#ドーサ
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エリックサウスKITTE名古屋でウプマドーサ。ドーサといえばマサラドーサが人気ですが、ありそうで無い、しかし南インドならこの組み合わせアリですねのメニュー。サンバル、ココナッツチャトニー付き。
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✿ マサラドーサ | Masala Dosa ・スパイスで炒めたジャガイモをドーサで包んだインドの料理。ドーサとは挽いた米とウラド豆を発酵させ、薄く焼いてクレープ状にしたものをいいます。主に南インドで親しまれている料理で、ペースト状の薬味「チャツネ」やレンズ豆と野菜のスープ「サンバール」などが添えられて提供されることが一般的です。インドでは、南北で食文化が異なり、北インドでは小麦から作られるナンやチャパティ、南インドでは米から作られるドーサやイドゥリが主食として食べられています。
#masala dosa#マサラドーサ#ドーサ#インド:ドーサ#インド:主食#インド:ウラド豆#ウラド豆#インド#インド:クレープ#クレープ#world:クレープ#南インド#インド:2020〜#2020〜#じゃがいも#インド:じゃがいも#チャツネ#サンバール#インド:南インド
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南インド料理の『ドーサ』は見た目がクレープのような軽食だよというインドカレーマニアの友の言葉を信じて、近場の南インド料理屋さんで『ドーサランチセット』を注文したら、ロケットランチャーみたいなクレープ登場したよ。 中にポテトも詰まっていたよ。 柴田亜美
Xユーザーの柴田亜美&staffさん:
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ほかの客「それってなんていう食べ物ですか」 店で出てきたのが?「何これ」「もはや鈍器」 – grape [グレイプ]
以下転載 https://x.com/magro343/status/1819750487295721611
これは「そういえばドーサって食べたことないな」って思いついて食べに行った時の写真で、ドーサの迫力が場を制圧しすぎて隣の席の人に「あの それなんていう食べ物ですか」って聞かれた
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2/18 昼過ぎに起きてシャワーを浴び、ハチャメチャグッドお天気だったので散歩に行きドーサを食べた。食べて帰ったら犬が来ていた。最近の犬は迷子が来ると尻尾を振ってすり寄ってくるし座ると膝に乗りたがり目を合わせると顔を舐めたがり大変かわいい。
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。 とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。 学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。 すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。 アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。 たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。 ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。 著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。 ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。 ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。 たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。 著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。 古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。 私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。 近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はど��しても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。 蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。 魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。 日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法���女」の願い」
1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。 東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。 「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。 すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。 奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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【3640日目】2023-01-04 新幹線で東京へ戻ってきました。東京駅直結のバンゲラさんの新店へ。 バンゲラズスパイスビストロ&カフェ@東京駅・八重洲 ____________________________________ ミシュランガイドのビブグルマンにも選ばれた南インド・マンガロール料理店バンゲラズキッチンのカジュアルライン。マンガロール地方に限らず、インド全域の料理に現代らしいエッセンスを混ぜ込んだ、フュージョンインド料理がコンセプトかもしれません(確認はしてません)。 バンゲラさんのイラストが本人にめちゃ似てますね。銀座の本店より似てる ^^ *ビリヤニプレート レギュラーメニューのビリヤニは、新解釈ビリヤニ 。辛みなしのスパイス炊き込みご飯の上に、どろっとした見た目にも濃厚で美味しそうなグレイビーをまとった大きなチキンレッグ。 スプーンでもほぐれていく、やわらかく火入された鶏足肉。とろとろの正体はココナッツミルク?スモークしたような香りはビッグカルダモン?