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根室、そして、阿寒から帯広へ
今は7時、羽田空港第一ターミナル。朝4時過ぎに起きて身支度をして、息子の保育園の荷物を畳んで袋に詰めて家を出た。いつも流れ見ている風景を眺めながら駅に向かう。身体にまとわりつく湿度がどうにも心地悪い。荷物は少なくしたと思うがデイパックに詰めるには多過ぎたのか、いびつな形。駅には出勤時間の早いスーツ姿の人がちらほら、ジョギング中の人が2人、犬の散歩中の人が1人。いびつなデイパックを持った人が1人。静かな駅、音が少ない。静けさに「どうもすいません」と言うかのように遠慮がちな電車が入ってくる。電車には朝帰りの人がぐでんと身体を拗らせて眠っている。空港行きのバス停には先ほどの静けさが嘘のように人が並んでいる。どこからこんなに人が来たんだ?と疑問に思う。空港への車窓はきれいだった。霧というかスモークというか、太陽がもやがかって窓に入ってくる。街が、川が、海が、光で反射してる。少し青い、いや、碧い。仕事を除いて、1人旅はいつ振りだろう。これまでとは少し違う感覚がある。前はこのままどこかに行ってしまおうという気持ちがあった。今はちょっとお出かけするくらいの感覚である。家が、家族が、待っていることが疎ましくなくなった。そこが家だから、といつの間にか思うようになったんだろうか。空港でホットドック、アイスティ。コーヒーをやめてもう3ヶ月くらい経つ。皆んななんだか浮かれ顔だ。楽しそうだ。いい顔してる。いい旅を、なんて言うと怪訝な顔をされるだろうか。でもそんな気分でいる
20時45分、根室にあるコテージ。目の前には風蓮湖。完璧で完全な静けさ。それは無音ではなく、微かな音とともにある。釧路空港に着いて一路、根室に向かう。とにかく寒い。東京が暑すぎる。道のりは約2時間。車を走らせているとその道中に馬が居たり、白くきれいな花が咲いていたり、気になる道具屋があったり、ちょくちょく止まる。それなりのスピードで走らせているので毎回一旦は通り過ぎる。通り過ぎてから、戻るべきかどうかを考える。そんな時は大体「戻る」。戻って、写真を撮ったり、店をノックしたり、寒かったのでたまたま1着だけ売っていたウインドブレイカーを買う。寒いですよね?と少し苦笑いされる。はい、と答え、これで上下ともにベージュになった。ベージュ。悪くない。車中では最初Podcastを流していた。挨拶することの美徳、テキスト文化、漢字で書くべきか平仮名に開いて書くべきか、そんなことを話している。自分もテキストの漢字かそうでないか、句読点の位置など、細かく気になるポイントがあるので頷きながら聞いていた。途中からは音楽に、宇多田ヒカルのFirst Loveを初めから聞いた。Automaticを初めて聴いたのは中学生だったかな、ラジオでヒットチャート1位を独走するから、いつ聴いても鳴っていた。当時CDを買うなんて発想はなく、カセットテープに録音し、何度も何度も聴いた。そんな曲を20年以経った今も聴いているのだからすごいものだと思う。First Loveもそうだ。B&Cもそうだ。かれこれ100回、いや1000回は聴いているかもしれない。大声で歌っていると風蓮湖が見え始め、春国岱も見えてくる。今回の旅の一つの目的地だ。行きたい気持ちを抑えて、まずお昼を食べに市内に行く。エスカロップを食べる。にんにくが塊で入ったままのガーリックライスの上に薄い肉を揚げたもの、そこにタレがかかっている。味はしっかりめでおいしい。思ったよりも重くなくペロっと食べられた。春国岱に戻る。フットパスの一部が歩行工事中とのことで海沿いの砂浜を歩き、枯れた枝があるエリアに辿り着く。もっとディストピア感があるかと思っていたが、そうでもない。むしろ、一度枯れた木々がここから再生しようとしているかのようなパワーすら感じた。実際にはそんなことは起きないのかもしれないが、力が感じられた。道しなに鹿が見える。遠く、顔までは見えなかったが、鹿は鹿だった。こちらに顔も向けず、ツンっととしている。先に進むと、以前は砂丘だったが気候変動で森になったという場所に辿り着いた。砂丘だったとは思えないほどに鬱蒼とした森になっている。どういうことなんだろう、自然の力は底知れない。来た道を戻る。来た時とはまた違う感覚が残る。重力のような。納沙布岬に向かうことにする。少し喉が渇いたので「わたしの翼」という名前を持つ喫茶店で休憩してから向かうことにする。