#テムズ河
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英語表現 Hip, Hip, Hooray! : 「英国と暮らす」 テムズ河は、全長330km、(コッツウォルズ地方の)ケンブル村付近を源流としてオックスフォードやウィンザーを経てロンドンを流れ、北海へ注ぎます。 上の写真の右下、砂利地で何かをしている男性2人、けっしてゴミ拾いをしているわけではありません。 (ロンドン市内よりさらに上流である)河口から90kmの距離までは、常に北海の潮汐の影響を受けるため、下流にあたるロンドン辺りは、満潮と干潮の水位差が最大で8mにもなります。 只今は、干潮時。干潮時には、こうして川底に埋まっている鉄器時代の埋没物を金属探知機で探す人というのが定番の光景。
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英国で河川の汚染が深刻化している。1989年に民営化された水道各社が経営難に見舞われる中、大雨などの際に未処理の下水を直接排出するケースが増えているためだ。首都ロンドンを流れるテムズ川も例外ではなく、濁った水に市民は胸を痛めている。
「テムズ川に入らないで」 汚染深刻化で異例の呼び掛け―英:時事ドットコム
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COVID-19パンデミックがロンドンの水路に与えた影響を示す河川サンプリング研究
世界の都市の水路に関する最も詳細な調査によって、ロンドンの河川の化学汚染物質がパンデミックの間にどのように変化したかが明らかになった。
SARS-CoV-2パンデミックを通してロンドンの水路に出現した懸念物質に関するOne Health環境リスク評価
2020年中に市の主要水路��あるテムズ川で医薬品を含む一部の種類の汚染物質の痕跡が大幅に減少したことが判明した。これは全国的なロックダウンと重なり、ロンドンに旅行または通勤する人の数が減少した。しかし、制限が解除された後、市内の水路に流入する抗生物質、抗不安薬、抗うつ薬の濃度が高くなり、2021年に汚染物質のレベルが再び大幅に増加した。
この分析では、検出された化合物のうち、抗生物質、鎮痛剤、ペット寄生虫の治療薬など、21種類の化合物が淡水生態系の環境に潜在的なリスクをもたらしていることも明らかになった。 研究者らは、高レベルの地理的解像度で汚染物質を区別し、水路に沿ってその発生源を正確に特定することができ、下水処理場と合流式下水道の溢水が全体的な化学リスクの主な発生源であったと説明している。さらにチームは、違法薬物やペットのダニやノミの治療薬に使用されるネオニコチノイド系殺虫剤など、他の幅広い化学物質も検出した。
また、テムズ川に注ぐ小規模な河川が、下水処理施設からの直接放出と合流式下水道オーバーフロー(CSO)の両方による下水汚染の影響を最も受けていることも判明した。彼らは、研究で使用された廃水モニタリングの規模は、人間活動の変化の直接的および間接的な影響、および廃水処理の河川の健全性への影響を測定するために使用できる可能性があると付け加えています。
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コックニー(Cockney)
“コックニー語は英語のアクセントおよび方言であり、主にロンドンとその周辺で、特に労働者階級や下位中産階級のロンドン市民によって話されています。 コックニーという用語は、イーストエンド出身の人物、またはボウ ベルの聞こえる範囲で生まれた人物に対する住民名としても使用されます。 河口英語はコックニーとレシーブド発音の中間的なアクセントであり、ロンドンとその周辺、およびイングランド南東部の広範囲で広く話されています。ロンドンの多文化地域では、コックニー方言はある程度、コックニーの影響を強く受けた新しい言語形式である多文化ロンドン英語に置き換えられています。”
1980年前後からイギリス・ロンドンとテムズ川河口周辺で使われるようになったイギリス英語の一種だそうです。
日本で言うところの「宮中言葉」が堺の商人により伝わり、���在の大阪弁に変化していった感じでしょうか?
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「地政学的にいって日本にとって韓国は重要だ」っていうけど、あれどうなんだろうな。
釜山に中国軍が駐屯していて、鎮海に中国海軍が母港を構えていて、なにか問題あるのか?
あるかないかでいえばあるだろうけどさ。 でもそんなもの隣国同士なんかいつでもあるじゃん。
「地政学的にいって日本にとって韓国は重要だ」って、「満蒙は日本の生命線」と何が違うんだ? そうやって日本は大陸の奥地へとずるずる引きずり込まれていったじゃん。
そりゃ戦術的にはさ、川でも海でも水を越えるのはとにかくたいへんだから、対岸に陸軍戦力を展開しておいて基地作って固めるというのは有利だというのは分かるよ。でもそれただの戦術的優位性ってだけじゃん。戦術的な優位性だけ考えて、戦略的な損得を無視して橋頭堡を築いたらその後背地、その後背地を守るためにその後背地、その後背地を守るためにその後背地、って無限ループで真珠湾まで行っちゃったのが近代日本でしょ。
戦術か戦略かというのもどうとでもなる定義でふわふわだから具体的な状況で考えると、幕末から明治半ばまでの制海権って考えると、日本が朝鮮半島南部を抑えておいきたいのは分かる。
