#ドラゴンの庭のうめだ手づくり市
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oldsgallery · 1 year ago
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今年の冬2023/12月クリスマスの大阪阪急うめだ本店にて、AMULET様主催の市、
お声掛け頂き、参加致します。
大阪うめだ本店では4回目の出展。ワクワク致します。
詳細はまた追って発表致します🌸
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fumiyamf · 7 years ago
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「スーパーマリオ」を遊び続けて
 FC2ブログで日記のような物を書き続けていた時、極たまに長々としたゲームのレビューを掲載する事が何度かありましたが、今回はそれの延長線上にある物のように思っていただいて構いません。人生の半分以上はマリオが好きな人間として生き続けていましたが、その中でも1番大きな出来事が今も僕自身を考えさせており、今回はそれについて書こうと思います。
 その出来事というのは、2010年に発売された『スーパーマリオギャラクシー2』の「社長が訊く」です。マリオファンなら、印象に残っているという方もいらっしゃるのではないでしょうか。あの「社長が訊く」では宮本さんが「共感」という言葉に焦点を当てて岩田さんと話をしているところがあります。そこで宮本さんが語った「共感」の意味が理解できずにいたのです。  そもそも何故、この「共感」の話になったのかというと、「マリオにストーリーは必要なのか」という点からですよね。2007年に発売された前作『スーパーマリオギャラクシー』は今までのマリオからは想像つかないくらいに壮大なストーリー性を持ったゲームでした。この事から初登場だったロゼッタが絶大な人気を得たのも、まだまだ記憶に新しいですね。同年に発売された『スーパーペーパーマリオ』もまたストーリー性の強いゲームでした。この2作が悪く言えば今回の原因だったのか、『マリオギャラクシー2』ではバッサリとストーリーが削られる事になりました。発売前にインターネットサイトで見られたインタビューでこれを知った時は、なかなかのショックでしたね。 では、話を戻しましょうか。 <遊んでいる自分が、その世界に“共感”できるかどうか、それがいちば��大事なことだということ> <ええ。“共感”できないからその世界に入り込めないんです。> (< >内「社長が訊く 『スーパーマリオギャラクシー2』」より引用:https://www.nintendo.co.jp/wii/interview/sb4j/vol1/index3.html)  「共感」とは、自分が人の考えや感情に対してその通りだという気持ちを持つ事、だと僕は思い続けてきました。ですが、ここでは自分自身すなわちゲームのプレイヤーとゲーム内に繰り広げられる世界との「共感」です。何だかスケールの大きい話ですね。これに長い間、疑問を持ち続けていたのですが、解釈としては「プレイヤーがゲーム内の世界にある、あれこれに対して一切の疑問を持たずに納得がいくか」という事なのでしょうか。  この「共感」を大切にした結果、『マリオギャラクシー2』からは大幅にストーリー性が削られ、それ以降に発売されたマリオのゲームでも同様の事に加えて、登場キャラクターや世界観を『NewスーパーマリオブラザーズWii』の物に統一するという制作体制に変わっていきました。これらの事から、宮本さんにとっての「共感」とは、シンプルで分かりやすい、単純である、それが理解しやすいという事に繋がり「共感」が生まれる。という風に僕は読み取る事にしました。  そこで岩田さんが『NewスーパーマリオWii』が世界中で受け入れられたという話をしています。こちらは所謂「いつものマリオ」感溢れるゲームで、ストーリー性はほぼ皆無でしたね。任天堂からしたら『マリオギャラクシー1』よりも『NewスーパーマリオWii』の方が人気があったのは、世界観やストーリーの有無による「共感」の違いがあったから、という事が1つとして上げられていたのでしょうか。  ここで宮本さんや任天堂自体が『NewスーパーマリオWii』が受け入れられた理由を少し勘違いをしたり、極端な解釈をしてしまったのではないかと思います。まずはっきり言って、何故『マリオギャラクシー1』よりも『NewスーパーマリオWii』の方が売上、つまり人気があったのかと言われたら、そんなもの2Dマリオと3Dマリオの違いの差に決まっています。2Dマリオが売りにしている、誰でも手軽に、に対して3Dアクションゲームである3Dマリオは敷居が高い物になっていますからね。任天堂自身、それをずっと課題にし続けているくらいにです。  しかし『NewスーパーマリオWii』が大ヒットした結果、『マリオギャラクシー1』にあるようなストーリー性や独自の世界観は不要であると判断されたのでしょう。それから、そういった要素を排除し、2Dマリオと3Dマリオの融合系として作られた『スーパーマリオ 3Dランド』や、『NewスーパーマリオWii』の世界観で統一した『マリオパーティ9』等が発売され、ついにあの『ペーパーマリオ スーパーシール』が世に出回る日が訪れたのです。  その頃には宮本さんは『スーパーシール』の「社長が訊く」では「共感」という言葉は使わず、バッサリとストーリーはいらないと言っています。これは2016年に発売した『スターフォックス ゼロ』のインタビューでも似たような発言として<「ゲームにストーリーはつけない」>と仰っています。 (< >内「『スターフォックス ゼロ』開発スタッフインタビュー」より引用:https://topics.nintendo.co.jp/c/article/e96c255e-0157-11e6-8360-063b7ac45a6d.html)  『スーパーシール』は、戦略性とアクション性の合わさった戦闘システムから、個性豊かなキャラクター達、波瀾万丈のストーリー、そこから零れる小ネタや裏話に設定、そして独自の空気を持った世界観といった「ペーパーマリオ」シリーズの魅力であった数々の要素を全て根絶やしにし、ストーリー性を消し去り『NewスーパーマリオWii』の世界観で統一、オリジナルキャラクターはルーシー以外に無し、味方キャラは色違いのキノピオだけ。更にゲームシステム自体も上手く料理できておらず未完成品のようでした。「ペーパーマリオ」シリーズは上記の事から、マリオファン以外からの支持も熱い作品だったので、傷を負ったプレイヤーは非常に多かったですね。この辺りから縛りが極端になり、マリオが変わっていってしまいました。  2012年からのマリオゲームは全て駄作だ、だなんて言うつもりは毛頭ありません。楽しませてもらった作品はたくさんあります。しかし、この縛りによって大なり小なり影響を受けたゲームは非常に多かったです。  例えば『マリオ&ルイージRPG4 ドリームアドベンチャー』。僕の大好きなマリオゲームの1つです。この時期のマリオゲームと比べると味方からボス、モブまでオリジナルキャラクターで揃えられ、新たな舞台マクラノ島で冒険を繰り広げるという独自性を持っていました。ですが、その一方でストーリーにはどうしても違和感を覚えてしまうのです。確か当時の雑誌に掲載された開発者インタビューでは、開発中にストーリーの変更があった事が語られていました。  こうなると、やはり疑ってしまう訳ですよね。アルファドリームがゲームを制作している途中に、任天堂からの監修が入って、マリオにこういうストーリーは必要ないから修正しなさい、といった事があったのではないかと。無理に変更を入れた為に不自然なストーリーになってしまったように見えます。次回作である『マリオ&ルイージRPG ペーパーマリオMIX』では、同様にインタビューで語られていましたが、言われなくてもこれは途中で変えさせられたんだなと分かる内容になっていました。 僕は数あるマリオゲームの中でも「ペーパーマリオ」や「マリオ&ルイージRPG」が大好きなので、この縛りでこのような結果に仕上がってしまったのが非常に残念に思います。  『スーパーシール』が発売された2012年から、長いような短いような時が経ち、2017年に『スーパーマリオ オデッセイ』が発売されました。従来の『NewスーパーマリオWii』の世界観で統一した制作体制から180度の方向転換をし、現実世界にもあるようなビル街やそこを歩くマリオとはかけ離れたリアルな頭身をした人物、果てにはヨッシーという存在があるのにも関わらず、ティラノサウルスや細部までリアルに描かれたドラゴンまで登場するゲームになっていました。  トレーラーではシリーズ初のボーカル曲まで流れ��、もう僕は泣きましたよ。マリオの冒険が帰ってきたと。4Gamer.netに掲載された『マリオオデッセイ』プロデューサーである小泉さんのインタビューではこの用に語られていました。 <最初のコンセプトは“人の心に刺さり続ける,新しいマリオ”で,それに沿う形で従来のマリオには入れられないようなさまざまな要素のアイデアが生まれてきました。> <まずはディレクター達に「今のマリオには,人の心に刺さる驚きが必要なんじゃないか」という話をしました。> <「お客さんが驚くようなことをしないといけない。今は面白いと言ってもらえても,5年後,10年後に忘れられてしまったら,自分達も寂しんじゃないだろうか?」という話をして,「心に刺さる○○」というテーマでアイデア出しを進めました。> (< >内「「スーパーマリオ オデッセイ」で行われたさまざまな変革は何を意図したものなのか。小泉歓晃プロデューサーに聞いた」より引用:http://www.4gamer.net/games/368/G036836/20171018071/) <多くの人に共感していただけるものというのは、それだけ多くの人にわかりやすく、伝わりやすいということにもなるので、非常に大事なんです。ただ、ともすると、共感できるものはあって当たり前のものにもなってしまう。でも、『マリオ』シリーズはいろいろなことにチャレンジするタイトルでもあるので、多くの方に理解していただける“共感”は大事にしつつも、それだけではなく、ちゃんと驚きを与えることを肝に銘じて作るようにしようと。> (< >内「『スーパーマリオ オデッセイ』小泉Pに訊く、心に刺さる驚きを目指した“箱庭マリオ”の革新と、名作が続く任天堂開発の秘訣」より引用:https://www.famitsu.com/news/201710/25144749.html)  『マリオオデッセイ』はテーマを「共感」から「心に刺さる」に変更して制作された模様です。またシンプルである、分かりやすい、『NewスーパーマリオWii』の世界観で統一するという、僕が解釈の1つとして上げた「共感」はある種、正解だったように思えます。  更に小泉さんはマリオは立ち止まってはダメだととも仰っていました。マリオは「共感」という縛りで立ち止まってしまっていた、僕はそう感じました。 「心に刺さる」ことを目指して再び走り始めたマリオ、『マリオオデッセイ』は従来の箱庭探索型3Dマリオとは拠点の廃止やパワームーンの集め方等、一味違ったシステムで新たな3Dマリオの遊び方を提供しつつも、まだ見たことも無い新たに繰り広げられるマリオの世界に挑む、正に「心に刺さる」大いなる旅を楽しめるゲームに仕上がっていました。 僕はマリオにとって一番必要なのは、ドキドキワクワクする新しい事への挑戦だと思っています。シリーズ作品であったとしても、新要素を加えたり、システムを改善したりしながらも、マリオとプレイヤーが見た事の無い世界へ冒険に出る楽しさとちょっぴりの不安。『マリオオデッセイ』は正にそれで、小泉さんも「心に刺さる驚き」、「チャレンジするタイトル」、「立ち止まってしまってはダメ」と仰っており、同じ事を考えていたのだなぁと、これこそが共感だと感じることができました。  しかし、結局この長期に渡って行われたあの縛りはどういう意味を成し得たのでしょうか。確かにマリオはどう��るべきか、何を守るべきかを考えるの��必要な事だったのかもしれませんが、その名の通り縛る事によってマリオの可能性を潰してしまっただけだった、僕にはそう見えます。