#フィルム感
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dededos · 2 years ago
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I got up early and went to the beach, but the waves were small so I enjoyed taking multiple exposures.
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pugineko · 1 year ago
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ふわり
Model:るる被写体さん https://twitter.com/ruruco_a
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sou0902 · 4 months ago
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赤西渓谷(あとがき)
2024年12月15日(日) 11:30頃に家を出る。渓谷を訪れようと思ったのは、近所の山々に紅葉が残っており晩秋の渓谷を撮りたいと考えていたからだ。(ちなみにネット上では落葉とあり調査済ではあるが、行ってみることで何か意外なものごとを発見できるかも知れないというのが僕の考えだ。)が、その考えは僕を不安にさせる。車を走らせ北へ向かうにつれ曇り空は続き、山々の山頂では、いかにも寒々しそうな雪が降り積もっていた。現地に着いたのは13:00過ぎ。雲行きも怪しく15:30には折り返す事を決めて、早速、歩いていく。気持ちがはやり三脚忘れに気付き車まで戻る。・・・深呼吸・・・
入り口付近から苔むした岩に張り付いている木を見つける。木の袂の葉っぱが蝶が羽ばたいている様子をイメージしあれこれ考えながら撮影。人とすれ違う事もほぼなく、よいリズムでは歩けている。被写体によるレンズ交換やフィルターワークを意識しながら、なるべく丁寧な作業を心掛け進んでいく。数年前に訪れた際は気にならなかったが渓流付近では禁止されているはずの焚き火の形跡や、捨て去れらた雨具やビニール袋のゴミなどが気分を少し下げるが、足元にある苔から別の植物が寝癖のように見え可愛らしさを感じ、秋冬の季節であっても息吹を感じられたことに気持ちを切り替えられた。やはり少し訪れる時期のが遅かったのか、水たまりの落ち葉を見つけても、見上げても葉は仕舞いを迎えている。道端には落ち葉の上に積雪の跡、生き物は「遠眠」するのだなと心の中で意味不明にフッと笑う。人にも輪廻転生があることが理解���きれば今ある恐怖感から解放されるのにな。そもそも渓谷を訪れたのは渓流が撮りたかったのだということを思い出し、過去に撮影したスポットで撮影を始める。カメラの設定値も初めてと訪れた時をとは違う。同じなのはレンズ、同じフィルターを使いながらあの手、この手を使い、少しだけ撮影に余裕や幅が増えていることに嬉しさを感じる。渓流の流れは誰かに呼ばれたような錯覚に陥ることがあり後ろを振り返っても脇見をしても誰もいない。ということがよくある。少し、怖さを覚え落ち着くために水分と携行食をとる。僕の中には「勇気」なんてカッコいい言葉は存在しないし、どちらかと言えば臆病な性���で死にたくないと言う気持ちは人一倍強いと思う。風景写真を撮ることは、生きていることへの刺激を実感するための課外活動時間だと思っている。相反する考えにを自問自答しながら撮影しているうちに、あっと言う間に15:30を迎え、渓谷を下っていく。光がどんどんなくなっていくこと、見えぬ生き物たちの気配・・・行きはよいよい帰りは怖い。車乗車直前に急に雨が降り出し、自分の判断によしよしラッキーと思わずにはいられない。少しの恐怖感を克服することは、家に帰ってからの安堵感や、今あることへのありがたみに変わる。
撮影枚数64枚とフィルム時代の36枚と比べると短い時間の割に随分撮ってしまった方だ。今後もその枚数を意識しながらより丁寧に撮影していきたい。いろんなところへ旅にでよう。
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elle-p · 11 months ago
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
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春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
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hide-koba · 6 months ago
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月が綺麗だと感じたんだな
