#すべての夜を思いだす
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shiningwizard · 1 month ago
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Remembering Every Night (Kiyohara Yui, 2022)
Who still has a tumblr account and used his precious holiday days to go to Tama New Town for tourism purposes? Me. Fool. Nice place. Not sure how much of an insider, accurate evocation this movie is of the area or one more bedded in outsider fascination with life and living in a largescale state housing project. It did conjure feelings from my own shameful act of tourism so i'm unfairly leaning more the latter. Cosmic/planned community union of 3 souls dealing with absence. Orbiting, mirroring, affecting, but never touching. Isolating nothing of concrete and landscaping until life passes through, connections made. Town planning promise fulfilled. Really bad dragging-random-sound- clips-on-to-a-timeline soundtrack.
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nuovocparadiso · 6 months ago
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すべての夜を思いだす: Remembering every night (2022).
— dir. Yui Kiyohara • dop: Yukiko Iioka.
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koch-snowflake-blog · 2 months ago
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天羽 希純は、日本のアイドル、タレント、アーティスト、モデル、女優、グラビアアイドル。東京都江戸川区出身。ゼロイチファミリア所属。 本名、小松 希純。愛称は「きすみん」「きっちゅー」。ファンの総称は「ちゅー魔」。 ウィキペディア
生まれ: 1996年8月12日 (年齢 28歳), 東京都
本名: 小松希純
身長: 164 cm
テレビ番組: アイドルゾーン20時
カップサイズ: G
スリーサイズ: 84 - 58 - 84 cm
家族構成は両親、弟2人(3歳下と8歳下)の5人家族。
2020年4月の時点で「バブ」「ぷり」「ポン」という3匹の猫を飼っている。
好きな食べ物は栗きんとん。苦手な食べ物は野菜。健康管理、体調管理、体型管理にはとても気を遣っているとのこと。
趣味はクラシック鑑賞、温泉・銭湯巡り、御朱印集め。神社も好き。特技はピアノ、トロンボーン、水泳。
将来の夢は女優になること、武道館ライブをすることを挙げている。数々のアイドルグループを経験しており、「普通に生きてちゃ目立てない」を座右の銘としている。
「希純(きすみ)」という名前は、氷室京介ファンの父によって、氷室の曲「KISS ME」から名付けられた。
母親の影響を受けてか看護学生時代あり。
八百屋、居酒屋、東京ドームシティでアルバイトをした経験がある。
アーマーガールズとしてデビューする前に、乃木坂46の2期生オーディションを受けて落ちた経歴がある。その乃木坂46のブログはブックマークに入れてしょっちゅう見ているほどで、いつか共演して必ず追い抜いてみせるという野望を抱いている。
『週刊プレイボーイ』(集英社)開催「適乳(てきちち)」番付には選ばれていないものの、自分こそがという思いで「適乳」をグラビアアイドルとしての売りにしている。2022年まではスリーサイズを前述のように公表していたが、2023年現在では身長以外を非公表にしている代わりにバストはGカップと公表している。
実年齢よりも幼く見え、『cream』の常連モデルを務める。自身では「高校3年生の受験シーズンの感じ」と例えている。
所属する#2i2の最年長メンバー。チームへの思い入れや責任感が強���、#2i2をより有名にしたいとの思いがモチベーションになっている。
本人は自分が不在の間#2i2のメンバーに支えてもらった事をとても感謝しており、そのメンバーの気持ちに応えるため頑張り続けたいとのこと。チーム愛も人一倍強い。
家族想い、メンバー想い、動物想いである。動物愛好家であり、2023年6月時点で3匹の猫と4匹の犬を飼っている。
人柄は明るく、謙虚さを兼ね備えている。TIF2023PR大使決定戦総合ポイントランキング1位になった際も、本人の実力ではなくファンのお陰だからとのコメントを添えている。イベントでは周囲から「神対応」と称されており、ファンとの触れ合いを大事にしている。これは学生時代交流が下手くそで、煙たがれた経験から、好きって言ってくれる人にはできるだけ感謝を伝え、1回でもドキッとして帰ってもらいたい、思い出の爪痕を残したい考えからの行動である。
2023年9月2日、国指定の難病である潰瘍性大腸炎に罹患していることを、自身のSNS投稿で公表した。
2024年10月10日夜にバイクとの接触事故に遭い、頭部を縫う怪我を負ったことをグループ公式サイトが発表した。
2024年10月28日、ヒカルチャンネルのお泊まりシリーズに初出演。
  
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oq-oq · 11 months ago
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2019年4月27日に書いていたしんどい時の自分のケア方法。またしんどいことがあったら役に立つといいなと思って書いたことをなんとなく覚えていて、見返してみた。すんごく真っ当なことが書かれていて、びっくり。
考えことは、夜にはしない。昼間太陽とともに。
同じ思考を繰り返している場合は、きちんと思考を中断する。
感情はコントロールし、きちんと表にだしていく。怒ることは悪いことではない。
コントロールできない感情に対しては、無防備に直面しない。直面する際には、時間と人を間に入れ、ポジティブなフィードバックを受ける環境で、向き合っていく。
感情を落ち着ける逃げ道を用意するが、感情から逃げ続けるための予定に、追い込まれない。人と話すことによって、できごとの再体験をしすぎない。
食事がとれないときは、水分をきちんととる。突然に身体の負担になるものは食べない。食事に逃げない。食べる時は和食。
苦しいことに慣れない。抜け出すべき道であるということを自覚する。
これからの在りたい姿を自分の中に、確立する。
気分転換の買い物は本にする。本屋を巡り、たくさんの世界をみると落ち着��。本はいくら買っても、無駄遣いにならない。
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1003zr · 2 months ago
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2024-11-26
【 回 答 3】
「親父とのセンズリのきっかけ」
質問者様
「親父とのセンズリのきっかけ」についての質問への回答途中で、書き直そうとしたら質問ごと消えてしまい「回答済み」状態になってしまい質問文も消えてしまったので、ここに再掲載します。
子供の頃から高校卒業して実家を出るまで、風呂に入るのはほぼ親父と一緒でした。
なので、チン毛が生え始め、子供の「チンチン」から
大人の「チンポ」になってく俺の成長を親父ばずっと見てましたし、親父も自分のチンポを教材のようにして見せてくれてたので、親父にチンポを見られたり
親父のチンポを見たりすることは基本的には抵抗なかったです。
「基本的に」と言うのは、俺が精通を迎えて性的な刺激で意識的にも無意識的にも勃起するようになるまでは、です。
それまでの子供の「チンチン」だった頃は、握れる程もなく、親父の手で洗われても「くすぐったい」くらいで、そこに興奮も気持ち良さもありませんでしたが
陰茎と雁首と亀頭がはっきりと別れてくると、俺のチンポも親父のチンポと同じように大人のチンポになってきます。
中学生の頃にはそうでした。
チン毛も生え揃い、朝には朝勃ちするようになって、その頃はさすがに親父と入るのがちょっと恥ずかしかったですね。
夏休みのある日。
親父と風呂入ってると、身体を洗う時にいつものように親父が背中をゴシゴしてくれます。
