#パンパン夫妻
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今天是夜間部同事,也是日間部室友,一個重大的日子。(說法很老派) 決定要promote她為我們烘焙坊的榮譽老闆,(強迫中獎!!!) 然後在這一天一起慶祝她『生日快樂』!(生日禮物?!) 雖然烘焙麵包,都是我們喜歡的,但還是要謝謝她,願意支持我在這個年紀,轉職進入一個新的工作領域。 用我們喜歡的麵包口味,最放感情地親手製作,採用健康、自然的原料,希望未來大家都有機會品嚐與喜歡。 寫這一段因為老闆千叮萬唸的粉絲團、IG...等,我今天終於生出來了!!! 也親手做了一個指定口味的Begal作為生日蛋糕,(生日蛋糕?!吃不完的麵包) 希望她能夠健健康康、平平安安、心想事成。 未來想吃什麼麵包,有什麼麵包啊~~~ (拍胸脯) 最後,��迎大家來驗收一下...... 有力出力訂閱、按讚、分享、follow,嗯~ 還沒有小鈴鐺可以開啟。 大家好! 我們是胖(パン)胖(パン)夫妻 粉絲團:https://www.facebook.com/profile.php?id=100089161992299 IG:https://www.instagram.com/panpanhw/ Line官方帳號:胖パン胖パン夫妻 #老婆生日快樂 #主角很忙在加班又沒化妝不願意露臉 #去外面吃飯沒化妝ダメ #人美放舊照片就好 #胖胖夫妻 #パンパン夫妻 #記得按讚訂閱分享追蹤 #試營運中 https://www.instagram.com/p/CpDUjo0vj1yKzwNmn9glsXRRo3FoLFDEXRBQGg0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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24.03.05
眠る、食べる、本を読む。いぬと遊ぶ。それ以外のことはほとんどしていない。スキニージーンズがパンパンになっている。ズボンが縮んだのか、私が膨らんだのか、確率は五分五分といったところ。ヨシフ・スターリンは妻が自殺した際に「自分は悪い夫だった」と吐露したらしい。なんだかそれ以前の問題のような気もするけれど、たしかに悪い人でありながら良い夫であるということも理論的には可能なのかもしれない。雨がぴちょんぴちょん言っている。頭がズキズキと痛む。自分は悪い人でした。
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涙雨
「_もしもし。今からこっち向かって何時?」毎度の事ながら用件より先に確認が入りなんのこっちゃ分からず話を聞くと、祖母が心停止で病院に運ばれたとのこと。出先にいたもんだから急遽新幹線の最終を調べて、ギリギリ乗れるか乗れないかの時間で、一緒にいた人に頼んで自宅に向かって急いで準備をして駅に向かった。準備をしながら頭に過ぎるのは『_そっちに行くって事はほぼほぼじいちゃんばあちゃんの死に目に会えん思うとけよ?ええんかそれでも。帰らんってことはそういう事じゃけぇの。』という父の脅しにも近い言葉。引き留める材料のひとつに過ぎないと思い込んでいたけれど、まさか、いや大丈夫と信じながらとにかく急いで荷物をまとめて車に乗って、たった数分の距離を送ってもらった。その間に入ったLINEで、間に合わなかったことを知らされた。ただ、車内で悲しんでいる時間もなく改札に向かわないとその日中に帰れないから「とにかく無事に帰っておいで」との言葉だけ貰って、ギリギリ間に合った最終に乗って地元へ向かった。
翌朝いろいろ準備をし、父の車に乗り込んで会場へ向かった。その時父から言われた言葉が「顔見るんちょっとだけ覚悟しとけ。」とのこと。どういうことなのか聞くと、亡くなる時まではいつものお顔だったけれど、亡くなったことで身体の機能が止まり体内に溜まってしまった空気やらが中から皮膚を圧迫して身体や顔がパンパンに腫れてしまっているとのことだった。言葉で聞いただけではよく分からないまま会場につき久しぶりに祖母に会うと、確かに聞いた通り別人にも思えるほどお顔が違ってしまっていた。間に合わなくてごめん。地元にいればあの時間は間に合ったはず。間に合っていれば最期にいつも通りのあの優しい顔が見れたんじゃないか_。そんな思いが一気に駆け巡り��が溢れた。ただ同室には最愛の妻を亡くした祖父と、愛情を注いでくれた唯一無二の母を亡くした父のみ。私が泣いていられない、と必死で堪えた。通夜の準備の中で納棺師さんに処置をしてもらって少し腫れを抑えてもらって、化粧をしない人だったから初めて化粧をしたお顔を見た。どうしても腫れは引かないけれどやはりお顔は普段の優しいお顔だった。無事通夜も終わり、実家の片付けをしていると祖母の写真を一枚も持っていないことに気付いた。父に聞いても自分も持っていないと聞き叔父から式で飾られた写真の原本を頂いた。手芸が得意な人だったから葬儀が終わってから作品も貰う約束をした。
更に翌朝。地元は雨。葬儀に雨が降るとその方が人生を全うされたという意味があるらしいと何処かで聞いた気がする。涙雨ともいい私は今日の雨を覚えてたくて空の様子をカメラに収めた。再度納棺師の方が来られ綺麗にして貰ってようやく表情が見て取れるまでになった。葬儀も終わりお別れの時。祖母が作った作品達や普段着ていた服と共に私の好きなお菓子が入れられた。私が行くと必ず出してくれてたお菓子で、関東に出た事も知らずずっと買っててくれたんだと思うとまた涙が溢れる。花を飾りながら、間に合わなかった事を悔やむよりもこの選択を必ず正解にするから、と祖母に誓った。最期の姿も全部全部目に焼き付けてきちんと空へ見送ることが出来ました。
すべてが終わり祖母の家へ向かう間、祖母を預けて貰って一緒に移動した。祭壇を自分達で組み立てる為に荷物を運び出してる中で私と祖母で車内ふたりになる時間があった。その中でももう一度約束をしたり、様々な感謝を届けさせてもらった。家に入りみんなで祭壇を組み立てて、祖母と一緒にお寿司を食べていい時間を過ごす事が出来た。帰り際祖母の作品を貰うことが出来た。手作りのお手玉。不器用な私を尻目に「なーんでこんなんも出来んの?」って得意そうに4つも5つも投げて笑ってた祖母を思い出してお手玉を選んだ。小さな麦わら帽子は可愛くて気に入ったから。汚したり無くしたりもしたくないけれど身につけて歩こうかな。ちょっと考え中だけど素敵なプレゼントを貰うことが出来た。
突然過ぎるお別れに気持ちがついてこないんじゃないかと思ったけれど、通夜と葬儀でちゃんとお別れすることが出来た。後悔に苛まれるのではなく意味あるものにしなければ。頑張るけんね。しっかりやれるけ大丈夫よ。ただ後ろ向きかけたら「なんしょんよ」っていつもみたいに背中叩いて。とにかく頑張る。またお線香上げに帰るけんね。たくさんたくさんありがとう。
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今週は週明け月曜日からバタバタしていた。夜はハンブルク大学のTomas先生と中島先生ご夫妻とのお食事会。ドイツ料理を所望された中島先生の御期待通りドイツ料理を食べる。私はクリームソースの中に浮かんだ巨大ミートボールを3つ食べて、サイドディッシュとして別皿に盛られた茹でたじゃがいもと、これまた別皿のビートをきれいに平らげてしまった。それにデザートとして生クリームと木苺類のジャムの上に、温かい甘いユルユルカスタードクリームをかけて食べる北ドイツのデザートも食べてしまう。美味しかったけど、お腹パンパン。
火曜日はSwedenの研究者仲間と打ち合わせ。その後NZから来ている研究者とデジタル市民のデータ保護権利についての打合。水曜日は午前中、気候変動COP27の報告会、午後は中島先生の講演会を夜まで。NHKの取材クリューがビデオを取っていたので、私も映るかな。その後、中島先生の御宅でお茶。木曜日は午前中から東大のTokyoForumとNHKの取材のお付き合い。3時には3本目ワクチンを打ち、7時からハンブルク港の昔からあるカンティーンで豚肉三昧、ソーセージ、ハラミ肉(belly)と肩肉の茹でたもの、芋とケールを食す。今日は、朝からハンブルグ研究所で経済学者達を集めた資本主義の問題についての一日ディスカッション、夜は、TNI側の代表研究者だったIsabelの御宅で、スパゲッティを作って、有志で喋る。今週だけで10キロ位太った感じ。食べ過ぎです。
ワクチンを打ったショックからか、メニエールが無くなった! これは嬉しい。注射を打ってくれたTNI創設者一家の医者Roemmelt先生は、ベルリン・フィルの専門医でもあるらしく、ヴァイオリニストのヒラリー・ハーンも、ドイツ滞在中に診ていたらしい。診察室に通されて、暫くすると、白衣姿の80歳近いと思われるRoemmelt先生が入ってきて、日本の近代医療は19世紀にドイツから輸入したのだと、説教を始める。そして、日本は輸入したものは大事にするので、日本に行くと、未だに19世紀の素晴らしかった頃のドイツの面影が垣間見えるのだ!という。ひとしきりドイツ自慢をしたあと、おもむろに私にマスクを取れというので取ると、まず一言、顔の左右対称のバランスが良いと言う。私は思わず、はぁ?というトボけた顔をしていたのだと思うが、暫く人の顔を見つめて、お前の顔は人の良い顔だ!と言い切る。
なんだよ、こいつヤブ医者かい?と思ったが、お前は何をする人間か?と尋ねて来るので、哲学と音楽を嗜むと答える。そこで音楽の話からヴァイオリンの話になり、���が如何に幼少期にドイツの女性ピアノ個人教師が嫌いだったかを話してくれる。髪の毛をソフトクリームみたいな形に整えて、間違えると折檻する先生だったらしい。でもさ、お前さっきまでドイツが如何に素晴らしかったか、わしに説教しとったやんとツッコんでみる。先生は一瞬タジるが、Nein!Aberそれはピアノ以外の事を言っていたのだ!というので、ふーん。でも、ドイツにも素晴らしいピアニストおるやん。と言ってみる。そうすると彼は、いきなり診察室の椅子に座る。そう今までずっと立って喋っていたから!椅子に座った先生は身をかがめて、私の目を見つめながら、わしは音楽は好きだけど、ピアノを弾く才能は無かったし、あったとしても、あの女性教師に道をたたれたのだ。と悲しそうに、しかし、確からしく言い切る。そっか、じゃ、次の人生で頑張ってくれ、と言うと、朗らかに笑う。気に入った患者とは喋るのが大好きな先生らしく、おばあちゃんの看護婦が慌ただしく入ってきて、先生を見るなり、慌ただしく出ていく。注射道具一式は目の前にあるのに、先生は喋っているだけ。
おばあちゃん看護婦さんが、次の予定を言うと、シブシブと書類にサインして、わし、こいつと喋っているからお前注射打てと指示。おー。まぁ日本でも看護婦の仕事だからねーと、腕まくりすると、ドイツ語分かるんかい?!と目を輝かす。いや、分かりませんとドイツ語で返すと、もうドイツ語で色々喋りまくる。看護婦さんは淡々と注射を進める。筋肉注射だからリラックスしてほしいからと言いながら、私ではなく、立ち上がって上機嫌で何やらドイツ語で喋りまくってくるRoemmelt先生に、静かにして下さい!!と先生をたしなめながら、先生と私の間に割って入ってくる。私、苦笑い。先生は、oh,jaじゃ注射打ってる間はリラックスできるように英語で話そうと、英語に切り替える。わし、ほなら日本語にしてくれると、もっとリラックスできるんやけどと切り返すと、看護婦さんを押しのける勢いで大笑い。彼が大笑いしている間に、無事、注射された。また、いつでも来いと言われたが、嫌だ病気になりたく無いので、貴方にはあまり会わない方が。。。と言うと、急にイヂける。そんな事言わないで来て!という、不思議なお茶目な医者だった。
街は一気にクリスマス・マーケットで賑わっている。そしてカタールの人権問題に苦言を呈していたドイツは、サッカーを負けたことで喜んでいるらしい。日本は、カタールの人権問題に異議が無いというか、報道されていないと言うと、無知であるから予選勝てたのねと言われたので、そうね、あーた達がカタール開催を問題に思っている事を知っているから、日本はドイツに勝ってあげたのよ、と言うと、ありがとう!と返された。TNIの外でドイツ人達と話すのは楽しい!少しずつ、ドイツを楽しむようにしなきゃ。
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
胎内被爆者の綴り方
