#リュック・フェラーリ
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2/10. 11(月&火祝)『空間を聴く・描く・編む~リュック・フェラーリ没後20年アクースモニウム・コンサート~』@絵空箱
リュック・フェラーリ没後20年を記念した電子音楽コンサートです。江戸川橋の絵空箱というスペースにアクースモニウムを立てて、めくるめくヘールシュピール(ラジオドラマ)の世界をじっくりお楽しみいただく、主催・佐藤亜矢子氏渾身の企画。私は60分の大作「Les Anecdotiques」の演奏を中心に参加しますが、実はこの企画のキモは2日ともブリュンヒルド・フェラーリの作品を取り上げることにあると思っています。フェラーリの作曲家としての生涯にブリュンヒルドが具体的にどう関わっていたかは、あまり知られていないんじゃないでしょうか。そして彼が亡くなってからのここ20年の彼女のアーティストとしての活動からフェラーリを読み直すということも実はほとんどされていない。彼がどういった視点でどう音を選んだかは彼一人の仕事を見ているだけではまったく不十分だったというのが8年前に書いた論文の反省としてあります。今回の演奏にはそんなところも含めてアップデートできればと思っております。「Anecdo…」を演奏するのは11日のほうですが、10日は椎名亮輔先生とクリストフ・シャルル先生を迎えたアフタートークもあるので、そちらもおすすめです!
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「日々のすべて」
と、バスの中ですぐ前に立っていた女の人のトートバッグにフランス語で書いてありました。
iPhone、iMac、Google、YouTube、Safari、SoundCloud、Amazon、Wikipedia、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ウェンディーズ、デニーズ、ローソン、コカコーラ、スプライト、ジンジャーエール、ウィルキンソン、伊勢丹、西武百貨店、キヨスク、エキュート、成城石井、コンランショップ、ハイネケン、バドワイザー、ギネス、ヒューガルデン、レーヴェンブロイ、ピルスナーウルケル、バランタイン、シーバスリーガル、ジャックダニエル、ジョニーウォーカー、フォアローゼス、ココ・シャネル、ディオール、イヴ・サン・ローラン、ポール・ボキューズ、ピエール・エルメ、ピエール・マルコリーニ、蓬莱551、サーティワンアイスクリーム、オーバカナル、ロイヤルホスト、ジョリーパスタ、マルボロ、ハイライト、ピース、フランク・ロイド・ライト、アルネ・ヤコブセン、フリッツ・ハンセン、バウハウス、パウル・クレー、モンドリアン、ヨハネス・イッテン、ジョゼフ・アルバース、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、フラ・アンジェリコ、アンリ・マティス、ドナルド・ジャッド、フェリックス・ゴンザレス・トレスのポスター、ヤマハ、ニーナ・シモン、ボブ・ディラン、ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、アニマルズ、ドアーズ、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス、ローリング・ストーンズ、フランク・シナトラ、ベートーヴェン、モーツァルト、J・S・バッハ、ブラームス、シューベルト、シューマン、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ヤリス・クセナキス、グレン・グールド、フルトヴェングラー、カラヤン、ルービンシュタイン、ルドルフ・ゼルキン、カール・リヒター、マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、チェット・ベイカー、ルイ・アームストロング、ナット・キング・コール、グレートフル・デッド、ローランド・カーク、アントニオ・カルロス・ジョビン、スターバックス・コーヒー、ジャン・リュック・ゴダール、ジャン・ポール・デズモンド、アンナ・カリーナ、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコック、スタンリー・キューブリック、スティーブン・スピルバーグ、テオ・アンゲロプロス、ロベール・ブレッソン、フリッツ・ラング、フェデリコ・フェリーニ、アッバス・キアロスタミ、アンドレイ・タルコフスキー、メルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン、アウディ、BMW、フィアット、ランボルギーニ、ランチア、フェラーリ、フロイト、ユング、ハリー・スタック・サリヴァン、アンリ・エランベルジェ、カール・ロジャーズ、ロールシャッハ、マーガレット、オルレア、ニサアカシヤ(フリーシア)の花びらが舞って、菩提樹、柳、カワラハンノキ、トネリコ、プラタナス、睡蓮、石蕗、楓、桂、栃、露草、かえる、あめんぼ、蜜蜂、ひばり、つばめ、虻、木蓮、譲葉、オオヤマレンゲ、アイリス、ポピー、蒲公英、ミモザ、矢車草、芍薬、薔薇、ピエール・ド・ロンサール、紫陽花、クレマチス、芝生、エリゲロン、野葡萄、野いちご、えんどう豆、オリーヴ、クローバー、ステークフリット、キッシュ、ハムチーズサンド、ベーコンエッグ、オムレツ、オニオングラタンスープ、鴨のコンフィ、サーモンマリネ、レバーパテ、生ハム、フォアグラのテリーヌ、ムール貝の白ワイン蒸し、エスカルゴ、シーザーサラダ、舌平目のムニエル、仔���のロースト、ペペロンチーノ、カルボナーラ、ボンゴレ・ビアンコ、ペスカトーレ、イタリアンワイン、エスプレッソ、カフェオレ、クレームダンジェ、フルーツサラダ、ムースオショコラ、シャーベット、プラトン、ソフォクレス、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウス、新約聖書、パスカル、カント、トルストイ、ドストエフスキー、ニーチェ、アルチュール・ランボー、アルベール・カミュ、ミラン・クンデラ、ガブリエル=ガルシア・マルケス、ブローティガン、サリンジャー、カート・ヴォネガット
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【お知らせ】フランス現代音楽の偉才、リュック・フェラーリさん(Luc Ferrari)の誕生90周年を記念してイラストを描かせていただきました!来月(2/7~)よりロンドンのCafe OTOにてリュックさん生誕(超豪華)イベントが催されますので近くにお住いの方は是非! . なんとこちらのイラスト。リュックさんの奥様でもあるブリュンヒルドさん(Brunhild Ferrari)よりお墨付をいただくことができました。とても名誉なことであります✨✨😭今回、制作に協力してくださいましたプレスク・リヤン協会の村上さん。岡本さん。本当にありがとうございました! . >> http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2019/01/22/213129 >> https://www.cafeoto.co.uk/events/stereo-spasms-festival/
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4’33”の再演
2018/05/16(Wed.)