「日焼けが痛い」って言ったら、ゴシゴシしてたナイロンタオルを洗面器で泡立てて、手ですくった泡で痛くないように洗ってくれました。
首の後ろ、肩、背中へと手を滑らせながら、唐突に
「もう、せんずりしとんのか?」
って、聞いてきました。
「チン毛が生えたか」とか「皮剥けたか」とか、目に見える身体の変化は隠しようがないので、そういう会話はまだいいですが
「センズリ」は、中学生のあの頃はいちばん興味があって、いちばん触れて欲しくない話題でした。
イッた後の何とも言えない、余韻と罪悪感。
脱力感の中、臭いと痕跡を残さないようにザーメンを拭いた生青臭いティッシュは、トイレに流しに行くのですが、たまに「あとでトイレ行く時に」と思って、枕元に置いてそのまま忘れて朝になってることが何度かありました。
そんな朝に限って、親父が通勤の車で聞くCDを選びに来たり、俺の本棚から持って行った漫画を返しに来るんです。
夏休みで俺はまだ寝てましたが、痛いくらいの朝起ち
で目が覚めて、うっすら目を開けると
机の上に親父が返しにきた漫画が数冊置かれてました。
「あ、父さん、来たんか」
と思いながら、トイレに行き勃起したチンポを押し下げながら、しょんべんして部屋に戻りました。
部屋に充満する青臭い匂い。
ずっとその場にいると匂いに慣れてきますが、外から入ってくると、自分の部屋でも匂いますね。
枕元には、ほぼ乾きかけてますがまだ中は湿った青臭い匂いがする丸まったティッシュ。
そんな事があった朝の、その夜の風呂での親父からの
「もう、せんずりしとんのか?」
親父は、俺の部屋に入るたびに臭うザーメンの匂いや
いっちょ前に朝勃ちしてる俺の寝てる姿とかで
俺がもうせんずりしてるって分かってたんでしょう。
「せんずり?」
と、誤魔化すこともできましたが、親父が発する
「せんずり」って言葉に、俺がまだ知らない漠然とした
「大人の男のエロ」を期待する気持ちが湧いてました。
さらに、俺も親父も真っ裸で俺は親父に素手で背中を洗われてるわけです。
泡々の泡で洗うようにはしてくれてますが、手のひらは背中に密着しています。
親父の手が肩から背中、そしてケツに下がってきます。
親父はマットにあぐらかいて座ってるので、俺が立ち上がると手が届きません。
なので、いつものように座ったまま右ケツ上げると
右のケツタブに手を滑り込ませてケツタブを洗い
左ケツ上げると左手でケツタブを洗い。
いつもは、ナイロンタオルでゴシゴシですが、今は素手なので強めに撫でる感じです。
そして、いつもは軽くゴシゴシされる割れ目も、素手で洗われました。
人差し指、中指、薬指、指3本揃えてグッと股ぐらに突っ込んで、蟻の戸渡りからケツ穴をなぞるように尾てい骨まで、3往復くらい。
片ケツを上げてますが、親父の手が滑り込むくらいなので、浮かせてる感じです。
ケツ穴とイスに挟まれる親父の指先。
皮が硬くなった、指の腹や節に出来たタコが、俺のケツの割れ目をなぞります。
急にゾクゾクっとして、チンポが勃ってくるのが分かりました。
もうおさまるわけもなく、俺は膝に置いていた右手でそっと勃起を隠しました。
めちゃ分かりやすいタイミングと行動やったなと思います(笑)
隠しながら 「うん、たまにやってる」 って答えると
「キリモミか?皮剥いてやっとんか?」
て聞かれて「キリモミ」の意味がわからず 「こうやって」と、親父に背を向けたまま俺は両手で手を洗う仕草をしました。
そしたら 「こっち向いて座ってみ」
って言われて、もうフル勃起状態やったけどしゃあないし親父の方を向きました。
俺は風呂のイスに座ってましたが、親父の方を向くと背中にカランが当たる位置なのでイスを外して、親父と同じバスマットに座り直しました。
真っ裸で、あぐらかいて向かい合う親父と俺。
俺は勃起したチンポを手で隠しますが、バレバレです。
「勃っとるんか?」 て笑われましたが、その笑いで
「父さんがそんな話しするからやろ」 みたいな流れになって恥ずかしさが薄れました。
しかし 「ついでにやってみぃ」 て言われてまた恥ずかしくなりました。
俺の目の前には真っ裸であぐらかいて座る親父。
これで親父のチンポも勃起してれば、俺も思い切れますが、親父のチンポはだらんと垂れたままです。
この温度差、俺だけが興奮して勃起してる状況にチンポ萎えるかと思いましたが、親父も自分のチンポに手をかけたんです。
俺は、親父がチンポ弄るのを見ながら皮が被ったチンポを両手で挟んで、ズリ���リしました。
そしたら、親父が
「あー、キリモミか、剥けるんか?
剥けるんなら剥いてみ、わしみたいに」
て、親父は自分のチンポを掴んでズル剥けの亀頭を見せてきました。
親父のチンポはもう何度も見てたけど、チンポ握ってシコシコする姿は初めて見ました。
親父は、軽くあぐらを崩して「くの字」に曲げ伸ばしました。
俺も、親父の足と互い違いになるように膝を曲げたまま軽く足を開きました。
「皮剥けるんなら、キリモミやなくてこうやってやる方がええ」
と、親父は萎えたままの自分のチンポを握って上下に扱いて見せます。
萎えていても、くっきりくびれたカリ首をストッパーのようにして、チンポ握る手をゆっくりと上下させます。
俺も、皮を剥いてチンポを握って上下させました。
ずっとキリモミで皮越しに亀頭を揉むようにしてたので、この感覚は親父と同じ 「大人のセンズリ」 て感じがして身震いしたのを覚えてます。
チンポ洗う時に皮は剥いて、亀頭も洗ってましたが、触るとくすぐったくて、洗面器のお湯を掛ける勢いで流してました。
なので、こうして皮を剥いて亀頭を露わにして、親父とチンポを見せあってると
なんかもう、なんも隠すことないなと吹っ切れました。
親父は、俺だけビンビンなのは気まずいやろうと思って勃たたせてくれようとしてたのか、ダランと萎えてた時よりも亀頭は膨れて、竿も芯が入ったように
円柱形になって、無言で上下に扱いてましたが
勃起する気配はありません。
まぁ、親父からすればまだ中学生の俺の身体やチンポにはなんも思わないでしょうし、そもそも父親と息子ですから変な気になんかならんでしょうね(笑)
親父に父子相姦とか、ショ夕の趣味がない限り無反応なのは当たり前です。
と、親父がチンポを握る手を話して広げたかと思うと、手のひらに唾を垂らしました。
「は?唾吐くなら、風呂場やし床とかで流せばええのに?」
と、思って見てたら、そのツバを亀頭に擦り込むように手のひらで亀頭を撫でるようにグリグリし始めたんです。
結構、たっぷりと唾を垂らしてたんで、グリグリしたり扱くと 「クチュクチュ」 音がします。
指の隙間や、手筒からのぞく亀頭が唾でヌメヌメと泡立ってました。
唾って、口から吐き出すと汚い物に思ってたんで、それを手で受けてチンポに擦り込むなんて、正直「汚いっ!」て思いましたが、同時にその荒々しさと言うか
「これが大人の男のセンズリかっ」
て感じで、めちゃ興奮してました(笑)
俺も真似して、ツバ出そうとしましたか、緊張と興奮でぜんぜん出なかったです。
そしたら、親父がまた手のひらにツバ垂らしてなんも言わずに、俺の方にグッと寄って来て、俺の亀頭を掴んで「ワシの唾やし、汚なないやろ」て(笑)
ちょっと亀頭に馴染ませて直ぐに手を放したけど
亀頭を握られただけでイキそうでした。
「でした」て言うと、イクの回避したようですが
ずっとずっと興奮MAXになって��うてるチンポにいきなり、親父の手で親父の唾を擦り込まれて、金玉の奥の方から一気に噴き出す感覚がしました。
俺は、チンポを扱く手を止めて両手でチンポを押さえながら
「あっ !父さん、イきそうなんやけど」 て言うたら
「おう、ええよ、手放してガマンせんで扱け」
て、親父も自分のチンポを俺と同じように扱きだしました。
「父さん、イクっ!イクっ!」
そのままイったら親父にかかるから、とっさに自分の方にぐっと向けて出しました。
めちゃ飛んでセルフ顔射して、親父にめちゃ笑われて俺も笑けてきました。
親父が「あ、目はつむっとけよ、汁が目に入ったら痛いで」って、湯船から洗面器で湯をすくって、頭からかけてくれました。
確かに、うっすら目にザーメンが入って痛かった気がします。
結局、親父は最後までフル勃起はしてなかったです。
俺がもうちょっとイくのガマンできてたら、親父の勃起見られたかな。
その後も、高校卒業して実家を出るまで親父と入ってたので、何度か風呂場でセンズリする事がありました。
今回はそのきっかけになった話しでした。
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yoga-onion · 29 days ago
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Heart Sutra ~ A sutra that describes “The Heart of the Perfection of Wisdom" (9) 
Hoichi the Earless – A Japanese tale about spiritual merit of the Heart Surtra
When Xuanzang crossed the Silk Road to India, recited the heart Sutra and protected himself from evil demons through its spiritual power. (Ref). There is a folk tale in Japan that tells its spiritual merit.
