。)
自分でも自分をよく分かっていないというのに、何を紹介しろというのでしょう。元気よく紹介できるのはせいぜい名前くらいなもんで、そんなもの最初の一行でとうに済ませてしまいました。そもそも、これから芝居を観ようという方々に "新まおり" の中身を知ってもらう必要なんて無いのかもしれません。
自分では不思議なのですが、今の私は30代にも、20代にも、ときには10代にも見られる事があります。(10代の頃は頻繁に30代と間違われていました。よくも勝手に私の20代をうばっ��な!)
そして、しばらく一緒に過ごしてみると「話が大人だよね」だとか「話すと子どもだよね」とかって言われるのです。
これは一体どういうことなのでしょうか。決して相手や状況に応じて、私が巧みに演じ分けているわけではありませんよ。(それができたら役者に苦労していませんから)
私はずーっと私のままです。私は全然変わっていないのに、違って見えるらしいのです。
「そうか。出逢った人の数だけ "まおり" が存在しているんだ。」
その事に気がついてからというもの、私はできる限り自己の紹介はしないようにしています。
とはいえ、当然 "私が思う私" も存在しているわけで。
外輪さんは私と出逢ってからの一年間、ことごとく "新まおり" を勘違いしておられました。後から「思ってたのと違う!」とクレームをつけられても困るので、外輪さんのイメージする私像を訂正、訂正、訂正…。その都度訂正を重ねてきました。しかし、それはそれで "外輪さんから見た新まおり" という一種の正解だったんですよね。
必死に訂正してきたことを、お詫びして訂正いたします。
人にも自分にもウソはつきたくないけれど、「相手が描いている人物像を崩さない」ための努力はある程度必要かも、と思えてきました。 それはすなわち「相手のニーズに応える」ということでもあります。ある程度どころか必須のスキル。仕事の一環。社会の一員として果たすべき責任。
私も社会の一員として、そして何より役者として、その責任を全うすべきです。少なくとも『売り言葉』が無事に終演するまでの間、私は外輪さんの思う "新まおり" でいなければなりません。
そう書いて私は、なんだか心配になってきました。イヤな予感がしませんか。(何のこと?と思われた方はぜひ劇場へ)大変なことになる前に、やっぱり訂正しておくことにします。
皆さん、そして特に外輪さんへ 私はあなたの考えているような人間ではありませんからね!たぶん!
《追伸》 はじめて通し稽古をしたときの動画が送られてきました。自分の姿を客観的に見られるので、とても有り難いです。
そして、それは私の宝モノになりました。
通し稽古の様子が、ではありません。その動画には少しだけ続きがあって、ほんの数十秒しかない続きの部分が、です。
収められていたのは、通し終わりの空っぽになった舞台。張り詰めていた空気が一瞬にしてフッと緩み、そこにいた全員が大声を上げながら笑っていました。確認できるのは声のみですが、皆がどんな顔で笑っていたのか私には想像できます。きっと子どもみたいな顔をしていたに違いありません。
あんまり楽しそうに皆が笑っているもんで、夜な夜なひとりでその動画を見ながら「なんかもう、この瞬間さえあれば人って生きていけるよな��」と涙を流してしまう���どでした。
と、そこへチラッと私の姿が写り込みました。それはそれは楽しそうに全身を駆使して笑っています。
あれ?おかしいな。動画の中の私は間違いなく、外輪さんがおっしゃる "新まおり" に見えました。私を勘違いしていたのは私自身なのか!?
やっぱり、それぞれの考え方に「ぶっぶー。間違い」なんてものはなくて、全てが「それはそれで正解」なのだと思います。
芝居だって例外ではありません。観る人の数だけ正解が存在します。もっと言えば、観る人が同じでも、観る回数やタイミングによってそれぞれ別の正解が生まれるかもしれません。
そういうわけで、ぜひとも沢山の方々に観ていただきたいのです。難しいことは抜きにして、ね。それも一度と言わず、二度三度と観てくださっていいんですよ!
