#アーンドラ・プラデーシュ州
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774 · 1 year ago
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ベースにあるのは、インドでも特に辛いとされるアーンドラ・プラデーシュ州の料理法。店主の對馬啓太郎さん・里香さん夫妻は現地で覚えた味にアレンジを加え、「對馬流」として極める。多くの辛党を魅了するのは、多種多様なスパイスを組み合わせた複雑かつ洗練された辛さ。なかでも辛口のチキンカレーはチリパウダーがメインで使われ、強烈な辛味とうま味が口の中でせめぎ合う。
西荻窪・荻窪のカレーなる誘惑。スパイシーな香りにそそられて、最旬を食す|さんたつ by 散歩の達人
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asiaphotostudio · 3 years ago
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Hyderabad Hyderabad, Telangana, India, 1990 Photography by Michitaka Kurata
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yfukuoka · 5 years ago
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‪【2502日目】2019-‬11-23 土曜のお仕事。日本のインド料理の源流の一つ、1954年創業の伝説のお店へ再訪。 . AJANTA@麹町 _______________________________________________________ . ◎Gongura Fish Curry ゴングラ・フィッシュ・カレー(季節限定) . え!ゴングラがあるの!? 無知ですみません。AJANTAの創業者ジャヤ・ムールティさんはアーンドラ・プラデーシュ州出身の方だったんですね。 . ということで、アーンドラでよく食されるというハーブ、ゴングラのピックル(ピクルス)を使ったカレー。オイルもたっぷりで酸味が特徴的、アチャーリー系のグレイビーにも感じますが、この酸味はゴングラ独特のもの。そしてそれが美味しい。 . さすが全国に名を轟かす名店AJANTA。カレーそのものも美味しいのですが、魚の扱いがプロのお仕事。ふわっとした身の食感と豊か��香り。丁寧な下処理をされているんでしょうね、魚でこんな思いになるインド料理屋さんはなかなか出会えません。 適度に脂ののった厚みのある魚と酸味のグレイビーは絶品でした。 . アーンドラ料理は辛いものが多い傾向にありますが、この料理はかなり辛い方。食後も胃が熱い。そして、ガーリックもかなり効いています。 この後、大切なお客様対応のお仕事があるので、ブレスケアをたくさん飲んで……大丈夫だったかな? . _______________________________________________________ 🇮🇳 #india #indianfood #andhra #AndhraPradesh #fish #foodpic #foodstagram #tasty‪ ‬#spice #curry #AJANTA #インド #アーンドラ #魚 #スパイス #アジャンタ #麹町 #カレー #フクドローン #ふくすたぐらむ (アジャンタ) https://www.instagram.com/p/B5eqZIBAQ-N/?igshid=lx1wxc7w0lqx
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kdxn · 6 years ago
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ADFインタビュー(1998年)
 発掘原稿シリーズ。1998年に『ミュージック・マガジン』のために行ったエイジアン・ダブ・ファウンデーション(ADF)のインタビュー。