<はじめに> 長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。 しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。 今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。 そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。 また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。 それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日> 1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。 その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートで��のように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。 これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出> 私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」 話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。 Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。 あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと> 伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。 私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って��足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶> 私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。 さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと> 私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません���その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。 そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。 私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。 それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。 また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で> 私が被爆者で��るということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。 家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。 初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。 孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に> たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれ��「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに> この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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絞りすぎちゃってごめんなさい
爆乳、超乳、母乳、女子高生、人妻(未亡人)。女子高生の母乳が飲みたくて書いた
「うちの子が絞りすぎちゃったので、よかったらもらってくださいな」
ピンポーン、と呼び鈴が鳴ったので、何事かと思って出てみると、隣に住んでいるとある夫人が、一本の牛乳瓶を差し出して来ていた。
「牛乳、……ですか? ありがとうございます、ぜひもらっておきましょう。搾乳体験にでも行かれたんで?」
「ふふ、……まあ、そんなところ。あの子ったら張り切ってたくさん絞るものですから、もう飲みきれなくって、――はい、どうぞ」
と、貰い受けた牛乳瓶は、まだほんのりとあたたかい。
「おお、搾りたて」
「もちろん、さっき絞ったばかりですもの。あたたかいうちに召し上がれ」
「いやあ、美味しそうです。すみません、お返しもなくて、大切に味わいながらいただきます」
「お返しだなんて、……やっぱりいい子ね、あなた。ふふっ、ではごきげんよう」
と、夫人は堪えきれない笑みを浮かべながら手を振ると、
「ぜひ感想をちょうだいね」
と一言云ってから隣の玄関へ入って行った。
さて、僕の腕の中にはおよそ1リットルの牛乳瓶に、なみなみと注がれた牛乳があるわけだが、とてつもなく卑猥なことを考えてしまうのは何故だろうか。
決まっている。あの夫人から「絞りすぎちゃったので」と云われて手渡されたものだ、卑猥なことを考え無いほうがおかしい。
順を追って説明しよう。まず、先程僕が出会った夫人と云う女性は、ものすごく美人なのである。それはもう、立っているだけでも目がくらみ、歩くだけでも見とれてしまうほどに美人なのである。おっとりとした目元に、日本人らしい長い黒髪に、ぷるんとした弾力のある唇。……あゝ、思い出すだけでも鼻の下が伸びてしまう。
次に、現在の境遇。これは何ともかわいそうな話なのであるが、すでに夫を失っているらしく、今は実家の援助を受けながら、高校二年生になる娘と二人きりで暮らしていると云う。要は未亡人である。未だに再婚をしないのは、一途な夫への思いからだろうか、それとも別な理由からなのだろうか。何にせよ、美人な未亡人というものには、何か惹かれるものがある。
そして3つ目、彼女の体つきがものすごいのである。最初見た時には我が目を疑ってしまった。ほっそりとした腕に、いかにも健康そうな足元に、女性らしい��なやかな腰回りを持つ彼女の胸元には、冗談のような大きさのおっぱい、おっぱい、おっぱい。……顔よりも遥かに大きなそれは、30センチは胸から飛び出しているだろうか、彼女が歩く度にゆさゆさ、ゆさゆさと揺れ、背中側からでもその膨らみが確認できる。綺麗な丸みは首の下からいきなり始まったかと思いきや、彼女のおヘソの辺りでいきなりキュッと引き締まって終わる。階段を上り下りする時には、たぷんたぷんと波打ち、エレベーターで一緒になった時などには、どこまでも続いて行きそうな谷間の入り口が姿を覗かせる。
一体何カップだろう? U カップ? V カップ? いやいや、Z カップだと云われても不思議ではない。昔、スイカをおすそ分けされた時、かなりの大玉であったのにも関わらず、おっぱいの方がずっと大きかったのだから、カップ数にすると普通でなはないことは確かである。
なればその血を受け継いだ娘がどうなっているのか、――それが最後の理由である。
夫人のおっぱいは冗談のような大きさだと云った。が、娘のおっぱいはそんな言葉では形容し得ない。非現実である。現実ではありえないのである。高校二年生にして母親を遥かに超えてしまったそのおっぱいは、直径にして約50センチ、方房だけでも米俵のように大きく、立てば腰よりもさらに下、太ももの辺りまでを膨らまし、振り返ろうものならブウン! と風切り音を発生させ、廊下などで行き違おうものなら、もはや相手を包むようにして通り過ぎなければならない。
まさに超乳。世の中の女性はおろか、母親のおっぱいですら、あの子のおっぱいからすれば小さく感じてしまう。しかも、未だに成長を続けているのである。一ヶ月前にはゆとりのあった特注の制服が、今ではおっぱいに耐えきれず、巨大でゴツゴツとしたブラジャーの模様が、薄っすらと浮かび上がっているのである。以前、親子二人と一緒にエレベーターに乗った時、
「こら、擦るとまた制服が破れるから気をつけなさい。高いんだから、……」
と母親に云われていたので、もうその瞬間が訪れるのも時間の問題かと思われる。
ここまで述べれば、僕がただの牛��瓶を持つだけで、とてつもなく卑猥なことを考えてしまう理由がお分かりになろう。
――うちの子が絞りすぎちゃったので、……
――ふふ、まあ、そんなところ、……
――さっき絞ったばかりですもの、……
夫人のこの言葉には、あのおっぱいのように、とてつもない膨らみが隠れているような気がしてならない。特に、「搾乳体験に行かれたんで?」と聞いてぼやかされたこと、そしてこの、未だに人肌程度のあたたかさを保つ、牛乳のやうな白い液体。……
云っておくが、この近くには牧場なんて無い。こんな瓶に入れて持って帰れば必ず冷えてしまう。
――いったいどちらのなんだ。
僕の疑問はもはやそちらにあった。子供が高校生にもなって未だに出続けることも、その子供が妊娠もしていないのに出ることも、常識では考えられないが、あの親子のことである。母親の巨大なおっぱいから���だに母乳が出てもおかしくないし、娘の非現実的なおっぱいから母乳が大量に溢れ出しても、もはや不思議ではない。
僕は早速牛乳瓶の蓋を取った。二人の顔を思い浮かべながらコップに注ぎ、「いただきます」と呟いてから口に運ぶ。飲んだ感想としては、ものすごく美味しかった。芳醇な匂いも、濃厚な味も、喉を伝うコクも、どれも市販の牛乳を遥かに凌駕していた。明らかに、牛から出てくるようなものでは無かった。まあ、あの親子のことを牛のような、と、形容しようと思えば出来るのだが。……
明くる日、ゴミ捨て場から帰る際に呼び止められたので、振り返ってみると、夫人がにこやかな笑みを浮かべながら、小さく手を振っていた。彼女もまたゴミを捨てに来ていたのであろう、カットソー一枚に、ひらひらとした長めのスカートを合わせたラフな出で立ちで、腕やら腰回りやらはひどくゆとりがあるが、胸元はもうパンパンでパンパンである。なんだかいつもよりもゆったりとした服のせいか、巨大なおっぱいが、さらに巨大に見える。……
「美味しかったかしら?」
「ええ、とっても美味しかったです。一気に飲んじゃいました。いったいどこの牛乳だったんですか? ぜひ僕もこの手で絞ってみたいんですが。……」
と、少々意地悪く聞くと、夫人は少女のような可愛らしい顔を浮かべて、人差し指を口元へ持っていく。
「――ふふ、内緒。美味しかったのなら、それでいいわ」
「ええー」
「そんな顔しないの。今日も絞りすぎちゃって、まだたくさんあるから、……ね?」
「やった!」
「ふふふ、また後でいらっしゃい。搾りたてを用意しておきましょう」
それから世間話をしつつ、僕たちはアパートのエントランスに戻り、エレベーターに乗り、少しばかり陽に照らされた町並みを眺めてから、お互いの玄関の中へ入って行った。
まだ日も高くなっていないような早朝である。「もう一時間か、二時間くらいお待ちいただける? ベストなのはお昼前ね」と云われた僕は、非常にソワソワと、いや、正確には悶々とした時間を過ごしている。もう楽しみで仕方がない。「搾りたてを用意しておく」――この一言だけでご飯が何杯でもいただけそうである。
昨日の牛乳瓶を眺めては、底の方に残る白い液体に思いを馳せ、11時を少し回ったところで耐えきれなくなった僕は、とうとう隣室へ向かうことにした。呼び鈴を押すと、すぐさま、
「いらっしゃい。用意できてるわよ」
と、夫人が出迎えてくれ、そのまま中へと入ることになった。
「おー、……」
「うん? どうかしたの?」
「いやあ、初めてだったからつい。……ところで、娘さんは?」
もちろん、僕と彼女の娘は顔見知りである。僕がこのアパートへと越してきた時にはすでに、隣の部屋に住んでいたのだが、僕が独身であることも手伝って、かなり良くしてくれている。母親と同様に、器量よしのいい子で、会えば必ず挨拶してくれたり、こちらの詰まらない話に付き合ってくれたり、たまにプリンとかケーキを作っては僕の部屋��で持ってきてくれたりする。これがまた非常に美味しくて、殊にケーキに乗っているクリームなぞは、どんな店のものよりも絶品である。
「さっき塾に行っちゃったわ。――ふふ、会いたかった?」
「それはもう、この間のケーキも美味しかったですから」
「あら、それは直接伝えないとね。あの子、すっごく喜ぶと思うわ。――あゝ、それで約束の品はあの子の部屋にあるから、こっちにいらっしゃい」
「ほら、どうぞ。お好きなだけお取りなさいな。ベストなのは箱ごとね」
と、案内された可愛らしい女の子の部屋の中には、牛乳瓶で満たされたケースが一箱あった。どの瓶も娘さんの母乳と思われる液体がなみなみと注がれている。数えてみると12本あり、彼女は僕が自室で待っていた間に、おおよそ12リットルの母乳を搾って、塾へ向かったと云うのか。一本だけ手に持ってみると、まだあたたかく、なんとなく優しい匂いが僕の鼻に漂ってきた。と、同時に頭がぼんやりとしてきて、僕は牛乳瓶を見つめたまま、つい固まってしまっていた。
「うん? どうかした? もしもし? ○○くん?」
と夫人が顔を覗き込んでくる。が、動けない。ここにはあの子の母乳が、まだ高校二年生なのに非現実的なおっぱいを持つ娘さんの母乳が、そして目の前には、そのお母さんの巨大なおっぱいが、……おっぱいが、……
「おーい」
と今度は顔の前で手を振られる。が、それでも僕は動けなかった。ようやく口を開いたのは、
「うーん、……どうしましょう。……」
と夫人がすっかり考え込んだときだった。
「あ、あの、……」
「おっ、やっと動いた」
「あ、いえ、やっぱり何でもないです。すみません。……」
「んー? 言ってご覧なさい。怒らないから」
部屋に漂う優しい香りと、手の中でまだあたたかさを伝えてくる母乳と、そして何にも増して、目の前でカットソーを破ってしまいそうな途方もないおっぱいに、僕は魔が差してしまっていた。要は、夫人のおっぱいに触りたくて触りたくて、仕方がなかったのである。
「触っても、……いいですか?」
と云った時、僕はこの親子との関係が終わったと思った。けれども、夫人は吹き出したようにくすりと笑って、
「なんだ、そんなことだったの。いいわよ、ほら、――」
と、胸を突き出してくるのみ。僕の動きはまたもや止まってしまった。
「早くしないと、怒るわよ?」
あまりの光景に圧倒されていると、そう云ってきたので、僕は牛乳瓶を床に置くと、そっと両手を突き出して、彼女のおっぱいに触れた。ふにふにと柔らかく、力を入れればどこまでも沈み込む。……一度谷間に手を入れるとあっという間に飲み込まれ、左右から押し込んでやると、山のように盛り上がる。……
「す、すごい。おっきい、……それに重たい。……」
「気持ちいい?」
「とっても、――うわあ、すごい、柔らかい。……」
「ふふ、聞くまでもないようね。でも、もっと力を入れてもらってもよろしいかしら? こそばゆくって仕方がないわ」
「いえ、僕はこれでも、……おお、……うあ、……」
もはや言葉すら頭の中に浮かばないほどの気持ちよさ。感嘆の声を漏らしていると、彼女もまた、気持ちよさそうな声を手の間から漏らす。
「んっ、ふっ、……あなた意外とお上手ね。……あぁん、もう、二人共揃ってえっちなんだから。……」
しばらく揉みに揉んだ。手が疲れても、貪るように揉みしだいた。最高の体験だった。何と云っても、彼女のぬくもりがたまらなかった。
すると、とうとう耐えられなくなったのか、夫人は誤魔化すように、自身の胸について語り始めていた。
「昔はもっともっと小さかったのよ? こら、お聞きなさい。――お聞きなさいってば。……よろしい、いい子ね。頭を撫でて差し上げましょう」
と、優しく頭を撫でてくる。
「それでね、小さかったと云っても、普通の人からすればだいぶ大きくてね、高校生の時にはT カップはあったわ」
「てぃ、てぃカップ。……」
「んふ、すごいでしょ? でも、あの子を生んでからまたズドンと大きくなっちゃって、……」
「今は何カップなんですか?」
