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アイスコーヒー
普段コーヒーといえば主にホットを飲むのだけれど、夏が近づいてくるとやはりアイスも飲みたくなってくる。
そこで、アイスコーヒーの作り��を検索してみると、氷の上にドリッパーを置いてコーヒーを入れる、というやり方がよく出てくる。で、その通りにやってみるのだが、どうもうまくできないのだ。
薄すぎたり濃すぎたり。温度も微妙で美味しくないのだ。というわけで、夏場は出来合いを購入してくることが多い。というか、ほとんどだ。
そんなとある日。
珈琲豆を買いに出向いた店で、アイスコーヒーがうまく作れない、ということをぽろっと言ってしまった。
氷の上に入れますよね、と調べたやり方を言ってみる。と、普通に入れて冷やしてもいっしょですよ。と店の人。
どうやら、直ぐに飲むのんじゃなければ普通に入れても一緒らしい。これは目から鱗。そりゃ、直ぐに飲みたいとは思うけれど、作って冷やしておけばわざわざ氷を出してきて作るより早いじゃないか。
というわけで、この夏は多い目に作ったコーヒーを冷やしておくことにした。飲むときに氷や牛乳を入れるとこを考慮して、少し濃いめに。
とりあえずマグカップ三、四杯ほどを作って冷やしておいた。
あっという間になくなった。
家にはコーヒーメーカーがないから、毎回豆を挽いてドリップする必要がある。我が家の住人はものぐさばかりで、よっぽどでないと自分では作らない。なので、僕が淹れるときに一緒に皆の分を入れたりするのが常だ。普段からその程度しか飲まない。と思っていた。
だが、冷蔵庫にできたものがあると判ったとたん、湯水のように飲んでしまい、いざ僕が飲もうとしたらすでにないという事態に。
なんとなくこうなることはわかっていたのだが、さすがに一瞬過ぎるだろうと。
ふむ。もう一度作るしかあるまい。
カリカリと豆を挽いて、一度にドリップするのも限度があるから、三杯分づつ二回、計六杯分を作る。
蒸らしたあとにそろそろとお湯を注ぐと、コーヒーの粉部分がふんわりと盛り上がって美味しくなる気配がする。少し濃いめにするのも忘れずに、粉を心持ち多めに入れた。
このまま熱々のを飲みたい気もするが、これはアイス用。我慢して冷えるのを待つ。常温まで冷えたら冷蔵庫へ。
明日はこれに牛乳をたっぷり入れたカフェオレを飲もう。いつもはみそ汁とごはんという和風朝食何だけど、明日は休日でもあることだしシナモンたっぷりのフレンチトーストなんてどうだろうか。
どうせブランチになるんだから、食パンを使ったガレッドもどきいしてもいい。おしゃれにベビーリーフなんかのせちゃったりして。ポーチドエッグやカリカリベーコンも外せ��いな。
いやはや、楽しみ楽しみ。
これはそう、一人分しか作らない……からね。
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読書
普段三、四冊の本を同時進行で読んでいる。隙間に読む本。外出中に読む本。朝に読む本。夜、布団の中で読む本。大体こんな感じだ。
隙間に読む本は、一つの話が短いのと、中断してもすんなり続きを読める本。それから、あまり頭を使わない本。エッセイが多い。一応言っておくが、エッセイが頭のいらない簡単な内容ばかりだというわけじゃない。自分にとっては力まず読めるというだけのこと。例えば、タレントのエッセイ集だとか、対談集だとか。最近だと、石田ゆり子氏のエッセイというか猫日記と言えばいいのか「ハニオ日記」全三巻が写真もたくさん載っていて、面白いし可愛い一冊、いや三冊か、だった。
外出中に読む本。外出中というのは電車の中とか、誰かを待っているときとか。ある程度時間が取れるので、軽めの小説を主に読む。設定やら人間関係、話が入り組んでいるような物語はじっくり読みたいから、というかじっくり読まないと頭に入らないので、そういうのはパス。ライトノベルなんかが多い。それから、文庫本に限る。昔は大きな本も持ち歩いていたけれど、今はあまり大きなカバンを持ち歩かないし、何しろ重い。
ついこの間読み終わったのが「勝手にふるえてろ」。これは映画にもなっていたので気になっていた。映画はまだ観ていないんだけど。文字が大きくて読みやすかった。デビュー作以来の綿矢りさ氏の本。
朝に読むのは、小難しい本。頭がすっきりしているときに読む。ここ最近では「存在しない女たち��とか「戦争のプロパガンダ10の法則」なんてのを読んでいた。
小難しい本は、集中力が続かなくて中々読み進められない。いや、小難しい本に限らず、もともと集中力がないのだ。以前読んだ本に、人間の集中力はせいぜい十五分と書いていた気がするから、十五分ぐらいは何とかと思ってはいるものの、時にはそれぐらいも持たないのだ。悲しいことに。
読みながら他の事を考えてしまうこともあるから、とんと進まない。読むだけならもっと早く読めるんだろうが、内容を理解しながらとなると、他のことを考えてしまっていたところは当然何も頭に入っていないので、読み返す羽目になる。なので、集中力が途切れるとさっと別の事をするようにしている。なので、進みが遅い。
夜に読む本は、大体小説。途中で寝てしまっても、大体把握できるから。ここ数日「カンパネルラ版銀河鉄道の夜」を読んでいる。これって、「銀河鉄道の夜」の二次創作だよなぁ、なんて思いながら読んでいる。実に面白い。
そんな感じで読み進める、日々の読書。
ひと月の四冊読めるといいけれど、そうそう予定通りにいくわけもなく、常に増殖している積読本を読み終えることが出来るのかが最近の心配ごとの一つだ。
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先日、本屋で見かけた一冊。
ピアノを弾く女の人を見て、ふとある人が頭に浮かんだ。最近気に入って観ているTV番組のコメンテーターの一人。
モジャモジャ頭で、何をしているのかわからない人。
名前は全然覚えていなかったのだけれど、絵を見た瞬間思った。
これはあの人では?
