#モリッシー
Explore tagged Tumblr posts
Video
youtube
(Morrissey Japan 2002 - YouTubeから)
3 notes
·
View notes
Text
モリッシー激推しする和志と俺
BOOKOFFの店員に名前で呼ばれる日々
粗品の泣き顔見て泣く俺
筋トレはイコラブ!☆
やっぱりギャンブルはしょうに合ってない
目が覚めたら歯が3本無い
酒を飲めずに5日経過
ルックバック見て半端ない涙量流す俺
XのTLがエロ漫画と選手権で敷き詰められる俺
11 notes
·
View notes
Quote
ブランドはパフォーマンス マーケティングで成り立っているのではない。ほとんどの DTC 企業は、実際にはパフォーマンス マーケティング企業である。彼らのモデルの大きな欠陥は、プラットフォームが提供する「顧客自動販売機」に過度に依存していたことである。これらの企業の多くは、CAC が上昇するにつれて機能しなくなった。 企業がパフォーマンスに軸足を移し、常に永続的なブランドを構築してきたブランド構築を無視するにつれて、文化が売り出されている。DTC 戦略は流通なしでは意味がなく、ナイキのようなブランドでさえ棚スペースにお金を払わなければならない。つまり、巨大プラットフォームによるパフォーマンス マーケティングにとりつかれ��ということだ。 「ブランドチームはブランドマーケティングからデジタルマーケティングへ、ブランド強化から販売促進へとシフトした」 「ナイキは、効果は低いが測定が容易なものと、効果は高いが測定が容易ではないものに、多額の資金(数十億ドル)を投資した。結論として、見事な資金の無駄遣いだった」
野望に許可は必要ない* - ブライアン・モリッシー
4 notes
·
View notes
Text
Rockin′On(1993.9 Vol.22) Brett Anderson
Brett Anderson
鋭利な論理で語り尽くす、 降りられない高速道=ポップ·スターの苦悩と栄光。そして、セックスを脱皮していくスウェードの今後
インタヴュー=増井修 翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●デヴィッド·ボウイとの対談の中で、あなたは「創造性というものは緊張がら生まれ、心地好くなった途端にすべては失われる」という発言をしていました。実際、スウェードの曲にはそうした強烈なテンションが感じられますし、ギグでもギリギリの地点でのパフォーマンスがわかるんですが、ではそういうあなたにとって、心の平安とか慰安とは何になるんでしょう?
「うん……そうだな……ほとんどそういう時間はないんだけど、例えばそう、家にいる時にはできるだけリラックスするよう心がけてるけどね……。でも重要なのはずっと進み続けるということだから、ノーマルな生活をする時間なんてあっちゃいけないものなのかもね。こうと決めたからには最後までやり通さなきゃ。音楽を作るどんなアーティストも、バート·タイム気分ではやれないんだ。朝起きてスーパーマーケットに働きに出かけて、夜になると家に帰ってくつろぐ、というのとはわけが違う。自分の一部になってるんだから。つまり音楽を作ることで自分自身を表現してるんだよ。だから、自分の一部が何一つ表現するものを持っていないとしたら、もうアーティストとはいえないんだ······。ある意味ではそうだな、車をぶっ飛ばしてるようなものかな。急に降りて一休みするなんてことはできないんだよ。だからリラックスする時間はほとんどない」
●そういうテンションの高い、言ってみれば常に追い越し車線を走っているような生活によって、抜き差しならない状況、例えばドラッグ中毒に追い込まれる危険というのは常々感じてます?
「うん、まったくそうだよ。常にそういうわき道にそれる危険性がある。ただ、車をぶっ飛ばす"というのは、必ずしも追い越し車線で生きるべきだという意味で言ってるわけじゃないんだ。ロックンロール神話を生きるというのと、ハイ·テンションの中で創造的な作品を作り出すというのは、明らかに違うからね。セックス·ドラッグ·ロックンロールなんていう神話はもう存在しないんじゃないかな。それはともかく、緊張度の高い状況に伴う危険性というのは確かに感じるよ。でもそれはあっても仕方ないんじゃない。喜んで引き受けるよ。それに俺はアーティストである限りはプライヴェートな自分というのはない��のと思っているんだ。だからまあそうだね。確かに乗っ取られてしまう部分もあるだろう。インクヴューだとかフォト·セッションだとか、そういったことが日常的なものになると、やっばりポップ·スターとしての生活のほうに比重がシフトしていかざるを得なくなるわけだしね」
●では、モリッシーはかつて「アーディストたるもの今にも死ぬんだという気持ちでステージに立たなければ駄目だ」と言いましたが、この言葉には共感できますか?
「うん、完全にね。『ああ、明日はあれをやらなきゃ』とか『明日もギグがある』なんて考えながらステージになんか立てないよ。いつもツアー終盤になると声が出なくなって「少し手を抜けば」みたいに言われるんだけど、ステージに上がった途端、まるで、何ていうかドラッグでもやってるような感じになるんだよ。これ以上へヴィーな経験はしたことがないってくらいにさ。だからうん、モリッシーの言葉には100%共感できる」
●しかし、そういう気持ちを保持しながら、年を取っていくことは可能だと思います?
「年を取った後もそのままずっと進み続けて、音楽そのものの持つパワーと緊迫感で、若さからくるエネルギーに対抗することだってできると思う。スウェードに関して言えば、俺たちの強さは、若さからくる強烈なエネルギーと音楽そのもののテンションの高さの両方にあると思う。だからそのうち俺たちのすべてをステージで出し切れない気がする瞬間が来ると思うけど、それは、ティーンエイジャー的なテンションの高さが出せなくなったということなんだ。そうなったら俺たち、最終的には音楽だけの世界に引っ込んじゃうだろうな。ライヴだとかインタヴューだとか写真撮影といった対外的なものはすべてやめて、もともと望んでいた音楽作りだけに集中して、純粋に音楽を通してのみ緊迫感というのを表現していくようになると思う」
●ということは、デヴィッド·ボウイが最新アルバムにおいて、そしてボール·ウェラーがスタイル·カウンシルからソロの流れにおいて、ポップ·スター·イメージからの脱皮を図った変化というのも、あなたなりに共感できる部分がありますか。
「うん、そうだね……。自分自身を表現し切ってしまうと、おのれのカリカチュアしか残ってなくて、自分でもうんざりしてしまって何か自分じゃないものに変わりたくなるんだと思う。それに、ミュージシャンの評価というのはイメージじゃなく音楽そのものによってなされるべきだしね。だから彼らには100%共感できるよ」
●では、こういう面ではどうでしょう?あなたがたは事あるごとに、「労働者階級の出身というみじめな記憶は一生消えないだろう」と語っていますが、この気持ちはやはり、あなたがたの意欲を支える復讐としてこれからもずっと変わらずに残ると思いますか?
「うん。猛烈な野心というのは、ある程度"復讐したい"という気持ちからもたらされると言ってもいいだろうね。自分の置か��た抑圧された環境から逃げ出してそして復讐してやりたいっていう気持ちがないと、野心なんて抱かないんじゃないかな。だから、もともと多くの権力を与えられた立場にいたり、裕福な家庭に生まれたりして、そもそも何かと闘う理由のまったくない人間は、何の野心も抱かないし、何もしようとしないんじゃない。だってそういう刺激を受ける要因が少ないからね。“復讐"というのはかなり残酷な言い方だけど、俺たちのことをかなり的確に言い当てた言葉だと思う。俺たちの曲は、性的な意味での自由だとか社会からの逃避について歌っているものが多いからね」
●あなたがたの曲からは、男同士だろうが女同士だろうがセックスこそが究極のコミュニケーションである、というメッセージが読み取れますよね。
「ある意味ではそうだろうね。セックスというのは、最もパーソナルで隠喩的な表現方法だと思う。でも精神的·宗教的なものとは比較にならないとは思うけどね。セックスって、何かを例えば漫画やCMに描いて表現するようなものなんだと思う。『セックス=ロマンス』とか『セックス=精神的親近感』といった単純で分かり易い形でね。俺は、セックスは究極の表現だからほかの何よりも重要なものだ、なんてことは絶対に言わないよ。確かに、ありとあらゆるものがセックスとのつながりを常に持っている。何もかもセックスと同じ線上に並べられているのがわかるんだ。何もかもが性的なイメージや性的なシンボルと結びつけられている。俺だって無関係じゃないさ。だけど俺は、セックスが究極的に重要なものだとは全然思っていないんだよ」
●ということは、曲の中でしばしば性的な言及を行っているのは、セックスこそが人間の持ち得る最高の関係なんだという体験的確信に基づいてのことではなく、ポップ·ミュージックの有効な表現の手法として選んでいるということなんですか?
