#フランス語レッスン
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ECCジュニア田村町教室、夏だよ!自転車シーズンだよ!の中村です。
今年も7/1から、ツール・ド・フランス🇫🇷、スタート🎉 今も見ながら、これ書きよるところ! フランスということで抗議デモの今後の動向が気になるところではありますが、この夏の祭典が、無事に執り行われることを願ってやみません。
夏は毎晩レース見るので、アニ活はスローダウン、自分はもうちょっと自転車走りにいけよ?という感じになるよね💦
あとは、夏と言えば、ECCジュニア田村町教室では今年も夏の4回集中プログラムを行います。 ↑↑ いや、こっちメインで言えよってな(爆)
英語をスタートさせる時期、一番お勧めは勿論4月なのですが、 実は「夏」というのも、スタートおススメ時期の一つなのです👍
既にお申し込みも頂いている、今年の夏の4回集中コース。 こちら、参加者の皆さまと相談の上、教室の通常のレッスンがない時に、4回の時間を設定させていただきます。 早めにご連絡を頂いた方が、ご希望の時間に設定できる可能性が高いですよ✨
というわけで、気になる方は教室ウェブサイトから、又はこちらLINEの教室アカウントへのメッセージで、お気軽にお問い合わせくださいね😊
やー!3週間、また寝られん夏が来たぁああ🧡
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#05 中沢レイ
一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうすぐ3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰り���す。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダンスを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を営んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は私の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜放送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、���ポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れてきた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもんなのかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりしたけどなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子はステロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は開かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それ���、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだったらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタルリンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかったらあの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
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欧州美女と楽しむオンライン英会話 – 楽しく続ける新しい学びの形
英語を話せるようになりたいと思いませんか?仕事でのスキルアップ、海外旅行での自由なコミュニケーション、そして新しい人間関係の広がり。英会話ができると、人生が大きく変わりますよね。でも、英会話を継続するのは難しい…。そんな悩みを抱えている方に朗報です!**「欧州の美女講師と楽しむオンライン英会話」**が、その壁を軽々と乗り越えさせてくれます。英会話学習の新しいモチベーション従来のオンライン英会話は、ただ教材を使って話すだけで「退屈」と感じたことはありませんか?これが継続の妨げになり、結果的に挫折につながってしまうのです。でも、このサービスでは違います。講師は全員、美しい容姿と知性を兼ね備えた欧州の女性たち。イギリス、フランス、イタリアなど、映画や雑誌で見るような洗練された美女たちが、あなたの英会話パートナーです。「楽しく話したい!」と思える相手がいれば、自然と英会話レッスンが待ち遠しくなり…
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2024/12/17 BGM: The Chemical Brothers - Hey Boy Hey Girl