場所:京都精華大学 友愛館
学内でサウンドアートや実験音楽を学ぶ自主的なワークショップ「SOUNDやろうぜ」を開催しており、今日はジョン・ケージの4’33”の再演と勉強会を行いました。ワークショップでは、はじめに学部内にグランドピアノのある録音スタジオ「Magi Sound Studio」で実演しました。
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演奏を終えて、学生からは、予想以上に沈黙の質が高かった(周囲の雑音が少なかった)。キーンという高音が聴こえた。途中で笑いそうになった。寝そうになった。などの感想が聞けました。今回はレコーディングスタジオでの演奏だったので、部屋の外からの音はほとんど聴こえず、自分の神経や耳の穴のキーンという高音が聴こえたのでしょう。この経験から「無音という状態はなく、沈黙(サイレンス)がある」というケージの気づきを体験できました。 また演奏者側の僕も途中で笑いそうになってしまい、笑いをこらえることと、音を出さないことに集中する必要があったので大変緊張しました。グランドピアノや演奏会という形式がもたらす権威性が、良い緊張感を生み出したように思います。 4’33"は3部構成に分かれており、これはピアノソナタの伝統的な形式に則ったものだと言われています。こうした4分33秒という「時間の枠組み」や、ピアノやソナタといった音楽における「伝統の枠組み」を設定した点に、ケージの作家性があるように感じました。
生演奏後は録音された4’33”や、続編にあたる0’00”などを聴き比べました。特に録音された4’33”では、スピーカーから鳴るピアノの蓋の音に耳がフォーカスされ、ケージが意図した作品の効果とは違ったものになりました。一方で、すでに記録された4’33”であるにも関わらず、周囲の環境音を聞くことができれば、それは毎回異なる体験ができるレコード音楽と呼べるかもしれません。この気づきから、レコードは必ずしも反復的に「同じ」体験をさせるものではなく、どんなレコード音楽も聴く状況によって毎回異なる意味を持つから、反復的に「異なる」体験を生じさせるものなんだと気付きました。
今回のワークショプでは、特別新しい気づきを思いつくことよりも、文献などで「知ってるつもりになっていたこと」を体感することに意味があるのかもしれません。これからも教科書では知っていても、自分の体で感じて理解する体験を学生たちに提供できればと思います。
参考文献
「4分33秒」論ー「音楽」とは何か、(2014)、佐々木敦、ele-king books http://amzn.asia/2TXAX29
参考作品
「0分00秒」ジョン・ケージ https://youtu.be/6I1gfOlNNo4
「波長」マイケル・スノウ https://youtu.be/aBOzOVLxbCE
「ほとんど何もない」リュック・フェラーリ https://youtu.be/z2aWEM1nnNg
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主な作品[編集] 作品についてはリュック・フェラーリの楽曲一覧をご覧ください。 器楽作品[編集] 組曲、ピアノのための(1952) アンチソナタ、ピアノのための(1953) ソナチネ・エリブ、ピアノのための(1953 - 1954) 四重奏曲(1953 - 1954) 八つの小さな顔(1955) 未完成交響曲、大オーケストラのための(1963 - 1966) 快楽と悲嘆の物語(1979 - 1981) 愛の回転の中で(1986) 辞任と灰皿の物語(1994) 電子音響作品[編集] トートロゴス1(1961) 即興ーマイクー音響(概念の開拓6)(2001) サリスベリー・カクテル(2002) テープ・ミュージック[編集] 異型接合体(1963 - 1964) ほとんど何もない第一あるいは海岸の夜明け(1967 - 1970) インスタレーション[編集] 音楽散歩(1964 - 1969) 暴力の迷宮(1975) 思い出の循環(1995 - 2000) シアター・ピース[編集] ソシエテ1(1965) 小品コレクション、あるいは36の続き、ピアノとレコーダーのための(1985) 夜の手帳(1991 - 1992) ラジオ・ドラマ(ヘールシュピール)[編集] 不気味に美しい(1971) いま(1981 - 1982) ファーウエスト・ニュース(1998 - 1999) 映画作品(楽曲提供)[編集] シャステル(1962)監督:ロバート・ラプジャード エジプト、おおエジプト2(1962)監督:ジャック・ブリソ 小さな林檎の木(1980)監督:リリアーヌ・ド・ケルマデック クロノポリス(1982)監督:ピョートル・カムレー 映画作品(制作/監督)[編集] 巡礼者たち(1960) - ジャック・ブリソと共同監督 「テレビのための5つのドキュメンタリー」シリーズ(1965 - 1966)ジェラール・パトリスと共同制作 少女たちあるいはソシエテⅢ(1967)監督 ほとんど何もないあるいは生きる欲望(第一部:コース・メジャン、第二部:ラルザック高原)(1972 - 1973)監督 「リュック・フェラーリとほとんど何もない」(2003) - 出演(フェラーリについてのドキュメンタリー映画)、監督:ジャクリーヌ・コー 受賞歴[編集] ヴィザージュ4(1957 - 1958) - パリ・ビエンナーレ賞 肖像=戯れ(1971) - 1972年度カール・シュッケ賞 そしてもし今すべてが(1986 - 87) - 1987年度イタリア賞 私は道に迷った、あるいは肖像の迷宮(1987 - 88) - 1988年度カール・シュッケ賞 1989年度文化大臣芸術文芸大賞(それまでの音楽への功績に対して) 快楽と悲嘆の物語(1979 - 81) - 1990年度セルゲイ・クーセヴィッキー財団国際賞 盲人の階段(1991) - 1991年度イタリア賞(R.A.I.特別賞) 水から救われたアーカイヴ(2000) - 2005年度シャルル・クロ(ス)記念賞グランプリ 関連項目[編集] eRikm DJ Olive 大友良英 ジム・オルーク ミュージック・コンクレート ダニエル・コー
https://ja.wikipedia.org/wiki/リュック・フェラーリ#主な作品
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JSSA第43回研究会プログラム
JSSA第43回研究会プログラム
日時: 2020年12月6日(日) 13:00-15:20
昨今の再流行の情勢を踏まえ、JSSA運営委員会では安全を第一に考え、第43回研究会をオンラインで開催します。 オンライン開催の形式は、先の第41回研究会および第42回研究会と同形式で準備しております。 事前にJSSA会員の皆様および発表者の皆様に会議のURLを送付させていただきます。
JSSA第43回研究会 参加申込 (非会員用) - Application Form for the 43rd Regular Meeting of JSSA (for non-members)
プログラム
第1セッション 13:00~14:30 (1件質疑込み30分)
[創作ノート] リュック・フェラーリ《トートロゴス III》遠隔演奏の実践 佐藤亜矢子、渡邊愛(東京藝大)
[研究報告] 自動演奏音楽分類仮説の検証 安野太郎(東京藝大)
