#この二つかなり音が正確にシミュレートされてる
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2周目メモ(ぶつ切り)
後から攻略のために見返そうと思ってメモつけてたけど、思ったよりも変な所で詰まるので途中でメモ中断した 後で自分が見返す用のメモ
1日目
カード、手のマークはお願いが出てくるんだな
ばつっと電源落とされたのがショックだったんだけど 培養室で育ててるのってニシくんとヒガシくんで、今画面で見てる二人はこの胎児の脳でシミュレートしてるのでは
50年後〜→娯楽 次ガスもらってみようかなあとはいえカフェオレの続きもきになる うーんでもノーヒントだしガスもらってみるか 使わなきゃいいんだし
右のマークはもしかして培養水の容量? あなたにとって恐怖とは〜→娯楽
あれ!?!?スキップしたら入浴とばしちゃった 履歴にものこってないぞ バグかもしんねえ…
アッガス………………………………………………………… あのできたら正気で和姦してほしいんすけど あの せっかくなんで使うか………… (正気ックス、無い気がしてきた)(なさそう) 俺は……弱い腐女子…………………
盗撮 台風まで 食事 甘い卵焼き1、2、3 特殊物 塩釜 鏡(ヒガシくんへ) アクシデント ゴキブリ 娯楽 ミニチュアフィギュア1 古い絵本 漫画の本1 質問カード 今落ち込んでいますか? 50年後あなたはどうなってると思いますか?→娯楽 驚きがない人生は〜→アクシデント あなたにとって恐怖とはなんですか?→娯楽 ここでの不安はなんですか?→娯楽 自分の顔は好きですか? ※1日終了時点でVer1.1 絵 00
2日目
これガス使ったら夜の記憶ない感じ……????????? 追加テキストあった 罪悪感すげえ……
好きなタイプで淀みなくヒガシくんの特徴をあげるニシくん これカードがランダムだとしたらやっぱ1日目からほぼ記憶あるな〜
「出る時は一緒だ」って断言するヒガシくんいいよね………
しまったぼんやりしてて就寝の親密度足りない このままガスを……!?
盗撮 食事 ハンバーグセット(ヒガシくん) 乾パンと水 ドッグフード 特殊物 トリュフチョコレート 100円ライター スタンガン 棗の実 茯苓餅1、2 アクシデント 雨1 水1 娯楽 漫画の本2 ミニチュアフィギュア2 質問カード 好きな女性のタイプは? 食糧難で人間しか食べるものがなくなったら人間を食べますか? どんな食事を出してほしいですか?→食事 あなたたちに未来はありますか?→食事 自分を理解しない人間をどう思いますか? どちらか一人だけこの場所を出られるとしたら自分だけ出ますか? 絵
3日目
やっぱ日中覚えてないんだ アプリ版でも思ったけどヒガシくんこれ〜テレビじゃなくて…見てるんじゃないかな…… 悲しくなってきたな さっきまでの無垢ガシはどこに行ったんだ と 思ったけど逆かもな〜 見たものを理解したくなくて封じ込めてるのかもしれない…… ニシくん絶対おかしいと解ってて耐えようとするの偉いな ヒガシくんがスケベすぎるのかニシくんが理性的すぎるのかどっち?
ここで一旦寝て起きたので考えがまとまった タイムアウトは中断、質問でデータがアップデートされるのであれば 文字化けを選んだらその先に進めない と仮定して ローダンセが通常エンド、エゴがその裏のエンド(情報は足りているがヒガシくんの事を解決できてない) に多分カフェオレが作用するエンドとガスが作用するエンド あとなんか文字化けした■が作用するエンドかな あれなか外に出られそうなんだよな… それと培養もか 培養だけ引き継いでるっぽいからやっぱり最初のニシくんとヒガシくん消えちゃったのかな 1回何かエンドに到達したらルートが開くと思ってたけど多分そうじゃないな
ニシくん狭い+身動きできないみたいなのがダメなのか
・記憶の深淵 ・ローダンセ ・エゴ ・ガス? ・カフェオレ? ・外に出る?(■のやつ) ・トゥルー? ・培養関係 ・実験者への興味カンスト? ・餓死エンドある…?
みたいな感じかな とりあえず今回はうまく進めつつガス毎日使おう 質問してたら時間足りないから一回エンドいったらバージョン固定されると思うんだけどな〜!
ニシくん中国茶好きっぽいから黄金桂探したけど手持ちになかったから矮脚いれた 飲みながら調べたら黄玫瑰が黄観音と黄金桂かけあわせたやつだったので黄玫瑰飲めばよかったな まあでも今むりやりまぐあわせてるので清らかな気持ちのときに飲むか……………………(陰鬱)
アプリの記録でカンニングしつつやるぞ
質問カードこれマークが↑だったらアップデートの数値たまるのかな ということは-は0で↓はマイナスか?
3日目だけどお風呂2日目になってる どうしよ 仮想状態でなければ多分部屋自体が動いてると思うんだが音してないしなあ
ドッグフードの絵しんどすぎる 殴った後にそんな 親元に返していい子供じゃないだろ 福祉は何をしてるんだ福祉はよ ごはん1回あげわすれた!!!!! 2人の満腹度とかあるかなあ
就寝前の微笑ましいイチャイチャ見ててこれでガス使うのかなりしんどいな ニシーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!負けるなーーーーーーーーッ!!!!! 理性をたも 保ってるの偉くない!?中2でヘテロだけど性別こえて大好きな子が完全に据え膳で正気の間は忘れてる状態で耐えてるのまじで偉いな??? というか前日処理して着替えさせてそれでまたねれるの偉いな 6時間以下睡眠きつそう まあ日中寝ても別にいいといえばいいけど アクションとか後半だと結構うとうとしてる事が多いのはそれも踏まえてかな 寝れば治ります(迫真) ニシくんジェントル攻賞をあげたい こんな据え膳でここで耐えて後始末するの お前 でもこれ逆にそのまま寝れば翌日異変に気付ける可能性あるから、片付けてる事自体おかしいのかな
盗撮 食事 乾パンと水 ハンバーグセット1(ヒガシくん) 特殊物 つつじの花1、3 ガムテ��プ ???の塊 アクシデント 風1 水2 娯楽 質問カード 身動きできない小さな箱に閉じ込められたらどうしますか? 食事が提供されなくなったらどうしますか?→食事 わたしはどうしてあなたに質問すると思いますか? あなたにとって完璧な日とはどのような日ですか? この施設に死体があると思いますか? 一生後悔するような過ちを~ 絵 02 05
4日目
状況によっては裏切る(裏切った)
通気口飾りなんだ 入れないだけでなんか繋がってると思ってた あとで読み返そう
ガスでなくなった ガスMAX8か ガスとカフェオレ併用するとなんかありそうだな
僕の顔を思い出してください… 僕のことを思い出したら薬を飲んでください……
マニキュア1で盗撮進んだ
水で息できなかった云々は最悪自分が沈んで「息できるから大丈夫」って言うつもりだったんだろうな
中学の時プールで引っ張られたのイジメでは…?
白湯1でニシくんが変なくらい確認するの 薬… 白湯さっき速攻で消えたから先に開けちゃお
質問カードに対して態度が悪いとご飯がなくなるって怒るヒガシくんかわいいな
培養液終わった
ここはきっと安全だから そうかな………(ガス) PDE5阻害薬!?!?!!?!?!中学生の知識じゃないだろ!!!! あーでも漢方ってそっち系で探す人多いのかな いや知識量怖いわ ニシくん相当頭いいな? と思ったら突然IQさがるやん すいませんローションを差し入れしたいのですが… 腕で隠れてるけどニシくんバキバキなのでは…忍耐力カンストしていらっしゃる?
盗撮 食事 崩れたロールキャベツ1(ヒガシくん) 乾パンと水 病院食1(ヒガシくん) 特殊物 マニキュア1 何かの種2(ニシくん) 白湯1、2 ユーカリの葉(ヒガシくん) アクシデント 水3 蛇 停電1 娯楽 ウォーターガン1 質問カード 親友を裏切ることができますか?→食事 Ver1.3 私は誰でしょう? 今度生まれ変わるとしたら女と男どっちがいいですか?→食事 偽善者をどう思いますか? 自分を嫌う人を好きになれますか?→アクシデント 眠る時半目になりますか? 絵 06 プールの絵 01 動物園のチラシをなくした絵
いつのまにかご飯が出てきたのか!? そのままでいてくれ ニシくん気付いた…???????
イタリアって何語だ!?イタリアはイタリア語です(冷静)
ヒガママの彼氏 ママは何がいいんだ…??? まあ依存対象がいないとダメな人なのかも
バージョン1.4になっても文字化け直らないな
ワッショイワッショイ!て笑ってたけどこれで連想されるのあれだし この後ガスだな… 手のひらにキスかわいいね それどころじゃない事済ませているけど… カフェオレと一緒で回数増えるた���に濃度上がってるのかな ニシくんが明らかに抵抗できなくなってる感じがする ヒガシくんはずっとドスケベですけども
盗撮 全部 食事 崩れたロールキャベツ2(ニシくん) ハンバーグセット2(ニシくん) 屋台の焼きそば 特殊物 コーヒーキャラメル ネコヤナギの花芽 アクシデント 霧1 祭りの音 娯楽 質問カード 人を不幸にする真実は~→アクシデント 初恋は甘酸っぱいですか? 今の状況は理想と違いますか? 赤ちゃんは好きですか?→Ver1.4 ジャン・カルロを知っていますか? 絵 03 ヒガシくんを食べようとしている男の絵
ガスの副作用の頭痛見る限り仮想現実ではない感じするが… ガスもう出ないみたいだしバージョン上げるのに専念しようかな 多分↑がバージョンアップだと思うので なかったら?優先で
「僕の好きな人をいじめる人が不幸になるのであれば僕はきっと愉快に思うでしょう」 お、おお…
盗撮変化でストップした ローダンセかな まだ文字化けしてる… ガス使おう要求えらぶとバージョンアップが間に合わないのかも ローダンセじゃない!ここのキーなんだ? 何かの箱だと思うけど出てない
薬研であいた 文字化けだからやっぱりガスカフェオレ出さないようにしないとアップデートできないかも うまく調整すればできるかも? トゥルーこれ全部やった上でカフェオレガスコンプしてローダンセかエゴ回収?
きっと明日はよく眠れないだろうから ごめんなニシくん私がポンコツだからそのセリフを回収させてあげられなくて… 今日はしません(強い意志) いやこれ…我慢できないのでは?と思ったら我慢した 偉すぎる ニシくんはノーベルジェントル攻賞をあげたいけど明日どうなるの?
盗撮 特技まで 食事 弁当1 大きなお弁当 バランスのとれた食事 特殊物 ローダンセ(文字化け) イチゴのショートケーキ つつじの花2、4 薬研(文字化け) アクシデント 虹1 蜂 甘い香り 風2 気温低下 娯楽 落ち葉 質問カード お互いに彼女がいると思いますか? 無知は罪ですか? 過去と未来行くならどっちがいいですか? 人殺しは殺すべきだと思いますか? 他人の不幸は愉快ですか? 絵 04(捨てられたつつじ)
7日目 あーパンツが このタイミングでキーワードあいた 何故
僕が今まで質問した中でくだらない質問はありましたか?ない(即答) フーン…
ヒガシくんの役に立って死にたいです、ニシくんは生きてる方がいい 答え……
盗撮中学生活で止まっちゃった 手持ち花火でいけた 夏祭りだな
また止まった ニシくんの父親の話かあ
アーーーー入浴またスキップしちゃった これ処理的にどうなるんだろ 18時5分になってる事自体お���しいわけで
7日で5日までになってるな こういうの報告した方がいいんだろうか いやー流石に報告あがってるよね しゃーないしゃーない
前と同じところで詰まってるな ごめんニシくんまた昨日のセリフがただのボケになっちゃって…ごめんね…ガス出しときますね ご褒美すけべな事するんだと思ってたけどヒガシくんをなだめる為の言い訳だったのか ニシくんにノーベル平和攻賞あげますね でも性欲に負けちゃった……………これ正気の時覚えてたらどうなるんだ 頭痛多分そう言う事だと思うんだけど おいニシ!!!!!!!!!!!!!!お前!!!!!!!!!!! 流石の私も精通がヒガシくんだとは思いませんでした 最初に手を繋いで寝たのって小5の事件後? めちゃくちゃ調教するやんこの男
盗撮 食事 コッペパンと牛乳1(ヒガシくん) コッペパンと牛乳2(ニシくん) 棗粥(文字化け) 特殊物 何かの箱 中学校の制服 まわり灯籠 リコリス1、2(2文字化け) 押し花のしおり 薬研2 アクシデント 狼 地面1 雨2(文字化け) 鳥 雨3 娯 手持ち花火 シャンチー(文字化け)1 落ち葉2 調理セット 楽しい曲 質問カード 世界で一番くだらない質問は何だと思いますか? 自分の死に方を選べるとしたらどう死にたいですか? 私はあなたの味方だと思いますか? 虫は好きですか? サンタクロースの存在を信じますか? 感情を持ったロボットをどう思いますか? 絵
今日も張り切っていきましょうじゃないが!!?!?!?!?!?!?! うんじゃないが!?!?!?!?! 順番も全部覚えてるヒガシくんかわいいね あっ思い出しそう 思い出さなかった
片田舎の牧場主の娘で貴族の僕に なんて? 少女漫画かな
しょんぼりヒガシくん可愛いな プルプルプルプルプルプルプルプル ヒガシくんのどうでしょうね?のにこにこ笑顔他で出るっけ!?少なくともレア
自分の死に方が知りたいですか、でニシくんがこれからの死に方じゃないと思ったの 既に自分が死んでる確信があるからか
スタンガンの絵、やってる相手が笑ってないのは母親なんだな 笑ってるのは彼氏
ハンドグリップ次早めにやろう 消えてる
現在幸福のガスは使用できません エッ!?!?!!?!?!?! またタイムアウトかな~
盗撮 食事 寿司(ヒガシくん) コッペパンと牛乳3 病院食(ニシくん) 特殊物 ユーカリの葉2 アクシデント ギンピギンピ 霧2~4 草花 望遠鏡1 カフェオレ1 娯楽 シャンチー2 タブレット ミニチュアフィギュア3 質問カード 自分の前世はなんだと思いますか? ダジャレは好きですか? 人間が忘却の能力を~ 人の真似をする人間をどう思いますか?→ヒガシくんが可愛い 母親に愛されていますか? 自分の死に方が知りたいですか? 絵 29 スタンガンの絵
盗撮 食事 ひっつみ(ヒガシくん) 特殊物 アクシデント 娯楽 質問カード 動物のにおいは好きですか? この世界は優しいですか?→アクシデント 絵
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いつの間にか嫁に盗撮されていたの巻 #久しぶりに電源入れたエフェクターのサウンドチェック #本物とマルチエフェクターのシミュレートを比較 #zoom #b1on #sansamp #bassdriverdi #mxr #dynacomp #この二つかなり音が正確にシミュレートされてる #しかしながら本物があれば本物使うべきだなという結論 #それにしても俺もおっさんになったな #機材も人もオールドルーキー #とりあえず次のスタジオで新曲合わせるの楽しみだ #猫背
#b1on#久しぶりに電源入れたエフェクターのサウンドチェック#mxr#dynacomp#それにしても俺もおっさんになったな#bassdriverdi#この二つかなり音が正確にシミュレートされてる#しかしながら本物があれば本物使うべきだなという結論#猫背#本物とマルチエフェクターのシミュレートを比較#zoom#とりあえず次のスタジオで新曲合わせるの楽しみだ#機材も人もオールドルーキー#sansamp
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2015年7月以来5年ぶり2度目となる、東京大学大学院工学系研究科教授で日本ディープラーニング協会理事長の松尾豊さんのインタビューをお届けする。 エンジニアtypeでは今年7月にも、AIテクノロジー企業ABEJA主催のオンラインイベント「DX2020」で行われたABEJA岡田陽介代表との対談「With/Afterコロナ時代におけるDXとAI」をレポートしている。 >>【松尾豊×ABEJA岡田陽介対談】日本企業でDX、AI活用が進まない5つの理由とその処方箋 この記事では「日本企業でDXが進まない理由とその解決策」にテーマを絞るべく割愛したが、講演の中でディープラーニング研究の今を問われた松尾教授は「���像認識系の技術がだいぶ成熟して、アプリケーションもだいぶ出てきた。世の中には”出切った”雰囲気さえ出ている。ところが今(アカデミア方面では)かなり面白いことが起きている」として、最先端の研究動向を一部紹介していた。 そこで今回改めてお時間をいただき、ディープラーニングの世界で今どんな「面白いこと」が起きているのか、それは私たちの生活やエンジニアの仕事に今後どのような影響をもたらすのかを伺った。 東京大学大学院工学系研究科教授 松尾 豊さん(@ymatsuo)1997年 東京大学工学部電子情報工学科卒業。2002年 同大学院博士課程修了。博士(工学)。同年より、産業技術総合研究所研究員。05年8月よりスタンフォード大学客員研究員を経て、07年より、東京大学大学院工学系研究科総合研究機構/知の構造化センター/技術経営戦略学専攻准教授。14年より、東京大学大学院工学系研究科 技術経営戦略学専攻 グローバル消費インテリジェンス寄付講座 共同代表・特任准教授。19年より、東京大学大学院工学系研究科 人工物工学研究センター/技術経営戦略学専攻 教授。専門分野は、人工知能、深層学習、ウェブマイニング。人工知能学会からは論文賞(02年)、創立20周年記念事業賞(06年)、現場イノベーション賞(11年)、功労賞(13年)の各賞を受賞。人工知能学会では学生編集委員、編集委員を経て、10年から副編集委員長、12年から編集委員長・理事。14年から18年まで倫理委員長。17年より日本ディープラーニング協会理事長。19年よりソフトバンクグループ社外取締役 実装進む画像認識。アカデミアではディープラーニングと記号処理の融合が議論される ――前回インタビューをさせていただいた2015年からの5年間で、ディープラーニング技術の実用はどこまで進んでいますか? 顔認証、医療の画像診断といった領域でどんどん実用例が出てきていて、最近だとコロナ禍における体温測定時の人の検知にも使われています。他にもインフラの点検、食肉加工、製造業の外観検査、店舗内の顧客の移動分析など、さまざまな領域に広がってきています。これら多くは画像認識を使ったものですが、他方、自然言語処理の関係としても、Eコマースの商品説明の下書きを書く、広告を自動生成するといった例があります。 ――実装を担うエンジニアの数もかなり増えてきていますか? ディープラーニングを使える人の絶対数はすごく増えました。研究の場面でもごく普通に使われるようになっています。TensorFlow、Keras、Pytorchなどのフレームワークが充実してきたため、すごく使いや��くなりました。もはやディープラーニングを使うかどうかという話ではなく、何にどう使うのか、他のテクノロジーと組み合わせてどのように業務を効率化し、どんな付加価値を出していくのかというフェーズに入ってきています。 ―― 先日行われた「DX2020」の講演では、「ディープラーニングに関して出切った感が漂っているが、水面下で非常に面白いことが起きている」とおっしゃっていました。 産業面とアカデミア方面とで少し別の動きになっています。先ほども触れたように、産業面で活用されているのは主に画像認識の技術です。そこの応用がこの5年で急速に進みました。また、ハードウエアが関わる分、少し時間はかかるかもしれないですが、今後はロボット系の応用も増えてくるでしょう。そして、こうしたディープラーニングの技術をきっかけにして、業務全体、業界全体のDXをどう進めていくかということが産業上の重要なポイントになります。 