#ランニングコース
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大泉緑地公園ランニングコース《1周3028m》(2024年4月27日) https://youtu.be/oK1gbh7oVdY?list=PL5_p1JmhJjC5h4N7hEnNR4bsHCKOTUqgP
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定休日の朝。
おもむろに起き出し、にわかに走り出す。
ランニングコースにあるローソンの看板の地上高は日本一の低さではないかと思ったりしている。
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出張ついでに夕刻に「スワイチ」しときました。
程よい距離だし、ランニングコース完備だし、景観もいいしでいうことなし😊
素敵な街です諏訪市♪
一つ思い出したこと、それは湖岸のランニングは風次第。今日は割と向かい風緩めでした。
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2024.3.13
朝7時半に目を覚まし、8時にはストレッチをすませ外に出た。朝陽を浴びるのはいつぶりだろうか、朝の太陽の光は特有の色合いと空気の柔らかさがたまらない。ベルリンに越してから一年が経ったがランニングは初めての試みだ。午前中はだいたい家で過ごすことが多いため、朝の外出はしばらくぶりである。ランニングコースは特に考えていなかったが、足が勝手に向かった先はお馴染みのAlter Luisenstädtischer Friedhofだった。見慣れた道や建物が、不思議と生気に満ち、静謐に映る。Alnaturaを横切る。そうか、お金を持ってくれば帰りにサクッと買い物ができる、今度からそうしよう。そう考えてるうちにAlter Luisenstädtischer Friedhofの門をくぐる。久しぶりに走るという行為をちゃんとしたのか足は重く、息も切れてきたので休憩がてら歩くことに��た。朝はいつにもまして鳥や動物の声が生き生きしている気がする。逆に風や空気は穏やかだった。一台の軽トラがお参り用の花を積んで止まっていて運転手が私を見るなりドイツ語で何か言ってきた。キョトンとした私を見て「Don’t run here」と今度は英語で言い放ち去っていった。私は歩いていたのだが、私の格好と息切れを見てランニングしていると思ったのだろう。待てよ、そもそもセメタリーで走ることは常識的にダメなことなのだろうか。もちろんそこの関係者に言われたので守りはするが、私はここに毎週1.2回は散歩に来ており、仰々しい言い方かもしれないが訪れるときはいつもこのセメタリーの一部になっているつもりだ。鳥や動物の声を聞き、風が織りなす木々や葉の音に耳を澄ませ、ここにだけ存在する空気に触れる。お墓と対面している人、日光浴をしている人、ベンチに腰をかけ本を読んでいる人、私のように散歩している人、そんな外の世界から切り離されているような、ここだけにしか存在しないものに身をよせる。私にとってここでランニングすることはその延長線上で、私なりの敬意は払っているつもりなのだが、一度、しかも初日にそう言われてしまうと、今後どうしたもんか。。。そんなことを考えながらセメタリーを抜け、Hasenheide Parkへとまた走り出した。ランニングを始めたきっかけは、朝体を動かして良い一日のスタートをきれるようにという、ありきたりなことだが私は常に何かを考えている(考えすぎている)性分で、一日の始まりに頭の中を空っぽにするためでもあった。家の鍵以外はなにも持たずに走りたい。最近お釣りでたまるユーロのコインを集めるようにしている。普段は携帯に登録しているカードでほとんどのものを購入しているが、ランニングの帰りはこのコインを使おうと思っている。
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2024/6/19
今の自分を ちゃんと自覚することが 大事なんだ
面接から一週間経ったけれど、まだ返事が来ない。 朝のランニングコース。河川敷のグラウンドに朝もやがかかっていた。
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早朝ランニング。目覚めちゃったら走る、ぐらいのペースが自分には丁度良さそう。
ランニングコースから見える橋。改めてフォントをまじまじと見てみると、「じ」「し」の足が異様に長いのに気が付いたら。
他の平仮名もなんとなく不細工だけど、これは手書きなのか?