A young Biwa-hōshi (lute monks) named Hoichi lived at Amida-dera Temple in Akamaseki. Hoichi was a master storyteller of the Tale of the Heike, especially the Dannoura battle, which is said to ‘make even the demons shed tears’.
The Battle of Dannoura was a historical fact, once a decisive battle between the Genji and Heike clans, with many Heike warriors and court nobles sinking to their deaths in the sea, and perished. The temple was built on the coast overlooking Dannoura to commemorate the Heike family.
One night, when the abbot is away, a warrior suddenly appears out of nowhere. Hoichi is begged by the warrior to go to the palace of the ‘nobleman’ to play his biwa. Although the blind Hoichi could not understand them, many noblemen seemed gathering. They requested a piece about the battle of Dannoura. Everyone is sobbing aloud and looking intensely moved. Hoichi is asked to play a whole week, and starts going out every night.
The abbot became suspicious and had temple men follow him one night. It was raining heavily, and Hoichi was alone in the empty cemetery of the Heike clan, playing his biwa in front of the grave of Emperor Antoku, who had died an untimely death as a child, surrounded by a frighteningly large number of demon firebrands. The astonished temple men forcefully bring Hoichi back home. The abbot then, knowing the nature of the grudge spirits that the body parts on which the sutras are written are transparently reflected and invisible, copied the Heart Sutra on Hoichi's whole body together with the temple men, so that the grudge spirits could not recognise Hoichi. However, they did not realise at the time that they had forgotten to copy the sutra on his ears (auricularia). 
That night, as Hoichi sat alone, the warrior came for him as usual. However, Hoichi's body, on which a scripture is written, is invisible to the grudge spirit. Puzzled, the grudge spirit looked around for Hoichi, and found only his ears in the darkness, which were forgotten to copy the sutra. The grudge spirit used its monstrous power to tear the ear off Hoichi's head. The spirit left, silently. When the abbot returned at dawn, he realised that when he had written the Heart Sutra on Hoichi's body, he had forgotten to write the sutra only on his ears, and apologised to the bloodied Hoichi for his oversight.
After that, the Heike ghost never appeared before Hoichi again, and the wound in Hoichi's ear was soon healed by the good doctor. This strange event spread throughout the world, and he came to be known as ‘Hoichi the Earless’.
(There is also a version where Hoichi dies.)
[Image below: The tragedy of the young Emperor Antoku drowning in the arms of his grandmother, Taira no Tokiko]
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般若心経 〜「智慧の完成」の精髄を述べる経典 (9)
耳なし芳一 〜『般若心経』の霊験にまつわる日本の物語
玄奘三蔵がシルクロードを越えインドに渡るとき、『般若心経』の霊験を信じ口誦し悪鬼どもから身を守ったことは先にも述べた(参照)。その霊験を物語る日本の民話がある。
赤間関の阿弥陀寺に芳一という若い琵琶法師が住んでいた。芳一は盲目だったが、平家物語、特に「鬼も涙を流す」といわれる壇ノ浦の合戦を語る名手だった。(琵琶法師とは、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した僧侶の姿をした琵琶の弾き語りで、ほとんどが盲目だった。)
壇ノ浦の戦いは、かつて源平の決戦となり、多くの平家の武士や公家が海に沈んで没した、という史実である。壇ノ浦を見下ろす海岸に、平家を弔うために阿弥陀寺が建てられた。
ある夜、住職の留守の時に、突然どこからともなく一人の武者が現われる。芳一はその武者に請われて「高貴なお方」の御殿に琵琶を弾きに行く。
盲目の芳一にはよく分からなかったが、そこには多くの貴人が集っているようであった。彼らは壇ノ浦の戦いについての曲を所望した。皆、声を上げてすすり泣き、激しく感動している様子で、芳一は自分の演奏への反響の大きさに内心驚く。芳一は七日七晩の演奏を依頼され、毎晩出かけるようになる。
不審に思った住職は、ある夜、寺の者たちに尾行させた。大雨の降る中、誰もいない平家の墓地で、幼くして非業の死を遂げた安徳天皇の墓の前で琵琶を弾いていた芳一は、おびただしい数の鬼火に囲まれていた。驚いた寺男たちは、強引に芳一を連れ帰る。
そこで住職は、怨霊の「お経が書かれた体の部分は透明に反射して見えない」という性質を知っていたので、寺男たちと一緒に芳一の全身に般若心経を写し、怨霊が芳一を認識できないようにした。しかし、その時、耳(耳介)にお経を写すのを忘れていたことには気づかなかった。
その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武者が迎えにきた。しかし、経文の書かれた芳一の体は怨霊である武者には見えない。怨霊は当惑し、芳一の姿を探し回った挙句、写経し忘れた耳のみを��闇の中に見つけ出した。怨霊は怪力でもって芳一の頭から耳をもぎ取った。怨霊はそのまま去っていった。 夜明けに戻ってきた住職は、芳一の全身に般若心経を書いたとき、耳だけにお経を書くのを忘れていたことに気づき、血まみれの芳一に自分の見落としを詫びた。