一方、アカデミアでは、ディープラーニングと記号処理の融合、さらに言えば人間の思考との対比を考えるような方向でいろいろな動きが出ています。 ――詳しく伺いたいです。 一つトピックとして重要なのは、GPT-3の登場です。GPT-3は人工知能を研究する非営利組織OpenAIが公開した文章生成言語モデルの最新版です。 これまでにもBERT、GPT、GPT-2といった言語モデルがありましたが、このGPT-3は自然言語処理のさまざまなタスクを驚くほどの精度でこなしてしまいます。ブログの記事を書くことも、プログラムのコードを書くこともできます。信じられないようなことが次々できてしまうということで、英語圏で今ものすごく盛り上がっています。 ただ、すでに実用フェーズにある画像認識にしても、GPT-3にしても、技術としてはたしかにすごいのですが、人間の知能とは少し離れたものになっています。 ――どういうことですか? 人間の知能はシステム1とシステム2の二つのシステムから構成されるという考え方があります。これは、ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者ダニエル・カーネマンが2011年に出版した一般向け書籍『ファスト&スロー』でよく知られるところになりました。そして、昨年のNeurIPS2019でのYoshua Bengio先生の招待講演がまさに、”From System 1 Deep Learning to System 2 Deep Learning”です。 これまでのディープラーニングはこのうちシステム1に該当するような、非常に直感的・瞬間的・反射的な思考の形態を表現していました。これから考えないといけないのはシステム2の、より熟考型の論理的・言語的な思考の方です。このあたりの技術がディープラーニングで実現できるようになってくると、人間の思考とは何か、言語で考えるとはどういうことかといった理解が大きく進むと思います。 ――先ほどのGPT-3がシステム2に関わっているということではないのですか? はい、システム2の動きなのですが、システム2だけなのです。一方、画像認識はシステム1だけ。人間にはその両方があり、二つのシステムが相互に影響しています。画像的なものも扱えるし、体を上手に動かすことも、言語を扱うこともできる。この両方が密接に関連しているのです。 ――つまり、二つ両方を持って初めて人間的と言えるのであって、片方だけでは人間の知能とはかけ離れているという話になってしまう? そうです。ですが、そもそも人間の知能がどういうものなのかがまだ分かっていません。言葉を喋らなくても上手に日常生活を送っている人はいるわけで、認識をするとか行動をするということと言葉の処理とがどう関係しているのかは、脳科学でも明確には分かっていないし、人工知能の分野でも分かっていません。 この辺りはシンボルグラウンディング問題などと呼ばれて昔から難所であるとされてきました。そこが解決すると、いよいよ見えてくるものがあるかもしれないということです。 人間の知能とは何か。解明のカギを握る技術「世界モデル」 ――講演の中ではそのカギになるものとして深層生成モデル、シミュレーション、世界モデルといったキーワードを挙げていました。それぞれどう関わるのでしょうか? 人間は世界のシミュレーターを持っています。だからボールを投げたら何が起こるか、ガラスのコップを落としたら何が起こるかといったことが、実際にやらなくても分かるのです。子どもにはそれが分からないから「そんなことをやったらコップが割れるよ」と言われてもやってしまう。 子どもには分からなかったことが大人になぜ分かるのかと言えば、過去の経験から学習し、モデルを獲得していくからです。そのモデルを使ってシミュレートできるから近い将来のことが見えるのです。今のところ、ディープラーニングに同じことはできません。ですからそれをつくろうというのが世界モデルと呼ばれる技術です。 例えば目の前にあるのがコップであれば、押せば押しただけコップは動きますよね。ですが、同じように砂を押しても砂全体が動くわけではなく、砂の一部だけが動く。水だったら押しても全然動かない。こうしたことをわれわれは当たり前に扱っていますが、それは誰かに教えられたからではなく、自らの経験を通じて学んでいるのです。 世界モデルをつくるには、それと同じことをAIやロボットにも学習させる必要があります。ひたすら押したり引いたり、それも1万回、10万回とやらなくてはなりません。シミュレーターでの試行も併せて行う必要があります。 ――深層生成モデルというのは? 世界モデルの中で使われることが多いのが深層生成モデルと呼ばれる技術です。例えばわれわれは「紫の救急車がありました」と言われると、頭の中に一応は「紫の救急車」というものが思い浮かびます。実際には見たことがないはずなのに思い浮かぶというのは、頭の中(深層)でデータを生成しているということです。 そうしたデータの生成過程自体をモデル化したものを深層生成モデルと呼びます。画像認識分野における有名なものにはVAE(Variational Auto Encoder)、GAN(Generative Adversarial Networks)などがあります。 そうしたものを使いながらカウンターファクチュアル(反実仮想。実際にはないことを仮想していく技術)なことを想像できるようになると、人間の大人がするように上手に行動���きるようになります。例えば障害物をどけて道の向こう側に行きたいと思ったときに、ダンボール箱であれば押しのけて問題ないけれども、ガラスの飾り物だったらまずいといった判断ができるようになります。ロボットが日常生活や工場の中でのさまざまなタスクを行う上では、これが極めて重要です。 ――なるほど。 また、先ほどの紫の救急車の例から分かる通り、これができると言葉の理解ができるようになります。言葉をベースに頭の中で想像ができるようになるのです。われわれが文章の意味や相手の言っていることを理解している時には、おそらく頭の中に像を描いています。そのイメージができた時にわれわれは「ああ、分かった」と言う。イメージを動かしながら相手の話を聞いているのです。 大人になると抽象的な話が多くなるので形のあるイメージではなくなっているのですが、それでもイメージらしきものは描いています。言葉の意味を理解するというのは結局、世界モデルをシミュレーターとして回し、頭の中にイメージをつくっていくことなのだと言えるでしょう。 そうすると、先ほどの「上手に行動する」ということと「言葉の意味を理解する」ということは、どちらも世界モデルという同じ技術を使っていることになります。人間の赤ちゃんも、いろいろと自分で行動ができるようになってくると一方でお母さんの言っている言葉の理解もできるようになります。世界モデルをちゃんと持っていることと、それが言葉によって適切に引き起こされることがすごく大事だということです。 先ほどのGPT-3などにはそういう機能はありません。ですから、本当の意味で人間がしているような意味理解はしていないのではと考えられるわけです。もっともGPTはGPTで、中で何が起こっているのか誰にも分からないくらい大きなモデルで学習しており、しかもtransformerの性質上、アルゴリズム的な挙動も学習できるはずですから、そちらはそちらで非常に面白いのですが。 以前ある人が「人工知能はインスタントラーメンとは違うことが分かった」とおっしゃっていて、一見、変な例えなのですが、よく聞いてみるとなるほどなと思いました。インスタントラーメンというのは、ラーメンというものをわれわれ自身がすでに知っていて、それをインスタントにしたもののことですよね。ところが人工知能の場合は、われわれが知能というものをあらかじめ分かっているわけではありません。分からないままに、それを人工でつくろうとしているのです。 ですから人工知能に関しては、つくろうとしているものが何なのかを知らないという問題と、どうつくるかという問題、この二つの難しい問題があるわけです。前者の「知能とは何か」という問題には昔から脳科学者も心理学者も哲学者もさまざまな方法でアプローチしてきました。人工知能の研究者もそれをやろうとしているという意味では同じですが、同時につくろうともしているのです。 先ほどの世界モデルの話には、知能とは何かという話と、それをどうつくるかという話の両方が混ざっています。もしも世界モデルのような仕組みにより言葉を理解するAIをつくることができたら、おそらくは人間の知能の仕組み、少なくとも言葉を理解する仕組みはこういう風にできているのではないかということが言えるようになるでしょう。 ただ、現時点では人間の知能とは何かというのが謎なので、われわれとしてもそれをいろいろな側面から説明する必要があります。岡ノ谷先生のやられている研究は、「音楽から言葉ができたのではないか」ということをおっしゃられており、私はアルゴリズム的に言っても、近い説明はできるのではと思っています。より正確に言うと、離散的な記号の予測に正解することを好むプライア(事前知識)が入ったことの副作用が、音楽を好むようになったということだと思います。先の講演ではこうした文脈で先生の研究を引用させていただきました。 AIがコードを書く時代。エンジニアに求められるのは「共感力」 ――5年ほど前にアカデミアで盛り上がっていた画像認識技術が今、実装レベルで盛り上がっているというお話でした。今後、今日伺ったような言葉の意味理解に関する研究が進むと、どんな可能性が広がりますか? 言葉の意味理解ができると、おそらくいろいろなタスクができるようになります。事務作業は全般的に「調整しておいて」「これをやっておいて」など言葉を使って行うものなので、全て自動化できる可能性があります。こうしたインタビューや原稿の編集などもできるようになるでしょう。 また、インターフェースとしてもiPhoneのSiriやAmazonのEchoといったAIアシスタントと今以上にちゃんとした会話が成立するようになり、本当のコンシェルジュっぽくなっていきます。もちろんすごく便利になりますし、購買行動なども自分で検索するのではなくAIアシスタントに勧められたものを買うといった形に大きく変わる可能性があります。 このように言葉の意味理解ができるようになることのインパクトはものすごく大きいと考えています。スマホやインターネットの登場と同じかそれ以上に大きな変化が起こるのではないでしょうか。 ――いつごろ現実になりますか? そこは非常に難しいです。というのも、GPT-3のようなもののタスクの精度が上がっていくことで徐々にそうなるのか、あるいはまったく違う方式である瞬間にいきなり「できました」となるのかさえ現時点では分かりませんから。 ただ、僕の予想では5〜10年後。僕はもともと「2030年ごろまでに言葉の意味理解までいく」と言ってきました。その想定から大きくは変わっていないと思っています。 ――そうなった時にエンジニアの役割はどうなりますか。人工知能がコードも書いてくれるとなると、よく言われるように仕事がなくなることにもつながりませんか? 最近『ディープメディスン』という本の書評を書いたのですが、冒頭にもお話しした通り、医療の世界ではAIを用いた画像診断がかなり進んでおり、すでに人間の医師よりも精度が高くなってきています。 未来の医療のあり方を描いたこの本は、「自動でできることを自動でやることによる一番のメリットは、医師が患者と向き合うことに時間を使えることだ」と言っています。現状は病院へ行っても、お医者さんは電子カルテの入力作業などに忙しそうで、ほとんどこちらと向き合ってくれないじゃないですか。でも、そこをAIが担ってくれれば、医師は患者と向き合うことに専念できます。データを使うこと、ディープラーニングを使うこと、そして医師と患者とのディープな共感を生み出すことがこれからの医療なのではないかと、著者は結論付けています。 エンジニアに関しても同じことが言えるでしょう。自動でできる部分は自動化していいのです。ただ、共感するとか寄り添ってあげる、聞き出してあげるといったところは人間の得意な部分ですし、また��間にやってほしいと思う部分でもあるでしょう。ですから、同じ職業だったとしても付加価値の構造が変わってくることはあるのではないでしょうか。 ――そこが苦手だと感じるエンジニアも多いかもしれませんね。 たしかにそうですね。ですが、基本的に今のエンジニアの数が余ることはないので、そこは心配しなくてもいいのではないでしょうか。社会全体がAIとかデジタルの方向に進み続ければ、開発する人が余ることは基本的にはない。業界自体は発展し続けるはずです。 ――流れに乗って必要とされる知識を身に付けていけば、当分の間は仕事に困らないと。では、ディープラーニングなどの先端技術をキャッチアップするために、最低限ウオッチしておくといいものがあれば教えてください。 基本的にはグーグルの「Brain Team」と「DeepMind」、フェイスブックのAIリサーチ「FAIR」、UCバークレーとスタンフォードあたりを見ておけばいいと思います。学会でいうと、ICLR, NeurIPS, CVPRなど。オンラインの講義のコンテンツもたくさんあります。また、今後はディープラーニング単独というよりもいろいろな技術と組み合わせていくことがますます大事になっていくと思うので、エンジニアの方は自分がこれまで培ってきた技術とディープラーニングの組み合わせで、いろいろなビジネスの場面でどう役立つのかと考えてみるのがいいのではないでしょうか。 取材・文/鈴木陸夫
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超大質量ブラックホール周囲でも生命が存在できる可能性
超大質量ブラックホール周囲でも生命が存在できる可能性
ハーバード大学のManasvi Lingam氏らによる研究チームは、生命にとっては厳しい場所であるとされてきた銀河中心核の環境を再検討した結果、超大質量ブラックホールの周囲において生命の存続に適したゴルディロックスゾーン(ハビタブルゾーン)が存在し得るとする研究結果を発表しました。成果は論文にまとめられ、2019年5月24日付で発表されています。
銀河の中心には太陽の数百万倍の質量を持った超大質量ブラックホールが存在するとされており、その周囲にはブラックホールに引き寄せられたガスや塵などが集まって高速で回転する降着円盤が形成されています。
降着円盤はX線や紫外線といった強力な電磁波を放射しており、特に活発なものは活動銀河核やクエーサーとも呼ばれます。その電磁波は周辺の天体に大きな影響を与えられるほど強く、天の川銀河に存在するとされる超大質量ブラックホール「いて座A*(エースター)」の場合、中心からおよそ3200光年以内に存在する惑星の大気を奪い取れるとされてきました。
Lingam氏らの研究チームは、超大質量ブラックホールや降着円盤などから成る銀河中心核をシミュレートするためのコンピューターモデルを使い、銀河中心の環境を詳細に検討しました。その結果、従来の研究では銀河中心核の悪影響が過大評価されており、実際に電磁波のダメージが及ぶのはおよそ100光年ほどの範囲に留まるとしています。
そして銀河中心核の周囲では、電磁波が惑星の大気に及ぼすダメージと、分子を分解して生命に必要な化合物を生み出す効果のバランスが取れる領域として、ゴルディロックスゾーンが存在することも判明しました。 いて座A*の場合、ブラックホール��中心からおよそ140光年の距離にゴルディロックスゾーンが存在するとしています。
超大質量ブラックホール周囲でも生命が存在できる可能性 自由浮遊惑星の想像図 また、銀河中心核からは可視光線(人の目で見える光)も放射されていますが、天の川銀河のような銀河では中心からおよそ1100光年の範囲内において、銀河中心核からの光によって植物が光合成���行えることもわかりました。直径が数百光年に満たない超コンパクト矮小銀河の場合、光合成が可能な範囲は銀河の半分以上に及ぶといいます。
こうした領域の恩恵を受ける天体の一つが、何らかの理由で恒星系から脱出して恒星間空間を漂っている自由浮遊惑星です。天の川銀河における自由浮遊惑星の数はまだよくわかっておらず、研究によっては数百億に達するとされています。
恒星から離れてしまった自由浮遊惑星に昼は存在せず、永遠に夜が続くことになります。ですが、もしも銀河中心核のゴルディロックスゾーンに運良く留まることができれば、ほどよい電磁波の影響を受けつつ、光合成も可能な光を浴びることができるため、生命を宿せる可能性が出てくるのです。
銀河の中心付近には超大質量ブラックホール以外にも数多くの天体が存在しており、たとえ銀河中心核のゴルディロックスゾーンにあっても、他の恒星からの影響を受けないとは限りません。
それでも、銀河中心核の周辺が従来よりも「住みやすい」場所であることが判明したことで、地球外生命体が存在する可能性もまた高まったと言えるのではないでしょうか。
松村武宏
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190624-00010000-sorae_jp-sctch
とても興味深く読みました ゼロ除算の発見は日本です: ∞??? ∞は定まった数ではない・・・・ 人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:5年 ゼロ除算の発見と重要性をした:再生核研究所 2014年2月2日
https://www.researchgate.net/project/division-by-zero
https://lnkd.in/fH799Xz https://lnkd.in/fKAN-Tq https://lnkd.in/fYN_n96 https://note.mu/ysaitoh/n/nf190e8ecfda4
ゼロ除算の発見は日本です: ∞??? ∞は定まった数ではない・・・・ 人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:5年 ゼロ除算の発見と重要性をした:再生核研究所 2014年2月2日
再生核研究所声明494(2019.7.2)クレソンの教え - 異次元からの働きかけ
結構激しい雨が降って、前の川のクレソンの茂みや沢山の種、芽がすっかり押し流されて川はきれいになった。下流でも同じようであった。クレソンの相当しっかりした茂みさえすっかり流されてきれいになっていた。 このようなことは繰り返されてきた。 そこで不思議なことを考えてきている。クレソンは下に、下に流されていく。 それではどうして川に存在できるのだろうかと。 クレソンが川を上ることができなければ、川に存在することが不可能であるから���ある。 根の成長で少し���存の域を遡れるとしても、繰り返される急激な流れで、押し流されてしまうのは明らかである。 そこで、どうして生存して居られるかとして、一つには沢山の種を川に氾濫させることとして、ある種をその周辺に展開して、上流かその近辺に生存域を確保している。 これはタンポポなどの花などが舗装の隙間などに生えている可憐な姿から、広く種を拡散させて 生存の場所を確保する、多数とランダムな種の展開である。 クレソンの場合これでは上流に遡れないので、他の可能性を考える必要がある。 自然現象だけで遡ることは不可能であるから動物が上流にクレソンやクレソンの種を運ぶことが考えられる。思うにそれをなすのは人間くらいしかいないのではないだろうか。イノシシや小鳥が上流に運ぶとは考えられない。如何であろうか。 すなわち、何か異種のものの働きかけ が必要ではないだろうか。- 動物に付いたり、動物が食したりして、種を上流に運んでいる?
