DJについて その2
高校2年の頃、トランスが流行っていたのと自分自身トランスが好きだった事もありZIP-FMを聴いて新しいトランスの曲を聴き、好きな曲は名古屋までレコードを買いに行くということをしていた。
ターンテーブルも2台揃ったのでそこで初めて「曲を繋ぐ」ということをやった。
しかしDJをやると針やミキサーのフェーダーを消耗する。フェーダーが摩耗すると操作した時にノイズが入るため新品のフェーダーに交換するわけなんだけどこれが1本で4000円ほどしたのでそれらの消耗を恐れてがっつり練習できないという状況に陥った。
今考えると、針やフェーダーの消耗を恐れてあまり練習しなかったのは、DJを練習するという事から逃げるための口実だったのではというようにも感じられる。
何でもそうだけど、やり始めの頃はみんな初心者で、最初から上手く行くはずが無い。
当時高2で、2年間ほどDJについて本を読んだりダンスマニアなどのDJミックスを聴いたりして頭でっかちになっていた自分がいざDJを始めようとしても、自分の思い描いているように上手くDJなどできない。
実際に自分でDJをやった時、「DJが下手な自分」を目の当たりにすることが怖かったんだと思う。
あと、自分がこれまで頭の中だけで描いてきた音楽性を全て表現してしまうと、自分の実力の底が見えてしまうようでそれも怖かった。
自分の持てるものを全て出し切って、「俺に表現できるものはこの程度か」ということを知ってしまうのが怖かった。
俺はDJについて、曲を繋いでいく中で「流れ」というものが大事と考えていて(多くのDJも流れについては意識してると思うけど)、その流れというか構成で魅せる、ということを重視していた。
「どんな曲を選んできて、どう繋ぐか」という事によって自分のカラーを表現したいと思っていた。
例えば、自分の持てる全ての音楽性を詰め込んだミックスを作ったとして、そこで全てを出し切ってしまったらもう自分には出せるものが無くなってしまうのではという事を恐れていた。
さらにもう一つ付け加えるならば、高校に入ってすぐに友達になったNという友人の存在。
このNという人物についてはかなり書くことがあるので、今後このTumblrでしばしば話題に上げていこうと考えている。
彼もダンスマニアが好きで、ゲームの趣味もある程度合ったので高1の頃はよく学校帰りに俺の家に寄ってもらって64のスマブラを一緒にやっていた。
当時Nは小説を書いていたり、仲間内でラジオCDみたいなものを作ったりしていてとにかくクリエイティブな事が好きな奴だった(今もその点は変わっていない)。
俺もDJにかける意気込みがあったから、DJに対する熱意を高校から帰る道中でNに語りまくり、「すげぇ」と言わせまくった。もはやNに「すげぇ」と言わせたいがために語りまくった感すらある。
散々すげぇと言わせといていざ俺がDJをやったらショボかった、みたいな事になったら俺のプライドに傷がつく、と考えていたことも俺をDJから遠ざける原因のひとつになった。
DJ以外にも興味のある事は多く、エアガンやサバゲー、ゲーセンに行ってDDRや2DXをやったり、ホームページの制作などを行った。
音ゲーはダンスダンスレボリューション(DDR)やBeatMania 2DXをやっていて音ゲーの音楽も好きになった。
音ゲーの音楽はトランスなどのクラブミュージックとは違っている部分があって、ゲームに合わせるため1曲がすごく短い。
そしてゲームとしての難易度を上げるためにテンポが速く、複雑な展開するので麺類で言うならめちゃくちゃこってりした豚骨醤油ラーメンみたいなものだ。
対してクラブミュージックは1曲も長く音ゲーの曲と異なりゆっくり展開し、音の数も少ないので、麺類で例えるとものすごく薄味な蕎麦かうどんのように感じられた。
音ゲーが楽しいと感じていたのは確かだけど、クラブミュージックと比べるとやはりオタク臭いというかダサいようにも感じられた。
音ゲーの音楽は好きだけどそれにハマってる自分はかっこよく無いよな、という葛藤があった。
やがて大学に入り、祖母の住む豊田市へ引っ越した。
高校時代は男子校に通っていたけど、俺が入った大学の学部は男女比で言うと男:女=2:8みたいな感じでかなり男が少なかった。
大学自体も地元からだいぶ離れたところにあったので環境の変化という意味ではかなり大きいものがあった。