[研究報告] 日本の電子音響音楽アーカイブについて —— 日本電子音楽協会アーカイブ・プロジェクトの経過報告 水野みか子(名古屋市立大学)、三輪眞弘(IAMAS)、由雄正恒(昭和音楽大学)、渡邊愛(東京芸術大学)、鈴木悦久(名古屋学芸大学)、宮木朝子(尚美学園大学)、福島諭(作曲家)、古川聖(東京芸術大学)
第2セッション 14:45~15:20
懇談イベント ニューノーマルスタイルでの音楽イベントについて
懇談イベントでは、会員の皆様、または参加者のみなさまの、コンサート・イベント等の広報の時間を設けます。 もしフライヤーなどの資料等ありましたら、12/3(木)までに「懇談イベントでの広報希望」のタイトルで、 [email protected] に内容をお送りください。
[創作ノート] リュック・フェラーリ《トートロゴス III》遠隔演奏の実践
佐藤亜矢子、渡邊愛(東京藝大)
創作ノート
概要: リュック・フェラーリは、ミュジック・コンクレート作品《トートロゴス I》(1961) から、オーケストラとサンプラーのための《トートロゴスIV》(1997) まで、4作の《トートロゴス》を作曲した。トートロジーを語源とする題名の通り、反復を題材とした作品群である。3作目にあたる《トートロゴス III》(1969) では、複数の演奏者が任意の楽器やオブジェや身体を用いて、行為 Actionと沈黙 Silenceを繰り返す。ActionとSilenceの内容とその持続時間は演奏者自身で決定し、各々が一つのサイクルを形成する。共演者のActionとSilenceの内容や状況を意識することで、演奏者は自身のActionの内容を変容させていく。2020年8月から10月にかけて、筆者らを含む6名の演奏家が、この作品の演奏をインターネットを介して遠隔で実践した。日本とイタリアの各々の場所から演奏者が参加し、ウェブ会議ツールや遠隔演奏システムを用いてライヴ配信と収録版の配信を行った。通信状況による不具合が発生しながらも、オンライン空間で演奏の場を共有する新しい感覚と共に、シンプルな規則を持つこの作品の多彩な解釈を現出させる結果となった。
[研究報告] 自動演奏音楽分類仮説の検証
安野太郎(東京藝大)
研究報告
概要: 筆者は、2012年から「ゾンビ音楽」と自ら名付けた自動演奏音楽の活動を続けている。これは筆者が作曲した楽曲を自作の自動演奏機械によるリコーダーを演奏する音楽であり、その活動は自動演奏機械の制作とその為の音楽の作曲、それらの公演や展示による発表まで広範囲に及ぶ。筆者はゾンビ音楽を、自動演奏音楽の一種であると考え、これまでの自動演奏音楽史の��端に位置付けられると考える。現在の筆者の研究、つまり博士論文に向けた研究は、ゾンビ音楽が自動演奏音楽の歴史にどのように位置づけられるかを述べるために、自動演奏音楽を分類する仮説を示し、さらにその仮説を通して過去に実在した自動演奏音楽を比較検討し「ゾンビ音楽」の視座から自動演奏音楽の歴史を組み替えることだ。本論文の目的はその準備として「ゾンビ音楽」が一体何なのか、その制作の背景からこの機械による音楽が目指すもの、そして実際に実現したものをあらためて説明し、論点を整理することである。
[研究報告] 日本の電子音響音楽アーカイブについて —— 日本電子音楽協会アーカイブ・プロジェクトの経過報告
水野みか子(名古屋市立大学)、三輪眞弘(IAMAS)、由雄正恒(昭和音楽大学)、渡邊愛(東京芸術大学)、鈴木悦久(名古屋学芸大学)、宮木朝子(尚美学園大学)、福島諭(作曲家)、古川聖(東京芸術大学)
研究報告
概要: 本発表では、日本電子音楽協会を中心に進めている電子音響音楽アーカイブ・プロジェクトについて報告する。このプロジェクトは、文化庁の「デジタルアーカイブの構築・共有・活用ガイドライン」に沿った形で保存、修復、調査等を進めるものであり、200作品という対象作品数は決して多くはないものの、電子音響音楽特有の拡大作業を行うことに特徴がある。発表では、電子音響音楽アーカイブに関する海外の先行事例と比較した上で、本プロジェクトの立ち位置と方針を提示し、主に、作品再演を想定したレストレーションと上演仕様書の作成、および、作品提示形態の分類と名称の検討について報告する。
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191222
本屋の音楽書籍コーナーで面白そうな本をいくつも見つけたのでメモ
すべての音に祝福をジョン・ケージ 50の言葉/白石美雪
ジョン・ケージ 作曲家の告白/ジョン・ケージ
ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー/白石美雪
シュトックハウゼンのすべて/松平敬
リュック・フェラーリ センチメンタル・テールズ あるいは自伝としての芸術
クセナキスは語る-いつも移民として移民として生きてきた/フランソワ・ドゥラランド
レディオヘッド OKコンピューター/ダイ・グリフィス
トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ/ポール・マー・ジュニア
伝説のライブ・イン・ジャパン記憶と記録でひもとくジャズ史/小川隆夫
レッド・ツェッペリン ライブ・ツアー・イン・ジャパン
spotifyでprefab sproutのsteve mcqeenリマスタ版を聴いた。when love breaks downでのパディの声が低いし変だ。blueberry pieは奇妙さがもっと目立つ。考えてみればもう35年程聴き続けているのだな。
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リュック・フェラーリ関連DVD/Blu-ray完成のお知らせ
『そして音はガリークをめぐる』ほか、3作品を収めたDVD/Blu-rayが完成しました。
大阪・深江橋にある、アート、サウンド、デザインを軸に独自のもの創りを追求するノマル(https://www.nomart.co.jp/)の協力のもと、監督作品『リュック・フェラーリ ある抽象的リアリストの肖像』、9年の歳月をかけて、レリジョン・ミックスを行なった演奏記録映画『そして音はガリークをめぐる』、フェラーリ在京時を追ったドキュメンタリー『リュック・フェラーリ 東京日記− 生きるって、そんなに悲しくない(のかも)』の3作品がデジタル・リマスターされました。
リュック・フェラーリ生誕90年記念の年に
収録作品
『そして音はガリーグをめぐる』 2010-2015年|2018年|49分|HD|カラー+モノクロ 演奏曲目:(いずれもリュック・フェラーリ作品) ・トートロゴスIII ・不気味に美しい ・そして音はガリーグをめぐる(書法についての省察 第一番) 奏者:デイビッド・グラブス、ノエル・アクショテ、大友良英、秋山徹次、安田芙充央 会場:同志社大学寒梅館
『リュック・フェラーリ ある抽象的リアリストの肖像』 2005-2006年|46分|DVCAM|カラー+モノクロ|劇場版 キャスト:リュック・フェラーリ、ブリュンヒルト・マイヤー=フェラーリ、エリックM ほか 監督:宮岡秀行 デジタル修復:IMAGICAウェスト
『リュック・フェラーリ 東京日記−生きるって、そんなに悲しくない(のかも)』 2003-2010年|31分|DVCAM|カラー+モノクロ キャスト:リュック・フェラーリ、大友良英、エリックM、アンサンブル・ノマド、井上郷子 監督:宮岡秀行 デジタル修復:IMAGICAウェスト
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上手に出来た納豆オムレツ❣と、これは5なんだな「TAXI」の新しいの観た。
