#お悟り浄土
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極楽浄土に住む伝説の霊鳥「共命鳥(ぐみょうちょう)」
一つの体に頭が二つある極楽浄土に住む鳥「共命鳥」。
極楽浄土には白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利(九官鳥)、迦陵頻伽、そして今回登場する共命鳥が仏に仕える鳥として住んでいますが、それらの鳥をまとめているのは天空の守護神である迦楼羅王です。
ブッダが生まれる遥か昔、ヒマラヤの奥地に双頭の鳥が住んでいました。
一羽の名前はカルダ、もう一羽の名前はウバカルダ。
その鳥は「共命鳥」と呼ばれ、一羽が起きている間、もう一羽は眠っています。
ある日、カルダはウバカルダが眠っている間に摩頭迦という木の花を食べました。
カルダは摩頭迦の花を食べることは、もう一方のウバカルダもお腹いっぱいになって両方とも幸せになると思ったのですが、ウバカルダは目を覚ますと、カルダだけ美味しい花を食べたことに腹を立て、怒りの思いでカルダが眠っているうちに毒花を食べ恨みを晴らそうとしました。
眠りから覚め、ウバカルダが毒花を食べたことに気づいたカルダは、
「怒りや、貪り、愚かさには徳はない。このような愚かな行動は、自らを傷つけるだけでなく、多くの者をも巻き込んで皆を不幸にしてしまう」と語った後、2羽とも命を落としてしまいました。
片方が右へ行こうとすると、もう一方は左へ行きたいといい、片方が遊びたいといえば、もう一方は休みたいと、その都度別の意見で衝突して次第に怒りの念を増長させ、愚かな行動に走った共命鳥。
体が一つなのに頭が二つあるが故に生じる感覚や考えの違いが怒りに繋がり、やがて自らを滅ぼすという悲しい結末を迎えたこの物語。
貧欲、瞋恚、愚痴といった「三毒の煩悩」でお互いを傷つけあうことは無意味で罪深いことだと、この共命鳥のエピソードが教えてくれています。
共命鳥がこの世から消えてこの鳥の伝説も人々の記憶から忘れかけられた頃、修行中の僧が釈迦に質問をします。
「提婆達多(ダイバダッタ)は、あなたを妬んで悪いことばかりするが、それはどうしてでしょうか?」
すると、釈迦は「遥か昔の時代、彼と私は一身双頭の関係にあった。その時に毒のある実を食べたのが提婆達多で、私は体に役立つ方の実を食べた。かつてのことがそのまま続いており、私はいつも提婆達多に足を引っ張られている」と語ったそうです。
「共命鳥」に関するものは明治の無教養な連中による廃仏毀釈によってそのほとんどが失われましたが宗派を問わず、ごく一部の寺院の欄間や所蔵する仏画でその姿を見ることができます。
「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす道こそ己の生かされる道」と悟った共命鳥は、阿弥陀如来に救われ、極楽浄土で朝夕6時になると美しい声で鳴き、仏の教えを伝えているといわれています。
提婆達多(ダイバダッタ):特撮ドラマのレインボーマンにも登場する釈迦の弟子で従兄弟の僧。
意見の違いから釈迦とぶつかり合い、釈迦を殺そうとして無間地獄から最下層の阿鼻地獄に落ちるが、もともとは釈迦の片腕である非常に優秀な僧であったため、伝説では幾度か転生を繰り返し天界を次第に昇り、聖者となって最後に人間界に戻ってくるといわれており、法華経では「天王如来」という位の高い仏として登場します。
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事件名 事件番号:令和6年(わ)第105号 罪名:監禁、殺人、不同意わいせつ致死 被告人:小西優花 裁判長:小笠原義泰 裁判官は3人とも男性。裁判員は向かって左から女性、男性、男性、男性、男性、男性と男性率が高い。 被告人・小西優花 刑務官4人を携え小西被告が被告人入口から登場。 服装は白シャツ、グレーのカーディガン、黒のパンツ。髪はやや低めの位置でお団子。伸びきったプリン髪が勾留期間の長さを物がっていた。 身長は155cm程度で痩せている。肌は白く綺麗。 Eラインが整っており芸能人並みの小顔。スッピンでお手入れもできないにも関わらず可愛い。まだあどけなさが残り、とてもあんな残虐非道な事件を起こした子には到底見えず困惑した。大変不謹慎ではあるが佳子内親王殿下に似ているなと思った。 犯行に至る経緯 令和6年4月8日:被害者Aさん、内田の写真を自身のインスタに掲載。 4月18日:Aさんの内田の写真を掲載した投稿を見た共犯Y(16歳少年)が内田にチンコロ→同日21時05分:内田とAさんが通話。 20時28分~21時35分:内田と共犯X(16歳少女)通話 内田「アイツに50万積ませるわ」 X「それで足りますか?」 内田、XとYを携えAさんのいる留萌市へ出発。 23時37分:Aさんを車内に乗せ監禁行為開始。 翌日の4月19日深夜の2時10分:内田、Aさんに土下座させ、その様子を動画撮影。 2時33分:小西が内田らと合流。 3時06分:内田がセブンイレブン旭川神威店に立ち寄る。その後、小西とYとともにAさん入店。Aさんコンビニ入店から約10分後に店員に助けを求めるも内田に阻止される。内田と小西に引きずり出される形でコンビニを退店、車に載せられる。 ※この後Yは帰宅 3時29分:神居古潭の駐車場に到着。内田と小西、Aさんに衣服を全て脱ぐように強要。Aさん、駐車場で土下座謝罪させられる。 3時31分~3時45分:Aさんを神威大橋の欄干に座らせる(この間、内田はXとビデオ通話しその様子を見せびらかしてた) 3時48分:内田と小西、車に戻りAさんのスマートフォンを全壊させ川に投げ捨てる。 4時過ぎ:内田と小西がその時に一緒にいない風なLINEを偽装。小西を家まで送り届けた。 犯行の詳細 ① 令和6年4月8日、Aさんがラーメンを啜る内田の写真(令和6年4月4日頃に撮影された麺で顔の大半が隠れており顔そのものは殆ど見えない写真)をインスタグラムに掲載した。その投稿を発見した少年Y(16歳)が4月18日に内田にLINEで密告。 少年Y「これ俺が撮ったリコさんですよね?」 内田「うん。ゑ、誰これ、きも」 少年Y「俺も誰か分かりません」 内田「キモ」 余談だがこの日、内田は小西とお泊まり会をしてた。 ② 内田、AさんにDM「コレに電話かけろや」 21時05分頃、Aさん内田に電話する。 内田はXを引き連れAさんが住む留萌市へ移動(移動中もXのスマホから通話。内田「金払わねぇならボコボコにすっからな!」) 内田「50万積ませるわ」 小西「50万で足りますか?」 などのLINEのやり取り。 YにもAさんから50万恐喝するとLINEし、Yにヤクザの振りをさせてAさんを脅すよう命���。 Y「じゃあ家族ごと潰すから!」 内田、道中に窃盗事件の件で事情聴取を受ける(その間少年らは車内で待機) 事情聴取を終えた内田、被害者の住所を聞き出せず23時36分頃に道の駅留萌でAさんと合流。 ③ Aさんが現金を持たないで来たことが分かり 内田「そういうことね。お前バッタバタにすっか��覚悟しとけよ」 Aさんを助手席に乗せて監禁開始。旭川まで向かうことに。 ④ 内田、Aのスマホ取り上げる。 Aさん「帰りたいです」 内田「無理」 Aさん隙を見てシートベルトを外し走行中の車から降りようとしたため、内田がAさんの髪を引っ張り阻止。車内からAさんを降ろし顔面を殴打。Aさんを後ろに座らせ、Xに監視させた。 旭川まで移動中、内田と小西が通話。事の経緯を話す。 小西に今回のことを口外しない旨の誓約書を誓約書を作るよう依頼(口止め&恐喝の書類) 小西、スマホで書式調べて手書きで誓約書を作成。 ⑤ 0時50分:旭川市内のコンビニへ立ち寄り、奪ったAさんのスマホのPayPayから4万数千円支払い(タバコや酒など) その後暴力団組員ササキの自宅にいるYと合流するため、ササキ宅へ向かいYと合流。 後部座席にY・Aさん・Xの並びで座らせる。 内田、自身の兄貴分である暴力団組員ヒガシに事の経緯を話すために、ヒガシに会いに行くことに。 その道中、小学校の駐車場でAさんに土下座させ、その様子を撮影。 内田「反省してねーじゃん」と激高しAさんの顔面を殴打。 1時21分:Aさんに対するリンチ動画撮影。 Aさん「写真のことや舐めた態度取ってすみませんでした」と謝罪させられる。 ヒガシと合流し、ヒガシを助手席に載せてコンビニまで。 ※ウチにはヤクザが付いてるんだぞ!とAさんに見せつけるために敢えて暴力団組員ヒガシと合流したものだと思われる。 途中、コンビニに寄りAさんのPayPayアカウントからタバコなど37000円支払う。 ヒガシと別れ、小西宅へ向かう。 ⑥ 2時33分:小西、内田らと合流。 小西は内田に敬語&さん付け(明確な上下関係あり、対等な関係でないことが伺える) Xが助手席に移動、小西が後部座席に座りAさんの隣に座る(この後Xは二日酔いで体調悪いためAさんのPayPayで購入したタバコを内田から貰い帰宅) Aさん、50万円を月に5万円ずつ返済する旨の誓約書を書かされ、Aさんの住所やバイト先も書かせる。 その後、セブンイレブン旭川神威店へ Aさんが「トイレに行きたい」と言ったので内田・小西・Yと入店し店内トイレへ。内田はその間、AさんのPayPayでタバコなど12000円分支払う。 Aさんトイレの個室から出るや否や、3人を振り切りレジ前に行き店員に「助けてください、通報してください」と懇願 内田「コイツ悪いことしたから今から警察行くんだわ、通報したらおたくにも迷惑かけて営業どころじゃなくなるよ」と店員を恫喝し、通報を阻止。 Aさん、レジや店内の棚にしがみ付き抵抗するも小西に引き摺り出され床に倒れる。その間、小西はAの体を踏み付ける等の暴行を行った。 ⑦コンビニ店内の映像が裁判員らのモニターに流れる(法廷内スクリーンには流れず音声のみ) Aさん「すみません、助けてください、通報してください」 内田「人に迷惑かけんなって!」(以下、ボソボソ声で聞き取れず) Aさん「助けて!助けて!」(涙声) 内田「ヤメれやお前、テメーが悪いんだよ!お前が悪いんだべや、立てやコラ!」 Aさんの泣き声と叫び声 内田「お前が悪いんだべや!このままやるぞ、いいから出ろや!店に迷惑かけんなや!」 ※この音声が流れた後、小西被告涙ぐみ鼻をすすり下を向く。 力ずくでAさんを店から引きずり出しコンビニ裏で小西がAさんに馬乗りになり髪を引っ張り顔面などを殴打するなどの暴行を加える。 リンチが終わるとAさんを車に乗せ、Yを帰すために暴力団組員ササキ宅へ向かう。Yは内田から煙草を受け取り帰宅。 ⑧ 3時29分:神居古潭に到着 東側駐車場に車を停める。 内田と小西、Aさんに服を全て脱ぎ全裸になるよう命令。なおAさんの衣類や靴は草むらに投げ捨てた。 駐車場で土下座させ、その様子をAさんスマホで撮影。 そのまま神威大橋まで連れて行き2人で暴行を加える。 3時41分:橋の前で再度謝罪させ、Aさんのスマホでその様子を撮影。 ※当日の気温は4℃で小雨の振る寒い日であった。 一連の様子をXとビデオ通話し見せびらかしていた。 ⑨Aさん橋から落下した後の2人の行動 3時48分:犯行を終えた内田と小西、車に戻り西側駐車場へ移動。 3時53分:Aさんのスマホから一連の動画を全て削除。 3時57分:内田、Aさんのスマホを車で何度も轢いて全壊させる。 4時27分:旭川市豊岡にある豊橋からAさんスマホを川に投げ捨てる(防犯カメラで内田が川に向かって何かを捨てる様子の映像あり) この後、内田と小西の双方のLINEから今日のやりとりを全てトーク削除し、その日あたかも一緒にいないように以下のような偽装工作↓ 小西「リコしゃんおはよ」 内田「おまえまだ起きてたの?」 2人は何か聞かれても黙秘するよう約束する。 内田、小西にAさんのPayPayで買ったタバコ1カートン&15箱を渡し家に返す。 5時13分:内田、帰宅。 XとYにも何を聞かれても口を割らない&LINEのトーク履歴を削除するよう指示 Aさんのスマートフォンについて iPhone14紫色 警察官、スマホ探すも中々見つからず捜査が難航するも5月7日に小西が捨てた場所を教え基北川からAさんスマートフォン見付かる。 5月7日~15日にかけて復旧作業完了。SIMカードが抜かれていた。 スマホは警察署の解析課に持ち込まれるも損傷が酷い。泥水など洗浄し、24時間乾燥させ、同機種の部品を取り寄せ部品を全て取り替えデータ復旧することができた。 Aさんが全裸で土下座させられている動画などが見付かる。その際の動画が裁判員のモニターに流れる(法廷内のスクリーンには流れず音声のみ) 4月19日3時33分に撮影された動画: Aさん「舐めた態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした」 ※3時50分頃削除 同日3時43分に撮影された動画: Aさん全裸で橋の欄干に座らされ謝罪させられている。 内田「はい、どうぞー」 Aさん「やだ……やだ……」←消え入るような、か細い声。※泣き叫ぶ様子が法廷内に流れたと報道されていたが、実際は叫んでおらず恐怖に怯えているような小さく弱々しい声だった(私の感想です) この直後、Aさん自ら飛び降りたか内田か小西あるいは両方に突き落とされたと思われる。 Aさんの死因 Aさん:平成19年1月19日生まれ17歳。身長約155cm。溺水による窒息で令和6年4月19日頃に死亡したと思われる。 4月19日:行方不明に。神威大橋から石狩川に流されたと推測。 5月21日:約63km流され、奈井江町の河川の木の枝にAさんらしき人が引っかかていた。DNA型がAさんと一致。 Aさんの胸腔内に水が溜まっており、肺や肝臓から淡水プランクトンあり、頸部圧迫の痕跡は見付からず。以上から溺水による窒息死と推測される。 遺体の状態: 後頭部に損傷。上下8cm・左右7cmほど変色し内部皮下出血認められる。死亡直前に出来たものだと考えられる。鈍器で殴られたか、落下した際に硬いものにぶつかったか。 背部~臀部にかけて上下20cm・左右15cmの傷。いつできたものか不明。 胃底部に粘膜出血あり。一般的にアルコールや薬の過剰摂取や強いストレスで出来るものだが、状況から考えて極めて強いストレスが生じ出来たものだと推測される。 