#PENTAX #PENTAXIAN #pentax17 #pentax_17 #film #film_jp #filmphoto #filmcamera #kodak #gold200 #filmに魅せられて #フィルムで写す淡い夢 #フィルムで残す日常
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my-b-side-life-aii · 10 months ago
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横浜市営地下鉄 湘南台 下飯田 今田遊水地 草の広場 横浜市泉区
富士フィルム X-Pro2 XF35mmF2R WR
梅雨入り前の湿気た空気感が漂う現場。( 6/14 )
※近隣のファミレスでランチ:デニーズの黒酢あんかけチキンとお野菜プレート※
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moment-japan · 3 months ago
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1961年 映画「釈迦」
監督:三隅研次
脚本:八尋不二
舞台美術:伊藤熹朔
音楽:伊福部昭(演奏:東京交響楽団)
製作:大映(大映京都撮影所)
出演:本郷功次郎、チェリト・ソリス、勝新太郎、市川雷蔵、山本富士子、川口浩、中村玉緒、京マチ子、山田五十鈴、杉村春子、東野英治郎、中村���治郎、市川壽海、市田ひろみ、榊原舞踏団、大阪松竹歌劇団ほか
日本初の総天然色シネマスコープ70mmフィルムによって製作された釈迦の生涯を描いた作品。
「天上天下唯我独尊」
紀元前5世紀、インドのカビラ城でジッダ太子(釈迦)が生まれる。
ジッダが生まれた時、近くにいた修行僧のアシュダ仙人が、後にこの子が世界を救う人物になると予言する。
大人になったジッダ太子(釈迦)は結婚して幸せな毎日を送る中、お忍びで街を見て歩くと、そこには身分差別で虐げられる多くの平民の姿が・・。
それを見たジッダ太子は、貴族の王子である自身の恵まれた環境に疑問と無常感を覚え、悩んだ末に王の座を捨てて出家し、修行の旅に出る。
やがてジッダは菩提樹の下で6年間の瞑想の行に入ります。
厳しい修行と瞑想の最中、森からは様々な魔羅(釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔)が現れ、悟りの邪魔をしようと太子を誘惑して攻めてきますが、そこに帝釈天の化身である村の女サヤが現れてジッダを助け、遂にジッダは悟りを開き釈迦(ブッダ)となります。
(このシーンが現代舞踏芸術のようで見応えがある)
村では赤ん坊をさらって殺すことを繰り返すカリティという女の夜叉が、釈迦の仏術によって自らの子供も同じ目に合わせられ悲しみに暮れる中、釈迦が現れ、殺生の愚かさを諭され改心して釈迦の重臣的な弟子となります。
干ばつの時には雨を降らせ、時には盲目の王子の眼に光を甦らさせ、釈迦の許には国中から教えを乞うて人々が集まるようになり、それに嫉妬した従兄のダイバ・ダッタはバラモン教・シュラダ行者の下で修業し神通力を得てブッダと壮絶な戦いをします。
ダイバ・ダッタが無実の罪で仏教徒を��刑の生贄にしようとするのを見た仏陀の怒りは奇跡を呼び、ダイバ・ダッタの造った神殿と共にダイバは地割れに呑みこまれていく・・。
もはや、釈迦が叶う相手ではないと悟ったダイバ・ダッタは涙を流しながら仏法の真理に降伏し釈迦の弟子となりました。
老いて、命もあとわずかとなった釈迦は、村の二本に並んだ沙羅双樹の間に横になり、
「比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」
との最後の言葉を弟子と信者に残し静かに入滅しました。
比丘とは:出家して具足戒(僧侶の守る戒律)を受けた修行者を指す言葉
釈迦役の本郷功次郎は悟りを開いた後、ほとんど姿を現さない独特な表現で描かれ、神々しさが倍増してました。
(確かに、こういうのってなかなかのセンスだよね)
のちに「五比丘」と呼ばれる一番弟子や十大弟子などの釈迦の高弟たちも登場します。
歌舞伎や新劇、大映スターなど、当時の人気俳優総出演の和製「スパルタカス」のような壮大な映画で、セットにも尋常じゃないくらいお金がかかっているのがわかります。
アニメーションもしばしば登場していますが、これはピープロダクションのうしおそうじ氏の作品だそうです。
精巧な作画を実景に合成する「作画合成」は、合成作画技師・渡辺善夫が担当。
「生合成」という特殊手法合成の第一人者です。
シネマスコープ70mmフィルムの現像は当時日本で出来なかったため、英国のロンドン・テクニカラー社のラボラトリーで現像。
(当時、相当金かかったろうな)
劇中音楽は京都のスタジオで録音され、こちらも英国の「RCA」スタジオでミキシング・トラックダウンされました。
(「RCA」って超一流スタジオじゃないですか!)
