#ミシン譲ります
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ミシン 革漉き機 割り縫い
SEIKO TF-5 NIPPY NP-2 HIROCK割り縫いローラーの3点お買取りにお伺い致しました。 良く使い込まれていて、動作良好でした。 引退なさるとのことでお譲り頂きました。 搬出もお手伝い頂き、少々多めに御礼致しました。 感謝致します。 ***********************************東京都足立区保木間5-39-5-501電話 03-6661-2714メール [email protected] https://shobunya.jpSTサービス 下 稔昌 ***********************************
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50年くらい前の #jukiミシン を譲り受けました‼︎ レトロでめちゃくちゃ格好いい!! せっかくこんな格好いいミシンなので使いこなしたいなと思って 修理を依頼したのですが 地元のミシン業者さんがちょっと修理が得意な人ではなかったみたいで…😅 でも、ただ廃棄にするには勿体ない…😭💦💦 修理して使える方。 パーツを交換したりして 有効活用して下さる方。 欲しい方いらっしゃいませんか??🙇♂️ ロックミシン(Baby lock)2台 すくい縫いミシン(baby blindstitch)1台 計3台あります‼︎ 欲しい方、コメントくださーい🤲 #ミシン譲ります #年代物ミシン #レトロ #babylock #babyblindstitch #recycle #ミシン欲しい #譲ります (ScAle IZUMI スケール) https://www.instagram.com/p/CgqMdeRvAA3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2019/07/10
【雨降りのことこと】
「もぉーのぉ。ながせ(梅雨)は、雨ばっかだけん、畑のことできんぜぇ。家でことことしよるんよだ。」
と、ながせの期間は、お天気によって『ことこと』する内容が変わる木頭での暮らし。
『ことこと』とはとても便利な、木頭のことばで、『そんな大げさな作業ではないことを、あれこれとやる、やっている』という意味。
ある雨の日、地域の方のお宅へ伺った時のこと。
「ちょうどええ時に来てくれたのぉ。今の弱っとったんよだ。雨が続くけんの。家でことことしよう思うて、昔のミシン引っ張り出してきたんよだ。でもの、糸通しがうまいこといかんくての。針の穴こんまいしの。弱っとったんよだ。」
縫いものが得意かと言われるとそこまでではないけれど、糸通しは自信を持ってできるので、サッと糸通し。
「昔の着物やら羽織やらを引っ張り出して、なんぞこっさえよう思うての。巾着やら、てごうやら、欲しいもんあったらつくっちゃるわだ。」
「昔は、ぎっちり足踏みミシンでしよったけんどの。」
どうやら、ミシンなどで何かをつくることは、昔から、雨が降った時に家でことことすることの一つだったよう。70代から80代の皆さんは、お手製の巾着やてごう(腕貫)、ナップサックを持っていて、着物などの使わなくなった着るものがいろいろなものに変化させ、活用されています。
「今は電気で簡単に動くミシンになったけんどの。足踏みミシンじゃったら今でも使えるわだ。体が覚えとるけんの。」
前に、ご近所さんに教えてもらいながら、祖母の羽織をほどいて、でんちゅうを作りました。足踏みミシンを使い方も教えてもらって、その時に足踏みミシンのコツは少し掴んだはず!確か、機械の遠心力に逆らわないように、足踏みペダルを踏むことが一番のコツだったような。
その後、縁あって譲っていただいた足踏みミシンが我が家にも一台あります。ちょっと使ってみようかなぁ。雨降りの日に。
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“626 名前:1[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:31:44 ID:U1MRPLbx0 鞄作りの同業者として俺が体験したことを書いておきたいから ちょっと長くなるが聞いてくれ。 2年半くらい前にヤフオクである工作機械をいくつか落札した。 結構大きさのあるもので普通なら送料も相当かかるのだが たまたま住所が近い人がまとめて出品していたので 自分でトラックで引き取りに行くつもりでその出品者から落札したんだ。 その工作機械っていうのは皮革の裁断機やミシンなどで 家庭で使うような代物じゃなく、プロが工場で使うものだ。 新品で買うと相当な値段だが、当時鞄デザイナーとして独立して 新たに工房を構えようとしていた俺には新品など手が出るはずもなく、 中古の物でも格安で手に入ることになったのは大変ありがたかった。 格安といっても全部で20万円ほどかかったが。 631 名前:2[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:37:02 ID:U1MRPLbx0 約束した日時にトラックに乗って指定された住所まで行ってみると 通りからは普通のこじゃれた新しい一軒家に見えるが、やはり庭の奥に小さな工房が有る家だった。 ヤフオクに出品していた人は女の名前だったが、伺った家で対応してくれた人も女の人で、 しかも想像より若く、俺の少し下で25,6才といったところか。 職人系の人の持ち物だとばかり思っていたので意外に思って聞いてみると 亡くなった父親が仕事で使っていたものらしい。 一年ばかりそのまま置いといたが残しておいても使わないので処分することにしたらしい。 前の工房の持ち主は几帳面だったらしく全てが整頓され片付いていた。 俺は落札した機械いくつかを苦労してトラックに積み込み、 そのほかにもこまごまとした道具や、余ったらしき革などの材料(これは持って帰っても使えなかったが)を おまけで頂いて、ついでに少し工房内の掃除をして 丁寧にお礼を言って家に帰った。 思いのほか時間がかかってしまったのでトラックから荷物を降ろしたのは次の日だった。 自分の工房といったところで雨風を辛うじて凌げるくらいの小さな貸家の小さな庭に これも中古で買ったプレハブがひとつ置いてあるだけの本当に小さな工房だ。 床だけは重い機械が乗せられるように強化してあるが、ドアひとつ、窓ひとつのプレハブで 夏は相当暑くなるだろう。 その工房に買った機械を運び終え、ホームセンターで買ってきた材木で棚や作業代などを 作りつけ、やっと製作にかかる準備が整った頃、 工作機械の出品者からメールが来た。 635 名前:3[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:39:33 ID:U1MRPLbx0 メールに書いてあったのは 彼女は高校まで実家で暮らし、大学、就職ともに東京だったので1人暮らしをしていて、 実家に帰ってきたのは去年父親が死んで母親1人だけになってしまったからだということ、 無口だった父親とはあまり仲が良くなく、子供の頃は仕事場も住んでいた家とは違う場所に構えていたので あまり仕事をしているところを見たことも無く、 父親の作った鞄もあまり使わずにブランド品ばかり使っていたこと。 等等が言い訳のように書いてあって、そして最後のほうに 父親が使っていた機械をどういう風に使うのか、それでどういうものが出来上がるのかもう一度みたいので 一度俺の工房に伺ってもいいか。