#プロレスラーのようでプロレスラーじゃない大将
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--深海人形-- じゃあなアル!元気で暮らせよ!クリスによろしくな!
※後半:クロスオーバーネタ注意
※サガとガソダムの話ばっかりだけど、基本、雑多
※全体的に閲覧注意
※キャラ崩壊注意
※私は、三流のハッピーエンドよりも、一流の悲劇を選びます。
…サガシリーズは、只管、只の物理攻撃か武術(である筈)なのに状態異常かデバフを相手に付与する技多い(※薙ぎ払い、骨砕き、かの有名な流し切り、かめごうら割り、イドブレイク等。…その上、地相を変える技すらある……)。
…。
シロッコの格闘スタイルは、鯖折り以外の幸せ投げを使って来ないほのかちゃん(fromDOA)みたいなイメージ(※仮に彼奴が幸せ投げを使って来たら不幸投げだよ)。
…。
…如何でも良いけど、拙作では、ニュータイプには(※ロマサガ的に書くと)全武器に閃き適性があって、『レフトハンドソードの様な左利きじゃないと本領発揮しない武器(かレフトハンドソードそのもの ※元ネタはロマンシング サガでマルディアスの神々が英雄ミルザに与えた武器)』使わせると、右利きでも左利きと���じ火力出せると言う謎の仕様あります(※バグでは無く仕様)。
…。
星の屑作戦を遂行するガチの屑、それがデラーズフリートであり、アナベル・ガトーだ。
…。
…バーニィや戦争をしたくなかった学徒兵達の意志を戦後、最悪のテロリズムで踏み躙った屑の集まりがあの艦隊でありデラーズでありガトーです。皆様忘れないで。
…。
…精神的に成熟するとニナを許せる様になるが、反比例してガトーを許せなくなる(※更に成熟すると、何処にも勝利者は居ない事を嘆く様になる)。
…。
※クロスオーバー注意
…前回の話でシロッコに千手観音とタイガーブレイク(どちらもロマサガ2・3における体術最強技)使わせようとしたけど、それだと、「…この様で、何故、格闘の心得無いって名乗れるんだ?(※才能の方は知らん)。」…と言う事になるので没(…EXVSでThe Oがジャイアントスイング使うので、それ使わせようと思ったけど、あの魚人相手だと、ダメージ出せないので没)。
凶器攻撃で流し切りとパリィ使わせる案もあった(※其れに、流し切りが完全に入ったら腕力ダウンのデバフ入るんで美味い)。棍棒技でかめごうら割り(※防御デバフ技)と言う案も……(※全部ロマサガ仕様……)。
…。
※クロスオーバー・男リョナ注意
※ステカセキングにバーニィのビデオレター音声を再生して欲しかっただけの話(※本当に、それだけがやりたかっただけの話)。
※人間(※ジェロニモじゃない奴)に負ける悪魔超人ステカセキング(※…ステカセ自体は家電として時代遅れと各所で言われてるし仕方無いか……)
※前作(※--深海人形-- どんな存在に対しても平等に優しい世界なんて、何処にも無い。世界は非情である。後半収録のシロッコ回)との温度差が凄い(※鬱極まりない)。
※ステカセがマジで悲惨な負け方するので、ワイ以外のファンも注意してね……読まないで……(※…ワイ書いてて辛かったよ……)。…ステカセキング結構好きなので尚更……(※…じゃぁ!何で描いたんだよ!?)。
「…我々は、対超人試合での人間について研究して居ます者です。…標本(サンプル)が致命的に足りず、…如何か貴方の御力を……。」
それに対して、ガトーは、二つ返事で了承する。
「…ほう、良かろう。…最近、退屈して居るのでな。」
…。
その日、ガトーは、予め用意して貰って居たプロレスラーのコスチュームを着て、リングの上に上がった。
対戦相手は、ステカセキングと言う機械仕掛けの悪魔超人だった。
「只の人間が相手か!…此れは申し訳無い位に、楽に勝ててしまうな!」
…只の人間(ソロモンの悪夢)。…然し、ガトーはガトーで、ステカセに対して失礼な反応をして居た。
「…何だ?あの完全自立型の奇天烈アンドロイドは?」
…そして、試合開始のゴングが鳴る。
すると、早速、ステカセキングは、背中のランドセルからカセットを取り出し、それを入れる。
「…これだ!強化カセット:ニュータイププログラム!」
「ニュータイプだと?!」
「此れはな、名だたるニュータイプのアルゴリズムをシミュレーションプログラムとして入れたカセットだ!」
…因みに、シロッコのデータは入って居ない。あんなののデータを入れたら、ステカセは爆発してしまう。
…さて。それを聞いたガトーの反応は大層冷ややかなものだった。
「…なるほど。…『詐欺』だな。…何もかもが醜悪。出来が悪い。」
「でも、アンタはニュータイプじゃない!オールドタイプだろ!」
そう言って、ステカセが機敏に精密に動くも、すぐに動きを見切られた。…更には、こうも言われた。
「…連邦の白い悪魔にしろ、赤い彗星にしろ、魔性の毒婦にしろ、彼等に匹敵する程の強化人間にしろ、この様な温い動きでは決して無かったぞ。」
その瞬間、ガトーが、超速で、高く飛んだかと思うと、ステカセの頭を掴み、膝蹴りの一撃を喰らわせた後コウの首を捻る感覚でその頭を両手でキツく捻った後、其の儘、強く蹴り飛ばした。
「…そんな……!!!!」
かくして、ニュータイプ プログラムをインストールしたステカセをあっさり瞬殺した。
その後ステカセの背後を取って、パロスペシャル後にニードロップを仕掛けた上に、一気にステカセの背中を何度も踏み付け、打撃と衝撃を与えた後、ニュータイプ プログラムの入ったカセットを引き摺り出し、乱暴に、リング外へと捨てる。
「……愚かな事だ。ニュータイプの殆どが、撃墜王、英雄と知られて居るとは言え、そのニュータイプにあやかろうなどとは下らぬ!!」
「これで勝ったと思うなよ!」
「…戯言を。」
すると、ステカセは、又、背中のランドセルから新しいカセットを取り出し、セットする。
「…再生、スタート。」
…アル、良いか。よく聞いてくれ。
その時、ある音声が流れ出す。それは、バーニィ、サイド6でNT-1 アレックスとザクII改に乗り込んで交戦した末戦死したジオン公国のMSパイロット、バーナード・ワイズマンが遺したビデオテープの物だった。
…そして、その音声は、少しずつだが、やがて、周囲に強く響く様になった。まるで何か力強く悲���な魂が籠って居るとしか思えない程に。
この包みの中には、俺の証言を収めたテープや、証拠の品が入っている。このコロニーが、核ミサイルの目標になった訳を、知る限り喋った
(…何だ此の音声は……?コロニー……?…核ミサイル??)
ここで戦うのをやめると、自分が自分でなくなるような……
(…一体、声の主である此奴は誰なのだ……?)
連邦が憎いとか、隊長たちの敵を打ちたいとか、言うんじゃないんだ。
…やがて、最終的にも、この音声の詳細についてを分かりかねたガトーは、凄まじい形相でステカセに突っかかった。
「何だ此の音声は?!(…此れも実験の内に、入って居るのか?)」
此処で親切に、丁寧にも、ガトーの為に、ステカセは説明を初めた。
「ジオンの、限りなく学徒兵の立場に近い、戦争末期に徴兵された若い新兵が遺して行ったビデオメッセージを俺がダビングしてカセットに録音した者だ。」
其の言葉を聞いたガトーは、尋問にも近しい勢いで激しく問い詰める。
「……我々ジオン兵を愚弄する気か?」
すると、ステカセは、此う答えた。
「彼等を盾にし見捨てて迄生き延びた。彼等の奮戦を愚弄しているのはお前達の方だ。」
…そして、未だに、ビデオレターをダビングしたテープの音声は続いている。
そのことで、連邦軍の兵士や、ガンダムのパイロットを恨んだりしないでくれ。彼らだって、俺と同じで自分がやるべきだと思った事をやってるだけなんだ
ステカセに対する、ガトーの"尋問"は、やがて"拷問"に匹敵する其れへと変わって行った。
「何を意味の通らぬ事を言っている?何も知らぬ門外漢が。ただの金属の塊が。若き血潮の彼等はジオンの為に戦の中で散り英霊となったのだ。」
その、国粋主義的で綺麗事としか言い用の無い言葉を聞いた、その時代遅れの家電の姿をした悪魔超人は軽蔑する様に言う。
「……この悪魔が!!!!」
「連邦に言え。」
…然し此の武士然としており、義に厚い筈の男は、何処迄も冷淡な返答で返事を返した。
無理かもしれないけど、他人を恨んだり、自分の事を責めたりしないでくれ。これは俺の、最後の頼みだ
然し、ガトーと同じく、ステカセの反応は変わらない。
「現実逃避か?」
「…ジオンの為に玉砕した将兵は皆例外無く英霊となったのだ。これ以上の説明は要らなかろう?茶番は終わりか?此の煩いだけの喋るガラクタ風情が。」
「あぁ。分かったよ。何れだけ悲痛な遺言が響いても、お前の魂は震えなかったんだな。…惨めで何処迄も哀れだ。」
「黙れ。ただ喧しいだけの機械風情が。」
ガトーはありったけの悔しさを込めその悪魔超人を、何度も何度も、強く殴って、最後には、その腹部を、完全に破壊しようとする。
「…アル!!」
もし、運良く生き延びて戦争が終わったらさ、必ず、このコロニーに帰ってくるよ
会いに来る、約束だ
もう既に、ステカセキングから流れる音声に耐え切れなくなったアナベル・ガトー、彼は凄まじい形相で猛攻を続けた。その機械超人を完全にK.O.所か木っ端微塵にし、破壊する為に。
「再生を停止させろ、音声を停止させろと言っているだろ。」
然し、其のビデオレターをダビングしたカセットからは、未だに、音声は再生されており、未だ、彼の神経を逆撫でし続けて居る。
これでお別れだ、じゃあなアル
「嫌だね。」
そう言うと、ステカセは、一瞬の隙を利用し、ガトーの左手に、刺々しく激しい音波を食らわせて、骨と筋繊維に只ならぬダメージを与える。
「…グゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛!!!!」
「これでお前の左腕は!」
「南無三!!!!」
それでも、彼は右手だけが動くと言う状況でもステカセへの攻撃を辞めなかった。
(…右手もボロボロだ。…だが……)。
…正に、戦場で荒々しく戦う機械の如く、その機械腹部を、殴り続け、蹴り続ける。彼には心身共に、痛みの感覚なんてもう無かった。そんなもの何も無かった。
…左手が…、…最悪の場合お前の左手と同じになるかもしれないな、ケリィ……。
…そして、訊かせて下さい。…如何か、お願いします。如何か答えて下さい。……閣下。…ジオンにとって、一体、何が一番正しかったのですか?…本当に、我々のジオンにとって正しい事とは何だったのですか?…本当にお願いします、…閣下……。
…そして、最後に、その時。
元気で暮らせよ!クリス…
ステカセの腹部が--中のカセットごと--完全に破壊された事により、今迄誰かの魂にも響く様にと流れ続けて居た音声は完璧に沈黙した。
この試合の勝利者は、ガトー。
人間が超人を倒したと言う華麗なるジャイアントキリング(大物食い)。完膚無き迄のK.O.勝ち。そうして、ガトーは、音波の衝撃で酷く傷付き--何の--心身共に--痛みも無かった先程とは打って変わり--激痛が走る様になった左手を、同じく其れと同じかそれ以上の激痛が走る右腕で押さえながら、思わず残骸となった対戦相手を見下ろす様に鼻で笑って居た。
「…何と醜い。ジャンクより酷いな。」
…その時ガトーは、ソロモンの空で見た無数の僚機と味方の残骸を思い出していた。
「…お前の様なのはソロモンの海に、沢山……。」…戦争の勝利者等、何処にも居ない。
…。
※補足
※…「連邦に言え」はSEED ECLIPSEの「世界に言え」が元ネタ。
…。
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本日の「西村や」のランチセットは、 ◎麻婆豆腐 ◎汁なし担々麺 ◎釜玉ラーメン 💮豚バラ肉の唐揚げ です❣️ そして、ランチセットご注文のお客様の副菜は、 ・回鍋肉 ・玉子炒めのなめ茸がけ ・白身魚フライ ・ピリ辛こんにゃく ・焼きサバ ・サラダ ・もずく です😋 昨日は、産業会館で試合後、プロレスリングNOAHの『マサ北宮選手』と『宮脇純太選手』がご来店くださいました❗ もうなんて言うか、リング上とのギャップにギャフン💨💨💨とやられてしまいました🤩 マサ北宮選手、宮脇純太選手、 いっぱい食べて、いっぱい飲んで、いっぱいお話してくださって、ありがとうございました❤️ 楽しい事の後なので、しっかり頑張ろう❗ 本日も宜しくお願いします(・∀・)ノ✨ #西村や加古町店 #汁なし担々麺 #今日のオススメ✨ #回鍋肉 #玉子炒めのなめ茸がけ #玉子炒めは家でも真似してます♪ #プロレスリングNOAH #マサ北宮選手 #宮脇純太選手 #プロレスラーのようでプロレスラーじゃない大将 (西村や加古町店) https://www.instagram.com/p/BtAD4DRBfUZ/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=3ipk6zybljrz
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0008
ボクはカチコチ頭の偏屈で漱石枕流、想像力や独創性の欠片も持ち合わせておらず、知識や記憶で夢を否定し既成概念の甲冑が無いと歩くことすらままならないタイプの人間だ、と言う自覚に加え他人にとってもそうでありたい、誰が見てもそう見られたいと言う思考から成るアイデンティティを維持するための言動を心掛け且つ実行し、それを繰り返している、つまり、“発想の転換”や“視点を変える”なんてことができない、しかも“できない”、のに“できないんじゃなくてしないんだよ”って風を装って生きている、できるふりをするのは周りがボクに対して抱いている(抱いているであろう)イメージを損なってはならないって高飛車な発想によるもだ
惰性で生きながらえるだけの平均にも手が届かないようなレベルで暮らすなか、将来を憂い家計を案じるボクの生活に、彼の発想(実際にはまだ知らないはずなのに雄々しく温かく計り知れぬ強大な彼の影響力を、…を、なんと言うべきか、魂、魂で感じていた)はあってはならない麻薬だった、分かるだろ?
