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多文化共生フェスティバル千曲万博 千曲国際交流協会 千曲万博が開催
多文化共生フェスティバル 千曲万博が開催 1月28日、今年も戸倉創造館で世界各国の文化に親しむイベント「多文化共生フェスティバル千曲万博」が開かれた。このイベントは千曲国際交流協会と千曲市の共同事業で、今年は13の国と団体が出展。ウクライナの避難民の子どもたちが描いた絵画も展示された。会場では民族衣装の試着(韓国・チマチョゴリ/ベトナム・アオザイなど)や、コーヒー(フィンランド)やクッキー(アメリカ)などの試食も行われた。また、キッチ��カーも出店し、大勢の来訪者でにぎわっていた。ステ��ジでは参加した各団体が民族楽器などの演奏を披露した。 午後には2階でJICA(国際協力隊)の国際協力出前講座が開講し、海外での活動体験談などが語られた。 ベトナム(写真上)とイラン(写真下)のブース
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#Repost @nesomagic72 with @get_repost ・・・ 韓国での写真取りすぎていっぱい🥺💕 少しずつ載せてゆく~(^🐽^) 食べすぎて豚になりそうだけど好きでいてくれる?🥺笑 . #韓国旅行日記 #韓国好き #韓国コーデ #韓国大好き #韓国女子旅 #멍스타그램 #반려견 #강아지의류 #여행중독자 #셀카그램📸 #チマチョゴリ #チマチョゴリ体験 #可愛い服 #アイドル好き #アイドルは癒し #満喫なう #ootd ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△ repost Accepting😄 If you wish to repost please tag "@instabae_navi" in the picture. ▼△▼△▼△ 🌈repost受付中🌺 ▼△▼△▼△ インスタ映え写真のrepostを受付中です🤗 🏝少しでも多く方に見て欲しい!🐠 🏝いいね数を増やしたい!🍹 🏝フォロワー数を増やしたい!🐢 そんな方は自慢の写真にタグ付け下さい🙇 🍍写真に @instabae_navi をタグ付け下さい‼️ 🍍ハッシュタグに #インスタ映えnavi もお忘れなく ‼️ ※順番に投稿しておりますので少々お待ちいただく場合がございます。 皆さまからのタグ付けをお待ちしております🙇 https://instabae-navi.com ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△ (멍스타그램) https://www.instagram.com/p/B5gjB0IgpU5/?igshid=qzgrnij4k8n2
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長崎市の端島炭坑(通称・軍艦島)で戦時中を過ごした元島民らで作る「真実の歴史を追求する端島島民の会」(端島の会)が、朝鮮半島出身者との暮らしを証言した動画を制作し、一般社団法人「産業遺産国民会議」のウェブサイト「軍艦島の真実-朝鮮人徴用工の検証」で公開している。元島民たちは「差別や虐待なんかなかった」と口をそろえ、貧しいながらも双方が協力して暮らしていた実態が浮かぶ。 「『チンガチンチンナーレ』ちゅうてね」「そう、『チョッター、チョッター』ちゅうてね」 収録されている元島民たちの座談会では、朝鮮半島出身者が島のお祭りで色鮮やかな民族衣装「チマチョゴリ」を着て、かけ声とともに輪になり踊っていた思い出を語り合う場面がある。 韓国側は、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録する過程で、「戦時中に強制徴用された労働者がいた」と主張し、登録に反対した。国連関係者へのロビー活動では「日本人に比べ危険な現場での作業を強いられた」と主張したという。 ただ、座談会で加地英夫さん(87)は、「強制連行というのに、どうしてあんなもの(=チマチョゴリ)を持ってきたのだろう。(日本人が朝鮮半島から)仕事中に引っ張ってきたとか、畑から駆り出してきたとか言っているのに。楽しそうに踊っていた」と振り返った。加地さんは、朝鮮人労働者の自宅でどぶろくを同級生が飲み、その家の父親から怒られたエピソードも明かす。 坑内作業への言及もある。ある元朝鮮人労働者は日本の新聞などで「常にふんどし姿でつるはしを振っていた」などと主張するが、端島炭坑で測量作業に従事した井上英士さん(故人)は「坑内で裸の作業はできない。危ないから。石炭の粉炭が落ちてきたら(身体が)切れるとですよ」と反論した。 ウェブには、2016年に韓国で出版された児童絵本「恥ずかしい世界文化遺産軍艦島」と実態との違いを、元島民らが検証する動画もある。少年が鉄格子のおりに閉じ込められた絵本の描写について、元島民らは「ないよ、そんなもの」と口々に否定する。日本兵が朝鮮人の少年をむちでたたくシーンも、松本栄さんは(91)は「そういうことを冷酷に指示し、実行させた人間は端島に1人としていなかった」と語気を強めた。 在日韓国人2世の鈴木文雄さん(故人)も証言し、「戦時中に端島でひどい目にあったという話など全然聞いていない。朝鮮人ということで、指を指され、陰口をたたかれることは、近所づきあいではなかった」と語る。 × × × 端島炭坑は昭和49年に閉山し、島は無人島になった。全国に散らばる元島民らの証言は、産業遺産国民会議の加藤康子専務理事が集めた。加藤氏は、端島炭坑を含む「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録の推薦書原案を執筆している。 きっかけは、韓国が世界遺産の登録過程で、韓国が端島炭坑をナチス・ドイツによるアウシュビッツ収容所と同一視する訴えを繰り広げたことだ。違和感を覚えた加藤氏は、人伝いに元島民を紹介してもらい、ビデオカメラを手に広島や岡山、宮崎、茨城、京都など、元島民のもとを訪ねた。 証言の収集は簡単ではなかった。戦時中の端島炭坑をめぐる新聞記事や��籍は、朝鮮半島出身者が虐待されたという��調がほとんどだったからだ。異なる発言をすれば韓国側や日本の市民団体から嫌がらせを受けるかもしれない-。せっかく本人のインタビューを収録しても、家族が公開を断ったこともあった。 故郷の名誉を回復したいと考えたのか。元島民は端島に関連する書籍や講演録を読み込み、自らの体験との違いを連絡するようになったという。元島民側からは「デマの拡散には組織で戦うべきだ」との意見も出て、平成29年1月には「端島の会」が設立された。 会の発足から3年近くが過ぎ、高齢のために亡くなった人もいる。加藤氏は「元島民たちは次の世代に真実を残さないといけないと義憤に駆られている。戦時中の端島は果たして『地獄島』だったのか。彼らの証言を聞いた人が判断してくれたらいい」と語る。
