#マツダK360
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youkaidaimaou · 3 months ago
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街を散策・「赤穂玩具博物館」/ Ako Toy Museum
一年前の冬は、移住をした夏以降の体調不良から少しずつ良くなり、療養とリハビリを兼ねた山歩きに出掛けていました。そして、最近は、住んでいる街を散策するリハビリを少しずつ増やしていて、かねてから気になっていた、「赤穂玩具博物館」へ行ってきましたので紹介します。 Last winter, I was gradually getting better from the poor health I had been feeling since the summer I moved here, so I went hiking to recuperate and rehabilitate. Recently, I have been gradually increasing my rehabilitation by walking around the town where I live, and I went to the Ako Toy Museum, which I had been interested in for a long time, so I would like to introduce it to you. 『 正面外観 / Front View 』 赤穂市の中心にある赤穂城の北正面にある博物館は、築50年以上は経っている一軒家で、家屋より古い車や看板で外観は埋め尽くされており、雰囲気のある、一種異様な光景です。
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『 スバル360 / Subaru 360 』
この博物館の看板車は、何と言っても 1960年発売のスバル360 でしょう。2ストローク 2気筒 360㏄ のエンジンで、煙を吐きながら走る姿が思い出されます。展示車両は、テールランプの形状から、1967年頃の車両だと思われます。 そして、その前方の薄いウグイス色の車両は、1957年発売の三輪軽トラック、ダイハツ・ミゼットで、ハンドル形状が丸ハンドルですから、恐らく 1959年以降の年式だと思われます。
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The museum's signature vehicle is undoubtedly the Subaru 360, released in 1960. Its two-stroke, two-cylinder, 360cc engine brings to mind the image of it spewing smoke as it drives. The vehicle on display is thought to be from around 1967, judging from the shape of the taillights. And the light green vehicle in front of it is a three-wheeled light truck, the Daihatsu Midget, released in 1957, and since it has a round steering wheel, it is probably from 1959 or later.
『 入口 / Entrance 』
この博物館の最初の難関は「入口」探しでした。看板や車、自転車だらけで、一般的な博物館の入り口をイメージすると入れません。黄色の「SSチェーン薬局」の看板のした、森永キャラメルの看板の左隣、由美かおりさんの笑顔に迎えられながら、狭い入口をくぐり抜けます。しかし、身長 145㏄ 以上の方は、頭部打撲事故に注意が必要です。
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The first challenge in this museum was finding the entrance. There are signs, cars, and bicycles everywhere, and if you imagine a typical museum entrance, you won't be able to get in. We pass through the narrow entrance, greeted by the smiling face of Kaori Yumi, located to the left of the Morinaga Caramel sign, under the yellow "SS Chain Pharmacy" sign. However, if you are over 145cm tall, please be careful of head injuries. 『 入口の右隣には / Right next to the Entrance 』
入口の右隣を覗けば、「ウルトラセブン」が飛んでいます。そして、その「ウルトラセブン」を荷台に載せて運んでいるのが、1959年発売、マツダ(当時は東洋工業)の軽三輪トラック・K360 です。当時は、ダイハツ・ミゼットと同じ軽三輪トラック同士で人気を分けていましたが、僕は 5歳の頃に初めて運転した想い出のある K360 がお勧めです。このよく似た 2台の見分け方はドアを見れば簡単です。ミゼットのドアは 後ヒンジの前開きで、K360 は一般的な ���ヒンジの後開きです。さらに、K360 の後につけているのが、フロントカウルの形状から、恐らく、1960年頃のシルバー ビジョン だと思われますが自信ありません。そして、その 2台の背後からヘッドライトを出しているのは、1957年型の ダットサン 210 か、翌1958年型の ダットサン 211 だと思います。後のブルーバードの祖先ですね。
