#セレブ 5ちゃんねる
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kennak · 8 months ago
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1名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:00:11ID:gB1J 有名人の家を晒してはいけないって日本だと常識なのに アメリカだったらええやろってなったんかな? 2名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:00:23ID:zGAL なんや なんかあったんか? 4名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:00:55ID:gB1J >>2 大谷の家を晒して日テレとフジは出禁になった 7名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:01:40ID:gCJF >>4 どこを出禁になったん? 8名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:01:48ID:gB1J >>7 ドジャース 14名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:03:35ID:gCJF >>8 ZIPは大谷ニュースやってるのに 17名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:04:23ID:gB1J >>14 今は取材パスがないらしいで 3名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:00:38ID:rSh0 いつもの軽いノリやろ 6名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:01:22ID:gB1J >>3 でも日本のプロ野球選手の家を黙って晒しはしないやろ 昭和ならまだしも 5名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:01:06ID:rSh0 正直草 9名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:01:58ID:6a2O テレビ局様なんやが? 原作者のしょっぱい作品をテレビ様に流してくれてやるために 改善しているんやが? 10名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:02:27ID:gB1J >>9 日テレはここ最近かなり不祥事続きやな 18名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:05:17ID:TSKN 普通に自宅晒してるし近所の人にインタビューしてるしそりゃ怒るよ 19名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:05:20ID:leZk ドジャースから直接映像を仕入れたり日テレフジが 直接撮影するのが禁止らしい だから他のところが撮った映像を使うのは大丈夫なんやが ドジャースが日テレフジに映像をあげないように呼びかけてるらしい 21名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:05:36ID:ejxI でもアメリカのセレブってみんな家晒されてない? 晒されたところで一般人は立ち入られへんやろけど 24名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:06:36ID:rSh0 >>21 それでも強盗誘拐の危険があるからやろ 奥さんおるし 25名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:06:37ID:gB1J >>21 多分その基準でやったんやろな でも大谷夫妻は日本人だし許可なく晒してOKとはならんやろって 思わんかったんかね 26名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:06:39ID:pKfW 日本のコンプライアンスに対する認識は実際に遅れとるししゃーない 31名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:07:24ID:gB1J >>26 いや日本の有名人にも絶対にやらんぞ 許可なく有名人の家さらすなんて日本でもやらない 42名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:11:36ID:3BL4 >>26 むしろアメリカのノリやろ 27名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:06:45ID:auSv どっちにせよ MLBの中継費用は払えないからセーフ 28名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:06:56ID:8DQc ご近所さんも呆れてたわ 29名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:07:09ID:rSh0 >>28 金持ちそう 30名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:07:19ID:auSv >>28 なんやこのイケメン 34名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:08:07ID:bnPi 日テレとフジの言い分は、 「現地メディアや地元テレビ局が報じた内容をなぞったものを放送した」 というもの。 現地の映像やなくて「なぞったもの」やったんか。アウトやな 38名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:08:52ID:gB1J >>34 自分達の基準とかないんかね 他の局がやってればOKみたいな 40名無しさん@おーぷん24/06/13(木)07:11:22ID:5ZI3 いい悪いを我々が言うてもしゃーないような 大谷さんが許すかどうかでしかないんちゃうか
なぜ日テレとフジテレビは大谷の家を晒したのか : 育児板拾い読み
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reportsofawartime · 1 year ago
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ゆな先生
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【入国拒否された女性の話】 あるインフルエンサーがハワイで入国拒否され、日本に強制送還された話。 売春目的と判断された説、観光といいつつインフルエンサーの仕事をするから説、そもそも売春婦の履歴がある説、様々な意見や分析があるがその経緯と可能性を考えてみよう。 【日本人売春婦の増加】 かつて韓国人やタイ人などが海外売春しまくっていたのは有名だが、貧しくなり貞操観念も崩壊した日本人女性の売春婦も非常に増加した。 日本で梅毒感染者数が爆発的に増えているのも、売春増加説の有力なデータである。 日本でもパパ活という名目で実際は売春をしている女性はかなりの数に上り、東京でバーやレストランに行くと、明らかに夫婦��も上司部下でも夜の店の関係でもない中年男性と���い女性(プロではない)が食事をしている様子を見る機会は増えた。 我が国の世界に占めるGDPの割合は、1995年をピークに毎年右肩下がりであり、今や1人あたりGDPはシンガポールの3分の1、アメリカの半分であり、購買力平価での1人あたりGDPでは韓国にも抜かれている。 株式投資をする人はぜひサイゼリヤの決算書を読んでほしいが、サイゼは日本では全く利益が出ていないが、どんどん海外進出し海外店舗で利益を出せている。 サイゼと同じように、売春婦たちは貧しくなった日本にとどまらず、海外に進出していったのは当然であった。 Twitterで #海外出稼ぎ と検索すると、売春婦を募集している業者や、成功した売春婦に偽装したアカウントが出てきて、連絡を取ってみると売春婦斡旋業者だったりすることも多い。 【売春の場所】 海外売春がよく行われる場所として、ドバイ、シンガポール、上海、ハワイ、ラスベガス、ロサンゼルスなどが多いとされるが、コロナ前では特にドバイとシンガポールは流行していた。 私はこれまで何十回と海外に行ったことがあるが、シンガポール行きの飛行機は判定がしづらかったが、ドバイ行きの飛行機で1人で乗り、欧州へと乗り換えをすることなくドバイに入っていく若い派手目な女性を見たことは何度もあった。 よくインスタで何の仕事をしてるか収入源も不明なキラキラSNS女性が、ドバイの高級ホテルでの滞在を投稿してたりすることがあるが、大体は売春か、パパ活である。 1回行って1ヶ月で数百万稼いで帰ったりできるし、日本にいるフォロワーには高級ホテルに滞在している自慢をできるので一石二鳥だ。 本人たちは売春していることをインスタフォロワーに気づかれていないと思ってるかもしれないが、私は随分前から、女性が誰と来てるかを明かすこともなくドバイによくチェックインし、高級ホテルの投稿をしている場合、売春かパパ活をしてる者の可能性があると思って見ていた。 【なぜその国が選ばれるか】 ではなぜドバイやシンガポールが選ばれるかを解説しよう。 ドバイやシンガポールは税金が非常に低く、特に株式売買に関わる税金がない。 日本では高所得ならば所得税+住民税で最高55%、株式売買利益にも20%の税金がかかるので、高収入や金持ちの日本人はドバイやシンガポールに引っ越す人も増えてきている。 例えば年収5000万の人の場合、日本では単純計算で手取りが半分の約2500万円になってしまうが、シンガポールでは最高税率が22%なので、3900��円になる。 ドバイならば所得税0%なので、5000万円��まるまる手取りになる。 またシンガポールは日本との時差は1時間、ドバイも5時間であるので、北米や欧州と比べると時差が少なく日本の客に対するビジネスもしやすい。 それゆえに、富裕日本人の海外引越し先として選ばれていた。 また、シンガポールとドバイは法人税もべらぼうに安く、日本と犯罪者引き渡し条約もないので、グレーゾーン界隈の怪しい人々が引っ越すには最適な土地でもあった。 反社属性がある金持ちは当初シンガポールに住んでいたりしたが、シンガポールも当局が厳しくなってきたので、最近は当局の監視が甘いドバイに引っ越す人も増えてきた。ガーシー事件でも日本の警察当局の手がなかなか及ばなかったのは記憶に新しい。 【女性の不足】 しかし広いマンション、治安の良い街、日本食が手に入るスーパーがなどがいくら整備されても、現地の世界一ブスが多いと言われるシンガポールで東南アジア人を抱いても嬉しくないし、中東ドバイではイスラム系国家で抱ける女性も少ないわけで、日本人女性の存在は貴重である。 そこで日本から若い女性を空輸していくビジネスが必要とされるわけだが、それが海外売春斡旋業者であり、日本人売春婦たちである。 日本では数万円でしか買ってもらえない女性でも、海外ならプレミアがつき10万20万払う人もいるし、日本で売春をすると知り合いに目撃されてバレたりする可能性もあるが、ドバイやシンガポール現地に住む日本人富豪や、上海などで金持ち中国人相手にすると金払いもよく、バレにくい。 何よりインスタで旅行に来てるセレブ感も出せていいねも稼げるので自己承認欲求も満たされ、都合が良かった。 また、ハワイやロサンゼルスなどは現地に住む日本人(金持ち)が多く需要が高いのは言うまでもない。 中国では、若い頃から日本のAVを熱心に(違法に)見ていた世代が大人になった。 日本人女性に対して様々なプレイができると妄想を描く男性も多く、日本に来て女体盛りをしたり、わざわざ風俗店に来る中国人男性も多く、AV女優の蒼井そらが「蒼井そら先生」と長年中国で敬愛されてきたのも知っている人も多いだろう。 【警戒する当局】 売春婦が国に入ってくるのに寛容な国もあるが、アメリカのように昔から東南アジア人の売春婦を問題視していたり、違法就労目的で観光ビザで入国しようとしたりするのを警戒したりしてきた国の入管当局も馬鹿ではない。 売春には常に裏社会の人間がついてまわるので、裏社会の資金源になり、それは国内の治安悪化をもたらす。 かつては国力が強かった日本は、日本人は日本で働けば高い給料が得られたわけだし、売春婦も日本人に体を売っていればそれなりの待遇が得られたわけなので、わざわざアメリカへいって違法に働こう、売春をしようという人は少なかった。 実際���1995年の日本全体のGDPは、米国を100としたときに70もあった。 2023年現在、アメリカGDPを100とした場合、中国が70、日本が17である。 日本のGDPが中国に抜かれて世界3位に転落するかもと騒いでいた時代はそんなに昔ではないはずだが、それだけ日本が没落し、今年は、かつて2倍以上の差をつけていたドイツに抜かれる可能性も出ているのは、今始めて知った人もいるだろう。 今は米国で金を稼げば日本より遥かにたくさんもらえるわけで、結果として日本からアメリカに観光や出張で行く人以外に、(1)売春婦 (2)就労目的者 の2種類が増加した。 日本人がかつての東南アジア人になったようなものである。 今も世界最強のパスポートであることは変わらないが、それは日本人がこれまで強い経済力と低い海外犯罪率で培ってきたもので、要は昔の日本のサラリーマンのおっさんたちが、必死に稼いで物を作り輸出して外貨を稼いで築いてきた結果であり、日本人がビザなしでどこでも海外旅行にいけるのは、彼らのおかげである。 私が海外に行くとき、日本のパスポートだと顔パス状態で、後ろにいるアフリカ系やイスラム系の人がくつを脱がされ荷物をすべてチェックされて、多くの書類を提出している、というシーンに出くわすことは少なくないが、日本が貧しくなっていき、海外での違法就労や犯罪を増やすと、彼らのように扱われる日が来ないわけではない。 【警戒される人】 国力が強かった時代は、現地語も英語も全くできない物見遊山のちゃらんぽらんの日本人が細かな予定を決めずに入管に来ても、悪さはしないし自国で金をたくさん使ってくれるだけだったのでどの国も顔パスで入国させていた。 しかし、貧しい国となり、違法就労や売春目的が増えるとなると相手も態度が変わるわけで、それが今回の女性の入国拒否にもつながる。 今回入国拒否されたということは、同じようなペルソナ、つまり (1)女性の一人旅 (2)目的が曖昧 (3)滞在先が不明瞭 (4)本人の仕事が不明瞭 (5)英語も怪しく教育水準も怪しい などは典型的な売春婦または違法就労者のスペックと扱われ始めたということであり、日本人だらけのハワイでも拒否されたということはハワイの現地に売春や違法就労目的で入る日本人女性が増えてきたということになる。
【今回の女性】 今回の女性は、入管に対して下記の特徴があったと自白している。 (1)32歳女性で一人でハワイへ (2)会社員をしていると当初嘘とつき、のち「インフルエンサー」とゲロる (3)宿泊するホテルを自分で予約していない (4)滞在日数に対して妙に多い服��持っている (5)服が多い事に対し、「着替えて何枚も写真をとるから」と回答 「これで売春婦扱いか」と驚く人もいるかもしれないが、この人が日本人ではなく貧しいアジアの発展途上国の女性であったなら、売春婦であるか違法就労のどちらかと認定されてもおかしくないのは想像がつくと思う。 しかも職業を当初嘘をついている。 また、今回は売春婦扱いなのかの最終的な結論はわからないが、インフルエンサーと回答しておいて「着替えて何枚も写真を撮る」というのも猛烈に馬鹿な話で、インフルエンサー業務をアメリカでビジネスビザもないのに行おうとしていると認定されて拒否されたとも考えられるわけで、売春、違法就労どちらの可能性もある。 今回入国拒否された自称インフルエンサーの女性は、わざわざ顔を出してテレビの取材を受けていたが、テレビ朝日の取材では、当初職業を嘘をついたことは伏せていた。 岡島カレンさんという人で、インスタアカウントも公開されているのでぜひ見に行ってほしい。 当人のインタスタアカウントは、キラキラした毎日と言われたらそうではあるが、ホテルのベッドの上で撮影した写真や、水着の写真など、典型的なドバイの売春婦インスタと同様の雰囲気がプンプン出ていて、「売春で生活しています!」と書いてあっても違和感はない。 これを現地のアメリカ人入国管理官に見せても、売春婦だな、と思われてもおかしくはあるまい。 【今後】 今日もカンボジアで日本人特殊詐欺集団が20人逮捕されたと報道があったが、かつて海外で犯罪をする日本人がこんなに増えることになるとは誰も想像していなかったと思う。 外国人が日本で犯罪をするし違法就労が多いから、制限しろ!と思う人のほうがまだ多いだろう。 しかし、まず日本人売春婦、そして日本人犯罪者らが海外に暗躍し、日本人が貧しくなり金を落としてくれないとなると、当然「日本人だから問題ないので顔パス入国」は今後は減っていく。 特に日本人売春婦の多さは、結果として女性が女性の首を締めている。 これまで外貨を稼いで日本を発展してきた人たちがいて、今も世界に自動車や電子製品を輸出し外貨を稼いで、信頼を得てその積み上げてきたものがあって、日本人は海外にいけるのであるが、日本人売春婦がぶち壊し、真面目に生きてきてやっとの思い出ためたお金で旅行に行く善良な日本人女性の旅をぶち壊すことになる。 貧しくなればなるほど日本人がビザなしで出ていける国も減り、警戒され、いつか貧困を極めたら入国管理官に屈辱的な入国審査をされる人ばかりになりかねない。 今回の女性は「私は被害者で悪くない!ぴえん!!」とテレビで顔出しをしてまで名前を売ろうとしているが、入国管理官に嘘をついていたのがまず大問題だし、インフルエンサーであるのに観光ビザで入ろうとしているし、結果として売春婦か違法就労者と思われたわけで、また一人日本人の名声を落とすことに加担したことになる。 海外で犯罪を��たり違法入国しようとする者が増えるのは、島国であり海外で商売をしないと生きていけない極東の資源のない日本国民にとってマイナスでしかなく、今以上に重罪として扱われるべきで、今後私達は同様の行為について影響を考え、厳しくあたっていくことが求められる。 【ハワイの豆知識】 ハワイの豆知識だが、ワイキキビーチの白い砂浜は、あれは全部他の場所からダンプカーで持ってきているものであり、元々砂浜ではない。 そしてハワイNo.1の名門ホテル「ハレクラニ」は三井不動産の、「カハラ」はエクシブを展開する日本のリゾートトラスト社の、「モアナサーフライダー」は国際航業の所有である。 「やっぱりハワイのホテルは違うねー」と言う日本人がいても、ただ日本企業が日本人に部屋を貸してるだけでしかないので要注意。 国際航業の元社長・故・小佐野賢治氏は、外為法で外貨持ち出しが厳格な時代にハワイの不動産を多く買収した人物だが、国会で「記憶にございません」という答弁をして有名になった人でもある。