江戸時代後半で日本はすでに全国的な水運に依存していて「シーレーン」は日本列島をぐるっと囲っていた。そして江戸は当時世界最大規模の人口を抱えていた。そのチョークポイントは対馬海峡でそこを切られると全部干上がる。「東都大川は英京テムズ川とつながっている」そうだが、それはでかく言いすぎってやつで、実際に隅田川の河口につながっているのは下関海峡だろう。
で、当時の技術的に黒船にこられたら、下関なんかあっさりやられる。実際にあっさりやられた。その黒船が手近にいるのが、ウラジオストクと旅順だ。
そりゃここの対岸を取っておかなければまずいし、その対岸を施政しているのは朝鮮史視点でも世界史視点でも屈指の無能邪悪専制王朝ときたものだ。今の北朝鮮と比べてもどっこいというか、たぶんそれ以下。
だから、当時の人達の判断は分かる。それが最善だったかどうかはともかく、分かることは分かる。(さらにいうと、ロシアだけじゃなくて、大英帝国だって大清帝国だって十分脅威だった。)
どうするべきだったかは考えてもしょうがないけど、その時の考え方をずっと無反省に引きずっていると思う。
さらにいうと、この「朝鮮半島は日本の脇腹に突きつけられた短刀」史観を補強したのはダレスだと思う。あのアメリカのダレス。
「朝鮮半島が赤化したら日本も赤化し、アメリカはアジアを失陥する」ってあれ。 実際にそうなったらどうなったかはそれこそ歴史のifだけど、買いかぶり&無知じゃないかな。
ダレスが日本やアジアのことを大して知っていたとは思えないけど、それを差っ引いても、当時のある種の絶滅史観みたいなのがあったと思う。戦争の勝敗を��めるのは工業力であり、釜山から戦略爆撃されたら日本の工業力(少なくとも北九州工業地帯)は壊滅するじゃん、と。そして工業力が壊滅したら即敗北じゃん、って。
当時そう考えたのはしゃあないけど、結果として違うよな、ってのは朝鮮戦争でもベトナム戦争でも最近のウクライナ侵攻でも証明した通り。
ついでにいうと、「低地地方」(ベルギーの中立保証)の問題が、西欧の知識人の中にはずっとモデルとしてあったんだと思う。
150年前から今に至るまでに誰がどう考えたかは所詮推測にすぎないけど、2023年の今に落とし込んで考えたらどうなるかって言うと、それ違うんじゃないって思う。
まず、日本の主要なシーレーンが通っているのは台湾近海であって対馬海峡ではない。 台湾近海からさらに南シナ海、マラッカ海峡、インド洋、ペルシャ湾や紅海へと続いているし、太平洋そのものや大西洋だって北極海だって大切な存在であり、そこの安全をどう保証するかというのは大きな問題だし、対馬海峡だって日本海だって黄海だって大切には違いないけど、one of themじゃん。
次に、黒船じゃない。 もちろん今でも水上艦は大切だけど、潜水艦とか空軍とかミサイルとか衛星とかとそれを統合して判断する能力(情報能力ね)とかが大切であって、フネってのはその一要素にすぎないだろうさ。
そして、渡海が大変なのは今も昔も変わりはない。それこそ幕末どころか元寇や白村江から。かりに釜山に最先端の武装をした100万人と戦車1万台があったからって、それがなんだってんだ。運ぶ能力がなければ、運んだ後に維持する能力がなければ、それ意味ない。それこそ豊臣秀吉が証明した。
以上を考えると、韓国が友好勢力だろうが敵対勢力だろうが、日本の安全保障にとってはどうでもいいんじゃないかな。
そりゃ敵か味方かでいえば味方の方がいいに決まってるけど、「韓国は友好勢力であるべし」として、韓国防衛のために戦線を大陸側にむやみに広げるほうが害悪だと思う。
敵でも味方でも、それが入れ替わっても、同じルールで同じように同じ距離感で付き合えばいい。
そりゃ隣国が無法地帯だとか、何をしても西党東党の内部権力闘争に吸い込まれるゴミクズ政府のしょうもない党派抗争に振り回されてこちらのリソースを無駄遣いしなければならないというのならば不安だし、そしてそれが軍事技術的に致命的ならしょうがないけど、今の韓国は幸いにいて国民国家()であり、自由民主主義国家()であり、先進国()なのだから、そして軍事技術的にはどうとでもなる��だから、日本としては韓国がどこにつこうが、誰と組もうが、どういう国体と政体になろうが、どうでもいいんじゃないかな。
主権国家がどこと同盟を組むかはその国家の専権事項でありBalane of powerなんか無視してOKって、ロシアのウクライナ侵攻で日本の識者もアメリカの識者も言ってのけてるもんな。私は個人的にはとても同意できないし、第一次世界大戦の前夜並みに無責任な世界観だと思うが、そうだってんならそうなのだろう。
同民族の北朝鮮は最低最悪の国家だし、それほどではないにせよ軍事独裁時代の(いや・・・それはくくりが大きすぎて、李承晩時代の)韓国もひどいものだけど、でもさ、しゃあないじゃん。それが外国の他人の選んだ結果なのだから、それに口をだすのは良くないよ。
人道的にはひっかかるけど、人道を口実にして他国に干渉するのは、近代のアジアの東亜のっていって大陸にのめり込んでいった先人と変わらんよ。
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episode zero - EMS VCS3
そう、シンセとは何であろう?
生楽器のものまね? 既存楽器の代用? アコピ、エレピ、オルガンの音が良ければ、キーボードは売れるという。まさに三種の神器。でもシンセって、そんなお約束の様式美でいいのか? 電子楽器は、もっと既存の束縛から自由な、しがらみの無さが良かったんじゃないのか? 聴いたことがない音、分類不能な音がしてこそ、シンセ の本懐ではなかったか? 使える音、使えない音なんて関係あらへん! シンセはシンセ独自のアイデンティティ を追求すべきではなかったのか?