というようなことが書かれていた。 俺にはまったく断る理由も無く、家もそんなに離れていないので 週末に約束をして迎えにいき、家もボロい所だよ、とあらかじめ言い訳めいたことを言って 工房に連れて来た。 まだ準備ができたばかりだったので作りかけのものすらなく、貰った革を使って 買った機械や、工程の説明をしながらキーホルダーを作ってあげた。 それでもそんなに時間もかからなかったので、インスタントのコーヒーを出して なんとなくお互いのことを話し始めた。 最初はお互いの年齢など当たり障りのないことを話していたが(ここで彼女が同い年だと言うことがわかった) 彼女はメールに書いてあったような経歴を話し、俺になんで鞄デザイナーになろうと思ったかと聞いてきた。 641 名前:4[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:44:01 ID:U1MRPLbx0 俺の実家は隣の県にある。工房の場所を探していたときに今の土地に移ってきたのだが 実家にいた小学3年生くらいの頃、軽いいじめにあった。といってもそんなに深刻なものではなく、 すぐにいじめの対象がほかに移り、それもすぐに無くなってしまった位のものだったのだが その過程で俺のランドセルに傷がつけられた。今思うとたいした事ではないのかもしれないが 当時の俺は泣きじゃくって学校に行きたくないと散々ごねた。 親はランドセルを買った近所の小さなお店に行き、も��買ってから年数が経ってしまっているが 直してもらえないだろうかと頼むと、店のご主人は快く引き受けてくれた上に ランドセルが無いと学校に行くのも大変だろうから最優先でやってあげようといってくれたらしい。 驚いたことに、次の日の朝早く、店のご主人がランドセルを自宅まで届けに来てくれた。 傷を直した場所は新しい革に変わっていたが、目立つことも無く、まるで最初からそこにあったかのように馴染んでいた。 全く魔法のようだった。 俺は喜んでランドセルを背負って学校に行き、その日家に帰ると母親と一緒に かばん屋までお礼と、代金を支払いに行った。かばん屋は小さなお店兼工房になっていて 男の人数人が働いていた。代金を支払ってお礼を言うと作業中だったご主人が よかったな、と俺に言った。 母親がお店の中に陳列してある鞄を見てまわる間、俺はご主人の仕事をずっと見ていた。 革を切ったり金槌みたいなので叩いたりしているのを見るのは楽しかった。 この日以降も何回かこのお店に遊びに行った。たいてい友達と一緒に行ってただ見てるだけだったが ご主人は嫌がりもせず、他の職人さんたちも優しくしてくれて たまに余った革の切れ端なんかをくれたりした。 この時くらいからはっきりとした物ではなかったが漠然と鞄職人にあこがれていた。 647 名前:5[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:46:07 ID:U1MRPLbx0 そんな話をしていると彼女が実は…と切り出した。 少し前から考えていたそうだが、彼女も父親のような職人になりたくて 専門学校に行くことを検討しているという。 そこで独立したての俺にいろいろ聞きたかったらしい。 俺も大学を中退したあと専門学校に2年通い、その後ひとの工房に入って数年修行したあと独立した。 そのことを話すともう資料も取り寄せてあり、入るならここかなとあるデザイン形の専門学校の名を口にした。 もともと鞄作りを勉強できる専門学校なんてそんなに多くない。 ある程度予想していた通り、そこは俺が出た学校だった。 彼女は誰かに最後の一押しをして貰いたかっただけらしく、そこそこいい学校だったことを言うと もう入学することを決めたみたいだった。 651 名前:6[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:48:27 ID:U1MRPLbx0 彼女が専門学校に入学すると俺たちはなんとなく付き合うようになっていた。 俺の仕事は独立したてにもかかわらずそこそこ順調で、営業をかけたいくつかのお店で取り扱ってくれていた。 個人工房の強みでお客さんの要望に有る程度答えてセミオーダーのような形で鞄を作ることもあり、 結構な値段がするにもかかわらず独立して一年ほどで固定客も付き、利益を出せるようになっていた。 その頃には彼女も頻繁に工房に来るようになっていたし、ちょっとした作業を手伝ってくれることもあった。 逆に俺が彼女の実家に遊びに行き、たまに彼女の母親と三人で食事をするようなこともあった。 あるとき、三人で食事をしていたとき、俺の小さい頃の話になった。 俺が住んでいた町の名前を言うと彼女の母親はあらっというような顔をして 父親の工房もそこにあったと言う。デパートなどの店��が主な仕事だったが 工房にも少し商品を置いて販売していたらしい。はっとして彼女の顔を見たがまだ気づいていないようだった。 俺はどきどきしながら工房の場所と様子を聞いた。遠い記憶でお店の名前は忘れてしまっていたが 話してくれた工房の場所は間違いなく俺が子供の頃に通ったあのかばん屋さんだった。 俺がこの仕事に就くきっかけを作ってくれたのは彼女の父親だったのか。 654 名前:7[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:51:38 ID:U1MRPLbx0 それから俺は興奮して思い出すままにいろんなことをしゃべり続けた。 ランドセルを直してもらったこと、彼女の父親が仕事しているのを見ていたこと、 革の切れ端を貰って大事にしていたこと。 彼女はそういった話はまだ母親にはしていなかったらしく、また彼女も父親の仕事場にあまり行ったことが無かったので いままで結びつかなかったらしい。 聞くところによると彼女と両親は今よりも隣の県に近いところに住んでいて、父親は俺の実家の近くの工房まで通っていた。 60歳を過ぎて今までの工場は人に譲り、今住んでいる所に家と小さな工房を建てて移り住み、 鞄作りは小さな規模で細々とやっていくつもりだったらしい。 それが引っ越してそう日も経たないうちに残念なことに亡くなってしまった。 小さな工房はそれから一年くらいそのままだったが機械類は置いておくよりも使ってもらったほうがうかばれると思い、 ヤフオクに出品したところ買いに来たのが俺だった。 そのあたりまで話した頃にはもう三人ともぼろぼろ泣いていた。 母親なんか俺の手を握って娘をおねがいしますみたいなことを言ってるし。 でもさすがの俺もこれには運命的なものを感じずにはいられなかった。 今までより彼女が大切に思えたし、亡くなった職人であった父親から 意思をついで立派な職人になれって言われている気がした。 658 名前:ラスト[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:54:19 ID:U1MRPLbx0 この春、専門学校を卒業した彼女と結婚します。 俺の実家につれて帰ったときに彼女の父親の昔の工房を見に行ったら 名前を変え、店舗部分を少し大きくしてまだ営業してた。 今の店主に彼女は昔のこの店の主人の娘であることや、結婚すること、俺が小さい頃遊びに来ていたことなどを話した。 驚いたことに今のご主人は彼女の父親の元で働いていた職人さんの1人で、 小学生の俺に革の切れ端なんかをくれていた人で、ご主人は俺のことも覚えていた。 世間の狭さにまたひとしきり感動して、同業者としてこれからよろしくお願いしますと挨拶をして店を後にした。 狭い工房と貸家だけど4月から彼女と夫婦二人での製作と生活をスタートします。 手作りの良さと、彼女の父親から受け継いだ職人の心を忘れずにこれからもがんばろうと思う。 書いているうちにだらだらと長文になって申し訳ない。 才能のある作家なら小説がひとつ書きあがるくらいの、作り話みたいな話だが どうみても作り話です。ありがとうございました。”