ADFはいわゆるUKエイジアン(イギリスの南アジア系移民)のバンドだが、音楽と政治、音楽とコミュニティについて、ロック・アーティストとはずいぶんスタンスが違うことがわかる。
 先月のフジ・ロック・フェスティヴァルに関しては、まるでプロディジーなど出演しなかったかのような記事を作ってしまったが(笑)、言うまでもなくトリはプロディジーであり、観客が最も集まっていたのもプロディジーだった。しかし、ある意味予定調和とも言えるプロディジーの盛り上がりとは対極に、未知なるものへの期待値という意味で最も注目を集めていたのが、この5人のアジア人達、エイジアン・ダブ・ファウンデーションだった。もちろん、それはボビー・ギレスピー効果もあっただろうが、おそらくその場の誰もがADFがプライマルのお勧めバンドだということなど忘れていたのではないか。彼らは小さい方のホワイト・ステージに出演したが、目測では二日間でおそらく最も多くの観客をホワイト・ステージに集めたように見えた。
 ステージは、アジテーションの嵐。しかし、想像していたような暴力的でアナーキーな雰囲気とは違う。ギタリストのチャンドラソニックが、言葉を区切るようにして、観客に1曲1曲の内容を説明し、自分達が何を歌っているのか、何をやろうとしてるのかを言葉で伝えようとする。ヘヴィなダブ・サウンドだけでなく、言葉の持つ力を信じている様子は、すがすがしくさえ感じられた。
 このインタヴューはフジ・ロック本番の前々日に行なったが、写真に4人しか写っていないのは“MIDIウォリアー”ことサン・Jが体調を崩して欠席したため。ベーシストでリーダーのドクター・ダース(DS)、まだ20歳のヴォーカリスト、ディーダル、ギタリストのチャンドラソニック(CS)、ターンテーブル担当のパンディット・G(PG)が、一斉に話してくれた(笑)。
来日してたくさん取材を受けてるでしょう。
DS そうだね。
DR 多すぎるよ。
ま、それだけ注目されているということで。
PG ま、そうだな。
さっそくアルバムの『Rafi's Reenge』についてお聞きします。このRafiは、Real Area For Investigationの略だということですけど、ラフィというのはインドの人によくある名前ですよね。
PG タイトルは、ムハンマド・ラフィのことも意識してる。パキスタンの有名なプレイバック・シンガーだよ。
ムハンマド・ラフィの歌は小さいときからよく聞いていたんですか。
PG ときどきレコードを聞いたり、映画で聞いたり。日本では聞けないと思うけど。
DS ムハンマド・ラフィに関しては、昔サンプルしたこともあった。未発表だけどね。
「RAFI」という曲の中では、"People Of Colour" と呼びかけてますけど、有色人種、つまりUKエイジアンを代表させる意味でラフィという名前を使っているんですか。
DS この曲については、そこまで考えてないな。僕らはすごく言葉遊びの多いバンドだから、いろんな言葉を組み合わせたりしてるうちにこの"Real Areas For Investitgation"という言葉を思いついたんだけど、それが僕らが音楽で言いたいことに非常に関係してると思ったんだ。
ディーダルさんはベンガル人ですよね。ほかの人はそれぞれどこの民族の人ですか。
DR チャンドラソニックは、イギリス人とインド人のハーフ。サンジャイはグジャラート人。
DS パンディット・Gはゲーリック・パンジャービー(笑)。僕はウェスト・ベンガルの出身で、ディーダルはバングラデシュ。
DR みんなイングランド生まれだけどね。
PG ていうか、僕はスコットランド生まれだけどね。
DS 彼だけがバンドの中でガイジンなんだよ。
みなさんは、お父さんお母さんの世代がイギリスに移民したんですね。
DS そうだね。イギリスで生まれた第1世代ということになる。
DR 2世で2級市民。
ご両親は、お互いインドの言葉で話してるんですか。
DS そうだね。
ということは、あなたたちもインドの言葉が分かるんですか。
DS メンバー全員じゃないね。僕はバイリンガルで育ったから、英語もベンガル語もわかる。ディーダルも少し話せる。サン・Jもグジャラート語がかなり話せる。