未来に挑むカンブリア紀の大爆発シンセたち。それら、へんてこなシンセたちこそ、本当に宇宙の挑戦を受けて立つ人類にふさわしい。そんなシンセサイザーのフロンティアたちを紹介していくのがこの連載である。
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まだシンセと言えば、MOOG(モーグ)製かBUCHLA(ブックラ)製かしか無かった時代のこと。すべてシンセはアメリカ製、それも壁を覆う巨大モジュラー・システム、天文学的なお値段、大学の前衛音楽研究室か放送局の音響実験室かに納品されるものばかり。楽器として生まれる初の機種Minimoog (ミニモーグ) は、だがまだ世に 出る前の開発途上。後にMOOGの好敵手となるARP (アープ) に至っては創業して日も浅く、社名もいまだ TONUS INC. (トーナス) となっていた、そんな時代の話。
そのとき、アメリカ合衆国から大西洋を隔てたイギリスはロンドンにて、小さなシンセ・メーカーが誕生した。 その名もEMS (ELECTRONIC MUSIC STUDIOS)、和訳すれば「電子音楽スタジオ社」。このひねりゼロの、しか し当時最先端アートだった電子音楽にかけたドストレートな社名。そしてその電子音楽に賭けた夢の初号機が、創 業と同じ1969年に登場したVCS3 (Voltage Controlled Studio Version 3)、和訳すれば、「電圧制御式スタジオ 第3版」ですか。最先端レコスタを丸ごと電圧で制御してやろうだなんて、なかなかどうしてエンジニア魂こもった 素敵な名前じゃありませんか。こうして史上初のデスクトップ型フル・アナログ・モジュラー・シンセが、これま た生真面目なまでに正確無比な形のノコギリ状波でもって産声を上げた (MOOGなどのは波形が崩れていてそれが また不思議に音楽的な音なのよ)。
EMSを創設し、VCS3を作ったのは、この三羽ガラス。
・Peter Zinovieff:コンセプトと仕様を決めたジノヴィエフ氏 ・David Cockerell:回路設計をしたコッカレル氏 ・Tristram Cary:外装などを担当したケイリー氏
ジノヴィエフ氏の両親は、帝政ロシア貴族。かの国の革命のときにイギリスへ亡命。そのあとの1933年に彼は生まれた。科学者だった彼は、1950年代から黎明期の電子技術と音楽とのカップリングにご執心であった。ロンドンはテムズ河畔の自宅に半地下の実験室を作り、軍から払い下げられた機械をぎゅうぎゅう押し込み、何とかして最先端電子テクノロジーを音楽に応用しようと日夜没頭。時にはテムズ川が氾濫、半地下の実験室が浸水。それでも彼は張り切ってクラシック音楽界の前衛作曲家シュトックハウゼンらを招いては、無料で貸し出していた。
そこには助手となるエンジニアがいるも、ジノヴィエフによるテクノロジカル無茶振りが過ぎるあまり、面倒くさくなったエンジニア君はかつての同窓生だったコッカレル氏を誘い込み、彼に丸投げしてトンズラこく始末。当時コッカレル氏はイギリス国立医療センター勤務の技術者。のちの回想で、 「ジノヴィエフはすべからくアマチュア っぽい稚拙なスキルで解決しようとしていて無理あり過ぎ、郵便局からかっぱらってきたリレー回路なんかで実現 できるわけねーじゃねーかよ、そして我慢強いコッカレルが呼ばれたのだろう」 と。で、残されたコッカレル氏が辛 抱強くジノヴィエフ氏の要望を聞いては、VCOをはじめ彼らの夢を具現化していった。
1960年ごろのジノヴィエフ氏は、だが、当時の最先端だった録音テープ編集音楽“ミュージック・コンクレー ト”が大っ嫌い。スマホDAWみたいなグラフィック波形表示も無いのに、音と耳だけを頼りに磁気テープへの一刀入魂ばかり繰り返して切った張ったなんてありえん。そう考えた彼は “シーケンサー” というものを思いつき、帝政ロシア貴族の末裔らしく、妻が使わずに余らせていたという宝飾品の数々を売り飛ばし、DEC の汎用コンピューター、それも軍事産業��科学研究機関でしか使われない小型冷蔵庫ほどもある機種PDP-8を、家一軒分のカネを払って購入。ばかでかいナリしてRAMは8KBだったが、なんせ当時これが最安価の機種だったのだ から仕方がない。さらにもう一軒の家が買えるカネで32KBに拡張、トドメにもう1台また買う。電動機械式タイプライター “テレタイプ端末” をばちばち打ってプログラミングし、シーケンサーを開発。そのうち数字をタイプしていてはめんどっちぃとノブをたくさん付けて制御せんとした。
アメリカ人らがようやく電圧ですべてを制御するモジュラー・シンセを世に送り出すころ、既にジノヴィエフ氏 の一味は、一足飛びに全部コンピューター制御による全く新しい電化された機械作曲や、電化された機械音楽を構想していたのだ。彼らは64基もの16ビット/46kHzデジタル・オシレーターを開発。ADコンバーターも実現しモ ーツァルトのピアノ・ソナタを1~2秒ほどサンプリングし、新開発の64バンド・フィルター・スペアナでもって解析、原音忠実にリシンセシスで再現せんと四苦八苦。ついに全自動電子音楽コンサートまで敢行、聴衆理解不能 阿鼻叫喚若干爆睡倫敦崩壊河川氾濫地下室水没床下浸水イカした浸水(要出典)。
だがさすがにオイタが過ぎて資金難になり、財源とすべく開発したシンセが、何を隠そうVCS3だったのである。
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試作機VCS1は、オシレーター2基、フィルター1基、EG1基をラックマウント型に収めた代物であった。だが これではMOOGみたいな連中に勝てないというので、そのあと開発されたVCS3は、目標定価100ポンドだか200 ポンドだかを超えて300ポンド、当時のレートで24万円ほどになったものの、MOOGやBUCHLAと比べてもはるかに安価、かつ卓上に載るコンパクト・サイズ。そして“パッチ・コードも大嫌いだった”というジノヴィエフのお かげで、史上初のマトリクス・ピンボードを採用。これが戦艦沈没ゲーム方式であるため、1つのソースから複数 のデスティネーションへパラったり、複数のソースから単一のデスティネーションへ集約したりと結線も自由自 在。さすが、英国の星!