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コピペ運動会 - No.5024 鞄職人 (via pdl2h) (via yuco)
ポルコロッソという店の製品が好き
(via fukumatsu) (via pcatan)
(via m-o-0, otsune)
(via lovecake, gkojay)
(via fumi-tano)
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𓃮 𓆱𝒸ℴ𝓂𝓂𝒾𝓃ℊ 𝓈ℴℴ𝓃𓆱 𓃮 𓃮𓃮 𓃮𓃮𓃮 2022年は寅年𓃮 ハロウィンや年賀状、お正月に向けて毎年恒例のジャンプスーツと帽子セット出来ました𓊱 干支シリーズを始めて6年 ありがたい事に今年も楽しみにしてますとリクエストをたくさんもらいいつもより少し早く動き始めた今年𓃮 干支シリーズが浸透してくれてる事もだけど毎年の大切な思い出に添えたいと思ってもらえる事…こんな幸せな事ないです𓋜 この仕事を続けられる原動��𓋜 作品ラインナップが決まってカラーに悩みアンケートさせてもらった結果、theタイガー🐯なカラーも人気があり結局2色展開になりました𓃮🐅 アンケートのイエローと悩んだのですがせっかくならかっこよくリアルさを出したいと思ってた矢先にブラウンカラーと出会いまして𓃮🐅 ホワイトタイガー𓃮 ベンガルトラ🐅 の2匹から今年は選んでもらえます𓊱 耳としっぽにはふわふわボア素材を使っているのですがこれがすごく厚くて縫いにくいんです… 工業用ミシンの馬力でも大変で更に布地との厚さも全然違うからシワが寄らない様組み合わせるのがすごく大変… でもやっぱり可愛くて妥協したくなくてこの素材は譲れなかった𓃮🐅 HAM-NICO定番のジャンプスーツも同じ様な形や名前のものも見かけるようになりましたがオリジナルを大切に更に進化していけるよう HAM-NICOを選んで良かったと思ってもらえるよう お値段以上にお届け出来る想いを添えて今年も皆様にお届けさせてほしいなと思います𓇢 サイズは Sサイズ80cm-90cm Mサイズ90-100cm Lサイズ100-110cm の3タイプお作りしているので兄妹でお揃いの寅も素敵かと𓃮𓃮 定番ベレー帽と新作耳クリップと合わせると更に寅になりきれるのでコーディネート紹介は後日させてもらいますね𓋜 ハロウィンや年賀状にピッタリのこちら 8月5日thu 21時頃minne,creema,一斉販売予定です𓃮 #hamnico #handmade #minne #creema #stores #年賀状写真 #ロケーションフォト #寅年 #お家スタジオ #tiger #トラ #ハロウィン #photostudio #撮影会 #年賀状撮影 #キッズモデル募集 #halloween #tigers #ホワイトタイガー #フォトグラファーと繋がりたい #アニマル柄 #コドモノ #お写んぽ #ママリ #年賀状 https://www.instagram.com/p/CSAa1dfhxMS/?utm_medium=tumblr
#hamnico#handmade#minne#creema#stores#年賀状写真#ロケーションフォト#寅年#お家スタジオ#tiger#トラ#ハロウィン#photostudio#撮影会#年賀状撮影#キッズモデル募集#halloween#tigers#ホワイトタイガー#フォトグラファーと繋がりたい#アニマル柄#コドモノ#お写んぽ#ママリ#年賀状
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バスの中
カーテンを吊るす。十センチほど長すぎるそれは春の風に揺れ、ずず、と床を掃く。
「わかってはいたけど、やっぱり長かったなあ」
「そうだねえ。でもとりあえず当分はこのままかな。部屋が片づいてきたらミシンでガーッとまつっちゃうから、悪いけどそれまでは我慢してね」
「急がなくていいよ。踏まないように気をつければいいんだし」
「うん、ありがとう」
日中は会社の彼、PCとインターネット環境さえあればどこでも行える仕事の私。
過ごす時間の長い瑞樹さんが好きな家具を買い揃えればいい、と言ってくれた彼に甘え、テーブルも椅子もチェストも、冷蔵庫も洗濯機もストーブも、何もかもかわいらしく女らしい色で揃えたが、カーテンだけは地味な薄灰色のものにした。彼には「防犯になるから」と伝えてあるが、本当の理由はそうじゃない。
揺れる、カーテンの裾を見ている。
頭の中で音楽が鳴る。
*
真冬のバスは暑い。異常なほど暖気された車内は雨に濡れた人々の熱気と混ざり合い、鉛のような質感になっていた。このバスは町はずれの住宅街にあるバスターミナルから、海沿いにある観光地を過ぎた駅前までを繋ぐ路線で、その途中には県立高校がある。普段どおりの朝ならば人の少ないこのバスも、雨や雪が降ると自転車通学の生徒でごった返してしまう。
幼いころからどうしても自転車に乗れない私は、毎日ターミナルから数えて二本目のバス停からこのバスに乗っていた。学校からは「他の利用者の皆さんのご迷惑にならないよう、できるだけ席には座らないようにすること」と言われてあるが、従順に守っている生徒なんて誰一人もいない。朝から疲れ��くないのは、他の利用者さんも私たち生徒も同じだ。大抵の生徒はお年寄りや親子連れ、妊婦、具合の悪そうな人を見たら立ち上がって席を譲っているし、私もそのくらいで充分だろうと常々思っている。
ドアが開く。皆が一度携帯電話の画面から目を離しスペースを作る。できた空白に新たな生徒が乗り込む。運転手がぼそぼそと発進を告げ、それと同時にドアが閉まる。再びバスが動き出す。
入り口付近に目をやると同級生の女子がこちらを見て笑っていた。口の形で、おはよう、と伝えてくるのでそっくりそのまま返してやる。彼女は普段自転車通学で、天候の悪い日だけこのバスを利用するが、彼女の家の近くのバス停は路線の中頃にあって、そういう彼女が座席に座ることはなかなか難しい。
さらにしばらく進んで高校前。車内から一斉に生徒が吐瀉され、私もその中に混じる。運転手に惰性そのままの礼を伝え、もちろん運転手も何も言わない。校門まで傘を差すか迷っていると、
「おはよう」
歩道の隅で立ち止まっていた同級生がそっと私をその傘の内に誘導する。
「おはよう。寒いねえ」
ダッフルコートのポケットに両手を突っ込みながら素直に彼女の傘に入る。
「寒いねー。スカート穿くのがしんどいよ。わたし、きょうタイツ百二十デニール。しかも裏起毛だからね」
「いいなあ、私八十だ」
華奢な身体つきの彼女が細い脚にまとわせる肉厚なタイツは何となくアンバランスに思えたが、どのような状況であれ寒さには勝てない。自分も近々厚手のタイツを買おうか、しかしバスの中は蒸すように暑いし、などと考えながら私は彼女と共に校門をくぐった。
私たちはクラスが違う。C組の前で彼女と別れ、私はD組に入る。幾人かの友人たちと挨拶を交わし、机の上に鞄とコートを放って、スマートフォンだけを手に自らを招き入れてくれる輪に参加する。昨日観たテレビ、キュレーションサイトの情報、SNSのハッシュタグ、別クラスの噂話に街中の新店。自分でも、なぜこうも毎日話題に尽きないのか不思議に思う。
