#ウンベルト・エーコの世界文明講義
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『ウンベルト・エーコの世界文明講義』 ウンベルト・エーコ 和田忠彦 監訳
"Sulle spalle dei giganti" 「巨人の肩に乗って」がこの本のイタリア語の題名になってる。
エーコが長年に渡って講演して来たものを一冊にまとめたもの。読みながらノートに取ったものを下に書いて行く。
「巨人の肩に乗って」2001年。父と子の戦い。息子の父親殺し、また、その逆。言語の変化。ラテン語と「俗語」
tops: 文学・芸術などにおける主題
"On the Shoulders of Giants" 1965年、アメリカの社会学者ロバート・バートン
「哲学的、および神学的思想における父と子の関係について言及していた言い回しが、科学の進歩という性格を示す言い回しへと変化した。」そして、「個人はまちがいなくわたしたちよりも巨大だった。だがわたしたちは、小人ではあっても、巨人たちの肩に座ることで、すなわちかれらの知恵を利用することで、かれらよりもよくみることができる。」以上p17
文化などの世代に渡る変化と進歩。これは長い歴史があるからこそのもので、昔のものを今の人々がどんな形で利用することで、今の人は昔の人よりも「よくみることができる」のだ。
しかし将来的には小人(子、現在)の背に巨人(父、過去)が乗るかもしれないとエーコは警鐘を鳴らすんだが、私の能力では理解できなかった、、、。
「美しさ」2005年。美は、相対的だが、個人の中では絶対的ってことか。キリスト教の「光」も時代時代により解釈が違うし。
現代芸術の多くの傾向(アーティストが自らの身体に刺青をしたり、身体の一部を切断したりする、あるいは光や音を使った現象に観客を巻き込む)では、芸術という名のもので、古代の神秘的な儀式とは似ても似つかない、儀式趣味の祭りが行われているような印象を受ける。他方で、ディスコやロックコンサートで大勢の客が集まっている様子には、神秘的な特徴がある。彼らはストロボライトや大音量の音楽の中で「一緒にいる」というひとつのかたちを実践する。それは部外者には「美しい」(古代ローマの円形競技場の遊びのような、伝統的な意味で)と映るかもしれないが、部外者は内部で現象に浸っている者と同じ感覚を味わうわけでなはい。(p54)
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの自然の「崇高」さを表す、自然を見る後ろ姿の青年のいるあの絵について、
その人間は、劇場での一場面のようにわたしたちに背をむけているが、崇高が舞台ならば、かれがいるのはプロセニアム・アーチであり、演目のなかに位置しているーー客席にいるわたしたちからみればーー。しかしかれが演じるのは舞台の外部からものごとを眺める役で、わたしたちは舞台から切り離される。わたしたちはかれの身になって、かれをとおして舞台を見、かれが見るものを見つめ、かれと同じように、自然の偉大な舞台のなかでは自分など取るに足らないちっぽけな存在だと感じ、しかし同時に、わたしたちを凌駕し破壊しうる自然の力から逃げられるとも感じる。(p59)
この絵を見たときに漠然と感じたことがここに書かれていて、とってもとっても納得した。次のパラグラフ、この講演の締め括りの文章だが、それも良かったのでここに書き写す。
何世紀もの流れのなかで、美の経験とはいつも、わたしたちがその一部を成さないこと、どうしても直接参加したくないようなことを前にして、そこに背を向けながら感じるものだったように思う。美しさの経験とそのほかの情熱のかたちを分ける細かい線は、わたしたちが美とのあいだに取る距離にひかれている。(p59)
「醜さ」2006年。これも相対的。恐怖、喜びの源泉となり得る。差別にも繋がる。
「絶対と相対」2007年。あまり関心がない主題なので流し読みした。
「炎は美しい」2008年。
フェルナンド・バエスの『書物破棄の世界史』(2004年)からエーコが引用したもの。「どのような理由から火が書物を破壊する主要素となりえたか」の問いへの答え
火は救済的な元素であり、そのため、ほとんどすべての宗教がそれぞれの神の栄光を讃えるために火を利用している。生命を庇護するこの力は同時に、破壊者としての力でもあることを思い���こしておかなければなるまい。火を使い破壊することで人間は神を演じる。火を介して生と死の主なる神を演じるのだ。そうすることで清めの太陽崇拝と同一化し、ほぼ必ず炎上により引き起こされる破壊神話とも同一化する。火を利用する理由は明確だ。火はひとつの業の精神を、たんなる物質へと転換してしまえるからだ。(p171)
火は、神聖なもの、地獄のもの、錬金術、芸術の源、エピファニー(顕現)の経験として、再生、破壊者、などになり得る。
「見えないもの」2009年。架空の存在。フィクションの内容は絶対的で、読み手はそれを疑わない。誰もアンナ・カレーニナが自殺したことを疑わない。なるほど、だ。
小説を読むとは、登場人物の運命を前にしては何ひとつ変えることができないと知ることだ。(p203)
「パラドックスとアフォリズム」2010年。ワイルドのアフォリズムにつていも