「共感」を得る代償にしてはあまりにも大きすぎた、そもそも縛る事によって本当にプレイヤーに「共感」が生まれたのか、それが疑問です。 <共感とは「“元々の自分”を前提とし、相手の中に“自分の一部”を見出すこと」とも言い換えられる。> <私は、まさにその点に危うさを感じていた。共感する当人に、特に変化がないからだ。共感に従って自分の考えや境遇、感覚と同じものだけを追い求めれば、人はどんどん凝り固まり、先鋭化する。共感には「物事が自分の思っていた通りだったときに抱く感覚」という側面があるのだ。> <しかし、当然のことながら、世の中はもっと複雑で豊かだ。自分の感覚とかけ離れた人物や文化、価値観、常識などが無数に存在する。共感を頼りに突き進めば、望み通りのモノと出会い、溜飲を下げることはできるが、自分を取り巻く世界は広がっていかない。> <人間の営みそのものが、差異と共感の両輪の上に成り立っている。人は差異という刺激を受け、自分に変化を加えながら成長し、価値観や世界観を広げてより多くのものに共感できるようになる。多くの人の心を揺さぶる作品も、何らかの差異によって視聴者に新たな気づきを与え、モノの見方を広げ、それまで異質と捉えていたものを許容し、より深い共感へと導くようなプロセスをたどるものではないだろうか。> (< >内「ヒット連発、東海テレビ・ドキュメンタリーが貫く姿勢」より引用:http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/16/041200109/041200004/?P=2&rt=nocnt)  この記事を書くにあたって、悩んでいた時にこのコラムを読む機会ができ、非常に納得する事ができました。マリオは「共感」だけに強く拘った作り方をした結果、縮こまってしまったのだと。多くのプレイヤーと「共感」を得る為に始めた事なのに、先鋭化して「共感」できなくなってしまっていた。マリオ、任天堂からの一方的な「共感」だけの押し付けになっていたのです。  それに加えて2012年以降、WiiUの不振から始まり、ソーシャルゲームの流行、縛りや「スーパーマリオ」本編を短期的に発売していく内に、ソフトの売上からにしてもマリオは世間から飽きられてしまった、僕にはあの時期がそう見えました。  逆に『マリオオデッセイ』は「共感」を大切にしながらも「心に刺さる」という作り方に変えていきました。そしてマリオの世界は再び広がっていったのです。『マリオオデッセイ』はNintendo of America投稿の初報トレーラーの再生数が発売前に2000万を突破する、国内でも歴代3Dマリオ最高初動を記録する等、世界中の人がどれだけ期待し楽しんでいるのかが一目瞭然です。勿��そこには『スーパーマリオサンシャイン』以来の箱庭探索型である事や、Nintendo Switch本体にブームがあった事が加速させた部分はあるでしょう。しかし、世界中のプレイヤーがマリオに「心に刺さる」、差異という刺激を求めていたのは明らかです。  また、「共感」にしても「心に刺さる」にしても、僕はそれの必要性と、両立させるバランスが大事で、それと同時に中途半端にするのは駄目だと思いました。僕はマリオファンでいるだけあって、ゲームとしての面白さは勿論ですが、キャラクターや世界観、ストーリー等に魅了されてマリオが好きでいるので、どうしてもそちら側の要素に期待してしまうところがあります。『マリオオデッセイ』にはその面ではとても残念なところがありました。  『マリオオデッセイ』はかつてないマリオの世界でプレイヤーを惹きつかせた作品ですが、『マリオギャラクシー1』のようなストーリー性は薄く、どちらかというと2Dマリオや『マリオ3Dランド』のノリに近い内容となっていました。それ自体に関しては惜しいと思うものの、悪い事ではないと思います。僕が気にしているのはポリーンの登場と彼女絡みの件です。ポリーンはマリオの恋人若しくは友だちという設定を持ったキャラクターです。どことなく意味深ですが、二人は友好関係にあるのは明らかで、作中でも「伝統のフェスティバル!」で二人が舞台となったあの街で出会った事を示唆しています。しかしどういう訳だかポリーンはマリオに対して終始敬語で赤の他人のようになっています。  インタビューによるとポリーンは都市の国というステージを作り、それなら彼女をという形で出演が叶い、主題歌「Jump Up, Super Star!」を担当するという大役にもなりました。しかし、これではポリーンの出演という衝撃で「心に刺さる」事があったものの、マリオとの関係がパッとせず僕の知っているポリーンじゃないという気持ちができ「共感」を得る事はできませんでした。ポリーンを出演させた以上、彼女はマリオとの友好関係にある設定の人物なのだからそこはしっかりやってほしい、ストーリー性を抑えるにしても、やるべき事があっただろうという事です。  僕はこういったストーリー性を持たせるなら、しっかりガッツリやって欲しい、無いなら全く無くていい、そしてどちらにすべきかをゲームによって正しく判別して欲しいと願っています。例えば2Dマリオはステージを駆け抜けサクサクとテンポ良くドンドン進んで行くのが醍醐味です。そこに長いテキストやイベントムービーは必要無いのです。「心に刺さる」要素ならば世界観で魅せて欲しいです。逆に「ペーパーマリオ」や「マリオ&ルイージRPG」のようなRPGタイトルには物語を進行させる為のモチベーション、楽しみとしてストーリーが必要です。  最後に、『マリオオデッセイ』は「心に刺さる」ゲームとして世に出回る事ができましたが、気になるのはこれからの未来に発売されるマリオゲームです。数あるマリオゲームの中でも、「スーパーマリオ」本編と「マリオカート」シリーズは任天堂自身が開発を手掛けているので、所謂やりたい放題なのですが、それ以外のシリーズではどうしても任天堂に厳しい目で見られながら作る事になります。その事によるキャラクターや世界観の独自性の差ができていたのはその頃のマリオゲームと『マリオ��ート8』を比較すれば良く分かるでしょう。  『NewスーパーマリオWii』の大ヒットにより「共感」を重視した制作体制に変わった為、同様に大ヒットした『マリオオデッセイ』のように、これからは「心に刺さる」ように作られていく可能性はゼロではないと僕は信じています。例を挙げるとして春に発売される『マリオテニス エース』は凝ったデザインでライトアップされたテニスコートに、新規で作られたマリオ達のテニスウェア、ストーリーモードに加えて新しいテニスの舞台等をふんだんに用意してあります。これには期待できるのではないでしょうか。  マリオは元々、ここまで書いてきたようなキャラクターや世界観等によるデザイン性で勝負している作品ではありません。しかし、かと言って決して蔑ろにしていい要素ではありません。その事を、「心に刺さる」大切さを忘れられていたのが、ここ数年のマリオゲームなのでしょう。また、チャレンジし走り続ける、常にゲームのトップにいる「心に刺さる」マリオを遊べる事を願います。
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doanob1 · 5 years ago
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あいちトリエンナーレに行ってきた
あい��トリエンナーレに行ってきた。
夏休みにどこか行こ。電波の入らない離島に行って(コナンくんが来たら死ぬだろうな〜)って想像するのと、大阪に行って昔から興味があったみんぱくに行ったり美味しいものを食べたりするのとどちらがいいかな、と考えていた。
ぼんやり色々考えているうち、名古屋在住のフォロワーさんが東京に来た時、「ご飯を一緒にどうでしょう」と連絡をくださった(とてもうれしい)。そうして一緒に食事をしたりお散歩をしたり、なによりたくさん話したりした。
そして後日、その方が「自分の目に新宿がどう見えたか」を文章にして公開していて、これが新鮮で面白く、今思えばこのとき自分が見たものを書いておく・公開するってことの魅力にちょっと興味を持ったのだ。
今回私が名古屋に行って、また同じ方とお食事をしたりおはなししたりしたのだが、今度はその方の絵日記を少し見せていただいて、これもとても素敵だと思ったのだった。
私はいま新宿に住んでいるが、ここに住んでいるといろいろなことがわからなくなると思う。こんなにオリンピックの看板が出ていること、地下鉄で窓の代わりに光るモニターの広告、そうしたものにもう慣れてしまった。「こんなにオリンピックの広告がたくさんあって驚きました」と言われ、はじめて、「そうかこんなに広告があるのは異常だな」と気づいた。
自分が立っている場所のことは自分では見えない。だから、他の人と一緒に自分が住む街のことを聞いたり話したりすると、新鮮で面白くて、自分がどんどん鈍くなっていることを知って恐ろしい気持ちになる。
むかし、地方の天候不順や災害のニュースを見たとき、「今年は野菜が高くなるわね」と言った人がいた。私はこれを聞いて(地方はお前の畑じゃないぞ、住んでいる人間も誰かの生計もあるんだぞ)と思ったものだが、だんだん、私は都市の生活に慣れて、こう言いはなつ人間になってしまう気もする。
近しい人間に「私がこういう無神経な人間になったら頭を打ち抜いて欲しい」と頼むのは、半分冗談で半分本気だ。私が無神経な人間になってしまったとき、自分ではそれと気づくことができないだろうから。ゾンビのように、生きているように動いてももう人の心もなく、ただ他人にかみつこうとする存在はいくらでもいる。じぶんがそうならないな��て言い切れない。
旅行先は愛知にしよう、と決めたのはこのときだ。
ちょうどこの頃、あいちトリエンナーレに対しての脅迫が連日報道されていて、わたしは脅迫する側の気持ちがまったく理解ができなかった。ただ少女が座っているだけの平和的な像が「反日」で、戦時下の性暴力に反対する行為が「国に対する侮辱」?いまでももちろんまったくわからない。でも、いずれ私も彼らのような振る舞いをしないと言い切れるだろうか?この国は貧しくなりつつある。来月から消費税は大幅に増え、生活は確実に苦しくなる。その状況で心まで貧しくならないなんて言い切れない。いずれ私もゾンビになるかもしれない。
隣の国でも、遠くの地方であっても、どこであっても人間が住んでいることを忘れていたくはない。が、いずれわからなくなってしまうかもしれない。
私が毎日なにかを書いているのは、漂流中の人間が書く航海日誌のようなものだ。たったひとりで暮らしながら、正気を確かめながら書く。 書いている途中に、自分でも気づかないまま、もう人の心をなくしてしまうかもしれない。 そのときに、昔の自分が書いたものを読んで、少しでも思い出せればいいと思う。 これから書く旅行の話も、いずれ自分がゾンビになってしまったときに、人間(だった時代)を思い出すために書いていた日記をまとめたものであって、もともと公開するつもりはなかったがせっかくなので載せておく。冗長な描写が続くが元が個人的につけている日記なのでご容赦ください。
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1日目。 7:30にバスタを出て13:30にささしまライブ着。 今回はバスで行ったんだが、名古屋市内に近づくにつれて巨大な船舶が泊まる港が見え、整然と並ぶ輸出用の車が見え、そして現実味の希薄な原色のレゴランドが見え・・・という光景に妙な感慨を覚えてしまった。その後バスが走った市街地でも、看板が大きかったり(走る車からでもよく見えるようにだろう)、店の規模も駐車場も大きかったり、そもそも道路自体が大きかったり、車社会を感じる。この車社会・そしてトヨタとの関係は、トリエンナーレを巡る今回の旅程を通して実感することとなるのだが、それはまた後ほど。
ささしまライブに着き、ホテルまで歩いて荷物を預けて、名駅地下の適当な店で味噌カツを食べる。「味噌カツを食べた」という事実が欲しいがために適当な店に入ってしまったのだが、味噌カツ、高級なソースかつみたいな味がした。駄菓子のアレ。私が貧乏舌なのか、その店に原因があるのかは永遠の謎。