今日は早番だった。今朝、いつものようにZoomでの英会話関係のミーティングに自分なりに精を出す。今日の話題はなんでも「Brain Rot(訳すと『脳腐れ』となろうか)」なる言葉が海外で話題となっているそうで、それについてひとしきり話し合う。SNSやYouTubeなどをダラダラ眺めることに淫している時に感じられる、脳が腐ってしまうようなそんな感覚を現した言葉なのだそうだ。そこから、各人がそれぞれの自分時間をどんなSNSやYouTubeのチャンネルなどを見て費やし・楽しんでいるかについて話し合う(ぼくもなんだかんだで実におしりが軽いので、mixi2も誘われるがままにホイホイ登録してしまった)。この「Brain Rot」はたしかにぼくも実感としてよくわかる言葉だ。手持ち無沙汰なままダラダラと自分の時間を湯水のごとく浪費することには自堕落な快楽さえともなうと思う(たしかに、脳がそれこそ「腐る」��いうか「発酵する」のを感じる快楽というのもあるかなあ、なんて)。でも、日本ではその一方で「タイムパフォーマンス」を重視しそれこそタイトスケジュールを目指してキビキビ・無駄なく生きることに精を出す人もいたりする。だから、そのタイトな過ごし方とこの「Brain Rot」の概念と照らし合わせると面白いものが見えてきそうだ。
ミーティングが終わって、職場に赴き今日の仕事をはじめる。仕事に入る前、職場のトイレで小用を済ませている際にふとあの難解きわまりないマルティン・ハイデガーが『存在と時間』なんかで喝破した思考を文字どおり「まるっと」理解できたような気分に陥る。もちろんそんなことあるわけもなくすべてはただのよくある錯覚に過ぎなかったのだけれど(ひと口で言えば脳の「バグ」「誤作動」だ)、ともあれそんな感じのバカげた錯覚について「ぼくもまだまだ修業が足りないなあ」とあれこれ考えているうちに思い出したことがあった。というのは、ぼくが過去に大学生だった20代のはじめのころ、実を言うと当時は哲学についてぜんぜん・まったくもって関心を持てなかったのだった。いや、正確に言えば物見遊山で柄谷行人や蓮實重彦なんかをめくってみたことはあるが(『必読書150』や『探究1』、『逃走論』や『存在論的、郵便的』『斜めから見る』なんかを読んでみてさっぱりわからずメゲたこともあった)、当時熱心に論じられていたドゥルーズやデリダについても「なんかものすごくむずかしいんだろうな」「フランス語もできないし、わかるわけもないだろう」と最初から敬遠してしまっていた。40になり、元ジョブコーチとお会いしたあとにその方からぼくの考え方が哲学的と言われ、それでそれ以前から宮台真司や保坂和志、田中小実昌なんかをつまみ読みして哲学的な考え方に惹かれたりしていたのでウィトゲンシュタインのガイドブックなんかを自分なりに紐解くところからはじめていった。
40になる前、つまりそんな「深い(?)」本を読みはじめる前……とりわけ20代、さっきも書いた柄谷・蓮實や東浩紀以外にも永井均や中島義道や土屋賢二なんかを読んだりして、彼らはもちろん(いや、なんらイヤミなんか込めるつもりはなくマジで書くが)興味深い・深遠な言葉を記していた。そこから学ばされたこと・いまでもぼく自身役立てられている知識はある。でも、それらはぼくを救ってくれる言葉ではなかった。ぼくの脳みそが古くさいからか、現代的でキャッチーな哲学よりはサルトルやカミュなんかの実存主義、ハイデガーの存在論、��ィトゲンシュタイン的な言語哲学に惹かれるのかなあと思う。いや、もちろんぼくはさっきも書いたがしょせんはしがないトーシロであって逆立ちしたっていまからドイツ語やフランス語をやる気力もなかったりするのだが……なんにせよ、ぼくの中には「子ども」の哲学的なマインドと青春を生きる苦悩がまだフリーズドライされたままで残っているのかなとか思ってしまったりする。
夜になり、英会話教室に赴く。今日が今シーズン(あるいは今年いっぱい)の最後のレッスンで、今日は特別授業としてクイズやゲームを楽しむクリスマスパーティー・タイムを過ごすこととなった。スナックやソフトドリンクを片手に、ワム!や稲垣潤一や山下達郎なんかのクリスマスソングの名曲を楽しみつつ、英語でおしゃべりする。元ジョブコーチとの出会い以前、まだ英語なんて学んでおらずそれどころか生きる気力もさっぱり消え失せて、毎日毎日「なんで生まれてきてしまったんだ」「どこで間違ったのかなあ」と思って毎日毎日泣き暮らしていた時期があったなと思った。ヴェイユ『重力と恩寵』や二階堂奥歯『八本脚の蝶』なんてめくってみたりして……でも、あの出会いがあり、英語を学び直し哲学に徒手空拳で取り組みはじめて、そんな感じで今がある。それは疑いようもなくぼくにとってとてもかけがえのない・神聖なできごとだった。そんなことだって起きるのが人生だ。
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多芸は無芸
2023.12.25
私は心の奥底で本当に何者なのか。
と自問したとはいえ、諸々な経験をしたのに聞きかじった程度しか知らないやつだとしか自答ができなかった。