だから、だからずっと避けて来た、四つの漢字から構成される彼の名前、意識に深く根を張った真剣な眼差しや笑顔を、そう言う系のサイトに並ぶ記事タイトル、誰かのシェア、サムネイル、棚に並ぶ背表紙を、平台に積まれたその顔に目を瞑り続けていた
それなのにターニングポイントってやつは案外あっけなくやって来るもので、例えば食わず嫌いが思いがけず口にした瞬間に好物に逆転したり若い頃からずっと拘っていたことが歳を取ってどうでも良くなってしまったり
そうしてボクは、一冊の���を、寝食どころか”大好き“な仕事を忘れて読み終えた
この本は危ない
ページを進めば進むほど、屈強なプロレスラー、例えば、例えばって言ってもほとんど知らないんだけどプロレスラーってやつを、そんな中で、そう、大国アメリカを象徴するビジュアルの、Hulk Hogan辺りにこのカチコチ頭を鷲掴まえられて、本来の頭の中心、下垂体から中脳・海馬周辺を軸に、前後左右上下に向けて力いっぱい揺さぶられているような、何なら時間軸までまとめて4Dにシェイクされているかのような感覚だ、火花を伴って目が眩み脚が震え、何度も何度も息を吐いた、1ページ1行1文字ごとに、湧き上がる希望・羨望・欲望に願望が全身を駆け巡って行くのが分かる、本来そんな反乱分子は外部から入って来るなりボクがボクと言う人間の運営を一任している現実君と恐怖君が左脳から現れていとも簡単に沈静化してしまう、が、しかし、未だ震える手足、頭の中から聞こえてくる脈の音、外部からの侵入ではないってことだ、そう、希望はボクの心臓から生じ拍出されているってことなんだ
バロウズの「ジャンキー」や「裸のランチ」で読み知れる麻薬中毒者たちの感覚、今、本屋には行けない
もう、彼の名前しか目に入らないかもしれない
現にこの本の92ページにある電話番号を自分のiPhoneに登録した、向こうもiPhoneであることが画面に現れ、次はLINE、日頃上司との接触を嫌いオープンにしていない自動追加をタップして更新をかける、これもまた即座に本人のアカウントと繋がった、でもメッセージは送れない、何か言われたらどうしよう、その時ではなくまたその時なのかもしれない、トークルームを開いては閉じ、閉じては開いた
ボクは今、ボクによって研ぎ澄まされた自制心の片隅に小さな変化を認めている、小さいけれど明るく温かい変化、自制心を錆びさせる幼く柔らかい変化を
脈拍が、随分と落ち着いてきた、仕事に戻ろうと思う
今日はいつもより安心して「ただいま」を言えた気がする
LINEの友だちリストにある彼の名前と写真はお守りだ、いつか封を解いて中を覗いてはみたいけれど
いつもより長く浸かったお風呂から上がってボクは
長い未来への心配が少し減った(認識できなくなった)
家に対する不安が軽くなった(家族の支えを感じられるようになった)
誰か��らの期待を知らんぷりできるようになった(そんなもには初めから無かった)
「独立国家のつくりかた/坂口恭平」を読んでボクは
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タランティーノが敷いた道を行く! ブーツで
リアルタイムで90年代を過ごしたものの60年代好きの私はあまり90年代の映画を見たことがなくて、タランティーノの作品もよく知りませんでした。
でも彼が映画界に現れてあっという間に時代の寵児になったのはさすがに覚えています。あれからすっかりある種のテイストは「タランティーノ風」になってしまった感じがします。(千葉真一風に言うとタランチーノ)今でもバラエティ番組でレザボアドッグスとパルプフィクションのパロディやっててけっこう驚きます。
その頃家族が「ショウビズTODAY」を見ていて私は「シネマ通信」を見ていたので、ちょっと記憶が混じっているところがあるのですが、「ワイルド・アット・ハート」や「ナチュラル・ボーン・キラーズ」が話題を呼んでいたらしくて何回も何回も流れていました。
数年前にテレビでたまたま「レザボア・ドッグス」を見てすっかり感激して、その後「ナチュラル・ボーン・キラーズ」を見て、ちょっと思ってたよりダサくてびっくりしてしまいました。
その後タランティーノの作品をいくつか見たけど、私は「レザボア・ドッグス」と「デス・プルーフ」が好きです。「パルプ・フィクション」は面白いしとても素敵な作品だけど、レザボアドッグスを見た後だと急激に予算と時間が使えるようになったんだなぁ、というのがヒシヒシと感じられるし同じキャストを使ってて良く言えばファンサービス、悪く言えば内輪受けという感じがしてしまいました。私はいっぱいいっぱいに詰め込まれたパルプフィクションより、レザボアドッグスの削ぎ落とされたタイトなところと、デスプルーフのシンプル(単純?)なところが好きです。それでも、他の作品も含めて私にとっての「タランティーノのまぁまぁな映画」は「他の監督のせいいっぱいの作品」よりずっと面白いのですが。
デスプルーフはあの後チアガールの格好の子を拾いに行ったのかなぁ。
レザボアドッグスのカットされた場面をYouTubeで見たけど、ほんとカットして良かったと思います。キャラクターとしてはホワイトとオレンジが好きだけど、振る舞いを見習いたいのはピンクです。特に好きな場面は、拷問を受けた刑事が自分の顔どうなってる?と言って、それを訊かれたオレンジが一瞬ハッと脱力してから「I’m fuckin’ dying!!!」と叫ぶところです。どちらの気持ちも何かわかるような気がする。何か切羽詰まってる時って意外とこんな感じだよなと思います。
どこかに出かけた時、お手洗いに行ってドライヤーで手を乾かすたびにオレンジのことを思い出していましたが、コロナ禍でそれもなくなってしまいました。そろそろ復活させるらしいけど。私もブロンズのようにソーダ水のコップをポイ捨てしてみたい。ブロンズ役のマイケル・マドセンはこんなにかっこいいのに、なぜこんなにもB級の匂い��するんだろう。声がプロレスラーみたいだから?そしてナイスガイ・エディはそれほどナイスガイではない。
あと70年代の東映映画を見るのが好きになりました。
それにしても、タランティーノが脚本を書いているナチュラルボーンキラーズのダサさは凄まじいです。
この映画のいいところはトミー・リー・ジョーンズだけだと思います。それ以外全部ダサい。私もジュリエット・ルイスは好きなのであんまり言いたくないのですが、ファッションも良くない。この映画のジュリエット・ルイスの変なウルフカットと、パルプフィクションのユマ・サーマンのアイコニックなショートボブはくらべるのも気の毒になるほど差があります。
それ以外にも、ジュリエット・ルイス扮するマロリーの不幸な少女時代をシットコム風に撮るのもダサいし、逃避行を続ける2人の背景になんかいろいろ映るのもダサいし、アニメが混じるのもネイティヴの老人の家に滞在してちょっと神妙な感じになるのもロバート・ダウニー・Jrが調子こきながら力いっぱい演じている役どころもダサい。そしてミッキー役のウディ・ハレルソンがいちばんダサいです。彼は不細工ではないけどおしゃれな顔ではないし、(反対にハンサムではないけどおしゃれな顔なのがスティーヴ・ブシェミ)なによりかによりスキンヘッドにする前の生え際がめちゃめちゃダサいのです。(生え際がダサいとか言ってもどうしようもないからほんとに申し訳ないのですが)
ロバート・ダウニー・Jrもなんか私はあんまり好きではないのですが、特に本人がやる気がある時ほど好きじゃないです。この作品でもメディアに取り憑かれた狂気のキャスターみたいなのを演じてるけど、特に興奮して妻に離婚を宣言したあと愛人にプロポーズする場面がものすごく寒いです。あとなんか刑事がいたけどまぁいいや。エンドロールでミッキーとマロリーがヒッピー風のトレーラーで子供と仲良く暮らしてるのもダッサいなぁと思いました。
私は映画の中では悪人や犯罪者が必ず痛い目にあわなければいけないとは思わないのですが、たまにはうまく逃げおおせる作品があってもいいんじゃないかと思っているのですが、それにしてもこんなダサい奴らが生き残ってもな。
(あともうひとつだけ良かったところがありました、最初の場面に出てくるキーライムパイがまずそうなところです)
この映画と前後し��タランティーノ自ら撮った作品を出された日には。なんでアニメとか混ぜちゃったんだろう。こういうのを見ると、「古くならないということが新しいことだ(宗方姉妹)」みたいなそんな言葉を思い出してしまいます。
それを鑑みるとタランティーノの古びなさはすごいのですが、ブラピやディカプリオを出すようになってからの作品はあんまり好きじゃありません。ずいぶん丸くなったというか大作主義というか安いヒューマニズムを撮るようになったなと思います。90年代から一緒に年をとってきた人は感慨深いものがあるのかもしれませんが、映画を見るとか音楽を聴く��いうのはそういうことではなく、いつどんな年齢や国の人がどんな順番で見るかはこっちが決めることなので。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を見た時、私は自分が思っていたよりもずっとディカプリオのこと好きじゃないんだなと思いました。少女のイノセンスに救われるとか、こうであってほしかった歴史とかそういう御涙頂戴はいいや。どんなに醜く悪どく描いても非難されない人物を改めてやっつけるのってあまりスマートではないと思います。レザボアドッグスやパルプフィクションのように、いろんな人がいて犯罪者にもお金持ちにも変人にもそれぞれの言い分や身の処し方があるというのが、物語のいいところだと私は思います。でも「ヘイトフル・エイト」はちょっと悪趣味がすぎるよ。サミュエル・L・ジャクソンが将軍の息子に何をしたか教えてやろうか?と言った時、あれかなと思ったら、やっぱりあれだったので自分が少しイヤになりました。あとちょっと良くないところは、ウォルトン・ゴギンズが登場した場面からもう、この映画の癒しキャラ枠はこの人だなというのがバレバレでそれが最後までひっくり返らないところです。ただヘイトフルエイトは大分、かなり、映像がスタイリッシュなので個人的にはそこがワンハリより満足です。特に馬車から降りてくるブーツが映る場面は最高に痺れます。
それにしてもアメリカ人は開拓時代も好きだし、60年代を詳細に再現するのと少女のイノセンスに救われるのも好きですね。自分らそれ好っきやなぁ。(浜ちゃん)
ところで今日のタイトルは「ハートに火をつけて! 誰が消す」みたいにしたかったけどなんかうまくいきませんでした。
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妊娠25週~
「ほぼほぼ、女の子で確定でしょう」
妊娠21週の検診時に女の子かもしれないという宣告を受けてから、もしかしたら男の子の象徴がその時はエコーで写らなかっただけかも?なーんて思っていましたが、先生にそう言われたので、もはや男の子であることに期待を抱くのはやめることにしました((;^ω^)
絶対男の子がいい!とか、そういうわけじゃなかったんです。
でも、なんかしっくりこない、って言うのか。
自分が女だから、男の子を育ててみたいと思うのか。
もしくは20週前後から激しすぎる胎動を感じ始めて、これが女の子だとしたら、将来はキックボクサーかプロレスラーになるんじゃないだろうかと心配してしまうからなのか(苦笑)
そして妊娠25週、エコーを見て思うわけです。
やっぱり鼻、大きいよ(笑)
PAPAにそっくりな女の子が生まれてくるのかな?