高校までは制服を着てればよかったけど大学は私服。高校時代、お小遣いはレコードやCD、ゲーセンに消えていたので服など買ったことはなかった。
俺のいた学部は外語系だったためかお洒落な女の子が多く、高校が男子校だった俺からすれば同い年の女の子なんて中3の時以来見ていないわけだ。それがいざ大学に入ってみるとほとんど皆お洒落な格好をしてるし、化粧もしてるしで同い年のはずの彼女たちが大人に見え、一方自分はスポーツ刈りにネルシャツを着た芋っぽいオタクに見えた。
自分がとても恥ずかしく思えてきた。数人の同期の知り合���と一緒に服を買いに行ったりもしたが足りなかった。
朝、大学に行くために着替えようと思っても着ていく服がないと大学で惨めな思いをしてしまうと感じてサボってしまう事が多くなった。
半分不登校のような状態になっていた。平日の朝、大学に行くのを諦めて朝8時からディアブロ2をパソコンで立ち上げてレベリングする日々が続いた。
やるべき事をやっていないという後ろめたさというか後味の悪さを感じながら…。
当時住んでいた豊田から電車で片道1時間半かけて大学に通ってたんだけど、車校も大学の近くのところに通っていた。
大学はサボるけど車校は行く、ということはしなかった。
車校のためだけに片道1時間半かけて電車に乗りたくなかったので。。
なので車校もサボりがちになった。
車自体は高校の頃から興味があった。高校時代にレースゲームをやりまくって車に興味を持っていたのもあって。
ただ、DJの話と通じるものがあるけどどれだけ車が好きで、レースゲームの影響で車の名前や性能などを知っていても自分で実際に本物の車を動かすとなると話は別。
当時、車の免許は当然マニュアルで取る、という時代だったし俺自身免許取ったらスポーツカーに乗りたいと思ってたのでマニュアルで取ったんだけど、初めて教習所でマニュアルの車を動かそうとした時は何回もエンストして全くスムーズに動かせなかった。
これもある意味DJと同じ。
事前に知識だけ手に入れて頭でっかちになったとしても、自分で実際にそれをやるとなると知識と実技は全く別の物。
実際にそれをやる技術は1から築いていかなきゃいけない。
「俺はこんなに色々知ってるのに、できないなんて俺はダメな奴だ」と感じていたんだろうと思う。
まぁ、あとは教官が偉そうなおっさんだったのも車校に行きたくなかった理由のひとつだ。
もちろん不登校の状態で居続けるわけにもいかないので頑張ってぼちぼち大学に行き、お盆休みの前に免許を取ることができた。
大学はサボりが影響して10単位ほど落としたけど。
まだまだ長くなるので続きます。
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あなたは2013年に放送されたアニメ「ステラ女学院高等科C3部(以下、ステラ)」を覚えているだろうか。萌えとサバイバルゲームをミックスさせた先駆的な題材に、ジャジーな劇伴を組み合わせたオシャレな音響演出。そして細部までこだわったエアガン描写。
主人公は高校1年生の女の子・大和ゆら。引っ込み思案で友達のいない彼女は、高校のサバゲー部で初めての友達と出会う。ところが話が進むにつれて、彼女はゆるふわな部活動では満足できなくなり、修羅の道を歩みだしてしまう……。
お茶でまったりしたい部員たちを「勝つための足手まとい」と怒鳴りつけ、急速に孤立を深めていくゆら。一転して最悪な空気の合宿。さらに大会本番では不正行為に手を染めるなど、主人公の転落人生は加速の一途をたどった。
当初の萌えや癒やしを求めた視聴者は、胃痛が不可避のギスギスした展開に振り落とされ、DVD/BDの売り上げでも苦戦。収益化の方法が多様化した現在では円盤の売り上げが“計測不能”となることも珍しくなくなったが、当時ぎりぎり算出されてしまった「267枚」という数字は、一部では「1ステラ」という単位として広まったほどだ。
あの衝撃の放送から5年が過ぎた。そして、あなたは「ステラ」のことは忘れても、あのとき味わった胃痛までは忘れていないはずだ。その「ステラ」の川尻将由監督が5年ぶりに放つ新作が、短編アニメ「ある日本の絵描き少年」である。