前世ではピアノを弾いたり詩文を書いたりするのを楽しんだとふざけるようにしょっちゅう言っているが、実はただ小学から高校までの期間だった。いかにも素朴で無邪気な子だったんだ。今や、練習の機会が一か二回しかない私はもう前と違ってショパンを滑らかに弾くことができないが、楽譜を見る限りにぎこちなくなんとかできる。母が十年間レッスンにお金を注ぎ込んでくれたのに、なんて恥ずかしいだろう。依然として弾けると告げる権利があるのか。「弾ける」と言うたびに「けど、しばらく練習していなくてごめんね」とも付け加えることになった。
家で両親とベトナム語を話して育ちながら、英語しか話さない国で学校に通って、大学に入る数年前に日本語の勉強も始めたが、「お前のベトナム語が訛りとか文法的には英語っぽい」「英語の話し方は遠回しすぎて、お前が何か言い出す前にいつも一瞬の間を置くのは、何も思いつけないアホではなく、ただ考えを纏めているだけだと時間がたつにつれてわかってきた」と直接に言われた上に「シャイすぎて日本語をあまり話さないけど、たまに何か書こうとすると…まあ、それはごく稀だけどさ」と、会話がギクシャクに進むと相手の戸惑う眼差しで察することができる。
今尚辞典を手許に置かないとこんな文章を書くことができないのは、言葉のうろ覚えの癖がある所為なんだ。「石鹸を風呂から流し台に移動しておいただけなのに、母に甲高い声で悲鳴をあげられた」というのは、元々頭の中でただ「石鹸を風呂から流し○に移動しておいただけなのに、母に甲○○声で悲鳴を○○られた」というだけだったが、辞典で登場してきた言葉を目の当たりにしたとっさに見出し語の中から言いたい単語を抜き出すことができる。日本語を勉強すると、意味・読み方・書き方という三つのことを覚えなければな���ないのだが、本を読んでばかりいる私は今まで意味と漢字を認められることでどうにかやっていける。その所為で会話でさえ、相手が構わない限りに、私は携帯を取り出して、読み方を忘れたのに何度も見たことのあるからなんとか書けるようになった漢字を指で描いて相手に画面を見せてあげてから、まるで言葉の読み方をそもそもずっと覚えたかように、話をさりげなく続けることが何度もあった。日本語を実際に話すことができるのか、この私は。こんな間抜けなことのために手間取るのはどれほど恥ずかしいのではないか、と毎回心の中で嘆くのに、異様な手段でさえ相互理解となっていくため、結局別にどうでもいいんだろう。
この間、手作りのクッキーをゆっくりと味わっていた彼氏がとろけそうな笑顔することで、私も最初は喜んだが、恥ずかしくて目をそらしてしまった。
料理が上達するように励んだ期間は元彼と付き合っていたときだった。仕事の後に一緒に晩ご飯を楽しむために、和食やフランス菓子の作り方を身につけて、自分の職場をたまに早く出て、予め夕食の支度をしてあげる習慣があったものの、別れるよりずっと前に、アイツの分が冷めてしまうまで放置させたことが何度もあった。私が悪くなかったのは、予定を守ることができなかったのが私の方ではなかったからだ。
今の可愛らしい彼氏を見つめながら、いつか私のことに飽きてしまうのは単に時間の問題だろう、とうっかりと口を滑らせた。彼がどんな優しい答えを与えてくれたか、私はさっぱりと忘れてしまったが、もう一回言ってくれるように頼んでも、彼は苛立つどころかおそらくあっさりともっと褒めたり慰めたりしてくれる。かまってちゃんでいたくないから、放置しておいた方がいいかもしれないが。
精巧なフランス菓子を作る経験で養われた手際が網膜下の注射のような顕微鏡下の手術にも当てはまることができると思っていた上司は、私がそんな技術もあっさりと身につけることができると最初思い込んだが、「投薬してもらうのは患者ならぬ単なるかわいそうなネズミなので成功率の七十%で十分ではないか」と結局ニヤリと突っ込んだ。どういうわけか網膜下の注射の講習を求める人にしょっちゅう頼まれているのは、きちんと教えてあげるかどうか疑問を抱かせてしまい、個人的に微妙な雰囲気をもたらすことになった。三十%の未熟という意味が仄めかされているなんて面白いんだろう。三回に一回ぐらいやらかしてしまう先生の指導を本当に仰ぐことができるの?とりあえず今のところは、たまに俄然ぞっとした手の震えを抑えかねる所為だと言い訳しておく。しょうがないと言わんばかりに。
大学院に必要な志望動機書は、ただ具体的に私が書いていたものである��同時に親友と恩師との間の競合を象徴した。私がこれまでどんな人生を送ってきたのか、これからどのように成長したいか、もっとも効果的で風流に伝える文章に取り組んでいた三人の藻掻き。親友は、私がどれほど大したことないと思った諸々な経験でも含めることにより、総合的な主観を与えることができると訴えかけたが、然るに恩師は、自分の専門知識を示すために実験の目的と身につけてきた技術と詳しく説明しようと言い聞かせた。読書会みたいな部活や趣味も付け加えさせてもらえる場合は定期的に開催されている限りだ、と。まるで私がそんなにあてのない子だから自分の能力に疑念を抱かれるのも無理はないかように仄めかした、と親友は非難した。私が手の二本でしかない上に、気になるゆえに少し試したことのある様々な経験がほとんど取るに足りないと言わんばかりだ、と私は思った。こんなバラバラで断片的な存在でどうしたらいいのか。自己同一性の修羅場にはすでに嵌っていなかったとしたら、もうすぐ陥りかねない。