🍚献立
人参、じゃがいも、大��、ナス、オクラ、玉葱、カボチャ、舞茸、豆腐の味噌汁😊胡麻がタップリ入ったプレーンオムレツの下には納豆で~す丼、美味いなぁ🤩
🎥amazon ビデオで「TAXi ダイヤモンド・ミッション」(原題:Taxi 5)
¥400でレンタル観た😊
2018年のフランス映画で日本では19年公開。監督、主演がフランク・ガスタンビドで脚本も大好きなリュック・ベッソン😍と共作。他の出演はマリク・ベンタルハ、ベルナール・ファルシー。
超絶ドライブテクの(でもスピード狂!)警官×街を熟知する(だが間抜けな!)タクシードライバー問題だらけの警官マロは、ある日首都パリ警察から地方都市マルセイユへ左遷されてしまう。マルセイユ警察は、フェラーリなどの高級車を操り華麗に宝石を盗む、イタリアの強盗団にやられっぱなし。対抗できるのは秘密兵器を搭載した最速のタクシー、伝説のプジョー4…
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主催企画やります!年の瀬ですがもう休みに入ってますよね? 注目は全員でやるリュック・フェラーリの「Tautologos 3」。 パフォーマー同士が最低限のシンプルなルールの���で自由な関係性を紡いでいく作品です。2つとして同じ演奏にはなりません!ビール片手に気軽に見てね。 Stereo Spasms - for Luc Ferrari’s 90th Anniversary 2019年12月30日(mon) at 水道橋 ftarri 19:30開演 2000円 リュック・フェラーリの生誕90周年を記念したライブを行います。演目は、出演者7人によるリュック・フェラーリ作品『Tautologos Ⅲ』の演奏と、2-3人で行う即興のセッションです。
"To celebrate the 90th anniversary of Luc Ferrari's birth, musicians will perform his composition『Tautologos Ⅲ』, and have a session using sounds from his sound archive." 委細昌嗣 Masashi Isai(guitar) Gak Sato (electronics) 倉垣卓麿 Takuma Kuragaki(electronics) 佐藤亜矢子 Ayako Sato(electronics) 柳沢耕吉 Kokichi Yanagisawa(guitar) 李英姿 Yingzi Li(二胡) 渡辺愛 Ai Watanabe(piano) ※出演者全員、上記と異なる楽器を演奏する可能性があります。
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サイン会でドライバーと交流&ウイリアムズガレージ訪問で大大大満足だった金曜日【F1女子モナコGP観戦記】
●大好きなドライバー達が目の前に! 楽しかったモナコGP。F1マシンが駆け抜けるようにあっという間に終わってしまいました。今回は夢のような1日となった、金曜日の出来事を紹介します! 通常のグランプリウィークは木曜日にピットウォークやサイン会が行われ、金曜日からセッションがスタートしますが、モナコGPは木曜日からセッションが始まり、休息日となる金曜日にピットウォークとサイン会が行われます。 サイン会が行われたのはピットストップチャレンジやフォトブース、グッズ販売などが行われたFANZONE。 ステージ前に設置された柵にそってドライバーがサインを書きに来てくれるという方式だったので最前列を狙うため約3時間前に現地に行ったのですが、中央には既に4〜5列できているではありませんか! でも端のほうはまだ空いていたので、なんとか最前列をゲットすることができました。良かった〜。 ●WILLIAMS 最初に登場したのはウイリアムズ。8年振りにF1へ奇跡の復活を遂げたロバート・クビカは大人気で、彼の出身国ポーランドから見に来ているファンもいました。 ●ALFA ROMEO 続いて現れたのはアルファロメオ。モナコGPで300戦目を迎えたキミ・ライコネンは、なぜかリュックを背負って登場です(笑)。サイン会前にはトークセッションも行われたのですが、自身の子供の話になるとクールなアイスマンから思わず笑みがこぼれる姿が印象的でした。 ●MERCEDES ライコネンに興奮していたのも束の間、次に登場したのがチャンピオンチームのメルセデス。もうこれ以上、血圧を上昇させないで〜。 5度のワールド・チャンピオン、ルイス・ハミルトンは遅刻&チームウェアを着ないという相変わらずの自由奔放ぶり。サインを貰う時には後ろから押されまるで戦場のようでしたが、両ドライバーともとっても優しく一緒に写真まで撮ってもらいました。 ●FERRARI なぜかセバスチャン・ベッテルが来なかったフェラーリ。モナコ出身のシャルル・ルクレールは大人気でしたが、どこかプレッシャーに押しつぶされそうな表情が気になりました(決勝では残念ながらリタイアでしたね……)。 ●REDBULL レッドブルガレージツアーの当選発表を行ったマックス・フェルスタッペンとピエール・ガスリーは当選者の名前が読めなかったり、読みあげてもその人が現れず「電話番号書いてあるから電話しちゃう?」とドタバタ(笑)。 無事当選者が現れるも、全身アルファロメオのライコネンファン! でもレッドブルも応援するとのことで、「よし、新しいファンが一人増えたぞ」と嬉しそうに笑うフェルスタッペンが可愛い〜。 ちなみにガスリーは髭を10日に1回しか剃らないそうですよ。 ●MCLAREN 今シーズンからドライバーがごっそり代わったマクラーレン。初めてランド・ノリスを見ましたが、とにかく若い! こっそりサインの横にニコちゃんマークを書いてくれる、優しいドライバーでした☆ ●RENAULT トップチームに引けを取らないほど人気だったルノーは、ニコ・ヒュルケンベルグとダニエル・リカルドの漫才のようなやりとりが最高! 終始笑いっぱなしでした。 最前列はドライバーがサインを書きに来た時の距離が恥ずかしくなる程近かったのですが、リカルドの手首から良い香りが……。こっそりクンクンと匂いを嗅いでしまったのは秘密にしておいてくださいね。 ●RACING POINT フォース・インディア…おっと失礼、レーシング・ポイントはセルジオ・ペレスが大人気! 質問コーナーでは「一緒に写真を撮りたい」と熱い想いを伝えたメキシコから来たファンをステージに上げるという神対応。素敵すぎる〜。 ●HAAS トークショーではレース以外の様々な話しを聞くことができ、ハースの2人はスポーツの話に。ロマン・グロージャンはスキーなどアクティブにいろいろやるそうですが、ケビン・マグヌッセンはF1だけとのことでしたよ。 ●TORO ROSSO そして最後は昨シーズンからホンダパワーユニットを搭載し、頑張ってくれているトロロッソ。二人とも超神対応で写真もばっちり撮ってもらいました。今後の活躍に期待大!ですね。 ●サーキットがクラブに様変わり!? サイン会が終わり、観戦券と共に送られてきたピットウォークチケットを持って���急ぎでピットウォークへ! ピットレーン出口から入場し、決勝日にハミルトンが飛び込んだプールを横切ってピットレーンへ向かいます。しかしモナコはどこを歩いても感動しますね。 各チームのマシンを近くで見れるのは他のグランプリと同じですが、一番びっくりしたのがコース上にアルコールと音楽を楽しめるスペースができていたこと! 