【外交安保取材】ねつ造史観に揺れる軍艦島 元島民の証言動画で反証
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이번은... pink ×purple😝 #チマチョゴリ ソウル観光にはチマチョゴリ撮影が必須ルートってくらい人気♡季節に合わせて色々着てます!お散歩ーまでいかなくても室内撮影可能な場所は明洞でもたくさんありますよー! . . . . #韓国リピーター #旅 #ソウル #チマチョゴリ体験 #明洞 #seoul #weekender #trip #travel #travelgram #traveler #travelphoto #wanderlust #photooftheday #여행스타그램 #서울 (at Seoul, Korea)
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ワンデイクラス作品 韓国語教室のクラスメイトが、自宅に チマチョゴリを作りに来てくれました❣️ ワンデイクラスは、一番初めに上着とスカートの 生地を決めて頂きます。 選んだ2色が、ちょっと寂しいかな? ちょっと地味かな?と悩まれる方多いです。 当然ですよね😊 でも小さなチマチョゴリは、その後に ウエスト部分の色や胸紐、ノリゲ、そして 最後に背景の韓紙の組合せで、驚くほどに 変わっていきます。 シックで大人っぽくするか、可愛らしくするかは あなたの選択次第👍 この作品も、胸紐やウエストのピンクと ワンポイントのアクセサリーが効いて 大人の雰囲気と若々しさを兼ねそろえた ステキな作品となりました😊 好きな物を選び自分だけの物を作り上げていく 楽しさ…是非体験してみて下さいね❣️ ❁新宿教室 12:30〜17:30 7/25(日) 🈵 7/31(土) 🈵 8/7(土)、8/22(日) ❁ 3名〜4名のグループの場合、ご都合に 合わせて都内でWS開催致します。 ❁自宅教室(西武池袋線元加治駅)では、 ワンデイクラス・ナマネクラス どちらも1名様よりご希望の日にちで お受けいたします。 プロフィールのお問合せよりお気軽に ご連絡下さい😊 世界に一つだけ 手のひらサイズのミニチマチョゴリ #ハンドメイド #手作り韓服 #韓服 #チマチョゴリ #小さな韓服 #小さなチマチョゴリ #ミニチマチョゴリ #ワンデイレッスン #ワークショップ #世界に一つだけ #オリジナル作品 #習い事 #韓国 #韓国好きと繋がりたい #hanbok #korea #한복 #치마저고리 #미니어쳐 #미니어쳐한복 #작은한복 #작은한복만들기 (元加治駅) https://www.instagram.com/p/CRQJmzSJCCe/?utm_medium=tumblr
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片山徹さん(@_9105294027642)のツイート
片山徹(@_9105294027642)さんがツイートしました: 香淳皇后のチマチョゴリで解けた昭和偽天皇李裕仁の正体。父は米軍下士官の通訳、日本に内通者有り告発。在日米大使グルーを戦中に開放しゴルフ三昧の岸信介写真がCIAより公開。岸信介は大正偽天皇と異母兄弟、裕仁叔父。李裕仁は江戸城、広島、長崎の無空爆の対価として日本人を原爆生体実験に提供。 https://t.co/mZimTaqTYA https://twitter.com/_9105294027642/status/1371231323541540865?s=20
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目次
NHKの慰安婦報道 新聞など活字メディアは紙面として、あるいは朝日、読売などは縮刷版としても残りますし、図書館に行けば読むことができます。しかし、放送メディアはそうはいきません。ですから、NHKほか放送番組に対するチェックが甘くなってしまいます。 1.「強制連行」報道に血道をあげたN H K ニュース番組を見れば、トップを飾るのはいつも「従軍慰安婦」、こうした時期が長い間つづきました。大量報道の始まりは元朝鮮人慰安婦が東京地裁へ提訴した1991年末頃からだったと思います。いつまで続いたか、ハッキりしたことは分かりませんが、とにかく年単位の長さなのは間違いないと思います。わけてもNHKの大量報道、そのしつこさは異様でした。
2コマの写真をご覧ください。1995年8月、ETV特集 「50年目の“従軍慰安婦”問題」 が2回にわたって放送され、そのタイトルを写したものです。
1回目は 「“わかちあいの家”のハルモニたち」 で、韓国で共同生活をいとなむ元慰安婦だったという7人の韓国人の生活、その3人の「労苦と怒り」などの体験談を交えながら番組が進みました。 ・NHKが示した慰安婦の定義と人数 途中、日本軍に場面が変わり、次のように解説が加えられました。 〈第2次大戦中、中国大陸や東南アジア、太平洋諸島を侵略した日本軍は、占領地での日本軍兵士による強姦や兵士たちの性病予防などを目的に、当時植民地であった朝鮮半島を中心に若い女性を慰安婦として前線に送りました。その数は 8万人とも20万人 とも言われました。〉 2回目は 「日本はいかに償うべきか」 で、国連人権委員会のクワラスマミ・特別報���官一行が、成田空港に到着する場面から始まります。女史は韓国で慰安婦からの聞き取り調査をした後に来日したとのことでした。 放送は「従軍慰安婦」を以下のとおり定義しました。 〈従軍慰安婦とは、各地の日本軍が拘束して、脅迫のもとに、兵士たちに性的な奉仕をさせられた女性のことです〉 「強制連行」という言葉こそ使用されていませんが、内容は日本軍が「8万人~20万人」もの朝鮮人女性を「強制連行」し、兵士たちに体を売らさせたということであって、このNHK解説を、「なんて日本軍は酷いことをしたのだ。同じ日本人として恥ずかしい、申し訳ない」など、日本軍に対する一層の嫌悪感をつのらせながら、視聴者は番組の意図するところを“正しく”受け留めたことでしょう。 ・8万~20万人の出所は? この「8~20万人」の数字の出どころですが、朝日新聞が 「慰安所軍関与示す資料」 として1面トップで報じた記事〔19924年1月12日付〕の右端下、「従軍慰安婦」の用語を解説したなかに出てきます。