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getrend · 3 days ago
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【闇深】小島瑠璃子の旦那さん、借金3億円抱えながら無理してタワマンでセレブ生活していた
まとめたニュース – 【闇深】小島瑠璃子の旦那さん、借金3億円抱えながら無理してタワマンでセレブ生活していた 【闇深】小島瑠璃子の旦那さん、借金3億円抱えながら無理してタワマンでセレブ生活していた Source: 5ちゃんねるまとめのまとめ
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newyorkdiary7th · 11 days ago
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EOY trip : 21st Dec
Hi there. 今は1月29日のお昼。1時間以上散歩をして来た素敵なカフェで残り25%の電池のパソコンに向かっている。昨夜はミントチキンカレーにした。例の使われなかったミントで。久しぶりに作ったミントチキンカレーはパプリカパウダーの持ち合わせがなかったので、赤いからという理由でサフランを使ってみたのですが、かなり美味しくできましたとさ。さて、急がないと。電池が切れちゃう前に、マインドを旅に引き戻して書けるところまで書きたい。
・・・
マインドを戻そうと写真を見返していたらパソコンの電池は残りあと15%。ひーん。
崇が運転をして、ヌヌ(おデブな柴、6歳くらい)を抱えたカレン(台湾名はヌヌ。妹の台湾名はニニ。だからわんこがヌヌ)が助手席に。私が左でラーメン(シャイな柴)を抱えたビアンカが右、という車旅。私とビアンカの間は荷物で埋まっている。日本���ったら普通の乗用車だけど、アメリカではコンパクトとされるサイズのSUV、MAZDA。カレンがひと月ほど前に買った車で、車のない生活は半日だって持たないようなサンホゼで仕方なく買った車だという。カレンが買う車悩みをしている頃まだ私は崇とNYのカレンの家にいて、崇が “頼むからベンツとかボルボとか言うな”、と価値観の違いに悩んでいた。金持ちの中国人代表みたいになるからやめてくれと嘆いていた。でもカレンの趣向としては洋車(と言う言葉はあるのか?)が良いみたいだった。結局マツダに落ち着いたけれど、彼女としては致し方なく、だったらしい。マツダは台湾ではヤンキーが乗る車だから、とその説明を一通りし終わった時にビアンカが、「うちの家族マツダに乗ってるんだけど」と笑っていた。(ビアンカの家族は台湾にいて、カレンの家族はLAにいて妹はUCLA)
初めましてのラーメンはめちゃくちゃ可愛くて愛でたいんだけどめちゃくちゃシャイで全然振り向いてくれないので悶絶した。
崇とカレンとビアンカが一通りキャッチアップしているのを(知らない名前がたくさん出てくるので)聞くともなく聞きながら、ワクワクとうまくやっていけるのかと言う漠然とした思いの両方を実感しながらドライブが始まっていった。簡単に仕事の話になって、あ、違う、ESTA取れなくなった話しになってイラク出張が、みたいな話しになって、結局渡米の日程もズラして、みたいな話しをしたらビアンカが「That’s so cool」と言って、え、クールなんか?と思ったのにカレンも「その話し聞いた時私もなんてcoolなんだと思ったの~」と振り向いてきて、なんかこう世界の違いが際立った。で、ビアンカがアフリカには行ったのかとか中東ではどんなことをしているのかとか、聞いた後に「国連で働きたくはないの?」と言ってきて、「う~ん」みたいなフニャッとした反応を私がしていて、私は国連なんてそう簡単に私がたどり着ける先ではない、と言う趣旨をどう言うかと頭の中で英語を考えていたんだけど、その間に待ったなしのビアンカが、「NYに国連で働いている友達が二人いるから良かったら紹介する」と言って、私はあちゃ~すげ~う~ん、と言う感情で、崇が「チャンスじゃん~!」と盛り上がっていた。私は彼らのように上手には生きていけそうにない。自分のペースで頑張りましょう。と言う感じに、まぁNYで頑張っている裕福な家庭で育ったアジア人たちとの旅が始まった。だいたいみんな米国在住歴は10年前後。
崇のコロンビア院時代の(金銭の)話を聞いているタイミングに、自分は自分で(未来の)子育てについて考え込んでいたタイミングだったので、その後にこうも裕福な家庭で育って来た人たちばかりを前にすると結構絶��する。
ところで私はNYで携帯電話の電波を繋いでいない。そこまでケチらなくて良いとも思いつつ、無いならないで結構清々しいし、誰かとの待ち合わせ以外で困ることも特にない。と言うことで車では携帯でできることも特にない。ビアンカが携帯をいじっていてそう気がついた。
あ、別のどこかで書いたけれど、出発後はまずはサンフランシスコの日本食スーパーに行って食材を買い込んだ。アサヒビール12缶ケースも。年確が厳しくてアメリカって感じだった。
Rio Nidoの家に着いたのは16時過ぎ。最高の家だったー。ここまで広くなくてもよかったのでは、、、と思わずにはいられない広さの家。この家を探して決めたのは私がNY着いて一番最初にやったこと。10月31日だったっけ、そこら辺。カレンの家から歩いて5分の、トワイライトのサントラがかかっているとても良いカフェ(Dear Mama)で崇は仕事してて私とカレンでAirbnb探しをした。大人6人と犬2匹、と言う条件で探すのでまぁ豪邸になる。カレンは金額気にせず超がつくほどファンシーな家ばかりリストに追加するので、やんわりと否定する家ばかりを私が追加した。懐かしー!6人で割ればすごい安いよね、と言うことで私からすると大層な豪邸に決まった。そこに、着いた12月21日。時間の流れをとてもしっかりと味わう感覚が好きだった。車でメインの車道から逸れて林道に入り、ナビが間もなく、と指している中ソワソワと一軒一軒注意して、ようやく目的地を見つけた時、あの日予約した家にワープした感覚が新鮮で、面白くて、楽しみになった。
玄関コードが最初は開かなくてわちゃわちゃしたけれど、なんとか開いて入ると、余裕を感じる階段が迎え入れてくる構造。玄関を入ると階段があって、それを登り切るとリビング、と言う半分吹き抜けの構図。モロッコのマリヤム(提携団体のCEO)の豪邸を思い出した。階段の全段に置き物がある。ぜっっっったいに傷つけたり落としたりしたくない類の置き物がずらり。階段の踊り場を靴脱ぎ場にした。
ラーメンはシャイだけど脱走癖のあるヤンチャボーイでもあるのでビアンカは一目散にラーメンを連れて部屋に閉じ込めに行った。私と崇で大量の荷物を車から家に運び込んだ。私は子供の頃から車で移動が多く、毎週末、週末分の荷物を持って車で移動して荷物の出し入れをしていたので、こう言う事をするたびにふとノスタルジーが込み上げる。こんなにも想像していなかったような状況でもその感情はやはり現れた。
車から荷物を下ろし終わってリビングに行くとビアンカがテキパキテキパキと食材を冷蔵庫にし��っていた。トイレバスも2カ所にあった。戸棚にカクテルの教科書みたいな本と一通りのカクテルグッズがあって、あちゃー!リキュール欲しいー!となった。BOSEのスピーカーもあった。なんかキッチン?も2カ所にあって、裏のキッチンにはコーヒーメーカーとトースター(パンが飛び出してくるやつ)があった。お手伝いさんのスペースなのかな?とか言い合った。電気や空調のスイッチが未来感あった、テクノロジー!って感じのスイッチで崇と二人でガチャガチャ回しまくってお子様になった。
でも。食器が微妙にピカピカじゃ無いのはなんかアメリカンだった。ウェーっと拒否反応を示した崇とビアンカが一通り食洗機をかける。食洗機用の洗剤がなくて皿洗いのソープをダラダラと入れて回した。すっかり記憶のザルから落ちていたこのシーンを、最近ビアンカ邸で食洗機を崇と回している時に思い出した。
とりあえずみんな荷物の整理とかをし終わって、ぼちぼち夕食の下拵えとか始めようかという感じになって、ビアンカはラーメンの散歩に出かけた。
話し飛ぶんだけどこの前の日曜日(1/26)の夜にタクオミを家(ビアンカ邸)に呼んでラザニアナイトをして話していた中で、「こんだけ一緒にいて嫌だと思うところないの?」って言う話しになって、「この人、水回りが酷いの」と私が崇を告発した。崇は料理好きでキッチンに立つことは本当にしょっちゅうあるんだけど、そこいら中に水が、、、。水の出し方も激しいんだが、手拭きの文化がないアメリカでは濡れた手で歩いてキッチンペーパーを取りに行ったり、拭かない食器を移動させたり起きっぱなしにするのでもう床がびっしゃびしゃで、、、。崇はゴムのサンダルを履いているので平気なんだが私は布のスリッパなので踏んだらもう最悪で。勘弁して、とはよく言うけど、治るものでもない。そしてこの間柄のすごいところは、それでも嫌いにならないところ。あぁもう、洗い物は私にさせて、とか思ったり、あぁもう勘弁して、と思いながら床を拭く。
で、カレンの家の床も、キッチンの使い方(食器は基本しまわないで洗った後のラックに放置しておくもの。私は収納したい派なのですぐ拭いて片付けてしまう。ある時カレンが「フォークは全部どこに行っちゃったの?」と言っていてびっくり。しまうという概念がないと言うことを知った。フォークというか全ての在処はラックの上なのだ。)も、全く自分のスタイルではないけれどお世話になっている身なので極限まで合わせて生活していた。
でもRio Nidoの生活が4人で始って自分の中で芽生えた感情で面白かったのが、“ここでは平等”というもの。カレンの家ではキッチンの水浸しは頑張って放っておくか耐えられなければ自分で拭いていた。でもこのAirbnbでは「拭いて」と言った。まぁ言ってもそんなに変わらないので結局こっち��拭くんだけど、ここから大きく違ったのがビアンカが完全に私派だったこと。
関係値の違いなのかわたしとビアンカの性格の違いなのかもう少し分析が必要だけれど、ビアンカは「拭いて」とか、「ゴミはちゃんと捨てて」とか私みたいにうるさいのではなくて、何も言わずに全部自分で片付けていた。その姿を目の当たりにした私は、まだまだだな自分、という大きな大きな気付きに見舞われた。彼女を見ていて、自分の器の小ささに気づく。そして初日からずっと思っているのが、この人とても素敵な母になるんだろうなぁ、という感情だった。一度も誰にも言わなかったけど。
うるさい、とは書いたけど、多分言ったのは1回ずつでその他は100回ずつくらい胸の内で言っていた。胸の内で言って、最初の方は自分で手を動かさなかった。崇とカレンが自分たちのタイミングで片付けたくなるのに任せよう、と頑張って放っておいた。でも結局ビアンカが全部片付ける。そう気づいて結局私も彼らに任せるのではなくて自分でやる事にした。
おもろ。こんなに掘れるエピソードだったんだこのこと。関係性を穏便に進める事に私はおそらく自分で思っている以上に神経使っているんだろうなあ。
かと言ってそれがス���レスになるタイプではない。他の部分でその人の事が尊敬できる場合は、ちっともこうした習慣の違いでその人を嫌いになるような事はない。夫婦目指しているわけではないのでね。
ぼちぼちみんなが部屋に引き上げる時に、「私物は共有スペースに放置しません。」と崇に言う私。苦笑いしながら自分とカレンの散乱しているジャケットや置きっぱなしの飲みかけのスタバカップなどを片付ける崇。
ともかく。ビアンカの性分にすごく救われる時間が多かった。共有スペースに私とビアンカのものは寝る前には皆無で、他2人のパソコンとかがいつも広がっていた。面白かったなあ。飲みかけのカップとか空のビールの缶とかは耐えられなくて片付けてしまうわたしたち。
救われるというか好み合う~の場面も多かった。最初に起きたのはバター。
ビアンカがおフランスのたっかいバターを旅に持ってきてくれた。LAでひと月に一回だけ輸入されるバターがあって(この期に及んで名前忘れた)それをはるばる運んできてくれた。
幸福論になると『女2人暮らしてます』の美味しいパンと美味しいバターがあれば幸せに生きていける、というくだりを必ず引き合いに出す私は、バターを語るビアンカとは仲良くなれそうだと早々に思った。
出来れば美味しいパンを買いたかったけれどカリフォルニアの田舎にそれはどだい求められずトレジョでましそうなバゲットを買って行ったわたしたち。
エアビーの冷蔵庫にもバターがあったので、ブラインドバターをした。朝食はブラインドバター大会。
あ、朝食の前に私はみんなが寝ているうち(と言っても7時頃とか)にバナナとみかんを持って散歩に出かけ、帰りがけにビアンカとラーメンに会った。ヌヌは散歩に行ってなかったけどまあなんとかなるのでしょう。
フレンチプレスでトレジョのコーヒーを淹れ、ベリーを���に盛り、ブラインドバター大会。かわいいクリスマス柄のナプキンを持ってきてくれていたビアンカが、「これはこの旅(エアビー)の間に使い切らなきゃだからみんなたくさん使ってね」と何度も言っていた。可愛すぎてあんまりどかどか使えなかった笑
EOY trip : 22nd Dec
さて、本当に容易に想像できていた事なのですが、出発予定時刻はやはり過ぎた。笑
カレンさんはすごく気が散るタイプで、いろんなことを同時多発的にやっているので、予定時間はあってない。崇によるとカレンとカレンの友達の待ち合わせなどは1時間遅れが平常運転らしい。
それを知っている私と崇は前日の晩御飯で明日の予定の話になった時、既に余裕をみた出発時間を設定していた。
みんなで車移動をする時は決まって私とビアンカが車で待ちぼうけをして崇とカレンが来るのを待っていた。何度も言うけどそれがストレスになるとかそう言う感じはなかった。仕事じゃなくてホリデーだったからかもなあ。まあ好きにして~と言う感覚だった。
本日は、ワイナリー巡りです!!!
まずはJoseph Phelpsに11時am。なんだけど。その前に。電動歯ブラシを家に忘れてきたカレンが歯ブラシを買いたいのでスーパーに寄る。歯ブラシとホッカイロ(RV用にホッカイロ、と言っている台湾人2人)を買いにカレンとビアンカがスーパーに行って、私と崇は車で待つ。待てど暮らせど帰ってこない。たかちゃん(クラスメイトの内ではその昔崇はたかちゃんと呼ばれていた。今でもたまに使う。)はイライラし出す。「なんで歯ブラシ買うだけでこんなに時間かかるんだよお~」「オンタイム(早く出るはずが出れなくて結局オンタイムになった)だったのにもう遅刻だよお~」「も~~」と言っていた。私は心のうちで “全然いつものことじゃーん” と思っていた。
天気は曇り。「トワイライトは観た?」と私。「似てるよね~」とビアンカ。すぐ伝わった。「昨日来た時から感じてたんだけど、ベラの家のあたりの雰囲気に物凄く似てるよね。あとこのエアビーを崇とカレンと探していた時にいたモーニングハイツのカフェではあの日ずっとトワイライトのサントラが流れてたんだよ」と私。
その後はカレンがトワイライトを観ていた時代の話しをしてくれて、いかに彼女がお嬢様学校に通っていたのかが分かってきた。寄宿学校でとても校則が厳しくて色んな禁じられていたエンタメをいかに友達たちと掻い潜っていたのか話してくれた。
私と崇の学校も変わってたね、と言う話に繋がって、崇がいかに親に隠れてPSPにハマっていたかと幼少期について話しているのをぼんやり聞いていた。私はその話しの情景の全てを知っていて映像的にも思い出せて、カレンやビアンカからするとそれは崇の昔話なのであって。
ものすごいたくさんの時間を一緒にいたから、いつどこでの会話だったかはもうあやふやだけれど、ビアンカの過去もすごかった。フィルムカメラの話になった時に(フィルムカメラといえば先日LAで戸田さんがフィルムカメラの概念を知らなかったシーンもあったな)、昔自分で現像していた頃があって、と言う話をはじめて、お~~アート系なライフの時代があった人なんだ~と思って聞いていたのにおったまげ、会話の最後にそれは何歳くらいの頃のことなのと聞いたらまさかの15歳くらいだった。なんなん、中学生でフィルムの現像をする子供時代って。そう思った数日後にまたこの話しが繋がって、「フィルムの現像もそうなんだけど、中学生の時サマーキャンプに毎年行ってて、ある時はフィルムの現像をしたけど、違う年に(事件の)現場検証の体験があって」と繋がった。その話しは、なんでアメリカに出る事にしたのかと言う話しから始まって、子供の頃FBIになりたいと思っていたから、との事だった。それはなぜかといえばそのサマーキャンプでやった現場検証の体験がものすごく楽しかったから、とのこと。ちなみにその時代にフランス語を習っていた。お家柄が伺えちゃう感じよね、節々から。
JPには5分遅れくらいに着いた。どっひゃー!と言う感じのラグジュアリーな施設だった。
もう受付がカッコ良いのなんのってね。
まずは建物の外の受付で名前を言って、建物に入るとウェルカムシャンパンが待ち受けている。なぜか急に思い出したのだけれど、この日は犬たちは家に置き去りで、出る時にビアンカがラーメンに「byeeeee Mummy’s gonna drink today sorryyy but I love you!」って言ってておかしかった。そういえばこの日犬がいなかったなと思い出して、そのシーンも思い出した。
ウェルカムシャンパン飲みながらどっひゃーな館内を案内人について進んでいく。えらいことになってしまったわという気持ちで。
ついたテーブルのかっこよさがこれまたね~
ハイチェアの丸テーブルで、ぎっっっしりとグラスが溢れかえっていた。6グラス×4人、24グラス!?
