#インコ格言
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【The pen is mightier than the sword.】
ペンは剣よりも強し。言葉や文書の力が武力よりも大きな影響力を持つ。
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2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不安もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた���他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいるわけだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。
★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni��学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む��でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらいいなと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の同級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通販の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので、お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れな���作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印象深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反��を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶/物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は『イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く。ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上��はお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降りだったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行くことがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
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街とその不確かな壁/君たちはどう生きるか/ジブリ・春樹・1984
最初のジブリの記憶は『魔女の宅急便』(1989年)だ。母がカセットテープにダビングした『魔女の宅急便』のサントラを幼稚園の先生に貸していたから、幼稚園の頃に見たのだ。
まだ座席指定の無い映画館に家族で並び、私は映画館の座席で親に渡されたベーコン入りのパンを食べていた。4・5歳の頃の記憶だ。
その夜、私は夢の中で魔女の宅急便をもう一度見た。私は親に、夢でもう一度映画を見たと伝えた。
『おもひでぽろぽろ』(1991年)も映画館で見たが、あまりよく分からなかった。『紅の豚』(1992年)も映画館で見た。帰りにポルコ・ロッソのぬいぐるみを買ってもらい、縫い付けられたプラスチックのサングラスの後ろにビーズで縫い付けられた黒い目があることを確認した。
『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)『耳をすませば』(1995年)までは両親と一緒に見たと思う。
父はアニメに近い業界にいたため、エンドロール内に何人かの知人がいたようだった。アニメーターの試験を一度受けたそうだが、他人の絵を描き続けることは気が進まなかったらしい。
家のブラウン管の大きなテレビの台の中にはテレビ放送を録画したVHSテープが並び、ジジやトトロの絵とタイトルを父が書いていた。テレビ放送用にカットされたラピュタやナウシカを私は見ていて、大人になってから初めて見たシーンがいくつかあった。
“家族で映画を見る”という行事はジブリと共にあっ��。ジブリ映画の評価は今から見て賛否両論いくらでもあればいいと思うが、批評も何も無い子ども時代に、母がとても好きだった魔女の宅急便や、戦争は嫌いだが戦闘機が好きな父と紅の豚を見られたことは幸福な年代だったのだと思う。
評価が何も確定していない映画をぽんと見て、よく分からなかったり面白かったりする。
親は『おもひでぽろぽろ』を気に入り、子どもにはよく分からない。父からは昔の友だちが熱に浮かされたように「パクさんは本当に凄いんだよ」と言い続けていたと聞かされた。
※
大人になった私は『ゲド戦記』(2006年)を見て「面白い映画に必要なものが欠けているこの作品を見ることにより今までに見たジブリ映画のありがたみが分かった」とぐったりし、『崖の上のポニョ』(2008年)を新宿バルト9で見て、全然楽しめず、新宿三丁目のフレッシュネスバーガーで「神は死せり!」と叫んでビールを飲んだ。
2020年には『アーヤと魔女』の予告編に驚愕し、『モンスターズ・インク』(初代、2001
年)からずっと寝てたのか!?と罵倒した(見ていない)。
私が持っていたジブリという会社への尊敬は過去のものになり、多彩な才能を抱えていたにもかかわらず明らかにつまらないものばかり作る血縁にしか後任を託せない状況にも嫌悪感を抱いた。
期待値は限りなく低く、『君たちはどう生きるか』を見ようかどうか迷っている、とこぼしたら「見て文句も言えるからじゃあまあ一緒に行く?」という流れになり、見た。
あまりにも期待値が低かったため、文句を言いたくなるような作品ではなかった。私は2023年、もっともっとつまらない映画を何本も劇場で見ている。つまらない映画を劇場で見ると、もう2度と見なくて良いという利点がある。
『君たちはどう生きるか』の序盤、空襲・火災・戦火で街が焼ける場面、画面が歪で、不安で、安定感がなく、私はホッとしていた。綺麗に取り繕う気のない、表現としての画面だった。
複数の場面に対してセルフ・パロディーであるというテキストを読んでいたが、私には��れらはオブセッションに見えた。小説家でも芸術家でも脚本家でも、何を見ても何度も同じことを書いているな、という作家に私は好感を持っている。少なくとも、いつも結局テーマが同じであることは減点の理由にはならない。
『君たちはどう生きるか』になっても高畑勲の作品に比べればどうにも女性の人格が表面的で、天才はこんなにもご自身の性別をも超えて何もかもわかり物語に落とし込めるのかと感激した『かぐや姫の物語』(2013年)に比べてしまうと胸の打たれかたが違うのだけれども、でも私は取り憑かれたテーマがある作家のことが、いつも好きだ。
スティーブン・スピルバーグは『フェイブルマンズ』(2022年)でもう大人として若い頃の母親を見つめ直せていたように思うが(フェイブルマンズで取り憑かれていたのは別のものだ)、
宮崎駿は小さい頃に一方的に見つめていた母に取り憑かれ、母の内面には踏み込めないまま、少年・子どものまま母を見つめ続け、自分が老年の大人として若い母親を見つめ直す気は無い。
そして、母親の方を少女にして映画の中に登場させる。しかも「産んでよかった」という台詞を創作する。
貴方は大人なのにずっと子どものままで母親に相対したいのですか、と思いはするものの、子どものままの視線で母を見つめ続けたいのなら、それがあのように強烈ならば、それがオブセッションなら全くかまわないことだと思う。
最初に屋敷に出てきた7人のおばあちゃんがあまりにも妖怪じみているので驚いたが、あれは向こうの世界とこっちの世界の境界にいるかた達という理解で置いておいてあげよう。
それにしてもアオサギが全く可愛くもかっこよくも無いことに最後まで驚いていた。頭から流れる血液も、赤いジャムも気持ちが悪い。途中途中、激烈に気色が悪い。世界や生き物は気持ちが悪く、性能の良い飛行機みたいに美しくは無い。カエル、内臓、粘膜、血液、食物もグロテスクだ。嫌悪ではない、全部生々しい。生々しく、激烈だ。その生々しさを必要としたことに胸をうたれた。
塔の中のインコについて、愚かな大衆だとかジブリはもう人が多すぎてしまったんだとか商業主義的な人間の表現だというテキストも読んだのだけど、私はあのインコたちがとても好きだった。
インコたちは自分達で料理をして、野蛮で、楽しそうだった。終盤、緑豊かな場所にワッセワッセと歩いていくインコさんが、「楽園ですかねぇ」「ご先祖さまがいますねぇ」と言ったようなことを言うシーンが面白く、可愛らしく、インコたちの賑やかな生活(時に他者に攻撃的であっても)を想像した。
私は水辺の近くをよく散歩していて、大きな渡り鳥が飛来してまた消えていくのをじっと見つめている。鳥たちがある日増えて、いなくなる���国を越えて飛んで行き、地球のどこかには居続けているのがいつも不思議だ。
映画の中で、鳥やカエルはあのように生々しく、実体をつかんでアニメーションに残すことができるのに、全てを生々しく捉える気が無い対象が残っている。どうしてもそれを残すことが寄す処なら、それはそのままでかまわない。
※
小説では、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んだ。
私の父は村上春樹と同い年で高校卒業後に東京へ出てきたので、『ノルウェイの森』で書かれている、まだ西新宿が原っぱだった頃を知っている。その話を友人にしたところ、『西新宿が原っぱだったというのは春樹のマジックリアリズムかと思っていた』と言っていた。
私が村上春樹を読み始めたのは及川光博が「僕はダンス・ダンス・ダンスの五反田君を演じられると思うんだけど」と書いていたの読んだのがきっかけだ(曖昧だけれども、1999年くらいか?)。
『風の歌を聴け』は家にあったので、そのまま『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、その後短編集をあるだけと、『ノルウェイの森』『世界の終わりとハートボイルドワンダーランド』を読み、『ねじまき鳥クロニクル』は途中途中覚えていないが一応読み、『スプートニクの恋人』(1999年)を高校の図書館で読んだがあまり面白くないと感じた。
最近ではイ・チャンドン監督の映画『バーニング』(2018年)が素晴らしかったし、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021年)も面白かった。
『ドライブ・マイ・カー』の原作(短編集『女のいない男たち』収録)は映画を見た後に読んだが、反吐が出るほどつまらなく、気持ちが悪い短編だった。
イ・チャンドン監督も、濱口竜介監督も、「今見たらその女性の描写、気持ち悪いよ」を意識的に使っていたのだろう。『バーニング』は『蛍・納屋を焼く・その他の短編』時期の初期春樹、『ドライブ・マイ・カー』はタイトルこそドライブ・マイ・カーだけれども、ホテルの前の高槻の佇み方はダンス・ダンス・ダンスの五反田君であろう(港区に住む役者である)。
村上春樹のことは定期的にニュースになるのでその度に考えているのだけど、2023年に、フェミニズムのことをある程度分かった上で過去作を読むのはかなり厳しい気もしている。
次から次にセックスをしているし、主人公はガツガツしていない風なのに何故かモテているし、コール・ガールを呼びまくっている。
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくるユキは13歳の女の子で、ユキの外見・体型に関する記述はそこまで気持ち悪くはないのだが、『騎士団長殺し』に出てきた未成年の女性に対する描写はとても気持ちが悪かった(はず。売ってしまったので正確ではないのだが、あまりに気持ちが悪くて両書を比較をした)。
いくら今「この人は世界的巨匠」と���われていても、作品を読んで気持ち悪いと思えばもう読む価値のない作家であるので、まだ読んだことがない人に読むべきとは全く思わない。
けれども、20年前に読んだ村上春樹は面白かったし、『ダンス・ダンス・ダンス』に書かれる母娘の話に私は救われたのだと思う。
最近友人に会い、「村上春樹は読んだことないんだけど、どうなの?」と聞かれたので、「春樹の物語は色々な本で同じモチーフが多い。主人公がいて、どこかへ行って、帰ってくる。戻ってきた世界は同じようでいて少し変わっている。私たちが現実だと思っている世界は世界の一部分に過ぎず、どこかでみみずくんが暴れているかもしれないし、やみくろが狙っているかもしれないし、誰かが井戸の底に落ちたかもしれない。だけど主人公は行って、戻ってくる。どこかで何かが起こっていても、行って戻ってくる。一部の人は行ったっきり、帰ってこられない。」
「この世では 何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんな ひどいことも どんな うつくしいことも」は岡崎京子の『pink』(1989年)のモノローグだけれども、何でも起こりうる、現実はこのまま永遠に続きそうだけれども、ある日小さなズレが生じ、この世では何でも起こりうるんだわ、という小説を次々に読みながら大人になったことを、私は愛している。日常を暮らしていると現実の全てに理由があるかのように錯覚してしまうけれども、「何でも起こりうる」世界には、本当はあまり理由がない。何か理由があると錯覚し過ぎてしまうと、公正世界仮説に囚われて、善悪の判断を間違ってしまう。
「主人公が、行って、帰ってくる」形は数えきれないほどの小説・映画の構造なので特徴とも呼べないところだけれども、『君たちはどう生きるか』もそうだし、『ダンス・ダンス・ダンス』も、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も、昔読んだ『はてしない物語』だって勿論そうだし、『オズの魔法使い』もそうで、『君の名は。』もそうだったような気がする。
『はてしない物語』の書き方はわかりやすい。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。」コレアンダー氏はいった。「いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」
※
『街とその不確かな壁』は春樹の長編も最後かもしれないしな、と思って読み始めたが、半分を超えるまで全然面白くなく、半分を超えてもちょっと面白いけどどう終わるんだろうこれ、の気持ちだけで何とか読み終わった。
17歳の少年のファーストキスの相手の音信が突然途絶えようと、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の世界の終わり側の話をもう一度読まされようと、どうしてそれを45歳までひっぱり続けるのか、読んでいて全然情熱を感じなかった。
イエロー・サブマリンのパーカを着た少年が何のメタファーなのかは勿論書かれていないが、春樹は昔に還りたいんだろうか?何故か「あちらの世界」から物語がこちらに、鳥に運ばれてきたみたいにするすると現れ世界を覗けたあの頃に?活発な兎が息を吹き返すように?
※
宮崎駿��オブセッションや視線は今も跳ね回っており、村上春樹の滾りは、もう私にはよくわからないものになった。
私は昔『ダンス・ダンス・ダンス』を何ヶ月もずっと読み続け、どのシーンにどんな形の雲がぽつんと浮かんでいるかも記憶していた。欲しいものだけ欲しがればいいし、くだらないものに対してどんなことを友だちと言い合いビールを飲めば良いかを知った。
岡崎京子に「幸福を恐れないこと」を教えてもらったみたいに。
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お題箱に新刊の感想を入れてくださった方、だいぶ遅くなってしまいましたが、ありがとうございます!!返信不要とのことですが、お礼だけ言わせてください🙇💕
それから、ヒロアカ新刊を読みました…。
以下、つらつらと簡易な感想です!
・キャラクター紹介ページでかっちゃんを5回くらい探してしまった…いないという事実をしばし受け入れられませんでした…
・トガちゃん…トガちゃん!!!😭
・まだ恋バナしてない!のお茶子ちゃんに泣いたし、もう「恋バナ」という単語に楽しそうな反応をしないトガちゃんに更に泣いた…トガちゃん雄英ifとか考えて気持ちを落ち着けた…
・泣いてるトガちゃんを見つけちゃうお茶子ちゃんさぁあああ!!!😭😭😭
・ラブラバぁあああ!!!!
・ジェントルぅううう!!!
・ラブラバめっちゃ好きなんですよ〜フリフリのラブラバほんと可愛い😭💕
・ラブラバとジェントルの頼りになる感何…本当はヒーローになりたかったジェントルがちゃんとヒーローやってるのめちゃくちゃ泣けるし、ラブラバの愛がでっかくて…最高…この映像が後々に拡散されてジェントルとラブラバがヒーロー活動する世界戦が見えたよ〜〜
・ナガンッッッ!!!頼もしいけど無理しないで!!生きて!!!😭
・常闇くん格好いいし、雛鳥時代可愛すぎん??
・自分を犠牲にして高濃度の毒を繰り出すアシミナ…まじヒーロー…
・とか思ってたら切島くんよぉおお!!!🤦♀️
・焦凍くん!!ボロボロの焦凍くん可愛いよ☺️
・オールマイトの言葉で奮い立つ焦凍くんと飯���くん…泣く…
・マスク(?)を焦凍くんに貸してくれる飯田くん男前すぎない?!
・え、この最大の轟家イベントに轟家イベ皆勤賞の男がいないんですか??なんで??(心臓止まってるからだよ!!