「うーん……わかんないなあ。へヴィな質問だ(笑)。もちろんセックスへの言及は単なるでっち上げじゃないし、雲をつかむような話をしてるんでもない。すべて実体験を歌ってるんだ。自分が直接体験したものもあれば又聞きしたものもあるけど、どれもすべて俺の人生を一旦通って濾過されたものばかりだ���らね……。ただ、意識的にああいうメタファーを選んだんじゃないんだ。俺のやることはどれも、ある意味で潜在意識的なもので、とにかく意識してなくても自然に出てくるものなんだ」
●では、「世の中にはアブノーマルなセックスなどあり得ない」というような、ある種の啓蒙的なメッセージを伝えたいという目的意識は持っていなかった、といえますか?
「そんなことはないよ。だってそれは俺たちの音楽から読み取れるすごく重要なメッセージだと思うし、もちろんそう伝えたいと思ってるよ。ものすごく重要なことだ。だけどここでまたせックスを隠喩として扱うなら、そもそもこの世の中にはアブノーマルな人生なんてものはあり得ないと言えるんじゃないかな。実際そのほうが重要なことだよ。大勢の人間が自分の人生を見失ってしまい、そ���て社会から"アブノーマル"と決めつけられて恥ずかしい思いをしてるんだ。でも異常などというものはこの世に存在しないんだよ。健全さというのは統計で示すことができるものじゃないんだ」
●じゃあ、“ムーヴィング”の中“so we are a boy, so we are a girl”という印象的なフレーズがありますが、「ホモ体験のないバイセクシュアルだ」というあなたがもし実際にホモ体験をしているとすれば、あなたの表現の説得力に影響を及ぼし得る、あなたのものの見方を変え得ると思いますか?
「んー……。そう、あり得るかもね。まあ、変わるか変わらないかというのは、俺にとってはどうでもいいことだけどね。あの引用文の、っていうか、周りの人間があの言葉を引用する時に言う“性的なアンビヴァレンス“っていう考え方の何がイラつくかっていうと、みんながあの発言を読み違えて、すごく肉体的な文脈の中で提えようとするってことなんだ。俺は肉体的な意味でああ言ったわけじゃないんだぜ。俺は精神的な意味でのあいまいなセクシュアリティーに興味があるのであって、バイセクシュアリティーとはまったく関係ないんだよ。もっと精神的なアンビヴァレンスのことを言ってるんだ。一定の性的なアティテュードを伴う肉体としての人間ではなく、精神(スピリット)としての人間について考えてるんだ。“so we are a boy, so we are a girl”って歌う時に俺が言いたいのは、誰に愡れるかということではまったくないんだよ。人間だからといって、必ず何らかの性を感じなきゃならないなんてことはない。単に人間であるというだけでいいんだよ。脳ミソを持ったね。男に対する愛について俺が歌うと、大勢の人間が男に恋焦がれる男の歌だと読み違えてしまいがちだけど、大抵は女性の立場から歌ってるんだ。でも、それは必ずしも俺が女だということを意味するわけじゃない。女性の立場になって考えることができる幅を持ってるって意味だよ。だって人はただの人だもの。社会が人を“お前はへテロ”だとか“お前はゲイ”だとかいうふうに一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうのさ。でも人間というのは、こういったカテゴリーを超越できるだけの幅の広さを持ってるんだよ」
●なるほど、よくわかります。ただ、一つすごく興味があって、しかも非常に心配に思うことがあるので是非訊きたいんですけど、スウェードの最大の魅力というのは、あなたがたの音楽によって、我々が普段の自分ではなくなってしまえるところだと僕は思っているんです。そしてこれはセックスにおいて生まれる状況とまったく同じだと思うんですが、曲のテーマがセックスからべつの方向に徐々にシフトしてきているということになるとこの先、スウェードの最大の魅力であるこの“自分でなくなる”というフィーリングも消えてしまう恐れはありませんか?
「そうならないことを願うけど……。だってすごく悲しいことだからね。セックスの話をしなきゃ人じゃないってわけでもないし、セックスの話をしなきゃセクシュアルじゃないというわけじゃ必ずしもないんだ。ポルノグラフィーとエロティカが違うのと同じだよ。すごく明快に直接的に実際のセックスの話をすることもできると、セックスに一切言及しないでもセクシュアリティーの話をすることだって可能なんだ。なぜならセクシュアリティーとは、嫉妬、貪欲、衝動、魅力といった人間の基本的本能と大いに関係しているものだからさ。さっきも話したけど、こういった本能は確かに究極的にはセックスの中ですごく隠喩的に表現されるものだよ。でもその点だけを盲目的に強調する必要はないんじゃないかな。俺たちの曲にも、いろんな感情を直接的なセックスへの言及抜きで表現したものはあるよ。同じ衛動をセックス以外の話によって表現することは可能だからね。そうしないとすごく薄っべらなバンドになってしまう。だからもし実際に“もう全部やった”って思っだら、明日にでもすべて辞めてしまうよ」
●ということは、オーディエンスが自分たちの音楽によって普段の自分をまったく失ってしまう状況を作り出したい、というあなたがたの基本ラインは変わらないということですね?
「うん、そう願うよ。変わらないはずさ。まさに君の言うとおり、その中にいると自分を失ってしまって何も考えられなくなるという意味では、音楽はセックスと同義語なんだ。自分を運れ去ってくれる限り、“どうやって”自分を失ってしまうのかは間題じゃなくなるんだよ。無意識の状態に到達したという喜びに満たされてしまってね。そしてそういうことができるのは、多分音楽とセックスのニつだけだろう。俺個人にとって音楽が最もパワフルなアート·フォームなのは、もしかするとそのせいかもしれない。実際、俺にとっては音楽だけが本物のアート·フォームなんだよ。ほかのアート·フォームは頭で考えるものだけど、音楽だけは体と感性に訴えかけてきて、聴く者を遠くへ連れ去ってくれるんだ。そして俺たちはその中で我を忘れてしまうのさ」
●じゃ、今までのスウェードの曲はどれも極限の性描写だと解釈することも可能だったんですが、これはスウェードの発展過程における初期的段階だった、というふうに今は考えているわけですね?