その後、平家の亡霊は二度と芳一の前に現れることはなく、芳一の耳の傷はすぐに良医によって癒やされた。この不思議な出来事は世間に広まり、彼は「耳なし芳一」として知られるようになった。
(芳一が死亡してしまうバージョンもある)
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jaguarmen99 · 5 months ago
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344: 名無し:24/08/21(水) 19:11:29 ID:pe.rf.L1 コインランドリーのおかげで死な��に済んだこと。 どういうことかというと、数年前、職場のベテランが複数名辞めて皺寄せがこちらにきたことがあった。 精神を病んで、洗濯物を洗っても洗濯物が干せなくなった。
洗濯物を洗ってもそのまま洗濯機から出さずカビだらけに。 怖くなって服を洗えなくなり、下着だけ手洗いしてなんとか干してた。
洗濯物を干さないと綺麗な服も着られないので、毎週新しい服を買う意味のわからない行動に出てた。 罪悪感で胸が潰れそうだった。 ある夜コンビニにおやつを買いに出かけたら、住んでるマンションのお隣さんが私に「こんばんは〜」と挨拶して 大量の洗濯物を抱えて出かけて行った。 不思議に思ってこっそりと後をつけた。
そしたらお隣さん、大量の洗濯物をコインランドリーに放り込んでた。 徒歩2分くらいのところにあったようなのに、私は全く気づいてなかった。 それでも 「コインランドリーに頼るのは大人として失格だ。きちんと手で干さないと、太陽の光に当てないと、洗濯したとはいえないんだ」 とその時は思っていた。 さらに惨めになって死にたくなって、練炭も用意し、いざという時はこれを使おうと決めていた。
数ヶ月が経って、過労で職場で気絶し床に倒れた時、頭の中にパッとあの夜見つけたコインランドリーが浮かび上がった。
真っ白で清潔なコインランドリー、お隣さんが洗濯物を放り込んだ洗濯機の洗剤の匂い、看板に書かれた「10分100円」の文字。 そのまま暗転した。
目を覚ました時には病院だった。丸一日眠ってた。 看護師さんが名前はわかりますかと聞いているのに、 「私、コインランドリーに行かなくちゃいけないんです。 今すぐにコインランドリーに行ったら、これから全部うまくいく気がするんです」 と開口一番伝えて看護師さんを困惑させた。
病気ではなく、睡眠不足が祟ってぶっ倒れただけだったのでなんともなかった。
しばらく私は見舞いに来た上司や同僚に「コインランドリーに行けばすべてうまく行くんです」と何度も何度も伝えた。
「なぜうまく行くと思うの?」と理由を聞かれたけれど、 「わかりません。でも今の私を満たせるものはコインランドリーしかない」 とわけのわからない回答をしていた。
上司が不気味がって、休職していろと指示があった。
退院し、すぐさま床に散らばった家中の服、下着、タオルを家の洗濯機で洗濯して、脱水まで済ませたものを せっせとコインランドリーに運んだ。ちょっと贅沢に40分400円コースにした。
ゴウンゴウンと音を立てて洗濯機が乾燥していくのを、40分呆然と立ち尽くし、ずっと乾燥機の前で見つめていた。 どんどん心がスッキリしていくのを感じた。
それから洗濯物をきれいにしまい��途端に家事をやりたくなり、家中綺麗にした。 そして「あんな苦しい職場辞めちまえ」という気になり、貰うもんだけ貰って辞めた。
今はちゃんとした会社で、たまに残業しながらものんびり過ごせている。 週末お洗濯して、洗濯物の乾燥はコインランドリーに頼ってる。 大体10分もあれば乾く量なので、月額400円であの苦しさから解放された。 前の職場の同期曰く、「明らかに普通ではなかった。何を聞いてもコインランドリーの話しかしてなくて、本当に病んでた」 と言われた。
多分、家事の中でダントツめんどくさい「洗濯物干し」が楽になって助かったというだけの話なんだけれど、 私はそれ以上に、心が助けられたと信じてる。
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servant222 · 20 days ago
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2025/01/13 休みの日
久しぶりに予定としては何もない休みの日。そんな久しぶりの休みはやることが色々ある。どこに行ける?何ができる?などと思いながら結局、送迎や家事や諸々のやるべき雑用で1日は終わった。こういうこともこんな日が無いと片付かないので仕方なし。
途中ほんの少しだけ空き時間ができたけれど何をするにも時間としては短く、結局迎えの場所に早めに行って、その辺りを散歩した。風が強くて寒かったけれど天気は良かった。海に沈んでいく太陽とそれに照らされる月が観覧車の横に見えて随分と得した気分になった。満月は明朝沈んでかららしいのでほぼ満月だなと月齢カレンダーと見比べながら思う。柵の所にイソヒヨドリなのかまん丸としてかわいい鳥がいた。
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夜は寒いのでポトフを作った。
細切れに動いていたけれどこれといって特別なことは何もない休みの日だった。今は猫が爪を立てた障子の隙間から月明かりが明るく差しこんでいる。
さぁそろそろ眠ろう。おやすみなさい。
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amarough · 1 year ago
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ひっそりと…
蛍火艶夜の最新話が更新されました。
坂ノ上少佐編、前編です。今月からひと月に一回25日に更新される予定です。
ただでさえテーマがニッチなのに加えて好き嫌いが大いに分かれそうな感じの…見た目も中身も決して万人受けしねえカップルになったと思います
試し読みをよく読んで、お金を無駄にしないように気をつけて下さい。
ちなみにわたしはチン弱クズおじさん(攻)×傷害罪(受)と呼んでいます。
世の中のBL好き女子はケンカップルが好きらしい、と噂で聞いたので、そのつもりで描き始めたらケンカップルが分からなすぎて失敗しました 多分これはケンカップルでは無い
相変わらずこれがBLなのかは分かりませんが、気になった人は読んでみてね
扉イラスト時間なさすぎてサボってごめん
ちなみに伴ちゃんのハチマキの端っこ部分はえんじ色です。なんとな〜く色ついてんだなと思い浮かべながら読んでもらえたら。
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nuovocparadiso · 6 months ago
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すべての夜を思いだす: Remembering every night (2022).
— dir. Yui Kiyohara • dop: Yukiko Iioka.
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rodolfo9999 · 5 months ago
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驚くべき事にホノルルでアマゾン配達が始まっていた。食品や飲料はホールフーズから配達された。本来アメリカのアマゾンではアルコールを頼めない決まりだったが、ハワイは平気で頼める。海老とケールのシーザーサラダも頼んだ。一般的なホテルで頼めるかどうかはわからないが、我々にとってはたとえ配達料を別途支払ったとしても大変ありがたいサービスであると思った。電球や冷蔵庫といった電化製品も配達可能である。素晴らしい。特にクアーズライトはABCマートでは21ドルであるのにアマゾンでは13ドルちょいである。しばしば安いビールは品切れするが、それでも注文から3時間後には配達されて、夜8時くらいまで配達するというのは超便利だと思った。
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simamamoru · 7 months ago
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戦闘服の男たちNo.0
現職自衛官の告白体験手記
「遠くで突撃喇叭が」
原題「遠くでラッパが」
作  島 守
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新隊員の便所はノリだらけ