〈1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、 反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。 元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。 太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を 挺身隊の名で強制連行 した。 その人数は 8万とも20万 ともいわれる。〉 朝日新聞のこの報道は「従軍慰安婦」問題がクローズアップされる一大転機となったものでした。ハッキリ「強制連行」と書いてあります。 「8~20万人」という数字は、平凡社大百科事典にも記載があるとのことです。どちらが元なのか調べていませんので確かなことはいえませんが、NHKの「8~20万人」はこの朝日報道の影響を受けたものであろうことは、容易に想像できるところです。 ・これが根拠? では、8万人~20万人の根拠はどこにあるのでしょう。それが、なんともバカバカしい話なのです。 毎日新聞記者出身の 千田夏光 が1973年、「声なき声8万人の告発」として『従軍慰安婦』という、慰安婦問題の草分けともいうべき本を出版しました。 書名の「従軍慰安婦」��いう言葉は「従軍看護婦」などとは違って、もともと存在しない言葉でしたから千田の「造語」ということになりますが、彼が「従軍慰安婦」を最初に使用したといわれています。 このなかで、千田は1969年のソウル新聞を紹介し、挺身隊として動員された数を「約20万人」、うち慰安婦数は「約5万人ないし7万人」としています。 千田は秦郁彦との対談で、20万人の出所について問われると、 〈出所は不明です。ただ、私も新聞記者あがりなもんですから、ちゃんとした新聞が書いた数字ですから、ほぼ信用したわけです〉 と答えています〔「論座」1999年11年9月号〕。 こんなあやふやな根拠でも、朝日という「大新聞」が書いたとたんに日本では事実と認知され、やがて世界で通用してしまうという恐ろしくも腹立たしい実例でしょう。 朝日の解説は、 挺身隊=慰安婦 とした無知な誤説で、このお粗末な解説がまた、日韓間に大きな誤解を与えてしまいました。挺身隊=慰安婦が韓国内で定着し、やがて少女の慰安婦像が韓国国内はもとより、アメリカにまで進出してしまったわけです。 2.NHKの正体見せた「問われる戦時性暴力」 もう1例、お知らせします。2001年1月29日から4回にわたって教育テレビで放送された 〈ETV2001「戦争をどう裁くか」〉 を紹介しておきましょう。 とくに問題となったのは2回目の「問われる戦時性暴力」でした。このなかで、 「女性国際戦犯法廷」 と称する模擬裁判を好意的に取り上げていたからです。
・「女性国際戦犯法廷」ってなに? この模擬裁判の主催者は、 松井やより ・元朝日新聞記者を代表とするNGO「戦争と女性への暴力日本ネットワーク」で、〈日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」〉という旗印のもと、2000年12月、皇居に近いという理由から東京の九段会館などで裁判が行われました。 裁判の目的は、東京裁判で裁かれなかった日本軍による「性奴隷制度」、つまり慰安婦問題を裁き、日本政府と昭和天皇の責任を追及しようとするものでした。法廷の最終日12月12日、マクドナルド裁判長が、 「天皇裕仁を婦女暴行と性奴隷制についての責任で有罪とする」 と言い渡したことからも、この裁判が何を意図していたのかは容易に読み取れるでしょう。 法廷は弁護人もなく、したがって証人への反対尋問もなく、“被害者”として登場した元慰安婦たちの「証言」で、一方的に審理が進むというとんだ茶番劇でした。笑わせるのが、傍聴者はこの法廷の主旨に賛同するものだけだといい、誰もが自由に傍聴できないことでした。 ・NHK教養番組部がとりあげ このような偏向した法廷をいち早くNHK教養番組部が題材として取りあげ、 「教育番組」 として放送したのです。それも慰安婦の「強制連行」が既定の事実であるかのように制作・放送されました。いかに左がかった考えの持ち主がNHKに巣くっていて、主導権を握っているかがわかります。 昭和天皇を有罪とした下りこそカットされ放送されませんでしたが、これも放送直前、試写を見た吉岡教養番組部長が「女性国際法廷の紹介番組ではないか」「お前らにハメられた」などと怒り、大幅な修正を命じた結果とのことです。カットされたなかには中国戦犯2人の 証言 も含まれていました。 とはいえ、「女性国際戦犯法廷」を軸に番組が展開されているのは間違いないところです。ですが、放送番組を見て怒ったのが主催者のバウネット・ジャパン。早速、カットしたのはケシカランとNHKに対し抗議するやら、提訴するやらの騒ぎとなりました。 ・朝日報道から政治問題化 さらに約4年後の2005年1月12日付けの朝日新聞が、 中川昭一 経産相、 安倍晋三 内閣官房副長官が、放送の前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘、このためNHKは番組内容を変えて放送したと一面上段で報じました。 政治家の圧力により、NHKの番組が改変されたというのです。朝日報道は「事実を歪曲」したものとNHKは猛反発、 朝日 対 NHK のゴタゴタ騒ぎとなりました。あれからまだ日も浅く、ご記憶の方も多いことでしょう。 この問題は、 NHKが偏向番組を放送したこと自体が問題の核心 であることを忘れてはいけないと思います。 3.多数の慰安婦報道 NHKはこのほかにも慰安婦に関連する番組を多数、放送してきました。下もその一例です。
これらの放送が重なり、やがてアメリカ下院本会議で、 「慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ」 などとする対日非難決議案が可決され、日本政府に「公式謝罪」を求めてきました。この腹立たしい出来事の責任の多くを、NHKは朝日などとともに負うべきものと思います。 ・「吉田証言」では素知らぬ顔 ところで、吉田清治証言について、NHKはどう報じたのでしょうか。今回の朝日の記事撤回に関連して、何らかの釈明があるかと思いましたが、間違った報道はなかったとして、「謝罪」はありませんでした。 おそらく、吉田証言を肯定する報道はなかったのでしょう。ですが、私が問題だと思うのは、これだけ吉田証言は「虚偽である」との指摘がでていたのにもかかわらず、NHKは吉田証言に対する検証報道をしなかったことです。 このことは、批判されなければならないでしょう。要するに、狡いのだと私は思っています。
