#さいたまトリエンナーレ
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昨日の視聴者の会総会で左翼の新形態が明らかになりました。その名も「生活左翼」。テレビに出るために必死でテレビの論調におもねる人たちのことです。言ってることがコロコロ変わるのも生活のため。ビジネスモデルは「下請け業者」。こういう連中を文化人と呼ぶ必要はないな。 .. 生活左翼のロールモデルはおそらく津田さんなんだろう。活動家仲間の御推薦で大学の客員教授等の地位を得て、さらにそこから芸術監督にステップアップ。後に続きたい人も狙うはこの方向性か。なるほどね。 大学には私学助成金入ってるし、あいちトリエンナーレも補助金事業。つまり生活左翼って補助金を食う仕事なんですよ。奴らが言うことコロコロ変わるのは補助金もらうための受験対策。偉そうなこと言ってもビジネスモデルが補助金乞食ですから。
上念 司 - 世田谷自然左翼と生活左翼の違いについて過去のtweetをまとめておきました。定義が曖昧な人がいるんで、こ... | Facebook
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美術は未来に先行することがある
《2000年にも、重要なテーマと出会う》
故郷の西脇市(兵庫県)に帰ったある夜、子供時代によく通っていた模型屋さんを見に行ったら、店は無くなっていた。記念に写真を撮って翌日現像すると、道がY字になっていて消失点が左右に2つあることに気づき、探してみたら西脇はY字路の宝庫でした。都市計画されていない農道などがY字路になっている。ほとんど誰も描いていないし、怪しく神秘的な構図になる。それから描き続けて、もう100点を越えています。
美術は、ときに見えないものを描きますが、見えるものを見えないように描けないかと考えて、ある時期からY字路の画面をどんどん暗くした。そうしたら東日本大震災が起き、停電で街全体が真っ暗になっている姿と重なった。2011年の横浜トリエンナーレには真っ暗なY字路をたくさん出しました。美術は未来に先行することがあるんです。
2024/04/22 朝日新聞(聞き手 編集委員・大西若人)
語る ーーー人生の贈りものーーー
横尾 忠則 15
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塩田千春(アーティスト)x岡部あおみ
日時:2009年5月10日 場所:銀座資生堂ビル(資生堂ギャラリーで開催された第六次「椿会」展「Trans-Figurative」4月7日から6月21日の会期中に行われたトーク)
『無意識の不安』「椿会展2009 Trans-Figurative」 資生堂ギャラリー(東京)photo: Sunhi Mang
岡部:私が塩田さんの作品を初めて見たのは横浜トリエンナーレで、会場の奥にバーンと巨大な『皮膚からの記憶』があり、塩田さんの作品がある意味、商業的な催しに使われてきたその空間をどういう風に打ち壊せるか、それとは異なる自分の造形言語を打ち立てることができるかに挑戦した作品だと感じて、とても感動しました。その時までは塩田さんにお会いしたこともなかったし、話した事もなかったのですが、会場のディスプレイを建築家の私の夫が担当していたものですから、塩田さんのいる時間を聞いて会いに行ったんです。その時はじめて少し話もしたのですが、彼女はとても素直で、自分の作品に対する想いも、ほんとにちょっとしか話さなかったのですけど伝わって来ました。 その後、飯田橋の日仏学院で私自身のキュレーションで展覧会を開く機会があり、その時に塩田さんのビデオの作品ですが、『マイ ストマックエッグ』をお借りする事になり、初めて直接コンタクトを取らせて頂きました。それ以後、ベルリンに何回か行った時も塩田さんのアトリエにお邪魔したりして、当時のアトリエにもうかがいました。アトリエには70年代の頃からの古新聞ですとかさまざまな日用品が残っていて、それ自体が作品のイメージがあり、都市の記憶が蓄積された、ある意味納屋みたいな、光もあまり入ってこない薄暗い場所ですが、そこで塩田さんは錬金術のように自分の作品を考えながら一つひとつ生み出してきたのだということを感じさせる場所でした。このアトリエを見つけて使用できるようになったのは、随分あとのことでしょうか。住んでいらしたアパートのすぐ前にあった空間だったわけですが。
『皮膚からの記憶』 インスタレーション 2001年 横浜トリエンナーレ2001 photo: Sunhi Mang
『マイ ストマックエッグ』 ヴィデオ 2001年 photo: Sunhi Mang
塩田:99年からこのアトリエの向かい側に住んでいたのですが、開かずの扉が前にずっとあり、その扉の奥を知りたくてある日、大家さんに訊いて開けてもらいました。開けると20年ほど昔の、いやもっと長い期間、誰も入らなかったような、不思議な空間が目の前に広がっているのを見て、この場所をアトリエにしたいと、その場で大家さんに頼みました。許可を頂き、それから埃だらけの部屋を清掃し、その場にあったガラクタやDDR時代の新聞もそのままにして、スペースを少しだけ空けて、アトリエとして使い制作をしました。夏は暑く、冬は寒い、とても使い難いアトリエでしたがいつのまにか、私にとって、このアトリエは、秘密の場所として、まるで共存しているかような空間となったのです。展覧会でよくベルリンを離れる事が多いのですが、どこに行ってもこのアトリエで自分が制作しているようなイメージが頭から離れず、そしてベルリンに帰ってアトリエの扉を開けるたびに、「帰って来た。」と大きく深呼吸できる場所になりました。何も制作できない時も多かったのですが、ただこのアトリエに入り、座ってその何も出来ない時間やぐずぐずした気持ちなどを、共有する。そんなアトリエでしたが、2007年から、その住んでいた建物も改装工事が始まり、立ち退かなければならなくなり、今はもうこのアトリエは使っていません。
岡部:バスタブの中で泥を被る作品も、あのアパートの作品ですか?引っ越しを何度もしていらっ��ゃるから、それともそれ以前のアパートですか。
『Bathroom』 ヴィデオ、1999年 photo: Sunhi Mang
01 ベルリンのアトリエの思い出
塩田:その同じアパートです。ドイツに行って3年間に9回も引っ越しました。そして最後にやっと落ち着けたアパートが向かい側にアトリエがあり、お風呂場でも作品を作ったアパートです。その後、引越しはなく、立ち退きまでの8年間同じ場所にいました。 引越しを繰り返していた当時は段ボールに自分の荷物を詰めては、また段ボールを開けずにそのまま次の引っ越しをすることが多く、ベルリンのミッテ地区にこのアパートを見つけたときは、すごく嬉しかったのですが、お風呂がなかったので、水道工事のできる知り合いに頼んでお風呂を作ってもらい、それがまた嬉しくて、それだけが理由ではないのですが、お風呂場で作品を作りました。
岡部:でも新品のバスタブで泥をかぶったりして、排水溝がパフォーマンスの後で詰まったりしませんでしたか(笑)。
塩田:風呂の栓は詰めてパフォーマンスをしていたので大丈夫でした。泥水もたらいで掬って、パフォーマンスの後、屋根裏部屋から地下までその泥水を運び捨てに行ったのでそれは大変でしが、幸い詰まることはなかったです。一番始めはただ泥を被るだけのパフォーマンスがしたかったので、お風呂場ではなくて、ベルリンにある湖へ行って、その池で泥を被ってパフォーマンスをしたのですが、作品にならなくって困りはてて最終的にお風呂場で作ったわけですが苦労しました。
岡部:その時は洋服を着ていたわけですね。
塩田:着てました。その後、最終的に自分の部屋で泥を被って作品にしたのですが、なかなかいい映像ができなくて、泥を被っても、イメージと全く繋がらないんです。そこでもうこの作品はできないと諦めたんです。でも諦めて作品を作らなければという力が抜けたとき、本当に自分が表現したかった映像がやっと完成しました。それを編集した5分間の映像作品が「バスルーム」です。
