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#キャンプの楽しみ
imaritogei · 2 years
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明けましておめでとうございます🎍 今年も宜しくお願い致します 2023 今年の干支は「癸卯」🐰の年で「癸(みずのと)」と「卯」の組み合わせから、これまでの努力が実を結び、勢いよく成長し飛躍するような年になるといわれています。 今年は皆様にとって飛躍した幸せな年になる事を願っています。 #明けましておめでとうございます #謹賀新年 #私年男です #今年のキャンプも楽しみ #波戸岬キャンプ場 (波戸岬キャンプ場) https://www.instagram.com/p/Cm2mLqyPvLn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sayasaan · 2 years
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#2022シリーズありがとうございました 今年はかなり久しぶりの現地観戦を再開させ、ドラゴンズを応援してきた自分。とても楽しい1年でした。 来年はもっともっと楽しいシーズンになるといいなぁ😊 #オフとはいえキャンプ情報が楽しみ #散財のためこちらは稼ぐために働く ✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧ #ドラゴンズ #ドラゴンズファン #ドラゴンズファンと繋がりたい #ドラゴンズ愛 #中日ドラゴンズ #ドラゴンズ好き #ドラゴンズ大好き #ドラゴンズ頑張れ #dragons #ありがとう #プロ野球2022 https://www.instagram.com/p/CjOkS5HPmzY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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pudknocker · 4 months
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小学生の時にあったこと 担任「夏休みの思い出で作文書け」 ↓ 自分、虐待されたことを書く ↓ 担任「楽しい思い出にしなさい」 自分「無いです」 担任「話考えてあげるから書け」 ↓ 担任が考えた父親とのキャンプという架空の思い出を書かされる ↓ 個人面談で親に渡される ↓ 父親、虐待で自分が一時保護された際、その作文を持ってきて「子どもをキャンプに連れて行く親が虐待するわけ無い」と主張 ↓ 自分は担任に書かされた、事実ではないと訴える ↓ 児童福祉司は作文が証拠だとして自分の話を嘘認定し、保護を打ち切り
Xユーザーの村田@元被虐児童さん
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ken1ymd · 14 days
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(単独ポストでも投稿しておきます)
僕は経営についてどこかで学んだわけではなく、自分の信条や価値観をベースに会社運営や組織運営をしてきました。
例えば、僕は社員のことを家族同然に思ったり、辞められるととても悲しくなったり、社員同士の仲間意識をとても大切にしたり、ホワイトカラーとかブルーカラーとかっていうレッテルをすごく忌み嫌ったり、
とにかく、せっかく同じ屋根の下に集まったメンバーだし、働く時間は人生の3分の1とかなんだから、お互いの人生が少しでも有意義になるように、好きなことをなるべく楽しくやって、その結果として人や社会の役に立てればいいよね、って考え方でやってきました。ぶっちゃけ、利益より、人としてチームとして大事なものあるよね、って思いで。
ボーナスはみんなで勝ち取ったご褒美なんだからみんなで公平に山分け全員同額とか。社員の歓送迎会では何度も涙し合ったり。社内イベントとか社員旅行とかにめちゃくちゃパワーを注ぎ込んだり。社内恋愛も結婚も大歓迎だったり。正直、キャンプとか文化祭みたいなノリでやってました。
なので、弱肉強食的な、個人能力主義的な、勝ち組負け組的な、利益至上主義的なものとはあえて距離を置くような経営をしていました。
元ポストでは、下町ロケットやスクールウォーズを引き合いに出しましたが、僕が好きなのはどちらかというと、日本的で昭和的で家族的でウェットな感じの経営スタイルでした。
そして、今振り返ると、ZOZOの成功の源はひょっとしたらそれだったんじゃないかなと。
ZOZOに出店いただいたブランドさんからよく言われていたのが、
・すごくみんな楽しそうに働いてる
・愛社精神強いのが伝わる
・洋服好きなのも伝わる
・なんかやってくれそうな集団
・他のECサイトとはまるで違う
・利益より服を愛してそう
・ロックでパンクな会社
みたいに評価されていて、それらが多くのブランドさんに出店いただく理由にもなってました。
そして、ZOZOで服を買ってくれるお客様にも、きっとそういう社風とか雰囲気は伝わっていたんじゃないかなと思います。
うまくいった理由の全てがこの昭和的経営スタイルにあったと言うつもりはないですし、それを示すデータや証拠がある訳でもないのですが、一つ確かなのは、この会社がゼロから1兆円企業になったということです。
