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同一の商品を楽天で注文したら
包装が違う?!
この商品だけは米中対立ではなく
デタントです
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織田邦男先生よりシェア
<正論>防衛費の数字ありきは見直しを
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
危ぶまれる抜本強化
2月19日、防衛省の有識者会議で座長の榊原定征経団連名誉会長は「為替変動を考えると、5年間に43兆円の枠で防衛力強化ができるのか。現実的な視点で見直す必要がある」と問題提起した。
令和4年12月16日、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、中期防衛力整備計画、いわゆる安保戦略3文書が策定され、5年間の防衛費として約43兆円が閣議決定された。この時、為替は1ドル108円で設定されていた。現在、1ドル約150円で推移しており、43兆円が決定された時に比べ、円の価値はドル建てで約3分の2に下落している。
海外装備品の調達率が高い海上自衛隊、航空自衛隊は大きくこの影響を受ける。物価高騰の影響も加わり、装備品の調達価格は高騰し「防衛力の抜本的強化」が危ぶまれている。これに対し木原稔防衛相は2月20日、「必要な防衛力強化を(43兆円の)範囲内で着実に行うことが防衛省の役割だ。計画の見直しは考えていない」と述べた。また鈴木俊一財務相も「あくまで有識者の立場からの意見だと認識している。(略)政府としてこの水準を超えることは考えていない」と榊原発言を否定した。
本当に「43兆円」という数字ありきで「防衛力の抜本的強化」が可能なのだろうか。4年12月、岸田文雄首相は次のような趣旨を述べた。
「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。厳しい安全保障環境に対応していくために必要な防衛力の抜本的強化を実現し、真に国民を守り抜ける体制を作り上げる。国民の期待と信頼に応えられるよう、防衛力の抜本的強化を必ず実現していく」
「43兆円」「GDP2%」についても「数字ありきの議論をしてきたということはない(略)まず行ったのは、防衛力の抜本強化の内容の積み上げ」と述べている。「積み上げ」は「各種事態を想定し、相手の能力や新しい戦い方を踏まえて、現在の自衛隊の能力で我が国に対する脅威を抑止できる��。脅威が現実となったときにこの国を守り抜くことができるのか。極めて現実的なシミュレーションを行った」という。
「43兆円」固執は本末転倒
積み上げられた所要防衛力を精査した上で、防衛費に換算した結果が「43兆円」であるから、換算するパラメーター(為替など)が変動すれば当然変わり得る。目的は、「防衛力の抜本的強化」であり、「43兆円」や「GDP2%」の達成ではない。
「防衛力整備計画」にも「情勢の変化等の不測の事態にも対応できるよう配意する(略)必要に応じてその見直しを柔軟に行う」とある。「43兆円」に固執し、円安で「防衛力の抜本的強化」が達成できなければ、本末転倒である。
一層の効率化、合理化を図って円安に対処すべきだと安易に主張する向きもある。だが既に徹底した効率化、合理化で精査した結果の43兆円であり、円安で目減りした3割を、更なる効率化、合理化で埋め合わせよというのは、非現実的で無責任すぎる。
「43兆円」という数字ありきは時代錯誤の「基盤的防衛力構想」を想起させる。この構想は米ソのデタント(緊張緩和)に便乗し、昭和51年から我が国の防衛力整備に導入された。日本自らが「力の空白」になって地域の不安定要因とならないよう、独立国として必要最小限の防衛力を保有するという構想である。脅威も危機事態も想定せず、「力の空白」になりさえしなければいいという、国を守ることを真剣に考えない、いわば当事者意識の欠けた考え方だった。
抑止への資源投入をケチるな
「GDP1%」ありきだったため、慢性的予算不足は続き、「限定的かつ小規模な侵略に対処できる」「後方支援体制を含む防衛上必要な機能を備える」は空念仏に終わった。現在の後方軽視、つまり弾薬不足、修理部品不足といった致命的な継戦能力不足の原因はここにある。防衛力は戦える能力を備えて、初めて抑止力になる。「GDP1%」ありきの「基盤的防衛力構想」が日本の抑止力を弱体化させてきたのは否めない。
ロシアのウクライナ侵略が勃発し、北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、台湾海峡もきな臭くなり、国際情勢は一変した。ウクライナ戦争でも分かるように、戦争はいったん起きれば、これを終わらせるのは戦争を起こすよりはるかに難しい。戦争を起こさせないことが最も重要であり、抑止への資源投入をケチったりしている場合ではない。国際情勢は待ってくれないのだ。
円安や物価高騰で防衛力強化が危ぶまれている今、「43兆円」に固執して抑止力への投資を渋るのは、安保3文書策定の議論を根底��ら覆すものである。ようやく無責任で独り善がりな「基盤的防衛力構想」が払拭されたばかりである。その2年目にして、先祖返りしていいわけがない。やはり、榊原氏が主張するように「現実的な視点で見直す必要」がある。(おりた くにお)
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(CNN) 米国の国務長官や安全保障担当のアドバイザーを務めたヘンリー・キッシンジャー氏が29日、死去した。100歳だった。同氏のコンサルティング会社、キッシンジャー・アソシエーツが明らかにした。