梶井彩子 朝日謝罪から一年二カ月 朝日新聞の「誤報謝罪会見」から一年二カ月が経った。今夏にようやく産経新聞の取材を受けた植村隆氏は、相変わらず「慰安婦問題の拡大は自分や朝日のせいではない」「朝日が日韓関係をこじらせたのではない」と主張した。だが、朝日新聞がことさらに「朝鮮人慰安婦を強制連行した」との構図を強調して書き立ててきたことは論を俟たない。 新聞各社の「慰安婦報道」は縮刷版や記事データベースなどで検証可能であり、だからこそ朝日新聞は慰安婦報道に関する検証記事を発表、一部誤りを認めたのだろう。読者は忘れても、��ーカイブはその足跡をすべて覚えているからだ。 では、テレビ番組はどうか。ネット普及以前に放送された番組はほとんど検証できず、稀に動画サイトに上がってもすぐに削除されてしまい、番組内容は出演者や視聴者の記憶に頼る部分が少なくなかった。 各放送局はいったい、慰安婦をどのように報じていたのか……。そこで行きあたったのが、横浜にある「放送ライブラリー」である。〈放送法の指定を受けたわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設で、時代を伝えるNHK、民放局のテレビ・ラジオ番組、CMを一般に無料で公開〉している施設だ。
テレビ番組約二万本、ラジオ番組約四千本を保存し、約一万八千本を公開。特にドキュメンタリーや歴史、文化などの教養番組、大河ドラマ、各時代の代表的なバラエティ番組などが充実している。「慰安婦」というキーワードで検索すると、以下の五つの慰安婦に関するドキュメンタリー番組が登録されている。 (1)一九八二年三月一日放送『11PM韓国から見た日本〔2〕(シリーズ・アジアと共に生きる〔4〕)』日本テレビ放送網 (2)一九九二年五月三十日放送『特別番組汚辱の証言朝鮮人従軍慰安婦の戦後』九州朝日放送 (3)一九九二年八月十四日放送『NHKスペシャル 調査報告 アジアからの訴え 問われる日本の戦後処理』NHK (4)一九九六年九月三十日放送 『NNNドキュメント96 IANFU インドネシアの場合には』中京テレビ放送 (5)一九九七年十二月八日放送 『NNNドキュメント97 声閉ざされて、そして インドネシアの「慰安婦」たち 特集・戦争の時代に』中京テレビ放送 これらをすべて視聴したうえで、主に朝鮮半島の慰安婦について扱った1・2の番組に関し、内容を検証してみたい。 まるで「啓発ビデオ」 (1)『11PM 韓国から見た日本〔2〕』 韓国・朝鮮半島との��かわりを追った五回シリーズ���うちの第四回で、従軍慰安婦のほか、樺太残留韓国人、BC級戦犯、在韓被爆者などの問題を取り上げており、その年の日本ジャーナリスト会議賞を受賞している。 結論から言ってしまえば、この番組が五本のなかで最も杜撰、かつおどろおどろしい作りになっていた。ドキュメンタリーというよりも、運転免許更新の際に見せられる「交通事故予防啓発ビデオ」に近い。「事故を起こせば人生終了」といったトーンの、あれだ。 のっけから激しいBGMとともに、〈女子挺身隊という名の慰安婦〉と大間違いのテロップが画面の真ん中にドカンと現れる。 続いて元軍医の麻生徹男氏のインタビューが挟まれているが、麻生氏が「慰安所を設けるよう意見書を提出した」と話す場面に、〈慰安婦に関する軍への意見書が朝鮮女性連行につながった〉と、ここでも意図的なテロップを表示。麻生氏の「かなりどぎつい集めかたをしていますね」のコメントとともに、視聴者に強く印象づけている。 麻生氏はたしかに意見書を提出してはいるが、内容は花柳病の蔓延に関する報告が主であり、なかでも特に強調しているのは「娼楼ではない慰安の場所」、つまり音楽や映画、スポーツなどの軍用娯楽施設の設置を求めるもので、強制連行とは何の関係もない。 麻生氏がこの番組に登場したのは、千田夏光氏の『従軍慰安婦』一九七三年の記述によるものだろう。千田氏は本のなかで、あたかも麻生氏が慰安所を考案した責任者のように書いている。ちなみに、本には「従軍慰安婦は挺身隊の名で集められた」との表現もある。 麻生氏は軍医として慰安婦らの身体検査を行っており、当時の写真や状況を『戦線女人考』にまとめている。そのなかで、「支度金千円を払って急遽集められた女性たちが慰安所に連れてこられた」と書き残している。 ところが千田氏は、『従軍慰安婦』に「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」と書いたのである。 そのため、麻生氏は世間から「慰安婦強制連行の責任者」であるが如く受け取られてしまい、なかには麻生氏の娘の甘児都氏のところに「民族の恨みを晴らす」「責任者の娘としてどう思うか」などと言って押しかけて来たものもいたという。 甘児氏によれば、〈千田氏はこの件が誤りであり、今後誤解を招く記述はしないと…中略…謝罪してきましたので、三一書房と講談社に改訂を申し入れましたが、二社ともそのままで出版を続けています〉とのことだ(麻生徹男・甘児都『慰安婦と医療の係わりについて』)。 この番組のテロップも、千田氏の本に沿って「麻生氏が慰安所設置の意見書を出した」「それが強制連行につながった」とミスリードを行っている。 朝日より先だった日テレ 番組はその後、韓国放送公社制作の元慰安婦の女性を扱ったドラマ「従軍慰安婦 ポンスンの空」の映像を紹介。〈日本軍は行く先々で従軍慰安婦を連行していた。女子挺身隊という美しい名のもとに一身を捧げる。しかし、現実は兵隊たちに一日何十回となく体を提供することだった〉と説明を述べたのち、ドラマの映像がそのまま流される。
韓国最大野党がソウル中心部に掲げた日韓合意に反発する横断幕=1月27日(共同) 場面は戦場。日本兵の上官が「慰安所に並べ」と言うや否や、若い兵隊たちが慰安所内の女性に襲いかかる場面に「ギャーッ」と女性の悲鳴。 その次の場面では、兵隊にまぎれて行軍するチマチョゴリ姿の慰安婦。疲労で倒れる慰安婦を無理やり歩かせる日本兵が描かれている。「ヘイタイサン……ヘイタイサン……」と片言の日本語で兵隊に助けを求める慰安婦の姿が痛々しい。 このドラマは、元慰安婦のポンスンが戦後も実家に帰ることを許されず、売春観光に訪れる日本人観光客を相手に売春を強要される女性の代わりに殺人を犯し、投獄されて精神を病む……というストーリーだ。 八〇年代の日本人男性の「売春観光」と慰安婦の存在を結び付け、「今も昔も韓国人女性を蔑視する日本人」「その日本人によって精神病に追いやられたポンスン」を印象付ける。 たしかに、戦後の「売春観光」が慰安婦問題勃発の下地になっていた可能性はある。 だが、11PMのこのシリーズ自体は「ドキュメンタリー」というジャンルでありながら、内容はドラマの筋書きにすっかり乗っかっている。 さらに番組では〈しかし事実はもっと広く大きかった〉とのナレーションのあと、兵隊ではなく労働者の相手をさせられたという元慰安婦のインタビュー映像を挟む。暗い部屋に座る元慰安婦らしい女性のシルエットを映しつつ、証言が流れる。「嫁入りの口がある、と騙され��」「日本人が引っ張ってきた」「虐待に耐えられず四人が自殺」「日本人は薄情」 三十四分の番組のうち慰安婦のパートは十四分程度だが、過剰なBGMや再現ドラマ、元軍医の証言と盛りだくさんの内容で、破壊力十分。だが、とても賞に値する番組とは思われない。『11PM』は深夜のワイドショー番組で、一九六五年から九〇年まで続いた長寿番組。