もしかするとですよ。もしかすると日本人ってこの日本的で昭和的なスタイルの方が好きなのかもしれないし、合ってるのかもしれないなーと。そっちのがみんな頑張っちゃうし、結果生産性も上がっちゃうのかもしれないなーと。
昨今は、日本の労働生産性を向上させるために、旧来の昭和スタイルから脱却し、欧米企業のやり方を真似しましょう、みたいな気運を感じますが、もちろん欧米企業の事例を研究すること自体は良いことだと思いますが、それを取り入れるかどうか(解雇規制の緩和なんかは今まさに総裁選のホットトピックですね)については、やはりそれが日本人に馴染む馴染まない、合う合わないもあると思うので、データだけ見て判断するのではなく、日本人の気質や可能性や国民性に今一度向き合い、働く人一人ひとりの幸せについて、経営者も国もフラットな姿勢で再考すべきタイミングなんじゃないかと切に思います。
長文失礼いたしました。
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m12gatsu · 4 months
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丸橋さんこんにちは。当方ただいま24歳なのですが、あなたがその歳のころはどのように生きていたのか教えてほしいです
非常勤で聖職者の真似事をして、糊口を凌いでいました。新卒から3年間、のらりくらりやって、そろそろ酔いどれ詩人として腰を据えようかという時に、19から付き合っていた女にふられました。そんなころです。下北沢の陋屋に蟄居して、時間だけはたぶん他の同級生よりかあった。腐るほどあった。夕方ぐらいからふらっと映画館によく行きました。今も行くけど。本もたくさん読みました。今も読むけど。ウエルベックを乱読していた頃と記憶しています。毎日飲酒していました。今も飲むけど。さいわい、気の合う友人や先輩には恵まれました。君の周りも、そろそろ自動車と腕時計とキャンプ用品と不動産投資の話ばっかりする奴が湧いて出ませんか。俺はただ、映画や文学や音楽の話をずっと酔っ払ってしていたいだけだった。やはり今も変わりません。暮らしている場所と、一緒にいる女が変わったってだけで。
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moment-japan · 9 months
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米国映画「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」(1940)
原作:John Ernst Steinbeck
監督:ジョン・フォード
脚本:ナナリー・ジョンソン
出演:ヘンリー・フォンダ、ジェーン・ダーウェル、ジョン・キャラダイン、他 
僕の中で、死ぬまでに一度は見なくてはいけない映画の1本であったアメリカ文学を代表する作品「The Grapes of Wrath」。
自然の猛威と不条理な資本主義に対する直接的な告発作品ともいえるこの映画を正月に、BSの放送大学で放送大学の教授による詳細な解説と共に放送されることを知って早速テレビの前に・・。
1930年代末、アメリカ中西部を襲った干ばつをきっかけに、農業の機械化を進める資本家と貧困小作農民との軋轢を描いた映画。
主人公トム・ジョードとその家族のオクラホマにある農場はダストボール(砂嵐)によって耕作不能に。
彼らは、家財すべてを売り払いそのお金で買った古い中古車に乗り込み、移住先のカリフォルニアを目しルート66を辿る旅に出るが、年老いて病気がちな祖父や祖母はアリゾナ砂漠やロッキー山脈越えに耐えることができず命を落とし、従妹もあまりの過酷さに途中逃亡。
苦難の末、辿り着いた楽園カリフォルニアは大恐慌と機械化農業のために土地を失って職を求める多くのオクラホマ農民で溢れかえり、夢も希望も大きく打ち砕かれる・・。
彼ら移住者は、地元民から蔑まれながら貧民キャンプを転々とし、地主の言い値の超低賃金で、日雇い労働をするほかなかった。
やがて彼ら小作農民の不満と怒りは頂点に達し、一つの大事件が起こる・・。
最後の最後まで息子のことを想うママ・ジョードが泣けるし、最後にママ・ジョードが呟く「先の者が後にまわり、後の者が先頭になる」という新約聖書の言葉に胸が詰まる。
豊饒な「約束の地」であるカリフォルニアを目指すところは、旧約聖書のエクソダス「出エジプト記」をモチーフに、タイトルの「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」は、ヨハネの黙示録の題材からとられたもので、神の怒りによって踏み潰される葡萄(人間)のことと解釈されています。
原作者のジョン・スタインベックはこの小説で1940年にピューリッツァー賞を受賞し、「The Grapes of Wrath(怒りの葡萄)」の総発売数は全世界で約1500万冊に。
この映画はアカデミー賞の監督賞、助演女優賞(ジェーン・ダーウェル)を受賞。
彼は、1962年にノーベル文学賞も受賞しましたが、受賞理由も本作の作品��決め手になったそうです。
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jerusalem-mami · 2 months
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2019チェコチームの写真を見つけた😇5年前!