せめてMAMA似の華奢な体格が似ればよいのだけれども。
それから数日間、女の子の名前をPAPAと一生懸命考えましたとさ。
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『水道橋博士のメルマ旬報』傑作アーカイブ/茂田浩司『それは奇跡ではなく、確実にやってくる未来~「帝王」高山善廣が再び立ち上がる時』全文無料公開
※2017年9月30日配信『水道橋博士のメルマ旬報』Vol.133より抜粋
著:茂田浩司
それは奇跡ではなく、確実にやってくる未来~「帝王」高山善廣が再び立ち上がる時
年齢を重ねるとは、自分にはどうすることもできない不幸な出来事や辛い別れを経験する機会が増えていくこと。そんな実感を持つようになったのは40代半ばを過ぎてからだった。 友人、知人の重い病や事故、訃報に接することが増えて、自分もガンなどの命に関わる病気に掛かる年代になり「死」はそう遠いことではなくなった。 今年5月4日、知人のプロレスラー高山善廣がDDTプロレス豊中大会の試合中に重傷を負った。回転エビ固めを掛けた際に頭からマットに落ちてそのまま動けなくなったという。翌5日にDDTプロレスが「頸髄損傷および変形性頚椎症」と発表。また「病名等は現時点で考えられるもので、今後の検査等を進めていくことにより変わることがあるとのこと」とし、復帰時期は未定でしばらく欠場することが発表された。 「頸髄」という言葉に嫌な予感もあった。 背骨の中には「脊髄」という大きな神経の束があり、手や足を動かしたり、痛みや温度などを感じる神経のおおもととなり、脳と繋がっている。この脊髄の一番上の部分(脳から一番近い部分)を「頸髄」(けいずい)といい、ちょうど首の骨(頚椎)の中にある。 空中殺法でバランスを崩し、マットで頭部を強打して頸髄損傷の大怪我をしたハヤブサ選手のケースが記憶に新しい。 だが、近いうちに「いやー、怪我しちゃって、欠場してスミマセン」と高山さん本人からSNSに書き込みがあるのではないか。何しろドン・フライと壮絶な死闘を演じた後、バックステージでボコボコに顔を腫らしながら「やられちゃいました」と語る不死身の男なのだから。 そう思って、不安な気持ちを打ち消してみたが、1か月が経ち、2か月が経っても何の情報もなく、高山さんのSNSも一向に更新されない。 さすがに「おかしい」と思っていたとこ���、8月3日発売の週刊文春が��頸髄損傷、プロレス高山善廣「首から下が動かない」>と報じた。 半ば予想していたことだったが、居ても立っても居られず、高山さんの周囲に連絡を取り、事態の概要は知ることができたが、家族以外に高山さんに会えた人はいなかった。 正式な発表を待っていたところ、9月4日に高山さんのマネージャー、DDTプロレス高木社長、友人の鈴木みのるさんが出席して記者会見が開かれた。 会見で語られたのは、私が想像していた以上に高山さんが厳しい状況に置かれていることが分かる内容だった。 「頸髄完全損傷」で回復の見込みはない。一時は人工呼吸器を付けていたが、現在は外れている。首の手術を受けた後、心臓停止などのトラブルがあり、術後の経過も思わしくない。 私は、頸髄損傷について人よりも知識がある方だと思う。 ロックバンドROUGEのボーカリスト奥野敦士の著書「終わりのない歌」を編集する過程で奥野さんに長時間インタビューし、頸髄損傷について様々なことを調べた。 また、昨年3月に47歳の若さでこの世を去ったハヤブサ選手とは生前にインタビューをし、取材後は酒を飲みながらプロレス談義から頸髄損傷についての話や「iPS細胞」「STAP細胞」の話をした。 そうして得た知識や高山さんの周辺の人の話から、現在、高山さんがどういう状態にあり、どんな生活を送っているかはおおよそのところの察しはつく。 辛いと思う。リングを暴れ回ってきた人が、首から下の感覚を失い、ベッドに固定された状態で過ごさなければならないなんて、悪夢だと思う。 7メートルの屋根から落下し、胸から下の感覚を失った奥野さんを何よりも苦しめたのは「指先の感覚を永久に失い、もうギターは弾けない」という事実だった。食事と入浴以外、常にギターを持つ生活をしていた奥野さんは、深く傷つき、絶望した。 奥野さんは、当時の心境をこう明かした。 <死のう、と思った。やってみたよ。 舌を噛んでみた。だけど、痛いからやめた。 息を止めてみた。だけど、苦しくてすぐやめた。 どんなに死にたくても、体が動かないからそれ以上のことは出来ない。 「俺、死ぬことも出来ないんだな……」 涙が次から次へと溢れて、止まらなかった。 死ねないから、ただ生きてる……>(「終わりのない歌」双葉社) 高山さんに奇跡が起きてほしい。 しかしながら、奥野さんやハヤブサ選手の取材を通して、当事者は過酷な現実と向き合い、涙を流しながら「怪我以前の生活」に戻れない現実を受け入れた上で、前を向けた時、新たな一歩が踏み出せることも知っている。 心の中で「あれも出来ない」「これも出来なくなった」とバツを付けている状態から、奥野さんはある時「あれも出来る」「これも出来た」と���俺にも出来ること」を発見��て、前向きな気持ちになれたという。 奥野さんの場合は「頸髄損傷者は胸から下の感覚がないから無理」と言われていた腹式呼吸を車椅子のシートベルトを利用する独自の方法でマスターし、歌を歌えるようになったことが大きかった。 根っから明るく「楽天的な性格」という奥野さんも、メンタルが回復するまで事故から2年間掛かっている。それぐらい「かつての自由に動き回れた自分」を諦めて「今の、不自由な生活をする自分」を受け入れるには、相当な時間が必要となる。 これから高山さんが歩まなければならない、長い長い道のりを思うと暗澹たる思いになる。 病床からの高山さんのメッセージを読むと、暗闇の中から脱して前向きになったようにも取れるが、周囲を心配させまいと元気そうに振舞っても、心の奥底には「なんで俺がこんな目に遭うのか……」という割り切れない思いがあることだろう。 ドン・フライと「男の殴り合い」をやってのけたタフな高山さんといえども、現在の自分の状態を受け入れて、精神的なダメージから完全に立ち直るにはまだまだ時間は掛かると思う。 私の知る限り、高山さんに直接会えたのは鈴木みのるさんのみ。多くの友人、知人と同様に、私も会いに行くことを自重している。 ただ、私は奥野さんとのお付き合いを通して、頸髄損傷患者が直面する様々な困難や解決策を見て、知っている。 奥野さんが事故直後に直面した様々な課題を実際にどう解決したかを伝えることで、高山さんのお役に立てると思うので、いずれ高山さんのご家族と連絡を取り、必要であれば会いに行こうと思っている。 5年前、奥野さんと本のラストをどうしようかと相談した時、奥野さんは笑顔で言った。 「バン、とさ、派手に行こうよ!」 それで「ROGUEを再結成して『終わりのない歌』を歌いたい」というラストになった。その時点では、まだ奥野さんの体調は優れず「ROGUEの歌を歌える自信はない」という状態で、メンバーと再結成の話もしていなかった。 ところが、本を出版したことがきっかけで事態は動き、再結成が本格化し、それに伴い奥野さんの体調はみるみるうちに上向いた。そして、ROGUEは23年ぶりに奇跡の再結成を果たしたばかりか、奥野さんが体調の問題で一度は共演を断ったミスチルの桜井さんとも昨年のGBGB(群馬グレートギグボックス。ROGUEの香川さんが奥野さんの事故をきっかけに立ち上げた障害者支援のチャリティーライブ)で再会し、共演が実現。二人で『終わりのない歌』を歌うシーンは多くの感動を呼んだ。 「死ねないから、ただ生きてる」と嘆いた奥野さんが、現在ではいろんな人に勇気を与える存在となっている。香川さんたちGBGBのスタッフは、毎年GBGBを開催しながら「2020年、東京パラリンピックで奥野敦士に国歌斉唱を」という新たな目標を掲げて活動している。 高山さんの支援の輪は日に日に広がっている。鈴木みのるさんの呼びかけに前田日明さんや高田延彦さんが支援を表明し、プロレス・格闘技会場では高山さんへの募金が始まっている。 高山さんが安心してお子さんの成長を見守れるような環境を整えることと「あれも出来る」「これも出来た」と思えるような支援を考えていきたい。 奥野さんは事故から2か月後に、本格的なリハビリを始めるため、最初に入った病院から所沢の国立リハビリテーションセンターに移った。その際、最初に入院した病院の医師から自分の状態を詳しく説明された。 <「奥野さんは頸髄の5番を損傷しています。ですから、胸から下の部分は動きません」 分かっていたことだし、覚悟もしていた。でも、改めて現実を突きつけられるとショックも大きかった。 ただ、先生は前向きな言葉もいっぱい言ってくれたよ。 「今はiPS細胞というのが発見されまして、再生医療の研究が進められているんです。頸髄損傷は将来治る可能性があります」>(「終わりのない歌」) この話を聞いた時から、私は「奥野さんはきっとまた自分の足で立てる日が来る」と信じている。 それは奇跡ではない。医学の進歩によってもたらされる未来だ。 そのためにiPS細胞の研究が少しでも進むことを心から願い、ささやかな金額だが京大のiPS研究所への寄付も続けている。 私自身、昨年狭心症が判明する前に、医師から「ALSの疑いあり」と告げられた経験をし、現在治療方法のない難病の患者は「iPS研究の進化」に望みを託すしかない現状を知ったこともある。難病と闘う全世界の患者と家族がこの研究の進化を心待ちにしているのだ。 「iPSで神経再生に挑む 慶大、脊髄損傷治療で臨床へ」(日経新聞、2017/2/10付け) https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H8Q_Q7A210C1CR8000/ 奥野さんや高山さんが再び自分の足で歩く日は必ずやってくる。 その様子を自分の目で見届けて、喜びを分かち合える日がこの先に待っているのだと思えば、年齢を重ねるのも悪くない、と思える。 寄付のお願いと活動報告はこちら 「TAKAYAMAIA」 https://ameblo.jp/takayama-do/
『水道橋博士のメルマ旬報』
https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/detail.php?mid=11&cid=1239
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vol.1 堕落さん