ホテルは安さだけを重視して選んだら「オーバールックホテルからオシャレさと清潔感を抜きました!」みたいなところだった。ホテル名をグーグルに入れると「(ホテル名) 幽霊」とサジェストされる。きっと実際に何かしらの事件があったんだろうな・・・怖くてクリックしてないけど・・・まあ泊まってみたら双子の幽霊も血まみれエレベータもなかったからヨシとしよう・・・。立地は名駅西側のところで、周りも水商売のお店が多く、あとで「西側は治安悪いところですよ」と言われる。新宿にも水商売密集地帯はあって、年季の入った建物の感じや路地裏の感じは似ているが、同じ古い風俗街でもちょっと印象が違うなと思った。新宿の場合、建物自体は古くとも、店の入れ替わりが激しく看板だけは新しかったりするのだが、名駅西側のあたりは「昔からあるのだろうな」というフォントの大きな看板が目立ったからだろうか。
そしてこの日は月曜日だったんだが、月曜はトリエンナーレ全体がお休みなのを忘れていて一度円頓寺会場まで行ってしまったよ。あほ。ホテルに引き返して、持ってきた仕事をしたりごろごろしたりしてたら夜。
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円頓寺の通り。
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円頓寺のかっこいい佇まいの一例。
夜。フォロワーさんと円頓寺で待ち合わせてご飯に行く。「連れて行きたいお店があるんですけど怖いおばあさんがいて・・・お酒を頼まないと怒られるんですよね・・・私はお酒が飲めないんですが、のぶさんお酒飲めますか?飲める人がいないと行けないので・・・」と聞かれたので元気よく「飲めます」とお答えして連れて行ってもらう。連れて行ってもらった先の居酒屋さんは、手の跡が残っているような木でできた煤けたたたずまいであった。店内から曇りガラス越しに見える通行人の影が、舞台装置のようでとてもよかった。通行人の影が傘を差しだして「あ、雨が降り出したんだな」とわかる光景。演劇の演出のようだった。
どて煮と手羽を食べ「これでナゴヤ飯を食べたと言えます」とフォロワーさんから太鼓判をいただく。やったね!「お酒飲んでもらってありがとうございます」とも言われ、(お酒飲んで褒められるなんて生まれて初めてだな!甘やかされてる!)と思った。
このお店で、隣り合わせたおじさんに話しかけられ、手羽からを食べろと渡されたり無視しても声をかけてきたりしたんだが、なんだかすごく寂しいおじさんだな、と思った。お店の人に「飲み過ぎだ、帰った方がいい」と言われても「帰ってもすることないねん」と答えていて、なんてさみしいひとなのか・・・と思ったのだが、この翌日、私ひとりで食事に行ったときも似たようなおじさんにまた話しかけられるのだった。この話も後述。
居酒屋さんのあと、ベトナム料理屋さんに行って、チャーっていうあのあまいやつを飲む。フォロワーさんと政治の話や芸術の話をたくさんできてうれしかった。SHERLOCKをきっかけに19歳からTwitterをはじめてもう八年経とうとしている。現実で出会っていたとしたら、こんなにいろいろな話をするまでに多くの時間がかかるであろう人とも、いやそもそも出会っていないであろう人とも、こうして会って食事をして政治の話をできることが不思議だ。
Twitterがあってよかった。
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2日目。
八時頃ホテル出て電車で名古屋城へ。 名古屋城、堀の幅が広くて深くてびっくり。整然とした石組み。お城へ行く道々に、忍者のかわいいお菓子がたくさん看板に載っていた。 この日は天守閣に入れず、本丸御殿に行���たのだが、本丸御殿だけでも十分満足してしまった。ゴテゴテしているわりに、描いてある鳥獣は間が抜けてたり廊下は異様に質素だったり、全体を通すと上品に見えるのが不思議。ネコ科の動物大集合のお部屋と金具のリスがよい。天井がきれい。質素な廊下を抜けるとキラキラ豪華絢爛な��間が現れて、森の中の滝やお寺みたいだ。
以下は本丸御殿の内部。これはネコ科の動物づくしという素晴らしいテーマのお部屋。トラやヒョウやジャコウネコがいるよ!
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ネコ科のお部屋パノラマ。
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↑これは鳥のお部屋。写りが悪いけれども鳥が色々描いてある。
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金具のリス。
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綺麗な天井。
帰りがけに忍者がいた。「よく参った!」と言われて笑ってしまった。名古屋城は忍者がおもてなししてるのね。そういえば昨日はフォロワーさんから「おもてなし武将隊」というライトな観光アイドル的なものも教えてもらったのだった。 私はいつも旅先からお手紙を送るのだが、ジャコウネコとや虎のポストカードを買ったので、明日、フォロワーさんに教えてもらったキッテで発送しよう。名古屋にもキッテがあるらしい。 ポップオーバーというお店でお昼を食べて移動。芸術文化センターへ。このあたりから暑さと日差しが辛くなってくる。 名古屋は車社会で道路が幅広な分、簡単に横断できず、歩道橋や立体通路や地下を経由する必要があってちょっと移動が大変。見えてるのに簡単にいけない感じがRPGっぽい。まあ近くなのに移動が面倒、という点に関しては東京もよそのこと言えないか・・・。
芸術文化センターの展示について。
慰安婦像の対応をめぐり、作家さんの意思で展示中止措置が行われたため、見られない作品も数多かった。その一連を報道した新聞で全体が覆われて隠されている作品もあった。
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これらの新聞記事は全て慰安婦像に対する抗議とその対応を書いた記事が載っている。
ウーゴ・ロンディオーネのピエロの作品、造形のみならず薄くて伸縮性のある布が表面を覆ってる感じとマスクの塗装が超リアル。入った瞬間ぞくっとした空間。でも、彼らの間を歩くうちにだんだん親しみがわいてくる。愛嬌のある一体、自分に近い一体を見つけていって、部屋を出る頃には最初の小さな戦慄がなくなっていた。
ペルーの作品は展示していなかった。クラウディア・マルティネス・ガライのやつ。見られなくて残念。とても興味深いディレクションが記してあったので。
あとラテンルーツの人びとがパーティする映像も公開されてなかったけど、暗い空間の中に残��れたパーティグッズのもの悲しさそのものがいまの事態に対する静かな悲しさを示した展示のようだった。
石場文子の作品は自分のパートナーを思い出した。一部がマジックで強調してある日常の風景を移した写真。一見ただの写真に見えるが、一部が人為的に強調してあるので、ぱっと見たときに違和感があって詳しく見ていくとそれがだんだん明らかになってくる。 あれは本人/当事者たちにしかわからない「思い出」「時間」を強調して可視化しているのかしら。 人と暮らしていると、ただの日常の道具や風景でも、私たちにしかわからない特別な意味が生まれてくるものだなーと実感しているので、(おそらく)誰かと暮らしているのであろう風景をあのように表現した展示に自分たちの暮らしを思った。
永田康祐の三つの料理の映像は、レヴィストロースの料理の三角形論と、ローストビーフの由来を持たないローストビーフ(分子料理)のところがすごくすき!なるほどと思った! 私自身の住んでいる場所が多国籍な地域なので、いろんな国の料理屋さんに入った時のメニューを見ている感覚を思い出した。メニューに現地の文字による原語名と、日本語に翻訳した言葉が載っているけど、例えばタイ料理屋でも中華料理屋でもミャンマー料理屋でも日本語では「チャーハン」って書いてあるものがあって不思議だったんだ。日本語にするとそれが一番伝わりやすいからこう書いてるんだろうけど、実際葉もちろんそれぞれ別物なわけで、頼んでみるまで実際のものがわからないドキドキ感も思い出した。
田中功起の四人の家族の物語は自分の仕事や生活と重なる部分もあって、とても興味深かった(職がバレるので感想は割愛)。ただ、映像はいいと思ったけどドローイング部分がちょっとよくわからない。
伊藤ガビンのプロジェクションマッピングは、ちょっとネットノリな感じのギャグの部分と、揺れるカメラや遠近感を表現したような部分とで好みが分かれそう。私は後者の部分が好き。鉄骨のなかを降りるような映像が、ゴーグルをつけない空間VRって印象。
ヘザーデューイハグボーグのDNA再現は、過去の遺体を再現するような(アイスマン等)のロマンもあって怖さや気持ち悪さのみでない魅力も感じる。あとやっぱガタカを思うね。かつてここにいたけれどもういない人の痕跡をたどっていくのは、歴史や捜査ドラマのようで、少しわくわくするよ。
ガラスのドローイングは異様な奥行き感があって、「なんでこんなに立体的に見えるんだ?」とうろうろして眺めてしまった。ガラスに書いているという構造だけではなくて、直線と曲線を組み合わせているからあれほど立体的に見えるのだろうか?立体的に見える最大値を全部計算して書いているんだとしたらものすごい手間だ。
「その先を想像する」の大量の単純な映像、見ているうちに恐怖や怯えの予感に身構えてしまうような感覚を覚えた。殴られる前に身構えてしまう予感というか。例えば対面した相手が手を上げれば殴られると思って身構えてしまうが、それはある程度自分の学習に基づく予測なんだな、と考える。
「10分の遺言」日本的というか世界系というかエモい系というか、今回一番サブカル的わかりやすさを内包した作品だったなと思う。十分の時間制限をつけて、ネット上の不特定多数から「死ぬ前の文章」を収集してる作品なんだが、完成した文章そのものではなくそれを打ち込んでいる過程を映像にしてすべて流してるのね。削除したり、カーソルを戻したり、言葉を選んでいるのかためらったり、そういうての後を全て映像で記録して流している作品。映像キーロガー的なシステムはとても興味深かった。ああいう形で人が文章を書くのを記録できるのね。
ステルス機の白い枠線は、事件現場の死体をかたどった白い跡のようだった。(これが落ちてきたらみんななくなるんだろうな)とか(見えないけどいまも頭の上にあるのか)とか、DNA再現の展示でも感じた「痕跡の再現」を思った。
シルクスクリーンを一万回繰り返したやつ、3Dプリンターと同じ構造だけど遙かに手のにおいがするところが、アナログとデジタルの交差点という印象。
誰もいない台湾の町を延々とるやつ、ゾンビ映画の冒頭のようだった。(「28日後・・・」の全裸キリアンマーフィです)映像を見てから作品撮影の背景(軍事的な訓練のため誰も外出しない日であるため、街が無人)を知るとそれも含めてさらに映画的な印象を受ける。爆発する遊園地のほうは、ループものの作品のようで、まどマギを思った。
リングホルトの大きな時計は裏の構造が簡潔で理解しやすくてよい。ずっと見ていられる精神安定作用がある。
ガラスの箱を段ボール箱に入れて、輸送中に破損した実物を展示しているやつ、「これしか壊れないのか!」という驚きがあった。空輸であれだけしか壊れないなら御の字では?なにも梱包せずあれだけの損傷にとどまるのか。
空港のX線で現像した写真の展示は手法に納得し、中身に戦慄した。シリア大使館の荒れ果てた内部だったのか。見ることにできないはこの中をX線で現像して見せている。映画「アルゴ」の映像を思い出す。
木版画の巨大な虫たちの絵は、古代から伝わる壁画のような荘厳さがあった。神話的だ。細部まで書き込まれていて好み。
手にインクで番号を押すやつが閉鎖されていて残念。フォロワーさんが「国際的にも有名な展示で、匂いがするんです」と教えてくださっていたので期待していたんだけど、匂いって「涙を流させる仕組み」のことだったのか。涙を流すべき事態にも泣かない人間のための装置、という説明があった。香港のデモの催涙弾使用のことを連想して、この作品が展示中止されている事態と香港の事態は地続きだなあ、と思い至る。
写真の中の謎の物体を調査するやつは、ちょっと構成がわかりづらくすぐ移動しちゃった。あんまり立ち止まってみられる感じでもなかったのが残念。
ミリアムカーンの美しい青、実に美しかったが、難民というテーマとあの人の他の作品と並べられていると異質に映ってしまう逆転現象。