当初は硬派な番組だったが視聴率が取れず、麻雀や酒、お色気に至るまで幅広い話題を取り上げる番組に変貌を遂げた。『韓国から見た日本』が放送されたのは「テコ入れ後」の一九八二年三月一日だが、この『韓国から見た日本』以外にも、一九七二年の沖縄の復帰を扱い、こちらも賞を受賞している。 一九八二年三月一日という放映日にも注目である。朝日新聞大阪版が吉田清治証言を初めて掲載したのは、一九八二年九月二日。日本テレビは、朝日新聞の吉田清治報道より半年も前に「従軍慰安婦の強制連行」を取り上げていたことになる。 しかも、早くもこの時点で「女子挺身隊と従軍慰安婦を混同」しており、植村隆記者の一九九二年の記事を先取りしている。 朝日新聞の「慰安婦報道」検証では、読売新聞は産経新聞に次いで「朝日批判」の色を強めていたが、ともすれば「朝日以上」の番組を系列のテレビ放送網が放映していたことを、読売関係者はご存知だろうか。 朝日ソウル支局が協力 (2)『特別番組 汚辱の証言 朝鮮人従軍慰安婦の戦後』 九州朝日放送のこの番組は、(1)に比べれば「ドキュメンタリー番組らしい」内容で、やはり「地方の時代」映像祭一九九二優秀賞受賞作だ。 主に元慰安婦の「文玉珠」を中心に描かれており、彼女が福岡の団体に招かれて来日、「戦後四十七年、ようやく重い口を開き始めた」という、まるで植村記者の金学順報道の見出しのようなトーンで彼女を追うドキュメンタリー。 番組放映日は、一九九二年五月三十日。植村記者の金学順記事は前年の八月十一日だから、この記事の影響するところは多かっただろう。九州朝日放送制作のこの番組のエンドロールにも、制作協力として「朝日新聞ソウル支局」が名を連ねている。 番組は文氏が日本で開催された慰安婦集会に登壇し、「平日は三十人から四十人、日曜には六十人から七十人の相手をさせられた」と語るシーンから始まる。 そして、すぐに韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表が登場。尹氏は「慰安婦問題で日本は彼女たちを三度殺す」と述べ、「一、ひどいことをした。二、忘れられていた。三、謝罪がない」の三重苦を負わされていると発言。このまま謝罪がなく、日本人が日本の若者に慰安婦の事実を教えなければ「三度目の死となる」と述べる。 場面変わって、文氏の来日支援を行った慰安婦研究家の森川万智子氏。彼女は文氏の著作『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私─教科書に書かれなかった戦争』(梨の木舎、��六年。新装増補版は二〇一五年)の構成と解説を担当している。番組では、福岡で「慰安婦一一〇番」という電話相談を受ける団体の代表として登場。「市民として過去を清算したい」と述べる。 この番組で文氏は、「十八歳でビルマへ行った。食堂に行けば稼げると言われた」と話す。文氏の本によれば、もともとキーセン学校に通っていた文氏は、一度、憲兵らに連れられて慰安婦になったが故郷に戻り、次は友人から「食堂で働き口がある」と聞いて行ってみたところ、実態は慰安所だった。が、「やはりそうか」と納得したという。 「人間的な」兵士との交流 文氏は番組で、涙ながらに「夜明けまで相手をさせられて死にそうでした」と述べているが、文氏の本には意外な場面が描かれている。 それは慰安婦・文がヤマダ(仮名)という日本兵と懇意になるくだりだ。〈わたしは一生懸命ヤマダイチロウの無事を祈った。二、三カ月して、前線からヤマダイチロウの部隊も戻ってきた。ヤマダイチロウは無事だった。すぐに慰安所にきた。「ヤマダ上等兵、無事帰還いたしました」 ヤマダイチロウはわたしに向かって敬礼した。私たちは抱き合って喜んだ。そういう日はマツモト(という朝鮮人の男。慰安所の引率者)公認で、慰安所全体も大騒ぎになり、開店休業だ。さっそくわたしたち慰安婦も一円ずつ出し合って大宴会をしたのだった〉(文玉珠『「慰安婦」だった私』、補足は筆者) もちろん、過酷な記憶と楽しい記憶が共存することはありうるため、これを以て「慰安婦としての生活は悲惨ではなかった」とは必ずしも言えない。また、この本の内容は「真偽定かならぬ部分もないわけではない」(秦郁彦氏)との指摘もあるとおり、兵隊を蹴り飛ばした、刺し殺したなどの箇所もある。しかし、エピソードのすべてが創作とも思えない。 また、番組で文氏の「人間的な」兵隊との交流に全く触れていないのは不自然だ。文氏をことさら「かわいそうな被害者」としてだけ描いており、本にあるような人間性や女性としての逞しさ、明るさは番組からは全く感じられないのである。 番組では、元日本兵や軍関係者も証言者として登場する。「九州の兵隊は慰安婦がいないと元気が出ない」「慰安所は、日本にもあった特殊飲食店の一環。悪いとは思わない」「女は消耗品だから助けなくていいと言われた」 その後、さらに二人の慰安婦が登場。韓国・城南市の沈美子氏の証言。「日本地図に刺繍しろと言われ、朝顔の刺繍を入れたら『桜を入れろ』と叱られ、日本の警察に焼きゴテを当てられた。気を失っている間に連行され、気がつくと福岡にいて、その後、『七番』と番号で呼ばれる慰安婦になった。先生になりたかったが日本に踏みにじられた」 ハルモニ食堂を経営する���錦周氏。「勤労挺身隊として紡績工場に行くのだと思ったら、樺太に着くなり服を脱げと急に言われた」 封印された記憶 そして文氏が市民グループの手引きで来日し、集会で証言をする場面が流れる。「大日本帝国国民となります、と言わされたのに、この仕打ちは酷い」 この発言には驚いた。番組制作側は、「大日本帝国=悪」だとしてこの発言を削らなかったのだろう。だが文氏の本の記述を読むと、また別の思いを感じ取る。〈戦地の軍人たちの思いと、わたしたちの思いとは同じだった。ここに来たからには、妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かねばならない、と。わたしはその人たちの心持ちがわかるから、一生懸命に慰めて、それらを紛らしてあげるよう話をしたものだった〉(『同』) 番組内の元軍人の証言でも、慰安婦とのこんなやりとりが語られる。「軍が引き揚げるとき、慰安婦たちは『連れて行って下さい』と言っていた。『途中でお金が必要になったら、私たちがたくさん持っています』と言って、もう三文の値打ちもない軍票を見せていた。『死ぬ時は一緒に死にます』と泣きつかれて……」 涙を拭う元軍人。 この二つの場面には胸を打たれた。軍人と慰安婦の間には、戦地特有の一体感さえも生まれていたことになる。「戦地」に置かれた女性と男性の、悲しい「同志の心」だったのだろう。だが、いまや、それは日韓双方で語られることはなくなってしまった。