テーブルには重厚な革のバインダーに挟まれた上質な紙に、4人の名前が印字されていて、「だから予約の時に全員の名前聞かれたのかー!」と崇。お品書きがずらりっ。
さてさて、私たちのテーブルを担当してくれたおばちゃんが最高だった。あーあ、もう名前忘れちゃった。スーザンとかだったっけ。
短髪で元気はつらつのおばちゃん。セーターの前面にクリスマスツリーの刺繍があって、そのツリーをコルクが飾っているの。10数個くらいのコルクが賑わっているセーター。コルクとあと電飾。ピカピカと光っているライトがコルクと共に縫いつけられているセーター。それを完全に着こなせちゃう感じのハッピー系なおばちゃん。一際愛するワインのコルクたちだそう。
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ところで今はパソコンの電池が切れたのでしばらくiPhoneでちこちこ書いているのだけれど、崇からLINEが来てアパートがついに決まったそうです。おめでとう。2ヶ月くらいに渡るアパート探しついに決着。ビアンカの家がどうひっくりかえってもありえないような豪邸だったから、結構苦しんでいた。こんなに良い家に住みながら現実問題住めるアパートを探��のは大変そうだった。ちなみに月50万くらい。NYってそう言う場所なのよね。
ビアンカは金持ち台湾人が経営するタウンハウスの一室にありえないほど安く(月35万)他の2人と住んでいる。そこにさらに友達価格で25万ほどで住ませてもらうわたしたち。普通にこのクラスの部屋に住もうとしたら相場は100万くらいのところ。結局世の中は人の繋がりですねっていう事になった。その話しはまたいつか。ちなみにJimさんが今タウンハウスに居るって聞いておったまげてた。ゼイタクネェ~!って。
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Hello hello, 今日(1/30)も今日とてカフェに来ました。今日は近所のカフェ。イタリア訛りのお姉さんが素敵なカフェ。崇くんは新生活が始まるワクワクでいっぱいです。仕事してるのかと思ったら家具探してる。パソコンのバッテリーは90%あるので今日は落ち着いて続きを書けるかしら。
Joseph Phelps ではカレンは飲まなくて、他の3人がテイスティング。スナックが信じられないほどの美味しさだった。そりゃもちろん買いたいワインにたくさん出会ったんだけど、そもそもCA→NYの移動も大変な上に、どうやって日本に持ち帰るんだという苦労が目に見えすぎたこと、そして価格が恐ろしかった事、によりなんとかその場の空気に飲まれないように踏ん張った。さらにはこの日、まだ後2件行くので、1件目で買ってしまうのもな、という判断だった。崇とビアンカは余裕のあるニューヨーカーズなのでバチバチに買っていた。「この為に仕事しているんだもの」by Bianca.
でも結局結論から言うと、Joseph Phelpsがこの旅で一番レベルの高い世界だった。いつかまた絶対に行きたい。崇もビアンカも既に何度もナパバレーに来ていていろんなワイナリーを経験しているのだけれど、ここはすごい、やっぱりお金かけると世界が違う、と言っていた。
一番びっくりしたのはデビッドホックニーの原画が私たちのテーブルのそばにかかっていたことね。カッコ良い絵があるな~とずっと気に入っていたのだけれど、ふとよく見たらデビッドホックニーと書いてあってびっくり。デビッドホックニーってあのデビッドホックニーかな!?!?と言い合って、スーザンに聞いたら。Joseph Phelpsの親戚がデビッドホックニーの知り合いだったので、Joseph Phelpsを描いてもらった、と言う話だった。おったまげ~。
大満喫をしてバーガーに向かった話しを続けようとしてふと思い出したのだけれど、この日Joseph Phelpsまで運転したの私だったわ。時の風化ってすごい。ナパバレー運転している~と喜んでいたことを、こんな風に忘れていられるくらい、今日までにいろんな事があったわね。だから、どれだけ適当でも良いから、その場その場で書く日記が好きなんだよな~。まぁ良いや、ふと思い出したけれどJoseph Phelpsまでは私が運転したんだった。山道というよりは丘を上がって下がってと進んで、雲が丘をところどころ覆っていて、あたり一面葡萄畑だった、冬の、枯れた葡萄畑。
てことで、Joseph Phelpsに感服しきった私たちは、ウォークインを予定していた一件はスキップすることに決めた。もう一件の予約が16時とかだったので、昼間にもう一件挟むのはやめよう、と。St. Helenaと言うナパバレーにある小さな町がとても可愛らしいので、そこの散策でもしようよ、食事どうする?と言うやりとりの中で、ビアンカがバーガー屋を勧めてくれていざ。めちゃくちゃ良いバーガーエクスペリエンスだったなぁ。ナパ名物の汽車が走っていく景色を見ながら、賑わうテラス席で食べた美味しいバーガー。普段ハンバーガーって全然食べなのでアメリカで食べた一番美味しいバーガーだったわ。アメリカでハンバーガー食べてるわ自分~と言う感情だった。そう、NYにいるとアメリカにいるという感情にほとんどならない。カリフォルニアではいつもアメリカを体感していた。私はこの頃はまだ日頃の節約モードが辛うじて残っていた頃なので小さなバーガーのみでポテトとかつけなかった。みんなはでかい飲み物にポテトにでかいバーガーに、と頼んでいたのに、みんな残して持って帰っていた。いやいやいや、みんな経済回しすぎとちゃうか?
腹ごしらえが済んでからSt Helena 散策!ここら辺から本格的に崇・カレン&ビアンカ・葉月、のリズムが克明になり出した。寄り道するお店、物色のスピード、などなど。気づくと周りに崇・カレンがいなくて、ビアンカとふらふらしてた。特に何を話すわけでもないけど、なんかリズムが合ってた。
車に集合して今度はClos du Valへ向かう~。正直一件目で結構ちゃんとアルコール摂取した感あって、昼間からふわふわしていた。からの2件目。エントランスとか受付の感じとか、全然違って違いが楽しい。ブロンドで高い声の若いお姉さんが席まで案内してくた。担当は40くらいに見える男性だった。ものすんごい喋る男性。ものすんごい。4人全員沈黙してしまった。私はもともとほとんど喋りませんが。いわゆるオタク感というか、もうワイン愛、Clos du Valを崇め奉る感が凄まじくて圧倒された。彼が去るとみんなでちょっとすごいね、みたいなこと言い合った。
でも結局、1時間半くらいだったろうか、彼の捲し立てる情報を浴びながら一杯また一杯と体験していくうちに、みんな彼の事を気に入った。ちょっと最初は引くほどの熱量だったけど、結局彼は純粋に熱い男で、崇なんか終わる頃にはノリノリで彼と話してた。20年ものなどが眠っているセラーの中を見せてもらったり、樽の倉庫を見学したり、今年の樽から直接スポイトで汲んだものを飲ませてもらったり、サービス精神が溢れかえっているナイスガイだった。
カレンはあまり強くないので最後は寝てた。カレンの分も飲んだり、ナイスガイがサービスたくさんしてくれたりで、外が暗くなる頃に、身体はもうほっかほかだった。あ、ここのスナックも最高だった。クリームチーズをちょっとホイップしたものとザクロの実のディップ。
さて、ここではヴィンテージワインのなんたるかを教わった。2014年と2024年を飲んでおったまげ��。そして30年がベストとされるボトルが今年詰められたと言う。崇とビアンカが30年寝かせる、と言って買っていた。30年後にも会わなきゃねって話してた。面白い~~~
ビアンカはLA以外で運転できない免許で、カレンは絶対に運転はできない泥酔状態で、私と崇どっちにするってなりながら崇が運転した。まりさんが絶対行きなとおすすめしてくれていた老舗ブリュアリーに寄ってビールを買って帰ることに。お店の感じすごい良かったので食べるチャンスなくて残念。でも持ち帰り可能なビールの形態が最高だった。1/2ガロン(1.89271 liter)の大瓶。growlerというようですね、wiki情報。その瓶しか持ち帰りで売ってくれるビールがなかったのでそれを買って帰宅。真っ暗だった。
タイワニーズ二人が犬の散歩に出て、ジャパニーズ二人はご飯の支度でもしたのかしら。この日は何を食べたんだろうと携帯電話の写真を見ないといけないくらい、朧げだ。同じ鍋食べてた。具材余ってる的な流れだったんだったかな。あー!違うー!思い出した!鍋じゃなくて、おでんだ。
もうよくない、一食くらい抜いても?と言いたくなるくらい、ご飯どうする?って話しずっとしてる人たちだったわ。サンフランシスコの日本食スーパーで冷凍のおでんセットを買っていた。こんだけ飲んで帰っておでんとか最高だねってなって帰ったんだった。写真を見たら前夜と同じ鍋使ってて色味も似てて鍋かと思った。おでんだったわ。あースッキリ。
前日の夜はスターウォーズを見た事がない崇が強制的にスターウォーズ鑑賞をさせられていて、私はスターウォーズの音を聞きながらビール飲んだ後の脳みそで仕事していた。酷い。。。今夜はいくらなんでも仕事にならないわと最低限の打ち返しだけして翌朝に回すつもりが、何してたんだか忘れたけどなかなかパソコンから離れられなくて、ご飯の後片付けとかも全部任せて、ビアンカのポーカーデビューをみんなで遊ぼうって言ってたのにまだ終わらなくて、崇がちょいちょい「まだ~」とちょっかいを出してきてカレンが怒こってた。「仕事してる人を邪魔しないで!」とプンスカしてて可愛かった。「誰もあなたが仕事している時に邪魔する人いないのに、なんでそんなこと言うの!」って怒ってた。懐かしい。カレンに怒られてからちょっかい出さなくなってこっちは逆に寂しかった笑 みんなの遊んでる音声を聞きながらそばで何かに取り組んでいた。全然思い出せない、何がそんなに急ぎの仕事だったんだろう。
後半少しだけポーカーに混ざって、カレンも見かけによらず強かで、ビアンカは見かけ通り感覚を掴むのが早かった。ポーカーは本当に面白い、人の心理を駆け引きしあうゲーム。崇はとってもevilなタイプなので腹立たしい。負けず嫌いともまた違う損をしない動きをするタイプかなぁ。NYで崇の友達二人と、合わせて4人でポーカーをした日が私のポーカーデビューだったのですが、25ドル勝った。ひと月後とかそれくらいに自転車のパンク修理に25ドルかかっ��。まぁ許容範囲の金額での遊び。現金が絡むか否かで、本当にゲームへの向き合い方が変わる。崇はevilなので、じゃあ、そろそろ慣れてきたから本当にお金かけてやる?ってニタニタと引き込みに入った。ビアンカがピシャリと、お金は絶対かけない、と言ってぐうの音も出ない空気感に一瞬にして包まれた。お金をかけなくても私は十二分に楽しいのだけれど、男子という生き物はちょっと物足りないらしい。あ、かけても楽しいのが私だけど!
EOY trip : 23rd Dec
この日の朝ごはんが思い出せない。致し方ないわね。
海辺に遊びにでも行こうか、みたいな余白の1日だったのだけれど、天気とかの兼ね合いでなんとなく海辺案は無くなったのが前夜。今からでも予約のできるワイナリーに行こうっていう運びになったのも前夜。RIDGEというワイナリーへ。気さくな雰囲気がすごく居心地の良いテイスティングだった。面白かったのは昨日の味の感想は基本的に大体崇とビアンカと合致していたのに、今日は合わない事が多かった。多分、彼らは切り捨てる事が潔い。あ、これは違うわ、と思ったら容赦ない。社会的強者という感じだわ。私は、彼らの評価もわからなくはないけれど、その中での良さ、その中での面白さに、まだまだ遊びに行く。二人は、あぁ、違うね、と言って終わりだったけど、私は昨日までとはもちろん違うのだけれど、もうちょい続けてみなよ、繰り返しているうちに発見があるやらないやら面白いけど?という感じだった。面白かったな、そういう違いもまた。さらに、結局みんな買いたいと思ったワインは一緒で、全員で同じ白を6本、箱で買った。
その後はタコスへ。フードトラックのタコス屋さんに。めちゃくちゃ美味しかったし、路駐した車のトランクを開けて、ワインの箱を台にしてつまんだタコスの思い出良き良き。そして崇がクレジットカードを無くしたという騒動。おそらく昨夜のビール屋さんだ、ということになり、30分くらいかけてまたビール屋さんに戻る。崇は一人で行ってくる、と言って、みんなが別に良いよみんなで行こうよ、となってドライブドライブ。ところでこの日は犬連れ。
帰りにまたしてもアジアンスーパーへ行く。どうしてそんなにもアジア食が好きなのやら分からぬ。田舎にもアジアンスーパーって必ずあるものなのねぇ。アメリカってそういうところなんだなと学ぶ日々。ちょっと寂れてて怖い感じの駐車場に停めて、あれ、そういえばこの日私運転してるわ、アジアンスーパーに駐車した記憶がある。アジアンスーパーではルーロウ飯に必要なスパイスを買う、ということだった。いつどこからどうやってルーロウ飯案が出てきたのやらだけどなんでも良きです~という感じでついて行った。言語のベースが、英語でありなら2対2で台湾語と日本語のシーンも多々あって、ピンからキリまで通じ合っているのでもなかった。
アジアンスーパーでは日本人対台湾人の構図で、あんなに食糧で溢れている家があるのにこれ以上何を買うというのでしょうね、という雰囲気をヒソヒソと話していた。立派な梨の箱を買って帰って、喉に良いという梨の氷砂糖��をビアンカが作っていた、夜に。梨高かった~。ここまできてから思い出している異文化体験の話が、どこかでは書いた冬至の中国の決まりで団子を食べた夜。梨の氷砂糖煮もすごく新しかった。これが台湾のものなのかビアンカの家庭のものなのか細かい話にはならなかったけど、崇とビアンカが少し(喉の)調子が悪くて、調子悪い時にはうちでは必ずこれを食べるんだと言っていた。梨が煮込まれていく景色が新鮮で、違う文化を持っている人と旅をする楽しさでいっぱいだった。ルーロウ飯の下拵えと梨を煮ることを同時進行していたビアンカが、キリの良いところでラーメンの散歩に出ることになって、「Hazuki, 梨の火加減を注意しといてくれる?」と言い残して散歩に出かけたんだけど、しばらくしてから、梨の火加減私ワカラナイ!となった。とりあえず言われた通り、吹きそうになったら弱火にして放置した。
この日は白米を炊くというイベントがあった。みんな炊飯器でしか炊いた事がなくてどうやって炊くのか分からない、とすごい一大事みたいに言っていて、なんやねんとなった。私も鍋で炊くことはほぼないけど、山で炊いた事があるのでなんとかなるっしょという感じでトライした。なんとかなった。そしてルーロウ飯、すごく美味しかった。ビアンカは肉がルーロウ飯用の部位をゲットできなかった、と言っていたけれど、ルーロウ飯を日頃から食べるタイプではないので、味だけで十分美味しかった。あ、もう文脈もへったくれもないモードでひたすら思い出しながら買いているのだけれど、崇のクレジットカードは無事見つかった。本当にビール屋さんにあった。
さて、この晩はモノポリーナイト。このAirbnbにはゲームがたくさん詰まっている戸棚があって、モノポリーは二種もあった。あ、そういえばこの日か前日の午後くらいから、音楽がかかるようになっていて、Spotifyの素晴らしい機能に出会った。崇の携帯をApple Car Shareに繋いでいるので音楽も必然的に崇のSpotifyでかける。そしてビアンカが気づく、なぜか勝手にビアンカのSpotifyも起動していたということに。Spotifyのドライブシェアモードすごい!となった。一生サブスクから逃げている私だけど、この機能には大変感動してSpotify入るかーとなった。(入っていない)。ということで、崇のiPhoneが車につながっているのに、ビアンカが自分のSpotifyから崇のSpotifyに繋ぐ事ができて、DJをするに至った。ビアンカの選曲は素晴らしくてシャザムの出来ない自分のネット制限がこの時ばかりは残念だった。あ、でも大概1日の半分くらいはクリスマスソングをメドレーさせてもいた。それがまたなんとも楽しかった。クリスマスソングのドライブと、ナパバレーの風景が、いつか思い出すことになるんだろうなぁ、と思いながら過ぎていった。
はい、モノポリーに戻ると、結構なボリュームで音楽をかけながらやったモノポリー、楽しかった。みんな10年以上ぶりのモノポリー。カレンがどかどかと買いまくって大笑い。買えるだけ全部買うと言って破産寸前までむやみやたらと買いまくる。私とビアンカは運がない始まりであんまり買えない。崇はevilなので最初から上手に攻めていった。崇の運の良さは怖いくらいだった。運の良さに頭の良さというかevil精神が重なってもう怖い。交渉の持ちかけ方も超怖い。こんな真剣に生き残りをかけたモノポリーやったことない。モノポリーってもっとわちゃわちゃ楽しむゲームじゃなかったの、という感じの真剣な交渉というか破産しないための遊びは、新感覚であった。最終的に刑務所に入れると天国、という恐ろしいゲームになって、カレンが破産して終わった。楽しかったですねぇ、10数年ぶりのモノポリー。ビアンカは刑務所で悠々と歌って、ドラッグディーラーをやっていた。
EOY trip : 24th Dec
本日は移動日。荷造りをしていて、とんでもない量の食糧だねとなった。来る時に既に荷物で溢れかえっていたのに、12本のワインがすごい幅を占めていた。
今日までずっと曇りかしとしとと雨が降っていたのだけれど、この最終日だけは晴れたのがとてもとても印象深かった。針葉樹の濡れた森に光が刺す朝の時間がとても好きだった。もっとずっとこの家にいたいと思える家に来れたことと、でも確か次の家の様子もすごかったんだよねというのと、未知すぎるこの後待ち受けているRV tripへの感情と、なんか思い出すなぁ、この移動日の朝のこと。
移動は3時間くらい、なかなかの距離だったのだけれど、とても記憶に濃いのはコストコに寄った時間。ランチどうする話をしていて、どんな流れだったのか忘れたけどコストコのジャンクフードランチにしようよ~!と台湾人2人が盛り上がっていて、アメリカンやなぁと思った。食へのこだわりを持ちつつも、ジャンクフードも好き~と言っているあたり、アメリカに染まっているんだなという感想を覚えた。正しいものの見方なのかどうかは知らぬ。