キャンディスブレイツの「ラブストーリー」は、六人の難民の抱く壮絶な背景に圧倒されると共に、役者のスキル、そして人間の持つ先入観について見事に表現していると��った。俳優さんの演技力がすごい。すごい。「本物」の難民が持つ、どこか意識が遠くにいるようだったり少し曖昧だったりといった要素が剥ぎ取られて、説得力を与えるようコントロールされている役者の演技の方が「本物っぽい」矛盾。面接やなんかにも通じると思うが、よりそれらしい、本物っぽくみせる技術はお金を払ってまで習得するスキルとされている。でも、それを「見ている」側のジャッジってめちゃめちゃ一方的だ。それにしても役者さんの演技がすごかった。表情も仕草も言葉も間合いも、あんなにコントロールできるものなのか。どう見えるか・どう見せたいかを完璧に解体しそして表現するまでが役者の能力なのかと思うと、途方もない仕事だ。
このあと名古屋市美術館に移動。あつい。顔が溶ける。ヒースレジャーのジョーカーみたいになる。退館した後で気づいたけど、国旗が印刷された野外のゴミ袋も作品だったのか。オシャレな袋がかかってるゴミ箱だな~としか思ってなかった。
空から垂れ下がるオーガンジーの刺繍、一見ファンシーで商品のような明るい魅力があるけど、DNA構造に基づき一対になっているデザインや作品背景に気づくと深みが増す。シャーレの構造もそう。清浄で真っ白な空間と生命を生むシャーレが病院のような斎場のような雰囲気だった。
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陶器の展示、とても面白かったー!陶器としてのデザインと、静物や風景が立体化しているあの作品群は、今回のトリエンナーレでもっとも万人に通用する明確な魅力があると思った。いつまでも見ていられる立体的なだまし絵のような発想、繊細な古典的表現!わたしにとっての付喪神ってこんな感じだな。あと刀剣乱舞。山口晃さんの作品への好感につながる魅力を感じる。
いっぱい写真撮っちゃった〜。
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モニカメイヤーのピンクの付箋の作品、すでに書かれたものを破ったのではなく白紙のものを破ったのか。もはや書くことができない、声を上げられないという状況の表現。新しい作品表現。視覚的に痛々しい光景だった。
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ホドロフスキーの展示。 ホドロフスキーが考案したという���理療法を実践する様子をおさめた記録映像と、書簡、そして小冊子の三点で構成されている展示。 映像のなかでホドロフスキーの指導のもとセラピーを受けているのが白人ばっかりで驚いた。 ビートルズにしろホドロフスキーにしろ、芸術分野がスピリチュアルな組織構造と結びつくのはまったく珍しくないけど、広々とした古典芸術的な劇場の中で白人だけが集まって手を繋いだりトランス状態に陥っているのはちょっと異様な光景である印象。
人工授精と刺繍の展示。私はこれが今回一番よかった。 18歳の時、自分が人工授精で生まれたことを知って、史上初のクローン羊・ドリーに関心を抱いて実��に海を渡って取材したり、出産や育児について表現したりしている作家さんの展示。 ドリーが生まれた街の写真が拡大されて一面を覆っていて、その上に金糸銀糸のきらきらとした刺繍が施されていて、部屋の中央には人形の家のような小屋があり、内部を除くと家庭的な居間が見える。展示場所やその居間の中や至る所に、ゾートロープによるアニメーションで羊や作者自身の姿がゆっくりと回転している。 18歳の時に自分が人工授精で生まれたと知って以降、「幼い頃からの過剰な愛情が理解できた」「女である自分もいずれ出産することを期待されている」と書く作者の言葉に、私は今回のトリエンナーレの中で一番心からの共感を覚えた。 今回は「しんかぞく」といい家族や出産に関わる展示が多く見られたが、これも津田さんによる「男女同数の作家を呼ぶ」取り組み成果だと思う。
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部屋の壁の前面を覆う刺繍の様子。
知らない言語を書き取る様子を撮った映像作品では、言語の学習過程や異国にな��む過程のようだと思った。まったく知らない音や言葉を、すでに自分の中にある言葉で置き換えて咀嚼しようとする行為。学生時代に語呂合わせで英単語を覚えようとしたことや、自分の素地になんとか近づけて多言語を習得しようとしたことを思い出した。これもまた「異国に生きる」ということとつながっているんだな。
GIFの繰り返しの展示、ヨシキさんがトークイベントでよく紹介してくれたyoutube動画のようで、映像式現代版ドラッグのようだった。ずっと見てしまう。
終盤に、愛知県内の小学生とともに作った段ボールのお部屋があって、それが細部までずっと見ていられる空間だった。
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入り口を入ったところ。
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種々のダンボールから切り取ったらしきロゴが貼られたボード。これを作った子はロゴやフォントに興味があって気になって作ったのだろうか。
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おそらくシャチホコ。尻尾の表現が好き。
ここまでの展示は会場が美術館だったので、トリエンナーレの作品以外にも美術館の常設展示が観覧できた。この常設展示で裸婦像が多く展示されていたが、男女同数を実現し差別に関する問題や出産・育児についても多く扱っているあいちトリエンナーレと対称的だ。古典芸術世界における、女性の客体化と、それに対する問題提起としての現代美術。女性の意思を扱っているトリエンナーレ作品がある一方で、美術館の常設として古典的な裸婦像が山ほど飾られている部屋という、その対称性も象徴的だった。
ほかにも、常設展示では、児童文学の挿絵のような、会社に絡みつくドラゴンの像もあってこれがおもいがけず大好きになってしまった。紙幣=消費者から得た金で作られた、大量生産品を扱う会社とドラゴン。よく見ると窓や道にそれぞれ人間がいる。窓の清掃員やビルから現れる作者自身。ロアルドダールやティムバートンの作品のようだった。
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ここで円頓寺へ移動。あつすぎる・・・
一丁目長屋の中の古い写真を拡大したものは、祖父母のことを考えずにはいられなかった。祖父母のこうして誰かの持つ写真の中に背景として映っているのか。私の誰かのスマホで撮った写真に映り込んでいるのか。祖父母のことが大好きなんだけど、誰かのアルバムのなかでこうやって残っていてくれたらいいなと思うよ。ちょっとでも。
葛宇路は発想が好き。きっとこうやって生まれた道ってたくさんあるんだろうな。昔から。勝手に公共空間に作用していく人の行動が面白いと思う。古代から道の名前ってこうやって決まってたんじゃないだろうか。人の名前も、町の名前も。
移動する洋品店の展示も祖母を思わずにはおれなかった。それとここに限らず、展示場所が超狭い雑居ビルの二階だったり、趣ある巨大な古いお屋敷だったり、距離は大して離れていないのにまったく異なるのが面白い。異世界感。
弓指さんの、自動車事故の犠牲者である小学生六人をモチーフにした展示は、超車社会でトヨタ車がたくさん走っているのを見てここまで来た身からするとチャレンジングな展示だと思った。毒山さんの映像の中でも「トヨタ王国」「愛知からトヨタがいなくなったらやっていけない」との言及があったし。途中で運転席からの景色が見える展示構成がよい。
毒山さんの展示、おそらく私の祖父母と同年代の人びとの映像だが、その老人がいまでも子どもの頃に殴られたり屈辱を受けたりした経験を泣きながら語る様子がつらくて、見ながら泣いてしまった。いまでもこれを書きながら泣いてしまう。今回の展示のなかで唯一泣いてしまった作品。自分たちの祖父母だったら、と思うとつらくてつらくて仕方がない。 本人たちは「いい教育だった」と言っていても、それが本心だとは限らないし、それを疑う余地もない教育を施されたのだろうし、いまはもういない彼ら自身の父母の世代はどれほどつらかっただろうと思う。
円頓寺は最後に寄った伊藤家住宅がすごくよかった。中庭の感じとか蔵と蔵の間の空間の怖さとか。津田美智子の作品は不具合で見れなかったけど、蔵の中の岩崎さんの作品は緻密ながら空襲後の世界を思わせる光景で見入ってしまった。燃えた家財道具と建物と炭。どこかに通じる橋のような構造物がすき。三人しか入れない極小空間という処も含めて、秘密基地のような、子どもの頃にしか出会えない何かが住んでいる空間のような、魅力的な展示だった。
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全て炭で作られた作品の様子。
ゆざーんの演奏は、修行というのでもっと簡潔で寺院っぽい空間を想像していたら地下にあるライブハウスみたいなカラフルな壁画があってちょっと意外。タブラの音ってきれいだ。
ホテルに戻って、外食しようと思って外に出たらまたもや知らないおじさんに話しかけられ、「明日は絶対外に出ないで何か買い込んで宿で食べよ・・・」と堅く心に誓う。
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三日目。
朝起きて九時くらいまで昨日の日記書く。ポメラ毎日使ってるけど買ってよかった。旅行先でもいつもと変わらず書けるしバッテリーの持ちが最高。
チェックアウト後キッテへ。ハガキを発送して名古屋駅から東山線で栄駅、舞鶴線に乗り換えて豊田市駅へ。ホテルに荷物を預けて喜楽亭へ。
喜楽亭は建物自体も面白かった。料亭のようなことをしていたらしい。お寺のようだった。古くはあるけど清潔で使い込まれた空間。進むにつれてだんだんと輪郭や映像の出典がわかっていく構成と建物がよく合っている。映像の書簡形式。特に二階の構成がよい。日本のアニメ・漫画作家による二次大戦中のプロパガンダ作品と、それらが彼の記念館に収められていないこと、そして彼自身も特に後悔はしておらず「また政府から要請があったら同じことを行う」「国民としての責任を果たした」と語っている映像。そして、小津安二郎と彼の作品について論じ、作中の幼い兄弟が「大きくなったら軍人になりたい」と語っている映像とプロパガンダアニメが同時に背景に映り込む演出は素晴らしかった。小津安二郎の墓に「無」と刻んであるのはこの展示ではじめて知った。奥の巨大なプロペラの展示は舞台装置っぽい。カタカタ鳴る装置も舞台演出的だ。
ここから豊田市美術館へ。激坂のぼるの熱くてつらかった・・・。
美術館のレストランでお昼ごはん。
空から落ちる花が開くような展示は、みんなが上を見上げたり床に寝転がったりしながら作品を見て笑って話している空間自体が好きで、ずっと見入ってしまった。シャーレの展示もそうだが、美術館の広くしろい空間になにかが上から下がっているって独特の非日常。
豊田市美術館から歩いて近くの高校のプールの展示を見る。これもフォロワーさんから「友人がとても褒めていた」とのお話を伺っていたので期待して向かう。 実際に目にすると、青空にプールと廃校と夏の濃い緑、というのがすばらしい。エモい。バンタンの撮影に使用して欲しい。私はスクールもの時代のバンタンが好きだ。 ���直に立ったプールの壁面が真っ青な空に伸びている、という、飛び込みや空に落ちること・そしてもしかしたら飛び降りを連想させる光景がとてもよい。バンタンの撮影に使用して欲しい(2回目)
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青ずぎる空と校庭と合成のような鳥居が異世界っぽい。