星座占いをしてみると、始めたことはキチンと最後まで、と書いてある。何のことか分からないけど旅を最後まで続けようと思う。岬まで走らせていると牛が放牧されているところがあった。車を降りてカメラを向けると一斉にこちらを向く。睨むというのではなく、むむむ、と言ったような。写真を何枚か撮らせてもらう。岬はとても寒かった。帰りは逆回りを歩く。帯広に行った時にも見つけたトーチカがあったので歩く。草花をかき分けて歩くと丘に抜けた。緑しかない丘に向かって紫、黄、赤の花たちが咲いている。見惚れるほどにきれいだった。夜ごはんを食べ、今に至る。今朝早かったから風呂に入ったらすぐ寝てしまおう
電気を消して目を瞑ってもなかなか眠れない。この日は4時起きのはずなのに、身体は疲れているはずなのに目を瞑っても頭が冴えてしまっている、いや、違う、枕が合わないのだ。最近は家にいる時も仕事で海外に行く時もテンピュールの枕を欠かさず持って歩いている。つまり、どんな時も同じ枕で寝ていることになる。元々、枕には敏感で、枕が変わると寝つきが悪くなるということを忘れてしまっていた。どれだけ寝返りを打っても落ち着かせどころがなく気になってしまう。気を紛らわせようとPodcastを付けてみても、また戻ってくる。そうしている内にようやく寝ることができた。寝ることができたと言っても2時間ごとに起きてしまうのでぐっすり寝たと言う感じがしないまま結局5時前に起きることにした。電気をつけて、歯を磨き、顔を洗い、軽く身体を伸ばす。凝りがある。ぐっと伸ばし直して少しずつ目が覚めてくる。外の空気を入れて、昨日マルシェで買った大判焼きを温める。荷物を車に運び、一路、阿寒へ向かう。道中はまたPodcast。走っているとホースパークがあった。気になるポニーがいたので車を戻して会いに行く。おはよう、と挨拶をすると近づいてくる。カメラを向けると顔をやや下に向けていぶし銀の目線を送ってくる。なんだか友だちになれそうな気がした。「朝はさむいね、ここで暮らすのはどうだい、他の馬は何している」と目で会話する。「そうだね、退屈だよ、皆んな退屈にしてる」そう答える。またねと挨拶をして、また車を走らせた。阿寒までの道はずっと霧がかっていた。霧の中にある白樺はとてもきれいだった。何度も車を停めようかと思ったが、景色として楽しむことにする。写真に撮らない方がいいこともある。約2時間の運転で阿寒湖に到着し、ボッケという火山ガスが噴き出ているところまで車を停めて歩く。小さな小道にある木々は力が漲っている。人地を超えた力を感じる。小道を抜けると鹿が二匹、サイズが違ったので親子か、恋人かと思うのだがこっちを見ていた。根室で見たそれとは違い、その鹿は話せるような気がした。「やぁどうも、どうも切ない気持ちが自分を包んでいるだけど、こういうことってどうすればいいんだろう、きっと皆んな同じ気持ちを抱えながら生きているのかもしれないけど、自分は少し対処するのが苦手なんだ」というと、「そうだろうね、顔見れば分かるよ、きっと何かあったんだろ?耐えるしかないよ、自分のことをもっと知った方がいい」と答えた。全てお見通しだった訳だ。そして、そのままいなくなった。ボッケの自然が故の力強さに感動したが、それより奥に入ったところにある湖自体の美しさにさらに感動した。静謐な場所、だった。その場に腰を下ろし、しばらくぼうっとしていた。今回の旅は自分の40年を振り返ること、そしてこれからを考えることを目的にしていた。ここには詳細は省くが、どうやら自分という人間は複雑で、手に入れたいと思っていたものがてに入りそうになるとその場から離れようとし、手に入らないと分かっていると追い求める、という性格を持っているようだった。つまり結局は何も手に入れることができないし、満足することもない。延々とその状態を持続するだけ。全てのことにおいてそうか、と言われるとそうでもない気がするが、特に大事だと思っていることに対しては発生する。それが自分を振り回し、人を、物事を振り回す。同じ性分の人とは相性がいいが、延々に続いていく。それが気持ちを締め付ける。歳を重ねると余計にその締め付けがきつくなる。そんなことを考えていた。どれくらいいただろうか、1時間くらいはいただろうか。近くにあるアイヌコタンというアイヌの人が物売りをする場所に行くことにする。木彫りのものはどれも高く簡単には買うことができなかったが、小さなお守りを買った。人を災難から守ってくれるとのこと。