――プロレスを見始めたのはいつからですか。 これが結構謎なの(笑)。初代タイガーマスクのデビュー戦(1981年4月23日/vsダイナマイト・キッド)をリアルタイムで観た記憶があるんだけど、定かではなくて。俺は最初から藤波辰巳(現・辰爾)ファンだったから、それ以前に藤波の試合を観ているはずなんだけど、藤波のジュニア時代はまったく記憶にないの。観ているのかもしれないけど、おぼえてない。藤波の試合でちゃ���と記憶に残っているのは、83年の小学校3年のとき。俺、夏に肺炎で入院して、入院患者がくつろぐようなスペースで藤波vs長州(力)の攻防を観たんだ。それは確実に観たおぼえがある。 ――その試合は、ある程度プロレスのルールがわかっている状態で観たんですか。 もちろん。ルールをわかっていて、好きで観た。最初のきっかけは思い出せないんだけど、親父が金曜8時にテレビをつけていたんだと思う。親父はプロレス、あんま好きじゃないんだけどね。ほかに見るものがなかったのかもしれない。 ――どんなところに惹かれましたか。 単純に、藤波辰巳は格好良かった。元祖アイドルレスラーだからかね。女の子がイケメンに惹かれるのと一緒で、男の子も格好いい人に惹かれるじゃん。藤波はスラッとしていて、筋肉質で、動きも早くて。(アントニオ)猪木は結構動きがバタバタしているように感じて。俺は、猪木は運動神経が良くないんじゃないかって思っていて。あの人は、ドタバタが味というか、フックになるんだよ。一方で、全日を観たら(ジャンボ)鶴田、(ジャイアント)馬場、ファンクスとか。同世代だとテリー(・ファンク)からプロレスを好きになった人は多いんだけど、俺は当時、あの外連味がすごく嫌で。プロレスファンとしてキャリアを積んで、プロレスの仕組みやワビサビがわかってから好きになったけどね(笑)。「テリー最高!」って。 ――当時は同級生も金曜8時の『ワールドプロレスリング』を観ていたんですか。 そう。今じゃ信じられないけどね。当時の小学校は土曜が半ドンで、3時間だけ授業がある世代だから、クラスの男子の半分以上がプロレスの話やプロレスごっこをしていたね。実家は神奈川の田舎町なんだけど、1学年に6、7クラスある結構でかい小学校に通ってたの。男子は1クラス20人くらいはいたんだけど、その半分がプロレスに興味を持っていたね。ちょうどキン肉マンもあったから。 ――なるほどなあ、キン肉マンですか。 空前のプロレスブームだったね。猪木、藤波、長州、タイガー、そしてキン肉マン(笑)。当時は、新日が金曜8時。全日は土曜の夕方だったけど、全女は月曜の7時代。クラッシュ(・ギャルズ)全盛で、(長与)千種がダンプ(松本)に坊主にされるシーンがゴールデンタイムで流れてた。 ――テレビは毎週観るのが当たり前でした? 毎週観てた。金曜8時は、俺がチャンネル権をガッツリ確保して。弟と妹がいたけど、まあ勝負にならないから。でも、親父に対してはどうしてたかな。昔ながらの親父で、機嫌悪いとぶん殴られるし。小学校の入学式で、全校児童の前でビンタされたこともあったから。母ちゃんの腹の中に妹がいて来られないから代わりにパンチパーマに髭の親父が来たの(笑)。俺がはしゃいでいたら、「うるせえ」って感じで。弟をいじめたらキレられて���往復ビンタを食らって。翌日、学校に行った時も顔面に手の跡が残ったりしてたし。 ――そういう体験があったから、対抗するために強さに憧れたとか? それは関係ないかも。 ――鬱憤晴らしでプロレスごっこなんかも? そう(笑)。プロレスごっこといいながらひどい技かけてた。敷布団と掛布団を四重くらいにして、そのうえにドラゴンスープレックスとか(笑)。 ――ひどい(笑)。 ひどいよね。そりゃあ弟もプロレス嫌いになるよ(笑)。そんな弟が、将来プロ格闘家になるとは思ってもみなかった。一昨年くらいに引退しちゃったけど。リングスにも上がってんだよ。 ――そのあたりも追々伺いますね。初めて生観戦したのはいつですか。 1985年の7月かな。『バーニング・スピリット・イン・サマー』茅ケ崎青果市場大会。ブルーザー・ブロディが初めて新日のシリーズに出場したとき。 ――どういう経緯で観戦することになったのですか。 そのへんも全然記憶にないんだけど、近所のオッサンというか、親父の友だちに連れてってもらったの。チケットは、誕生日が近いからそのへんに絡めてもらったんじゃないかな。自分で買ったとは思えないから。 ――その時のメイン、おぼえてます? 猪木、藤波、ザ・コブラvsブロディ、キングコング・バンディ……あ、キングコング・バンディはセミかな。バッドニュース・アレンかマット・ボーンかな。ネットでもすぐに出てくると思う(注:正しくは、ブルーザー・ブロディ、ブラック・タイガー、マット・ボーン)。 ――会場の規模はどれくらいですか。 バスケットコート2面くらいあるのかな……そんなにないか。青果市場だからね。湘南地区でプロレスっていうとそこだった。鶴見五郎の聖地。国際プロレス、IWA格闘志塾がずっと使ってたとこ。そこで全日も観たし、IWA JAPANの旗揚げシリーズも観た。 ――堕落さんのなかではどんな思い出になっていますか。 そりゃ大きいよ。だって、チェーンを振り回しているブロディに追っかけまわされたんだもん(笑)。俺個人が追っかけられたわけじゃないけど、近くで見たら「でけえ!」「怖ぇ!」って(笑)。 ――テレビ観戦との差異でここに感動したとかは? 音。プロレスは音だよ。「バシーン」ってすごい音がするじゃない。第1試合から「ワー」って……第1試合のカード、なんだったかな。(ドン)荒川さんかな。当時、ドン荒川ってストロングスタイル転向宣言とかしてて、名前変わったのもそれがきっかけなのよ。その1年後くらいにIWGP Jrに唯一挑戦したことがあったの。ザ・コブラ戦。当時はまともな試合をしてたの。俺が唯一観たドン荒川の試合が、まともな試合だったんだよ(笑)。当時は、ジャパンプロレスに行く維新軍団が抜けて、何もなくなっちゃった頃だね。それでブロディを引き抜いて、85年の4月に両国で初めて猪木とシングルをやって、救世主になって。 ――それから会場にはコンスタントに行くようになりましたか。 全然。次に行ったのは91年くらいじゃないかな。なぜかというと、中学で部活に入ったから。 ――部活は何を? バスケ部(笑)。まあ2年でやめちゃったけど。 ――バスケで憧れている選手がいたとか? 全然。単純に運動をやりたいなって思って。 ――プロレスラーを目指して体を鍛えるような感じ? いや、背も伸びてなかったし。なりたかったけど。だって、中学3年で162cmしかなかったからね。中学入学したときに145cmしかなかったから。まだ覚えてるけど、中1の初めての身体検査で145cm、中2で152cmになって。1年間で7cm伸びたから、「おお、やっぱバスケすげえな」って。あ、背を伸ばしたかったのかもしれない。今もそうだけど、当時も太ってて、145cmで45kg。それが中2で7cm伸びたのに3kg減ったから、相当痩せたんだよ。公立だけど県大会で準優勝とか3位とかに入ってたから。俺はユニホームすらもらえなかったけど。 ――バスケ部っていうのはすごく意外です。 隣町に光GENJIのメンバーになった佐藤アツヒロがいて、そこそこ強いバスケ部がある学校に通ってた。俺らの1つ年上だった。 ――部活を一所懸命やっていたから観戦にも行けなかった? だって、中高生ってお金ないじゃん。部活やっている時間に『ワールドプロレスリング』が放送されてて、ビデオに録画して観てたけど。当時は、藤波が長期欠場した頃で。 ――腰ですね。 そう。89年の6月に長野の佐久大会で(ビッグバン・)ベイダーのバックドロップを食らって、そこで腰やっちゃって。猪木の選挙応援に駆けつけて悪化して(笑)。飛龍革命があって、俺的には「やっと藤波の時代が来た!」って感じだったのに。俺、いじめられっ子だったから。 ――それ、想像つかないです(笑)。 いじめられっ子だったし、喘息持ちだったから、一日おきに死ぬことを考えた。俺は性善説の人間だったから、いじめられると「なんでこんなひどいやつらがいるんだろう」って傷ついてた(笑)。むかつくっていうより、悲しいっていう。身体も弱かったし。でも、「藤波が天下を取るまでは死ねねえ!」って(笑)。で、(88年8月8日の横浜文化体育館で)猪木と引き分けて、IWGP王者になった、ついにエースになった、ついに待ち焦がれていた日が来たんだけど、それも長く続かずにあの人は腰をやっちゃって、欠場して。 ――傷ついている人がプロレスラーに自分を重ねるケースは多いと思うんですけど、堕落さんも多少なりともそうだったということですね。 マジで支えだったもん。俺、見た目も性格もオタクっぽいと思うんだけど、俺が漫画やアニメやゲームにいかなかったのは、プロレスがあったから。ウルトラマンよりも、仮面ライダーよりも、戦隊物よりも、プロレスラーがいたから。実在のヒーローとして。〇〇マンよりルチャドールの方がカッコいいじゃん(笑)。 ――週プロとゴング、どっち派でした? 雑誌どころか、小学生3、4年の頃から東スポと���ジャーニューズ読んでた。 ――小学生で?(笑) 家族と出かけるとき、��のホームにいったらキオスクでプロレスの見出しが出てるわけ。「なんだこれ、安いし買っちゃおう」って。東スポはまだいいんだけど、レジャーニューズは完全にプロレスと風俗だけだから(笑)。 ――親に何か言われませんでした? とくに何も言われなかった(笑)。エロ記事は隠れて読んでたしね(笑)。で、雑誌はゴング。初めてプロレスを観に行った人とは違う、家族ぐるみで付き合っている一家がいて、そこの親父がプロレス好きでゴングをたまに買ってて、もらってた。たぶん、小学3年くらいから自分で買い始めたんじゃないかな。当時、喘息の治療をするために、隣の市の病院まで行って注射を打ってたの。減感作療法ってやつ。それが毎週金曜日で、行くついでに買ってた 。当時、ゴングと週プロは木曜発売で、俺はゴング派だった。 ――ゴング派だった理由は? 誌面がきれいだったから。紙質が良かったし、写真もきれいだったし。当時、週プロが250円、ゴングが300円で、週プロの方が50円安かった。ゴングの方が高級感があった。ゴングは創刊したのが週プロより後なんだよね。週プロはまだそんなにアクの強さはなかったんだけど、ちょっとクセはあって、それが小学生には引っかからなかった。俺はもっとプロレスラーの生の声や情報が欲しいし、きれいな写真が見たいって。ゴングは「ルチャリブレ広場」もあったし(笑)。 ――毎週ゴングを購入されて、一字一句漏らさず読むくらいの勢いで。 もちろん。 ――どんどん知識もついていくなかで、プロレスの話ができる友人はいたんですか。 高校までいなかった。 ――じゃあ、さっき話していた91年の観戦はその友人と一緒に? そう。クラスでいつも体育を休んでて、全然しゃべらなくて、お笑いのネタにされているようなやつがいたの。俺もどっちかっていうとからかっていたけど、そいつと話すようになったら、プロレスが好きで、同レベルで話せるくらい結構詳しいの。それで意気投合して。で、ほかにもうひとりプロレスの話ができるやつがいて、翌年の1月4日、新日の後楽園に3人で行って。それが2回目だと思うんだよね。話せる人がいたら、また盛り上がるじゃん。 ――よくわかります。 当時は、チケットを取るのに新日の事務所に普通に電話してた。学校のロビーの赤電話から休み時間にかけたんだけど、神奈川の田舎と東京じゃ距離があるから10円玉もすぐになくなって、何回か通話が切れて、(新日の)事務員の姉ちゃんもキレてた(笑)。特リンを買ったんだけど、すごい悪い席で。前年の秋に藤波が復帰したけど、アニマル浜口にピンフォール負けするくらいの感じで、徐々に復調してて。年末の浜松かな、メインが長州と藤波のIWGP戦。藤波が復活を賭けて長州に挑戦、みたいな。生中継だったけど、お約束でメインの途中で放送が終わった(笑)。同じ日にルー・テーズの最後の試合もあって。テーズが74歳にして……。 ――おぼえてます。バックドロップをやりましたね。 そう。あと、猪木がニック・ボックウィンクルとやるはずだったけど、急遽猪木が欠場して、マサ(斎藤)さんとやって。 ――メインは? メインはなんだったかなあ……。藤波はセミだった。浜松で王者になって、初来日のムッシュ・ランボーっていう、ヨーロッパのCWAを主戦場にしていたでかい選手とやった。で、ツーカーのやつと3月にもうひとつ行ってて。『スターケードin闘強導夢』。藤波vs(リック・)フレアー。藤波がWWEの殿堂入りしたときも、一番のトピックとして扱われてた。フレアーに勝って、IWGPとNWAの2冠王になって。チケットはどうしたのかな。母親に泣きついたけどお金貸してもらえなくて(笑)、友だちに借金したのかな。当時のドーム大会って映像観てもらえるとわかるけど、すげえセットバック組んでアリーナも傾斜になってんの。何だかんだで観えるんだろうなって思ってたけど、一段嵩上げしている程度で全然観れない。だから、後ろ向いてヴィジョン観てた。 ――高校生で藤波さんが好きっていうのは渋好みに思えます。 そんなことないよ。だって、当時の藤波辰爾は38だし。昔のレスラーはちょっと老けてるから。 ――15、16歳のころっていうのは、まだ素直にプロレスを観ていましたか。 いわゆる高橋本(ミスター高橋『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』)以前・以降って話になるけど、以前の人の見方で、「相手の技はちゃんと受け合うけど、最後は力尽きた方が負けるんじゃないか」みたいな。