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豊田市駅に移動して、架空のトヨタの遺跡モニュメントの展示三点としんかぞく(レンタル家族)を見る。 しんかぞくは正直、「実際に死産を経験したり子どもを失っている人から見たら残酷すぎる」と思った。流産を扱うことそのものを問題視しているわけではない。テーマパークという形にして、「エンターテイメントとして見せていること」・そして「実際に死んだわけではない想像上の子どもを作り出して、(おそらく)本物の水子と一緒に作品の題材にしていること」がちょっとひどいと思った。水に流す演出の意味や、最初に押すキーボードの意味などは「なるほど」と思ったけれど、原宿の店先に並んでいそうなポップな色合いで作品にするにはあまりに敬意がないのでは。 架空のトヨタの遺跡を再現する展示、発想と映像のなかのとってもうさんくさいおじさんのインパクトが強烈。最初あの胡散臭おじさんが作家さんかと思った。人為的に作られた出土品を見ているのが楽しく、また、「現実にも出土品を偽造していた考古学者がいたけど、こういう感じだったのかな」と想像を巡らせた。
なにかを売り出したいときや権威づけたいときに、古くからの神話や土地の歴史に絡めるのは常套手段だけど、これは逆にトヨタ神話を皮肉っているようでもあって、単純な「この土地と切っても切り離せないトヨタ」を礼賛しているわけではないと感じる。
アンナヴィッテのトヨタのダンスの映像も同じことを思った。あのダンスの映像は発想がとても好き。(明言はされていないがおそらく)トヨタの工場労働者たちを集めて複数回お互いの仕事について話し合う様子を撮っている。彼らは流れ作業で部品の点検等単純な労働に従事していて、「これから自分たちの仕事はどうなるか」「仕事は楽しいか」「なぜ仕事をしているか」といったことがらについて各々の意見を述べていく。そして、彼らが毎日繰り返している仕事の動作を再現してもらい、それを元にダンスを作り上げる。彼らが踊る映像と、自動制御のロボットがラインで単調な動作を繰り返しつつ車を作り上げていく映像が流れる。
ホテルに戻り、もうおじさんに話しかけられたくないなと思った���でトヨタ駅近くの松坂屋地下でご飯を買って部屋で食べる。文章を書いて本を読んで眠る。
------------------------------------------------------------------------------------------- 四日目。 六時に起きてご飯食べてこれの下書きを書く。 チェックアウトして東岡崎駅へ。閑散とした駅にタピオカのスタンドがあり、まったく繁盛していないのを見て諸行無常を感じる。おごれるものは久しからず。高速バスでバスタへ向かう。 バスに乗ったら顔を覆うシェードがあった。はじめて見た。しかし使ってみると超快適で爆睡。隣の人の顔が見えない、見られないってこんなにもノーストレス!
いい旅行だったな。
街の中、しかもこれほど複数の場所に点在したトリエンナーレに初めて行ったので、土地と干渉し合う作品鑑賞も初体験で多く発見があった。
まず、炎天下を歩いて回って、歩く道々で見る建物や風景や、だんだん暑くてボーッとしてきたころ突如現れる作品や、全て込みで作品のようだった。特に円頓寺は一区画入ると全く趣の異なる建物・作品が現れて、街の中に潜む異世界をめぐるようであった。
そして、トヨタに関わる作品も数多くあって、トヨタの影響が色濃い街を歩く中でそれらを鑑賞して「これはこの土地で見るからこそ意味があるな」と思った。単純にどこか別の都市の美術館に全部入れていてもこんなに意味合いを考えたりしなかっただろう。
バスに乗って愛知に来たとき、ミニカーのように整然と並ぶ大量の車や、輸出入の船がたくさん止まる港や、突如現れるレゴランド、幅の広い道、超車社会、等々を見て「あートヨタのちからよ…」と思った。事故の犠牲者6人を追悼する作品で「加害者、被害者、クルマ」を提示していて(トヨタのお膝元でやるにはチャレンジングだな)と思ったけど、酔客にグローバル企業のロゴをかぶせる映像展示では「トヨタがなかったら名古屋はやっていけない」と行ってたり、豊田市駅の展示では架空のトヨタの遺跡を発掘する展示があったり、そしてその会場に向かう駅の歩道には「交通死亡事故一位の汚名返上!」という(展示ではなく警察やトヨタによる本物の)巨大な横断幕があったり、街中を巡ってみる展示だからこその効果を感じた。街中を歩いて車社会を実感しながら作品に会いに行き、そしてその作品たちが相互に作用していく体験が初めてのもので、「自分の目が変わっていく」過程が新鮮だった。土地を体験した自分の目が作品に向ける眼に影響していく。人間はどんどん変化していくけど、これほどの短期間で明らかに変わっていくのがわかる体験は、あいちトリエンナーレの素晴らしい強みだと思う。これからいく方にはぜひ、なるべく多くの作品を歩いて巡ってみてほしい。
それから、私が道中でさびしいおじさんとフェミニズム作品について。1日目二日目と、夕食を食べに行ったら知らないおじさんに声をかけられ、うんざりして三日目はビジネスホテルでもそもそご飯を食べたのは前述の通り。はっきりい��て不愉快だし、心底不快だけれど、それ以上に「この人たちはさびしいんだろうな」という気持ちが先に立った。これは愛知に限らず、東京でもあまた経験しているので、今から書くのは今回の旅だけではなく普遍的な話。
旅行先で食べてみたいものがあっても、おじさんに話しかけられると思うとうんざりする。男の人ならどこでも好きなところへ好きなものを食べに行って、話しかけられて嫌な思いをするかもなんて微塵も考えないのかしら。ここでわたしが「旅行先で隣になった人とめっちゃ盛り上がった笑笑笑!おごってもらった笑笑笑」って書くタイプならむしろ旅のいい思い出になるだろうし、「こう感じるタイプの方が生きやすいんだろうね」、って話はフォロワーさんともしたけれど、私がこうやって知らないおじさんに話しかけられてめちゃめちゃ不愉快になるのは、「さみしい」という気持ちを検知するからだと思う。たまたま隣に座った私に話しかけ、少しでもさみしさを埋めたい、というのは侮辱ではないのか。一方的に話したり、相手が立場上・性格上反論できない局面で話を押し付けたりするひとってめっっっっっっっちゃいる。
私は今回のフェミニズム作品、そして作品中止に至るまで作家さんの行動の一連も根本は「対話を行わない」という侮辱に対するものだと思っている。一歩的に作品の撤去を求めること。それに対し、作家さんたちと十分な対話を行わず、実際に撤去をしたこと。
侮辱されている、舐められている、と察知する能力は人間にとって能力だなmと今強く思っている。このまま私は進もう・・・
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karasuya-hompo · 6 years ago
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Skyrim:ガイコツさんの冒険 28
 2時間ばかりの休息を取って目を覚ました。十分に眠ったとは言えないが、不調はもない。  では、そろそろ出発するとしよう。  このままモーサルにしばしとどまって、町の人たちの相談に乗るのも悪くはなかった。しかし、こんな立派な拠点を手に入れたことで、またいつでも来れる……また別の機会にでもきっと訪れるという気持ちも生まれていた。であれば、慌ててあれこれと走り回ることもない。  行き先はどこにしようか。そう考えて、まずは頼まれごとを片付けてしまうのがいいと決めた。ヤング・イドグロッド、首長の娘にあたる婦人からは、ホワイトランにいる司祭ダニカに、ジョリックの健康状態に関するメモを届けてほしいと頼まれている。そういえば、ミカエルと話をつけたことをカルロッタに伝えていないのも思い出した。それから、「友」の件だ。  であれば、ここは素直にホワイトラン、そしてリバーウッドに戻るとしよう。
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 案内板に従って街道を行こうとして、道に落ちている褐色のものに気付いた。ほんの数日の内に遺跡を2ヶ所巡り、吸血鬼退治までしたせいですっかり忘れていたが、そういえばここに来る途中に、あの変な狂信者たちに襲われたのだった。……ふむ。来た道をただ引き返すというのもなんだ。それにそろそろ、街道を辿る以外の旅も、無理のない程度に試してみようか。  地図を広げ見てみると、モーサルから南の山には、それほど勾配の強くない部分がありそうである。  進めそうになければ引き返せばいいのだと、気楽に馬を進ませる。
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 この様子ならば無事に越えられそうだ。進んでいくと次第に雪も消え、目の前にはなだらかなホワイトラン領の平原も見えてきた。  と、そのときだ。何度か聞いたことのある しわがれた咆哮が空に響き渡った。
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 ドラゴンだ。鮮やかな琥珀の鱗が青い空に映える。だがそんなことに感心してはいられない。  私には何故か、ドラゴンに対する反射的な敵意がある。もちろん、友好的でないどころか攻撃的な生き物なのだから、見かければ即座に敵だと思うのはおかしくないのだが、それだけでは説明のつかない、いささか過剰なものだ。  ドラゴンボーンは、人でありながらドラゴンの血脈に連なる者であって、ドラゴンスレイヤーではない。であれば、積極的に力を得ようとするのでないかぎり、戦わないという選択肢もあっていいはずである。だが私にそれはなかった。  背を向けるのは、勝てない相手だと見極めて撤退するときだけだ。  幸いにもこのドラゴンもまた氷のブレスを使ってきた。真っ向から受ければダメージはあるが、致命傷には程遠い。
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 飛び回られると攻撃する手立てがないため時間はかかった��、危機に陥ることなく倒すことができた。  そしてまた一つ、ソウルを獲得する。  無条件に敵だと思う相手の一部、しかも魂を自分のものとするのは、決して気分の良いものではない。ドラゴンボーンに選ぶなら、ドラゴンに対して友好的とは言えないまでも、もう少し偏らない価値観の者がいいのではないかと思う。だが拒むことはできないし、これは私自身では変えることのできないものだ。  せいぜい、力に流されないようにと己を戒めるより他にない。
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 ところで、ドラゴンに襲われる前に眼下に見えていたこの小さな家は誰の住まいなのだろうか。隣には家庭菜園があり、きれいに手入れもされている。  タムリエルの人々は往々にして客に対して寛容で気さくである。見知らぬ他人だろうと、日中に訪問するのであれば滅多に迷惑がられない。入って来られたくないときには鍵がかかっているのだし、とドアに手をかけてみると、すんなりと開いた。
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 中にいたのはダンマーの婦人だった。愛想のない剣呑な目で、つっけんどんに「なんの用ですか、夫なら留守ですよ」と言って寄越す。(注:modによる追加NPCで、実際の台詞は「ここは貴方のいる場所じゃないわ」。ただし衛兵を呼ぼうとはしない)  珍しく、見知らぬ来客に対して警戒心の強い人だったらしい。私��無作法を詫び、早々に立ち去ることにした。
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 山際の家を離れて少し行ったところでサーベルキャットに襲われた。珍しい模様の毛皮だったが、そんなことに感心している場合ではない。こういった野生動物に手こずることはなくとも、油断は禁物だ。しかも途中からは狼までが一頭、割り込んできた。
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 彼等はどうやらここをねぐらにしていたようである。元は狩人たちのキャンプだったらしく、たくさんの皮が置かれていた。(注:グリーンスプリングホロウです) 残念ながら所有者たちは皆死亡してしまっている。この皮は何枚かいただいておくとしよう。
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 南下していけば街道に突き当たる。見通しもよく、天気にも恵まれていれば、迷う気遣いもない。  マンモス2頭を連れた巨人を見かけた。彼等は近づいて刺激しなければあえて襲ってくることはない。少し大回りして、警戒させないように横を通り過ぎた。
