#ゴム人形あそびCG
Explore tagged Tumblr posts
gomuningyouasobi-cg-blog · 7 years ago
Photo
Tumblr media
ゴム人形あそび ダウンロード
0 notes
alexswak · 6 years ago
Text
Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information. 
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異��るプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初のアニメブームが持ってータ熱は冷め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”��行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原作者・宮崎駿目身が監督という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、東映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを���始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守監督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の挫折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)��生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術��定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをもたらしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いので��ないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という考え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて自然に滑らかに動かす」という観点からすれば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前��の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散した後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろ���か、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初公開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに理解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」に匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役立てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それまでのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムで��どう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
5 notes · View notes
eeeddditingrooom · 2 years ago
Text
ふれあい下水道館探訪記
Tumblr media
まず始めに私は謝罪しておきたい。
写真と文章ではこの「小平市ふれあい下水道館」の魅力を十分に伝え切ることができなかった。
このすばらしさは、実際に足を運んで確かめてもらうほかない。
東京の外れ。玉川上水のほとりで静かに、しかし堂々と市民を迎え入れる不思議な施設。
最寄駅は西武国分寺線の「鷹の台」。ここは武蔵野美術大学小平キャンパスの最寄駅でもあり、ひなびたエリアだが、駅前にはこだわりの強そうな飲食店もちらほら見られた。休日のちょっとしたおでかけ先としてなかなか悪くないかもしれない。
Tumblr media
駅から歩いて7-8分くらいか。
現地に着くと、入り口の看板にはこう書かれている。
Tumblr media
「日本で唯一、誰でも自由に本物の下水道管の中に入って体験ができる施設!!」
あいにく下水道管に入りたい願望は全く持ち合わせていなかった。が、入ることがあたかも当然喜ぶべき体験であるかのように書かれているので、うっかり「入ったほうが良さそう」に思えてきて、気づけば「入るしかないよな」と拳を握りしめていた。
コピーの魔力である。
Tumblr media
敷地にはいると、抽象化された下水管の像が出迎えてくれる。
嫌いではない。
Tumblr media
そこかしこにオリジナルキャラクター「ヒルガタワムちゃん」がいる。「ヒルガタワムシ」という微生物がモデルらしい。どんな生き物なんだろう?
Tumblr media
image:wikimedia
調べてみると、普通にそのへんにいるけど極限環境でも生存できちゃうタフなヤツで、エゲツない放射能を浴びてもカラッカラに乾燥しても大丈夫な体をしているらしい。
ロシアの研究者が永久凍土で2万4000年冬眠していた眠っていた古代のヒルガタワムちゃんを見事に蘇生させることにした、というニュースも発見した。 https://www.cnn.co.jp/fringe/35171972.html
Tumblr media
館内は「いかにも地方の公共施設〜!」な装飾。
これも決して嫌いではない。
空間を盛り立てんとする善き人々の意志を感じる。
Tumblr media
行事予定に「トイレグッズコレクション展」。
「食器他」って書いてあるけど、写真にあるのは便器型の食器なのか?
食事も便器。排泄も便器。
なんだか業が深いような趣味だ。
Tumblr media
で、最初の展示室に入るとコレ。
Tumblr media
なにコレ。
とりあえず造形のクオリティが高いことは認めざるを得ない。
Tumblr media
モニターで再生される解説ビデオには謎のCGキャラ。「下水マン」と呼ぶことにしよう。