コンビニ到着前までの少年Yの供述調書 内田は小西の家の前に停車すると、小西は「お疲れ様です」と挨拶し助手席ではなく後部座席に座ろうとしました。小西は内田のインスタによく登場していたので、2人はとても親密なのだと思った。そのくらい親密なら普通は助手席に座ろうとするのに、後ろに座ろうとしたと言うことは、Aさんを絶対に逃さないと言う強い意志を感じました。 小西が着席すると内田が「言ってやって!コイツどーにかしてやって」と強い口調で小西に言いました。高速道路を走行中、Aさんが脱出しようとしました。小西は内田に命じられ「次やったらどーなるか分かってるな?」とAさんを恫喝しました。 Xが二日酔いと怪我で体調悪いと言ったので、内田は先に神楽のX宅へ送り届けました。その際も小西は内田と共に「話通じないなら死んでくれ」「謝罪するくらいなら死ね」などと言ってました。また、小西はAの顔を仕切りに殴っていました。 Xが帰宅後、小西はAさんに「この誓約書に50万円をPayPayで払いますと書け」と脅しサインを書かせました。内田は「払えないなら月5万持ってこい」と言いました。Aさんは承諾し、月5万円払う旨の誓約書を書かされました。 またAさんの自宅とバイト先を聞き出し、小西がAさんの自宅やバイト先をGoogleマップで調べてそれをスクショして内田に送りました。内田は「金払わないと親やバイト先に連絡するからな」と恫喝し、Aさんはひたすら謝っていました。 内田と小西は「謝るくらいなら死ね」「今すぐそこに立ってこい、車で轢いてやるから」などと脅し、内田は車内でも髪を引っ張るなど暴行を続けました。 Aさんがコンビニで助けを求めた際のYの供述調書 Aさんが「トイレに行きたい」と言ったのでコンビニに立ち寄りました。内田が先に入り、小西がAさんの腕を掴んで3人でコンビニへ。私は2人の後を着いて行きました。Aさんが個室に入って10分後くらいに、突如レジカウンターに向かって走り出し、店員に向かって「助けてください!通報してください!」と頼みました。内田は「コイツ悪いことしたから今から警察行くんだわ。通報したら店も巻き添え食らうよ」と店員を脅しました。Aさんは手の届くありとあらゆるものにしがみつき、必死に抵抗していました。内田が「店の迷惑になるからやめろや」などと怒鳴りAさんのフードを引っ張りました。 私は内田と小西とAさんが押し問答する様子を見ていましたが、内田にコンビニのドアを開けるよう言われ、コンビニのドアを両開きにしました。内田と小西の2人でAを店外へ引きずり出し暴行を加えました。 Aさんに暴行を加える様子など店員に見られているし、防犯カメラもあるのでいずれ犯行がバレると思ったので帰りたくなりました。 小西がAを引きずり回しコンビニ裏へ連れて行くと、仰向けに倒れるAさんに馬乗りになって胸ぐらを掴んで殴っていました。内田が「お前、もういいつて」と小西を制止させ、Aさんを車に押し込みました。 私は誰かに通報されると思い「警察来ますよ」と言うも、内田は全く気にする素振りを見せませんでした。 私は内田らと別れる直前、Aさんを自宅まで送り届けてあげるのか心配だったので 「Aを留萌まで送るんですか?」と内田に聞いたら、「コイツの態度次第」と答えました。 私が何か言って内田の機嫌を損ねて怒られるのも嫌だったので、お疲れ様ですとだけ言って帰りました。 少女Xの供述調書(4月27日付、Aさんのスマホが見付かる前) ・小西がAさんの首を絞めながら顔を殴る動画を見ました。 ・LINEのビデオ通話で橋の欄干に座らされてるAさんの様子を見ました。白くて胸も見えていたので全裸なのがわかりました。 Aさんの母親の供述調書 娘の死後、娘のことを考えなかった日はなくて、娘の日常の何気ない姿を思い出します。一番の願いは娘が生きて帰ってくることです。 私と夫は平成15年に結婚し、長男と娘が産まれました。令和5年に離婚後、私たちは実家で両親と同居していました。 長男は大学進学に伴い家を出て一人暮らしをしていましたが、娘とはインスタで交流をしていました。 私は4人きょうだいで、3人とも姪である娘をとても可愛がっていました。 娘は当時通信制の高校に通っていました。小さい子供が好きで、私の甥や姪をとても可愛がってました。将来は幼稚園教諭になることを夢見ていました。 犯行当日は札幌でライブがあり、翌日はオープンキャンパスに行く予定でした。4月18日の夜に玄関ドアの閉まる音が聞こえたので娘が出かけたのかと思った。次の日の昼になっても帰ってきませんでしたが、オープンキャンパスに行ったのかと思い、LINEをするも既読が付きません。 忙しくて返信ができないのかと思ってましたが、22日になっても帰ってこなかったので母と共に警察署へ行きました。 たまたま母のスマホから娘のインスタがログインできて見ることができたのでインスタのDMを見ると「早く電話かけろや!」と脅されるような文言のメッセージがありました。それを見た刑事さんは事件を疑いました。 と言うのも、娘がリンチされ山に置き去りにされたのだという噂がありました。夫とあらゆる場所に行き娘を探しました。もしかして神居古潭から落ちたのかも知れないと、神居古潭にも夫と長男と行きました。娘は見つかりませんでしたが「生きている」と信じていました。 そして娘の遺体が見つかったと滝川署から連絡があり、滝川市まで向かいました。 遺体の損傷が激しいから見てはいけないと言われました。全身サラシのようなものでグルグル巻きになっていて、顔を見ることはできず、髪の毛一本すら見れませんでした。 警察から亡くなった事を公にしないで欲しいと言われたので家族で密葬しました。 ※ここで小西被告、泣き始める 生きたまま橋から突き落とされた娘を思うと悲しくて苦しくて胸が張り裂けそうです。娘はほぼ泳げないので、とても苦しんだと思います。娘を守ってあごられなくて後悔しかありません。 報道後は自宅などにマスコミが殺到し、色んな人に迷惑がかかりました。犯人には極刑を望みますし、家族全員そう思っています。 神居古潭は娘が亡くなったというとても嫌な場所ですが、でも娘が最期に生きていた場所でもあります。今でも娘に会いに度々訪れます。 Aさんの父親の供述調書 4月19日に娘が殺され17歳の短い生涯を終えました。まだ娘の死を受け入れられていませんし、娘の話をするのは苦しいけど少しだけ話します。 娘とは月に2~3回会っていて、かけがえのない時間でした。最後に会ったのは3月10日で家族で食事に行きました。そのときに娘から学校のことなど聞きました。楽しく通学できている様子でこちらも嬉しくなりました。 最初に男の子が生まれたので、次は女の子が欲しいなと思っていました。なので娘が生まれた時はとても嬉しかったです。長男も可愛いですが、男親から見た娘はことさら可愛くて、2人でよく出かけたものです。娘ができたら娘に服を選んで貰いたいと思っていたので、その願いが叶ったときは本当に嬉しかったです。 娘が欲しがっていたUGGの厚底スニーカーをプレゼントしたらとても喜んでいて、学校にも履いていっていました。今も娘が喜ぶその姿を思い出します。娘の夫になる人と一緒にお酒を飲みたかったし、娘の子供を抱っこしたかったけど、今はもう叶いません。 4月23日に留萌警察署から「娘さんはそちらにいませんか?」と連絡が来ました。5月4日に長男から電話がかかってきて、娘が逮捕済みの犯人から恐喝の被害に遭ったことを聞かされました。 娘はパジャマ姿で財布も持たず家を出ており、旭川市まで連れてこられリンチされて橋から落とされたという噂を聞きました。 その後は仕事を休み、家族みんなで神居古潭へ行き娘を探しました。石狩川沿いの全てを探しましたが見つかりませんでした。 5月30日に泣きじゃくる妻から「娘の遺体が滝川で見つかった」と聞かされました。 それを聞いた時は全身の力が抜けて卒倒しました。もしかしたら亡くなっているのかもしれないと少し覚悟はしていましたが、受け入れられませんでした。 対面した娘は全身包帯が巻かれ、死後1ヶ月以上が経過し、顔を見ることはできませんでした。 怖かっただろうね寒かっただろうねと娘に手を合わせて、家族全員で泣き崩れました。 翌日火葬し家族葬を行いました。今も毎日娘に向かって手を合わせて話しかけ、娘の骨壷を撫でています。娘がまだ小さかった頃、自分がそうしたように。 娘は凄惨な仕打ちを受け最後まで苦しみながら殺されました。犯人の所業は人間のすることではありません。家族は一生苦しむことになります。加害者には娘と同じ目に遭わせたいが、それはできないので最も重い刑罰を受けて欲しいです。 ※ここで小西被告、肩を震わせ大号泣。
【傍聴記】旭川神居大橋女子高生殺人事件【特定少年】|大元帥リタリン
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読書の記録
(日本人)かっこにっぽんじん 橘玲
想像していたよりも壮大なテーマ。
データ等を駆使し、世界情勢や歴史、宗教等様々角度から語っています。
私の頭では、ちょっと入り込めない部分もあり、中盤からダルダルな感じでなんとか読了。
そのまま記録に残すかしばらくダルダルしていたけど、見返すと興味深い内容もあったので、メモを残すことに。
新型コロナ騒動よりずっと前に書かれた本ではありますが、ウイルスのことについても触れていまいた。
【メモ】
✏日本人は戦争が起きても国のためにたたかう気もないし、自分の国に誇りも持っていないのだ。
✏貨幣空間の拡大(市場原理主義)というのは、世界の歪みを平準化する運動のことだ。 経済のグローバル化は北と南の経済格差を解消させる巨大な圧力だ。しかしこの無慈悲な市場メカニズムは、経済的な弱者を振り落とすことで先進国のなかの格差を拡大させていく。 たとえ世界全体が幸福になったとしても、ひとは自分が(相対的に)貧しくなることに耐えられない。その意味でグローバル化は、私たちの生活を破壊する侵略者なのだ。
✏貨幣空間が拡張するのは、私たちがそれを望むからだ。ほとんどのサービスが貨幣で購入できる社会では、親戚づきあいは不要になり、友だちとの関係もドライになっていく。ようするに、ベタな人間関係は面倒くさいのだ。 だがそれと同時に、私たちはこのような”無縁社会”に根源的な不安を感じてもいる。ヒトは長い進化の歴史を通じて、ずっと集団(共同体)のなかで生きてきた。群れからの追放は、ただちに死を意味した。ヒトは一人で生きていけるようにはできていないのだ。
✏ヒトは確率的な出来事をうまく理解できない
✏ウイルスが宿主を病気にさせるのは、咳やくしゃみ、下痢といった防御機構を作動させるためだ。宿主が体内からウイルスを排除しようとすることで、手足のないウイルスは遺伝子を他の宿主に移植させることができる。 このことから、ウイルスや病原菌など「寄生者」の目的が、宿主を殺すことではないことがわかる。
✏しかし感染症とのこのたたかいに、人類が最終的な勝利を収めることはけっしてない。それは、寄生者の生き残りの戦略のほうがはるかに巧妙で強力だからだ。 寄生者の武器は、数が膨大なことと寿命はきわめて短いことだ。頻繁に世代交代を繰り返すことで進化の速度は上がり、新種の抗生物質に対しても、たちまちのうちに抵抗力を持つ細菌やウイルスが現れる。
✏狩猟採集生活では、穀類や果実、動物の肉などから炭水化物やビタミン類、たんぱく質を摂取したが、脂肪や砂糖などはきわめて稀少だった。そこで私たちの脳は、このような得がたい機会に遭遇したときは、可能なかぎり多く食べるよう命令を下す。「甘いものを食べると幸福な気持ちになる」のは、大量摂取を促すプログラムなのだ。
✏白人とニューギニア人のあいだに人種的な優劣があるのではなく、歴史や文明は地理的な初期条件のちがいから生まれた
✏だがこれは、彼女たちにとってはファッションの問題ではなかった。みんながルーズソックスのときに、一人だけストレートソックスをはくのは危険なのだ。本人たちが意識しているかどうかは別として、彼女たちは”生き残る”ために同じ髪型、同じヘアメイク、同じソックスに揃えようとしたのだ。
✏ニスベットは、その他の実験においても、西洋人がこのような「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心を持った。 (中略) 西洋人は世界を「名詞」で考え、東洋人は「動詞」で把握しようとしているともいえる。
✏西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界をさまざまな出来事の関係として把握する。この世界認識のちがいが、西洋人が「個人」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。
✏インドで興った仏教は、中国で漢訳される際に変容し、日本に伝来したときにもういちど変容した。これは、もともとその国のひとたちが持っていた認識構造に合った思想しか受容されなかったからだ。
✏風光明媚な自然を愛でる日本人には、この世界を穢土とする思想はまったく理解不能だった。そこで日本の仏教者は、仏へと至るステップをひとつ飛ばし、現世をいわば極楽浄土に格上げすることで、死ねばすぐに(修行抜きで)仏になれるようにしたばかりか、生身の肉体のままで究極の悟りを得る「即身成仏」の思想まで”創造”した。
✏私たちは快適な家に住み、季節に合わせた服を着て、山海の珍味を楽しんでいるが、そのなかで独力で獲得できるものは数えるほどしかない。高度な文明社会では、ひとびとは”無力”になることでゆたかになっていく。 狩猟採集の民が現代人と遭遇したら、彼らは私たちがなにひとつできない(火を起こす方法すら知らない)ことを笑うだろう。
✏真の意味でのグローバルな宗教は、キリスト教と、ムハンマドが新たな預言を得て聖書を再解釈したイスラム教のふたつしかない。仏教は「法治」によって、儒教は「人治」によって身分や民族の壁を越えようとしたが、そこでは「神」が世界を支配しているわけではない。
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2025.6.21 sat. / 22 sun.