同作の主人公は、漫画家を目指す少年・シンジ。本編では彼の幼少からアラサーに至るまでの成長に合わせ、登場人物のタッチが「幼児の絵」から「漫画家の絵」へと次第に変化していく。その挑戦的な手法や、監督の人生を反映したかのような生々しいストーリーは高く評価され、“第40回ぴあフィルムフェスティバル”での準グランプリをはじめ、“第10回 下北映画祭”でグランプリに輝くなど、「ステラ」ファンとしても「まさか」と思うほどの快挙を納めている。
5年越しのこの復活劇。川尻監督は何を思い、自主制作の手法で新作アニメに挑んだのか。たっぷりと語ってもらった。
帰り道、毎日ゲロを吐いていた
――受賞おめでとうございます。いよいよ下北沢トリウッドで上映も始まりました。
川尻:いやあ、いろいろあったねえ(笑)。
――いろいろありましたか。
川尻:「ステラ」の後、「俺、ちょっともう業界で作れないな」と思って始めた自主制作だったから、「これからどうしようかな……」って気持ちは込められているよね。
――「ある日本の絵描き少年」では漫画家になるのが夢の主人公・シンジはなかなか連載の機会に恵まれません。そんなとき舞い降りてきたアニメのコミカライズ企画に飛びつくものの、連載が思い通りいかずにボロボロになっていくわけですが……。
川尻:確実に「ステラ」の経験が反映されてますよね。俺は子どものときから夢は映画監督で、ラッキーなことにチャンスにも恵まれたけど、それを自ら思いっきりふいにした。完全に力不足が原因だったけれども。
――せっかくなので「ある日本の絵描き少年」の前に、まずは「ステラ」について質問させてください。
川尻:どうぞ……。
――当時、そもそもどんな経緯で監督をすることになったのでしょうか?
川尻:実は自分でも謎なところがあるのですが、以前山賀さん※に聞いたときは、「ダンタリアンの書架」に美術で参加した際の仕事ぶりを評価してくれた、とのことでした。
※山賀博之・・・「ステラ」を制作したアニメ会社・ガイナックスの社長。山賀氏は「ダンタリアンの書架」で美術監督も務めた。
――商業作品の監督経験は無かったわけですよね?
川尻:もちろんありません。山賀さんはたまにすごい采配をするんです。「ダンタリアン」では上村泰さんも初監督でしたよね。上村さん、今では「幼女戦記」「フリクリ オルタナ」と着実にキャリアを積んでいますが。
――川尻さんにとって「ステラ」での初監督はいかがでしたか。
川尻:精神的にかなり追い込まれました。帰り道に毎日ゲロ吐いてましたね。ただ周囲は意外なほど優しかったです。当時は大学卒業から間もない25歳で、周りとは経験値に差がありすぎて、ベテランの人からは孫みたいな距離感で見られてたんじゃないかな。
――当時のインタビューでは力不足を認めつつも、主人公・��らが闇堕ちしていく展開は良く描けていたと自己分析されていましたね。テーマ的には「ルーザー(敗北者)の物語を描きたかった」(外部関連記事)と。
川尻:「ステラ」では前半でつまらない萌えアニメをやったけど、主人公のゆらが堕ちてヒリヒリしてくるあたりで面白くなってきた手応えはあったよね。そこがネットではめちゃくちゃ不評だったわけだけど(笑)。
――原作漫画ではもっと明るい話なので、アニメの展開には驚きました。
川尻:ゆらが堕ちていく過程は俺のネガティブ思考も反映されてると思うけど、「成長物語にしないとダメだろう」というのは、もともと原作のいこまさんの案だった。ゆらがゾンビになって※、一度とことん堕ちてから復活させようというのは当初から決めていて、ゾンビもいこまさんの案です。
※ゾンビになる・・・サバゲーでヒットしたにもかかわらず自己申告をしない不正行為。
――それは意外ですね。
川尻:実を言うと、制作中に音付けのほうが面白くなっちゃったんですよ。曲や音響をどうするかを音楽に造詣が深かったプロデューサーさんと組んで、ひたすら音にこだわってました。だから中盤以降はサポートしてくれたスタッフにお任せしてしまった部分も多く、今になって、「もっとできることがあったのでは」と反省点は多いです。それでもたまに「あれが好きだった」と言ってくれる人が現れると、ちょっと救われた気持ちになりますね。
自主制作を選んだのは、もう業界では作れないと思ったから
――そこから紆余曲折があり、自主制作をやることになったと。クレジットにある“株式会社ねこにがし”とはどういう会社なのでしょうか?