同社の声明によるとキッシンジャー氏はコネティカット州の自宅で息を引き取った。死因は明かされていない。
少年時代にナチス政権下のドイツを脱出したキッシンジャー氏は、米国の歴史上最も大きな影響力を持ち、物議を醸した外交官の一人となった。
同氏は1970年代の米国外交の代名詞であり、ノーベル平和賞も受賞した。ベトナム戦争における米軍の関与終結に向けた調整に寄与したことが受賞理由となった。また秘密外交を通じ、当時のニクソン大統領による72年の訪中を実現したことでも評価された。
一方で、ベトナム戦争時のカンボジア爆撃を巡り、多くの人々から非難を浴びた。この爆撃は大量虐殺を行った政治勢力「クメール・ルージュ」の台頭につながったとされる。また南米チリに関して、民主的な政権に対するクーデターを支持したとして批判を受けた。
中東では後に「シャトル外交」の呼称で知られる外交を展開。73年の第4次中東戦争後、イスラエルとアラブ勢力の間での兵力引き離しを実現した。
米国とソ連の関係では「デタント(緊張緩和)」を掲げ、両国の軍拡競争に歯止めをかける合意を複数成立させた。この姿勢はおおむね米国の指針となり、レーガン政権まで続いた。
ニクソン大統領がウォーターゲート事件で失脚してからも、キッシンジャー氏自身は独立した立場で活躍。外交にまつわる本人の���解は、常に関心を集めた。
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当時買いたくて買いたくて、手に入らなかったキャップが30年の時を経て我が頭に! 誕生日にもろた!@maichanpei ありがとう! 俺はいつだってニューヨークダンサーメンタル! #ALIVETV#デタント#ネバーランド#djschoice https://www.instagram.com/p/B0bPA7vAWYH/?igshid=fof296kt0qdm
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天安門事件により西側諸国から経済制裁を受け、窮地に立たされていた中国。そんな中国に手を差し伸べたのは、他ならぬ我が国の政府でした。今回の無料メルマガ『日本の情報・戦略を考えるアメリカ通信』では株式会社オンザボード代表の和田憲治さんが、「天皇訪中」という究極とも言える手段で中共を救ったばかりか、増長までさせてしまった「媚中政治家」たちの行いを強く非難しています 天皇訪中させてしまった日本のマヌケな媚中政治家たち 米国のペンス前副大統領は、「北京はアメリカに4,000億ドルにも及ぶ貿易赤字をもたらしたが、これは全世界の赤字の半分に至る。我々は25年間を使って、中国を再建したのだ。これ以上に現実を表している言葉はないが、失ったものは戻らない」と発言しました。 ここに気になった表現があります。それは「25年間」という言葉です。 25年前に何があったのか?アメリカにインパクトを与えてしまった中国での出来事は何か? それが、日本が中国を国際社会に復帰させるべく行った1992年10月の天皇訪中でした。 それ以前の1989年6月4日の天安門事件で、中国共産党は民主化運動をする自国の学生らを人民解放軍によって戦車までだして武力で徹底的に弾圧しました。 武器を持たぬ市民への弾圧を行った残虐極まりない中共政府に対して、G7はじめ、国際社会は外交や金融面などで厳しい経済制裁を掛けました。まだ自国の技術もろくな産業もないのに世界中から��スカンを喰らって、中国共産党最大のピンチが続いていました。 そこに手を差し伸べたのが、日本…。 91年8月に西側首脳として天安門事件後初めて海部俊樹首相が訪中し、トドメは宮沢喜一内閣の加藤紘一官房長官です。彼らが中心となって「世界から中国を孤立させない」外交として天皇陛下訪中を実現させました。 これによって、天安門事件に対する西側諸国の対中経済封鎖を解除させることになり、一気に対中投資が急増し現在の中国の繁栄と繋がりました。 実際に、当時の中国外交部長(外務大臣)だった銭其シンは回顧録で「天皇訪中は六四天安門事件での西側諸国の対中制裁の突破口という側面もあった」と発言している。 つまり、ニクソンによって米中デタントがあったものの、本当のフランケンシュタインを作ったのは要するに「日本の媚中派」の面々だったのです。 しかも、この天皇訪中の目的は、日本としての最強の切り札を使ってこれまでの戦争の精算などの日中関係に方をつけ、時代を区分するためと当時説明されていました。 しかし、まったくその効果なく、結局、経済発展してきた中国は、日本に対して「歴史問題」というカードを性懲りもなく、現在も持ち出しています。 故・渡部昇一氏は、「それまで中国は、日本に対して畏敬の念のようなものがあったけれども、天皇訪中のあとは、朝貢国かのような威張った態度になってきた」と言っていましたが、その大きな起点となったことは間違いありません。 以後、日本を馬鹿にするような発言が江沢民はじめ、在中日本大使などの高官からも聞こえるようになってきます。 後に、歴史問題を持ち出されても宮沢喜一や加藤紘一らは、「あの国際制裁されて困っていた時、手打ちしていたではないか」などと反論するはもちろんありませんでした。 日本の政治家が日本の国益のためでなく、中国に対しては常に譲歩する流れができてしまいました。中国に何か「悪さ」をされても“遺憾砲”で逆襲するしか能がないのであれば、誰にだって政治・外交が出来てしまいます。 そして、この宗主国・中国様の行動様式をじっと観察している“中華帝国の歴史的属国”である韓国からさえも、さらにありもしない捏造の歴史問題で日本は言い掛かり・いちゃもんを付けられることになるわけです。 和田憲治 ON THE BOARD