「間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること」2011年
「芸術における不完全なかたちについて」2012年。人間の脳は不完全だから進化が可能(p281)だったんだって!!完全でない方が芸術になるってことか。完全でないから芸術を産めるのかも。そして味わえるのかも。完全でないから美しくもるんだろうし、また、人が完全と思っているものが完全でないってこともあるだろうな。ははは。ぐるぐる回るね。
「秘密についてのいくらかの啓示」2013年。
わたしたちを突き動かしているのは秘密に潜む秘密、ヴェールに覆われたままの何かにかんする秘密、別の秘密によってしか説明されえない秘密、別の秘密により満たされる秘密にかんする秘密(第六代イマーム・ジャーファル・アッサーディク)(p315)
暴かれた秘密は役に立たない。秘密のある秘密は永遠に秘密のまま。だからこそ秘密には魅力があるのだ。
喉から手が出るほど求められているのは、暴くことも手に入れることもできない秘密にむけられた凄まじい渇望であると言うことだ。(p347)
「陰謀」2015年。
中身がからっぽであればあるほど、秘密はより強力で、誘惑的になる...(中略)...中身のない秘密は脅迫的に映り、暴露されることも、異論を唱えられることもない。まさにそれゆえ権力の道具となる(p351)
出鱈目が成功するのは、「他人が知り得ないことを、自分は知ることができると約束するから(p363)
社会的な偏執狂は、隠れた権力者たちが、かれのグループや、祖国や、宗教を迫害していると思い込む。社会的な偏執狂は、みずからの妄想がほかの何百万という人びとからも共有されていると考え、自らが私心なしに陰謀に立ち向かっていると信じ��いる点で、精神医学的は偏執狂より危険だといえるだろう。(p364)
パゾリーニ曰く、「わたしたちが陰謀に夢中になるのは、それが真実とむき合わなくてはならないという重圧から、わたしたちを解放してくれるため」(p364)
「聖なるものの表象」2009年。この本を読むのに疲れてしまって流し読み。
一本づつ丁寧に読んだつもりだが、すんなりと頭に入ってくれないものもあって、自分の能力の限界を感じた。ははは。
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#ウンベルト・エーコの世界文��講義 https://booklog.jp/users/dopingconsomme/archives/1/4309207529
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キツイ残業後はウンベルト・エーコの「世界文明講義」を読書。重いし難しいけど「凍」に比べたら全然楽しいな。高価なので図書館から借りたが、いつかコレ買うぞ〜 #book #文学 #literature #読書 #instagram https://www.instagram.com/p/BypuSmyFClV/?igshid=1vwhtrekgu7wv
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『ウンベルト・エーコの世界文明講義』(河出書房新社) - 著者: ウンベルト・エーコ - 本村 凌二による書評 http://bit.ly/2HrvRsg 重層する文明への史眼 中世以来、ヨーロッパでは「巨人の肩に乗った小人」という言い回しが好まれたという。そこに立てば巨人よりもずっと遠くを見ることができるからだ。その半面、もっとも時代の診断が下手なのはその時代を生きる者たちでもある。原著の表題『巨人の肩に乗って』も、語り手としての思想家エーコの重層する文明への史眼が感じられるのだ。著者は大学の卒論で中世神学者の美をめぐる問題を扱った。だが、五〇年の歳月を経ても、美の概念の答えは変わらなかったという。美とは人間が美とよぶすべてのものである、と。美しい人間は手
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ウンベルト・エーコ「世界文明講義」読了。残業炎上中でも帰りの車内などでコツコツ読めば読了するんですね。疲れのため脳内にはあまり入らないが、読んでる時は幸福であった#literature #文学 #book #読書 #instagram https://www.instagram.com/p/BzInjjYlU4i/?igshid=m19u20yv035e
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昨日より15分早く残業終わったので、ウンベルト・エーコ「世界文明講義」読みつつ途中下車、ここにしかない晩白柚ビールを堪能。これで明日イケるかな。#craftbeer #beer #literature #本 #文学 #instagram (Beer++ ビアプラスプラス ・ 十条すいけんブルワリー) https://www.instagram.com/p/By7zuF9lDGw/?igshid=1b0sirarks2u5
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