とある店の主人から、オンネトーという湖を教えてもらう。時間はたっぷりあるので行くことにする。アイヌコタンから20分くらい。今回の旅で尋ねた場所の中でも特別に力のある場所だった。何がある訳ないのだけど、霧がかった湖に浮かぶ木々と森。それがなんとも神秘的で、ため息が出るほどだった。こういう、地元の人に教えてもらう場所がなんだかんだやっぱり1番なんだよな、と思う。今度はそこから帯広に向かう。帯広はコロナ禍の最中、Memu Earth Hotelに泊まった時にいたく感動した場所で再訪したいと思っていた。今回は1人だし、時間もまだたっぷりあるのでまたしても2時間かけて向かうことにした。帯広の大地は大きい。とにかく大きい。北海道の中でも特に大きさを感じるのが帯広で、走っている間も、その大きさに声をあげてしまう。たまたま見つけたピザ屋に入り、生ハムとサラダのピザを食べる。そこから中札内美術館、六花の森へと足を運ぶ。どちらも再訪だから、高なるものはなかっ���が改めていいところだということを実感する。六花の森でベンチに座る。旅の途中で椅子に座る、ベンチに座る、というのはいいものでずっと流れ続ける景色を一旦止めることで「ここにいた」という実感が増す。まだ飛行機に乗るには少し早いが釧路に向かうことにする。釧路に向かう間、ボイスメモをONにしてしばらく話をしていた。幼少期での記憶、学生時代のこと、その時の恋や音楽、社会人になってからのこと、自分に話しかけるように、自分の頭の中を整理するように話しかける。話しているうちにあの時のあの自分の気持ちを思い出し、今の自分といつかの自分の間にできた隙間にどうしようもない気持ちになる。このまま空港に着こうかと思った時に、釧路湿原展望台の看板が見えた。このまま帰るのは気持ちが宙ぶらりんのままになってしまうかもしれないとわずかな時間でももう一箇所訪れようと急旋回して展望台に向かった。ほとんど真っ直ぐの道を2回ハンドルを切ると展望台はあった。もう17時を回っていたのであいにく入り口は閉まっている。17時といっても全く昼と同じくらいに明るいので時間を錯覚してしまう、同じように来たものの中に入れず周りの森で記念撮影をしている人がいる、同じように周りを少し歩き、車の中を整理する。大した買い物はしていないが、旅というものは自然と積み重なっていく。荷物を整理している内に落ち着いてくる、「ここに来て本当によかったな」と本心からそう思った、内省し自分の弱さと性分を知りまたいつもの日々に戻る、この日々がいつも、だとは呼べない日々が来るのかもしれない、そして人生は続いていく。空港までの道、Stand by meが聴きたくなった、旅の最後はこの歌詞とともに締めくくろう、誰かではなく自分に向けての。
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Stand By Me
by BEN E. KING
When the night has come And the land is dark And the moon is the only light we'll see No I won't be afraid, no I won't be afraid Just as long as you stand, stand by me So darlin', darlin', stand by me, oh stand by me Oh stand by me, stand by me If the sky that we look upon Should tumble and fall Or the mountains should crumble to the sea I won't cry, I won't cry, no I won't shed a tear Just as long as you stand, stand by me And darlin', darlin', stand by me, oh stand by me Oh stand now by me, stand by me, stand by me-e, yeah And darlin', darlin', stand by me, oh stand by me Oh, stand now by me, stand by me, stand by me-e, yeah Whenever you're in trouble won't you stand by me, oh now now stand by me Oh stand by me, stand by me