大音量で流れる音楽に合わせて踊る人もいて、まるでクラブの様な雰囲気にびっくりでした。今まで何か国かグランプリを観に行きましたが、この光景は初めて。さすがモナコ、という感じです。 ●ウイリアムズのガレージへ! そしてそして、このピットウォークで忘れられない思い出ができました。なんと、ウイリアムズでメカニックを務める白幡勝広さんにチームガレージを案内してもらったのです! ガレージは3階建てになっており、3階はVIPがレースを観戦するホスピタリティに。ここから見える景色は全てがキラキラしていて、もう夢心地すぎて地に足が着いていなかったかも(笑)。 2階にはスペアパーツ、分析用のコンピューターなどレース必須アイテムがたくさん! 傍を通るだけでドキドキしちゃいます。 一番興奮したのが、ドライバーのヘルメットとグローブ。しかも前日のフリー走行で使用していた物だったのです! 土曜日のセッションでも使用するそうで、ヘルメットの下のオレンジの機械で内部を乾かしているところでした。 ちなみにクビカは未確認ですが、ジョージ・ラッセルのグローブは無臭でしたよ(笑)。 チームの心臓部とも言える1階にはマシンやパワーユニットのスペア、タイヤなどが所狭しと並べられていました。ここは極秘情報がたくさん詰まっているので写真でお見せすることはできませんが、「F1って凄い!この中で働いている白幡さんってかっこよすぎ!」と改めて思いました。 そして白幡さんをはじめクルーの方がとても親切で、作業が終わりマシンにカバーがかかっているのにも関わらず「せっかくだから外しなよ!」とマシンをゆっくり見させてもらったのです(涙)。 さらにマシンにカバーをかけるのを手伝わせてもらい、ピットクルー気分を味わっちゃいました。 レース結果はラッセル15番手、クビカ18番手でしたが、ピットストップタイムは2.7秒と堂々の1位! レースはもちろんですが、今後のウイリアムズのピットストップタイムにも要注目ですね。 白幡さん、素敵な思い出をありがとうございました! (yuri) 【関連記事】 F1開催地、モンテカルロ市街地コースを歩いてみた!【F1女子モナコGP観戦記】 https://clicccar.com/2019/05/26/822452/ あわせて読みたい * GT300最多勝利記録を更新!K- tunesが開幕戦に続き今期2勝目【SUPER GT 2019】 * 伊賀忍術でQ1突破!? ドライバーアピアランスに「忍者」が登場【SUPER GT 2019】 * 猛暑の鈴鹿決戦、GT500は「最後の鈴鹿」となるLC500が表彰台を独占! * F1開催地、モンテカルロ市街地コースを歩いてみた!【F1女子モナコGP観戦記】 * 想定外の暑さの中での予選、ポールシッターには好条件だった?【SUPER GT 2019】 http://dlvr.it/R5qNcv
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『TAXI ダイヤモンド・ミッション』
みなさん こんにちは。
結婚相談所 ハッピータイム桐生相生 婚活アドバイザーの金子です。
リュック・ベッソン製作、脚本の映画
「TAXI」シリーズ5作目「TAXI ダイヤモンド・ミッション」が公開されました。
今作では主役の二人が新キャラクターとなりましたが、
ハイチューンされたTAXIで、
警官とタクシー運転手が犯人を追うという基本ストーリーはそのままです。
ただしドライバーは警官、助手席にタクシー運転手となり、
前作までとは逆の設定となりました。
パリ警察から、マルセイユ警察に左遷された「マロ」が、
前作まで登場していた優れたドライビングテクニックを持つ
タクシー運転手「ダニエル」の甥「エディ」とタッグを組み、
イタリアからフランス マルセイユにやってきた
ダイヤモンド強盗団を追い詰めます。
「エディ」は「ダニエル」と同じタクシー運転手ではあるものの
AT免許しか持っておらず、犯人を追う、
伝説のハイチューンされたプジョー407はマニュアルトランスミッションの為
運転できないので、「マロ」がドライブします。
かなりなコメディー要素の強い内容ですが、
見どころであるカーアクションシーンはスリリングな映像を見る事ができます。
ブラック・アイド・ピーズのPump Itが流れる中、
マルセイユ市街を滑走するプジョー407と
フェラーリ458イタリア、フェラーリ・カリフォルニア!
海岸沿いのワインディングでのプジョー407と
ランボルギーニ・アヴェンタドールとのバトル!
通常であればとても太刀打ちできないであろう、
フェラーリやランボルギーニを相手に互角に走るプジョー407の雄姿は必見です。
アクション・コメディー映画「TAXI ダイヤモンド・ミッション」
デートにもお勧めです。
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結婚相談所 ハッピータイム桐生相生 婚活アドバイザー 金子 薫
http://www.happytime-en.com/local001_21.html
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【お知らせ】各地で好評なリュック・フェラーリ(Luc Ferrari)さんイラストですが、なななんと今度はパリのレコ屋さんで行われた本発売記念イベントでも絵を飾ってくださったそうです…か、感激です
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四季とはほとんど関係のない映像と音響とを手当たり次第繋げた、ベン・リバースの『つれづれ』は、16ミリフィルム・スタンダード・サイズに相応しい被写体を連続させながら、四季を縁取るかのようだ。 冬の日蝕にはじまるのは、「ゼウスがひとたび太陽を暗くされた日にはもはや不可能なこと��どない。野獣が海豚と餌食を交換したとても驚くに値しない」と語った前7世紀の詩人・アルキロコスの語る「あべこべの世界」を思わせる。栗鼠の人形に栗鼠が本物だと思って触れあうまでの可笑しな場面はどうだろう。場面が秋になると無人の室内をワンショットで尽すCG風のキャメラワークに目眩を覚えてくらくらする。気がつくと、四季とは一見無縁な視覚的体験が酌み尽くされて、時の推移をめぐる諷刺の定石ができあがるまでの20分間こそ“thing”(原題で、もの、知らない国の人、災害、自然の現象、という意味)なのだと気がつく。
リュック・フェラーリの代表作『プレスク・リヤン』もまた四つの章からなる作品で、それぞれ日常生活で聞かれる音がごく自然に配置され、海辺の一日を数十分にまとめていた。音だけの経験であるはずのこの作品は、聞く人と共通する経験の記憶を喚起するという点では、レコーディングという映画との共通項をもつ。フェラーリの時代はほぼテープだが、それぞれの録画(音)に対する経験的な意味附与では、今現在、ベン・リバースがフィルム媒体で行っていることと「同じ」ではないか。 記録された媒体が作品化されるということは、演出という作為以上に収録状況や機材、または映写や再生状態の種類や質といった媒体に、その内容が大きく寄りかかるからだが…。
風よ お前は四頭四脚の獣 お前は狂暴だけに 人間達はお前の 中間のひとときを愛する それを四季という
とはフェラーリではなく、彫刻家・砂澤ビッキが「四つの風」について触れた文章だが、ビッキのこの野外彫刻も既に三本が倒れ土に還りつつある。