「そう願ってるよ。それこそポップ·ミュージックの持つパワーだからね。ポップ·ミュージックがどんなにパワフルなものか、多くの人間が忘れてしまっている。ラジオでカイリー·ミノーグの次に3分30秒もらって、何百万もの聴衆に向かって自分たちの曲をプレーする時、その中にいろんなものを詰めこむことができるんだってことをね。流れるべきではないメッセージを突っ込んで、みんなの神経を逆撫ですることだってできるわけ。だから、これまでのスウエードにとっては、セックスについて歌うというのが重要なことだったけど、これからは、それ以外のことについて欧うのが重要になることもあると思うよ」
●そういうスウェードの新しい側面というのはシングル「アニマル·ナイトレイト」の“ビッグ·タイム”や、最新シングル“ソー·ヤング”に結構端的に表れているようですね。
「そうだね。いろんな意味で卑しさが消えてきて、いろんな意味で“エレガント”とでもいうべき側面が出てきたと思う。幼さというか若さはもう以前ほど感じなくなったね。でもいいことだと思うよ。ローリング·ストーンズみたいに25年経っても同じことをやっていちゃ駄目なんだ。もちろんストーンズは偉大なバンドだけど(笑)。俺は仲間に入りたいとは思わないね。うんざりしちゃうに決まってるもの。とんどん前進し続けて、自分を刺激し続けなきゃ。今のスウェードには、ヒロイ��ム、ロマンティシズム、そしてエレガンスといった要素が少しずつ表れ始めているように思う。“ソー·ャング”はそれを完璧に表現している、俺のお気に入りの自の一つなんだ。すごくポジティヴな曲なんだょ」
●わかりました。ところでライヴ·パフォーマンスの話をしたいんですが、実は僕、アムステルダムであなたがたのライヴを見てるんですよ。
「アムステルダムで!」
●イエス(笑)。
「退屈しただろ?(笑)」
●イェス!(笑)。
「アムステルダムのオーディエンスっておかしいんだよね。身じろぎ一つせずじっと立ちつくしたまんまで」
●ほんとそうでした。でも僕はあなたがたの演奏自体は非常に良かったと思うんです。
「ああ、それはわかってるよ。でもオーディエンスが何ていうかさ……とにかくすごく奇妙でおかしなライヴだったよ。つまりこういうこときーライグの良し悪しというのはバンドのコンディションで決まるんじゃない、オーディエンスの反応で決まるんだよ。ある意味では会場にいるすべての人間がパフォーマンスしてるんだ。バンドそしてオーディエンスが参加する、とてつもない規模のパフォーマンスさ。オーディエンスが参加しないパフォーマンスなんて、バンドが参加していないのと同じくらい無意味だ。オーディエンスがパフォーマンスする時は、俺たちと同じょうな格好をし、俺たちと同じようにエキサイトする。ただそれを歌声で表現するか演奏で表現するかが違うだけさ。だからオーディエンスが自分たちの役割を果たさないんだったら、悪いけど俺も果たせないね」
●(笑)。先日アメリカでのッアーのレヴューを読んだんですが、ボストンでは大酷評されていて、サンフランシスコでは大絶賛されてるんですね。で、これはあなたがたのバフォーマンスのせいではなく、観客の態度が違ったからだと?
「その通り。まさにそうだったんだよ。東海岸のほうが西海岸よりシニシズムをより強く感じたんだ。西海岸の人間はあっけらかんとしてるんだよね。LA、サンフランシスコ、サンディエゴでやったギグはベストの中に含まれるよ。東海岸では誰も俺たちのことを信用しようとしなかった。俺たちのことをミュージック·プレスの産物だと思ってるのさ。そんなんじゃないのにね」
●ただ、ここまでスウェードの人気が高まってしまうと、あとはもういきなりスクジアム·ロック化していくしかないという要請が、本当に既に出てきていると思うんですけど、そうなるともう観客の質というのはほとんど問えなくなりますよね。これまでずっと観客との緻密なコミュニケーションを図ってきたスウェードですが、やはり新しい段階に進まなければならないと思うんですけど、あなた自身、そのへんはどう考えてますか?
「うん……大きいなジレンマを感じるよ。しかもこれは甘受しなきゃならないものだ。最初の頃は、ギグの規密なフィーリングというのに固執していたし、何人かの観客と直接会話するようにしてたんだ。だけど結局そういうのは意味がないんだよ。だって直接話をするにしたってそれ以外の観客を拒んでいるんだし、それにそろそろ成長することを学ばなきゃ駄目なんだ。魚のように大きくなっていく方法を覚え始めないとね。小さな鉢しかないのなら小さな金魚を飼うしかないだろ?そして鉢のサイズが大きくなるのに伴って、魚も大きくなっていくんだ。そうやって、必要な時に自ら外に出ていかなきゃね。でも俺たちも今���もっと大きな会場でブレーして、もっと大人数の観客とコミュニケートする方法を実際に学び始めてると思うよ。でもある時点を越えたら、もうどんなバンドにもコミュニケーションなんてできなくなると思うしそう、1万人を越えたら事実上不可能になるだろうね。でもロンドンではブリクストンアカデミーでやった時の6千人が最大なんだけど、どうにかうまくコミュニケートできたと思う。小規模のコンサートに劣らず良い出来だったと思うよ」
●では一番最近のグラストンべリー·フェステイヴァルはどうでした?
「最高だった。確か4万人集まったんだよね?でも俺たちからはせいぜい前方の1万人か1万5千人くらいしか見えなかったんだけどね。グラストンベリーは俺にとって人生で一番エキサイティングな経験の一つだよ。電流が走ったみたいに、信じられないくらい興奮した」
●そうやって英国での人気はすごいものがあるわけですが、アメリカはどうでしょう?成功する自信はありますか?
「うん。でも時間がかかるだろうな。初めてアメリカに行った時は慌てちゃったよ。アメリカに進出しようとする英国のバンドはみな経験すると思うけどね。とにかくシーンの仕組みが英国とはまったく違うんだ。アメリカの音楽的土壌はすごくレイド·バックしてて、俺たちにはまったく馴染めないし、それに音がに対するセンスがすごく伝統的で、ジャズみたいにかなり扇情的な音楽が好まれるという点も、俺たちには全然合わないんだよね。だから成功するにはまだしばらくは時間かかるだろうけど、スミスと似たような状況になるんじゃないかな。スミスも今になってようやくアメリカで評価されるようになって、そういう意味では、スミスが俺たちのアメリカ逃出への下地を作ってくれたと思う。モリッシーも今向こうですごい人気だけど、俺たちの音楽のほうが彼らには受け入れ易いと思うよ。モリッシーの音楽ほどわかりにくくはないから��。とにかくやれると思うし、努力も厭わないけど、2、3度ツアーをやったくらいじゃ無理だろうな。それに“ポップ·ミュージックというのは基本的にティーンエイジャーが舵を執っていくものだ”っていうポップの理想みたいなものがあると思うんだけど、アメリカ人はもう疲れちゃってるというか、“600年ツアーし続ければ55歳でヒットが出せる”的な雰囲気が漂ってるんだよね。そのへんが難しいかもしれない」
●でも、“世界中の人たちに自分たちの音を聴かせてなんぼだ”という方針はあくまでも貫徹するわけですね?
「もちろん。俺たちにとって重要なことだからね」
●最後に、バーナードとあなたの関係について何いたいんですが、バーナードの場合はステージでもにこにこ微笑みながら手を振ったりして、非常にかわいらしいキャラクターの持ち主だと思うんですが、一方のあなたはすごい尊敬を勝ち得ると同時に、非常に敵を作り易い人だという気がするんです。そういう立場でバーナードとのバランスを保っていくというのは難しくありませんか?
「いいや、だってべつにバランスをとるためにやってるわけじゃないし、二人でそんな話をすることもないしね。どうしてああなるかというと、要するに、バーナードはスウェードの音楽面での主戦力であり、奴は普遍的な言語である音楽を奏でてォーデイエンスに語りかけてるつてことなんだよ。そしてき楽っていうのは、それがいい音をしている限り、決して攻撃的にはならないんだ——「なんだこれは!」とか「オエッ」とか思いながら音色を聴く奴なんていないってことさ。音楽というのはそういうことをしないんだ。これってすごい強みだと思うよ。だけど一方のシンガーというのは、自分の意見を他人に押しつけようとする。そしてその意見は、他人に受け入れられないものであることが多いんだ。シンガーは常にギクリストよりも不快で攻撃的なものなのさ。シンガーのほうがより社会的で肉体的なことをやらなきゃならないからね。でも、そういうものなんだからべつに気になりはしないよ」
●でもシンガーのそうした役回りは、あなたとしてはやっぱりへヴイじゃないですか?