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2024.4.20sat_tokyo
最近ランニングを始めた。理由は運動もせずに引きこもり気味なのに、撮影で急に標高2000m級の山に一人で登った時に体力がなさ過ぎて身の危険を感じたからだ。職業柄か僻地への誘いは突然やってくる(自ら出向いているのもあるけど)。これはまずいと思い体力作りのために始めたが頭もすっきりして良好だ。
ランニングコースは近所の砧公園とその周辺を走ることが多い。今日も公園の木々の中を走り抜け、芝生を走ったりして都会の自然を味わっている。もう一つの楽しみは走りながら公園で過ごしている人を観察すること。レジャーシートを持ち込んで大の字になって寝ている人、トレッキングポールを駆使して散歩しているおじいちゃん、茂みの隅っこでサックスを吹いている人、直視するのが恥ずかしくなる初々しい高校生カップル。こちらはサングラスを掛けているので、向こうは視線は感じていないはず。「走るのに集中していますよ」と僕は元陸上部なので、そこそこのランニングフォームで一丁前のランナーを装いながらサングラス越しからまじまじと彼らを見ている。
公園を出てすぐの環八沿いを走ると、横断歩道の信号待ちが長い。本当に長いので次々と人が横断歩道の前に集まってくる。自転車の前カゴに乗せられた柴犬は手持ちぶさたになった飼い主に後ろから頭を撫でられて嬉しそう。小学生達は空想の障害物の周りをぐるぐる駆け回っている。信号が青になるとみな一斉に前に進み始め、不思議な連帯を感じる。
この場所を走ると渋谷や新宿の都心にはない人々の暮らしをより実感する。走り始めてから街や人��隅々まで見えるようになった気がした。明日もたぶん走ります。
-プロフィール- 濱田紘輔 33歳 東京 写真家 https://www.instagram.com/kosukehamadas/
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おはようございます(^^)
今日の桜島です。
天気は快晴!空気もウマイ!
雲ひとつない、素晴らしい天気になりましたね。
今朝はランニングコースにカラスが20匹近くいて少しビックリしました。
こんなに集まることって久しく見てなかったんですけどね。
逆に考えると良いことが起きる前兆かも(ついつい何でもプラス思考に考えてしまう僕)
行商人も一日、元気に楽しんでいきましょう!!!
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10/7の乱文
今朝は5時半くらいに目が覚めて外を見ると空が真っ赤になっていた。寝てる人を端から起こしたくなるような空。
今朝も気温は低い。
昨日は7キロ走った。なんとなく中1日休みにして5、6、7、8キロと上げて戻すを繰り返すのはどうかな?などと考えながら走っ��みた。なのでほんとなら6なんだけど、結局7に。
元の8キロに戻れなくなりそうで怖いのだ。しかし8キロでしばらく続けていたから7キロでも気持ち的に随分だった。
10月に入ってから近所の高校生が同じランニングコースを走るようになった。早い。。
10月ももう1週間が過ぎた。カレンダーの制作手帳の事も考えると中旬には絵をある程度終わらせていかないとまずいような。展示をほんとは11月にしたかったけど、事情もあり中旬に変更しておいて結果的にはよかった。
ここ数日は注文した絵の具がしばらく来ないのもあってご依頼の絵などにとりかかっている。なかなかキャンバスから机に向かうのって難しいというか、その逆もそうなんだけど、切り替えが。
なのでこう言ってはなんだけどちょうどいいタイミングだった。絵のサイズが小さくなると気持ち的に随分楽でこれは走る事と似ているなと思う。
大きいサイズを描いていると途中で結果がよく見えなくなってしまうのだ。小さければ手中に収められているという感覚がある。慣れというものなのか。描き始めた時は大きいのばかり描いていたんだけどな。
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Best Apartments Prestige Park Ridge Bangalore
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大泉緑地公園ランニングコース《1周3028m》(2024年4月27日) https://youtu.be/oK1gbh7oVdY?list=PL5_p1JmhJjC5h4N7hEnNR4bsHCKOTUqgP
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25.走った話