頑なにガチだとは思ってなかったけど、勝敗は決まってないんじゃないかなって。 ――その頃って、将来こうなりたいとかって考え始めるじゃないですか。さっき、プロレスラーになりたかったって話もありましたけど。 無理。今も抱えている持病が高1の頃に発症しちゃって、かなり世捨て人だった。クラス替えで仲良い奴が1人もいなくなり、溶け込めなくなって。高3の頃は孤立してて、学校もちゃんとは行ってなくて。まあ卒業はできたけど。 ――高校卒業後はどんな生活をしていましたか。 2年宅浪して、家で何もしないで、『電気グルーヴのオールナイトニッポン』を録音して、テープが擦り切れるくらいまで聞いてた(笑)。その少し前だけど、92年に藤波のファンクラブに入ったんだよ。藤波が腰痛から復帰したあとにまた欠場して、その復帰戦が異種格闘技戦(vsリチャード・バーン)で、おそろいのTシャツをつくって入場を先導する感じで。よくあるじゃん、昔の(ミル・)マスカラスとかテリーの親衛隊みたいな。ハチマキまいてダッセーやつ(笑)。横浜文化体育館なんだけど、花道の前で待機したりして。そのつながりで、そこでドームのチケットを取ってもらって行くようになったりしてた。その翌年に、藤波がG1で優勝して。 ――決勝で馳(浩���とやったときですね。 そう。それは観に行ってないんだけど、「ついに藤波が完全復活!」みたいな感じでファンは盛り上がってたの。で、渋谷で祝勝会をやるっていって、ファンクラブのメンバーとして行って。そのファンクラブで仲良かった人がいて、コアな人たちと手伝��に行ったりしてたのかな。そんな中で無我をやるって話が出て、大阪までわざわざ夜行バスで旗揚げ戦に行ったりして。95年10月29日。大阪ATCホール。 ――よくおぼえてますね(笑)。 その前の93年にはドームと、WARの東京体育館大会に行った。2月14日、バレンタインだった。それもファンクラブにチケット取ってもらって、おそろいのジャンパー着て。メインは、天龍(源一郎)、石川(敬士)VS藤波、馳。しかも、馳って当時は藤波と組んだことがなかったの。俺は長州派に対して疑心暗鬼だったから、藤波が負けさせられるんじゃないかっていう嫌な予感がしてたの(笑)。それは1カ月後か2カ月後に、藤波、長州VS天龍、石川で石川にフォール負けっていうのがあって。石川、あまり評価してなかったから、こんな屈辱はないと思って。なんで天下の藤波辰爾が石川敬士に負けなきゃいけないんだって。石川は巧いとか言われるけど、全然巧いと思ったことなくてさ。彼はいろいろやるんだけど、器用貧乏の逆。貧乏器用。ヘタなのにいろんなことをするけど、どれもたどたどしい。中堅でやっている分には活きが良くていいけど、藤波に勝つのは……しかも2回勝ったからね。イリミネーションマッチでも藤波からピンフォールとってる。当時、阿修羅・原が失踪してSWSに復帰してからそれほど経たないくらいだったし、身体がボロボロで使い物にならなかったから。石川を格上げしなきゃいけないって事情はわかるんだけど、だったら長州が負けろよって思った(笑)。その頃はもうそういう見方をしてたね。東京体育館は、セミが(ジョン・)テンタVS(キング・)ハクだったかな。モッサリした試合で、いっぱい来てた新日ファンからかなり野次られてた。当時、俺たち新日ファンはかなり差別意識をもって(WARを)見ていたからね(苦笑)。 ――本当に藤波さんが好きなんですね。 藤波史観だから(笑)。 ――当時だと、全日とかFMWはいかがでしたか。 大仁田(厚)と(ターザン)後藤の最初の電流爆破のビデオは買ったよ。親に見せて、「こんな思いしてやってんだぞ」ってアピールして(笑)。俺ね、FMWはホセ・ゴンザレスを使った時点でかなり冷めた。ブロディの命日って、俺の誕生日なの。当時、うちは日刊スポーツを取ってて、ブロディが死んだことを知って大ショックを受けて。まだネットがないわけじゃん。朝刊スポーツ紙と夕刊の東スポと週プロ、ゴングが情報源で、突発的なニュースが入ったら編集部に電話してたもん。「〇〇が亡くなったって本当ですか?」って聞いたら「はい、そうです」って沈んだ声で言われたり。 ――僕も試合結果はよく週プロの自動音声を聞いてました。 テレフォンサービス? あれは俺もかけまくったよ。なかなかつながらないこともあったよね。 ――ありました。懐かしいですね。今なら試合結果もすぐにネットで見れますけど。 勝手に客がツイッターとかで「〇〇が勝った」って書いちゃうからね。 ――で、藤波さんがいる新日を中心に観ていた、と。 全体的な流れは追っ��たよ。ルチャが好きだったからユニバーサル(・プロレスリング)観てえなって思ったり。話がさかのぼるけど、俺は『世界のプロレス』がアメプロばっかりだったのが不満でしょうがなかったから。ロス・ファンタスティコスの試合とかが流れて。俺は毎週ルチャをやってほしかったけど、やってくれなかったからね。カト・クン・リーのロープ歩きとかがゴールデンタイムで流れることもあった凄い時代だね(笑)。 ――90年代前半からは、いろんなインディー団体が出てきたりもしましたね。 インディーも結構行ってた。IWA JAPAN旗揚げシリーズの茅ケ崎行ったでしょ、NOWの旗揚げシリーズの茅ケ崎も行ったでしょ、あと、オリエンタルプロレス、湘南プロレス、UNW、PWC、WARも後楽園に1回行った。当時、怨霊とかが第1試合で。天龍VS仲野信市がひでえ試合だったよ。「天龍、殺しちまえー」みたいな怒号が飛んでて。本当に殺すんじゃないかって試合で、仲野の顔面を蹴ったらパコーンって音がして、仲野は鼻から一気に大流血で、鼻が折れてたもん。 ――いろいろ観てるんですね。 俺、冬木(弘道)の講演会かなんかも早稲田大学に見に行ってるもん。その時に抽選が当たって特リンのチケットもらったんだけど、後楽園に行ったらダフ屋に捕まって、チケットむしり取られて1000円渡されたっていう(笑)。ダフ屋がそんなに悪徳だとはまだ知らなかったから。 ――プロレスを観ていない時期はなさそうですね。 新日のドームは毎年行ってるけど、2000年以降はあんまり記憶がないかな。週プロ、ゴングを買わなくなったのが2001年くらいか。友だちの家に転がり込んでから金もなかったし。あとはスポナビとか2chを見たりするくらい。棚橋(弘至)、(中邑)真輔の暗黒期とか、空気も暗黒だったし、自分の熱も低かったから。もちろん、彼らがどういうストーリーをたどってきたかはわかってるんだけど、一つひとつが記憶になくて。この前、真輔VSカート・アングルの試合をYouTubeで観たんだけど、「こんな試合だったっけ?」っていうくらいおぼえてなかった。 ――トピックとしては総合もありましたけど。 俺は格闘技も好きで、最盛期は週プロ、ゴング、ファイト、格通、紙プロを買ってた。K-1の1回目が93年、フジテレビの夢工場とかいうゴールデンウィークの企画の中の一つだった。 ――まったく別の競技として観ていた? うん。やっぱリングスが大きかったかな、プロレスと格闘技のハブという意味では。藤波のファンクラブの人がいろいろプロレスのビデオを回してくれて、その中でリングスを観て。正道会館がトーワ杯に出たりさ。藤原組からも高橋義生と石川雄規が出たり。そこで正道会館勢が猛威を振るって。もっと前だと、全日本キックの武道館大会とかをフジテレビが夜中にやってたの。立嶋(篤志)が成り上がってくる頃の試合だった。 ――UWFは? TBSで特番とかやってたね。俺は、新生UWFは何が面白いのかさっぱりわからなかったけど、プロレスに文句を言うやつにはUWFを観ろって言ってた(笑)。でも、これだったら修斗を観た方がいい��って当時から思ってた。UWFが明確に旧来のプロレスと同じだとは思ってなかったんだけど、暗くて緊迫感がねえなって。だったら、旧UWFの方が情念が感じられて特別感があった。 ――当時UWFが世間的に受けていたことをどのように感じていましたか。 文化人とかに支持されるプロレスだなって。 ――糸井重里とか? 糸井重里とか、クマさん(篠原勝之)とか。プロレスの胡散くささを排除して。「プロレスは八百長じゃねえ!」って言ってる人でも、言い切れないことってあるじゃん。馬場さんの十六文とか、「なんでロープに走るの?」とか。でも、UWFはロープに飛ばないし派手な大技がないから。 ――堕落さんもクラスメイトにそういうことを言われましたか。 そういうのと闘ってた。 ――闘ってた(笑)。 当時のプロレス少年は理論武装をしないと駄目だったの。「あんなの八百長だよ」って言うやつは絶対いるから。それは今でもそうだけど。 ――前田日明にカリスマ性は感じた? 時代のスターだとは思った。ルックスも良かったし、デカいし、借り物かもしれないけど言葉も持っているし。やっぱり、週プロとか格通とかが盛り立てたしね。「プロレスっていう言葉が嫌いな人、この指とまれ」とかさ(笑)。前田は突破者だったよ。でも、実際に試合を観ると面白いとは思えなかった。 ――で、K-1とUFCの始まりが93年。すごいものがでてきたっていう衝撃はありました? すごいものっていうより、プロレスラーが負けたじゃん。だから、プロレスの範疇にある異種格闘技戦を抜け出して、明らかにガチ(競技)で、しかも強いと思われていた(ケン・)シャムロックがあっさり負けたことに、呆然とした感じはあった。しかも、シャムロックが90kg台で、ホイス(・グレイシー)が70kg台だったでしょ。(ジェラルド・)ゴルドーもやられたし。噛みつきも金的もやって負けたからね。当時はリン魂(『リングの魂』)と『SRS』っていう番組があって、あとはなぜかNHKでUFCをやったんだよ。たしかBSかな? 当時はアルティメット大会って言ってた。 ――言ってましたね。UFCが始まっても総合オンリーにならず、プロレスはプロレスで楽しんでいた? うん。藤波辰爾とルチャが好きだから、元々ね。 ――2000年には桜庭(和志)がホイスに勝利しますが、ドームには行きました? 行ってる。その前のドームの高田(延彦)vsホイス(・グレイシー)、のちの船木(誠勝)vsヒクソンも観てる。 ――その頃、格闘技の好きな知人にNOAHの話をして「まだそんなの観てんの?」みたいに言われたことをよくおぼえています。 つうか、二極化したじゃん。NOAHと総合を両方好きって人は、たしかにあまりいなかった。俺は両方観てたけど。 ――当時「プロレスはもういいや」ってなった人は多かったと思うんです。そんな中で堕落さんは、プロレス界の流れを把握しつつ、総合の細かい技術面まで理解してチェックしているのが面白いなって。 自分がやりたかった人間だから。プロレスは体が大きくないとできないし、病気もあったから無理だったけど。格闘技に関しては、病気さえ治れば体のサイズ関係なしにできるじゃん。街で教えてくれるから。住んでいた���羽って、U-FILE CAMPもGRABAKAもあったから。 ――なるほど。 プロレスも総合も、どっちも構造に興味があるんだよ。何をしたらどうなるのか。定型というか、詰め将棋みたいな。プロレスのロジックと格闘技のロジックって対極かもしれないけど、構造はある意味同じじゃないかな。こうしたらこうなる、こうしたらこう返す、みたいなさ。それが相手を組み伏せるものか、試合を構築するためなのかの違いだけであって、定型はあるから。その定型の積み重ねの破れ目みたいなところがプロレスの醍醐味じゃない? いわゆる不穏試合とか、不穏試合じゃないけど思いがけない展開になってすごい盛り上がって素晴らしい試合になるとか。 ――たとえば? 藤波vs天龍の3戦目とか。藤波と天龍って3回試合をしてるんだけど、じつは全部不細工な試合になってんの。2人とも受けのレスラーでしょ? 必ずいい試合をする名勝負製造機って言われる2人だけど、3戦とも不細工。初戦は唯一藤波が勝ったんだけど、天龍が突っ張りをやったときに藤波の歯で手首を切っちゃって、最後救急車で運ばれたの。