6時起きで富山行きの支度。早朝は外の音が違う気がする。駅弁を買うべく早めに出たら、一緒に行くたまちゃんも同じぐらいに出発していて、定期の都合で京都からサンダーバードに乗ると言っていたからその分の時間なのかな、とうっすら考えていたのだが、実際は駅で立ち食いうどんを食べるためだった。同じ思考回路。
新大阪駅の駅弁はあたたかいものからエスニック料理やデリ系などいろいろなものがあったが、悩みに悩んでシンプルな西京焼きのお弁当にした。おそらく京都のやつ。これが大当たりで、駅弁と思えないほどに美味しくてびっくり。出汁がちゃんと効いていたり、漬物がしっかりおいしかったり。ごはんも味付きでうれしい。とくに新幹線に乗る用がなくても食べたいぐらい。
駅弁の話でこんなに容量を取ってしまった。
京都からたまちゃんが合流。着いたらなにをするかなど話し合いつつ順調に向かう。良さげなお店は大体休みだった。富山は土日休みの店が多いのか?サンダーバードから北陸新幹線に乗り換え。敦賀での乗換がかなり大変だと聞いていたが実際はそうでもなかった。全然東京駅とかの方がやばい。北陸新幹線は車両があたらしくぴかぴか。
4時間ほどかけて富山に到着。ロッカーに荷物を入れてしまおうということで先にお土産を見始め、そのせいで最終的にお土産の量がとんでもないことになってしまった。お土産は最後に買うからお土産なのだ……。鱒寿司などをゲットしたのでちょうどよくあらわれたフードコートで食べる。今回はなんかこういうタイミングの良さが続く旅だった。ちなみにお土産は鱒寿司2種、氷見うどん1kg、醤油やめんつゆなど。重いものばかり買ってしまった。
せっかくの旅行でお土産を買いフードコートでだらけているだけではもったいないのでいよいよ外へ。たまちゃんが路面電車に乗りたがったので乗ってガラス美術館へ行ったり。市営図書館が併設されていて、隈研吾の建築で良い空間だった。暑いけど。市の施設との相性の悪さなど話しつつ見てまわる。ガラス美術館は常設展だけ見たがまずまず楽しめた。他にもお土産屋を回るなど。
16時になったので予約していた居酒屋、親爺へ。ネットの情報で怖い店なのかと身構えていたが、まだ支度中の店内に入ってしまい(まあ時間は予約通りだったのだが)、ちょっと早かったかな…と呟いていたら、こっちが間に合ってないだけなんでね、と言われた時点で悪い店でないことが分かりほっとする。たしかに愛想はあまりなく、予約なしで入ってきた客へ「満席」と吐き捨てるように言う様子などは見られたが、基本的には親切にしてもらい気持ちよく飲み食いできた。なにより料理のおいしいこと!刺身盛り合わせの昆布じめやイカにはまちと白えび、ひじきといぶりがっこの入った和風ポテトサラダ、牡蠣酢、無花果と茄子の揚げ出しや、締めの氷見うどんとおにぎりまですべておいしかった。近くにあったら絶対に通う店だ。
食べすぎでお腹を壊しつつもさらにお土産を買い、そうこうしているうちに宿へ向かう電車の時間に。明日のバスの発券を忘れた疑惑が浮上したりと一悶着あったものの無事大きなトラブルはなくたどり着けた。宿も清潔で良い感じ。温泉に入って早めの就寝で1日目を終える。
◯
2日目は5時半起床。人生でなかなかないぐらい早起き。30分で支度をして朝食へ。昨日のお腹の具合悪さをまだ引きずっていて不安。山の中にお手洗いはない。朝ごはんはちゃんと作られていてありがたかった。本当ならたらふく食べたかったな……。
15分ほどで食べ終えて荷物をささっとまとめ出発。7時の電車に乗らねばならぬ。発券とトレッキングポールのレンタルを無事に終え、登山鉄道?なんというんだろうあの坂を登る短い電車、とバスを乗り継ぎ室堂へ。短い電車は箱根にも似たようなのがあった気がする。同じ種類だろうか。室堂は寒くておどろいた。立山ホテルの雰囲気が良く、いつかここに泊まりに来たい。
しばらくうろうろとお土産を見たりして(またもや)覚悟を決めて山へ。残雪と聞いていたが全然ふつうにずっと雪道で、トレッキングポールは絶対にもう一本ずつ借りておくべきだったし、アイゼンも一緒に借りてくるべきだった。山を舐めてはいけない……。しかし常に別の山が見えており絶景。後日カタヤマとも話していたが、「意味わからん時間→きれーい!きもちーい!→意味わからん時間」、登山はまじでこれ。まして雪道は足を取られてものすごく歩くのがつらく、意味わからん時間が2倍に。私はへぼへぼなのにたまちゃんは持ち前の運動神経の良さでズンズン登っていってしまうし。帰りたいと百回くらい思ったが景色や高山植物を眺めつつなんとか一ノ越山荘まで辿り着いた。宿で握ってもらった大きなおにぎり二つに、売店で買ったカップヌードルも食べた。インスタントのココアがちょっと異常にうまい。身体がカロリーを消耗しているのがよくわかる。胃はもう痛くて食べられないのに食べても食べてもお腹が減る感じだった。
一ノ越に着いたあたりで元々強めに吹いていた風の様子がいよいよおかしくなりだした。外にいるだけで危険なのでは?というレベルなので躊躇していると、山荘の人にこの天候で進むのはあまりおすすめしないと教えてもらい雄山登頂は断念……。かわりに雷鳥がいると聞き浄土山の方へ向かってみたが結局会うことは叶わず。岩場は雪道よりも全然歩きやすかったので、次回は雪のない時期にリベンジしたいところ。
下山は行きよりもわりとスムーズに進み、14時前に室堂に戻った。絵葉書を出したり、またお土産を買ったりして行きと同じ道で帰路に着く。さすがに疲れ果て、宿で預けていた大きな荷物を受け取ったあたりで体の電池が切れたような気がする。ぬぼーと帰った。宿と富山を繋ぐ電車が、今どきめずらしく現金しか使えないのを忘れていてお金を使い果たしてしまい、駅員さんにお願いして乗せてもらったり。たまちゃんは帰りも駅弁を食べていたのでやはりタフだなと思う。新大阪駅で津田も目撃していたし。
帰宅し風呂に入り倒れるように寝。たまちゃんといると本当にストレスが少なくてありがたい。いい旅行になった。
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具足戒と円頓戒の共通点と相違点を教えてください。
具足戒(ぐそくかい)と円頓戒(えんどんかい)は、仏教における戒律の形態ですが、起源、目的、適用される宗派、内容において異なります。以下に、心理学や精神医学の観点ではなく、仏教の教義と歴史的背景に基づく共通点と相違点を簡潔に整理して説明します。
共通点 仏教の戒律としての目的 両者とも、修行者の心を清め、悟り(涅槃)へと導くための規範として機能します。戒律を通じて、欲望や煩悩を抑え、倫理的な生活を促す点で一致します。 僧侶向けの規範 具足戒も円頓戒も、主に僧侶(出家者)向けに制定された戒律であり、仏教共同体の秩序を維持し、修行を支援する役割を持ちます。 菩薩道との関連 両者は大乗仏教の菩薩思想に影響を受けており、自己の悟りだけでなく他者の救済(利他行)を重視します。特に、円頓戒は菩薩戒の要素を強く含み、具足戒も大乗仏教では菩薩行の実践と結びつきます。 授戒の儀式 どちらも正式な授戒儀式(受戒)を経て受けるもので、戒師や僧団の前で誓いを立てるプロセスが含まれます。 戒律の精神的意義 戒律は単なる規則ではなく、心の浄化と智慧の開発を目指す精神的な実践として捉えられます。両者とも、戒を守ることで三学(戒・定・慧)を調和させることを目指します。 相違点 起源と歴史的背景 具足戒: 初期仏教(上座部仏教)に由来し、釈迦が制定したとされる厳格な戒律。パーリ語の『ヴィナヤ・ピタカ』(律蔵)に記載され、四分律や五分律などに基づく。中国や日本の律宗(例:南都六宗の律宗)で採用され、叡尊らによって復興された。例:比丘戒(250戒)、比丘尼戒(348戒)。 円頓戒: 大乗仏教、特に天台宗の開祖・最澄が日本で提唱(9世紀)。中国天台宗の智顗の思想や『法華経』『梵網経』を基に、具足戒の形式主義を批判し、より簡略化・普遍化した戒律として制定。鎌倉時代以降、日本仏教(特に天台系)に広く影響。 戒律の内容と厳格さ 具足戒: 具体的かつ詳細な行動規範(例:殺生、盗み、淫行、妄語の禁止など)を多数含む。比丘・比丘尼ごとに異なる戒数(250~348戒)があり、日常の細かな行為(食事、服装、僧団生活)にまで及ぶ。違反には罰則(懺悔や破門)が定められている。 円頓戒: 『梵網経』の菩薩戒(十重禁戒と四十八軽戒)を基にし、具体的な行動規範よりも心の姿勢や菩薩の精神(慈悲・利他)を重視。戒数は少なく、形式よりも内面的な悟りや法華経の「一乗思想」に基づく普遍性が特徴。例:殺生を禁じるが、状況に応じた柔軟な解釈が可能。 適用される宗派 具足戒: 上座部仏教(スリランカ、タイなど)、中国や日本の律宗(南都六宗、叡尊の真言律宗)、一部の禅宗や浄土宗で採用。ただし、日本では鎌倉時代以降、具足戒の厳守が衰退し、形式的な受戒に留まる場合も。 円頓戒: 日本天台宗を中心に、鎌倉仏教(浄土宗、禅宗、日蓮宗など)に大きな影響。最澄が比叡山に円頓戒壇を設け、具足戒に代わる日本独自の戒律として普及。現代の天台宗やその影響を受けた宗派で主に用いられる。 受戒の対象と形式 具足戒: 原則として出家者(比丘・比丘尼)に限定され、厳格な僧団での授戒儀式が必要。受戒には年齢や修行歴の条件があり、僧団の承認が必須(例:十人以上の僧による授戒)。在家者には五戒や八戒が別途適用される。 円頓戒: 出家者だけでなく、在家者にも授けられる場合がある(特に日本)。最澄は「一切衆生」が仏性を持つという法華経の思想に基づき、広く受戒を可能とした。授戒は比叡山の戒壇で行われ、形式よりも内面的な誓いが重視される。 思想的基盤 具足戒: 初期仏教の厳格な戒律観に根ざし、個人の煩悩克服と僧団の秩序を重視。実践は「声聞乗」(個人の解脱)に近く、大乗仏教では菩薩行と結びつくが、形式的な側面が強い。 円頓戒: 大乗仏教の「一乗思想」(法華経)に基づき、すべての衆生が仏になれると説く。円頓(完全で即座の悟り)の理念を反映し、戒律は悟りへの直接的な道として捉えられる。形式よりも心の浄化と利他行が優先。 日本仏教への影響 具足戒: 奈良時代に鑑真が日本に伝え、律宗を中心に広まったが、鎌倉時代以降は円頓戒の普及や戒律の緩みにより衰退。叡尊や忍性らが復興を試みたが、現代では限定的。 円頓戒: 最澄の提唱後、日本仏教の主流となり、鎌倉新仏教(浄土宗、禅宗、日蓮宗)の戒律観に影響。現代の天台宗やその派生宗派で中心的な戒律として存続。 例で考える 具足戒: 僧が「午後には食事をしない」(不非時食戒)を厳守し、違反すれば僧団で懺悔する。戒律は具体的な生活規則として機能。 円頓戒: 僧が「殺生をせず、慈悲を行じる」と誓うが、状況に応じて柔軟に解釈(例:病人を救うための行動は許容)。心の姿勢が重視される。 まとめ 共通点: 仏教の戒律として心の浄化と悟りを目指す、僧侶向け、菩薩道との関連、授戒儀式、精神的意義。 相違点: 起源(初期仏教 vs 大乗天台)、内容(詳細・厳格 vs 簡略・柔軟)、宗派(律宗 vs 天台宗)、対象(出家者限定 vs 在家含む)、思想(声聞乗寄り vs 一乗思想)、日本での影響(衰退 vs 主流)。 もし具足戒や円頓戒の特定の側面(例:叡尊の真言律宗との関係、最澄の円頓戒壇の歴史、『梵網経』の詳細)を深掘りしたい、または特定の経典や歴史的背景について詳しく知りたい場合、教えてください!また、韓国仏教(例:朝鮮時代の戒律観)との比較など、関連トピックも対応可能です。
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子どもに「死んだらどうなるの?」と聞かれた時、親が絶対言ってはいけないNG回答
3/24(月) 8:02配信
ダイヤモンド・オンライン

写真はイメージです Photo:PIXTA
誰もが考える「人は死んだらどうなる?」を、作家・エッセイストの嵐山光三郎83歳が深く掘り下げる。死ぬことは恐怖であるとともに、人生最後の「愉しみ」である。大事なのは、どうやって「上手に逝く」かだ。嵐山流のベストの死に方とは?本稿は、嵐山光三郎『爺の流儀』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を抜粋・編集したものです。
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● 死の瞬間はわずか0.0000001秒 そこにあるのは生前と死後だけだ
僕はいままでいろいろな旅行記を書いてきましたが最後にたどりついたのが「廃線」でした。廃線探訪は日本人が得意とする分野で、古人は失われた名所旧跡や歌枕を捜して旅をしてきた。栄枯盛衰は時の流れで、栄えていたものは必ず滅びる。その滅びの中にこの世の仕組みを見ようとしたのだが、やってみたらこれが命がけの探検だった。なくなった鉄道を供養しようという殊勝な気持ちで始めたのだが、とんでもない領域に踏み込んでしまった。
で、つぎになにかあるかなと考えて思いついたのが「冥界紀行」です。「死んでからこういう旅をしましょう」という紀行を書こうかなと思っている。
子どものころ、死ぬことは怖いのと同時にある種の楽しみでした。
田舎の法事に行くと、親戚のおじさんたちが、死んだらどうなるかっていう話をしている。おじいさんが死んで7回忌のときだったか、理工系の叔父は「死は無だよ。もう何もないんだ、ぽんと終わっちゃうんだ」と言う。すると海軍に行ったおじさんが「戦艦大和だよ。三途の川なんて渡らず太平洋を渡るんだ」とホラを吹く。
みんなの話をニコニコ笑って聞いていたよそのおじいちゃんが「仏間に入るようなものだ」という。田舎の家には仏間があって、そこのふすまを開けて中に入るようなものだって。小学生のころ、そういう話を聞くのが面白かった。
いつだったか横尾忠則さんと話したら「死はない。死の瞬間は0.0000001秒くらいだから死はない。あるのは生前と死後だけだ」と。なるほどと思った。現実は、死ぬことは「自分が死んだ」という意識もなくなってしまう状態で、自分ではわからない。他人の死はわかるけれど自分の死は体験できない。だから親戚の子どもたちと「死ぬとどうなるか」を話し合った。
「四十九日には輪廻転生して帰ってくるんだよ、だから死んだって怖くないよ」と予測し、どれが本当なのかなと思いながら、畏れと同時に死後への憧れを持つということがあった。本当のことは死んでみなくちゃわからない。
● 葬式帰りに玄関で塩をまくのは 故人に失礼ではないか
ところがいつの間にか、死ぬ話は禁忌になってしまった。「縁起でもない」と遮る。これは大人が悪い。この間、小学校5年生に授業をしてそのとき「死ぬことを考えたことはあるか」と聞くと、全員があると答えた。だから死ぬことって中年過ぎてから考えるんじゃなくて小学生も考えている。
それなのに、それに対する大人の側の受け入れがちゃんとできていない。
死体はきちんと見せたほうがいいし、死んだとき、遺体を自分の家に運んで棺の中を見るという体験があれば、人は死ぬとこうなるというのがわかる。汚いもの、汚れたものとして死を隠す風潮はよくない。葬式から帰ってくると、みんなよく塩をまきます。僕はまかない。死を不浄なものとは思わないからだ。
葬式に行くと塩を渡されるけど「要らない」と断る。相撲じゃあるまいし、葬儀から帰って玄関で塩をまくなんて故人に対して失礼ではないか。
母の葬式は3人兄弟の家族だけですまし、それでも何か気が済んだ。これでいいと納得した。自分が死んだときの葬儀もこうなるんだろうなと思った。親の葬儀を済ませると、ようやく自分が一人前になったような気がした。人生で一番大事な儀式が親の葬儀で、壁を乗り越えて自分も再生される。
親の葬儀をすると自分が死んだときの様子というのもだいたい想像できるし、それがその人の心の安らぎにつながっていくわけで、そこに葬儀という儀礼の最大の効用がある。
葬式は型にはまっていると馬鹿にする人もいるが、伝統的に決まった型ですることで安心するし慰められる。家族葬のいちばん簡単な葬儀であっても、社会で生かされているということを自覚する。
● 死んだら自分の葬儀は楽しめない 生前葬はルール違反
けれど葬儀の形をいろいろ変えていくことを考える時期には来ていると思う。死は最後の楽しみなのだから。死んでどうなるかは死んでみなけりゃわからない。だから生きているうちに、あれこれと想像してみる。それが宗教です。さて、神さま仏さま、あるいは親や兄弟があの世で待っていてくれるか。答えは死んでみなきゃわからない。だから生前葬はずるいと思う。
いろんな友だちの葬儀に出て、おれが死んだときは誰がこうやって弔辞を読むのかなとか、誰が来てくれるのかなと思ったり、あるいはもう誰もいないところで、ひっそり葬儀されるのかなとか、いろいろ考える。現実には死んだら自分の葬儀は楽しめない。
それを生きているうちに会費をとって友人を集めてワインなんか飲みながら宴会するなんて図々しいにも程がある。生前葬はルール違反ではないか。
葬式は形に則ってたんたんと進める。寺の住職が来て死後の話とかして、法要の何回忌、何回忌で親戚中が集まるのがいい。親戚なんてだんだん法要のときしか会わなくなってくるから、集まるたびに人間の生死のことをいろいろ考える。
葬式に出ると家族って何だろうと考える。誰かが死ぬと残された者たちが逝った人たちをともに供養して、それが繰り返される。そのつながりが家族なのだろう。死者のための、残された者たちの寄り合いが家族だ。
そういう意味で「おひとりさま」のつらいところは家族の死に出会えないことだ。自分の死しかない。両親とかきょうだい、あるいは親しくしていた従兄弟とか、そういう人が死ぬことによって、いやがおうでも死の意味を学習することになるが、「おひとりさま」にはそれがない。「おひとりさま」の生き方は家族を捨てることでもある。それなりの覚悟が要る。
● 一瞬の事故死でないかぎりつきまとう 「死ぬとどうなるか」という不安
親しかった友人がどんどん死んでいきます。親や兄弟も死んでいきます。葬式に行くたびに「人は死ぬ」という厳然とした事実を突きつけられる。親しかった人の死は、半分は自分の死でもあり、「自分もいずれ死ぬ」と覚悟することになる。葬式の効用は友人や親の死を受け入れ、供養するだけでなく、自分の死を確認するところにあります。いずれ自分も死ぬ、という覚悟が生まれる。
死んだ人は記憶の中に生き続けますが、5年、10年もたつと少しずつ忘れられていく。これは時間が供養してくれるのです。
歳をとると、上手に逝きたいと考える。
おだやかに逝きたい。死ぬときにとり乱さない、遺族に葬式で迷惑をかけない、すーっと楽に死んでいきたい、配偶者に看取って貰いたい。子がいる人ならばわずかな遺産争いをしないでほしいと思う。
なにより重要な心配ごとは「死ぬとどうなるか」という不安です。うまく極楽浄土へ行けるかどうか、無宗教の人はどうしたらいいのか。
結果は死んでみないとわかりませんが、死は「自分が死んだ」という意識をも消滅させる。人間は自分の死を体験できない。
生理学的に考えると、人は死ぬときに、最後の最後に自分の死を受容することへの抵抗を試みます。交通事故などで一瞬ですんでしまえばそんな暇はありませんが、即死せずに数時間手当てされて死ぬ場合は「このままでは死ねない」ともがき、「なぜ自分だけが死ぬのだ」という葛藤に苦しみます。数時間が数日にわたれば、それはいっそうの苦しみになる。それは痛みによる苦しみとは別に、「死を受容する決意」の葛藤といってよいでしょう。
● むしろ残された人間に 傷は深く残る
また、不治の病と認定され、「あと数カ月の寿命」と知れば、自分の死を納得させる葛藤が生まれる。いかに悟っていても自分の終焉を納得するのは難しい。それは人間の最後の戦いといってよいでしょう。
死にゆく人に向かっても、同じく葛藤がある。「人間はいつか死ぬのだから……」とは言えませんし、「これがあなたの運命だ」とも言えません。むしろ残された人間に傷は深く残るのです。ことに逆縁で子に先立たれた親は、いつまでも「なぜだ」と問いつづけ、心の傷が癒えるときはありません。
歳をとると自分が死ぬことも現実味を帯びてくるから、ついわかったようなことを言いたくなる。「人間は死ねば腐って最後はゴミになるだけだ」とか「腐らないように焼いても骨になって墓に埋められるだけだ」と悟ったような顔をしたくなる。本人が納得しているならそれでいいかもしれないが、自分より若い人に言ってはいけません。
もし子どもが「死んだらどうなるの?」と聞いてきて、親が「ゴミになるだけだ」と答えればどうなるか。逆縁になったらどうするのか。子どもに先立たれてしまったらただでさえ悲しいのに。
宗教もふくめて、死のイメージトレーニングが求められる。親の死にあい、親しい友人を失うたびに「死の意味」を問い、体験し、学習していくのです。
死後の世界を信じる人は、信心力の強い人です。しかし宗教に帰依していない人は自己の死をどう受け入れればいいのでしょうか。現実には、死んだ時点ですべてが完結します。「生きている人の世の中」とはまことにうまいことを言ったもので、この世は生者だけのために存在するのです。
● 死は恐怖であるとともに 最後の「愉しみ」