・オールマイト?!嫌だ!!これサーの予知が当たっちゃうやつじゃん!!嫌だ!!インコさんが「命を賭けないでください(うろ覚え)」って言ってたじゃん😭😭😭😭😭
他にも色々ありますが、次巻が怖すぎます…なんか轟家がすごいらしいじゃないですか…(職場の人にチラッと聞いた
なにはともあれ原稿頑張ります!!
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便乗〜!!
1. 名前は?
→ 椎名唯華
2. 誕生日は?
→ 4月17日(3月5日)
3. 年齢は?
→ 17歳(🥹)
4. 何型?
→ O型
5. 好きな食べ物は?
→ うどん、漬物、豚カツ
6. 嫌いな食べ物は?
→ ニンニク、豆類、エスニック系
7. 趣味は?
→ ゲーム、切り絵、編み物、異国の音楽鑑賞
8. 特技は?
→ 造形
9. 何部に入ってる?or入ってた?
→ 吹奏楽、軽音
10. 自分のいいところ&好きなところは?
→ 相手の目線に合わせられるところ、自分のペースを乱さないとこ、忍耐力
11. 自分の悪いところ&嫌いなところは?
→ 何でもかんでも考えすぎ
12. 何人家族?
→ 5人
13. 兄弟はいる?
→ 兄上、姉上
14. 好きな物は?
→ 和、着物、雑貨
15. 嫌いなものは?
→ 高所、水
16. 身長何cm?
→ 158.6くらい
17. 故郷は?
→ 大阪
18. 好きな人or気になる人いる?
→ これ見てるそこの人
19. いるなら同じ学校&同じクラス?
→ 同じ惑星
20. その人はどんな人?
→ 可愛い、大人、嘘つかない、下手くそなところある
21. 自分にとってその人はどんな人?
→ 道を照らして手繋いでくれる人、全てにおいて最初で最後が良い人、尊敬してる人、大好きな人
22. 好きなタイプは?
→ あなた。
23. 好きな人(気になる人)と毎日話す?
→ 話してる
24. その人は何歳?
→ 年齢は2個上
25. 信頼できる人は何人いる?
→ 3人
26. 将来の夢何?
→ 追い詰める人が今より減ってること
27. どこの高校or大学に行く予定?(受験生)
→ 石川県か東京にある芸大に行きたかった
28. 自分はどんな性格だと思う?
→ マイペース、気分屋
29. 好きな場所は?
→ 静かな場所、暗い場所
30. 嫌いな場所は?
→ 人間が多い、うるさい、高いとこ
31. 好きor得意な教科は?
→ 美術、音楽、世界史(紀元前〜江戸まで)、天体
32. 嫌いor苦手な教科は?
→ 数学、理科、英語、体育
33. 好きな飲み物は?
→ 番茶、ウーロン茶、緑茶、ほうじ茶、コーヒー系
34. 嫌いな飲み物は?
→ 麦茶、ジャスミン茶、甘いもの、麦が使用されてるもの(麦焼酎、ビールなど)
35. 告白したことある?あるなら何回?
→ なし
36. 告白されたことある?あるなら何回?
→ 多分3回
37. 告白するorされるならどこがいい?
→ 問わない
38. 付き合う人の条件は?
→ 互いが無理しない
39. 今彼氏or彼女いる?
→ あなた
40. 好きな曲のジャンルは?
→ あんま分かってない!
41. 好きな曲3選!
→ マイペース/SunSet Swish
今を駆け抜けて/高橋優
色恋粉雪/柴咲コウ
42. 口癖は?
→ まあ、うむ
43. ついしてしまう癖は?
→ 関節ポキ、耳・首・鎖骨触り気味
44. 幼なじみはいる?いるなら誰?
→ 何それ
45. 好きなアーティストは?
→ Hey! Say! JUMP、浦島坂田船、高橋優、中島美嘉、柴咲コウ
46. 好きな芸能人は?
→ 山田涼介、加瀬亮、成田凌、山田裕貴、木南晴夏、戸田恵梨香
47. 好きなアニメは?
→ 犬夜叉、鋼の錬金術、銀魂、日常、おそ松さん、アクダマドライブ、夏油傑
48. 好きな漫画は?
→ NANA、ハチミツとクローバー
49. 好きなドラマは?
→ のだめカンタービレ、西遊記、ラストフレンズ、LIAR GAME、流星の絆
50. 好きな映画は?
→ グラスホッパー、ミュージアム、キャラクター、キングダム
51. 好きな作家は?
→ 松本清張
52. 好きなスポーツは?
→ サッカー(鑑賞)
53. 嫌いなスポーツは?
→ 全部
54. 好きな季節は?
→ 冬
55. 好きな色は?
→ 寒色、ワインレッド
56. 好きな花は?
→ 薔薇、蓮、睡蓮、彼岸花、八重桜
57. 好きな動物は?
→ ペンギン、インコなど鳥類全般
58. 自分はなんの動物に似てるってよく言われる?
→ 言われたことない
59. 何フェチ?
→ 首、黒縁メガネor縁無しメガネ
60. 好きな人には甘えたい?甘えられたい?
→ 甘えられたい
61. 冷める瞬間は?
→ 意味がないと判断した時
62. 聞き上手?話上手?
→ どっちでもでありたいなあ
63. ストレスを感じる瞬間は?
→ 頭悪い行動、人間が多い、うるさい
64. ストレス発散方法は?
→ 切り絵
65. モットーは?
→ 正直で居る
66. 座右の銘は?
→ 敵は己の中にあり
67. 人生で1番楽しかったことは?
→ 今
68. 人生で1番幸せだった時は?
→ あなたと過ごす時間
69. 人生で1番辛かった時は?
→ 小2〜中3
70. 人生で1番悲しかった時は?
→ インコがお空にいったとき
71. 後悔していることある?
→ 特になし
72. 大切にしているものは?
→ あなたと貴方に関するもの全て、マミー、人の感情
73. 自分はSとMどっち?
→ どっちでもない
74. 好きな人に依存する?されたい?
→ 依存しない、されたくない。中心は自分自身であってほし��。
75. 束縛されたい?したい?
→ されたくない、しない。けど話は聞く。
76. 恋人に求めることは?
→ 安心感
77. 何か恐怖症はある?
→ 高所
78. トラウマは?
→ 避けてきたから忘れた
79. くせ毛?直毛?
→ くせ毛
80. 今欲しいものは?
→ 時間、お金、椅子
81. 将来の夢は?
→ 今よりみんなが生きやすい政治
82. 五感の中で何が自信ある?
→ 嗅覚、味覚
83. 黒歴史は?
→ 声真似主オモロそうとか思って極めようとしてた。当時見てた声真似の配信者の企画に参加しようとした事がある。これホンマに誰にも言ったことない。引かないでね。
84. 料理はできる?
→ 卵かけご飯!お茶漬け!春巻き!(3年くらい作ってません)
85. 朝強い?弱い?
→ 我々は激ロー
86. カラオケの十八番は?
→ わからん
87. 今行きたい場所は?
→プラネタリウム、水族館
88. 行ってみたい国は?
⇒ イタリア
89. 自分だけのマイルールってある?
→ 分からん
90. 人混みは平気?
→ 😇
91. 今年中にしたいことは?
→ 安定した職場見つけ
92. 今までしたことある習い事は?
→ 習字、くもん
93. 尊敬している人は?
→ 推しになる人のそれぞれの面
94. 人生に最も必要なものは?
→ 勘、決断力、判断力
95. 無人島に行くなら誰を連れてく?
→ あなたが居れば生きていける
96. 悩み事を聞いてくれそうな人周りにいる?
→ あなたとマミーにしか言わんから他知らん
97. 今辛くない?
→ 辛くない
98. 今人生楽しい?
→ とっても
99. もしも行けるなら未来?過去?
→ どっちも興味がない
100. 最後に。大切な人に贈る言葉
→ 大好き。ありがとう。
どう?意外性あったかなあ。ほとんどが聞いたことあったり想定内やったりするやろうな。ていうかなんか途中からどこぞのホスト出てきてない?ええって!!今あたしのターンやねん。
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「君たちはどう生きるか」を観に行きました。
ここからはおおいにネタバレを含み、かつ私の超絶主観的な感想や解釈となるので、映画を観て、かつ心の広い人だけが、どうしようもないほど暇な時に読んでくれたらいいなと思っています。
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「死生観」「悪意との葛藤」「世界の継承」
みたいなことがこの映画のテーマなんじゃないか、とぼんやり考えています。
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宮崎駿監督は82歳になるそうな。82歳。監督にはまだまだ元気に長生きしてほしい、なんならまだまだ作品を作ってほしい……そうは思いますが、とはいえ、もうそろそろ「余生」を生きている、と言っておかしくない年齢。これが最後の作品とも言われていますね。
「君たちはどう生きるか」の中で、主人公の眞人は死んだ母そして新しい母となる夏子を追い、不思議な塔を通して異世界に入り込むことになりますが、その異世界はまさに監督の死生観を詰め込んだような世界観。私たちがどこからやってきて、どこにいくのかを思わせる、生と死の狭間の場所という感じ。
年齢的に監督自身が確実に死に近づいている、死後の世界に近付いているわけですし、そしてそれを今どれだけ健康な82歳だったとて自覚していると思います。私が同じ状況になる時、私は死後の世界を自分が近くない将来向かう場所としてどうイメージするかしら、どんなに風に思いを馳せるかしら。
そんなことを考えました。
「死んだらなんにもなくなる、無」みたいな風に考える方もいますが、私もこんな風に「何か」があるとは思います。
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物語の最後の方に悪意、という言葉が出てきましたが、ああ、そうか、眞人が一人でぐいぐいこの異世界を突き進んでまで戦っていたものはそれかーという風に思いました。
彼は礼儀正しく聡明な部分を感じさせる主人公であるけれども、と同時に何やら姑息な部分、猫被った感じ、短絡的な行動、みたいなものを物語の序盤から発揮しまくります。お前何考えてんねん、みたいな可愛げのなさ。
金持ちをアピールしたいナルシストな父の行動を特に制止するでもなく(しかも軍事需要に乗っかって人の命と引き換えに得た贅沢)、結果田舎の子供達から喧嘩をふっかけられ、それにガッツリ応戦するくせに、陰で自分が酷いやられ方をしたような工作をするとか。
戦時中にあらゆるものが手に入りづらい状況は分かっているのに、用意されたご飯をマズいと端的に言う(でもしっかりちゃんと食べてる。ご飯が貴重なものなのは分かってるんだろう。これは彼のいい子の部分な気がする)とか。
ややこしいことばっかりする青鷺に木刀を持って対峙する短絡さとか。
夏子に罪悪感を抱かせながら、そそくさと去り、タバコを盗むとか。武器をつくるために、タバコを賄賂にするとか。
夏子が森に行く姿を見て見ぬフリするとか。
母を亡くしたという過去からくる影、父を新たな母にとられ家族を失ったように感じる孤独からくる問題行動……みたいにも思えるのですが、まあ、どんな理由であれ性格の悪い部分がチラチラ見えるんですよね。
でも彼は母が残してくれた「君たちはどう生きるか」を読んで、それが自分の悪意だったのだと気付く。母はすごいな、おい。
だからこそ青鷺の作った母の偽物がどろどろに溶け去ってなお、夏子を取り戻すべく、自分自身の悪意と対峙し戦うべく、得体の知れない異世界を果敢に突き進んでいったのではないかしら。
その先に生きる環境の劣悪さから悪意にすっかり取り込まれ、子孫というか一族まるごとその翼を折られた、というペリカンとも出会う。
悪意に染まった世界は、一日もたせるのさえ一苦労。
産屋に入るというタブーを犯した眞人に対して、怒り狂い、あんたなんて大嫌い!と叫ぶ夏子の中にも、きっと悪意はあったんだろうと思います。
身重でありながら、姉の息子を新たな母として引き受けるべく心を砕いてなお、自分を遠ざけ問題行動連発する甥っ子。そら腹立つわ!こちとら腹に新しい命抱えてまんねん!もーほっといて!!てなるわ。
でも眞人は夏子をお母さん!と何度も呼ぶ。自分の中の悪意に打ち勝って、木刀や、弓矢じゃなくて、誠実さを携えて。
あ、なんか泣けてくるね。
私たちはそれぞれがそれぞれの悪意と戦っている。大叔父が期待した眞人ですら、悪意を抱いている。生きるっていうことはその悪意と対峙し戦い、葛藤しつづけるということなのかなと感じました。どう生きるか。問いかけられているのはそういうことかな、と。
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ちなみに、私が宮崎駿監督の作品において特徴的だなと思っているのは、女性の持つ母性が、普遍的な強さとして描かれていること。
監督自身がそこの畏敬の念みたいなのと、同時にものすごい救いを求めてるんじゃないの、と思ったりします。執着、みたいなものすら感じる!笑
どれだけの葛藤があってもあくまで優しく眞人を庇護し続けた夏子も、嫌がりながらも結局塔に付いてきてくれた婆さんのキリコも、眞人を助け受け入れた若かりし頃のキリコも、自分の死をも恐れず未来を選び、眞人をその悪意ごと纏めて「いい子だ」と抱きしめるヒミも、ものすごい母性を感じるキャラクター。
他の作品でも必ずそういうキャラクターはいるんですよね。どういう形であれ。に対して、男性のキャラは結構短絡的というかお子ちゃまなんだけど笑
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大叔父が作り上げた生死の狭間の異世界は、インコやペリカンや、すでにたくさんのもの達を巻き込んでしまっているけれど、大叔父自体も歳をとり、悪意に染まって崩壊寸前。ペリカンなんてここは地獄と思ってる。
そして、石との契約から同じ血族である眞人しかこの異世界を存続できるものはいない、という状況。
大叔父は真っ新な少年に思える眞人に期待して、自分がしてきたのと同じように真っ新な石を詰むことを求めるけれど、眞人は自分にも悪意があることを自覚しているからこそ、それを拒み、自分が元いた世界で友達を作って生きていく、と意思表示する。
世界は継承されない。継承することが正解ではない、というようなことが、描かれているのかなと思いました。
結局その世界は大叔父が巻き込んだインコが破壊する。彼らは彼らなりに思うところがあり、大叔父への敬意や大叔父が立つ甘美な楽園という場所に対する憧憬の念を抱きつつも、そのやり方に反旗を翻して世界を叩っ切る。
大叔父に連れてこられて、意志を持ち、悪意を持ち、世界の支配権がほしいと思った彼らは、自ら世界を破滅に導き、
現実の世界でただのインコに戻っていく。