だが、誰にも言えない気がした。ましてや親密な関係があるはずの両親に。
分別をわきまえた親は、父が何回も誇らしく言った通りに、父の方だったはずなのに、私が今や思わずにいられないのは、父は現実的に考える力量があると自慢に信じながら真実から執拗に目を背けているなんて情けないのではないか、と。
自由に行ったり来たりしていた父の姿をしょっちゅう見ていたのに、私もたまに出かけたい気分だと許可をもらわなければならないという矛盾をいつか認めていただけると嬉しいのだが。私が単純に十年以上食べていなかったお菓子を買いたかっただけだとわかった上に、一緒に買いに行けると約束したにもかかわらず、「あっ、実は、明日、明日行こう」と何日も繰り返していた父は、永久に先送りすることができないのもわかったはずなんだろう。
こんなに愚かなことで喧嘩を売り出すことにより、向こうの方がいかにも愚かであることを証明するのではないか。私は単純に父の機嫌の変わりやすさに対して自分の不安を言い表しようとしたが、言ったことを曲解され、ただをこねられる必要なんて微塵もなかった。ここ数日間の招待に対して実際に行きたくないとそもそも素直に拒んだ方が、そんな風に癇癪を起こして「余計に外食するのが結構好きだなぁ」と嫌味ったらしく私に言いがかりをつけるよりも、礼儀正しいと思うのだが、さあ、どうだろうね。私には何とも言えない。
「別に好きなわけではないけど、家から出るのがそんなにイヤだとしたら、早く言い出した方がいいじゃないかと思っただけだった。自分も自炊するための用事をちゃんとしておくよ」と言いながら、昼ご飯を作り始めたところで「材料を片付けろ。お前はそんなにたまらなく出かけたいの��?全部元に戻して、行け」と噛み付けられた。
「食ってかかっても役に立たないのよ。私が小さい頃から母にもずっとあんな風に八つ当たりしてるんだろう?」と何気なく聞いたら、「だから今や一人で暮らしていても、それがどうしたっていうんだ」と投げつけられた。
「もしかしたら、私も年に一回実家に帰る理由と一緒なのかなぁ」
「もう大人だろう。自分の車を買って、いつでもお前が好きなように行ったり来たりして。俺とは関係ないから、どうでもいい。お前を迎えに行くのが大嫌いだ」と最後に言ってから、謝罪しようとしたときに「確かに噛み付けるのは役に立たないけど、それが俺って人間だよ」と言い分したのはいかにもダサかった。
最近、口をきかない間柄になるほど幼馴染とも口論してしまったのは、思いがけないことだというよりも、起こるべくして起こってしまったんだ。���に対しての感情にそっくりだったのは、私の考えをきちんと整えて視点を何回も言い返そうとしたものの、認めてもらわずに相手の主観をぐいぐい詰め込まれた。芯まで劣等感に冒された奴が相手をそんな風に自分より劣っていると見做し、辛辣に罵ったりすることにより、自分の立場を守ろうとしていたが、実際は惨めに藻掻いている弱虫だけだということが私にはわかったので、そんなに意地悪く扱いされるのをなんとか耐えることができた、何年間も。
とは言っても、私も臆病者だろう。充分に励んでいなかったくせに家族と親友の関係を守ることができないと思われるのが恐ろしいから。
ー少なくとももう一回話してくれないか?
数年間繰り返し話し合おうとしていても、理解してくれることが一切ない上に、私が逆に理解してあげないとぎゃあぎゃあ愚痴をこぼしてばかりいるからそもそも完膚なきまで無駄じゃないか。
限界のない人なんていない上に、私があいつらの親ではないためちゃんと育てて礼儀を教えてあげる責任もないのが、なぜわかっていないんだろう。
自分の怒りについてこんな風にずけずけとするのは、確かに初めてなので、びっくりさせる可能性も期待していた。向こうのように鬱憤を晴らすほどではないのが一目瞭然だろうが、性格がそんなに歪んだ相手にそう思われてしまってもしょうがない。もう取り返しのつかないところまで来させてしまったから。
生物医学の博士課程に進む大学院生として結局受け入れてもらった私は、親友と恩師以外誰も知らずに申し込みを内緒で用意して志望動機書を書こうとしていたとき、今までどのように成長してきたか回想することにより、大変だったときからの記憶も蘇らずにはいられなかった。避けようとしても無駄だということがわかったため、代わりに別のエッセイに入れて書くことにすると、こういう執筆になってしまった。
と、書き上げたとたん、携帯の通知音が急に鳴って、画面を見ると、また大学一年生の物理学の宿題を手伝ってあげるように私に頼んでいるメ���セージがやってきた。往復って、ね。
〈前〉
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study abroad diaries 〜番外編〜
みなさんこんにちは☀️ 人間科学部3年の川嶋健悟こと「けんけん」です!今回はイタリアでの3週間に渡る教育ボランティアとしての活動の日々を少しでも共有できたらなと思います!留学とは一味違ったものになるので海外で働いてみたい!って人は是非とも参考にしてみてください〜!
