Tumgik
#ジャン・カルロ・ジャンニーニ
roomofsdc · 3 years
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SDC映画の部屋「ハンニバル(2001)」
あの「バッファロー・ビル事件」から10年を経て、レクター博士(アンソニー・ホプキンス)の行方は杳として知れず、彼の助言を元に犯人逮捕を果たしたクラリス(ジュリアン・ムーア)も任務上の失策で訴えられて窮地に陥っていた。一方、司法省のポール・クレンドラー(レイ・リオッタ)はボルティモアの大富豪メイスン・ヴァージャー(ゲイリー・オールドマン)からレクターに関する情報提供を秘密裏に求められる。ヴァージャーはかつてレクターから一生消えない傷を負わされて復讐の念に燃えていたのだ。そんなある日、クラリスの許に一通の手紙が届く。「羊たちの悲鳴はまだ聞こえるかね、クラリス」それは博士からの恐怖に彩られたラブレターでもあった…
本作品の公開に先立って原作をすでに読んでいて、いくらなんでもこの内容だと商業映画としての公開は無理だろうと考えていた。少なくとも結末があのままでは、ハリウッドはOKを出すことはないと思っていたら案の定、「熟慮の末」ラストを大幅に変更するとの情報が流れ、原作既読者は胸を撫で下ろして劇場に行ったに相違ない。個人的には原作のラストが好きだったので、是非リドリー・スコット監督には頑張ってもらって、もっと超反社会的な超不道徳な映画にして欲しかったのだけれど。 全体としてトーンは落としてあるとは言うものの、残酷描写に伴い日本ではR15での公開となった。原作を読んでいてすら、いくつかのシーンは胃袋が迫り上がる気持ちにさせられるほどに描写は徹底しており、特に最後の晩餐シーンが忠実に再現されているのは見事。
主演のアンソニー・ホプキンスは別格として、ジャン・カルロ・ジャンニーニ、レイ・リオッタ、ゲイリー・オールドマンの三悪役も渋い役回り。レイ・リオッタの迫真のエロ親爺ぶりは堂々たるものだし、ゲイリー・オールドマンの特殊メイクは、口唇全部欠損の皮弁による審美的再建は極めて困難である、という医学的な事実を再認識させてくれる出来映えだ。原作に出ている女傑マーゴ・ヴァージャーが映画では削除されていることは残念だが、2時間強の尺に納めるには致し方ないことであろう。
何よりジョディ・フォスターが出ていないことは、クラリス役にジョディを投影してみてしまう観客が少なくないことを考えると明らかにマイナス要因だ。彼女は「同じ役を二度は演らない」との理由で最初からオファーを受けなかったと言われているが、おそらく原作で描かれたクラリス役の闇の深さに慄いたのだろう。結局はジュリアン・ムーアが彼女なりのクラリス像を創り上げたわけだが、残念ながらクラリスとしてムーアを想起する人は今となってはいるとは思えない。 本作品はレクター博士という希代のピカレスクへのオマージュ映画だ。自らの快楽のためには他者の生命など意に介さない人間。そんな常人には想像できない世界観がレクターの魅力でもある。ところが今回の映画では、殺される被害者達はみな「同じ穴の狢」的な悪人で、かえってレクターの「超人」ぶりが弱められてしまった。この結末でバランスを求めるのであれば、クラリスにこそ焦点を当てるべきだったのではなかろうか。
もし原作通りに映画化するとしたら、クローネンバーグとか、バーホーベンとか、リンチとかが手を挙げただろうに、とあらぬ妄想も蠢く。まあその場合にサー・アンソニー「ハンニバル」ホプキンスに登板してもらえたかどうかは微妙だよね。
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