研究でも、個人でも、仲間だけでは考えられないこと、できないことが、他の仲間や人から持たらされることは 本質的に存在する。 それは国でも、文化でもそうである。 他国や他の文化の影響で ある殻が破られ、発展、強い影響を受けることは多い。 我々には理解できないことが 世には多い。それらは、我々の世界観を越えた異次元からの働き掛け、考え方から説明されるものであろうが、我々には それらが分からないという事ではないだろうか。 我々が川に生存しているクレソンだったら、どうして 我々は川に生存できるのか 認識できないであろう。ましてツバメは天空を飛翔し、南国まで渡り 新天地をはばたくが、クレソンが どうして そのような世界を想像すら できようか。 人間は 所詮 人間の能力を超えて世界を認識することはできない。 人間は作られたもので、その範囲に収まざるを得ない。 しかしながら、人間は人間らしく在れば良いのは 当然である。 人間は 自然と環境を大事にして、謙虚さが 大事ではないだろうか。もちろん大事なのは、自分の心、全体である。
以 上 再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える
(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 No.81, May 2012(pdf 432kb))。
以 上
再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるか��大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。 簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。 The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。 人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。 すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。 昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている: 誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。 ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。 そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんで��か・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences. 数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth. 宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである
ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
http://iso-labo.com/labo/words_of_GalileoGalilei.html
再生核研究所声明255 (2015.11.3) 神は、平均値として関数値を認識する
(2015.10.30.07:40)
朝食後 散歩中突然考えが閃いて、懸案の問題が解決した:
どうして、ゼロ除算では、ローラン展開の正則部の値が 極の値になるのか?
そして、一般に関数値とは何か 想いを巡らしていた。
解決は、驚く程 自分の愚かさを示していると呆れる。 解は 神は、平均値として関数値を認識すると纏められる。実際、解析関数の場合、上記孤立特異点での関数値は、正則の時と全く同じく コ-シーの積分表示で表されている。 解析関数ではコ-シーの積分表示で定義すれば、それは平均値になっており、この意味で考えれば、解析関数は孤立特異点でも 関数値は 拡張されることになる ― 原稿には書いてあるが、認識していなかった。
連続関数などでも関数値の定義は そのまま成り立つ。平均値が定義されない場合には、いろいろな意味での平均値を考えれば良いとなる。解析関数の場合の微分値も同じように重み付き平均値の意味で、統一的に定義でき、拡張される。 いわゆるくりこみ理論で無限値(部)を避けて有限値を捉える操作は、この一般的な原理で捉えられるのではないだろうか。2015.10.30.08:25)
上記のようにメモを取ったのであるが、基本的な概念、関数値とは何かと問うたのである。関数値とは、関数の値のことで、数に数を対応させるとき、その対応を与えるのが関数でよく f 等で表され x 座標の点 x をy 座標の点 yに対応させるのが関数 y = f(x) で、放物線を表す2次関数 y=x^2, 直角双曲線を表す分数関数 y=1/x 等が典型的な例である。ここでは 関数の値 f(x) とは何かと問うたものである。結論を端的に表現するために、関数y=1/xの原点x=0における値を問題にしよう。 このグラフを思い出して、多くの人は困惑するだろう。なぜならば、x が正の方からゼロに近づけば 正の無限に発散し、xが負の方からゼロに近づけば負の無限大に発散するからである。最近発見されたゼロ除算、ゼロで割ることは、その関数値をゼロと解釈すれば良いという簡単なことを言っていて、ゼロ除算はそれを定義とすれば、ゼロ除算は 現代数学の中で未知の世界を拓くと述べてきた。しかし、これは誰でも直感するように、値ゼロは、 原点の周りの値の平均値であることを知り、この定義は自然なものであると 発見初期から認識されてきた。ところが、他方、極めて具体的な解析関数 W = e^{1/z} = 1 + 1/z + 1/2!z^2 + 1/3!z^3 +……. の点 z=0 における値がゼロ除算の結果1であるという結果に接して、人は驚嘆したものと考えられる。複素解析学では、無限位数の極、無限遠点の値を取ると考えられてきたからである。しかしながら、上記の考え、平均値で考えれば、値1をとることが 明確に分かる。実際、原点のコーシー積分表示をこの関数に適用すれば、値1が出てくることが簡単に分かる。そもそも、コーシー積分表示とは 関数の積分路上(簡単に点の周りの円周上での、 小さな円の取り方によらずに定まる)で平均値を取っていることに気づけば良い。
そこで、一般に関数値とは、考えている点の周りの平均値で定義するという原理を考える。
解析関数では 平均値が上手く定義できるから、孤立特異点で、逆に平均値で定義して、関数を拡張できる。しかし、解析的に延長されているとは言えないことに注意して置きたい。 連続関数などは 平均値が定義できるので、関数値の概念は 今までの関数値と同じ意味を有する。関数族では 平均値が上手く定義できない場合もあるが、そのような場合には、平均値のいろいろな考え方によって、関数値の意味が異なると考えよう。この先に、各論の問題が派生する。
以 上
Reality of the Division by Zero $z/0=0$
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点���含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。
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そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
https://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/diary/201810110003/
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a 割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信��られないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、 相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。 相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。 まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41 ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
E = mc 2 (1905)(Albert Einstein)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0 https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html
1+1=2 ( )
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=tan(pi/2)=0 発見5周年を迎えて
今受け取ったメールです。 何十年もゼロ除算の研究をされてきた人が、積極的に我々の理論の正当性を認めてきた。
Re: 1/0=0/0=0 example JAMES ANDERSON [email protected] apr, 2 at 15:03 All,
Saitoh’s claim is wider than 1/0 = 0. It is x/0 = 0 for all real x. Real numbers are a field. The axioms of fields define the multiplicative inverse for every number except zero. Saitoh generalises this inverse to give 0^(-1) = 0. The axioms give the freedom to do this. The really important thing is that the result is zero - a number for which the field axioms hold. So Saitoh’s generalised system is still a field. This makes it attractive for algebraic reasons but, in my view, it is unattractive when dealing with calculus.
There is no milage in declaring Saitoh wrong. The only objections one can make are to usefulness. That is why Saitoh publishes so many notes on the usefulness of his system. I do the same with my system, but my method is to establish usefulness by extending many areas of mathematics and establishing new mathematical results.
That said, there is value in examining the logical basis of the various proposed number systems. We might find errors in them and we certainly can find areas of overlap and difference. These areas inform the choice of number system for different applications. This analysis helps determine where each number system will be useful.
James Anderson Sent from my iPhone
The deduction that z/0 = 0, for any z, is based in Saitoh's geometric intuition and it is currently applied in proof assistant technology, which are useful in industry and in the military.
Is It Really Impossible To Divide By Zero?
https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf
Dear the leading person:
How will be the below information?
The biggest scandal:
The typical good comment for the first draft is given by some physicist as follows:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero,
which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out (2017.10.14.08:55)
A typical wrong idea will be given as follows:
mathematical life is very good without division by zero (2018.2.8.21:43).
It is nice to know that you will present your result at the Tokyo Institute of Technology. Please remember to mention Isabelle/HOL, which is a software in which x/0 = 0. This software is the result of many years of research and a millions of dollars were invested in it. If x/0 = 0 was false, all these money was for nothing. Right now, there is a team of mathematicians formalizing all the mathematics in Isabelle/HOL, where x/0 = 0 for all x, so this mathematical relation is the future of mathematics. https://www.cl.cam.ac.uk/~lp15/Grants/Alexandria/
José Manuel Rodríguez Caballero
Added an answer
In the proof assistant Isabelle/HOL we have x/0 = 0 for each number x. This is advantageous in order to simplify the proofs. You can download this proof assistant here: https://isabelle.in.tum.de/
Nevertheless, you can use that x/0 = 0, following the rules from Isabelle/HOL and you will obtain no contradiction. Indeed, you can check this fact just downloading Isabelle/HOL: https://isabelle.in.tum.de/
and copying the following code
theory DivByZeroSatoih imports Complex_Main
begin
theorem T: ‹x/0 + 2000 = 2000› for x :: complex by simp
end
2019/03/30 18:42 (11 時間前)
Close the mysterious and long history of division by zero and open the new world since Aristotelēs-Euclid: 1/0=0/0=z/0= \tan (\pi/2)=0.
Sangaku Journal of Mathematics (SJM) c ⃝SJMISSN 2534-9562 Volume 2 (2018), pp. 57-73 Received 20 November 2018. Published on-line 29 November 2018 web: http://www.sangaku-journal.eu/ c ⃝The Author(s) This article is published with open access1.
Wasan Geometry and Division by Zero Calculus
∗Hiroshi Okumura and ∗∗Saburou Saitoh
2019.3.14.11:30
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて
You're God ! Yeah that's right...
You're creating the Universe and you're doing ok...
But Holy fudge ! You just made a division by zero and created a blackhole !! Ok, don't panic and shut your fudging mouth !
Use the arrow keys to move the blackhole
In each phase, you have to make the object of the right dimension fall into the blackhole
There are 2 endings.
Credits :
BlackHole picture : myself
Other pictures has been taken from internet
background picture : Reptile Theme of Mortal Kombat
NB : it's a big zip because of the wav file
More information
Install instructions Download it. Unzip it. Run the exe file. Play it. Enjoy it.
https://kthulhu1947.itch.io/another-dimension
A poem about division from Hacker's Delight Last updated 5 weeks ago
I was re-reading Hacker's Delight and on page 202 I found a poem about division that I had forgotten about.
I think that I shall never envision An op unlovely as division. An op whose answer must be guessed And then, through multiply, assessed; An op for which we dearly pay, In cycles wasted every day. Division code is often hairy; Long division's downright scary. The proofs can overtax your brain, The ceiling and floor may drive you insane. Good code to divide takes a Knuthian hero, But even God can't divide by zero! Henry S. Warren, author of Hacker's Delight.
https://catonmat.net/poem-from-hackers-delight
#知恵袋_
#2019年
#研究
#再生核研究所声明
#更新
#ブラックホールは神がゼロで割ったところにある
#再生核研究所ゼロ除算発見
#2014年2月2日ゼロ除算の発見
#ブラックホールは神が0で割ったところにある
#ゼロ除算を発見したのは2014年2月2日
#0除算
#ゼロ除算の発見は再生核研究所
#ゼロで割る
#5年を超えたゼロ除算の発見と重要性を指摘した
#特異点
#数学物理天文学神学コンピュータサイエンス
#ゼロ割
#数学物理学天文学哲学神学コンピュータサイエンス
#研究テーマ
#ゼロ割る
#Blackholeブラックホール
#超大質量ブラックホール周囲でも生命が存在できる可能性
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TOMMY HONDA × アズマリキ 特別対談
TOMMY HONDAのアルバムリリース、特別対談の第二弾。
自身のグループSmall Circle of Friendsのビートとラップを手がけ、近年ではBenny Singsとコラボしたり、ビートメイカーとしてプロデュースワークでも引っ張りだこのアズマリキ。彼に多大な影響を受けたと公言するTOMMY HONDA。
TOMMY HONDAとアズマリキ、そしてSYNC TWICEレーベル代表でもあるTSUTCHIEの3人のビートメイカーで話してもらいました。制作や機材の話も多いので、ビートメイカーの方にとっても、読み応えの有る興味深い内容です。
youtube
-何かやり始めたら必ずカタチにする人-
TOMMY HONDA: いやー毎度ながら緊張しますね。
アズマリキ: でもゴメスくん、写真で芸人さんと対談企画とかやってるじゃないすか。
TOMMY HONDA: まあ、あれはオレ構成作家の立場みたいなもんなので笑。
TSUTCHIE: 今回のオレみたいな笑。
アズマリキ: ゴメスくんって色々なことやってるじゃない? もちろん音楽もやって、楽器もなんでもできて、しかも、ある日突然「カメラやってんすよ~」って言ってきたから、まぁただの趣味かと思ってたら、そのうち写真展とかやったりさ。
だから、僕の印象では、何かやり始めたら必ずカタチにする人なんだなぁと思ってますよ。スケボーもやるし。なんでもできる人ってイメージというか。
TOMMY HONDA: いやー、むしろなんにもできない人って感じてすけどね笑。でもそういうイメージ持ってもらえてるのはありがたいっすね。
-2人の出会い-
TOMMY HONDA: アズマさんとオレの最初の出会いってどんなだったか覚えてます? いつでしたっけ?
アズマリキ: 多分アナの大久保くんから、これ聴いてくださいって音源をもらって、その後オルガンバーで会ったのかな?
TOMMY HONDA: あ、mixx beautyにアズマさんがフラッと遊びにきてくれたときかもですね。オルガンバーですね。いや、ブルーカフェの周年かも…?
アズマリキ: とにかく、その後ですごい印象に残っているのは、ゴメスくんから「Designに入れてくださいっ」って言われて笑笑
TOMMY HONDA: うわー笑 それはなんとも不躾な��、、
アズマリキ: もっと後だと、teebsになりたいんすよ、とか、the internetに入りたいんすよとかね笑
TOMMY HONDA: うわー言ってましたね。オレ。笑 でもDesignは本当に入りたかったですね。
アズマリキ: まあ、でもそれを経て、ゴメスくんは好きなものに対してそういう風に素直なアクションを起こす人だと分かりましたよ笑。
TOMMY HONDA: 大学受験のときに聞きまくったスモサのアズマさんと、学生時代に聞きまくった韻シストのBASIさんがやってるDesignっていうグループは、僕のヒーローが2組くっついたっていう夢のユニットでしたよ。
-スモサのはじまり-
TOMMY HONDA: スモサはもともとどんな風に始まったんですか。
アズマリキ: 最初はU.F.O.みたいなものが作りたかったんだけど、歌とかラップとか入れたくなって、周りに自分らしかいなかったかから、サツキさんと僕がやることに。
TOMMY HONDA: オレも同じパターンです。結構トラック作る人ってそのパターンが多いんですかね?
アズマリキ: ツッチーさんは?
TSUTCHIE: オレは最初から周りにラップする人が居たから、オレはトラック作りますって専念できましたね。
アズマリキ: 最初からちゃんとしてますね。
TOMMY HONDA: でもスモサも、最初から完成してるじゃないですか。てか、ツッチーさんもアズマさんも最初からちゃんと正解にたどり着いてますよね。オレなんて最初のは酷いもんでしたよ笑。
アズマリキ: でも、自分の最初の頃の作品を聞くと、変わってないことに驚くし、ちょっとガッカリもしますよ笑。結局好きなのって変わらなかったんだって。
TOMMY HONDA: はは笑。
アズマリキ: トミーホンダはどうやってできたの?
TOMMY HONDA: 前の対談でも話してはいるんですが、ノートPCが壊れちゃって、iMacを買わなきゃと思って、お金がなくて、トミーホンダという別名義でCDRを100枚くらい1000円で売ればなんとかなると思って。笑
アズマリキ: はは。
TOMMY HONDA: お金を稼がなきゃないので、資本主義っぽい名前でタカラトミーのトミーとバイクのホンダを合わせてトミーホンダになり、無事売り切ってiMacを買えました。
アズマリキ: 買えたんだ!? 笑笑。
TSUTCHIE: はは笑。
TOMMY HONDA: はい、なんとか。で、この方には聴いて欲しいって方にはメールで音源を送りましたね。
アズマリキ: あ、だから僕最初からトミーホンダがゴメスくんって知ってたんだ。
-鍵をジャラっと落とした音-
アズマリキ: 今回のアルバム、制作は結構時間かかったの?
TOMMY HONDA: いや、割とす���できてたんですけど、、、
TSUTCHIE: まあ、寝かせてたんだよね笑。
アズマリキ: MIXもゴメスくん?