私は2023年の夏に約3週間、イタリアのローマにボランティアに行ってきました🇮🇹 留学でも良かったのですが、現地のコミュニティに入れる点や海外の子供との交流ができる点が魅力的だったのでボランティアにしました。国はいくつか選択肢があったのですが、「ヨーロッパに行きたい」というエゴと「英語を母語としない国」という2つの観点でイタリアにしました!イタリア語に関しては渡航が決まってから日常会話や汎用表現などは勉強したくらいです。
今回は①イタリア/ローマについて ②ボランティア内容 の2つのセクションに分けてお話しします!
(Fountain di Trevi / 人が多過ぎて、コインを投げる余裕はないです。)
【① イタリア/ローマについて】
イタリアはとにかく日差しが異様に強い!! でも湿度は低めなので日陰は結構快適です。また夏は日照時間がとっても長くて、6:00~20:00で日が昇っています🌞 私は朝型人間なので1番暑い時間帯に行動していましたが、一般的には日が傾き始める16:00くらいから活動を開始するらしいです。なので水の持ち歩きは必須!! もし飲み干してしまったとしても街中には水を汲める場所がたくさんあるので、それを使っていました。ちなみにトレビの泉でも汲めます。
主な交通手段はバス・電車・タクシーでした。でもバスが時間通りに来ないのは日常茶飯事。1つが遅れると乗り換えもスムーズに出来ないのでgoogle mapで立てた全てのプランが崩れます。通常は45分で行けるところが90分かかることはザラにありました笑 しかもたまに予定より早く来るため、時間通りに行ったら次の便まで待たされることも… だから時間通りに行きたい場合はタクシーを使うことをオススメします🚕 ちなみに自分は空港からタクシーでキャンプに向かったのですが、150km/hでハイウェイを飛ばされる上、通常の5倍の金額をぼったくられました。許さん。でもアプリを使って呼べば基本どこでも来てくれる上、先に料金がどれくらいかかるのかを知ることができるので安心でした。
ちなみに裏話ですがイタリアではバスや鉄道の支払い方法がとっても雑で、ほとんどの人は無賃乗車をしています。私も買おうとはしたもののバスでは買えず、見渡しても何もなかったため結局買えませんでした。でもバレませんでした。現にバスでも刻印機にチケットをかざす人は5人くらいしかいませんでした。稀に係員が確認しに来て、もしバレたら56ユーロの罰金らしいです。5日以内に払わないと106ユーロに跳ね上がるので気をつけてください。
治安は本当に場所によりけりですが、観光地にはミサンガや帽子を押し売りする人がいました。一度話しかけられましたが、イヤホンをしていたのでそのまま逃げ切りました。スリも多いと言われているのですが、荷物を前にして持っておいたり南京錠をつけておいたりすることで防げました。夜はその数が増えるみたいなので、不安な人はあまり夜に動かないようにすると良いと思います。また夜は出来るだけ複数人で行動した方が安心です。
泊まるところはこんな感じで、なんと無料で10時間使えるプールもついており、毎日多くの人で賑わっていました🏊 プールでは常にEDMがガンガン流れていて、パリピだなと思いました。他にもボランティアであれば無料で使えるレストラン、食料を確保できるマーケット、ランドリーなどかなり充実してました。よくレストラン前でライブが開かれていて、常に賑やかでした。 ちなみに今もプール近くでフルーツ片手にこの記事を書き進めています。
(こういうロッジ?に2人で泊まりました!
ルームシェアだとより多くの時間英語を話せる一方で、1人の時間を確保しづらいという点があります。)
最初の週はフリーだったため、ローマ市街へ行ってきました!
訪れた場所は以下の通りです!