釈迦の生涯を描く大作映画の制作は国際的な話題となり米国の雑誌「タイム」誌の1961年8月11日号では、細かなシノプシスが紹介されたそうです。
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kaoriof · 5 months ago
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いままで重ねきてきた罪がドミノみたいにすれすれに並んでいるのをずっと遠くから眺めているような気持ちだった。心の奥底でぴんと糸を張る緊張感がいつもわたしを誤らせる。(愚かだ あなたは暑いときに読み間違う)という長谷川白紙の歌詞をおもいだしながら暗くなる空を見つめていると、なんかもうカサブタを無理やり剥がされていくみたいな感じがして傷だった。(ごめんなさい神さま)(ごめんなさい)わたしは夏が大好きだけど大嫌いで、永遠に続くかのように全てが眩しくて美しい若さにいつまでも浸っていたいけれど、一方では早く年老いて静かに暮らしたいと思っている。相反する思いをつねに抱えながらその境目で絡まる糸を解こうと精一杯もがいている。あなたがことが好きで、憎くて、でもほんとうは心底愛していた。今この瞬間も街のどこかで一枚のフィルムが現像され、誰かの想い出に色が与えられている。豊洲、ビル群に沈んでいく冷たい夕陽、騒音とウミネコの細い足、まつ毛の上を滑り落ちる光に涙を堪える。ああ、世界はあまりに美しすぎる。ほんとうに。今日もわたしは身を削り働いている誰かに、得体の知れない神経信号に、大いなる存在に生かされている。自分の思うとおりに瞳や手足が動くという事実がたまに恐ろしくてたまらない。夜な夜な寝付けずそんなくだらないおぼつかない事象について考えを巡らせていた。薄っすら思う、ほんとうの幸せってもしかしたら心地よく哀しいものなのかもしれない。目の前で光ってゆらゆら笑う運命に諦めたように微笑み返す。これはけして悲しい日記ではない。溢れてくる感情は山ほどあるのにそれに名前をつけたら終止符が勝手に打たれてしまうような気がして、気が付いたら大量の屍を背負っていた。屍はなんかちがう、色を落とした季節とか、風化した手紙、音を失った楽器とか、そういう表現のほうが正しい気がする。悲しいサンタクロース、みんなに優しさを振りまくけどほんとうはそれと同じようにだれかにただ慰めてほしかっただけだった。わたしはきっとまた思い返す。何度でも思い出す。あなたのくれた思い出ではなく、あなたが好きだったことを思い出す。人々が言葉を手放していくのには理由があって、それは「妥協」でもなくて「幸せになったから」でもなくて、ただ目の前にそのすべてを体現している美しい命のかがやきがあるからなのではないかと思ってしまうほど、あなたをまっすぐ好きだった。どんな小説の文言も重厚なメロディもがらんどうに感じてしまうほど、無鉄砲であぶなっかしい、まっさらなその素直さにいつも心を揺さぶられていた。あなたは不器用でいつも失敗して後悔ばかりしていたけれど、その全てが愛おしくて、わたしはあなたの最後の過ちでありたかった。思うままに泣いたり怒ったり笑ったりするあなたが、最後、涙を堪えていたのをいまでもはっきり覚えている。家族を愛するあなたの一番の理解者として選ばれたかったし、ずっとあなたがとらえる季節のいろどりや機微に憧れていた。ガラスのように脆いのか強いのか、繊細で傷付きやすいのか誰かを傷つけてしまうほど危ういのか分からないあなたの感性はいつだって万華鏡のように姿形を変えど、この世の全ての美しいものを映していた。あなたの変わっていく音楽の趣味、言葉選びと服装に自分の痕跡が垣間見えるたびにわたしは浮かれて、もっとあなたのことを好きになっていった。間違ったっていい、後悔したっていい、運命を踏み間違えた結果としてあなたが誰かに拒絶される理由になるなら、そんな世界は壊れてしまえばいい。精一杯、がむしゃらに生きていい。だれにも許されなくても愛されなくてもあなたはあなたであっていい。ただ諦めければそれでいい。これは誰かに宛てたものではない。これまでの歴史、そしてこれからの日々について考える。谷川俊太郎の詩を思い出した。あの空のあの青に手をひたしたい。まだ会ったことのないすべての人と会ってみたい話してみたい。明日と明後日が一度に来るといい。ぼくはもどかしい。地平線のかなたへと歩き続けたい。そのくせじっとしていたい。この草の上でじっとしていたい。声にならない叫びとなってこみ上げる。
