#フィガロ兄弟
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monk-of-figaro · 5 months ago
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Fanart: dwsiknw (via Twitter)
This artist has a ton of AMAZING work, including renditions of our Figabros in the latest artifact gear from Final Fantasy XIV: Dawntrail.
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They did a similar set for the previous FFXIV expansion, Endwalker:
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If I had one wish in the world, it would be that draw Sabin in my favorite Monk artifact gear, the Pacifist set from FFXIV: Stormblood.
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Hmm... do I need to start playing FFXIV again...?
You can find more of dwsiknw's work here:
https://x.com/dwsiknw
https://www.pixiv.net/en/users/1095951
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blue-aotan · 10 months ago
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ハロー(´ー∀ー`)2024.1.28
最近見たいYouTube動画がなくて、ずっと前から観たいと思っていた海外ドラマ『スーパーナチュラル』をシーズン1から見始めました笑
だいぶん昔にシーズン4くらいまで観てたのですが途中離脱した為、今回は頑張って最後まで…(何年かかるのだろう😇)という気持ちでスパナチュスタートしました←
このドラマは全15シーズンで完結しているらしいです。調べてみたらシーズン1は2005年に始まったらしく…今から19年も前になるんですね!?
もうそんなに年月経ってたの?←
怖い😇😇😇
当時はディーン役のジェンセン・アクレスさんにほの字な乙女だった私も、今ではすっかりしっかりババアとなってしまいました←
そんなに続いていた事にも驚きですが、やっぱ続けてくれることって本当ありがたいですよね。
人間って病気したり別の仕事あったり周りの環境も変わりながら移り変わりゆくことを常とする生き物なので、、そんな中で同じ俳優さんでずっと続けてくれたことはとても素晴らしく尊い事だと思います。
(全部観てから言え←
スパナチュは兄弟が行方不明になった父親を探すべく悪魔退治したり都市伝説的なモンスターと戦ったりするお話です。幼い頃に何者かにおよそ人の仕業ではないやり方で母親を殺されており、父親もその一件から悪魔退治の道へと進んだ訳ですが父親役の人を見て
「あれ…?ニーガン?」
ってなって調べてみたらやっぱりジェフリーディーンモーガンさんでした😂
ウォーキングデッドよりも前にお会いしてた😂
そして2話目がゲーム「アンティルドーン」に出てきたウェンディゴの話だった😂
全く覚えてなかった。
アンティルドーンは2015年発売だったのでスパナチュから10年後にこのゲームが出てるんですね。
10年も経ってたらそりゃ忘れるか←
急がずのんびり追いかけようと思います!
そして全然関係ないのですが、スーパーマリオブラザーズワンダーの激ムズコースを1番上の姉がしていた時に「タイルが2個のとこ無理」って言ってたんですよね。
タイルて🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
ブロックだろ←
久々の姉ネタでした(怒られる
そういえば、Switchのセールで『ときめきメモリアルガールズサイド4』を半額でようやく購入しました。
まだ少しも手をつけていませんが、いつかしたいなぁ。配信もオッケーみたいなので気が向いたら配信でしようと思います。
(ただ私は暴言失言だらけになりそうなので悩みどころ←
みんながキュン🫰なところでキモッとなる人間なのでね…たまにその「キモい」が褒め言葉になる時もあるんだけど(どんな時だよ)
キャラクターに対して否定的になりそうなので配信はしない方がいいかもなとか思います。
私としてはゲームに対して否定的だったりキャラクターに対して否定的だったり、それは個人の感性・好み・考え方それぞれ違うのは仕方のない事だと思います。
色んな感想を持つ配信者がいてもいいと思うし、嫌なら見なければいいだけの事だとも思う。
ただ、とあるキャラクターのファンの人が一部不快になったり傷つくような事ももしかしたらそんな発言もしてしまうかもしれないとも思うのよね。
でも私が配信するとしたら、ときメモの世界観やキャラクターを否定して貶める事を楽しみとしてプレイする訳でも何でもないし純粋にゲームを楽しみたいだけなんだけども、受取る人によってはそれが許せなかったり誤解したり不快な気持ちになったり…そういう事を気にしなければいけないジャンルではあるなぁとちょっとめんどくさいよね←
たかがゲームじゃん!楽しんでなんぼ!
って考える人もいれば、めちゃくちゃキャラクターが好きで恋してる人もいるんだと思う。
私は真面目なのでそういう部分めちゃくちゃ考えてしまって結局やめたりする。
(過去に恋愛ゲームの動画上げてかなり低評価きたことあるだけに慎重になったりする)
ま!そんな人は私のチャンネルは見ないと思うんだけども( ^ω^ )配信やるなら評価無し設定でしたりコメントオフもいいのかもしれません。
常々考えるのですが←
年齢を重ねるごとに何に対しても否定的になってしまう自分を発見しました←
周りの人みてても思うんだけど、年配の人とか私が嫌いなクソババーという人種とか他人が話すことや内容にまず否定から入る人いませんか?
私が思うにそういう人達は自分中心で地球が回ってると勘違いしている人間です。(断言したw
まず否定から入る人は、他人の考えや新しい流れなどを受け入れようとしない自分基準で自己中心的な人間と言えると思います。
最近の自分の言動とかを思い起こすと、なんか自分否定的に捉えすぎじゃね?となりました←
今の時代の流れについていけてないのよね←
今って男と女の垣根なく���たり入籍しないとか新しい形だとか今までにない事が色々起こって変革の時代なんだとは感じているけど。
私のように古い人間は新しいこととか今までのやり方を変える柔軟性とか自分の中にない選択肢の受け入れとかが結構難しいと感じたりするんだよねってこと。
(既に否定的w
かと言って周りの言ってるままに流される気もなくて。「自分を持ってて芯がしっかりしてる人」と「自分基準の自己中心的な人」の境目が曖昧になって見失っているのが否定的な人間かなと思ったりします。
なので周りに流されて意見は変えませんよ、自分の主観は大切にしたいよって私は思っているんだけどそれが自己中心的になっていないだろうか…
とか考えてしまうのですよね。
私が言いたい事は、否定から入る事をなるべくなくそうということです←
これが2024年の私の目標です。
(多分、元日にこの目標は崩れ去った気もする←
自分の中にない物の見方や考え方と出会った時に、それを否定するのではなくそんな考え方もある、と一度認める。その訓練をしてみようかと思います。
受け入れる必要はないと思うんですよ。自分の意志と異なる部分を受け入れたり従ったりする事はかなりの負担や労力がかかる事があると思うからです。
あくまで自分の考え方優先で、そこは崩さずに別の考え方もある、と軽くその���くにポンと置いておくだけでもいいと思うのです。
自分の考えを述べる時って必ず反発したり賛同されない部分があったり否定的な意見を投げてくる人が出てくるものですよね。
そこを気にすると本当に何も言えなくなるんですよ。
何も言えない人生より、なるべく息苦しくない人生を送りたい…😭
何の話でしょうか…←
話題かえて。
先日ついに!!!最後の親知らずを抜いてきましたーーー。私の親知らずが全て無事にいなくなりました!