そうして生まれた沢山の、それぞれの『売り言葉』が、皆様の中にほんの少しでも存在してくれるなら本望です。
それでは、劇場でお会いしましょう。
新まおり扱い 予約窓口はこちら
中谷桜さん [B]に出演
昨日、白桃パフェをたべた。近所、というには少し歩くけど散歩には丁度良い距離のところにある小さなパーラーで、かなり年季の入った外観と内装だけどもそれが居心地良い。期間限定、と壁に貼られたカラーマッキーの手書き文字につられて何の気なしに頼んだパフェは、オールデイズの有線放送を2曲ほど聴いたところでやってきた。
ことん、と紙ナプキンを敷いた花柄の平皿へグラスが置かれる。運んできてくれたおばあちゃんの手は濡れていて、その皺には桃の果汁や香りや皮の感触が残っているであろうことがしのばれた。ありがとうございます。一礼して��プーンを手に取る。細長いぎんのスプーンは清潔ながら、長年の使用によりできた無数の細かな傷で薄く曇っている。鏡のように自分の顔を映すことはできないが、とにもかくにも、最初のひとさじめに取り掛かった。
カンヅメのモモではなく、きちんと剝きたてで、つるんとした中に柔らかい毛羽立ちが残る生の桃だ。真っ白とは異なり、どこかほんのりと落ち着いたあかるさを宿す色。種に近かったであろう部分はぎゅっと紅く、くちびるにふれる瞬間ほんわりとかぐわしい香りが鼻腔を撫でる。ひんやりした果実はつぐんだ口内でたちまち華やかに溢れるジュースとなって、とろんとした甘味が喉の奥へ流れると共にベールのような繊維と微かな苦みが後を引く。
きらきらプルプルの細かなゼリー、しゃりっと消えていくさっぱりしたシャーベット、そういった適度なコントラストを演出する名脇役たちと、みずみずしい生の桃。潔くプレーンなヨーグルトの海にもごろごろと果肉が入っていて、底のコーンフレークから掘り返すように混ぜつつ食べるとざくざくした感触が何とも小気味よく、素朴でさっぱりした味わいが自然と涼しさを誘う。初夏にぴったりの爽やかなひととき、なかなかどうして素敵な一品だった。
嘘である。
繰り返す、嘘である。嘘です。白桃パフェなんて食べてません。うちの近所にレトロなパーラーは無いし、無論のこと白桃を剥いてくれる感じのいい物静かなおばあちゃん店主なんてのも居ない。あるかそんなもん。今回コラムを書くにあたり外輪さんから「昨日食べた白桃パフェがおいしかった的な雑記の方がいいかもしれません」とのアドバイスを受けて思いついた奇行である。ほんとのところ昨日の私はバイト先で馬車馬の如く働きづめるばかりで、次々に入るパフェだケーキだジュースだの注文に着実な殺意を溜めていた。そう、カフェ勤務の私はどっちかっつーと作る側なのである。その立場からするとパフェってのはマーーージで面倒臭い。手間がかかる!!!コーンフレークはそこらじゅう飛び散るしヨーグルトはすぐ在庫が切れるしアイスクリームは一玉掬うだけで腱鞘炎モノだし、見目の良い盛り付けにも神経が磨り減っていく。果物のコンディションは個体ごとに全然違うし、ましてや桃なんて繊細なモノを扱おうものなら十個用意しても売り物になるのはほんの二三個だろう。ちょっとしたオタノシミの一品、の裏には安時給アルバイターの汗と歯ぎしりと死んだマナ��が隠されているのである。
ぶっちゃけついでに加えると、初夏のこの季節、飲食業界は桃だのメロンだのミントだのレモンだの、こぞって爽やかさ・清涼さを美徳として売り出すが、そういう風潮が嫌いだ。桃もメロンもミントもレモンも大好きだけど、「ほどよくさっぱり、あっさり、すっきりしたものがいいよね」なんて感覚を持て囃す人間の空気が嫌だ。
だから某スターバックスが数年前の真夏「スモアフラペチーノ」なるものを発表してくれた時は嬉しかった。スモアというのはアメリカで主流なおやつで、炙ったマシュマロとチョコをクラッカーやビスケットで挟んだなんともヘヴィーで濃ゆいスイーツだ。そのスモアをイメージしたフローズンドリンクである、不味い訳がない。8月の猛暑でもおかまいなしに濃厚なチョコレートソースとこんがり煮詰めたキャラメル、バターのずっしり効いたクランチがざくざく入ったたっぷりの生クリーム、マシュマロ。それは鬱屈とした夏を生き延びる心強い味方だった。
甘すぎる、濃すぎる、重すぎる、そういう「過ぎる」ものが私は好きだ。それぐらいでないと心の奥底までは埋まらない。孤高を気取るつもりはないが、「ほどよい」「ちょうどいい」「さっぱり」という言葉はどうも寂しく感じる。普通の適度は私にとって寂しい。スモアはそんな子供じみた私の、よく分からない孤独感や不安感を甘やかして満たしてくれる。どろどろに焼け付くように甘い、熱く濃くべたついた甘さと重さ。爽やかさを美徳としなければならない時もあるけれど、それに従うこともあるけれど、私個人はあくまで過多に、トゥーマッチに、ベタベタなものを愛してる。そういうものが無ければ押し込められて消えてしまいそうに感じる。もし消えてしまえば、第三者は私の不安なんて知らずに、私のあっけない去り際を儚いとか清涼だとか切ないとかコンテンツ化して消費するだろう。だから私は今日もふてぶてしく嘘を書き、傲慢にうそぶく。レモン哀歌調のこの世の中で、スモア讃歌を歌う。
[中谷桜扱い 予約フォーム]
《サワイのヨモヤマ》
こんにちは!澤井里依です
私事でございますが、今年の4月に13年続いたケーブルテレビの番組『三関王』が最終回を迎えました。
第一回放送から調査員田中としてリポーターを続けてきた番組で、人生で初めてのレギュラー番組でした。はじめてのロケの時はまだ大学生で、右も左もわからないまま現場へ。体当たりの調査が多く、サーカスの空中ブランコに挑戦したり、泳げないのに飛びこみをしたり、奈良公園の真ん中で鹿に追いかけられながら踊ったり、、色々なんでもやらせてもらって、今の私が積み重なってきたなぁ・・・・と感慨深い思いです。
ディレクターさんはじめ、沢山のまわりの大人のスタッフさんたちに育てていただき、最終回まで調査員田中をまっとうする事ができました。13年特別な時間を過ごすごとができたのは応援していただいた皆さまのおかげさまです。本当にありがとうございました。
そんな時に『売り言葉』再演のお話があり、三関王ロスの沼に落ちる事なく創作に打ち込むことができています。
『売り言葉』初演は30歳記念、池袋演劇祭の2回目はなんと自身の結婚式の直前(笑)と・・・・たまたまですがなんとなく私のライフステージの大切な時に関わる思い入れのめちゃくちゃ深い作品です。
体当たりのお仕事で鍛えられた性格や、家事・育児・仕事・創作とパンパンで生きてる日常と、これまで2度の『売り言葉』の公演の智恵子と女中を経て・・・・今の私の“今の女中”にたどり着きそうです。 前回観た方も、はじめての方もぜひ、ご期待ください!