大叔父は宮崎駿監督自身だという解釈もどこかで見ました。なるほど、世界を継承する者を探していたけど、この世界はここまでです、と。そういう見方もおもしろいですね(インコ大王は鈴木プロデューサーだ!という見方もあるようです、あわわ)
では「石」ってなんだろうな?ある日、突然、空から、宇宙から降ってきた石。大叔父が契約し、血を分けたものしかその契約を継げない石。
「才能」?こうやって言葉にすると陳腐な感じがします。でも私たちは宮崎駿監督の作品を追い続けてきたから、知っているけれど、あの人だけが見えていた世界があるのを知っているんじゃなかろうか。それを私たちは見せてもらってきたんだもの。
それを世間は才能と呼ぶだろうし、もしかしたら本人にとっては空から、宇宙から降ってきた「石」みたいなものかもしれませんね。
本当の意味で血やDNAを分けた親族でなくても、何か、分かち合った人にならその「石」を継承してもらえるかも、と思っていたかもしれない。でもみんなそれぞれの思惑や悪意との葛藤を胸に、外の世界に出て地に足をつけて歩んでいく。
悪意にのまれるものもいるかもしれないし、悪意を抱えながらも、葛藤しながらも、どう生きるかと自分に問い続ける人もきっといるはず。
それはそれで希望ある未来かも。
もし、そういう物語だったとしたら、監督はすごいなーと思ったのでした。
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しかしながら。
宮崎駿の自分語りでしかない、
という意見もネットでチラホラ見ました。
確かにそう思う人もいるのかもしれない。
エンターテインメント作品としてのジブリを追い求めていた人たちからしてみれば。
でも、一つの時代を作った宮崎駿という人がもし最後の作品でその頭の中を、胸の内を公にしてくれたのだしたら、私はそれに胸打たれるような気がします。
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ここまで好き勝手に語ってきたけど、解釈なんて本当にどうでもいい、考察なんてできなくていい、訳のわからないままでいい、メッセージなんてなくていい、仮に矛盾していても崩壊していてもいい、という気すらします。
私たち人間なんてどうせ分からないことばっかりなんだから。
ありがとう、大叔父様。
まさにヒミちゃんの言ったこの言葉が胸にぽっと灯りを灯すような映画体験でした。
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「君たちはどう生きるか」についてのアレやソレ
君生きを観たあとの余韻がまだ残っているうちにキャラの印象やら考察もどきやらを書きつづっていく。かなりのネタバレ満載なのでワンクッション。
・アオサギ、お前ってそういうキャラだったの!!?ポスターのキリッとした表情は一体何だったのか・・・。着ぐるみのオッサンかよ・・・。でもどこか憎めないキャラで菅田将暉の声の演技が最高でした。そんなゲヘヘな声出��るんだ。てかネットで盛り上がっている大喜利はあながち間違っていなかったという事実←
・主人公のマヒトって何かもののけ姫のアシタカみがあるくね?あの竹を割ったような性格もそうだし、アオサギに向けて弓を射るところとか余計にね。でもマヒトの方がまだ少年みがある感じ。
・観た人誰もが言ってたけど、使用人のおばあちゃん軍団が特にTHE・ジブリだったの最高すぎる。登場シーンのカバンに群がるところは思わず笑わずにはいられない。やっぱり宮崎監督の描くおばあちゃんはこうでないとね。
・マヒトのお父さんの声はキムタクがやってた。お父さん、決して悪い人ではないんだけど色々とハッスルなお方ですね。インコに立ち向かっているところが面白すぎる。
・ヒミや若い頃のキリコさんが宮崎監督の強い女だな〜て思った。ヒミは女の子らしい見た目で男勝りな口調だったり炎使いだったりするというギャップ感。キリコさんは千と千尋のリンみたいな頼もしいイケ女でしたね。
・ジブリに出てくる人外はやっぱり魅入ってしまうなぁ。アオサギはもちろんだったけど、ワラワラやらインコやらのキモ可愛さが癖になってくる。インコ達の物騒さよ・・・。(誰かが「他のインコは妖怪的なキャラ造形だけどインコ大王はケモナー向け文脈のキャラ造形している」なこと言っててちょっと笑った←)
君たちはどう生きるか、ストーリーの流れとしては「母の死や父の再婚で複雑な感情を抱いている少年が奇妙なアオサギに導かれ、異世界を通して自らの心と向き合う」という成長と冒険のファンタジーで、個人的には好きな部類のジブリでしたね。
キャラも世界観も観たかったジブリ感満載だったよ。ただそれらが二転三転と押し寄せてくるジェットコースターでその辺りの癖が強い。宮崎監督の最後のジブリ作品なだけに、全体的にジブリファンのためのお祭り映画みがありましたね。まぁだからこそ個人的には観てて楽しかったのですが。
アニメ技術もすごい。というかカメラワークとか演出とかちょっと一昔前のジブリとは違うなと思ったり。何となく今のアニメの質感だなぁと感じさせるというか。それでもジブリしているところはジブリだった。
エンディングの米津玄師は映画館で聴く価値アリ。米津玄師はボカロ活動してた頃から知っていた身としてはジブリの主題歌を担当したのは感慨深かったです。
ここからは世界観についての考察もどき的なやつ。
・今作のテーマは「生と死と魂」が肝だと思っている。元々ジブリはそういうのを扱っていたりしていたけど、今回はその傾向が強かった。あの異世界は「生と死の狭間の世界」で広い海は「母なる海」でもあるし「三途の川」でもある。
・それらを踏まえたうえで鳥が作品のキーパーソンになっているのも頷ける。鳥は古来から魂を運���象徴として扱われているのだ。鳥葬なんかがそれが顕著である。あとはエジプト神話のハヤブサ神ラーは生を司る太陽神だったりフェニックスは死からの復活の象徴だったり。
・調べるとエジプト神話にはアオサギの霊鳥ベンヌが出てくるそうだ。ベンヌは不死鳥であり、フェニックスのモデルとも言われている。つまりアオサギがメインであったのもそういう意図があったかもしれない。君生きのアオサギは妖怪じみた着ぐるみオッサンだが。
・ワラワラは魂の象徴。天に昇るシーンは次の誕生へ向かう描写であり輪廻転生。あと姿的に精子にも見えるし、ペリカンに喰われていく様子は卵子との受精で次々に死に絶えていく精子達ともいえる。
・ヒミはマヒトの実母が少女だった頃の存在であるが、ヒミって名前がどことなく卑弥呼(ヒミコ)ぽい響きだなと思った。その辺りヒミは巫女的存在な役割をしているかもしれませんね。火の巫女なだけに炎を操れるし。
・異世界は隕石に導かれた大叔父の作った世界でもあるけれど、大叔父は人間が絶え間なく争う世界を嫌い自分だけの世界に引きこもってしまっている印象を抱いた。この作品の時代設定が戦時中なだけに、大叔父の心境には感慨深い。
・大叔父は自分の世界を子孫であるマヒトに引き継がせようとしたけれど、異世界での冒険を通して自分の心と向き合うことができたマヒトはそれを断り元の世界で生きることを選んだ。その辺りがいわゆる「君たちはどう生きるか」という部分だと思った。どんなに世界が辛くても醜くても生き抜いてみせるというところがジブリに共通する世界観ともいえる。
他にも考察しがいのある要素があったのですが、特に自分なりに言語化しやすかったのはこれらだったかな。とにかく生死だの魂だのというテーマを取り扱ったファンタジーに自分は弱いなぁと思う。そう考えると宮崎監督なりの終活だったのかもしれない。
他の人の感想や考察を見るのも楽しいし、これはもう一度観たい映画でしたね。最期(?)の一花を咲かせてくれた宮崎監督に感謝です。
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真っ向からの私小説、シュッとしてるけれど、実は無様で狡くて格好の悪い主人公。序盤の圧倒的な描写。幾つかの油彩画のモチーフとそれ以上に盛り込まれた数々の彼自身の作品からのモチーフ。お話はシンプルなファンタジーだけれど織り込まれたものが多くて複雑に見えるかもしれない。エンターテイメントではなくてアートだった。個人的にはそっちの方が好き。
お婆ちゃんたちは何人だったか、白雪姫の小人のモチーフなのかな、序盤は青鷺もまだシュッとして飛んでいたのが、お婆ちゃんの登場シーンで急にデフォルメされて異質感が凄くて狡い。きもかわいい。あのカタチは彼の魅力のひとつ。しかし、あんな家付きの老婆っぽい老婆というのは最近ではとんとお見かけしないが昔は結構いらしたらしく、私の母の実家に居たお手伝いさんもあんな感じ��ったのかな。
宮崎さんが良いところのお坊ちゃんだったのは存じているが、描写が豪商過ぎて現実感が無いところも狡い。それが現実に近しいというのがもうやっぱり存在自体がファンタジーだよなあ。
特に、お屋敷の門の柱のモチーフが気になって目を凝らしたけれどわからなかった。図録が欲しい。
個人的にグッと来たのは人力車から降りる新しいお母さんの脚よ。脚フェチきた!だったし、酷く艶めかしく、且つ主人公の複雑な心持ちをあの数秒で描写しきっちゃうの凄くない?お母さんにひどく?すごく?だったかな、似てるって言うだけという。あそこ誰が描いたんだろうなあ。惚れる前から失恋してるのが良い。母への憧憬と思慕、父への反発と拒絶、相まった存在としてのナツコさん、女の業を背負わされた感じが最高に好きかもしれん。村上春樹とかと違って、その辺りの気持ち悪さが歳食っても絶妙なんだよなあ。若いスタッフが身近に居るからかなあ。
ところどころ宮崎監督がそんなところをただの暗転で終わるのか、という箇所があって、意図的だったのか時間が無かったのか分からないような部分もあったけれど、すぐにまた濃密な絵画表現に飲み込まれて判断が付かなかった。
学校での騒動のあと、自傷した絆創膏が塔から沈んで落ちた異世界で剥がれ、吹っ切れたように快活になる。分かりやすい快活ぶりではないけれど、世界が急にアニメーションして、不思議と戦争中の現実世界よりも死の匂いが近くなる。ワラワラの不気味かわいい、こだまとかまっくろくろすけとかってあれは全部、可愛さの演出じゃなくて得体の知らないものの塊の暗喩だったのかな。
インコの強烈さに持ってかれてしまって鍛冶屋の暗喩もまだ飲み込めてない。インコ観たら暫く思い出してしまう。暫くで済めば良いけれど。
あと、キムタクの声に途中で気が付いてしまってノイズになった。キムタクのせいというより私がキムタク好きなんだろうなやっぱり。世代的にど真ん中なアイドルなので。
卓ごと真っ二つにした王様は誰だろうね。
エンドロールが手書きかどうか判別するのに忙しくて米津玄師の曲はあんまり頭に残らなかった。良いメロディだとは思ったけれど、曲は後からゆっくり聴けるはずだと思ってエンドロールに集中した。嬉しい名前が沢山あった。あれは多分手書きなのでは。どちらにせよ素敵なエンドロールだった。
何故お迎えに行かなければ、彼女らは帰りたがらなかったのか、産屋で何を産もうとしていたのか。よく分からないところも沢山あってもう一回観たい。
私には最高だった。
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君たちはどう生きるか
上映時間2時間4分
昨日行ってきました。こういう映画はネタバレをくらわない内に、そして旬な内に行かないとね。
正直何を言いたいのかよくわかりませんでした。主人公がナツコを母として認め、家族も円満となり「僕は友達を作ります」ということを言えるようになった、めでたしめでたし。ということが全てなら途中のファンタジー部分はファンタジーでなければダメだったのか?ファンタジーゾーンは一体何を見せられていたのか?!
ファンタジー部分は尺が足りないためか殆どのことが説明されないまま進んでゆきます。観ている側は異世界のルールや物事をよくわからないまま観ているわけですが、同じく訳がわからない状態のはずである主人公は、わけわからん異世界を容易く受け入れ、わかりにくい異世界人の説明も難なく理解しています。わかっていないのは私だけです。もうニュータイプの会話を観ているようでした。ハサウェイの時に言われてましたけどこっちの映画の方がニュータイプっぽさがあります。(…?)
常に置いてけぼりに��れるのでボーッと観ていたらわけがわからなくなるし、その場その場でこちらが噛み砕いて考えて理解しないといけません。全部見ても青鷺とかインコとか、結局なんだったんだ、となります。そしてその「何?!」の部分が映画の大半を占めるので結構疲れます。主人公の成長のために必要なフェーズなんだろうけど、ファンタジーにする必要あったか?と思います。ただ世界観は好きでしたよ。空から降ってきた石だとかインコ大国だとかペリカンの話だとか。
主人公はとにかく怖かったです。あいつやばい。精神的にかなりやられていたのだとは思いますが、こちらが想像する二歩先の行動をするのでとにかく恐ろしいです。
キャラクターはみんな個性的で良かってです。青鷺のデザインかっこいいし、塔を壊すためだけのキャラクターのインコ大王とかめっちゃかっこよかったです。ヒミは宮崎駿の癖を感じられてちょっと気持ち悪かったですね。
もけもけ?はたはた?でしたっけ。あれ可愛かったですね。見た瞬間私は押切さんの「プピポー!」を思い出しました。大大大大大大大大大好きな漫画です。(全3巻)やっぱそういう役割の生き物ってああいう形にデザインされるのかなぁってぼんやり思いました。姉は宮崎駿らしくなくて手抜きデザインだと思ったらしいです。厳しいですね。
声優は殆ど(全員?)声優を使っておらず思い切っておられました。駿はプロの声優が嫌いだ、という話がありますが、私はなんとなく言いたいことはわかります。プロはプロなだけあって絵に声を吹き込むのがとても上手ですが、本当に上手い声優以外は、この性格のキャラはこの声の演技、と演技のパターン化がされています。これではキャラクターが生きている感じがしません。少し言い方は悪くなりますがソシャゲの低レアキャラとかは上手い声優の模倣が多く、演技が大袈裟でわざとらしく、こなれた感があり非常に面白くありません。俳優は声のプロではないので聴いていて怪しい部分もありますが、変にキャピキャピ媚びることなく演技してくれているので私は結構好きです。今作は菅田将暉さんと柴咲コウさんがめっちゃ上手でしたね。他の方も違和感なく見ることができました。キムタクもめっちゃ上手くなってました。ハウルの時もダサくて格好よくて良かったですが。ただし、ヒミの声を当てている方には船降りろと言いたくなりました。やっぱ声優使え!