PG 僕はゲール語もヒンディも話せないんだ。
DR スコットランド語もダメだ(笑)。
DS 英語も何言ってるかわかんないね。おそらく日本語の方が得意だろう(笑)。
バンドができたのは、94年ですね。
PG 93年の11月。
ドクター・ダースさんがロンドンのコミュニティ・ミュージック・ハウスで講師をしていたということですが、コミュニティ・ミュージックってどういうものなんですか。
DS コミュニティ・ミュージックでは、大学やなんかと違っ��、普段音楽に触れる機会のない人のために、ユース・クラブや町の集会所なんかに行って打楽器を教えたりワークショップを開いたりしていた。後には、ナショナル・カリキュラムに組み込まれて、学校に教えに行ったりする機会も増えたよ。
DR 今はADFED(ADF Education)というのを始めている。
ADFEDではどういう活動をしているのでしょう。
DS ツアーやなんかで時間がなくて、今は僕ら自身がワークショップができないから、僕らのためにそれをやってくれる人、そういう能力のある人、音楽を作りたい人をまず集めようとしている。僕らが今までやってきたメソッドを利用して、あるいはADFを見てこういうのがやりたいと思った人達に機会を提供しようという意味で、まず教える側と学びたい側のデータベースを作る。僕らがこの業界で学んできたことを生かしつつ、何ができるかっていうことなんだけど、今の段階では、まだそれをパンフレットにまとめたりインターネットに公開したり、情報としてまとめる段階でしかない。
 僕らはまだコミュニティ・ミュージックと関わりを持っている。ADFEDとコミュニティ・ミュージックは同じビルにあるんだけど、今共同でジョイント・スタジオを立ててるところだ。僕らはミュージシャンとして、いわゆるロック業界で現実に機能しているという立場にいるから、師匠というか、大使というか、そういう形で実用的なアドヴァイスをしてあげられるような形に持っていきたい。あとは、実際にパフォーマンスしたい人にその場を提供したり。実際にそうやって教えた連中と、一緒にツアーに回ったりもしているよ。
ADFを作るときに、ダブという音楽を選んだ理由は何なのでしょう。
DS 僕らみんなダブが好きだったからな。
DR ダブの伝統を生かしたかったんだ。
PG ダブ自体は、音楽というよりはひとつのテクニックであり、アティチュードだからね。すごく実験的な音楽を、一般の人にもわかりやすい形でやれるというか、最小の機材で最大の効果を得ることができる。普通の人は、でっかいマーシャル・アンプやサンプラーや48チャンネルのミキサー卓がないと音楽なんて作れないと思ってるわけだけど、最初はもっとミニマムでいいんだ。そんなことよりも何を表現したいかということが重要だ。身の回りにあるものを使って自分の言いたいことを最大限に表現するというのがダブのアティチュードだと思うし、それが僕らのやりたいことでもある。
あなたたちの非常に政治的な歌詞やアティチュードを見てると、LKJに大きな影響を受けたんじゃないかと思ったんですが。
DR その通り。
ディーダルさんはまだハタチぐらいでしょう。LKJが一番活躍してた頃は、ダースさんとかパンディット・Jさんの世代じゃないかなと。
DR ちがーう! LKJは僕が最も影響を受けたアーティストだ。15歳のときに人に教えてもらって以来ね。
DS 今じゃ、彼のほうがLKJのレコードをたくさん持ってるよ。僕らはLKJと2回共演もしたことがある。
CS エイジアンの伝統として、世代間で影響を与えあうということがある。たとえば、僕らはデ��ーダルにジャングルを教わった。ジャングルのすごさが、バンド内のオヤジ・メンバーのアイデアに影響を与えたってわけだ。
DR チャンドラは僕にパンクを教えてくれた。
CS そう。僕らは世代を問わず、過去の音楽に対してリスペクトを持っている。リスペクトするってことは、単なる過去の音楽のコピーではなくて、それに何かプラス・アルファしたものをやらないとダメなんだ。リサイクルするんじゃなくてね。要するに何が言いたいかというと、ブリット・ポップみたいなのはア・カ・ンということだ。
DR シット・ポップ!
