#バロック形式
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドや��ーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみ��、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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バロック音楽では、それがさらに「音楽によって感情を表現しよう」とする傾向が強くなってゆき、16世紀末から17世紀はじめにかけて、それまでのルネサンス音楽のソプラノ、アルト、テノール、バスの4つのパートが対等なのは人間の感情を表すのにふさわしくない、との考えから「1本の旋律と伴奏」といった形の生まれ、それがオペラへとつながります。 つまり、バロックはいろいろな意味で「劇的」です。演劇的であり、ドラマティック。調和よりも対比。それが、「バロック(ゆがんだ真珠の意味)」という名の由来になったという説もあるそうです。 そしてバロックは、器楽が盛んになってゆく礎を築いた時代でもあります。ストラディヴァリウスなど名器と言われる楽器がさかんにつくられた時代でもありました。 ところで、この時代の音楽は、現代の私たちが聴くと「歌と低音伴奏」の音楽に聞こえます。しかし、当時の人たちの耳には「楽器と声の対比、高い音と低い音のコントラスト」と受け取られ、劇的な様式、ドラマティックな新しいスタイルとして聞こえていたはずだというのです。 近藤さんが『ものがたり西洋音楽史』を執筆されるなかで一番苦労したのが、このバロックの時代であったそうです。多様性のある時代で、ひとつにくくるのが難しく、その混沌のなかで、バロックの最後期にはバッハのような人が生まれてくることになるのです。
『ものがたり西洋音楽史』を読む 近藤譲さんトークイベント「耳の考古学 第2回」 | 岩波ジュニア新書創刊40年記念講座 「ジュニア新書を読む」 | web岩波
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《今日の新譜》木管四重奏 トッカータとフーガ第7番 バロック期の伝統的な形式をコンパクトにまとめた名曲をお楽しみください。 ぜひこちらからYoutubeで全曲視聴してみてください。 参考音源 https://youtu.be/zsrQbZg8PY8 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ ご一緒に音楽の知識を豊かにしていきましょう。 チャンネル登録もよろしくお願いします。
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空間の〈多焦点〉化のメカニズムに関する研究および設計提案
term:2023.04~2024.03(completed) ※2023年度修士設計吉田鉄郎賞
主体の複数のイメージに結ばれるような「多焦点」の建築を「生成」したいという動機からこのスタディは始まった。夏目漱石は、「f+F」の文学構造において、小説内の無数の感覚情報(f)は一つの焦点(F)に結ばれるわけではなく、焦点同士をつなぐ連結の様態となる、という見解を示している。(この構造を建築の〈多焦点〉化に応用する目的で、原子モデルを参照して図式化を試みた。目の前の観察物である「客体」と「主体」が観察後に想起するイメージを結びつける役割を担うのが、「客体」に備わる感覚情報であることを示す図式。)さらに時代を遡れば、西洋のバロックの建築は、外側と内側の「落差」が激しく、まるで1つの建築に複数の世界が同居しているようである。これらを参照し、建築の「外見」と「内見」を別々に「生成」する方法を試みた。そして、それぞれの積極的な不安定性に着目して造形スタディを行い「事後的」に設計提案として着地させた。(波多野諒)
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●まだコロナがなかった頃、定期的に読書会が催されていて、私はいつも参加していたのだが、それが終わったあと、参加者一同で軽く食事をしに近くの店まで行くことがあった。そこで読書会の反省などを話すのだが、気の置けない場だったので、無遠慮な議論になることがある。今でも憶えているのは、そのときも既にしばしば蒸し返されてきた話題だったらしいのだが、アートとは何か、という古くて新しい哲学上の問題について、新進気鋭のまちづくり活動家にして研修医(当時)の守本陽一氏がKIACのプログラムディレクター吉田雄一郎氏に何度も問い詰めて辟易させているほほえましい光景だ。私は吉田さんがうざがるのも無理はないが守本さんの気持ちもまあわかる、と思った。KIACという組織の中にあって———多少パフォーミングアートに偏っているかもしれないが———アートの最前線に身を置いて日々仕事をしている吉田さんですら、若い守本さんに問い詰められると困惑的なストレスを感じるほど、アートというものに定説としての定義がない。とくに現代アートの状況を一瞥すると、一体何がアートなのかと首をかしげざるを得ない。これは由々しき事態である。
●美術史は19世紀のダヴィッドやアングルの荘重森厳な絵画に対して《擬古典主義 classicalism》乃至《偽古典主義 pseudo-classicism》の名を与えている。何が《擬》で《偽》であるのかというと、それはもう見て受ける感じが本物の古典主義 classicism とは全然ちがうのだ。本物の古典主義は14世紀シエナ派のシモーネ・マルティーニ『受胎告知』にしろ13世紀ビザンティン美術最盛期のアヤソフィア大聖堂『デイシス』にみられるキリスト像モザイクにしろ、形式と内容の調和と前者の優位下における後者の充実の感じをもっている。人間の歴史の中には個人の自由を抑圧して集団精神を優先させるような時代がいくつもあるが、その状態は永続せず、次第に集団精神の優位下に自由が回復してくるものだ。両者の均衡と調和があるときに古典主義があらわれ、後者のさらなる伸長と激化によって形式の精神の衰微と個人の自由の肥大があるとき、ロマン主義があらわれ、バロックがあらわれ、その方向の極点に印象主義があらわれるだろう。G.K.チェスタトンは印象主義を「宇宙に根拠があることを信じない、最終的な懐疑主義」だと言っている(『木曜の男』)。実際それは「神は死んだ」と叫んだ哲学者があらわれた時代に感覚だけに頼って目前の印象を画布に定着しようと努め、それを突き詰めることで遠近法的画面構成の溶融的崩壊をもたらし、表現主義の無からの絶叫を経てダダのニヒリズムを準備した。2021年現在、印象派が大好きで、モネやピサロのような作風で制作している画家がいるとしても、その作品は《擬印象主義》(そんな言葉はないが)とでも呼ぶしかないようなものになるだろう。あらゆる芸術様式は時代状況の産物であって、画家個人の才能だけで���能になるようなものではない。それを可能にする状況なしにうわべだけ真似をしても《擬》で《偽》であるようなものにしかならないのだ。
●以上の議論を踏まえて、アートとは何かを問おう。ダヴィッドやアングルの絵画をアートではないと言うのは言いすぎかもしれないが、そういう急進的な立場もあっていいと思う。アートは状況の産物である。借り物ではなく、なまの現実と人間が関わることによってしか生まれない。人間不在の芸術がありうるか、という問いは正統派的な立場からすれば全くの愚問に過ぎず、鉱物の結晶や山岳の絶景を「自然の芸術」などと言うのは比喩以外のものではない。(『日本・現代・美術』第十一章を読む限り椹木野衣は宮川淳の「アンフォルメル以後」という論文に人間不在の芸術の理論の可能性を見ているらしかった。そこで同論文の所収されている単行本を取り寄せて読んでみたが、残念ながら私には、本当に誇張なしに最初から最後まで何を言っているのかさっぱりわからなかった。だいたい語源的にも art は technology と同じく人間の営みである。野心は結構だが、人間不在の芸術を認めるなら有史以来のあらゆる芸術理論を御破算にしてゼロから車輪の再発明に取り組まねばならない。とはいえそれが却って現代アートの呈している混乱を十全に掬い取る理論の構築への近道なのだと思わせてしまう状況がある。)
●(このテーマでシリーズ化して続けたい。できるだろうか?)