だが、すべてをV/Octで統一したMOOGの偉大さを理解していたのか否か、EMS VCS3では、 ・VCO1:0.32V/Oct ・VCO2:0.32V/Oct ・VCO3:0.25V/Oct ・VCF:0.20V/Oct ・DK1 (別売専用鍵盤) のCV出力:1V/Oct ほんでしかもDK1を使って平均律を弾くためには周波数ノブを369.99Hzに設定って、何じゃその端数は!? 虎の子 のマトリクス・ピンボード���至っては、クロストークする始末。
いい加減な仕様と作りのため変な音しかしないVCS3は、だがそれでもなおピンク・フロイドをはじめとするイギ リスのプログレ界へ、そして全欧に広まり、ケミカル・ブラザーズなど多くの愛好家を生んだ。ブライアン・イー ノに至っては、VCS3を修理に出すにあたり、“ここは直すな、あの不具合は直すな”と長いリストを添えたという。
どだい変な音しかしないVCS3は、だが、見事にシンセらしいシンセであった。
その後もEMS社のラインナップは拡充するも、1989年、創業20周年とともにVCS3を20年間にわたり販売し続 けていることを発表。当時の海外フェアにて、YAMAHA SY77、KORG T1/2/3, ROLAND D-5などの最新フル・ デジタル・シンセと一緒にVCS3が展示されていることに、シーラカンスを目の当たりにしたような感慨にふけった 人も、世界中におったことであろう。
VCS3やSynthi AKSなどが出てから半世紀以上たった今、EMSの中古品は50万円以上し、程度の良いものであ れば100万円したりもする。長い歴史にわたり人々を魅了してきた名機として今なお語り継がれているばかりか、 iOSアプリシンセAPESOFT iVCS3はもちろん、アナログ回路によるBEHRINGERの試作ハードウェアであると か、AKSクローンを超えたオマージュ機種ERICA SYNTHS Syntrxまで登場。デジタル化されたマトリクス・ピン ボードは、設定をメモリーに保存できて使い勝手がよく、モジュレーション・マトリクスの可視化という観点から しても、もっともっと広まってもいい。
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VCS3の外観デザインを担当したケイリー氏は、EMSに参加する以前から黎明期の電子音楽作曲家として活躍、 映画『火星人地球大襲撃』や TVシリーズ『ドクター・フー』などで電子音を鳴らして人々を唸らせ、偉大なコンポ ーザーとして2008年に82歳で没した。
VCS3の内部回路を設計したコッカレル氏は、その後、MiniKorg 700を見て、それがいかに洗練されているかを 目の当たりにして脱帽し、EMSからELECTRO-HARMONIXへ転職、今やビンテージとなっているフェイザー Small Stone や、フランジャーElectric Mistressなどを開発。彼が脱帽したMiniKorg 700や700Sも、仕様とし て今見ればけったいな機種なのだが設計思想が自由であり、かつ音にキャラがあって非常に良く、今年ご本家から 半世紀近くぶりに700Sの復刻版700FSとしてカーテンコールしたのは記憶に新しい。
さらにその後、コッカレル氏はフランス国立音響音楽研究所ことIRCAM(イルカム)にて研究。サンプラーを開 発、それをあちこちのメーカーへ売り込んで回り、最終的に興味を示したAKAI PROFESSIONALに就職、しかも当 時FAIRLIGHTやE-MU Emulatorしか無かった時代において価格破壊となったENSONIQ Mirageに続く、AKAI PROFESSIONAL初のサンプラーS612を1985年に開発。その後、彼はロジャー・リンとの共同開発たるMPC60 や、のちのS3200まで回路設計もしている。
そして今は、再びELECTRO-HARMONIXに戻って新しいエフェクトを開発。可動部品を一切使わないワウ・ペ ダルCrying Toneを世に送り出したりしている。彼はビンテージの復刻には興味が無いが、それは“あくまで最新の ものが最良”という、エンジニア魂の成せるところ。テクノロジーによるセンス・オブ・ワンダー、それがもたらす 明るく健全な未来感。この点は、デイヴ・スミス氏もトム・オーバーハイム氏も梯郁太郎氏も同じですね。
VCS3のコンセプトと仕様を決めたマッド・サイエンティストのごときジノヴィエフ氏は、その後“ブリテンのボ ブ・モーグ”とまで呼ばれ、グランド・ピアノにソレノイド磁石を付けハンマーを動かすことで、コンピューターによる自動演奏をさせる試みまでしている。
すっかりおじいさんになった21世紀に入っても、DAWにCOCKOS Reaperを、ノーテション用にAVID Sibelius とPRESONUS Notionを、そしてソフト音源NATIVE INSTRUMENTS Kontaktを使って音楽。VSTをはじめとするDAW環境は素晴らしいと彼は言うが、しかしその一方、彼はPCの中にあるソフトを直接わしづかみして操作したくてたまらないのだと愚痴っていた。そんな彼が、自宅で転倒してから10日間ほど入院したまま、ついに還ってこなくなったのは、今年2021年6月のこと。享年88歳。転んでいなければ、もっともっと楽しいもん作ってくれはったやもしれんのに、と思うと、残念でならない。
(2021年7月11日Sound & Recording公式サイト初出)
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Today's choice
By Saito Soma
1. XO
2. Art school
Love/hate
3. 村野真朱、依田温title『琥珀の夢で酔いましょう』
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クラフトビールを題材にした人情マンガ。ビール好きにはたまらない内容ですね。京都行きたいなあ。
4. (2020.12.12)
舞城王太郎 , 『煙か土か食い物』
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各所でも散々言っておりますが、たまたま手に取ったこの1冊で完全にノックアウトされました。文章のリズム、ビートというものを意識するきっかけになった作品です
5. LOSTAGE
title『PLAY WITH ISOLATION』
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初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。ゴリゴリのリズム隊と美しいメロディ。こういう音楽もいつかやってみたいなあ。
6. 赤河左岸title『果ての荒野でバカンスを』
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主に3つの短編が収録されていますが、表題が最高に素敵です。SFってこういう切ないストーリーに合いますよねえ。
Manga
7. 恒川光太郎title『無貌の神』
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どれも大好きなのですが、��の短編集に納められている『死神と旅する女』がべらぼうにいいんです。こんな小説を書いてみたいものです。
8. 空中泥棒
title『Crumbling』