先週と今週で劇的に違うことは、走ったことだ。走ったといっても、ジョギングで2、3キロ、という程度だけれども、走ると走らないとの差は大きい。
それ以前に走ったのは、一年以上前だった。運動不足過ぎて体が重いし、体力も落ちてるから、何かしなければと思って、気軽に始められると思って走り始めた。その時も2、3キロという距離は同じだったが、仕事後の夜しか走るタイミングはないし、仕事が遅くなると寝る時間が遅くにずれ込むので走れない、走る時間に小雨以上の雨が降ると風邪ひきそうなので(まだ春前だった)走れない、走る前に少し何か食べてしまうとお腹痛くなるので(内臓弱い)走れない、などという、数々の走れない条件にならなければ走れる、という状況だし、なにより、それプラス自分のやる気があることが条件になってくる。走れる時間も限られるので、「今日もまたダメだった…」という気持ちで1日を終えることが多いことが負担になり過ぎてしまった。それでも週に2、3回のペース��3ヶ月くらい続けていたが、エアロバイクを買ってzwiftを始めたことで走ることはパタリとやめてしまった。
その点、zwiftは手軽だった。まず天気は関係ないし、始めるにも部屋着でOKだし、やめたくなったらいつでもやめられるし、時間も選ばない。バイクをこぐから、少しくらいなら食後でもできる。外を走る爽快感はないけれど、その分事故の心配とは無縁だ。ゲーム感覚でイベントをこなせば、絶対に自分では走れない距離を走ることができた。なんだかんだ週に1回以上、大体3、4回のペースで続けて気付いたら一年が過ぎた。
そんな感じだったのに、なぜ急にジョギングを始めたのかというと、きっかけはYouTubeだった。今週たまたま、おすすめで出てきた走り方のコツ、みたいな動画を見たのだ。そこからいろいろと見始めて、フルマラソンや100キロのウルトラマラソン、トレイルなどのレースに出ながら、自分でカメラを回して時々喋りながら走る人の動画をたくさん見た。まあそこまでは絶対自分ではやらないだろうけど、こんなふうにやるんだとか、こんなこと考えてるんだ、という未知の世界の発見みたいな面白さがあった。あと何より、みんなガチガチのプロ(ここで言いたいのは、マラソンでオリンピック出るとか、素人の私でも知ってるような人)ではなくて、走ることを楽しんでいて、無理なら潔くやめたりする。コンディションの悪さも受け入れて、それにどう対処するか、どう乗り越えていくか、というのが、感情レベルから少しでも知れるのが楽しかったのかもしれない。今まで私にとって、走ることは、そんなに楽しいことや気分が乗らなかったら辞めてもいい、みたいな感じのことではなかったので、新鮮だったし、改めて私もそんなふうに、楽しく走ってみたいと思い始めた。
思い立ってまずは、公園のランニングコースを走ってみた。一番の失敗は、メガネにレンズを乗っけるタイプのサングラスをしてたこと。レンズの重みで揺れるたびにずれ落ちてきて、鼻を塞いでしまって苦しくなるのだ。あとはドリンクを最初に買ったこと。去年買った安物のウエストポーチには、スマホと小銭入れと鍵を入れたら、もう何も入らない。ので、片手で持ち続けることになったのだが、なんとなくバランスが悪くて左右に持ち替えながら走ることになった。午後のいちばん暑い時間だったから、飲み物がないとヤバいかも、と思ったけど、そんなに長距離でも長時間でもないのだから終わってからでもよかったし、後で気づいたのは、ウエストポーチのベルトに挟んでしまえば手で持ち続けなくて���い、ということだった。
次の日、太ももの前面を筆頭に、とんでもなく筋肉痛になった。zwiftでそれなりに運動していたつもりだったけど、違う筋肉を使っているのかってくらい筋肉痛だった。太ももがこんなに筋肉痛になるのは何年ぶりだろうか。走り方の動画を見たからというのもあるかも。その上、太もものような大きな筋肉は筋肉痛もなかなか治らないらしく、3日以上引きずることになった。
3日くらい経って、筋肉痛が少しマシになったところで、今度は家の近くをグルグル適当に走った。あんまり人に会いそうにないルートで、住宅街の入り込んだ道をぐいぐい入っていく。迷って変なところに出たり、坂を登り降りする羽目になったりしたけど、ただ楽しんで終わった。お腹は少し痛くなった。でも家の近くをグルグルしてるだけだから、辛くなったらすぐ歩いて帰れるのが良い。曇りだったから涼しく、前回よりも少し長めに、ゆっくり目に走った。まずは走り方がどうこうよりも、楽しく気軽に走ることが大事だと実感した。走ってから家に戻り、そのままzwiftをすれば、なんだかんだ1時間くらい運動して、達成感がすごかった。たぶんこんな感じのことを、去年も本当はやりたかったのだと思う。まあ去年の場合はまず運動不足解消という目的もあったし、今のように時間の自由もなかったから、仕方ないと言えば仕方ない。でも今は、ただ走るということに新しい魅力を感じている。走ることを通して、何か楽しいことができそうな感じがする。まだ始めたばかりで、すぐやめてしまうかもしれないし、低頻度の趣味になるかもしれない。でもそのくらいのゆるい気持ちでやることの方が、楽しいことは間違いない。(2023.6.24)
