#ミロンゲーロ
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Fui a Milonga organizada por José et Rika. Uno de los grandes milongueras, Aida ha aceptado dos veces mi invitación. me hizo sentir el alma del tango que supera con creces el nivel de la técnica. Ella me dijo "muy lindo" que interpreto "buena suerte el niño". Muchísimas gracias. リカさん、ホセさん主催のミロンガに遊びに。8?歳のミロンゲーロ、アイーダさんに二回も踊っていただく。なんか技術とか関係ないとこで、タンゴの魂に少し触れる。ムイリンド(直訳は「とても素敵」だけど多分「頑張ってね、坊や」くらいの意味)と言って頂く。多謝。 #tango #milongueros #buenosaires #aprenderespagnol #アルゼンチンタンゴ #ミロンゲーロ #スペイン語勉強中 (Milonga Gente Amiga) https://www.instagram.com/p/B2Lh5a5h6uX/?igshid=1uzwxm5a904w8
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タンゴ日誌、練習編2
練習という迷宮、「自分のタンゴを探すこと」
さてはて、タンゴという文化を体で理解するために4ヶ月間、日々スペイン語と格闘し、アホのように週8-10回��どのプライベートレッスンを受け、トッププロのダンサーに稽古をつけてもらい、ミロンガに繰り出す日々を続けてみた。タンゴ関連のスペイン語、カフェのスペイン語はまあボチボチ分かるように。airbnbの引越しももう7回目なので(アホか、とも思うが、事情があるのです😂)賃貸住宅関連のスペイン語も大分理解出来るようになった。snsのコメントも7,8割は分かるように。でもまだネイティブ同士でワーっと会話が盛り上がってる時に、なかなか会話のスピードについていけず、微妙なニュアンスも理解できず、その盛り上がりの中に入れない。このレベルは一年で何とかなるか、微妙なとこである。タンゴとは関係ない、というなかれ。まあ踊りだけならある程度は関係ないかもしれないが、こちらの目標はあくまで文化としてのアルゼンチンタンゴの理解である。こういうレベルまで入れないと、本音は聞き出せないので、まだまだ先は長い。
しかし言語文化の理解にかけては、まあ何となく道は見える。問題は実際の踊りの方である。もう、五里霧中もいいとこである。なぜか。まずタンゴの歴史を体感するために、いろいろ歴史を知るおじいさんミロンゲーロ、古いタイプのダンスを教えるマエストロのレッスンにも顔を出してみた。最初の入り口はたしかにタンゴなのだが、細かいところになると、笑っちゃうくらい体の使い方が違う。歩き方もアブラッソも、ステップもミュージカリティも違うのである。タンゴを学ぶ際に、あまり多くの先生に習うと混乱する、とよく言われるが、その通りであることを実感する😂。
ブエノス在住のマエストロ中のマエストロの一人、アンヒオ師匠いわく、今はまだマシで、昔は本当にマエストロ達は一人一人全く違うことを教えていたそうである。まあ昔のミロンゲーロの生き様のごとく、日本人の感覚から言うと、とんでもなく勝手な人達なんだよなあ、多分。
高齢の某ミロンゲーロのレッスンに行って、「先生のマエストロ(一番の師匠)は誰でしたか?」と聞いてみた。よく知らない名前だったので、「人間としてどうでした?」と聞くと、「いやー悪いやつだったなー、女も金も友達関係もねー」という答え。皺だらけの顔を、さらに萎びた梅干しのようにして答えてくれた。いや、それってまごうことなく、最低の人間じゃないですか😂😂。「何でそんな人を一番の師匠にしたんですか?」と聞くと、「いやー他も似たり寄ったりだったからねー」とのこと😂😂やはりそういうものか。「アルゼンチンタンゴ」と書いて「クソ野郎の勝手な踊り」とルビを振りたくなる😂(もちろんタンゴ大好きなので誤解なきよう)。
さて、そんな勝手な人達が勝手に作り上げたダンスを何を一生懸命になって学んでいるのか。おそらく答えはシンプルである。自由になるため。これは経験論だが、とてもうまく踊れた時には、勝手に踊れば踊るほど、パートナーも喜ぶし見てる人も喜ぶ、という状態に至る。そこでは何が起こっているのか。まだうまく言葉に出来ないが、直感的に言うと「自由」の感染である。
スタイルの違いはあれど、レッスンも佳境を迎えると、ほぼ全ての先生から、「ともかく自分のタンゴを探すんだ」と言われることが多い。「自分って何だ?」答えはもちろん闇の中(冒頭の動画を参照ください😂)。でもおそらくこういうことだろう(以下ある程度のタンゴマニアにしか理解不能)