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Looking to the right of the entrance, you can see "Ultra Seven" flying. And the vehicle carrying "Ultra Seven" on its loading platform is the Mazda (then Toyo Kogyo) K360, a light three-wheeled truck released in 1959. At the time, the Daihatsu Midget and the other light three-wheeled trucks were equally popular, but I recommend the K360, which I remember driving for the first time when I was 5 years old. It's easy to tell the difference between these two similar vehicles by looking at the doors. The Midget's doors are rear-hinged and open in the front, while the K360's are standard front-hinged and open at the back. Furthermore, judging from the shape of the front cowl, the vehicle attached to the back of the K360 is probably a Silver Vision from around 1960, but I'm not sure. And the car with the headlights coming out from behind those two is probably a 1957 model Datsun 210 or a 1958 model Datsun 211. It's the predecessor to the later Bluebird. 『 博物館内部には / Inside the Museum 』
2004年に開館した博物館の内部には、館長の鈴腹さんが長年に亘って収集を続けたおもちゃやミニチュアカー、家電品や様々な広告用展示物など、戦前を含めた昭和時代の品々で埋め尽くされていて、50歳台以上の方には見覚えのある品があるでしょう。また、昭和を知らない世代でも、江戸や明治、大正時代の品々の博物館とは違って、現代の文化やコマーシャリズムの源流を見る事ができるでしょう。(画像はありません、ごめんなさい) しかし、身長 170㎝ 以上の方は、古い家屋と展示物のため、頭上に注意が必要です。実際、僕は博物館を出るまでに 3回頭をヒットしました。また、内部は展示物満載ですから、少人数で入館される事をお勧めします。
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The museum, which opened in 2004, is filled with items from the Showa era, including prewar items, such as toys, miniature cars, home appliances, and various advertising exhibits that the director, Mr. Suzuhara, has been collecting for many years, and there will be some familiar items for those over 50 years old. Also, even those who do not know the Showa era will be able to see the origins of modern culture and commercialism, unlike museums with items from the Edo, Meiji, and Taisho eras. (No images, sorry) However, those who are over 170 cm tall should be careful of the overhead due to the old house and exhibits. In fact, I hit my head three times before leaving the museum. Also, since the inside is packed with exhibits, I recommend entering with a small group.
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catdoll007 · 2 years ago
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昭和日常博物館の地下1階に展示してある
暮らし ✖️ モータリゼーション 🚘️
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hoory · 5 years ago
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RT @tako_nagao: K360の走行動画見たい方が一人いらっしゃったので小雨だけどちょっと走ってきました。🚙💦 #マツダK360 #けさぶろう #昭和遺産 #実動車 https://t.co/Or88sAnEHl