ササッと手持ちのスマホで調べて見ると、あの人=稲垣えみ子氏だった。一瞬でわかるというか、わからせてしまう絵が凄い。とはいえ、TV出ていてモジャの女の人はこの人と元なでしこの荒川選手しか知らんのだけど。
で、親しみやすい風貌で、TVで見る限り面白い人だ。朝日新聞社に勤めていたということで、きっと文章も上手いに決まっている。
そして帯は恩田陸氏と清水ミチコ氏だ。「実は老後の話でもピアノの話でもない」という恩田氏。題名は「老後とピアノ」なのに。
これは読まないわけにはいかない。
こうやって積読本が増えていく。決して買って満足しているわけじゃない。買った本は全部読むつもりだ。ただ、読むより買うスピードの方が断然早いというだけで。
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ほぐし屋
数か月前、散歩コースの一つにほぐし屋さんが出来ていた。三十分三千円の小さな看板が立ててあり、ジャージを着たおじさんが店の前で腕を組んで立っている。
店構えはというと、全面ガラス張りというか、ガラスの引き戸になっていて中が丸見えである。外から様子を見るに、店は八畳から十畳ぐらいで真ん中にぽつんとベッドが置いてある。ベッドの置いてある場所は、一段あがって板張りになっていた。
店��で腕組みをして立っているおじさんは強面で少々、いやかなり入りづらい上に、寝転んで他人に身を預ける場としてはあまりにもオープン過ぎる空間に、客など来るのだろうか。前を通るたびにそう思い、店の方に視線を向けてしまう。
いつ通っても、おじさんは店の前で立っているし、客はいない。これはもはや客を取る気がないのでは。というか、何かのカムフラージュではなかろうか、とまで思うようになってしまった。
その妄想は膨れ上がる一方で、彼はこの場所から何かを見張っている、もしくは現れるのを待っているのではなかろうか。
そんなことを思ってしまうので、やはり前を通ると見てしまうのだ。そして、おじさんが立っていることと、客がいないことを確認する。
毎日その前を通っていたわけではないけれど、週に二、三度時間はバラバラだが通っていて、やはり客はいない。これはもしや、一銭も儲かっていないのではあるまいか。
かといって、別に知り合いでもないから助言も出来ないし(助言するほどの案も持っていないが)自らチャレンジする気にもならないが、誰か行ったならその話はぜひ聞きたい。などと勝手なことを考えていた。
そして少し前からシャッターが開いていないのに気づく。で、先日、とうとう不動産屋の看板がシャッターに張り付けられていた。
そう、あの店は閉店したのである。あっという間の出来事ではあったが、客が来ていないのだから当然と言えば当然の結果なのだ。
あれはそう、彼はミッションを終え撤収したのだ。そしてまた別のどこかで、ジャージを着たほぐし師として何かのミッションを遂行しているのかもしれない。
腕はいいが無骨でコミショウぎみで、店は出しているものの客が来ては困ると常々考えていたのではないだろうか。なのに、ちょっかいを出してくる男もしくは女がいて厄介だなと思う。そして彼彼女は捜査の対象人物だったりするのである。
コメディかもしれないし、アクション、ミステリーかもしれない。ラブかもしれない。個人的にはラブコメだったら面白そうだと考えている。
ぐいぐい押してくる彼彼女に戸惑いながら、離れがたい関係になっていくという……。
これで一本書けるんじゃないか?なんて思ってくる。
本当のことはわからない。だけど実際のところ、営業が全くできないおじさんが安易にほぐし屋を開業したけど客が来なくて閉業したってことだろう。だけど、しょうもない妄想でもしていると楽しいじゃないか。お金のいらない娯楽だ。
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また、衝動買いをしてしまった。
先日、高橋源一郎著の「これは、アレだな」という本を読んだ。
普段からいろんなことを知っていると、あらゆること、映画とか小説だとかが二倍も三倍も面白いということは知っていた。とはいえ、なかなか雑学を(雑学と言ってしまっていいものか迷うが)仕入れる時間が取れない上にもともとの怠け者気質も相まって、知識欲はあるくせに知識が増えない。
この本を読んで、やっぱり物知りの方が断然得だよなぁと改めて思った次第。
後からこれはこの作品のパロディーだよとかリスペクト作品だよとか、ようは「これはアレだよ」と教えてもらうのは、それはそれで「へぇ~」だとか「ほぅ」だとか思ってそれなりに楽しいんだけれど、出来るなら「これは、アレだな」と自分で気づいて、やっぱりそうかそうだよね、って思う方が断然面白いと思うんだ。