下の抜歯だったけど腫れることもなく、順調ににいけば3週間くらいでご飯も普通に食べれると思います。
ただね…
麻酔も抜歯も痛くはなかったんだけど、その歯科は抜歯後縫合するタイプの先生でね。
(過去の歯科は縫合しなかった)
その縫合がめっちゃ痛かった←
奥だから縫合しづらいのは分かるんだけどさ、私の口角裂ける勢いで糸を引っ張る訳。
その日、丁度口角炎になってた私はまじで口裂け女誕生の瞬間か?となりました←
色んなタイプの歯科があるということですね😌
ここまででも結構長くなってしまったんだけども、まだ書きたい事があるのよね←
まずディズニーとヒグチユウコさんのコラボグッズ第三弾が1/16に発売されました。
1弾はピノキオのフィガロ、2弾はバンビのとんすけ、3弾がシンデレラのルシファー���した。
ルシファーは飼い猫のアリスみたいだなと思ってたのですが笑
2番目の姉がルシファーグッズ狙ってるという事で
よーーーし!仕事休み取ってオンラインショップ張り付くぜえええええ!!!
と気合い十分だった私。
(次女の誕プレにしようと目論んでいました
いざスマホとiPadの二段構えで販売スタート時間前にスタンバイ。
[にっくきクソ転売ヤー共お願い死んで]との対決です!!!
(転売ヤーだけじゃないけど
フォオオオーーーン
(ホラ貝の音
ものの10分で狙っていた商品全て完売←
1人一点までという縛りがあった為、私はトートバッグとトレーナーをまず購入し、2回目にトレーナーのみ購入しました。
そしてトレーナーは1番上の姉が「3人でお揃いにしよう!!!」となんと誕プレとして買ってくれるって事だったのでそのためにも頑張りました〜笑
2回目購入してまたページ戻ったら既にもう商品ほぼ完売状態でこんな争奪戦なんや……と驚きました。
ヒグチユウコさんのイラストめちゃくちゃかわいいし大人気だからそうだよねぇ、と。
3つ目は買えなかったーーー😭ってガックシなったんだけども、一方その頃2番目の姉がディズニーストアに突撃してたんだけども「来店予約してる人しか購入できないらしい!!!」とオコのLINEがきて←
そして怒りの別店舗へ行ったらなんと奇跡的にトレーナーがあったということで、無事に三姉妹でお揃いにできました🤣🤣
神様ありがとう←
こうして白熱の争奪戦は幕を閉じました。
ほんでメルカリ見て大激怒よね←
まじで転売する奴死ねばいいと思ってしまう。
本当に欲しい人が定価で買えないのが心の底から腹立つ。転売について本気で国が対策をしてほしい。
不適正価格での転売を違法にしてほしい。
だってさ販売スタートしてすぐにメルカリにその商品並ぶのよ。しかも定価以上の価格で。なんなんこれなるもん。こいつら…ってなる。
それで利益を得るとか私は許せない。
許さない。
許すな!転売!
滅びろ!転売!
(スローガン的に
そして次に。
ゲームアプリ【恋と深空】を始めてみました。
綺麗な男の子達がいる!と思ってすぐ事前登録してました←
昨今のFFに出てくるようなホストみたいな男子です←
3人いるんだけどね、顔がタイプなのはホムラだけど性格はセイヤかなー
(何様やねん
やっぱさ、セイヤの眉毛が綺麗すぎるのもちょっと気持ち悪いのよね←
自然な眉毛の形がいい。それと眉毛上がりすぎなレイの顔が1番タイプじゃない←
(眉毛に��しい
そんでさ、レイの喋る時の鼻息?吐息?が私は無理😭鼻息とか吐息系はまじ苦手なんですねぇ。
なんかホムラが私の分身となる主人公女性キャラの手を頬擦りしまくってハァハァいってる動画みたけどまじキモかった😭
(このゲームすんな←
もっとストーリー進めたらラブラブイチャイチャできるモード解放されると思うんだけど、とにかく戦闘が以外と本格的でめんどくさい←
そしてストーリースキップ←
(まじでゲームアンインストールせえ←
ただの恋愛だけでよかったけど、そう簡単には恋愛させてくれない←
これだけ文句ばっか言っといてなんだけど、映像はとっても綺麗なんですよね。
そして何よりBGMが最高すぎる😭
映像美とBGMが合わさって切なさ漂う雰囲気が私は1番好き。
だからBGM聞く為にアプリ開いてる感じ←
なのでレベルアップも遅いしストーリーもほぼ進まないのよ。ログインボーナス色々もらって、音楽聞いてやめる😂
(カス
最後に、、、
アリスを動物病院に連れて行きました。
2ヶ月前くらいから異常なくらい水を飲むようになって、尿量も増えお腹を見せて寝転んだりする事がなくなってどことなく変化を感じたので獣医さんに診てもらいました。
腎臓か糖尿病かな…と思っていたけど血液検査の結果、やはり腎臓の数値が上がっておりました。
血糖値も高いけれどそこまで気にしなくて大丈夫と言われました。エコーもしてもらい、片方の腎臓に浮腫みがあり尿管に結石がありますとのこと。
ただこの結石が悪さをしているという訳でもなさそうにみえるので今後は2ヶ月毎とかに定期的に検査して経過観察するのがいいでしょうとの事でした。
(5年以上前に尿管結石と診断された事があったのでその頃から石があるのかもしれない…
腎臓は悪くなったら良くなる事はないと人間のお医者さんに聞いた事があるので、猫も同じだと思います。これ以上悪くならないように腎臓ケアのカリカリやサプリを取り入れて生活するほかなさそうです。
腎臓ケアのカリカリサンプルをたくさんいただいたので食べてもらえるものがあったらそれを買おうかなと思います。
トータルで約2時間半アリたんは頑張ってくれましたが、最後の最後でキャリーバッグの中でお漏らししてしまいました💦アリたんは頑張ったよ🥹本当に偉くて良い子でした〜
そんなこんなで近況報告はおしまいです。
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monk-of-figaro · 5 months ago
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Fanmerch: H0lyhandgrenade
Another thing I received a while ago but forgot to post about. I purchased this set of FF6 stickers from @h0lyhandgrenade.