参考文献:岩山三郎『美術史の哲学』(1969) 創元社
2021年08月20日
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田口薫『地を這う、跡を撫ぜる』 (アートアワードトーキョー丸の内 2021 フランス大使館賞 受賞者展) 会期:2023年2月1日(水)〜2月26日(日) 開館時間:東京日仏学院の開館時間に準ずる ※2月11日(祝・土)と2月23日(祝・木)は開館 会場:東京日仏学院|リヴ・ドロワット、ホール、ギャラリー 入場無料 協力:三菱地所株式会社 このたび在日フランス大使館/東京日仏学院は、アートアワード トーキョー丸の内との協働により、2021年に在日フランス大使館賞を受賞した田口薫の個展『地を這う、跡を撫ぜる』を開催する運びとなりました。 田口氏は同賞受賞作品『東亜の聖母』で、キリスト教の図像のなかに存在する人物を取り上げ、繊細さとバロック性、緻密さと豊かさを合わせ持っ���仕事を展開させています。絵画と木版画を混ぜ合わせながら、自身の個人的な歴史と宗教画の人物が交差します。 様々な遠近法を駆使し、通常は同じ平面に属さない要素や図形を交差させることによって、日本と異文化との出会いが描かれます。 イコンと自分との距離を、絵によって確かめる行為をしています。 地を這うように筆を進め、その痕跡を撫ぜ回すイメージで絵をつくろうと試みています。 (田口薫) 田口薫 1995年愛知県生まれ 2019年愛知県立芸術大学 油画専攻 卒業 2021年東京藝術大学大学院 先端芸術表現専攻 修了 アートアワードトーキョー丸の内2021にてフランス大使館賞、今村有策賞受賞
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好きなものをゲームにする方法
「好きなものをゲームにする方法」note版。2023年春、電子書籍化予定。 米光一成(ゲーム作家、ライター、デジタルハリウッド大学教授 代表作「ぷよぷよ」「バロック」「トレジャーハンターG」「はぁって言うゲーム」他)著作によるゲームアイデア講座。
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「Crystal AXIS」のふゆきさんにゲーム音楽について尋ねてみた
今回のスペシャル記事では、ブログ「Crystal AXIS」の著者である“ふゆき”氏(冬木静氏/以下ふゆき氏と表記)に、ゲーム音楽についてのお話を伺いました! 長年にわたり多数のゲーム音楽イベントに参加、またサウンドトラックを聴き、その一つ一つに力の入った素晴らしい感想を書かれているふゆき氏の記事は、特に関東でゲーム音楽演奏に参加したことがある人なら、ほとんどの人が一度は読んだことがあるのではないでしょうか?
ふゆき氏がゲーム音楽に目覚めたきっかけとは、ふゆき氏がいま一番生演奏で聞いてみたいゲームタイトルとは? お話を聴いてみました!
Q:ゲーム音楽にハマったきっかけのゲームタイトルは?
A:従兄弟がプレイしていたスーパーファミコンの「ガデュリン」というゲームをその横で観ていて、そのラストダンジョン「中央制御室」の曲がとても素晴らしかったんです。シンプルなのに神秘的で綺麗で、長いダンジョンの間ずっと聴き続けても飽きない。その旋律が一発で幼心に刺さったんです。ゲームの音楽ってすごいなと。そこからゲーム音楽にハマりました。自分ではできないからと、友人にお願いして音源を渡して耳コピしてもらったくらいに好きなんです。
(「ガデュリン」1991年セタより発売されたRPG。作編曲は大山曜氏・崎元仁氏)
Q:2022年に触れた中��音楽が最も好きなゲームタイトルは?
A:2022年に触れた中では「MAD RAT DEAD」ですね。とにかくノリの良いテクノなんですが、その裏側に哀愁漂う物悲しさと渋さが見え隠れしているところにハマりました。ほんのりビターな大人っぽい格好良さが好きです。
(「MAD RAT DEAD」2020年日本一ソフトウェアより発売されたリズムアクションゲーム。音楽は多数のコンポーザーが参加している)
Q:2022年「発売」だといかがですか?
A:2022年に発売なら「ハーヴェステラ」ですね。サントラの後半にある煌びやかでシュッと整った曲や、オーケストラ調の壮大な曲に心を鷲掴みにされました。コーラスがすごい絶妙なんです。ゲームは未プレイなのでどの曲がどういうシーンで流れるのか分からないのですが、おそらく戦闘曲と思われる曲は大体どれも格好良いです。
(「ハーヴェステラ(HARVESTELLA)2022年スクウェア・エニックスより発売されたRPG。音楽は椎名豪氏)
Q:ゲーム音楽の演奏会にハマったきっかけは?
A:「ゲーム音楽の演奏会」の存在を知ったのが、知人が参加していたGAMEバンドの演奏会でした。地方に住んでいたので、ゲーム音楽は好きでサントラを聴きまくっていたけれど、演奏会の存在自体を知らなかったんです。GAMEバンドを紹介してもらって、聴きに行った演奏会のパンフレットに挟み込まれていた他の団体さんのフライヤーを見て、あの曲やるのか! この曲もやるのか! とゲーム音楽好きが爆発して、そこからはもう芋づる式にいろいろな団体の演奏会を聴くようになりました。
Q:多数のゲーム音楽演奏会に足を運ばれているふゆき氏が、最も多く会場で聴いたなと思うゲーム音楽はなんですか?