[澤井里依扱い 予約フォーム]
《ソトワコラム���外輪能隆
演出を担当していた「きのくにプロジェクト」で、武庫川KCスタジオでの上演が中止になったのが昨年8月。そして捲土重来(?) 劇場の大きさに合わせて二人芝居、ホンはもうまちがいのない『売り言葉』でのぞみます
十代から死ぬまでの数十年を、舞台というリアル3D空間でどう描くのか。最近は映像を使って当時を再現させることも可能になりました。しかし零細劇団であるEVKKではなかなか難しく(例のごとく)ご都合主義的演出で解決を試みます。
時間というのは客観的な指標ですが、主観的にも流れますよね。楽しい時間は短く感じる、というアレです。歳をとると一年が早くなるという実感があります。つまり、時間は人間がコントロールしているものでありながら正確である、ある人にとってはあっという間に過ぎた楽しかった1年と、苦しくてしょうがなく永遠とも感じられた1年は、正確に同期されるのです
この作品では、智恵子の希望にあふれた十代から、絶望のなかで死んでいくまでが描かれますが、その時間の流は智恵子によって早まったり遅くなったり、あるときは大きなうねりとなり、はたまたか細くなったりします。一方で、外から見ている女中は正確に刻んでいるようにみえ、それがある1点で同期します。この同期した1点から、物語がどのように流れていくのか――それがこの演劇の醍醐味でしょう
この「時間の流れ」を今回の会場である武庫川KCスタジオの特徴を生かした、ある���組みで表現しようと考えています。何といっても零細劇団ですので、何ら大がかりなものでありません。ご覧になって「なんじゃそれ」と思われるやもしれず、では先に言っておけばそう見えるようになるやもしれず、この場で言っておこうと思いました
そんなリクツはともかく、この売り言葉、EVKKの作品の中でうちのオカンが「面白かった」とのたもうた唯一の作品ですので、老若男女問わず楽しんでいただけるとおもいます。ぜひご覧ください
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たくさん書いていただきましたので、公演案内が最後になってしまいました。
EVKK 6月公演『売り言葉』
作 野田秀樹 演出 外輪能隆
日程 6/16(金)~6/18(日) 会場 武庫川KCスタジオ
詳しくはこちらをごらんください
http://www.evkk.net
魅力的な役者さんがいっぱいです。ぜひご覧ください
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心の旅~その48
大人になっていろんな経験をした上で、心が通い合う友人に出逢えることは本当に貴重でありがたいものだと感じる今日この頃。そんな友人たちと「大人の遠足」を企画しました。
行った先は二本松。駅前には高村智恵子の銅像があります。タイトルは「ほんとの空」。
高村光太郎の「智恵子抄」に「あどけない話」という詩があって「智恵子は東京に空が無いという ほんとの空が見たいという」と始まり「阿多多羅山の山の上に 毎日出ている空が 智恵子のほんとの空だという あどけない空の話である」で終わります。その「ほんとの空」が見えるのが智恵子が生まれたこの二本松。
遠足の目的は「高村智恵子 生誕祭」を見に行くことでした。
智恵子さんの実家が特別に公開されていて、そのお家でチラシにあるように上川崎和紙でうちわを作ることもできました。
とっても優しいおじさまが、丁寧に指導してくださいました。見えるかしら?「智恵子抄」の「レモン哀歌」にちなんで、レモンの柄なんです。
こんな風情のあるうちわ、欲しいと思ってもなかなかないと思いませんか?しかも、この体験、材料費も何もかも無料だったんです。ありがたい!