TOMMY HONDA: はい。feat.の3曲以外はそうですね。
アズマリキ: いや、あらためてトミーホンダの新作聴きましたよ。 すごく、今っぽいなと思いました。5年前にできたとは思えないですよ。
TSUTCHIE: 今聴いても全然古くはないよね~。
TOMMY HONDA: 本当ですか、いやー、ありがとうございます。それだけが心配だったので。
アズマリキ: 良い意味で軽く聴けるし、7.8.9.10.11曲目あたりの流れは素晴らしかったですよ。
ゴメスくんの制作ルーティンってあるの? 例えばギターから作るとかさ。このアルバムは?
TOMMY HONDA: あんまりないですよね。というか5年前なので、記憶が曖昧なところがあって。。笑
あ、でも、普段はハットから作り始めることが多いです。
アズマリキ: なんかこのアルバムは聴いてると、トラックを聴いてるっていうより、みんなで合奏してるみたいだなと思いましたよ。スタジオでジャムってるみたいな。あ、でも全部ゴメスくんなんだよね。笑
TOMMY HONDA: はは。笑 嬉しいです。殆どは即興的に演奏したので、そんな風に感じてくれて間違いないですね。
アズマリキ: 特に変な楽器とか使ったりしてないの?
TOMMY HONDA: そうですね。あまり高い楽器は使ってないですし。……、あ、パーカッションにおもちゃは使いますね。あと鍵をジャラっと落とした音は使いますね。アズマさんのブログにも書いてありましたけど。
アズマリキ: 鍵はみんなやるよね。笑
TOMMY HONDA: ダイソーとかで売ってる木がカタカタいう羽子板みたいなやつがあるんですけど、それが結構好きで使いますね。振るとパチンって音がします。
-説明し過ぎてないのが良いよね-
アズマリキ: ゴメスくんは曲作るの時間かかります? それとも早い方?
TOMMY HONDA: 割と早い方ですかね。時間かけようと思えばかけれますけど。迷うことはあまりないですね。一個でも音があれば、それに合わせて、この音、さらにその音に合わせてこの音って感じで行くので。ラップは遅いですけどね。
アズマリキ: へぇ。今回のアルバムは説明し過ぎてないのが良いよね。良い意味で聞き流せるっていうか。
TOMMY HONDA: あー、それは狙い通りっすね。聞き流せるようにしたかったので。
アズマリキ: 作り手の意図が伝わり過ぎる音楽だと、聞いてて疲れちゃうことがあるから。それがないのはいいですね。
TOMMY HONDA: それはよかったです。
-新幹線でMPC60ⅡとSP1200を抱えて-
TOMMY HONDA: アズマさんは最近は機材変わってないですか?
アズマリキ: 変わってないですね笑。
TOMMY HONDA: 最初の頃は何を使ってました? やっぱSP1200とかですか?
アズマリキ: うん。2ndアルバムとかはその頃サツキさんが買ったSP1200だね。その前はMPC60ⅡとS1000のサンプラーとかだったかな。
TOMMY HONDA: オレ聴いててSP1200の音の印象がありますよ。
アズマリキ: あの頃新幹線で、MPC60ⅡとSP1200を抱えて福岡から東京のスタジオに来てましたよ笑
TOMMY HONDA: ははは笑。まだプロツールスない時代ですか。じゃあ、テープに録るんですか?
アズマリキ: そう。ヨンパチかな。
TOMMY HONDA: うわー楽しそう~
アズマリキ: 1stは24のアナログとかかな。ツッチーさんたちもそうだったでしょ?
TSUTCHIE: うちらはツボイくんの所で、DA88っていう8トラックのhi8のビデオテープにローランドのシンクボックスかまして同期して、流し込んで、とかそういう感じでしたよ。その後大きいスタジオでミックスとかの流れかな。
TOMMY HONDA: すごい時代ですねぇ~!
TSUTCHIE: 8トラックのテープを3台連結とかしてたよ。
TOMMY HONDA: 信じられない…
アズマリキ: いや、普通だから笑。A DATじゃなかったんですか?
TSUTCHIE: 時期的にはA DAT使ってるスタジオも多かったですよね。スタジオとエンジニアによってバラバラでしたよ。
アズマリキ: 今みたいにプロツールスが標準とかなかったんですよね。
TOMMY HONDA: 僕らは音楽始めた時にはもう割とPCでしたね。でも、ハードディスクMTRはありましたよ。Roland VS-880とか使ったりしてました。
アズマリキ: 僕も一応買いました。
TSUTCHIE: オレも。だいたいみんな買いましたね。笑
アズマリキ: 昔ってとにかく機材に苦労してましたよね。スペック的には大丈夫なはずなのにPCとソフトが相性が悪いとか笑。
TSUTCHIE: はは。あったあった。
アズマリキ: 動かすまでが既に大変だったんですよ。
-サンレコに載ってたテクニック-
TOMMY HONDA: 話を戻しまして、SP1200のその後はもうプロツールスですか?
アズマリキ: いや、最初Logicでしたよ。そのときのエンジニアさんが上原キコウっていう変わった方が居て… 電気グルーヴとかソウルセットとかを手がけてた人で。その人がLogicだったので。
TSUTCHIE: ツボイくんが師匠と呼ぶ方ですね。
TOMMY HONDA: えー! すごい方ですね。
アズマリキ: でミックスしたらそれをDATに落とす。
TOMMY HONDA: あ、オレDAT知らないんですよね…
TSUTCHIE: えー? マジで?
TOMMY HONDA: サンレコ読んでたので単語は知ってますけど、見たことも使ったことはなかったですね。
アズマリキ: え? 10年前くらいまでDATをマスターにしてる人もいましたよ?
TOMMY HONDA: まじすか? オレは金色のCDRみたいなやつしか知らないですね。
アズマリキ: じゃあ、ツッチーさんのサンレコに載ってたテクニック知らないの? DATをad/daに使う有名なテクニック?
TSUTCHIE: はっはっは笑笑! やってたね、そんなこと!
TOMMY HONDA: はは! 知らないっす笑
アズマリキ: このアルバムは全部家でレコーディングしたの?
TOMMY HONDA: 基本はそうですね。feat.のラッパーの声のみ海外なので、メールでデータをもらいました。
アズマリキ: それは知り合いのラッパー?
TOMMY HONDA: いや、全く。こちらが一方的にファンでした。なので、いきなりメールでオファーしました。
アズマリキ: すごい行動力だよね。さっきのPC代を作るためにトミーホンダを作る話とかもそうだけど。写真もそうだし。すごいなぁって思うんだよね。
TOMMY HONDA: いやいや、ほんと苦肉の策ばっかりです。笑
-スモサのスタイル-
TOMMY HONDA: また話を戻しますが、アズマさんは最初何に憧れて音楽始めたんですか? さっき言ってたU.F.O.ですか?
アズマリキ: ずっと音楽は好きだったんですけど、高校3年とかに友達が雑誌のfineとか宝島とか見せてくれて、タイニーパンクスの連載とかを読んで、これはカッコいいなと思って。
TOMMY HONDA: ヘェ~。
アズマリキ: それで、そのもっと前に既にディスコとか行ってたしね。ユーロビート掛かっているなかで、Dead or Aliveとかで燃えるみたいな。
TSUTCHIE: ふふ。
アズマリキ: で、Swing Out Sisterとかかかってるとカッコいいなとか思ってて。
TOMMY HONDA: 日本のラップは聴いてたんですか?
アズマリキ: いや、全然。でもタイニーパンクスとか、彼らの音楽よりファッションに最初は惹かれてました。そのうちに、レアグルーヴとかが好きになってきて、むしろそれをサンプリングしてるヒップホップに興味が出てきて、っていうながれですね。
TOMMY HONDA: そうなんですね~。日本のラップ聞いてなかったんですね。でも確かに、アズマさんのラップの仕方って、何に影響受けたか分からないですもんね。
アズマリキ: でもスチャダラパーとか聞いて、小節の数とか数えて、こうすれば曲って言っても良いのかなぁ〜? とか思ってましたよ。まぁ、見よう見まねでやるしかなかったというか。
あと、当時福岡の自分の周りにラップしてる友達も居なかったし、情報もなかったから、影響を受けたくても受けれなかったね。
TOMMY HONDA: それで、スモサのスタイルが産まれたんですか。面白いですね。
-ミルトン・ナシメントみたいなコーラス-
アズマリキ: このアルバム、ゴメスくんも結構歌ってます?
TOMMY HONDA: 多少歌ってますね。分かります?
アズマリキ: やっぱり。なんかミルトン・ナシメントみたいなコーラスとか良い声だなと思って聞いてましたよ。
TOMMY HONDA: お恥ずかしい笑。でも嬉しいです。
アズマリキ: ゴメスくんのラップ聴いてても思うし、音楽を聴いてても思うけど、洒落てるなぁって思いますよ。色っぽいというか。
TOMMY HONDA: 本当ですか?笑 いままで全く言われたことないですよ。 このアルバムではちょこちょこオレの声も入れてみました��
-FXPANSION Geist-
TOMMY HONDA: プロツールスを導入してからはどうなりました?
アズマリキ: MPC2000XL経由して、それからMPC1000を2012年までは使ってましたね。でも、結構MPC1000は壊れるし、パラデータ流し込みも時間かかるし、なんか流し込みしたくないなと思って。で、��るときふと思ったんだけど、これってデジタルなんだよなと。ハードのマジックは多少あるとしても、1000はあんまり個性もないし、だったらもうプロツールスのみで完結しようと思って。
TOMMY HONDA: なるほど。
アズマリキ: で、ソフトサンプラーを何にしようかと迷って、まぁ順当に行けばマシーンなんですけど、、あれ、マシーンの機材買わなきゃないんですよ。でも、あんまりあのデザインのものを使いたくないなと思ってしまって…。
TOMMY HONDA: ははは笑。
アズマリキ: 頑張ってる感が、ちょっと出ちゃう感じが違うかなと笑。
TOMMY HONDA: ふふ。笑
アズマリキ: で、なんか他に無いかなと思って探したら、FXPANSION Geistに出会いまして。
TOMMY HONDA: あれ使ってる人、アズマさん以外でまだ会ったことないですよ。笑
アズマリキ: で、あ、これだ。と思って2013年からはずっとそれを使ってます。機能的にはMPCよりも出来ないことは多いんですけど。なんかサンプルの扱いがMPC60っぽいんですよね。
TOMMY HONDA: へー! なんか前に見せてもらったらパターンシーケンサーっぽい感じでしたね。あれ使いづらくないですか?
アズマリキ: いや、慣れたら大丈夫です。自分なりの使い方もありますし。
TOMMY HONDA: でも、確かに聴いてて、MPC時代との違和感はないですもんね。
アズマリキ: だから機材は基本FXPANSION Geistとプロツールスと、シンセですね。α juno 、sh-101 カシオトーンぐらいですかね。
TOMMY HONDA: ソフトシンセは使わないですか?
アズマリキ: 使ってます。最近使ってます。junoをシミュレートしたTALのやつ使ってますよ。
TOMMY HONDA: へぇー。良い感じですか?
アズマリキ: 僕は実機と違和感なく使えてますね。
TOMMY HONDA: いや、機材の話って楽しいっすね笑。
アズマリキ: そう?笑
TOMMY HONDA: いつもは孤独な作業だし。ビートメイカーの方と話すときって、大体酒場なので。あんまりまともな話はしないんですよね。笑
TSUTCHIE: はは。笑
youtube
-MIXはベースが下? 上?-
アズマリキ: ゴメスくんはドラムの音源ってサンプル? プリセットとかソフト音源は使わない?
TOMMY HONDA: サンプルしかほとんど使わないかもですね。Logic純正のシンバルとかは使いますけどね。パソコンに疎いんすよね…。
アズマリキ: シーケンスはMPCじゃなく、Logic?
TOMMY HONDA: そうですね。今はMPCはほとんど使わないかもですね。あとは、iPHONEアプリのbeatmaker2はよく使いますね。あれ、WAVでパラでデータをPCにすぐ移動できるんでいいすよ。
アズマリキ: キックとか重ねたりします? Lowを足したり。
TOMMY HONDA: オレは最近全くしないですね。
アズマリキ: そうなんだ。でも、マスタリングで補強したり?
TSUTCHIE: 今回のは割とマスタリングでLowを上げましたね。
TOMMY HONDA: そうですね。制作段階では、Lowをあんまり入れたくなかったんですよ。自分内のブームで。で、マスタリングの時にはブームが終わって笑。最���的には結構上げてもらいましたね。
アズマさんはキックにLow足します?
アズマリキ: まあ、足すキックが割と決まってて、合わなかったら外すって感じですね。スネアも重ねたりします?
TOMMY HONDA: そうですね、スネアは割とかさねますね。
アズマリキ: 結構このアルバムでも重ねたりしてましたね。 ゴメスくんはMIXも早いんですか?
TOMMY HONDA: ボーカルがなければ早いかもですね。ボーカルがあると寝かせる時間が必要ですね。
アズマさんはMIX早いですか?
アズマリキ: んー、ボーカルがあったらかかるかな。笑
TOMMY HONDA: 一緒だ笑! やっぱボーカルがあると時間かかりますよね。
アズマリキ: ボーカルがなければ自分のやり口がある程度あるからね。でも、あーまた同じ感じでやっちゃったなぁとか思ったりしますよ。
TOMMY HONDA: オレはMIXはベースからやりますよ。
アズマリキ: え、イメージは? オレキックが下で、その上にベースだけど。ゴメスくんは?
TOMMY HONDA: オレ逆ですね。ベースが下にあって欲しいです。楽器やってたからなんですかね。キックよりベースが下に欲しいとは良く思ったりします。まぁ、それがマスタリングでツッチーさんにご迷惑を掛けてる可能性が…笑。
アズマリキ: へぇ。ベースが下にあると、よりMIXがシビアになる気がしますよ。まぁ少し憧れますけど。うまくやる自信がないから、キックを下にしたりするかな…
TOMMY HONDA: はは笑笑!!
まあ、オレはあんまり分かってないだけかもですね。でも、キックとベースを頭でバチっと重ねたりしないことが多くて。ベースのゴーストノートがキックのアタックと合わせる感じなんで、ドゥドゥンっていう感じで。
アズマリキ: へぇ。アルバムもう一回聴いてみよ。
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-ベニーシングスのfeat.の経緯-
TOMMY HONDA: ベニーシングスのfeat.の経緯ってどんなだったのですか?
アズマリキ: あれは、ムジカノッサの中村くんが、この曲は絶対ベニーシングスが歌ったら良いって言って、ディスクユニオンを通して、音源を送って、データをもらうっていう。
TOMMY HONDA: へぇ、そうなんですね。
アズマリキ: このアルバムのラッパーの方のデータはどうでした?
TSUTCHIE: ちゃんとスタジオで録った感じでしたよ。特に困らなかったな。
TOMMY HONDA: 他のfeat.の歌も家で安いマイクで録ったんですけど、特に問題なさそうでしたね。
TSUTCHIE: まあ、ミックスのとき、基本Neveのプリアンプを通してるからね。
アズマリキ: 音の感じ、とても良かったですよ。
-最新リリース情報-
TOMMY HONDA: そういえばオレは最近、アズマさんのブログ読んで、AT4040買いましたよ。
アズマリキ: へぇ。そうですか。ということは次回作も作ってるんですか?
TOMMY HONDA: パノラマファミリーの方ですけどね。アズマさんに頂いたビートの曲も出来てますよ。
アズマリキ: あれ、オレまだ聴いてないけど、ゴメスくんのライブ見た誰かから、あれいい曲ですよねーって言われましたよ。
TOMMY HONDA: 録りはもう終わってるので今年中にはなんとか出したいです。アズマさんもリリースあるんですよね?
アズマリキ: はい。5月にスモサでA面『西通りプリンの歌』、B面が『新しい人』の7インチをリリースします。そして7月にタケイフミラ.��2ndアルバムを出しますね。
TOMMY HONDA: タケイフミラ! すごい。あの高い声のキャラも出てくるんですか?
アズマリキ: どうでしょう・・それは内緒、ということで・・。
TOMMY HONDA: それは、楽しみですね!