川尻:吉祥寺トロン※を退社したタイミングで起業しました。義父の印刷会社の子会社という形になっていて、大きな会社ではありません。なんとなく業界では監督をやらせてもらえないだろうなあと思ったときに、会社化すれば「製作費が経費になる」「個人よりも他のスタジオに依頼しやすいはずだ」と気付いたんです(笑)。
※吉祥寺トロン・・・ガイナックスを親会社に持つCG制作会社
――「ある日本の絵描き少年」では主人公の画力向上に合わせて、途中から商業アニメのような映像になっていきますけど、製作費はどのくらいでした?
川尻:ちゃんと計算してませんが、合計で100万~150万円くらいです。
――クレジットには「ステラ」でキャラクターデザインを担当した梅下麻奈未さんのお名前もありますね。
川尻:せっかくなので、数カットですがお願いしてご参加いただきました。参加してくれたプロのアニメーターは2人だけで、「ステラ」で作画監督をやった大村将司さんも描いてくれています。大村さんは困っていたときに「やりますよ」と引き受けてくれて本当に助かりました。漫画パートの後半部分や最後のシーンを担当しています。
――主人公の成長に合わせて、登場人物が「幼児の絵」→「小・中・高生の絵」→「美大生の絵」→「プロ漫画家の絵」……と、さまざまな絵で描かれます。このアイデアはどのように生まれたのでしょうか?
川尻:アイデア自体は大学時代からありました。子どもの成長と発達科学についての本を読んで、成長していく様子をアニメで表現してみたら面白そうだと思ったんですね。「ステラ」が終わって「この後どうしようかな」ってときに地元の友達と一緒にやろうよという話になりました。それが2014年ごろです。
――そこから完成まで結構時間がかかりましたね。
川尻:シナリオにむちゃくちゃ悩みました。それに制作開始と前後して「6才のボクが、大人になるまで。」という映画を見てショックを受けたりもした。これは制作に12年かかっている異色作で、子どもの成長や親子の関係性を描くために、1年に1回、同じ役者と共に12年間にわたり断続的に撮り続けた作品です。同時期に見た「コングレス未来会議」もアニメと実写を独創的に融合させた映画で、見たときに「やられた」と思いました。
――確かに、どちらも「ある日本の絵描き少年」と重なる部分のある作品です。
川尻:すばらしい作品を見ると、どうしても「どうせああはなれない」という気持ちが生まれます。それでも「ある日本の絵描き少年」では、主人公のシンジはそれなりに、子どもが喜ぶくらいの絵は描けてるじゃないかと示したかったんですよね。別に大した才能はなくても、そこは肯定してあげたい。
エンドロールでいろいろな絵を使っているのも同じ理由です。絵にはヘタウマもあれば単に下手なのもある。うまい絵だけを取り上げるのではなく、世の中にはいろんな人のいろんな段階の絵があって、それが他人からの評価とは関係なく存在しているんだと。創作すること全般を礼賛したいと思ったんです。
物語の主人公になりえないような人を描きたい
――「いろいろな絵」ということでいえば、作中では障害者アートが重要な位置を占めていました。
川尻:悩んでいた時期にいろいろと取材をしていて、愛成会という福祉団体が月に1回開いている、障害のある方たちを対象にしたお絵かきイベントの存在を知りました。そこでの体験にとても刺激を受けました。
――主人公の友人に知的障害のあるマサルくんが出てきます。
川尻:マサル役は知的障害者専門の芸能事務所アヴニールさんの紹介で、俳優のあべけん太さんに演じてもらいました。マサルの母役もダウン症のお子さんを持つお母さんで、取材を進めていく内に「この人の声しかない」と思って、お願いしました。作品には取材時にヒアリングした内容も盛り込んでいます。
――マサルくんがおもむろに自分の髪をむしってしまう描写がさらりと描かれていて、キャラにすごくリアリティーを感じました。
川尻:ああいうところだよね。作るのに時間をかけてよかったなと思うのは、制作中に自分のシナリオに飽きれたところかもしれない。髪のシーンもですが、作画時にシナリオにはなかった要素を盛り込む余地ができたのは良かったですね。
――障害者アートを扱うアイデアは最初からあった?