智恵子さんの実家から移動し、「ほんとの空」があるという「阿多多羅山(安達太良山)」を探しています。
ああ、あれが・・・
「智恵子抄」の中の「樹下の二人」という詩は「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」で始まります。
ここは智恵子さんの想いがいたるところで感じられる、本当に素晴らしいところでした。みんな二本松が大好きになりました。
「智恵子記念館」で見た智恵子さんの「紙絵」には心揺さぶられ、「見ることができて良かったね、圧倒されるね」と語り合いました。
幼いころから達筆だったという智恵子さんの筆でしたためられた手紙も本当に素晴らしくて、しばしその前で立ち尽くしてしまいました。
生涯自分らしく生きたとい願い戦い続けた一人の女性の生涯、愛、芸術を十二分に味わうことができる「遠足」となりました。
合間の尽きないおしゃべりもそれはそれは楽しくて、「またぜひ遠足を!」と心に誓っています。今度はどこに行きましょうか・・・考える時間も幸せです。
今回は福島に住む一人が、車で二本松駅まで迎えに来てくれて、ランチの店や素晴らしいカフェも案内してくれました。その様子はまた別の機会に・・・
「大人の遠足」おすすめです!
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2023-04-30 “With a crunch you bit into the lemon that you took from my hand with your beautiful teeth” Tereblog #50 [ENG]
(TL Note: this is a line from Lemon Elegy レモン哀歌)
Good Morning it’s Teresa. Thank you for opening my blog this morning (^^)❕
This isn’t a lemon it’s a sumo mandarin
Today starting shortly will be the online meet and greet which means like usually before a meet and greet I read Letters and do some Q&As (`・ω・´)❕
Some food that I saw ⤵
Minced pork rice (school cafeteria)
Katsu sandwich with the inside being pink
Kaarage Chinese style fried rice
Monja
Pickled salmon bento (ekiben)
Tamagoyaki
Western curry set from the Meji era
Protein Yogurt
✉️I saw this emoji but what is it?
🥮🥮🥮
They’re mooncakes lol who would use this lol
(Letter name: Pyonkichi)
🕊I’ve never eaten mooncake before… Next time lets eat the together
✉️Tere-pan is so cute in Out of the Blue! Everything down to the choreography is too adorable, I only have eyes for you!!! Especially “Masaka masaka no kyuutenkai” where you looked like a shinning supernova of an idol!!!
(Letter name: Papirusu)
🕊Out of the blue, when it was announced that we would be performing it I messaged Seira-san o(>∀<)o✨ The ‘Masaka masaka’ part honestly has this three-dimensional movement and it’s really difficult… however, seeing Seira in the model video helped me do my best, I’m so glad that it turned out so adorable (tears)
✉️Thank you for the short video for the 5th generation’s ‘Kokoro ni mo nai koto” on the Official Nogizaka YouTube. That’s why I want you to continue to look after Nagi!!
(Letter name: Tokumei Kibou no Nagi Oshi)
🕊If you’re talking about Nagi she’s sleeping right next to me 😪😴💤
TereNagi
✉️Tere-sama, are you the kind of person that prepares for things the day before?
(Letter name: Yashoku pan)
🕊 Non… I’m the kind of person that gets up early the day of, I’m often in a panic ((>_< ;))
✉️Tere-pan, do you want to be a fluffy crab plushie?
(Letter name: Marshmallow)
🕊 I do 🦀
✉️ Today (2023/04/25) I really loved the seaside shot that you had in this blog, that’s all I wanted to say.
Good night
(Letter name: Taiheiyou)
🕊I’m so glad, as a thank you, here’s some pictures of cakes to invoke the same aura (´・ω・)つ
Good night
✉️Congratulations on reaching 160cm! In this range, each cm is precious 😄 I’m roughly about 171.5 cm which is just perfect isn’t it? In what way? Well 😄
(Letter name: Kuupii sankaku cooking)
🕊Apparently the good high difference for a kiss is 12 cm, I guess you’ll have to work hard to get that extra 0.5cm (〃ω〃)
✉️🍖← This is a ham emoji isn’t it? Lol
(Letter name: Otsukarenkon salad)
🕊NANI! I thought it was anime meat… 🥓🥩🍗🍖
✉️ April 29th was Tere-pan’s First blog anniversary! Can I have a prize for commenting on each blog 🐼💚🤍
(Letter name: mumu)
🕊 Aaa..amazing ( ;-`д´-) I of course read every blog comment!
✉️ I went to di Under Live. This girl called Ikeda Teresa stood out the most.
(Letter name: Suha suha)
🕊 You’re making me Tere-shy by saying that (*´-`*)
I’m going to end the Q&A here for today
I bought new clothes!