天皇訪中を先導し中国を世界の迷惑国家に育てた日本の政治家の名(MAG2 NEWS) - goo ニュース
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『#サマリタン』『#ジョーカー』の時にも感じだけど。社会が複雑になると誰が正義か悪かってことがわからなくなるってのは東西冷戦とかデタント以降のヒーロー物の悩みなのだけど。 #Amazonプライム https://www.instagram.com/p/Chyx7VbP4MB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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☆ランチ☆ アットスパイス さん @at.spices オープン日が水曜日と土曜日 なかなかのハードルの高さでありながら 行けるタイミングがあったので ランチ時間ギリギリに 訪れました メニュー見た瞬間 チキンとアボカドcurryに 決めちゃいまして 迷わず注文 そっと机に置かれてた レッドペッパーにも 優しさを感じる カレーができる間 店内を見回すと スパイスがいっぱい並んでて 丁寧に作られたカレーなんだと 楽しみが膨らんでく やってきたカレーは 彩りも美しく 食べても美味しい 身体にもいいスパイスカレー めっちゃボリュームたっぷりだった At.Spices @at.spices 倉敷市上東542-9 営業日:水曜日・土曜日 11:00~14:00 090-1355-0625(デタント)ショートメール対応 一軒家の1階でスパイスカレー 2階でエステサロン #ランチ #ランチ巡り #スパイスカレー #倉敷ランチ #カレーランチ #find_new_okayama #おかやまハレ旅 #おかやまナツ旅 #クラシキブンカ #せとうちうまいもんくらぶ #ちょこっと寄り道岡山県 #sumasumatai_love #日本を元気にしたい · · · 自分の都合で遅くなったのに 時計とにらめっこしながら 次の目的地への算段 間に合いそうになくて DMしちゃう (デタント) https://www.instagram.com/p/Cgd90Sfvfa-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#ランチ#ランチ巡り#スパイスカレー#倉敷ランチ#カレーランチ#find_new_okayama#おかやまハレ旅#おかやまナツ旅#クラシキブンカ#せとうちうまいもんくらぶ#ちょこっと寄り道岡山県#sumasumatai_love#日本を元気にしたい
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私にもサブカルのこと書かせて-6(雑貨の世界)
CUTIEのくだりでちょっと書いたことをさらに掘り下げると、サブカルとはちょっと違うのですが雑貨のことを書きます。雑貨ブームと言われて久しいですが、昔は変わったお店があって良かった。いくつになっても雑貨は楽しいです。
雑誌のチープシック特集の常連だった「文化屋雑貨店」に初めて連れて行ってもらった時は渋谷の消防署の辺りにあって、そのあとすぐ原宿の2階建てのお店になりました。その頃は小学生だったのですが渋谷の消防署近辺の、文化屋があった頃はまだちょっと賑わいがおさまってのんびりした街はずれの感じがあって、小さな個性的なお店や外国のような店構えのカフェがあったと記憶しています。渋谷にあった頃の文化屋は小さな2つのお店がくっついたみたいな形で、女の子がいっぱいいました。その近くにあった、ビルの2階のアメリカ雑貨のお店も好きでした。
それから意外と、その頃面白かったお店というのがオープンしたてのLoftでした。東急ハンズの対抗馬のような感じでオープンしたのですが、子供にはハンズより楽しいお店でした。1階は高級感があって季節に合わせたものが置いてあり、4階か5階か忘れてしまいましたが文房具を見て(特にウィンザー&ニュートンのインクの箱を見るのが好きでした)、6階はごちゃごちゃのおもちゃ箱みたいな感じで大好きでした。今でもあの頃のLoftの6階を超えるお店は���とんどないような気がします。珍しくて心をくすぐるものがいっぱいありました。今思うと、あれだけのフロアを埋めるには数人のバイヤーがいたと思うのですが、割と時期によって置いてある物のイメージが変わっていたのも良かったのです。とはいえその頃の主流はアメリカ文化だったので、アメリカンな雑貨が多かったです。たとえばピーウィー・ハーマンやガンビー、セサミストリートのグッズとか、ファイアーキングのカップ、どこのメーカー製かまったくわからないレトロな花柄の文具、ブリキの洗濯板などが記憶に残っています。まだ一部のおしゃれなお店にしかなかったスイマーの商品も置いてありました。あとあまり興味はなかったけどジッポとか男性向けの物もありました。床に置いてあるカゴの中に、立花ハジメの名前が入ったビデオドラッグとかいうのがザクっと入れてあったのも覚えています。セサミストリートの雑貨は初めは輸入品しかなくてLoftやソニープラザ、ショップインなどで少しずつ買い集めました。そのあと日本のメーカーでも作るようになって、今では100円ショップにもありますね。ピーウィー・ハーマンは逮捕されてびっくりしました。ハウディドゥディとかいう腹話術みたいなキャラもありました。でも、そんな面白かったLoftは長くは続きませんでした。数年後にはつまらないインテリア用品が並ぶようになっていて愕然としました。