川尻:そうですね、かなり最初のほうからあった。自分にはやはり物語の主人公になりえないような人を描きたいという思いがあるんです。最終的に成功者になるわけでもない、何者にもなれない人をテーマに描きたいといつも思っていて。あるいはクリエイター崩れの、でも絵描きのピラミッドの中では一番多い層みたいな人のことです。
シンジとマサルはある意味対極のキャラクターとして設定しています。主人公は商業的な方向に進んでる人物にしたかったので、現代美術とかよりは漫画家。そしてその対比として障害のある子を置きたかった。主人公はマサルたちのアウトサイダー・アートに触れて、社会の評価とは関係なく描かれる、創作欲に対して純粋な人に引かれていくんです。
――それは川尻監督自身もそんな風に創作と向き合いたいから?
川尻:そうかもしれない。作りたいのに作れない人は、自分を卑下する自己破滅型の人が多いと思うんです。鬱っぽくなり、そこから抜け出せない。俺もまさにそういうタイプなんだけど。でも、例えそれが成功につながるものではなかったとしても、「絵を描く」っていうのはその人だからできたことだから。せめてそこを自己肯定できれば、取りあえず最初の「何かを作る」第一歩が踏み出せる。その応援ができるような作品を作りたかったんです。
――ところで、「シンジ」と聞くとどうしても某ロボットアニメの主人公を思い浮かべてしまうのですが……?
川尻:「『エヴァ』ですか?」とよく聞かれますが、実は「エヴァ」ではなく北野武監督の「キッズ・リターン」からいただいています。「マサル」の名前もそちらからです。「キッズ・リターン」はその名の通り、子ども時代を回想していく話。子ども時代に忘れてきたものに再び触れるというストーリーを考えたときに、それならしっくりくるのはシンジとマサルだなと。
――そっちのシンジだったとは。北野作品は昔から好きでした?
川尻:「キッズ・リターン」を見たのはそれこそ中学生のころ。全作見てるので、そういう意味では結構影響を受けてるかもしれません。北野作品はどれも好きで、一般にはそれほど評価されていない「TAKESHIS'」とかもお気に入りです。
もし「ステラ」を作り直すとしたら
――もし今「ステラ」を作り直すとしたら、どんな展開にしますか?
川尻:今だったらJKラッパーのバチバチのバトルの話にしてたね。
――最先端という感じはしますね。「ゾンビランドサガ」で見た気がする(笑)。
川尻:ま、また先にやられてしまった……。でも山賀さんにも言われたけど、当時はやはりちゃんと監督の仕事をしてなかったんだよね。たぶん「こうしたい」って言い切って、それで周囲を説得できていれば、何かもっと良い方向にはできたんだろうなと思う。
――当時はなぜ言い切れなかったのでしょう。
川尻:単純に未熟さもありますけど、実はキャラクターにあまり愛情を持てないんです。サイコパスっぽいと思われるかもしれないけど。極端にいえば、そのキャラが「別に死んでもいいじゃん」と思ってしまうし、「ステラ」のゆらにしても、年端もいかない子の暴走を引いた目線で見てしまう。そしてあそこまで堕ちちゃったら、そんな簡単に部に戻るべきじゃないよなとも思う。その気持の折り合いが当時はちゃんと付いていなかった。
――ラストで無理やり仲直りするのは嘘っぽいと感じた、ということでしょうか。
川尻:それもあるし、人生って部活に戻ることが全てじゃないよなと(笑)。これは本編ではボツになってしまったけど、ゆらの感情が爆発して、「頑張って自分なりにやろうとしたけど、もう無理ですよこんなの」って、わーっと1話の独白で見せていたような部分を初めて表に出すラストも考えていました。その案ではゆらの妄想が現実になる超常現象も起こらず。先輩・そのらが「お前そんなキャラだったんだ」って爆笑する。単にそのらがゆらの存在を受け入れてあげるという終わり方でも良いんじゃないかと。
――あー、確かにその終わり方もきれいだったかも。
川尻:もともとトラジコメディー(悲喜劇)が好きなので、悲惨な展開もちょとコメディーのつもりで描いていたところはありました。それが伝わりきらなかったというのはあるかもしれない。「ステラ」でみんなが流しそうめんを楽しんでいるのに、ゆらだけ「私がやりたいのは流しそうめんなんかじゃない、サバゲーだ」って心の中で吐き捨てる場面とか、自分ではギャグのつもりだったんだけど(笑)。
――アニメでそういう表現をやろうとすること自体、ちょっとめずらしい気がします。