Please look after me today, I’ll be waiting for you ^ ^
#Tereblog #50 (Teresa GO!)
https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/101436?ima=1113&cd=MEMBER
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僕が声と音だけで作品を作る、らせんの王国の三作品目が、よこしまブロッコリーのYouTubeチャンネルで公開されています。 らせんの王国 作品No.3『追憶のあなた』(高村光太郎「レモン哀歌」より) 約2分 https://youtu.be/x-MAzP5TdFg 題材は、高村光太郎「レモン哀歌」。作者が最愛の人との別れの時をうたった詩です。らせんの王国として作品を作るときは、どんな心情や状況からこの言葉が生まれたのだろう、いつもそう考えるところから始めます。 そうするとやっぱり、僕自身はどうなんだろう、という問いが浮かんできます。僕も家族や大切な人との永遠の別れをいくつも経験しています。突然の別れもあれば、感謝の気持ちで送りだすこともあリ、同じ別れはありません。でも、一つだけ共通していたのは、その人と時間を積み重ねてきた中で、感じたこと、思ったこと、触れた感触や空気の匂い、たくさんのことが心に浮かんでくることです。 どこまでいっても僕なりの解釈ですが、この詩をうたう時に、最愛の人と積み重さねたあらゆることが心を巡ったのではないかと想像しています。そして、この詩を聴いて浮かぶ景色や感情は、いつも以上に人それぞれではとも思っています。 2分ほどの短い作品です。ぜひお聴きください。 #らせんの王国 #詩 #朗読 #リーディング #高村光太郎 #智恵子抄 #レモン哀歌 https://www.instagram.com/p/CWh71AsrVkx/?utm_medium=tumblr
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レモン哀歌 #レモン哀歌 #高村光太郎 #智恵子抄 #タイポグラフィ #デザイン https://www.instagram.com/p/CPXETV6LvKK/?utm_medium=tumblr
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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。⛩ 🎍品川神社に初詣に行ってきました。帰りに高村智恵子記念碑・レモン哀歌の碑によってきました。レモンがお供えしてありました🍋 #品川神社 #レモン哀歌の碑 (品川神社) https://www.instagram.com/p/B6wXZ7jAL_4/?igshid=dadstm4fj7hx
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ELEGÍA DEL LIMÓN
Habías esperado tanto el limón. En el triste, blanco, claro lecho de muerte tomaste el limón de mi mano e hincaste en él tus dientes puros. Se alzó una fragancia de topacio. Aquellas celestes gotas de jugo te retrajeron un instante a la cordura. Tus ojos, azules y diáfanos, sonrieron vagamente. Agarraste mi mano con el vigor de la salud. Una tormenta se desató en tu garganta, pero justo al final Chieko encontró de nuevo a Chieko, todo el amor a la vida incidiendo en un instante. Poco después, como otrora en la cima, aspiraste hondo, y la máquina del organismo se detuvo. Junto a las flores de cerezo, ante tu fotografía, un limón luciendo fresco pongo hoy también.
Takamura Kōtarō
*
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白くあかるい死の床で わたしの手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱつとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ わたしの手を握るあなたの力の健康さよ あなたの咽喉に嵐はあるが かういふ命の瀬戸ぎはに 智恵子はもとの智恵子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた それからひと時 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まつた 写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光るレモンを今日も置かう