ジブリ好き〜♡っていう方が観に行っても画面的にそんな面白みはないので(もちろんジブリなので作画はめちゃくちゃ綺麗)、なんか…うん…おもし…うん…ね〜。みたいな感想になりそうですが、駿が好きという変態は楽しめるんじゃないかと思います。
私は面白くなかったわけではないですが、面白かったかと聞かれるとまあ…うん…おもし…うん…なんか…ね〜♡
もう一回観るかと言われれば、観ません
ちなみにジブリではぽんぽこ、千尋、もののけ、マーニー、ぱんだこ、トトロ辺りが好きです。
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霧
気がつくとあなたは霧の中を彷徨っている。視界は霞み、どうやら足元は泥濘んでいてどこに進もうにも僅かな前進しか許されない。時々、強い関心や理想への羨望が一線の光となり、歩むべき道を照らしてくれる。あなたはその神々しい光線を辿ってみるものの、一向に霧が晴れる気配なんていうのは無い。それどころかますますそれは濃くなり、意図してあなたの行手を阻んでいる様にも感じる。と言っても霧の中での知覚はどうにも当てにならず、もしここで美しい蝶々を見ても、あなたの三倍はあるであろう大きな体をした熊が襲ってきても、はたまたいるはずもないカンガルーが道を横切っても、あなたは自身の中で「当然のもの」として消化してしまいそうで、私は少し恐ろしく感じてしまうのである。
どういう偶然だろうか、何かの拍子であなたは呆気なく明快な世界に飛び出すことがあり、そんな時にはどうしてここにいるのだろうと思考を巡らせるのだろう。そして数分間自問自答を繰り返せば、それが情緒に由来しているのだと気づく。情緒といっても生半可なものではなく、心臓の鼓動が聞こえるほどの恐怖や焦燥、恋愛、緊張等によって鳴る激しい胸の鼓動に限る。そしてそれは、自衛本能、天敵から身を守り、子孫をなんとか残そうとするリビドーを孕み、あなたが正しく動物であることをまざまざと示しているのである。なるほど、歪んだ価値観と過剰な自己肯定で蔓延る社会が、個人主義的思考を持つ人間をより人間で無くしているのか。あなたが公平な視点で当たりを見回すと、「まともでない」と社会で称される人にはまあよほど人間的な人が多く、「まとも」と称される人の方に洒落にならないような人格の持ち主が多い、なんてことはしばしばである。勿論、「まともな人」と称される人の中にも頭脳明晰、そして無差別主義な人間が少しばかりいる。彼らは決まって「私は気狂いだ」と調教されたインコの様に呼応するのだが、そんなものは可愛らしいものだ。ごく僅かなユーモアある賢人に組織また団体を牽引してほしいとあなたは説に願っている。
また、本能に立ち返る、というのは幾分大袈裟で、私利私欲に走らぬ人間には生まれた瞬間に与えられた行動と思考の行動規範として「本能的な」習性が心身に備わっている。走る、なんて行為はそれの最たる例で、平和とされる国に住む人間の趣味として存在する「ランニング」は、本能に立ち返った逃避行動を自らに課しているのである。またこの単純な運動の最中、何かに追われるような意識を伴ったことはないだろうか。あなたはそんなことばかりだった様に思う。そしてそれも一つの楽しみとなっていたんだろう。
よく晴れた日に澄んだ空気を吸っていると、霧は一層白く濁って見え、嫌な湿度を想像させる。一方で霧に包まれている時、あなたは不快感をさほど認識できず、霞んだものの見方も自然なものとして理解しようと努める。そしてどうにか網膜に映った像を脳天に吸収しようとしてしまう。この点は非常に厄介で、あなたの研ぎ澄まされた感覚を取り戻すには客観的視点、つまり他者の存在を必要とするのである。霧と縁の無い他者から見れば、あなたはまるで流れるプールに逆らって泳いでいる様だ。全身の筋肉は疲労し、今の状態を維持するだけでくたくたになってしまっている。
霧というものには必ず終わりがある。漸く抜け出すようなことがあれば、あなたはついていた、と思うかもしれない。だが実際、振り返って見るあなたの足跡は、木々のざわめきやかすかに聞こえる川の音、小動物や虫の気配を「本能的に」感じ、あなたが導き出した答えである。即ち霧からの脱出は必然である。霞のない晴れた世界に立てば、あなたは呑気に歌でも歌いながら意気揚々と森林を歩き出すだろう。時折陽は陰り少し肌寒く感じるかもしれないが、それさえも心地良く感じるはずである。いつしかそれが霧として再び表れることなど露知らず、まるで自分が主人公になったような心意気であなたは歩を進めていく。
生きていくこととは、霧から逃げ続けることである。そして同時に、霧の中で歩む術を見つけることだと思う。
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🐦#インコことわざ #インコ格言 #インコ名言🐦
【If the cap fits, wear it.】
キャップが合うならばそれをかぶれ。批判や指摘が当てはまる場合は、それに対処するべき。
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2022/8/5(金)
人間ドックの帰り。
2年前に65に増えた体重を去年は61.5くらいに落としたのだけど、残念ながら今年はリバウンドして64キロになってしまった。うーん。やっぱりお菓子を少し再開してしまったのが良くないか。年齢とともに太りやすくはなってきたのかな。
視力は1.0のままだった��らまあ良いとして、こうやって人間ドックで確かめて、今度から気を付けようとするのは、良いサイクルだろう。
引っ越してから久々に歩く所沢の街。前はこのあたりに住んでいたけど、もうよその町って気がする。
この近くのケーキ屋に今度行ってみようとか、ペットショップにインコとか猫を見に行こうとか言ってたっけ。
それも、大げさだけど、見果てぬ夢って感じなんだろうな。
ここも悪くはなかったけど、住んでいるときはアパートがとにかく住みにくくて辛かった。でも保育園まで30秒は、ほんとに貴重だったね。
良いところにもちゃんと心が行く人間になろう。もったいないもんね。
航空公園の図書館で、60年代の広告の画集を見る。
これはコンピュータセンターかな。僕の思うコンピューターセンターはこんな感じなんだよね。数ギガバイトのデータを格納するのにはこれくらいの大規模磁気テープがあって、きれいに掃除されて、操作には専門の入スキルなオペレーターがいて・・。
どうして、こういうのじゃなくなったんだろう。
やたらぶっとんだスキルを持ったパンチャーさんとか、オペレーターさんが、どんどん消えていく。
クラウドなんて興味ないよ。ぶっちゃけ。最近会社に来る人たちは、こういうのを目指してるのかな。。
自分としてはいらないんだけど、会社や世の中が必要というなら、やるしかない。流されるしかない。それがサラリーマンの辛いところだね。
そして、残念なニュース。
所沢図書館の食堂が閉店していた。
いつも人間ドックの帰りにはここでカツカレーを食べるのが習慣になっていたのに。今日もこのルーティンを守るために、途中でラーメン屋にもよらないぞ、とか決心してきたのに。。
もうこのカレーは食べられないのか。ルーティンなんて言ったって、いつかなくなっちゃうんだな。
という事で購買でパンを買って、食堂の跡に作られた展望スペース(食堂は8Fにあるのだ)で食べる。
寂しいなあ。。
もう一度図書館に戻って、温室デイズを一冊読む。いい小説だ。
もう少し味わって読んでもよさそう。
身体に物語がしみ込んでいく感じ。まだまだ足りないなあ。
物語、ドラマ、漫画、映画。今の生活だと遠ざかってしまう。もう一度取り戻したい。それには、なかば強制的に本を開いたり、音楽のスイッチを入れたりしないとダメそうだ。このままアッサリ、感性のない、乾いた人間になってしまいそうだ。僕の唯一といっていい良いところだと思っていたのに。できれば復活させたい。
帰宅後、ジャーマンポテトを作る。
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2022年1月の夢
- 2022年1月31日 月曜日 6:14 夢 ヨネ大魔王という名前で活動しているドラマーが、以前から懇意にしていたバンドのライブ時の穴埋めのために名乗り出ている。募って知らない人が来るより慣れた人がきてよかったねという空気 どんぐりが落ちている、どんぐり拾いの場所のことを考える、いつもものすごく楽しいことが起きる場所だった(という設定で具体的な中身はない)、仕事で行ってもいいが仕事ならあまり楽しそうな顔はできないなと思う 何らかのテロリストのいる付近に3人で円を描くようにして向かう。小熊の雰囲気
- 2022年1月27日 木曜日 7:12 夢 いとこの娘がパン屋のような空間にいる。焼き立てのいろんな種類のパン。人はほとんどいない。施設のトイレが、演説台のような高台に拡声器が置いてあり、そこに便器があるスタイルで、座っても引き下がるしかないしろもの。なぜか迷彩柄のタンクトップに学生棒を被ったような格好をしている。迂回すれば別のトイレがあることに気づく。黄色い表紙の絵本のようなもの。
- 2022年1月26日 水曜日 6:01
夢 牛乳5L.カペリンみたいな名前、これからはパックから出して瓶に詰めるように松本人志に言われる、開け口が汚いので カラオケ、妹の友達、全部で4人ほど。 3メートルくらい身長のある人が面接にくる、ドア枠に手をかけるようにして入ってくる、3メートルってこんなに大きいんだと思う、付き添いの人もでかい、モンゴル系の顔立ち 宅建免許切れ
- 2022年1月25日 火曜日 7:05 夢 玉置州系とタイタンがいる。話す。ドラえもんのイラストが付いているコラボ服。VHSに、ビデオ書き出して披露している。ギズモ。タイタンの母が作ったミートボール。エヴァのゲーム。
- 2022年1月24日 月曜日 6:57 夢 バスに乗ってどこか旅先から帰宅している。バスが実家に着き、車を寄せる、エコ配の車が出ていく。芭蕉の実? 唐辛子のような形のバナナがなっている。祖父がおり、笑顔で親指を立ててくる。父もいる。室内がかなり変わっており、広く、柱が立っている。大理石のテラゾーのようの素材の薪ストーブが置いてある。テラゾー部分にWHY NOTと彫り込���であり、それがダサく、埋めたいと思っている。
- 2022年1月22日 土曜日 8:27 夢
- 2022年1月21日 金曜日 8:52 夢 のりべーにくしを買ってもらう。会計の場所が違う。山の内覧をする。客を案内する。 衣類を持って部屋に引っ込もうとするとおじいちゃん���おり、鏡に向かって髭剃りをしている。若い。
- 2022年1月20日 木曜日 6:43 夢 緑色のインコを飼っているらしい。粟玉みたいな白くて大きめの粒を与える。なついており、かわいい。 南と誰かもう一人と遊びに行くことになる。外。公園のようなところ。踊っている南を撮っている、一人加わり二人加わり、バレエを踊る輪が大きくなっていく。 チェンソーマンを読むためにだだっ広い本屋?のようなところを歩いている、黄色いジャンパーを着た監視員のような人がところどころにいる 細いドアを抜けると、巨大な筒状の上部につながっており、3つの出口を相互に行き来できる。本来は水路のよう。
- 2022年1月18日 火曜日 6:14 夢 自室、実家のとはちょっと違う、に、新しい本棚が加わっていて、2000年ごろのギャル雑誌とか、文庫判の軽めの読み物みたいな本が並んでいる。面白い。背が四角い感じ。 妹が寝ており、暑そう、毛布をかけて送風にする 南と北、ラウンドアバウトがこの世界だと逆の意味になっている
- 2022年1月17日 月曜日 6:41 夢 元ラブホの部屋に住んでいる。天井の壁紙がめくれているので気づく。オレンジの壁紙の下に紫の千鳥格子。交際しているわけではない男。 エレベーターホールへ。共用部分が広いので気づく。遠くにAさんがいる。 目が水色みたいな目の見えない猫。向かって左目の中を覗き込むとラーメン丼に描いてあるような雲の紋様が入っている。深度がついていて左右つながっている。かなり丸々している。 広間でイベントがあるらしく、骨、ホルマリン漬けの標本などおどろおどろしいものが展示されているのが見える。
エネルギーを回転の動きに変えて、オレンジ色の輪の回転でモーターを回す。 父と外を歩く。水がヒタヒタの水路に細い木の板が渡してあって、雑草を食べるYouTubeチャンネルのことを言いたいと思う。進んでいくと母のいるキッチンのようなところへ続いている。私の大学時代の封筒とか雑紙みたいなものを逐一取っていて、捨てるの捨てないので揉め、じゃあいつ使うのか、今日か、明日か、明後日か、と問いただしている。ゴミを入れるための袋を探すが見つからない。
- 2022年1月16日 日曜日 0:40 夢 夢の中でも頭痛がしている。頭痛の理由を、何かゲーム攻略本風の言い方になぞらえてExcelの表にまとめようとしていて、山口さんのイメージと重なる。下膨れの顔の女性が室内に入ってくる。特殊な医療従事者系の人。横になった状態で顔を上げる。12時。会社始まってると気づき、言う。 別シーン。カオナシに似た仮面が目線の高さに浮いている。気づかないふりをするべきだが、気づかないふりが大して効かない。生きているものには無視もきくが、そういう小手先のわざが通じない、呪のものなので。めいっぱい無視しているが、関係なしに間近に来られる。古い家の中。お面と、何か鈍い金色の他のお面と、リンリンリンリン音が出るものと、ある。家の中には一家がおり、特に子供はそのお化けのようなものにつきまとわれ、それが嫌で泣いているが、家長らしき初老の男性は無視している。顔はのっぺらぼうとして描かれていて、これは家族がお互いに無関心であることの表現としてだと、宮崎駿的な人のインタビューに視線が引いていく。最悪のピークで音が止まり、過去の回想シーンに移っていく。
夢 めぐみに似た女がメガネをしている。シルバーでレンズに細かい気泡が入っている。レンズはくるくる表裏変えられる。そのメガネが良いと褒め、褒めることができたこと(関係を維持する試みができたこと)にほっとする。 オサムグッズの小さいタッパーウェア?防水のパッチンと止められるシリコン素材の容器が売ってある。うち一つはよくよく見ると香水らしく、中に液体が入っている。チョコバー、有名建築士のデザインした鏡のジェネリックなど売られている。