コストコは素通りして何も買わず、トイレだけ使って、食事コーナーへ。衝撃的なピザ製作マシンをみんなで動画撮った。巨大なピザ生地がくるくる回っていて、トマトソースが注入されていた。大笑いだった。
ありえないほどに安いホットドックと0ドルの飲み物を持って車へ。アメリカンロードトリップって感じですねと楽しんでいた、食べるまでは。食べてからは、乗りきれなかっ��。vivesだけではついていけない味の無さに直面した時間だった。食べ物というよりは、空腹満たしのために物質を腹に詰め込んでいる、という感じだった。でもカリフォルニアの光とペプシのロゴとコストコの巨大な空間とは、本の中で知っていた西海岸な感じで、そういう感覚的な体感はすごく楽しかった。その昔アメリカ現代写真を学問としてかじっていた頃のことを幾度となく思い出していた。あの頃見ていた本の中に写っていた映像の質感が、今自分の現実としてある、という体感があった。
コストコでガスを入れて再出発。空がとても印象的な駐車場だった。
途中、湖や湿地帯を抜けるような道が良かった。
渋滞もあった。
わんこ達が同じ方向を向いて外を見ていて可愛かった。
この日も多分クリスマスソングはかけていた。
この車中の会話だったか定かではないけれど、車中の会話で、カレンもビアンカも、祖父が日本占領時代の家系で、そのふた家庭の日本の見方などの話が印象深かった。最終的に日本が好きになった家系と、一生死ぬまで日本を憎んだままの祖父を支えた祖母の胸の内や、日本の文化がどう台湾に、台湾の家系に染み込んでいるのか、新鮮だった。カレンが歴史が好きなのもあって、中国、台湾、日本、の近代史の話にはちょくちょくなった。その度出てくる祖父母時代の話し。かと思いきやそれぞれボルドーのワイナリー巡りをした話しになるやらヨーロッパ旅行に明け暮れている両親の話しにもなる。近現代史をまざまざと目撃する気分だった。時はトランプ2度目の就任目前なり。ちなみに3人が通っていたコロンビアはパレスチナデモが激し過ぎてしばらく休講だったというタイミングに学生だった人たち。
さてさて、お次の家はPollock PinesというEldorado National Forestの側の小さな山の中の街。エアビー探しをしていた頃は、まっっっっったくどんな雰囲気かわからないままに、とにかく山の中の家探そうみたいた事しか当てがなかった。実際に来てみたら思ったよりも山の中ではなくて、というかやっぱりアメリカは道路が広いから、道がある限りはそれなりに人の気配がある。そんなに隔絶された環境では、全然なかった。ガススタもスーパーも、普通にアクセスのあるPollock Pinesのエアビー。近所のスーパーに寄ってビール買い足して、あー!コストコになんで寄ったのか思い出したー!クリスマスの肉が良いのあれば買おうって話しだったんだそもそも。でも結局良さそうな肉はなくて、ただただ素通りしてランチしたんだった。思い出したわ。で、目的地に近いトレジョに寄って、ホットワイン(モルドワイン)用のワインや試食していたチーズが美味しくてチーズとクラッカーなどを買って、さらにPollock Pinesの近所のスーパーでクリスマス用のリブを購入してから家へ。すっかり日が暮れた。大移動日だった。綺麗な虹を2回見た。
ハイウェイの後半が結構雰囲気が変わって、明らかに森の様相になってくるのがとてもワクワクした。家は、傾斜の大地に建っている家だった。玄関を入ると今度は階段が下に向かってある。今回もバスシャワーは二つ。階下を崇・カレン・ヌヌ、グランドフロアの2部屋が私とビアンカ・ラーメン。大量のワインも一回車から降ろした。
この日は餃子パーチー。私はちょいとばかし仕事に明け暮れ、崇は暖炉の火をつけることに集中。ビアンカはフランス語のクラスがあると言ってリビングでクラスに入っていった。なんだか好きな時間だった。みんな悠々自適に好きなことしているけど、リビングが大き過ぎて過ごしやすい。暖炉の火がつくと崇は日課であるアパート探し、カレンはNYの仕事探し、私は仕事、みんなビアンカのフランス語クラスを邪魔しないようにヒソヒソ話ししてるのがなんとも面白かった。
ちなみにビアンカはそのフランス語のクラスは取り始めてまだ数回目らしい。前のクラスの先生がトランプ支持者と分かった時に大喧嘩になって最低な別れ方をしたと言っていた。それで探していた新しい先生に出会えてまだ数回しか受けていないクラスを、旅先から受けていた。宿題が間に合わない~と言って家に到着するなりごめんと言い残してフランス語の宿題をしていた。
餃子の餡が出来上がった頃にパソコンを離れてみんなで餃子を包んだ。ご飯と一緒に餃子を食べるという習慣がどうしても受け入れられない台湾人達とひたすら言い合いを続けた。日本の食卓では餃子パーティーでは白米を炊くもの、どうして餃子とご飯を一緒にしてしまうのか、餃子はメインであって、ご飯は邪魔。ご飯は汁物と一緒に食べるものであって餃子では筋が通らない。どうしてって言われても餃子と白米はセットなんだってば!という両者絶対に譲らない平行線の会話は、年を越すまでずっと続いた。まぁ良いわ、合わせてみるわ、と言って白米を炊くのは好きにさせてもらったけれど、食卓についてもずっとずっと笑ってた、どうしても餃子を食べるのにご飯があるテーブルが理解できない、と言って。写真見て思い出したのだけれど、サンフランシスの日本食屋で明太子を見つけたビアンカが嬉々として買った明太子をようやくこの日に食べた。
この日の夜はまだもう一つイベントがあるので、一旦切り上げよう。
今夜(1/30)わたくしはカーネギーホールのコンサートに参ります。楽しみだぁ。
Hi hi, 今は1月31日の午後13時57分。たまらなく満足度の高いランチを食べながら悶絶しているところです。と書いて食べに戻り、食べ終わったので食器を片付けてきます。(いつの誰になんの報告をしているんだ。。。)
餃子パーティーのイブのその先を書き終えたいのだけれど、その前に今のランチの話しをメモらずにはおられぬ。その前に昨夜の超適当パスタが絶品だった話もしようかなぁ。昨夜は明太子を食べたところまで書いて、こんなにどっぷり書き進めたのにまだ旅の序盤すら書き終わっていないという事の膨大さを味わいながら帰宅して、コンサート前に食事を済ませたかったので冷蔵庫にあるものでパスタにした。レモンとミントが使いたくてものすごく適当にゴロゴロ野菜のスパゲッティにしたらすごく絶品になった。適当に進め過ぎて再現できそうになくて残念。でもようやくミントのパックが使い終わった。ミントって思っていたよりも全然どんな形でも寄り添えるということを学んだ。なんかもっと主張の激しい、使い方に悩む存在だと勘違いしていたけれど、この度ブルックリンライフを機に印象を改めました。
はて、今朝は(結局食事だけじゃなくて今日の日記も書くんかい)調子の良いジョギングをした。ようやく、ようやく、身体が動くようになってきた。家を出て地面を蹴り出した時に、すごく軽くて心地よかった。雨が降った後の色素を落とした冬のブルックリンの風景が愛おしかった。
昼に、一昨日契約完了した崇のアパートの鍵の受け取りについていった。次にNYに遊びにくる時にはこのアパートに来るのかね、とか言いながら、初めて自分の家に入る崇を撮影した。素敵な家だった。というかそもそもそこは11月に一緒に散歩をしていた日にまさに歩いていた通りで、この辺とか住めたら良いな、などと言ってた場所なのだった。すごいなー。ビアンカ邸で生活していなかったらこんな風にブルックリンで家探しはできていなかったのだから、運命は面白いねってなった。で、その界隈にある行列のできる有名なクロワッサン屋さんに寄ってクロワッサンを買って帰った。最寄駅Grand Army Plazaを降りると、帰ってきたなという感情が腹に来る。Unionに寄って立派なソーセージとアボカドを買って帰って一目散にソーセージをフライパンに放り、コーヒーの準備をする。アボカドは伊丹式(伊丹十三『退屈日記』参照)で。崇はmtgに入り、手をつけられないままランチプレートがそばにある。私は一人悶絶しながら食べ終えたことを書き終えるくらい時間が過ぎた。クロワッサンはとってもビッグ!大きい!ものすんごくおいしかった。けど多分私はあと少しバターを減らしたい。勝手なこと言ってみる。クロワッサンのリッチな感じと、バターの多過ぎない感じの黄金比は少なくとも今回のクロワッサンではなかった。あれ?否定から入っている?いや途方もなく美味しかったのですよ。そしてアボカド。たまらぬ、なんだこの完成品は。最初に掴んだアボカドがものすごくぶよぶよだったので掴み直したアボカドさん、完璧すぎた、ようこそ私の2025/1/31の腹の中へ。そしてソーセージ。こちらも最高。今夜は外食なので昼間にガッツリ調理したご飯とか食べなくて良いや、というのがこのランチ案の発端だったのだけれど、気軽に用意したつもりが途方もなく満足度の高いランチだった。これは日本でも実現できるな~と思いながら、昔、谷口さんが駐在生活を終えて日本に住みたいと思うようになった根っこの部分は、今こうして飲んでいるみたいに一杯のコーヒーのクオリティに満足できる都市に住みたいと思ったからです、と事務所最寄りのコーヒースタンドでランチ後にコーヒー飲みながら言っていたのを思い出した。
幸せの絶対条件っていつまでたっても決めるの難しい。こうしてつらつらしたくなるくらい、食べることも飲むことも(毎日最低ボトル一本空けている日々)大好きだけれど、なくても幸せに生きていくことは結構できる。一生そこで暮らしますか、というと悩むけど、多分そもそも一生同じ場所で、という覚悟の仕方がおかしい。?やめやめ、こんな話し出したらイブの星空の話しにいつまで経っても辿り着かない!!!あ、たかちゃんのmtg終わった。私も無駄話終えよう。
「今日も書いてる~?(EOY tripの日記)」と温め直したソーセージを切りながら聞く崇。
「書いてるけどランチの話ししてエアビーの話しが全然進んでない」私。
Mtgが終わった崇と巡り巡ってなぜかNISAの話しをして時間が過ぎた。ライフハッカー崇は今日も今日とて銀行に行ったので私はいい加減書き進めましょう。
2024年のクリスマスイブ at Pollock Pines。荷解きをしていたらカレンが持ってきたサンタハットが出てきて、被った。被り物とかと無縁な人生を送ってきた私だけど、楽しい。被り続けているとちょっと蒸してくる。サンタハット被りながらみんなで餃子包んで、せっせと焼いた私。合うフライパンが無くてとっても難しかったのを思い出した。崇とギネスを買ったんだけど、ビアンカがギネスは嫌いだと家についてから言って、ごめーん!となった晩。残りのアサヒで凌いでもらった。
23時頃に防寒対策をして出かける。星を見に。車で20分ほどの山の奥に、天体観測のできる駐車場があるという情報を昨夜見つけていて、行ってみよう、という事に。真っ暗で、車のライト以外何も見えなくて、すごかった。
ねぇもしかして雪? と進んでいくうちに何やら雪っぽいものに気が付く4人。進めば進むだけ木につく雪が増えていって、しまいには路面が白くなった。アメリカにスタッドレスタイヤの文化がないのかはよくわからないけれど、ともかくノーマルタイヤの車だということが私はこの上なく怖かった。ちなみに今更の情報なのだけれど、崇とカレンはものすごく運転が荒い。なんと言っても崇は教習所に行ったことがない。アメリカって教習所行かなくても免許取れるらしい。君たちはなんだ、ドバイで運転でもしていたのか、というほど急発進急ブレーキの運転スタイル。ちなみにちなむと私はものすごいスピード狂。でも急発進急ブレーキはしない。アクセルを3以上に踏むことはまずない。1~2で温めて、2の後半でスピードを上げていくのが楽しい。崇とカレンは青信号になったら秒で3~5みたいな感じの人たち。日本でもなんて荒い運転なんだと思ったけど、レンタカーだったから何にも言わなかった。今回もカレンの車なので何も言わなかった。
雪の上では急に身の危険を感じたのでめちゃくちゃうるさくなった。絶対急ブレーキしないで!とうるさい私。わかってるわかってるって。という例のやりとり。ちなみにあたりは既に山道で、スリップでもした日にゃ崖からゴロリです。
そうこうしてついた目的地。駐車場は雪で埋もれていて侵入できなかったので路肩に。車を降りると靴が半分埋もれるくらいの雪だった。
凄まじい星空だった。
感動的な星空を体験すると、言葉に詰まるなぁ。写真で撮れないのと同じように、言葉でも追いつかない気持ちに書く前からなるから、やや諦めの体勢なのかもしれない。
30分くらい車のライトも消してその場を散策していたと思う。5分もすればどんどん瞳孔が開いていって、驚くほど見えてくる。最初は当たりが何も見えなかったのに、すっかり森の様子が見えてきた。当然、見える星の量も格段に増える。流れ星も心なしかゆっくりと流れていく気がした。
カレンは靴がどうにも雪の耐性がなくて早々に車に引き上げる。
ビアンカ��星座のアプリをかざして星座講義。
シリウスに心惹かれて仕方なかった崇。
山の麓の街の明かりが、ほんのりと疼いていて、素敵な景色だった。
いつまででも居れる本当に素敵な星空だった。ここでこんなにすごかったら、キャンピングカーで行った先はどれほどだろうねと話したりもした。
日付を超えて、メリークリスマス。
帰り道は驚くほど道が見える。瞳孔が覚醒しまくっていた。そしてびっくりするほど雪道だった。見えてなかったからこれたようなものの、ここノーマルタイヤで登ってきていたって怖過ぎる。
帰宅して、ビアンカは早々に寝て、私と崇は少しウィスキーを舐める。カレンはパソコンをいじっていた。カレンはNYでの職探しを頑張っていて、年明けにアプライしたいところがあるんだけど、キャンピングカーに書類系を持ち込みたくない、ということで色々頑張っているところだった。
さてさて、一回アップしよう。Pollock Pinesで2泊、サンフランシスコに戻ってRV(キャンピングカー)旅。まだまだ続きは長い。
仕事中の崇さんがニコニコしながらこっちを見てきて(ビアンカ邸のひろーいひろーーーーいダイニングのおおきーーーーなテーブルで差し向かいに座っている)
「ビールとかあったら気持ちよくレストラン行けたね」と若干意味不明なことを言ってきたので、すぐさま買いに飛び出してきた私なのでした。瓶ビールを2本買って帰ってきて、「It’s fridayyyy」と2025/1/31(金)16:00に盛り上がっているお調子者たちの冬休みはまだまだ続くとさ。
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kanabass · 16 days ago
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2025年2月3月の予定
いつもご覧いただいている方、いつも応援ありがとうございます! 初めて見てくださっている方もご訪問ありがとうございます^^ 
新年明けてもう1ヶ月、時がすぎるのは早いですね、、! 色々な感染症が流行っていますが、皆さんが心も体も健やかに過ごされるように願っています!
2/1(土)18:15〜(vocal) w/鈴木靖子(vo)風呂矢早織(pf)JK(ds) 吉良・たらそ
2/2(日)15:00〜 Eclat (inst) (森田純代pf 林かなba 上野智子ds) 月一えくら。 津島・くれよん
2/4(火) 19:00〜(jamsession)  w/森田純代(pf) 定例セッション。みんなで楽しみましょう。  津島・くれよん
2/7(金)19:00〜えぼにージャズ部(jamsession)    w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds)   新栄・ebony and ivory 顧問のお言葉は愛!楽しく切磋琢磨しながら活動中!
2/9(土)15:00〜(vocal) w/さくら(vo)森永理美(pf)上野智子(ds) Music cafe sakura (岐阜市金園町1丁目8 MAZALビル1F 080-4300-0443)
2/12(水)20:00〜 (vocal) w/aki(vo)牧野かおり(vo)浦田オサム(ts)藤井孝紀(pf)宮川純一(ds) 二人の歌姫のダブルバースデーライブ。 岐阜・BAGU
2/14(金)19:30〜 【Girls’ Night Out!!】(vocal) ***Valentine special*** w/Juju Sumire vo 竹中優子as ss 中嶋美弥pf 上野智子ds 爆発的女子会アンサンブル。 新栄・Jazz Spot Swing 
2/16(日)13:30〜(vocal) w/塚本奈加(vo ts)水野修平(pf) ゆっくりできる喫茶店でお昼をまったりお過ごしいただけます。 瑞浪・cafe voce(瑞浪市寺河戸町1105-3)JR瑞浪駅 徒歩5分
2/20(木)19~21:00ワークショップ   w/水野修平pf 三宅昌徳ds  刈谷・cafe nation ゆっくりまったりやっています。
2/21(金)19:30〜@岡崎・SATIN DOLL 2/22(土)19:30〜@池下・Tenderly(池下1-3-1パックス池下ビル8F)(vocal) w/ハヤシミホ(vo)from大阪 松本コウ(gt)三宅昌徳(ds) なぜか北海道で初めましてだった大阪のミホさんと愛知で初ライブです。
2/23(日)夜 (vocal) w/マリテス(vo)水野修平(pf)藤原雄基(ds) 浜松・JAZZ SPOT analog. 癒しの歌声をお楽しみください。
2/24(月・祝)19:30〜(inst) w/田中淳(tp flh)小関信也(pf) 田中くんほぼ月ライブ。柔らかな音楽です。 岡崎・SATIN DOLL
★★★若林みわ(vo)+林かなTrio春のツアー★★★ 素晴らしいvocalみわさんとの3days! Backも素晴らしい先輩方とかためます。ご予定くださると嬉しいです! 2/28(金)@浜松Hermit Dolphin 3/10(月)@東桜・The wiz 3/11(火)@四日市・veejay w/若林みわ(vo)後藤浩二(pf)倉田大輔(ds) よろしくお願い致します!