「うーん、……分からないわ。だって、もうずっと昔にZ カップを超えちゃったし、今は10箇所くらい細かくサイズを測ってからブラジャーを作ってるから、アルファベットでは表しようがないの」
「ぜ、Z カップを超えてるんですか?!」
「もう、驚きすぎよ。Z カップってあなたが思ってる以上に、意外と小さいのよ? それにね、――」
と手を取って、無理やり引き込む。ずぶずぶ、ずぶずぶと埋まる手は、どこまでも、どこまでも。
「あの子はもっとすごいわ。はい、もうおしまい。続きはいつか、……準備が出来たら、かしら?」
「え、ええ?」
「あんまり私がちょっかいを出すと、怒られちゃうからね。ほらほら、私はこれから出かけなきゃいけないから、この子たちが冷めないうちにケースごと持ってお行き」
「えええ? ど、ど、どういう、――」
「ふふ、それは次までの宿題にしておきましょうか。私の恥ずかしいところを見たんだから、このくらいの意地悪は許してちょうだい。――」
と、追い出されるようにして隣室を後にした僕の手元には、12本の牛乳瓶と、おまけでくれた一塊のチーズがあり、体に染み付いたほのかな匂いに、その日はとうとう風呂に入るまで、悶々とした時を過ごしてしまった。
次の日から僕には一つの日課が増えていた。それは朝、モーニングコールのついでに夫人が持ってきてくれる、母乳の入った牛乳瓶をもらうというもの。最初の方は何十本と用意して来てくれたが、さすがに飲みきれずに捨ててしまうので、最近では二本だけもらうことにしている。
毎回、
「絞りすぎちゃった」
と云って手渡される母乳は、日によって味のバラツキがあるようだ。夫人自身も、
「今日は少しサラサラしてるかもしれないわ」
だとか、
「今日はとびっきり濃いから、暇があればチーズを作るといいわ。作り方はね、……」
だとか、
「今日は味が薄かったわ。昨日の夜は、お腹が空いてたみたいね。ふふ、ダイエットでもしてるのかしら」
だとか云う。しかし、どんなに味が悪い日であっても、これまで飲んだどの牛乳よりも美味しく、香りも豊かで、1リットルや2リットル程度は飲みきるまでに10分とかからない。飲んだ後はふわふわと酔ったような気分になって、ふらふらと寝床に向かうことになるが、目が覚めた時の心地よさは、飲むのと飲まないのとでは全く違う。心なしか肌もきれいになり、日中の���中力も増したような気がする。
休日の今日も、何時も通り持ってきてくれた母乳を、朝食と共にいただいた僕は今、日中にあった野暮用から帰っている途中なのだが、ふと立ち寄った公園で見知った人影が、ベンチに座って本を読んでいるのが見えた。
「――沙羅ちゃん?」
と、声をかけても集中しているのか、本に釘付けである。塾の帰りなのだろうか、彼女は制服に身を包み、大きな大きな胸の膨らみを膝の上、ベンチの上に柔らかく乗せている。
「沙羅ちゃん、こんばんは」
と、もう少し近寄って、声をかけてみる。すると、
「ん、……?あっ、こんばんは、○○さん。一週間ぶり、……でしょうか」
「そうだね。あの時はケーキありがとう。相変わらずめちゃくちゃ美味しかったです」
「いえいえ、自信作だったので、そう言って頂けると嬉しいです」
と、心底嬉しそうな笑顔を見せる沙羅ちゃん、――とはあの夫人の娘であり、恐らく僕が毎日飲んでいる母乳の主。……こうやって時たま会うことはあるけれども、そのふるまいはごく自然で、とてもではないが、あれだけの量の母乳を出している女の子とは思えない。も��かして、夫人の母乳だったのだろうか。いや、別に残念という訳ではなく、あの夫人の母乳を飲んでいるのなら、それはそれで本望である。
「今日は塾の帰り?」
「そうです。来年受験なので、今のうちから頑張っておこうかと、……」
「おお、賢い。僕なんて怠けに怠けてから受験期に入ったから、それはもう大変だったよ」
「ふふっ、○○さんらしい」
「らしい、ってどういうことやねん」
クスクスと、口に手を当てて上品に笑う沙羅ちゃんは、やっぱりめちゃくちゃ可愛い。さすがあの夫人の娘である。だからといっていいのか良くわからないが、鼻の下が伸びて来た僕は、彼女に何か甘いものをご馳走したくなってきて、近くにある喫茶店へと向かうことにした。
その時の揺れるおっぱいのものすごさ! 一体何十キロあるのか分からない塊は、一歩一歩足を踏み出す毎に、たゆんたゆん、たぽんたぽん、ゆっさゆっさ、だゆんだゆん、……と揺れ、彼女の細い体では支えきれていないのか、歩き始める時や停まる時に危なっかしくバランスを崩していた。それに、横にも縦にも奥にも何十センチと広がっているために、道路上の何もかも、――標識だったり、ポストだったり、ガードレールだったりが、障害物となり得ていた。道行く人は云わずもがなである。段差がありそうな場所では、下を大きく覗いてから歩みを進める。曲がり角などでは、ちゃんと後ろまで確認してから体を傾ける。
「その、……当たっちゃうので、……」
と恥ずかしそうに云ってゐたけれども、合わせて成人男性の体重ほどもあるおっぱいにビンタされるなんて、笑い話では済まないだろう。そう云えば夫人も、振り返る時は周りのものに当たらないように気をつけていると、云っていた。
「暑くなってきたねー」
喫茶店に入ると、僕はそんなことを云いながら一息ついた。時間が時間だけに中は店主以外誰もおらず、ガランとしている。沙羅ちゃんは椅子に座るのも一���労なようで、テーブルの上にあの非現実的なおっぱいを乗り上げさせながら、ゆっくりと、目一杯引いた椅子に腰掛けていた。今もテーブルの上におっぱいが乗っているのは変わらず、眼の前に居る僕からすれば、大変に魅惑的な光景が広がっている。
「ええ、ほんとですよ。蒸れちゃ、――」
「ん?」
「い、いえ、なんでもないです」
「そう? じゃ、何か注文しよう」
と、僕たちは同じパフェを注文して、夫人のことだったり、学校のことだったり、しばらくありきたりなことを話しながら舌鼓を打った。
パフェは美味しかった。でもやっぱり、クリームだけは彼女の作ってくれるやつの方が遥かに美味しい。絶妙な甘さと、コクと香りと、それに舌触り、……どの点を取っても沙羅ちゃんのクリームの方が上である。云うなれば、素材の元となった生乳が生きていると云うか、……あ、そういうこと。……
「いやあ、それにしてもお母さんには感謝しかないよ。ほんとに」
と、再び夫人の話に戻ってきた時、僕は毎朝もらっている母乳の事をふと思い出して云った。
「へっ? どうしてですか?」
「毎朝、牛乳を持ってきてくれてるんだよ。その牛乳がめちゃくちゃ美味しくて、――」
と、その時、沙羅ちゃんの顔色が急に変わる。
「ちょ、ちょっと待ってください。それって、もしかして、……えっ、もしかして、このくらいの大きさの瓶に入ったやつですか?」
ちょうどいつもの同じ形をジェスチャーしてくれたので頷く。
「えっ、うそ、……」
「沙羅ちゃん?」
「うわ、うわうわうわ、……もしかしてもしかしてもしかして、そんな、……まさか、最近寝起きにやれって云われるのって、……うわああああああああ、………」
と、頭を抱えて俯く。
「ど、どうしたの沙羅ちゃん」
「嘘でしょ? 嘘だと、――あっ、えっ、や、やだ、……なんでこんな時に、……」
と、何やら自分の胸元に手を当てると、今度はガバっと立ち上がる。
「すみません、ちょっとトイレに行ってきます!」
沙羅ちゃんはそう云うと、バックごと店内の奥にあるトイレへ駆け込んで行ってしまった。突き刺さる店主の目線がかなり痛い、……
正直に云うと、悪いことしたような感じがして心も痛かった。母乳の件を云った時、意地悪な気持ちが無かったことは無かったけれども、まさかここまで取り乱すとは思っていなかった。完全に自分の落ち度である。彼女が傷つけていなければいいのだけど、……
それから10分か、15分ほどして沙羅ちゃんは、思いの外明るい顔をしてトイレから出てきた。心なしか毎日嗅いでいるあの匂いが、ほのかに漂ってくる。
「ふぅ、……すみません、ちょっと取り乱してしまいました。お母さんには後で私からきつく云っておきます」
「いったい、どうしちゃったの?」
「ふふ、……ふふふ、なんでもありません。それよりも、そろそろ帰りましょう、暗くなるまでに帰らないと、お母さんうるさいですから」
「う、うん。沙羅ちゃんがいいなら、いいんだけど、……」
と、僕たちは立ち上がって、一見何事も無かったかのように帰路についた。
「沙羅に言っちゃったみたいね」
明くる日の朝、いつものようにやってきた夫人にそんな事を言われた。
「すみません、つい出来心で。……怒っていましたか? というか、怒られましたか?」
「ん? いえ、全然だったわ。そのかわりね、……」
一瞬、夫人の顔つきが真剣なものになったので、ゴクリ���喉を鳴らした。
「ふふ、……ここから先は自分で確かめなさい。あと、今日はすごいことが起こりそうだから、いつものアレは無しね」
絞ってくれなかったし、……と夫人は呟いて、僕を部屋にまで招き入れた。
何が何だか分からない。沙羅ちゃんは「きつく云っておきますから」と云ったのに、夫人はそんなことは無かったと云う。あと、「今日はすごいことが起こりそう」とは何だろう。しかも「すごいことが起こりそう」だから、いつも欠かせない母乳を手渡してくれなかった。いったい、どういうことなんだろう。あの後、家に帰ってから親子に何が起こっていたのだろう。これから何が起きるのだろう。僕はドキドキから足がすくんで、沙羅ちゃんの部屋の前まで来ると、思わず日和ってしまった。
「ふふ、そんなに身構えなくても大丈夫よ。ほら、おいで」
と、夫人が腕を開いて待ち構えるので、僕は吸い込まれるようにし彼女の抱擁へ向かっていった。夫人の巨大なおっぱいが体に当たり、背に回ってきた腕に抱きしめられ、ギュウっと力を込められる。胸元で潰れたおっぱいは、背中の方にまで広がって、僕の体を丸ごと包んできそうだった。柔らかい、あたたかい、……
「気持ちいい?」
「と、とっても」
「でもね、――」
と、夫人は僕の体を引き剥がす。
「あの子のハグはもっと気持ちいいわよ? ――ふふふふふ、お楽しみに」
「沙羅? ○○来たよー。入れるねー」
と、僕を扉の前に立たせた時に、夫人は云った。
「へっ? ちょ、ちょ、ちょっとまって!!」
「待たない! じゃ、○○くん、またあとでね」
ドン! と背中を押されて部屋に入ると、沙羅ちゃんは今の今まで寝ていたのか、ベッドの上で上半身を起こしたばかりだった。着ているものは真っ白なワンピース、……だろうか、意外にも大胆に露出された素肌は、カーテンの隙間から漏れる陽の光に、まばゆく照らされている。そしてその胸元、――と、云うよりは体の前には、一見して何なのか分からないほど大きなおっぱいがあり、ワンピースの中で柔らかく膝の上に乗っているのが見える。が、すぐに毛布をかけられて、見えなくなってしまった。まだ開きそうにない目をグシグシと擦って、あくびを一回すると、沙羅ちゃんはこちらを向いて、
「もー、……」
と拗ねた声を出した。
「おはよう、意外とねぼすけなんだね」
「休みの日はいつもこんなですよ。おはようございます」
と、ふわあ、……ともう一回あくびをして、くー、……と伸びをする。その一つ一つの仕草がなんともお上品で、僕は天使が眼の前に居るのかとさえ思った。いや、実際に天使なんだろう。そう思わなければ、非現実的なおっぱいと同じくらい非現実的に可愛い沙羅ちゃんの姿に、頭が追いつかない。
「見過ぎですよ、もー、……」
「ごめんごめん」
「もー、○○さんって、えっちなんだから」
もー、……と云うのが、素の彼女の口癖なのだろう。はにかんで云うものだから、それもまた、可愛くって仕方がない。
「沙羅ちゃん、僕はね、ここには無理やり連れて来られただけだから、……」
「何言い訳してるんです、分かってるくせに、……お母さんも、○○さんもいじわるです、……」
と、拗ねたように云って、おっぱいを隠す毛布を取り去った後、するするとワンピースをめくり始める。飾り気のないナイトブラに覆われたおっぱいが、徐々に露わになる。
「うぅ、……恥ずかしい、……」
とは云うけれども、そ��手は止まらない。どんどんめくって行き、ついには谷間が現れる。ブラのカップから溢れそうになっているおっぱいは、痛いくらいにハリがあるようで、パンパンに張り詰めていた。
「ちょっと、沙羅ちゃん?!」
「なんですか、私はここ何ヶ月か続けてきた日課をしようとしてるだけですよ? ええ、そうです。これが日課だったんですよ」
「まさか、本当に、……」
拗ねに拗ねた沙羅ちゃんは、次に、
「ん~~、……」
と渾身の力を込めて、ブラジャーを下からぐいっと持ち上げた。するとある程度のところで、――ドタン! ドタン! と、二つのおっぱいが重々しく膝の上に落ち、柔らかくベッドの上に広がっていく。
――呆気にとられるしかなかった。眼の前では非現実的な本物のおっぱいが、持ち主の足を潰しながら、ふるふると揺れている。これが彼女のおっぱい、沙羅ちゃんのおっぱい、高校二年生にして他のどんな女性よりも、――自身の母親よりも大きくなってしまったおっぱい。……
紛れもなく、本物だった。本物のおっぱいだった。舐め回すようにじっくりと見てみると、先っぽについている乳首は意外と可愛らしく、大きさは親指の第一関節から上くらい、色はおしとやかな赤色をしているのが分かった。また、ところどころ血管が浮き出ているのも分かった。
生きている、血の通ったおっぱい、……僕はいつしか乳首の前に跪いていた。
「吸ってください。……たぶん、たくさん出てくると思います。……」
拗ねた声色は、いつの間にか泣きそうな声になっていた。そして、その言葉通り、つー、……と、白い液体が乳輪を伝って行く。
僕はまず、その漏れ出た彼女のおっぱいをぺろりと舐めた。――���ゝ、これだ。いつも夫人が持ってきてくれる牛乳瓶に入った母乳の味。今日はこってりとコクがあり、それに砂糖を入れたように甘い。「絞りすぎちゃった」とは、本当に沙羅ちゃんが自分の母乳を絞りすぎたことだったのか。
「美味しい、……」
僕は自然にそんな声を出していた。
「ふふ、そうでしょうとも。昨日も○○さんに会いましたから、……ね。――」
と云いながら、沙羅ちゃんは自分のおっぱいを揉むようにして、マッサージをする。その様子を黙って見ているのもなんだか、と思い、僕も動きを真似してマッサージをしてみる。――これがまた、最高だった。
「んっ、ふっ、……なんでそんなにお上手なんですか。……あんっ、……」
そんな色っぽい声を出す沙羅ちゃんのおっぱいの感触、……それはもはやこの世で体験していいものではない。あまりの気持ちよさに、僕は手の感覚を無くしてしまっていた。一体指が何本あるのか、どこにあるのか、何を触っているのか、もう何も分からなくなってし��った。