母の命日には墓参りをし、家には小さな仏壇を置き、両親の遺骨を拝んでいます。食べ物や花を供えます。これは来世を漠然と信じているからだ。父の遺伝子が私の肉体の中で生きているのだから、「自分の中に棲む父」と対話するのかな、と考えたりする。これを「死者が自分の心の中に生きている」という言い方をします。
縁によって結ばれた霊が、生前の縁により再会するのです。とすると、この世は生者と死者が共存している宇宙になります、これは漠然とした信仰で、体系づけられるものではない。
いっさいのものは生滅、変化して常住しません。無常迅速とは人の世の移り変わりが早いことで、歳月は人を待たない。人間は期限つきの消耗品であるところに趣があります。
死にゆく人が取り乱さないためには「ひたすら仏を信じる」のが有効ですが、この世は仏の顔をした鬼ばかりで、私も鬼のひとりかもしれない。死んで焼かれて墓に入るのにもお金がいるという世の中です。
しかし、死は恐怖であるとともに最後の「愉しみ」でもあります。平穏に死を受け入れるためには、どのような知恵をつければいいのか。死の意味を知るために人間は生きている、といってもいいのです。
嵐山光三郎
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名言和歌編第貳
詠み人知らず
「君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の蒸すまで」
天皇陛下の世は千代も八千代も続いていくでしょう。世界的に評価の高い日本の国歌。出典は古今和歌集。日本はまさに永遠の国。近年になって岐阜県の山中で歌の題材になったと思われる岩が見つかり全国の神社に配布された。大きい神社ならあるかもしれない。
天台宗御詠歌地蔵菩薩
「人をのみ渡し渡して己が身は岸に上がらぬ渡守かな」
お地蔵さんはこの世の全ての人を悟りの彼岸に渡すまで自分は決して浄土に行かないという大きな誓願をしている。
西行法師「願わくば桜の下にて春死なん。その如月の望月の頃」
本名佐藤義清ノリキヨ。乱世にあって公家と皇室を守る北面武士のエリート。辛いことが重なり妻子を残して出家。その後和歌の名人になる。養和の大飢饉を経験。頼朝にも面会。彼が詠みまくった吉野は桜の名所になる。晩年に詠んだ歌。宣言通りその年の二月十五日に亡くなる。この日は釈尊の命日でもある。西行法師の墓の周りは桜が咲きまくっている。
藤原道長「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることを無しと思えば」
一見傲慢極まりない天下人の歌。本人がどういうつもりだったのかは不明。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」引退後はひたすら写経をして過ごしたと言う。この頃は浄土宗が誕生した頃
太田道灌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
おおたどうかん。彼が詠んだ歌ではなく彼にまつわる歌。正義などない関東大動乱の時代。応仁元年の主従関係室町幕府将軍足利義政→鎌倉府足利政知(堀越公方)→関東管領上杉房顕(山内ヤマノウチ上杉家)→上杉政真マサザネ(扇谷オオギガヤツ上杉家)→太田道灌。太田道灌は万能の天才。武将として一流であり築城の名手であり和歌と漢詩に秀で築城も得意であった。八王子城、川越城、江戸城、御殿山城などを築城。嫉妬されて��殺される。その後扇谷上杉家も山内上杉家も没落。山内上杉家は越後に落ち延びて長尾景虎に家督を譲る。因みに大田区の由来は大森と蒲田から。
ある時太田道灌は戦場からの帰路で雨に降られる。蓑を貸して欲しいとその辺の少女に頼み込む。その時少女が古今和歌集を引用してこの歌を返す。意味がわからず帰って家臣に聞く。「歌の意味はこうです。花が美しく咲いているのに山吹の花が実をつけないのは残念です。彼女が伝えようとしたのはこうです。この花のように私は貧乏なので蓑すら貸せないのです。ごめんなさい」これを聞いて道灌は和歌の道に励むことになった
「かかる時さこそ命の惜しからめ兼ねて亡き身と思い知らずば」
太田道灌が暗殺された時。刺客は道灌に敬意を表して上の句を詠む。「こんな時は流石に命が惜しいね」道灌が返す。「自分をすでに死んでいると思って生きていなければね。」
武田信玄「人は城人は石垣人は掘情けは味方仇は敵なり」
本名武田晴信。おぼっちゃまの彼は若い頃は遊び呆けていたが元服してからは父の信虎を追放。甲斐国のためにシャカリキに働き始める。彼の若かりし頃甲斐国は有力者が勝手に領地を名乗り合うカオスであった。甲陽軍鑑がある為に戦国名言メーカーとなる。家臣の団結の為自らの子供を処刑。自身は過労で病に倒れる。
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長いのでこの辺で切る
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2024年の文化活動(一覧)
全部で130件。2024年も美術館を中心に巡ったのだがその中でも、金にものを言わせて地方の県立・市立美術も範疇としたのが大きな変化だった。取っ掛かりは宇都宮美術館。酷暑の真っただ中に行ったカスヤの森現代美術館、佐倉市美術館。念願だった茨城県近代美術館、ひらめきで思い立った郡山市立美術館。母親と行った東京国立博物館、意外に良かった国際こども図書館なども印象深かった。 一方、美術館巡りのサイクルは飽和状態なので新機軸を作りたいところでもある。その一つはクラシック・コンサートか。少しずつ楽しめる場所を増やしていきたい。
私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために@森美術館
即興 ホンマタカシ@東京都写真美術館
見るまえに跳べ 日本の新進作家 vol.20@東京都写真美術館
プリピクテ Human/人間@東京都写真美術館
テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館
千葉ポートタワー
坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
ICC アニュアル 2023 ものごとのかたち@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
第21回東京音楽コンクール 優勝者コンサート@東京文化会館
キュビズム展 美の革命@国立西洋美術館
もうひとつの19世紀 ―ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち@国立西洋美術館
マリー・ローランサン ― 時代をうつす眼@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション展@アーティゾン美術館
恵比寿映像祭 2024@東京都写真美術館
中平卓馬 火―氾濫@国立近代美術館
古代エジプト美術館
星野概念氏&いとうせいこう「心のことを話してみる場所」
消防博物館
FACE展2024@SOMPO美術館
広がるコラージュ@目黒区美術館
IIDA 101 飯田善國@目黒区美術館
VOCA展2024@上野の森美術館
ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家@東京オペラシティアートギャラリー
『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本@板橋区立美術館
印象派 モネからアメリカへ@東京都美術館
オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期@麻布台ヒルズギャラリー
イヴ・ネッツハマー ささめく葉は空気の言問い@宇都宮美術館
マティス 自由なフォルム@国立新美術館
早稲田大学演劇博物館
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる@東京都写真美術館
TOPコレクション 時間旅行@東京都写真美術館
記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から@東京都写真美術館
ヒロ杉山 個展「Sculpture」@Lurf MUSEUM
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ@国立西洋美術館
真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面@国立西洋美術館
ブランクーシ 本質を象(かたど)る@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 清水多嘉示@アーティゾン美術館
第8回 横浜トリエンナーレ@横浜美術館
パーフェクト・カモフラージュ展@ワタリウム美術館
マイケル・ケンナ写真展@代官山ヒルサイドフォーラム
Playground Becomes Dark Slowly@日比谷公園
昭和を駆け抜けた超特急 ~燕、そして新幹線へ~@昭和館
北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画@SOMPO美術館
マイ祭2024@自由学園明日館
第75回 東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
デザインフェスタvol.59@東京国際展示場
LOVE LIGHTPIA@お台場シンボルプロムナード公園
SusHi Tech TOKYO 2024@シンボルプロムナード公園
海王祭@東京海洋大学
池口史子展@美術愛住館
特別展「法然と極楽浄土」@東京国立博物館
デ・キリコ展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2024@東京都美術館
上野動物園
三島喜美代―未来への記憶@練馬区立美術館
ホー・ツーニェン エージェントのA@東京都美術館
翻訳できない わたしの言葉@東京都美術館
サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」@東京都美術館
MOTコレクション@東京都美術館
日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち@国立映画アーカイブ
谷川町子のデザイン@長谷川町子記念館
TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション@国立近代美術館
日本のグラフィックデザイン2024@東京ミッドタウン デザインハブ
徳川美術館展 尾張徳川家の至宝@サントリー美術館
海の日プロジェクト@東京国際クルーズターミナル
ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展@GYRE GALLERY
若江漢字《地中海 ― I・始まり》@カスヤの森現代美術館
三笠公園
2024イタリア・ボローニャ国際絵本原画展@板橋区立美術館
2024 JAGDA 亀倉雄策賞・新人賞展@ギンザグラフィックギャラリー
絵本で知る世界の国々―IFLAからのおくりもの@国際こども図書館
シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝@森美術館
フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線@SOMPO美術館
111年目の中原淳一@松濤美術館
台湾好包フェス2024@HANEDA INNOVATION CITY
開館30周年記念 生誕100年記念 深沢幸雄展@佐倉市美術館
空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン@東京ステーションギャラリー
ポール・マッカートニー写真展 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm@東京シティビュー
東京おもちゃショー2024@東京ビッグサイト
作品と空間@アーティゾン美術館
高田賢三 夢をかける@東京オペラシティアートギャラリー
となりの不可思議 収蔵品展080 寺田コレクションより@東京オペラシティアートギャラリー
平田晃久―人間の波打ちぎわ@練馬区美術館
サラダ音楽祭 メインコンサート@東京芸術劇場
TOPコレクション 見ることの重奏@東京都写真美術館
今森光彦 にっぽんの里山@東京都写真美術館
いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ@東京都写真美術館
マインドフルネス(基礎編)
田中一村展 奄美の光 魂の絵画@東京都美術館
大地に耳をすます 気配と手ざわり@東京都美術館
Maker Faire Tokyo@東京ビッグサイト
物、ものを呼ぶ─伴大納言絵巻から若冲へ@出光美術館
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション@東京都現代美術館
開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ@東京都現代美術館
MOTコレクション 竹林之七妍 特集展示 野村和弘 Eye to Eye—見ること
ツーリズムEXPO JAPAN@東京ビッグサイ
東京都交響楽団 第1009回定期演奏会Aシリーズ@東京文化会館
レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ@松岡美術館
田名網敬一 RETROSPECTIVE@国立新美術館
第70回記念 一陽展@国立新美術館
2024 国際航空宇宙展@東京ビッグサイト
ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ@NTTインターコミュニケーション・センター
サイエンスアゴラ2024@テレコムセンタービル
産総研一般公開2024@産総研 臨海副都心センター
国際交流フェスティバル2024@東京国際交流館
「みんなの選んだグッドデザイン」プレゼン大会@東京ミッドタウン デザインハブ
東京都交響楽団 プロムナードコンサート@サントリーホール
コレクション・ストーリー ー諸橋近代美術館のあゆみー@諸橋近代美術館
ART WEEK TOKYOその1:渡辺志桜里 宿/Syuku@資生堂ギャラリー
ART WEEK TOKYOその2:束芋「そのあと」@ギャラリー小柳
ART WEEK TOKYOその3:青山悟展「永遠なんてあるのでしょうか」@ミヅマアートギャラリー
ART WEEK TOKYOその4:オノデラユキ@ウェイティングルーム
ART WEEK TOKYOその5:ヴァジコ・チャッキアーニ@スカイザバスハウス
オルガンコンサート@東京オペラシティ
松谷武判 Takesada Matsutani@東京オペラシティアートギャラリー
北川民次展―メキシコから日本へ@世田谷美術館
ミュージアム コレクションⅡ かわりゆくもの、かわらないもの―TRANSITION@世田谷美術館
デザインフェスタvol.60@東京ビッグサイト
レオ・レオーニと仲間たち@板橋区立美術館
Vintage Market@東京ビッグサイト
没後100年 中村 彝 展―アトリエから世界へ@茨城県近代美術館
SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット@ワタリウム美術館
奇想の版画 1500ー1650 帝都プラハを交差するヨーロッパ版画@郡山市立美術館
中村彝アトリエ記念館
佐伯祐三アトリエ記念館
ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に@パナソニック汐留美術館
オープニング展@URSHIMA MUSEUM
松本かづち展@江東区森下文化センター
再開館記念「不在」 ―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル@三菱一号館美術館
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宗祖:親鸞聖人のご往生
報恩講の夕方、本山を始めとしてすべてのお寺においては、「御伝鈔」が拝読される。ところで、この御伝鈔の下巻の第六巻には宗祖の御往生の情景が記されている。
この箇所にいはく、「聖人弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いさゝか不例の氣まします。それよりこのかた口に世事をまじへず、たゞ佛恩のふかきことをのぶ。聲に餘言をあらはさず、もはら稱名たゆることなし。しかうして同第八日午時頭北面西右脇に臥たまひて、つゐに念佛の息たえましましをはりぬ。ときに頽齢九旬にみちたまふ。」(浄土真宗聖典全書・四・相伝篇・上 103ページ)
我々浄土真宗の門徒たる者も、やがて臨終に直面するだろう。私も今は93歳を過ぎて来年・満94歳の誕生日あたりが臨終の頃かなと予想し覚悟している。そこで臨終の行儀について親鸞聖人のみ教えを聞くことにしよう。
先ず我々は「世間」(現世)の中にドップリ浸かっている。世間とは、政治・外交・経済・実業・商売・教育・趣味娯楽等すべてであり、我々の日常慣れ親しんでいる生活の一切である。この段階においては未だ「臨終」は現れていない。しかるに臨終に近づくとやがて「後生」という領域が現れてくる。後生とはこの私が曠劫以来、流転輪廻して迷い来たり現在に至った事態である。我々は、この迷いの後生において流転輪廻から悟りの往生成仏へと転換せねばならない。この転迷開悟のためには自力聖道門によっては不可能なので、阿弥陀仏の本願力の名号(南無阿弥陀仏)の信心をいただいて救われるのである。
我祖は末灯鈔にいはく「眞實信心の行人は、攝取不捨のゆへに正定聚のくらゐに住す。このゆへに臨終まつことなし、來迎たのむことなし。信心のさだまるとき往生またさだまるなり。來迎の儀式をまたず」(浄土真宗聖典全書・二・宗祖篇・上 777ページ)と。
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【解説】Rowing
はじめに
かなり前に仏像(弥勒菩薩半跏思惟像)をテーマに曲を作ったことがあります。僕は仏像が好きなので。 別に信心や信仰があるわけではないし、スピリチュアル的なものもそこそこ苦手なのですが、仏像ってやっぱりすごい。デザインのためのデザイン。通常、デザインはなにか利便性を軸になされるものですが、信仰のデザインは純粋な必要から来ているような気がします。 衆生(人々)を見逃すことなく救えるように、顔が十一つある観音立像。立ち上がろうと腰をほんの少し浮かせた阿弥陀三尊像には、今まさに極楽浄土からお迎えに来たその瞬間を表わしている……。 こういった直接的でダイナミックな抽象化が仏像にはあります。そしてそれと音楽って親和性高いなあとよく思っています。 なので過去に書いた曲に加えて、二曲の仏像テーマの曲を追加して、アルバムにしてみました。
1.普賢菩薩騎象無蓋
普賢菩薩騎象像がモチーフです。 普賢菩薩の一つの解釈は、「行」つまり実践的な修行(慈悲の実践)を司る存在ということです。 そして諸説ありますが普賢菩薩は、古くから女性の間で信仰されていました。 仏教における女性の位置づけというのは、ここで語るには大きすぎるテーマなので詳しくは触れません。しかし当時から、今もなお苦しい立場の女性たちの結束の一つの拠り所になっていたことは事実です。
象に乗った普賢菩薩が道なき道を行き、苦難を進む姿を、三拍子ベースで歩みとして表現しました。
2.釈迦苦行魔境
釈迦苦行像がモチーフです。 まさに骨と皮と言った様相の像です。 釈迦のエピソードの数々はあまりにも有名ですが、そのなかでもすごいなと思っているものがあります。 釈迦は29歳のときに苦行の修行に出ました。断食をしたり、息を止めたり……。 これからは厳密な考証はしていないのが前提ですが、釈迦は息を止める修行で口と鼻をふさいだそうです。そうすると、なんと内にこもった息が凄まじい音を立てて耳から流れ出たとか。
そして耳の呼吸までもを止めると、次は激しい風気が頭の頂きを衝き上げ、鋭い刃に刺されるよう���ったとか……。
ヤバすぎ。
でも本当にすごいのは、これらのことではありません。釈迦は6年間こういった修行をしたそうですが、その後「なんか違うのでは」と思ってやめたそうです。 これがすごい。 そもそもこれらの修行は解脱のため。達成すれば永遠の生の苦しみから解脱して、完全開放! 消滅! 永遠にオッケー! そういったモノがかかっているわけです。苦行を6年も決死の覚悟でがんばったときに、人は「やっぱ違ったわ」って言えるもんなのかと。 さらにすごいのが、釈迦はそこから別の道でちゃんと涅槃に至るわけです。つらすぎて無理……。もう仏教とかどうでもええわ……ってならないの!?