・Starbucks Montecitorio (東京と同じくらいたくさん並んでました)
・Pantheon/パンテオン
・Fontana di Trevi/トレビの泉 (後ろ向きにコイン投げると人に当たるくらい混んでいました)
・Piazza Navona/ナヴォーナ広場
・Monumento a Vittorio EmanueleⅡ/ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
・Piazza Venezia/ヴェネツィア広場
・Foro Romano/フォロ・ロマーノ (世界史好きなら絶対行くべき!!)
・Colosseo/コロッセオ
・Arco di Constantino/コンスタンティヌスの凱旋門 (コンスタンティヌス帝懐かしかった)
・Castel Sant’Angelo/サンタンジェロ城
・Piaza di Spagna/スペイン広場 (近くにある Limon'è というマーケットはおすすめ!)
至る所にジェラート屋があって、どこもありえんくらい美味しかったです。基本的にはカード決済が主流だったので、支払いはカードを使っていました。
(激アツすぎたコロッセオ)
(Limon'èの丸ごとレモンジェラートはめちゃくちゃ美味しかったです🍋)
【② ボランティア内容】
私はIVHQという仲介団体を通して、ImpacTripという団体のYouth Supportのプログラムに参加しました。
最初の月曜日にオリエンテーションがあり、活動概要の説明やイタリアの文化に関するレクチャー、他のボランティアとの交流などがありました。ボランティアは自分含めて10人くらいいて、国籍はアメリカ、イギリス、フランス、ジャマイカ、メキシコ、ベネズエラ、イタリア、中国、カナダの人がいました。職業も小学校の先生から放射線技師、高校生まで多岐に渡っていました。Youth supportの場合は「教育に携わっている人」や「子供が好きな人」が多かった印象があります。各国の教育事情や問題意識を共有できたので、とても有意義でした。
最初の週はFerragosto(イタリア版お盆)らしく、この日を含む週は国全体が夏休みとなるので、私はAnimal Careに2日間、Farmingに2日間参加しました。
Animal careのメンバーの国籍はアメリカ、イギリス、フランス、メキシコで、みんなでシェルターに行きました。そこには保護された猫が260匹もいて、彼らの餌替えや部屋の清掃などをさせていただきました🐈 と言っても割と早めに終わり、あとは猫と戯れたりボランティア同士で各国��較の話をしたりしてました。
(Animal Shelterの敷地内にある廃病院探索🏥 血液検査や歯型がまだ残っていました笑)
Farmingは近くにある農場?的なところで植物への水やりや雑草刈りなどをしました。これは2時間くらいで終わりました。めちゃくちゃホワイト企業です。
基本的に自分は朝のシフトに参加していたので8:30前後にキャンプを出て、13:00くらいに帰ってきてた感じです。ボランティア後は完全にフリーだったので廃病院を探索したり、ローマ市内を探索したりしてました。結構自由時間が多くて、気楽でした笑
Animal CareもFarmingもめちゃくちゃ蚊や蜂が多かったこと以外は楽しかったです!全ての指示や会話が英語 (たまにイタリア語)で出されるため、聞き取るのにめちゃくちゃ苦労しました…
[平日の主な活動時程]
6:30 起床
7:30 敷地内のレストランで朝ごはん
9:00 キャンプを出る
10:00 朝のシフト
14:00 ランチ
15:00 午後のシフト
19:30 レストランで夜ご飯
20:00- 自由時間 (部屋でのんびりしたり、洗濯したり…)
22:30 就寝 (イタリアでも健康生活を続けました。)
2週目にYouth Supportに参加しました。学校的なところに行くのかなと思いきや、Summer Campの一環で屋外教室?みたいなところに行きました。小学生くらいが大半で、一緒に遊んであげる感じでした。何かマニュアルがあるのかなと思いきや、ボランティアがなんでもやっていいそうで、一緒にボランティアに来ていたアメリカの音楽の先生は楽器を使って合奏を行なっていました。私は折り紙を持ってきていたので紙飛行機大会を開いてみました。また別の日にはボランティアと協力し、イタリア語-英語-スペイン語-日本語での表現や言語レッスンをしました。みんなにとって「日本」は非常に物珍しかったらしく、興味津々で聞いてくれました。彼らはイタリア語しか話せなかったので、簡単な英語やボディランゲージで意思疎通をとっていました。また思ったこととして、子供の遊びがクリエイティブで身の回りのものを使った遊びをたくさんしていて面白いなと思いました���1週間しかYouth Supportには参加できませんでしたが、かなり仲良くなれたと思います!
(アメリカの音楽の先生と子供たちによる合奏)
(みんな折り紙を気に入ってくれました!!)
(最終日には子供たちがハグしてくれました!!)