白馬キャンプ直後体調を崩しまして、、
2週間お休みをしていましたが🙇‍♀️
復活いたしました😇!
2週間恵みの時で、神様の言葉で更に強められ
神様からの導きと力が与えられました😊感謝
私には弱さがありますが
神様の導きは完全ですね🙌
そして、来週の土曜はこころごすぺるコンサート!
近づいていますね😊
今回、最近入ったばかりの職場の方を誘いたく、、
祈っていて、、勇気を持って誘ってみたら、
行ってみたい!と、喜んでくださいました🥹!
日時をメモしてくださり
楽しみにしてます!と仰っておられました
来週チケットをお渡しします😊
本当神様ですね🌻
神様が触れてくださる事期待して祈ります😊🙌
8/7
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komorebinomori-photo · 9 months
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1月のお散歩クラスのロケハンに淡路へ行ってきました。
淡路は海あり山あり芸術がありの素敵な場所。
兵庫県民としては誇らしい。

2024年の教室もどんどんパワーアップしていきたいです。ひとりひとりにその方のペース、その方の強みに合わせて丁寧に丁寧に一雫のエッセンスをプラスできたらなと思います♡あぁ。
来年度もキャンプ部も含め!Lessonが楽しみです!
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communionchapel · 3 months
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白馬キャンプ
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今年は、7人乗りの車に乗り切れないので、エリヤと2人、バスに乗って白馬に出かけます。介護の仕事がよく休めたなと感謝です。
はじめて、プレキャンプからの参加で、楽しみです。
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cctrain0722 · 2 years
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皆既月食に合わせて鶴キャンプ!いってきました。
前回の皆既月食より皆既の時間が長い…つまり、赤いお月様をじっくり楽しみながら熱燗キャンプが【たまらん】のでは?という事で、時刻方角天気雲量ロケーション等を考えながらの晩秋キャンプへ!
直前まで雲に覆われていたものの、月が欠け始めるあたりから快晴に! みるみる欠けていく様子を撮りながら、ご飯作ってお酒飲んで~としてたら意外と忙しい。しかしこれもまたいいのです。
1時間以上続く赤い月を眺めながら&撮りながら、熱めの熱燗と湯豆腐の組み合わせが心地いい…時折聞こえるタンチョウの声が北海道の自然をより一層感じさせてくれました。
次回の皆既月食は3年後。次はどんな風に月を楽しむか…じっくり考える楽しみができました。
一枚目【焦点距離】26mm【ISO】2000【SS】1/200等×51【F値】/5 二枚目(トリミング)【焦点距離】300mm【ISO】2500【SS】1/1.6【F値】/4 三段目左 (トリミング)【焦点距離】900mm【ISO】10000【SS】1/50【F値】/4 三段目右 (トリミング)【焦点距離】900mm【ISO】6400【SS】1/60【F値】/4 五枚目【焦点距離】85mm【ISO】64【SS】1/800【F値】/5.6 五段目左 (トリミング)【焦点距離】900mm【ISO】220【SS】1/2000【F値】/4 五段目右 (トリミング) 【焦点距離】600mm【ISO】140【SS】1/1250【F値】/4 八枚目 (トリミング) 【焦点距離】900mm【ISO】3600【SS】1/2000【F値】/4 九枚目【焦点距離】600mm【ISO】180【SS】1/1250【F値】/4
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honda-shigekazu · 1 year
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GW大分くじゅう連山キャンプへの旅
人が多すぎる駅で駅弁とつまみを買うことは大変だなと思う今日このごろです…。
1.お気に入りの場所にて
2.行き先を楽しんで
3.今回はビールなしで
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imaritogei · 2 years
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ご飯を炊いている時に、ふと大事なものを忘れている事に気づく。今夜はカレー🍛にしようとしていたところ、まさかのカレールーを忘れてしまった。おそらく朝の買い出しの時にスーパーに置いてきた…(・・;) しかたないので、ごぼうサラダをご飯の上にぶっかけて食べた。今夜は晩酌を楽しもうと開き直る… #キャンプでの忘れ物 #キャンプ飯 #本当にご飯だけ #キャンプ飯の楽しみ方 #土鍋ご飯 (四季見原すこやかの森キャンプ場) https://www.instagram.com/p/Cjo54h3rAHo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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beracha7 · 4 months
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今日の朝起きたら、
前のルークの学校のお友達のお母さんから
会えるの楽しみにしています!と
連絡があり。ん?なんだっけと思ったら
来週だと思っていた、
学校のフェスティバルが今日でした😂🙏
でも、神様が思い起こさせてくださって
行くことができました^ ^
今までお世話になった先生や、
1年ぶりにあうたくさんの方々に会えて
本当に感謝なことでした。
ノアのためにベビーベッドやら、ベビーカーや、何から何までくださった友人にも会えてアメリカのことで色々と話せたり。
前から気になって祈ってきた
ウクライナのご家族の方々と話すこともできて
ちょうど白馬キャンプがある日程のときに、
なんと白馬に滞在しているとのことで^ ^
ゴスペルコンサートにも誘えたらなと。
そして、ここの学校の先生も、ルークの今の担任の先生の友人だったり!