Tumblr media
下水マン、見た目はだいぶ古臭いけど声優さんの威勢がよくて、交通安全ビデオ的な澱んだ空気はない。思いのほか新鮮味があって、制作年がいつかは知らないけど良いスタッフたちが作ったんだと思う。
Tumblr media
動くジオラマ展示も素晴らしい。声優の演技も、動きのテンポも、脚本の言い回しも妙に洗練されている。
Tumblr media Tumblr media
パネル展はなかなか情報量が多いが、読んでいて疲れるほどではない。
このフロアの構成者は、観客の心理を知悉している。
Tumblr media
やたらに立体的に展示することへのこだわりが強い。
なぜだ。
Tumblr media
この色使い、90年代前半くらい?(適当)
Tumblr media
「汚泥を利用した花瓶」
なぜなのだ。
Tumblr media
一体何がお前を、
Tumblr media
そこまで駆り立てるのだ。
Tumblr media
モニターだって平面では済まされない。
Tumblr media
スイッチを押すと「演出」が始まる。
映像が再生されますとかではない。「演出」が始まるのだ。並の気合いじゃない。
Tumblr media
教科書っぽい解説もあって、
Tumblr media
素朴な疑問にも答えてくれる。
Tumblr media
配管の構造やそのメンテナンス方法も実物で解説。
Tumblr media
古くなった配管は、内側からチューブ状の被覆材を膨らませて表面を更正する。これを定期的に行うことで、きれいな水が私たちの家に送り届けられるのだそうだ。
Tumblr media Tumblr media
家庭で使っている蛇口の構造も実物でをぶった斬って解説。
ネジ山の下にある黒いゴムが上にあがると隙間を水がながれるしく���。「蛇口をひねる」という操作は、このゴム(ケレップ)を上げ下げする動作だったのか。
Tumblr media
味なイラスト群。
Tumblr media Tumblr media
節水の見える化
Tumblr media
謎の立体展示。
Tumblr media
そろそろ満腹か、と思えてきたところでいよいよダメ押しのメインディッシュ登場。
Tumblr media
この何やら物々しい扉を抜けた先は、そう。
Tumblr media
名物、ホンモノの下水管。
Tumblr media
写真が霞んでいるが、何か吸わない方が良さそうな霧が管内には充満していた。気温は生ぬるく、不快で、写真撮ったらすぐに出た。やっぱ下水ってくさいし。
Tumblr media
私のような軟弱者のために、室内から下水管をリアルタイムで見られる設備も整えられていた。
大雨が降ってるときとかに行ったらまた迫力がすごいんだろうな!
というわけで、期待を1万%上回る大満足の下水ワールドさんぽであった。
気持ちよく帰路につこうとすると、出口にこんな張り紙が。
Tumblr media
「マンホールカード配布中」(お一人様1枚でお願いします)
Tumblr media
もちろん貰うしかないよな!
0 notes
voilld · 5 years ago
Text
TAKAHIRO YASUDA 5th solo exhibition FIVE / Fat isn’t very easy 2019.12.7 Sat - 2020.1.12 Sun
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
安田昂弘|TAKAHIRO YASUDA グラフィックデザイナー / アートディレクター。 1985年生まれ。血液型O型。獅子座。名古屋市出身。美術大学を卒業後、2010年に株式会社ドラフトに入社。グラフィックデザインから映像、プロダクトデザイン、デジタルクリエイションまで、多岐にわたるプロジェクトに参加。2015年同社より独立し、CEKAIに所属。 アートディレクション、グラフィックデザインだけでなく、国内外での作品展示、デジタル領域のデザインやプロダクト、映像監督など人間のフィジカル的な視点とグラフィックのあり方を考察し、様々なクリエイティブでの活動を展開している。身長は189.5cm。 HP / IG →安田昂弘 Biography ・PAST EXHIBITION →Takahiro Yasuda 4th Solo Exhibition ‘Concrete’ 2018 →Takahiro Yasuda 3rd Solo Exhibition ‘EMERGE’ 2017 →TAKAHIRO YASUDA “The end of watch“ 2016 →TAKAHIRO YASUDA “share_me“ 2015
Tumblr media
TAKAHIRO YASUDA 5th solo exhibition FIVE / Fat isn’t very easy 会期:2019年12月7日(土)~2020年1月12日(日) 開廊時間:12:00〜19:00 休廊日:月曜、火曜 入場料:無料 OPENING RECEPTION:2019年12月6日(金) 19:00〜22:00 *作家が在廊いたします。是非お越しくださいませ。 7th Sat Dec 2019 - 12th Sun Jan 2020 OPEN: 12-7pm CLOSED: Mon & Tue
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
cinema-note · 5 years ago
Link
Tumblr media
前作『トイ・ストーリー3』から、なんと9年。 あれで完結したとばかりに思っていた『トイ・ストーリーシリーズ』の続編、『トイ・ストーリー4』が公開されました。
『トイ・ストーリー3』を観たときのことは今でも思い出せますね。 家でレンタルディスクを鑑賞後、散々号泣し、家にあったおもちゃを全部引っ張り出すという暴挙に出た結果、部屋が史上最高レベルで汚くなったんですよね(笑) 『トイ・ストーリーシリーズ』のおかげで、子どもの頃は、おもちゃに対して異常に愛着が強かったですね。おもちゃを処分しづらくなって、部屋がどんどんゴミ屋敷のようになっていました(笑)
そんな私もすっかりビールが大好きな大人になったのですが、いまだにおもちゃは好きですね〜 実家には、いまだにシルバニアファミリーのお家や人形などのグッズが大量に残ってますよ・・・
さて、私のおもちゃの思い出話をしても意味ないので(笑)、早速『トイ・ストーリー4』の感想にまいりましょう!