というわけで、苦行の曲です。 極限の音楽という感じにしてみました。苦しみってダウナーではないんですね。極限の負の感情は、振り切ったハイテンションと同じだと思います。エクストリームなものなんです。 声や、声を模した音は、「やめちゃえよ」「意味ないよ」のささやきをイメージしています。まさに魔境状態。 でもこれが正しかったんですね……。魔境を超え魔境へ着地する。やっぱりすごい。
3.Idea
チュウニズムの公募に応募した曲です。 複数のキャラクターから一人選んで、その子をテーマに作りましょうというスタイルの公募でした。 僕が選んだのはニニカという女の子でした。情報として提示されているのは、曖昧な詩のような文章。彼女は自称哲学者で、シニカルで、懐疑的で、拗ねたような人物。 自分のアイデアがアイデアをさらに増やし、考えるからこそ考えることが増える。そういうような文章に見えました。 なので曲も、複雑なパッセージのなかに、いろいろなフレーズが湧き上がるようなものにしました。 あとは音ゲーの公募にふさわしく、音ゲーっぽいラスボス感も入れました。
4.渡るべくして渡る川
アレンジ祭というイベント(そういうものがあります)に出した曲です。 自分の作るものに川というモチーフはすごくよく出てくる気がします。 時間、超えるべきもの、日常のなかでうっかり落ちそうな場所など、ちょうどいい感じがしますね。
5.透明な航路を辿って
これもアレンジ祭に出した曲です。 シャーマンの曲。 シャーマンというのは、シャーマニズムにおいて超自然的な存在と直接交流・交信・コンタクトを取る役割を担う役職です。これに近い存在はいろいろな国、地域のコミュニティで見られます。 この曲を作った当時、世界の若い人のなかでシャーマン的な立ち位置になる人が増えているみたいなニュースを読みました。まさにシャーマン的な降霊をしたり、普通にそういう動画を投稿したりだとかもするとか(インターネット!)。 そこそこマジかよと思ったものですが(ちょいこわ)、それでもなんか、そういうアニミズムっぽいプリミティブなものを媒介する存在って、すごく普遍的で、目に見えないネットワークで世界中にあるんだな……的なことを考えたものでした。
曲のイメージとしては、海の下に見えないネットワークがある、という情景です。 コーラスが和洋折衷なのはそこんとこです。
6.Wat Prathat Phasornkaew
ワット・プラタート・パーソーンケーオというタイの寺院がモチーフです。 これはもう絶対画像検索してほしいです。タイ、ペッチャブーン県タンデーン村の山の上にある、修行のための寺院だそうです。 これの記事を読んだときは本当に衝撃でした。おもしろさとか、奇抜さの驚きよりも、本来の意味での世界観、つまり「世界の観方」の顕現そのものだなと。調べてみると、一つ一つの建造物に意味があります。きっとこの場所で行われる修行に意義をもたらしているのでしょう。 元々二時間DTM(そういうのがある)の「ギターのみでの作曲」のお題が出たときに、ちょうどこの寺院の記事を読んでいたので、エレキギターのみの曲と相性がきっといいぞお! と思って作った曲でした。 これもやっぱり極限! というイメージで、寺院の印象を思ったように作りました。 また、このアルバムに収録するにあたって、最後の方にベースを足しました。やっぱベースはあった方がいいね。
7.Touch
アンビエント・ミニマルのコンピレーションアルバムに出した曲です。 アンビエント、ミニマル両方作っていいなら、それらを横断する曲にしようと思って作った曲です。 序盤のアンビエントは音の誕生。曖昧なほわほわからモチーフが生まれてくるような感じ。赤ちゃんの意識みたいな感じ。泡沫。 中盤のミニマルは、繰り返されることでモチーフが確立されていく感じ。 後半にはモチーフの音楽である古典音楽っぽい部分があります。古典音楽付近の音楽には、同じモチーフ(小さなメロディ)を繰り返したり、反転させたり、いじったりして、最小単位を少なくして作曲するのが美しいという美意識がありました。それとミニマルミュージックって似てるなあと思って、そんな感じになりました。 最後はやっぱり複合的な感じで終わります。大団円だもんね。 赤ちゃんが育っていくみたいな、理屈の成長、複雑化みたいなことをテーマにしています。
8.弥勒菩薩半跏思惟世界
一番最初に作った仏像シリーズの曲。アレンジ祭の曲でした。 これは単純に仏像ってかっこいい! っていう動機で作った感じです。 名前の通り弥勒菩薩半跏思惟像がモチーフです。弥勒菩薩が悟りについて考えてるところ。 弥勒菩薩は文字通り菩薩(修行者)で、悟りを得てブッダとなった釈迦の入滅後56億7千万年後にこの世界に現われ、悟りを開き、人々を救済するとされています。
数字、デカいねぇ~~~!
でも、それだけかかってやってくる救済ってのは、やっぱりすごいんだろうなということで、楽曲の後半はエンジンがかかったようにテンポが早くなります。 56億7千万年の長い時に負けないように、ポリフォニックで、絡み合うような、素敵な音楽を目指しました。
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2024年10月7日

ガザ戦闘から1年 現地通信員が見た戦場(朝日新聞 10月7日)


「世界は僕たちが死ぬのを見ていただけ」 だれも止めぬガザ侵攻1年(朝日新聞 10月7日)
パレスチナ自治区ガザでのイスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘開始から7日で1年経つが、終わりが見えない。死者4万1千人超――。街が破壊されたガザの人は何を見て、何を感じてきたのか。朝日新聞のムハンマド・マンスール通信員が報告する。
友人に「見てくれ」と促され、スマートフォンに表示されている動画に目をやった。9月19日のことだ。見たことのある光景があった。パレスチナ自治区ガザ南部ラファ。私が住んでいた街だ。

戦闘が始まって1年近く経ったパレスチナ自治区ガザ南部では空爆や砲撃を完全に免れている建物は少ない=2024年9月25日、ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
マンスール通信員が語るガザ 食料不足に加えて、衛生状況も悪化しているガザで、市民たちはどう生きているのか。記事の後半に出てくる、もう一つの動画では、朝日新聞のムハンマド・マンスール通信員が、街を歩き、テントを訪れ、人々の生活を追いました。
次の瞬間、動画の中で爆発音がして、煙が上がった。
「ここにあるの、お前の家だろ!」
友人が泣き出しそうな声で叫んでいる。その通りだった。
動画はイスラエルの極右グループのテレグラムチャンネルに投稿されていた。イスラエル兵と思われる男の声がした後、建物や地上に仕掛けられた爆弾が爆発した。ヘブライ語で視聴者にこう話していた。
〈このラファでの爆発をあなたたちに贈ります〉
隣で心配そうに私の顔をのぞき込む友人の声が、とても遠くに聞こえた。
私の家が完成したのはこの戦闘が始まる直前だった。借金を背負い、少しずつ建てた家の完成には4年間かかった。
壁は明るい白を基調にして、居心地のいい空間になるよう、内装の細部にまでこだわった。自分たちのルーツであるアラブと、暮らしやすい西洋の様式を組み合わせたような雰囲気で、壁には馬や鳥の絵画を飾った。
イスラエルに周囲を壁やフェンスで封鎖されて「天井のない監獄」と呼ばれるガザの環境下でも、昨年8月に結婚した妻と一緒に、なんとか穏やかで幸せな生活を求めて暮らそう。そんな願いと、覚悟の詰まった家だった。
だが、そのすべてが完全に破壊された。
奪われることがこれほどの痛みを伴うのならば、初めからなかったらよかったのに、と思う。
ここガザでは、「ただ生きるということ」には大きな代償が必要とされるらしい。
生きるため、転居5回
私は、生まれ育ったラファから今住むハンユニスのテントまで、この1年間で何回住む場所を変えたのかを数えてみた。

5回までは覚えていた。だが、その後は記憶にない。戦闘が激しくなるたびに、私は家族と一緒に、時に家族とばらばらに生活した。避難所、知人の家、そしてテント。目的は「生きること」だった。
一方、「死」は大安売りだ。そこら中に転がっている。私たちは生きていくため、水やパンを手に入れるために何時間も長蛇の列に並ぶ。浄水施設は空爆で破壊され、きれいな水は手に入らない。
そのため、どこならそれなりに「使える」水が手に入るのかを知人たちと情報交換しながら探す。無料で手に入れられるはずの支援物資の食料も、今や市場で高値がつく。高騰した価格をみると、私たちの命より高いのではないかと思う。
【動画】ルポ「侵攻から1年 ガザで暮らす人々の今」=ムハンマド・マンスール撮影
ガザでイスラエルとハマスの戦闘は過去に何度も繰り返されてきた。2014年の戦闘では、50日間でパレスチナ側で2千人以上、イスラエル側で71人が死亡、21年の戦闘では11日間でパレスチナ側で約250人、イスラエル側で13人の死者が出た。
だが、今回の戦闘の発端となった昨年10月7日のハマスの越境攻撃では、イスラエル側で約1200人が死亡した。イスラエルの報復がこれまで経験したことがないものになることは想像できた。戦闘は長く、苦しいものになるだろう。私だけではない。ガザの人たちの多くはそう思っていた。
それでも戦闘が1年も続き、4万1千人以上が殺されることは予想できなかった。国際社会がここまで止められなかったことも。
パレスチナ人だから、しかたないということなのだろうか。もう、私は世界を信じられない。それでも信じるべきだと言うならば、その方法を教えてほしい。ただ、それでも、私は言葉を書き、写真を撮り続けるしかない。他にできることがないのだ。(ハンユニス=ムハンマド・マンスール、構成・エルサレム=高久潤)
孫たちが嫌う「豆ごはん」

避難所になっている国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校で、食事を作るマリヤム・ディーブさん=2024年9月9日、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
どこにも逃げることができない。イスラエル軍の攻撃にさらされるガザの人たちはこの1年、どんな生活を強いられてきたのか。
ガザ南部ハンユニスの国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校で、8人の孫と避難生活を送るマリヤム・ディーブさん(54)は、毎朝午前4時ごろ起床する。
家族の命をつなぐ水を手に入れるためには、長蛇の列に並ぶ必要があるからだ。
待つこと、数時間。水を持って戻ると、太陽はすでに空高く昇っている。
一休みしながら考え始めることは、その日の食事をどうしようか、ということだ。ただ、それは平和な土地に暮らす親たちの悩みとはかなり異なる。
まず、献立には悩む余地がない。今のガザで手に入るのはたいてい、豆の缶詰だ。次に手に入るのは米だ。炒めた米に、豆を付け合わせる。おいしいとは言いにくい代物で、その証拠に孫たちはその「料理」を非常に嫌っている。
孫たちは「豆ごはん」を前にするたびに、けわしい顔をしながら食べる。ディーブさんは言う。
「おいしいものをおなかいっぱい食べさせてあげたい。でも今、私にできることはこれ以外にない」

避難所になっている国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校で暮らすマリヤム・ディーブさん(左から2人目)と孫たち=2024年9月9日、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
避難所の衛生状態も深刻だ。利用できる公衆トイレが見つからない。男性は物陰で用をたすのが当たり前になっているが、女性はそうもいかない。何時間も公衆トイレを探す人も少なくない。
トイレを見つけたとしても非常に汚い。そんな環境で、孫たちはバケツの中で用を足し、父親が離れた場所まで処分しに行っているという。
居住空間と排泄などの空間が交わり合っていることで、人々は常に、病気に感染しやすい状況にさらされている。
「石器時代みたいな生活」
そこから北に3キロ。地中海沿いの海岸で家族とともにテント暮らしをしているショルク・ダワスさん(19)は、ガザ北部からここに移り住んできた。ダワスさんは自身の生活を「石器時代みたいだ」と語り、涙を流した。
海岸で父親が立てたテントに小さい妹たちと暮らす。眠るのは、使い古されたマットレス。「どこの誰のものかは知らない。避難をしているとき、空爆で破壊された建物の跡で拾った。海岸の砂の上だと硬くて眠れないから」とダワスさんは言う。
最近4歳の妹が成長して靴のサイズが合わなくなった。そこで父親が廃材を使って、妹用のサンダルをつくった。
ダワスさんは、戦闘が始まる前までガザの海が好きだったと語る。だが、今は嫌いだという。空爆の音が風にのってよく響くからだ。「1年経っても、この音は慣れない」
ガザは、「物があまりない」生活に残念ながら慣れている地域だ。
イスラエル軍が2007年にガザを封鎖し、人や物の行き来を徹底的に管理するようになった後、私たちはできるだけ自分たちの地域の内部で採れる農産物や、国際機関による外から入ってきた支援物資で生計をたてることが日常になっている。しかし、この1年は農地が破壊され、検問所がほぼ閉鎖され、210万人の人口の9割以上が食料不安に陥っている。
ダワスさんのテントの近くには夜になると、いい香りがする場所がある。
地元でおなじみの料理ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)などの露店が並ぶ。ガスはなく、まきをみんなで割って分け合いながら運営している。「食事」と呼ぶには、一人前は少量なのだが、安い値段でありつくことができ、人々の笑顔が見える。

家族の生活を支えるため、露店を始めたフサム・ナイムさん=2024年9月8日、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニス、ムハンマド・マンスール撮影
店を出している人たちのなかで、ひときわ若い少年がいた。フサム・ナイムさん(14)。自分で作った木のテーブルに、菓子などの食品を並べた簡素なものだ。この1年について、「まるで何千年も経っているような感じだ」と疲れ果てた表情で話した。
ナイムさんの言う通りだ。ガザの人々は、人間が到底耐えることができない量の死と、恐怖と、苦しみにさいなまれてきた。
私は日本の新聞で伝えるジャーナリストだ、と彼に伝えた。最後に聞きたい。世界の人々に、伝えたい言葉はある?