「んー……まあつらいなって思うことも時にはあるよ。街を歩いてると「失せやがれ!」って言われることもあるしね。べつに澄ましてるつもりはないけど「君たちもっと実際にネガティヴなものを侮辱したらどうなんだ?」って気分になるよーひどい政治家とか世界の指導者とかさ」
●それでなくても、あなたのように派手な人はマッチョなグループからいつもひどい目に遭わされてきたんじゃないですか。
「ああ、もちろん遭ったよ。俺たちの曲にもそれははっきり出ているしね。バンドの活動自体がいろんな嫌がらせやゆすりへの反発なんだよ。順応や凡庸の名において俺たちをなじり倒そうとする奴らへのね」
3 notes
·
View notes
Text
さいきんの固有名詞日記
最近会社でお笑いめっちゃ好きなひとみたいになってる。実際番組に出ていただいてる方は芸人さんたくさんなわけで、雑談で演者のM-1話とかが出がち、そして喋るの好きなばかりに(やめたい)、色々言ってまう(やたら通過情報に詳しい、どんなネタやったとかすぐ答えちゃう)から、そうなる。常日頃「Kind Of Blueの1970年代US盤聴いたんですけどやっぱ音めっちゃ良いですわ、焦りました」とか言いたいけど言ってもどうしようもないからな言わんし我慢できる、でもお笑いは話通じるから言っちゃうな。そういうわけで何よりもお笑い好きなひとということになっており、かなり事実と異なっているが特に問題はない。
今日コーツ(という永田敬介さんと栗原さんという芸人2人のユニット)の漫才初めて生で見てこのネタ作ってる永田敬介さんって天才ってこと?と思って調べて初めて永田さんが元スパナペンチ(学生お笑いでめっちゃ有名だったらしいコンビ、すでにプロだったニューヨークにネタ勝負で勝ったなどの伝説的エピソードが色々あり、なんか名前だけよく聞いていた)だということを知った。このレベルの勉強する(?)ことがまだ大量にあると思うとかなり愉快。コーツの3回戦動画、かなりおもろいので是非。今日見たネタは、男性性の暴力性(=男性がどんなに弱い立場だとしても急にナンパされたら女性はとにかく怖いよ��)がとっかかりなんですが、そのトピックを食べて完全にオリジナルの💩として消化しててすごかった。なんか現実の事象をてきとうに扱ったアウトプットて大量生産マジイージーすぎ唾棄すべき、やけど、じゃなくて、昇華して他人に見せてくれるひと、マジありがとうございます。
年末のグレッチェン・パーラト予約した。最高に楽しみ。グレッチェンは最高に楽しみにしても大丈夫なのでうれしい。マーク、テイラー、クリス。はっはー。うれしい。アラン来て欲しいけど、クリス・モリッシーもそりゃいいよ。
明日も休み。ぼちぼち。
0 notes
Text
Amazon.co.jp: イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語(字幕版)を観る | Prime Video
0 notes
Text
プリーズ・キル・ミー 1
ずっとずっと欲しい物リストに入れていたこの本やっと買いました。こういう本を買う時というのは自分に気合いを入れたい時であり、自分のやってきたことはまちがってないと信じたい時です。まさに今いろんな理由でそのような状態になっているので、いつまでも欲しい物リストを温めていてもしょうがないんじゃない、ポチるとき来たんじゃないと思いました。
そして早速、今週はやることいろいろあるのですがずーっと読んじゃってます。私は読むの結構早いのです。全部読んでから感想をまとめるのは大変なのでやめにして、読みながら、かつ写真がないのでググりながら書いていきます。
プロローグ:
60年代ファクトリーマニアの私には実家のような、アンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドラグ・クイーンたちによるアンダーグラウンド演劇のエピソード。この本はあくまで音楽としてのパンクの歴史を辿るものなので、ミュージシャンでもなければパンク的な思考でもないイーディ・セジウィックの扱いは悪い!そのかわり、ニコは神話から抜け出てきたような絶世の美女として崇められています。人柄は褒められたものではないけど、とにかくいるだけで空気が変わりみんなが注目し…といった絶賛ぶり。この本のインタビューは80〜90年代に行われたもののようですが、ポール・モリッシーの崇拝ぶり60年代から変わってないじゃん…実際にニコと暮らしたロニー・カトロンは彼女にはうんざり、という感じでしたが、基本的に一緒に暮らしたりしなければ崇拝し続けられるんだなと思いました。性病持ってるし…
そしてほとんどの人からいつも、どんな映画や本でもその人柄を悪く言われているルー・リードはここでも嫉妬深いだの意地悪だのなんだのと見た目と才能以外は散々ですが、贔屓目に見て性格は悪くて気難しくても、ルーの言うことはまちがってないと私は思いました。それとウルトラ・ヴァイオレットが自分はフェミニストじゃないけど、と言いつつヴァレリー・ソラニスの主張にも一理あると言っていたのがなんかちょっと嬉しかった。ウルトラはやっぱりいいな。
エド・サンダースという人のコメントが気に入りました。小金持ちは家に帰ることができるけど、そうじゃない者たちがパンクになるという話。
第一部 I wanna be your dog:
文学的なロックとしてヴェルヴェッツよりも商業的に成功したドアーズのエピソードから始まりますが、ジム・モリソンのひどい言われよう。私はドアーズが特に好きでも嫌いでもないのですが、そこまで言ってやるなよジムはもう反論できないのだから。と思ってしまいました。
その後、舞台はデトロイトに移ります。ストゥージズとMC5の出会い〜結成〜などが書かれているのですが、私はどちらのバンドもあんまり好きじゃないのでちょっとダルかった。それでもイギーの発言にはキラリと光るユーモアがあり、彼を好きだと思う人がいるのもわかる程度にはなりました。イギーの近所に住むチンピラ兄弟アシュトン家の人々はイギーにふりまわされつつ、「んも〜!」とイギーについて行ってしまうような根っからのサポート気質で、とくに兄のロン・アシュトンにはだんだん愛着が湧いてきます。こういう人がいなければ物事は回らないんだな〜。
といっても、ニューヨークのヴェルヴェッツが演奏スタイル、ステージの演出、ダーティで文学的な歌詞などで注目を集めたのに対して、ストゥージズとMC5は派手で暴力的でトチ狂ったパフォーマンスで評価を受けるというよりは、アメリカ中西部の体力の有り余ったロクデナシに暴れる場所を提供しただけのようにも見えて、申し訳ないけどニューヨークとデトロイトはやっぱちょっとちがうねと思ってしまいました。
ひたすら過激なパフォーマンスや政治的なメッセージをぶちまけること、それらから引き出される観客の興奮や高揚というよりは暴動、暴動、また暴動。デトロイトは治安も悪く街全体が行き詰まってる���じ。MC5にはジョン・シンクレアといううさんくさい活動家兼詩人がついていて、バンドと彼らは共に暮らし共同体を目指します。男は武装、女はスカートも着られず家事にあけくれる毎日。こわ!MC5てこんなバンドだったんだ〜それは、私のアンテナに引っかからないわけだわぁ。というかそもそも、MC5を聞いてみた時ボーカルの声が好きじゃないなーと思ったのでスタイルとか抜きに向いてないのですが。どんな伝説のバンド・名曲・名盤と言われようと声が好きじゃないとどうにもならないのです。そののち、MC5はなんでジョン・シンクレアの言うこときいてたんだろ?と目が覚めるのですが、政治的なことはともかく彼らは田舎者という感じで好きになれませんでした。