ベン・リバースの映画もまた、生きているものが衰退し、崩壊してゆき、それを更に再構成してゆく過程を文字通りフィルミングする。光の明滅は映像に保たれ、フィルムは緩やかな時を経てやがて酸化し、朽ちてゆくだろう…それは四季をくぐり抜ける“thing”のようにも思われ、フィルムの明滅と消滅、再生のドラマには、輪廻と非時(ときじく)の生命の意識とが息づいている。 いつの日かベン・リバースも、フェラーリやビッキのように自然との目眩く性交の瞬間をフィードバックするだろうという予感があるのは、彼のフィルムはそこまで連れ出されているからだ。
散文的な映画とは、フレームを基準に事物の相互関係を整理することだとしたら、フレーミングの恣意性や事物の多数性を気にならなくさせ、描写された世界の全体を直接的に経験させることはパゾリーニに倣って「散文的な映画のフレーム」と言えるだろうか。
『エル・マール・ラ・マール』は16ミリフィルム撮影の力を伴って、まるで「物体X」と化したメキシコ国境地帯を透視する。 『つれづれ』にはルイス・ブニュエルが、『エル・マール・ラ・マール』には「ジャニー・ギター」が唐突に流れ、フィルムに陥没点をもたらしているのは、映画の恩寵でもあるだろうか。
可愛いあの娘と別れ ふるさとはるかに離れ 今日も旅を続ける おれの背にこのギター 古びたギターよ 真赤な夕日にさそわれ つまびく思い出のメロディー
命を賭してまで不法入国をして北米に行こうとするとは、その対立が決して対等のものではない証だ。 価値において北がつねに勝利をおさめるならば、南では洋服も買えないほど前近代的貧困の記号がソノラ砂漠のあちこちに点在する。 日本の本州ほどの広さのある砂漠には不法入国の中途で棄てられた衣服の数々が映し出され、砂塵によって見失われた足跡痕や暗闇の恐怖がフィルムの黒味に音声としてのみ重ねられるとき、ドキュメンタリーやフィクション以前のシネマトグラフとは、何かが起きる条件を作り、そこにキャメラを向け、いやむしろ、キャメラがなければ決して起こりえない現象を、シネマトグラフは「無意識」から盗みとることがよくわかる。しかもメディアが生まれた最良の状態としてのフィルム媒体で記録された「恩寵の瞬間」が…この二作品には横溢しているのだ。 更にモンタージュは、整理することで埋もれたアングルを浮き上がらせる…とりわけ、ベン・リバースの『つれづれ』は、彼一人の心身で抱えることのできない日々の生と時間のただなかで、四季を非全体的に見極めずに見ているところが見事だし、トランプ政権が国境に壁を作ると宣言し、世の中をかき乱し続ける以上、その事実を完全に切り離すことは、たとえ実験映画という枠であっても不可能なのだと『エル・マール・ラ・マール』は90分を3つの章に割って呟いているようだ。 メキシコの砂漠地帯が、まだ完全には組織化されていないように、シネマトグラフにおける四季もまた、制度としてのモンタージュが、映画の外部のイデオロギー(四季)と歩��を合わせてスキップを踏むことはない。再びパゾリーニの定義に戻ると、「ポエジーとしての映画」があるとしたら、ベン・リバースや難民の眼を通じて見られた、おそるべきこれらの光景のなかから陽炎のように浮かび上がる神秘的な一瞬なのかもしれない。 越境性を封じ込めるのが政治だとすると、ある種の映画(制作)とはそこから逸れて行くものなのだと、九日間に渡り繰り広げられた「イメージ・フォーラム・フェスティバル2017」(京都会場)で数人の「おかしな観客」と共に改めて確認できた次第だが、私が求めたその一瞬に、誰が気がついたのだろうか。
フェスティバルの合間に、札幌芸術の森へ撮影で出掛けた私は、更にその撮影の合間、芸術の森美術館で開催中の展覧会「旅は目的地につくまでがおもしろい。」を覗いた。間延びした地方色の作品が点在するなか、ダイハツの軽自動車が館内に置いてあり、フロントガラス越しに壁に投射された映像が見える仕掛けは、ニール・ハートマンというスノボー映像を専門とする作家による作品だった。車内に入り寛いで30分程度映像を眺めていると、車内も気になりはじめて、それぞれ大きめサイズの荷物を積載したラゲージにはザ・ノース・フェイスのグローブや、天井にはウムラウトのボードが吊るされていた。ロケのときには撮影機材やバックカントリーのギアが満載されるのだろうか、寝袋と共に一人旅をしながら、これらの映像を撮り続けてきた人なのだと思った。フレームというよりスノボーやスケボーの滑走と液状化したかのような映像は、山岳ドキュメンタリー『MERU』同様、登山やスキーへの愛とそれら用品に完璧な等号を引いてしまうシニスムと同時に、人間と大地との通常の関係が滑っている。大地が少しずつ撮り手(ハートマン自身)の言語を食い破って蠢いてくる気配すら映し出す(『MERU』の場合は雪崩も映るが)。
人間が機材の運動を模倣し、物の運動と化して滑り降り/よじ登ること…まるで自殺に向かって純粋完璧な物化が許されているかのごときこれらの映像は、軽量なデジタルカメラでなければ撮れない尺と速度と角度だが、とりわけハートマンはそこで人間が絶対確実に死ぬとは限らない点もよく知っている。
メキシコのソノラ砂漠、マッチの炎すら見ることのあたわぬ完璧な暗黒の向こう��、二つの力で引かれた国境という線をフィルム映像に想像し、一方、白い雪で覆われた場所には、あらゆる線を覆い尽くしてしまう自然の威力をまえに歩行とは違う抜け道を知った人間の運動が生まれ、映し出される(しかも彼のデジタルカメラは国境を軽々と飛び越えて滑り出す)。
言い表しようのないものを現わす言葉ではない言語活動を想定するならば、『つれづれ』も『エル・マール・ラ・マール』も、或いはニール・ハートマンの映像も、シネマトグラフ(或いは「ポエジーとしての映画」)と呼んで差し支えないだろう。 それらはフィルムであろうがデジタルあろうが前方に投影される。作者とうりふたつの異邦人の心の内にある感情を、外部の対象の内にあるもののように感じとる傾向とは、まさに人々がロード・ムービーに求めてきた夢であり、巨大なスクリーンに投影された像の内に観客が同一化する感傷の仕掛けは、古今東西変わらない。
製作に176億円かかったと言われる巨大な傑作『美女と野獣』と、個人制作されたそれらの映像との差異は、消費される速度のあまりの違いだろうか。ディズニーの金の詩人たちが作った『美女と野獣』と、戦後フランスで『天井桟敷の人々』をつくったプロデューサーと特異な詩人とが威信をかけた『美女と野獣』に同じ愛が通っていても、その違いを常にやわらげ、同化させるのも資本の力なのである。 自分は傑作であると表明しているようなディズニー版『美女と野獣』があり、一方、『エル・マール・ラ・マール』は、難民たちと同じ眼差しを想像しながら、自分は取るに足りないもの、使い捨てにすぎないものだと表明している。あまりに完璧すぎて抜かすわけにいかないディズニーの傑作が世界中でヒットしてすり減る一方、ベン・リバースの16ミリフィルムは映写機にかかる度に形を成していく。技巧の粋を集めた前者に対して、とりわけ『つれづれ』は、愉快にわが道を進んで行き、どろどろと流れていく季節が、ポンと切り取られては“thing”に戻る。
愛、すなわちポエジーにおいては、雪は一月の雌狼ではなく、春の山鳩なのだ。
神々は隠喩のなかにいる、不意の隔たりに取りおさえられたポエジーには、監視のない彼方が付け加わる。
ルネ・シャール「ポエジーについて」
追記:両国で小さな上映会を準備しているときに届いたジョナサン・デミ監督の訃報。デミ監督は人々に民主主義の意味を問い直す数少ないアメリカの映画人だ。私はデミの遺作から、昨年大きな歓びをもら��たばかり。きっと向こうで甥のテッド・デミと映画の授業を始めていることだろう!