芳醇なスパイスの香りとやさしい香り米が一体となった、ビリヤニのニュータイプ。 *フィッシュドーサタコス 木曜の日替わりメニュー。なんと、タコスです。シャキッとしたレタス、パプリカ、チーズにサルサソース、カラフルで見た目にも楽しいタコス。口に入れた瞬間はメキシカンなのに、噛めば噛むほど、インドの風が溢れてくる。 フォークとナイフで食べればいいのか、手食がいいのか迷います。 魚はヨーグルトとマサラでマリネされていて、串穴があったので、フィッシュティッカの状態。アジョワン使いがニクいですね。 ドーサ生地は発酵した風味がしっかり感じられて絶妙な酸味。これはインドのドーサを知らなくても、楽しめますね。 Indian dessert plate 食後ににマンガロールのバナナバンズを食べたくて追加のデザート。グラブジャムーンとココナッツアイスもついてくる嬉しいセットです。 面白いお店ができたんだなぁ〜^^ ※息子はこの日、2カレー、1ビリヤニ食べてます。父を超えるペース。頼もしい。 ____________________________________ 🇮🇳 #india #curry #spice #instafood #asianfood #asia #foodpic #foodstagram #tasty #インド #バンゲラズキッチン #東京 #東京駅 #八重洲 #スパイス #カレー #フクドローン #ふくすたぐらむ ↓バンゲラズスパイスビストロ&カフェ @bangerasspicebistroandcafe (Bangerasspicebistro&cafe) https://www.instagram.com/p/CnnzhlGyt-C/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#india#curry#spice#instafood#asianfood#asia#foodpic#foodstagram#tasty#バンゲラズキッチン#東京#東京駅#八重洲#スパイス#カレー#フクドローン#ふくすたぐらむ
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2023.04.13 🍛ノンベジミールス 📍︎インドダバ
ドーサをパラタに変更してガッツリランチ。 美味しくてお腹いっぱい😋
#インドダバ #カレー #curry #インド料理
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INDU 元町中華街
小田急相模原のエローラパレスで初ドーサを食べてカリカリ食感に感動してドーサ開拓中。でもドーサ提供のお店少ないんだね。
そんな中見つけたのがこのお店。お値段はエビを選んだため3080円と高額だったけど、一口食べて目が飛び出た!この前のドーサと違って酸味があり柔らかい😳この味も好き😍そしてエビがプリプリで適度なスパイシーさで美味しい!!
ドーサは���が深いのかしら…
チャイも甘さゼロだけど飲みやすくずっと冷めなくて寒い日にはピッタリ!
ビリヤニも感動する美味しさかな😕でも高額だからなかなか行けないな
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黒い砂漠モバイル(韓国) ドーサ登場、ワールド経営改編、テルミアンイベントほか8月第1週アップデートの情報
(字幕をオンにしてご覧ください)
youtube
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移転した神戸のインダスレイでマサラドーサの南インドセット。ワダとイドゥリ、ベジカレー付き。生姜のチャトニーが新鮮。
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A study. It is drawn with Japanese ink on cotton cloth dyed with persimmon tannin and coated with sizing.
習作。柿渋で染めた綿布にこんにゃく糊を染み込ませてさらにドーサ引きをするとけっこう描きやすくなった。
akiramiyamoto.com/works
fb.com/AkiraMiyamotoArt
instagram.com/moto_hawk
#アート #akiramiyamoto #fineart #art #artist #artwork #contemporary #contemporaryart #arte #kunst #japaneseart #creative
#draw #drawing
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2023/03/24
久しぶりの日、晴れ間もあり暖かいが本を持ってくるのを忘れ、移動中がめちゃくちゃ暇。今度閉まってしまうレストランで念願のドーサを食べ、美術館へ。花粉症がかなりひどくなり、朦朧とし始める、朦朧体、朦朧体の絵もみた。常設も何度行って素晴らしいところ。常設の中の小企画も面白く何かの参考になりそう。一応全部見たが完全に花粉症で終わってしまい、申し訳ない、雑な焼き鳥屋に行きハツを食べるもどうでもいい味だった。散歩してよくいくバーに、こちらは相変わらずだったが花粉症で完全に終わってしまった。夜帰る。久々
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Dosa Cafe 南インドで今も毎日食べられている古代食 ドーサと、選べるファジーのドリンク付き カフェイベント。毎月開催しています。 @fajii.cp 近鉄奈良駅北商店街徒歩5分 ご予約不要です お取り置きもできます✈︎DM ※20食ほどご用意しています ご来店お持ちしています😊😊 #dosacafe #adai #adaidosa #豆多種使い #旨味よ #雑穀も入るよ #無発酵生地 #軽食 #中食 #昼食に #インドのクレープ (Fajii) https://www.instagram.com/p/CpbT10BPdui/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ドーサが食いてえという人生で初めての欲求が湧き上がり南インド料理屋へ。ついでに服をクリーニングへ。一緒に持っていってやろうと家族に声をかけたら弟が冬物コートを2着も託してきた。おれは徒歩なのに。マサラドーサ。サンバル。チャトニ。赤いなにか。前はもっと癖強くてすっぱかったはず。"寄せた"か……?腕に巻くちゃりちゃりが届いた。インターネットにはシェーヌダンクルのパチモンを売ってるしょうもないアクセサリーブランドが無数にあり、オリジナリティがあってかわいく手頃な価格で逆張りマンも満足なマイナーブランドを探すのがマジで大変。これがおれの答えや。今日はもう部屋でviewfinderやって終わります。
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