あるいは、「大人」という生き物から見たら私たちがこうして話している内容なんて「話題」とカウントするまでもない、取るに足らないものなのかもしれない。いや、事実そうなのだろう。だからといって私はこの時間を自ら切り捨てようとは思わない。良くも悪くも、今が楽しければそれでいい、それが子どもの特権で、子どもはそう在って然るべきなのだ。当時の私は、子どもとは得てしてそういう生き物であるのだと思い込もうと必死だった。
鐘が鳴り、各々席に着き始める。私も放り投げてあった上着と鞄を片し、携帯電話をサイレントモードに切り替えて机の中にしまう。しばらくすると教師がやってきて、代り映えしない話を普段通りの口調で話し始めた。
昼過ぎには雨も止み、下校時間になるとむしろ雲の透き間からは金色の光の筋がちらちらと見え隠れしていた。相変わらず校庭は水浸しだったが、陸上部は室内でのトレーニングを行うらしく、廊下ですれ違った同級生の女子生徒は「めんどくさいよー」と文句を垂れながら私に手を振った。部活動に参加していない私は、誰かに誘われない限りどこにも寄らず真っ直ぐ家へ帰る。きょうも誰からも声をかけられなかった。自分から声をかけることはまずない。
視界や道路が悪いわけでもないのに、バスはなかなかやってこなかった。土地柄なのか、遅延することは少なからずあるので十分程度は気にしないのだが、この日は十五分経ってもバスはやってこない。何度も時刻表を確認しながら首をひねっていると、
「あれ、もしかしてまだきてない?」
駆け足で近づいてきた新藤くんが嬉しそうに私に訊ねた。
「あ、うん、まだ。すっごい遅れてるみたい」
「おおー、ラッキー。雨のせいかな? でももう晴れてしばらく経つし、道路もそんなに水浸しって感じじゃないよね」
「ね、ほんとに。何かあったのかな」
新藤くんがポケットからスマートフォンを取り出し、何かを入力する。手際よく作業しながら、そうして、
「ああー、なんか事故っぽい」
「え? 事故?」
「うん、ツイッター。ほら」
彼が私に画面を見せる。映っていたのはツイッターに載せられた写真で、新藤くんは路線名とバス会社で検索をかけたらしい。本来であれば私たちを乗せていたはずのバスは、観光地付近の三車線道路の中央分離帯に突っ込み、前方がひしゃげていた。
【××前で×××のバスが事故ってた。フロントガラスぐちゃぐちゃだわー】
添えられた言葉の軽さと写真の重さが釣り合わない。新藤くんは画面を眺めながら、
「なんつーか、よくこういうの撮れるよなあとか思うわ。まあ情報としては助かっちゃってるんだけど」
まるで写真の中のバスみたいに顔面を顰める。
「まあこういうことなら仕方ない。歩くかあ」
新藤くんが歩き始める。少し行ったところには別路線のバス停があった。おそらく彼はそこに向かうのだろう。私も新藤くんの後をついていく。
新藤くんはB組の生徒だったが、去年同じクラスだったこともあり別段緊張することもなく話せた。彼は他の男子たちよりも頭半分背が高く、スラックスの裾がちょっとだけ短い。入学当初は平均的な身長だった新藤くんは、この一年半ほどでうんと背が伸びたようだった。道をショートカットするためコンビニエンスストアの駐車場を斜めに過ぎる。公衆電話の囲いに一瞬だけ映る私たちは、平均身長より五センチ小さい私の影響なのか何となくバランスが悪い。
目的のバス停に到着し、新藤くんと並んでバスの到着を待つ。新藤くんに倣い、ツイッターでこの路線で何か事故が起きていないか確認してみるが問題なさそうだった。新藤くんにそれを伝えると、
「三上さん、マメなんだねえ」
と、少しピントのずれた答えが返ってくる。
私たち以外にも、バスの事故を知ったのだろう生徒たちがぽつぽつと列に並ぶ。複数人で並ぶ子たちは各々お喋りに夢中で、ひとりの子は皆イヤホンを嵌め何かを聴きながらスマートフォンをいじっていた。私は新藤くんと並び、何を言うでもなく、聴くでもなく、ふたりじっと前を見つめていた。
しばらくしてバスがやってきて、先頭の新藤くんから順に乗り込む。新藤くんは後方の二人掛けの席に座り、私は前方の一人掛けの席に座った。鞄からイヤホンを取り出し、スマートフォンに繋ぐ。適当な音楽を流し、キュレーションサイトや有名人のインスタグラムなどを暇つぶしとして眺める。都会で流行っているという、いかにも合成着色料だろう毒々しい色合いの飲料はまだこの街までたどり着いていない。見つけたら買って写真を撮ろうと思っているけれど、きっと私が手にするよりも先に他の子たちが買って、各々のSNSにアップするのだろう。そこに示される、私の交友関係では賄いきれないほどの“いいね”を私は「羨ましい」と思ったりする。皆が承認欲求を満たすためだけに行う様々を鼻で嗤えるほど私は大人じゃなかったし、孤立を受け入れられるほど強くもなかった。
私が着席して数十秒後、耳元から流れる音楽のイントロが終わるとほとんど同時、バスは走り出した。雲行きが怪しい。今朝のような雨が降るのかもしれない。
「ありがとうございました」
イヤホンの片耳だけを外し、最寄りのバス停で降りる。なんとか空は持ちこたえていて、坂上の自宅までならば濡れずに済みそうだ。
新藤くんは七つほど前のバス停で降りて行った。私とすれ違った瞬間、彼は私へ向かって何かを言った��うだったが、その声は音楽に掻き鳴らされ聞き取れず、思わず発した、
「え?」
という私の言葉に新藤くんは苦笑しながら首を横に振り、そのまま料金を支払うとバスを降りてしまった。悪いことをしたと思い新藤くんにLINEで詫びでも送ろうかと考えたが、しかし私は彼の連絡先の一切を知らない。今度廊下ですれ違ったら、そのときにでも。そんなことを思いながら私はいつもより早足で緩やかな坂を上っている。確かに傘はあるが、だからといって冬の雨をすんなりと受け入れられるわけではない。湿っぽい冬の匂いは心理的にも寒さを加速させる。パート勤めの母はもう帰宅しているだろう。自室の暖房を点けてもらえるよう、バスの中で連絡を入れておくべきだった。いつもそのように思い、しかしいつも頼むのを忘れてしまう。
薄暗い住宅街、雨合羽を着た大型犬とすれ違う。犬は私の顔をじっと見つめながら通り過ぎ、私は無言で飼い主と会釈し合った。
翌日は快晴だった。いつも通りの時間にバスへ乗り込み、一人掛けの席に座り、イヤホンから適当な音楽を流している。通り過ぎる保育園ではすでに何人かの子どもたちが校庭を駆け回っていた。とりどりのコートを着た彼らはゼンマイ仕掛けかと思うほどぎこちなく走る。数年もすればあの不安定さもなくなってしまうのだろう。モップのような長い毛を持つ薄灰色の大きな犬が、飼い主と共に信号が青に変わるのを待っていた。その隣にはスーツ姿の男性、ジョギング中の老人は足踏みを繰り返している。
信号が変わり、バスが進み、しばらくして停車する。バス停から数人の人が乗り込んでくる。うち一人は新藤くんだった。彼は私の姿を捉えるとそのまま近づいてきて、私の座席の真ん前のつり革を掴む。私はイヤホンを外す。
「おはよう。今日もさみーね」
「あ、うん、おはよう」
車内は空席だらけだった。新藤くんは私の後ろの席に座るでもなく、他の席に座るでもなく、私の横に立ちつらつらと淀みなく話しかけてくる。
「三上さんってどこから乗ってるの?」
「×××××っていうところ。バスターミナルから数えて二本目」
「へえ、かなり遠いんだね。だからバス通だったんだ」
「ああ、それもあるけど、私自転車に乗れないの」
「え、マジ? バランス感覚的な?」
「うーん、どうだろう。でも確かに、あんまり運動は得意じゃないな」