こういう本を読むと、物知りになりたいって強く思う。まずは怠け者体質を直さないと。
と、それはさておき。
今日はちょっとお誘いを受けて、牡蠣のコースを食べに行ったんだけれど、久しぶりの遠出で食後も街中をぶらりぶらりしていた。とあるビルの地下にある、少々高級な店が並ぶフロアーでとある本を見つけた。
本屋さんではなくメインが高級文具でその一角に本を少し置いてあり、その中に並んでいた。
幸田文著「台所のおと」。
冒頭に書いた「これは、アレだな」に紹介されていた本だ。よしもとばなな著「キッチン」も絡めて、いつから台所はキッチンになったのだろうというところで。
なんというめぐりあわせだろう。本を読んだ時はあまり気にはならなかったのだけど、こんなにすぐに目にしてしまうと、これはほれ、「読みなさいよ」ということではないだろうか。
というわけで、買ってしまった。
積読本もまだまだ把握できないぐらい残っているというのに。それ以前にもう足の踏み間もないほど置き場に困っているのに……。
他のものを衝動買いすることはあまりないけど、書物に関してはなかなかやめられないのである。
ちなみに、牡蠣尽くしのランチは大粒の牡蠣が、生だったり焼きだったりフライだったりといろんな調理法で八個あった。あと、メインのリゾットに小粒だけれど二個添えて合って、それで三千円のなんともお得なメニューだった。
そして美味しい。
美味しさの余韻に浸っている場合じゃなく、読まねば。
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「シド&ナンシー」の文字を見て知人を思い出した件。
先日テレビ欄を観ていたら「シド&ナンシー」という文字が目に入った。
懐かしい。
公開されたとき、知人と観に行った映画だ。とはいえ、シドもナンシーも、そしてセックスピストルズのセの字も知らなかった。誘われた記憶もないのだが、たぶん空いた時間に映画行くんだっていう彼に、じゃぁ一緒に行こうかな、と暇だった僕が勝手について行ったのだと思う。
映画の内容はといえば、「セックスピストルズ」というバンドのベーシスト、シドとその恋人の破滅的な愛の話だ。解説を読むとシドは21歳で世を去ったと書いてある。外国の人は日本人に比べると大人びて見えるから、若くして亡くなったというのは知ってはいたが、まさか21歳だったとは、今になって驚いた。
物語の内容はあまり覚えていないけれど、ナンシーに出会えなかったならこんなことにはならなかったのではと思っていた。心配してくれる仲間の言葉にも耳を貸さずひたすら落ちていく二人が、とても痛々しかったのを覚えている。
今、あらすじをラストまで詳しく読んでみると、全く何も考えずただただ落ちていったのではないというのがわかる。お互いにこのままじゃだめだと抜け出す行動に出てはいるのに、ボタンを掛け違ったみたいにちぐはぐで、もしもうまくボタンをかけられていたなら、今もシドは生きていたんじゃないだろうかと悲しくなった。
この映画は大きな劇場じゃなく小劇場で短い期間しかやっていなくて、知人はパンクファン。そういえば服装もパンクだった気がする。かなり抑えめだったけれど。
バッドエンドの映画は嫌いだ、などと思いつつ映画館を出ると、さっきの画面から抜け出してきたのかと思うほどパンクな人たちがわしゃわしゃと狭い階段にひしめき合っていた。映画館は古い建物の二階だったか三階だったか思い出せないが、狭い階段を上ったところにあったのだ。
入るときには全く気付かなかったし暗くてわからなかったのだけど、いつの間にかパンクファンであふれていたのだった。服装もさることながら髪もツンツンで唇や鼻にピヤスがり、笑える映画じゃないこともあってか皆しかめっつらをしていた。少し、いやかなり怖かった。
ジーンズにジャケットというパンクからほど遠い服装の僕は、どう考えても場違いでそそくさとその場を離れたのだった。
一緒にいった彼とはその後どんな話をしたのかは思い出せない。たぶん何も話さなかったんじゃないかなと思う。映画については。
そういえば彼はどうしているだろうか。ひょろりとした体つきは変わらずだろうか。時々、髪をツンツンさせていた彼。仕事はキチンとするし仲間にやさしくもあった彼だけど、コンビニなどに置いてある傘置きから平気で傘を持ってくるような、倫理感がちょっとおかしいところがあった彼。
「知り合いのはとらないよ」
やんわり注意したとき、そういった。どういう環境で育つとそういう考えになるのか、今となっては聞けないが仲間でいるうちは頼りになる人でもあったのだ。
もう何年、いや何十年もあっていないし連絡もない。最期に連絡を取った時に、小説を書いていると言っていたから、今頃どこかに彼の本が並んでいるのかもしれない。