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古着を買う
最寄駅の近くに萎びた古着屋がある、手入れの程を見ているとリサイクルショップと言ってもいいけれど、店には「古着」と書いてあるから、そう呼ぶことにする。兵庫県に住んでいた大学生の頃は、よく神戸は元町の高架下にある古着屋ひしめく通りに買いに出たもので、当時は年代ものが何なのかよく分かっていなかったけど、まだ若い自分に「時間」と「歴史」を与えてくれる、とても貴重なものとして好んで買って着ていた。バンドTシャツはもちろん、年代もののピチピチしたシャツ、ヨレヨレのジージャン、だまが付いているけれどそれがまだ味になっているジャージー、どうしてこれが作られたのか分からないようなキャップ。靴はあまり買ったことはなかったけれど、当時は全身を古着で揃えることも多かった。お金がなかったのも要因だったかもしれない。当時の古着は価格が抑えられていて、アルバイトで稼いだわずかな稼ぎでも複数枚買うことができたから、お買い得でもあった。特にバンドTシャツの今の価格高騰ぶりを見ると、「マーケット」を意識せざるを得ない。大学を卒業し、社会人になると、これまでキラキラと見えていた古着が急にその魔法を失ったかのように見え、当時揃えていた服はいつの間にか手放し、古着屋に行くことも、昔の自分を見るように少し入るくらいで、古着を買うことはほとんどなくなっていた。そんな中、数日前、その古着屋に入ると、かつて夢中になり、そして自ら背を向けたその古着たちがまたしてもきらめきをもって目に映るようになっていた。カーテンレールにかけられたひしめき合う古着たちをレコードを掘るようにリズミカルにチラ見する。その店は先にリサイクルショップと言ってもいい、と書いたように決して丁寧に扱われている訳ではない分、価格が非常に良心的で、ファストファッションであっても2−3000円する中で550円から価格展開している。古着が持つ独特の魔物のような力でして、価格なんぞ関係のない、非常に尊いものに見えてくる。結局この日は古びたロンTを買った。それからもなんどか足を運び、服を何着か購入した。それらをクローゼットにかけると、今度はファストファッションブランドで買った服たちが妙に「無」に見えてくる。軽すぎる、存在が耐えられないほどに軽い。こうしてまたわたしの古着を掘る生活が始まった。若い頃のそれとは違い、自分自身にも少しは「時間」が経過した身体だが、「歴史」は今もなおわたしに力をくれているようだ
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面白い 人生
と書いてみる、とりあえずタイトルだけ。どうしてこんなタイトルを書いたか?と自分に問うてみるとどうやらここ最近「面白くない」と感じているから、のようだ。ここからはつまらない文章になるかもしれない。自分の内省のための文章のような。
今の自分は41歳で、年齢を理由にしたくはないが、避けられないとも感じているので理由にする。年齢による疲労感と家事・子育て、加えて仕事とどれだけ時間を捏ねくり回しても自分の時間として捻出できる時間が限られている。そこに移動時間もヒットしていて、仕事場から遠く離れた田舎に引っ越してきたこともあり移動するだけで多くの時間を使っている。年齢を理由にしたのは、こういう場合において、若い時分の頃は夜遅くまで起きても十分元気でいられたし覇気があったというものだが、今は8時間は寝ないと体力は完全回復しないので毎日を気分良く生きていくためにこの時間をキープしている。よく言う「子供と寝落ち」というようなもので、子供と一緒に寝る、ということにしている。完全に自分だけでの時間は今この文章を書いている朝の時間、6時から7時まで。この時間は妻も寝ているし、自分のためだけでのスイートな時間である。寝る時からこの時間が待ち遠しく、起きたらまず何をしようかと考えながら眠りにつく。だいたいは、文章を書く、フィルムをスキャンする、写真を編集する、ノートブックに貼り付けてダミーブックを更新する、映画の続きを読む(少しずつしか見れない)、本を読む、お気に入りの椅子に座って何も考えずにぼうっと外を見る、の中からどれか一つだけを選択する。この時間はあっという間に過ぎていくが、メンタル維持をする上でとても貴重な時間である。こんな毎日を繰り返していると徐々に心が沈んでいく。