渋谷では大体Loftと宇宙百貨とソニープラザに行って、ハンズやパルコはたまに行きました。宇宙百貨は大中と同じ中国雑貨のお店なのですが、イラストレーターのオリジナルグッズがあったり大中よりおしゃれな感じでした。そこで買ったソリマチアキラの絵がついた大きなグラス、長いこと使っていました。ソリマチアキラともう1人、ラテン系のレトロなイラストを描く人がいたのですが私は断然ソリマチアキラ派でした。(今検索してみたのですが全然わからない…90年代 イラストって入れると、変なポップな江口寿史のパチモノ臭いイラストしか出てきません…)中国の雑貨ももちろんかわいくて、黒いエナメルと赤いタータンチェックの小さなトランクは本当に大好きで宝物でした。
今はもう渋谷なんて隅の隅まで掘り尽くされてるし、柄の悪い人や成金みたいな人が多いし、女の子が好きなものを集めた小さなお店なんて雰囲気ではなくなりましたね。なんだよ奥渋って。今は渋谷を歩くと心がすさむのでどうしても行かなきゃいけない時以外はほとんど行きません。昔は大好きだったんだけど。
アメリカン雑貨では代官山のデタントも好きでした。まだ森永の古い看板があった頃の代官山もよく連れて行ってもらいました。ハラッパAとかクリスマスカンパニーとか。ついでに自由が丘へ行って、「となりのみよちゃん」でお菓子を買ってもらったりしました。その頃はどこも人が少なく��よかった。
大中は吉祥寺のお店によく行きました。カンフーシューズはもちろん買ったし、ビーズ付きのベルベットの靴や革製のドクターズバッグ、チャイナドレスの生地で作った小さなコインパースやビーズのお財布なども愛用していました。あと普通に食器や食べ物も買ってました。ピーナツや胡麻を飴で固めたものがおいしかったのです。当時の中華雑貨の文房具はちょっとクオリティが低かったのでシャレで使うものしか買いませんでした。消しゴムだけカラフルでかわいくて、ごくごく内輪で流行りました。(ノートとかザラザラだったし、鉛筆も芯が硬かった)
後期には中国のお土産みたいなものは減ってきて、普通にチープでかわいくて使える服や雑貨が多くなりました。カンフーシューズはスリッポン型は黒と生成りがあって、レディースカンフーというストラップシューズ型のは黒しかなかったと思います。大中ではないお店には生成りもあって、持っていたのですが汚れやすくてあまり履きませんでした。生成りの靴を染めて売っているお店もありました。このレディースカンフーシューズが中学生の時にはお気に入りのアイテムで、体育の授業のない日にこれを履いて学校に行くと同級生からヤイヤイ言われるのがめんどくさくもありました。あとプラザで買ったアメリカンなプラスチックのヘアピンも、いちいちなんか言われるのでめんどくさかった。世田谷の中学生はギャルやヤンキー憧れみたいなのが主流で、保守的でした。
その頃は香港が手頃に行けて、グルメも買い物も楽しめるおしゃれで面白い街という感じで、日本のバンドも香港でMVを撮ったり深夜番組でもよく特集していました。今でも「中国のお面みたいな顔」とか言うと結構通じるけど、あの頃の中国らしい雑貨は中華街でも滅多に見なくなってしまってさみしいです。でも人民帽なんて中国の人ももう被らないもんね…。
吉祥寺は本当によく行っていたのですが特に印象に残っているのは、東急の裏にあった「ティアン!」とパルコの地下にあった「ハイカラ屋」です。「ティアン!」は2階建ての大きなお店で洋服がメインだったのですが、2階に置いている雑貨がかわいくて楽しみでした。Loftと同じく、まだレトロで上品なデザインが多かったスイマーのアイテムと、海外の珍しい雑貨がゆったりと並べられていました。すぐに洋服オンリーになってしまってがっかりしました。
「ハイカラ屋」は今思うとナゴムギャル系だったと思うのですが、私はその頃ナゴムギャルというものを知りませんでした。(今でもあまりピンとこない)私はそこでごくシンプルなリュックを買って通学に使っていたのですが、お店に飾ってあった黒と黄色のエナメルの、テレビの形をしたリュックがかわいいなぁと思っていました。それからすぐに、深夜番組に出ていた「マサ子さん」の2人がそのリュックを背負っていてうらやましかったのと同時に、あのお店で買ったのかな?と思っていました。
私は数えきれないほど吉祥寺に行ってるのに、マサ子さんどころか楳図かずおも佐野史���も見たことがありません。吉祥寺で有名人を見たことがないのです。というか有名人をほとんど見かけたことがありません。どういうことなんだろう。
今は無くなってしまったみたいですが、シン&カンパニーとかいろは堂もよく行きました。シン&カンパニーに初めて行った小学生の時、お店のお姉さんがおまけにステッカーをくれてとっても嬉しかったのを覚えています。
吉祥寺の中道通りの辺りは10年前ぐらいは好きな小さいお店がいっぱいあったのにほとんど変わってしまいました。
下北沢で好きだったのはプリチョリともくようかんです。プリチョリも、変わったものから小ぎれいな普通のアイテムを扱うようになってあっという間に閉店してしまいました。
スイマーはなくなるギリギリまで好きでした。ミカヅキモモコには懐かしい匂いを感じてときどき行っていたけどなくなっちゃいましたね。