A:なんだろう(しばらく考えて)……ファイナルファンタジー7の「片翼の天使」かもしれません。多くの楽団が一回以上は演奏しているような……公式のコンサートでもたびたび演奏されていますね。ファイナルファンタジー7が演奏されることが多いという印象はないのですが「片翼の天使」だけはピンポイントで、例えばアンコールなどに演奏されているように思います。
(「ファイナルファンタジー7」1997年スクウェアより発売されたRPG。「片翼の天使」はラストバトルの楽曲)
Q:今まで聴いた中で最も印象に残っている演奏のプログラムは?
A:ええ~……(しばらく考えて)聴きたかった曲がようやく聴けた、という意味ではコスモスカイオーケストラさんが演奏されていた「トラスティベル~ショパンの夢~」の通常戦闘曲「Leap the precipice」ですね。オーケストラ調の格好良い曲が揃っている作品で、どの曲でもいいからどこかで演奏されないかなと、ずっとそわそわ待っていたので。それから2023年1月に演奏されたばかりの「十三機兵防衛圏」はすごい体験だったなと感じました。戦闘曲、原曲は電子音がバリバリに使われているのに、よくあんなに再現度高くオーケストラに落とし込んだなと。
(「トラスティベル~ショパンの夢~」2007年にバンダイナムコゲームスより発売されたRPG、開発はトライクレッシェンド。作曲は桜庭統氏)
(「十三機兵防衛圏」2019年にセガより発売されたアドベンチャーゲーム、開発はヴァニラウェア。音楽はベイシスケイプ)
Q:印象に残っているゲーム音楽楽団がやった舞台上の「演出」(演奏以外のステージ面の演出)は?
A:GAMEバンドさんの「GAMEバンドサスペンス劇場」はツボに入りました。本当にサスペンスをやっていて、もともとミステリーも好きだったので。それから「NieR Replicant / NieR Gestalt」の企画オーケストラ「モント・トレーネン・フィルハルモニカー」の冒頭で「ドラッグオンドラグーン」の「第十三章 最終」から始まったのはとても記憶に残っています。鳥肌ものでした。
(「GAMEバンドサスペンス劇場」2015年のGAMEバンド5thコンサートで演じられた「逆転裁判シリーズ」「逆転検事シリーズ」「ゴースト&トリック」「リズム怪盗R」「ポートピア連続殺人事件」のキャラクターたちを登場させたBGM・効果音生演奏の演劇的ステージ)
(「NieR Replicant / NieR Gestalt」2010年にスクウェア・エニックスから発売されたアクションRPG。音楽は岡部啓一氏)
(「ドラッグオンドラグーン」2003年にスクウェア・エニックスから発売されたアクションRPG。音楽は佐野信義氏)
Q:これまで生演奏されることがなかったゲーム音楽で、いま最も生演奏で聴いてみたいゲーム音楽は?
A:「ガデュリン」と声高に言いたいところですが、先日ラピスドリームさんが演奏してくださったので……合唱では演奏されていましたが、楽器では演奏されてこなかったと思うもので聴きたいのは「アルトネリコ」シリーズですね。それから「サージュコンチェルト」も演奏されていないように思います。あとは、心霊ホラーシリーズの「死印」も是非聴いてみたいと思っています。
とくに曲単位だと演奏難度は度外視ですが「アルトネリコ2」の「EXEC_over.METHOD_SUBLIMATION/.~omness chs ciel sos infel」ですね。ぜひ合唱付きで壮大に奏であげて、「え、これがラスボス戦曲?」と観客を戸惑わせてほしいです。可能ならば「EXEC_over.METHOD_SUBLIMATION/.」の3曲をメドレー形式で演奏してくださると、もれなく自分が大歓喜します。
もう一つ、「死印」の「死るし」もプッシュしたいです。冒頭のチェンバロの特徴的な旋律が好きだからというのもあるのですが、鍵盤楽器や弦楽器によるバロック音楽のようなホラーテイストが生演奏でどうなるのか、怖いもの見たさで聴いてみたいです。
(「アルトネリコ」ガスト・バンダイナムコゲームスより開発、発売されたRPGシリーズ。全3作)
(「サージュコンチェルト」ガストにより発売されたRPGシリーズ。「シェルノサージュ」「アルノサージュ」の二作が発売されている)
(「死印」2017年にエクスペリエンスより発売されたホラーアドベンチャー。音楽は神保直明氏)
Q:最後に、ゲーム音楽を舞台で聴く、ということについてのこだわりについて教えてください(※ゲーム音楽は好きだけど、生演奏に足を運ばない人に良さを語るとしたら、という感じです)
A:そうですね……あまり難しく考えずに、生演奏ならではの臨場感を楽しむようにしてます。音を浴びるような、包まれてるような感覚が気持ちいいんですよね。自分は楽器一つ吹けないド素人で、音楽的にああだこうだはあまり語れないのですが、なんか気持ちいいとか、なんかこれ好きとか、そういうふっと湧き上がる感覚的なものに浸りながら鑑賞しています。それと、特に有志の方による演奏会で多いのですが、演奏する側も聴く側もみんなゲームやゲーム音楽が好きな人ばかりなので、とにかく場の熱量がすごくて。演奏中はもちろん演奏に集中していますが、休憩中の観客の方々のワイガヤも楽しみだったりします。いろんな方と好きなものを共有し合える場って、なんかいいですよね。
(了) ふゆき氏、ありがとうございました! ふゆき氏のblog「Crystal AXIS」はこちら!