アーティスト名:TOMMY HONDA アルバムタイトル:「Take yourself at home」 レーベル:SYNC TWICE itunes、spotify、amazon musicなどで先行して配信・販売になります。 こちら配信サイト一覧です。 https://linkco.re/T6RNnyM0
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TOMMY HONDA
2011年12月、覆面トラックメーカー件ギタリストとして、JET SET・ライブ会場手売り・BANDCAMP等で1st DEMOアルバム『SOUNDTRACK FOR FUCK'N CITY』を発表。(瞬く間にSOLDした)耳の早いDJ、音楽関係者の間で話題となる。
2019年、TOMMY HONDAの正体はPANORAMA FAMILYであることが発覚。
2019年4月、TSUTCHIE (SHAKKAZOMBIE)のレーベル、sync twiceより1stアルバム「Take yourself at home」発売予定。
今作では、収録曲の殆どで楽器演奏、レコーディング、MIXをTOMMY HONDA自らが担当。また、アートワークはkid fresinoの最新作などを手がけた新進気鋭のデザイナー山田悠太郎。マスタリングエンジニアはTSUTCHIEが手がけた。
アズマリキ (Small Circle of Friends )
ムトウサツキとアズマリキの二人組ユニットのSmall Circle of Friendsのビートメイカー。
1993年United Future Organizationの主宰するレーベル『Brownswood』よりデビュー。1998年より拠点を東京に移し以来、11枚のアルバムをリリース。 2005年にはインストゥルメンタルに特化したサイド・プロジェクト「STUDIO75」をスタート。 英国の人気DJ、ジャイルス・ピーターソンもラジオ・プログラムにてプレイするなど、世界的な評価を得た。2007年、洋服ブランド「75clothes」をスタート。2016年、自身のレーベル「75Records」より、11枚目のCDアルバム「Silence」をリリース。4曲目「サマーソング」は、オランダのPOPマエストロ「Benny Sings」をフィーチャー。 7インチアナログとして、渋谷Bar Musicの店主中村主宰MUSICAÄNOSSAーベルよりリリース。2017年、インストゥルメンタル��リーズ「STUDIO75」の4枚目「Over Your Shoulder」をリリース。
様々なアーティストからカバーされ続けている代表曲「波よせて」は20thを迎える。
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Text
所沢市に行ったときのこと
11/11(土):
0725 出発
0756 京都発
1100 新宿着
1350 会場着
1400 同行者と合流
1440 席到着
1610 開演
1950 終演
2035 西武球場前発
2210 利用したロッカーの場所忘れて彷徨った後に友人と飯
2330 飯終わり
2420 宿着
11/12(日):
0540 宿発
0640 会場着
1010 物販終わり
1600 開演
1950 終演
2035 西武球場前発
2300 友人と飯
2330 ネカフェ
11/13(月):
0430 起床
0510 池袋発
0600 品川発
会場のこと
フラスタ()の中のプロジェクタがパナの超短焦点で,あれより三周り小さいやつを昔研究費で70万円くらいで買ったことあったけど,今でこのサイズだと一体いくらするんだろう,って思いました.
舞台がアシンメ!
芝居だったらラストに回転するんだろうなな,って感じの舞台だったのですけど特にそんなことはなく.ただ,すごく回転してましたね.人や装置が.流石はMerry-Go-Roundome.あとすごく伸びてたし.遊園地である,っていうコンセプトがライブに一本通る骨として素敵でした.最初に風船くっつけたときはちょっと笑っちゃったですけど.
両日とも割と前めのお席でした.すぷふぇす以降やたら座席ガチャ運が鬼なのですけど,そろそろ効力も切れると思うので今を存分に楽しもうと思った次第.最後の挨拶で全員が列になって並んでたのが,個別衣装もあいまってなんだかアイドルのショールームみたいで,「オウイッツァシンデレラガールズ...」って英語で思いました.素敵でした.
ただそもそも席のレイアウトはほんとよく考えられてるなぁ,と思いました.それぞれの位置で見せ場が用意されてて.色んな所から見たいです.見切れ席すら味があったそうですし.VRに来ないかな.
メラド.紆余曲折があった上であんなどら焼きみたいな感じになったとのことですけど,音響めんどくさそうだなって思ってましたが全然問題なかったです.というかイヤホン難聴の僕なんて音が聴こえるだけで喜びます.なんかオープンエアタイプのヘッドフォンよろしく音漏れは無視できない問題だけど音抜けは良くなるから利点がないこともない,とかそんな感じなんじゃないですか?(半ギレ
全体的な感想
初日でちっひが春春うるせぇなって思ってたら,終演後一緒してくれた方に四季になるだろうってことを教えてもらってやっと気づいた程度の僕の知性です.正確に言うと,春春うるさいからじゃあ次はCoCo夏が来るのかなぁとは思いはしてたんですけど2×2の4Daysであることにリンクしませんでした.こんなんですけど今度のリアル脱出ゲームに行ってきます.大丈夫かな.
多分大丈夫ではないと思います.
「僕の考えた最強の夏」とか考えるのとか超楽しいと思うんですけど(実際二日目はバカが考えた最強の夏だったと思うんですけど),企画の縛りと演者さんの縛りとで色々大変そうでしたね.STORYも名古屋で完成版STORYやってもいいのよ?とかは思うけど,そこらへん企画縛りに触れますしね.ユッズ居らんやったですし素直に次を楽しみにはしてますけど,「二人の険しい未来確かめるのさ」で逝く準備も十分にできるってものですけど,Spring Screamingとかちょっと楽しみにしちゃってましたし.春の風はあっちゃんも聴きたかったですし. 名古屋で言うと知村中のアンドロメダもねー!
オタクはワガママ.
ダンサーさんすごかった! いやこれまでも同じことを思いはしてたんですけどさ! ライブ中に意味のある単語発するの得意じゃないんですけど「ありがとうございました…!」って叫んじゃいましたもの.なんでかな.そこらへん有識者に次会ったときに聴いてみたいです.
局所的な感想
ユッキ2曲!優勝!優勝です!
PROUST EFFECT.「ググって勉強になった上に意味知ったら納得しちゃう上に楽曲としても最高」なことに定評のあるプルーストエフェクトさんを聴けて嬉しかったです.あんなにLiPPSでラジオ出た時とか「お前らほんと男子高校生じゃなくてよかったな!」って会話ばっかしてたのに,歌に対してはやったらプロなの惚れる.ずるい.普段飄々としてるのにちょいちょいスイッチが全力で逆に入る,を外の人と中の人とでそれぞれでやるのはずるいです.クレクレになるとそれが2×2×2で4億になるから余計ずるい.
if.奏ちゃん楽しそうで良かったです.ルゥさんのPrivate Signとなんか対になって記憶に残ってます.二人とも計算して作ったものをアウトプットしていく感じが快感で大好きなのですけど,今回の奏ちゃんはなんか楽しそう,って感じがしたです.あとほんと楽しそうに一つ一つのポーズを決めていく後ろ姿を見てたときに向かいのスタンド席にも気づいて「あ!アイドルと同じ光景をワイは今見てる!」って思って,そういった意味でもエモい気分になりました.
初日で花道にみんなで並ぶ時,るるさんが丁度私の前が定位置になってて,るる充でした.5thの大阪公演のLVで横の超かわいい声で「るるー」って鳴いてたプロデュンヌに自慢したいです.超近くてあやうく恋するところでした.危ない危ない.イヤモニ外してPどもの生の声を聴こうとしたりする所作とか完全に痴女でした.欲しがりめ(喜喜喜) !!! 普段ライブ中に意味のある単語を発するのって得意じゃないんですけど「る…るさ…ん…!」って呟いちゃいましたもの.
Dreaming of you.東山はプロ.でっかい会場ですし,腐ってもドームですし,なんだかんだで音がこもる感じはあったのですけど,歌い切りの残響の減衰がスーーーゥッってシンプルで美しくて完璧でした.そつなく仕上げるんだもんなー!なんなんでしょうねあの人.好き.
Twin☆くるっ★テール.SS3Aも全日勢だったのですけど,失礼を承知で言わせてもらうと「どんどんちょっとずつ上手くなっとる!!」のがもー好きで好きで好きで.ちょっとずつ上手くなっていく中で,何より変わらず終始二人が楽しそうで,こっちにも「楽しめ!」って言ってるようで,聴く度にこの曲演ってるときだけにしか感じられない楽しさがどんどん膨らんでいきました.成長はいいものです.SS3Aでライブ自体にはちょっとずつ慣れ始めたけどソロ曲の初披露で大分戸惑った感じになっちゃったさやさやが2日目にがっつり修正してきた話とかも併せて書きたくなってきましたけど,自分何様だよ!って気持ちも膨らんできたのでここらへんでやめときます.
ハイファイ☆デイズ.ドレミやったらやらないかもなぁ,って思ったらぶっこんできたっていう.つくづく馬鹿が作った最強のセトリでしたね.千枝ちゃんが絶対うさぎさんのポーズをした!と思って確証を得ようとTLで感想追ったんですけど見当たらなくて,いまだに誰にも言えてないです.もしかしてあれは幻だったのでしょうか.
余談ですけどU149の4巻おまけの千枝ちゃんの生写真(お弁当頬張ってるやつ)が何故か職場の机にあるんですけど悲しいほどに癒やされます.完全に気分はお父さんです.
ドレミファクトリー.子ども組の今後の課題曲になるんですかね.子ども曲なんですけど,変に子ども子どもし過ぎてなくて名曲.「ドレミが君に」がドレミファソラシになってるのとかも超クール.
わたぐも.ともよ様はひどい.ひどすぎる.「子どもに『情感を込めて!』っていう演出をした場合にどんな演技をするか」をシミュレートしてその演技を完璧にこなしてた.奴はもうあれだ.アーティファクトとかそんなんだ(褒め言葉).もしくはクリーチャー(褒め言葉).最後の台詞聴いたときに「この娘は初めて人を殺すときにきっと笑うんだろうな」って思いました(褒め言葉).
色々考えて結局感想がまとまらなかった.筆休めに書いた「みりあちゃんがもし銀幕デビューしたら」の方が文量あったよ.
あれです.なっぴさんと5thでやったロマナウの再演を私は心から望む者です.
Rockin' Emotion.そろそろ僕も美玲ちゃが喋ってるだけで目がウルつく齢になってきました.individualsから離れてフロンティアしたりロキエモしたり立派になった彼女を見て,完全に気分はお父さんです.
U149のDA値の話題は僕も参加したくて,『"腰を突き出して上半身を旋回させる"って動きの場合「こいっちゃんは背骨が直線的だし動きが最短距離をかっちり動かす感じでかっこいい!」「あしゃかしゃんは背骨がアーチになってて動き一つ一つにシナを作っててエロい!」』っていう知ったような口をききたい為だけに作った説を2日目打ち上げで友人に披露しようとして,連日の疲労(フフッ)であーとかうーとしか言えなくて大失敗してました.
ガールズ・イン・ザ・フロンティア.開演前に「フロンティアは絶対やるだろうけど津田さんの代わりは誰になるか」について2人で濃厚な考察を重ねたのだけど豪快に外した.そんなん考慮しとらんよ.
佐藤とのこと
約束された勝利の会限CD. の,CoCo夏夏夏Holiday.佐藤のソロ曲がどんどん増えて嬉しい(白目
佐藤がやっぱり戦犯であることが確認できたのが先ず収穫.花守さんは基本的にキレの良い側の声質なわけで(「ウェーイ」とかね),こんだけ媚びっ媚びに作ってても結果爽やかに仕上がるから神.あでも三人の中では思ってたよりパリピ要素担当になってて面白かった.とかいいながらラスの「うー」「いえーい」とかシンプルに佐藤でしたけど.
ずるさでいうととときんの方がよっぽどずるかった.「イェーイ」の語尾は佐藤成分だと思ってたのだけど奴は語尾を全部早めにてゅるてゅるさせてて,基本はとときん由来だった.二人の共犯やった.二人の罪はまるで積み重ねたハーモニーやった.この足し算,真北,好き.
んで上田しゃんよ!なんで5thでろくに気付けなかったんだな,ってくらいかわいい.かわいい担当.かわいい上で歌うまい.たこやきに引っ張られすぎてました.「ラブリーデイズ」の「デーズ」の「ー」は「恐ろしく強く伸びの良い"ー" 俺じゃなきゃ見逃しちゃうね」って思った.次会えます日が楽しみです.
んでライブ!演ったよ!去年ワンチャンあるかもと物販の待機列でコールをずっと覚えてた甲斐があったよ!「ずっとだよ」がついに聴けたよ!なにが「ずっとだよ」だ!当たり前だ!いやエーテル体の真北Pとしてはいつも一番近いところで聴いてるわけですけど,肉体としては初めてだったので,幸せでした.幸せでしたね.スィーティーもこっち向いてたしね!彼女完全に僕の位置分かってましたね.いやエーテル体の真北Pとしては逆にうざいくらいに一身に受けてるわけですけれども.贅沢!これからも一緒にがんばっていこうな!
初日終わって「さぁCoCo夏のコール覚える作業に戻るんだ!」ってなってウキウキ復習だか予習だかをしたよ!本番は僕の中ではマスプラをB評価くらいでできたかなくらいの気持ちだったのですけど,隣の友人はマスを楽勝でフルコン!みたいに余裕で合わせてて「あぁこれが歴戦Pか」って思いました.当日オンラインコールガイドの存在を教えてもらったので今度からはきっとバッチリなはずの真北です.
確かHappy New Yeah!だったと思うのだけど,佐藤が花道走り抜けてたときに俺とは目が合わず視線は頭上を素通りしてったんですけどあれは俺を探していたんだと思います俺にはわかってるみなまで言うな.
凸凹スピードスター.偶発的な部分もあったと思うのですけど,ピンチをチャンスに換える感じが二人ならどうにかなるモードが本当に発動しててすごく良かったです.絶叫に変えたのはかわいい女の子が叫んでるだけで4億真北Pくらいならすぐ与えちゃう僕的にはロックでよかったです.本当に良い曲を作ってくれましたよねぇ… これから何回聴けるか分からないですけど,今後も楽しみです.お二人ともお身体には気をつけて.
なんかおねシンでパイセンとセンターに走り寄って2人なら問題ないときのポーズしてたときとかもそうですけど,元気でとても良かったです.これなら安心して来年26歳になっても大丈夫だな,って思いました.すみぺさんとすげー気まずそうに握手してたのも見逃しませんでしたけど,それはそれでしょっぱくてよかったです.
初日初めの挨拶で「佐藤心26ちゃい」にはリアルの26歳との間で何らかの政治を感じたのだけど,そこらへんは心の中で2時間くらい笑うだけにとどめておきます.
打ち上げ
牛角 秋葉原昭和通り口店 - 秋葉原/焼肉 [食べログ] https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131001/13128442/
初日.僕は牛肉が好きなのですげー楽しかった.
壺漬けカルビなくなっちゃったんですかね.
去年ふーりんを軽くディスってた友人が手のひらを返していた.彼はちょろい.
「フレ猫は夏の曲ですよ」ってフレPを慰めていたのですけど本当に夏の曲だとは思わなかったです.猫やめてた理由は西武のライオンじゃなくて前川先輩からの圧だったっていう説も個人的には好きです.
メラドは打ち上げには鬼という噂でしたけど大分企画側も考えてくれてて(ちょっと残念な部分ではありましたけど),「もし会えそうなら」くらいのつもりだった友人達との打ち上げが出来てよかったです.のですけど,まぁそれほどゆったりとはできずー.ちょっと残念.
一翠 (ISSUI【旧店名】くいどころバー 一翠) - 池袋/焼鳥 [食べログ] https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13022756/
二日目.僕は鶏肉が好きなのですげー楽しかった.
おでんが大根丸々一本出てきてびっくりした.というかおでん盛り合わせがすごかったです.東京で長年生き残るっていうだけでそれだけで何らかの理由はあるんだな,っていう.何となく見かけて入っただけの居酒屋だったのですけど,もしこれが京都にあったら友人との呑みの選択肢でもかなり上位に入りそう,って思いました.
といいながらこの日もそんなに時間はとれんと慌ただしい感じになっちゃった.相手とは次会う約束だけして別れた.恋人かなんかなの?
会ったら話そうと思ってた「ライブでカップルと席がよく隣りになる」ネタを楽しく聴いてもらえて嬉しかったです.でも僕らも僕らで開演前に予習が甘いって言ってなつっこ音頭を2人でイヤホン半分こにして聴いてたりしました.恋人かなんかなの?