新藤くんがしみじみと「大変だねえ」と言う。内心、そこまで困ったこともないのだけれど、と思いつつ適当に頷いてみせると、新藤くんは、
「三上さん、いま何聴いてたの?」
私の膝の上のイヤホンを指さしそう言った。
思わず固まってしまう。中学時代の記憶が一気に甦る。
自分でいうのもなんだけれど、中学時代、私はクラスで浮いていた。当時両親の教育方針の影響で自宅にテレビはなく、やはり彼らの影響で海外バンドの陰鬱な音楽ばかりを聴いていて、流行りのポップソングなんて何一つも知らなかった。クラスメイトがアイドルだ、Jpopだ、邦ロックだ、ロ��ノンだと騒いでいるあいだ、私は教室でただ一人教科書を読んでいた。当時の私は彼らの聴く音楽のよさを理解しようとしていなかったし、理解したいとも思っていなかった。
テレビ番組なんてものは、低能な親が子どもへの躾を手抜きするためだけに流すものだと母は言った。父は「あれを見ていると頭が悪くなる」とばかり表現した。二人は今も昔も私以上にインターネットにのめり込んでいる。
今の私は邦楽も万遍なく聴くし、自室にはテレビだってある。クラスメイトの話題にも問題なくついていけている。スクールカースト上部の女の子から教えられたキュレーションサイトはくまなくチェックしているし、SNSだって皆が登録しているものにはちゃんと私も参加している。大丈夫、今の私は浮いていない。自分に強く言い聞かせる。
「えーっと、×××の新譜」
クラスメイトの大半が聴いているバンドが先月出したアルバムを挙げる。どうやら新藤くんも彼らの音楽は好きだったらしく、
「あー、すげえよかったもんね。俺、あのアルバムだと××が好き。何曲目だったかな」
彼はわかりやすく破願してみせた。
それほど好きでもないバンドの名前を挙げることにも慣れた。私は高校生として、問題なくクラスに馴染んでいる。環境に溶け込んでいる。何も問題はない、不安がることなんてない。新藤くんと話し続ける。他の乗客が眉をひそめて賑やかすぎる私たちを見ている。彼はそのことに気づいていないようだった。
以来、毎朝新藤くんは私とバスで会うたび私の座る席までやってきては、両手でつり革を掴み私に話しかけてくるようになり、私はできるだけ彼の話を聞く側として適切に相槌だけを打ち、淡々とその時間を過ごした。無暗に話を広げ、中学時代のように他者を見下す自分に戻るわけにはいかないと思っていた。知っていることも知らないと言うこと。何も知らない下等な道化で在ることで、私は怠惰な高校生活をここまで乗りこなしてきたのだから。
「ああ、そういえばさあ、これ、聴いてみてほしくて持ってきたんだよね」
信号待ちでバスが停車したと同時、新藤くんが鞄から一枚のCDを取り出す。彼が私に見せたのはイギリスのとあるバンドで、陰鬱な歌詞と、様々な音楽の旨みを適切にピックアップし再構築したような複雑なサウンドが響く、私が何年も愛聴しているそれだった。
「え、××××?」
思わずバンド名の愛称を口走ってしまう。途端、新藤くんはわかりやすく嬉しそうな顔をして、
「え! 三上さん××××知ってるの!」
と大声で言う。さすがに目に余る賑やかしさだったのだろう、いくらか離れた席のサラリーマンがわざとらしく咳払いをした。新藤くんが、「あ、やべ」と呟き、サラリーマンへ小さく頭を下げる。運転手は何も言わず、バスもまだ動かない。新藤くんは、
「三上さん、こっちきて」
と小声で私を誘いながら、私の座る席の斜向かい、二人掛けの席へと腰掛けた。歩行者用の信号が赤に変わる。もうす��バスも動き出してしまう。私は慌てて立ち上がり、彼の隣に座る。断っていい流れだとは思えなかった。私が座ったと同時にバスは発進して、私は軽く体勢を崩す。新藤くんが私の前に自身の手を差し出し、私は思わず彼の手を掴んでしまう。
「あっぶね、大丈夫?」
「あ、うん……。ありがとう」
「座席、見てないのかな」
「まあ、信号が変わりかけてるのに動いた私も悪かったわけだし」
運転席のほうを見ながら睨むように新藤くんは目を細めている。私はコート越しに伝わってきた、女友達のそれとは明らかに違う彼の腕の逞しさにいくらか動揺していた。悟られないよう話題を音楽に戻す。ただ、あのバンドのファンだとは気づかれたくなかった。予防策として言い訳を並べておく。
「でも、新藤くんも××××とか聴くんだね。友達がこの人たち好きなんだけど、私は名前くらいしか知らないんだよね」
「あれ、うそ? えー、友達って誰?」
「他の高校の子。中学時代の同級生で、もう連絡取ってないけどね」
「ふうん……。なるほどね」
新藤くんは明らかに残念そうだった。私が彼らの愛称を口走ってしまったことに余程驚き、それと同時、余程嬉しかったのだろう。少し申し訳ない気持ちになる。しかしもう引っ込みはつかなかった。私が自らの嘘を暴くことはない。
「新藤くんはそのバンド大好きなんだね」
「うん、俺はきょうだいの影響で聴き始めたんだけど、もうめちゃめちゃ好きで。サブスクで聴けるからCD買う必要はないんだけどさ、なんか、中古屋とかで見かけるとつい買っちゃうんだよね」
「あはは、よっぽどなんだね」
新藤くんが私にCDを手渡す。受け取って、自分でも何度も眺めた歌詞カードをぱらぱらとめくる。全体的にボロボロになっているのが中古だからなのか、新藤くんが何度も読み返してきたからかはわからないが私は好感を覚える。
「これ、借りてもいいの?」
「あ、勿論もちろん! そのために持ってきたんだし」
「ありがとう。今日中にPCとスマホに取り込んで、明日には返すね」
「聴いたら感想教えてよ」
「うん。大したことは言えないと思うけど、それでよければ」
新藤くんが満足そうに笑い、私も彼に笑い返す。彼らの全アルバムがすでにPCにもスマートフォンにも入っていること、中学生時代は彼らの曲ばかり聴いて過ごしていたことを新藤くんが知ったら、はたして彼は喜ぶだろうか。それとも中学時代のクラスメイト達のように気持ち悪がるのだろうか。そもそも新藤くんはなぜこのCDを私に聴かせようと思ったのだろう。訊ねてみたい気持ちはあったが、結局切り出せないままバスは高校までたどり着き、私たちは下駄箱を過ぎたあたりで何となく別れた。
教室に入る。仲のいいクラスメイトの女子が私を見つけるや否や、出し抜けに私の腕を掴み、
「瑞樹、新藤と仲よかったんだ?」
と言った。彼女の顔はどこかせせら笑っているようにも見える。嫌な予感しかしなかった。
「えーっと、それってどういう?」
「いやあね? 瑞樹さんはああいうのが好みなんですねえってことです。ふふ、何回も見かけたよ、一緒に登校してきてるところ」
「はあ? なにそれ、飛躍しすぎ。毎朝バスで会う��ら話してるだけだよ。音楽が好きみたいでさ、私も俄知識で相槌打つしかしてないし」
「あのさあ、新藤さあ、ホントはバス通じゃないんだよ?」
「え?」
「新藤。アイツ、チャリ通」
思わず彼女の顔を凝視してしまう。今度こそ彼女はわかりやすくニヤニヤと笑いながら、
「瑞樹と一緒に通いたいからってことなんじゃないの?」
まあ、うまくやんなよ。アイツ友達少ないみたいだし、ちょっとオタクっぽそうだけどさ、たぶん悪い奴ではないと思うんだよね。そういって彼女は私の肩をパンと一度強く叩くと左腕を解放した。私は自らの両手を強く握りしめながら彼女の後姿を見ている。彼女がいう通り、きっと新藤くんは悪い人ではないと思う。
悪い人、ではない。
もし彼女が中学時代の私を見たら何と表現しただろうか。考えたくもなかった。
帰りのバスでは新藤くんに会わなかった。
鞄からCDを取り出し、ぼうっとジャケットを眺める。見慣れた写真、見慣れた文字、聴きすぎた曲。頭の中で音楽が鳴っている。イヤホンはつけていない。