日本大使館前で慰安婦像を囲み、慰安婦問題での日韓の最終合意に抗議する元慰安婦や支持団体のメンバーら=2015年12月30日、ソウル(名村隆寛撮影) 彼女たちの真の歴史を奪ったのは挺対協だけではない。朝日新聞などが「強制連行」を強調して報じたことにより、慰安婦になった本当の経緯や、戦地で生まれていた軍人と慰安婦の関係についての真相は「反日」の幕で覆い隠されてしまった。彼女らの真の証言を、朝日新聞や挺対協が封殺したと言っていいだろう。 もはや、元慰安婦たちが「あの頃、日本の軍人さんとどのような関係にあったか」「どんな雰囲気だったか」を率直に話すことはできまい。特に韓国では、「親日売国奴」の汚名を着せられかねない。 真の和解のための“よすが”になりえた共通体験だが、可能性は潰されてしまった。そして、「戦地でたしかに存在していた慰安婦と軍人の関係」は歴史の狭間に葬り去られることになる。 「母に楽をさせたい」 その後、番組は文氏が支援者に付き添われて下関郵便局を訪れ、野戦郵便局から貯金していたお金を返してほしい、と交渉する場面が流れる。日韓協定で決着がついている以上、日本側から個人にお金を払うことはできない、と断られるが、諦められない文氏の表情が大写しになる。 慰安婦が性奴隷ではなく、「高収入の売春婦」だった証として「慰安婦の収入明細」のように紹介される「文原玉珠」名義の貯金通帳明細は、この文氏のものだ。政府の調査でこの記録が出てきたのだが、たしかに文氏は二万六千円もの貯金をしている。当時の二万円は、現在の六千万円相当とも言われる(ただし戦地のインフレ率や軍票との関係により諸説ある)。 文氏は、本にこう書いている。〈事務を仕事にしている軍人に、わたしも貯金できるか尋ねると、もちろんできる、という。兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることをわたしは知っていた〉〈どんなに働いても貧しい暮らしから抜け出すことができなかったわたしに、こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった〉(『同』) 貧しさのなかにあった文氏が、こつこつ貯めた財産だ。それが戻らないのは気の毒ではある。「カネをもらっていたのだから奴隷であるはずがない」という主張はたしかにそのとおりだが、結果として「母を思いながら、春をひさいで貯めたお金が手元に残らなかった」恨み、悲しみに寄り添う必要はあろう。 だが番組内でも説明があるように、補償関係はすべて日韓協定で「解決済み」となっているのである。 個人補償よりも国家の発展を選んだのは韓国政府である。もちろん、その国家の発展の恩恵を文氏も少なからず受けてはいるだろうが、やり場のない怒りがすべて日本に向いてしまっているのは、日本にとっても文氏にとっても不幸なことである。 一生懸命働いたのに、お金が残らなかった。母に楽をさせてあげられなかった……彼女にそんな思いがあったのだろう。その思いを「運動」のために利用した人々がいる。 女性たちの思いに報いようとしたのが、アジア女性基金だった。少しでも元慰安婦たちの心に寄り添い、生活を支援しようとした動きだったが、韓国側運動団体はこれに激しく反発。元慰安婦の女性たちに受け取りを拒否するよう圧力をかけた。 いまでこそ取り組みを評価している朝日新聞も、当時は韓国側の空気を慮ってか、この取り組みを必ずしも支持���なかった。彼女たちが「恨みを残したまま死ぬ」ように仕向けたのは誰だったのか。 元慰安婦の涙 番組では、支援者が開いた文氏の誕生日パーティの模様を映し出す。「自分の誕生日も知らなかった私を祝ってくださってありがとうございます……」 文氏は涙にくれる。そして、「戦場から戻った軍人に呼ばれて同席した宴会のために覚えた」という歌を披露する。 「生れ故郷を 何で忘れてなるもんか 昨夜も夢見て しみじみ泣いた そろそろお山の 雪さえ溶けて 白いリンゴの 花がちらほら ああ 咲いたろな」(「リンゴ花咲く故郷へ」正しくは“咲くだろな”)
故郷から遠く離れた戦地で、立場は違えど、軍人と慰安婦は、この歌を歌いながらともに故郷を思っていたのだろう。文氏が本に書いたような軍人との交流もあったからこそ、彼らが歌っていた歌を忌み嫌わず、懐かしく口にしたのではないか。 生死の行方���知れない戦争のさなか。いまよりもずっと貧しい時代だ。いまの価値観で善悪を判断することはできない。「連行されたに違いない」「軍人を恨んでいたに決まっている」とするのは、元慰安婦らの生きた足跡を、いまの価値観で全く別のものにしてしまう可能性がある。 番組終盤で再度、挺対協の尹氏が述べる。「日本がやったことは韓国人の人格を貶め、日本人自身も失った。戦後処理をしなければ絶対に忘れません」 だが、慰安婦という職業についた女性に「賤業」のレッテルを貼り、さらには「日帝のために働いた女」として社会から排斥した韓国社会にも問題はなかったか。 番組に登場する元慰安婦・沈氏も、「結婚もできなかった。友人の家族を見ると辛い」と涙を見せている。 誕生日を祝われて涙を見せる文氏にも、元慰安婦として名乗り出たあとには、「お金のためでしょ」「もう付き合いをやめる」という電話があったそうだ。 いまも運動のためにだけ駆り出され、寒空の下、あるいはカンカン照りの路上で泣き、「悲惨な体験」を語ることのみを求められ、世界各国を「ド��回り」させられている老女たちがいる。そんな姿を見るのは本当に心苦しい。 罪を犯したのは誰か「少女の頃のことを忘れたくなかったから」とピンク色のチマチョゴリを着た理由を語る文氏。取材陣に手を振る姿を映して、番組は終わる。そこにいるのは、戦争という時代と苦労の人生を歩んだ一人の老女である。 和解は双方が目指さなければ決して成り立たない。 歴史には光も影もある。その双方を織り込み、「ありのままの体験を話すことで『和解』を果たす」道を取っていれば、日本人の多くは彼女たちとその人生に心からの深い同情を寄せられたはずだ。 だが慰安婦問題を運動に仕立て上げた人たちは、彼女らに「強制連行」の嘘をつかせ、日本人を恨ませ、生活の足しになるはずのお金を渡すことすら妨害した。そして互いの猜疑心は膨らみ、日本人からの女性たちに対する同情心さえ離反させてしまったのである。 朝日や「強制連行」派の学者、テレビ関係者、運動家は日本人の名誉を貶めただけでなく、このような元慰安婦たちから「真実の歴史」「生きた証」を奪い去った「罪」をも負っているのではないだろうか。
かじい・あやこ 1980年生まれ。中央大学卒業後、企業に勤める傍ら「特定アジアウォッチング」を開始。「若者が日本を考える」きっかけづくりを目指している。月刊誌に寄稿の他、『韓国「食品汚染」の恐怖』や『竹島と慰安婦—韓国の反日プロパガンダを撃て』など日韓関係に関する電子書籍などを無料公開中。
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私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
いやー、それにしても日本の公立高校には感動したね!