なにか大事なことを忘れていないか?と考え直し、一人旅を再開することにした。1泊2日の弾丸ではあるが、大事なことを思い出せそうな気がする。今年の行き先は「根室」に行こうと思う。なるべく不自然から離れ、自然の中に身を置きたい。特別なことはせず、自然の中をただ歩こうと思う。道に迷わないようにだけ気をつけて、永遠に続きそうで歩くたびに移り変わる風景に身を委ねたい。時に自由を感じ、孤独を感じ、寂しさも感じたい。当たり前の毎日も再確認することが必要なこともある。
最初書き始めた時はつまらないものを書いているなと思っていたが、書き始めてから前向きになってきて、しばらく寝かし、今読み返して再度書き始め、この文章がそのことの自分をいい方向に導いてくれているような気がする。どこかの誰かが言っていたが「書くという行為は自分の中に入っていき、定期点検のようにアンテナを張り巡らし状態を覗くのにも似てる」と、まさにそんな感じだ。何を書いてるか分からなくなってきたが、停滞状態から少し前進した、そんな4月の末である
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Selfie, at the City Lights Booksellers & Publishers 2025
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City Light Booksellers & Publishersのこと
サンフランシスコにあるCity Light Booksellers、本屋好きなら一度は聞いたことがあるかもしれないこの本屋は、ジャック・ケルアックの「路上」や、アレン・ギンズバーグの「吠える」を出版したことでよく知られる。当時、戦争に邁進しようとするアメリカ国家を批判し、イデオロギーに翻弄される自国民、いや、広くは世界中の人々に対して、思考することの大切さを文学・詩活動を通して説いた本屋である。その姿勢は本屋という枠組みを超えて、アメリカという国境を超えて、世界中に広がり、年月の経った今もなお、わたしのように影響されている人たちはたくさんいる。その「伝説」とも言える本屋に先日尋ねることができた。サンフランシスコで仕事があり、その合間を縫ってではあるものの、一週間の間に短い3度も通うことができた。最初はその店の前に立つだけでも緊張しながら、壁面のグラフィックや手書きのサインボードに興奮し店の内外を歩くだけで本を読む余裕すらなかった。次は同僚を連れて行った。この時も自分が本を読む余裕はあまりなく、店の概要、どうしてわたしが少し合間でもこの店に訪ねようとしているのかを説明した(伝わっているかは分からないが)。最後は少し時間があったので端から端まで本棚をくまなく眺めた。特に素晴らしいと感じたのは地下へ2階へと地続きの店の2階最奥にある詩の棚。空間自体、茶道室のように凛としている。それでいて「ここにいていいんだよ」と囁かれているかのように穏やかで優しくゆったりとした空気感がある。香を炊いている時のように深く呼吸できる。壁にはびっしりと詩作が置いてあり、発起人のセレクション、有名作家、近年の作家まで幅広くラインナップしている。たまたま目の前にあった詩集を手に取り、声に出して読んでみる。正直、声に出して読んでみても頭にすんなり入ってくるわけではないけれど、言葉が発せられて空間に溶けていく。結局この日は終始その棚の前に居座り、子ども用の本を買って店を出た。どういう訳か日本に帰ってきてからも尾を引くようにこの店のことをよく考える。そして、ここのバッヂをバックについて、お守りのようにして日々を過ごしている
https://citylights.com
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もう3月
今年は何々をしようとリストを作ったのが昨年末から今年の頭にかけて、小さく印刷して手帳に貼ってからもう2ヶ月が過ぎようとしている。いつの時も時が流れるのは早いものだけど、今年の早さは異常なように感じる。それもこれも海外にいる時間があったり、子どもの風邪の期間があったり(落ち着いて一日を過ごすことができない)、大したことはしていないのに過ぎていってしまった。出来ていることはほんの少しあるけれども、意気揚々と書いていた頃のテンションに比べるととても小さなものだ