#Takamura Kōtarō#高村光太郎#literatura japonesa#poesía contemporánea#Chieko#elegía#limón#muerte#memoria#traducción©ochoislas
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空みたい海みたい
陰日向の多肉植物の葉が茶けてぶよぶよに腐っているのを見たとき、ああこれでやっと自分の中に衣吹くんと別れる明確な理由を見つけられたと思った。
「水を遣るのは月に一、二回でいいの。それ以上では腐ってしまうから」
何度説明しても、衣吹くんはそれに対して「なんか可哀想な気がする」との言葉を返した。あのね、衣吹くん。衣吹くんのそのピントのずれた愛情こそが、この植物を水中毒で殺しちゃった要因なんだよ。そうやってはっきりと言ってやったなら、彼は一体どれぐらい盛大に顔をしかめて、どれぐらい私への言い訳を重ねるのだろう。
結局私は衣吹くんのそういう言い訳がましいところをどうしても好きになれなくて、きっと衣吹くんだって私のこういう言葉尻の冷たいところをどうしても好きになれなかったのだと思う。大学のサークル内で知り合い、就職を機に一緒に暮らし始めて一年と六ヶ月。好きな音楽も、好みのファッションも、味覚も性格も笑うポイントも、何もかもが相容れない私たちの唯一の共通点は「異常なほどに青色が好き」ただその一点で、本当に、それだけを理由として恋愛関係を貫いてきた私たちはよくここまで続いたものだと自分でも感心してしまう。
晩御飯を食べながら同棲の解消を申し出たとき、衣吹くんは間の抜けた声を上げて驚いていた。けれどそれもわ��かな時間だけのことで、しばらくすると彼は、
「あー……、となると俺も引っ越さなきゃだ。ふたりだからここの家賃も払えていたわけだし、ひとりになるならこの広さは要らないもんなあ」
そうして食べ終わった食器をシンクに置き去りに、通帳を見ながらかったるそうに電卓を弾き出す。ずっと前から私の心持ちがそうであったように、衣吹くんの中でも私はとっくの昔にただの“同居人”へと成り下がっていたのだろう。友人などの部外者からどう見えていたのかは知らないけれど、少なくとも私たちの認識が共通して「愛しの恋人」などという甘ったるいものであった時期なんて暮らし始めてから最初の数ヵ月そこらが精々だったはずで、それに関して私自身「私たちなんてそんなものだろうな」としか思えない。それでもこの事実はどうしても私の心にある何らかのしこりの輪郭を明らかにする。
衣吹くんがブツブツ数字と格闘する声を背に、私はふたり分の食器を洗う。冷しゃぶを載せていた、掌を広げたよりも大きな紺色の平皿。モヤシと韮のナムルは空色の小皿に、取り皿に使ったコバルトブルーの豆皿は駅前の雑貨店で四枚ずつ買ったものだ。衣吹くん用のお茶碗はネイビーブルー、私のお茶碗は茄子紺。ふたつ揃いのマグカップはそれぞれ浅葱色と白群、お互い気分によって好きなほうを選んでいた。
家にある全ての食器が青いだなんて、この街じゃきっと私たちだけだよね、と顔を見合わせて笑った一年六ヶ月前の私たちが今の私たちを見たら、一体どんな顔をするのだろう。訳もなくスポンジを繰り返し握り締める。肌理の粗い泡が立つ。
「なあー、未波はいつごろ出て行きたいとかあるの? 特にないんだったらさ、悪いんだけど二ヶ月ぐらい待ってもらえない? せっかくならじっくり家探ししたいけど、俺いま仕事死ぬほど立て込んでてしばらく内見だ荷造りだってできそうにないんだよな。となるとまあ先延ばしにはなっちゃうけど、お互い三月の引っ越しシーズン辺りに新居探しに行ったほうがむしろ得な気がするんだよね。そっちのほうが絶対、いま慌てて決めるよりいい部屋見つけられるだろうし。あ、それとも未波は実家戻る予定だとか?」
蛇口をひねる。スポンジごと右手を水道にかざす。白い泡が排水溝へと吸い込まれていく。
「……んーん、私もまたひとり暮らしする予定。確かに三月くらいのほうが空き部屋の数も多いだろうし、そっちのがいいかもね。じゃ、お互い目標はその辺りってことで��
衣吹くんとの生活もあと二ヶ月だけなのだと思うと、自然と嫌味は出てこなかった。
最後ぐらいは常に笑顔で、冷たい言葉を慎んでいよう。たとえ、衣吹くんがどれほどの言い訳を重ねたとしても。
そこからの二ヶ月間を衣吹くんがどう感じていたのか私にはこれっぽっちもわからないけれど、少なくとも私にとってこの二ヶ月は彼と同棲した一年八ヶ月で最も幸福な時間だったと言い切ることができた。当たり前のことだ、私たちはもう二ヵ月前に恋人としての生活を暗黙の了解として終えていて、それ以降私たちはお互いをただのルームメイトとして扱うことに徹したのだから。
私は衣吹くんの後に入る湯船に髪の毛が浮かんでいても苛立ちを覚えなくなっていたし、お茶を飲んだだけのコップをシンクに放置されても「だらしないな」と思っただけで済んだし、何となく流しただけの映画に手を繋ぐシーンが出てきても、キスシーンが出てきても、それ以上のシーンが出てきても、私たちには自らにそういったノルマを課す必要がなかった。おそらくは衣吹くんも、私が食器棚の扉を半開きにしたままなのを見ても苛立たなかっただろうし、私が出しっ放しにしたままの基礎化粧品を見ても何とも思わなかっただろうし、風呂上がりの私が薄着でくつろいでいても、この二ヶ月ただの一度も抱き着こうとはしなかった。恋人であることを辞め、同居するだけの他人として一定の線引きができるようになった私たちは、誰が見ても適切な形でお互いを尊重し、そうしてお互いに干渉することへの興味の一切を失った。
そもそも私たちは恋人になんてなるべきじゃなかったのだと思う。