このおっぱいは、ただ大きいだけじゃない。母乳が出てくるだけじゃない。人間ならば誰しもが心を奪われてしまう、そんな天使のような、――いや、悪魔のようなおっぱいだ。一度触れば終わり、後はゆっくりと溶かされて、ついには跡形も無くなってしまう。
僕は我慢できなくなって、顔をおっぱいに押し付けながら、乳首を口に含んだ。――途端、びゅーびゅーと母乳が染み出し、あっという間に口の中は満杯になる。
吸う必要なんてなかった。吸わずともどんどん出てくる。僕は必死で飲んだ。必死で飲まなければ、口の中から溢れ出してしまうほどに、出てくるのだ。
コロコロと乳首を下で転が��てみると、どんどん母乳が出てきているのが分かる。それはまるで、口に蛇口を突っ込まれたような気分である。だが、出てくるのは水ではない、母乳である。天使のように可愛い顔からは想像も出来ないほど、濃くて美味しい母乳である。
「あんっ、んっ、ちょっと○○さん! 落ち着いて! おねがい!!」
ぼんやりとした僕の頭にそんな声が響いてきた。――が、止まらない。止められない。いつしか声の主の口を塞ごうと、乳首から口を離して、キスをしていた。と、同時にこっそりと含ませていた母乳を流し込んでやる。
「んん!! んんん~~~!!!」
ぷはっと口を離すと、天使はとろんとした目で、不満そうにこちらを睨んでいた。――だが、それすらも可愛い。
僕は再び乳首を口に含み、母乳を飲むのを再開した。が、そろそろ腹が一杯になり始めていたので、今度はおっぱいを揉む手を激しくしてみる。もはやマッサージをしてあげるなどということは頭にはない。揉む。とにかく、天使のおっぱいを全力で揉む。揉みしだく。
「や、やめて! いっちゃう! いっちゃうから!!」
だが、やめてあげない。乳首を舌でいじくりつつ、男の全力でもっておっぱいを揉む。
するとその時は意外と早く訪れた。
「いやっ、あんっ! んん~~~~!!!」
と、一層甲高い声を出しながら、天使の体がビクリと跳ねる。そして、止まる。それは、あまりにも蠱惑的で、あまりにも美しいオーガズムであった。
同時にお腹の中も限界を迎えてしまっていたので、僕は一旦口を離した。眼の前では天使が、浅い息を吐きながら、顔を赤くしてくったりと横たわっていた。
「もー、ばか、……○○さんのばか、えっち、へんたい、ろりこん、じゅくじょずき」
「そ、そんなに云わなくても、……」
「もー、うるさいへんたい。私の初めてをうばってきておいて、文句いうな。もっともっと吸え。まだかたっぽしか吸ってない」
「ごめんって」
「早く」
もうお腹はいっぱいだったけれども、沙羅ちゃんにこう命令されては仕方がなかった。まだ手のつけていない房の乳首を口に含んで、母乳を飲み始める。先程のオーガズムを体験している最中に、かなりの量が出ていたような気がするが、それでもびゅーびゅーと大量に吹き出してきた。
それから僕は口から母乳を溢れさせながらひたすら飲んだ。だが、飲んでも飲んでも一向に終わる気配がない。まさにミルクタンク。一体どれだけの母乳が、この巨大なおっぱいに貯められているのか。赤ちゃんどころか、人を一人や二人は軽く養える気がする。
「沙羅ちゃん」
「んー?」
彼女はいつしか僕の頭を撫でながら、慈しみに溢れた目でこちらを見てきていた。
「全然無くならないんだけど、……」
「うるさい。乙女の恥ずかしいところを見たんだから、もっともっと飲め」
と、言葉はきついけれども、声音は舌っ足らずでとろけるように優しい。だからなのか、僕は彼女の命令に抗えず、再び乳首を口に含む。
「ふふっ、赤ちゃんみたい。よしよし、いい子いい子。美味しいでしゅかー?」
こくこくと頷く。実際、味の方は落ちるどころか、出れば出るほど、どんどん美味しくなっていっていた。
「そうそう、これはねぇ、あなたが昔からケーキやらなんやらで、毎日口にしてきたおっぱいなの。味はそのへんの牛乳なんかよりもずっと美味しいし、チーズだって簡単に作れちゃう。ライバ��はお母さんだけ。――もー、こら、ちゃんと飲みなさい」
だが結局、腹の痛みに耐えられなかった僕は、乳首から口を離して、後は沙羅ちゃんの文句を聞きながら、おっぱいの感触を楽しむだけになってしまった。
「うぅ、……もうお腹いっぱい、……」
「あら、もう終わったの?」
一旦トイレに向かった僕をそう呼び止めた夫人は、エプロンを着て、昼食の準備をしているようだった。
「お楽しみになった?」
「え、……あ、はい。それは、……」
「あの子、すっごく不機嫌だったでしょう。――ふふ、こっちにいらっしゃい、顔を拭いてあげる」
と、母乳でドロドロになった僕の顔を、首を、手を、丁寧に拭いてくれる。その姿は夫人と云うよりは、まさに妻。――あゝ、こういう女性と結婚したいな。……
「後でお風呂に入りなさいね。私たちの母乳って、すっごくベトベトして気持ち悪いから」
「ありがとうございます。やっぱり、お母さんもおっぱいが出ちゃうんですか?」
「――もちろん。あとお母さんはやめて。雪って呼んでくださいな」
「ゆ、ゆ、……」
「ん?」
「雪さん。……」
「ふふ、よろしい。――ところで、沙羅にはしてもら、……ってないようね」
と、雪さんはしゅるりとエプロンを取り外して、椅子にかけた。
「おいで。まだあの子にしてもらってないのなら、私がやってあげる。さあ、こちらにおかけなさい」
と云われるがままに、椅子に座ると、雪さんは満足そうな目を見せた後、するすると、上に着ていたものを脱いでいく。徐々に見えてきたのは、くびれた腰に、腹筋のうっすらと見えるお腹に、娘と同じ真っ白なブラジャーに包まれた巨大なおっぱいに、光沢の出来るほど瑞々しい肌をしたおっぱい。その体つきは、高校生の娘が居るとは思えないほど若々しく、まだ二��歳だと云われても、何も疑問には思わない。むしろもう少し若いと云われても不思議ではない。雪さんは手を後ろに回して、ぷち、ぷち、……とホックを外してブラジャーを取り去った。
――ものすごく均整の取れた、美しい肢体だった。
見惚れて惚けた顔をする僕に、雪さんは取り外したブラジャーを突きつける。
「どう? 顔よりもおっきいブラジャーは初めて?」
と、云いながらパサリと頭から被せてくる。僕の目は真っ白なブラジャーに覆い隠され、見ると、口も、顎も、いやいや、首の下にある恥骨までもが全てブラジャーに包まれている。もはや帽子をかぶるどころではない。体積としては片方だけで、僕の頭二つ分はあるだろう。
そして何よりとてつもなく良い匂いがするのが、もうたまらない。甘くて、優しくて、とろけるような匂い。……それは先程まで嗅いでいた甘い匂いに近いような気がするが、このブラジャーに染み付いたそれはもっと蠱惑的である。
と、ブラジャーの匂いを嗅いでいる間に、僕の男性器はすっかり空気に曝されていた。
「あら、顔に似合わず立派なのをお持ちなのね。――いいわぁ、これ。久しぶりだから張り切っちゃうかしら」
ぴゅー、……と何かが僕のモノにかかる。それは雪さんの母乳、……見なくとも分かる。沙羅ちゃんのもそうなのだが、二人の母乳はとろとろとあたたかく、どこか優しい匂いでこちらを包んでくるのである。
「自分のおちんちんが食べられちゃうところは、ちゃんと見なきゃね」
と、ブラジャーを取っ払ってくる。
「準備はいいかしら?」
「ゆ、ゆ、雪さん。……」
「んーん?」
「あ、えと、お願いします。……」
���ふふ、――りょうかい」
――瞬間、僕の下半身は砕け散った。いや、現実には砕けてなどいないけれども、あまりの気持ちよさに一瞬、腰から下の感覚が全て無くなったのである。
「うあああ、……す、すげ、……」
「どーお? 気持ちいい?」
「うっ、くっ、……き、きもち、うぐぁ、……」
「んー?」
「おああああああ、……ひっ、そんな、……ゆきさ、――」
雪さんの問いかけに答えようにも、息が詰まって声が出ない。足がガクガクと震え、腰は浮き、口からはガチガチと歯の当たる音がする。
その快楽はもはや命の危機すら感じるほどだった。僕はもう死ぬのだと思った。今この瞬間、このなんでもないアパートの一室は、地獄と化していた。――天国ではない。地獄である。
「そんなに気持ちいいのかしら。体験できないから、よくわからないわ」
「ひっ、……や、やめ、おぐぉ!――」
「んふ、いい顔、……あなたほんとうに可愛いわぁ、――」
ぐっちょ、ぐっちょ、ぐっちょ、……と下品な音を立てながら、僕を殺す気で責め立てる雪さんの大きすぎるおっぱいが食べたものは、僕のおちんちんだけではなかった。薄目を開けて見ると、僕の腰回りをすべて飲み込んでいる。もう何にも見えない。僕の男性器も、おヘソも、足も、腰も、全部おっぱいに食べられてしまった。
「ほらほら、これはどう?」
と、雪さんがおっぱいを交互に動かす。
「そ、それは! それは、………!!!」
「んふ、それともこっちのほうがいいかしら?」
と、今度はギュウゥゥゥゥっ、………と締め付けを強くしてくる。―――また下半身が消えた。
「ひっ、―――ちょ、ちょっとこれ以上は、……ちょっと雪さん! 雪さん! 雪さん!!! し、死ぬっ!!!」
「まだ喋れるなら大丈夫よ。ほら、どんどんいくわよ。――」
それからありとあらゆるパイズリテクニックをかけられた気がする。が、肝心なところでずるりと引き抜かれるので、まだイかされてはいない。
「ひひ、……ふへへ、……もう死ぬ、……いや、死んだ? 僕は死んじゃった?」
「生きてる生きてる。でも、ほんとうに死んじゃいそうだから、そろそろ仕上げといきましょうか」
と云って、だっぽんだっぽんだっぽん、……と雪さんがおっぱいを動かすペースを早くする。――もうだめだった。一瞬で快感が頭にまで駆け上り、
「うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
と、僕は雄たけびをあげながら、オーガズムを迎えた。ギュウっと搾り取るように締め付けてくるおっぱいが、あまりにも気持ちよくて、僕は全ての精子を雪さんの谷間の中に出したように思う。
しばらく目を見開いて放心してしまっていたようだった。
「気持ちよかったかしら?」
我に返った時、雪さんはうっとりとした表情で僕の顔を覗き込みながら、そう問うてきた。
「は、はい。……死んじゃうかと思いました」
「ふふ、それはよかった。私がこれをすると、昔から男の人はみんなこうなっちゃうのよ。悪くは思わないでちょうだい」
「ふぇ、……」
「あ、そうだ、――」
と、僕のモノと、自分のおっぱいを綺麗に拭った雪さんは、意地悪っぽく微笑んで、人差し指をくちびるに当てた。
「あの子には内緒、……ね?」
「も、もうバレてるんじゃ、……?」
「ふふ、かもしれないわね。はい、じゃあ、ご飯��しましょう。立てる?」
――立てなかった。雪さんの殺人パイズリですっかり腰を抜かしてしまったらしく、立とうとした僕は逆に椅子から転げ落ちてしまい、そのまま気を失ってしまった。本当に恐ろしいパイズリであった。―――
目が覚めた時にはすっかり夜になっていた。どうやらあの後ベッドに寝かしつけてくれたらしく、僕はふかふかとしたベッドの感触を背中に感じながら、そして、ふわふわとした途方もない柔らかさを、両方の腕と、���と胸と腰とに感じながら、天井を仰ぎ見ていた。
「ふぅ、……」
とにかく疲れた。沙羅ちゃんのおっぱいをこれでもかと云うほど揉みしだき、腹が裂けるほど母乳を飲み、そして雪さんの地獄のようなパイズリを受ける。たった2時間にも及ばなかったが、それでもここ数年間で一番疲れた日だった。
「あれ?」
と僕は声を漏らした。
「ここは?」
ぼんやりと見ていた天井は、自分の部屋の天井ではなかった。そもそもベッドの置き場所が違う。
ハッとなって、右を見てみると、思わずため息が出てくるほどの美女が、左を見てみると、思わず天使かと思うほどの美少女が、それぞれ僕の方を向きながら、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
あ、と気がついてみると、途端に、体の上に乗っているとてつもなく柔らかいそれが重みを帯びて、僕の体にのしかかってきた。ものすごく重い。
「し、死ぬ。……」
僕は手を伸ばして、上からのしかかってきている何かをひとしきり揉むと、もう一眠りしようと目を瞑った。が、その時、良い匂いが辺りに漂っていることにも気がついてしまい、結局、左右に居る美女と美少女の目が覚めるまで、悶々とした時間を過ごすしか無かった。
(おわり)
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炭酸飲料が飲みたい。