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I love each and every sticker, and the fact that neither of the given quotes are actually from the game makes me laugh. I want to find a way to make "One more time, baby!" another classic Ultros catchphrase.
But of course, my favorite one is the Figabros. Sabin's having a bit of a nip-slip moment too. 👀
I need to buy a FF6 notebook where I can start putting all these stickers.
@h0lyhandgrenade has a lot of really great artwork on their site; I actually wish I had purchased more stuff from them!
You can check them out here:
https://h0lys-art-corner.myshopify.com
https://twitter.com/h0lysarthole
Thanks for the stickers H0lyhandgrenade! 🥰
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tinamaciasfkfk · 3 years ago
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monk-of-figaro · 3 months ago
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THIS IS SO GODDAMN CUTE 😭😭😭
Happy (belated) birthday to my favorite sibling duo 👑💕
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sucomic · 5 years ago
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hakidame1103 · 2 years ago
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ずっと描いてみたかった!ティナ好きだ。自分探しの末に母性愛に目覚めて強く成長していく内面はもちろん、キャラデザがほんとに美麗で可憐。天野喜孝神…。6はフィガロ兄弟ももっとちゃんと描きたいなあ~
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jitterbugs-mhyk · 2 years ago
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猟犬のゆりかご stray dogs.
 
 その黒い犬は、朝靄のなかにねむっているやさしい思い出をじっと、眺めている。おおきな身体はしなやかで、しるしの星を戴いて、凡庸に立つクリスマスの樅の木のように、朴訥としてどこか盲目な従順、ひとみ燃えるピジョン・ブラッド、星を融かし沈めたくだもの、喉を焼くサングリアの酒精、あらゆる焔に熱はなく、ただ煌々と、しらじらと、夜明けとともに世界の表層が、嘗められてゆくのを感じていた。さあ、朝だ。日が昇り、山肌を温め、空気をかき混ぜ、靄を払って、変わり映えのない日を今日も積み重ねる。羊たちは草を食み、石についたわずかの朝露と、塩分とをちびりちびりと舐めている。彼は眠るためではなく羊をかぞえ、起きだして仕事をはじめた。
 日々の多くは単調だ。どきどきしたり、わくわくしたり、ちょっとした異変や、予想できない天候の変化のたぐいはあっても、まったく思いもよらないことや、出逢ったことのないひと、見たことも聞いたこともない大事件が起きるなどというのは、魔法使いの長い人生においてだって稀なこと。未だ未開の土地も多く、ひとの手の入らない、魔法があったって生きていくのにけして楽とは言い難い南の国は、うつくしく積み上がった石の、白亜の尖塔を天へ向けて聳えさせている雄大なるグランヴェル城を有する中央の国や、華やかなりし芸術の都、花の、音楽の、絵画のそうして演劇の、文化の発展いちじるしい西の国、一年の多くを雪と嵐に鎖されて、自ら持ち得る魔法のみを恃みにし、傲慢で高潔、純粋すぎるがゆえにいっそ邪悪ですらある魔法使いたちに縋らなければ生きてゆくさえむつかしい、しかし凍てつく嵐のはざま、垣間見える土地の峻厳にして繊細なうつくしさは、他の追従をゆるすことはない北の国、それぞれの孤独で互いをぬるく慰め合う、晴れた日の雨のような、いつだって濡れて光っている石畳の東の国、それらのどこより未熟で、純朴、大陸にあってもっとも魔法使いと人間との紐帯たしかな土地である。力を重宝されるのみでなく、単純に、きびしい暮らし向きのなかにあって、それらを区別することに、意味など見出しかねるというのが実際のところだろう。区別して暮らすよりも、助け合うほうがよほど生きやすいのだ。少なくともここ、南の国では。
 開拓と、���活、日々のちいさな積み重ね、森を拓き、山を切り崩し、水を引いてようやく畑に実りをもたらす。まずは明日を、そうしてその次の日を。南の国で未来と云えば、遠いかなたの日々ではなしに、まずは来月、来年の話になる。星を詠み風を視て、やれ今年の収穫はどれだけで、食い扶持はこれだけ、来季に種にするぶんを省いた残りを備蓄と、売って僅かに贅沢にする。暮らし向きはけして裕福であるとは言えなかった。かくいうレノックスも、天候に恵まれず収穫のきびしい年には、そう易くはくたばらない魔法使いであることに胡坐をかいて、いったい何日絶食したものか定かではない。自分はかつて軍人でもあったから、満足に食うこともかなわない強行軍も経験があると請け負って、育ち盛りの子どものいる家に食糧を回してもらった。まったく苦でないというと語弊があるかもしれないが、満足にものを食えずひもじい思いをすることよりも苦しいこと悔しいこと、しんどいことがほかにもあると知っていて、較べてなんということも無い、自分には耐えられると判断したまで。のちに長じた子どもたちはあの厳しい冬、レノックスが食い扶持を分けてくれていなかったらきっと死んでいたと、彼に深く感謝をするのを、けして忘れはしなかった。感謝や、親愛、それらを求めてしたことではなかったけれども。
 羊飼いの職に就いてもう何年になるだろう。そもそもレノックスが南の国へやってきたのは、かつての知己、たったひとり誰より敬愛して、このひとのほかにあるじはないと定めた男、偉大なる中央の国の建国の英雄でありながら歴史の闇の中に消えてしまったファウスト・ラウィーニアの消息を訊ねてのことだった。革命の終局にあって、彼が率い、レノックスも所属していた魔法使いの隊は、手酷い裏切りにあってファウストが火に架けられると、文字通りに旗印をうしない、司令官をうしなって、てんでバラバラに離散してゆくほかになかった。レノックスを含めた数人が、無辜のままに焔のなかで、さいごまで親友を信じていた男の処刑を遠くから見つめていたが、彼らはどれほどファウストを慕っていようとも、彼を助けるために駆け寄ることかなわなかった。