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22年コンサート#204
12月20日 マリーコンツェルト
ミヒャエル・ハイドン・プロジェクト #6
ヴァイオリン 山本佳輝、勝森菜々
ヴィオラ 原田陽、丸山韶
コントラバス 布施砂丘彦
レクチャー 西川尚生
M.ハイドン ノットゥルノ ハ長調MH.187
W.A.モーツァルト 弦楽五重奏曲変ロ長調Kv.174(第一稿)
M.ハイドン ノットゥルノ ト長調MH.189
W.A.モーツァルト 弦楽五重奏曲変ロ長調Kv.174(第二稿)より第3楽章トリオ、第4楽章
昨年から布施砂丘彦氏の主宰で企画されている、近年再評価されているミヒャエル・ハイドンと彼に関係の深い作曲家の作品を紹介するコンサートシリーズ。今回は弦楽五重奏による楽曲を特集。低音パートをチェロではなくコントラバスで演奏したのがポイントの一つで、これはプログラムノートや西川尚生氏のレクチャーで説明されたが、当時のザルツブルクの楽団事情の考察を反映した編成とのこと。
演奏のほうは、モーツァルトのKv.174(第一稿)の第4楽章で反復する/しないの混乱があって一時停止するアクシデントが。しかし、気のせいか仕切り直しのもう一度の演奏で若い奏者のアンサンブルに勢いがついた感じ。
休憩を挟んでのミヒャエル・ハイドンMH.189が曲も演奏もとてもよかった!
ト長調といえばミヒャエルの兄ヨーゼフ・ハイドン、そのソナタ形式の第一楽章を想起させる充実した響きで始まる。ブリランテに相応しい。短い展開部とその代わりにめまぐるしく展開する再現部に今度はモーツァルトを想起する。
アダージョの第二楽章は、3拍子×3小節でテーマが出てくるのがユニーク。不思議なリズム感で面白い。
第三楽章メヌエット、主部は流れるような心地良さ、対照的にトリオはシャリシャリしたギクシャク感がなんだかバロック風、でもちっとも古くさくない。
プレストの第四楽章の勢い。偽フーガ?があったり、この感じはなんだか知っている曲にあったなと思ったのだが、そうだ、ラズモフスキー第三番。面白かった。
Michael Haydn Project #6
Michael Haydn - Notturno in C major MH.187
W.A.Mozart - string quintet in B♭ major Kv.174(1st ver.)
Michael Haydn - Notturno in G major MH.189
W.A.Mozart - string quintet in B♭ major Kv.174(2nd ver.)
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伝導瞑想
宗教や性別の如何を問わず14歳以上の誰もが急速な霊的成長を望むことができる奉仕の形態である。眉間に集注しながら『大祈願』を唱えるとキリストや覚者方の進化のエネルギーが弟子のチャクラを流れ霊王国、人間界、動物界、植物界、鉱物界に伝導する。世界や国家に肯定的な効果をもたらす。
霊的エネルギーの伝導
伝導瞑想の際に眉間(アジュナ・チャクラ)に集注する事で、エネルギーの象徴の光線が屡々、見える。これは覚者方からの霊的な『徴』である。アストラル界(感情・情緒界)からメンタル界(識心界)への移行が重要であり、魂と整列し『理性から霊的直観』へ至る帰還の道であるー。
伝導瞑想の実践
『キリストと覚者方』真我実現��為の優れた、どの宗教との瞑想とも併用可能な奉仕(カルマ・ヨガ)とエネルギーのヨガ(ラヤ・ヨガ)の組み合わせの優れた方法である。自らの宗教的伝統を尊重しなさい。神に御祈りし、感謝し、無理し過ぎず、日々、奉仕と瞑想の研鑽を積みましょう。
緊張状態
哲学や瞑想で頭がカチカチになったら自分の両手で頭頂と耳の上辺りなど凝っている箇所をマッサージしてください。伝導瞑想は強力な精神集注を要する高度な瞑想の形態であり、著しい緊張を要する魂の整列状態にあるので疲れたら無理せず、寝てください。詳細は『伝導瞑想』を参照の事ー。
意識の偏極
幻惑、妄想の界への接触は止めた方がいいです。ぼく自身の性格は信じやすく疑いにくいので騙されやすいお人好しですが、メンタル偏極を達成すると精神が安定します。十分な睡眠と休息と適度な食事、お風呂に入って、疲れを取って、修行に於ける瞑想の成果を大切にしてくださいー。
心理療法
超越瞑想(TM)はマハリシ・マヘーシュ・ヨギによってもたらされた無垢なるヨガ(クリヤ・ヨガ)であり、ストレス軽減、犯罪率減少の効果があります。暖かな温もりに包まれるような涅槃に達し、真っ白になる様な境地に至る事ができます。日々のストレスに対抗する安らぎの為の癒しの瞑想ですー。
クリシュナムルティ
真理は如何なる団体にも組織化し得ない。私は追随者を望まない。「あるがまま」に生きあらゆる条件付けから自由である人を望む。思考を空しくしておきなさい。自然な絶え間ない気づきの『目覚め』の認識が大切である。瞑想は不意に窓を開けた時に遣って来る風のようで良いー。
問題
自らの師は自分で見極めないといけない。「何が善で、何が悪なのか」は自らの心の中に問うべきである。信仰は神と自分の内に絶えず求めるべきであり、誰かから与えられる決まりきった『形式』の様なものではない。私は霊的教師であるイエスを信じるが必ずしもその他の神を信じない訳ではないー。
無理解
詰まるところキリスト教信者ですら、誰もイエスの魂と御霊と聖体と御言葉と大目的を何も理解していないのである。『ヨハネ黙示録』は人類の最後の日まで避けるべき人類の苦難であり、主イエスが遣わされたのは復活によって『物質悪』を彼等『物質性の大主方』の領域に封じ込める為であるー。
倫理⚖️
人工妊娠中絶にはカルマ(業)の法則に則れば反対である。命を殺すことは許されない。
同性婚には賛成できる。純粋に当事者同士の問題であって、社会は当人の人権を尊重する責任がある。
夫婦別姓については当人の権利を侵すことはできないので、選択的夫婦別姓の選択肢を用意して頂きたい。
光線構造
コンセプトで構成された製品は時に有効である。❸教授は絶対音感があっても半音ずれる。(純粋理性批判と理解)
❶TKは相対音感でも直感と詩に明るい。(霊的遺伝を想像力と理性)
幾ばくかの才能の欠如をもたらす事で天才に奇抜さの趣向性を持たせる創造主の実験的『意図』である典型例ー。
奇跡
②❼バッハのバロック的な魔法的効能。魂が第2光線の無意識で弾くには高いIQが必要です。『知的啓発』
④❸モーツァルトの心霊治療音楽は高い想像力と空間認識力でできています。弦楽曲は『曖昧さ』の調べ。
④❶ベートヴェンは闇から光へ至る激情の劇場的音楽。『人生』に訪れる約束の時ー。
継続