6/24 穏やかな時間が流れていたので有効に時間を使わせてもらう。ありがたや。 帰ってきて、妻がタピオカを切望していたので閉店間際に滑り込んで購入していた。一口貰ったけれど、やっぱり良さが分からない。グニグニしている。消化に悪そうだと感じました。インスタにも投稿したのでこれでやっと、「インスタ」ができました。あの手の写真で。 そして、ZOZO SUITSが届いたので早速、計測してみる。 腕とか足が平均値より長いことが客観的に証明された。通りで合わないはずだ。ということで、そのままシャツを注文してみる。ジャストサイズのものがくるだろうか。届くのが楽しみ。 タピオカもZOZO SUITSもやったし、もう私はミー太郎・ハー太郎です。 6/25 ひさしぶりに昼に冷麺を食べに行く。やっぱ、おいしい。ちょうど隣の店も冷麺やっていたので食べ比べてもいいかもしれない。 伊集院光さん���ストの佐久間さんのANNを聴く。TBSでの昔のラジオの話がむちゃくちゃ過ぎて笑った。局内を原付で走るってどうかしてる笑 ラジオを聴きながら外でぼ~っとするのが心地よかった。そして、夕焼けが綺麗でひさしぶりにその方向のセンチメンタルさにやられた。そのセンチメンタルさがノスタルジーをも誘ってダブルパンチ。とても素敵で私的に詩的な空模様だった。 ぐーんと眠たくなってうまく夜に動けなかった。 6/26 1日ざっくりのスケジュールを決めてみる。有効活用のための。まるっきり進むなんかはしなかったけれど、予定が前後等しながらいい感じに消化できた。仕事の隙間時間活用ですです。(実はほぼ隙間だけど…。) これを続けてみよう。 図書館寄って、買い物して帰り。カレーというものをつくる。カレーはカレーとして、白菜の漬物がうまい。永遠に食べられるな。 6/27 休み。というのに雨がザーザー降り。 しかし、ザーザーの中、外出。所用を済ませた後にラーメン屋へ。 鶏清湯系ではここがトップかも!スープも生醤油がキリリと立っていておいしかったし、なにより、麺がおいしいと感じたのは高評価。先週嫌な思いしたところにはこれで行かなくて済む。こちらのほうがすべてが勝っていた。。 昔、ここのグループの店行ったときはあまりハマらなかったけれど、全然違うな~ここは。 また、近いうちに行ってみよう。 昨日借りてきた細野さんと星野源さんの『地平線の相談』を一気に読了。07年のときからもう対談してるか~。と思いました。ました。 そして、星野源さんが夢に出てきた。一気に読破したから印象に残ってたのかな。 6/28 朝からで疲れたへとへとでした。 来週は休みだだ。 アメトーーク!!を見。編集しんどうそうだったな~。かまいたち、ダイアン、ジャンポケあたりで番組やってほしいなと少し思った。力みがすごいと思うけど笑 6/29 へとへと第2弾。 それでもすさ~っと終了。 夜にちゃんぽんを食べに行った。おかげでパンパン。ちゃんぽんってうまいんだよな~。どれもこれも大きく差はないとしても。 『三島由紀夫レター教室』/三島由紀夫 を読了。おもしろくてすぐに読めた。三島作品は初めてだったけれど、読みやすかった。異色作なんだろうけれど。代表作なんかも読んでみたいけれど、ガチガチな感じと勝手に思っている。 とにかく、当たり前だけれど、文章力がすんごい。ユーモアも混じってて楽しく読めた。 飲食店で外国人の男の子が店に入るなり、パートの年配のおばちゃんに話しかけていた。それを目の前で見ていた妻が「マヨネーズ」だとおばちゃんに言っていた。「ああ、」とおばちゃんが「マヨネーズ!」と言うもどうも違う様子。 結果、「マネージャー」だった。 僕は最初から「マネージャー」って言ってるな~と思いつつ、クレームなのか、面接なのか状況もわからなかったので静観していたけれど、妻の親切心がとんだ誤報を生んでしまった。こういうのやりがちな人。 エレベーターでも急いで乗ろうとしている人のために、親切心で「開く」のボタンを押そうとするも、自然に間違えて「閉じる」のボタンを押して、人をドアで挟み込んじゃうような人なのだ。悪気はない。それが厄介。 6/30 衣替えの季節になりました。 いろいろ掃除をして喫茶していろいろ買い物して帰宅。G20警備体制のおかげで保たれていたの車の静けさは消えた。あれはあれでよかった。 なかなかピーカンの天気がないな~。 向上委員会でのカミナリ・まなぶさんのストレートなU字工事に対しての「スキがあるんだよ!」という一言で爆笑。たまに出るああいうのおもしろいな~。 ギターを弾いてたら、おお、と思うのがあった。ちょっと深堀りしてみよう。 おわる。
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冷たい市街
意図的に自分を見失うため、何も考えずに神戸に行った。住む街と違う場所であれば、目的地はどこでも良かった。ただ最近読んだ本のなかに出てきたその街が、私が今までに持った印象とは真逆のかなり魅力的なものだったためそこに決めた次第だ。だが結局、旅を終えてみてもその印象が覆ることはなく、街は外来者に冷たいままだった。後で友人からの慰めとして受け取った言葉を借りれば、誠に運が悪かった、それとしか言いようがない。以下はそのネガティヴな記録である。なお、神戸が好きな人や暗い気持ちになりたくない人には読まないことをお勧めする。
電車で1時間あまりの旅。十三を経由し、昼過ぎに三宮に到着した。かつてその中にある服屋の店員になぜか試着を拒否された、個人的に嫌な思い出しかない高架下の商店街を歩き、元町方面へ。朝とは打って変わって爽やかな天気だ。こざっぱりとした表通りの先、極彩色の門を構えた南京町は観光客でごった返していた。朝から何も食べておらず腹が減っていたが、何か口に入れる前に少し散策をすることにした。
裏道で見かけた中古カメラ屋に入る。店番のおばさんが眠りこけていた。ひどく雑然とした店内。扉を閉める音に気づき、むくりと起き上がった彼女が口を開く。私は留守番なんです、何かお探しですか? ――いえ、特に。主人を呼びましょうか? ――大丈夫です。古いカメラの数々がおよそ1万円以上の値で売られている。しばらく棚を見ていると、口ひげを蓄えてでっぷりと太った店主が現れた。呼びましたので、私はここで交代...。フィルムカメラを探していると言うと、私がそれを一台も持っていない前提で話が進み、デジタルを否定しア��ログを賛美する旧弊な饒舌に予期せず30分以上も耐えることとなった。俺がイロハを教えてやると言わんばかりの口調。終わる気配がないのでほとほと参った。もう行きます、と言うか言わないかのところで次の話が始まる。店主が黙ったかと思えば、彼の目の先30cmのところでこちらに背を向けて鎮座するテレビから、吉本新喜劇の大げさなリアクションが大音量で放たれる。仕方なく質問をすると、ライカを買えと言う。ライカは私の求める写りを実現してくれないことを知っているので、興味があるふりをしてお茶を濁した。10万超えのガラクタを買うつもりはない。そうして散らかった店内の真ん中でちょこんと座る店主を見ていると、汚い部屋で原稿を前にしてカメラを睨みつける坂口安吾の写真を思い出した。やられっぱなしで悔しかったので、店内の写真を撮っていいかと聞くと、断固として拒否された。面白いのに、何もわかっていやしない。そして聞いてもいない理由をべらべらと喋り出したので、途中で出ようと思ったが、なんとか堪えて最後まで相手をした。私は良い子だ。話の通じない店主含め、店全体がアナログのジャンク品のようだった。しかし、どうして「若者は苦労してナンボ」論者は、関わりの薄い他人にさえも不要な苦労を強いることができるのだろう。何よりも貴重な若さを費やすだけ費やして結果が実る保証などはどこにもないというのに。自称苦労人の彼に至って言えば、初見の若者に対してそのように重大な責任を持つことができるというのか。確かに人は、自分の経験を以てのみ説得力を持って話すことができる。だが、売れないカメラ屋を道楽経営しているという事実が説得力とは真逆の方向に働き、「フィルムは金払って失敗して上手くなるんや、それがデジタルならタダやろ? 一枚一枚を大事にせえへんねん」という主張の内容をさらに空虚なものにしていた。デジタルの恩恵を拒絶して懐古主義に浸るのも人によってはアリだが、それを他人にまで強要すべきではない。若者は、を枕詞に据えて話し始める、ストレート・アウタ・ショーワ(昭和)の親父たちは、その話さえも若者にとっては無駄な時間であるという観念など大抵持ち合わせていないため、遭遇した時には素早く距離を取ろう。
さて、出鼻を挫かれて向かったのは「ぎょうざ大学」、その名の通り餃子の専門店だ。5人ほどの待ちができていた。行列の伸びる方向とは別の方向に誤って並んでいた男が、こっちが最後ですか? と言いながら舌打ちをして私の後ろに付いた。ここでもいきなりやられてしまい、笑うしかなかった。店員に注文を聞かれ、餃子は2人前以上が注文必須だったので2人前、飲み物は水で���と言うも返事がない。誰に対してもそのような感じだったが、忙しいようなので仕方がない。南京町の餃子は、なぜか酢醤油に甘味噌を混ぜたタレで食べる。ほどなくして提供された焼きたての餃子は、皮はパリパリ、中はジューシーでかなり美味かった。店を後にし、続けざまに台湾タンパオにて小籠包をテイクアウト。皮からアツアツのスープがほとばしり、口内を優しく暴れ回る。これは美味い。分かち合える相手がいないのが残念だ。最後に近くの精肉店で巨大な唐揚げ串を買って食べた。ジューシーで、定食一人前ほどの食べ応えがある。おかげで腹がパンパンになった。ようやく食欲が落ち着いたのでコーヒーを飲みつつ文章を書く。このあたりは観光客が多すぎて店員は皆疲弊しているようだ。金持ちが相手だとしても愛想は悪い。しかし私は何よりも、ここが関西とは思えないほど関西弁が冷たく聞こえることに驚いた。むしろ優しいのは日本人より中国系だとも思えてくる。ゆく人の会話からも物質的な内容ばかり聞こえてくる。例えばこうして喫茶店で座っている横でも、おそらくだが上司と部下が仕事の話をしていて、しきりに集金集金と繰り返している。すっきりとした街並み同様、あまりにも血が通っていない人々。彼らは容姿の美醜に拘らず着ているものは一流であり、入念に施された外見、つまりは見栄の下、三宮からこのコールド・ヴェインを通り抜け、再び神戸という街の心臓に絶え間なく注ぎ込んでいるのだ。それでは、この心臓を動かす酸素の供給源はどこにあるのか? その答えを、私は旅の終わりに知ることとなる。
歩いて異人館方面へ向かう途中、「縁結びの生田さん」こと生田神社に立ち寄った。元陣内夫妻が結婚式を挙げた場所である。朱塗りの大きな鳥居と神殿に、多数の参拝客。境内の端で史蹟「生田の森」という看板を見かけたので、裏手にある鎮守の森を覗いた。数本の神木の下を人工的に固められた遊歩道と申し訳程度の小川が這っており、辺りには石碑が散在している。ここに限らず、全国どこでも史蹟というものは似たような様相を呈している。かつてあったという事実がそこに残ってさえいれば、形はどうでもいいのである。ここは雰囲気こそ薄暗く神聖な感じで、昔は広大な広葉樹林が社を囲んでいたものと思われるが、京都下鴨の糺の森がもはや森とは呼べないほど縮小しているのと同じで、空の光があちこち透けて見える程度の木立と化している。本当の意味での自然などどこにもないこの現代、かつてあったものの威光は一体この先をどこまで照らすのか。もの寂しさだ��を覚えて私はそこを去った。
山手へ向かう長い坂を登り、神戸北部の一角にある北野異人館街に到着した。ここは旧外国人居留地で、瀟洒な洋館が立ち並んでいる。その中のいくつかは一般公開されており、入館料を払えば中に入ることができる。「公開異人館」や「一般公開異人の家」などという看板が目につくが、決してタダという訳ではなく、入口では安くない入館料が請求されるため注意しなければならない。通りにある有名なスタバを含め、なんとなく全てがハリボテであるかのような印象を受けた。北野という地名については、京都の北野天満宮を勧請したことに由来するそうだ。上り坂を終えた後に現れる長い石段の先には北野天満神社があり、その境内からは神戸市内が一望できる。私はそれらに用がなかったので、広場の猿回しの芸者と数名の観客を横目に足早に通り過ぎた。うろこの家裏手の細い横道から山へと入ると展望台があった。街を眺めやると、近くに聳えるひときわ高いビルが目についた。ジークレフ新神戸タワーというマンションだ。葉陰からにょきっと飛び出た大建造物という構図が面白く、数枚のモノクロ写真を撮った。道中、先日の台風の影響か崖崩れが起こっていたが、崩れた土砂の上に道が作ってあった。そのまま山道を突き進んでいると、ヨーロッパから来たと思しきカップルとすれ違った。このような観光地から外れた自然の中を歩いていると、地元の人の他になぜか欧米人と出くわすことが多い。その一方で、アジア系の旅行者を見ることは少ない。これら二者は旅に求めるものの傾向が異なるようだ。私はどこにいても緑を欲するタイプなので、山や森へと続く道を見かけるとするする入ってしまう。そのせいでフランスに行った時などは、ブーローニュの森であわや迷子になるところであったが、それもまた良い思い出だ。布引ハーブ園へと延びるロープウェイの下を通り、北野から1.5kmほど歩いて辿り着いたのは落差43mを誇る布引の滝である。この雄滝と少し下流にある雌滝を合わせて夫婦滝と称する。神瀑の名に相応しい威容で、水の流れ落ちる様子はまさに白布が垂れているかようだった。モノクロ写真を数枚撮った。良い画が撮れたと思う。カメラ屋のおっさんに見せてやりたいと思った。日が暮れかかっていたため、そこにいたのはハイカーが10〜20名ほどと少なかった。が、階段を下りてくる年配の彼らは皆酒臭く、それは山中に茶屋があるためであった。古びた茶屋を少し冷やかした後、再び滝を見上げた。滝壺はたっぷりとした水量があり、翡翠色の水が綺麗だった。傍に立っていた説明看板を見ると、観光客への配慮で、滝の水が一定になるよう上流のダムからの放流量を調節しているという。一時の来訪者としてはありがたいが、やはりここも人の手が加わった「自然」であるのかと思うとまた少し虚しくなった。
麓まで引き返してきたあたりで、ふと三宮駅からポートライナーに乗ろうと思った。それはこの旅の中で最良の選択だった。吉田篤弘が『神様がいる街』で、神戸港につくられた人工島を一周して戻ってくるこの無人運転の電車のことを、「横に回る観覧車」だと言っていたのである。私はそれがどのようなものなのか興味をそそられていた。以来、神戸に行ったら乗ってみようと思っていたのである。三宮で切符を買ってホームへ。空港行きと埠頭行きがある。電車は時間通りに客を吐き出し、かつ吸い込み、淡々と運行している。埠頭行きの一番前の席を陣取って足を投げ出すと、自分が歩き疲れていることに気づいた。車両は音もなく発車した。そうして至極のろまなジェットコースターにのったような気分で、目の前で次々に繰り広げられる光景をぼーっと眺めた。もう夜になっていた。埠頭、海、ポートターミナル、公園、団地、学校。レールの下に浮かんでは消えた。いくつかの駅を経て、電車はもと来た方向へと戻る。船舶、イケア、流通基地、駐車場、ビル。最後に、海にかかる橋から言いようもなく綺麗な市街の夜景が見えた。それは今日、唯一の感動であった。神戸よ、煌びやかな街を黙々と動かし続けているのは、これらの埠頭や空港から送り出される人や物なのではないか。街路が血液の体循環を象徴しているとすれば、きっとポートライナーが結ぶラインは肺循環であり、海をぐるりと一周し、街と一時的な自然状態とを往還することで神戸のダイナモを支えているのだ。車両に乗り込んだ人々は、ぼんやりと景色を眺めたり、おしゃべりしたり、仕事や学校に向かったり、または家路に着いたりと、目的はバラバラであ��うが、普通の夜の電車にありがちな雰囲気とは違った、何か独特な、人をわくわくさせる期待に満ちた空間が夜を滑って行くかのように思えた。海で仕入れた清新な大気とともに貿易センター駅で降り、三宮駅まで歩いて戻る時にこの仕組みが分かって納得した次第だ。あまりに疲れていたのでそれ以降は何も考えられなくなり、駅前でうどんを啜って帰った。京都に着いた時、友人から連絡があり、元田中の中華料理屋「上海バンド」で落ち合った。そういえば、海から見えた神戸市街も、以前にネットで見た上海外灘(バンド)の夜景に似ていたな、などとぼんやり思いながら麻婆白子やら羊のクミン炒めやらをつつくうち、ついつい飲み過ぎ、結果として予想とは違った方向で自分を見失う夜となった。
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障害者の社会参画って、何それ? おいしいの?