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lgnw · 11 days ago
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面白い 人生
と書いてみる、とりあえずタイトルだけ。どうしてこんなタイトルを書いたか?と自分に問うてみるとどうやらここ最近「面白くない」と感じているから、のようだ。ここからはつまらない文章になるかもしれない。自分の内省のための文章のような。
今の自分は41歳で、年齢を理由にしたくはないが、避けられないとも感じているので理由にする。年齢による疲労感と家事・子育て、加えて仕事とどれだけ時間を捏ねくり回しても自分の時間として捻出できる時間が限られている。そこに移動時間もヒットしていて、仕事場から遠く離れた田舎に引っ越してきたこともあり移動するだけで多くの時間を使っている。年齢を理由にしたのは、こういう場合において、若い時分の頃は夜遅くまで起きても十分元気でいられたし覇気があったというものだが、今は8時間は寝ないと体力は完全回復しないので毎日を気分良く生きていくためにこの時間をキープしている。よく言う「子供と寝落ち」というようなもので、子供と一緒に寝る、ということにしている。完全に自分だけでの時間は今この文章を書いている朝の時間、6時から7時まで。この時間は妻も寝ているし、自分のためだけでのスイートな時間である。寝る時からこの時間が待ち遠しく、起きたらまず何をしようかと考えながら眠りにつく。だいたいは、文章を書く、フィルムをスキャンする、写真を編集する、ノートブックに貼り付けてダミーブックを更新する、映画の続きを読む(少しずつしか見れない)、本を読む、お気に入りの椅子に座って何も考えずにぼうっと外を見る、の中からどれか一つだけを選択する。この時間はあっという間に過ぎていくが、メンタル維持をする上でとても貴重な時間である。こんな毎日を繰り返していると徐々に心が沈んでいく。
なにか大事なことを忘れていないか?と考え直し、一人旅を再開することにした。1泊2日の弾丸ではあるが、大事なことを思い出せそうな気がする。今年の行き先は「根室」に行こうと思う。なるべく不自然から離れ、自然の中に身を置きたい。特別なことはせず、自然の中をただ歩こうと思う。道に迷わないようにだけ気をつけて、永遠に続きそうで歩くたびに移り変わる風景に身を委ねたい。時に自由を感じ、孤��を感じ、寂しさも感じたい。当たり前の毎日も再確認することが必要なこともある。
最初書き始めた時はつまらないものを書いているなと思っていたが、書き始めてから前向きになってきて、しばらく寝かし、今読み返して再度書き始め、この文章がそのことの自分をいい方向に導いてくれているような気がする。どこかの誰かが言っていたが「書くという行為は自分の中に入っていき、定期点検のようにアンテナを張り巡らし状態を覗くのにも似てる」と、まさにそんな感じだ。何を書いてるか分からなくなってきたが、停滞状態から少し前進した、そんな4月の末である
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mcafe-photo · 2 months ago
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今さらだけど
iOS18にあげたら
カメラロールが使いにくくなって
ちょっと困ってます
前にムスメがそんなこと言ってたなぁと
思い出したんだけども
カメラロールが使いにくいって何なん?