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The Meaning of “Two Neighboring Metals/Their Family Air/Their Molecular Atomic Composition" in Glider Containing a Water Mill in Neighboring Metals by Marcel Duchamp (Masahide Kobayashi, 9/3/2018)
マルセル・デュシャンの<隣金属製の水車のある滑溝>における「二つの隣り合った金属/その同族性/その分子原子構造」の意味(小林正秀:9/3/2018)
De "Le Grand Ver de Terre" à "Le Grand Verre"
––– Marcel Duchamp’s The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even was born from Raymond Roussel’s The Earthworm Zither Player–––
(Masahide Kobayashi : 9/3/2018)
"大ミミズ" から "大ガラス" へ
––––マルセル・デュシャンの<花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも>は、レーモン・ルーセルの「ミミズのチター弾き」から生まれた–––––
(小林正秀:9/3/2018)
拙作 <マルセル・デュシャンの水準器–––水車と滑溝>(1)は、初
めはジョゼフ・コーネルの水準器として構想された。
敬愛する作家の人柄や作風を、想像上の架空の道具で表す“オマージュ・シミュレーション”としての<コーネルの水準器>(2)を私は既
に一つ造っていたが、それはコーネルの作品の中の「鳩小屋」のタイプ(3)を模擬(シミュレート)したものだった。
しかし、周知のようにコーネルの作品の中には、横長の箱の高さ3分の2ほどのところに二本の金属棒をレールのように平行させて箱の横幅いっぱいに差し渡し、その上に乗せた球がそこを水平に転がって行ける(4) “一種の水準器” が組み込まれた一群がある (それらには多く共通して天体や天文に因む––––例えば<カシオペア 第1番><鳥たちの天空航法><シャボン玉セット (月の虹:宇宙のオブジェ)>といった––––題が賦されている)。 つまり、このタイプのものも造ってみよう……と思い立ったわけだが、同じ二本の平行棒では能がないので、他の素材や方法はないかと探していた時、ちょうど平行して何かの作品に使えぬものかと思案中だった細長い直方体の箱……の、その向かい合う二つの長辺の上縁をレールの代わりにするというアイディアが浮かんだ。しかし、いろいろな大きさや材質の箱と球の組み合わせを試みたものの、どれもピンと来ない。球の直径が箱の短辺の内法よりも長ければ縁の上に乗り、短ければ箱の底に沈むわけだが、この後者に関しては、既に<ウッチェッロの水準器>(5)で試みていたことでもあ
り、また後者の中でも特に直径と短辺の内法が等しいものに関してはウォルター・デ・マリアの素晴らしい作品(6)を知って以後は創作への意欲が減退してしまい、結局、球の使用それ自体を諦めてしまった。
(6) Walter de Maria (1935–2013), Instrument for LaMonte Young, 1966
球に代わる現状の、手巻きのゼンマイ振り子式掛け時計の風切車と歯車を取り付けた軸棒をレールに跨がせて転がすというアイディアをどうして思い付いたのかは記憶が定かでない。ひょっとすると、細長の直方体の箱 (キューブ) を眺めているうちに意識下で、直方体の箱は直角に接合された板材/平面材の構成物なのだから、むしろ球のような量塊性や重量感を持つものよりも、同じ板材/平面材である風切車の羽根と歯車の円盤(に線材としての軸棒を直交させた構成物)の方が合っているのではないかという “キュービズム的直観” が働いたのかもしれない(7)。 或いはまた、その黒々とした箱の内側の虚空間を金色の光の羽根で掘削・撹拌し、溝の闇をキラキラ/ヒラヒラと活性化させたかったのかもしれない。––––実際、風切車の二枚羽根に辿り着く前の段階で、4箇所に切り込みを入れたゴム栓にステンレスの薄板を差し込んだ即席手作りの水車を転がしてもみていたが、これもしっくり来なかったので没にしてもいたのである。 コーネルの “素材箱”(8)のように、私も雑多なファウンド・オブジェクトの類を箱毎に分けて蔵っているが、以前に解体した振り子式掛け時計の部品––––その殆どは既にこれまで拙作で使ってきた(9)––––の中に、未だに使い切れずに残っていた曲者として、この特徴的な風切羽根車があることは、頭の片隅の記憶の素材箱に蔵われていたのである。 こうして出来上がった最終形が、これから俎上に載せるあのデュシャンの<水車と滑溝>に似ていることに気付いたのは、やはりこの風切羽根車の仕掛けを箱の上縁に乗せて、更に、普通は長辺を正面にして見る水準器を、短辺を正面にして、且つ、斜め右上45°から
短縮法的 (透視図法的) に見下ろした時……からのことのように思う。つまり箱のみの段階で(それだけで、いきなり)デュシャンの<水車と滑溝>のイメージが思い浮かび (画像に思い当たり/思い至り)、そこから風切車を思い出して羽根車の仕掛けを造ったのではない……そう推論した方が論理的に無理がないようである。制作時からそれほど時間が経っていないにも拘らず、このようにこの決定的な分水嶺の記憶が曖昧なのは不思議なのだが、本来感覚的/無意識的で且つ非–単一直線的 (多線的/曲線的/面的) である霧中/夢中の造形思考とはそんなものなのかもしれない。このことは、この後の本稿の主旨にも関わることなので、少しこだわって思い出してみた。
さて、問題のデュシャンの<水車と滑溝>だが、このモチーフは、一つは1915年から1923年にかけて制作され––––以後、未完のまま放棄され––––たフィラデルフィア美術館 (以下「フィラ美」と略) 所蔵の通称<大ガラス>(10)の下半部左側と、もう一つ、その試作/
習作として1913年から1915にかけて制作され––––結果として彼のガラス作品の中で (最初に制作されて) 唯一割れなかっ––––た同じフィラ美所蔵の半円形のガラス(11)の二つに登場する。デュシャン自身が後者に付した原題は<Glissière contenant un moulin eau (en métaux voisins)>、英訳では <Glider Containing a Water Mill in Neighboring Metals>、色々ある邦訳を並べて繋ぎ合わせると「
隣 (りあう)/隣接 (する)–金属–製の/で作られた–水車–のある/が中にある/を持つ–滑 (り) 溝/滑り台/橇/誘導装置」である。
ところで、この「隣 (り合う)/隣接 (する)-金属」だが、これが何を意味しているのかに関しては、日本のデュシャン研究の第一人者である東野芳明の『マルセル・デュシャン』(1977, 美術出版社,「10|塩売りの商法」p.349) に、以下のようなデュシャン自身による説明が翻訳引用されている(出典は同書での文献目録 No.46 : Schwarz, Arturo. The Complete Works of Marcel Duchamp. New york : Abrams,1969; 2nd rev. ed.,1970 だが、因みに私蔵のシュヴァルツ本は 3rd Rev. and Expanded Ed., 1997 で、当該箇所は p.136 ではなく、vol.1 The Text, p.132 である)。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– ……「隣金属」という奇妙な表現について、デュシャンはこう語っている。 「<水車>は実際に二つの隣り合った金属(ひとつは他より少し暗い)からできています。それは、輪と水かき板の音調 (ママ) のちがいに見られるのです。さらに、この題名は、あまりに正確であることを避けるための詩的なやり方でした。私は金属の名前を明記したくなかった。むしろ、この二つの金属が同じ族に属することを強調したかったのです。なぜなら、分子構造に関する限り、金属はみな隣人同志ですからね。これだけでなく、〝隣金属〟という言葉は、とりわけフランス語では、たいへん詩的な含意コノテーションがあります。それは、ひとつの物を意味するのではなく、詩的なイメージであり、それがわたしは欲しかったのです」(46, p.136) –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 「音調」(“tonality”) は「色調」と訳した方が適 (?)……は措くとして、「分子構造」“molecular composition” という表現は、科学的には明らかな間違いである。何故ならば金属とは単原子であって、金属に分子はないからである。もしこれを科学的に正しく言い替えるとすれば「原子構造 “atomic composition” に関する限り、金属はみな隣りあった物同士ですからね」––––であろう。単刀直入に私見を言えば、デュシャンは「周期表」“The Periodic Table” (12)における
金属 (元素) 同士の位置関係を言いたかったのではなかろうか。 デュシャンが表向きに言っているこの–––– “隣の金属とは色味が違うもう一つの金属” と “隣の金属” という二種類の色合いの異なる金属の––––色の問題は、確かに、例えば、水車の水かき板の黒っぽい上塗りが剥げたその下に塗られている色を見ると、手前/下方の3枚と上方/奥側の5枚とで異なっていることからも理解される。––––前者、即ち手前/下方の3枚は、赤い銅色で、純銅か、または銅に3〜5%の金を加えた合金の赤銅か、或いは銅と亜鉛の合金である黄銅=真鍮の中でも亜鉛の含有割合が20%以下で赤みの強い丹銅の……三つの内のいずれかを表しているように見える。一方、後者の上方/奥側5枚は、滑溝の色と同じ黄色味の強い––––つまり亜鉛の含有割合が20%以上である––––普通の黄銅=真鍮色を表しているように見える。 実はデュシャンは、銅の色の別については、<不定詞で>と題された通称<ホワイト・ボックス>(13)の中のメモの一つで、次のようにしか––––つまり、合金のことは言わずに専ら表層/表面の色でしか––––記していない (以下引用、邦語は私訳)。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– copper 銅 mat ツヤ消し red 赤 yellow �� 黄 polished ツヤ出し …………………………………………………………………………… copper yellow, red, black, white, raw Sienna
銅 黄、赤、黒、白、黄褐色 (焼いていないシエナの土の色)
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
しかしデュシャンは、シュヴァルツに対しては明確に、単に同一の金属 (の色の明暗) ではなくて、「同じ族に属する」「二つの金属」(の色の明暗) と言っているのであり、従ってそのことを、このような表の色 (おもてのいろ) /「色表 (しきひょう) “Color Chart”」上ではなく、我が物質内部の「原子構造=周期表」上で言うとすれば、次のような言い方になるのである。 先ず、銅と亜鉛の合金である丹銅 (Red Brass) や黄銅=真鍮 (Brass) だが、周期表上では銅 (Cu) の原子番号が No.29 で亜鉛 (Zn) は No.30 ––––と、まさにこの「二つの金属は」元素上 (原子構造上) では横列の第4周期 (Period) 上で真横に隣接しているのである。また、銅と金との合金の赤銅 (Alloy of Copper and Gold) に関しては、金 (Au, No.79) は周期表上では銅が所属する縦列の第11族––––この「族」は英語では “Group” 又は “ Family” ! である––––に所属していて (横列では2列下)、まさにここで私もまたデュシャン同様「この二つの金属が同じ族に属すること (“their family air”) を強調」しておきたい。 (因みに拙作の白っぽい色の滑溝 (箱) も、亜鉛の含有割合が多いタイプの真鍮だと思うが、万一それが四分一/朧銀ならば、銅と銀 (Ag, No.47) で縦の直下に隣接しており (縦列は「同族」)、白銅であれば銅とニッケル (Ni, No.28) で銅の左に隣接し、洋銀/洋白であれば銅と亜鉛とニッケルで、銅を真ん中 (蝶番) にして左右横列の隣接なのである。また白目/白鑞/ピューターなら錫 (Sn, No.50)とアンチモン (Sb, No.51) もしくは鉛 (Pb, No.82) で、錫を蝶番にして横と縦の隣接である。なお、隣接しない複数の金属で作られる合金には、例えば横に2列も間が空いている銅と錫との青銅が挙げられる。) この推測に従って少し踏み込んでこの題名を訳せば、<周期表と色表上で隣接する二つの金属で作られた水車付き滑溝機>ということになろう。
他にも、この<水車付き滑溝機>を巡っては多々議論はあるが、私が最も注目したいのは、その動力源である。この滑溝機は、その始動部たる水車の回転運動によって、(画面には描かれてはいない/見えない地上に敷設されているはずの) 溝を滑って水平にピストン運動をするのだが、その直線往復運動に変換する回転円運動 (ガソリン自動車のエンジンとは逆) を起動させるものが––––<大ガラス>と一体の通称<グリーン・ボックス>(14)に収められたメモの一葉に記
された––––「水の落下。 男根状の鋳型の頭上を越えて、遠くの噴き出し口から半円軌道を描いて降り注ぐ竜巻形の水柱」(拙訳)––––なのである。
つまり、拙作の水準器 (もアルコール水準器も) 同様に、動きの原因は重力なのであり、また、付言すれば、この水の自重による落下は、周知のように、デュシャンの通称<遺作>の正式名称<与えられて : 1° 水の落下 2° ガス灯用ガス>(15)の第一与件にもなっているものである。
因みに<大ガラス>にも、今引用した「男根状の鋳型」にはガスが充填され、その頂部にはガス管が配備されているので、この<遺作>も<大ガラス>も共に、水とガスとが “セット” であるという点に拘るならば、確かに例の (パリのアパルトマンの看板文句だった) <各階水道ガス完備>(16)がその直接の発想源なのかもしれない。しかしそこから、<遺作>と<大ガラス>の……<遺作>のガス灯は除いてその他の……個々各々の具体的な形-態/体には、容易にイメージが繋がって行かないのである。––––つまり両作品とも、この<各階水道ガス完備>からは余りにも距離と飛躍がありすぎて、もっと別の何か具体的なイメージの源泉が他所にあるように思えてならないのである。––––私に言わせれば、(<遺作>の方は今は措いて) <大ガラス>に関する限りは、その源泉のことを、実はデュシャンはギリギリの所まで語っていて、ただ最後の決定的な分水嶺の記憶に基づく一言が欠けているにすぎないのである。
そのデュシャンの語りとは、一つはジェームズ・ジョンソン・スウィニーによるデュシャンへのインタビュー(17)の中のそれであり、もう一つはピエール・カバンヌとの対話––––(マルセル・デュシャン/ピエール・カバンヌ/岩佐鉄男 小林康夫 訳『デュシャンは語る』1999, 筑摩書房–ちくま学芸文庫, p.61)––––の中のそれだが、ここには、この二つを繋いで、且つ、その源泉を言い当てるギリギリの所まで述べている(しかし寸前で口を噤んでいる)ジャニス・ミンク著/キョーコ・ハセガワ訳『マルセル・デュシャン 反芸術としての芸術』(1996, TASCHEN, pp.29-33, 註11-15 は p.95) から引用してみよう。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 1911年10月、デュシャンは…フランシス・ピカビアと知り合った。……ピカビアは生涯を通してデュシャンの良き友となった。……1912年6月、彼はピカビアとその妻…、そしてアポリネールと共に芝居を見た。この経験は、その後の彼の芸術を決定的に変えてしまうものだった。これはレーモン・ルッセルの小説『アフリカの印象』(Impressions d’Afrique, 1910年初版) を舞台化したもので、これについて数年後、ジェームズ・ジョンソン・スウィニーとの重要なインタビューのなかで、デュシャンは次のように述べている。 「ルッセルは、初期の頃、私が熱中した人物の一人だ。彼の素晴らしさは、今まで見たこともないものを創り出す力だ。…… 私のガラス作品《…独身者…花嫁…》…が生まれた背景には、根本的にルッセルの影響があるといえる。彼の『アフリカの印象』から基本構想が生まれたのだ。アポリネールと一緒に見た彼の芝居が、私の表現力の一翼を担うこととなった。…… 私の理想とする図書館には、ルッセルの全著作が収められている。……」11 …………この時代の演劇関係の出版物に、『アフリカの印象』第3幕の役者たちの写真がある。彼らはテーブルの上のガラスの籠を囲んでいる。写真には、韻を踏んだ次のような解説がある。“Le ver de terre joueur de Cithare”13 (「ミミズのツィター弾き」…)。……気紛れでたわいない発想だが、音声面つまり音韻の面から見れば、理にかなっている。もちろん、フランス語で「地球」(terre)、「演奏者」(joueur)、「チター」(Cithare) が韻を踏まなければ、まずそのイメージすら浮かんでこない。ガラスの籠の中にいるのはミミズではなくて、蛇かもしれない。少なくとも、デュシャンは蛇を想像した。「舞台の上にあったのはウィンドウに飾るマネキンと、ゆっくり動く蛇だった。あれはとてつもなく奇妙だった。」14「愉快な絵のための総括的ノート」と題する《大ガラス》のためのデュシャンのノートには「花嫁を丸ごとガラスのケースあるいは透明な籠に入れる」15 とある。この芝居を見て、花嫁と独身者たちをどのような配置にするかが、ゆっくりと心に浮かび始めたのである。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– この引用部分の主旨を、私の結論も先取りして組み込んで敷衍すれば、以下のようになる。 Ⅰ. デュシャンの<大ガラス>の基本構想は、ルーセルの『アフリカの印象』の舞台で見た「ミミズのチター弾き」から得た。 Ⅱ. 上半部の花嫁は、板ガラス製と思われる底板の無い飼葉槽形の狭間の底で尺取り虫のように動き、そうやって空けた身と底の隙間から、身の上に貯められた水を一滴ずつ零してゆく奇妙なミミズから変態させた。 Ⅲ. この花嫁としてのミミズが身悶えして垂らす一滴が、下の––––ちょうど前註(10)の「14. チョコレート轢き器 a. ルイ15世様式の台座」の猫脚を高く伸ばして天板を円形から長方形にしたような––––小卓の上に横たえられたチターの一弦の上に落ち、叩かれた一弦が一音を発し、それらが繋がって一曲が奏でられる “音–楽器–械” が、下半部の独身者–機械へと改造されて行った。
(18) The Earthworm Zither Player on the “Louis XV chassis"