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と���どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出し状態で全巻読破するという状態だったしな! だから今でも本棚整理する時は子供向けでも大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「��デオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊ん��ると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足���着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB’zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB’zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
Bだって私の前で嫌韓発言するようなことはしないだろう。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは別」ってこと?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
私自身「ネトウヨは嫌いだけどBのことは好き」だから。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもない��に何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。 追記
http://anond.hatelabo.jp/20090415055817
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415055817
日本の人を考慮してないように見えるかなあ。うーん。
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すれば��いと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
” - それじゃ便乗して民族学校通ってた在日もちょっと書いてみるか。追記あるよー。 (via shrineroof, reservoir)
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夏至のはなし その3 エムエムブックスに到着すると、スタッフの方が店の前にいらした。こんにちは、と挨拶をすると、僕たちの顔を見て驚かれている。「あの、服部と待ち合わせしてらしたんですか?」 は?なんのことでしょう。僕たちはただふらりと遊びに来たんです。「昨日から松岡一哲さんご夫妻が滞在されていて、これからみんなでご飯を食べるので、皆さんでお約束されていてお越しになったのかと思って…」 松岡一哲さん、とは、くしま君のレシピ本を撮影されたカメラマンさん。まぁまぁマガジンでもよく撮影をされている方。「服部に伝えてきますので、ちょっと待っててくださいね」 なんというタイミング。2人で静かに興奮する。すごいね、すごいね。一哲さんにも奥さんのまりぃさんにも会えるなんてね!やっぱりこういうことが起こるのだ。 というわけで、近くにあるエムエムブックスのシェアハウスでお昼ご飯をいただけることになった。そこで、服部みれいさんとも初対面。ものすごく、チャーミングで、パワーのある方で、僕の中ではドリカムの吉田美和さんと近いものを感じました。美和ちゃんはよくコンサートで「みんなを幸せにしてあげるからね〜!」と言ってくれるのだけど(幸せにしてあげるから、と言えるってすごいことだと思う。ものすごいパワーがないと言えないし、愛とか覚悟がないと言えない言葉)、それと同じようなエネルギーを感じた、というか、「みんなを幸せにしてあげたい思い」が強くある方なのだな、と感じました。無邪気だけど聡明で、愛。ご主人の福太郎さんもまだお若いのに、若頭、のような、頼もしい雰囲気のある素敵な方。スタッフの方やそこに集う方もみんな素敵で、ご飯もすごく美味しくて終始ほわぁ〜っとしていた。 みれいさんに「はじめましてオガワジュンイチです、ヒーリングやリーディングをして、瞑想とかを教えてます」と自己紹介することができた。胸張って。堂々と。たぶん、以前だったらもっとモジモジしてたな。経験と時間が自信を与えてくれたのだ。そう、経験と時間しか、自信を与えてくれない、のだ。 みれいさんは僕とくしま君を「御魂分けした2人だね!」と言ってくれた。元はひとつだったんだね、と。出会えてよかったね、と祝福してくれた。ありがとうございます。本当にありがとうございます。 皆さんに温かく見送ってもらい、そのあとはみれいさんオススメのシェアハウスから歩いて数分の八幡神社へ。ここがまたすごく良い神社で。境内に入ると一気に空気が変わるのがわかる。神聖。境内の中にある不思議な木と話すくしま君。 神社を出たあとは美濃市の古い町並みを散策して、エムエムブックスに戻って、初めてコズミックワンダーのお洋服を選んだ。チマチョゴリみたいな不思議な服。来てよかった。インスピレーションを信じてよかった。そういえば、関西に帰るたびに通っている不思議な整体の先生が「あんたはなぁ、これからもっとスピードが上がっていくで。そうやないと間に合わんのや。あんたは一歩一歩進みたいんやろ? でもな、それじゃ間に合わんのや。頭ではごちゃごちゃ考えとるけど、深いところでは全部わかっとるんやから、潜在意識を信じて言う通りにしとったらええんやで」と、言ってた。こういうことなんですね、先生。 インスピレーションが正解。瞬間の、その一瞬を逃しちゃいけない。否定しても疑ってもいけない。ただ、信じる。信じ抜く。先が見えなくとも。インスピレーションでしか行けない場所がある。できないことがある。 僕の突然のインスピレーションを快く受け入れ、一緒に行ってくれたくしま君に一番の感謝を。ありがとう。 みなさんの夏至はどうでしたか? 僕の夏至はこんな感じ、でした。
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K-POPやグルメが集結!韓国フェスティバル2019in名古屋| 東海エリアのイベント情報サイト ナイスタイム(NICE TIME)
K-POPやグルメが集結!韓国フェスティバル2019in名古屋| 東海エリアのイベント情報サイト ナイスタイム(NICE TIME)