同じ大学の、好きな色が一緒で、何となく話しやすい異性の友達として、だらだらと時間を無駄にして馬鹿みたいに楽しいことだけを共有しておけばよかったのだと思う。他の友人を介し、たまに飲みに行って、お互いを異性として意識することもなく、だから恋仲になることもなく、そうしているうちにどこかで飽きがきて、少しずつ疎遠になっていけばよかったのだと思う。
そうしたらきっと、きっと私たちはこんなふうにお互いを「もうどうでもいい人だしな」なんて諦めずに済んだはずなのだと思う。
こんなにも悲しい気持ちを、こんなにも淡白な状態で知ることなんてなかったはずなのだと思う。
三月。上旬に衣吹くんが駅から少し遠い川沿いのアパートを、中旬には私も地元密着型のスーパーからほど近いアパートを契約し、四月の第一週にお互いこの部屋を出ていくことになった。
私が新しく暮らすアパートから駅へ向かう途中にも幅の狭い川があって、内見に向かう道中にはその川の両脇に咲く桜の花を眺めた。不動産屋と「綺麗ですねえ」「そうですねえ」なんてありふれた言葉の応酬をしていると、道路の向こうから散歩中の園児がカートに載せられこちらへ近づいてくるのが見えた。子どもたちは口々に「きれいだねー」「かわいいねー」「ピンクだねー」と笑っている。不意に利発そうな男の子が、
「おいしそうだねー」
とおかしなことを口走って、カートを曳いていた保育士が、
「食べられないねー」
慣れた様子で彼を窘めていた。盗み聞きなんて趣味が悪いとはわかりつつ、思わず吹き出してしまうと、彼らの会話を聞いていなかったのだろう不動産屋が不思議そうな顔で私を見る。いえ、すみません、何でもないんです、などと適当に誤魔化して、私は再び内見先へと歩を進めた。不動産屋が辺りの特徴をぽつぽつ挙げていくのを話半分で聞きながら、たぶんこの場に衣吹くんがいたなら不動産屋と同じ反応をしただろうな、とそんなことを考えた。衣吹くんが契約した川沿いのアパートの近くにも桜の木はあるのだろうか。特に理由はないけれど、ないといいな、と思う。
三月も下旬辺りになると、部屋中が茶色いダンボールまみれになっていた。衣吹くんが依頼した引っ越し業者のダンボールに描かれた鳩と私は数分おきに目が合い、私が依頼した引っ越し業者のダンボールに描かれたパンダは衣吹くんから「笑いかたが気味悪いんだよな」と何度も罵られていた。家財はそれぞれ等分ぐらいの金額になるよう譲り合い、お互いこれから始まるひとり暮らしには邪魔になりそうなソファーやダブルベッドは専門の業者に引き取ってもらう方向で話しがついた。多額の処分料がかかるかと心配したが、むしろふたりで割ってもその日の夕飯には充分すぎるお金で買い取ってくれるという。有り難いことだ。
四月の第一週、金曜日。私たちがこの部屋で共に過ごす最後の日だった。明日の午前に私はこの部屋を発ち、明後日の昼過ぎには衣吹くんもそうなる。数日前までは、最後の晩餐ぐらいパーッと外食でもしようかと話していたのだけれど、どうしても冷凍食品を食べ切れないまま今日まできてしまい、捨てるのも勿体ないからと結局こうしてふたり青色ばかりの皿をダンボールの上に並べ、無駄に品数の多い冷食だらけのディナーを囲んでいる。お湯で温めただけ、チンしただけ、自然解凍しただけの夕食も、いつもの青い皿に載せてしまえば普段通りの食事と同じ顔をして私たちに食べられるのを待っていた。どちらからともなく戴きますと手を合わせ、そっと箸をつける。肉厚なハンバーグからは肉汁がジュワッと溢れ出し、大口で頬張ると蕩けたモッツァレラチーズが上顎へ直に触れ思わず「あち」と慌ててしまう。
「なあ未波。俺、前から思ってたんだけどさ……」
ハンバーグを咀嚼した衣吹くんが、軽く俯いたまま私に話しかける。なに、と返事をするよりも早く彼は、
「青い皿って、なんとなくまずそうに見えるよな。飯が」
俺、ずっと嫌だったんだ。そうにへら顔で笑った。
「……何それ。いまさら言う?」
衣吹くんの言葉を受け、この二ヶ月間ずっとこらえてきたような冷たい言葉を返しながらも、思わず吹き出してしまう。だって、全く同じことを私もこの一年八ヶ月の間彼に言えずにいたのから。
ふたりとも、青が大好き。それだけの理由で親しくなった私たちは、この部屋に入れるものはできるだけ青で揃えてきた。カーテンも、��ーペットも、ベッドシーツも布団カバーも枕カバーも、デニムなんて黒や白がほしくとも無理に青を選んでは、衣吹くんに見せて「似合うね」「そうでしょう?」と笑い合ってきたのだ。同棲を初めてふた月ほど経ち、見事青にまみれたこの部屋を衣吹くんは「空みたい」と言い、私は「海みたい」と言った。衣吹くんがそれに気づいていたかはわからないが、私の発した、海みたい、には軽い侮蔑の気持ちが込められていた。
「青色、確かに好きなんだけどさ、なんつーか……、俺、正直にいうとここまでじゃないんだよな」
「ああもう何それ、私だってそうだよ。最初に言ってよ。私なんてもう青い服だらけなんだよ。ほんとは赤とかピンクとか黒とかも着たかったよ」
「俺だって青いデニムのコートなんか買いたくなかったよ。本当はあれブラックのほう狙ってたんだからね。未波と買いに行ったから青にしたけどさ、ひとりで行ってたら確実に黒を買った」
「私、衣吹くんにずっと内緒にしてたけど、ブルーハワイのシロップ苦手なんだよね。一番好きなのはレモン。次がいちごで、その次はメロン」
「青じゃねえじゃん」
「そう、青じゃないんだよ」
お互いくつくつと小刻みに肩を揺らして笑う。先ほどまでは湯気の立っていたハンバーグがどんどんと冷めていく。それでも私たちはこれまでの隠し事や嘘を一つずつ、まるでパレットの青絵具を薄めるようにしながら丁寧に暴いていった。
「衣吹くん、青が好きだからメロンソーダが好きって言ってたじゃん。あれ初めて聞いたとき私『いやそれ緑じゃない?』って思ったんだよね」