トイ・ストーリー4
監督 ジョシュ・クーリー 脚本 ステファニー・フォルサム アンドリュー・スタントン 出演者(日本語吹き替え) トム・ハンクス(唐沢 寿明) ティム・アレン(所 ジョージ) アニー・ポッツ(戸田 恵子) トニー・ヘイル(竜星 涼) キアヌ・リーヴス(森川 智之) キーガン=マイケル・キー(松尾 駿(チョコレートプラネット)) ジョーダン・ピール(長田 庄平(チョコレートプラネット)) クリスティナ・ヘンドリックス(新木 優子) アリー・マキ(竹内 順子) 公開 2019年 製作国 アメリカ合衆国
あらすじ
“おもちゃにとって大切なことは子供のそばにいること”――
新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズら仲間たちの前に現れたのは、彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。 しかし、彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう。 ボニーのためにフォーキーを探す冒険に出たウッディは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会いを果たす。 そしてたどり着いたのは見たことのない新しい世界だった。
最後にウッディが選んだ”驚くべき決断”とは・・・?(公式サイトより)
おもちゃたちがもし「生きて」いたら・・・? おもちゃたちの冒険と活躍を描いたファンタジーアニメーションシリーズの最新作。
監督はジョシュ・クーリー。彼はピクサーで長年ストーリーボードアーティスト(絵コンテを、 監督に代わって描く人)を務めており、今作で初めて長編映画のメガホンを取っています。 登場するキャラクターはウッディやバズをはじめ、おなじみのメンバー。本家、日本語吹き替えともにキャストの変更もありません。
なるほどそうきたか・・・!
今作は賛否両論分かれそうですね! 今回はウッディにフォーカスした内容となっており、彼が一人のおもちゃとして成長し、旅立つ物語でした。 それまでのシリーズでは、おもちゃはいつも子ども(主人)のそばにいるよ、だから大切にしてね、というメッセージが一環としてあったと思うのですが、今回はその子どもの存在すらがっつり排除されていました。
今までのシリーズとは方向性の異なる内容、テーマに切り込んでいるのをみて、シリーズ4作目にして挑戦したなあと思いました。 私はそこまで『トイ・ストーリーシリーズ』に思い入れはないのですが、シリーズが好きな人にとっては辛い結果となってしまったかもしれませんね。
映像に関しては、9年も経つとさらにCG技術も進化していて、前作よりももっとおもちゃたちの質感がリアルでよかったですね。 とくにぬいぐるみとかの毛のリアルさ。今は動物のCGすらも違和感がありませんからね。そりゃぬいぐるみだってリアルにつくれるかあ。
ウッディの旅立ち物語
アンディと別れてから数年、ウッディたちおもちゃは、ボニーの家で過ごしていました。 ボニーのお気に入りになれなかったウッディは、クローゼットにしまわれる日々。 子どものそばにいる、という自分の役割を失ってしまったウッディは、それでもボニーのそばにいようと努力します。
今までは、ひょんなトラブルから、おもちゃたちが外の世界へ飛び出し大冒険する流れが定番でしたが、今回はウッディが、ボニーの作ったおもちゃ「フォーキー」を助けるために外の世界へ飛び出します。
ガラクタでつくられたフォーキーは、自分をおもちゃではなくゴミと思っていて、そんなフォーキーに、ボニーにとっては、フォーキーは大切なおもちゃであることを、ウッディは懸命に伝えようとします。
逃げ出したフォーキーを追いかけたウッディは、アンティークショップで、ボーと出会うのでした。
今回はウッディの物語という感じでしたね。 クライマックス、ウッディは仲間のもとには帰らず、ボーたちと一緒に行くことを決めます。 ここはかなり衝撃的な展開でしたね!まさかウッディが仲間との別れを選ぶなんて! それまで子どものため、仲間のために頑張ってきたウッディが、はじめて自分の意思に従って、自分の人生を歩むことを決めます。