ナイムさんは、少しの沈黙のあと、首を横に振った。
「みんな、僕たちが死んでいくのを無慈悲に見ていた。誰もこの戦争を止めてくれはしない。伝えたいことも、伝えるべきことも何もない」(ハンユニス=ムハンマド・マンスール、構成・エルサレム=高久潤)
生産能力を奪い、外部依存を強いる「反開発」
「ガザはこの1年だけで破壊されたのではない。破壊され続けてきた」。米ハーバード大中東研究センターのサラ・ロイ上級研究員は、今回のガザ戦闘について、イスラエルの60年近い軍事占領の歴史的な文脈から考えるべきだと指摘する。
ロイ氏は、ガザでの現地調査を踏まえ、1980年代からガザの占領問題の政治経済学的研究を手がけてきたことで知られる。両親は第2次世界大戦のホロコースト(ナチスドイツのユダヤ人大虐殺)の生存者で、親族もイスラエルにいる。イスラム組織ハマスの攻撃でイスラエル側で約1200人が殺され、ガザに200人以上が拉致されたことに「耐えがたい感情をかき立てられた」と振り返り、「ハマスの残虐行為は責任を問われるべき戦争犯罪だ」と批判する。
一方でハマスが実効支配するといわれるガザは、イスラエルが実質的に支配し、抑圧を強めてきた現実を無視するべきではないと言う。
イスラエルは67年の第3次中東戦争で、ガザを占領した。その後、2005年にイスラエル軍と入植者はガザから撤退。ハマスがパレスチナ自治政府内の権力争いの末、この地域を掌握して07年から統治し、イスラエル側は安全保障上の理由で、ガザの四方を封鎖し、人やモノの行き来を厳しく制限してきた。
ロイ氏は、イスラエルのガザ支配の特徴を「反開発」という言葉で説明する。低い開発レベルの貧困を意味する「低開発」に対して、開発をできないよう生産能力を意図的に奪うことを意味するという。パレスチナの人たちが、自らの力で自分たちの未来を形づくる能力を奪い、生活を外部に依存する状態を強いる支配だ。
「反開発」の支配が完成に向かうきっかけになったのは、封鎖が行われた07年前後だという。封鎖で、ガザの経済の民間部門は壊滅的な打撃を受けた。ロイ氏によると、英NGOのデータで、燃料の搬入制限を通じてガザの約3900の工場のうち95%が閉鎖に追い込まれた。封鎖前に雇用者数の58%を占めていた民間部門が21%に減少した。自分たちで経済を発展させられない構造になっていったという。
ガザは今回の戦闘が始まる前の時点で、人口の8割が国際機関の支援に頼り、失業率も5割近くに上った。こうした状況はとりわけ、移動や貿易の緩やかな制限も含めると、90年代から始まり、「時間をかけてつくられてきた」と指摘する。
イスラエルは今回の戦闘が始まって以降、自分たちはかつてはガザに入植していたもののすでに撤退しており、ガザとは関わりないのに、ハマスが攻撃してきたと強調する。ロイ氏は、「イスラエルがその後もガザの領空、通信、海上・陸上交通を支配している。徹底的な境界管理も続けている現実は占領」とし、イスラエルの説明は誤りだと指摘する。
この1年の戦闘で、ガザ全域が破壊された。ロイ氏は、もう一つのパレスチナ自治区のヨルダン川西岸でユダヤ人入植者たちがパレスチナ人を襲撃し、さらに入植地を拡大させようとする動きにも警鐘を鳴らす。今回の戦闘で破壊されたガザに加え、西岸でもパレスチナ人が住める場所が年々小さくなっているからだ。
「欧米は(イスラエルとパレスチナが将来的に国家として共存する)『2国家解決』を主張しているものの、実際はパレスチナの人たちが住む場所が失われつつあることに対抗できていない」という。
今後のこの地域に平和をもたらすことはできるのか。「とても難しい」としつつ、「パレスチナ人に自分たちの命や生活に関する決定権を保障することが最低限の条件だ」と話す。そのためには、イスラエルの軍事占領を終わらせることが不可欠だ、と述べた。
Sara Roy 1955年、米国生まれ。米ハーバード大中東研究センター上級研究員。パレスチナ自治区ガザで、80年代から現地調査を繰り返し、ガザの政治経済の構造分析で知られる。著書に「ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学」「なぜガザなのか パレスチナの分断、孤立化、反開発」(いずれも編訳岡真理・小田切拓・早尾貴紀、青土社)がある。

コメントプラス
平尾剛(スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表)【視点】 心がかきむしられて冷静に読むことが難しい記事だった。
フサム・ナイムさんの「みんな、僕たちが死んでいくのを無慈悲に見ていた。誰もこの戦争を止めてくれはしない。伝えたいことも、伝えるべきことも何もない」という言葉に、途方もない後ろめたさを覚える。彼が言う「みんな」と、記事のテーマにある「世界」には、当然のことながら「私」も「私たち」も含まれているから。どうしようもない無力感とともに、各国首脳など権力を有する個人や団体への憤りが同時に湧いてくる。たまらない。
いまの私には虐殺の現実をこうして伝えたり、授業やゼミで学生たちに伝えることくらいしかできない。あまりの悲惨さにたじろぎ、何の役にも立たない自らへの苛立ちを抱えながら、地道に伝えていくことにはほとんど意味がないかもしれない。それでも私はこうして伝えていく。
ともに生を営むこの地球上で、目も当てられない事態が引き起こされている。まずはこの現実を知ること、そしてこの現実に心を痛める人を増やしていかなければ、解決には至らない。たとえささやかな抵抗であってもそれを表明し続けたい。イスラエルを受け入れることは、私にはどう逆立ちしてもできない。ガザで暮らす人たちの苦悩が、1日でも早く霧消することを心より願っている。
浅倉拓也(朝日新聞記者=移民問題)【視点】 ガザやシリアと言えば、ついコンクリートが崩れ落ちた街を想像してしまう。でも、破壊されたマンスール記者の自宅は、4年がかりで借金をして、内装の細部にもこだわって、戦争が始まる直前についに完成したものだったという。また、ある4歳の女の子はこの1年間で足が大きくなって靴が合わなくなり、父親が廃材でサンダルを作ったという。被弾で子どもが大けがをして血だらけになったわけではないけれど、4歳の子の新しい靴が手に入らないのは確かに大問題だ。ニュース映像でちらっと見る彼らは私たちで、私たちは彼らなのだと思い知らされる記事です。
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巨額横領事件で逮捕・起訴され、その後無罪が確定した大手不動産会社の元社長・山岸忍さんが国を訴えた裁判で、検察特捜部の取り調べ映像が史上初めて公開された。 そこには見立てにあった証言を強引に引き出す、特捜部の実態が映し出されていた。 11日裁判所の法廷で流れたのは、大阪地検特捜部が行った取り調べの一部を記録したおよそ48分間の映像。 弁護団によると特捜部の取り調べ映像が公開されるのは、司法の歴史上初めてのことだ。 ■「私が『なるほど』って思える話が出てこないとおかしい」と検察官 取り調べ記録した48分の映像 関西テレビはその映像を独自入手。 映像には、特捜部の検事が巨額横領事件の捜査で大手不動産会社プレサンスコーポレーションの関係者に対し、厳しく自白を迫る様子が記録されていた。 【山岸さんの元部下K氏】「正直に全部ちゃんと話そうという姿勢で臨んでいます」 【田渕大輔 検事】「だとしたら私が欲しい話でなく、私が『なるほど』って思える話が出てこないとおかしいですよね。でも、今の少なくとも山岸さんに関する話って全然なるほどじゃないよ。本当に真実の話をしたら、なるほどって思う話になるはずなんです」 【山岸さんの元部下K氏】「そこは嘘は本当に言うつもりないので。正直に全部、その時のことをしゃべっているんで」 【田渕大輔 検事】「でもね、もうあえてぼくの今の心証を申し上げると、あなたが今回の事件で果たした役割って『僕は共犯になるんですか?』なんていうかわいいもんじゃないと思っていますよ。お金もらってなくても共犯になるんですか、なんてかわいいものじゃないと思っている」 ■元部下の証言が決め手で逮捕されたプレサンス元社長 裁判で「無罪判決」 この取り調べで得た証言が決め手となり、プレサンスコーポレーション社長(当時)・山岸忍さんは逮捕された。 しかし、その後の��事裁判で「関係者の供述は信用できない」として、山岸さんには無罪判決が下される。 この取り調べに一体、どのような問題があったのか。なぜ冤罪は生まれたのか。 ■学校法人の土地取引 経営に関心のO氏が18億円借り入れ 理事長就任後 学校の土地売却し18億円の返済に充てる 明浄学院事件の構図 事件は5年前、学校法人・明浄学院の土地取引を巡って起きた。 まず、学校経営に関心を示していたO氏が18億円もの大金を借り入れ、その金を使って理事長に就任。 その後、学校の土地を売却して、借り入れていた18億円の返済に充てた。 ■山岸さんから18億円を借りたO氏 特捜部は山岸さんが『マンション建設の土地欲しさに金を貸した』と見立てをつけ捜査 O氏は、理事長就任に必要だった個人の借金を、学校の財産である土地を売った金で返済したことになるため、業務上横領罪が成立する。 では、18億円もの大金をどこから借りたのか。その出所が山岸さんだった。 特捜部は、山岸さんがこの横領計画を知っていながら『マン��ョン建設の土地欲しさに金を貸した』という見立てをもとに捜査を進めた。 ■横領計画を知りながら取引進めた山岸さんの元部下K氏 特捜部は「山岸さんが横領計画を知っていた」という証言をK氏から引き出すべく強引な取り調べを実施 山岸さんの関与を示す客観的な証拠も乏しい中で特捜部がこだわったのが事件関係者から「山岸さんは横領計画を知っていた」という証言を引き出すこと。 そこで重点的に取り調べを受けたのが、この土地取引の実務を担っていた山岸さんの部下K氏(逮捕、起訴の後、裁判で有罪判決)だった。 K氏自身は横領計画を知りながら取引を進めていたが、「山岸さんには伝えていなかった」と、取り調べに対して答えていた。 ■「山岸さんには(横領計画を)伝えていなかった」と話すK氏に検事が強引な取り調べ 【田渕大輔 検事】「あなたは逮捕されてからきょうで5日目ですかね。根本的に何か発想が変わってなくないですか。自分のしたことは悪いことじゃないんだと。そう思ってないですかね」 【山岸さんの元部下K氏】「いや悪いことです」 K氏は逮捕前から密室で連日、任意での取り調べを受け、精神的にも肉体的にも疲弊していた。 そして、11日に公開された映像の前日には、大きな問題がある取り調べがあったことが、これまでの取材で明らかになっている。実際の映像を見た弁護団によると以下のような取り調べが行われていたのだ。 ■K氏のデスクから押収のメモ「山岸さんは関与していない」と社内で口裏合わせした際の証拠だと検察官が主張 K氏のデスクから押収したメモを「山岸さんは関与していない」と社内で口裏合わせした際の証拠だと主張 【田渕大輔 検事】「なんでこんなもの(K氏のデスクに残されていたメモ)があるの?いや知ってるでしょ。なんでこんなものがあるの?なんであるんですか?」 【山岸さんの元部下K氏】「社内の同僚に相談をしたからですね」 【田渕大輔 検事】「さっきしてないって言ったじゃん」 【山岸さんの元部下K氏】「はい」 【田渕大輔 検事】「で、なんであるの?なんで嘘ついたの?」 【K氏】「嘘っていうか同僚…」 K氏が言葉に詰まると、検事は右手を自分の顔のあたりまで振り上げ、振り下ろし手の平で机を1回たたき、言い放った。 【田渕大輔 検事】「嘘だろ!今のが嘘じゃなかったら何が嘘なんですか!」 検事は家宅捜索でK氏のデスクから押収したメモを「山岸さんは関与していない」と社内で口裏合わせした際の証拠だと主張。 ■「検察なめんなよ!命かけてるんだよ」「かけてる天秤の重さが違うんだ」 【田渕大輔 検事】「もうさ、あなた詰んでるんだから。もう起訴ですよ、あなた。っていうか有罪ですよ、確実に」「命かけてるんだよ!検察なめんなよ!命かけてるんだよ、私は」「かけてる天秤の重さが違うんだ、こっちは」 検察が立てた「山岸さん関与ありき」の見立て。 それに合わない話をするK氏を検事はおよそ50分間、一方的に攻め立て、15分間は大声で怒鳴り続けた。 そして、その翌日。公開された映像にKさんが追い詰められていく様子が記録されている。 ■「横領計画」を山岸さんに伝えていないとしたら「大罪人」だとK氏に迫る 【田渕大輔 検事】「あなたの場合、いきなり学校法人の貸付だっていう前提で話しているように聞こえるのね。それって普通の人がとる行為としておかしいでしょう。端からあなたは社長をだましにかかっていったってことになるんだけど、そんなことする?普通」 【山岸さんの元部下K氏】「しないですよね、普通は」 【田渕大輔 検事】「なんで、そんなことしたの。それ何か理由があります?それはもう自分の手柄が欲しいあまりですか。そうだとしたらあなたは、プレサンスの評判を貶めた大罪人ですよ」 検事は、仮に山岸さんに計画を伝えていないとしたら、事件を主導した「大罪人」だと迫る。 ■「会社の損害背負う覚悟はできてるのか」見立てに合わない話は徹底的に潰す 【田渕大輔 検事】「これ例えば会社から今回の風評被害とか受けて、会社が非常な営業損害を受けたとか、株価が下がったとかいうことを受けたとしたら、あなたはその損害を賠償できます?10億、20億じゃすまないですよね。それを背負う覚悟で今、話をしていますか」 【山岸さんの元部下K氏】「まぁ、背負えないですよね。それは」 【田渕大輔 検事】「背負えっこないよね。そんな話して大丈夫?だから、あなたの顔が穏やかになりきっていないって見えるんですよ。見えるんですよ。見てわかるんですよ」 事件でプレサンス社が被った損害をひとりで賠償できるのかと脅し、見立てに合わない話は徹底的に否定にかかる。 ■「悪い顔になってきているよ」 最終的に「山岸さんは横領計画を知っていた」と証言を変えたK氏 【田渕大輔 検事】「だんだん悪い顔になってきているよ」 【山岸さんの元部下K氏】「いや悪い顔じゃないです。本当に悪い顔で説明するつもりないです」 【田渕大輔 検事】「いやいやだって、おかしいじゃない。普通に考えて」 【山岸さんの元部下K氏】「じゃあ、もしかしたら私の勘違いだとしたら、すみません。ぼくはそういう風に自分では説明したと思い込んでいるのか」 【田渕大輔 検事】「どういうふうに」 【山岸さんの元部下K氏】「いや、その移転、移設するために学校に出してくれっていう話を自分がしたと思っているんで」 【田渕大輔 検事】「それはね、後からそういう形で説明したということにしようとしていただけなんじゃないの、みなさんが。山岸さんに対する説明はそういう体でやっていたんだってことにしていただけじゃないの」 【山岸さんの元部下K氏】「そこは本当に」 【田渕大輔 検事】「だって、スタートがやっぱりおかしいじゃない。どう考えてもおかしいですよ」 結局この後、Kさんは「山岸さんは横領計画を知っていた」と証言を変え、それが山岸さん逮捕の決め手になった。 ■無罪判決で強く非難された「検察の取り調べ」 まさにこの部分は無罪判決の中でこう指摘されている。 【大阪地裁 坂口裕俊 裁判長(当時)】「必要以上に強く責任を感じさせ、その責任を逃れようと真実とは異なる内容の供述に及ぶ強い動機を生じさせかねない」 検察の取り調べは、厳しく非難された。 ■「自白をとらないと評価されないというのが透けて見える。組織の構造的な問題」と弁護士 【山岸さんの主任弁護士・中村和洋 弁護士】「彼がなぜあそこまで尋常ではない取り調べをしたのか。何かこう焦って自白をとらないといけない。それがそうしないと評価されないというものが全体的に透けて見える。あれは個人の資質の問題ではなく、やっぱり組織の構造的な問題だと考えるのが自然」 ■「使った言葉に不穏当な言葉はあった」「(同じような取り調べは)まずしないと思う」と検事 11日、取り調べの映像が法廷で公開された後、実際に取り調べを行った田渕検事が法廷に呼ばれ、尋問を受けた。 【代理人弁護士】「K氏が真摯に向き合っていないから、そういう取り調べ(机をたたく、大声で怒鳴る)をしたんですか?」 【田渕大輔 検事】「言葉だけでは進まないと思い、挙動も混ぜたほうが誠実に向き合っていることが伝わると思ったので」 【代理人弁護士】「取り調べに反省すべきところはありましたか?」 【田渕大輔 検事】「使った言葉に不穏当な言葉はありました」 【代理人弁護士】「また同じような取り調べをしますか?」 【田渕大輔 検事】「まずしないと思う」 当時の取り調べに関して、「K氏が真摯に取り調べに向き合わなかったこと」を繰り返し理由にあげた一方で、一定の問題があったことを自ら認めた田渕検事。 また尋問を行った弁護士に対し、こんな発言も… 【田渕大輔 検事】「そんな怖い顔で聞かれても…」 【代理人弁護士】「怖い顔をしてないし、私とは距離もあるし、机もたたきませんよ」 ■無罪判決について「残念な判決」と検事 この発言の後、法廷に立った山岸さんは田渕検事に「K氏はあなたの取り調べを怖いと感じていたと思うか?」と聞いた。 【田渕大輔 検事】「K氏に聞かないと分からないが、私は少なくとも腹の座った方だと思っていました」 そして、一連の取り調べで得たK氏の供述は「信用できない」として山岸さんが無罪となったことについて田渕検事は「残念な判決。有罪維持に十分だと思っていた。K氏の信用性も否定されたので」と語った。 尋問は11日を含めて3日間に分けて行われ、当時捜査を主導していた主任検事も法廷に立つ予定だ。 ■「無罪を勝ち取ったとしても、その時点で人生が終わっちゃう。だから冤罪はダメ」 原告の山岸さんは、プレサンスコーポレーションの社長も辞任せざるを得なくなったが、今はまた新しい不動産会社を立ち上げ、新しい人生を前向きに歩んでいる。 山岸さんは、この裁判にかける思いについて「私は元気で、毎日幸せに仕事もしている、趣味もやって生きている。でもそんな人って珍しい。無罪を勝ち取ったとしても、その時点で人生終わっちゃう。だから冤罪ってだめなんですよ。私みたいな立場の人しかこんな活動はできないんではないかと思っています」と語った。 2度と冤罪を生まないために、検察はどうこの問題に向き合うのか。 その姿勢が試されている。 (関西テレビ記者 赤穂雄大)
【独自】「検察ナメんなよ!」見立てに合う『証言』強引に引き出す特捜部の実態 『取り調べ映像』入手 冤罪で会社を奪われた元社長「無罪を勝ち取っても、その時点で人生が終わっちゃう。冤罪はダメ」(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
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再始動する最遊記の展開予想
これから再始動する最遊記、修行編なのでそれぞれ新しいスキルを何か得られるんじゃないかなと思ってる。 三蔵はお師匠様’sと何かお揃いの技を得て烏哭とバ��って欲しいし、 妖怪の力と向き合わなきゃいけない悟浄は兄貴の件と絡めて紅孩児とバトって乗り越えて欲しい。 わくわく吠登城バトル!!