以下にデヴィッド・バーンが記した追悼の言葉を抜粋しておきたい。
彼はドキュメンタリーや音楽映画もたくさん作っていて、ドキュメンタリーは純粋な愛からの産物だった。それは無名のヒーローを讃えるものだったんだよ。ハイチの農学者や、いとこで活動家の牧師、ハリケーン・カトリーナ後にニュー・オリンズで前代未聞のことを成し遂げた一般の女性といったね。劇映画も音楽映画もドキュメンタリーも、多くの情熱と愛に溢れていた。彼は時折、特定のジャンルの映画も非常に個人的な表現へと変えてみせた。彼の世界への視座というのはオープンで、あたたかく、活気とエネルギーに満ちていたんだ。彼はガンが寛解したのを受けて、今年はテレビ番組を撮影していたんだよ。
ジョナサン、僕らはあなたを惜しむことになるでしょう。
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エコールノルマル音楽院にて、ピアノをアルフレッド・コルトーに、作曲をアルテュール・オネゲルに、 パリ国立高等音楽院にて、楽曲分析をオリヴィエ・メシアンに師事。 1954年に渡米し、エドガー・ヴァレーズに出逢う。 ピエール・アンリがピエール・シェフェールとともに設立した「GRMC」Groupe de Recherches Musique Concreteに1958年から1966年まで参加しており、また同じ1958年にはシェフェールとともに 「GRM(音楽研究集団)」Groupe de Recherches Musicales の創設にも加わっている。 フランス国営放送探求局の下でメシアンやカールハインツ・シュトックハウゼンら、現代音楽の作曲家のリハーサル風景を記録した「大いなるリハーサル」などの映画製作並びにミクストメディア(『引き裂かれた交響曲』他)、さらにはヨーロッパ各国でラジオドラマ(ヘールシュピールとも,『砕氷船』他)などを手懸けた。また映画音楽も作曲しており、代表作には1982年のカンヌ映画祭に出品されたアニメーション「クロ ノポリス’’Chronopolis’’」(ピョートル・カムレー監督、ナレーションをマイケル・ロンズデールが担当した) や同じく1963年のカンヌ映画祭に出品されたジャック・ブリソ監督による「Égypte Ô Égypte2 - 河の贈り物」などがある。 1963年から1964年にかけて、《異型接合体 Hétérozygote》を作曲。これは磁気テープのための作品であった。 録音された環境音の利用は、フェラーリの音楽語法の特徴的な部分となっている。 この後フェラーリは1970年に《ほとんど何もない第一「海岸の夜明け」Presque rien No. 1 ‘Le Lever du jour au bord de la mer’ 》を完成させる。1日がかりでユーゴスラビアの浜辺で環境音を録音したが、編集によってそれをわずか21分あまりの作品に仕上げている。 1972年に電子音響アトリエ���ある「スタジオ・ビリッヒ」を創設。 1982年に電子音響の作曲とラジオアート制作のために" La Muse en Circuit ”(「回路の詩神」協会)を自ら立ちあげたが、1994年にはそこを離れる。 1989年にはそれまでの功績にたいしてフランス政府より芸術文芸大賞を受賞。 1995年にはオランダにおいて回顧展が開かれる。 1996年に新たな電子音響スタジオとなる「アトリエ・ポスト=ビリッヒ」を創設。 2001年にはアメリカ合衆国にてコンサートツアーを行った。 亡くなる直前まで、ジャンルにとらわれることなく幅広いアーティストとも積極的に共演し、深い影響を与えている。 2005年8月22日、演奏旅行中にイタリアのアレッツォにて逝去。 没後の2006年6月には、フェラーリに関連する全ての著作物の普及や生前遺した膨大な資料群の整理、ならびに現代音楽の創作における支援助成を目的として、ブリュンヒルド夫人をはじめ親交の深かった友人達によりパリでAssociation Presque Rien(プレスク・リヤン協会)が設立されており、現在も活発に活動している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/リュック・フェラーリ#主な作品
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第38回JSSA先端芸術音楽創作学会|38th Regular Meeting
日時 2019年3月9日(土)10:00 - 12:30 2019年3月10日(日)10:00 - 12:30 (インターカレッジ・ソニックアーツ・フェスティバル2018と同時開催)
場所 情報科学芸術大学院大学 IAMAS 岐阜県大垣市加賀野4丁目1番地7(ソフトピアジャパン内) センタービル4F ホールA
参加料 学生無料
プログラム
全プログラムのダウンロード (zip, 43MB)
2019年3月9日(土)10:00 - 12:30
横川 十帆 / 九州大学 芸術工学府 芸術工学専攻コンテンツ・クリエーティブデザインコース イカの色素胞を用いた新たな視覚表現の提案
創作ノート
本発表ではイカの色素胞を用いたピクセルフリーなディスプレイを提案する。イカの体表面には色素胞と呼ばれる、色素を含む細胞が無数に存在しており、イカは色素胞を収縮、膨張させることで自らの体色を自由に変化させ、威嚇やコミュニケーションに用いているとされている。本研究では色素胞の周波数特性にあわせて制作した音楽を用いてイカの色素胞を電気的に刺激することで、一般的なディスプレイとは異なる有機的な視覚表現を可能とするディスプレイを実現した。本発表では、音の視覚化に関わる先行事例を参照し、本ディスプレイの歴史的な位置づけを図る。
吉村 帆生 / 九州大学 芸術工学府 芸術工学専攻コンテンツ・クリエーティブデザインコース 「声」の楽器による楽曲制作を通じた、声の違和感に関する研究
創作ノート
本発表では、年齢や性別を知覚させないニュートラルな音声とイントネーションを持つ「声」の楽器と、それを用いた楽曲の制作およびライブパフォーマンスについてその詳細を述べる。人工的な声の生成における先行事例として、ケンペレンの音声合成装置や明和電機のオタマトーン等を参考に、人工的な構築物である機械が発する声の人間に与える違和感の究明を試みる。
高野 衛,安藤 大地,串山 久美子 / 首都大学東京大学院 システムデザイン研究科 インダストリアルアート学域 動作情報を用いたインタラクティブな定位情報の制御による空間音響作品
研究報告
空間音響作品における定位情報の操作は、ミキサーによるリアルタイムでのフェーダー操作やオートメーション機能によるパンニングの設定によるものが主流である。近年では、センシング・デバイスの発展に伴い、動作情報を用いた音響パラメータの操作によるパフォーマンス作品が制作されている。本研究では動作情報を用いた空間音響の操作を主題として、リアルタイムでのジェスチャラブルな空間音響操作手法についての提案を行う。本稿ではタッチパネルやセンサーなどを用いた場合の音響パラメータへのマッピングや定位情報の操作性について検討を行う。