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 そして、こんなところにも例の狂信者たちが来ているらしい。なんとも厄介なことだ。  彼等が狙うのは、”偽の”ドラゴンボーンである私だけなのだろうか? 私自身はいいが(いや、迷惑ではあるが)、彼等も生身である以上、金や食料は必要だろう。それを得るために無関係な人たちを襲わないとは言えない。  ―――ドラゴンボーンは、ドラゴンスレイヤーではない。改めてそう考える。スカイリムにドラゴンが出現したことに無関係ではないとしても、ドラゴンを倒すために現れたのでないことは、グレイビアードたちの話からすると、間違いないように思える。  それに、ドラゴンボーンがこの世に私一人でないというこことは、ドラゴンの力を身につけてそれに抗う者は他にもいるということだ。  私は、行く先々でこうして襲われ、追い回されるなら、まずはこの謎の信者たちに対処しようかと考え始めた。誰か他のドラゴンボーンが、たしか、ソルスセイム? だったか、そこに向かったならばいいのだが……。  まあいい。今すぐに決めねばならないほど切羽詰っているわけでもない。おいおい考えるとしよう。  ともあれますせはホワイトランだ。  後の旅路は何事もなく、私はだいぶ勝手の分かったホワイトラン要塞に着いた。広場で露店を出しているカルロッタに、知らせが遅くなった詫びとともに、ミカエルが言い寄ってくることはもうないはずだと伝える。彼女は感謝の印だと言って、……600ゴールド? 露店の野菜・果物売りでこれだけの金を作るのは並大抵ではないと思うのだが。しかもそれを、ただしつこい男を諦めさせただけのことで支払うのは間違っていないだろうか。  しかし返すこともできないので、私は本当にいいのだろうかと思いつつも、市場を離れ聖堂に向かった。
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 キナレス聖堂前の広場には、ギルダーグリーンの若木が薄紅色の花をつけていた。なるほど。かつてのギルダーグリーンの姿は、エルダーグリーンとよく似ていたのだろう。おれほどの巨木ではなかったものの、一本の樹木としては相当に立派で、しかも鮮やかな花が美しい。道端に花の咲き乱れるこの町にはよくお似合いだ。(注:要塞改修mod��一つ)  聖堂でダニカに会い、若きイドグロッドからの手紙を渡す。ダニカはそれに目を通すと、あの家系には魔術の血が流れており、時折それが厄介なことになるのだと教えてくれた。首長イドグロッドのように、優れた霊感を使いこなす者もいれば、若きイドグロッドのようにそもそも霊感が弱く、振り回されずに済む者もいる。ジョリックは、強い霊感を受け入れ制御するにはまだまだ子供だ。よく気をつけておくとダニカは受けあってくれた。またモーサルに行くときには、このことを伝えて安心させてやろう。  訪れたついでに、私はダニカから回復魔法の手ほどきを受けた。彼女の指導は簡潔で分かりやすかった。難しいことを、噛み砕いてできるだけ具体的に、段階を踏むように説明してくれる。これは生半可の理解でできることではない。もしかして彼女は、相当な使い手なのではないだろうか。本職は聖堂の司祭であり、戦争のせいでヒーラーとしての仕事のほうが多くなったことを嘆いていたが、とても兼業とは思えない知識と腕前である。良い師を得たものだと、私は改めて感謝した。
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 リバーウッドに着いたのは19時少し前だった。あたりにはまだ昼の日の明かりも多分に残っているが、もう間もなく暗くなるだろう。  このまま「友」とやらが待つというスリーピング・ジャイアントに寄るかどうか、しばし迷った。  自称「友」に心当たりがなく、どうも胡散臭く思えるせいか、私は明日にしようと決めた。どうしても、緊急に会わねばならないのであれば、あのように回りくどいやり方、私の鼻先をかすめるようなやり方をする必要はないはずだ。ともすると他のドラゴンボーンが、あのメモを持って行かなかっただけで、既に訪れているかもしれない。  私は自分で呆れるほど乗り気ではないのだ。申し訳ないと思わなくもなかったが、私は宿屋の前をすぎて村の西の出口に向かい、そこから小舟で我が家を目指した。
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 ……諸事情あって、せっかく植えた草花や、別誂えで設置した金庫(と中身の酒類や魂石)は消えてしまった。  そうだ。明日はもう一度家の飾り付けでもしよう。センスのいい人たちは、ずいぶん素敵な我が家を作っているようだが、私には、先住者の残してくれたこのささやかな住まいに、いくらかの彩りを追加するくらいがせいぜいである。  「友」とやらがいるのかどうか、確かめに行くのは��の後でもいいだろう。  薄情ながらあっさりとそう決めて、私は今日のうちにと再びホワイトランへの道を往復した。そこでも諸事情あってかなり戸惑い、かつ手間取ったのだが、無事に新しい内装道具を手に入れることができた。  さあ、明日はまず、家の周りにいくらかの花を植え、それから、屋根の穴をうまいこと塞ぐことはできないかから試してみよう!
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nfhnchn · 6 years ago
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彼はベッドの中で安心して感じることが寝室
その後、に手に一緒に二人は、彼らが完了するまでのメイクアップシャドウ子供がベッドに行く洗います。彼らはお互いを抱き���って、夜のために飛行機で韓国に駆けつけ、彼と一緒に眠り、夜を過ごした。次の日、誰も兵舎に詰め込まれた良いものを運んでいるドラゴンに気付かなかった。ドアの外で、ずはこふおはこふは彼を見て歩いた。れにめにこふはまた、彼女と挨拶をして笑って歩きロレックスコピー回った。林英はまた彼と一緒に手を振り、彼のように笑顔にしたいと思っていましたが、このようなことは本当にあなたがしたいことではありません。毎回、彼らはいつも叫びまブランドコビー激安す。これは再び涙。全仏ジョコ撃破世界72位が涙写真。あたかも大学が休暇の家に恋していたかのように、この休日が見えないことを知って、彼を駅に送りました。群衆に溺ロレックスコピー自動巻きれて消えていくのを見て、彼の苦労した心は涙で泣いています。私ブランドコピーはそれが会うことを知っているが、それは不快であるそれをドラゴンに送った後、彼女は車を涙で去った。翌日、韓国を去って宫胁咲良に帰った。彼が辞めた日には、ネチズンがインター最高級ロレックスコピーネットに投稿した小さなビデオがありました。見るためにドアにセール的に彼の兄を送信する時間は、ちょうど密かにそのように彼女の泣きを下に撮影し、づくを送信するために英林のように見えます。帽子をかぶっ韓国 ブランドコピーてゆるいコートを着て、なぜネチズンが遠く離れたこのビデオで悲惨な痕跡を見たのですか?ちょっとネチズンは一口助けてもいけません。彼女は他の人のようなものではありません。家に帰った後、その日々は元の姿に戻りました。影の子供たちの生活は宫胁咲良と韓国の間を走ります。そこでは、ひひ5と4はすべてアニメに行きました、そして今、彼らは勝利しており、すすの代表として外にいます。彼自身の個人的なアルバムを準備することに加えて、彼はまた、いろいろな主要なバラエティ番組を熱心に取り上げました。知っている兄弟は若い世代の写真を撮影し、私自身は単独で住んでいた撮影計画を立てました。勝利のボスは非常に忙しいです〜彼はまた、宫胁咲良に麺屋を開き、彼のビジネスはうまくいっています。神話の世界でロングに済州には、コーヒーショップをオープンしたボーリング場を開設していない-それはまた、世界の隣には、ラーメン店をオープンした竜のコーヒーショップの神話の勝利です2人はもう隣人になった?ショーがドラゴンに上がったずっと前に、何年ものあいだ希望を言って、希望と勝利は隣人となった。今、目標はあらかじめ達成されています!彼の兄弟がすべてアニメ隊に入った後、勝利は主要なショーに頻繁に出現し始め、彼はまだ満足していました。ああ、今は唯一の宝石しか持っていないので、ドラゴンの裏書にあなたを招待して、私を今見つけてくださ��。ハハハハ〜ぴとはふはこさねひとにうをかとの最新号も放送されていますやはえうにとおは個人的な才能を芽生えさせ、ニュースを壊しました!著者は述べているお買い得私のそその入力方法の裏に庭にはいくつかの問題のようです、私の長い時間を遅らせたロレックス時計または私はより速くすることができ、私は私の入力を変更することを検討しました。次の章の事前通知があります。ホストお買い得あなたの次の結婚は誰ですか?パンダお買い得ええと。第116章既知の兄弟1私の兄弟はそこにいません。最古の父親が勝ち始めました。ブランドコピーすすの人気とパーソナルアルバムの開発を維持するためには、もちろんアクティブにする必要があります。この認識兄弟ブランド激安市場の期間は、彼の子孫の4人のメンバーとシニアを獲得することです。かつて才能ある人として、勝利はこれまでどおりに人気があります。このショーでバッグを運んでいる長い服を着たユニフォームを身に着けているだけでなく、そのような大きな年齢で制服を着用するのは難しいですこのプログラムもまた徐々に起動し、多くのグループがカードの種類に戻ってきます。まずにこが最近戻ったパートタイムの起業家ひまづひりぱづ勝利をお買い得勝利金はちょうど教室を記録し、プログラムを導入して設定されています!!ホストは非常に彼を歓迎しており、彼らはすべて勝利に精通しています。勝利はまた誇らしげに言ったお買い得パフォーマンスが火災になる限り。上昇する格付けが見えますか?ハッハッハ~~ホストはすぐに笑った、勝利は常に様々な感覚でいっぱいです。
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ontheground2 · 7 years ago
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英国作家が語るファンタジー、そして国家における記憶と忘却について
久しぶりの更新となりましたが、今回も翻訳記事です。
私の好きな作家、カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したとき、たまたま知ったFinancial Times の過去記事です。読んでみたくて通勤中、満員電車でムギュウとなりながら毎日ちょっとずつ翻訳を進めてみました。途中、別の本読んだり試験勉強したりと、しばし中断してたのでだいぶ遅くなっちゃいましたが、良かったらご覧下さい(注:複数の作品についてネタバレとなる内容も含まれています)。
元記事: FINANCIAL TIMES
Nobel Prize winner Kazuo Ishiguro: our 2015 interview on his debt to younger writers
ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロ:
若手作家に対し彼が負っているものについて語った、FT誌による2015年のインタビュー
「英国作家が語るファンタジー、そして国家における記憶と忘却について」
ローレン・カイト
2015年3月7日
記憶喪失を誘発する霧、ドラゴンクエスト、高地をパトロールする円卓の騎士…カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」は、911以降の小説には思えないかもしれない。しかしこの小説は、911がいかにして始まったのかを、少なくとも最も文字通りの意味で描き出している。
彼がこの小説の構想を初めて口にしたのは、ニューヨークとワシントンが攻撃を受けたあとだったと、彼は振り返った。それは、日本の読者イベントでのことだった。「社会がいかに記憶し、そして忘れていくのか。その時点では、そういうことに関する本を書きたいと思っていただけで」彼は言った。「過去を捨てて前に進む…一体これだけで、いつになったら状況は良くなるんだろう?そんな問題に、個人としてはみんな直面していたけれど、この問題がいかに国家にも当てはまるかということに、私はますます心奪われるようになっていたのです。日本の読者に向けての講演であることを私はかなり意識していました。言うまでもないかもしれませんが、私が思うに日本は、第二次世界大戦で何が起こったのかという、巨大な記憶の塊を忘れ続けています」
