#バニョレージョ
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チヴィタ ディ バニョレージョ(イタリア ラツィオ州)
Civita di Bagnoregio
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groovynerdtree-blog · 7 years ago
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Civita di Bagnoregio, Italy
Civita was founded by Etruscans more than 2,500 years ago. Civita was the birthplace of Saint Bonaventure, who died in 1274. The location of his boyhood house has long since fallen off the edge of the cliff. By the 16th century, Civita was beginning to decline, becoming eclipsed by its former suburb Bagnoregio. At the end of the 17th century, the bishop and the municipal government were forced to move to Bagnoregio because of a major earthquake that accelerated the old town's decline. At that time, the area was part of the Papal States. In the 19th century, Civita's location was turning into an island and the pace of the erosion quickened as the layer of clay below the stone was reached in the area where today's bridge is situated. Bagnoregio continues as a small but prosperous town, while Civita became known in Italian as La città che muore ("The Dying Town"). Civita has only recently been experiencing a tourist revival. - チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(Civita di Bagnoregio)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落(フラツィオーネ)である。2500年以上前にエトルリア人によってつくられた都市であるが、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされており、「死にゆく町」(il paese che muore)とも言われる。 < From Wikipedia >
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meisousheep · 8 years ago
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おひつじイタリアへ行く.Ⅱ
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眼前に広がるはサンタ・マリア・マッジョーレ教会。
宿泊先のメチュナテ・パレスというホテルの屋上、朝食をとるフロアから眺める事ができる。爽やかすぎる。映画かよ。
イタリアの気候は6~8月が一番過ごしやすく、半袖Tシャツに薄手のストールや羽織物があれば十分だ。ただし、夜は少し冷える。
この日は無造作に世界遺産がそびえるローマ市街を華麗にスルーし、オプショナルツアーの郊外を尋ねることに。この日の参加者は我々2人と明日、日本に帰国するという女性が1人の3人というこじんまりとしたツアーであった。
いにしえのローマの歴史のルーツを辿る、すなわち(※)エトルリア人の足跡に触れるという少々マニアックな内容だ。
※エトルリア人:イタリア半島中部の先住民族で、紀元前8世紀~紀元前1世紀ごろまで存���していた。インド・ヨーロッパ語族に属さないエルトリア語を使用していた。古代ギリシアとは異なる独自のエトルリア文化を築いていたが、徐々に古代ローマ人と同化(もしくは追放され)、消滅した。
初期ローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、建築等様々な技術のルーツはエトルリア文化のそれに由来すると考えられている(中略)。(引用:Wikipediaより)ちなみに、エトルリア人の起源はヨーロッパ/インド系とされているが、諸説あり、未だわからないことも多いらしい。
朝イチで市街地を出発し、この日訪れたのは
ボマルツォ怪物公園→チヴィタ・デ・バニョレージョ→チヴィタ・デ・オルヴィエート の3箇所。