悟空は斉天大聖の人格と…どうなるんだろ? 最終的には悟空の人格に斉天大聖が身体を譲って統合する形になるのかな? そのまま・このまま・ありのまま、それが悟空だよって落ち着く気もする。 哪吒の件もあるし、チラッと闘神太子と絡めて焔一行が出てきてくれると嬉しい。
八戒は仲間を回復するために使ってる力を攻撃の方向に変換したりするんじゃないかなと思っている。 植物って実や葉っぱが食物や薬になったりするけど、土地の栄養を吸ってどんどん増えたり、折れたりしても再生するし。 相手から生気を吸って自分の力に変えるタイプの戦士になったり…しない?
三蔵を回復するための応急処置として悟浄から生気を吸い取る話が最初のころにあったんで、 女の子のところに遊びに行こうとする悟浄から生気を吸い取って無駄遣いを防ぐ八戒がエピローグとかおまけマンガに現れたりしそう。
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お彼岸のお墓参りへ行ってきました ♪
彼岸(ひがん)=極楽浄土(天国)です
此岸(しがん)=84,000個の欲望の世界です
悟りを開く 一週間(19~25日)です ♪
悟りとは 「差を取る」事で プラス・ナイナスを無くしてゼロ(0)にする考え方ですね ♪
私のyoutube (4,418本) も見てね ♪
お願いよ ♪


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「『勧誡初心抄(かんかいしょしんしょう)』(鎌倉時代・叡尊)「ある僧、死人に経を読む功徳を問う。師、石を池に投じて曰く『唱えれば浮かぶか』と。僧悟りて礼す」」この話の元になった仏教経典はなんですか?
「勧誡初心抄」(鎌倉時代・叡尊)に記載された「ある僧、死人に経を読む功徳を問う。師、石を池に投じて曰く『唱えれば浮かぶか』と。僧悟りて礼す」という話は、禅宗的な公案や説話のスタイルを思わせるエピソードですが、特定の仏教経典に直接基づくものとは特定されていません。この話は、叡尊の思想や律宗・真言律宗の教えを反映した独自の逸話と考えられます。以下に、背景と可能性を整理して説明します。
1. 話の概要と意味
この逸話は、死者に経を読む行為の功徳について問う僧に対し、叡尊が「石を池に投じて唱えれば浮かぶか」と返すことで、形式的な儀式や行為自体の功徳に頼るのではなく、真の理解や悟り、内面的な修行の重要性を示唆しています。禅宗の公案に似た、直接的で象徴的な問答を通じて、僧に自らの問いを再考させ、悟りに導くスタイルです。
鍵となる教え: 功徳は行為そのものではなく、心のあり方や悟りに依存する。死者のための読経も、単なる形式ではなく、修行者自身の真摯な心構えや理解が重要。
叡尊の思想: 叡尊は戒律復興と真言密教を重視し、形式主義的な仏教実践を批判する傾向がありました。この話は、表面的な儀式に囚われず、仏教��核心(悟りや慈悲)に立ち返ることを促すものと考えられます。
2. 元になった仏教経典の可能性
この話が特定の仏教経典に直接基づいているという明確な証拠は、現在の学術研究や文献では見つかっていません。ただし、以下のような経典や仏教の伝統が背景として関連している可能性があります:
禅宗の公案や説話集の影響 この話の形式(問答、象徴的な例え、悟りへの導き)は、禅宗の公案(例:『碧巌録』や『無門関』)や中国の禅僧の説話に似ています。たとえば、禅では「言葉や形式を超えた直観的な理解」を重視し、師が弟子に意外な質問や行動で悟りを促す例が多数あります。叡尊は真言律宗の僧ですが、鎌倉時代の仏教は禅や浄土教など他宗派の影響を受け合っており、こうしたスタイルを取り入れた可能性があります。
例: 『碧巌録』にある「趙州無字」の公案(「狗子に仏性はあるか」「無」と答える)のように、直接的な問いに逆説的な答えで本質を示す。
ただし、「石を池に投じる」という具体的なイメージは禅の公案集に明確な一致はなく、叡尊独自の創作か、当時の口承伝承の可能性が高い。
『梵網経』や律蔵(四分律)の影響 叡尊は『四分律』や『梵網経』を重視し、戒律の厳守と菩薩行(慈悲の実践)を説きました。この話は、形式的な読経よりも戒律に基づく真実の修行や慈悲の心を重視する彼の思想を反映している可能性があります。
『梵網経』: 菩薩戒を説き、慈悲と智慧に基づく行動の重要性を強調。死者への読経が功徳となるかどうかは、行為者の心構え(菩薩の精神)に依存するという解釈が可能。
『四分律』: 僧侶の行為規範を定め、儀式の形式よりも修行の目的(悟りと利他)を重視。叡尊は『四分律行事鈔』を学び、戒律復興に努めたため、この話はそうした背景から生まれた可能性がある。
『法華経』や『涅槃経』の間接的影響 鎌倉時代の仏教では『法華経』が広く信仰され、読経による功徳が説かれました。『法華経』には、経を唱えること自体に功徳があるとされる記述(例:普賢菩薩の勧め)がありますが、叡尊はこの逸話で「功徳は形式ではなく心にかかっている」と強調しているため、形式主義への批判として『法華経』の読経信仰を再解釈した可能性があります。
『涅槃経』: 死や生死の超越を扱い、悟りの重要性を説く。この経典の思想が、死者への読経の意義を問うこの話に間接的に影響した可能性も考えられる。
中国仏教の影響 叡尊の時代、宋代中国の禅や律宗の思想が日本に流入していました。中国の禅僧の説話や『高僧伝』などの伝記に、似たような問答形式のエピソードが見られます(例:唐代の禅僧・南泉普願が弟子に逆説的な問いで悟りを促す)。叡尊がこうした中国仏教の説話に触発されてこの話を作った可能性も考えられます。
3. 結論:特定の経典は不明、叡尊の創作の可能性が高い
現在の研究では、「勧誡初心抄」のこの逸話が特定の仏教経典に直接基づいているという証拠は見つかっていません。以下の理由から、叡尊が自身の戒律思想や真言律宗の教えを伝えるために創作した、または当時の口承伝承を基にした逸話と考えられます:
話の形式が禅の公案や中国仏教の問答に似ているが、具体的な一致はない。
叡尊の思想(戒律の重視、形式主義への批判、真言密教と慈悲の実践)が強く反映されている。
「石を池に投じる」という鮮やかなイメージは、経典よりも叡尊の直観的・教育的な表現として自然。
ただし、背景として以下が間接的に影響した可能性があります:
禅宗の公案(形式やスタイルの影響)。
『四分律』や『梵網経』(戒律と菩薩行の思想)。
『法華経』(読経の功徳観への批判的再解釈)。
4. 補足:叡尊と「勧誡初心抄」の背景
叡尊(1201~1290): 鎌倉中期の真言律宗の僧。西大寺を再興し、戒律復興と貧民救済に尽力。『四分律』を基に自誓受戒を行い、律宗を再興した。『勧誡初心抄』は彼の教えをまとめた著作の一つで、弟子や初心者向けに仏教の核心を説く。
鎌倉時代の仏教: 法然や親鸞の浄土教、日蓮の法華信仰、道元の禅など多様な仏教が興隆。叡尊は「旧仏教」の改革者として、戒律と慈悲を強調し、形式主義を批判した。
「死人に経を読む功徳」: 鎌倉時代、死者の供養や読経は広く行われたが、叡尊はこうした行為が形式に陥りがちな点を問題視し、真の修行を重視した。
5. さらなる調査の提案
一次資料の確認: 『勧誡初心抄』の原文(西大寺や奈良の図書館に所蔵の可能性)や、叡尊の他の著作(『感身学正記』『興正菩薩御教誡聴聞集』)に類似の話があるか調べると、背景が明確になる可能性があります。
中国仏教の説話集: 宋代の『景徳伝灯録』や『五灯会元』に似たエピソードがあるか調査すると、間接的な影響がわかるかもしれません。
学術研究: 松尾剛次や石田瑞麿の叡尊研究(例:『重源・叡尊・忍性 日本名僧論集』)にこの逸話の分析があるか確認すると、起源のヒントが得られる可能性があります。
最終回答
「勧誡初心抄」の「石を池に投じる」逸話は、特定のმოდ: 特定の仏教経典に直接基づくものではなく、叡尊が戒律思想や真言律宗の教えを伝えるために創作したか、当時の口承伝承を基にした逸話と考えられます。背景として、禅宗の公案、『四分律』、『梵網経』、または『法華経』**の思想が間接的に影響した可能性がありますが、明確な典拠は不明です。話の核心は、形式的な読経の功徳よりも、心のあり方や悟りの重要性を強調する叡尊の教えです。
もしこの逸話の原文や関連する叡尊の他の著作について詳しく調べたい場合、または禅の公案との比較を深掘りしたい場合、教えてく���さい!
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「釈迦(釈尊・ブッダ)が池に石を投げた」場面を含む仏教経典はありますか?