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carguytimes · 7 years ago
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初の乗用車が2ドアクーペなのがマツダ流。マツダ・R360クーペ【昭和の名車列伝】
昭和の名車を紹介するシリーズ企画。今回紹介するのは、マツダ・R360クーペです。 魂動デザインで絶好調のマツダ。その「スタイリングを大事にする姿勢」は1960年代��既に確立されていました。 マツダの軽自動車・R360クーペは同社初の乗用モデルです。全長3m未満という当時の軽規格内でクーペデザインを成立させること自体もすごかったのですが、2シーターに見せてれっきとした4シーターのパッケージとしていることも注目です。 エンジンはV型2気筒356cc。これは同社の3輪トラック・K360用がベースですが、搭載にあたってはブロックをアルミとして重量増を抑えます。 他にもサイド&リヤウインドウをアクリル製とするなどして徹底的に軽量化を意識しました。 初の乗用車がいきなり2ドアクーペという「デザイン重視」の姿勢は今のマツダそのもの。軽量化に真摯に取り組む姿勢は同社のロードスター・シリーズをほうふつとさせます。そう思って改めてR360クーペのデザインを注視すると、後年のコスモ・スポーツやFD3S型RX-7の姿もだぶって見えてくるようです。 ●主要スペック 全長:2980mm・全幅:1290mm・全高:1290mm エンジン・V型2気筒356cc 最高出力:16ps/5300rpm 最大トルク:2.2 kgm/4000rpm (写真・動画・文/ウナ丼 撮影車両協力・松下さん) 【関連リンク】 日本クラシックカー協会・JCCAニューイヤーミーティング(取材協力) http://www.jcca.cc/event/2018/newyear/ あわせて読みたい * 【昭和末期の名車列伝】エンジンは水平対向4気筒の半分! トレンドと真逆の低全高ながら広い室内をも実現したホンダ・トゥデイの独創力 * 64km/hオフセット前面衝突試験で「潰れる量」は? 衝突試験では計測機器満載で徹底的にチェック【マツダ衝突性能開発・その3】 * 実車による衝突試験は最終確認。コンピュータシミュレーションでほぼ骨格を決定する【マツダ衝突性能開発・その2】 * 将来を見据えた「一括企画」と「個別車種開発」で進められる、衝突安全性能の開発【マツダ衝突性能開発・その1】 * 【JAPANキャンピングカーショー2018】プロユースの商用バンをワイルドに仕立てたリノベーション・キャンピングカー http://dlvr.it/QHf4Gp
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carguytimes · 7 years ago
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『最後の革新者』山本健一・元マツダ株式会社会長の思い出/山口京一【RE追っかけ記-特別編1】
山本健一・元マツダ株式会社会長が逝去されました。1922年9月16日— 2017年12月20日、享年95。 マツダ会長期のRX-7アメリカ10周年、米ロード&トラック誌1988年8月号にインタビューさせていただきました。題して『最後の革新者』 山本さんから頂戴した私的回想録の1冊『REに挑戦した二人の男』(松田恒次社長と山本さん)の��まりには次の一文があります。 発明者 フェリックス・バンケル* 1988 享年86 NSU社長 G. S. ハイデカンプ 1983 享年78 NSU部長 ワルター・フレーデ 1984 享年74 マツダ社長 松田恒次 1970 享年75 (注* 人名カナ表記は山本さん式) …既に鬼籍に入ってから相当の歳月が流れているが、REの歴史に新しい、世代の世代が来ていることを感じさせる。」そして『最後の革新者』山本健一さんが他界されました。 山本さんは、広島人父君の日窒工場長時期に熊本に生まれました。 山本家は日窒の東洋工業(マツダ旧社名)との資本提携で、広島に戻り、山本義雄氏は東洋工業専務まで務めらました。REを導入された松田恒次社長とは同期に役員に就任された方です。 山本さんは1944年東京帝国大学機械工学科卒業。私のモーターファン誌人物シリーズ・インタビューの山本さん第1声は、「私はロマンチスト、私のロマンは空と海の飛行艇」でした。飛行艇メーカーとして名高い川西航空機社に入社しましたが、太平洋戦争勃発で海軍技術士官として軍務に就きます。霞ヶ浦、木更津海軍工廠で特殊攻撃機“橘花”機体製作監修が任務でした。 終戦で広島実家に戻りますが、敗戦空白ゆえの無為で荒んだ生活を憂えた母堂が、亡父のマツダ時代僚友役員の村井時之助技術担当常務を訪ね、雇用を梱願します。   日本COTY起源のモーターファンCOTY 1971年マツダ・カペラRE受賞挨拶をされる村井時之助副社長(当時)。 村井さんは、戦前海軍工廠技術幹部退官後にマツダに入社された方です。材料、鋳鍛造、製法の権威で、戦後のマツダ先進技術の基礎を構築された技術者、経営者でした。1967年八重洲にあった東京本社での2代目ファミリア発表会、71年モーターファン・カーオブザイヤー(現COTYのルーツ)授賞式で村尾副社長(当時)にお目にかかれたのは幸運でした。 山本さんは、唯一所有した海軍士官正装を着用し、マツダ本社で村尾役員の面接を受けました。「君はいったい、なにをしたいのだ。」という問いに対して山本さんは、「現場をしばらく習得し、設計に移りたい」なる希望に返ってきた一喝。「現場を選ぶなら一生の仕事と覚悟せよ。」山本社員は、主商品3輪トラックのトランスミッション組み立て部門に配属されます。上司の特別許可を受け、設計図面を勉強した彼に着目したのは、ある日工場を訪れた設計エンジニアなる逸話が残ります。