ボマルツォ怪物公園は市街地よりマイクロバスを飛ばして高速道路で1時間程度の小さな地方都市、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県にある小さな町の中にある。1500年ごろに造られた奇妙な庭園で、この地の貴族であったオルシーニ公が、愛する妻を亡くし悲嘆にくれているさなか、その苦痛から逃れるために「亡き妻を楽しませ、一緒に夢の世界に迷い込めるラビリンスを作ろう」と自宅に造ったものである。なんとも切ない話ではないか。
その後、この奇妙な庭園は400年もの間、廃墟となり長らく放置されていた。1900年代に入り、とあるイタリア人がこの地を購入し、時間をかけ修復を行い、ようやく人が立ち入れるまでになったとのこと。
なぜ知っているかというと、2014年頃上野樹里さん出演の飲料CMのロケ地で使われていたのだ。ガイドさん曰く、「この怪物の口の中」では真実を語り、自分の内なる声を口にすると、その苦痛から解き放たれるとか。はてさて。
https://www.youtube.com/watch?v=AUTfnhrFSgM
(引用:Youtubeより)CM、無いかと思ったらあったよね。
鬱蒼とした、しかしそこはとなく手入れされた庭園内は大小20~25前後(あやふや)の石像が点在しており、迷路のよう。ちょっと怖いものから、ちょっとシュールなものまであり、日本人にとってみればマイナー寄りな観光地ではあると思う。朝イチの10時半頃だと人は我々以外見学者はおらず、神秘的な雰囲気だった。全部を載せきれなかったが、思っていたより見ごたえがあってB級感は全くなかった。怪物たちの雰囲気が満点で、廃墟時代のここを整備した人たちははじめてこれらを見つけた時ぎょっとしたんじゃなかろうか。
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ところどころ、ラテン語で綴られているのは名言や格言らしい。
これは何という言葉だったか聞きそびれてしまった。
新緑の中、迷路のような小道で木陰を通り抜ける風が気持ちいい。
庭園内や石像達の近くには腰かけられたり、入れたりするものもあり、のんびり散策ができるような構造になっている。オルシーニ公は亡き妻を忍び、怪物たちのいる庭園を散策しながら、心の中に在り続ける妻と共に一緒に空想の世界で旅をしたのだろうか。
一番奥まってわかりにくい場所にあった、件の「怪物の口」。
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ひときわ異彩を放つ存在感。中は結構広くて、不思議な空間だった。どれも重厚な造りの石像達は、生い茂る自然の中で静かに訪れる人たちを空想の世界に誘ってくれる、そんな気がした。
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入ってみるとこんな感じ。
時間があるならスケッチなどしてみても面白い場所だが、ここでの見学時間は75分ほど。うう。涙をのんで写真を撮ったり景色を楽しんでいたら徐々にローカルの観光客達で賑わってきた。日本人には遭遇しなかったけどね。訪れるなら、午前中がいいかも。
次なる目的地、チヴィタ・デ・バニョレージョ。ボマルツォ怪物公園から更に30分程車を進めた所だっただろうか。同じくヴィテルボ県にある、2500年以上前にエトルリア人によりつくられた都市。ガイドさんによれば、この時代、街を作るときは外部からの侵略者を拒むため切り立った崖で囲まれた丘につくられることが多かったらしい。チヴィタ、とは「古都」的な意味合いを持つらしく、イタリア共和国内にはこういったチヴィタ、と呼ばれる街はいくつか点在しているとのこと。
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見ての通り、すんごい場所にある。手前の撮影地の丘と向こう側にそびえる丘の街はそ��昔は繋がっていたそうだが、この地域一帯の台地辺縁部の地質は長年の風雨により、少しずつ削り取られこのように分断されてしまった。丘と丘をつなぐ陸橋を渡り、バニョレージョ内に入ることができる。
今もなお、この地域の浸食は進んでおり、崩落が進めば建築物は崩れる危機にさらされている。それ故、「死にゆく街」と呼ばれている。
以前ネットで見た限りではこの街の住人は12人程度との事であったが、ガイドさんによれば最新の状況では現在の住人はたった3人であるとのこと。
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当時のエトルリア人の技術には目を見張るばかりだ。街の入り口はこのように岩をくりぬいて、その上にアーチを渡している。天空の城ラピュタのモデルの一つになっているのも頷ける。ラピュタの遠景は南フランスにあるモン=サン=ミッシェルとまさしく同じだなと思ったが、ラピュタの内部構造はここヴァニョレージョの静けさと緑溢れるのどかさに近いものがあり、巨神兵が物陰からいつゆっくりと出てきてもおかしくないような雰囲気があった。
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街の中は観光地となっていて、こじんまりとした土産物屋が数件立ち並び、奥の展望台からは景色が一望でき、とても「死にゆく街」と呼ばれるような雰囲気は感じられない場所だった。