岡部:いま、公園で着衣の上から泥を被った話を初めてお聞きしたのですけど、それで解ったのが、その後で手掛けられる泥で汚れた巨大な服をインスタレーションする『皮膚からの記憶』です。最初の展示作品は横浜トリエンナーレ程の大きさではないけれど、最初の展示のときも泥のついた服に、泥水を、あるいは水かけていたんでしたっけ。
塩田:水でした。泥にまみれた洋服に水をかけていました。
岡部:公園で自分自身が服を着ていたところに泥水をかけたというパフォーマンスと、泥まみれの服をきれいにするために水をかけるインスタレーションには自然な繋がりがあるかもしれませんね。後者は自分の肉体は存在しないけれど、泥の掛��っている服だけを展示し、水をかける。泥水をかけるのもありませんでしたか。
塩田:水を巡回させているので、最初はきれいな水でも最終的には服についた泥が流れて泥水になってしまうのです。
岡部:服についていた泥がしみ出していくんですね。横浜トリエンナーレの作品を見た時は、作者は日本人だけれどもドイツに大分長く住んでいて、異文化を皮膚から、空気の中から取り入れる異化してゆく自分がいて、そうした自分自身がどんなことをしてもそれ以前の自分には戻れない、そんなイメージをもったのですが、そうした異文化と同化、同化しきれない何かといったことと関係していましたか。
塩田:自分のバスルームで泥を被りながら自分自身の呼吸を取り戻す、その呼吸を聴く思いでやっていたのですが、泥を被ったパフォーマンスのあと、普通のシャワーを浴びるときも自分自身の泥というか、皮膚からの記憶は落ちていく気がしなくて、自分の中にわだかまりみたいなものがいつまでも残り、このわだかまりは一体何だろうと気持ちになりました。この皮膚に対するこだわりは、私がドイツに住み多国籍の人の中で生活することで生まれてきたように思います。日本にいる時は自分が外国人として生活することがなかったので、自分の皮膚の中にある記憶など考えたことがありませんでした。そしてこのコンセプトは横浜トリエンナーレの作品につながりました。
02 厳しいマリーナ・アブラモヴィッチの指導
岡部:身体を使ったアクション、パフォーマンスをいくつかやっていらっしゃるんですけども、身体と自分自身の作品との関わりには、若い頃にドイツの大学で指導を受けたマリーナ・アブラモヴィッチからの刺激もあったのでしょうか。
塩田:あったと思います。一番最初はマグダレーナ・アバカノヴィッチに習いたくて手紙を書きました。彼女の個展を19歳の時に日本で観てすごく感動したのです。この先生のもとで勉強したいと思い、資料を送ったら、返事が来たのが マリーナ ・アブラモヴィッチだったんです。という偶然から、マリーナ・アブラモヴィッチの元で勉強することになったのです。結局それ以来ドイツに13年滞在していて、今もコンタクトはありますが、マリーナのところで勉強したのは約2年ぐらいでした。
岡部:最初にご覧になったマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品は、石炭とかを詰める麻袋みたいなものを人体の型にして、インスタレーションするようなものですよね。旧東欧特有のかなり強烈なイメージがあったと思いますし、そういう意味では、服を使った塩田さんのインスタレーションは、アブラモヴィッチよりアバカノヴィッチに通じる面があります。物質、人間の身体性、循環、再生といった概念に、非常に近い部分が感じられます。もしアバカノヴィッチのもとで勉強していたら、逆にあまりにも近い素質があって、優れた先生に近過ぎる要素があると、自分自身の輪郭が見えにくいことがあるので、かえって良かったかもしれませんね。マグダレーナ・アバカノヴィッチとマリーナ・アブラモヴィッチは、名前が似ているので、間違える人も多いんですけど、そういう意味で塩田さんの場合、間違えたのはラッキーだったのではないでしょうか。マリーナはパフォーマンスと映像作品で著名な作家ですが、彼女自身も身体を限界まで持って行く厳しいパフォーマンスが多いので、彼女のもとで勉強すると、その学習自体もものすごく厳しいと聞いています。
塩田:日本では考えられないと思うのですけど、断食修行がありました。断食自体は一週間くらいですけど、3ヶ月くらい前から断食の準備が始まるんです。授業全体がヨガのコースになり、肉を食べてはいけないなど食事制限もありました。フランスの12月の寒い時期にカルゲナールというお城に行って、15人ぐらいの学生が断食をしながら毎日何をしてるかというと、自分の名前を3時間かけて書いたり、大きな湖をまる一日かけて回る。その次の日に目隠しをして昨日回った湖の周りを一周する。でも、一周できないんですよ。昨日何時間もかけて何十周した湖でも、目が見えない状態だと、すごく難しい。12月の寒い中、方向感覚を失い湖に落ちてしまう学生もいました。毎日の普段の生活とはかけ離れた行為をするすごく貴重な授業でした。ちょうど7日目の朝、真っ暗だったんで何時か解らなかったんですけど明け方に彼女が枕元にやってきて「なんでもいいから一言書きなさい」と鉛筆と紙を渡すのです。私は7日間も食事をしていないうえ、凄く朦朧としていて何も書けなくて、ただ思い浮かんだのが「Japan」だったんです。その後、彼女に「これは、あなたの中から出て来た言葉だからこれが何なのか考えること、そして、これは作品を作る上で重要なテーマになるだろう。」と言われました。
岡部:崖みたいなところに穴を掘ってヌードで横たわって、ゴロゴロッと落ちてまた這い上がってゴロゴロっとまた落ちるパフォーマンスは、その時のワークショップの作品でしたね。
塩田:そうです。今度はその言葉についての作品をつくる課題が出されました。私は「Japan」と書いてしまったので、その時は何故「Japan」という言葉が出て来たのか解らなかったのですが、そのときの日本に対する気持ちを作品にしました。崖に穴を掘って裸で横たわってゴロゴロっと転げ落ちながら、でも転げ落ちるとまた穴が恋しくなってその穴に戻ろうとする。海外に住んでドイツで生活していると日本がすごく恋しくなるときがあるのです。でも恋しいのは日本食であったり、友達だったり、両親だったり、と漠然と形にならないものですが、実際の日本に帰って見るとその恋しかったものが、あれ?こんな感じだったかしらと思うことがあり、それがどこにもないような気持ちにさせられるのです。実家に帰り、昔小学校の時に通っていた道をふたたび通ってもどこか違う。旧友に会っても何かが違う、両親や兄弟までも自分の懐かしさと違うような感じがするのです。そこまで来ると私は一体何が懐かしかったのだろうと、そのギャップに戸惑ってしまうのです。 昔の靴が足のサイズが一緒��のに合わなくなったような感じです。その靴の感覚が、大阪の国立国際��の靴の作品に繋がりました。大阪では展示のために一般の人から、要らなくなった靴にメッセージや思い出などを添えて送ってくださいと、広告、ラジオ、インターネットなどで、美術館から募集して2000足の靴を集めた作品です。
『大陸を越えて』 インスタレーション 2008年 国立国際美術館(大阪) photo: Sunhi Mang
岡部:故郷に戻れないという意味で作られたパフォーマンスは、お腹が空いていて絶食している時にヌードになってゴロゴロ転がったわけで、そうとう大変でしたね(笑)。学生みんなにいわば死を覚悟させるというか、限界状況で作品を作らせる、そういうスタンスの先生なのですね。
塩田:毎朝6時に彼女がおたまとお鍋を持ってカンカンカンってやって来るんです。それで「起きなさい!みんな起きなさーい!」と言って、みんな外に出て何をするかと思ったら雪のなか裸になってでジャンプするのです(笑)。しかも叫びながら。そんな授業で、究極のところまで行かせて、その中で自分の中から何が出て来るか、本質的に突き止めるのが、彼女の授業でした。彼女自身の制作の上での問題を学生に直接伝えていたのだと思います。今でも本気でつきあってくれるいい先生です。