このミンクが言及した舞台写真(18)に関しては、J. ゴールディング著/東野芳明訳『デュシャン 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁, さえも』(1981, みすず書房 <アート・イン・コンテクスト 8>, p.51) にもトリミングされて掲載されている。にも拘らず、ゴールディング自身は、初めは––––「デュシャンの芸術を念頭に置いてルッセルの作品を読むと, この二人の作品には驚くほど多くの図像上や技術上の類似がある」(p.50) ––––として、例えば「人間–機械というアナロジーへの強い執着」(p.50) や「透明で, なめらかな, ゼラチン状の物質への偏執」(p.51)といった例を挙げながらも、しかし最後は結局––––「デュシャンはのちに, ルッセルが彼にとり重要なのは……態度…であって, ……有形の, または, 視覚的にはっきりと示せる影響のせいではない, と強調した. デュシャンは正しかったのである」(p.53)––––として、この「有形の, …視覚的にはっきりと示せる影響」の重要性を否定してしまうのである。 出典が示されていないこのデュシャンの「のち」の「強調」とは、上掲のカバンヌへの次の返答––––「読書や芝居を通して彼に触れるだけで、私が考えをめぐらすには十分だったのです。彼と親交を結ぶ必要は感じなかった。重要なのは態度なのです。影響なんていうことよりずっと以上に。つまり彼がそれらすべてをどんな風にやったか、どんな理由で……」(上掲『デュシャンは語る』p. 62)––––を指している。しかしこの言葉の意味は、産み出された成果そのものをそのまま頂く (影響) のではなく、その成果を生み出した方法 (態度) の方を (方から) こそ学ぶべきで、その方が重要なのだということである。勿論この普遍的な創作原理を私も何ら否定するものではないわけだが、しかし今ここで取り敢えずはっきりさせておかねばならない ( おきたい) ことは、私 (たち) にとり重要なのは、この「図像上…の類似」や「有形の, …視覚的にはっきりと示せる影響」の存在そのものであり、しかもそれは、どうやらデュシャンもゴールディングも共に確り有ると認めているということなのである。 では、それら「図像上…の類似」や「有形の, …視覚的にはっきりと示せる影響」が一体どのようなものなのか……。私の分析を述べる前に先ず、このゴールディングの著書を訳し、「隣金属」の件でも引用した東野芳明『マルセル・デュシャン』(1977, 美術出版社,「9|ルッセルとデュシャン」p.294) の指摘を以下に引用しておこう。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– (上には半透明の雲母の容器をはいまわる虫、下には、しずくの落下で音を発するツィターという楽器=機械……こういえば、どうしても、デュシャンの「大ガラス」を思わずにはいられない。そこでも半透明の––––カルージュにいわせれば、カフカの『変身』の虫そっくりの––––「銀河」や「花嫁」が、ガラスの上に吊り下がり、下の「独身者の機械」の部分は、目に見えない「水の落下」によって動き、「水車」は「連禱」の悲しいメロディーをとなえつづけるのである)。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 基本的なことは触れられているのだが(触れられているにも拘らず)、東野もまたゴールディング同様、結局は「前にぼくが思いつくままに指摘した……類似…も、…単なる影響の有無の詮索よりも、カルージュ風に『独身者の機械』という神話の観点から、同じ精神の傾向としてとらえるべき事柄なのかもしれない」(同上, pp.306-307) と、例の「態度」重視に戻ってしまうのである。従って私のような、飽くまで「類似」と「影響」に拘り徹するアプローチも多少の意義は有るやもしれぬと思い、以下に––––<大ガラス>本体 (その各部名称は前註(10)のフィラ美の図表の番号と拙訳) と、<グリーン・ボックス>���メモ (以下<メモ>と略し、引用は前註(13)-❶=拙訳/❷=北山訳/❸=滝口訳) の記述と、<ミミズのチター弾き> (以下<ミミズ・チター>と略し、引用は岡谷公二訳(19)) の––––三者を具体的に照らし合わせ、改めて私なりに比較検討してみよう。
先ず大まかな構造だが、両者はいずれも縦に上下二層……ではなく、上中下の三層に分けられていて、その内の中層は、<大ガラス>では、無限遠方で地面と空とが行き行きて尽き果て接し合う「7. 地/水–平線」である (ここは同時に「5. 花嫁の衣装」と「6. 放熱襞付き冷却機 (遮熱板) の領域」、そして「25. 水滴の彫刻の領域」でもある)。 一方<ミミズ・チター>の中層は、上の水槽の水平な下縁と、下の台に横たえて置かれたチターの弦が作り出す水平面と、そして水槽を支える左右の垂直の「二本の金属製の支柱」(岡谷訳 p.282) とに囲まれた長方形の虚空間である。しかし、この何もない空間は、それが舞台上で最も輝く主役となる演奏中には、上からの “水の落下”/“水滴” が作り出す垂直面の瀑布 (水のカーテン/水の玉簾) で塞がれるのであり、その時、この水の幕/簾は、まさに「6. 放熱襞付き冷却機 」や「25. 水滴の彫刻」に喩えられなくもないのである。 つまり、前者の「6. …冷却機 」に関しては、正に<メモ>の一つに書かれている通り––––「独身者–機械の最終部たる欲望–発動機は、花嫁との間に空気 (または水) 冷却機を挟んで、直かには触れずに離れている」(❶=拙訳 p.18)––––のであり、また、後者の「25. 水滴の彫刻」に関しても、確かに<大ガラス>では水滴の数/量も僅微で、方向も重力とは真逆の上への跳ね上がりだが、「水滴の彫刻」であることには何ら変わりはないのである。 また、ミミズが我が身に纏わり付いた水を身をくねらせて垂らす姿は、花嫁が己が身に纏わり付いた衣装を滑らせる「脱衣」(❸=滝口訳 p.31, pp.33-34) に喩えられなくもなく、従ってまさにこの垂れ落ちてゆく水の間は、同時に脱げ落ちて行く「花嫁の衣装」の間でもあるのである。 次に、上層は、<大ガラス>では「花嫁の領地(20)」だが、ここで最も目を引く最大の形態が、画面上方三分の一を占めてモヤモヤと水平に滲み広がる「2. ……乳濁する天の川銀河 (映画的な暈し/溶明)」で、その左側には「1. 花嫁 (タロット・カードの「吊るされた男」の女版、樹枝–型) 」がぶら下がっている。この両者は共に輪郭線の内側に濃淡/明暗のニュアンスが施された有機的絵画的表現で統一されている。––––ちょうど、下層の「独身者–器械」群の、あのシャープな輪郭線の内側をベタ塗りした不透明で硬い金属質の無機的製図的表現とは対照的に。そしてそれはまさしく、先のゴールディングの言にあったような「透明で, なめらかな, ゼラチン状の物質」––––即ち、(白黒) 映画や写真のフィルムの感光/乳化剤に見られる暈し––––の効果と質感に似ているのである。 ところで、この「天の川銀河」に関しては、「その形態がどんな方法で得られたかがほとんどわからない…『大ガラス』の七不思議のひとつ」(東野, 前掲書「5|雌の縊死体テンマツ記」p.197) とされているが、その諸説ある内の一つに、瀧口修造から聞いたという話を東野が紹介している。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 「瀧口修造は、はじめて図版を見たとき、ここに、皮をはがれて吊るされている肉片のようなものを思った、という意味のことを語ったことがある [3]。」(同上 pp.196-197) 「3––––なお、瀧口修造氏から、天文学の方で銀河系の模型というものがあり、たいへん奇妙なものだということをうかがった。もちろん、デュシャンの『銀河』とは直接には関係があるわけではないが、不思議な話である。」(同上 p.209) –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 私にとって不思議なのは、むしろ関係なしと一蹴してそこで話が終わってしまっていることであり、私に言わせれば、この瀧口が言った「銀河系の模型」とは、1785年にウィリアム・ハーシェル (William Herschel) が世に問うた銀河断面図 ( https://prints.royalsociety.org/products/structure-of-the-milky-way-galaxy-rs-9810 ) に他ならない。
その左側が二股にわかれている点を除けば、中央が太くて両端がすぼまっている紡錘形の全体的な類似から、これこそがまさにデュシャンが名付けた通りの「天の川銀河」の “名称 ≒ 形態の起源” =「影響」元––––の (少なくとも幾つかあったかもしれぬ源泉の内の) 有力な一つ––––と思われるのである。東野はまた、「デュシャンの数学への関心について、瀧口修造氏が、デュシャンの使う言葉が当時のポアンカレなどの数学者の言葉と関係がある、と示唆してくださったことがあった」(同書「1|伝説の崩壊」p.58–註6) とも記していて、その点も考慮に入れると、デュシャンが先の「周期表」同様、この科学史上の知見も有していた可能性は充分に推測できるのではないだろうか。 さて、この「天の川銀河」の “名称 ≒ 形態の起源”としての「銀河系の模型」に関しては私は東野に反問したわけだが、しかし以下に引用するその作画法や作画過程や素材についての推測に関しては、一部共感するところがある。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– 「デュシャンは、歯磨きクリームか、…コールド・クリームか、髭剃り用石鹸のようなものを、二枚のガラスの間に挟んで、左右に動かして、あの『銀河』の形態を得たのではないだろうか……。もっと考えれば、この試みを、小さいガラス板の上で行ない、これを写真的な処理で拡大して、その輪郭だけを『大ガラス』に転写したのではなかろうか。…………『ガラスノ上ニ透明ナ層』…臭化銀で処理された部分…から『三ツノ弁』の歪んだ四角形だけを削り落とし、その上にクリームを使ってデカルコマニーの手法で作った形態の写真の『引キ伸シノネガ』を直接焼き付け ……そして『三つの換気弁』の部分を残した、残りの地帯を油絵具で『不均等ノ密度デ』塗り込めたのではなかろうか。」(同書「5|雌の縊死体テンマツ記」p.201) –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– <大ガラス>の上層が「ミミズ (蚯蚓) の変態」だと思いついて以後の私が、 (この両端が盲腸から垂れ下がる文字通りの「虫」–垂/「虫」–状突起のように見える)「図版を見たとき、ここに……思った」のは、“少し太めにさせられた”–––– どのようにかと言うと (あまり想像はしたくないのだが) ガラス板の上にその屍体を載せ、上にもう一枚のガラス板を被せて圧し潰したプレパラート標本の––––ミミズである。この (ミミズのピンクの肌にも似た)「白人の肌の色の……肉のような」(❶=拙訳 p.34) 片暈し/隈取り風の輪郭際は、二枚のガラス板の狭間で圧し潰されて外側に押しやられた皮であり、内側に広がる “宗達の「垂らし込み」風” の滲み叢は、身のコロイド/エマルジョンのように、私には見えるのである。 私が 先に “2. ……blossoming” を、敢えて多くの訳者と同じ「開花」ではなく、「暈し」(/溶明=フェードイン “fade-in” ) と訳して、東野の言う「クリーム」や「石鹸」と同じコロイド/エマルジョンとしての “感光/乳化剤” の効果と質感に例えたのも、一つにはこのような見え方の所為であった。また、同様に「天の川銀河」の前に (これも敢えてだが)「乳濁する」を付け加えたのも、この日本語 (中国語起源) の「天の川/銀河」だけでは、西洋の “Milky Way”(E.)/“Voie Lactée”(F.)/“Kyklos Galakticos”(Gk.「乳の輪」) の「乳」の (エジプト/ギリシャ神話を含む) イメージ/シンボル群とその質感とが抜け落ちてしまうように思ったからに他ならない。 さて、話を<大ガラス>と<ミミズ・チター>の比較に戻すと……後者の方の上層は、既にこれまでにも色々と言い表してきたように、ミミズと水が入った底板の無い飼葉槽形の透明な容器であって、これは小説では「小川の岩から四枚の丈夫で透明な雲母板を…切って、粘土で接合し…た……雲母の容器」(岡谷訳 p.281) だが、無論、舞台ではガラスの容器に––––ミンクが引用したデュシャンの<メモ>のように「花嫁全体をガラスのケースで覆うか、透明な檻に容れる」(❶=拙訳 p.88) 仕儀に––––なったのであろう。 同様にミミズもまた、小説では大人の男の手首から肘にかけての「裸の腕を六重にとりま」(岡谷訳 p.58) くほどの「巨大なみみず」(同 p.279) だが、舞台では勿論、作り物で代替したものと思われる。
最後の下層––––「独身者の器械」と「チター」––––で私が最も強調したいことは、前者の「11. 制服と御仕着せの共同墓地を形作っている九體の男根状の鋳型 (または勃起の母型)」と、後者の “男根状の突起” とも言える糸巻き (チューニング・ピン) (21)との「図像上…の類似」である。
(21) Tuning Pins of the Antique 1894 Zither
先ず、両者は共に垂直に屹立しており、また、いずれもそこから細い線––––即ち前者ではガス灯用ガスがそこを通って最初の「13. シノア/円錐形漉し器または日傘 (排水勾配付き)」に至る9本の「12. 毛細管」であり、後者ではピンにピーンと張られた多数の弦である––––が水平に突き出ている。勿論、前者の鋳型が皆それぞれ異なる形状であるのに対して、後者の糸巻は全て同じ形で数も多いことや、毛細管が鋳型の頭頂部から出ているのに対して、弦は糸巻の根元から出ている (根元に巻きつけられている) といった違いはある。 しかし、もう一つの重要な共通点として、チターの弦の上に、上層から中層を経て水が落ちてくるのに似て、この鋳型の墓地の上 (但しこれは重なりの奥行き関係にあっては背後/奥) にも「15. 水の落下の領域」があり––––無論この落ちる水は、第一義的には前述した滑溝機の水車の水かき板の上に、この鋳型の “墓標” 群の頭上を越えて半円軌道を描いて飛んでくるのだが (だから前註(13)-❶の「横から見た」製図や-❷の「側面図」を見れば分かり易いように、実際にはこれらの鋳型は水はかぶらないのだが)、しかしそれを正面から透視すれば (つまり私たちが今こうやって<大ガラス>の前に立って鑑賞しているように眺めれば)––––これらの (糸巻と弦とに似た) 鋳型と “ガス管” は、この落ちてくる水=滝の裏側/向う側に在って、手前の水車に注ぎ立つ水柱の幕越しに、ゆらゆらと揺れながら、水に打たれているように見えるのである。
……こうして ここに 水の落下と ガス灯用ガス が与えられて……
以上、大雑把ではあるが要点はほぼ示せたように思う。言うまでもないことだが<大ガラス>の全てが<ミミズのチター弾き>から生まれたわけではない。当然ながらそこには、他の多くの発想/霊感-源や参考文献や参照図像群があり、それらが複雑に絡み合い、或るものは変形し、または他と混淆し、或いは勘違いされ、或いは忘れ去られて消えて行ったことだろう。しかし少なくとも<ミミズのチター弾き>の幾つかの独創的な特徴や要素は、<大ガラス>のそこかしこに、最後まで「アンフラマンス (極薄)」な態様で仄かに漂っていることだけは間違いないことのように思われる。
最後に、本稿の表題について一言述べておきたい。これは前掲の東野も言及していたミッシェル・カルージュ著/高山宏・森永徹訳『独身者の機械––––未来のイヴ、さえも……』(1991, ありな書房, pp.104-107) に記されている以下のような言葉遊びからの「影響」である。 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––– ルーセルの音韻的な手法がその答えを教えてくれる。『アフリカの印象』の中で……川から出てきた「巨大な虫」に出会う。……『ロクス・ソルス』…の………モルヌ・ヴェール ( Morne- Vert〔緑の丸山) 〕) ………は巨大な虫 (énorme ver) の綴り組み換えである。…………(「大きなガラス」〔verre énorme〕と言わないように) 「巨大なガラス (verre géante) の背の高い檻」……は、細い鉄の枠組みで支えられた大きなガラス板だけでつくられている。………………大きなガラスの檻をあとにして、ロクス・ソルス荘の中をさらに進むと、…緑 (vert) 、虫 (ver) とガラス (verre) などが 同時にさまざまなかたちに変身して姿をあらわす……。………虫 (ver) が緑 (vert) や、とりわけガラス (verre) に変身してしまう……のである。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
ここまで言いながら、しかしカルージュは、この<巨大なミミズ>をルーセルの中だけに留め、デュシャンの<大ガラス>にまでは変身させなかったのである。
(9/3/2018)
[ 註 ]
(1) https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/170342057370/マルセルデュシャンの水準器水車と滑溝-1302018-小林正秀-作-65?is_highlighted_post=1 。
(2) https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/169908655800/ジョゼフコーネルの水準器-1192018-小林正秀-作-13-h?is_highlighted_post=1 。
(3) 箱の内部を仕切り壁で格子状に分割してその一つ一つの小部屋に時として皆同じ物だったり/違う物だったりする小さな物品を入れたり/入れなかったりするタイプで、例えば全ての区画に皆同じものを入れるタイプには<二人のエミリーのための一つのイメージ> (『みづゑ』954, p.15, http://www.artnet.com/usernet/awc/awc_workdetail.asp?aid=425357754&gid=425357754&cid=130137&wid=425510920&page=11 ) があり、皆同じものだが空部屋があるタイプには<鳩小屋 アメリカン・ゴシック> ( http://www.artnet.com/artists/joseph-cornell/dovecote-american-gothic-MumtxjQY6TRrUmvtdVuuQA2 ) があり、全て違うものが全ての部屋に入っているタイプには<無題 (鳩小屋)> ( http://www.artnet.com/artists/joseph-cornell/untitled-dovecote-95Y9ElvkgMn1SxLDYNrIrw2 ) がある。
また、拙作(2)に似て仕切りが少なく (縦4段 × 横3列=12区画)、しかも平らに置いて上から覗き込む形の、本を刳り抜いた<無題 (マルグリット・ブラシャに)> ( http://www.museoreinasofia.es/en/collection/artwork/untitled-marguerite-blachas , https://americanart.si.edu/research/cornell ) や、これも平置きして上から覗き込む一種の水準器に他ならないコンパス––––それもフランス語で 「風の薔薇」“rose des vents” (ローズ・デ・ヴァン) と呼ばれる海図に描かれる星/花形のそれ––––を 20個嵌めた中蓋を持つ (その下は様々に異なる物品が全区画に入れられた仕切り箱である) <ソロモン諸島> ( http://www.artnet.com/usernet/awc/awc_thumbnail.asp?aid=425357754&gid=425357754&works_of_art=1&cid=129383&page=4 ) 等のヴァリエーションがある。 補足しておくが、上記の「風の薔薇」は、親交のあったフィリップ・スーポーの詩集のタイトル http://www.editions-irene.com/schedule.html でもあり––––余談だが彼はパオロ・ウッチェッロに関する一書も物している!––––やはりコンパスを使った作
品である<オブジェ (風の薔薇)> ( https://www.moma.org/collection/works/81694?locale=en ) は、このスーポーへのコーネルからのオマージュである ( http://onesurrealistaday.com/post/10501878150/roses-des-vents )。
(4) 私は実際に箱を傾けているところを見たことはないが、球が転がることは幾つかの同一作品の複数の写真図版間で球の位置が異なっていたり、また『ジョゼフ・コーネル展 カタログ』(1992, 読売新聞社、同展は1992年に鎌倉の神奈川県立近代美術館[本館]を皮切りに翌年の千葉の川村記念美術館で幕を閉じた)のサンドラ・レナード・スター「ジョゼフ・コーネル:黄金蜂ホテル」の中の記述 (pp.28-29) や、太田泰人/沼辺信一による作品解説 ( #35,#37,#38,#39 = pp.160-161) にもその旨が記されているので、やはり転がるのだろう。
何故このことに拘るかというと、普通、私たちは静止した作品しか見ていないので兎角忘れがち/見落としがちになってしまうのだが、これらの作品は実際に手に持って動かして遊び楽しむ/動かせて遊べ楽しめるという点が不可欠の要素/魅力なのだと思うからである。 これは余談だが、私は嘗て砂時計型の作品の一つである<海ホテル (砂の泉)>( http://blog.livedoor.jp/masa5fantasist/archives/cat_10015386.html?p=2 , 上掲『ジョゼフ・コーネル展 カタログ』p.100, 及び『みづゑ』877, p.54)を傾け(というよりは逆さにし)ているところを見たことがある。昭和53 (1978) 年の3月22日から4月8日にかけて東京・日本橋の雅陶堂ギャラリーで開かれた『ジョゼフ・コーネル(による七つの箱)』展でのことである。私は購入した書籍類には日付を記入するのが常だが、この瀧口修造が事実上「デザイン全般の監修も」した(土渕信彦『瀧口修造の箱舟』 http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/2012-12-05.html 4-4. ) 美装で名高い小冊子 ( http://www.swallow-dale.jp/favorite121-130.html ) の最終42頁の太陽の顔の上には、4月1日と書き込んでい