2戦目は天龍が勝つんだけど、パワーボムをすごい急角度で落としちゃって3カウント。3戦目は、藤波がドラゴンロケット3連発をやって鼻を折って。藤波は負けたし大流血戦だけど、俺はその3戦目が大好きなの。アクシデントで予定とは違う終わり方になった気がするけど。でも、そのまとめ方がすごいテンポが良くて、やっぱり2人も一流だなって思った。天龍は藤波にドラゴンスリーパーをかけられたときに鼻血がドバーッとついたりして、相当嫌だったと思う。最後は天龍のラリアットで唐突に終わるんだけど、流れがすごくいい。唐突に藤波がトップロープからニードロップをやって、天龍は避けたように見えないんだけど当たってない感じになって、藤波が着地したところにラリアットを浴びせかけて、たぶん「これで終わらせよう」みたいな合意がその瞬間にあったんじゃないかな。 ――今、おもに情報ってどこから仕入れていますか? ネットだよ。スポナビとか。あとは昔の情報なら昭和プロレス掲示板ってところがあって、そこは国際プロレスの話をずっとしてたりするので、たまに追って読んじゃう(笑)。雑誌だったら『G-SPIRITS』は毎号買いたいくらい。この前、(Vol.18を)ちょっと立ち読みしたんだけど、石川が藤波のこと呼び捨てにしてるのはカチンときた。お前より先輩だろって(笑)。 ――また藤波さんだ(笑)。個人的には、同じ号の記事で馳が冬木(弘道)を高く評価しているのが面白かったです。 冬木の評価もわかるんだけど……。冬木vs橋本(真也)がすごい嫌いでさ。冬木が意地を見せた試合なんだけど、橋本がDDTをやって冬木が返して、2回目も返して、3回目でフォール負けっていう、俺が一番嫌いなタイプ。それだったら、1回目で返したあと、あと2連発で勝負を決めろよって。爽快感がない。 ――細かく見てますね(笑)。 あれは冬木が意地悪なのか、もともとそういうふうにやるつもりだったのか知らないけど。時々あるんだよ、そういう試合。藤原(喜明)vsダン・スバーンもそうだったんだけど、���れも酷くて。スバーンは水車落としをフィニッシュにしてたんだけど、同じパターン。1回目は返される、もう1回やって返される、3回目でフォール。 ――確かに爽快感はない。 ほかにもよくあるじゃん、カウント3でギリギリで返したように見えてもゴングが鳴って「今のは入ってないだろう」ってアピールするとか、3カウントで負けた後にすぐにスタスタ帰っちゃう武藤(敬司)とか、長州とか(笑)。ああいうプライドを見せつけるのは駄目だよ。その点、藤波は偉いと思うよ。石川にもちゃんとフォールを��られたし(笑)。藤波と対戦した選手で藤波を悪く言う人はまずいないと思う。 ――「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた」って言った人もいますしね。 あの日(2017年4月20日ドラディション『藤波辰爾デビュー45周年ツアー』後楽園大会)ね、前田に長州と藤波がつっかかったの。最後にみんなのあいさつが終わってリングを降りるとき、藤波が前田を突き飛ばして、「かかってこい」とかやってさ。長州も「やれよ」みたいになって。3人ともニヤニヤ笑ってるんだけど、前田にそんなことできるの、ほかにいないと思うよ。前田はそういうのに本気で怒るタイプだから。 ――そんな藤波さんの社長時代についてもどう思っているか聞きたいんですけど。 俺、赤プリでやった藤波の社長就任記念パーティーに出席したから(笑)。キラー・カーンと堀辺正史とそれぞれ2ショット写真撮ってる(笑)。司会が生島ヒロシで、チェリッシュとかも来てた。2度とこんなところでパーティーに参加することはないと思った。 ――新日の暗黒期は記憶が薄いって言ってましたけど、ほとんど見てなかったですか? テレビを見なくなってたから、ネットばっかりやってて。深夜に30分だし、アルティメット・クラッシュとかやっちゃってるし(笑)。ちょっと冷めてたね。やっぱり藤波史観だから。社長でほとんど試合してなかったし、2000年に引退カウントダウンも始まったし。トップの座から落ちて、年齢的にもトップに返り咲くことはないような。今の棚橋より上、40代後半だったから。今の棚橋だって、トップに返り咲く感じはしないじゃん。1回くらいIWGPを獲ることはあるかもしれないけど、エースとしてではない。 ――そうですね。 暗黒期といえば……藤波が永田(裕志)に1回も勝ててないっていうのが俺は不満だね。永田と3、4戦はやってるんだよ、G1とかで。1度も勝ってない。永田の実力は認めてるけど、なんか腑に落ちねえなって(笑)。安田(忠夫)に負けた時点でもう駄目だと思った。藤波ってさ、凱旋帰国試合で「アイ・ネバー・ギブ・アップ」ってさ、ガキの頃、ずっと信じてた。実際に藤波はギブアップしなかったし、記録にもほとんどなかったし。だけど、実は普通にしてるんだよね。3本勝負の1本をギブアップで取られたり、海外でNWAインタージュニアを1回獲られるんだけど、その時に4の字でギブアップしてるし。最初に明確にしたのは、G1の橋本戦(1994年8月7日の『G1 CLIMAX』 Bリーグ���式戦)なんだよ。形は腹固めなんだけど、当時の公式発表では逆肩固めとかになってた。俺が明確に見たのはそれ。それ��てUWFとか総合の影響。関節技が極まったら本当は返せるものではないっていうのが世の中に広まったから、プロレスでもギブアップ決着が多くなった。昔はトップレスラーってあんまりギブアップ負けしなかったよ。両者リングアウトがなくなったのと、ギブアップ負けが多くなったのは、UWFと総合の影響だと思う。決着がつくカタルシスが格闘技にはあって、判定がつくじゃん。ドローもあるけど。最初に総合の影響を受けたのは意外にも全日なんだよ。馬場の鶴の一声で両者リングアウトがなくなって。 ――ああ、たしかに。 当時の雰囲気だと……四天王プロレスをガチだと思っちゃう感覚がすげえなって。俺は思ってなかったけど(笑)。人間って、インパクトにやられるんだなって。いや、実際すごかったよ、四天王プロレス。人間の限界に挑戦していたと思うけど、ガチだと勘違いさせるくらい恐ろしいことをやっていた。相手を殺す気がないけどハンマーで頭をぶん殴る(笑)。「あれは殺しにいってるだろう!」「いや、殺しにいくつもりは全然ない、でも本物のハンマーで力を加減して頭を殴ってる」っていう。 ――そのハンマーが、三沢(光晴)vs小橋(建太)の、三沢が小橋にかけた花道から場外へのタイガースープレックスだったり。 小橋vs秋山(準)の、小橋がやったエプロンからのブレーンバスターもそうだしね。 ――「NOAHだけはガチ」って言葉、当時流行りましたね。 ある意味、ガチな結末になっちゃったじゃん。三沢が亡くなって。 ――今日はそのへんの話も伺いたかったんですけど、リング上におけるレスラーの事があったとき、どうやって自分の中で折り合いをつけていますか? 三沢の死は…93年かな、鶴田が欠場したときの三沢vs川田(利明)の頂上対決。三沢が投げっぱなしジャーマン連発で勝った試合。それを観てから、四天王プロレスは嫌いになった。 ――その理由は? 美しくない。さっき言ったように、DDTを3発やるとして1発1発返していったら美しくないでしょ。1発返されたら2発連続でやってダメ押しするみたいにしないとダラダラした印象になる。それと同じで、危険な技を散発的に出すことに理屈が感じられない。 ――フィニッシャーに説得力が感じられない、と。 説得力でいえば、四天王プロレスの技自体にはあったじゃん。でも、首が折れるんじゃないかって技をなんで何発もやるんだっていう。そうなってくるとタフマン・コンテスト、残酷ショーでしょ。「信頼している人間だからこそ危険技を掛けられる」って言うけど、信頼している人間を殺す寸前までやる必要はないだろうって。四天王プロレスのきっかけって、豊橋でやった小橋vs(スティーブ・)ウィリアムスだと思う。ウィリアムスのバックドロップドライバー、殺人バックドロップが最初に出た試合。あれ当時ね、夜中に全日の中継見てて、解説の百田(光雄)と一緒に思わず「うぉー!」って言ったくらい衝撃的な試合だった。あの試合の小橋はすごい好きなの。すごい表現力があって、バックドロップを食らった後、意識を失うんじゃなくて、ガクガクしながらロープに這っていって逃げ惑うの。ウィリアムスはそこにもう1発バックドロップを食らわせてフォールを取るんだけど、それだったら俺は納得がいく。でも、小橋は散々受けてきたのに自分がやる方になって、それがちょっとげんなりしてさ。後に2chとかで“勝ちブックおじさん”っていわれるんだけど、NOAHでの絶対王者時代、小橋自身がブックを書いていたっていう。しかもあんな危ない技で勝ちまくる小橋、みたいなさ。そこに小橋の魅力はないわけ。確かにあの頃の小橋もすごかったし、小橋のことは認めてるんだけど、四天王プロレスは嫌いなの。小橋はミスター・プロレスだと思うし。スタイル自体は違うけど、小橋は藤波とキャラクター的には同系統だと思う。2人とも生粋のベビーフェイスで、ヒールだったことが1度もない。藤波はメキシコでルードになったこともあるんだけど、ものすごく非難をされた時期がないじゃん。で、2人とも生粋のプロレスファン上がりのレスラーじゃん。格闘技の実績があったわけじゃなくて、入団当初期待されていたわけでもなかったのに、練習熱心で身体をつくって、努力で上がったと。レスリングのスタイルとしては、藤波から受け取ったのは武藤、棚橋、SANADA。それってじつは、猪木とは違う系統。 ――今言った藤波さんに連なる系譜は同感ですけど、小橋と同系統っていう解釈は新鮮に感じます。 俺は今の新日は面白いと思うんだよな。藤波がすごい棚橋批判をしているらしいんだけど、それは乗れない。いくら生粋の藤波ファンとはいえ。WWEっぽさとかが駄目なようだけど。 ――僕はWWEをちゃんと観ていなんですけど、やっぱり近づいてきてますか? フィニッシャーを大事にするところとかね。フィニッシャーを決めて、そこから逆をたどって試合をかっちりつくってる。さっき言った破れ目が試合に全然ない感じ。アクシデント性、アドリブ性は昔に比べてなくなったなあって。昔はいわゆる基本的なチェーンレスリング、こう来たらこう返すっていう型がいくつもあるんだけど、その組み合わせ自体は完璧に決めないでお互いのアドリブ感覚で試合をつくっていくっていうのがあったっぽいんだけど、今はかなりきっちりつくられている。 ――いつくらいからですかね? 2010年前後? そのくらいじゃないかな。2000年代半ばはちゃんと観てないんだけど、あの頃は「しょっぱいな」って試合が多かったから、移行期だったのか、まだだったのかって感じ。少なくとも2012年には今のスタイルになってた、レインメーカーショックは完全にWWEのスタイルの流れを汲んでいると思う。そうそう、俺、オカダ(・カズチカ)の凱旋試合観て、「アメプロのテレビマッチだな」ってツイートしてるの。いわゆるスカッシュマッチっていうんだけど、見せ場もほとんどなしに終わらせる試合。一応、相手のYOSHI-HASHIの凱旋試合でもあるのに、波もなくあっさり終わったの。勝った方と負けた方で明確に格の差があるのが、向こうの試合っぽいなって当時思った。そうしたら今の流れになったから、あながち間違ってなかったなって。 ――新日が盛り返したのは本当にうれしいです。 ただね、けが人が多すぎる。 ――最近だと、柴田ですね。 まだオカダ戦も観てないんだよね。観れない。別に凄惨な試合じゃないってのはわかってるんだけど。 ――僕はリアルタイムで観ましたが、すごくいい試合でした。 想像はつくんだよね。今の対立軸としても最高のふたりだったし。ものすごくもったいないし惜しいけど、ある意味では最高の終わり方かなって気もする。問題は本人がどう思っているか。ありがちなのは、会社は止めるけど本人がやりたがるとかさ。ただ、彼との試合で過去にひとり亡くなっていることは考えてほしいと思う。あまりいい言い方はではないけど、すごい因果だよね。