川尻:90年代後半からそういう空気を持ったアメリカ映画の作品群が現れてきて、そこにとても影響を受けています。監督名でいうと、ポール・トーマス・アンダーソン、チャーリー・カウフマン、トッド・ソロンズあたり。彼らは同じシーンに哀愁と笑いが同居しているように描くんです。こういったジャンルを「クウォーキー」と呼ぶと最近知りました。それで最近は自分でも「クウォーキーアニメ映画監督」を自称するようになりました(笑)。
あるいは90年代以前の作品だけど、「ガープの世界」(1982年公開)もとても悲惨な話なのに、演出がすごい引いた目線で笑えたりする。以前山賀さんに「そういうのをアニメでやりたいんです」と伝えたら、「いや、それ俺が昔やってたんだよ」と言われて。山賀さんいわく、「王立宇宙軍」ではまさにジョージ・ロイ・ヒルを参考にしたっていうんですね。
「王立」のころのアニメというと、子どもに見せたい教養的なやつか、ただひたすら面白いエンタメのどちらかしかなかったと。そのどちらでもない、当時のアメリカ映画では既に表現されていたやつをアニメでやろうとしたのが「王立」だったというんです。
――「王立」は画面はエネルギッシュだけど、テーマを完遂するためあえて抑制された演出やストーリーにしてる感がありますよね。
川尻:山賀さんは「その後『AKIRA』に全部持っていかれた」と笑ってましたけどね(笑)。当時でいう“大友”の座を今も「ウル」※で狙っているのでしょうね。
※「蒼きウル」・・・「王立宇宙軍」の続編。山賀監督作品として2022年公開予定(関連記事)。
アニメは業界を出ても作れる
――「ある日本の絵描き少年」を受けて、今後はどんな作品を作っていきたいですか。
川尻:今って山賀さん、大友さん、今 敏さんみたいな、あのテイストをアニメに持ち込む人が新しい世代にはあまりいない気がしていて。いないのなら、自分が「クウォーキーアニメ映画」として、その位置に収まる作品を作りたいという気持ちがあります。
今回アヴニールさんと密に組んでやれたので、このままもっといろいろできる気がしています。取材で障害のある方のお話を聞いていると、「自立したい」とか、「親離れ子離れ」という結構難しい問題を抱えていることが多かったんですね。
――切実で、普遍的な問題でもありますね。
川尻:親離れって、セックスと暴力の映画を見てなんとなく大人になることだと思うんです。タランティーノの映画を親は嫌悪するけど、俺は好きなんだっていう。それを経てやっと親と離れられる。そういうジャンルの映画を障害のある方と組んでやれれば、面白いものができるんじゃないかと。障害のある主人公が最初はなめられてるんだけど、実はめちゃくちゃ強い殺人マシンだったとかね(笑)。
――次回作はもう準備中?
川尻:ちょっと毛色が変わりますが、恋愛ものの長編企画を練っています。3月に香港アジア映画投資フォーラム(HAF)への参加が決まっていて、そういうところなどで出資が得られれば……という感じです。次回作ではデザインで男女の性差を表現しようとしています。
――「ある日本の絵描き少年」のようにキャラごとに絵柄が違うとか?
川尻:その発展形だね。キャラごとに別の漫画家の絵柄のようになっていて、その違いに惹かれ合う。いろいろな絵柄が同居する画面になると思います。でもそれって今月公開される……
――「スパイダーバース」みたいですね(笑)。
川尻:それは分かってるんだよ! でも「スパイダーバース」の前からアイデアはあったの!
――「スパイダーバース」はともかく、実現したら面白い作品になりそうですね。
川尻:興味を持ってくれたアニメーターやアニメーター志望の方がいましたら、ぜひご連絡ください。それから、最後にこれは言っておきたいというのがありました。ぴあフィルムフェスティバルで入選した「Good bye, Eric!」という作品がありまして。これを作った高階匠監督は元アニメ会社の制作進行だったそうなんです。受賞会場でお会いしたときに元同業者だったこともあり、「お互いいろいろありましたね」とお話させていただきました。
それでつくづく思ったのが、アニメ業界で寝る時間もなく身動きが取れなくなっていくぐらいなら、いつか自分の作品を作りたいという気持ちさえあればアニメ業界を出ても作れるということ。俺が言うのもアレだけど。見かけにこだわらず、いろいろ作ってみたら良いんじゃないかなと。
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