CS そう。いまニュー・スクール・エレクトロとかいってやってるやつもいるけど、あれもただのリサイクルにすぎない。
DR ホワイト・ビッグ・ビジネス! ファッションだね。
CS 音楽を動かし続けないと。新しい組合せやアイデアをどんどん生んでいかないとだめだろう。
DR カルチャー・オン・ザ・ムーヴだ。
LKJが、去年うちの雑誌のインタヴューで、「音楽と政治には特別な関係がある」と言ってるんですが、あなたたちの意見はどうですか。
CS 政治にも二つある。一つはいわゆる、スーツを着た連中がコチョコチョやってる組織化されたやつで、これはあんまり意味がない。もうひとつは、人の暮らしと密着したもの。人と人とのかかわりあいとか、目の前の状況にどう反応すべきか決断を下すための政治というのがある。僕らが興味あるのは、そういう政治だね。
でもLKJはスーツ着てますよ。
CS あれはいいスーツなんだ。
なるほど。
CS さっき言った、生活に密着したものという意味では、どんな音楽もポリティカルだと言える。たとえば、ポップ・ミュージック、とくにロックはこれまで自己破壊といったような、非常にネガティヴなメッセージを発信し続けてきた。他人を憎め、女を殴れ、オレが一番といったね。そういうことが音楽に乗って広まるのは、ある意味、非常に政治的だよ。
DS そう、だから10歳の子供が街で女性に暴行したりということが起こる。
CS たとえ歌詞がないものでも、音自体がステートメントになってるんだ。
なるほど。でも僕が言う政治的というのは、もっと直接的にあなたたちの曲のテーマに関わることです。たとえば「ナクサライト」。これをアルバムの冒頭に持ってきて、シングル・カットもした意図はなんでしょう。
PG いろんな解釈ができると思う。特にヨーロッパではね。たとえば、今年はフランスで学生が蜂起してから30周年だけど、今では誰も学生が生活に影響を与え、社会的な役割をちゃんと演じているとは思ってない。それから30年後のインドネシアで、変革の中心にいるのが学生だなんて、誰も思ってなかったんだ。我々は何度でも立ち上がる、「ナクサライト」はつまり、そういうことが言いたい歌だよ。大衆はもうなんの変革も起こすことができないなんていう考え方は、まったくのナンセンスだ。
CS 気の持ちようだね。そういうことを訴えれば、訴えるほど、それを信じる人も多くなる。時流に反してると思いたければ思えばいい。でも、僕たちは誰もがみな無気力だなんて話はまったく信じてないんだ。メディアがそういうふうに言ってるだけだよ。
「ナクサライト」を作ったのはいつでしたか。
DS いつ? よく覚えてないな。
CS 95年の終わりか96年のアタマだったような…。
96年に、ナクサライト一派の過激派がインドのアーンドラ・プラデーシュ州で大規模なテロ事件を起こしています。それがきっかけになったのかとふと思ったんですが。
DS そういうのあったっけ?
CS 知らんなー。
PWGという過激派によるものなんですが。
CS ああ、あったあった。でもそれは…。
PG (語気を強めて)個々のテロリズムには関心はないね。それは、もともとのナクサライト運動とは違う。ナクサライトは、土地や資源を取り返すための広範囲な大衆蜂起だった。
DS 基本的権利を得るためのね。
PG そう基本的権利だ。でもインド政府は結局、人々に少しの土地しか返さなかった。南アフリカがアパルトヘイト体制でやったようにね。ナクサライト運動は個別のテロリズムに形を変えて終わっていったけど、それは僕達が興味をもつところではない。僕達が関心を持つのは、大規模な大衆運動であって、自分が大衆を代表していると思い込んでるテロリスト達ではない。
CS 「ナクサライト」の歌詞を見ればわかるよ。歌詞は「大地の兄弟たちよ、連帯せよ」というフレーズで始まるけど、これはあるナクサライト・グループから他のナクサライト・グループへの演説のような感じだ。自分達がもしその大衆の立場だったらという視点で書いてある。僕達は、なぜこういう運動が起こったかというところから説明していかないといけないんだ。特にヨーロッパでは、みんな平和主義者ぶって、暴力はいけないとか、そういうことばっかり言ってるだろう。なぜそういう運動が起きたのか、その状況を理解する必要がある。僕らは音楽を通して、それを説明しようとしているんだ。ナクサライト達のすべてに賛成というわけではないし、僕らがナクサライトの支持者というわけでもないけどね。
DS ナクサライトは、僕らにとっては率直な反逆の曲だね。たとえばボブ・マーリーが『サヴァイヴァル』で歌ったのと同じような方法だ。
ADFは自分達のことをデジタル・アンダークラスと規定していますね。単なる下層階級ではなくデジタルであるというところにどんな意味を込めているのでしょう。