さて、「シド&ナンシー」は観ようかどうしようか。
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高級食パン
近所のスーパーのパン屋が撤退し、そのスペースを使って週替わりでいろんな店が出張してきている。主にパン屋さん。それもここ数年はやっている高級食パン屋さんだ。
我が家でパンを食べるというと主に朝ごはんなのだが、朝ごはんの時間は皆バラバラだから勝手にあるものを食べるということになっている。真希の朝は基本シリアルで、果物とコーヒーをよく一緒に食べている。
舜は朝に何かを食べているところを見たことがない。たまに眠そうにコーヒーをすすっているのを見るぐらいだ。
僕はというと、朝はキチンと食べるようにしている。のだけれど、基本ご飯とみそ汁である。というか、前日の残り物が大半だけど。
そういうわけで、あまりパンを買う機会がないのだが、全く買わないわけでもない。
高級ならば高級なりの美味しさなんだろうと、テレビでも美味しいと紹介されているし。そして高級なので高級なのでお高いのである。普段買っている食パンが二百円足らずなのに対し、この食パンは一斤四百円余りする。
どうしたもの��と思っていたら、珍しく一緒に買い物に来ていた真希が、買ってみようというので買ってみた。一斤サイズが売り切れで一本、一斤の倍のサイズを買う羽目になってしまった。
次の日さっそく食べてみる。焼かずに少しと焼いてから少し。
普段食べなれていないせいか、美味しいと言えば美味しいが、普段の食パンと比べて値段なりに美味しいかと問われると、う~むとうなってしまう。残念ながら、あまり上等な舌を持ち合わせていない。
食パンは焼いて食べる方が好きで、サクサクとした触感がいいなと思っているから、このしっとりしたパンは好みに合わなかった、ということにしておこう。
買うと言った本人は、いつものごとくシリアルを頬張っているので感想は聞けなかった。とはいえ、めずらしく家人がみんな昼食時に家にいるということで、ランチはこの食パンを使ってサンドイッチを作ろう。
三人分のサンドイッチを作ってもまだ余りそうだけど、それはそれでフレンチトーストにでもしようと思う。
余談だけれど、ここ数年目にするこの手の高級食パンのお店なんだけど、基本食パンだけ一斤単位ぐらいで売っている。店に入ったことはないんだけど、買っていく人を見ていると、塊を袋に入れてもらってそのまま持ち帰っている。食べるときは当然切り分けるんだよね。
毎日食パンを自分で切り分けている人なら簡単に切り分けられるかもしれないけど、滅多にそういうことをしない僕は、全くきれいに切れない。
慎重に、慎重にゆっくりと切っているにも関わらず、斜めになってしまう。キリはじめとキリ終わりとでは太さが違うのだ。
食べれば同じと言えばそれまでだけど、それでは我が家のパン焼き機には入らないのだった。
あの手のお店は切り分けるサービスをしてもいいと思う。
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散歩の話をしたかったのだが。
年末より健康のために小一時間程度の散歩をしている。何年か前に歩いていたころはただ歩くだけだったんだけれど、今回は音楽を聴いたり動画を観たりしながら歩いている。まあ、動画は観ているわけじゃなく聞いているだけなんだけど。
音楽は適当に流行りの歌をランダムに流しているのだけれど、リズムよく歩くにはいい。基本スローテンポの曲が好きなんだけど、歩くときはアップテンポのほうが運動という観点からはいいように思う。ので、そうしている。
動画の時は、主に高橋源一郎氏の「飛ぶ教室」と山田五郎氏の「大人の教養講座」の中の美術ミステリー。
「飛ぶ教室」は、前半は高橋氏の本の紹介、後半はゲストとの対対話とういう構成。高橋氏の説明がうますぎて、どの本も読みたくなってしまう。とはいえ、手持ちの積読本が多すぎてなかなか探してまで手に入れるまではいかないのだけど。
後半のゲストの話は、そのゲストによって面白さは違うんだけど概ね面白い。ここ最近だと宇宙ライターの林公代氏の話がおもしろかったね。著書もぜひ読んでみたい。あとちょいちょい出演されるフレイディみかこ氏とヤマザキマリ氏と伊藤比呂美氏の回は間違いなく面白い。
「美術ミステリー」はアシスタントの女の子が持ってきた絵を観ながら解説とか作者の雑学やら関連する絵や画家、当時の流行りやら時代の流れやらを面白可笑しく話してくれる。語り方もあるだろうけれど、学校では教えくれないような話が盛りだくさんで、とても興味深い。そして面白い。歩きながら頬が緩むぐらい。