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サブスクで見つけた韓国のアーティストさん。どんぴしゃで好きです。トクマルシューゴさんやエリオットスミスの雰囲気も感じますね。灰色の日に聴いていたい。
9. 町田洋
title『夜とコンクリート』
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最近活動を再開されたと知り、とても嬉しくなりました。『惑星9の休日』も最高だし、トーチwebさまにて読める『船場センタービル』もぜひに。
Manga
10. レイモンド・カーヴァー
title『愛について語るときに我々の語ること』
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ダーティミニマリズムとも称される作風で知られるカーヴァーの短編集。ソリッドな文体とダークな世界観にぞくぞくします。
11. ドミコ
title『hey hey, my my?』
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ローファイシューゲダウナータイトな2ピースバンド。M2『こんなのおかしくない?』、M9『くじらの巣』が特に好きです。ルーパー使えるようになりたい。
12. 田島列島
title『水は海に向かって流れる』
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ゆるさと重さの共存するユニークな世界。こんな共同生活、送ってみたいなあ。榊さんかわいいですよね。
13. 筒井康隆
title『懲戒の部屋』
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いちばん最初に読んだ筒井さん。いまではぼくもすっかりツツイストです。筒井さんのパスティーシュで『羅生門』の続きを書いたことがあります。
14. tempalay
title『21世紀より愛をこめて』
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めちゃくちゃ格好いいですよね。M3『そなちね』M5『どうしよう』などなど、サイケで癖になる楽曲揃い。『革命前夜』も最高にクール。
15. 星野之宣
title『ヤマタイカ』
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邪馬台国を題材にした壮大な伝奇SF。読み応え抜群で、久々に歴史もの熱が再燃しました。『宗像教授伝奇考』もおすすめです。
16. 中島らも
title『水に似た感情』
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何度も読んでいる本。小説としての完成度というより、読むときどきによって感じられるポエジーに惹かれているのかもしれません。エッセイもユーモアたっぷりなのでめっちゃおすすめです。
17. 金田一蓮十郎
title『マーメイドライン』
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『ハレグゥ』も大好きなのですが、今回はこれを。人魚姫ってすごく惹きつけられるモチーフですよね。絶妙な距離感を描いたマンガです。
18. 村上春樹
title『1973年のピンボール』
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初期の村上さんの作品の雰囲気が好きなのですが、そういえばあまり言ったことがなかったかも。『世界の終りとハードボイルド・���ンダーランド』も好きです。
19. ロブ・ライナー
title『スタンド・バイ・ミー』
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スティーヴン・キング原作の大名作。少年のエモーションのすべてが詰まっていると思います。クリスのセリフは何度観ても落涙しますね。
20. Arcade Fire
title『Arcade Fire(EP)』
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カナダの大所帯バンド。これも中学生のころよく聴いてたなあ。M3『No Cars Go』が好きです。今後自分の曲でもアコーディオン使おっと。
21. ハロルド作石
title『BECK』
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バンドマンガといえばぼくはこれです。昔は平くんが好きだったけど、今読むと千葉くんが格好いいですね。中学生のころ、デモテープたくさん作ったなあ。
22. 梨木香歩
title『家守綺譚』
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マンガで挙げた今市子さんの『百鬼夜行抄』にも通ずる不思議な雰囲気を持った短編連作。こういう作品に出会うと、ああ、心に染みいるなあとしみじみします。
23. Devics
title『Push The Heart』
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アメリカのインディデュオ。だと思っていたらバンドみたいです。ちょっと気持ちが揺れ動く夜なんかに聴きたいですね。タイプライターも楽器なのだ。
24. 山田芳裕
title『度胸星』
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最新作『望郷太郎』も面白いですがこちらを。『へうげもの』もそうですが、山田先生の作品は本当にオンリーワンな魅力がありますよね。
25. ジョナサン・キャロル
title『天使の牙から』
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類稀なる発想力で独特のダークファンタジーを書いているキャロル氏。中でもこの作品はストーリー展開が本当に秀逸。気の利いた言い回しが好きな方にもおすすめの1冊です。
26. フジファブリック
title『TEENAGER』
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志村正彦さんのつくる世界が本当に大好きです。曲のツイストのさせ方や歌詞などに影響をかなり受けていると思います。M9『パッション・フルーツ』みたいな変態曲を書きたい。
27. 都留泰作
title『ナチュン』
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沖縄を舞台にしたクトゥルフSF。とにかく説明するよりも読んでいただきたいです。これを読んでめっちゃ沖縄に行きたくなりました。
28. 京極夏彦
title『姑獲鳥の夏』
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初めて京極先生の作品に出会ったのは中学1年生の暑い夏の日のことでした。オカルト、ミステリともに大好きな斉藤少年はそりゃもうノックアウトです。次作『魍魎の匣』もぜひ。
29. きのこ帝国
title『フェイクワールドワンダーランド』
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遅ればせながら最近聴きました。めちゃくちゃ素敵。ぼくが大学のころにやりたかったのはこういうバンドでした。たくさん聴こう。友人教えてくれてありがとう。