岡部:例えばそういう経験は、自分自身の生存のコンディションを知ったり、ギリギリまで追いつめられた身体のすごく微妙なレベルの感覚を把握するきっかけになったかもしれませんね。本当にささやかなことで、日常的に誰しもが感じていること、それをもう一歩深く考えてみるひとつの訓練になったかもしれない。昔の靴がどこか合わないという感覚は誰でももつ可能性があるけれど、べつに拘って考えたりしないわけですが、それを塩田さんは繊細な感覚で作品にする。靴の作品にも、ヴァラエティに富んだインスタレーションがありますが、インスタレーション作品の素材で、一番最初に使い始めたのが、今資生堂の「椿会」展でも使用している毛糸ですね。糸を使い始めてから服が現れ、その後が靴と窓枠が来ますが、どちらが先でしょうか。
塩田:靴ですね。
03 服・毛糸・靴 新たな���法へ
岡部:ではもっとも新しい素材が、今手掛けている窓ですね。実際の作品には日用品や日常の素材を使ったインスタレーションが多いのですが、本当は絵を描くところから出発されているんですよね。でも結局自分自身が絵になる、赤いエナメルを頭から被るパフォーマンスで絵とはいったん決着をつける。この時使ったエナメルって皮膚の穴を埋めてしまう力があるので、すごく美容に悪くて、とても大変だったんですよね(笑)。
塩田:エナメル塗料は毒性をもっていて、皮膚の呼吸を止めてしまう塗料です。このパフォーマンスをした時は交換留学生としてオーストラリアに行っていました。その時は絵画科に入り、他の学生は絵を描いていたわけですが、私は絵をどうしても描けなかったのです。絵の中での色の構成で作品ができていくのではなくて、自分自身にもっと近い素材に触れてみたい、キャンバスから離れたい。でも、どうしていいか解らず悩む日が続きました。その時に、自分が絵になる夢をみました。その絵の中で自分はどう動けばいいんだろう、どうすればこの絵はよくなるのだろうって考えているのです。考えている内に絵の具はボタボタと床に落ちて、また平面の中で息が苦しくなってどうにもならない自分がいました。その夢をそのままパフォーマンスとして打ち明けた作品です。
岡部:塩田さんにとって、重要な4つの素材がありますね。たとえば毛糸、ずっと長い時間手がけている素材で、今やっている「椿会」展でも、空間を編むといったインスタレーションですけど、毛糸を使って空間を表現することを考えた時に、まずどういう方法をとるのかは、マニュアルや既存のよく知られた前例があるわけではないので、一回一回、ご自分の経験の中から編み出して方法論を構築して行ったのだと思うんです。それとは逆に、絵の具を使って絵を描く行為は従来の伝統技法が存在し、手法は油彩からアクリルへと変化する中で、勿論多少は変わるけれども、基本的なところは学習し覚えた上で表現しなくてはいけない部分がかなりあります。塩田さんは絵の具のような伝統的な素材の代わりに別のものを使いますよね。ひとつの新たな素材を選んでも、それを使いこなすのに、あるいは自分自身で納得のいく仕上がりや、完成度までもっていくには、表現と同時にまず技法的な問題があると思うんです。勿論、アトリエで考案し、やり方もじっくり考えられてから実践しても、与えられたある一つの空間の中、あるいは現場の中で、一回一回暗中模索でトライし、実験していきながら、自分自身が経験していく、あるいは体で覚えていくなかで、独自な手法が編み出されていくという時空間にかかわるプロセスがあるのではないかと感じます。そういう意味で最終的な完成までに時間がかかる。もっともひとつの空間インスタレーションにも数週間といった時間がかかることがありますが、同じ素材を使っても一回毎に異なるそうした挑戦を何度も積み重ね展開していって、自分が本当に納得がいく表現を編み出せるまでに、その素材を使いこなせるまでに、何年も掛かるように思います。同じ素材でも何度も展開せずにはいられないのは、まず技法的な問題があるためではないかと思うのですがどうでしょうか、そういう風に考えられた事はないでしょうか。
塩田:そうゆうふう��考えたことはなかったのですが、一番最初にこうした作品を作りたいというのがだいたい頭の中にあっても、私の場合スケッチなどはしません。長い間、心の中に暖めておいて、最初は我慢します。そしていろんな展覧会場をみながら、この展覧会のテーマでは、こういった作品のアイデアが良いと引き出しから出してこれをしたいと、実現させてゆく。大体一番最初のインスタレーションでは失敗することが多くて、失敗した後に反省ばかりしています(笑)。岡部さんが言われたように、新しい素材に触れるとき、それを使いこなせて自分の思い通りに作品ができるまで、最近わかったのですが、5年位かかっています。だから実際の作品の数はすごく少なくて、今、金沢21世紀美術館の窓の作品も一番最初に展示したのは2004年の時で、窓という素材を使いこなすまで、構成を変え、さまざまな展示会場でやはり完成まで時間がかかっていますね。
岡部:私は塩田さんが海外で発表した作品やインスタレーションもかなり観ています。フランスのリールがヨーロッパ都市という催しの中心になった年でしたが、リールに何人かの作家を招待して、現地で展覧会やさまざまなインスタレーションをしてもらった中で、塩田さんはものすごく大きな教会で糸とベッドを使った迫力のあるインスタレーションを実現していました。当時もう使われてなかった教会でしたよね。
塩田:その教会は当時、もう使われていなかったと思います。
岡部:もの凄いスケールでドームの天上の上から床まで、一体どうやって糸を張り巡らせることができたのか、技術的な部分だけでも圧倒されるわけです。すでにあの頃には毛糸に関してはある程度納得出来る作品になって、何処ででも自由に表現可能になったという段階に達していたわけでしょうか。
塩田:試行錯誤しながら作っていって、ある段階からはもうこの作品は出来た、と思う時期があります。糸の作品に関しては何処ででも自由に表現可能という状態でした。どういう規定でこれは完成したと自分で思うのかは解らないのですが、ある時急に、この作品はもう完成したなと思うのです。それからはどんな場所でも、その素材を使うのは怖くありません。あの時は10mの高さからずっと糸を張って紡いで編んでいきました。教会は人の懺悔と祈りが含まれた場所なのでホワイトキューブに比べて、取っ掛かりをつかみやすかったです。そこでは、糸を張り巡らし、ベッドを30台並べて、実際30人の女性がオープニングの時に寝ました。
岡部:その時のベッドは病院のベッド?それとも軍隊用ですか。
塩田:病院のベッドです。だいたい病院のベッドが多いですね。
岡部:その病院のベッドは、いらなくなって病院から放出されるとか、手に入り易いためなのでしょうか。
塩田:いつもだいたい作品を実現する現地でマテリアルは調達するのですが、ベッドは意外と入手し安いです。形が段々変わって行き、モーター付きの新型などが出て、旧型がいらなくなる。私が作品で使うベッドは旧型なので、なんとかいつも集まります。精神病院のベッドや外科のベッドなどが入手でき、展覧会の期間だけ借りるときもあれば、破棄する時もあります。精神病院のベッドを使ったとき、糸を張り巡らし���いると、ベッドの後ろに薬が張り付いてるのがあって、患者が飲みたくなくて貼付けたのかと思うと、その生々しい現状に衝撃を受ける事もありました。病院のベッドだと、このベッドで何人かはそこで亡くなったのかもしれないという事を考えながら作るときもありますね。
岡部:テーマのひとつはやはり「不在」ですね。病院のベッドだと、患者さんがそこにいるのが普通なわけですが、塩田さんがインスタレーションで使う時には、パフォーマンスで誰かが寝たりしている時以外は、誰もいず不在で、ただベッドの存在感だけが、かつてそのベッドにいたはずの人や亡くなった方の記憶を喚起するわけで、教会におかれたベッドには、かなり凄みがありました。あの時は毛糸の網目がスパイラルのようになっていて、グルリとベッドの近くまで入れるように設置され、怖い感じでもあったのですが歩いて回りました。教会が持っている象徴性には、訪れる人々が懺悔する、魂が浄化される空間という意味があるのですが、塩田さんの作品にはある種のそれとは違った意味での浄化作用がある気がしました。場所が場所ですから、浄化という意味は、ご自分でも意識されていたんでしょうか。同じ素材のインスタレーションでも、そのつどご自分の込める気持ちは違うんでしょうね。