名古屋のエディオン久屋広場では、日韓友好を象徴するイベントとして「韓国フェスティバル2019 in 名古屋」を2019年4月20日(土)、21日(日)に開催します。K-POPステージをはじめ、韓国伝統芸能や韓国グルメ、文化体験が集結したイベントと��っているので韓国が好きな方にオススメです。グルメブースでは東海三県の韓国料理や韓国物産を取り扱う人気店��出店、文化体験ブースでは韓服(チマチョゴリ・パジチョゴリ)レンタル体験・折り紙教室・韓紙工芸・本格キムチ手作り体験ができます。…
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出典:ナイスタイム(NICE TIME)
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なんでも体験✨ チマチョゴリを着てみました♡ #ビョルグント韓服レンタル店 #事前予約がお得です #急だったのにありがとう❤︎ #でも40度 #暑かった #敢えてのピンク #笑 (Seoul, Korea)
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みんなで韓国服着てきたよ。 #韓国服 #韓国伝統 #チマチョゴリ体験 #치마저고리 #明洞
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小さなチマチョゴリのWSを初めてから 早々にナマネを体験して下さった方が また作りに来て下さいました💕 このチマチョゴリに出会ってから、気持ちが ワクワクする様になりました❗️ とキラキラと輝く瞳を見て、何気なく始めた 小さなチマチョゴリ作りですが、やって良かったと 心の底から暖かい気持ちになりました。 ステキな時間をありがとうございました😭 ✨✨✨✨✨✨✨✨ ワークショップ参加者募集中❣️ ワンデイクラス12:30〜17:30 ・原宿教室 12/5(土) 残席1 12/20(日) 残席1 来年1月以降のワークショップは 後ほど募集致します。 自宅教室では、ワンデイクラス・ナマネクラス どちらも1名様よりご希望の日にちで お受けいたします。 プロフィールのお問合せより、お気軽に ご連絡下さい😊 世界に一つだけ 手のひらサイズのミニチマチョゴリ #ハンドメイド #手作り韓服 #韓服 #チマチョゴリ #小さな韓服 #小さなチマチョゴリ #ミニチマチョゴリ #ワンデイレッスン #ワークショップ #世界に一つだけ #オリジナル作品 #韓国 #韓国好きと繋がりたい #hanbok #korea #한복 #치마저고리 #미니어쳐 #미니어쳐한복 #작은한복 #작은한복만들기 #수제 #꽃신 #작은꽃신 #한국 #좋아요 (元加治駅) https://www.instagram.com/p/CIPgdRrJ2pE/?igshid=1vco1ciyrtlez
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小さなチマチョゴリ作り 体験してみませんか⁉️ 11月29日1名様参加可能です。 この日(11/29)より、今までの新宿西口より 原宿に会場が変わります。 JR原宿駅より徒歩7分 副都心線・千代田線 明治神宮前駅より徒歩6分 最近韓国化しつつあるという原宿。 今までより少し広くなった教室で、可愛いチマチョゴリ 作っちゃいましょう😆 ✨✨✨✨✨✨✨✨ ワークショップ参加者募集中❣️ ワンデイクラス12:30〜17:30 ・新宿教室 11/14(土) 残席2 ・原宿教室 11/29(日) 残席1 12/5(土) 残席1 12/20(日) 自宅教室では、ワンデイクラス・ナマネクラス どちらも1名様よりご希望の日にちで お受けいたします。 プロフィールのお問合せより、お気軽に ご連絡下さい😊 世界に一つだけ 手のひらサイズのミニチマチョゴリ #ハンドメイド #手作り韓服 #韓服 #チマチョゴリ #小さな韓服 #小さなチマチョゴリ #ミニチマチョゴリ #ワンデイレッスン #ワークショップ #世界に一つだけ #オリジナル作品 #韓国 #韓国好きと繋がりたい #hanbok #korea #한복 #치마저고리 #미니어쳐 #미니어쳐한복 #작은한복 #작은한복만들기 #수제 #꽃신 #작은꽃신 #한국 #좋아요 (元加治駅) https://www.instagram.com/p/CG9FZNeJ2Bn/?igshid=1o5u47r2newxb
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ワンデイクラスについて 最近ワークショップのお問合せを よく頂きます。 SNSって、見るタイミングでなかなか わかりにくいですよね💦 ワンデイクラスは、小さなチマチョゴリ作りを 体験していただくクラスです。 基本の形やデザインは一緒。 ただ、選んでいただく場面が多いんです。 ・上下とウエスト部の生地 ・襟の色(2択) ・袖口部の長さ ・ノリゲ ・胸紐 ・背景韓紙 ・コッシン(靴) ・ブローチ これだけの物をご自身で選んで頂くと 同じデザインでも全く違う雰囲気の チマチョゴリご出来上がります❣️ 所要時間は約5時間。 長い時間に躊躇される方もいらっしゃいますが、ほとんどが悩む時間と言って良いかも😅 一つ一つの工程を経て、形が出来上がって 来るごとに、あちこちから「可愛い💕」の 声が聞こえてきます。 もう皆さん、時間が経つ程にテンションアップ⤴️ 作り終えた後の達成感と、ご自分の手で 作り上げたチマチョゴリの可愛さは 言葉では言い表せないほどのはずです😆 案ずるより産むが易し❣️ 先ずはワンデイレッスンへGO✨ ✨✨✨✨✨✨✨✨ ワークショップ参加者募集中❣️ ワンデイクラス(新宿教室)12:30〜17:30 10/24(土) 満席 11/14(土) 残席2 ・11/29(日) 満席 12/5(土)・12/20(日) 自宅教室では、ワンデイクラス・ナマネクラス どちらも1名様よりご希望の日にちで お受けいたします。 プロフィールのお問合せより、お気軽に ご連絡下さい😊 世界に一つだけ 手のひらサイズのミニチマチョゴリ #手作り #ハンドメイド #手作り韓服 #韓服 #チマチョゴリ #小さな韓服 #小さなチマチョゴリ #ミニチマチョゴリ #ワンデイレッスン #ワークショップ #世界に一つだけ #オリジナル韓服 #韓国 #韓国好きと繋がりたい #hanbok #korea #한복 #치마저고리 #미니사이즈 #미니어쳐 #미니어쳐한복 #작은한복 #작은한복만들기 #작은것 #수제 #꽃신 #작은꽃신 #한국 (元加治駅) https://www.instagram.com/p/CGWW0xJJPqX/?igshid=1df596gtglops
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