キリが良いのでこの辺で終わろうかと思います。
「非英語圏へのボランティア」を通して、その地域のコミュニティに入ることができたのはとても良かったなと思いました。また良い意味で忖度なしの英会話に触れることができたのも非常に有意義な経験でした。その上で自分からも日本のことについて発信する機会がとても多く、学び直しが必要だなと痛感しました。近々仲良くなったボランティアが日本に来るらしいので、もう一度日本のことを学び直そうと思います。
書ききれていないことも多々あるので、もし何かあればいつでも聞いてください!
最後まで読んでくださった方々に感謝申し上げます。
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昨日に引き続き脳みそプルプルタイム。
Duolingo的にはサークル5個分くらいの長きに渡って徐々に暗記させるカリキュラムなんだろうけれど、ちょっと暗記カードで暗記ブーストかけるぜ。
自主学習(?)をするとその後のレッスンが少々物足りなくなるのは体験済みではあるものの(レジェンダリー獲得できるまで進まなかったりすると次のサークルがイージーモードに感じられる)、覚えきれずに進んでいって山積みになるのも避けたいからなぁ。
オランダ語も暗記カードで山の切り崩しにかかっておりますよ。
イタリア語はどうにもフランス語⇔イタリア語で脳内翻訳かけちゃう癖があるから、ダイレクトイタリア語を目指す。
似ているからなぁ。
英語⇔イタリア語のほうがよかったかなぁ、いやでもなぁ。
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書籍【私のフランス語レッスン】 四六判カバーデザイン (2010発行)
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【4月レッスンのご案内】 春風にそよぐシャンペトルブーケのレッスンを開催します。 シャンペトルとは、フランス語で田園風、や田舎の、という意味です。野趣に富んだ伸びやかなブーケになります。 グリーンをたっぷり使用したシャンペトルブーケは、日本の多様な住まいへのしつらいにも馴染みます。 始まりの季節に、フレンチスタイルのお花のてならいはいかがですか。初めての皆様の参加もお待ちしております。 素敵なカフェにて、少人数制のレッスンになります。 日々お忙しい皆様に、ご自身と向き合うひとときとなりましたら幸いです。 日時:4月8日(土) 9時30〜12時(ランチの時間を含みます) ランチはテイクアウトも可能です 料金:8800円(レッスン・ランチ代含) 場所: space CORE 〒990-0831 山形県山形市西田2丁目2−2 敷地南側 お申し込み、お問い合わせは e-mail([email protected])にてお願い致します。 #軽井沢花苑 #フラワーアレンジメント #ブーケレッスン #フレンチスタイル #パリスタイル #シャンペトルブーケ #コンポジション #ブーケ #ブライダル #山形 #山形市 #spacecorengshida (Yamagata, Yamagata) https://www.instagram.com/p/Cp2Lv4yrz_F/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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在仏10年、子供のためにフランス語を勉強し直します。
現在フランスは、3歳から義務教育が始まります。
2年前、上の子が3歳の時に学校で事件が起こりました。
『学校で事件』に張っているリンクは、フランス語ニュースで2020年11月の現状説明です。
私のようにフランス語が読めない方は、Google翻訳で日本語にすると内容がわかります。
実際、被害者家族にとっては2年前より深刻な状況です。
2年前の事件の概要は、放課後子供を世話する男性の一人が3歳男児に性的暴行をし、当初3人の被害者の親が警察と市役所に訴え男性は逮捕されるというものです。
その後、学校からの説明会、子供の両親の集まりや学校からの連日フランス語のメール、子供の送り迎え時ほぼ毎日親同士での情報交換がありました。
当時の私のフランス語力では、その全てについていけませんでした。
フランス語でアトリエの仕事はできていたし、定期的に仕事もあったので、この事件がなければフランス語の勉強のし直しは、無かったか、もう少し先延ばしになっていました。
週2回夜のパリ市民講座に通い始めて、1年になります。
フランス語力は1年前の自分より確実に上がりました (A2→B1)。
それでも毎回必死に授業についていっている状況なので、周りの人たちよりできない自分に打ちのめされて、夜はとぼとぼ帰ってきてます。