この2バンドはとにかく暴れまくったエピソードばっかりであまり面白くなかった。イギー・ポップは存在感がありエネルギーの塊で、最高のクソッタレだ!(ロックとかパンクの話になるとこういう「奴はクソだよ。でも最高のクソだ。」みたいなセリフがよく出てくるのですが、ちょっと気恥ずかしくなります。私のボキャブラリーにはない言い回しだなと思います。たとえば私がルー・リードのような人を褒めようと思ったときに、こういう言い方はできないからです。)みたいな証言が続くのですが、ネグリジェに白塗りに割れたガラスの上を転がりまわって流血とかいった、ただただ奇抜なだけだとかドラッグの力を借りた奇行に私は何の価値もないと思います。イギーは一昔前に見かけた時、ライヴかフェスで観客を何十人もステージに上げて踊らせるという演出をしていました。私はこれを見るたびに自分の体力の消耗を最小限に抑えつつ、最大限に盛り上がってるように見せる姑息な手段だと思っていました。人数を増やせばイギーはそれほど派手に動かなくてすむしステージに上がったファンは嬉しいだろうし、まさに一挙両得なのですが、彼のことが好きではない、またフジロックの信者のようなタイプの人間が好きではない私にとっては俗にいうチベスナ顔になってしまうシーンでした。まだやってんのかなあれ。ハライチの澤部がまんまとあれを絶賛してたけど、私はハライチが好きじゃないの���やっぱりなーと思いました。この人好きじゃないなって思う人って、だいたい私の嫌いなものを好きだから、こういうのって99.9%当たるのです。多分みんなそうだと思います。なかには、パンクバンドなら全部好き、お笑い芸人なら全部認める、みたいな人もいますが、そういう人って心が広いっすね。パンクとかお笑いが好きというのは、それこそ多様性というかネガティヴな感情も持って当たり前だという、何かに対して嫌悪を持つことへの肯定、否定することへの肯定であると私は思うのですが、最近はパンクやお笑いでさえもラブアンドピース、エモい尊いといった感じなので、この本に書かれている時代から後退しているような気がします。この本の登場人物たちがさんざん、ヒッピーうざいと言って行動を起こしたのにもかかわらず。
(つづく)
0 notes
Text
0 notes
Text
1日数食日記
1/10(水)
今日は遅い出勤。ハイファイのレコードが届いたというのに、レコードも『これからの人生。』もジャケットだけ眺めて聴かず、B.J.トーマスを聴きながら『ルナティックス』を読む。そのあと通勤電車でも休憩時間にも『ルナティックス』を読む。気がつくと今週「ブギウギ」観てない。
したこと
映画
1. 俺たちホームズ&ワトソン / イータン・コーエン ★
安易に傑作扱いばかりしていいのか知らないが、『ゲット・ハード』コンビにジョン・C・ライリーまで出演しているのだから、これがスコア3を切るなんてどうかしてる(どうだっていいけども)。10代で出会っていたら人生変わっていて、コメディー脚本の勉強して劇団に参加し、今頃バイトしながらコント台本書いていたかも。それもいいなとほんの一瞬思わせる今作のスクリプトの素晴らしさよ。
音楽
1. The Best of Sonny & Cher
2. Young and in love / B.J. Thomas
3. The Astaire Story / Fred Astaire & Oscar Peterson ★
初めて聴いたアステア楽曲集、知らない曲も知ってる曲も心が踊るわ踊るわ。ひたすらウキウキする素晴らしい作品で、またすぐに聴くことになろう。
4. Troper Sings Brion / Mo Troper ★
ジョン・ブライオンの90年代前半のデモ音源のカバー集。知らない曲ばかりだと思ったらそういうことか。そのオリジナル音源がどうにか聴けないものか。なんて言いつつ、これさえあればとりあえずいいか、と思えるほど素敵な作品。#7はもうこれ家主だね。
読書
1. ルナティックス / 松岡正剛
その他
1. 【全曲解説】モリッシーの原点?ザ・モダン・ラヴァーズ (「久保憲司の聴くロック・エンサイクロペディア」@YouTube)
0 notes
Text
0 notes
Text
チャーリー・ブルッカー (2017) 『ブラック・ミラー (season 4)』
近未来のテクノロジーがもたらす社会の変容を描くSFアンソロジー第4弾。久しぶりに見ました。
このシーズンで最も卑近なエピソードは、デート・アプリを扱った「Hang the DJ」でしょう。あまりネタバレはできないドラマなので、元ネタであるザ・スミスの「Panic」の話だけします。
時は1986年、世間はチェルノブイリ原発事故で騒然となっていました。ラジオでニュースを聴いていたモリッシーとマーは、事故以上に驚くべき事象に遭遇します。臨時ニュースが終わると即座に、ラジオDJがワム!の「アイム・ユア・マン」を流し始めたのです。え、なにこれ? ワム!が今のおれたちの人生とどう関係あんの? この経験をもとに二人はサビで次のように連呼する曲を作りました。「DJを吊るせ!」
さて、この曲がストーリーとどう関係してくるのでしょうか? お楽しみに~👋
0 notes
Quote
DTC は罠になりかねない。卸売業になるという考えが時代遅れの戦略とみなされていた時期があった。誰もが直接販売を望んでいた。パンデミックは企業にあらゆる種類の誤ったシグナルを与えた。習慣の正常化とゼロ金利政策の終了により、これらの賭けは失敗に終わった。ナイキにとって卸売パートナーの放棄は、競合他社がその空白を埋め、ナイキが放棄した棚スペースを文字通り奪うことを意味した。 さらに、DTC 戦略はブランドをコモディティ化させる可能性が高くなります。なぜなら、「需要創出」への移行は流通に多額の資金を投入することを意味するからです。このため、ナイキは象徴的なストーリーテリングからデジタル マーケティング ゲームへと移行しました。デジタル マーケティングは主にブランド構築ではなくダイレクト マーケティングです。インターネットは価格比較のために構築されています。ジェフ ベゾスは価格と利便性に異常なほど重点を置き、インターネット リテールを支配していますが、ベルナール アルノーはまったく異なる、主にオフラインのゲームをプレイしています。
野望に許可は必要ない* - ブライアン・モリッシー
2 notes
·
View notes
Text
Rockin′On(1993.9 Vol.22) Bernard Butler
Bernard Butler
ジョニー・マーを敬愛し、自らを「いくじなしで間抜けなやせっぽち」と語る清純なる音楽人間バーナード、世界初単独インタヴュー
インタヴュー=増井修 翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●実はあなたのステージを見るのは昨日で3度目だったんですが、僕はステージの上でニッコリ微笑みながら手を振るあなたの姿を見る度に、すごく奇妙な気持ちになるんです。アイドル的なファン·サービスとしてやっているのではもちろんないだろうし、でも、かといってシニカルな意味が込められてるわけでもないだろうし。あなたとしては、觀客に対してういう気持ちで接しているんですか?
「まず、シニカルなものではないことは確かだよ。ステージは観客とのコミュニケーションがすべてなんだ。楽器が���けるようになると、その楽器を使って自分の気持ちを表現したくなるだろ。歌にしたってそう。歌うことでその気持ちを���かの人たちに伝えたくなる、コミュニケートしたくなるんだ。だからステージでプレーするのさ。逆に最も無礼で最悪なのは、ステージの上で「俺はポップ·スターだ。俺はすばらしい。みんなが俺を愛してる」って思い上がった態度をとることだ。そもそも俺はああいうことができるタイプの人間じゃない。ステージであんなふうに振る舞うなんて、とても恥ずかしくて��きないよ。俺には我慢できない。観客がこぞって自分を崇拝し始めるなんてさ。そういう観客もいるっていう事実は事実として受け止めてるけど、でもやっぱりバツが悪いし、俺としてはできる限りそういうのはなくしていこうと思ってる。だってステージの上から俺が伝えたいのは、“俺は普通の人間だ”ってことだけなんだから。生まれてこの方ろくなことは何もやってない、どこにでもいるただの間抜けな人間なんだよ。で、そんな俺にもギターが弾けるってことがわかって、しかもたまたま上手に弾けたもんだからじゃあもっと上手くなってグレートなレコードを作ってやろうって決心したんだーーこの通り、何も難しいことじゃないよ。俺がやりたいのは、音楽に対する俺の感じ方を表現する、それだけなんだ。そして『ほら、いいレコードだろ?いい曲だろ?俺気に入ってるんだ。君たちもきっと気に入るよ。一緒に楽しもうよ』ってことを伝えたいんだーー単純なもんさ」
●じゃ我々観客の側としては、ああいったあなたのアクションが表しているのは、ステージで純粋に音楽を楽しんでいるあなた自身なんだ、と受け止めていいわけですね?
「その通り。俺の楽しんでる姿を見て、自分たちも楽しめるんじゃないかって気持ちになってほしいんだよね。すごく簡単なことさ」
●(笑)。あなたのギターについて伺いたいんですが、あなたのサウンドを聴いてると、ギタリストになるためにギターを始めたというよりも、ヴォーカリストが歌っているようなギターだなあという印象を受けるんですが、元からギタリスト指向だったんですか?