ウッディの旅立ちを描いた今回は、ちょっと寂しい気持ちにもなりましたね。 ボニーのウッディに対する扱いもなんだかね〜 アンディが「大切にしてね」とボニーに渡したのに、と思っちゃいますよね。アンディの気持ちはどうなるんだ!?と。
別れは寂しいですが、ウッディがある種自分にかけていた暗示から解放されて、新たな人生の一歩を踏み出すことができた、と前向きに捉えたいですね。 最後のバズとウッディの「無限の彼方へ」、「さあ行くぞ」のシーンは胸が熱くなったな。引きになるカメラワークもいい。
Tumblr media
リサ
もし大切にしていたおもちゃがなくなったら、なくしてしまったんじゃなくて、そのおもちゃが自分の人生を歩むために旅立ったんだよ、と子どもに教えられるような親になりたいですね(笑) ロマンチック〜
ボーが再登場!しかし・・・
今回は『トイ・ストーリー3』でリストラされたボー・ピープが再登場!大活躍します。 『トイ・ストーリー2』と『トイ・ストーリー3』の間に、知り合いに引き取られたボーは、その後紆余曲折あり、誰のおもちゃでもない、自分の人生を生き���いました。 再開したボーは、優秀なお嬢さんだったイメージはどこへやら、ズボンを履き、たくましく外の世界を駆け回る女性へと成長していたのです。
ボーのたくましさが想像以上で、すごいんですよ。アクション映画に登場する、めちゃつよ女キャラのよう。 最近の世の中の風潮に合わせすぎなんじゃないか、という気もしないでもないですが・・・ ボーって本当にお人形さんみたいにかわいらしくて、しっかりもので、というのが魅力のひとつでもあると思うので、あそこまでたくましさをパワーアップさせなくてもよかったんじゃないかな〜
無理に女だってやるときはやるんだぜ!強いんだぜ!を描かなくてもねえ。最近はディズニーに限らず、映画業界全体でポリコレ(人種や性別、性癖や文化、宗教などの違いによる偏見や差別を含まないように表現すること)描写が露骨だなあと思います。 体を清潔にしすぎて、逆に外からの汚れや傷への免疫がなくなる、みたいな感じがあって、ちょっと怖いですよね。
もう1点気になったのが、バズやジェシーをはじめとした、ウッディ以外のおもちゃたちの活躍シーンが少なかった点。 『トイ・ストーリーシリーズ』のおもしろいところって、ウッディと仲間たちの協力とか掛け合いだと思うんですよね。 彼らは今回、ただ外から眺めているポジションで、あまり活躍するシーンがなく、それもちょっと寂しかったな〜
Tumblr media
リサ
ウッディとバズが互いに信頼しあっている関係性が描かれているのはよかったな。
おもちゃをそのまま使っているんじゃないか?レベルのCG
前作『トイ・ストーリー3』を観たときも、CG技術の進化に感心しましたが、今作はそれ以上にCGのクオリティがパワーアップ。 人形の質感も微妙に違うんですよね。ウッディはゴム素材のやわらかい感じが、ボーは陶器の硬くてツヤっとした感じの質感が伝わってきます。 触っていないのに目で質の違いがわかるのは���ごいわ・・・
更に驚いたのが、毛の質感のクオリティ。 フォーキーの手はモールでできているのですが、モールの毛束感がめちゃくちゃリアル。 ぬいぐるみのダッキーとバニーのふわふわした質感もていねいに細かく作り込まれていたなあ。 手で触って顔でもっふもっふしたくなりました(笑)
Tumblr media
リサ
そういやウッディたちが着ている洋服の生地も、質感がリアルだったな〜!
総評
評価
ストーリー
(3.5)
キャラクター
(3.0)
キャスト
(5.0)
演出
(3.5)
映像・音響
(5.0)
総合評価
(4.0)
良かった点
挑戦的なストーリー展開
CG描写
悪かった点
ほかのおもちゃの活躍が少ない
まとめ
今回はラストに賛否両論ありそうですが、私はこれもありかな、と思います。 おもちゃにかぎらず、なにかの役割を背負って生きている人や動物が、己のために人生を生きるのもいいんじゃないかな。
シリーズとしては今作が大きな分岐点となりましたが、続編はどうなるんですかね?気になるところです。
Tumblr media
トイ・ストーリー4 リアルサイズ トーキングフィギュア ウッディ (全長37cm)
posted with amazlet at 19.07.17
タカラトミー(TAKARA TOMY) (2019-06-29) 売り上げランキング: 11
Amazon.co.jpで詳細を見る
0 notes