3/4(火)19:00〜(jamsession)  w/森田純代(pf) 定例セッション。みんなで楽しみましょう。  津島・くれよん
3/6(木)19:00〜(inst) 【bois】w/森永理美(pf) 古き良き時代の音楽を。 東桜・The wiz 
3/8(土)19:30〜(inst)  【音セレブ】w/松本コウ(gt)佐藤暁彦(ds)  土岐・Bird &Diz  良き音で奏でます、ギタートリオ。
3/9(日)14:00〜 w/水野修平(pf) 最近定期的に演奏しているduo。修平さんと猫ちゃんのコラボも楽しみです^^ 鈴鹿・carrera(鈴鹿市��島台2丁目2-1 080-6970-0187)
3/12(水)20:00〜 w/藤井孝紀(pf)加藤大智(as)服部正嗣(ds) 初めての組み合わせ! 岐阜・BAGU
3/15(土)夕方 w/馬橋清(pf)他 伊勢・詳細未定
3/20(木)19~21:00ワークショップ   w/水野修平pf 三宅昌徳ds  刈谷・cafe nation ゆっくりまったりやっています。
3/21(金)20:30〜 w/青木弦六(gt)  稲沢・Speak Low(愛知県稲沢市高御堂1-20-20-102号)  金曜のまったりduo。
3/22(土)15:00〜Eclat (inst)  w/森田純代(pf)上野智子(ds)  四日市・茶道(四日市市青葉町780-11)  レトロな喫茶店で優雅なひと時を。
3/25(火)夜 小松真由美Presents w/渡邊麻衣(tp)伊藤天音(pf)上野智子(ds) 新栄・アドリアーナ
3/29(土)金沢(inst & vocal) 昼の部 夜の部  w/中丸雅史(pf)林宏樹(ds)長瀬良司(tp)大塚桜(vo)  詳細についてはメンバーあるいは農家民宿ととのやまで。
3/31(月)19:00〜東桜・jazz inn lovely w/川嶋哲郎(ts)後藤浩二(pf)早川紗世(ds) 問答無用の素晴らしいメンバーと!川嶋さんは私の憧れ!楽しみです!
どこかでお会いできますように!^^
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chilchilmischie2 · 5 months ago
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62
スーパー放置してしまった。
ジェネラルさんのトコのボケクエ7の記録を書く。
本当は予選1回戦ごとに書いておくつもりだったのだけど、日記を書くのとは違って、あれこれ記録を調べたり見返したりする必要があって、めんどうで今にな��てしまった。
それで、チームスクルトは残念ながら予選敗退で、チームは解散となってしまった。
今まで色んな(指で数えられるくらい)チームに参加したけども、スクルトは過去最高に話し合ったし、楽しく出来たチームだったと思う。
だから予選で終わってしまったことが悲しいし、「あ、もうみんなでワアワアやれないのか」と、今朝目が覚めた時に思ってしまった。短い間だったけど習慣になっていたから、なんだか生活の中にポッカリ穴が空いた気分だ。
記録として、というより思い出を残す意味で今回は記事を書こうと思う。チームスクルトがどうやって戦いに挑んで、どう負けていったのかを、自分の視点から書いていく。
ということで、まずは予選1回戦目の話から。
予選リーグ 第1試合 グループK
お題
トイレの貼り紙「○○○、ありがとうございます」
32位 148票
4点5 3点18 2点37 ミスチルさんの作品
トイレの貼り紙「もっと前へ、って近い近い近い!下がれ下がれ!そうそうそう、ありがとうございます」
一回戦目のチームスクルトの会議方法は以下のようなやり方だった。
期日を設けて会議用CGIにボケを投稿
1日で投票をおこない、その結果を見て相談し合う
お題や各々で出したボケに対する解釈の相互確認
投稿候補のワーディング修正、文体の変更等を提案、チームメンバーに吟味してもらう
大体こんな感じだったか。
ちなみにこのお題に対する4人の感想は「コノオダイ ジンジョウジャナク ムズインデスケド」だった。みんな苦戦したみたい。
ここから先は自分のこと。
会議用CGIにボケを投稿する前に自分の中で事前に候補を絞って出すようにした。以下はevernoteの記録。
大喜利名人維新 ボケクエ7-甘えていた鏡の中の男に今復讐を誓う-
お題:トイレの張り紙「○○○、ありがとうございます。」
1、舞台背景
お手洗い。
自宅でも学校でも職場でも居酒屋でもあり得る。
ただ、自分の家や学校や職場にこんな貼り紙はしないか。
学生や社員などの特定の人が使う場合ではなく、もっと不特定多数の人が使う、そんな場所を考える。
・お店 ・公衆トイレ ・公共施設(役所とか)
・病院 ・宿泊施設など
(奇を衒って自宅という手もあり?サイコパス味を出せそう。案として残しておく)
・誰も利用しないような場所
山奥 深い森の中など自殺スポット
→引き返せ、まだ間に合う。粗末にするな その命。実行前にご使用いただき(仮)
発展:よく見かける貼り紙や看板の文言同士を組み合わせる
→①命は親から頂いた大切なもの。一人で悩まず相談してください。綺麗にご使用いただき(仮)
→②粗末にするな 親からもらった その命。いつも綺麗にご使用いただき
2.元ネタ、原典について
「いつも綺麗にご使用いただき、ありがとうございます」
になる。
3.今思いつくアプローチ
「逆」:
・綺麗を汚す、汚くする
→長年清掃員してるこの俺を戦慄させるレベルの汚し方をしたカス共へ(好きだけど、文脈が崩れる)
・利用者向けではなく、管理者側に向けての貼り紙
→ここ来ればペーパー買わなくて済むし(没)
このアプローチを拡げてみる
全然無関係な人物による貼り紙
→俺ここの人間じゃないんですけど(没)
・「極端化」:綺麗どころか新品にしてしまう
→毎日新調してくれる人がいますが(没)
「強い思い込み」:掃除するのが楽しくて仕方ない
→これはもうトイレ掃除じゃねえ バトルだわ(没)
・「元ネタ」:「綺麗に」の部分だけ汚れて読めない
→「いつも(汚れてて読めない)ご利用いただき、ありがとうございます(没)
・「皮肉」:本当はありがたく思っていない
→3コマだけ書いてあった漫画にオチつけてくれて
(皮肉か?)(没)
〜レベルのでかい石を使い詰まらせた方へ
→①掃除の必要が無くなる
→②我々ではどうしようもない
→③業者呼ぶ(没)
→④悪戯じゃなくてテロ
→⑤清掃スタッフでどうにかなる(レベルじゃない)
→⑥警察呼ぶ
→⑦新調せざるを得ない
→⑧清掃の意味が無くなる
③は普通過ぎるか。
④テロレベルって読みづらい
文脈的に①と⑧がスッと入るけど。
いずれかを会議に出す(出し忘れた)
3.問題点
そもそも何に感謝しているのか?
元:綺麗に使う事に対して
→別の内容にシフト
(場所:自宅+ストーリーに仕立てる+詳細記述)
→大人になって分かったんだけど、普通に生きるってだけでも本当に大変だよな。でもさ、仕事で大変なことがあっても、家帰って子ども達が元気にはしゃいでいる姿見ると、その日一日の疲れが吹っ飛ぶんだよね。俺とかも小さな頃はそんな感じの子どもだったのかな?そんでさ、親って凄えなって事も改めて思ったんだよ。きっと辛いこともあったと思うけど、そんな姿子どもの俺に一切見せなかったんだから。マジ凄えって思う。俺も見習わなくちゃいけないよな。久しぶりに実家帰ってきて、ふとそんな風に思っちゃって、急に2人に伝えたくなったんだけど、こういうの柄じゃないし、直接言うのも恥ずかしいからさ、ここに書いておくよ。お父さん、お母さん、俺を育ててくれて
→トイレの張り紙「詰まりの原因が料理だと分かりシェフを辞める覚悟が出来ました、ありがとうございます。」
役割固定、場所固定
・レストラン シェフ
料理がトイレに廃棄されている
=不味い
改善方法を探す、あるいは辞めるなど
そろそろ免許取るかって思いました
調理師免許の必要性に気付きました
調理師免許取ってもいいかなって思いました
(詰まりの原因が料理と判明し免許制度の意味が分かりました)
場所を改変する
高級レストラン:
詰まりの原因が料理と分かりセレブも吐けると分かりました
詰まりの原因が料理と分かりセレブって吐くんだって思いました
詰まりの原因が料理と分かりセレブが吐くとかウケるな思いました
単語いじり
シェフ→ジェフ
詰まりの原因が料理と分かりこいつシェフじゃなくてただのジェフだって気付きました
すごいゴチャゴチャしているけど、メモ書きを大体そのまま載せているので仕方ない。
初戦ということもあって、昔懐かしのネタ作りシステムを活用している。笑いどころに何かしらのエレメントがあるように意識してボケを考えた。
その中で生まれたのが、
トイレの貼り紙「もっと前へ、って近い近い近い!下がれ下がれ!そうそうそう、ありがとうございます」
だった。
これは貼り紙の元ネタの改変+リズム感の要素を取り入れている。
元ネタについては、「もっと前へ進み用をお足しください」を基にこれを���意に沿わせるようにしている。ちなみにこのトイレの貼り紙の文言、実は大喜利フェス2010の予選Bブロック第二試合でも使われていた。後々で気付いたことだけど、ちょっと似たアプローチのボケがあったので、ドキッとした。
本番で出す候補にあったものは他に、
トイレの張り紙「詰まりの原因が料理だと分かりシェフを辞める覚悟が出来ました、ありがとうございます。」
があって、これをワーディング変更であれこれいじったものを会議の場に出したが、基のが一番良いこと、またメンバー間でボケのアプローチが固まらないようにする目的から、「近い近い!」を本番に出すことにしたのであった。
結果は微妙な位置。
終盤直前まで10位前後にいた時もあったけど、ラスト1日で投票傾向がガラッと変わり、そのまま落ちていった。この流れは3回戦目でも同じことが起きているが、まあこういった経験は何度もしているので特段何も思わなかった。悔しむよりかは「だろうね」ってことで片付けるのが精神衛生上よろしい。
さて、個人についてはこんな感じ。
チーム状況を見ると、練習お題に続きshamanさんが高得点を出したこともあって、この時点では本戦突破圏内にいた。
この調子で行こうと意気込んで次戦に挑んだのであるが...そのことについてはまた次の記事で。
後はツボ上げでも。
ボケの数も多く、またお題も沢山あるのでこれはちょっと時間に余裕が、というよりかは気が向いたら記録していこう。とりあえずは4点を入れたものに絞るつもり。
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zutsunokotodake · 8 months ago
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6/6木
在宅勤務。少し早く起きたのでPC作業。鼻の奥が痛いなと思って鼻うがい。このまま頭痛になるのは避けたいと思って熱い風呂に入ってみるも効果なく、結局服薬。
Teamsっていうマイクロソフト社のアプリがあって、それはうちにある配信用の機材Elgato Stream Deckというカスタムボタンコントローラで操作できて便利。マイクのオンオフとか、Goodマークの投稿とか。なのだけど数か月前にTeamsが新しいバージョンになってアップデートというより別アプリになっちゃって、そのコントローラが使えなくなっていた(なので古いバージョンを使ってた)。今日調べたら、やっと新Teamsで使えるようになってて設定。やったね。
NHK映像の世紀「カラシニコフ銃」の回、泣きながら視聴。1丁10ドルで手に入る、水の中でも泥にまみれても子どもでも扱える銃。
最近、順番ランチが復活傾向なので、順番ランチページをちゃんと更新する。訪問したランチのお店560件、そのうち閉店したのが把握しているだけでも260件以上。
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鼻うがいはハナクリーンSってのを使ってて、セレブな自分は食塩の代わりにこのサーレSってのを溶かして使っている。
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aloha0705circle · 10 months ago
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こんにちは
月食・日食週間が過ぎて、だいぶ新しい時代に意識がシフトして行っているのを感じますね。
磁場の関係で、頭痛がしたり、すごい眠くなったり体調を崩される方もいらしたかもしれません?!
桜も今年は残念ながらお天気が良い期間が少なくて短かったですね。
ですが、毎年ちゃんと咲いてくれて本当に感謝しかないです🙏✨
🌸今年も楽しみをありがとう💕
さくらの香りや波動は、目には見えませんが素晴らしいですよね!
因みに、全てのものは波動を発しています。
人や動物はもちろん一緒にいると心地がいい人がいると思いますが、それって自分の波動と波長が合っているからなんですね。
そして、「さくら」の唄、昔から何気に歌われている日本語として普通に意味がありますが、ヘブライ語 だと別の意味をもなすようです。
いきなり���すが・・
日本のみなさま、大変お疲れ様でした。
お目覚めになった方、そろそろ出番が来たようですよ⁈
そう考えると、桜の歌が桜からの癒しと励ましの歌詞となって身に沁みますね・・・
動植物や鉱物すべてのものには周波数があります。
そして、昆虫や動物たちは鳴き声を発しますが、植物や鉱物は何も発していないと思っている方がほとんどかと・・?
実は、わたしたちに聞こえていないだけで、とても素敵な音を発しています。
聞いてみてください!
Tarn Nayar さんのmodern biology music
instagram
感動〜💕
ワクワクしますね😍
英国王室、セレブ等もそうですが、先日表のニュースでお亡くなりになったRフェラーさんも西洋医学の治療は一切受けなかったそうです。
【Rフェラーさんの話は有名】
・加工品、外食食べない
・フッ素、塩素入り水道水は口にしない
・病院には行かない
・インチキ栄養学で大衆洗脳
○マザキパンの社長が自社のパンを食べない のと一緒で、負のサイクルを作り出している張本人たちは、マッチポンプで作り出した負のサイクルからエネルギー(民衆からお金)を搾り取るだけでそのサイクルにはかたってないんですね。
真っ当な企業のトップの方は、自社の商品に自信と誇りがありますから、多くの方に食べてもらいたい思いで作られてるのが普通だと思います。
その思いは、今から正しいサイクルに取って代わられていくでしょう。
これからは、賢い消費者が増えてくるので、今迄のようなビジネスでは通じなくなって見直されてくると思われます。
負のサイクルとは、マスゴミを使い怖れを煽り、毒・ニセモノを作り、依存させ、人の命までも商売になっているような▲サイクルです。
医療こそ、原点に立ち返るときかと・・てかね、負のサイクルが当たり前になりすぎて今や薬漬けで麻痺してる方が多々いるかもしれません。
医師になる方はヒポクラテスの誓いを皆さんたてるらしいですよ・・しかし、おそらく、大きい病院の経営となると全くもって誓いが意味を成してこないのではないんでしょうか。
これから、わたしたちが健康になると、自然のサイクル(エネルギー)を正しく受けて回す循環システム(torus)が回復します。
そうすることで、わたしたちが本当の自分に戻ることになります。
さらには周囲の人たち、地球の波動も上がり、宇宙が正しいエネルギー、サイクルで循環することになります。
この今の社会システムのマトリックスから目覚めた個人から変わっていきます!
そして、今起こっていることは古い医療システムから周波数や遺伝子治療等で治療する新しいシステムに取って代わるのも近いでしょう!