30. 今市子
title『百鬼夜行抄』
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妖たちと奇妙な生活を送る主人公・律を中心とし��怪奇譚。もう長年好きなマンガです。こういう生活に憧れます。先生の他の作品もとても美麗で素敵なのでぜひ。
31. 米澤穂信
title『さよなら妖精』
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『氷菓』などで有名な米澤先生のビターなボーイミーツガール。青春の味がすごくする、染みる小説です。米澤先生は短編も切れ味鋭く素敵なのでぜひ。
32. ももすももす
title『木馬』
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コンビニで流れていて気になって、歌詞を聴きとって調べた曲。選ぶ単語がとても素敵だなと思います。曲もオルタナで格好いい。
33. スケラッコ
title『盆の国』
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たまたま書店で見かけてジャケ買いしました。ゆるい雰囲気でありながら爽快感もある1巻完結作。先生の新作『バー・オクトパス』も穏やかに素敵。
34. チャールズ・ユウ
title『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』
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SF、青春小説好きにはたまらない1冊。しかし円城塔さん翻訳もうますぎてすごすぎます。非常に読みやすいのでおすすめです。
35. Passion Pit
title『Manners』
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大学生のときに友人に借りて聴き、ハマりました。M2『Little Secrets』を聴くと、日当たりのいい休日に寝坊して原宿に行ったことを思い出します。
36. 遠藤浩輝
title『神様なんて信じていない僕らのために』
commentこういう作風のマンガがたぶん一生好きなのだろうと思います。夜な夜な自転車を走らせて、少ない小遣いで何時間も吟味して買った中の1冊。
37.ヴィクトル・ペレーヴィン
title『宇宙飛行士オモン・ラー』
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ロシアの作家さんってこういう苦味の効いた青春小説をよく書かれるイメージです。この切なさは、小説という表現媒体ならではのものなのだと思うのです。
38. Mystery Jets
title『Making Dens』
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この時代の、いわゆるテムズ・ビートのバンドでもっとも好きです。サイケでポップで青くて渋い、理想的なバンドのひとつ。最近の曲もとっても素敵です。
39. 荒川弘
title『鋼の錬金術師』
comment
もうあえていう必要もないくらい最高のマンガですよね。皆さんは誰が好きですか? ぼくはロイとキンブリーです。女性キャラならもちろんそれはホークアイ中尉……いえ、リザです。
40. アントニオ・タブッキ
title『インド夜想曲』
comment
こんなにも短く、読みやすく、美しく、シンプルにして複雑な話があるだろうか。イタリア語を学びたいと思ったきっかけの1冊です。ぜんぜん身につかなかったけど。
41. Bloc Party
Title『Silent Alarm』
comment
かなり最初のころに聴いた洋楽です。初めてM2『Helicopter』を聴いた��きの衝撃たるや。改めて聴くと���なりポップさもありますね。ラッセル・リサック氏が本当に格好いい。
42. 樋口大輔
Title『ホイッスル!』
comment
めちゃくちゃ読みこんだサッカー漫画。絵も素敵だし話も素敵。ぼくはとにかくシゲと不破が大好きなんです。ボイスリメイク版に出させていただいたときは本当に幸せでした。
43. Oasis
Definitely maybe
title:『Definitely Mabye』
comment: オアシスのデビューアルバム。ロックのわくわくってこういうことだよなといつも思い出させてくれます。拙曲『カナリア』はかなりまんま影響を受けていますね。
44. 真倉翔、岡野剛title『地獄先生ぬ?べ?』
comment
ぼくがオカルト方面にはまるきっかけとなった作品です。初期が特に怖くていいですよね。歯医者さんで読んでいたので怖さ倍増でした。もうぬ?べ?もはるか年下か……(遠い目)。
45. 福永武彦
title『愛の試み』
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『草の花』はもうさんざん各所で言ってしまったので、こちらの素敵な詩情をたたえた1冊を。愛についての考察はもちろんのこと、挿入される掌編もしんみりして素敵です。
46. 西川美和
title『ゆれる』
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香川照之さん、オダギリジョーさん、真木よう子さんの芝居が圧巻。ラストシーンで泣かない人はいないのではなかろうか。エンディングも素晴らしい曲。
47. 髭
title『Thank You, Beatles』
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髭なのかHiGEなのか表記が難しいところですが、M2『髭は赤、ベートーヴェンは黒』でハマりました。M5『ギルティーは罪なやつ』も好き。他にも名曲多数。
48. たなと
title『あちらこちらぼくら』
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めっちゃ泣きました。昔はぜんぜんキャラクターとして惹かれなかったのに、いつのまにか真嶋くんがぼくの心の中に入りこんでいました。続編もあるのでぜひ読んでいただきたいです。
49. 安部公房
title『壁』
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こんなの中学生のときに読んだらハマってしまうに決まっているじゃないですか。思えばこのあたりからぼくも中二病を発症していった気がします。名前を失うというモチーフはぼくもよく使いますね。
50. GRAPEVINE
title『Here』
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選べないのですが入りやすさからこちらで。M4『光について』が最初のバインでした。影響受けまくっていますね。大好きなバンドです。もっといろいろ紹介したい。
51. 漆原友紀
title『蟲師』
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中学のころは一発で変換できませんでしたありがとうございます。永遠に好きです。「原因は蟲ですな」はぼくの中学のときの流行りワードです。だってギンコさん格好いいんだもの。イサザも好きだしなにより化野先生大好きです。
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岸政彦 柴崎友香 「大阪」