でも、それはそれでそういうストーリーとして受け止めるしかない。 ――僕自身は、ああいうことが起こるたびに「このまま観ていてもいいのかな」って自問するんですけど、結局、いつも忘れて流されちゃってるんですよね。 俺が最初に通ったリング禍は、プラム麻里子。尾崎魔弓のライガーボムだけど、写真を見る限りはきれいに受け身も取ってる。脳の障害は慢性的なものもあるだろうし、人間の体って紙一重で助かるケースも多いと思うの。とくに脳はね。たとえば、棚の下を掃除してて、棚があることを忘れて頭を上げた瞬間にぶつけるっていう……日常でよくあるドジ。でもそんなことで死んだ人だって世の中にいるから。脳なんて水に豆腐を浮かべてるようなもんだし。ちょっとした角度とか、寝不足だったとか風邪気味だったとかで、人間は死んだり再起不能になったりするんだろうなって。首とか背骨もそうだけど。だから、どうすればいいって言いきれないんだけど、なるべくそのリスクを軽減されていることが平常であるべきだとは思う。だから、「危険技がどうのこうの言ったらプロレス見れねえ」っていうけども、できるはずだから。それでも事故は起きるよ。でも、確率を減らすことはできるはずだから。危険技があれば面白くて感動するものではないってことは、もうわかってるはずだから。だったら、減らすべきだろうし。そういうのを徹底した上で、どうしてもそういう技を入れたいっていう時にやったら、それはそれでインパクトがすごいだろうし、温存することにもなるから。料理にたとえたら、激辛のハラペーニョを500g入れたラーメンとすごく繊細な出汁をとったまろやかなラーメン、どっちが旨い?って話で。(前者は)刺激はあるけど、(後者を取るのが)人間の英知でしょって。それは何だってそうだけど。 ――ケニー(・オメガ)なんかは試合によってそのへんをうまく使い分けているように感じます。 ただね、(2017年の)1.4の雪崩式ドラゴンはやり過ぎだと思う。あれはさすがに……。オカダもよく大丈夫だったと思うもん。ジャーマンだと胴体を持つから相手の可動域も広くて途中で回転しやすいけど。ドラゴンって、本当に勢いつければ支点がてっぺんの方にあるからうまく体が回るはずなんだけど、首は固定されたら何もできない場所だから、中途半端に落ちる可能性がものすごく高い。ジャーマンをかけられた方が途中で切り返すときって、かける方は必ず相手の胸の方をグリップしてる。ドラゴンは首を固定しているから本当に危ないんだよ。 ――堕落さんがこの前ツイートしていたみたいに、藤原、(ザ・グレート・)カブキレベルになれば、リングに立っているだけでいいわけですもんね。 妖気漂う爺さんが隈取をしてね。首が曲がっちゃってて、言い方は悪い��ど背虫男みたいになってるけど、逆にそれが不気味さを醸し出してる。藤原も胃がんをやって、体なんかダルダルになっているけど、藤原なわけじゃん。そのふたりが何もせず睨み合っているだけで成立する。ふたりの歴史もあるし。そういうものを使って見せるのがプロレスだと思う。だから、棚橋とオカダは正しいんだよね。レベルが高いし、危険技をほとんど使わずにあれだけテンションを保って、毎回アレンジを加えて名勝負をしているんだから。一昨年(2015年)のドーム、オカダが試合後に泣いた試合、あれは最高のアクセント。危ない技も派手な技も派手な仕掛けもなく、ただ泣いただけ。でも、あのオカダが泣いたから、ストーリーが翌年につながって。 ――オカダに一つだけ注文をつけるとすれば、マイクやバックステージのコメントで「この野郎」って言うのは似合わないからやめてほしいなって(笑)。 うん、慇懃無礼かつ愛されキャラでいいと思う。最近、地方では子どもにマイク振ってるみたいだよ。「なぜだかわかる?���って振って、「レベルが違うよ」って言わせてる。それでいいと思う。だって、どう考えても愛されキャラだから。ちょっと悪ぶっている気のいい兄ちゃん。 ――プロレスと言えば、テーマ曲も大切ですよね。好き選手のテーマ曲以外で、この曲を聴くとブチ上がる、みたいなものはありますか? 俺も基本的にオリジナルが欲しくて、一曲のためにアルバムを買うタイプだったから、「IRONMAN」が欲しくてブラック・サバスを買ったり(笑)。あと、ヘルレイザーズが出てきたときは、オジー・オズボーンのアルバムも買ったし。藤原の「ワルキューレの騎行」とか。「スーパーファイターズテーマ集」とか買ったけど、納得いかなくて、藤波の「ライジング」って曲――飛龍革命をやっていたころに使っていた――悲壮感があって、「ドラゴンスープレックスより合っていたと思うけど、オリジナルはビクターレコードから出てて。だけど、キングとビクターって、お互いにオリジナル原盤を持っていない方が必ずカバーを出すの。ほかのレコード会社が出した「ライジング」は、あきらかに音が違うわけ。ちゃんとしたスタッフがいる団体はそれを使わないはずなんだけど、DRAGON GATEに藤波が出た時にはそれが使ってやがって。ビクターから2回出てるんだけど、1回は橋本、蝶野(正洋)、藤波のテーマでミニアルバムが出て。その時に、藤波のテーマのあとにエピローグとして音が入っていたんだけど、表記が「ライジング~エピローグ」で。そうなると、知らないやつが曲名をそれだと思ってて、藤波のテーマ曲が「ライジング~エピローグ」って表記されてたりする。許せない、それは(笑)。あと、(グレート・)ムタのテーマ曲は、プロトタイプバージョンと音源バージョンだと全然違う。 ――知りませんでした(笑)。 会場使用がプロトタイプで、試作品をずっと使ってたのに、商品にする際に新録してるから、「会場でかかっているのと違うな」って思ったら、やっぱり違った。 ――やっぱり細かい(笑)。個人的にこれを聴くとテンションが上がるっていう曲はありますか? スタン・ハンセンの「サンライズ」かなあ。でもね、俺、UWFが嫌いだったのに、田村(潔司)がKOKトーナメントでヘンゾ(・グレイシー)とやったときだけ特別に使った『U.W.F.プロレス・メインテーマ』は良かった! 別に山ちゃん(山崎一夫)が使っててもそんなに気にならないのに(笑)。田村がついにグレイシー狩りに行ったとき、「ヒクソンより強いかもしれない!」と言われていたヘンゾと1回戦であたったんだけど、リングアナが「田村潔司選手の入場です!」って言った後に、数秒の間を置いてあの曲がかかったら、会場が「ウォー」ってなって、実況も「オオー!」とか言って(笑)。「Uを背負ってやる」って姿勢に瞬時に感動したわけだよね。 ――田村も面白い選手ですよね。UWFインターのときのドームに出なかったことも含め。 田村は本当にいいプロレスラーだと思う。自分でストーリーなりフックなりをつくるし。 ――プロレスラーは愛すべき個性を持っている人が多いですけど、いろいろな逸話を楽しんだりするのも好きですか。 嫌いじゃないけど、社会運動にかかわって、いろんなコード(規範)みたいなものをより意識するようになって。それと照らし合わせると、「あり」とは言えないものも多々ある。過去のシゴキの話とかも、昔は笑っていた気がするんだけど、今は「駄目でしょ」って思うし。 ――僕も以前は好きだったんですけど、今だったら駄目だよね、と思うことが増えています。たとえば、以前の新日の巡業でレスラーが女風呂を覗いていたっていうのも、もちろんナシでしょうし。 ホモソーシャルな中で笑い話にはできるかもしれないけど、表向きは絶対できないよね。 ――レスラーの政治志向なんかも気になりませんか? たとえば、ハンセンは(ドナルド・)トランプに投票したんだな、とか。 そうそうそう。でも、それはそうだろうなとしか思わなかったよ。 ――テキサス出身だったらトランプなのかな、とは思いましたけど。 俺も気になって調べた。レスラーとか格闘家って基本的には保守的な連中だと思っているから、その中でリベラルっぽい人をチェックしたの。俺は英語が苦手だから自動翻訳だとわかりにくかったんだけど、ジョシュ(・バーネット)は左派を揶揄してるように見えるツイートをしてた。今も付き合ってるか知らないけれど、白人のジョシュはアフロアメリカンの格闘家の彼女がいたし、リベラルな人なのかなって思ってたんだけど、そうでもなかったのかな。 ――そういう情報まで含めて細かいところまでチェックされて、そこからさらに深く考えてますよね。僕自身は、後楽園とかに行って、半裸の男女がプライドをかけて闘っているのを見るだけで「プロレスいいなー」って思っちゃう単純さだから、余計にそう思います。 いま「半裸」って言葉が出たけど、セックスワーカーの話にもつながるよね。仲の良いゲイの人が過去にウリをやっていて、その時の思ったことを著書(ハスラー・アキラ『売男日記』)につづっていたの。それを読むと、セックスワークにおける充実感とかがつづられていたりするわけ。俺は昔からセックスワーク、セックスワーカーが大嫌いで、蔑んでいたの。自分でも絶対利用したくないって思ってた。けど、いろいろな情報を得たり、そういう人たちと出会って、だいぶ考えが変わって。「あ、これはありだな」って思った。いわゆる売春自体��、人類最古の商売っていわれるくらい根源的なものとしてあるでしょ? あと、なぜ嫌悪するのかっていうところを突き詰めて考えると、性的なプライド、尊厳、肉体的なきつさを金にしていいのかっていうのがあると思うんだけど、いざ、自分が日雇い肉体労働派遣仕事しかできないような状況のときに、病気で体力もないのに現場派遣に行って、40kgあるガラを一輪車に乗せてダンプを駆け上がってっていうのを一晩中やらされて、死にそうになってしゃがみ込んでいたら、俺より明らかに若いアンちゃんに「てめえ、何さぼってんだよ」って言われたときに、肉体的にも死にそうになって、プライドもズタズタにされて、それで一万円も稼げないわけ。その時のことを思い返して考えたの。肉体労働とセックスワークは何が違うのかって。セックスワークは、いいお客さんに当たったら、相手を気持ち良くしてそれなりにお金をもらって、もしかしたら自分も気持ちいいかもしれない。だったら、それは素晴らしいことでしょ? もちろん現実はそんな理想的ではないだろうし、ゲイの人のとヘテロ男性向けの女性のとで事情も違うだろうけど。誰も損しなければね。搾取で行ったら、一般の肉体労働派遣の方が酷いこともあるし。だとしたら、その二つにどんな違いがあるのか、どっちが蔑まれるべきものなのか。そういうことを突き詰めたらね。もちろん、無理やりやらされてたり、酷い扱いをされるとかだったら駄目だけど、その存在自体は否定されるべきではないんじゃないかなっていうことをここ数年で思った。でも、世間的には未だに賤業なわけじゃん。それってプロレスと同じなんだよ。 ――なるほど。 プロレスってこんな熱く何時間も語れてさ、一緒に観に行けば「うわー!」って叫べて、生きる糧にもなってるわけじゃん。でも、やっぱりバカにされる。「いい年したおっさんが裸になって八百長やって何がいいんだ?」って扱いをされるわけじゃん。実際レスラーは身体ボロボロにしながら夢を売ってるのに。 ――今後もずっとプロレスは見ていこうと思っていますか。 ほかに趣味がないんだよね。映画も観ないし、本も読まないし、音楽も全然知らないし。漫画もアニメもゲームも……ゲームはスマホで野球のゲームをやるくらい。最近、ツイッターもプロレスのツイートばっかりしてるもん(笑)。 取材日:2017年4月下旬 取材・文:チリドックYT イラスト:鈴木侑馬