塩田:違いますね。ベッドに寝るといったパフォーマンスの後では、その時使ったシーツはそのままにしておいてくださいと頼みます。人が使ったシーツは、その人が不在であればあるほど、その跡で人の存在がよく見える。誰もいなくなったベッドの中にある存在は、ある意味、一人の人間以上の存在をあらわしていて、さらに得体が知れない。凄く重くて、大きい、何かの存在、それを表現したくて制作しているような気がします。富山の発電所美術館で2009年夏に発表する予定のインスタレーションは、何台もの泥のついたベッドを天井から吊し、水を流すもので、社会の熱病を醒ますメタファーをもっている作品を今、考えています。
『流れる水』 インスタレーション 2009年 発電所美術館(富山) photo: Sunhi Mang
04 旧東ベルリンの窓枠を探して
岡部:リールの作品と同じ年にセビリアで第一回ビエンナーレがあり、塩田さんから初めて窓枠を使う作品を発表するという話を聞いていたし、ハラルド・ゼーマンという私が注目しているキュレーターのディレクションだった��で見に行きました。ベッドから窓枠へと素材が移る最初のトランジションの時に作られた作品だったという気がしました。セビリアは南スペインの都市ですから、真夏でしたし、陽が燦々とふりそそぐ場所です。窓枠が壁のようになっている中にベッドが置かれているのですが、その窓枠の上には樹木や植物が青青と茂っていました。室内のインスタレーションを見慣れていて、自然光とのかかわりも始めてでしたが、今までの塩田さんの作品はどちらかというと内面の闇とか、記憶の闇、歴史の闇といった薄暗さと関係していたので、セビリアに来た途端に急に光り輝くものになってしまって、これはこれで私には意外で面白い作品になったと思ったのですが、後で塩田さんと話しをしたら、あれはまったく自分では失敗だと思ったとおっしゃってましたね。その辺の理由を話して頂きたいです。
塩田:あの時始めて窓を使った作品を発表したのですが、ゼーマンとのやり取りの中でスペース的にも600枚の窓が必要になってきました。でもベルリンの工事現場で集めてもそれほど窓は集まりませんでした。作品を作ることよりも窓集めに必死になりすぎて、作ることに力が入らなくなったのかもしれません。結果的にこのセビリアで展示された窓の作品を見てみると、ベルリンの窓をわざわざ使う必要はなかったと思ったのです。これならセビリアの窓でも良かった。何も歴史のある、人の思いがこもった旧東ベルリンの窓でなくてもいいと思ったのです。このベルリンの窓を使いこなせなかったのがすごく後に残っていて、では、どうやってこの窓を使って、どういう作品を作っていけば自分のイメージに近づくかは、そのあとの課題になりました。
岡部:セビリアでこの作品を観た時、その頃塩田さんには言わなかったのですが、私自身も窓を集めたことがあって、集めたというより若い頃にモロッコを旅行した機会に1個で買っただけですが、私は都会生まれの都会育ちで、砂漠に生きるモロッコの人々の生活を見ていて、悠久の時間の流れや暗い室内で食事を作っている女性たちのこととかが窓に象徴されている気がしたんですね。モロッコの市場の蚤の市みたいなところにお土産を買いに行った時に、なぜか本物の古びた窓が売っていて、実際の家で使っているのと同じ木枠に、モチーフのある錆びた鉄の模様の格子が嵌まっている。だけどすごく重くて、たった1個、パリに買って持って来るだけで苦労しました(笑)。今でももっていますが、そういう思い出をセビリアで陽が燦々と降り注ぐ塩田さんの窓のインスタレーションを見て思い出したんです。窓って1個1個が素材としてすごく重いし、使う時、使いこなすのは非常に難しいのではないかと思いますが。
塩田:窓を集め始めた時、窓自体に思い入れがあったので窓ひとつですでに何もしなくても作品になるかと思いました。それが1枚が100枚になり、300枚になり、300枚集めても形にならない。ゼーマンとのやり取りで600枚の窓が必要になった時は窓に取り付かれた生活が始まりました。やっとの思いで600枚の窓を集めて、セビリアに送って実現しましたが、やはり形にならない。さらにベルリンのこの窓をどう使って作品にしていいかわからないまま、この窓の作品を何とか完成させたいと考え、またベルリンに帰り窓の収集が始まりました。 朝起きて、いつも何処に行けば窓が集まるだろうかと考える毎日が続きます。工事現場を一日20件くらい自転車で回りながら「すみません、窓はありませんか。」と聴いて回り、集まったところで車を手配しては運ぶ。当時は倉庫を持っていませんでしたが、ベルリンのアパートは必ずケラーといわれる地下室があるので、とりあえずそこに入れるだけ入れました。 集めてきた窓を並べながら、内でもない外でもない、狭間をつくるその窓をみて、まるで私の生活を見ているような気がしました。ドイツでもない日本でもない、何処でもないその狭間に自分が立っているような気がして、その窓自体がある皮膚のようにも感じました。正確には1500枚くらい窓を集めて、展覧会ごとに3回に分けて日本に送りました。物量にさすがに嫌がられましたが。(笑)
岡部:物量が凄いですからね(笑)。作品毎に皮膚に対する感覚が研ぎすまされて行くようですね。私も海外生活が長かったので、皮膚の色の違いとか異文化との出会いによる内外からの視線に敏感になった経験があります。ドイツでずっと生活してきた中で、戦争中にナチズムなどの歴史の闇を背負った国ですし、そこでの異邦人の生活という意味での境界線を感じるとか、あるいはドイツと日本は同じ敗戦国なので近い部分があるとか、ドイツで活動していくことで、塩田さんの作品に大きな影響を与えている要素はあるのでしょうか。
塩田:私の場合ドイツで生活したいという欲求が元々あったわけではなく、名前は間違えたけれども、マグダレーナ・アバカノヴィッチに学びたいという理由でポーランドではなく、たまたまドイツでの生活が始まり、その後13年間も異文化で暮らしてきました。ドイツにいると日本では見えなかった自分がもっと見えてくるような気がするのです。たとえば塩水をお皿の上においていると、蒸発して塩だけが残ってくる。塩水では、見えなかったその塩が見え今度は結晶になっていく。日本にいる時は自分は個としては見えてこなかった。水の中で自分がどういう存在なのか、何をやりたいのか、何が必要なのかがわかりにくかったのがドイツに来て個となり結晶となり、初めて見えて来たように思います。そんなことを考えると作家としてドイツで制作することは私にとってはとてもやり易いことでした。
岡部:塩田さんの作品の中にある一種の浄化作用はドイツの人にとっては有り難いというか、日本人とは違って、より直接的に感じる面があるのではないでしょうか。もちろん観客の反応はさまざまだし、なかなか解りにくいものですが。
塩田:ベルリンはアーティストや外国人がたくさん住んでいる街なので観客もドイツ人だけではないという面がありますが、表面的に着飾ることを好まないベルリン人には、私の作品は入りやすいのかもしれませんね。
岡部:窓枠の話に戻りますと、金沢21世紀美術館で開催されている『愛についての100の物語』という展覧会に展示されている1000枚の窓枠を使ったインスタレーション作品を購入し、今も展示しているんですね。それ以外の残りの200個の枠は、現在新国立劇場の小劇場で、今週から岡田利規さんという劇団チェルフィッシュのリーダーの方��すけど、彼の演出で『タトゥー』という演劇が始まり、そこの舞台美術に使用されていると伺いました。その展示がほぼ終わったところだそうですが、日本での舞台美術は初めてだと思いますが、いかがでしたか。
『記憶の部屋』インスタレーション 2008-09年 金沢21世紀美術館(金沢)photo: Sunhi Mang