「うん、そうだね。歌わなくて済むからさ。マイクを持って歌わなくて済むようにギターを選んだわけ(笑)。でも曲作りという点では、確かに君の言うようにヴォーカリスト的な視点から作ることが多いね。だって、ギター·プレーがあまりにもつまらない音楽が多過ぎるからーー特に俺が育った80年代の音楽はね。それにインディー·シーン、あるいはいわゆるオルタナティヴ·シーンのギタリストは、誰も彼もがぶっきらぼうな弾き方をしてるだろ?シンガーの後ろでただやみくもにコードを掻き鳴らしてひどいノイズを出すだけでさ。そうやって、何の努カもせずにすごくくだらないやり方でギターを弾いてる人間を見てると、イライラしてくるんだよ……。だから、俺はいつもギター·リードを考えながら曲を書くのがいいと思ってやってきたんだ……言葉ではやっぱりうまく説明できないけど、でも君の言ってることは正しいと思うよ。実は、子供の頃は最初ヴァイオリンをやってたんだ。で、4年間続けたんだけどギヴ·アップしてギターに乗り換えたわけ。でも俺は決して巧くはないよ。テクニック的には俺はいいギタリストだとは言えない。ただ曲作りがうまいから救われてるんだと思う���でも確かに俺は、ヴォーカル·ラインをなぞるようなぶ厚いギター·サウンドを出すのが好きだね。実はスウェードの連中と出会う数年前に、ロンドンで何度もバンドを組もうと頑張ってたんだけど、どうしてもシンガーが見つからなかったんだ。何度も広告を出して募集したのにね。もしかするとそれで自然とこういうギター·サウンドを出すようになったのかもしれない。シンガーがいないままスタートしちゃったから、シンガーが歌っているようなメロディー·ラインをギターで弾くようになったんじゃないかな。無意識の内にーー」
●ブレットはあなたとのことを「互いに喧嘩し合ってるシャム双生児だ」と表現し、また「名曲というのはものすごい緊迫感がないと生まれないものだ」とも言ってるんですが、そういう意味で、あなたと彼の間の曲作りというのはどういうふうに行われているんですか?
「確かにテンションはあるよ。でももちろん個人的なテンションじゃなくて、さっき君が言ったように、俺ってギターでヴオーカル·ラインを作ってしまうだろ?だから二人して互いの頭の中にあるメロディーを詮索し合おうとするわけ。そういう『あいつよりいいメロディーを書いてやろう』っていういい意味での緊張感はあるよ。それに、基本的に俺が音楽を作っててブレットが詞を書くから、常日頃から奴のために曲を作っておいて、その中からいい曲を探してやらなきゃならない。でも、奴がその曲に詞をつけたい気分じゃない時は、俺がいろんなアイディアを持ち込んで何とか書かせようとするんだ。さもないと曲自体がゴミ箱行きになりかねないからね。だから喧嘩はよくするし、緊迫感はすごくあるよ。次のシングルはどうするかで常に争ってるからね。俺がすごくいい曲を作っても、ブレットが放ったらかしにしたりなかなかうまい具合に詞が書けなかったりすると、俺はすつごくイライラしちゃうよ。たとえば“アニマル·ナイトレイト”なんて、ブレットが詞を完成させる1年も前から曲の方は出来てたんだ。どのシングルも、俺には曲を書いた時点で『これはシングルになる』って直感でわかるんだけど、あの曲を書いた時も絶対シングルにしたいって思った。でもブレットは全然乗り気じゃないんだよね。で、1年間ブレットに「なあ、これはシングルにしなきゃ。詞を書いてくれよ」って再三に渡ってプレッシャーをかけ続けて、ようやくこれはと思える歌詞が出来上がって、シングル·リリースしてみたらさ、ナンバー·ワン·ヒットになったというわけ」
●へぇ(笑)。“アニマル·ナイトレイト”は、あなたのアイディアが1年間大切に暖められた結果出来たものなんだ。
「そうなんだよ。ブレットを説得するために随分時間を費したな。とりあえず詞が完成した後も、まだ奴は果たしてこれがシングルに適してるかどうか不安がってた。俺が『これこそまさにシングルにうってつけの曲じゃないか。キャッチーだし、ノリはいいし』って言っても、『いやあ、どうかなあ』ってゴネ続けてね。で、プロデューサーの後押しでようやくスタジオに入ってレコーディングを始めたんだけど、ミキシングの段階に入って、ようやくブレットにも、これこそシングルにぴったリの曲だってはっきりとわかったみたい(笑)。時々フラストレーションを感じてしまうよ。奴と俺とは考え方や、やらなきゃならない仕事の中身が違うからね。俺は音楽を作ってればいいだけ��けど、でもブレットは大変だよ。詞を書くからもっと慎重に集中してやらないとできないし、その一方でプレスの相手もしなきゃならないから、どんどん状況が悪化してきてる。難しいよ。音の方が完成していてもブレットが動けない、っていうすれ違いが生じて、せっかくの曲が無駄になってしまいかねないからね」
●あなたとブレットはことあるごとに“モリッシー&マー"という関係と比較されていますが、やはり嫌ですか?
「んー……ま、ある意味ではそうとも言えるしそんなことはないとも言えるね。だってあの二人はとびきりすごいソングライターで、俺もすごく尊敬してるから。子供の頃の俺にとって、当時の偉大なソングライターと言えばあの二人だったからね。ものすごく影響を受けたよ。俺はジョニー·マーのギター·プレーが大好きなんだ。彼は同時にすばらしいソングライターでもあるしね。唯一煩わしいのは、スミスのTシャツを着たファンにTシャツにサインしてくれって頼まれたり、絶えず『あなたこそジョニー·マーだ』、『あなたこそモリッシーだ』って言われることだね。だってそんなのまったくのウソだもの。俺のプレーはジョニー·マーとは全然似てないし、ブレットだってモリッシーみたいな歌い方はしてないぜ。とにかくどう考えたって、俺たちのサウンドは、スミスのサウンドとは似ても似つかないと思うけど。なのにこういう比較をされてしまうのは、スミスが解散してからこの方、英国の音楽シーンに彼らのようなバンドが久しく出てこなかったからだよーースウェードが登場するまではね。二人のメンバーがポップ·ソングの古典的名作を作り、ギターを使い、ストーンズ、T-レックス、ビートルズ、そしてロキシー·ミュージックといった偉大なブリティッシュ·バンドの伝統を継承する音楽を作り出したーーそういう意味でスウェードはスミス以来のバンドだったんだよ。ほかのバンドは一切こういった偉大なバンドからインスピレーションを得てなかったように思う。それにもう一つ、スミスが偉大だったのは、モリッシーの歌う言葉がすごくシンプルで感動的で、しかもごく普通の言葉だったってことだ。ジョニー·マーのギターにしてもとてもメロディックで、直接的で、聴く者を感動させるようにプレーされている。べつに奥の深さなんてまったくなかったのさ。すごくストレートに訴えてくるんだよね。そして彼らが解散して以来、誰もスミスのようなことはやってしないんだよ。ファンの視点から考えてみてもそうさ。スミスが英国の若者に与えた影響、そしてファンの反応——どっちもすごくパーソナルなものだったよね。当時の英国のティーンエイジャーにとって、スミスは最後の避難場所だったんだよ。そして彼らはみんなのお気に入りのバンドになったんだ。ビートルズが国民の人気者だったようにね。でも今じゃ誰も“お気に入りのバンド”なんて持ってやしない。音楽が好きでレコードも買うし、NMEも欠かさず買ってるかもしれないけど、大好きな特別のバンドというのがないんだよ。そこまで重要なバンドが全然存在しないからさ。スミス以来、長いことそういうバンドが不在だったんだ。そして俺たちがその不在に終止符を打とうとしているんだと思う。スウェードはみんなのお気に入りのバンドだと思うからね。でももちろん、俺とブレットがモリッシー&マー·コンビと同じくらいすばらしい曲を書くとみんながみんな思ってる、なんて言うつもりもないし、彼らみたいに俺たちの名前も歴史に残るはずだなんて言うつもりもないよ。あの5年間にスミスがやったことそしてあの解散は、まったくすばらしかった。一方今のモリッシーがやっ��ることはゴミ、ゴミでしかないね……。つらいけどそれが現実さ。ジョニー·マーのことは今でも尊敬してるよ。今の彼は楽しみとして音楽をやってるからね。あの偉大なロック·バンドで5年間プレーし、それが終わった後は戻りたいなんてもう思ってもいない。“スミスは偉大なロック·バンドだった、でも5年目に終わったんだ"っていう事実を受け入れてるんだよ。でもモリッシーの方は今でもスミスをやりたいんだと思うよーー彼はどんなにスミスが偉大だったかってことに気付いてないけど、もう気付くべきだね。あの5年間のスミスは本当にすばらしい音楽を作り出す偉大なバンドだったってことを認めるべきだ。そしてスミスは終わった。あのまま続けていたらひどい結末が待ち受けてたはずさ。だからモリッシーも、もう何かべつのことを始めるべきなんだ。でもジョニー·マーの方は既に、偉大なスミスでの5年間というのを受け入れてるよーー5年の間まさに自分のやりたいことやり、そして解散したという事実をね。そしてその後の彼は、とにかく音楽を楽しむことにしたのさ。気晴らしにギターをプレーし、好きな人に曲を提供し、ほかのバンドのプロデュースをやり、プライヴェートでは奥さんや子供との生活を楽しんでるんだ。彼の幸運を祈るよ。今でも彼のことは100%尊敬してるんだ」
●あなた自身もそういう道を辿りたいと思います?スウェードではあなたの望むようなことができなくなり、いい音楽が作れない状態になったとしたら、バンドを去ってジョニーのように気晴らしに音楽をやるようになりたい?