イシグロは、非常事態に陥った国家や、鎮圧された国家の記憶の事例(占領後のフランス、ルワンダ大虐殺、南アフリカのアパルトヘイト清算のその後、ユーゴスラビア崩壊など)を広く学んでおり、数年後にはダボスの世界経済フォーラムでこの件に関する議論の議長を務めることになった。それでもまだ彼は、自分の中のアイデアに形を与えるためにもがき苦しんでいた。「これらの歴史的状況の中から、どれか一つについて書き留めようとするたびに、それが正しいことには思えなくて」彼は言った。「一歩後ろに下がって、もう少し隠喩的な、そしてもう少しだけ普遍的な小説を書きたいと思ったのです」
2004年、ついにインスピレーションを得るに至った。インスピレーションの源泉は、14世紀の物語詩『ガウェイン卿と緑の騎士』の中の2節であった。そこには主人公の旅が、想像上の人物である英国アーサー王を通して描かれていた。「この数行が、まさに私に火をつけたのです」イシグロは言った。「鬼たちがまるで野生の牛のような感じで、ガウェインが戦うべき日常の危機として話のついでに出てくる。そこがとくに好きでした。突然、この物語に広がる全ての景色が見えてきて、よし、これで何か出来るかもしれないと思ったのです」
ロンドン北部ゴルダーズ・グリーンにある、イシグロ邸の明るい居間に私たちは座っている。新作の本は宣伝の猛攻が始まったばかりだが、ここでは知的で和やかな家族の暮らしが今のところ続いている。見渡せば、時間をかけて積み重ねてきた知的努力の形跡と、ありとあらゆる文化的熱意の形跡、そして小説の校正刷りやボサノバの楽譜らとスペースを奪い合うように外交政策ジャーナル誌が散在している。彼のギターコレクションに感心し、そう伝えると、彼はジャンゴスタイルのアコースティックなジプシージャズをかき鳴らし、それから彼が好んで使っているマーティンを持ち出し、「イパネマの娘」をポルトガル語で弾き語りしてくれた。元ソーシャルワーカーの彼の妻、ローナが顔を出し、「彼のことイシュって呼んで。みんなそう呼ぶの」と私に促す。英国で最も成功している有名な作家にインタビューをするために自分はここにいるのだということを、つい忘れてしまいそうな気取らなさである。
ローナはしばしばイシグロにとっての相談役であるが、『忘れられた巨人』のときほど彼女が重要な役割を果たしたことはない。「だいたい5、60ページで…たぶんもう少しいったときかな。これをローナに見せようと思ったんです」イシグロは言った。「彼女はそれを読んでこう言いました。『これはひどい…これはありえない』私は言いました。『何がそんなにひどいんだい?どこをどう変えたらいいんだろう?』彼女はこう言ったんです。『あなたには何一つ変えることは出来ない。あなたがすべきことはただ一つ、もう一度ゼロから書き直すことよ。完全にゼロから』」
イシグロは、その仕事の立て直しにすぐには向き合えなかったため、代わりに短編小説を書くことにした。この短編小説集は、2009年に『夜想曲集』として発行された。しかし、彼が再びこの暗黒時代に戻ったとき、取り組みには困難を伴った。「最初にこれを書こうとしたとき、私はちょっとウォルター・スコット卿のようでした。ある種の古い言葉を使いすぎたのです。二度目の執筆の際は、言葉をできるかぎりシンプルにするよう心掛けました。例えば『なにとぞ』のような言葉を加えるとき、あなたや私が使うような言葉から採用するよう心掛けました。前置詞や奇妙な言葉をあちこちから取り除くだけで、最終的に少し奇妙な、少し異国的に聞こえる何かにたどり着いたというわけです」
この引き算の工程のおかげで、書かないことで描き出す小説が生まれたと言えるだろう。今は亡きアーサー王(イシグロは冗談ぽく「かつてのナイジェル・ファラージ」と言う)の指揮の下、入植者たちの前進は止まり、2つのグループは不安を抱きつつ領土をまたいで共存している。老齢の夫妻アクセルとベアトリスは、息子を探す旅に出た。小妖精、ドラゴン、そして鬼たちに遭遇する道すがら、ベアトリスはますます、誰もが悩まされているこの記憶の喪失こそが、彼女と夫が直面せざるを得ないトラウマをあいまいなものにしているということに確信を持つようになる。
イシグロには、忘れられた巨人に出てくる神秘的な要素に読者が抵抗を感じるという不安はなかったのだろうか?「全ての本に大きなリスクを感じています」彼は答えた。「他の人は、もっと自信を持っているものなのかもしれません。『わたしを離さないで』(2005年)で僕は思ったのです。やばい、これはSF小説みたいだな、と。一般的には受け入れられないと思いました」
『日の名残り』でも同様の思いを抱いていたが、この執事の空想からなる作品は1989年イシグロにブッカー賞をもたらした。「私は当時、日本人の小説家、あるいは外国からやってきてロンドンを拠点とする文筆家、というくくりで評価を得ていました。だから日本と関係のない本を書くことが、大きなリスクのように感じられたのです」
『日の名残り』は、イシグロがジャンルや設定において常に実験的なその作品全てに、並外れて一貫したテーマを持つ小説家であることを思い出させてくれる。1954年に長崎で生まれ、5歳から英国サリー州のギルフォードで育った彼は、この経歴からあらゆることを決めてかかってくるような人々から、しばしば非難を受けた。それでも彼は書き続け、さらに20世紀半ばの動乱に関心を持ち、調べ続けてきた。『遠い山なみの光』(1982年)、『浮世の画家』(1986年)、そして『日の名残り』の主人公は皆、第二次世界大戦の傷跡が残る世界でそれぞれの価値観を持ちながら生きている。いくつにも積み重ねられた自己欺瞞と共に彼らの物語は展開していくが、やがてそれらははぎ取られていく。
”ある作品が世界的な市場に向けて書かれているように見えるとき、世界の今のありようが純粋にその作品に投影されているだけの場合もあります。”
しかし、『忘れられた巨人』が描き出すのは記憶と戦争だけにとどまらない。さらに、愛と死について思いを巡らす作品でもある。また、この点について最も共鳴する作品はおそらく『わたしを離さないで』だろう。この作品は、クローンとして同時に生み出された学生たちが、「ドナー」となる運命を背負って成長していく様子を描いている。両小説とも、自分たちの愛はとても強いという考えを最後まで放棄しない人物が出てくる。彼らは、必ずしも死に打ち勝てなくとも、少なくとも何らかの歩み寄りを手に入れる人物として描かれている。彼は言う。「私が一冊の本を終わらせる頃には、次の本の主題の一部が既に設定されてるのです。私が敬愛している小説家にも、映像作家にも、似たようなことが起こっています。前後の作品の間には、かなり重なる部分があるのです」
継続しているイシグロの計画は、当面保留を余儀なくされている。間もなく彼は本の宣伝ツアーのため米国に旅立つ。その後一年はフランス、日本、イタリア、ドイツ、そしておそらくギリシャへとツアーは続くだろう。「これをやらなければ、というようなときは、できるだけその周辺のこともたくさん集めるようにしてるんです」彼は言う。「これらの場所で起きてることを把握しておきたいのです」
私は、かつて「デンマークのジャーナリスト」問題※1として、イシグロが言及したことについて尋ねる。これは、彼の翻訳性と視野の広さに関係することだ。「これは私にとって直感的なことなんです」彼は言った。「私は、時間があればその全てを世界中の人々に会って自分の本を説明する時間に費やします。そして、イベントでこれらの読者たちと目の前で会います。私が小説を書こうと机に向かう時、誰のためにこれを書いているのか。私がそれを理解しているのは、物理的に彼らに会っているからなのです。イギリス国内にもローカルな関心事が見つかるかもしれないけれど、そういう仕事は私には向いてない。そのことをいつも認識しながら、小説家として成長してきました」
このようなことが、負担になることはないだろうか?近年「グローバル小説」と呼ばれるものが登場するにつれ、議論も盛んになっている。この、しばしば軽蔑的でもあるカテゴリを牽引する代表的な作家については、まさに今も議論がなされているが、彼らは世界の(そして特に、アメリカの)読者層に対応できるよう、自国の文学の創造性に富む特殊性を無視し続けている。
「自分たちの文化が均質化の危機にあるという意見に、私も大いに共感します」彼はハリウッドの巨大な商業的影響力を引き合いに出して言った。「しかし私の経験上、言葉の壁のせいで文学は、わずかだけど以前より横との繋がりが少なくなっている気がします。文学は、たった2、3の強力なネットワークで流通させる映画のようなやり方ではありません。あなたがそのネットワークの一部にならなくてはいけないのです」
”20代30代の作家を真剣に競争相手として意識することは大事です。ここでいう競争相手とは「将来有望」という意味じゃありません。文学的視野を広げてくれる作家のことです。”
村上春樹もまた、しばしば議論に上がってくる作家名だが、彼は均質化の例には当てはまらないとイシグロは考えている。「彼が意識的に国際市場に向けて書いているとは、私は思いません。彼の名前があがる背景には、日本に対する大きな誤解があります。日本人はいまだに、庭に桜があって紙の家に住んでいると思ってる人がいるかもしれません。日本人はそうではありません。彼らは村上春樹の世界に住んでいます。彼らは村上の書く人物が聴いているような音楽を聴きます。彼らが畳に座ったり、鯉をじっと見つめたり、戦争に負けたり、恥をかかされ自決してたのは、もう何世代も前の話です。今そんなことは起こらない。ある作品が世界的な市場向けに書かれたように見えるとき、世界の今のありようが、純粋にその作品に投影されているだけの場合もあります」
このツアーの後、いずれ『忘れられた巨人』が映画の形になることを彼は期待している。この部屋をざっと見渡すだけでも、DVDで埋め尽くされた空間、その反対側の壁にロールアップされたスクリーン、さらにプロジェクターに目が行くが、他の多くの小説家が及ばないほど、これらが彼にとって最重要事項であることを、この部屋が示唆している。
この小説の映画化は、ある特殊な課題を抱えていることを彼は認めている。彼が言うには、以前の映画化では、これらを受け入れる明確なジャンルがなかったとのこと。『わたしを離さないで』のときは明らかになかったし、『日の名残り』のときもある程度はみ出ていた。古典的なマーチャント・アイヴォリープロダクションになる必要はなかったと彼は言う。(ここでイシグロから聞いたある事実に私は驚いた。ジョン・クリーズの自叙伝で最近明らかになったそうだが、抑制された執事、スティーブンス役を演じる話は、最初にこのコメディ俳優の元に持ちこまれたという。)「『忘れられた巨人』を誰が映画化するにしても、ある程度、ある誘惑にあらがっていくことになると思います。あまりにも沢山の人々が通ってきたジャンル、ソード&サンダル※2にはまるよう作りさえすればいいという誘惑にね」
しかし、この映画の版権をスコット・ルーディンが購入したという事実にイシグロは励まされている。彼はプロデューサーで、最近の仕事には『グランド・ブダペスト・ホテル』、『キャプテン・フィリップス』、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』などがある。
イシグロは、他の同年代の作家と仕事の優劣を測られることが多かった世代の小説家だ。マーティン・エイミス、イアン・マッキュアン、サルマーン・ルシュディと共に、彼がグランタ※3の『ベスト・オブ・ヤング・ブリティッシュ・ノベリスト』のその他メンバーと一緒に写った1983年のグループ写真を思い起こせば、この60歳の作家が、彼の現在の理論を作ったのは四半世紀前ではないかという気がする。彼の職業のピークのほとんどが、45歳に満たない頃だ。