「障害者の社会参画」という言葉を聞いたことがある人はどれくらいいるだろうか。障害を持つ人々を、あなたは実際にどれほど知っているだろうか。もしかしたら家族や知人に障害者がいるかもしれないし、あなた自身がそうかもしれない。今は「健常者」のあなたも、いつか「障害者」になるかもしれない。
当事者になってから考えるのでは遅すぎる「障害者」、そして「障害者の社会参画」について、当事者の話を交えながら掘り下げてみたいと思う。
内部障害者のAさん
これは、ある内部障害を持つAさんの話だ。Aさんは末期の腎不全で、週に3回、1日約5時間の人工透析治療を受けている。Aさんは40代半ばで腎臓病と診断され、以後10年以上、身体障害者として人工透析治療を受けている。
あまり馴染みのない方へ軽く説明すると、人工透析とは老廃物の溜まった血液を人工的に濾過し、それを体内へ再び戻す治療だ。腎臓は血液中の老廃物を濾過して体外に排出する、いわば体内の「フィルター」のような役割を担っている。腎不全は腎機能のほとんどが失われた状態だ。Aさんの場合、腎臓は約4%程度しか機能していないという。
そして、腎不全患者が透析治療を受けずに放置していると、その患者の体内には毒素が溜まり続け、ついには尿毒症などの合併症を併発して死に至る。人工透析治療はいわば「延命治療」なのだ。
障害の等級は人それぞれ違うが、ほぼすべての透析患者が「身体障害者」と認定される。Aさんのように見た目は何ら健常者と変わらなくとも、内蔵の疾患などによって体の内部に障害を持つ場合を「内部障害」という。
腎機能の障害のほかに、心臓、肺や腸の障害を持つ人、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の患者も内部障害に分類される。平成28年度の内閣府の統計では、約428万人いる身体障害者のうち、およそ3割にのぼる124万人が内部障害者である。
ある日、私は「障害者」になった
Aさんは妻と子供3人の5人家族。腎不全と診断された時、一番下の次男は小学4年生だった。当時を振り返る。
「救急搬送されたのですが、尿素窒素という数値が、健康な人の基準値が20mg/dlのところ私の場合は200mg/dlだった。医者には『学会に発表できる』と言われるくらい酷い状態でした。」(以下、引用欄内はAさん)
「そのような状態だったので、当然即入院。仕事も辞めざるを得ず、しばらくは失業保険を受け取りながら、失業保険と家内の収入とで家計をまかなっていました。」
一方、精神的な面、特に「障害者」だということについての苦悩もあった。
「最初は自分が障害者であるということを受け止められなかった。原因も分からない。昨日まで大丈夫だったのに、ある日突然『透析をしましょう』と。しばらく、そういう事を考え続けていました。」
腎臓病の発症については、思い当たることがなかったという。
「唯一思い当たることといえば、20代の頃、バイク事故で顔の痛みを和らげるために、痛み止めをよく服用していました。そのことが過度に腎臓に負担をかけたのではないか。」
だがそれも憶測に過ぎない。いまだに原因不明のまま腎臓病と向き合っている。
Aさんは、正常に水分を体外へ排出できないため、普段からあまり水分を摂ることができない。野菜などに多く含まれるリンやカリウムといった健常者にとっては必要な栄養素も、食事から摂ることを控えなければならない。
また、透析治療を行うにあたって「シャント手術」という腕の静脈と動脈を繋げる手術を行わなければならない。血液量が多くない静脈を動脈と繋げて、静脈に大量の血液が流れるようにするためだ。Aさんは既にシャントを造設していたが、ここ数年、血液が血管から漏れて腕がパンパンに肥大していたため、最近になって再び手術をしたばかりだった。
このように、単に私たちが知らないだけで、腎不全患者を含む内部障害者には、精神的、身体的、経済的な負担が負担が重くのしかかるのだ。
理解の進まない現状
Aさんは、障害の程度を表す「身体障害者障害程度等級」において、6段階あるうちの最も重い「身体障害者1級」である。目に見えない障害であることと、それに応じるように社会の内部障害に対する理解も進んでいない。
「人工透析患者は『毎週フルマラソンを走るような疲労度』だと言われています。だから疲れるのは当たり前だ、と医者には言われました。」(以下、Aさん)
「満員の通勤電車でも立ちっぱなしであることの方が多いです。ヘルプマークのお陰で、席を譲ってもらえることも多くなりましたが。」
ヘルプマークとは、人工関節や義足を装着している人、難病患者、内部障害者、妊娠初期の妊婦などの、外見からはわかりづらく、また周囲の援助や配慮を必要とする人が、周囲の援助を得られやすいように東京都が作成したマーク。役所の障害福祉窓口や地下鉄駅の駅務室などで配布されている。
ヘルプマークもここ数年で大きく普及したとはいえ、Aさんから席を譲ってもらうように働きかけるのは中々難しい。それに、Aさんが必要とする援助や配慮は、何も通勤電車に限ったことではない。
「一番理解されないのは、やはり職場。どのくらい体がしんどいかは、上司や周りには当然伝わらない。だから、『どういった配慮が必要なのかもわからない』というのも正直仕方がないところがあると思います。」
やはり私たちのイメージする「障害」は、知的障害や身体不自由などの“わかりやすい障害”を想像してしまうことの方が多い。
また、「人工透析、人工肛門やペースメーカーという言葉を聞いたことはあっても、実際どういう助けが必要かよくわからない」という人も多いだろう。
「内部障害者は不自由さが目に見えない。足が不自由なら、足に代わるものでそれを補おうしますが、内部障害の場合はそれがわかりにくい。 腎臓や直腸が悪いと、実際どの部分に支障をきたすのか。それがわかりづらい。」
「ヘルプマークでも、どういう障害や疾患を持っていて、どういう助けが必要かといったことが、周りの人にもわかるようになればいいと思います。」
ヘルプマークの裏側にメモを挟んだりすることで、自分がどういう疾患・障害を持っていて、どういう助けが必要なのかをわかりやすく表示している人もいる。だがたとえそれが表示されていたとしても、ヘルプマークに気付いて、その人に必要な援助や配慮ができるかどうかは、私たち周囲の人間にかかっているのだ。
障害者の社会参画?
健常者と障害者―。どちらの立場も知っているAさんだからこそ感じることもあった。
「今の職場では事務をしていて、他にも私と同じ障害者枠で雇用されている人がいます。こう言っては何ですが、社会性のない人も一部にはいます。
ある時、ある障害者の女性が『クーラーをつける・つけない』といったことで他の社員と口論……というか、その女性が一方的にヒステリックになったことがありました。しまいにはその社員に『訴えるぞ!』と。」
「その『訴えるぞ!』と言った女性も、どうやら特別支援学校の出身だったそうなんです。特別支援学校・学級が悪いということを言いたいわけではありません。ですが、社会と隔絶された特殊な環境で育ってきた人が、大勢の健常者の中にいきなり放り込まれて仕事をしなければならない。当然、これまでとは全然違う環境ですから、多くのことで努力が求められる。
障害者枠の社員のコミュニケーションに問題があったとしても、周りは注意しにくかったり、その人と距離を置いてしまう人も多い。社会人として必要なコミュニケーションや人との距離感がわからないまま働き始めるのは、本人にとっても周りにとっても苦労が多いと思います。
小さいときから健常者と障害者を区別してしまうことは、大人になってからも見えない溝として残ってしまう。逆に大人だからこそ、理解のしにくさ、偏見、誤解などが生まれているような部分もあります。
皮肉なことに、周りの支援が常にある環境は、 本人が社会へ出るときの障壁になってしまう一面もあるように思います。」
たしかに通常の学校では提供できない、障害者への支援や設備、環境といった面で特別支援学校の存在意義がある。しかし、潔癖に区別し過ぎていることが、かえって大人になってからは埋めにくい深い溝を当事者間に築くこともあるだろう。
学校教育の現場においても、障害を持つ生徒が社会参画するにあたっての準備段階として、社会と障害者をうまく繋げる役割を果たさせなければならないのだ。もし、学校教育が障害者の社会参画と相互理解について大きなハードルになっているとすれば、決して看過することのできない問題である。
ある障害を持った生徒の話
少し本題とは脱線してしまうが、これは今でも忘れることのない、筆者の通っていた中学校での話だ。その中学校では「○○中ファミリー」というスローガンを掲げており、全校集会で新入生は円陣を組み、このスローガンを皆で叫ぶことが慣行となっていた。
筆者と同じクラスの生徒で、恐らく知的障害と思しき男子生徒がいた。後から聞けば、彼は特別支援学級に進むことも選択できたそうだが、どうやら自ら希望して普通学級に入ったらしかった。
ある時、同じクラスだった、いわゆる「ガキ大将」の男子生徒が彼を少し「いじった」ことがあった。それがすべての始まりであった。他のクラスだったガキ大将の仲間たちも、次第に彼に対して嫌がらせをするようになっていった。しまいには教師でさえも、彼をクラス全員の前で叱ってしまうなど、彼が「いじられる」理由をさらに与えてしまった。
入学当初はいたって普通の中学生だった彼は、追い込まれるように顔つきは暗く、口調も攻撃的になっていった。それを見かねた他の生徒が彼に手を差し伸べても、被害妄想からか、彼はそれを親切と受け取ることが出来なかった。「みんな僕をいじめる」。彼は一度、そのようにつぶやいたことがあった。
これは憶測の域を出ないが、きっと教師も担任も彼の変化に気付いていたように思う。彼によってどれほど周りが迷惑をしても、彼の「教育を受ける権利」までは奪えないはずなのに。「あのスローガンは一体何だったんだ」―そう子供ながらに思ったことを覚えている。
今でもたまに彼のことを思い出しては、「あのとき自分が何か働きかけていれば、少し変わっていたのだろうか」「いま彼はきちんと社会の成員として生活できているだろうか」と思うことがある。
さいごに
この形骸化したスローガンの例のごとく、矛盾をはらんだ現実というのは社会のいたるところに見られる。「障害者雇用促進法」によって、一定数の従業員を抱える企業は法律で定められた割合の障害者を雇用しなければならない。それを推進するはずの立場である霞が関では、 2018年に中央省庁での障害者雇用数の水増し問題が発覚した。何が「障害者の雇用促進」だろう。
相互理解、多様性の尊重を謳う今日の社会であるからこそ、きちんと捉えるべき「本質」を捉え損ねれば、それはたちまち当事者にとって害悪となり、さらなる障壁を助長することになりかねない。そして、そうあってはならないのだ。
いま一度、考えたい。
私たちがすべきことは、耳心地のいい言葉を並べることではなく、本当に必要な人への配慮ある声かけではないだろうか。
私たちがすべきことは、体裁だけ整えた形だけの制度をつくることではなく、子供から高齢者までに通じる、一貫性のある、より実際的な福祉・教育政策ではないだろうか。
私たちが考えるべきことは、発展途上でまだまだ矛盾の多いこの現実社会を、どのようにして向上させていくのか、どのようにして障害者との溝を埋めていくのか、その根本から考えていくことではないだろうか。
そして、自分の身近な人の境遇や、普段生活する中で見聞きした情報に耳を澄ませ、社会に対して常に疑問を投げかけ続けることではないだろうか。
障害者の社会参画って、何それ? おいしいの?