山本さんご自身は、村尾役員と、村尾さんを通じて家系を知った松田恒次専務(当時)が目をつけておられ、設計者として起用されたと感じたとのことです。   1949年初半、設計部に移り1年半たった山本さんは、村尾専務に呼ばれます。 2000年頃、偶然カリフォルニア砂漠地域の屋外クラシック・コレクションで見たマツダCT型3輪トラック。 3輪トラックの大型化に対応する新型OHV・V2気筒エンジン設計開発担当を命じられます。26歳の青年“発動機設計係”の興奮と緊張は察するに余りあります。英2輪車アリエルを手本にした初作は失敗、サイドバルブに固執したベテラン設計者たちが、村尾専務と若手の対策会議に現れ猛反対。黙って聞いていた村尾専務、ベテランに向かい、「下がってよろしい。」若手技術者との会議を継続しました。 1950年発売CT型空冷Vツイン、1157 cc 32 hp。マツダによると、乗用車を含め、当時サイドバルブ趨勢にあって「唯一のOHVエンジン」。 山本チームが次に参考にしたのが、某2輪店主が屋根裏に隠蔵していた英トライアンフ2輪エンジンでした。アリエル、トライアンフともに機種名は不明ですが、興味のあるのが2ブランド同設計者の可能性です。CTエンジンのシリンダー外部2本のパイプに収めたプッシュロッド、燃焼室形状など、アリエルからトライアンフに移った鬼才エドワード・ターナー設計に共通します。これは、1958年浅間レースでトライアンフに敗退したチーム裏方の推理です。 CTエンジンは、OHV、半球形燃焼室、回転排気バルブ、油圧タペット、そしてセルフスターターなる最新技術を盛り込んでいました。CTと派生型は、大成功商品となり、山本さんは設計主任に昇進します。     計部次長に昇格した山本さんの秘密計画が軽3輪車です。 山本健一設計部次長としての秘密企画が軽3輪トラックのイメージを一新したK360。写真は、エンジン拡大版K600で、提携関係にあった韓国キアCKD車をヒュンダイ-キアがレストアしたもの。 通常タイプの縮小版ではなく、風雨防備フルキャビン、ステアリングホイール、低重心化のため、キャビンと荷台間の低い位置ミドシップの搭載したOHV・V2気筒など、先進的機構とマツダ・デザインを指導した小杉二教授の傑作の一つです(次のマツダ最初の乗用車、軽R360なども小杉指導です)。山本さんの責任でプロトを製作し、恒次社長の承認を得ました。オーナー社長下では、たいへんな賭けだったでしょう。 「ホンモノの自動車の音がする」と松田恒次社長が東京晴海の野外発表会で誇ったキャロル。   1959年秋、独NSU社とバンケル研究所は、画期的回転型(往復運動ピストンに対し)内燃エンジンの実用化を発表した。「バンケルRE」である。欧米日の自動車、モーターサイクル、船舶、汎用機器メーカーがライセンス購入のため、門前市を成したと報じられました。 山本さんが「ザ・チャンピオン=挑戦者」として畏敬した松田恒次社長。RE導入、熱烈な推進した先見者。   折しも日本自動車産業は、政府主導の再編成が噂されていました。松田恒次社長は、独立存続と成長の強力な手段としてバンケルREライセンス取得に動き、成功しました。 当初、マツダのRE研究は、複数技術部門から編成したRE研究委員会が実行しました。NSUからKKM400プロトエンジンが到着、それをべースにマツダ型を試作、実車実験しますが、問題続出。山本健一設計部次長は、委員会メンバーではなく、REは松田社長の将来を見据えた先行プロジェクトと受け取っていたとのこと。しかし、村尾副社長は、山本次長にネッカーズルムNSUを訪れ、開発状況を調査、報告するように命じます。山本次長の報告は、NSUのライセンサーとしてRE多分野適用の逸り、企業規模として材料研究部門能力不足などを率直に指摘しています。     山本さんのもうひとりのザ・チャンピオンがNSUフォン・ハイデカンプ社長。彼が収まる(走行はレーシングライダーに任せた)50cc速度記録車にバンケル設計ロータリー・スーパーチャージャーを用い、ボンネヴィル乾湖で世界記録を樹立したのがRE開発とライセンサーとなる契機。   山本さんにとっては、晴天の霹靂でした。村尾副社長は、松田恒次社長直々の命令として、山本次長にRE研究部を設立し、組織をつくり、部長に就任すべしと伝えます。山本さんのお言葉、「自動車産業とは保守的なもの。確立されている技術、継承、生産、販売、整備などの規模を考えると、そうならざるを得ない。既存のレールを走ってきて、その上で会社の存続と成長への貢献に努力してきた。そのレールを降り、未知の土地に新しいレールを敷設せよなる令。」一時は、設計部の組織と人・物資源を離れ、独立部門の設立は降格ではないかと、疑義を抱いたともらされました。しかし、松田恒次社長のREなる新天地への情熱と執���に感動されました。「松田社長に応えねば、人として生まれてきた価値がない」が山本部長の決意でした。   1968年英MOTOR誌のR100ファミリア・ロータリー・クーペ・/リポート 私のマツダRE車取材は、1967年英誌MOTORのコスモスポーツが最初で、対応して下さったのはRE研究部調査課長の烏田祥三課長。まず、面接でRE知識範囲について質問を受けました。そして宇品工場脇の広場(コース以前)で試乗。翌1968年ファミリア・REクーペは、三次テストコース試乗許可、そして山本健一RE研究部長のお話を聞くことができました。コスモは世界最初の2ローター市販車、ファミリアは世界最初の量産販売RE車となります。(つづく) (山口京一)   あわせて読みたい * 【マツダ・CX-8試乗】2トンに迫る車重を感じさせないしっかりトルク * 【マツダ・CX-8試乗】大人も十分に乗れるサードシートを実現 * 【マツダ・CX-8試乗】ミニバンから撤退したマツダが作る、形を変えたミニバン * 幻のロータリースポーツ、マツダ「RX500」に乗車できる体験イベントが開催 * マツダが来年3月発売に向けた次期「アクセラ」の量産を年内にスタート? http://dlvr.it/Q9TwHh
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