オースティン、ブロンテ、トルストイ、チェーホフ、ジョイス、フィッツジェラルド、フォルクナース、ヘミングウェイ、ケルアック、メーラーといった偉大な作家たちの名が連なるリストを、イシグロは喜んで引っ張り出してきた。「でも、昔の作家に怖じ気づくためにこのリストを目に留めてるわけじゃないんです。これは、独りよがりを防ぐため」彼は言った。「本当のことを言えば、私はそこへ行かなくちゃと思っています。時間は短いからね。それと、20代30代の作家を真剣に競争相手として考えるのは大事なことです。���は今、とても強くそう感じています。彼らに対しては、自分は文学的な状況を変える一流の競争相手なんだ、と、彼ら自身がそう思えるよう勇気づけていくべきだと思います。『将来有望』かどうか、なんてことに彼らが捉われないようにね」
イシグロは、自分より下の世代の作家としてデイヴィッド・ミッチェルを例に出した。彼のデビュー作『Ghostwritten』は1999年に発行されたが、イシグロは当時それを読んだときのことを覚えている。「まるでボブ・ディランの『Freewheelin’』か何かを聴いてるような感じでした。それはもう、すごくたくさんの才能が詰まったショーケースみたいだった」彼はまた、ミッチェルと彼の同世代の作家に自分の仕事が影響を及ぼしていることも認めている。イシグロは、自身の作品よりもさらにジャンルやスタイルを壊してくれる仲間として、彼らに期待している。「もし『わたしを離さないで』が人々に拒絶されていたら、私は一体どうしていたでしょう。それでも勇気を持っていられたか、それともSF小説という前提を使うようにしたか、それは分かりません。『忘れられた巨人』でも同じで、私がファンタジーというジャンルに手を染めたと言う人がいるかもしれません。こんな風潮の多くは、若手作家のためになりません。私はたぶん、このことを心配してるんだと思います。小説では、ほとんど何でもありなのです」
この逆説にふさわしい問いで締めくくろう。イシグロがいかにして作家としての創作力を持続できているのかを、この若手作家に対する敬意によって、その一部でも説明できただろうか?もしあなたがイシグロの意見に異議を申し立てたいなら、いずれにしても、そのエビデンスはゴルダーズ・グリーンのこの一角で着実に蓄積され続けている。
※1  デンマークのジャーナリスト問題(または「デンマーク人問題」)
デンマークへ講演に行ったのをきっかけに、執筆時にローカルな表現をしようとすると、デンマークの読者や翻訳者がどう思うだろう?と考えるようになってしまったという問題。あらゆるデンマーク人が肩越しにイシグロの執筆を覗いてるという感覚があるという
(参考: Monkey Vol.7『カズオ・イシグロ、自作を語る』)
※2  ソード&サンダル
聖書や古典時代が舞台の、神話や歴史物語に基づくファンタジーもの
※3  グランタ
「GRANTA」イギリスの文芸誌
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eccjrtamuracho · 7 years ago
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ジョージア旅行2017 - Part 4
まだまだ続くジョージア旅行記、Part 4まで来ましたよ~。以前のパートはそれぞれこちらからどうぞ!→「ジョージア旅行 Part 1」「ジョージア旅行 Part 2」「ジョージア旅行 Part 3」
ジョージア3日目(正確には4日目)、この日もお天気に恵まれた、絶好の観光日和でした!
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この日まず訪れたのはトビリシから東の方へ約100km、カヘティ地方(კახეთი, Kakheti)にある街、シグナギ( სიღნაღი, Signagi / Sighnaghi)です。18世紀に作られた街で、山の上にあるその佇まいは「天空の街」といった感じです。
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観光開発が進められているようで、のんびりとした雰囲気を残した、石畳の美しい町並みが続きます。坂の街ですねぇ。
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坂をずっと登っていくのですが、途中古い建物の中で地元のマーケットが開かれていました。外観は、古めかしく、なんかちょっと暗い。。。
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中も暗いのですが、なんか色々あってワクワクします。
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さすが、ワインの産地。手作りワインがペットボトルに入れて売られています。もともとは多分ミネラルウォーターが入っとったんやろな(笑)
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透明の液体はchachaというお酒。ウォッカみたいなもので、ワインを絞った後の残りから蒸留して作るらしいです。これもミネラルウォーターのペットボトルに入っていますが、…絶対間違える。危険すぎる( ゚Д゚)
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手作りチーズ。ヤギ乳と牛乳から作られたもので、どちらも試食させてくれましたが、なかなかしょっぱい。
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ドングリみたいなのはヘーゼルナッツ、手前の薄っぺらい種はアーモンド!日本ではなかなか殻付きで売られることがないですね。買って帰りたかったけど、発芽の可能性のある種子は、多分検疫で引っかかるよね?
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年代物の、そろばんの原形みたいなのが引っかかってました。その下になぜかドルが。
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上から垂れ下がっている変な(失礼!)棒状の食べ物。これはスーパー、地元の商店、そこらへんの出店など、ジョージアの至る所で売られているチュルチヘラ(ჩურჩხელა,  Churchkhela)というスイーツ。ジョージアの伝統的なお菓子で、糸でつながれた胡桃などのナッツ類の周囲を、果汁に小麦粉を入れて火で練ったものでコーティングして作ります。家庭でも普通に作られているそうです。ブドウ果汁を使うのが最も一般的ですが、他にもザクロやキウィなど、季節のフルーツの果汁も使われるので、色違いのものもあります。さしずめ「フルーツういろう」といった感じ。
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チュルチヘラの下には様々なスパイスが。全然読めないw
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マーケットを出て、更に石畳の坂を上っていくと、旧市街の端の方でしょうか、円形で石を積んで作った塔が現れます。
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中に入って上ることが出来ます。
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塔の上からコーカサス山脈の方を見ると、この絶景。
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よーく目を凝らしてみると、城壁があるのが分かります。私が上った塔も、実はこの、長く続く城壁の一部。18世紀、当時ダゲスタンからの侵入を撃退するために街を取り囲む城壁が作られたのだそうです。
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そして、私が上った塔の上には…やはりありました。教会!!!明らかに、後年増設されてる!!!さすがジョージア。
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もう少し、街の中を歩きます。コーカサスの峰々、何度見ても美しい。赤茶の屋根が良く映えます。
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上の写真左の方に映っているのが聖ギオルギ教会(St. George Church)です。聖ギオルギというのは、日本語だと聖ゲオルギオス、英語ではGeorge(ジョージ)と表記されるようで、悪の象徴であるドラゴンを退治したというキリスト教の聖人の一人。ギオルギというのはジョージア語の発音です。この聖ギオルギを記憶・記念するための教会が聖ギオルギ教会と呼ばれており、ジョージアは勿論、他の国にも同じ名前の教会がたくさんあるようです。ん?多分日本にも聖ジョージ教会という名前であるんじゃないのかな?すみません、この辺り疎いので、違っていたらどなたかご指摘ください。
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こ、この教会も…よく見ると城壁の塔の上に、ドーンと乗っけて作ってませんか???よそ者の異教徒にはなかなか理解できないですが、信仰心のあつさ、いや、なんかもう、執念のようなものを感じます。
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教会周辺の道にブドウ棚が。街の他の場所でもちょくちょく見かけました。聖ニノの十字架はブドウの木で作られています。ジョージアとブドウ、そしてワインは切っても切れない関係です。
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街の中をもうちょっと散策。公園には、シグナギの街が生んだ哲学者の像。
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公園内には、観光客向けの出店が。みんな相当のんびりしています。
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人は勿論、犬も。いやもう、ジョージア、都会にも田舎にも、そこら中に犬がいます。吠えることもなく、なんとなく食べ物を求めて近づいてきますが、無理にたかってくることもなく。体も撫でさせてくれます。あ、以前に行ったブータンも犬だらけだったな。ジョージアも犬やら猫やら家畜やらをよく見かけました。動物天国。
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ここで買ってみたお菓子。チュルチヘラの果汁コーティングの部分だけをクレープ上に薄くひろげて作られているようです。口に入れて最初は、あんまり味がなくて微妙な感じ。食感もなんか紙?っぽい。噛んでいるうちにフルーツ風味が感じられるようになりますが、、、チュルチヘラの方がいいな(爆)
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グヌヌヌ、写真が増えてきたので、Part 4はここまでにしましょう。シグナギ編終了。またもや一日分を2回に分けることになっちゃった((;'∀'))続きも勿論どうぞ~!
ジョージア旅行2017 - Part 5 ジョージア旅行2017 - Part 6 ジョージア旅行2017 - Part 7 ジョージア旅行2017 - Part 8
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oldsgallery · 11 months ago
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暫くの間色々ありブログ更新しておらず。
12月最後の出展はAMULET様主催の阪急うめだ本店スークにての催事。
ドラゴンの庭のとなりのうめだ手づくり市。
もう終わってしまったけれど、無事終了。
スタッフの皆様と主催者様にはとても感情です。
ありがとうございました。
来年の予定はInstagramをご覧下さい。
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