翌朝、やはり新藤くんとバスで会う。昨日のようになってはたまらないと、私はあらかじめ二人掛けの席に座っていた。乗り込みながら新藤くんはきょろきょろと辺りを見回し、私を見つけると躊躇いなく隣に座る。簡単に挨拶を済ませ、バスの発進と同時、彼へCDを返す。五曲目が好きだった、と伝えると新藤くんも「俺も好き」と笑う。
「俺、クラスではできるだけメジャーどころの邦ロックとかの話するようにしてて。まあ別に××××の話したって『誰それ?』って返されるだけで否定されるとかじゃないんだろうけど、まあでもその誰それって返しも結構寂しくなっちゃうもんだから」
バスの中でも大声で笑えてしまう新藤くんは、私が思っていたよりもずっと繊細な人であるようだった。彼は手の中のCDを大切そうに親指で撫でながら、
「歌詞の和訳、読んだ?」
と私に訊ねた。短く頷いてみせる。彼は言葉を続ける。
「結構暗いよなあ。うつっぽいって言えばいいのかな。あんまり褒められた内容じゃないっていうか。『友達いないやつがこぞって聴いてそう』とかって悪評もあったりするらしいんだよね。はは」
私には彼へ返すべき言葉が見つけられなかった。一体彼がどのような言葉を求め、朝からこんな話をしているのか、皆目見当もつかなかった。だから、私には彼が次に切り出す言葉を全く予見できなかった。
「三上さんが××××を名前くらいしか知らないって嘘吐いたのも、そういう理由からだった?」
彼は知っていたのだ。
もちろん馬鹿にされるのだとは思わなかった。
彼が私を馬鹿にするためだけにわざわざバス通学に変え、私に話しかけ、自らCDを買い、それを私に貸したとは到底思えなかった。おそらく彼は、私のクラスメイトが言った通り友達が少なくて、暗くて、こういう音楽を好んでしまう側の人間なのだ。彼は私と同じような人間なのだ。
しかし、私はそれを受け入れられるほど強い人間ではなかった。
「はは……、やだな、どういうこと? 嘘吐いたって? どのあたりのこと? ちょっと新藤くんの言ってる意味がわかんないかも」
私はへらへらと笑う。新藤くんがあからさまに傷ついたよ���な顔をしている。彼は小さな声で、「いや、もういいや」と呟き、口を開くことをやめた。
バスは進む。あと三つ、信号を越えたら学校だった。信号が赤に変わり、停車する。上半身が薄く揺れる。私のスマートフォンが震える。コートのポケットから取り出す。届いたLINEを読む。大した内容ではない。教室に行ったら口頭で返事をしよう。既読だけをつけ、そのまま画面を消す。再びバスが発進する。
「俺さあ、もうすぐ高校辞めるんだよね」
「え?」
「高校。辞めるんだ。引っ越すことになってさ。親が離婚するんだよね。親きょうだいは転入しろっていうんだけど、なんかもう、疲れちゃって。いろいろしんどくてさ、今さら別の高校で人間関係再構築するのも、まあ俺には無理だろうなあって。その場の空気読んで、他人と足並み合わせて、とか、そういうの向いていないんだよ、たぶん。俺」
新藤くんが笑う。少なくとも私には笑っているように見えていた。
「LINE、返してやんなよ。どんなメッセージであれ、既読スルーは寂しいもんだよ」
思わずスマートフォンを握り締める。同じように、新藤くんもCDを強く握っていた。
「画面。横からでも結構見えるんだよな。気をつけないとさ。同じ学校の男子生徒に覗かれて、ああ俺と同じバンド好きなんだ、とかって思われたりするんだから」
バスが停まる。気がつけば高校最寄りのバス停に着いていた。新藤くんが立ち上がり、それと同時に、
「これ、あげるよ」
CDを私の鞄に無理矢理ねじ込んだ。私が動揺しているあいだにも彼は運転席のほうへと歩き、料金を支払い、タラップを降りていく。私も慌てながら彼の後を追いかける。
「あの、新藤くん」
隣に並び、私は彼に話しかける。彼は構わず自らの話を続ける。
「俺、今は一軒家に住んでるんだけどさ、離婚後は母親についていくからアパートになるんだよね。もう内見は済ませてて。てか、もうすでに母親はそっちに住んでてさ、自転車ももうそっちに送っちゃってるから今はバス通なの。いや、そもそも予定ではもうとっくに高校辞めてるはずだったんだよなあ。ただ高校の退学手続きがなかなか進まなくてさ、やっぱ教師たちも辞めさせたくないんだなー。家庭の事情とかなんとか、最終的には無理矢理言いくるめてって感じだったけど。教師も、思ったより口出してくるんだなーってさ……、はは。で、その新しいアパートの部屋のカーテンがさ、寸足らずなんだよ。十センチくらいかな。一軒家のときに使ってた薄灰色のやつをそのまま持って行ったから仕方ないんだけど、なんかその十センチ足りないってのがすげえみすぼらしくて、ダサくてさあ。その透き間からちらちらって外の世界が見えるのがさ、時々無性に嫌になるんだよ。そういう気分のとき、俺、××××の曲聴いてるんだ」
玄関に到着する。靴を脱ぎ変えるため新藤くんが自身の下駄箱の前に向かう。私の下駄箱は四つ隣の棚だった。急いで履き替え、廊下で新藤くんの姿を探す。すぐに見つかる。彼は私のことをじっと見ていた。
「三上さんならこういう気持ち、わかるのかなあって思ったんだ。ただそれだけ」
そういうと彼はそっと笑い、踵を返して廊下を進んでいった。
この道の先には���員室があった。
ホームルーム後、新藤くんのクラスメイトに訊ねると彼が今日付で退学したと教えてくれた。新藤、誰にも相談していなかったんだよ。彼女が表情を暗くする。私はその表情の変化を肯定的に捉えられない。
「でも三上さん、新藤と仲よかったんだっけ?」
不意に彼女からそう言われ、私は少し考えて、それから、
「ううん。でも好きな音楽が一緒だったんだ。それだけ」
と返してやる。
彼女が「なんていう曲?」などと訊ね返してくることはなく、代わり、
「そのうちLINEでも出してやってよ」
私へそう提案してきた。うん、と短く言葉を返し、私は再び自身の教室へと戻る。連絡先一つ知らない私が彼の携帯電話を震わせることはない。一限目の開始を告げる鐘が鳴る。教科書とノート、筆記具を取り出すため鞄の中に手を突っ込む。指先にCDのプラスチックケースが触れて、私はそれをそっとなぞり上げていた。
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年の瀬に最近まで現役で動いていた足踏みミシンを譲り受けました。
ミシンと共に使っていた道具もまるっと全て譲り受けました。
家に着いて掃除している最中にベルト(を繋ぐ木綿糸)が切れてしまい、ミシン屋さんにメンテナンスに連れて行ってから初縫いかしらと思ったのですが。
なんとなく、ミシンの元の主人のために松の内に動かすのがよいような気がして。献杯ならぬ、献縫い?
…上糸のかけ方、忘れたと思ったのに覚えているものですな。逆回転させてしまった後、確認しなかったから動画は変なかかり方してるけど( ; ; )
初縫いであること、松の内に動かしたことが大事であるゆえ、ご容赦願いたく思います。
亡くなられてからしばらくは動くことなく過ごしたため、関節の動きが重くなっています。しばらくは毎日動かしましょう。
そして、元の主人のとった下糸の糸調子の絶妙なこと!!!
旦那さんが言うには、ミシンの革ベルトを金属ではなく20番の太い木綿糸で縫いとめるのは「切れるのがベルトではなく糸であるようにやと思う。ベルトは大事やから」とのこと。2箇所縫い留められていたのでまだ現役でいる場所を見ながらわたしも縫い留めてみました。
もしかしたら動きが重い原因は、ベルトの長さを調節できてないからかな?