チェーンだけどソニープラザとショップインも楽しいお店でした。プラザに行ってセサミストリートグッズか外国のお菓子を買ってもらうのが楽しみでした。輸入食品のパッケージとか今でも大好きだし、プラザでも全然買い物してます。紀伊国屋は建て替わってからすっかり国内の「ちょっといいもの集めました」みたいになって(こういう店めちゃくちゃ増えた!)、ブローティガンが缶詰を買っていたような頃の趣はなくなってしまいましたが、パンは今でも買っています。あとエコバッグ流行ったなぁ〜(持ってた)。昔の紀伊国屋の1階は紺色で2階は茶色のイメージでした。壁が茶色だったのか天井が茶色だったのか、あの茶色が古臭くて良かった。その近くの第一園芸もよく行きました。
その後下北沢のJam Coverなどに端を発したほっこりブームが来て私も多少乗っかりましたが、自分という人間の本質はほっこりではないなとここ最近改めて思っています。
(そろそろ終わり)
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「今こそ日本には、朝鮮半島に関わらない戦略が必要」──朝鮮半島を長きにわたり取材・分析してきた東京通信大学教授の重村智計氏は、こう断言する。
* * * 電撃的な米朝首脳会談の決定を受けて、日本の「乗り遅れ」や「置き去り」を危惧する論調が目立つ。しかし、そうした声は日本と朝鮮半島の歴史を全く理解していないゆえのものといえる。
歴史が教えるのは、「朝鮮半島に軍事的、政治的に深入りすると、日本は必ず大失敗する」という事実だ。中国が必ず介入するからだ。
古くは660年、百済が滅びた後に朝鮮半島に介入した倭国(日本)は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗を喫した。近世においては豊臣秀吉の朝鮮出兵が大失敗に終わったこともよく知られる。いずれも、中国の介入で大敗北した。
近代になり、“朝鮮半島は日本の生命線”との覚悟で臨んだ日清、日露戦争では勝利を収めたが、戦争は列強の干渉を招き、日本が国際社会から孤立する一因となった。その後の植民地支配もうまくいかず、日本は韓国と北朝鮮からいまも恨まれている。
逆に日本が参戦しなかった朝鮮戦争では、戦中も戦後も「朝鮮特需」という大きな果実で経済が潤った。この戦争も中国の介入で膠着状態に陥り、米国の実質的な敗北で終わった。半島国家である南北朝鮮はともに小国であり、常に周辺国を巻き込んで利益を得ようとする。
冷戦時代、北朝鮮は文化大革命下の中国から独裁体制を批判されるとソ連に接近し、デタント(緊張緩和)で米ソ関係が改善すると中国にすり寄った。冷戦終結後の1990年代も、南北対話が上手くいかないと米朝交渉に向かい、それがダメなら日本に秋波を送った。
こうした「振り子外交」は北朝鮮のお家芸だ。周辺国に「乗り遅れ懸念」をまき散らし、自国に有利な状況をつくろうとする。
かつての日本は「乗り遅れ」と「置き去り」を怖れ、1990年の「金丸訪朝団」をはじめ、渡辺美智雄氏(1995年)、森喜朗氏(1997年)らが競って北朝鮮を訪問したが、“援助”としてコメなどを奪われただけで日朝関係は一向に改善しなかった。これもまた大きな教訓である。
【PROFILE】重村智計(しげむら・としみつ)/1945年、中国・遼寧省生まれ。毎日新聞記者としてソウル特派員、ワシントン特派員、論説委員などを歴任。朝鮮半島情勢や米国のアジア政策を専門に研究している。『金正恩が消える日』(朝日新書)、『外交敗北』(講談社刊)など著書多数。
●取材・構成/池田道大
※SAPIO2018年5・6月号
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1979年12月、ソ連のブレジネフ政権が社会主義を掲げる親ソ派政権を支援するためにアフガニスタンにソ連軍を侵攻させたこと。ソ連軍に対しイスラーム原理主義系のゲリラ組織は激しく抵抗、ソ連軍の駐留は10年に及んで泥沼化し、失敗した。 ソ連のアフガニスタン侵攻にアメリカなど西側諸国が反発し、70年代の緊張緩和(デタント)が終わって新冷戦といわれる対立に戻った。これを機にソ連の権威が大きく揺らいで、ソ連崩壊の基点となった。
ソ連のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン撤退
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※ 焦点:中国の学校で一斉に「有害図書」処分、若者の思想統制へ
https://jp.reuters.com/article/china-books-idJPKCN24D02D
>『動物農場』、『1984』
共産党支配の終わりの始まりがついに始まったとみて良いでしょう。デタントを経て、アフガン侵攻、アンドロポフ政権の誕生で、ソヴィエトが窮屈になって行った果てに崩壊した時の道筋に入ったような気がします。
経済パワーがあるから、そう簡単には倒れないけれど、少なくとも中共にとって良い兆しでは無くなったと言えるでしょう。
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「第一次大戦以降、スイスに憧れる国が増えてノリと勢いだけで中立国を名乗る国が増えた。 ノルウェーとデンマークもその一つだ」 「ところがこのノルウェーとデンマークは当時流行っていた「武装解除」の雰囲気に流されてしまった。 武器があるから戦争が起きる。お互いの軍事力が他国が侵略できない戦力ならば戦争は起きないだろう。 なにせドイツはベルサイユ条約によって軍事力が縮小されてしまい、総兵力がたったの10万だ。何もできまい。 と、世の中を舐めていた考え方が流行っていたため、まさかドイツがソ連国内で軍備拡張していたとは予想もしなかった。 このように、安易に武装解除などすれば侵略国の野心に火をつけ、むしろ戦争の危険性を高めてしまう。 