④⑥植松伸夫はイメージの極致。FFシリーズの瑞々しい絶妙の音色とゲームの心が躍動する情景の音楽。
④❼宇多田ヒカルの音楽は『キリストと覚者方』と読者であるぼくのリアルストーリーです。宝瓶宮(アクエリアス)の始まりを告げる音楽です。ぼくの2001-2004-『魔法旅行』の契機となりました。
習得する事
宝瓶宮の宗教は❸音楽と②瞑想です。理由は困難だからできるまでの、④来世信仰になるからです。霊性は❶言葉の数、②詩の数、⑥哲学の理(ロゴス)の限界があるから(完全な数語や真理は不変で至高の同一性を汲み取るモノだから)です。❼絵画は愛の表現ですが才能とセンスが要りますー。
自由意思の侵害
愛する人へ。ぼくはあなたを肯定できます。神の論理性は真理の本の中に。❶哲学は②心理学と②❺絵画科学を統一し、霊に永遠性を賦与します。時間は至高の存在の反映です。光でできた宇宙の空間は実在であり、ぼくの光線構造は生きてる間に必要があれば、変わります。『自然な在り方』
謝意
以前にも述べましたが、小室哲哉氏、坂本龍一氏、小林武史氏、鷺巣詩郎氏、すぎやまこういち氏、久石譲氏、植松伸夫氏、アナログシンセサイザーの黎明期からその他のスタッフ様のお陰で、今はタブレットのある音楽や音響に触れる機会を与えて頂いて感謝しています。ぼくはまだまだProには程遠い
ですがー。宇多田ヒカルさん、にも感謝の意を伝えたいです。ぼくの現在へ至る音楽の『精神世界』を構成させて頂いています。中学生の頃からTKと教授に影響を受けて、音楽ファンになったのはまだ昨日の事の様です。「人生に悔いは在るか?」と神に聞かれれば、正直に嘘は言えずに自分の非力を責めるしか
できないで申し訳ないです。世界がぼくの❺『記憶』の領域に封じ込められてしまった様ですが、本当に人類は大きな犠牲を払っています。地球に生まれた如何なる命の尊さにも違いはなく、皆が購われるべきです。ただただ、神に非礼と非力と無礼を御詫びして、皆様の『真我実現』を御祈りしていますー。
大計画
地球は偶然でも奇跡の産物でもありません。1850万年前に❺金星から遣って来た一団である魂と霊の融合した存在である方々は❸地球を助けに来たのです。音楽④❺『魂』と、⑥哲学🆚❺科学にて宇宙のー惑星の『理』(ロゴス)のお陰で地球は維持されて来たのです。死は終わりではありません。『意』
記憶喪失
音楽はぼくには難しい。絵画ならデッサンや絵画理論は容易ですが、不器用です。数学的な能力の欠損は痛いです。専ら②④⑥秘教哲学タイプなので⑥音楽理論には疎いし④❸演奏能力が残念ですし、④❺音楽的知性は貰えなかった。理想と現実の乖離(ギャップ)に苦悩しますが、仕方ないですー。
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Belvedere(=美しい眺め)Palace , Palace and Gardens of Schönbrunn(=美しい泉)/May 5 #vienna #austria #歴史地区 #シェーンブルン宮殿 #ベルヴェデーレ宮殿 #上宮 #夏の離宮 #belvedere #バロック形式 #flowers #art #マリアテレジア #ロココ様式 #garden #palace #travel #holiday #may #nationaltreasure #view #scenery #beautiful #rainy #paintings #klimt #egonschiele #世紀末芸術 #sightseeing #gorgeous (Belvedere Gardens, Vienna) https://www.instagram.com/kirachanstar/p/BynUHzSBnqP/?igshid=1uua10drlrv4g
#vienna#austria#歴史地区#シェーンブルン宮殿#ベルヴェデーレ宮殿#上宮#夏の離宮#belvedere#バロック形式#flowers#art#マリアテレジア#ロココ様式#garden#palace#travel#holiday#may#nationaltreasure#view#scenery#beautiful#rainy#paintings#klimt#egonschiele#世紀末芸術#sightseeing#gorgeous
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世界一有名なランドカジノ
豪華な家具とあふれるバーで飾られたこれらの10の誘惑の場所では、ギャンブルは芸術的な形に高められています。 幸運を感じている場合でも、単にルーレットのボールが黒と赤の間で揺れるのを見るスリルを味わいたい場合でも、これらの10のカジノは、チップを捨てて運命と運命が手のひらに戻るのを見るのに地球上で最も退廃的な場所です。** **
1.ベラージオ、ラスベガス、米国
伝説的なカジノスペシャリストのスティーブウィンによって設計され、8,800万ドルの費用で建てられたベラージオは、オーシャンズ11や21などのハリウッドの動きに登場する、世界で最も有名なカジノの1つです。ゲームの面では、ベラージオはそのことで最もよく知られています。 ワールドポーカーツアーイベントを定期的に開催する、テーブルの制限が非常に高い最高級のポーカールーム。 しかし、他にもたくさんのギャンブルがあり、2000台のスロットマシンが200万ドルものジャックポットを支払います。 このハイローリングゲームのすべてを取り巻くのは、8エーカーの湖、高級ファッションストア、世界的に有名な踊る噴水を備えた豪華なリゾートです。
2.ベネチアンマカオ、中国
もともとはラスベガスのベネチアンコンプレックスをモデルにしていますが、このマカオのリゾートはそれ自体のインスピレーションを簡単に上回り、世界的なギャンブルのメッカになっています。 800のゲームテーブルと3400のスロットマシンを含む53万平方フィートの広さで、地球上で最大のカジノです。 そして、それはサイズだけではありません。外側は壮大で、カジノは内部が複雑にゴージャスで、ゲームは4つの緑豊かなテーマエリアに分かれています。 リゾートには独自の運河システムであるサンルカもあり、南シナ海に浮かぶこの架空のヴェネツィアをゴンドラに乗って行くことができます。
3.モンテカルロカジノ、モンテカルロ、モナコ
バーデンバーデンが19世紀の貴族に選ばれた目的地だったとしたら、今日の同等物である高飛車の会計士、弁護士、CEOがモンテカルロに向かいます。 暑さを無視して、よりエレガントなものに滑り込む必要があ��ます-しかし心配しないでください、エアコンは伝説のカジノ自体の中で完全に調整されています。 最近150周年を迎えたこのカジノは、魅力とクラスを漂わせ、さまざまなゲームを提供しています。ポーカー、ルーレット、ブラックジャックがあります。 超ハイローラーやセレブがカジノの美しく整えられたサロンプリヴェに足を踏み入れることができます。ギャンブルのスリルを味わったら、美しいモナコの町にレストランや歩道があります。