- 2022年1月15日 土曜日 8:59 夢 何となく入ってみた雑貨屋で多面体のスノードームみたいなものを見つける、砕いたウイスキー用の氷みたいな形、上下がない、ひっくり返すと雪が積もった山頂みたいなものが見える、細かい粒子状のラメが動く、すごいキレイ。小さいタイプのものも、貝殻が入っていてそれはそれできれい。買おうとするのだが、日本ではないらしく、目を凝らしてもラベルの数字が日本円なのか香港ドルだかわからない。 レジ方面に行く。キョンシーのお札風おもちゃみたいなものが売ってある。 水に落ちるシーン。 母がいる。実家の景色ではないが室内。ひきだしを開けると金色のチョコレートの包み紙ばかり出てくる。自分がむかしこっそり食べて隠したものだと思う。2012年頃に期限切れのキャラメル風味の砂糖チップなどを勝手に持って帰る。錆びたお菓子の缶に不要な金属類を溜めていたらしく重い。中をあらためる。すごく錆びたペンダントトップ、クレヨンの箱?みたいなものが出てくる。母が昔に父から贈られたものらしい。妙にハンサムな造形の青っぽい犬?馬?のディズニー風キャラクターの、首から上の陶器の貯金箱。母、サメのでかいぬいぐるみを手洗いしている。
- 2022年1月14日 金曜日 6:11 夢 ちえが雪を削り取って食べている 剣山への水の染み込ませ方。短冊切りの白いウレタンみたいなものをまぶしている。実家でそういうのをやっている子は剣山くらい庭に落ちてるとのこと。
- 2022年1月13日 木曜日 6:39
夢 本を読んだ 毎日迎合って書いてあった 録音機器みたいなものが置いてある 幼い妹を泣くまでくすぐり倒す 茶碗に洗い残しがある
- 2022年1月12日 水曜日 6:59 夢 緑色の服、T字のカフスの女性 二度寝しすぎて夢が壊れた
- 2022年1月11日 火曜日 7:14 夢 一人で手漕ぎボートに乗り、少し遠い目的地へ向かう。 何かの福引のような催しで丸々した生のイカを一杯もらう。 会ったことのないフォロワーが仕事を辞めるらしく、最後にもらってきたでかい歯ブラシを勤め先に忘れてきた話とか、離婚しようと考えているらしい話を聞く。 ザリガニの卵。灰色でハートのような形をしており、水草にくっついて気泡を出す。 穴の空いている巨大な石の奥に黒っぽい燭台があるのを見つける。燭台を引き出し、蝋燭と線香を供える。不気味に振動するので心のどこかが怖いのだが、割と平気だ。
- 2022年1月10日 月曜日 7:24 夢 韓国の住居内を抜けて逃げている。広い庭。床に掘り込みが作ってあり、洗い物などが入っている。室内かわいらしく写真を撮る。 ヘアクリップで前髪をとめる。実家にある古いくちばしクリップを捨てる。
机の上に古いメモ帳が残っている。20006年、2007年。絵コンテみたいなもの。ぷくぷくした絵柄。それだけ経ったことに恐ろしさを感じる。 カップ麺を大量に購入した女性が、ビーズ状のものを組み立てて箱を作っており、おそらくその箱に購入品を分けて人に配るつもりらしい。箱に足を突っ込んでいくが、すぐに違うことに気づく。
- 2022年1月8日 土曜日 6:47 夢 心臓をウタエットという名前の改造銃で撃たれる。7人くらいでおり、全員撃たれる。銃を持った人が二人いる。分かりやすい痛みはないが、一日後くらいに心臓麻痺になるみたいな死に方をする。家にいれば撃たれなかったのに。と少し思うが、何もせず家にいた自分が考えられず、運命を受け入れてもいる。 文房具屋のような静かな店。どこかの主婦が鉛筆に文句をつけている。ロルバーンの筆入などを見る。 カモフラージュで隣の喫茶店の制服を着て働いているおじいさん。お礼をしたいのだが痕跡を残せない。金魚鉢みたいなコーヒーフロートを渡す。
- 2022年1月7日 金曜日 6:39 夢 妹の年賀状。3種類ほどを作成している。妹の友達T。みかんか何かを剥きながら、ほとんど初対面の男とTと私でなんとか間をもたせる。
- 2022年1月6日 木曜日 7:09 夢 カレー、鳩時計 集合している中鳩時計を持っていく
- 2022年1月5日 水曜日 6:55 夢 パチンコ屋の中を通り抜ける 二店舗連なっており、女性スタッフがいる 輪になり、ミーティング風の中、ラジオ体操のようなことをする 裏路地の中を抜け、プロレスをテーマにした居酒屋?バー?のような店に入る まだ時間が早い。 天六という名前のカクテルみたいなものを作ってもらう。梅酒とリンゴジュースを混ぜたような単純なもの。タンブラーグラスに注がれ、目の前に来るとピンク色のフローズン状のものになっている。
- 2022年1月4日 火曜日 5:41 夢 あまごっちゃはんどうという単語 服屋を見ている ピンクとブルーのザラメがチューブ内で固まったものをこそげ取る
- 2022年1月3日 月曜日 8:54 夢 さつまいもの匂いのするところへ社員旅行へ行く。出発当日だが荷造りが終わっていない。
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持続発情が根本的な原因となっている病気は、数多くあります。よってその発症機序を理解しなければ、2次的に発現してきた病気に対しての対症療法だけとなり、根本を見逃してしまうことになります。ここでは持続発情によって引き起こされる病気とその発症機序について解説します。
雌の持続発情に関連する問題点
飼育環境が発情しやすい状態であると鳥は持続発情状態となり、エストロジェン(発情ホルモン)が持続的に分泌され、高エストロジェン血症を起こします。
エストロジェンの影響で雌鳥は繁殖の欲求が強くなり、巣作り行動、巣篭もり行動といった発情兆候が多くなり、また攻撃的な性格に変化することもしばしばみられます。そして繁殖の欲求が満たされないと、毛引き症の原因にもなります。
エストロジェンの影響で、腹部の筋肉が弛緩して垂れ下がり、そして常に卵巣が発達して卵黄が形成され、慢性的に産卵をします。この状態が続くと、卵塞(卵詰まり)を起こしたり、カルシウムの貯蔵量が減少して軟卵を産んだり、低カルシウム血症を起こして虚脱することがあります。さらには腹壁ヘルニア、卵管疾患、卵巣疾患、卵黄性腹膜炎、総排泄腔脱、卵管脱、骨軟化症などの重大な病気が引き起こされます。
卵黄の材料である蛋白質は、肝臓で産生されます。この肝臓での蛋白質産生の命令をしているのもエストロジェンです。持続的な高エストロジェン血症によって、常に肝臓から血液中へ蛋白質が放出されることになります。これによって肝臓���疲労し、肝機能障害が起こってきます。さらには肝機能障害と組織蛋白が枯渇することによって、羽毛の変形や変色、嘴や爪質低下による過長、血液凝固不全による嘴・爪への出血班形成、肺出血による呼吸困難などがみられるようになります。
鳥は卵を続けて産むために骨の中にカルシウムを蓄える機能を持っています。これもエストロジェンの作用によって起こります。高エストロジェン血症によって骨に過剰にカルシウム沈着を起こした状態を多骨性過骨症(Polyostotic Hyperostosis)と言います。カルシウムは常に蓄えられるばかりでなく、産卵する、しないにかかわらず常に骨への沈着と放出を繰り返しています。これは全身の骨で行われ、この状態が継続すると骨に変形が出てきます。特に関節面に変形が出ると変形性関節炎が引き起こされ、疼痛や麻痺によって飛翔困難や歩行異常が見られるようになります。また脊椎に変形や関節炎が出ると、両脚の麻痺や排便困難がみられるようになります。
雄の持続発情に関連する問題点
飼育環境が発情しやすい状態であると雄鳥も持続発情になります。
これによって過剰な生殖行動の欲求が生まれ、特にインコ・オウム類では交尾行動を繰り返します。止まり木ですることを覚えた場合、1日に何度も擦り付けるため、排泄孔周囲が擦過傷で出血したり、羽毛が擦り切れたりすることもあります。またこの生殖行動の欲求が満たされない場合、毛引き症の原因になる可能性もなります。
同時に過剰なディスプレイ行動もみられる。これが問題になるのはオウム目鳥の特徴である発情吐出(図13)である。しかし常にペアとなるメスがいるわけではないので、多くの場合オスは、鏡などの光る物、おもちゃ、餌箱、止まり木、自分の足などお気に入りの場所を見つけ吐きつける。またメスがいた場合、食べさせすぎてメスが肥満してしまうこともある。吐いて時間が経ったものをまた食べるのを繰り返していると、カンジダ症の原因ともなる。
発情の持続は、常に精巣が発達していることを意味する。鳥は発情時と非発情時において精巣の大きさが何十倍~何百倍も異なる。発達した精巣は足の神経である坐骨神経を圧迫することがあり、これによって足が不完全麻痺を起こすことがある。これは主にセキセイインコに見られる。
鳥の精巣は哺乳類と異なり体外に出ていない。精巣や精子は熱に弱いため、哺乳類は体の外に出るよう進化したが、鳥は体外にあったのでは飛翔に邪魔になるため、腹腔内に存在する。そこで鳥は精巣を気嚢と接することによって、呼吸で冷却している。しかし発情によって常に発達した精巣は冷やされにくくなる。セキセイインコのオスには精巣腫瘍(図14)が非常に多く見られる。これは冷やされにくく、常に細胞分裂によって精子を産生している精巣は腫瘍化しやすくなるためと考えられる。
飼い鳥の発情
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yui,,YUI
FLOWER FLOWERのインコのhave a nice day ツアー 2018.05.09 Zepp TokyoのLive映像を見た。
本当に、最高すぎた なんというかもう言葉が出てこないくらいに最高だった。 正直、6000円高いなとか思っていたけど、もうお金とかどうでもよくなるくらいに良かった。 まだ見ていないのであれば絶対見たほうが良い 今まで見てきたLive映像の中で間違いなく一番素晴らしいものだと思う
まず音が素晴らしい。 一応、今持てる最高の環境で視聴していて、PS4→USBサウンドカード→Sennheiser HD25-1Ⅱ で聴いていたんだけど、音の解像度が半端ない。 とにかく、爆音で聴くことを推奨します。 そして演奏が上手すぎる。 mura☆junとか、キーボードちょっと弾いてるだけだろーとか思ってたんだけど、もう、ほとんどのサウンドメイクをしていてヤバイ。カッコ良すぎた mafumafuやsacchanに関しても、安定感というか、余裕そうな感じがプロだなと感じた。 yuiの声も、ギターも。 yuiの歌っているときの姿って、なんであんなに儚く見えるのだろうか。 今にも消えてしまうんじゃないかっていう 命を擦り減らして歌っているような、その歌声を聴いているだけで涙が出そうになる。 本当に輝いてみえる
映像に関しても、めちゃめちゃ綺麗だし、yuiかわいいし。 色んなアングルで臨場感がかなり出ていた。 NagoyaのZeppでフラフラのライブは見ていて、こんな最高のLive他にないだろうって思っていたけど、TokyoのZeppに嫉妬してしまうくらい良かった。 yuiがメンバーも、スタッフも、観客も全部巻き込んで自分のペースにしてしまってて、楽しそうで。 フラフラ本当やばい、 間違いなく一つ言えることは、フラフラは、Liveで真価を発揮するバンドだということ。 CDの音源とレベルが違うんじゃないかな 熱量とか、音の力が正直全然違う気がする。
踊り→時計 のあたりで持てる感情の最高値に達していたと思う笑 アンコールのCHE.R.RYのとき、YUIはそこに居た。 紛れもなく、YUIが歌っていた。 FLOWER FLOWERの曲も、YUIの曲も、比べるものじゃないと思った。 yuiの生きている時代に生まれ���yuiの曲を聴けることが本当に幸せ
なんていうか、自分でも気づいているんだけど、たぶんもうBUMPよりも何倍かYUIのことをFLOWER FLOWERのことを好きになってしまったような気がする。 それが意味するのは、もうどうしようもないくらい好きになってしまったということで。 こんな凄いLiveできるのはyuiしかないと思う。
ずっと歌い続けてほしい。 歌っている時のyuiは儚くて消えてしまいそうとは言ったけど、yuiはずっと歌い続けて、生きてきたんだよね もし、YUIを引退して音楽をやめてしまって、歌うのをやめてしまったら、今のyuiは生きていないと思う。 あんなに楽しそうに歌っていて、いきいきしていて、心から感動する音楽を届けてくれて。本当に感謝しかない。 ずっとずっと、歌い続けてほしい。聴き続けるから
そして、ぶっこみます。徹夜覚悟で、YUIのTOKYOの歌詞解説。
youtube
YUI - TOKYO
この映像、本当に好きで、コメントにもあるけど、まさにBest takeだと思っている。 ギター一本と歌だけで、こんなに心に刺さるんだもの。 さっきも2回もいったけど、曲の最後のほうとか、本当もうYUIがいなくなっちゃうじゃないの?っていう感情で泣きそうになるよ 神聖というか、無垢というか、 言葉で説明するには足らなすぎる。わかるよね。。
それで、TOKYOの歌詞解説をしたいとずっと思っていたんだけど、 その解説をする前にYUIが上京するまでの生い立ちをまとめたり、 上京してから、この2007年、武道館で歌うまでのことをまとめたいっていう欲があって、そんなことしてたらほんとに朝になりそうなんだけど。いけるかな… 行くぞ、突っ走れ。今しか書けない。 軽く見たところ、TOKYOの歌詞解説を他にしているところはなさそうだ。
生い立ち
YUI
1987年3月26日生まれ本名は吉岡 唯
出身は福岡県
小学生の頃から、歌手になりたいと思っていた。母親の影響もあって、小さい頃から歌うことが好きだったそう。
その後中学3年生の頃から、ノートに詩を書き溜める。
高校には進学したが、学費を稼ぐためのアルバイトで体調を崩してしまい入院。退院後に中退した。
その後、ストリートライブを行っていたビアンコロネと知り合い、音楽塾ヴォイスの存在を知り、そこへ通いギターと曲作りを学び始める。
自宅の布団の上であぐらをかきながらギターの練習をし、覚えたコードで曲作りを始め、初の自作曲「Why me」を制作。福岡市天神の路上などでもあぐらをかきながらギターの弾き語りを始め、知り合いのライブの前座や音楽塾関係のイベントでライブハウスにも出演するようになる。
2004年3月に塾関係者の勧めでソニー・ミュージックのオーディションに応募し、約2万人の応募者の中から10人に残り、最終審査を受ける。
この時も普段の路上ライブと同様にあぐらをかいてギター弾き語りで「Why me」と「It’s happy line」を歌ったが、どうしても聴いてもらいたいという思いからまだ歌詞のなかった「I know」を短縮で追加して披露。審査員の全員が最高点をつけた。