CS デジタル・アンダークラスは…そうだな、特に若いやつらに、ロウ・テクノロジーを使って新しい音楽を作ってるやつらがいる、そういう���つらのこと。音楽だけじゃない、たとえばロンドンの貧しい地域では、14〜15歳ぐらいのやつらがビデオ・ゲームをタダで手に入れる方法を知ってるし、電話のプログラムを改造して…。
DR 電話を改造して、タダがけするんだよ。
CS そう、つまりデジタル・アンダークラスっていうのは、生き残るために新しいテクノロジーを使いこなすやり方を知っている。たとえそれが違法なことであってもね。
DS そう。そういう状況に置かれているのだから仕方ない。
DR ジャングルのプロデューサーたちは、みんなデジタル・アンダークラスだったよ。
DS これは経済の問題だ。どれだけ金があるかが、どんな機材を使えるかを決定するんだ。でも、「ああ、1万ポンド分の機材がないから、あれもこれもできねえや」って言うかわりに、「これだけの機材で一体何ができるのか」って考えるほうがいい。それは改革の力にもなるんだ。
DR 機材を“悪用”する。
DS そう。つまりこれはダブということにも関係してるんだ。古いところでは、リー・ペリーがその好例だろう。リー・ペリーが使っていた機材は、当時でさえ時代遅れだった。ジャマイカの他のスタジオではすでに8トラックや16トラックを導入していたのに、彼は4トラックのテクノロジーを使って、フレッシュなものを作り上げた。彼はこの4トラックの技術を“悪用”したんだ。僕達がやろうとしてることの基本にあるのはリー・ペリーだが、今ではもっとクールな“MIDIの戦士達”がいる。、手に入るものはなんでも使って、MIDIのテクノロジーで新しいエキサイティングなものを生み出すんだ。
ドイツのアタリ・ティーンエイジ・ライオットは自分達のことを“MIDIジャンキーズ”と言ってますが、彼らもデジタル・アンダークラスなのかな。
DS かつてはね。でも今は違う。でも日本のオーディオ・アクティヴはMIDIウォリアーだよ。
分かりました。ではあと100個ぐらい質問が残ってますが、時間がないのでこのへんで…。
PG マジ? じゃああと60個だけ聞いていいよ。
写真も撮らないといけないし…。
DS 分かった。んじゃ55個にしよう。
〔7月30日 池尻・ポリドールで。通訳=染谷和美〕
[オリジナル原稿註]
ムハンマド・ラフィ(Muhammad Rafi) 60年代に人気絶頂だったインドの映画音楽歌手。80年没。パンディット・Gはパキスタンと言っているが、実際にはパキスタン独立後もインドにとどまったムスリムである。インド映画は歌と不可分で、ヒーロー/ヒロインが歌う歌がそのまま流行歌になるが、その歌をふき替えで歌う歌手をプレイバック・シンガーという。
ウェスト・ベンガル カルカッタを首都とする西ベンガル州のこと。そのとなりの西ベンガル州とバングラデシュはどちらもいわゆるベンガル地方。パンジャブはインドの西部で、こちらはパキスタンにまたがる。かつてのバングラ・ビートはこのパンジャブ地方の音楽をベースにしたもので、バングラデシュとは全く無関係
LKJ(Linton Kwesi Johnson) 闘うダブ・ポエット、リントン・クウェシ・ジョンソンのこと。イギリスのダブ/レゲエの歴史の最重要人物で、70年代にはラディカルな政治団体Race Today Collectiveで活動するなど、アンチ・レイシズムを前面に掲げた政治的活動で知られる。昨年、6年ぶりに来日し、コンサートを行なった。代表作は『メイキング・ヒストリー』『ティングス・アン・タイムス』(アイランド)など。
ナクサライト(Naxalite) 67年の3月から8月にかけて、ダージリンのナクサルバリで起こった農民による大規模な蜂起をきっかけにインド全土に広がった運動。毛沢東思想の影響を受けた農村蜂起戦術を理論的支柱に、大地主から土地を奪取するべく武装闘争を行なった。現在もアーンドラ・プラデーシュ州の人民戦争グループ(PWG)を中心にテロ活動が続いている。
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cuttercourier · 4 years ago
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[翻訳] インドのセックスワーカーとコロナ禍
インドの赤線区域がコロナウイルスを封じ込めることはない
インドにおける売春宿の閉鎖は大げさで無意味なジェスチャー。国家がこの危機のさなか出稼ぎやインフォーマル部門労働者を見捨てた事実を隠蔽するだけ。
2020年6月11日
シャクティ・ナタラージ(キングズカレッジ・ロンドン、ポスドク研究員)