4.カジノバーデンバーデン、バーデンバーデン、ドイツ
ドイツの黒い森の中心部にあるエレガントな温泉街バーデンバーデンは、150年前に裕福なヨーロッパ人の遊び場になり、大陸全体から王族と貴族を引き寄せました。 最近、その訪問者はより多様になり、彼らの多くは、このリストで最も贅沢な装備の1つである町のカジノのスリルを試してみるようになります。 ヴェルサイユ宮殿のバロック様式の繁栄に触発されたドイツの女優マレーネディートリヒは、世界で最も美しいカジノであると宣言しました。 このエレガンスは、カジノの赤と金色のポーカールーム、そしてたくさんのブラックジャックとルーレットのテーブルの周りで続いています。
5.マリーナベイサンズ、シンガポール
この豪華なカジノはショッピングモールの真ん中に位置しているので、すぐに望むものにの賞金を滑り出して使うことができます。 貿易が盛んなシンガポールで最大のカジノではありませんが、エレガントな家具とスタイリッシュな装飾の中に600台のゲームテーブルと1500台のスロットマシンが並んでおり、群を抜いて最も洗練されています。 観光客は無料で入場できますが、居住者は特権のために100ドルを支払う必要があるため、地元の人ではないことを証明するためにパスポートを忘れずに持参してください。
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《今日の新譜》サックス四重奏 バレッティ・ラメンタビリ(嘆きのバレット) ドイツ・バロックの形式を踏襲し、6つの曲から構成されている名曲をどうぞ。 ぜひこちらからYoutubeで全曲視聴してみてください。 参考音源 https://youtu.be/t1iRYzLT8s4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ ご一緒に音楽の知識を豊かにしていきましょう。 チャンネル登録もよろしくお願いします。
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ジュリオ・カッチーニ(Giulio Caccini, 1545年頃 - 1618年12月10日)はイタリア・ルネサンス音楽末期、バロック音楽初期の作曲家。ヤコポ・ペーリとならんでモノディー様式の代表的な音楽家の一人として知られる。 作曲家フランチェスカ・カッチーニとセッティミア・カッチーニは娘。
◎生涯
カッチーニの前半生についてはほとんど知られていないが、ローマかティヴォリのどちらかで生まれ、フィレンツェの彫刻家ジョヴァンニ・カッチーニ(Giovanni Caccini)と関連があるかもしれないとされる。ローマで彼はリュート、ヴィオール、ハープを習い、歌手としての名声を博しはじめた。1560年代、コジモ・デ・メディチが彼の才能に感銘を受け、若きカッチーニを更なる勉学のためにフィレンツェへ招いた。
1579年には、カッチーニはメディチ家の宮廷で歌手をしていた。彼の声域はテノールであり、また自分自身でヴィオール��伴奏を付けることができた。彼は婚礼や国事など様々な宴会で歌い、当時の壮麗なインテルメディオ(オペラの先駆の一つとされる、精密な音楽・劇・映像的見せ物)で役目を果たした。またこの時期に、彼は人文学者、作家、音楽家、考古学者達の活動に加わった。彼らはジョヴァンニ・デ・バルディ(Giovanni de' Bardi)伯爵の邸宅に集まり、失われたと思われている古代ギリシャの劇音楽の栄光を復活させようとする団体、「カメラータ」を結成した。カッチーニの歌手、楽器奏者、作曲家としての才能によって、カメラータはモノディ様式を確立し、それはルネッサンス末期のポリフォニー音楽の慣習からの革命的な新発展となった。
16世紀末の20年間、カッチーニは歌手、教師、作曲家としての仕事を続けた。彼の教師としての影響力は過小評価されているかも知れないが、何十人もの歌手に新たなスタイルで歌うことを教えている。その教え子の中には、クラウディオ・モンテヴェルディの最初のオペラ「オルフェーオ」の主役として歌ったカストラートのジョヴァンニ・グアルベルト・マリ(Giovanni Gualberto Magli)もいた。
カッチーニは、加えて少なくとも1回、1592年にバルディ伯爵の秘書としてローマへ旅している。彼自身の著作によって、彼の音楽と歌は熱狂的な反応を得た。しかしながら、パレストリーナとローマ楽派の本拠であるローマは、音楽面で保守的であり、この地でのカッチーニの様式的先導に追従する音楽は、1600年を過ぎる頃までは比較的まれな存在であった。
カッチーニの人柄は完全に高貴といえるものではなかったようである。彼はしばしば、プロとしての生活だけでなくメディチ家での昇進においても、羨望や嫉妬に突き動かされていた。ある時、彼はフランチェスコ大公(フランチェスコ1世・デ・メディチFrancesco I de' Medici)に一組の愛人のことを伝えた—ピエトロ・デ・メディチ(Pietro de' Medici)の妻であるエレオノーラ(Eleonora)が、ベルナルディーノ・アンティノーリ(Bernardino Antinori)と密通していたのである—。そして彼の報告が、ピエトロによるエレオノーラ殺害を引き起こす直接の原因となったのである。カッチーニの、エミリオ・デ・カヴァリエーリ(Emilio de' Cavalieri)やヤコポ・ペーリとの競争は激しいものだったようである:彼はおそらく、カヴァリエーリを1600年に行われたフランス王アンリ4世とマリア・デ・メディチの婚礼祭の指揮者の座から降ろさせた人物の一人であろうとされる(この出来事によって、カヴァリエーリは激怒してフィレンツェを去った)。また彼は、自作のオペラ『エウリディーチェ』(Euridice)を、同じ題材で発表しようとしていたペーリの作品に先んじて印刷し、同時に彼のグループの歌手達に、ペーリの作品の出版に一切協力しないように頼んでさえいたらしいのである。
1605年以降もカッチーニはアンティフォナなど宗教音楽の作曲や演奏で役割を果たしていたが、彼の影響力は衰えていった。カッチーニはフィレンツェで逝去し、聖アヌンツィアータ教会に埋葬されている。
◎音楽と影響