今まで虐げられてきた日本人こそ、味噌が熟成して食べ頃になってきた感じでクス玉級にパンパカパーン🎊✨
かもしれません⁈笑
日本語は(音)♪
あなたの氏名(しめい)に意味があるのかも⁈
氏名🟰使命 で自分で決めてきてますよ
きっと✨
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wabisukepons25 · 10 months ago
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2.5頁
ーーー 7年前。
明朝、A病棟にけたたましくモニターのアラーム音が鳴った。「あぁ、やっと死ぬのか」と思いキャスターから腰を上げる。先輩に救急カートを押せと押し付けられ、そのまま早足で先輩の後に次ぐ。カートを押しながら落ち着けと心の中で唱える。
ベットについて患者の顔を見る。当直医を呼ぶも、見ればわかる。あと心拍さえ止まれば…。
眠たげな若い当直医が病室に辿り着いた。「ライトー」気だるげな声にさっとペンライトを渡す。むしり取る様に奪われ、死に向かう光の無い目に向けられる。「散瞳。聴診器。…呼吸停止。心拍も、止まった。記録しといて」
はーだる。と漏らしながら当直医はダラダラと詰所へ戻っていく。感情が湧くもどういった形にすればいいのか分からず、ただ胸がモヤモヤする。整理し終わる前に、相勤の先輩から声をかけられた。
「狼くん、もうちょっとドクターのフォローしなよ。あの先生、男性看護師嫌いだし後々めんどくさいよ?…はぁ。戻って死亡診断作成しといて、こっちのエンゼルやっとくから」
ーーー
この仕事に就いて1年が経った。もう何人もこうやって送ってきた。
死が美しいものでは無いと、ここで知った。
オレの友人は「死にたがり」だ。過去に負った心の傷が深すぎて修復不可能。ふとした時にぼそりと「死にたい」と呟く。…自殺は明け方に多いという。
夜勤明けの家路に着く時いつも思う。鼬が家に居なかったらどうしよう。探しても居なかったら。アパートの脇の道路で、風呂場で、寝室で、動かなくなっていたらどうしようと考えが巡ってしまう。
鼬は死んだら楽になるとよく呟く。が、死は…美しくない。そうだ。全くもってうつくしくなんかは無い。今まで経験した死の形が頭を巡る。
「この時間に…」「あーやっぱ林さん持ってますね〜」「家族来ないってさー」「よく死にかけてんのに本人の前で遺産の話しできるわ」「若いのにバカだねぇ」「そんな理由で飛んだの?私なんか100回飛んでるわ」「手首切って大出血。ショック状態だって」「あーなんで市販薬ちゃんぽんするのさ。効きすぎてもうダメだよこれ」
2月。5時ごろまで降っていた雪は止まり、道の上には多くの人に踏まれ大方溶けてしまった雪が残っている。朝の10時になると出勤や通学をする人々はいなくなり、買い出しの為に歩いている主婦や外回りのリーマンがちらほら見えるくらいだ。手をジャケットのポケットに突っ込み、疲れ切ったオレは足早に家路につく。早く。早く帰らなきゃ。
雪が解けた階段を、重い足だがこれで最後だ早く帰らなきゃと足早に3階まで上がる。口から白い湯気がリズムよく生み出されていく。やっと自宅の青いペンキの塗りたてのドアの前についた。換気扇がカラカラと音を立てて部屋に��いたホワイトムスクの芳香剤の匂いをばらまいている。手早く背中に背負ったリュックのサイドポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。鍵はすっと開いた。ドアノブを握る。急に握った手から心臓、全身にかけて痺れるように恐怖が湧き出る。まるで蛇に睨まれた蛙のように。手に汗が染み出て、息が止まり、冷や汗が湧き出る。
ドアを開けるのが怖い。ドアを開けて、その先にもし…。もし。もし。そんなわけない。いやでも…。
鼬が死んでたら。
恐怖ですべてが包み込まれていく。視界も黒く狭くなっていく。「どうか、どうか。神様、いつもと同じでありますように。」祈りながら重いドアを開ける。
「おかえり狼ちゃん。夜勤お疲れ様ー。朝ごはんあるよ」
優しげな鼬の顔が見えた。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。目が熱い。顔は見られたくない。鼬に飛びつくしか無かった。
「どうしたん?急に抱きつ……泣いてん?…よしよし。辛いことあったんやね。大丈夫、ウチがおるさかい。ね?」
言いたい事が言えない。「誰のせいで泣いてるのか」「誰のせいで毎日心が細くなっていってるのか」「風呂場で一人どれだけ泣いたか」ぶつけてしまいたい。楽になりたい。けど、きっと。ぶつけてしまったら意図も容易く、この抱きついた暖かい闇は壊れてしまう。絶対に。
ーーー
遮光カーテンから昼間の光が透け入る。部屋にオレの情けなく漏れ出た声が響く。さっきまで喉でつっかえていた言葉が、墨を水に溶かしたように溶け忘れ去られていく。
死にたがりから嫌という程に与えられた楽欲は甘美で脳が麻痺する。思考が鈍り、考えは湧き上がるも程なく霧散する。
上がる吐息。甘い声。絡まる指。腹が熱い。
ーーー
シワの寄れたシーツから起き、散らばった服を集める。服に袖を通し、幸せそうに眠る鼬の隣に横になる。気だるさはあるが気は晴れている。徐々に痛みが生まれだした腹をさする。好かれたその「証」に悦びを感じる。証をくれた本人の寝顔を覗く。まだ思考がまとまらない。少しづつ整理していく。
何が言いたかったんだっけ。何を伝えたかったんだったっけ。…そうだ。確か言ったらダメだと思ったんだ。だからこうしてまた確かめあって…。そしてオレは納得したんだ。
生きている。って。
鼬もまだ生きている。オレの隣でスースーと寝息をたてて、生きている。
二人とも生きている。いいじゃないか、それで。
そう無理にでも納得する事にした。
ーーー
しばらくして仕事を辞めた。あそこはあまりにも死に近かった。もう死について考えたくなかったってのもある。丁度いい頃合いだったのかもしれない。クソ勤務、クソマニュアル、クソクレーマー、クソ先輩、クソドクター。クソブラック病院め、くたばりやがれ。最後の勤務の帰りに、鼬が食べたいと言っていたちょっと高めのイタリアンを二人で食いに行った。
普段食べないような料理に二人で喜びながら、退職祝いをした。鼬は手際よく謎の横文字料理にナイフを入れ、器用に口にそれを運ぶ。その作法の整った綺麗な食べ方に目を奪われる。そうだよな、お前の実家は所謂セレブって奴だもんな…。
一通り出された食事を食べ終えた所で鼬がにこにこしながら白ワインをくゆらせる。
「無職ニート記念おめでとう!あーあ。これで2人とも無職だよ〜。どうすんの?」
イタズラに微笑んでワインを1口飲む。オレは急に顔が熱くなるのを感じ赤ワインをあおった。強いブドウの匂いにむせる。
「ゴホッ…どうするって、また仕事探すしかない…やろ?でも…これからどうしようか…?」
「へへ、しばらく二人でダラダラニートしよーよ!あ!狼ちゃん、憑き物落ちたみたいな顔してるね。病院、辞めて良かったね。」
「…うん!」
きっとオレは死に目を覆われていたんだ。仕事で死を経験する度に思い詰め、その度に擦り切れていった。死が身近だったからこそ、鼬が死んでしまうと思うことも多かったんだろう。鼬は今日も生きようと頑張っているのに。頑張っている本人を見ずに、死ばかり見ていた。
けど、今は死の事なんて考えなくっていいんだ。お互いジジイになってから考えても遅くはない。だってそうだろ?オレ達は今日も楽しく生きているんだから。
生きている事に乾杯。
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kaarijajpn · 10 months ago
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TULIPAHAN KÄÄRITTYÄ-その3
Helsingin Sanomat(ヘルシンキ新聞)が別冊号として発表したカーリヤ特集記事を、英訳→和訳しています。
★英訳全文はこちら
★その1はこちら
★その2はこちら
以下和訳ーー
2023年12月14日
YLEスタジオ
ヘルシンキ
イェレ・ポウホネンは、パシラにあるYLE(*フィンランド国営放送)スタジオの迷路のように入り組んだ廊下を歩きながら笑いそうになっていた。
「待ってくれよ、今から始まるのか?去年のことは全部ただの夢だったのかよ?ってね」
ポウホネンは、"カーリヤ狂騒曲"が始まった場所――UMK(*ユーロビジョンのフィンランド国内予選大会)のリハーサルへと戻ってきていた。
120本のライブをこなした1年が終わろうとしている。クリスマス前までにもまだいくつかのライブが残っており、元旦にはヘルシンキ カンサライストリ(市民広場)での年越しカウントダウンライブが控えていたが、その後はライブの休養期間が続く。春の間、カーリヤのライブは1本のみだ。
ポウホネンがパシラに戻ってきたのは、エリカ・ヴィクマン(*フィンランドで人気のセクシー系女性歌手。過去にUMKに出場し人気に火がついた)とコラボした彼のニューシングル"Ruoska"を2月のUMKの決勝で披露するためだった。
これまでのところ、"Cha Cha Cha"後にリリースした"It's Crazy, It's Party",  "Huhhahhei", エラスティネン(*フィンランドの人気ラッパー)とコラボした"Toiset samanlaiset"、いずれも大きなヒットには至っていない。
だがそれでも彼は心配していないのだという。
「もちろん、来年には新曲が1曲でもSpotifyで1位になればいいなとは思います。そうすれば、("Cha Cha Cha")1曲だけに頼ってツアーをしなくてもよくなりますし。明らかな成功が得られないようだったら、次の作戦を練らなきゃいけない。でも、エラスティネンが、今はとにかく車輪を回し続けることが大事だとアドバイスしてくれました」
先週、ポウホネンは大統領主催の独立記念日祝賀会に招待された。とても奇妙な体験だったという。
「サレ(当時の大統領サウリ・ニーニストの愛称)から招待を受けたのは大変光栄でしたし、祝賀会では素晴らしい出会いもたくさんありました。でも僕はあの場で、ただの写真要員に過ぎなかったんです」ポウホネンは言う。
 「多くの人が僕と写真を撮りたいだけなんだと。もちろん嬉しいことでしたが、僕自身は十分にパーティーを楽しめなくて。最後には静かにフェードアウトしました。ボディーガードと一緒にホテルに帰って、ワインを飲みながら、今夜は何だったんだろうなぁ、と考えていました」
この1年、ポウホネンは、フィンランドのセレブ界のトップに属する事がどういう事なのか、いろいろと考えさせられた。
「正直に言うと、みんなの注目を浴びることは僕にとって何の意味もないということにすぐに気づいたんです。みんなで写真をとることもちやほやされることもクールではありますが、結局のところ、本当に必要なのは身近な人からの愛だけなんだってね。誰かといるときは、これ(称賛や注目)はイェレが受けているものではなく、カーリヤが受けているものなんだってことを忘れないようにしないと」ポウホネンは言う。
教訓を得たのは彼だけではない。
「やり方がよくなかったとまでは言いませんが、もう少しセンスのあるやり方があったかもしれない…例えばライブのブッキングについてとか。実際、こんなやり方をして心の健康を損なってしまったら、名声があったって何もできなくなってしまいますから」
チーム・カーリヤにもいくつかの変化があった。
以前ワーナーで国際的プロジェクトに携わっていたニラナンダ・ランキが、新たな広報担当になったのだ。彼女はまさに今、UMKの会場で、ポウホネンが"Ruoska"のリハーサル���するところを見守っている。
自身もアーティストとして知られるカッレ・リンドロスもA&R(*アーティスト・アンド・レパートリー。アーティストの発掘や育成、PRなどを一手に担う)としてチームに加わり、カーリヤのキャリアプランニングに携わっている。
ビジネス面で、整理しなければいけないことは山ほどあった。
2023年のはじめ頃、ポウホネンはPaidatonriehuja Oyという会社を設立した(*Oyは有限会社の意。"Paidatonriehuja"は"上半身裸の暴れん坊"という意味で、カーリヤを象徴するワードとしてSNSのアカウント名に使われているほか、同名の楽曲も作っている)。
彼は特に経理面で、様々なことを学ぶ必要があった。
以前のポウホネンの年収は2万ユーロ(約300万円前後)以下だったので、ライブのギャラはタックスカード(*年収や税率等が記載されたもの)を使って請求することができた。今は、将来に向けてこれまでとは違ったプランニングが必要となる。欲だって出てきた。
ポウホネンの計算では、"Cha Cha Cha"のストリーミング配信だけで、これまで少なくとも6万ユーロ(約990万円)稼いだことになる。それに加えてライブのギャラや、ほかの楽曲の収入、そして高額なスポンサー契約もある。企業との広告タイアップでは、10万ユーロ(約1,600万円)の契約を目指す。
そしてもうひとつ、驚くべき稼ぎ方がある。Onlyfansだ。
昨年末、ポウホネンは有名なアダルトコンテンツのプラットフォームであるOnlyfansに自身のアカウントを開設すると発表した。ファンは月額料金を支払うことで、彼の限定コンテンツを見ることができる。(*Onlyfansは元々はクリエイターが様々なコンテンツをアップしてお金を稼ぐことができるサイト。セックスワーカーなどポルノ系ユーザーが大半を占めるためアダルトコンテンツとされる。)
ポウホネンの場合、提供するのはアダルトコンテンツではなくおもしろ動画で、アドベントカレンダーの形でスタートした。
月額料金は約40ユーロ(約6,500円)と高額だったが、この企画は成功した。ポウホネンによれば、12月だけで収益は4万ユーロ(約650万円)に達した。
彼は、Onlyfansの盛り上がりが続くとは思っていない。
「課金してくれた人の中には、ちんこ出してないじゃん!って離れていく人もいるんじゃないですかね」
ポウホネンは、ミステリアスな"Häärijä(ハーリヤ)"とともにOnlyfansのコンテンツを作成している。
ハーリヤは、カーリヤの「ドッペルゲンガー」としてカーリヤのSNSに現れ始めた。夏以降、ハーリヤはカーリヤのライブのインターバルを盛り上げる存在としてライブに登場している。ハーリヤもまた、絶大な人気を誇るキャラクターだ。彼の最大の特徴は、一言も喋らないことである。
ハーリヤの本名はトミ・ハッポラ。実生活ではフィットネスインストラクターとして働いている。ハーリヤとカーリヤは友人であり、年明けには一緒に旅行に行くつもりだ。ポウホネンは、1月は完全なオフにして、何もしない予定だという。
「1か月ぶりにスマホの電源を切って、SNSも更新しないつもりです。まあ本当は、"カーリヤ"のことを忘れて一息つくことが少し怖いんですけどね」
2024年2月10日
UMK決勝
タンペレ
タンペレのノキア・アリーナは2021年に竣工した。
だがロシアによるウクライナ攻撃が始まり、それにともなってヘルシンキのハートウォール・アリーナが使用されなくなった(*少数株主に名を連ねていたロシア人がプーチン大統領と近しく制裁リストに加えられた)ため、タンペレの新しいアリーナはとても重要な建物となった。
フィンランド人は、2024年5月のユーロビジョン・ソング・コンテストがここで開催されることを夢見始めていた。フィンランドが優勝することを期待して、周辺のホテルは予約で埋まっていた。
ユーロビジョンがノキア・アリーナで開催されることはなかったが、UMKがタンペレのこの大きな会場で開催されることになった。
ドレスリハーサルまで1時間を切り、アーティストたちのダイニングエリアはざわざわとしていた。ある人物は、すでにその光景を見たことがあった。彼はゆったりとブースに座り、穏やかに食事をとっていた。
イェレ・ポウホネンの満面の笑みは、昨年の優勝者は今回、何のストレスも感じる必要がないことを物語っている。
「この出演を、僕は休暇と楽しみの延長としてとらえています。もちろん、自分の仕事はきちんとこなします。エリカと一緒にステージに出て、素晴らしいハーフタイムショーを見せなければ。でも、何のプレッシャーもなくこのステージにあがることができるのは、素晴らしい気分です」彼は言う。
カーリヤとヴィクマンのコラボ曲"Ruoska"は熱狂とともに迎えられた。この曲は"Cha Cha Cha"以降初のヒット曲となるだろう。
次のUMKの勝者が決まったら、ポウホネンは彼らの優勝後すぐにメッセージを送るつもりでいる。いいアドバイスはたくさんできるが、最も重要なことは一つ。「がんばりすぎて燃え尽きないように」。
スターとなった彼自身でさえ、このアドバイスどおりに過ごすには、まだ学ぶところが多い���
「休暇中、ちゃんとリラックスして休息をとることはできませんでした」ポウホネンは認める。
以前にも同じ言葉を聞いた。1か月の休みでさえ、結局十分ではないのだ。
ポウホネンはまず、親しい人たちと一緒にタイへ旅行し、それから友人たちとレヴィへ行った。楽しかったが、十分な休息ではなかった。
そしてポウホネンは、SNSを断つこともできなかった。
「決意は初日で破れました。Onlyfansのコンテンツを作ることをやめられなかったんです。購読者が多かったので」
Seiska(*日本で言う文春のようなフィンランドのゴシップ誌)は、休暇中のポウホネンと「ブロンド美女」をパパラッチした写真を掲載した。
ポウホネンは、自分の知らないところで写真を撮られたことに嫌悪感をあらわにした。
「撮る必要があるなら、せめて僕の写真だけにしてほしい。僕の大切な人たちは、カーリヤとは何の関係もないでしょう? 彼らの写真を撮って公開する権利がいったい誰にあるのか、まったく理解できません」
ポウホネンは、自身の交際関係について公の場では発言しないと最初から決めていた
翌年の最も重要なミッションは、「よりスマートに物事を進める」ことだ。例えば、受けるインタビューやライブの本数は、理性的に判断する必要がある。
ポウホネンは、自分が許容量を超えて多くの仕事を引き受けようとしはじめたとき、彼を落ち着かせてくれる人たちが周りにいることに感謝している。
「そんなとき彼らは『もう一回考え直してみようぜ、な?』って言ってくれるんです」
ポウホネンはブースから立ち上がり、いつものボディーガード ヴェイッコ・ケルマンとともに楽屋へ向かう。
UMKの決勝は無事に終わったが、その後SNSでは、なぜフィンランドはカーリヤとヴィクマンをユーロビジョンに送り込まなかったのか、という声が沸き上がった。
答えは簡単だ。
イェレ・ポウホネンは、もう二度と今年のような年を経験したくないからだ。
2024年3月1日
サノマタロ(*ヘルシンキ新聞のオフィスが入るビル)
ヘルシンキ
フィンランドの英雄、そしてユーロビジョンのアイコンとしてのカーリヤの1年が終わった。
UMKでは、Windows95manことテーム・ケイステリとヴォーカルのヘンリ・ピースパネンが、ユーモアあふれる"No Rules"のパフォーマンスで予想外の優勝をつかみ取った。
彼らがユーロビジョンの代表となるまでの道は平坦ではなかった。二人は、ユーロビジョンへのイスラエルの関与やガザの情勢を理由に出場を断るべきか、長い間議論を重ねた。
検討を続ける間、彼らはイェレ・ポウホネンの自宅を訪ねている。
「僕は彼らに、自分の意見よりもまわりの意見のほうが大事かどうか、考えてほしかった。大会に出なければ、誰も彼らの意見を聞いてくれることはないだろうと言いました。自分の立場を主張したいなら、自分たちの足でその舞台に立ったほうがいい」ポウホネンは言う。
ラッパーは、Kuukausiliite(*この記事が掲載された、新聞の月刊別冊号)の表紙を飾る写真を撮る前に、サノマタロでタイ料理を食べていた。
ポウホネンは、イスラエル問題については特定の立場をとらないことを強調した。なぜなら、情勢について深く理解していないからだ。
概して政治的なことに関して自身に十分な知識がないと感じているので、彼は政治問題について言及することは避けたいと考えている。
大統領選挙期間中、ポウホネンは数名の候補者から支援を依頼されていたが、彼は特定の誰かを公に支持することはしたくはなかった。
ポウホネンは、ケイステリとピースパネンに、ユーロビジョンの経験は間違いなく彼らの人生のハイライトになるということをはっきりと伝えたかった。
彼にとってもそうだったからだ――たとえユーロビジョン後の1年間、時に悲しみや怒りを感じ、時に搾取されていると感じたとしても。
そして時に、嫉妬さえ感じた。例えば、自由に街を歩き回れる彼のバンドメンバーへの嫉妬。
「今にも爆発しそうな状態でした。俺たちはこうしてフィンランドを、世界中をツアーして、俺の顔がそこら中にあふれてる。俺はあらゆることに耐えなきゃいけないのに、お前らはパーティーを楽しんでるだけじゃないか、ってね」
ポウホネンは誰の事も責めたくはないし、誰にとってもこの状況は未知の領域だったと強調する。このハードな期間中、ポウホネン自身も物事についてどのように適切に議論したらいいかわからなかった。
「幸運にも、最終的にはすべてがうまく行きましたが、大惨事になる可能性も十分にありました。完全に精神をやられて、ファンを殴るような事態も起こりえたかもしれません」ポウホネンは言う。
「時々……うまく説明できないんですが、他人に対して異常なほど憎しみを抱く瞬間がありました。論理的には、僕を慕ってくれるファンの人たちが良いものだけを望んでいることはきちんとわかっていました。でも、プライバシーを完全に失ってしまったということが耐えられなかったんです」
友達同士の楽しみとして始まったプロジェクトは、いつしかプロフェッショナルなビジネスとなった。
ポウホネンは、バンドメンバーが今後も彼とともに仕事をしてくれることを望んでいる。今後どのようにギャラを分割するかについては、現在交渉中だ。この議論には苦痛が伴う。
ポウホネンには、将来に向けて様々なプランがあった。ヨーロッパを制覇することにも興味があるし、フィンランド国外をめぐる、より大規模なツアーの計画もある。アリーナツアーやスタジアムライブについての考えも頭の中を巡っている。
これらすべての想いは、長いインタビューの最後にポウホネンが明らかにした、ひとつの大きな願いに帰結する。
「『こいつは"Cha Cha Cha"だけの男じゃない』ということを、みんなに証明したいんです」
<終>
※なお、記事中に使用されていた写真をまとめてくださっている方がいらっしゃいましたので、ご参考まで!