それで最近美術史がとっても気になる。歴史といえば、去年から「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」を読んでいて、日本史、特に幕末以降あたりをキチンと勉強したいなと思っている。なおかつ、先日映画「キングスマン ファースト・エージェント」を観てから西洋史も詳しく知りたいと。歴史に詳しかったら、数倍面白かったんじゃなかろうかと思うから。
物知りのほうが絶対人生楽しい、と改めて思う年始めである。
さっき積読本が多すぎて、高橋氏推薦の本に手が出せないと言ったけれど、読んでおきたい本はいつ読めるかなんて考えず買っておいた方がいいとは思っている。というわけで、散歩の途中で寄った本屋で「攻殻機動隊論」なる本を衝動買いしてしまった。今年も読むのが追いつかない一年になりそうだ。
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哲学の本
哲学書が好きだ。昔から何冊か読んでいるし積読本の中にもいっぱい残っている。がしかし、読んでいるからと言って理解できているわけじゃない。人に説明しろと言われると、とんと出来ない自信だけはある。自慢することじゃないけれど。
まぁもう理解することはすっかりあきらめてはいるんだけど、哲学と名のある本を見つけるとついつい手に取ってしまうのだ。難しいから読むのが遅くて、それでもどんどん買ってしまうものだからすっかりたまってしまっている。
で、今読んでいる本は「���強の哲学」という本。文字が大きくて読みやすい。読みやすいとわかりやすいは別だけど、書いていることは今までの本に比べるとわかる。なんだけど、一つ一つのセンテンスの意味は理解できるけれど、全体の伝えたいことがよくわからん。
う~む、と思いつつも読んでいた。そして今日、あぁそういうことだったんだということに気づいてすべてが腑に落ちた。「勉強の哲学」なんだよこの本は、って。題名をちゃんと見ないといけない。
すごく勘違いしていた。哲学のための勉強だと思っていたのだ。違った。勉強のための哲学だった。題名にそう書いてあるのに、何を勘違いしていたのだろう。
この本には続編的なものがあって「メイキング・オブ・勉強の哲学」という本なんだけど、もう続きはいいかな、なんて思っていたのに、俄然読みたくなってきてしまった。
まだ今の本も読み終えていないのに次々買うのはどうかとは思うのだけれど(だからと言って躊躇したことはあまりないけれど)、最近じゃサイクルが早くて見た時買わないと手に入らないことがままあるので、そうそうに買いに行かねばと思うのであった。
余談だけど、「勉強の哲学」の文庫版の表紙に増補版と書いてあるのがとても気になる。
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馴染みのカフェにて
歩いて15分ほどのところに、なじみのカフェがある。夜はバーだが、昼間はカフェとして営業している。ブックバーと看板に掲げている通り、店の中には本がたくさん置いてあって本好きが集う場所だ。定期的に読書会も開かれている。最もこれに参加したことはないけれど。ここだけの話、人がたくさん集まる場所は苦手なのだ。
さておき、僕がこの店に通う理由は、カフェ開店時に少しかかわったこと��、オーナーとちょっとした縁があることと、何より高価すぎて手を出せない本や希少本は少なからずあるということ。お酒をあまり飲まない僕は、もっぱら昼間に出かける。混雑するランチタイムをさけ、昼下がりの一段落したころに顔を出す。
店に置かれている本は日ごと週ごとに、ちょいちょい変わっているのだけれど、そのチョイスは店長に任されていて、カフェ部店長によると今月は絵本強化月間なのだとか。
いつものカウンターの席に座り、いつものコーヒーを頼む。ここのコーヒーはオーナーの好きな味のブレンド一択たったんだけど、それだと僕には少し酸味がきつくて、無理言って苦味の多いブレンドを作ってもらった。
なので今は、酸味強めと苦味強めの二種類になっている。なんだか申し訳ない気分なんだけど、オーナーの元奥さんで僕の大学の恩師でもあるセンセが「いいんだよ、そんなの。あいつにはわがまま言っていいの、私が許す」と強引にそういうことになってしまった。
オーナーはといえば、「君が気にすることはない」と、笑っていた。どうもセンセには頭が上がらないらしい。
今日は何かインプットできる面白そうな本はないかと探しに来た。一作品書き終わると、どうも頭の中が空っぽになるらしく何かしらインプットしなければ次作が生まれない。映画を観たりどこかに旅をしたり、方法はいろいろあるんだけど、今日のところは近場でと、ここを選んだ。
普段絵本はあまり読まないけれど、嫌いなわけじゃなく、コーヒーを待つ間、絵本の棚を覗いてみた。