おわり
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通りの人が少し減った。屋台の店灯りが反射して、石畳がつやつやしてみえる。結花はその石畳を真新しいサンダルで踏んで歩いていた。サンダルだけじゃない、浴衣もお父さんにねだって買ってもらった新品だ。去年まで白地だったけど、今年はちょっとお姉さんっぽい紺色の花柄。……だけど結花の隣にはだれもいない。だって、と口がとがりかけたのを綿菓子をくわえてごまかす。 だって、由利ちゃんも誘うって言うんだ��ん。私あの子とあんまり仲良くないの、陽ちゃん知ってるはずなのに。 つまるところ喧嘩して、一緒に行こうって言ってたのが一人になってしまったのだ。お母さんが心配してお兄ちゃんに一緒に行くように言いつけてたけど、お兄ちゃんも自分の友達のところに行ってしまった。口止め料もらったからいいけど。いいよべつに。もっとふんだくってもよかったけど綿菓子でゆるしてあげる。 ぽん、と軽い破裂音の後ひゅるるるるるるとおなじみの音が聞こえてきた。ふり仰ぐと竹林の間にちょうどぱっと花火が開いたところだった。緑一色の大輪。遅れてドン、と爆発音。次々にひゅるるる、ひゅるるるると花火が咲いていく。赤とか金とか、ちょっと変わった土���型とか。 しばらく見とれてしまってからはっとして花火と逆方向に歩き出す。べつに、去年も見たし。もう見飽きたし。陽ちゃんたちは見てるだろうけどさ。 ちょうちんの並ぶ石段を上がり、鳥居をくぐった。ここなら誰もいないと思ったけど祭見物ついでに来た参拝客が並んでいてそこそこ混んでいた。これ以上人のいないところを探すのもつかれる気がしたので、お行儀は良くないけど石段の一番上に腰かけた。あっ浴衣よごれるかな。……ま、いっか。誰も見ちゃいないんだし。 ちょっと遠い花火を眺めながら綿菓子を食べる。あ、咲いてからきらきらってするやつだ。加奈ちゃんが好きだって言ってたやつ。こっちはなっちゃんが好きって言ってた……。去年みたのとおんなじのばっかり、あーつまんない。今年もみんなで見に行ってるんだ、よく飽きないなー由利ちゃんたちい。 手持ち無沙汰になってしまいどうしようかな、と参道に並ぶ屋台の屋根を眺める。帰っちゃいたいけど今帰ったらお兄ちゃんが私と一緒にいないの、お母さんにばれちゃう。いまさら河川敷まで行くのもいやだなあ。 参拝客もほとんど降りてしまって賽銭箱前に数人残るだけになっていた。ここはここで落ち着く場所になりそうだけどずっといるのも退屈だし……。 同い年くらいの子が白狐のお面をつけながら歩いていた。え、お面。500円ぐらいして高かったからやめといたのに。買えるなんていいなあ。おこづかいいっぱいもらったのかな。さっき見たお面屋さんには無かったからよそのかな。見ているとおかっぱ頭の後ろでひもを結ぶのに手間取ってそのまま石段まで来てしまった。 「待って、危ないっ」 足をすべらせて「わ」と両手があがったところを無我夢中でつかんで引っ張る。女の子はその場にしりもちをついて、結花は砂利にひざをついてちょっとすりむいた。 「いたた……。ごめん、ありがとう」 「ちゃんと前見んとあぶないよ……」 女の子はこまったようにくしゃっとしてわらった。 見たことない顔だから、やっぱり地元の子じゃないと思う。お面のひもを後ろで結んであげた。 「はいできた。しっかり結んどいたでね。外す時はほどくんじゃなくてそのまま頭ぬいたほうが楽やよ」 ありがとう、とまたくしゃりとわらう。 「そうだ名前は? どこ小? 親は? 今日来とらんの?」 「あっ、えっと……」 「あごめんちょっと一気にききすぎたわ。私結花。早瀬結花。元町東小四年」 女の子はなんだかだいぶこまった顔をした。あ、これはもしかして。ピンと来た。 「親にだまって来たんやろ。大丈夫、私もにたようなもんやし誰にも言わんから」 ぱあっと顔が明るくなる。 「わたし篠田葛葉。小学校は……ちょっと遠いとこ」 くずは、呼ぶとちょっと嬉しそうににこにこする。ゆかちゃんと呼ばれて妙にくすぐったかった。聞き慣れない声で名前呼ばれることってあんまりないし。っていうかちゃん付けとかひさしぶりすぎる。低学年までじゃない? 学校によるのかな。 「もしかして、ゆかちゃんもひとり?」 「ゆかでええよ。お兄ちゃんどっか行ったでさ」 「じゃあ一緒にまわろ」 手を差し出された。……別に、誰か一緒にいるならまわりたいとか思ってたわけじゃないけど。葛葉が一人でまわるの嫌ならつきあってあげないこともないんだから。それだけだからね? 誰にというわけでもなく言い訳しながら「うん」と応えてその手をとった。
葛葉があまりにじっと見ていたので綿菓子の残りは葛葉にあげた。 「ご、ごめん気になって。ありがとう」 「ええよ、もうそれ飽きたで。食べたことないの?」 「うん、こっちの方あんまり来んでさ……」 さっそく頰につけてしまってあわててぬぐっている。お面買えるくらいお金持ちなのにもっと安い綿菓子を食べたことないなんて。変なの。あれかな、加奈ちゃん家みたいに晩ごはん入らなくなるから屋台で食べ物は買いませんって言われてるのかな。 独特の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。ああいいにおい。300円かあ、でも6個入ってるからお得かな。 「私あれ食べたい。くずはも食べる?」 「たこ焼き? うーん。わたしはあっち食べるでええわ」 「かき氷? それ食べ終わってからにせな溶けてまうよ?」 たこ焼き屋の前に並び、1パックを受け取って戻ると葛葉はほっぺたをパンパンにしてもごもご言っていた。おかえりって言ったんだろうか。綿菓子食べてからにしないとって言ったけどそんなに焦ってつめこむことないじゃない。 「だ……だって食べたいでさ」 「そんなに詰め込んだら食べにくいやろ……。後にしよ、あとに。私も食べたいし」 ほっぺたをふくらませたままもごもごしている葛葉の隣であつあつのたこ焼きを頬張る。はふはふしていたら隣から強い視線を感じてつまようじを一本渡した。一回あつっと声が聞こえてからはふはふする。 屋台の屋根の隙間からしばらく花火を眺めて、それからいろんなお店をまわった。 金魚すくいで結花が今までで最高の3匹捕獲を達成しガッツポーズをしている横で葛葉は三枚目のポイを破っていた。店番のお兄さんのトークが面白くてつい立ち止まった輪投げ屋では葛葉がぜんぶの輪を大当たりの的に通して大きな袋いっぱいのおもちゃをもらい、結花は全部暴投、かろうじてラムネ菓子一個を手に入れた。射的は結花も葛葉もノーコンで参加賞のちょっと大きめのあめ玉を一個ずつもらった。あめ玉をなめながら列に並び、葛葉はブルーハワイ、結花はいちごのかき氷を買った。 「なんでブルーハワイにしたん。もうブームすぎたやろ」 「わたしが食べたことないでよ。いちごは定番すぎやない?」 べー、としてくる舌が真っ青だったのでべー、と真っ赤な舌でお返ししてやった。しゃくしゃくとストローで氷のまだ白い部分を刺す。 「次どこ行く? ヨーヨー釣り? スーパーボールすくいもあるよ」 葛葉がまわるのにつきあうつもりだったのに、いつのまにか結花の方が葛葉をひっぱって歩いていた。スーパーボールに興味津々だったので連れて行く。 「これがスーパーボール? もっと大きいのかと思ったのに」 「見たことないの? これね、地面に思いっきり投げつけたらすっごい飛ぶんやよ」 さっき金魚すくいでポイをかたっぱしからダメにしたこともあって、お店のおじさんからポイのつかいかたを教えてもらってからスーパーボールすくいをはじめる。金魚だったらポイ1枚で3匹もすくえたのにスーパーボールは水流のせいもあって3個すくうのに3枚つかい切ってしまった。葛葉はほぼ枠だけになってしまった3枚目のポイでなんとか一個、オレンジ色がかった透明のをすくいあげていた。 「けっこうまわったね。くずははまだ時間大丈夫?」 「そろそろだけど……。そうだ、行きたいお店があるんや。こっち」 ぐい、とひっぱられて立ち上がる。とったばかりの緑のキラキラしたスーパーボールをためつすがめつしていたのを急いで袋にしまう。葛葉は先に人混みに駆け出している。待ってって、はぐれちゃうじゃない。 白地に鞠の描かれた浴衣を追いかけて、人混みをすり抜け追いかける。途中で見知った顔がいたような気がしたけどあいさつもそこそこに通り抜けた。こっちは鳥居に近いほうだっけ、河川敷に近い方だっけ。方角もわからなくなったころにやっと葛葉は足を止めた。屋台の並ぶ通りからちょっと奥に入ったそこそこ人通りのある路地裏。一軒のお店の前で手まねきする。藁の生垣がぐるっと敷地を囲っていて中は見えない。 「屋台やないの? 立派そうなお店やん」 「入って。大丈夫やよ、今日お祭りやで子どもが入っても誰も気にせんよ」 それ、普段は子どもが入るとこじゃないみたいじゃない。葛葉がためらいなく入っていってしまって取り残されてしまう。周りは知らない大人ばっかりだ。呼んでも葛葉は出てこない。……中で待ってくれてるならずっと待たせるのも悪いし。別に心細くなったわけじゃないんだから。自分に言い聞かせて足を一歩踏み入れた。 ひかりが見えた。 暗い藁のアーチをくぐった瞬間、ふわっとやわらかい光に包まれた。 はっと顔をあげて息をのむ。壁一面、高い天井まで、そして天井にもたくさんの風鈴がさがっていた。柄はひとつもついてないけどオレンジ色の照明に照らされてつやつや光っててとてもきれいで、まるで宝石みたいだ。藁のすきまからふき��んで来た風にゆられて風鈴がいっせいに音を鳴らす。 「わあ……!」 思わず声をあげた。すごい、すごい……水の中にいるみたい。シャラシャラと水流みたいに音がふきぬけていく。風がおさまりまた静かになっていく。チリ、チリンとひかえめな音がいくつか残る。 壁一面の風鈴に見とれる人の間から葛葉のお面がひょっこりのぞいた。ちょっとずれて顔も見える。結花に気づいて「あ」と口が開きうれしそうにはにかんだ。 「よかった、ついてきてる」 「急に走らんでよ。はぐれるかと思ったやん」 「ごめん。あんまり時間なかったでさ」 こっち、と手をひかれて人混みに入った。何かに並んでいる大人の足もとをくぐりぬけて奥の建物に向かう。そっちにもお店があった。 結花たちの身長からはちょっと高すぎる受付台を、葛葉がこんこんとたたい��窓口の店員さんを呼ぶ。すっとガラスの窓が開いて和服姿のおねえさんが身を乗り出した。葛葉はおもいっきり背伸びしてできるかぎりおねえさんに顔を近づけて何か言い、おねえさんはにこにこと優しげにほほえんで頭をひっこめた。 「何、くずは。買うの?」 うん、とうなずいて窓口の方に向き直りそわそわと見つめる。 大人たちの列の方はさっきより短くなったと思ったらまた人が来てもっと長くなった。あっちで何を売ってるんだろう。誰もこっちに気づかないどころか見もしないけど。なんでだろう……? 「はい」 「ありがとう! これお代」 声がしてふりかえると、戻ってきたおねえさんが葛葉に包みをわたしているところだった。手のひらサイズでぽっこりふくらんだ茶色い紙袋。おみせのなまえも中身のなまえも書いてない。 「はい、ちょうどおあずかりしました。良いひとときを」 ガラス窓がすっとしまっておねえさんの姿はまた見えなくなった。葛葉はうれしそうにぎゅっと包みをだきしめて、それから結花の方にそれを差し出した。 「……え?」 「あげる。ゆかに、プレゼント」 「え、でも……」 予約までして、楽しみにしていたものじゃなかったの? どうして私にあげようなんて。 「今日すっごくたのしかったでさ」 「そんな、もらえんよ。こんな高そうなん」 いいから、と包みを押し付けられて受け取った。何かまるくてかたい……包み紙のがさがさする音にまじって爪のあたったコンと硬い音が響いた。ガラス……? 「……ひとは終わったら、すぐ忘れてまうでさ。これはおまじない」 包み紙の上に葛葉の手がのる。何を言ってるのかわからなくて、結花は葛葉の顔を見た。 「忘れんとって。できたら覚えとって。それで……」 葛葉が顔をあげて、目があった。視界の端に真っ白な尾がちらりと見えた。 「それでまた会ったら、今日みたいに一緒に──」
「結花! 雨降ってきたで帰るぞ!」 すぐ近くで大きい声がして、気がついたらずぶぬれになっていた。ばちばちと石畳を雨粒がたたいている。お兄ちゃんも傘はもっていなかったみたいでずぶぬれだ。周りの人もうちわを傘代わりにして走っていく。 「ごめん、もう帰るね、……あれ……?」 誰かさっきまで一緒にいたはずなのに、そこには誰もいなかった。ぎゅっと包みを抱きかかえて「あ」と思い出す。そうだ葛葉、葛葉は……? 「どうした、早よ帰ろう、風邪ひくぞ」 「待ってお兄ちゃん。女の子見なかった? 狐のお面つけてる……」 「見てない。もう帰ったんやないか。ほら帰るぞ」 腕をひっぱられて走り出す。浴衣に雨がしみこんで寒くなってきた。葛葉は本当に帰ったのかな。はぐれただけで、雨の中寒いのにまだ探してたりしないかな。 「晴れてたのになあ急に降り出して──」
ズドン! 「きゃっ」 「わっ!」
ピシャッと一瞬ものすごく眩しくなって、すごい音がした。地響きもあったし耳がきんきんした。 「かみなり、かみなりが近くに落ちたんだ。早う帰ろう。危ない」 「待って、落とした……」 濡れた包みを拾い上げてはっと息をのむ。やだ、嫌だ。まって……。 がちゃり。 にぎりしめた包みの中で、何かがこすれる音がした。