しなやかで強い軸を作る、全細胞が大地とコネクトする、その上で体全体をメタタルソにねじ込むようなディソシエーション、全方向から包み込むアブラッソ、ドルサルから相手の軸をミリ単位のズレなく捉え、リードの後、フォロワーの動きを体全体でフォローする。それが音に乗った時に、高密度の身体コミュニケーションが発生する。音に乗るだけではなく、音をコントロールする、音を支配する、つまり音の数コンマ前から、1つ1つの音に対してアクション、リアクション、再リアクションの身体コミュニケーションを発生させ、身体と音を融合させる。音を生きる。二人だけの「踊り」が生成する。
この身体と音の相互作用が、なぜか自分の解放につながってしまうのだ。自由の感染、解放感の拡散とシェア、真の自分の発見、主体の脱構築と再構築、そんなことが続けざまに生起する。
うーん、現象学の身体論、間主観性の議論なんかより遥かに深いのでは、と思って止まない今日この頃。先生が建物に閉じ込められて、プライベートレッスンが中止になったので、ビールを一人で飲みながら考えました😁🍺
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タンゴ日誌(ミロンガ人類学1-アブラッソと性の怪しいお話)
「あなたはそのままで十分魅力的である、貴方は世界にひとつだけの花」、みたいなことがよく言われる。���人差別やイジメをなくすための言葉としては、ことさら否定する話ではないが、こと性に関しては事情が違う。セクシーさについてのヒエラルキーというか「セクシーさについての時代の流行」はどこでも存在する。誰しも生理的に、「うわこの人はダメ」というのはある。それは人間が性的な存在である以上仕方がない。そしてその基準は社会が決めていて、歴史的にかなり変動する。平安時代の美人はいわゆる「おかめ」に近かった、というのがよい例である。すると当然どの時代にも「性的弱者」というのが存在することになる。セクシーさの流行り、あるいは性的魅力のヒエラルキーは残酷にも性的弱者にこう告げる。「お前は恋人にするに値しない。貴方とは性的なことを想像できない」「気持ち悪い存在である」「あなたの遺伝子は要らない」と。
タンゴが性的な踊りかというと、そうでもあるし、そうでないとも言える(「性的」のニュアンスによるがそれはまた別の機会に。一部は以前のティエンポの講座でもちょっと話したような😊ご来場頂きました方、その節はありがとうございました😊)。ただ、ミロンガにあっても、踊る相手を選ぶ際、アジア人に対する美学的人種差別は確かに存在する。ハリウッドの俳優、モデルなどを頂点にする美のヒエラルキーは、日本人や中国人、アジア系の男性の多くを、「コミカルかもしれないが、性的なストライクゾーンの外」「気持ち悪い猿」などのカテゴリーに分類してしまう。
日本やアジアの国にいる限りこんな白人中心のヒエラルキーを強く感じることはない。ところがヨーロッパでちょっと高めのカフェやレストランやセレブのパーティに行ったりすれば、そんなヒエラルキーの中にポンと投げ込まれるのを感じることになる。金持ちの行くところには、判で押したように白人、金髪、碧眼系の美男美女が集うのである。それ以外の人ももちろんいるが、頂点は奴らが牛耳っている😊そこに日本人の遺伝子が入り込む余地は、まあない😅。もちろんお金を払えばレストランに入って楽しい食事を楽しむことは出来る。ビジネスパートナー、さらには親しい友人としてそこに入ることもまあ出来る。しかし恋人として、さらに家族としてコミュニティーに入り込み、頂点近くまで登りつめるのは、アジア系外国人にはかなり難しくなるのだ。
そしてヨーロッパの美学を継承しているここアルゼンチンでも、やはり事情は似たり寄ったりである。確かにアルゼンチンの場合は、割とラテンアメリカの「インディアン」系、現地人系の血も入っているので、結構あやしいヒエラルキーである。でもやはり日系、中国系はもれなく「ダサい」カテゴリーに分類される。僕の感覚では、こちらでアジア系の顔立ちをしていることは、多分日本でいう「脂ぎったチビ、デブ、ハゲ」くらいのセクシーさのレベルである。従って、ヨーロッパだけでなくここアルゼンチンでもアジア系の男性はとても苦労することになる。
日本のミロンガでも技術レベルが同程度の「チビ、デブ、ハゲ」の脂ぎったあやしいオッサンと、高身長、細マッチョのイケメンの男の子だったら、やはり女性はイケメンと喜んで踊る。基本、そんなオッサンは相手にしたくないのである。つまり、性的ヒエラルキー、性的不平等はミロンガの世界にも入り込む。その不平等に文句を言っても仕方ない。出来ることをするだけである。しかしそこはアルゼンチタンゴ、普通の世界のヒエラルキーとは別の基準が存在する。
ミロンガにもヒエラルキーは存在する。それは性的カテゴリーと似通ってはいるが微妙に違う。まず、デブは結構いける😊。チビ、デブ、ハゲですら、リードが上手いとカテゴリーの上に這い上がれる。特にミロンガの楽しい曲なんかには、チビ、デブ、ハゲでもくるくる回るとすごく絵になるのである。そしておそらくだが、デブ特有の脂肪を使った包み込むリード、というのも存在する。これは特に学ぼうとは思わないけど😅。そして、ミロンガのヒエラルキーが通常と違うのは、ヒエラルキーの頂点に位置するのが、おじいちゃんミロンゲーロであることである。女性は若くて美しい人がヒエラルキーの上に来る、というのもないわけではないが、やはりタンゴの技術が大事である。そして男女ともステップ云々よりも、ともかくアブラッソの質が大事である。アジア系男性としてこの性的ヒエラルキーを乗り越えるためにはアブラッソを磨けばよい!