ある不穏な新しい研究が最近インドのメディアを賑わわせている。ハーバード大学医学部とイェール大学の科学者の手になるこの研究は、ロックダウン期間中ムンバイ、ニューデリー、ナーグプル、コルカタ、プネーの赤線区域を閉鎖することでCOVID-19の新規症例数を72%減らすことができると主張し、それらを無期限に閉鎖しつづけることを推奨している。続いて、この研究の著者の一人であるスダーカル・ヌティーは、閉鎖の効果を上げるためにセックスワーカーを政府の福祉制度に結びつけ、他の職業に誘導すべきだと提案した。彼はこの提言を、ウイルスとセックスワークの両方を根絶するための恒久的な対策と考えているようである。彼によれば、COVID-19は「セックスワーカーがその職業から抜け出し、代わりの生計手段を見つけるのを助ける理想的な自然の機会」を与えているのだという。
研究の全容はまだ公開されていないものの、この提言は、インドにおけるセックスワークがどこでどのように行われているのかについて、不完全かつ危険なまでに単純な理解に基づいている。セックスワーカー団体や活動家、学識者とほとんど、あるいはまったく協議しないまま、セックスワーカーだけでなくインド全土の何百万人ものインフォーマル部門労働者や出稼ぎ者に対して、警察の暴力と不安定性を増大させるような措置を推奨している。
明確に区分けされた赤線区域が存在し、伝染病が劇的な管理措置によってそこに封じ込め可能であるかのようにいうのは幻想である。現実には、インドにおけるセックスワークのうち売春宿で行われているのはごく一部にすぎない。アーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州、タミル・ナードゥ州、マハーラーシュトラ州の5301人のセックスワーカーを対象にした調査では、売春宿で働いた経験があるのは回答者の24%だけであることがわかった。他の調査では、セックスワーカーの大多数が路上や自宅にいることが確認されている。売春宿で働いている人にとっても、それが二者択一であることは稀である。ムンバイにおけるセックスワークについて10年以上にわたって記録してきた人類学者スヴァーティ・シャーは、売春宿を拠点とするセックスワーカーの多くは、路上や建設現場でも働いており、ときにはそこで働く機会とセックスを交換していることを明らかにした。彼女らは移動も多い。インドのセックスワーカーのほとんどは国内か国外からの稼ぎであり、それゆえにさまざまな都市と故郷を頻繁に行き来し、親族、NGO、国家機関、そしてその他の不安定な都市住民からなるネットワークに頼りながら生き抜いている。
この研究はまた、赤線区域ではビジネスが活発で、劇的な閉鎖が必要とされるほどであるという誤った印象を与えている。しかし、デリー、コルカタ、ムンバイなどの都市では、1990年代後半以降、売春宿を拠点としたセックスワークは着実に減少している。これは主に、売買春廃絶派の反人身売買運動や民間の再開発業者、警察の取り締まりなどが増えたことによるものである。タタ社会科学研究所のある研究によると、ムンバイの売春宿のほとんどがあるカマティープラの、売春宿を拠点とするセックスワーカーの人口は、1992年には5万人近かったが、2010年には約2000人、2016年には500~1000人にまで減少した。研究者はカマティープラのほとんどの売春宿が鞄、ジーンズ染色、マット、布の製造工場に取って代わられたと指摘している。シャーの研究はこれらの知見を裏付けるものである。同様のパターンで、ゴア、スーラト、プネーの赤線区域は、観光、海辺のホテル、高速道路、路面店、工業施設のためのスペースを確保するため、2000年から2004年の間にほとんど取り壊された。
ムンバイのカマティープラやデリーのG.B.ロードのような地域には、出稼ぎ労働者、トランスジェンダーの人々、路上生活者、清掃労働者、露天商、在宅労働者、そしてサペーラー〔※蛇使いで有名なコミュニティ〕のようなノマド的パフォーマー・コミュニティが多様に混在しているため、「赤線区域」という言葉そのものが誤解を招いている。ジェントリフィケーションの急速で不均一なプロセスは、セックスワーカーに限らず、すべての都市部貧困層にとってソーシャル・ディスタンシングを不可能にした。地主、民間の再開発業者、国家機関がこれら一等地の不動産を巡って対立��ているため、貧しい入居者は水道もなく、しばしば自治体の規則に違反している窮屈な部屋のために法外な家賃を支払うことを余儀なくされ、入居者はいつでも立ち退きを迫られうる状態になっている。ヌティーの「セックスをしている間はソーシャル・ディスタンシングは不可能」という火を見るより明らかな指摘は、セックスワーカー団体もとっくに気づいていることである。より大きな問題は、何十年にもわたるジェントリフィケーションと反貧困層政策によって悪化してきた安全でない生活条件が、これら都市部の居住地におけるソーシャル・ディスタンシングを不可能にしているということだ。手を洗うための水道のない1つの家に17人が住まわなければならない状況で、あるいは、常に壁がじめじめしていて住人が結核の慢性的リスクにさらされている場所で、呼吸時の飛沫で広がるウイルスの主要な危険因子は本当にセックスなのだろうか?