 朝五時、起床まであと一時間である。いやあ、変な夢を見たるんだなと思って、ギンギンになっているセガレに手をのばすと、ああ、やっちゃった。まったくしょうのない奴だぜ、昨日センズリかいたばっかりだろうが!
畜生!今起きると、となりのベッドの奴が目をさましてカッコ悪いし、しょうがネーな、起床で戦闘服に着替える時にでも一緒に履きかえるか。
 それにしても新隊員は外出が制限されてるせいで、夜なんかとても遊びに行けないし、極度に欲求不満の日々が読いている。
雄臭い野郎を見るだけならここは本当にいい所だけれど、それ以上のことはちと不可能。けっきょく、夜、誰もいないトイレにはいってシコシコ激しくセンズリをカクしかないのだ。風呂で見たガッチリしたオアニイさん��、カワユイ隊員たちがチラチラ浮かんできたりする。
 でも終わってみると、やっぱりむなしいな。なんか小便とたいしてかわりないみたいで。それでもけっこうさかんなようすで、この間も班長から、
「新隊員の便所はノリだらけでたまらん!」
なんて怒られてしまった。マア、ノリは冗談としても、エロマンガのちぎれたのや、ビニ本なんかが時々モロ、トイレにおきっぱなしになってたりする。金があれば普通の隊員はトルコにでも行くんだろうけど、そこはまだペイペイの新隊員、月給は少ないし、貯金はしろとうるさいし、とてもとても…
 それでも、あけっぴろげな男だけの世界。
「これからセンズリ行くゾー」
と、エロ本片手に走って行く奴もいる。
 そんでもって自分もけっきょくその日のタ方、バラしてしまうのだった。
「昨日の夜、爆発しちまったでェー」
「いやー、エッチだなあ。勝見二士がいないからじゃないのォー」
 前期の教育隊から一緒に来た北村二士にいうと、思わぬ返事が返ってきた。まいったなあ。
「このヤロォー、勝見と俺はそんなに深い仲でネェゾ!」
「エへへへ、でも勝見二士は、島二士のダッチワイフだったんじゃないのォー」
 まったく北村の野郎、口のへらない奴だ。
まっ、べつに勝見二土はダッチワイフだなんてのは冗談だからいいけど、でも俺は、やっぱりドッキン!そう、あいつはいい奴だったもんな。この俺に、男と男が精神的に強く結ばれることがどんなに素晴らしいことか数えてくれたから・・・•・・ネ。
 それは3ヶ月前
 桜のつぼみがまだ硬い三月の下旬、俺は陸上自衛隊のある駐屯地に入隊した。出身県の関係で他の県の出身者より四日ほど遅い入隊だった。勝見二士とはこの時に初めて出会ったのである。
〈三月某日〉
 なかなかできてる奴
今日から俺の自衛隊員としての生活が始まる。まわりの環境は、想像していたのとそれほど変りはない。でも一部屋四十人というのは多すぎるようだ。
 それから自衛隊ではバディという仕組があって、二段ベッドの上下でペアを組み、訓練面や私生活でいくそうだ。
 俺のバディは勝見次郎。ガタイが良くてイモの煮っ転がしみたいな顔をした奴だが、なかなか性格はよさそうだ。
 この時はまだバディの重要さなんか知るよしもなかった。
 勝見二士は俺より年下だが、四日も早く入していただけあってちょっと先輩気取りで、ベッドのとり方から戦闘服のネームの縫い物まで俺に協力してやってくれた。早くもリードされっぱなし。それでもけっして悪い顔をしないで黙々と手伝ってくれる彼を見て、
「なかなかできてる奴だワイ」
と内心思ったもの��ある。
<四月某日>
ビニ本でぬいて来い
 入隊式も終わり、訓練も��々に本格的になってきた。銃こそまだ持たされていないが、戦闘服を着て半長靴をはいて走り回るさまは、一人前の兵隊さん・・・・・なんちゃって。
 そんな時、体育の時間に勝見の野郎がすっころんでけがをした。運動神経いいくせにまったくそそっかしい奴だ。おかげでその晩、俺がヨーチン片手に手当てしてやる。 
 両足おさえつけて、ヨーチンをぬるさまはSの気分。ムフフフと不敵に笑って、「グチェッ!」とぬってやる。勝見の奴たまりかねて、「ギャアー!」
 苦痛にゆがんだ顔って、ちょっとエロチックやなアー。
 
 四月にはいっても外出は下旬にならないとできない。新隊員とはつらいもんである。ああ、自衛隊には自由なんてない!これでは縛られるのが好きなMじゃなきゃ向かないんじゃないだろうか。そんなわけで貴重な休みも隊舎のベッドでゴロゴロ、これじゃ夜寝られるワケがない。
 消燈もとっくに過ぎた十二時半、なんとなく昼間寝すぎたので寝つけない。緑色の毛布の中でごそっと寝返りを打つと、上のベッドでもごそっと寝返りを打ったようだ。安物のベッドがグラッとくる。これじゃセンズリかいてようもんなら、片っぽのベッドの奴は地震かと思って起きちまうだろうななんて思ってると、
「オイ、島さん寝たかい?」
と、勝見が小さな声で話しかけてきた。
「なーんか、こうムラムラして寝られネェんだョオ」
と俺。すると、
「島さん、最近やってないんでしょ、アレを」
「まっ、まあな」
と、二人はムクッとベッドから起き上がて話を始めた。まったく目がさえてしかたいない。すると、その時へやの戸があいて、だれかがはいってきた。なんと班付(つまり上官)の上田士長である。よーく見ると、片手にビニ本を持っている。
「お前ら、まだ起きとるんか」
「エエ、寝られないんですヨ」
と勝見二士。すると上田士長、恥ずかし気もなく片手でもってるビニ本二冊を差し出すと、
「これでちょっとぬいてこい、そうすればバッチリ寝られるゾ。俺も抜いて来た」
 思わず俺と見、顔を見合わせてニヤリ、もちろん俺はあんまりビニ本には興味はないが、そこはノンケの顔をしていなければならないのがツライところ。
 ともかく、俺と勝見の二人はビニ本片手に仲よくトイレに直行。そこで二人は同じ個室に••••••てなわけにはいかなくって別々の目室に。ハイ、でも、ガマン!
「オッ、スケニ本だぜ、もうビンピンだァ」
「タマンネニナー。でもあんまりおっきな声だすなァ、不寝番がびっくりして飛んでくるゾォー」
 なんてことを話しながら、お互いに実況中継をし合う。洋式トイレなのですわってカケるのでらくなのだ。となりの個室からのすっとんきょうな声がとだえた。奴も本気になってきたようだ。こっちがたまんなくなるようなあえぎ声が聞こえてくる。思わず俺の手の動きも早くなる……。
 すると、突然奴の声、
「ウッ!ウッーウ」
 畜生、俺より早く終わりやがったな。
奴の家は海辺の町で漁師をやっている。中学、高校と、よくアルバイトを兼ねて家の手伝いをしたそうだ。そのためか潮で鍛えられた体は浅黒く、区隊で誰にもまけないくらいの逞しさを持っている。そんな奴から海の話を聞くのが俺も好きで、いろいろと聞いたものだった。サザエの採り方なんか、実に詳しく話をしてくれたもんだった。
<5月某日>
好きになったのかな?
 知らないというのは恐ろしい。いつものように勝見二土から海の話を聞いていた俺は、なにげなく聞いてしまった。
「じゃ、なんで家の仕事を継がなかったんだい?」
「親父が許してくれなかったんだよ」
「どーして?」
「・・・・・・兄貴が海で死んだからさ••・・生きてれば二十七歳さ。よく晴れてベタなぎの海にもぐったきり、サザエ採りにネ、兄貴、上がってこなかった」
 淡々と話し続ける奴は、やっぱりいつもと違っていた。
「やっぱり親は親なんだな。二人も海で死なせたくはないんだろうな。いくら俺がねばってもだめだった。今の俺なんて、丘に上がったカッパさ・・・・・・・」
と、彼は言う。いやいや、丘に上がったカッパなんてとんでもない。奴の体力は区隊のトップをいつも争っている。俺だって気力じや負けないつもりだが、やっぱり体力検定だとかではっきり数字に出されると、どうも一歩も二歩もゆずってしまう。
「漁仲間の人から最近よく言われるんだ、兄貴に似てるって」
 彼はこう最後に明るく付け加えた。なんか、この話を聞いているうちに、自分が奴に引かれていることに気がついてきた。なんとなく奴のことを、俺は他の班員とは違う目で見ているということに・・・・・・。
 俺、奴のこと好きになったのかな?
まだ五月の下旬だというのに、真夏のような暑さが続く。そんな太陽の下での戦闘訓練は、まだ自衛官として一人前の体力を持ち合わせてない俺たちには、とてもキツイ。 
 たかが4.3kgの小銃が自分の体じゅうの汗を吸いまくる。気がつくと小銃から滴がしたたるほどに汗でぬれている。 
 地面だってこんな間近に見つめることなんてあったろうか。地にふせた俺の目の前にあるのは、青々とした草が高々と繁っている姿と、小さな虫たちの世界だった。
 一瞬、自分が虫けらになったような気がする。ふと隣を見ると、3メートルほど離れて奴がこっちを見てニヤリとした。埃にまみれた顔から白い歯がチラリとのぞく。ほんの数秒の間の��けさが何時間にも感じる。
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 すると突然、頭上で班長の大声が響く!