そーいうことだな。 他の国が何をしているかなど、完全に調べることは不可能だ。 隠蔽などいくらでもできる。 現在でも日本の企業が次々と不正をやっていたことが明らかになっているが、逆に言えばばれるまではわからなかったということだ。 軍事力も同じことが言える。 これらは1970年代まで世界が気がつかなかった法則で、米ソが仲良く緊張緩和(デタント)していったために、東南アジアが真っ赤に染まったことの理由でもある。 共産主義国家の口車に乗って安易に武装解除したために、朝鮮半島やベトナムで侵略戦争が勃発しまくったからな。 1980年代になると世界はようやくこの法則に気づき、レーガン大統領が軍拡したためにソ連の侵略を食い止めたのだ。 ただ、それが未だに理解できないのが日本ということだな」 「どうして日本は理解できないのでしょうか?」 「うーん。こーいうことを言っている人は昔から結構いるんだけどな。 ただそーいう人たちが1970年代に東南アジアでアカどもがやってることを言っても、日本共産党が「それはCIAの流した偽情報」って言うもんだから理解どころか、問題にすらならないんだ。 それどころか、「平和な世界を乱す軍国主義者」として社会的に抹殺してしまう。 歴史の教師でここに書いてあることを言ってる連中がほとんどいないのがその証拠だ。 こんなことを言ってたらすぐにクビにされちまうからな、言いたくても言えないってのが実状だろうよ。 それに、日本のマスコミは「世界は平和」っていう結論が先に来てからニュースを流すだろ? 官僚独裁ファシズム国家である現在の日本の状況じゃ国際状況は理解できねぇよ」
ソフィア先生の補習授業3時間目 第二次世界大戦(ポーランド電撃戦)
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30年近くの時を経てとうとうこのキャップをかぶる時がきた。 俺はいつだってニュースクールダンサーメンタル! ありがとう。 #alivetv #デタント#ネバーランド#DJSCHOICE https://www.instagram.com/p/B0bOEeOgg-S/?igshid=d9odxn5lhqpq
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一応言うと、1970年代の宇宙関係の雑誌では「米国はソユーズの性能を低いと呼称し、安全性も考慮せず大気圏突入能力も低く危険な代物である」と一般的な宇宙関係のジャンルのもに書かれている一方、赤い関係の宇宙技術雑誌では「どうもソユーズは通常と異なる方法で大気圏突入をしているらしい」と、具体的な方法は書かずとも存在を示唆する資料には溢れていた。 ここまで書くと「ではどうして今なのか? デタントの時期やISSなどを作る際に公開しても良かったのではないか?」と思うのが普通であろうし、筆者もそう思っている。 ロシアがこういった技術を突如として公開しはじめた理由で今回の話は最後を締めくくりたい。
ソ連の宇宙技術は最強過ぎたのだが、それを西側諸国が完全に理解したの��つい最近だった - 少佐!減速できません!助け��ください!……え?ソビエト式でどうにかしろ!?
実はフィクションみたい
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再び開かれた核戦争へのドア  Hwasing-12という。 Hwasingって、「火星」という意味なんだって、と誰かが述べていた。 화성って、読みをアルファベットで表すとhwaseong じゃないんだっけ?と韓国語初学者は思ったが、ほんとはどっちでもおなじことで、そういう訓詁的な質問をするのはみっともないので、なんとなくうやむやに納得することになってしまった。 北朝鮮が5月14日に発射実験に成功したミサイルには大きな意味がある。 日本にとっては、 1 日本���核攻撃するために小型核弾頭を開発しなくてもよくなった。 あくまで、大量に在庫を持っていて、いわば安上がりな改良型スカッドで攻撃するために核弾頭の小型化を懸命に進めていくだろうが、推力からみて、日本に対してならば旧弊な大型核弾頭でもミサイルに搭載できるようになった。 2 固形燃料なので、パーツが少なく、メインテナンスが簡単で、いままで以上に移動性、隠蔽性が強くなった。 固形燃料ロケットは、むかし糸川博士が率いる日本の宇宙ロケットチームが固執した技術で、有名なミューロケットを初め、糸川系の技術が日本の宇宙開発を支配していたあいだは、ずっとこれにしがみついていた。 結局、技術上の難点が克服できずに日本人は諦めてしまったが、有名な例だと、たとえばスペースシャトルの打ち上げロケットがこれで、それでもなおチャレンジャーのように好い加減な工作をすれば、それは爆発するが、基本的には液体燃料よりもずっと簡便で、故障も少なく、安価で、大量生産に向いている。 北朝鮮側からすれば劃期的な技術革新で、多分、次の軍備ステップへのビジョンとしては、大量生産された固形燃料ロケット筐体に、やはり大量生産の小型核弾頭を搭載することでしょう。 3 2000kmへの上昇能力を見せることによって、イージスミサイル防衛網を無力化することに成功した。 THAAD、イージス、パトリオットのアメリカ合衆国推奨三段防衛網のうち、THAADは未知数なうえに技術人や元国防長官の「ゴミ技術。カネのむだ」という証言があったりして、「ほんとうは単なる対中国情報収集ネットワークなんじゃないの?」