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truth22 · 11 months ago
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poyojinsei · 2 years ago
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超zakki
ゲームできてないので、今日はただの雑記を書きます。でも、ブレワイのちょっと腹が立つ場面(でもちょっとだけだヨ)を動画に撮ってあるので、それは次回絶対インターネットにアップロードする。
その1
tumblrを利用することにしたのは、ここがなんか居心地よさそうだったから、だけどもそれはたぶん錯覚で、私がダッシュボードをあんまり見てないからでしょうね。何人かイラストとか描く方をフォローしてるくらいで、その人たちが投稿をしてくれるとだいたいは通知が来て(たまに来ないけど…)、見に行って、すてきだ~😍と思ったらハートのボタンを押してます(だいたいは押してます)。そのくらいで、あとは私は主に、何か書きたいときだけtumblrを開いています。
書く時のtumblrと見るときのtumblrは、おおむね、別物。として扱っています。
しかしSNSっていうのは、ユーザーにつながりあうことを奨励してきますよね。そういう意味ではtumblrも同じです。(オススメユーザーを通知してくる。でも、あんまり見てません。)そしてそれは、たぶんつながりが多いほうが、私がtumblrを見る時間が増えて、広告をクリックしたり金を払ったりしやすくなるからなのでしょう。
でも私は別につながりとかは求めていないな~と思って。すてきな投稿をする人を知ることができるのは楽しい&うれしいけど、それと自分の発信は別でいいな~と思いました。twitter(あ、Xになったんでしたっけ?)とかは自分の投稿も他人の投稿もフォーマットは同じなので、自分よりスゲー人も自分と同じ土俵で舞っているように見えてしまい、なんかいろいろ頑張りがちになっちゃうんじゃないかなーと思いました。
じゃあ、つながりを求めてないんだったら、SNSじゃなくて個人のホームページ的なものを作ってそこに引きこもってろよ、と言われそうなのですが、いまって昔みたいに誰でも一般人がホームページを持ってて自分の日記とか趣味のくだらないこととか発信している時代ではないじゃないですか。そういう素敵なインターネット時代は終わったじゃないですか。価値ある発信をするものだけがホームページを持ってるみたいな雰囲気あるので、私はそんな自信なくて、ある程度アノニマス化できる場所に逃げ込んでしまいます。
でも、個人ホームページで日記や考えを書いている人たち、プロじゃなくても作品をアップロードしている人たちが本当に好きで、見つけると本当にうれしいです。一人一人に意味があるんだよ……
ホームページが一軒家だとしたらブログはアパートかマンションみたいな感じ?とりあえずマンション買ったような気持ちでtumblrに日記を書き続けます!
その2(読書リストについて)
私は中学生のころから読書リストをつけています。それは月ごとにくぎって、本のタイトル、著者名、レーベルを書いておくだけのものです。一時期は感想も書いたりしたけど、やめて、一行で収まるように、罫線太めのノートに書いています。今は読了日と一文字で補足情報を書いています(図書館で借りた=L、再読=A、超めちゃくちゃ面白かった=☆など)。
で、一時期、「こんな本のリストに何の意味があるのか、自分はこれだけの本を読んできたという増長を招くだけの自己満足にすぎないのではないか、読んできた本が血肉と化しているならば、こんなリストには何の意味もない、こんなリストをつけていること自体が恥だ」と思いつめ、リストをやめるばかりか、資源ごみに出してしまいました。
今思い返すともったいないな~~と思って……。「このころどんな本を読んでいたのかな」とか、「このころ仕事で悩んでるな」とか、振り返って楽しいときもありますよね。意味とかなくていいので、読書は血肉にも化さなくていいので、一行しかない、ちょっと無口な自分の記録に楽しさを見いだせなかった自分の愚かさが、思い出グッズ捨てちゃったな…という気分です。
その3 いま今年のリストを振り返って、毎月1冊分オススメ本を紹介します!!!!
1月 『僕の狂ったフェミ彼女』←痛快たのしいフェミ小説です
2月 『侍女の物語』←現代の名作ディストピア小説!
3月 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』←資本主義!
4月 個人的に面白かった本はあれどみんなにオススメ本はとくになし。。。しいて言えば『母は死ねない』でも重いです
5月 同上。。。『ポロック生命体』は面白かった
6月 『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』←マジでタイトルのまま(読むと「自分だけの部屋」という言葉が脳裏をよぎります)
7月 大好きな本(『葬儀』)を再読していたのでおすすめは特になし
8月 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』←かわいい!
『ある行旅死亡人の物語』←ミステリー小説など不要!
『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』←画期的な漫画!
以上、今月面白い本ばっかりだったのでこの話題を書きました
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getrend · 5 months ago
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出張中に車にはねられて救急車で運ばれた。10年後、たまたまその地を妻と訪れると...
今日のピックアップ記事 【挿入】 いつ家庭教師♀にレ●プされてもおかしくない男子小学生の動画がヤバすぎる…(ポッカキット) 【画像】 満員バスで爆乳OLのお姉さんと密着。どさくさに紛れて揉みまくったったwww(オカズランド) 5★STAR GP2024は舞華が史上初の全勝優勝【スターダム】(イヤァオ!速報 プロレスまとめサイト) 【明日終了】 セレブ人妻のマ●コから大量愛液噴射!パワハラ熟女校長に中出し凌辱レ●プ!(動ナビブログ ネオ) 【個人撮影】 受験が終わって解放された18歳女子とめちゃくちゃセ●クスしたったwwwwwwwww(エロマーゾフの兄弟) 出張中に車にはねられて救急車で運ばれた。10年後、たまたまその地を妻と訪れると…(鬼女はみた) 【動画】 ラクダにレモンを食わせるイタズラがwwwww(ノ∇`)(1000mg) マツコ…
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newyorkdiary7th · 1 month ago
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ビアンカがホットハニーレモンジンジャーを用意してくれている。ポッドでお湯が沸いている音がする。ジャケットのフードを被ったまま熱心に本を読んでいるナオヤがいる。私はそれらから1~1.5mくらいのところで膝にパソコンを開いている。左膝にはラーメン(小さな柴犬)の熱を少しだけ感じる。時刻は16:56、12月28日、RV(キャンピングカー)トリップの3日目。RVに乗ってから、丸48時間が経ったのかな。時間のことはよく判からない、不思議な心地だ。
他の3人はRVの外のテーブルに居て何やら話し込んでいる。きっと明日のプランだろう。
6人もいると、行動は大変かと思いきや、全然。ノーストレス。
旅は、その序章が12月21日に始まった。崇とカレンとヌヌ(おでぶな柴犬)と出発した際の事はもはや鮮明には思い出せない。自分の記憶倉庫の小ささに本当に驚く。
ビアンカは音楽が好きだ。いや、みんなそれぞれに好きだけど、誰よりもすぐに音楽をかけて、誰よりもみんなが納得をするDJをするので、もうすっかりDJの座はビアンカのものになった。ホットレモンをみんなに配った後、本を開いてすかさず、音楽かけて良い?と断ってから、静かなジャズが始まった。
ビアンカとは12月21日に初めてサンフランシスコで落ち合った。ビアンカはニューヨーカーなのだけれど、今は仕事でLAに住んでいて、休暇はサンフランシスコにいるという。公開は禁じられている途方もないセレブの家を建てる仕事に就ているところとのこと。この部屋の外では話しちゃダメよ、と言いながらセレブの名前を教えてくれた次の日には、この車の外では話しちゃダメよ、と車内で話して、ここ以外では話しちゃダメよって言ってみんなに言いふらしている、と笑っていた。ビアンカは崇のコロンビアの同級生で、そのままアメリカで建築家になった。崇は建築でコロンビアに入ったのに、卒業する時にはメジャー変更をしてすっかりテックの人間になった。
台湾人達は皆洋名を持っていて、「ビアンカ」と言われてもどんな人間を想像していいのか今一つわからなかった。
初めて彼女を目にした瞬間のことはとても鮮明に憶えている。
私は車の後部座席に座っていて、眠くて、降りなかった、ビアンカの家に着いた時。崇とカレンが降りて、お団子を高い位置に作った背の高い女性が現れた。手の振り方とか、ヌヌを可愛がる「オーマイガッ」の発音などから、とてつもなくアメリカンな雰囲気を感じ取った。それがほんの5秒くらいの間に捉えた第一印象。
聞いていた話は、すごく料理をする人、ワイナリー巡りには熱心だと思うということ、くらいかな。買い物リストをカレンとビアンカが作ってくれていて、もう本当に凄まじい量の食材が並んでいて、私と崇はどうやって二人の暴走を止めようか、と目論んでいた。そんな感じで初めましてをした。サングラスを額に乗せたアメリカンな彼女が隣に、小さくてシャイな芝犬を膝に乗せて乗り込んできて、ようやく2024EOY tripの始まり。
まずはサンフランシスコの日本食スーパーに行って買い出し。特に恐れていたような暴走はしなかったし、レトルト食材を平気で買う感じから、聞いていた「ビアンカ」象は早くも改まる。
最初のAirbnbに向けて車旅が始まった。その柔らかな口調が、第一印象のイケイケ系アメリカンな印象を改めていく。気遣いの細やかさも「良い人」感が強まる一方。
1件目のAirbnbはものすごく大きかった。元々6人+2匹というプランで予約して、直前で来れなくなった人がいて4人プラス2匹になったので一人一部屋あるやらもうとにもかくにも広い。アメリカンピーポーと旅をするととんでもない贅沢をする事になるんだなぁ、という感覚。難しいことは考えず、ここまで来たんだから楽しみ切れれば良いなという思いでスタートした。
一通り贅沢すぎる家の、扉という扉を開いてキャーキャー言った後、ビアンカはすぐさま犬の散歩に出た。(という記憶があるやらちょっと自信がないやら)。タカシとカレンの犬の飼い方にかなりカルチャーショックを受けていた(散歩に出ない。基本寝てる。贅沢なご飯。プリンセスプリンセス)ところなので、ビアンカの犬ファーストな様子にはちょっと安心した。稼いでるんだろうなぁ、というオシャレな革リードに、こだわったドッグフードに、すごいわ。インディペンデントウーマンね、と私のことをおちょくったその言葉、そっくりそのまま本気でお返しするわ。
最初の晩は鍋をした。私は何かと洋食ばかり自炊するので、みんなのアジア食好きが面白い。長いこと自国を離れると、できるだけふるさとのものが食べたくなるものなのだろうか。私は昔から、どこに行っても、日本にいても、主食はパスタだし、米はリゾにしがちだ。みんなでつつく鍋はもちろん美味しいし、一向に不満はない。
==============
今は12月29日(日)の23時47分。私は早くも3泊目となる(実際の感覚はもっとたくさん泊まった気がする)ロフトでの寝床(キャンプ用のマットレスに寝袋)を用意して上記までの記述を読み直しながら���び少しだけ書いてみようかと思う。既にカレンの寝息が聞こえて、ナオヤが扉を開いてキャンピングカーを出ていった、おそらくトイレかシャワーだろう。
私の寝床の真横に寝ているビアンカにはタイピングしていても平気?と聞いたら「I can sleep in any condition」と3回目くらいの同じセリフを聞いた。
カレンのベットには犬が2匹寝ていて、奥のキングベッドにはタクオミとタカシが居る。タクオミはDUNEを英語で読んでいる。タカシ(=崇)はスマホをみていて、私の真下のベッドのナオヤもスマホを見ている。なんだかすっかり日常を感じる、キャンピングカーに。素敵な感覚だ。
キャンピングカーの第一印象は、思っていたより広い!だ。とても広い。
とはいえ6人(+2匹)で生活するので、言うても割と一杯一杯。
今日は雪山ハイキングをした。ビアンカと二人で朝の5時に起きてみんなのランチボックスを拵えた。カレンもすぐに起きてきてたくさんのベーグルにひたすらクリームチーズを塗ってくれた。雪山はとても本格的で大変だったけれど、下山後のロッジがとても素敵だった。
帰宅後のシャワー、そして魚介のリゾットはもうこの上なく最高だった。美味しかったなぁ。毎食とてつもなく贅沢に食べることにみんなで一心になっている。
一つのキャンピングカーの中で、毎晩異なる展開が、計画外で形成されていく感じがものすごく面白い。たとえば今、3泊目の夜は、上述のように、寝る人は寝たけれど、書いている私を含めて起きている人は起きている。このケースは初めてだ。
昨夜はみんな焚き火の煙臭が凄まじくて、シャワー浴びた人からどんどん寝ていった、翌朝が早いので。その前は、、、と考えてみて、今晩は既に4泊目なのでは!?となった。出発日は26日なので、29の晩というのは4日目?