「あああれね、俺も言いながら心の中でしくじったなーって思ってたわ。だってメロンソーダなんて好きじゃねえもん。あの頃まだ付き合ってなかったから。未波の気を惹きたかったんだよな。音楽家も作家も俳優も、未波、何一つ俺の“好き”と被ってなかったからさ、このままだとやべえ、何かこじつけなきゃって焦ってさ」
「ね、ほんとに私たちって趣味合わなかったよね。それこそ付き合う前、衣吹くんから『青色が好きなら、ブルー・マンデー・ムーンとか聴いてる?』って訊かれたとき、私それが曲名なのかバンド名なのかもわかんなかったんだから」
「俺、あのバンドは青とか関係なく好きだからね?」
「私はピンとこないんだよね。歌詞とかもう訳わかんないよ、いちいち回りくどいし」
「だー、そこがいいんだよ」
ダンボールの上に並ぶいくつもの青い皿を境として、私たちはどこまでもクリアに、親し気に話を続けていた。何一つ勘ぐることなく、気遣うことなく、気後れすることだってなかった。きっと私たちは青色になんか頼らずに、最初から、こんなふうに軽口を叩いておきさえすればもっと近しい距離で互いを認め合えていたのかもしれない。私たちはずっと馬鹿の一つ覚えみたいに青いものだけを揃え続けるばかりで、ずれたピントを直そうともしなかった。
明日の午前、この青まみれの食器を一枚残らず置き去りに、私はこの部屋を出ていく。ふたりで過ごす最後の夜を、私たちは��快に罵りながら笑い合って過ごしている。窓際に吊るされたままの青いカーテンが、空みたいな、海みたいな顔で私たちを窓の外の濃紺から区切っている。
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今日から #11月 。 #hellonovember #誕生石 の #トパーズ です。 トパーズといえば、 #高村光太郎 さんの #智恵子抄 の #レモン哀歌 。 あのトパーズはレモン色でした。 青いトパーズは、無色のものに放射線照射したものが多いです。 天然のものは少なく色も薄いらしいのですが、見たことがない(笑) 黄色の #宝石 を描くときは、真っ白なハイライトと焦げ茶系のシャドウが大切。 白のハイライトと黄色は差が少ないのですがキラキラには欠かせません。 #art #topaz #november #fabercastell #polychromos #gemstone #色鉛筆 #ファーバーカステル #ポリクロモス #birthstone #beltadesign #ベルタデザイン #1日1絵 #イラストグラム #絵を描く暮らし https://www.instagram.com/p/CVugFq-Jsom/?utm_medium=tumblr
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過去の産物
PCで仕事していると文字が書きたくなるんです。それで少し前に筆写したものを掘り起こしてみました。怒られるのが嫌なので、基本は著作権切れた作品で書くようにしてます。
『春と修羅』宮沢賢治
『告白』アウグスティヌス
『夢と現』金子みすゞ
『智恵子抄』より『レモン哀歌』高村光太郎
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440(four forty) 20th & にじのほし 10th Anniversary 5days
<DAY 1> 7月11日(月) 灰野敬二 × 嶺川貴子
open 18:30 / start 19:00
ADV.¥4,000 / DOOR ¥4,500
灰野敬二
1952年5月3日千葉県生まれ。アントナン・アルトーに触発され演劇を志すが、ザ・ドアーズに遭遇し音楽に転向。ブラインド・レモン・ジェファーソンをはじめとする初期ブルースのほか、ヨーロッパ中世音楽から内外の歌謡曲まで幅広い音楽を検証し吸収。1970年、エドガー・アラン・ポーの詩から名を取ったグループ「ロスト・アラーフ」にヴォーカリストとして加入。また、ソロで自宅録音による音源制作を開始、ギター、パーカッションを独習する。1978年にロックバンド「不失者」を結成。1983年から87年にかけて療養のため活動休止。1988年に復帰して以来、ソロのほか不失者、滲有無、哀秘謡、Vajra、サンヘドリン、静寂、なぞらない、The Hardy Rocksなどのグループ、experimental mixture名義でのDJ、他ジャンルとのコラボレーションなど多様な形態で国際的に活動を展開。ギター、パーカッション、ハーディ・ガーディ、各種管弦楽器、各地の民間楽器、DJ機器などの性能を独自の演奏技術で極限まで引き出しパフォーマンスを行なう。200点を超える音源を発表し、確認されただけでも1,800回以上のライブ・パフォーマンスを行なっている。
嶺川貴子
1990年頃より歌うことを始める。様々な表現者とのコラボレーション/音楽制作を経て、今に至る。
2000年以降のソロ活動として、Sound Live Tokyo 2013『BOOMBOX-MELLOTRON PROJECT』でのラジカセメロトロンのパフォーマンス、
Sound Live Tokyo 2015『東京都初耳区』のマルチチャンネルによるサウンドインスタレーション、Rosasのダンサー池田扶美代によるワークショップ&ショーケース『Powewrlessness』(2017) への参加など。2019年1月、画家の松井一平氏との絵画と自身の音による作品 ‘Untitled’ を発表。
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