塩田:岡田さんから舞台美術の話がきたのは2007年の12月でした。岡田さんが横浜の県民ホールで私の個展をご覧になり、この新国立劇場での『タトゥー』の仕事が入ってきました。 彼は私と同世代ということもあって共感できる部分も多く、仕事もやりやすく楽しくやらしていただいています。今回の『タトゥー』の脚本の原作者はディア・ローラーというドイツ人で、しかもベルリンに住んでいます。その共通点も面白いですが、内容は重く暗いストリーで近親相姦の話です。家族を守ろうとすればするほど家族が壊れていく話、家族以外のよそ者をいれたくないがために娘と肉体関係を持つ父親。台本にはリズムがあり最後までそのリズムに合わせて読みきってしまうのですが、チェルフィッチュの岡田さんが演出家になるとそうは行かないのです。舞台の台本読みの段階から、参加させていただいたのですが、役者にとにかく「演技するな、言葉にたよるな」、「持っているものがあるから、その言葉の含みを考えてほしい」というようなことを言います。最初は彼の言うことが私もわからなかったのですけど、だんだん舞台が作られていくときに、彼の世界がわかり始め、本当に最低限度のマテリアルで演じようとこの舞台をつくりあげようとしているのだとわかった時には感動しました。演劇は演じれば演じるほど嘘っぽくなり、かえって観客との距離がでてきてしまう。つくりもののお芝居で、できる限り本物に近づくことでリアリティーに迫ろうとする。 今回の舞台で窓枠を家の形に空中につってみました。岡田さんの作品のなかで、よく身体と言葉のズレがテーマに出てくるのですが、それは、たとえば私が今こうして話している言葉と手の動きには全く関係ないことがある。それをあえて舞台の上で動作と言葉を合わせて演じることによって故意に垣間見せてしまう。あえて身体と言葉をずらしたまま自然に演技をする。 私の作品は不在の中の存在感を特にテーマにしているので、役者という存在がいると不在になりえないわけなのです。そこでどのようしてこの舞台美術を完成しようかと悩みました。悩みながら、彼がやっている言葉と演技のズレは、私が作品を作る上でもとても重要な要素なのだと気が付いたのです。今回の「椿会」展の作品で、ミシンを糸で巻いて空間を編んでいく行為もその中心部分をずらしながら線を空気に描く行為そのものなのです。 岡田さんと私の仕事は両極端に見えながらも、求めていることは、実は同じなのではないかと思えてきました。
05 岡田利規の演出による『タトゥー』の舞台美術
『Tattoo』の為の舞台美術 2009年 新国立劇場(東京) photo: Sunhi Mang
岡部:岡田さんのチェルフィッシュの劇団の『フリータイム』という作品を六本木で一度観た事があり、そのあと彼の小説なども読ませて頂いていて非常に才能豊かな面白い人だなと思っています。実際に彼らのパフォーマンスを観ていると、ごく普通に出来てしまった、という感じに見えるんですね。現代人が抱えている不条理感が自然に出ている気がする。でもきっとあそこまで出来るには彼の中に何かとてもストイックなルールがあるのではないかとも思っていました。実際に一緒に仕事をされた塩田さんにお聞きしたら、やはりそういった面があるようですね。塩田さんが話されたズレの間には不在感がありますし。彼を面白いと思える要素には空間や時間の不在感があり、そこに疎外感も感じられて、それは塩田さんにも通じるなと私は思っていました。
塩田:仕事をしていて思ったんですけど、彼の作品は螺旋階段の周りを登ったり降りたりしている作品だと思いました。真ん中に自分が表現したい真実という中心があり、その周りを行ったり来たりしているのです。登ったり降りたり何度も繰り返しながら確実に真実に近づいていく。しかもズレながら。私は美術でそれを表現しようとしていますが、結局のところ、美術も演劇も音楽も文学も、表現方法は違っても求める世界は一緒なのですね。
岡部:彼も現在、既存の舞台言語を0にするところから出発している感じがします。今まで学んで来たことを一度はまず捨てて表現しなさいと言うんだけど、これはなかなか難しい。みんな普通は一度構築したものにまたさらに新しいものを重ねようとやっていきますから、いきなりそれを全部壊すのは怖いしできない。塩田さんの作品を見ていて、素材に対して一つひとつ丁寧に新たな造形言語を作っていく手法が彼とは逆でもかなり近いと感じますね。
塩田:マテリアルについては、できるだけ作ったり虚飾したくないですね。窓も本物でなければいけない。30年間も分断されていた東西のベルリンを眺めて来た窓枠じゃなければ意味が無い。たんなる新しい窓枠ならいくらでも作れるし、それならわざわざ工事現場を一日20件も回らずに済む。靴に関しても同じ事が言えます。新しく大量に靴を買って展示するのでは意味がないのです。その人が使っていたもので、その人の存在が見えないのだけれど、見えてくる素材に惹かれるのです。何かを作ること、表現することを職業としている中で、一番できないのがわざと作ったり着飾ったり、そういう仕事をしていると嘘を付いているような気がして、またそういう作品を見ると嘘をつかれたような気がして面白くない。そこもまた岡田さんと共通する部分だと思います。また今回の『タトゥー』の原作者、ディア・ローラーさんも言語にはとても厳しく表現を最小限に託して戯曲を書く人で、戯曲家という全く違う分野で活動する方なのに、どうしてみんな、作品の作り方がこんなに似ている���だろうと思いました。
岡部:塩田さんの作品にも、根源的なものを突き止める姿勢を感じるのですが、焼いたピアノを使う作品もあり、自然の中の四大元素、つまり火・水・土、そして空気、この4つの元素がご自分の作品では、ある種の根源となっている気がしているんですけど、どうでしょうか。
塩田:自分自身ではあまり思ったことはないんですが、芸術の核になるものと宇宙のからくりは似ているかも知れません。突き詰めていくと、その4つの元素が残るのかも知れないですね。
岡部:それと私が感じることは、人が使った物でなければ作品の素材にならないのは、人と人とのコミュニケーションではないでしょうか。靴もベッドも人が生きてきた跡があり、それがご自分の記憶と造形世界とコミュニケーションをもちつつフォルムを形づける。制作する場所との対話がフォルムを生みだすケースが多いとは思うんですが、そういった世界が観る者にも根源的な問題を喚起させるのだと思います。いわゆる現代アートには既存の文脈を脱構築することで進展して来たものが多いのですが、塩田さんの作品はそうした文脈などを全然知らなくても、何か響くものを感じることが出来る。そうした意味では、アートの文脈や流行や傾向などを、塩田さんはあまり気にされていないように感じるのですが、そのへんはどうでしょうか。
塩田:その時のブームを取り扱った展覧会に招待されることはよくありますが、そのときのブームに合わせて作品を作ろうと思ったことはありませんね。ドイツに住んでいる日本人は珍しいのでその背景からグローバリズムの展覧会に誘われることが時々あります。 招待されるとどうしても日本人ということが背景にある時は、作品が作りにくい。結局、グローバリズムを意図した展覧会のほとんどはナショナリズム的なことを求めてくる展覧会が多いような気がします。私であるから招待されたのか、ベルリンに住む日本人だから招待されたのかは、作品を作るものにとっては大きな疑問です。でもそれも海外に住んで初めてわかったことですが。
岡部:私の方からの質問は以上です。ありがとうございました。
(文字起こしと編集:青田真由子)
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今回、亀山トリエンナーレ2024のオープニング10/27にニューヨークを拠点とする学際的なアーティストHratch Arbachさんとサウンドパフォーマンスを行います。世界情勢は戦争が拡大し、ますます不安定になり未だ虐殺を止められない状況下の中、亀山トリエンナーレにてHratchさんの「N0 NAME」のコンセプトに賛同し参加する事になりました。