 別段、レノックスは、まさに火に架けられようとするファウストを救うために躍り出て、そのころは影も形もなかったグランヴェル城の裏手、物見高く、興味と、熱狂の渦にのまれて、どれだけ自分が残酷になろうがお構いなしの、詰めかけた民衆を蹴散らしたって良かったし、処刑台のきざはしに足をかけた瞬間に無数の矢で射られたって良かったのだ。
 けれどもできなかった。ほかならぬファウストが望まなかった���、幼馴染の親友と、あたらしい国を夢見て故郷を出てここまで旅をしてきた男が、ずっと人のために尽くしてきた男が、たとえ自分の命を救うためとは雖も部下が人を傷つけるなど許すはずがなかったのだ。それに、今後、彼の部下であった魔法使いたちに類が及ぶのをファウストは懸念していた。すべての罪をひき被り、目立って処刑されることで、部下たちが人に紛れて逃れゆく時間を稼ごうと考えていたのは間違いないし、最後まで彼は、親友がほんとうに彼を火に架けることなどないと、信じていたかったのかもしれない。真に指揮官としてすばらしいひとだった、というのは、彼に心酔し、敬愛を寄せるレノックスのエゴからなる評価ではないだろう。
 しかし無情にも火は点けられ、英雄は自らその片腕を永遠に捥いだ。レノックスは無力だった。焔は、けして燃えやすいとはいえない男の肉のうえを嘗め尽くし、花のように、星のように、うつくしく燃え上がった。ぱちぱちと爆ぜる音の響きは懐かしくさえある。行軍中の、けして快適とは言い難かった野営の火を囲んで談笑し合う仲間たちに、人間と魔法使いの区別などなかったあの夜、あかるいすみれ色のひとみに、若い希望が輝いていたあの夜、ぱちぱちと爆ぜる篝の火に、誰もが横顔に陰を濃く落としていた、あの夜、たしかにこの人に追蹤ていこう、どこまでも、いつまでも、決意した、あの夜! 同じ音を立てて、愛した男が死に瀕していた。
 レノックス・ラムはただ佇むだけの唐変木、しるしの銀の星を戴くこともできない、樅になれない何か、楡か、花楸樹か、ああ、あそこに架けられたのがおれだったなら! そう易々とは燃えなかったろうに。
 
「レノックス、おまえさん、しばらくこの国にとどまってみちゃどうかな? バカンスだとでも思ってさ。どう? なんにもないけど、仕事くらいは斡旋してあげられるよ」
 そういったフィガロの意図はいまだに読めない。穏やかに微笑んでいるようでいて、実際のところは誰のことも愛していない、のみならず、自分自身の行く末にさえ無関心なのではと思われてならないフィガロ・ガルシア、かつて北の国で、今もってなお魔王と恐れられる大魔法使いオズと同門であり、兄弟子として肩を並べたこともあったという男が、なぜ何者でもないもののように振る舞うのか、答えは遠からず死に瀕した、彼の寿命だったかも分からないし、理由などないのかもしれなかった。死を間近にして命を惜しんでいるだとか、ただこれまでには馬鹿々々しくてやる気にもならなかった普通の暮らし、地に足の着いた暮らしというやつの真似事をやってみたくなったのかも分からない。
 なんにせよあの人のことはあれこれと考えるだけ無駄だからよせと、呆れたように、しかしどこか信頼にも似��声音でファウストが語っていたことをありありと思いおこされる。あの革命のさなか、フィガロもファウストの師として、また革命軍のきまぐれな懐刀として従軍していたが、当時のフィガロはまさにきまぐれ、ファウストがあれほどまでに人間と親密で、らしくないのと対照的に、まさに言葉の通りの魔法使いらしい魔法使いだったうえに、彼は革命を見届けることも無くふらり途中で姿を消したのだ。つまりあの短期間でファウストは、師と親友、ふたりから裏切られたことになる。
 はたしてフィガロを頼るのが正しいことであったのか。レノックスにも疑念はあった。しかし数十年、数百年と生きるうち、ファウストの足蹠を追い続けるのも難しくなった。自分が彼になぜこれほどまでに執着しているのか、おそらく明確な言葉では語られるまい。悔恨や、懺悔、つぎの機会が与えられるのであれば今度こそ、死地の果ての果てまでもファウストに追蹤ていくのだと思ったけれど、それらが自分の、身勝手な願いに過ぎないこともまた、分かり切っていた。彼はやさしいひとだから、いつか再会して、過去を詫びて、次の機会を冀ったなら、この愚鈍な、星ひとつ掲げない従者を許してしまうだろう。だからこそ見つからないように身を潜めているのかもしれないが、処刑のあと焔が消えて、そこに輝く石が残されていなかったと聞いたとき、レノックスはどうしても、彼を見つけ出さなければならなくなった。
 しかしながら、彼は決して、みずからを迷子の仔羊(stray sheep)とは呼ばない。右も左も定かでなくて、善悪が一元的なものではないとすでに学んだからには、彼もまた戸惑い揺れる寄る辺ない生きものであったに違いないのに! レノックス・ラムは縋らない。これは彼に信仰がないためではなくて、彼の信ずる神が、彼に縋られ、寄りかかられ、頼みにされるのを良しとしない、ただそれだけの理由であった。まったく、驚くほどの敬虔だ、さもなくば盲信だ、自らを擲ち穿つ、おそろしい自己犠牲の。
 腕をふるい、足を払い、身体をして成す暴力は、実際のところ、彼にとってはさしたる労苦でもなかった。激しやすく、ゆえに寡黙で、ことばのさきに振る舞われる暴力は、先祖伝来、あるいは、顔も見たことのない始祖、名前もしらない女たち、かれらから脈々と、粛々と、継がれてきた血や、歌や、儀礼や、そのほかすべての非科学的で超自然的な、迷信じみたアミニズムのなかに、流れていたかもしれなかった。フィガロ・ガルシアはバカンスなどとうそぶいたが、未だ発展の途上にある南の国で、魔法がなくとも家畜たちを抱え上げて斜面を行くことができ、肉体、精神共に健全で屈強、レノックス・ラムでなければ満たせないいくつもの条件が、彼の人生を、南の国で羊飼いとして暮らすことに引き留めた。ファウストを見つけ出��、そのうえで彼が復讐を望むならその手足になって働いて、あらゆる敵をなぎ倒し、あらゆる悪意と脅威の盾になって死のうと考えたことを、一日たりとも忘れたつもりはなかったが、短い一日も繰り返すうちに1年になり、5年になり、羊は仔を産み殖えたが、拓かれた牧草地は子どもや女、ほかの若い羊飼いたちに譲ってしまって、レノックスはますます険しい山肌に羊を追った。
「レノ、おまえは案外羊飼いの王様の素質があったのかもね」
「冗談でしょう。俺は星ひとつ、満足にかざせない」
 ばかだな、しるしの星なんておまえには必要がないだろう、輝きなんぞなくったって、それだけでかい図体が、どれだけ目立つと思ってる? いたずらそうに笑うフィガロの眸は薄曇りの冬の海に落ちた星だ。きっと怒られるけれど、肩をすくめて鼻でわらうようなその言い草に、ファウストの面影をみつけてレノックスも頬をゆるめた。
 導きの星はもうないけれど、いつかふさわしいときが来るまで、俺はずっと立っている。険しい道を歩んできたひとが、ふとひと息ついて脚を休めるそのときに、広げた枝が安らぎになりますように。
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monk-of-figaro · 6 months ago
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I'm always happy to see the Figabros. 😍
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🪙 Twins 🪙
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dancho-no-hige · 5 years ago
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伝書鳩から手紙 
誰からでしょう??