「ちぃちゃん、おすすめってあるかな?」
カフェ店長に聞いてみる。
「下段の右から三冊目なんかどうですか?」
言われた本を手にとって、カウンターに戻った。
ウィーズナーの「かようびのよる」。
表紙にはひらがなで題名が書いてあり、正面に時計台奥には住宅の庭からこちらを見上げる犬。犬が見ているだろう空間に、なにやらそこにはあり得ないものの影が描かれている。
次に出てくる絵、あるものが何匹かねぐらであろう沼にいる。眠っているそれらの一匹がふわりと浮いている絵。自身が浮いていることに驚く表情が何とも言えないおかしみがある。
次のページからは、それらは何匹も何匹もふわりと浮きだし、夜の空を飛んでいく。高く飛び上がったそれらは、空を飛ぶ鳥を驚かせ、住宅地の家の庭をすり抜け、窓から家に入り込む。そして地面近くを飛んでは犬に追いかけられたり追いかけたり。
そして夜明けとともに、元の沼へと帰っていく火曜日の夜の一晩の話。町では彼らが遺していった蓮の葉を眺め、首をかしげる人々。そしての火曜日にはまた別の何かが飛び上がる、と物語を締めくくっていた。上空から見た町並、驚くカラスの表情や飛び上がったそれらの愉快そうな顔、追いかけ追いかけられる犬の表情がユーモラスで面白い。
頬がほころぶような気がした。
文字も少なく、もう読み終わってしまったけれど、再び最初からもう一度眺めてしまいたくなるそんな一冊だった。
「面白いでしょ」
ふいにいい匂いがして、カウンターにカップが置かれた。
「なんだか何度も見たくなっちゃいますね」
「ふふ」
店長は満足そうに笑ってチーズケーキを一切れ、僕の横に置いた。
「試作品なんだけど、よかったらどうぞ」
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部屋は常々整頓しておくものだ。
少し前、ネットで面白そうだと思って買った本がある。「バビロンまでは何光年?」というマンガだ。宇宙を舞台としたSFで、絵柄も好みだったし話も面白かった。で、そのマンガとよく似たタイトルの小説を発見。そして思う。この小説が元ネタ、というかリスペクトしたのだろうか、と。そうなると小説のほうを読みたくなるのは世の常ではなかろうか。
その上、その小説「バビロンまでは何マイル」の著者がなんと、「ハウルの動く城」を書いたダイアナ・ウィン・ジョーンズであった。SFからFTまで幅広く書いているのかと思いつつ、マンガがSFだっただけに勝手にSFと決めつけているが、「ハウル」は読んだことがあり面白いというのは確認済みなので、きっとこれも面白いに違いない。
手近なところで、某密林で調べたところどうも新刊はないようだ。初版が2011年だからさほど古い本ではないと思うのだけど。仕方がないので古本を探す。そして先日下巻だけが手に入った。上巻が手に入るまで読むわけにはいかないので、マンガのほうでも読み直そうかと……。
ここで初めて気づく。マンガがない。おかしい。元ネタがあると知った時点で、また読み直そうと奥の方に���直していないはずなのだが、見当たらない。普段からとっ散らかっている部屋ではあるが、大体の場所は把握しているつもりだった。
ほら、この本の下敷きになっているだけ……、ない。
じゃ、こっちの書類の下か?……ない。おかしい。
というわけで、とっ散らかった部屋がさらにとっ散らかるほど探したが見つからない。一週間ほどずっと探して、ここにはないだろうという場所まで探したけれど見当たらない。
探していた一週間というもの、それにかかりきりでほかのタスクが何もできなかった。なんてこった。このあとも見つかる気配もなく、これでは時間ばかりが過ぎていく、かといってないままというのは気持ちが悪い。
というわけで、再び購入することに。時間と料金を天秤にかけ、悩んだ挙句ぽちっとした。
はぁ、とため息をつきつつ、本が来る頃にどこからか出てくるんじゃないかと思っている。ま、それはそれでいいんだが。
これを機にかねてからしなくてはと思っていた、本の所在リストを早急に作ろうと思う。
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「我は、おばさん」
先日、e-honnでのマイページを久しぶりに見てみると注文した本が発送済みになっていた。しかも半月も前に。題名を見ると「我は、おばさん」という本。岡田育という人が書いた本だ。
岡田育、という名前は失礼ながら聞いたことがない。そして本の題名も見覚えがない。いつ、どういうタイミングで注文したのかさっぱりわからない。