本の帯に、ところで私はこの帯というのが大層苦手で、昔は買ったらすぐに外して捨ててしまっていたのだけれど、久しぶりに買う本たちはどうやら帯が装丁の一部、デザインの一部になっているようで持て余しているのだが、その帯に「大阪に来た人、大阪を出た人」とある。それなら大阪生まれで大阪から英国へと移住し、約30年ぶりに帰国した私は「大阪に戻った人」だなと、ぼんやり思った。
大阪「府」と大阪「市」の「二重行政」とやらが声高に語られ出した頃、名前がたまたま同じやからて、何を寝ぼけたこと云うてんねやろと呆れたものだった。(岡山や大分、秋田なんかでも同じような議論があるのだろうか。大阪だけが特別にこだわってんやろか?)とはいえ、「大阪」と口にしたとき、府と市の両方あるのはややこしいのは事実だ。
私は、生まれたのは母の実家に近い大阪市内の、現旭区、旧大宮町��産院だが、両親は門真市の長屋住まいだった。ちなみに大宮町は私が3歳ぐらいの頃に旭区に編入されて、「町」が取れて「大宮」になった。それでも私の家族のうちではあの一帯は今でも「大宮町」と呼ばれている。そして「大宮町」と口にすると、祖父母宅の雨戸が開けられる前の暗い縁側や、仏壇の線香の匂いや、見上げた蚊帳のぼんやりとした白さが脳裏に浮かんでくる。それから奈良��(奈良市!)に出来たばかりの公団の団地に引っ越し、小学校3年生で大阪の吹田市へ、中学2年で枚方へ引っ越し、大学を卒業して英国へ渡るまでそこに暮らした。中学は市立で高校は府立、大学も府立で堺にあった。京阪で東から大阪市に入り、環状線を外回りに三分の一ほど回って北の端の天王寺から阪和線と、大阪市を素通りする形で通学していた。
「どこの出身ですか」と尋ねられれば「大阪です」と答えるし、自分は「大阪人」やと思っているが、大阪市内に住んだことはない。私が「大阪」と口にするとき、それは大阪平野とほぼ重なっている。生駒と金剛山と和泉山脈と六甲と北摂山地に囲まれて、海に向かってひらけた、三日月の形をした大阪(府)だ。
ところが、大阪市内で生まれて、疎開中を除いて市内で育ち、通った中学も高校も大学もみな大阪市内にある母の「大阪」はもっともっと狭い。彼女が「大阪」と口にするとき、そこには八尾や松原や交野や豊能郡なんかは含まれていないように響く。私は自分が「大阪弁」を喋ると思っているが、枚方(北河内)の高校生だった私に、母は「あんたは、あれやな、河内弁やな」と残念そうにため息をついた。
岸政彦と柴崎友香のタンデムエッセイ集を読むあいだ、私と母のふたつの「大阪」のことが頭の後ろの方をずっとちらちらとしていた。筆者紹介によると、岸氏と私は同い年で同じ頃に大阪で大学生をしていたし、高校生だった柴崎氏が通った映画館には私も足繁く通っていた。『大阪』に書かれた「大阪」は、私のよく知る大阪だと思った。ちょうど英国へ発つ前頃の。(私は別に日本や大阪に嫌気がさして離れたわけでも、英国に強く焦がれて向かったわけでもなかった。惰性と成り行きで向かった異国で半年遊ぶつもりが、惰性と成り行きで30年になっただけだ。)ひょっとしたら、映画館で、本屋で、ビッグマンの前で、ひっかけ橋の上で、環状線の車内で、どこかで、お二人とすれ違っていたかもしれない。でも、同時に、ここに書かれた「大阪」のほとんどが市内のことで、母にとっての「大阪」でもあるなあとも思っていた。郊外の巨大団地のはずれに住んでいた高校生が、同じ団地に住む友人たちと週末に片道45分かけて通った「大阪」だ。(「大阪行こか」とは決して言わなかったと思う。「梅田行こか」「心斎橋にしよか」「難波やな」)
大阪って、なんやねん。 大阪って、どこやねん。
柴崎氏は「物事も人も、とても複雑でとらえきれないものなのに、ある一面を言葉で書く。ここに書いた『大阪』は、ほんの一部のさらに断面でしかないのだ」と書いた。それでも、その一部のさらに断面に、「大阪」は確実に宿っている。私を形作る小さな細胞のひとつひとつに、同じDNAがひっそりと存在するように。そして大阪を訪れたことのない人、大阪に暮らしたことのない人は、ここに書かれ集められた、小さくも詳細で、確かな重みと手触りを持った「大阪」の断片たちの中に、彼らの生きる/生きた街の姿を、匂いを、音を発見するのではないかとも思う。海を遠く離れた場所でも、貝殻を耳に当てると潮騒が聞こえるように。
人はそういう風に、自分のうちにある断片を通してしか、街を生きることはできないし、そういう風にしか街を思うことができないんじゃないかと思う。
ところで、表紙カバーや見返しの小川雅章氏の絵は、私のよく知らない海の近くの「大阪」を描いたもので、母の「大阪」のように、私の「大阪」とは少しずれているのだが、好んで飽きず眺めていると、しばらく暮らしたロンドンの東の端のテムズ川沿いの景色と重なって、彼方からコンテナを乗せてテムズを上る平底船のエンジンの音が聞こえてきた。対岸のセメント工場の明かりが水面に映って揺れる様が、幻のように浮かんできた。この川を下り、海を渡り、その向こうにはロンドンがある。私の生きた(愛した)二つの街は、そんな風に繋がっている。重なっている。
【追記】 私は英国で何年かの間、都市計画や建築の面から、地域再活性化計画づくりに関わっていた。都市は動かなくなればやがて朽ちるしかないと信じるが、その動きを与えるため、時には強くあるいはそうっと押したり引いたりする中で、都市に生きる人々一人一人が内に抱える数多の都市の断片を、どうやって取りこぼさず、拾い上げ、活かし、繋げていけばいいのか、当時も今もよくわかっていない気がする。ひょっとするとそんな解など存在しないのかもしれない。それでもなん��か、人々のうちの都市の断片を拾い集めようとしたこと自体が、都市を動かすモーメントになるのかな。なるのかもしれない。なったのなら良い。嬉しい。万々歳だ。
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📸大山崎山荘美術館庭園 [ 京都府大山崎町 ] Oyamazaki Sanso Garden, Oyamazaki, Kyoto ーー“テムズ川を見下ろすウィンザー城”🏯をモチーフに資産家・加賀正太郎が自ら設計した別荘・庭園。 #安藤忠雄 建築の新館も。 ...... 「アサ��ビール大山崎山荘美術館」は近代の資産家&実業家・加賀正太郎が大正時代に造営した別荘地に開かれた美術館🏛 イギリス・チューダー様式の山荘である本館、琅玕洞(入口のトンネル)、旧車庫、橡の木茶屋、茶室“彩月庵”、栖霞楼の6棟が国登録有形文化財。また新館の“地中館”“山手館”は建築家・安藤忠雄の設計。建物周辺は和洋折衷の池泉回遊式庭園で構成されています。 . こちらもずっと気になってたけど、『聴竹居』と併せて訪れようと思っていた場所。2021年春に初めて訪れました! スタイリッシュな聴竹居も素晴らしかったけど、近代に財を成した方の邸宅・庭園のスケールはまた別の凄さ。圧巻!館内は撮影禁止だけど、庭園だけでも見るべき所がたくさん…。 . 近代に大阪府多額納税者にも名を連ね、朝ドラ「マッサン」のモデルとなった竹鶴政孝のパトロンとして“ニッカウヰスキー”🥃の創業にも参画した加賀正太郎。 氏の別荘として、かつて羽柴秀吉と明智光秀が相まみえた“天下分け目の天王山”⛰の中腹に1912年(大正元年)より造営開始。本館は大正時代に一度完成した後にも増築され、現在の姿となったのは1932年(昭和7年)。 . 1954年に加賀正太郎が亡くなられ、1967年には加賀家の手を離れた大山崎山荘。幾つか所有者が変わり徐々に老朽化が進んだ中で、平成の始めには取り壊してマンション🏢として開発される計画が持ち上がります。 