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「絶対君主の父から逃れたかった」大日本プロレス・関本大介が幼少期から抱いてきた“劣等感”の正体とは?(週刊SPA!) 「深読みするのがプロレス」と言われる。ならば深読みしたい。 7月17日、大日本プロレス両国国技館大会。BJW認定タッグ選手権試合で、アブドーラ・小林&伊東竜二組は、関本大介&岡林裕二組を破り、新王者に輝いた。関本はこの試合、“負けてもいい”と思っていたのではないかと、私は思った。関本大介自伝『劣等感』(ワニブックス)を読んだら、そう思えて仕方なかった。 ⇒【画像】自伝『劣等感』 関本が大日本プロレスに入門したとき、先に寮にいたのが小林と伊東。同じ釜の飯を食い、苦楽をともにしてきた仲間だ。 関本より4か月早く大日本プロレスに入門した伊東は、関本に、包丁の握り方から掃除の仕方、会場でのセコンド業務まで、プロレスラーとしての基礎を教えた。デスマッチの試合で思うような成績を残せなかった関本は、小林とタッグチーム「マッスル&ファットです。」を組んだことで、レスラーとして持ち直すことが出来た。 “負けてもいい”ということはあり得ないのかもしれない。しかし、入門当時から世話になってきた先輩2人と戦うことに対し、複雑な思いはあったのではと思った。両国国技館という特別なリングの上で、関本大介は一体、なにを思ったのだろうか。 ◆全力で戦うことが礼儀 ――大日本プロレス3度目の両国国技館大会。いかがでしたか。 関本大介(以下、関本):岡林選手とタッグで守ってきたベルトを奪われてしまったので、それは悔しいです。ただ、小林さんと伊東さんはデスマッチを得意とする選手なので、普段戦う機会が少ないんですよ。そういう相手と両国国技館という舞台で、しかもタイトルマッチで戦えたので、その点ではすごく刺激的でした。 ――ストロングBJのルールで試合が行われたことについて、どうですか。 関本:向こうが「ストロングスタイルで」という気概があったので、それは受けなければ男ではないと思いました。でも結局、我々の得意分野であるスタイルで負けてしまった。結果がすべてですから、鍛え直してリスタートを切るしかないですね。 ――自伝『劣等感』には、小林選手、伊東選手への敬意が綴られています。試合中もそういった思いはありますか。 関本:試合中はないです。リスペクトは常にありますけど、そこで恐縮してしまっては試合がつまらなくなってしまう。サイクアウトって言うんですかね。リングに立つと自分が自分でなくなるような感覚があります。二重人格じゃないですけど。 ――ファンの深読みなのですが、「負けてもいい」というような複雑な思いがあったのではと。 関本:それはないですね。全力で戦うことが、対戦相手に対する礼儀です。それは小林さん、伊東さんも分かっていることだと思います。たぶん、プロレスラーはみんなそうじゃないですかね。 ――2人に、特別な思い入れは? 関本:思い入れというか……なんでしょうね。小林さんとは、一緒に大人のお店に行ったりしました(笑)。伊東さんとはそういうお店に行ったことはないですね、真面目な方ですから。僕たちはバカなので、そういうところに行って、ヒャーヒャー喜んでました。 ――自伝の第3章「救世主」は伊東選手のお話です。「オレ、デスマッチやるわ」という言葉にグッときました。伊東選手がデスマッチをやると言ったとき、どう思いましたか。 関本:「ま、まじで……?」という感じでしたね。ホントにやるんすか!? やっちゃうんすか!? みたいな。そのときはまだ、デスマッチとストロングは分かれていなかったんですけど、伊東さんも僕も、若手の一人として普通に試合をしていたので。デスマッチに対する恐怖心は、当時からありました。やっぱり怖いですよ、血だらけになりますから。だから伊東さんがやると言ったときは、本当に驚きました。 ――小林選手、伊東選手よりも先に自伝を出版したことについて、どう感じていますか。 関本:後ろめたい気持ちはあります。大日本の先輩であり、人生の先輩ですから。でも、僕の自伝ではあるんですが、小林さん、伊東さんを含め、大日本プロレスの本でもあると思うので、出版できてよかったです。 ◆なにかに怯えて生きてきた ――『劣等感』というタイトルの意味は? 関本:僕は劣等感の塊というか、ずっと劣等生なんです。中学から入った明徳義塾でもそうですし、幼少の頃から、お父さんが絶対君主ですごく怖かったので、なにかに怯えて生きてきたんですよ。今ではそうやって育ててもらったことに���謝してますけど、当時は早く父親から逃れたいという気持ちでいっぱいでした。 ――虐待を受けたわけではない……? 関本:虐待というのは、その人によって物差しが違うから、一概に「これが虐待」って決められないと思うんです。野球をやらされてたんですが、お父さんはたぶん、僕の体を鍛えるために、今で言う虐待的なことをやっていたんだと思います。例えば足上げ腹筋って、足が下についたらダメじゃないですか。お父さんは「下ろすなよ、下ろしたら熱いぞ」って、ライターの火を構えてるんです。それを今やれば、虐待と捉えられると思うんですけど、当時はそういう鍛え方でした。 ――実際に、足に火がついてしまったことは? 関本:ありますよ。でも結局ライターの火なんて、落ちたら風圧で消えますよね。火も弱いし、風でなびくから、親父のほうが「熱い」ってなって(笑)。それが面白くて、でも笑ったら怒られるから、こらえていたら逆に腹筋が鍛えられるっていう。意味の分からない鍛え方をしてましたね。 関本:他にも、ティーバッティングとか、走らされたりとか。毎日毎日、素振りを200回も300回もやらされたり、朝起きてランニングを3~4kmもやらされたら、さすがに嫌になりますよ。体力的にしんどいというより、精神的にしんどかったです。「今日もやるんだ……」というのが毎日なので。 ――お父さんに対して、恨みはない? 関本:まったくないです。感謝しかない。今は仲が良いですし、ほんとに感謝しかないです。 ――どんな部分で感謝していますか。 関本:お父さんが厳しくしてくれたから、つらいことがあっても耐えられるというか。少し痛いところがあったりしても、我慢できるようになりました。あとは腹が立たなくなりましたね。今やってることは将来に繋がることなんだと分かったときに、腹が立たなくなりました。文句を言ってやらないより、「はい、分かりました」って言ってやったほうが、自分のためになる。そう思えるようになったのは、お父さんのお陰だと思います。 ――リングの上であんなに強いのに、劣等感があるというのは意外です。 関本:あれは仮の姿です。サイクアウトした自分ですよね。自分が自分でない感覚。人によく、「リングに立つと普段と全然違うよね」って言われるんですよ。僕は一緒だと思ってるんですけど、やっぱりサイクアウトするんでしょうね。やらなくちゃいけないっていう衝動には駆られます。 ――どうすれば劣等感を克服できると思いますか。 関本:僕は克服してないですから(笑)。まあ、そうですね、筋トレをやればいいんですよ。筋トレをやれば、劣等感は薄れると思います。だって、筋肉がパンプして、鏡の自分を見てうっとりしてるんですよ。ナルシストでしょ。人間なんてみんなナルシストですけど。最終的になにが一番大事かって言ったら、自分が一番大事なんですよね。みんな自分の命を守るために生きてると思います。 ――筋トレをすることで、ナルシストな自分と向き合える? 関本:そうですね。鏡に映る自分と向き合える。でもその鏡を見て、満足しちゃダメなんですよね。優越感には浸りますけど、満足はしない。満足したら、そこで終わっちゃうので。 ◆大日本プロレスの連帯感 ――自伝出版にあたり、大日本のレスラーのみなさんが、Twitterで告知ツイートをたくさんしています。本当に仲が良いんだなと思います。 関本:チームとしての連帯感は、他の団体より全然強いと思います。たぶん、巡業のとき、みんなでリングを作って、みんなで売店に立って、みんなでリングを片付けて、みんなで掃除をして、みんなで移動して、っていうのを続けているから。大日本以外にも全国を周っている団体はあるんですけど、リング屋さんにお願いしている場合も多いと思います。 関本:ある会場の方に、「リングの撤収が速いのは、新日本の次に大日本」と言われたんですよ。新日本さんはリング屋さんがいるので、自前では大日本なんですかね。キャリア、所属に関わらずやりますから、連帯感が強いのはそれが大きいと思いますよ。 ――他団体の選手やフリーの選手もお手伝いしていますよね。 関本:他団体、フリーの選手も、大日本のメンバーだという意識があるような気がします。僕も仲間だと思ってますし。準備とか片付けをしているときは、ですよ。リング上では敵です。 ――所属でない鈴木秀樹選手が、『劣等感』の宣伝をかなりしてくれています。サムライTV出演時だったり、ツイートだったり。なぜでしょう? 関本:いじられてるんですよ(笑)。 ――今年3月に、関本選手からBJW認定世界ストロングヘビー級王座のベルトを奪った人です。鈴木選手をどう評価していますか。 関本:身長と体格、ポテンシャルもそうですし、思想もそうですけど、「ザ・レスラー」です。どこにも所属していないし、レスラーな生き方ですよね。 ――8月19日(土)、名古屋国際会議場で、鈴木選手は橋本大地選手を相手に防衛戦を行います。 関本:出来れば橋本選手ではなく、自分がベルトを取り返したいですね。チャンスをもらえるなら。 ――今年4月に取材をさせていただいたとき(明徳義塾で懲役6年!? 元高校球児・関本大介がトップレスラーになるまで【最強レスラー数珠つなぎvol.9】)、「鈴木選手のようなテクニックを、自分は持っていない」とおっしゃいました。プロレスにおいて、テクニックは必要ですか? 関本:技術がすべてを凌駕するときもありますし、体力がすべてを凌駕するときもありますし、ハートがすべてを凌駕するときもあります。時と場合によっても、選手によっても違う。それがプロレスのいいところだと思います。 ――関本選手は、なにが一番自信がありますか。 関本:自信はないです。劣等感の塊なので。強いて言うなら、気持ちですね。メンタルが強いか弱いかで言ったら、決して強くはないです。劣等感を感じているような人間なので。ただ、リングに上がるとサイクアウトできるので、強くなるというか、普段の自分でなくなります。 ――今後の目標は? 関本:漠然としてますけど、「大日本プロレスを世界一の団体にする」ということを掲げていますので、少しでもその旗を支えられるような人間になることですね。 ――自伝をどんな人に読んでもらいたいですか。 関本:プロレスを好きな人には絶対、読んでもらいたいです。あとは、「関本大介ってだれ?」という疑問を持っている人にも読んでもらいたいですし、「大日本プロレスってどういう団体?」という人や、「プロレスってなに?」という人にも。読めばきっと、いろんな疑問がなくなると思います。 ――ありがとうございました。 今年4月にインタビューをしたとき、「饒舌で、巧みな言葉を持っているレスラーとは違うかもしれない」と書いた。しかし、違った。関本は言葉を持っているレスラーだ。今回の取材を通して、また、自伝を読んでそう思った。内に深く、熱い思いを秘めている。関本大介自伝『劣等感』は、なにかに劣等感を抱い��いるすべての人に、「関本がこうなんだから、自分も頑張れる」と思わせてくれる一冊だ。 【PROFILE】関本大介(せきもと・だいすけ) 大日本プロレス所属。1981年2月9日、大阪府大阪市鶴見区生まれ。中学高校と明徳義塾に通い、野球部に所属。高校卒業後、大日本プロレスに入団。1999年8月10日、対伊東竜二戦でデビュー。デスマッチデビュー戦は、対マッドマン・ポンド「蛍光灯100本デスマッチ」。ストロングBJの象徴として、大日本プロレスのみならず、全日本プロレス、DDTプロレスリングなど、他団体でも活躍している。175cm、120kg。Twitter:@sekimotodaisuke 口コミとかでいろいろな意見の書込みがあるけど実際は【効果なし】なの? わたしが気になっているのはコレ・・・ 何でも個人差はあるから仕方ないんですけどね ほとんど全員が【効果あり】みたいに書かれてるのがちょっと怪しい気もすんですけど・・・ でもちょっと期待もしてしまいますよね やってみようか・・・悩むな~ Source: 今まさにニュース
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