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manganjiiji · 3 years ago
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だめだ。疲れた。根本的に体力がとても落ちている。歩けない。全然歩けない。お風呂(シャワー)も入れていない。疲れがある。何をしてもすぐ疲れるし、そもそも他人からの、つまり外圧がないと何かをすることができない。足が痛い。原稿を進めたいのにそれ以前の問題。回復は果たして勤務までに間に合うのか。原稿は間に合うのか。原稿と言ってもほんの短い話を一本上げるだけなのに、永遠に時間をかけてしまっている。おそらく体の不調のせい。体が動かない。動かすと痛い。多分それは基本的に寝たきりだからだと思う。悲壮感も焦燥感もとくにないのが私のいい所だと思う。それから、私の時間はとてものんびり流れていますので、各位好きなタイミングで好きに話しかけたり放置してください。コミュニケーションに関して、私は本当にとくに何にも構わない人間です。まほやくのイベストをちゃんと回収しそのまま読んだ。なるほど。冗長。これは5話でいいだろうと思った。このストーリーならメンツも東だけでいい。こういう感想を言われないようなシナリオを書くのは本当に大変なことだろうなと思う。エンタメが書けない(書かない)ためそういったシナリオを書くのがどれだけ大変かということが想像もつかないのだが、シナリオチームはこういうイベストを乱発することがゲーム全体に何を及ぼすか分かっていないのだろうか。あまり分かっていないのだろうとは思うが、イベストの内容の無さについてはおそらく内部でも思うところはあるだろう。そもそもシナリオに厚みがなくても、この背景やlive2d、新衣装、カード絵を投下することがイベントの意義であり、シナリオ���それを実現するための設定というだけで十分ならば、10話もい���ないだろうと思う。10話設けるならもう少し書いてほしい。と、もちろん口で言うのは簡単だが、容易にできることではない。今回のメンツと舞台設定で考えうる、必然性のあるシナリオ(ネロの看板イベントなのでネロの心性にスポットを当てたもの、かつSSRのシノとヒースをそこに絡めたもの)というものを自分でも考えてみたい。一体どういう可能性があるだろうか。南の国の魔法使いたちも登場するからには物語に関わらなければいけない。この時点でとても難しそう。こんなに難しくコストのかかることをこんなに短いタームでやらなくても…?とは思ってしまう。それくらいにシナリオ作業は大変なのだと思う。ネロの看板ということで、去年のひまわりを踏まえた内容になっているとよりいいのかな、あの時の彼らの答えを推し進めるような。時系列はひまわりよりあとだろうし、シノが前回の台詞を引用して、その後の変化を労うような内容でもいいかもしれない。ただ今回ファウストが不在なので、そこをうまく利用しないとその方向性は旨みがなくなる。ということは、ファウストの不在を利用した東の話で、ひまわりを踏まえるならば今度はフィガロとレノの関係もここで深く踏み込まれてもいいかもしれない。どうしてもフローレス兄弟が浮く形になるかもしれないので、そこはストーリー上不可欠な要員を彼らに割り振り、ムルの動きをもっとトリックスター的にしなければ、キャラクターの存在する意味が無いので、ますますシナリオの縦軸(事件やストーリー)は練る必要が出てくる。こうしたことは全く不勉強なので、なにかシナリオを構成する執筆法やトレーニングを試してみたくもなってきた。小説と共通するのは、とにかく日頃からネタを溜めておくことだとは思うが。そういえば今日、友人に創作(オリジナル)する時に何から考えればいいのかわからない、という話をされ、私はこういう順序で話を作ることが多いと言ったら、何か合点がいったような箇所があったらしく、良かった。完成したら身内で集まって同人誌即売会の真似をするらしい。すごく楽しそう。彼女のオリジナルBL漫画を読める日が待ち遠しい(今回はとりあえずはBLで、ということになったらしい。他テーマの作品もどんどん描いてもらいたい)。
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postpet-kumayashiki · 6 years ago
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御先祖様ー(≧∇≦*) プルートの兄弟の110ー(≧∇≦*) フィガロの兄弟の210ー(≧∇≦*) ボンゴの兄弟のラテマカー(≧∇≦*) そして、QRIOー(≧∇≦*) #SONYストア札幌 https://www.instagram.com/p/Bvqrt4sA3or/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1suayxgi5nbll
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monk-of-figaro · 3 months ago
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As always, when @wsancho posts about the Figabros, pay attention.
This line in particular hit me like a boulder:
Sabin was going to leave no matter what, and Edgar was going to stay no matter what. The coin didn’t decide for them, and neither did Edgar. Edgar’s words say it all: the coin meant to free Sabin of guilt, not of duty.