の声がおおきくなっているが、それを別にしても成層圏を飛来するミサイルに現実に対応できそうなのはイージスシステムだけで、それが理由で日本は現在保有しているイージス艦と日本海を遊弋するアメリカ軍のイージス艦に加えて日本海の海岸線に「グラウンド・イージス」つまり艦載のイージス管制を地上施設に移したイージスシステムを数カ所つくろうとしている。 ところが、日本語ニュースでも「ロフテッド軌道」と健気に報道しているが、ロフテッド軌道で打ち上げてみせることの意味は、日本に対して「イージスじゃ、もうわれわれのミサイルを迎撃するのは無理なのね」と伝えることにある。 報道をみると、角度を変えれば4500kmとんで、グアムに届くことの意義を強調しているが、それは政治的意義にしかすぎない。 真の意味は、アメリカ軍と日本軍(旧自衛隊)が北朝鮮のHwasing-12に対して何の対抗手段ももたないことを悟ったことで、従来の防衛体制は、ここで、「ダイジョブなふり」をするだけの、お飾り防衛になってしまった。 アメリカ側は「われわれは北朝鮮をみくびりすぎた」と声明をだしてみたり、ひらく述べてパニクっているが、では驚天動地周章狼狽のあとに、どんな対抗策があるかというと、「なんにもない」が答えで、中国と語らっておおきな政治的妥協におもいきって踏み切って、少しでもそれが中国の弱腰に見えるように持っていくくらいしかトランプ政権には方策が残っていない。 トランプのいつもの反応だと、ここで激しく中国を、あることないことをすべて動員してワルモノにしたいところだが、どうやら娘婿を通じてすさまじい利権と資金を手にしたのと、ブリーフィングの結果、真剣に本格的な戦争をやると、当初の素人らしい思い込みと異なって、ほぼ人民解放軍の完勝に終わるのがわかって、中国をワルモノにして、最近の傾向ではGOサインが出ればいつでも日本とアメリカに躍りかかってかむつこうと猛っている人民解放軍の手綱を中南海に放されでもしたら、いちかばちか、西太平洋全体の支配をあきらめならなくなるので、それも叶わない。 アメリカの報道が伝えるよりも遙かに知的な人間であるらしい若い独裁者の金正恩は、おとなしく核を持たないでいたサダム・フセインやニコライ・チャウシェスクがどうなったか熟知している。 特にイラク独裁政権の運命は細部に至るまで調べて見た痕跡があって、その結果うみだした方針が、軽業的なオポチュニストだった父親の金正日と、ほとんど180度転換した、祖父の金日成を念頭においた理念による支配であり、大国を相手に一歩もひかない強気の外交方針で、そのパワーの中心に核戦力をおいてきたが、いまの時点では、アメリカや中国やロシアの思惑を遙かに越えて、試みに成功して、完勝している。 今回の固形燃料ミサイルの打ち上げの成功は、例えば技術的にもさまざまな(アメリカと中国にとっては)衝撃的な意味があって、液体燃料ミサイルの打ち上げが成功しても実戦でのミサイル打ち上げが安定的にうまくいくかというと、そうでもなくて、長い経験と実績の積み重ねがいるのはナチのV2ミサイル以来、ミサイル技術に関心がある人間ならば誰でも知っている常識中の常識で、アメリカや中国やロシアが北朝鮮が大陸間弾道弾ミサイルの打ち上げに成功しても、「まだまだ時間はある」とのんびりしていられたのも、そのせいだが、 固形燃料ロケットは、いったん打ち上げに成功できる型ができると、液体燃料ロケットとは比較にならない安定度で実用化できる。 実用化できる、というよりも現に実用化してしまったので、推力のおおきさから推察する搭載弾頭のおおきさから考えて、例えば日本にある標的へなら「いつでも核を送り込める」状態になったといえます。 このブログや、むかしは親切心をだして日本語で書いて、喧嘩ばかりしているわし友物理学者のオダキン先生やなんかと公開議論を繰り返して情報を交換して、衆知を集めようとして、場が出来かけていたツイッタで何度も繰り返し確認されていたとおり「小型核弾頭の開発に成功するかどうかが鍵」であったのが、大型弾頭でも大丈夫なことになってしまったので、なんのことはない北朝鮮が絶対の優位に立ってしまった。 みなで衆知を集めて、なんだか途方もなくいいかげんでインチキな政府やマスメディアのデタラメ告知に対抗しようとする試みは、しつこいトロルと桁外れに程度が低い議論を平然と自分のほうが賢いような顔をしてふきかけてきては、こちらの時間を浪費させて、すべての議論をスタートラインに押し戻して、日本社会が大得意の堂々めぐりに囲い込んでしまう無数におもえるアンポンタン人のせいで、うんざりさせられてやめたので、誰かまだ日本人を救う志がある人が勝手にやればいいが、仮にそういう努力をどこかのコミュニティが行っても、その努力と衆知全体を吹き飛ばしてしまうくらいの安定した核のパワーを北朝鮮はもうすぐ獲得する。 2050年という、政治の世界では無限遠点に近い未来を想定すると、多分、朝鮮半島は、いまはボイコット運動まで展開して個々の国民レベルでいがみあっていて、歴史的にも仲がいいとは到底いいえない韓国と中国の共同のパワーによる半島統一がなされているはずだったが、金正恩の意外な指導者/独裁者としての優秀さで、ゆいいつの安定点統一朝鮮の成立は、また少し遠くなって、その代わりに2017年を起点とする長い渾沌が日本と朝鮮半島を支配しそうな雲行きになってきた。 最も政治的に脆弱と見られてきた台湾が当該地域では安定していきそうなのが国際政治のおもしろさだが、それはともかく、日本は(良い言い方ではないが)不治の癌を抱え込んだ状態になったのが傍目には明らかです。 マストドンで、トロルおやじたちを嫌悪して日本語ツイッタから引っ越して来たひとたちの会話を眺めていたら、 「今日はテレビの情報バラエティ番組とやらに心底腹を立てたけど、ああして北朝鮮の軍事力を過小評価して嘲笑し、ミサイルが落とされる国は韓国であるとして物見の見物を決め込む報道は、母のような老人の心の安寧を保つのには一役買っている。」 