ルークもずっと遊びたいと言って、
祈っていた友達と遊べたり。
芸能人の方もいるのですが、その方々の救いのためにもお祈りしていたのですが、今日もお話しができたり。
卒業後もこうして前の学校にも行けて、関わりと出会いが続けて与えられていることも感謝です。
毎日、前の学校の先生達と、子供達とご家族が救われるようにお祈りしているので、更に神様のわざに期待します^ ^ ✨😆🌈
そして、夜は🌉リバイバルナイト!
神様の臨在の中、恵みを受けました^ ^
気付かされることもたくさんあり、
これから更に多くの若い方々に神様が触れてくださることを信じて感謝します!^ ^
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kijitora3 · 3 months
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ゲームをやりこみ攻略するには時間がかかる
って理由で、一生細々とでも食っていけそうな額を稼いでさっさと20代の終わりで退職して後はゲーム三昧で生きる、という人のニュースを見た時には、正直それはなあ・・って思ってた
でも今は若いのにすごく見切る目があったと、思ってる
良質のアニメが数多く制作され、それがアマプラ、ネトフリ等でまとめて見られようになってみると、アニメ見るだけでかなり時間がかかる
読みたい本、読むべき本は読んでも読んでも無限に増える
聞きたい音楽も山のようにある
自転車でキャンプに出掛ける時間も貴重で削れない
何か意味のある仕事を残そうとすると、それこそものすごく集中した長い時間が必要
楽器を弾く時間も不可欠
となると、いくら長生きしても絶対的に時間が足りない
やりたいことをいろいろやる人生も勿論あるけど、残り人生少なくなってくると、どれか一つメインを選んで集中的に時間を投入し、あと1~2個はたまにやる趣味としてメリハリつけないと、本当に何もしないうちに死んでしまうと恐怖を感じるようになった
残り人生何をやるかを断捨離で考えて、選んだものに集中するタイミングが大事かな、と最近考えてる
若いのに、一つの道を見出して集中している人は、マジで偉いと尊敬する
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ogyuu · 7 months
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白馬キャンプでの奇跡
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この写真を撮った時、私は神さまに
心から感謝しました🙌
今回は教会から楽器を積んだバス��
ホテルへの山道でスリップし
非常に危険な状態になり
途中から徒歩で向かうことになりました。
乗っていた方たちが無事でほっとしましたが
荷物や楽器は開会聖会に間に合わず
後半賛美での
オケの奉仕は絶望的な状態でした。
もう今日は礼拝に集中しようと座っていたら
オケ担当牧師のてるみちゃんが
「楽器がなくても信仰で立ちましょう!」
と言ってくれて目が覚めました。
今こそ信仰に立たねばとスタンバイに向かい
オケで準備の祈りをした時に
(いま着いているのでは?)
という思いが来たので
1階の玄関に向かいました。
するとちょうど荷物がバスから
下ろされているところでした!!!
急いで向かいチェロを抱えて
走って戻りました。
オケのみんなも楽器を受け取ることができ
後半賛美に出ることができました。
あの時、てるみちゃんが
声をかけてくれなかったら
私は間に合うなんてことは考えず
神さまにも心が向かなかったと思います。
結果、間に合っていなかったかもしれません。
信仰を持って備える、踏み出すことの
大切さをとても感じました。
またバスの事故という
ショックなことが起きましたが
その中でも神さまの計画は止まらず
信仰の応答をした人には道が開かれると
語りかけを受けた出来事でした。
相棒のチェロとの
再会がとても嬉しかったです!
神さまに感謝します🙌
2024.03.01
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kennak · 3 months
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う、民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイさんはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている���もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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