ひとは儚いものに思いを馳せる。すべての形あるものは、何らかの力を得ないと必ず消えてしまうとわたしは思う。世界遺産の多くはそれを何とか守りたいと願う人達の願いにより、修復され守られ続けてきたと言っても過言ではないだろう。この地を開きローマ人たちに画期的な技術をもたらしたエトルリア人と同じく、この小さな街も、このままでは数十年後には消えてなくなってしまうだろう。彼らのルーツすらわかっていないことが多い中、彼らの足跡を示す手がかりを失う事は大きな損失ではなかろうか。日本人の多くは既に世界遺産となった場所を訪れるし、(わたし自身もそうであったが、)それらは「蓄積された評価」をなぞる行為でしかなく、はじめはこの地と同じようにローカルの人しか知らない場所だったであろう。外国人としてここを訪ねたわたしができることとすれば、こんな場所があるということを、自分の目で確かめ、その価値を人に知ってもらうことだと思う。いつかは世界に知られ、守られる地になり、消滅してしまった文明の持ち主たちの謎が解き明かされる手がかりになることを願ってやまない。
さて、ここから更に1.5時間ほど北部に移動し次なる目的地、チヴィタ・デ・オルヴィエートへ。
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遠景だが、奥側の丘上に建物群が横たわるのが見える。あれが、丘の上につくられた要塞都市、オルヴィエートだ。
古くからエトルリア人が住んでいたが、紀元前280年頃にローマ人に攻め落とされ、以後は中世の美しい街並みを残す地として世界中から人々が訪れる地となった。
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チヴィタよりもかなり広く、お店も観光客も多く賑わっていた。観光地ではあるが、チープなものを叩き売るというよりは、ローカルの職人さんたちが、革製品や玩具、皿、チーズなど手作りの品々を小さなお店で細々と売っているという印象。ベネツィア入りする前にここで思わず革製の仮面を購入したが、同じような製品はベネツィアではついに見かけることはなかった。
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イタリアもキリスト教の国であるため、あちこちに美しい大聖堂(ドゥオモ)を見かける。ここオルヴィエートにも、街の中心地にひときわ美しい大聖堂があり、内部のフレスコ画に魅入ってしまった。
個人的には、この数日後にフィレンツェにある世界遺産のドゥオモにも行くのだが、こちらのフレスコ画の方がより近距離で見れて繊細かつ内部全面に描きこまれており非常に見ごたえがあった。
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宗教自体は、実はあまり好きではない。神を信じることを云々言いたいのではなく、それを拠り所にしすぎて自分の意思を見失ったり、宗教上の理由で食生活等の生活を制限し他人にそれを強制したり、あまつさえ戦争の理由にもなりかねないことは、本当に茶番だと常々思っている(信心深い方がいたら、申し訳ない。)。しかし、当時読み書きができず聖書に書いてあることがわからなかった人に対しても、思想をわかりやすく伝えるツールとして広がっていった宗教画については、文字や音楽以外の情報源として興味深く観察することができる。描いてあるシーンはわりと共通していることが多いので、よく知らなくてもだいたいどういうことが言いたいか察する事ができるのは、非常に面白い。お金も学もなく、拠り所のない貧しい人にとって、今以上にあらゆる差別は存在したというのは察するに余りあり、そんな人々が美しい教会を訪れ祈りを捧げながら神のなせることをこれらの絵画を通じて学び、感じ取り、そして救われていたのなら、それはそれで大切なことだったのだろう、と考えることができた。
この街にはいくつか見どころがあるが、そのうちの一つがこれ。サン・パトリツィオの井戸。16世紀にローマ略奪の為この地に逃れてきた教皇、クレメンス7世が作らせたもので、直径13m、深さ62mという大きな縦穴だ。
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面白いのは、水を汲みに降りる人と水を汲み上げた人が道ですれ違わずに済むよう、2重螺旋構造になっていることた。バニョレージョと同じくこのオルヴィエートも丘の上に立つ街、水を確保するため固い岩盤を堀り当時の技術でここまで成し遂げ、あまつさえ2重螺旋構造という発想はなかなかに画期的だったのではなかろうか。
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現在は使われておらず、実際に下まで降りて見学することができる。なんとも幻想的な光景だ。
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この街はまた、白ワインの名産地でもあり、お昼から白ワインをいただいたがすっきりほの���く、香りはあるが食事を邪魔するほどではなく、非常に飲みやすかった。チーズも豚もこの地域の名産とのこと。
一度忘れ去られたが蘇ったのがボマルツォ怪物公園、消えかけている街がチヴィタとするなら、オルヴィエートは生き残った街と形容するべきだろうか。古き良き中世ヨーロッパの街並みは、エトルリア人の足跡と、そのあと移ってきたローマ人たちの2つの文化を経験しており、それぞれが興味深かった。
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オルヴィエートを後にし、2.5時間ほどかけてローマ市街まで戻るとPM17:00頃。この日はもう一つのオプションとしてカンツォーネディナーを組んでいたので、小一時間ほど休憩しつつ翌日以降の移動ルートを下見するなどして時間を待った。