「目標、前方の敵!」
「突撃!前へ!」
 銃をかまえると全力で走りだす。核の時代にこんなことが役に立つのだろうか、もうバカになるしかないな。班長の号令が頭の中を素通りして直接手足に伝ってゆく。俺も奴も、そして愛すべき仲間たちも、死ぬ時はみんな一緒・・・・・なんだろうな。
<六月某日>
レイプごっこ
 3ヶ月の前期教育も大詰めをむかえてきた。今月の末には、俺も奴もバラバラになって全国の部隊のどこかの駐屯地に配属されることになるだろう。なんか、そう思うと、とてもせつない。でも、俺と奴は違う道をたどらなければならない。希望も適性も違うから。だからあと数週間、思いっきり悔いのないようにガンバッテいく。それが今の俺たちには一番なの
だ。
 営内近は1班12名前後いる。学校の教室の約2倍ほどの大きさの部屋に、実に40人の隊員が詰め込まれ、2段ベッドで毎日の訓練生活を送っている。もちろん性格もさまざまであるが、そんな隊員たちが40人も一つの部屋にいる姿は、なんとも壮観で異様でもある。しかも全員、スポーツ刈りか坊頭で、体格もこの六月ごろになると個人差こそあれ、すっかり逞しくなってくる。
 その中にはやっぱり俺以外にも、男が好きな奴がいるらしい。時々どっかからか、〇〇二土と二士が二人でトイレにはいって行くのを見たなんて話を耳にすることがある。
 うまいことやってるなあなんて思うけど、やっぱり毎日寝起きしている仲間の前ではなかなか、そんなことできるワケがない。それでもよく俺たち二人は皆の前で冗談を飛ばし合う。
「オッ、いいケツしてんなあー、たまんねえぜ!」
「バーカ、���夜はもう予約ズミダヨ」
「ベッドあんまりゆらしてこわすなヨ。下で俺が寝られネェからヨ」
「じゃペーパー貸してやっから、センズリでもかいてきな!」
 なんてやり合ってると、周りの仲間も悪乗りしてきて、なにがなんだかわからないうちにレイプごっこ(つまり解剖というやつ)が始まったりする。どんなバカ力の持ち主でも二十人ぐらいにせめられたんじゃ手も足もでない。アッというまにスッポンポン。一回やられるとくせになるみたいで、次の獲物をさかす。でも気がつくと、一番必死でやってるのは俺みたい。
<六月中旬某日>
こみ上げてくるような話
 今日から前期教育で最初で最後の野営(泊まりがけの野外訓練)が始まった。
 午前中に寝泊まりするテントを設営する。
 午後からは小銃手用の掩体(一種の個人用の隠れ穴…ここに隠れて首と銃だけ出して、敵を狙う)を掘った。
 1グループ6人で3時間ほどで仕上げなければいけない。
 もっぱら俺は現場監督のように地面に穴を掘る設計図を引く。そして奴は、パワーショベルのようなバカカで他の仲間四人とともに穴を掘る。もちろんきっかり時間内に仕上がった。
 野営で俺たちが使うテントは、二人用の小さなもので、朝起きてみると足が外に出ていた、なんてことがしょっちゅうある。もちろん奴、勝見二士と一緒である。
一日めの夜は夜間訓練もあり、ビールも一本入ったので、二人はろくに話しもしないで寝てしまった。
 二日の夜、目が冴えて眠れない。久しぶりに奴と俺はいろんな話しをした。酔うと滑舌になる勝見。入隊する前の事や、これからのこと、もちろん女の話しだって出てくる。俺は当然聞き手に回るわけだが、それでも奴は初体験の話や、彼女にふられてしまったことを、こっちが感心するほど克明に話してくれた。
なんかこみ上げてくるようなものも感じるけれど、それは明日の厳しい訓練にとかして流してしまおう。
 三日めは、昼間の行軍が災いして床についたら、またまた、あっという間に寝てしまった。それでも就寝前、点呼に来る班長が、
「お前ら、あんまりいちゃつくなよ!」
「いやーあ、昨日なんて島さんが寝かしてくれないんスよ。まいったなあ」
なーんて冗談も飛ばしてくれて、言葉の中だけど、楽しませてくれた。
<前期教育終了7日前>
愛すべきパワーショベル
 今日は最後の体育だ。項目はなんと苦手の障害走。外見に似合わず(?)体力のちと足りない俺には恐怖の時間である。だが、今回はなんと二人でペアになってやれというのである。当然勝見二土と組むことになる。よし、やるぞ!
 隊長の合図でスタートし、戦闘服姿で障害物を切りぬけていく。高さニメートルの垂直の壁あ��、幅一・五メートルの溝あり、まったくとんでもないコースだ。やっぱり勝見の奴は早い。確実に障害をこなしてゆく。時々日に焼けた顔でこっちをふり向く。そうだ、奴がいるから今俺は、三カ月間ここまできたんだ、汗と埃は今、大きなエネルギーと変わって俺たちに吸い込まれてゆく。奴が好きだ、そう、心の中で叫んでやる、
「好きだ」と。
 ふと気がつくと、目の前にロープが下がっていた。最後の難関のロープ登りである。畜生!俺が最も苦手とするやつだ。それでも登らなければならない。一段階一段階と手足を使って登るのだが、なかなか上へ進まない。
 畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くに・・。すると、そ畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くのに…。
 すると、その時である。足をなにか、すごい力で下からさ押れた。グーッと上に上がる。フ、フックに手が届いた。やったあ!思わず下を見る。そう、俺の足の下には勝見のこぶしがあった。奴は満身の力で、俺を下から押し上げてくれたのである。
この野郎!お前はやっぱりパワーショベルなんだなあ。
<前期教育終了6日前>
 自衛隊部隊はラッパの音と共に、毎朝8時に国旗掲揚、夕方5時に国旗降納がある。
 俺の前に整列している奴の後ろ姿の敬礼を見るのもあと数回しかない。教育終了後に別の部隊に進む事に決まったからだ。
 日に焼けたうなじを目に対み込んでおこうと思う。毎日、一緒に行く食事も別れが近いせいか会話が少なくなったような気がする。
 そろそろ身辺の整理を始める。ダンボールに荷物をつめる時、背中に後ろで見ている奴の視線がやけに気になる。
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<前期教育終了4日前>
 パンツの隙間から半立ちのものが…
 教育打ち上げの研修旅行で、ある山奥の温泉に行った。
 やはり百名近い短髪の青年集団というのは一般の人々に奇異に見えるようで、必ず「お仕事は何ですか」なんて聞かれる。もちろん醜態をさらす飲み会に制服なんて着ていくワケがないから、わからないのは無理もない。
「皆さんお若いですネ。今年入社した��ですか?」
「ハアー、そうです」
「いい体している人ばかりですけど、どんな仕事ですか」
「まあー(モゴモゴモゴ)」
「ガードマンかなんかですか?」
「似たようなもんですネ」
と、けっこうおもしろがって遠回しに話をするんだけど、後ろから当然、
「島二土!」
なんて階級で呼ばれるもんだから、わけ知りの人にはバレちゃう。そしてその夜ー。
 バカ騒ぎのうちに飲み会も終わり、各班ごとにひっそりと部屋に集まって二次会が始まる。ビールの本数が増えるに従って、歌が出る。かわるがわる歌う員の歌声をバックにして、俺も奴も仲間たちも、この三カ月間の訓練をいろいろ思い出していた。苦しかったことしか浮かんでこない。
でも、俺たちはその中で同期愛ということを学んだ。
 いつのまにかみんな寝てしまっていた。もう外は白みかかっている。
 突然、俺の寝ている毛布に奴が割り込んできた。肌がふれ合う。奴の匂いがする。すぐいびきかく。でも、なんとなく手が出せない。チラリと下を見る。パンツのすき間から、奴の半立ちしたものが見える。そういえば、いつか俺も言われたっけなあ。
「島さん、立ったチンポぐらいしまって寝てろよナ。思わずさわりたくなるだろが!」 
 奴が不寝番をやっていた時見られてしまったようだ。まったく助平な奴だと思った。でも俺のほうが助平だったりして。
「俺、眠ってる時って何されてもわかんねえんだよなあ」
と奴がカマをかけてくる。
「バーカ、もうやっちゃったヨ。でも1万円のダッチワイフのほうが気持ちよかったぜ」
と俺。してやられたというような奴の顔。
 そんなこと思い出しながらいいチャンスの中、俺も寝てしまった。
<前期教育終了日>
 再会をめざして頑張ろう
 とうとう、今日という日が来てしまった。
 俺も奴も違う部隊へ行ってしまう。場所も離れているので、顔も見られなくなるかもしれない。両手で握手をして別れた。
 遠くでいラッパが鳴っている。戻は出なかったが、心で泣いてしまった。ありがとう、リスの目をしたパワーショベル、勝見次郎よ。日に洗けて埃にまみれながら走り続けた道を、ふり返りながら前を行く。奴だから、今日まで.....。
そして今…
 新隊員後期教育が始まって1ヶ月半。前期教育から一緒に教育を受けている北村二士が手紙を見せてくれた。勝見二士と同じ部隊に行った高田二士からだった。
<あ、そうそう、この間の手紙に島さんが夢精したって書いてあったネ。あの文、勝見二士に見せたら、「まいったなあー」って口ではいってたけど、ニヤニヤしてたぜ。島さんに会いたいって伝えといてくれとのこと>
 俺も奴に会いたい。こんど会うのはいつのことだろうか。
「士、別れて三日を経たるは刮目して待つべし」
お互い、目をみはる再会をめざして頑張ろうじゃないか。人は出合いと別れを通じて成長するのだから。
 そして後��談…2024年
 題名「遠くで突撃喇叭が」は第二書房が付けた題名。
 原題は「遠くでラッパが」である。今どき戦闘訓練で突撃喇叭なぞ吹かない。この時代の薔薇族には戦記物を書ける文字通り百戦錬磨の先輩がたくさんいたから仕方ないが、俺の指したラッパの音は毎日部隊で鳴らされる国旗掲揚、国旗降納のラッパである。
 勝見二士(仮称)は俺が見込んだとおり自衛隊員募集パンフレットの表紙を飾った。
残念ながら2任期(4年)で退職。
再会は果たせなかかった…親父の後を継いで海に出たそうだ。
新隊員当時の写真。小説に出てくる面々。
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 その他の隊員と再会したのは地下鉄サリン事件。不幸な事件であったが、それぞれが一線で任務についていた頼もしさを感じた。
 もちろん俺も新隊員の教育をする先任陸曹になった。
 その後俺も2等陸曹で依願退職。約15年の自衛隊生活を終了。鳶職となり予備自衛官で約10年、1曹まで務めた。
 2024年現在、自衛隊に残った同期たちは全て定年退官している。
 俺を薔薇族、さぶに引っ張ってくれた木村べん氏も他界された。