って感じやったけど
ほんまに使いにくい←関西弁にもなりますわ笑
あたしの場合は同期させているフィルム写真が
ライブラリに混ざって表示されるので
iPhoneで撮った写真と区別しにくくて💦
ますますSNS離れしちゃうわぁ(言い訳?笑)
ほんと元に戻してほしい(切実)
-----------------------------------------✈︎
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kou-f · 1 month ago
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やーーーーーっとフィルム1本撮り終えたので、
早速現像に出した。
いつから撮り始めたか覚えてない。
今ってスマホにカメラ付いてるし、
そうじゃなくてもカメラにwifi機能が付いてて
「〇〇なう」みたいに撮ってすぐSNSに上げるのが
当たり前になってさ。
写真に鮮度が求められる?っていうのかな。
そんな感じだよね。
もちろんそれは悪いことじゃないし便利なんだろうけど。
でもみんなそればっかで。
競うように写真をSNSに上げたりしてね。
そうなってくるとちょっと疲れるよね。
いったんSNSと写真は分けたほうがいい気がするね。
なかなか難しいんだけどねw
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dededos · 1 year ago
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light leaking surfers
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pugineko · 1 year ago
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Model:るる被写体さん https://twitter.com/ruruco_a
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blr-blue · 1 month ago
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 最近、ノートパソコンのBluetoothマウスを紛失しており、ずっとマウスパットでカーソルを操作している。きっと部屋の中のどこかにあるのだが、見つけることができない。だけど部屋の掃除をする体力はないので、あきらめて不便なPC生活を送っている。
 そして今日はとうとう、PCに繋げる用の有線のイヤホンも紛失したことに気付いた。まあ、それもこの部屋の中のどこかにはあるのだろうが、片付ける気にも探す気にもなれない。有線のイヤホンがなくても、AirPodsを繋げれば別にそれで済むのだが、Win機なので接続がいちいちダルくて、もうそのままwebミーティングもPC内蔵のスピーカーとマイクでやってしまっている。迷惑なやつだ。
 先日、地元の友人と誕生日プレゼントを交換した。わたしがお願いしたのはチェキだった。貰ったものを開けてみたら、別売りのフィルムがないと写真を撮れないやつだった。その友人は、フィルムを買って一緒に付けておくという気遣いができるタイプでもない。だから今わたしの手元には、写真の撮れないチェキ本体だけがある状態だ。あの子はそういうところの詰めが甘いが、まあ、言ってしまえばそういうところも愛している。後でフィルムを買わなきゃな���と思ってはいるけれど、たぶんさき数か月は買わない気がする。面倒だから。
 ちょっと嫌なことが起きたけど、そういうときにすぐに連絡が取れる人が数人いて助かった。これは個人的な見解だが、Tumblrなどの媒体に、多数に向けて負の感情を書き記すことはきわめて容易だけど、個人を相手に悲しみを共有することにはかなり大きな心的リソースを要する。そういうことを話せる人間のことをわたしはとても信頼している。
 小説ならともかく、Tumblrやらnoteやらで日記を投稿するときですらいいね数を気にするようになったら終わりな気がしているんだけど、最近自分にその傾向があるから気を付けようと思う。日記やら思考の表出において良し悪しがあるわけがない。あるのは思考の種類と、言葉回しの差分だけだ。だれの思考も高尚じゃないし、下劣でもない。ただ誰かの思考がそこに転がっているだけだ。
 この間の土日は平日の睡眠不足を補うかのように長く薄く眠っていた。眠り方がよくわからない。研究がそれほど忙しいわけでもないのに、なぜか最近、数時間しか眠っていないのに目が醒めてしまう。土曜日、いつもの起床のあとに、昼寝のような形で、さらに数時間眠った。きもちがよい。やっとふつうの思考ができる気がした。
 最近は朝から予定があることが少ないので、あまり市販の睡眠改善薬を飲んでいない。そろそろ睡眠外来に行きたいと、裏で書いている日記(来年製本するやつ)に書いているが、一向に行ける気配がない。
 ここ数年は気圧の変化にいい意味で鈍感でいられたのだけど、最近気圧の変化による偏頭痛がまた悪化している気がする。