日本では世界で唯一、核爆弾が投下された広島、長崎、そして日本各地で大空襲が起きて国民が大虐殺にあいましたが、過去、アルメニア人のジェノサイドは記録にも残らず、実際には1915年に大規模な虐殺が起きたとされます。彼の作品は、集合的記憶、トラウマ、そしてレジリエンス(回復力)を探求し、時間と境界を越えた人間の在り方を描く。Hratchさんは微生物学者であり自分も医療に携わる仕事をしてる中、レジリエンス(回復力)と言うコンセプトに共感し現在、この地球やこの荒んだ世界に今、必要とされる力だと確信する。
This time, we will be performing a sound performance with New York-based interdisciplinary artist Hratch Arbach at the opening of Kameyama Triennale 2024 on October 27th. The world situation is becoming increasingly unstable with the expansion of wars, and massacres have yet to be stopped. In the midst of this, we decided to participate in Kameyama Triennale in support of Hratch's concept of "N0 NAME".
Japan is the only country in the world where nuclear bombs were dropped on Hiroshima and Nagasaki, and there were air raids all over Japan, resulting in massacres of its citizens. In the past, there was an unrecorded large-scale Armenian genocide in 1915. His work explores collective memory, trauma, and resilience, depicting the human condition across time and boundaries. Hratch is a microbiologist who works in the medical field, and he is sympathetic to the concept of resilience, which he believes is a strength that is needed today on this planet and in this devastated world.
1915年に行われたアルメニア人大虐殺では 150万人以上の命が無理やり奪われ、記録にさえ残されてなかった。 2015年以来、ある手が計数を用い、一つ一つ、"カウントダウン"という手法を通し彼らの命を讃えてきた。 2024年10月27日、その手は、山トリエンナールで日本の人々と出会い、私たちそれぞれの魂を包む。
The Armenian genocide counts more than one million five hundred thousand bodies exterminated, never documented Since 2015,a hand has been appropriating numeration to celebrate by countdown, one by one, each of their lives. On 27 October 2024, this hand meets the Japanese people at the Kameyama Triennial, Around each of our souls.
アルメニア人の大虐殺はもっと重要だ 1000万5000人の遺体よりも排除され、資料化されていない。 2015年以来 手は適切な数値を示しているカウントダウンで祝うために、一人ずつ、それぞれの人生。
2024年10月27日 この手は日本人に会う亀山トリエンナーレにて それぞれの魂を抱きしめている。
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街ネタプラス_2024年11月8日放送分 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=_roKy71I8-s
光の色 COLORS OF LIGHT サイトスペシフィック・ペインティング・インスタレーション 枝光由嘉里(Yuakri Edamitsu) https://www.instagram.com/yukariedamitsu/ https://www.yukariedamitsu.com/
会期:2024.11.10 - 12.29 会場:mhPROJECT_ノコギリニ https://www.instagram.com/mhproject_nokogirini/ https://www.instagram.com/p/DB2mlwdSVOi/
オープニングワークショップ 2024年11月10日(日)13時〜15時 あなたが思う、感じる『光のいろ』を描きませんか? *参加無料 *予約不要 *上記の時間内でご都合の良い時間にいらしてください *材料は用意いたします
アーティストトーク:15時以降
亀山トリエンナーレ 2024, 10/27-11/16 旧舘家住宅 https://kameyamatriennale.com/gui-shantorien-nare-2024.html
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あらためて「表現の自由」を問う
2019年11月2日 02時00分
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が抗議を受けて一時中止に追い込まれた。今回は政治的な表現が問題になったが、漫画やアニメの性的な表現への規制が論議を呼んだこともある。あらためて「表現の自由」を考える。
<「表現の不自由展・その後」の波紋> 過去に出展禁止などになった作品を集めた企画展。昭和天皇の肖像を使った版画作品の図録が美術館に焼却されたことを作品を燃やして再現した映像作品や、慰安婦を表現したとされる少女像に抗議が殺到。名古屋市長など政治家の批判も騒動を拡大させ、一時展覧が中止に。文化庁が「手続き上の問題」を理由にトリエンナーレへの補助金不交付を決めたことも物議を醸した。
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【レポ】浅見俊哉さん!「喫茶芸術領域構築」展 北上尾 ステンドコーヒー
北上尾の珈琲ショップ「SUTTENDO COFFEE」で開催されている「喫茶芸術領域構築」展 vol.15 浅見俊哉 へいってきました
写真作家、造形ワークショップデザイナー、キュレーターと一人三役をこなす?浅見俊哉さんの個展です。
5月20日から6月16日まで開催。最終日に訪れました。
今回は、約20年前から制作を続けている写真シリーズも含め13点の作品を展示。
2005年から制作している『15秒人(15 Seconds Man)』シリーズや、2004年作の『またたき』シリーズ、2012年からヒロシマで制作している『呼吸する影』シリーズが中心です。
上尾のご当地グルメ「上尾串ぎょうざ」です。洋風な洒落た串ぎょうざでした☆
浅見俊哉さん
たくさんのステンドグラスが置かれたコーヒーショップ「ステンドコーヒー」。
『飲食を通じて情報を発信し人が集まる場を作る』というビジョンをもち、カフェを通じて文化芸術に触れる機会を発信しています。
浅見さんの作品と、ステンドグラスと、飾られていた紫陽花が溶け込んでいて、初夏らしい空間に仕上がっていました。美術館も素敵ですが、カフェでの展示は、アートをより身近に感じられますね☆
「『生きること』と『作品を制作すること』は近しい」と浅見俊哉さん。
地域アートを盛り上げる浅見さんの今後の活動を楽しみにしております!