That is so powerfully, painfully true. Amazing insight. My eyes aren't misty, YOURS are. 🥺
The unconditional Figaro love
It’s mah bois’ birthday!! 🥰👑🐻
I meant to post fanfiction, but I started late and couldn’t finish on time. Plus the fic got some angsty shit going on, and I refuse to soil this day with that 😤
Today we celebrate!! 🎉🎂🍾🥂🎊
Today I spam and ramble 😌
Many of us (by which I mean me, ESPECIALLY ME) fantasize/glorify/fetishize twin relationships, but I have seen twin siblings saying that “it’s not a magical thing, anyone could have that type of deep bond with another person”. The intensity is what sets it apart from the rest, and it could range from the most sickening possessive hate-filled control, to the most detached accepting and nourishing love, passing through the clingiest and most crippling forms of codependency.
I got my own obsessive and ridiculously exaggerated bias about the Figaro twins, but I have seen several playthroughs where they stand out to the player as “the representation of brotherly love”. Even before getting the brothers’ cutscenes (in some cases the players happen to miss the coin scene and/or the reveal at the airship).
People this is brutal, don't do this 😭💔
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But it’s always clear that there’s genuine love there.
The word "love" is often misused and abused. When I use it to talk about the Figaro twins’ relationship, I mean unconditional love, as in:
No strings attached
No expectations or demands
No judgment or condemnation
No impositions
No control
Accepting without enabling
Generous without creating dependence
Respectful
Peaceful and calming, because of all of the above
In past posts I mentioned Edgar’s controlling and condescending actions, and also his very codependent nature. Also Sabin’s departure can be interpreted as selfish. Before I backtrack elaborate on that, I think it’s important to suspend disbelief approach the subject of love with the knowledge that each and everyone of us is imperfect, but perfect love is always achievable and within reach. Our deficiencies make it painful, but not impossible.
Let’s get to it!
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Edgar taking over as king is the most obvious loving act, because it’s scripted, but the depth of it is revealed in such a subtle and missable way, that forces the viewer to pay attention and to think harder about what we’ve learned about the brothers up to that point. It’s shown in a modest way, as modest as Edgar has been about the action itself. Love does not need praise or recognition, it is its own reward.
Was this condescending? It’s debatable.
Is it condescending to use simpler vocabulary when you speak to a small child? Stepping down from where you’re at to meet the other at their level is respect, not condescendence. To think yourself above the other because of some advantage you have, is condescendence.
Someone described the rigged coin deal as “Edgar letting his brother abandon familial duty while saving face”, and I believe this is a misunderstanding. Sabin doesn’t need to “save face” and Edgar doesn’t see it that way. Sabin was going to leave no matter what, and Edgar was going to stay no matter what. The coin didn’t decide for them, and neither did Edgar. Edgar’s words say it all: the coin meant to free Sabin of guilt, not of duty. Even if Ed breaks his own heart with the outcome.
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An even more modest and almost always overlooked act of love (even in real life) happens when the brothers have a little moment alone while mourning their deceased father. Sabin is lashing out at everyone, he even pushes an old lady (the High Priestess) and unfairly accuses her of being as heartless as the Figaro politicians. Again we see Edgar being very tactful and just allowing Sabin to let it all out.
When one gets emotional and others start with the “don’t cry”, “it’s all for the best”, joke-to-make-you-laugh-because-your-pain-makes-ME-uncomfortable... This is all toxic positivity. It’s very refreshing to see that mah bois don’t do this to each other.
There’s even more missable stuff here. In this moment when Sabin cannot contain his rage, is that Edgar tells him pretty much that the politicians are right: the kingdom needs to be looked after. Now this would be a perfect trigger to Sabin, but instead he’s disappointed (of the outcome, not of Edgar). He doesn’t yell nor tries to convince him. Attempting to persuade would be to disregard and disrespect the other's concerns (this goes both ways). At his lowest and most volatile, Sabin is still capable of fully accepting Edgar. In this moment he couldn’t disagree more with Edgar’s views, but chooses to respect him and to still follow through with his own decision, even if it breaks his own heart.
When Edgar makes the proposal, Sabin lowers his head and won’t even look at him or the coin. It's not the bet what matters, he’s just sad Edgar won't join him (we know Sabin doesn’t judge Edgar, and is very proud of him as king and as a person).
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Would it have been better if Edgar was sincere? No way to know, but the kingdom was in urgent need of leadership. 10 years later Sabin is still carrying guilt, and we know this because he’s the one to bring up the subject at the end. No one blamed him, not one questioned him and yet he needed to speak up about it for some reason.
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Edgar was right in assuming that Sabin would be troubled, and hoped that a little nudge would help him trust his own instincts. But regarding the condescendence part, I think what messed with Sabin was that Edgar kept to himself for a bit too long, making Sabin feel left out 🥺 And I see this as an innocent miscalculation on Edgar’s part. He’s good at reading people, but not infallible.
Is it condescending to use non-technical vocabulary to explain physics to a child? Not at all, unless that child happens to be Michio Kaku, who built a particle accelerator in his parents' garage.
As children the twins spent a lot of time apart due to Sabin being constantly ill and bedridden. By circumstance Edgar would observe and learn things around the castle that Sabin could not. Sabin would necessarily be at a disadvantage in his ability to understand political games. In shielding Sabin, Edgar is giving him the chance to assimilate reality at his own pace, even if it gets lonely for Edgar.