その後ソニー・ミュージックグループの各レーベルで争奪戦となり、デビューが決める。
「feel my soul」でデビューし、その後「Tomorrow's way」、「LIFE」を発表。
そして4thシングルとして、この「TOKYO」が発表された。
ここまでは、Wikipediaを参照。 続いてヴォイスの講師のインタビューから、 http://www.voice-tokyo.com/column/vol04/
ー初めてYUIと会ったときの印象はどのようなものでしたか? 「彼女はまだ中学生でしたが、同じ年代の普通の子とは全く違う雰囲気を持っていましたね。"絶対に音楽をやるんだ!"という強い気持ちが表れている目をしていました。」
「まだ彼女が入塾間もない頃でギターも弾けなかった時にAvril Lavigneの『complicated』を自分のオリジナルの歌い方で歌っていた事がありました。普段歌っている声とは明らかに違う雰囲気で、自分の世界に入り込んで自分の世界を出しているその歌声に強烈に惹きつけられました。その歌声に触発されて、曲を書きたいという衝動に駆られましたし、すぐ一緒に作り始めました。同時に、声の魅力というのは作られたものではなく、素材の中に光るものだと改めて認識させられましたね。」
「歌や音楽を聞いた時に、ドキドキがとまらなかったり、泣きそうになったり、楽しくて躍りだしそうになったりとか、そういうスイッチってありますよね。僕の場合ですが、そういったスイッチを片っ端から押された時、曲の構想だったり、メロディが出てきたりします。音楽的な化学変化というのは間違いなくあると思いますね。」
「以前"癒しの声"とはどういったものかを分析するテレビ番組を見た事があります。その番組では、声を聴いた時、人間の脳の中には『α波』というのが出るらしく、その量が多い声がいわゆる"癒しの声"だという一つの分析結果を出していました。もちろん僕は自分の頭の中で『α波』がどれくらい出ているかなど測定��た事はないので、なかなか説明は難しいですね。"いい声"というのは、もしかしたら自分だけがそう思い込んでいるのかも知れないですが、でもその思い込みの強さがどうあるかが僕は大事だと思っています。人から『いいでしょ』と言われても、自分の中で化学変化が起こらない時はどうやっても起こらない。とは言え、作る立場からすればリスナーの評価は大事です。非常に難しい事ですが、研ぎ澄まされた感覚を持って判断をしていくしかないですね。」
「ソニーオーディションの決勝大会は予定では2曲しか歌ってはいけなかったのですが、突然3曲目を『続きの曲です』などと言って勝手に歌い始めたんです。びっくりしましたね。まるで昨日のことのように覚えています。(笑)オーディションが始まる前に3曲目は絶対に歌ってはダメだと本人にも念を押していたんですが、ニヤッと笑っていたので『もしかしたら・・・』と心配していましたが、案の定、歌詞はでたらめのYUI語で、即興で披露していましたね。(笑)」
「はい。その後叱られると思ったので、YUIと二人逃げるように会場を去り、羽田空港に向かいました。(笑)福岡空港に着いて携帯電話を確認するとたくさんの留守電が残っていました。これはかなりまずいなと思って聞いてみたら集まって頂いた全レーベル、審査員の全員が最高点をつけたので至急連絡を下さいという、思ってもいない内容でした。そこからYUIの人生は大きく変わり、プロの道へと進む事になりました。」
「まさか、ギターを弾いて歌うシンガーソングライターのトップまで登りつめ、未だに半ばレジェンド的な存在として扱われる事になるとは、思いもよりませんでした。ただ、きっと何かを変えてくれる存在になるという確信は自分の中にはありました。デビュー前に音楽塾ヴォイス福岡校の六畳一間のレッスン室で何曲も曲を書きました。YUIという存在を目の前にし、その声の持つ世界観に圧倒され、自然にメロディが舞い降りてくる事も多かったですね。1日1~2曲という物凄いペースで制作を行っていました。ソニーのオーディションを受ける以前、一部では『こんな音楽は古い、時代と逆行している』という意見もあったのですが、普遍的な音楽はいつの時代も変わらず人の心を感動させる事ができると信じて、ブレずにやっていました。10年経っても色褪せない音楽は絶対にあると信じていました。結果は思っていた以上の反響があり、その後のYUIの音楽人生に大きく繋がっていったと思います。」
すごく、よく分かる。 理解ある、この講師の人に出会えてよかったと思います。 本当にYUIの声は、いいんだなぁ。笑 自分の中ではまさに癒やし声です。
次、TOKYOのインタビューに行きます。 http://www.hotexpress.co.jp/interview/yui_20050118/
まずYUIさんが音楽に目覚めたキッカケみたいなものを聞かせていただけますか。
YUI:小さい頃から音楽は好きで聴いていたんですけど、憶えているのは、母のカーステレオとかラジオから流れてくる音楽をよく聴いて覚えたりして歌ってたんですよね。それで自分で本格的に音楽をやろうと思ったのは、急にそう思ったというよりはどんどん気持ちが強くなっていった感じで。それで、15歳、16歳ぐらいのときに決心する時期も来て・・・。
決心する時期というのは、高校を中退すると決断したとき辺りだと思います。 中学の頃から音楽をはじめて、アルバイトや勉強に追われて体調まで崩してしまったとき、音楽の道へ進もうと決意したのではないでしょうか。
-ギターを覚えたのもその頃?
YUI:そうですね。15歳、16歳ぐらいのときに初めてストリートライブを観たんですよ。それで、そのストリートミュージシャンの方々がライブを終えた後に「本気で音楽をやりたいんですけど、どうしたらいいんですか?」的なことを聞いたんですよね。「どうにかしたいんですよ」って。そしたら地元に、福岡なんですけど、音楽塾があるってことを教えていただいて、そこに通うことにしたんです。それから音楽塾でギターと曲作りを始めました。ある程度ギターが弾けるようになってからはミシェル・ブランチさんの『グッドバイ・トゥ・ユー』を弾いて歌ったりしてたんですけど、その曲は最近でも学園祭ツアーとかで披露したりしてますね。
要所要所にコメント添えたくなってしまう。 これは先程も説明したビアンコロネから塾を進められてという部分ですね 「Good bye to you」はYUIがコピーしているのをよく聴きました。 ビアンコロネと一緒に歌ってるやつあるから、絶対見て!! https://www.youtube.com/watch?v=eXz2YIVJ3os
-音楽塾を知るまでは、音楽を本格的にやるためにどうしたらいいのか模索していた感じだったんですか?
YUI:音楽をやりたいけど出来ない時期はありましたね。学校とバイトをこなしていく中で時間が無くて、これを続けていても“この先に音楽はないんだろうな”っていう風に思っていて。そんな中、体調を崩して入院してしまって、ただそのときに考える時間が出来て、“やっぱ音楽をやりたいな”っていう想いが強くなって。そんなときに先ほどお話ししたストリートミュージシャンの方々に出逢ったっていう。
-ちなみにその福岡の音楽塾っていうのはどんなところだったんですか?
YUI:本当に塾っていう感じで、人間と人間が触れ合うようなあったかい場所というか、みんな本気で音楽をやっていて、教えてもらうっていうよりはいろんな人の姿を見ていて思うこと、感じることでいろいろ学べる場所でした。もちろん音楽的なことも学んだんですけど、やっぱり人間的なことで音楽塾のいろんな方と触れ合うことができたのが一番大きかったですね。信頼する人ができたというか。
これは先程の音楽塾ヴォイス塾長の西尾芳彦さんとかかな。
-なるほど。あと詞に関してはいつ頃から書くようになったんですか?
YUI:詞は中学三年生ぐらいからだったんですけど、歌詞というよりはポエム的なものを書いてましたね。母に聞いた話なんですけど、私は小さい頃にポエムを書いていたと聞いたんですよ。それがキッカケになって、再び書くようになって、その詞、ポエム的なものだけを書く時期がしばらくあって。で、音楽を本格的にやり始めて、それで“歌詞”というものを書くようになった感じですね。
-そうして本格的に自身の音楽を生み出せる環境ができた頃には、今の状況というか、“デビューを目指す”っていう意識は強くなっていたんですか?
YUI:良い曲を作りたい、良い詞を書きたい、納得のできるものを作りたい、そういうことばかり考えていたかもしれませんね。デビューに関しては、たくさんの方々に支えられて出来たこと、結びつけてもらったものなので、私はとにかく単純に良い音楽を、自分が納得できる音楽を作っていきたいと思っていた感じですね。
-そんなYUIさんがデビューすることになった具体的なキッカケは何だったんでしょう?
YUI:ソニーミュージックのオーディションを音楽塾の方に勧めていただいて、それを受けたのがキッカケですね。そのオーディションの最終審査で東京に初めてやって来たというか、福岡を初めて出たんですけど、オーディションの会場ではみんなスタンドマイクで歌ってたんですけど、私は「あぐらで弾いていいですか?」っていうのを聞いたりして、それを了解していただいて。で、弾き語りだったんで、本当はひとり2曲以内だったんですけど、もう一曲聴いてもらいたい曲があったのですごく短くして、結局3曲歌ってしまったっていう。
-その3曲っていうのは、今はすでにリリースされている曲?
YUI:3曲ともCDに入ってますね。インディーズでリリースしたシングルに入っている『I know』と『It's happy line』、それとデビューシングルの3曲目に入っていた『Why me』を歌いました。『I know』はまだそのとき作りかけだったのでデタラメ英語で歌ったんですけど。
-そのオーディションに受かった後はどんな動きがあったんでしょう?
YUI:合格してからは、曲作りとかレコーディングのために福岡と東京を月に2,3回、行ったり来たりするようになっていって、そのあいだにデビューシングルを制作していって、そのあと上京、こちらで生活するようになった感じなんですけど、今回リリースする『TOKYO』はその時期、2004年の9月に書いたものですね。
オーディションがあったのが、2004年3月、TOKYOを書いたのは9月。
-東京に来たばかりの頃はどんなことを考えたりしてました?
YUI:東京に来て考えるというよりは、福岡を出る前にいろいろ考えました。なので東京に来てからはもういろんなことを吸収したりとか、そういうことを意識してましたね。責任感というか、気負いした感じというのは福岡を出る前ぐらいからあったかなとは思うんですけど。今はあんまりそこについては考えすぎないように心掛けてます。
ここから、feelmysoulとかについてもいろいろ書かれていますが今回は端折ります。 もうね、カルマの時のトラウマが蘇ってますよ。
-分かりました。では、今日のインタビューのメインとなりますニューシングル『TOKYO』についてお話を聞かせていただきたいのですが、こちらはすでにライブでは歌われていた曲ですよね?
YUI:はい。【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005】とかでも弾いて歌っていたんですけど、ファンの方から問い合わせとかリクエストとか頂いて、今回リリースすることになりました。福岡でラジオをやっているときも番組のエンディングとかで流したりしていて、ラジオの番組宛にも「この曲何て言うんですか?」的な問い合わせをたくさんいただいて、それもあってですね。で、今回CD化させてもらったこの曲は、17歳の時、2004年の9月にレコーディングしたギターと歌をそのまま収録してるんですよ。だから歌い直しはしてないんです。
-その頃の自分の歌を改めて聴いてどんな気持ちになりました?
YUI:やっぱりどこか切羽詰まった部分だったり、気負った感じだったりっていうのが声に出てるのかなとは思うんですけど、逆に私は周りの方からの反応が気になりますね。すでにそういう声は聞かせてもらってるんですけど、やっぱり上京したときのことを思い出したりするみたいで、いろんな方が同じ気持ちだったのかなって思ったり。
-ちなみに『TOKYO』の作曲クレジットはCOZZiさんになっていますが、彼のこの曲のデモを聴いたときにやはり強く感じるものがあったんですか?
YUI:デビュー前、福岡と東京を行き来していた時期に、曲作りやレコーディングの合間とかにいろんなアーティストの方のデモを聴く機会をいただいていて、そのときに興味を引くデモはたくさんあったんですけど、その中のひとつにCOZZiさんの原曲があって、それを聴いてると、自分がノートにメモしていた上京のときの気持ちや感情がリンクしていったんですよ。それでそのCOZZiさんの曲にその場で詞を書き上げていったんですよね。そのまま曲のコードも分かりやすかったので、すぐスタジオに行ってギターの弾き語りを録りました。
-じゃあ、あの歌詞の内容は上京時のYUIさんの気持ちがそのまんま綴られているわけですね。
YUI:そうですね。
-上京するときはギターを担いで、新幹線乗って。
YUI:・・・飛行機でしたね(笑)。そのときは亀と金魚とギターとリュックみたいな感じで、上京しました。亀と金魚は飛行機大丈夫かな?と思ったんですけど・・・まぁその話はいいです(笑)。
-(笑)。この『TOKYO』っていう曲は、先ほども言っていましたが、共感する部分、胸に強く響く曲だと僕も感じたんですが、YUIさん自身の中でもすごく大切な曲になってますか?
YUI:すごく大切な曲になってますね。他の方が作曲したとか関係なく、すごくこの曲が好きだし、いろんな方の反応を聴いても良い曲になってると思いますし。
インタビューにもある通り、作曲者はCOZZiさんです。 他にも多くのYUIの曲を作曲している方です。 YUIがレコード会社と契約後、デビュー前の準備期間中に「自分の作った曲だけを歌っていては偏りが出てしまうかもしれない」というディレクターの意向で、勉強のためにと色々な作曲家のデモ音源を、東京の事務所で聞いている時にYUIの耳に強く残る曲だった。当時17歳。その日のうちに歌詞が完成した。
追加で、参考にしたいインタビューがあるのでそこの中から抜粋します。 http://news.livedoor.com/article/detail/1732876/?p=1 TOKYOのリリースのすぐ後のインタビューですね。
――福岡を離れ、東京で生活をする様になって、どれくらい経ちましたか?