そこに地域住民の保存運動や京都府・大山崎町といった自治体の要請により、アサヒビール🍺の下で山荘の修復と美術館としての保存活用がされることに。 . アサヒビールとの縁についても。加賀正太郎はガンを患った晩年、同じ大阪出身の実業家でアサヒビールの初代社長・山本爲三郎へニッカウヰスキーの株を売却。なので“ただ単純に大企業がお金を出してくれた”のではなく、そこには数十年前の人の縁があった。 . 元の建築に加え、安藤忠雄の設計による新館“地中館”(地中の宝石箱)が加わり1996年に美術館として開館。 現在美術館で展示されている美術品は山本爲三郎の収集したコレクションが中心で、クロード・モネ『睡蓮』🌷をはじめとする近代の洋画や棟方志功、河井寛次郎、芹沢銈介といった山本と親しかった国内のアーティストの作品を所蔵/展示。 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/oyamazaki-sanso-%e5%a4%a7%e5%b1%b1%e5%b4%8e%e5%b1%b1%e8%8d%98/ ーーーーーーーー #kyotogarden #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotoarchitecture #建築デザイン #日本庭園 #庭園 #庭院 #庭园 #京都庭園 #大山崎 #美術館 #japanmuseum #andotadao #tadaoando #近代建築 #洋館 #国登録有形文化財 #池泉回遊式庭園 #おにわさん #oniwasan (アサヒビール大山崎山荘美術館 Asahibeer Oyamazaki Villa Museum of Art) https://www.instagram.com/p/CVfb9Blv2ii/?utm_medium=tumblr
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三十幾年前、始めてイギリスに留学したとき、私はテムズ河南の郊外に住む、或る弁護士の老未亡人の家に世話になった。古風な家で、私は毎晩石油ランプで読書した。
小泉信三著『読書論』(1966年12月第23刷、岩波新書)
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「ボートの三人男〜もちろん犬も〜」 ジェローム・K・ジェローム著を読了。
あらゆる病気になったと感じた主人公は、休養と変化を求めて友人二人と犬と共にボートに荷物を詰め込み、テムズ川を遡上する旅に出る。その道中で語られる様々なエピソードや次々起こるドタバタをユニークに描く。
軽妙洒脱な文章、日常のあるあるを膨らませて描かれる愛すべきアホらしさ。それをつぶさに眺める犬。仲が良いのか悪いのか、三人+一匹の珍道中と、テムズ川沿いの地理・歴史・自然・冒険などイギリス的なユーモア溢れる風情が伝わってくる。
とあるホテルの壁に架けられていた大きな鱒の剥製。次から次に現れる「その鱒を釣った」と主張する人達、途中から現れた人に「ひょっとした鱒を釣った方?」と聞く側に回るのが面白かった。オチはその剥製が石膏製で、うっかり落として粉々になるという。
船旅を共に過ごしているような気分と共に、楽しいエピソードの数々を楽しんで読むことができたし、旅が終わるのが寂しくもあった。
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テレビのニュース番組を見たり、新聞を読んだりしておりますと、「スコットランド・ヤード」という言葉がしばしば登場いたします。わたくしが初めてこの言葉に出会ったのは、ロンドンで起きた盗難事件の記事でしたでしょうか。そのまま読み進めたものの、所々で登場する「スコットランド・ヤード」の意味がよくわかりませんでした。「スコットランドのお庭が、どうして事件に関係するのかしら…」と不思議でならず、エドワーズ夫人に尋ねましたところ、「それはロンドン警視庁(Metropolitan Police Service, MPS)のことですよ」と教えてくださいました。 一体なぜ、ロンドンの警察を「スコットランド」という地名で呼ぶのでしょう? 疑問がわき、ロンドン警視庁に問い合わせてみることにいたしました。 ロンドン警視庁の方のお話では、1829年に「警察法」が成立し、正規の警察組織としてシティ以外のロンドンのほぼ全域を管轄下におく「ロンドン警視庁」が誕生したとのこと。当時、ロンドンは17の管轄区域に分けられていたそうですが、その警察本部が置かれた場所がウエストミンスター地区のホワイトホール・プレイス4番地でした。この本部庁舎の裏側は「グレート・スコットランド・ヤード」という通りに面しており、一般入口はこの通り沿いにあったのだとか。警察に用のある市民はこのグレート・スコットランド・ヤードにある入口を使っていたことから、ロンドン警視庁のことを通称「スコットランド・ヤード」と呼ぶようになったとおっしゃっていました。 ちなみに、通りの名前の由来は、なんと中世までさかのぼるようです。当時、同地一帯には国王の住居である広大な「ホワイトホール宮殿」が建っており、その敷地内に「グレート・スコットランド・ヤード」「ミドル・スコットランド・ヤード」「リトル・スコットランド・ヤード」と命名された��敷があったとか。これらはスコットランドの王族や賓客が滞在する場所として建造されたため、「スコットランド」の名が付けられたとのこと。17世紀の大火災で建物はすべて焼失してしまいましたが、一番大きな屋敷であった「グレート・スコットランド・ヤード」の名称のみ、通りの名前として残ったとのことでした。 ロンドン警視庁本部は何度か移転しており、ウェストミンスター・ブリッジ近くのテムズ河沿いに完成した現本部は4代目。今年から使われはじめたばかりです。しかしながら、どれほど場所は変わろうとも「スコットランド・ヤード」という昔ながらの通称は、そのまま使われているそうです。日本の警視庁のことを専門用語で「桜田門」というようなものでしょうか…(日本の場合は、移転しておりませんけれど)。
何ゆえ、ロンドン警視庁を スコットランド・ヤードと 呼びますの? - Onlineジャーニー
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抗生物質が使われる量は年々増加している。この薬は公衆衛生に驚くべき効果を発揮し、命にかかわる感染症から何百万もの人々を救っている。
しかし、人体で役割を果たした後も、この優れた薬は自然環境に影響を及ぼし続ける。体外に出た抗生物質はそのまま残り続け、薬が効かない「薬剤耐性菌」の進化をうながす可能性があるからだ。
英ヨーク大学の研究者らが、フィンランドで開催された環境毒性学化学会欧州支部の学会で5月27日に発表した最新の研究によると、テムズ川からメコン川、チグリス川など、世界中の91河川を調査したところ、3分の2近くで抗生物質が検出された。
この研究を率いた1人であるヨーク大学の環境化学者アリステア・ボクソール氏は、これは大問題だと話す。「生理活性物質である抗生物質を、私たちの社会は自然環境に大量に排出しています」
その結果、川の生態系だけでなく人の健康までもが、重大な悪影響を被る恐れがあるという。
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London in February
テムズ河沿い、寒い日。
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