針目の大きさを決めるダイヤルが緩くなっていて縫っているとその振動で最大の縫い目幅へ変わってしまうので、そこはミシン屋さんにお伝えせしえなおしてもらわねば。
縫い目はとても綺麗です✨
ミシンの元の持ち主様、
ゆっくり慣れて、しっかり縫わせていただきます。
譲ってくださってどうもありがとうm(_ _)m
一生の相棒として、ミシンくん、どうぞよろしくね。
本職の使い方とは違うだろうけど、仲良くしようね✨
もう少し軽快��音に思いましたが…動画の音は結構大きく録れてしまうのだなぁ…
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編み込み模様修行のモノ、ようやくできました。 先日の四角いミシンのモノと合わせて、ポットマットに…。 随分前ですがカットされた布を譲っていただき、ずーっと考えていたので、やっと形にできた! 異素材の組み合わせの為ニットの伸びなど気になるので、まずは自分で使ってみます。 とりあえず、お疲れ自分w . . #ハンドメイド #編み物 #棒針編み #編み込み模様 #ポットマット #handmade #knitting #patternknitting #potmat
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今日から塾もお休みなので、マスク作りを娘が代打でやってくれてます(^^) だいぶん、裁断もミシンも上手くなってきた!! 夏休みの工作、マスク!とかでも通用しそうな感じすね! 以前からご指摘があったように、少し小さいとのご���見が多かったので、最近のは大きめに作っていってます! ピンチヒッターnanami!! ありがたい(^^) ※生地がほんとに入手出来なくなってきたので、生地を見つけた方、ご一報ください(^^) また、ガーゼ生地が余ってましたら、ぜひともお譲りくださいませ! よろしくお願いします😷 (中山手縫製所〜RyujiHata〜) https://www.instagram.com/p/B-ZKnKOgIvS/?igshid=1ixigi7x2u5ev
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手作りマスク ver.0(仮)。200319
勤務先ではマスクが支給されるんで、そいつを使用してるわけですが、使い捨てなのがどうにも面白くない、というか、日々、ゴミ箱にたまっていく使用済みマスクを見るのに嫌気がさしていたのです。ここはやはり、洗って繰り返し使える手作りマスクを試してみなくてはなりますまい。
とりあえず近所の手芸屋を覗いてみると、おおお、いまや、しっかりと「手作りマスクコーナー」が設置されとるですねえ。いろんな色や模様の生地があったりゴムの代用で使える素材が置いてあったり(マスクゴムは品薄で欠品多し)、見てると工作気分が盛り上がってきてワクワクしてきます。作り方の図解のコピーがもらえるのも嬉しいところ。
お店の人に話を聞いて、生地(ダブルガーゼ/110センチ巾×30センチ/300円��、スピンテープ(2メートル/150円)を買い求めました。生地の方は、淡い若草色というかモスグリーンの地に白い水玉模様、スピンテープは、ゴムの代用としてお店で用意してるものですけど、巾5ミリとやや太目ながらウール素材で柔らかく、色は薄いグレー。この材料で3枚はマスクを作れそうです。
ホントはミシンなどで縫う必要がありますが、まずは感触や使用感をお試し、ということで、ただ織り込んだだけの簡易版を作って装着してみました。鼻を押さえるワイヤーは、レシピによると「テクノロート」というものを使うらしいのですが、これは使い捨てマスクのワイヤーを流用。切って取り出してみたら、あら何だ、これってお菓子の袋を閉じたり、園芸の支柱を結ぶのに使うビニールタイではありませんか。こんなことになっとったんですねえ。
んで、この簡易版を、今日は勤務先でも試してみた次第。あたりは柔らかいし基本的にはOKなんだけど、長時間使ってると型が崩れてグズグズになってくるし、ノーズワイヤーもズレてきますです。まあ、縫い止めてないから当然か。早いとこ、これをミシンで縫って、本格版(ver.1.0)を作らなくては。
マスクに関しても、つけるつけないで議論のネタになってますけど、ワタクシ的には「まあ、つけといた方が良いかな」という立場。性能的にそれほどシビアなものを求めてるわけではないので、手作り品でも十分かな、と。今もまだマスクの在庫切れ状態は続いてるんで、買い占めなんかを考えるより、ホントに必要な人の元へ届けばいいな、という気持ちも、手作りマスク導入の理由になってます。医療関係……は、市販品と同型なのか流通経路が同じなのか不明なのでよくわからんですけど、例えば、自宅療養者を抱えている家庭とか、手作り品はちょっとはばかられるお仕事に就てる人だとか。まあ、時間や気持ちに余裕を持ちづらい方たちにお譲りしますわ、こちとらヒマ人なんで余裕っす、てなもんですわ。
それはともかく、まずはミシンを探さなくてはイカンなあ、うーん、どこにあるかなあ、ヒマ人とはいえど、手縫いだと100パー酷い出来になる自信があるので、ミシン縫いは必須なのでした(あら、実は長い道のりなのか?)。
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地元のテーラーの方が使っていたミシン譲ってもらいました❗️ メンテナンスもしてもらったので古いけどとても綺麗な状態✨ そして見た目がカッコいい❗️ こういうミシンだとより創作意欲が湧いてくる❗️ 大切に使わせてもらいます❗️ #singerミシン #singer #足踏みミシン https://www.instagram.com/p/BwG6gD1HRAG/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1bygdmxb3w3y0
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ついに! いつかそんな日がくるのかと思っていましたが、とうとうやってきました。 工業用ミシン! しかもロックミシンまで! 縁あって譲り受けました。 使いこなせるかドキドキです。まずは糸をかけるところから。 それと、こんなに大きなミシン2台も置くスペース問題。 #工業用ミシン #brother #ロックミシン #juki https://www.instagram.com/p/BtfO65HFctS/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=l9v09g20xjmb
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東京では美味しいビールをたくさん飲みましたが、やっぱりここに勝るものはなかったです。まだお店が小さかった15年くらい前から通っているけど、今や120席の巨大ビアホールに成長してもなお注ぎ名人の松尾さんがすべてのビールを注いでおられるという心意気。愛用する氷冷式のビールサーバーは最古の仕様で、修行した名店灘コロンビアから譲り受けたと聞きました。メンテナンスにすごく手間がかかる反面、電気を使わないのでゆっくりビールが冷えて本来の美味しさが損なわれないんだとか。ミシンでいうと足踏みミシンみたいな感じで、操作する人とも一体化しやすいのかなー? 以前の店のカウンター席で飲んでたとき、松尾さんが同じビールを2つに注ぎ分けて飲み比べさせてくれたことがありました。ひとつは松尾さんの注ぎ方、もうひとつはカラオケ屋さんで出てくるような注ぎ方。このときの驚きは一生忘れられないです。なにしろまったくの別物だったから!! 松尾さんが注ぐとふつうのアサヒビールでも信じられないくらい美味しいし、すこしもお腹が張らないから無限に飲めてしまう。こんなに味が変わるなんてと毎回感動してしまいます。フードも気取らない家庭料理でしっかり旨くて最高です。 余談ですがここのコースター、さっきふと、そのへんにあった赤青3Dメガネで見てみたところ飛び出しました。次回はかけていかなくちゃ。 つまりは、あぁ飲みたい。いま飲みたい。 (ビアライゼ'98)
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“626 名前:1[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:31:44 ID:U1MRPLbx0 鞄作りの同業者として俺が体験したことを書いておきたいから ちょっと長くなるが聞いてくれ。 2年半くらい前にヤフオクである工作機械をいくつか落札した。 結構大きさのあるもので普通なら送料も相当かかるのだが たまたま住所が近い人がまとめて出品していたので 自分でトラックで引き取りに行くつもりでその出品者から落札したんだ。 その工作機械っていうのは皮革の裁断機やミシンなどで 家庭で使うような代物じゃなく、プロが工場で使うものだ。 新品で買うと相当な値段だが、当時鞄デザイナーとして独立して 新たに工房を構えようとしていた俺には新品など手が出るはずもなく、 中古の物でも格安で手に入ることになったのは大変ありがたかった。 格安といっても全部で20万円ほどかかったが。 631 名前:2[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:37:02 ID:U1MRPLbx0 約束した日時にトラックに乗って指定された住所まで行ってみると 通りからは普通のこじゃれた新しい一軒家に見えるが、やはり庭の奥に小さな工房が有る家だった。 ヤフオクに出品していた人は女の名前だったが、伺った家で対応してくれた人も女の人で、 しかも想像より若く、俺の少し下で25,6才といったところか。 職人系の人の持ち物だとばかり思っていたので意外に思って聞いてみると 亡くなった父親が仕事で使っていたものらしい。 一年ばかりそのまま置いといたが残しておいても使わないので処分することにしたらしい。 