 読んでもらって分かる通り、肉体関係は無くとも男同士の愛情はある事への感動を自衛隊で得ることができた。
 職務上死の覚悟を要求される世界。
 その感動をセックス描写のない小説でも構わないからと木村べん氏に書いてみないかと言われて作ったのがこの作品。
 べん氏に銃を持つ手ではイラストは描けなくなると言われて、好きなメカ画も共同で作品表紙等で書かせていただいた。もちろん最初で最後。ben &tetsuは勉&(鳶)徹って言うこと。
 文中漢数字が多いのは縦書きの影響。
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「遠くで突撃喇叭が」掲載誌表紙
もう一つ参考にしてさせていただいた本。
1974年芥川賞受賞作品「草のつるぎ」
実はエロ度こちらの方が数段上。戦闘訓練の打ち上げで全員でセンズリこくシーンがある。実話だからノーカットなんだろう。
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ari0921 · 1 year ago
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付��ましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを���げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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nmtn-kobi · 5 months ago
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雨が少し降っている深夜。今日は人が少ないかなと思いつつ、むしろこういう日は、ノリの良い奴が多いに違いないと期待に股間を膨らませる。
準備は整っている。ロッカーに服をなおし、水分補給をして、暗闇に向かう。このフロアにはあまり人がいないな。ならば、上のフロアか…?
急な階段を上がると、一段と暗い闇が広がっている。少し息を整えつつ、暗闇に目を慣らしていく。段々見えてくると、すぐ近くに、イケメンの雄が仰向けに横になっている。どうやら酔っ払ってウトウトしてるようだ。構わずに太腿に手を這わせ、ローライズのパンツ越しにそこに手を伸ばす。おや、ん、?おぉ!スゲェ…
たまらずパンツを引き下げると、ベタンっ!と飛び出す。あ、イケメンが気付いた。目を合わせると、そこを自分で握り振りかざしてくる。OKの合図だ!持っていたローションを、お互いの必要な部分に無造作に塗り付けると、喜び勇んで、跨り始める。うぉ……ぉぉおおお…あ……や…べ………………あぁぁぁぁ!ガツンっ!
あぁ、生でイケメン様のデカマラを嵌めちまってる、
「たまんねぇなぁ、お前の雄穴」
あぁ、イケメン様が、舌を出して快感に顔を歪ませている。すげぇ、いい眺めだ。俺の生雄穴を奥の奥まで味わってくださっている。上の口からも涎が垂れちまう、へへっ、たまんねぇぜ。
「取り敢えず、種付けるぞ」
すげぇ、下からガツガツ突き上げてくださる。あぁ、俺の腰も勝手に押し付けてしまう。
「おぉ…いい穴だ……あぁぁぁぁ、気持ちぃ…おぉぉぉ、イクぞ…イクイク…イクイクイクイクイク…あぁっ!!」
ドプンっとまるで音が聴こえたような気がする、また一段奥に入った。あぁ、種を擦り付けてくださっている。あぁ、精子の香りが漂い始めた。俺も出そう…あぁ…穴の奥が、デカい亀頭を掴んでしまう…おぉ…やべやべ…危うく…あ、やべ、俺のからもダラダラ精子が出てくる。勿体ねぇ…これも。
一旦引き抜くと、俺の精子も塗りたくり、その雄の精子とローションとを混ぜ、もう一度、デカい亀頭がちょうど穴に出し入れするように遊んでみる。たまんねぇなぁ、笑
「ちっ」
あ!ひっくり返され、うつ伏せにさせられると、寝バックの体勢だ。
「あぁ、やべやべやべやべ、出る出る出る出る」
耳からイケメン様の喘ぎ声を注がれる。あ、あ、あ、俺も、俺も出る出る出る出る…!!
奥の奥まで、ガツガツ突かれ、しっかり嵌まってしまう。マジ…で…気持…ち…いい…
密着したまま、あの香りに包まれて、俺の背中で、イケメン様が、そのまままたウトウトし始める。時折、中を動かすと、ビクンッと大きな反応が返ってくる。幸せだ。笑
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yoga-onion · 4 months ago
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[Image above: D. T. Suzuki (11 November 1870 - 12 July 1966) was a Japanese Buddhist scholar and doctor of literature. ]
A message from 23 nights temple Q&A: Part 2 [Part 1]
Next question was, want to know more about Tendai Buddhism and how to do face-to-face learning outside of Japan:
More than 1,400 years after its introduction, Buddhism in Japan was born from the founders of sects in Japanese history and culture. Today, about 13 major sects exist, including the Tendai sect. Of these, three are Zen sects: the Soto, Rinzai and Obaku.
Among them the most representative are, Saicho, founder of the Tendai sect, whose head temple is Enryaku-ji on Mt. Hiei; Kukai, founder of the Shingon sect, who brought esoteric Buddhism to Japan, whose head temple is Kongobu-ji on Mt. Koya; and Dogen, author of the Shobogenzo, a philosophy book said to be a manual for Zen meditation practice and originator of mindfulness. Founder of the Soto sect, whose main temple is Eiheiji Temple.
Buddhism means 'Buddha's teachings'. In the beginning, everything was transmitted orally and it was only after Buddha's death that documents and scriptures were created. All of the Buddhist scriptures that remain today were described by the memory of Buddha's disciples. In the meantime, it underwent various transformations through the views of translators and other factors, and representative gurus from different countries established and divided into sects. The Tendai sect is one of these sects, founded by Master Saicho. Incidentally, my trusted teacher is a Zen monk of the Soto sect, and he says that one should not be confined to a sect. It is because Dogen, the founder of the Soto sect, taught that the Buddha's teaching is one and that we should not be obsessed with sects.
Those wishing to study face-to-face or Buddhist thought outside Japan should visit your local Buddhist temple or Zen centre. You can easily find one by hitting the usual keywords. However, not all are good teachers. It is recommended to search patiently for a teacher or centre that suits you. For international learners, books by Japanese Buddhist scholar D.T. Suzuki are relatively accessible. He wrote on Zen in English and introduced Japanese Zen culture to the rest of the world. He was also a prolific translator of Chinese, Korean, Japanese, Vietnamese and Sanskrit literature.
In fact, the teachings of Zen that we are learning are not like there is a holy scripture that says this is the absolute truth, nor is there a founder who says that this is the absolute truth.