YUI:1年5ヵ月とか。2004年9月に上京してきましたね。
YUI:「TOKYO」の歌詞にもあるんですね、「東京は怖いって言ってた」って。やっぱり、知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」みたいな、そういう気持ちや不安はありましたね。最初は慣れていないのもあり、上手く馴染めなかったかもしれないんですけども、今はもう随分変わってきていると思いますね。
―偶然、最初にYUIさんを知ったきっかけが映像や写真ではなく、音だったのですが、「すごくいい声してるなぁ」と。楽器と違って、声は生まれ持ったものじゃないですか。
YUI:小さい頃に「顔に合わない声をしている」みたいな感じで言われたことがあって、それがすごくコンプレックス的な。声が嫌いだったんですよね。だけど音楽はずっと好きで歌ったりしていたので、ストリートでライブをやったりして、色々な方に歌や音楽を聴いていただける状況になって、「いい声だね」とか「いい音楽ですね」と言っていただけた時に、初めて自分の声が好きになってきましたね。
―学生の頃に「バンドを組みたい」とか思った経験は。
YUI:高校1年で辞めて音楽の道に進んだので、そういうことも無かったんですけど、でも、バンドの音とかはとても好きではありましたけどね。
―気持ちいいですよね。エレキをデカイ音で鳴らしたりすると。
YUI:そうですね。今後ライブをたくさんするようになって、そういうロックな曲ももっと入れてい���るようになれた時に、そういう歪んだ音とかでも入れて行きたいと思うんですけども、今はやっぱりスタイル…自分の作る音楽だったりを大切にしているので。もちろん音楽的に幅を広げていきたいし、視野も広げていきたいし、成長もしていきたいけども、今はそういう風に、アコースティックの音とかを大切にしてますね。
ネタバレになるかもしれないけど、冒頭のフラフラのDVDの中で、yuiが 「バンド楽しいよ!!、皆にもおすすめします!」 みたいなこといってたのを思い出した。 今は、バンドで、ロックな曲をやれてるよ。
―デビュー前にはストリートで歌ったり、オーディションを受けたりという時期があったかと思いますが、学校を辞めてまで音楽の道に進みたいと思った、初期衝動のようなものはありましたか?
YUI:音楽は小さい時から自然にそばにあったものだと思うんですけど、母のカーステレオやラジオから流れてくる、母が聴いていたのは大黒摩季さん、ユーミンさんだったんですけど、それを覚えて歌っていたり。その後も小学生になって「歌手になりたい」というようなことも言っていたみたいなんですけど、ずっと音楽はすごく身近にあった感じでしたね。
15~6才になって、バイトと学校を両立するようになって、時間がどんどん無くなっていっちゃったんですよね。自分の思うように音楽ができなくなってきて、ちょっと苛立ってしまったりしていたんですけど、その時ぼんやりと「自分のこの先に音楽の道は無いのかな」っていう風に思ったんですよね。その後に体をちょっと壊して入院してしまって、その時に考える時間ができて、「やっぱり音楽の方に進みたいな」というか、「音楽どうにかしたいな」という気持ちがすごく強くなって。学校と音楽というのは両立できることではなかったので、学校を辞めて音楽の方に進みたいなという気持ちはどんどん強くなってましたね。
その後にストリートライブに出会って、その時に生の音だったり、自分達の書き綴っている言葉で歌っているというのがすごく届いて感動したんですよね、衝撃というか。それで、そのライブが終わって話し掛けに行って、「音楽どうにかしたいんですけど」ということをお話ししたら、地元の福岡に音楽塾があるよ、って教えていただいて。それで、その音楽塾に入ってから、ギターと曲作りを始めましたね。
―自分の中にあるものを色んな人に聴いてもらいたいという、一方的な感情ではなくて、聴く側にもそれを同じように理解してもらいたいのか。それともまずは自分の中にあるものを伝えたい、それが聴く人によってどう解釈されるかは人それぞれで構わないのか、どっちなのかなと。
YUI:それはどっちというのもないと思いますね。自分の中にあるものを伝えたことで、同じ想いの人がいることに気付くと言うか。例えば「feel my soul」という曲は、上京するということで、もがきながらも前に進んで行きたいっていう気持ちを書いていて。もしかしたらそういう気持ちになったことがある方もいるかも知れないし、…っていうのは、今としては思うんですけど。「TOKYO」という曲も上京している時の気持ちをメモしていたのが曲になっているので、そういうところももしかしたら。「TOKYO」の場合は、ライブや福岡でやっていたラジオのエンディングで掛けさせていただいている時に、たくさんのお便りとか、「どんなタイトルなんですか?」というお問い合わせをいただいて、それでシングルとしてリリースすることになったんですけど。「そういう感情になったことがある方もいるのかな」という風に思いますね。
―自分はこういう風に伝えたつもりだったけど、聴く側は違うように解釈していて、それに対する苛立ちのようなものを感じたことはありますか?
YUI:それはもう逆に言えば曲を言葉で説明するよりも、「聴いてもらいたいな」という気持ちが強いですね。
カルマのところでも説明したけど、解釈どうのこうのよりも、「聴いてもらいたい」んですね。 良かった。間違ってなかった。笑 YUIも同じような感じなのかな。
YUIの音楽を一度でも耳にすれば、類稀なる彼女の才能は誰もが感じるところだろう。衝撃のデビューを果たした2005年、周囲の期待の声が大きいあまりに、YUIというアーティストの等身大の姿が見えづらい状況にあったのかもしれない。シングル「TOKYO」が、当時17才だったYUIの弾き語りに、必要最小限な音だけを加え、ノンタイアップでリリースされた裏には、そんな思いもあったのだろうか。「日々音楽」というYUIの言葉に象徴される様に、小さな体と顔に似合わずストイックで、不器用なくらいひたむきに音楽と向き合おうとする、彼女の姿が少しでも伝わればと切に願う。
痛いほど、伝わります。
どうでしょうか。 「TOKYO」を作曲した背景はわかったでしょうか。
前置きはこのくらいにして(長すぎる) ごめんなさい、もう少し前置きを延長します。 この映像(武道館でのTOKYO)について少し補足します。 この映像は、2007年11月19日、自身初となる日本武道館のライブの映像です。 3枚目のアルバムI LOVED YESTERDAYの初回限定盤のDVDに初の武道館公演(2007年11月19日)のスペシャルライブ特典映像が収録されました。 アンコールの、最後の、最後で歌った曲です。 最初の曲だった、「It's happy line」も、Youtubeにあがっているので是非。 僕が、ひとつだけLiveを遡って見れるのだとしたらこのLiveがみたいです。 なんというか、日本武道館はミュージシャンの中で重要な位置づけにあるような気がして、その初ライブ、大舞台で、出だしから路上ライブスタイルの 「It's happy line」。ギターと歌だけで武道館に立つ。最後の曲の「TOKYO」では会場の皆を号泣させた。 もう死んじゃうんじゃないの?泣 ってくらい儚くて力強い歌声に 武道館で歌う「TOKYO」 途中、涙をこらえて言葉が出なくなるシーンがある。
この映像を見てから、この曲についてまとめてみたいと思った。 友達にこの映像を見せても、反応はなし。 この記事を見せてやろうか。笑 ドン引きされること間違いなし
歌詞解説に入りましょう。
ここまでの解説で、もうわかってるよって思うかもしれないけど。 ちゃんとやります。
住みなれた この部屋を 出てゆく日が来た 新しい旅だちに まだ戸惑ってる
住み慣れたこの部屋 は、福岡の実家のことですね。 出てゆく日というのは2004年の9月。YUIは17歳。 オーディションからデビューまでが早かったということと、東京へ出るということに対する不安。そいうった感情の中から、戸惑いが生じていた
駅まで向かうバスの中 友達にメールした
朝のホームで電話もしてみた でもなんか違う気がした
ここの 「でもなんか違う気がした」 という部分。 人によって解釈が異なるのではないでしょうか。 友達にメールをして、電話もしてみた。でも、なんか違う気がした。 このメールと電話の内容は、「今から上京するよ」っていう内容なのかな? きっとそうだと思うんだけど。 一人で、駅に向かうバスの途中、ホームの電車待ち。 東京に行くことに責任感や気負っていた、不安を持っていたYUIは、気を紛らわすためにも友達と話したかったのではないだろうか。 普段、仲の良かった友達との別れ、「今から行ってくるよ、それじゃあね」 「あっちでも頑張ってね」なんてやりとりは、らしくない。
でもなんか違う気がした の「でも」の少しの違和感は、いつもと違うやりとりと、自分にある感情の少しの後ろめたさからじゃないかな 深読みしそう。全部の歌詞が真実を書いてるわけじゃないからね。笑 ここについては意見がほしい。
古いギターをひとつ持ってきた 写真は全部 置いてきた
ギターひとつで、思い出は持っていかない。 決意の表れだと思います。 もう東京にいったら、戻ってこないんだぞ っていう さっきのところだけど、友達との別れを今さら惜しむなんて、なんか違うよなって意味も含んでいるんだとすれば、福岡のことは、福岡にもう置いていこうと決意していたのかもしれない。そんなにYUIはひどい子か?笑 これは次の歌詞に続く。
何かを手放して そして手に入れる そんな繰り返しかな?
何かを手放す とは、福岡のことでしょう。 そこにいる友達や、思い出、自分の居場所。 それを手放して、新しい土地へ行く。 これからもそんな繰り返しなのかな?と少し不安に思う。 それで本当に自分は合っているのだろうか?
つよがりはいつだって 夢に続いてる 臆病になったらそこで途切れるよ
ここの歌詞、本当にYUIっぽくて好きです。 負けず嫌いで、決して弱みを人にみせようとしない。 前置きでは書いてなかったですが、高校で体調を崩し、肺炎になったとき病院で肺がんと診断され、余命宣告までされていました。 その状態で、後少ししか生きられないのなら本当にやりたいことをやろうと、ソニーのオーディションとは違うオーディションに出ています。 たぶん音楽塾に入る前の、歌だけのオーディション。映像もあります 何があっても、音楽の道を諦めない。強い意思がありました。 上京の際にも、きっと、つよがっていたんだと思います。 臆病になったら、そこで途切れるよと。
走り出した電車の中 少しだけ泣けてきた
窓の外に続いている この町は 変わらないでと願った
走り出した電車、もう後に戻ることは出来ない そこでようやく実感しはじめる。 強がってはいても、17年間も過ごした場所を離れるのは心に来るよね 窓の外を流れる景色に、思い出が蘇る 「この町は変わらないで」と願った
この町”は”っていうのが妙にひっかかって 自分は変わってしまうけど、この町は変わらずにいてほしいって意味に感じる。 自分の変化に対する不安とか、これで本当にいいのかなっていう疑問が残っている感じ。 故郷が変わらない安心感はほしいよね。その場所まで変わってしまったら、思い出までなくなってしまうんじゃないかって思う。
古いギターをあたしにくれた人 東京は怖いって言ってた
これは歌詞上のストーリー的な表現なのかな インタビューでもあった通り、YUIは東京のことを 知らない街ということもあって、「そこでやっていけるかな」というか、「耐えていけるかな」 と感じていた。 そういう不安から怖いと思っていたんだと思う。 でも、 自分の口からは怖いって言わないんだよね。 古いギターをくれたひとは大先輩みたいなもので、ギター(夢)を託すみたいな感じに解釈しても面白いけど。
答えを探すのは もうやめた 間違いだらけでいい
人生に、答えなんてない 上京するか、しないか 戸惑いや不安を感じていたYUIの結論。 きっと、上京するって答えは出てたんだろうけどね。 それがたとえ間違いだったとしても、自分のやりたいように生きていく。
赤い夕焼けがビルに途切れた 涙をこらえても
次の朝がやってくるごとに 迷うことだってあるよね?
簡単な考察だけど、朝出発して夕焼けが見える頃には、もう東京です。 赤い夕焼けがビルに途切れた って表現とても好きです。 都会ならではの切なさとか 電車に乗っていて、夕焼けがビルの間から顔を出したり、途切れたり。 電車の車内をチカチカと照らしている。 東京についてもまだ涙をこらえてる
朝がやってくるごとに迷うことだってあるよね →あります。自分は夜が来るたびにだけど。 それくらいにYUIは悩んでいたのかな レコーディングで福岡と東京を行き来していた時期があったといっていたから、東京に行くことについてたくさん考えさせられたんだろうな
正しいことばかり選べない それくらいわかってる
これ以上考えても仕方ないし、正しいことばかり選べない それくらいわかってる それでも、悩んでしまうもの
それはやっぱり、福岡を失うことに対する不安が大きかったんじゃないの?って僕は思います。 東京にいって失敗するとか、怖いとか、不安とか。 YUIならきっと、音楽の道を歩むためなら、そういうことに踏み込む勇気は持っているんだと思う。 自分の故郷を離れる不安や、後悔するんじゃないかっていう、そっちの気持ちのほうが大きいんじゃないかな? そればっかりは、きいてみないとわからないけど。 上京のことにかかわらず、そうやって悩むことはたくさんあるよね。
現在AM5:00 まとめましょう。
yui、最高です。 YUI、最高です。 FLOWER FLOWER、最高です。
おやすみなさい。 ありがとう。
(まとめだけ今度編集するかもしれません。)
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2021/5/15
朝、目覚ましより一時間ほど早く目が覚め、もういちど眠りに就き、目覚ましで目が覚める。ちょっと左目が開かない感じ、昨夜は早寝すればよかったと反省。時間がけっこうギリギリめ、大慌てで支度をして、スニーカーをけんけんしながら玄関から外に飛び出す。夏の空気感に胸がそわそわ、ひりひり。
偶然の奇跡的な出会い方はできるのに、何故か待ち合わせはできない僕たち私たち。30分近く駅構内を彷徨って、ようやくN、それからTと再会することができる。二人と会うまでは左目が開かなくて、テンション上がらんって感じだったのが、二人の顔を見たらふつうに元気になっている。青の羽衣を羽織る季節でもなくなって、シャツはいちおう青系統だけども、今日はちょっと青みが足りないかも~と思っていたら、Nの指に小さなブルーが光っているし、Tの目尻にもブルーが光っていて、なんだか嬉しいな~。Tの本日のアニマルはシマウマ、アニマルシリーズをコンプリートしたい。Nの紙袋の中から、さいきんそれのことばかり考えていて、何なら今日どこかのおもちゃ売り場で買おうと思っていたマジックテープのキャッチボールセットが出てきて腰を抜かしそうになる。えー、超能力ですか!