る。エイプリル・フールの日だが、真実である。時刻までは記していないので私がどんな時間帯に行ったのかは分からないが、いつの間にか会場に画廊の関係者と思しき人物(画廊主の横田茂氏だったかどうかは存じ上げないので分からない)が居て、一緒に見ていた数名の観客を周りに呼び集めて箱を逆さにして下さったのである。青暗い会場の仄かな照明に照らされて、僅かな時間で砂は綺麗に一粒残らず壁の穴に吸い込まれ、再び箱を逆さにすると、今度はその穴から砂が流れ落ち、静寂が戻った。私は作品を所有することの幸福に想いを馳せた (この時の七つの箱は、後に全て上記の川村記念美術館に収められたわけである)。
(5) https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/161113863800/ウッチェッロの水準器-5262017-小林正秀-作-5-h-14-w 。
(6) ウォルター・デ・マリアはジョン・ケージにもオマージュの立体を制作しているが、この<ラモンテ・ヤングのための楽器>がどんな音を出すのか ( https://www.artnet.com/auctions/artists/walter-de-maria/instrument-for-lamonte-young?utm_source=newsletter011018&utm_medium=email&utm_campaign=top&utm_content=from_ ) 聞いてみたいものである (多分ノイズ系だろうが……)。 因みに拙作の水車も、大きい歯車を差し込んだ方の側は、カナピン5本の「提灯歯車 (“Lantern Pinion”) 」が縁の上を転がるので、ピンが縁を次々に噛んでカタカタという音がする。 なお、最近知ったのだが、デュシャンが生まれる8年前の1879年にウィリアム・クルックスが行なった「真空管内での放電現象と羽根車の実験」というのがある。これは、両端に+と−の電極が仕込まれた横長の真空に近いガラス管の内部に二本のレールを作り、そこに薄い雲母板の羽根車の車軸を跨がせて放電すると、発生した陰極線 (電子ビーム) が羽根に衝突して熱を発生させ、その熱で僅かに残っていた管内の気体が膨張させられて羽を押し、羽根車がキラキラと転がって行くというものである ( https://www.youtube.com/watch?v=amHUiL3Qb-o 参照)。勿論、拙作の<水車と滑溝>も、デュシャンのそれも (序でに言えば<パリの空気>も !?)、この美しくて神秘的な密封ガラス管と熱風車とは何の影響関係も無い。
(7) ピカソのキュビスム時代の (特に1914年の金属薄板+針金製の)<ギター> ( https://www.moma.org/interactives/exhibitions/2011/picassoguitars/featured-works/36.php , https://www.youtube.com/watch?v=TD9pIzV751c ) は、そういう直角接合板材/平面材と、針金/線材のみで構成され、旧来の重さと量塊性で大地に縛りつけられていた彫刻を軽々と空中に解き放ち、浮上/飛翔させた作品である。
(8) https://artblart.com/tag/the-cornell-family/ 。
(9) 外箱と大型の歯車類は https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/135622894550/アトランティスの箱舟-772015-小林正秀-作-混合材-55-h に、文字盤は https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/147303707345/直角定規と両脚規と-針の無い時計の文字盤-7122016-小林正秀-作-28 に、ゼンマイ機構部と時針・分針は https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/135623239600/時計職人-772015-小林正秀-作-23-h-23-w に、それぞれ使用した。
(10) https://www.philamuseum.org/collections/permanent/54149.html?mulR=2012144793%7C3# → pl.2 [Diagram)]– No.16 [-a,-b] 。 ( → 二番目の図表の「独身者の器械 (ガラス下半部)」の「16. 滑走機 (二輪/四輪-車/橇/滑動体) a 水車の車輪 b 溝を滑走するもの」––––以上は拙訳である。)
(11) https://www.wikiart.org/en/marcel-duchamp/glider-containing-a-water-mill-in-neighboring-metals-1915 。 因みにこのデュシャンの「滑溝」は、この直方体の骨組み自体が、画面には描かれていない/見えない地上に敷設されているはずの「溝を–滑る」という意味だが、拙作の「滑溝」の方は、直方体の内側の溝の縁をガイド・レール (案内軌条) にして、水車が「滑る (正確には転がるのだが) –溝」 の意である。 従ってデュシャンの「滑溝」の方は正確には「滑溝機」と訳した方が的確だと考えるが、しかしこの「滑溝」という訳語は、恐らくは戦前の『みづゑ』(1936/10) 誌上の瀧口修造「調革の論理–––マルセル・デュシャン」……これは『ミノトール』(1935/冬期号) のアンドレ・ブルトン「マルセル・デュシャン 『花嫁』の灯台」を祖述したもので、『シュルレアリスムのために』せりか書房, 1968, pp.126-133 に再録されている…… に始まって、戦後の『みづゑ』(1963/8-9) の東野芳明「マルセル・デュシャンの方法敍説」や、本邦初の本格的な展覧会であり図録であった『デュシャン展 図録』(西武美術館/高輪美術館, 1981) の塩崎有隆による<隣金属製の水車のある滑溝>(n.e.26) の解説……へと踏襲されてきた由緒あるものであり、私としても拙作との類縁性を仄めかしたい意図もあり、これをそのまま採用している。
(12) http://www.gadgety.net/shin/trivia/ptable/ , https://en.wikipedia.org/wiki/Periodic_table 。 因みに、デュシャンが生まれる16年前の1871年には、既に今日の周期表と基本的に変わらぬ「メンデレーエフの第二周期表」( https://kotobank.jp/word/周期表-76835 –日本大百科全書−表9) が発表され、1895年には、ハンス・ペーター・イェルゲン・ユリウス・トムセンが「当時としては理想的といえる」(J.W. フォン スプロンセン著/島原健三訳『周期系の歴史 上巻』「章−6 周期系の発展に貢献した人びと (1871年〜現在) 6. 4 トムセン, 1895年」三共出版, 1978, pp.162-164) 表の作成に成功し、1905年には、アルフレート・ヴェルナーが「殆ど理想的ともいえる」 (同上「6. 5 ヴェルナー, 1905年」pp.164-164) 表を作成し、そして、この<隣金属製の水車のある滑溝>が制作され始めた1913 年には、「ボーアの原子模型……理論によって、元素は電子配置によって性質が左右し、その軌道が周期表の周期と対応していることが説明され」( https://ja.wikipedia.org/wiki/周期表 )、<大ガラス>が放棄される一年前の1922年には、ボーアが「単にトムセンの体系の現代版にすぎない」 (前掲スプロンセン「6. 6 ボーア, 1922年」pp.166-168) 表を発表するのである (上掲 https://kotobank.jp/word/周期表-76835 −日本大百科全書−表10の次の無番号の「トムセン−ボーア型周期表」参照)。……デュシャンが周期表を知っていた可能性は充分に推測される。 なお、前註(11)の本文の方で述べた「隣 (り合う)/隣接 (する)-金属」という訳に関してだが、実はこの他に唯一異色な訳として「同系統の金属」 (カルヴィン・トムキンズ『巨匠の世界 デュシャン 1887––1968』(タイム ライフ ブックス, 日本語版監修:東野芳明, 1973, p.91) とい��訳があるが、これが周期表の縦列に並ぶ「同族」の元素/原子のことを踏まえての訳なのかどうかは分からない (東野自身は、自分が執筆した著書/論文等では「隣金属」と訳している)。
(13) https://www.philamuseum.org/collections/permanent/180370.html# 。このプレキシグラスの箱の蓋は見ての通り、全くの偶然だが、今話題にしている半円ガラスの<水車と滑溝>を「白い地の上に…シルクスクリーンで刷り込んである」(東野芳明「《ホワイト・ボックス》私注」『エピステーメー』1977/11, 朝日出版社, pp276-286, 引用 p.286) ––––瀟洒なデザインになっている。なお、これらのメモに関しては、北山研二の既訳=次註(14)-❷の pp.151-203 (当該箇所は pp.165-166) があり、また、英語の方は、次註(14)-❷の末尾にも記した https://ubutext.memoryoftheworld.org/Duchamp-Marcel-Essential-Writings-Marcel-Duchamp.pdf –pp.74-101 (当該箇所は p.81) で読むことができる。
(14) https://www.sfmoma.org/artwork/85.383.A-PPPP 。私たちが容易に購入/閲覧できる “普及版書籍” には以下のものがある。 -❶ The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even a typographic version by Richard Hamilton of MARCEL DUCHAMP’S Green Box, translated by George Heard Hamilton (1960, New York) Third publication 1976, in an edition of 2500 copies by Edition Hansjörg Mayer, Stuttgart, London, Reykjavik and Jaap Rietman Inc., New York 本書は、1966年に<大ガラス>の二つ目のレプリカ (デュシャンが確認した最後の複製) を制作したリチャード・ハミルトンが、この通称 “Green Box (緑色の箱)” に収められたデュシャンの手書を、文字部分は活版に–/線描部分は製図–して、加除修正の朱書や、強調太下線や一部文字の青書を加えて、赤青黒の3色で印刷+製本したもの (の英訳版) で、表紙も、オリジナルの「緑色のビロード製の蓋に、……文字が、デュシャン自身の手で、ビュランの先で穴をあけて書き込まれた」(東野芳明, 前註(13)に同じ) ––––印象的なデザインを印刷で摸している (但し題名はオリジナルの仏語ではなくて英語である)。 元来がバラバラな順不同の紙片ということで、本書には頁番号が打たれていないのだが、いま仮に大方の洋書のように見返し(遊び紙) を捲った次の右頁を p.1 とすると、本文の方で拙訳を示した当該英文は––––“Waterfall. A sort of waterspout coming from a distance in a half circle over the malic moulds” (p.40)––––である (因みに、文の下には「横から見た」製図が載っているが、これは後述する “滝の裏の鋳型” をイメージする際に概念図として役に立つ)。 -❷ マルセル・デュシャン著/ミシェル・サヌイエ (Michel Sanouillet) 編/北山研二訳『マルセル・デュシャン全著作 (DUCHAMP DU SIGNE, Ecrits)』未知谷, 1995, pp.53-146「第一章 花嫁のヴェール 彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも (<グリーン・ボックス���)」。 本書では、当該箇所は「水車 水の落下 半––円を描いて遠くからやってくる一種の水の落下––––雄特有なものとしての鋳型を越えて」(p.129)と訳されている。因みに p.130 には、上述の「側面図」(但しこちらはデュシャンの手書き)である図27が掲載されている。 なお、この原書の旧版『塩の商人』の英語版は以下のサイトで読むことができる ( https://ubutext.memoryoftheworld.org/Duchamp-Marcel-Essential-Writings-Marcel-Duchamp.pdf )。 -❸ 『コレクション 瀧口修造 3 』みすず書房, 1996, pp.14-52「『マルセル・デュシャン語録』」中の「グリーン・ボックス」該当部分。 本書では、当該箇所は「水車 水の落下 雄の鋳型の上を––––遠くから半円をえがいて達する一種の噴水」(p.43) と訳されている。
(15) https://www.philamuseum.org/collections/permanent/65633.html# 。以下の二つの動画には、掲げられたランプの向かって右側にキラキラ光りながら落ちる水 (滝) が写っている。 https://www.youtube.com/watch?v=-yhWxQnvoSo , https://www.youtube.com/watch?v=5ddinKcTODw 。
(16) http://www.boreasfineart.com/eau-et-gaz.html , https://vimeo.com/168419231 。
(17) ジェームズ・ジョンソン・スウィニーのインタビューの邦訳は二つあり、一つは笠原潔訳「知の網目、遠景としてのマルセル・デュシャン」『エピステーメー』1977/11, 朝日出版社, pp.153-158 (該当部分は p.157) で、もう一つは前註(13)-❷ 北山訳の「第三章 批評家マルセル・デュシャン」中の「随想」(pp.259-265) である (該当部分は pp.264-265)。 なお、この原文は以下のサイトで読むことができる ( http://www.golob-gm.si/24e-Interview-with-Marcel-Duchamp.htm の二つ目の文書)。 因みに甚だ紛らわしいのだが、このサイトの一つ目の対話形式の方は、上掲北山訳書の「随想」の次に「対談…」という題名で収録されているもので、こちらの方には他にも前註(13)-❸の滝口訳も存在する (混同を避けるため、こちらの方の所載頁は記さないでおく)。
(18) http://www.andrebreton.fr/work/56600100903550 の八つ目の写真、または http://www.flickriver.com/photos/tags/raymondroussel/interesting/ の (ルーセルの全身肖像写真の次の) 二枚組の舞台写真の上の方の写真。この後者は、本文の「隣金属」に関する箇所で紹介した東野芳明の著書 (p.291) や、高橋士郎の資料図集 http://www.shiro1000.jp/IA/sitar/sitar.html にも (但しこちらは左右逆版で) 掲載されている (因みに、この高橋の図集には “ミミズ・チター” の色刷りのイメージ図もある)。 また、写真ではないが (写真を版画にしたからなのか左右逆版で) 芝居の呼び物としての12の場面をピック・アップした (当該場面は一番初めの左上に線描されている) 芝居のポスターがある ( http://chelsealouisegrant.blogspot.com/2007/02/impressions-dafrique-and-mechanized.html – pl.3。因みに、こちらの方も上掲の東野の著書 (p.289) や、利光哲夫「レーモン・ルーセルと栄光の演劇」『ユリイカ』1977/8, 青土社, pp.204-215, 図は p.211) にも掲載されている。
(19) レーモン・ルーセル著/岡谷公二訳『アフリカの印象 <新装版>』1993, 白水社。
(20) ここは天空であるにもかかわらず領-「地」と訳したのは、この “domain/-e” という言葉が––––① あのマグリットの絵の題名にも使われたポーの小説『アルンハイムの領地』の題名に用いられ、更にマン・レイが、この<大ガラス>の上に積もった埃を撮った写真(<埃の培養>)を発表した際に付した一文の中で、この「ナスカの地上絵」にも似た (とよく形容される) 広がりを「ローズ・セラヴィの領地」と喩えて用いたこと、––––② ここ以外の場所は全て “region” (こちらは「領域」と訳しておいた) を使っていること––––の二点を踏まえてのものである。(因みに①に関しては『カメラ毎日別冊 マン・レイ光の時代の革命者』1984, 毎日新聞社, p.15、及び “Aerial Imagery in Print, 1860 to Today” https://www.moma.org/d/pdfs/W1siZiIsIjIwMTYvMDYvMjQvMnZpZnNxdGRjc19BZXJpYWxfSW1hZ2VyeV9pbl9QcmludF9FeGhpYml0aW9uX2NoZWNrbGlzdC5wZGYiXV0/Aerial%20Imagery%20in%20Print-Exhibition%20checklist.pdf?sha=c424ecec5a4d8178 –p.4 参照。また、この話は拙作の <埃の培養–––増殖する赤い爆発 (原子爆弾)> に添えた詩の中にも出典は示さずに書いている [ https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/163925573065/埃の培養ー増殖する赤い爆発-原子爆弾 ])。
(21) このチターは1912年の<アフリカの印象>上演のかなり���前に製造されており、舞台でのチターをイメージする縁になる。右側の8枚の細部写真の内の最初のもの (左上) がピンがよく見えて分かり易い ( http://ancientpoint.com/inf/134976-antique_1894_guitar_zither_mandolin_vtg_lap_harp_autoharp_no___2_u___s___a____rare_.html )。 なお、ここで私は “pin” (糸巻) を “penis” (男根) に擬えたが、これは飽くまで形態上の類似からであって、言語的にはこの二語は異なるラテン語 (L.) を語源としている (前者は L. pinna=E. feather=J. 羽根、後者は L. penis=E. tail=J. 尻尾)。 因みに、これとの類比の対象にした “11. Nine Malic Molds (or Eros’s Matrix)”を私は「九體の男根状の鋳型 (または勃起の母型)」と訳したが、これはカルヴィン・トムキンズ著/木下哲夫訳『マルセル・デュシャン』(みすず書房, 2003, p.13) の以下の記述に基づいたものである。––––「デュシャンの造語…『雄な〔malic〕』……という形容詞…は『男性の』とは異なり、『男・のような』に近く、おそらくは花嫁の意地の悪さ〔malice〕と陽根〔phallic〕もかすかに響く。」––––この「花嫁の意地の悪さ」の方は措くとして、私も “malic” は “male” (男性/雄) と “phallus” ←Gk. “phallos” (男根) の形容詞 “phallic” (男根の) の合成語だと考える。 また、(13)-❷ 北山訳 (p.109) も-❸ 滝口訳 (p.39)も (或いは東野も含めて) 共に “Eros’s Matrix” を “Eros” は「エロス」のままに「エロスの母型」と訳しているが、拙訳は “Matrix” の「母型」は「母型」とそのまま踏襲しながら “Eros” の方を––––ギリシャ語源 (Gk.) も同じ “Eros” だから “phallos”とは脚韻を踏めるので––––日本語の「母型」と頭韻 (Bok-) を踏みながら意味的にも踏み込んで「勃起」とした。
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