売春宿を拠点としたセックスワークは、過去2ヶ月間のロックダウンでさらに激減している。全インド・セックスワーカー・ネットワークの報告によると、デリーの赤線区域G.B.ロードはほとんど閉鎖され、60%以上のセックスワーカーが出身州に戻ったという。コルカタの赤線区域ソナガチでは、先月の報告によると、売春宿を拠点とするセックスワーカーの数は5000人未満のようだ。多くの地域で家賃を払えないために女性たちが売春宿から追い出されている。他の地域では、女性たちは帰郷するための交通手段もなく売春宿で足止めされている。ボランティアやNGOはロックダウンによる制限のために食料を配給することができず、食料品の価格は2倍以上になった。現在、セックスワーカーたちの最大の関心事は、自分に客がつくかどうかではなく(ほとんどつかない)、彼女らのほとんどが居住地を証明できないために食料配給カードを持っておらず、また、政府の給付金を受け取るためのジャン・ダン口座〔※2014年から始まった国民皆口座のためのプログラムPMJDYを利用して開設された銀行口座〕を持っていない状況で、政府の福祉制度へのアクセスをどう確保するかということである。
保護よりも処罰
この研究の根本的な問題点は、オランダ、ドイツ、オーストラリアをベースにした予測モデルを、セックスワークや一般的な労働条件についての現実が大きく異なるインドにナイーヴに輸出していることである。インドの労働人口のうちなんと92%が、セックスワークもそこに含まれるインフォーマル部門で働いており、セックスを売る人の多くは「セックスワーカー」を自分の第一の職業的アイデンティティとは考えていない。むしろ、彼女らは生き延びるために他の不安定で、法的規制のない、スティグマ化された仕事をしながらセックスを売っているのである。セックスワーカーを他の生計手段に誘導することによって更生させようという幻想は、ほとんどの人が既に他の生計手段に従事しているため、見当違いである。
2014 年に 14 州で行われたセックスワークに関する調査では、セックスを売った女性の 50%以上が家事労働者や建設労働者、日雇い労働者としても働いており、 30%近くの女性がセックスワークを始めた後も他の仕事を続けて��ることがわかった。また、他の仕事の3~6倍の収入が得られるという理由で、自発的に専業として転向した人も多い。回答者の約70%にとって家事労働で得られるのが月 500~1000 ルピーであるのに対して、セックスワークなら3000~5000 ルピーである。インドの諸都市で性を売る人の多くは、貧しく、干ばつの多い地域からの出稼ぎ女性である。多くは土地をもたない農業労働者家庭の出身で、恵まれないコミュニティに属している。平均的に言って彼女らは正規の教育をほとんど受けておらず、子供や夫、故郷の家族を養っている。トランスジェンダーの人々の多くは、生家を追われたあと、生き延びるために物乞いなどの他の生計手段と組み合わせながらセックスワークに従事している。
セックスワークは犯罪化され、ジェンダーやカーストに 基づく厳しいスティグマを科されているため、特殊かつ独特な形態の暴力を引き起こす。それにもかかわらず、「公衆衛生」を理由に空間を取り締まろうとする現在の傾向は、長きにわたって公共空間を都市部貧困層一般にとって安全でないものに変えてきた。キングズ・カレッジ・ロンドンの法民族学者プラバー・コティスワランは、セックスワーカーの運命に最も強い影響を与えるのは、反セックスワーク的な立法ではなく、借家権と公共空間を管理する法律であることを論証している。彼女はまた、路上で活動するセックスワーカーの場合も、公然わいせつや迷惑行為関連の法律が警察やその他の役人に恣意的な権力と法的な免責を与える一方、セックスワーカー、物乞い、露天商、路上生活者を互いに敵対させていることを示している。セックスワーカーは法により犯罪者として扱われ、「更生ホーム」に囚われている期間の弁護士費用や逸失賃金に加えて、警察に月あたり最高1500ルピーの賄賂を支払っている。以上のような「閉鎖」の企ては、カマティープラ、G.B.ロード、ソナガチなどの都市部区画で、セックスワーカーやその他の脆弱なコミュニティに対する警察の暴力を増大させることになる。