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2019年9月24日<火曜日> こんばんは! 今日は#ヨルグラ しました∩^ω^∩ ⭐️行政書士 [民法] ⭐️通関士 [関税法] を勉強しました! 読書として#民法 の書籍を読みました📚 かなり勉強になる! 今日気になった書籍が#関税法六法 です! かなり欲しいが約1万円😂 高いのでお金貯めて買います💴 来月には買うぞー! 後#フランス語レッスン 辞めます。 今の精神状態では通えない為退会します。 自宅で独学で勉強したいと思います。 替わりに自宅の近くにある#カーブス に入会して運動したいと思います! 前から3年間通い続けてましたが体力的な回復が出来た為#ゴールドジム に変えてしまい色々あって#トレーニングジム は諦めてしまいました、理由は立地場所でした。 #カーブス は徒歩5分掛からない場所に有るし、チェンジの合図で必ず次のマシーンを使えて効率が高い為1人で通いやすいです。 10月から#カーブス再開 と#駅前留学nova 退会と#関税法六法 購入が来月のタスク。 メンタルクリニックもちゃんと通って頑張ります。 https://www.instagram.com/p/B2zAiHig6pJ/?igshid=1ww92t16v6s80
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イライラ解消呪文
私は週に一度、太極拳を習いに行っています。 「あ、台湾とかでおじいちゃんとかがやってるやつ??」 なんて、侮ってませんか? そんな方は是非一度、本気で体験してみて下さい。 動きの一つ一つに型があるので、手の動き、足の動き、呼吸、重心の掛け方など、 体の隅から隅まで意識をしなければできません。 これ、ものすごく集中力が入ります。 まぁでもほんま、楽しいです。 太極拳のレッスンと言っても、半分以上はストレッチに時間を費やしますので、体の調子もよくなるんですよ~。 無理ない運動って感じで、お勧めです。 で、私が習っている太極拳の先生は、気功やら東洋医学などにも精通している方で、時々、面白い話を聞かせてくれるんですね。 で、今日は現在“私の中で流行”の脳にちょっと関係する話をしてくれました。 イライラが溜まった時、皆さんはどうしますか? 太極拳の先生が相談役みたいなことをしている、とある社長さんがいて、その方はイライラすると物を蹴っ飛ばしたり人にあたったりしてしまっていたそうです。 口から出てくる言葉も、まぁそりゃあひどいひどい。 でもそんなことをしたり、至らない事を言っても何の解決にもならないどころか、他人にも迷惑極まりないわけです。 で、先生はあるアドバイスをしました。 「何かエネルギーを発散させたいときは、罵倒の言葉を発するのではなく、 訳の分からない言葉を話しなさい。」 前に私もここで書いたような気がしますが、 やっぱりね、自分で悪い言葉を発してしまうと、その言葉を自分が聴いてしまう。 で、それが脳に悪い影響をあたえてしまうんだそうです。 だから どうしても何かを発散させたい時は、何か口に出しても意味のない言葉であれば、それを聴いても大丈夫!というわけです。 先生曰く、その社長さんはこの事を実践し、2週間くらいでとても穏やかになったそうです。 いらいらした人がそれを行うと普通の人になり、普通の人がそれをやると無我の境地に至れるとか。 ・・・凡人の私にはそう簡単に無我の境地には達せないと思いますが、でも、先生がおっしゃったことはすごく納得いったんですね。 というわけで、車を運転している時にやってみました。 「アベラブヴェ・●☆※▽◆□α×♪◎▲~」 皆さま、この面白さ分かります? 私は普段、独り言も言わないタイプで、独りごちっている人を見るだけでもなんかおもろくなってしまうのですが、そんな自分が訳の分からん事を一人でブツブツ口走ってるわけですよ。 その姿を自分で客観的に見た時に、おかしくて一人で大笑いしてしまいました。 そしたら、 その後何回やっても面白すぎる! 犬の散歩中に周囲を見回して、誰もいない事を確認してやってみました。 超おもしれ~、私 レッスンの時にこの話を生徒たちにして、生徒の前でやってみました。 やっぱり超おもしれ~ 皆大爆笑 そして、これまた、響きが色々あるんです。 太極拳の先生は、なんだかフランス語っぽい響き。 私の場合は、、、中国語っぽい響き+時々韓国語。 とある生徒がやってみました。 むぅ、、、なんだ、これは??? はっ!ロシア語系? いや~、これね、是非皆様、 だまされたと思ってやってみて下さい。 無我の境地に至るかどうかは別として、あんだけ笑えばそりゃ元気になるって! 笑いは免疫力だって高めますからね~。脳にもすごくいい効能を与えるわけですよ。 イライラを解消した上に元気になれる。 これはやはり魔法の呪文ですな。 というわけで、今、もう一度私やってみます。 「ソナヴェゥロンハ●☆※▽◆□α×♪◎▲~」 やっぱり超おもしれ~www
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