帯にジェーン・スーという名前を見つけて、あぁそういえばと思い出した。思い出したといっても���憶が薄いのは変わらない。たぶん、たぶんだけれど、巻末にスーさんとの対談が載っているので、それに関するツイートをツイッター上で見たのだと思う。100文字ほどの短いツイートの中でどこにひかれたのか全く思い出せないが、何か引っかかったから読もうと思ったんだろうけれど、思う出せない時点でなんだかこの本を読み始めるという気力がすでにない。この本が悪いわけじゃないけど。
目次を見てみると、マンガや小説、映画の題名が並んでいることから、そういうメディアから何かを読み解いている本だろうと推測する。そしてそれは女性に関すること。
うむ、目次を読んでぱらぱらとページをめくってみると、少し興味が湧いてきた。予想とは全く違った内容かもしれないけど、それはそれ、読んでからのお楽しみということで。女性に関する本は月曜日枠なので、今読んでいる「存在しない女たち」の次に読み始めよう。
「存在しない女たち」は結構厚い本なので、いつ頃読み始められるかは定かではないけれど、今年中に読み始められるように何とか頑張ろう。
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虫ゴム
虫ゴム、という自転車の部品があるのを先日知った。
自転車のタイヤというのは空気の入れ口の蓋を取ったからといって中の空気が出てくることはない。そういう構造になっている。なのに先日空気を入れるために蓋を外し空気を入れてみると、空気入れのノズルを外した途端、しゅーしゅーと中から空気が出てきて止まらず、きちんと入れることが出来なかったのだ。
パンクではなさそうなのだが、よくわからない。これはとりあえず自転車屋に持っていくしかないのかと、燦燦と照り付ける太陽を見上げながらため息をついた。
この暑さの中、自転車を押して歩いていくのはさすがに勘弁してほしい。だけど、それしか方法はないのも確か、と思ってあきらめていたら。
「それ、虫ゴムでなおるんじゃない?」
と弟が言ったのだ。
虫ゴム、初めて聞く名前だ。そして自転車にはなんの関わりもなさそうな名前。確かいくつか残っていいたはずだと、道具箱を出してきてくれた。
黒い小さなゴムのチューブ。袋に二つ、まだ残っていた。どこに使うのかさっぱりわからない。
聞こうと振りかえるとそこに弟の姿はなく、玄関口でググってと言っているのが聞こえた。そしてドアを閉める音。呼び止める���もなく、忙しなく出ていってしまった。
仕方がないのでネットで調べることにした。虫ゴムと検索をかけただけで、交換のしかたという動画が出てきた。やり方もごくごく簡単で、ぶきっちょの僕でもできそうで、そしてできてしまった。
弟がなぜこんな知識を持っていたのか甚だ疑問だが、暑い中自転車屋に行くこともなく、修理代もかからず、自転車が復活したことは喜ばしい。
その日の夕食には、弟の好きなおかずが一品加わったのだった。
追伸。
「なんでそこ、一品多いのよ」と目ざとく見つけた妹が文句を言い、「おまえ、ダイエット中だろ」と弟が指摘し、彼女は悔しそうに口をとがらせた。
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先日書店からのお知らせで「マカン・マラン」という本を知った。シリーズ四作。夜にだけ開店するカフェでの心温まる話、らしい。ついでに、いやついでではないか、出てくる料理というか、これがメインなのかもしれない。まだ読んでいない、ネットからの紹介文やら感想やらから得た情報で、そういう本なのかなぁと想像する。
近くの書店に行ったついでに探してみる。書店の一押しで四冊並んで平積みされていた。表紙には料理の絵が描かれていてそのタッチがすごく好みだったので、内容はともかく本棚に飾っておきたいなと思う、そんな本。
なんだけど、一冊千円強する本を四冊も買うのはちょっとお財布には痛い。かといって正規以外で安く買うのも気が進まない。で、一冊だけ買ってみた。とはいえ、積読本が多い我が家の本事情もあってすぐに読み始められるかどうかわからない。表紙だけ眺めながら放置状態が続くのではないかと思われた。
購入してから二週間余り。インスタで#マカン・マランというタグをフォローしてしまったせいか、毎日毎日流れてくる読んだ読んだという記事を見るたびに、これは読まねばならないのではないだろうか、早急に、という思いがふつふつ沸いてきて、今読んでいる本の後はこれにしようと決めたのだった。
ちなみに今読んでいるのは石田ゆり子氏の「ハニオ日記Ⅲ」。同時進行で小難しい本も読んでいるので、癒し本を挟んでおいたほうがいいのかもしれない。
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夜中に目が覚めた。
そのまま眠れずじまいで、気が付けば午前四時。