カンツォーネとは、イタリアの民衆に広く愛唱されている音楽で、日本では「イタリアの大衆曲」と思われていることが多い(らしい)。本来はこれに振付や演劇的な要素が加わって音楽劇となり、オペラになっていったとのことで、元はオペラの素材(劇中歌的な意味合い)だそうだ(知らなかった)。
カンツォーネ自体は日本でもCMなどでよく聞かれるボラレ、等が有名。
https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%83%9c%e3%83%a9%e3%83%ac+%e3%82%ab%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%ac&&view=detail&mid=BDE0795F013F7BBF8BA1BDE0795F013F7BBF8BA1&FORM=VRDGAR
(引用:Youtube)
実際はコンサートホールやオペラ座のようなホールで聴く格式高いものから、観光客向けにレストランで食事しながら楽しめる敷居の低いものまで様々だ。
しかし実際カンツォーネディナーをやっているレストランは年々減っており、旅行代理店によればローマ市内では現在2件ほどしかないらしい。意外と稀少。
この日はレストランは満員で、我々2人以外はホールいっぱいに広がるフランス系、アメリカ系観光客でいっぱいだった。定番曲のボラレなど、皆が知っている曲では、アメリカ人たちもおじいさん同士が踊りだすなどの盛り上がりようだった。
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バゲットにトマトやチーズ、生ハムを載せたもの、リゾットと娼婦風パスタの2種盛。ナスと牛肉のアマトリチャーナ、ティラミスまで(!)
イタリアに来ると太ってしかたない。お酒も食事もデザートも美味しいんだもの。
Ⅲに続く。
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aktkhrkz-blog · 6 years ago
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/ 今日は#チヴィタ・ディ・バニョレージョ から🇮🇹 ・ #エストネーション のニットジャケットはある程度寒くても暖かくても対応できていい✨ そして、ノーカラーのジャケットはどんなインナーとも好相性✌🏻 ・ Jacket: @estnation_jp #estnation vest: @rockymonroe_official #rockymonroe inner: @gu_for_all_ #gu pants: @gu_for_all_ shoes: @vans @vansjapan #vans ・ ・ #コーデ #秋冬コーデ #ポートレート #ポートレート撮影 #今日の服 #今日のコーデ #30代ファッション #着画 #30代コーデ #メンズコーデ #お洒落さんと繋がりたい #服好きな人と繋がりたい #メンズファッション #メンズ #男性コーデ #男性ファッション #黒スキニー #プチプラ #秋コーデ #イタリア旅行 #ベネチア #ベネチア旅行 #ローマ https://www.instagram.com/p/BphFM8EhToi/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1wtjlitc28s48
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cosmodiacom · 5 years ago
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■ノリはる・ノート!!(Norihal Note): September 21, 2019 at 04:28AM
チヴィタ・ディ・バニョレージョ。イタリア pic.twitter.com/iynjmh5mE8 #絶景
— 死ぬまでに行きたい世界の名所♬ (@global0112) September 19, 2019
https://twitter.com/norihal
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jculture-ja · 7 years ago
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「イタリアのラピュタ」と呼ばれる天空の村の儚く幻想的な絶景 ...
#相撲 #時天空 [infoseek.co.jp]中世のたたずまいを残す村と美しい自然・・・長い時を刻んできた人工物と、雄大な自然が織り成す風景に胸が熱くなります。 悲しくも美しい「死にゆく村」 チヴィタ・ディ・バニョレージョは、「天空の村」のほかに、もうひとつよく知られた異名を …
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jculture-ja · 7 years ago
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jculture-ja · 7 years ago
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jculture-ja · 7 years ago
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