But 10 years later they’re back together, and Edgar doesn’t really know the person Sabin has become (I'm more inclined to think they maintained little to no communication, the only part I have not pulled an explanation out of my ass cannot justify is how casual they are when meeting again at Mount Kolts), so Edgar still treats his brother as he always did, only now trusting that he’s big and strong and healthy and can take care of himself… But he’s not aware of Sabin's growth as a person (and to be fair, Sabin clearly has some more growing up to do). Edgar keeps to himself because he wants to prevent Sabin from returning to Figaro out of guilt, he wants Sabin to have his freedom always. This is where he miscalculates, because he never knew where Sabin was coming from:
Sabin didn’t want to be away from Figaro, he wanted to define his own individuality without their influence
He never intended to stay away for good, he intended to come back and contribute in his own way
He didn’t join the Returners just because there was an emergency, he joined because now he knew the part he could play in the big picture
As mature as Edgar is, he’s a bit damaged and never really gave himself the chance to prioritize his own needs, it might even be a blindspot. The skirt-chasing seems to be the only thing he does for the pure pleasure of it, but even that ended up turning into work, at least once. This is why I said in a previous post that it would take patience on Sabin’s part to get close to him again. Because for Edgar to feel assured that Sabin came back of his own free will, it would require a clear and repeated pattern where
Sabin demonstrates that he sees the castle as home and does not feel aversion towards it
Sabin comes back during times of peace, when there’s no emergency and no threats to deal with, he comes back and stays because he wants to, not because he has to
Sabin shows genuine interest in government matters. Otherwise Edgar would not burden him with any of it
Sabin stays as carefree and joyful as always. That’s all Ed wants for his little bro, whom he thinks he still needs to protect (again, nothing but an error in judgment)
And only then would Edgar maybe possibly perhaps probably consider sharing more of his concerns allow himself to rely on Sabin Sabin to shoulder some of the burdens 🫠🫠🫠🫠
From what my biased ass infers, I think Sabin is doing all of that, to extent of his possibilities. It’s hard to love someone who’s so guarded. Yet Sabin is doing exactly that. It’s not just about getting Edgar to reciprocate and grow out of his ways. In staying close while demonstrating confidence, Sabin is allowing Edgar the chance to assimilate the new reality at his own pace, even if it’s lonely for Sabin, because if he pushes, this might turn Edgar too self-conscious.
Love is not for the weak, and mah precious Figaro twins are fucking powerhouses 😤❤️💪🏼👑🐻
Braindump list here.
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monk-of-figaro · 8 months ago
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Fancake(?): magicfighters (via Twitter)
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Similar to the double-sided coin that I bought myself for Christmas, magicfighters (a.k.a. まいむさん) designed another "coin" featuring the Figaro brothers.
"Coin" is in quotes because it's actually a design for a cake. This is for a 30th anniversary event for Final Fantasy 6 being held in Osaka called 「Prosit ! ~30年目の仲間に~」, which Google translates to "Prosit! ~Join us for 30 years~".
(Incidentally, if there are any FF6 30th anniversary events in the U.S., I'd love to know about them!)
Magicfighters really put in some cool details in the limited space available. I love how Sabin seems to have the series-recurring Tiger Fangs weapon equipped. And Edgar has his signature hockey mask. One can only hope he's ready to cut the cake with the matching chainsaw.
You can check out more of magicfighters works here:
https://twitter.com/magicfighters
https://www.pixiv.net/en/users/4393817
The Prosit anniversary event posts updates here:
https://twitter.com/ff6_prosit
http://www.yonkoma.com/ff6/
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tinamaciasfkfk · 4 years ago