前の工房の持ち主は几帳面だったらしく全てが整頓され片付いていた。 俺は落札した機械いくつかを苦労してトラックに積み込み、 そのほかにもこまごまとした道具や、余ったらしき革などの材料(これは持って帰っても使えなかったが)を おまけで頂いて、ついでに少し工房内の掃除をして 丁寧にお礼を言って家に帰った。 思いのほか時間がかかってしまったのでトラックから荷物を降ろしたのは次の日だった。 自分の工房といったところで雨風を辛うじて凌げるくらいの小さな貸家の小さな庭に これも中古で買ったプレハブがひとつ置いてあるだけの本当に小さな工房だ。 床だけは重い機械が乗せられるように強化してあるが、ドアひとつ、窓ひとつのプレハブで 夏は相当暑くなるだろう。 その工房に買った機械を運び終え、ホームセンターで買ってきた材木で棚や作業代などを 作りつけ、やっと製作にかかる準備が整った頃、 工作機械の出品者からメールが来た。 635 名前:3[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:39:33 ID:U1MRPLbx0 メールに書いてあったのは 彼女は高校まで実家で暮らし、大学、就職ともに東京だったので1人暮らしをしていて、 実家に帰ってきたのは去年父親が死んで母親1人だけになってしまったからだということ、 無口だった父親とはあまり仲が良くなく、子供の頃は仕事場も住んでいた家とは違う場所に構えていたので あまり仕事をしているところを見たことも無く、 父親の作った鞄もあまり使わずにブランド品ばかり使っていたこと。 等等が言い訳のように書いてあって、そして最後のほうに 父親が使っていた機械をどういう風に使うのか、それでどういうものが出来上がるのかもう一度みたいので 一度俺の工房に伺ってもいいか。というようなことが書かれていた。 俺にはまったく断る理由も無く、家もそんなに離れていないので 週末に約束をして迎えにいき、家もボロい所だよ、とあらかじめ言い訳めいたことを言って 工房に連れて来た。 まだ準備ができたばかりだったので作りかけのものすらなく、貰った革を使って 買った機械や、工程の説明をしながらキーホルダーを作ってあげた。 それでもそんなに時間もかからなかったので、インスタントのコーヒーを出して なんとなくお互いのことを話し始めた。 最初はお互いの年齢など当たり障りのないことを話していたが(ここで彼女が同い年だと言うことがわかった) 彼女はメールに書いてあったような経歴を話し、俺になんで鞄デザイナーになろうと思ったかと聞いてきた。 641 名前:4[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:44:01 ID:U1MRPLbx0 俺の実家は隣の県にある。工房の場所を探していたときに今の土地に移ってきたのだが 実家にいた小学3年生くらいの頃、軽いいじめにあった。といってもそんなに深刻なものではなく、 すぐにいじめの対象がほかに移り、それもすぐに無くなってしまった位のものだったのだが その過程で俺のランドセルに傷がつけられた。今思うとたいした事ではないのかもしれないが 当時の俺は泣きじゃくって学校に行きたくないと散々ごねた。 親はランドセルを買った近所の小さなお店に行き、もう買ってから年数が経ってしまっているが 直してもらえないだろうかと頼むと、店のご主人は快く引き受けてくれた上に ランドセルが無いと学校に行くのも大変だろうから最優先でやってあげようといってくれたらしい。 驚いたことに、次の日の朝早く、店のご主人がランドセルを自宅まで届けに来てくれた。 傷を直した場所は新しい革に変わっていたが、目立つことも無く、まるで最初からそこにあったかのように馴染んでいた。 全く魔法のようだった。 俺は喜んでランドセルを背負って学校に行き、その日家に帰ると母親と一緒に かばん屋までお礼と、代金を支払いに行った。かばん屋は小さなお店兼工房になっていて 男の人数人が働いていた。代金を支払ってお礼を言うと作業中だったご主人が よかったな、と俺に言った。 母親がお店の中に陳列してある鞄を見てまわる間、俺はご主人の仕事をずっと見ていた。 革を切ったり金槌みたいなので叩いたりしているのを見るのは楽しかった。 この日以降も何回かこのお店に遊びに行った。たいてい友達と一緒に行ってただ見てるだけだったが ご主人は嫌がりもせず、他の職人さんたちも優しくしてくれて たまに余った革の切れ端なんかをくれたりした。 この時くらいからはっきりとした物ではなかったが漠然と鞄職人にあこがれていた。 647 名前:5[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:46:07 ID:U1MRPLbx0 そんな話をしていると彼女が実は…と切り出した。 少し前から考えていたそうだが、彼女も父親のような職人になりたくて 専門学校に行くことを検討しているという。 そこで独立したての俺にいろいろ聞きたかったらしい。 俺も大学を中退したあと専門学校に2年通い、その後ひとの工房に入って数年修行したあと独立した。 そのことを話すともう資料も取り寄せてあり、入るならここかなとあるデザイン形の専門学校の名を口にした。 もともと鞄作りを勉強できる専門学校なんてそんなに多くない。 ある程度予想していた通り、そこは俺が出た学校だった。 彼女は誰かに最後の一押しをして貰いたかっただけらしく、そこそこいい学校だったことを言うと もう入学することを決めたみたいだった。 651 名前:6[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:48:27 ID:U1MRPLbx0 彼女が専門学校に入学すると俺たちはなんとなく付き合うようになっていた。 俺の仕事は独立したてにもかかわらずそこそこ順調で、営業をかけたいくつかのお店で取り扱ってくれていた。 個人工房の強みでお客さんの要望に有る程度答えてセミオーダーのような形で鞄を作ることもあり、 結構な値段がするにもかかわらず独立して一年ほどで固定客も付き、利益を出せるようになっていた。 その頃には彼女も頻繁に工房に来るようになっていたし、ちょっとした作業を手伝ってくれることもあった。 逆に俺が彼女の実家に遊びに行き、たまに彼女の母親と三人で食事をするようなこともあった。 あるとき、三人で食事をしていたとき、俺の小さい頃の話になった。 俺が住んでいた町の名前を言うと彼女の母親はあらっというような顔をして 父親の工房もそこにあったと言う。デパートなどの店卸が主な仕事だったが 工房にも少し商品を置いて販売していたらしい。はっとして彼女の顔を見たがまだ気づいていないようだった。 俺はどきどきしながら工房の場所と様子を聞いた。遠い記憶でお店の名前は忘れてしまっていたが 話してくれた工房の場所は間違いなく俺が子供の頃に通ったあのかばん屋さんだった。 俺がこの仕事に就くきっかけを作ってくれたのは彼女の父親だったのか。 654 名前:7[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:51:38 ID:U1MRPLbx0 それから俺は興奮して思い出すままにいろんなことをしゃべり続けた。 ランドセルを直してもらったこと、彼女の父親が仕事しているのを見ていたこと、 革の切れ端を貰って大事にしていたこと。 彼女はそういった話はまだ母親にはしていなかったらしく、また彼女も父親の仕事場にあまり行ったことが無かったので いままで結びつかなかったらしい。 聞くところによると彼女と両親は今よりも隣の県に近いところに住んでいて、父親は俺の実家の近くの工房まで通っていた。 60歳を過ぎて今までの工場は人に譲り、今住んでいる所に家と小さな工房を建てて移り住み、 鞄作りは小さな規模で細々とやっていくつもりだったらしい。 それが引っ越してそう日も経たないうちに残念なことに亡くなってしまった。 小さな工房はそれから一年くらいそのままだったが機械類は置いておくよりも使ってもらったほうがうかばれると思い、 ヤフオクに出品したところ買いに来たのが俺だった。 そのあたりまで話した頃にはもう三人ともぼろぼろ泣いていた。 母親なんか俺の手を握って娘をおねがいしますみたいなことを言ってるし。 でもさすがの俺もこれには運命的なものを感じずにはいられなかった。 今までより彼女が大切に思えたし、亡くなった職人であった父親から 意思をついで立派な職人になれって言われている気がした。 658 名前:ラスト[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:54:19 ID:U1MRPLbx0 この春、専門学校を卒業した彼女と結婚します。 俺の実家につれて帰ったときに彼女の父親の昔の工房を見に行ったら 名前を変え、店舗部分を少し大きくしてまだ営業してた。 今の店主に彼女は昔のこの店の主人の娘であることや、結婚すること、俺が小さい頃遊びに来ていたことなどを話した。 驚いたことに今のご主人は彼女の父親の元で働いていた職人さんの1人で、 小学生の俺に革の切れ端なんかをくれていた人で、ご主人は俺のことも覚えていた。 世間の狭さにまたひとしきり感動して、同業者としてこれからよろしくお願いしますと挨拶をして店を後にした。 狭い工房と貸家だけど4月から彼女と夫婦二人での製作と生活をスタートします。 手作りの良さと、彼女の父親から受け継いだ職人の心を忘れずにこれからもがんばろうと思う。 書いているうちにだらだらと長文になって申し訳ない。 才能のある作家なら小説がひとつ書きあがるくらいの、作り話みたいな話だが どうみても作り話です。ありがとうございました。”
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コピペ運動会 - No.5024 鞄職人 (via pdl2h) (via yuco)
ポルコロッソという店の製品が好き
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