毎日楽しいことがあって、もうよくわかりません~。
旅の始まり、Airbnbパートの12月21日に話を戻そう。
最初の晩は鍋をして、うわー!たくさんDVDがある、とかジブリ映画の話とか、スターウォーズ観ていないなんて、というお決まりの話とか。
ともかく家が贅沢すぎて、もうここに一週間は泊まりたい、そう思っていた。旅好きが伺えるインテリア(いろんな旅行先が収められたたくさんの額縁がいろんなところに散りばめられていたり)に、全てが使い居心地の良いグッズ、空間。(使えるリキュールを揃えなかったけれどシェイカーがあった。今度からアメリカのサマーハウスに行く時はカクテルセットを持っていきましょう)
ポーカーを一通り楽しんだ後に、おやすみと解散して、私はリビングで本を読んでいた。しばし集中していたら、突然にビアンカの部屋の扉が開いて、「気づいちゃった!」というので、何かの大事だと覚悟の気持ちで続きのセリフを待った。スターウォーズを半強制的に観させられていたAVスペースのタカシも、どうした!?という感じで固唾を飲む。
「餅を食べ忘れちゃった!」とビアンカ。
タンユェン、と言って、中国では冬至の日に欠かさずに食べる団��があるのだそうだ。カレンとビアンカはいずれも台湾人である。
眠って目を閉じていたのに、急に思い出しちゃった!という。
私とタカシは冬至のこだわりは無いものの、私はありがたく楽しく、その文化を味わった。
団子を拵えて、楽しんだ後に、健やかにおやすみ~!と部屋に引き上げたビアンカ。
翌朝は少し散歩をした。ネイバーを味わうのはとても楽しかった。別荘街を丹念に歩いて、建築物などを楽しんだ。もののけもののけ言い合っていた雨林帯に、木の家はカビそうだなと思ったり、深い緑の中に一台の真っ赤なジープが良く映えたり。
はて、22日は午前中から本当によく飲んだ。ワイナリー巡りある。
1件目には11時にJoseph Phillips。晴れではなかったけれど、ワイン畑のドライブは最高だった。10年も経つけれど、南仏巡りが鮮明に思い出されてノスタルジックなドライブ風景。
JPは身の丈に合わない気がするくらいゴージャスがすぎる空間。ぶどう畑が広がる展望を存分に活かした建物、玄関。駐車場からわざわざルートが定められて入り口まで誘導されるのだけれど、通る時には“なんで?”となる。どこを歩いても玄関に行けるのに、なぜわざわざここを通るようにと定められているのか、と。
リッチな空間に入った後、ウェルカムシャンパンを片手に席まで案内される。座席は背の高いテーブルに座高の高い椅子。溢れんばかりの輝くグラスたち。全員の氏名が印字されたワインリストも重厚なバインダーに挟まっている。あまりの裕福な環境に馴染みきれていない間に、スーザンが登場。恰幅が良くて背は低め。セーターにはコルクが縫い付けられていて、ツリーになっていた。ライトがキラキラとコルクと一緒に縫い付けられていて、ゆかいこの上無い。重厚なメガネに、クリスマスなイヤリング。誰しもが楽しくなる人がスーザンだ。
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今は1月3日の15:42。San Joseのダウンタウンにあるカフェに、タカシとナオヤといる。日本ではカフェでMacBookを開くのにほんのちょっとだけ抵抗を感じる。なんかそれっぽくなるのがすごく嫌で。笑 アメリカではMacBookがiPhone人口くらいの勢いなのでなんとも感じない。私たち日本人3人はややBGMの音の大きすぎるカフェの大きなテーブルでそれぞれのMacを開いてそれぞれなんかやっている。私は29日の夜中にキャンピングカーのロフトで少し書き進めたその日からさらに1週間前くらいの日記を読み直したところ。
旅が終わった。
旅が終わるのはいつも寂しい。でも今回はそれなりに肉体的な疲れもあるし、NYCが好きすぎるので帰ることが楽しみでもある。でもNYCに戻ったら残り後ほんの20日間ほどで、本当の帰国になるので、そのことを想像するともっと寂しくなので先のことに思いは馳せないようにしている、そんな1月3日。正月感は全くない。元日の朝にキャンピングカーのキッチンでビアンカとお雑煮を作った時間が正月感のピークである。
昨夜はMBAの試合を観に行った。とてつもなく楽しかった。クラブにいるみたいな騒ぎだった。アメリカってこんな感じなんだなぁ、と改めて体感もして楽しかった。朝は仕事に行ったカレン以外のみんなで素敵なカフェで朝ごはんを食べた。都市に戻るこれ以上なく最高のやり方なんじゃない?と好きな時間だった。テラスで朝食食べる冬の西海岸最高。朝ごはん食べた後はビアンカのオフィスで少し仕事をしてからSF散歩をした。
その前の晩、すなわちRVを降りてカレンの家に戻ってきた最初の晩はみんなで『あいの里』に(布教を受けて)没頭して寝不足になった。
今日の午前は写真のアップロードに費やした。初めて見る動画が沢山。見直し出してみて、もうRV Tripが手の届かないところに去ってしまった感覚と直面した。旅の全部が、あまりにも最高だった。RVを降りてからも結局みんなで一緒にいるから、旅が終わってしまった感覚が急激ではない。普段の旅行や登山では、山を降りたり、駅についたりすると友達と解散をするから、その瞬間からどっと襲ってくる、旅の終わりの感覚が。でも今回は、終わった後もみんなでご飯食べて、シャワー譲り合って、買い出しの話をしていて、なんだか新しいカタチだ。
ビアンカ(私の1月の大屋さんになった)は昨日LAに戻った。
ナオヤは明日日本に帰る。
私は明後日の早朝にNYに立ち、タカシとタクオミは明後日の夜NYに立つ。
SJに残るカレンの寂しさを想像すると他人のことながら胸が潰れそうになる!友達と一週間くらい過ごした後にみんなが帰って行った時のあの感情の、今回はどれほど膨大なものになるのだろう。ボーイフレンドまでもみんなと同時に去っていくのだから。
崇が昨日仕事のmtg中に、once in a lifetime levelの旅だった、と同僚に向かって言っていて、アメリカっぽい大仰な表現だなぁ、と隣でMR作りながら片耳で聞いていた。でも今こうしてpagesを前に書きたい気持ちと何を書けば良いのか、という気持ちと、どこからどうやって記録すれば良いのか途方に暮れる現実を前に、確かにこの旅は、どこから手をつけたら良いのか自分でも手に負えないくらいの大きな大きな旅だったんだなぁ、と実感している。スパイシー���チャイラテが切れたのでpagesも新しくして何かを書いてみたい。そういえばチャイラテを作ってくれたお姉さんに「by the way あなたの名前とても素敵ね」と言われて嬉しかった。アメリカでそんなこと言われたの初めて。
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kanabass · 7 months ago
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2024年8月9月の演奏予定
いつもご覧いただいている方、いつも応援ありがとうございます! 初めて見てくださっている方もご訪問ありがとうございます^^  毎日とっっても暑いですね! みなさま、体調はいかがでしょうか。私は毎日溶けそうです。 どうか無理せず、自分の体調管理を大事に過ごしていきましょうね。
8/2(金)19:00〜えぼにージャズ部(jamsession)   w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds)  新栄・ebony and ivory 顧問(修平さん)のお言葉は愛!楽しく切磋琢磨しながら活動中!
8/3(土)11:00〜 w/ノッキー中橋(pf)ほんごさとこ(vo) 蒲郡ホテル
8/3(土)19:00〜 w/足立拓郎(ds)三宅史人(gt)小堀清登(pf) 松阪・街角ピアノ
★8/4(日)17:00〜 w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds)  豊田・sus4cafe(旧キーボード) 修平さんのオリジナルも演奏する予定です。
★★8/5(月)19:00〜  Bois featuring 森田修史 w/森永理美(pf)森田修史(ts)  東桜・The wiz   1年ぶりのコラボ。化学反応が楽しみです。
8/6(火)19:00〜(jamsession)  w/森田純代(pf) 津島・くれよん
8/8(木)19:00〜ワークショップ   w/水野修平pf 三宅昌徳ds  刈谷・cafe nation ゆっくりまったりやっています。今回変則的に第2木曜です。
8/10(土)19:30〜【Girls’ Night Out!!】(vocal) w/Juju Sumire vo 竹中優子as ss 中嶋美弥pf 上野智子ds 爆発的女子会アンサンブル。 新栄・Jazz Spot Swing 
8/12(月・祝)19:00〜   w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds)  覚王山・stareyes →お店の都合で中止になりました。8/7(水)に変更の可能性あり。stareyes のHPをご確認ください。
8/13(火)19:00〜 w/水野修平(pf)國枝伸子(vo)服部正嗣(ds) 覚王山・stareyes 可愛らしくも凛とした伸子さんの歌をお楽しみに。
★8/15(木)19:30〜(仮) w/館岡紅介(tp)松本コウ(gt) 金山・Mr. Kenny’s ドラムレスで温かみのある演奏を。
8/23(金)24(土) ストリートジャズ静岡 竹中優子quintet(竹中優子as 館岡紅介tp 水野修平pf 舩尾真伊年ds)にて出演
8/25(日)13:30〜 w/ナタリー成田(vo pf)佐藤暁彦(ds) ゆっくりできる喫茶店でお昼をまったりお過ごしいただけます。 瑞浪・cafe voce(瑞浪市寺河戸町1105-3)JR瑞浪駅 徒歩5分
8/30(金)19:30〜(inst)→台風の影響で中止になりました。 次回 田中トリオは9/22土曜です。 w/田中淳(tp)青木弦六(gt) 岡崎・SATIN DOLL ジャズの名曲を田中さんチョイスで演奏します。
8/31(土)13:30〜→台風の影響で中止になりました。 次回 Eclatは 9/29土曜松阪Seraiです。
Eclat (inst)(森田純代pf 林かなba 上野智子ds) やまの家cafe(三重郡菰野町杉谷2329-226 tel 090-1825-8263(キハラ)) After sessionあり。遠足にぜひ。
9/1(日)15:00〜(inst)→台風の影響で中止になりました。 リベンジライブを10/27日あるいは10/4月祝のお昼で調整中です。
w/水野修平(pf) 猫ちゃんとのコラボも楽しみです^^ 鈴鹿・carrera(鈴鹿市江島台2丁目2-1 080-6970-0187) 
9/3(火)19:00〜(jamsession) w/森田純代(pf) 定例セッション。みんなで楽しみましょう。 津島・くれよん
9/6(金)19:00〜えぼにージャズ部(jamsession)   w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds)  新栄・ebony and ivory 顧問のお言葉は愛!楽しく切磋琢磨しながら活動中!
9/7(土)19:30〜(inst) 【音セレブ】w/松本コウ(gt)佐藤暁彦(ds) 土岐・Bird &Diz 良き音で奏でます、ギタートリオ。
9/12(木)19:00〜21:00 ワークショップ 刈谷・cafe nation ゆっくりまったりやっています。
9/13(金)20:30〜 w/青木弦六(gt) 稲沢・Speak Low(愛知県稲沢市高御堂1-20-20-102号) 金曜のまったりduo。
9/21(土)19:30〜 w/田中淳(tp flh)小関信也(pf) 岡崎・SATIN DOLL ジャズの名曲を田中さんチョイスで演奏します。
9/22(日)夜 w/足立拓郎(ds)三宅史人(gt) 松阪・Serai   
9/27(金)19:30〜(inst) w/館岡紅介(tp)坂井彰太郎(sax)餌取雄一郎(tb)藤井浩樹(pf)浅井翔太(ds) 3管の色彩豊かなハーモニーも個人のソロの楽しめる欲張りバンドです。 新栄・swing 
9/28(土)夜 Hot O'馬橋Trio @伊勢 河崎蔵
9/29(日)15:00〜Eclat (inst) (森田純代pf 林かなba 上野智子ds)guest:剣山啓助(gt) 松阪・Serai   
どこかでお会いできますように!
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metaleft · 2 years ago
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Twitterリアタイ企画「ドリームリバース」 参加キャラ
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キャラクター概要
・獅子神センリ
型番ピンク trader/商人
A-若年受刑者 ▽罪状
いわゆるJKビジネスの元締めで逮捕。 自分の学校の生徒を中心に繁華街の女子高生達の好奇心を惹きアルバイトの感覚で少女達を裏の世界に導いていた。 SNSを活用しビジネスの範囲が異常に広がったこと、少女達が彼女の正体をひた隠しにしていたことから主犯の発見から逮捕が大いに遅れた。
▽プロフィール
獅子神センリ
誕生日…4/2 年齢…16歳 身長…151cm 体重…41㎏ 血液型…AB型 髪色…ラズベリーに一部黒髪 瞳…深夜の月 出身…生まれも育ちもネオヨコハマ。ヨコハマ県のお嬢様学校出身。 好きな食べ物…海老、蟹、骨のない魚 好きな服…ボディラインの出る服、スポーツブランド、白い服 部活…生徒会長、テニス部 得意なこと…計算、甘えること、立体パズル 苦手なこと…美術鑑賞。嫌いじゃないけど足がムズムズする。人に本音を言うこと。 音楽…ジャズ、チル系 映画…キャッチミーイフユーキャン、グランドブダペストホテル 嗜好…プラスチックの宝石、スティックタイプの飴、 キラキラのカード 色…ピンク、白、黄色 飲み物…いちごミルク、カフェラテ
▽シール
独自の採点基準で他人にご褒美と称してシールを貼る。 一番良いシールはエビのシール。 特別賞にはシャカシャカのシール。 平は学校で配られるような丸いだけのシール。
▽性格など
一人称…私 年齢問わず二人称は君。
相手がどれだけ年上で権力を持っていても毅然とした態度で落ち着いた口調で話す。 どんな相手でもご褒美をあげる態度を崩さない。 女の子が大好き。年上の女性ですら口説こうとする。 反して大人や男が嫌いだが、対等に接してくれる相手には心を許す。
俗に言う「トー横キッズ」のような少女達には特に温情を持っている。 自己肯定感が低く人との繋がりを求めるが空回りする様な相手に深く共感しており、法外だろうと生活をあげたいという気持ちの元動いてる節がある。 それ以外にビジネスそのものの楽しさ等好きでやっている部分はあるがそれが人の心を奪う商売であると認識している。
一人では眠れない悩みがあるが後記するハワイでの事件以降、人とは眠らないようにしている。
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▽生涯
生い立ち 2007年4月2日、獅子神はヨコハマ市で産まれた。父は外交官、母は私立大学協会の理事だった。 小学生の頃から勉学、スポーツに励み学級委員長を務め、学校行事に熱心であった。 ヨコハマ湘蘭女学院・中等部に進学後も一年生から生徒会長を務め、テニス部ではエースに抜擢され周囲の生徒の憧れの人物となっていた。{1}
JKビジネスの始動 女学院の生徒間ではパパ活や援助交際が流行していた。 獅子神は学校を休みがちになる生徒、精神的疲労を重ねる生徒達の相談事を一手に引き受けていた。 同時に、当時好きだった地下アイドルとの交流が深まりアンダーグラウンドで生きる彼女達の過酷な状況下を目の当たりにする。 未成年が親元から独立して非合法に稼ぐ方法として、 以前から医療用ピルの転売やオンラインデータの売買を行っていた獅子神は自らオーナーとなり少女達を雇い、 JKビジネスの運営を始動した。 獅子神の運営はいたってシンプルなものであった。 アンダーグラウンドで生きる少女達のネットワークを通じてSNSで営業を行い、顧客とDMやLINEでやりとりをして少女を派遣する。 リフレ、撮影会、デート等が基本的なラインナップだが少女が希望する場合のみ性的類似行為や売春も行っていたという。 客との交渉や金銭の受け渡しを運営が行うこと、少女達に一切のノルマが無いこと、何より獅子神本人が少女達のケアを丁寧に行うことから次第に獅子神の元で働きたいと希望する声が広がり、 ビジネスの範囲は関東圏の1割を占めるほど成長していった。
出頭に至るまで 2022年5月、獅子神は修学旅行でハワイに赴く。 セレブのパーティにも参加していた様子だが、{2} ビジ��スは最小限に収めていた。 だが出国の時点から獅子神の稼ぎ方に目をつけていた日本の指定暴力団の一甲会が現地のギャングを手配し誘拐を決行。 獅子神は深夜、共に就寝していた同級生二人とホテルでギャングの襲撃に遭う。 この襲撃の影響で、ホテルに宿泊していた学生、教員が重軽症を負う事態となった。{3} 修学旅行前に保険として個人的に依頼をしていた警備会社に救出され、ほぼ無傷で襲撃から脱出。 警備会社の独自ルートを駆使しその足で日本に帰国した。 2022年5月17日、弁護士同行の元ヨコハマ警察署に出頭した。{4}{5}
{1}ヨコハマ湘蘭女学院HP閲覧 {2}マイアミのモデル・インフルエンサーJJ Scottの Instagramリール動画から。 {3}”ハワイで銃撃事件日本人修学旅行生負傷”ADCニュース2022年5月14日閲覧。 {4}”異例の当時13歳中学生が出頭青少年保護法違反”海経ニュース2022年5月19日閲覧。 {5}”JKビジネスの本性元締めの現役女子高生勾留”東林NEWS2022年5月25日閲覧。
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▽本編後 19歳、出所後オオサカの大学に入学。 JKビジネスからは完全に足を洗い(少女達へのアフターケアは続けていく)学業と並行してスタートアップやベンチャー企業のアドバイザーとして活動している。 InstagramとYouTubeを始めインフルエンサーになる。10〜20代の少女に向けて未来の可能性を発信している。 彼女の写真や動画にはたくさんの犬が写り込んでいる。
"新進気鋭の女性監督、宮下真幌がメガホンを取る。現代社会に波紋をもたらすJKビジネスを駒の様に操っていたのは当時13歳の少女だった。お嬢様学校出身で順風満帆な生活を送っていた彼女が巨悪ビジネスの女王に成り上がる半生を元SugarIdollの桐乃未彩主演で映画化。" 出所直後、若手映像監督からオファーを受け獅子神センリの半生を元にした短編のドキュメンタリー映画が製作された。
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▽関係
東國一愛(呼び→ひとみ) センリが13歳くらいの時に知り合った、定義上は家庭教師の女子大生。 センリのお気に入りの女の子であり、急に呼び出して買い物に付き合わせたり、家で家事をしてもらったりしている。
アンタレス(呼び→アン) リゾート行きの飛行機で隣席だった相手。 苺同盟を組んでいる。
正道キヲラ(呼び→キヲラ) 島で交流を深め親友となった。 夢から目覚めた後、キヲラの感情の一つをコピーされている。
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https://youtube.com/playlist?list=PL2uQeyxJ_1NZ_6rPvAE3pOQU6GHquMnPR
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https://privatter.net/i/7243024
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