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冬仕様
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eggenburgprinzessin · 7 years ago
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[Theater an der Wien でヘンデル『サウル』を観る]
2年ぶりの冬のウィーン。到着して翌日、アン・デア・ウィーン劇場でヘンデルの『サウル』を観た。『サウル』は1739年にヘンデルが手がけたオラトリオ。オラトリオとは、聖書の物語や説教・祈祷をテーマにした声楽曲で、元来、宗教音楽として教会で演奏されたが、ヘンデルの時代になると、この『サウル』のように、旧約聖書の劇的な物語を「台本」のように扱い、演奏も教会ではなく世俗のホールで、普通のコンサートのように行われるようになっていた。このオラトリオにこそ、のちのオペラのルーツを見出そうとする説もあるが、とりわけヘンデルに関しては、作曲家が膨大なオペラ作品とほぼ同時進行的におびただしい数のオラトリオを作曲していることから、その作品リストからは、この二つのジャンルのつながりを読み取りやすいかもしれない。
なかでもこの『サウル』は、楽曲構成からみてもかなりオペラに近い性質を備えているため、「オラトリオからオペラへの変容過程」の格好の実例として取り上げられ、さらに今日では、もともとコンサート形式で演じられたこの作品に、演出と舞台・衣装を加えてオペラとして演奏されることがよくある。
 ベートーヴェンの『フィデリオ』初演の劇場として知られるアン・デア・ウィーン劇場(1801年落成)は、現在、ウィーンにおいて国立歌劇場に次ぐ「第二のオペラ座」を自負している。ただ、オペラの殿堂、国立歌劇場とは異なり、レパートリー制ではなく、毎年、いくつかの作品を完全新演出で、基本的に再演なしの1シーズン限りの公演として舞台に上げてきた。こうしたシステムだからこそ、上演時間が極端に長いヘンデルのオペラや、やや難解な現代作品などを、歌手だけでなく演出やアンサンブルも超豪華客演で固めて企画することができるのだ。歌手にとっても観客にとっても長時間演奏が厳しい条件となるバロックオペラを発掘してはコンスタントに発信してきたこの劇場の功績は、きわめて大きいと言えるだろう。とりわけ、ヘンデルのオペラは、その規模や古楽器使用の点からみても、1800人収容の国立歌劇場よりもむしろこちらの古い劇場の方がずっとふさわしい。
さて、この劇場で私自身、2010年ごろから断続的にではあるが、ヘンデル・オペラを見てきている。しかし、「アリオダンテ」や「アグリッピーナ」など、どれを思い出しても全くいい印象がない。私の個人的印象だが、ヘンデルは「水上」ならぬ(笑)「天上の音楽」で、まさに、死後に天国なるものが存在するのであれば、そこではこのような音楽が天使たちによって奏でられているのではないかと、どの曲であれ、そんな妄想が膨らんでしまうわけだが、アン・デア・ウィーン劇場のヘンデル・オペラは、ほぼ例外なく、私のこの勝手な妄想をことごとく破壊するようなものだった。繊細で流麗な音楽に反発するかのように、舞台と演出はあまりに暴力的で象徴的。舞台で繰り広げられている行為と、原作のプロットとの著しい乖離は、音楽に集中することを妨げるレベルのものだった。
今回の「サウル」を手がけたのは、ドイツ語圏でまさに飛ぶ鳥落とす勢いの演出家、クラウス・グート。そして、グートに関してもこれまた全然いい印象がないのである。2010年前後にザルツブルク音楽祭で彼が手がけた「ドン・ジョヴァンニ」と「フィガロの結婚」は、原作のコケットをエロティシズムに変容させること���、18世紀のオペラのエレガンスを完全破壊していたからだ。
 今回の歌手はタイトルロールにフローリアン・ボッシュ、ダヴィデにカウンターテナーのジェイク・アルデッティ、その他、サウルの娘メラブ役で準スターソプラノ、アンナ・プロハシュカも出演。ピットはフライブルク・バロックアンサンブルで、指揮はローレンス・カミングス。オラトリオで重要な役割を果たすコーラスは、アーノルト・シェーンベルク合唱団。
古楽の名門、フライブルク・バロックアンサンブルの音楽は、もうほろほろと心がほどけるほど美しい。ナチュラルトランペットやホルン、フルート・トラヴェルソの安定感などは、もうさすがというほかない。ただし、カミングスの指揮のスタイルがあまりに個性的。指揮棒は用いず、右手は何かを指差すような動作で、その人差し指をくねくねとミミズのように妙な感じに動かして音を作っていく。かなりパッショネートなタクトで、一応チェンバロの前に座った弾き振りなのだが、チェンバリストは別に控えていて、彼自身は鍵盤にほとんど触れず、時には立ち上がって舞台に向かって大口を開けて声を出さずに歌詞を先導?しているような時すらある。そして、この一風変わった指揮がなんとなくヘンデルの音楽に独特のビート感を作り出していく。仕上がるのは、当然、オーセンティックというよりはノリノリのヘンデルだ。
オペラのあらすじは旧約聖書通り。紀元前10世紀ごろのイスラエル王国の王、サウルは、アマレク人との戦いをめぐり神に見放され、後継者として巨人ゴリアテを倒した牧人ダヴィデに聖油を注ぐと、神の心はダヴィデに移る。民から英雄とみなされ、慕われるダヴィデに嫉妬したサウルは、一時は娘を娶らせようと約しながら、やがてはその命を狙うようになる。我が身を守るためサウルを殺す機会があったにもかかわらず、ダヴィデはサウルが王であることを理由に一切手を出さず、和解を求めようとするが、サウルの妬みはとどまるところを知らず、ダヴィデと義兄弟の契りを結んだ息子ヨナタンをも殺害し、自らも戦争で敵に追い詰められ、槍の上に身を投げて自殺することに。ダヴィデはいたく悲しみ、嘆きつつサウルの娘たちと弔いを済ませてから、いよいよ王の座に就き、イスラエル王国を担う若い君主となる。
クラウス・グートの今回の演出は、原作と違う別のストーリーを創作して無理に押し込めるのではなく、この原作をベースに、人間の支配欲・名誉欲、そして嫉妬や憎しみという感情をシンボリックに描いて、決して悪くなかった。嫉妬と愛情のアンビバレントを、身体を硬直させ、痙攣しながら表現したボッシュは、古代の物語という個別性から離れ、人間が共通してもつ普遍的な負の感情を具現化して好感が持てた。そして、合唱団。ソロ歌手とともに舞台に上がって演技するが、こちらはピーター・セラーズ演出によるベルリンフィルでのバッハ、マタイ、ヨハネ両受難曲を思わず連想させた。手の動きを巧みに使って「集団」の意思や感情を表現するのだが、ただし、グートの作り方はセラーズよりも動きが整然としていて、黒い背景に黒い服(終盤はこのコスチュームが純白に変わる)と、ライティングで強調された白い手の動きとコントラストが美しく感じられる箇所がいくつもあった。
初盤でダヴィデを認めながらも激しい嫉妬に苛まれ、白い壁に巨大文字でSAULと記す王。権力とは、そして、自らの名を後世に残したいという欲望は、これほどまでに人を虜にするものなのか。そして、善き心と正義感に満ち溢れた若い英雄だったダヴィデが王座に就いたとき、サウルがしたのと同じ重い身振りでその文字をDAVIDと書きかえるエンディングは、権力者の存在がその後2000余年にわたってもいまだ決して消え去らない現実を暗示しているようで実に感慨深かった。
ただし、現代にも通底する人間の醜く激しい感情をぶつけて表現し、曲を作り上げていくことになるので、その当然の結果として、歌手たちの歌唱の重点は、必ずしも美しく歌うことには置かれない。ヘンデルの声楽曲といえば、聴きたいのは歌手泣かせの長いコロラトゥーラのアリアだが、ほとんどの歌手がこの歌唱技法を放棄しているように見えた。最近のバロック作品の演奏で気になるのは、声を伸びやかに出さず、地声で語るように歌う歌手��多くなっていることだ。本日だと、司祭役のマルセル・ビークマンなどはその典型だったし、名演技で魅せたバリトンのボッシュもどちらかといえばこのタイプだ。ヘンデルのバリトン・アリアは、腹でしっかり支えながら力強く喉を使って歌うのが旧来のスタンダードで、女性のコロラトゥーラとはまた違った魅力を醸しだすものだ。これは素人目から見ても相当ハイレベルの歌唱技術を要する歌い方だが、こうしたアプローチが人気を失い、少しずつ消えていくのは残念だ。
アンナ・プロハシュカは、開幕前に支配人からのアナウンスがあり、この寒さで喉を痛めているらしい。いつもよりは若干声が弱い気がしたが、印象としては、体調にかかわらず、あまりヘンデル向きの歌手ではないのではないか。ザルツブルクなどでも本当に見事なモーツァルト・オペラのいくつかの役を聞かせてくれた名歌手ではあるが、モーツァルトとバロックオペラはまた違った世界であることも事実なのだ。
こうしてあれこれいろいろある中で、突出して歌が見事だったのは、何と言ってもカウンターテナーのアルデッティである。声が安定していて、喉の回し方も見事。やはり、カウンターテナーのパートはほぼ古いオペラにしか登場しないので、今回のキャストの間でも、このジャンルを最も知り尽くしていたアーティストがアルデッティだったのではないだろうか。
 さて、ヘンデル愛好者として、個人的には古い牧人劇とか宮廷劇のようなしつらえの舞台を観たいタイプである。今回の「サウル」はもともとオラトリオ作品なので多少の遊びはあってもいいとは思うが、気持ちごとバロック時代に持って行ってくれるような本格的なパロック・オペラに出会ってみたいものだ。
 実はここ二週間ほどは、ウィーンの音楽シーンはいわば「ヘンデルまつり」状態で、なんと国立歌劇場では、ウィリアム・クリスティーが、オペラ『アリオダンテ』を振っている。こちらもすごく楽しみだ。
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