🎐
軒先に風鈴をぶらさげて、網戸を閉めた。蝉もうるさいし、もうだいぶ暑いけど今日はもう少しだけ窓を開けておこう。……別に風鈴の音が聞きたいとかいうわけじゃないけど。っていうかこれそもそも音しないし。 風鈴には金色の線がたくさん入っていた。 あの後結花は割れたガラスを袋ごとずっと宝箱に入れて保管していた。両親にもう捨てようと言い聞かされても譲らず、成人して家を出る時も持ち出してきてしまった。「金継ぎ」という技術を知って雑貨屋で道具を揃え、見よう見まねで破片をつなぎ合わせたのが去年の夏のこと。コツンコツンと金具があたる音がするだけで響きもしないけど、あの日の稲妻がはしったような線を、結花はとても気に入っていた。去年は何もなかったけど。今年こそ何か……。もしかしたら。 インターホンが鳴って窓辺を離れる。宅配便だ。昨日注文しておいたやつ──
どこかでチリンと音がした。 ▫︎ ▫︎ ▫︎ ▫︎
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ワイシャツをシワシワにする妻 ワイシャツ命 2009年5月20日 11:48
20代後半男です。
営業職ではありませんが、人前に出ることが多い仕事のため、平素より身だしなみには気を遣っております。
独身時代より、ワイシャツはクリーニングに出しておりました。結婚当初もずっとクリーニングだったのですが、4月に「ワイシャツは家で洗濯する」と妻が言い出しました。
しかし、驚いたことに、妻はワイシャツを洗濯ばさみで干していました。洗濯ばさみの痕がつくし、ワイシャツの形も整わないので、ハンガーで干すよう再三頼み、ようやくハンガーで干してくれるようになりました。が、干す前にパンパンとシワを伸ばさないし、ハンガーにだらしなくかけるため、乾いた後も形がイマイチです。
ワイシャツは自分で洗うと言っても「水道と電気代がもったいない」からダメ、形状記憶シャツを買い足すのも「お金がない」からダメ。 ならばと帰宅後、慣れない手つきでアイロンがけしていると、「イヤミ?」「部屋が暑くなるからやめて」
���かに不景気で4月の昇給はありませんでしたが、パリっとしたワイシャツが着れぬほどの安月給ではありません。毎日のことだし、私服にお金をかけるわけじゃなし。温暖化防止の取り組みから社内の冷房も昔のようにガンガン利いていません、これから上着を脱ぐことも多くなります。ワイシャツがヨレヨレだと覇気も低下するのですが、どうやったら妻に理解してもらえるでしょうか。
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トピ主です ワイシャツ命(トピ主) 2009年5月20日 23:09
多数のレスをありがとうございます。妻は2歳年上の専業主婦。フルで働いていましたが、いろいろあって体調を崩し年末に退職しました。福利厚生が整ってたので、暫く休職してまた戻ったらいいと勧めましたが、退職の意思が固く、それ以上無理は言えませんでした。
いざ家庭に入ると、家事全般が不得手だとわかりました。結婚前に予想できましたが、家事の担い手がほしかったわけではなく、気にしていませんでした。
会社の人間からは、既にワイシャツのヨレヨレを指摘されています。「お、また徹夜か!」(昨日と違うだろ、朝に来たよ!)「すごい通勤ラッシュだったんだな」(超余裕のフレックスだろ!)「奥さんに逃げられたか」(オレが逃げたいよ!)「格好のATMになっちゃったな」(カード類が全て没収されたため) 一方妻は、うちの社内事情に詳しく、取引先や会社の人間に笑われてると言っても「フン」で終わり。出世や昇進には直接影響しないとわかっており「能力で勝負でしょ」というスタンス。
小遣い節約のため、自分でおにぎりを作っていたら、夕食の残りを冷凍されるようになり万事休す。書いてて虚しいな、ほんと。
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トピ主です ワイシャツ命(トピ主) 2009年5月22日 12:47
妻が働いていたときは、お互いに折半財布にお金を出し合い、生活費に充てていました。残りは全て自分の小遣いになり、運用にまわす余裕もありました。
妻が専業主婦になり家計を預かると言うので、給与口座のカードだけを渡しました。が、会社の同期と妻と一緒に飲む機会があって、そのとき偶然、費用清算の口座の存在を妻が知りました。交通費や出張の経費等、一時的に立て替えた実費が振り込まれるため自分で持っていたのに、妻が「隠し口座を持っていた」と過剰に反応。全てのカード類を渡すよう激しく言われました。
家計簿をつけろとは言わないですが、光熱費や食費など、だいたいいくら使っているのかレシート等を見せてと聞いても、「あなたの給料の範囲でやりくりしているから」の一点張り。
私はギャンブルも浮気もしてません。たいした趣味もありません。ガツンと言わないのは、妻がすぐに泣いたり大声を出したりするので、家でまで揉め事は面倒くさいからです。妻に迷惑はかけないので、自分のことは自分でやりたい、ただそれだけ。自由になるお金は本当に少なく、お昼代を捻出して終わりです。「お風呂場にワイシャツ」を試してみます。
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再びトピ主です ワイシャツ命(トピ主) 2009年5月22日 23:39
今日の午後、一旦自宅に戻りました。すると妻に遭遇、なりゆきでワイシャツの話に。今度お風呂場にワイシャツをかけてみる、と何気なく言ったところ、「そこまでする?そんなの会社(のお金)でなんとかすればいいでしょう」と言われました。妻の本音はそこにあったか。
私は仲間と立ち上げた会社で働いています。小さいながらも役員に名を連ねているので、会社のお金を自由にできると思い込んでいるようです。冗談だろ、お金なら月々サラリーという形でもらっているし、それ以外のお金を使うとしたらそれは横領。でも妻は、「必要経費として計上できる方法はいくらでもあるはず」と言いました。昼食代もしかり。
仕事の経験が豊富で、知的だった妻。会社は違えど、仕事の上で大きな支えでした。でも今は「カネ、カネ」の浅ましい女になっていることに気付きました。夫婦としての生活は、昨年のうちにとっくに破綻していたけれど、考えないようにして問題を先送りしてきた。今日から暫く会社で寝泊りします。ご心配いただいている給与口座ですが、変更できるか週明けに経理担当の人間に確認します。
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トピ主ですが ワイシャツ命(トピ主) 2009年5月26日 13:03
レスをいただいた方には申し訳ありませんが、22日の23時39分にその後を掲載しています。確認してから投稿なさってください。
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トピ主です、すいません ワイシャツ命(トピ主) 2009年5月26日 13:16
いろいろあって、自分でもイライラしています。22日の私のレス以降にいただいたご意見を読み始めたのですが、あまり頭に入っていかないので少し休みます。すいません
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トピ主です ワイシャツ命(トピ主) 2009年6月1日 0:20
先日、妻の両親を交えて話す機会を持ちました。第三者がいないと、会話が成立しないからです。 妻は病気したわけではありませんし、今も病気ではありません。でもなるべく、どんなに自分が疲れていても、労わりの気持ちを持って接してきたつもりでした。それでも妻の心は相当病んでいて、もう私の器ではこれ以上どうしようもできないと思いました。5年後・10年後の将来のビジョンを描くとき、会社をもっともっと大きくしたい、従業員の満足度を向上してやりたい、ということはあっても、妻との家庭生活はまるで見えてこない。妻の両親に、それはもう愛情がないということかと聞かれ、「そうです」としか言いようがなかった。
妻は今のマンションをほしがったけれど、独身時代、自営業でローンが組めず、負けん気を出して働き即金で購入したこの自宅だけは、どうしても譲れなかった。妻の両親が理解してくれ、妻を説得してくれました。結局、妻は実家に帰り、私は自宅に戻りました。今後は離婚の話を進めることになります。最初の投稿からわずか10日ほどの間に、人生の転機が訪れるとは思っていなかったけれど、結論が出て今はスッキリしています。
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2009-07-08 - Hagex-day.info (via petapeta) (via theemitter) (via msnr) (via kojiroby) (via katarinax) (via mzdakr) (via otsune)
よくあるような気もする重い話。Webに書くことで整理しており、質問という形をとっているけれども自分で決断している。
これもGTDなのかなぁって。
(via michale)
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こんにちは^ ^ 愛花です♪ . . 大阪で STEP6 女神ダイアモンドアドバンス を 開催してきました♪ . . 感想の一部を紹介します。 . . ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ とっても内容が濃くて 頭パンパンです(笑) プリンセス講座からずっと つながっていて本当にびっくりです!! ○○のタイプも驚きで、 ダー様×○○のタイプの 修復の仕方がわかってうれしいです!! どんどん講座が楽しくなってきて 次回もワクワク楽しみにしています♡ 愛花先生ありがとうございました . ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ . 浮気・風俗・セックスレス解消から、夜の仲良しまで夫婦円満になる全ての答えがここにある♪ . 愛花らんどの愛花より心より愛と感謝をこめて ___________________ #アラフォー #アラフィフ #アラフィー #女性向け #女性専用 #女性 #女性らしさ #セックスレス #セックスレス解消 #浮気 #浮気解消 #婚活 #夫婦円満 #夫婦 #ラブラブ #愛 #love #セミナー #プリンセスレッスン #愛妻教室 #愛妻家 #愛の花 #愛花 #仕草 #プリンセス #講師 #aikaland #愛花らんど #男心専門家 https://www.instagram.com/p/B7Sg366jLVZ/?igshid=17lnv1xsx6mmu
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独りよがりのクリスマス
毎年恒例の家クリスマスは22日に開催。 実は1年で1番緊張する日。 今年のテーマは『回顧』。 夫婦で外食して印象的だったものを自分なりの解釈で再現+オリジナル。 ◎前菜の盛り合わせ 炙りホタテの生ハム巻 ビネグレットソース キャロットムース & キャロットラペ
◎スープ ジャガイモと玉ねぎのピューレ コンソメミルクスープとワサビ添え
◎お魚 パエリアネストのスープ仕立て
◎パスタ ルッコラと生ハム
◎お肉 松の葉で燻した低温ポーストポークパセリ塩とオニオンソース
◎デザート クレーム・ダンジュ
今年は北海道のレストランで頂いたのが美味しかった「余市ケルナー」を食事のお供に。非常に奥ゆかしく、控えめでスッキリした味が大変に◎
全体的に見たら、2時間で出し切れたし、味も安定してたので、それなりには良かった気もする。しかし一晩経って冷静に考えると、反省点だらけで何だか悲しい。。
ディナーの流れを断ち切ったのは、パエリアネスト。 巣に見立てるためにビーフンを型にはめてオーブン素焼き。綺麗に整形出来たとこまでは良かった。が、巣に見立てることに満足していて、こいつが米粉の食べ物だということを完全に失念していた。ただでさえ海鮮具沢山で食べ応えがあるっていうのに、素焼きのビーフンを食べるとお腹がパンパン。。。パエリアネストを食べ終えた時点で割とな満足感と疲労感。 そう、こいつは途中に出すものではなく、メイン中のメインなのだ。パスタと肉に行く前に、かなり体力を消費してしまった。美味しかったけど、ボリューム感も加味したメニュー構成ができなかったのは、大失敗。初挑戦で作れたことに満足してしまった自分の愚かさを責めたい。コストが掛かるので、リハーサルせずぶっつけ本番の結果がこれよ。自分が納得できないものを人には出していけないね。
100点取れたら多分この企画は終了するけど、100点は取れる気がしないので来年に向けて1年かけて準備するか。 一体いつになったら完璧な家飯を作れるのだろうか。先は長すぎる。 と自分をタコ殴りにしてやりたい気分ですが、妻に喜んでもらえたのは嬉しい。
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