現在、アコレおおみやホームぺージ(https://acore-omiya.com/)はリニューアル中です。(2024年5月)
リニューアル完成まで、こちらのblogで発信いたします!
今までの記事は旧アコレおおみやホームぺージへ ↓
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エナジー・ウェイヴィング・コレクティヴ(一起練功)の映像作品。コロナ禍で対面交流が禁止されていた中で,カンフーの練習に擬態して開催された野外集会の記録です。
考えましたねぇ😯❕ でも,コロナは大丈夫でしたか😓❔
#横浜トリエンナーレ
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横浜トリエンナーレ2024行ったよ
過密。
作品同士が近すぎる。考える暇もなく他のものが目に入ってメッセージがごちゃ混ぜになり、最終的に残る感想が『政治色が強い展示が多かったな』になってしまった。
全体的には、そこまで政治政治政治プロパガンダプロパガンダプロパガンダというものでもなかったですよ。多めなだけで。
思考力の弱さと世間への興味のなさが悪いのかもしれないけど、似たようなテーマが連続して置かれているとそれぞれのメッセージが薄れるなという印象。
とくにビデオが連続する展示室なんか、このビデオを見たからなんなんだという曖昧な気持ちに。似た絵面が連続しすぎている上に、ゆっくり考えられるような休憩スペースが途中に設けられていないし、混雑しているというほどではないが人は多いのでジッと立ち止まってられない。
すごく身体が疲れた。
会場の一階にあった、タブレットで文章を読む展示をガイドだと思ってスルーしていたが、一周して戻ってきたときに初めて文章を読む展示だと気がついた。
が、戻る頃にはもう文字はこりごりだぁ〜!となっておりサッと見て退却。というか読む展示��のに別に文章も面白くない。何がしたいのだ?
工夫が無いと思う。
政治色が強いのは何も悪くないし、いつの時代も芸術と情勢は不可分だから、そこは個人的には気にならなかった。ただ、現実に起こっていることをなんの感動も生まない形で見せることをアートと言い張るのは自由だけども、誰がそれを求めるのか……
もしかしたら自分の感性がにぶにぶすぎて感動しないだけかもしれない。個人差かも
あとモニターが多すぎる。モニターに映る絵面も似すぎてる。
映像コーナーであんなに幅を取るなら、ビデオを用いる人々を一つのチームに纏めてビデオアートチームとして一つの作品にしてもいいのでは。駄目です。
大英博物館に持ち去られた物品の保存庫をモチーフに描かれた絵は、シンプルだがパワーを感じた。薄暗い沈黙だった。
あと、男性の上半身が写されたクソデカい布が四枚、壁に貼られている展示が面白かった。真顔のめちゃくちゃデカい男性の顔がなんの加工もなく貼られている光景は本当に面白い。それだけだとわかった瞬間声出して笑うくらい本当に面白かった。意味はわからなかった。自分にはアートを語る資格がない。
ベルがめちゃくちゃ鳴る展示があり、音が不愉快すぎておかしくなりそうだった。ベルの音を辿るとベルを鳴らすボタンに辿り着くという展示だったらしい。
自分は片耳が聴こえないから、不愉快な音を聴かされた挙げ句、楽しむことができない……まさかこんなところで身体的なハンデを自覚させられるとは。罠というのはどこにでもあるんだなぁ。
その作品が一番心が動いたと思う。無意味に。多分、片耳聴こえないから不愉快なだけだったぞとか言われたら作家さんもビックリする。
つまらなかったけど、行って良かった!
中華街でちょっと黄ばんだ薄汚いカピバラのぬいぐるみを買えたし、小籠包が美味しかったです。
横浜トリエンナーレは6月9日までやってるのでみんなも、行こう!
ついでに
サイトで独自のフォントを使用してるっぽいが、漢字のフォントまで用意できなかったらしく、ひらがな・カタカナと漢字が混交する文章がちょっとシュール。
こんな大規模なイベントのサイトなんだからもうひと頑張り……
これはこれで面白いから良いのかも。
追記
ツイッターでは、横浜トリエンナーレ2024を見て現代アートは終わったと評価する声がちらほら……
横浜トリエンナーレ2024を見て現代アートに失望するのは早計だと思う。
中之条ビエンナーレは壮観でしたよ。メッセージ云々の前に、それぞれの作品に作家独自の愛らしさやユーモアが込められていましたし、同じ絵面の連続なんてことはありませんでした。
横浜トリエンナーレが窮屈で忙しないモニター鑑賞会場のようになっちゃった要因はあの狭さにもあるんじゃないかなぁと思ったりも。
狭いと表現できないなんてアーティストとしてどうなんだって話ですが……
キュレーターの意向で、集まったアーティストやメッセージが偏った可能性もありますしね。
とにかく横浜トリエンナーレだけ見て現代アートを見捨てるのは悲しいなと思いました。
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Information Error
32V LCD TV 733mm x 471mm x 173mm / Epoxy Resin /Test pattern color range liquid
亀山トリエンナーレ2024は明治天皇行在所にて映像インスタレーションでした。
Information Error 世界は情報戦と言われる世の中。個々の解釈が細分化され偏った情報が暴走して人々は分断化されていく。既にテレビは真偽不明の不安な情報が溢れてエラーの連続。偏ったメディア情報への終止符としてテレビのカラーテストパターンのグリッジをレイヤー化し、この時代を生きる苦悩とエラー状態を映像表現します。
The world is said to be an information war. Individual interpretations are fragmented, biased information is running wild, and people are becoming divided. Television is already overflowing with unsettling information of unknown veracity, and is constantly on the verge of error. As a way to put an end to biased media information, I layered glitches in television color test patterns to visually express the suffering and error of living in this era.
Photo 市川英司 / 大岡英介
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こんにちは
本日はここ数日の個人的思い出を…
数年ぶりにトリエンナーレをみてきました
横浜美術館もリニューアル後は初めて
凄くざっくり言うと
「今は大変な時代ですね、しかし過去にも大変な時代がたくさんあり、それらを乗り切ってきているので今も乗り切れるはず」
というテーマだと思います。
凄い長文を私見で解釈してるので勘違いでしたら
すいません(笑)
その過去の大変なとき(戦争なデモなど)に創作されたアートがずらりと。
個人的には↑の岡本太郎のよく見る縄文土器っぽいやつの時代背景がわかり、グッときました。
そして話題はガラリと変わり
別の日ですがサッカーaclの準決勝をまさかの後半だけ見てきました
仕事後、日産スタジアムに行ったらもう後半だった、というだけの話なのですが…
嬉しい誤算だったのが後半専用チケットなるものがあり、だいぶお財布に優しい価格になりました
しかもトーナメントで同点だったので30分の延長とpkまで見れてほぼ1試合みたのと変わらないくらい楽しめました
横浜も勝ったしよかった!
最後の話題は
平沼田中屋さんに初めて行ってみました
お客様からもよく聞くお店。
創業100年をこえてるって凄いですよねー
お蕎麦、流石の美味しさでした。
それではまた!
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連休3日目。第8回 横浜トリエンナーレ@横浜美術館へ。
3年に1度、開催される現代アートの祭典。国際的に活躍するアーティスティック・ディレクターを招いて、世界のアーティスト&作品を広く紹介する。
横浜美術館は3年の改装工事を経てのリニューアルオープン。正直、どこが変わったのか分からんかった。多機能トイレとか?