その中でも今年はよく本を読んでいる、今年になってから6冊程度は読んだだろうか。その中でも「他者の苦痛へのまなざし」がとても印象に残っている。戦争に写真というメディアがどのように関与しているのか、写真が持っている避けがたい事実(裏と腹に)がもたらしているものとは、が重要なテーマになっている。最近ではメディウムの氾濫と乱用により秩序なんてどこにもない状態にある中でわたしが日々目にしているそれらは一体どこから来て、何のための用いられて、自分自身がどのように「動かされている」のかも理解しないままに咀��し、放棄している、それとは何か。SNSをやめた頃に感じた平和は平和ボケとも言うかもしれないが、そのことがもたらした効用と呼べるものもある。コンテクストにコンテクストを重ねて現在に生きるわたしが信じるものについて、そして勇気ある逃走について、この本を読みながら考えていた
世の中では大寒波と騒いでいるけれど、寒さがあることでまだ冬なんだと少し安心する自分がいる
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David Lynchという存在
初めてその存在を知ったのはやはり映画からだったと思う。Blue Velvetだと思うんだけど、映画としての印象というよりも、全体感として、またコマごとの画としての奇妙な心地よさだったことを覚えている。「ここからきっと何かがはじまってしまう」という恐怖心と、高揚感がまじりあって存在している。それを見た場所は、大学を卒業してすぐに住んだフェアリーテールコートという、それもまた少し不気味な雰囲気を持つアパートで、映画を見たあとに自分が居る場所の不気味さにも耐えきれず、外に出てコンビニの光を探しに行ったんだった。それからというもの、怖いもの見たさから次々と見るようになった。エレファントマン、ワイルドハート、マルホランドドライブ、ストレートストーリー、インランドエンパイア、そしてツインピークス。映画を見終わったあとの数時間は、映画の世界から抜け出せなくなっていた。特に、マルホランドドライブはその力にすさまじいものがあった。画面の中にただ写っているだけのはずなのに、こちら側まではみ出してくるような吸引力とはまた違う、向こうから包み込もうとする力があった。一通り見終わってからも繰り返し見ている。見る度に理解と混乱が増し、また楽しめる。味わうほどにおいしい甘美なデザートのように。繰り返し見ていると各コマごとのカットにも目を引くようになった。光の使い方、アングルの切り方、写真的な要素の取り入れ方、停止と再生、じっとりとしてズームイン。特にダイナーの中で繰り広げられるシーンは興味深い。リンチの深い愛を感じる。まだもう一作品くらいは見れるんじゃないかと思っていた矢先の訃報でしばらくの間ずっと悲しい気持ちになっていた。もう見られないのかという気持ちとともに喪失感がそこにはあった。それでもまた、今この文章を書く少し前にマルホランドドライブを見て、高揚感の中にいる
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埴輪
家のトイレの出窓に埴輪が置いてある。素朴でかわいいので妻の実家からもらってきたものだ。いつもは窓を背にして、用を足すわたしの方を見ているその埴輪が先日後ろを向いていた。ちょうどその日の朝、妻がトイレ掃除をしていたので、その時にひっくり返したのだろうと思っていた。「埴輪、後ろ向いてると雰囲気変わるね」と伝えると、ん?と驚いた様子。わたし何もしてないよ?と言う妻。「え?どういうこと…こわいこわい」と言い、息子も連れて見に行くと確かに後ろを向いている。その高さからして、息子が届く高さでもない。ということは?と目を合わせると、家族会議しよう…と妻が本気で怯えながら言う。彼女はこの手のことにはとても臆病なのだ。「でもさ、普通に考えるとそんなことあり得ない訳だから、覚えがないところで移動したんじゃない?もしかしたら自分かもしれないし」と話をしていると、息子に話を振って、埴輪どうしたんだろうねと言うと僕触れるんだよ!と言い出し始める。見せてあげる、とわたしの手を取りトイレに行くと便器の上に乗り、窓の方を見ながら手を伸ばすと埴輪にぎりぎり届くではないか。ほら、と言って、窓の方を向いて置いていた。そう、埴輪を動かしたのは息子だった。埴輪の表裏は彼は知らないし、窓を見るために少し移動しただけで触ったくらいの記憶しかなかったようだったが、こうして我が家の埴輪話は終わるのだけど、なんだか微笑ましく、残しておきたいと思った