スタイル・レチタティーヴォ(stile recitativo)と呼ばれた新たに生み出されたモノディ形式は、フィレンツェだけでなく、イタリアの他の地方でも評判になった。フィレンツェとヴェネツィアは、16世紀末には最も先進的な音楽の発信地であり、それぞれの地における音楽的発明の融合が、結果としてバロック様式として知られるものを発展させた。カッチーニの功績は、演説などで簡単に理解可能となる直接的な音楽の表現様式の考案である。この表現様式は後にオペラのレチタティーヴォに発展し、その他多くのバロック音楽の様式的あるいは本文的要素に影響を与えた。
カッチーニの最も影響を及ぼした作品は、1601年に出版された『新しい音楽』と題する、マドリガーレや単声と通奏低音のための音楽などの曲集である。この書物の導入部は、当時のモノディ様式の趣旨、目的および正しい演奏法について最も明確に書かれた描写かも知れない。それには装飾の音楽的実例が含まれている—たとえば、歌手達が説明してほしがっている素直な感情に基づいた、特定の楽節を異なった目的に装飾する方法など—。また、彼自身が創作した様式に対する感情溢れる賞賛も含まれており、同時期のより保守的な作曲家たちの作品を見下して楽しんでいるようである。 ◎"カッチーニのアヴェ・マリア" 実際には1970年頃ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov 1925-73)によって作曲された歌曲である。 録音も楽譜も90年代前半まで知られていなかった。出典が明らかにされず、現在入手出来る出版譜は全て編曲されたもので、歌詞がただ"Ave Maria"を繰り返すだけという内容もバロックの様式とは相容れない。 ヴァヴィロフは自作を古典作曲家の名前を借りて発表する事がよくあったが、自身が共演しているIrene Bogachyovaの1972年の録音では「作曲者不詳」の『アヴェ・マリア』として発表していた。ヴァヴィロフの没後十年を経てCD録音されたMaria Bieshu(1996)やイネッサ・ガランテのデビュー盤(1994)では作曲者が"D. Caccini"と表記され、ジュリオ・カッチーニの作として広まった。 初期の録音にはBieshuとガランテのほか、スラヴァ(1995)、Lina Mkrtchyan(1990)とソ連のアーティストによる演奏が並ぶ。20世紀末レスリー・ギャレットやスラヴァのCDで一気に知名度が高まり、多くの歌手が録音し映画にも使われた。 以上のような事実はCDや楽譜の楽曲解説では言及が無く、現在一般にはカッチーニ作品と誤認されている。
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オラデア日記 その壱
Oradeaは、ルーマニア語では「オラーダ」、英語では「オラーディア」、日本語では「オラデア」
2019年8月12日
初日。オラデアも雲ひとつない快晴、猛暑との予報。AともNとも別れて、ここからは一人旅だ。
建築的にいうと、後期バロックとセセッション派が華やかなオラデアは中欧が香る街だ。今のところ「コミュニスト」といった建物も見当たらない。市街地の観光の中心であるPiata Unirii(統一広場)からセセッション派/アールヌーボー建築の並ぶCalae Republicii(共和国通り)を進む。鐘楼の見事な教会があった。ルーマニアで初めて訪れるカトリック教会。足を踏み入れた途端、まるでよく見知った人物に再会したかのような気持ちになる。教会を後に、左へ折れて北上、ローマ・カトリック宮殿(改装中)の隣のカテドラルへ。こちらは絢爛豪華なバロック様式。
Oradea is under constructionといった風で、どこもかしこも工事中だった。乾いた空気に土埃舞う裏道をぶらぶらと、これまた大改装中のPiata Regele Ferdinand (フェルナンド王広場)まで戻ってランチ。冷房の効いたホテルアストリア(アールヌーボー様式)のレストランの窓から、盛大に掘り返された広場を眺めつつパスタを食す。
中心部を流れるCrisul Repedeの河岸も工事中。完成すれば岸まで降りられる遊歩道と広場になるようだ。最近整備されたばかりに見えるPiata Uniriiといい、そこに面して立つやはり最近改修されたセセッション派の商業建築 Palatul Vulturul Negru(黒鷲宮殿)といい、オラデア市が観光都市としての整備のための投資を惜しまぬ様子が目に見える。Piata Uniriiやトラムの駅など、良い感じに仕上がっている。
ただ、何とも街に活気がない。夏の盛りで地元の人々は避暑地へ向かい、観光のオフシーズンだと云うのもあるだろうけれど、それにしてもひっそりとしている。それだけではない、美しく蘇ったPalatul Vulturul Negruのアーケードも空き店舗だらけだ。目抜き通りのCalae Republiciiにも高級品店は見当たらない。レストランよりもカフェが目立つ。
英語はあまり通じない。エアコンもブカレストほどは普及していない様子だ。それにしても暑い。身振り手振りで買ったレモネードを飲みながら、パラソルの下に並べられたテーブルで大阪の両親へ絵葉書を書く。グーグルマップで探し当てた郵便局でもやはり英語が通じない。身振り手振りの応酬ですったもんだ��た挙句、あとから入ってきたおじさんが見かねて別の部屋に引っ張って行ってくれた。どうやら私は私書箱利用者のためのカウンターで「絵葉書、日本まで、エアメールで」と粘っていたらしい。申し訳ないことをした。
Piata Uniriiには、三方を囲んで、ルーマニア正教会、ローマ・カトリック、そしてギリシャ・カトリックの三つの教会が建っている。どれも西側に入口があるので、ギリシャ・カトリックの聖ニコライ堂は広場にお尻を向けた形で立っているし、ローマ・カトリック教会の聖ラディスラウス教会もそっぽを向くように広場に横顔を見せている。18世紀の都市計画と宗教的伝統のせめぎ合いが面白い。
みっつの教会の外観はどれもエレガントなバロック様式で、高い鐘楼に長い身廊がくっついた、いかにも「教会」なのだけれど、インテリは各宗派の特徴がよく出ていて興味深い。聖ラディラウス教会はもちろん祭壇(アルター)が前面にある。東方典礼カトリック教会である聖ニコライ堂には聖障(イコノスタシス)があり東方的だが、インテリアは午前中に訪れたカテドラルと似た見事なバロック様式だった。ルーマニア正教会のムーンチャーチ(月の教会)は壁面という壁面がフレスコで埋め尽くされ、見事なイコノスタシスを備えた正教会仕様。
Calae Republiciiのような大通り以外はほぼ低層の建物が続く。通りに面した大扉の向こう側は中庭になっていて、いくつか覗いてみたところ、駐車スペースになっていたり、花や木が植えられたりしていた。ファサードは平屋でさえもペディメントやコーニスなどの装飾(バロックだもの!)が豊富なのが面白いと思った。