んで、肝心の内容なのだが、どうも食えない印象が強かった。「現代アートの良質の入門編になる」というコンセプトは分かるのだが、単純に展示が乱雑に感じた。
確かに作品数は多かったから、出会いの機会創出なのかも知れない。その一方、脈略なくごちゃっと作品が展示されていて、かつ作品名や解説のプレートが見つけられなかったり、じっくり楽しむという場には感じられなかった。
とにかくいっぱい作品、置いたから適当に見てねーという感じ。
作品そのものも少し物足りなかった。世界情勢を踏まえてか価値観のギャップや格差、不安、変化、みたいなテーマの作品が多く、より主張が前に出て、作品そのものの印象、インパクト、奇想のような部分が薄くなっていた気がする。
となると途端につまらない空間になってしまう。なんというかユーモアが足りないというか、
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2024年4月22日
“お菓子の王国”滞在型ホテル 広島・呉市に9月にオープンへ シャトレーゼが購入の「グリーンピアせとうち」 (RCCニュース)
広島県呉市にある「グリーンピアせとうち」を購入した菓子製造販売のシャトレーゼは、施設を活用した滞在型ホテルを、9月にオープンさせることを明らかにしました。
「グリーンピアせとうち」は、1985年にグリーンピア安浦として開業しました。ホテルやプールなどが併設されているリゾート施設で、2005年には呉市が購入しましたが、宿泊者数の減少や施設の老朽化が課題となっていました。
このため、呉市は、施設を活用するために去年、菓子製造販売のほか全国でリゾート事業も手がけるシャトレーゼホールディングスに売却していました。
新しいホテル名は「シャトレーゼガトーキングダムせとうち」で、ホテル棟を改修してことし9月にオープンする予定だということです。4月29日には、第一段階としてホテル棟1階で菓子工房と売店の営業をはじめます。
売店では、地元のレモンを使った「レモンケーキ」を、全国のシャトレーゼの店舗に先駆けて販売を始めるということです。
会見後、記者団に釈明する河村たかし市長=2024年4月22日午後3時0分、名古屋市役所、寺沢知海撮影
河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も(朝日新聞)2024年4月22日
名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。
河村氏はこの日の記者会見で、空襲で名古屋城天守が焼失した5月14日を「なごや平和の日」に制定し、平和を祈念する式典を開催すると発表した。その際、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザに言及。「国に命を捧げるのは、大変勇気のあること。『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか」と持論を展開した。
さらに、学校現場でもこうしたことを「一定は考えないといけない」と主張。「国が守られるのは当たり前であるとの考え方は、日本にものすごい不幸を導く」と強調した。
ただ、河村氏は会見終了直後、記者団に「(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と釈明した。(寺沢知海)
河村たかし名古屋市長と記者団の記者会見での主なやり取りは次の通り。
――「なごや平和の日」を名古屋城が炎上した5月14日に制定したことについて。
「うちのお袋も言っていたけど『名古屋のお城が燃えたらしい。これで終わりだ』。どこか1日とするなら5月14日が皆さん受け入れやすいんじゃないかと思います。それから結局、こういう戦争がなぜ始まってしまったのかと。300万人死んでいる。日本全土で。名古屋では3万人。2万人が軍人で1万人が空襲被害者の方々。まあ、勉強しませんわね。なんでしないか。受験に出ないから。最近のウクライナとロシアやハマスとイスラエル。人はなぜ殺し合うのかということは、ようみんなで考えてみると。僕らの時代はベトナム戦争があったもんで、どちらかというと日本はとんでもない侵略戦争をやったと。犯罪国家であるというような言い方が多かったですけど。しばらく経つとおかしいなこれはとなってくるんですよ。やっぱり、死んでいった人たちに思いを寄せないといけない。
トリエンナーレ(2019年の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ』の企画展)もそうですけどね。とんでもない判決になりましたけど。しかし、あの中に寄せ書きがあるんですけど。『イディオット・ジャポニカ』。間抜けな日本人。軍人として命を失っていくことは。祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為であるということは間違いない。右翼ではないですよ。世界の常識ですよ。満州事変のころからでもよいですよ。なんでアメリカと戦争をやってしまったのか。受験には出ませんけど。考えてみなきゃいけないんじゃないかと」
――「祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳的行為」とは具体的にどういう意味なのか?
「世界連邦というのはないんですよ。国際連盟をつくって、第2次世界大戦があってむちゃくちゃになりました。第2次世界大戦後には国際連合をつくりましたけど、現にウクライナの戦争もありますし、イスラエルの戦争もある。そうなるとやっぱり、それぞれの国という存在自体が皆さんの戦争の時に守っていかざるを得ないという状況ではある。だから、国というものに対して、自分の命を捧げるというのは、大変な勇気のあることだし。みんなで『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ。やっぱり、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか。残念ながら」
――太平洋戦争で祖国のために命を捨てたことは、高度な道徳的行為であったという意味か?
「太平洋戦争に限らないです」
――今の学校でも「祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳的行為だ」ということを考えるべきだと?
「やっぱり一定は考えないといけないでしょう。国が守られるのは当たり前であると、自分たちの国の若者の血は流さないけど、アメリカ人の若者の血は流してもよいと。そういう考え方はものすごい不幸を導くんじゃないですか。日本に」
――日本国憲法は戦争放棄を規定しているが、整合性は?
「日本国憲法はアメリカに占領されていたときにできた憲法です。今とでは全然状況が違うと思います」
(会見直後、河村氏が記者団に向かって)「祖国のために命を捨てるというのはなかなかのことではあるんですよ。本当は捨てない方がよいんですよ。誤解してもらってはいけない。捨てよとあおっているわけではない。残念ながら戦争というのは起こるから。どうしたらええかと。せめて経済を良くすることでしょう。(記者団が)深刻な雰囲気ですが」
コメントプラス
本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 戦史研究によれば、太平洋戦争において亡くなった230万人の日本軍兵士の多くは、戦地への補給路が整っていなかったことによる餓死や病死、自決などであった。当時、国は国民を戦争に動員し、そして見殺しにしたのである。
見殺しにされた兵士を悼むことと、それを「道徳的行為」として持ち上げることとは全く異なる。二度とそうした無惨なことを起こさないという決意こそが、日本国憲法には込められている。
「残念ながら戦争というのは起こるから」と河村市長は言っているが、戦争は自然災害とは異なり、「起こす」誰か―それは必ず権力者である―が存在している。それを隠蔽し、その犠牲になる一般庶民を美化する言説の欺瞞性にぞっとする。
河村市長は大量のリコール署名の捏造に加担しており、その中心人物であった田中孝博(元「日本維新の会」衆議院愛知5区選挙区支部長)には4月19日に有罪判決が下った。
日本では、国民に「道徳」を強いる側の者がもっとも「不道徳」、さらには「違法」「不法」である場合が多い。戦後に廃止された教育勅語の本質であった、「国(天皇)のために死ね」というメッセージに対して、いまさら「道徳」や「善いこと」という価値づけをしようとする者らの醜さを国民は認識すべきである。
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この件で名古屋市民が河村たかしを見放したのならともかく再選させてしまったので、費用が市税で賄われるのは残念だが自業自得と言わざるを得ない
[B! 河村たかし] あいちトリエンナーレ訴訟、名古屋市の敗訴確定 最高裁が上告棄却:朝日新聞デジタル
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