坂田 晶 / 昭和音楽大学大学院 音楽研究科 アルゴリズムを用いた、グレート・ハイランド・バッグパイプのための自動作曲の研究
創作ノート
《478》はMax/Mspを用いたライヴ・エレクトロニクス、アルゴリズム・コンポジション作品である。スコットランドの代表的な伝統楽器グレート・ハイランド・バッグパイプを題材にしており、この楽器の調律の選択肢の一つであるA=478Hzの「478」という3つの数字をアルゴリズムの基盤として演算が行われ、旋律の音価、音高、音響効果の各数値に干渉して変容し、楽曲が進行する。 また、音楽形式は装飾音でもって主題を変奏してゆくハイランド・バッグパイプの伝統的な音楽ジャンル、ピーブロッホにヒントを得ている。そのため、繰り返される主題の旋 律は、発展する装飾音によって姿を変えてゆく。 本稿では、この楽曲におけるプログラムの機構について、グレート・ハイランド・バッグパイプの楽器特性と伝統的なスコティッシュ・パイプ・ミュージックの形態を踏まえて解説する。
伊藤 也太, 寺崎 凌也 / 尚美学園大学 芸術情報学部 音楽応用学科 『心のしき』−空間的な音響と没入型映像によるインスタレーションの表現について−
創作ノート
本稿では、作品『心のしき』の制作動機とシステムの解説、及び、それらが作品の中でどのような表現を担っているのかを考察する。 『心のしき』は無形・不可視のものとされる“心”を可視化することを目的としたプロジェクトである。心の世界を空間に提示し、その中で心に内包される意識・無意識など普段表出されない概念を顕にする。また、我々の心がどのように形成され変容していくのか、自己と他者の相互作用という観点から、実際の脳波のデータを抽出し、音と映像に変換する。さらにその状況に対してLeap Motionによって干渉し、その行為によって空間的な音響と没入型映像が変容する。 感情表現や情景描写のツールとしてしばしば音や映像��用いられるが、それらを複合・相互的に演出するインスタレーションアートは如何程に複雑な心の世界を顕すことができる表現手段であるのか、その可能性を探る。
林 毅 / 情報科学芸術大学院大学 メディア表現研究科 FFTフィルターとn次元音響管による音響再構成
創作ノート
現実音の倍音構造から離散スペクトルをFFTを介して抽出、擬似線スペクトル構造を持つ時間波形を再生成する。 抽出周波数範囲の時間制御により、複数の音響列を生成する。 音響の物理的根拠と音像のためn次元音響管を考案した。 サウンドデザインへの応用・展開技術として研究を実施。
2019年3月10日(日)10:00 - 12:30
津曲 洸太 / 情報科学芸術大学院大学 メディア表現研究科 ライブパフォーマンスにおけるニューラルネットワーク可視化システムの提案
創作ノート
筆者は人間とAIのインタラクションによるアンサンブル演奏を目指して、『LSTMを用いたライブパフォーマンスのためのセッションシステム』を制作した。本システムでは、与えられた人間の演奏データ(MIDI)に対して、それに呼応した自動演奏(MIDI)をリアルタイムに生成する。また、本システムを用いたライブパフォーマンスにおいては、演奏の発音の要因を映像として提示する必要があると筆者は考える。本稿では、このシステムの概要の概説と、演奏とともに提示する映像について提案する。
帯屋 健之 / 九州大学 芸術工学府 芸術工学専攻 コンテンツクリエーティブデザインコース 音刺激を用いた海釣り用誘引デバイスの開発
研究報告
本発表では「音響漁法」に基づく音デバイスについて述べる。音刺激を用いて漁業を行う場合、それを音響漁法と呼ぶ。音響漁法は、魚群探知、威嚇、麻痺、誘引に分けられ、音刺激を誘引に用いる場合、その音が魚にとって興味を惹く者であるか、また適切な音圧で提示されているかが重要になる。しかしながら、現在の釣り具で用いられているのは金属球などの衝突音であり、自由な音選択は不可能である。これまでに、音をデジタル的に制御することで、音源および音圧の選択を可能にし、小型化、軽量化を試みることで、釣りの仕掛けに組み込める音デバイスを開発した。本発表では、この自作のデバイスおよび関連の展示の概説を通じ、釣りという文化に対し、音の選択という新たな要素を提案する。
松浦 知也 / 九州大学 芸術工学府 芸術工学専攻 コンテンツクリエーティブデザインコース 計算機による音生成の異なるあり方を探る「Electronic Delay Time Automatic Calculator」の制作
創作ノート
本発表では、時間を分割する機能のみを持ったコンピューターとしての回路彫刻作品「Electronic Delay Time Automatic Calculator」について、その詳細を述べる。本作品は電気パルスの遅延フィードバックという、マスタークロックを持たない異なる時間構造の表現を、メディア考古学的視点より考察するものである。コンピューターを用いた音生成の黎明期に存在した、CSIRACやFerranti Mark Ⅰという、PCM形式によらずに音をデジタル的に直接生成する先例を足がかりに、ソフトウェアとハードウェアの不可分性および、時間の定��的な記述に着目し、今日計算機を用いて音を生成することの意味を再考する。
松��� 千紘 / 名古屋市立大学芸術工学部 情報環境デザイン学科 70年代から現在に至るまでの女性アイドル像の研究
研究報告
アイドルという言葉が生まれた70年代から、現在に至るまでの女性アイドル像の変化について考察する。POPカルチャーの浸透はもちろんのことだが、音楽シーンにおいてアイドルというジャンルは重要な地位をしめており、近年では秋葉原のアニメ文化の発展と共に日本のアイドル文化も世界から注目されるべく存在となっている。それぞれの時代を作り上げたトップアイドルの活動を取り上げ、共通する本当の「アイドルの定義」の考察を試みる。
佐藤 亜矢子 / 東京藝術大学大学院 音楽研究科 リュック・フェラーリ作曲《少女たちとほとんど何もない》研究
研究報告
リュック・フェラーリ《ほとんど何もない》8作のうち、1989年作曲《少女たちとほとんど何もない》を取り上げる。過去作《ほとんど何もない第一番》、《第二番》同様に、フェラーリが滞在先で録音した現実音を主たる材料として作曲されたフィックスト・メディア作品である。《第二番》に引き続き、環境音に加えて人の話し声が音響素材として取り入れられているが、3つの言語で話す女性たちの声はスタジオで録音され、森の環境音とは切り離されたものである。また、フェラーリが用意したスケッチを確認すると、彼自身の作業のためのメモ以外に、ダンスとスライドと照明を伴う上演のための指示書が含まれていた。本来は音楽単体として作曲された作品であり、この上演形態はこれまでに2度しか実践されていない。音楽のみで解釈を試みた実践と比較すると、様々なズレ、亀裂、矛盾が浮かび上がってくる。このような点からも《少女たちとほとんど何もない》は《第一番》、《第二番》と異なる性質を帯びているように思われるが、《ほとんど何もない》として共有するアイデンティティを明確に備えた逸話的音楽作品である。
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