夏の陽射しのはなしをしていたら、さらに元気モリモリでてくる。上りも下りもしない大好きな床滑りのエスカレーター。スイスイ歩く~。
世界の珍しアニマル展示・販売会の会場に到着。動物園みたいな匂いがしてきて、気持ちが盛り上がってくる。ヒョウモントカゲモドキがいて、かわいいな~って眺めていたら、視界の隅のほうに黒色の足に毛の生えた昆虫のお仲間がいて、ぎゃっとからだが宙に浮かぶ。さらに砂漠在住の尻尾に特徴のある昆虫のお仲間がいて、ぎゃーっと変な声がでる。ヘビに睨まれたカエルのように身動きがとれなくなる。愉快な仲間たちは色んなところに潜んでいるらしくて、びっくりし過ぎて絶叫してしまうから、なるべく視界の隅をシャットアウトするように努める。足が百本ある愉快なお仲間が視界の隅にいて、硬直しながら真っ直ぐに目のまえを見据える。でも、なんでこんなにびっくりしちゃうんだろう。べつにきらいなわけではないのにからだが勝手に反応してしまう。じぶんの七不思議のなかでも、かなり大きな不思議である。Tがフェレットを抱っこ、さすがに慣れた手付き、フェレットのお股に金玉のようなのがあって、この子は男の子なんだろうかって思っていたら、飼育員さんがその金玉のようなのを摘み取って捨ててしまう。どうやらうんこがこびりついていただけだったらしい。Nも抱っこ、たまにNが見せるびっくりして顔が硬直するときの表情になっている。なんか流れでじぶんも抱っこすることになり、Nの表情が乗り移ったみたいに硬直していたと思う。でかめのカメレオン?がふつうに野放しになっている。左右の目の動き方がバラバラで、いったいどんなふうに景色が見えているんだろうと不思議になる。顔のまえで指をぐるぐるしてみると、びっくりして仰け反るような仕草。やい、びっくりするじゃねえかってNがカメレオンの気持ちをアフレコする。カゴの中のコウモリが仲良さそうにもつれ合っている。が緑のインコ、ルリコンゴウインコに名前が似ているけど親戚だろうか。ミーアキャット、飼育員さんの目がさっきのカメレオンみたいでなんか混乱してくる。数種類の大型のフクロウ、飼育員さんもフクロウのようにからだが大きくて、なんか顔や佇まいもフクロウみたいで、このフクロウさんたちの長老みたいに見える。
電車で大移動。Tのタトゥーのはなしから、その文字に込められた意味のはなし。thousand summerは千夏。千夏というのは、いまでは疎遠になっている高校時代に大好きだった友達の名前。この数行の言葉で言い表せてしまう小さなしるしに、じぶんの大事にしていることの核みたいなものが完璧に刻まれていると思った。窓から夏の白い雲がずっと遠くに見える。このあいだのHの幻聴のはなしといい、Tの千夏ちゃんのはなしといい、いちばん聞けて嬉しかったことをどちらともNがしれっと聞き出していて、あとからいま何のはなししてたの? って、なんとなく気になって聞くケースが続く。
駅に着いて、ほとんどオンタイムでHと合流。HのTシャツ姿を見て夏仕様だっとT。錨のあるコンビニで、すっかり気に入ってしまった言い表し空気清浄機ことYちゃんを待つ。待ち切れなくって、マジックテープのキャッチボールセットを出してもらう。コンビニのまえで投げ合う。楽しい……、楽しすぎる! なんて楽しいんだぁ~! なんて、なんて楽しいんだぁ~!!!! Yちゃんがなんか弱っているというか項垂れながら到着、PVで見ているからかもしれないけど初対面という感じはまったくしなくて、聞いたことのない声もすでに知っているような感じがする。似たような顔の骨格のひとを知っていて、その声を知っているからかもしれない。華奢でかわいらしくて、道端に咲いている花みたいに風が吹いたら飛んでっちゃいそうなんだけども、なんか仕草の端々にどっしりしているというか、でーんとしたような粗野さのあるのが可笑しな感じ。
中華街でご飯を買って、公園に行くことにする。ふつうの中華ちまきと、王さんの中華ちまきとかいうのを食べ比べることにする。ふつうの中華ちまきを持って、王さんのお店に行くと、店番の王さん?にカタコトの日本語でずいぶん可愛らしい中華ちまきねって言われる。たしかに出てきた王さんの中華ちまきはでかい。Yは餃子みたいのを買いもとめ、その場に立ったまま軽く背中を丸めてぱくぱく餃子みたいのを箸で食べはじめている。YとNも王さんの中華ちまきを買いもとめる。中華ちまきって大好き。子どもの頃、朝ごはんが中華ちまきだと嬉しかったことを思い出す。
Hと小説のはなしをしながら公園の方面へ。公園に行けども落ち着けそうな場所がなく、うろうろと歩きまわる。噴水に虹ができている。芝生のあるらしいエリアが立入禁止になっていて、ふ頭のほうに行ってみる。さすがに待ち切れなくなって、小さいほうの中華ちまきの笹の包みをといて歩きながら食べはじめる。Yも歩きながら箸で餃子みたいのを食べている。ふ頭の手前の広場みたいなところに腰を落ち着かせる。小さいほうの中華ちまきは笹の包みが一枚だけだったのに、王さんの中華ちまきは何重にも笹に包まれていて、脱いでも脱いでもパンツをはいている人みたいに、なかなか肝心の中身がでてこない。箸で笹の葉をほじくるように食べる。おいし、朝ごはんに食べたい。早くキャッチボールしたくて、モリモリ食べる。キャッチボールしようよって誘うけれど、みんなまだ王さんを食べている。先に食べ終わって海を見ながら煙草を吸っているHに相手になってもらう。ちょっとずつ距離を広げてゆく。楽しいよぉ、楽しすぎるよぉ、今日なにかあって死んでしまってももはや思い残すことないくらい楽しい。Hが休憩タイムで、Tに代わる。このあいだの石投げのときTの投げた石があり得ない方向にとんでいったのを思い出して、ちょっと不安になったけども、意外にもいい球が真っ直ぐとんでくる。陽射しに汗が滲んでくる。ボールにはいちおうシームがあって、スライダーの握りで投げてみると、ちょっとだけククッと曲がる。山なりのカーブも投げてみる。ためしにチェンジアップの握りで投げてみると、それまでとおなじ軌道でボールがこないからかTがキャッチし損ねる。ごめんって思いながらもちょっとうれしい。
汗じっとりの喉カラカラでふ頭に行く。自販機で買った麦茶が美味しくって、美味しくって、ひと息に半分くらい飲んでしまう。急に眠たくなってきて、大あくびが止まらなくなる。図書館に寄ってきたというYのトートがべらぼうに重い。ふ頭の内部の静かな廊下みたいなところでYが鈴の音に気がつく。ふ頭から海を眺める。窓に映る雲とじぶんたちの姿。風景にあまり興味のなさそうなHが海の写真を撮っていて、ちょっと意外に思う。ふ頭の高いと��ろにのぼる。双眼鏡に100えんを入れる。覗く。間近に青い海がゆらんゆらん波打っていて、海だ! って思う。代わるがわる双眼鏡を覗くみんなも海だ! って反応する。客船に乗っているひとの顔まで見える。飛行機に乗ってるひとも見えるかなって誰か、あいにく飛行機はとんでいない。柵に身をあずけながら海を眺める。YとNがサザエさんのオープニングをなんか唐突に歌いはじめて、サビ前のホーンから伴奏で参加する。ふたりの歌声がぴったりユニゾンしている、ルール ルッル ルー 今日もいい天気~。すごい楽しくって、またしても今日なにかあって死んでしまっても思い残すことなしって思う。エンディングも歌う。たしかにぜんぜんちがう曲なのに、なんか似ているような気がして、どっちを歌っているのかわからなくなる。東京湾にひとを沈めるはなしから、この海にどれくらいひとが沈まっているいるか、千人はくだらないんじゃないって。トンビが華麗に空中でバランスをとって餌を狙っている、餌になりそうなものは何にも持っていないし、他人事のように思っていたら、背後から急降下でペットボトルを狙われて思わず尻もちをつく。すごい! ものすごく近くてびっくり! トンビはまた空中にいる、尻尾の羽を微妙に左右に傾けながらバランスをとっている様子が宮崎駿のアニメとか当時の映像でみる昔の飛行機の様子と重なる。
徒歩で映画へ。波止場の入口辺りに波止場会館というカフェみたいのがある。大あくびをしながら、疲れたし眠いから映画寝ちゃうかもな~って言っていたら、Tがプール帰りみたいに身体が火照ってるって言い、それ、それ、まさにそれ! ってなる。Yの大量の本が入ったトートをNが持ってあげる。重みから解放されたYは信号待ちのところで股を割り、肩を入れる。ハッと驚いて、目が覚める。これが映画なら泣いているなっと思う。
2度めの『コントラ』。みんなもいることだし序盤はどうにか堪えていたけれど、すぐに堰が切れて顔とマスクがびちゃびちゃになる。日記を書くように全ショットを文字起こししたい衝動に駆られている。
マスクで顔面を隠しながら退場。もう、へなへなで真っ直ぐ立つこともできません。めいめいに感想を言い合いながら駅までの道のりを歩く。名残り惜しい。駅がちょっと遠くてよかった。ひとりだけ逆方向のYを見送る。あんまり話せなかったけれど、また会いたいね。お母さんとの関係のはなしがとても印象に残っている。ついで、電車の窓からHとサヨナラ。ふだんは猫背で俯きぎみのHの姿がこのときだけ大きく花を咲かせる。サヨナラが絶望的に下手くそだったじぶんたち、数か月まえは目も当てられない惨状だったのに、Hからの素晴らしき影響のおかげで、こんなにも変わっている。
SSラインのボックス席で帰りたい。Nは前に住んでいた土地柄的にボックス席に対する愛着がとくにはないよう。乗換駅のホームに上がったところでちょうど電車が来て、その電車に飛び乗る。真ん中あたりの車両に乗ってしまったからボックス席のある端の車両を目指す。そしたら、まさかのボックス席のないタイプの列車で、残念すぎて絶望していたら、まさか、まさかの逆方面の電車にまちがって乗っていることが発覚する。SSラインの通らない小規模な駅をやり過ごし、川の流れる駅で乗り換える。ほかの車線には快速AやO原行きの列車もある。貨車が通過し、あの荷台にこっそり乗っていきたい。図らずも距離を水増ししてSSラインのボックス席に乗ることができる。数十分して、ようやっともとの駅まで帰ってきて、そのまま通過する。
宇宙人のはなしになる。会えないのは次元が違うからという推論。たとえば人間は、宇宙というこの果てしのないものに対して、衝力を差し向けるようなかたちで五感を発達させてきた。なかでも視覚から得られるイマージュは人間にとってのこの地球、この宇宙の姿そのものであるように思われる。けれども、じっさいには視覚で見たこの宇宙は、果てしのないものに対してわずかながらの衝力を差し向けたものにすぎないから、私たちはあくまでも人間仕様の見方で勝手に壮大な宇宙の一部分を切り取って、それをあたかも総体のように眺めている。
たとえば、犬の視覚は色彩感覚が人間のそれよりはるかに希薄で白黒に近いと言われる。誰も犬になったことはないからほんとうのところは誰にもわからないけれど、こういうことがあり得るなら、私たちには漆黒の暗闇にしか見えない宇宙の彼方に色を見出す種族がどこかにいても何ら不思議ではないし、そもそも五感という切り口とはまったく違った宇宙の捉え方をしている可能性のほうがはるかに高そうに思われる。
次元が違うっていうのは、こういうことなのかなって。それはもしかするとすぐ近くにいて日々すれ違っているかもしれなくて、ただ、おたがいにこの宇宙の捉え方が違うばかりに、私たちの視覚の範疇からそれは外れていて、向こうの何かしら感覚の範疇からも私たちは外れている。
こういうことを考えていくと、私たち自身もおたがいに同じものを見ているようで、その捉え方はぜんぜん違っている。となり合って散歩をしていても、あなたの目から見えるこの世界には道端に咲いている小さな青い花は存在していないかもしれないし、そのとき、あなたが見ていた電柱の可笑しな落書きは私の目から見えるこの世界には存在していないかもしれない。そう考えると、私たち自身も次元を介しておたがいにすれ違う宇宙人同士かもしれなくて、そんな宇宙人同士がおなじものを見て、おなじように感動したりすることがあるのなら、それはそれこそ宇宙人に遭遇してしまったような驚くべき世紀の大発見なのだと思う。
ラインやってないばなしにもなる。とくに深い意味もなく頑なに拒んできたライン。なんでだろうと今更ながらそのことについて考えてみる。たぶん、究極的には紙に書く手紙にもどりたいのだとお思う。手紙は面倒だし、手間がかかるし、相手に届くまでに時間もかかる。でも、だからこそ手心を加えようと思うし、手紙をひとつ出すのには気持ちの上で手続きを踏んで越えなければならない覚悟というと重々しいけれど、何か気持ちの整理のようなものを経由する必要があるように思う。
ライン、やったことがないからわからないんだけども、手紙の時代にはあった手続きみたいなものがポロッと抜け落ちてしまうような気がして、それはなんだかもったいないように思ってしまう。たとえば、旅行の楽しみには、計画や準備、目的地に行くまでの移動の時間なんかも含まれると思うけれど、どこでもドアで瞬間移動ができちゃえば旅も味気なくなってしまうような予感に近いものをラインにも感じているのかもしれない。
ほかにも色々なはなし、そんな楽しい帰りの時間もあっという間に過ぎて、下車の駅に着いてしまう。Nがいままででイチバンのボックス席の思い出になったと言って、それがとてもうれしい。これからも積極的にボックス席に座っていこうね。
階段のところでNをお見送り。はじめは前を向いて振り返り、振り返りしていたNがコントラの真似をするように後ろ向きに階段を上りはじめる。その姿がコントラにそっくりで、転んじゃうところまでそっくりで、あれはわざと物真似しているのか、素で転んでしまったのかわからない。どっちでもいいけども、Nは何にしてもあらゆる物真似が上手だなって思う。そういえばシンジくんの物真似も上手だった。高さの差異でおたがいの姿が見えなくなる。でも、そんなとき、どうしたらいいかはHがすでに教えてくれていて、屈んでみれば、あとちょっとだけおたがいの姿が見ることができる。
とうとうふたりだけになってしまい、駅に向かっている最中、Tが出し抜けに言う、こういう関係もいつかは疎遠になっちゃうのかなぁ。そうだねぇ、みんな引っ込み思案だからねぇって応えながら「かくれてばっかり」のことを思い出している。でも、だからって、たぶんTもじぶんも未来を悲観しているわけではなくて、それは決められた約束事なんか何もないってことで、だからこそ未来はいつもわからなくて、いまのこの瞬間は奇跡的なんだって思う。でもな〜、みんながヨボヨボのおじいちゃんやおばあちゃんになった姿を見たいからな〜、誰よりも長生きしてみんなの骨も拾いに行ってやるぞ〜!
じぶんの下りる駅がきて、車窓を挟んでTともサヨナラ。その向かい合ったときの真っ直ぐな視線は心なしかまえよりも柔らかにくだけたものになっているような気がする。列車が発車する、その窓を追いかけて走ってみる、手を振るTの姿がもうちょびっとだけ見える。わあッ、前を向いて走っている。コントラを観ていたばっかりに前を向いて走っているじぶんに驚く。
今日はいちごの日かぁ~。誕生日おめでとう!! 何にもない日もプレゼントの交換しようよ、大人になったね。
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