眠るのはすっかりあきらめて、皆が起きだすまでの数時間、さて何をしようか。
とりあえずはコーヒーでも、と部屋を出た。
廊下の常夜灯を頼りに階下の台所へ。
しんと静まり返った台所。
ポットに湯をかけ、その間にコーヒー豆をひいた。
粗目にひかれた豆をコーヒードリッパーのフィルターの中に入れてたところで、お湯が沸く。
少量のお湯で少し蒸らし、それからゆっくりと注いだ。
コーヒーだけでも良かったんだけど、甘いものがあればもっといい。
確かテーブルのかごにお菓子が残っていたはず。
と思い出して見てみると、一冊の本が目についた。
「ねこしき」
手書きで書かれたこれが、表題らしい。
表紙には猫が三匹と真ん中にロールキャベツの写真。
ぱらぱらとめくりながら中身をチェック。
写真と、エッセイと、レシピが載っている。
写真の割合が多いかなと、たぶんこれは真希の本だ。
同居している妹。
エッセイの類はあまり読まないのだけれど、暇つぶしにはちょうどいいかもしれない。
エッセイも興味を引くのだけれど、それよりもレシピのほうが気になる。
ので、適当に飛ばしつつレシピのところ���まず目を通した。
海苔たまサンド。
キャベツおぎゅうぎゅうスープ。
酒粕入りトマトのハーブミートボールシチュー。
写真だけでも美味しさが伝わってくる。
苺のタルティーヌは、簡単な上に見た目もきれいで美味しそうだ。
じゃがいものガレットは、朝食にいいかもしれない。
朝食というより、休日の遅く起きた朝のブランチに食べたいね。
ペラペラとページをめくっていくと、しおりが挟んであるのを見つけた。
しおりというより、少し大きめの付箋。
食べたい、よろしく。
と、書いてあった。
この文字は真希。
はぁ、まったくこの人は。
食べるのは大好きだけど、作るのは苦手な人。
自分では全くと言っていいほど料理はしない、それでいてあれを食べたい、これを作ってくれとわがままは人一倍なのだ。
だけど、何でも美味しそうに食べるその笑顔を見れば、まぁいっか、となってしまうのだ。
付箋を横によけ、レシピに目を通す。
なかなか時間のかかる料理じゃないか。
とはいえ、工程はさほど難しくない。
材料、玉ねぎ人参じゃがいも、ニンニクやローリエはあるとして、カブとセロリはまぁなくてもいいかな、問題は丸鶏だね。
これはそうそう家に置いていない。
何か代用できるものがあっただろうかと冷蔵庫を開けると、立派な丸鶏様が鎮座していた。
もしやと野菜室を開けると、昨日までなかったカブとセロリがいた。
いつの間に買ったのか。
ここまで用意されていると、作らねばならないだろう。
汁気がほとんどないポトフは、いったいどんな味がするのだろう。
レシピ通りに野菜を切り、圧力なべに放りこみ、煮込み開始。
加圧作業が終わったところで、眠気が。
この後ひたすらコトコト煮込むという作業があるのだけれど、どうにも付き合えそうにない。
何も付き合うことはない、スロークッカーなるものを思い出した。
なかなか出番がなかったあれを今こそ使おう。
クッカーの中にゆっくりと具材を移し、タイマーをかける。
そしてひと眠り。
ベッドには帰らず、ロッキングチェアーをキッチンまで運び入れ「ねこしき」を手に腰かけた。
仕上がったら、バケットでも買ってきてって一緒に食べよう。
フレッシュサラダを添えるのもいいかもしれない……。
雑多な朝のノイズで目が覚めた。
目をこすりながら体を起こすと、肩からブランケットが落ちた。
立ち上がってブランケットを拾いたたみながらダイニングを見ると、テーブルに食器をセットしている妹、真希と目が合った。
「やっと起きた。もうすぐ昼だよ」
時計を見ると11時前。
午前中ではあるが、はたしてこれを朝と呼んでいいのやら。
7時、遅くても9時前だと思っていた。
「これ、真希が掛けてくれたの?ありがとう」
「それは舜。もうすぐ帰ってくると思うから、そうしたらブランチにしようよ」
舜、弟だ。
起きる順番からすれば、舜のほうが早起きだからそうなるのか。
「顔洗ってきなよ」
ブランケットを持ったまま、まだぼんやりしている僕に真希が言った。
僕は大きく伸びをすると、洗面時に向かった。
さて、顔を洗ってパジャマを着替えて戻ってくると、舜がパンを切っていた。
バケット。
テーブルを見るとフレッシュサラダが、どんと中央に置いてあった。
ちぎったレタス、プチトマトはそのままで、かいわれ大根ときゅうり、これは太めの輪切りで、入っていた。
ゆで卵は機械できれいな輪切りになって並べられている。
これは真希作かな。
準備は整った。
僕はスロークッカーから、ポトフを皿へ取り分けた。
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