And it is best not to decide on a teacher based on sect or culture, but to knock on the door of a person you can identify with. More importantly, he or she may not only be in the temple.
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二十三夜堂からのメッセージ Q&A: その2 [その1]
次の質問は、天台宗についてもっと知りたい、日本国外で対面で学ぶ方法を知りたいというものでした:
伝来から1400年余りの年月を経て、日本の歴史文化のなかで、宗派の開祖たちから生まれたのが「日本の仏教。 現在、大きな宗派として存在しているのは、天台宗を含め約13宗派。その中で禅宗は、曹洞宗、臨済宗と黄檗宗の3宗。
中でも代表的なのは、天台宗の開祖の最澄、総本山は比叡山延暦寺、日本に密教をもたらした、真言宗の開祖の空海、総本山は高野山金剛峯寺、そして、坐禅修行のマニュアルとも言われている哲学書「正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう)」の著者でマインドフルネスの元祖、曹洞宗の開祖の道元、大本山は永平寺など、が挙げられる。
仏教とは「ブッダの教え」という意味である。当初、全ては口頭で伝えられており文書·経典ができたのはブッダ没後のことだ。今日残っている仏教経典はすべて、ブッダの弟子たちの記憶によって記述されたもの。その間訳者の見解などを通して様々な変形を繰り返し、各国の代表的な教祖が宗派を立ち上げ分かれていった。天台宗はその一つで、最澄が立ち上げた宗派である。因みに私の信頼できる先生は曹洞宗の禅僧だが、彼は宗派に囚われるべきではないと言っている。というのも曹洞宗の開祖である道元禅師が「ブッダの教えは一つであり、宗派に執われるな」と教えていたからだ。
国外で対面学習や仏教思想を学びたいとご希望の方々は、ローカルの仏教寺院、または禅センターを訪ねてみると良いと思います。お決まりのキーワードを叩けば、すぐに見つかります。但し、全てが良い先生とは限りません。自分に合った先生やセンターを根気よく探すことをお勧めします。海外の方々は、日本の仏教学者、鈴木大拙氏の本が比較的手に入りやすいと思います。彼は英語で禅に関する著作を発表し、日本の禅文化を世界に紹介し、また中国語、韓国語、日本語、ベトナム語、サンスクリット語などの多作な翻訳者でした。
実際、私たちが学んでいる「禅」の教えは、これが絶対の真理だという聖典があるわけでも、これが絶対の真理だという教祖がいるわけでもありません。
宗派や文化で師を決めるのではなく、ご自分が共感できる門を叩くのが最良かと思います。もっと言えば、その人はお寺にのみいらっしゃるとも限りません。
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kmnmscat · 1 year ago
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拡張 その1
フィストができる骨格、できない骨格。というのを昔聞いたことがある。まぁ、できる人にとっては「日頃の訓練」、できない人は「才能(骨格)の問題」と、それぞれの言い分があると思う。
まぁ、それを踏まえた上での過去話
上野の24でやった時のこと。土曜の夜に入店しすぐにケツを洗い、トイレの個室でツメ10。浴衣の紐(この当時はまだ紐でした)で腕を縛り、血管めがけてプスッ。グイっと筒を引くと赤いキノコ雲。それを確認すると押し込んだ。
オレはキターーーーー!って感覚を味わいたいから押し込んでる最中はいつも息を止める。押し込んで紐を外し水を吸ってキャップを閉めて置き、腕を抑えて一気に息を吸い込む。すると体の中を勢いよくあれが流れて目がチカチカする。すーーーーーーっと頭が冷えてくのを感じてると同時に、自分のチンポコがすーーーーーーっと縮こまっていくのもわかる。あ、これすげーいいネタだ。ラッキーと思い道具をロッカーにしまい、大部屋へ。
大部屋に行く通路でマッチョな親父にケツ触られて、ビクっとなる。そのままドリチンも触られるとにや~っとエロい表情でオレをベッドの部屋に誘導する。ベッドでベロチューをすると「おぅ、変態な味がするなぁ」と言われ、ローションでケツをほぐされる。オレは親父のチンポが舐めたくて舐めたくて、ケツをほぐされながらかがんでチンポを口に入れた。太さ、長さもでかすぎず、最初の相手にはちょうどいいサイズ(15~16cmくらい??)
正常位でオレのケツに生でゆっくりと挿入。ローションでグチュグチュいいながらケツの中で生チンが動く。あっ・・・あっ・・、やべぇ、今日のネタあ・・うぁ・え・・・・。と多分白目剥きながらそんなことを頭の中で考えながらケツの中のチンポを感じていた。
暗闇で良かった。たぶんアヘ顔でやべぇ顔しながら掘られていたと思う。本能的に気持ちいいところに手がいく。右手はドリチン、左は乳首。ローションも塗ってないのにチンポがヌルヌルしているから、先走りがダラダラと漏れ出てるのだろう。そのままバックの体制になり、ケツの奥のもう一つの穴に親父の生チンが入り込みしばらく掘られていると「あ、イク・・・イクぞ、イクイクイクイクぅ!」一瞬動きが止まったかと思うと、ドびゅーーぅ・・・、ドクン、ドクドクン・・・とケツの中に生種をつけられるのが分かる。このドクンドクンとザーメンが放出されると同じリズムでいきり立った生チンもビクンビクンいうからたまらねぇ。
「ありがとな。」と言うとそのまま去っていった。種まみれのチンポしゃぶりたかったけど、まぁしゃーない。と思っていたらそのままバックですぐに違うチンポがケツの中に入ってきた。「え!?」と思ったが気持ちがいいので相手が誰かはどうでもよくて、ケツの中に入ってきたチンポを感じてた。さっきの生チンよりも太く、ケツがムリムリムリムリっと強制的に広げられ、ぐいぐいっとねじ込むようにケツの中に入ってきた。いい感じになってるのと、さっきのザーメンのおかげでケツは痛くない。耳元で「ほらほら生だぜ生生生生」と低音でボソボソ連呼される。このオラオラ感、隠語連呼系はおそらくこいつも↑ている。声の感じから若い、背中に密着される肉質からスリム系。「あぁ、たまんねぇこの種まみれの生ケツ。さっきのやつの雄臭ぇ生種をオレの生チンでケツのヒダに塗りこんでやるよオラぁ。」たまんねぇ、こういうオラオラ系の言葉責めとかゾクゾクする。バックから体を半ひねりさせて松葉崩し、ケツの中に生チン突っ込まれたままさらに体をひねって正常位。暗闇での視界も慣れてきていたので相手の顔をみると顔がちょっとコケた感じのジャンキーっぽい。ヘラヘラニヤつきながらオレのケツを掘り続ける。汗かきながら掘られていると、「種が上がってきたぞホラホラホラぁ・・・ウッ!」と言い、動きはそのままパンパンとケツのヒダに打ち付けながら生種をケツの中にぶちまけられた。そのままオレに覆いかぶさり耳元で「ちょっと場所移動すっから来いよ」と言われた。
ついて行くと、突き当りにあるシャワー付きの個室トイレ。そこでジャンキー君がシャワーを出そうとしたので、「ちょっと待って、そのチンポしゃぶらして」と言いかがみ、種まみれの生チンをしゃぶった。ネトネトに絡みついてるザーメンを舌で舐めとり、味わいながらごくんと飲んだ。「うめぇな。ションベン出る?出るなら口ん中に出してほしい」すると、ジャンキー君は躊躇なくションベンを出してくれた。苦味の強いションベンで、キメションとすぐに分かった。飲める分は飲み、飲み切れない部分は体にぶちまけてもらった。オレが「何メモ?」と聞くと「12のあとの10の8で勃起薬」と教えてくれた。シャワーを一緒に浴びながらクセェ汗を流し、「お互い気をつけような」と言い別れた。
時間を見ると3時間くらい経っていた。
一度ポーチを取りに行き、追加をして第2回戦(3回戦?)に挑む。
その2に続く。
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