 頭が痛いことはとても恐ろしいことのように思う。以前どこかの記事でちらりと話したが、わたしの父の家系は脳疾患の家系である。祖父はわたしが生まれる前に、くも膜下出血で亡くなっている。父も数年前にくも膜下出血で倒れた(なんと運が良いことに生きている)。弟と妹は両方とも発達障害+てんかん持ちである。母とわたし以外、脳になんらかのディスアドバンテージがある。
 数年前に父が倒れたとき、父はしきりに頭が痛いと言っていたらしい。それを聞いた母が、夜中に救急車を呼んだ。父は歩いて救急車に乗り込めるくらいに意識はしっかりしていたらしいが、搬送先でくも膜下出血であることがわかり、そのまま緊急入院をした。
 一親等以内にくも膜下出血の既往歴がある場合、発症率は3~7倍に跳ね上がるらしい。祖父の遺伝子が父に継がれ、父の遺伝子がわたしに継がれている。いつ、わたしの番が来るだろう。わたしの脳は脆弱なのだ。
 頭痛がするとこわい。もしかしたら、��思ってしまう。頭が痛くて鎮痛剤を飲もうとするとき、たまに、この痛みは薬で誤魔化しても良いのだろうかと不安になる。もちろん、飲んだ方が楽になるに決まっているだろうけど、痛みを痛みのまま感じていた方が、本当にヤバい痛みがやってきたときにすぐ気づけるんじゃないかとか、そういう意味のわからない被害妄想をしてしまう。
 春のにおいがする。あたたかい。風がやわらかい。今年の冬はあまり外に出なかったからか、そこまで寒さを厳しく感じなかった。
 先日SUQQUの口紅を使い切ったので、去年の秋に空港の免税店で買ってストックしておいたシャネルの口紅をおろした。春には似合わないパープル系で笑ってしまった。それを買ったときはきっと、冬を生きるためにその色を選んだのだろう。けれど思ったよりもSUQQUの口紅を使い切るのに時間がかかってしまって、季節外れの今、シャネルのパープルが居心地悪そうに浮いている。ごめんね。
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m12gatsu · 2 months ago
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フーエバーユーアー
5ヶ月ぶりに映画館で映画を観た。小田香。タルベーラの愛弟子という惹句に、なんていうかこう、タルベーラはきっと望まないであろうHegemonieを感じつつ、でもずっと気になっていた作家。新作の『Underground』は時間が合わなくて、特集の内の短編集を観た。良かった。フィクションとドキュメンタリーが、フィルム1枚で隔たってる感じ。
一番古い記憶は何ですか。俺は、ベビーカーで目を開けて、太陽が眩しくて、またすぐに目を瞑る記憶。あ、目を開けたよー。あ、閉じたよー。と、母親の声がきこえる。さいきん息子をベビーカーに乗せて散歩している時、幌の隙間から差し込む日差しに顔をしかめる彼を見て、俺の記憶が偽りじゃないって確信した。
大江健三郎の随想で、大江が武満徹と結んだ友情のことを読んで、むかし一度だけ友達の演奏で武満の楽曲を聴いたことがあるのをふと思い出した。TSUTAYAバイトの時の同僚で、藝大でフルートを専攻する同い年の男の子だった。屈託のない人懐っこい性格で、なんとなく上品だった。器量も良かった。違う世界に住んでる感じがした。何でこんな場末のレンタルビデオ屋でバイトしてるのか不思議だった。バイト歴は俺の方が少し長くて、仕事を教えたりするうち仲良くなって、何度か2人で飲みに行った。その流れで、自身のソロワンマンのリサイタルに誘ってくれたんだった。箱はどこだったか、もう忘れたけど、半地下の小洒落たイベントスペースで、入り口にいくつか祝い花が並んでいた気がする。ドレスコードこそなかったけれど、聴衆も夜会服っぽい出で立ちで、尖り切った二十歳前後のパンクスだった俺はちょっと居心地が悪かった。1、2時間の演奏時間の記憶もほとんどないけど、セットリストの最後が武満徹の『声』だった。演奏前に曲の紹介があった。フルートを身体の一部と見なし、和音の合間に肉声を発する。練習中は笑っちゃって大変だった、と彼は屈託のない笑顔ではにかんでいた。前衛芸術にかぶれた二十歳前後のスノッブだった俺は、武満の名前だけは知っていた。例によって楽曲の構成も展開も覚えていないけど、最後、フルートから口を離して、虚空を見つめながら、Whoever you are と彼が叫んだことは憶えている。
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hide-koba · 1 year ago
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この広角はいい感じかな?
#minolta #minoltatc1 #TC1 #TC_1 #film #film_jp #filmphoto #filmcamera #kodak #gold200 #filmに魅せられて #フィルムで写す淡い夢 #フィルムで残す日常⠀
 
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