「釈迦(釈尊・ブッダ)が池に石を投げた」という具体的な場面を含む仏教経典は、現在のところ存在しないとされています。パーリ語経典(初期仏教)、大乗仏教経典(例:『法華経』『華厳経』)、または後期の密教経典など、主要な仏教経典や関連文献(『ジャータカ』や『高僧伝』など)の中に、このような特定のエピソードは記録されていません。以下に、調査の詳細と関連する背景を簡潔に説明します。
1. 調査の概要
パーリ語経典(初期仏教): 『スッタ・ピタカ』(経蔵)や『ヴィナヤ・ピタカ』(律蔵)には、釈迦が弟子に教えを説く多くのエピソードがありますが、「池に石を投げる」場面は見られません。たとえば、『中部経典』(Majjhima Nikāya)や『相応部経典』(Saṃyutta Nikāya)では、比喩や自然物を用いた教え(例:木の葉、川の流れ)はあるものの、石を池に投げる具体例はなし。
ジャータカ(本生譚): 釈迦の前世譚である『ジャータカ』には、自然や動物を題材にした物語が多いですが、池に石を投げるエピソードは確認されていません。
大乗経典: 『法華経』『涅槃経』『維摩経』などでは、釈迦が比喩や象徴的な行動で教えを説く場面がありますが、池と石のモチーフは見られません。たとえば、『法華経』の「薬草喩品」では植物を比喩に用いるが、石や池は出てこない。
禅宗文献や公案: 禅の公案(『碧巌録』『無門関』)や中国仏教の説話(『景徳伝灯録』)には、師が石や水を用いた象徴的な行動で弟子を導く話がありますが、釈迦自身が池に石を投げる話は存在しない。
日本の仏教文献: 質問の背景にある「勧誡初心抄」(叡尊)の逸話(「石を池に投じて曰く『唱えれば浮かぶか』」)は、釈迦ではなく叡尊(または彼が引用した師)の行動として描かれており、釈迦のエピソードとは直接関係がない。
2. 近いイメージのエピソード
「池に石を投げる」に類似する、自然物や水を用いた釈迦の教えはいくつか存在しますが、具体的な一致はありません。以下は関連する例:
『相応部経典』の「木の葉のたとえ」: 釈迦が森で木の葉を手に取り、「私の教える真理は手に持つ葉の数ほど、知っている真理は森の葉の数ほど」と説く(SN 56.31)。自然物を用いた比喩だが、池や石は登場しない。
『法華経』の「火宅喩」: 釈迦が燃える家から子を救う比喩を語るが、池や石とは無関係。
禅の公案の類似例: 中国禅の『碧巌録』に、僧が水や石を題材にした問答(例:洞山の「無情説法」)があるが、釈迦が石を投げる話ではない。
3. 「勧誡初心抄」との関連
質問の背景にある「勧誡初心抄」の逸話は、叡尊(真言律宗、鎌倉時代)が弟子に教えた話で、師(おそらく叡尊自身)が「石を池に投げる」行動を通じて、形式的な読経の功徳を問う僧に悟りを促しています。この話は釈迦の行動ではなく、叡尊の創作または当時の禅的・律宗的説話の影響を受けたものと考えられます。釈迦がこのような行動をしたという経典的根拠はなく、叡尊が禅の公案風の表現を用いた可能性が高いです。
4. 結論
「釈迦が池に石を投げた」場面を含む仏教経典は存在しません。パーリ語経典、大乗経典、ジャータカ��禅文献、日本の仏教文献(『勧誡初心抄』を含む)を調査しましたが、該当するエピソードは見つかりませんでした。「勧誡初心抄」の逸話は、釈迦ではなく叡尊の教えとして創作されたか、禅や律宗の説話に着想を得たものと考えられます。
5. 補足と提案
可能性のある間接的影響: 禅宗の公案(例:『碧巌録』の自然をモチーフにした問答)や中国仏教の説話(『高僧伝』)に、似たイメージのエピソードがあるかもしれないが、釈迦に帰するものはなし。叡尊が宋代中国の禅文化に影響を受けた可能性は考えられる。
さらなる調査: 『勧誡初心抄』の原文や、叡尊の他の著作(『感身学正記』)を詳細に分析すると、この逸話の由来(例:中国仏教の特定の説話)が明らかになる可能性があります。また、鎌倉時代の禅と律宗の交流を調べると、背景がより明確に。
文化的背景: 日本の仏教では、経典にない創作譚や寓話が僧の教えに用いられることがあり(例:日蓮や道元の説話)、この逸話もその一例と考えられる。
もし「勧誡初心抄」のこの話の由来や、禅の公案との比較、または他の仏教説話との関連をさらに深掘りしたい場合、具体的な方向性を教えてください!また、釈迦のエピソードに限定せず、「石や池」を用いた仏教の寓話全般を調べることも可能です。
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--深海人形-- 賢い老人は、愚かな若者に勝り、愚かな老人は、此の世で最も要らない重荷である。
※閲覧&キャラ崩壊注意
※ショタリョナ・男リョナ他過激ネタ注意
※後半クロスオーバーネタ注意
※名指しでの誹謗中傷、各所での晒し行為、不自然な迄に頻繁な通報行為、その他サイバー加害行為等の、余りに嫌がらせが酷い場合は、人権擁護団体か弁護士に相談します。場合によっては、開示請求及び提訴するかもしれません。
政府「此れから、75歳以上の皆様は医療費3割負担です!!(※例の奴採決済)」
年寄り「キシャァァァアアアアアア!!!!!!!老人差別!!!!!!!!!(※許さんぞ政府!!!!!!!!!!!!!)。」
政府「老兵は去るのみと言う言葉知ってますか?()。」
…。
97のニューフェイスチームエンディング見たら彼等の(特にシェル美さん)の印象変わる(※180度完全に)。そして、無論、参考にしてる(※見てない人は是非見て欲しい)。
彼等は一見軽そうに見えるけど、決して其うでは無いんだなって言う事が分かる(※此処等辺はネスツ編並に重い)。
…。
サイキックフォース 2012は、全体的に精神に堪える。対ウィンディ戦後にエミリオが言う「…うっ……頭が……。」とか対マイト戦勝利後のパティの「マイト……。」が一番精神に堪える。だけど故に好き(※色々と常軌を���脱してる名作だし)。
…。
サムスピシリーズで色々働いて下さる黒子サンの特技は、『死者蘇生(王大人と同じ)』で、此の点は、サムスピも男塾も同じですね。じゃ、断末奥義も絶命奥義(※特に羅刹丸婆娑羅外道水邪の)も喰らわせ放題じゃん(※大歓喜)。
同じ事前にも言った(※様な気がする)けど、そーけつとふーけつと館主様に『臓腑抉り』、『獄門』喰らわせたいです(※絶命⭐︎勝利)。
…。
ウォーザードのムクロにも、羅刹丸と同じ演出あったのに、全然問題にならなかった所は……ウォーザードのマイナーさを物語ってますよね()。
…。
前何処かで書いたけど動物連れてる人達が絶命奥義食らったり斬殺された後にちゃんぷる、ままはは、ぱぴぃが「…みな、みなぁ〜!!」みたいに泣いて縋ったり、吠えたり、遠吠えしたりと主人達の嘆き悲しむ演出がとてもsnkらしくて細かくて良い(※天サムでそうげつがかづきを斬殺した時の勝利デモも途方も無く悲愴感が漂って居て大好き)。
…。
ガソダムシリーズのパイロット達でセイヴァーか零SPみたいなゲー出して欲しい(※モーコンとかサムスピ好きな海外勢は、こぞって、かつて無い程に群がって買うから)。
…。
炎邪たその絶命奥義はね、炎邪たそらしい純粋な『パワーッ!!!』みたいな演出で良い。好き。同じく、水邪様の絶命奥義もですね、今迄笑い者にしてたけど、あの絶命奥義見た途端、一気に「如何か御許下さい(※すみませんでした)。」…と息を呑んで、掌返しした位に好き(※其れ位、正に、神憑った技)。
…。
反応しないのも歴とした一種の反応です。…と言う訳で、絶命奥義 獄門か炎邪たそか水邪様の奴行きます(※何れも検索厳禁)。
…。
ガソダムシリーズ式究極神拳・Fatality(※=絶命奥義)一覧
ビームサーベルで焼いて消し炭にする
MSの手で人間を握り潰す
某フレッシュトマト味の様に「やめなさい!」と潰す
コックピットに物理攻撃を直撃させてミンチより酷い状態にする
コロニーレーザーで焼く
サイクロプスでレンチンする
……未だある(※滅茶苦茶ある)。
…。
MSの手で人間潰す奴は、ダム版絶命奥義 獄門(※単語検索禁止)出来るよな(※…でも、其れって→えゔぁのかおる君)。
…。
FINISH HIM!
……ビームサーベルで焼かれて消し炭にされたり、ミンチよりひでぇ最期を迎えたり、MSの手で獄門みたいに握り潰されたり、トマトみたいに「やめなさい!(虫を潰す感じで)。」で潰れる矢鱈思想の強い少佐(※実質大尉)と野獣大尉良い……(究極神拳)。
…其う考えると、零SPの方には潰す系の絶命は、リムのしか無いよな(※…まぁ、腐っても、侍剣戟対戦だし……)。
…。
脱衣KOとアルティメットKOとミッドナイトブリスが実装されると思ったら〜〜〜〜(※実際に実装されたのは)自決と断末奥義と絶命奥義でした〜〜〜〜(※チキショーーー!!!!!!)。
…。
敢えて自決ネタを出したのは、既にサムスピの一部ゲームに組み込まれて居るシステムだからです。
なので同じく一部ゲームに実装されて居る断末奥義と絶命奥義のネタも、いずれはもっと出します(※嫌なら逃げて下さい)。
ワイ(+拙作)の場合、誰も見てない前提だから、御嬢様が幸せ投げしたり、リョナ、ショタリョナ、男リョナしたり、武神流忍者をキョーヤジポジにしたり、ソロモンの悪夢とか野獣大尉を拳銃自決させたりするサムスピ由来の自決ネタだのを平気で出せる(※…したい放題、やりたい放題、好き放題)。
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※以下、クロスオーバー注意
ジェノサイドカッター使えるだけで木星帰りが、ルガと同じ趣味:自爆おじさんになるなら、ガイガーも趣味:自爆おじさんになるであろう(※…実際、自爆出来るだけの科学力はあるし…)。
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此のレルムちほーでもシロッコの所為でブルコス思想が蔓延したら面白いな(※他のコーディネーター来れなくなるね苦笑)。
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種運命(種自由)のデストロイ数機がレルムを荒らす展開の構想あった(実際種運命と種自由作中でブルコスの手先として、本機はベルリンとオルドリンを焦土に変えた)。
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※Zガソダム×ファンタジーストライク・YOMI(Mobile suits Z Gandam +Fantasy Strike and YOMI series)。
※シロッコ、ガイガーに遺伝子組み換え人間差別(?)と復讐・報復されるの巻。
※シロッコ(ヤツ)を倒す!蒼き清浄なるレルム(世界)の為に!(※頭ブルコス並感)。
※シロッコ=デザイナーベイビー(SEEDで言うコーディネーター)説採用
※リンチ・絞首刑・男リョナ注意
*Male Ryona Caution (*Mr. Geiger suffers a terrible fate due to a certain legendary supernewtype)。
※英語版あり
※元ネタ:クロス アンジュ 第10話の絞首刑シーン
其の日、モーニングスターサンクチュアリでは会議が行われて居た。
「奴が血統改造(=遺伝子組み換え人間)である事を暴露する。此れで奴の地位は失墜せざるを得ない。」
其んなガイガーの姿を見兼ねたルークが言う。
「其んな事をして何になる?」
「此の世界の未来と科学の為になりますよ。」
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場所は、フラグストン市の大広場。其の日の大広場は、まるで興行の様に、絞首刑台が用意されて居る。
「何の見世物だろう?」
其れが気になった市民は、野次馬根性丸出しに興味津々で絞首刑台の周りに集まって来る。
其処には、----ガイガーによって、モーニングスターサンクチュアリで作られたロボットによって----捕獲された後、瀕死になる迄リンチされたシロッコが居た。彼は、血塗れで泥塗れだった。
「済まない。本当はギロチンにしたかったのだが、器具が無くてな。」
…此のガイガーの発言で、ザンスカール帝国の事を思い出した読者も居られるだろう。…では、さて。
ガイガーは、『遺伝子組み換え(コーディネーター)差別』を、レルムのクンタラ差別にでもしようとしてる居るのだろうか?
現時点でボロボロに傷め付けられたシロッコを足で激しく踏み躙ってから、ガイガーは此う喧伝する。
因みに、シロッコの手と足は、ガイガー謹製の金属製手錠によって後ろ手に縛られており、身動きが取れない。
「先天的な遺伝を操作して生まれた存在は明らかに自然に反して居り、不自然だ!そして、其の遺伝を改造して得た才能等、只の卑怯では無いか!」
コズミック・イラのコーディネーター達からしても、此の発言は許せないだろう。ブルーコスモスとか言う連中に、毎分毎秒単位で、此の様なヘイトスピーチをされ続けて居るのだから……。
やがて、其れを聞いたシロッコが反論する。
「何が不自然な存在だ!時を捻じ曲げる方が、自然に反して居るでは無いか!」
だが、相手は其の反論を踏み躙る。何度も何度も臀部と顔面と腹を蹴りながら。
「お前の存在自体の自然への反し様と比べれば、其れは、途方も無く些細な物だ!」
真面目にガイガーが、遺伝子組み換え人間の危険性を懸念する一方、民衆は民衆で騒ぎ出す。何とも、ワクワクと楽しそうに。
「其奴をさっさと、吊るして欲しいんだけど。」
「何で其んなに、前振り長いの!焦らすなよ!早く吊るしなよ!!早く!早く!あの美形の死に様が見たい!」
「つ・る・せ」
「つ・る・せ」
「つ・る・せ」
「つ・る・せ」
其処で、其の民衆の『大声援』を聞き、気を取り直したガイガーが言う。
「聞いてるか?パプティマス、…何とも良い声援だろう?」
「……外道が。」
…………沢山の女性を含めた民衆による「吊るせ」の大合唱、シロッコは其の群衆を悲しみと怒りの眼で見て居た。
…多分、彼等は、血統改造--遺伝子組み換え人間とかの話を理解しておらず、ただ単にその場ノリでやっている。其う言う処刑を見世物として見るのが愉快で。
其の様子を、民衆がウキウキとして、此の自分の処刑を楽しみにしていると言う現状を、シロッコは只管、絶望の顔で見る。
(…ガイガー、君が此処迄の鬼畜生になったのは、矢張り、私の所為だろうな……。)
シロッコの何処か悟りを得た様な表情。…そして、最後の最後に血と泥に塗れたシロッコを吊るそうとする。
…。
それより少し前、フラグストンの内閣では、此の様な緊急会議が行われて居た。
「彼奴を見殺しにしてはならぬ!」
「ですが、将軍、内部抗争と膨れ上がる研究費予算と女性の権利が如何とかみたいな女性関連の問題が絶えないのは、全て、あの問題児----パプティマス氏の所為でしたよ。実際の所、ガイガー氏も、あの人がガイガー氏より優秀で沢山功績を上げるものだから、其の所為でガイガー氏は出奔してレジスタンスになりましたし。…然し、モーニングスターサンクチュアリも中々粋な事をやりますね。あの人がああして、処刑されれば、又、平和なフラグストンが帰って来ます。」
「御主に人の心はあるのか?」
そして、クインスが最後に会議を締め括る。
「良いでしょう。皆さん。我々で助けましょう。」
「正気か?」
「…ええ、私は正気です。」
----此処で、シロッコに、恩を、売る!利用しない手は無い!此うして、反現体制の人間やら異種族やらに迫害される『血統(遺伝子)組み換え人間(シロッコ)』を肯定する事で、元々から良いイメージの、我が政権のイメージを更に良くする!!
かくして、クインスと救助部隊は動き出した。
…。
「さぁ、潔く死んで貰おうか。」
…其処で、シロッコが淡々と言う。
「…良いのか?…私を殺したら、後悔するぞ。」
「貴様の辞世の句は其の程度か?我が生涯に一片も悔い等無い。では、嬉々として、君には死んで貰う。」
其う言いながら、ガイガーは自らの手で、シロッコの首にロープを掛けた。
----サラ、ごめん。もっと、未だ、生き延びられると思って居たのにな……。本当に御免…。
其の時、シロッコに奇跡的な助けが入った。絞首刑のロープに、シロッコの首が掛けられた瞬間、其のロープは何処かの忍者が勢い良く投げたくないによって斬られたのだ。其れから、広場の前で徒に群れる民衆達を押しのけて、兵士達が雪崩込む。
其うして、シロッコを政権ぐるみで救出させた後、--矢張り、時間停止で逃げたのであろう--ガイガーを捕縛し損なったが、絞首刑台を薙倒した後に、クインスは堂々と----実に派手に----演説を初める。
「優れた者に、天然も血統改造も関係無いであろう。優れた者は優れた者なのだ。例え、彼等にドラゴンや神聖な気高き幻獣達の血が入って居ようが、我がフラグストンは、其の者達を重用する!!」
…然し、其の様な、輝かしくて歴史の第一歩に残るスピーチが目の前でされて居るのにも関わらず、シロッコは極限迄疲れ果てて居り、其れを、ボーッして、虚ろな目で見るだけだった。
…。
後日、フラグストンの内閣内で、此の決定が為された。
「我々は、モーニングスターサンクチュアリを、都市国家テロリストとして指名手配する!」
……カラバ、デラーズ フリート、ネオ・ジオン、袖付き、クライン派、海賊部隊、クロスボーン バンガード、ソレスタル ビーイング……、
機動戦士シリーズには、星の数程の賊、テロリスト、レジスタンス、傍迷惑な軍事組織が居る。カラバ、海賊部隊、クライン派、ソレスタル・ビーイングに至っては、各作中に置いて、味方側の存在である。
いずれにせよ、彼等も其の『先人達』に並ぶ輝かしい歴史と活躍を残して行くであろう。
…。
※元ネタ:Zガソダム 最終話
シロッコ「貴様の様なのが居るから、戦いは終わらない! 消えろ!」
ガイガー「私をテロリズムに駆り立てたのは貴様だ!そんな事が言えるのか?!」
「パプティマス!貴様は私の……!」
私の……全てを奪った!
…。
長くなったので英語版のリンク貼る
…。
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