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空間音
空間を記録するには写真よりも音がいい。この瞬間を記録しておきたいなと思うと、iPhoneのレコーダーを起動して、録音を始める。音が小さい大きい、雑音があるないは関係ない。その場の、その音を録音しておけばそれでいい。誰かに伝えるためのものではなく、その場に「居た」ことを確かなものにするための手段だと考えている。先に日記に書いたブラジルコーヒーでも同じように録音した。今聞いてみると、客観的に見れば単なる音、でしかないと思うのだが、そこに「居た」もしくは今も「居る」ような錯覚に陥る
例えば、毎日の生活から少しトリップしたい時に聞いてみる、友だちとの時間にあえて流してみるのも面白いかもしれない、その友だちにとってみれば何の儀式か分からなくてキョトンとするかもしれないが許してもらおう
子どもの寝息の録音もいい、一定のリズムで繰り返されるその音は癒しの音でしかない、スピーカーで鳴らすよりは耳元に電話を運び耳をすまして聴くのがいいだろう
次に録音するのはどんな空間の音だろうか、その音の蓄積がわたし自身の生活の記録に繋がってる
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ブラジル
店に入ると広がる煙たさ、向かって右手の大きな窓には真剣な表情をして読書をしている老人。煙草に火をつけ、煙を吐いて、コーヒーを一口、目線は本から一切ぶれない。一人旅をしていた頃によく見ていた喫茶の光景はなんだか懐かしい気持ちにさせる。この日は土曜日の朝、まだ席は空いている。あたりを見回して店内が見渡せる奥の席に座ることにした。店内はまだ静かで、時間がゆっくり流れている。スピーカーから聞いたことのあるコリアンロックが流れている。運ばれてきたコーヒーは濃すぎることなく、苦すぎることもなく、ちょうどいい軽さで「いつもの感じでいこうよ」と言われている感じがする
中央にある大きなミラーボールが前夜の余韻を残している、ここには音楽の気配がある、佇んでいるようなそんな感じ。もう40歳になってしまったけれどここで歌うことができたらいいなと思わせてくれるそんな場所。毎晩毎夜のように音楽が鳴り、人が集い、皆んなで歌うこともあるのだろう、店全体に音楽が染み込んでいる。いつか来たかった場所、金山ブラジルコーヒー
窓辺の向こうでカラスたちが喧嘩してる、歌ってるのかもしれないな
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今を生きるということ
「いつ死ぬか分からない」と考えざるを得ないできごとが続いた。その中で大切に生きないといけないという言葉を聞いて、それってどういうことなんだろうと思った時に「今を生きる」ということなんだろうと思った。でも、それまたどういうことなんだろう、今っていうのはまさにこれを書いている今であって、瞬きした瞬間に過ぎ去っていくものである。その今を生きるということ、そのことについて考えていて、自分なりにたどり着いた考えは「今を作る」ということだった。淡々と過ぎていく今を自ら生み出す、つまり、今を感じられる瞬間を多く生み出す、ということ。それには心を動かす必要がある。心を動かすには行動が必要になる。何に心を動くかは人によるだろう。わたしの場合は人に会うこと、景色を見ること、映画や本などの文化に触れること、新しい世界(ものも含めて)に対峙することよって動くことが大きい。それと同時に心が動かされると揺り戻しで現実に戻ってくる。その時に1人になり、避けられないその事実を音楽とともにしっぽりと酔いしれるようにやり過ごす。そうしてまた次の行動が始まる。一見、上がり下がりの激しい不健康なやり方のように思えるかもしれないが、わたしはこれぐらいがちょうどいい。良いことばかりでも悪いことばかりでも心だけがひたすら動いて定着させる時間がないのもそれはとても堪える
2024年末のこのタイミングでこうした考えに辿り着いたことはよかったと思う、これからまた今を生きていこう
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