「うん。気晴らしというのとは違うけど、死ぬまでミュージシャンでいることを楽しみたいね。でもバンドは基本的に若いうちしかできないよ。だって30代半ばにもなってごらんよ……誰にも感動なんて与えられなくなるぜ。若者にインスピレーションを与えたりなんかしなくなる。ジェネシスだって若者の心を動かしたりはしないだろ。べつにスウェードもそこまで長い間続けると言ってるわけじゃないんだ。終わるべき時に終わるって言いたいだけ。だからそれは明日かもしれないし、10年後の話になるかもしれない……本当のところはわかんないし、あんまり知りたいとも思わないけどね。でも一生ミュージシャンをやっていたいという気持ちは確かさ。そしてスウェードが終わった時には、それまでとは根本的に違うことをやってみたい。俺たちのやってることの性質上、つまり俺たちってギターをフィーチャーした古典的なイギリスの口ック·バンドだから、それが俺の履歴書の最後の記録になる必要はないと思うんだ」
●なるほどね。じゃ、ジョニー·マーがかって「バンドというのは“こいつと切り離されたらもう死ぬしかない"っていうほどの強迫観念がないとやっていけないもんだ。強迫観念がないのならバンドをやっている意味などない」という名言を吐いたことがあるんですが、この言葉に何か通じるものを感じますか?
「うん。わかるなあその意味。スミスが終わった後のジョニーの生き方は、まさに俺も望んでるものなんだ。俺も退屈である意味ではうんざりするようなことをいろいろやってみたいんだよ。多くの人が人生で経験することだけど、ステージでは経験できないことをね」
●というと?
「とにかくいろんな退屈なことだよ。子供を作ったり、すてきな家を建てたりさ……。今の俺たちはほとんどの間ツアーに出てて、バックステージが我が家のような状態だからね。ゆっくり曲を書いたりレコードを買ったりする時間もない。もちろん今はそういうことはやれなくて当然だし、やりたい��も思わないよ。だって、俺にもこのバンドに関わってることの大切さがわかってきたからね。理論的な意味で言ってるんじゃないんだ。ただ自分のすべてをこのバンドに注ぎ込む必要があるんだってこと。だからスタジオに入ったらずっとその中に留まって、レコードが出来上がるまで離れないしね。デビュー·アルバムを作ってる最中とか“アニマル·ナイトレイト”をミックスした時も、20時間ミキシング·デスクに座ったまんま、完成するまでずっとスタジオに籠り切りだったんだぜ。そういうふうにしてないと駄目なんだ。バンドに取り憑かれてないとね。眠れないし、疲れるし、頭ん中で曲がずーっと鳴っててほとんど気が狂いそうになるしで、もう最悪だったけど、ある日突然『すっごく楽しいな』って気付いたのさ(笑)。だけどこのニつって、同じ時点で崩れ去っちゃうと思うーー楽しめなくなった時点でいい曲は書けなくなるってことさ。でもどこまでやれるかなあ。とにかく一定のレヴェルまではやってみて、もうこれ以上は無理だって思ったら、ほかのものに乗り換えるよ」
●こうして話を聞いていると、あなたが心から音楽を楽しもうとしているのがよくわかるんですが、ジャーナリストの追求や大衆の注目といった、名声に伴ういろんな煩わしい間題を避けて通れなくなる中で、音楽をやることへのプリミティヴな喜びを保持していくというのは大変じゃないですか?
「ああ、まったくその通りだよ。一番いい例はツアーさ。俺たち2月か3月以来ずっとツアーして回ってるんだけど、これだけ長期間やってると、以前はライヴをやるのが大好きだったのに、今ではまったくやる気が失せてしまうこともあるんだ。たとえば“ドラウナーズ"なんて、プレーする番になると『またかよ』って気分になっちゃうことがある。だって何度も何度もそれこそ毎晩のように、しかも毎晩新鮮な気持ちでプレーしなきゃならないんだからね。すごく厳しいよ。ここまで無事やってこれて驚いちゃうくらいさ(笑)。それに、プレスの人間には本当にイライラさせられる。奴らには俺たちのことなんてわからないんだよね。俺たちが作る音楽も、俺たちが音楽をやってる理由も、連中にはわかってないのさ。英国で1年余りの間俺だけが特別に音楽業界との距離を保ってきた理由の一つがそこにあると思う。俺はこの業界の人間とは一切付き合いがないんだ。ぼかの3人はある程度は付き合ってるけどね。音楽業界に友達は一人もいない。ブレットとプロデューサーのエド·ビューラーを除いてはね。業界の人間は嫌いなんだよ。英国の音楽業界にはあまりいい奴はいないんだ。連中は自分がプロモートしている音楽よりも自分自身のことを信じてるからね。連中は、いつもシニカルを決めてなきゃ駄目だと思ってる。本当にフラストレーションを感じるよ。それに、俺がブレットを憎んでるだの、ブレットがスターで自分はスターじゃないってことを気にしてるだの、事あることに書き立てられて……。オランダで、間違って英国盤とは違うジャケットでレコードが出された時も、俺がブレットへの当てつけでやった、なんてことを言う奴がいたりしてさ。すごくアンフェアだよ……(沈黙)。もううんざりさ。時々どうしようもなくなることがあるんだよね。…でも、なぜこんなにフラストレーションを感じるかっていうと、やっ��り俺にはアカデミックな視点から音楽を見ることができないからなんだよ。俺は学問肌の人間じゃないし、知識人でもないからね。何でもありのまんまを楽しむ人間だから。ま、見方はちょっと浅はかかもしれないけどね(笑)。俺が音楽に楽しみを見いだせるのは、レコードを聴いてて『こりゃスゴイや』って思える瞬間だけなんだ。なぜスゴイって思うのかもわかってる。ただ、じっくり座って『ここがこうだから』だの『あそこがああだから』だのと理論付けすることができないんだよ」
●しかしそう言われてもやはりここでジャーナリスティックな質問をしなきゃならないんですけど……。
「(笑)」
●スウェードの音楽の何がすごいかというとやはり、「オーディエンスの側に“エロティックな無法地帯”を作ってやるんだ」というバンドの強い意志を感じさせるところだと思うんですよ。そしてやはりこういう姿勢というのは世間のモラルに抵触することが多いものだと思うし、そういう意味ではすごく攻撃的なコンセプトだと思うんです。で、そういうバンドの基本的なコンセプトにあなたは賛同しているんでしようか?