このような事実に直面しているからこそ、赤線区域を閉鎖するという幻想が国家や中間層にとってかくも魅力的なものになっているのである。結局のところ、数え切れないほどの映画や小説、道徳運動においてフェティッシュ化されてきた赤線区域像は、長い間、そこに広がる政治経済的条件に対する認識を歪めてきたのである。シャーは、『未来を写した子どもたち(Born into Brothels)』や『スラムドッグ$ミリオネア』などの映画が、女性がそこから救出されるべき不気味な性売買の巣窟として都市部スラムを描き、カマティープラのような地域内部でのジェントリフィケーション、カースト的抑圧、不安定労働にまつわる政治を覆い隠しながら、暗黙のうちに都市の残りの部分を標準化していると主張している。インド各地の民族学者たちは、いかに警察や反人身売買組織が、売春宿の法的な定義の緩さに助けられて、赤線区域に暮らす子供たちを児童セックスワーカーと誤って描写し、また、自発的なセックスワーカーを売春宿管理者や人身売買被害者と一貫して偽っているかを示してきた。このような売春宿の負のイメージは植民地期に遡る。例えば歴史家アシュウィニー・タンベーは、1868年伝染病法などの反売春諸法がどのようにして背徳と伝染病の空間としての赤線区域を生み出し、より一般的にムンバイにおける���共空間の管理を正当化していたかを示した。
もしこれらの閉鎖案が実行されれば、人為的に区画された赤線区域は、国家が「パンデミック・コントロール」という壮大で空虚なジェスチャーを演じるために、再び映画の背景となるだろう。英雄的な科学者と警察がCOVID-19、セックスワーク、慢性的貧困を一息に癒やすことができるとは、まさに幻想である。現実には、インドでセックスを売っている人々は、働くのが売春宿であれ、自宅であれ、路上であれ、番小屋であれ、建設現場であれ、インフォーマル部門の労働者や出稼ぎという膨大な人口集団に属しており、彼らを国家はこのロックダウンと危機の間、目を疑うほどに見捨ててきた。政府は、より厳格なロックダウンを強いるのではなく草の根活動家やセックスワーカー団体の助言に耳を傾け、警察ではなくインド諸都市の最貧層の住民に物資を送るべきである。
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holigreen · 5 years ago
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マディヤ・プラデーシュ州と州都ボーパールの環境汚染
マディヤ・プラデーシュ州に馴染みのある方はいますでしょうか?私はこの州は、貧しい州というイメージのみでした。
ただ、なんとなく調べてみると、環境汚染の酷いこと。自分の中では、デリーが最悪だと思っていたのですが、近年のマディヤ・プラデーシュ州は、デリーの2倍の汚染指標を叩き出しているというのです。
そこで今回は、マディヤ・プラデーシュ州と、州都ボーパールの簡単な紹介の後に、特に環境汚染が指摘されているボーパールの状況をみてみたいと思います。
1.マディヤ・プラデーシュ州ってどんなところ?
マディヤ・プラデーシュ州は、インド中部、デカン高原北部に広がる州です。東をビハール州、オリッサ州、西をグジャラート州、ラージャスタン州、南をマハーラーシュトラ州、アーンドラ・プラデーシュ州、北をウッタル・プラデーシュ州の、各州と接しています。
総面積は約44.3万㎢で、インド…
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