という知らない人の発言があって、北朝鮮の軍事力を過小評価しているのは日本のマスメディアのいつも底抜けの不勉強だから仕方がないとして、「ミサイルが落とされる国は韓国」というのは、ちょっと驚いてしまった。 北朝鮮のようなビンボな小国が戦争をするには通常兵器よりも核兵器���依存しなければカネがなくて戦争にならないのは以前にも何回か書いたが、同じ論理のグラウンドによって、あるいはそれに加えて同民族であるという気持ちが激しい相互憎悪の根底では働くという朝鮮戦争のとくに明らかになった民族心理に照らしても、15〜20年有効の弾薬在庫一掃の経済的観点からも、例えばソウルは核兵器よりも祖父の代から延々とためこんだ通常弾頭の重砲/ロケット砲のいっせい射撃によるものと自他ともに考えられていて、マッカーサーの仁川上陸のようなことが地上戦の火急の事態が生じれば短距離スカッドは撃つだろうが、たとえ小型核弾頭の開発にその時点ではすでに成功していても、理屈は整合していても、なんとも想像しにくい。 現に北朝鮮が、いわば戦争を避けるために好戦的なトランプと安倍を相手に行い続けている核ミサイルパフォーマンスは、世界中の誰の目にも「日本攻撃」パフォーマンスで、初めのうちこそ「日本にある米軍基地」と忘れずに述べていたのが、安倍政権の北朝鮮に対する恫喝と米軍との一体ぶりに怒っているのでしょう、特に断り書きがつかなくなって、よく見ていると、どうやら初めは三沢基地限定だったらしいのが、三沢と沖縄になり、 三沢沖縄佐世保岩国になって、現在はテラー攻撃の範疇にはいる東京も対象に加わったように観察されている。 英語記事には「緩慢なキューバ危機」という表現が散見されるようになったが、悪い冗談じみているというか、こののんびりキューバ危機には現代のオバマに近い世界恒久平和を願う方策に転換して、フランス人ジャーナリストにカストロへの「アメリカにはどんな譲歩もする用意がある」と伝言を託して、当のジャーナリストがカストロに伝言を伝えている正にその瞬間に暗殺されたJ・F・ケネディがおらず、世故に長け、人物の観察にすぐれていて、JFを指して、「あの男は信用できる。あの男に賭けてみよう」と娘に述べたというフルシチョフもいなくて、戦争をフットボールの試合かなにかと勘違いしている、カネモチのぼんぼんらしく現実への感覚が決定的に欠如している安倍晋三とドナルド・トランプがいて、わずかに文化大革命の苦労人習近平と、どうやら秘かなJ・F・ケネディへの傾倒者であるらしい、若い独裁者だけがいる。 いくつかある近い将来へのシナリオのうち、日本の人にとっていちばん困るのは、北朝鮮が日本に数発の核ミサイルを撃ちこんで、アメリカが空爆で応え、中国が仲裁に入る筋書きで、ロシアという国の恐ろしさを歴史を通じて、身��しみこむようにして知っている中国は、この筋書きを取る可能性がいまの様子では高いようにも思えます。 むかし中国の退��した将軍がロサンジェルスで「アメリカも中国もお互いを滅ぼすに足るだけの核戦力を持っているが、きみたちアメリカ人が核を使ってもいいものかどうか、あーでもないこーでもないと侃々諤々しているあいだに、われわれはあっさりミサイルを発射して、アメリカを滅ぼすことを忘れてはならない」とあっさり述べてアメリカ人たちを憤激させたことがあったが、北朝鮮に至っては、アメリカと日本が続けるしつこい挑発に若い金正恩が怒りで外交判断を狂わせてしまえば、そこで一巻の終わりで、ここまで人間がつくってきた、紛争に満ちてはいても、おおきくは平和と言えた世界や、米ソホットラインの敷設に始まって、指導者間のお互いに対する人間的信頼に依拠した偶発戦争の防止の歴史も、そろそろ終わってしまいそうだと思わなくもない。 子供のとき、「原爆の父」オッペンハイマー博士の有名な “ I am become Death, the destroyer of worlds.” を見て、ああ、冷戦の頃は恐ろしかっただろうなあ、 オッペンハイマー博士が考えたよりは人間は賢かくてよかった、と感想を持ったが、このあいだ観ていて気が付いたのは、 オッペンハイマー博士は、デタントの向こう側にあるもの、アインシュタインが述べた「それでも科学者の手は動く」ということを熟知した科学人として、どんなに核軍縮をすすめても、人間はまた破壊のドアを開いてしまうのだという事実を遠い未来に至るまで知りぬいていて、この動画を残したのだということでした。 人間にはコントロールできない神の火を盗んだ人類の宿命が、手の施しようがなく燃え広がったブッシュファイアのなかになすすべなく佇むことであるのを、考えてみればあたりまえだが、この聡明な人はことの初めから知っていたのに違いない。 そして、その火は、いま東アジアから燃えひろがろうとしているのだと思います。
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このあいだ観ていて気が付いたのは、 オッペンハイマー博士は、デタントの向こう側にあるもの、アインシュタインが述べた「それでも科学者の手は動く」ということを熟知した科学人として、どんなに核軍縮をすすめても、人間はまた破壊のドアを開いてしまうのだという事実を遠い未来に至るまで知りぬいていて、この動画を残したのだということでした。 https://www.youtube.com/watch?v=lb13ynu3Iac
再び開かれた核戦争へのドア – ガメ・オベールの日本語練習帳ver.6
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