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ランニングコースの設計をしたので、竣工した時に親戚を案内した。道の真ん中に、そのへんの土地で歴史のある大男のねぷた(脚1:5・全体像1:20)を配置して、難関コースにした。横断歩道を渡る時道にマキタの小さい「横断歩道用しるし」を置いて車に轢かれるのを見るのが最近のトレンド
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春と啓蟄とジャズと
最近通っている大好きなジャズ喫茶に行く道すがら、マウンテンバイクに乗った少年(推定中学1年〜2年くらい)が、右手に椿の枝を持っていた。枝にはたわわになった紅の椿の花と葉。小ぶりな枝だけど大切そうに何度も持ち方を変える彼の姿をみて、肯定された気持ちになった。その枝が、彼のためであろうと、好きな人のためであろうと、母のためであろうと、父のためであろうと、誰のためであろうと、綺麗なものを大切にする姿そのものが美しくて、愛おしかった。生きててもいいことあるじゃん、と思いながら彼の後ろ姿を眺める。イヤフォンからは最近ずっと聴いている、ジャズ。今日はビル・エヴァンスの「You must believe in spring」。
気がついたら春がきた。啓蟄。虫や生き物が土の中から出てくる季節。本能の赴くまま、彼らは起きてきて、活動を始める。いつものランニングコースでも春が訪れ、今年は急に来た暖かさのためか、木蓮と桜が不思議にも同時に咲き始めている。東京の桜については、「600度の法則」というものがあるらしく、2/1からの最高気温の合計が600度に到達すると桜が咲き始めるらしい。彼らは待ちきれない。自分の本能の赴くままに姿を変えることを。
先日、庄野潤三の「夕べの雲」を読んだ。何気なく手に取った本で、その前が藤澤清造だったから気分はあまりよくなかったので(もちろん彼の作品は素晴らしかったが)、悶々とした気持ちで読み始めたが、いざページをくると、その手を止めることができなかった。なんてことのない日常と主人の姿。だけれども、形容しようもない安心感と��かしさは何故なのだろうか。心を優しく撫でてもらっている気分になり、そして、遠くを見つめることでわかる自分自身もあるのではないか、とふと思った。
とにかく、これだ!とわかったら猪突猛進で走り抜ける性質があって、ここ数年は100メートルシャトルランをずっと繰り返しているようだった。100メートル向こう側に行って、また100メートルこちら側に戻ってきて。体力はついたけど、持て余す力反比例して疲労していく精神。シャトルランから抜け出す勇気が欠けていた。
春は可愛いものでたくさん溢れる。ランニングの途中、毎年足を止めて彼らの美しくも健気な姿を写すので忙しい。彼らは命赴くまま蕾をつけて花を咲かせ、次の命に繋げるだけで、そこに自信の美しさの誇示はない。他人からどう見えるか、それが自分たちの価値にどうなり得るかと、気になるのは人間くらいなのかな。
先日、親友の勧めにより映画「Blue Giant」を観てきた。ジャズプレイヤーである彼が勧めるのだから、まあ観ても良いのだろうとちょっと態度を大きめにして観て、驚いた。ここ数ヶ月間、ジャズにハマっていて、よく聴いていたけれど、音楽の質の良さ・熱量に圧倒されてしまった。劇中の演奏中、ソロの後には拍手がしたくてたまらなくて、心地よいグルーヴには体を動かしたくてたまらなかった。プリキュア映画の応援上映があるのならば、自由行動上演をしてほしい。映画が終わった後、あまりのかっこよさにニヤケが止まらなかった。久しぶりに何も考えない、楽しい気分になった。そのあともジャズ熱は止まらず、近所のジャズ喫茶を梯子した。最後のジャズ喫茶(冒頭に出てくるものと同じ)はレコードを大音量で聴かせてくれるので、たまらない。音楽を浴びているかんじ!
春とジャズって何か関係があるのだろうか。いや、ないな。ただ、わかることは今わたしに取って救いの手立てであること。前の前は、グラフィックデザイン、前は小説。いずれも今のわたしにとって、なくてはならないものになっている。これから、ジャズがその一つになり得るかどうかはわからない。けれど、一晩に何度も起きてしまうここのところの夜の中で、ジャズを嗜む夢が増えてことは何かに繋がるのかもしれない。
春と啓蟄とジャズと。わたしはまだここから出発しようとしている自分にあきれるけれど、希望も持つ。
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