「んー……(と突然言葉に詰まり出して)。そうだなあ……。俺たちの音楽のセクシュアリティー云々についてはしょっちゅう話題にされてるし、しょっちゅう誤解されてもいる。つまりこれもすごく単純な話だってことさ。ブレットの『自分はホモセクシュアルの経験のないバイセクシュアルだ』っていう発言も、完全に前後関係を無視して引用されてしまってるんだよね。奴が言いたかったのは『誰かがゲイでも俺は気にしない。そして俺がもしゲイだとしても、そのことが君にとって重要な問題になるべきじゃない』ってことだけさ。俺はゲイじゃないしブレットもゲイじゃない。日本でも英国でも、誰もがブレットはゲイなのかを知りたがってると思うけど、これが真実さ——奴はゲイじゃない。俺が知ってる。でもサイモンはゲイだよ。そしてブレットはそのことで何の問題も感じちゃいない。ブレットが言おうとしたのはそれだけさ。俺たちのように英国の小さな町で生まれ育った人間は、どちらか一方にならなきゃならないのさ——つまり、サッカー好きで酒好きのタフ·ガイで、女性を卑下し、ホモセクシュアルなど、社会のドロップアウトあるいは変わり者とみなされているあらゆる人間を毛嫌いするファシストになるか、それともそいつらに攻撃される側になるか——どちらか一つなんだよ。こういう抑圧的な環境の中で、俺たち、ある部分いくじなしとして育ったんだと思うんだ。俺たちみんな、どこかいくじなしだと思うよ——みんな泣くしさ……ある部分でフェミニンなバンドなんだと思う。べつに胸があって女の子の格好をしてて、っていう意味でじゃなく、若い頃には出来なかったやり方で人々に理解してもらおう、通じ合おうと必死になってる、そのアティテュードが女性らしいっていう意味さ。若い頃は、俺たち、周囲の男たちに何らかの形で抑圧されていたからね。そんな中で人生に希望を持つなんて、俺には土台無理な話だった。こんな瘦せっぽちの俺の話なんて誰も真剣に聞いてはくれないからね。こういう環境って、性的な部分でも威圧感を与えると思うよ。俺たちの作る普楽にすごくセクシュアルなグルーヴ���漂ってるのはそのせいさ——すごく優雅に、上品にね。粗暴じゃないという意味において、すごく“か弱い"音楽なんだ。みんなの頭を撫でて振り向かせる音楽というか」
●つまり、あなたがたの音楽の中で表現されているセクシュリティーは、通常とは反対のやり方で社会に対して攻撃している、ということですね?ヘンリー·ロリンズのような人は音楽によってダイレクトに社会を攻撃していますが、それが唯一の攻撃方法ではない、瘦せっぽちの人間が上品に社会を攻撃することも可能なんだと。
「うん。でも俺たちはセクシュアリティーだけを取り上げてるんじゃないんだよ。ブレットがステージ上で『あっちのほうは試したことがあるかい?』なんて、ホモセクシュアリティーを思い起こさせるようなことを言っても、その言葉通りのことを意味して言ってるわけじゃ決してないんだ。奴が言いたいのは『こういう生き方を試そうとしたことがあるか?親に言われたからといって16歳で銀行に働きに行ったりしない、女性はみんなキッチンの流し台を掃除していればいいなんて考えを持ったセクシストにはならない——そういう生き方をしようとしたことがあるか?』ってことなんだ。こういったことはどれも俺たちが育った社会の気質に反してる。痩せっぽちのノッボっていうだけでもちゃんとした男とは見なしてもらえないんだものね。一度に10個のレンガを持ち上げられなきゃ一人前の男じゃないんだよ。だから、必ずしもセクシュアリテイーに関る問題だけじゃなく、ライフスタイルそのもののことを言ってるんだ。『瘦せっぽちでも構わないんだよ。君のことを気にかけてる人たちがいるんだから。この人たちは君がどんな思いでいるかわかってくれてるし、君のことを考えてくれてるんだ。だから自信を持つんだ。俺たちの作ったすばらしい曲を聴いて、そこから君自身のやり方で希望を得てほしい』。そうみんなに語りかけてるのさ」
0 notes
Text
蔦の日 20231003.
昨日The Smithsのボーカルであるモリッシーの半生を題材にした映画を観た。が、肝心の演奏シーンはほとんどない。スミス結成前夜までのストーリーで、エンディングで拍子抜けしてしまった。モリッシーがいかに卑屈な気難しいオタクなのかは分かった。その様子を見ていて何を考えていいのか分からなくなってしまった。一緒に見ていた人も、脚色のない現実ってこんな感じだよな、というようなふんわりとした感想を伝えてきた。成功とか勝利とかって一体なんなんだろうと私は考えていた。音楽も映画も小説も創作は全て無条件に他の何か(日常的なこと)よりも優れているということはないはずで、エッセンシャルワーカーのロックシンガーがいてもいいように、普通と逸脱は共存しえると何となく思う。しかしモリッシーはやっぱりカリスマだったんだろうな。多くの人の心を掴むにはあそこまで思い詰めたり、のめり込んだりすることが必要なのか。
今朝起きたら頭痛と歯痛がひどく、夢の中で起きたことに対して辟易とした。ずっと怒鳴っていた。自分の心の世界へ何かが侵略しようと襲いかかってくるような、恐怖心を煽られて私は怒りで対抗していた。そろそろ何かを成し遂げたいと思う。せめて小さなことでも。私は抜け殻になってしまったんだと先月自覚したが、アイデアが枯渇したわけではないと思う。ただ問題は、エネルギーが足りないことと、感傷的になり過ぎてしまうこと、だ。全て季節のせいにしてしまえば、寝て過ごしてたらいつかは元気になるはずなのだけどそうもいかない。パンセを開こう。
――――
人間はいったいどうなるのだろう。等しいのは、神となのか、獣となのか。何という恐ろしい距離だろう。われわれは一体どうなるのだろう。すべてこれらのことによって、人間が道に迷っていること、本来の場所から堕ちていること、不安にかられてそれをさがしていること、もはやそれを見いだしえないでいることを悟らない者があ��うか。そして、いったいだれが彼をそこへ向かわせてくれるのだろうか。最も偉い人たちにも、それができなかった。(273頁)
――――
そして今日から新しい講座が始まる。受講者が集まってくれて本当によかった。少し元気を出して楽しくやろう。週末は香川に行くことが決まっている。行けるんだらうか。でも先輩たちには会いたい。今はまた人間関係が固定化しつつあって、それを安定と呼ぶべきか、不安定と呼ぶべきか私には判別つかないが、毎日同じ人のことばかり考えてしまうのはいかがなものかと自分でも思う。彼と出会って3ヶ月が経った。その間に実家に住むようになって、また新しい部屋を借りて整え、バイトと次の進路の審査に落ちた。彼のつくった小説に感化されて自分もやらねばと思い立ち記録をつけ始めた。そして次のアイデアが今すでにいくつか頭の中にある。私は立ち直るのが早い方だと思う。そしてすぐに忘れる。これにはいい面もあるしわるい面もあるのだ。実は忘れてないしね。見えない痣になって残っていたりするのだから、私も意外と繊細だしちゃんと人間なのだとたまに確認する。はっきりしたつながりや絆が見えないと(私が)思っていても、誰かと心の世界に一緒に降りていって会話したり、そこで戯れたりできることは純粋に嬉しい。後輩のYちゃんのことを想っても、まだ仲良くなって1年も経ってないのに、とふと気づく。何も起きていない時に限って何かしらの証や記号が欲しくなるのは、安心の形を間違って想定しているからなのだろう。信心が足りない。もっといい加減に、もっと柔らかに、もっと溶けるように、大いなる日常の穏やかな流れのうちへと滑り込んでいきたい。
0 notes