タンゴの本質、「アブラッソの神秘!」などとよく言われたりする。ところがここにきて、またアジア系に対する差別意識が発生するのである。日本人、中国人にアルゼンチン人のようなアブラッソは出来ない、という認識である。口には出さないが、結構なアルゼンチン人の女性がこう思っている。そしてこれは偏見である!と言いたいところだが、実はかなりの程度事実である。体全体で相手の芯にに溶け込んでいくようなアブラッソ、相手の身体を全身で受け止めて、体全部で応答するようなアブラッソ、これが高いレベルでできる日本人には、僕を含めて会ったことがない。仲良くしてくれるアルゼンチン人のおばちゃんにもこう言われた。「貴方のアブラッソは日本人にしてはいい方ね」。その人に日本人とどれだけ踊ったのか、と聞いたら僕だけらしい。笑かしてくれるのである。しかしまあ、そんなトコである。某世界チャンピオンのプライベートレッスンで、アブラッソを教えてもらったことがある。その時にその先生からはこう言われた。「まあこんなのは日本人には出来ないけどね😊」。え、いや、そこ笑うとこですか、それを教えてもらうために高いお金払ってるんですが😅と思ったものだが、今では素直に納得である。というのも、日本はハグの文化ではないので、アブラッソがえらく難しいのである。
肉体的接触によるコミュニケーション、性的交渉以外の肉体的コミュニケーションは、日本文化が捨てたものである。日本は握手やハグの文化がない。これは諸説あるのだが、多分人と人と関係が密で距離感が近すぎるので、肉体的接触でコミュニケーションを図ることは差し控えた、その必要がなかった、というのがしばしば言われている。それにひきか���、ラテンアメリカはハグの文化圏である。そして踊りが生活の隅々まで入り込んでいるのがラテンアメリカである。タンゴのアブラッソとは、そのラテンアメリカの地で、最高級の「踊りながらのハグ」を求めたらこうなった、みたいな文化的産物である。移民の際に寂しくて苦しくて身を寄せ合って生きるしかなかったところで生まれたハグの踊り。タンゴはそんな風に形容することもできる。すると、外国人がそう簡単には真似出来ない、あるいは真似されても困るというのも納得がいく。実際ハグ文化のあるアメリカ人ですら、人種差別の対象である。アルゼンチンじゃないやつらに真のアブラッソは出来ないのだ、と思っているアルゼンチン人はホントに結構いたりする。
前置きが長くなった。要するに僕自身がこういうアブラッソが出来ないのである😅だからといって諦めが悪いので、日本人の壁をいかに越えるか、というのが最近の課題である。
今一番稽古をつけてもらってるのはコロンビア人のカテリーヌ師匠。この人に教えてもらうアブラッソが凄い。いかに自分の身体全てを使って、体全部で相手を包み込むか。いや包み込むだけでは足りない。カテリーヌ師匠にはこんなことをよく言われる。「タカミ、何度も言うけどね、女の子の立場から言うとね、ライオンが獲物を狩る時みたいに毎回全身でこう来なきゃダメ、話にならないのよ。ちょっと外れたりしたら、誰と踊ってるの、ってなるのが女の子なのよ!」はい分かりました😊しかし、そんな分かりやすい肉食獣の喩えを😅。カテリーヌの言う「ちょっと外れたら」というのはミリ単位の話で、クローズドのアブラッソの中で起こる話である。クローズドのアブラッソの中で常に肉食でなければいけない😅もともと米食って何千年みたいな文化圏で生まれたワタシである。「ヒトと仲良く適切な距離をとって、みんな仲良く、協力しあって‥」みたいな文化がここでは全否定される。そんな食文化と所作の肉体的習慣が培われた日本人の遺伝子全否定、カーストの1番下、そうじゃなくて肉食系万歳、ガウチョ万歳みたいな話なのである。しかしここはアルゼンチン。文句をいっていても仕方ないので、毎日毎日ステーキを食べて筋トレしている。数千年の文化=呪い?を一年の努力でどこまで覆せるかが勝負である。無謀ではあるけれど、やっていて楽しい😝😝😝しかしビデオみても肉食獣になれてないなあ😅
さて今宵はどこのミロンガでライオンのフリをしに行こうか😝 猿の皮を被ったライオン、いや違うな。そうじゃなくて、ライオンの皮を被った猿、いやライオンの皮を被った狸くらいのイメージがちょうどいいかもしれない。いずれにせよ己が道を���くのみである😊
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