それにしても暑い日だった。2時過ぎに一旦ホテルへ戻り、2時間ほど休んだ。シエスタ必須。
オラデアの写真はこちら ブカレスト日記 その壱 その弐 その参
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【アフロンティア15周年特別企画】出演者に聞く15の質問 [清水玲]
Q1. お名前は?(自己紹介) A. 清水玲 Q2. 得意なジャンルは? A. ラテン音楽や独自のシステムを持った形式のある音楽のジャンルは、深く勉強していないのです。好きで愛聴したりしているので、いずれは、思い通りに演奏してみたいものですね。ジャズやロックは、どのようなスタイルでも守備範囲です!クラシックは、日々の練習の題材ですが、オーケストラに参加したり、クラシックの演奏家として活動したことはありません。しかし、これも僕にとって大好きな音楽です。特にバロックと近代! 得意だと思うことは、スタイルとしての音楽に、どこにも属さずに展開できるセンスだと思います。 Q3. 出身地は? A.横浜市金沢区 Q4. 15年前は何をしていましたか? A. 川本真琴さんのライブやツアー。TRFや松浦亜弥さん、モーニング娘などのレコーディング。そして冨樫春夫さんのバンドなどです。ジャズのセッションに呼ばれるようになったのもこのころからです。 Q5. どんな15歳でしたか? A. 海外の音楽が大好きで、ませていたと思います。同年代の一部の友人とは趣味を共有できていましたが、マイノリティーでした。大学生の高学年のお兄さんお姉さん、服屋の店員さんなどと音楽談義をしていました。卓球や陸上などのスポーツを仕事にしたいと思っていました。まさか音楽で生業を得るとは思ってなかったです! Q6. ライブ/クラブに初めて行った時のことを教えてください。 A. 初のライブは、中学生の時見に行ったハードロックバンドのGIRLです。イギリスのバンドですが、デフレパードのギタリストのフィル・コリンが短期間在籍していました。初めて大きい音の音楽を聴いてびっくりしたことを覚えています。 Q7. 纏まった時間が取れたら、いま一番したいことはなんですか? A. 英語の勉強。音楽的には、今までやったことのない、もしくはできないことをもっと勉強したいです。楽器が上手くなりたいし、音楽を上手にプレイできるようになりたいです。ずっと、音楽の正式な勉強をしないでストリートで音楽を始めたので、勉強することがいっぱいです。ベーシスト作曲家の濱瀬元彦先生に師事して25~26年経つのですが、基礎力のなさはなかなか埋まりません。今も習っているから少しずつ上手くなってると思います!以前できなかったことが、できるようになっていることを実感しているし、自分の成長が今後の楽しみでもあります。年を重ねるにつれて、ハイパーなスピードやな音楽的プレイもどんどんできるようになっているので、年をとることが楽しみです!今思うと15年前は何にもできなかったと思います!あと15年たったらすごいことできてると思うよ!音楽は奥深く楽しいですね!!大好きです。 Q8. 最近買った音楽(レコード, CD, データ)は? A. リメイクされた濱瀬元彦「intaglio」とエヂ・モッタの「パーペチュアル・ゲートウェイズ」、Moon childの「Please Rewind」です。intaglioは僕のもう一つの専門分野のレコーディング・エンジニアとしての代表作です。ミックスとマスタリング、録音の全行程を担当しました! Q9. 自身(バンド)の作品で特別な曲はありますか?その曲にはどんな思い入れがありますか? A. matinsというオリジナル曲です。最初打ち込みで作ったので、人力でできると思っていなかったのです。メンバーの堀越さんや村上さんの力量のおかげで、今では当たり前にライブで演奏しています。 Q10. アフロンティアを知ったのは?(いつ?どこで?) A. 2003年の細川玄のバンドに参加して、その時に知りました! Q11. アフロンティアは一言で言うとどんなイベントだと思いますか? A. おしゃれでポジティブ!参加者も馴れ合いにならず、連帯が強く、刺激的な演奏会です。このステージに立つことが僕にとっては特別な時間です。 Q12. アフロンティアの会場であるモーションブルーはあなたにとってどんな場所ですか? A. 地元横浜のシンボルのようなライブハウスです。生まれてから一度も横浜を離れていない自分にとっては、故郷で演奏している安心感があります。音響も最高!料理も最高!大好きな場所です! Q13. 演奏/DJする際に気をつけている事、もしくは意識している事はありますか? A. 分散集中!無になること!鍛え上げたセンサーを全開にして可能な限り、すべてを感じ取ること! Q14. 今後アフロンティアに出演してほしいアーティスト、もしくはアフロンティアで共演したいアーティストは? A. 自身のバンド清水玲 Elements of quartz と 濱瀬元彦 The ELF Ensemble そしてジョン・ハッセルのバンドとジョイントしたいです。 Q15. 最後に、これを見ている方にメッセージがあればお願いします。 A. ネームバリューや集客性だけでなく、選ばれたバンドやDJ、VJが織り成す唯一無二の空間!体験しなくてはわからない充実感です。今回も細川玄のメンバーとして大トリを務めさせていただきます。 【清水玲】 大学在学中にプロとしての活動を開始する。その後、セッショ ン・プレイヤーとして川本真琴、松浦亜弥、藤本美貴、モーニング娘、trfなどのレコーディング やコンサートに参加。バンドと してはSOHBAND, afrontia, 細川玄 Jazz Quintet, Coyoteなどで活躍中。CM音楽、ゲーム音楽「WWEスマックダウン」等の作曲、アレ ンジも多数手がけている。1993年より濱瀬元彦氏に師事し、2007年からMotohiko Hamase The ELF Ensembleに参加。執筆活動としては、ベース・マガジン誌2003年1月号から1年間にわたりスラップ・セミナー「Brush your SLAPup!」を連載。電子楽器メーカーROLAND, BOSSSのセミナーでインストラクターも務めている。2015より自身がリーダーを務めるRei Shimizu Elements of quartz を始動。活発にライブ活動を行っている。 清水玲 公式サイト https://www.shimizurei.com
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9/30 afrontier 15周年パーティーの詳細/ご予約はこちらから。
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